日記・コラム・つぶやき

2018年6月21日 (木)

2018年06月20日

2018年06月20日

 

 梅雨らしいシトシト降りの朝でした。1日中雨の予報でしたが、午後3時近くには、雨は上がりました。

 昨日、我が家に戻る時に、燕の巣の跡を見たら、立てに切れ目が入ったビニールが下がっていました。「もう巣は作らせないぞ」という燕に対する意思表示でした。燕が、そのビニールが邪魔になって、巣が作れないようにしているのでした。燕の巣の跡を綺麗に掃除した、管理人の意思なのか、アパートの住民の意思なのか、良く分りません。燕の巣作りが始まった時には、直ぐに糞受けやビニールのシートが床や壁に貼られ、ほっこりとした気分になったのですが、今回は、非常に嫌な気分になりました。

 今日の朝のテレビは、サッカーのワールドカップで日本がコロンビアに勝ったことに浮かれていました。エンターテインメントが、国の関心の中心になる時は、国が滅ぶと言われています。今は、世界中がエンターテインメントに現を抜かしていますので、世界が窮地に陥る可能性があるのかも知れません。エンターテインメントは、本当に力を注がなければならないことから、目をそらす結果が生じるのです。スマホやゲーム機で、ゲームに夢中になること、これもエンターテインメントの一つです。WHOで、ゲームに依存するのが、病気の一つに認定されました。しかし、ゲームに限らずエンターテインメントは、個人の病気以上に、社会として深刻な問題だと思います。

 今日は、一日中雨だとの予報だったので、散歩は止めるつもりでいたのですが、午後2時半頃になると、雨が止みました。しかし、何時降り出してもおかしくないような空模様だったので、傘を持っての散歩となりました。

 四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出ました。雨の為、誰もいない河川敷の運動場で、大きなお椀のようになった夾竹桃が、咲き誇っていました。一つのお椀は、真ん中から紅白の模様に別れていました。聖蹟桜が丘の川岸近くのビルの解体作業が続いていましたが、ほぼ解体が終了していました。跡地にどの様なビルが建つのか、興味があります。

 京王線の鉄橋を潜って、関戸橋まで行くと、関戸橋の半分を架け替える為の仮橋設置工事の現場に着きました。仮橋は、多摩市側の方は、接岸しました。府中市側も、今月中には接岸しそうです。その後、歩行者にも影響の大きい、仮橋を利用した車線変更工事が始まると思います。下流側の橋の架け替え工事は、それから始まります。東京オリンピックには、間に合わないような気がします。

 関戸橋を渡って、我が家の方へUターンしました。こちら側の土手は、最近も何度か歩いていますので、特に珍しい花はないのですが、沢山ある蕾の内、野甘草が1輪咲いていました。これから、野甘草、藪甘草の花の時期が始まります。また、もう時期は終わったかと思っていたクララ(眩草)も咲いていました。我が家の近くの家の庭では、アガパンサスの花が咲いていました。2年前の手術の時、病院の庭で咲いていた花です。お陰で、他の花の名前は忘れても、この花の名前を忘れることはありません。昨日の代々木公園では、直立したネジバナを見たのですが、多摩川の土手のネジバナは、どれもきちんと捩れていました。

 今日は、そんなに長く歩かなかったので、5時前には家に戻りました。持っていった傘は、使いませんでした。晩酌までに、時間があったので、少しだけ花の勉強をしました。色々なことが分りました。

一番嬉しかったのは、子供の頃我が家でも咲いていた、密生した固い葉の上に、直立した白い花を咲かせる蘭の名前が分りました。ユッカ(イトラン)と言うそうです。ずっと知りたかった名前でした。なんと、この花の和名は、アツバキミガヨラン(厚葉君が代蘭)でした。新宿御苑を出る時に見た、アルストロメリアの和名は、ユリズイセン(百合水仙)であることが分りました。また、この前、四谷緑道を歩いた時に出会った、花の名前も分りました。ハンゲショウ(半夏生、半化粧)でした。ウィキペディアによれば、「夏至を過ぎた頃に長さ1015cmほどの穂状花序を葉の付けねにつける。また、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たすのが本種の特徴である。」だそうです。その通りの花でした。また、常緑の木蓮であるオガタマ(トキワコブシ 常磐辛夷)に、ベニバナ(紅花)があることも知りました。木蓮の一種だったら当然ですね。また、この前、三屋街道で見た花で、高尾山でも、この時期沢山咲いている、背の高い花の名前を思い出しました。タケニグサ(竹似草)でした。ネットでこの花の漢字を、竹煮草と書いているものがありましたが、間違いだと思いました。最後に、アガパンサスの和名が、ムラサキクンシラン(紫君子蘭)であることが分りました。

1つ疑問が湧いたのは、ニワナナカマド(庭七竈)とホザキナナカマド(穂咲七竈)は、花の写真を見ると同じように見えるのですが、まだきちんとした説明に出会っていません。

 

「身を守る 術と心得 人と棲む 燕の思い 人が拒否する」

「生きる為 俎板の鯉の 時を過ぎ 初めて見た花 アガパンサスよ」

「名も知らず 子供の頃から 眺めてた 君が代蘭の 白き花かな」

「花片と 見紛うほどの 白き葉よ 野草と思えぬ 半夏生かな」

「街中の 車の多き 街道に 背高のっぽの 竹似草かな」

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2018年6月20日 (水)

2018年06月19日

2018年06月19日

 

 朝、ほんの少しだけ富士が見えました。二,三日前の天気予報では、今日は雨だったので、富士の姿を見る事は、全く期待していませんでした。このような期待外れは歓迎です。さしもの富士も、頂上付近まで雪解けが進んでいました。富士は、一旦雲に隠れましたが、夕方また顔を出しました。

