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2019年9月

2019年9月23日 (月)

2019年09月17日

2019年09月17日
 〇今日は、午後5時半から、都心の大学で、OB会の会議が予定されていました。一時間半前に出れば充分間に合うのですが、1時間ほど前に家を出て、国立で、明日の妙高高原までの切符を買いました。国立のみどりの窓口は、対応する人が一人しかおらず、結構長い行列が出来ていました。1時間早く出たのは、正解でした。
 〇大学には、5時15分に着きました。30分ほど、担当者と打ち合わせをし、更に軽食を食べて、6時半から会議が始まりました。今日は、議題が少なく、かつ、議論するようなこともなかったので、なんと18分、6時48分には、会議は終了しました。これまでの最短記録でした。お陰で、飲み会の時間が長くなり、はしご酒をして、帰る時間は、何時もと同じ11時頃になりました。

09月18日
 〇今日は、現役のクラブの合宿に参加する日でした。朝6時に起きて、7時過ぎには我が家を出ました。国立までバスで行き、西国分寺、武蔵浦和、大宮、長野、妙高高原と電車を乗り継ぎ、11時40分頃、妙高高原に着きました。タクシーで合宿地のロッジまで行こうとしたら、クラブの顧問の教授の顔が見えました。そういえば、去年から顧問も合宿に参加するようになったのです。直ぐに、ロッジから迎えが来て、私も同乗させて貰いました。
 〇ロッジに着いて、ロッジのお母さんに挨拶をし、持ってきたお土産を渡し、暫く話していると、練習していた現役が帰ってきて、昼食になりました。昼食は、30分ほどで終わり、3時から始まる合宿最終日の成果発表式までには、一時間半ほど時間がありました。この時間を利用して、イモリ池と妙高高原ビジタセンターまで、季節の花を見ながら歩きました。
 〇3時から立派な体育館で、予定通りに成果発表式が始まりました。今年から、町の職員が町内放送で、成果発表会への参加を町民に呼びかけてくれるようになりました。お陰で、昨年までは、ロッジ関係者が10名程度だった参加者が、今日は、ロッジ関係者も含めて100名近くの町の人達が来てくれました。現役も、気合いが入ったと思います。成果発表会は、1時間ほどで終わりました。合宿での練習の成果が、良く分りました。見に来てくれた町の人達から、演技の至る所で歓声が漏れるほどでした。歳を取って、涙腺が弱くなった私は、涙が出そうになりました。
 〇ロッジに戻り、合宿最後となる豪勢な夕食を食べ、8時頃から納会となりました。20歳に達した現役は、缶のハイボール等を飲み、20未満の現役は、ジュースで、合宿の思い出などを話していました。今年の1年生に、私の孫と同じ高校の同級生がいて、嬉しくはありましたが、老いを直視させられました。暫くは学年毎のグループで話していたのですが、9時近くになった頃から、女性達が、スマホから取った曲で、歌とダンスに変わり、大盛り上がりになりました。男性軍は、女性軍に圧倒され、寄り集まって固まって居ました。我々の若い頃とは様変わりですが、お陰で楽しい納会となりました。

「あちこちに 現の証拠の 花畑 病人多き 里でありしか」
「イモリ池 水面を覆う 睡蓮の 花を愛でつつ 妙高仰ぐ」
「乱れ咲く 君は嫁菜か 柚香菊 見分けつかねど 何れも美し」
「後輩と 合宿生活 共にして 我が青春の 思い出辿る」

09月19日
 〇朝8時には朝食が終り、9時過ぎには、迎えの大型バス2台が到着しました。荷物を詰め込んだ後、記念撮影、ロッジの人達へのお礼等、別れの行事を一通りやって、現役達は、10時過ぎにロッジを後にしました。
 〇私は、長野の友人がロッジまで迎えに来てくれるというので、ロッジのお母さんと話しながら、友人を待ちました。10時半くらいに友人は着きました。直ぐに、ロッジを後にする積もりだったのですが、お母さんが話したかったらしく、30分ほど一緒に話ました。地元が近いので、色々と話が弾んだのです。
 〇ここ10年近く、毎年、妙高高原の現役の合宿に、最後の1日だけ参加していますが、その後は、必ず昔の職場の友人宅(リゾートマンション)に泊まり、旅行をしたり、酒を飲んだりして、旧交を温めることにしています。今日は、一茶館、信州高山ワイナリー、高山村松川渓谷雷滝(裏見の滝)、八段の八滝を案内して貰いました。裏見の滝は、水量、高さ、水飛沫、葉を通して差し込んでくる陽の光、全て感動的でした。また、一茶館で一茶が、簡単な絵や短歌もやっていたことを知りました。一茶の俳句や短歌を見ていると、現在の私の短歌擬きと良く似ているような気がします。知らず知らずに、一茶の俳句の影響を受けていたのかも知れません。ワイナリーは、新しく小さなものでしたが、取り敢えず赤と白のワインを1本ずつ買いました。
 〇5時には友人宅に戻り、相撲を見た後、マンションの温泉風呂に入り、近くの食堂・高山亭で食事をしました。この食堂は、近くの酒造会社が、渋沢栄一の家を購入移築した物だそうです。木立の中にある良い雰囲気の食堂です。酒造会社がやっているので、地元の日本酒やワインが、豊富に揃っていて、楽しく飲める所でもあります。此処で飲むのは3度目でした。何時ものように、職場時代の思い出話をしながら、大いに飲み、大いに酔ってしまいました。

「直筆の 一茶の俳句と 一茶の絵 これまで知らぬ 一茶知るなり」
「渓谷に 葉を透かして 日の入り 森は明るき 緑の天幕」
「流れ落つ 滝の裏から 谷を見る 飛沫受けつつ 裏見の滝かな」
「長野にも 酒酌み交わす 友ありて 今宵は友と 旧交温む」 

09月20日
 〇今日は、南信の阿寺渓谷を案内したいというので、朝食を食べて、8時半には友人宅を出ました。水が、ブルーやエメラルドの宝石のような色なのだそうです。道を完全に憶えていないので、ナビに阿寺渓谷を入れようとするのですが、古いビデで、どうしても阿寺渓谷が入りませんでした。仕方なく、渓谷のある村の名前を入れて出発しました。高速道路で塩尻まで行き、その後国道19号に入りました。途中、漆工芸が盛んな村で、トイレのために、道の駅に寄りました。漆工芸も見事でしたが、塩尻ワインがあるというので、またしても買ってしまいました。また、この近くは、「さるなし」が名物らしく、ジャムとか様々な「さるなし」製品が売っていました。「さるなし」はキウイの原種だそうです。何を買うか迷ったあげく、何も買いませんでした。今思えば残念でした。この辺りは、関取御嶽海の故郷だそうです。何処でも、御嶽海応援の凄い熱気を感じました。その後、目的地を目指しましたが、ナビのお陰で、何度か道を間違ってしまい、結局、別の道の駅で、道を聞くことにしました。聞いた所、直ぐ近くまで来ていました。本来、12時に着く所が、1時に着きました。
 〇阿寺渓谷は、深い森の中に、白い花崗岩の大きな岩がごろごろした、他の渓谷とは違った雰囲気がありました。友人が言う通り、渓谷の淀みの深さに応じて、薄いエメラルドから濃いエメラルド、そして青空が落ちてきたようなブルーと、本当に素晴らしい物を見せて貰いました。友人に寄れば、秋が深まると、森が朱く染まり、更に美しい光景になるそうです。地球が見せてくれる、多様性の広がりは、神秘そのものです。
 〇渓谷のあちこちを見ていると、何時も長崎ナンバーの車がありました。若い夫婦の二人連れでした。懐かしくなって、声をかけてみたら、なんと私が泳ぎに行っていた、小江原という村の出身でした。暫く、長崎の話をしました。今は、名古屋の方に住んでいるそうです。
 〇帰りの時間もあるので、2時には、阿寺渓谷を出て、塩尻に向かいました。昼飯がまだなので、蕎麦屋に寄ろうとしたら、何処も休憩時間になっていて、仕方なく休まず営業している、うどん屋に入りました。そば処長野で、讃岐うどんを食べました。塩尻には、4時20分に着きました。駅で友人と別れ、4時38分の特急「あずさ」で、帰りました。立川には、7時38分、丁度3時間かかりました。立川からバスで、我が家には8時20分頃に着きました。
 〇家には次男がいて、丁度ラグビーの第1戦、日本対ロシアの試合が始まる所でした。日本にミスが多く、冷や冷やしましたが、取り敢えずワールドカップ幕開けの試合に、勝つことが出来ました。ロシアは、参加したチームの中で、1番弱いチームだったようです。長く楽しかった3日間が終わりました。

