日記・コラム・つぶやき

2019年3月18日 (月)

2019年03月17日

2019年03月17日

 

 今朝も良い天気でした。天気予報では、午後から、八王子近辺は雨だそうですが、ほぼ快晴状態の空に、本当に雨雲が来るのでしょうか、信じられませんでした。結局、今日は、少し雲が増えた時期がありましたが、雨はぱらりともせず、1日中良い天気でした。天気予報も当たらないこともあります。

 今日は、アパートの理事会が、午後6時からあるので、少し早めに出かけて、早めに帰って来る感じで、七生丘陵散策東コースを歩いて来ました。

 午前11時に家を出て、四谷橋を渡り程久保川へ出ました。四谷橋の下で、バン達が泳いでいました。そろそろ桜が咲き、燕がやって来ます。もうすぐ北へ帰るでしょう。河原の冬木立の中で、柳が1本芽吹きを終えて、萌黄色に輝いていました。柳の芽吹きは早いですねー。程久保川と浅川の合流点にある仙人の花畑は、3,4年前の台風による増水被害以降、手入れが放棄されていましたが、今年は手入れが進んでいました。春には、昔のような花畑に戻るかも知れません。期待しています。

 程久保川から、百草園駅の方へ曲がりました。駅までの通りに、古い空き家が何軒かあったのですが、全て更地に変わっていました。百草園駅の近くは、新陳代謝が一段落しそうです。最近出来たばかりの、セブンイレブンに入り、弁当を買いました。弁当は充実していますし、コーヒーは何時でも飲めて、新鮮野菜の一画も出来ました。小綺麗な喫茶店兼スーパーの様になっていました。

 大宮神社の横から、多摩丘陵に登り、百草園の梅を外から眺め、百草八幡に参拝して、百草台公園に出ました。この公園の一番高い所で、昼食にしました。先程のコンビニで買ってきた、ダッカルビ弁当です。一日分の野菜ジュースと一緒に食べました。最近予定がない時は、出来るだけ外で食べるようにしています。1日3食食べることが、面倒で負担に感じることが増えてきましたので、色々変化が必要だと思っています。自分で作るより、費用は嵩みます。弁当の後は、缶入りですが、温かいコーヒーを飲んで、食事を終わりました。最近の自動販売機には、缶入りの味噌汁や豚汁なども売られています。まだ、試していませんが、出来るだけ早く試してみようと思っています。

 百草台公園から、百草団地の横を通り、もう一つの丘にある高幡台団地に出ました。両方ともかなり大きな団地です。団地の横の雑木林を歩いて、明星大学に出ました。そこから、丘を降りて多摩動物園駅に出れば、七生丘陵散策東コースは終わるのですが、少し遠回りして、明星大学と中央大学のキャンパスを歩いて、多摩動物園駅に戻りました。午後2時半になっていましたので、約3時間半の散歩でした。まだ帰るには早いので、高幡不動の骨董品を売る「ござれ市」と、境内の花を見て、聖蹟桜が丘経由、4時過ぎに我が家に戻りました。

 シャワーを浴び、写真の整理などをしていると、理事会の時間になりました。私の階にある会議室で、時間通り会議が始まりました。私が住んでいるアパートは、192世帯の大型アパートです。各所に修繕すべき所が発生し、ゴミ出しや生活マナーの悪い人もかなり居ます。また、共益費を払わない、払えない人も居ます。定年と同時にアパートを購入して、食費と光熱費だけで暮らせると思っていた人にとっては、月4万円を超す共益費は、負担が大きいようです。等々、今日も2時間、ぎっしり議論が続きました。

 これまで、アパートには、住民の親睦と、お金の掛からない生活上の問題を担当する自治会と、費用絡みの問題を担当する理事会に別れていました。所がこれでは、各会の役員を受ける回数が増え、住民の負担が増えるので、今年の理事会と自治会の役員が話し合って、来年から一つの会に統合する案を作りました。今度の7月の住民総会で、採決を仰ぐことになっています。負担が減ることですから、問題なく通ると思いますが、総会の準備も一仕事です。それにしても、私が子供の頃の田舎の生活とは、随分生活の仕方が変わったものです。これ程社会生活が激変した時代は、無かったと思います。

 

「蔓延りし 葛も枯れ果て 冬河原 希望の緑 柳の芽吹き」

「多摩川に 泳ぐバン等も 故郷へ 桜咲く頃 燕と交代」

「早春の 枯れ草色の 土手の道 日一日と 緑増え行く」

連翹も 花の仲間に 加わりて 垣根彩る 色の増えけり」

「春告げる 役目を終えた 梅の花 梢に数輪 花の残れり」

「遅咲きの 梅は今頃 満開に 桜咲け咲け 一緒に春を」

「枝越しに 我が家が見える 百草台 芽吹き終われば 幕の後ろに」

「榎かな 名前分らず 気になる木 黒き去年の実 新芽の緑」

「丘の上 梅の彼方に 広がりし 武蔵国の ビルの人里」

「真上から 鶯の声 聞こえ来る 瞳凝らせど 姿は見えず」

「葉を落とし 裸の木々の 逞しき 真の強さに 心打たれる」 

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2019年3月17日 (日)

2019年03月16日

2019年03月16日

 

 今日は、雨だと思っていたのですが、雲は多いものの明るい朝でした。しかし、富士は見えませんでした。

 テレビの報道によれば、ニュージーランドで、イスラム系移民が、2箇所のモスクで、礼拝中に銃撃され40人以上の死者が出たそうです。イスラム移民を排除しようとする過激派グループによる、周到に準備された事件だそうです。

 現在、世界で起きる様々な事件や戦争は、殆どが宗教絡みです。イスラム教絡みとも言えます。私は、如何なる宗教も嫌いですが、人間の人生は、色々と問題があり過酷でもありますから、神にすがろうとする人間が嫌いなわけではありません。

