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2019年8月 6日 (火)

2019年08月01日

2019年08月01日
 〇何時の間にか、8月になりました。老いらくの日々は、「光陰矢の如く、学衰え早し」といった心境です。
 〇今朝、娘から電話があり、昨日、山の仲間との予定が有ったため、孫娘の合唱コンクールに行けませんでしたが、地区で金賞を取り、東京都大会に出ることになったそうです。今度は、必ず聞きに行こうと思います。また、昨晩はスマホの電池切れのため、山の仲間の飲み会の誘いに、肝心なところで通じ御無くなったり、娘の所にも何度も電話したようです。
 〇今日は、日記をブログに投稿するための作業と、昨日の山登りの紀行文を書く作業が重なった為、結構な作業となり、午後6時過ぎまで、掛かってしまいました。そんな訳で、天気は良いのに、家から一歩も出ないで過ごしてしまいました。それにも拘わらず、落ち着いて、事実関係を確認することも疎かになってしまい、読み返してみると、入笠山が甲斐国にあると書いてありました。信濃国が正しいようです。

08月02日
 〇梅雨明け後、毎日、最高気温の更新が続いているようです。今日も、相当に暑い日になりました。
 〇昨日とは逆に、午前中する事が少なく、午前10時半頃家を出て、立川根川公園、残堀川まで歩いて来ました。先ずは、西友に行き、麦茶、エネルギー補給用ゼリー、お握りセットを買って、河原の道を歩きました。梅雨明けしてから、1週間以上、全く雨が降っていませんので、それまで勢力を誇っていた、ハルシャギク(波斯菊)、ヒメジョオン(姫女苑)ですら、息も絶え絶えでした。カワラサイコ(河原柴胡)は、姿を消していました。比較的元気なのが、アレチハナガサ(荒れ地花笠)、コマツナギ(駒繋ぎ)、オギ(荻)で、一番元気なのは、クズ(葛)でした。随分歩いたのですが、一蔓だけガガイモ(蘿藦)の花を見ました。荻の原も、そろそろ穂を出し始めていました。
 〇立川根川公園に入った所の翡翠の池で、昼食にしました。一応木陰のベンチを選んだのですが、暑さは変わらない感じでした。ただ、残念なことに、4翡翠は現れませんでした。それでも、そよ風が軽やかに吹き抜けると、山頂にいるような小気味良い涼しさを感じました。公園内のあちこちで、私と同じような爺が、数人弁当を食べていました。誰しも、考えることは似ていますねー。
 〇立川根川公園の最後のエリアに行くと、昼寝をしている老人に何人も合いました。ちゃんと仕事をしている人達で、丁度昼休みだったのです。このエリアで、銀色の鯉の鼻の所に、丸い斑点が二つあり、一時期有名になった、人面魚のようでした。この鯉は、今までも居たのでしょうか、初めて会ったような気がします。今年の春は、このエリアに何度も来ました。青鷺が子作りをしていたからです。今日、本当に久し振りに来てみたら、10個くらい在った巣が、全く無くなっていました。子育てが終わった青鷺が、自ら巣を破壊したのでしょうか、それとも、我が家の燕の巣と同じように、人間が取り去ってしまったのでしょうか、私は後者だと思います。
 〇暑さが激しいので、その後寄り道しないで、我が家に2時過ぎに戻りました。次男は、まだ居て、昨日に引き続き、次男を送り出しました。
 〇その後、明日からの家族全員の海水浴のための準備をし、一昨日、長野の山の仲間から貰ったインゲンで、酒の肴の1品を作り、美味しい晩酌となりました。

「野薊の 大きな綿毛 風に揺れ 今飛び立たん 明日を夢見て」
「砂利道を 少し離れて 湿りある 土地にて元気 駒繋ぎの花」
「餌が無く 河原の虎も 太れない 痩せて短い 虎の尾さん達」
「砂利道で 息も絶え絶え 波斯菊 過日の元気 何処へ行きしか」
「辛うじて 河原に数厘 花残る 照葉野茨 次は子育て」
「荻の原 広がる河原の 片隅に 僅か一蔓 ガガイモの花」
「どの草も 生きるに必死の 河原道 葛の葉だけが 我が物顔に」
「公園の 小径に並ぶ 薮蘭の 中に一株 白花薮蘭」
「君が持つ 逞しさを 信じてた 公園彩る 真夏のアベリア」
「小亀さん この暑さでも 甲羅干し 熱中症の 心配なきや」
「朱鯉の 甘き囁き 聞きながら にっこり笑う 人面魚かな」
「真夏日に 花を咲かせる 山吹の 梅雨の終りは 春と思うや」
「これはまた 実に見事な 藪茗荷 闇にも目立つ 白き幟旗」

