日記・コラム・つぶやき

2017年12月17日 (日)

2017年12月16日

2017年12月16日

 

 今日は、曇りになるような予報でしたが、思いの外良い天気でした。

 昨夜寝たのは、1時過ぎでした。5時半位にトイレに起きて、眠れぬままベッドで横になっていたら、夜が白んできました。カーテンの端の白くなり方で、大凡ですが、外の夜明けの具合が分るのです。その後、眠れそうに無かったので、起きることにしましたが、寝不足で、頭が朦朧としていました。

 天気が良かったので、外に出たかったのですが、午前中の仕事を終え、昼食を食べてから、年賀状の最後の仕上げに取りかかりました。12月は、予定が少なかったのですが、後半になってきて、かなり予定が入り、延ばし延ばしにすることが出来なくなりました。70人宛ての葉書に一言ずつ、手書きの挨拶を加えました。年を取って、指先に時々震えが出るので、一苦労でした。50音順で、一番最後になる大学の同期への挨拶を書き終えて、年賀状書きは終わりました。寝不足の頭は、朦朧の度合いが強くなり、目は霞み、指先が痛くなりました。年は、取りたくないものですね。若い時なら、この程度の年賀状ならば、1時間足らずで書き終えたでしょうが、2時間近く掛かってしまいました。それだけに、

胸の痞えが下りてほっとしました。

 3時過ぎに、年賀状を書き終えましたので、3時半に家を出て、聖蹟桜が丘に、買い物に出かけました。バス停までの道にある郵便ポストに、書いたばかりの年賀状を投函しました。年賀状の束が、ポストの底に落ちる音がしませんでした。多くの年賀状が、投函されているようでした。年賀状を出す習慣は、ネット社会になっても、戦後に育った老人達が死に絶えるまで、もう暫くは続くのでしょう。

 聖蹟桜が丘で、来年、和歌を書き留める為の、白紙のノートを買いました。私の75調の歌は、和歌とは言えないような代物なのですが、パソコンの中にだけ入れておくのは可哀想なので、ノートに自筆することにしています。白紙のノートに縦書きで書くだけで、和歌っぽくなるから不思議です。漢字を忘れない為にも、役立っているようです。今日、聖蹟桜が丘には、このノートを買うだけの為に行きました。

 他の買い物は、我が家の近くのスーパーで買うことにしました。23日に、我が家で、孫達と一緒にクリスマス会をやるので、この所、リブステーキを探しているのですが、今日もありませんでした。直ぐに売り切れるのでしょうか、注文しなければいけないのでしょうか、明日は、他のスーパーも廻ってみようと思います。我が家では、クリスマスにリブステーキは欠かせ無い物でした。どうやら、他の家でも同じなのかも知れません。

 5時過ぎに家に帰り、今日は、久し振りにアサリのバター炒めと貝柱のアヒージョを作り、チョリソーを焼いて、「寅さん」を見ながら、ワインで晩酌をしました。最近、日本酒の晩酌より、今日の摘まみとワインでの晩酌が、一番満足感を憶えるようになりました。

それにしても、寅さんを毎週見ていると、寅さんが年を取っていく様子が、手に取るように分って、少々辛いものがあります。寅さんの最終作は、阪神淡路の被災地を訪ねるものだったように記憶しています。その後、寅さん役の渥美清が、他界して寅さんシリーズも終了しました。

 もう40年異常前になりますか、「私は5歳」と寅さんの映画フィルム、それと映写機を積んで、ペルーの原住民の部落を、ジープで廻ったことがありました。村の広場にスクリーンを立てて、野外で上映したものです。電気の無い村もあったので、発電機も一緒に持って行きました。その部落の原住民にとっては、電気を見ることが、最初の驚きでした。寅さんは、原住民も大いに笑って、とても評判が良かったのを思い出しました。随分昔のことになりました。私の人生も、終わりが近づいてきました。

 

「何しても 古き思い出 湧いてくる 色々あった 私の人生」

 

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2017年12月16日 (土)

2017年12月15日

2017年12月15日

 

 昨日は、一日中、雲1つ無い天気でしたが、今朝は、雲が空を覆っていました。何と言う天気の変わり様でしょうか、昨日、富士を見に行って、本当に良かったと思いました。

 今日は、天気が悪かったので、年賀状に取り組みました。既に、宛名も文章やレイアウトも出来上がっていましたので、今日は、70部印刷しました。6年程前は、110部程年賀状を出していたのですが、音信不通になった人、亡くなられた人、喪中欠礼の人が、毎年少しずつ出て来て、今年は、70部になってしまいました。印刷の仕方を間違って、2枚無駄にしましたが、1時間足らずで、全部の印刷作業が、完了しました。明日、余り天気が良くないようですから、各人に一筆書いて、年賀状を終わりにしたいと思います。

 確かに、午前中は雲が多かったのですが、年賀状の印刷が終わった、午後2時頃から日差しが出て来て、3時過ぎには、青空が広がりました。その青空の中に、北の方から、3本の白い帯状の雲が、放射状に広がってきました。寒気の吹き込みのような印象を受けました。地上は、日差しが出ても、強い寒気が残っていました。

 今日は、急な用事が出来て、新宿に出かけました。年末の新宿は、何時にも増して、大混雑でした。府中市の外れに住んでいると、この人混みには、一寸した恐れを感じるようになりました。用というのは、大学の後輩である女性の相談に乗ることで、1杯のコーヒーで、2時間も話してしまいました。こんなことは、今まで、あまりなかったことです。

