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2020年4月

2020年4月27日 (月)

2020年04月22日

2020年04月22日

 04月22日。

我が家のベランダで、3年程前に散歩道から持ってきた野草に花が咲きました。しかし、この花の名前を思い出せませんし、調べることも出来なくて、そればかりが気になっています。
新型コロナの感染が止まらず、自宅待機の要請が、日増しに強くなっています。散歩とかジョギングについては、比較的許容されていたのですが、それも、出来れば止めるように、テレビの中で色んな人が叫んでいます。新型コロナの感染防止のためには、仕方が無いのかも知れませんが、私に取っては、家の中でじっとしていることが、病気になりそうです。私が歩く所は、人が多くありませんから、感染の機会は少ないと思います。
丁度、散歩に出ようとしていた時に、娘から電話がありました。中1、小5、小1の3人の子供と、自宅で仕事をしている旦那が、毎日家に居るので、3食食べさせるだけでも大変だそうです。食料品の亡くなり方も半端ではないそうです。何時になったら、現在の状況が落ち着くのか、娘の嘆き節を聞きました。
 今日は、我が家から、野猿街道、大山橋、上坂橋、崖下用水、NEC(新田川緑道の起点)、府中崖線、西府文化センター、西府駅、分倍河原、片町文化センター、清水下小路、善明寺、大国魂神社、府中駅と歩き、帰りはチュウバスで帰りました。この中で、大山橋から府中崖線までと、西府駅から片町文化センターまでは、初めて歩いた所でした。
 府中の四谷地方は、昔、米所だったようで、多くの水田があり、その為の用水が張り巡らされていたようです。現在でもかなり残っています。この用水は、多摩川の水を利用したものと、多摩川の河岸段丘(崖線)からの湧水を利用したものがあります。今日歩いた用水は、湧水を利用したものだと思います。湧水を利用した用水には、1年中水が流れていますが、多摩川の水を利用した用水は、稲刈りの時期から翌年の田植えの時期まで、水が止められてしまいます。今日歩き始めた用水は、位置関係から、この前歩いた新田川緑道に繋がっていると予想していたら、正しくその通りでした。
 崖下から、西府の所で崖上に出て、後は府中まで、崖上を歩きましたが、崖の縁に家が並んで建っていて、見晴らしは良くありませんでした。しかし、人が一人やっと通れるような小径を歩き、住宅地で人から邪魔者扱いにされている野草を見ながら、野草の頑張りも見ました。善明寺の庭は、ツツジと立浪草が、今が盛りと咲き誇っていました。善明寺から府中の中心までは、ものの5分程度でした。帰りは今日もチューバスでした。

「ベランダで 老いを慰む 花の咲く 愛しの君の 名前忘れる」
「多摩の里 数の少なき サクランボ 丸き葉先は 虫の住家か」
「梨園の 花は早くも 咲き終わり 実の肥るのを 待つばかりなり」
「道端に あれほど咲きし 花韮も 店仕舞いして アマナに替わる」
「名を知りて 君との出会い 思い出す 六等星の 蚤の綴りよ」
「今知りし 君がこんなに 強いとは 固き道端 菫サイシン」
「無き友と 飲みしビールを 思い出す 路傍に咲く花 芹葉飛燕草」
「諸葛菜 何時もと変わらぬ 花なれど 水辺に咲けば 趣変わる」
「シャガの花 見飽きる程の 花なれど 水辺に咲けば 菖蒲と競う」
「湧水が 羊歯を伝いて せせらぎに 光る水玉 落とし続ける」
「湧水と 新田川緑道 合流点 今日も楽しい 昼餉となりき」
「昼餉済み 西府緑地の 木の幹に 我を見つめる 狸と出会う」
「家覆う 木香薔薇の 垣根かな 屋根まで届き 薔薇葺きの屋根」
「人一人 やっと通れる 昔道 幼き頃の 記憶と重なる」
「我が子等と 共に遊んだ カルタ取り やの字が先頭 矢車草の花」
「こりゃ何だ 垣根を覆う 空木かな 山で見るのと 趣違う」
「庭先に 小米詰草 花筵 所々に 他の花模様」
「桃色の 草藤の花 咲き乱れ 地上に降りた 寝そべり藤」
「境内が 花で埋まりし 善明寺 恐らく花好き 優しき大黒」

 〇04月23日。

朝6時頃起きたら、また綺麗な富士が見えたので、朝飯前の散歩をし、藤の写真を撮りました。一体藤の写真を何枚撮れば気が済むのでしょうねー。その後河原に出ると、近くで雉の鳴き声が聞こえました。昨年の台風の後、さっぱり鳴き声を聞かなくなっていたのですが、先月くらいから良く鳴き声を聞くようになりました。写真を撮りたくて、必死で探しましたが、結局見つかりませんでした。
朝の仕事を終え、昼食の時刻が近づいてきましたので、今日2回目の散歩に出かける事にしました。昨日歩いた西府の崖下用水の源流は、多分私が何度も散歩している崖下(ママシタ、普通はハケシタと読むのですが、この湧水だけママシタと読みます)湧水だろうと思い、今日は、それを確かめるために歩きました。
 先ず、我が家から日新小学校、府中西高、上坂橋、谷保天神、谷保城山公園、ヤクルト中央研究所、国立郷土文化センター、崖下湧水、SVマーケットと公共の乗り物を一切使わないで歩きました。
 今日は、野猿街道を歩かないで、裏道を通りました。まだかなり田畑が残っているのですが、毎年、住宅や工場、倉庫が増えています。今日通った府中西高は、西高という名前だけで、郷愁を感じます。私が、長崎西高出身なので、特別の感情が湧くのです。今でも、在京西高同窓会があり、年に2,3回は当時の友達と会っています。当時長崎市に県立の高校は、西と東の2校だけでした。聖蹟もスポーツも東西で長崎1を争っていました。東は坊ちゃん校、西はバンカラ校でした。その府中西高の横の栗園で、季節外れの栗拾いをやりました。大きな栗がごろごろ落ちていたので、20個ほど、頂いてきました。昔は食べるために栗取りに行きましたが、今は食べるのではなく、梟の置物を作るのです。私は、梟を集めるのが趣味なので、千羽近くの梟が、私の部屋に飾ってありますが、その中の二百羽近くは、木の実や石で作った私の作品です。
 府中西高から、上坂橋は直ぐで、そこから崖下用水を、昨日とは反対の方へ歩きました。用水は、谷保天神の下で、谷保天神の「常磐の清水」と言う湧水と、国立郷土文化センターの後ろにある南養寺の森から流れてくる湧水が、谷保天神の近くの天神橋の所で大きな用水と合流しました。所が、本流とも言うべき大きな用水には、水が流れていなかったのです。つまり、崖下(ママシタ)湧水とは繋がっていなかったのです。予想が外れて残念でしたが、何時も散歩をする谷保城山公園、ヤクルト中央研究所、矢川と崖下(ママシタ)湧水の合流点、崖下(ママシタ)湧水と歩いて、今日の散歩を終えました。城山公園には、二輪草が、絨毯を敷き詰めたように裂いていました。
 その後、近くのSVマーケットに寄って、最近他の所では売っていない宝籤を買っていたら、突然雨が降ってきました。暫く外で雨が止むのを待っていると、周りが明るくなり、西の空は青空が広がって、日向雨に変わり、東の方に虹が出来ました。綺麗な虹とは言えませんでしたが、天気の移り変わりが面白かったです。SVマーケットに来たら、必ず買う鶏の軟骨を買って、今日は公共の乗り物を一切使わないで、我が家に戻りました。
家に着いた直後に、妻から電話がありました。1週間程前、非常事態宣言が、日本全体に拡大したため、那須で妹さんと一緒にやっている美術館も、臨時休業にしたらしく、現在やることは、犬の世話くらいになったと言っていました。

「土手の道 緑の若葉に 朝露の 光輝く 宝石の道」
「朝の日に 小さな花の 長き影 砂利河原の 秘めた風景」
「朝日受け 朱く輝く あの花は 何時もと違う 雛芥子の花」
「砂利河原 花に夢中の 我を呼ぶ 姿見せない 雉の鳴き声」
「去年の実の 焦げ茶に光る 栗林 素通り出来ない 昔の記憶」
「道の端 薊に似た花 何の花 良き名前かな キツネの薊」
「用水の 狭き流れに 水好きの 今が盛りの 川ジシャ・クレソン」
「谷保天神 大楠の下 梅園で 和鶏と共に 弁当食べる」
「我を見て 餌やり爺と 勘違い 綺麗な和鶏 我から離れず」
「谷保天神 常磐の清水の せせらぎに 花を咲かせる 雪の下かな」
「せせらぎに ツツジの花の ぽとり落ち 流れに乗りて 最後を飾る」
「白雲を 押し退け黒雲 俄雨 やがて雲切れ 狐の嫁入り」
「雨上がり 東の空に 虹の門 潜ってみたし 希望への門」

〇04月24日。

今日も良い天気だったので、四谷橋、聖蹟桜が丘、桜が丘カントリー、   公園、南多摩駅、是政橋、矢崎公園、府中本町と随分遠回りをして府中まで歩きました。
今日歩いた所は、四谷橋から聖蹟桜が丘までは、多摩川の土手でしたが、その後は、川崎街道、府中街道と大きな自動車道路でした。しかし、桜が丘カントリークラブから南多摩までは、川崎街道は、桜が丘カントリークラブと多摩カントリークラブの間を走り、人家は無く、新緑と青空と白雲を楽しみながら歩きました。是政橋を渡った所で、2時15分でした。2時29分に、30分に1本のチューバスが府中駅を出ます。それには、間に合わないので、府中駅から3番目の停留所、府中本町へ行くことにしました。此処には、2時34分頃にチューバスが着くはずで、歩く距離も少ないので、なんとか間に合うだろうと思って歩きましたが、途中から間に合わないかも知れないと思えてきました。心臓が弱っているので、余り早足で歩いてはいけないのですが、ついつい急ぎ足になってしまいました。死にそうな思いで歩いて、結局バス停に着いたのは、2時35分でした。誰も待っている人はいないし、もう行ってしまったかと諦めた所に、カーブを曲がって来るチューバスが見えました。詰まらないことですが、大感激でした。乗客は、私を入れて3人でした。これでは、三密にはならないでしょう。
家に帰ると、次男が起きていて、「外に干してあった鶏の軟骨、烏が食べていたよ」と言われました。確かに、半分近く食べられていました。最近、食べられることがなかったので、雨では無く竹の笊で干していたのです。残りを取り込み、しっかり焼いて、酒の肴にしました。

「新緑の 上に青空 白き雲 薫風流れて 何処もかも春だ」
「雲を背に 街のシンボル 四谷橋 我の暮らしと 共にありけり」
「手の中に すっぽり入る 小ささよ 君はほんとに 雛菊なりや」
「雛芥子の 花であるとは 思えども 余りに小さく 信じられない」
「どの地でも 何時でも君は 逞しい 方喰さんよ 何故に小さい」
「パンジーさん 君は強いと 聞いていた 舗装道路に 根を下ろす君」
「我も知る アメリカフウロは 逞しい 舗装道路も 気にはせぬのか」
「新緑と 白雲浮かぶ 青き空 稲城へ向かう 川崎街道」
「森切れて 緑の芝生 広がりぬ プレーする人無き 多摩カントリークラブ」
「息切らし バスの時間に 間に合いて 嬉しさ込み上ぐ 滑り込みセーフ」
「日に干した 鶏肉烏の 餌となり 酒の肴が 少なくなりし」

 〇04月25日。

 朝、妻から電話がありました。昨日、東京に着いたようです。2週間に一度上京し、慶應病院の婦人科の先生のお世話になっています。新型コロナの非常事態宣言で、状況は少し怖いらしいのですが、勇気を出して来ているようです。しかし、新幹線は、一両に3,4人しか客がおらず、密にならないのは良いが、現在、確かに異常事態なのだと痛感するようです。
今日は土曜日で、色んな所で人が増えるので、我が家の前の河原、四谷小学校・府中第八中学校前の河原、第2西府緑地、関戸大橋、聖蹟桜が丘、府中四谷橋を歩きました。
 我が家の前の河原は、ちょっとした森が形成されていて、今新緑がとても綺麗でした。この森は、昨年の台風19号の被害が大きく、森の中の殆どが砂利と砂で覆われ、森には下草が殆どありませんでした。森の木々には、枯れた荻などの草が、腰巻きのように巻き付いていました。倒された木も沢山ありました。それが、芽吹きの季節になって、森の中の砂利や砂が消えてしまいました。様々な草が、森の下を草地に変えてしまったのです。木の少ない空き地は、菜の花畑になっていました。草藤、烏の豌豆、諸葛菜等々、花も沢山咲いていました。新型コロナも強いですが、草木達の強さも見せつけられました。地球の生命の不思議さを、改めて強く感じました。
 夜は、次男が休みで、夕食時には起きて来たので、久し振りにゆっくり飲みました。

「河原森 芽吹き終りて 新緑に 去年の嵐は 無かったかのよう」
「森の下 砂利と砂地も 皆緑 どこから来たや 草に覆わる」
「森は春 木々等の芽吹き 終れども 嵐の時の 腰巻き脱げず」
「森の中 嵐の傷跡 残れども お構いなしに 元気回復」
「森の中 木々の少ない 空き地には 菜の花畑の 出来ているなり」
「森越えて 流れに近き 砂利河原 草等根を張り 花付けており」
「石の上 花等の影が 出来ており お伽の世界を 見ているようだ」
「草藤の 蔓が延び行く 砂利河原 いつの日にかは 緑の河原に」

 04月26日。

  今朝も、妻から電話がありました。「これまで、上京したら1日は私と会い、美味しい食事をして、色々話をするのが楽しみだったのに、それが出来ないのが詰まらない」と言ってくれました。嬉しいことです。神楽坂まで行っても良いのですが、お互いが、もし何かあったらとか、こんな状況では楽しめないとか、色々考えて、もう少し、新型コロナの成り行きを見ようと言う事になっています。その代わり、電話でたっぷり1時間、話をしました。
 今日は日曜日で、多摩川の我が家側の土手は、散歩する人以上に、自転車が多いので、土手の道が続いてない、自転車乗りに余り人気の無い、我が家の反対側の多摩川の土手を歩いて来ました。我が家を出て上流に向かい、石田大橋、北川原公園、万願寺渡し跡、立日橋、立川運動公園、貝殻橋、立川根川と多摩川の合流点、SVマーケット、家の近くのショッピングモールまで強烈な風の中を歩きました。SVマーケットでは宝籤(ロト6)だけを買いました。
 夜のテレビで、多摩川の動物たちの特集をやっていて、何となく、今日歩いて来た所に似ていました。しかし、もう少し上流の、秋川と多摩川の合流地点でした。我が家の前も、浅川と多摩川が合流する地点なので、風景も昨年の台風の影響も、良く似ていました。今日も次男と飲みましたが、お互い眠くて、うつらうつらしながらの飲み会となりました。

「腰かがめ 帽子抑えて 橋渡る 春の嵐の 凄まじきかな」
「道脇に 地上に降りた 天の川 蚤の綴りの 花の集合」
「この年で 蚤の綴りの 名を知れば 至る所で 手を振る花達」
「対岸も 去年の嵐の 傷跡が 多摩の流れは 形を変えし」
「多摩川の 渡しの跡の ベンチにて 昔を思いつ 弁当喰らう」
「桔梗草 細き身体で 風に耐え 土手一面に 揺れる紫」
「新緑の 木々の根元に 雪景色 山盛りに咲く 甘菜の花よ」

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2020年4月22日 (水)

2020年04月15日

2020年04月15日

 〇04月15日。今朝も妻から電話が掛かって来ました。新型コロナによる非常事態宣言のため、私が電車に乗って都心へ出て来ることを心配して、非常事態宣言が終わるまでは、会わないでおこうと妻が言ってくれたのです。従ってこれから暫くは、電話だけとなってしまいました。
 今日は、関戸橋、中河原公園、第3都市緑道、郷土の森公園、下川原緑道、府中駅まで歩きました。中河原公園の棗の芽吹きは遅く、小さな芽がやっと顔を出した所でした。中河原公園から郷土の森公園までの緑道には、春の花が沢山咲いていました。何日か前、分倍河原の光明院の境内で、初めて知った雛桔梗草の花が、この緑道では、沢山咲いていました。
 下河原緑道は、昔、多摩川の砂利を採集するための下河原鉄道の跡を、緑道として整備したものです。この緑道が旧甲州と交わる所、高安寺の近くは、何処よりも早く草藤の盛が来るようです。今日も、草藤で埋まっている所がありました。
 下河原緑道の終点(始点?)から、行きつけの酒屋に行ってみました。閉まっているかも知れないと心配しましたが、ちゃんと営業していました。何時も買う、グアテマラのラム酒「サカパ」を買いました。一番好きな酒の1つです。府中では、多くの店が閉まっていましたが、コーヒーと外国製の食料品を売る店が開いていたので、ワインの摘まみに、生ハムとチーズを買いました。
 昨日、聖蹟桜が丘で、宝籤を買おうとしたら売店が閉まっていましたが、府中では開いていたので寄ってみたら、宝籤の販売は自粛していると言われました。現在は、当たりくじに対する支払いだけだそうです。色んな事に、新型コロナの影響が出ています。また、体温計を買おうとしてドラッグストアを3軒回りましたが、何処の店にも在庫がありませんでした。
 府中からは、チューバスで帰りたかったのですが、最近、電車に乗る機会が少ないため、スイカへのチャージが出来ず、スイカで買い物もするため、残金が少なくなっていたので、聖蹟桜が丘まで、電車で帰りました。私のスイカは、残金が5000円より少なくなると自動的に10000円チャージされるのです。これで、暫く安心です。

