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2019年8月12日 (月)

2019年08月06日

2019年08月06日
 〇今日も、薄らとではありますが、七生丘陵の上に富士が見えました。今日は、3日分の日記を書き、ブログに掲載しました。今日外へ出たのは、夕方、近くの西友に買い物に出ただけでした。
 〇午前中は、広島の原爆記念日式典の様子を、しばらくテレビで見ていました。3日後の9日は、私の郷里、長崎の原爆記念日になります。毎年、この時期になると、言いようのない悲しい感情に包まれます。今年、広島の原爆記念館は、展示物を入れ替え、戦争の悲惨さを、更に強く訴えるようにしたそうです。それは、戦争が過去の物として風化し、世界が右傾化している現在の状況に、危機感を感じたからのようです。確かに、現在の世界情勢は、一歩間違えば、戦争の突入する危険性を孕んでいます。政府は、国民のためと言いながら、夥しい数の国民を死地に追いやる戦争を、平気で始めます。家族のため、国家のためという形容詞が頭につくと、大量殺人が英雄的行為になります。政府は、これを利用する訳です。政府では無く、国民自身が、戦争の悲惨さを知り、国民自身が戦争を避けるよう、国政を監視し、国政が戦争に走らないよう、きちんとした理性を持ち、力を示して欲しいと思います。
 〇夕方、玄関を出る時、門の下に油蝉の死骸が転がっていました。今年は、梅雨明けが遅く、蝉の声も中々聞くことが出来なかったのですが、泣き始めて1週間と言われる、蝉の命を全うした蝉を、今日、見る事になりました。無事、次世代に命の鎖を渡したのでしょうか、それは分りませんが、何かしてやりたくて、蝉を拾い上げ、門柱の上のシークアーサーと並べて置きました。
 
08月07日
 〇今日も、朝は富士も見え、良く晴れました。また、暑い1日となりそうでした。昨日から、夏の高校野球大会も始まりました。毎年、夏の高校野球は、夏休みの時期に、炎天下の甲子園で行われます。これが、高校野球のドラマと歴史を作っています。 
〇今日は、午前7時半には家を出て、都心の公会堂に行きました。孫娘の、合唱コンクールの東京都予選が行われたのです。前回、地区予選には行けなかったので、今回は是が非でも行くことにしていたのです。
〇新宿から地下鉄丸の内線の最後尾の車両に乗ったのですが、ドア、釣り下げ広告、床と全てが、映画ライオンキングの宣伝でした。この宣伝に、どれほどの金が掛かるのか、元は取れるのか、その方が気になりました。
 〇会場は、丸の内線の後楽園駅近くにあり、会場には、9時半に着きました。1回目の1階席への入場は終わったそうですが、2回目の2階席への入場を待って、階段を降りた階まで続く、長い長い行列が出来ていました。9時45分くらいに入場が始まり、辛うじて2階席の上方に座ることが出来ました。
 〇10時5分くらいから、12校による合唱が始まりました。各校が、課題曲と自由曲を歌い、優劣を競いました。合唱の良さは、30人以上の生徒の声が、良く調和の取れた一つの声となって、観客に響くことです。流石に予選を勝ち抜いてきた学校だけあって、どの学校も素晴らしい出来でした。孫娘の学校は、上位6校に選ばれましたが、関東地区大会に出場出来る、3校の中には入ることが出来ませんでした。それにしても、2階席の上方からは、舞台が遠すぎて、私の弱った目では、孫娘を確認することが出来ませんでした。これが、何より残念でした。
 〇孫娘は、まだ、4年生で、本選に出場するのは、5,6年生が中心となるので、普通は、入る事が出来ないのですが、特別に抜擢されたようです。良い経験になったと思います。来年を楽しみにしましょう。
 〇この合唱コンクールには、上の孫も末の孫も来ていました。実は、小学校へ未就学児童は、コンクール会場に入場できないため、上の孫が父親と一緒に、末の孫の面倒を見ながら、会場の近くで遊んでいたのです。末の孫は、今、一人前に扱われることが、一番嬉しい時期になっていたのに、今日は、それが出来なかったので、コンクールの後、皆が一緒になってから、その怒りが母親への甘えに変わりました。自分の思い通りにならないと、癇癪を起こしたりします。第一次反抗期ですかねー。
 〇後は、皆で軽く食事をして帰りました。末の孫の機嫌も直りました。

