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2020年6月

2020年6月26日 (金)

2020年06月21日

2020年06月21日

〇06月21日。

 今日は、何日か前に予定していた、「みはらしの丘」に行って来ました。11時半頃、家を出た時は曇っていたのですが、「みはらしの丘」に着いた頃は、青空が見えて日差しが出て来ました。今日は、昼間が一番長い夏至でした。この夏至の日に、殆ど日本全国で、日食が見られるとのことでしたが、関東だけは雲が多く、日食を見るのは難しいとテレビで言っていました。それが、日差しが出て来たので、若しかしたらと淡い希望を持ちました。なんと、夏至の日の日食を日本で見られるのは、372年振りなのだそうです。
 「みはらしの丘」は、殆ど関東一円を見晴らせる所で、今日は霞の中の新宿のビル街を見ながら、昼食にしました。丘の下で、誰かが楽器の練習をしているらしく、音楽を聴きながらの昼食となりました。
 昼食後、「みはらしの丘」から、武蔵野の方に降りると、聞こえていた楽器の音色はサックスでした。私と年格好が余り変わらない、老人が吹いていました。自分が、楽器は全く駄目なので、楽器を扱える人は、羨ましいです。 その後、「よこやまの道」を少しだけ歩き、弓の橋、多摩陸上公園、電車見橋、南永山公園と歩き、永山駅に着きました。丁度、南永山公園に着いた時、妻より電話があり、明日夕方会うことになりました。
 永山からバスで聖蹟桜が丘に3時頃に着いたのですが、この頃は、また雲が空を覆って仕舞い、日食が見られるような状態では無くなりました。我が家の近くの西友で買い物をして、家に着いた時は、4時過ぎていました。6時近くにテレビを点けたら、沖縄の日食の様子をやっていました。沖縄では、細い三日月になるほどの日食だったようです。
 夜は、冷奴、胡麻豆腐、メカブ、イカ明太など、久し振りに日本酒の摘まみを用意し、連日、次男と飲みました。

「新宿を 遠望しつつ 昼餉かな 時々聞こえる サックスの音」
「悪茄子 土手埋め尽くし 花咲かす 食える実生れば 言う事無けれど」
「樫の木に 胡麻粒大の 実のつきぬ 秋の実の色 想像出来ぬ」
「手をとりて 身体寄せ合い 花咲かす 辺りも和む 捩花夫婦」

〇06月22日。

 今日は、雨の一日となりました。妻から電話があって、今日会う予定は、明日に繰り越されることになりました。今日も、ベランダから外の景色を見ながら、散歩に出る機会を窺っていましたが、残念ながら、機会は訪れませんでした。
 アパート内にある、巣立ちの終った燕の巣を見に行ったら、巣は取り払われ、糞よけのシートも、綺麗に片付けられていました。このアパートの管理人は、働き者です。今年は、雛達の成長を、じっくり観察することが出来なくて、なんとなく物足りなさが残っています。
 午後は、梟3羽を作ったりしましたが、時間は潰れず、結局、テレビ漬けになりました。
 夜は、ダッカルビで野菜炒め等を作り、3夜連続、次男との飲み会になりました。

〇06月23日。

 今日は、山の仲間と、国分寺歩きの日でした。新型コロナの影響もあって、山の仲間と会うのは、1月7日の新年会以来、約半年振りでした。
 10時半の集合時間に、国分寺駅南口に、懐かしい顔が7人集まりました。所が、1人が遅れて、8人全員揃ったのは、10時45分くらいでした。皆さんも、外出自粛要請を守っていたらしく、仲間と会えた喜びの顔が印象的でした。
 11時近くに、国分寺駅前にある、殿ヶ谷戸庭園から、老人仲間のてくてく歩きが始まりました。その後、おたかの道、本多邸、真姿の池、武蔵国分寺跡史料館、休憩所で昼食、現在の武蔵国分寺、国分寺跡、仁王門、薬師堂、武蔵国分寺公園、恋ヶ窪、姿見の池、国分寺駅まで歩き、簡単な反省会をして、今日の「てくてく歩きの会」は終りました。なんやかんやと午後4時を過ぎていました。山の仲間と歩いた時は、何時も紀行文を書くことにしていますので、後述の75調の紀行文を参照して下さい。
 5時近く、山の仲間と別れて、妻と約束した神楽坂に向かい、6時に会うことが出来ました。妻の案内で、二人の若者が経営するイル・ボリットというイタリア料理店に入りました。エミリア・ロマーニャ州のワインと郷土料理をメインとする、こじんまりとした店でした。二人は、人柄も良く、料理、材料、取り合わせ、薬味、付けダレ等、工夫が見られ、口うるさい妻も、美味しい美味しいと言いながら食べていました。私は、ワインを4杯、銘柄を変えて飲みました。
 食後は、何時ものバーに寄り、老犬の介護の大変さが続いている話を聞きました。今の妻の生活の、最大の問題なのです。9時半にはバーを出て、我が家に着いたのは、夜の11時でした。最近には珍しく、内容が濃く、酒を沢山飲んだ一日でした。

国分寺紀行

「久し振り 仲間集まる 国分寺 笑顔笑顔の 昭和エイトマン」
「国分寺 駅前庭園 殿ヶ谷戸 深き緑と 湧水の池」
「石段に 何やら可愛い 花の咲く 今が見頃の 姫薮蘭なり」
「国分寺 崖線降りて おたか道 てくてく歩き 始まり始まり」
「湧水の 流れを見つつ おたか道 夜には蛍 飛ぶやも知れぬ」
「おたか道 道脇に立つ 旧家有り 武蔵の豪農 本多邸なり」
「本多邸 庭を歩いて 裏口へ 誰にも開放 大らか家族」
「渾々と 湧き出る水の 水鏡 心も映す 真姿の池」
「紫陽花と 藪茗荷の 花畑 湧水吸って 花も爽やか」
「あったわよ 五弁のドクダミ 捧げ持ち 笑顔満面 藤沢の人」
「突然に 国分寺跡 史料館 知らん顔して 素通り出来ず」
「部屋ごとに 人数制限 ある中で それぞれ勉強 武蔵国分寺」
「頃も良し 勉強終れば 昼餉かな 休憩所を 我等が占拠」
「ビールある 恐る恐ると 聞いてみる まさかまさかの あるとの返事」
「昼ビール 友と話せる 昼餉かな 一流料亭 顔負けの味」
「昼餉より 仲間の一人 加わりて 野球も出来る 爺婆九人」
「昼餉終え 腹も気持も 満ち足りて 皆笑顔で 記念撮影」
「今はただ 敷石のみが 残りたる 昔々の 武蔵国分寺」
「仁王門 薬師堂を 拝観し いきなり現代 国分寺公園」
「てくてくと 広き公園 横切りて 線路も越えて 恋ヶ窪着」
「恋ヶ窪 東山古道の 宿場町 疲れも癒えて 恋も芽生える」
「遊女等が 鏡代わりに 身を正す 良き客狙う 姿見の池」
「半夏生 花咲く小川に 鴨家族 小鴨が七羽 流れを登る」
「小鴨等の 必死の泳ぎに 感動し てくてく歩き 最終章に」
「恋ヶ窪 野川の源流 歩きつつ 出発点の 国分寺駅」
「歩き終え 新型コロナは 怖けれど 反省会無く 解散出来ず」
「駅上の 蕎麦屋が九人 受け入れて 何時もと変わらぬ 反省会かな」
「爺婆の てくてく歩き 無事終り 次を約して 愛でたく解散」


〇06月24日。

 今日は、ほぼ一日曇り空のようなので、近くの桜が丘公園と大谷戸公園を歩いてきました。
 聖蹟桜が丘の駅から、バスで公園まで行き、深い緑になったキツツキの森に入りました。残念ながら、キツツキの音はしませんでしたが、「デル・ヒージョ デル・ヒージョ」と早口のスペイン語のような鳥の鳴き声が聞こえました。雰囲気も良く、ベンチもありましたので、キツツキの森で昼食にしました。
 昼食を済ませ、歩き始めようとしたら、目の前の藪の中に、小さな白い蘭のような花が咲いていました。何処かで見たことがあると思うのですが、どうしても名前が出て来ませんでした。何枚か写真を撮って、歩き続けるとイチョウの森に入りました。驚いたことに、森の地面が、イチョウの苗で埋まっていました。去年、地面に落ちていた銀杏の殆ど全てが、苗になったのですねー。
 森を抜けて、サービスセンターに立ち寄りました。写真を見せて、蘭のような花の名前を聞いてみました。若い男の職員が、図鑑を広げて、大葉ジャノヒゲ(大葉蛇の鬚)だと教えてくれました。ジャノヒゲと言われて、高尾山で見たことを、漸く思い出しました。その職員は、私に花の場所を聞いて、「この花の時期は短いのです。私も写真を撮りに行きます。場所を教えて頂きありがとうございました。」とお礼を言われました。そこで、ついでにデル・ヒージョと鳴く鳥の名前を知らないかと質問してみましたが、分らないとのことでした。鳴き声は、私の聞き間違いの可能性が高いと思い、お礼を言ってセンターを出ました。
 更に歩いて蜻蛉の池に行くと、子供等が二人、蜻蛉捕りをやっていました。池に葦が生い茂っていたので、「蜻蛉は捕れた」と聞くと、虫箱を持ってきて、「ほら、糸蜻蛉が捕れたよ」と見せてくれました。その時、葦の葉の陰から、カマキリの子供が顔を出し、子供達が、注意深く捕まえました。とっても真剣で、楽しそうでした。この子供達を見ながら、自分の子供時代を思い出して仕舞いました。
 その後、大谷戸公園、乞田川、大栗川と歩いて聖蹟桜が丘に出ました。聖蹟桜が丘では、この前、カメラの修理を頼んだ、ビッグカメラに寄ってみました。電話が来ていたからです。修理を担当する窓口に、電話の件を聞いてみると、「多分修理工場からの電話だと思います。こちらにも、連絡が来ていると思いますからお待ち下さい」と言って、情報を持ってきました。なんと、私のカメラは、浸水しており、修理不能だと言うことです。浸水させた事は全く無いのですが、工場が修理不能だというのであれば、認める他ありません。カメラを送り返して貰うことにしました。どうやら新しいカメラを買わざるを得なくなりました。予定外の出費になりそうです。
 夜は、次男が仕事なので、また一人の晩酌になりました。

「森の中 何処で学んだ スペイン語 スペインからの 渡り鳥かや」
「緑濃き 森陰に咲く 白き花 梅雨時に咲く 大葉蛇の鬚」
「去年の秋 地面を埋めた 銀杏が 全て芽吹いて 緑の絨毯」
「子供等が 網振り回し 蜻蛉捕り 幼き頃の 我を見るよう」

