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2019年8月19日 (月)

2019年08月12日

2019年08月12日
 〇先週、忙しかった1週間が終り、今日は、その忙しい日の日記をブログに上げました。日記をブログに上げる日は、何日分かの日記を纏めて書くので、午前から午後にかけて、パソコンの前に座りっぱなしになります。一昨日辺りから、痛みの出て来た腰が、立ち上がるのが辛くなるほど居たくなりました。恐らく変な姿勢で座っていたのでしょう。それにしても、腰が痛いと全ての動作が鈍くなり、一気に10歳くらい歳を取った気分になりました。
 〇3日間、パソコンを見る時間も無かったので、今日、パソコンを開いたら、沢山のメールが来ていました。漸く、返事を出す事が出来ました。
 〇今日東京電気の契約更改の宣伝マンが来ました。ガスと一緒に契約すると、電気料金も安くなると言うのです。東京ガスガスが、電気も一緒に契約すれば、安くなるという動きに、対抗したものだと思います。「何故、電気とガスが一緒になると安くなるのか」と聞くと、「使用量の調査とか、不具合の点検とかを、別々にやっていたものを、一緒にやれば、契約戸数が大いので、かなりの人件費の節約になります」との返事でした。納得しましたので、契約を新規プランに変更しました。
 〇忙しさと暑さのせいで、散歩に出る機会が、少なくなっていました。腰の痛みも、それが原因の1つだろうと思い、3時半頃から、多摩川と大栗川との合流点を回る、遠回りのコースで、聖蹟桜が丘まで歩きました。歩いている時は、左程腰の痛みを感じないのですが、腰を落として写真を撮ろうとすると、猛烈な痛みを感じました。果たして、自分の力だけで、痛みを取ることが出来るのでしょうか、心配になりました。今日明日様子を見て、痛みが取れなければ、医者に行くことにしましょう。一体、何科の医者に行けば良いのでしょうか、、、。
 〇土手の道は、梅雨が明けて、長く雨が降っていないため、ヒメジョオンくらいしか、目立った花がなくなってしまい、所々に、枯れ草も出始めていました。それでも、所々に必死に花を咲かせ、その頑張りに、私も頑張ろうと思いました。
 〇6時頃、我が家に戻り、シャワーを浴びていると、2時半くらいに送り出した次男が、戻ってきました。一緒に店をやっている相方が、体調を崩して店に出られないので、臨時休業にしたそうです。久し振りに、酒を飲みながら、次男と野球を見ました。

「草陰に ひっそり網張る 女郎蜘蛛 色気に惑う 虫は居るかや」
「長き土手 僅か一本 立葵 緑の土手に 絢爛豪華」
「韮の花 君は夏場の 花なりや 花の少なき 夏に嬉しき」
「猛暑日の 岩場に落ちた 桜葉の 一足先に 秋の色づき」
「校庭に 子等の声無き お盆時 競う者無き 蝉時雨かな」
「狂うたか 猛暑の夏に 花咲かす 新芽も伸ばす 公園の藤」
「緑濃き 枝の後ろで 一休み 白雲仰ぐ 白鷺目立つ」