 話が終わった時は、7時を過ぎていましたので、恵比寿の先輩の店に行きました。つい最近もお邪魔したばかりでした。店の入口に、貸し切りの札が下がっていたのですが、中を伺ってみたところ、客は一組しかいませんでした。先輩に、聞いたところ、貸し切りのパーティーは終わったとのことでした。また、先輩に拠れば、「後輩の一組が、来たいと電話してきたが、その時はパーティーをやっていたので断った」のことでしたので、私から、その後輩に電話して、「若し良かったら一緒に飲まないか」と誘いました。後輩は、「是非飲みたい」と言って、1時間後5人でやって来ました。その内の4人は、我が家にも良く飲みに来たことのある後輩でした。5月に急死した後輩の月命日だったので、偲ぶ会兼忘年会をやっていたそうです。もう一人は、急死した後輩の友人でした。今日後輩達と、知り合ったそうです。

 その後は、私を含めて、偲ぶ会の2次会になりました。皆、70を過ぎ、死は身近なものになっているのですが、一番死にそうに無かった奴が死んだので、何となく、心の整理が付かないのです。様々な思い出話が、次から次に出て来て、11時になってしまいました。1月にもう一回、我が家で偲ぶ会をやることにして、お開きにしました。家に帰り着いたのは、日付が変わった12時半でした。こんなことは、実に久し振りでした。

 先輩の店は、今年で止めると言っていたのですが、手助けをしてくれる人が現れて、半年だけ延ばして見るそうです。もう暫く、先輩の奥さんの、美味しい料理が食べられそうです。今日も、美味しいピラフ(?)を頂きました。

 

「この5月 急に召された 皆の友 偲んで語る 月命日かな」

「誰にでも 良くも悪くも 強烈な 思い出残した 友の命日」

 

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2017年12月15日 (金)

2017年12月14日

2017年12月14日

 

 昨日、午後3時頃から湧いてきた雲は、何処へ行ったのでしょうか、素晴らしい快晴の朝になりました。

 午前中の仕事をしながら、外の様子を見ていると、今日は、富士山の方にも、全く雲が湧く気配がありませんでした。そこで、次男を送り出した後、直ぐに、河口湖へ富士を見に行くことにしました。

 11時半に家を出て、河口湖には、2時には着くと思っていたのですが、高尾で15分、大月で30分電車待ちをすることになり、丁度、45分遅れの2時45分に着きました。

 最近、河口湖では、日本語を聞くのが少なくなりました。右から左から、聞こえて来るのは、外国語ばかりでした。確かに富士山は、誰が見ても、素晴らしい山だと思います。それを世界中の人が知ってくれるのは、急速に発展した、ネット社会の恩恵のようです。有難いことです。

 先ずは、河口湖の船津浜に近い、円通寺に行きました。とても雰囲気のある臨済宗のお寺で、何度も参拝したことがありますので、御朱印を貰いたいと思いました。丁度、住職が、車の掃除をしていたので、御朱印を頼んだところ、「うちは、御朱印は扱っていません」と簡単に言われてしまいました。これは、仕方の無い事です。

 今日は、かちかち山(天上山)に登らないで、湖岸の遊歩道を歩いて、船津浜の反対側の岸へ行き、そこからじっくり、日没時の富士を見ることにしました。遊歩道沿いに歩いて行くと、岸辺の枯れた薄や葦が、富士や湖畔の風景と良く合っていました。葦の中に、スワンの形をしたボートが2艘置かれていました。白と赤のスワンが、とても仲の良いカップルに見えました。その葦が切れた岸辺で、バン(鷭)が7羽、餌探しをしていましたが、私の気配に驚いて、急いで湖に逃げました。岸辺に打ち寄せる波は、小さなものでしたが、バンには丁度良い波乗りになりました。直ぐ近くで、カイツブリが盛んに潜っていました。沖の方では、マガモが泳いでいました。

 歩いている内に、富士が、かちかち山の後ろから顔を出し、ホテルのある湖岸まで行くと、全身を現しました。近くで見ると、富士は、まだ冠雪を頂いたとは言えない状態でした。我が家から見る、北東側の頂上付近だけが、冠雪らしくなっていましたが、今日見た北西側の斜面は、溶岩の山肌が剥き出しになり、筋状の雪が、何本もへばり付いている状態でした。まだ、本格的な雪が降っていないようでした。

 ホテルへ登る坂の中間に、ひっそりと裸婦像が置いてありました。肉付きの良い肉感的な裸婦像でした。毎日、富士を眺めているであろう裸婦像に、ほぼ真横から夕日が当たっていました。光の加減で、男を誘っているような妖艶さを感じました。

 3時40分から、4時30分まで、ほぼ1時間、富士の日没ショーを見続けました。北斎の赤富士のような富士が見られるのではないかと期待したのですが、ほんの少し赤くなったような気はしたものの、とても赤富士とは言えませんでした。それでも、予想した通り、一片の雲も無い富士の夕焼けを見て、充分満足しました。富士の右側に落ちた夕日が、富士全体に、スポットライトを当てているようでした。100枚以上、写真を撮ってしまいました。

 来た道を、船津浜へ戻っていると、またしてもバンが、湖へ逃げ出しました。既に夕闇は進み、黒いバンは、見えにくくなっていたのですが、残照を映した湖面では、妙に黒さが際立ちました。ホテル側も船津浜の方も、灯りが点りました。富士が見える間だけでも、富士見酒をやっていかないかと、誘っているようでした。

 5時14分発の富士急で、我が家に向かいました。電車の客の9割は、外国人でした。多くの人が、旅の途中なのでしょう、電車が動き出したら、深い眠りに落ち込みました。大月、高尾で乗り換えて、我が家に着いたのは、8時半でした。今晩は、流れ星が見えるというので、空を見ながら帰りましたが、全くみえませんでした。最近は、宵の明星も、明けの明星も見ていないような気がします。昔は、真っ先に見つけたオリオン座が、何処に見えるのかさえ、分らなくなりました。

