« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »

2020年5月

2020年5月25日 (月)

2020年05月21日

2020年05月21日

〇05月21日。

 今週になって、一度も太陽を見ていないような気がします。なんだか梅雨入りしたようです。それに、昨日も今日も、5月下旬とは思えないほどの寒さです。昨日は、雪が降った所もあるそうです。去年の5月は、暖かかったように記憶しているのですが、地球の気候は、どうなっているのでしょうか。地球温暖化の影響で、毎年少しずつ暖かくなっていくと思っていたのですが、矢張り、地球上の現象は、多くの予期出来ない事象を伴いながら、進行するのでしょうねー。
 今日は、朝方雨が降っていたので、外出自粛に従うことになるのかなと思っていましたが、昼前から雨は止みましたので、昼食後、四谷橋から、浅川、石田大橋を回ってくるコースを歩いてきました。色々な草木が、雨に濡れていて、雨に後らしい雰囲気がありました。「ここに日差しがあれば」と、つい思ってしまいました。途中、ほんの少しだけ藪漕ぎをして、浅川の河原に出ました。ズボンが、膝の上まで濡れてしまいましたが、ちょっとした冒険でも心が躍りました。
 石田大橋の所まで来たので、SVマーケットにより、何時もの鶏の軟骨と、手羽中を買い、ついでに宝籤(ロト6)を買いました。正直言うと、宝籤を買うのが、本当の目的でした。府中駅前や聖蹟桜が丘では、宝籤売り場が閉まっているのです。これまで、週1回は、必ず買っていましたので、買えないと夢を描くことが出来ないのです。
 4時半頃に、我が家に戻りました。写真などの処理をした後、買って来た、鶏の軟骨と手羽中の処理を済ませると6時過ぎになり、晩酌の時間になりました。 踝の軟骨は、唐揚げ粉を塗して、私は手軽なオーブントースターで焼きます。足の付け根の軟骨は、塩もみして一晩おき、明日日干しにします、日が出るかどうかは、難しいですが、明日には、オーブントースターで焼きます。手羽中は、手作りの汁に浸けて、2,3日冷蔵庫で味を馴染ませます。従って、今日食べられるのは、踝の軟骨だけでした。何時食べても美味しいし、身体の軟骨の減少を遅く出来るそうです。直接軟骨を食べるのですから、少しは身体の役にたってほしいものです。次男が仕事なので、一人酒です。
酒を飲みながら、テレビを見ていると、大阪圏の非常事態宣言が解除されました。しかし、東京圏と北海道は、まだ継続です。完全解除になっても、新型コロナの感染防止対策は、続けなければいけないそうです。これでは、経済の回復には結びつかないでしょう。なんとかして、感染が怖くない状態までにしなければ、怖さによる外出自粛は続き、多くの人間の経済への参加は、以前のように戻ることは無いでしょう。

「寒ければ 豚菜も花を 閉じるなり 初夏に吹くかな 早春の風」
「蜘蛛の網 銀の雫を 受け止める 見栄え良けれど 蜘蛛には迷惑」
「土手に咲く 赤詰草の葉 銀の粒 花より玉の 雨の後かな」
「多摩の里 天下征した 草藤も 天下手放す 最後の一花」
「雨受けて 花片乱れる 春紫苑 何時もと違う 濡れそぼつ君」
「川岸に ズラリと並ぶ 鬼胡桃 今は大事な 子育ての時期」
「雨避けて 木の葉にぺったり シジミ蝶 蝶も吃驚 初夏の氷雨よ」
「砂利河原 小待宵草 根を下ろす 月を見るには 特等席なり」
「浅川に 大金鶏菊の 花盛り 大和国は 住みよき国や」
「繊細な 移ろう季節 演出す 路傍の花の 栄枯盛衰」
「軟骨の 唐揚げ旨し 一人酒 老いて役立つ 男の料理」

〇05月22日。

 今朝も曇り空でした。昨日は、冬を思わせるような寒さでしたが、今日も同じような1日のようです。雨は降りそうになかったので、今日は、窓から見える風景の中を歩いて来ました。新型コロナによる外出自粛が続いているので、玄関の石の梟の数が、20羽近くに増えました。家を出る時、帰ってきた時、梟達を見るのが楽しくなりました。梟を作る材料の石は、目の前の河原で、梟になりそうなものをいくらでも探すことが出来ますし、石に目をかくだけで梟になりますから、作るのはとても簡単です。そろそろ止めないと、玄関全てが、梟の宿になってしまいそうです。
昼食後散歩に出て、四谷橋を渡っていると、我が家の前の河原の森を見たら、川岸の枯れ木に大形の鳥が止まっていました。格好から見て、雉に違いないと思いました。カメラの望遠レンズで見ると、間違いなく雉でした。今年は、色んなとことで雉を見ました。八王子の恩方地区の浅川には、かなりの数の雉が居ました。その恩方地区が、昨年の台風で、大きな被害を受けたようなので、雉達が多摩川に居を移したのかも知れません。
四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出ました。以前、浅川と多摩川の合流点の三角州がありました。この三角州に行くには、どうしても浅川を渡る必要があり、かなり遠回りしなければなりませんでした。しかし、1昨年だったか、浅川の流れが変わり、この三角州は、河原の一部になりました。その時から、河原の中に、小さな緑の小島が出来ています。その小島から、雉の鳴き声が聞こえました。最初は、行く積もりはなかったのですが、雉の声に誘われて、緑の小島に行ってみました。小さな島なのですが草が深く、雉を探すには、それなりの藪漕ぎをしなければなりませんでした。2日連続の藪漕ぎでした。残念ながら、雉を探すことは出来ませんでしたが、草藤と月見草の花畑を見せて貰いました。
浅川の土手から、落川交流センターへ行き、森や蛍の池などを見て回りましたが、人っ子一人居ませんでした。更に浅川を渡り、百草地区の昔道を歩いて、旧家と新しい住宅のアンバランスを見ながら、時の流れを感じました。その後は、七生丘陵から百草八幡を回って、4時過ぎに我が家に帰ってきました。
燕の巣には、燕が常駐するようになりました。卵を温めているのだと思いますが、前にも書いたように、中途半端な小さな巣で、雛が巣立ちをするまで、この巣で育てることが出来るか、他人事ながら、非常に心配しています。

「玄関で 増え続ける 梟の 目が追いかける 我の出入り」
「多摩河原 枯れ木に止まる 雉見つけ 爺も歩けば 出会いに当たる」
「河原から 雉の鳴き声 聞こえけり 河原の小山に 新たな出会いか」
「草深き 緑の小島に 逃げ込みし 雉を尋ねて 藪漕ぎ進む」
「雉達の 油断無ければ 出会い無し 我を慰む 初夏の花達」
「砂利の中 飛燕草では あるまいか 小さな身体に 花の一輪」
「背の低き 栴檀の花 目の前に 改めて知る 花の綺麗さ」
「親の木に 纏わり付いて 吸い葛 親木隠して 満開の花」
「多摩の里 あちらこちらに 白十字 始まりましたか ドクダミノ時期」
「梅雨草と 呼びたくない程 艶やかな 庭先に咲く 紫梅雨草」
「山ツツジ 森陰でこそ 美しい 思い出すかな 故郷の山」
「長翅の 小蝶舞い寄る 雪の下 突然顔出す 草の陰から」
「草陰に 黒き刀の 並び立つ 花咲き終えし 烏の豌豆」
「晩春の 森の小径に 花の落ち 親のエゴノキ 早や深緑」
「ブルーベリー 花は早くも 実となりて 膨らみ増して 摘人を待つ」
「時来れば どんな荒れ地も 物とせず 黄花咲かせる メキシコ万年草」
「行儀良く 並んで下がる 鳴子百合 普通の百合が 傲慢に見ゆ」

〇05月23日。

 今日は、この前業務監査をした市川の学園の、理事会、評議員会が行われる日でした。昨年度の締めくくりの日でした。朝9時から会議が行われるというので、朝6時半に我が家を出て、学園に9時15分前に着きました。
 早速9時から、会議が始まり、事業報告、会計報告、監査報告、学事報告、新年度の理事、監事、評議員の推薦・承認、新型コロナへの対応などが、報告及び討議されました。私も、あと2年監事を引き受けることになりました。余り役にたっているとは思えないのですがねー。許して貰いましょう。
 他の業種に較べれば、学校経営は、比較的楽なように見えますが、私学は学校として魅力が無ければ、生徒が集まらず経営破綻する恐れがあります。特に、今回の新型コロナのように、学校における授業が出来なくなると、その対応によっては、生徒を失うことも有り得るのです。そんな訳で、今日の会議は、5時間近く真剣に報告、討議が続きました。毎日、散歩くらいしかしない私に取って、かなりハードな一日でした。しかし、私には、この学園に於いて運営に携わっている教員や事務員は、相当優秀だと思います。恐らく、この難局を適切に乗り切ってくれるでしょう。
 今日は、この前届いた阿部のマスクをしていきました。皆の評判のように小さくて、注意をして位置を直さないと、マスクをしても、鼻が出たり、顎が出たりします。何れの場合も、マスクを通さず、空気が直接鼻や口に入ります。これでは、息苦しくならない利点はありますが、感染予防にはならないのではないかと思います。今後使用するのは、止めようと思いました。
 結局、4時近くに我が家に戻り、今晩は、休みになった次男と、ゆっくり飲むことが出来ました。阿部のマスクの使い心地を話すと、次男も納得したようでした。お笑い芸人の一人は、阿部のマスクが届いた時、眼帯かと思ったそうです。お笑いでは無く、真実ではないかと思います。

〇05月24日。

 今朝起きると、久し振りに富士が見えました。単に富士が見えるだけで、こんなにも心が弾むものでしょうか、誰かが創作したような、神様は止めて、自然にあるもので、生きる力を得た方が、良いことだと思います。人間の誰かが作ったものには、必ず嘘か間違いが混じっています。神も、所詮は人間が作ったものです。朝、顔を出した富士も、瞬く間に雲に覆われました。自然の成り行きならば、これはこれで良いでしょう。
 今日は、3日振りでしょうか、弁当を持って散歩に出かけました。歩いたのは、最近歩いた所を、少しだけ脇道にそれただけでした。四谷橋、浅川の河原、浅川の土手、新井橋、向島用水親水路、向島緑地、高幡橋、大木島自然公園、土方歳三記念館、石田大橋、SVマーケット、西友と歩いて来ました。
 我が家の近くのジューンベリーの実が、朱く色付いてきました。ジューンベリーは、アメリカザイフリボク(采振り木)と言い、ザイフリボクは、別名シデサクラ(四手桜)と言うそうですから、ジューンベリーは、サクランボの一種かも知れませんねー。
 四谷橋を渡って、一昨日と同じように河原に入り、程久保川と浅川の合流点にあった仙人の花畑に行ってみました。4,5年前の台風で、この花畑は砂に埋まり、それ以降、仙人が花畑の手入れをしなくなりました。現在は、犬麦などを始め、多くの野草で覆われていて、まるで藪漕ぎをするような感じでした。「河原を勝手に使わないように」と警告していた国土交通省にとっては、良い結果だと思いますが、私は、少し残念に思います。仙人は、若しかしたら亡くなったのかも知れません。ここ数年見たことがありません。仙人の花畑の近くには、多くの鬼胡桃の木があって、1度、仙人から、レジ袋2つ分の鬼胡桃を貰った事があります。今でも時々、その鬼胡桃を割って実を取り出し食べています。鬼胡桃の実を割るのは、かなり難しく危険なのですが、自然の木の実を食べる誘惑には勝てません。今日は、仙人の花畑の横にある広場のベンチで、仙人を思い出しながら、昼食にしました。ベンチの横には、桑の大木がありました。桑が、こんなに大木になるとは知りませんでした。
 昼食後、浅川の土手を新井橋まで歩いて、その後向島用水親水路を歩きました。短い道なのですが、水車があったりします。親水路の終点、浅川からの取水地点に向島緑地が残っています。親水路や別の道で高幡不動に行く時、何度も横を通っているのですが、向島緑地に入ったのは、初めてでした。お義理程度の小さな森でした。
 向島緑地から、更に浅川を遡り、高幡不動には寄らないで、高幡橋を渡り、住宅地を歩いて、大木島自然公園へ行きました。今日は、裏から入り、表側に回りました。日の光を透かす百合の木の葉に、別の葉の陰が、とても可愛い模様を作っていました。公園の端を流れる用水路を辿って歩いて居たら、何時の間にか土方歳三記念館の前に出ました。何時も日曜日に開館するのですが、今日は、新型コロナの影響でしょう、閉まっていました。
 最後は、石田大橋を渡り、SVマーケットに寄ってロト6を買い、4時半に我が家に戻りました。
 今日も夜は、次男と一緒に楽しい酒を飲みました。