〇06月25日。

 今日は、胃癌の手術から、丸4年目の検査結果について、執刀医から経過を聞く日でした。検査そのものは、今月の11日行ったものです。
 10時に病院に着き、10時30分、ほぼ予定の時刻に、先生と話す事が出来ました。先生は、いとも簡単に「CT検査も血液検査も、全く問題が無く、癌の転移は見られない。来年同じ状態であれば、無罪放免です」と言ってくれました。正直ほっとしました。ほっとしたついでに、「最近、ゲップが多いような気がするのですが」と聞いてみました。先生の答えは、「一回の食事の量が増えてきたのだと思います。胃の上部の機能は、残してありますから」と言うことでした。取り敢えず、何もかも安心しました。
 11時前には全てが終ったので、病院の裏手から、武蔵台公園、黑鐘公園、鎌倉街道、国分尼寺、府中刑務所、北府中公園と歩いて府中駅に出ました。鎌倉街道と国分尼寺は、一昨日、山の仲間と歩く積もりだったのですが、予定を変えて歩きませんでしたので、今日行って来ました。
 午後1時には我が家に戻り、昼食を済ませ、午後は、昨日から書き始めた、75調の国分寺紀行を書き上げ、山の仲間に送ることが出来ました。最近物忘れが多くなり、1日前の事でも、きちんと思い出すのが難しくなっていて、紀行文を書くのは、結構大変な事になっています。あとどれくらい続けられますかねー。
 夜は、久し振りに、プロ野球の巨人―広島戦を見ながら、晩酌にしました。無観客の寂しい試合ですが、お笑い芸人が大騒ぎする、バライティー番組よりは、酒が美味しく感じました。

「咲き誇る アガパンサスを 見る度に 4年前の 手術を思う」
「胃癌から 丸4年の 月日過ぎ 経過良好 お墨付き貰う」
「街歩き 公園歩きも リハビリに 病を治す 花鳥風月」
「遅咲きの 藤の花房 垂れ下がる 紫陽花の時期 黑鐘公園」

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2020年6月21日 (日)

2020年06月16日

2020年06月16日

〇06月16日。

 今日も良く晴れていましたが、富士は見えませんでした。午前10時頃、雲が広がり始めたので、大急ぎで散歩に出かけました。今日は、三鷹から吉祥寺を歩きました。
 三鷹の駅から、吉祥寺の井の頭公園までは、玉川上水沿いの「風の散歩道」を歩きました。この道には、電柱と電線が無いのです。電線と電柱が無いと通りも街もすっきりとして、とても品良く感じます。小池都知事の選挙公約の中に、東京都から電柱と電線を無くすと言っていましたが、余り進展していないようです。この政策だけは、異論ありませんので、出来るだけ早く電線と電柱を無くして欲しいと思います。風の散歩道は、小池さんが都知事になる前から、電柱も電線もなかったと思います。
 風の散歩道の途中に、山本有三記念館があります。山本有三が住んでいた館だった所です。私が唯一読んだ「路傍の石」は、この館で書かれたそうです。終戦後2年目に、館は米軍に接収され、その後返還されたそうですが、個人宅にはならず、三鷹市が管理する山本有三記念館になったそうです。私は、何度か訪れていますが、今日は、記念館の裏庭で、山本有三を偲びながら昼食にしました。信じられないくらい背の高い枇杷の木に、枇杷の実が、鈴生りでした。
 山本有三記念館から、井の頭公園は直ぐ近くです。今年は気温が高いのでしょう、井の頭池の多くに水苔が大量に発生していました。50年程前5年程、吉祥寺に住んでいたこともありますし、井の頭公園には、何度も来ましたが、井の頭池のこのような光景は、初めてのような気がします。井の頭池の湧水が少なくなったのかも知れませんねー。吉祥寺に住んでいた頃、弁財天の近くにプールがありました。子供を連れて泳ぎに行ったことがありましたが、なんとこのプールの水は、井の頭の湧水を使っていたのです。水温がとても冷たく、子供達も震え上がって、泳ぎを楽しむことも出来ず、直ぐに出た事を思い出しました。このプールは、その後廃止されました。
 井の頭公園では、カイツブリ(鳰)が、留鳥になっているのは知っていましたが、今日、3羽の雛を連れて泳いでいる、カイツブリの家族を見ました。この雛達は、この池しか知らないでしょうから、完全な留鳥になり、北帰行もしなくなるでしょう。カイツブリは、皇居の池や町田の薬師池でも留鳥になっているようなので、そこの家族と交流して欲しいと思います。鳥でも、親族結婚は良くないだろうと思います。
 井の頭公園から、吉祥寺駅に行く道に、梟を売っている店が、3軒程あります。井の頭公園に来ると、必ずこれらの店に寄り、幾つか梟を買うのですが、今日も6羽飼ってしまいました。断捨離の時期なのですが、今年は新型コロナの影響もあって、毎日が変化に乏しく、梟が60羽程増えてしまいました。
 我が家に戻って、燕の巣を見ると、3羽の雛が変に重なって、巣からはみ出しそうになっていました。元々、巣が小さいのです。さてさて、どうなるのでしょうか。

「電線の 邪魔無く空を 仰ぎ見る 心も晴れる 風の散歩道」
「路傍の石 山本有三 館跡 枇杷の実仰ぎ 昼餉楽しむ」
「カイツブリ 家族揃って お散歩に 住み易きかな 井の頭池」

〇06月17日。

 今朝は、富士山が良く見えました。頂上付近も、黒い山肌に、所々白い筋が残っている、夏の富士山でした。富士を見ながらの朝食は良いものです。
 今日は、梅雨の晴れ間の最後の日だというので、早めに家を出て、みはらしの丘から、横山の道を歩くつもりでいました。所が、聖蹟桜が丘駅に着いて、永山行きのバスに乗ろうとしたら、隣りに鶴川行きのバスが止まっていました。1時間に1本しか無いバスなので、急遽予定を変え、町田市の薬師池公園に行くことにしました。鶴川行きのバスは、直ぐ近く迄とはいきませんが、薬師池公園へ1本で行けるのです。通常、薬師池公園に行く時は、永山駅までバス、永山駅から新百合ヶ丘駅まで小田急線、新百合ヶ丘駅から町田駅まで小田急線、町田駅から薬師池公園までバスでいくのです。少々歩いてもバス1本の方が良いですねー。
 鶴川行きのバスで、五反田で下りれば良かったのですが、1つ前の湯殿で降りてしまい、少し余分に歩くことになりました。それでも20分くらいで、薬師池公園の入口に着きました。急ぐことも無いので、丘の上にある「ぼたん園」に行ってみました。一度来たことはあったのですが、入ったことはありませんでした。今日は、既に花の時期は過ぎており、新型コロナの影響も有り、入園者は、草むしりの作業員3名を除けば、私だけでした。藤棚の下に丁度良いベンチがありましたので、青空と白雲、花の無い花壇を見ながら、昼食にしました。次男から「お父さんの散歩は、昼飯の場所探しのようだね」と言われたことがありますが、その通りだと思います。
 昼食後、一応「ぼたん園」を散歩し、ふれあい館などを訪れて、薬師池公園へ下りました。蓮池から紫陽花園に行くと、紫陽花の大きな花の中に、小さな花の土手がありました。何だろうと思ったら、梅花甘茶と名札が付いていました。
 薬師池公園の中の、町田市の公園施設の入口に、お土産売り場があります。恐らく、布細工のサークルに参加している奥さん達が作っていると思われる、布作りの動物が売っています。これまでに、梟を沢山買いましたが、今日も梟とカタツムリを買いました。この売り場では、何時も何人かの精神障害者の人達が、売り場の仕事を手伝っています。買った物の計算をしたり、袋詰めをしたりします。一人、市の職員がいて、間違いが無いか確認しています。特に計算は、時間も掛かるし、間違いも多いようです。しかし、精神障害者を、できる限り一般人の中で仕事をさせる試みは、非常に良いことだと思います。私も、協力している積もりです。
 今の時期、薬師池公園は、紫陽花が見頃でした。花菖蒲は盛りを過ぎましたが、まだ沢山の花を楽しむことが出来ました。菅笠にもんぺ姿の乙女が2人、咲き終わった菖蒲の花を、1つ1つもぎ取っていました。急に予定を変えて来てみましたが、それなりに楽しむことが出来ました。
 帰りは、バスで町田駅に行き、新百合ヶ丘、永山、聖蹟桜が丘経由で、我が家に4時半頃に着きました。燕の巣を見ると、昨日まで3羽いた雛が1羽しかいなくなっていました。まだ巣立ちには、早いと思っていたのですが、巣が中途半端で小さいので、少し無理をして巣立って行ったのかも知れません。

「町田市の 花の終った 牡丹園 花無き花壇 見ながら昼食」
「夏椿 牡丹の代役 務めける 我も代役 梔子の花」
「紫陽花園 蹴鞠のような 花の側 梅花甘茶の 密かに咲きぬ」
「菖蒲園 役目果たした 花片を 摘んで歩くは 菅笠乙女」

〇06月18日。

 今日は朝から曇りでした。梅雨ですから、これが本来の天気なのだと思います。日差しは無さそうでしたが、夜まで雨は降らないとの天気予報でしたので、洗濯だけはしました。
 11時頃に、家を出てさくら公園で準備体操をして、目の前の多摩川の河原に下りました。春になるまで、全くの砂利河原だったのが、半分以上緑に覆われていました。河原から消えたと思っていたハルシャギク(波斯菊、蛇目草)が点々と花を咲かせていました。何時か、以前のように河原を埋めるように咲くだろうと思いました。地球の生命のあり方は、不可思議としか言い様がありません。思っても見なかったようなことが、沢山起こります。河原は、草木の逞しさで以前に戻り、新型コロナは、人間の知恵と逞しさで、以前に戻るのだと思いながら歩きました。
 四谷橋の下から、京王線の鉄橋の下まで歩き、川の流れから川岸を守るブロックの上で、昼食にする事にしました。昼食の思い出に、鉄橋を渡ってくる電車の写真をスマホで撮り、お尻のポケットに入れて、ブロックに座ったら、スマホが、ぽとりとブロックの隙間に落ちてしまいました。狭くて結構深い隙間でしたので、手を入れることが出来ず、近くで枯れ枝などを探し、必死で引き寄せようとしましたが、手の甲を擦り剥いただけで終りました。弁当を食べる気にもならず、取り敢えず、我が家に引き返しました。
 我が家で、細い棒に鈎フックを付け、針金の先を曲げたりしたものと、料理用の長い鋏と軍手を持って、再度、スマホを落とした場所に戻りました。先程は、あれほど苦労したのに、鈎フックを付けた細い棒で、簡単に取り出すことが出来ました。道具の力は凄い物です。
 今日の散歩は、これで終りにして、我が家に戻りました。3時近くになっていました。燕の巣を見ると、巣は全く空になっていました。最後の1羽も巣立ってしまいました。壁には、壊れかけた小さな巣だけが残っていました。普通、巣立ちを見ると、心の中で拍手喝采するのですが、今回は、不安が残りました。無事に成長することを願っています。
 夕方、珍しく山の仲間より、東京散歩の誘いがありました。来週火曜日、国分寺近辺だそうです。明日から、都道府県をまたがっての往来が自由になるからだろうと思います。先ずは、少人数で歩きたいとのことでしたので、取り敢えずOKしました。どんな形にせよ、新型コロナから以前の生活を取り戻したいと思います。