 今日は、池袋サンシャインビルの水族館の人達と、サンシャインビル59階で12時から食事をしました。私の友人の関係で、私がエクアドルにいたことを知り、ガラパゴス諸島の海イグアナを水族館で鑑賞に供することが出来るか、その可能性について聞きたいとのことでした。ガラパゴス諸島は世界自然遺産で、独自の進化を遂げた動植物を保護する事が求められています。当然、動物の捕獲と移動は禁止されている筈です。当初は、何か、裏道を探しているのかと勘ぐってしまいました。しかし、会って話をしたら、真面目な仕事熱心な人達でした。水族館の職員が、水族館を魅力あるものにする為に、職員同士の議論の中でアイデアとして出たものだそうです。関係先に正式に話をしてみて、不可能であれば諦めるとのことでした。自分達の水族館を良くしようとする気持ちが伝わってきました。お陰で、変な勘ぐりは無くなり、エクアドルのこと、ガラパゴス諸島のこと等、色々と話すことが出来ました。

 昼食会が済んで、暫くぶりにサンシャインビルの周囲を歩いてみました。直ぐ隣に、東池袋中央公園がありました。かなり大きな水場を持った公園でした。その水場の後ろを回ってみたら、仙人の庵が五つもありました。仙人にとっては、大都会の真ん中の方が、住み易いのかも知れません。しかし、池袋という日本有数の繁華街の中で彼等を見ると、競争社会の非情な現実に胸が痛みました。彼等と一緒に、野良猫もかなりの数いました。面白いことに、此処の野良猫は、首にスカーフを巻いていました。何を意味するのかは分りませんでした。

 まだ2時半でしたので、今日は明治神宮に行って来ました。明治神宮も久し振りでした。今日は、本殿の往復だけではなく、明治神宮御苑も歩きました。実は、御苑の方は初めてでした。北門から入り、隔雲亭、南池、花菖蒲田、清正井を回って北門に戻りました。500円の維持費協力金を払いました。南池は、睡蓮が、沢山咲いていて、蜻蛉が群れ飛んでいました。周囲に全くビルが見えず、都会の真ん中にいることを忘れてしまいました。清正井(きよまさいど)からの水が流れる谷戸に出来た花菖蒲田は、深い森と調和して、公園の花畑とは違った、昔の日本を思わせる趣がありました。北門に戻って、原宿方面に歩くと、清正井と書かれた小さな看板がありました。この先に、御苑の東口があります。こちらから入れば、恐らく無料だったでしょう。それにしても、本殿の方も御苑の方も、外国人の方が多いような気がしました。

 4時を過ぎていましたが、代々木公園も歩きました。ほぼ1周しました。或る所に、ネジバナが沢山咲いていましたが、驚いたことに、捩れていないネジバナも数本ありました。原宿に戻り、神宮橋でパントマイムとか幾つかのパフォーマンスを見て、新宿、聖蹟桜が丘を経て、我が家に戻りました。もうすぐ日没を迎える空は、梅雨だというのに、鱗雲でした。

 6時半近くに帰り着いて、7時頃から晩酌を始めました。9時からは、サッカーのワールドカップ、日本―コロンビア戦を見ました。開始後3分でコロンビアの有力選手が、ゴールエリア内でのハンドの反則で、一発退場となりました。日本は、その後のペナルティーキックを決めて、有利に試合を展開し、2-1でコロンビアに勝利しました。アジアチームが、南米のチームに勝ったのは、歴史上初めてのことだそうです。スポーツの試合は、何が起きるか分らないと言うのはこの事でしょう。

私も次男も、体力、技術力から見て、日本はコロンビアには勝てないと思っていました。しかし、今日の日本チームには、相手に反則を起こさせるような、勢いがあったように思います。この勢いは、急な監督の交代、強化試合で思うような結果が出せなかったこと、フアンからの不満の声などが影響して、なんとかしなければと言う危機感が選手個々の中に芽生え、それが更に勝利に対する強い思いに変わったから生まれたのだと思います。選手個人が、監督の指示をこなす、立派な駒として動くことだけに終始すれば、このような事にはならなかったでしょう。日本人は、立派な駒になる事が一番大事だと思う傾向があります。そうではなく、異能の選手達が、異能を生かしつつ、個々人の勝利への執念によって、自然に連係を生み、結果的に見事な組織プレーになって、相手に勝利する、そんなチームになって欲しいと思います。今日と同じような事は、そう頻繁に起きることではありません。監督の采配が良かったなどと評する人がいましたが、そんなことはありません。監督のことなどは気にしなくても良いから、自分の気力だけを高めて欲しいと思います。次の2チームも容易に勝てるチームではありません。

 

「大都会 欲と野望が 渦を巻く 街の灯の影 敗者の庵」

「周囲をば 大繁華街に 囲まれた 深山幽谷 神宮の森」

「湧水の 流れる谷戸に 花菖蒲 都会の只中 絵画の世界」

「日本では 昔と今が 織り混ざる それが魅力と 異邦人の群れ」

「神宮の 池に連なり 花咲かす モネをも魅了 睡蓮の花」

「見上げれば 梅雨の晴れ間の 鱗雲 富士も驚き 空を見上げる」 

 

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2018年6月19日 (火)

2018年06月18日

2018年06月18日

 

 本当に昨日の午後は、束の間の梅雨の晴れ間でした。今朝は、どんよりとした梅雨空が戻っていました。

 昨日書きませんでしたが、昨日の散歩の帰り、近くのショッピングセンターに寄りました。そこで、花や木の売り場で、花の咲いたイタリアンパセリを売っていました。名札の横にもう一枚札があって、「猫のお酒」と書いてありました。マタタビのように猫が大好きなもので、食べると猫が酔っ払った状態になるそうです。初めて知りました。

 ベランダが寂しいので、イタリアンパセリではなく、ローズマリーを買いました。ローズマリーは、育て方が極めて楽で、日差しと少しの水で、簡単に育てることができるようです。花も長いこと咲くようですから、少しはベランダも、賑やかになるでしょう。特にハーブとして利用する気はありません。