「咲く花が アラブの帽子を 思わせる 箆大葉子は アリババ一族」
「色違い 雄と雌とは 知らなんだ スカンポ花咲く 多摩川の土手」
「背比べ 負けたくないと 意地を張り 花茎伸ばす おっ立ちカタバミ」
「固き殻 裂くは難し 棗かな 漸く新芽 外を窺う」
「見ようでは ノゲシの子供に 見えるけど 君は八重咲き ハナニガナだろ」
「これまでも この地でずっと 咲いてたの 気づかずごめん 雛桔梗草」
「何処見ても 烏の豌豆 花盛り 良く良く見れば 魅力があるね」
「芽吹き終え 新芽守った 殻達の 苦労称えて 花型勲章」
「花見れば 現の証拠と 間違える 路傍に逞し アメリカフウロ」
「土手に咲く 君を仰げば 別の花 気品に満ちた 方喰の花」 

 〇04月16日。夜には雨になると言っていましたが、昼間は、少し日差しもありましたので、また、府中の方へ向けて歩きました。
 我が家は、府中市の西の端、国立市との境に近い所にあります。府中の中心部に行くには、何通りも行き方があります。今日は、四谷稲荷神社の近くにある四谷文化センターから「四谷通り」を通って、中河原駅、中河原公園、「ふるさと通り」を通って、郷土の森公園、そこから、大東京綜合卸売りセンター、サントリービール工場、東京競馬場を経て府中の街に着きました。
 新型コロナの影響で、郷土の森博物館のある公園は閉鎖されていましたが、各種の運動施設のある郷土の森公園は、締めようがなく、多くの家族連れが来ていました。夏になると1度は孫達と、此処のプールに泳ぎに来ています。公園はオープンですが、体育館、プール、ゴーカート場は閉鎖されていました。勿論、今日は、運動施設は関係なく、誰もいない釣り堀の脇で、甲羅干しの親子亀を見ながら、弁当を食べました。
 昼食の後、大東京綜合卸売りセンターに行ってみると、既に商売の時間は終わったのでしょう、閑散としていました。此処は、卸売りと言っても小売にも対応するので、何か買おうと思いましたが、気をそそられる物がありませんでした。
 サントリービール工場、東京競馬場の側を通って、府中駅に着いたら、丁度チューバスが出る所だったので、チュ-バスで我が家に戻りました。このバスは、通常老人客で一杯なのですが、緊急事態宣言以降は、自宅待機を守っているようで、今日も4人しか乗客が居ませんでした。それでも、府中市は、このバスの運行を止めないようです。逆に、府中市の大きな収入源である、競馬、競艇は開催されませんので、府中市も出費ばかりが増えて困っているでしょう。
 夜テレビを見ていると、非常事態宣言が、7都市から日本全国に拡張され、困窮者への30万円支給から、国民全員へ一律10万円支給に替わりました。国民全体が非常事態を自覚し、外出を自粛しコロナウィルスの感染を防ごうとの戦略のようです。この非常事態宣言が、どの様な成果を生むか、2週間後の感染状況を、早く見てみたいと思いました。

「何処からか 妙な視線が 届いてる 庭木の幹に 鋭い目のあり」
「花も実も どちらも大事な 莢豌豆 小さな畑に 紅白の花」
「街路樹に ほんのり赤き 花水木 大和国の 花となりけり」
「青空を 背にして綺麗 花蘇芳 心動かす 花ではなけれど」
「春の午後 親亀小亀 甲羅干し 何時まで干すの お腹空いたよ」

 〇04月17日。天気予報では、今日は雲が多く、基本的に雨は夜から降り出すが、天気が急変し雨になる所も出て来るとのことでした。ところが、11時頃になると、日差しも出て来ましたので、大急ぎで弁当を作って、折畳みの傘を持って散歩に出かけました。
 我が家から四谷橋を渡り、程久保川、百草園駅、百草八幡、由木農場・石坂ファーム、大乗寺、厚生荘病院、倉沢緑地と歩いて、四谷橋へ戻ってきました。
 程久保川の八重桜は、今が最盛期でした。この前は蕾だった藤も、5分咲き程度になっていました。この前は、そのまま程久保川沿いに高幡不動まで歩いたのですが、今日は左折して百草園駅に出ました。近くに薬屋があったので、体温計がないか聞いてみましたが、矢張りありませんでした。そこから、七生丘陵へ登って、百草園に出ましたが、百草園も閉鎖されていました。仕方なく、その横の誰一人居ない百草八幡で、昼食にしました。今の時期には、人が居ないのが良いのでしょう。
 昼食後、1つ谷戸を超えて、次の丘にある由木農場と石坂ファームに行きました。由木農場は、関東では珍しく、リンゴ園を経営しており、秋には林檎狩りが楽しめます。今花が満開でした。由木農場も石坂ファームも、力を入れているのはブルーベリー栽培です。7月には、ブルーベリー狩りの客で賑わいます。私も1度だけですがやったことがあります。今日は、ブルーベリーの花が満開でした。花は、薄桃色の馬酔木のような花なのですが、広い敷地を埋め尽くして、壮観でした。思いがけず、楽しい散歩となり、良い気分で我が家に戻りました。
 夕方のニュースで、東京の一日の感染者の数が、201人と初めて200人越えとなりました。東京都知事は、その理由を「検査の数が増えたからだろう」と言っていました。この言葉は、日本の新型コロナに対する対応状況を良く現していると思います。政府やマスコミ等から発表される数字は、何も感染症の実態を正確に現していないと言うことです。これでは、政府もマスコミも、自分が出した不確実な数字に、自ら溺れて踊っているようなものです。日本の先行きが心配です。社会学の統計は、不確かなことを本当らしくするために有るのかも知れません。

「花館 垣根代わりの 藤の花 春の霞に 融けて花咲く」
「花のよな サボテンの葉から 花の咲く どんな花にも 春は来るのだ」
「丘の道 紫ケマン 花盛り 名前教えた 友は世を去る」
「ありふれた 花と思いし 母子草 この春漸く 君と出会いし」
「川岸に ペラペラヨメナの 花の咲く 咲き始めの君 大きくしっかり」
「多摩の里 林檎の花が 咲いて居る 多摩でも出来る 林檎狩りかな」
「丘埋める 薄桃色の 花畑 今満開の ブルーベリーの花」
「梅園に 鈴生りの梅 色好きぬ 梅狩りの日も あるのであろうか」
「農場の 森の向こうに ビルの建つ ランドマークの 帝京大学」
「タンポポの 丸き綿毛が 風を待つ 都会の中は 苦難が待つぞ」
「紫に 輝く花の 諸葛菜 見慣れし花々 心落ち着く」

 〇04月18日。今日は、朝から雨でした。ベランダ全体が、びしょびしょになるような雨でした。暫くは、水遣りしないでも済みそうです。時々、強い風が吹いて、我が家のベランダにも、桜の花片が飛んできました。
 今日は散歩は出来ないと覚悟を決めて、3日分の日記を書いたり、花の名前を調べたり、パソコンの前で過ごす時間が増えました。ところが、遅めの昼食を食べ、テレビを見ていたら、午後3時半頃、外が少し明るくなりました。西の方に、青空が出て来て、雨も止みました。見ていたテレビ「鬼平犯科帳」が終わるのを待って、4時少し前に散歩に出かけました。
 我が家の前の多摩川の土手に出ると、水嵩の増した多摩川が大きな音を立てて流れていました。青空は、更に大きさを増し、雲は色々と形を変えながら、東の方へ移っていきました。雨の後の景色の変化が面白く、何枚も写真を撮り、結局、日没まで、多摩川の土手で過ごしました。多摩川に出た頃は、大室山は見えましたが、富士山は見えませんでしたが、日没の頃は、幽かに見えるようになりました。
 6時半頃に、我が家に戻り、酒の肴を準備していたら、次男が起きて来ましたので、一緒に酒を飲むことにしました。次男の会社も仕事が減っているらしく、この所、週3日の休みになっていますし、仕事に出ても勤務時間は、非常事態宣言の前に較べると、半分以下になったそうです。
 
「窓叩き 春の嵐の 吹き荒れて 桜の花片 我が家に届く」
「夕刻に 向ヶ丘に 青空が 沈んだ心も さっと晴れ行く」
「雨雲が 色んな姿に 形変え 東の空へ 駆け足移動」
「西の空 晴れて青空 広がるも 富士山隠す 雲は居座る」
「奥多摩の 谷から吹き出す 低き雲 亀になったり 鳥になったり」
「刻々と 姿を変える 空と雲 時を忘れて 日没時期に」
「富士隠し 大室山の 背後から 霞のような 富士が顔出す」
「夕暮れの 多摩の河原に ウンカ飛ぶ 日没と共 消える命か」
「西の空 東の空も ほんのりと 朱く染まりて 日没始まる」
「三頭山 沈む太陽 受け止めて 日没劇は 見事終演」
「春嵐 気持沈んで 恨み節 去ってしまえば お伽の世界」

 〇04月19日。予想通り、今朝は素晴らしく良い天気になりました。昨日の雨で、空気が澄んでいるせいか、富士が一段の白く輝いていました。山部赤人の歌を思い出しました。彼が住んでいた頃の大和国は、空気が汚れることは無かったでしょう。
 昼近くから、多摩川の土手を上流に向かって散歩に出かけました。ずっと富士と丹沢を見ながら散歩が出来るからです。我が家から、石田大橋、立川野川と多摩川の合流点、矢川緑地、富士見台公園、矢川通り、郵政大学、富士見通り、国立駅と歩いて、国立駅からはバスで帰ってきました。
 今日の昼食は、立川野川と多摩川の合流点近くで、富士と丹沢を見ながら弁当を食べました。中味は、ご飯と鳥の山賊揚げ、じゃこ天だけです。じゃこ天は昨晩の残り、山賊揚げは、今朝の残りです。スーパーで弁当を買うと、1回では食べ切れないので、昼の弁当にもなるのです。弁当1食の値段は、398円(税抜き)ですから、随分安くつきます。にも拘わらず、外で富士山を見ながら食べると、とても美味しいのです。食後は、5本95円のバナナ1本を、缶コーヒーを飲みながら食べます。缶コーヒーもスーパー西友で買うと65円なのです。随分、貧乏くさいことを書きました。
 矢川緑地は、それ程大きくない緑地ですが、珍しく湿地の多い緑地で、今、芽吹きの榛の木と、水面に葉を出し始めた蒲が綺麗でした。また、強烈な日の光を浴びて、欅や小楢等の芽吹きもとても綺麗でした。
 矢川緑地から、富士見台までは、桜並木ですが、花の時期は終わって、ただの並木でした。そこから、国立駅までは、住宅地の中をひたすら歩きました。
 夜は、今日も次男と酒を飲むことが出来ました。次男としても、仕事が少ないのは、例え給与保証があっても、気分が良くないそうです。早く新型コロナが収束してくれないと、生きる喜びがありません。

「多摩の里 窓を開ければ 白妙の 富士の高嶺に 光り降りつつ」
「富士見つつ 今日も元気な 春紫苑 頭を垂れた 君見たく無し」
「新緑の 七生が丘の 上に立つ 大和の心 真白き富士の嶺」
「森の中 富士の白嶺を 仰ぎ見る 高幡不動 五重塔かな」
「新緑の 萌黄の色と 白き富士 春の武蔵野 長閑けからまし」
「多摩の里 富士の白嶺を 背景に 時代は令和 多摩モノレール」
「丹沢と 富士の白嶺を 眺めつつ 頬張る弁当 旨さ格別」
「足下に 青空背にした 木々映す 矢川緑地の 天上散歩」
「水好きの 榛の木の森 新緑に 水草たちも 背丈を伸ばす」
「水際に 常磐露草 川ジシャと 水好き仲間 集まりており」
「芽吹く森 強き日差しの 降り注ぎ 木々等が作る イルミネーション」

 〇04月20日。今日は、強い雨ではありませんでしたが、ほぼ一日降っていました。雨が止んだのは、午後5時近くでした。結局、今日は1歩も外に出ず、一日を過ごしました。お陰で、ペルー時代の思い出の一文を書くことが出来ました。
 朝、鼻水が止まらなくなり、新型コロナウィルスに感染したかと心配になりましたが、熱は無く、鼻水も昼頃には止まりました。検査が簡単にできないので、不安ばかりが大きくなります。
 夜は、3日連続で、次男と飲みました。次男も家から出ることが少なくなり、二人で無聊を慰め合う形になりました。

 〇4月21日。今日は、心房細動に関する検査の日でした。最初に、心臓のCT検査を行い、次に超音波による検査を受けました。結果については、30日、担当医から説明があります。それにしても、病院は時間が掛かります。午後1時頃に家を出て、2時10分に病院に着き、受付から始まり、料金の精算が終わったのは、丁度4時でした。それから、我が家の近くで買い物をして帰ると、6時近くになりました。検査のために、昼食抜きでしたので、急いで酒の肴を準備して、晩酌にしました。昨日まで、3日連続で次男と酒を飲みましたが、今日から次男の夜の仕事が始まったので、一人の酒になりました。
 去年、後期高齢者になって、半年が過ぎました。何だか年の取り方が、スピードアップしたようです。顔も老人ぽくなりました。肌も水気が無くなりました。心臓に問題が起きたため、重いものも持てず、早歩きも出来ません。物忘れも進行し、旨く話が出来ません。先日、友人から「シルバー川柳」が送られてきましたが、今の私の生き方そのもので、一人で大笑いしました。歳を取って、人間の基本的な機能が低下し、死への恐怖と、現世への未練を無くしてくれるのかも知れませんねー。ある意味、有難い事なのかも知れませんねー。

「買う物を メモして近くの スーパーへ メモしたことを 忘れて大買い」
      

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2020年4月15日 (水)

2020年04月08日

2020年04月08日

 〇04月08日。昨日の夕方、阿部総理の口から、国家非常事態宣言が発せられました。強制力も違反者に対する罰則も無い、国民の良識に期待する非常事態宣言でした。この宣言が、新型コロナ感染拡大に、どの様な効果を発揮するかは、2週間後の結果を見て、再度判断するそうです。2週間後、どの様な結果になるかは、確言出来ませんが、旨く感染を抑えきれなかった場合の、阿部総理の発言だけは、想像出来る気がします。阿部総理は、「国民が、新型コロナの感染の危険性を十分に理解して、行動自粛がなされると思いましたが、期待した程の自粛が行われませんでした。なんとかして、拘束力のある非常事態宣言にするために、早急に国会で審議したいと思いますので、野党の方のご協力をお願いします」、こんなものではないでしょうか。
 定年退職後の、私の生活は、外食は妻との月2回の食事、月に2,3回程度の高校、海外生活の時の友人との会食、大学のOB会関連が月1回、孫達との食事が月1、2回程度でした。3月から、これらの集まりは、一切無くなりましたので、非常事態宣言が出た時点では、友人と会うことは、皆無になっていました。買い物も、食料品と生活必需品、偶に本を買うだけになっていました。その他は、むしろ断捨離をしなければならない状態でした。そんな訳で、今回の非常事態宣言が、私の日常生活に大きな変化をもたらすことは、ほとんどありません。少し、関係が有るとすれば、毎日の散歩の時、公共の乗り物を使うくらいのものです。
 今日は、非常事態宣言の翌日、実質的には、今日から非常事態ですから、公共の乗り物も止めて、我が家から歩いて、程久保川と浅川と多摩川の合流点で昼食にし、その後は、八重桜の綺麗な程久保川沿いに高幡不動まで歩き益した。八重桜は咲き始め、一重の桜は散り始めでしたが、両方楽しめました。帰りは、万願寺の「いなげや」、石田大橋を越えた所の「SVスーパー」、我が家の近くの「西友」を見学して、帰ってきました。勿論、建物に入る時は、マスクをしました。訪れた時刻の関係もあると思いますが、どのスーパーも、左程混雑しておらず、食料品に不足は無く、緊迫感はありませんでした。変わったところと言えば、レジの行列は、2m間隔になるように、線が引かれていたことくらいでした。
 夜、満月のスーパームーンも綺麗に見えました。

「順番に 晩生の桜 満開に 心が和む 桜公園」
「花片が 巣穴の周り 飾り立て 蟻等の動きも 楽しそうなり」
「ゆらゆらと 黄色き花の 揺れている 背高タンポポ 豚菜の花かな」
「砂利河原 小さな花を 見る度に 生きる力に ただただ感動」
「この河原 命育む 場所なりや たったの一輪 雛菊の花」
「なよなよと 細き身体に 花付ける 砂利の河原の 菜の花なりき」
「花重く 石に持たれて 一休み 栄養不足の 河原の菜の花」
「砂利河原 育ちの悪き ネモフィラか なんと凜々しい 花でありしか」
「犬フグリ どんな荒れ地も 生きられる 流石の君も 辛そな砂利場」
「君は誰 見たことも無き 花の有り 茅と菜の花 重なり合いし」
「藤棚に 蕾の大きく 膨らんで 八重桜から バトン待ちおり」
「砂利河原 小さな菜の花 見てくると 大栗川の 菜の花お化け」
「亀さんの 頭に簪 首飾り 桜の季節の 甲羅干しかな」
「我を見て 花の筏の 流れゆく 川に戻るや 花見の亀さん」

 04月09日。今日も、公共の乗り物を使わず、我が家から、七生丘陵、百草八幡、枡井緑地、百草観音、帝京大学ラグビー場、御林山公園、中和田通り、大栗川、宝蔵橋、一之宮と歩いて来ました。
 今日歩いた所は、もともと沢山の人が居る所では無いのですが、大栗川を除いて、殆ど人と会いませんでした。特に、帝京大学のラグビー場は、何時もは、学生が練習をしていたり、他大学との試合をしていたりするのですが、今日は、たった一人の人影もありませんでした。恐らく、大学そのものが、閉鎖しているのだと思います。百草八幡、枡井緑地、百草観音、御林山公園にも誰一人としていませんでした。
 今日の昼食は、七生丘陵の林の中にある、小さな空き地の切株に座って食べました。タンポポ、キジムシロ、菫が沢山咲いていました。食後タンポポを良く見たら、外来種のタンポポに混じって、在来種のタンポポもありました。此の土地が、外来種が侵入しにくい程、奥地だったのだろうと思います。国木田独歩の「武蔵野」を思い出しました。
 御林山公園は、実は初めて行きました。小さな公園でした。しかし、江戸時代は、中山道の日野宿近辺の橋を建設修理するための、幕府直轄の大きな林だったそうです。

