日記・コラム・つぶやき

2017年10月18日 (水)

2017年10月17日

2017年10月17日

 

 5日連続でしょうか、冷たい雨の朝でした。この雨が明けて、富士が見えると、恐らく富士の冠雪を見ることが出来るでしょう。

 連日、寒い日が続き、さしものブライダルベールも、今朝は花が開いていませんでした。

 今朝、ローマ時代の友人から、オリーブオイルの宅急便が届きました。彼は、趣味として、イタリアのオリーブオイルの輸入の仕事をしています。非常に美味しいオリーブオイルだと自慢していましたので、1リットル缶を2缶頼んでいたのです。偶々、今日、妻と会うことになっていましたので、少々、無理をして、今日の午前中に送って貰ったのです。妻は、一般市販品より、特別な製品に興味があるので、お土産には丁度良いと思ったのです。少しだけ飲んでみましたが、油の中にオリーブの木の香りが溶け込んだような、刺激のある独特な味でした。これだけで、美味しいかどうか判断は出来ませんが、私が大好きな、アヒージョ、カプレーゼ等を作って、どうなるか試してみようと思います。

 午後3時15分に家を出て、都心に向かいました。約束の5時丁度頃に、飯田橋の妻のアパートに着きました。お土産に、オリーブオイルと蜂蜜を持って行きました。蜂蜜は、深大寺近くの養蜂家が採集した蜜で、神代植物公園の花々の蜜とのことです。以前、神代植物公園に買って置いたものです。お陰様で、2つとも喜んでくれて、お返しにと、スペインの生ハムを貰いました。ワインの摘まみには最高です。

 秋だというのに、結構冷え込んでいたので、毘沙門天の近くのふぐ料理を食べることにしました。最近、一人とか、大勢の飲み会が多いので、ふぐ料理屋に入ることは全くなく、3年程前に妻と食べて以来でした。我々の席のある2階には、学生のアルバイトが3人もいて、何をして良いのか分らず、隅の方で固まって居ました。その中の一人の男子学生が、ふぐを焼いてくれました。聞いてみると理科大の学生でした。神楽坂で学生と言えば、昔は法政大学だったのですが、今は理科大です。山の仲間に理科大の友人がいますし、高校の同期にも理科大の教授がいます。色々話してみましたが、分ったのは時代が全く違うと言うことだけでした。

 妻は、この手の店のサービスは、あまり好みません。アルバイトの手際の悪さが、気になって仕方が無いのです。途中の鍋、最後の雑炊と別々のアルバイトの女学生が担当しました。妻は、「私達がやるからいいわよ」というのですが、アルバイトの女学生は、これをやらなければ仕事が無くなると、笑顔の中に悲壮感を漂わせていました。妻も渋々認めました。

 色々有りましたが、ふぐ料理は、そこそこ美味しくて、久し振りに沢山話をして、8時過ぎに、楽しい夕食が終わりました。妻は、酒は飲まないのですが、酒飲みの私に気を遣って、必ず、食後の酒に付き合ってくれます。今日も、コーヒーと酒が飲めるカフェバーで、2次会をやりました。

現在、妻は、妹の仕事を手伝って、那須に住んでいます。3週間に一度、慶応病院に来る必要があり、上京します。その時が、妻と会う少ない機会です。実は、結婚前の状態に戻ったのです。前回は、私の都合が付かず、会えなかったので、今日は6週間ぶりでした。今度からは、出来るだけ確実に会えるようにしようと約束して、今日の再会を終わりにしました。お互い、こんな夫婦関係も、良いものだと想っています。

10時半頃に、我が家に着きました。なんとその時間に、次男が食事をしながら、酒を始めようとしていました。私も、ビールで日付が変わる頃まで、付き合いました。

 

「離れても 僕には愛しい 妻がいる 会えば楽しい 遠距離夫婦」

「近くにて 欠点ばかりを 見るよりも 遠くの妻を 想うもまた良し」

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2017年10月17日 (火)

2017年10月16日

2017年10月16日

 

 今朝も、雨の朝でした。気温は、12月上旬の温度だそうです。最高気温が、15度を下回りました。

 この寒さの中で、数は少なくなりましたが、ブライダルベールの花が、咲き続けています。彼岸花の葉も、9月の終わりの暖かい時に顔を出して、元気に葉を延ばしたのですが、この所の寒さに、戸惑っているようです。

 現在、明星大学は、「教育の明星大学の教育展」を開催しています。この展示会の題名からすると、明星大学は、教育を大学の目標にしているようです。明星大学の前身が、実務高校だったからかも知れません。私は、大学で教育を行うことそのものに、違和感があり、教育を大学の主たる目標とすることには、更に大きな違和感があります。

 教育は、現代社会の中では、非常に重要なことなので、様々な研究が為されているようですが、その中での定義の1例を見ると、次のようになっています。「教育は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、の両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである

 この定義を見ると、教育は、教える側と教えられる側が、明確に別れていることになります。教える側には、絶対的知識や教養があり、教えられる側は、教える側に身を任せる他無いように感じられます。人間も生物ですから、生きる為の基本的方法、餌の採り方等を動物が子供の教えるように、人間もまた進化の過程で獲得した技能、人間の歴史の中で獲得した技能や、歴史的事実については、後進に伝える必要がありますが、技能のレベル、歴史的事実は、非常に高く膨大になっていますので、仕事に就いてからも学ぶことは多いでしょう。