 NHKの朝7時のニュースが終わる頃、大阪の北部で震度6弱の地震が発生しました。その後、どの局も地震のニュースに変わりました。最初の頃は、左程被害は無いように思えたのですが、時間が経つにつれて、少しずつ被害の状況が明らかになり、死者も3名、被害者は250名を超えました。水道、ガスのライフラインの被害も、かなり出ていました。阪神・淡路大震災のように、多くのビルが倒壊するようなことは無いようですが、かなりの被害となりました。それにしても、日本は災害列島、ありとあらゆる災害の見本市のようです。そして、災害の発生する頻度が増えたようです。同時に、色々なものの老朽化が、災害の拡大に輪をかけているようです。如何に耐震設計をしても、老朽化には勝てません。人類特に日本国民は、未来永劫、天災人災と闘い続けなければいけないようです。

 今日は、娘から連絡があり、末の孫の幼稚園が早めに終わるので、末の孫の遊びに付き合って欲しいとの事でしたので、付き合うことにしました。「ジージと遊びたい」と末の孫が言ったそうです。確かに、この所末の孫の私に対する甘えが、強くなっているのを感じていました。

 11時頃、娘と孫がやって来ました。最初は、郷土の森公園の近くにある、交通公園に行く予定だったのですが、雨が降りそうなので、屋内の遊び場に行くことになりました。最近、京王の多摩動物園駅に出来た、ハグハグという幼児用の遊戯施設に行くことにしました。

 週日だというのに、人の多さに驚きました。幼児が対象なので、多くの子供は、午前中で幼稚園が終わったり、幼稚園前の子もかなりいました。様々な遊具が備え付けられていましたが、どれも、鈴生り状態でした。土日の混み方は、週日の比ではないと言いますから、混雑振りを想像することが出来ませんでした。末の孫は、今日は、親達が自分だけを見ていてくれるので、好き放題遊んでいました。

昼食の時、問題が起きました。注文した食事は、出来上がるのに1時間位掛かるというのです。但し、飲み物は直ちに出すそうです。飲み物を、食事の時に出せないか、それをOKして貰うのに、随分時間が掛かりました。食事が出来る間、遊具で遊んだりして、ミニトレインに乗るように並んでいたら、食事が出来たとの知らせが入りました。食事は、貰わなければならないし、ミニトレインの出発時間は迫っているし、大変なことになりました。取り敢えず、食事を受け取り、食事を運ぶカートに乗せて、娘と末の孫は、ミニトレイン乗り場に戻りました。その間に、私が座る席を探しましたが1席もありませんでした。空いていると思われる席には、陣取り用の荷物が置いてありました。20分後、娘と孫は、戻ってきましたが、席は一向に空く気配すらありませんでした。仕方なく、靴箱の前の靴を履く為の長椅子で昼食となりました。日頃出来ない酷い経験をしました。この遊戯施設は、改善しなければならない点が、山ほどあると思いました。

末の孫も食傷する位遊んだので、3時半頃、家に送って貰いました。誰もいないと思ったら、次男がいました。今日は休みだとのことでした。暫くテレビを一緒に見て、6時頃から、次男が用意してくれた酒の肴で、一緒に晩酌をしました。一緒に暮らしているのに、こうして酒が飲めるのは、2ヶ月に1度位です。何時もの晩酌の倍近く、酒を飲みました。

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2018年6月18日 (月)

2018年06月17日

2018年06月17日

 

 梅雨空が、続いています。今日の午後は、つかの間の晴れ間が見えるというので、3日分の洗濯をしました。

 朝の仕事を片付けていると、長男から電話が掛かって来ました。父の日のお祝いにビールを送ったそうです。私が、子供を育てている時、母の日は祝っても、父の日は祝わないことにしていました。そんな訳ですから、長男が祝いの品を送るはずがありません。恐らく、長男の奥さんのアイデアだろうと思います。記憶は定かではありませんが、父の日のお祝いを貰ったのは、生涯初めてではないかと思います。

電話の側に、今年大学生になった孫がいたので、孫と話すことが出来ました。元気で大学生活を楽しんでいるようでした。クラブは、テニスクラブに入ったようです。青春を共に生きる友達を沢山作って、大いに青春を謳歌して貰いたいと思います。孫とおおっぴらに飲めるようになるのも、後1年半位です。

夜、長男の奥さんから電話がありました。矢張り、父の日のアイデアは、奥さんだったようです。朝の時点では、用があって家に居なくて、話せなかったことを詫びていました。近々、皆で集まって飲もうと言うことになりました。実は、ビールはまだ届いてなかったのですが、奥さんと話し終わって時に、インターフォンが鳴り、ビールが届きました。普段は飲めない素敵なビールが届きました。早速、奥さんにお礼の電話をしました。

日記を書き終えて、近くの西友に行きました。昨日、買い物をした時、出席した学園の理事会の資料を忘れてしまったのです。ちゃんと保管してあって、受け取ることが出来ました。実は、学園には傘を忘れてきました。忘れても良いような傘でしたし、傘が無かったお陰で新宿御苑を、手軽に歩くことが出来ました。しかし、忘れ物が、本当に多くなりました。老人性痴呆症が、近づいているのではないかと、時々心配になります。

今日は、5時からアパートの理事会が行われることになっていましたので、近くの田畑が多く残っている場所を縫って歩きました。

午後2時頃から、最近行かなくなった四谷クリニックの側を通って、四谷3丁目へ向かいました。四谷は、昔は四家と書いていたようです。見渡す限り田圃だったようです。四谷3丁目には、四谷の主と言える、市川一族の住居が数多くあります。多くが、広い庭を持った広壮な邸宅です。そのお陰で、田畑も他の所よりは、幾分多く残っています。しかし、歩く度に、田畑の何処かが、新しい住宅に変わっています。農業を継ぐ人が年々少なくなっていること、遺産相続の税金の関係から、農地だけで無く自宅も売る人が、いるようです。旧家の土地には、10軒近くの庭も無いような家が、ぎゅうぎゅう詰めに建てられます。今日も、そんな場所を見ました。なんとなく複雑な気持です。

それでも、残っている旧家は、まだ幾つもあります。どの旧家の庭にも花が沢山植えられていて、花屋敷状態です。タチアオイは、満開の時期を過ぎようとしていますし、グラジオラス、カンナ、オシロイバナ、サルスベリ、ナツツバキ等が咲き始め、もうすっかり夏となっていました。用水路の中では、アヒルの番が泳いでいました。この近辺で、アヒルを見るのは、初めてでした。羽の模様が綺麗なアヒルでした。我が家の近くの道路では、オナガが道路の手すりに止まっていました。最近よくオナガを見かけます。住宅地のあちこちにも現れますし、雀と同じような、里鳥になったようです。