「庭先に 予期せぬ花が 満開に 桜の季節の 白藤の花」
「上見ても 森陰見ても 芽吹きかな 綿毛を付けた ゼンマイ出でる」
「森の中 小さな空き地に キジムシロ 菫に負けじと 陣取り合戦」
「花桃か 玉を思わす 花並ぶ 最近知った 庭桜かも」
「多摩の里 旧家の畑 諸葛菜 長持ちのする 早春の花」
「見上げれば 気品溢れた 花となる 今が盛りの 烏の豌豆」
「多摩の里 君を見るのは 珍しき 花はタンポポ ジシバリの花」
「青空と 白雲背にした 春紅葉 柔らか若葉 撫でて見るなり」
「細き枝 白く並んだ 大文字 苺の仲間 紅葉苺だと」
「道路脇 大和菫の 並び咲く 思いの外に 君は逞し」
「兄達は 全て杉菜に 変わりたり 晩生の土筆 目立つ存在」

 04月10日。今日は、天気は良かったのですが、北風が強くて肌寒さを感じました。国家非常事態宣言が出た後は、散歩も公共の乗り物を出来るだけ使わないように、我が家から歩いて行ける所を選んでいます。その為、我が家の横にある四谷桜公園で準備体操をしてから歩くことにしました。実は、そのお陰で、最近何となく急に歳を取って、体調不良になったと感じていたのですが、それは、極端ではありませんが、腰がきちんと伸びておらず、その為背中も丸くなり、胸が圧迫されるようになっていたことが分りました。準備体操で、腰と背を真っ直ぐ伸ばし、胸を張るようにしています。そのお陰で、少し体調が良くなったような気がします。
 今日は、光明院、八雲神社、分倍河原、高安寺、府中国際通りを歩きました。我が家から、四谷の守り神である稲荷神社を経て、中央高速道路沿いに、鎌倉街道(現代の)に出て、更に御狩場道路を歩いて、分梅通りへ出ました。この交差点のところに、光明院があります。今は、近代的な寺になっていますが、由緒ある寺だったと思います。分梅通りは、昔は陣街道とも呼ばれていたらしく、鎌倉街道の1つだったようです。陣街道の由来は、中世に軍勢が陣立てして往来したことによると言われています。近くに、分梅河原合戦跡がありますが、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦の跡地です。光明院の近くには、これも古い八雲神社がありますが、最近は放置されているようです。分倍河原に来ると必ず寄ることにしている高安寺に寄り、一画にある「弁慶硯の水井」のところで、弁当を食べました。この井戸は、義経が兄頼朝に赦免嘆願を書いて奉納する時に、弁慶が硯のために、水を汲んできた井戸だと言われています。
 府中の国際通りは、飲み屋などが多い通りなので、どの様になっているか、見に言ったのです。昼間でもあり、人通りが少ないのは、新型コロナと関係が有るようには見えませんでした。こういった場所は、夜で無いと変化が分りませんねー。しかし、府中駅から続く商店街は、半分以上し待っており、実に寂しい感じがしました。
 ほんの少しだけ、電車に乗って、聖蹟桜が丘にも行ってみましたが、こちらも京王デパートや関連する多くの店が休業しており、セミゴーストタウンのようでした。

「庭先や 道の脇にも 群れ咲きぬ いかにも野草 雛芥子の花」
「庭1杯 花咲婆さん 花咲かす 近頃見ないが 元気でいるや」
「小手毬の 可愛い花と 大違い 蹴鞠に負けぬ 大手毬かな」
「道脇に 細き身体で 列をなし 野草のような 矢車草かな」
「田植え前 田圃の端に へばり付き 白き斑点 鷺苔の花」
「住宅地 僅かに残る 田圃かな 畔の地固め ジシバリの花」 
「花多く 枝が見えない 薔薇の花 垣根の王者 木香薔薇かな」
「玉簾 花韮でも無い 甘菜かな 階段状に 花の咲くなり」
「道脇に 紅白ツツジ 満開に 明るき日差し 倍返しかな」
「大粒の 雪を乗せたか 雪柳 いえいえ私 小手毬の花」
「新緑の 若葉が光り オリオン座 若葉を守る 命の水玉」
「春の日に 元気一杯 春紫苑 春爛漫の 道辺を作る」
「芽吹き後の 赤き紅葉葉 白ツツジ 狙いどおりの 春になりけり」
「春紅葉 欅の芽吹き 急かしてる 御狩場通りの 春の午後かな」
「墓の中 菫方喰 揃い咲き 花に変わりて 浮き世の様子見」
「方喰に 桜の花片 降り積もる 枯れては積もり 枯れては積もり」
「境内で ひっそり咲いてる 君の名は 君に似合いの 雛桔梗草」
「久し振り 庭先に見る 鯉幟 そうだもうすぐ 端午の節句」
「弁慶の 硯の水井で 昼餉かな 歴史の舞台 高安寺かな」

 〇04月11日。我が家の前の四谷桜公園に繋がる公園は、八重桜が満開になりました。3月の10日頃には、目の前の桜が咲き、その後次々と違った種類の桜が咲いて、一月以上ベランダから、桜を楽しんでいます。そして、去年は花を咲かせなかった、ベランダのレモンに蕾がついているのを見つけました。今年は、我が家のレモンを食べることが出来るかも知れません。
非常事態宣言で、休業を要請する業種から、理容室と美容室が除外されましたが、私には関係が有りません。非常事態宣言が出る前に、自分で髪を切りました。それにしても、感染拡大は止まりませんねー。しかし、多くの人が言っているように、日本の感染者の数が少ないのは、しっくりきません。ニューヨーク市の人口より、東京都の人口が、遥かに多いのではないでしょうか。なのに、東京の感染者数は、ニューヨーク市より格段に少ないのは何故でしょうか。ニューヨークのコロナウィルスの方が、感染力が強いのでしょうか、そんなことは無いはずです。検査の仕方に問題があるのでしょうか。国民の清潔好きが関係しているのでしょうか。医療保険のせいでしょうか。ただただ、ニューヨークを上回る感染にならないよう祈るばかりです。
今日は、NECの工場の近くから始まる新田川緑道を歩いてきました。昔道があったのかどうかは知りませんが、府中の農地が都市化されて以降整備された遊歩道です。
 NECの大きな工場を一周してから、新田川緑道に入りました。途中、昨日歩いた分梅通りと交差する所があり、新田川緑道の中に分倍河原合戦場跡があります。ベンチも用意されていましたので、今日の弁当は、石碑とせせらぎを見ながら食べました。何組もの子連れの家族が遊びに来ていました。昼食後は、新田川緑道の終点に当たる、郷土の森公園まで歩いて、家にはチューバスで帰りました。客はたったの3人でした。

「ベランダで 眺める桜も 最終章 満開迎えた 八重桜かな」
「ベランダの 隅でひっそり 蕾付け 無精の主に 喜び分ける」
「東京で 蓮華の花は 昔花 多摩で見つけて 思い出湧き出ず」
「切株に 多くの蘖 芽を出して 明日へ命を 繋ぎ行くなり」
「弁当を 食べてる我に 近づきて 少し分けてと 合図する鳩」
「せせらぎの 痩せ地に小さな 花の立つ それが可愛い カワヂシャの花」
「蒼穹に 白雲湧きて 流れゆく 大自然の中 我は居るなり」
「雛菊が 地面に落とす 影が良い 寄り添う花の 心を写す」
「紫陽花や 芽吹きの朱が 見事なり このまま時が 止まれば良いな」

 〇04月12日。今日は、朝起きた時は、道路が濡れていたし、一日中曇りか雨だと思ったのですが、時々、日差しも出るようになったので、我が家から、多摩川に沿った遊歩道を、中河原、関戸橋、大栗川と多摩川の合流点、新大栗橋、関戸、桜が丘、聖蹟桜が丘といった感じで歩きました。
 途中、府中市と多摩市の3校の学校の側を通りました。通常ならば、日曜日でも校庭には、遊んだり部活をやったり子供等の声が聞こえるのですが、どの学校にも誰一人居ませんでした。本当に異常な状態です。その代わり、多摩川の土手や河原には、親子連れの姿が多くなっています。

「萌黄色 輝く紅葉の 春黄葉 空行く雲も 驚く晴れ着」
「葉桜へ 変わりつつある 桜木の 枝を広げて 最後の華やぎ」
「楠の 地を這う根から 新芽かな 次の世代の 誕生なるや」
「雨近し 空に蠢く 雲達の 力比べが 相撲の如し」
「鈴掛の 芽吹きの下に 花絨毯 花の模様は 苔の技なり」
「深閑と 静まりかえった 学び舎に 病の影の 漂いているなり」
「葉桜と 思えば蔦の 芽吹きかな 親の桜は 今が満開」
「花の名を 花咲婆に 聞きました 鈴蘭に似た スノーフレーク」

 〇04月13日。朝早く妻から電話がありました。新型コロナの関係で、今回は会わないことにしているので、あれやこれやと、電話で1時間以上話しました。話が出来るだけでも、本当に助かります。
 今日は、朝から晩まで、一日中雨でした。外に出て、友達と遊べなかった幼い時の雨を思い出しました。一日、恨めしそうに外を眺めていました。今日の私と同じようなものです。でも、お陰で、溜まっていた日記を書き上げることが出来ました。

「窓越しに 雨と多摩川 眺めつつ 身体動かし テレビも見るかな」

 〇04月14日。朝5時50分に起きて、カーテンを開けると、真っ白い富士と丹沢が見えました。朝日は上がったばかりで、その日を受けて、富士と丹沢の蛭ヶ岳が輝いていました。直ぐにカメラを提げて、朝飯前の散歩に出かけました。多摩川の土手に出て、驚きました、丹沢、富士、甲斐の山々、奥多摩、秩父まで、関東全山真っ白い雪景色でした。今日は、富士隠しと呼ばれる大室山まで、見渡す限りの山々が真っ白でした。こんな雪景色は、初めて見たと思います。桜の時期が終わろうとしている時期にです。何と言うことでしょうか。これまでの経験から、多摩や多摩を取り巻く山々の素晴らしい雪景色は、朝日が昇って1時間程度しか、続かないのです。それにしても素晴らしい景色でした。早起きは、100文の得ですかね。
 朝の散歩から帰ってきた時、妻から電話がありました。今日妻は、慶應病院に行くのですが、院内感染があるので、怖いと言っていました。確かに、院内感染が増えている病院が多く、妻の心配は尤もだと思います。その後、暫く今日の多摩地方で見た雪景色の話をしました。今朝の多摩の様子を話すことが出来て、私も満足しました。
 昼前から、何時もの散歩に出かけました。多摩大学、八坂神社、多摩陸上競技場、東多摩公園、聖ヶ丘、桜が丘公園、大谷戸公園、春日神社と歩いて、春日神社からは、バスで帰りました。
 東京横浜のビル街や、武蔵野全体を見渡せる「みはらしの丘」登った時は、早くも、景色に霞がかかってきました。また、奥多摩の雪は、淡雪の所が多かったのでしょう、近くの山からは、朝見た雪が無くなっていました。これはある程度予想していたことでした。去年の初日の出は、此処で見たのですが、今日は此処で、東京のビル街を見ながら、弁当を食べました。食事の後、公園伝いに歩きましたが、フデリンドウ等の花々、新緑の森から、沢山の力を貰いました。
 聖蹟桜が丘は、相変わらず閑散としていて、宝籤の売り場も閉まっていました。ドラッグストアで体温計を買おうとしたら、なんと品切れでした。ところが、駅前のコンビニ「K-ショップ」では、珍しくマスクが売っていましたので、ついつい買ってしまいました。

「朝起きて 最初に富士の 白嶺見る 何時もと違う 白嶺の輝き」
「家を出て 多摩川縁から 眺めれば 雪また雪の 武相の連山」
「奥多摩の 彼方に見える 甲斐の山 一際白く 真冬の山かな」
「多摩からは 富士隠しの山 大室山 富士と一緒に 雪化粧かな」
「富士山が 大室山を 包み込み 親子揃って 白装束かな」
「相模から 甲斐へと続く 丹沢山 この春最後の 雪化粧かな」
「北の端 秩父の山の 武甲山 木の無き山肌 白さ際立つ」
「仙人の 暮らし強いられ 気の重い 我に力を 多摩の雪化粧」
「遠目には 変わらぬビル街 眺めつつ 苦難思いつ 弁当喰らう」
「丘の土手 筆竜胆の 咲き誇り 自然のエールと 思えてくるなり」
「街路樹の 百合の木芽吹き 葉を広ぐ 大人と変わらぬ 形しており」
「百合の木の 芽吹きの中に 去年の花 萌黄の葉の中 今が見頃か」
「命満つ 芽吹きの森に 囲まれて 大きく息して 命吸い込む」
「土手の上 野草のような チューリップ 大和に住つき 山との花に」
「八重桜 草地に一輪 花落とし 新種の花を 咲かせて居るなり」
「桜が丘 桜に変わりて 花桃の 満開の花 丘を埋めけり」
「芽吹き終え 緑に変わる 辛夷の木 花の一輪 咲き残るかな」
「春日差し 新芽の列に 手を延べて 花に変えたる 光りの魔法」 
 

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2020年4月 9日 (木)

2020年04月01日

2020年04月01日

 〇04月01日。今日は1日中雨で、1日中家の中で過ごしました。時間がたっぷりあったので、3月分の日記の中から、写真と和歌擬きをフェイスブックに投稿しました。写真を選んだり、色々面倒なので、私が、フェイスブックに投稿するのは、一月に1度程度なのです。

 〇04月02日。今日は、多磨総合病院の呼吸器内科へ行ってきました。近くの四谷クリニックで、息苦しさがあるので診察して貰ったら、心房細動と診断され、その病院の医者から、多磨総合病院へ行って、専門の医師から、対処の仕方について、きちんとした処置を聞いた方が良いと、紹介状を書いてくれたのです。胃癌の手術をした病院です。
 多磨総合病院でも、レントゲン、心電図の検査をした所、矢張り心房細動のよる不整脈だと診断されました。薬で落ち着く人も居るが、完治することは無く、何れ再発するので、完治を望むなら手術をした方が良いとのことでした。手術と言っても、腿の付け根の辺りから、カテーテルを入れ、細動を起している心房の表面に数カ所火傷を付けるのだそうです。手術のための入院は、3泊4日程度で、比較的簡単な手術だそうです。何故火傷を付けるかというと、心房に繋がる血管から、細動を引き起こすような不規則な情報を遮断するためだそうです。これまで、行われた手術で、失敗例は殆ど無く、手術後は普通に運動が出来るようになるそうです。
 そんな訳で、手術をする事にしましたが、新型コロナの感染が拡大している現在は、入院そのものに恐怖感がありますので、暫く薬で様子を見て、新型コロナが落ち着いた所で、手術をする事にしました。
 多磨総合病院に行ったら、これまでは、武蔵国分寺から、おたかの道を歩いて、殿ヶ谷戸公園に寄るのが習慣だったのですが、病院で時間が掛かったことと、最後の殿ヶ谷戸公園が、新型コロナのために休園になっていましたので、今日は大人しく家に帰りました。この近辺の有名な公園は、殆ど休園になっています。屋内でなくとも感染の危険が高いのでしょうか、最近の政府や専門家の意見が、素直に信じることが出来なくなりました。

 〇04月03日。今日は、立川根川公園から、残堀川に行ってきました。丁度一月前の梅の季節に歩いたのですが、このコースは、梅より桜の名所なのです。今年の桜は、長持ちするようで、桜は今が満開でした。
 満開の桜と花吹雪、池や小川の花筏、花楡(ハナニレ)、山吹(ヤマブキ)、著莪(シャガ)、躑躅(ツツジ)、蒲公英(タンポポ)、垣通し(カキドオシ)等々の春の花達、翡翠(カワセミ)、青鷺、カルガモ、鷭、小鴨等の鳥達、総勢で出迎えてくれて、新型コロナに負けるなと、励まされているようでした。
 また、家族ではLINEで情報の交換をしたりしていますし、今日は、久し振りに姪からも電話がありました。取り敢えず現在の所、家族そして親族にも、新型コロナへの感染者は居ないようです。テレビでは、孫達による爺さん婆さんの訪問を控えるように言っていますし、暫く、普通の生活は出来ないようです。

「多摩河原 草や木々等の 芽吹き増え 嵐の後にも 春は来にけり」
「鬼胡桃 芽吹きと共に 花下がる 細長き花 胡桃となるや」
「嵐後は 頼りの木々の 少なくて 子供のような 草藤の花」
「何時の間に こんなに増えた 垣通し 背は小さくも 花は華やか」
「多摩河原 岸に菜の花 春景色 土手には桜 春真っ盛り」
「春うらら 蚤の衾が 別の花 写真に撮れば 更に器量良し」
「我が胸の 春の主役は 蒲公英さん 力強さと 金の輝き」
「花筏 川の関所で 滞り 川面を埋める 桃色絨毯」
「桜見る 橋の欄干 占領し 弁当喰らう 春の午後かな」
「池の端 黄色眩しい 山吹の 己見惚れる 姿見の池」
「桃色の 花片纏い 着飾りぬ 桜の時期の 河骨の花」
「横目にて 我を見ながら 照れ笑い 多くの視線 戸惑う翡翠」
「幹隠す 葛押し分け 桜花 年に1度の 主役の季節」
「青鷺さん 桜の花に 見惚れたの 近づく我を 無視して花見」
「草むらに 著莪と桜の 揃い咲き 春爛漫の 立川根川」
「せせらぎに 花筏の 多すぎて 何処も渋滞 春の小川よ」
「河骨の 若葉の周り 首飾り 桜散れども 君は頑張れ」
「花韮と 思いて見れば 玉簾 花のバトンは 次々渡る」
「もう君に 花のバトンが 渡ったの 早過ぎないか 常磐露草」
「桜木の 下で花咲く 花楡に 花片落ちて 見分けがつかぬ」
「花片を 宙に留め置く 蜘蛛の糸 風のそよぎて 花の舞いかな」