しかし、宗教は、神話の時代の種族を守る原始宗教から、歴史を重ねて今日の日常生活の土台であり、倫理観念の基礎を形成する宗教に至るまで、民族の文化や歴史と共に成長してきました。しかし、あくまでも原点は、生きるテリトリーを守るという生物の本能ですから、問題が起きれば、自分さえ良ければ良いという原点に返ります。敵を排除して、自分を守ることが最高の善なのです。自分達の縄張りを守るために、抗争を繰り返すヤクザの世界と何ら変わることがありません。神学等と、哲学を基礎とした高尚な思考の産物のように言っていますが、まやかしに過ぎないと思っています。

人間が増加し、人類が平等に繁栄を享受することは、非常に難しくなりました。生きるために敵を排除する傾向は、更に多くなるでしょう。米国の大統領が、自国第一主義を言う時代になりました。移民の受け入れを嫌い、英国がEUから離脱する決意をしました。これは、世界の頂点で優雅に暮らしていた、西欧の白人にも、生きることの困難さが生まれてきた証左です。今回のニュージーランドの事件は、白豪主義とキリスト教が一緒になった、自己中心的排他主義の結果だと思います。繰り返しますが、人口は、地球が人類を生かすためのキャパシティーを越えて増大していますので、敵を排除する戦争は、増えることはあっても減ることは無いでしょう。私のような、平和主義者は、無用の人間かも知れません。

 

 テレビで言っていましたが、梅の見方には、探梅、賞梅、送梅と三つの見方があるそうです。何のことかと思って調べて見たら、俳句の季語でした。咲き始めの梅を探す、満開の梅を観賞する、盛りの過ぎた梅を見送る、というように時期によって異なる見方があり、その時々の梅を楽しむことが出来るそうです。流石、日本の俳句の世界だと思いました。私も、言葉は知りませんでしたが、そのように楽しんでいました。

 今日は、雨が降るはずだったのが、一向に降る気配がありませんでした。1日、家に居ることになると、沈んでいた気持が晴れて、何時でも引き返せるような、近場を歩くことにしました。季節は、送梅の時期となり、こんな言葉があるのか知りませんが、探桜の時期と重なりました。

 我が家から、泉町公園、国立水再生センター、ヤクルト中央研究所、谷保城山公園、谷保天神と歩いて返って来ました。泉町公園の頃は、何日か前に薬師が池公園に行った時と同じように、鈍い光の太陽だったのが、次第に雲が晴れて、城山公園辺りでは、燦々と輝く太陽になり、谷保天神では、急に雲って太陽が見えなくなり、甲州街道でバスを待っている時には、ほんの少しではありますが、雨が落ちてきました。この変化が、僅か2時間足らずで起きたのです。花を見たり、空を見たり、忙しい散歩になりました。

 家に帰り着いたのは、4時過ぎで、時間があったので、この前、薬師が池で買ってきた梟達を、木の枝に止まらせる作業をしました。この為に、以前、適当な枝を拾ってきていたのです。先ず、2本の枝を縛り、冬木立らしくしました。これを、保管してあったウィスキーの蓋に差し込み固定しました。蓋に丸みがあって起き上がり小法師のようになるので、蓋の周囲を少し高くして、安定させました。その後、枝に5羽の梟を止まらせ、作業は完成しました。元々の梟が可愛いので、とても良いものが出来ました。飾る所を色々考えましたが、最終的にトイレに飾ることにしました。

 作業が終わると、晩酌の時間になりました。酒を飲んでいる時、知り合いの女性から一昨日電話があったことを思い出し、電話をしました。この女性と話すと、何時も話があちこちに飛び火して、長い電話になります。今日も1時間近く話しました。

 

「花片を 広げたような 芽吹きかな もうすぐ出番 五月の紫陽花」

「花韮に 病の友を 思い出す 庭に一面 希望の花達」

「白雲の 落ちてきたよな 雪柳 皆を待てずに 独り満開」

「薄雲に 日差し柔らか 多摩の里 蝶々も来たり 菜の花畑」

「小さくも 蘭にも似たる 花の咲く 何れ黒豆 烏の豌豆」

「濃き緑 椿の中から 枝延ばし わたし綺麗と 呟く黄梅」

「本物の 猿も楽々 座れよう 欅の幹に 猿の腰掛」

「谷保天神 鎮守の森を 背に負いて 一際目立つ 白木蓮かな」

 

 

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2019年3月16日 (土)

2019年03月15日

2019年03月15日

 

 今朝も素晴らしい天気でしたが、地平の方が霞んで、富士が良く見えませんでした。2,3分富士の方角に目を凝らしていると、薄らと白い富士を見たような気になりました。

 明日は、雨になりそうなので、今日は、もう一度狭山湖に行きました。桜の花が咲く前に、故郷へ帰る渡り鳥達が、この狭山湖で一休みするらしく、この時期は、真鴨、小鴨、尾長鴨達が、狭山湖に大集結するのを、これまでに何度か見て来ました。今日も大集結を期待していたのですが、小鴨が10数羽泳いでいただけで、鴨達が、全く居ないのと同じようでした。日本が暖かいので、早くも北帰行してしまったのでしょうか、故郷も暖かくなっていることを祈っています。

 午後1時を過ぎていましたので、静まりかえった湖畔を見つめながら、弁当を食べました。奥多摩の大岳が遠くに霞んでいました。このまま、来た道を折り返して帰るのは悔しいので、堰堤を渡って、狭山湖外周道路に入りました。狭山湖を1周したときに歩いた道です。以前と同じようにラブホテルが、3軒建っていました。今日は狭山湖を1周する積もりは無かったので、外周道路から降りて、山里に入りました。葡萄農家が多いらしく、あちこちに葡萄畑がありました。畑のあちこちに、幾つも梅園があり、畑の畔は、ホトケノザ(仏の座)、ナズナ(薺)、タネツケバナ(種付け花)、オオイヌフグリ(大犬陰嚢)が花盛りでした。山里の春ですねー。