「次々と 色の異なる エメラルド 阿寺渓谷 宝石渓谷」
「旧来の 友より受け取る 宝石の 心の中で 光増すなり」

09月21日
 〇今日は、市川の学園の理事会の日でした。理事会は、何時ものように12時には終わりましたので、食事を済ませて、「お台場」に向かいました。今日から3日間、フィエスタメヒカーナが開催されている筈なのです。若し今日が、理事会でなければ、午前中、近くの日航ホテルで行われた、アミーゴ会の20周年記念行事に参加する予定でした。
 〇お台場に着いたら、フィエスタメヒカーナは、沢山の人で賑わっていました。アミーゴ会の本部のテントの所へ行くと、良く知った顔が幾つもあり、「なんでアミーゴ会に来なかったのだ」と叱られてしまいました。その後、知り合いと別れて、ビールを飲みながら、フィエスタメヒカーナを楽しみました。
 〇余り長居をする所ではないので、3時にはお台場を離れました。モノレールの一番後ろの席に乗り、昨日の長野とは全く異なる、都会の谷間を楽しみました。新橋からは、銀座通りを歩いて、数寄屋橋交差点に出ました。交差点の直ぐ手前の熊本館で、豆腐の味噌漬けを4個も買いました。他にやまうに豆腐も2個買いました。10月5日に予定されている、娘の所の上の孫と、私の誕生会の酒の肴にするつもりです。日本酒の摘まみには、最高です。
 〇留守中に、岡山の備前焼の友人からゆうパックが届いていたようなので、府中の郵便局に寄って、引き取りました。友人は、ドイツで備前焼の展示即売会をやっていたのですが、その時のお土産でした。恐縮もしますが、心遣いは、本当に嬉しいです。
 〇我が家に、5時近くに着きました。次男は、今夜は友達との約束があるので、出発の準備中でした。私は、家について直ぐ、近くの西友に買い物に出かけました。旅行に出る間に整理していたので、果物やヤクルト等が無くなっていたのです。西友の前で、細い道を渡らなければなりません。トラックが止まってくれて、横断歩道を渡るように合図をしてくれました。トラックの運転手の好意を受けて、急いで横断歩道を渡り始めました。トラックの前を過ぎて、残りの半分を渡ろうとしていると、反対側から車が、かなりのスピードでやって来ました。私が渡っているので、止まるだろうと思ったのですが、全く止まる気配が無く、ぶつかる直前で、車はブレーキを踏み、私は、身体をひねってすり抜けました。あわや、死ぬ所でした。
 〇今日は、3日振りに、独りで野球を見ながら晩酌をしました。私は、アンチ巨人なのですが、残念なことに、巨人のリーグ優勝のシーンを見てしまいました。

「天を突く 高層ビルが 林立す 車流れる 東京渓谷」

09月22日
 〇5時過ぎに目が覚めたので、ベランダに出てみると、七生丘陵の上の空が、薄らと朱くなっていました。夜明けが始まっているようでした。午後には、雨になるかも知れないというので、朝飯前の散歩に行ってきました。四谷橋を往復するだけの1時間足らずの散歩でした。日の出そのものは、雲に隠れて見えませんでしたが、龍のような雲が、太陽目がけて空を泳いでいました。
 〇6時半頃に散歩から戻り、久し振りに、蜜柑の木を見ると、殆どはは亡いのですが、去年からの固い葉を、1匹の緑の芋虫が、しぶとく食べていました。隣の山椒の木は、今年3度目の芽吹きをしていました。そろそろ、葉を落とす時期なのですが、さて、どうなるのでしょうか、、、。
 〇その後、今日は、一日買い物にも出ないで、5日分の日記を書きました。流石に疲れたので、5時から相撲の千秋楽を見たら、一昨日、故郷を訪れたばかりの御嶽海が、決勝戦の末、優勝しました。故郷では大騒ぎでしょう。6時半頃から、巨人―ヤクルト戦を見ながら、晩酌にしました。昨日、買って来た「やまうに豆腐」等を肴に、日本酒を飲みました。「やまうに豆腐」は最高でした。
 〇夜中9時頃から、雨になりました。台風17号の余波らしいです。台風の本体は、故郷の長崎を直撃しているようです。昔から、台風銀座と言われていましたので、慣れてはいるでしょうが、矢張り心配です。

「多摩の里 今は我の 故郷に やがては我の 死に場所ならん」

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2019年9月17日 (火)

2019年09月12日

2019年09月12
 〇今日は、晴の予報でしたが、雨こそ降りませんでしたが、雲の多い1日でした。しかし、これまでの暑さは無く、肌に心地よい秋風を感じました。
 〇台風15号による千葉県の被害が、相当大きいようです。生活必需品である、電気や水が使えない世帯が、東京に隣接する所を除いて、千葉県全体に広がっているようです。停電の主たる原因は、電柱が折れたり、電線に倒木が倒れたりしていることが、主たる原因のようです。断水の原因は、水を配給するため一旦配水所に揚水するための電力が無いことのようです。結果的に、断水も電力の問題に帰結するようです。
 〇これも、何度も言っていることですが、何故、無電柱化(送電の地下化)を早く進めないのでしょうか。無電柱化は、コストが高く電気料金に跳ね返るのを回避する為だとか、あたかも国民を守るために実施しないようなことを言っていますが、本当にそうなのでしょうか、、、。工業、商業、農業等の産業と国民生活の将来を含めた、電力や電力設備のあり方について、きちんとした計画を国民に提示して貰いたいと思います。勿論、電力会社だけで無く、本来、国家が国家の将来の問題として、検討すべきだと思います。
 〇今日は、午後から府中駅まで歩きました。四谷文化センター、NECの工場、分倍河原、高安寺、大国魂神社、府中駅と良く歩くコースです。欅や桜の葉が黄色く色付き始め、長い夏が終りに近づいたようです。今日蝉の鳴き声を聞いたかどうか、そう言えば、9日の台風以降、蝉の鳴き声を聞いていないような気がします。今日歩いていて、一番驚いたのは、ガマガエルでした。舗装された歩道の上で、じっと動かないで私の方を見ていたので、水に戻してやろうと思って、首の辺りを摘まんだら、皮膚が乾いて、日干し状態になって死んでいました。どうしたら良いか分らなくなり、そのまま放置しました。
 〇4時過ぎに、家に戻って郵便箱を開けたら、長崎の弟から、父母、祖父母の戸籍謄本が届いていました。私の終活の1つとして、ファミリーヒストリーを調べ始めました。弟も興味を持っていますので、色々な資料探しを手伝ってくれます。どうも我が家は、隠れキリシタン、もしくは、潜伏キリシタンでは無いかと思われるのです。あと2年くらいで、きちんと調べがついて、本に出来たら良いと思います。

「多摩の里 欅通りに 秋の風 舞い散る落ち葉も 秋の色づき」
「何時の間に 聞けなくなった 蝉の声 唐突なるかな 秋の訪れ」
「庭先の 蝶の集まる 韮の花 紋白蝶に 褄黒豹紋」
「大ガマの 度を過ごしたる 日向ぼこ 日干しとなりて 天へ旅立つ」

09月13日
 〇今日は、中秋の名月だというのに、朝から雲が空を覆っていました。そして、東京は、最高温度が25度になりませんでした。秋が、足早にやって来ているようでした。
 〇今日は、午後から、また府中に行くことにしました。昨日、不在中に書留が、3通も届いたのです。再配達を頼んでも良いのですが、家でじっと待っているのは嫌いなので、武蔵府中郵便局に取りに行くことにしました。行きは、チュウバスを利用しましたが、帰りは、大国魂神社、サントリーの工場、郷土の森公園、中河原駅まで散歩しました。昨日、台風以降、蝉の鳴き声を聞いていないようだと書きましたが、今日、注意深く確かめたら、大国魂神社や郷土の森公園では、まだ沢山の蝉の鳴き声が聞こえました。単なる私の、注意力散漫のせいだったようです。
 〇散歩の途中で、知り合いの女性から電話がありました。色々、問題を抱え込んで大変な様子でした。残念ながら、何も手助けすることが出来ず、話を聞くだけでした。私に話をしたことで、彼女の気分が少しでも晴れたら、嬉しいのですが、、、。
 〇私の人生を振返って、親族とか、友人とか、職場の人間とか、様々な人間関係において、助けられたことはあっても、問題が生じたことはありません。これが、私の人生で一番良かったことだと、この歳になって、改めて幸せを噛み締めています。
 〇夜は、自分で作った鶏皮の唐揚げ、自分で作った鶏手羽中の一夜干しを焼き、エリンギ炒め、トマトサラダで、巨人―広島戦を見ながら晩酌にしました。この所、イタリア時代の友人から送られてきたワインを楽しんでいます。期待していた中秋の名月は、9時過ぎになって、雲の間から少しだけ顔を出しました。

09月14日
 〇今朝も、雲の多い朝でした。ベランダの蜜柑も山椒も、殆ど食べ尽くして食べる物がなくなったのに、黒っぽい芋虫が3匹、緑の芋虫が1匹蜜柑の枝にへばり付いていました。
 〇朝早く、ラグビー好きの先輩から、神奈川の大和で、青山学院と帝京大学のラグビーの試合があるから見に行こうと誘われました。特に予定がなかったので、先輩と一緒にラグビー観戦をする事にしました。
 〇大和と言う所は、初めてなので、ネットで調べて見ると、南武線谷保から登戸で、小田急線片瀬江ノ島行きに乗換えれば良いことが分りました。大体の所要時間も分りました。試合は、3時からでしたので、我が家を1時前に出て、2時半には大和に着きました。試合が行われる、大和スポーツセンターに着いたのは、2時45分で、先輩は既についていました。そして、私と同じように、何時も先輩から声かけをされる後輩2名も来ていました。
 〇試合は、予定通り始まり、最初のトライとゴールを青山学院が取りました。近年9連覇を果たした、帝京大学の試合を何度も見たことがあり、帝京大学の圧倒的勝利を予想していましたので、以外でした。しかし、その後は予想通りに展開し、結果的に68―7で帝京大学が圧倒的勝利を収めました。最初に帝京大学の仕合を見たのは、3年ほど前、百草台の近くにある帝京大学のラグビー場でした。この時も、今日の先輩に誘われました。百草台は、私の散歩コースの1つに入っているので、試合が行われていると、必ず立ち寄って仕合を見、何時しか帝京大学の応援をするようになりました。
 〇試合は、5時頃終わりましたので、大和駅の近くで、反省会となりました。今日集まったのは、ラグビーも好きですが、反省会は更に好きな者達ですから、一気に盛り上がり、あっという間に7時半になり、私のように遠方から来たものもいるのでお開きになりました。家に着いたのは、10時頃でした。
 〇私が着いた直ぐ後に、次男も帰ってきました。今日は、友人とペルー料理を食べたそうです。40年振りくらいに、チチャモラーダ(紫トウモロコシのジュース)を飲み、セビチェ(魚介類のマリネ)などを食べ、感激していました。ペルーの国民的飲み物と食べ物です。次男は、5歳から7歳まで、ペルーに居たので、ペルーには特別の思い入れが有るようです。寝る前に1時間ほど、思い出話をしながら、一緒に寝酒を飲みました。
〇ペルーでの2年半は、私の生涯で、最も大変な時期でした。当時のペルーは、社会主義軍事政権で、ソ連との友好関係は有りましたが、アメリカ大陸の近隣諸国からは、絶交状態でした。2歳になる頃の娘用のミルクを手に入れることが難しく、色んな方から、缶詰のミルクを分けて貰いました。ペルーの海岸地帯は砂漠で、他は急峻なアンデス山脈とアマゾン地帯でした。殆どの肉はアルゼンチンから買っていたのですが、買えなくなりました。自国で必要な食料を、自国で作れなかったのです。ペルーの主たる輸出品、銀、道、カタクチイワシ(アンチョビ)、綿糸が、絶交状態の他国へ売れず、他国から物を輸入する金が無くなったのです。お陰で、肉は一月に10日ほどしか売られませんでした。麺類もパンも売っている所を探して、行列して買わなければなりませんでしたビールとかは、空瓶を持って行かないと買えませんでした。また、戒厳令下だったので、夜、外へ出かける事が出来ず、3人以上の集会も禁じられていました。酒を飲むのも、麻雀をするのも大変なことでした。ペルーに着いた早々、前妻は胆石を患い、薬で痛みを抑えながら暮らしました。2年目には、突然テンカン症状を起こすようになり、一人検査帰国したら、悪性の脳腫瘍であることが判明しました。結局、その後直ぐに、私も子供達も帰国することになりました。

