日記・コラム・つぶやき

2017年8月19日 (土)

2017年08月18日

2017年08月18日

 

 今日の未明、雨が降ったそうで、18日連続の雨だそうです。私が、窓を開けた6時半頃は、もう雨は止んでいました。

 昨日、土方歳三の墓のある石田寺に行きましたので、今日は、近藤勇の墓のある、野川公園の近くの龍源寺に行こうと思っていました。所が、散歩に出かける時刻の、2時近くになって、急に空が暗くなり、雨が落ちてきました。出鼻を挫かれたので、今日の龍源寺散歩は、止める事にしました。

 3時近くから、録画してあった、太平洋戦争の特別番組「インパール作戦」を見ました。太平洋戦争の日本の作戦は、全てが常軌を逸していました。最初もそうですが、戦況が思わしくなくなってからの、日本軍の作戦は、まさしく狂気そのものです。精神力で戦争をしようなどと考えるのは、何処かに宗教の影があります。インパール作戦の司令官だった人が、前線でやった事が、毎朝、戦勝祈願の祝詞を上げる事だったと番組の中で言っていました。司令官が、真っ当な戦略も戦術も無く、神頼みでは、兵隊は堪ったものではありません。弾薬や食料の補給も無く、極端な言い方をすれば、敵の機関銃隊に刀で切り込めとか、戦車には手榴弾で対抗しろとか、飛行機は竹槍を投げて落とせとか、兵隊を見殺しにする命令を、何の躊躇も無く出せるのは、狂気以外の何物でもありません。そして、それらの命令が成果を上げないと、兵隊の大和魂が足りないから、神も応援しないのだと言われたら、兵隊は、死ぬ他道がありません。良く良く見ると、私の周りにも、精神論をぶつ人は、結構いる事が分りました。

 日本人は、何故こうも情緒的なのでしょうか、長い歴史の生活文化が、情緒的人間を育ててきたのでしょうか、良く分りません。かなり昔の事ですが、日本人の中で、情緒的な人間と合理的な人間の割合は、7対3位だと聞いた事があります。明治以降の文明開化と、戦後は、この合理的な人間が、日本の発展を支えて来たとも聞きました。情緒的で叙情性豊かな人間が、日本では尊敬され勝ちですが、これは生命の原理に反します。合理的で無ければ、本来生きる事は出来ないのです。叙情的に生きていけるのは、権力を持ち、自分の力で生きていく必要の無い人間達の、暇潰しの生き方だと思います。現在の私の生活と同じようなものだったろうと推測できます。日本の武家社会は、戦闘集団が作ったのですから、本来合理的である筈なのですが、権力の座にいる事が長くなると、貴族階級の物真似をするようになり、本来の合理性を忘れてしまいました。日本が、欧米列強諸国の影響を受けて、非合理的な支配組織を脱して、まだ、150年程度しか経っていません。所が、明治維新を成し遂げ、非合理的な支配組織からの脱却を果たしましたが、人間自身を変える事が難しく、極めて不完全だったため、社会の多くには、情緒的な人間と組織が残りました。これが、太平洋戦争の悲劇を生む原因だったと思います。幸いな事に、私の人生は、戦争無き人生でした。お陰で、73まで生きる事が出来ました。この幸せな状態で、早めに人生の幕を閉じたいものです。

 「インパール作戦」をテレビで見た後、高校野球の神村学園―明豊戦を見ました。5対2で明豊が勝っていたのですが、9回表、神村学園が同点に追いつき、延長12回には8対5と勝ち越しました。これで、勝負があったと思ったのですが、その裏、明豊が、4点を入れて、9対8でサヨナラ勝ちをしました。なんとも、劇的な試合でした。高校野球に限らず、日本のスポーツの世界では、未だに「根性が足りない」とか言って、選手を殴るコーチや監督がいるそうです。しかし、本当に試合の勝つ為には、合理的練習と合理的戦術・戦略が必須です。基本的体力差によって負けるのであれば、身体能力の改善には、何世紀もの時間とか、身体能力の強い血を受け入れる他、手の施しようがありません。神頼みとか、精神論は止めて欲しいと思います。そして、更に肝心なのは、試合というのは、あくまで試し合うことですから、相手を叩き潰す事では有りません。試合後は、相互に称え合って欲しいと思います。高校野球では、それが出来ているように思います。国家間の戦争も、相手の行き過ぎを、公正な方法で、たしなめる程度にして欲しいと思います。そして戦争後は、お互いに協力することが出切れば、最高だと思います。このようになるまでに、人間の叡智の向上を、あと何世紀、待つ必要があるのでしょうか。

 高校野球を見た後、5時頃から、四谷橋を渡って帰って来る、短い散歩で、外の風に当たってきました。空には、所々に青空が見えました。明日は、若しかした良い天気だと期待しました。多摩川は、水量が増え、白鷺は餌を捕るのに困っているようでした。川鵜達は、少々の水の多さは気にしません。夕餉は済んだのでしょう、送電線の塒は、満員状態でした。

 夜は、実に久し振りに、ステーキと手羽焼きを摘まみに、赤ワインで晩酌にしました。

 

「民主主義 国の制度に 助けられ 年金暮らしは 仙人暮らし」

「人間は 自ら作る 生きる糧 そこから始まる 複雑社会」

「ればたらの 空虚な国の 戦略に 屍の山を 異国に築く」

「若者よ 情の世界に 流さるな 常に流れて 何をも生まず」

 

 

 

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2017年8月18日 (金)

2017年08月17日

2017年08月17日

 

 つい今し方まで、雨が降っていたような朝でした。ベランダの前の電線に、雨の雫が並んでいました。17日連続の雨だそうです。

 今日は、午後は雨が降らないようなので、久し振りに御朱印帳をリュックに入れて、石田寺と宝泉院を廻ってきました。

 この所、散歩の量が少ないので、今日は、少し多めに歩こうと、午後1時には、家を出ました。我が家の前の水門から、四谷橋の方を見ると、河原の殆どが、葛で覆われていました。荻も薄も、桑の木などの木々もあったのですが、葛の原に変わっていました。葛の繁殖力の強さには、毎年感心しますが、今年は8月に入って雨が多いので、繁殖力が1段と旺盛になっているようでした。

