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2019年8月

2019年8月26日 (月)

2019年08月19日

2019年08月19日
 〇雲の多い朝でした。気温は、まだ30度を超しているのですが、次第に秋型の気候に移る気圧配置になってきたようです。
 〇午前中、日記をブログに上げました。毎日、午前中を日記に取られることはなくなりましたが、全体としての労力は、一緒のようです。他の作業が、一向に捗りません。最近、体力の衰えを強く感じており、目標にしてきた作業を、死ぬまでに終えることが出来るのか、不安になってきました。
 〇今日は、午後から雨になるというので、散歩は止めようかと思っていたのですが、多摩地方では、一向に雨が降りそうになかったので、3時過ぎから、近場の散歩に出かけました。私が、住んでいる近くで、まだ、田畑が残っている所を、縫って歩きました。毎年、田畑が、住宅や、工場、倉庫に変わっていて、5年後には、田畑が無くなってしまうのではと、気に病んでいます。もっと上手な土地利用が無いのですかねー。住居だけで無く、中小企業の工場や倉庫などを、雑居ビルとして、高層化してはどうでしょうか、そうすれば、その跡地を田畑に戻したり、緑地にする事が出来ると思います。農地は、先祖伝来という考えも、時代に合わせて換える必要があるでしょう。
 〇散歩の途中、日新小学校の前の四谷第三地域公園で、カブトムシ(甲虫)の死骸を見つけました。府中に済むようになったら、周囲に森があるので、何時でもカブトムシやクワガタに会えると思っていたのですが、死骸ですら今日が初めてでした。学校の生徒が、何処かで買って来たカブトムシが死んだので、公園に捨てたのでは無いか、そんな邪念が湧くほど、自然のカブトムシとの出会いが無かったのです。子供時代は、山ほど捕ったし、夜になるとカブトムシの方から、蚊帳を吊った家の中の、電灯目がけて飛んできたものでした。
 〇丁度、晩酌が終わった9時過ぎ頃、雷鳴が轟き、正面の七生が丘の後ろが、次々に大爆発が起きているように、稲光が夜空を焦がしていました。それから、30分もしないうちに、我が家の方にも激しい雨が降ってきました。

「お盆過ぎ 小さな花から 小さな実 秋には朱き 蔓鬼灯」
「家々に 周り囲まる 田圃にも 稲の実育ち 近くに稲荷」
「その昔 見渡す限りの 田畑は 府中の豪農 市川家のもの」
「お盆過ぎ 校舎に戻る 子等の声 消え入りそうな 蝉時雨かな」
「公園に 手足折れたる 甲虫 君の生家は 何処の森や」
「正面の 七生が丘の その向こう 怒りか情けか 雷神の舞い」
「雨の神 雷神連れず 一人旅 多摩の我が家に 多すぎる雨」

08月20日
 〇昨晩の府中の雨は、今朝のニュースになるほどの雨だったようです。ベランダから見ると、多摩川の水が、かなり増水していました。
 〇上の孫の手術から、1週間経ったので、娘に経過を聞いた所、極めて順調に回復しているそうです。胃に傷が有るわけでは無いので、極く普通の食事を、モリモリ食べて、入院する前の笑顔に戻ったようです。やれやれです。来週には、予定通り退院が出来そうです。
 〇少し前から、家の中に飾ってある様々なものが、どの様な謂われの物なのかを、書き始めました。一種の子供達への遺言です。取り敢えず、主要なものを箇条書きにして、後で、1つ1つについて、謂われと私の思い出を書こうかと思っています。今日も、品物を上げる箇条書き部分を書いたのですが、何を書いて何を書かないか迷ってしまい、中々捗りませんでした。貴重な物と思い出深い物とが、必ずしも一致しないのです。何処かで整理しないと、買い集めた物が余りにも多いのです。
 〇今日は、妻と友人夫婦と、神楽坂で夕食を共にすることになっていました。前回、人形町でも一緒だったのですが、その時、私の友人にパナマ帽をプレゼントすると約束しました。実は、パナマ帽の原産国であるエクアドルで、6枚のパナマ帽を貰い、1枚高級なパナマ帽を買いました。持っていても、私が現在使っているパナマ帽は2枚だけです。そんな訳で、その中の貰い物の方の2枚を、友人にあげることにしました。この事情を知らない彼が感激して、私が好きなワインを送ってくれることになりました。私としては、断捨離と海老鯛が一緒に出来た気分でした。
 〇友人は、ローマで一緒だったことがあり、その頃は、良い飲み仲間でした。しかし、飲み過ぎのせいか、肝臓の病気になり、最近は、一滴の酒も飲めなくなりました。そんな訳で、今日の夕食、夕食後のバーでも、酒が飲みたくてうずうずしている友人を横にして、私だけ一人で酒を飲んでいました。矢張り酒は、仲間がいる方が旨いですねー。
 〇酒を飲まない人は、酒を飲むと、何時もとは違った好い加減な人間になったり、理屈っぽくなったり、怒りっぽくなったり、酒を飲まない時とは人格が変わる酒飲みが、腹立たしいようです。しかし、人間の世の中は、他人の意見を聞かなければ、食べて、生きていくことが出来ず、自分を押し殺して生きている人が多いのです。私は、人々の間に鬱積している不満が、暴力による解決を求めて、爆発しないようにガス抜きしているのが、酒だと思っています。酒で旨くガス抜きが出来なければ、革命になったり、暴動になったりするのでしょう。権力者が、酒飲みを大目に見ているのは、その為かも知れません。

「世の中に 腹の立つこと 多かりき 酒が飲めれば 明日も生きれる」

08月21日
 〇昨日は、上の孫が、食事が出来るようになった姿を、娘からのスマホの写真で見て、一安心したのですが、今日のスマホでは、明日退院できると書いてありました。1週間早い退院となりました。それだけ回復したことが、認められたのでしょう、若さの持つ回復力だと思います。それにしても、よく頑張りました。
 〇11時頃、余り思わしくない天気だったのですが、雨の用意をして、武蔵野公園と野川公園に出かけました。通常は、電車で多磨霊園駅へ行き、駅からはバスで多磨町へ行くのですが、今日は、コミュニティーバスを府中駅で乗り継いで行きました。府中市の西の端から、東の端まで移動したことになります。1度は、やってみたかった事でした。乗り継ぎが悪かったので、2時間近く掛かかり、着いたのは、1時近くでした。
 〇今日は、終点の1つ前、「多磨霊園東通り南」という駅で急遽降りました。お寺の屋根が見えたからです。多磨霊園の近くには、幾つか寺がありますが、この寺をこれまで見過ごしていました。普賢寺という天台宗の寺でした。御朱印を頼むと、若い僧侶が出て来て、快く引き受けてくれました。御朱印を書いて貰っている間、本堂を参拝しましたが、飾られている観音や仏の顔が、これまでに見たことも無いような、ユニークな顔付きをしていました。日本の彫り師の作では無いような気がしました。僧侶の話では、この寺は、以前浅草の方にあったが、江戸時代の火事のため、こちらに引っ越してきたそうです。500年ほどの歴史があるそうですが、飾ってある仏像等は、辛うじて焼失を免れた物だそうです。
 〇私が、御朱印を貰いに、小寺院の庫裡の玄関に入って、何時も感心するのは、生け花です。特に、今日の生け花は、素晴らしかったです。孟宗竹の輪っかを横切るように、白百合が一輪活けてありました。水が何処にも無いのです。つまり、一日だけの生け花です。侘びと寂と、活けた人の心と苦労を感じました。
 〇普賢寺を出ると、電柱に寿光寺の看板がありました。看板の指示通りに歩くと、一般の民家のような寺でした。本堂が無いのです。御朱印を貰えるか聞こうとしたのですが、玄関に近づくと、木魚の音がして、読経の最中のようでしたので、御朱印は諦めました。
 〇寿光寺は、野川公園に近かったので、野川公園から歩き始め、野川公園自然観察園、武蔵野公園と歩き多磨町のバス停に戻りました。山ほどの悪茄子、薮蘭、盗人萩の花を見ましたし、所々で、一所懸命自己主張する花等も見ました。何より嬉しかったのは、日暮しの蝉時雨を自然観察園で聞けたことでした。蝉の縄張りがあるようで、場所によって、日暮であったり、ツクツク法師であったり、油蝉だったり、蝉の鳴き声が変わるのです。我が家の近くでは、ヒグラシの鳴き声は聞こえませんし、他の蝉は皆一緒に鳴いているようなのですがねー。
 〇帰る時も、コミュニティーバス(チュウバス)を乗り継いで帰りました。今度は乗り継ぎが上手く行き、1時間半で我が家に戻りました。5時近くでした。コミュニティーバスは、老人のためのバスと言われますが、今日も老人で1杯でした。それも、私が席を譲ずらなければならないような老人が殆どでした。     
〇今日は、休みの次男が、家に居ましたので、6時半頃から、久し振りに一緒に、晩酌をしました。

「この庭も 隣の庭にも 道路にも 人里好きな 韮の花かな」
「庫裡の中 一日限りの 百合の花 客に伝わる 活け人の心」
「枝先に 弾けるような 白き花 出会い初めて 夏の白雪」
「桜木の 黒き根元に 薄桃の 仲良く並ぶ 薮蘭の花」
「水引に 使えぬような 太さあり 麒麟草似の 金水引」
「花茎を 幾つも伸ばし 花下げる 森を賑わす 小葉擬宝珠の花」
「暗き森 私が居れば 明るいよ 森に電灯 犬菊芋」
「姫という 枕詞が つかなくば なんと立派な 檜扇水仙」
「武蔵野の 森に木霊す 蝉達の これは見事な 四重奏かな」
「ヒグラシも 数が揃えば やかましい 日暮れの森で 独り鳴いてよ」
「水溜まり 雲から顔出す 太陽が 下から照らす 野川公園」
「大樫に 生まれて間もない ドングリが 夏の最中に 押しくら饅頭」
「大木に 小さな実のなる 榎木かな 君も秋には 色づくのだね」
「幼き日 飛ばして遊んだ 竹とんぼ 紅葉の木から 今にも飛びそう」
「この森で 何が欲しいの 藤の蔓 天まで届く 梯子を望むや」
「夏ならば 公園飾りは お手の物 暑さへっちゃら 黄花秋桜」

