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2019年8月26日 (月)

2019年08月19日

2019年08月19日
 〇雲の多い朝でした。気温は、まだ30度を超しているのですが、次第に秋型の気候に移る気圧配置になってきたようです。
 〇午前中、日記をブログに上げました。毎日、午前中を日記に取られることはなくなりましたが、全体としての労力は、一緒のようです。他の作業が、一向に捗りません。最近、体力の衰えを強く感じており、目標にしてきた作業を、死ぬまでに終えることが出来るのか、不安になってきました。
 〇今日は、午後から雨になるというので、散歩は止めようかと思っていたのですが、多摩地方では、一向に雨が降りそうになかったので、3時過ぎから、近場の散歩に出かけました。私が、住んでいる近くで、まだ、田畑が残っている所を、縫って歩きました。毎年、田畑が、住宅や、工場、倉庫に変わっていて、5年後には、田畑が無くなってしまうのではと、気に病んでいます。もっと上手な土地利用が無いのですかねー。住居だけで無く、中小企業の工場や倉庫などを、雑居ビルとして、高層化してはどうでしょうか、そうすれば、その跡地を田畑に戻したり、緑地にする事が出来ると思います。農地は、先祖伝来という考えも、時代に合わせて換える必要があるでしょう。
 〇散歩の途中、日新小学校の前の四谷第三地域公園で、カブトムシ(甲虫)の死骸を見つけました。府中に済むようになったら、周囲に森があるので、何時でもカブトムシやクワガタに会えると思っていたのですが、死骸ですら今日が初めてでした。学校の生徒が、何処かで買って来たカブトムシが死んだので、公園に捨てたのでは無いか、そんな邪念が湧くほど、自然のカブトムシとの出会いが無かったのです。子供時代は、山ほど捕ったし、夜になるとカブトムシの方から、蚊帳を吊った家の中の、電灯目がけて飛んできたものでした。
 〇丁度、晩酌が終わった9時過ぎ頃、雷鳴が轟き、正面の七生が丘の後ろが、次々に大爆発が起きているように、稲光が夜空を焦がしていました。それから、30分もしないうちに、我が家の方にも激しい雨が降ってきました。

「お盆過ぎ 小さな花から 小さな実 秋には朱き 蔓鬼灯」
「家々に 周り囲まる 田圃にも 稲の実育ち 近くに稲荷」
「その昔 見渡す限りの 田畑は 府中の豪農 市川家のもの」
「お盆過ぎ 校舎に戻る 子等の声 消え入りそうな 蝉時雨かな」
「公園に 手足折れたる 甲虫 君の生家は 何処の森や」
「正面の 七生が丘の その向こう 怒りか情けか 雷神の舞い」
「雨の神 雷神連れず 一人旅 多摩の我が家に 多すぎる雨」

08月20日
 〇昨晩の府中の雨は、今朝のニュースになるほどの雨だったようです。ベランダから見ると、多摩川の水が、かなり増水していました。
 〇上の孫の手術から、1週間経ったので、娘に経過を聞いた所、極めて順調に回復しているそうです。胃に傷が有るわけでは無いので、極く普通の食事を、モリモリ食べて、入院する前の笑顔に戻ったようです。やれやれです。来週には、予定通り退院が出来そうです。
 〇少し前から、家の中に飾ってある様々なものが、どの様な謂われの物なのかを、書き始めました。一種の子供達への遺言です。取り敢えず、主要なものを箇条書きにして、後で、1つ1つについて、謂われと私の思い出を書こうかと思っています。今日も、品物を上げる箇条書き部分を書いたのですが、何を書いて何を書かないか迷ってしまい、中々捗りませんでした。貴重な物と思い出深い物とが、必ずしも一致しないのです。何処かで整理しないと、買い集めた物が余りにも多いのです。
 〇今日は、妻と友人夫婦と、神楽坂で夕食を共にすることになっていました。前回、人形町でも一緒だったのですが、その時、私の友人にパナマ帽をプレゼントすると約束しました。実は、パナマ帽の原産国であるエクアドルで、6枚のパナマ帽を貰い、1枚高級なパナマ帽を買いました。持っていても、私が現在使っているパナマ帽は2枚だけです。そんな訳で、その中の貰い物の方の2枚を、友人にあげることにしました。この事情を知らない彼が感激して、私が好きなワインを送ってくれることになりました。私としては、断捨離と海老鯛が一緒に出来た気分でした。
 〇友人は、ローマで一緒だったことがあり、その頃は、良い飲み仲間でした。しかし、飲み過ぎのせいか、肝臓の病気になり、最近は、一滴の酒も飲めなくなりました。そんな訳で、今日の夕食、夕食後のバーでも、酒が飲みたくてうずうずしている友人を横にして、私だけ一人で酒を飲んでいました。矢張り酒は、仲間がいる方が旨いですねー。
 〇酒を飲まない人は、酒を飲むと、何時もとは違った好い加減な人間になったり、理屈っぽくなったり、怒りっぽくなったり、酒を飲まない時とは人格が変わる酒飲みが、腹立たしいようです。しかし、人間の世の中は、他人の意見を聞かなければ、食べて、生きていくことが出来ず、自分を押し殺して生きている人が多いのです。私は、人々の間に鬱積している不満が、暴力による解決を求めて、爆発しないようにガス抜きしているのが、酒だと思っています。酒で旨くガス抜きが出来なければ、革命になったり、暴動になったりするのでしょう。権力者が、酒飲みを大目に見ているのは、その為かも知れません。