 

「河口湖 右も左も 異邦人 富士を愛する 世界の人々」

「立ち枯れし 薄の白穂 西日受け 白やいや増す 水辺の夕暮れ」

「寒き冬 枯れ芦原に 寄り添いて スワンボートの 愛の語らい」

「夕暮れに 女の裸像 いと妖し 夕日を受ける 乳房の色気」

「我避けて 水辺に逃げる 鷭の群れ 思いがけない 波乗り遊び」

「夕日受け 突如輝く 十字架の かちかち山にて キリストを呼ぶ」

「近づけば 雪はまばらな 縞模様 未だ少ない 富士の白雪」

「富士山の 裾野の端に 日の沈み 気高き富士を 下から称えん」

「北斎の 赤富士見たさに 懲りもせず 寒き夕暮れ 耐えて富士見る」

「一片の 雲無き富士の 立ち姿 冥土の土産に 出来る富士かな」

「飽きもせず 半時ばかり 対峙して 仰ぎ見るなり 富士の雄姿を」

「残照の 明るさ映す 河口湖 黒き鷭等の 姿留める」

「宵進み 湖面に映る 街の灯の 誘い強し 富士見酒かな」

「電車内 誰も寝こける 異邦人 疲れ癒やして 明日も頑張れ」

「漆黒の 闇無き都会の 流れ星 願いはあれど 見ること出来ず」

 

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2017年12月14日 (木)

2017年12月13日

2017年12月13日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。今日も、日の出を見に行く衝動に駆られましたが、止めました。欲望逓減の法則と同じように、感動逓減もあると思います。どんなに素晴らしい日の出でも、毎日見ると感動が次第に薄らいでいくと思います。

 ベランダのブライダルベールの花が、沢山咲きました。これまでも、少しずつではありますが、花を咲かせていました。年越しをして花を咲かせるのか、楽しみになってきました。

 今日は、正午頃まで、本当に快晴だったのですが、昼間の天気予報で、今日の3時過ぎには、雲が湧き出して、関東平野でも、小雪がぱらつくかも知れないと言っていました。空を見ながら、「そんな馬鹿な」と思ったのですが、一度聞くと気になるものです。早めに家を出て、近くの高幡不動まで歩きました。

 12時半に家を出て、多摩川の土手を上流に向かって歩きました。最近、歩くと白鷺に出会います。今日も、60羽位の白鷺の群れに出会いました。今日は、川鵜と一緒では無く、白一色でした。白鷺が、川の中を歩くと、水面が乱れて、光の玉を作りました。

 石田大橋の下の堰に、何か白い鳥がいました。驚かさないように、近寄ってみるとユリカモメ(百合鴎)でした。例年、冬の季節になると、この辺りまで飛来して来るのですが、今日は、たったの1羽で、黙然と堰の石の上に立っていましたが、やがて足を畳んで、昼寝の体制に入りました。

 石田大橋を渡り、万願寺交差点から、浅川の左岸に出ました。川の向こうに富士が立っていました。今日歩いてきたコースは、何処からでも富士が見え、場所によって風貌が変わる富士を楽しみながら歩きました。高幡不動の浅川からは、裾野まで広がった富士を見ることが出来ました。

 ふれあい橋を渡ろうとしたら、吊り橋の支柱のてっぺんに、鳶が止まりました。てっぺんは、丸い玉になっていて、足場が悪そうでしたが、暫く、多摩の里を睥睨していました。

 ふれあい橋を渡り、高幡不動駅を越えて、高幡不動尊に入りました。高幡不動尊は、暫く振りでした。此処も、紅葉が綺麗なのですが、時期も過ぎていましたし、丘の東側にある為に、午前中に来ないと、僅かに残った紅葉も楽しむことが出来ませんでした。光のない紅葉は、味気ないものです。境内は陰に入り薄暗くなっていましたが、五重塔の金色の相輪にだけ、冬の日が当たり、異常に輝いていました。境内では、そろそろ正月の準備が始まっていました。参道には、まだ飾りの付けられていない、門松が並んでいました。

 高幡不動から、聖蹟桜が丘へ出て、熊沢書店に行きました。1週間前に頼んで置いた本が届いたとの連絡があったのです。百人一首をスペイン語に翻訳した、私の職場の先輩が、新たに、「スペイン語で楽しむ一握の砂」と題し、石川啄木の和歌の翻訳を刊行しました。前にも書きましたが、同じアパートに住んだこともある、縁のある先輩の本でしたので、手に入れたかったのです。この先輩は、職場を離れた以後も、中南米関係の仕事をやっていましたが、やがて、その仕事も終わり、その後は、和歌のスペイン語訳が、ライフワークになったようです。外国語を日常的に使う職場にあって、スペイン語では1番と言われた先輩ですから、自然の成り行きだったと思います。この先輩は、人物的にも、温厚で謙虚な方です。一芸に秀でた人で、その一芸が多くから評価されていると、目くじら立てて、他と争うことは無いようです。

 3時13分発のバスで、我が家に向かいました。正午頃の天気予報を聞いた時は、「嘘だろう」と思いましたが、空には多くの雲が、湧き出していました。最近の天気予報では、こんな短時間の天気の変化まで分るようになったかと、科学の進歩に、唯々驚嘆しました。

 この予報の為に、早めに我が家に戻りましたので、年賀状作成の準備をしました。取り敢えず、年賀状の裏と宛名書きが、問題なく印刷出来ることを確認しました。更に住所録に、喪中欠礼の葉書を受け取った人、今年中に無くなった人を、印刷停止にするマークを付け、印刷停止が、正常に行われるか、確認しました。