「ご近所の ジューンベリーの 色付きぬ とても可愛い サクランボかな」
「緑野に 星雲擬き 庭石菖 明星並に 輝いており」
「仙人が 手塩にかけた 花畑 重なる嵐に 野草の天国」
「我の手に 虫の幼虫 散歩する 小さな小さな 命の動き」
「青空と 緑の木々と 白雲と 何日振りか 命輝く」
「久し振り 土手下の道 馬走る 手綱を捌く 見知りの女性」
「白枯れし 烏麦の穂 風に揺れ 箆大葉子と 肩を寄せ合う」
「花よりも 綺麗でないか 矢車草 キラキラ光る 花の跡かな」
「犬麦の 我の天下と 穂が光る 何時になったら 大軍引くや」
「親水路 水車の横に 密生し 華を添えける 常磐露草」
「いち早く 花の季節は 過ぎ去りて 実が鈴生りの 土佐水木かな」
「百合の木の 木の葉に映る 他の葉の 陰が可愛い 絵本の世界」  
「見飽きたる 姫蔓蕎麦の 丸き花 光の加減で まるで別花」

〇05月25日。

 今日も富士山が、幽かに見えました。明日から、心房細動の手術をするため、4日間入院します。
 今朝、妻より電話があり、あれやこれやと1時間以上話してしまいました。その後、入院する病院から、私の身体の状態をチェックする電話が入りました。新型コロナに、感染している傾向がないかを確認したかったようです。暫くしたら、大学時代の同期で山の仲間でもある友人から電話があり、20分近く話しました。今日午前中は、入院前の身辺整理をするつもりだったのですが、時間が少なくなりました。取り敢えず、洗濯と掃除と水遣りだけをして置きました。
 12時になったので、外で弁当を食べるため、家の前の河原に出かけました。雉と会えるかも知れないと、淡い期待もあったのです。弁当は、美味しく食べましたが、雉の声はしたものの、雉と会うことは出来ませんでした。
 午後は、持っていくものを確認し、リュックに詰めて、大急ぎで日記を書き、ブログに上げました。若しかしたら、生きて帰ることが出来ないからです。若し死んでも、余り気にしないで下さい。麻酔して手術している間の死は、安楽死のようなものです。日本では、望んでも得られないような死に方です。充分生きて、充分歳を取りましたので、生きることに未練はありません。新型コロナ以後、世界や日本が、どの様に対応していくのか、興味はありますが、私自身が、復興に大きく関与することはないと思います。

「多摩河原 我が家背中に 昼餉かな 今日は日よけの 四谷橋かな」
「雉見たし 期待抱きて 来たものの 声はすれども 姿は見えじ」
「老いたれば 身体の器官に ガタが来る 胃と目を手術 今度は心臓」
 

| | コメント (0)

2020年5月21日 (木)

2020年05月16日

2020年05月16日

 〇05月16日。

 昨日は、大学のクラブの2年後輩Sの命日でした。他界してから、丸三年になりますねー。昨日、愛宕東公園でバスを待っている時、彼の姉さんから電話がありました。そして今朝、奥さんからメールがありました。二人とも、Sに良くしてくれた友達と会って、思い出話がしたいと言っていました。Sは死ぬ前の5年間程、月に1度は我が家での飲み会に参加していました。この飲み会は、実はSが勝手に日を決めて、仲間を連れてきたのです。強引で豪放な所がありましたが、優しくて涙脆い所もありました。彼とは、本当に長い付き合いでした。Sほど私に甘え、我が儘を通した人間は居ません。みんなと思い出話がしたいですねー。新型コロナの終息が待たれます。年寄りは、思い出話が出来る友達と会って、思い出話をすることが、何より楽しいのです。
 今日は、日記をブログに上げたり、メキシコの思い出話を書いたりして、午前中はなんとか時間を過ごしましたが、午後は、テレビを見て過ごしました。椅子に座っているだけで疲れました。歩いた時の疲れとは違った、嫌な疲れでした。梅雨の時期まで、新型コロナの非常事態が終らなければ、そう思うだけで、気が滅入ってしまいます。
 夜は、酒を飲みながら次男と、録画してあった映画を見ました。良く顔を見る俳優が沢山出ていましたが、名前が直ぐに出て来ないのです。次男に全部教えて貰いました。ボケの域を通り越して、認知症になったのではないかと心配です。自分で心配している間は、まだ救われますかねー。
 ついでですが、花の名前も出て来ない時が多くなりました。ありふれた花の名前が出て来ない時が増えました。更に、思い込みも激しくなり、別の花の名前を今見ている花の名前と思い込んでしまうのです。数日経って、「この前の花の名前は間違っていた」と気づくことが多くなりました。歳は、撮りたくないものですねー。

「しとしとと 音も立てずに 小糠雨 心に広がる 鬱なる気持」

〇05月17日。

 昨日、運動不足であったにも拘わらず良く寝ました。夜、次男と話しながらテレビを見て、うたた寝をしなかったのが良かったと思います。次男が居ない時は、ソファーに座った途端に眠りに落ちたりして、ニュースやドラマの肝心な所を見ないことが多いのです。
 今日は、良く晴れて富士も見えましたし、昨日の欲求不満があったので、武蔵野の森公園、野川公園、武蔵野公園と歩いて来ました。
 武蔵野の森公園は、非常に広い公園で、調布飛行場の南から北まで繋がっています。何時もは、飛田給から、東京スタジアム(味の素スタジアム)から東京外語大の側を通って、修景池のある北側の武蔵野の森公園に行くのですが、今日は、アミノバイタルフィールドを回って、南側の武蔵野の森公園に向かいました。こちら側を歩くのは、何年振りでしょうか、忘れてしまいました。途中、トベラやトベラに良く似た木(多分シャリンバイ)が、共に大きく成長し、満開の花を咲かせていました。更に歩くと、5,6本ではありますが、栴檀並木があり、これも満開でした。栴檀並木を過ぎると、直ぐに武蔵野の森公園に入りました。東京スタジアムや調布飛行場は見えますが、公園そのものは、大した魅力はありません。東京スタジアムを背にして、弁当を食べました。
 食後、幾つものグランドを超えて、管制塔のある調布飛行場の発着所へ行きました。新型コロナの影響が無ければ、多くのスポーツマンが練習している所が見られるのですが、どのグランドも無人でした。飛行機の発着所も、飛行機に乗る人しか入れてくれませんでした。
 飛行機の発着所から、大沢グランド通りを渡って、掩体壕が二つ残っている公園の方へ移りました。調布飛行場は、戦時中、軍の飛行場だったのです。山法師とエゴノキ、栃の木が満開の花を付けていました。この公園が、武蔵野の森公園の一部かどうか分りませんが、一廻りすると、北側の武蔵野の森公園に繋がります。公園の高台から、調布飛行場とその周囲を一望し、野川公園へ向かいました。
 野川公園へは、直ぐ近くなので、ものの5分で着きました。野川公園は、桜の時期に来て、その時も人が多いと思いましたが、今日は更に家族連れが増えていました。しかし、野川公園は、大きな公園ですから、この程度の人では、密とは言えないでしょう。東八道路を越えて、自然観察園の方へ行きましたが、自然観察園は閉まっていました。観察園の横には野川が流れており、ここは子供達で密状態でした。しかし、こういう事でもしないと、子供の精神状態を健全な状態に出来ないのかも知れません。
 野川伝いに武蔵野公園に入りました。こちらの公園は、子供達が遊べる広場が少ないので、人気が無いのでしょう、ほとんど人が居ませんでした。満開のエゴノキの森を見て、今日の散歩を終りにしました。
その後、多磨町駅からチューバスを乗り継いで、我が家に戻りました。郵便受けを見たら、阿部のマスクが入っていました。同じ郵便受けに、「マスク売ります」との宣伝ビラも入っていました。多くの人が言っているように、配賦の時期は遅いし、これで、新型コロナの感染を防げるのかと心配になる程、小さなマスクでした。実質よりも、形だけに拘る、阿部総理らしいマスクでした。
 夜は、今日も次男と飲みました。大河ドラマの「麒麟が来る」を見ながら、明智光秀は、歴史上の主役でも無く、主役を殺すだけが有名な人物のドラマは、どの様に見ても、面白くないとの意見で一致しました。

「我が背をば 遥かに超える 車輪梅 地上に降りた 雲のようなり」
「車輪梅 隣りに並ぶ トベラの木 二つの雲が 地上に並ぶ」
「青空に 薄紫の 花の咲く 栴檀並木の 空へと続く」
「針金に 縋りて空へ よじ登り 我を見下ろす 草藤の花」
「飛行機の 爆音聞きつつ 昼餉かな 島の玄関 調布飛行場」
「公園に 山芋の花 咲き始め 調布の地にも 初夏の趣」
「山法師 薄き花片 日に透けて 白く輝く 花となりけり」
「枝中に 鈴生りとなる エゴの花 花の多さに 何時も魂消る」
「シャンゼリゼ 飾るマロニエ 野川にも 子供が駈ける 栃の花の下」