08月22日
 〇今日は、上の孫の退院の日でしたが、私はPET検査の日でした。9時過ぎに家を出て、立川からタクシーで、武蔵村山病院へ行きました。私が手術を受けた総合医療センターには、PETの検査機械が無いのです。前にも書いたと思いますが、CT検査で写った肺の中の小さな影が、癌なのかどうか総合医療センターでは確信が持てず、PETの検査機がある武蔵村山病院で、検査を受けるように言われたのです。
 〇PET検査のことを私が書くのもおかしいですが、癌細胞は、通常の細胞に較べて、3~8倍のブドウ糖を取り込む性質があるそうです。その為、放射性物質を混ぜたブドウ糖を注射し、1時間くらいかけて、ブドウ糖を行き渡らせ、癌細胞が取り込むのを待って、放射線を感知する機械で、検査をするわけです。検査機械は、CT検査に似たような物です。しかし、少量の放射性物質を検査するので、少しの動きでも検査結果の影響を与えるようです。30分程度、動かないでいるのも、結構疲れるものです。
 〇そんな訳で、ブドウ糖を行き渡らせるのに1時間、撮影に30分、撮影後の休憩に30分の他に、諸々の諸手続があり、10時半から始まった検査が終わったのは、午後1時半くらいになっていました。費用も高くて、18000円取られました。若い時ならいざ知らず、10月初めには後期高齢者になる私が、何故検査を受けなければならないか、今でも疑問が残っています。検査の結果、身体の様々な場所に癌があったら、全部手術して取れと言う事になるのでしょうかねー。
 〇今日、1つだけ興味が持てたのは、病院の直ぐ側に、野球場が数10個以上出来そうな空き地が、あったことでした。予想した通り、日産の村山工場の跡地でした。この工場を閉鎖した時の日産の状態が、どの様な物であったか、推し量ることが出来るようでした。カルロス・ゴーンの様な外国人で無ければ、閉鎖を決断できなかったかも知れません。関連も含めて、一体何人の人が、人生の変更を余儀なくされたのでしょうか、ある意味で、日本経済の歴史遺産だと思いました。
 〇本当は、近隣を歩いて見たかったのですが、天気が余り良くないことと、検査が結構大掛かりだったので、気分が萎えてしまい、少しだけ買い物をして、我が家に戻りました。4時前に着きました。時間がたっぷりあったので、録画してあった「常磐ハワイヤンズ」という映画を見ました。単純なストーリーでしたが、涙がボロボロ零れました。日本の産業構造が変わる中での、生き方の変化でした。これもまた、日本経済の歴史遺産だと思いました。
 〇今日は、朝は抜き、昼も満足な物を食べなかったので、冷蔵庫から色んなものを出し、買って来た酒の肴と会わせて、数だけは豪勢な晩酌となりました。

08月23日
 〇今朝の、韓国が、GSOMIA(ジーソミア)日韓軍事情報包括保護協定終了に関する、テレ朝のニュース解説は、比較的良かったと思いました。種々の意見が出ましたが、常連の女性解説者が、韓国よりも日本のマスコミの方が、相手の国が悪いと世論を誘導するような報道が多く、戦前を思い出させるようだと話し、他の解説者も同調しました。多くの意見があることが、正常な民主主義であり、それを1つに纏めようとするのは、専制国家に後戻りする、それを監視するのがマスコミなのに、逆の動きをしているのを、国民は良く知る必要があると言っていました。その通りだと思います。日本人は、確立した個人の意見を嫌います。回りに合わせる事を、重要だと思っています。これだと、先に態度を表明する、宗教家や権力者の意見が、常に世間を動かすことになります。日本は、専制国家になり易い国のようです。こんな国では、尚更のこと、真実を老い、権力を監視するマスコミの誠意が重要だと思うのですがねー。
 〇今度のことにしろ、北朝鮮との拉致被害者の問題にしろ、問題の拡大に引き金を引いたのは、安倍総理だと思っています。今回の日韓関係の悪化にいたる最初の問題は、韓国裁判所における、徴用工の個人的請求権問題だと思います。これに対して安倍総理は、従軍慰安婦にしろ、徴用工にしろ、1964年の日韓請求権協定の中で、政府間で解決済みなので、個人的請求権は、韓国の国内問題として、韓国政府が対応すべきだと考えています。従って、韓国がそのように動かない場合は、日本はそれなりの手段を行使する事として、半導体素材の輸出に対して、韓国への優遇を取止めることにしたのです。様々な意見があろうかと思いますが、阿部総理の意見は、国家間の外交に於いては、当然の意見だと思います。しかし、阿部総理のやり方は、十分な時間をおいた事前通告であるとか、韓国の輸出管理の不十分さなど、従来全く指摘してこなかったことを無理矢理こじつけるとか、相手政府に対する思いやりがありません。特に、日本より弱いと思う国に対しては顕著です。米、英、仏、独、露、中には、同じ事はしません。これが、日韓の外交問題を拗らせるのです。阿部総理には、国際問題の将来に対する、きちんとした考えに基づいた信念が無く、その場凌ぎの狡知だけで動いているような気がします。
 〇今日は、朝から4時過ぎまで、小雨程度でしたが、雨が降り続き増した。広間は、出来るだけテレビを見ないようにして、日記や子供達への遺言を書いたり、眼鏡や梟の修理をしたりして過ごしました。雨が上がってからは、我が家の周りを1時間ほど散歩しただけでした。夜は、何時も寛ぎの時間ですから、酒も飲み、テレビもたっぷり見ました。

08月24日
 〇昨晩は、頻尿に悩まされました。歳を取ってからは、夜中1回か2回は、トイレに起きるようになっていましたが、昨夜は、1時間に1回、5回はトイレに起き、殆ど眠れませんでした。我が人生で、初めての事でした。今年に入って、手や頭の皮膚の痒み、喉の痛み、腰痛、頻尿と次々に身体の変調が起きました。歳を取って、身体の様々な場所が、機能不全になってきたようです。命を維持できる時間も、そう長くは無いようです。
 〇今日は、天気が良かったので、11時には家を出て、桜が丘、延命寺、観音寺、阿弥陀寺、原峰公園、ゆう桜が丘コミュニティーセンター、狼谷戸、えんめいじ多摩市役所まで歩きました。或る家のノウゼンカズラ(凌霄花)が、垣根に火をつけたようでした。延命寺は、住職がいないので、近くの寺の坊主が、偶にやって来ます。以前偶々、通いの坊主が来ている時に、御朱印を貰いました。今日は留守でした。長峰公園では、蝉の鳴き声を聞きながら、昼食にしました。目の前に蝉の抜け殻がありました。ゆう桜が丘コミュニティーセンターでは、今晩、夏祭りが行われるらしく、準備で大忙しのようでした。そこから、狼谷戸へ出て、多摩市では珍しい農家の脇を通って市役所に出ました。
 〇市役所には、用事が無いので、そこからはバスで聖蹟桜が丘に戻り、少し買い物をして、3時少し前に我が家に戻りました。

「夏の花 凌霄花の 花燃えて 朱き炎が 空へと向かう」
「延命寺 住職いない 末寺でも 六道守る 六地蔵かな」
「木の幹の 中程までも 首伸ばし 庭を眺める 白百合の花」
「参道を 降り行く我を 道案内 1歩前行く 川蜻蛉かな」
「多摩の里 鎌倉古道の 石垣に 玉簾の花 白く輝く」
「百日紅 初夏から晩夏 咲き続け 鎌倉古道に 彩り添える」
「夏雲を 仰ぎ仲良く 揃い咲き 百日紅と 木槿の花かな」
「弁当を 頬張る我の 目の前に 役目を終えた 蝉の抜け殻」
「先折れし 梅の小枝の 枝先で 尻振り鳴いてる ミンミン蝉かな」
「森陰に 花も終りの 藪茗荷 木漏れ日浴びる 先端の花」
「庭の木に なんと可愛い 小鳥かな 良く良く見れば 焼き物なりき」
「田の残る 狼谷戸の 畔道に 狐の孫の 並び咲くなり」
「青空と 田圃の緑 古き家 昔が残る 狼谷戸かな」

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2019年8月19日 (月)

2019年08月12日

2019年08月12日
 〇先週、忙しかった1週間が終り、今日は、その忙しい日の日記をブログに上げました。日記をブログに上げる日は、何日分かの日記を纏めて書くので、午前から午後にかけて、パソコンの前に座りっぱなしになります。一昨日辺りから、痛みの出て来た腰が、立ち上がるのが辛くなるほど居たくなりました。恐らく変な姿勢で座っていたのでしょう。それにしても、腰が痛いと全ての動作が鈍くなり、一気に10歳くらい歳を取った気分になりました。
 〇3日間、パソコンを見る時間も無かったので、今日、パソコンを開いたら、沢山のメールが来ていました。漸く、返事を出す事が出来ました。
 〇今日東京電気の契約更改の宣伝マンが来ました。ガスと一緒に契約すると、電気料金も安くなると言うのです。東京ガスガスが、電気も一緒に契約すれば、安くなるという動きに、対抗したものだと思います。「何故、電気とガスが一緒になると安くなるのか」と聞くと、「使用量の調査とか、不具合の点検とかを、別々にやっていたものを、一緒にやれば、契約戸数が大いので、かなりの人件費の節約になります」との返事でした。納得しましたので、契約を新規プランに変更しました。
 〇忙しさと暑さのせいで、散歩に出る機会が、少なくなっていました。腰の痛みも、それが原因の1つだろうと思い、3時半頃から、多摩川と大栗川との合流点を回る、遠回りのコースで、聖蹟桜が丘まで歩きました。歩いている時は、左程腰の痛みを感じないのですが、腰を落として写真を撮ろうとすると、猛烈な痛みを感じました。果たして、自分の力だけで、痛みを取ることが出来るのでしょうか、心配になりました。今日明日様子を見て、痛みが取れなければ、医者に行くことにしましょう。一体、何科の医者に行けば良いのでしょうか、、、。
 〇土手の道は、梅雨が明けて、長く雨が降っていないため、ヒメジョオンくらいしか、目立った花がなくなってしまい、所々に、枯れ草も出始めていました。それでも、所々に必死に花を咲かせ、その頑張りに、私も頑張ろうと思いました。
 〇6時頃、我が家に戻り、シャワーを浴びていると、2時半くらいに送り出した次男が、戻ってきました。一緒に店をやっている相方が、体調を崩して店に出られないので、臨時休業にしたそうです。久し振りに、酒を飲みながら、次男と野球を見ました。