5時から、アパート内の3階のエレベーター前の会議室で、本年度を担当する、第1回の理事会が行われました。本来、10人が参加するはずの所、6人しか参加しませんでした。取り敢えず、その6人の中から、理事長、副理事長、防災担当理事、会計担当理事を決めなければなりませんでしたが、立候補も無く、他の人を良く知らず、推薦も出来ませんでしたので、抽選で選ぶことになりました。結果として私は防災担当の理事になりました。

1時間で会議は終わり廊下に出ると、燕が2羽、巣があった所を飛んでいました。燕は、1季に2.3度子作りをすると聞いたことがあります。1回目の子作りをして、雛が巣立った後、直ちに巣を撤去したのは、早過ぎたのではないか、そう思いました。燕達が、「此処に作った我々の巣はどうなったの」と言っているような、そんな気がしました。

 

「久々に 檻から出でて 水遊び 仲睦まじき アヒルの夫婦」

「子育てを 必死にした巣は 白壁に も一度子育て する気でいたのに」

 

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2018年6月17日 (日)

2018年06月16日

2018年06月16日

 

 今朝は、6時に起きて、7時15分には家を出ました。今日の友人の学園の理事会は、千葉県の市川市にある学園内で、10時から始まることになっていました。行き方については、ネットで調べたのですが、初めてなので、早めに出かけました。

 聖蹟桜が丘から、新宿で都営新宿線に乗り換え、終点の本八幡で、京成線に乗り換え、一つ目の駅から歩いて5分、ネットで調べた案内の通り、9時半にはスムーズに学園に着きました。理事会は、予定通り10時から始まり、11時半には終わりました。それから軽く昼食を食べ、友人に学園を案内して貰い、12時半には、学園を出ました。

 理事会で話し合われたことは、私にとっては、初めてのことばかりで、頭が痺れました。特に、学園経営の問題は、民間企業の苦労が良く分りました。収入源である生徒の確保、生徒の確保の為のプロモーションのあり方、大学との連携のあり方、教師や職員確保の為の給与体制、勤務実績と賃上げ、借入金の返済、資産の運用等が話し合われました。私は、唯々話を聞きました。

 運営上の問題の他に、教育そのものについても、話し合いが為されました。現在、社会で問題になっている、虐めや不登校の問題は、この学園にもありました。教師と生徒、教師と保護者の問題も普通にあるそうです。IT化が進み、人間社会が、大きく変化する中での、将来を担う若者の教育現場に、この年になって、初めて関与することになりました。私が、若者の将来に何かをしてやれる訳ではありませんが、現場を垣間見ながら、この大事な問題を考える機会をくれた友人に感謝です。

 学園を出て、駅の周囲を少し歩きました。今月の初めに、東京外環道の千葉県

の部分が開通したようです。駅の下を外環道が走っているらしく、駅の周囲は、工事の後始末が済んでいませんでした。今後、最大の難関である、関越道と東名高速までが開通すれば、東京外環道も完成です。何時になりますかねー。

 本八幡の駅まで戻りました。本八幡も初めてでしたので、駅の周辺を歩いたところ、JRの本八幡駅の周辺が、本八幡の中心でした。帰りは、JRで帰りる事にしました。地上の景色を見ながら帰りたかったのです。途中千駄ヶ谷で下りて、この前、閉園時刻の関係で入れなかった、新宿御苑に寄ることにしました。。、

 千駄ヶ谷で、入口を探すのに、少し手間取りましたが、2時には千駄ヶ谷門から新宿御苑に入りました。閉園は4時半ですから、今日はたっぷり時間がありました。御苑の地図を片手に、下の池、プラタナス並木、バラ園、玉藻池、中の池と周り、その後、日本庭園に入り、上の池を経て、新宿門から出ました。

 千駄ヶ谷門から下の池までは、鬱蒼とした森で、大木が空を覆い、都心の森とは思えないほどでしたが、電車の走る音が直ぐ近くで聞こえました。バラ園の両側は、葉を1杯に付けたプラタナス(スズカケ(鈴掛))の並木でした。フランス式の庭園なのだそうです。玉藻の池の岸辺に沢山のワルナスビ(悪茄子)が咲いていました。日本庭園には向かないのではないかと思ってしまいました。玉藻の池から広場を通って、中の池へ戻る時、満開のタイサンボク(泰山木)がありました。その向こうのドコモタワーとで、新宿御苑紹介の絵葉書のようでした。中の池には、アメリカデイゴ(亜米利加梯梧ーカイコウズ(海紅豆))が咲いていて、池に映ったドコモタワーと良いコンビでした。日本式庭園に入ると、ドコモタワーが間近に迫っており、何枚も何枚も写真を撮りました。四角いビルよりも、先の尖ったビルの方が、矢張り絵になります。日本式庭園の旧御涼亭の近くの芝生の中に、たった1本だけネジバナ(捩花)が咲いていました。外国人の若いペアが、熱心に写真を撮っていました。小さいながらも天に昇る螺旋階段のようでした。そう言えば、新宿御苑にも、沢山の外国人が訪れていました。

 3時半には、新宿門から新宿御苑を出ました。門の横には、仙人がブルーシートの上で寝ていました。新宿門を出ると、新宿通りの新宿三丁目の交差点が直ぐでした。土曜日で、人がごった返す新宿通りを歩いて、新宿西口に出て、京王線で我が家に戻りました。途中、我が家の近くで買い物をしたので、家に着いたのは、6時近くになりました。

 

「大木の 命の力 迸る 摩天楼にも 負けぬ勢い」

「庭園の 池の岸辺に 悪茄子 花の少なき 池を彩る」

「摩天楼 背にして満開 泰山木 観光名所の 広報写真」

「池の端 亜米利加梯梧の 紅き花 タワー盛り上げ 名コンビなり」

「芝の上 葉も無き捩花 刺さってる 天に向った 螺旋階段」

「日本一 歓楽街の 只中に 新宿御苑の 深き森かな」

「エンパイア ステートビルを 思わせる 緑の奥の ドコモタワーかな」

 