「砂利河原 点々と咲く 蛇目草 河原を埋める日 遠くはあるまい」
「巣は壊れ 最後の雛も 巣立ち行く 燕の様子に 不安が残る」

〇06月19日。

 今日は、朝からずっと雨でした。何処かで少しでも止む時があったら、近くに買い物にでも行こうと思っていましたが、結局、雨は止む気配が無く、昼食も我が家で食べて、午後は、埃だらけになっている玄関の飾り物の埃取りをして、残った時間は、テレビ漬けになりました。たまたま、今日からプロ野球が開幕したので、巨人阪神戦を見ましたが、無観客試合だったので、余り楽しくありませんでした。スポーツを始め、エンターテインメントの基本は、エンターテイナーに対する、観客の応援と興奮が一体化しないと、駄目ですねー。テレビで中継を見ている人間は、勝ち負けよりも、その一体感を感じながら、試合を見ているのだと思います。
 昨日、スマホをブロックの隙間に落としたことを書きましたが、実は、最近はこうした失敗をしょっちゅうやるようになりました。皿を落としたり、小さなものに躓いたり、ズボンに足を入れるのが難しかったり、何をするかを忘れてリビングと自分の部屋を何度も往復したり、本当に年を取ったと思い知らされています。顔付きも、動きも本当に年寄りらしくなりました。私よりも、少し年を取った俳優達が、テレビに出て来ることがありますが、皆、死を間近にした老人の顔をしています。誰もが望むことでしょうが、元気な状態のまま突然死したいものです。
前にも書いたと思いますが、日本では、安楽死が許されていないので、安楽死の手助けは、殺人罪、自分で安楽死をした場合は、自殺となり、法的罰は無くとも、命を軽んじたとして社会的罰があるようです。社会的罰は、本人は死んでいるので無関係ですが、子供や孫に罰が行く恐れがありそうです。生命尊重の倫理観は、非常に重要なものだと思いますが、私は、80を超えた老人で、自己判断が出来る場合は、安楽死を選択させても良いのではないかと思っています。

〇06月20日。

 今朝は、富士山がくっきり見えました。梅雨の晴れ間に、こんなに綺麗な富士が見えると、窓を開けた時の喜びも格別です。
 今日は、監事をやっている学園の理事会の日でしたので、6時に目覚ましをかけておいたのですが、5時過ぎに起きてしまいました。お陰で、洗濯をしたり、ゆっくり朝食を食べて、7時半に我が家を出て、千葉県市川市にある学園に10時10分前に着きました。理事会は、予定通り始まり、12時には終り、昼食の弁当を食べて、学校を出ました。
 実は、先月に理事会が、前年度の最終の理事会で、新年度の理事の選出と監事の信任が行われました。理事は、1人交代し、残り9人は残留という形で、評議員会に承認されました。監事は、理事長推薦とのことで、私を含めた監事2名も留任が承認されたのです。従って、私はあと2年、監事の役に留まることになりました。
 人は、生きるために、何等かの仕事をして、お金を稼がなければなりません。生きるために必要な物が、お金の仲介なくしては、手に入れることが出来ない社会に変わって来たからです。日本の社会制度により、定年で仕事を辞めた人は、仕事はなくとも年金で暮らせるようになっています。このような状況下で、私は、年金生活者は、大学時代のクラブのOB会、大学全体のOB会、地域のボランティア活動など、お金と無関係の軽い仕事をして、人間関係が保てれば良いと考えていました。
 所が、新型コロナの影響で、これらの軽い仕事は、不急不要の物として、全部集まりが無くなってしまいました。3月の中旬以降ほぼ3ヶ月、歩く事くらいしかする事の無い毎日になりました。私の人生で、経験したことの無い社会の変化を経験しました。この経験によって、多くのことを知り、多くのことを考えました。特に、お金を貰い、責任を持ち、1つの目標に向かう仲間がいる、学園の監事という役割が、本当に重要なものだということを、思い知らされました。子供の将来、引いては、日本や世界の将来に関連する仕事を、負託してくれた友人である理事長に、本当に感謝です。少なくともあと2年、衰えていく頭を振り絞って、しっかりと役を果たしたいと思いました。
 学園を出て、上野公園、谷中銀座、新大久保コレアタウンの様子を見ました。何処も、事業が再開され、以前のような賑わいを取り戻していました。上野公園の、公園側改札の位置が変わっていたのには驚きました。谷中銀座の陶器屋では、以前も買ったことがあるのですが、小さな梟を7羽も買ってしまいました。
 夜は、新大久保で買って来たチャンジャや、アラブ風焼き鳥などで、次男と酒を飲みながらテレビを見ました。

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2020年6月16日 (火)

2020年06月11日

2020年06月11日

〇06月11日。

 今年の6月末で、胃癌手術から、丸4年となります。これまでの検査で、新しい癌は見つかって居ませんが、今日は、血液採取とCT検査の日でした。朝食を撮らずに、9時10分前に、多摩総合医療センターに行き、10時少し前に、血液採取とCT検査は終了しました。検査結果については、6月25日、主治医の先生から説明があるそうです。
病院内にあるコンビニで、サンドイッチとヨーグルトと豆大福を買い、散歩に出かけ、武蔵国分寺公園、武蔵国分寺、おたかの道、殿ヶ谷戸庭園を歩きました。随分久し振りでした。
 今日から梅雨入りするのではないかと言われていたのですが、午前中から午後にかけて、青空と白雲がとても綺麗でした。一番近くの武蔵国分寺公園で、青空を見ながら食事をしていると、保育園の子供達がやって来ました。三歳児くらいだと思われました。どんな生物も、子供は可愛いですね。何故、地球に生物が生まれたのか、何故これ程多様になったのか、可愛さと共に、そんな不思議さも感じました。
 食事の後、武蔵国分寺公園から、武蔵国分寺へ廻りました。国分寺の遺跡とは別に、作られたお寺です。万葉集に詠まれた花を栽培している寺でもあります。武蔵国分寺から、「おたかの道」が始まり(終り)ます。「おたかの道」の由来は、「江戸時代に市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていました。それにちなんで、崖線下の湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を“お鷹の道”と名づけ、現在約350メ-トルを遊歩道として整備 されています」とのことです。私は見たことがありませんが、今でも蛍が飛ぶそうです。
 「おたかの道」を歩いて、国分寺駅へ出て、殿ヶ谷戸庭園へ行きました。この時期ですから、これと言って珍しい花はありませんでしたが、緑がとても爽やかでした。殿ヶ谷戸庭園も久し振りでした。新型コロナの影響で、名のある公園類は、2ヶ月近く閉じられていましたので、それらは、全て久し振りなのです。
 殿ヶ谷戸庭園から、バスで府中へ出て、聖蹟桜が丘に行きました。ビッグカメラで、全く動作をしなくなったカメラを見て貰うことにしたのです。専門家が見れば、簡単に直るかも知れないと、淡い期待をしていたのですが、全く逆で、何処を触っても、うんともすんとも言わず、結局、カメラの製造会社であるニコンに送って、修理をする事になりました。通常なら、2週間程度で直るのが、新型コロナの影響で、修理部門が通常にワークしておらず、1月位かかるかも知れないと言われました。修理代も3万円を超えることもあるかも知れないと言われました。新しいカメラを買う余力も無いので、OKする事にしました。カメラの無い散歩は、魅力に欠けますが、修理が終るまで、スマホのカメラに、頑張って貰いましょう。

「青空の 下で元気な 子供達 新型コロナ 近づき難し」
「苔生した 庭に差し込む 木漏れ日の 昔も同じか 武蔵国分寺」
「崖下の 湧水集めて 蛍川 流れ伝いの おたかの道かな」
「葉の陰に 緑の玉が 隠れてる 秋は紫 アケビの実かな」
「殿ヶ谷戸 芝生に映る 松の影 盆栽状の 枝振り見事」
「一面の 緑の芝生に 庭石菖 君に似合いの 花畑かな」

〇06月12日。

 今朝は、富士が隠れたり顔を出したりを繰り返していました。昨日の雨の影響でしょうか、頂上付近も黒い筋が、かなり大きくなりました。この様子を写真に撮りたいのですが、それが出来なくなりました。
 午後3時には、雨になりそうでしたので、午前10時10分には家を出て、高尾森林科学園、武蔵野陵、陵南公園へ行くことにしました。エレベーターの前の燕の巣には、2羽の子供の顔が見えました。良く分りませんが、もう少しいるような気もします。2日前に、雛が生まれたのを確認しました。今年は雛が生まれないかも知れないと、随分心配しましたが、杞憂に終り一安心しました。この雛の写真も撮りたいので、スマホで撮ってみましたが、思ったような写真には、なりませんでした。
 電車で高尾まで行き、先ず、森林科学園に行ったのですが、まだ休園中でした。ここは、日本中の桜を集めた、桜保存林が有名なのですが、昨年の台風19号で大きな被害が出ました。それでも、桜保存林を除いて、開園していたのですが、新型コロナによる非常事態宣言を機会に、全園休園となりました。観光地でもないし、桜の時期でも無いので、ゆっくり手入れをすることにしたのでしょう。
 仕方が無いので、直ぐ近くの、多摩陵と武蔵野陵に足を伸ばしました。ここは、普通の通り開かれていました。そろそろ12時近くになり、お腹も空いてきましたので、大正天皇の多摩御陵は行かず、昭和天皇の武蔵野御陵にだけ、お参りしてきました。広い御陵に参拝者は、私の他に1名だけ、とても3密などなるわけがありません。
 御陵から、欅並木を歩いて、陵南公園に出ました。12時半を過ぎていました。この公園も、老人がポツリポツリと歩いているだけでした。野球場は使えませんし、子供用の遊具もテープが貼られて、使えない状態でした。これでは、子供や若者は来ないでしょう。2人しかいない広場のベンチで、昼食にしました。手入れは充分に行われているようで、周囲の花壇には、沢山の花が咲いて居ました。
 食後、高尾駅に戻り、京王線の特急で桜ヶ丘に戻るつもりでしたが、たまたま来た各駅停車の電車が、京王ライナーに使われる乗り心地の良い電車だったので、高尾から百草園駅まで各駅低所の電車に乗り続け、百草園駅から我が家まで、歩いて帰りました。家に帰り着いたのは、2時半頃でしたが、雨は一切降らず、汗だくの散歩となりました。

「燕の子 早くも餌を ねだってる 沢山食べて 大きくなーれ」
「庭先に 溢れんばかりの 白き花 君の名前が 思い出せない」
「釣鐘の 蛍袋の 花の内 光る蛍を 一度は見たし」
「花片が 紅色の 額紫陽花 花好き家主の 自慢の花かな」

