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2019年6月 9日 (日)

2019年06月05日

2019年06月05日
 〇昨日、鶴見川を完歩した後で、我が家の近くのショッピングモールに寄ったら、またしても警察から、職務質問を受けました。余程人相が悪いのですかねー。これでは、小学生の登下校の道には行けませんねー。若しかしたら、繕いだらけの帽子がいけないのではと思い、今日新しい帽子を買いました。
〇今朝のテレビで、岸惠子の特集をやっていました。現在86歳となり、一人住まいで本を書いているそうです。非常に元気で、私より10歳以上年上とは思えないほどでした。テレビの中で、終戦の年、防空壕に入れという大人の意見を無視して、生き延びたそうです。それ以来、年上の尤もらしい意見に従うことを止めたそうです。とても良いことだと思いました。日本では、儒教の教えのせいか、武家社会の封建制度のせいなのか、親や年上の人間の言う事を聞かない若者は、無法者扱いにされます。しかし、私は、きちんと反発できる若者は、きちんとした自分の考えを持ち、自分の行動に責任が持てる、立派な人間になれると思っています。年上の意見には逆らわないと言った、無条件服従は、結果的に、戦争に対しても反発が出来ないと思っています。
〇今日は、西府緑地、関戸橋、大栗川の合流点を回って、聖蹟桜が丘まで、ゆっくりと歩いて来ました。西府緑地の公園では、2本の大きな杏の木があり、現在、完熟した実を沢山付けていました。しかし、手の届く所の実は、既に取られていましたので、木の枝を探して、上の方の実を落とし、20個ほど頂きました。木の実を取ることは、童心帰るというか、戦後の貧しい時期に、宝物を御見つけた時のわくわく感が蘇ります。合流点に行く、多摩川の土手には、オオキンケイギク、ミヤコグサ、ニガナ、テリハノイバラ、〇〇〇が、沢山咲いていました。この時期に、あそこへ行けば、あの花を見る事が出来る、その期待は裏切られませんでした。
〇今日は、久し振りに次男と飲めたのに、明日は、消化器の内視鏡検査で、9時までには、アルコールを止めなければなりませんでした。残念でしたが、7時から9時までは飲めたのですから良しとしましょう。

「仄朱く 熟れた杏は 宝物 少年時代の 気持に浸る」
「この季節 あそこへ行けば あの花が 花を求める 蝶々の気分」
「白髪の 乱れる如き 栗の花 横で頬染む 朱き枇杷の実」

06月06日
 〇今日は、10時に消化器の内視鏡検査だったのですが、遅れに遅れて、検査が終わったのは、12時近くでした。正式な結果は、25日に教えてくれるそうですが、一応問題は無しとのことでした。但し、食道にポリープのような物があったのを除去したとのことでした。その為、過激な運動はせず、食事も流動食に近い物、酒は飲まないように言われました。そんな訳で、今日は良い天気なのに散歩もせず、府中市役所で戸籍謄本を取り、聖蹟桜が丘で末の孫の誕生日プレゼントを買い、我が家の近くで軽く買い物をして帰りました。酒の肴を探す感じで、スーパーを歩かないと、何にも買う気が起こりませんでした。酒は、様々なことを楽しくする、本当に「百薬の長」ですねー。家に着いたのは、3時半頃で、杏酒作りをした後は、殆どテレビを見て過ごしました。私が作る果実酒は、私が散歩の途中で、拾ったり摘んだりしてきた果実で作っています。

「傷ついた 杏で作る 杏酒の これこそ自然の 我の酒なり」

06月07日
 〇5日の大栗川の合流点に向かう土手では、カワラサイコ(河原柴胡)が咲いていました。この花は、別な所でも見ていたのですが、名前を思い出すことが出来ず、1ヶ月以上苦しんでいました。ネットで「鋸歯状の葉に黄色い花」などといった曖昧検索等をして、一所懸命思い出そうとしたのですが、駄目でした。ところが、今朝、目を醒ました時、不意に名前を思い出したのです。辛うじて脳内の検索のための神経が、繋がっていたようです。昨日、運動不足で、良く眠れなかったのですが、朝から良い気分になりました。
 〇燕の巣は、毎日見ていますが、一羽の雛の成長が非常に早く、親に近い大きさになりました。その他の三羽の雛達は、まだ子供子供しています。昨年は、五羽孵りましたので、今年も5羽ではないかと確かめていますが、今のところ4羽しか確認できていません。
 〇午前中から雨になり、関東地方は梅雨入りしました。4時近くから、雨の中を聖蹟桜が丘の、皮膚科の病院に行きました。左手に出来た瘡のような物が、中々直らず、逆に頭や身体にも出来て、とても痒いのです。先生も心配してくれて、今回は、塗り薬の他に飲み薬も貰いました。しかし、こんなことは生まれて初めてなので、この病気の名前と原因は何か、貰った塗り薬で何故治るのか、聞いてみたのですが、適切な答えはありませんでした。この病院に来ている人達の多くが、同じ病気のようですが、誰も聞かないのでしょうか、病院を変えてみる必要があるかも知れません。

「毎日の 楽しみくれる 燕の巣 親鳥たちは 警戒忘れず」

06月08日
 〇今日は、前妻の直ぐ上の兄の七回忌の法要に、群馬の方まで行って来ました。朝5時に起きて6時には家を出ました。それでも法事の始まる10時の15分前に、やっと着きました。法事と精進落としの食事会が終わったのは1時過ぎ、老人ホームで暮らしている前妻の長男の嫁の暮らしぶりを見て、その町を出たのが2時半頃でした。それから、電車を乗り継ぎ、我が家に着いたには、7時頃でした。半分以上電車に乗っていた、長い長い1日でした。
 〇前回の3回忌から、更に二人の親族が亡くなり、寺の住職も亡くなって、息子が住職になっていました。新住職の話を聞き、お経を聞きました。少し青臭さを感じましたが、良い修行が出来ていて、どれも親父さんより一歩上をいっているような感じがしました。法事に集まった人達も、殆どが80過ぎとなり、棺桶に足を半分入れている状態になりました。時代は、子供等の時代になりました。その子供等も、50を過ぎる年になりました。時の流れを、身に浸みて感じました。
 〇死については、種々考えがあると思いますが、今日の住職の話は、中々良い話でした。私の意見も少し入っていますが、次のように言っていました。「死は生きていた時の人生の記憶も含めて、一切が無に帰すことであり、その人との関係は、全て絶たれてしまいます。魂とかの形で残るものではありません。その人の魂が残っているように思えるのは、自分の中にある記憶です。法事の役割は、関係ある人々が、各々の記憶を表に出し、語り合いながら、現在生きている自分達の生きる覚悟を、確認することにあります」。少々、理屈勝ちですが、理に適っているし、宗教の関与も忘れない、良く出来た話だと思いました。

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