「草陰に ひっそり網張る 女郎蜘蛛 色気に惑う 虫は居るかや」
「長き土手 僅か一本 立葵 緑の土手に 絢爛豪華」
「韮の花 君は夏場の 花なりや 花の少なき 夏に嬉しき」
「猛暑日の 岩場に落ちた 桜葉の 一足先に 秋の色づき」
「校庭に 子等の声無き お盆時 競う者無き 蝉時雨かな」
「狂うたか 猛暑の夏に 花咲かす 新芽も伸ばす 公園の藤」
「緑濃き 枝の後ろで 一休み 白雲仰ぐ 白鷺目立つ」

08月13日
 〇思ったより良い天気になりました。お陰で、洗濯物も良く乾きました。ところが、3時過ぎに出かける時は、雨になりました。早めに洗濯物を取り込んで、大正解でした。
 〇今月は、太陰暦と太陽暦が、同じです。15日が15夜です。毎年、8月は同じになるのでしょうか、天文学に弱い私としては、常に1日か2日、ずれていると思っていました。この年になって、漸く気づいたのですから、情けない限りです。
 〇今日は、上の孫の手術の日でした。3時には手術が終り、自分の部屋に戻ったようなので、見舞いに行きました。私が手術した病院の小児病棟でした。4時過ぎに病院に着き、何処で面会の手続きをすれば良いのか、探していると「お父さん、お父さん」と呼ぶ声がしました。娘でした。一段落したので、コーヒーを飲みに、下りて来たそうです。少しだけ一緒にコーヒーを飲んで、病室へ向かいました。
 〇病室に入ると、術後、爆睡していた上の孫は、既に起きていて、話も出来ました。手術は成功したし、孫も落ち込んでいないようでしたので、安心しました。色々話をしていたら、胸が痛くなったようなので、役立たずの爺は、退散することにしました。
 〇病室を出て、ロビーに行くと、武蔵野、丹沢、富士山が一望できました。家を出る時の雨は止んで、西の空全体が、青空になっていました。この光景を見ると、とても心が和みます。何時の間にか、この光景は、故郷の景色になりました。府中に住んで、早20年近くになり、故郷長崎よりも長くなりました。転居続きの私の人生で、一番長くなりました。
 〇今日は、満足に歩いていないので、病院の近くの西国分寺から、国立まで歩きました。住宅地の道を辿って歩いたら、何度も行き止まりになり、1時間以上掛かりました。目立って面白いところはありませんでしたが、良い歩きとなりました。
 〇家に着いたのは、7時過ぎでした。一三夜の月が、煌々と輝いていました。私は、お盆には特に何もしませんが、今日里帰りする霊達も、帰りやすかったでしょう。それから酒の肴を作ったりしたので、8時過ぎからの晩酌になってしまいました。

「この度の 試練が孫を 強くする 孫の未来よ 明るく輝け」
「十三夜 月の光に 導かれ 亡き妻と共 我が家に戻る」

08月14日
 〇テレビは、毎日台風10号のニュースで持ちきりです。進行が遅く、来るなら来るで、早くしてくれと言いたくなります。しかし、余波は確実に来ていて、今日は、朝から雨が降ったり止んだりしていました。
 〇午後2時頃、散歩に出ようとしたら、猛烈な雨になり、一旦散歩を諦めました。しかし、30分後には、雨は上がり青空が広がりました。次に雨が来るのを覚悟して、散歩に出かけました。一之宮交差点、宝蔵橋、東寺方、竹林、桜が丘、いろは坂、霞が関橋を歩いて、聖蹟桜が丘へ出ました。アニメ映画「耳をすませば」の主人公の父親になった気分でした。
 〇その後、雨は降ることなく、心地よい汗を掻きました。午後5時には、我が家に戻りました。シャワーを浴びていると、今日は休みで、手術をした甥の見舞いに行っていた次男が帰ってきました。夜は約束があるそうですが、出かけるのは、8時頃だと言うので、少し多めに酒の肴を作り、僅かの時間でしたが、次男と晩酌を楽しみました。
 〇11時過ぎて寝る時刻になった頃、一四夜の月がベランダから見える所にやって来ました。昼間、雨で空気が洗われたせいか、月の周囲が鋭利な刃物のように、鋭い輝きを見せていました。

「さっきまで 青空広がる 夏の空 何処から来たのか 篠突く雨に」
「小半時 篠突く雨も 去り行きて 河原に戻る 蝉の鳴き声」
「青空に 入道雲の 登立ち 夏だ夏だ 何処もかも夏だ」
「観音も 濡れた衣を 日に晒し 入道雲を 仰ぎ見るかな」
「梅雨明けて 日照り続きに 葉を閉じた 栗も喜ぶ 慈雨の到来」
「雨の後 湯気立ち上る 崖の道 色づき始めた 山葡萄かな」
「竹藪に 紫陽花擬き 臭木かな 名前のせいで 好きになれない」
「竹林の 簾の奥の 陽の光 苦難の後の 希望教える」
「竹林 越えて登れば 桜が丘 成功手にした 人等の館」

08月15日
 〇今日台風が、高知から広島に上陸し、日本海に抜けました。台風の影響は、関東にも及び、我が家のある多摩地方も、強い風を伴って、幾度となく雨が降り、ベランダが水浸しになりました。
 〇今日は、大田区が六郷で行う花火大会の日で、反対側の川崎のマンションに住む友人宅で、花火見物が予定されていました。しかし、台風の影響で、中止になってしまいました。まあー、日頃の行いが悪い連中ばかり集まることになっていたので、仕方が無いでしょう。でも、多くの人に迷惑を掛けてしまいました。我々が、集まる予定がなければ、雨の神も、花火大会の日に、台風をよこすことはしなかったでしょうから、、、。
 〇そんな訳で、今日外に出たのは、近くのショッピングセンターに、雨と雨の間を選んで、買い物に出かけただけでした。日頃は余り訪れない、100円ショップ、家具屋、ノジマ電気、スポーツデポ、ホームセンターを時間潰しに歩き、最後に西友に行きました。魚介類は、今日品物が入らなかったのかも知れません。品薄でしたし、恐らく品物は昨日の物なのでしょう、かなり値引きされていました。サザエ、アサリ、サワラのあら等を買いました。夜、晩酌の肴に、サザエを焼きましたが、自宅でサザエを焼いたのは、故郷、長崎を出てから初めてでは無いでしょうか、と言うことは、約60年振りでした。アサリは何時ものアサリバターにし、サワラは煮付けて酒の肴にしました。
 〇今日は、お盆の終りでもあり、終戦記念日でもありました。丁度、台風が四国から中国に上陸しましたので、例年と違って、終戦記念日関連のニュースが、少なかったように思います。戦争は、一旦進み始めたら、誰も止めることが出来なくなります。他国の動きに対して、憶測に憶測が重なり、嘘に嘘が重なり、国家愛の火の手が燃え上がり、国家の構成者である国民の大量死が、名誉として称えられるのです。本来、政府の監視役である筈のマスコミが、政府の協力者に変身することも既に経験しました。香港における反政府活動は、通常の政府とは異なる特殊事情を考慮しても、政府に反対意見を唱えることが、如何に困難であるか、その現実を教えてくれているような気がします。

08月16日
 〇台風10号は、中国地方を抜け、日本海に入ったようです。お盆休みも終り、帰省地からのUターンラッシュが始まっているのですが、昨日から続いている交通機関の乱れが、完全に復旧しておらず、多くの人が困惑しているようです。多摩地方も、雨は降らないものの、かなり強い風が、吹き続けていました。午後からは、晴れるというので、洗濯しましたが、衣類は外に干せる状況ではなかったので、部屋干しとし、タオルだけ外に干しました。しっかりと止めたはずですが、吹き飛びそうでした。
 〇午前中、強風の中を歩いて見たくなり、府中四谷橋まで歩きました。ベランダでタオルのはためきを見ると、物凄い風に思えたのですが、いざ外に出てみると、左程の風ではありませんでした。それでも、普段は経験できない風を感じました。
 〇4時近くに家を出て、皮膚科に行きました。左手のカサカサ感が直らないのです。忙しい先生に、色々聞いてみたところ、風呂、洗面、炊事など水仕事をする時、ゴムの手袋で左手を保護しないのが悪いようです。あと2週間、きちんと対応した上で、結果を見る事になりました。
 〇土手を歩いて帰ったら、土手には、薄の穂、仙人草、韮の花等、猛暑日でしたが、秋の気配が感じられました。後で調べたら、仙人草の別名は、「馬食わず」だそうです。有毒で牛や馬が絶対に食べないそうです。毒草は、薬草でもあり、扁桃腺炎の治療に使うこともあるそうです。
〇出かけたのが遅かったのですが、それにしても、病院は何時も時間が掛かります。家に着いたのは、7時近くになっていました。東の空に、十六夜の月が輝いていました。今日は、霊が元の場所に帰り、お盆もお仕舞いです。今月は、孫達と海へ行った時に、生まれたばかりの三日月を見て、その後、十五夜を除いて、殆ど毎日成長する月を見ました。今後は、衰退する月を見る事になります。月の衰退は、再生が約束されていますが、人の衰退には、再生がありません。それに応じた覚悟が必要なようです。

「花好きの 婆さん手塩の 花達が 見事に咲いた 団地の庭かな」
「梅雨明けて 長き日照りを 耐え抜いて 天下を狙う 大荒地野菊」
「一面の 緑の土手に 薄の穂 夕日に白く 秋の先駆け」
「猫じゃらし 夕日に毛玉 輝きて 猫誘うよう 毛玉を揺らす」
「韮の花 緑の土手に 白き列 私は此処よと 菜摘みを誘う」
「猛暑日に 仙人草まで 顔出して 秋だ秋だと 叫んでいるなり」
「猛暑日の 夏の夜空に 輝きぬ 台風一過の 十六夜の月」

