映画・テレビ

2014年12月 2日 (火)

2014年12月02日

2014年12月02日

 

 透明感のある空気の中に、山肌の雪の様子が分かる様な、くっきりとした富士が見えました。今日の一日の大半は、富士と共に過ごしました。

 晴れたら洗濯、何かの標語か宣伝のようですが、最近のように天気が目まぐるしく変わると、出来る時に出来ることは、やってしまおうという気になります。妻に電話をしたら、妻も洗濯をしている所でした。富士を見ながら、ベランダの草木に水を遣ったり、洗濯物を干したり、家事を色々やると、どうしても午前中が潰れてしまいます。

 午後になって、空には、ほとんど雲が無いのに、富士山にだけ雲が出てきました。北風のせいか、南側にだけ雲が張り付いています。以前、府中から立川へ続く崖線の上から、富士が良く見える場所があった様な気がして、我が家の前の三屋通りを、真っ直ぐ北に向かって歩いて、国立崖線に出ました。崖線に沿って、谷保天神まで歩きましたが、崖線の上の林や建物に邪魔され、視界が開けるところが、ほとんどありませんでした。谷保天神の前で、1箇所だけ視界が開けたのですが、ビルが多く、私の記憶と一致しませんでした。明日、山の仲間と、山梨の山に登るので、富士山は、明日ゆっくり見ることにして、谷保駅から昭和記念公園に行きました。

 昭和記念公園には、1週間ほど前、孫達と一緒に行きましたが、その時の紅葉が、あまりにも素晴らしかったので、まだ少しでも残っていれば、今日の素晴らしい日差しの中で、見てみたかったのです。この希は、多くは裏切られましたが、少しは希が叶いました。ほんの1週間のような気がしますが、木々にとっては、1日1日が、大きな変化だったようです。桜、銀杏、栃ノ木は、丸裸になっていました。眩い朱色だったメタセコイアは、まだ葉は残っていましたが、紅葉の眩しい時期は過ぎ、枯葉色になっていました。椚やコナラ等の落葉樹は、梢の方にだけ、僅かに黄葉が残っているだけでしたが、青空の中で、黄葉の最後の見栄を張っているようでした。一番の救いだったのは、イロハモミジの紅葉が真っ盛りだったことです。透き通った空気を貫いて降り注ぐ、太陽の光を浴びて、イロハモミジのある場所だけが、火事になったようでした。多くの木々が、冬支度を整えた中で、秋の取りを務める気概を感じました。イロハモミジの紅葉が終われば、一気に冬になるでしょう。

 今日の日没を、我が家の前の多摩川の土手で見たくなって、昭和記念公園を早めに切り上げることにしました。若しかしたら、ダイヤモンド富士が見られるかも知れないと、思ったのです。昭和記念公園でも、みんなの広場から富士山は見えるのですが、日没の頃は、閉園時間ですので、公園には残れないのです。実にタイミングよく電車とバスが来て、日没の20分前、我が家に着きました。

 寒さ対策をして、土手に出て、富士山が良く見える場所で、日没を待ちました。長く待つことも無く、太陽は富士山の中腹に落ちてきました。空気が澄んでいたので、半分になっても、直視できない様な明るさでした。山頂から、海側の裾野まで、富士山にへばりついた雲が、天空に舞い上がる前に、一休みしている、龍のように見えました。日が沈み、龍は、一旦白銀のように輝き、朱に染まり、やがて黒龍となり、天空に姿を消しました。

 昼間から出ていた月は、日が沈み、宵闇が進むにつれて、明るさを増して行きました。昨日より、更にお腹が膨らんでいました。今日も、旨い酒が飲めました。

 

「富士の峰の 小皺が見える 良き日かな 化粧は日々に 厚くなれども」

「その昔 富士見が丘と 言われしも 富士を遮る マンションばかり」

「冬支度 銀杏並木は 丸裸 落ち葉に映る 裸の肢体」

「晩秋が 初冬に変る 幕切れに 梢の黄葉 青空に映ゆ」

「秋舞台 イロハモミジが 取り務む 期待に違わぬ 派手な幕引き」

「富士の峰に 一時休む 昇竜の 身体を染めて 陽は落ち行けり」

「日は落ちて 向こうが丘に 灯の点り 月も明るさ 増して行くなり」

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2014年4月19日 (土)