〇05月18日。

 今日は、天気も悪いし、外出自粛要請に従うかと思っていたのですが、緑内障の薬が少なくなっているので、聖蹟桜が丘の眼科に行くことにしました。
 家を出たのが、12時半過ぎだったので、ブタナがの花が増えた桜公園で体操をした後、水門の近くというか、我が家の前というか、目の前の河原で、昼食にしました。食後立ち上がると、昨年の台風で壊れたコンクリートの中に、芥子の花が咲いて居ました。普通に見られる雛芥子ではなく、場違いな大輪の芥子の花でした。隠された宝を見つけたような感動を覚えました。
 食事までは良かったのですが、土手を歩き始めると、土手の草や花は、全て刈り取られ、草の臭いだけが漂っていました。牧草地で、牧草を刈った後も同じ匂いなのでしょうかねー。途中、雨か霧か分らないような、所謂霧雨が降ってきましたが、傘もささずひたすら歩いて、聖蹟桜が丘へ行き、眼科によって診察を受け、薬を貰いました。病院は何処も時間が掛かり、今日も1時間かかってしまい、西友で買い物をして帰ったら、4時半過ぎになっていました。
 新型コロナの影響もあって、今年は良く散歩をしています。散歩をしながら、6弁の桜を随分探しましたが、まだ出会っていません。梅の場合は、6弁も7弁の花も、比較的簡単に探せたのですが、何故、桜には無いのでしょうか。実は、四つ葉のクローバーも探しているのですが、これも見つかりません。つい最近、テレビで、何故、四つ葉のクローバーが出来るか、解説番組がありました。答えは事故だそうです。クローバーの芽吹きの頃、人間や動物に踏まれたりすると、一つの葉を出す所が二つになったりするそうです。桜とか梅も、蕾が小さい時に何等かの事故にあうと、普通じゃ無い数の花片になるのかも知れません。でも良く分りません。クローバーは葉、梅と桜は花です。しかも梅だけ事故に遭い、桜は事故に遭わないというのも解せない話です。単に、私の探し方の好い加減さによるのかも知れません。

「公園の 黄色き花の 風に揺れ 豚菜の花の ラジオ体操」
「宮殿で 見られるような 芥子の花 多摩の河原に 咲いているとは」
「多摩の土手 草刈り終えて 丸裸 草の香漂う 風の道かな」

〇05月19日。

 今朝は、雨の朝でした。雨の日は、外出自粛要請が無くとも、外へ出る気になれません。子供の頃から、雨の日は憂鬱でした。家の中で、友達と遊ばず、家族の顔だけ見ているのが、好きではありませんでした。学校でも運動場で遊べないし、家に帰ると外に出られませんでした。現在、子供達は、新型コロナの影響で、2ヶ月以上、学校にも行かず、友達とも自由に会えず、家の中に閉じこもった生活を強いられて居るそうです。辛い毎日でしょうねー。家族というのは、血縁の上下関係が有る、社会とは言えない特別の関係です。家族生活は、社会生活ではないのです。学校は、取り敢えず、自分自身で参加出来る、ミニ社会を経験出来る場です。また友達関係は、家族関係と違って、自分自身で作り上げたものです。勉強よりも、この方が大事なのかも知れません。この子達が成長して、どの様な社会を作っていくのでしょうか、若干心配ではありますが、それを見守る年数は、私には残されていないと思います。
 昼前から、雨が止みましたので、今日は自宅で昼食を食べた後、12時半頃から家を出て、チューバスで府中駅の方に行って来ました。特に何か目的が有ったのでは無く、取り敢えず家から出たかったのです。私自身が、前述した子供達より、社会生活をしていないのですから。散歩が社会生活とは言えませんが、散歩の後にする買い物は、社会生活の名残のようなものです。府中駅で、まだ以前の賑やかさを取り戻していない府中駅の周辺を見て、旧甲州街道、清水下通りを歩いて、分倍河原駅まで歩き、またチュウバスで我が家の近くに戻りました。普段の散歩の半分以下でした。
 我が家の近くの西友で、養命酒だけを買いました。昨晩、毎晩飲んでいる養命酒が終ってしまったのです。私は、サプリメントは嫌いなのですが、養命酒は寝酒だと思っています。この他に、私が毎日欠かさず、飲んだり食べたりしているものは、ヤクルト、アロエヨーグルト、グレープフルーツジュースです。グレープフルーツジュースは、私が生のグレープフルーツから絞ったもので、メキシコ時代から続いているものです。ジュースとして売っている物と違って、特別の味がします。

〇05月20日。

 今日は、私が監事をしている、千葉の学園に行って来ました。5月に、会計監査と業務監査をして、2019年度の学園の事務処理を完了します。私は、業務監査の方を担当しています。
 ここ2ヶ月程、ほとんど我が家の近くを歩いて居るだけでしたので、片道2時間半の道のりが、大旅行のように思えました。中央線と総武線を乗り継いで行ったのですが、新型コロナ以前と比較は出来ませんが、私が想像していたよりは、客が多いと思いました。
 予定通り、午後2時10分前に学園に到着し、午後2時から、中高の校長、小学校の校長、幼稚園の園長、学校法人事業部長から、前年度1年間の学校運営について、話を聞きました。しかし、前年度の最後になって、新型コロナの騒ぎが起こり、満足な卒業式も出来なかったことが、皆さんの頭に残り、かつ、新年度は、まだ一度も授業を行っていないことが、皆さんの頭と心を占めて居ました。新型コロナの問題が起きるまでは、一般の授業、学内行事、学外行事全て、例年通り良い成果を上げていたそうです。問題はこれからで、皆さん経験したことの無い事態に、どの様に対応して行くか、必死に対処している事が良く分りました。今、既にオンライン授業が実施されており、未来の学校のあり方が、模索されつつあることを感じました。
 本来は、幾つかの授業の様子も見せて貰うのですが、現在授業は一切行われておらず、オンライン授業も、今日は、やっていませんでした。幸い、オンラインの授業は、前年度はやっておらず、監査の対象でもありませんでした。午後4時半に、全ての聴取が終り、取り敢えず私の仕事は終りました。というと、私一人で業務監査をしたようですが、実は監査役は2人居て、もう一人の監事は、この学園の学園長をやっていた人で、その彼が、専ら質問をして、私は殆ど聞き役でした。そのお陰で、多くを知り、多くを感じ、学校が現在の人間社会の中で、どれほど重要な存在か、改めて思い知らされました。何時か、学校と社会について、私なりに一文を纏めてみたいと思います。
 4時半に、業務監査は終了し、学園を後にしました。来た時と同じく、2時間半かかり、我が家に着いたのは、7時過ぎでした。外出自粛要請の中での、遠出であり、仕事ではありますが、多くの話を聞きました。少々疲れましたが、最近に無い緊張感と充実感がありました。
我が家の、エレベーターの前で、燕が迎えてくれました。実は、3日程前に、燕が戻ってきたのです。私が、中途半端で止めたと思った巣作りは、再開しているようには見えません。既に卵を温めているのかも知れません。いずれにせよ、今年の燕の様子は、これまでと違うので、少し気をつけて観察したいと思います。

 

| | コメント (0)

2020年5月16日 (土)

2020年05月11日

2020年05月11日。

 〇05月11日。
 
 朝6時半頃、何時もなら起きているのですが、今朝は眠っているのを妻からの電話で起されました。珍しいことです。
 あれやこれや話している内に、久し振りに神楽坂で会おう言う事になりました。新型コロナの関係で、1月以上会っていないのです。私は、外見は元気なのですが、新型コロナに感染していないという自信は持てないのです。自分が妻に感染させてはいけないという心配と、都心に行ったら本当に自分が新型コロナに感染するのでは無いか、種々心配が入り交じって、会うことを避けていたのです。非常事態宣言は延長されましたが、ここ1週間程、感染者の数が急減していますので、お互い、もうそろそろ会っても良いのではないかと思ったのです。
 午前中の仕事を済ませて、今日は散歩もせず、2時には、我が家を出て神楽坂に出かけました。新宿の駅の中も、神楽坂の通りも、ある程度の人が出て来始めたのではないかと思われ、全く閑散とした状態ではありませんでした。
 4時頃妻と会い、1時間程喫茶店で、2時間程焼き肉屋で、1時間程バーで再会を楽しみました。都知事の外出自粛要請など何処吹く風の状態なってしまいました。我々のような人間が、クラスターを引き起こすのかも知れません。しかし、店自体が、店に入る人数を制限し、店の中では、客同士の距離を広げるなど、感染防止に努力している様子が窺われ、比較的安心して、食事と話を楽しみました。それにしても、飲食業を始め、多くの企業が破綻の危機に瀕しています。経済というのは、人間一人一人の、美味しい物が食べたい、綺麗な服が着たい、外国に行ってみたい、良い車を運転したい、皆とワイワイしたい等々の欲望を満足させることで、経済そのものが、好転します。欲望が自由に発揮出来ない社会では、景気が後退するのは当然です。
 妻の最近の主要な問題は、自分自身の老化と飼い犬の老化のようでした。特に飼い犬は、20歳を超し、目は見えず、満足に歩けず、睡眠も良く取れないのに、食事は普通に食べて、旅立つ気配が無いそうです。そんな訳で、妻の方が夜の世話などで、睡眠不足が続き、体調が思わしくないとのことでした。最近、動物医は、ペットの犬猫の安楽死には応じないようです。動物愛護の考えが高まるのは、良いことかも知れませんが、牛、豚、鶏は、売り物にしたり、食い物にしたりするわけですし、野生の動物に至っては、人間に少しでも不都合であれば、即殺してしまいます。私自身は、本人の意思を充分に確認した上で、人間にも安楽死を容認する倫理観に賛同しています。私自身は、延命治療を望まない旨の書類を長男に預けています。
 いずれにせよ、生活困窮者を作らず、老人の老後を守る等、民主主義的社会生活を維持していくことは、本当に難しいことだと思います。今回の新型コロナも、何の対策もしなければ、貧乏人、虚弱体質の人、老人は、バタバタと死んでいって、社会全体としては、集団抗体が出来て感染は終了し、生き残った、若くて強く裕福な人達の新たな社会が出来たのかも知れません。それが良いことだとは言えませんが、、、。

 〇05月12日。

 何だか急に夏が来たようです。多くの所が25度を超える夏日、所によっては、30度を超える真夏日になる所が増えました。
 今日は、以前行ったPET検査の高額療養費858円を受け取りに市役所に行きました。この制度が如何なるものか理解していませんが、貰えるものなら貰おうと思いました。しかし、通常の交通機関を使って市役所まで往復すると、600円以上かかるので、チューバス(府中コミュニティーバス)で行きました。ルート内だったら何処まで乗っても100円です。ついでに郵便局で幾つかの送金を済ませ、社会と係わりのある懸案事項が、全て無くなりました。
 帰りは、府中本町から、柴間通りを通って郷土の森公園、郷土の森公園の前の河原から関戸橋、その後土手の道を歩いて、我が家に戻りました。
 市役所の近くから、南武線と武蔵野線の線路を渡り、分倍河原駅へ続く道へ出ると、芝間通りという看板が出て来て、郷土の森公園まで1.2キロと書いてありました。郷土の森の近くの芝間稲荷走っていますが、この通りを歩くのは初めてでした。きっと昔道なのでしょう、大きな八百屋や個人経営の電気屋などがあり、田原電機製作所、三千人塚がありました。私が歩いていない府中の古い通りがあったとは思いませんでした。物珍しく歩いていると、急にサントリービールの裏門に出ました。その直ぐ先で新田川両道と交わりました。その後は、新田川緑道を通って、郷土の森公園に出ました。
郷土の森公園の近くの河原は、バーベキュー広場になっているのですが、現在は使用禁止になっていました。暫く歩くと河原に下りられる場所があり、降りてみると先日来たばかりの、大栗川と多摩川の合流点の反対側の河原でした。合流点を見ながら食事をし、その後は、河原を歩いて、関戸橋の下を潜り、土手の道に登って、我が家まで帰りました。
夜は、次男が今週から、土日月火と週4日休みとなり、今日も休みだったので、次男と軽く飲みながらテレビを見ました。その中で、外出自粛の生活の中で、内蔵、頭脳、筋肉、免疫力などに良い生活の仕方が紹介されました。家事をすること、料理をすること、適当な運動をすること、パズルなどで頭脳を使うこと等々が紹介されましたが、次男が「お父さんは問題ないね」と言って笑っていました。

