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2020年7月

2020年7月26日 (日)

2020年07月21日

2020年07月21日

〇07月21日(火)。

 今週から、妻が東京で暮らすようになりました。五年以上続いた、那須における妹の仕事の手伝いを止めて、生活の場所を東京に移すことにしたのです。住まいはずっと東京に有り、衣類や生活用品も全て東京の家にありますので、大掛かりな引っ越しというわけではありません。それでも、新しく生活を始めるのですから、食料品の買い物とか、色々やることが多いようなので、手伝いに神楽坂に行きました。
 午後3時頃に、飯田橋に着きました。工事中だった飯田橋の西口の工事が終わり、電車が停車する位置が変わりました。これまで飯田橋の駅は、ホームが湾曲していて、電車とホームの間の隙間が大きく、危険な駅とされていました。どうやら、今後は、ホームの湾曲部分を無くす工事に入るようです。
 飯田橋から、神楽坂に行き、毘沙門天の前で妻と会い、一通り買い物を済ませて、妻の家に戻りました。暫く話をしていると、妹さんから電話があり、「これから息子に会いに東京に行くので、ついでに残っていた荷物を届ける」とのことでした。東京には、7時頃着くとのことでした。身体の不自由な妹さんが、一人で運転してくると言うので、心配になりました。誰もが同じような心配をしているらしいのですが、言う事を聞かないそうです。妻の話では、妹さんは、明日来ることになっていたのですが、急に気が変わったようなのです。
 妹さんが来る前に、食事を済ませておこうと、何時もお世話になっている中華料理屋で夕食にしました。ゆっくり話をしながら食事をしていたら、矢張り、神楽坂に住んでいる、妹さんの息子が、食事の場所に現れました。食事の前に連絡して、居場所を教えていたのです。その息子が言ったことに、魂消ました。妹さんが、神楽坂の近くで事故を起したと連絡が入り、直ぐに現場に行くので、妻にも一緒に来て欲しいとのことでした。勿論、断る理由は無く、妻は一緒に現場に急行することになり、今日の妻との再会は終りました。
 家に帰って、そろそろ寝ようかと思っていた11時過ぎ、妻から電話がありました。妹さんは、神楽坂の近くで、書と高速から降りる道で、前方の車に追突し、車の前方は大きく破損したけど、救急バッグのお陰で、怪我は無かったそうです。所が悪いことは続く物で、息子が足の悪い妹さんを、車椅子で坂道を下ろしている時、妹さんが車椅子から落ちて、身体を痛めたので、妻が掛かりつけの病院の支援を得て、厚生年金病院に救急車で運んだそうです。いやはや、身近な所でも、何が起きるか分らない物ですね-。妻にとっては、急に大変な1日となりました。
 事故については、妹さんは警察に対し、全て自分が悪いと言ったそうですが、妻には、高速の坂道を降りる時、1台の車が、後ろから妹さんの車の前に割り込んできて、その車に追突したそうです。その点で、争いを起すと、若しかすると長い問題になるかも知れません。しかし、妹さんに、その気は無いようです。追突ですから、仕方が無いですかねー。

〇07月22日(水)。

 今日は、暦の上では大暑でした。これまでの多くの年では、7月下旬には梅雨が明け、1年で一番暑い夏が始まり、大暑という言葉が、尤もだと思われました。今年は、まだ梅雨が明けず、今日も曇り空でした。
 子供の頃、九州長崎では、ニイニイ蝉が鳴き始めると夏が始まり、熊蝉と油蝉が鳴き始めると夏の盛り、ツクツク法師やヒグラシが鳴き始めると夏の終りだと思っていました。今年、関東武蔵野では、ニイニイ蝉の声を殆ど聞いていませんし、ミンミン蝉の声は聞いても、油蝉の鳴き声を聞いていないような気がします。季節の変化は、当然、生き物の暮らしにも影響するのでしょう。
 今日は、曇り空ではありましたが、雲が薄いのでしょう、明るい感じがしました。東京都知事は、新型感染防止のために、「家に居ろ」と五月蠅いのですが、一日中家の中にいると、気が滅入ってしまいますので、国立から国分寺へ出て、西武線で東村山に行きました。このコースで行くのは、初めてだと思い、ちょっとした探検気分だったのですが、東村山の駅に着いて西口に出たら、以前歩いた時のことを全て思い出しました。お寺の御朱印集めで歩き、その後、北川、前川、北山公園、八国山緑地、西武園駅と歩いたことを、ありありと思い出し、今日も同じ道を、思い出を辿りながら歩きました。
 新型コロナの感染が広がって以来、お寺に新型コロナを持って行く事があってはならないと思い、御朱印集めも中断しています。新型コロナは、年寄りの生きる楽しみを悉く奪ってしまいました。楽しみの無い毎日を生きるのは、想像以上に大変なことなのです。
 家に帰り着いたのは、4時前でした。これだけ外に出れば、取り敢えず明日も生きていけるかなーと思います。夕方、6時を過ぎた頃から、晩酌の準備をし、7時頃から晩酌にしました。以前のようには、晩酌が楽しめませんが、晩酌が出来るようになったことは、救いではあります。

「蝉までも 気持弾まぬ 長梅雨や 鳴き声弱き 今年の蝉達」
「菖蒲園 遅咲きの花 一二輪 次なる花は 如何なる花や」
「八国山 森を抜ければ 西武園 遊園地もある 西武王国」

〇07月23日(木)。

 今日は、朝から雨でした。天気予報に拠れば、1日中降り続くとのことでした。朝から、陰鬱な気分でした。
 昨日は、電話を遠慮してかけなかったのですが、今朝、妻の所へ電話してみました。事故を起した妹さんは、昨日、息子が那須の方に送っていったそうです。それで、妻も何事も無かったように、東京生活が始まったとのことでした。
 通常、午前中は、1時間半くらいかけて、前日の日記を書くのですが、最近、2時間くらい掛かることも多くなりました。昨日何をしたか、思い出せないことが多くなったことと、物の名前を思い出すのに、大変な苦労をするのです。先日は、料理で使ったオクラやマイタケの名前が出て来ず、大変苦労しました。結局、日記には書けませんでした。
 全くの義務感で、昼食を食べ、その後、迷っていたマイナンバーカードの申請書を書きました。暇潰しのような物です。以前は、国家権力に個人の情報を監視される危険を感じ、マイナンバーカードを使わないために、そもそもカードを作らないと決めていたのですが、新型コロナの感染の最中にいるので、場合によっては、個人情報を提供しなければいけない時もあるかと、詳細を考えず、漠然と思ったのです。
 また、今週の日曜日は、我がアパートの住民総会で、私は出席の書類を出していました。所が今日、理事会からの書類が入っていて、出席者が多く密になるので、今回の総会は、理事会と自治会の役員だけで実施するので、委任状を出して欲しいとのことでした。役員会で決めようとすることを、一般住民に諮ることが総会であり、役員だけで総会をやるのは本来総会とは言えないのでしょうが、既に多くの人が欠席し、総会にかける議案に対し、賛意を示しているので、仕方ないのかも知れません。新型コロナは、本当に生活の全てに影響しています。
 今日、外に出たのは、近くのショッピングモールに買い物に行っただけです。私と同じように、ショッピングモールで気晴らしをする人や家族連れも多く、かなり密な状態でした。
 買い物から帰って、以前購入した「ウィルスは生きている」という本を読み始めました。しかし、どんな眼鏡をかけても、私の目は直ぐに焦点がぼけ始めます。小さな文字を長時間見続けることは出来ないのです。今日は、前書きだけを30分かけて読みました。とても良い前書きで、ほぼ結論が想像出来ました。ウィルスや、人間の生命を維持し機能させる身体の仕組みについて、多くの研究がなされていて、テレビでも言っていましたが、進化の過程で、人間の遺伝子の中に、ウィルスが取り込まれていて、重要な役目を担っているそうです。故に、結論は、ウィルスは、生物学的に個体として生きているのではなく、「人間の中で人間と共に生きている」と言う事になるでしょう。本当にそうか、私が生きている間に、この本を読み終えることが出来るか分らないので、なんとも言えません。
 夜、ニュースを見たら、東京の新型コロナ感染者は366人、日本全国では966人と過去最高を記録したそうです。多くの人が予想していたことです。無症状感染者を市中に野放しにしながら、旅行はしろ、経済を活性化するようにしろ、と言うような政府の下では、感染が治まるはずがありません。多くの人が言っているように、感染検査を全国民にして、陽性者を隔離し、陰性の人は安心して活動出来るようにしてほしいものです。政策無きお願いは、困ったものです。

〇07月24日(金)。

 今朝は、曇り空でしたが、少し明るい感じがしたので、乾くかどうか疑問もありましたが、4日分の洗濯をしました。
 昨日、ALS病の女性を安楽死させたとして、2人の医者が殺人罪で逮捕されました。人間は、死んでしまうと何も感じません。辛いと感じるのは生きている時だけです。そして、辛いと感じる人間が、その辛さから逃れたいと思うのは、自然の欲求だと思います。そのような時の本人が行う安楽死は、認めても良いのではないかと、前から思っています。また、本人から正式な形で頼まれた場合も、本人が行った安楽死と考えて良いと思います。しかし、安楽死を認める時に、注意しなければならないのは、本人が望んだ安楽死に見せかけて、邪魔者排除のような殺人が横行することです。このような殺人行為を、どの様に排除出来るかも含めて、安楽死については、きちんと議論をした方が良いと思います。私は、尊厳死協会に入会し、延命治療を拒否する意思表示を行い、その書類を長男に預けています。これも、一種の安楽死です。そもそも、老化現象は、遅効性のALS病と同じようなものだと感じています。身体的機能だけで無く、認識、判断といった思考能力も、漸次低下しています。
 今日は、2日前に行った東村山に、もう一度行きました。東口の方に行ったことがなかったので、行ってみたのです。東口は、西口よりも商店街が多く、広い桜通りもありましたが、神社、仏閣、公園が無く、昼食を食べる場所がありませんでした。駅前の案内板に寄れば、武蔵野線の新秋津駅が近そうだったので、その方角へ向かって、全く知らない新興住宅地を歩きました。暫く歩くと、空堀川に突き当たりました。そして、やっと弁当が食べられる公園に出ました。1時半近くになっており、結構腹が空いていたのでしょう、美味しく食べられました。
 食後、川の側を歩き始めました。しかし、歩いている方角が、新秋津へ向かっているのか、自信がありません。仕方なく、3人ほどに道を聞いてみました。一人は、大学生のようでしたが、「20分くらい歩いて、橋を渡ったら、その場所でまた聞いて下さい」と言われました。次に聞いた中年の男性は、此の土地の人ではなく、全く分らないと言われました。3番目に、私を追い越した地元の人らしい小母さんに聞いてみました。すると小母さんは、「川側をこのまま歩いて、少し大きなバス通りの橋を渡り、そのまま信号まで歩き、信号を右に曲がって真っ直ぐ歩くと、新秋津駅に着きます」と的確に教えてくれました。その小母さん、とても元気で歩くのも早く、どんどん先へ行ってしまいました。それでも、私の事を気にかけてくれていたようです。小母さんが、私が渡るべき橋に差し掛かった時、「この橋よ」と言うように何度も手を橋に向けました。私も、手を振って「分りました」と返事をしました。とても幸せな気分になり、今日、この道を歩いて良かったと思いました。
 信号を右に折れてからは、武蔵野線に沿って歩く形になり、問題なく新秋津駅に着き、府中本町駅まで武蔵野線に乗り、府中本町駅からは、チュウバスで我が家に帰りました。4時過ぎになっていました。
急に、東村山に行ってみたくなったのは、新型コロナで死んだ、志村けんさんの生まれ育った町だったからです。私と同じ時代を生き、沢山の笑いを貰いました。東村山音頭を覚えますかねー。

