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2019年7月

2019年7月27日 (土)

2019年07月22日

2019年07月22日
 〇7月も下旬に入ったのに、まだ梅雨空が続いています。蝉の声も、まだ聞いていません。
 〇今日は朝から、吉本興業に関するニュースばかりになりました。中でも、岡本社長の記者会見は、酷い物でした。訥弁になったり、涙ぐんだり、意味が分らないような説明振りなどは、仕組まれたものだろうと、ある程度分りますが、それにしても下手な演技でした。何に関して問題意識を持ち、どの様に解決するか、記者会見で何を訴えようとしたのか、さっぱり分りませんでした。私も1時間半は我慢しましたが、なんと5時間半に亘って、記者会見をしたそうです。我々、年寄りには、良く分らない社会になってしまいました。
 〇事の発端は、吉本興業の芸人が、反社会勢力の会合に参加して、報酬を貰った事でした。私のような年寄りの感覚からすれば、興業が反社会グループと密接な関係にあるのは、当たり前のことでした。相撲の地方巡業も、ボクシングなどの興行も、お世話になったのではないでしょうか。今日の岡本社長の記者会見を見て、現在においても、この関係がまだ続いているように思えました。反社会勢力との関係が有ることから、芸人も一流になるまでは、人間扱いされず、満足にお金も貰えず、絶対服従の世界のようです。興業会社が、反社会勢力から組織運営を真似たのだろうと思います。興業会社の内部努力では、正常な企業運営に戻すのは、難しそうですから、社会が関与して、このような状況を改善するようにする必要がありそうです。それにしても、テレビの生番組は、お笑い芸人無しにはやれないようになってしまったようです。若者は、お笑い芸人無しの番組には、興味を持たないのですかねー。私は、嫌いですがねー。最近のテレビのゴールデンアワーは、お笑い系の番組ばかりで、スポーツ中継が無いと、私が見たい番組はありません。
 〇午後から、吉祥寺の「小ざさ」へ行って、明日会う妻へのお土産に、白餡の最中を買いました。
 〇6時過ぎに家に帰ったら、まだ吉本興業のニュースが流れており、今日一日、吉本興業に終始しました。

07月23日
 〇今朝、テレ朝の番組では、またしても吉本興業の問題を取り上げていました。ゲスト出演として、以前吉本興業で芸人のマナージャーをしていた女性が出演していました。この女性は、吉本興業の中で、一両芸人を育てた経験があり、吉本興業の中では、比較的良い処遇を受けていたのだろうと思います。所謂、ヤクザ社会の姉貴分みたいな感じでした。ヤクザ組織に似ている、吉本興業の会社運営についても、肯定的でした。彼女は、吉本興業の問題が、何故こんなに騒がれるのか、理解できていないように思えました。
 〇今日は、午後2時過ぎ、少し早めに都心に向かいました。4時頃に、妻のアパートに着き、昨日の「小ざさ」の最中を渡しました。その後、何時もは食後に行くバーで、1時間ほど話し、買い物をして、買った物をアパートに置いて、今日の夕食の場である、新大久保の松屋にタクシーで向かいました。運転手は、行く先の料理屋が分っていると思ったのですが、大久保通りをどんどん進み、ガードを越えるというのです。妻が「どうもおかしい」と気づいて、大久保通りの途中で、タクシーを降りました。後で分ったのですが、私達が行きたかったのは、韓国料理の松屋であり、運転手が連れて行こうとしたのは、牛丼の松屋でした。
 〇タクシーは降りたものの、松屋の場所は分らず、韓国風の焼き物を売っているお兄さんに聞いたところ、日本語が旨く話せず、私達も良く分りませんでした。そのやり取りを聞いていた、日本語の達者な別の若者が、私達が探している場所を理解してくれて、なんと店の近く迄案内してくれました。今日は、この出会いだけでも、楽しいものでした。
 〇韓国料理の松屋は、大久保通りでは無く、職安通りにありました。結構大きく、立派な店構えでした。この料理屋は、テレビで紹介され、それを見ていた妻が、どうしても食べて見たくなったそうです。店に入りましたが、テーブル席は、庭の部分にあり、冷房等の設備がありませんでしたので、店の中の座敷の部屋で食べることにしました。料理の種類が、何時もの韓国料理と違っていて、注文するのに迷いましたが、取り敢えず、5品くらい注文しました。ところが、料理が来てみると、それぞれ量があり、とても二人で食べられる量ではありませんでした。でも、どれも美味しいと思いました。私が特に美味しいと思ったのは、キムチの浅漬けでした。これまでに、食べたことの無い味と食感でした。妻も大いに食べて、腹が満タンだと言っていました。料理が、かなり残ったので、その殆どを、持ち帰りました。席を立つ時に、妻も私も足が痺れて、危うく倒れそうになりました。

07月24日
 〇昨日の夜から、左胸が痛くなりました。喉の痰を切ろうとして、咳をすると、肋骨に罅が入ったような強烈な痛みが走ります。1週間ほど前から、喉に痰が溜まるようになり、それを無理して出そうとすると、肺全体に力が掛かり、その為に、肋骨が痛んだのではないかと思いました。寝返りすら満足に出来ない状況で、すっかり寝不足になりました。
 〇直ぐに病院に行くべきかも知れませんが、久し振りに太陽が見えたので、一日様子を見ることにして、散歩に出かける事にしました。季節毎に1度は行きたいと思っている、東京薬科大の薬草園へ行きました。今日も、新しい出会いが幾つもありました。オオボウシバナ(大帽子花)は、梅雨草の栽培種とのことでした。正しく、梅雨草が大きく育った感じの花でした。トロロアオイ(黄蜀葵)の花は、オクラの花のようでした。別名「花オクラ」とも言うそうです。ラベンダーのような、紫の花もありました。カワミドリ(川緑、河碧)と名前が書いてありました。別名カッコウ(霍香)と言うそうです。普通に野辺で咲いているそうなので、見たことがあると思うのですが、自信がありません。1箇所に、名前の無い綺麗な花がありました。今日、植えられたばかりのようでした。名前を知りたくて、係員に聞いたら、トウワタ(唐綿)で、寒さに弱いので、今まで温室で育てていたようです。後で調べたら、南米原産だそうです。南米で見たのかも知れませんが、憶えていません。
 〇その後、谷戸の里を歩いて、野猿街道に出て、バスで聖蹟桜が丘へ出ました。歩いている間は、余り胸の痛みを感じませんでした。駅の近くに、耳鼻咽喉科の病院があれば、行こうと思ったのですが、見当たらなかったので、矢張り明日にする事にしました。
 〇家には、4時頃帰り、郵便箱を開けると、末の孫から「おげんきせすか?」との暑中見舞いが届いていました。字は、幼稚園の先生が書いたと思いますが、可愛い貼り絵と「だいすきです」の文字は、末の孫が書いたものでした。体調が悪い時だったので、余計に嬉しく元気を貰いました。
〇6時半頃から、野球の巨人―ヤクルト戦を見ながら、晩酌にしました。7時半頃には、今日休みの次男も加わり、久し振りにゆっくりと話をし、酒を飲みました。二人で、最近調子の悪い「大坂なおみ」の気持の持ち方、練習の仕方などについて議論をしました。

「森陰の あちらこちらに 頭垂れ 頭でっかち 山百合の花」
「君もまた 薬草なりやと 思い知る 薬草園に咲く 鬼百合の花」
「あれ君も 薬草なのかと 自問する 小型の藤の 藤豆の花」
「庭先に 普通に咲いてる 鳳仙花 解毒作用の 薬草らしき」
「栄養が 良ければ花も 大柄に 大きな梅雨草 大帽子花」
「外来の 香草なりやと 思うたに 野辺で会いたし 川緑の花」 
「紅の 花が空へと 伸びている 南国生まれの 唐綿の花」
「枝先に 赤き実行列 藪手鞠 赤き実自慢の 莢蒾(ガマズミ)一族」
「孫からの 暑中見舞いの 届きたり 病吹き飛ぶ 百薬の長」