09月15日
 〇今朝も、雲の多い朝でした。夕方には、雨が降るかも知れないとのことでした。本当らしく思えました。
 〇月曜日から、予定が詰まっているので、彼岸より少し早いですが、弟の墓に行くことにしました。あきるの市の墓地なので、何時もの散歩と違って遠いので、午前10時半には、我が家を出ました。バスで国立へ行くと、丁度青梅行きの電車が来ました。お陰で、立川で乗換えること無く拝島に着き、そこから五日市線に電車を乗り継いで、武蔵五日駅に12時頃に着きました。
 〇武蔵五日市駅から、線路沿いに戻る感じで何時もの道を歩きました。途中の、大悲願寺では、赤白の萩が見頃を迎え、萩祭が行われていました。今日は、二宮神社秋例大祭の日らしく、祭太鼓が町中に鳴り響いていて、車は、かなり大幅な交通規制が行われていました。しかし、歩行者は関係なく、あきる野市の墓地に午後1時頃に着きました。
 〇武蔵五日市駅に着いた頃から、日差しが出て来たのですが、墓に着いた時には、青空が広がり、真夏のような日差しが照りつけました。墓には、日陰は全く無く、結局、弟に見せびらせながら弁当を食べました。食事の後、墓掃除をしましたが、春に除草剤を撒いていたお陰で、それ程草は茂っておらず、掃除は、簡単に終わりました。拾った百合の造花を飾り、「苦しきことのみ多かりき」弟の墓前に手を合わせ、墓を後にしました。
 〇帰りは、武蔵何時か駅では無く、武蔵増子駅へ歩きました。距離的には半分くらいなのですが、何の変哲も無い線路脇の道なのです。駅の側で、缶ビールと摘まみを買って駅に着くと、来る時とは逆に、丁度電車が行ったばかりでした。次の電車は、30分後でした。所が、これが幸運だったのです。10分後に、二宮神社の祭りの神輿が、10基ほどやって来ました。金色に輝くとても綺麗な神輿でした。祭太鼓の音色が大きくなり、人々の歓声も大きくなりました。本来は9日が祭だったらしいのですが、台風のため今日に延期されたようです。この祭は、別名生姜祭と呼ばれるそうで、行列の中に生姜栽培用の道具もありました。予期していなかった良いハプニングでした。
 〇武蔵增子駅から、電車とバスを乗り継いで、我が家に戻った時は、4時過ぎていました。6時半頃から、晩酌を始めようとしたら、いきなり花火の音が聞こえました。ベランダに出てみたら、聖蹟桜が丘の花火大会でした。東日本大震災以降、初めてのような気がします。今日は、良いハプニングが続きました。

「秋の日に クチナシの香の 広がりぬ 実の色づく頃 白き花かな」
「低木に 白百日紅の 花落ちて 白く輝く 首飾りの列」
「紅白の 萩が満開 萩祭 大悲願寺の お茶を一服」
「萩の花 細き枝先 熊ん蜂 独り楽しむ シーソーゲーム」
「あきるのの 谷に木霊す 笛太鼓 二宮神社の 秋の例祭」
「秋の日に 今が盛りの 韮の花 花の頭に 褄黒豹紋」
「切株に 押し合いへし合い 茸かな 茸狩りと いきたいものだが」
「線路脇 乱れ咲きにし 菊芋の 電車で迎え 電車見送り」
「誰一人 尋ねる人無き 弟の 墓の前にて 弁当喰らう」
「世を去りし 弟への願い 叶わねど 幸多かれと 祈りたくなる」

09月16日
 〇今朝は、雨が降っていました。天気も悪いし、今日は午後から、府中市の敬老の日記念大会に参加するだけと思っていましたが、朝早く妻から電話があり、「夜は、身体が空いたので、一緒に食事しましょう」と誘いがありました。勿論、二つ返事でOKしました。
 〇記念大会は、3時から始まるのですが、府中で、武蔵府中郵便局から保険証が入った書留を受け取ることや、明後日からお世話になる、妙高高原の関根ロッジのお母さん、長野の友人への虎屋の羊羹を買う等の用があったので、少し早めの午後1時に家を出ました。府中で、用事を済ませた後、妻が好きだった青木屋の「くろどら」お土産に買いました。思いの外重たい羊羹を持って、東府中から会場の芸術劇場に2時半に着きました。丁度、入場が始まった所でしたが、物凄い数の老人の行列でした。府中市には、70歳以上の老人が、43,000人を越し、100歳以上の人が103人居るそうです。その為に、記念大会は、午前、昼、午後と3回に分けて行われました。我々は午後の部でした。
 〇記念大会は、市長の話などの式典30分、金沢暁子さんの歌謡ショー30分、マヒナスターズの歌謡ショウ30分でした。金沢さんという歌手は知りませんでしたが、マヒナスターズは、我々が中学高校時代に、一世を風靡していました。「誰よりも君を愛す」「北上夜曲」「お座敷小唄」等、懐かしい歌に心が痺れました。なんと、ボーカルは、私より10歳年上の85歳でした。会場に来た老人達も、大いに元気づけられたと思います。ショーが終わる時、思わず「ブラボー」と大声を出してしまいました。
 〇4時半に記念大会が終わり、会場から今日だけの直行バスで、府中駅に出て、妻が待っている神楽坂に、5時45分くらいに着きました。持って行った、お土産「くろどら」をとても喜んでくれました。その後、妻が予約してくれたイタリアンの店に行きましたが、お土産のせいか、とても機嫌が良く、終始笑顔だったので、少し若返ったようでした。此処のイタリアンは、魚料理のイタリアンで、日本料理風イタリア料理というようなものでした。種々工夫の跡が見られ、とても美味しく、妻も私も満足しました。今は亡き、画家だった友人が、ローマで教えてくれた、モンテプルチャーノの赤ワインをしこたま飲んで仕舞いました。安い割には、美味しいのです。
 〇食事の後、お定まりのバールに行って、妻はコーヒー、私はワインで、また1時間ほど話し、結局、我が家に帰ったのは、11時近くになりました。

「良く食べて 笑顔の妻は 若返り 思い焦がれし 往事に戻れり」
 

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2019年9月12日 (木)

2019年09月07日

2019年09月07日
 〇今朝も素晴らしい天気でした。ベランダに出ると、レモンと山椒の葉が殆ど無くなっていました。葉を食べた芋虫は、アゲハ蝶の幼虫だと思うのですが、これまで何度も探しましたが、蛹を見つけることが出来ませんでした。そして、当然ながら、蛹から蝶になる所も見たことがありません。所が何時の日か、芋虫達は、ベランダからいなくなるのです。全部が鳥に食われたとは思えません。一体どうなったのでしょうかねー。
 〇今日は、夕方、都心の大学で、色々と世話になった友人と会うことになっていました。大学時代も、大学を出てからも、そして今も、付き合っています。人生を共にしたような友人です。大学時代、1年間寮生活も共にしました。大学の行事で、何度も一緒に働きました。学園紛争時代は、それぞれの立場で、奮闘しました。引っ越しの手伝いや結婚式の司会も頼みました。大学を出てからも定期的に酒を飲み、人生を語り合いました。恩師を語る会でも一緒に企画実行しました。そんな生涯の友が、歳を取り、認知症が進行しています。今日会うことを決めるのも結構大変でした。日付を忘れることが、非常に多いのだそうです。私自身も物忘れが激しくなり、友人ほどでは無いにしろ、認知症が始まっているようです。これが、歳を取ると言う事なのでしょうねー。
 〇夕方5時に友人と会い、そのまま、馴染みの酒場に移りました。盃を酌み交わしながら、お互い忘れていない思い出を次々に出し合って、人生のやり直したような気分になりました。これから、何度も同じ事をやると思います。繰り返しになりますが、これが歳を取ると言う事なのだと思います。
 〇8時近くに、友人と別れ、家路につきました。友人が無事に帰ることが出来るか、少々心配でしたが、余り心配し過ぎると、彼は家を出ることが出来なくなってしまいます。既に遠出は禁止されているらしいのです。それは、彼が胃と膵臓と胆嚢の手術をしていますので、体調が悪くなった時に緊急に入院できる病院がない所への旅行は、禁止されているそうです。楽しくもあり、辛くもあった友との飲み会でした。