「手を振って 心が通う 人の世の 出会い嬉しや 見知らぬ町にて」

〇07月25日(土)。

 今日も、雨の朝でした。6月から7月にかけて、何度同じ事を書いたでしょう。若し7月中梅雨が明けないとしたら、初めての経験かも知れません。矢張り、気球温暖化の影響なんでしょうねー。
 今朝早く、妻から2度も電話があったのに、9時過ぎに自分の部屋に行くまで気がつきませんでした。早く電話をかけようとした所、妻の方から、また電話がありました。冷蔵庫の冷凍室が閉まらなくなったそうです。色々、修理専門業者に連絡をすると、人は全く応対してくれなかったそうです。私が行こうと申し出たのですが、来るまでに時間が掛かりすぎるので、電気屋さんに行ってみると言って、電話が切れました。10時半頃に、また電話が掛かって来ました。冷凍室が閉まるようになったそうです。電気屋は閉まっていたらしいのですが、偶々、何時も行っている「とんかつ屋」のお兄さんと出会い、事情を話したら、家まで来てくれて、ローラーの所に挟まっていたプラスティックの破片を見つけてくれたそうです。取り敢えず、めでたしめでたしです。今週初めの妹さんの件といい、新しく生活を始めようとすると、色んな事が起きる物だと嘆いていました。
 今日は、備前焼をやっている友達の陶器展に行く予定だったのですが、一日中雨が降り続きそうなので、止めることにしました。その代わり、雨の中を傘をさしながら、多摩川と大栗川の合流点を廻って、聖蹟桜が丘に行って来ました。
 家を出た時には、小雨が降っていました。梅雨時ですから、雨の中を散歩することもあるでしょう。四谷橋から多摩川を見ると、かなり増水し濁流となっていました。川岸で青鷺が1羽、獲物を見つけられないのでしょう、身動きもせず、立ち尽くしていました。四谷橋を渡って、右岸の土手を真っ直ぐ合流点へ行きました。合流点には、小さな子供用の交通公園があるのですが、今日は一人も客が居ませんでした。その公園の藤棚の下で、昼食にしました。なんと幸せなことに、合流点に着いてから出るまで、一時的に雨が止んでくれました。
 食後、聖蹟桜が丘によって、今晩は、次男と晩酌が出来ると思い、酒の摘まみを何種類か買って、3時過ぎに我が家に戻りました。その後、昨日録画した映画「桜田門外の変」見て、6時半頃から、買って来た摘まみで晩酌を始めました。普通は、どんなに遅くとも8時頃には起きてくる次男が、私が寝る時を過ぎても起きてきませんでした。次男は、仕事が夜なので、生活パターンが私とは違うのですが、休みの日に丸1日会わなかったのは、初めてではないかと思います。

「姫女菀 君の天下は 長続き 君の仲間が 土手に居並ぶ」
「雨降りの 土手に居並ぶ 黒き玉 大金鶏菊 なれの果てかな」
「長梅雨は 土手の草等に 恵み雨 元気一杯 緑滴る」
「枝枝に 溢れんばかり 銀杏の 実りの秋へ 期待を募る」
「太陽の コロナ思わす 花片に 雨粒溜める 梅雨の向日葵」
「向日葵の 隣で咲いてる 秋の花 秋桜満開 しぼむ向日葵」 

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2020年7月21日 (火)

2020年07月16日

2020年07月16日

〇07月16日(木)。

 今朝は、曇りの朝でした。天気予報では、1日雨は降らず、日差しも出るとのことでしたので、孫達が泊まっていた時のシーツや、その頃から溜まっていた洗濯物を、2回に分けて洗濯しました。問題は、それだけの洗濯物をどうやって干すかでした。朝から知恵を絞りました。
 洗濯の後、昨日の日記を書き、ブログに上げる5日分の日記を見直し、ブログに上げました。12日からの4日間は、体調が優れなかったので、日記を書くこと自体が、大変でした。何となく、寿命を思い知らされたような、4日間でした。しかし、少しずつながら、体調も持ち直しつつありますので、近々、旅立つと言うわけで無いようです。
 11時半頃から、散歩に出ました。多摩川の土手を歩いて、郷土の森公園、サントリービール工場、妙光院、大国魂神社、府中駅「くるる」を歩いて来ました。
 我が家の前から、多摩川の土手を歩いて、郷土の森の運動公園の中にある、大賀蓮の池の前で、昼食にしました。橋の花は既に盛りを過ぎ、晩生の花が幾つか咲いている程度でしたが、それはそれで趣がありました。池の周りでは、老人の絵のグループが、何人も絵を描いていました。この蓮池まで、結構歩いたので、昼食は、普通に食べることが出来ました。
 食事をしていると、5羽ほど鳩がやって来て、チョコチョコ歩きながら、時々、私の顔をジーと見るのです。私も餌やり爺さんの一人と思っているようでした。チョコチョコ歩いては、また私の顔を見る事を何度か繰り返しましたが、私が全く応じなかったので、やがて去って行きました。鳩が去った後、何かが旗を振っているように見えました。良く良く見ると、蟻が、2CM程の鳥の羽を運んでいました。それが旗を振っているように見えたのです。この羽は、何に使うのでしょうか、蟻にとっては、大仕事のように見えました。
 食後、サントリーの工場前を通って、妙光院、大国魂神社に参拝し、体調不良が良くなることを願いました。私は、神や仏の存在を否定していますので、病気の神頼みは、無意味なことだと思っていて、神頼みは笑止千万なのですが、神社や寺に行くと、頼み事以外にやることが無いのですねー。それで仕方なく、神頼みをやっています。病気というのは、科学的知見に基づいて、治すべきだと思っていますが、人間の身体の仕組みは、現代の科学力をもってしても、完全に解明出来ない点が多く、多くの病気は、未だ、人間の基礎体力によってしか治らないようです。この基礎体力を、維持向上させるのに、人間の意識が大きく関与することがあるようです。一例として、プラシーボ効果というのがあります。ただの鼻くそであっても、良薬だと思って飲むと、本当に効果が出ることが多いのだそうです。昔、「越中富山の反魂丹鼻くそ丸めて萬金丹それを飲む奴アンポンタン」と言う俗謡がありました。萬金丹に対抗する反魂丹の宣伝のためのものだったようですが、良く効くとの風評が高まり、万能薬のようにして、多くの家に、反魂丹が置かれたそうです。これがあるために、病気治癒のための神頼みが、単なるお祭り気分では無く、行われるのです。これは神様が治したのではなく、信じることで、人間の免疫力を何等かの形で高め、自分自身で治しているのです。人間の潜在能力は、まだまだ知られていないことが多いようです。
 大国魂神社から、府中駅前にある「くるる」と言う商店街に行きました。ネパールの梟が置いてあるからです。3週連続です。店の人も覚えてくれていて、「今日はどれになさいますか」などと声をかけてくるようになりました。今日は、箱形式の梟を1つ買いました。
 我が家に帰って、シャワーを浴びると、風呂場と洗面所の間のドアが、とても綺麗になっていました。次男が、やってくれたようです。次男は、掃除とか片付けとかが、不得手なタイプなのですが、良くやってくれました。新型コロナが影響しているとすれば、新型コロナも、悪い面だけではないのかも知れません。
 今日、その新型コロナの東京における感染者が286人となり、GOTOトラベルキャンペーンから、東京都が除外されてしまいました。都知事と政権幹部との反目という政治的な背景によって決まったのではないか、そんな論調が増えているようです。今度の新型コロナに関しては、為政者も、野党も、専門家も、マスコミも、世論も、本当の所が、まだ良く見えていないようです。新しい社会現象が起きた場合は、何時ものことです。やがて道が見えてくるでしょう。
 夜、大学時代の後輩に電話をしました。彼は、カラオケ店を経営しています。年に1度、彼の店で大学時代の仲間の集まりをやっていますが、今年は新型コロナの影響で、集まりがやれるかどうかも分りません。色々苦労しているようでしたが、身体だけは、元気でやっているようでした。

「名を聞けば 見る気もしない 花なれど 見れば可愛い ヘクソカズラよ」「月見草 勢力伸ばした 土手の道 梅雨空の下 ひたすら月待つ」
「古の 人等も愛でた 大賀蓮 今に生きる 我をもねぎらう」
「大柄で 薄紅の 蓮の花 食欲不振の 薬となりぬ」
「我等にも ご飯分けてよ お爺さん 色目を使う 公園の鳩」
「目の前を 旗を打ち振り 通り行く 蟻さん蟻さん 何を作るの」
「公園の 石を背中に 背を伸ばす 韮も花咲く 時の来たるや」

〇07月17日(金)。

 朝から曇り空が続くし、新型コロナは一向に終息する気配も見せないし、曇り空以上に、心の中がどんよりしています。天気予報に拠れば、関東地方の梅雨明けは、何時になるか分らないそうです。もうすぐ7月も下旬に入り、1年で一番暑い時期になるのですが、昨日の晩は、冬用のパジャマを出して寝ました。地球という入れ物と、その中の生物が、以前と異なり、どんどん変化しているようです。
 午後、3ヶ月半ぶりに、聖蹟桜が丘に歯のクリーニングに行って来ました。午後3時から、予約してあったのです。体調が悪くなったので、一旦予約を解消したのですが、今日は、比較的体調が良かったので、言っても良いかと聞いたら、どうぞと言ってくれたのです。
私を担当する歯科衛生士は、歯石や汚れの除去は勿論ですが、衰えが始まっている歯茎を上手に刺激して、歯が長持ちするように努力してくれるのです。今日も、とてもすっきりとしました。何時もなら、何か食べ物や酒類を買って帰るのですが、食欲不振が完全に回復していないので、買う物がなく、そのまま家に帰りました。
 家に帰ると、妻から電話がありました。まだ那須の方にいて、日曜日から、東京へ戻るそうです。人生の大きな決断の後遺症があるようで、早く会って話がしたいと言ってくれました。男冥利に尽きますねー。来週、火曜日に会うことにしました。
 夜は、まだ以前のように、酒を飲みながら、摘まみを沢山食べる事が出来ず、通常に食事をした後で、ほんの少しだけ、食後酒を飲むようにしています。今日は、自家製の梅酒を試してみましたが、全く美味しいと感じず、ラム酒の「サカパ」を、ほんの少し、ストレートで飲みました。この酒は、強いですけど美味しく飲めました。

