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2019年6月

2019年6月28日 (金)

2019年06月24日

2019年06月24日
 〇昨日、沖縄で戦没者への慰霊祭が行われました。その慰霊祭に参加した安倍総理の服装は、昔軍人が着ていたような、中国の人民服のような、そんな感じに見えました。極めて違和感がありました。慰霊祭に参加している人達を、頭から馬鹿にしているような、そんな印象を持ってしまいました。こんな気持を持ったのは、私だけだったのでしょうか、実際は、どんな服装だったのでしょうか、ネットで問題になっていないのでしょうか、とても気になっています。
 〇朝から雨で、一日中降るようなことを言っていましたので、今日は散歩には出られそうになく、傘を差してショッピングモールの中にある、散髪に行ってきました。流石に空いていて、直ぐに初めて、20分足らずで終わってしまいました。ショッピングモールの中を、ゆっくり探索してみましたが、買いたい物がないので直ぐに終わってしまいました。
 〇午後、テレビで川端康成と三島由紀夫の関係について特集番組がありました。二人は、仲が良かったのですが、川端康成がノーベル賞を貰った頃から、川端は、平和主義者となり、三島は、盾の会に入り極右になりました。二人の中は、次第に離れていったようです。番組を見ていて、極右へ走る人は、少年時代に虚弱であったり、目立たなかったりした人が多いように思いました。他の人に認めて貰うために、肉体を鍛え、精神を鍛え、伝統文化を重んじ、それが他者に認めて貰う条件だと思っているようです。それはそれで、一向に構わないのですが、同時に、他者もまた自分と同じようにする事が、当然と思うようになり、かつ、強要するようでした。個人が、どの様な考え方をしようと勝手ですが、他者への強要だけは、止めて欲しいと思います。
 〇夜は、クイズ番組を見ながら、長い晩酌となりました。

06月25日
 〇今日は、先日、癌検診センターで行った消化器の内視鏡検査の結果について、医師の診断結果を聞きました。医師に拠れば、「食道の下部に、黄色い膨らみがあって、それが何なのか、確定できていません。恐らく脂肪の塊の可能性が大ですか、拡張する腫瘍の可能性が全く無いとは言い切れません。従って、1年に1度の検査ですが、次回は、半年後にもう1度やらせてください。それ以外のところは、全く問題がありませんでした。」とのことでした。実を言うと、検査の結果には、関心が薄くなりました。この年になって、どう生きるかも大事ですが、どの様に死ぬかも大事になってきました。今後、癌などが発見されれば、安楽死の道具の一つとしようかと思っています。何にも無ければ、今までの生活を繰り返すことになるだけです。悟りの境地と言ったら、偉いお坊さんに叱られるでしょうかねー。
 〇今日、妻と会うのが、6時頃からでしたので、一旦家に戻り、一休みしてから、妻と会う飯田橋に行きました。妻は、少し遅れて6時15分くらいに、飯田橋に着きましたが、妻は、非常に疲れていて、食事をする店を選ぶ気力も無く、馴染みの中華料理屋に行きました。私は、明日から暫く酒が飲めないので、美味しく酒を飲みましたが、妻は終始不機嫌でした。疲れていたこともありますが、一番の理由は、私の服装が気に入らなかったのです。妻は、「お洒落のセンスがないのは仕方ないにしろ、せめて、長いこと洗濯もしていないような物を着て、私の前に現れないで」と何時も言っているのですが、私がそれを守らないので、腹を立てて仕舞うのです。反省はしているのですが、青春時代を弊衣破帽のバンカラを旨として生きて来たものですから、中々直せないのです。でも妻は、気持の切り替えが早いので、明日の朝は、今日のことを忘れて居るでしょう。

06月26日
 〇今日は、血液検査とCT検査のため、7時半に家を出て、8時半には総合医療センターに着きました。丁度、3年前のこの時期に、胃癌の手術をしました。病院の庭には、今年も藪甘草とアガパンサスが咲き始めていました。3年前の手術は成功し、冥土から戻ってきて、アガパンサスという花を知りました。この花を見る度に、もう暫く命を預けて貰ったんだなーと思います。
〇9時からCT検査が予約されていたのですが、実にスムーズに検査が終わって、9時半には病院を出る事が出来ました。このまま家に帰るのは、勿体ない気がして、一橋大学、谷保天神を訪問し、歩いて我が家に戻りました。
〇10時前の早い時間に、一橋大学を訪れたのは初めてでした。太陽の光が、時計塔のある校舎や、講堂を正面から照らし、何時もより、一段と輝いて見えました。一橋大学は、武蔵野の面影を残した森があり、小楢や松の大木が、存在感を示していました。
〇学園通りを歩き、甲州街道を越えて、谷保天神に入りました。そこらじゅうに、「あじさい祭」の幟が立っていました。個人から奉納された物でした。しかし、紫陽花が見当たらないので、神社の裏手に在る池へ行ってみると、周囲に小規模ながら紫陽花の花畑がありました。そこで、一番感激したのは、金色の亀に出会えたことでした。厳島神社の分社がある湧水の池の中に、他の亀と一緒に甲羅干しをしていました。しかし、私がカメラを向けると、泳ぎ始めました。置物ではなかったのですねー。今年、梅の時期に来た時には、金色の亀はいなかったと思いますがどうしたのでしょう。そもそも、金色の亀の存在自体が不思議でした。突然変異でしょうか、人間の創作でしょうか、珍しい物を見ました。
〇12時には、家に戻り、明日の大腸検査の前の、おかゆのような食事を昼夜食べました。今日は、酒も飲めないのです。時間の経つのが遅いこと遅いこと、早く、3年目の検査が終わって欲しいと思いました。風のために壊れた、ステンレス製の物干しを修理することで、ある程度時間を潰すことが出来ました。次男は、今日休みで家に居たのですが、夜遅くになって、遠慮しながら、盃を傾けていました。

「キャンパスに 武蔵野残る 一橋 緑の小径に 木漏れ日光る」
「深き森 あちらこちらに 広野あり 広野に響く 若者の声」
「古池に 夏の椿の 花落ちて 白き小舟の 水面に揺れる」
「深き森 梢の向こうに 白き富士 入道雲の 気遣い嬉し」
「朝日受け 朱き煉瓦の 時計塔 学びの里へと 人を誘う」
「国立の 桜と公孫樹の 並木道 若者育てる 学園通り」
「君見れば 御利益ありや 金の亀 谷保天神 常磐の清水」