 しかし、ある時期から、教えられ学ぶだけでは、新たな技能の進展は無く、人間社会の発展も望めなくなります。このある時期を、私は大学だと思っています。教える側は、教えるのを止めて考えさせ、教えられる側は、学ぶだけでは無く、自分の考えで研究しなければなりません。大学は、まさしくこの為に創設されたものだと思っています。この考えは、大学が、少数のエリートを生み出す為に作られた時代と、現代は違うという人も少なからず居るでしょう。それが、「教育の明星大学」を生んでいるのでしょう。これでは、何時教育が終わるのでしょうか、永遠に教育が続くことはあり得ません。「人間は、生涯学ぶものだ」というような言葉もあるようですが、これは、道徳的意味合いが強いと思います。

 技能と事実の伝達に関しては、時期の問題ぐらいで、左程大きな問題にはならないでしょう。しかし、定義の中にある「、、、ある人間を望ましい状態にさせる、、、」には、技能とか事実では無く、倫理、正義、善悪、道徳、人徳、価値観、文化観、社会観、歴史観、国家観、宗教観等の持ち方によって、人間の望ましい状態が決まると、判断され勝ちです。これ等は、論理的に正当なものが決められるものでは無く、本来教えられるものでもありません。有るとしたら、信じ込ませるだけです。考え方は数多く存在し、存在するそれぞれを認めるのが基本です。権力や金銭によって、正当性を決めるのは、もっての外です。これで人間が、望ましい状態になる訳がありません。しかし、個々の考え方、個々の考え方に基づく行動を自由にすると、社会的混乱も生じます。「人は殺しても良い」と言うような倫理観は、慎重に討議し、ある組織の判断に従うのではなく、国民全体の合意として、法律化する必要があります。単純に悪いことのように思えますが、「正義の為なら人を殺しても良い」「国家を守る為であれば、戦争をして出来るだけ沢山の敵を殺すべきだ」等と、様々な例外を出して、人を殺すことを正当化する場合も出て来ます。だからこそ、慎重に討議し、法体系にしなければなりません。現代社会に於いては、法体系が、考え方の自由を保障し、制限もします。それ故に、法を決める国会、法体系の基本理念の合意である憲法は、国民が最も真剣に討議し、理念を検討すると共に、法を決める国会議員を、慎重に選ばなければなりません。

 現在の学校の先生に、技能と事実以外を教えさせるのは、非常に問題があると思います。学校の先生の少なくとも3分の1は、社会経験豊かな様々な分野の社会人を、ローテーションとして派遣するようにした方が良いと考えています。そして、各学校は、顧問弁護士を置く必要があるとも考えます。学校の生徒といえども、法に反したものは、法で裁かれなければならないと思っています。手に負えない子供が増えているのであれば、少年法の見直しも必要でしょう。何れにしても、社会経験の少ない教師が、思想的なものを指導するので無く、国民全体の判断とすべく、法体系で処罰すべきでしょう。国家権力(文部省)の指導を仰ぐのは、もっての外です。

 

 今日は、雨の一日で、外へ出たのは、買い物だけでした。そんな訳で、日頃思っていることを書いてしまいました。

 

 

 

 

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2017年10月16日 (月)

2017年10月15日

2017年10月15日

 

 三日連続、雨の朝でした。10月は、こんなに雨が多い月だとは、思っていませんでした。50年前の東京オリンピックを10月にしたには、晴れる日が多いからだと言っていたように記憶しています。

テレビのニュースで、トランプ大統領に、北朝鮮の拉致問題の解決を依頼すると報じられていました。誰がこんなことを考えたのでしょうか、安倍総理の他に考えられません。どうしてこんな馬鹿な発想が出てくるのでしょうか、私が、日本の現代の考え方に、全くついて行けていないのでしょうか、あまりにも、私の考えから想像も出来ないことが、起きてしまいます。トランプ大統領のような、北朝鮮と戦争を始めそうな人に、何を期待しているのでしょうか、全く理解出来ません。拉致問題を解決したら、核開発を容認するとでも、トランプ大統領に言わせるのでしょうか、その後、日本は、米国と北朝鮮とにどの様に向き合えば良いのでしょうか、教えて欲しいと思います。私の想像以外に、トランプ大統領に、どの様に解決を依頼したか、それも教えて欲しいと思います。元々、拉致問題を拗らせたのは、青部総理自身であったと、私は思っています。

今日は、午後2時から、我が大学グリークラブのOB合唱団により、杉並公会堂で行われたコンサートに行ってきました。

昼には、我が家を出て、1時過ぎに荻窪に着きました。時間が少し早かったので、駅近辺や白山神社等を散歩して、1時半に、杉並公会堂に着きました。既に、沢山の聴衆が来ていました。OB合唱団は、普通に仕事を終え、余生の楽しみとして始めた人が多く、聴衆もほとんどが老人でした。しかし、小雨の中、公会堂の1階席は、ほぼ満席となり、2階席も使うことになりました。

この合唱団は、なんと40人を超えるメンバーなのです。私の同期が、この合唱団の1員です。メンバーの中には、立っていることが困難な人が、何人かいました。このようなメンバーが杉並公会堂で、お金を取ってコンサートを開くことは、ある種の驚異でした。

合唱は、4ステージに分けて行われました。第2ステージだけが、同じ大学女性合唱団でしたが、その他は、全てグリークラブのOBに拠る男声合唱団でした。私には、合唱の良し悪しを判断する力はありませんが、どのステージも、良くハーモニーが取れ、力強く、感動しました。これだけの合唱をするのですから、余程練習をしたのだろうと思いました。白髪の老人達が、真剣な顔をして、精一杯声を出して歌を歌う、感動的でした。同時に、幸せな人達だなーとも思いました。

私は、舞台から4列目で、合唱を聴きました。最初は、ハモった1つの声として聞こえていたのですが、良く良く注意して聞くと、友人の声を聞き分けることが出来ました。合唱として誉められる事かどうかは分りませんが、親しみが増して、今日、コンサートに来て、本当に良かったなと思いました。コンサートが終わり、合唱団が舞台から引き上げる際に、大きな声で友人の名を叫びました。コンサート終了後、玄関で友人と会いましたが、照れてはいましたが、嬉しそうでした。