 〇04月04日。重陽の節句では無いので、祝いはありませんが、昔、私達は、4月4日を男でも女でもない「お釜の日」と呼んでいました。男同士の結びつきには、尻を使うだろうから、お釜に例えたのだと思います。こんな言い方は、最近は禁じられていると思います。
 ところで、東京は今週の終末も外出自粛ですが、天気も良いのに一日家に居たら、気持も身体も腐ってしまいそうですから、小金井公園に行って来ました。多くの公園が、入園禁止のなっている中、小金井公園は、来園者を排除することはありませんでした。確かに、何時もより子連れの来園者は、多かったようですが、密集という感じはしませんでした。
小金井公園の桜の園の桜は、満開の時期を超えているようでしたが、満開の気分を味わうことが出来ました。同時に、弱い風でも舞い落ちる、花吹雪を堪能しました。そして今日も、翡翠(カワセミ)が、顔を出してくれました。

「花片が 飯の上にも 舞い落ちる 小金井公園 桜の園かな」
「幹の瘤 地蔵に見える 古木かな 桜吹雪が 地蔵に落ちる」
「人の世の 病の広がり 哀れむや 木々等の芽吹き 命の息吹」
「白雲が 桜に乗って 桜餅 病あれども 春はうららか」
「春呼びし 梅の小枝に 梅の実が 仲良く並び 双子の笑顔」
「お隣の 梅の枝には 子沢山 喧嘩をせずに 大きくなれよ」
「子供等の 駈ける広場の 桜花 病に負けるな 子等を応援」
「人間の 剪定入らぬ 辛夷の木 自由に枝延び 容姿端麗」
「この池に 魚は居るの 翡翠さん それともただの 顔見世興行」
「ほらあそこ 桜の花が 綺麗でしょ 甲羅干しつつ 亀等の花見」

 04月05日。朝早く友人から訃報が入りました。1年後輩と同期が、今月に入って無くなったそうです。後輩は肺癌だったそうですが、今騒がれている、新型コロナでは無かったそうです。昨年の11月、私の叙勲の祝いをしてくれた時は、とても病気をしているとは思えない元気さでした。これが歳を取ると言うことなのでしょうか、私自身も、死期がそう遠くないことを、身をもって感じます。生きるという人間のシステム機能が、どんどん劣化していることが、自分でも分るのです。
 そういったことがありながら(あるからこそ)、今日も散歩に出かけました。飛田給の駅から、東京スタジアムのあるスタジアム通りの桜並木、東京外国語大学、武蔵野の森公園、野川公園、基督教大学と桜の名所を歩きました。北風が強く吹き、冬のような寒さでした。桜の多くは、梢の方に花は残っているものの、多くは葉桜になっていました。しかし、新緑と桜が、心に薫風を運んでくれました。
 今日も、武蔵野の森公園の桜を見ながら弁当を食べました。この歳になると、3食を食べるのが義務化して、家で食べると美味しさよりも面倒くささを感じるようになってきました。そこで、昼は、散歩の途中で弁当を食べることにしました。残り物を詰めただけのような物ですが、弁当を作るのが楽しくなりましたし、色んな場所での弁当は、変化があって、とても美味しく感じます。
武蔵野の森公園の前にある、外語大では、すんなりキャンパスに入れましたが、基督教大学は、何処の門も閉まっており、入校を禁じられました。新型コロナの影響だそうです。武蔵野の森公園の修景池では、まだ北帰行をしていないヒドリガモが私を迎えてくれました。
 2月の終り頃から、一緒に暮らしている次男の休みが土日となり、一緒に飲める日が増えました。今日も一緒に飲みました。

「ヒドリガモ 北帰行は 未だなるか 大和国は 暖冬なるに」
「芽吹き時 メタセコイアの 威容かな 木全体に 命漲る」
「采振り木 桜でありや 梨なりや 桜と競う 白き花かな」
「ピョンピョンと 芝生を跳ねる ツグミさん 見事な白眉 学者顔かな」
「木々達の 命の息吹 満ちている 野川公園 芽吹きの森かな」
「北風に 花を窄めた 二輪草 野川の土手に 鈴蘭の花」

 〇04月06日。今日は、本来ならば、娘のところの末の孫が、小学校の入学式でした。入学式は行われたそうですが、死期はグランドで親しか参加が許されなかったそうです。LINEで写真が送って来ましたが、とても可愛かったし、しっかりしていました。この新型コロナが、孫達の心の中に、どの様な形で残るのか、乗り越えることが出来た困難となり、自分に自信が出来るような良い経験となれば良いのですが、、、。
 予定は無くなりましたので、遅咲きの桜が今頃満開になっている、四谷桜公園を歩いてから、今日は多摩市の桜ヶ丘の方を歩いて来ました。桜が丘ですから、桜があちこちにあるのですが、こちらの方は流石に盛りを過ぎていました。今日の弁当は、桜が丘四丁目のバス停横の公園で、桜と桜の根元の小さな小さな菫を見ながら、弁当を食べました。

「橋桁に 胡麻粒程の 青き花 せめて知りたい 君の名前を」
「新緑の 七生が丘に 白き雲 次第に消える 櫛の歯稜線」
「芽吹き終え いろは紅葉の 春紅葉 萌黄の中で 目立つ赤さよ」
「何時見ても 庭1杯に 花の咲く 東寺方 花咲か爺婆」
「庭中の 緑の苔の 輝きて 京の古刹の 小型版かな」
「住みにくき 桜の根元の 菫かな 花に降り積む 桜の花片」
「住宅地 桜が丘の 公園で 十二単を 見るとは思わじ」
「婆さんの 思い出の湧く カカラの葉 花を見るのは 初めてなりき」
「日を浴びて 白く輝く 草苺 花も良けれど 赤い実も良し」
「花と芽が 共に出て来る 公孫樹さん 待っていたよと スポットライト」
「石垣の 小さな隙間に 蜘蛛の網 網を楽しむ 桜の花片」
「桜木の 簾の彼方 人の街 何故か街は 桜と共存」

 〇04月07日。今日は、娘の所の上の孫の、中学校の入学式でした。残念ながら、上の孫の入学式にも参加出来なくなりました。新型コロナの影響です。本当に大変なことに遭遇し、この事が孫の人生にどの様に影響するかとても心配です。自分の中で消化して、良い経験に変えて欲しいと思います。
その新型コロナの感染防止のために、国家非常事態宣言が出されました。一種の戒厳令です。これは、私の75年の人生でも初めて経験する、凄いことだと思います。しかし、安倍首相の話を聞いていると、何故この宣言が必要なのかさえ、素直に理解出来なくなりました。何時ものことですが、彼からは、政治家の決意というものが感じられないのです。総論だけで具体性が無く、かつ将来へのシナリオも無く、自分に責任が及ばないような取り繕いだけを感じてしまいます。彼のことを言い出すと、止まらなくなりますから止めますが、どの様な結果になるか心配です。
 非常事態宣言は夕方に出るようでしたので、その前に、南武線の南多摩駅から、稲城城山、向陽台、稲城中央公園、若葉台、みはらしの丘、聖蹟桜が丘と歩きました。今日の散歩は、上り下りが多く、少々疲れました。しかし、新緑の中で美味しく弁当を食べ、色んな花とも出会いました。残念だったのは、向陽台でしか見たことのない、黄花木蓮の花の時期が終わっていたことでした。今日歩いた稲城の街は、殆ど電信柱と電線が無く、とてもすっきりとしていました。日本国中から、早く電信柱と電線を見えなくして欲しいと思います。
 夜寝る前に、我が家のベランダの方に、スーパームーンが回って来ました。澄んだ空からの月の光が、ベランダに淡い影を作っていて、月の明るさを感じました。昔、月の光の中を歩いたイグアスの滝を思い出しました。その時は、月がイグアスの滝に作る虹を見に行ったのですが、本当に見る事が出来ました。
でも、満月は明日の筈ですが、今日が一番大きく見えるのですかねー。

「城山に 人が作りし 花の園 立浪白雪 乱れ咲くなり」
「これは何 初めて目にする 花咲ぬ 意表つかれる 黄花片栗」
「座り込む 山吹擬き 山吹草 擬きでありても 花は美し」
「花の園 端にちらほら 立金花 数少なくも 目立つ花なり」
「花の園 君も居たのか 二輪草 芽吹きの森に 似合いの花なり」
「老いたれば 若き命が 羨まし 芽吹きの森に 嫉妬するなり」
「森陰に 真白き花の 咲いている 近づき見れば 茸なりけり」
「常緑の 楠の芽吹きの 面白き 芽吹きの萌黄 老葉の紅葉」
「ベランダに 月の明かりが 影作る 最も明るい スーパームーン」
  

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2020年4月 7日 (火)

2020年03月27日

2020年03月27日

 〇03月27日。天気予報の感じでは、今日は、一日中曇りの様だったのですが、日差しも出て来たので、対岸の河原に野蒜を採りに行くことにしました。対岸の河原には、先に四谷橋を渡るか、石田大橋を渡るかで、歩く距離がかなり異なります。最後に石田大橋の近くのスーパーで買い物をしたかったので、最初に四谷橋を渡る方を選びました。途中、浅川を堰の飛び石を渡るか、新井橋を渡るかで、歩く距離がかなり変わります。今日は、堰の飛び石を渡る方を選びました。水量が少なくて、飛び石が良く見えたからです。若ければ、簡単に渡れると思いますが、この歳では大冒険でした。足が震えて、今にも川に落ちそうになりましたが、やっとの思いで、多摩川の方へ渡ることが出来ました。
 渡った地点は、多摩川と浅川の合流点の三角州になっていて、ゴミ処理場や日野高校、石田寺などがあります。合流点から石田大橋まで、約1キロ強は、桜の名所で、今が満開でした。この春、桜の名所を沢山回っていますが、今日が一番綺麗だったような気がします。長い桜の列を見ながら、昼食にしました。
 昼食後、河原に下りて野蒜採りをやりましたが、時期が少し早かったようで、茎がまだ弱く、根が抜けませんでした。それでも、周りを掘ったりして、7個程根を取ることが出来ました。

「土手の道 枯れ草押し退け 赤き花 春が来たのだ 草木瓜の花」
「師走まで 咲き続けた 泡立草 黒く霜枯れ 時期を待つなり」
「満開の 桜の時期の 南風 花片連れて 我を撫で行く」
「春の午後 一陣の風 吹き荒れて 我を襲いし 花吹雪かな」
「花片が 我を目がけて 飛び来たる 華麗なるかな 桜の散り際」
「左岸では 見つけることの 難しき 垣通しの花 右岸で群れ咲く」
「剥き出しの 根を見せながら 横倒し 涅槃の境地 柳に新芽」
「川岸の 手すりに根を乗せ 横倒し 地中を出でて 空見る根かな」

 〇03月28日。今日は、日の出学園の理事会の日でした。今月中止にならなかった唯一の行事でした。東京都は、この終末、外出自粛要請が出ていましたが、今月唯一の会議ですから、行かないわけには生きません、朝早くから出かけました。何時もの通りに出かけたのですが、バスも電車も空いていて、何時もより20分も早く着いてしまいました。そこで寄り道をして、弘法寺と手児奈霊神を参拝して、理事会に参加しました。
 今日は、理事会も少し長引きましたが、1時には終わり、帰る途中、新宿御苑に寄ってみましたが、新型コロナの影響で、閉園でした。そのまま歩いて新宿の南口の方へ出ると、高島屋始め多くの店が閉まっていました。仕方なく「新宿バスタ」を見学し、新宿西口へ行くと、小田急と京王の百貨店も閉まっており、半ばロックダウン(都市閉鎖)の様相を呈していました。これからどの様に変化するのか、先の見えない恐怖を感じました。
 しかし、極端な言い方をすれば、新型コロナで老齢化社会を、通常の年齢構成に出来れば年金のための税金は安く出来るでしょう。人口が増えなくても経済発展が望めるような社会作りを検討しても良い頃でしょう。世界の人口を現在の10分の1にしても、娯楽はあるし、美味しい料理は食べられるし、お洒落も出来るし、自然科学の研究や発明発見も続いていく、そんな社会は、考えられないのですかねー。

「目に見えぬ 小さな命に 教えらる 人の世の道 山あり谷あり」

 〇03月29日。朝7時、ベランダ側のカーテンを引くと、降りしきる雪が目に飛び込んできました。それから、午後2時頃まで雪は降り続き、一番最初に咲き始め既に葉桜になっていた桜に行くが積もり、満開の頃の感じに戻りました。テレビで、多摩地方に大雪警報が出ていました。3月下旬の大雪は、32年振りだそうです。それにしても、今年の天気は、春になったり冬になったり、変わり方が激しくて、身体がついていきません。
 東京都から、外出自粛のお達しがありましたが、雪が降り止んだ後、雪と花の様子を見に、四谷桜公園、四谷橋、四谷下堰緑地など、近場を歩きました。

「葉桜に 弥生の雪の 降り積もり 再び満開 桜の変身」
「雪降れば あちらこちらに 雪達磨 背後に桜 出会い珍し」
「雪の中 色が浮き立つ チューリップ こんな綺麗な 君を知らない」
「桜咲き 希望に満ちる 筈なのに 雪降り積もり コロナ蔓延」
「大空に 花を捧げる 桜の木 病よ去れと 神への願い」
「川向こう 七生が丘も 雪景色 新芽の出でて 弥生も終わるに」

 〇03月30日。今日は、妻と会う予定だったのですが、妻に別の用事が出たため、中止になりました。そこで、春彼岸の最後の仕事として、あきる野市のカトリック墓地にある弟の墓に行くことにしました。私は、宗教は嫌いだし、墓へ行くと辛い思い出ばかりが蘇るのに、昔の日本人のように、お彼岸くらいは墓に行こうと思ってしまうのです。どんなに理屈を捏ねても、弟と幼年時代を共に過ごし、社会人になっても度々合っていた事実は、私の思い出の中から消し去ることは出来ません。思い出が全て無くなる認知症とは、辛さも一緒に無くなるのでしょうねー。ロボットと同じようですねー。
 五日市線、武蔵増戸から歩いて、午後1時近くに墓につきました。まだ、雑草にも勢いが無く、墓掃除は、いとも簡単でした。ただ、名字の溝に蜂が巣を作っていましたので、それを除去するのに、少しだけ手間が掛かりました。それにしても、あきる野墓地は、桜が実に見事でした。墓には染井吉野、向山には山桜が、山肌に白い模様を作っていました。今日も桜を見ながら、弁当を美味しく食べました。天気は悪いし、新型コロナの影響もあるし、墓参りの人は、これ程の広い墓に私只一人でした。
 弁当を食べ終わると、2時過ぎになりましたので、何時もと逆に歩いて、大悲願寺を尋ねました。此処も桜の名所でした。桜の時期に来たのは初めてだったので、桜を見ながら、境内八十八箇所巡りをしました。桜の中には、非常に色の濃いものがあり、現地のお婆さんの聞いてみたら、陽光桜だと教えてくれました。調べて見ると、交雑種の桜で、紅色が濃いのは、寒緋桜の紅が残っているとのことでした。
 大悲願寺に長居したので、武蔵五日市に着いたのは、3時半頃でした。そこから電車を乗り継いで、結局、我が家に帰ったのは、5時過ぎになってしまいました。

「我が胸に 痛みを残す 弟の 思い出湧くに 何故墓参」
「弟の 気持晴らすか 桜花 魂休む 墓地に満開」
「墓の中 大和古来の 菫咲く 細長き葉に 紫の花」
「里の道 八重葎の 伸び上がり 白き小花を 我に教える」
「何時見ても 寺と桜は 似合いなり 黒き山門 薄桃桜」

 〇03月31日。今日で3月も終りです。残った時間が短くなると、時の進みが早く感じられます。新型コロナの影響で、出来るだけ自宅から出ないように言われていますが、人混みを避けて歩いています。ずっと家の中にいるのは、耐えられません。
 今日は、電車から見える北野の寺とめじろ台の西笑院に御朱印を貰いに行きました。北野から見えた寺は、梅洞寺というお寺でした。この時期で、かつ雨模様だったので、住職が居て直ぐに御朱印を書いてくれました。1つの丘が全て墓地で、墓地からの見晴らしも抜群でした。八王子市の中心街が、直ぐ間近に見えました。江戸時代には、花街の灯も見えたのだろうと思います。なんと、墓の中にちょっとした見晴台があるのです。梅洞寺の有る丘の頂上に、コンクリートの四角い建造物がありました。何も説明書きがなかったので、何に使ったのか分りませんが、戦時中の放題の土台か、戦後の水甕ではないかと思いました。昔の我が家も丘の上にあり、似たような建造物がありました。
西笑院は、電車の中から大きな看板が見えるのです。めじろ台駅から、初めての道を歩きました。笑という漢字を寺の名前に入れているのが珍しく、どうしても御朱印が欲しくなったのです。所が、住職と思われる人は居たのですが、御朱印を書いてくれませんでした。
 何時ものように弁当を持って行ったのですが、小雨が降っていたので、食べる所が無く、バナナとボンタン飴を食べながら歩きました。これもまた一興でしょう。

「境内に 桜吹雪が 舞い落ちて 桃色絨毯 八幡神社」
「関東の 古き町なる 八王子 共に生きたる 名刹梅洞寺」
「丘からも 夜の花街 楽しめる 霊等も楽しい 梅洞寺墓地」
「墓地の中 見晴台の 作られて 霊等集まり 昔を語る」

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2020年03月22日

2020年03月22日

 〇03月22日。今日は、次男の誕生日でした。確か49歳になると思います。随分長い年月が経ったのですね、私も歳を取る訳です。宇宙の歴史に較べれば、瞬間にも満たないような長さですが、人の命も子孫の連鎖を考慮すれば、少しは長さを意識出来るのかも知れません。
 今日は、その子孫である孫達と、国立、府中の森公園と車で花巡りをして、東郷寺で車を降り、本格的な花見をしました。何処も、桜はほぼ満開でした。東郷寺で有名なのは枝垂れ桜で、満開の時期を過ぎようとしていました。東郷元帥の墓も詣でましたが、孫達にとっては、ただの大きな石の塊で、詰まらなかったようです。花だけでは、子供の興味を引きませんねー。
 夕方5時近くに、スシロウで早めの夕食をし、3日付き合った孫達と別れました。少々疲れました。