「昔道 垣根に下がる 白き花 仙人草に 似てはいるけど」
「昔道 三千人塚の 大榎 芝間の里の 歴史と共に」
「大柄の 箱根空木を 思わせる 花の正体 明らかにして」
「緑道の トベラ大きく 成長し 見上げるように 花を咲かせる」
「道脇に 赤と黄花の 詰草の 他を寄せ付けぬ 揃い咲きかな」
「草陰に 鋭く光る 緑の目 侵入咎める 黒猫潜む」

〇05月13日。

今日は、雲は多いものの、良く晴れた一日でした。昨日の河原歩きには、砂利河原に進出してきた野草達の小さな花が沢山あったのですが、カメラを持っていかなかったので、今日もう一度、同じ河原を歩くことにしました。
四谷桜公園で、毎日やっている準備体操をやって、目の前の土手から歩き始めました。京王線の鉄橋を越えた辺りから、土手の下が、アカシアを中心とした小さな森になっています。昨年の嵐の後から、この森に入ったことがなかったので、今日入ってみると、かなりの数のアカシアが倒れ、嵐の被害が残っていました。それでも、あちこちに倒れたアカシアが花を咲かせ、似たような野薔薇の花も沢山咲いていたので、写真を撮っていたら、雉がひょっこり顔を出して私を見て、「なんだ、花探しの人間がいたのかー、実を探すなら分るけど」みたいな顔をして、草の奥に身を隠しました。その森から一段下の河原に下りて、聖蹟桜が丘の街を見ながら、弁当にしました。
関戸橋を超えてからは、昨日と逆に河原を歩きました。河原から見る人間が作った建造物が、どれも小さく見えて、霞がかかっていたものの、武蔵野がとても広く感じました。このような景色の中にいると、心まで広がるように感じます。大海原には敵いませんがねー。と感じつつ、小さな花の写真を、何枚も何枚も。撮りました。来年の春は、この砂利河原も、緑の河原に変わっているでしょう。この小さな花達の強さが、それを示しています。

「多摩の土手 大金鶏菊 咲き始め 花のバトンは 途切れず渡る」
「霞む空 栴檀の花 同化する 腰に嵐の 傷跡巻きて」
「若草の 緑の中の 野薔薇かな 際立つ白さ 野草を圧倒」
「アカシアの 倒れた親木 重なるも 隙間に並ぶ 白き花房」
「花を追う 我を見つける 雉の顔 理解出来るは 花より団子」
「川向こう 聖蹟の街 眺めつつ 花より団子 実践するなり」
「住む場所が 狭くなりたる 河原鶸 我が目の前で 住家探しか」
「ごつごつの 石の間に 顔を出す 可愛い花の 影も可愛ゆし」
「川側の 建造物が 玩具のよう 河原広々 空も広々」

 〇05月14日。

 今朝は、綺麗な富士が見えました。幾分、雪が少なくなっているのでは無いかと思えました。富士が見えたので、少し迷いましたが、今日は、桜が丘公園から、多摩東公園、電車見橋、永山駅まで歩いてきました。
 桜が丘公園へは、桜の季節以来でしたが、新緑は、深緑に変わり、森の中が暗く感じました。島崎藤村の詩のようでした。「梅も桜も散り果てて 既に柳は深緑 人は飽かねど行く春を 何時までここに止べき」。本当に森は、春から夏に移動したようです。散歩の重要な要素になっている弁当を、花見をしたベンチで食べました。花見をした時には、新型コロナの非常事態宣言は出されておらず、かなりの人がいたのですが、今日は私一人でした。
森を抜けて広場へ降りると赤白黄のツメクサ(詰草)、ブタナ(豚菜)、ニワセキショウ(庭石菖)、ムラサキサギゴケ(紫鷺苔)、ハルジオン(春紫苑)、キバナカタバミ(黄花方喰)などの花達が一面に咲いていました。1週間程前、愛宕団地に行った時、今年初めてニガナ(苦菜)を見たのですが、その後散歩する度に、大量に咲いているニガナと出会っています。今日もニガナと会いました。
その後、陸上競技場や武道場のある多摩東公園から、小田急線と京王線が並んで走る電車見橋から電車を見て、永山駅の方へ向かいました。何時も通りでは面白くないので、今日は、諏訪団地内の丘を越えて、永山駅まで歩きました。永山駅近くの多摩永山情報教育センターのタワーが、ランドマークになっていて、間違わずに永山駅に着きました。永山駅からは、バスで帰りました。
夜、阿部総理の記者会見があり、東京、神奈川、千葉、埼玉、大坂、京都、兵庫、北海道を除く、39の県の非常事態宣言が解除されました。新型コロナの感染状況等、種々情報が不正確なのですが、一応、感染終息へ向けて、一応の対策が前進したのだと思いましょう。
4月の初めに、非常事態宣言が出されて、月に3度は会っていた孫達と会うことが出来なくなりました。大学時代の同じクラブの仲間、学生会の仲間、体育会の仲間、大学全体のOB会と思い出話をしながらの飲み会も無くなりました。同じ時期に居たペルー、メキシコ、イタリアの仲間との集まりも無くなりました。山の仲間、高校の同期との集まりも無くなりました。職場の仲間とも会えなくなりました。色々な行事も無くなりました。ただ1つ真っ当な仕事である、学園の理事会も4月は中止されました。いきなり、90歳くらいの老人になり、歩くだけが楽しみの人生になっています。長くは生きようとは思いません。後3,4年生きれば良いのです。早く、新型コロナ以前の人生を送らせて下さい。

「丘の上 既に桜も 深緑 薫風の中 昼餉楽しむ」
「大木の 広がる枝に 緑の葉 青空の下 森はもこもこ」
「辛うじて 小径に差し込む 木漏れ日の 影が揺れてる 五月の森かな」
「何時の間に 盛を終えた 山法師 梢に残る 白き花達」
「天を突く 直立姿勢 似合いなる メタセコイアの 緑の着物」
「広場には 色んな花の 花筵 筵に寝転び 青空仰ぐ」
「日の光 花の姿を 引き立てる 綺麗で無ければ 明日は来ないぞ」
「深緑 野草の中に 寄り添いて 白く輝く 雛菊の花」
「百合の木に 百合のようなる 花並び 雲の上まで 階段登る」 

 〇05月15日。

 今朝も、薄らとではありますが、富士が見えました。白嶺の中に、黒い筋が見えるような気がしました。もうすぐ6月ですからねー。
 エレベータの前の燕の巣作りが、この1週間、何の進展も無く、燕も飛んできている様子がありません。巣作りを中断したのだろうと思います。通常の状態で、燕が巣作りを中断することがあるのでしょうか。人間が、中断せざるを得ないようにしたのではないかと疑われます。燕の子育てを、今年も見る事が出来ると思っていましたが、もう無理でしょう、残念です。
 昨晩、野蒜入の野菜炒めを作り、この前摘んできた野蒜を使い切りました。茹でたり、サラダにしたり、炒め物にしたり、四回目で漸く使い切りました。少々欲張って摘んできたようです。
 今日は、多摩センターへバスで行き、帰りは歩いて帰るつもりでした。この前、愛宕団地へ行った時、そこから多摩センターは、近いと思ったのです。所が、パルテノンの丘の上で食事をする所を探していたら、丘の上の森、図書館、桜美林大学と、これまで知らなかった場所が、結構ありました。1時間以上、フラフラ歩いたので、結構疲れました。昼食は、図書館の横の森の小径のベンチで、多摩センターのランドマークである高層ビルを見ながら食べました。今日の弁当は、次男が職場から持ってきてくれた、助六寿司でした。
 食後、パルテノンの丘を降り、多摩センター駅から、バス通りへ出て、聖蹟桜が丘に向かいました。最初のバス停は、グリーンコープ前でした。所がこのコープは、八王子市鹿島22番地でした。てっきりタマシダと思っていたのですが、市の境は複雑なようです。愛宕4丁目の次が、愛宕中学校でした。運動場の所が視界が開けており、帝京大学、四谷橋、NEC、聖蹟桜が丘の街が見えました。多摩センターは、我が家からそれ程遠くないと、改めて思いました。そして、次のバス停は、なんと先日歩いて来た、多摩東公園でした。この前を合わせれば、多摩センターと聖蹟桜が丘を完歩したことになりますので、ここからバスで聖跡に戻り、更に我が家に戻りました。
 夜のニュイーすで、今日の東京の新型コロナ感染者は9人でした。様々な統計数字には、疑問の点が多いのですが、取り敢えず、希望の灯と言うことにしましょう。希望が失望に変わらないことを祈ります。祈りで思い出しましたが、何処かの神社で、148年振りに疫病払いが行われたそうです。苦しい時の神頼みかも知れませんが、私が一番嫌いなことの1つです。非常事態の時こそ、しっかりとした科学の目で、非常事態に対処して欲しいと思います。

「我が国の 発展時代の 礎が 今も残りし 多摩ニュータウン」
「我が国の 高度成長 なかりせば 国木田独歩の 武蔵野の森」
「一時代 過ぎてしまった ニュータウン 古きを壊し 新たな時代へ」

| | コメント (0)

2020年5月11日 (月)