「人生の 多くの場面に 登場す 生涯の友 我を忘るな」

09月08日
 〇昨日、聖蹟桜が丘の駅の近くで、次のような広告を見つけました。文字だけ拾うと、「還付金」には気をつけて! 電話で「市役所の者ですが、医療費の還付金があります」と言われたら、それは詐欺です。ATMで還付金は戻りません。多摩中央警察署 でした。正しく、私に掛かって来た電話そのものでした。
 〇今朝起きた時には、青空が広がり、とても良い天気でした。それでも台風15号が接近しているので、何時雨になるか分らないと思い、午前11時頃から、我が家の近くを歩くことにしました。
 〇我が家から、泉町公園、国立水再処理センター、ヤクルト中央研究所を経て、谷保城山公園に着きました。目的の1つは、城山公園のキツネノカミソリ(狐の剃刀)だったのですが、既に咲き終わっていました。彼岸花よりは、大分前に咲くとは思っていたのですが、どうもお盆過ぎには咲き始めるようです。午後の1時頃になっていましたので、「城山さとのいえ」の近くのベンチで昼食にしました。丁度、弁当を半分くらい食べた所で、急に雷鳴が轟き、土砂降りの雨となりました。弁当は途中で止め、「さとのいえ」に非難しました。里の家には、7歳くらいの女の子、4歳くらいの男の子の姉弟が、先に雨宿りしていました。女の子が、剣玉をもって遊んでいたので、ちょっと貸して貰いました。幼い頃、剣玉は得意だったので、良い所を見せようと思ったのです。所が、手が少し震えて、上手く剣玉を操れませんでした。「じーじ下手でごめんね」と言ったら、「私より上手だったよ」と慰めてくれました。雨が止んで、父親が迎えに来ると、男の子が、「遊んでくれてありがとう」と言い、手を振りながら「さとのいえ」を出て行きました。それにしても、また歳を感じました。そう言えば、字を書く時も、漢字の細かい部分は、手が震えて上手く書けません。微妙な事には、もう対応出来なくなってしまいました。
 〇雨の後、ハケシタ(崖下)散策路、府中用水と矢川の合流点、ママシタ湧水(此処だけハケシタ湧水をママシタ湧水と言う)、立川根川と多摩川の合流点を歩来ました。里芋の葉には白銀の水玉が乗り、蜘蛛の糸が雨の飛沫に濡れ、檜の葉が光の玉を宿すなど、雨の後でなければ出来ない楽しみを満喫しました。
 〇国立のSVマーケットの近くを通りましたので、何時ものように、鶏の軟骨や果物を買い、土手の道を歩いて、我が家に4時過ぎに戻りました。もう少し早く帰る予定だったのですが、雨をやり過ごしたため、遅くなってしまいました。
 〇鶏の軟骨は、何時ものように、日干し用、唐揚げ用、焼き物用に味付け等の準備をしました。夜は、次男と一緒に、野球でも見ながら酒を飲もうと思っていたのですが、台風の影響なのでしょう、何処のテレビでもスポーツを中継しておらず、仕方なく映画を見ながらの晩酌になりました。しかし、映画の場合は、映画から目をそらせられない時もあり、気楽に酒が飲めません。酒の友には、スポーツが一番だと思いました。

「葡萄かな 思えば朱き 辛夷の実 葛を退け 我が子を守る」
「他の木を 踏み台にして 背を伸ばし 青空目指す 葛の花かな」
「突然に 雷鳴轟き 日差し消え 近くも霞む 土砂降りの雨」
「土砂降りの 雨に打たれて 頭下げ 威勢も消える 黄花秋桜」
「俄雨 幼き子等と 仲良しに 仲を取り持つ 下手な剣玉」
「久々の 雨に洗われ 生き返る 萩の花道 ハケシタの道」
「雨飛沫 蜘蛛の網にも まとい付き 獲物捕れぬと 嘆く蜘蛛達」
「里芋の 葉に乗る水玉 転がして 遊んだ日々を 思い起こせり」

09月09日
 〇昨夜1時半頃には、まだ台風の気配を感じなかったのですが、4時に起きた時は、台風のど真ん中にいるような、強烈な雨風でした。そして、今朝6時半に起きた時には、雨は止み、風は僅かに木を揺らしている程度でした。風は北風だったので、ベランダの右端だけが、水浸しになっており、芋虫達の姿も見えませんでした。トイレに起きる度に、台風観察をしたので、すっかり寝不足になってしまいました。
 〇台風一過の西の地平に、青い富士が見えましたので、テレビのニュースを見て、朝食を食べ、洗濯を済ませて、朝の散歩に出ました。先ずは、富士を見ながら、五本松を越えた辺りまで歩き、四谷橋へ戻りました。多摩川は、増水し濁流になっていました。しかし、河川敷までは水は上がっていなかったので、5,6年前の台風に較べると、雨量は少なかったようです。それでも、川鵜や白鷺、青鷺にとっては、餌を捕るのが困難な急流になっていて、比較的流れの穏やか場所で、餌取りをしていましたが、何時ものようには行かないようでした。河原の荻の原には、台風の風の向きがくっきりと残っていましたし、枝が折れた木も沢山ありました。四谷橋から見ると、聖蹟桜が丘の街が、大河の中の街のように見えました。
 〇午後から、府中市役所に、戸籍抄本と住民票の写しを貰いに行きました。11月初めに、今持っている旅券の有効期限が切れるので、新たな旅券を申請しようと思ったのです。実際に使う機会があるのかは疑問ですが、一種の気休めです。戸籍抄本が必要な理由を、旅券申請のためと係員に行ったら、旅券申請書と旅券申請手続きの案内を用意してくれました。今日は、少し遅くなったので、申請そのものは明日にして、チューバスで家に戻りました。
 〇家に帰って、旅券の申請書を書きました。私は、色弱なので、申請書に薄い赤色で書かれている注意書きを読むのが難しく、時間が掛かりましたが、5時過ぎには、申請用の全ての書類が整いました。明日、立川パスポートセンターで、申請するだけになりました。
 〇夜は、今日も次男と一緒に酒を飲みました。この時期には珍しく、一日中富士が見え、夕方晩酌が始まった頃には、夕焼けの空に立っていました。晩酌が進み、富士が見えなくなると月が煌々と輝きました。今月の満月は、中秋の名月だったでしょうか、何だか夏の盛りのような気がするのですが、、、。
〇今朝の台風関連のニュースの中で、主要駅の混乱が激しかったことに対し、次男は、電車が計画運休なのに、それでも会社に行こうとするサラリーマンが多く、駅が混乱していることに、腹を立てていました。災害対応は、滅私奉公で自分の意見を満足に言えない社員任せではなく、会社としてやるべきだと言っていました。私もその通りだと思いました。

「駆け足で 台風去りし 多摩の里 西の地平に 青き富士の嶺」
「台風の 雨を集めて 暴れ龍 水鳥達の 悩みは深し」
「台風の 風の形の 残りたる 多摩の河原の 荻の原かな」
「台風も 葛を剥ぎ取る 力無し 葛の天下は 今も変わらず」

09月10日
 〇昨晩の嵐の時は、何処に隠れていたのでしょうか、蜜柑の木に緑色の芋虫が2匹、黒っぽい芋虫が3匹、戻っていました。私の注意力が散漫なのでしょうか、どうしても彼等の動きを、きちんと把握することが出来ません。情けないことに、ただ驚くばかりです。
 〇11時過ぎに、旅券の申請のため、立川へ行きました。駅ビルの中のLUMINEの9階に、立川パスポートセンターがありました。10年前は、市役所の方まで、結構歩いたような気がしますが、現在は商業ビルの中にあって、とても便利でした。申請書や必要書類のチェックをしてくれるカウンタがあり、申請書を見せた所、「一番肝心な氏名の書き方が間違っています。インクも黒ではありません。写真も糊で汚れていますのでつかえません」と言われ、申請書を作り直さなければならなくなりました。途方に暮れていたら、親切な係員で、「署名欄だけ署名した後は、犯罪に関わる部分だけ答えて下さい、予備の写真があったら出して下さい、その他は全て私が書き換えます」と言ってくれ、実際その通りにしてくれ、申請窓口の予約券を渡して暮れました。今日は、非常に空いているとのことで、5分も待たない内に申請窓口に呼ばれ、更に、ものの5分で申請は終了しました。毎日、相当な数をこなすらしく、無駄がなく、テキパキとしていて、とても気持ち良かったです。
 〇12時半には、旅券申請が終わったので、昭和記念公園へ続く「あけぼの口」で、弁当を食べ、その後、多摩モノレールで終点の上北台に行ってみました。立川より先へは、行ったことがなかったのです。特に見るべき物がなければ、そのままUターンしようと思っていたのですが、上北台に着くと、丘の上に西武球場の白い屋根が少しだけ見えました。多摩湖や狭山湖が直ぐ側にあると言うことです。西武球場は、ランドマークの役目も果たしています。
 〇上北台の駅を降りると、そこが東大和市であることが分りました。東村山に行った時、次は歩こうと思った所でした。思いがけず、願いが叶うことになりました。2時頃から、駅前の芋窪街道を真っ直ぐ歩き、青梅街道を越えると、東大和市の狭山緑地に入りました。更に歩くと見覚えのある道路に出ました。多摩湖と狭山湖の周回道路の南側でした。以前2度ほど歩いたことがあります。そこから、多摩湖と狭山湖を分ける堤防を渡って、周回道路の北側に出ました。そこから、10分足らずで、西武球場に出ました。2時45分になっていました。随分歩いた積もりでしたが、45分程度しか歩いていませんでした。西部強雨状から、2時57分発のレオライナーで西武遊園地駅へ行き、そのまま国分寺行きに乗換え、3時20分には、国分寺に着き、国立経由で我が家に戻りました。4時20分になっていました。
 〇6時過ぎから、DeNA―巨人戦を見ながら、晩酌をしていたら、7時過ぎに次男が帰ってきて、今日も次男と酒を飲みました。テレビを見ている最中に、阿部総理が、明日行う内閣改造の大臣候補者が、次々に決まり、テロップが流れました。顔触れを見ると、誰もが聞き分けの良い犬のように見えました。