 近くに神社が見えたので、参拝しました。八幡神社でした。参拝はしたものの、自分が今何処に居るのか、どの方向へ向かって歩けば良いのか、さっぱり分りませんでした。人も歩いていないので聞くことも出来ず、大きめの道路を、適当に歩きました。道には、裏高尾の私の友人のアトリエと同じように、作品が野晒し状態で山積になっている、彫刻家のアトリエがあったり、畑1面を埋めた仏の座の赤紫絨毯があったり、山茱萸の畑があったり、姫四手辛夷が咲いていたりで、とても魅力的でしたが、何時の間にか、外周道路に戻ってしまいました。

 外周道路を暫く歩いていると、「緑の森博物館」へ降りる道の標識が出て来ました。横にある看板の地図では、降りると早稲田大学の所沢キャンパスがありました。3時を過ぎて、居場所も分らず、どうしようかと思っていたのですが、ほっとしました。大学には、必ずバスが来ているからです。何となく足取りが軽くなって、「緑の森博物館」は、単なる森でしたので素通りし、ものの15分も歩くと、早稲田大学に着きました。キャンパス訪問をさせて貰いましたが、此処には学部はなく、運動場やトレーニング施設等、スポーツ関連の施設専用のようでした。武蔵野の森に囲まれた、素晴らしい環境でした。

 予想通りに、学内の正門近くにバス停があり、西武池袋線の小手指駅に出ることが出来ました。名前は聞いたことがありますが、初めての駅でした。そこから、秋津へ出て、新秋津まで歩いてJR武蔵野線に乗換え、西国分寺から、国立へ出ました。

本来なら、此処からバスで、我が家に帰るのですが、今日は一旦聖蹟桜が丘まで行きました。何時もかかっている眼科の先生から、今週取りに来るように言われていた、左目の白内障の手術をやってくれる病院への紹介状を、取りに行ったのです。まだ、手術をするかどうかは、迷っています。紹介された病院(実は癌の手術をした病院)で、もう1回相談してみようと思っています。

聖蹟桜が丘から戻って、近くのスーパーで買い物をして帰ると、7時近くとなり、すっかり暗くなって居ました。

 

 

「いち早く 芽吹く柳の 乱れ髪 髪の梳かしは 風に委ねる」

「枯れ落ち葉 分けて顔出す 土筆ん坊 春の日溜まり 心地よきかな」

「小滝の 白く泡立ち 流れ落つ 渓流擬き 馬酔木の花かな」

「枯れ草の 影に隠れて ひっそりと 花を咲かせる たちつぼ菫」

「狭山湖に 渡り鳥等の 姿なし 今年は早いか 故郷の春」

「武蔵野の 畑の畔の 梅霞 流れる雲と 似た者同士」

「仏の座 薺種付け 犬陰嚢 畔は花園 里の春かな」

「仏等が 降りてくるのか この畑 仏が座る 紫絨毯」

「早春の 芽吹きの前の 冬の森 木漏れ日優しく 芽吹き促す」

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2019年3月15日 (金)

2019年03月14日

2019年03月14日

 

 昨日より、空気は冷たいものの、穏やかに晴れた、気持の良い朝でした。富士も、雲のベールを被らないで、素顔でした。

 今日は、午後2時から、歯のクリーニングでした。約一月半、毎週行ってきた歯の治療が先週で終わり、約四ヶ月ぶりに、歯のクリーニングが出来るようになりました。私を担当してくれる歯科衛生士は、治療の助手もしてくれて、治療した歯に金属の蓋をする、最後の仕上げは、彼女がやってくれました。とても親切で、丁寧な仕事をしてくれます。久し振りにクリーニングをして貰って、とてもすっきりしました。

 クリーニングが終わったのが、2時45分くらいだったので、遠くへ足を伸ばすことは出来ないので、近場の桜が丘公園に行きました。鎌倉街道と川崎街道の交差点から、桜が丘カントリーまでの川崎街道は、辛夷並木です。3分の1程度の辛夷が、5分咲き程度になっていました。今日乗ったバスは、稲城行きのバスだったので、桜が丘カントリーでバスを降り、桜が丘公園の入口近くにある、成満寺まで歩きました。

 これまで桜が丘公園に行く時は、大抵、成満寺に寄っていました。2年前に、御朱印集めを初めてから、10回以上立ち寄ったと思いますが、何時も住職が不在で、御朱印を貰うことが出来ませんでした。今日も、余り期待せずに庫裏のベルを鳴らした所、とても元気の良い大黒さんが出て来て、「私で申し訳ないが、御朱印を書きましょう」と言ってくれました。多摩13仏の番外でした。2年越しの念願が叶いました。

 成満寺を出て、桜が丘公園に入りました。入口の左の道を降りると、両側に沢山の白花の犬フグリが咲いて居ました。犬フグリというと、ブルーの花をイメージするのですが、この道の犬フグリは、全部白花です。珍しいのではないかと思います。そんな訳で、春になると1度は、白犬フグリを見たくなります。

 坂を下りた所から、雑木林に入り、小楢や櫟、メタセコイヤ、公孫樹、梅園などを抜けて、丘の上の広場に出ました。多くの木々は、まだ冬木立でしたが、梅園の梅は盛りを過ぎ、イヌシデは芽吹きを始め、キブシの花が下がり、辛夷が花を開いていました。丘の上の広場には、仏の座の勢力圏に姫踊り子草が進出し、花を咲かせていました。花々が、季節の移り変わりを教えてくれる、そんな春は、1年の中で1番、心が浮き浮きします。

 今日は、コゲラ、ヤマガラ、シジュウガラ(多分、高い木の梢付近に群れていたので、良く分らない)を見る事が出来ました。また、鶯の初鳴きも聞きました。本当に春ですねー。

 蜻蛉の池広場からの公園の出口には、森林総合研究所があり、以前は、2階建ての職員宿舎が4棟あったのですが、全て更地になってしまいました。森林研究所にしては、周囲が都会になり過ぎ、研究が出来なくなったのではないかと思います。いっそのこと、公園の一部として開放し、研究所の施設は、森林の重要性を理解するための、展示館にした方が良いと思っています。