この時点で、丁度、晩酌の時間になりました。次男が作ってくれた「おでんもどき」と、近くのスーパーで安売りしていた生の鰯の煮付け、買って来たツブ貝のわさび味で、日本酒を楽しみました。

 

「白鷺の 動きに合わせ 多摩の川 光の玉を 作り転がす」

「百合鴎 仲間とはぐれ ただ一羽 彼方に目をやり 途方に暮れる」

「吊り橋の 支柱の上に 鳶止まる 多摩を見渡す 良き場所なるかな」

「冬の午後 噴煙もどきの 雲湧かせ 山の裂け目に 富士の立つなり」

「丘の陰 早くも宵の 迫り来て 晩生の紅葉も 色を無くせり」

「宵迫る 寺で唯一 輝くは 五重塔の 金の相輪」

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2017年12月13日 (水)

2017年12月12日

2017年12月12日

 

 今朝も、雲1つ無い快晴でした。余りにも良い天気でしたので、昨日、沈むのを見た太陽が、昇るところを見に行きました。昨日は、光が少しずつ闇に飲まれていくところを見ましたが、今日は、少しずつ闇を追い払っていく様を、寒気に身をすくめながら、見ていました。このような素晴らしい現世を、目の当たりにしているのですから、現世に別れを告げたくないのは、当然です。

 帰ろうとしたら、四谷橋の下に、白鷺と川鵜の大群が、一緒になって押し寄せました。どうやら、朝餉時のようでした。川鵜は、電線の塒から、もっと遠いところに塒を変えたと思っていたのですが、それほど遠い所では無いようです。川鵜の餌取りには、大体白鷺が付き合います。川鵜から逃げる小魚を狙っているのです。以前、川鵜と白鷺のオセロゲームは、何時も川鵜の圧勝だったのですが、最近、場所によっては、5分に近い勝負になる事があります。今朝が、そんな感じでした。

 我が家の方の土手に戻って、富士を良く見ると、頂上付近が、また黒ずんでいました。ここ二日間の日中の暖かさで、雪が解けたようです。そもそも雪が沢山積もっていなかったようです。丹沢、奥多摩、秩父の雪化粧も、すっかり消えていました。

 我が家に戻ると、玄関の門の所に日が当たっていました。この時期の約2週間位、ほんの10分足らず、朝日が我が家の門の所まで差し込みます。門柱の上のシーサーや、塀代わりの中南米の飾り物に、朝日が当たって、ほんの僅かな時間、スポットライトを浴びていました。飾り物達にとっては、貴重な時間です。太陽の動きが、影の動きとなって見えました。

 今日は、大学時代からの知り合いであり、現在は山登りの仲間でもある女性の、クリスマスコンサートに、行って来ました。彼女が所属する歌の会は、元々、スペイン語の勉強の為に、スペイン語の歌を歌うことから始まったようですが、最近は、色々な歌に挑戦しているようです。なんと、私の同期である彼女とその同期が、このグループの最年少なのです。実は、お客も、我々の代が最年少のようでした。

 午後1時半開場だったのを、開演と間違えて、午後1時過ぎには、会場に着きました。まだ、リハーサルの最中でした。このグループのコンサートには、既に5回程来ていますので、メンバーとは、皆顔見知りです。じっくりとリハーサルの様子を見させて貰いました。リハーサルには、本番に無い面白さがあります。

 1時半に、コンサートが始まりました。私は、一番前の席に陣取り、写真を担当することになりました。コンサートは、1部、2部、3部に別れていましたが、3部は、クリスマスソングでした。去年もそうでしたが、私には、彼女と男性歌手が歌う、ロッシーニ作曲の「猫の2重唱」が、一番気に入りました。コミカルな感じが出ていましたし、ミャーオという猫の声が、彼女のソプラノと良く合っていました。

 各部の間の休憩時間は、ワインを飲みながらの談笑となりました。彼女が、「お酒でも出さないと来てくれないでしょう」と言って、何時の頃からか、このコンサートは、ワイン付きのコンサートとなったのです。スペインのリオハのワインを用意してくれて、とても美味しく頂きました。

 今日は、4人の同期が来ていましたので、コンサートが終わったら、彼女も含めて、5人で、近くの大学の先輩の店に、飲みに行こうと思っていたのですが、女性の一人は、非常に忙しい人で、他(多)用がありましたし、主役の彼女は、義理の弟の通夜が、今日行われるとのことで、残念ながら、一緒に行くことは出来ませんでした。結果的に、私の大学時代のクラブの同期でもあり、山の仲間でもあるWと、大学の同期で山の仲間でもあるO女史と3人で、先輩の店に行きました。

 O女史は、非常に不思議な人で、私の親友と悉く知り合いなのです。寮で同室だった親友とはマンドリンクラブで、学部学科の同期の親友とは仲間同士の集まりで、体育会で一緒に仕事をした親友とは地域の同窓会で、それぞれ仲の良い知り合いになったそうです。そして現在、O女史とは山登りの仲間になっています。先輩の店に行ったら、先輩の顔に見覚えがあると言い出しました。大学時代、同じ授業を受けたことが、あったようです。本当に不思議な人です。今度何時か、今日の3人で、飲もうという話しが纏まりました。この年になって、親しい人の輪が広がっていくことは、嬉しいことです。

 先輩の店は、6時頃から、団体で貸し切りになるとのことでしたので、5時半近くに店を出て、それぞれの家路につきました。

 

「何時見ても 元気をくれる 日の出かな 川面を伸びて 我に届けり」

「白鷺と 川鵜の群れの 朝餉時 河原で始まる オセロゲームかな」

「玄関の 置物達の 嬉しき日 彼等を称える 朝日のライト」

「若き日の マドンナの歌 聞きに行く 毎年貰う クリスマスプレゼント」

「友達を 介して広がる 人の輪よ 老いて嬉しい 人との繋がり」

 