06月27日 
 〇昨晩から今朝まで、殆ど眠れませんでした。一滴も酒を飲まなかったからだと思います。眠れないまま、6時半にはベッドを離れ、7時から、沢山の水と下剤を飲んで、腸を空にする作業に取りかかりました。1Lの下剤と500CCの水を約1時間掛かって飲み、その後7回もトイレに行って、便は、すっかり透明な液体に変わりました。これが、大腸の内視鏡検査の準備です。検査をすることで、身体が悪くなってしまいそうです。
 〇11時30分に家を出て、12時半には、総合医療センターの横にある、癌検診センターに12時半に着きました。検査の予約は1時でしたが、色々準備もあり、実際に検診が始まったのは、1時半でした。若い看護婦にお尻を開かれ、睡眠剤が投与され、検査が始まりました。昨年は、検査の状況をモニター画面で見ていたのですが、今年は、昨夜の寝不足もあって、検査終了まで、寝てしまいました。検査した医者からポリープを5個切除したと言われました。睡眠薬の効果が消えるまで、別室で1時間ほど休んで、3時半に検査が全て終了しました。その後、我が家の近くで買い物をして、我が家に着いたのは、5時過ぎでした。
 〇今日は、朝昼抜きでしたから、6時頃から早めの夕食にしました。しかし、検査センターから貰った夕食のレトルトの雑炊は、僅か5分で食べ終え、酒も飲めず、拷問のような時間潰しとなりました。テレビで、明後日から始まる20国サミットや、台風のニュースをやっていましたが、何もかも興味が薄れてしまいました。テレビ番組の中で、ニュースだけは、比較的真剣に見るのですが、今日はそれも駄目でした。

「年老いて 機能不全の 身となりて 検査検査の 人生となる」
 
 

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2019年6月24日 (月)

2019年06月21日

2019年06月21日
 〇今日は、この前皮膚科に行ってから二週間になったので、経過を報告に聖蹟桜が丘の皮膚科に行って来ました。頭と身体の痒みとカサカサは無くなり、左手のカサカサだけが残っていることを先生に告げると、「同じ薬で、掌だけ、もう二週間様子を見ましょう、その時点で直ったと思ったら、もう来る必要はありません」と言われました。この病院は、非常に患者が多く、流れ作業のような感じで診察が行われ、質問をするのに気を使ってしまいます。本当は、病名、原因、治療法、薬の効能、日常の生活における注意等を、納得できる形でを聞きたいのですが、病名を聞いただけでした。多分、指掌角皮症だったと思います。後は、ネットで調べることにしました。身体や頭に出来たのは、場所が違っただけなのでしょうかねー。病院だから遠慮しないで聞けば良いのですがねー。馬鹿な気遣いです。この病院に来る度に、自分に腹が立ちます。
 〇2,3分の診察に、たっぷり1時間掛かりました。昼になったので、吉野家で牛丼を食べ、桜が丘公園まで歩きました。公園内を彷徨いて、ムラサキシノブ(紫式部)、リョウブ(令法)、アカメガシワ(赤芽柏)、トウネズミモチ(唐鼠黐)等、この時期の木の花とか、うんざりするようなドクダミ、ブタナ、ヒメジョオンを見ました。実を言うと、ムラサキシノブの花をしっかり見たのは初めてでした。
 〇今日嬉しかったのは、薄暗い森の小径で、ウラナミアカシジミ(裏波赤小灰蝶)に出会い、写真が撮れた事です。シジミ蝶の翅は、表は一色が多く、裏の模様に特徴があります。裏の波模様がとても綺麗なシジミ蝶でした。実は、翅を広げ背中が見える方が、表のようです。私には、逆に見えるのですが、、、。
 〇桜が丘公園の大谷戸方面出口には、森林研究所の森があり、研究所の所員の寮が3棟建っていました。この寮は、3年ほど前に全て撤去され、今は、人出をかけない荒れ地になっています。研究所の建物は残っていますが、仕事はしていないようです。空き地の名前は、森林再生研究地となっていました。現在は、草ばかりですが、そう遠くない時期に、森が、風や鳥達などの活動で再生して行くのでしょう。直ぐ隣は、民家があったり、栗畑があったりして自然とは程遠いのですが、、、。

 

「秋の日の 紫の実に 馴染みあり 花も紫 紫式部」
「その昔 饑饉の際の 命綱 大事に保管と 令法出でし」
「翅広げ 赤さを誇る シジミ蝶 翅閉じたれば 春の波模様」
「木の陰に ホタルブクロの 灯りかな 君にはひっそり 咲いて欲しいな」
「切株に 一筋光る 蜘蛛の糸 網張る前の 基礎工事かな」
「菖蒲田 ドクダミ達が 生い茂り 遠慮して咲く 花菖蒲かな」
「実を付けた 栗の隣に 栗の花 早生や晩生は 栗にもあるらん」

 

06月22日
 〇今日は、市川の学園の理事会でした。監事の1年の仕事は、5月に、学校運営が規則通りに行われた旨の監事報告をして、昨年度分は終了しました。通常の理事会では、余程規則に反した理事会の運営が無い限り、監事は発言する立場にありません。一種の監視役です。この学園の理事は、年寄りばかりですが、比較的頭は柔軟ですし、時代に合わない考えはしませんし、学校等の規則にも反抗するようなことはありません。これから1年、専ら聞き役です。
 〇理事会が終わって、上野公園に行ってみました。興味を引く展覧会がなかったので、広場で行われている「台湾フェスティバル」を見ました。舞台での歌や、ライチーの種飛ばし大会が行われていました。周りを取り囲む出店は、99%食べ物屋でした。台湾と言えば、食べ物なんですかねー。食べ物屋を見て歩いている内に、ポツリポツリと降っていた雨が、本降りの雨に変わりました。今日は、このまま我が家に帰ることにしました。3時には、家に着きました。市川での理事会の日、こんなに早く帰るのは、初めてでした。

 