 地元と言うべき、桜が丘公園を歩いたのですが、家に帰り着いたのは、6時近くになりました。アパートの近くの更地に、黄花水仙と鈴蘭水仙が咲いているので、何時か貰おうと思っていましたが、今日実行しました。所が、思いの外根が深く、我が家のベランダに植えられる形では、引き抜けませんでした。折角意を決したのに、残念でした。

 

「晩冬に 顔覗かせし 蕗の薹 梅散る頃に 花になりけり」

「この道は 白犬陰嚢の 領地なり 世にも珍し 桜が丘公園」

「複雑に 枝張る木々の 真ん中に 襟を正した メタセコイア」

「夕日背に 影絵となりし 森の木々 影絵の君等が 我は好きなり」

「芽吹き待つ 冬の残れる 森の中 明日を約束 辛夷の花かな」

「我こそが 古の多摩 生き証人 多摩丘陵の 櫛の歯の森」

「仏の座 横にワイワイ 大はしゃぎ 春本番の 姫踊り子草」

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2019年3月14日 (木)

2019年03月13日

2019年03月13日

 

 今朝は良く晴れていたのですが、富士山は、富士の形に雲に覆われ、一廻り大きく見えました。

 今日は、春本番の暖かさだとテレビが言っていますし、日記も早めに書き終えたので、相模原へ行ってみようと思いました。結果的に、相模原市に行くには行ったのですが、最初の想定とは、随分違ってしまいました。

 10時半には家を出て、聖蹟桜が丘からバスで、永山に行きました。そこから、京王相模原線に乗れば、相模原駅に着くと思っていたのですが、これが間違いでした。京王線は、橋本が終点で、相模原駅は、JR横浜線に乗換えて、一つ目でした。橋本も降りたことがなかったので、フラフラと歩いてみることにしました。多摩の端の方にしては、結構高いビルが多い町でした。数年後には、リニア中央新幹線の停車駅になると言われています。

 しかし、余り見るべき所がなく、相模原駅の方角へ歩いていると、細い川に出会いました。川歩きは好きなので、川の側を上流に向かって歩きました。曲がりくねった川で、川側から離れたり、川側に戻ったりしながら歩きました。川岸には、欅、櫟、小楢等の冬木立の他に、竹林や、梅や桜の花も咲いていました。所々に旧家もあって、庭には様々な花が咲いて居ました。キクザキイチゲ(菊咲き一華)、諸葛菜、白木蓮、辛夷、雪柳も咲いていて、正しく春爛漫を満喫しながら歩きました。今日の空の青さは格別で、その中に浮かぶ白雲の白さもまた、格別でした。この青空と白雲を背景に、冬木立、梅や桜など、何枚も何枚も写真を撮りました。

 ある橋に来ると、上流に向かって、右側が東京都町田市、左側が神奈川県相模原市でした。今まで、歩いて来た川が、神奈川県と東京都の境でした。しかし、川の名前が何処にも書いてありませんでした。更に暫く相模原市側を歩いて、町田市の方に移ると、バス通りに出ました。町田街道でした。爺さんが、バスを待っていましたので、川の名前を聞いてみたら、境川とのことでした。成る程と思いました。爺さんは、法政大学行きのバスに乗りました。私は、反対側の相模原駅行きのバスに乗ろうと思ったのですが、急に気が変わり、法政大学のキャンパス訪問をする事にしました。まだ、訪問したことがなかったのです。

 七分後には、バスが来て、法政大学へ向かいました。暫くすると、見たことの有る風景が出て来ました。城山湖から下りて来た谷戸の続きだったのです。何度か、この近くの相原駅から、横浜線に乗り、八王子に出て帰ったことがありました。町田街道を右折して、暫くすると法正大学に着きました。多摩丘陵の中に、広々としたキャンパスが現れました。人間社会から、隔離されたような空間でした。午後1時半を過ぎていましたので、経済学部のキャンパスのベンチで、昼食にしました。大学は、春休みに入っているのか、キャンパスには、学生の姿が、殆どありませんでした。閑散とした広いキャンパス中で、一人寂しい食事となりました。しかし、残された雑木林と青空と白雲を見ながらの、贅沢な昼食でもありました。

 昼食後、富士山が見える場所を探して、キャンパスを隈無く歩きましたが、富士は見えませんでした。丹沢は見えるのですが、近くの丘が邪魔をしているのです。大学のシンボルである、背の高い塔の教室からは見えるのでしょうが、建物の中には入ることが出来ませんでした。それにしても、歩きでのあるキャンパスでした。なんと、校内巡回バスもありました。

 3時を過ぎたので、学内から出る西八王子駅行きのバスで、京王線のめじろ台駅で降りました。京王の高尾山口線ですから、通い慣れた電車です。京王片倉の駅から、丹沢と富士が一望できました。3時40分には、聖蹟桜が丘に着き、我が家には、4時半近くに着きました。

 今日、花の名前が一つ分りました。我が家の近くに咲いて居る花で、花はスズラン(鈴蘭)、葉は水仙のようでした。名前を調べようと思って、スズラン水仙で検索した所、それが名前でした。見た通りの名前は、多いですが、少なからず驚きました。正式にはスノーフレークというようです。

 

「老いてなお 花を咲かせる 枝垂れ梅 気力称える 空の白雲」

「春の日に 空に浮かんだ 白雲に 負けじと白き 地上の雪柳」

「小楢等の 梢のむこう 青き空 幹の向こうに 白雲座る」

「木の形 真似して白き 雲の立つ 雪を背負った 雪国の木や」

「欅等が、作る簾の 奥に咲く 空に大輪 白薔薇の花」

「冬木立 青空白雲 梅の花 絵の中を行く 春の多摩散歩」

「今日の日を 誰かの画集で 見たような そんな気がする 春の日散歩」

「県境 君にぴったり 境川 東京神奈川 行ったり来たり」

「塀の外 覗いて見たい 白木蓮 塀から顔出し いかにも満足」

「朽ち果てた 幹にしぶとき 梅の花 君の強さに 空も魂消る」

「待ち侘びて 土からいきなり 白き花 我は知ってる 君はクロッカス」

「川縁に 菊咲き一華の 花をみる 植物園の 花かと思えど」

「君の名は 花は鈴蘭 葉は水仙 形通りの 鈴蘭水仙」 

 