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2017年12月12日 (火)

2017年12月11日

2017年12月11日

 

 冬は、関東地方は良い天気が多いです。今朝も、雲1つ無い快晴でした。富士の白嶺が一段と白く見えました。

 富岡八幡宮の家族間の殺人事件が起きました。宗教がらみの事件は、常軌を逸しおぞましいものですが、今回の事件は、本当に幼稚でおぞましいものでした。日本では、仏教も神道も、神に仕える職を、世襲しようとするのを、当然と考えるのが、良く理解出来ません。自分達は、特別の人間と思いたいのでしょうか、単に、自分達が思うだけで無く、他の人にもそう思うように強制しているようです。

私が育った戦後の時代は、神社が権威を失墜しました。生活習慣も大きく変わり、一般人の生活に於いても、旧来の陋習を排除する動きがありました。多くの人が、何も無いところから、自分達の力で、生活を始めました。権威や職業の世襲化は、思い描くことも出来ませんでした。しかし、最近は、社会の安定と並行して、将来への不安も大きくなり、何故か、社会が右傾化し、時代に逆行しているような気がします。特定の神社仏閣が、勢力を伸ばし、古来の文化と称し、宗教を中心とした、地域社会の復活、社会習慣が、頭をもたげて来ています。

今度の事件で、宗教の中味がいかなるものか、良く見極め、どの様に宗教と関わっていくか、自分自身で結論を出して欲しいと思います。宗教組織というのは、論理では無く、信仰心を束ねることによって、組織運営の基盤を強化しますので、必ず、理屈に合わない強制が伴います。一旦、宗教活動に深入りすると、この強制から逃れるのは容易ではありません。そのところを、じっくりと考えて欲しいと思います。

今日は、3ヶ月に一度の眼科の検診に行って来ました。散歩をかねて、聖蹟桜が丘まで、少し遠回りして、関戸橋を渡るコースを歩きました。京王線の鉄橋と関戸橋の間の河原に、白鷺が50羽程群れていました。最近、白鷺の数が、かなり増えたような気がしています。

3時に、聖蹟桜が丘の近くにある眼科に着きました。眼科の検診は、待ち時間を入れて、大体1時間かかります。待っている間に、視力検査や眼球の写真を撮ったりします。今日の検査で、左目に視力が前回よりも落ちていました。白内障が進んでいるのが原因のようです。今日は、緑内障の視野検査はしませんでしたが、眼圧が低めに安定しているので、進行は遅くなっているとのことでした。白内障に関しては、緊急では無いので、手術するか否かは、私の決断次第だと言われました。なかなか決断出来ないでいます。白内障の手術は、比較的簡単なようですから、残り少ない命、クリアーな世界の中で生きた方が良いとは思うのですが、、、。

 眼科の検診が終わると、丁度4時になりました。そろそろ日没の時刻となりました。聖蹟桜が丘の交差点に、OPAビルがあり、その6階に、多摩市市民センターがあります。大きな見晴台のような部屋で、西の方を一望出来ます。丁度、日没が始まろうとしていました。太陽は、富士山と丹沢の蛭が岳の間に沈んでいきました。今日は、一片の雲もありませんでした。昨日が、この状態であれば、ダイヤモンド富士が見られたのに、残念でした。

聖蹟桜が丘のダイヤモンド富士は、大分前に終わったようです。しかし、冬至を境に、太陽が沈む位置は、逆に富士の方に移動しますから、近いうちに、またダイヤモンド富士になります。ダイヤモンド富士ばかり、気にしているようですが、何処に太陽が落ちても、残照の中に立つ富士は、威厳があり、かつ端麗でした。富士の後ろの地平まで、空気が澄んでいるらしく、暫くすると明るさの中心が、富士の真後ろになりました。西の空全体が、富士仏の光背のようになりました。今日は1時間程、残照が続きました。余程空気が澄んでいたのでしょう。

 

 

「蛭が岳 富士の間に 日が落ちる 丹沢山塊 ダイヤの山に」

「半時も 迫る宵闇 跳ね返し 富士を真ん中 光のパノラマ」

「残照が 富士の背後を 赤く染め 光背背負う 富士仏かな」

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2017年12月11日 (月)

2017年12月10日

2017年12月10日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。一昨日の雨が、富士では雪だったのでしょう、富士山の頂上付近の黒い部分がなくなり、真っ白い冠雪になりました。富士としては、遅い冬の到来かも知れません。

 日記を書き終えてから、年賀状を作りました。1年に一度しか「筆ぐるめ」のソフトを使わないので、最初は思い出しながら、「筆ぐるめ」を使いました。しかし、簡単なソフトなので、使っているうちに、使い方を思い出し、比較的短時間で、年賀状の裏を作り上げました。この前見つかった住所録のデータが、そのまま、宛名書きのデータになりますので、これで、基本部分は出来上がりました。後は、印刷して、各人に直筆で一言加えれば出来上がりです。今週中には、投函したいと思います。

 昼食後、タグア(象牙椰子の実)で作られた鳥の置物の修理をしました。タグアは、私が最後に働いた外国、エクアドルで沢山採れました。本当に、色合い、触った感じが象牙に似ています。しかし、大きさがゴルフボール程度ですから、主に装飾品や民芸品の材料として使われていました。私は、梟の置物を集める趣味があるので、タグアで作られた梟を、大分買いました。その他に、エクアドル特有のオーム(鸚鵡)やハチドリ(蜂鳥)の置物も買って持ち帰りました。所がこの鳥達は、台座に乗っている物が多く、安定感が悪いのです。そんな訳で、東日本大震災の時に、棚から落ちて、台座から離れたり、嘴が折れたりしたものが、10個近くありました。長いこと方って置いたのですが、今日思い立って、修理をしました。台座から離れたものは、台座に付けてやりました。嘴が折れたものは、木を削って嘴を作り、付けてやりました。顔や身体に傷が付いた物は、綺麗に磨いてやりました。取り敢えず置物として復活しました。