「多摩の里 北から南へ モノレール 馴染みの多摩を 空中散歩」
「丘の上 ランドマークの 白い屋根 歩いて見よう 西武球場」


09月11日
 〇今朝のテレ朝のニュース解説で、「阿部新内閣と日韓関係について」を取り上げていました。解説者の一人に田崎という政治記者がいるのですが、ご用記者のような人ですから、私は好きではありません。何故テレ朝がこの人を解説者として呼ぶのか、それも分りません。彼は、現在日韓関係が悪くなったのは、1965年の日韓請求権協定を韓国が遵守しないのが悪い、悪いことをした国には、それなりの対抗手段に訴えるのは、当然のことだ」と、半導体製作のための素材輸出優遇国から、韓国を除外した安倍政権の措置を120%支持していました。「悪いのは韓国だ」の一点張りでした。現在の日本には、このような人が相当数いることを、きちんと認識しておく必要があると思います。
〇前にも書きましたが、韓国のどの政権が協定を結んだかは別として、国と国との間で協定を結んだのであれば、政権が代わっても協定を遵守するのは、当然です。それを守らない韓国に非があることは、私も理解出来ます。しかし、戦前は植民地として、韓国に隷従を強要したのは日本なのですから、韓国が立派な国になるよう、温かい気持で見守ってやる責任があると思います。植民地にしたという事実は、永久に消えないのです。旧来の敵国に対するように、いきなり、相手側から見れば、経済的制裁としか思えない措置をするのは、どうかと思います。更に、自民党の中では、良識派と思われた河野外務大臣が、一国の代表を口汚く罵る、外交儀礼上あり得ないことをしてしまいました。これは、かつての植民地である韓国を見下した行為だと言われても、仕方のない行為でした。
〇今日は、メキシコ時代の友人と銀座の方で、食事というか飲み会がありました。5時半からの約束でしたが、銀座に5時に着いてしまいました。銀座は久し振りだったので、数寄屋橋交差点の近くを歩いていたら、小雨が降ってきたので、集合場所のメキシコ料理屋「トロ」に入りました。私が一番でした。約束の時間には、4人全員揃い、いきなり店のサービスであるシャンパンから、酒が始まりました。暫くすると、凄まじい音がしました。恐らく雷が落ちたのだと思います。銀座で、こんな経験をするとは思いませんでした。
〇メキシコ時代に良く食べたメキシコ料理と、ビール、ワインを赤白各1本、テキーラと杯を重ね、山ほどの思い出話をして、すっかり酔ってしまいました。店を出たのは8時半頃だったのですが、地下鉄丸の内線で、すっかり寝込んでしまい、方南町まで行って仕舞いました。方南町から新宿に戻って帰ったのですが、家に着いた時は、11時を過ぎていました。

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2019年9月 7日 (土)

2019年09月01日

2019年09月01日
 〇暦の上では、秋に入りました。とは言っても、今週中は真夏日が続くようです。今日ベランダの草木に水を遣っていたら、夏になって芽吹いた蜜柑の木に、黒に灰色の模様がある芋虫4匹と、緑色の芋虫2匹を見つけました。蜜柑のは、半分ほど無くなりましたが、蝶の命の継続の役に立てたのなら良しとしましょう。
 〇今日は約1週間分の日記をブログに上げ、11時過ぎから長沼森林公園へ出かけました。まだ冬木立の頃に来ましたので、半年ぶりくらいでした。今は、濃緑の森に変わり、蝉の鳴き声が、森中に響いていました。仙人草やヒヨドリバナはあちこちに咲いていましたが、花の少ない時期でした。この森は、茸が多いのですが、今日も6種類くらいの茸がありました。近くの畑には、ウコンと思われる花が咲いていましたし、オクラの花がやけに綺麗でした。公園内のベンチで、昨晩のピザの残りで、昼食にしました。目の前に、ツツジが花を咲かせていました。
 〇長沼公園の平山口から、住宅地を歩いて平山城址公園駅に出ました。此処から聖蹟桜が丘に出て、帰る予定でしたが、急に思い立って、百草園駅で降りて、近くにある真照寺で御朱印を貰うことにしました。真照寺の御朱印は、御朱印集めを始めた頃に貰ったのですが、その頃は、御朱印について詳しくなかったので、紙に書いてあり御朱印帳には貼れない大型の物でした。そんな訳で、何時か、御朱印帳に書いて貰おうと思っていました。
 〇玄関の呼び鈴を鳴らして御朱印を頼むと、歳を取った大黒さんが出て来て、
「うちの御朱印は、500円ですよ」と言われました。「それで、お願いします」といったら、大黒さんは奥に入り、代わりに、更に歳を取った住職が出て来て、御朱印を書いてくれました。それを私に渡す時、「何故500円取るかというと、私は93歳で、この年寄りが一所懸命書いて、御朱印を貰う人の健康長寿を祈っているからです。貴方も、健康長寿であることをお祈りします」と行ってくれました。「はい」と返事をして、有難く受け取りました。今日は、長い懸案が1つ無くなりました。
 〇百草園駅から歩いて帰ると、昨日で仕事が終わり、今日から無職となった次男がいました。これまで、こういう事は何度もあったので、特に驚きませんが、板前という仕事は、需要は多いようであっても、チェーン店化したマニュアル型の店が多くなり、職人は働きにくい環境になってきました。次男も、今後の生き方について、真剣に考える時期になったと思います。

「如何様に 情報入手 しているや 芽吹き早々 蜜柑に芋虫」
「ランタナが 未だに花を 咲かせてる 水遣りサボる 訳には行かず」
「夏も過ぎ 色づき始める 稲田には 稲穂に隠れて 塩辛蜻蛉」
「あちこちで 白さが目立つ 仙人草 場所の違えば 7弁の花あり」
「紫の 綿毛のような 花片の 紫綿飴 下野草かな」
「根ばかりが 大事にされる ウコンかな カンナに負けぬ 花も綺麗だ」
「湿潤な 森の小径の 茸達 目でも舌でも 楽しめたらな」
「秋の入り 初夏を思わす 気候かな 慌てて花咲く 山ツツジかな」
「森陰に 突然飛び立つ 蝶ありき 日陰色した 日陰蝶かな」
「森陰に 恋愛成就の シジミ蝶 身体繋いで 明日を夢見る」
「ほの暗き 森の小径に 並び咲く ヒヨドリ草の 白き花かな」

09月02日
 〇朝早く妻から電話があり、「PET検査の結果を何故早く教えてくれなかったの」と叱られてしまいました。明日会うのだから、その時で良いだろうと思ったのが、間違いでした。嬉しいことに、とても心配していてくれたのです。
 〇8時40分頃、土曜日に、今日電話すると言っていた、三菱UFJ銀行の本店職員と称する人から、電話がありました。医療費の返還手続きの説明をするとのことでした。返還には、最新式のATMで個人用の請求番号を受け取る必要があるとのことでした。そして、「貴方が普段利用する三菱銀行の支店は何処ですか、聖蹟桜が丘ですか、そこに最新式のATMが入っているか確認します、10分ほどお待ち下さい」とのことでした。振り込め詐欺だとは思っていたのですが、通常の銀行員がいる所で手続きをするのであれば、振り込め詐欺ではないかも知れないとも、思ったりしました。10分後電話があり、「聖蹟桜が丘の銀行には、最新式ATMが入っていないことが分りました。中河原の銀行の出張所に置いてあるので、中河原の方までおいで下さい。場所は、パチンコ屋の後ろです」と言いました。そこで、私が、「普通の行員のいない所には行かない、何れにしても、市役所に確認してみる」と言ったら、「既に市役所から、銀行に事務が移管されているので、確認しても分らないので、出来るだけ早く手続きを済ませて下さい。ここで私が、「どうもあなた方の言っていることはおかしい、最初の電話も土曜日に掛かって来たし、聖蹟の銀行に無いATMが、銀行もない出張所にあるのか、理解できない話ばかりだ。返還金は不要だから、手続きはしない、警察も返還金の話は、殆どが振り込め詐欺だと言っていた」と言ったら、急に声の調子が変わり、「てめー 最初から疑ってたのか、どれだけの人間に迷惑かけたと思っているんだ、おめえ傲慢な野郎だ、住んでる所は知っているからな、四谷の5丁目だろう、ただで済むと思うなよ、死んじめえ」と怒鳴られ、電話が切れました。予想通り、振り込め詐欺の連中でした。想像ですが、キャッシュカードと暗証番号を入手しようとしたのではないかと思います。被害は防げたので、次は宝籤が当たってくれると良いのですがねー。
 〇午後は、5年ほど使っていない、三井住友銀行の口座を復活し、府中市役所に行って、係の人に、振り込め詐欺の事の次第を話して、当然ですが、市役所と関係ないことを確認しました。ついでに、伊勢丹をふらつきました。伊勢丹は、府中のシンボルのような存在でしたが、今月を最後に店を閉めるそうです。確かに、「客の数より店員の方が多いのでは」と思わせる状況が続いていました。一時期、百貨店で買い物することが、ステイタスシンボルのような時代もありましたが、大型の通信販売が、若者の買い物の主流になるなど、近年、多くの百貨店が店を閉じました。時代が変わったのだと痛感しました。