 〇03月23日。今日は、曇り空でしたが、雨は降らないようでしたので、午後から、多摩川の土手を歩き、郷土の森公園、三ケ村緑道、安養寺、妙光院、大国魂神社、桜通りと歩いて来ました。

「川向こう 桜が丘は 花曇り 河原の柳 はや萌黄色」
「米粒が 大きく見える 花を付け 土手に花咲く 雀の豌豆」
「名の如く 小径に作る 雪景色 春に眩しい 雪柳かな」
「雛芥子も 賑わい添える 緑道に 俺が主役と 花韮の花」
「ごつごつの 桜の根から 花の咲く 時花る花等を 止める術無し」
「八重葎 桜の花を 見下ろして 足下の花に 驚き隠せず」
「桜かと 思えば君は ハナカイドウ 花多きかな 都会の緑道」
「雀より 烏が大きい 野辺の花 小豆色した 烏の豌豆」
「ナズナ等の 白く群れ咲く 真ん中で 存在示す 諸葛菜の花」
「岩の陰 仲間で祝う 春祭り テンツクテンと 姫踊り子草」
「街道の 多き埃も 何の其の 遅れはとらぬ 紫ツツジ」
「安養寺 阿形吽形 花の下 心なしか 笑顔に見える」
「夕日受け 存在感を 競い合う 幹の桜と 幹につく苔」


 〇03月24日。今日は、妻が退院する日でした。電話で妻と話すと、痛みは少し残っているものの、病状はかなり落ち着いたので、今日無事に退院出来たそうです。電話の中で、私の体調のことになり、「年寄りは、少しでも体調が悪くなれば、直ぐ病院に行くべし」と妻に言われました。その言葉に従って、午前中、近くの四谷クリニックに行きました。「最近、運動も何もしないのに、しょっちゅう胸が苦しく感じる」等を説明すると、体温、血圧、脈拍、胸のレントゲン、心電図などをとり、結果として心房細動と言われました。血液を凝固させ、危険な脳梗塞を起す可能性があるそうで、町医者としては、治療が出来ないらしく、またしても、先生の紹介で多摩総合医療センターに来週行くことになりました。胃癌の時も、この先生の紹介により、多磨総合病院で手術をしました。
午後から、多磨霊園、浅間山、府中の森公園を歩いてきました。日差しは暖かいのですが、冷たい北風が吹き荒れて、真冬のような寒さを感じました。
夜のテレビで、今年の日本でのオリンピックは、来年に延期になる事が決まりました。オリンピック史上初めての事だそうです。新型コロナは、世界中に広がり、渡航の自由も制限されています。確かにオリンピックなど実施出来る状況ではないと思います。

「北風が 桜木揺らす 多磨の墓地 霊等もかじかむ 冬の再来」
「風は冬 日差しは春の 多磨霊園 花見しようか 迷う霊達」
「轟々と 芽吹きの森を 吹き抜ける 花冷え過ぎる 浅間山かな」
「小楢等の 芽吹きの森は 萌黄色 北風吹けども 芽吹きは止まず」  

 〇03月25日。新型コロナの感染が広がっているようなので、公共の乗り物には乗らない方が良いのでしょうが、今日は、どうしても井の頭公園に行きたくて、バスや電車に乗り、国立学園通り、一橋大学、国立駅前、三鷹、風の散歩道、井の頭公園の桜を見てきました。吉祥寺は、結婚生活を始めた街で、毎年井の頭公園の桜を見ました。この年になると、その当時が、妙に懐かしく思えるのです。
 山本有三記念館のある、三鷹から井の頭公園まで、玉川上水沿いの風の散歩道は、電信柱も電線も無く、それだけで高級住宅地の中の優雅な散歩道に見えました。それにしても、井の頭公園の混雑も、大変なもので、密集地と変わらないと思いました。桜のシーズンですから、当然と言えば当然なのですが、新型コロナの影響で、多くの人が屋外の名所を求めているようです。

「今年また 学園通りの 桜見る 病流行りて 桜も寂し」
「大学の 庭で煌めく 桜かな 真理の光り 知性に花を」
「満開の 桜背にした チューリップ 人が作りし 花園なれど」
「星空と 思えば此処は 道路なり 横断注意の 小石の光り」
「老人等 芽吹きの森で 太極拳 病よ去れと 心合わせる」
「老いたれば 生きた証の 思い出を 辿りたくなる 井の頭公園」
「子等と見た 井の頭池 目の前に 桜も老いれど 花は美し」

 〇03月26日。朝早く妻から電話があり、一時間以上話してしまいました。妻は、退院はしたものの、新型コロナの感染が急速に広がっているようなので、自宅から出るのが怖くなってしまったようです。その為に、とても退屈しているようでした。
 10時から、四谷桜公園の増築部分の開所式がありました。この増築部分は、NECの体育館と独身寮があった所です。数年前、NECがこれらの施設を工場の近くに移したため、府中市が土地を買い取り、四谷公園を拡張することにしたのです。昨年、遊具設備を備えた子供用の公園は、既に開放され、今日は広場の方の開所式だったのです。時期が時期ですから、大袈裟な式典は無く、周囲に設けられた柵を開放しただけでした。以前からの公園と合わせて、かなり広い公園となり、我が家の近くに良い空間が出来ました。
 その後、桜が丘公園、聖ヶ丘、馬引沢、乞田川を歩いて、聖蹟桜が丘へ戻りました。桜が丘公園も、桜が満開でした。我が家は府中市にありますが、最寄りの駅や生活の基盤は、聖蹟桜が丘なので、桜が丘の方が地元のように思えます。桜が丘公園から、電信柱と電線の無い聖ヶ丘の緑道を通って馬引沢街道に出、乞田川に出ました。乞田川も桜の名所です。カトリック多磨教会の近くのベンチで、桜を見ながら昼食にしました。毎食が、何となく義務のようになってきた最近ですが、外での食事が、とても美味しくて救われています。
 乞田川の土手には、土筆が山のように出ていましたが、川岸は金網が続いていて、土筆を取ることが出来ませんでした。残念でした。
テレビで今週の土日は、外出自粛要請が出ているため、スーパーで食料品の買い占めが起きているとの報道があったので、京王ストアに寄ってみました。確かに人は多かったのですが、テレビで見たように、食料品の棚が空になっては居ませんでした。所が、その次に我が家の近くの西友に行ってみると、野菜、肉、インスタント食品、ラーメンやスパゲッティー、米の棚が殆ど空っぽでした。テレビで見た状況と全く同じでした。東京が閉鎖され、食料品が入ってこないのではないかという恐怖が、このような行動を引き起こしたと思います。ある意味仕方の無い事だと思います。食料が満足に無いことの苦しさを、戦後育ちの私達は、良く知っています。

「お花見も 流行病の お陰かな 花見するなの お達しあれど」
「残り物 詰め込むだけの お弁当 桜の木の下 ご馳走となる」
「これは何 桜の花かと 思いきや 花を真似した 白き苔なり」
「乞田川 土手に群れなす 土筆かな 孫等も食べる 土筆天ぷら」
「金網を 何処から超えた お婆さん 腰をかがめて 土筆採りかな」

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2020年03月15日

2020年03月15日

 〇03月15日。東京の桜は、昨日開花したそうですが、我が家の前の桜は、その2日前に開花し、早くも3分咲き程度になり、目白や雀が蜜を吸いに来ています。今朝は、良く晴れ渡って富士も見えたのですが、私が散歩に出かける11時過ぎには、雲が空を覆うようになり、空気も冷たく感じました。今日は、墓参りでもしようかと思っていたのですが、聖蹟桜が丘に着くと、1日に3本くらいしか無い、相模原行きのバスが止まっていたので、相模原に行ってみることにしました。相模原は、新型コロナの感染者が出た所なので、本当は避けた方が良かったのかも知れませんが、外歩きがメインなので、行くことに決めたのです。
 相模原市に着いた時には、青空が広がり始め、旧米軍基地を見ながら昼食を終えた時には、すっかり晴れ渡りました。以前1度来た時には、線路沿いを歩いて橋本まで行ったのですが、今回は、街中や工場地帯を歩いたりしながら橋本まで歩きました。本来なら、もっと賑やかなはずですか、閉まっている店が多かったり、公民館などは休業したりしており、新型コロナの影響が見られました。橋本も似たような状況でしたので、散歩を早く切り上げ、八王子経由で聖蹟桜が丘に戻りました。
 聖蹟桜が丘では、眼科で作ってくれた処方箋で、眼鏡を作って貰うことにしました。作るか作らないか随分迷っていたのですが、現在セール中で、4、950円の大特価で作るというので、頼むことにしました。その後、薬屋に寄り、風邪薬などを買ったのですが、精算機のシステム障害で、随分長いこと待たされてしまいました。

「相模原 令和になっても 基地の街 歴史は続く 昭和の戦争」
「相模原 新型コロナの 感染地 令和に始まる 新たな戦争」

 〇03月16日。今朝早く、妻から電話がありました。どうも身体の調子がおかしく、頭の痛さが取れないので、今日の午後、皮膚科に行ってみるそうです。結果が分ったら、ゆっくり話をしたいので、夕食に来て欲しいと言ってきました。妻の方から来て欲しいと言うのは、余程のことなので、体調が余程悪いのでしょう、勿論行くことにしました。
 今日は、気温も低く突風が吹いて、冬の嵐の中を神楽坂に向かい、午後5時には着きました。夕食は、お馴染みの中華料理屋でする事にしました。食事をしながら、皮膚科の様子を聞いた所、頭の痛みは、帯状疱疹でかなり進行した状態だそうです。精神的緊張や睡眠不足等で、抵抗力が弱くなると掛かりやすくなるとのことでした。妻は、老齢の犬2匹の世話をしており、夜中2時間おきくらいに起され、睡眠が充分に取れない状態は、かなり長く続いていました。先生からは、掛かるべくして掛かった病気のように言われたそうです。妻は、清潔好きで、その点は問題ないのでしょうが、睡眠不足と精神的緊張は、今がピークだったと思います。先生の言う事を良く聞いて、療養するほか無いでしょう。

 〇03月17日。今朝妻から電話があり、朝起きた時の調子が非常に悪く、頭に出来た帯状疱疹が痛くて、眠れる状態では無かったそうです。そこで、妻としては、昨日の先生にお願いして、入院治療にする事に決めたそうです。私も大いに賛成です。
 午後一番に妻から電話があり、無事、厚生年金病院に、入院することが出来たそうです。本当に良かったと思います。病気は、余程のことが無い限り、専門の医者に任せた方が良いと思います。特に妻は、自分勝手な判断が好きなタイプですから、尚更です。
 妻の入院が決まったので、3時過ぎからでしたが、多摩川の河原を、京王線の陸橋の所まで歩いて、帰ってきました。四谷橋から、京王線の陸橋までは、昨年の台風19号までは、府中側の河原は、林を形成する程、木が多かったのですが、台風の濁流で八割り方流されてしまいました。残った2割も、台風の後始末で全て取り除かれ、木が全く無いような河原になってしまいました。この広い河原の一角に、僅かに残った木を利用した、仙人の庵が1軒だけあります。少々異様な感じがしました。

「早咲きの 我が家の桜 七分咲き 目白に雀 桜楽しむ」
「濁流に 押し流された 多摩河原 新たな庵 出来ているなり」
「多摩河原 何処から来たや 桜草 砂利押し分けて 花を咲かせる」
「人の手で 嵐の後を 片づける 見晴らしは良し ただの荒れの原」
「嵐来て 河原荒れ野に 変われども 魚居るのや 小鴨等の群」

 〇03月18日。今日は、午前中から妻が入院している病院を訪ねました。新型コロナの影響で、病室での面会は出来ませんでしたが、妻が病室から玄関のフロアに出て来て、話をする事が出来ました。帯状疱疹による頭の痛みは治まらず、加えて、病院の生活は、監獄生活のようだと言っていました。12時から二時間程、外出許可を取ったというので、近くの神楽坂のとんかつ屋に行って昼食にしました。新型コロナのこともあり、私は外食をしないのですが、妻は、コンビニやスーパーの弁当では、満足出来ないようです。そんな訳で、外食は、妻と食事をする時だけです。なんやかやと、自宅に戻ったのは、4時過ぎていました。

 〇03月19日。お彼岸でもあり、良い天気だったので、墓参りをしてきました。お彼岸だというのに、墓には人が殆ど居ませんでした。新型コロナの影響はこんな所にも出ているのかと驚きました。電車に乗りたくないのかも知れません。新型コロナの影響は、植物には関係が無く、墓の中央の桜が、既に満開になっており、桜を見ながらの昼食にしました。
 昼食後、まだ行ったことのない「うかい鳥山」へ行ってみました。「うかい鳥山」に着く前に、個人の墓の周囲の土手が、一輪草とカタクリの大きな群落になっていました。意図的にカタクリを見に行くことは、何度もありましたが、全く予期していなかったので、喜びも一際大きく、また寄り道が新しい経験と喜びをくれました。その後、アズマイチゲ、諸葛菜、一輪草、高尾すみれ(タチツボスミレ)、ハコベ等も咲いていて、正しく春爛漫でした。
 「うかい鳥山」は、南高尾の尾根に沿った谷戸にあり、飛騨高山の合掌造りを真似た建物が、ちょっとした集落を作っていました。まだ利用したことがありませんので、今度機会を作りましょう。
 今日は、午後4時から、歯のクリーニングを予約していたので、急いで高尾山口へ戻り、丁度10分前に聖蹟桜が丘の歯科病院に着きました。3ヶ月に1度、歯のクリーニングをすることにしているのですが、2ヶ月に1度でも良いくらい気持が良いです。

「アブラチャン 花と見紛う 新芽かな 緑の玉の 競いて出ずる」
「春彼岸 墓地の桜は 満開に 墓に座りて 飯を食うなり」
「墓地の中 馬酔木の花に 蝶の群れ 森から出て来た 日陰蝶かな」
「梅の花 梢に一輪 咲き残り 老いた我が身を 見るが如し」
「奥高尾 片栗の花 土手の上 頭を下げて 我を迎える」
「奥高尾 春の花々 咲き乱れ 春の彼岸の 楽しき日となる」
「崖に咲く 白く綺麗な 君は誰 どうして崖に 芝桜さん」  

 〇03月20日。今日の夕方には、孫達が遊びに来るというので、午前中から高尾山に行って来ました。家から見た富士山が、とても綺麗だったし、昨日素通りして奥高尾の墓に行ったからです。昨日も見たのですが、高尾駅の南口にある大正寺の桜は、早満開でした。高尾山の山頂に着いたのは、午後1時頃でした。通常は、朝どんなに綺麗に見た富士山も、午後になると雲に隠れることが多いのですが、今日は、かなり強い風のお陰か、一点の雲も無く、見事な富士を見る事が出来ました。この見事な富士を見ながら昼食にし、その後は、稲荷山コースを通って降りました。菫、春蘭、山苺、深山方喰などの花が綺麗でした。
 新型コロナの影響で、人が少ないと思ったのですが、かなりの人出でした。所が、ケーブルカーの利用者は、何時もより少なく、多くの人が、幾つもある登山道を、自分の足で上り下りをしていました。そして、目立ったのが、学生や子供連れの家族でした。密集閉塞空間を逃れる為だと思います。子供達が、山登りを経験するのは良いことだと思いますが、早く、新型コロナが治まって欲しいと思います。
 夕方5時頃に、孫達がやって来ました。孫達にどの様な食べ物を作ってあげれば良いか分らなかったので、皆で近くの西友に買い物に出かけました。色々な物を買って、買い物籠が1杯になりました。6時過ぎから、楽しい夕食になりました。

「春の日の 菫の名所 高尾山 山の小径に 菫の行列」
「大木の 根元でひっそり 春蘭の 思い出誘う 故郷の山」
「高尾より 眺めた富士の 美しさ 心の奥に 留めておこう」
「富士山の 輝く白嶺 眺めつつ たべる弁当 極上の味」

 〇03月21日。今朝、孫達がまだ寝ている朝早く、長崎の妹から電話がありました。旦那が脳梗塞で重体だそうです。歳を取ると、ある程度仕方が無いことですが、私自身も、最近体調が思わしくないので、ショックでした。何故か、胸が苦しくなりましたので、一時間程、近くを歩いて来ました。9時過ぎには、末の孫が、「起きたよと」挨拶に来ました。10時頃から、何時ものように朝食を食べ、孫達と昭和記念公園に遊びに行きました。西立川口の駐車場は、既に満車だったので、立川口の駐車場に行きました。この駐車場は、とても大きな駐車場なので、満車になることは無いのですが、ほぼ満車と言えるくらい、車で埋まっていました。
 庭園の中は、更に凄まじく、広大な広場の周囲には、小さなテントがズラリと並び、広場は人で埋まっていました。少し大げさな言い方ですが、このように表現したくなるような、人出だったのです。新型コロナの影響で、密集閉塞空間には行かないようにとの、政府の要請が出ているので、多くの人が昭和記念公園を選んだのだと思います。そのお陰で、あの広い公園が、密集地に変わったと思いました。
 孫達は、日頃は遊んだことの無いような遊具に熱中して、昼食を忘れる程遊びに熱中していました。親達は、子供を見守りつつ、ヒヤシンス、水仙、ムスカリ、仏の座、チューリップなどの花も楽しみました。ある一画には、仏の座が一面に花を咲かせ、紫の大きな絨毯となっていました。
 昭和記念公園は、5時に閉園となり、駐車場から出るのにも時間が掛かり、途中の道も混んでいて、我が家に戻ったのは、7時半を過ぎてしまいました。孫達は、昼間大汗をかいたので、娘から2分でシャワーを浴びなさいと言われて、玄関に入るなり裸になって風呂場に飛び込みました。そのお陰もあり、7時45分から、次男の誕生日、上の孫の小学校卒業、末の孫の卒園を祝って乾杯し、夕食と宴が始まりました。8時半には、孫達の食事が終り、9時からカラオケになりました。孫達は皆歌が上手で、末の孫も上手にカラオケが出来るようになりました。延々と12時過ぎてもカラオケは続き、私は先に休ませて貰いました。