06月23日
 〇昨日は、夏至だったのですね。1年の半分が終わった気がします。それにしても、人間が天体の動きを把握できたのは、凄いことだと思います。
 〇今日午前中は、日記を書いたり、繕い物をしたり、花の名前を調べたりしました。4日ほど前、昭和記念公園に行った時、蜻蛉の湿地で、見慣れない花を見ました。池の上に浮いた丸い車輪のような葉の真ん中から花茎を延ばし、黄色い花を咲かせていました。どうしても調べがつかず、昭和記念公園に電話したら、「タヌキモの一種だと思います。詳しくは、ネットで調べてください」と言われました。ネットで調べたら、エフレコタヌキモでした。私が撮った写真と同じような写真が出て来て、「これだー」と、思わず声を上げてしまいました。苦労したので、感動しました。なんと食虫植物だったのです。もう一つ、我が家の近くの庭で咲いていた、花の名前が分りました。クロタネソウ(別名ニゲラ)でした。花の名前を調べるのは楽しいのですが、憶えていられないのが悔しいです。何時か、自分の撮った写真と一緒に図鑑にしてみたいのですが、時間が残されていないようです。
 〇3時頃から、近場の真性寺、百草園、由木農場、石坂ファーム方面を歩いて来ました。1時間程度で、帰ってくる積もりでしたが、2時間半も歩きました。歩くと色んな事に出会うので、ついつい寄り道をしてしまうのです。
 〇多摩の寒葵がある真照寺に寄った所、水を引いた水甕に、藻の花が咲いて居ました。私は、てっきりバイカモ(梅花藻)と思ったのですが、花が5弁ではなく3弁だったのです。帰って調べて見たら、南米原産のオオカナダモでした。色んな所に、色んな花がある物です。
 〇家に戻ったら、もう帰らないと思っていた燕が2羽、巣があった所を飛び回っていました。何故か申し訳ない気持になりました。

 

「出会いても 君は何をも 話さない やっと名を知る 虫取りタヌキモ」
「水藻等と 出会いの続く 真照寺 三弁の花 オオカナダ藻」
「靫草 七生が丘に 君を見る 人の手迫れど しぶとく生きよ」
「5日前 蕾並んだ 合歓木の 今日は満開 紫綿毛」
「見上げれば 手に手を取って 蔓渡り 白さ際立つ 石斛の花」
「蜘蛛の巣に 雨の名残の 水雫 畑の中にて 宝石展示」
「紫の 山盛りの花 畔道に 蜜蜂達が せっせと働く」
「生け垣の ツツジの上に 白き花 背丈延ばして 半夏生の咲く」
「ローズマリー 繁った葉の上 一輪の 香り楽しむ 昼顔の花」
「林檎園 木の下埋める 落ち林檎 自ら落ちたと 思えぬ時期なり」
「もう君が これから夏の 梅雨時に 季節の外れの 秋桜の花」
「里芋の 大葉の上に 水銀の 形を変えて コロコロ転がる」
「花を閉じ 昼寝の時や 方喰さん 起きる合図は 日の光かや」
「夏椿 緑の小径 我が天下 花枝延ばし 辺りを制す」
「石垣に 姫梅雨草の 凜と咲く 独り咲くのが 君には似合い」

 

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2019年6月21日 (金)

2019年06月17日

2019年06月17日 
 〇今朝の方が、富士が綺麗に見えました。梅雨の晴れ間に、富士を見る事が出来ると、本当に幸せな気分になります。
〇今日は、娘と末の孫に付き合いました。昨日が父の日で、幼稚園は父親参観日だったそうで、今日は、その代休になったそうです。府中市交通公園、府中の森公園と子供の遊具が多いところへ行きました。末の孫も、来年は小学校です。1年1年、その成長が手に取るように分ります。これまで、怖がって滑らなかったトンネル形滑り台も、今は楽しめるようになりました。ブランコも一人で漕げるようになりました。不安定な吊り木も渡れるようになりました。ひらがなも読めるようになりました。今日は、私の前で、それを披露してくれました。
 〇府中の森公園の池に、カルガモの子供が10羽、泳いでいました。孵ったばかりではなく、幾分成長していましたが、充分子供の可愛さを残していました。池の縁では、塩辛蜻蛉も小鴨の泳ぎを見ていました。
 〇遅めの昼食を、東府中のスシローで一緒に食べ、娘達は、上の孫達が帰宅する時間になったので、帰って行きました。私は、府中駅で降ろして貰い、旧甲州街道を分倍河原まで歩き、我が家に戻りました。午前中、出かける時のは残っていた燕の巣が、綺麗に撤去され、元の白い壁に戻っていました。また来年戻ってきてくれるでしょうか、それをまた見る事が出来るでしょうか、老い先が短くなり、何事も心に響くようになってきました。

「末の孫 伸びゆく姿 愛おしい 良く見ていてねと ブランコを漕ぐ」
「親離れ 今にもしそうな 小鴨達 小鴨の動き 見守る親鴨」
「巣立ち見る 親の気持で 孫を見る 人の巣立ちは 長く厳しい」
「虹型の 草の真ん中 翅休め 小鴨見守る 塩辛蜻蛉」
「墓の中 砂利から顔出す 犬二匹 気持ち悪さが 先に立つなり」
「来年も 忘れず我が家 やって来て 燕の巣立ち 見せておくれよ」

06月18日
 〇今日は、山の仲間と大磯巡りをする事になっていました。9時に大磯駅に集合でした。我が家からは、随分遠い所なので、5時半に起きて、大急ぎで食事や朝の仕度をして、余裕を見て6時10分頃には、我が家を出ました。聖蹟桜が丘からバスで小田急永山駅、新百合ヶ丘で藤沢行きに乗換え、藤沢で東海道線に乗換えて、8時半には大磯駅に着きました。まだ、誰も来ていなかったので、近くの大運寺に参拝して、9時10分前に駅に戻ると、ほぼ全員来ていましたが、一人が遅れて、16人全員揃ったのは、9時10分頃でした。今日のガイドを紹介して貰いましたが、なんと、私と同じ学部学科の、1年後輩でした。しかし、全く憶えていませんでした。1年後輩とは思えず、60代にしか見えない元気なガイドでした。
 〇大磯の町を見るのは、初めてでした。明治大正昭和の元勲、大富豪、著名人等が、何故、東京から遠い大磯に、別邸を建てたのでしょうか、史跡だらけの町でした。見たところ全てを憶えていませんが、安田邸、古河邸、大運寺、旧岩崎邸と澤田美喜記念館、エリザベスサンダーホーム、島崎藤村邸、吉田茂邸を、全て歩いて見学しました。
 〇見学は3時頃終り、仲間達は、平塚で反省会と称する宴に出かけましたが、私は、東京の大学で会議があるため、一人東京に向かいました。皆と歩いた後のビールが飲めないのは、とても残念でした。
 〇5時半頃から、今日の会議の準備会後をやり、6時半から本会議に入りました。特に大きな問題も無く、会議に負わされた任務に関し、対応方針の大筋が決まりました。後は実施に移すだけとなりました。
 〇会議の後、この会議のメンバーと打ち上げの飲み会となりました。昼間からの、飲みたい気持と渇きを癒やすビールが、なんと旨かったことか、生きている幸せを噛み締めました。
 〇2次会も付き合って、家に着いた時は、12時近くになっていました。十六夜の月が、ベランダから見える位置まで来ていました。酔った目にもとても綺麗でした。随分久し振りに、月を見た気がします。2ヶ月程みていなかったような気がします。それにしても長い1日でした。