08月17日
 〇今朝、4時に起き、その後眠れなかったので、5時過ぎから日の出を見に、四谷橋まで散歩しました。既に太陽は、地平の上に顔を出していました。反対側の西の空には、昨晩の十六夜の月が残っていました。
 〇6時過ぎに家に戻り、午前中の仕事を終わって、11時から本格的な散歩に出て、七生丘陵散策東コースを歩きました。程久保川、百草園駅、百草八幡、百草台公園、高幡不動と歩き、高幡不動駅から聖蹟桜が丘に出て、戻ってきました。本来の散策コースは、もっと長いのですが、余りの暑さに、ショートカットして、高幡不動に出たのです。程久保川の桜葉は、殆ど虫食い状態になっていました。どんな虫が、これだけの葉を食べるのか、一所懸命探しましたが、見つかりませんでした。七生の森では、この夏初めて、ツクツクホウシの鳴き声を聞きました。
〇高幡不動の前の鯛焼き屋で、宇治金時を食べました。滅茶苦茶旨かったです。身体が冷たさに飢えていました。私は、美味しさの基本は、此処にあると思っています。従って、ソムリエ的な味の判断は、賛同出来ないのです。こんな話は別にして、鯛焼き屋の主人が話し好きで、郷里の長崎の事も良く知っており、原爆のこと、核不拡散条約のこと、日米の関係など難しい政治の話に話になってしまいました。
 〇3時半くらいに家に帰り、4時頃から、録画してあった「太平洋戦争の奇跡 フォックスと呼ばれた男」を見ました。太平洋戦争の終戦の時、サイパンの山奥に隠れていた民間人及び兵隊を、投降させることを決意した、部隊長の話でした。何時見ても、戦争は狂気です。7時頃から「寅さん」を見ながら晩酌にしました。随分長く、テレビの前に居ました。

「日は昇り 世界は明るく なりたれど 七生が丘に 十六夜の月」
「朝の日が 次第に高さ ます度に 空に消えゆく 十六夜の月」
「草むらに すくっと一輪 月見草 しっかり見てる 朝の朧月」
「月見草 一晩しっかり 月を見て 日の出と共に 瞼は重し」
「朝の日に 常磐薄の 穂が光る 風は消え去り 身動ぎもせず」
「日は昇り 夜の帳は 無くなるも 霞の帳 多摩を覆えり」
「草むらで 負けはせぬぞと 背を伸ばし 仲良く花咲く ツメクサ夫婦」
「朝露の 朝の日浴びて 朝化粧 朝の散歩の 嬉しさ此処に」
「悪茄子 思いの外に しぶといね 猛暑の日々を よくぞ耐えたり」
「桜葉が 網の目模様に 変わりたり 誰が食べたか 犯人捜し」
「猛暑日も ツクツク法師の 声聞けば 近づく秋の 気配を感じる」
「百草台 展望台の 涼風に 猛暑忘れて 握りを喰らう」

08月18日
 〇今日は、久し振りに奥多摩の日原鍾乳洞に行って来ました。日曜日は、人が多いので、電車やバスの本数が週日よりも多いのです。10時少し前に出て、12時に奥多摩駅に着きました。日原行きのバスは、12時35分発だったので、バスを待ちながら、昼食にしました。昼食を食べている間に、人がどんどん増えて、長ーい行列が出来ました。バスは、臨時便が出て、2台で日原に向かいました。2台ともぎゅうぎゅうの大混雑でした。日原までの道は、所々に用意されたすれ違い場所でしか擦れ違うことの出来ない、細い道でした。要所要所に係員がいて、上下の車をコントロールしていました。
 〇本来、鍾乳洞までバスが行くのですが、土日は、二つ手前の東日原までしか行きません。そこから鍾乳洞までは、更に道が細くなり、バスが入ると車が全く動けなくなるそうです。東日原で全員降りて、鍾乳洞まで30~40分の道を歩き始めました。子連れがいたり、老人がいたり、元気な若者がいたりで、次第に行列は、次第にばらけました。私は、色々写真を撮りながら、ゆっくり歩き、行列の一番後ろの方になってしまいました。普段目にしない花があったりしたのです。
 〇鍾乳洞に着いたのは、1時40分くらいでした。入口の前に立つと、まるで強烈に冷房された風を、送風機で送られているような、冷たい風を感じました。実は、猛暑日が続くので、今日は、この冷たい風を感じるために来たのです。目的は、入口で達成されました。後は、約1時間かけて、鍾乳洞の中全てを歩きました。鍾乳洞にしては、水が少ないので、単なる洞穴の様なのですが、それにしても凄い洞穴です。老人には辛い、ほぼ垂直な階段が、長く続くところがありました。小さな子供も歩いているので、弱音を吐くわけにも行かず、良い足の運動になりました。
 〇鍾乳洞を出ると、激しい雨になっていました。天気予報で、山沿いはゲリラ雷雨になる所があると言っていましたが、その通りになりました。お陰で、風景が山水画に変わりました。日原の方には、大絶壁を持った、丸い尖り帽子状の山が幾つもあり、その山がとても良い雰囲気になりました。写真に撮りたいと思ったのですが、レンズが曇って写真が撮れません。鍾乳洞の中で写真機が冷えてしまって、外の暖かい空気が結露してしまうのです。レンズを拭いたり、あれこれ努力をしましたが、どうにもなりませんでした。諦めて、東日原まで雨の中を歩きました。折畳みの傘は用意して行ったのですが、余り役にたたずずぶ濡れになりました。
 〇東日原に着き、バスを1時間ほど待って、奥多摩駅には、4時40分頃に着きました。行きつけの居酒屋に行って、先ずは、ビールで喉を潤しました。この居酒屋で飲むのも、奥多摩に来る楽しみの1つです。女将さんが、九州博多の人で、何となく話しが合うのです。
 〇ビールから日本酒に換え、鱒の燻製を肴に飲んでいると、外国人の男性二人が、「この店に魚はあるか」と英語で聞いてきました。私が食べているものを見せたら入って来ました。この店は、テーブル席は、6席しかありません。地元の人二人と私が先客で居ましたので、ほぼ満席になりました。日本語も満足に話せなくなったのに、英語は、全く話せない状態でしたが、たどたどしい英語で、通訳をしました。彼等はフランス人で、明日、雲取山に登る予定だそうで、今夜、無料でテントが張れる場所を探しているとのことでした。地元の人が、無料のキャンプ地を教えてやったので、彼等は大喜びでした。まさか、外国人と酒を飲むことになるとは、思ってもいませんでした。
 〇6時半頃に店を出たのですが、家に着いたのは、9時過ぎていました。面白い1日でした。

「山奥の 苔生す崖に 桃色の 何処かで会った ヒマラヤ雪の下」
「お盆過ぎ 終り近づく 夏休み 子供等の声 響く鍾乳洞」
「驟雨きて 奥多摩渓谷 水墨画 絵では描けない 自然の大きさ」
「日暮しの 声を聞きたく 来たものの 雨の中では 蝉も鳴くまい」
「奥多摩の 小さな酒場に 異邦人 馴染みの客とは 言えないけれど」  

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2019年8月12日 (月)

2019年08月06日

2019年08月06日
 〇今日も、薄らとではありますが、七生丘陵の上に富士が見えました。今日は、3日分の日記を書き、ブログに掲載しました。今日外へ出たのは、夕方、近くの西友に買い物に出ただけでした。
 〇午前中は、広島の原爆記念日式典の様子を、しばらくテレビで見ていました。3日後の9日は、私の郷里、長崎の原爆記念日になります。毎年、この時期になると、言いようのない悲しい感情に包まれます。今年、広島の原爆記念館は、展示物を入れ替え、戦争の悲惨さを、更に強く訴えるようにしたそうです。それは、戦争が過去の物として風化し、世界が右傾化している現在の状況に、危機感を感じたからのようです。確かに、現在の世界情勢は、一歩間違えば、戦争の突入する危険性を孕んでいます。政府は、国民のためと言いながら、夥しい数の国民を死地に追いやる戦争を、平気で始めます。家族のため、国家のためという形容詞が頭につくと、大量殺人が英雄的行為になります。政府は、これを利用する訳です。政府では無く、国民自身が、戦争の悲惨さを知り、国民自身が戦争を避けるよう、国政を監視し、国政が戦争に走らないよう、きちんとした理性を持ち、力を示して欲しいと思います。
 〇夕方、玄関を出る時、門の下に油蝉の死骸が転がっていました。今年は、梅雨明けが遅く、蝉の声も中々聞くことが出来なかったのですが、泣き始めて1週間と言われる、蝉の命を全うした蝉を、今日、見る事になりました。無事、次世代に命の鎖を渡したのでしょうか、それは分りませんが、何かしてやりたくて、蝉を拾い上げ、門柱の上のシークアーサーと並べて置きました。
 
08月07日
 〇今日も、朝は富士も見え、良く晴れました。また、暑い1日となりそうでした。昨日から、夏の高校野球大会も始まりました。毎年、夏の高校野球は、夏休みの時期に、炎天下の甲子園で行われます。これが、高校野球のドラマと歴史を作っています。 
〇今日は、午前7時半には家を出て、都心の公会堂に行きました。孫娘の、合唱コンクールの東京都予選が行われたのです。前回、地区予選には行けなかったので、今回は是が非でも行くことにしていたのです。
〇新宿から地下鉄丸の内線の最後尾の車両に乗ったのですが、ドア、釣り下げ広告、床と全てが、映画ライオンキングの宣伝でした。この宣伝に、どれほどの金が掛かるのか、元は取れるのか、その方が気になりました。
 〇会場は、丸の内線の後楽園駅近くにあり、会場には、9時半に着きました。1回目の1階席への入場は終わったそうですが、2回目の2階席への入場を待って、階段を降りた階まで続く、長い長い行列が出来ていました。9時45分くらいに入場が始まり、辛うじて2階席の上方に座ることが出来ました。
 〇10時5分くらいから、12校による合唱が始まりました。各校が、課題曲と自由曲を歌い、優劣を競いました。合唱の良さは、30人以上の生徒の声が、良く調和の取れた一つの声となって、観客に響くことです。流石に予選を勝ち抜いてきた学校だけあって、どの学校も素晴らしい出来でした。孫娘の学校は、上位6校に選ばれましたが、関東地区大会に出場出来る、3校の中には入ることが出来ませんでした。それにしても、2階席の上方からは、舞台が遠すぎて、私の弱った目では、孫娘を確認することが出来ませんでした。これが、何より残念でした。
 〇孫娘は、まだ、4年生で、本選に出場するのは、5,6年生が中心となるので、普通は、入る事が出来ないのですが、特別に抜擢されたようです。良い経験になったと思います。来年を楽しみにしましょう。
 〇この合唱コンクールには、上の孫も末の孫も来ていました。実は、小学校へ未就学児童は、コンクール会場に入場できないため、上の孫が父親と一緒に、末の孫の面倒を見ながら、会場の近くで遊んでいたのです。末の孫は、今、一人前に扱われることが、一番嬉しい時期になっていたのに、今日は、それが出来なかったので、コンクールの後、皆が一緒になってから、その怒りが母親への甘えに変わりました。自分の思い通りにならないと、癇癪を起こしたりします。第一次反抗期ですかねー。
 〇後は、皆で軽く食事をして帰りました。末の孫の機嫌も直りました。

