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2020年8月 1日 (土)

2020年07月26日

2020年07月26日

〇07月26日(日)。

 嘘は書けませんから、「今日も朝から雨でした」と書かざるを得ません。朝起きて、ベランダから外を見ると、溜息が出る日が続いています。所が、午前11時頃になると、急に雲が切れ始め、青空が見えるようになりました。そこで、昨日諦めた、友人が八重洲の地下街でやっている陶器展に行くことにしました。
 11時半に家を出て、国立に12時近くに着きました。今年の桜の季節の前だったと思いますが、現在の国立駅前に、国立駅の旧駅舎が完成しました。国立へ来る度に、この駅舎を見るのですが、三角形の屋根が、私の故郷、長崎の旧駅舎にそっくりなのです。周囲の雰囲気は、全く違うのですが、何となく郷愁を感じます。長崎の旧駅舎は、既に新しい物に変わり、私の思い出の中だけに存在します。
 国立を出ると、東京駅まで1本で行きます。今日は日曜日なので、JR中央線の普通の快速が、特別快速と同じような感じで走ります。食事をする時間が無いので、列車の中で、バナナ、野菜ジュース、チョコ菓子「たけのこの里」で軽い昼食にしました。
 東京駅には、午後1時頃に着きました。陶器展の会場ギャラリー八重洲は、かなり奥まった所にあるのですが、何の問題も無く着きました。まだ記憶は、確かなようです。会場には、客は2人だけでした。友人の奥さんが、直ぐに私を見つけてやって来ました。その後、一時、新型コロナの話になりました。彼も、かなり影響はあるそうですが、実家の側の窯で、一人で焼いているので、借料とか給与の問題が発生せず、大きな被害は受けていないとのことでした。また、山形の米沢市が、上杉鷹山の記念祭を計画しており、その関連で、日本酒用の大亀を四つ焼くことになったそうです。それ程大きな備前焼の甕を焼けるのは、彼と彼の師匠の窯だけだそうです。
 話の途中で、彼が、「頼まれていた梟、焼きましたよ」と言って、展示している場所教えてくれました。昨年、私が、梟を焼いてくれるように頼んだのです。可愛い梟5個と、大きめの箸置き梟が、5個ずつ並んでいましたので、両方3個ずつ頂きました。来客者も、何人か買っていったそうです。私の望みを叶えてくれて、本当に有難い事です。出来れば、備前焼の特徴が出るように、上手にデフォルメして、売れ筋の作品になれば、更に嬉しいです。
 2時頃に陶器展の会場を出て、地上に出て、東京八重洲口の広場に出ました。すると、目の前に、私がこの4ヶ月ほど、必死で名前を思い出そうとした木が、名札着きで植えられていました。トネリコでした。一瞬、胸も身体も軽くなったような気がしました。植物多様性センターに行って聞けば、直ぐ分ると思うのですが、新型コロナの影響で、なかなか行く気がしなかったのです。
 八重洲口から、日本橋の方へ歩き、長崎県の特産物を売る長崎館へ行き、アゴ天、長崎竹輪、粒雲丹など、酒の肴になるような物を買いました。次男と一緒の晩酌の摘まみにしようと思いました。
 我が家には、4時半頃につきました。次男が迎えてくれ、リビングには、沢山の洗濯物が部屋干しされていました。私が出かける時、青空が見えたので、急いで洗濯したらしいのですが、直ぐに雨になり、ずっと降り続いていたそうです。なんと不思議なことに、私がバス停と我が家を往復する時だけ、青空が見えたようです。
 今夜の晩酌には、次男が最初から付き合ってくれました。摘まみは、今日買って来たものではなく、昨晩の残り物を始末することにしました。酒が入ると、自然と新型コロナの話になります。次男は、辛口の方なので、「政府がやっていることは、ちぐはぐで、何をどの様にやろうとしているのか分らない。感染を治めることも、経済を回すことも、何れも旨く行っていない。このままだと、欧州よりも酷い状況になるのでは無いか」と怒っていました。私も納得しますし、国民の大半の意見では無いでしょうか。