2020年05月06日

2020年05月06日

 〇05月06日。

 今日は、ほぼ一日中雨だったので、外出自粛要請に従い、1日自宅で過ごしました。
 午前中は、日記をブログに上げたり、フェイスブックに上げる写真を選んだりして過ごしました。一応、弁当は作っておいたのですが、残念ながら、自宅で食べることになりました。食が進みませんねー。
 午後は、昨日河原で拾ってきた石で、梟を3羽作りました。単に、目と嘴を描くだけですから、大した時間は掛かりません。30分足らずで3羽作り、玄関のプランターに立てました。私の部屋が、飾る所が無い程梟で1杯になりましたので、先月から、玄関にも飾るようにしたのです。現在までに、今日の3羽を入れて9羽立っています。
 他にする事が無く、時間が余って大変でした。こんな時、本が読めれば、何の問題も無いのですが、どうした訳か、本を読み始めると、10分足らずで焦点が合わなくなってしまうのです。眼鏡をかけても、何の役にもたちません。外の景色を見ている時は、何の問題も無いのですがねー。それでも、昨日、レモンの花を見ましたので、智恵子抄の「レモン哀歌」だけ読みました。智恵子が死ぬ時の歌です。若い頃には、とても感動しましたが、今は、自分の死ぬ時期が近づいています。その後は、テレビを見て過ごしました。
 今度の新型コロナの騒動の中にあって、人間を含めた生物の行動の基本は、命を維持するために、飯を食うことだと思いました。ウィルスは、生物では無いのですが、以前生物によって作られたタンパク質の結晶が、作られた時の状態で残っているのでしょう。命の連鎖は、小さい物が一段階上の生物の食べ物になる事だと思いますから、細胞レベルの小さな生物は、繁殖力が大きくなければ滅亡して、生物の連鎖が終ります。ウィルス自身は、生物では無いので、繁殖はしないのですが、何等かのきっかけで、現存する生物の細胞に入ると、細胞の生きる根幹である、遺伝子の結晶体と置き換わり、細胞として生物に変化するようです。そして、その細胞が持っている繁殖力によって、急速に増殖するようになるようです。しかし、本来、細胞の増殖は、進化の過程で、複雑な生命維持機能によって、コントロールされる様に仕組まれているのですが、ウィルスから変異した細胞は、自分勝手な増殖をします。勿論、進化した上位の生物は、進化の過程で同様な経験を何度もしていますので、このような異常事態に対応する仕組みも出来ています。その仕組みが、きちんと機能するためには、異常事態への対応を学習するための時間と一定の犠牲が必要です。医学は、非常に進歩しましたが、今のところ、生物の生命維持機能の手助けをする程度が限界だと思います。医学の力で、ロボットの部品を取り替えるように、生物である人間の各種の臓器や細胞を再生交換することは出来ないでしょう。またこれらの臓器や細胞をコントロールする脳の機能を、コンピューターのソフトをバージョンアップするように取り替えることも出来ないでしょう。医学以上に、哲学や宗教は、生命維持には何の役にもたたないでしょう。免疫力を上げると言われている、良い結果を信じること(プラシーボ効果)でも、多くを解決することは出来ないでしょう。新型コロナの感染終息に関しては、医学が出来る範囲の助けを借りて、進化の頂点にいる人間の機能で、人間自らが解決するほか無いでしょう。その過程に於いて、一定の犠牲が生じることは、やむを得ないことだと思います。
暇なので、自分勝手な考えを書いて仕舞いました。

 〇05月07日。
 
 朝一番に、ベランダ側のカーテンを引くと、白く輝く富士の嶺が見えました。昨日の憂鬱な気持が、何処かへ行ってしまいました。富士は本当に素晴らしい心の回復薬です。エクアドルに、富士に欲似たコトパクシという5000mを超える山がありますが、原住民族の信仰の対象になっています。
 富士が見えると、何故か高幡不動に行きたくなります。道中ずっと富士が見えることと、丹沢と奥多摩の山々の切れ目に富士が見え、裾野の方まで見る事が出来るからだと思います。今日は、石田大橋を渡って、万願寺交差点、安養寺、まんがんじ児童館、大木島自然公園、ふれあい橋、高幡不動と歩き、帰りは暫く振りに京王線で聖蹟桜が丘に戻り、後はバスで我が家に戻りました。
 石田大橋の近くで、ミヤコグサを見つけました。これまで、この近くでミヤコグサを見かけたことは無く、ミヤコグサを見たい時は、先日行った大栗川と多摩川の合流点近くの土手に行ったものでした。それが、この前合流点では見る事が出来なかったのに、普段は見ることが無かった土手で見る事が出来ました。方喰の黄色と、黄色が少し違うのが分るようになりました。
 大木島自然公園は、高幡不動側へ渡る「ふれあい橋」の手前にある公園ですが、大きな花の木が満開でした。多分桜の一種なのだと思いますが、細長い花片が集まった様な花で、桜とは違った趣がありました。とても綺麗でしたので、この木の下で昼食にしました。
 食後、ふれあい橋を渡り、浅川を少し歩き、京王線の踏切に出ると、線路の中に昼咲き月見草が咲いていました。最近、花達のこうした逞しさに感動するようになりました。昼咲き月見草は、何処にでも進出する逞しい花だとは思いますが、本当に野草なのでしょうか、そうとは思えない華やかさもあるのですが、、、。
 今日も色んな花達に出会いました。外を歩くと、何かしら出会いがあり、気持が晴れ晴れします。
 夜、11時頃に、我が家のベランダの方に、満月がやって来ました。空気が澄んでいて、素晴らしい明るさでした。

「朝の日に 白く輝く 富士を見る こんな良き日に 家にはおれぬ」
「同じ道 同じ所で 富士を撮る 老いて死ぬまで 習い変わらず」
「花達も 毎年変わらず 花咲かし 見れば毎年 カメラを向ける」
「この前は ぽつんと咲いてた 痩せ靫 今群れ咲くも 蝶は素通り」
「この前は 芽吹きと共に 顔出した 蕾のアカシア 今は満開」
「あの黄色 都草では あるまいか 近づき見れば 都草だー」
「クレマチス 朝日を浴びて 得意顔 も少し謙虚に なれないものか」
「米粒が 大豆に変わる 場所もある 公園に咲く 小米詰草」
「屋根の上 ぽっかり白雲 安養寺 寺に似合いの 芍薬の花」
「春の日と 花の木の下 腰おろし 弁当食べる 幸せ1杯」
「春うらら 自殺志願じゃ ありません 線路で月見 昼咲き月見草」
「仁王等が 大型マスクで 出迎える 感染注意 高幡不動」
「相輪の 真上の太陽 仏の灯 疫病退治の 手助けしたし」
「新緑の 高幡城趾 丘の上 武蔵国を 一望するなり」 

 〇05月08日

 朝6時過ぎ、今日も良い天気だと思って、期待してカーテンを開けたのですが、あの白い富士が、灰色のように見えました。雲が多くて富士に光が当たらないようです。今日は、余り良い天気では無いのかなと思っていたのですが、8時過ぎには、一片の雲も無い青空に変わり、富士も白さを取り戻しました。
 今日は、行く所を決めていました。武蔵野キスゲやキンラン銀欄が咲く、浅間山公園です。チューバスを乗り継いで、多磨霊園表門でえ降りて、多磨霊園、浅間山公園、慈恵院、府中の森公園を歩いてきました。
 多磨霊園は、森ではありませんが、松、欅、栃の木、楓葉風などの大木があり、それらの木々の新緑が、輝いていました。新緑の時期になると、何時も、これ程の大木を覆うような葉を一斉に芽吹かせる、落葉樹の力に圧倒されます。多磨霊園の25区の所から、丘に登り、「かえで橋」を渡って浅間山に入りました。周りは全て住宅地で、緑の孤島のような小さな丘です。よくぞ緑の丘のまま残してくれたと思います。お陰で、この時期、武蔵野キスゲや金蘭、銀欄を見る事が出来ます。今日は、私と同じように、これらの花を見に来た人が、かなりの数いました。しかし、この程度では「密」とは言えないでしょう。スーパーに較べれば、たいした数ではありません。しかも、開放された空間ですから、思いっきり花を楽しみました。武蔵野キスゲは咲き始めで、来週辺りが見頃だと思いますが、私は咲き始めの頃が好きです。金蘭も銀欄も沢山咲いていました。何時もは、銀欄が少なく、見つけるのに苦労するのですが、今日は、簡単に沢山見つけました。
 浅間山から下りて、慈恵院に寄り、何時もと違って、動物墓地と供養塔を見て来ました。人間の墓と変わらない立派な墓が沢山ありました。本当に家族のように思っていたのでしょう。
 慈恵院から府中の森公園は、直ぐ近くです。閉じられてはいないかと心配していたのですが、公園そのものは開いていました。閉じられていたのは、サッカーやテニスなどの運動施設と美術館でした。公園は、思った以上に閑散としていました。
 公園の美術館の所で、チューバスに乗り府中駅に出て、来た時と逆にチューバスを乗換え、我が家に戻りました。5時を過ぎていました。チューバスに乗っている時間と乗り換えの時間も入れて、3時間近くになったのです。多磨霊園に行く時は、丁度バスが出たばかりで、30分待たなければなりませんでした。仕方なく、大国魂神社の欅の参道で、弁当を食べました。
 我が家のエレベーターの近くで、1週間程前から、燕の巣作りが始まったのですが、完成が近くなりました。雛が孵るのが楽しみです。
 夜のニュースに拠れば、レムデシベルが、新型コロナの治療薬として日本でも承認されたようです。前から言っているように、この薬は新型コロナの特効薬にはならないと思います。多くの医者が、私と同じような疑問を持っているらしく、この薬を投与するのは、生きるか死ぬか5部5部の重篤患者が対象だそうです。死んでも薬のせいにはならないし、生き残ったら薬のせいにする事が出来ます。事実は闇の中です。薬の投与は無料なのでしょうか、承認されたのだから、高額で無いことを願っています。効き目が確かでは無いのに、高額を取られては、踏んだり蹴ったりです。
 寝る前に、十六夜の月を楽しみました。

「風神が 雲のカーテン 取り払い 全天青空 心晴れやか」
「公園に 豚菜と野芥子の 中間の 鬼田平子の 我を惑わす」
「咲き終わり 種と変わりし 雛芥子の 中に一輪 朱き花かな」
「昨晩の 十六夜の月 見ましたか それが気になる 昼咲き月見草」
「ガラス張り 新緑映す ビルの壁 大国魂の 欅の参道」
「楓葉風 全身裸で 冬を越し 春は全身 萌黄の晴れ着」
「我が歳を 遥かに超えた 大木の 命の息吹 我に分けてよ」
「新緑の 森に差し込む 日の光 山の小径を 輝く小径に」
「道脇の 日差しの中の 白き花 気品溢れた 銀欄の花」
「銀欄を 取り巻くように 並び咲く 黄金色した 金蘭の花」
「この森で 主役は私 よそ見せず 私見てねと 武蔵野キスゲ」

 〇05月09日。

 今日は、以前から娘と話し合って、家族全員でオンライン飲み会をすることにしていました。色々準備をする事がありますので、今日の散歩は、聖蹟桜が丘まで軽く歩いただけでした。
 午後2時には、我が家に戻り、パソコンを私の部屋から、食堂へ移すことにしました。ネットへの接続口は、食堂にもありますが、食器棚の横にあり、手首が辛うじて入る程度の狭い隙間の中にあります。現在、テレビに繋がっている回線を抜いた所までは良かったのですが、パソコンからの回線を差し込もうとしたら、それが出来なかったのです。30分近く悪戦苦闘しましたが、結局刺し子も事は出来ませんでした。3時過ぎに、買い物に出かけていた次男が帰ってきましたので、差し込みを頼んでみましたが、次男の方が私より手首が大きく、全く差し込むことが出来ませんでした。
 どうしようか思案していたら、次男が「僕のWI-FIを使うと良いよ」と言ってくれました。これで、ネットへの接続は済みました。あの苦労は一体何だったのでしょうかねー。隙間さえあれば、同じように簡単に接続出来たのですがねー。
 接続が終ったので、娘のパソコンとLINEで、オンライン会話が出来るか試してみました。特に何の問題も無く、お互いの顔を見ながら話す事が出来ましたので、夜7時からオンライン飲み会をする事にしました。
 その後、ピザ、海産物のアヒージョ、アサリのバター炒め等、酒の肴の準備をして、夜7時、予定通りオンライン飲み会が、娘家族、長男夫婦、それに私と次男が加わって、パソコンの画面に映った、それぞれの家と顔を見ながら、楽しい飲み会となりました。時々、画面がフリーズすることもありましたが、一緒に飲んでいる雰囲気はありました。人との会話が少ない毎日を送っているので、話をするのを焦ってしまいました。9時過ぎには、アルバイトから帰ってきた、長男の長男が加わり、家族全員の飲み会となりました。皆自宅にいて帰る必要が無いので、話も弾み、12時過ぎまで飲み続け、流石に酔って仕舞いました。
 それにしても、私の子供の頃に較べて、何と言う技術の進歩でしょうか、驚くばかりでした。それなのに、新型コロナの感染をコントロール出来ないのですから、何処かに、科学技術の進歩の限界があるようです。