 

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2019年3月13日 (水)

2019年03月12日

2019年03月12日

 

 今朝は、若干霞は強いものの、素晴らしい天気で、雪を被った丹沢、相変わらずの富士の白嶺が見えました。

 今朝、テレ朝のテレビで、人工透析をせずに死に至った、44歳の女性の件について、特集番組がありました。番組の解説者の中でも、意見の相違があり、激しい討論になりました。意見が違うと言う事は良いことなのですが、日本人の悪い癖は、意見の違う相手を、敵対する人間として、感情を込めて攻撃することです。本来議論は、個々の考えの違いが、何に由来し、違いの克服は可能かどうか、様々なデータ(真正な)を示しながら、論理的に議論されなければならないと思います。しかし、30分程度のテレビの番組では、このような議論が、充分に出来るわけもなく、取り敢えず、意見の違いを曝け出した、それだけで終わることがままあります。それはそれで、無意味ではありません。

 今日のテレビでは、病院側の意見、一般的な患者の意見、倫理委員会の意見等が事前に調査され、議論の前提となっていました。最近多くのテレビで採用されている方法です。しかし、この方法は、テレビ局側に議論の誘導がないか、その点の問題が常に残ります。

 私は、延命治療拒否者で、尊厳死協会に入っています、私の意思については、現時点で長男に書類を渡しています。従って、病院側が言っている、「このような機会を捉えて、長生きは絶対善だとする考え方を、倫理上の考え方を含めて、見直す機会とすべきだ」との意見にも、一理あると思っています。しかしながら、命に関する価値観、倫理観に関しては、宗教が多くの影響力を有しています。宗教が絡むと、それだけで、論理的な議論が出来なくなります。宗教的な倫理観を拒否すると、社会から村八分状態にされることがあります。宗教は、信仰の問題であり、排他性が強いものです。日本人は、宗教は形式だけを重んじ、心の内では無神論者だと言われていますが、その日本人が、命の問題になると、論理的思考を排除するのです。あそこの神社は、〇〇に御利益があるというようなことが、自分では遊び心の積もりでも、社会現象を引き起こすような国です。思った以上に、宗教的な人間が多い国なのかも知れません。

 今日のテレビの中でも議論されていましたが、医者の側にも多くの問題があります。医者は、病人に対しては、生殺与奪の権利を有した、絶対的権力者です。病人に対して、知らず知らずに、場合によっては意図的に、その権力を行使していることがあります。権力を行使しない権力者は居ないのです。特に、日本に於いては、庶民から人徳を兼ねた素晴らしい知識を有した人として、尊敬の対象でもありました。その尊敬の対象であることは、現代に於いても継承されている所があります。

 しかし、権力者は、必然的に別の権力と結びつきます。つまり、政治との結びつきは、一番憂慮すべき問題です。戦前の化学兵器、優生保護法等、過去の歴史を振返ってみる必要があります。更に、現代に於いては、医療は企業化していますので、医療行為に企業論理が入ることは、避けられない状態になっています。また、製薬業界、サプリメントの業界等も、医療機関とつるんで、大きな儲けを目論んでいます。

 医学の進歩が素晴らしいことは認めます。私も癌の手術をし、その恩恵にあずかりました。しかし、医学の中に、「酒を飲む人は癌になる可能性が高い」等々、確率論的な考え方が幅をきかせるようになりました。また、人間を解剖学的部分に分けて、治療することが多くなり、人間が持つ、統合されたシステム機能に目を向けない医者も出て来ました。科学の進歩が、医学に悪影響を及ぼしている部分もあることを知っておくべきです。また、医者の判断について、鵜呑みにせず、自分なりの判断や、第三者あるいは別の医者の判断(セカンドオピニオン)も大事な時代になりました。

 医療全般、特に終末期の医療は、少し考えただけでも、計り知れないような大きな問題で有ることが分ります。安楽死の問題を含め、人間の基本的生き方に関わりますので、マスコミも感情に溺れず、きちんと対応して貰いたいと思いました。

 

 今日は、午後5時半からの、大学の同窓会の会議の為、都心の大学に行って来ました。この年になって、大学と関われることは、本当に有難い事です。何れ止めなければならない時が来るまで、精一杯やろうと思います。仕事の中味は、表に出さないことになっていますので書きませんが、今日も真剣に議論して、その後、美味しい酒を飲みました。家に帰り着いたのは、11時半を過ぎていました。

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2019年3月12日 (火)

2019年03月11日

2019年03月11日

 

 昨晩は、かなり強い雨が降っていたようですが、今朝方は、小降りになっていました。9時頃には、雨も上がり、日差しも出て来ました。

 今日は、東日本大震災が起きた日で、もう8年になるそうです。あの日のことは、今でも良く憶えています。関東も、かなり強い地震が起きました。丁度、青梅市の吉野梅郷を見た帰り、拝島で電車が止まっている時に、地震が起きました。拝島で直下型地震が起きたのではないかと、思ったほどでした。拝島から歩いて帰り、テレビを付けて津波の様子が写し出された時の衝撃を、忘れることが出来ません。

 東日本大震災の2年後だったか、3年後だったか良く憶えていませんが、吉野梅郷の梅は、全て伐採されました。ウィルスに感染したのだそうです。誰がその感染を見つけ、どの様なウィルスが、どの様に感染し、どの様な病気を引き起こしたのか、良く分らないことだらけですが、済んでしまったことは、仕方がありません。東日本大震災の日に、吉野梅郷を思い出したので、現在どうなっているのか、行ってみることにしました。