〇07月18日(土)。

 今日は、現在、私がお金を貰ってやっている唯一の仕事、市川の日出学園の理事会でした。朝7時、小雨降る中をバス停まで歩き、国立までバスで行き、そこから市川までJRを乗換えて、9時30分に着きました。そこから歩いて、9時50分には、学園に着きました。新型コロナの感染者が増えている都県の、列車旅となりました。
今日の理事会は、新型コロナへの対応、来年からの5カ年計画の素案の検討と、両方とも、今後の学校経営に関わる大きな問題でした。学校の将来を語ることは、日本の未来、世界の未来語らなければなりません。しかし、一学園でこの議論は出来ません、文部科学省など、政府が世論を喚起する形で、しっかりとした議論をして欲しいと思います。
理事会の後、学園の事務局の人に頼んで、オンラインで会議が出来るZOOMというアプリをスマホにダウンロードして貰いました。若い時は、コンピュータのシステム関係の仕事をしていたのに、最近は、新しいことを次々と覚えようとする気力が無いため、新技術からは置いてきぼりにされています。このダウンロードも、娘に頼まなければ出来ないなー、と思っていたので、とても助かりました。
我が家に帰る途中、暫く振りに新宿御苑に寄ってみました。何年も工事をしていた千駄ヶ谷駅の工事が完成し、すっきりとした駅になっていました。オリンピックのために改良工事をしたのでしょうが、果たしてオリンピックはどうなるのでしょうか、、、。工事のことはさておき、新宿御苑の広い公園に、人影はまばらでした。雨が止んだ直後だったので、至る所に私が大好きな、雨の雫の宝石が輝いていました。木の枝の大きな雫に、公園の景色が取り込まれていました。森陰は、藪茗荷の白い花で埋まっていました。鬼百合や半夏生も、良い雰囲気を出していました。雨の後の新宿御苑を堪能しました。
新宿御苑を楽しんだので、我が家に帰ったのは、5時近くでした。少し時間があったので、この前、河原で拾ってきた、人の顔のような石に、目鼻口を書き込みました。とても可愛い顔になりました。それともう一つ、パチンコの玉の目を付けた梟を、もう1羽作りました。梟は、出来るだけペアで飾りたいのです。
夕食は、以前の晩酌スタイルに挑戦してみました。摘まみは、酒が飲めなくなった時の残り物でした。ワイングラスを、小さい物に変えて、ワインの量も少なくして、晩酌を始めました。若干、拒否感は残っていましたが、ほぼ、以前と変わらず晩酌を楽しむことが出来ました。ワインもお替りしました。一応峠は越えたようです。8時頃に、次男が起きて来て、今日の夕食の様子を話すと、次男も喜んでくれました。

「雨上がり 木の葉も枝も 雨残り 水も滴る 新宿御苑」
「森陰に 白く輝く 花筵 団子より花 藪茗荷かな」
「バラ園の 周りを囲み 行儀良く 薔薇に敬礼 鈴掛並木」
「公園の 周りを囲む ビルの森 背高木々も 仰ぎ見るなり」
「雨も止み 三羽の雛を 引き連れて 我が物顔の カルガモ散歩」
「枝枝に 雨の雫を 従えて ヒシバデイゴの 深紅の花かな」
「森陰に 野生の香り 漂わせ ここは我が里 鬼百合の花」  


〇07月19日(日)。

 朝6時頃起きた時には、曇り空が広がっていて、今日もまた曇り空かと陰鬱な気持だったのですが、7時頃から、西の空に雲の切れ間ができはじめ、8時頃には、青空が広がり始め、9時頃には、ほぼ青空に変わりました。気持が浮き浮きして、「今日は、高尾山に行くぞ」と決めました。
 朝の諸々のやるべき事を終えて、11頃家を出て、11時55分に、高尾山口のケーブルカー駅に着き、12時発のケーブルカーに滑り込みで乗車出来ました。新型コロナの影響で、高尾山に来る人が激減し、人数制限をしているケーブルカーにも、簡単に乗ることが出来ました。
 ケーブルカーの山頂駅から、山頂目指して歩きました。山百合やギボウシ(擬宝珠)達が出迎えてくれました。薬王院から奥の院まで、ずっと階段を上り、日頃の運動不足を痛感しました。よせば良いのに、薬王院への道も、男坂の階段を上ったのです。ふうふう言いながらも、山頂には午後1時頃に着きました。残念ながら丹沢と富士山は雲が多く、殆ど見えませんでした。東京の方も湿気が多く、霞の中に沈んで、良く見えませんでした。景色は、良い方だとは言えませんでしたが、青空の中にそそり立つ白雲を見ながら、弁当を食べました。食べ終わった所で、山頂にある店で、缶ビールを買って飲んでみました。胃が無いので、ぐっと飲み干すことは出来ないのですが、美味しく飲めました。
 食後、森の中の道を通って、薬王院まで降りました。暗い森に木漏れ日が差し込む、その様子を見ているだけで感動しました。道脇には、至る所に姫薮蘭が蕾を付けていました。来週辺りは、満開でしょう。来週も、また来ますかねー。今日は、歩いて高尾山口まで下りるつもりでしたが、山道でケーブルカーの往復切符を拾い、持ち主を探す状態でもなかったので、利用させて貰い、ケーブルカーで降りました。お陰で、我が家には、4時前に帰る事が出来ました。
 今日は、気分が良かったので、日本酒で晩酌をしてみようと摘まみを用意していると、次男も起きて来て、参加しました。殆どは、買い置きの、冷奴、胡麻豆腐、モズク、じゃこ天、チーズ入竹輪等でした。次男が、茸の炒め物を作ってくれました。酒も、私の箱の酒とは違って、次男の買い置きの美味しい日本酒でした。さてどうなるか、晩酌を始めましたが、何の問題も無く、以前と同じような晩酌が出来ました。私の体調のことを良く知っている次男も、安心した様子でした。今日は、良き日でした。

「目の前の 梅雨の晴れ間の 青空に 心晴れ晴れ 空も晴れ晴れ」
「久々の 晴れ間に踊る 我が心 行かねばなるまい 高尾の山に」
「花々が 深々お辞儀 山百合の 大きな花に 擬宝珠迷惑」
「紫陽花と 山百合の花 競い咲き 大きさ比べは 紫陽花の勝ち」
「桔梗さん 山で見るのが 一番だ 里とは違った 花に見えけり」
「青空の 下に屹立 白雲の 夏の最中に 雪山景色」
「白雲を 仰ぎて喰らう 昼餉かな 仕上げにビール 欲しくなりけり」
「山の道 至る所に 姫薮蘭 蕾の玉を 並べて見せる」
「山の道 木漏れ日作る 光の輪 風にて揺れる 小径の輪かな」
「山の道 異様に黒き 人の居る 木漏れ日作る 我の影かな」

〇07月20日(月)。

 今朝は、雨ではありませんでしたが、昨日のように青空が広がってはいませんでした。
 昨日、高尾山に行っている時に、書き留め郵便が来たらしいのですが、不在のため、持ち帰ったようです。そんな訳で、府中駅の側にある武蔵府中郵便局に、書き留めを受け取りに行きました。受け取って中味を見たら、後期高齢者の保険証でした。今の私に取っては、一番重要な書類かも知れません。
 保険証を受け取った時点で、午後1時近くになっていましたので、昼食を食べる場所を探しました。色々考えましたが、府中公園にしました。以前私が住んでいた所の近くです。市内のさくらの名所の1つですが、小さな公園です。今日も、鳩の訪問を受けながらの昼食となりました。
 昼食後、聖蹟桜が丘の眼科へ行きました。緑内障の目薬が無くなりそうだったのです。午後の診療が始まる2時半より15分前に病院に着きました。お陰で、午後の2番目の患者になりました。3時には、全てが終ると期待したのですが、結局、3時半までかかりました。視力の検査をしたり、眼球の写真を撮ったり、色々やることはあるのですが、それにしても時間が掛かります。
 買い物をして、家には4時半頃に帰りました。シャワーを浴びたり、テレビのニュースを見たりして、6時頃から、夕食の準備をしました。テレビの番組でちらっと見た、トロロピザを作りました。ピザ台の上に、私が作ったトマトソースを乗せ、その上に更にトロロを乗せ、その上に半分にしたミニトマト10個を乗せ、とろけるチーズをかけてオーブンで焼きました。味は、少しパンチがありませんでした。昔だったらタバスコをかけて、それなりに美味しく食べられたのでしょうが、最近辛い物に弱いのです。他に、ほうれん草のバター炒めを作り、その他は、買って来たもの、チーズ竹輪、チーズ笹かま等で、次男と晩酌になりました。ワインとビールが飲めて、普通に晩酌を楽しみました。そんな私の様子を見て、次男も安心したようでした。

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2020年7月16日 (木)

2020年07月11日

2020年07月11日

〇07月11日(土)。

 5日に1度、日記をブログに上げるのですが、今日がその日でした。昨日の日記を書き、5日分の日記を見直して、ブログに上げると、午前中1杯かかりました。
 今日は、夕方、孫達が遊びに来るので、昼食後、買い物方々、近くを歩いて帰って来ました。散歩の前に四谷さくら公園で、体操をしていると、かなり大きな芋虫が、のたうち回っていました。草場から公園の石畳の上に落ちたらしく、元に戻ろうとして、藻掻いているようでした。僅か2cm程度の石の壁を登ることが出来ないのです。暫く見ていましたが、どうにもならないようでしたし、石畳は、草場と違って熱いようなので、草場に戻してあげました。なんとか羽化することを願っています。
 散歩から帰って、まだ時間がたっぷりあったので、物干し竿くらいの大きさの木の幹で、梟を作りました。2つ穴を開けて、パチンコの玉を入れただけです。但し、穴を開けるのには結構苦労しました。彫刻刀で穴を開けたのですが、思ったより木の幹が固かったのです。しかし、出来上がりには満足しました。パチンコの玉の光り具合で、怒ったように見えたり、悩んでいるように見えたり、済ましたように見えたりするのです。
 5時半頃、玄関のチャイムが大きくなって、孫達が入って来ました。新型コロナが騒がれていますが、皆元気そうなので安心しました。孫達ようの食事を作ってやれないので、聖蹟桜が丘に行って、孫達に好きな物を選ばせる事にしました。鰻、牛飯、ローストビーフ、酢豚、巻き寿司、焼き鳥等々を買って、家に帰り、早速、夕飯となりました。大人は、ビールで乾杯し、賑やかな食事が始まりました。今日は、次男が先約のため参加出来ないのは残念でした。孫達とは、6月の終りに、末の孫の誕生日で会ったばかりなのですが、会う度に成長しているように見えます。特に、声変わりしている上の孫は、顔を見ないと大人が話しているように聞こえます。孫娘は、新型コロナで一番の影響を受けました。孫達が通っている小学校は、東京都で五本の指に入る合唱部を持つ学校で、孫娘は、合唱部員です。私も、何度か孫娘の出る合唱コンクールに行きました。孫娘にとって、合唱は学校生活の支えでした。所が、この合唱部の活動は、新型コロナの影響で、学校が閉鎖されて以来、未だに中止されたままです。でも、孫娘は、なんとか乗り越えたように見えます。強い子です。末の孫も、幼稚園生から立派な1年生になりました。
 実は、今日孫達は、この前の誕生日のアイスクリームの誕生ケーキの、食べ残こしを食べに来たのです。どんな理由でも、孫達と会えれば幸せです。孫達も大人も、寝たのは12時半を過ぎていました。