友人と飲めれば良いなと思っていたのですが、友人は既に飲み会の約束が出来ていました。何時も、大学関係の行事の顔を出す、女史3名に会ったのですが、酒に誘うタイミングを失い、今日は、飲み仲間を探せず、家路につきました。

家に着いたのは、6時過ぎ、真っ暗になっていました。コンサートの余韻が残っていて、歌を口ずさみながら酒の肴を用意し、何時もの晩酌となりました。

 

「老いてなお 舞台に集う 合唱団 老いを感じぬ 力強さよ」

「白髪に タキシードが 良く似合う 生き越し日々の 歌に籠もれり」

「予期しない 人並み外れた 我が声に 嬉し恥ずかし 友の顔かな」

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2017年10月15日 (日)

2017年10月14日

2017年10月14日

 

 今朝も、雨の朝でした。気温も冷え込んで、長袖にジャンパーを羽織らなければならない程でした。

 今日は、12時55分からの明星大学の「歌論から能芸論へ」という公開講座に参加しました。歌人でもあり、能にも極めて造詣の深い日本芸術院会員、馬場あき子さんの特別講演でした。なんと、昭和3年生まれで、来年90歳とのことでした。確かに年配の方だとは思っていたのですが、非常に元気で、話し方もしっかりしているし、私より少しだけ年上程度と思って見ていましたので、年齢を紹介された時、少なからず驚きました。

 彼女は、太平洋戦争の終戦期を、一番多感な時期に迎えたと思います。焼夷弾が山程落とされる中を生き抜いて来られた人でした。その方が、北朝鮮のミサイルに対する、Jアラートやその時の避難方法について、あまり意味が無いと言っていました。焼夷弾より遥かに威力を増した現在の爆弾に対して、防空壕すら無い現代の都市で、太平洋戦争当時と大差ない避難要領は、何の役にも立たないと言っていました。ミサイルで撃ち込まれる爆弾が、原爆や水爆であれば、東京のような大都会でさえ、消滅するような威力を持つのに、Jアラートにどんな意味があるのか疑問だと言っていました。

 彼女は、Jアラートには、別の意味があると思うが、自分の口からは言えないと言っていました。そこで、彼女とは無関係に、私が思っていることを言いたいと思います。私は、Jアラートの意味は、日本人の心の中に、北朝鮮は危険な国だとの意識を植え付ける為の、政府の広報ではないかと思っています。政府は、そんな意図は、全くないと言うでしょうが、意図があっても無くても、結果的には、同じ事になります。一旦、国民の中に危機意識が芽生えれば、仮想敵国を作り、自国防衛の為の軍事力を強化し、憲法を改正し、集団的自衛権を行使し、米国と共に、日本を再び戦争をする国家にしようとする、政府の野望のようなものが、ごく自然の形で動き始め、誰にも止めることが出来なくなるような気がします。戦時中の鬼畜米英と似たようなものだと思います。

安倍総理は、今度の選挙に於いても、日本を守ると言うことを、一番のスローガンにしています。そしてこれまでも、集団的自衛権、共謀罪、国家機密保護など、戦前の軍国主義の政策を想起させるような、政策を実現してきました。何故、安倍総理が、こんなことまでして、日本を戦争出来る国家にしようとするのか、その意図の根底にあるものが良く分りません。安倍総理の本から推測すると、1960年代、70年代安保闘争が、祖父を貶める、狂気の集団の狂気の考えだと、子供心に刻み込まれたのかも知れません。幼児体験みたいなものですから、その後、柔軟な思考が出来なくなったのかも知れません。

 私は、戦争を直接知りません。しかし、自分の子供9人の内、3人を原爆で、二人を戦争で亡くした祖母と、一緒に暮らしながら成長しました。焼夷弾が、家や周りの山や谷に落ちた時の話しを聞きました。当然、家は廃墟になり、家具も、布団も、食器類も無くなりました。子供ながら、役に立ちそうなものは、何でも拾ってきました。山の木を切って、作れるものは何でも作りました。一時期の我が家は、現在の多摩川のホームレスの家と大差がありませんでした。食事も、ろくなものが食べられませんでした。こんな状況の中で、成長しましたから、国家の命令で、若者が死ななければならない戦争は、身震いする程嫌いです。その若者が、国家の為に死んだ英霊として、靖国神社に祀られ、政府の関係者が参拝する姿は、若者を戦場に無理矢理に送った、軍国主義者を思い出させ、吐き気がします。祀られることそのものが好きではありません。宗教が、国家権力と結びつくと、理性では無い、情念と信仰が、社会を支配します。近代的国家のあり方とは、全く相容れないものだと思っています。このように、私は平和主義者です。平和主義者の考え方は、現実的で無いと非難されますが、この70年間、一人も戦争で国民が死ななかったのは、単純なことですが、戦争をしなかったからです。戦争で国家を守ることの愚かさを、国民の多くが知っていて、政府を監視してきたからだと思っています。今、それが危うくなっています。

所で、今日の講師の話に戻りますが、行使は講演の最後に、「北朝鮮のミサイルで日本国家が無くなるかも知れない中で、日本文化の将来はどうなると考えますか」という質問に答えて、「国破れて山河あり」の言葉があるように、「国破れても文化は残る」と答えました。先の戦争中、軍は日本文化を、愛国心を高揚させる道具として使いましたが、日本の文化の基本は、花鳥風月、所謂、自然を愛する心であり、そこには国家意識は無かった。朝鮮からも多くの言葉を借りたし、自然を愛する心には、国境など無かったと言うような趣旨の話しがありました。今日は、とても良い話を聞きました。講師も、平和主義者だと思いました。