 国立から、立川に出て青梅線で青梅に行き、奥多摩線で青梅から二つ目の、日向和田に着きました。この駅が、吉野梅郷への入口です。今日も、「吉野梅郷梅祭り下車駅」との看板が出ていました。今、正しく梅祭りの期間中でした。

 駅を出て、青梅街道を少し歩くと、「へそまんじゅう」の看板が見えました。奥多摩名物と書いてあり、店の隣には「へそのを観音」が祀られていました。今日は、土日でもなく、客が少ないので、爺さんが一人で店番をしていました。一番小さな8個入りの箱詰めを買いました。すると爺さんが、蒸かし立ての饅頭を一つサービスしてくれました。この事を機会に、話が始まり、吉野梅郷、特に梅の公園の回復状況について聞きました。すると爺さんは、力なく笑って、「最低でも後10年は掛かるねー」と答えました。

 へそまんじゅう店の近くに、西欧風の教会のような建物がありましたので、寄ってみました。近づくと教会ではなく、Rose Town Tea Garden(イギリス風ティーレストラン)でした。残念ながら、今日は休みでした。

 その後、多摩川に架かる橋を渡って、吉野梅郷に入りました。道の両脇に新しく植えられた梅並木が出来ていました。以前歩いた道を辿って歩くと、梅の公園の入り口に着きました。その入口近くに、野草園を持った寺がありました。以前もこの寺に寄りました。梅林山天澤院でした。御朱印を貰おうと庫裏のベルを鳴らすと、住職が出て来ました。御朱印をお願いすると、渋々な感じだったのですが、承諾してくれました。御朱印を貰った後、昔の梅の公園の話になりました。住職は、目の前にあった梅の公園を、毎年当たり前の事として、見ていたそうです。所が、無くなって初めて、どんなに素晴らしい物であったかを再認識しているそうです。自分が慣れ親しんできた物が、目の前から消えてしまう、そんな、想像だにしなかった事が、現実になりました。東日本大震災の被害に遭った人達の、自分とは比較にならない程の、心の傷の大きさが分ると言っていました。最後に、「その頃の絵葉書を沢山持っているから、少し持って帰って下さい」と言われましたので、2枚だけ貰いました。私が以前見た、丘を梅が覆った、綺麗な梅の公園でした。

 寺を出て、梅の公園に方に行くと、焼きそばやタコ焼きなどの屋台が、無造作に置いてありました。土日は商売をしたのでしょうが、土日以外は、とても商売にならないのでしょう。公園全体に来ている人の数は、20人足らずでした。屋台が、何となく侘しく見えました。屋台の道を通って、梅の公園に入りました。梅祭りの期間中飾られている、「つるし梅かざり」が、沢山飾ってありました。毛糸や布で作った梅の花が、枝垂れ梅のように長く下がり、所々に鶯が顔を出しました。何故か、私の好きな梟も居ました。しかし、本物の梅は、まだ殆どが苗木であり、昔に戻るには、半世紀はかかるだろうと思われました。

 丁度、梅の公園の高い所へ上がった時、2時46分となり、東日本大震災の黙祷の合図のサイレンが鳴りました。梅の公園を訪れている人は、ほんの僅かでしたが、皆で北へ向かって黙祷をしました。梅の公園自体が、ほぼ裸の丘となっており、被災地に居るような感じでした。

 何となく、思い気持を引きずりながら、梅の丘を一廻りして、梅の公園と別れました。吉野の里の昔道を歩いてみましたが、矢張り梅は苗木でした。以前は、屋根を越す梅が、そこら中にあったのです。

 吉野梅郷から青梅に戻り、更に国立に戻りました。国立のホームから、多摩全体を見下ろすような富士を見ました。少し落ち込んでいた気持が、漸く晴れました。ほんの一瞬だけ、「この富士が爆発で無くなったら」と思いましたが、富士の雄大さが、その気持を吹き飛ばしてくれました。

 

「我と共 生きた証が 無くなりて 心の穴に 風の吹き抜く」

「老いてから 漸く知りし 梅の里 そが無くなると 想像だにせず」

「発展は 古きを壊し 生まれ出ず 懐かしむのみで 生きては行けず」

「故郷も 子供時代の 面影は 山の形が 留めるばかり」

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2019年3月11日 (月)

2019年03月10日

2019年03月10日

 

 今朝は、曇り空かと思っていたのですが、良い天気でした。どうやら、夜、雨になるそうです。昨日吹いた強い風は、春一番だったそうです。

 昨日、ベランダから飛んで、桜の木の上の方に掛かって、取ることが出来なかったシャツは、今日は、一番下の枝まで落ちていて、簡単に取ることが出来ました。これも「待てば海路の日和あり」ですかねー。

 午前中の作業を出来るだけ早く終わらせて、今日は、町田市の薬師池公園に、梅を見に行って来ました。今年は、随分沢山の梅を見ました。

 11時頃に家を出て、薬師池公園に着いたのは、午後1時を過ぎていました。朝の良い天気は、何処かへ行って仕舞って、空は薄い雲に覆われていました。その薄い雲の後ろから、太陽が必死に光を送ろうと、頑張っていましたが、何時もの太陽とは違って、力のない鈍い光でした。それが、何時もとは違った、素晴らしい贈り物でした。淡い陽の中の梅林で、遅めの昼餉にしました。

 私は、薬師池の梅は、剪定が行過ぎていて、余り好きでは無いのですが、今日は、梅と太陽、寒桜と太陽、冬木立と太陽等々、何時もとは違った薬師池公園の魅力を見せて貰いました。

 薬師堂に行くと、何時もは人気のない庫裏の2階に、電灯が付いていました。若しかしたら、御朱印が貰えるかも知れないと思い、呼び鈴を鳴らしてみましたが、応答がありません。玄関から離れて、2階を見てみると、大黒さんらしい女性が、窓の後ろから下を窺っていました。あまり良い感じがしなかったので、御朱印は諦めました。

