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2019年9月12日 (木)

2019年09月07日

2019年09月07日
 〇今朝も素晴らしい天気でした。ベランダに出ると、レモンと山椒の葉が殆ど無くなっていました。葉を食べた芋虫は、アゲハ蝶の幼虫だと思うのですが、これまで何度も探しましたが、蛹を見つけることが出来ませんでした。そして、当然ながら、蛹から蝶になる所も見たことがありません。所が何時の日か、芋虫達は、ベランダからいなくなるのです。全部が鳥に食われたとは思えません。一体どうなったのでしょうかねー。
 〇今日は、夕方、都心の大学で、色々と世話になった友人と会うことになっていました。大学時代も、大学を出てからも、そして今も、付き合っています。人生を共にしたような友人です。大学時代、1年間寮生活も共にしました。大学の行事で、何度も一緒に働きました。学園紛争時代は、それぞれの立場で、奮闘しました。引っ越しの手伝いや結婚式の司会も頼みました。大学を出てからも定期的に酒を飲み、人生を語り合いました。恩師を語る会でも一緒に企画実行しました。そんな生涯の友が、歳を取り、認知症が進行しています。今日会うことを決めるのも結構大変でした。日付を忘れることが、非常に多いのだそうです。私自身も物忘れが激しくなり、友人ほどでは無いにしろ、認知症が始まっているようです。これが、歳を取ると言う事なのでしょうねー。
 〇夕方5時に友人と会い、そのまま、馴染みの酒場に移りました。盃を酌み交わしながら、お互い忘れていない思い出を次々に出し合って、人生のやり直したような気分になりました。これから、何度も同じ事をやると思います。繰り返しになりますが、これが歳を取ると言う事なのだと思います。
 〇8時近くに、友人と別れ、家路につきました。友人が無事に帰ることが出来るか、少々心配でしたが、余り心配し過ぎると、彼は家を出ることが出来なくなってしまいます。既に遠出は禁止されているらしいのです。それは、彼が胃と膵臓と胆嚢の手術をしていますので、体調が悪くなった時に緊急に入院できる病院がない所への旅行は、禁止されているそうです。楽しくもあり、辛くもあった友との飲み会でした。

「人生の 多くの場面に 登場す 生涯の友 我を忘るな」

09月08日
 〇昨日、聖蹟桜が丘の駅の近くで、次のような広告を見つけました。文字だけ拾うと、「還付金」には気をつけて! 電話で「市役所の者ですが、医療費の還付金があります」と言われたら、それは詐欺です。ATMで還付金は戻りません。多摩中央警察署 でした。正しく、私に掛かって来た電話そのものでした。
 〇今朝起きた時には、青空が広がり、とても良い天気でした。それでも台風15号が接近しているので、何時雨になるか分らないと思い、午前11時頃から、我が家の近くを歩くことにしました。
 〇我が家から、泉町公園、国立水再処理センター、ヤクルト中央研究所を経て、谷保城山公園に着きました。目的の1つは、城山公園のキツネノカミソリ(狐の剃刀)だったのですが、既に咲き終わっていました。彼岸花よりは、大分前に咲くとは思っていたのですが、どうもお盆過ぎには咲き始めるようです。午後の1時頃になっていましたので、「城山さとのいえ」の近くのベンチで昼食にしました。丁度、弁当を半分くらい食べた所で、急に雷鳴が轟き、土砂降りの雨となりました。弁当は途中で止め、「さとのいえ」に非難しました。里の家には、7歳くらいの女の子、4歳くらいの男の子の姉弟が、先に雨宿りしていました。女の子が、剣玉をもって遊んでいたので、ちょっと貸して貰いました。幼い頃、剣玉は得意だったので、良い所を見せようと思ったのです。所が、手が少し震えて、上手く剣玉を操れませんでした。「じーじ下手でごめんね」と言ったら、「私より上手だったよ」と慰めてくれました。雨が止んで、父親が迎えに来ると、男の子が、「遊んでくれてありがとう」と言い、手を振りながら「さとのいえ」を出て行きました。それにしても、また歳を感じました。そう言えば、字を書く時も、漢字の細かい部分は、手が震えて上手く書けません。微妙な事には、もう対応出来なくなってしまいました。
 〇雨の後、ハケシタ(崖下)散策路、府中用水と矢川の合流点、ママシタ湧水(此処だけハケシタ湧水をママシタ湧水と言う)、立川根川と多摩川の合流点を歩来ました。里芋の葉には白銀の水玉が乗り、蜘蛛の糸が雨の飛沫に濡れ、檜の葉が光の玉を宿すなど、雨の後でなければ出来ない楽しみを満喫しました。
 〇国立のSVマーケットの近くを通りましたので、何時ものように、鶏の軟骨や果物を買い、土手の道を歩いて、我が家に4時過ぎに戻りました。もう少し早く帰る予定だったのですが、雨をやり過ごしたため、遅くなってしまいました。
 〇鶏の軟骨は、何時ものように、日干し用、唐揚げ用、焼き物用に味付け等の準備をしました。夜は、次男と一緒に、野球でも見ながら酒を飲もうと思っていたのですが、台風の影響なのでしょう、何処のテレビでもスポーツを中継しておらず、仕方なく映画を見ながらの晩酌になりました。しかし、映画の場合は、映画から目をそらせられない時もあり、気楽に酒が飲めません。酒の友には、スポーツが一番だと思いました。