「パソコンで 家族と話す 飲み会に 人に会えない 辛さ和らぐ」

 〇05月10日

 昨晩の酔いが残っているような朝でした。そう言えば、今日は母の日でした。しかし、私は、母の日に、カーネーションの花を贈ったことがありません。生みの母親は、全く記憶にありませんし、継母とは、余り良い状態では無いまま成長しました。ただ、メキシコ勤務時代、継母をメキシコの招待し、2ヶ月程一緒に暮らした事があります。その時、逆に継母から「ありがとう」と言われました。自分の意固地さが、なんとも愚かに感じました。その後も、花を贈ったことはありませんが、普通の親子のように付き合えるようになりました。
 朝起きた頃は、雲が多かったのですが、11時頃になると、青空が広がり、白い雲が、色んな形で目を楽しませてくれるようになりました。今日は、百草園駅まで歩いて、そこから京王線に乗り、平山城址公園駅で降りて、平山城址公園を歩いてきました。このコースを歩く時は、必ず東京薬科大の薬草園に寄ったものでしたが、今年は、新型コロナの影響で、大学は閉鎖されており、薬草園にも行っていません。他の大学のキャンパスにも今年は行けません。私の散歩の楽しみの中で、大きなものの1つが、中断されています。早く、新型コロナが落ち着いてくれることを願っています。
 四谷橋から、百草園駅まで歩き、百草園駅から平沼城址公園駅は行き、後は歩きました。先ず近くの宗印寺に行ってみると、門の所にロープが張ってあって、入れなくなっていました。新型コロナの非常事態宣言が出されてからも、多くのお寺に行きましたが、境内に入るのを拒まれたのは、初めてでした。日常生活のありとあらゆる所に影響が出ているのですねー。
 お寺の裏手の森を超えて、平山給水所に出ました。遥か日光連山まで見渡せる給水所の階段で弁当を食べました。風が強くて、弁当箱の蓋が飛ばされたりしましたが、とても美味しく頂きました。その後、今年初めての、見晴台、始めで終りの広場、谷戸の農地を歩いて七生谷の七生公園に行きました。七生公園のナツグミがどうなっているか確かめたかったのです。沢山実を付けていました。最後は、休園中で深閑としている多摩動物園に出て、そこからは、電車とバスで、我が家に戻りました。

「青空の カンバスに描く 天空絵 刻々変わり 仕上げは何時ぞ」
「青空に 白一色の 花模様 風の一筆 空を変え行く」
「階段の 小さな隙間に 身を寄せて 互いを思う 黄花方喰」
「丘の道 端午の節句は 過ぎたれど 今が見頃の 花菖蒲かな」
「土佐水木 背後に見える 八王子 そのまた背後 奥多摩の峰」
「春紫苑 ペラペラ嫁菜の 混じり咲き 花だけ見れば 似た者同士」
「星屑が ひしめき合って 我を見る 箱根空木の 五弁の花かな」
「階段の 隙間に一組 母子草 両手広げて 今にも抱き合う」
「大家族 父はいないか 母子草 我が家に来れば 私が父に」
「霞みたる 日光連山 眺めつつ 今日も手作り 弁当喰らう」
「給水所 父無し母子の 大行列 何を求めて 行列作る」
「もうすぐに ドクダミの時期 やって来る 白き蕾の 顔出す場あり」
「この森も 金蘭銀欄 多かりき 木漏れ日受ける 金蘭の花」
「田植え待つ 谷戸の田圃に 蓮華草 何れ米等の 栄養の元」

| | コメント (0)

2020年5月 6日 (水)

2020年05月01日

2020年05月01日

 05月01日。

 年が明けたら、新型コロナの感染の問題が出て来て、もう五月になってしまいました。本来ならば、令和の新天皇になって丸1年ですから、天皇家にとっても、日本人にとっても、大いに祝うべき日なのでしょうが、それさえも中止になるほど、新型コロナの感染拡大の先が見えない状態が続いています。
国家非常事態宣言も出されて、外出自粛が要請されていますが、私は、毎日、散歩に出かけています。出来るだけ、公共の乗りものに乗らないようにしていますので、散歩に行く場所が限られてしまって、そろそろ、同じ道を歩くことになりそうです。
でも今日は、桜が丘の方から見える、大きな給水塔のある森へ行ってみることにしました。此処は、初めての所です。四谷橋を渡り、宝蔵橋、和田、を通って、給水塔へ着きました。そこは、多摩市の愛宕団地でした。5階建ての団地のビルがズラリと並んでいましたので、多摩ニュータウンの初めの頃の団地ではないかと思いました。一昨日歩いた日野市の高幡台団地と同じく、森が良く残されていました。この森から、百草団地を見ながら、昼食にしました。この森で、多摩川の土手では、余り見る事の無い、本当のニガナに出会いましたし、金蘭も咲いていました。ニガナは、5弁の花だと思っていたのですが、6弁から12弁まで、多様でした。草花の世界でも、住む場所によって、栄枯盛衰があるのだろうと思いました。
食後、愛宕第2公園、愛宕東公園に行ってみましたが、何処も小さな子連れの家族が、遊んでいました。しかし、それ程数が多いとは思いませんでした。外出の自粛は、私の目から見れば、良く守られていると思いました。
その後、多摩市役所へ歩き、そこからバスで、聖蹟桜が丘に出ました。暫く聖蹟桜が丘に来ていませんでしたが、閉じられていた京王デパートの食品売り場が開かれていて、工事中だった成城石井も開業していて、少し賑やかさを取り戻していました。しかし、特に買う物は無く、もう一度バスに乗って、我が家に戻りました。

「街道の 脇の小さな 竹林に 取り残された 筍の立つ」
「隙間無く 舗装されたる 歩道にも おっ立ちカタバミ 花影作る」
「道脇に 黄色く光る 花の咲く 誰が植えたか ウマノアシガタ」
「愛宕台 団地に残る 森陰に すくっと一本 金蘭の咲く」
「多摩の土手 ついぞ見かけぬ ニガナかな 団地の森で 息づいており」
「人が増え 猟人の里 武蔵野も ビルが居並ぶ 団地となりけり」
「自然との 共生の道 踏み外す 人への報復 新型コロナ」
「公園に 小さな小さな 春紫苑 それでも頭に 花の一輪」
「蒲公英が 羨むような 柳腰 豚菜の花の 風に揺れおり」
「土手一面 小判ざくざく 小判草 鼠小僧は 振り向きもせず」

 〇05月02日。

 今日は土曜日で、リサイクルゴミの回収日です。ベランダに置いてある、空き瓶、空き缶、ペットボトルを入れた袋を持って、回収所に持って行き、回収用の袋に分けて入れ替えると、最後にアゲハ蝶が残っていました。一昨日我が家で羽化し、初目通りしたのですが、ベランダから見えなくなったので、河原の方へ飛び去ったと思っていました。それがなんとリサイクル用の袋の中にいたのです。空き缶やペットボトルに残っていた甘い汁が、気に入ったのかも知れません。袋から出して、私の手に止まらせると、飛んでいく気配が全くありませんでした。そのまま我が家に戻り、私の部屋で、梟達と記念撮影をして、ベランダのレモンの花に止まらせました。その後、洗濯物を干し終わっても、アゲハ蝶は一向に飛び去る気配がありません。仕方なく、私の指にとまらせ、大きく手を振って、強引に飛び立たせました。それが、蝶にとって良いことだったのかは分りませんが、私としては、花が1杯咲いて居る河原で、精一杯、蝶としての生涯を送って欲しかったのです。
 今日の散歩は、私が秘密の池コースと呼んでいる我が家の対岸の、多摩川の森まで行って、野蒜摘みをして来ました。3月の桜の時期にも行きました。今日は、浅川の飛び石を渡ることが出来ませんでしたので、上流の新井橋を渡る大回りになってしまいました。
 秘密の池には、一時近くに着き、そこで昼食にしました。池には私一人で、咲き始めたアカシアの花、池に浮かぶ睡蓮の葉のような水苔を見ながら、美味しい昼食になりました。
 食後、池の後ろの森へ入りました。アカシアやニワウルシ、ヤナギなどの森があります。模型飛行機が飛ばせるような広場もあります。そこの至る所に野蒜があります。桜の時期にも野蒜摘みをやったのですが、まだ大きくなっていませんでした。今日は、野蒜も大きくなっていましたし、根を掘るために園芸用のシャベルを持って行き、1時間足らずで、レジ袋1杯の野蒜を採る事が出来ました。
 帰り道で、SVスーパーにより、鶏の軟骨と宝籤を買いました。聖蹟桜が丘でも府中でも、宝籤売り場が閉まって知るので、宝籤を買いたい時は、このスーパーに来なければならないのです。
 我が家に戻って、野蒜を食べられるように整理するのが、非常に大変で、この為に1時間近く掛かってしまいました。
 その後、今日から三連休の次男と一緒に酒の肴を作り、今日採ってきた野蒜の根も茹でて、6時半くらいから酒を飲んでいたら、娘から電話があり、LINEでお互いの映像を見ながら、話す事になりました。これをスマホ会談と言うのでしょうか、こんな事が、いとも簡単にできるのですから、凄い時代になったものです。孫達が次々に画面に現れました。3人とも笑顔がとても良く、元気そうでした。長いこと、自宅と自宅近辺で暮らしているので、体調を崩していないか心配していましたが、杞憂だったようです。娘達も、私と次男が元気そうなので、安心したようです。
 それにしても、野蒜の根は、噛むと粘り気のある汁が出て来て、野生の味を感じました。免疫力をアップし、新型コロナにも抵抗出来るのではないかと思ったりしました。

「アゲハ蝶 我が指先に 翅休め 我と一緒に 我が部屋散歩」
「アゲハ蝶 梟達と 仲良しに 指の先から 声がけしてる」
「幾つもの シュークリームを 乗せたよな 土佐の水木の 季節となりき」
「花独活の 季節も来ました 多摩河原 去年の園嵐は 如何に凌ぎし」
「睡蓮と 思えば君は 水苔さん 我も迷えば モネも迷うぞ」
「早々と 森のアカシア 白雲に 雲の子供等 地上に降りる」
「森の中 烏の豌豆 背高に 花も大きく 見過ごし出来ぬ」
「青々と 茂った草の 只中に 野蒜の葉のみ 我が目に飛び込む」
「野蒜摘み 子供の頃から プロの技 小半時にて 袋1杯」
「野蒜の根 生きんが為に 奮闘す 野生の命の 味がするなり」
「孫達の 動き見ながら 話する 技術の進歩の 凄まじきかな」  