07月25日
 〇今日も天気が良かったので、散歩に出かけたかったのですが、胸の痛みと咳が治まらないので、午前中の仕事を終え、午後2時頃から、聖蹟桜が丘の桜が丘クリニックという耳鼻咽喉科に行きました。午後の診察は、3時からだと書いてあったので、丁度3時にクリニックに行きましたが、既に5,6人の患者が待っていて、看護師から、診察は4時10分頃になると言われました。初診なので、色々質問票に答え、その後、1時間ほど、聖蹟桜が丘を散歩しました。
 〇4時に病院に戻ると、直ぐに名前が呼ばれ、診察が始まりました。背の高い椅子に座らされ、喉の奥を見られました。60過ぎているような年配の医者でした。医者は、私の喉を見た後、私の質問票への答えを見ながら、「全ての原因は鼻詰まりだな、口を開けて寝て、喉を痛めたのだ。痰は痛めた喉を回復しようとしているのだ。人間は、鼻呼吸で無いと、喉を痛めるし、頭の働きも悪くなり、頭を重く感じたりする。酒を良く飲むらしいが、酒の酔いが醒めないまま寝ると、口呼吸になり易いのだ」と診察結果を述べました。私が、「今まで、何度も酒の酔いが醒めないまま寝たことがあったのに、喉を痛めたのは、今回が初めてで、酒との因果関係が有るとは思えないのですが」と質問したら、「酒の酔いが醒めないまま寝ると、口呼吸になる可能性が高いと言っているのだ、昨晩口呼吸だったことが、現に喉に残っていたのだ、歳を取って抵抗力が弱まっていることを忘れないように」と声を荒立てられました。それでも、鼻の通りを良くする薬を入れてくれ、喉の治療のための吸引をし、耳の診察もしてくれて、診察が終わりました。
 〇薬局へ行って、処方箋の薬を貰うと、信じ難い量の薬でした。その後軽く買い物をして、6時頃に我が家に戻りました。酒の肴を作るなどして、6時半頃から、晩酌にしました。しかし、今日は先生の言いつけを守って、9時半頃には酒を止め、何種類もの薬を飲んで、鼻の通りを良くする薬も鼻に噴射して、11時半には、ベッドに入りました。明日、少しでも良くなると良いのですが、、、。
〇それにしても、令和に入ってから、人生で初めての皮膚科、耳鼻咽喉科の病院にお世話になりました。今日の先生が言っていたように、本当に抵抗力が無くなったことを痛感しました。
 
07月26日
 〇今朝は、なんと雲の間から、青山となった富士が、顔を出してくれました。一体何日振りの富士山でしょうか、一月以上会っていなかったような気がします。
 〇昨日の夜から、薬を飲み始めました。眠り薬も入っていたようで、トイレに起きたのは、2回だけでした。起きた後、痰を切るための咳の数が、少なくなったような気がしました。胸の痛みも、無くなりはしませんが、随分和らぎました。矢張り、薬というのは効くものなのですねー。有難い事です。
 〇青空が広がり、白い雲が流れ、すっかり夏空になったので、昭和記念公園に出かけました。一番花のない時期のためか、広い公園に人影が少なく、寂しい感じがしました。それでも、ナツズイセン(夏水仙)、キクイモ(菊芋)、ハス(蓮)、キキョウ(桔梗)などの花を楽しみ、四弁の常磐露草に似た花を見つけました。また、我が家に造花として飾ってある白鷺草の花に初めて出会いました。本当に白鷺が飛んでいるようでした。その後、秋には拾いに来る、ギンナン(銀杏)、椎の実などの生育状況も確かめながら歩きました。どうやら順調に大きくなっているようでした。大きなヒマラヤ杉が、山ほどの実を付けていましたので、二つだけ失敬してきました。片手では余るような大きさの実でしたが、まだ若く樹脂で覆われていて、手が樹脂でべとべとになりました。
 〇以前に、鬼胡桃の若い実を触った時も、同じように樹脂で覆われていました。色々な木が、若芽や若い実を樹脂で守るようです。何時か、良く晴れているのに、唐楓の並木の葉が、濡れているように見えました。これも樹脂でした。生物が、命を守る営みは、本当に不思議だと思います。
 〇久し振りに、散歩を楽しんで、5時過ぎに我が家に戻りました。体調が、昨日に較べ、大分良くなり、左胸の痛みも和らぎました。酒を飲まない方が良いのかも知れませんが、酒を飲まないと生きている感じがしませんので、今日も晩酌を楽しみました。

「窓の外 あの青きもの もしかして 青山となる 富士山なりき」
「青空に 白雲流れ 地は緑 待ち焦がれたる 夏景色かな」
「木が変わり 雲の形も 千変し 歩き楽しむ 夏景色かな」
「幾度も 飛び去りては 舞い戻り 私綺麗と 猩々蜻蛉」
「森の中 木漏れ日浴びる 夏彼岸 葉の無き花の 森陰ダンス」
「大空を 舞う白鷺の 形した 君はまさしく 白鷺草の花」
「銀杏も 皮を被った 椎の実も 秋の出会いに 備えているなり」
「木漏れ日に 光る水面に 飛び進む アメンボの足 銀の風船」
「亀さんも 石に登りて 首延ばし 行く白雲を 眺め楽しむ」
「道の上 赤詰草の 影の落ち 風に合わせて 二人で踊る」
「池の端 特等席に 陣取りて 月の出を待つ 待宵草かな」
「夏空に ヒマラヤ杉の 大木に ズラリ並んだ 若き実光る」

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2019年7月22日 (月)

2019年07月16日

2019年07月16日
 〇今日も夜明けから雨でした。関東地方は、日照時間が短く、野菜の生育などに大きな影響が出ているようです。
 〇今日の午前中は、約一週間振りに、日記をブログに投稿する作業をしました。日記そのものは、ほぼ毎日書いているのですが、書きっ放しなので、見直しをするのが大変でした。色々と変換ミスが多いですからねー。
 〇11時頃、日記の投稿が終り、それが少し明るくなったので、聖蹟桜が丘へ行き、先ずは郵便局に寄って、見つかったDVDを、コピーしてくれる友人に送りました。本当は、そこから東京薬科大の方へ行ってみたかったのですが、雨が一向に止む気配が無く、今日の散歩は諦めることにして、昼食をパン屋のイートインで食べました。丁度昼時だったので、大変な込みようでした。7割くらいは老人で、外国人もいました。最近は、何処のスーパーもコンビニも、弁当や食べ物のコーナーがとても充実しています。老人の多くが、私と同様に、3度の食事を、安価で手軽でバラエティーに富んだものにしたい、という要望に応えようとしているのでしょう、商売はニーズを見逃しては成り立ちませんからねー。日本は、世界一の老齢化社会になったようです。その後、少しの間、聖蹟桜が丘のデパートや商店街を彷徨いて、2時前には、我が家に戻りました。
 〇時間がたっぷりあったので、マテバシイ(馬刀葉椎)の実で、10羽のフクロウを作りました。目玉を付けて木の枝に接着するだけなのですが、30分少々掛かりました。その後、少しだけ書き物をして、録画してあった映画「踊る大捜査線」を見て、久し振りに野菜炒め作ると、7時近くになり、漸く晩酌の時間になりました。予定も無く、散歩も出来ないと、時間を潰すのは、結構大変です。

07月17日
 〇昨日のニュースで、トランプ大統領が、民主党の外国生まれの議員達に、「政治に関心があるのであれば、自分の国に帰って、先ずは自分の国を良くしろ」みたいなことを言ったようです。この議員達は、正規に移民として米国に受け入れられ、米国生まれの子供は、米国人の筈です。世界をリードする民主主義で移民の国の大統領が、こんなことを言ってはいけませんねー。こんなことを言う大統領には、「南北アメリカへの欧州からの移住者は、全てを原住民に戻し、欧州に帰って、先ずは欧州を良くしろ」と言ってやりたいですねー。力を持った人間は、何時も我が儘のし放題ですねー。民衆の側にも、「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」などと、権力者には逆らわない方が無難だとの考え方が強く、これが権力者を横暴にしている要因の一つでしょう。民衆には、自分の力だけでは生きていけない人達が多いですから。この意味では、フランス革命は、民衆の歴史に一石を投じました。共産主義革命も歴史を変えましたが、革命以降の国家運営では、理念が先行し現実離れしてしまいました。そして、共産党が独裁政治を行い、ある国では、共産主義という王朝を作ってしまいました。歴史は、今後も更に大きく変わるでしょうが、その変化をどれだけ見る事が出来るのか、人生は残り僅かとなりました。
 〇午後4時過ぎに家を出て、渋谷に行きました。大学のOB会の関係で、打ち合わせの必要が生じたのです。待ち合わせ場所は、渋谷マークシティー4階の喫茶店エクセルシオールでした。渋谷の町は難しいので、早めに出たのですが、井の頭線から出た所が、マークシティーでした。4階は食堂街になっていて、道玄坂に繋がっていました。
 〇6時に、他の関係者2名が来ましたが、喫茶店は満員で席が無く、銀座ライオンでビールを飲みながらの打ち合わせになりました。私は、望むところでした。それにしても、山手線沿線の大都会には、何時も物凄い人出です。魂消るとしか表現のしようがありません。
 〇打ち合わせは、1時間で終り、その後神泉駅の近くのイタリアンレストランで、スプマンテ、ワインを飲みながら、美味しいイタリア料理を食べました。打ち合わせに来た一人が、渋谷の近くに住んでおり、かつ、食通、ワイン通なので、助かりました。
 〇今日の昼間は、本当に久し振りに、太陽の顔を拝みました。それに加えて、夜10時半近く、我が家の近くでバスを降りた時、僅かな時間でしたが、まん丸い月を見ました。家に帰って調べたら、今日が満月でした。何時頃から月を見ていないのか、忘れてしまいました。それ程長いこと、月を見ていなかったのです。