「世の中に 腹の立つこと 多かりき 酒が飲めれば 明日も生きれる」

08月21日
 〇昨日は、上の孫が、食事が出来るようになった姿を、娘からのスマホの写真で見て、一安心したのですが、今日のスマホでは、明日退院できると書いてありました。1週間早い退院となりました。それだけ回復したことが、認められたのでしょう、若さの持つ回復力だと思います。それにしても、よく頑張りました。
 〇11時頃、余り思わしくない天気だったのですが、雨の用意をして、武蔵野公園と野川公園に出かけました。通常は、電車で多磨霊園駅へ行き、駅からはバスで多磨町へ行くのですが、今日は、コミュニティーバスを府中駅で乗り継いで行きました。府中市の西の端から、東の端まで移動したことになります。1度は、やってみたかった事でした。乗り継ぎが悪かったので、2時間近く掛かかり、着いたのは、1時近くでした。
 〇今日は、終点の1つ前、「多磨霊園東通り南」という駅で急遽降りました。お寺の屋根が見えたからです。多磨霊園の近くには、幾つか寺がありますが、この寺をこれまで見過ごしていました。普賢寺という天台宗の寺でした。御朱印を頼むと、若い僧侶が出て来て、快く引き受けてくれました。御朱印を書いて貰っている間、本堂を参拝しましたが、飾られている観音や仏の顔が、これまでに見たことも無いような、ユニークな顔付きをしていました。日本の彫り師の作では無いような気がしました。僧侶の話では、この寺は、以前浅草の方にあったが、江戸時代の火事のため、こちらに引っ越してきたそうです。500年ほどの歴史があるそうですが、飾ってある仏像等は、辛うじて焼失を免れた物だそうです。
 〇私が、御朱印を貰いに、小寺院の庫裡の玄関に入って、何時も感心するのは、生け花です。特に、今日の生け花は、素晴らしかったです。孟宗竹の輪っかを横切るように、白百合が一輪活けてありました。水が何処にも無いのです。つまり、一日だけの生け花です。侘びと寂と、活けた人の心と苦労を感じました。
 〇普賢寺を出ると、電柱に寿光寺の看板がありました。看板の指示通りに歩くと、一般の民家のような寺でした。本堂が無いのです。御朱印を貰えるか聞こうとしたのですが、玄関に近づくと、木魚の音がして、読経の最中のようでしたので、御朱印は諦めました。
 〇寿光寺は、野川公園に近かったので、野川公園から歩き始め、野川公園自然観察園、武蔵野公園と歩き多磨町のバス停に戻りました。山ほどの悪茄子、薮蘭、盗人萩の花を見ましたし、所々で、一所懸命自己主張する花等も見ました。何より嬉しかったのは、日暮しの蝉時雨を自然観察園で聞けたことでした。蝉の縄張りがあるようで、場所によって、日暮であったり、ツクツク法師であったり、油蝉だったり、蝉の鳴き声が変わるのです。我が家の近くでは、ヒグラシの鳴き声は聞こえませんし、他の蝉は皆一緒に鳴いているようなのですがねー。
 〇帰る時も、コミュニティーバス(チュウバス)を乗り継いで帰りました。今度は乗り継ぎが上手く行き、1時間半で我が家に戻りました。5時近くでした。コミュニティーバスは、老人のためのバスと言われますが、今日も老人で1杯でした。それも、私が席を譲ずらなければならないような老人が殆どでした。     
〇今日は、休みの次男が、家に居ましたので、6時半頃から、久し振りに一緒に、晩酌をしました。

