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2020年7月11日 (土)

2020年07月06日

2020年07月06日

〇07月06日(月)。

 朝6時頃に起き、外を見たら朝から雨でした。そして、なんと6時15分くらいに、妻から電話がありました。妻は、私より2歳下ですから、老後の人生は、私よりずっと長いと思います。健康への気配りも強いので、大きな病気をしたこともありません。でも、最近年を感じることがあるらしく、今後の人生をどうするか、幾つか決断をしたようで、1時間以上話してしまいました。そして、今日の夕食を一緒にすることにしました。
 午前中、昨日まで5日間の日記をブログに上げたりしましたが、妻の所へ行くには、大分時間があったので、「少年H」という、録画してあった映画を見ました。戦前、戦後の日本社会の変わり方、社会に生きる人間の変わり方を、その時期に少年期を過ごした少年の目を通して、描いた映画でした。戦前、鬼畜米英、皇国日本、敵恐るに足らず敵を倒せと教えた大人が、戦争に完敗し、占領軍である米国兵士に媚へつらい、食料を得る姿を見る事になる少年の心の動きを通して、社会という物の現実を見せた映画でした。私も、戦後の日本を少しですが憶えていますし、家族や親族の多くを、戦場や原爆で亡くしましたので、身につまされる映画でした。どういう形であったにせよ、戦後手に入れた民主主義を守っていく必要があると思いました。
 現在、新型コロナという、社会を揺るがす感染病が、世界中に蔓延しています。恐らく、社会のあり方を変えるような出来事だと思います。どの様な社会にするかは、結論が用意されている訳ではありません。種々話し合いをしながら、変更訂正を繰り返し、出来るだけ多くの人の要望に応えられるような、社会を作っていく他有りません。守って欲しいのは、話し合いが理性に従って行われることだと思います。宗教とか、その他圧力団体の理不尽な意見に屈してはいけないと思います。理をもって考える事は、現時点で人間が獲得した進化の頂点だと思います。しかし、理を持って考えると言うことが、実際どういうことなのかは、一口で言う事は難しいですが、考えを次のステップに移す時に、その根拠を示すことが出来、他の人もその根拠を理解出来ることだと思っています。
 3時過ぎに家を出て、吉祥寺に寄り、妻に頼まれた「小ざさ」の最中を買いました。50年程前、私が吉祥寺に住んでいる頃は、小さな店で、お婆さんが餡を練っていたと思いますが、今はちゃんとした工場を持ち、昔の小さな店で、羊羹や最中を売っています。知る人ぞ知る有名店で、何時も行列が出来ていました。新型コロナの影響でしょうか、今日は、簡単に買うことが出来ました。
 妻の待つ神楽坂には、5時頃着き、妻に最中を渡しました。妻とブラブラ神楽坂を歩き、夕食の場所を探しました。毎回迷うのですが、今日は「鳥幸」という鶏屋に入りました。上品なというか、ヌーベルクイジーン風と言うか、ワインで焼き鳥を食べる、私には合わない感じでしたが、妻は美味しいと言って食べていました。思った以上に客が混んでいて、料理のサービスが遅くなり、食べ終わるのに、3時間近く掛かってしまい、お陰で、ゆっくり思い出話が出来ました。妻とは、色んな国を旅行しましたが、そのどれもが興味深い物でした。主なものを上げると、氷河とワイン巡りのアルゼンチン・チリの旅、アーモンドの花と雪山とサハラ砂漠のモロッコの旅、コロナ川・アンヘルの滝・テーブルマウンテンのヴェネズエラの旅、オリーブと生ハムとアラブの遺跡のスペインの旅、葡萄畑と画家達の風景とパリのフランスの旅、古代ローマから続くイタリアの旅、南から北まで発展途上のヴェトナムの旅、万里の長城・兵馬俑等、歴史で習った中国の旅、等々です。こうして思い出話が出来るだけでも幸せです。妻は、私より長生きしてくれると思いますから、私は幸せの内にこの世を去ることが出来ます。悲しみは、生きている人だけが味わう物なのです。今日は、最初の店が長かったので、何時もの食後のバーにも寄らないで妻と別れ、最終バスで、11時に我が家に戻りました。