07月18日
 〇今日は、CT検査で指摘された肺の中の小さな影を、肺の専門である呼吸器科の先生が、どの様に判断するのかを聞きに何時もの病院に行きました。予約時間は、11時20分だったのですが、例によって、1時間ほど遅れて、12時20分に診察室に入りました。その後、呼吸器科の先生と一緒に、3年前と先月のCT検査の結果を見ましたが、3年前から既に影があり、先月の物と同じとしか見えませんでした。先生も、「成長しているとは思えない」と言っていました。と言うわけで、そのまま帰る事が出来ると思ったのですが、同じ病院の外科の先生から頼まれたので、何もせず返すわけにはいかなかったらしく、PET検査を、武蔵村山病院でやることになりました。PETの検査機は、最新の物で、府中の総合医療センターには無いそうです。8月22日に検査して、結果は8月30日に教えてくれるそうです。無罪放免となるかどうかは、また延期になりました。
 〇実は、PET検査をするかどうか、私の意思を確認されたのですが、その時私が「今年で、後期高齢者になるので、どう生きるかも大事だけど、どう死ぬかも大事になってきました。癌は、考えようによっては、安楽死の一つの方法なので、肺の中の影が癌であってもなくても、どちらでも良いから、PETの検査は必要ない」と言って仕舞いました。先生は、病院の中でそんなことを言うかと言うような厳しい顔になりましたので、検査そのものが、身体に悪影響を及ぼすものでなければと言う条件付きでOKしたのです。
 〇病院を午後1時頃出て、昔鎌倉街道だった史跡の道を歩き、西国分寺の恋ヶ窪に行きました。そこで線路脇の雑木林を歩いて姿見の池へ出て、昼食にしました。どこからともなく蚊が集まってきて、沢山刺されました。昼食後、日立の中央研究所の脇を通って、国分寺まで歩きました。姿見の池は、野川の源流の一つです。午後4時半に、都心の大学で人と会う約束をしていましたので、国分寺駅ビルの最上階で、ビールを飲みながら時間を潰しました。最初は、広い店に客は、私一人でしたが、その後少しずつ客が入って来て、ほっとしました。
 〇大学での用事は、30分ほどで終わり、そのまま家に戻りました。途中で買い物をしましたので、家に着いたのは、7時を過ぎていました。今日は十六夜の月の筈でしたが、雲隠れしていました。

「梅雨時の 暗き森陰 魔物住む 異様な白さの 茸立つなり」
「餌撒きの 爺様のお陰で 肥り過ぎ メタボの鯉の 姿見の池」
「池見つつ 握りを一つ 頬張れば 何を怒るや 蚊達我刺す」
「池の端 湿地を埋める 禊萩の 空へと向かう 紫の花」
「禊萩の 向かいに白き 葉が並ぶ 花より葉っぱの 半夏生かな」
「大柄の 花にて向き合う シジミ蝶 ここを我等の 新居にしよう」

07月19日
 〇病院通いが続きます。今日は、午後から癌検診センターで、この前実施した大腸検査の説明がありました。かなり沢山のポリープがあり、大きい物を5つ切除したそうです。その内の一つを組織検査したところ、癌では無いことが判明したそうです。今度の検査は2年後くらいで良いと言われました。大腸に関しては、無罪放免となりました。
 〇医者の説明が終わったのは、3時近くでした。この近くは、この所良く歩いていますので、何処を歩こうか、迷ってしまい、結局はそのまま家に戻ることにしました。なんだかんだと、家に着いた時は5時近くになっていました。
 〇家に着いたら、コピーを頼んでおいたDVD50枚が届いていました。コピーを頼んだ友人は、仕事が早くて的確なので本当に助かります。1枚試しに見てみましたが、何の問題もありませんでした。長い間の懸案が、漸く片がつきました。
 〇その後、またフクロウ(梟)を作りました。以前、小さな木の器に、皮付きのムクロジュの実を、山盛りにして固定してありました。今日は、目を書くだけでした。ムクロジュの実の皮は、表面が滑らかでは無いので、目を上手に書くことが出来ず、変な表情のフクロウになってしまいました。それはそれで、可愛いものです。
 〇7時頃から、巨人―広島戦を見ながら、晩酌をしました。前半リードされていた広島が、8回裏に逆転しました。アンチ巨人の私としては、非常に気分が良く、美味しい酒が飲めました。

07月20日
 〇今日は、月に1回の学園の理事会の日でした。7時に家を出て、10時10分前に、学園に着きました。10時から予定通り、理事会が始まりました。学事報告とか、授業料値上げの可能性に関するシュミレーション結果などについて、一時間ほど議論した後、パワハラ先生に対する懲罰委員会の決定についての審査になりました。過去からの先生の行動傾向、パワハラの事実関係、保護者の反応、学校側の一時的対応、懲罰委員会が開かれた理由、懲罰委員会の決定の根拠等々、検討すべき事項が多く、通常は11時半くらいに終わる理事会が、午後1時過ぎまで続きました。普段の理事会では、発言の機会の無い監事の私ですが、今日は、先生達へ如何なる行動がパワハラになるのか周知されているか、どの様な場合に懲罰委員会が開かれるのか、懲罰委員会の開催は適切だったか、パワハラを犯した先生の反論をきちんと聞いたか等、主としてルールの適用が適切であり、意図的で無かったか、確認しました。
 〇今日議論されたパワハラの問題は、私の中学高校時代には、暴力とは呼べない程度の、可愛い物でした。時代が変わったのですねー。善悪とか、価値観とか、人間の内面に関わる事については、器用に時代に合わせることは、難しいことだと思います。私自身も、難しいと感じています。少年時代に、身体に染み込んだことは、容易に無にすることは出来ないからです。この学園の監事になったお陰で、学校教育の大事さと難しさを経験させて貰っています。
 〇学校を出たのは、2時過ぎになっていました。先月と同じように、上野公園に寄ってみました。先月は台湾フェスティバルが行われていましたが、今月は日本フェスティバルでした。色んな地方の、食べ物が並んでいました。昼食は食べたばかりだったので、松方コレクションの展示会を見ようと思ったら、入場券を買うのに、長い行列が出来ていましたので、諦めて帰りました。
 〇夕方から、昨日と同じように巨人―広島戦を見ながらの晩酌になりました。今日も、広島が逆転して勝利しました。昨日に続き、美味しい酒を飲みました。
 〇9時から、是枝監督の映画「万引き家族」を見ました。様々な賞を貰っただけあって、現代の家族のあり方を風刺した、比較的良い映画だったと思います。しかし、宣伝の多さに閉口しました。今後、映画は一旦録画し、宣伝をスキップできるようにして見ることを決心しました。