「孫娘 舞台で歌う 晴れ姿 幼き我が娘と 重なり合うなり」
「我が胸に しな垂れかかる 我が娘 今は三児の 母となりけり」

08月08日
 〇この所連日、朝の富士を見ています。今日も晴れ渡った空に、富士が見えました。今日は、暦の上では立秋だそうですが、例年、立秋は最も暑い時期です。
 〇アゲハチョウの幼虫に、食料として葉を提供し、丸裸になっていたベランダの山椒が、今年2度目の芽吹きを始めました。ベランダの植物が、この辺りの自然界の生き様に関与していると思うと、とても嬉しく思いました。これでは、ベランダの植物への水遣りを怠ることは出来ませんねー。
〇一昨日から、夏の高校野球大会が始まって、朝から熱戦を繰り広げています。ところで、今年の予選で、大船渡高校の監督が、現在の高校生で最速クラスの速球を投げる佐々木朗希投手を、肩を痛めるからとの理由で、決勝戦で投げさせませんでした。結果、大船渡高校は、地区での優勝を逸し、甲子園に参加できなくなりました。この事に対して、種々議論が沸き起こりました。この問題は、社会の右傾化傾向、個人に配慮すると良いながらデータ重視で個人を無視する現代の傾向等、様々な、根の深い問題を有しています。次男とも話し合いましたが、何より大事なのは、間接的なものを含めて、権力者による強制の排除が重要であり、如何なる強制も無い自由な条件下で、個人の希望を尊重する事が、一番重要だと思います。大船渡の監督が、何処まで、これらのことについて悩んだかを知りたいものです。社会が、エンターテインメント中心になり、高校野球もその中でプロ化しています。これは、単なる社会生活の変動で済ませて良いものか、疑問もあります。
〇今日は、夕方から孫達と神宮球場で、ヤクルトー阪神戦を見に行きました。野球を直接球場で観戦するのは、一体何年振りなのか、記憶が定かではありません。それほど久し振りでした。最初に驚いたのは、球場近くのコンビニの混雑でした。店内を一周して外へ出るほどの、レジの行列が出来ていました。ナイターは、丁度夕食時なので、誰もが食べたり飲んだりしながら、観戦するようです。次に驚いたのは、応援グッズ(選手のユニフォーム、タオル、応援用の傘など)を売る店も満員の混雑だったことです。孫達も、傘とバット型のビニール製の打木を買いました。会場に入って驚いたのは、ヤクルトー阪神戦は、人気カードでは無いと思っていたのに、ほぼ満員で、身障者用の席も用意されていたことです。鳴り物入りで、息の合った応援合戦は、見知らぬ人とも仲間意識が芽生え、自分が、その場にいることを、とても楽しく思えました。客の半数以上が、女性だったような気がします。彼女達が、この雰囲気を作り出しているようです。ここでも、時代の変化を感じました。
〇今日は、娘のお陰で、良い経験をさせて貰いました。ビールを飲みながら、打木を叩き、声を張り上げて応援しました。ナイター帰りの混雑した電車に乗って、家に帰り着いたのは、11時過ぎでした。

「我が子等を 連れて通った 球場に 孫等と座る 時の流れよ」
「最下位が 指定席なる ヤクルトの 傘の応援 今も変わらず」

08月09日
 〇今日は、長崎の原爆記念日でしたが、記念式典の様子をテレビで、見る事は出来ませんでした。今日は、大学のクラブの同期会があり、この為に名古屋から上京した友人が、我が家に来て、泊まることになったのです。
〇彼は、同期会の前に、高尾山に登りたいと言って、9時40分には、聖蹟桜が丘に着きました。我が家に荷物を置いて、10時半には、家を出て、高尾山に向かいました。高尾山口には、12時15分に着き、12半のケーブルカーで、頂上駅へ行き、歩き始めました。薬王院までは、なだらかな登りなのですが、彼は、息を切らして何度も休みました。歩きながら話して、彼が何故、高尾山に登ろうと言い出したのか、その理由が分りました。彼は、昨年肺癌の手術をしました。大した事は無いと言っていましたので、肺の一部を取った程度だと思っていたのですが、ほぼ片肺全部を切除したとのことでした。その後、山登りなどはしたことがなかったので、比較的負担の少ない、以前私と登った、高尾山に挑戦してみようと思ったそうです。ケーブルカーの駅から山頂までは、普通の人なら40分程度なのですが、凡そ倍の時間をかけて、山頂に到達しました。残念ながら、富士の歓迎はありませんでしたが、彼は満足そうでした。
〇彼は、更に以前、目の癌も経験し、現在片目が見えない状態です。それでも、何時も明るく、色んな事に挑戦しながら、元気に生きています。今日は、非常に感動しました。
〇同期会は、午後5時半から、神楽坂の中華料理屋で、やることになっていました。高尾山を4時に出て、丁度5時半に会場に着きました。一人は、事情があって来られなくなりましたが、他の6人で、同期会を始めました。女性の参加者は、一人でしたが、彼女にも、感動させられました。
〇彼女は、補聴器を付けても、殆ど聞こえないほどの難聴になっていました。その為、相手の話を聞くことが出来ず、会話することが、非常に難しかったのです。それが、今日は比較的話が通じ、皆の会話に入ってきました。彼女は、今年、頭の中に人工内耳を埋め込む手術をし、若干音は違うものの、話が聞こえる様になったそうです。医療技術の進歩と、彼女の挑戦心に驚嘆しました。元々、明るい性格の女性ですが、今日は、一人で同期会を盛り上げてくれました。ビール、紹興酒、ハイボールと10杯以上飲んだような気がします。誰もが、彼女が一人で帰宅できるか心配しました。しかし、他の人間も酔っていて、彼女のフォローが出来そうもなく、結局、彼女一人で帰る事になりました。嬉しいことに、「横浜には着いたよー」とのメールが入りました。
〇私と名古屋の友人は、我が家に11時頃に着き、それから2時過ぎまで、同期会の余韻を楽しみました。

「老いたれば 生きる力は 日々落ちる 頑張り無くして 生きては行けぬ」
「若き日の マドンナ再び 蘇る 病に挑戦 同期の桜」
「人生の 先行き見えぬ 大学を 共に過ごした 同期は宝」

08月10日
 〇昨晩遅かったので、名古屋の友人は、10時近くに起きて来ました。それから、軽い朝食をとり、11時半には、家を出て、国立経由で東京駅へ向かいました。
 〇その後、私は聖蹟桜が丘に出て、買い物をして、1時には我が家に戻りました。今日は、孫達が泊まりに来て、一緒に花火をやることになっていました。そこで、午後から、友人が使ったシーツ等を含め、大量に洗濯をし、何時もより丁寧に掃除をし、孫達のために料理を作るなど、忙しい時間を過ごしました。作った料理は、ビーフシチュー、茄子のフライ、インゲンのイタリア風、でした。
 〇孫達は、6時頃に着き、直ぐに夕食になりました。孫達が持ってきた、ケンタッキー・フライドチキン、ローストビーフ等を加えて、割と豪勢な夕食となりました。病気ではなく、将来の健康上の理由で、明後日から、2週間程入院する上の孫の為に、ビーフシチューを作ったのですが、その上の孫が、とても美味しいと言って、2度もお替りして食べてくれました。爺冥利に尽きます。
 〇8時頃から、アパートの前の水門の所で、花火となりました。しかし、風が強くて、蝋燭を植木鉢の中に置くとか、色々工夫をしたのですが、花火に火をつけるのが難しく、1つの花火に注意深く火をつけ、後は、花火から花火へ、リレー式に花火を楽しみました。また、人家のない水門の所でしか出来ない、打ち上げ花火も大いに楽しみました。月の綺麗な夜空の下での、楽しい花火になりました。孫達の嬉しそうな様子が、何よりの贈り物でした。

「爺様の ビーフシチュウに 舌鼓 爺様孝行 上の孫かな」
「夏の夜は 昔も今も 花火かな 夜空の月も 孫等を見ている」
「月までも 届けと上げる 矢火矢かな 少し早めの お盆の行事」


08月11日
 〇今日は、孫達とプールに行くことにしていました。病院に、暫く入院する上の孫にとっては、今年の夏休み最後の遊びとなりそうでした。孫達が、9時頃に起きて来たので、10時から朝食にする事にしました。昨日の残りに、何時もの味噌汁、サラダを作り、干し秋刀魚を焼いて、予定通り10時から朝食となりました。孫達は、楽しいプールが待っているので、素直にてきぱきと食事しました。
 〇食事が終わって、11時過ぎに家を出て、昭和記念公園付属のレインボープールに向かいました。去年初めて来たのですが、流れるプール、波のプール、滝のプール等々、色々な種類のプールや滑り台などの設備が整っていて、孫達も大好きになりました。所がプールの近くの駐車場には空きが無く、プールとは反対の立川口駐車場しか空きが無く、仕方なく立川口に車を止め、立川口から入ることにしました。しかし、昭和記念公園は、非常に大きい公園で、反対側のプールに行くには、末の孫の足で、優に30分は掛かると思い、皆、暗澹たる気分になりました。所が、門を入ると、「プール行き往復バス乗り場 ―->」との看板が見えました。皆から「わー」と歓声が上がるほど気分が高揚しました。
 〇12時半には、プールに着き、着替えをして、12時45分頃から、先ず波のプールで泳ぎ始めました。丁度、1時間に1度の休憩時間が、終わったところでした。その後、4回の休憩時間を経て、5時まで泳ぎました。末の孫は、少し泳げるようになり、その上達振りを皆に見せるのが嬉しくて、浮き袋無しで、休み無しに泳ぎ続けました。孫娘は、水の妖精のように、水があれば、何時でも何処でも楽しい子供です。色んな事を考え、楽しんでいました。最近は、シンクロナイズドスイミングにも挑戦しているようでした。上の孫は、運動は少し苦手ですが、一番上の兄貴分として、あれやこれやと気を使っていました。私はと言えば、浮き袋に掴まって、ゆらりゆらりと孫達の様子を眺めていました。
 〇プールでの泳ぎを終えて、夕食を一緒にすることにしました。場所は、上の孫の要望を聞いて、ステーキが食べられる、中河原のジョナサンに決まりました。昭和記念公園から中河原まで、車の中で、孫娘と末の孫が寝てしまいました。ジョナサンに着いた時に、孫娘は起きたのですが、末の孫は、父親に抱かれてジョナサンに着き、店内でも眠り続けました。起きたのは、皆の食事が終わった時でした。末の孫は、これから食事をすると言います。娘も納得したようでしたが、私は、既に食事も帰り支度も済み、料理の代金も払ったので、中河原からバスで、一足先に帰ることにしました。末の孫は、現状を理解できないようでしたが、皆と一緒に、私を送ってくれました。
 〇家に着いたのは、9時頃でしたが、朝の食器を片付け、残った飯を握りにし、風呂に入って、メールを見るなどして、何時もより早い、11時には寝床に入りました。