「我が意受け 友が焼きたる 梟の 備前の焼き色 友情上塗り」
「長きこと 君の名忘れし 辛き日の 八重洲で消えし その名トネリコ」 

〇07月27日(月)。

 関東の梅雨は、8月に入らないと明けないようです。今朝もどんよりとした曇り空でした。
 今日は、やることが無いので、久し振りに、稲城の方を歩くことにしました。バスで谷保駅に行き、南武線で南多摩駅、多摩城山公園、向陽台、稲城中央公園、多摩カントリー、東京ヴェルディー練習場、若葉台公園、多摩大学と歩いて、後はバスで聖蹟桜が丘に出ました。
 城山公園で、森の香りを嗅ぎながら、昼食にしました。散歩に目的の半分が、外で昼食を食べることなのです。時季外れの玉簾の花もありましたが、垣根になっているアベリアは満開でした。後ろの森は、夕暮れのような暗さでした。
 昼食後、向陽台の住宅地を歩いて、稲城中央公園に出ました。以前にも書いたことがあると思いますが、向陽台には、電柱や電線が無いのです。何時歩いても、気持ち良く歩くことが出来ます。稲城中央公園は、とても広い公園で、陸上競技場、野球場、サッカーコート、子供公園、体育館等の施設があります。稲城中央公園の方から、多摩カントリーが見えます。長い梅雨のせいでしょうか、フェアウェイの芝生の緑が、とても鮮やかでした。稲城中央公園から、尾根幹線戦道路を歩いて、多摩カントリーの入口を過ぎ、暫く歩くと、サッカーの東京ヴェルディーの練習コートがあります。今日は、寄らないで、真っ直ぐ歩いて若葉台公園に入りました。若葉台公園も結構広い公園です。公園そのものは稲城市に属しますが、その直ぐ近くにある、京王相模原線の若葉台駅は、川崎市です。そして、若葉台公園から、尾根幹線道路を歩いて、尾根を1つ越えると、多摩市になります。多摩市に入って、最初に出て来るのが多摩大学です。最近にしては、良く歩きました。
 多摩大学から聖蹟桜が丘に出て、そのまま我が家に戻りました。我が家に着いたのは、4時過ぎでした。
 今夜は、昨日買った、壱岐の粒雲丹、アゴ天、アゴの蒲鉾、長崎竹輪、揚げ出し豆腐を肴にして、次男と日本酒で晩酌をしました。矢張り、長崎の海産物は一味違い、美味しいです。次男も満足していました。満足出来ないのは、日本の新型コロナ対策です。今日も、その話になりました。

「木の香り 何故か昼餉を 旨くする 小雨降る日の 城山公園」
「玉簾 梅雨の間も 咲き続け 我を迎える 城山公園」
「何時の間に 垣根の王者と なりにけり 大和の夏に アベリアの花」

〇07月28日(火)。

 今朝も曇り空でしたが、目の前の多摩川に朝霧が横たわっていました。6時頃に起きたのですが、直ぐに多摩川を見に出かけました。川面に張り付いたような低い霧でしたが、流れそのものが、綿菓子の流れのようでした。川岸の木々達も、押し黙って霧の流れを見ていました。地球が作り出す、素晴らしい景色に感動しました。
 家の近くの四谷下堰緑地を廻って、7時頃に、家に戻ったその時に、妻から電話がありました。何やかやと1時間以上話しました。その為、今日の朝食は、少し遅めになりました。
 朝の、仕事を終えて、小雨が降っていましたが、立川根川公園まで歩くことにしました。
土手を上流に向かって歩いていくと、石田大橋の手前に、府中用水の取り入れ口の1つがあり、土手から水門の開閉をする所まで、幅1m長さ3m程の 小さな橋があります。昨年の台風19号の影響で、河原の仙人の庵が全部流出しました。その為、この橋の下に、一人の仙人が引っ越してきたのです。テントも張れず、料理用の危惧も置けない、雨風も完全には避けられず、仙人の庵が作れない所で、一人の仙人が暮らしています。橋の入口には、仙人の物と思われる自転車が1台置いてあります。この自転車は、夜、別の家に帰るための物か、食料を調達する時に使う物なのか、分りません。いずれにせよ、この老人を見る度に、現代人間社会の歪み、生命力の不思議さ、地球の存在の不思議さ等々を考えさせられます。
立川の陸上競技場の側の根川では、翡翠が餌を捕った瞬間を見ました。小魚を嘴にくわえて、「これ、今僕が獲ったんだ」といわんばかりに、振り回して見せました。この様子を、大きなカメラを持った爺さん二人が、何枚も写真を撮っていました。その後直ぐに、翡翠は小魚を飲み込み、他の場所に飛んでいきました。
その少し上流に、俗に「翡翠の池」と呼ばれ、翡翠が良く来る池があります。今日は、翡翠は居ませんでしたが、池の小魚に餌やりをしている爺さんが居ました。此の土地で生まれ育った人らしく、現在に至るまでの話を、沢山聞きました。30分以上話を聞いたと思います。昔は、多摩川の鯉を食べさせる店があり、鯉寿司を食べたことがあると言っていました。
更に、上流へ行き、根川のせせらぎの横で、昼食にしました。立川根川は、人工の川ですが、小魚が沢山いて、カルガモ、青鷺、白鷺等の鳥達の餌場にもなっています。私は、小魚は食べず、持ってきた弁当を美味しく食べました。
食後は、2時過ぎになっていましたので、モノレールで高幡不動に出て、京王線で聖蹟桜が丘に出て、我が家には、3時半くらいに帰りました。
次男は、土、日、月が休みなので、今日から4日間は、私一人の夕食になります。昨日の長崎の蒲鉾などで、日本酒の晩酌にしました。