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2018年6月16日 (土)

2018年06月15日

2018年06月15日

 

 何時雨が降り出してもおかしくないような朝でした。実際に雨が降り出したのは、10時近くからでした。天気予報では、弱いながらも一日中降り続くと言っていました。

 最近、老後をどの様に生きるか、ハウツー本のようなものが沢山出て、どれもそこそこ売れているようです。確かに老後をどう生きるか、誰にとっても気になることかも知れません。日本人の大半を占めるサラリーマンは、定年退職後、生き方がガラリと変わる訳ですから、老後の生き方は、大きな問題なのかも知れません。

 私も、サラリーマンでしたから、老後の生き方をどうするか、悩みました。定年後暫くは、サラリーマン時代と同じように、職につきたいとハローワークに通ったこともありました。しかし、定年後の人間に、願いを叶えるような職場は見つからず、早々に就活を諦めました。現在は、ほんの少しの大学のOB会の仕事、友人から頼まれた仕事、色んな友人との付き合い、家族との付き合いの他は、日記を書いたり、色んな所を散歩したりしながら暮らしています。

 私の場合は、子供返りをしたと思っています。私の散歩は、子供が外に遊びに行くのと同じ事だと思っています。子供の頃、山野を駆け回って遊んでいました。食べられる木の実は何処にある、食べられる草は何処に生えている、あそこには熊蜂の巣がある、あそこは猪が出る、あそこの黄金蜘蛛は喧嘩が強い、目白を捕るならあの木が良い、あの谷川には沢蟹が居る、山ツツジはあの岩の所に沢山咲く、クワガタを捕るならあの木が良い、あそこの婆さんは怖い等と、山野に関しては、博学多才でした。

 今の散歩は、昔ほど自然の中を歩くことは少なくなりましたが、公園や街角の木や花、お寺や神社の森、多摩丘陵の森、高尾山等々、何処にどんな木や花があるか、大体把握することが出来ました。何時頃何処にどんな花が咲くかも、分るようになりました。韮、野蒜、蓬など、食べられる野草の生える場所も良く分るようになりました。四季折々、これらの花や木を尋ねるのが、私の老後の生き方の大半を占めています。若い頃のように、生きることの意味とか、余り考えないようになりました。きざな言い方をすれば、花鳥風月を友として、毎日を楽しく過ごし、美味しい酒を飲んでいます。

 そんな訳で、今日のように外に出られない日は、一日何をしようか、迷ってしまいます。

 今日は、一日中雨だというので、外に出ることはせず、録画して置いた「インカ帝国の謎」に関する、ドキュメンタリーを見ました。インカとは、王という意味の現地語(ケチュア語)でした。大航海時代、スペイン人が、この地を訪れた時、この言葉の印象が極めて強かったので、ペルーを中心とし、北はエクアドル、南はチリの方まで広がる大帝国を、インカ帝国と称したようです。私がペルーに居た当時、専門家から聞いた所では、タワンティンスーユ(四州の国)が正式の名前だったと思います。ペルーに2年ほど滞在した時、スペイン人を初めとする西洋人の横暴、宗教の非道さ、原住民の文化・土木技術、野菜栽培技術の高さ等々、様々な事を学び、私のそれまでの人生と決別するほど衝撃を憶えました。いかなる宗教も信じられなくなりました。西欧に対する見方が、大きく変わりました。スペイン人の神父が関与した日本の戦国時代も見直しました。人間の本質についても考えが変わりました。今日のドキュメンタリーは、インカ時代の遺跡巡りが大半でしたが、私の人間としての原点を思い出させてくれました。

クスコ、マチュピチュには3回行きました。一度は、子供達も連れて行きました。お仕置きの岩で娘が大泣きしたのを思い出します。まだ、4歳だったと思います。ペルーのこと、インカのことを書き始めると、本が何冊もかけそうです。これくらいにしておきましょう。

 まだ時間があったので、明日、友人の学校の理事会に出るので、友人の学校の校訓とか、理事会の規則、現在の活動状況等、一夜漬で勉強しました。小さな字を読むのが、大変困難になっているので、苦労しましたが、大体のことは頭に入りました。

 勉強が終わると、漸く6時になりました。何時ものように晩酌の準備をして、6時半から晩酌にしました。一日は、長いと感じました。

 

「老いたれば 子供帰りは 当たり前 自然が一番 花鳥を愛でる」

「雨の日は 雨垂れの数 数えてた 遠き昔を 思い出すなり」

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2018年6月15日 (金)

2018年06月14日

2018年06月14日

 

 梅雨なのですねー。今日も曇り空の朝でした。若しかしてと思いながら、西の地平を眺めますが、富士は全く見えませんでした。

 若い時には、世界の知識層の叡智を盲信する所があって、国連における世界平和に対する考え方は、真理に基づいた、誰もが納得する道があると思っていました。所が、現実には、国連は、世界平和の実現に対して、真理に基づく提言など全く出来ず、強国のエゴがまかり通り、国際政治に、殆ど貢献出来ない現実に、腹立たしい気持を抑えることが出来ませんでした。しかし、ある時期から、人間社会は多様性の世界であり、真理もまた多様であることを学びました。このような状況の中では、人間社会を秩序でもって維持運営する為には、妥協か強圧かしかないと分りました。

 妥協と言う言葉は、相手に屈するという感じが強い言葉ですが、今適切な言葉を思いつきません。人間社会(国家)の秩序は、生い立ちも、考え方も、感性も違う多数の人間が、己の意見を極限まで押し通すのではなく、妥協すべき所は妥協し、最低限皆が守るべき事に同意し、この同意事項を社会の規則とする事を基本としています。同時に、一旦国民の合意で同意された規則(法)は、国家権力が、国民に強制出来ることになっています。勿論、道徳・良識も秩序の一端を担いますが、国家権力が強制することは出来ません。