 薬師堂から、薬師池に降りると、キンクロハジロの番が、水面に綺麗な線を作りながら、近づいてきました。桜が咲く頃には、北へ帰っていくでしょう。

 薬師池公園にある事務所で、写真展と椿展をやっていたので、見学しました。写真展は、写真それぞれに俳句が添えられていました。私は、和歌を添えますから、気持が良く分りました。本来、俳句や和歌は、写真ではなく、それだけで情景がつぶさに分るように作るべきだとは思うのですが、最近は、あまり難しく考えないようにしています。一般人の老後の楽しみですから。椿展は、この庭園内の椿の花の、生け花展のようなものでした。この庭園を管理する人達の作品だと思いました。

 展示会を終わって、会場を出ようとしたら、手作りの布の梟が売っていました。以前も1度買ったことがあるのですが、今日も買ってしまいました。1羽100円で安いし、私の親指程度で、とても可愛いし、使ってる布が全部違うので、梟のファッションショーの様なのです。今回も5羽買ってしまいました。

 薬師が池公園を、3時半くらいに出て、我が家に、5時過ぎに着きました。雲行きがだんだん妖しくなってきたので、大急ぎで洗濯物を取り込みました。晩酌は、暫く食べないと食べたくなる、アサリバター、ほうれん草のバター炒め、鰺のカルパッチョで、美味しくワインを飲みました。今日は、雨の予報で、外には出られないかと思ったのですが、予想に反して、良い1日となりました。

 

「もうすぐに 春本番の 桜咲く 膨らむ蕾に 優しき太陽」

「もう少し つましく咲くと 思いけり 溢れんばかりの 馬酔木の花かな」

「白梅の 下に紫 花の咲く 春の日の中 寒咲あやめ」 

「仰ぎ見る 梢の先の 梅の花 枝垂れる花に 優しき太陽」

「空を突く 剣のような 枝先に 鉾治めよと 優しき太陽」

「葉を落とし 幹を晒した 欅には もうすぐ青葉と 優しき太陽」

「梅林に 仄かな光 降り注ぐ 朧な太陽 満開の梅」

「月の出と 見紛うほどの 陽の光 気持和ます 梅の花かな」

「梅林に ヴェール透した 春の陽の 優しく注ぐ 薬師池公園」

「冬木立 簾の向こうに 柔らかな ヴェール被った 優しき太陽」

「生き様を 晒して立ちし 大木に よくぞ生きたと 優しき太陽」

「屹立す 辛夷に一輪 花開く 梅と桜の 中間走者」

「寒き日は 少なくなりし 早春に 早咲き桜 熱海寒桜」

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2019年3月10日 (日)

2019年03月09日

2019年03月09日

 

 今朝も素晴らしい天気でした。昨日と同じような丹沢と富士が見えました。この所、2日続けて良い天気は、珍しいような気がします。

 今日は、メキシコアミーゴ会総会が、11時半から、代官山のメキシコ料理屋で行われました。

 代官山は、大学時代、恵比寿に住んでいた頃、1度行った記憶はありますが、半世紀以上も前のことなので、記憶も朧です。10時に家を出て、明大前に着いたのが、11時頃でした。井の頭線で渋谷に行くのも、ほぼ半世紀振りでした。渋谷に着いたのは、11時10分くらいでした。井の頭線の出口は変わっていませんでしたが、東横線の乗り場が、全く変わっていました。私の記憶では、地上階にあったと記憶しているのですが、なんと地下3階でした。昔、渋谷には、地下の駅は無かったと記憶しています。

 東横線で、隣の代官山に着くと、此処も雰囲気が全く変わっていました。代官山は、落ち着いた高級住宅街で、ケバケバとした商店や、四角いビルは、全く無かったと記憶していたのですが、他の駅前と大差が無くなっていました。代官山は、丘と谷が入り組んだ所なので、目指すメキシコ料理屋が、何処にあるのか見当も付きませんでした。仕方なく、改札の前に立っていた駅員に聞いたら、早速、スマホで調べてくれて、店の位置が分る所まで案内してくれました。駅員の親切さと、スマホの便利さに感動しました。自分でスマホを使いこなせると良いんですがねー。

 11時半丁度に、店に着きました。店は、貸し切りになっていて、席が足りない状況でした。私が、席に着くと直ぐに、総会が始まりました。昨年の活動報告、決算、今年の活動計画、予算など、お定まりの式次第を終えて、メキシコ料理、メキシコのビール、メキシコのワイン、テキーラで、一気に場が盛り上がりました。皆の中にある、メキシコへの愛着、数々の思い出が吹き出しました。このメンバーでなければ話せないことが、沢山ありました。来たばっかりだと思ったのに、気がついたら3時を過ぎていました。名残は尽きませんが、1年に1度の、アミーゴ会の総会が終わりました。何時も2次会に行く人が、不参加でしたので、私も帰ることにしました。今年は、秋にアミーゴ会創設20周年の行事が予定されているので、もう1度会えそうです。

 代官山の駅へ戻る途中、ロシア民芸品店があったので、入ってみました。沢山のマトリョーシカが飾られていました。マトリョーシカの入れ子人形は、女性ばかりだと思っていたのですが、色々な物があり、梟もありましたので、ついつい買ってしまいました。この年になって、断捨離とは程遠いですねー。

 今日、久し振りに井の頭線に乗って、昔を懐かしく思い出したので、独身時代最後を過ごした、下北沢に行ってみました。行ってみて魂消ました。駅と駅前と商店街が様変わりしていました。新宿の一画のような賑わいでした。私が、住んでいたのは、駅から坂を下りて、桜並木の川の側のアパートでした。坂道は幾つもありましたが、どの坂道か分らなくなっていました。闇雲に坂を下りて、桜並木に辿り着きました。昔は、若く小さな桜だったのに、巨木になっていました。半世紀の年月が過ぎました。桜並木の下を流れていた川は、今は埋められていて、遊歩道になっていました。私が住んでいたと思われるアパートは、探すことが出来ませんでした。大学を中退した年の暮れに結婚し、最初の1夜を過ごしたのは、このアパートの6畳1間の部屋でした。大家の老夫婦がやっていた豆腐屋も見当たりませんでした。時の流れを目の当たりにした、下北沢訪問となりました。