08月03日
 〇今日は、私の家族全員で、館山に海水浴に行く日でした。娘家族が、12時には迎えに来るというので、午前中の仕事を終え、海水浴の準備をして、次男と一緒に待っていると、丁度12時頃に娘家族がやって来ました。娘の所の車は、結構大きい車なので、大人4人、子供3人、余裕で乗れました。
 〇運転手は、娘婿でした。私が、取り敢えず助手席に乗って、館山に向かいました。中央高速、首都高速、アクアライン、館山道と、左程渋滞していなかったので、比較的スムーズに走ることが出来ました。長男一家3人は、新宿よりバスで、館山に向かっており、長男の奥さんと娘が、お互いの位置をラインで確認し合っていました。最近は、色々便利になったものです。
 〇2時半頃、館山の駅へ行くと、既に長男家族は着いており、過剰人員ですが、大人3人とその荷物を、更に車に詰め込んで、今夜の宿に向かいました。小さな港のある集落の一軒家を、丸ごと借り切ったのです。宿の主人が待っていてくれてくれました。
 〇宿に荷物を置いて、早速、港の横の海へ泳ぎに行きました。海水浴場では無いので、小学校5,6年生の頃に住んでいた、長崎の外海の海岸を思い出しました。自然の海ですから、海岸の浅い浜には、木屑や海藻などが、波と一緒に寄せたり引いたりを繰り返していました。しかし、一定の深さになると、木屑なども無くなり、泳ぎを楽しむことが出来ました。少し海水が冷たく感じました。孫達は、遊びの天才みたいなもので、どんな状況下でも、目一杯楽しんでいました。
 〇4時頃から、6時頃まで遊んで、宿に戻りました。孫3人と一緒に風呂に入った後、庭に出てみると、丁度日が沈む頃でした。海の上に沈むのかと思ったら、結構背の高い雲があり、雲の後ろに日が落ちました。全員が、風呂に入り終わる頃には、日はとっぷりと暮れて、都会では見られないような、星空になりました。私の弱った目では、良く見る事は出来なかったのですが、薄らと天の川も見えたそうです。
 〇7時半頃から、夕食となりました。仕出し弁当を頼んでいたのですが、量が少なく、持って行った駄菓子や酒の肴も出して、大宴会となりました。しかし、食堂は、後片付けのため長くは使えず、娘家族の部屋に移って、宴会は続きました。家族全員が集まった時には、UNOと言う遊びをやることになっているので、孫達も寝ないで待っていました。11時頃になって、漸くUNOをやり、2回目には、幼稚園の末の孫が1番に上がり、満足したようなので、UNOを終り、少しだけ最後の酒を飲んで、長―い1日が終わりました。

「今日の宿 朝鮮朝顔 花盛り 名前は立派な 御龍閣かな」
「正面に 伊豆大島の 勇姿見る 安房の突端 平砂浦かな」
「頻繁に 貨物船等が 出入りす 日本の窓口 浦賀水道」
「孫達は 周りの景色 目もくれず ひたすら海で 泳ぎ楽しむ」
「夕方の 西日の光り 長く伸び キラキラ光る 相浜の海」
「海面に 光る水玉 金色に 海の向こうに 夕日が沈む」
「幼き日 父と仰いだ 星空を 孫等と共に 仰いでいるなり」
「子供等に 酒を教えた 甲斐ありて 何時も楽しい 子等と飲む酒」
「飲めぬなら 家族全員 集まりて 宴楽しむ 日は無かったかも」