〇06月13日。

 昨日の夜から、降り続いているのでしょうか、今朝は朝から雨で、一日中降っていました。本当に梅雨らしくなりました。
 朝、やるべき事を終えて、10時過ぎに、西友の入っているショッピングモール行きました。散髪をするのが目的でした。新型コロナの感染予防のため、外出自粛が言われるようになって、ずっと自分で髪を切っていました。しかし、東京アラートも消え、外出自粛要請も緩やかになってきましたし、家にずっといたくはなかったので、モールの中にある1000円のカット専門の散髪屋に行ったのです。散髪屋は、行列が出来る状態で、私の前の客が15人程居ました。取り敢えず、100円ショップダイソウ、ノジマ電気、スポーツデポ、コーナンホームセンターを見て、30分程時間を潰しました。何処も、結構な人が来ていました。ショッピングモールは、買い物だけで無く、気分晴らしにも役立っているようでした。
 30分して、散髪屋に戻ると、私の順番は、あと3人後になっていました。3人で作業していましたが、各々一人に要する時間は、15分足らずなのです。直ぐに私の順番が来て、夏向きに思いっきり短くして貰いました。
 年を取って、記憶が定かではありませんが、50年程前は、専門の理髪店に行くと、4000円程費用がかかったと思います。顔も剃ってくれましたし、鼻毛も切ってくれました。勿論頭も洗ってくれました。爪を切ってくれる所もありました。でも今は、単に髪を切るだけの、1000円のカット専門で充分だと思います。
 その後、西友に寄って買い物をし、12時頃に我が家に戻りました。今日は仕方なく、我が家で昼食にしたのですが、なかなか箸が進みませんでした。午後からは、日記を書いたり、花の名前を調べたり、夕食を作ることを除き、殆どテレビを見て過ごしました。こんな生活を続けると、筋肉を始め、身体の諸機能が衰え、認知症になるというのは、尤もな話だと思いました。
今日の収穫は、我が家のベランダで、花を咲かせた草花の名前が分ったことです。ヒメフウロソウ(姫風露草)でした。一昨年、近くの昔道を散歩した時に咲いていたので、ベランダに移して育てていたのです。去年は、花は咲きませんでしたが、今年は沢山の花を咲かせました。

「君の名が 分った今日は 良き日かな 我も納得 姫風露草」

〇06月14日。

 朝から雨が降り続いていました。「少しで良いから止んでくれないかなー」と思いつつ、ベランダに何度も足を運んでいると、10時近くになって、雨の神に願いが届いたのか、雨が止んだのです。大急ぎで準備して、多摩川の土手に出ました。雨が止んだ状態が、何時まで続くか分りませんが、取り敢えず多摩モノレールの万願寺駅まで歩き、そこから、立川根川公園の中にある柴崎体育館駅に出て、この前、途中で止めにした、残堀川、立川根川公園を廻り、そのまま我が家まで歩いて帰ることにしました。
 歩き始めると直ぐに、雨が降り始めました。しかし、傘をさす程でも無く、雨の心地よい冷たさと、雨に霞んだ多摩川の風景を楽しみながら歩きました。予定通り、立川根川公園に着くと、雨は一層強くなり、傘をささずに歩けなくなりました。何時もは水が少ない残堀川も増水していました。根川のせせらぎに雨が落ち、無数の波紋の輪が、出来ては消え、また出来ては消えしていました。せせらぎの側の道には、ドクダミの花とトキワツユクサの花が、白さを競っていました。雨を受けた大きな紫陽花は、頭を垂れていましたが、額紫陽花は背筋を伸ばし、凜と咲いていました。雨の中の散歩も中々良いものでした。
 歩いている内に、12時を過ぎてしまいましたので、雨の中、葉の多い桜の木の下で、カルガモ達を見ながら昼食にしました。時々、桜の葉から、大きな雨粒が落ちてきました。
 食後、中央高速の橋の近くの運動公園に行くと、沢山の子供達が、雨の中、元気に野球やサッカーの練習していました。昨日から運動公園が使えるようになったようです。少しずつ少しずつではありますが、新型コロナの非常事態宣言以前の姿が戻っているようです。
 国立のSVマーケットで、何時もの鶏の軟骨を買って、我が家に午後1時半位に戻りました。我が家の近くの土手の道に、カタツムリが迷い出ていました。自転車か何かに引かれたのでは無いでしょうか、殻が一部壊れていました。取り敢えず草の中に写してやりました。
丁度我が家の玄関の戸を開けた時、電話だけのお付き合いの女性から電話がありました。新型コロナが騒がれ始めてから、これまで電話がありませんでした。電話だけの付き合いですから、何時も長電話になるのですが、今日は2時間近く話してしまいました。新型コロナのこと、安倍政権のこと、都知事のこと、都知事選のこと、同和のこと等々でした。私の生半可な知識も、敬意を示して聞いてくれるので、私も、調子に乗って、ついつい長話になってしまいます。
 夜は、SVマーケットで買ってきた、牡蠣フライ、春巻きなどを酒の肴にして、次男とゆっくり飲みました。

「せせらぎに 雨粒落ちて 波紋の輪 広がる前に 消える運命」
「紫陽花の 大きな花に 雨の落ち 頭を垂れる 姿いじまし」
「笹藪の 笹の子沢山 空に延び 食べる時期は 過ぎたる如し」
「川縁に 常磐露草 ドクダミの 白さを競う 揃い咲きかな」
「石垣の 窪みに落ちる 花片が 星のようなる アベリアの花」
「グランドに 子供の声が 戻ってる 明るい未来 呼ぶ声なりき」
「雨霞 浮き世の穢れ 押し隠し 多摩の流れも 水墨画なり」

〇06月15日

 今日は、梅雨の晴れ間のようです。朝、黒い部分の多い富士が見えました。ほぼ、夏の富士に変わりました。この富士を見て、今日はメモリアルガーデン多摩墓地に行こうと決めました。丹沢と富士が一望出来るのです。
 3日分の洗濯を済ませ、鶏の軟骨を日干しにして、10時には家を出て、よつやさくら公園で準備運動をして、昨日と同じように多摩モノレールの万願寺駅まで歩き、昨日とは逆方向の多摩動物公園駅で降りました。そこから、七生谷戸を歩き、メモリアルガーデンに着きました。墓地の最上部の所に、四阿が有り、見晴台のようになっています。白く霞んだ丹沢と大室山は見えましたが、富士は見えませんでした。最初は、そう思ったのですが、良く良く目を凝らしてみると、大室山の少し左に、黒い影のような富士を見つけることが出来ました。夏の富士山になったから見えたのでしょうねー。多摩、武蔵野、丹沢、そして富士を見ながら、昼食にしました。今日、この場に来ることを決意して、本当に良かったと思いました。
 昼食後、東京薬科大の薬草園も見る事が出来るかも知れないと思いましたが、薬科大は、まだ、閉鎖されたままでした。昨年までは、2ヶ月に1度は、薬科大の薬草園を訪れていたのですが、今年はまだ1度も行っていません。新型コロナの終息を心から願っています。
 その後は、平山季重の道、平山城址公園の展望広場、山ツツジの小径、草広場、猿渡の池、さくらの道を歩いて、公園北中央口から公園の外に出ました。草広場以降は、4,5年振りだったと思います。森の中では、多くの鶏が鳴いていましたが、ホトトギスの鳴き声だけは、直ぐに分りました。その後、直ぐ近くの平山季重神社に参拝し、神社の脇の急な坂道を下りるなど、初めて歩く道を通って、平山城址公園駅に出ました。今日の散歩は終りです。霞んだ富士を見つけたことだけでも、大満足でした。
 家に帰り着くと、燕が餌やりをしている所でした。雛達も随分大きくなりました。巣立ちは何時頃になるのでしょうか、巣立ってしまうと寂しくなります。
 夜は、また次男と軽く飲みながら、晩酌をしました。鶏の剣状軟骨、鶏の膝軟骨、焼き鳥と鶏尽くしとなりました。

「多摩の里 紫陽花の花 満開に 庭も畑も 紫陽花だらけ」
「教会を 取り囲んで 花咲かす 信心深き 紫陽花の花」
「頂きの 黒き山肌 雲の上 霞に負けず 富士の顔出す」
「丹沢と 大室山と 富士の山 一望しつつ 弁当旨し」
「林から 早口言葉 聞こえ来る 特許許可局 ヤマホトトギス」
「叢に 白き虎の尾 咲き始む 頭隠して 尻隠さずなり」

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2020年6月11日 (木)

2020年06月06日

2020年06月06日

 心房細動の手術から、10日過ぎました。退院してからも、8日間経ちました。この8日間、雨の日1日を除いて、毎日せっせと歩きました。毎日1万歩を超えました。私の散歩は、草木の写真を撮ったりしながら、のんびり歩きますので、手術後のリハビリとしては、丁度良かったのではないかと思います。胸の痛みも感じませんし、経過は良好だと思います。酒も普通に飲んでいますし、その意味では、以前の生活に戻ったと思います。
 以前の生活の戻らないのは、新型コロナの方です。老い先が短いというのに、今年に入って、友人と会うことは殆ど無くなり、当然ながら、一緒に酒を飲むことも無くなりました。偶にメールで話をするのが関の山です。なんとも凄まじい経験をする事になったものです。
 今日は、家の前のよつや桜公園で、昼食を取りました。3日程前でしたか、府中における談合事件の関係で、この公園がテレビのニュースに出ました。今年3月26日に完成した、公園の拡張工事の際、業者に予定価格を教えたそうです。悪いことをする奴は、何時でも何処にでも居ますが、この公園が関係しているとは思いませんでした。公園には、談合事件があったとは、書いてありませんからねー。
その後、以前妻と良く歩いた道を、分倍河原まで歩き、高安寺、長福寺を廻って、府中駅まで歩きました。府中駅では買い物も無く、折り返すような状態で、チューバスに乗って我が家に戻りました。
昨夜まで、毎晩のように月を見たのですが、満月の今夜は、月の代わりに激しい雷雨がやって来ました。余りにも凄まじいので、次男と一緒に激しく叩き付ける雨を眺め、雷鳴を聞き、自然の営みの凄さを体感しました。その後、二人で晩酌を始めました。独居老人にならなくて、本当に助かっています。