「思い出を 分かち持ちたる 妻の膝 枕にしつつ 死にたいものだ」

〇07月07日(火)。

 一昨日辺りから、熊本の水害のニュースが流れていましたが、昨日から水害は九州全土に広がり、私の故郷長崎にも被害が出ました。
 年を取ると、思い出話にばかりなりますが、もう60年以上前になりますか、私が中学の2年生の頃だったと思います。大村の義理の伯父の家に遊びに行きました。夏休みが始まったばかりの頃でした。丁度、諫早の大水害の日の、最も雨が強い時に、バスで行ったのです。大村は、諫早の隣の町で、大村でも、道を水が激しく流れ、伯父の家も床下浸水になりました。翌日の昼頃、ラジオで諫早が大水害になったと、しきりに言っていましたので、伯父さんと一緒に、水害現場に行きました。その時の光景は、頭にこびり付いて消えることはありません。諫早の中心を流れる本明川が氾濫し、街全体が、大きな石や砂利で埋まり、多くの家が跡形も無いように壊れていました。所々に、豚や牛の死骸が転がっていました。翌日、父が長崎から歩いてやって来ました。まだ両家に電話が無く、連絡手段がなかったのです。私がどうなったのか、心配してくれたのです。長崎から大村まで、30キロ以上有るのでは無いでしょうか、しかも、長崎の道は平坦な所は無く、水害の後でもあり、簡単に歩けるはずはなかったのです。私が乗ったバスの後は、道路が崩壊し、バスが通れなくなったそうです。汽車の線路も至る所寸断されたそうです。父は、そこを歩いて来てくれたのです。父が良く話していた、戦争の時、ボルネオのジャングルを一日中行軍したと言う話を思い出しました。その時は、特になんとも思わなかったのですが、思い出す度に父への感謝の気持が強くなります。
日本では、毎年のように水害が発生します。日本は、そのような位置に有り、水害になり易い地形でもあります。この点を考慮した、街作り、生活の仕方を考える必要があるでしょう。地球温暖化の影響も有り、今後、更に水害は増えるでしょう。ハザードマップの中の住居や施設は、移住・移設を考えた方が良いでしょう。
 今日も雨が降ったり止んだりすると言うので、取り敢えず洗濯はして、雨の降っていない時を狙って、市役所へ行って来ました。新型コロナの定額給付金がまだ届かないのです。次男の所には、一月近く前に届いているのです。私の場合は、書類不足があり、若干の遅れはやむを得ないと思ったのですが、不足した書類を送ってから半月以上経っているのです。係員に聞いたら、既に許可は降りているものの、銀行振り込みに時間が掛かっていると言われました。最悪の場合は、あと2週間かかると言われました。何故そんなに時間が掛かるのか、理解が出来ませんでしたが、文句を言っても仕方が無いので、了承しました。
 市役所への行き帰りは、チューバスを利用しました。市役所へ行く時、中河原駅から婆さんがバスに乗ろうとしました。買い物の荷物が多いのと、足が弱っていてバスに乗ることが出来ませんでした。廻りの乗客の全部がかなりの年寄りで、私が一番若い乗客でした。一番後ろの席から、一番前の入口に行って、私が荷物を持ち、運転手が婆さんを支えて、漸く乗車することが出来ました。そして、降りる時も同じ事をしました。婆さんから、とても感謝されました。そして、このような場所では、私は、まだ若者なのだと思いました。私も、婆さんのようになるまで、生きるのですかねー。
 西友で買い物をして、我が家には、2時過ぎに帰りました。その後は、日記を書いたり、テレビを見たりして過ごしました。夜の11時頃、今日は七夕だったのを思い出し、ベランダに出てみると、我が家の前は曇っていましたが、左手の東の空に、月が出ていました。七夕の頃は梅雨なので、月を見ることはないと思っていましたし、実際見た記憶がありません。今日、月を見る事が出来て、とても感動しました。