「孫娘 身体しなやか 水が好き アーティスティックな 泳ぎを披露」
「末の孫 母に泳ぎを 見せたくて 必死に泳ぎ 疲労困憊」
「末の孫 車に乗れば 早寝息 あっという間に 白河夜船」
「夕食の 店の中でも 寝息かく 楽しかった 一日夢に」

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2019年8月 6日 (火)

2019年08月01日

2019年08月01日
 〇何時の間にか、8月になりました。老いらくの日々は、「光陰矢の如く、学衰え早し」といった心境です。
 〇今朝、娘から電話があり、昨日、山の仲間との予定が有ったため、孫娘の合唱コンクールに行けませんでしたが、地区で金賞を取り、東京都大会に出ることになったそうです。今度は、必ず聞きに行こうと思います。また、昨晩はスマホの電池切れのため、山の仲間の飲み会の誘いに、肝心なところで通じ御無くなったり、娘の所にも何度も電話したようです。
 〇今日は、日記をブログに投稿するための作業と、昨日の山登りの紀行文を書く作業が重なった為、結構な作業となり、午後6時過ぎまで、掛かってしまいました。そんな訳で、天気は良いのに、家から一歩も出ないで過ごしてしまいました。それにも拘わらず、落ち着いて、事実関係を確認することも疎かになってしまい、読み返してみると、入笠山が甲斐国にあると書いてありました。信濃国が正しいようです。

08月02日
 〇梅雨明け後、毎日、最高気温の更新が続いているようです。今日も、相当に暑い日になりました。
 〇昨日とは逆に、午前中する事が少なく、午前10時半頃家を出て、立川根川公園、残堀川まで歩いて来ました。先ずは、西友に行き、麦茶、エネルギー補給用ゼリー、お握りセットを買って、河原の道を歩きました。梅雨明けしてから、1週間以上、全く雨が降っていませんので、それまで勢力を誇っていた、ハルシャギク(波斯菊)、ヒメジョオン(姫女苑)ですら、息も絶え絶えでした。カワラサイコ(河原柴胡)は、姿を消していました。比較的元気なのが、アレチハナガサ(荒れ地花笠)、コマツナギ(駒繋ぎ)、オギ(荻)で、一番元気なのは、クズ(葛)でした。随分歩いたのですが、一蔓だけガガイモ(蘿藦)の花を見ました。荻の原も、そろそろ穂を出し始めていました。
 〇立川根川公園に入った所の翡翠の池で、昼食にしました。一応木陰のベンチを選んだのですが、暑さは変わらない感じでした。ただ、残念なことに、4翡翠は現れませんでした。それでも、そよ風が軽やかに吹き抜けると、山頂にいるような小気味良い涼しさを感じました。公園内のあちこちで、私と同じような爺が、数人弁当を食べていました。誰しも、考えることは似ていますねー。
 〇立川根川公園の最後のエリアに行くと、昼寝をしている老人に何人も合いました。ちゃんと仕事をしている人達で、丁度昼休みだったのです。このエリアで、銀色の鯉の鼻の所に、丸い斑点が二つあり、一時期有名になった、人面魚のようでした。この鯉は、今までも居たのでしょうか、初めて会ったような気がします。今年の春は、このエリアに何度も来ました。青鷺が子作りをしていたからです。今日、本当に久し振りに来てみたら、10個くらい在った巣が、全く無くなっていました。子育てが終わった青鷺が、自ら巣を破壊したのでしょうか、それとも、我が家の燕の巣と同じように、人間が取り去ってしまったのでしょうか、私は後者だと思います。
 〇暑さが激しいので、その後寄り道しないで、我が家に2時過ぎに戻りました。次男は、まだ居て、昨日に引き続き、次男を送り出しました。
 〇その後、明日からの家族全員の海水浴のための準備をし、一昨日、長野の山の仲間から貰ったインゲンで、酒の肴の1品を作り、美味しい晩酌となりました。

「野薊の 大きな綿毛 風に揺れ 今飛び立たん 明日を夢見て」
「砂利道を 少し離れて 湿りある 土地にて元気 駒繋ぎの花」
「餌が無く 河原の虎も 太れない 痩せて短い 虎の尾さん達」
「砂利道で 息も絶え絶え 波斯菊 過日の元気 何処へ行きしか」
「辛うじて 河原に数厘 花残る 照葉野茨 次は子育て」
「荻の原 広がる河原の 片隅に 僅か一蔓 ガガイモの花」
「どの草も 生きるに必死の 河原道 葛の葉だけが 我が物顔に」
「公園の 小径に並ぶ 薮蘭の 中に一株 白花薮蘭」
「君が持つ 逞しさを 信じてた 公園彩る 真夏のアベリア」
「小亀さん この暑さでも 甲羅干し 熱中症の 心配なきや」
「朱鯉の 甘き囁き 聞きながら にっこり笑う 人面魚かな」
「真夏日に 花を咲かせる 山吹の 梅雨の終りは 春と思うや」
「これはまた 実に見事な 藪茗荷 闇にも目立つ 白き幟旗」

08月03日
 〇今日は、私の家族全員で、館山に海水浴に行く日でした。娘家族が、12時には迎えに来るというので、午前中の仕事を終え、海水浴の準備をして、次男と一緒に待っていると、丁度12時頃に娘家族がやって来ました。娘の所の車は、結構大きい車なので、大人4人、子供3人、余裕で乗れました。
 〇運転手は、娘婿でした。私が、取り敢えず助手席に乗って、館山に向かいました。中央高速、首都高速、アクアライン、館山道と、左程渋滞していなかったので、比較的スムーズに走ることが出来ました。長男一家3人は、新宿よりバスで、館山に向かっており、長男の奥さんと娘が、お互いの位置をラインで確認し合っていました。最近は、色々便利になったものです。
 〇2時半頃、館山の駅へ行くと、既に長男家族は着いており、過剰人員ですが、大人3人とその荷物を、更に車に詰め込んで、今夜の宿に向かいました。小さな港のある集落の一軒家を、丸ごと借り切ったのです。宿の主人が待っていてくれてくれました。
 〇宿に荷物を置いて、早速、港の横の海へ泳ぎに行きました。海水浴場では無いので、小学校5,6年生の頃に住んでいた、長崎の外海の海岸を思い出しました。自然の海ですから、海岸の浅い浜には、木屑や海藻などが、波と一緒に寄せたり引いたりを繰り返していました。しかし、一定の深さになると、木屑なども無くなり、泳ぎを楽しむことが出来ました。少し海水が冷たく感じました。孫達は、遊びの天才みたいなもので、どんな状況下でも、目一杯楽しんでいました。
 〇4時頃から、6時頃まで遊んで、宿に戻りました。孫3人と一緒に風呂に入った後、庭に出てみると、丁度日が沈む頃でした。海の上に沈むのかと思ったら、結構背の高い雲があり、雲の後ろに日が落ちました。全員が、風呂に入り終わる頃には、日はとっぷりと暮れて、都会では見られないような、星空になりました。私の弱った目では、良く見る事は出来なかったのですが、薄らと天の川も見えたそうです。
 〇7時半頃から、夕食となりました。仕出し弁当を頼んでいたのですが、量が少なく、持って行った駄菓子や酒の肴も出して、大宴会となりました。しかし、食堂は、後片付けのため長くは使えず、娘家族の部屋に移って、宴会は続きました。家族全員が集まった時には、UNOと言う遊びをやることになっているので、孫達も寝ないで待っていました。11時頃になって、漸くUNOをやり、2回目には、幼稚園の末の孫が1番に上がり、満足したようなので、UNOを終り、少しだけ最後の酒を飲んで、長―い1日が終わりました。

「今日の宿 朝鮮朝顔 花盛り 名前は立派な 御龍閣かな」
「正面に 伊豆大島の 勇姿見る 安房の突端 平砂浦かな」
「頻繁に 貨物船等が 出入りす 日本の窓口 浦賀水道」
「孫達は 周りの景色 目もくれず ひたすら海で 泳ぎ楽しむ」
「夕方の 西日の光り 長く伸び キラキラ光る 相浜の海」
「海面に 光る水玉 金色に 海の向こうに 夕日が沈む」
「幼き日 父と仰いだ 星空を 孫等と共に 仰いでいるなり」
「子供等に 酒を教えた 甲斐ありて 何時も楽しい 子等と飲む酒」
「飲めぬなら 家族全員 集まりて 宴楽しむ 日は無かったかも」


08月04日
 〇私は7時に起きたのですが、他の皆は、まだ深い眠りに落ちていました。何時ものように、近くを散歩しました。流石南国です。どの家にも、大きなアロエがあり、ランタナの花が咲いていました。龍樹院という寺と奈良崎神社に参拝して、宿に戻りました。奈良崎神社の狛犬は、両方とも阿形でした。
 〇8時半くらいに宿に戻ると、宿の主人は起きていましたが、我が家族は、誰も起きていませんでした。主人が、「あそこに富士が見えるよ」と指をさしましたので、じっと見つめると、昨日、日が落ちた方角に、青い富士が薄らと見えました。この辺りでは、早くもダイヤモンド富士が見られるのかも知れません。若し昨日、雲が無かったらと思うと、少々残念でした。
 〇9時過ぎに、皆がそろそろ起き出して、10時から朝食になりました。今朝は、宿の女主人が、朝食を作ってくれました。朝捕りのイカの刺身、ナメロウ、金目の煮物、煮物、冷や汁等、昨日の夜の弁当と違って、大変なご馳走でした。大きな金目の煮物が出て来た時、皆で「ウオー」と言って拍手をしたら、宿の主人が、「拍手をして貰ったのは初めてだ」と感動していました。
 〇ゆっくりと朝食を食べ、12時にチェックアウトをし、今日は、名前は忘れましたが、ちゃんとした海水浴場に行きました。既に多くの人が来ていて、海岸は、テント村になっていました。こんな所にまで、外国人が沢山来ていました。結構流暢な日本語を話す人も居て、在日期間が長く、子供は日本生まれだと思いました。日本中何処ででも、外国人を見るのが不思議では無くなりました。世の中、私の子供の頃とは、大変な変わりようです。
 〇孫達は、大人達に放り投げられるのが好きで、何度も何度も、投げて貰っていました。それが一段落すると波乗りをしたり、岩のある磯で、ヤドカリや蟹や小魚を捕まえたり、目一杯海を楽しみました。1時頃から泳ぎ初めて、何時の間にか終りの時間、4時になりました。楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまいます。シャワーを浴び、着替えて海水浴場を出たのは、5時過ぎでした。
 〇途中、館山駅の近くで、夕食にし、バスの時間が迫った長男家族は、早めに店を出て、帰って行きました。我々も7時前には店を出て、帰路につきました。娘が、助手席に移って、私は後ろの席で、すっかり寝込んでしまい、気がついたのは、中央高速に入ろうとする高井戸付近でした。結局、家に送って貰った時は、10時過ぎでした。年に1度の家族の海水浴は、無事終了しました。