〇06月07日。

 昼近く、スマホ変な音が聞こえました。娘からのLINEの画像付電話でした。リビングにテントを張った様子を見せてくれました。何か変わったことをしないと、家の中での生活は、単調になってしまうようです。このテントは、以前、我が家から、持って行ったらしいのですが、私は、テントを買った記憶がありません。いずれにせよ、孫達の役にたっているのであれば、嬉しいです。
今日の散歩は、神代植物公園に行きたかったのですが、日曜日なので、人が多いと思って、立川根川公園の方へ歩きました。
 立川根川公園は、桜の時期に歩き、立川運動公園の近くの土手を、細い茎に紫色の花を付けた草花が埋めていました。この草花の名前を、桔梗草と勘違いしてしまいました。後で調べたら、桔梗草の花は、桔梗の花を小さくしたようなのですが、ここに咲いていた草花は、鷺苔のような花でした。未だにこの草花の名前が分りません。今日、この草花は、全て枯れ草となっていました。時の移り変わりを感じながら、ここで昼食にしました。近くにハルシャギク(波斯菊)、別名ジャノメソウ(蛇目草)が、一株だけ咲いていました。以前は、多摩川の河原を埋めていたこともあるのですが、最近は探すのも難しくなりました。
 弁当を食べながら、多摩川の上流を見ると、日野橋を車が通っているのが見えました。日野橋は、昨年の台風19号で、橋桁の1部を流され、修復工事中だったのですが、修復が終ったようです。食後は、残堀川の方へ行く予定だったのですが、予定を変更し、日野橋を渡って、多摩モノレールの甲州街道から高幡不動へ行きました。
 高幡不動は、紫陽花の名所です。山紫陽花が沢山自生していますし、全国から集めた、多くの種類の紫陽花も咲いています。今が丁度見頃でした。八重ドクダミも沢山咲いていました。一重と八重とでは、花の感じがまるで違います。私は、多くの場合一重が好きなのですが、ドクダミだけは、八重の方が良いかなーと思っています。
 全てを見終わって、境内を歩いて居ると、七味唐辛子を売っている店に、木彫りの梟の入れ物が売っていました。それが、4000円と高いのです。暫く見ている、店を留守にしていた小父さんがやって来ました。「この梟の入れもの、4000円は高くない?」と聞くと、「木彫りだからねー、でも最近は全然売れないし、買ってくれるなら3000円で良いよ」と言ってくれました。もう少し粘れば良かったのですが、ついつい買ってしまいました。その後暫く、新型コロナの影響で、商売があがったりだと、愚痴を聞くことになりました。この小父さん、唐辛子売りだけで食べているとは思えませんでしたが、種々生活に困っていることは事実だと思いました。
 帰り、聖蹟桜が丘で、餃子、焼売、牛肉のカルパッチョ等を買い、4時半頃我が家に戻りました。今日も6時過ぎから、次男との飲み会になりました。

「珍しき 日輪擬き 花を見る 南米原産 パッションフルーツ」
「蛇目草 河原を埋めた 年もある 今はひっそり 探すも難き」
「立川と 日野を結んだ 日野橋の 橋桁流した 去年の台風」
「橋桁の 復旧終りし 日野橋を 日野宿めざし てくてく渡る」
「薄暗き 森に一筋 日の光 紫陽花変身 天上の花」
「初夏の風 木の葉揺らして 日の泳ぐ 光りと影に 戸惑う紫陽花」
「小さくも 白きマロニエ 揃い咲き 高幡不動 八重のドクダミ」

〇06月08日。

 昨晩、今朝電話をかけると連絡があり、6時半くらいから電話を待っていたのですが、8時過ぎになっても電話が掛かって来ませんでしたが、8時半過ぎになって漸く電話が掛かって来ました。昨夜、11時頃から爆睡したそうです。那須の方では、一晩中老犬の世話をしなければならず、十分な睡眠が取れないそうです。東京に出て来た時に、その睡眠不足を取り戻しているようです。取り敢えず、今日、17時に神楽坂で会うことにしました。
 折角都心に行くので、都心を歩いて見たくなり、1時間程早めの午後2時半に家を出ました。16時過ぎに市ヶ谷で下りて、お濠の側を歩いて、飯田橋へ出ました。都心の方へ出ていくと、高層ビルが並び立っていますが、東京は、江戸という歴史に上に立っているのだと改めて感じます。17時15分前に、神楽坂に着き、一月振りくらいに妻と会い、そのまま馴染みの中華料理屋「紅龍」に行きました。時間が早いこともあり、客は我々だけでした。料理を色々頼み、私は、生ビールを飲みながら、一月振りの妻との再会と一月振りの外食を楽しみました。生ビールも一月振りでした。妻は、よく眠ったせいか、食欲が旺盛で、羨ましくなる程良く食べました。
 7時半には、中華料理屋を出て、何時も行くコーヒーが飲めるバーに行きました。すると、妻の知り合いでもあり、私も食べに行ったことがあるトンカツ屋の従業員の女性が来ていました。彼女は、誰かと話したかったようで、我々の席に同席しました。その後、彼女の数奇な運命を2時間近く聞きました。彼女は私より一廻りくらい若いのですが、日本の変動期を、実に逞しく生きてきたようです。結局バーを出たのは、9時半過ぎとなり、聖蹟桜が丘に着いた時は、10時40分で、丁度終バスが出たばかりでした。夜風が涼しかったので、聖蹟桜が丘の街の灯と、その上に出た17夜の月を見ながら、我が家に戻りました。「街の灯りが、とても綺麗ね、聖蹟 イエローライト 聖蹟」でした。ジブリの「耳をすませば」のアニメのように、多摩川の鉄橋を、電車が光りの帯となって走るのが見えました。面白い一日でした。

「街の灯りが とても綺麗ね 聖蹟 光りの帯の 電車が走る」
「聖蹟の 街の灯りと 月明かり 見事な協調 月と街の灯」
 
〇06月09日。

 今日は、植物多様性センターと神代植物園、深大寺、水生植物園を歩いて来ました。
 植物多様性センターでは、写真さえあれば、花の名前をたちどころに教えてくれます。現在、名前の分らない花が二つありますので、写真を持って来れば良かったのですが、忘れてしまいました。取り敢えず、情報館の前の栃の木の大木の下で、弁当にしました。斎藤隆介作に滝平次郎の切り絵の絵本「モチモチの木」は、子供達に何度も呼んでやりました。葉を落としたモチモチの木に、星と雪明かりの花が咲く頁へ移る時は、もったいぶって頁を開いたのを思い出します。モチモチの木は、栃の木だったのです。思い出に耽りながら、弁当を食べました。その時本を読んでやった子供達も、50歳前後になりました。私が歳を取る訳です。
 植物多様性センターから、神代植物園に移りました。何時ものように山程の花が咲いて居ました。今は、紫陽花と薔薇が、花盛りでした。私は、この植物園に来ても、人が植えた花ばかりなので、余り感動しないのですが、百合の木と楓葉風の大木を見ると、それだけで満足するのです。天への架け橋のような大木が、元気でそそり立っていると妙に安心するのです。東京タワーやスカイツリーに人気があるのは、人間の祖先が、鳥だったからではないのでしょうかねー。
 神代植物園から、深大寺へ参拝し、水生植物園に花菖蒲を見に行きました。何時もより、花菖蒲が少ないように思いました。神代植物園も水生植物園も、4月の初めから2ヶ月程、新型コロナの影響で閉められていましたので、今慌てて花を植えているようでした。水生植物園の半分以上が、手入れがされないまま放置されていました。新型コロナの影響から、以前の状態の戻すには、まだまだ時間が掛かるようでした。
 帰りのバスに乗ろうとして、深大寺の門前町の方へ行くと、楽焼き屋が店を開けていましたが、お客が2組しかおらず、空いていましたので、生まれて初めて楽焼きに挑戦することにしました。色々と描き方を聞けば良かったのですが、釉薬の使い方も良く分らず描いたため、焼き上がった時のイメージが、私が予想していた物と、全く違っていました。変な梟になってしまいました。隣では、アメリカ人と思われる女性3人が、私が来る前から作業をしていましたが、私の作品が焼き終わっても、まだ、作業をしていました。白い皿に、本を見ながら、日本の風景画を描いていました。良い思い出になるでしょう。
 今日は、久々の地を、ゆっくり楽しみましたので、家に帰ったのは、5時過ぎでした。シャワーを浴びたり、撮ってきた写真の整理などをしていると、直ぐに晩酌の時間になりました。今日から、次男は仕事なので、一人の晩酌となりました。

「子供等と 必死に生きた あの頃が 人生の花 思い出の花」
「何処見ても 花一杯の 植物園 野草の花に 心が動く」
「百合の木の 梢の枝が 雲を抱く 君と一緒に 雲を抱きたい」
「山桜 小さな赤き実 撒き散らし 我が足裏で 潰れる音する」
「植物園 ここで見る君 魅力的 刈られる運命 悪茄子の花」
「バラ園の 親子の像が 愛おしい 薔薇より先に 親子の写真」

〇06月10日。

 今朝、久し振りに我が家から富士を見る事が出来ました。我が家から見えるのは、頂上付近なので、まだ、雪が残っていました。明日から、梅雨入りするかも知れないと天気予報で言っていましたので、ちょっとしたプレゼントなのかも知れません。
 朝から気分が良かったので、今日は高尾山に行って来ました。3密にならないように、ケーブルカーには、一定の人数しか乗せないとテレビで報じられていましたので、乗れるかどうか心配だったのですが、矢張り人出は少なく、すんなりと待つこともなく乗ることが出来ました。
 高尾山は、頂上まで行かないと、富士が見えるかどうかが分りません。取り敢えず頂上まで歩くと、残念ながら富士は見えませんでした。一も楽しみにしている、大山にも雲がかかっていました。頂上付近は、人が多かったので、3号路と5号路の合流地点で食事にしました。かなり多くのベンチがあったのですが、密にならないように、一つのベンチに一人程度でした。頂上まで来るのに要した時間もあり、食事が終った時は、1時半を過ぎていました。
 昼食後は、緑濃い道を歩いて、薬王院へ向かいました。去年もソウだったと思いますが、今年も白い蛾が、大量に発生して、森中を飛んでいる感じでした。そろそろ、薬王院が近くなった頃、婆さん達が3人、一身に写真を撮っていました。「何の写真を撮っているのですか」と聞いたら、「こっちがウメガサソウ(梅笠草)、こっちはムヨウラン(無葉蘭)よ」「気をつけて見ないと中々探せないのよ」と、教えてくれました。確かに気をつけないと、森陰に溶け込んでいるように咲いていました。両方とも、生まれて初めて知った花でした。私は、高尾山にいったい何回登ったでしょうか、トータルすると100回近くは登っていると思いますが、私の目は節穴だったんですねー。
 その後、注意深く土手を見ながら歩いて居ると、後ろからお爺さんが、「良い写真が撮れたかい」と聞いてきました。「婆さん達に教えられて、ウメガサ草とムヨウランの写真が撮れました」と写真を見せると、「良く撮れたねー、ウメガサ草は、頂上付近に結構沢山咲いてたよ」と教えてくれました。その老人は、私より7歳年上で、昭和12年生まれで、今年83歳になるそうです。子供の頃の生き方が似ていたことも有り、子供時代から、新型コロナに至るまで、ケーブルカー乗り場まで話し続けました。とても楽しい高尾山になりました。
 お爺さんとは、ケーブルカー乗り場で別れました。私は歩いて、お爺さんは、ケーブルカーで帰りました。私は、後期高齢者になり、相当年寄りになったと思っていたのですが、そのお爺さんに、「70代なんてまだまだ、急激に年を取って、体力が無くなるのは80代になってからだと言われました。その爺さんは、本当に三浦雄一郎のようでした。私には、手の届かない存在だと思いました。
 帰りの道で、何か面白い花を見つけられないか探しましたが、目に付いたのは、山程咲いていたドクダミ、雪の下、それにマタタビの白い葉だけでした。
 家に帰り着いて、写真を整理しようとしたら、変な所を触ったのか、カメラが全く動かなくなり、写真を取り出せなくなりました。電池が無くなっていたのは分っていたので、新しい電池にしてみましたが、それでも状況に変化はありませんでした。ウメガサ草などの花は、カメラの電池が無くなった後だったので、スマホで撮っていて救われました。カメラが無いと、散歩の面白さが半減します。明日は、修理に持って行こうと思います。