 〇05月03日。

今日は、憲法記念日です。ゴールデンウィークを形成する1日でしたが、そもそも、ゴールデンウィークをどう過ごしたか、我が人生の中で、殆ど記憶にありません。
昨日、野蒜摘みに行きましたが、子供の頃、野蒜、石蕗の若葉、蓬の若葉摘みは、私の役目でした。この為に野山を駆けまわったのを思い出しました。その頃は、摘むだけで良かったのですが、きちんと食べられるようにするのが、こんなにもやっかいだとは、歳を取って知ることになりました。何時の間にか、四分の三世紀を生きました。残された時間は少ないと思いますが、様々なものを見たり感じたり、精一杯生きて行こうと思います。あの世なんて存在せず、死ねば見る事も感じることも出来なくなるのですから、、、。
今日は、四谷橋、宝蔵橋、東寺方、桜が丘、金比羅神社、関戸城跡、関戸、新大栗橋と、少し遠回りして聖蹟桜が丘に行ってきました。
東寺方の竹林を抜けて、桜が丘に登るのですが、食べ物として売られなかった筍が、何本も背を伸ばしていました。そういえば、幼き頃の我が家の近くにも、竹林があり、良く竹に登っていました。出来るだけ高く登り、竹を折り曲げて、地上に降りるのが自慢でした。
桜が丘の丘の上に、何故か金比羅神社があります。多摩市観光ガイドに拠れば、「創建は江戸時代の中後期です。この辺りの紺屋(染め物屋)であった井上林蔵という人物が、四国の金刀比羅宮から勧請したのが始まりとされています。鎮座地は、かつて新田義貞と北条泰家の軍勢が戦った場所でした。」とのことです。
金比羅神社の直ぐ近くに、関戸城跡があります。そこに立てられた碑の説明に拠れば「桜が丘一丁目金比羅宮付近を天守台などといい、一帯の山を城山とも言う。多摩川に面し、武蔵野台地を一望で得きる絶勝の地であることから、鎌倉幕府以来の物見台的城塞として、敵を察知したり、急変を狼煙などで伝える通信拠点であったとも考えられる。一帯は「関戸城跡」とされているが、今はわずかにその一部が留められているだけで、山頂は削られ地形も変わっている」そうです。
その関戸城跡で、武蔵野台地を見ながら、昼食にしました。木が生い茂って、見晴らしは左程良くありませんでした。しかし、周りに沢山のニガナが咲いていました。此処のニガナは全て5弁でした。
新大栗川では、一組の小鴨を見ました。近くでは、燕が水を飲んでいました。伴侶捜しに手間取ったのでしょうか、無事に北帰行が出来る事を願わずにはいられませんでした。
夜は、今日も次男と飲むことが出来ました。私は、野蒜と他の野菜とで、野菜炒めと、干していた鶏の軟骨を焼き、次男は唐揚げを作り、その他残り物で、晩酌となりました。散歩して、子供と酒が飲めれば、国家非常事態宣言も、なんとか乗り切れそうです。

「庭先に 夏日というに 花咲かす 北国生まれ 鈴蘭の花」
「何時来ても 花に埋もれる 花屋敷 名前知りたい 花も咲いてる」
「石の上 小首傾げて 周り見る 今年生まれの トカゲさんかな」
「トカゲさん 君が見ている その花は 赤き実となる 苗代苺」
「青竹に 混じりて黒き 筍の 兄等に負けじと 背丈を伸ばす」
「関戸城 江戸の時代も 咲いたのか 土手を彩る ニガナの花かな」
「新緑が 深き緑に 変わる頃 大栗川に 番の小鴨」
「春来れば 大和国は 我が住まい 燕驚く 小鴨近くに」

 〇05月04日。

 毎年、燕が巣を作る3階のエレベーター脇に、今年も巣作り作業が始まりました。巣作りが終り、子育てが始まると、エレベーターの所に行くのが楽しくなります。
今日は、関戸橋を超えた、多摩川の河原を歩いて来ました。去年の台風19号以来、歩いたことがなかったのです。今日歩いて見て、我が家の前の河原と同じくらい、酷い被害を受けたようです。野球場は、未だに砂利河原のままでしたし、アカシアの森のアカシアの木の多くが倒されていて、倒れたまま花を咲かせていました。流れも随分変わっていて、広い砂利河原になっていましたが、様々な野草達の侵入が始まっており、小さな身体に、小さな花を付けていました。その様子がとても可愛くて、逞しくて、その花を見ながら弁当を食べ、その後1時間以上、河原を彷徨きました。そろそろ、土手に上がろうと思って、土手へ向かったら、川の水が長い池のようになって道を阻んでいました。そこで、仕方なく戻る形で池の縁を歩いていたら、5羽のバンが泳いでいるのを見ましたし、バンの泳ぎを見ている雉の番に出会いました。色んな事が起きるものです。
予定としては、河原を歩いた後、府中駅の方まで行くつもりでしたが、河原歩きが楽しくて、沢山歩きましたので、郷土の森公園の近くから、チューバスで我が家に戻りました。
家に帰ると、娘から電話があり、この前、スマホでオンライン会話をしたのですが、スマホは画面が小さいので、パソコンでやろうという事になり、テストを行いました。色々、教えて貰いながら、テストは一応成功し、出来るだけ早い時期に、長男家族も入れて、家族全員で、オンライン飲み会をやろうと言う事になりました。
夕方のニュースで、新型コロナの非常事態宣言が、1ヶ月延長されることになりました。感染防止の対策をしっかりやれば、個人の考えで外出自粛等、制限を少し緩やかにしても良いらしいのですが、「矢張り延長か」と、気持が暗くなってしまいました。
夜は、今日も次男と飲み会になりました。野菜サラダに、野蒜を入れてみた所、結構辛くて、アクセントのつきすぎでした。「凄いなーこの野蒜」と次男も吃驚していました。夜の飲み会のお陰で、つい先程感じた暗い気持が少し和らぎました。

「新しい 芝生ばかりの 公園に 早くも侵入 仏の座かな」
「犬フグリ 睦月の頃から 君見てる 五月になっても 衰え知らず」
「晩春に 勢い競う 花達の 中で品良き 庭石菖かな」
「赤花の 庭石菖も 顔を出し 緑濃き道 彩り添える」
「草むらに 白く鮮やか 花並ぶ 月見はするや 昼咲き月見草」
「森よりも 土手の野蒜は 行儀良し 背筋伸ばして 蕾掲げる」
「綿帽子 綿毛飛ばして 丸坊主 緑の土手に 光る禿げ頭」
「倒れ込み 河原に寝そべる アカシアに 花は満開 河原を撫でる」
「子供等が 大人を真似て 咲いたよな 小さな小さな 河原の花達」
「桜散り 土手の緑の 増す頃に バンとカルガモ 仲良く泳ぐ」
「鴨達の 泳ぎ見ている 雉夫婦 我に気づきて 慌てて茂みへ」

 〇05月05日。

 今朝ベランダに出てみたら、レモンの花が幾つも咲いていました。蝶達が来て受粉の手伝いをしてくれないかも知れないと思いましたので、私が蝶の代わりをしました。このレモンの実は、皮が薄く、とても美味しいのです。レモンを見ながら、智恵子が死ぬ前に噛んだレモンの実を思い出しました。沢山実がなってほしいものです。姫檜扇水仙の花も、沢山咲きました。
 今日は、多摩川と大栗川との合流点の方へ行って来ました。この合流点には、チョウゲンボウの写真を撮ろうと、常に5,6人の老人カメラマンがいるのですが、今日は一人もいませんでした。新型コロナのせいで、子連れの家族が増えて、チョウゲンボウが来なくなったのか、あるいは、外出自粛を守っているのかも知れません。
今日の昼食は、合流点の近くで、子供達の遊び声を聞きながら、弁当を食べました。最近、散歩の途中で、多くの学校の側を通りましたが、子供の姿も声も無く、本当に社会が異常なのだと、不気味さを感じていました。どんな形であれ、子供の声や遊ぶ姿は良いものです。美味しい昼食となりました。
昼食後、本当の合流点に行ったら、最近まで水が流れていて、中州へ渡れなかったのが、渡れるようになっていました。この中州へ渡るのは、初めてでした。昨年の台風までは、草や荻が繁茂する緑の中州だったのですが、今は砂利河原になっていました。3月頃、台風による被害の修復をやっていましたので、その際、川の流れを変えたのだと思いました。従って、真の合流点は、中州の先端で、稲城市のゴミ処理場の近くになっていました。
砂利河原を歩いていたら、昨日と同じように、砂利河原に進出し始めた、小さな花達と出会いました。武蔵野に入った多摩川には珍しい、切り立った崖の下を歩くことが出来ました。以前から、歩いて見たいと思っていた河原でした。崖の上方は、木で覆われていますが、その後ろは桜が丘カントリークラブです。少しだけ、木が少ない場所があり、ゴルフ場の芝が見えました。年に何度か、会員で無い人にも開放する日がありますので、私も3度程、プレーをしたことがあります。崖には、倒れた木の形に崖の泥がえぐれて、木を守っているような面白い場所がありました。また、岩の上では、4匹の亀が甲羅干しをしていましたが、私の姿を見て、慌てて川に飛び込みました。
新しい合流点まで歩き、そこからの風景を楽しみ、以前の合流点へ戻って、聖蹟桜が丘に戻りました。丁度、バスの時間になったので、そのままバスで我が家に戻りました。夜は、次男が仕事なので、一人での晩酌になりました。
 
「ベランダに レモンの花が 咲いている 蝶に替わりて 花を尋ねる」
「実を噛めば トパーズ色の 香気立つ この世を去る日も 近くなりけり」
「草達が 競いて延びる 土手の道 星屑を撒く 庭石菖かな」
「背の高き スカンポ並ぶ 土手の道 雲見て満足 昼咲き月見草」
「大粒と 小粒の詰草 揃い咲き 同じ仲間と 思うているや」
「近くにて 背筋伸ばした 草真似て 赤詰草の 凜々しき姿」
「稲草の 簾の奥の 白き花 倒れた木に咲く アカシアの花」
「紫の 島が幾つも 並んでる 河原の王者 草藤の花」
「崖肌に 枯れ木を包む 優しさよ 全てを拒むと 思うていたに」
「拒むのや 守っているのや 石達よ 君等の中の 小さき花を」
「春の日に 長閑な川で 甲羅干し カメラを提げた 爺が来るとは」

| | コメント (0)

2020年5月 1日 (金)