「静かなる 能の舞台を 思わせる 霧の河辺に 佇む木立」
「霧と雲 間の人里 ビルの街 霧を跨いで 電車が走る」
「欄干の 雨の雫に 雲宿る 人里宿る 雫が撮りたい」
「昨晩は 眠らず月の出 待ちたるや 開いたままの 月見草の花」
「長梅雨に 切株茸の 繁殖地 切株毎に 異なる茸」
「梅雨草の 青さ広がる 四谷堰 消えゆく前の 老野甘草」
「仙人の 隠れ家暮し 盗み撮り スマホの画面 見ながら昼寝」
「何時見ても 君は心を 和ませる 翡翠の衣で 餌獲る翡翠」

〇07月29日(水)。

 今日は、一日中、小雨が降り続きました。傘をさして、散歩する気にもなれず、一日中、家で過ごしました。
午前中は、昨日の日記を書いた後、頑張って、「ウィルスは生きている」の序章と第1章を読みました。1時間近く掛かりましたが、非常に疲れました。内容は、まだ細菌学の発展の過程と、ウィルスが見つかった所まででした。昼は、散歩用に作っていた弁当を、我が家で食べました。食べ終えるのに、必死でした。
昼食後は、妻に電話したり、本棚の整理などをしたりしましたが、中々時間が潰れず、私が中学生の頃、映画館でやっていた「情婦」という映画を見ました。白黒映画でした。何時の時点かテレビで放映した物を録画した物でした。実際に映画を見て、中学時代も、テレビで放映された時も、見ていなかったようです。ストーリーも配役も、初めて見る物でした。中学時代の映画館に、「映画を見た人は、絶対に結末を見てない人に話さないように」という警告の張り紙がしてあったことを思い出しました。正しく、結末を楽しむ映画でした。
映画を見終わると、漸く夕方のニュースの時間になりました。なんと、新型コロナが、大坂で200人越え、愛知で150人越え、そして、今まで1人も居なかった岩手県にも感染者が出ました。これまで、東京だけが飛び抜けて感染者が多いように、思えたのですが、全国レベルに、感染が拡大しました。これが、感染防止対策を、国民の意識のみに委ねる、国家政策の行き着く先なのでしょう。
テレビを見ながら、珍しく料理をしました。作ったのは、野菜炒め、ステーキ、茸のアヒージョ、アボガドサラダです。これも時間潰しの1つでした。ステイホームは、結構苦しい物です。