「町歩き 山の仲間が 十六人 ぞろぞろ歩く 大磯の町」
「我が国の 歴史を作った 人達の 別邸尋ねて 溜息漏れる」
「元勲も 歴史の人と なりたれば 威張りもせずに 我等迎える」
「東海道 多くの人が 行き交いす 江戸から続く 松並木かな」
「藤村の 庭木の花に 戯れる モンキアゲハの 舞いは変わらず」
「別荘の あらゆる窓から 富士の見ゆ 我も住みたし 富士見の館」
「吉田邸 支那から来たる 四方竹 紅葉の秋に 筍出ずる」
「吉田邸 梅の老木 実を落とす 家は焼けても 庭木は残る」
「吉田像 海の彼方に 目をやりぬ 国家再生 桑港条約」

06月19日
 〇今日は、一日中曇りかと思っていたら、比較的良い天気だったので、昼から昭和記念公園に行って来ました。
 〇我が家の近くの、土があるのかと思うような歩道に、花屋で売っている外来種の花が、「これくらいのことには負けないぞ」と言わんばかりに、必死に花を咲かせていました。この手の外来種の花は、好きでは無いのですが、鉢の中では過保護のように見えるのに、歩道に落ちても頑張っているので応援する気になりました。
 〇記念公園に着いて、屋根付きのベンチで、池を見ながらお握りを頬張っていたら、制服を着たお兄さんが、じっと私のほうを見ていました。「また何か悪い奴と思われているのかな」と疑心暗鬼になりました。その後、作業服の小父さんがやって来て、「天井にスズメバチが巣を作りだしたのですよ、除去作業をしますので、お食事中済みませんが、別のベンチへ行って頂けますか」と言われました。天井を見てみると、丁度、私の真上で巣を作り始めていました。正に作り始めたばかりで、小さかったのですが、5,6匹のスズメバチが居ました。素直に言う事に従いました。
 〇食事を終えて、新緑から深緑に変わりつつある木々や、夏の花を見ながら公園を歩きました。白雲木の実を初めて見ました。広い八重ドクダミの花畑もありました。薄桃色のアセビの新芽がとても綺麗でした。勿論、この時期の代表である、紫陽花、花菖蒲もたっぷり見せて貰いました。
 〇珍しく、トンボの湿地へ行ってみたら、トンボはシオカラトンボしか居ませんでしたが、今年になって、殆ど出会う機会のなかったカワセミ(翡翠)に出会いました。今日は、この1つの出会いだけでも満足しました。

「鉢植えの か弱い花と 思いきや 歩道に落ちても 満開の花」
「雀蜂 人気を避けて 巣作りを 君等に人は 危険な存在」
「新緑の 小径を彩る 紫陽花の 近くに何時も 花菖蒲かな」
「白髪の 乱れし如き 君の名は 思い出したぞ リョウブの花だ」
「列をなす 大葉ギボウシ 下がり花 黒さ際立つ 熊ん蜂かな」
「深緑 大葉に負けぬ 大花の 白く輝く 森の泰山木」
「枝先に 糸で繋がる ブーメラン 何時飛び立つや 紅葉の子等よ」
「花終えて 緑の房の実 下がりたる 初めて実を知る 白雲木かな」
「そこかしこ 赤き実付ける 君は誰 まさかまさかの 素心蝋梅」
「蓮池に 蕾が真っ直ぐ 天を突く 仏も待つなり 蓮の花かな」
「花なりや 見紛うほどの 朱さかな 二度の彩り 馬酔木の新芽」
「蜻蛉池 我が目疑う 翡翠の 獲物窺う 姿が見える」
「芦の葉の 後ろに隠れて 近づけど あっさり見つかり 翡翠逃げる」
「合歓木に 無数の蕾 並び立つ 花の季節は 間近に迫る」
「春の日に 公園彩る チューリップ 今立ち枯れて 往事は過去に」

06月20日
 〇雲が多く、霞も強くて、視界が開けない朝でした。午後は、少しばかり日差しがあるというので、近場の浅川を回ってくるコースを散歩しました。少し歩き足りないので、浅川と多摩川の三角州の縁を周り、秘密の池、北川原公園も歩きました。
 〇我が家から、四谷橋を渡り、程久保川と浅川の合流地帯にある、仙人の花畑は、既に手入れがされなくなってから、4年ほど経ちます。野草化した花が、点々と咲いていましたが、荒れ放題と行った感じは否めませんでした。仙人も歳を取り、手入れをする体力が無くなったのだろうと思います。河川での、花等の栽培は禁止されていますと言い続けていた、河川管理の人にとっては、好都合だと思います。以前から、河原に生い茂って、仙人の花畑でも咲いていたハルシャギク(波斯菊)が、今年もコスモスのような花を付けていました。
 〇現在、浅川と多摩川の合流点地域の大きな三角州に、大型のゴミ焼却施設が建築されています。隣には、以前からの焼却施設があります。両方とも日野市の焼却施設です。現在、焼却施設は、市区単位で自前の焼却施設を持つように定められているはずですが、市や区の事情によっては、自前で焼却施設を作ることが出来ない所もあります。正確に覚えていませんが、日野市も近くの市のゴミを引き受けて焼却している筈です。日野市民の反対運動はあるようですが、人家の少ない三角点のような場所を持たない自治体も多いですから、面倒を見てやっても良いと思います。
 〇焼却炉の前の多摩川の河原は、出来るだけ自然を保持するために、人間が手を入れない地域になっています。お陰で、濃緑の夏は、ジャングルの様相を呈しています。秘密の池はこの河原にあります。実を言うと、春の野蒜はこの河原で採りました。
 〇石田橋を渡って、国立市のSVマーケットに行きました。このコースを散歩すると、このマーケットで鶏の軟骨と山芋を必ず買うことにしています。このマーケットの野菜売り場は、結構魅力があったのですが、仕入れの仕方が変わったのか、何の魅力も感じませんでした。これまで、1M近い山芋が、390円くらいで買えたのですが、今日は、山芋そのものが置いてありませんでした。肉と魚はマーマーだったので、晩酌用の酒の肴を買って帰りました。