 人間社会(国家)の秩序は、完璧では無いにしろ、民主主義という考え方が、主流になり、多くの国で認められ、適切に運用されているように思えます。この秩序を国際社会に適用しようとするのが、国連の目標ですが、何故か国家間の問題になると妥協を許さなくなってしまいます。相手を信じる事が出来なくなるのです。国家の場合は、構成員である国民が、全ての力を国家に委ねることが、秩序維持の前提となっています。所が、国連において、構成員である国家が、全ての力を国連に委ねることは、現段階では到底不可能でしょう。それ故に、国際社会では、国連が強制出来る法は存在しないのです。その為に、国際社会では、国家による諜報活動、国家転覆の為の陰謀等がまかり通っています。国際法というものもありますが、これは、国家では、秩序として不確実なものとされている良識を、参加国が守ると言うことを前提に、秩序維持の基盤としています。しかし、この良識は、常に揺れ動き怪しいものです。例えば、核拡散防止条約は、国際法の一種ですが、核保有国を新規には認められていませんが、既保有国は、核保有を永続的に認められるのです。法の下の平等は存在しないのです。これが、参加国の良識の結果なのです。これは、良識なのか、所有国の横暴なのか、どちらかと厳正に言うことは出来ませんが、現実的な世界平和の維持としては、一つの方法だろうと思っています。

 また変な話が長くなって、日記とは言えなくなってしまいました。それ程、米朝首脳会談は、歳を取って現実離れをしていた私を、国際社会の現実に引き戻しました。

今日は、昨日手続きをした便座の取り替え業者から連絡があり、11時に業者がやって来ました。取り替えは、ものの30分も掛からず終了しました。これで、水漏れを受けるガラスの容器が、何時溢れるのか、心配をしないで済むようになりました。

以前の便座は、取り替え業者が、2500円で引き取ってくれると言うことでしたが、手続きの際、断りました。歩いて15分位の所に、府中市のリサイクルセンターがあり、自分で粗大ゴミを持ち込めば、市役所に収集を頼む時に較べて、半額で引き取ってくれます。これまでに何度も利用しました。今日も、便座を持ち込んだ所、なんと250円でした。10分の1の費用で済みました。ちょっとした情報と労力で、これだけ節約出来るのです。大いに満足しました。

今日は、多摩川の左岸の土手の別名「府中かぜの道」に、心地よい風が吹いていたので、中河原まで土手下の道を歩き、中河原からは、土手より一つ内側の第3都市緑道を歩いて、郷土の森公園に行って来ました。

 午後1時半に家を出ました。エレベータに乗る前に、ないと分っているのに、ついつい燕の巣があった所に目が行きました。ただの壁になっていて、楽しみが一つ減りました。

中河原までの土手下の道には、一昨日の石田大橋までの土手下の道と同じような花が咲いていました。此処では、オオキンケイギクとハルシャギクが隣同士で咲いていました。オオキンケイギクの花の真ん中が、黒っぽくなっていたので、ハルシャギク(波斯菊、別名蛇目草)に影響されたのかと思って近づいてみると、2匹の紅シジミ蝶が、別々の花で翅を広げていました。ネジバナ(捩花)も咲いていましたが、まだ時期が早いのか、土地が痩せているのか、小さな背丈に小さな花を付けていました。

 中河原公園では、棗の蕾が列をなしていました。トウカエデは、ブーメラン状の実を山ほど付けていました。隣の住吉小前の木槿並木の花が咲き始めました。2年前、私が病院から退院した時、満開で迎えてくれた印象が今でも忘れられません。

 郷土の森公園には、3時に着きました。つい最近、孫達と水遊びに来た所ですが、今日は週日でもあり、風も冷たかったので、水遊びをしている家族は、一組だけでした。今日は、水遊びはせずに、「紫陽花祭り」の紫陽花、野甘草、沙羅の木、姫沙羅の木等沢山の花を楽しみました。4時から、プラネタリウムで投影が始まるというので、実に久し振りに入ってみました。先月リニューアルオープンしたばかりです。投影機そのものはリニューアルしたのでしょうが、星空は、同じでした。以前より多くの星が投影出来るようになったそうですが、問題は、私の目です。以前より、かなり見えなくなりました。プラスマイナス0と言う所でしょう。

 

「存在を 悟られないよう ひっそりと 仲良く並んだ 捩花二輪」

「むせ返る 緑の向こうに ビルの街 季節変われど 街は変わらず」

「草萩と 照り葉野茨 万年草 多摩の河原に 揃い咲きかな」

「あれれれれ 蛇目草では あるまいか 花の真ん中 紅蜆蝶」

「紫陽花と 沙羅と姫沙羅 並び咲く なんと贅沢 花の公園」

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2018年6月14日 (木)

2018年06月13日

2018年06月13日

 

 雲の多い朝でしたが、10時頃から、青空が見え始め、日差しも出るようになりました。

 今朝もテレビは、米朝首脳会談の事で持ちきりでした。昨日の会談の様子やトランプ大統領の記者会見の内容、北朝鮮における報道、共同声明の内容などから、今回の首脳会談の内容が、どの様な意味を持ち、今後どの様に進んでいくかについて、様々な意見が出されていました。

 日本が敗戦した、第2次世界大戦で、日本は明治の頃より進めてきた「富国強兵」という国家政策を見直さなければならないと気がつきました。ヨーロッパを中心とする世界の国々も、科学技術が進歩した時代においては、戦争は人類そのものを破滅させると気がつきました。そして、国連を中心として、世界平和を目指そうと決意しました。しかし、第2次世界大戦終了後、僅か5年後に朝鮮戦争が勃発しました。真相は、はっきりしませんが、イデオロギー戦争の代理戦争だった可能性があります。当時のソ連を中心とする共産主義国は、既存の社会を共産化することが、平等公正な民主主義社会をつくる最善の道だと思っていました。既存の社会で、資本主義的民主主義国のリーダー的存在であった米国は、この動きに恐怖を感じていました。1国がイデオロギー対立の結果として、2国に分裂して居ました。当時のソ連が、暗に北朝鮮の後押しをして、南朝鮮の制圧を促したのだろうと思われます。