 土手の道を、石田大橋の方へ歩くと、背丈の伸びたツメクサが、優雅に咲いている場所がありました。ツメクサの盛りは過ぎて、花が黒い玉になっている所が多いのですが、まだまだ、元気な連中も残っていました。白ツメクサと赤ツメクサの花が、仲良く咲いているのが、良い気持ちにさせてくれました。

 長雨の影響で、土手の道にも、多くの種類の茸が顔を出していました。浅川の方の土手も含めて、今日の散歩で見た茸は、10種類を越えました。私の掌よりも、大きな傘を持った、茸もありました。中心部分が紅い、日の丸のような茸もありました。

 石田大橋を渡り、水再生センターの南公園に行くと、生け垣に使われているアベリアが、白い壁のように咲いていました。細長い公園の真ん中辺りに行くと、なにやら良い薫りが漂ってきました。ローズマリーの庭園になっていたのです。花が沢山咲いていました。香草系の植物は、どれも生命力が強いような気がします。ここのローズマリーは、細い枝が垂れ下がるように伸びて、髪を振り乱した状態で、公園を席巻していました。そこから、少し歩くと水琴窟があります。その横から出ると、石田寺は目の前にあります。

 浅川と多摩川の三角州は、昔、石田村と言って、土方歳三の故郷でした。昔からなのでしょうが、現在、この一帯には、土方姓の家が、何軒もあります。石田寺には、土方家の墓が、私がざっと数えただけでも、30を越えていました。その中に、土方歳三の墓もありました。記念碑も建てられていました。私が、石田寺に来た時は、必ず一人か二人、土方歳三の墓参りをする人がいるのですが、今日はいませんでした。

 呼び鈴を押して、御朱印を頼むと、無愛想な住職が出て来て、御朱印帳を受け取ると、玄関の戸を閉めて、無言で中に入りました。5分くらいすると、御朱印帳を持って出て来ました。立派な御朱印でした。ありきたりの質問ですが、「この辺りには、何件くらいの土方家があるのですか」と聞くと、「百軒くらいかな」面倒そうに応えました。また、「土に点のある土方姓がありますが、何か謂われがあるのですか」と聞くと、「良く知らないな」とけんもほろろでした。余程、私の初印象が悪かったのでしょう、早々と退散する事にしました。

 石田寺は、樹齢400年の榧の木が、本堂の前に立っています。日野市の天然記念物にも指定されています。今日ネットで調べて、初めて知ったのですが、石田寺の読み方は、「せきでんじ」だそうです。

 石田寺から、新井橋を渡って、浅川の右岸に出ました。月見草が沢山咲いていて、月見草にも白花があるのかと思って、良く良く見たら、花が萎れると色が抜けて、白くなるようでした。ヒメジョオン、ヤマイモ、オオアレチノギクの花が、咲き続けていました。

 浅川の土手から、程久保川に出て、四谷橋、一の宮へと歩きました。一の宮交差点の横に、稲田が聖蹟桜ヶ丘のビル群を背景に、青々と稲を実らせていました。直ぐ横には、栗林もあり、緑のイガグリが、まるまると肥えてきて、今にもはち切れそうでした。

 宝蔵橋を渡って、大栗川を越えると、大きな庭を持った家があります。この庭は、何時訪れても、花が1杯なのです。野草ではなく、栽培種の花ばかりなので、豪華絢爛です。宝泉院に行く坂の上から眺めると、その家の人よりも、道行く人の為の花園のようでした。花好きの家主に感謝です。

 花の屋敷から、2分も坂を登ると、宝泉院に着きました。6月末、多摩13仏巡りで来た時は、どなたかの不幸があり、8月になってから来て欲しいと言われたお寺です。今日、御朱印を頼むと、6月に、声だけで応対してくれた、お婆さんが出て来ました。このお寺では、御朱印帳には、書いてくれないようでした。仕方が無いので、この寺のご本尊(十一面観世音菩薩)と、多摩13仏(文殊菩薩)の、御朱印の紙を貰いました。お婆さんに、「この前来た時は、ご不幸があったようですが、ご住職だったのですか」と聞いたら、私の事を思い出したらしく、「住職は、子供に譲って、長老でした」とのことでした。恐らく、お婆さんの旦那だったのでしょう。「ご冥福をお祈りします」と言うと、「ご丁寧にありがとうございます」と深々と頭を下げられました。お寺の人に、こんなことを言って良いのかと思いましたが、他の言い方を知らず、思わず口に出たのですが、しっかりと受け止めてくださいました。今日の宝泉院で、多摩13仏全ての御朱印を頂きました。

 宝泉院から、桜ヶ丘の崖下の公園を抜けて、霞ヶ関橋で、もう一度大栗川を渡り、聖蹟桜ヶ丘の駅に出ました。4時過ぎていました。駅では何もする事が亡かったので、カルディーで只のコーヒーだけ飲んで、4時11分のバスで、我が家の方に戻り、お弁当等、軽く買い物をして帰りました。5時近くになっていました。今日は、非常に満足しました。

「見渡せば 河原一面 葛の原 河原の攻防 勝者明らか」

「長雨に 背丈の伸びて 柳腰 赤白ツメクサ 競い咲くかな」

「長雨に 日向の道に 茸出ず どこもかしこも 木陰と同じ」

「生け垣の 白きアベリア 満開に 道沿いに建つ 白塗りの壁」

「公園で 髪振り乱し 薫り撒く メドゥーサ擬き 夏のローズマリー」

「石田寺 檀家の半分 土方家 土方歳三 安らぎの地」 

「月見草 月見ぬ日々の 多かりき 今年は異常 葉月の長雨」

「一の宮 ビルを背にした 稲田有り 栗も実りし 多摩の古里」

「宝蔵橋 花1杯の 庭のあり 道行く人も 心華やか」

「宝泉院 昔の大黒 お婆さん 何処にでも居る 優しき婆さん」

 

 

 

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2017年8月17日 (木)

2017年08月16日

2017年08月16日

 