「年毎に 河原の庵 減って行く 仙人達も 歳を重ねた」
「仙人の 庵の後に 波斯菊 仙人愛した 思い出の花」   

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2019年6月17日 (月)

2019年06月13日

2019年06月13日
 〇今日は、歯の治療をしてから3ヶ月経ち、久し振りに歯のクリーニングをして貰いました。担当の歯科衛生士ではありませんでしたが、自分で磨くのとは違って、とても綺麗になると同時に、すっきりしました。
 〇今日は、町田市の薬師池公園に、紫陽花と花菖蒲を見に行きました。公園に行く前に、以前見かけたお寺に、御朱印を貰いに行きました。岩子山 千手院というお寺でした。御朱印を頼むと、80台と思われる住職が出て来て、目の前で御朱印を書いてくれました。この寺の岩子山は、「いわごさん」と読み、「ご」は鼻濁音が正式だという話から、この寺の御朱印には参拝日を書かない事、山門の猫、猫の鼠退治、鼠小僧次郎吉へと話が延々と続き、何時暇を告げるか、迷ってしまいました。思い切って暇を告げると、「これから何処へ行きなさるんか」、
「薬師池へ行こうと思っています」「歩いて行きなさるんか」「ハイそうです」「ならば、門の前の道をまっすぐ行って、歯科医院の前で右に折れ、坂道を登って道なりに歩いて一山越えると、鎌倉街道にでるよ」と教えてくれました。住職の教えの通りに歩くことにしました。
 〇住職に言われた通りに歩いていると、新興住宅地の中に、花1杯の旧家がありました。花の写真を撮っていると、後ろから「写真が好きなんか」という声が聞こえました。私と同じ年配の人で、この家の主人でした。花の手入れの途中で、一服している所でした。ここでも、季節毎の花や、花の手入れについて、暫く話を伺いました。草花も沢山ありましたが、100株近い薔薇を咲かせているそうです。千鳥草の花を教えて貰いました。お礼を言って辞去し、坂を下りると、住職が言った通り、鎌倉街道の袋橋交差点へ出ました。ここから、薬師池公園へは、歩いて10分足らずでした。
 〇薬師池公園は、「あじさいはなしょうぶ祭」の期間中でした。去年と全く同じような光景でした。ウィークデーでしたが、沢山のご老人が来ていて、駐車場には、二つの老人ホームのバスが止まっていました。天気も良かったので、良い保養になったでしょう。公園に来る前の2箇所で時間を使ったので、薬師池公園は、駆け足のようになって仕舞いました。でも、何となく満足感がありました。
 〇薬師池公園から、バスで小田急線鶴川駅、新百合ヶ丘駅、小田急永山駅へ出て、バスで聖蹟桜が丘に出て、6時過ぎに我が家に戻りました。昨日洗って干してあった梅の実で梅酒を作り、一風呂浴びて、酒の肴を作ると7時半近くになってしまいました。今夜もまた、美味しい酒が飲めました。

「青空を 背にして佇む 千手院 客が嬉しい 白眉の住職」
「肥沃なる 土地にて花を 咲かせれば 花房大きい 荒れ地花笠」
「新興の 住宅増える 丘の上 地主の家か 多摩の花御殿」
「梅雨晴れに 水面輝く 池の端 男根擬き 亀の首かな」
「菖蒲田 野良着菅笠 乙女等の 熊手で掃除 薬師池公園」
 
06月14日
 〇今日は、予定が何も無いので、遠出をしてみようと思っていたのですが、午後には、雨になりそうな予報でしたので、それ程遠くない、武蔵野公園、野川公園へ行って来ました。
 〇京王線の多磨霊園駅から、バスで多磨町まで行き、武蔵野公園に入った時は、濃い緑の木々の彼方に、青空と白雲がくっきりと空を彩り、雨が降る気配はありませんでした。夏草で、川自体が何処にあるのか分らないような、野川のほとりを歩いて、野川自然観察園に出ました。今は、花が少ない時期でしたが、ドクダミの花だけは、至る所で咲いていました。ホタルブクロも咲いていましたが、人間が植えたと直ぐ分るような、大盛りのホタルブクロでした。破れ傘の花を初めて見ました。
 〇自然観察園を出て、東八道路を渡り、野川公園を歩くと、梅園にまたしても落ち梅が転がっていました。ほんの少々頂いて、昨日、千手院の住職と話題になった近藤勇の墓のある龍源寺に行くと、一切梅の収穫をしないらしく、落ち梅が山のようになっていました。ここでも落ち梅を拾い、近藤勇の墓に参拝し、続いて近藤勇の道場へ行きました。道場へは、入ることは出来ませんでしたが、クチナシと白夾竹桃が満開でした。少しだけ、武蔵野の森公園を歩き、多磨町へ出て、聖蹟桜が丘に戻り、少しばかり果物を買って、5時過ぎに我が家に戻りました。
 〇家で野球を見ながら、晩酌をして、野球が終わったので、ニュース番組に切り替えた10時近く、関西の友人から電話がありました。昨日、「とうとう俺一人になってしまった」とメールが入っていたので、「どうしたのだ」とメールを返しました。そのメールへの返事の電話だったのです。高校の頃からずっと親しい友達だった友人が亡くなったそうです。3人組だった友人の一人は既に無くなっており、今回の友人の死で、3人組は、彼一人になったそうです。彼の深い悲しみは分りますが、こればかりは、言葉のかけようもありませんでした。

「森の中 至る所に 白十字 今が盛りの ドクダミの花」
「破れ笠 花を咲かせて 花笠に 森はたちまち 花笠祭り」
「多摩の土手 今は少ない 靫草 所構わず 命繋げよ」
「橋の上 赤芽柏の 新芽見る 名前の由来 納得するなり」
「森の中 2匹の虎が 隠れてる 白き虎の尾 身体が見たい」
「人の世の 定めに逆らう 術は無し 友との別れも 定めなるべし」