 言いたいことは、山ほどありますが、朝鮮戦争は、1953年休戦協定を結び、それ以降今日まで、小競り合いはあったものの、65年間戦争無しで推移してきました。その後、ソ連は崩壊し、中国は改革開放政策に転向し、世界から、イデオロギー対立は、ほぼ消滅しました。にも拘わらず、北朝鮮のみが、大国の狭間で、常に危機意識を持ちながら、国家運営をしてきました。

 今回の、米朝首脳会談は、この北朝鮮の危機意識を和らげる効果は、充分にありました。これだけでも十分の成果です。時間をかけて、危機意識を和らげ、軍国主義を見直し、人権の尊さを見直し、国民優先の政治が行われるよう、見守ることが本当に大事だと思います。日本の中にも米国にも、北朝鮮を悪者にしようとする考え方の違ったグループが、幾つもあります。確かに、現在までの北朝鮮は、政治権力の世襲、軍人中心の社会、反対勢力の粛正、人権無視等々、現代社会では考えられないような悪い国だと思います。その悪い国を、良い国にしていく為には、強引に言うことを聞かせるのではなく、寛容の精神も大事だと思います。これまで65年間、対立していても戦争にならなかったのですから、対立が弱まれば、今後更に長い期間、戦争に至らなくなる程度に思った方が良いでしょう。飴と鞭は、上手に使う必要があるでしょう。これが、被爆者であり、平和主義者の私の考えです。在韓米軍が撤退すれば、米国の税金の負担は少なくなるでしょうが、軍需産業の収入は少なくなります。米国の軍事産業の今後については、米国の国家安全保障にも拘わる重要な問題ではありますので、これは、米国民の良識に委ねる他ありません。

 米朝首脳会談のことが、長くなってしまいました。今日は、午前中テレビを見て、日記を書き、午後最初に、近くのショッピングセンターで散髪をし、便座の水漏れの修理の手続きをしてきました。その後、府中の四谷近辺と、隣接する国立市を歩いて来ました。歩いた所を辿ってみると、四谷下堰緑地、四谷緑道、泉町公園、国立水再生センター、ヤクルト中央研究所、谷保城山公園、谷保天神、そこから三屋通りに出て、我が家に戻りました。

 今日の驚きは、我が家を出る時、燕の巣も、糞受けの台も、ビニールシートも無くなり、普通のマンションの壁になっていたことでした。此処の管理人は、仕事が早いです。それにしても、雛が巣立ってしまえば、巣は全く不要なのでしょうか。鳥達の巣は、人間に家とは全く違うものなのですね。塒は、また別な所にあるのですね。もう一つ、キセキレイにそっくりの鳥と出会いました。しかし、お腹が黄色くなかったのです。後で、調べて見ましたが、まだ分っていません。

花も沢山見ました。落ち梅で埋まっている畑も見ました。

 

「増え過ぎて あるがままには 生きられぬ 人間社会の 業の深さよ」

「燕の子 今は何処で 生きてるや 生まれた時から 君を見ていた」

「ただ1羽 キセキレイ似の 鳥を追い 水路に沿って 畦道走る」

「落ち梅が 下の畑を 埋めている 1斗や2斗の 梅酒になるのに」

 

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2018年6月13日 (水)

2018年06月12日

2018年06月12日

 

 今日は、午後は晴れるような予報だったのですが、朝からずーっと重苦しい雲が、空を覆っていました。梅雨なんですねー。

 今日は、どのテレビを見ても、朝から米朝首脳会談のニュースばかりでした。一応、歴史的な事ですから、私もずっとそのニュースを見ていました。テレ朝で、人気番組の徹子の部屋を休みにして、米朝会談のニュース番組になりました。珍しいことだと思いました。午前中、ずっと米朝首脳会談が行われているシンガポールからの実況中継を見ていました。しかし、会談の内容は、全く分らないし、彼等もランチに入ったので、私も昼食を済ませ、トランプ大統領の記者会見の時間まで、高幡不動の方へ散歩に出ることにしました。

 午後1時頃、起きて来た次男に送られて、家を出ました。昨日、燕の親が、雛達に餌をやっている所を見たのですが、今日は、巣が空っぽでした。雛達が、全て巣立っていました。この1日で、雛達の生き方が、大きく変化しました。この変化を見ることが出来たので、とても感動しました。我が子の巣立ちの時は、何時も側に居てやれなかったことを思い出してしまいました。でも子供達は、ちゃんと巣立ちました。

 我が家の前の河原は、葛に覆われてしまいました。その葛の葉の下から、昼顔が必死に顔を出していました。応援したい気持も手伝って、何枚も写真を撮ってしまいました。新たに出来た浅川と多摩川の合流点では、川鵜と白鷺が、仲良く羽を休めていました。

 河原から土手の方へ戻って、土手下の道を石田大橋へ向かって歩きました。夏草と共に、イタドリ、アレチハナガサ、ヒメジョオン、ハルシャギク、テリハノイバラと、キンポウゲのような黄色い花の、花の小径が続きました。キンポウゲに似た花、テリハノイバラは、かなり大きな群落を作っていました。花片を落として、黄色い玉となったヒメジョオンの花の跡が、別の花のように見えました。黒くなったスイバの花の跡も、夏草の緑の中で目立っていました。また、私は、砂利かと思ったのですが、良く良く見ると、マッシュルームのような、丸い小さな茸でした。危うく踏み潰すところでした。

 石田大橋を渡ると、公園の工事が続いていました。当初の予定では、5月31日に終わるはずだったのですが、予定が変更され、工事の終了日は、8月31日までに延びていました。現在、植栽を植える作業が行われていました。万願寺交差点から、安養寺、万願寺中央公園を経て、大木島自然公園へ出ました。大きな百合の木の茂った葉の中に、蕾が隠れていました。ふれあい橋を渡って浅川を越え、高幡不動尊に着きました。

 高幡不動尊には、見たことも無いような大勢の坊主が歩いていました。何事だろうと思ったら、「高幡山第三十四世貫主 晋山泰告法要」の看板が見えました。恐らく近隣の住職の殆どが参加したのだろうと思います。本堂の前の式典は終わり、普段は休憩所になっている建物に入っていきました。その後、満開の紫陽花を見て、帰る事にしました。