「老い先の 短き日々を 引きこもり 救いの神は 花鳥風月」

〇07月30日(木)。
 
 今朝も、曇り空でした。目の前の電信柱と電線が無ければ、多摩川と七生が丘が、もっと魅力的に見える筈なんですけどねー。令夫人が、破れたジーパンをはいているようなものです。
 今日は、午前10時頃から、雨の切れ間が出来ましたので、近場の谷保天神、谷保城山公園を歩きました。
 11時頃に、我が家を出て、我が家の前の「三屋通り」を、真っ直ぐ北に歩くと、谷保天神の崖下(はけした)の道に突き当たります。そこから谷保天神の梅園に登り、崖上(はけうえ)の道を歩いて、谷保天神の本殿の後ろにある、崖下の厳島神社に出ました。この厳島神社は、崖下湧水の池の中にある小さな神社です。この池は、湧水の池なので、水の存在を感じさせないほど透明な池で、緋鯉や真鯉達が沢山泳いでいます。昨年でしたか、この池の上に、何本もの糸が張られました。鳥から鯉を守るためのものだそうです。仕方が無いのでしょうが、池を楽しむ気分になれなくなりました。とは言いつつ、今日はこの池で、可愛らしい光景を見ました。池の中の木の切株で、甲羅干しをしている黒い亀に、金色の亀が泳ぎより、切株によじ登って、手を伸ばしたり首を伸ばしたりしながら、「僕も、甲羅干しがしたいよう、少し場所を空けて、駄目だったら背中に乗せて」と頼み込んでいるようでした。しかし、黒い亀は、その求めに応じず、知らんぷりを決め込んでいたら、金色の亀にお尻を押され、危なく切株から落ちそうになりました。仕方なく、黑い亀は、場所を少し空け、金色の亀は、少し変な格好でしたが、甲羅が干せるようになりました。めでたしめでたしです。
 谷保天神から、用水脇の昔道を通って、谷保城山に入りました。谷保城山は、キツネノカミソリ(狐の剃刀)と二輪草の名所です。今日は、キツネノカミソリが沢山咲いていました。咲き始めの時期は知っていますが、今日は、全く予期していなかったので、とても感動しました。午後の1時近くになっていましたが、キツネノカミソリを遠目に見ながら、昼食にしました。
 昼食後、SVマーケットに行って、何時も買う鶏の軟骨を買い、多摩川の土手の道を歩いて、我が家に向かいました。途中、アゲハ蝶が、道の横たわっており、身体の一部分が押しつぶされていました。どうして、どんな事故に遭ったのでしょうか、自然死では無いはずです。私の想像では、猛スピードの自転車を避けきれず、地面に落ちた所を引かれたのではないかと思いました。
 3時近くに、我が家に戻りました。家を出ると、小さな事ですが、色んな事に出会います。昔、花鳥風月を愛するのは、浮き世の不条理に疲れた世捨て人だといわれていました。私は現在、花鳥風月が好きですが、世捨て人ではありません。ただ、浮き世を卒業した老人です。共に浮き世を過ごした友人達と、浮き世の楽しかった思い出を語りたいと思っています。私のような老人に、世捨て人と同じような生活を強いる、新型コロナが本当に憎いです。なんとかならない物ですかねー。毎日、同じ願いを繰り返し叫んでいます。それなのに、感染は、拡大する一方です。今日も東京は、過去最高の感染者を出しました。新型コロナも梅雨の長さも、今年は歴史に刻まれる年になりました。

「池の中 たった一匹 金の亀 突然変異か 人の悪戯」
「甲羅干し 僕もしたいと よじ登る 金亀黑亀 陣取り合戦」
「梅雨時の 暗き森陰 明るくす 狐の剃刀 朱き花かな」
「翅広げ 自由に飛べる アゲハ蝶 君傷つけし そは何者ぞ」

〇07月31日(金)。

 7月も最後となりました。所が、関東地方は、まだ梅雨明けしていません。今日も、曇り空の朝でした。午前中、妻より電話があり、今日は、妻一緒に夕食を食べることになりました。
 そんな訳で、今日は散歩はせずに、四谷さくら公園で昼食を食べ、西友で軽く買い物をして、2時半には家を出ることにしました。予定通り、4時過ぎには神楽坂に着き、妻の家に寄り、妻から頼まれていた糠漬け用のタッパーウェアーを届け、暫く新型コロナの話をしました。なんと東京の今日の感染者は、450人を超えたようです。妻も、東京都知事の発言や、政府の対応に関し、お怒りのようでした。
 今日の夕食は、竹橋にある赤坂飯店でする事にしました。5時半過ぎに家を出て、6時半近くに赤坂はんてんに付きました。矢張り、新型コロナの影響で、大きな打撃を受けているようで、広い店に、お客はまばらでした。我々にアテンドしてくれた年配のボーイ長のような方は、30年以上この店で働き、この先もこの店で働き続けると言っていました。経験もあり、物腰も穏やかで、我々の注文を、二人で無理しないような量にしてくれ、とても良い感じでした。中でも、小籠包は、この店でしか作りたての物が食べられず、作り手の職人は全中国で優勝したことがあり、絶対のお勧めだと行っていました。味にうるさい妻も、とても美味しいと満足していました。
 料理も美味しく頂き、その後は、久し振りに妻と一夜を過ごしました。

「老いたるを 互いに認める 我と妻 共に生きよう 新たな未来を」

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