08月13日
 〇思ったより良い天気になりました。お陰で、洗濯物も良く乾きました。ところが、3時過ぎに出かける時は、雨になりました。早めに洗濯物を取り込んで、大正解でした。
 〇今月は、太陰暦と太陽暦が、同じです。15日が15夜です。毎年、8月は同じになるのでしょうか、天文学に弱い私としては、常に1日か2日、ずれていると思っていました。この年になって、漸く気づいたのですから、情けない限りです。
 〇今日は、上の孫の手術の日でした。3時には手術が終り、自分の部屋に戻ったようなので、見舞いに行きました。私が手術した病院の小児病棟でした。4時過ぎに病院に着き、何処で面会の手続きをすれば良いのか、探していると「お父さん、お父さん」と呼ぶ声がしました。娘でした。一段落したので、コーヒーを飲みに、下りて来たそうです。少しだけ一緒にコーヒーを飲んで、病室へ向かいました。
 〇病室に入ると、術後、爆睡していた上の孫は、既に起きていて、話も出来ました。手術は成功したし、孫も落ち込んでいないようでしたので、安心しました。色々話をしていたら、胸が痛くなったようなので、役立たずの爺は、退散することにしました。
 〇病室を出て、ロビーに行くと、武蔵野、丹沢、富士山が一望できました。家を出る時の雨は止んで、西の空全体が、青空になっていました。この光景を見ると、とても心が和みます。何時の間にか、この光景は、故郷の景色になりました。府中に住んで、早20年近くになり、故郷長崎よりも長くなりました。転居続きの私の人生で、一番長くなりました。
 〇今日は、満足に歩いていないので、病院の近くの西国分寺から、国立まで歩きました。住宅地の道を辿って歩いたら、何度も行き止まりになり、1時間以上掛かりました。目立って面白いところはありませんでしたが、良い歩きとなりました。
 〇家に着いたのは、7時過ぎでした。一三夜の月が、煌々と輝いていました。私は、お盆には特に何もしませんが、今日里帰りする霊達も、帰りやすかったでしょう。それから酒の肴を作ったりしたので、8時過ぎからの晩酌になってしまいました。

「この度の 試練が孫を 強くする 孫の未来よ 明るく輝け」
「十三夜 月の光に 導かれ 亡き妻と共 我が家に戻る」

08月14日
 〇テレビは、毎日台風10号のニュースで持ちきりです。進行が遅く、来るなら来るで、早くしてくれと言いたくなります。しかし、余波は確実に来ていて、今日は、朝から雨が降ったり止んだりしていました。
 〇午後2時頃、散歩に出ようとしたら、猛烈な雨になり、一旦散歩を諦めました。しかし、30分後には、雨は上がり青空が広がりました。次に雨が来るのを覚悟して、散歩に出かけました。一之宮交差点、宝蔵橋、東寺方、竹林、桜が丘、いろは坂、霞が関橋を歩いて、聖蹟桜が丘へ出ました。アニメ映画「耳をすませば」の主人公の父親になった気分でした。
 〇その後、雨は降ることなく、心地よい汗を掻きました。午後5時には、我が家に戻りました。シャワーを浴びていると、今日は休みで、手術をした甥の見舞いに行っていた次男が帰ってきました。夜は約束があるそうですが、出かけるのは、8時頃だと言うので、少し多めに酒の肴を作り、僅かの時間でしたが、次男と晩酌を楽しみました。
 〇11時過ぎて寝る時刻になった頃、一四夜の月がベランダから見える所にやって来ました。昼間、雨で空気が洗われたせいか、月の周囲が鋭利な刃物のように、鋭い輝きを見せていました。

「さっきまで 青空広がる 夏の空 何処から来たのか 篠突く雨に」
「小半時 篠突く雨も 去り行きて 河原に戻る 蝉の鳴き声」
「青空に 入道雲の 登立ち 夏だ夏だ 何処もかも夏だ」
「観音も 濡れた衣を 日に晒し 入道雲を 仰ぎ見るかな」
「梅雨明けて 日照り続きに 葉を閉じた 栗も喜ぶ 慈雨の到来」
「雨の後 湯気立ち上る 崖の道 色づき始めた 山葡萄かな」
「竹藪に 紫陽花擬き 臭木かな 名前のせいで 好きになれない」
「竹林の 簾の奥の 陽の光 苦難の後の 希望教える」
「竹林 越えて登れば 桜が丘 成功手にした 人等の館」