「葡萄かな 思えば朱き 辛夷の実 葛を退け 我が子を守る」
「他の木を 踏み台にして 背を伸ばし 青空目指す 葛の花かな」
「突然に 雷鳴轟き 日差し消え 近くも霞む 土砂降りの雨」
「土砂降りの 雨に打たれて 頭下げ 威勢も消える 黄花秋桜」
「俄雨 幼き子等と 仲良しに 仲を取り持つ 下手な剣玉」
「久々の 雨に洗われ 生き返る 萩の花道 ハケシタの道」
「雨飛沫 蜘蛛の網にも まとい付き 獲物捕れぬと 嘆く蜘蛛達」
「里芋の 葉に乗る水玉 転がして 遊んだ日々を 思い起こせり」

09月09日
 〇昨夜1時半頃には、まだ台風の気配を感じなかったのですが、4時に起きた時は、台風のど真ん中にいるような、強烈な雨風でした。そして、今朝6時半に起きた時には、雨は止み、風は僅かに木を揺らしている程度でした。風は北風だったので、ベランダの右端だけが、水浸しになっており、芋虫達の姿も見えませんでした。トイレに起きる度に、台風観察をしたので、すっかり寝不足になってしまいました。
 〇台風一過の西の地平に、青い富士が見えましたので、テレビのニュースを見て、朝食を食べ、洗濯を済ませて、朝の散歩に出ました。先ずは、富士を見ながら、五本松を越えた辺りまで歩き、四谷橋へ戻りました。多摩川は、増水し濁流になっていました。しかし、河川敷までは水は上がっていなかったので、5,6年前の台風に較べると、雨量は少なかったようです。それでも、川鵜や白鷺、青鷺にとっては、餌を捕るのが困難な急流になっていて、比較的流れの穏やか場所で、餌取りをしていましたが、何時ものようには行かないようでした。河原の荻の原には、台風の風の向きがくっきりと残っていましたし、枝が折れた木も沢山ありました。四谷橋から見ると、聖蹟桜が丘の街が、大河の中の街のように見えました。
 〇午後から、府中市役所に、戸籍抄本と住民票の写しを貰いに行きました。11月初めに、今持っている旅券の有効期限が切れるので、新たな旅券を申請しようと思ったのです。実際に使う機会があるのかは疑問ですが、一種の気休めです。戸籍抄本が必要な理由を、旅券申請のためと係員に行ったら、旅券申請書と旅券申請手続きの案内を用意してくれました。今日は、少し遅くなったので、申請そのものは明日にして、チューバスで家に戻りました。
 〇家に帰って、旅券の申請書を書きました。私は、色弱なので、申請書に薄い赤色で書かれている注意書きを読むのが難しく、時間が掛かりましたが、5時過ぎには、申請用の全ての書類が整いました。明日、立川パスポートセンターで、申請するだけになりました。
 〇夜は、今日も次男と一緒に酒を飲みました。この時期には珍しく、一日中富士が見え、夕方晩酌が始まった頃には、夕焼けの空に立っていました。晩酌が進み、富士が見えなくなると月が煌々と輝きました。今月の満月は、中秋の名月だったでしょうか、何だか夏の盛りのような気がするのですが、、、。
〇今朝の台風関連のニュースの中で、主要駅の混乱が激しかったことに対し、次男は、電車が計画運休なのに、それでも会社に行こうとするサラリーマンが多く、駅が混乱していることに、腹を立てていました。災害対応は、滅私奉公で自分の意見を満足に言えない社員任せではなく、会社としてやるべきだと言っていました。私もその通りだと思いました。

「駆け足で 台風去りし 多摩の里 西の地平に 青き富士の嶺」
「台風の 雨を集めて 暴れ龍 水鳥達の 悩みは深し」
「台風の 風の形の 残りたる 多摩の河原の 荻の原かな」
「台風も 葛を剥ぎ取る 力無し 葛の天下は 今も変わらず」

