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2019年9月17日 (火)

2019年09月12日

2019年09月12
 〇今日は、晴の予報でしたが、雨こそ降りませんでしたが、雲の多い1日でした。しかし、これまでの暑さは無く、肌に心地よい秋風を感じました。
 〇台風15号による千葉県の被害が、相当大きいようです。生活必需品である、電気や水が使えない世帯が、東京に隣接する所を除いて、千葉県全体に広がっているようです。停電の主たる原因は、電柱が折れたり、電線に倒木が倒れたりしていることが、主たる原因のようです。断水の原因は、水を配給するため一旦配水所に揚水するための電力が無いことのようです。結果的に、断水も電力の問題に帰結するようです。
 〇これも、何度も言っていることですが、何故、無電柱化(送電の地下化)を早く進めないのでしょうか。無電柱化は、コストが高く電気料金に跳ね返るのを回避する為だとか、あたかも国民を守るために実施しないようなことを言っていますが、本当にそうなのでしょうか、、、。工業、商業、農業等の産業と国民生活の将来を含めた、電力や電力設備のあり方について、きちんとした計画を国民に提示して貰いたいと思います。勿論、電力会社だけで無く、本来、国家が国家の将来の問題として、検討すべきだと思います。
 〇今日は、午後から府中駅まで歩きました。四谷文化センター、NECの工場、分倍河原、高安寺、大国魂神社、府中駅と良く歩くコースです。欅や桜の葉が黄色く色付き始め、長い夏が終りに近づいたようです。今日蝉の鳴き声を聞いたかどうか、そう言えば、9日の台風以降、蝉の鳴き声を聞いていないような気がします。今日歩いていて、一番驚いたのは、ガマガエルでした。舗装された歩道の上で、じっと動かないで私の方を見ていたので、水に戻してやろうと思って、首の辺りを摘まんだら、皮膚が乾いて、日干し状態になって死んでいました。どうしたら良いか分らなくなり、そのまま放置しました。
 〇4時過ぎに、家に戻って郵便箱を開けたら、長崎の弟から、父母、祖父母の戸籍謄本が届いていました。私の終活の1つとして、ファミリーヒストリーを調べ始めました。弟も興味を持っていますので、色々な資料探しを手伝ってくれます。どうも我が家は、隠れキリシタン、もしくは、潜伏キリシタンでは無いかと思われるのです。あと2年くらいで、きちんと調べがついて、本に出来たら良いと思います。

「多摩の里 欅通りに 秋の風 舞い散る落ち葉も 秋の色づき」
「何時の間に 聞けなくなった 蝉の声 唐突なるかな 秋の訪れ」
「庭先の 蝶の集まる 韮の花 紋白蝶に 褄黒豹紋」
「大ガマの 度を過ごしたる 日向ぼこ 日干しとなりて 天へ旅立つ」

09月13日
 〇今日は、中秋の名月だというのに、朝から雲が空を覆っていました。そして、東京は、最高温度が25度になりませんでした。秋が、足早にやって来ているようでした。
 〇今日は、午後から、また府中に行くことにしました。昨日、不在中に書留が、3通も届いたのです。再配達を頼んでも良いのですが、家でじっと待っているのは嫌いなので、武蔵府中郵便局に取りに行くことにしました。行きは、チュウバスを利用しましたが、帰りは、大国魂神社、サントリーの工場、郷土の森公園、中河原駅まで散歩しました。昨日、台風以降、蝉の鳴き声を聞いていないようだと書きましたが、今日、注意深く確かめたら、大国魂神社や郷土の森公園では、まだ沢山の蝉の鳴き声が聞こえました。単なる私の、注意力散漫のせいだったようです。
 〇散歩の途中で、知り合いの女性から電話がありました。色々、問題を抱え込んで大変な様子でした。残念ながら、何も手助けすることが出来ず、話を聞くだけでした。私に話をしたことで、彼女の気分が少しでも晴れたら、嬉しいのですが、、、。
 〇私の人生を振返って、親族とか、友人とか、職場の人間とか、様々な人間関係において、助けられたことはあっても、問題が生じたことはありません。これが、私の人生で一番良かったことだと、この歳になって、改めて幸せを噛み締めています。
 〇夜は、自分で作った鶏皮の唐揚げ、自分で作った鶏手羽中の一夜干しを焼き、エリンギ炒め、トマトサラダで、巨人―広島戦を見ながら晩酌にしました。この所、イタリア時代の友人から送られてきたワインを楽しんでいます。期待していた中秋の名月は、9時過ぎになって、雲の間から少しだけ顔を出しました。