〇07月12日(日)。

 今朝は、何時ものように6時半頃に起きたのですが、孫達は全員熟睡していました。数独などをして時間潰しをしていましたが、8時頃から四谷さくら公園で体操をし、府中四谷橋を往復して、9時頃に戻ると、娘、上の孫、孫娘が起きていました。
 それから何時ものように、朝食を作りました。余りにもワンパターンなのですが、昨晩の残りもあったので、孫達は、喜んで食べてくれました。所が、私に変なことが起きました。何故か、物を食べようという気になりませんでした。でも、孫達が喜んで食べているのに、私が食べないのは悪いと思い、少々無理をして、古市庵の巻き寿司を食べ、味噌汁を飲んでいたら、急に吐き気がしました。孫達に分らないように、ゆっくり洗面所に行って、吐いてきました。その後は、何も食べなかったのですが、吐き気は残り、何度もゲップが出ました。昨晩の酒のせいかもしれないと思いましたが、まだ分りませんでした。
 朝食は、11時前に終りましたが、娘も娘の主人も、酒の酔いが醒めきれないので、暫く我が家でゆっくりしていました。孫達は、3人一緒にやれるゲームに夢中でした。これも何時ものことです。
 午後1時過ぎになって、ゲームばかりでは、身体に悪いので、孫達と一緒に、我が家の前の「四谷さくら公園」に遊びに行きました。新しい「四谷さくら公園」は、今年3月26日にオープンしたので、孫達がさくら公園で遊ぶのは、初めてだったのです。家に居た時は、冷房を入れていたので分らなかったのですが、外は真夏の暑さでした。いきなり、汗が噴き出すようでした。こんな陽気の中で、孫達は、運動器具を使ったり、ジョギングをしたり、元気そのものでした。私の吐き気も、幾分治まりました。私のとって悪いことは、長く家の中に居続けることなのかも知れません。
 1時間近く遊んで、我が家に戻ると、今朝方帰ってきた次男が、起きていました。皆で、この夏どうしようか話し合い、8月の9,10日、新潟の方の海に、皆で行くことになり、予約も済ませました。新型コロナが、どの様になるか予想は出来ませんが、成り行きに任せましょう。
 孫達は、3時過ぎに帰って行き、次男はもう一度寝ると言って自室に入りました。私は、昨日の日記を書き、テレビを見て過ごしました。夜、7時頃になっても、次男が起きてこないので、一人晩酌をする事にしました。所が、何時も飲んでいるワインも、ワインの摘まみも吐き気の対象になり、喉を通すのに一苦労しました。私の人生で、こんなことは初めてでした。全く食べないわけには行かないので、胡麻豆腐、鶏の唐揚げ、チーズを必死の思いで食べました。ワインは、一口飲んだだけで、全て残しました。明日は、どうしても病院に行かざるを得ないでしょう。
 次男は、夕方8時近くに起きて来ましたので、状況を説明すると、大変心配してくれました。新型コロナと梅雨の雨のせいで、自宅にいる時間が増えたことが、影響しているかも知れないと言っていました。私も、そうだと思います。メンタルの要素が、大きく影響しているような気がしています。

〇07月13日(月)。

 今日は、午前中、「四谷クリニック」へ行ってきました。この病院には、何時も世話になっています。受付番号を呼ばれ、診察室に入ると、先生から「どうしました」と言われました。私としては、物を食べようとすると吐き気がして食べる気にならない事、必死に我慢して食べては見るが食べる量が少なくなったこと、等を伝えましたが、この苦しさがどの程度伝わったか、疑問だと思いました。先生は、熱、血圧、脈拍を測定し、補聴器で胸の音を聞き、手でお腹の状態を調べました。そして、「何処にもおかしい所はありませんね。取り敢えず、消化器の機能を調整する薬と消化剤を出しますので、様子を見ましょう」と言うことで、診察は終りました。少し様子が変な患者に対する、典型的な診察だったように思えます。薬が、食べることを拒否するような感覚を、直してくれるとは思いませんでしたが、素直に言う事を聞いて病院を出ました。
 昼食後、妻より電話がありました。妻は老後の生活を変える大きな決断を実行したようです。私は、非常に良い決断だったと思うのですが、妻は、まだ心の落ち着きを取り戻せないようでした。大きな決断だったので、時間が掛かるのはやむを得ないでしょう。今週の終りまでには、住む場所も東京に移すようです。
 電話を貰ったので、昨日から始まった、私の食事の困難さについて説明をしました。すると、妻が、「私の妹も胃を全部切り取ったので、毎回食べることには苦労しているし、食べたくないと思うことも良くあるらしいので、余り心配することは無い」と言ってくれました。お陰で、随分気分が落ち着きました。そして、電話の最後は、お互い年を取ったねー。若い時には考えられなかった身体の不調が次々におきるねー。と、二人で慰め合いました。
 今日の夜の食事は、酒無しの本当の食事になりました。スーパーで売っている小さなホットドッグ、鶏の唐揚げ1個、残り物のタン塩、サラダ少々、一日分の野菜ジュースを1時間近くかけて食べました。食事が終った頃、次男が起きて来て、一緒にテレ朝のクイズ番組や、ニュース番組を見ました。次男は、以外と現代っ子で、私には訳の分らないクイズにもすいすい答えます。頭脳もきちんと働ける若さなのでしょう。

〇07月14日(火)。

 本来楽しみである筈の食事が、毎回苦痛です。薬も直ぐには効いてくれません。若しかしたら、新型コロナに感染したのではないかとの疑念が頭をよぎります。ただ発熱も、味覚障害も、咳も無いのでPCR検査は受けられないでしょう。これでは、心の不安を取り除くことは出来ません。
 今朝、ゴルフ仲間から電話がありました。昨日、メールが入っていたのに、私が返事を出さなかったので、具合が悪いのではないかと思って、電話をしたらしいのです。確かに具合も悪いのですが、それより、心房細動の術後のリハビリ中ということを説明して、彼からのゴルフの誘いは断りました。彼は、少なからず驚いていました。
 午後は、雨が止みそうな気配だったので、聖蹟桜が丘まで、真明寺、宝蔵橋、宝泉院、東寺方緑地、霞が関橋と、少し遠回りして歩きました。
四谷橋を渡っていると、多摩川でカルガモの雛が10羽ほど泳いでいるように見えました。所が、親の姿が見えないのです。カルガモが、雛だけ川に放置するわけがありません。若しかするとカイツブリの家族だったのかも知れません。何れにしても、私の目では確認出来ませんでした。今後は、望遠鏡を持って、散歩をしようと思いました。
四谷橋を渡った頃から、急に猛烈な便意に襲われました。今にも漏れそうで、周りを見回したら、近くに真明寺が見えました。お寺の墓の側には、必ずトイレがある筈なので、真明寺の裏手の墓に廻ると、予想通りトイレがありました。所が、現在使用中で、更に一人が待っていました。この人達のトイレが長かったらどうしようと思いましたが、次々に用足しを済ませてくれて、どうにか間に合い、お漏らしをしないで済みました。これ程、便が緩くなったのは、昨日から飲み始めた消化器用の薬の影響があると思いました。
聖蹟桜が丘では、歯のクリーニングの予約をし、宝籤を買い、少しだけ買い物をして、我が家に戻りました。4時半を過ぎていました。これまでだったら、テレビを少し見て、6時頃から、ルンルン気分で酒の肴を用意するのですが、そんな気も起こらないのですから、事態はかなり深刻だと思います。取り敢えずピザを着くって焼き、トマトサラダとチーズを数種類用意して、ビールを一口飲んだら、強い拒否感が起き、それ以上ビールは飲めなくなるし、食べ物への拒否感も起きました。結局、ピザを4分の1、トマト半分、チーズ4個位を必死の思いで食べました。これまで、朝昼の食事の不足分を、夜の酒の摘まみで補っていたのですが、今日は全く補充にはなりませんでした。こんな状況が長く続けば、栄養不足で、死んでしまいそうです。

〇07月15日(水)、

 今朝も雨の朝でした。これ程梅雨らしい梅雨も珍しいと思います。しかし、その雨も、午前9時頃から、一時的に止んだので、急いで弁当を作り、10時近くには、散歩に出ました。昨日、食事が喉を通らない状況が続いたので、状況を変えることに挑んでみようと思ったのです。
 新型コロナが猛威を振るっていますが、結局、この猛威への最終的な対抗手段は、免疫力を上げることだと思います。免疫力を上げるには、良く食べ、良く運動し、良く寝ることだと言われています。現在の私は、この健康の基本が全く出来ていません。このような状態で、新型コロナに感染したら、瞬く間に重症化してしまうでしょう。
 先ず朝食は、長芋、モロヘイヤ、オクラのネバネバ系の微塵切りに、温泉卵を混ぜ、ご飯にかけて食べました。味噌汁は、インスタントの茄子の味噌汁にしました。何故か、この朝食は、拒否感が少なく、以前と同じ量を食べることが出来ました。
 その後、10時くらいから、四谷さくら公園で準備体操をした後、高幡不動まで歩きました。石田大橋を渡り、万願寺駅から安養寺、ふれあい橋を渡って、高幡不動に着きました。この前来た時は、紫陽花が満開でしたが、今日は花が少なく、蓮の花、禊萩、藪甘草などが、咲いていました。高幡不動で昼食にしようと思っていたのですが、まだ、12時くらいだったので、浅川の下流、新井橋まで歩くと、12時半になりましたので、新井橋から浅川を身ながらの食事にしました。不思議なことに、食べることに拒否感が無く、持ってきた弁当を全部食べ、1日の野菜ジュースも飲みました。矢張り、身体を動かすこと、私に取っては歩くことが、体調不良を直すには、一番だと思いました。
 気分も良くなって、新井橋から何時もとは逆に、程久保川、四谷橋と歩いて、午後2時過ぎに、我が家に戻りました。丁度、程久保川に差し掛かった所で、密度の濃い霧雨が降ってきましたが、四谷橋を渡る頃には、濡れても問題ない程度の霧雨になりました。
 午後は、先ずはシャワーを浴び、午前中やるはずの日記を書いたり、調べ物をしたり、メールの返事を書いたりして、後はテレビを見て過ごしました。夕食は、もう少しは酒が飲めるだろうと思って、酒の肴に、アボガドのカルパッチョ、蛸・貝柱・茸のアヒージョ、ボンビノス貝、サラダを作ったのですが、酒を飲むと食への拒否感が戻り、ボンビノス貝、サラダを除き、殆ど残してしまいました。胃が無いので、空腹感は無いのですが、最近は若干空腹感に似たような感覚が有り、正しくその感じがしました。明日から、夕食も酒抜きで、考える必要がありそうです。
 寝る前に、娘から電話があり、この前決めた、夏の新潟旅行は中止したいと言って来ました。新型コロナに関する政策の中で、22日から政府が実施するGO―TOキャンペーンに対して、多くの批判がなされていることを考慮したのでしょう。良い決断だと思います。新型コロナが落ち着くまで、暫くは満足な生活は出来ないでしょう。