このように書いてくると、今日の公開講座は、戦争反対の集会だったのかと、思われそうですが、戦争関連の話しは、1時間半の講義の中で、10分足らずのものだったのです。私が、その僅かの話しに、強く反応したと言うことです。講師の名誉の為に付け加えます。

最後に、今日の講師の言葉で、2つ感動したことを付け加えたいと思います。1つは、「万葉の歌人は心が素直であったが故に、自然に感動し、良い歌が作れた」と、後の歌人が評した言葉を紹介してくれたことです。私も、定年後、歌のようなものを始めました。歌の作り方を教わったことはありません。全くの自己流です。今日紹介して貰った言葉で、背中を押して貰ったような気がしました。

もう一つは、老いの人生に関して、講師は「私は、若者達が分らない、全く新しい人生を生きている」と話していました。壇上の講師の様子を見て、その言葉が、何の誇張も無しに、自然に出た言葉だと感じました。若い時の生き方をずっと続けようとする、「人生死ぬまで現役だ」とは、一味違った言葉でした。誰もが、同じような気持ちで生きられるかどうかは別問題として、一人の人間の生き方を例示してくれたと思いました。

 

「老いてなお 人の話に 魂が 激しく動くを 感じる時有り」

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2017年10月14日 (土)

2017年10月13日

2017年10月13日

 

 雨の朝でした。小鳥達が、電線に並んで止まっていました。雨宿りしなくても良いのでしょうか、羽には水を弾く力があるのでしょうが、濡れ過ぎると飛べなくなるのでは、と心配してしまいます。

 今日は、12時15から、昔の職場の中南米関係のOB会が、神田で行われるので、午前中の仕事を急いで終わらせて、10時15分に家を出ました。10時26分の聖蹟桜ヶ丘行きのバスに乗り、京王線で新宿に出て、新宿で中央線の快速に乗るつもりでした。所が、バスが20分近く遅れましたので、国立に出て、そのまま中央線で、神田に行くように変更しました。こちらの方は、非常に上手く行って、10時40分のバスで、国立に11時に着き、11時5分の中央線快速に乗り、国分寺で中央特快に乗り換え、11時40分には、神田に着きました。会場へ行く説明の通りに歩くと、5分で会場に着きました。30分も早く付いたので、あまり来ることの無い神田駅の周辺を探索し、12時10分に会場に行きました。

 今日集まったのは、14人の予定だったのが1人欠席し、13人となりました。最高齢は85歳、最年少は、多分68歳だったと思います。80代が2人、60代が2人、後は70代でした。家族寮で一緒だった人が3人いました。6畳3畳の2部屋に、テーブルも置けない様な台所だけでした。風呂も居間もありませんでした。給料も1万円台だった事など、当時の生活を思い出し、しばし、感慨に耽りました。戦後を生きてきた、改めてそう思いました。

 集まった人達は、全員中南米関係の人なので、現役時代は、同じ勤務地で一緒に仕事をしたり、勤務地は同じでなくとも、色んな場面で顔を合わせたり、様々な関係が有りました。話しても話しても話し足りない、何時ものような老人会になりました。

 OB会は、3時近くに終わりました。帰るには早かったので、恵比寿にある大学時代の先輩の店に行きました。ワインも飲める軽食喫茶です。雨が降り、突然寒くなったこと、客の少ない時間帯だったことも有り、客は誰もいませんでした。お陰で先輩とゆっくり話すことが出来ました。そして、二人の共通の先輩の、安否が話題となり、思い切って電話をしてみました。膀胱癌の検査の結果、癌と診断され、現在治療中とのことでした。声は、比較的元気でしたが、以前と同じように、出歩くことは難しくなったようです。最悪の事態ではありませんでしたが、病魔に冒されていました。こういった話しが、今後はどんどん増えるでしょう。その他に何を話したのか、9時近く迄話しました。瓶ビールを1本、ワインを3本空けて、お開きにしました。この間に、客は3人だけでした。

 それにしても、都心に先輩の店があるのは助かります。自宅訪問では無く、店ですから、何の気兼ねもせずに行くことが出来ます。我が家から都心までは、1時間半位掛かりますので、1つの用だけで帰るのは、何となく、勿体ないような気がするのです。今日は、客もいなかったので、先輩も退屈凌ぎが出来たようです。私も、昼間から酒と話しを堪能して、10時半頃に我が家に戻りました。

 

「人生の 場面場面を 振り返り 頷き合える 友との集まり」

「人生は 過去ばかりが 増えてきて 未来にあるは 死ばかりとなる」

「如何に死す それも仲間の 関心事 会えば一時 健康談議」

 

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2017年10月13日 (金)

2017年10月12日

2017年10月12日

 

 今日も、霧の朝でした。それでも、午前中は、快晴の空で日差しも強く、真夏を思わせる暑さでした。

 今日は、野草の勉強を沢山しました。忘れていた花の名前を4つ思い出しました。ノミノフスマ(蚤の衾)、キツネノマゴ(狐の孫)、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)、カヤツリグサ(蚊帳吊草)でした。何処にでも或る、ありふれた草でした。毎日見ているのに、名前を思い出せないのは、もどかしく辛いことでした。これから暫くは、大丈夫でしょう。