「一日に 山のような 出来事が 辛くあれども 生きねばならぬ」

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2020年03月08日

2020年03月08日

 〇03月08日。今日は、朝から雨で、ほぼ1日中降っていました。そんな訳で、1日家から一歩も出ないで過ごしました。お陰で、我が家の絵などの由来について、2つ書き終えることが出来ました。それでも時間がたっぷりあったので、石と象牙椰子の実で、梟を2羽作りました。それでもまだ時間があったので、面倒なので普段は避けている、和歌付の写真13枚をフェイスブックに投稿しました。これで漸く夕方の5時近くになり、新型コロナの影響で無観客となった相撲を見ながら、酒の肴を作り、後は酒を飲みながら、テレビを見て過ごしました。外に出られず、家の中で暮らすのは、容易なことではありませんねー。

「足腰が 弱まり家で 暮らす日の 近き未来を 思い知るなり」

 〇03月09日。今日は、日差しはあるものの、雲の多い天気だと言っていました。所が、私が散歩をした午前11時から、午後4時の間は、雲は少なく晴天と言っても良い程の天気になりました。今日は、八王子城址公園を歩いてきました。
 此処も、新型コロナの影響で、八王子城ガイダンス施設は、臨時休業になっていました。人もまばらでしたから、休業にしても大きな影響はないようでした。御主殿跡で昼食にしましたが、30分の昼食時間に、御主殿跡に来た人は、わずか3人でした。昼食の後、此処にも梅が咲いていると、何枚か写真を撮って近づいたら、花ではなく小さく密集した葉っぱが、光っていたのです。椿のように光沢のある葉が光るのは、何度も経験しましたが、梅の花のように光っているのは、初めてでした。柘植の木のように思えるのですがねー。

「八王子 城下の跡地に 梅の花 武蔵国の 谷戸の風景」
「欅等に 負けてなるかと 背を伸ばす 歴史を見たか 背高梅の木」
「谷戸の墓 風雪に耐ゆ 桜木に 幹を覆いし 苔衣かな」
「墓守る 観音様の 仏顔 死者ならずとも 心癒やさる」
「紅梅の 光を浴びて 珊瑚色 近くで初聞き 鶯の声」
「谷戸の里 花好き主の 喫茶店 弥生の花の 咲き揃うなり」
「森陰に 白く輝く 梅の花 近づき見れば 輝く柘植の葉」
「城跡の 石垣に咲く 犬陰嚢 蜜を求めて 彌生の谷戸の蝶」

〇03月10日。今日も一日中天気が悪そうなので、気分が晴れなかったのですが、孫達が来てくれました。一緒に回転寿司スシローに寿司を食べに行きました。新型コロナの騒ぎがない時は、予約しても30分は待たなければならないような店でしたが、今日は、待ち時間は0で、空いているテーブルが幾つもありました。多くの人が、外食を敬遠するようになったようです。
孫達は、外食がとても嬉しかったらしく、何時もより沢山食べました。娘に依れば、子供が外に出ることに、世間の冷たい目を感じるそうです。正常な意識を持つ社会が、崩壊しそうな印象だそうです。感染症の蔓延は、本当に怖いものだと思いました。
 食後、孫達は我が家により、私の幼い頃の写真を見たりして、3時過ぎには、帰って行きました。孫達は、新型コロナの影響で、卒業や卒園を前に、いきなり休校になり、外で遊んだり食事をしたりするのが、思い切って出来ない状況になっていました。孫娘は、合唱の練習もなくなっていました。そんな状態だったので、私の所へ来られただけでも、随分気持が晴れたようです。別れのハイタッチを、何度も何度もしました。

「世の中が 新型コロナに 恐れ為し 全ての学校 突然休校」
「旅立ちを 祝う筈なる 卒業式 祝う人無き 寂しき卒業」
「孫達が ジージと一緒に 外食す 当たり前のこと 今は嬉しい」

 〇03月11日。今日は、良く晴れて初夏のように暖かい日になりました。東日本大震災が起きてから、丸9年になります。これまで、この日は、各地で追悼式典が行われて来たのですが、これさえも新型コロナの影響で、殆どが中止となりました。
 今日は、何年かぶりに日野用水伝いに日野駅まで歩きました。大昌寺と宝泉寺にお参りして、日野駅まで来ましたが、我が家から歩いたのに、1時間半くらいしか歩いておらず、昼食もまだでした。何となく物足りなくて、線路脇を八王子に向かって歩き始めました。すると地蔵菩薩座像(坂下地蔵)を祀っているお堂がありました。座った地蔵は、見たことがありませんでした。周囲の写真を撮っていると、このお堂を管理しているらしい、老人が近づいてきて、この近辺のことについて、色々と話をしてくれました。老人と昔の話をしている内に、日野宿から八王子宿まで、歩いて見ようという気になりました。
 近くの日野中央公園で、昼食を食べ、八王子塾へ向かって歩き始めました。すると直ぐに国道20号線(甲州街道)の大通りに出てしまいました。本当は、もう少しひなびた昔道を歩きたかったのですが、それが何処にあるか分らず、結局、甲州街道を歩いて、八王子宿へつきました。八王子駅への最後の部分で、思った道とは違った道を歩く羽目になり、街中に林と寺の屋根が見えました。寺は福傳寺で、御朱印を頼むと、大黒さんが出て来て、快く引き受けてくれ、おまけにチョコレートまで頂きました。最近、思いがけない所で、良くお寺に出会います。福傳寺の隣は、八王子最古の子安神社でした。

「河原にて 横倒しの 柳等も 彌生の風に 芽吹き始める」
「枝先に 提灯下げて 道照らす 仲良く二輪 土佐水木の花」
「生垣の 芽吹きの新芽 花のよう 何時もびっくり 紅要黐」
「八王子 駅前近くの 福傳寺 こんな所に 寺があるとは」
「八王子 開祖の神社 橘社 安産祈願の 子安神社へ」

 〇03月12日。今日も暖かく良い天気でした。何年かぶりに、多摩川の右岸を歩いて立日橋を渡って、立川根川公園まで歩き、帰りは左岸の方の崖上の道を暫く歩き、その後多摩河原に戻って、我が家に戻りました。
 この所、散歩する時は、弁当を持って行くことにしています。あり合わせの物を詰めるだけなのですが、外で食べると、何でも旨く感じることと、冷蔵庫の整理にも役立つのです。そんな訳で、弁当を作るのも1つの楽しみになりました。今日の弁当は、昭島近くの多摩川の河川敷運動公園で、休校の子供達と野球の練習をしている、家族を見ながら食べました。
 立川根川公園から崖上の道は、初めて歩いたのですが、道が続いておらず苦労しましたが、武蔵野の豪農の面影とか、保育園から小中高の学園、養老施設等を兼ね備えた、至誠学園を見る事が出来ました。河原歩きでは、最近大声を出していないので、寮歌や蒙古放浪歌などを大声で歌いながら歩きました。酒を飲みながら、友達と大声で話すことが出来なくなりましたので、今日はすっきりしました。

「立川と 日野とを結ぶ 立日橋 奥多摩見渡す 見晴台かな」
「冬枯れの 茅の中に 赤き花 遠慮しながら 顔出す草木瓜」
「川岸に 横倒しの 桜木に 枝1杯に 花の咲きおり」
「風の中 河原で大声 張り上げて 外出自粛の 憂さ晴らしかな」
「おどけたる 蝮のような 流木が 我が歌声に 合わせて跳ねる」

 〇03月13日。今日は、信濃町の慶應病院で行われる、妻の瞼の手術の抜糸に、付き合いました。新型コロナの影響で、大混雑だと思ったのですが、逆に閑散としていました。院内感染を恐れて、不急不要の人達が来なくなったのかも知れません。
 その後、神楽坂に戻り、老舗の鳥茶屋で夕食にしました。神楽坂の人通りは、新型コロナ以前と、変わりないくらい混んでいました。しかし、鳥茶屋の中は、空いた席が目立ちました。新型コロナの影響はあるようです。なにより驚いたのは、神楽坂の坂道や脇道が、タクシーで埋まっていることでした。一体何が起きたのでしょうか、他の所では、客が拾えないのですかねー。
 妻には申し訳ないのですが、妻も歳を取ったと思うようになりました。流石に艶が衰えて来ました。でも、高村光太郎の智恵子抄の「あなたはだんだんきれいになる」の
をんなが付属品をだんだんすてると
どうしてこんなにきれいになるのか
、、、、、、
という一節を思い出しました。夫婦になって年月が過ぎると、年を追う毎に、次第に二人の距離がなくなり、お互いにとって、何にも代え難い存在になってくるのだと思います。

「年老いて 命の灯 細くなり 代わりに妻の 灯近づく」

 〇03月14日。今日は、朝から雨で、夕方近くになって、雪になりました。昨日は、20度近くまで温度が上がり、初夏を思わせるような天気だったのに、この変わり様は、何でしょうか、身体が付いていきません。
 今日の午前中は、日記を書いたり、繕い物をしたり、石で梟を作ったりして過ごしましたが、午後は、映画版の鬼平犯科帳や、ジョンウェンの西部劇「捜索者」を見るなど、テレビばかりを見て過ごしました。こんなにテレビを見たのは、初めてだと思います。目がおかしくなってしまいました。

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2020年03月01日

2020年03月01日

 〇03月01日。今日も良い天気でした。今年は、2月の初め頃から、春のような陽気が続きました。今日から、暦の上でも春の弥生となりました。不急不要の外出はするな、人混みには出るななどと、新型コロナの影響で、世の中が騒然としています。
 今日は、横山の道を歩きました。何度も歩いているので、七生丘陵と同じく、ほんの少しだけ脇道に入った所、谷の下から尾根の高さまで、大きな千手観音が立っていました。観音の後ろに丹沢の山々が霞んでいました。天気が良ければ、富士も見えると思います。歩きも人生も、ちょっと寄り道をすると、何時もとは違った光景を見る事が出来るのですねー。素晴らしい観音を見ながら、美味しい昼飯を食べました。
 一本杉公園で横山の道に別れを告げ、多摩ニュータウンの中を歩いて多摩センターに出ました。日本の高度成長期の名残が、まだ残っていました。

「谷戸の里 観音様の 東光寺 尾根まで届く 千手観音」
「山肌に 居並ぶ観音 皆美人 慈悲もありけり 艶もありけり」
「弥生入り 辛夷の花も 咲き始め 桜の季節も 間近に迫る」
「里山に 似合いの花は 梅の花 農家の畑と 共にありけり」
「一本杉 池の亀さん 甲羅干し 側で昼寝の 真鴨が一組」
「春うらら 亀の親子の 甲羅干し 見守る我にも 日差したっぷり」
「日本の 文化住宅 兎小屋 昔の憧れ 多摩ニュータウン」

 〇03月02日。朝から小雨が降り続き、温度も上がらず、真冬のように寒い日となりました。今週は、妻が上京する日なので、朝電話で話し、何時ものように神楽坂で夕方5時に会うことにしました。新型コロナの影響で、電車も空いていましたし、料理屋も空いていました。新型コロナは、年寄りに感染すると重症化すると言われていますが、妻も私も、今のところ至って元気です。今日は、「しゃぶ禅」という店で、普段は食べないような霜降り肉で、美味しいしゃぶしゃぶと美味しい酒を飲みました。

 〇03月03日。今日は、桃の節句で雛祭りの日です。良く晴れて、昨日とは打って変わって、春本番のような暖かさでした。出来るだけ、公共の交通機関に乗るのを少なく出来るような、散歩道を選んでいます。今日は、我が家から歩いて、多摩川を上流に向かって歩き、日野橋を越えた所で、小鴨を見ながら昼食にしました。この辺りを歩くのは随分久し振りで、昨年の嵐で、日野橋が壊れているのを初めて知りました。昼食後、残堀川に出て、滝口の所まで歩きました。この場所を歩くのは、数年ぶりだと思います。また、梅の花を沢山見ました。最後は、多摩モノレールの柴崎体育館から、高幡不動、聖蹟桜が丘経由我が家に戻りました。
 我が家の近くの西友で買い物をし、紙製品の状況を確かめたら、ティッシュペーパー、キッチンペーパー、トイレットペーパーが全て売り切れていました。テレビの報道は真実で、我が家の近くでも同じ事が起きていました。

「春霞 富士の白嶺も 朧なる 霞の帳 上げて見せてよ」
「君達と 別れの時は 間近なり 小鴨の泳ぎ 見ながら昼餉」
「昨秋の 嵐の後の 砂溜まり 命の息吹に 涙がにじむ」
「奥多摩の 大岳山も 青霞み 春爛漫の 多摩河原かな」
「開花前 蕾膨らむ 桜木に 羽を休める 尾長の群れかな」
「日差し受け 春の弥生の 多摩の里 霞か梅か 梅か霞か」
「木瓜なりや 壁一面の 赤き花 霞の空に ボケずに咲きし」
「崖上に 薄桃色の 花の列 早咲き桜 早くも満開」
「青空に 開花の前の 桜の木 開花へ向けて 準備万全」
「崖の道 土手を流れる 花飛沫 立川野川の ハナニラの花」
「花よりも 心打つかな 白銀の 蕾の羽毛 輝く辛夷」

 〇03月04日。今日は、一日中雨か曇りとの予報だったので、散歩は止めて、府中市役所に、後期高齢者の納付金について、話を聞くと同時に、滞納分を支払いに出かけました。国民健康保険については、年金から天引きの形で、納付していたのですが、後期高齢者の場合は、自動的に天引きにならず、改めて手続きをしなければならないそうです。昨年の10月に後期高齢者になったので、10月から、今年の3月までの6ヶ月分75、500円を納付しました、国民健康保険より、随分高くなった気がします。

 〇03月05日。今日は、長沼公園から、南陽台、北楽公園、薬科大学の森の後ろの谷戸、薬科大学、玉泉寺と歩き、最後は野猿街道に出て、バスで一之宮まで戻り、我が家に帰りました。3度程、何時もとは違った道を歩いたら、良いことに幾つも出会って、実り多き散歩となりました。
 長沼公園から、平山口ではなく南陽台口へ降りて暫く歩くと、北楽公園に出ました。極々普通の公園でしたが、公園の石垣で、土筆と菫を見つけました。この公園の後ろには、丹沢と富士を一望出来る富士見台が作られていました。素晴らしい眺めでした。
 南陽台から、薬科大に出る前に、新しい谷戸を見つけました。これまで、この谷戸があるとは全く知りませんでした。谷戸の入口近い所に、大きなアルミの筒状のものが、3台置いてありました。庭にいた家の主人に聞いた所、キャンピングカーの住居部分だそうです。「日本ではあまり見かけませんね」というと、「そうです、これらはアメリカのものです」とのことでした。更に谷戸を奥へ奥へと歩くと、いきなり立ち入り禁止の立て札が立っていました。そこから先は、東京農工大の波丘地実験施設なのだそうです。
 谷戸を出て、薬科大に行くと薬草園は休園になっていて、大学への入校も遠慮して欲しいとの看板が、入口に立っていました。新型コロナの影響なのでしょう。
 仕方なく、尾根を1つ越えて野猿街道に出ようとしたら、尾根の道があったので、歩いて見ることにしました。初めての道でした。暫く歩くと尾根から谷戸へ向かって、墓が並んでいました。また、新しい寺に出会いました。本殿で参拝をしていると、普段着でしたが坊さんらしい人が居たので、「御朱印を頂けますか」と聞いた所、「わしゃ知らんが、その角を曲がった所に呼び鈴があるから押してくれ」と言われました。言われた通りに呼び鈴(インターフォン)を押すと、女性の声がして「中に入って下さい」と言われました。中に入ると、私と同年配程度の女性が出て来て、御朱印帳を受け取ってくれました。一旦、奥へ入り、もう一度出て来た時は、私のためにお茶を持ってきてくれたのです。滅茶苦茶、恐縮しましたが、お茶を頂きながら、この寺の歴史や、多摩ニュータウンとの関係など、面白い話を聞きました。暫くすると、多分息子の住職が、御朱印帳を持って出て来ました。この寺は、住職が代替わりしたばかりのようでした。それから3人で、ニュータウン以前の谷戸の生活や、墓や檀家の移り変わりなど、とても面白い話を聞きました。私の幼い頃の生活とダブり、随分長いこと話し込んでしまいました。またしても、ほんの少しの寄り道が、素晴らしい一日を経験させてくれました。今日も、美味しい酒が飲めそうです。
 家に帰り着いた丁度その時、妻から電話がありました。今日瞼の手術が終わったそうです。私は、単なる美容整形の手術だと思っていたのですが、瞼が重く違和感があったそうです。手術をすると確かに、肉腫のようなものが出来ていたそうです。手術は、成功したそうですが、組織を生体検査に回したそうです。検査の結果がどうであれ、肉腫は取り去ったのですから、今後問題は起きないでしょう。私の胃癌と同じです。本当に良い時期に手術を決断しました。本当に良かったと思います。

「長沼の 野猿の尾根に 白き雲 尾根吹く風の 音が聞こえる」
「木の枝が 大きな笑顔に 見えにけり 木々等の心の 現れなるかも」
「大山に 巨大な鮫の 迫り行く 阿夫利神社に 雨届けるや」
「石垣の 小さな隙間に 根を下ろし 春を告げてる 健気な菫よ」
「石垣に 菫に負けじと 根を下ろし 小さな小さな 方喰の花」
「石垣に 君も居たのか つくしんぼ 兄弟揃って 春を楽しむ」
「若しかして 君は烏の 豌豆なりや 木陰にひっそり 花の一輪」
「庭の内 ラッパ水仙 並び立ち 道行く人に 愛嬌振りまく」
「何の花 芽吹きの草地に 白き花 春告げ終えし 梅の花びら」
「白雲も 野草の花も 鳥達も 全てに感動 老いの人生」