 今日は、3時過ぎから散歩に出ました。西の方に、雲が少なく、ダイヤモンド富士を見に行くと決めていたのです。我が家から見えるダイヤモンド富士が、11月23日頃でしたので、相当上流まで行く必要がありました。我が家の前の多摩川の土手に出ると、かなり低くなった太陽の光が、真っ直ぐに目に飛び込んできて、とても正視出来ませんでした。サングラスを持ってくるのを、忘れてしまいました。日没の時刻は、4時15分頃だと思いますので、かなり急ぎ足で歩きました。

 石田大橋、中央高速道路の鉄橋、日野橋を越えた所で、太陽が富士山に近づきました。所が、富士の所にだけ雲が有り、先程まで、燦々と照り輝いていた太陽の光が、雲の後ろからの鈍い光になってしまいました。途端に興味は半減しましたが、立日橋を渡り、中央線の陸橋近く迄行ったところで、日没が始まり、富士の頂上の左側に、日が沈みました。沈む位置としては、ダイヤモンド富士と呼べるのですが、ダイヤモンドの輝きは無く、行灯を見ているようでした。

 何時も歩いている、残堀川から立川根川公園に出て、柴崎体育館からモノレールに乗りました。モノレールから、武蔵野の向こうに富士が良く見えました。なんと、頂上から、右側の裾野にかけて、真っ赤な龍が出現していました。暗がりの中の真っ赤な龍でした。雲の後ろに落ちた太陽が、更に落ちて雲の下に行ったのだろうと思います。見事で珍しいので、写真が撮りたかったのですが、モノレールの窓ガラスが邪魔して旨く撮れませんでした。それでも、必死で多摩川を歩いたご褒美を貰ったようでした。富士は、何時でも素敵な褒美を用意しているような気がしました。

 モノレールで高幡不動に出て、聖蹟桜が丘に戻りました。聖蹟桜が丘の豆腐専門店で、がんもどきと、ヒジキや煮豆などが入った揚げ豆腐を買って帰りました。今日の晩酌は、これらと「おでん」で、日本酒を飲みました。

 

「我が部屋に 300を超す 梟さん 元気でいろと 傷のお手当」

「夕暮れに ダイヤモンド富士 追いかけて 上へ上へと 多摩川歩く」

「雲無くば ダイヤモンド富士 拝めるに 何故に富士だけ 雲隠れする」

「宵闇に 富士の形に 昇り龍 真っ赤に燃えて 頂上越える」

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2017年12月10日 (日)

2017年12月09日

2017年12月09日

 

 一点の曇りも無き空、そんな朝でした。空気も澄んでいました。昨晩の雨が、空気中の汚れを、全て落としてくれたようでした。

 良い天気に誘われて、日の出を見に四谷橋まで歩きました。多摩川の河原も土手の道も、霜が降りていました。この冬、初めて見る霜でした。昨晩降った雨の湿りが、丸い氷の結晶となって、土手の道に敷き詰められていました。このような光景は、滅多の見られるものではありません、素晴らしいものを見せて貰いました。

東の空はすっかり明るくなり、西の奥多摩の空も、ほんのりと赤くなり、夜明けの瞬間が近づきました。背の高いビルの窓が反射を始め、やがて多摩丘陵の稜線の上に、朝日が顔を出しました。それまでも大分明るくなっていたのですが、太陽が顔を出した瞬間、夜の帳が引き上げられ、光の世界に変わりました。何時ものことですが、感動的でした。

日が昇って、西の方に目を移すと、遠くの甲斐の山々、奥多摩・秩父の峰が雪化粧していました。富士の白さも際立っていて、丹沢の蛭が岳も、ほんの少しですが、雪が積もっているようでした。未だ、12月の初旬です。こんなに早い雪化粧は、初めての経験ではないかと思います。

日が少しずつ高くなり、道の上の氷の結晶が少しずつ消え、草に付いた霜が、小さな水玉に変わり、朝日に輝き始めました。この写真を撮りたかったのですが、カメラの電池が切れてしまいました。朝の散歩の終わり時となりました。

今日は、駒込の後輩の店で、午後3時から、大学の学生会の仲間と忘年会となっていました。駒込には、旧古河庭園と六義園の二つの有名な庭園がありますので、何時ものように早めに家を出ました。

午後1時に、旧古河庭園に着きました。此処も紅葉の名所の1つです。紅葉の時期に、1度来たことがあります。今日は、既に、紅葉の時期は過ぎていましたが、何処にも晩生の木はあるもので、庭園のあちこちで、紅葉の最後の輝きを見せていました。池では、モミジの落ち葉の中で、カルガモが昼寝をしていました。最初、この庭園は、戦前はフィリピンのダバオで、戦後は南米のエクアドルで、ジュート麻を作っている古川拓殖と関係が有るのではないかと思ったのですが、古川と古河の違いであることが分りました。古河財閥、古河虎之助男爵の邸宅の跡を、都立の庭園にしたものだそうです。