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2020年7月11日 (土)

2020年07月06日

2020年07月06日

〇07月06日(月)。

 朝6時頃に起き、外を見たら朝から雨でした。そして、なんと6時15分くらいに、妻から電話がありました。妻は、私より2歳下ですから、老後の人生は、私よりずっと長いと思います。健康への気配りも強いので、大きな病気をしたこともありません。でも、最近年を感じることがあるらしく、今後の人生をどうするか、幾つか決断をしたようで、1時間以上話してしまいました。そして、今日の夕食を一緒にすることにしました。
 午前中、昨日まで5日間の日記をブログに上げたりしましたが、妻の所へ行くには、大分時間があったので、「少年H」という、録画してあった映画を見ました。戦前、戦後の日本社会の変わり方、社会に生きる人間の変わり方を、その時期に少年期を過ごした少年の目を通して、描いた映画でした。戦前、鬼畜米英、皇国日本、敵恐るに足らず敵を倒せと教えた大人が、戦争に完敗し、占領軍である米国兵士に媚へつらい、食料を得る姿を見る事になる少年の心の動きを通して、社会という物の現実を見せた映画でした。私も、戦後の日本を少しですが憶えていますし、家族や親族の多くを、戦場や原爆で亡くしましたので、身につまされる映画でした。どういう形であったにせよ、戦後手に入れた民主主義を守っていく必要があると思いました。
 現在、新型コロナという、社会を揺るがす感染病が、世界中に蔓延しています。恐らく、社会のあり方を変えるような出来事だと思います。どの様な社会にするかは、結論が用意されている訳ではありません。種々話し合いをしながら、変更訂正を繰り返し、出来るだけ多くの人の要望に応えられるような、社会を作っていく他有りません。守って欲しいのは、話し合いが理性に従って行われることだと思います。宗教とか、その他圧力団体の理不尽な意見に屈してはいけないと思います。理をもって考える事は、現時点で人間が獲得した進化の頂点だと思います。しかし、理を持って考えると言うことが、実際どういうことなのかは、一口で言う事は難しいですが、考えを次のステップに移す時に、その根拠を示すことが出来、他の人もその根拠を理解出来ることだと思っています。
 3時過ぎに家を出て、吉祥寺に寄り、妻に頼まれた「小ざさ」の最中を買いました。50年程前、私が吉祥寺に住んでいる頃は、小さな店で、お婆さんが餡を練っていたと思いますが、今はちゃんとした工場を持ち、昔の小さな店で、羊羹や最中を売っています。知る人ぞ知る有名店で、何時も行列が出来ていました。新型コロナの影響でしょうか、今日は、簡単に買うことが出来ました。
 妻の待つ神楽坂には、5時頃着き、妻に最中を渡しました。妻とブラブラ神楽坂を歩き、夕食の場所を探しました。毎回迷うのですが、今日は「鳥幸」という鶏屋に入りました。上品なというか、ヌーベルクイジーン風と言うか、ワインで焼き鳥を食べる、私には合わない感じでしたが、妻は美味しいと言って食べていました。思った以上に客が混んでいて、料理のサービスが遅くなり、食べ終わるのに、3時間近く掛かってしまい、お陰で、ゆっくり思い出話が出来ました。妻とは、色んな国を旅行しましたが、そのどれもが興味深い物でした。主なものを上げると、氷河とワイン巡りのアルゼンチン・チリの旅、アーモンドの花と雪山とサハラ砂漠のモロッコの旅、コロナ川・アンヘルの滝・テーブルマウンテンのヴェネズエラの旅、オリーブと生ハムとアラブの遺跡のスペインの旅、葡萄畑と画家達の風景とパリのフランスの旅、古代ローマから続くイタリアの旅、南から北まで発展途上のヴェトナムの旅、万里の長城・兵馬俑等、歴史で習った中国の旅、等々です。こうして思い出話が出来るだけでも幸せです。妻は、私より長生きしてくれると思いますから、私は幸せの内にこの世を去ることが出来ます。悲しみは、生きている人だけが味わう物なのです。今日は、最初の店が長かったので、何時もの食後のバーにも寄らないで妻と別れ、最終バスで、11時に我が家に戻りました。

「思い出を 分かち持ちたる 妻の膝 枕にしつつ 死にたいものだ」

〇07月07日(火)。

 一昨日辺りから、熊本の水害のニュースが流れていましたが、昨日から水害は九州全土に広がり、私の故郷長崎にも被害が出ました。
 年を取ると、思い出話にばかりなりますが、もう60年以上前になりますか、私が中学の2年生の頃だったと思います。大村の義理の伯父の家に遊びに行きました。夏休みが始まったばかりの頃でした。丁度、諫早の大水害の日の、最も雨が強い時に、バスで行ったのです。大村は、諫早の隣の町で、大村でも、道を水が激しく流れ、伯父の家も床下浸水になりました。翌日の昼頃、ラジオで諫早が大水害になったと、しきりに言っていましたので、伯父さんと一緒に、水害現場に行きました。その時の光景は、頭にこびり付いて消えることはありません。諫早の中心を流れる本明川が氾濫し、街全体が、大きな石や砂利で埋まり、多くの家が跡形も無いように壊れていました。所々に、豚や牛の死骸が転がっていました。翌日、父が長崎から歩いてやって来ました。まだ両家に電話が無く、連絡手段がなかったのです。私がどうなったのか、心配してくれたのです。長崎から大村まで、30キロ以上有るのでは無いでしょうか、しかも、長崎の道は平坦な所は無く、水害の後でもあり、簡単に歩けるはずはなかったのです。私が乗ったバスの後は、道路が崩壊し、バスが通れなくなったそうです。汽車の線路も至る所寸断されたそうです。父は、そこを歩いて来てくれたのです。父が良く話していた、戦争の時、ボルネオのジャングルを一日中行軍したと言う話を思い出しました。その時は、特になんとも思わなかったのですが、思い出す度に父への感謝の気持が強くなります。
日本では、毎年のように水害が発生します。日本は、そのような位置に有り、水害になり易い地形でもあります。この点を考慮した、街作り、生活の仕方を考える必要があるでしょう。地球温暖化の影響も有り、今後、更に水害は増えるでしょう。ハザードマップの中の住居や施設は、移住・移設を考えた方が良いでしょう。
 今日も雨が降ったり止んだりすると言うので、取り敢えず洗濯はして、雨の降っていない時を狙って、市役所へ行って来ました。新型コロナの定額給付金がまだ届かないのです。次男の所には、一月近く前に届いているのです。私の場合は、書類不足があり、若干の遅れはやむを得ないと思ったのですが、不足した書類を送ってから半月以上経っているのです。係員に聞いたら、既に許可は降りているものの、銀行振り込みに時間が掛かっていると言われました。最悪の場合は、あと2週間かかると言われました。何故そんなに時間が掛かるのか、理解が出来ませんでしたが、文句を言っても仕方が無いので、了承しました。
 市役所への行き帰りは、チューバスを利用しました。市役所へ行く時、中河原駅から婆さんがバスに乗ろうとしました。買い物の荷物が多いのと、足が弱っていてバスに乗ることが出来ませんでした。廻りの乗客の全部がかなりの年寄りで、私が一番若い乗客でした。一番後ろの席から、一番前の入口に行って、私が荷物を持ち、運転手が婆さんを支えて、漸く乗車することが出来ました。そして、降りる時も同じ事をしました。婆さんから、とても感謝されました。そして、このような場所では、私は、まだ若者なのだと思いました。私も、婆さんのようになるまで、生きるのですかねー。
 西友で買い物をして、我が家には、2時過ぎに帰りました。その後は、日記を書いたり、テレビを見たりして過ごしました。夜の11時頃、今日は七夕だったのを思い出し、ベランダに出てみると、我が家の前は曇っていましたが、左手の東の空に、月が出ていました。七夕の頃は梅雨なので、月を見ることはないと思っていましたし、実際見た記憶がありません。今日、月を見る事が出来て、とても感動しました。

「歳とりて 父の気持が 胸に浸む 今頃父の 走馬燈を見る」
「天空の 雲の切れ間に 月明かり 願いよ届け 七夕の夜」
 
〇07月08日(水)。

 梅雨らしい日が続いています。今朝も、雨の朝で、ベランダ全体が濡れていました。この所、満足に歩いていないので、少々憂鬱です。
 昨日のニュースで、イタリア映画「ニューシネマパラダイス」の音楽を作曲した、エンリオ・モリコーネ氏が亡くなったと報じていました。「ニューシネマパラダイス」は、私の最も好きな映画の1つなので、録画したDVDを探して、映画を見ました。何度見ても、この映画は感動します。中学の時から、米国映画にかぶれ、米国映画専門の映画館に通ったことを思い出します。イタリア人の国民性とか生活感は、何となく日本に似た所があります。30年ほど前に、イタリアで勤務したことがあります。その時、生まれて初めてイタリアの地を踏んだのですが、顔付きは違うのに、何の違和感も無く、イタリア人の生活に溶け込めました。朝市で働く人達は、郷里の日本人を見ているようでした。私には、映写技師アルフレードのような、年上の素晴らしい友はいませんでしたが、どの場面も何故か少年期の私の思い出と重なるのです。私も、小学3年の時、米国人神父の「ミサ答え(ミサの手伝い)」をやりましたし、親に怒られるようなことを何度もしました。古びた映画館で、映画も見ました。
 昼食後、西の空を見ていると、明るさが増したような気がしました。雨も止んでいましたので、目の前の多摩川の土手を歩くことにしました。梅雨時の雨の日なのに、丹沢や奥多摩の峰々が良く見えました。山肌に残った雲の切れ端や、低く棚引く雲が、雨上がりの感じを良く出していました。石田大橋まで歩いた時に、急に四谷地域への用水の入口が何処か、尋ねてみたくなりました。入口は多分あそこだろうと見当は付いているのですが、用水を辿ってみたくなったのです。暫くは、歩いたことのある用水脇の道でしたが、中央高速を越えた辺りから、全く歩いたことの無い道になりました。それも、10分足らずで、また何度も歩いた道へ戻り、直ぐに用水の入口に着きました。立川根川公園に行く時の通る道で、大きな水門があり、そこが四谷方面へ水を流す用水の入口でした。大した歩きではありませんでしたが、家の中の燻っているよりは、良かったと思います。
 家の戻る時に、四谷下堰緑地に寄りました。沢山の藪甘草が咲いていて、薄暗い緑地に明かりが点いたようでした。