07月21日
 〇未明まで雨だったようですが、その後は、一日中曇り空でした。洗濯物が、洗濯槽からはみ出すような状態になっていたので、部屋干し覚悟で、洗濯をしました。
 〇午前中の仕事を一通り終わってから、参議院選挙の投票に行って来ました。もう一度、政権交代をやって貰いたくて、立憲民主党に投票しました。現在の自民党政権、特に安倍政権は、表面を取り繕うばかりで、日本の現状をどの様に見ているのか、今後日本がどの様に進むべきかといった根本的なことは、意図的に避けているような気がしています。取り返しのつかない崩壊への道を、ひたすら歩んでいるような気がするのです。しかし、現在の私は、社会の現実の諸問題に関して、以前のような、興味も問題意識も薄れてしまいました。日々健康で、苦しみの無い最後を迎えられるよう願うばかりです。
 〇選挙後、「南アルプスの天然水」を3箱買って家に置き、多摩川の河原に出てみました。丁度川鵜達の昼餉時だったようで、水嵩の増した川を100羽近い川鵜が、細長い首を並べて餌場に向かっていました。この川鵜の漁を、どの様にして情報を得るのでしょうか、次々に青鷺や白鷺も集まってきました。何度も見ている光景ですが、何時見ても壮観です。
 〇川鵜の漁を見ていたら、娘から電話があり、今から迎えに行くと連絡がありました。今日は、8月3,4日に、家族全員(10人)で海に行くので、その時の酒とか酒の摘まみを一緒に買うことにしていたのです。私が、家に着いて直ぐ、娘達がやって来ました。車で、娘達の家の近くの大型ショッピングセンターに行き、大量に買い込みました。我が家の家族で飲む時が、一番飲み食いが激しいような気がします。
 〇5時から、娘の家で、早めの夕食になりました。一昨日から、上の孫は日光の方に修学旅行だそうです。そう言えば、来年は小学校を卒業するのでした。矢張り、兄妹は全員いないと調子が狂うようで、孫娘も末の孫も、幾分大人しかったような気がしました。大人達は、直ちに酒を飲み始め、なんやかやと話が弾んで、5時頃から9時半過ぎまで飲みました。孫達は、「大人が酒を飲み始めたら、仲間には入れない」と悟っているようで、ゲームしたり、勉強をしたり、思い思いに時間を過ごしていました。今の政治が、この孫達の将来を、平穏で豊かなものにして欲しいと思います。これだけは、どの政党に対しても同じ思いです。

「奥多摩の 水を集めて 流れゆく 梅雨の多摩川 大河の趣」
「川鵜等が 首を伸ばして 大行列 昼餉の餌場 数は足りるや」
「何処からか 川鵜の漁を 聞き及び 川鵜の猟場に 鷺等も集まる」
「月見には 特等席の 土手なりや ズラリ並んだ 月見草の花」
「曇れども ヘクソカズラの 花の時期 お日様を呼ぶ ラッパが並ぶ」 

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2019年7月16日 (火)

2019年07月09日

2019年07月09日
 〇今年の梅雨は、梅雨らしい梅雨です。この所暫く太陽を見ていません。気温も上がらず、7月だというのに、関東地方は、一度も真夏日がないそうです。この原因の一つとして、太陽の活動が、100年に1度と言われる規模で、活動が低下しているそうです。地球温暖化が叫ばれる中で、確かに異常な気候です。7月になったというのに、まだセミの鳴き声を聞いていません
 〇今日は、妻と夕食を一緒にすることになっていました。都心に出る前に、吉祥寺の「小ざさ」に寄りました。妻が、久し振りに「小ざさ」の白最中が食べたいと言ったからです。ところが、残念なことに「小ざさ」は、火曜日が定休日でした。もう50年ほど前になりますか、前妻と結婚したばかりの時、吉祥寺に5年ほど住んだことがあります。その時、既に「小ざさ」はあり、半間間口の小さな店で、婆さんが餡作りをしていました。その後、「小ざさ」は、とても有名になりましたが、昔と同じように、終戦直後を思わせる、半間間口の小さな店で商売をやっています。この近くに、ハーモニカ横丁がありますが、この横丁全体が、戦後の闇市の頃を今に残しています。
 〇5時少し前に、神楽坂の妻のアパートに行き、昨日買って置いた、鶏の軟骨を渡し、二人で、神楽坂の小路をふらつきながら、夕食の店を探しました。神楽坂は、飲食の町と言っても良い程、沢山の料理屋があります。しかし、芸者が居るような超高級な料亭、芸者は居ないけど高級な料理屋、最近のチェーン店を除くと、食べる所を探すのは、難しい所です。結局、秋田の比内鶏の料理屋に入りました。妻は、お腹が空いていたのか、出て来る料理を次から次に平らげました。私は、酒を飲みながら、ゆっくり食べる方なので、私の所だけに、料理が残りました。6時少し前に、入ったのですが、7時頃には、ラストオーダーだと言われました。本来予約しなければならないところ、遅い時間からの予約の席に案内されていたようです。事前に、そのことを教えて欲しいと思いました。
 〇7時半には、店を出て、行きつけのバーに行きました。ふとした弾みから、満蒙開拓の話になり、妻の若い頃の話になりました。妻は、ちょっと右翼系の人間に惹かれる傾向があったようです。私も、その内の一人なのかも知れません。私の考えは、平和主義なのですが、高校がバンカラ高校で、若い頃は、旧制高校の五寮の健児のような生活に憧れていました。満蒙開拓は、フロンティア精神と繋がり、バンカラとも繋がる感じがしたのです。実際問題としては、満蒙開拓は、他国の領土を奪取するわけですから、非常に悪いことだと思います。確かに、満蒙の人にとっては、腹立たしい事だったと思います。しかし、南北アメリカで、欧州各国が行った事は、変える事の出来ない歴史になっており、アジアの殆どの国は、欧州列国の植民地でした。日本は、この欧州の真似がしたかったようですが、許されませんでした。意見は多々あると思いますが、トランプ大統領が言わんとしているように、白人は何をやっても良いが、イエロー・モンキーが白人の真似なんかするなと言うことなのでしょう。第2次世界大戦以降、世界は、差別の無い平和な社会を作ろうとする人達も増えましたが、未だに差別は、多くの人達の心の底に、しっかりと残っています。
 
 
07月10日
 〇今日は、何時もより洗濯物が乾きやすいというので、早めに洗濯をしました。今年の梅雨は、洗濯できる日がとても少ないと思います。
〇今年は、胃癌手術後丸3年となり、6月に多くの検査をしました。今日は、手術をしてくれた担当医から、検査結果についての考察を窺いました。担当医に拠れば「大きな問題は無いと思われるが、肺に小さな影があるのが気になるから、呼吸器科の先生の判断を知りたい」とのことで、来週呼吸器科の予約を取ってくれました。問題無しかどうかは、来週に持ち越しになりました。
〇病院の後は、何時ものように、武蔵国分寺、国分寺史料館、おたかの道、真姿の池、本多家、殿ヶ谷戸庭園まで歩き、バスで府中に立ち寄って、チューバスで我が家に戻りました。家に着いたのは、4時近くでした。真姿の池では、アメンボの面白い写真が撮れました。この地域の旧家である本多家で、摘んだばかりのトマトを買いました。また、今日は、旧本多家の長屋門の2階が開放されていましたので、見学させて貰いました。殿ヶ谷戸庭園では、何時ものように昼食を食べ、ヒメヤブランや百合、ヒメヒオウギスイセンの花などを楽しみました。久し振りに、散歩らしい散歩をしました。

「若緑 花簪を 身に纏い 公園賑わす 南京櫨の木」
「梅雨曇り 今が君等の 花の時期 可憐なる花 姫薮蘭」
「梅雨の雨 生きる力の 素となり 苔敷き詰める 寺の境内」
「墓石を 覆うが如し 竹似草 この地の旧家 本多家の墓」
「清水湧く 暗き森陰 半夏生 未だに夏は 盛りとならずや」
「大木の 幹よじ登る 緑苔 幹に滴る 梅雨の雨かな」
「本多家の 隠居部屋とか 長屋門 門と言うより 屋敷なるかな」
「アメンボの 姿を映す 水面かな 上下合体 真姿の池」
「藤蔓よ 何を求めて 手を空へ 藤棚生活 物足りなきや」   

07月11日
 〇今日は、大学のOB会関連の仕事で、朝10時には家を出て、丸の内のビルに行きました。結構な時間をかけて、いろいろ話したのですが、話の内容は、口外してはならないとのですので、書くことは止めます。
 〇5時過ぎに家に戻ったら、今日は休みでは無いはずなのに、次男がいました。風邪を引いたような感じで、身体がふらつき痛みもあり、とても仕事に出かける状態では無かったようです。私の晩酌に、酒を飲まずに、少しだけ付き合ってくれました。

07月12日
 〇今日は、学生時代の恩師への動画のDVDの関係で、学生時代からの親友Oと、大学のOBクラブで会いました。5月、Oを含め、仲間と一緒に湯河原へ旅行した時に、認知症気味だなーと思っていました。今日、用事が終わった後、二人で酒を飲みながら、ゆっくりと話をしてみて、明らかに軽度の認知症だと思いました。昔話が、途切れ途切れになりましたし、短時間の間に同じ話の繰り返しが多くなりました。もう1年もすると、私の事も記憶から消えてしまうかも知れません。彼は、短期間に胃癌、膵臓癌を患い、切除してしまいました。この時の入院生活が、認知症を招いたのかも知れません。外界と隔離された、病院生活では、脳が旨く機能しなくなるのではないかと思います。私も経験があります。それにしても、何時もながらのOの笑顔が、目の前にあるのに、話がうまく噛み合わないもどかしさから、強烈な寂しさが込み上げてきました。歳を取ると言う事は、こういう事なのだと見せつけられたような気がしました。