 今朝も雨でした。この所、毎日、山水画のような風景を見ています。電柱と電線が無ければ、絵のような景色の筈です。テレビのニュースに拠れば、東京は、8月に入って今日まで、ずっと曇りか雨だったそうです。こんなことは、40年振りだそうです。そして、心配した通り、稲や野菜類の生育に、かなりの影響が出ているそうです。

 昨晩、次男と酒を飲みながら、現在の職場の状況について少し話しました。私は、公務員という温室が職場でしたので、色々な製品を作る工場とか、外食委産業とか、セールスを等の販売業、農水産業等に務めた事は無く、日本を支えている産業の勤務状況については、私の生活と関連する所で垣間見る他は、テレビ等のニュースでしか知りません。

 次男に拠れば、外食産業の勤務状況は、相当劣悪だそうです。昔、日本の食堂等は、若者を厳しく鍛えましたが、最後はのれん分けをして、独立した経営者にしました。所が、現在は、米国のファーストフードの影響を受けて、経営者は何時までも経営者で、従業員は何時までも従業員のようです。料理の作り方から、客のアテンドまでマニュアル化されて、個人的な技術の向上など、むしろ余計な事になったようです。従って、従業員は、学生のアルバイトや、パートの従業員の方が好まれるようです。給料を安く抑える事が出来るからです。当然従業員の給料も安く抑えられ、少しでも給料を増やす為には、働く時間を増やすしかないようです。毎日、昼前から深夜まで働いて、やっと食べていける程度の金しか稼げないようです。これでは、恋人と出会うチャンスも無くなり、家庭を持とうという気持ちすらも、無くなってしまうようです。これは、少子化の進行を加速しているようなものです。少子化が進めば、経済のパイが小さくなり、不景気になると言われています。

従って、安倍政権は、給料の増加、働き方改革、女性の活躍する社会、1億総括役社会の実現を目指した改革を実施しようとしています。一見した段階では、誰もこの政策を悪いとは言えないでしょう。しかし、今後、あらゆる職業に於いてIT化が進み、人間とITの関係は、更に増大すると共に、人間が行う職業は、ITの補助程度になり、人間の職業における活躍の場は、益々狭まる可能性があります。安倍政権も米国のトランプ政権も、将来の人間社会の変化について、きちんとした見通しが無く、高度成長期の経済理論にしがみついているように思えます。その為に、株価とか様々な経済指標を、政府が介入して人為的に操作し、見せかけの経済だけ、良くなったように仕向けています。

経済の問題は専門ではありませんが、素人でも現在の政治の、経済への関与の仕方には、疑問を持ちます。長くなりそうなので、ここらで止めますが、出来れば、各分野の専門家を集め、人類の未来を研究する機関を設置して貰いたいと思います。人類は無限にパイを大きくする事は出来ません。世界の人口は、増え過ぎました。現在の10分の一でも、良いでしょう。未来を研究する機関で、パイが縮小する際の経済についても、研究して欲しいと思います。

今日は、1日雨が止みそうにありませんでしたので、午後2時頃から、バスで聖蹟桜ヶ丘に、気晴らしに行ってきました。家で、パソコンの前に座るか、テレビの前に座るかしかやる事が無いと、気が滅入るのです。

聖蹟桜ヶ丘で、先ず、文房具店に行って、トンボのインク式ボールペンのインクを買いに行きました。インクの予備が無くなったのです。私は、毎日某かの、標語というか、感想というか、和歌というか、訳の分らない75調の文を作っています。その文を、手書きでノートに写す事にしています。手で字を書かないと、手の機能が衰えてしまいそうな気がするのです。そうすると、只でさえ進行しているボケが、加速しそうな気がするのです。本当は、筆で書きたいのですが、時間が無い時は、サボってしまいそうなので、止めました。暫くは万年筆で書いていたのですが、縦書きで右から左に書く為、インクの乾きを待つ事が多くなります。ボールペンにすれば、全く問題は無いのですが、どうも一味足りません。このような訳で、インク式ボールペンを使っています。予備を5本買って来ましたので、2年くらいは大丈夫でしょう。

その後、デパートや食料品店等を廻りましたが、何も買う物がありませんでしたので、我が家の近くに戻り、ホームセンターに行きました。そこの植栽売り場で、雪華草を見つけました。神代植物園にも植えられていましたが、名札がありませんでした。小さな白い花を沢山付ける草花です。「雪華」は、一昨年亡くなった、書を嗜んでいた従姉の雅号です。私も、雅号の付いた従姉の書を、何枚か持っています。戦後間もなく、私の母親が病没し、伯母の家で一時期暮らした事がありました。その時、一緒に暮らした従姉です。これから、この花を見る度に、従姉の事を思い出すでしょう。

植栽売り場から、電気製品売り場に行き、洗面所の電球を買い、ついでに、小さな整理箱を1つ買って帰りました。沢山溜まった手紙類を整理する為です。別に断捨離をする積もりはありませんが、そろそろ、父との思い出(私が社会に出る迄の時期)を纏める時期になってきたので、父との手紙の遣り取りを、他の手紙類と別にしたかったのです。今日は、既に晩酌の用意をする時間になっていましたので、何時かやる事にしましょう。

 

「文明は 急加速して 進化遂げ 人の生き様 人事では無し」

「花売り場 雪華草の 名を見つく 今は世に亡き 従姉の雅号」

「父逝きて 役半世紀と なりたれば 若き日の父 知るは我ばかり」 

 

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2017年8月16日 (水)

2017年08月15日

2017年08月15日

 