08月15日
 〇今日台風が、高知から広島に上陸し、日本海に抜けました。台風の影響は、関東にも及び、我が家のある多摩地方も、強い風を伴って、幾度となく雨が降り、ベランダが水浸しになりました。
 〇今日は、大田区が六郷で行う花火大会の日で、反対側の川崎のマンションに住む友人宅で、花火見物が予定されていました。しかし、台風の影響で、中止になってしまいました。まあー、日頃の行いが悪い連中ばかり集まることになっていたので、仕方が無いでしょう。でも、多くの人に迷惑を掛けてしまいました。我々が、集まる予定がなければ、雨の神も、花火大会の日に、台風をよこすことはしなかったでしょうから、、、。
 〇そんな訳で、今日外に出たのは、近くのショッピングセンターに、雨と雨の間を選んで、買い物に出かけただけでした。日頃は余り訪れない、100円ショップ、家具屋、ノジマ電気、スポーツデポ、ホームセンターを時間潰しに歩き、最後に西友に行きました。魚介類は、今日品物が入らなかったのかも知れません。品薄でしたし、恐らく品物は昨日の物なのでしょう、かなり値引きされていました。サザエ、アサリ、サワラのあら等を買いました。夜、晩酌の肴に、サザエを焼きましたが、自宅でサザエを焼いたのは、故郷、長崎を出てから初めてでは無いでしょうか、と言うことは、約60年振りでした。アサリは何時ものアサリバターにし、サワラは煮付けて酒の肴にしました。
 〇今日は、お盆の終りでもあり、終戦記念日でもありました。丁度、台風が四国から中国に上陸しましたので、例年と違って、終戦記念日関連のニュースが、少なかったように思います。戦争は、一旦進み始めたら、誰も止めることが出来なくなります。他国の動きに対して、憶測に憶測が重なり、嘘に嘘が重なり、国家愛の火の手が燃え上がり、国家の構成者である国民の大量死が、名誉として称えられるのです。本来、政府の監視役である筈のマスコミが、政府の協力者に変身することも既に経験しました。香港における反政府活動は、通常の政府とは異なる特殊事情を考慮しても、政府に反対意見を唱えることが、如何に困難であるか、その現実を教えてくれているような気がします。

08月16日
 〇台風10号は、中国地方を抜け、日本海に入ったようです。お盆休みも終り、帰省地からのUターンラッシュが始まっているのですが、昨日から続いている交通機関の乱れが、完全に復旧しておらず、多くの人が困惑しているようです。多摩地方も、雨は降らないものの、かなり強い風が、吹き続けていました。午後からは、晴れるというので、洗濯しましたが、衣類は外に干せる状況ではなかったので、部屋干しとし、タオルだけ外に干しました。しっかりと止めたはずですが、吹き飛びそうでした。
 〇午前中、強風の中を歩いて見たくなり、府中四谷橋まで歩きました。ベランダでタオルのはためきを見ると、物凄い風に思えたのですが、いざ外に出てみると、左程の風ではありませんでした。それでも、普段は経験できない風を感じました。
 〇4時近くに家を出て、皮膚科に行きました。左手のカサカサ感が直らないのです。忙しい先生に、色々聞いてみたところ、風呂、洗面、炊事など水仕事をする時、ゴムの手袋で左手を保護しないのが悪いようです。あと2週間、きちんと対応した上で、結果を見る事になりました。
 〇土手を歩いて帰ったら、土手には、薄の穂、仙人草、韮の花等、猛暑日でしたが、秋の気配が感じられました。後で調べたら、仙人草の別名は、「馬食わず」だそうです。有毒で牛や馬が絶対に食べないそうです。毒草は、薬草でもあり、扁桃腺炎の治療に使うこともあるそうです。
〇出かけたのが遅かったのですが、それにしても、病院は何時も時間が掛かります。家に着いたのは、7時近くになっていました。東の空に、十六夜の月が輝いていました。今日は、霊が元の場所に帰り、お盆もお仕舞いです。今月は、孫達と海へ行った時に、生まれたばかりの三日月を見て、その後、十五夜を除いて、殆ど毎日成長する月を見ました。今後は、衰退する月を見る事になります。月の衰退は、再生が約束されていますが、人の衰退には、再生がありません。それに応じた覚悟が必要なようです。