「君無くば 我が青春は 中半消ゆ 思い出頼りの 老いらくの道」

07月13日
 〇相変わらずの梅雨空でしたが、幾分明るい感じがしたので、洗濯をして、11時過ぎから、聖蹟桜が丘まで歩きました。5日ほど前に歩いた河原の道を歩きました。ハルシャギク、ハルジョオン、カワラサイコ、アカツメクサが、未だに勢力を保っていました。その中で、ヤブカンゾウとマツヨイグサ等が勢力を伸ばしていました。
 〇聖蹟桜が丘で用事を済ませ、多摩川の縁で、遅めの昼食にしました。外気の中での食事は、食べることを負担に感じないための、私なりの方法です。コンビニやスーパーで売っている弁当を、とても美味しく食べることが出来ます。
 〇夜は、地元の稲荷神社の祭に行こうと思っていたのですが、小降りとは言え、雨が降ってきましたので、止めることにして、オールスター野球とウィンブルトンテニスの女子決勝を見ました。野球では、サイクルヒットを含む5打数5安打、若手の素晴らしい活躍を見る事が出来ました。テニスは、ルーマニアの小柄な選手に、セレナ・ウィリアムスが負けてしまいました。セレナも37歳となり、かなり動きが鈍くなりました。子供を産んだ後、4大大会での優勝が無いそうです。1度くらいは、子供のためにも優勝して欲しいのですが、難しいような気がします。

「土手の上 並んで雨雲 恨めしげ 宵待草の 失意は続く」
「何時になく 河原の道も 水多く 河原柴胡も 背高のっぽ」
「波斯菊 河原柴胡に 草の王 黄色き花の 競い咲くなり」
「顔寄せて 明日を語るか 紋黄蝶 瀬音も高き 多摩川の縁」
「棘多く 継子虐めの 太き茎 花は可愛い 荒れ地花笠」
「捕まえて 翅を広げる 相方を 追うのも楽し 褄黒豹紋」
「熊ん蜂 悪茄子には 目もくれず 赤詰草に 顔を埋めけり」
「道脇に 春を醒ませし 壺菫 白き三菱 花の跡かな」
「花好きの 家の庭にて 花開く 中国伝来 鍾馗空木」
「我愛す 第二の故郷 メキシコの 慣れ親しんだ サボテンの実」

07月14日
 〇朝から、雨でした。こんな中でも、ランタナは、我が家のベランダで太陽のような花を沢山咲かせています。ブライダルベールは、今年は育ちが悪く、飾りの少ないベールのままです。
 〇昨日の夜から、喉に痛みがあり、痰も絡むため、満足に眠れませんでした。頭がボーッとしています。それにしても、今までに経験したことの無いような、身体の変調が次から次に起こります。もう5年くらいは、元気で生きられるだろうと高を括っていたのですが、高望みだったようです。延ばしに延ばしていた身辺整理に、手を付ける気になり、先ずは子供達に対して、私の葬式をどうするか、預貯金や財産、飾ってある絵や置物等の謂われなどについて、書き物にして置くことにしました。そして、我が家のルーツについても、調査を開始することにしました。
 〇午後3時半頃、一時的に雨が止んだので、四谷文化センター祭に行ってみました。今月で、アパートの理事の役も終わるので、最後のご奉公です。会場には、舞台が作られていて、小中学生によるブラスバンドの演奏会もあったようですが、私が行った時は、小父さんの独唱をやっていました。周りには、出店も多くあり、結構な参加者で賑わっていました。しかし、知っている同じアパートの人を見つけられなかったので、早々に退散しました。
 〇四谷文化センターから、近場を歩いて帰りました。現在、私が住んでいるアパートの周辺は、開発ラッシュの感があります。近くに、中央高速のインターがあるため、目立つのは倉庫の建設です。四谷地区は、比較的田畑が残っていたのですが、四角い大きな箱ばかりが増えています。しかし、このような建設ラッシュを見ていると、日本の経済も満更ではないのかなと思ってしまいます。
 〇午後5時近くに家に帰ると、郵便箱に何時も大学のOB会の件でお世話になっている女性から、DVDが届いていました。病気の恩師へ送った励ましのメッセージが入ったDVDでした。外国にいた恩師に、メッセージは送ったのですが、メッセージを送った人達に、メッセージのDVDを渡そうとした時に、何処でどの様に話が行き違ったのか、このDVDを探すのに随分時間が掛かりました。しかし、今日で一件落着です。

「空を見て 沈む心の 我を見て 元気をお出しと ランタナの花」 

07月15日
 〇7月も中半になりました。今朝も起きた時は雨でした。喉の痛みと咳は、一所懸命うがいをしたり、喉ヌールスプレーで薬を塗ったりしたため、幾分良くなりました。
 〇雨が、一時的に止んだので、11時頃から郷土の森公園に行き、その後、下川原緑道を歩いて高安寺へ寄り、府中駅の方まで歩きました。
〇郷土の森公園では、先ず運動公園の方の、大賀蓮など多くの種類の蓮を育てている蓮池に行きました。沢山の蓮の花が咲いていましたが、最盛期は過ぎたようでした。ただ、水面の平らな蓮の葉には、今朝までの雨が粒となって残って、銀色に輝いていました。強い日差しがあると、どんな輝きになるのでしょうか、そんなチャンスに巡り会いたいものです。その後、紫陽花祭の終わった本園の方を、ゆっくり歩きました。花期の終わった紫陽花の花が切り取られ、地上に捨てられていました。毎度のことですが、胸が痛みました。
〇郷土の森公園から、下川原緑道に出ました。両脇に色んな種類の池貝があり、蜘蛛の巣団地が出来ていました。丸刈りにされている生け垣は、蜘蛛が巣を作りやすいようです。蜘蛛の巣も、ダイヤモンドの宝箱になっていました。この宝は、蜘蛛にとっては、やっかいな代物のようで、巣の主が、困った顔をして、宝箱を眺めていました。
〇高安寺、大国魂神社と歩き、府中駅まで行きましたが、今日は特に用事も買い物も無く、そのままチューバスに乗って、我が家に戻りました。

「現代に 蘇りし 古代蓮 古代の人と 同じ花見る」
「花の下 雨粒残る 銀筵 仏も喜ぶ 雨後の蓮池」
「雨上がり 木々の木の葉に 雨雫 弱い日差しも 雫を銀に」
「紫陽花も 祭終われば 首斬られ 人の都合に 恨みも言えず」
「曇り空 水面に浮かぶ 錦織 気持高める 睡蓮の花」
「せせらぎの 水面に己の 影落とし 見事な演出 梅雨草の花」
「水田の 畔に似合いの 藪甘草 朱さが映える 田圃の緑」
「蜘蛛の庭 転がるダイヤに 蜘蛛嘆く お腹の足しに なれば良いのに」   

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2019年7月 9日 (火)

2019年07月05日

2019年07月05日
 〇相変わらず、どんよりとした曇り空でしたが、天気予報では、珍しく外干しが出来ると言っていましたので、取り敢えず洗濯をしました。その後、軽く日記の手直しをして、聖蹟桜が丘の皮膚科に歩いて行きました。
 〇丹念に薬を塗っているのですが、掌のカサカサ感が、一向に直らないのです。この掌の症状は、細菌とかによるものではなく、身体の機能の変調に拠るもののようです。早く言えば、老化現象の1つだと言えます。そうだとすれば、この病気は、基本的には、直らないのだろうと思うようになりました。待合室を見回すと、九割の患者が、老人でした。どうも私と似たような症状の人が多いようでした。私と同じように、医者との話は3,4分、待ち時間は1時間、塗り薬を貰って帰っているのです。
 〇皮膚科の後、軽く食事をして、スーパーで果物を買って帰りました。次男と一緒に暮らしていますが、生活のパターンが合わず、独居老人と変わらない生活をしています。独居老人にとって、日に3回の食事は、結構な作業です。朝食は、前の日の残り物か、レトルト食品で間に合わせています。但し、果物とアロエヨーグルトは欠かしません。昼食は、7割くらいは、スーパーやコンビニの弁当です。夜も、スーパーで買って来た、出来上がりの酒の摘まみが多いのですが、最低一つは手作りの物を食べるようにしています。胃癌の手術前のように、1日2食に、早く戻せたら良いと思っています。