 今朝は、川向こうの七生丘陵が、見えなくなるような雨の朝でした。一体、今年の8月はどうしたのでしょうか、暑くない雨の多い8月は、矢張り変です。

 今日は、お盆の終わりであると同時に、終戦記念日です。終戦記念日になると、閣僚や国会議員の靖国神社への参拝が、問題となります。今年は、閣僚の参拝は無かったようですが、多くの国会議員が、集団で参拝したようです。私は、どの宗教も嫌いになってしまいました。人間の狂気の原因が、宗教による場合が多いからです。宗教は、論理では無く信仰を言動の基本とします。信じる者は救われ、信じない者は、迫害され抹殺されます。論理無き所に、正義も公正も平等も寛容もありません。しかし、論理は現実では無く、思考の産物ですから、多くの人から支持されるのは、至難の業です。結局は、現実の多くの犠牲を積み重ねて、多くの人が納得できる論理が、現実社会の現実の力になります。現在の民主主義や人種の平等と言った論理は、非常に多くの犠牲の上に勝ち取られました。しかし、前述したように、論理は思考の産物ですから、別の思考は、無限に存在します。有る有力な政治家が、勝手な論理構成で、戦争に国民を導く事は、日常の事なのです。そして、その論理を国民に支持されるように仕向ける為に、宗教が利用されます。宗教の基本は、前述したように、自分の神を信じる者は許し、信じない者は抹殺を厭わないので、宗教の違う国家間の戦争の、格好の協力者になります。相手を憎み身内の結束を高めるからです。政治権力者と宗教の協力関係が始まったら、国民は、逃げ道を閉ざされ、後は従う他無いのです。ですから、日常の簡単な事であっても、政治と宗教を切り離さなければなりません。それが、太平洋戦争の教訓だったと思います。ですから、政治家の靖国参拝は、看過できない事なのです。しかし、或る論理を持つ政治家にとっては、この教訓は、邪魔な物のようです。現在も、イスラム教とキリスト教の戦いは続いて居ますし、民族間の戦いの火種も消えていません。冷戦時代の名残の戦争が、再度頭をもたげています。このような国際情勢を背景に、政治家の中には、戦争是認の風潮が高まっています。日本国民が、あらたな戦争に巻き込まれる事もまた、国民の為の論理を強化する為の、現実の試練なのでしょうか、暗澹たる気持ちになります。

 今日は、朝からずっと雨が降り続いていましたので、散歩は止めようかと思ったのですが、霧雨のようだし、空が少し明るくなったような気がしたので、午後2時頃から、聖蹟桜ヶ丘まで歩く事にしました。所が、外を歩いてみると、雨は、思いの外、雨がしっかり降っていて、とても傘無しで歩ける状態ではありませんでした。四谷橋まで行った所で折り返し、近くのスーパーで買い物をして、帰りました。3時頃には、家に着きました。

 時間は、たっぷりあったので、テレビを見る事にしました。今日は、関西地方も雨らしく、高校野球が1日順延で、今日は試合がありませんでした。仕方が無いので、録画してあった「蜩の記」を見ました。武家社会の制度と、武家社会における家を守る為の、個人の策略、忠義、犠牲に関する物語でした。関連する百姓や商人の生活も織り交ぜられていて、そこそこ見応えの或る物語でした。しかし、私は、貴族階級よりはましだと思いますが、長く支配階級であった武家社会も、好きではありません。従って、一般的に支持されている、武家社会の論理や倫理などは、国民の大多数を占めた百姓の為の物では無く、武家社会が支配階級であり続ける為の物だと思っています。それは、私が百姓の子孫だからです。

 テレビを見ていると、今日休みの次男が起きて来ました。次男は、この物語は、既に見ていたらしく、散髪に出かけました。この物語が終わると、5時半になっていました。次男との晩酌を考えて、ゴーヤチャンプルーでは有りませんが、ゴーヤを加えた野菜炒めと、オクラとピーマンの叩き、秋刀魚の開き、今日買ってきたトンカツを用意しました。私は、6時過ぎから飲み始め、次男は6時半頃に帰ってきて、晩酌に加わりました。次男も、酒の肴に刺身を買ってきて、結構優雅な晩酌となりました。

 

「人の世に 決まった道など 有りはせぬ 自ら作る 自らの道」

「各人が 作る道は 異なれど 譲り合えば 共に歩ける」

 

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2017年8月15日 (火)

2017年08月14日

2017年08月14日

 

 向かいの丘が、白く煙った雨の朝でした。夏、あまり暑くないのは、助かる事も有りますが、良い事ばかりではありません。実りの秋へ、順調に進むのか心配です。

 午前中降っていた雨も、午後には止んだので、今日は、立川根川公園から残堀川まで歩いて来ました。

 午後2時を過ぎると、空が大分明るくなりましたので、午後2時半に家を出て、土手の道へ出ました。土手を歩いていたら、ジャコウアゲハが飛んでいました。普段なら、人が近づくと飛び去るのですが、今日は、私の前を道案内のように飛んでいました。お陰で、写真が撮れました。私と同じ老年の蝶で、素早い動きが出来なくなったのかも知れません。子孫は上手く残せたのでしょうか、それが気懸かりでした。

 左側の土手下の道に、アキアカネが行ったり来たりしていました。かなりの数でした。アキアカネは、すいすいと飛んでいて、急にUターンするのですが、何をターニングポイントにしているのか、知りたいものです。

トンボを見ながら歩いていたら、「やーやーやー」と和やかに笑いながら、近づいてくる小父さんがいました。知り合いだと思えないのですが、散歩中に話をした人は何人もいますので、その内の一人かも知れないと思いました。その小父さんは、更に近づいて、握手をして「行ってらっしゃい」と言ってくれました。あまりに急な事で、言葉は出ませんでしたが、手だけは強く握り返しました。

 石田大橋を過ぎ、中央高速の橋を過ぎて暫く歩くと、根川を渡る小さな吊り橋まで、人家と生垣が続きます。その生け垣に出来た、蜘蛛の巣団地が、午前中の雨で水浸しになっていました。水浸しと言っても、銀の水玉をすくった網のようになっていました。ヴェルサイユ宮殿とまでは行きませんが、味わい深いシャンデリアの列でした。

 吊り橋を渡ると、根川の桜並木が始まります。通りの左側は、陸上競技場と野球場になっています。この根川の桜並木は、残堀川まで続き、多摩川桜の名所八十八箇所の六十七番になっているそうです。

 1つ橋を潜ると、カワセミの来る池になります。今日は、何時も来るカワセミも、カワセミの写真を撮る為に集まる小父さん達もいなくて、閑散としていました。コウホネの葉の上に、川トンボが休んでいました。

 次の橋の下を潜って、柴崎体育館の横に出ると、薮蘭が沢山咲いていました。薮蘭の花の時期は、夏だったか、春にも咲いていたような気がしました。近くに、八重の山吹が咲いていて、こちらの方は、狂い咲きだと思いました。水路沿いに植えてあるコムラサキが、実の色と同じような紫の花を、咲かせ始めていました。