 名前を知って一番嬉しかったのは、サルトリイバラ(猿捕茨)でした。前にも書いたことがありますが、子供の頃、祖母が、偶に饅頭を作ってくれました。その時、饅頭を蒸す時の、饅頭の下に敷く葉っぱ(カッカラの葉)を取ってくるのが、私の役目でした。この葉っぱの名前は、長崎の片田舎の婆さんの、特別な言い方だと思っていました。所が、サルトリイバラは別名カカラとも言うそうです。ウィキペディアの説明に、そう書いてありました。婆さんは、カカラと言ったのに、私が勝手にカッカラと聞いたのでしょう。この8年程、この葉っぱを見る度に、名前を知りたいと思っていました。大きな痞えが、取れたような気がしました。

 また、多くの家の庭で咲いている、日の丸のような花の名前も分りました。中南米原産のランタナだそうです。そう言えば、中南米でもよく見かけました。和名は、七変化と言うのだそうです。小さな花が集合して、丸い花になるのですが、どの花も一様ではありません。これが、七変化と呼ばれる所以かも知れません。

 昨日、木を覆っていた蔓の名前を調べようとして、ボタンズル(牡丹蔓)に出会いました。仙人草属なのだそうですが、花の写真を見ると、仙人草との違いが分りません。この夏、私が仙人草と思っていたのは、ボタンズルかもしないと思いました。未だ、確認は出来ていません。ツルソバ(蔓蕎麦)とも出会いましたが、昨日の蔓とは、少し違うようでした。

 今日は、程久保川沿いに、高幡不動まで歩いて来ました。昨日、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)の花を見たので、蕎麦の花が多い程久保川に行ってみたくなったのです。

 午後2時半頃に家を出て、桜公園で準備体操をしました。公園は、草刈りが済んで、すっきりとしていました。公園の端で、カイドウ(海棠)ですかね?、季節外れの花が咲いていました。黄色い堅い実は、とても良い香りがしました。カリン(花梨)のように蜂蜜漬になると思い、幾つか失敬してきました。

 四谷橋を渡って、程久保川と浅川の合流点では、河原に住む仙人が出て来て、花畑の手入れをしていました。暫く姿を見なかったので、心配していましたが、どうやら杞憂に終ったようでした。今日嬉しかったことの1つでした。

 程久保川は、思った通り、ミゾソバ(溝蕎麦)、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)が、川を埋めるように咲いていました。浅川と程久保川の合流点から、高幡不動駅まで、約1.7キロ、蕎麦の花は途切れなく咲いていました。ミゾソバは、赤花と白花があり、シャクチリソバは、白花だけです。これらの花が、上手く棲み分けて花の島が出来ていましたが、偶に入り乱れて咲いている所もありました。白い小山のようになったシャクチリソバの花に、アオスジアゲハが、花から花へ飛び回っていました。これだけの量の蕎麦の花が、食べられる蕎麦の実を付けてくれたら、これ程良いことはないと思うのですが、そうは行かないようです。

 高幡不動駅は、電車の整備場が有り、大きな敷地が塀で囲まれていました。この塀には、蔦が張り付いていて、蔦の紅葉が始まっていました。塀が、単なる白い壁で無いのは、掬われる気がしました。塀の前の家の庭には、緑の夏みかんの下に、信じられないくらい沢山のピラカンサスの実が、赤く色づいていました。駅に着いた時は、4時になろうとしていましたので、高幡不動には寄らずに、聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家に戻りました。4時半近くになっていました。

 

「饅頭を 見る度祖母を 思い出す 森で集めた カカラの葉かな」

「カカラの葉 猿捕り茨と 今に知る 瞼の裏に 祖母の顔かな」

「小さくも 花梨のような 実を付けて 秋の日の中 カイドウの花」

「仙人が コスモス畑 手入れする 元気な姿に 我は感動」

「溝蕎麦の 赤花白花 揃い咲き 赤地利蕎麦も 仲間に加わる」

「山盛りの ご飯のような 蕎麦の花 一際目立つ アオスジアゲハ」

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2017年10月12日 (木)

2017年10月11日

2017年10月11日

 

 濃い霧の朝でした。向ヶ丘が、霧に霞み、深い山間の里にいるような、感じがしました。

 テレビが、選挙一色になってきました。今回の総選挙の結果予測が、早々と出ていますが、自民党及び公明党の所謂与党は、300議席を超える圧勝、希望の党は伸び悩み60議席がせいぜい、立憲民主党が思いの外頑張り4議席越え、その他の党は現在の議席を守れるかどうか、と言った所だそうです。あくまで予想ですから、この通りになる保証はありませんが、そうなるかもと思わせる予想でした。私も、民進党が緑の党に合流した時は、投票する党が無くなっていたのですが、立憲民主党が出来たので、この党に投票しようかと思っています。

 今日は、立川根川が多摩川と合流する地点、崖下湧水、ヤクルト中央研究所、国立水再生センター、泉町公園を歩いて来ました。

 土手が刈られてから、土手の上が、魅力が無いので、今日は、立川根川と多摩川の合流点まで、土手下の道を歩きました。歩き始めたのは、午後2時頃からでした。土手下の道は、刈り込みが行われていない為、野草が気儘に生い茂っていました。現在は、クズ(葛)、アレチウリ(荒れ地瓜)、コセンダングサ(小栴檀草)が、三つ巴の勢力争いをやっていました。また、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)、荻も負けじと頑張っていました。つい少し前までは、オオブタクサ(大豚草)も、勢力を誇っていたようですが、今は、多くが立ち枯れ状態でした。

 中央自動車道の橋を過ぎると、河川敷の運動場になりました。土手下の道と運動場の境に、アベリアの垣根が設けられていました。垣根の手入れがキチンとされていないようで、アベリアの木の中から、色んな草木が顔を出し、アベリアの花が何の花か分らない状態でした。水が足りず、枯れているアベリアもありました。枯れる寸前なのか、葉を全て落としたアベリアが、満開の花を付けていました。胸が痛みました。