「今日もまた 雲一つだに 無いような 天の恵みの 海水浴日和」
「明け方の 冷風残る 田舎道 村の守りの 布良崎神社」
「村人が お盆の準備 墓掃除 村人の寺 龍樹院かな」
「家の庭 ランタナの花 大ソテツ アロエもあるぞ 南国の村」
「宿の庭 海の彼方に 青き富士 何時でも何処でも 富士は良きかな」
「朝捕りの 海の幸にて 朝餉かな 思わず拍手 作り手に感謝」
「孫達は 賑やかな浜 安心す 人が集まる 海水浴場」
「またしても 孫投げ合戦 始まりぬ 青空を飛ぶ 孫等の姿」
「岩の磯 穴に隠れた 蟹達が 隠れ家荒らす 孫等に怒る」
「何時の日も 楽しき時は 足早し 海水浴も 最終コーナー」
「孫達の 喜ぶ姿に 親嬉し 親の喜び ジージの喜び」


08月05日
 〇昨日、館山では、海越しの富士を見ましたが、今日は我が家から、何時もの位置に富士を見ました。青空に消え入りそうな、青い富士でした。海水浴で使ったものを洗濯し、富士を見ながら干しました。今日は良く乾くでしょう。
 〇今日は、左眼の白内障の手術をするかどうか、決める日でした。9時半に、総合医療センターに行き、種々検査をして、11時に医者と話しました。医者は、「白内障そのものは、この前と変わっていない」と言っていましたが、中途半端な状態を長く続けるのも嫌なので、手術する意思を伝えました。医者は、手慣れた様子で、手術日と手術前の2回の検査の日を決めてくれました。いよいよ、10月の終りには、手術することになりました。
 〇12時には、病院が終わったので、一旦家に戻り一休みして、3時には妻とローマ時代の友人夫婦と食事をするために、人形町に出かけました。夕食は、6時からでしたが、妻が人形町で買い物がしたいというので、5時に人形町で待ち合わせをしました。人形町には、煎餅や佃煮など、妻が好きそうなものの老舗があるのです。今日も矢張りそこで買い物をしました。
 〇買い物をした後、昔の雰囲気が残る、甘酒横丁を散歩しました。ビルが建ち並ぶ、東京の中心街に、このような雰囲気が残るのは、とても嬉しい事だと思います。今日は、新大橋通の両側の歩道で、焼き物展をやっていました。
 〇6時になったので、古い家が建ち並ぶ路地の「高はし」料理屋に行きました。3ヶ月ほど前に1度入ったら、妻が大いに気に入って、また、どうしても「高はし」に来たいと言ったのです。今回も、大いに満足したようです。ただ、私以外の3人は、酒が飲めず、私一人が酒を飲んで、大騒ぎをしてしまいました。何だか、皆も酒も飲まずに私に付き合ってくれて、大いに話が弾み、9時過ぎまで「高はし」に居座りました。結局、終バスとなり、我が家に帰り着いたのは、11時近くでした。

「昨日孫 今日は妻との 食べ歩き 毎日宴 老いての幸」
「遠き日の 姿留める 人形町 酒が主役の 甘酒横丁」
「狭き路地 歴史感じる 黒き壁 今夜の宴は 和食高はし」
「田舎では 口に出来ない 江戸の味 味にうるさい 妻も感激」

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2019年8月 1日 (木)

2019年07月27日

2019年07月27日
 〇台風が、関東地方に接近するとのことでしたが、そんな気配を感じさせない良い天候でした。
 〇薬を飲み始めて、二日過ぎ、昨日よりも更に良くなりました。昨晩は、1度しかトイレに行きませんでした。熟睡すると、腎臓も休憩時間に入るのでしょうかねー。健康を保つ上で、睡眠が如何に大事か、改めて思い知らされました。痰も時々切る程度になってきました。
 〇午後から、娘の家族と、郷土の森公園の「流れるプール」に泳ぎに行って来ました。何年か前から、年中行事化しています。上の孫には、少々物足りなくなってきているようで、現在、一番楽しんでいたのは、孫娘でした。末の孫は、まだ幼稚園ですが、浮き輪を付けず泳ぐ事に、必死に挑戦していました。来年は、きっと泳げるようになるでしょう。這うことくらいしか出来なかった子が、何時の間にか、何でも出来るようになって、大人になっていきます。命の大きなうねりを感じます。
 〇3時から泳ぎ始め、5時にはプールが終了しました。結構、雲は多かったのですが、日差しもあり、孫達との泳ぎを楽しむことが出来ました。その後、皆で夕食に行くことにしました。末の孫が、「絶対お肉」と固執するので、食べ放題の焼き肉店に行くことにしました。運動した後で、誰もがお腹が空いていたのでしょう。次々に肉を頼み、焼けるのが待ちきれないような状態でした。後で、注文の明細を見たら、デザートを含めて45種類ほどの品を食べていました。
 〇一番先に食べ終わった孫娘が、冷房が効き過ぎて寒そうなので、皆の食事が終わるまで、抱いてやり、体温で温めてやりました。気持が良かったのでしょう、ウトウトしていました。やがて食事が終り、店を出ようとすると、末の孫が、私の手引っ張りました。これは、「抱っこして」の合図です。孫娘を抱いている時から、横目で羨ましそうに見ていたのです。抱いてやると、ほっぺとほっぺをくっつけるようにしてきました。精一杯の甘えなんでしょうねー。「暑中見舞いの葉書届いたよ、ありがとう」と言ったら、ただただ照れていました。
 〇南大沢の駅まで送って貰い、そこで、別れの儀式のハイタッチをして、孫達と別れました。電車とバスの乗り継ぎが上手く行って、9時過ぎには、我が家に戻りました。

「孫達の 明るき笑顔 見る事が 元気に生きる 特効薬なり」

07月28日
 〇昨日の午後、台風は温帯低気圧に変わったそうです。台風一過と言えるのでしょうか、霞のかかったような夏空が広がっていました。
 〇今日は、午前10時から、四谷文化センターに於いて、私も理事を務めた、アパートの17期理事会の最終日となる住民総会が行われました。理事会が提出した7つの議案は、全て賛成多数で承認され、予定時間の12時に総会は終了しました。次に、私に理事の役が回ってくるのは、また、17年後のようですから、もう理事をやることは無いでしょう。
 〇私は、これまで自治会役員の経験はありましたが、理事会役員は今期初めてでした。アパートの運営に関わる決定をするのは、理事会の方であり、理事会の仕事の補佐をしてくれるのは、マンション運営の専門会社の、二人の職員でした。大きなマンションに於いて、やらなければならないことを熟知しており、資料の作成も丁寧で、私などは、1年間、会議に参加して、ただただ質問するだけで、仕事が終了しました。この二人の職員は、30代と40代だと思われますが、本当に良く仕事の出来る人達でした。最近の若者も捨てものではないと思うようになりました。高層住宅が林立する今日、彼等の仕事の需要と重要度は、益々高くなるでしょう。
 〇午後2時頃から、桜が丘公園から、多摩東公園、多摩市立陸上競技場、永山駅まで歩いて来ました。良い天気なのに、熱くなり過ぎたのか、桜が丘公園では、日曜日だというのに、殆ど人に出会いませんでした。桜岡公園から多摩東公園までの緑道で、にいにい蝉とミンミン蝉の写真が撮れました。多摩東公園で、不思議な光景を見ました。藤の棚木に、綿毛のようなものがびっしり張り付いて、陽の光を浴びて、棚木の殆どが、銀色に輝いていました。多摩東公園から剣橋を渡り、陸上競技場に出ました。陸上競技場の後ろを回って、永山駅へ向かったら、途中、工事のため、回り道を余儀なくされ、何時もより沢山歩いて、永山駅に着きました。心地よく疲れて、我が家に戻ったのは、5時過ぎでした。 

「人の世は 一年一年 様変わり 支える人無く 住めぬ世界に」
「夏の日の 木漏れ日となり 森に落ち 森を練り行く 輝く小径」
「枝先に 木漏れ日落ちる 紅葉葉の 小径を照らす 森の小径灯」
「夏台風 森の小径を 吹き抜けて 育ち盛りの 銀杏落とす」
「夏来れば 秋は近いと 言うけれど 早過ぎないか 嫁菜さん達」
「木々の枝 木漏れ日許す 優しさに 明るさ残る 森のトンネル」
「トンネルの 切れ間に注ぐ 陽の光 余りの強さに 周りが見えぬ」
「梅雨の雨 育てし苔を 背に負いて 夏の日浴びる 薮蘭の花」
「岩肌を 覆うが如し 苔筵 育ての親は 梅雨の雨かな」
「木漏れ日を 浴びた笹の葉 影落とし 己が存在 主張しており」
「梅雨明けて にいにい蝉の 夏を呼ぶ 小楢の幹に 幹そっくりさん」
「我が気配 みんみん蝉は 悟りたる 途中で終わる 奇妙な鳴き声」
「藤棚の 棚木に綿毛 張り付きて 西日の魔法 棚木は銀に」