「幾度も 高尾の山に 登れども 初めて出会し 梅笠草かな」
「初めての 出会い取りなす 花婆さん 指さす先に 無葉蘭かな」
「我よりも 多くの人生 生きてきて 今を楽しむ 花知り婆さん」
「注意して 珍しき花 探せども 我が目に入るは ドクダミの花」
「ドクダミに 負けじと路傍に 花咲かす 谷に似合いの 雪の下かな」

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2020年6月 6日 (土)

2020年06月01日

2020年06月01日

〇06月01日。

 今日は朝から雨で、ほぼ一日中降っていました。入院中の4日間と、退院後の2日間の日記をブログに上げました。外に出ることが出来ない時は、どんなことでも良いから、やることがあるのは助かります。その後は、雨が止まないか、窓から外ばかりを見たり、燕の巣を見に行ったりして過ごしました。
 沢山時間があるので、木で梟を作ることに挑戦したのですが、小刀が良く切れないのと、子供の時のように上手に使えなくて、作業を始めたら直ぐに、指に怪我をして、梟作りは止めたのです。
夕方、ほんの少しだけ、雨が止んだ時間があったので、近くの西友まで買い物に行き、アサリ、貝柱、鰯の刺身を買ってきました。どうしても、ワインが飲みたくなって、ワインの摘まみを作る材料を買ってきました。少し早いですが、今日から酒を解禁にしようと思ったのです。
家に戻り、アサリバター、貝柱のアヒージョ、鰯のカルパッチョを作り、飲み始めようとしたら、次男も参加して、自分なりの摘まみを作り、一緒に飲み始めました。1週間ぶりの飲み会となりました。久しく、ワインも飲まず、イタリア料理も食べていなかったので、特別に美味しく感じました。今日は、ノンアルコールでの付き合いではなかったので、次男も気分が乗って、とても楽しい飲み会になりました。次男の会社が、以前のように仕事が増えるのには、まだ少し時間が掛かるようで、次男は、4連休だったのです。
飲み始めた所に、娘から電話があり、私の術後の経過を聞いてきました。でも、行く先の短い爺さんのことは、どうでも良いので、今日から学校が始まった孫達のことを聞き返しました。孫達は、思った以上に元気で、学校に行ったそうです。上の孫も末の孫も1年生ですから、学校が始まれば新しい環境に、新型コロナなど吹っ飛んでしまうかも知れません。一番可哀想なのは、孫娘のようです。合唱コンクールも開催されないようですから、集まって練習することも無く、目標を無くして、凄く気落ちしているようです。なんとか乗り越えて欲しいと願うばかりです。

〇06月02日。

 今朝は、曇り空でしたが、天気予報では、昼頃から晴れ間が出て来るというので、12時頃から散歩に出ました。
 四谷さくら公園で、準備体操をして、土手より内側の道を歩きました。最初に、四谷小学校が出て来ました。凡そ3ヶ月の休校が終り、教室に電気が点いていましたし、門に守衛も立っていました。12時半を過ぎていたので、生徒の姿は見えませんでしたが、恐らく午前中だけの授業だったのでしょう。現在の人間の生活は、長い歴史の結果です。新型コロナで、歴史の果実を壊されたくありませんねー。
 キューピーの工場の横の公園に行くと、烏が数羽、大声で鳴いていました。何事かと思ったら、公園の池に、生まれたばかりのカルガモの子が2羽泳いでいました。この小鴨を、烏が狙っているようです。私がこれまでに見た小鴨の数は、普通5羽以上なので、既に何羽か食べられたのかも知れません。お婆さんとお母さん、そして女の子が、小鴨が烏に襲われないように見守っていて、池から離れられないようです。私も、池の側で弁当を食べながら、彼女達と一緒に、小鴨を見守りました。弁当を食べ終わった頃には、烏は居なくなりました。しかし、お婆さんは、人が居なくなれば、烏が戻って来ると言って、池から離れようとしませんでした。そこに、都合が良いことに、市役所から委託された、池掃除の人がやって来ましたので、お婆さんが、池掃除の人に事情を話すと、池掃除の人は、「市役所にどうするか話してみるし、暫くは私が守ります」と言ってくれました。それを聞いて、私は散歩を続けることにしましたが、お婆さん達は、まだ離れられないようでした。散歩をすると何かに出会います。だから、散歩は楽しいのですねー。
 中河原公園の棗は、芽吹きが終り、沢山の蕾がついていました。この頃から青空が見え始め、郷土の森公園に続く緑道の、花達が輝き始めました。何よりも、長く続くツツジの植木に出来た蜘蛛の巣団地が、宝石売り場に変わっていました。私の写真の腕では、この美しさを写すことは出来ないのですが、何枚も何枚も写真を撮りました。本当の美しさは、頭に中に残っているので、それを引き出す手がかりになれば良いのです。
 郷土の森博物館に行ってみると、開館されていました。プラネタリウムや歴史資料館等、屋内の施設は未だのようでしたが、公園の方は、今日から入れるようになったようです。しかし、今日は結構長く歩きましたので、心臓に無理をさせないように、明日出直すことにしました。今日は、郷土の綜合森運動場の方を、軽く回って、チューバスで我が家に戻りました。
 夕方のニュースを見ていたら、今日の東京の感染者が34人とかなり増えたので、東京都としては、今後の対応を緊急に協議し、夜のニュースでは、東京アラートが出されました。現在の自粛緩和政策に影響は無いが、再度、自粛を要請することにならない為の注意喚起だそうです。
それにしても、新型コロナの状況を示す、感染者の数とか、色々な数字の根拠が未だに理解出来ません。こんなに不確かな数字で、国家の将来を決める事が出来るのでしょうか、新型コロナが始まって以来、胸のもやもやが晴れません。

「多摩の里 ドクダミの時期 到来す 右も左も 白十字の花」
「庭先の 枇杷の実熟れて 食べ頃に 種の大きな 昔の枇杷の実」
「雨受けて 頭重たく 項垂れる 太陽が好き 夾竹桃の花」
「親を追い 池に下りたる 小鴨達 登るは難し 低き岸でも」
「烏等が 小鴨よこせと 大騒ぎ 小鴨を守る 散歩の人達」
「木苺の 花の下には 実の出来て 赤く色づく 日の待ち遠し」
「緑道に 並んだツツジに 蜘蛛の網 雫を乗せて 虹が目の前」
「草藤さん 君もなかなか しぶといね 紫陽花の時期 君を見るとは」
「梅雨の時期 ブルーベリーを 身につけて 葉は色付きぬ 柊南天」
「初夏となり 背丈を伸ばす 蓮の葉の 水面に映る 若葉の緑」 

〇06月03日。

 今日は、昨日断念した郷土の森博物館に行って来ました。郷土の森博物館の公園をゆっくり歩きたかったので、博物館までは、チューバスで行きました。
 体温を測り、手を消毒して入りました。久し振りに開館したので、もう少し人出が多いかと思ったのですが、人影はまばらでした。以外だったのは、プラネタリウムを除いて、常設展示コーナー、特別展コーナーは見学可能でした。特別展は、「星の風景」、「アジアの焼き物」の展示会が行われており、私がたった一人の観客でした。3密の心配は、何もありませんでした。どの地を避ければ良いのかも知れません。
 公園の中にある浅間山の森の中で、昼食にしました。木の上から、今まで聞いたことが無いような、烏の甘い鳴き声が聞こえてきました。木の上を見ると、2羽の烏が寄り添っているように見えました。繁殖期なのでしょう、雄が雌を誘っているようでした。15分以上、愛の告白は続きましたが、どうやら愛は実らなかったようです。岩の烏が、森の外へ飛んでいきました。
 昼食後、故郷体験館、やすらぎの池、県木園、田圃、梅園と足を伸ばしました。梅園を歩いて居ると、地面に梅の実が転がっていました。最初は、落ちている実を拾っていたのですが、ふと上を見ると、梅の実が沢山残っていました。残っているのではなく、ある種の梅は、まだ梅の採集が行われていないようでした。木のよっては、梅が鈴生りでした。歩いて居る人は居ないし、リュック半分くらい梅の実を頂きました。暫く、梅園を歩いて居ると、5.6人の人が竹竿や竹網などを持って、梅の実を採集していました。新型コロナの影響で、梅の採集が遅れたのかも知れません。あるいは、白加賀という種類が、今が摘み頃なのかも知れません。私が頂いたのは、全て白加賀でした。
 梅園から、水遊びの池、水車小屋を経て、崖上の古い建物を移設したエリアに出ました。今の時期は、公園中紫陽花の花が咲き誇っていますが、この場所は、古い建物と紫陽花の取り合わせが絶妙でした。よい散歩になりました。
 帰りも、チュ-バスを使い、西友で買い物をして、帰りました。特に買う物は無かったのですが、梅を沢山貰ったので、梅酒用の焼酎を買ったのです。4時少し前に我が家の戻り、郵便受けを開けた所、特別定額給付金の申込書が届いていました。国民全員が貰えるそうですから、有難く頂くことにしましょう。

「公園に 移設されたる 藁屋根の 旧家に似合いの 紫陽花の花」
「公園の 緑の大木 仰ぎ見る 簪頭の 紫陽花の花」
「薫風の 流れる森で 昼餉かな 上では甘き 烏の求愛」
「印象画家 モネの感動 分るよな 雨上がりの 睡蓮の花」
「顔程の 大きな花の 花の道 陽光無くとも 綺麗な紫陽花」
「竹林と 水車小屋と 紫陽花と 大和国の 昔の風景」