 〇03月06日。今日は、茅ヶ崎の湘南シーサイドカントリーで、同じ大学のメキシコ仲間でゴルフをしました。全員後期高齢者で、クラブのメンバーが82歳、横浜近辺に住んでいる人が80歳、荻窪に住んでいる人が76歳、私が75歳で、最年少でした。何時もの通り、スコアが一番悪いのは私で、飛距離が一番なのも私です。私は、自分の命は80歳が限度だろうと思っていますが、今日の仲間とゴルフをしていると、85歳くらいまで大丈夫かなと思ってしまいます。皆さん本当に元気です。
 今日は、すこぶる付の良い天気で、雲も風も無く、椰子や枇榔の向こうに、大きな富士を見ながら、1日ゴルフを楽しみました。
 しかし、ゴルフを終わって着替えをしている時、大学時代のクラブの同期の奥さんから電話があり、同期が昨夜他界したとの連絡がありました。癌を患って抗がん剤治療をしていたのですが、今年に入って急に容態が悪くなったそうです。いずれ知人が少しずつ他界することは覚悟しているのですが、同期の訃報は衝撃でした。

 〇03月07日。今朝起きると、激しいくしゃみを連発し、鼻水が止まらなくなりました。新型コロナに掛かったのかと心配しました。娘から電話があり、夕食を一緒にと誘われたのですが、孫達に病気をうつしてはいけないと思って、今日の誘いは諦めました。今日は、気温も低く曇り空だというので、散歩は止めようかと思っていたのですが、午後から日差しが出て来ましたので、近場を歩きました。程久保川、落川交流センター、石田寺、北川原公園で、私がヒョウジュン第2コースと呼んでいる所です。矢張り、散歩は健康に良いらしく、鼻水が少し収まり、夕食後は、殆ど鼻水も出なくなりました。

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2020年02月22日

2020年02月22日

 〇02月22日。午前中、掃除をしてテーブルのセッティングをして、午後は、次男が、昨日作ったぶり大根とロースト豚肉を、皿に盛り付けました。私は、昨日買ってきた蒲鉾を切って皿に盛り、サラダを大量に作りました。その他に、熊本のアンテナショップで買ってきたアピオスという北米原産の芋を茹でました。結構な量の酒の肴が出来ました。
 夕方5時頃、長男家族、娘家族が着き、早速ビールで乾杯し、初孫の20歳の誕生会が始まりました。ビールは、あっという間に終り、日本酒に移行することになりました。娘が、聞き酒用のぐい飲みを、誕生日プレゼントに用意していたので、いきなりプレゼントを渡すことになりました。私も、李白の詩と、私の歌を色紙に書いたものを渡しました。その後は、ワイワイおしゃべりが続き、誕生日の歌、ケーキカット、カラオケと続き、11時近く迄、皆で大騒ぎしました。
音痴気味の私の孫達なのに、みんな歌が上手なので驚きました。また、大人達全員で、河島英五の「野風増」を歌いました。
「お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ、、、、、
 、、、、、、、
お前が二十歳になったら 女の話で飲みたいものだ、、、、、、、
、、、、、、、
お前が二十歳になったら 旅に出るのもいいじゃないか
旅立つ朝は冷酒干して お前の門出を祝うのさ
いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい
いいか男は 大きな夢を持て
野風増 野風増 男は夢を持てーー」

「初孫と 飲める日の来る 幸せに 勝るもの無し 爺の人生」

 〇02月23日。娘家族は、殆ど車で移動するので、我が家での酒の会の後は、家族で我が家に泊まります。運転出来るまで、酔いを醒まさなければならないからです。何時ものことですが、皆起き出して来るのは10時頃なので、8時頃から1時間ほど、多摩川の河原を歩いて来ました。家に戻って、何時もの味噌汁を作り終えると、孫娘、末の孫、娘の順に起きて来ました。その後、後の二人を起して、10時半くらいから、朝食にしました。昨晩の残りと、今朝のために買って来た、長崎の鰺の一夜干しを焼きました。これが、塩加減が抜群で、孫達も美味しい美味しいと言って、食べてくれました。また、買い置きのパパイアを見て、娘が食べたいと言いましたので、食後の果物として、孫達にも食べて貰いました。なんと、孫達は生まれて初めて食べたようです。とても美味しかったようで、皮が透けるほど綺麗に食べました。ついでに、常備している、私の手絞りのグレープフルーツジュースも大好評でした。娘の家族も私も、大満足の朝食になりました。
 その後、末の孫と羽根突きを少しだけして、午後2時近くに、娘家族は帰っていきました。

「爺亡くも 爺の作った 朝飯を 思い出話で 話しておくれ」

 〇02月24日。昨日が天皇誕生日で、今日は、その振替休日でした。天皇になって初めて、しかも還暦という記念すべき天皇誕生日だったのですが、国民の一般参賀は中止となりました。新型コロナウィルスの感染拡大が原因でした。記念すべき日に、こんなことが起きて、不運としか言い様がないと思います。
ウィルス感染症について、きちんと説明するのは難しいようです。未だ分っていない部分が、多いからだと思います。ウィルスは、本来生き物ではありません。しかし、生物の細胞の中に入り、RNAもしくはDNAといった、生物の遺伝子と入れ替わることが出来るそうです。この時点で、ウィルスは生物に変わります。先ず、どうして細胞膜を破り、細胞内に入ることが出来るのか、完全には分っていません。次に、どうしてRNAやDNAトイレ変わることが出来るのか、それも完全には分っていません。一旦、細胞内で遺伝子と入れ替わったウィルスは、元々の生物の脳によってコントロールされた新陳代謝ではなく、自分勝手な自己増殖をするようになります。何故、どの様に自己増殖出来るようになるのか、これも不明の部分が多いのです。人間の細胞は、人間の多くの機関を形成しています。この機関は、実に緻密な設計図によって作られ、実に緻密に制御され、また老朽化しないように最も小さな部品である細胞の入れ替え(新陳代謝)が行われています。ウィルスに乗っ取られた細胞は、この緻密な制御を破壊してしまいます。それが病気です。ウィルス感染病という病気をを治癒するためには、基本的には、個人の免疫機能が、ウィルスに乗っ取られた細胞を認識し、それを撃退する方法を獲得しなければなりません。免疫機能が、どの様に撃退方法を獲得するのか、それも良く分っていませんが、一定の時間が経てば、獲得するという事実だけは分っています。まだまだ、不確定なことは山ほどありますが、不確定なことを不確定のまま報道するので、どんな対応をすれば良いのか、フェイクニュースのような報道になっています。早く、病気そのものの、基本的な説明を整理して報道して欲しいと思います。
 新型コロナウィルスの話が長くなりましたが、今日は、まるで春のような陽気となり、日差しもたっぷりだったので、武蔵野の森公園、野川公園、武蔵野公園を歩いてきました。武蔵野の森公園の修景池には、この時期、多くのヒドリガモが飛来しているはずなのですが、今日は1羽も居ませんでした。余りに暖かさに、既に北へ帰ってしまったのでしょうか、今年の冬は、本当に異常だと思います。
 隣の野川公園では、目の前で遊ぶ子供達を見ながら、手作りの弁当を楽しみました。実を言うと、誕生会の残り物の整理でした。完全に片付けるには、明日まで掛かりそうです。食後、自然観察園に行きましたが、花らしい草花は、節分草だけでした。しかし、観察園の外の野川には、オオイヌノフグリが一面に咲き、野芥子、蒲公英(たんぽぽ)も咲いていました。
 最後の武蔵野公園は、3時20分のコミュニティーバスに乗るために素通り状態でした。今日は、往復ともコミュニティーバスにしたのです。時間は掛かりましたが、運賃は安く、色々な公園や庭先に咲く梅を、窓越しに楽しみました。

「幹晒す 冬木立の 足下に 霞のように 白梅の花」
「葉の色の 異なる木々が 作り出す 絵本の中の お伽の世界」
「遠来の 友等は既に 帰りしか 白鷺一羽 ぼやく修景池」
「紅白の 梅を楽しむ 花見客 新型コロナの 恐れはあれど」
「捩れ枝 捻れの元は 何なのや 人の虐めで 無きを祈ろう」
「梅も咲き 背丈の伸びた 福寿草 春告げ花の 役目を終えし」
「蕗の薹 君も大きく なりました 湯豆腐旨き 時も過ぎゆく」
「枝に鳥 渕に花咲く 野川かな 上見て下見て 忙しきかな」
「如月に 春の日浴びる 梅の花 白く輝き 桜顔負け」
「ロゼットの 真ん真ん中に 腰を据え 此処は我が席 蒲公英の花」
「野川縁 サファイア商店 店開き 青く輝き 素通り出来ぬ」
「バス通り 至る所に 梅の花 バス停毎に 降りたくなりぬ」

 〇02月25日。今日は、午後から曇り空になるというので、日差しのある午前中に聖蹟桜が丘まで、歩いて往復しました。実は、先週、眼科で老眼鏡の処方箋を作って貰ったのですが、老眼鏡は沢山持っています。これらの老眼鏡と今回の老眼鏡にどの様な差異があるのか、実物を持って行って、詳しく説明を聞こうと思ったのです。しかし、今日は眼鏡技師が休んでおり、明日また来ることになりました。

 〇02月26日。昨日、目的を達せられなかったので、今日も往復歩いて、聖蹟桜が丘の眼科まで行って来ました。今日は、昨日休んでいた眼鏡技師がいて、私の疑問に対応してくれました。技師が言うには、「以前の老眼鏡でも、良く見えると思いますが、今回の老眼鏡は、乱視対策もしてありますので、もう少し良く見えると思います」とのことでした。新しく老眼鏡は作るか作らないかは、私が決めるほか無さそうです。

 〇02月27日。新型コロナの感染が、一向に下火にならず増え続けています。お陰で、日の出学園関連の会合、行事がほぼ全部中止になりました。更に、私の孫達の学校行事に参加出来なくなりました。更に、大学のOB会の会議も中止になり、友人との集まりもなくなりました。3月の予定が、ほぼ無くなり、予定表は真っ白です。満員電車など、人混みは出来るだけ避けるようにとも言われています。さてさて、どの様に毎日を過ごせば良いのでしょうか、困ったものです。
 今日は、出来るだけ公共交通機関を使わずに、七生丘陵散策コース(東)を歩きました。このコースの最後は、多摩動物園なのですが、途中で道を変えると、明星大学の裏側へ出て、帝京大学が直ぐ近くにありました。この道は、初めてで、帝京大学の直ぐ下に、塩釜温泉という風呂屋、御手観世音の寺がありました。新しい道には、新しい発見がありました。
 最後に、一之宮交差点を渡ろうとしていたら、反対側から電動車椅子の爺さんがやって来ました。その時、強い北風が吹いて爺さんの帽子を、交差点の真ん中まで吹き飛ばしました。とっさに私が走って、帽子を拾い、お爺さんに渡しました。その時の爺さんの顔が、本当に嬉しそうでした。私も偶には他人の役に立てるのですねー。

「程久保川 縁の桑の木 滅多切り 桜以外は 邪魔者なりや」
「金網を 幹に組み込み 成長し 枝だけ網に しがみつくなり」
「白雲と 馬酔木の花と 冬木立 老いの我が目に 命の輝き」
「銀色の 細き羽毛に 包まれて この世に顔出す 野草の新芽」
「藪の中 我を見つめる 猫の目の 何か言いたげ 分ってやれぬ」
「白雲と 白さを競う 梅の花 競う相手の いてこそ輝く」
「枯れ果てた 梅咲く頃の 烏瓜 新たな命 そこまで来てるぞ」
「白雲と 白梅の花 撮りまくる 日差し降る日の 絶妙コンビ」
「白雲と 冬木立も 良き仲間 晒した幹に 雲のいたわり」
「大学の シンボルタワーと 梅の花 里は変われど 変わらぬ白梅」

 〇02月28日。今日は、我が家から、谷保城山公園、ヤクルト中央研究所、国立自然館、南養寺、滝野川学園と歩き、そこからは、矢川沿いに矢川緑地、矢川天満宮まで歩きました。矢川緑地からは、多摩川に出て、歩いて帰りましたので、結構な歩きとなりました。矢川では、真鴨を1羽見る事が出来ました。この時期は、大体ペアで行動するのですが、今日はオスだけでした。そろそろ北へ帰る時期なのに、ペアリングに失敗死のですかねー。カルガモ達からもからかわれているようで、少し、可哀想な感じがしました。

「早咲きの 河津桜も 早満開 多摩に寄せ来る 春の大波」
「白梅の 下に花咲く 仏の座 ナズナの花も 負けず花咲く」
「城山の 崖下の道 白き花 珍しきかな 白花方喰」
「如月に まさかまさかの 初夏の花 矢川の流れに 黄花菖蒲や」
「連れもなく 矢川に一羽 真鴨かな カルガモ達の 囃しは辛し」
「ニワトコの 芽吹きは済みて 萌黄色 我も続くと 欅の大木」

 〇02月29日。2月が29日まであるのは、4年に1度で、その年にはオリンピックが開催されます。前回、日本で行われたオリンピックの年、1964年は、大学に通い始めて2年目でした。その年の2月29日は、大学の同期と二人で、春休みに九州一周の旅行をし、記念すべき2月29日は、鹿児島の開聞岳に登りました。今年は、日本で2回目のオリンピックが開催されます。その記念すべき2月29日は、新型コロナウィルスで大騒ぎとなっており、人混みを避けて、小仏から旧甲州街道を歩き、高尾山口まで歩きました。この小仏から高尾までの旧甲州街道は、高尾梅郷と呼ばれ、大きな谷戸に、多くの梅林があります。本来なら、「梅まつり」が催されるはずですが、新型コロナのため、今年は中止となっていました。この谷戸の一番良い時期なのに、人出もまばらでした。

「谷戸の奥 苔生す幹に 白梅の 此処では私 主役でないの」
「梅の里 霞か雲か 梅の花 木下沢に 霞棚引く」
「駒木野に 春告げ花の 共に咲く 白と黄色の 梅に山茱萸
「梅まつり 中止となれど 梅満開 梅梅梅の 高尾梅郷」

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2020年02月15日

2020年02月15日

 

 〇02月15日。今日は、日出学園の理事会の日でした。現在、新型コロナウィルスによる肺炎が、大きな問題となっていますが、インフルエンザも流行していて、小学校では、何クラスか学級閉鎖をせざるを得ないほどだったそうです。新型コロナウィルスのお陰で、この冬のインフルエンザの流行は、マスコミで、全く取り上げられません。未知のものと既知のものとに対する、対応の差がこれ程のものかと思いました。理事会が終わった後、上野によって、実に久し振りに、上野駅の正面口から駅の中に入りました。私が上京した60年ほど前と変わらない、天井の低い通路を通って、山手線のホームへ出ました。この歳になると、何もかもが懐かしいです。

 

「あれれれれ 今日の富士山 尖ってる 見る者惑わす 三角帽子」

 

 〇02月16日。今日は、末の孫のお遊戯会と、孫娘の合唱祭に出かけました。末の孫は、この三月には卒園し、四月には晴れて小学一年生になります。幼稚園児は、まだ幼児で、小学生から子供になるそんな見方が、私の中に残っています。末の孫は、舞台の上では、とても活き活きとしています。そこが、自分の活躍の場所だと思っているような感じです。なにせ自宅では、何時まで経っても一番下ですからね。
 孫娘の合唱祭は、府中の森の芸術劇場で行われました。見学出来るのは2名だけで、娘と私が見学しました。父親と兄弟は、家で留守番でした。孫娘も、舞台の方がとても可愛いです。贔屓目もありますが、日常生活よりも、何かを発表する目的意識と自信が、末の孫と同じように、活き活きとした表情になるのだと思います。
 合唱祭が終わって、孫娘が、お腹が空いたようだったので、午後3時過ぎに、昼食のような、おやつのような食事をして別れました。

 

「末の孫 卒園前の お遊戯会 何処から見ても 孫が一番」
「孫娘 我の孫とは 思えない 大きくなれば オペラのマドンナ」

 

 〇02月17日。今日は、妻が上京してくる日で、何時ものように、夕食を一緒にすることにしました。何時も、何を食べるか、決めるのが大変なのですが、今日は、あっさりと決まって、「俺のフレンチ 神楽坂」にしました。現在妻は、妹さんがやっている那須の美術館を手伝っていますが、昼間の美術館の仕事より、夜の犬の世話で大変疲れているようです。毎回この犬の話になります。なんと20歳を超え、生きているのが不思議なほどなのだそうです。しかし、どうしても殺処分には出来ないらしく、もう暫くは、大変な日々が続くでしょう。

 

 〇02月18日。今日は、都心の大学でOB会の会議がありました。大学の近くに、長崎の東京出張所があり、長崎の特産品を売っていたのを思い出し、少し早めに家を出て、出張所に寄ってみました。所が、ここは事務所だけになっており、特産品売り場は、東京駅の八重洲北口の方に移転したそうです。特産品専門の店になったそうです。会議まで時間が出来ましたので、久し振りに真田堀の土手から、日没の東京を楽しみました。
 5時半から予備会議、6時半から時間通りに会議は始まり、スムーズに討議が進行し、懸案事項が殆ど解決されました。後は何時ものように楽しい飲み会となりました。

 

「大学は 大きな変化を 遂げたるも 我が青春の 思い出残る」
「真田堀 夕日に輝く 校舎見て 遠くなりゆく 青春の日々」
「真田堀 神宮外苑 迎賓館 夕日輝く 武蔵野の空」

 

 〇02月19日。今日は、関戸橋周りで聖蹟桜が丘に行き、行きつけの小川眼科に行きました。特に診察はなかったのですが、白内障の手術を受けた後、老眼鏡を新たに作る必要があるか、作るとすれば、どの様な老眼鏡にすれば良いか、調べて貰い、眼鏡や様の処方箋を作って貰いました。これだけのために、2時間かかってしまいました。その後、聖蹟の眼鏡屋を見学して、我が家に戻りました。

 