06月15日
 〇朝から1日中雨でした。今が梅雨だと言う事を見せつけられたようです。家を出たのは、燕の巣を見に行った時だけです。朝9時頃には、4羽の雛は巣立っていて、巣に残っていたのは、1羽だけでした。ところが、夕方6時頃、もう1度見に行ったら、巣は空っぽでした。親鳥達が、必死に頑張って、子供達全てを立派に成長させ、巣立たせました。命の連鎖を見るのは、何時も感動的です。めでたしめでたしです。
 〇朝飯前に、昨日拾ってきて、洗っておいた梅を、先日の梅酒に足しました。4Lの梅酒の瓶が、梅で1杯になりました。色んな所の色んな梅が混じっていますので、複雑な味になるでしょう。
 〇時間がたっぷりあったので、生まれて初めてオーダーメイドで作ったYシャツの襟を補修しました。これは、先日7回忌を行った義理の兄が、前橋三越に勤めていた時、仕立券付きの生地を送ってくれたのです。もう半世紀近く前のことになりました。若い時、きちんとした服装をしなければならなかった時、とても役立ちましたが、襟が擦切れて、20年ほど着ることがありませんでした。折角補修したので、私が死ぬまでに、何度かは、ちゃんとした所に出してやろうと思います。
 〇昨日、野川公園で拾ってきた松ぼっくりで、梟を作ってみました。出来は非常に悪いのですが、それがまた、とても可愛いのです。我が家にいる、500羽を超す梟の置物と顔を見合わせ、話ながら暮らしています。
 〇最後は、やっぱりテレビ頼みになりました。昨日録画しておいた樹木希林主演の「あん」を見ました。今は、法定伝染病では無くなった癩病患者の老後をさりげなく描いた物でした。確かに大変な過去を引きずっていましたが、老後は今の私と大差ありませんでした。映画の中の樹木希林も、女優としての樹木希林も既にこの世を去りました。時は、止まること無く進んでいます。
 〇何度もベランダから、雨の風景を眺めました。向ヶ丘が雨に霞んで良い景色なのですが、電信柱と電線によって、折角の景色がぶち壊しでした。東京から、電信柱と電線を無くすと言っていた小池知事は、真剣に取り組んでいるのでしょうかねー。

「雨だれを 一人数えて 空を見た 少年時代に 戻りし梅雨の日」
 
06月16日
 〇昨日、沢山雨が降ったせいか空気が澄んで、今日は、富士や奥多摩の峰も見える、素晴らしい天気になりました。雲が富士山のところで湧くので、富士が見えたり隠れたりしていました。頂上付近も、雪は谷間に残っているだけでした。富士が青山になる日も近くなりました。
 〇燕の巣には、親鳥も、巣立ちをした雛達も、帰って来なくなりました。また来年まで、待たなければなりません。来年があるかどうか、確信できない歳になりましたので、寂しさと感動が、より大きく感じられるようになりました。
 〇今日は、午後4時半から、アパートの防災委員会と6時から理事会がありますので、近場の高幡不動まで歩いて来ました。
 〇10時過ぎに家を出て、富士を見ながら多摩川の土手を歩きました。昨日の雨で、多摩川が増水し、何時もより大きな音を立てて流れていました。その上を、5羽ほどの燕が飛んでおり、我が家の雛達ではないかと、しばし見とれていました。石田橋を渡り、万願寺地域の神社に行くと、境内の大公孫樹が、無残に切られていました。こんな剪定をする必要があるのでしょうか、怒りを覚えました。隣の安養寺では、またしても落ち梅を少しだけ(4個)拾いました。梅酒の瓶に入るか心配でした。安養寺の隣の「まんがんじ児童館」の広場では、落ち梅に良く似た、落ち枇杷の実を拾いました。食べられそうな実を探すのに手間取りましたが、6個拾いました。ふれあい橋を渡って高幡不動に入ると、紫陽花見学の人と第3日曜日の「ござれ市」が重なって、大変な人出でした。「ござれ市」は骨董品の出店です。寅さんのような香具師も何人か居て、盛んに商品を売り込んでいました。寅さんではないけど、結構面白かったです。私が、小さな木の梟を買うと、「兄さん、目が高いねー、それは屋久杉で作られているんだ」と周りの人に聞こえるように大声で話すのです。本当かどうかは分りませんがねー。
 〇紫陽花を一通り見て、3時には家に戻りました。予定通り4時半から防災委員会、6時からは理事会が行われ、終わったのは8時でした。今日の晩酌は、8時半からになりました。9時頃に、長男から電話がありました。父の日の挨拶でした。子供の頃から、父の日を祝ったことなどやったことは無かったのですが、どうしたんでしょうねー。自分が歳を取ったからか、母親が居なくなって随分時間が経ったからかも知れません。嬉しいような、こそばゆいような感じでした。今日は、「父の日」だったのですねー。

「多摩川の 川面を燕 群れて飛ぶ 我が家を巣立ちし 子等ではないか」
「雨の後 瀬音も高き 多摩の川 餌場求めて 白鷺の舞う」
「境内の 公孫樹の大樹 滅多切り 神も仏も 素通りするらん」
「落ち梅を 散歩の度に 拾いけり 梅酒の瓶は 蓋まで梅の実」
「落ち梅と 思えば枇杷の実 落ちており 育ち悪くも 甘き香りが」
「緑濃き 森まで入る 陽の光 雨好き紫陽花 日差しに浸る」

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2019年6月13日 (木)