〇06月04日。

 夜、月は見えるのに、朝、富士を見る事が出来ません。退院してから1週間経ちましたが、一度も富士を見ていないのです。梅雨の時期が近くなり、大気中の水分が増えたせいでしょうかねー。
 今日は、大栗川と多摩川の合流点を廻って、聖蹟桜が丘まで歩きました。関戸橋から、合流点までの土手は、色んな花が咲き誇っていました。特に、オオキンケイギク(大金鶏菊)は、土手の最初から最後まで、長い帯を作っていました。今日は、ウツボグサ(靫草)、ミヤコグサ(都草)、カワラサイコ(河原柴胡)も見る事が出来ました。特に、ウツボグサは、この土手以外では見た記憶が無いのです。
 土手の先端から河原に下りて、合流点の流れと、亀達の甲羅干しを見ながら昼食としました。私の姿を見て、亀達は慌てて水の中に逃げたのですが、私が大人しく弁当を食べているのを見て、また4匹が、石の上に登って来ました。ここの亀は、どんな種類の亀なんでしょうか、甲羅が乾くと真っ白になります。
 昼食を終え、河原から土手に上がり、大栗川の土手伝いに、聖蹟桜が丘に向かいました。大栗川と乞田川の合流点に差し掛かった時、数羽の鴨を見ました。この時期、この近辺には鴨の仲間は、カルガモしか居ません。カルガモは、見飽きる程見ていますので、何気なく通り過ぎようとしたのですが、頭が黒っぽく小さいので、カルガモとは違うようでした。慌ててカメラの望遠レンズで見ると、首に白い輪が有り、真鴨でした。直ぐ側に雌も居て、番のようでした。一帯どうしたのでしょうか。鴨達が、北へ帰る頃、新型コロナの感染騒ぎが深刻化し、外出自粛要請が出されました。鴨達も、その自粛要請に従ったのでしょうか?まさか、鴨が自粛要請に従うわけはないと思いますが、この時期に、日本で真鴨を見るのは、生まれて初めての事です。本当に驚きました。鳥類学会等に報告した方が良いのかも知れませんねー。
 その後、大栗川の土手で、シロチョウソウ(白蝶草)、キバナツメクサ(黄花詰草)、アレチハナガサ(荒地花笠)を見て、今日の散歩を終りにしました。去年まで、多摩河原には、河原を埋める程アレチハナガサがあったのですが、去年の台風による大水で、今年は、殆ど見られなくなったのです。
 夕方、昨日取ってきた梅で、梅酒を作る事にしました。梅酒用の瓶が無いので、5年程前に作った梅酒を、大きなペットボトルに移し、その瓶で、新たな梅酒を作りました。五年前の梅酒の梅は、種を取り除いて、白砂糖と黒砂糖をたっぷり混ぜて、酒の味の濃い梅ジャムにしました。作るのは良いのですが、食べることはありますかねー

「我を見て 草の陰から 顔を出す 心優しき 靫草かな」
「都草 君も一緒に 顔を出す 君等見に来た 我を和するな」
「土手下に 大金鶏菊の 花の帯 大島紬の 数珠繋ぎかな」
「予期せざる 黄色き花の 足下に 土手を彩る 初夏の花達」
「あの花は 大金鶏菊とは 違いそう 何故か初夏に 秋桜の花」
「最近は 人が多いと むくれ顔 ゆっくり甲羅も 干せぬ日多し」
「深緑 化粧替えした 桜木に 小さく赤き サクランボかな」
「あれれれれ まさかあの鴨 真鴨では 我が目疑う 初夏の河原よ」
「真鴨さん 外出自粛を 守ったの ついでに大和の 鴨になったら」
「この川の 小米詰草 どうしたの まるで大豆の 大きさなりき」

06月05日。

 今日は、真夏日になるのではないかと、天気予報の人が言っていました。それでも今日は、6月2日より開園している、昭和記念公園に行くと決めていましたので、薄着にして行って来ました。土日は、密になるかも知れないからです。
 この前、昭和記念公園に来たのは、公園の桜が咲く前でしたので、2ヶ月半近く前になります。大広場や木漏れ日の丘に、公園の人達が育ててくれた花畑の花達は、既に盛りを過ぎていました。来客者の目を楽しませないまま、大半の花が、花から実へと変わっていました。新型コロナは、様々な所に様々な影響を与えました。この公園も、大きな影響を受けました。社会生活の基本である、人と会うこと集まることが、罪悪視されるようになりました。今後、買い物も、食事も、勉強も、仕事も、冠婚葬祭の集まりも、ネットで行われるようになるのかと思うと、背筋に寒気が走ります。戦後から生きてきた年寄りは、身体は動かなくなってきているので、対応せざるを得ないと思いますが、気持は、どうしても対応出来ない社会です。私の場合は、あと3,4年の辛抱です。
 拉致被害者の会の会長を務めたこともある横田滋さんが、今日無くなったそうです。87歳だったそうです。北朝鮮との拉致問題については、以前にも書いたことがあると思います。
小泉総理が金正日委員長と戦後初めて首脳会談を行い、2002年拉致被害者の一時帰国を実現しました。その時の官房長は、現在の阿部総理だったと思います。外交を担当する外務省には、外交に関する暗黙の了解があります。道議よりも実利を重んじると言うことです。その1つに、1度手に入れた物は手放してはならない、将来の約束より現実に手にしたものが大事である、との考えです。この考えに、当時の小泉首相始め、為政者が同意し、北朝鮮との一時帰国という約束を反故にして、拉致被害者を北朝鮮に帰しませんでした。北朝鮮は、戦後、王権的独裁国家になりましたので、何よりも屈辱なのは、王が侮辱されることです。日本は、金正日委員長に、大きな侮辱を与えました。
この件に関しては、外交の原理が日本と北朝鮮では違うので、仕方が無いととも言えるでしょう。欧米諸国は、自分達がその原理を広めたことも有り、日本の取った外交を非難することはしないでしょう。しかし、このような外交の原理を知らない北朝鮮は、日本政府の言葉を信じて、拉致の事実を認め、一時帰国すら認めたのです。それを見事に反故にされました。この時、日本政府の中で中心的に動いたのが、阿部官房長だと思います。その後、拉致問題は、北朝鮮が崩壊でもしない限り、再開出来ないことは、阿部総理が一番良く知っていたでしょう。しかし、阿部総理は、拉致被害者家族に対して、今にも拉致被害者問題が解決するような素振り(米国に頼むとか)で、拉致被害者家族に期待感を持たせて対応しました。このような人を、優秀な政治家と呼ぶべきか、厚顔無恥な人間と呼ぶべきかは、人それぞれでしょうが、私は、無能で厚顔無恥な人間だと思っています。
横田さん夫婦とは、私と妻とで佐渡を旅行した時の帰りの新幹線の中で、1度見たことがあります。勿論、テレビの中では、何度も見ました。拉致問題の解決無く、横田さんは他界しました。北朝鮮という国がある限り、拉致問題は解決しないでしょう。亡くなった横田さんと阿部さんの顔を見比べると、それぞれの心の中にある物が分るような気がします。横田さんは、天性の善人だったように見えます。

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2020年6月 1日 (月)

2020年05月26日

2020年05月26日

〇05月26日。

 今日から、心房細動の手術の為、3泊4日で多摩総合医療センターに入院することになりました。
 10時10分前に病院に着き、入院手続きを済ませて、入院の病棟の8階に行きました。同じ病棟の3階は、4年前胃癌の手術をした時に入院した所でした。3階のテラスで咲き誇っていた、アガパンサスの名前を、この時覚えました。今日は、小さな白い花が、絨毯のように咲いていました。
 昼食を食べて一休みすると、担当の看護士(若い女性―昔は看護婦で良かったのですがねー)から、明日の手術のため、心電図をとってくるように言われました。大人しく言う事を聞いて、取り敢えず心電図を取ってきました。また暫く休んでいると、看護士が、「4時から風呂を予約していますから、風呂に入って下さい。手術では、足の付け根から、カテーテルを入れますので、足の付け根の部分の毛を剃り、良く洗って清潔にして下さい。また、手術は4時間程度と時間が掛かりますので、小水を取るキャップを付けます。その大きさを測って教えて下さい」と言って、小さなバリカンと、大きさの違う丸い穴が幾つも付いた紙を渡されました。先ず、自分の物を穴に差し込んで、丁度良い大きさの穴を探しました。男根の周囲の毛は、バリカンでもなんとか刈ることが出来ましたが、男根そのものの毛は、痛くて痛くて、とてもバリカンで刈ることは出来ませんでした。外で待っている看護士にその事を言うと、やおら風呂場に入ってきて、私の男根を掴み、刈り始めたのです。痛いのは、誰がやっても同じで、私が「痛―い」と叫ぶと、流石に止めてくれて、「明日、先生が何も言わないことを期待しましょう」と言ってくれました。ついでに、小水キャップの大きさを調べた紙も渡しました。まさか、このような事をするとは、思ってもいなかったので、少々驚きました。
 風呂の後は、夕食を食べ、テレビを見て過ごしました。それにしても、病院の食事は、味がついているのかどうか分らない程の薄味です。そんなに塩分を抑えなければ駄目なのでしょうか。拷問を受けているような感じで食事をしました。

「男根を 若き乙女に 摘ままれて 晴れの舞台へ 綺麗に散髪」
「心臓の 手術を受ける 前の夜 病院食の 悪口ほざく」

〇05月27日。

 手術は、午後1時からでした。今日、昼食は無しで、12時頃から、手術の準備をしました。先ずは、手術着に着替え、パンツの代わりに褌をして、男根の先に、ホースとバッグに繋がった、コンドーム状の物を付けられました。小水が漏れないように、少し小さい物を無理して取り付けられましたので、これも痛くてたまりませんでした。その後、睡眠剤と痛み止めの入った点滴をしながら、1階の手術室まで行きました。心房細動治療のため、カテーテルを使って、心房に焼き後を作ることが、手術と言えるかどうか、少々疑問ですが、手術と言うことにしておきましょう。手術室では、中心となる先生と、2人の助手が待っていて、私を細い台に上に載せ、裸にして、薄くて冷たいサロンパス状のものを、身体のあちこちに貼り付けました。私が憶えているのは、ここまでで、次に目が覚めたのは、夜の9時過ぎ、入院用の自分のベッドでした。あの世から戻ったような変な気持でした。夕食は取ってあったようですが、食べないで、11時頃までテレビを見て、眠ることにしました。点滴が付いていたので、今度の点滴は、栄養補給だと思いました。ベッドで寝る姿勢を取りましたが、その前に良く寝たので、寝たような寝ないような感じが続き、朝になりました。

「あの世から 生還したよな 目覚めかな あの世の記憶 何も無けれど」

〇05月28日。
 
 朝の4時頃、東の空が白んできたので、はっきり起きる事にしました。やることが無いので、白んで行く東京の空を眺めたり、天上を眺めたり、スマホのフェイスブックやユーチューブを見ながら、時間を過ごしました。
 朝7時に、朝食が運ばれてきました。ご飯、味噌汁、卵とじ、お浸し、牛乳でした。昨日も書きましたが、食事が何の魅力もありません。これは、本当に地獄のようなものです。スーパーやコンビニで売っている弁当が懐かしくなりました。しかし、心臓を手術した翌日、こうして食事が出来るのですから、贅沢は言えません。
 9時頃、回診というのでしょうか、主治医と手術病棟での主治医と、手術の担当医がやって来ました。口々に、「お加減はどうですか、少し熱が出たり、胸が痛くなったりすることがありますが、心配することはありません。旨く手術は終りました。」と言ってくれました。その時点では、なんとも無かったので、私も「極めて快調です。ありがとうございます」と答えました。
 所が、その後看護士がやって来て、熱、血圧、血液中の酸素濃度を測ると、熱が37度近くありました。更に胸の所が、息をする度に痛くなりました。しかし、体調は、それ程悪いと思いませんでしたので、終った点滴を外して貰い、小水用のバッグも外して貰うことにしました。コンドーム状の物が、男根に張り付いていて、剥がして取るのに、凄い痛みを味わうことになりました。しかし、随分楽になりました。カテーテルを入れた部分に痛みは無く、歩くことは何の不自由もなかったのです。
看護士は、午後にもやってきて、同じ事をしましたが、熱は37度7分まで上がっていました。胸の方は、息をしないでも痛みが出て来ました。午前中先生方が言っていたのはこの事だったのだと、特に問題にしないで、過ごしました。しかし、夕食後、胸の痛みが酷くなり、ベッドに横になると痛みが増しました。9時頃までは、必死で我慢したのですが、とうとう我慢出来なくなり、夜勤の看護士を呼んで、痛み止めの薬を頼みました。看護士は、勝手に薬を出す事は出来ないらしく、当直の医師を呼んでくれました。来てくれた医師に事情を話し、薬を頼むと、「熱も痛みも何れ治まるよ」と言いつつ、鎮痛剤を出してくれました。この薬は、良く効いて、30分後には、胸の痛みがかなり収まり、それで安心して、10時には、眠りに入ったようです。起きたのは、夜中の2時で、トイレに行ってまた寝ました。今日は、本当に不安な1日でした。でも、スマホに妻からのメールが入ってきて、これが私を勇気づけてくれました。「持つべき者は妻だ」と感じました。