09月03日
 〇昨日、全く期待していなかった、振り込め詐欺に遭遇したので、今日の宝籤ロト6が当たっているかも知れないと、期待しながら調べたのですが、何時も通りの外れでした。これが普通の状態だと思います。
 〇今日の午後、妻と会うので、午前11時頃から、近くのショッピングモールにある散髪屋に行ってきました。1回1000円のカットファクトリーです。最近は、床屋には行ったことがありません。今日も、混んでいましたが、直ぐに順番が回ってきて、散髪の時間も15分程度です。結果には、充分満足しています。今日は、外国人も一人来ていました。随分日本に慣れた外国人でした。昔、私達は、日本は島国で独特の文化を持っているので、外国人が日本の生活に慣れるのは、非常に難しいのではないかと思っていました。今は、世界中の事がネットで調べられるようになり、昔、貧乏だった我々の憩いの場所だった、有楽町のガード下、新宿の思い出横丁(昔はしょん便横丁と言っていた)などは、外国人に占拠されて仕舞いました。此処でも、時代の変化を感じました。
 〇3時過ぎに家を出て、待ち合わせ場所の神楽坂に向かいました。バスを待っている時に、ポツポツと降ってきた雨が、バスが動き出すと同時に、激しい雨になりました。所が、神楽坂は雨ではなく、お陰様で、傘を使う必要がありませんでした。
 〇今日は、妻にパナマハットを持っていきました。パナマハットの生産国であるエクアドルの、有名な帽子屋さんで買った物で、先日友人にあげた物とは比較にならない程、高級な物でした。妻には、高級な物が良く似合います。高級な物が、全く合わない私とは、大きな違いです。妻は、ちょっと被ってみて、とても嬉しそうだったので、持って行った甲斐がありました。
 〇何を食べるかは、何時も迷うのですが、上手く決まらない時は、馴染みの中華料理屋に行くことになります。今日もそうでした。5時半頃から、食事になりましたが、最初に、経験したばかりの振り込め詐欺の報告から、話が盛り上がり、食事の後の何時ものバーも含めて、5時過ぎから10時近く迄、あれやこれやと話し込みました。家に帰り着いたのは、11時過ぎていました。最近妻の機嫌が良いので、服装などを気にしないで、気楽に会えるようになりました。

09月04日
 〇先日PET検査をした時、武蔵村山は初めてだったので、もう少し知りたいと思っていました。この辺りは、我が家から、それ程遠くないのに、余り良く知らない所です。単なる私の無知なのですが、武蔵村山は東村山の一部だと思っていました。そんな訳で、今日は、国分寺から西武線に乗って、東村山に行って来ました。この電車に乗るのも初めてでした。
 〇12時少し前に、東村山に着きました。西口に出たのですが、全く見知らぬ町でした。案内板を見ると、前川という川が流れていました。流れに沿った家を見て、前川という姓の由来を知ったような気になりました。近くに、大善院と言う寺がありましたので、御朱印を貰いました。不動明王と36童子を配置した小山があり、門の代わりに2つの大きな溶岩の柱がありました。住職に拠れば、富士山から運んできた物だそうです。また、近くに正徳寺がありましたので、御朱印を貰いに行きました。門の横には、神社があり、門の後ろには、国宝千体地蔵堂があり、本堂も実に立派でした。期待して寺務所に行ったら、御朱印お断りの張り紙がしてありました。例外は、多摩三十三箇所巡りの納経帳を持っている人だけは例外だそうです。心の狭い住職のような気がして、御朱印は諦めました。
 〇そこから、北山(菖蒲)公園に行きました。草取りの小母さんが作業しているだけで、人気のない広い菖蒲畑に、一輪の菖蒲の花が咲いていました。このような情景には、本当に感動します。この菖蒲を見ながら昼食にしました。昼食後、北山小学校へ行きました。近くを流れる北川では、3人の子供達が、網をもって、魚なのかザリガニなのか、楽しそうに探していました。昔と変わらない光景でした。その後、八国山たいけんの里、八国山緑地、西武園駅、西武園と歩きました。西武園は、花の公園だと期待したのですが、競輪場のことでした。此処でも無知が露呈しました。
 〇まるで西武球場のように立派な競輪場は、西武遊園地のプールの直ぐ横にありました。上の孫と孫娘を連れて、1度だけ西武遊園地に入ったことがあります。沢山のウォータスロープが見えて、その時のことを思い出しました。遊園地には、1度しか入っていませんが、西武遊園地駅には、毎年2回は、多摩湖、狭山湖に来る渡り鳥を見に来ます。今日も、多摩湖に寄ってみました。目の前に東村山の町が見え、国分寺のツウィンタワーが遠望できました。今日の行動範囲を一望しました。
 〇西武遊園地駅に戻ると、丁度電車が出る所でした。帰りは実にスムーズでした。結局、武蔵村山には行けませんでしたが、面白い1日でした。後で調べたら、武蔵村山市は、東村山市の直ぐ隣で、何れも東京都でした。別の日に、武蔵村山市や東大和市にも行ってみようと思いました。
 〇夜は、次男がいたので、二人で一品ずつ料理を作り、買った来た出来上がりの物を加えて、野球を見ながら晩酌となりました。

「長月の 夏の終りに 春の花 我が為一輪 菖蒲の花かな」
「菖蒲園 菖蒲に代わる 玉簾 緑の畔に 白さが映える」
「子供等が 網を担いで 川遊び 幼き我を そこに見るなり」
「八国山 森の小径に 艶やかな ピンクの水引 盗人萩かな」

09月05日
 〇この所、朝のニュースでは、韓国の問題と香港の動向が伝えられています。その中で、日韓関係について、マスコミが世論にどの様な影響を与えているか、議論されていました。その中で、週刊ポストが「韓国なんていらない」というヘイト記事特集をやった事が紹介されました。私は、ここ10年ほど週刊誌を読んだことがない人間なので、少なからず驚きました。「この記事を書いた時の編集者は、どの様な判断だったのでしょうか」という質問に対し、この件に対する解説者の意見は、「これは、会社の上層部からの指示で、編集者や記者は、その指示に従わざるを得なかったのでしょう。上層部の意図は明らかに、金儲けだったと思います。強烈な見出しでヘイト記事を掲載すると、週刊誌が非常に良く売れますから」という答えでした。私も、そうではないかと思っていましたが、テレビで、このような解説をする人は、珍しいと思いました。何はともあれ、社会の木鐸であるとの良識を持ち合わせたマスコミが、少なくなっていることは、良く分りました。自分が、自国が儲かるためなら何でもやる、戦争も辞さない、そんな風潮をマスコミが煽るなんて、世も末だと思います。
 〇今日は午後から、3ヶ月に1度の歯のクリーニングと、3週間に1度の皮膚病の検査に行って来ました。歯は、1年に1度のレントゲン写真を撮り、変化を見ましたが、以前と変わりなく、健康な歯と歯茎が保たれているので、良い歯磨きをしているのだろうと誉められました。次は12月です。掌のカサカサは、ほぼ直りました。先生も喜んでくれました。但し、「この皮膚病は結構長引くので、見かけだけで安心しないで、あと2ヶ月は、これまでと同じように治療して下さい」と言われました。先生に従うことにしましょう。

09月06日
 〇阿部総理とプーチン大統領の首脳会談が行われたそうです。プーチン大統領は、首脳階段の前に、色丹島での魚加工工場の開設式にも参加したようですから、北方領土の返還は、最初から念頭になかったようです。前にも書いたと思いますが、阿部総理は、見せかけだけの人間です。誠実さも、真剣な努力も何も無く、やるだけのことはやっているという事を、マスコミが取り上げてくれて、何となく話題になれば、党内での地位が安定すると同時に、自民党も選挙で勝てると思っているのです。この行動は、知らず知らずのうちに、日本の無責任さと不誠実さを世界に知らしめ、徐々に日本の将来を危うくしています。北方領土も北朝鮮の拉致問題も、関係者が全て死んでも解決しないでしょう。誰がやっても、結果は同じだという人がいると思います。それを明確に否定できないので、阿部総理が居座ることになります。確かに、外交上の問題は、誰がやっても上手く行かないことが殆どなのです。だからこそ、外交にばかり重点を置く、単なるパフォーマンスの阿部総理の得意分野になるのでしょう。
 〇今日は、素晴らしい天気でしたので、午前中の仕事を早く片付け、10時半には家を出て、昭和記念公園から砂川方面を歩きました。先日PET検査をした後、立川へ戻る時、「砂川平和のひろば・砂川闘争写真、資料展示」と書いた建物を見つけたのです。多分、私が、中1の頃だったと思いますが、日本人が、駐留している米軍に楯突いた事件として、当時大きく報道されたように思います。事件の内容は、良く知らなかったのですが、何故か記憶に残っていました。そんな訳で、「砂川平和のひろば」へ行ってみたくなったのです。行き方が良く分らなかったので、昭和記念公園の砂川口から行くことにしました。
 〇昭和記念公園は、7月の終り頃歩いたので、素通りする積もりでしたが、黄花秋桜の大花畑が出来ていたり、島百日紅の花が満開になったり、様々な実が大きくなっていたり、種々楽しませて貰いました。砂川出口の前の池では、銀ヤンマが求愛中でした。子供の頃は、捕まえた銀ヤンマの中から、メスを選んで糸で竹の先に付けて、飛んでいるように回すと、オスが次から次に寄ってきて、何匹ものオスを簡単に捕まえることが出来ました。蜻蛉の求愛を利用した蜻蛉鳥でした。捕った蜻蛉は、1日の終りには、捨ててしまいました。蜻蛉捕りという遊びだけが、楽しかったのです。
 〇話がそれましたが、砂川口の職員に、「砂川平和のひろば」への行き方を聞いたら、「正面の通りを右に行くと、直ぐに見つかると思います」と教えてくれました。その通りに歩くと、ものの10分もしないうちに、「砂川平和のひろば」に着きました。しかし、この建物は、かなり小さく、個人所有のものではないかと思われました。しかも、最近は機能していないようで、シャッターが降りたままでした。残念ながら、砂川闘争の写真や資料は、見る事が出来ませんでした。
 〇その後は、返還された立川飛行場を今も利用している、東京消防庁、海上保安庁、立川防災合同庁舎、警視庁多摩総合庁舎、立川通告センター、陸上自衛隊立川駐屯地の脇を歩いて、立川駅に戻りました。結構な歩きとなりました。
 〇家に戻ったのは、4時半頃になりました。次男も散歩をしていたようで、5時頃に戻ってきました。また二人で、酒の肴を作り、高校野球の韓国戦、ラグビーの南アフリカ戦を、交互に見ながらの晩酌となりました。夕焼けの空に富士が立ち、空には月が輝いて、贅沢な晩酌となりました。

