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2020年7月26日 (日)

2020年07月21日

2020年07月21日

〇07月21日(火)。

 今週から、妻が東京で暮らすようになりました。五年以上続いた、那須における妹の仕事の手伝いを止めて、生活の場所を東京に移すことにしたのです。住まいはずっと東京に有り、衣類や生活用品も全て東京の家にありますので、大掛かりな引っ越しというわけではありません。それでも、新しく生活を始めるのですから、食料品の買い物とか、色々やることが多いようなので、手伝いに神楽坂に行きました。
 午後3時頃に、飯田橋に着きました。工事中だった飯田橋の西口の工事が終わり、電車が停車する位置が変わりました。これまで飯田橋の駅は、ホームが湾曲していて、電車とホームの間の隙間が大きく、危険な駅とされていました。どうやら、今後は、ホームの湾曲部分を無くす工事に入るようです。
 飯田橋から、神楽坂に行き、毘沙門天の前で妻と会い、一通り買い物を済ませて、妻の家に戻りました。暫く話をしていると、妹さんから電話があり、「これから息子に会いに東京に行くので、ついでに残っていた荷物を届ける」とのことでした。東京には、7時頃着くとのことでした。身体の不自由な妹さんが、一人で運転してくると言うので、心配になりました。誰もが同じような心配をしているらしいのですが、言う事を聞かないそうです。妻の話では、妹さんは、明日来ることになっていたのですが、急に気が変わったようなのです。
 妹さんが来る前に、食事を済ませておこうと、何時もお世話になっている中華料理屋で夕食にしました。ゆっくり話をしながら食事をしていたら、矢張り、神楽坂に住んでいる、妹さんの息子が、食事の場所に現れました。食事の前に連絡して、居場所を教えていたのです。その息子が言ったことに、魂消ました。妹さんが、神楽坂の近くで事故を起したと連絡が入り、直ぐに現場に行くので、妻にも一緒に来て欲しいとのことでした。勿論、断る理由は無く、妻は一緒に現場に急行することになり、今日の妻との再会は終りました。
 家に帰って、そろそろ寝ようかと思っていた11時過ぎ、妻から電話がありました。妹さんは、神楽坂の近くで、書と高速から降りる道で、前方の車に追突し、車の前方は大きく破損したけど、救急バッグのお陰で、怪我は無かったそうです。所が悪いことは続く物で、息子が足の悪い妹さんを、車椅子で坂道を下ろしている時、妹さんが車椅子から落ちて、身体を痛めたので、妻が掛かりつけの病院の支援を得て、厚生年金病院に救急車で運んだそうです。いやはや、身近な所でも、何が起きるか分らない物ですね-。妻にとっては、急に大変な1日となりました。
 事故については、妹さんは警察に対し、全て自分が悪いと言ったそうですが、妻には、高速の坂道を降りる時、1台の車が、後ろから妹さんの車の前に割り込んできて、その車に追突したそうです。その点で、争いを起すと、若しかすると長い問題になるかも知れません。しかし、妹さんに、その気は無いようです。追突ですから、仕方が無いですかねー。

〇07月22日(水)。

 今日は、暦の上では大暑でした。これまでの多くの年では、7月下旬には梅雨が明け、1年で一番暑い夏が始まり、大暑という言葉が、尤もだと思われました。今年は、まだ梅雨が明けず、今日も曇り空でした。
 子供の頃、九州長崎では、ニイニイ蝉が鳴き始めると夏が始まり、熊蝉と油蝉が鳴き始めると夏の盛り、ツクツク法師やヒグラシが鳴き始めると夏の終りだと思っていました。今年、関東武蔵野では、ニイニイ蝉の声を殆ど聞いていませんし、ミンミン蝉の声は聞いても、油蝉の鳴き声を聞いていないような気がします。季節の変化は、当然、生き物の暮らしにも影響するのでしょう。
 今日は、曇り空ではありましたが、雲が薄いのでしょう、明るい感じがしました。東京都知事は、新型感染防止のために、「家に居ろ」と五月蠅いのですが、一日中家の中にいると、気が滅入ってしまいますので、国立から国分寺へ出て、西武線で東村山に行きました。このコースで行くのは、初めてだと思い、ちょっとした探検気分だったのですが、東村山の駅に着いて西口に出たら、以前歩いた時のことを全て思い出しました。お寺の御朱印集めで歩き、その後、北川、前川、北山公園、八国山緑地、西武園駅と歩いたことを、ありありと思い出し、今日も同じ道を、思い出を辿りながら歩きました。
 新型コロナの感染が広がって以来、お寺に新型コロナを持って行く事があってはならないと思い、御朱印集めも中断しています。新型コロナは、年寄りの生きる楽しみを悉く奪ってしまいました。楽しみの無い毎日を生きるのは、想像以上に大変なことなのです。
 家に帰り着いたのは、4時前でした。これだけ外に出れば、取り敢えず明日も生きていけるかなーと思います。夕方、6時を過ぎた頃から、晩酌の準備をし、7時頃から晩酌にしました。以前のようには、晩酌が楽しめませんが、晩酌が出来るようになったことは、救いではあります。