アベリアの花の近くに、茅のようなトウキビのような草がありました。刈られる前の土手にも沢山生えており、名前を知りたいと思っていました。今日偶然に、名前が分りました。セイバンモロコシ(西藩唐黍)でした。成る程と思いました。

 運動場の内、サッカー場では、女子が練習をしていましたが、奥の野球場の方には誰もいませんでした。閑散とした野球場の写真を撮っていると、私と同じくらいの老人が、3匹のドーベルマン(多分?、顔が少し四角)を連れてやって来ました。なんと、そのドーベルマンが、3匹揃って、じっと私を見ていました。何か、彼等に気に入らないことをしようものなら、何時でも飛びかかって来そうに、身構えていました。犬が一旦動いたら、老人はコントロール出来ないと思って、私は、身動ぎもせず、立ち止まっていました。やがて老人と犬は、私が来た方に、移動しました。その時、3匹の子犬を連れた小母さんが、土手の上にやって来ました。ドーベルマンを見た、3匹の子犬が、キャンキャンと吠えた為、ドーベルマン3匹が、キッと身構えました。幸い何も起こらず棟を撫で下ろしました。

 土手を上がると、合流点の前の小さな集落に出ました。この集落の前の用水の縁に、2本の木を埋め尽くした葛を、更に蔓が埋め尽くし、白い花を咲かせて、巨大なかき氷が2つ出来たような状態になっていました。丁度、集落の小母さんが出て来たので、蔓の名前を聞いてみましたが、知らないとのことでした。後で調べて見ましたが、名前は分りませんでした。この蔓の斜め下には、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)が、一面に白い花を咲かせていました。

 この集落で、Uターンして、崖上の道を歩きました。この道は、2年程歩いていなかった事もあり、青柳稲荷神社の新築が終わったのを、今日初めて知りました。神社の向きと、参道の向きが違うような気がしました。崖上の道は、住宅地と畑が連なっており、庭や畑のあちこちで、白花の秋明菊が咲いていました。遠くから見ると、白花のコスモスのようにも見えました。崖の雑木になった茶の木が、私の背丈の2倍以上に成長し、今満開の花を付けていました。

 崖下(ママシタ)湧水の所で、崖下の湧水に沿って、歩くことにしました。暫く歩くと、崖下湧水と矢川が、同じ所で府中用水と合流しました。今度は、府中用水に沿って、ヤクルト中央研究所まで歩き、そこから中央道の下を潜り、北多摩第2水再生センターに出ました。そこから、我が家の近くのショッピングモールへ行き、今晩の酒の摘まみ等を買って、我が家に戻りました。5時過ぎていました。

歩き始めた頃は、雲の後ろの太陽が見えたのですが、雲はどんどん厚くなり、5時には、すっかり暗くなってしまいました。日差しは無かったのに、今日も大汗を掻いてしまいました。

 

「一日中 霧に霞みし 多摩の里 雲の後ろで 太陽もがく」

「今まさに 天下分け目の 戦いに 葛に挑むは、荒地瓜なり」

「荒地瓜 小栴檀草が 入り乱れ 葛も混じりて 戦い混沌」

「葛の蔓 荒れ地瓜が よじ登り 俺の天下と 河原睥睨」

「荻の穂と 背高泡立 背比べ 此処では荻に 軍配上がる」

「アベリアよ 君は何時でも 花を付け 役目果たすに 人は放置す」

「名を聞けば 君の生き様 合点する 空に黍の穂 西藩唐黍」

「身構えて 我を見つめる ドーベルマン 我は決して 悪さはせぬぞ」

「木を覆う 白き蔓花 かき氷 どんな巨人が 食べに来るやら」

「伸び過ぎて 今は林の 木となりぬ 背高茶の木に 満開の花」

「白花の 秋明菊の 風に揺れ 遠くで見れば 白きコスモス」

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2017年10月11日 (水)

2017年10月10日

2017年10月10日

 

 今朝は、雲1つ無い、まさしく快晴でした。地平の霞の中に、富士が辛うじて見えました。

 今日10月10日は、もう50年以上前になりますか、東京オリンピックの開会式の日だったと思います。自衛隊のジェット機によって、空に描かれた5輪のマークが、凄く誇らしく思えました。戦争で焼け野原になった街も、復興の槌音が高く鳴り響き、工業製品や建築技術なども、世界に肩を並べるようになりました。高度成長が、勢いを付けた頃だったと思います。

 今日、衆議院の総選挙が公示されました。各政党、色々言っていることは違っても、日本の将来に漠然とした不安を持っているのは、或る部分、共通の認識があると信じたいと思います。家業は、3代で潰れると言われます。初代が起業し、2代が家業を拡大し、3代が家業を食い潰すとされています。戦後の焼け野原の中から、多くの企業が生まれました(初代)。その後、日本人が得意な改良に改良を加え、多くの物が世界一の技術力を誇りました(2代)。しかし、技術はITに取って代わられるようになりました。IT化された産業は、技術的優劣が顕著に表れません。この状況の中で、日本が世界一を誇る物は減少し、企業の存続に漠然とした不安が、日本社会に蔓延しています(3代)。

 安倍総理は、日本企業の活性化に、経済数値の操作で対応しました。株価は国が大量に株を買うことで、株価を高値誘導しました。マイナス金利という異次元の金融緩和で、名目の物価を上昇させ、経済そのものの動きが良くなっているような印象を与えました。賃金も政府が企業にお願いして上げて貰いました。しかし、このような政府主導の操作では、日本の実体経済は、向上、活性化しなかったと思います。日本の経済の状況を、充分に認識していないような気がします。国家が膨大な借金を抱え込み、膨大な株を買い込み、その出口は見えていません。国民の不安は、増大する一方のように思います。そして、今度の選挙で、どの党も、きちんと、この問題に答えてはいません。