「青空に 白雲流れる 夏空を 両手広げて 我が物とする」
「群れなして 湿地に咲いた 鷺草も 時は移りて 僅か三輪」
「葉ばかりが 水面を埋めて 生い茂り 葉陰に白き 睡蓮の花」
「遠目にも 君が居るのが 良く分る 燃える紫 禊萩の花」
「熊蜂の 重さに耐え得ず 腰を折る 細き花茎 ラベンダーセージ」
「紅と白 薄紫の 千日紅 色は違えど 千日紅なり」
「青空に 白雲擬き 白き花 夏に似合いの 島百日紅」
「蜘蛛の網 島百日紅の 花受けて 暗き森陰 星座が光る」
「小さくも 蘭にも負けぬ 花並ぶ 盗人萩の 艶姿かな」
「少しずつ 色づき始めた 桜木の 下に広がる 黄花秋桜」
「木の下に 無数に転がる 落ち桃の 香り漂う こもれびの里」
「水際に 並びて揺れる 蒲の穂を 掠めて飛び交う 銀ヤンマかな」
「夕焼けに 立つ黒富士と 月見つつ 盃傾く 至福の時かな」

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2019年9月 1日 (日)

2019年08月25日

2019年08月25日
 〇一昨日夜の頻尿は、昨夜はありませんでした。一体どうしたのですかねー、訳が分りません。一昨日、何か尿意を促すような飲み物を飲んだのかも知れません。その前日のPET検査が影響していたのかも知れません。何れにしても、以前の状態に戻ったのですから、良しとしましょう。
 〇今朝、我が家の方から見る西の空は、富士は見えませんでしたが、雲1つ無い良い天気でした。何故か気分が高まって、高尾山から相模湖の方へ行ってみたくなりました。癌の手術をした後、1度も行ったことがなく、随分久し振りでした。相模湖方面へ降りた所にある、茶屋でビールを飲んで、直ぐ近くの寺の御朱印を貰って等と、勝手に頭の中で予定を立てていました。
〇このコースは、結構時間が掛かるので、午前中の仕事を早く済ませ、11時過ぎに家を出て、高尾山口に12時15分に着きました。12時30分のケーブルカーに乗って、山頂駅から何時ものように、薬王院へ向けて歩きました。するよ猿圓の近くで人だかりが出来ていました。何かと思ったら、蛇が何かを捕まえて食べている所でした。白い蛇に見えましたが、多分青大将の腹の部分だったのだろうと思います。薬王院に参拝し、頂上に着いたのは、1時15分くらいでした。今日の霞は、丹沢の蛭ヶ岳が見えない程で、まるで雲の中にいるようでした。高尾山は、2週間ほど前に、名古屋の友人と来たばかりでしたが、その時は、ツクツク法師の鳴き声は聞けなかったのに、今日は、ツクツク法師の大合唱でした。尾根を抜ける風も、肌に心地よい秋の風に変わっていました。季節の移ろいを感じました。
〇頂上には長居をせず、相模湖方面に下りることにしました。この時、相模湖方面へ行くには、先ずは、大垂水峠へ降りれば良いと、勝手に思い込んでしまいました。多摩紫陽花などの花の小径を歩いて、実際降りてみると、お寺など家らしき物が何も無い、甲州街道の道に出ました。仕方なく、満足に歩道が無い、あっても草木が伸びて満足に歩けない、車の多い道を1時間ほど歩きました。カーブが多いので、カーブを曲がって初めて、私の姿を見る車が多く、良く事故も無く歩くことが出来ました。
〇1時間くらい歩いて、3時45分くらいに、以前降りていた、千木良地区へ着きました。見覚えのある寺が見えました。思い出しました。此処へ降りるには、小仏城山から「関東ふれあいの道」を降りなければならなかったのです。以前は、此処から弁天橋を渡り、相模湖の向こう岸に行き、更にダムの上を渡って、相模湖駅に行っていたものでした。今日は、遅くなったので、善勝寺の御朱印を貰い、4時19分発のバスに乗り、相模湖駅に着きました。相模湖は、全く見ずじまいでした。相模湖駅を4時48分の電車で、高尾に5時頃着き、京王線に乗換え、5時10分くらいに北野で特急に乗換えました。これで、楽々6時までには、家に帰り着くことが出来ると思いました。
〇所が、何と言うことか、線路に人が立ち入ったとかで、北野を出てから直ぐ、電車が止まってしまいました。動き出したのは、40分後でした。そして、我が家に辿り着いたのは、7時を過ぎていました。「予定は未定にして決定にあらず」、思い通りに行かない1日でした。

「高尾山 森に木霊す 蝉時雨 夏の終りの ツクツク法師」
「葉を揺らし 肌を撫で行く 尾根の風 秋の気配を 肌にて感ず」
「大岳も 富士の高嶺も 雲の中 高尾の上は 青空なのに」
「処暑も過ぎ 季節は秋へ 高尾山 小径を埋める 玉紫陽花」
「玉割れて 紫の花 顔を出す 予想を超える 花の道かな」
「名と花と 漸く一緒に なりました 微風に揺れる 松風草かな」 
「緑色 花そのままの 花の跡 花の季節に 会いたいものだ」
「薄暗き 小径の先の 緑の灯 天へと続く 梯子なりしか」
「葉の上に 小さく可愛い シジミ蝶 子犬の笑顔 見るかの如し」
「苔生した 岩が地蔵の 顔に見ゆ 気持は同じ 賽銭多し」 

08月26日
〇朝食を食べて、歯磨きをしていたら、娘から電話があり、既に退院している上の孫の術後の経過を見るために、病院へ行かなければならないので、孫娘と末の孫を見て欲しいと頼まれました。特に予定が無いので、孫達を預かることにしました。
〇9時過ぎに、孫達が来て、娘と上の孫を送った後、近くの四谷さくら公園、西府緑地公園に遊びに行きました。この地区は、もう学校が始まっているようで、公園には、子供の姿がありませんでした。孫達の住んでいる八王子の学校は、今週の木曜日から2学期が始まるようです。末の孫は、負けず嫌いですから、兄さんや姉さんがやっていることには、何でも挑戦してきました。ブランコも独りで漕げるようになりました。網の橋も渡れるようになりました。トンネル滑り台も滑るようになりました。ターザンロープで遊べるようにもなりました。所が、慎重派でもあるのです。無鉄砲な挑戦はしないのです。今日、公園に消防士が緊急の際使うような、垂直の鉄の棒があり、3mの高さを一気に降りる遊具がありました。運動神経抜群の孫娘が手本を示しました。そこで私が「おまえもやってみるか?」と聞いたら、「ううん、僕には無理」と、全く興味を示しませんでした。末っ子の特権のように、日頃は我が儘で破天荒に見える末の孫の、別の一面を見ました。生まれつきの性格なのか、親の躾なのか分りませんが、良い感じに成長しているように思えました。
〇1時間ほど遊ぶと、かなり暑くなったので、西友でアイスクリームなどを買って、家に戻り、朝からアイスクリームを孫達と一緒に食べました。11時頃、娘から電話があり、レントゲンは終わったので、11時40分には、我が家に着くと言ってきました。その時間に、玄関で娘の車を待ち、皆で「スシロウ」に行き、昼食を済ませました。本来なら、小学生の孫娘と上の孫は、夏休みの宿題が終わっておらず、我が家に戻って直ぐ帰る予定だったのですが、末の孫が「将棋の山崩しをやりたい」と言って駄々を捏ねました。こういう所は末っ子です。まだ、手術が終わって間もない上の孫は、青ざめた顔をして付き合いました。山崩しが終わって、お金の取り合いを暫くやって、末の孫も満足しました。山崩しを家でもやれるように、将棋盤と将棋の駒を持たせ、2時頃に帰っていきました。
〇孫達が帰ってから、暫く前から動かなくなっていたプリンターを、ノジマ電気に持って行き、動くように出来るか聞いてみました。女性の店員が、対応してくれましたが、最初は、この人情報機器の専門なのかなと、疑問に思えるほど、手当たり次第にプリンターを触っているように思いました。所が暫くすると、次第に問題点の核心に近づき、やがて動くようになったのです。この店員を見直しました。これなら、少々代金が高くても良いかと覚悟して、修理代を聞いた所、別に修理したわけでは無いと言って、無料でした。感激しました。
〇家に帰って、娘に電話して、プリンターのノズルやヘッドをクリーニングするやり方を教えて貰い、やっとプリンターが普通に戻りました。何でも、修理好きの私なので、とても良い気分で、晩酌も美味しく飲めました。

「親抜きで 孫等と遊ぶ 爺様は 孫等にとっても 家族の一員」

08月27日
 〇今日は、体育会OB同期会の準備のため、幹事の同期6人が集まりました。ただ集まって、協議をするだけでは詰まらないと、女性幹事のアイデアで、舎人ライナーに乗って、見沼親水公園を歩くことになりました。誰もが初めての場所でした。名前から想像すると、大きな池のある広い公園のように思われました。しかし、行ってみると、以前、川だった所を暗渠にして、道路と親水公園にしたもので、細い人工の流れでした。しかも、6人とも健脚揃いだったので、1時間も掛からず、歩き終えてしまいました。
 〇仕方が無いので、この近くの有名な寺である西新井大師に行くことにしました。ここら辺りは、区としては足立区なんですが、6人とも縁遠い所で、道行く人に教えて貰いながら歩きました。途中、なんと読むのか分りませんが「然屋」という博多ラーメンの店で昼食にし、食事をしながら、今日の本来の目的である、体育会OB同期会の打ち合わせをしました。と言っても、日にちと開始時間を決めただけでした。後、食事とか飲み物については、幹事の一人に押しつけてしまいました。所で、店の名前は、後で調べたら「ぜんや」でした。
 〇食事後、30分ほどして、西新井大師に着きました。広い敷地に、豪壮な建物が幾つもありましたが、現代の建築技術をもって建造されており、仏教寺院としての厳粛さに欠け、皆、あまり感動しなかったようです。最後に、参道の横丁にある「河村屋」という稲荷寿司屋に立ち寄りました。角煮稲荷、胡麻稲荷、出世稲荷という縁起物の稲荷寿司を売る店で、テレビでも紹介されたことがあり、知る人ぞ知る店で、私が紹介しました。最後に、店主が出て来て、店そのものが、非常に縁起の良い所にあると、一所懸命説明しました。私は、同じ話を3回聞く事になりました。
 〇現在無人駅で、機械式の改札も無い、東武線大師前駅から西新井駅に出て、その後、それぞれが、それぞれの帰り方に応じて帰って行きました。
 〇私は、5時半からの大学全体OB会の会議に出て、その後何時もの通りに再議の参加者と酒を飲み、11時過ぎに我が家に戻りました。今日の会議で驚いたのは、女性の物凄い剣幕でした。女性も興奮すると、かなり激しい口調になる事を、初めて知りました。