「蝉までも 気持弾まぬ 長梅雨や 鳴き声弱き 今年の蝉達」
「菖蒲園 遅咲きの花 一二輪 次なる花は 如何なる花や」
「八国山 森を抜ければ 西武園 遊園地もある 西武王国」

〇07月23日(木)。

 今日は、朝から雨でした。天気予報に拠れば、1日中降り続くとのことでした。朝から、陰鬱な気分でした。
 昨日は、電話を遠慮してかけなかったのですが、今朝、妻の所へ電話してみました。事故を起した妹さんは、昨日、息子が那須の方に送っていったそうです。それで、妻も何事も無かったように、東京生活が始まったとのことでした。
 通常、午前中は、1時間半くらいかけて、前日の日記を書くのですが、最近、2時間くらい掛かることも多くなりました。昨日何をしたか、思い出せないことが多くなったことと、物の名前を思い出すのに、大変な苦労をするのです。先日は、料理で使ったオクラやマイタケの名前が出て来ず、大変苦労しました。結局、日記には書けませんでした。
 全くの義務感で、昼食を食べ、その後、迷っていたマイナンバーカードの申請書を書きました。暇潰しのような物です。以前は、国家権力に個人の情報を監視される危険を感じ、マイナンバーカードを使わないために、そもそもカードを作らないと決めていたのですが、新型コロナの感染の最中にいるので、場合によっては、個人情報を提供しなければいけない時もあるかと、詳細を考えず、漠然と思ったのです。
 また、今週の日曜日は、我がアパートの住民総会で、私は出席の書類を出していました。所が今日、理事会からの書類が入っていて、出席者が多く密になるので、今回の総会は、理事会と自治会の役員だけで実施するので、委任状を出して欲しいとのことでした。役員会で決めようとすることを、一般住民に諮ることが総会であり、役員だけで総会をやるのは本来総会とは言えないのでしょうが、既に多くの人が欠席し、総会にかける議案に対し、賛意を示しているので、仕方ないのかも知れません。新型コロナは、本当に生活の全てに影響しています。
 今日、外に出たのは、近くのショッピングモールに買い物に行っただけです。私と同じように、ショッピングモールで気晴らしをする人や家族連れも多く、かなり密な状態でした。
 買い物から帰って、以前購入した「ウィルスは生きている」という本を読み始めました。しかし、どんな眼鏡をかけても、私の目は直ぐに焦点がぼけ始めます。小さな文字を長時間見続けることは出来ないのです。今日は、前書きだけを30分かけて読みました。とても良い前書きで、ほぼ結論が想像出来ました。ウィルスや、人間の生命を維持し機能させる身体の仕組みについて、多くの研究がなされていて、テレビでも言っていましたが、進化の過程で、人間の遺伝子の中に、ウィルスが取り込まれていて、重要な役目を担っているそうです。故に、結論は、ウィルスは、生物学的に個体として生きているのではなく、「人間の中で人間と共に生きている」と言う事になるでしょう。本当にそうか、私が生きている間に、この本を読み終えることが出来るか分らないので、なんとも言えません。
 夜、ニュースを見たら、東京の新型コロナ感染者は366人、日本全国では966人と過去最高を記録したそうです。多くの人が予想していたことです。無症状感染者を市中に野放しにしながら、旅行はしろ、経済を活性化するようにしろ、と言うような政府の下では、感染が治まるはずがありません。多くの人が言っているように、感染検査を全国民にして、陽性者を隔離し、陰性の人は安心して活動出来るようにしてほしいものです。政策無きお願いは、困ったものです。