 もう一つ橋の下を潜ると、立川根川公園の最後のゾーンになり、最後の最後に、人工ではありますが、野川のせせらぎの源流となっている、石造りの噴水があります。噴水の池には、コウホネの花が沢山咲いていました。池の縁には、白百合が咲いていました。噴水の後ろは、残堀川になります。普段は、水が少ないのですが、今日は、水嵩が増えて、カルガモたちが、のんびりと泳いでいました。

 ここから、崖下の道を通って、モノレールの柴崎体育館駅、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘経由で我が家に戻りました。帰り道に、何時もは朝早い時期しか、花が開いていない、オシロイバナが咲いていました。オシロイバナの横には、珍しくホウセンカ(鳳仙花)の花が咲いていました。幼い頃は、何処の家の庭にも咲いていたような気がします。家に帰ったのは、5時過ぎでした。

 夜は、録画して置いた、「731部隊」「何故日本は焼け野原になったか」という、戦争の特集番組を見ました。言いたい事は山程ありますが、一言で言えば、「戦争は狂気であるが、狂気を狂気と思わせないのが戦争の一番怖い所だ」と思いました。日本は、二度と自ら戦争を起こしてはならないと、改めて思いました。

 

「蝶達よ 土手に子孫は 残すなよ もうすぐ丸刈り 魔の手が来るぞ」

「土手下の 河原は水の 上がり来る 人里近くは 虫等の修羅道」

「目の前を 赤とんぼが 行き来する めぼしき相手 探し出せたか」

「生け垣の 蜘蛛の巣団地 水浸し 水玉となり 網上浸水」

「雨の後 蜘蛛の巣輝く 野の小道 離宮の廊下の シャンデリアかな」

「カワセミの 代役俺には 務まらぬ 目立たぬ場所に 川トンボかな」 

「昼下がり オシロイバナの 花開き 右に左に ラッパ転がる」

「幼き日 思い出誘う 鳳仙花 葉の陰に咲く 朱き花かな」

 

 

 

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2017年8月14日 (月)

2017年08月13日

2017年08月13日

 

 今朝は、一面雲に覆われた空でした。今日から盂蘭盆です。8月も中旬になろうとしていますが、今月、文句無しに良い天気は、2,3日しかなかったような気がします。

 一昨日5弁の仙人草について書きましたが、ネットで調べて見ても、仙人草の花は、4弁が通常でした。ドクダミの5弁の花は、意識して探しましたが、仙人草の5弁の花は、本当に偶然でした。また、仙人草がクレマチスと呼ばれ、展示会が行われる程綺麗なものは、外国産だと分りました。ネットでの説明に拠れば、「センニンソウ属は世界中に300種、日本には20種以上がある。花の美しいカザグルマや、それに類似の花の美しい外国種が栽培され、クレマチスと呼ばれている。日本産のもので、蔓になって小型の花を多数つけるものはセンニンソウまたはボタンヅルの名で呼ばれる。」とのことでした。

 また、パッションフラワーは、和名は時計草とのことで、次のような説明がありました。「和名は3つに分裂した雌しべ時計の長針、短針、秒針のように見える特徴のある花を咲かせることに由来する。英名 passion flower は「キリスト受難の花」の意味で、イエズス会宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた」。パッションフラワーも、白花は非常に珍しいようでした。

 初雪草は、葉の大部分を白い斑が占めているので、何処に花があるか見つけにくいのですが、良く良く見ると、普通に茎の先端部分に、花が咲いていました。花が、白い花弁なので、一見しただけでは、分りにくかったのです。

 今日は昼から、中河原経由、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。お盆の時は、お寺も忙しいでしょうから、お寺巡りは止めたのです。私が、散歩する時に限って、日差しが出て来ました。

 午後1時半頃に家を出て、四谷医院から、中河原へ向かいました。この辺りは、田畑が比較的残っている地域で、稲の花が咲き始めた田、既に実が肥り頭をたれ始めた田、花の気配も無い田と、田によって稲の育ち方に、随分差がありました。恐らく、田植えの時期が違ったのでしょう。

 色々な野菜が植えてある畑の垣根に、早くも「むかご」がなっていましたので、ほんの少しだけ頂いてきました。その脇を、ツマグロヒョウモン蝶が、休んでは飛び休んでは飛びしていました。アゲハ蝶は、翅を休めるのは、非常に希なので、写真に撮るのが難しいのですが、ツマグロヒョウモン蝶は、動きがゆっくりしているので、写真の撮り易いです。

 暫く歩くと、住宅地の一角が、田圃と植木を育てる場所になり、急に田舎の風景になりました。その真ん中に、この土地の持ち主の墓がありました。墓の周囲に、小型の向日葵のような花が、沢山咲いていました。今、何処にでも咲いているような気がします。調べて見ると、ルドベキア・タカオ(別名オオミツバハンゴンソウ(大三葉反魂草))という北米原産の花だそうです。既に、野草化しているようでした。この花の枯れた花心に、シオカラトンボの雌が、翅を休めていました。風景だけで無く、田舎の生き物も残っていました。感激しました。

 今日歩いた道の半分以上は、初めて歩く道でした。府中四谷から中河原迄でも、随分沢山の道があるものです。御嶽神社も初めてでした。珍しく、狛犬が置かれていない神社でした。神社から直ぐに中河原の駅に出ました。此処まで来ると、中河原公園の棗を見たくなります。棗は、実が鈴生りでした。秋に来るのが楽しみです。公園の脇の道に、ピンクの花が咲いていると思ったら、葉っぱの色でした。この草の名前は、初雪カズラと言うそうです。正直、栽培種には興味が無いのですが、野草のような感じで道脇にあると、ついつい写真を撮って、名前を調べてしまいます。

 関戸橋を渡って、土手の道を聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。土手の脇には、多くの仙人草が有りました。今日も5弁の仙人草の花を見つけました。土手から、駅の方へ行き、「あおば」と言うスーパーに入ると、パッションフルーツを売っていました。思わず買ってしまいました。

 家に戻ったのは、5時頃でした。今日の晩酌では、「むかご」の初物を頂きました。

 