「花好きの 婆さん手塩の 花達が 見事に咲いた 団地の庭かな」
「梅雨明けて 長き日照りを 耐え抜いて 天下を狙う 大荒地野菊」
「一面の 緑の土手に 薄の穂 夕日に白く 秋の先駆け」
「猫じゃらし 夕日に毛玉 輝きて 猫誘うよう 毛玉を揺らす」
「韮の花 緑の土手に 白き列 私は此処よと 菜摘みを誘う」
「猛暑日に 仙人草まで 顔出して 秋だ秋だと 叫んでいるなり」
「猛暑日の 夏の夜空に 輝きぬ 台風一過の 十六夜の月」

08月17日
 〇今朝、4時に起き、その後眠れなかったので、5時過ぎから日の出を見に、四谷橋まで散歩しました。既に太陽は、地平の上に顔を出していました。反対側の西の空には、昨晩の十六夜の月が残っていました。
 〇6時過ぎに家に戻り、午前中の仕事を終わって、11時から本格的な散歩に出て、七生丘陵散策東コースを歩きました。程久保川、百草園駅、百草八幡、百草台公園、高幡不動と歩き、高幡不動駅から聖蹟桜が丘に出て、戻ってきました。本来の散策コースは、もっと長いのですが、余りの暑さに、ショートカットして、高幡不動に出たのです。程久保川の桜葉は、殆ど虫食い状態になっていました。どんな虫が、これだけの葉を食べるのか、一所懸命探しましたが、見つかりませんでした。七生の森では、この夏初めて、ツクツクホウシの鳴き声を聞きました。
〇高幡不動の前の鯛焼き屋で、宇治金時を食べました。滅茶苦茶旨かったです。身体が冷たさに飢えていました。私は、美味しさの基本は、此処にあると思っています。従って、ソムリエ的な味の判断は、賛同出来ないのです。こんな話は別にして、鯛焼き屋の主人が話し好きで、郷里の長崎の事も良く知っており、原爆のこと、核不拡散条約のこと、日米の関係など難しい政治の話に話になってしまいました。
 〇3時半くらいに家に帰り、4時頃から、録画してあった「太平洋戦争の奇跡 フォックスと呼ばれた男」を見ました。太平洋戦争の終戦の時、サイパンの山奥に隠れていた民間人及び兵隊を、投降させることを決意した、部隊長の話でした。何時見ても、戦争は狂気です。7時頃から「寅さん」を見ながら晩酌にしました。随分長く、テレビの前に居ました。

「日は昇り 世界は明るく なりたれど 七生が丘に 十六夜の月」
「朝の日が 次第に高さ ます度に 空に消えゆく 十六夜の月」
「草むらに すくっと一輪 月見草 しっかり見てる 朝の朧月」
「月見草 一晩しっかり 月を見て 日の出と共に 瞼は重し」
「朝の日に 常磐薄の 穂が光る 風は消え去り 身動ぎもせず」
「日は昇り 夜の帳は 無くなるも 霞の帳 多摩を覆えり」
「草むらで 負けはせぬぞと 背を伸ばし 仲良く花咲く ツメクサ夫婦」
「朝露の 朝の日浴びて 朝化粧 朝の散歩の 嬉しさ此処に」
「悪茄子 思いの外に しぶといね 猛暑の日々を よくぞ耐えたり」
「桜葉が 網の目模様に 変わりたり 誰が食べたか 犯人捜し」
「猛暑日も ツクツク法師の 声聞けば 近づく秋の 気配を感じる」
「百草台 展望台の 涼風に 猛暑忘れて 握りを喰らう」