2020年04月27日

2020年04月27日

 〇04月27日。

 日記をブログに上げると、読者を意識してしまいます。そして、75調の紀行文を書こうと意識して、日記を書くのが気楽では無くなりました。でも、新型コロナで非常事態宣言が出され、外出自粛が要請されるなど、満足な社会生活が出来ない現下の情勢の中では、1つやることが出来たようなもので、助かっています。
 今日は、午後から雨が降るというので、早めに散歩に出ようとしたら、電気メータの取り替え工事人が来て、結局、散歩に出かけたのは、12頃になってしまいました。余り長くは歩けそうに無いので、近場を歩きました。
 我が家の横の三屋通り、四谷緑道、泉町公園、泉東遊園、国立水再生工場、国立市環境センター、谷保城山公園、谷保天神と歩いて、谷保天神からはバスで帰りました。
 このように書くと、すんなり歩いて帰って来たようですが、実は、谷保城山公園から崖上の住宅地に出て、寄り道を楽しんでいたら、雨が降ってきました。歩いている所から、谷保天神は近いはずですので、谷保天神からバスで帰ろうと、谷保天神へ向かいました。所が、一向に谷保天神の森が見えてきません。その内に、大きな通りに出ました。道路の感じから、甲州街道のようです。暫く歩いていたら、行く先の看板が出て来て、甲府、八王子方面と書いてありました。全く逆方向に歩いていました。たまたま近くに交番があったので、谷保天神の場所を聞くと、「この道路の先に、坂が見えるでしょう、あの坂を登った所が谷保天神です」と教えてくれました。変な方向に随分歩いたものです。その後、教えられた通りに歩き、見慣れた谷保天神に着きました。10分くらい待ったら、バスが来たのですが、その時には、雨も止んでしまいました。しかし、もう歩く気にはなりませんでした。
 夕方から、次男と一緒に酒の肴を作り、今宵はゆっくり酒を飲みながら過ごしました。テレビで、戦国武将の人気投票という特別番組を見ました。実は、戦国武将に関しては、次男の得意分野で、色々教えて貰いながら、盃を傾けました。濃厚接触のようですが、どちらも新型コロナには感染していないようですから、大丈夫でしょう。「そんな気楽さが駄目なのだ」と叱られそうですが、、、。
 それにしても、今日の東京都の新型コロナ感染者は、39人で二日連続で、100人を切りました。明日がどうなるか分りませんが、ひたすら、感染が終息に向かうことを願っています。

「気紛れの 天気のお陰で 迷い道 ボケも加わる 老いの人生」

 〇04月28日。

 今日は、昨日歩こうと思って歩けなかった、国立崖線と府中崖線の崖上を歩くことにしました。我が家の前の、多摩川の土手を立川運動公園まで歩き、そこから、貝殻橋を渡って、崖上の道に出て、滝乃川学園、南養寺、谷保城山公園、谷保天神と歩いて、谷保天神からは、昨日と同じようにバスで帰ってきました。
 立川運動公園は、2,3日前に歩いた所ですが、土手を紫で一面に染めた、桔梗草の写真を撮りたかったからです。この前は、スマホ写真だったので、見た感じが全然出ていなかったのです。しかし、良く良く写真を見ると、桔梗の花とは違うようです。さてこの花は、本当に桔梗草でしょうか、心配になりました。調べて見ましょう。
 その後、桔梗草(?)を見ながら、弁当を食べ、貝殻橋を渡って、国立崖線に出ました。暫く歩いて大通りを渡ると、滝之川学園に出ました。滝乃川学園は、知的障害者の福祉施設です。1891年、石井亮一という人が、キリスト教精神に基づいて創設したそうです。園内には、矢川が流れており、直ぐ先で府中用水と合流します。福祉施設と本部が、矢川によって別れており、本部側には、小さな教会があり、日本で最も古い部類に入るピアノが置いてあるそうですが、見たことはありません。今は新緑と花畑の花が綺麗でした。何時もは、知的障害者の何人かと会うのですが、今日は誰も外に出ていませんでした。
滝乃川学園の直ぐ近くに、南養寺があります。かなり大きな木がある森がありますが、以前は森を歩けたのに、最近は歩けなくなりました。学園と寺には、誰一人として人がおらず、こういった所なら、歩いても良いでしょう。
南養寺から続く崖上は、農地がかなり残っていて、旧家も多いのです。多摩の豪農の子孫でしょうか。この旧家の1つに、林檎の木を植えている農家があります。6,7年程前、この林檎の写真を撮っていたら、旧家から爺さんが飛び出してきて、「林檎を採るんじゃ無いぞ」と大声で叫びながら近づいてきました。話している内に、誤解は解けましたが、どうも私は、挙動不審者に見えるようです。今日は、まだ大きくなっていない、林檎の実の写真を撮りましたが、爺さんは出て来ませんでした。元気なのでしょうか、新型コロナに感染していなければ良いのですが、、、。
今日は、昨日と違って天気も良く、迷うこと無く谷保天神に着き、すんなりとバスで我が家に戻りました。
 夕方のニュースで、東京都の新型コロナの感染者は、またしても100人を超して112人だったそうです。昨日は、感染終息に、大いに期待しましたが、残念ながら、もう暫く掛かりそうです。
 
「枯れ草と 色の変わらぬ 痩靫 虫も蝶々も 来そうにないな」
「草藤の 花の陰から 白き花 天下伺う 照葉野茨」
「草藤と 雀の豌豆 並び咲く 大きく見える 豌豆の花」
「アカシアの 花の準備の 整いぬ 若葉の中に 蕾膨らむ」
「春風に 野蒜の蕾 揺れている 野蒜摘みを 誘うが如し」
「土手の道 黄色に染めた タンポポも 綿毛を飛ばす 白き帽子に」
「我の名を 知っているかい お爺さん 教えてあげよう わしゃシラン」
「せせらぎに 垣根無けれど 垣通し 水辺が綺麗な お花畑に」
「切株に 笠の様なる 諸葛菜 装い変えて 新たな花へ」
「赤花が 顔出し始める 春半ば ペラペラしない ペラペラヨメナ」
「墓石の 周りで花咲く トベラかな 悔い改めし 穢れ無き白」

 〇04月29日。

 この4,5日、風が強かったり、俄雨が降ったり、冬の最後のあがきのような日が、続いていました。所が、今日からは初夏の気候になり、天気もおだやかになるとのことでした。
 4月29日は、昭和天皇の誕生日で、海外では、日本の国祭日になっていました。色々とやらなければならないことが多く、海外勤務者にとっては、結構大変な日でした。私も若い頃に、その経験をしました。歳を取ると昔のことばかり思い出します。
 今日は、毎日見ている、目の前の七生丘陵を歩きたくなり、四谷橋、一之宮交差点、七生谷戸、百草八幡、百草台、高幡台団地、高幡不動、程久保川と歩いて、我が家に戻りました。今日は、公共の乗り物を一切使いませんでした。
 散歩に出かける時、玄関のプランターの中で、藪柑子が芽吹いているのに気がつきました。玄関の方は、一年中、殆ど日が当たりません。そんな中で芽吹いたのですから、もっと早く気がついて、誉めてやらなければ行けなかったですねー。
今日歩いた所の殆どは、七生丘陵散策(東)コースで、何度も歩いた所でした。最近、何時もの道を少しそれることに興味を覚え、今日も、何時もは歩かない高幡台団地に行ってみました。団地ですから、見かけは皆同じようなものですが、小規模ながら、昔の森が良く残されていました。多摩ニュータウンと同じく、昭和の良き時代の香りがしました。坂道を降りると、いきなり高幡不動駅の近くの、程久保川に出ました。結局、程久保川を逆に歩いて、我が家に戻りました。

「玄関で 藪柑子の 芽吹きたり 日差し無くとも 君は元気だ」
「ベランダに 檜扇水仙 花咲かす 妻が育てた 花の株分け」
「花よりも 花の跡こそ 好みなり 小人が被る ノゲシの綿帽子」
「溝に張る 隠れた罠の 蜘蛛の網 遠くへ飛びたい 綿毛捕らえる」
「森の前 方喰の花 日を浴びて 花屋の花が 越してきたよう」
「竹藪を 背にして白き 花畑 異国生まれの ブルーベリーの花」
「新緑の 森を見ながら 放尿す 見晴らしの良き 公園トイレ」
「春の日に 若葉が光る 百草台 森の隅まで 若葉の泉」
「池の端 濃き紫の 花並ぶ 十二単の 顔見せの列」
「川縁に オランダ辛子の 花出島 宅地の中の 川と思えじ」
「春爛漫 ツツジと共に 満開に 眩しい程の 昼咲き月見草」
「晩春の 程久保川に 花の道 散りてまた良し 八重桜かな」
「八重桜 花ごと落ちて 花小舟 寄り添いながら 流れ楽しむ」


 〇04月30日。

 今日は、多摩総合病院に、9時半までに行かなければならないので、早めに洗濯をして洗濯物を干していたら、ベランダの片隅に、アゲハ蝶がいました。私が、近づいても飛び去る気配がありません。どうやら、我が家で羽化したようです。去年の暮れに末の孫が、ベランダの山椒の木を見て、「此処に蝶の蛹があるよ」と言っていたのを思い出しました。急いでカメラを持ってきて、写真を撮りました。
 8時半に家を出て、9時10分に多摩総合病院に着きました。医師との予定時刻は9時40分でしたが、今日は珍しく9時20分に医師と会い、先日の検査結果について、話が聞けました。心臓の臓器そのものは特に問題は無いとのことでした。しかし、暫く不整脈改善の薬を投与したが、心房細動に関しては変わりなく、不整脈は以前と同じだと言う事でした。色々話をして、結局、5月26日に入院し、27日に手術をする事にしました。新型コロナの影響で、何もすることが無いので、丁度良いでしょう。
 その後、入院に関する説明、血液採取、入院申し込みとやることが沢山あったのですが、比較的すんなりと終って、11時には、薬局から薬も貰って、全てが終了しました。
 今日は、散歩が出来ないと思い、病院から多摩欄坂を歩いて国立駅に出て、そこからバスで、我が家に戻りました。 
 家に帰り着いたのは、12時近くでしたが、弁当は作ってあったので、我が家の目の前の多摩川の河原で、弁当を食べることにして、第一段目の河原に出ると、鬼胡桃の木の下に雉がいました。この前、声は聞けども姿は見えずだったのが、今日は雉の方から会いに来てくれた感じでした。何と言うことでしょうか、予期しない時に予期しない事が起きるものです。雉は暫くして、去って行きましたが、とても嬉しくなって、流れの側の河原で、美味しい昼餉になりました。
 明日は、日記をブログに上げることにしていますので、午後は、その準備をしながら過ごしました。
 夜のニュースで、新型コロナによる非常事態宣言は、一ヶ月は延長せざるを得ないだろうとの、総理の発言がありました。陰鬱な気持になりましたが、もう少し耐えなければならないかと思いました。
 アメリカのレムデシビルというコロナ治療薬が近々承認されるというニュースもありました。しかし、私は、アメリカの薬の効果の、社会学的統計数値による判断基準が信用出来ず、薬そのものも信用出来ません。「薬を投与した人は、薬を投与した人は、しない人より30%良くなる可能性が高い」というこの数字に一体どの様な意味があるのでしょうか、もう少し、きちんとした因果関係を説明してほしいものです。いずれにせよ、薬が承認されれば、日本も緊急に追認するそうですから、アメリカの薬剤会社は、大儲けするでしょう。正しく、この為に、いかにも最もらしい統計数値を利用しているように思います。

「ベランダに 我が家生まれの アゲハ蝶 何時飛び立つや 花咲く河原へ」
「1つずつ 身体の機能 壊れ行く これが老いの 定めなれども」
「弁当を 食べに降りたる 多摩河原 雉がきょとんと 我を見ており」
「多摩川の 流れの音を 聞きながら 日差しの中で 弁当喰らう」

| | コメント (0)

« 2020年4月 | トップページ | 2020年6月 »