 〇02月20日。今日も西暦和暦とも、0と2だけの日です。今月もう1回、明後日に2だけの日があります。今日は、バスで多摩市役所まで行き、そこから、まだ農業を続けている旧家の畑を歩きました。昔の我が家もそうでしたが、農業をやる家では、味噌、梅干し、お茶等々、色んなものが自給自足で、畑の縁には、必ず茶や梅が植えてありました。そんな、昔懐かしい景色の中を歩きました。その後、原峰公園を散策し梅を楽しみました。原峰公園は、昔ながらの多摩の里の雰囲気を残した梅の名所なのです。その後、熊野神社、関戸と旧鎌倉街道を歩き、大栗川に出て、鴨達を見ながら、昼食にしました。

 

「思い出の 我が家に似たる 多摩の里 畔に並んだ 白梅の花」
「梅咲けば 犬陰嚢の花 当たり前 いきなり春の 令和の初春」
「森陰に 山盛りの白 梅の花 住宅地の中 原峰公園」
「晩春の 山ツツジの 蕾あり 春告げ梅が 夏も告げるや」

 

 〇02月21日。明日が、初孫の二十歳の誕生会なので、なんとか美味しい酒が飲みたくて、故郷長崎の特産品を買いに、アンテナショップのある東京八重洲へ出かけました。酒の肴に蒲鉾を何種類か買いましたが、少し物足りない感じがしたので、八重洲から銀座まで歩き、熊本のアンテナショップへ寄って、味噌豆腐、塩雲丹、辛子レンコンなどを買い足しました。喜んでくれると良いのですが、、、。

 

 

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2020年02月08日

 

2020年02月08日

 

 

 

 〇02月08日。昨年の台風が残した傷跡の修復が始まりました。凄まじい自然の力を、写真にも撮っておこうと、多摩川の河原を歩きました。我が家の前の水門の所から河原に下りようとしたら、手すりにアカハラが止まっていました。何年振りかの出会いでした。矢張り、外へ出ると良いことが待っています。新型コロナウィルスの感染問題で、船とかホテルから出られない人達の苦労が、想像以上に辛い事であることが分りました。その後、早くも「梅まつり」が始まった郷土の森公園で、咲き始めた梅を楽しみました。博物館の前には、べっこう飴、飴細工、針金細工の職人が店を出していました。孫用にべっこう飴を買いましたが、並んで店を出していた、針金細工の職人とは、不思議なことに、フランスの絵画の話で盛り上がりました。

 

 3時頃には、我が家の戻ったのですが、娘から電話があって、今日は誕生日なので、一緒に飲みたいと言ってきました。夜は特に用事がなかったので、仕事が休みの次男と一緒に娘の家に行き、12時近く迄飲みました。何時の日か、孫達にやろうと思って買ったべっこう飴を、孫達がとても気に入ってくれましたので、良いこと尽くめの1日になりました。

 

 

 

「台風の 傷跡尋ねて 3千歩 濁流流れし 多摩川歩く」

 

「河原には 我等が住める 場所も無し アカハラ鳥の 嘆き聞こえる」

 

「木々達が 長きスカート 身につけて 動きの止まった ハワイアンダンス」

 

「濁流に 根元掬われ 横倒し 木々等の悲鳴 河原を埋める」

 

「濁流が 作った砂地に 野茨の 新芽が延びて 明日はまた来る」

 

「枯れ草が 立木に巻き付き 人型に 流れよ止まれと 叫ぶが如し」

 

「若木等は 頭の上に 大鬘 耐えきれずに 頭を下げる」

 

「老木が 河原にドデンと 横倒し 老木死しても 未来の土に」

 

「老木を 支えた木の根 龍となり 天に帰るか 多摩の暴れ龍」

 

「餌探し 多摩の奥まで 来たものの 鴎も唖然 嵐の傷跡」

 

「子供等の 歓声聞こえた 野球場 サッカーコートも 砂利の河原に」

 

「丘の下 嵐の傷跡 見下ろして 変わらず梅咲く 郷土の森梅園」

 

「梅の下 梅と一緒に 春告げる 嵐と無縁 福寿草かな」

 

「カサカサの 幹からいきなり 梅の花 花咲か爺の 撒き方悪し」

 

「梅まつり 傘寿を過ぎた 婆さんが 手元しっかり べっこう飴作り」

 

「婆さんの 隣りの爺さん 米寿とさ 絵画語りつ 針金細工」

 

 

 

 〇02月09日。富士が綺麗に見える良い天気が続いています。今日は、近くの梅の名所の一つ、百草園に行ってみました。郷土の森公園と同じように、「梅まつり」が始まっていました。半分近くの梅が、花を咲かせていました。百草園の後は、百草台公園から高幡不動まで歩き、今月初めと同じように、高幡城趾より、富士を見ながら美味しい昼食を食べました。最近、朝食は我が家で義務的に、昼食は外気の中で景色を楽しみながら食べることが苦にならないようにしています。夕食は出来るだけ手料理で酒の肴を作り、栄養と量を確保するようにしています。

 

 

 

「我が家から 何時も見ている 冬木立 近くで背中 違う味わい」

 

「幹晒し 生き様見せる 大木は 問わず語りの 命の不思議」

 

「百草園 梅の彼方の 我が家かな 向ヶ丘から 見るも良きかな」

 

「百草園 団地の彼方 富士の山 里は変われど 富士は変わらず」

 

「百草園 大東京に 生き残る 昔懐かし 多摩の里かな」

 

「百草園 霞の中の 大東京 富士も驚く 高層ビル街」

 

「富士見つつ 昼飯食えば 力出る 外気が作る 命の源」

 

 

 

 〇02月10日。今朝も綺麗な富士が見えました。梅のシーズンが始まったようなので、近くの梅の名所、谷保天神へ行ってみました。谷保天神の梅園は、左程大きくなく、見物客も多くはありませんでした。でも、かなりの梅が咲いていました。谷保天神は、菅原道真を祀っており、現在は、合格祈願者が多く訪れます。山ほどの合格祈願の絵馬が、奉納されていました。その後、谷保城山に行って昼食を食べ、泉町公園から我が家に戻りました。

 

 

 

「この家の 家主はきっと 花が好き 庭先常に 花の絶えざり」

 

「楠の 大木前に 梅の花 野暮の始まり 谷保天神」

 

「梅の花 何処で咲いても 野暮は無し 谷保天神の 梅も美し」

 

「水澄みて 空を飛ぶよな 錦鯉 谷保天神の 湧水の池」

 

「湧水の 流れが作る 縞模様 多摩の畑を 潤し流る」

 

「日を受けて 白く輝く 花となる 空へと続く 秋楡の実」

 

 

 

 〇02月11日。ここ暫く、梅の名所を歩いています。今日は、町田市の薬師池公園に行って来ました。此処は少し気温が低いのでしょうか、ほんの僅かな梅しか咲いていませんでした。仕方が無いので、専ら梅の枝に付いた苔を楽しみました。

 

此処の公園事務所のお土産売り場には、布で作った小さな梟が売っています。これまでにも、何度か買っているのですが、今日も買ってしまいました。売り場は、数人の軽い知的障害者が担当していて、一人の小母さんが、彼等の面倒を見ていました。売った物をノートに付け、売上金の管理をするように、障害者を導いていましたが、それが簡単ではありませんでした。そんな訳で、買い物には時間が掛かったのですが、お客として協力しました。

 

 

 

「蓮の無き 蓮池歩く 青鷺の 能の舞台の 役者の如し」

 

「椿園 五月の上に 花の落ち 枝の上より 輝き増しぬ」

 

「薬師池 花も葉も無き 梅の木に 今が天下と 苔の輝く」

 

 

 

 〇02月12日。良い天気は今日までだとのことでしたので、今日は、昭和記念公園に行って来ました。広い公園なのですが、梅園は小さいのです。しかし、梅は、ほぼ満開でした。この時期、こもれびの里には、節分草の花が咲くのですが、今日も沢山咲いていました。約束を違えないのは、嬉しいことです。この広い公園なのに、立川口に行く箸の近くからしか、富士が見えないのです。公園の中の何処か、多分こもれびの丘が良いと思いますので、上手に木を切って、富士が見える場所を付くって欲しいと思います。

 

 渓流地の近くで、昼食を食べていると、橋の上に沢山の人が集まってきました。恐らく、カワセミが現れたのでしょう。私は、日本庭園の中で、イカルを見ました。数年ぶりだと思います。昭和記念公園では、色んな鳥が見られるのですが、こちらの都合に合わせて現れてはくれないのです。

 

 

 

「池の中 綺麗に映った 木の影を 小波を立てて 鴨等が泳ぐ」

 

「丸裸 桜を見つつ 梅の花 紅白揃って 我が世楽しむ」

 

「次は我 今にも弾けん 山茱萸の木 梅を抜くのは 叶わぬ夢か」

 

「庭園の 梢に止まる あの鳥は 良くは見えぬが イカルのようだ」

 

「君は誰 まさか八重咲き 節分草 花屋の鉢から 抜け出したよう」

 

「青き空 姿変え行く 白雲に 拍手喝采 冬木立かな」

 

「楓の実 舞い落ちたのか 草の上 いやいや君は スノードロップ」

 

「栃の木の 新芽怪しく 光りたる 濃い紫に 真珠一玉」

 

「ベランダに 今も咲くかな シクラメン 師走の花が 春を迎える」

 

 

 

〇02月13日。天気予報では、今日は午後3時頃から晴れ間が見えると言っていましたが、雨は、9時半頃ぱらっとしただけで、10時半には日差しが出て来ました。そんな訳で、今日は、午後3時過ぎから散歩をしようと思っていたのですが、11時頃から散歩に出ました。

 

家から、西府緑地を辿って中河原に出て関戸橋を渡り、大栗川と多摩川の合流点を回って、聖蹟桜が丘に行きました。なんと合流点は、合流点は、多摩川も大栗川も綺麗に整備されていました。人間が整備すると、自然の川の趣が一切無い、単なる平地になっていました。ここに住んでいた亀やカルガモなどは、別の所に移してやったのでしょうか、少々心配です。

 

 

 

「目の前で 我が目気にせぬ 目白かな 無心に突く 梅の花かな」

 

「沈丁花 協調性無き 花一輪 目立ちたければ 一番咲きよ」

 

「青空に 栃の新芽の 屹立し 一物擬き ちと恥ずかしき」

 

「鏤めた 宝石分けて 白鷺の 静々歩く お伽の世界」

 

「大栗川 ここにも来たの イカルさん 君見るだけで 我は幸せ」

 

 

 

 〇02月14日。今日は、午後から曇るというので、朝の内に家事を済ませ、午後は、久し振りに書に没頭しました。実は、26日が初孫の誕生日なのですが、22日の土曜日に20歳の誕生会を我が家でやることにしたのです。誕生日プレゼントに、何を送って良いのか分らず、李白の詩、「山中興幽人對酌」を色紙に書いて贈る事にしました。久しく筆を執っていないし、手は震えるし、大変でしたが、取り敢えず色紙に書き終えました。喜んでくれると良いのですが、、、。

 

 

 

「初孫と 飲める日の来る 幸せに 勝るもの無し 爺の人生」

 

 

 

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2020年4月 6日 (月)

2020年02月01日

2020年02月01日

 〇02月01日。早くも2月になりました。朝一番にベランダ側のカーテンを引いて、朝日に輝く富士を見ると、多摩川縁を歩きたくなります。今日も、石田大橋を渡り高幡不動まで、富士を見ながら歩きました。今日は、空気が澄んでいたので、関東一円がくっきりと見えました。高幡城趾で、富士を見ながら美味しい昼餉となりました。夜は、次男とテニスの全豪オープン女史決勝戦を見ながら、美味しい酒が飲めました。飲んだり食べたりが、生活の中で、一番大切になってきました。

「明けぬれば 富士の白嶺の 目の前に 白嶺仰ぎつ 高幡不動へ」
「蜜を吸う 目白の首の 長く延び 花を突きて 花片散らす」
「武蔵野の 彼方に弧峰 白霞む 常陸国の 筑波山かな」

 〇02月02日。今日は、西暦で表記すると、20200202で、0と2しかない珍しい日でした。今日も素晴らしい天気で、富士が良く見えました。何処を散歩しようかと迷ったのですが、成城大学のキャンパス訪問をする事にしました。谷保駅から登戸、成城学園前に出て、成城大学へ行ったのですが、丁度入試を行っていて、関係者以外は学内に入れませんでした。仕方なく、仙川へ出て、祖師谷公園、薬師堂、上祖師谷の神明社、仙川の昌翁寺、仙川駅と歩きました。谷保駅の桜がほぼ満開でした。河津桜であっても早いと思いました。今季は冬がないような気がします。昌翁寺では、今年初めての御朱印を貰いました。夜は、次男が仕事なので、一人でテニスの全豪オープンの男子の決勝戦を見ながら、晩酌にしました。なかなか良い試合だったので、美味しい酒が飲めました。

「谷保駅に 梅かと思えば 桜なり 冬の来ぬまま 春になりけり」
「仙川に 群れなす鳥は ヒドリガモ 餌の少なき 嵐の傷跡」

 〇02月03日。今日は、妻と会うため神楽坂に行ったら、毘沙門天で節分の豆撒きをやっていました。神楽坂には、学生時代1年間住んだことがありますし、最近も妻の家が神楽坂にあるので、度々、神楽坂に行っているのですが、節分の豆撒きを見たのは、初めてでした。その後、妻と会って、早めの夕食をして、竹橋のホテルで久し振りに逢瀬を楽しみました。

「夕闇の 大東京に 迫り来て 皇居の周りに 大燈籠の列」
「久方の 妻との逢瀬を 盛立てる 大東京の 摩天楼の灯」

 〇02月04日。今日は早くも立春です。外の温度も高く、ホテルの室内の温度も高く、妻と共に二重の春を味わいました。神楽坂に戻って、早めの昼食をして、妻と別れました。時間がたっぷりあったので、明治神宮と代々木公園を歩きました。代々木公園では、「ふくろうの里」という喫茶バーの開店のため、梟を手にした女性が宣伝をしており、2種類の本物の梟と出会いました。梟好きの私としては、良い一日となりました。

「新春の 神社巡りの 多き年 最後の締めは 明治神宮」
「本物の 梟達と 出会いあり なんと嬉しい 代々木公園」

 〇02月05日。春のような暖かい日でした。今日は、思い立って目黑川完歩を思い立ち、目黑新橋から下流へ向かって歩きました。多くの橋が架かっていました。通常、橋の名盤は、起点となる日本橋を背にして左側に漢字、左側にひらがななのですが、逆のものもかなりありました。理由が知りたいものです。目黑から品川に入り、東京湾が近づくと、幾つもお寺が見えたので、御朱印を貰いにお寺周りをしました。九つの寺を廻ったのですが、寺の名前が何処にも見当たらない寺がありました。初めての事でした。九つの寺を廻って、御朱印が貰えたのは、本栄寺と蓮長寺の日蓮宗の二つの寺だけでした。蓮長寺では、住職が留守で、次の住職となる長男が、本堂を案内してくれました。この寺は、関東大震災、東京大空襲にも耐えて、古い時代の天井画が残っていました。特に本尊の上の龍の絵は、狩野派の一人の絵だそうで、実に見事な絵でした。その後、大黒さんも加わり、色々話をして、30分以上お邪魔しました。こんな経験は初めてでした。その後は、山の友達と歩いた、品川宿を歩いて、帰途につきました。取り敢えず、目黑川が海へ合流する所まで歩くことが出来ました。合流点近くの川岸には、鴎が50羽ほど翅を休めていましたし、品川宿への入口(関西からの)にある荏原神社は、早くも桜が満開でした。良い1日でした。

「大都会 ビルの谷間の 目黑川 海の近きか たゆとう川面」
「夕日受け 灯台躑躅の 朱き葉よ 秋を残して 春芽の季節」
「高層の ビルの狭間の 東海寺 時代の変化 拒み続ける」
「鴎等も 温き日差しを 楽しみぬ 恐る恐るの 写真撮影」
「三重塔 高層ビルと 背比べ 高さ負けれど 威厳で勝る」
「尋ぬれば 新たな出会い 広がりぬ 心が和む 人の優しさ」

 〇02月06日。今日は、目黑川を上流に向けて歩きました。昨日と違って、お寺は見えず、多くの公園を見ました。中目黒公園、菅刈公園、オーパス夢ひろば、目黑天空公園でした。今日は、昨日と打って変わって寒い日となり、更に強い北風が吹いて、天空公園では、ビル風となって身体が飛びそうになりました。天空公園の近くの池尻大橋の所で、目黑川が終り、緑道に変わりました。これで、目黑川は完歩したことにしました。その後、駒場東大前まで歩き、明大前で井の頭線から京王線に乗換え、我が家に戻りました。

「天を突く 高層ビルを 目印に 都会流れる 目黑川登り」
「離れ凧 桜の枝で 一休み 持ち主を待つ 中目黒公園」
「幅狭き 目黑川にも 渡り鳥 鷭に小鴨に 尾長鴨かな」
「真冬日に 背中丸めた 鵯が 寒くはないかと 鴨等に問いし」
「ビルの上 尾根筋状の 公園に 梅の花咲き 富士を遠望」
「北風が ビルを回って 突風に 寒さに縮む 身体飛びそう」

 〇02月07日。今日は、昔の職場の仲間が、叙勲のお祝いをしてくれました。本当に嬉しく、有難い事でした。

「鍋囲み 祝いの言葉 聞きながら 仲間と飲む酒 真の勲章」
「若き日に 同じ高みを 目指してた 仕事仲間の 成長を見る」
「初社会 戸惑い気味の 若者が 家族も出来て 立派な大人に」
「仲間等が 心籠もった 箸渡し 心に浸みる 過分の幸せ」
「お祝いの 箸を使いて 人生の 良きことばかり 摘まみ食いせん」
「世界から 祝いの言葉 届きたり 老いて知りたる 至高の幸せ」
「迷幹事 訥々話す 不器用さ されど優しさ 世界一なり」
「全員に 心の底から ありがとう フレーフレー情管 フレーフレー情管」

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