「奥多摩に 雲の切れ端 残りたる 昨夜の雨の なれの果てかな」
「秩父まで 低き雲等の 棚引いて 雨の名残の 淡き風水」
「薄雲に 稜線連なる 奥多摩の 嶺の形の 名前呟く」
「梅雨空の 暗き森陰 灯が点る 救いのような 藪甘草の花」

〇07月09日(木)。

 今日も、雨の朝でした。うんざりです。午前中の仕事が終った頃、雨が上がりましたので、少しでも歩こうと思い、先ずは、四谷さくら公園で、準備体操をしていたら、ポツリポツリと雨が落ちてきました。そのポツリポツリが、あっという間に土砂降りの雨になりました。アパートは直ぐ側なので、折畳みの傘をさして、急いで帰りましたが、靴や靴下が、かなり濡れてしまいました。折畳みの傘では、役にたたないような雨だったのです。アパートでは、先程見送ってくれた管理人が、出迎えてくれました。
 散歩は諦めて、我が家でテレビを見て、時間を過ごしました。録画した映画は、沢山あるので、映画を見ても良いのですが、今週に入って既に2度も映画を見ているので、それが生活の中心になりそうで、気が進まなかったのです。散歩が出来ない時の、良い時間潰しの方法を考える必要がありそうです。
 昼食を食べた後、雨が一時的に止んだので、チューバスで府中駅に行きました。チューバスだと、我が家に近くの停留所から府中駅まで、約50分掛かります。バスを待ったりする時間もありますので、往復するだけで、約2時間、時間を潰すことが出来るのです。府中駅付近で、ブラブラする時間を入れれば、3時間の時間潰しが出来ます。それで、運賃は、片道100円です。府中駅の近くの商店街で、また梟を買ってしまいました。
 家に戻ったのは、4時過ぎていて、そろそろ夕方のニュースが始まる頃でした。ニュースで一番最初に飛び出したのが、今日、東京の新型コロナ感染者の数が、224人になったニュースでした。これまでの感染者数の最高を記録したそうです。前から言っているように、数字が何を現しているか、良く分らないのですが、一般の人に脅威を与える数字には違いありません。都知事も、「以前、200人を超えた時の検査数は900人程度で、今日の検査数は3400程度なので、感染者数が増えるのはやむを得ない」と言っていました。それにしても、もう何ヶ月もコロナのニュースが、テレビを占拠していますが、マスクを配るとか、学校を休校にするとか、困った会社や人に支援金を配るとか、対症療法的政策は、沢山ありますが、国の基本的対策が見えてきません。国家公務員、政治家の良識と力量が、かなり落ちているように思います。

〇07月10日(金)。

 今朝も雨の朝でした。九州、四国、岐阜、長野等、大水害が起きた地域は、水害の後にも、かなりの雨が降っているようです。それに較べれば、関東地域は、まだ雨量は少ない方でしょう。とは言っても、連日、黒い雨雲を見るのは、憂鬱なものです。
 洗濯物が溜まって居るので、部屋干しを覚悟で洗濯しました。太陽に当てないで乾かすのは、洗濯をしたという気分になれないのですが、雨が長く続くと仕方ないですねー。現在乾燥機が故障しているので、部屋干しの後、乾燥機にかけられないので、臭いと菌を除去するのが難しいのです。例え乾燥機が動いたとしても、太陽の光には敵いません。
 今日は、外には出られないと覚悟していたのですが、午後、雲の切れ間が出て来て、久し振りに青空を見ました。その青空に、太陽が出て来て、日差しが出たり消えたりを繰り返すようになりました。もう雨は降らないようでしたので、多摩川の土手を下流に向かって歩き、関戸橋を渡って、聖蹟桜が丘に出ました。少し短いですが、散歩らしい散歩になりました。
 府中四谷橋から、京王線の鉄橋までの河原の道は、自然の花畑でした。梅雨の雨をたっぷり吸ったのでしょう。道にへばり付くような河原柴胡が、背丈を伸ばしていました。ヒメジョオン(姫女苑)、カワラサイコ(河原柴胡)、アカツメクサ(赤詰草)、テリハノイバラ(照葉野茨)、マツヨイグサ(待宵草)、ハルシャギク(波斯菊、別名―蛇目草)等が、覇を競っていました。所々に、オオキンケイギク(大金鶏菊)、アレチハナガサ(荒地花笠)等も花を咲かせていました。自然の花畑では、他を制圧しないで、今日のような、揃い咲きの方が良いですねー。人間の手で飢えられていない花達は、花にも社会があるような、独特の雰囲気があります。
 この1週間、外で食事をする機会がありませんでした。その為、昼の食事が美味しくなく、義務感だけで食べたような気がします。早く、梅雨が明けて、雨の心配をせず、外の空気の中で、昼食が食べたい物です。
 夕方のニュースで、東京の新型コロナの感染者数が、また最高を更新しました。新たに243人が、感染していたそうです。この所、ニュースは、新型コロナと水害ばかりで、暗―い気分になりました。新型コロナや水害の被害を受けている人には、申し訳ありませんが、今日、唯一救いだったのは、野球とサッカーに観客が入ったことです。楽しさの無い社会で生きて行く気力は、私にはありません。

「背高の 河原柴胡は 別の花 悪たれ小僧が 乙女の風情」
「梅雨の雨 たっぷり受けて 元気良し 河原の道に 花の溢れる」
「若しかして マッシュルームで あるまいか 河原の道に まーるき茸」
「案内は 私に任せて 下さいな 我を待ちつつ 妻黒豹紋」
「何時の間に こんなに増えた 蛇目草 またもや河原 制覇するのや」
「聖蹟の ビルを遠目に 群れ咲きぬ 雨が似合いの 蛇目草かな」
「梅雨明けが 待ち遠しいね 月見草 君と一緒に 月見がしたい」

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2020年7月 6日 (月)

2020年07月01日

2020年07月01日

〇07月01日(水)。

 とうとう1年の半分が終り、後半が始まりました。年が明けた時は、オリンピックの年でもあるし、どんな1年になるか、期待したものでしたが、1月の終り頃でしたか、中国で新型コロナ騒ぎが起こり、世界中に広がりました。日本でも、2月から、新型コロナの感染が出始め、かなり感染が広がり、全ての学校が休校となり、選抜高校野球が中止になりました。オリンピックは来年に延期になるし、国家非常事態宣言が出され、商売と外出の自粛要請が出されました。私の75年の人生でも、全く初めての経験でした。
 5月末、一応、非常事態宣言は解除されましたが、新型コロナの感染は、相変わらず続いていますし、今後どうなるかは、誰も予想出来ないと思います。何処かの国が行っていたように、感染するだけ感染すれば、多くの人の抗体が出来、結果として新型コロナが終焉するという、自然の成り行き任せになるのかも知れません。これだけ、医学が発達した現在でも、このような事態が起きるのかと、驚きを禁じ得ません。結局、人間という生物は、長い進化の過程で獲得した、人間自身の治癒力でしか、病気を克服することは出来ないと言うことなのでしょう。医学というのは、人間の治癒力がどんな物か、医学が治癒力にどんな手助けをする事が出来るのか、その研究だったし、今後もその域を脱することは出来ないと思います。若し仮に、医学が、ロボットを修理するように、人間も同じように修理するような状況になったら、この世に生命の自由は無くなるでしょう。自由に死ぬことも出来なくなり、法律に定められたように、誰かが死を強制することになるでしょう。閻魔様のいる地獄より、嫌な世界ですね。私の残り少ない人生も、今年の初めに思い描いていた物とは、全く違ったものになってしまいました。暗闇で出口を探すようなものですが、なんとかして、新しい生き方を見つけるほか無いと思っています。
 今日は、朝から曇り空で、時々雨も落ちて来ました。そんな訳で、今日は、近くの西友に買い物に出ただけで、後は自宅に籠もり、日記をブログに上げたり、トマトソースを作り、それでピザを作ったりと、料理で時間を潰しました。

〇07月02日(木)。

 今朝はなんと、富士山が見えました。今日は、ほぼ1日中、日差しがあるようです。
 今日は、心臓の手術から、ほぼ1月が経過したので、経過診察の日でした。何時もの病院へ9時45分に着き、心電図を取って、10時過ぎに先生の再診を受けました。先生は、真っ先に先程の心電図の結果を見せて、「不整脈が出ていませんね、手術は成功したし、その後の心臓の経過も良いようです。貴方自身は、手術前のような、心臓の異常を感じますか」と言われました。「急に走ったりすると、心臓が強く脈を打って苦しくなりますが、それ以外は、特に心臓の異常を感じなくなりました」と答えると、「急な運動は、心臓に問題がない人でも、大きな負担になります、上手に準備運動をすれば、大丈夫ですよ。今後は、何の制限もありませんから、運動・食事等普通に生活して結構です。但し、半年は様子を見たいので、9月と12月にまた来て下さい。」と言われ、一応、無罪放免となりました。
 10時半には、全てが終りましたので、今日は、荻窪の善福寺公園へ行くことにしました。善福寺公園は、渡り鳥が来る時期に行くのですが、今年は、新型コロナの影響で、行くタイミングを逸してしまいました。荻窪駅から、バスで善福寺公園へ行き、下の池から歩き始めました。池には、葦と睡蓮が池面を埋めるほどに繁っていました。通常は、葉を落としたメタセコイアしか見ないのですが、葉をしっかり付けた、逞しいメタセコイアを見ました。その後、上の池に移り、青空と森の緑と白雲を摘まみに、昼食にしました。緑の善福寺公園も中々良い物です。
 食後、上の池を歩き始めたら、湧水の所で、数人のカメラマンが、カメラを構えていました。その先を見ると、翡翠がいました。私が、スマホを持ってうろうろしていると、一人のカメラマンが、「ここに来てみて下さい、翡翠が二羽同時に見えますよ」と呼んでくれました。「行ってみると、水の上の木の枝とは別の岸の方にも一羽見えました。しかし、スマホのカメラでは、旨く撮れそうにありませんでした。昔のカメラは、修理出来ないと言われ、どうしようか迷っていましたが、矢張り、新しいカメラを買おうと決意しました。
 その後、まだ時間があったので、善福寺、井草八幡も訪れて、荻窪駅に戻りました。折角だから、紅葉の時期にしか行かない、大田黒公園にも足を伸ばしました。秋とは違った、木々の勢いを感じました。私は、宗教は好きにはなれないのですが、寺や神社のお陰で、街中に緑が残っていると思い、その点には感謝しています。神社や寺が、多くの敷地を売ったのも事実だとは思いますが、、、。
 夕方は、窓から富士山を見ながら、晩酌を始めました。夜が更けると、一二夜の月が煌々と輝いていました。梅雨の晴れ間の、素晴らしい1日でした。

