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2019年6月 5日 (水)

2019年06月04日

2019年06月01日
 〇今日から6月になるというので、昨晩、ベッドの掛具をタオルケットからバスタオルにしました。所が夜中寒くて、タオルケットをまた出してしまいました。暦通りには、なかなか上手く行きませんねー。
〇今日は、大学時代の「恩師について語る会」が、大学の同窓会の部屋で行われました。私は、この会のメンバーではないのですが、今日、代表して思い出を語る人が、大学時代から良く知っている同郷の後輩だったので、私も参加しました。その恩師との思い出は、参加した人がそれぞれ持っているので、結局、思い出を話し合える仲間と、思い出を話し合いたいのですねー。懇親会になって、酒が入り、一気に盛り上がりました。
 〇それにしても、この会を切り盛りしている女性は、私がやっていた会でも、実際は彼女が全部やってくれました。大学の同窓会の要のような人です。頭が下がります。彼女と彼女の仲間で、酒と食料を準備してくれて、参加費1000円で、充分に飲み食いが出来ました。

 

「年取れば 口実作って 会えば良い 友との別れは 日々に近づく」

 

06月02日
 〇今日は御岳山に行ってきました。何年ぶりでしょうか。ケーブルカーの滝本駅の近くで、白雲木の花が沢山咲いていました。御岳山駅の近くでは、良く似たアカシアの花が、まだ咲いていました。
 〇御嶽神社への道筋でも多くの花に出会いました。遠方の山を見ると、まるで山水画のような、強い霞でした。門前の店の手前にある、欅の巨木を見上げると、この時だけ薄日が差しました。
 〇御岳山には何度も来ていますが、上り下りにはケーブルカーを利用していますので、今日は、下りは歩きました。杉林の中の道は、門前の店に物を運ぶための舗装道路で、山道を歩いている感じはしませんでした。しかし、この道は、その昔御嶽神社の参道だったらしく、道の脇の杉は、相当に樹齢を重ねていました。長い年月を必死に生きてきた感じが、根の張り方に現れていましたので、根の写真を沢山撮りました。写真を撮っていて、根の所が繋がっている夫婦杉が多いことにも気がつきました。
 〇バスで御嶽駅に戻り、玉堂美術館に、何年かぶりに行きました。晩年、玉堂は、奥多摩に居を移し、絵を描き続けました。現役最後の私の事務室に、大きな玉堂の多摩の絵が飾ってありました。正当の日本画を受け継いだ感じがして、好きな画家の一人でした。第2展示室に移ると、玉堂の絵とは思えない「いわさきちひろ」の絵に似た、子供の絵が展示されていました。係員に聞いてみたら、特別展だったようです。画家の名前は、忘れてしまいました。
 〇御嶽渓谷を渡って、御嶽駅に戻り、お土産に「のしこん」と豆腐こんにゃくを買って家に戻りました。それにしても、日曜日の御岳山の人では、高尾山の10分の1以下のような気がしましました。都心から遠い、電車の本数が少ない、駅からバスに乗らなければならない、綺麗な富士が見えない等々、一般人が訪れるには、魅力が少ないようです。

 

「苔生した 石垣に咲く 飛燕草 野辺と異なり まるで別花」
「石垣の 見上げる高さに 雪の下 小さな白蝶 群れ舞う如し」
「若葉から 白き花房 群れ下がり 白雲紛い 白雲木かな」
「山の上 白雲木と 思いきや 房花下がれど 君はアカシア」 
「五月過ぎ 既に林は 深緑 異様に白き マタタビの葉」
「根を絡め 大地に踏ん張り 天を突く 力寄せ合う 夫婦杉かな」
「長年の 命支えた 杉の根の 大地を掴む 恐竜の手」
「杉の根の 暗き祠に 花咲かす 一人静の 静かにたちおり」 
「薄暗き 杉の林の 下草に 淡き紫 小紫陽花かな」
「渓谷の 奥多摩の里 霞濃く ひたひた歩く 玉堂の世界」

 