「この庭も 隣の庭にも 道路にも 人里好きな 韮の花かな」
「庫裡の中 一日限りの 百合の花 客に伝わる 活け人の心」
「枝先に 弾けるような 白き花 出会い初めて 夏の白雪」
「桜木の 黒き根元に 薄桃の 仲良く並ぶ 薮蘭の花」
「水引に 使えぬような 太さあり 麒麟草似の 金水引」
「花茎を 幾つも伸ばし 花下げる 森を賑わす 小葉擬宝珠の花」
「暗き森 私が居れば 明るいよ 森に電灯 犬菊芋」
「姫という 枕詞が つかなくば なんと立派な 檜扇水仙」
「武蔵野の 森に木霊す 蝉達の これは見事な 四重奏かな」
「ヒグラシも 数が揃えば やかましい 日暮れの森で 独り鳴いてよ」
「水溜まり 雲から顔出す 太陽が 下から照らす 野川公園」
「大樫に 生まれて間もない ドングリが 夏の最中に 押しくら饅頭」
「大木に 小さな実のなる 榎木かな 君も秋には 色づくのだね」
「幼き日 飛ばして遊んだ 竹とんぼ 紅葉の木から 今にも飛びそう」
「この森で 何が欲しいの 藤の蔓 天まで届く 梯子を望むや」
「夏ならば 公園飾りは お手の物 暑さへっちゃら 黄花秋桜」

08月22日
 〇今日は、上の孫の退院の日でしたが、私はPET検査の日でした。9時過ぎに家を出て、立川からタクシーで、武蔵村山病院へ行きました。私が手術を受けた総合医療センターには、PETの検査機械が無いのです。前にも書いたと思いますが、CT検査で写った肺の中の小さな影が、癌なのかどうか総合医療センターでは確信が持てず、PETの検査機がある武蔵村山病院で、検査を受けるように言われたのです。
 〇PET検査のことを私が書くのもおかしいですが、癌細胞は、通常の細胞に較べて、3~8倍のブドウ糖を取り込む性質があるそうです。その為、放射性物質を混ぜたブドウ糖を注射し、1時間くらいかけて、ブドウ糖を行き渡らせ、癌細胞が取り込むのを待って、放射線を感知する機械で、検査をするわけです。検査機械は、CT検査に似たような物です。しかし、少量の放射性物質を検査するので、少しの動きでも検査結果の影響を与えるようです。30分程度、動かないでいるのも、結構疲れるものです。
 〇そんな訳で、ブドウ糖を行き渡らせるのに1時間、撮影に30分、撮影後の休憩に30分の他に、諸々の諸手続があり、10時半から始まった検査が終わったのは、午後1時半くらいになっていました。費用も高くて、18000円取られました。若い時ならいざ知らず、10月初めには後期高齢者になる私が、何故検査を受けなければならないか、今でも疑問が残っています。検査の結果、身体の様々な場所に癌があったら、全部手術して取れと言う事になるのでしょうかねー。
 〇今日、1つだけ興味が持てたのは、病院の直ぐ側に、野球場が数10個以上出来そうな空き地が、あったことでした。予想した通り、日産の村山工場の跡地でした。この工場を閉鎖した時の日産の状態が、どの様な物であったか、推し量ることが出来るようでした。カルロス・ゴーンの様な外国人で無ければ、閉鎖を決断できなかったかも知れません。関連も含めて、一体何人の人が、人生の変更を余儀なくされたのでしょうか、ある意味で、日本経済の歴史遺産だと思いました。
 〇本当は、近隣を歩いて見たかったのですが、天気が余り良くないことと、検査が結構大掛かりだったので、気分が萎えてしまい、少しだけ買い物をして、我が家に戻りました。4時前に着きました。時間がたっぷりあったので、録画してあった「常磐ハワイヤンズ」という映画を見ました。単純なストーリーでしたが、涙がボロボロ零れました。日本の産業構造が変わる中での、生き方の変化でした。これもまた、日本経済の歴史遺産だと思いました。
 〇今日は、朝は抜き、昼も満足な物を食べなかったので、冷蔵庫から色んなものを出し、買って来た酒の肴と会わせて、数だけは豪勢な晩酌となりました。