09月14日
 〇今朝も、雲の多い朝でした。ベランダの蜜柑も山椒も、殆ど食べ尽くして食べる物がなくなったのに、黒っぽい芋虫が3匹、緑の芋虫が1匹蜜柑の枝にへばり付いていました。
 〇朝早く、ラグビー好きの先輩から、神奈川の大和で、青山学院と帝京大学のラグビーの試合があるから見に行こうと誘われました。特に予定がなかったので、先輩と一緒にラグビー観戦をする事にしました。
 〇大和と言う所は、初めてなので、ネットで調べて見ると、南武線谷保から登戸で、小田急線片瀬江ノ島行きに乗換えれば良いことが分りました。大体の所要時間も分りました。試合は、3時からでしたので、我が家を1時前に出て、2時半には大和に着きました。試合が行われる、大和スポーツセンターに着いたのは、2時45分で、先輩は既についていました。そして、私と同じように、何時も先輩から声かけをされる後輩2名も来ていました。
 〇試合は、予定通り始まり、最初のトライとゴールを青山学院が取りました。近年9連覇を果たした、帝京大学の試合を何度も見たことがあり、帝京大学の圧倒的勝利を予想していましたので、以外でした。しかし、その後は予想通りに展開し、結果的に68―7で帝京大学が圧倒的勝利を収めました。最初に帝京大学の仕合を見たのは、3年ほど前、百草台の近くにある帝京大学のラグビー場でした。この時も、今日の先輩に誘われました。百草台は、私の散歩コースの1つに入っているので、試合が行われていると、必ず立ち寄って仕合を見、何時しか帝京大学の応援をするようになりました。
 〇試合は、5時頃終わりましたので、大和駅の近くで、反省会となりました。今日集まったのは、ラグビーも好きですが、反省会は更に好きな者達ですから、一気に盛り上がり、あっという間に7時半になり、私のように遠方から来たものもいるのでお開きになりました。家に着いたのは、10時頃でした。
 〇私が着いた直ぐ後に、次男も帰ってきました。今日は、友人とペルー料理を食べたそうです。40年振りくらいに、チチャモラーダ(紫トウモロコシのジュース)を飲み、セビチェ(魚介類のマリネ)などを食べ、感激していました。ペルーの国民的飲み物と食べ物です。次男は、5歳から7歳まで、ペルーに居たので、ペルーには特別の思い入れが有るようです。寝る前に1時間ほど、思い出話をしながら、一緒に寝酒を飲みました。
〇ペルーでの2年半は、私の生涯で、最も大変な時期でした。当時のペルーは、社会主義軍事政権で、ソ連との友好関係は有りましたが、アメリカ大陸の近隣諸国からは、絶交状態でした。2歳になる頃の娘用のミルクを手に入れることが難しく、色んな方から、缶詰のミルクを分けて貰いました。ペルーの海岸地帯は砂漠で、他は急峻なアンデス山脈とアマゾン地帯でした。殆どの肉はアルゼンチンから買っていたのですが、買えなくなりました。自国で必要な食料を、自国で作れなかったのです。ペルーの主たる輸出品、銀、道、カタクチイワシ(アンチョビ)、綿糸が、絶交状態の他国へ売れず、他国から物を輸入する金が無くなったのです。お陰で、肉は一月に10日ほどしか売られませんでした。麺類もパンも売っている所を探して、行列して買わなければなりませんでしたビールとかは、空瓶を持って行かないと買えませんでした。また、戒厳令下だったので、夜、外へ出かける事が出来ず、3人以上の集会も禁じられていました。酒を飲むのも、麻雀をするのも大変なことでした。ペルーに着いた早々、前妻は胆石を患い、薬で痛みを抑えながら暮らしました。2年目には、突然テンカン症状を起こすようになり、一人検査帰国したら、悪性の脳腫瘍であることが判明しました。結局、その後直ぐに、私も子供達も帰国することになりました。