〇07月24日(金)。

 今朝は、曇り空でしたが、少し明るい感じがしたので、乾くかどうか疑問もありましたが、4日分の洗濯をしました。
 昨日、ALS病の女性を安楽死させたとして、2人の医者が殺人罪で逮捕されました。人間は、死んでしまうと何も感じません。辛いと感じるのは生きている時だけです。そして、辛いと感じる人間が、その辛さから逃れたいと思うのは、自然の欲求だと思います。そのような時の本人が行う安楽死は、認めても良いのではないかと、前から思っています。また、本人から正式な形で頼まれた場合も、本人が行った安楽死と考えて良いと思います。しかし、安楽死を認める時に、注意しなければならないのは、本人が望んだ安楽死に見せかけて、邪魔者排除のような殺人が横行することです。このような殺人行為を、どの様に排除出来るかも含めて、安楽死については、きちんと議論をした方が良いと思います。私は、尊厳死協会に入会し、延命治療を拒否する意思表示を行い、その書類を長男に預けています。これも、一種の安楽死です。そもそも、老化現象は、遅効性のALS病と同じようなものだと感じています。身体的機能だけで無く、認識、判断といった思考能力も、漸次低下しています。
 今日は、2日前に行った東村山に、もう一度行きました。東口の方に行ったことがなかったので、行ってみたのです。東口は、西口よりも商店街が多く、広い桜通りもありましたが、神社、仏閣、公園が無く、昼食を食べる場所がありませんでした。駅前の案内板に寄れば、武蔵野線の新秋津駅が近そうだったので、その方角へ向かって、全く知らない新興住宅地を歩きました。暫く歩くと、空堀川に突き当たりました。そして、やっと弁当が食べられる公園に出ました。1時半近くになっており、結構腹が空いていたのでしょう、美味しく食べられました。
 食後、川の側を歩き始めました。しかし、歩いている方角が、新秋津へ向かっているのか、自信がありません。仕方なく、3人ほどに道を聞いてみました。一人は、大学生のようでしたが、「20分くらい歩いて、橋を渡ったら、その場所でまた聞いて下さい」と言われました。次に聞いた中年の男性は、此の土地の人ではなく、全く分らないと言われました。3番目に、私を追い越した地元の人らしい小母さんに聞いてみました。すると小母さんは、「川側をこのまま歩いて、少し大きなバス通りの橋を渡り、そのまま信号まで歩き、信号を右に曲がって真っ直ぐ歩くと、新秋津駅に着きます」と的確に教えてくれました。その小母さん、とても元気で歩くのも早く、どんどん先へ行ってしまいました。それでも、私の事を気にかけてくれていたようです。小母さんが、私が渡るべき橋に差し掛かった時、「この橋よ」と言うように何度も手を橋に向けました。私も、手を振って「分りました」と返事をしました。とても幸せな気分になり、今日、この道を歩いて良かったと思いました。
 信号を右に折れてからは、武蔵野線に沿って歩く形になり、問題なく新秋津駅に着き、府中本町駅まで武蔵野線に乗り、府中本町駅からは、チュウバスで我が家に帰りました。4時過ぎになっていました。
急に、東村山に行ってみたくなったのは、新型コロナで死んだ、志村けんさんの生まれ育った町だったからです。私と同じ時代を生き、沢山の笑いを貰いました。東村山音頭を覚えますかねー。

「手を振って 心が通う 人の世の 出会い嬉しや 見知らぬ町にて」

〇07月25日(土)。

 今日も、雨の朝でした。6月から7月にかけて、何度同じ事を書いたでしょう。若し7月中梅雨が明けないとしたら、初めての経験かも知れません。矢張り、気球温暖化の影響なんでしょうねー。
 今朝早く、妻から2度も電話があったのに、9時過ぎに自分の部屋に行くまで気がつきませんでした。早く電話をかけようとした所、妻の方から、また電話がありました。冷蔵庫の冷凍室が閉まらなくなったそうです。色々、修理専門業者に連絡をすると、人は全く応対してくれなかったそうです。私が行こうと申し出たのですが、来るまでに時間が掛かりすぎるので、電気屋さんに行ってみると言って、電話が切れました。10時半頃に、また電話が掛かって来ました。冷凍室が閉まるようになったそうです。電気屋は閉まっていたらしいのですが、偶々、何時も行っている「とんかつ屋」のお兄さんと出会い、事情を話したら、家まで来てくれて、ローラーの所に挟まっていたプラスティックの破片を見つけてくれたそうです。取り敢えず、めでたしめでたしです。今週初めの妹さんの件といい、新しく生活を始めようとすると、色んな事が起きる物だと嘆いていました。
 今日は、備前焼をやっている友達の陶器展に行く予定だったのですが、一日中雨が降り続きそうなので、止めることにしました。その代わり、雨の中を傘をさしながら、多摩川と大栗川の合流点を廻って、聖蹟桜が丘に行って来ました。
 家を出た時には、小雨が降っていました。梅雨時ですから、雨の中を散歩することもあるでしょう。四谷橋から多摩川を見ると、かなり増水し濁流となっていました。川岸で青鷺が1羽、獲物を見つけられないのでしょう、身動きもせず、立ち尽くしていました。四谷橋を渡って、右岸の土手を真っ直ぐ合流点へ行きました。合流点には、小さな子供用の交通公園があるのですが、今日は一人も客が居ませんでした。その公園の藤棚の下で、昼食にしました。なんと幸せなことに、合流点に着いてから出るまで、一時的に雨が止んでくれました。
 食後、聖蹟桜が丘によって、今晩は、次男と晩酌が出来ると思い、酒の摘まみを何種類か買って、3時過ぎに我が家に戻りました。その後、昨日録画した映画「桜田門外の変」見て、6時半頃から、買って来た摘まみで晩酌を始めました。普通は、どんなに遅くとも8時頃には起きてくる次男が、私が寝る時を過ぎても起きてきませんでした。次男は、仕事が夜なので、生活パターンが私とは違うのですが、休みの日に丸1日会わなかったのは、初めてではないかと思います。

「姫女菀 君の天下は 長続き 君の仲間が 土手に居並ぶ」
「雨降りの 土手に居並ぶ 黒き玉 大金鶏菊 なれの果てかな」
「長梅雨は 土手の草等に 恵み雨 元気一杯 緑滴る」
「枝枝に 溢れんばかり 銀杏の 実りの秋へ 期待を募る」
「太陽の コロナ思わす 花片に 雨粒溜める 梅雨の向日葵」
「向日葵の 隣で咲いてる 秋の花 秋桜満開 しぼむ向日葵」 

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