「助けてよ 寝ても起きても 胸痛む そうだ昨日は 心臓手術」
「助け人 スマホの中に 現れる 痛み和らぐ 妻の応援」

〇05月29日。

 退院の日になりました。朝6時に起きて、7時に朝食を食べ、8時に看護士が来ました。胸の痛みは収まり、熱も36度6分まで下がりました。そこで、最後まで身体に付けられていた心音を聞く機器を外して貰い、褌と手術着から、普通の下着と寝間着に着替えました。その直ぐ後に、先生方が、回診してきましたので、昨日1日の痛みによる辛さと、今日それが無くなったことを伝えました。先生方も笑顔で、「今日で問題なく退院ですね」と言ってくれました。
 その後、寝間着から普通の洋服に着替え、手術した心臓の写真を貰い、退院後の生活の仕方について説明を受け、アンケート等に答え、退院のための事務処理をして、9時半には、病棟を出ました。
 バスを乗り継いで、10時半には、我が家の近くのバス停に着きましたので、今回の病院への紹介状を書いてくれた近所の「よつやクリニック」の小川先生を訪ね、手術の成功を伝え、お礼を言いました。小川先生には、胃癌の時も紹介状を書いて貰いました。命の恩人です。
 家に帰ると、何時もは寝ている次男が起きて来て、私の顔を見て、安心したようでした。その後、病院に持って行った荷物を片付け、西友に買い物に出かけました。入院する前に、野菜や果物などを食べて整理したので、買い足しに言ったのですが、買い過ぎました。手術後1週間は、重い物を持つなと言われたのに、かなりの重さになりました。リュックを背負うと、心臓が止めろと言っているのを感じました。
 昼は、西友で買ってきた税抜き298円の弁当でしたが、とても美味しく思いました。しかも、この弁当は、私の2食分なのです。安上がりですね-。食後、四谷橋を往復しました。雲がとても綺麗だったのです。まだ無理は出来ませんが、多摩河原の空気を胸一杯に吸って、病院生活は終ったのだと痛感しました。
 家に帰ってから、梟を2羽作り、パソコンのメールを確かめ、娘と友人と妻に電話しました。これで、本当に一区切りとなりました。夜は、本来ならば、次男と飲みたかったのですが、残念ながら流石に退院した日に、退院後の生活の仕方を破ることは次男も賛成せず、飯だけを食べる寂しい夕食となりました。

「昨日の 胸の痛みが 嘘のよう 早く逃げたし 病院生活」
「事務的に 入院生活 終りにし 我が家に戻りて 敷居を超える」
「病院と これ程違うと 思わざり 我が家から見る 白き夏雲」

〇05月30日。

 洗濯をし、朝食を食べ、掃除をする等、日常の生活が始まりました。ベランダの草木に水を遣っていると、レモンの木に10個程のレモンの実を見つけました。問題なく大きくなって欲しいと思いました。四方に広がったランタナの花が満開になりました。残念ながら、富士は見えませんでしたが、多摩川の流れや七生丘陵の緑は、何も変わっていませんでした。
 私の階にある燕の巣には、入院する前から、親鳥が卵を温めているようなのですが、食事を持って来るはずの相方の姿を見かけません。雛が孵化するのに、こんなに時間が掛かったか、正確には覚えていませんが、何か変な感じがします。まさか無精卵では無いでしょうねー。
 昼過ぎに家を出て、四谷橋を渡った対岸の土手で、雲を見ながら弁当を食べました。昨日も雲が綺麗でしたが、今日も夏らしい雲が出ていました。聖蹟側の土手から、府中市側を見ると、昨日まで居た病院の位置は、大凡分るのですが、病院の建物を特定することは出来ませんでした。
 食後、小野神社経由で聖蹟桜が丘へ行きました。駅の方に行くと、今まで閉まっていた宝籤売り場が開いていたので、早速ロト6を買いました。細い路地を通って、京王デパートに行くと、今日からデパートが開業したようです。私が、入院した日から、非常事態宣言が解除され、街に活気が戻っていました。この状態が、当たり前になって欲しいとつくづく思いました。
 今日は、古いボールペンの芯を買おうと、2本のボールペンを持って行きました。30年程前に、メキシコで貰ったボールペンでしたが、昨日整理していたら、全く書けなくなっていました。他にもボールペンは沢山あるので、捨てれば良いのですが、それが出来ないのが私の性分です。自分では探せないので、文房具売り場の店員に、ボールペンを見せて、替え芯があるか聞いてみました。すると、あれこれ調べて、ちゃんと見つけてくれました。1つは、外国製で800円、もう一つは日本製で200円、消費税を入れて1100円でした。とても満足感のある買い物でした。
 最後に京王ストアに寄り、弁当とアルコール0のビールを買いました。普段は、馬鹿にしているのですが、今の私には必要です。その後、バスで我が家に帰りましたが、少々、疲れました。疲れたと言うより、心臓の動悸を強く感じるのです。人間の生命維持のために最も重要な臓器の1つである心臓に、火傷のようなものを沢山付けたのですから、当たり前と言えば、当たり前なのです。それにしても、医学の進歩には敬服します。しかし、その多くは、心身の弱者と老人のためのような気もします。正常で命の力が漲った若者には、必要では無いのかもしれません。病気にならない人間に、医者は必要ではありませんから。
 日本を含めた先進国では、弱者救済は常識的な考えになっています。それは社会が裕福になったからです。裕福とは、その社会で暮らす人の殆どが、食べて生きていけると言うことです。そのような社会を維持する仕組みが、出来上がっていると言うことです。裕福で無い社会では、弱者や老人は、切り捨てられてしまうのです。以前の日本には、稼げない子の子殺しも、稼げなくなった親の姥捨山もありました。日本は、良い社会になったものです。私など多くの老人は、働かずとも、年金で食べることが出来るのですから。しかし、裕福な社会の仕組みを維持することは、容易でないことを、今回の新型コロナは、教えてくれたようです。もう一度、裕福とは何か、どの様に仕組み(経済)を維持していけば良いか、国民全員が考える必要があると思います。
昨晩、自宅で酒も飲まずに夕食をして、形だけでも、必要だと改めて感じました。お陰で、今日の夕食は、小さめではありましたが、買って帰ったちらし寿司を完食しました。私に取って、買って来た弁当は2食分なのですが、酒の肴として食べると、弁当だけでは足りなくなるのです。結局秋刀魚を1匹焼きました。アルコール0のビールが、ちゃんと酒の役割をしてくれました。習慣というのは、ある意味恐ろしいものです。途中から、次男も加わり、昨晩とは違って美味しい夕食になりました。

「レモンの木 小さな小さな 実を付けて 一緒に膨らむ 明日への希望」
「ベランダの ランタナの花 満開に 我の帰りを 祝うが如し」
「只一人 一緒に暮らす 我が次男 我の復帰を 祝い乾杯」

〇05月31日。

 とうとう5月も終りになり、梅雨の時期が近づいてきました。外出自粛のまま、色んな公園も開園しないまま、梅雨になるのではないかと心配していましたが、公園や美術館などの開業も始まったようです。どうか第2波が始まることの無いよう祈っています。
 昼過ぎ、チューバスで、府中駅の方へ行きました。愛用の靴の靴底を修理して貰うためです。この靴は、イタリアに居た時、フランスに旅行し、フランスで買った物です。皮がしっかりしていて、靴底以外は、傷みが殆ど無いのです。これまでにも2度程、靴底の修理を頼みました。その店に、また持って行きました。順番も有り、修理が終るのは、2時間後の、3時頃だと言われました。昨日の、ボールペンと同じく、私は、断捨離が出来ない性分なのですねー。
そんな訳で、時間潰しに、府中公園へ行って昼食を食べ、そこから、現在の四谷に移るまで住んでいた幸町の方へ、歩きました。この辺りは、変化が少なく、栗畑も残っていて、何処も懐かしく思いました。幸町の宿舎も、全く変わっていませんでした。宿舎の北側は、農工大の農学部です。新型コロナのためにキャンパスには入る事が出来ないかと思ったのですが、非常事態宣言が終ったからでしょう、入ることが出来ました。農工大のキャンパス訪問は、3年振りくらいでしょうか、馬場も、試験農場も、校舎も何の変わりもありませんでした。正門から欅並木の向こうに見える、時計台付の校舎は、何時見ても感動します。農工大を出て国分寺通りを歩くと直ぐに、府中刑務所の入口が有り、更に歩くと、以前お世話になった医王病院が見えました。心臓の手術で命を貰ったせいでしょうか、何もかもが懐かしく思えました。それにしても、府中という街は、武蔵総社の大国魂神社あり、東芝、NEC、サントリーの工場有り、競馬場、競艇場有り、多摩霊園、浅間山有りで、本当に面白い街です。その街に、もう25年近く住んでいるのですねー。府中が故郷になりました。
その後、府中駅の方へ戻り、「おかげさまで ありがとう」と言っている梟を買って、浜喜屋という魚屋で、今晩のために刺身と岩牡蠣を買って、3時15分前に、靴の修理屋に行ってみました。既に修理は終っていて、最後の靴磨きをやっている所でした。5分後には、靴を受け取り、2時59分発の我が家方面へ行くチュウバスに充分間に合い、3時40分には我が家に戻りました。
夕食の仕度が終り、飲み会を始めようとした時に、妻から電話があり、「退院後の調子はどう」と声をかけてくれました。「毎日少しずつだけど、良くなっているのを感じる」というと、自分のことのように喜んでくれました。その喜びが、私には嬉しいです。
夜は、次男と一緒に、テレビを見ながら、私はノンアルコールビールですが、次男は日本酒で、飲み会となりました。新型コロナのこと、テレビの「麒麟が来る」など何時ものように話をしましたが、今日は、次男も燕のことが気になっていることを知りました。二人して、雛が無事に孵ることを願いました。話は色々しましたが、片方がノンアルコールだと、矢張り盛り上がりに欠けますね-。

「人生の 三分の一を 府中にて 老いて作りし 第二の故郷」

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