2014年04月18日

2014年04月18日

 

 朝から雨となりました。東京は、およそ12日ぶりの雨だそうです。日本の山河は、雨と共にあり、乾燥は似合いません。

 今日は、もう妻が帰る日になりました。朝食兼昼食に、昨日の餃子の中身の残りで、炒飯を作りました。朝から、大変な匂いとなりましが、炒飯もなかなかの味で、朝から良い気分になりました。外は、何時の間にか、ハナミズキの季節になり、家からバス停までは、赤白と交互に植えられたハナミズキが、ちょっとした花回廊を作っています。その花回廊を潜って、そぼ降る雨の中を、国立まで妻を送り、帰ってきました。ほとんど、新緑に変わった我が家の側の桜公園の中で、八重桜ではない、一本の桜の白が、妙に色っぽく感じました。

 今日は、夕方から府中四谷地域のコミュニティー総会があり、アパートの自治会会長の代理として参加しました。総会の内容は、昨年度の決算、本年度予算、役員人事、昨年度の活動報告、本年度の活動計画で、全て異議なく承認されました。その後懇親会が行われました。四谷地域のコミュニティーの代表は、小川さんが沢山いました。懇親会の席で、何人かの古老と話すことが出来ましたが、江戸末期の頃は、この地域には、小川さんの四つの屋敷しかなく、昔は、四屋と呼ばれていたそうです。ところが、昭和に入って、都心の四谷と同じように現在のように四谷と改名したのだそうです。そういえば、都心の四谷は、四つの谷がありそうですが、此処には、全く谷がありません。私のアパートの前に、三屋通りがありますが、これは昔の名前の名残だそうです。

 また、昭和の初期までは、この地域には、小川さんと土方さんぐらいしか住んでいなかったそうですが、戦後の高度成長期以降、住宅が増え続け、今でも増え続けているそうです。この地域のある場所で、新興の住宅が建つと、お年寄りの誰かが死んで、遺産相続があったと思うそうです。多くの場合、相続税を払いきれないので、田畑を売ることになるそうです。

 私のアパートの住民のほとんどは、私を含めよそ者ですが、コミュニティーの活動に協力していこうと思います。なかなか、面白い懇親会でした。

 

「赤白と 交互に並ぶ ハナミズキ 我が家へ続く 花の回廊」

「新緑の 中で孤高の 桜花 雨に霞みて 艶めいて見ゆ」

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2014年2月24日 (月)

2014年02月22日

2014年02月22日

 

 18日から21日までの四日間は、日本の高齢化社会の今後を、考えさせられました。現在の多くの問題の原点は、太平洋戦争の敗戦にあると思います。価値観の急激な崩壊、統治機構の変化、民主主義思想の到来、急激な経済構造の変化、旧来になかった成功体験、家族の在り方の変化、科学技術の急速な発展、経済の停滞への移行等など、本来、百年以上かかる変化が、五十年の間に起きました。現在の高齢化社会の様々な問題は、戦後日本が歩んできた道の、当然の延長線上にあります。この解決方法は、神様が用意してくれるわけでもなく、論理的に導き出せるものでもなく、現実の問題として、泥臭く解決するほかありません。泥臭いとはどういうことか、それは、自分の利害をきちんと把握し、きちんと意見を言って、他の利害と闘ってみることだと思います。その闘いの結果が、一応の妥協の解決策となるでしょう。

 何故病院は、治療法がないという理由で、老人を追い出すのか。何故公共の介護老人ホームは、全ての老人を受け入れられないのか。自分が生きるのでさえ難しいのに、自宅介護をしなければならないのか。何故何の問題も無く、老後を生きれる人と、そうでない人がいるのか、人々が抱える利害関係は、更に多岐に及び、複雑でしょう。それらを、きちんと見せ合って、どのように妥協していくか、知恵を絞るほかありません。若し、妥協を拒むと、殺し合いの戦いになります。