「老いたれば 感覚機能の 劣化して 頭脳の働き 支障を来す」

07月06日
 〇今日は、年に1度のローマ会の日でした。手術後、3回ご無沙汰をしていましたので、久し振りに往事の友達の顔を見ました。ローマという町の雰囲気のせいか、皆明るく気の良い人達ばかりで、「おー、生きていたのか、良く出てきたなー」と大歓迎してくれました。12時から16時まで、良く飲み良く話しました。誰もが、「来年は、若しかするとこの世にいないかも知れない、これがこの会への最後の参加になるかも知れない」、そんな気持を心の片隅に宿しているような、飲みっぷり、話しっぷりでした。本当に、楽しい一時を頂きました。幹事に感謝です。
 〇ローマ会の後、姉妹校と定期戦をやっている母校の大学を訪れました。学内での試合は、体育館で行われる種目ばかりで、バドミントンの仕合を見ました。近くで見ると、バドミントンの試合も、中々迫力がありました。
 〇バドミントンの仕合を見た後、近くの酒場で、我が校及び姉妹校の同じクラブの現役とOBの懇親会が行われました。今年は、60回目の記念大会でした。なんやかやと、姉妹校のクラブの連中と、正しく兄弟姉妹のように、付き合って来ました。本当に有難い事です。孫の年代の現役の頑張る姿を見ていると、思わず涙ぐんで仕舞いました。今日は1日、美味しい酒が飲め、多くの人達と話し、楽しい1日を過ごさせて貰いました。

「人生の 同じ場面を 共有す 同じ気持の 友等の集まり」

07月07日
 〇今日は、七夕です。中国の重陽の節句の一つだと思いますが、私は子供の頃から、年に1度織姫(織女星)と彦(牽牛星)が会える日だと思っていました。しかし、七夕の頃は、何時も梅雨時で、年に1度の逢瀬が実現できない、悲しい日だと思っていました。私自身、七夕の日に星空を見た記憶がありません。
 〇今年も朝から、一日中雨が降っており、アパートから1歩も外に出ませんでした。テレビばかり見ているのは嫌なので、フェイスブックに写真と和歌擬きを10首投稿しました。毎月、1000枚以上の写真を撮り、100種近い和歌擬きを詠んでいるため、その中から選んで投稿するのは、結構手間暇の掛かる作業になるので、余程時間が無いとやらないのです。今日も、思ったようにパソコンが動いてくれず、投稿までに3時間近く掛かりました。
 〇それでも時間があったので、またしても「乱れる」という、成瀬巳喜男監督、高峯秀子・加山雄三主演の映画を見ました。矢張り終戦後、高度成長期が進行している頃の物語で、戦死した兄の嫁に惚れる、弟と兄嫁の恋の物語でした。映画の中味はともかく、1964年に作成された映画ですから、私は当時20歳、加山雄三は27歳の筈です。それが、現在82歳の加山雄三と余り変わらない顔付きでした。歳を取らないというのか、成長しないというのか、健康というのか、いやはや驚きました。
 〇今日、17時半から、アパートの災害対策委員会、18時から理事会がありました。両方とも今期最後の会合でした。10数年後に、また、理事会の仕事が回ってくるのですが、恐らく、その時までは生きていないでしょう。
 〇今日は、理事会が終わってから酒の肴を作り、8時過ぎからの晩酌になりました。買って来た、焼くだけのピザに、私が作ったミートソースを塗り、チーズを加えて焼きました。一味美味しくなりました。また、ニンニクたっぷりの茸のアヒージョも作りました。美味しい晩酌になりました。

「アパートの 二百世帯が コミュニティー 細き絆の 社会なりけり」
「来世紀 如何な社会に なりたるや 想像できぬ 変化の大きさ」

07月08日
 〇朝早く妻から電話があり、最近の気候のせいか、疲れ気味だと嘆いていました。また、「膝の痛みも中々思うように直らないので、コラーゲンが不足しているのでは無いか」と言っていました。そこで、私が、「鶏の軟骨には、コラーゲンがたっぷりある」と言うと、妻は、「私が行くスーパーでは軟骨を見かけたことがないので、買って来て欲しい」と頼まれました。
 〇11時過ぎから、聖蹟桜が丘のスーパー2軒を梯子しましたが、妻が言う通り、鶏の軟骨は置いていませんでした。我が家の近くの西友にもありませんでした。仕方なく、私が何時も軟骨を買う石田大橋の近くの、SVスーパーに行くと、何時ものように軟骨が置かれていました。取り敢えず、妻へのお土産は買うことが出来ました。
 〇石田大橋の近くの土手で、最近の雨で水嵩の増えた多摩川を見ながら、昼食にしました。2時近くになっていました。最近、空腹感を覚えるようになりました。胃は取ってしまったのに、何処が空腹の信号を脳に送るのでしょうか、不思議な気がします。それにしても、人間の身体は、凄い機能を持ったシステムだと、つくづく思います。
 〇昼食後、土手の道を歩いて帰りました。つい4,5日前には、蕾だった藪甘草が、至る所で赤い花を咲かせていました。90%は藪甘草なのですが、1箇所だけ、野甘草のエリアがあります。その場所に行ってみると、今年もキスゲに似た、綺麗な花を咲かせていました。どの花も、私は一重の方が好きです。ハルシャギク、ハルジョオン、カワラサイコも依然として勢力を保っていました。新しい花と言えば、ニワウルシ(庭漆)が花を咲かせていました。
 〇家に戻った時は、3時を過ぎていました。妻へのお土産とは別に、私の酒の肴用に、2種類の鶏の軟骨と鶏皮、ツブ貝と青柳と貝柱も買って来ました。4時過ぎから酒の肴作りに励み、鶏皮と踝の軟骨は、唐揚げ粉を塗しトースターで焼きました。手羽の方の軟骨は、塩もみにして暫く干して(本当は1日日光に当てたい)、矢張りトースターで焼きました。ツブ貝と青柳と貝柱は、何時ものようにアヒージョにしました。全部が出来上がったのは、6時半近くで、丁度晩酌の時間になりました。

「何処もかも 緑1杯 多摩の土手 朱く目立つは 藪甘草の花」
「白赤黄 土手の勢力 三分す 暗き中にも 梅雨時の花」

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2019年7月 5日 (金)

2019年07月01日

2019年07月01日
 〇今年も後半戦に入りました。毎年のことですが、重苦しい梅雨空が続いています。日差しは、全く望めないのですが、孫達が泊まっていったので、シーツ等の洗濯物が溜まって居ましたので、2回に分けて洗濯し、乾燥機にかけました。乾燥機は、非常に時間が掛かるので、年に数度しか使わないのですが、今日は、1日に2回も乾燥機を使いました。9時頃から洗濯を始めたのですが、全てが終わったのは、午後3時過ぎでした。お陰で、映画「家族はつらいよ」の1,2を見てしまいました。長くソファーに座りすぎて、腰が痛くなってしまいました。
 〇3時過ぎから、昔道を辿って、中河原の駅まで歩きました。帰りは、土手を歩こうと思ったのですが、ポツリポツリの雨が、本降りの雨になったので、チューバスで我が家に戻りました。この一週間ほど、まともの歩いていないので、欲求不満が溜まっています。
 〇夜は、誕生会の日から飲み始めて、何の問題も無かったので、晩酌を楽しみました。食べると言うことも楽しくなり、「酒は人生の友」を改めて噛み締めました。