「孫娘 舞台で歌う 晴れ姿 幼き我が娘と 重なり合うなり」
「我が胸に しな垂れかかる 我が娘 今は三児の 母となりけり」

08月08日
 〇この所連日、朝の富士を見ています。今日も晴れ渡った空に、富士が見えました。今日は、暦の上では立秋だそうですが、例年、立秋は最も暑い時期です。
 〇アゲハチョウの幼虫に、食料として葉を提供し、丸裸になっていたベランダの山椒が、今年2度目の芽吹きを始めました。ベランダの植物が、この辺りの自然界の生き様に関与していると思うと、とても嬉しく思いました。これでは、ベランダの植物への水遣りを怠ることは出来ませんねー。
〇一昨日から、夏の高校野球大会が始まって、朝から熱戦を繰り広げています。ところで、今年の予選で、大船渡高校の監督が、現在の高校生で最速クラスの速球を投げる佐々木朗希投手を、肩を痛めるからとの理由で、決勝戦で投げさせませんでした。結果、大船渡高校は、地区での優勝を逸し、甲子園に参加できなくなりました。この事に対して、種々議論が沸き起こりました。この問題は、社会の右傾化傾向、個人に配慮すると良いながらデータ重視で個人を無視する現代の傾向等、様々な、根の深い問題を有しています。次男とも話し合いましたが、何より大事なのは、間接的なものを含めて、権力者による強制の排除が重要であり、如何なる強制も無い自由な条件下で、個人の希望を尊重する事が、一番重要だと思います。大船渡の監督が、何処まで、これらのことについて悩んだかを知りたいものです。社会が、エンターテインメント中心になり、高校野球もその中でプロ化しています。これは、単なる社会生活の変動で済ませて良いものか、疑問もあります。
〇今日は、夕方から孫達と神宮球場で、ヤクルトー阪神戦を見に行きました。野球を直接球場で観戦するのは、一体何年振りなのか、記憶が定かではありません。それほど久し振りでした。最初に驚いたのは、球場近くのコンビニの混雑でした。店内を一周して外へ出るほどの、レジの行列が出来ていました。ナイターは、丁度夕食時なので、誰もが食べたり飲んだりしながら、観戦するようです。次に驚いたのは、応援グッズ(選手のユニフォーム、タオル、応援用の傘など)を売る店も満員の混雑だったことです。孫達も、傘とバット型のビニール製の打木を買いました。会場に入って驚いたのは、ヤクルトー阪神戦は、人気カードでは無いと思っていたのに、ほぼ満員で、身障者用の席も用意されていたことです。鳴り物入りで、息の合った応援合戦は、見知らぬ人とも仲間意識が芽生え、自分が、その場にいることを、とても楽しく思えました。客の半数以上が、女性だったような気がします。彼女達が、この雰囲気を作り出しているようです。ここでも、時代の変化を感じました。
〇今日は、娘のお陰で、良い経験をさせて貰いました。ビールを飲みながら、打木を叩き、声を張り上げて応援しました。ナイター帰りの混雑した電車に乗って、家に帰り着いたのは、11時過ぎでした。