「垣根から 光り求めて 顔を出す アガパンサスの 青き花かな」
「睡蓮の 葉が重なるほどに 生い茂り 葉の上に咲く 睡蓮の花」
「睡蓮は 水面に咲くが ふさわしい モネも描いた 睡蓮の花」
「鳩達が 木陰に集まり 涼をとる 近づく我を 皆で凝視」
「青空に 剣先立てて 自己主張 メタセコイアの 逞しきかな」
「青空と 緑の森と 白雲を 昼餉の摘まみに 善福寺公園」
「川鵜等が 善福寺池 占領す 木陰にひっそり 翡翠夫婦」
「梅雨晴れの 夜空に煌々 十二夜の月 珍しきもの 手にした感激」

〇07月03日(金)。

 天気予報に拠れば、今日は午後の早い段階から雨になるとのことでした。そういうことであれば、午前中に散歩をしようと、9時半には家を出て、先ずは、四谷さくら公園で、念入りに準備体操をしました。昨日の、医者の言葉に従って、少しずつ身体に負荷のかかる運動を増やしていこうと思ったのです。
 その後は、私が秘密の池コースと呼んでいる、近場を歩きました。具体的に言うと、府中四谷橋、程久保川、浅川、新井橋、日野ゴミ処理場、多摩川の秘密の池、北川原公園、石田大橋、SVマーケット、我が家といった感じなのです。
 今日歩いて見て、この近辺には、中国原産のトウネズミモチ(唐鼠黐)の木が、意外と多いことに気がつきました。今丁度、花のシーズンで、木のてっぺんまで白花で覆われるため、遠目にも良く分るのです。この名前は、郷土の森博物館で知ったのですが、調べて見ると在来種のネズミモチ(鼠黐)という木もあるらしく、私には、区別が付きません。両方を見ていたのかも知れません。
 浅川と多摩川の合流点の3角地帯には、日野ゴミ処理場、浅川浄水場の大きな設備が有り、その前の多摩河原は、人手を入れない自然林となっています。そこにある多摩川の土手に沿った池を秘密の池と呼んでいます。この土手は、浅川との合流点で、無くなってしまい、府中四谷橋近くの多摩川の土手に出るには、新井橋を渡って大回りをしないと行くことが出来ません。そんな訳で、普段からこの土手を散歩する人は少なく、池を知っている人も少ないのです。しかし、この土手には、他の所では余り見られない、赤花待宵草(私が勝手にそう呼んでいるだけ)が咲いていたり、河原柴胡が多いので、私は好きな土手なのです。今日は、ミヤコグサ(都草)も見つけました。河原の森は、野蒜採りの場所にもなっています。
 今日の昼食は、浅川浄水場の浄水施設の上に作られた、大きな運動公園で、我が家の周辺の景色を見ながら食べました。側にいたのは、沢山の椋鳥だけでした。昼食を食べたら、石田大橋を渡り、SVマーケットで何時もの鶏の軟骨を買い、2時頃、我が家に戻りました。
 夕方のニュースを見ると、東京の新型コロナの感染者が、昨日107人だったのが、今日は124人だったそうです。どの様にして出て来た数字なのか、何を現しているのかも良く分りませんが、1日の感染者が3桁というのは、心理的に大きな影響を与えるようです。まだまだ、先の見えない新型コロナです。何時になったら、何も気にしないで、友達と会って、ワイワイ喋り、酒が飲めるようになるのか、それが気になります。もう一度、それをやらないと、死ぬに死ねない気がします。

「今の時期 月を見るのは 難しき 月を見ずして しぼむ月見草」
「土手の道 河原柴胡の 並ぶ道 辿りて行けば 西方浄土へ」
「武蔵野の ランドマークを 眺めつつ 椋鳥相手に 昼餉食うなり」

〇07月04日(土)。

 昨日の日記の最後に、ランドマークという言葉がありますが、この言葉を思い出すのに、今日の午後まで、かかってしまいました。毎日の日記は、特にやることが無ければ、翌日の午前中に書くことにしています。所が、このランドマークという言葉が思い出せなかったため、午後1杯かかってしまいました。
 午前11時頃、日記を書くのを中断して、時間潰しのため、チューバスに乗って、府中駅へ行きました。駅前の商店街をブラブラしていたら、洋服屋の奥に、梟の人形が沢山並んでいるのを見つけました。日本のものではないことは一目で分りました。多分インド辺りのものだと思いました。以前、吉祥寺で買ったインドの物と似た所があったのです。店員(多分オーナー)の女性に何処の物か聞いてみると、ネパールのものだそうです。彼女のご主人が、ネパール人だそうです。少し変わった梟を見ると買わずにいられません。結局、小さな梟を4羽買いました。
 府中から聖蹟桜が丘に行く電車の中で、ぼんやりと外の景色を眺めていたら、ランドマークという言葉が、急に出て来ました。必死で思い出そうとする時は、全く出て来ないのに、記憶の呼び出し機能は、どういった仕組みになってイルのでしょうか。年を取ると、記憶の呼び出し機能のどの部分が悪くなるのでしょうかねー。
 聖蹟桜が丘では、ビッグカメラに寄りました。昨日、ビッグカメラから電話があったようなのです。以前、修理のために預けていたカメラが、修理不能で戻ってきていました。仕方なく、カメラを受け取りました。政府からの新型コロナに関する定額給付金、10万円が入ったら買うことにしましょう。
 明日は、東京都知事選挙ですが、誰に投票して良いか分りません。現在の心境では、白紙投票が私の気持を一番良く表していると思いますが、皆が同じ事をやると選挙になりませんので、未だに誰に投票しようか悩んでいます。現在の小池知事だけには、絶対に投票しないつもりです。しかし、残念ながら、小池知事の再選が、一番可能性が高いようです。まあ、結局誰が知事になっても、都政は都の職員がとりまとめていくのでしょう。

〇07月05日(日)。

 今日も、午後から雨になるというので、朝9時半くらいに家を出て、四谷さくら公園で体操をした後、四谷文化センターの選挙会場に向かいました。会場に着くと、長い列が出来ていました。投票所が密にならないように、入場制限されていました。これも初めての経験でした。新型コロナは、色々初めての経験をさせてくれます。ただ、投票そのものには時間が掛からないので、15分程度で、投票を済ますことが出来ました。昨日から、誰に投票するか悩んでいましたが、白票にせず、きちんと人物を選んで投票しました。
 投票後、住宅地の中を歩いて、中河原に出て、関戸橋を渡り聖蹟桜が丘まで歩きました。関戸橋を渡った頃から、小雨が降り始めましたが、気にせず歩きました。温まった身体を冷やすには、丁度良い程度の雨でした。
 聖蹟桜が丘では、先ず本屋に寄りました。この前、荻窪に行った時、電車の中で見た広告の本を買いたくなったのです。その本は、イエール大学で23年連続の人気講義「死とは何か」で、漸く日本語に翻訳されたようです。老眼が進行し、読めるかどうか分りませんが、買ってしまいました。また、その時、本棚を廻って目にした「ウィルスは生きている」と「宇宙と素粒子」も買ってしまいました。本さえ読めれば、老後の人生も何の問題も無いのですが、恐らく以前のように読むことは出来ないでしょう。今日以前に本を買ったのは、何年前でしょうか、思い出せません。
 本屋の後、京王ストアに寄りました。京王ストアには、80歳を超したような爺さんがやっている、貝類売り場が有り、定期的にアサリや蛤、ボンビノス貝を、買っていました。それで、爺さんとも顔見知りになっていたのです。この爺さんのアサリは、身が肥えているし、砂抜きが良く出来ているので、ニンニクとセロリの微塵切りをバターで炒め、その中で貝を開かせると、とても美味しく、定期的にワインの摘まみになっていました。所が、その爺さんの貝売り場が無くなって、その辺りが模様替えされていました。プラスティックの箱の入ったアサリは売っていましたが、買う気になれませんでした。ふと、爺さん亡くなったのでは、そんな考えが頭をよぎりました。
 夜は、次男と酒を飲みながら、テレビを見ていました。8時から、NHKで都知事選のニュースが始まりました。なんと、テレビの最初の画面で、こいけさんの当確が写し出されました。そして、小池さんの当選の挨拶が行われたのです。都知事選の投票は、8時締め切りで、このニュースが流れている時は、開票もされていなかったのです。NHKが独自に行った、出口調査で当確としたのです。何時ものことではありますが、何となくしっくり来ない物を感じます。出口調査の際、記者の質問に、多くの人が共謀して、嘘の投票を答えたらどうなるのでしょうねー。事前投票が、投票の半数を超えたらどうなるのでしょうねー。私は、選挙には欠かさず行きますが、出口調査されたことがありません。

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2020年7月 1日 (水)

2020年06月26日

2020年06月26日

〇06月26日。

 向ヶ丘の七生丘陵が見えなくなるほど、濃い霧の朝でした。しかし、10時過ぎ頃から、青空が見え始め、日差しも出て真夏の暑さになりました。
 午前中は、日記の整理をして、ブログに上げました。その後、11時過ぎから、近場を散歩しました。近くの田圃の畔道には、姫風露草の花が、帯となって咲いていました。我が家にある姫風露草は、ここから持ってきた物です。また、藪甘草が沢山の蕾を伸ばしていました。4年前、7月の半ばに癌の手術から退院しました。その時、何処にでも藪甘草が咲いていたのを思い出します。季節は、夏に移っているのですねー。散歩の後、西友に寄り買い物をしました。明日は、末の孫の誕生会を我が家でやるので、その為に、結構沢山の買い物となりました。今回は、長男の子供を除いて、家族全員が集まります。前回は、2月22日、長男の子供(私の最初の孫)の、成人を祝う会でした。約4ヶ月ぶりの再開です。子供も孫も、皆元気で、飲むのも食べるのも半端ではないのです。
 午後は、玄関や居間の掃除をしたり、瓶・缶・ペットボトル等リサイクルゴミを集積所に持って行ったり、久し振りに孫達を迎える準備をしました。明日が、本当に楽しみです。
 夕方メールを開くと、友人の訃報が入っていました。大学の2年後輩で、東日本大震災の折、被災者に救援物資を届けた帰りに、車の事故を起し、頸椎を損傷し、全身麻痺になりました。しかし、意識は正常でした。その後、奥様と、友人等による応援隊の努力もあって、約9年間生き続けました。私も何度か自宅を訪れましたが、人間の命の不思議さに感動し、応援隊と称する友人達の努力に、頭が下がる思いでした。今日、彼の訃報に接しましたが、75を過ぎて老い先の短くなった私としては、来るべきものが来たか、そんな印象でした。やがて私にも、来るべきものが来るのだと思いました。