09月10日
 〇昨晩の嵐の時は、何処に隠れていたのでしょうか、蜜柑の木に緑色の芋虫が2匹、黒っぽい芋虫が3匹、戻っていました。私の注意力が散漫なのでしょうか、どうしても彼等の動きを、きちんと把握することが出来ません。情けないことに、ただ驚くばかりです。
 〇11時過ぎに、旅券の申請のため、立川へ行きました。駅ビルの中のLUMINEの9階に、立川パスポートセンターがありました。10年前は、市役所の方まで、結構歩いたような気がしますが、現在は商業ビルの中にあって、とても便利でした。申請書や必要書類のチェックをしてくれるカウンタがあり、申請書を見せた所、「一番肝心な氏名の書き方が間違っています。インクも黒ではありません。写真も糊で汚れていますのでつかえません」と言われ、申請書を作り直さなければならなくなりました。途方に暮れていたら、親切な係員で、「署名欄だけ署名した後は、犯罪に関わる部分だけ答えて下さい、予備の写真があったら出して下さい、その他は全て私が書き換えます」と言ってくれ、実際その通りにしてくれ、申請窓口の予約券を渡して暮れました。今日は、非常に空いているとのことで、5分も待たない内に申請窓口に呼ばれ、更に、ものの5分で申請は終了しました。毎日、相当な数をこなすらしく、無駄がなく、テキパキとしていて、とても気持ち良かったです。
 〇12時半には、旅券申請が終わったので、昭和記念公園へ続く「あけぼの口」で、弁当を食べ、その後、多摩モノレールで終点の上北台に行ってみました。立川より先へは、行ったことがなかったのです。特に見るべき物がなければ、そのままUターンしようと思っていたのですが、上北台に着くと、丘の上に西武球場の白い屋根が少しだけ見えました。多摩湖や狭山湖が直ぐ側にあると言うことです。西武球場は、ランドマークの役目も果たしています。
 〇上北台の駅を降りると、そこが東大和市であることが分りました。東村山に行った時、次は歩こうと思った所でした。思いがけず、願いが叶うことになりました。2時頃から、駅前の芋窪街道を真っ直ぐ歩き、青梅街道を越えると、東大和市の狭山緑地に入りました。更に歩くと見覚えのある道路に出ました。多摩湖と狭山湖の周回道路の南側でした。以前2度ほど歩いたことがあります。そこから、多摩湖と狭山湖を分ける堤防を渡って、周回道路の北側に出ました。そこから、10分足らずで、西武球場に出ました。2時45分になっていました。随分歩いた積もりでしたが、45分程度しか歩いていませんでした。西部強雨状から、2時57分発のレオライナーで西武遊園地駅へ行き、そのまま国分寺行きに乗換え、3時20分には、国分寺に着き、国立経由で我が家に戻りました。4時20分になっていました。
 〇6時過ぎから、DeNA―巨人戦を見ながら、晩酌をしていたら、7時過ぎに次男が帰ってきて、今日も次男と酒を飲みました。テレビを見ている最中に、阿部総理が、明日行う内閣改造の大臣候補者が、次々に決まり、テロップが流れました。顔触れを見ると、誰もが聞き分けの良い犬のように見えました。

「多摩の里 北から南へ モノレール 馴染みの多摩を 空中散歩」
「丘の上 ランドマークの 白い屋根 歩いて見よう 西武球場」


09月11日
 〇今朝のテレ朝のニュース解説で、「阿部新内閣と日韓関係について」を取り上げていました。解説者の一人に田崎という政治記者がいるのですが、ご用記者のような人ですから、私は好きではありません。何故テレ朝がこの人を解説者として呼ぶのか、それも分りません。彼は、現在日韓関係が悪くなったのは、1965年の日韓請求権協定を韓国が遵守しないのが悪い、悪いことをした国には、それなりの対抗手段に訴えるのは、当然のことだ」と、半導体製作のための素材輸出優遇国から、韓国を除外した安倍政権の措置を120%支持していました。「悪いのは韓国だ」の一点張りでした。現在の日本には、このような人が相当数いることを、きちんと認識しておく必要があると思います。
〇前にも書きましたが、韓国のどの政権が協定を結んだかは別として、国と国との間で協定を結んだのであれば、政権が代わっても協定を遵守するのは、当然です。それを守らない韓国に非があることは、私も理解出来ます。しかし、戦前は植民地として、韓国に隷従を強要したのは日本なのですから、韓国が立派な国になるよう、温かい気持で見守ってやる責任があると思います。植民地にしたという事実は、永久に消えないのです。旧来の敵国に対するように、いきなり、相手側から見れば、経済的制裁としか思えない措置をするのは、どうかと思います。更に、自民党の中では、良識派と思われた河野外務大臣が、一国の代表を口汚く罵る、外交儀礼上あり得ないことをしてしまいました。これは、かつての植民地である韓国を見下した行為だと言われても、仕方のない行為でした。
〇今日は、メキシコ時代の友人と銀座の方で、食事というか飲み会がありました。5時半からの約束でしたが、銀座に5時に着いてしまいました。銀座は久し振りだったので、数寄屋橋交差点の近くを歩いていたら、小雨が降ってきたので、集合場所のメキシコ料理屋「トロ」に入りました。私が一番でした。約束の時間には、4人全員揃い、いきなり店のサービスであるシャンパンから、酒が始まりました。暫くすると、凄まじい音がしました。恐らく雷が落ちたのだと思います。銀座で、こんな経験をするとは思いませんでした。
〇メキシコ時代に良く食べたメキシコ料理と、ビール、ワインを赤白各1本、テキーラと杯を重ね、山ほどの思い出話をして、すっかり酔ってしまいました。店を出たのは8時半頃だったのですが、地下鉄丸の内線で、すっかり寝込んでしまい、方南町まで行って仕舞いました。方南町から新宿に戻って帰ったのですが、家に着いた時は、11時を過ぎていました。

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