「我が子等を 連れて通った 球場に 孫等と座る 時の流れよ」
「最下位が 指定席なる ヤクルトの 傘の応援 今も変わらず」

08月09日
 〇今日は、長崎の原爆記念日でしたが、記念式典の様子をテレビで、見る事は出来ませんでした。今日は、大学のクラブの同期会があり、この為に名古屋から上京した友人が、我が家に来て、泊まることになったのです。
〇彼は、同期会の前に、高尾山に登りたいと言って、9時40分には、聖蹟桜が丘に着きました。我が家に荷物を置いて、10時半には、家を出て、高尾山に向かいました。高尾山口には、12時15分に着き、12半のケーブルカーで、頂上駅へ行き、歩き始めました。薬王院までは、なだらかな登りなのですが、彼は、息を切らして何度も休みました。歩きながら話して、彼が何故、高尾山に登ろうと言い出したのか、その理由が分りました。彼は、昨年肺癌の手術をしました。大した事は無いと言っていましたので、肺の一部を取った程度だと思っていたのですが、ほぼ片肺全部を切除したとのことでした。その後、山登りなどはしたことがなかったので、比較的負担の少ない、以前私と登った、高尾山に挑戦してみようと思ったそうです。ケーブルカーの駅から山頂までは、普通の人なら40分程度なのですが、凡そ倍の時間をかけて、山頂に到達しました。残念ながら、富士の歓迎はありませんでしたが、彼は満足そうでした。
〇彼は、更に以前、目の癌も経験し、現在片目が見えない状態です。それでも、何時も明るく、色んな事に挑戦しながら、元気に生きています。今日は、非常に感動しました。
〇同期会は、午後5時半から、神楽坂の中華料理屋で、やることになっていました。高尾山を4時に出て、丁度5時半に会場に着きました。一人は、事情があって来られなくなりましたが、他の6人で、同期会を始めました。女性の参加者は、一人でしたが、彼女にも、感動させられました。
〇彼女は、補聴器を付けても、殆ど聞こえないほどの難聴になっていました。その為、相手の話を聞くことが出来ず、会話することが、非常に難しかったのです。それが、今日は比較的話が通じ、皆の会話に入ってきました。彼女は、今年、頭の中に人工内耳を埋め込む手術をし、若干音は違うものの、話が聞こえる様になったそうです。医療技術の進歩と、彼女の挑戦心に驚嘆しました。元々、明るい性格の女性ですが、今日は、一人で同期会を盛り上げてくれました。ビール、紹興酒、ハイボールと10杯以上飲んだような気がします。誰もが、彼女が一人で帰宅できるか心配しました。しかし、他の人間も酔っていて、彼女のフォローが出来そうもなく、結局、彼女一人で帰る事になりました。嬉しいことに、「横浜には着いたよー」とのメールが入りました。
〇私と名古屋の友人は、我が家に11時頃に着き、それから2時過ぎまで、同期会の余韻を楽しみました。

「老いたれば 生きる力は 日々落ちる 頑張り無くして 生きては行けぬ」
「若き日の マドンナ再び 蘇る 病に挑戦 同期の桜」
「人生の 先行き見えぬ 大学を 共に過ごした 同期は宝」

08月10日
 〇昨晩遅かったので、名古屋の友人は、10時近くに起きて来ました。それから、軽い朝食をとり、11時半には、家を出て、国立経由で東京駅へ向かいました。
 〇その後、私は聖蹟桜が丘に出て、買い物をして、1時には我が家に戻りました。今日は、孫達が泊まりに来て、一緒に花火をやることになっていました。そこで、午後から、友人が使ったシーツ等を含め、大量に洗濯をし、何時もより丁寧に掃除をし、孫達のために料理を作るなど、忙しい時間を過ごしました。作った料理は、ビーフシチュー、茄子のフライ、インゲンのイタリア風、でした。
 〇孫達は、6時頃に着き、直ぐに夕食になりました。孫達が持ってきた、ケンタッキー・フライドチキン、ローストビーフ等を加えて、割と豪勢な夕食となりました。病気ではなく、将来の健康上の理由で、明後日から、2週間程入院する上の孫の為に、ビーフシチューを作ったのですが、その上の孫が、とても美味しいと言って、2度もお替りして食べてくれました。爺冥利に尽きます。
 〇8時頃から、アパートの前の水門の所で、花火となりました。しかし、風が強くて、蝋燭を植木鉢の中に置くとか、色々工夫をしたのですが、花火に火をつけるのが難しく、1つの花火に注意深く火をつけ、後は、花火から花火へ、リレー式に花火を楽しみました。また、人家のない水門の所でしか出来ない、打ち上げ花火も大いに楽しみました。月の綺麗な夜空の下での、楽しい花火になりました。孫達の嬉しそうな様子が、何よりの贈り物でした。