07月29日
 〇何時発表されたのか、はっきりしませんが、今日梅雨が明けたそうです。いよいよ夏本番となりました。
 〇一昨日から、本格的な散歩をするようになりましたので、体調の悪さも何処かへ吹っ飛びました。花鳥風月を己が目で見て、話をし、肌で感じることが、何よりの薬だと、つくづく思いました。今日は、11時半頃から、多磨霊園、浅間山公園、夢中の森公園、農工大、府中駅までを歩いて来ました。夏の霊園は、手入れが行き届いているところと、そうでないところの差が、一番はっきりする季節です。萱や月見草に覆われた墓もありました。長い栃の木並木を歩きましたが、実を付けている木は、10本足らずでした。花は、もっと咲いていたと思うのですが、どうしたのでしょうか。浅間山では、アゲハ蝶の恋の舞いを見ながら、巻き寿司と稲荷寿司で昼食にしました。美味しかったです。また、沢山の山百合、白花ギボウシも楽しみました。
〇浅間山を下りて、府中の森公園に向かっていたら、「慈恵院は右」との立て看板がありました。こんな所にお寺があるとは思ってもみませんでした。早速、寺務所を尋ねて御朱印を頼んだら、快く引き受けてくれました。
〇府中の森公園では、野甘草が綺麗でした。その後、久し振りに農工大のキャンパスを訪れました。キャンパスの畑には、トウモロコシと枝豆が植えられていました。私は、この農工大の隣にあったアパートで、6年ほど暮らしました。前妻の最期の地でした。その頃は、農工大のキャンパスは、我が家の庭のようでした。車椅子の妻を押しながら、キャンパスを歩いたこともありました。農工大のキャンパスや私達が住んでいたアパートは、今でも変わりが無く、懐かしい思い出のページをめくりました。
 〇府中駅からは、チュウバスで我が家に戻りました。我が家に着いたのは、5時頃でした。玄関側のプランターに月に1度の水遣りをし、エアコンのホースを修理し、シャワーを浴びると、6時を過ぎて晩酌の時間となりました。
 〇9時から、晩酌を続けながら、吉永小百合の「おとうと」を見ました。小百合フアンではありますが、彼女の演技は下手でしたねー。おとうとの非常識な行動に苦しむ姉とは思えませんでした。おとうとの鶴瓶も下手でした。一番悪かったのは、脚本ではないかと思いました。こんな映画が、評判になったとは思えませんでした。ただただ、吉永小百合が出演したと言うだけで、評判になる時代がありました。私は、吉永小百合は昔から好きですが、老いてからの方が、もっと好きです。


「墓全て 月見草等に 占拠され 月見草を見る 墓の主かな」
「砂利よりも 草葉の陰が わしゃ好きだ 草に覆われ 笑う墓石」
「墓の上 松の大木 横倒し 三途の川の 丸木舟かな」
「松の上 浮かぶ白雲 青き空 墓の主等も 夏を堪能」
「姫女苑 簾の奥で 手を合わす 誰が為祈るや 優しき地蔵」
「白雲と 背比べする 墓守の木 墓主達も 一緒に見上げる」
「焦げ茶色 栃の大葉に 見え隠れ 栃の実割れる 秋は直ぐそこ」
「ごつごつの 幹の溝を よじ登る 蛹になる日 近き芋虫」
「突然の 激しき求愛 身に受けて しばし休憩 アゲハ蝶かな」
「切株の 小さな穴から 身を出して 辺り見回す 笹の一本」
「山百合と 白さを競う 山中間 情けはかけぬ 白花ギボウシ」
「台風は こんな形じゃ あるまいか 森の茸は 渦巻き模様」
「慈恵院 観音様は 犬を抱く 犬猫供養の お寺なるかな」
「前妻と 最後の日々を 思い出す 今も変わらぬ 農工大かな」

07月30日
 〇朝ベランダで水遣りをしていたら、葉が全て無くなった山椒の木に、黄緑の可愛い芋虫が、2匹いました。10日ほど前、山椒の葉が少なくなり、木の下に黒い粒々が沢山落ちていました。4年ほど前までは、山椒の木にアゲハ蝶の幼虫である芋虫が来て、葉を他別壽巣のは、毎年の事でしたので、今年も我が家からアゲハ蝶が巣立つのかと、丸坊主になった山椒の木を見て喜んだものでした。所が、3年ほど芋虫達が、山椒の葉を食べることは無くなり、私も山椒の木の変化に無関心になりました。その為に、芋虫達が来たことに気がつかなくなったのです。黒い粒々は、芋虫達の糞とは考えず、何処から飛んできたのかと文句を言いつつ掃除だけをしたのです。無関心は、人間を盲目にするようです。
 〇先日、昭和記念公園で失敬してきたヒマラヤ杉に実は、表面のべとべとした樹脂が、透明のまま固まって、緑を残した堅い実に変わりました。
 〇昼過ぎから、植物多様性センター、神代植物公園、深大寺を見学してきました。暑さのせいでしょうか、見るべき花が無いせいでしょうか、人影はまばらでした。多様性センターでは、レンゲショウマ(蓮華升麻)、カリガネソウ(雁草)、ハマゴウ(浜栲)などを見る事が出来、神代植物園では、フジカンゾウ(藤甘草)、京センノウ(京仙翁)、木槿園等を楽しみました。
 〇4時半には、「公園から出て下さい」という放送に、せき立てられるようにして神代植物園を出て、深大寺はほぼ素通りして、調布駅に出て、我が家に戻りました。6時近くになっていました。明日は、山の仲間と入笠山に行くので、その準備をし、早めに寝ました。

「唇を 広げて野辺に 歌届け 己も満足 雁草かな」
「花笠を 釣り下げたよな 花達が 木陰を照らす 蓮華升麻」
「梅雨明けて 夏の日浴びる アケビの実 秋は紫 食べ頃知らす」
「藤なりや 虎の尾なりや 藤甘草 紫の尾 打ち振りており」
「首筋を すくっと伸ばした 赤き花 雛菊擬きの 京仙翁」
「青空に 実り豊かな 棗の実 しっかり日を受け 赤き実となれ」
「百合の木の 巨木の下の 木槿達 何時かやりたし 巨木と背比べ」
「桃園に 落ち梅ならぬ 落ち桃の 食べるもの無く 朽ちていくなり」
「百合の木の 蕾膨らむ 夏の午後 風吹く度に 姿現す」
「藤なりや セージのようにも 見えにけり 唐藤空木の 風に揺れてる」
「枝先の 丸き実並ぶ 落羽松 芽吹きの頃から 眺めておるぞ」
「睡蓮の 蕾が三つ 並び立ち 夜空の星座 思い起こせり」

07月31日
 〇今日は、山の仲間と入笠山に登りました。何時ものように、今日の様子は、75調の入笠山紀行で、想像して下さい。

入笠山紀行

「山仲間 武相の国から 集まりて 今日目指すは 甲斐の入笠山」
「何時からか 全席指定の あずさ号 初めて購入 座席未指定券」
「八王子 満席表示の あずさ号 大月までは 廊下に立ちん坊」
「大月で 空席表示の 席の出来 車窓楽しむ 旅の始まり」
「車窓越し 連なる山の 山なしの 景色を見つつ 麦酒楽しむ」
「甲斐国 お国自慢の 麦酒の名 地域限定 諏訪自慢なり」
「あずさ号 我等が降りる 富士見駅 次々現る 仲間の笑顔」
「梅雨明けて 真夏の日差し 降る中に 今日の仲間は 11人」
「送迎の バスに乗り込み ゴンドラへ 今日は楽ちん ゴンドラ登山」
「ゴンドラ駅 勘定奉行の 登場し サービス券付き 切符購入」
「両側に 裾野を伸ばす 八ヶ岳 両手広げて 我等歓迎」
「ゴンドラを 降りれば途端に 花畑 花が自慢の 入笠山かな」
「首隠し 覆面をして 準備良し 宝探しに 出発進行」
「石段に 花片太き 黄花かな 日光黄菅と 見えなくも無し」
「山登り 始まる小径 花繚乱 蜻蛉の群れも 我等迎える」
「白き花 寄せ合うような 君の名は 初の出会いの 山母子草」
「九崖草 瑠璃虎の尾 どちらかな 葉の形は 瑠璃虎の尾」
「赤蜻蛉 翅を休める 白き花 四つ葉鵯 赤き簪」
「花畑 落葉松林を 突き抜けて いきなり現る 鉄格子かな」
「良く見れば 扉のありて 人通す 入笠湿地の 入口なりき」
「目の前に ぱっと広がる 花畑 高山湿地 百花繚乱」
「花畑 一望できる 休憩所 長野の仲間の 待ちているなり」
「花見とれ 遅れに遅れた 我を待つ 笑みを湛えた 優しき仲間」
「知り尽くす 長野の仲間の 先導で 花を見ながら 頂上目指す」
「先導す 長野の仲間は 花博士 名と心を 教えつ歩く」
「靫草 白山風露 下野草 数え切れない 山の花畑」
「苧環に 野花菖蒲 柳蘭 まだまだあるぞ 入笠湿地」
「ゲレンデの 薄桃色の 花畑 私の庭よと 蝶々群れ飛ぶ」
「頂きへ 急な坂道 息弾む 傘寿を迎えた 仲間に辛し」
「ようように 辿り着きたる 頂きは 日本の名山 一望できる」
「定まりの 記念撮影 はいチーズ 周りの山も 拍手喝采」
「頂上は 風はあれども 日が強し 頂上降りて 木陰で昼餉」
「胃瘻にて 昼餉代わりの 石原の人 変わらぬ山が 一番の友」
「ミニトマト パインにマンゴ 干し果肉 持ち寄る品々 何時も美味なり」
「昼餉終え 足取り軽く 下山する お花畑も 素通りするなり」
「道半ば 他のチームへ 道案内 長野の仲間の 名調子かな」
「逗子の女 思わず帽子を 手に取りて 寄付をおねだり 笑いを誘う」
「休憩所 長野の仲間の お手製の インゲン豆を 帰りの土産に」
「インゲンを 分けてる人は 何者ぞ 長野の仲間の 奥様なりき」
「初めての 出会いとなりし 奥様に 遅くなりしも 出会いの挨拶」
「インゲンを 分け終えれば 別れ時 長野の仲間と しばしの別れ」
「来た道を 辿りてやがて ゴンドラに 我に懐きし 蝶も同行」
「バス停で 温泉巡りの 案出れど 仲間達から 同意得られず」
「富士見駅 特急止まらぬ 田舎駅 特急止まる 駅まで移動」
「仲間達 小淵沢から 特急に 府中の二人は 鈍行帰宅」
「酒好きの 爺が3人 八王子 鈍行組へ 参加を誘う」
「電池切れ スマホのお陰で 大混乱 それを乗り越え 出会う酒好き」
「山行の 終りを閉める 宴かな 花より酒の 仲間嬉しき」
 
   
     

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