「歳とりて 父の気持が 胸に浸む 今頃父の 走馬燈を見る」
「天空の 雲の切れ間に 月明かり 願いよ届け 七夕の夜」
 
〇07月08日(水)。

 梅雨らしい日が続いています。今朝も、雨の朝で、ベランダ全体が濡れていました。この所、満足に歩いていないので、少々憂鬱です。
 昨日のニュースで、イタリア映画「ニューシネマパラダイス」の音楽を作曲した、エンリオ・モリコーネ氏が亡くなったと報じていました。「ニューシネマパラダイス」は、私の最も好きな映画の1つなので、録画したDVDを探して、映画を見ました。何度見ても、この映画は感動します。中学の時から、米国映画にかぶれ、米国映画専門の映画館に通ったことを思い出します。イタリア人の国民性とか生活感は、何となく日本に似た所があります。30年ほど前に、イタリアで勤務したことがあります。その時、生まれて初めてイタリアの地を踏んだのですが、顔付きは違うのに、何の違和感も無く、イタリア人の生活に溶け込めました。朝市で働く人達は、郷里の日本人を見ているようでした。私には、映写技師アルフレードのような、年上の素晴らしい友はいませんでしたが、どの場面も何故か少年期の私の思い出と重なるのです。私も、小学3年の時、米国人神父の「ミサ答え(ミサの手伝い)」をやりましたし、親に怒られるようなことを何度もしました。古びた映画館で、映画も見ました。
 昼食後、西の空を見ていると、明るさが増したような気がしました。雨も止んでいましたので、目の前の多摩川の土手を歩くことにしました。梅雨時の雨の日なのに、丹沢や奥多摩の峰々が良く見えました。山肌に残った雲の切れ端や、低く棚引く雲が、雨上がりの感じを良く出していました。石田大橋まで歩いた時に、急に四谷地域への用水の入口が何処か、尋ねてみたくなりました。入口は多分あそこだろうと見当は付いているのですが、用水を辿ってみたくなったのです。暫くは、歩いたことのある用水脇の道でしたが、中央高速を越えた辺りから、全く歩いたことの無い道になりました。それも、10分足らずで、また何度も歩いた道へ戻り、直ぐに用水の入口に着きました。立川根川公園に行く時の通る道で、大きな水門があり、そこが四谷方面へ水を流す用水の入口でした。大した歩きではありませんでしたが、家の中の燻っているよりは、良かったと思います。
 家の戻る時に、四谷下堰緑地に寄りました。沢山の藪甘草が咲いていて、薄暗い緑地に明かりが点いたようでした。

「奥多摩に 雲の切れ端 残りたる 昨夜の雨の なれの果てかな」
「秩父まで 低き雲等の 棚引いて 雨の名残の 淡き風水」
「薄雲に 稜線連なる 奥多摩の 嶺の形の 名前呟く」
「梅雨空の 暗き森陰 灯が点る 救いのような 藪甘草の花」

〇07月09日(木)。

 今日も、雨の朝でした。うんざりです。午前中の仕事が終った頃、雨が上がりましたので、少しでも歩こうと思い、先ずは、四谷さくら公園で、準備体操をしていたら、ポツリポツリと雨が落ちてきました。そのポツリポツリが、あっという間に土砂降りの雨になりました。アパートは直ぐ側なので、折畳みの傘をさして、急いで帰りましたが、靴や靴下が、かなり濡れてしまいました。折畳みの傘では、役にたたないような雨だったのです。アパートでは、先程見送ってくれた管理人が、出迎えてくれました。
 散歩は諦めて、我が家でテレビを見て、時間を過ごしました。録画した映画は、沢山あるので、映画を見ても良いのですが、今週に入って既に2度も映画を見ているので、それが生活の中心になりそうで、気が進まなかったのです。散歩が出来ない時の、良い時間潰しの方法を考える必要がありそうです。
 昼食を食べた後、雨が一時的に止んだので、チューバスで府中駅に行きました。チューバスだと、我が家に近くの停留所から府中駅まで、約50分掛かります。バスを待ったりする時間もありますので、往復するだけで、約2時間、時間を潰すことが出来るのです。府中駅付近で、ブラブラする時間を入れれば、3時間の時間潰しが出来ます。それで、運賃は、片道100円です。府中駅の近くの商店街で、また梟を買ってしまいました。
 家に戻ったのは、4時過ぎていて、そろそろ夕方のニュースが始まる頃でした。ニュースで一番最初に飛び出したのが、今日、東京の新型コロナ感染者の数が、224人になったニュースでした。これまでの感染者数の最高を記録したそうです。前から言っているように、数字が何を現しているか、良く分らないのですが、一般の人に脅威を与える数字には違いありません。都知事も、「以前、200人を超えた時の検査数は900人程度で、今日の検査数は3400程度なので、感染者数が増えるのはやむを得ない」と言っていました。それにしても、もう何ヶ月もコロナのニュースが、テレビを占拠していますが、マスクを配るとか、学校を休校にするとか、困った会社や人に支援金を配るとか、対症療法的政策は、沢山ありますが、国の基本的対策が見えてきません。国家公務員、政治家の良識と力量が、かなり落ちているように思います。