08月18日
 〇今日は、久し振りに奥多摩の日原鍾乳洞に行って来ました。日曜日は、人が多いので、電車やバスの本数が週日よりも多いのです。10時少し前に出て、12時に奥多摩駅に着きました。日原行きのバスは、12時35分発だったので、バスを待ちながら、昼食にしました。昼食を食べている間に、人がどんどん増えて、長ーい行列が出来ました。バスは、臨時便が出て、2台で日原に向かいました。2台ともぎゅうぎゅうの大混雑でした。日原までの道は、所々に用意されたすれ違い場所でしか擦れ違うことの出来ない、細い道でした。要所要所に係員がいて、上下の車をコントロールしていました。
 〇本来、鍾乳洞までバスが行くのですが、土日は、二つ手前の東日原までしか行きません。そこから鍾乳洞までは、更に道が細くなり、バスが入ると車が全く動けなくなるそうです。東日原で全員降りて、鍾乳洞まで30~40分の道を歩き始めました。子連れがいたり、老人がいたり、元気な若者がいたりで、次第に行列は、次第にばらけました。私は、色々写真を撮りながら、ゆっくり歩き、行列の一番後ろの方になってしまいました。普段目にしない花があったりしたのです。
 〇鍾乳洞に着いたのは、1時40分くらいでした。入口の前に立つと、まるで強烈に冷房された風を、送風機で送られているような、冷たい風を感じました。実は、猛暑日が続くので、今日は、この冷たい風を感じるために来たのです。目的は、入口で達成されました。後は、約1時間かけて、鍾乳洞の中全てを歩きました。鍾乳洞にしては、水が少ないので、単なる洞穴の様なのですが、それにしても凄い洞穴です。老人には辛い、ほぼ垂直な階段が、長く続くところがありました。小さな子供も歩いているので、弱音を吐くわけにも行かず、良い足の運動になりました。
 〇鍾乳洞を出ると、激しい雨になっていました。天気予報で、山沿いはゲリラ雷雨になる所があると言っていましたが、その通りになりました。お陰で、風景が山水画に変わりました。日原の方には、大絶壁を持った、丸い尖り帽子状の山が幾つもあり、その山がとても良い雰囲気になりました。写真に撮りたいと思ったのですが、レンズが曇って写真が撮れません。鍾乳洞の中で写真機が冷えてしまって、外の暖かい空気が結露してしまうのです。レンズを拭いたり、あれこれ努力をしましたが、どうにもなりませんでした。諦めて、東日原まで雨の中を歩きました。折畳みの傘は用意して行ったのですが、余り役にたたずずぶ濡れになりました。
 〇東日原に着き、バスを1時間ほど待って、奥多摩駅には、4時40分頃に着きました。行きつけの居酒屋に行って、先ずは、ビールで喉を潤しました。この居酒屋で飲むのも、奥多摩に来る楽しみの1つです。女将さんが、九州博多の人で、何となく話しが合うのです。
 〇ビールから日本酒に換え、鱒の燻製を肴に飲んでいると、外国人の男性二人が、「この店に魚はあるか」と英語で聞いてきました。私が食べているものを見せたら入って来ました。この店は、テーブル席は、6席しかありません。地元の人二人と私が先客で居ましたので、ほぼ満席になりました。日本語も満足に話せなくなったのに、英語は、全く話せない状態でしたが、たどたどしい英語で、通訳をしました。彼等はフランス人で、明日、雲取山に登る予定だそうで、今夜、無料でテントが張れる場所を探しているとのことでした。地元の人が、無料のキャンプ地を教えてやったので、彼等は大喜びでした。まさか、外国人と酒を飲むことになるとは、思ってもいませんでした。
 〇6時半頃に店を出たのですが、家に着いたのは、9時過ぎていました。面白い1日でした。

「山奥の 苔生す崖に 桃色の 何処かで会った ヒマラヤ雪の下」
「お盆過ぎ 終り近づく 夏休み 子供等の声 響く鍾乳洞」
「驟雨きて 奥多摩渓谷 水墨画 絵では描けない 自然の大きさ」
「日暮しの 声を聞きたく 来たものの 雨の中では 蝉も鳴くまい」
「奥多摩の 小さな酒場に 異邦人 馴染みの客とは 言えないけれど」  

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