「爺様の ビーフシチュウに 舌鼓 爺様孝行 上の孫かな」
「夏の夜は 昔も今も 花火かな 夜空の月も 孫等を見ている」
「月までも 届けと上げる 矢火矢かな 少し早めの お盆の行事」


08月11日
 〇今日は、孫達とプールに行くことにしていました。病院に、暫く入院する上の孫にとっては、今年の夏休み最後の遊びとなりそうでした。孫達が、9時頃に起きて来たので、10時から朝食にする事にしました。昨日の残りに、何時もの味噌汁、サラダを作り、干し秋刀魚を焼いて、予定通り10時から朝食となりました。孫達は、楽しいプールが待っているので、素直にてきぱきと食事しました。
 〇食事が終わって、11時過ぎに家を出て、昭和記念公園付属のレインボープールに向かいました。去年初めて来たのですが、流れるプール、波のプール、滝のプール等々、色々な種類のプールや滑り台などの設備が整っていて、孫達も大好きになりました。所がプールの近くの駐車場には空きが無く、プールとは反対の立川口駐車場しか空きが無く、仕方なく立川口に車を止め、立川口から入ることにしました。しかし、昭和記念公園は、非常に大きい公園で、反対側のプールに行くには、末の孫の足で、優に30分は掛かると思い、皆、暗澹たる気分になりました。所が、門を入ると、「プール行き往復バス乗り場 ―->」との看板が見えました。皆から「わー」と歓声が上がるほど気分が高揚しました。
 〇12時半には、プールに着き、着替えをして、12時45分頃から、先ず波のプールで泳ぎ始めました。丁度、1時間に1度の休憩時間が、終わったところでした。その後、4回の休憩時間を経て、5時まで泳ぎました。末の孫は、少し泳げるようになり、その上達振りを皆に見せるのが嬉しくて、浮き袋無しで、休み無しに泳ぎ続けました。孫娘は、水の妖精のように、水があれば、何時でも何処でも楽しい子供です。色んな事を考え、楽しんでいました。最近は、シンクロナイズドスイミングにも挑戦しているようでした。上の孫は、運動は少し苦手ですが、一番上の兄貴分として、あれやこれやと気を使っていました。私はと言えば、浮き袋に掴まって、ゆらりゆらりと孫達の様子を眺めていました。
 〇プールでの泳ぎを終えて、夕食を一緒にすることにしました。場所は、上の孫の要望を聞いて、ステーキが食べられる、中河原のジョナサンに決まりました。昭和記念公園から中河原まで、車の中で、孫娘と末の孫が寝てしまいました。ジョナサンに着いた時に、孫娘は起きたのですが、末の孫は、父親に抱かれてジョナサンに着き、店内でも眠り続けました。起きたのは、皆の食事が終わった時でした。末の孫は、これから食事をすると言います。娘も納得したようでしたが、私は、既に食事も帰り支度も済み、料理の代金も払ったので、中河原からバスで、一足先に帰ることにしました。末の孫は、現状を理解できないようでしたが、皆と一緒に、私を送ってくれました。
 〇家に着いたのは、9時頃でしたが、朝の食器を片付け、残った飯を握りにし、風呂に入って、メールを見るなどして、何時もより早い、11時には寝床に入りました。

「孫娘 身体しなやか 水が好き アーティスティックな 泳ぎを披露」
「末の孫 母に泳ぎを 見せたくて 必死に泳ぎ 疲労困憊」
「末の孫 車に乗れば 早寝息 あっという間に 白河夜船」
「夕食の 店の中でも 寝息かく 楽しかった 一日夢に」

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