 我が家に着いたのは、6時近くで、ベランダから赤い夕焼けの空と黒い富士が見えました。かなり強い風が吹いていたので、急いで洗濯物を入れようとしたら、紐に吊していた洗濯物がありません。2枚は、ベランダの隅にありましたが、1枚は、外の桜の木に掛かっていました。結構長い棒を使いましたが、ベランダからも、外の通りからも取ることが出来ませんでした。明日まで、様子を見ることにしました。

 

「我青春 昭和は遠く なりにけり 思い出の地も 知らぬ世界に」

「あの世から この世の変化 見てみたし 適わぬ願いと 知りておれども」

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2019年3月 9日 (土)

2019年03月08日

2019年03月08日

 

 今日は、素晴らしい夜明けでした。雪化粧をした丹沢と、白さが増した富士山が、我が家の前方に並んで顔を出しました。

 今日は、ミモザの日らしいです。そして、国際女性デーでもあるそうです。この日の由来は、「イタリアではこのFESTA DELLA DONNA(フェスタ・デラ・ドンナ=女性の)とされ、男性が日ごろの感謝を込めて、母親や奥さん、会社の同僚などにミモザを贈ります。 このことから「ミモザの日」とも呼ばれるようになりました。」だそうです。

 イタリアは、ミモザの花は、日本の梅と同じように、春告げ花でした。早春には、至る所にミモザの花が咲いて居ました。現在は、日本でも、かなり多くのミモザの花が見られるようになりました。黄色い花を山盛り咲かせる木です。イタリア人の間では、あまり花粉症という言葉を聞かなかったのですが、イタリアに住んでいる日本人には、ミモザ花粉症の人が、結構居たことを思い出しました。花粉症のような、アレルギー症状は、免疫機能が他の問題(雑菌など)に対応しなければならない環境では発症しないらしいので、日本が清潔になり過ぎ、イタリアには多少不潔が残っていて、イタリア人の身体の免疫機能が、不必要に過剰反応をしなかったのだろうと思います。細菌やウィルスは、単なる悪だけではないのかも知れません。病気の治療は、単純では無いようです。

 今日は、娘と末の孫に付き合って、久し振りに「トリックアート美術館」に行きました。末の孫の幼稚園が、年長組の特別行事のため、末の孫達は休みになったそうです。

 何時もは、11時過ぎにやって来るのですが、今日は、10時前にやって来ました。じっくり遊びたかったようです。トリックアート美術館は、高尾山口にあるので、日野バイパス、八王子、甲州街道を走り、高尾山口へ行きました。途中、石田大橋を渡る時、富士山と丹沢の大パノラマが、正面に見えました。末の孫も一緒になって、大歓声を揚げました。娘が、ハンドル操作を誤るのではないかと心配になるほどの感激振りでした。

 トリックアートは久し振りでしたが、何時行っても不思議な感覚に襲われます。末の孫は、初体験だったのですが、特に大きな驚きでは無かったようです。小さな子供は、まだ、固定観念が強くないので、目の錯覚などを、強く感じないようです。ただ、母親とジージが、キャッキャ喜ぶので、一所懸命写真のポーズを取ったりしました。それが、なかなか意地らしく可愛く思えました。暫くする、説明用のテレビを見ながら、自分でポーズを取るようになりました。後で、写真を見ると、また楽しめるでしょう。

 トリックアートの後、直ぐ近くにある高尾温泉に行きました。トリックアートを充分に楽しんだので、12時半を過ぎていました。先ずは、食事をしてから、風呂に入ることにしました。高尾温泉の中にある食堂で、末の孫は、普通に大人が食べる「八王子ラーメン」を頼んだのですが、ほぼ一人で食べきりました。半分は残るだろうと想定して、軽い蕎麦を注文した娘の当てが外れました。

 その後、末の孫は、私と一緒に風呂に入りました。最近、「何でもお母さんとでなければ嫌だ」とは言わなくなりました。第1時反抗期というか、第1次自立期というか、幼児から子供へと変わりつつあります。ジージも家族の一員だと言う事も分ってきたようです。末の孫と二人で、7つの風呂に全部は入りました。長風呂が出来ない私も、30分以上風呂に入りました。

 風呂から出た時は、3時近かったのですが、末の孫はソフトクリーム、私はビールを飲んで、また30分くらい時間が経ちました。高尾温泉を出た時は、3時半近くになっていました。今日は天気も良いし、梅が見頃なので、孫達と別れて、高尾梅郷を見ようと思い、その旨を娘に伝えると、娘も梅郷を見たいと言いだし、皆で高尾梅郷に行きました。高尾梅郷は、裏高尾にある幾つもの梅林の総称です。幾つもの梅林を通り越して、一番大きな梅林に行きました。正しく見頃でした。雲1つ無い青空と、傾いた日差しに、白い梅の花が、梅とは思えないほど輝いていました。孫は、「ふーんこれが梅」というような様子で梅を見ていました。昨年、娘が来た時は、まだ咲いて居なかったそうで、今日の梅を見て、娘も満足したようです。途中、摺差(するさし)の豆腐を買って、一旦娘の家に戻りました。上の孫、孫娘、長い付き合いの猫が、大歓迎してくれました。暫く孫達と話して、6時過ぎに我が家に戻りました。針のような三日月が迎えてくれました。

 

「助手席に 孫の笑顔が 覗いてる 思わずジージも 笑顔が浮かぶ」

「望外に フロントガラスの 全面に 丹沢富士山 大パノラマ見ゆ」

「富士山だー 孫の口から 叫び声 誰にとっても 希望の富士山」

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