2019年06月09日

2019年06月09日
 〇今日は、発音が六なので、勝手に「六さんの日」だと決めています。今日初めて分ったのですが、令和天皇の結婚記念日でもあったようです。
〇梅雨入りした関東の周囲だけが、雨でした。夏になったというのに、最高気温が、20度を少し上回っただけでした。また、長袖シャツが必要になりました。
 〇午後から一時的に雨が止みましたので、府中駅近くの武蔵府中郵便局に行って来ました。昨日、丸1日家を空けていた時に、長崎の弟から、ゆうパックで五島の蒲鉾が届いていたようなので、直接郵便局に取りに行ったのです。アジとアゴ(トビウオ)とクエのシンプルな蒲鉾でした。これが中々美味しいのです。真空パックなので、冷凍しなくても大丈夫だと思ったのですが、少々味は落ちるでしょうが、冷凍しました。今月末、末の孫の誕生日に、次男を除いて、家族全員が集まりますので、その時に皆で一緒に食べようと思ったのです。夕方、弟に電話して、お礼を言って、この事を告げると、弟も喜んでくれました。
 〇今日は、もう普通に酒が飲めるだろうと思って、府中の伊勢丹や聖蹟桜が丘の京王ストアで、酒の肴を探した所、飲めなかった時の反動で沢山買い過ぎました。鶏皮の唐揚げ、合鴨の燻製、ツブ貝の燻製、イカ明太、ローストビーフ、ボンビーノス貝を買いましたが、今日の晩酌では、ボンビーノス貝、鶏皮の唐揚げ、昨日作ったピザの残りだけで充分酒が飲めました。令和天皇と同じようには、上皇ご夫妻も呼んで、良いご成婚祝いが出来たようですが、私は一人で「六さんの日」を祝いました。

06月10日
 〇朝一番に、妻から電話がありました。明日の夕食を共にする約束をしました。ただでさえ働かないのに、更に怠けさせるような働き方改革に、ご立腹のようでした。自民党らしい選挙対策だろうと思いますがねー。戦後自民党が、長年に亘って、政権を維持するために、野党の意見を通じて国民の声確かめ、野党がやるような政治運営をしてきたので、日本は、世界でも例を見ないような社会主義的な国になりました。野党が、必至になって国民第一と言っていますが、野党が政権を取っても、現在のような日本を作れなかったかも知れません。
 〇今日は、備前焼の友人が東京で行う、備前焼の展示会の初日でした。毎回、初日は、友人達が集まって、展示会の成功を願います。というのは形ばかりで、展示会はそっちのけで、皆で持ち寄った料理と酒で、大宴会となりました。生まれて初めて、サクランボのジャムで日本酒を飲みました。良い気持ちで飲んだので、忘れてしまいましたが、若い曲がりキュウリの漬け物、チーズの和風サラダ、焼売と春巻き、韓国風海苔巻き等々、日頃、余り食べない物を食べさせて貰いました。備前焼の友人とは、大学の100周年(2013年)の時の、カンボジアーミャンマー旅行の時からで、かれこれ6年の付き合いですが、去年は、台風の中、自宅にお邪魔し、自製の釜を見せて貰いました。幾つになっても友達は出来る、それを再認識しました。更に今日は、私の趣味に合わせて、2つほど備前焼を特注しました。彼は、喜んで引き受けてくれました。彼の備前焼は、焼は優れているのですが、従来からの皿とか酒器、花瓶など実用品が中心なので、彼の作品にバラエティーを与えることになれば嬉しいのですがねー。

「老いらくに 新たな友の 生まれ出で 年旧る度に 絆強まる」

06月11日
 〇毎日見ている燕の巣で、雛がそれぞれ大きく育って、巣が狭く感じられるようになりました。巣立ちは近いと思います。この燕の巣のお陰で、ご近所の人達と、気軽に話せます。燕が、住民の心を繋いでくれています。
 〇午後から、妻と夕食をするために、神楽坂に行きました。今日は、スペイン料理にしました。妻とは、スペイン領のカナリア諸島で、半年ほど一緒に暮らし、妻もスペイン料理が大好きになりました。特に、魚介類と米の煮込みと言うべきか、炒飯と言うべきか、その両方に似たパエーリャが大好きです。当然ながら今日も頼みました。その他に、豚の頬肉の煮込み、モンゴイカのイカスミ煮、生ハム、チーズの盛り合わせ等を頼み、美味しいワインを飲みました。妻は、最近食べることが一番の楽しみなのと言って、私が驚くほどモリモリと食べました。
 〇食後、何時ものようにバールによって、妻はコーヒー、私はワインで、しばし話をしました。妻としては、酒に酔った私と話すと、議論のようになるので好きでは無いらしいのですが、渋々ながら付き合ってくれます。今日は、働き方改革から、人間社会の中で一番大事なものは何か、と言う話になりました。妻の意見としては、どう考えても一番大事なものは、将来を担う子供を作り育てることだと言っていました。その子供を作り育てることは、基本的に女性の役目ではないかとも言っていました。また、男性の役目は、家族を養うことで、先史時代から変わらない基本原則であり、それは今でも変わらないとも言って居ました。そして、現代の社会について、産業革命以来、人間社会の働き方に大きな変化が生じたが、国は、家族を養う男の稼ぎを、安定化させるのが本務であり、その本務をなおざりにして、男に育休を強制したり、給料を安く抑えたり、女性も働かせ子育てを外注するような、社会のあり方は、もっての外だと言っていました。少し反論めいたことを言いましたが、実は、私も、その通りだと思っています。最近、新たな社会のように言われているジェンダーフリーの社会は、現実の社会から懸け離れた、下手なプログラマーが作った、ロボット社会のように見えて仕方がありません。

06月12日
 〇燕の雛もかなり成長したので、最終的に雛の数を確認できました。昨年と同じく5羽でした。まだ、親鳥が餌を運んでいます。親鳥にとっては、私は危険人物のようです。巣に向かって、銃のようなカメラを向けるからだと思います。
〇今日は、午後からかなり強い雨が降るような予報でしたので、近くの郷土の森公園に行って来ました。テレ朝で郷土の森公園の紫陽花が紹介された彼でもあります。丁度、紫陽花祭をやっていて、公園は老人達で1杯でした。紫陽花も綺麗でしたが、広い梅園に、かなり沢山の梅の実が落ちていて、私は、その方に夢中になって仕舞いました。傷の少ない固めの実を探して、リュックに半分くらい拾いました。大きな梅酒の瓶が、1つ空になっていますので、梅酒を作ろうと思います。これまでに作った梅酒や果実酒が沢山あって、生きているうちに飲みきれない量なので、もう梅酒造りは止めようと思っていたのですが、地面に宝物が転がっていると、拾わずには居られない、少年時代からの性のような物です。
〇午後2時半から、郷土の森博物館の常設展の説明会があるというので参加しました。説明を聞く人が多かったせいで、説明員の熱が入って、40分程度の予定が、1時間15分ほどになりました。何でも知っているつもりでしたが、結構知らないことがありました。
〇夜は、今日休みの次男と一緒に、昨年甲子園を湧かせた吉田投手の、プロ初デビューの試合を見ながら、美味しく酒を飲みました。