 また、生命に関する倫理観についても、もう一度見直す必要があるでしょう。倫理観は、これまで、宗教を基礎として築き上げられてきましたが、宗教を含めて見直さなければならないと思います。

 頭で色んなことを考えても、日常の生活は変わらず、今日も、雪の残った多摩川沿いを、大栗川との合流点まで歩きました。これまで出会ったことのない小鳥に出会い、胸が高鳴りました。ジョウビタキの雌、モズの雌、ホオジロです。小鳥の雄は、非常に派手で、頭の中に残っているのですが、雌は地味で、持ったく違った小鳥に見えます。こうした、仙人のような老後を過ごせる私は、こうした老後を暮せない人から見れば、腹立たしい存在だろうと思います。

 

「北側の 斜面に白き 残り雪 近づく春に 最後の抵抗」

「白鷺の 群れかと思う 土手の雪 もうすぐ群ごと 飛び去り行かん」

「この近く 子供がいるか ジョウビタキ 飛んでは戻り 我を恐れず」

「百舌の母 父とは違い 柔和なリ 子等も安心 ついて行けるね」

「君の顔 名前の通り ホオジロさん 誰がつけたか 良き名前かな」  

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2010年9月11日 (土)

2010年09月10日

2010年09月10日

 「楠の実の 半年かけて 小豆大

楠鉄砲の 弾の大きさ

「大木に 数え切れない 楠の実は

     戦争ごっこの 弾薬倉庫」

「枝伸ばし 自由に花咲き 実を付ける

     この道のとべら 幸せ者なり」

 「出会いたる 実もたわわなる ムクロジュの

     緑の玉が 宝石に見ゆ」

 「大木の 大きな葉陰に 恥ずかしげ

     実り少ない 今年の栃の実」

「アカシアの 木立の下に 秋土筆

薄紫の 筆の立ちおり」

 「夏草の 刈られた後に 露わなり

     衣纏わぬ 秋土筆かな」

 今日は、中河原を経由して郷土の森公園まで、多摩川の左岸の土手の一つ奥の緑道を歩き、帰りは土手の道を歩きました。この緑道は、人間の手で整備された道ですから、自然の草木が自生しているわけではありません。しかし、植え込まれた木の種類は、豊富です。

 楠木は、南国の木で私の子供の頃の家にもありました。また、楠木は、一年中葉を落とし、庭の掃除が役目だった私としては、厄介な木でもありました。しかし、戦争ごっこの時には、とても役に立ちました。楠の実が、楠鉄砲の弾になるのです。楠鉄砲は、紙鉄砲と同じで弾が楠の実になるだけです。決定的に違うのは、鉄砲を撃った時、先端から楠の実の汁が、煙のように立ち上ることでした。子供心にその煙が、本物の鉄砲のようで、とても格好が良かったのです。

 緑道が、京王線と突き当たる所(キューピーマヨネーズの工場の手前)に、ムクロジュが一本ありました。これで、深大寺、城山公園、住吉町公園、桜ヶ丘公園でそれぞれ一本ずつ4本のムクロジュに出会いました。よく探せば、もっとあるのかもしれません。今日出会ったムクロジュは、大木と言うほどではありませんが、実の生り方は、一番です。木から零れ落ちると言う表現が似合います。

 トベラにも出会いました。トベラも、子供時代の我が家にありました。昔の我が家の庭木のほとんどは、目の前の山から取ってきたものだったと思います。現在の我が家の近くの公園の植え込みに使われているトベラは、短く刈り込まれ惨めですが、この緑道のトベラは、刈られることも無く伸び伸びしています。植えられた場所によって、運命が随分変わるものです。トベラだけでなく、この道の栃の木は、桜ヶ丘の栃の木並木と違って、悠然と枝葉を伸ばしています。実の生り方は少ないですけどね。

 帰りの土手の道に、紫色の筆のような花が、地面からいきなり花茎を伸ばして沢山咲いています。名前は分からないのですが、細い土筆の様な形をしているので、勝手に秋土筆ということにしました。野の花らしく、可愛い花です。

 

 

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