「住宅地 周りは家の 田圃かな 稲の青葉に 花穂がいずる」

「クレマチス 仙人草の 仲間とは 野に咲く花と 大違いなり」

「時計草 白装束の 姿には 南米生まれの 派手さ無かりし」

「白き葉に 今満開の 初雪草 置き惑わせる 白き花弁」

「住宅地 畑の垣に ムカゴかな 実りの秋は 間近となりけり」

「我を見て 翅の模様を 見せつける 人に慣れたか 褄黒豹紋」

「住宅地 用水脇の 枯れ花に トンボ見るとは なんと良き日か」

「公園に 実が鈴生りの 棗かな 早く来い来い 実りの秋よ」

「緑濃き 夏草の中 ほんのりと 薄桃色の 初雪カズラ」

「初物の 茹でたムカゴに 舌鼓 季節の変わり目 舌で味わう」 

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2017年8月13日 (日)

2017年08月12日

2017年08月12日

 

 昨晩と言うべきか、今朝と言うべきか、3時頃に寝たので、今朝は、流石に9時近くに起きました。朝が、どの様な状態だったのか、分りません。部屋で日記を書いていると、10時頃、末の孫が、そっと部屋のドアを開けました。居間の方に行ってみると、孫達は皆起きていました。

 カーテンを開けてみると、所々に青空が見え、日差しもありました。今日は、雨の予報でもあり、ベランダにはハンモックが吊されているので、洗濯は止めるつもりでしたが、急遽洗濯機を回しました。昨日の残骸を片付けて、味噌汁を作り、ご飯を炊き始めると、11時になり、娘夫婦も起きて来ました。次男も起きて来て、仕事に出かけました。なんと、長男は、前回もそうでしたが、私が起きる前に帰ったそうです。殆ど寝ていないのではないかと思います。

 娘1家が泊まると、何時もそうですが、大人も子供も夜更かしが過ぎて、昼食と朝食兼用になってしまいます。今日も11時半頃から食事になりました。秋刀魚を焼いて、コロッケを温め、簡単な食事になりました。我が家に来ると、何故か孫娘の食欲が旺盛になります。今日もお替りをして食べました。私としては、嬉しい限りでした。

 食後、洗濯物を干し、朦朧とした頭で、昨日の日記を書きました。昨日、娘一家が来る前に、ある程度書いていたので、2時近くに、漸く書き上げる事が出来ました。

 孫達は、ゲーム機で遊んでいましたが、孫娘と末の孫が、外で遊びたくなったようなので、娘婿と私とで、孫達を近くの公園に連れて行きました。小さい割には、比較的遊具が揃っている公園です。前回もこの公園で遊びましたが、その時は、ターザンロープの下に、ロープに沿って細長い水溜まりが出来ていました。その水溜まりを避けて、上手に着地するのが、スリリングで面白かったようでした。今日も水溜まりを期待していたようですが、残念ながら、ターザンロープそのものが新しくなり、水溜まりも出来ないように整備されていました。

 別の所には、ロープで作られた網の橋があります。末の孫は、ターザンロープが未だ出来ないので、この網の橋で遊んでいました。穴が空いている場所もあり、上手に歩かなければなりません。末の孫なりに工夫して、機嫌良く遊んでいました。その内に、ターザンロープで遊んでいた、上の孫と孫娘が、網の橋に移ってきました。所が、この後、末の孫が、トイレに行くと言って、娘婿とトイレに行きました。そして、トイレから出て来た後、何も話さず、一歩も動かなくなりました。

暑さが厳しくなり、持って来た水も無くなりましたので、上の孫と孫娘は、私と我が家の戻り、かき氷を食べていました。暫くして、大泣きしながら、末の孫が帰ってきました。しかし、玄関から中には入ろうとせず、号泣しました。この前、私が娘に家に行った時も、同じような事が起きました。今日、末の孫の様子を見て、なんとなく、末の孫の号泣の意味が、分ったような気がしました。

末の孫は、人一倍負けず嫌いです。この負けず嫌いの性格も、3人兄弟の末っ子という事から、強くなったと思います。今のところ、お兄ちゃん達に勝てるものが、何も無いのです。ですから、自分が楽しくやっている所には、お兄ちゃん達に、入ってきて欲しくないのです。このことを、親達にも分って欲しいのですが、その自分の複雑な気持ちを、親達に伝える事が出来ないので、「分ってくれー」と号泣するのだと思います。末の孫にとって、家の中は、お兄ちゃん達がいて、お兄ちゃん達の言う事を聞かなければならないし、自分の思い通りに出来る事は、何も無いのです。ですから、玄関から中には入りたくないのでしょう。

 上の孫達の我が家での合宿は、1週間延びて、23日からになりました。娘に、その時の末の孫の様子を、普段と変わらない生活をしながら、じっくりと観察して貰いましょう。恐らく、我が世の春を感じると共に、お兄ちゃん達のいないと、実は何やっても面白くない事に気づくかも知れません。

幼年期であっても、人生の悩みはあるものだと思いました。同時に、自分の事も思い出しました。私が、中学校1年の時、父が、家族で稲佐山に遊びに行こうと言った事がありました。今の末の孫に較べれば、随分大人でしたが、絶対に嫌だと言い張り、最後は、号泣しました。父もそんな私を見るのは初めてでしたので、継母の子供達だけを連れて、稲佐山に行って来ました。継母が来て、弟達が生まれた後、私は、この家族の一員では無いと常々思っていました。父は、その後全てを了解し、その後私に何かを言う事が無くなりました。娘一家に、このような事情はありませんが、兄弟は一番近くにいて大切な存在であると共に、一番憎い存在になる事もあるのです。娘の家では、上の孫が生真面目で甘えん坊なのが、問題かも知れません。長男は、少し「ぼー」としているくらいが、良いのかも知れません。

結局、末の孫は、泣き止まないまま、3時半頃、娘一家は、自宅に戻る事になりました。以前作ったトマトソースと、昨日作ったビーフシチュウを持って帰って貰いました。両方、同じようなトマト味ですが、娘一家の何食分かにはなるでしょう。家に戻ってからの、末の孫の様子は、後で聞いてみる事にします。