〇06月27日。

 今日も、霞の強い朝でした。朝食を食べた後、紫蘇ジュースを作ったり、今夜の末の孫の誕生会のため、テーブルのセッティングをしたり、朝から汗をかいて仕舞いました。
 午後3時近くに、娘家族が到着しました。今日の夕食は、誕生日の主役である末の孫の希望により、新潟県寺泊の魚介専門の店「角上」の日野支店の寿司にする事になっていました。そこで、皆して角上に買い物に出かけました。非常事態宣言は解除されたとはいえ、角上の混雑は、想像を超えていました。場所が、街中では無いので、客の殆どは車で来るのですが、短時間で車がどんどん入れ替わっていました。余程の人気店になっているようです。店の中には、美味しそうな魚介類が沢山並んでおり、今日は、爺が大盤振る舞いをする事にし、寿司の他に、毛蟹2杯、ずわい蟹3杯、生の岩牡蠣9個、じゃこ煎餅、海老の天麩羅なども買いました。この4ヶ月ほど、子供や孫達に、何にもしてやることは出来ませんでした。孫達に、このような事をしてやれるのが、今の爺の一番の楽しみです。
 買い物が終って、家に帰ると5時近くになり、長男夫婦がやって来ました。生牡蠣を開いたり、毛蟹を茹でたり、準備に結構手間がかかりましたが、食卓の準備が終り、先ずは、集合写真を撮って、それぞれの飲み物で乾杯をして、誕生会は始まりました。マスク無しの密の状態でしたが、この4ヶ月間の様々な話が飛び交い、言葉で表現出来ないほどの楽しい誕生会になりました。当たり前のことでしょうが、人間の人生は、家族、仕事など、人生の舞台で出会った友人達との人間関係だと痛感しました。
長男夫婦は11時頃に帰りましたが、残りは、楽しい誕生会の余韻に浸り、結局寝たのは、夜中の1時半くらいになりました。

「久し振り 孫等の顔が 見られると 朝からルンルン テーブルセット」
「コロナ禍で 当たり前のこと 出来なくて 当たり前のこと 皆の宝に」
「マスク取り 密に集まり 笑顔にて 家族全員 記念撮影」
「全員で 蟹を食うのは 初めてか 旨い美味しい 言葉飛び交う」
「誕生歌 歌う終りて 蝋燭消し 主役をこなす 末の孫かな」

〇06月28日。

 昨日寝たのは、随分遅かったのですが、今朝7時には起きてしまいました。孫達は、まだ寝ているので、8時頃から1時間程度、四谷橋近辺を歩いて来ました。朝から、雨が降っていましたので、傘をさしての散歩でした。
 9時頃、家に戻ったら、上の孫が一人起きていました。そろそろ、皆起きてく頃になりましたので、何時ものように、昨夜の物を片付け、ご飯を炊き、味噌汁を作り、魚を焼き、サラダを作りました。10時半頃から朝食にしました所が、娘の主人は、昨晩飲み過ぎたらしく、起きてくることが出来ませんでした。仕方なく、残りの人間で朝食にしました。今日も孫娘が、「爺の作る味噌汁は美味しい」と言ってくれました。頑張らないわけには行きませんねー。
 食後、暫くして、上の孫、孫娘に簡単に麻雀のやり方を教え、次男が子供達のコーチに付き、3時間近く掛かって、午後4時頃、半荘やり終えました。まさか、孫達に麻雀を教えることになるとは、思ってもいませんでした。誕生会の主役だった末の孫は、麻雀に興味はなく、一人で誕生日に貰ったゲームをやっていました。
 丁度、孫達との麻雀が終る頃、娘の主人が起きて来て、今度は、大人の麻雀になりました。孫達は、全員でゲームをやっていました。流石に大人の麻雀は早く、1時間足らずで、半荘終了しました。私は、孫達との麻雀を含めて、一度も上がることが出来ませんでした。それでも、楽しい一時でした。
 その後、全員で娘達の家の近くに、皆で食べ放題の焼き肉を食べに行きました。これも、末の孫の希望だそうです。4ヶ月ほど、外食もしたことがなく、外食に飢えていたようなのです。新型コロナ以前は、爺との外食でさえ、最低月に一度はありました。それが、4ヶ月ほど、外食をしなかったらしいので、外食に飢えるのも当然です。喜びが爆発したのか、孫達の食べっぷりは、凄まじい物がありました。こんなに食べるのだったら、食べ放題は、確かに得だと思いました。私も、ビールを飲みながら、つられて何時もより沢山食べました。今日も、爺の奢りだと孫達も分っているので、「ありがとう、美味しかった」と皆が言ってくれました。本当に楽しく、幸せな2日間でした。2日間、孫達とは、濃厚接触をしましたので、誰か一人が保菌者であれば、感染するでしょうが、そうならないと信じています。
 帰りは、家まで送って貰い、少しだけテレビを見ながら、次男と軽く飲み直しをして、眠りにつきました。

「春女苑 そぼ降る雨に 花片を 半ば窄めて つましげに咲く」
「雨傘に 落ちる雨音 聞きながら 雨に煙れる 多摩川歩き」
「孫達の 寝ぼけ眼を 横に見て 気持浮き浮き 朝餉の準備」
「孫娘 じいじの味噌汁 美味しいね 久し振りに聞く 褒め言葉かな」
「久し振り 夕食もまた 孫達と 時間潰しの 麻雀大会」
「上の孫 大人退け 一番に 勉強止めて 麻雀するなよ」
「夕食は 食べ放題の 焼き肉屋 頼んでは喰い 頼んでは喰い」

〇06月29日。

 今日は、梅雨の中休みらしく、良く晴れた朝でした。青空も見えましたので、若しかしたら富士山が見えるかも知れないと思ったのですが、残念ながら見えませんでした。
 中身の濃かった2日間が終って、今日は、ゆっくり近場を歩きました。四谷さくら公園で準備体操をし、百草園駅、七生丘陵、百草園、百草観音、由木農場、石坂ファーム、倉沢里山、倉沢川緑地、一之宮と歩いて我が家に戻りました。
 暫く休園していた百草園が、開園していましたので、暫く振りに百草園に入りました。私の他は、二人しか客が無く、紫陽花と睡蓮の花が綺麗な庭園をゆっくりと楽しみ、我が家が見える所で、昼食にしました。
 昼食後、枡井緑地から百草観音の方へ歩くと、テニスコートの上が、広い更地になっていました。マンションでも建てるのでしょうか、2ヶ月程前にここを歩いたのに、以前どの様な土地だったか、記憶が蘇りません。古い家と畑だったような気もします。それにしても、ほんの僅かな期間で、全く景色が変わっていました。日本の中で、人口が増えているのは、唯一東京だけだそうですから、都心からも遠く、最寄りの駅からも遠い、このような場所も、宅地化されていくのですねー。
 谷戸を1つ超えて、由木農場に行くと、この前に来た時は、花だったブルーベリーが、実となり、実が色づき始めていました。来月に入れば、摘み取りが始まるでしょう。この辺りでは珍しい林檎も、余分な実は皆落とされ、本格的な林檎栽培が始まっていました。林檎の摘み取りは、何時頃なのでしょう。
 由木農場と石坂ファームは、隣り合わせです。両家の農地の間に道があり、大きな薄のような株に、トウモロコシのような赤い花が幾つも咲いて居ました。この花の名前を、何年も調べていたのですが、今日やっと名前が分りました。南アフリカ原産で、トリトマというそうです。極く普通の日本の農地に、外国産の花が多すぎますねー。
 石坂ファームの隣りに、倉沢里山があります。この里山は、「倉沢里山を愛する会」が管理していて、自然を守るため一般人は入れないそうです。以前、ここに入っていたら、会の人に見つかり、随分と嫌みを言われ、追い出されました。会の私有地にするような「愛する会」なら止めて欲しいと思いました。里山を守ることの大切を、多くの人に分って貰うためにも、一般の人も入れるべきだと思います。今日は、会の人が誰もいなかったので、石坂ファームから直ぐ下の道路まで、倉沢里山を通って、簡単に降りることが出来ました。
 その後、倉沢川力から一之宮に出て、四谷橋を渡り、我が家に戻りました。4時過ぎていました。6時半頃から、次男と摘まみを持ち寄って、晩酌にしました。

「紫陽花と 凌霄花の 揃い咲き 我は好まぬ 華やかさかな」
「百草園 早くも合歓木 花咲かす 緑の森に 薄紫の花」
「池の端 似合いの花の 半夏生 夏の生け花 欠かせぬ花かな」
「山吹と 置き惑わせる 金糸梅 池面に映る 己に見惚れる」
「百草園 我が家遠目に 昼餉かな 我一人で 公園独占」
「花の時期 待ち侘びている 禊萩の 慌て者等が 花を咲かせる」
「他の草に 絡みつきたる 山芋の 花の綺麗さ 草も満足」
「白雲を 背にして赤き 花並ぶ 大和に引っ越し トリトマの花」
「茄子より ジャガイモ似の 悪茄子 ジャガイモさんが 茄子の一族」
「突然に 野甘草の花 見つけたり 藪と野とでは 大きな違い」
「白花の おっ立ちカタバミ 土手の上 庭石菖と 間違いそうなり」

〇06月30日

 梅雨の中休みは、長く続かず、雲の多い朝でした。天気予報で、午後からは雨になるというので、午前中の作業を午後にやることにし、9時過ぎには、家を出て、郷土の森博物館まで歩きました。
 今月の3日にも来ましたが、その時はやっていなかったプラネタリウムが、やっていました。何年もプラネタリウムに入っていなかったので、今日は、30分待って中に入りました。やる内容は、殆ど変わらないのですが、星空は、何時見ても、何度見ても飽きることはありません。宇宙の不思議さ、宇宙の中の太陽系の不思議さ、太陽系の中の地球の不思議さ、地球の中の生物の不思議さ、生物の中の人間の不思議さ、人間の中の感覚と論理の不思議さ、不思議さのオンパレードです。考える力はありませんが、感じることは出来ます
 プラネタリウムの上映が終ると、12時15分くらいになっていました。この前来た時は、紫陽花の咲き始めの頃でしたが、今日は満開でした。園内を一通り見終わった後、紫陽花で埋め尽くされた森の中で、紫陽花と水車小屋と竹林を見ながら、昼食にしました。天気予報が言うように、霧雨のような物が降ってきましたが、構わず弁当を頬張りました。毎日、3食食べることが、かなりの負担になっていて、もう生きるのもこのくらいで良いか、と思うことが増えているのですが、散歩中に外で食べると、その考えが吹っ飛び、食事そのものも美味しく感じるのです。弁当そのものは、昨夜と今朝の残り物なのですが、それでも美味しく感じるのですから、不思議なものです。
 家には、2時頃に帰りましたが、丁度その頃、雨が本降りになってきました。午後は、日記を書いたり、調べ物をしたりして過ごし、夜は野球を見ながら、晩酌にしました。

「遊歩道 垣根の苺 色づけり 前に来た時 花でありしに」
「色づかぬ 苺を急かす 百合の花 君等も苺 食べて見たいか」
「公園や 歩道に欠かせぬ アベリアの 大和国で 今満開に」
「山法師 終れば君の 出番かな 木槿花咲く 学童の道」
「君もまた ブルーベリーを 育てるや 食べても良きや 柊南天」
「もう一度 我を迎える 紫陽花の 花に囲まれ 昼餉にしたり」
「濃き緑 葉の上に咲く 白き花 白さ際立つ 細葉泰山木」

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