06月03日
 〇今日は、京王フローラルガーデンへ行って来ました。調布から橋本方面に、一つ目の駅、京王多摩川駅の側にあります。1度は行ってみようと思っていたのですが、庭園の名前から、人が作った花畑のような気がして、足が向かなかったのです。行ってみると、予想通り、花は沢山咲いていましたが、花屋の中を歩いているようで、何の感動も覚えませんでした。更に悪いことには、若者を呼ぶためでしょうか、庭園の真ん中がバーベキュービレッジになっていました。薔薇の季節でしたが、早々に退散しました。
 〇その後は多摩川に出て、府中まで歩きました。フローラルガーデンに入った時から、青空が広がり、日差しも強く真夏の暑さになり、大汗を掻いた、大変な散歩となりました。府中では、市役所に寄り、父母や祖父母の戸籍謄本を、郵便で採る方法について教えて貰いました。
 〇夜、録画しておいた、昨日放送の「彼女は、安楽死を選択した」というNHKの特別番組を見ました。日本では、積極的な安楽死は認められていないので、スイスで行ったそうです。薬物投与で、極めて短時間に死に至ったそうです。また、日本では違法なので、遺灰もスイスの川に流したそうです。彼女は、多系統萎縮症と言う病気で、そう長くない時期に、全くの寝た切りになり、やがて死に至る事が分っていたため、52歳で、安楽死を選んだそうです。以前にも書きましたが、私は安楽死賛成論者ですから、日本で許されている、延命治療をしない消極的安楽死については、既に登録済みで、子供達にも話してあります。今日の、テレビを見ていると、彼女の病気は、進行速度こそ違いますが、老化とほぼ同じだと思いました。私も何れ、積極的安楽死を登録しようかと思います。それが、何等かの都合で不可能の場合は、食事を断り、即身仏になりたいと思っています。「結婚は親の見栄、葬式は子供の見栄」「罪ではなく恥の文化」と言った、日本固有の特殊な文化や考え方では、個人の権利としての安楽死の選択は、容易に実現しないでしょう。確かに、他人が悪用することばかりが増えそうです。良い方の例を示すことが出来れば良いのですが、、、。

 

06月04日
 〇今日は、少しばかり延期していた、鶴見川歩きに行って来ました。今日の始点になる、綱島駅に近づくと立派な寺の屋根が見えました。先ず、御朱印集めから始めようと、駅から見当を付けて歩くと、綱島公園に出てしまいました。公園の入口で休んでいた地元の老人に寺への行き方を聞くと、「方向としては、こっちで良いんじゃが、道も難しいし、遠回りになる。一旦、駅の方に戻って、綱島街道に出るとスーパーがあるから、その横の道を左に入ると直ぐじゃ」と言われました。行ってみると、流石に土地の人の助言、的確そのものでした。しかし、残念なことに、その寺、長福寺は、浄土真宗の寺でした。浄土真宗は、御朱印をやっていないのです。
 〇鶴見川の方へ戻って、前回住職が不在で御朱印を貰えなかった久光院へ行くと、今日は住職がいて、快く引き受けてくれました。頭の低いとても親切な住職でした。しばし、鶴見川歩きのことを話したところ、無事と成功を祈ってくれました。
 〇鶴見川と新幹線を見ながら、コンビニ弁当を食べ、午後1時丁度に、鶴見川歩きを開始しました。途中2度、土手の道が通行不能で、強制的に橋を渡らされるなど、種々問題はありましたが、川風が心地よく、楽しい散歩になりました。河口まで、2.5キロの所で、土手の道が無くなり、いきなり鶴見の中心街に入り、区役所の前から鶴見川に戻りました。そこから、河口まで1.5キロになっていました。そこから1キロくらい歩いて、海は見えているのに、河岸の道が無くなってしましました。大きなインターチェンジになっていました。河口の縁に立ちたかったのですが、ここで鶴見川歩きを完了ということにしました。3時45分でした。
 〇鶴見駅へ出ようと思って、駅の方向へ向かって歩いていたら、鶴見線の国道駅に出ました。高架の下にある無人駅で、戦後の名残が残っていました。鶴見駅は隣でしたので、この電車を利用することにしました。お客がいるのかと思ったら、学校があるのでしょう、学生で満員でした。
 〇終点の鶴見駅で、京浜東北線に乗換え、隣の川崎から、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、6時半過ぎていて、さっと汗を流して、鶴見川完歩の晩酌にしました。美味しい酒が飲めました。

 

「新幹線 近くを走る 橋側に 並木を作る 鬼胡桃かな」
「沢山の 実を付けたる 鬼胡桃 何故かべとつく 若き実達よ」
「晴れた日に 葛も荻等も 葉が光る 何故かべとつく 濡れ葉の如し」
「荻伸びて 茎にまとわる 昼顔の 何故か寄り添う 夫婦花かな」
「対岸に ズラリと並ぶ マッチ箱 ドミノ倒しに 隙間が狭し」
「人住まぬ アパートの壁 一面に 緑活き活き 蔦の茂れり」
「川風に 綿毛を飛ばす 茅の穂 春紫苑等に 羽衣着せる」
「いつの間に 土手も河原も 緑無く コンクリートの 壁の続けり」
「生き物の 姿少なし 鶴見川 一羽の川鵜 翅を広げり」
「両岸の 住民達に 呼びかける 神奈川県警 巡視艇かな」
「目障りな 橋の向こうに 海を見て 鶴見川歩き 完歩するなり」
「国道駅 取り残された 闇市に ぽつんと残る 居酒屋ありき」
  

 

 

 

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