旧古河庭園を出て、六義園まで歩きました。途中の小さな店で、長崎の壱岐対馬特産の「かす巻き」に似た、羊羹巻きを売っていたので、思わず買ってしまいました。「かす巻き」とは、変な名前ですが、カステラ巻きのことです。その後、近くの鶏の揚物屋から、唐揚げを昼食用に買いました。駒込駅の近くの染井門から六義園に入り、早速、柳沢吉保の大名庭園を見ながら昼食にしました。この庭園も紅葉の名所で、何度か来たことがあります。古河庭園と同じく、紅葉の時期は過ぎていて、数本のモミジとドウダンツツジが、紅葉の季節の最後を飾っていました。何処にでも居る、冬の渡り鳥、キンクロハジロが、群れを作って泳いでいました。今日一番の収穫だったのは、滝見茶屋の横にある石でした。これまで気づかなかったのですが、この石は、ある方向から見ると、とてもエロティックでした。生命誕生の為の結合の瞬間に見えるのです。誰かが意図的に作ったのではないかと思ってしまいました。

六義園を出て、後輩の店の方に歩いていると、携帯電話が鳴りました。なんと、つい最近、膵臓の手術をした友人からでした。彼は、この忘年会の常連なのですが、膵臓の手術をして間が無いので、今年は参加しないと思っていましたが、参加することを決めたそうです。ただ、場所が分らなくて困っているとのことでした。大塚と間違ったそうなので、直ぐ近く迄来ているので、駒込の駅で、待ち合わせることにしました。ものの5分もしないうちに、彼が現れました。軽く手を上げて合図を送ってきました。胃癌に加えて、膵臓癌まで手術をした人間と思えない程、元気な様子でした。彼の、生命力の強さに、唯々驚きました。

忘年会の会場に着くと、彼の膵臓癌の手術を知っている仲間は、誰もが驚きの声を上げました。彼が、「癌のツーペアを作ってしまった」と皆に挨拶をすると、仲間の一人から、「スリーカードを作ろうなんて思うなよ」と言われ、笑いのうちに忘年会が始まりました。なんと、彼は酒も普通に飲めました。私は、彼が胃癌の手術をして、1年半後位に、胃癌の手術をしました。そのせいもあって、彼が、今度、膵臓癌の手術をする為に入院する時、「今度は真似するなよ」とメールをくれました。勿論、私は、彼を真似てツーペアを作る気は、さらさらありません。

忘年会は、延々と続き、彼は、7時半位まで付き合いました。残りは、8時半近くに、漸くお開きになりました。思いがけず、彼が参加してくれて、何時もの忘年会になりました。

 

「初氷 銀のロゼット 敷き詰めた 道を歩いて 日の出見に行く」

「丹沢に 奥多摩秩父の 武相の峰 冬の初めの 雪化粧かな」

「日の出前 朝霧揺れる 多摩の川 高層ビルは 既に夜の明く」

「稜線に 朝日の頭 顔を出し さっと一引き 夜の幕引き」

「小春日に 水面漂う 落ち紅葉 日差し楽しむ カルガモ昼寝」

「この秋に 二度目の癌を 乗り越えて 忘年会に 参加する友」

「我が先 訃報を友に 送りたし 友の訃報は 聞きたくもなし」 

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2017年12月 9日 (土)

2017年12月08日

2017年12月08日

 

 今日は、薄雲の多い朝でしたが、比較的明るく、西の空には、青空もありました。今朝は、富士を包むような雲があり、富士が一回り大きくなったようでした。

 昨日から、我がアパートの玄関にクリスマスツリーが飾られました。我が家の玄関の扉に、私が作ったクリスマスの飾りを架けました。イタリアのクリスマスマーケットで買った材料で作ったものです。欧州や中南米の国では、この他にベレン(聖家族)を飾るのが通例で、私も3セット持っています。その中の1つは、今は亡き義理の伯母が、私の長男が生まれた頃に、くれた物です。伯母は、カトリックのシスターでした。当時から既に、キリスト教に興味をなくした私に、何かと信仰心を取り戻すように、気を遣ってくれました。年を取ってからは、片瀬のシスターの養老院にいました。92歳だったと思いますが、片瀬の近くの病院で亡くなりました。その時、今は亡き弟と病院に泊まって、伯母の最期に立ち会いました。最後に、私の名を呼んだ、伯母の声を今でも忘れることが出来ません。何もかもが、過去の思い出になりました。今年は、伯母さんがくれたベレンを、孫達が来る日に飾ることにしましょう。

 今日は、山登りの日でしたが、またも延期になりました。今日は、天気予報の通り、本当に雨が降りそうでしたので、散歩もしないで、家に中の仕事を片付けることにしました。フェイスブックは、普段は見るだけなのですが、今日は写真を2回も投稿してしまいました。

 午後になって、年賀状の準備をしようと、パソコンの「筆ぐるめ」を開けた所、これまでに作った年賀状とか、住所録が一切消えていました。今年、パソコンを新しくした時、古いパソコンの「筆ぐるめ」のソフトとデータは、全て新しいパソコンにコピーを頼みました。新しいパソコンを貰った時、トップ画面に、「筆ぐるめ」があったので、安心していたのです。それが、新しいソフトだけインストール(パソコンへのソフトの取り込み)していたのです。また、住所録を作り替えるかと思うと、目の前が真っ暗になりました。

 古いパソコンは、娘の所にやったので、娘に電話して、古い「筆ぐるめ」とそのデータが残っていないか確かめてみました。残念ながら、娘は「筆ぐるめ」を、パソコンから取り除いていたので、全く救いの手掛かりが、無くなってしまいました。諦めて、今日から、名簿造りをやり直すことにしました。

 そう思って、新しい住所録作りに取り掛かりました。色々、新しい「筆ぐるめ」を触っていたら、旧バージョンからの住所録の取り込みという、項目が出てきました。クリックしてみると、今年の年賀状を作った時の、最終住所録が出てきました。中身も健在でした。思わず万歳です。古いパソコンの住所録は、新しいパソコンに取り込んであったのです。早速、娘に連絡して、喜びを分かち合いました。