08月28日
 〇今日は、朝から雨でした。何処にも出る積もりはなかったのですが、大事な郵便物が、府中駅近くの武蔵府中郵便局に置かれているのを思い出して、受け取りに行くことにしました。午前中の仕事を終え、11時過ぎに家を出て、12時には郵便物を受け取りました。雨が降っているので、魚屋の「浜喜屋」で、晩酌の摘まみを買っただけで、1時過ぎには、我が家に戻りました。
 〇午後は、まだ返事をしていない5件ほどのメールに返事をして、普段は見ない刑事物のテレビを、2時間も見てしまいました。
 〇夕方、ニュースを見ると、北九州3県の洪水被害が酷いようなので、長崎市に住んでいる弟に電話してみました。弟に拠れば、「佐世保や平戸など長崎県の北部は、猛烈な雨が降ったようだけど、長崎市は左程ではなかったので心配しないで」と言われ、一安心しました。
 〇今日は、次男が休みなので、一緒に酒が飲めるかと思っていたのですが、約束があるからと夕方から出かけ、何時ものように、一人で飲むことになりました。野球と柔道を交互に見ながら、浜喜屋から買って来た刺身や干物を魚に、久し振りに日本酒の晩酌になりました。

08月29日
 〇ニュースを見ていると日韓関係が、どんどん悪くなっているような気がします。日本も韓国も、政治家という人間は、自分の地位だけが重要で、今後の世界を良くすると言う気はないようです。どうして、こんな政治家しか、選ぶ対象になってしまうのか、民主主義にも理想通りには行かないようですねー。そもそも、現実の人間は、空想の社会に存在するような完璧な人間というのは存在しないのでしょうねー。だから現実を生きるのは難しく面白い。
 〇今日は、午後から由木農場の方へ散歩に出かけました。何時もの道を行くと、少し物足りないので、我が家から四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出て、そこから田畑が残っている日野落川の用水路脇の道を歩きました。昔は、大きな田畑が広がっていたのでしょうが、今は、新興の住宅やアパートが沢山出来ています。それでも、昔の大きな庭付きの民家や田畑が、点々と残っていて、この辺りの昔を想像することが出来ました。結構、梅の木が多かったので、今度は梅の季節に歩くことにしましょう。
 〇京王線の下を潜って、川崎街道に出、七生丘陵を歩きました。此処からは何時も歩いている道でした。かれこれ10年ぐらい歩いていますが、この10年で、かなりの林や田畑が住宅地に変わりました。白く新しい住宅地の側に、戦後間もなく建てられたのであろう、平屋の小さな家が幾つも並んでいる所があります。人が住んでいる家もありますが、人住んでない家は、蔓が壁を覆ったり、庭に竹が生えたりしていました。多摩地区には、この手の住宅があちこちに残っており、見る度に胸がきゅっと縮む思いがします。少年時代の思い出と重なるのです。復興期に入った日本の初期の団地というか、仮設住宅だったのではないでしょうか、小学生の頃、我が家の近くにもありました。年老いて、山のような思い出と一緒に暮らしていますが、その思い出の中の一風景が、現実に目の前に出て来ると、懐かしさと同時に、時の流れの大きさと時代の変化を思い知らされます。
 〇 夕方、雲の切れ間に富士が見えました。ベランダの窓を大きく開けて、藤に向かってグラスを上げながら、気持の良い晩酌となりました。

「韮畑 今は綺麗な 花畑 顔赤らめて トマトも花見」
「多摩の里 日野落川の 昔道 田畑潤す 流れは今も」
「多摩地区の 旧家を囲う 生け垣を 覆うが如き ガガイモの花」
「雑草の 緑蔓延る 荒れ地にも 貴賓漂う 白百合の花」
「子供等が 駈けていたはず 昔道 用水脇の 藪茗荷の花」
「夏雲の 下で花咲く 夏蜜柑 流れる白雲 仰ぎ見るかな」
「唐黍の 穂波が揺れる 黍畑 鳩が止まるも 支えは出来ず」
「人住まぬ 家の屋根まで 駆け上り 里を睥睨 仙人草かな」
「人住まぬ 家は早くも 竹藪に 仙人好む 竹林の中」
「頭垂れ 実りが進む 稲田には 何が忙し 赤蜻蛉の群れ」

08月30日
 〇今日は、PET検査の結果について、呼吸器科の先生から説明を受ける日でした。予約は、10時でしたので30分くらい早く着く予定で、家を出たのですが、雨の影響もあって、通常20分程度で国立に着く筈のバスが、40分近く掛かり、病院には、10時10分前に着きました。
 〇お陰で、余り待つこともなく、10時20分には診察室に入りました。検査結果を聞く時は、なかなか良い方向には考えられず、検査の対象となった部分の他に、新たな癌が見つかるのではないかと不安になりました。結果は、その通りになりました。PET検査の目的であった左の肺にある小さな影は、PET検査では着色せず、先生も癌では無いと明言しました。それで一安心したのですが、先生は続けて、「その影の下の方に、薄いながらも着色した部分があり、なんであるのかはっきりしない、若し癌でなければ、検査から1週間は経過しているので、もうなくなっているかも知れない、今すぐにレントゲンを撮って来て欲しい」と言われました。
 〇先生が作ってくれた依頼用紙をもって、レントゲン室に行き、レントゲンを撮るのに20分、その後現像に30分掛かって、再び診察室に入りました。先生が、撮ったばかりのレントゲン写真を見ながら、「癌ではないと思うが、断言は出来ない、もう少し時間をおいてから、もう1度レントゲンを撮り、判断することにしましょう」と言われました。何だかすっきりしない診察でした。
 〇何度か言っていると思いますが、自覚症状のない癌は、後期高齢者にとっては、神様がくれた後期高齢者用の安楽死の薬ではないかと思っています。無理に探し出して、治療することが良いことだとは思っていません。なのに、何故か、検査を強いられてしまいます。
 〇結局、病院を出たのは、1時過ぎでした。雨模様の空でしたので、何処かに行く気にもならず、国立で「たましん美術館」によって、家に帰りました。家に帰っても、何もする気になれず、昨夜放送された物を録画した、友人が関係している、オイシックスという無農薬新鮮野菜の会社のテレビを見て、その後は、録画してあったドラマ「悪党―加害者追跡調査―」を6話全部見るなど、テレビ漬の半日になりました。

08月31日
 〇今朝は、洗濯を躊躇するような曇り空でしたが、午後から青空が多くなり、日差しも出て来ました。洗濯は正解でした。
 〇午前中、先日、パナマハットをプレゼントした友人から、お礼のワインが届きました。日頃私が飲んでいるワインの倍以上もするワインが、6本送られてきました。本当に海老鯛になってしまいました。お陰で、暫くは美味しいワインで、晩酌を楽しめそうです。
 〇午後になって、散歩に出ようとしたら、府中市役所の高齢者福祉課から電話があり、「国の高齢者医療費の補助率が上がったので、過去5年間の医療費補助の差額を請求するよう通知を出しましたが、貴方からは、払い戻しの請求がされていません。残念ながら、市役所での手続きは終了しました。貴方と同じように手続きをしなかった人が多かったので、貴方が利用している銀行に、返還手続きを委託することが出来ます。銀行に手続きを委託しますか、するのであれば、銀行名をお知らせ下さい。三菱UFJ銀行ですか、それでは銀行の方にお知らせしておきます。銀行から、どの支店で手続きをするか連絡があるはずです。手続きに必要な物は、銀行通帳、キャッシュカード、認め印、身分証明書です。なお、返還される金額は、32、685圓です。銀行からは、5時までに連絡が入るはずです。自宅に居ないのであれば、連絡できる電話番号を教えて下さい。携帯電話で良いのですね、番号は000,000-ですね。承知しました
」とのことでした。
 〇そんな訳で、3時過ぎになって、散歩に出かけました。すると、30分後くらいに、三菱UFJ銀行の本店から連絡があり、医療費の返還手続きに関しては、月曜日の朝8時半から10時までの間に連絡すると言う事でした。
 〇散歩をしながら、この連絡は、振り込め詐欺ではないかと思いました。先ず、市役所から土曜日に連絡があったこと。その後直ぐに、銀行が休みの筈なのに、本店から連絡があったことです。私が、真偽を確かめようとしても確かめることが出来ないのです。それにしても、非常に怪しいのですが、銀行口座やキャッシュカードの暗唱番号等を要求してきてはいませんし、金銭を振り込めとも行ってきていません。何れにしても、銀行の話を聞こうと思います。3日ほど前、警察から電話があり、払い戻しという言葉があったら、振り込め詐欺を疑って下さいと言う連絡があったので、今夏の電話は、かなりの確率で、振り込め詐欺だと思います。どうも面白いことになりそうな、予感があります。
 〇散歩は、西府緑地、中河原公園、関戸橋、聖蹟桜が丘と歩きましたが、振り込め詐欺のことばかり考えて、満足に周囲を見ないで歩いてしまいました。結局、聖蹟桜が丘では、宝籤を買っただけで、我が家に戻りました。5時を過ぎていました。若し、今日の電話が、本当に振り込め詐欺だったら、宝籤にも当たるかも知れません。
 〇夜は、久し振りに我が家のピザを作り、アボガドのカルパッチョ、ハムカツ、サラミと焼チーズで、送られてきたワインを楽しみました。

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