「酒ありて 一日の閉め 心待ち 飯も旨いし 酒は我が友」

07月02日
 〇昨日、墓を管理している寺から、墓の様子を写真に撮った手紙が届きました。大きな木の枝が伸びているので、根から引き抜いて欲しいとのことでした。若し、その作業を寺に委託する場合は、5,400円との見積もりが、同封されていました。
 〇墓の木を抜くだけで5,400円馬鹿らしい、何時も飲んでいるワインが、10本も買えるので、墓掃除に行ってきました。墓までは、高尾山口から、梅の木平の方まで歩かなければなりませんが、昨日の空と違って、比較的明るい空だったので、行く気になったのです。墓に着いたら、墓は送られてきた写真の通りでした。墓に生える木だから、大した事は無いと思って、園芸用のシャベルと生け花用の鋏だけを持っていきました。しかし、持って行ったシャベルでは、根の方が、掘れない状態でした。根が石の間に入り込んでいたのです。鋸を持って行くべきでした。仕方なく、木を途中から折って、幹の皮を全部剥いてしまい、立ち枯れ状態のする事にしました。この作戦は、一応成功しましたが、大汗をかいて仕舞いました。まー、暫くは寺から文句を言われることはないでしょう。
 〇墓掃除を済ませて、近くの「うかい竹亭」に行ってみました。石垣の苔が厚みを増して、とても綺麗でした。「うかい竹亭」から少し先、谷戸の一番奥に、足を伸ばしました。何だか、とてもすっきりして違和感がありました。そうです、此処には、3階建ての立派な介護老人ホームがあったのです。今は更地になっており、それで、違和感を覚えたのでした。何故、建物を壊したのか、詳しい理由は分りませんが、人気の無い谷戸の奥の老人ホームは、何となく癩病の隔離病院を思わせました。
 〇思いがけなく、この更地で、沢山の贈り物を貰いました。更地の土の上で、ミヤマカラスアゲハの求愛シーンをじっくりと見せて貰いました。更地の周りには、以前は老人達が歩いたのでしょう、山際に小径が残っていて、紫陽花、南天、クチナシ等が花を咲かせ、イチジクが、実を付けていました。ここに居た老人達も、楽しんでいたのでしょう。紫陽花や南天などは、人が手入れをしないので、沢山の蜘蛛の巣があり、銀の水玉が紫陽花の首飾りになっていました。以前畑だった所には、赤ジソ、青ジソが沢山生えていましたので、赤ジソを少し分けて貰いました。帰り道の石垣では、5枚葉と2枚葉の蔓性の草が、とても魅力的でした。マタタビやムラサキシキブの花も咲いて居ました。矢張り、外を歩くと、色んな事に出会いますねー。
 〇梅の木平から高尾山口に戻る時、虎の尾が沢山咲いていたので、写真を撮っていたら、「これから先、道は無いぞ、此処は俺の屋敷内だからな」と私よりも年上のお爺さんに叱られました。確かに、川沿いに細い道があったのですが、爺さんの屋敷に行く道が、広くて立派だったのです。色々ありましたが、高尾山口へ戻り、林野庁の展示場や、以前孫達と来たことのあるクラフト作成場を見ました。何か一つ作品を作ろうかと思って、木の実や様々な材料を集めていたら、材料を作っていた小母さん(林野庁の役人)がやって来て、「実は、クラフト作りは、4時までなんですよ、あと20分で作れますか」と言われ、取り敢えずクラフト作りは、止めることにしました。しかし、その後4時まで、小母さんの自然のバラエティーに関する持論を、聞く羽目になりました。
〇その後、ビジターセンターに立ち寄り、ケーブルカー乗り場の前の店で、「棗チップ」を買い、別の店で、フクロウの鳴き声を吹くことが出来る「ふくろう笛」を買って、我が家に戻りました。午前11時過ぎに家を出て、午後5時過ぎに我が家に着きました。
〇貰ってきたと言うべきか、盗んできたと言うべきか、赤ジソを茹でて、赤ジソ水を作りました。最近は、作りませんが、以前は良く作っていました。何の味付けもせず、冷やすだけで、すっきりとした飲み物になります。健康にも良いそうです。

「せせらぎを 眺める紫陽花 風情あり 好きになれない 山盛り紫陽花」
「梅雨の雨 白く砕けて 流れ落つ 高尾の川も 深山渓谷」
「河原から 舗装道路に 居を移し 優雅な物腰 荒地花笠」
「白滝の 飛沫浴びつつ 花咲かす 赤芽柏の 希なる勇姿」
「梅雨時の 霞の中で 雅なり 名前負けせぬ 紫式部」
「墓の中 赤き梅の実 ただ1つ 食べておくれと 誘うが如し」
「もう君が 我が目疑う 女郎花 これから夏が 来るというのに」
「緑濃き 夏の林に 白き葉の 独り際立つ マタタビの木」
「梅雨時に 苔生す石垣 仲間呼び 緑の下地に 野草の展示」
「深山で 黒衣に瑠璃の 帯巻いて 愛の告白 アゲハ蝶かな」
「紫陽花に 蜘蛛の巣団地 出来上がり 花も装う 銀の首飾り」
「霞濃き 高尾の山を 背に負いて 美容柳の 黄金が光る」
「谷戸の奥 ひっそりと咲く 梅雨草の 雨を楽しむ 姿見惚れる」
「松の木の 蜘蛛の巣団地 高層化 銀のベランダ 空へ届かん」
「繁る葉の 奥にひっそり 白き花 二輪並んで 仲良しこよし」
「背の曲がる 老人一人 草むしり 働く姿 我は見るだけ」
「石垣に 子の手蔓の葉 垂れ下がる 君を伝いて 雫が落ちる」
「二枚葉が 並んで下がる 君の名は 教えてくれれば 皆に伝えん」
「藁葺きの 苔生す屋根の 重たそう 大和国の 侘びさびあれど」
「草陰を 匍匐前進 虎達の 姿見えねど 白尾が揺れる」
「庭先の ペレペラ嫁菜の 蜜を吸う 君は馴染みの 紅シジミ蝶」
 
07月03日
 〇今日も、比較的明るい空でしたので、近場ではありますが、色々な所を通って、谷保天神まで歩きました。約2時間半掛かりました。少々疲れたので、谷保天神からは、バスで帰りました。
 〇我が家の前から、石田大橋までは、草生す河原の道を歩きました。この河原道は、ハルシャギク、ハルジョオン、メヒシバのような細い穂を立てた草の天下でした。テリハノイバラもまだ頑張っていました。早咲きの藪甘草もありましたが、蕾は山ほどありました。次は、藪甘草の天下になるのでしょうか。可愛いトンボの写真も撮れました。石田大橋の近くは、殆ど土のない砂利場になりますが、この地のハルシャギク、ハルジョオンは、どれも背が低く、高山植物のように可憐でもあり、その必死さには、逞しさも感じました。
 〇石田大橋から立川根川との合流点までは、土手の上を歩き、クロアゲハ、
ジャコウアゲハ、紋白蝶の写真が撮れました。
 〇矢川の源流である矢川緑地は、湿地帯にマコモが背を伸ばし、榛の木が緑の種を付けていました。榛の木の実は、何時も見ているのですが、花を見た記憶がありません。森の下には、ヤブミョウガが広がっており、一斉に花を咲かせていました。
 〇矢川緑地から矢川に沿って歩きました。普通に歩けば、30分足らずで、府中用水との合流点まで歩くことが出来ます、途中から、川沿いの道が無くなってしまいます。合流点の直前は、障害児教育の滝野川学園の敷地内を流れています。散歩から帰った子供達が、不思議そうな顔をして、私を見つめていました。見知らぬ私が、怖かったのかも知れません。
 〇滝野川学園から、南養寺を経て、国立郷土文化センターに拠りました。此処は、見るべき物が少ないので、普通は素通りするのですが、今日は、「国立の災害」という特別展をやっていたので寄ってみました。行ってがっかりしました。小さな部屋に、関東大震災の写真が数枚展示され、説明書きがあっただけでした。国立は、災害の少ない所なのでしょう。
 〇文化センターから、ヤクルト中央研究所の脇の崖下(ハケシタ)の道を通って、城山公園に出ました。この道には、常磐露草が沢山咲いていました。城山公園は、特に見るものは無く、そのまま谷保天神へ行きました。この前、金の亀が居た池には、金の亀も錦鯉も居なくなっていました。何をしているのでしょうかねー。
 〇谷保天神からは、バスで帰り、近くのスーパーで酒の肴を少しだけ買って、家に戻りました。4時過ぎでした。その後、6時半頃から、色んな話をしながら、久し振りに次男とゆっくり酒を飲みました。

「多摩川の 緑の土手を 彩りぬ 藪は無くとも 朱き藪甘草」
「細き草 簾の奥に 波斯菊 多摩の河原に 麗人見たり」
「多摩河原 我が背を越えて 密生す 河原を制した 荒れ地花笠」
「イタドリも 蕾の列を 立て始め 夏も盛りへ ひた走るなり」
「梅雨時に 咲いても月は 見えないぞ 慌てん坊の 月見草かな」
「砂利道に 根を下ろした 波斯菊 背丈も伸びず 生きるに必死」
「薄暗き 矢川緑地の 森陰に 今満開の 藪茗荷かな」
「手を繋ぎ 暗き森陰 花咲かす 白き三菱 常磐露草」
「この年に 生まれ育った 土地の子の カルガモ四羽 矢川を泳ぐ」