08月04日
 〇私は7時に起きたのですが、他の皆は、まだ深い眠りに落ちていました。何時ものように、近くを散歩しました。流石南国です。どの家にも、大きなアロエがあり、ランタナの花が咲いていました。龍樹院という寺と奈良崎神社に参拝して、宿に戻りました。奈良崎神社の狛犬は、両方とも阿形でした。
 〇8時半くらいに宿に戻ると、宿の主人は起きていましたが、我が家族は、誰も起きていませんでした。主人が、「あそこに富士が見えるよ」と指をさしましたので、じっと見つめると、昨日、日が落ちた方角に、青い富士が薄らと見えました。この辺りでは、早くもダイヤモンド富士が見られるのかも知れません。若し昨日、雲が無かったらと思うと、少々残念でした。
 〇9時過ぎに、皆がそろそろ起き出して、10時から朝食になりました。今朝は、宿の女主人が、朝食を作ってくれました。朝捕りのイカの刺身、ナメロウ、金目の煮物、煮物、冷や汁等、昨日の夜の弁当と違って、大変なご馳走でした。大きな金目の煮物が出て来た時、皆で「ウオー」と言って拍手をしたら、宿の主人が、「拍手をして貰ったのは初めてだ」と感動していました。
 〇ゆっくりと朝食を食べ、12時にチェックアウトをし、今日は、名前は忘れましたが、ちゃんとした海水浴場に行きました。既に多くの人が来ていて、海岸は、テント村になっていました。こんな所にまで、外国人が沢山来ていました。結構流暢な日本語を話す人も居て、在日期間が長く、子供は日本生まれだと思いました。日本中何処ででも、外国人を見るのが不思議では無くなりました。世の中、私の子供の頃とは、大変な変わりようです。
 〇孫達は、大人達に放り投げられるのが好きで、何度も何度も、投げて貰っていました。それが一段落すると波乗りをしたり、岩のある磯で、ヤドカリや蟹や小魚を捕まえたり、目一杯海を楽しみました。1時頃から泳ぎ初めて、何時の間にか終りの時間、4時になりました。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいます。シャワーを浴び、着替えて海水浴場を出たのは、5時過ぎでした。
 〇途中、館山駅の近くで、夕食にし、バスの時間が迫った長男家族は、早めに店を出て、帰って行きました。我々も7時前には店を出て、帰路につきました。娘が、助手席に移って、私は後ろの席で、すっかり寝込んでしまい、気がついたのは、中央高速に入ろうとする高井戸付近でした。結局、家に送って貰った時は、10時過ぎでした。年に1度の家族の海水浴は、無事終了しました。

「今日もまた 雲一つだに 無いような 天の恵みの 海水浴日和」
「明け方の 冷風残る 田舎道 村の守りの 布良崎神社」
「村人が お盆の準備 墓掃除 村人の寺 龍樹院かな」
「家の庭 ランタナの花 大ソテツ アロエもあるぞ 南国の村」
「宿の庭 海の彼方に 青き富士 何時でも何処でも 富士は良きかな」
「朝捕りの 海の幸にて 朝餉かな 思わず拍手 作り手に感謝」
「孫達は 賑やかな浜 安心す 人が集まる 海水浴場」
「またしても 孫投げ合戦 始まりぬ 青空を飛ぶ 孫等の姿」
「岩の磯 穴に隠れた 蟹達が 隠れ家荒らす 孫等に怒る」
「何時の日も 楽しき時は 足早し 海水浴も 最終コーナー」
「孫達の 喜ぶ姿に 親嬉し 親の喜び ジージの喜び」


08月05日
 〇昨日、館山では、海越しの富士を見ましたが、今日は我が家から、何時もの位置に富士を見ました。青空に消え入りそうな、青い富士でした。海水浴で使ったものを洗濯し、富士を見ながら干しました。今日は良く乾くでしょう。
 〇今日は、左眼の白内障の手術をするかどうか、決める日でした。9時半に、総合医療センターに行き、種々検査をして、11時に医者と話しました。医者は、「白内障そのものは、この前と変わっていない」と言っていましたが、中途半端な状態を長く続けるのも嫌なので、手術する意思を伝えました。医者は、手慣れた様子で、手術日と手術前の2回の検査の日を決めてくれました。いよいよ、10月の終りには、手術することになりました。
 〇12時には、病院が終わったので、一旦家に戻り一休みして、3時には妻とローマ時代の友人夫婦と食事をするために、人形町に出かけました。夕食は、6時からでしたが、妻が人形町で買い物がしたいというので、5時に人形町で待ち合わせをしました。人形町には、煎餅や佃煮など、妻が好きそうなものの老舗があるのです。今日も矢張りそこで買い物をしました。
 〇買い物をした後、昔の雰囲気が残る、甘酒横丁を散歩しました。ビルが建ち並ぶ、東京の中心街に、このような雰囲気が残るのは、とても嬉しい事だと思います。今日は、新大橋通の両側の歩道で、焼き物展をやっていました。
 〇6時になったので、古い家が建ち並ぶ路地の「高はし」料理屋に行きました。3ヶ月ほど前に1度入ったら、妻が大いに気に入って、また、どうしても「高はし」に来たいと言ったのです。今回も、大いに満足したようです。ただ、私以外の3人は、酒が飲めず、私一人が酒を飲んで、大騒ぎをしてしまいました。何だか、皆も酒も飲まずに私に付き合ってくれて、大いに話が弾み、9時過ぎまで「高はし」に居座りました。結局、終バスとなり、我が家に帰り着いたのは、11時近くでした。

「昨日孫 今日は妻との 食べ歩き 毎日宴 老いての幸」
「遠き日の 姿留める 人形町 酒が主役の 甘酒横丁」
「狭き路地 歴史感じる 黒き壁 今夜の宴は 和食高はし」
「田舎では 口に出来ない 江戸の味 味にうるさい 妻も感激」

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