 午後になっても、ほとんど雲が無く、真夏のような暑さの中を、久し振りに、新田川緑道を歩いてきました。

 午後1時頃家を出て、準備体操をする為、四谷桜公園に行った所、私が体操をする所に、沢山の軽トラックが止まっていました。公園の草刈りが始まる所でした。準備体操は止めて、直ぐに歩き始めました。稲荷神社、四谷公会堂の側の畑地を歩いていると、巨大な芋虫のような野菜の棚が現れました。花は一面に咲いているのですが、実らしい物が付いていませんでした。一体何を植えているのでしょうか、聞いてみたいと思ったのですが、誰一人いませんでした。非常に珍しいものを見ました。

刈り取られて干されている稲、黄金色に光っている稲、赤く色づいた柿を見ながら、中央高速の下を潜り、NECの工場の裏手に出ました。此処から市川緑道が始まり、NECの正面に出る近くで、市川緑道と別れました。やがて、NECの正面に出ました。NECの工場を4分の3歩いたことになります。正面の少し先で、鎌倉街道を渡り、新田川緑道に入りました。

 緑道には、ハコベ(?)が沢山の花を咲かせていました。メヒシバ、エノコログサも沢山ありましたが、早や枯れた状態でした。オシロイバナも盛りは過ぎて、星形の萼の中に、黒い実が出来ていました。セイタカアワダチソウは、此処でも今が盛りでした。金木犀が、所々で、甘い香りを漂わせていましたし、或る場所では、ツツジが数輪の花を付けていました。私は、この季節外れの花が、結構好きなのです。

 郷土の森公園の近くで、新田川緑道から下川原緑道に入り、多摩川の土手に出ました。土手は、全く日差しを遮る物が無く、絞れる程の汗を掻きました。この辺りは、荻の穂が、セイタカアワダチソウに勢力を奪われ、河原が黄色い草原のようになっていました。この草原の向こうの川面が、遮る物の無い秋の日に照らされて、銀色に光っていました。

 関戸橋を渡り、聖蹟桜ヶ丘に出て、4時近くに我が家に戻りました。シャワー

を浴び、汗まみれの身体がすっきりしました。その後、撮ってきた写真やメールの整理をして、晩酌用に、ピザ、ほうれん草のソテーを作り、チョリソーを焼いて、6時半頃から、ワインで晩酌にしました。そしたら、次男が顔を出しました。魂消ました。次男は、今日は休みでしたが、私が散歩する前に、用があると言って出かけていましたので、帰っていたとは思いませんでした。

 お陰で、二人での飲み会となりました。次男は、暫くは、私が作った摘まみで飲んでいたのですが、物足りなくなったらしく、近くのスーパーに日本酒の肴を買いに行きました。直ぐに帰ってきて、本格的な飲み会になり、11時過ぎまで続きました。

 

「ハコベかな 小さき花の 花筵 枯れ草多き 小道に並ぶ」

「枯れ果てて 白髪となりし メヒシバの 続く小道は 緑道なりや」

「萼片に 黒き実乗せて 最終章 オシロイバナの 花の跡かな」

「稲穂かな 黄色に染まる 多摩河原 アワダチソウの 勢力地帯」

「多摩川が 鏡の帯に 変身す 雲1つ無き 秋空の下」

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2017年10月10日 (火)

2017年10月09日

2017年10月09日

 

 昨晩遅かったので、今朝起きたのは、9時近くでした。孫達も全員起きていました。この時点では、富士の方には、沢山雲が湧いていました。

 ベランダに出ると、昨日も咲いていたのですが、今日も20以上のブライダルベールの花が咲いていました。温度が上がったからだと思います。

 昨晩の後片付けをして、10時頃から朝食にしました。孫達が泊まった朝は、焼き魚と味噌汁が定番なのですが、今朝は、この前作った南瓜の(パンプキン)スープを食べて貰おうと、昨晩のアサリバターの汁で、スパゲッティーにしました。ボンゴレ・ビアンコのような物です。サラダは、昨日の残った物で充分でした。南瓜のスープは、末の孫を除いて、好評でした。末の孫は、母親から無理に勧められ、スプーンで口に入れられた為、絶対の飲み込もうとしませんでした。末の孫は、このように非常に強情な所があります。末の孫が飲まない南瓜のスープは、孫娘が引き受けてくれました。孫娘は、私が作った物は、何でも美味しいと言って食べてくれます。「ジージは私の物」、孫娘が、身体でそう言っているような気がしました。3人兄弟の真ん中は、何処か寂しい気持ちを持っているものなので、一時期、孫娘を特別に可愛がった時期がありました。その時のことが、未だ孫娘の心に残っているのかも知れません。今は、一番元気で活発な子になりました。所が、帰る時になって、孫娘が、急に父親に甘え始めました。私が末の孫を抱いていたからかも知れません。孫達は、1時頃帰っていきました。

 孫達が帰ってから、掃除、洗濯、後片付けをして、通常の状態の戻ったのが、2時過ぎでした。昨日は、全く歩いていませんでしたので、2時半から、国立駅まで歩いてきました。

 桜公園で準備体操をして、アパートの方に戻って来ると、倒産したコンビニの後に出来たコーヒー店に、人が群がっていました。全部サイクリングの人達でした。このコーヒー店は、普段の日は、ほとんど客がいないのですが、土日、祝日は、今日のように、人が入り切れない状態になります。多摩川の土手のサイクリングコースに近いことと、隣が、自転車の調子も見てくれる自転車店だからだと思います。