〇07月10日(金)。

 今朝も雨の朝でした。九州、四国、岐阜、長野等、大水害が起きた地域は、水害の後にも、かなりの雨が降っているようです。それに較べれば、関東地域は、まだ雨量は少ない方でしょう。とは言っても、連日、黒い雨雲を見るのは、憂鬱なものです。
 洗濯物が溜まって居るので、部屋干しを覚悟で洗濯しました。太陽に当てないで乾かすのは、洗濯をしたという気分になれないのですが、雨が長く続くと仕方ないですねー。現在乾燥機が故障しているので、部屋干しの後、乾燥機にかけられないので、臭いと菌を除去するのが難しいのです。例え乾燥機が動いたとしても、太陽の光には敵いません。
 今日は、外には出られないと覚悟していたのですが、午後、雲の切れ間が出て来て、久し振りに青空を見ました。その青空に、太陽が出て来て、日差しが出たり消えたりを繰り返すようになりました。もう雨は降らないようでしたので、多摩川の土手を下流に向かって歩き、関戸橋を渡って、聖蹟桜が丘に出ました。少し短いですが、散歩らしい散歩になりました。
 府中四谷橋から、京王線の鉄橋までの河原の道は、自然の花畑でした。梅雨の雨をたっぷり吸ったのでしょう。道にへばり付くような河原柴胡が、背丈を伸ばしていました。ヒメジョオン(姫女苑)、カワラサイコ(河原柴胡)、アカツメクサ(赤詰草)、テリハノイバラ(照葉野茨)、マツヨイグサ(待宵草)、ハルシャギク(波斯菊、別名―蛇目草)等が、覇を競っていました。所々に、オオキンケイギク(大金鶏菊)、アレチハナガサ(荒地花笠)等も花を咲かせていました。自然の花畑では、他を制圧しないで、今日のような、揃い咲きの方が良いですねー。人間の手で飢えられていない花達は、花にも社会があるような、独特の雰囲気があります。
 この1週間、外で食事をする機会がありませんでした。その為、昼の食事が美味しくなく、義務感だけで食べたような気がします。早く、梅雨が明けて、雨の心配をせず、外の空気の中で、昼食が食べたい物です。
 夕方のニュースで、東京の新型コロナの感染者数が、また最高を更新しました。新たに243人が、感染していたそうです。この所、ニュースは、新型コロナと水害ばかりで、暗―い気分になりました。新型コロナや水害の被害を受けている人には、申し訳ありませんが、今日、唯一救いだったのは、野球とサッカーに観客が入ったことです。楽しさの無い社会で生きて行く気力は、私にはありません。

「背高の 河原柴胡は 別の花 悪たれ小僧が 乙女の風情」
「梅雨の雨 たっぷり受けて 元気良し 河原の道に 花の溢れる」
「若しかして マッシュルームで あるまいか 河原の道に まーるき茸」
「案内は 私に任せて 下さいな 我を待ちつつ 妻黒豹紋」
「何時の間に こんなに増えた 蛇目草 またもや河原 制覇するのや」
「聖蹟の ビルを遠目に 群れ咲きぬ 雨が似合いの 蛇目草かな」
「梅雨明けが 待ち遠しいね 月見草 君と一緒に 月見がしたい」

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