08月23日
 〇今朝の、韓国が、GSOMIA(ジーソミア)日韓軍事情報包括保護協定終了に関する、テレ朝のニュース解説は、比較的良かったと思いました。種々の意見が出ましたが、常連の女性解説者が、韓国よりも日本のマスコミの方が、相手の国が悪いと世論を誘導するような報道が多く、戦前を思い出させるようだと話し、他の解説者も同調しました。多くの意見があることが、正常な民主主義であり、それを1つに纏めようとするのは、専制国家に後戻りする、それを監視するのがマスコミなのに、逆の動きをしているのを、国民は良く知る必要があると言っていました。その通りだと思います。日本人は、確立した個人の意見を嫌います。回りに合わせる事を、重要だと思っています。これだと、先に態度を表明する、宗教家や権力者の意見が、常に世間を動かすことになります。日本は、専制国家になり易い国のようです。こんな国では、尚更のこと、真実を老い、権力を監視するマスコミの誠意が重要だと思うのですがねー。
 〇今度のことにしろ、北朝鮮との拉致被害者の問題にしろ、問題の拡大に引き金を引いたのは、安倍総理だと思っています。今回の日韓関係の悪化にいたる最初の問題は、韓国裁判所における、徴用工の個人的請求権問題だと思います。これに対して安倍総理は、従軍慰安婦にしろ、徴用工にしろ、1964年の日韓請求権協定の中で、政府間で解決済みなので、個人的請求権は、韓国の国内問題として、韓国政府が対応すべきだと考えています。従って、韓国がそのように動かない場合は、日本はそれなりの手段を行使する事として、半導体素材の輸出に対して、韓国への優遇を取止めることにしたのです。様々な意見があろうかと思いますが、阿部総理の意見は、国家間の外交に於いては、当然の意見だと思います。しかし、阿部総理のやり方は、十分な時間をおいた事前通告であるとか、韓国の輸出管理の不十分さなど、従来全く指摘してこなかったことを無理矢理こじつけるとか、相手政府に対する思いやりがありません。特に、日本より弱いと思う国に対しては顕著です。米、英、仏、独、露、中には、同じ事はしません。これが、日韓の外交問題を拗らせるのです。阿部総理には、国際問題の将来に対する、きちんとした考えに基づいた信念が無く、その場凌ぎの狡知だけで動いているような気がします。
 〇今日は、朝から4時過ぎまで、小雨程度でしたが、雨が降り続き増した。広間は、出来るだけテレビを見ないようにして、日記や子供達への遺言を書いたり、眼鏡や梟の修理をしたりして過ごしました。雨が上がってからは、我が家の周りを1時間ほど散歩しただけでした。夜は、何時も寛ぎの時間ですから、酒も飲み、テレビもたっぷり見ました。

08月24日
 〇昨晩は、頻尿に悩まされました。歳を取ってからは、夜中1回か2回は、トイレに起きるようになっていましたが、昨夜は、1時間に1回、5回はトイレに起き、殆ど眠れませんでした。我が人生で、初めての事でした。今年に入って、手や頭の皮膚の痒み、喉の痛み、腰痛、頻尿と次々に身体の変調が起きました。歳を取って、身体の様々な場所が、機能不全になってきたようです。命を維持できる時間も、そう長くは無いようです。
 〇今日は、天気が良かったので、11時には家を出て、桜が丘、延命寺、観音寺、阿弥陀寺、原峰公園、ゆう桜が丘コミュニティーセンター、狼谷戸、えんめいじ多摩市役所まで歩きました。或る家のノウゼンカズラ(凌霄花)が、垣根に火をつけたようでした。延命寺は、住職がいないので、近くの寺の坊主が、偶にやって来ます。以前偶々、通いの坊主が来ている時に、御朱印を貰いました。今日は留守でした。長峰公園では、蝉の鳴き声を聞きながら、昼食にしました。目の前に蝉の抜け殻がありました。ゆう桜が丘コミュニティーセンターでは、今晩、夏祭りが行われるらしく、準備で大忙しのようでした。そこから、狼谷戸へ出て、多摩市では珍しい農家の脇を通って市役所に出ました。
 〇市役所には、用事が無いので、そこからはバスで聖蹟桜が丘に戻り、少し買い物をして、3時少し前に我が家に戻りました。

「夏の花 凌霄花の 花燃えて 朱き炎が 空へと向かう」
「延命寺 住職いない 末寺でも 六道守る 六地蔵かな」
「木の幹の 中程までも 首伸ばし 庭を眺める 白百合の花」
「参道を 降り行く我を 道案内 1歩前行く 川蜻蛉かな」
「多摩の里 鎌倉古道の 石垣に 玉簾の花 白く輝く」
「百日紅 初夏から晩夏 咲き続け 鎌倉古道に 彩り添える」
「夏雲を 仰ぎ仲良く 揃い咲き 百日紅と 木槿の花かな」
「弁当を 頬張る我の 目の前に 役目を終えた 蝉の抜け殻」
「先折れし 梅の小枝の 枝先で 尻振り鳴いてる ミンミン蝉かな」
「森陰に 花も終りの 藪茗荷 木漏れ日浴びる 先端の花」
「庭の木に なんと可愛い 小鳥かな 良く良く見れば 焼き物なりき」
「田の残る 狼谷戸の 畔道に 狐の孫の 並び咲くなり」
「青空と 田圃の緑 古き家 昔が残る 狼谷戸かな」

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