 聖蹟桜が丘で、買い物をしている間に、空を覆っていた黒雲から、雨が落ち始めました。左程強い雨では無く、心地よいほどに濡れながら、我が家に戻りました。計ったように、5時10分前に着きました。大急ぎでシャワーを浴びて、テレビの前に座りました。少し遅れて、5時10分頃から、トランプ大統領の記者会見が始まりました。記者会見は、同時通訳が入ったのですが、何がどの様に話されたのか、さっぱり理解が出来ませんでした。

夜のニュースで、共同声明や記者会見の解説を聞いて、漸く分ったのですが、結局は、「米国が北朝鮮の体制を尊重し、北朝鮮は出来るだけ非核化を進める」程度の、今後の目標確認が出来ただけのようでした。70年近く対立を続けてきた国の首脳が初めて会う訳ですから、これは仕方が無いことでしょう。私としては、想定内だったと思います。この会談で、どちらが勝ったとか言うのは、愚かなことだと思います。とにかく会って話し、相手を理解しつつ、相手の非も正す、それが世界平和への一歩だと思います。何処かの国のように、いきなり軍隊が、相手国を攻めるようなことは、止めて貰いたいと思います。人間的には、両首脳とも嫌いですが、お互いが直接会って話したことは、評価したいと思います。次は、国連の安全保障理事会の場で、民主主義と世界平和を目指して話し合いを続けて欲しいのですが、無理ですかねー。

冷戦以降、記念すべき日を祝って、シーフードのアヒージョ、アサリバター、カルパッチョ、トマトのサラダを作って、晩酌にしました。良い気分になって、白ワインを1本空けてしまいました。

11時過ぎ、寝る前に長崎の妹の所へ、甥の結婚式の日取りを聞く為に、メールを入れた所、直ちに妹から電話が入りました。甥も側に居たらしく、久し振りに話し込んでしまいました。今日はなんだか、思いがけないことに沢山出会った一日でした。

 

「昨日まで 雛等の顔が 並んでた 今日は空き巣の 巣立ちの日かな」

「梅雨の入り 葛の蔓延る 多摩河原 葛の葉陰に 昼顔の花」

「草刈りに 負けず何度も 蘇る 野草が作る 花の小径よ」

「しぶとさは 誰にも負けぬ 姫女菀 花片落とすも 黄花ツメクサ」

「梅雨の入り 紫陽花達が 咲き誇る 高幡不動の 鎮守の森かな」

「野草達 何れ別れが やって来る 君等のお陰で 安らに待てる」

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2018年6月12日 (火)

2018年06月11日

2018年06月11日

 

 朝から、雨らしい雨が降っていました。昨夜というのか、今朝方というのか、寝たのが2時頃だったので、ゆっくり寝たかったのですが、何時ものように6時半には、起きてしまいました。

 8時過ぎに、ゴミを捨てた帰りに、エレベーターの横の壁に隠れて、燕の巣を見張りました。10分位、見張り続けていたのですが、一向に親鳥が現れませんでした。その時には、諦めたのですが、午後5時、都心に出る用があったので、燕の巣の下を通ったら、丁度、親鳥が雛達に餌をやっている時でした。雨も降っていたし、カメラを持っていませんでした。スマホは、間に合いませんでした。写真が撮れないのは残念でしたが、親鳥が雛に餌をやる光景を、今回初めて見ることが出来ました。何時見ても愛らしい光景でした。そして、雛の数が、確認出来ました。想像通り5羽でした。

 スマホを見たら、一昨日友人から電話があったのを、見落としていました。今日電話をしてみたら、共通の友人が、8日の夜亡くなったそうです。種々病魔と闘い、一時的に持ち直したので、昨年、浅草で5人の友人が集まり、一緒に昼食を食べ、その後飲みながら、久し振りの再会を楽しみました。実は、彼とはメールのやり取りはしていましたが、合ったのは大学卒業後初めてでした。その時、彼が、大学時代とは違って、饒舌になっていたのを思い出しました。葬儀は、家族葬で済ませたそうです。今後こうした訃報は、更に多くなるでしょう。世の常だから、仕方の無い事でしょう。去年合えたことが、素晴らしいことだったのです。去年の集まりを、セットしてくれた友人に感謝です。

 今日は、午後5時に出かけるまで、時間がありました。何時もなら、都心に出かける時は、早めに出かけるのですが、雨が降っていたので、時間通り出かける事にしたのです。余った時間を利用して、レンジフードの拭き掃除、油こし紙の取り替え、キッチンのシンクの下の掃除と敷紙の取り替え、フローリングの汚れた部分の拭き掃除など、普段は、余りやらない小母さん家業に精を出しました。男所帯の部屋が、少しだけ綺麗になりました。

 今日は、都心の大学の同窓会クラブで、同窓会関連の少人数での打ち合わせがありました。6時半から始まり、2時間みっちり話しました。今後の同窓会を、どの様にして行くべきか、これだけ真剣に話すのが、不思議な感じがしました。青春の一時期を過ごした、大学に対する思い入れが強い人が多いようです。大学経営に関し、もの申すことは、止めなければなりませんが、できる限りの支援はして行きたいと思います。

 打ち合わせの後、例によって、夕食を食べながら、四方山話に花が咲きました。御年、77歳、73歳、65歳の老人ばかりでしたが、今日は、珍しく、仏教とか、隠れキリシタンとか、宗教の話になりました。宗教の話になると、話が縺れることが多いのですが、年のせいで、誰もが,そこそこ聞き上手になっており、穏やかに話をする事が出来ました。

 今日も10時近く迄飲んで、家に帰り着いたのは、11時近くになりました。既に、雨は上がっていました。

 

「雛達が 首を伸ばして 口広げ 餌待つ姿の なんと愛らし」

「今日もまた 友の訃報の 届きたり 会える機会は 逃さず会おう」

「ぽつぽつと 老人同士の 話し合い 話せる時が 人生の華」

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