09月15日
 〇今朝も、雲の多い朝でした。夕方には、雨が降るかも知れないとのことでした。本当らしく思えました。
 〇月曜日から、予定が詰まっているので、彼岸より少し早いですが、弟の墓に行くことにしました。あきるの市の墓地なので、何時もの散歩と違って遠いので、午前10時半には、我が家を出ました。バスで国立へ行くと、丁度青梅行きの電車が来ました。お陰で、立川で乗換えること無く拝島に着き、そこから五日市線に電車を乗り継いで、武蔵五日駅に12時頃に着きました。
 〇武蔵五日市駅から、線路沿いに戻る感じで何時もの道を歩きました。途中の、大悲願寺では、赤白の萩が見頃を迎え、萩祭が行われていました。今日は、二宮神社秋例大祭の日らしく、祭太鼓が町中に鳴り響いていて、車は、かなり大幅な交通規制が行われていました。しかし、歩行者は関係なく、あきる野市の墓地に午後1時頃に着きました。
 〇武蔵五日市駅に着いた頃から、日差しが出て来たのですが、墓に着いた時には、青空が広がり、真夏のような日差しが照りつけました。墓には、日陰は全く無く、結局、弟に見せびらせながら弁当を食べました。食事の後、墓掃除をしましたが、春に除草剤を撒いていたお陰で、それ程草は茂っておらず、掃除は、簡単に終わりました。拾った百合の造花を飾り、「苦しきことのみ多かりき」弟の墓前に手を合わせ、墓を後にしました。
 〇帰りは、武蔵何時か駅では無く、武蔵増子駅へ歩きました。距離的には半分くらいなのですが、何の変哲も無い線路脇の道なのです。駅の側で、缶ビールと摘まみを買って駅に着くと、来る時とは逆に、丁度電車が行ったばかりでした。次の電車は、30分後でした。所が、これが幸運だったのです。10分後に、二宮神社の祭りの神輿が、10基ほどやって来ました。金色に輝くとても綺麗な神輿でした。祭太鼓の音色が大きくなり、人々の歓声も大きくなりました。本来は9日が祭だったらしいのですが、台風のため今日に延期されたようです。この祭は、別名生姜祭と呼ばれるそうで、行列の中に生姜栽培用の道具もありました。予期していなかった良いハプニングでした。
 〇武蔵增子駅から、電車とバスを乗り継いで、我が家に戻った時は、4時過ぎていました。6時半頃から、晩酌を始めようとしたら、いきなり花火の音が聞こえました。ベランダに出てみたら、聖蹟桜が丘の花火大会でした。東日本大震災以降、初めてのような気がします。今日は、良いハプニングが続きました。

「秋の日に クチナシの香の 広がりぬ 実の色づく頃 白き花かな」
「低木に 白百日紅の 花落ちて 白く輝く 首飾りの列」
「紅白の 萩が満開 萩祭 大悲願寺の お茶を一服」
「萩の花 細き枝先 熊ん蜂 独り楽しむ シーソーゲーム」
「あきるのの 谷に木霊す 笛太鼓 二宮神社の 秋の例祭」
「秋の日に 今が盛りの 韮の花 花の頭に 褄黒豹紋」
「切株に 押し合いへし合い 茸かな 茸狩りと いきたいものだが」
「線路脇 乱れ咲きにし 菊芋の 電車で迎え 電車見送り」
「誰一人 尋ねる人無き 弟の 墓の前にて 弁当喰らう」
「世を去りし 弟への願い 叶わねど 幸多かれと 祈りたくなる」

09月16日
 〇今朝は、雨が降っていました。天気も悪いし、今日は午後から、府中市の敬老の日記念大会に参加するだけと思っていましたが、朝早く妻から電話があり、「夜は、身体が空いたので、一緒に食事しましょう」と誘いがありました。勿論、二つ返事でOKしました。
 〇記念大会は、3時から始まるのですが、府中で、武蔵府中郵便局から保険証が入った書留を受け取ることや、明後日からお世話になる、妙高高原の関根ロッジのお母さん、長野の友人への虎屋の羊羹を買う等の用があったので、少し早めの午後1時に家を出ました。府中で、用事を済ませた後、妻が好きだった青木屋の「くろどら」お土産に買いました。思いの外重たい羊羹を持って、東府中から会場の芸術劇場に2時半に着きました。丁度、入場が始まった所でしたが、物凄い数の老人の行列でした。府中市には、70歳以上の老人が、43,000人を越し、100歳以上の人が103人居るそうです。その為に、記念大会は、午前、昼、午後と3回に分けて行われました。我々は午後の部でした。
 〇記念大会は、市長の話などの式典30分、金沢暁子さんの歌謡ショー30分、マヒナスターズの歌謡ショウ30分でした。金沢さんという歌手は知りませんでしたが、マヒナスターズは、我々が中学高校時代に、一世を風靡していました。「誰よりも君を愛す」「北上夜曲」「お座敷小唄」等、懐かしい歌に心が痺れました。なんと、ボーカルは、私より10歳年上の85歳でした。会場に来た老人達も、大いに元気づけられたと思います。ショーが終わる時、思わず「ブラボー」と大声を出してしまいました。
 〇4時半に記念大会が終わり、会場から今日だけの直行バスで、府中駅に出て、妻が待っている神楽坂に、5時45分くらいに着きました。持って行った、お土産「くろどら」をとても喜んでくれました。その後、妻が予約してくれたイタリアンの店に行きましたが、お土産のせいか、とても機嫌が良く、終始笑顔だったので、少し若返ったようでした。此処のイタリアンは、魚料理のイタリアンで、日本料理風イタリア料理というようなものでした。種々工夫の跡が見られ、とても美味しく、妻も私も満足しました。今は亡き、画家だった友人が、ローマで教えてくれた、モンテプルチャーノの赤ワインをしこたま飲んで仕舞いました。安い割には、美味しいのです。
 〇食事の後、お定まりのバールに行って、妻はコーヒー、私はワインで、また1時間ほど話し、結局、我が家に帰ったのは、11時近くになりました。

「良く食べて 笑顔の妻は 若返り 思い焦がれし 往事に戻れり」
 

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