 

「親達に 分って欲しい この気持ち 号泣だけで 言葉にならず」

 

 

 

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2017年8月12日 (土)

2017年08月11日

2017年08月11日

 

 今朝も曇り空で、一時小雨もふりました。梅雨が明け、8月に入ってからの方が、曇り空が多いような気がします。

 今日の夜は、娘一家と長男が来ますので、11時半頃から買い物に出かけました。買い物は、近くのスーパーでも間に合うのですが、そうすると歩きませんので、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。日差しは強くありませんでしたが、昨日、生まれ変わった、帽子を被って行きました。

四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出ると、仙人草の花が咲いていました。一番大きい花は、5弁でした。しかし、その他の花は、ドクダミと同じで、4弁の白十字でした。後で調べたら、仙人草の花は、4弁でした。いきなり、変わり者に出会ったのです。また、仙人草の別名は、クレマチスと言うそうです。本当なのでしょうか、これまで見たクレマチスは、花弁も多く、色も多彩だったと記憶しています。

今日は、ずっと曇り空で、夕闇のような感じでした。月見草は、その暗さを感じるようでした。散歩の時間は、殆ど花を閉じているのに、今日は、花を開いていました。昨日も今日も、小雨が降ったので、露草やおっ立ちカタバミが、元気に花を咲かせていました。

土手を下りて聖蹟桜ヶ丘へ行く道に、保育園があります。毎年、今の時期には、パッションフルーツの花が咲いています。そろそろ花の時期は終わりですが、一輪だけ花が咲いていました。白い花弁に紫の輪のような模様があり、独特な花です。4年前は、我が家でも花を咲かせ、実もなりました。我が家の近くの家の庭には、白花のパッションフルーツが咲いています。非常に珍しいと思います。

聖蹟桜ヶ丘に着いて、花屋を見ていたら、我が家の近くに植えられている草の名前が分りました。初雪草でした。葉に大きな白い斑が入り、全体が花のような草で、初雪草という名前は、実に言い得て妙でした。

デパートの食品売り場に行きました。このデパートは、デパ地下が無く、1階が、食品売り場です。その売り場の中央は、バス停から駅の改札に抜ける通路になっていて、特設の食品売り場になっています。今日は、その中に新潟の特産品売り場が設けられていました。今晩の酒の肴にしようと、蒲鉾を見ていたら、これは良い客だと思ったのでしょう、売り子のお姉さんが、次から次に試食を勧めました。試食だけで、お腹が1杯になりそうでした。結局、6種類もの蒲鉾を買ってしまいました。その様子を、隣で見ていた総菜屋のお兄さんが、一箱1500円と書いてある鶏の唐揚げを、「1000円にまけますよ」と声をかけてきました。誘いにまけて、この唐揚げも買ってしまいました。

長居をすると余分なものを沢山買いそうなので、1時のバスで、我が家の方へ戻り、近くのスーパーで、予定していた買い物を済ませ、我が家に戻りました。それから、今晩の為に、ビーフシチュウを作り、高校野球を見ながら、皆が来るのを待ちました。

6時近くに娘一家が尽きました。孫娘が、真っ先にベランダに出て、ハンモックを見つけました。その時の笑顔が、とびっきり素敵でした。ハンモックに横になり、目を閉じて、ハンモックの感触を確かめていました。他の孫達も争うようにハンモックに乗りました。簡単には味わう事の出来ない経験で、皆、本当に嬉しそうでした。何十年振りかに、ハンモックが役に立って、私もハンモックも本望でした。

子供達の食事が終わった7時半頃、長男が着きました。本格的な宴が始まりました。今日は、本当は花火大会をする予定だったのですが、雨が降って出来なかったので、この前買って置いた、おかめとひょっとこのお面を出しました。これが、大受けで、大人を含め、全員で代わる代わる「お面」を被り、1時間程、大笑いしました。普段真面目な上の孫が、頭が壊れたかと思う程、笑い転げていました。

11時頃、孫達は流石に限界を超え、眠ってしまいました。大人達の宴は続き、日本酒、ワインのボトルが次々に空いて、終に日が変わり、次男が帰ってきました。改めて、飲み会が始まった状態になりました。私も、3時近く迄付き合いましたが、孫達と同じで限界を超え、休ませて貰いました。

 

今日は、頭が朦朧として、歌がでてきません。

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2017年8月11日 (金)

2017年08月10日

2017年08月10日

 

 今朝は、全くの曇り空でした。8時半頃、洗濯物を干し始めたら、小雨が降ってきました。

 今日は、12時からホテルオータニで、エクアドルの独立記念日の式典に参加する事にしていました。早めに日記を書き上げ、朝の仕事も早く済ませて、出かける準備をしました。セミフォーマルなので、白いワイシャツにダークスーツ、ネクタイ、革靴と、最近縁の無かった服装で、10時半には家を出ました。

 11時近くに聖蹟桜ヶ丘の駅に着き、京王線のホームに上がると、「人身事故の為、上下線とも運転を見合わせており、復旧の見込みは12時頃です」とアナウンスがありました。これでは、全く間に合わないので、国立から中央線で行こうと、11時13分のバスで、国立に向かいました。分ってはいたのですが、バスが国立に着いたのは、11時45分でした。本来なら会場に着いている筈の時間でした。念のため駅員に聞いた所、中央線で四谷迄、どんなに早くとも40分は掛かると言われました。次の電車が、11時52分でしたので、四谷に着くのは、12時30分から40分の間でしょう。四谷駅から、ホテルまで15分近く掛かりますので、会場に着くのは1時頃になってしまいます。2時までの式差し振りの背広も、日の目を見ませんでした。

 スーツに革靴で、散歩する気にもなれず、乗ってきたバスで、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、12時半でした。約2時間、バスに乗って、うろうろしただけになりました。

 改めて、何処かへ散歩する気にもなれず、午後たっぷり時間があったので、押し入れの上の探し物と、山や散歩用の帽子の繕いをしました。実は、何回も引っ越しを繰り返している内に、私の一番大事なものが、見当たらなくなったのです。大事なものというのは、中学から大学までの日記、中学時代の美術の先生が褒めてくれた絵、高校時代の国語の先生が褒めてくれた詩、中学と高校の歌集等です。これらは、私の人生の基礎を形成してくれました。今日、ここにしか無いと思われた場所を探しましたが、結局、見つかりませんでした。引っ越しの何処かで、無くなってしまったようです。とても寂しい思いがしました。