 年賀状の季節になると、父が年賀状を書いていた姿を思い出します。学校の先生だった父は、卒業した教え子も含め、300枚以上の年賀状を書いていました。全部、墨書でした。小さな文机の前に正座して、書いていました。文章は短いものでしたが、それでも大変な作業でした。パソコンの、住所録が亡くなって大騒ぎをした自分が、恥ずかしくなりました。それにしても、時代が大きく変わりました。

私の早とちりと、老いの思い込みのせいで、午後が潰れてしまいました。目も霞んで来ましたので、パソコンから離れ、少し早め、6時少し前から晩酌にしました。アサリバターの残り汁でスパゲティーを作り、アヒージョの残りの油で、ステーキとエリンギを焼きました。とても良い味になり、ワインが美味しく飲めました。

 

「老いたれば 日々の生活 何処にでも 思い出の糸 頭出しおり」

 

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2017年12月 8日 (金)

2017年12月07日

2017年12月07日

 

 今朝も、良い天気でした。但し、富士の方角では、雲が湧いたり消えたりしましたので、富士が見えたり隠れたりしていました。

 テレビを付けると、色々なことが起きていました。トランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都として、米国の大使館をイスラエルに移すことを宣言しました。彼は彼なりに言い分があるのでしょうが、軽率な発言をしたものです。それにしても、米国は、とんでもない人を大統領にしたものです。米国民の選択ですから、如何ともし難い事です。しかし、世界一の軍事・経済大国ですから、米国大統領の言動が、世界に大きな影響を及ぼすので、米国の大統領の言動に関しては、世界が関心を持っています。国際政治に大きな影響を与えるからです。この問題を書くと、全世界の歴史、宗教に言及しなければなりません。今日は、此処で止めますが、第5次中東戦争に発展しないことを願っています。

 最近のニュースで、最も腹が立つと同時に、有難いと思ったことは、北朝鮮の漁船の漂流です。あの北朝鮮の国民の貧しさは、想像を越えていました。大型のミサイルの発射、首都平壌の高層住宅や高級な政府の建物からは、想像出来ないものでした。各国の報道振り、脱北者の話し等から、北朝鮮の国民が、極めて貧しく、過酷な生活を強いられていることは、知らない訳ではありませんでした。それにしても、冷蔵庫も持たない漁船が、漁に出ているとは思いませんでした。日本は、300万を越える人的被害、国の多くが焦土となる犠牲を払いましたが、軍国主義を止め、民主主義を手に入れました。私は、それと同時に、人生を始めたことを、これ程有難いと思ったことはありませんでした。

 今日は、12時から、聖蹟桜が丘の歯医者で、3ヶ月に一度の歯の掃除をして貰いました。随分丁寧な歯科衛生士さんでした。これまで、30分程度で済んでいたのが、50分掛かりました。歯石と着色の除去を非常に丁寧にやってくれました。お陰で、とてもすっきりしました。今後は、2ヶ月に1度来て欲しいと言われました。彼女が、やってくれるのであれば、従うことにしました。

 歯のクリーニングの後、吉野家で昼食をして、多磨霊園へ行きました。多磨霊園の、正面入口の近くには、幾つか寺がありますので、御朱印を貰おうと思いましたが、この辺りの寺は、末寺のようで、特別の行事や法事が無い時は、誰もいないようで、門が閉められていました。御朱印は、1つとして貰うことが出来ませんでした。

 多磨霊園は、広葉樹の多くが葉を落とし、只でさえ目立つ松の木が、一段と目立っていました。所々に、紅葉した紅葉がありましたが、紅葉狩りをした気分にはなりませんでした。浅間山に近い所では、紅葉葉風の大木が紅葉していました。盛りは過ぎていましたが、何時見ても力を分けて貰えます。欅並木は、既に葉を落として、冬木立になっていました。此処では、剪定が行われませんので、裸になった枝振りが、団扇の骨組みのようでしたが、とても魅力的でした。

 霊園から、キスゲ橋を渡って、浅間山に入りました。浅間山と言っても、街中の小さな丘で、ほとんどがコナラの林で覆われています。此処も、黄葉は盛りを過ぎていましたが、葉を残している木も多く、林全体が、黄色のぼんぼりのようでした。林の下は、一面に落ち葉が積み重なっていて、歩くと、わさわさと音がしました。私が、作り出している音でした。小さな丘で、モミジは数本しかありませんでしたが、充分幸せな気分を味わいました。

 浅間山から、府中の森公園に移り、桜通りを通って、府中駅に出ました。昔、この近くに住んでいた頃、良く歩いた道でした。今日も良く晴れて、西の空に雲がほとんど無かったので、急いで、我が家の方に戻り、4時10分には、多摩川の土手に立ちました。丁度、富士の左側の裾野の一番下に、日が沈もうとしていました。辛うじて、日没の最後の瞬間に間に合いました。今日は、日没を見に走ったので、感動が一入でした。その後、富士と夕焼けを楽しみながら、我が家に戻りました。

 

「霊園に 眠る魂 見守りつ 安らぎ与える 紅葉葉風」

「葉を脱ぎて 自慢の骨格 露わにし 枝振り誇る 欅達かな」

「雪洞に 灯りが点いた 冬の森 木々の足下 落ち葉が積もる」

「森の中 歩けばわさわさ 音がする 冬だ冬だと 落ち葉の声聞く」

「今日こそは 日没見んと 多摩の土手 息堰戻れば 今没せんとす」

「様々の ドラマ見ながら 今を生く 天国などには 行きたくないな」

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