07月04日 
 〇朝から雨でした。午後には止みましたが、今にも降り出しそうな雨雲が、空を覆っていました。散歩に出る気になれず、午前中は日記を書き、午後は、テレビを見て過ごしました。今日は、1歩も外に出ませんでした。
 〇午後、成瀬巳喜男監督、高峯秀子主演の映画「浮雲」を見ました。原作は林芙美子、脚本は水木洋子、何れも一時代を代表する人達でした。1955年に公開されたそうですが、私は初めて見る映画でした。戦後の混乱期を生きた、女の生き様を描いた映画でした。林芙美子の「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という言葉を、そのまま映画にしたようなものでした。終戦直後の様子が良く出ていましたが、高峯秀子の顔や雰囲気が清潔過ぎて、生きるためにパンパンまでもやった女の苦悩が、伝わってきませんでした。男の生き様も、何だか変で現実味が無く、私には理解できませんでした。終り方も、感動的ではありませんでした。戦後は、私の年と同じだけの月日が流れました。終戦直後の時代は、遠い過去になってしまいました。時代背景が、余りにも変わってしまいました。この映画で、そのことを痛感しました。

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2019年7月 1日 (月)

2019年06月28日

2019年06月28日
 〇珍しく、熱帯低気圧が日本の近くで台風に変わり、関東地方は、今朝から大荒れの天気予報でした。しかし、台風は伊豆の東側を通り、そのまま東の海上に抜けたため、一日中、比較的良い天気でした。
 〇一昨日の夜から、食事を抜いたり、昨日今日と病人食のようなものばかりで、力が出ません。今日は、午前中、多摩川の土手を聖蹟桜が丘まで歩きました。この前歩いた時は、ブタナの最盛期でしたが、今日は、ハルシャギク、クサノオウ、カワラサイコ、ヒメジョオン、アカツメクサが花の道を作っていました。ほんの僅かな期間で、土手や河原の花達の、勢力分布が変わります。次に土手の支配者になるであろうネジバナが、僅かながら顔を出していました。聖蹟桜が丘では、明日、末の孫の誕生日に食べさせてやりたい果物や、貝類などを買って、12時過ぎには、家に戻りました。
 〇午後は、G20サミットに参加する、各国の首脳の到着や、2国間の話し合い等のニュースや、ドラマを見て過ごしました。米国の大統領のように、世界一の経済力と軍事力をもって、他国に自国の考えを押しつけようとする人も居ますが、取り敢えず和やかに談笑する姿を見る事が出来ました。どうか今後も、話し合いによる問題解決を目指し、武力の行使は、絶対に避けて欲しいと思いました。

「前の覇者 豚菜を脇に 追いやりて 錦の御旗 波斯菊かな」
「これ程の 河原柴胡は 珍しき 天下の覇者に 名乗りを上げる」
「土手の下 明日を窺う 捩花の 今はひっそり 目立たぬように」

「顔見せの 芸人気取りは 止めにして 世界を平和に 首脳の皆さん」

06月29日
 〇小雨がぱらつく、雨模様の天気でしたが、末の孫の誕生日がやって来ました。遠い先だと思っていた予定も、次々にやって来ます。老い先が短くなると、時間の進行は、超特急になるような気がします。
 〇午前中、誕生会のためのテーブルのセッティングをしたり、料理の下準備をしたりして過ごし、午後は、事前に出来る料理を作り、G20サミットのニュースを見ながら、娘家族と長男家族の到着を待ちました。5時20分頃、全員揃って、やって来ました。聖蹟桜が丘の駅で、待ち合わせたようです。仏壇の婆様に挨拶などをして、5時40分頃から、誕生会の食事が始まりました。この日のために、冷凍し解凍した、長崎の弟が送ってくれた五島の蒲鉾、御岳山の「のしこんにゃく」「豆腐こんにゃく」は、大失敗でした。冷凍によって、美味しさを蓄えていた水分は、外に出てしまうは、繊維質だけが残った感じで、ガジガジした食感になりました。今日の酒の肴の目玉のつもりでしたが、殆どが残ってしまいました。
 〇しかし、それぞれの家族が持ち寄った、酒の肴で、何時ものように楽しい宴会となりました。大腸のポリープを一昨日取ったばかりの私としては、ノンアルコールビールで付き合うはずでしたが、最初から、通常のビールで付き合い、その後、ワインも日本酒も付き合いました。それでも、初めは、恐る恐るだったのですが、酒が入るにつれて、何時もの酒になってしまいました。実は、この前妻と会った時相談したら、「無茶酒しなければ平気よ」と後押しされては居たのです。
 〇暫くして、娘の所の上の孫が、運動会で紅組の応援団長をやった動画を見ながらの食事になりました。ちゃんと大きな声が出ていましたし、団長としての統率も非常に良く出来て、誰もが感動しました。また、孫娘も副団長として、兄を支えました。この日、用が有って運動会に行けなかったのは残念でしたが、動画でも充分その時の様子や気持が伝わりました。
 〇一段落した8時頃、お定まりの誕生日セレモニーを行い、それぞれが、プレゼントを渡しました。今日誕生日を迎えた末の孫は、結構強気の子なのですが、自分が主役になると、照れが先になり、大人しくなります。それがまた可愛いのです。
 〇長男の所の孫は、私の初孫です。その成長振りを示す、写真や手紙類は、私の宝物でした。その孫が、もう大学2年生になりました。自分が勉強している分野では、親に負けないような意見を言うようになりました。私の宝物を見せると、流石に恥ずかしそうでしたが、嬉しそうでもありました。
 〇何時までも、楽しい宴会を続けたいのですが、長男家族は、都心の方に帰らなければなりません。渋々ですが、10時半頃終りにして、11時近くに帰って行きました。

「初孫は 早くも大学 二年生 幼き写真 恥ずかし嬉し」
「孫達の 幼き頃の 思い出に 酒好き爺の 赤ら顔かな」
「誕生日 皆の注目 我にあり 照れが先立つ 末の孫かな」

06月30日
 〇娘が、今日は10時まで、孫娘を合唱の練習に連れて行く必要があるので、遅くとも8時半から、朝食にしたいと言っていました。6時半に起きて、7時から、ご飯を炊き、昨晩残った蒲鉾類を煮物にし、味噌汁を作り、焼茄子と焼鯖を作り、少し手の込んだイタリア風のサラダを作り、8時15分から、朝食になりました。孫達も、昨晩12時近く迄起きていたので、今朝は、寝不足のようでしたが、美味しそうに食べてくれました。
 〇急いで朝食を終り、孫達は「ありがとう、またねー」を連発しながら、9時過ぎには、帰って行きました。それから1時間ほどかけて、食器を片付けるなど、誕生会から通常の我が家に戻しました。次に集まるのは、我が家での花火大会です。
 〇昨晩の酒が、身体に変調を来すか心配しましたが、何事もありませんでした。今晩から、何も気にせず、晩酌を楽しむことが出来ます。妻の言う通りでした。
 〇少々疲れたので、午後は、高倉健の「黄色いハンカチ」や宮部みゆきの「荒神」を見たり、トランプ大統領と金正恩主席との会談のニュースなどを見たりしてゆっくりと過ごしました。私は、この映画に出ている頃の高倉健に、ローマの職場近くの中華料理店の玄関で、ばったり出くわしました。高倉健が、映画と全く同じように、腰を折り片手を差し伸べて「お先にどうぞ」と言ったので、私もつられて、「そちらがお先に」と先を譲ったつもりでした。結局、3度ほど同じ事を繰り返して、私が根負けし、先に入ることになりました。店の中には、一緒に昼食を食べる、職場の仲間が、5人ほど居ましたが、その中の女性二人は、「今高倉健がこの店に居るの」と大騒ぎになりました。しかし、姿は見えませんでした。恐らく、個室に入ったのでしょう。この高倉健も、既に帰らぬ人となりました。一昨日だったか、高島忠夫が無くなったニュースも流れました。昭和は遠くなりました。
 〇昨晩、誕生会が終わる頃、私が、「元気で生きていられるのも後四,五年だよ」と言うと、私の死後について、遺産の問題や、色々飾ってある物の価値とか謂われについて知っておきたいと言われました。大した遺産があるわけではありませんが、きちんとしておく必要があると思いました。先日テレビで、色々なことがはっきりしていないと、残った人が、大きな負担を強いられると言っていました。

「孫達の またねーの声の 心地よく 明日を生き抜く 励みとなりぬ」
「思い出を 全て書こうと するならば 生き越し日々と 同じ時間が」

 
 

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