 帽子の繕いは、不器用な男の下手さ加減が良く出ていて、私自身としては、非常に気に入りました。これで、それほど長くは無い、私の人生が終わるまで、私と付き合ってくれると思います。

 6時近くに、探し物と帽子の修理が終わって、晩酌の用意をしていたら、孫娘から電話がありました。直後に、末の孫からも電話がありました。孫娘からは、「明日行くので、ハンモックを使えるようにして置いて欲しい」との要望でした。この前、我が家にハンモックがある事を知って、どうしても、ハンモックに乗ってみたいらしいのです。末の孫は、単に「僕もジージと話したい」と思ったのに、孫娘が電話を切ってしまったので、母親に頼んで、架け直して貰ったようです。随分しっかりと話すようになりました。

 食事の前に、ハンモックをベランダにセットしました。このハンモックは、良く憶えていませんが、ヴェネズエラの原住民が使っているものに似せて作ったものだと思います。昔、ヴェネズエラのギアナ高地に行った時、原住民部落を訪れ、原住民が気持ちよさそうにハンモックに寝ていたので、首都のカラカスに戻って買ったような気がします。このハンモックをセットするのも使うのも、子供達が、今の孫達よりも小さい頃以来ですから、随分久し振りです。孫娘が気に入ってくれたら、私もハンモックも本望です。

 夜は、何時ものようにテレビを見ながら、晩酌をしました。テレビ見酒では、あまり趣がありませんね。

 

「擦切れて 綻び目立つ 山帽子 綻び直し 老いらく共に」

「孫娘 遠い昔を 呼び覚ます 我が子も遊んだ ハンモックかな」

「末の孫 僕も明日 行くからね 電話の向こうの 笑顔が見える」

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2017年8月10日 (木)

2017年08月09日

2017年08月09日

 

 今朝は、我が家のベランダからは、雲は見えず、青空が広がった良い天気でした。富士の所にだけ、ドーム型の雲が出来ていました。やがて、その雲は、ソフトクリーム状になり、何時しか大きな丸餅のようになりました。気温は、午前中からぐんぐん上がって、猛暑日となりました。

 今日は、私の故郷長崎の原爆記念日です。丁度、昼食の用意をしていたと思われる、11時2分に原子爆弾が投下され、爆発しました。私が通った城山小学校は、爆心地から最も近い小学校です。当然、学校の近くに住んでいた子供達が、通っていました。原爆が落ちた8月9日は、夏休み中でしたので、学校で死んだ子は少なかったらしいのですが、多くの児童が、自宅で無くなったようです。

私が、城山小学校に入学したのは、恐らく昭和26年だったと思います。木製の仮校舎で、2部授業でした。その同じ年に、坂道を登った学校の正面に、少年平和像が立ちました。また、原爆で亡くなった子供達に捧げる「子らの御霊よ」という歌も作られました。全校朝礼があった日は、必ず「子らの御霊よ」を歌い、少年平和蔵を見て、教室に戻りました。

 今日の平和式典で、城山小学校の生徒達が、「子らの御霊よ」を合唱しました。この歌を聴くと、昔を思い出して目頭が熱くなり、胸がじんとしてしまいます。我々が入学した頃は、殆どの児童が、継ぎの当たった服を着て、運動靴が買えなくて、ゴム草履を履いていた子も多かったのですが、今の子供達は、とても品が良く服装も綺麗でした。城山小学校は、制服になったのでしょうか、それとも合唱隊だけの制服だったのでしょうか、良く分りませんが、時代が変わった事だけは分りました。

 今日の式典では、安倍総理が、明確に非難されていました。核兵器禁止条約に、被爆国である日本が、賛成しなかったからです。

 今日は、猛暑日なので、散歩は諦めようかと思っていたのですが、午後2時を過ぎると、奥多摩の方から黒い雲が迫ってきて、今にも雨が降りそうな空模様になってきました。そこで、雨の中を歩いても良いような準備をして、聖蹟の方まで歩いてきました。

 2時半頃に家を出て、四谷桜公園で体操をしていると、ぽつりぽつりと雨が降ってきました。体操が終わった頃には、本格的な雨になりました。雨は覚悟の散歩でしたので、雨の中を四谷橋の方へ歩き始めました。肌を濡らす雨が、とても気持ち良く感じられました。しかし、四谷橋を渡り切る頃には、雨は止んでしまいました。ほんの15分くらいの雨でした。土手の草達は、雨が贈ってくれた水玉を葉の上に乗せて、銀色に輝かしていました。

 聖蹟に着くと、先ずAUのサービスセンターに行きました。歩数や消費カロリーを計算してくれるアプリが、急に動かなくなったのです。若い係員に相談すると、私のスマホを手にとって、1,2回触ると、「治りました」と言ってスマホを返してくれました。アプリがフリーズしていたので、一旦アプリを消去して、再度呼び出しただけだそうです。私が、ほぼ一月悩んでいた事が、ほんの一瞬で解決しました。流石に専門家です。お陰で問題が1つ解決しました。

 外国食品店カルディは、冬はホットコーヒー、夏はアイスコーヒーをサービスしてくれます。バスが発車するまで時間があると、このコーヒーを飲む事にしています。散歩を終えた身体には、とても美味しく感じられます。今日も、美味しく頂きました。只のコーヒーは、なんとなく申し訳無いので、終わりそうになっているオリーブオイルを買いました。私は、店の思惑に乗り易いタイプの人間のようです。

 5時前に家に帰り、高校野球、プロ野球と、今宵はは野球三昧でした。

 

「被爆から 72年の 時流る 我生きてきた 時間と同じ」

「雨足が 足早に行く 多摩の里 地上の舞台に 霞の幕かな」

「猛暑日に 雨中の散歩 また楽し 身体のほてり 取り去るシャワー」

「葛の葉も 茅の葉にも 水玉の 銀に輝く 夕立の後」

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