そのコーヒー店を右折して、アパートの前の三屋通りを真っ直ぐ歩いて、中央高速を越え、更にホテル街、石田大橋に続く日野バイパスを越えると、谷保天神に着きました。谷保天神の側の畦道には、ホトケノザ(仏の座)、ナズナ(薺)、イヌナズナ(犬薺)、イヌホウヅキ(犬鬼灯)が咲いていて、此処だけ春のようでした。

 谷保天神の裏手に、「常磐の清水」が在ります。この名の由来は、この地を訪れた僧が、「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」と詠んだからだと言われているそうです。隣りに、湧水が作った池が有り、その真ん中に小さいながら、厳島神社があります。池の水は、完璧に透き通っていて、泳いでいる鯉達が、水の中にいるとは思えない程でした。今日は日差しが強かったので、池の亀全部が、甲羅干しをしていました。普通は人が近づくと、池の中に入るのですが、今日は、写真を撮るのに近づいても、身動ぎもしませんでした。

 池の水は、谷保天神の塀の外を流れて、府中用水と合流します。合流する前の川で、子供達が、体育の日で休みの親と、網で何かを掬っていました。沢蟹が網に入り、大きな歓声が上がりました。こんな所にも、沢蟹が住んでいるとは思いませんでした。この清流の小川には、苔とシダ類による、自然の山水の庭園が出来ていて、道行く人を楽しませていました。

 谷保天神から、隧道を潜って甲州街道をわたり、更に南部線の歩行者専用の踏切を越えて、国立市役所へ出ました。何処も、役所の建物は立派です。そこから、国立市の住宅地を歩き、一橋大学の裏側の塀に沿って歩いていると、国立学園に出ました。この学園の前には、一橋大学の職員寮がありました。この職員寮の大学側には、職員が出入りする門がありました。なんとか一橋大学に入ろうとしましたが、大学に入る門は、鍵が掛かっていました。この門を、どうにかして乗り越える方法は無いかと思案していると、幸いなことに、大学の方から、寮の住人が戻ってきました。お陰で、大学の中に入ることが出来ました。後は、何度も散歩したことのある学内を通って、正門から学園通りに出ました。もう国立の駅は直ぐ近くです。駅のバス停から、4時30分発のバスで我が家に戻りました。

 我が家に着いた頃は、5時近くで、日が沈む頃でした。西の空は、夕焼けで茜色に染まり、富士が幽かに見えていました。しかし、私が晩酌を始める6時半頃には、日はとっぷりと暮れ、富士見酒にはなりませんでした。

 

「秋なのに 日向の畦道 春うらら 花を咲かせる 薺仏の座」

「体育の日 親と一緒に 川遊び 沢蟹捕れて 歓声上がる」

「中秋の 夏日の日差し 貴重なり 全員揃いて 亀の甲羅干し」

「清流の 流れの縁の 石垣に 苔と羊歯とで 山水庭園」

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2017年10月 9日 (月)

2017年10月08日

2017年10月08日

 

 今朝は、良く晴れました。久し振りに富士が見えるかと期待しましたが、西の方には雲が有り、富士を隠していました。

 今日は、午前中はNHKの日曜討論、午後は記者クラブでの各党党首による討論会の模様を、料理をしながら、すっと見ていました。希望の党の小池党首は、党名と同じですが、希望は沢山述べましたが、具体的政策については、党が出来たばかりなので検討中と言うことで、逃げることが出来ました。具体的政策以外については、口が上手いですから、少し陰りが見えていた小池党首の人気を、少しは取り戻せたような気がします。しかし、今度の衆議院の総選挙は、都知事選の時と同じようには、行かないと思います。

 午前中、長男の奥さんから電話があって、長男の所の孫が熱を出したので、行けなくなったと連絡がありました。久し振りに、全員集まると思っていたのですが、体調が悪いのであれば、仕方が無いでしょう。長男は、来るとのことでした。

 5時までに、今晩の準備は全部終わりました。私が作った料理は、サラダ、アヒージョ、アサリのバター炒め、鶏の軟骨を焼いたものと、毎回同じ物でしたが、今回は、チレ・レジェーノが加わりました。刺身は長男が、子供達の食べ物とケーキは娘が持ってくることになっていました。料理の他は、足りない椅子を出して、テーブルのセッティングをしました。何やかやと結構忙しいことになりました。

 5時半判頃、長男と娘の家族が一緒に着きました。所が、ドアを開けて皆が入った時、末の孫が泣き始めました。どうやら、自分が一番に入りたかったようです。1度泣き始めると、30分くらいは、泣き続けるので、そのまま放っておいて、他は乾杯をして食事を始めました。末の孫は、予定の時間泣いて、テーブルにやって来ました。全員揃った所で、一日延びて今日になった、末の孫の運動会の動画を見ました。踊りも、かけっこも良く出来ました。この頃の子供の仕草は、本当に可愛いです。末の孫は、自分の運動会の動画を見ながら、すっかり機嫌が直りました。上の孫と孫娘に、ノンアルコールのビールを飲ませてみました。余程不味かったのでしょう、二人とも、一口飲んで顔をしかめていました。この頃の子供には、ビールの味は、一番嫌いな味のようです。

 食事が済んで一段落して、上の孫の歳の10本のロウソクを立て、何時ものように誕生日の歌を、英語とスペイン語で歌い、ケーキカットにしました。孫娘が、最近スマホで写真を撮る事に凝っていて、写真担当をしてくれました。ふと思いましたが、ハッピー・バースデイの日本語版はあるのでしょうか、歌った記憶がありません。

 その後は、何時ものように飲み続け、11時頃に長男は帰り、12時半過ぎに次男が帰ってきて、結局、2時過ぎまで飲んで、長い一日が終わりました。

 

「あと何年 孫等の成長 見れるやら 約束出来ない 歳となりけり」

 

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