「土手の道 途切れなく咲く 豚菜かな 茅の緑に 金色の帯」
「どうしてか アラブの町を 思い出す とんがり帽子の 箆大葉子の花」
「荻繁り 緑一色 多摩河原 緑の彼方に 聖蹟の街」
「寄り添って 茅の中に 身を置けば 清く優しい 昼咲き月見草」
「名はクララ 多摩の河原に 花咲かす 蜜蜂達と 花を尋ねる」
「緑濃き 茅の奥に 並び咲く 小さく健気 庭石菖の花」
「早春に 野を賑わした 春紫苑 姫女苑へと バトンを渡す」
「道脇に 白き茸の 列をなし 我を見上げる 梅雨の午後かな」
「紫陽花が 藁葺き屋根を 引き立てる 郷土の森の 紫陽花祭」
「紫陽花と 睡蓮の花 花菖蒲 美を競い合う 梅雨舞台かな」
「梅園に なにやら朱き 玉の見ゆ 収穫の後 梅の実の落つ」
「気は焦り 境界線を 乗り越えて 人目気にせず 落ち梅拾う」

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2019年6月 9日 (日)

2019年06月05日

2019年06月05日
 〇昨日、鶴見川を完歩した後で、我が家の近くのショッピングモールに寄ったら、またしても警察から、職務質問を受けました。余程人相が悪いのですかねー。これでは、小学生の登下校の道には行けませんねー。若しかしたら、繕いだらけの帽子がいけないのではと思い、今日新しい帽子を買いました。
〇今朝のテレビで、岸惠子の特集をやっていました。現在86歳となり、一人住まいで本を書いているそうです。非常に元気で、私より10歳以上年上とは思えないほどでした。テレビの中で、終戦の年、防空壕に入れという大人の意見を無視して、生き延びたそうです。それ以来、年上の尤もらしい意見に従うことを止めたそうです。とても良いことだと思いました。日本では、儒教の教えのせいか、武家社会の封建制度のせいなのか、親や年上の人間の言う事を聞かない若者は、無法者扱いにされます。しかし、私は、きちんと反発できる若者は、きちんとした自分の考えを持ち、自分の行動に責任が持てる、立派な人間になれると思っています。年上の意見には逆らわないと言った、無条件服従は、結果的に、戦争に対しても反発が出来ないと思っています。
〇今日は、西府緑地、関戸橋、大栗川の合流点を回って、聖蹟桜が丘まで、ゆっくりと歩いて来ました。西府緑地の公園では、2本の大きな杏の木があり、現在、完熟した実を沢山付けていました。しかし、手の届く所の実は、既に取られていましたので、木の枝を探して、上の方の実を落とし、20個ほど頂きました。木の実を取ることは、童心帰るというか、戦後の貧しい時期に、宝物を御見つけた時のわくわく感が蘇ります。合流点に行く、多摩川の土手には、オオキンケイギク、ミヤコグサ、ニガナ、テリハノイバラ、〇〇〇が、沢山咲いていました。この時期に、あそこへ行けば、あの花を見る事が出来る、その期待は裏切られませんでした。
〇今日は、久し振りに次男と飲めたのに、明日は、消化器の内視鏡検査で、9時までには、アルコールを止めなければなりませんでした。残念でしたが、7時から9時までは飲めたのですから良しとしましょう。

「仄朱く 熟れた杏は 宝物 少年時代の 気持に浸る」
「この季節 あそこへ行けば あの花が 花を求める 蝶々の気分」
「白髪の 乱れる如き 栗の花 横で頬染む 朱き枇杷の実」

06月06日
 〇今日は、10時に消化器の内視鏡検査だったのですが、遅れに遅れて、検査が終わったのは、12時近くでした。正式な結果は、25日に教えてくれるそうですが、一応問題は無しとのことでした。但し、食道にポリープのような物があったのを除去したとのことでした。その為、過激な運動はせず、食事も流動食に近い物、酒は飲まないように言われました。そんな訳で、今日は良い天気なのに散歩もせず、府中市役所で戸籍謄本を取り、聖蹟桜が丘で末の孫の誕生日プレゼントを買い、我が家の近くで軽く買い物をして帰りました。酒の肴を探す感じで、スーパーを歩かないと、何にも買う気が起こりませんでした。酒は、様々なことを楽しくする、本当に「百薬の長」ですねー。家に着いたのは、3時半頃で、杏酒作りをした後は、殆どテレビを見て過ごしました。私が作る果実酒は、私が散歩の途中で、拾ったり摘んだりしてきた果実で作っています。

「傷ついた 杏で作る 杏酒の これこそ自然の 我の酒なり」

06月07日
 〇5日の大栗川の合流点に向かう土手では、カワラサイコ(河原柴胡)が咲いていました。この花は、別な所でも見ていたのですが、名前を思い出すことが出来ず、1ヶ月以上苦しんでいました。ネットで「鋸歯状の葉に黄色い花」などといった曖昧検索等をして、一所懸命思い出そうとしたのですが、駄目でした。ところが、今朝、目を醒ました時、不意に名前を思い出したのです。辛うじて脳内の検索のための神経が、繋がっていたようです。昨日、運動不足で、良く眠れなかったのですが、朝から良い気分になりました。
 〇燕の巣は、毎日見ていますが、一羽の雛の成長が非常に早く、親に近い大きさになりました。その他の三羽の雛達は、まだ子供子供しています。昨年は、五羽孵りましたので、今年も5羽ではないかと確かめていますが、今のところ4羽しか確認できていません。
 〇午前中から雨になり、関東地方は梅雨入りしました。4時近くから、雨の中を聖蹟桜が丘の、皮膚科の病院に行きました。左手に出来た瘡のような物が、中々直らず、逆に頭や身体にも出来て、とても痒いのです。先生も心配してくれて、今回は、塗り薬の他に飲み薬も貰いました。しかし、こんなことは生まれて初めてなので、この病気の名前と原因は何か、貰った塗り薬で何故治るのか、聞いてみたのですが、適切な答えはありませんでした。この病院に来ている人達の多くが、同じ病気のようですが、誰も聞かないのでしょうか、病院を変えてみる必要があるかも知れません。

「毎日の 楽しみくれる 燕の巣 親鳥たちは 警戒忘れず」

06月08日
 〇今日は、前妻の直ぐ上の兄の七回忌の法要に、群馬の方まで行って来ました。朝5時に起きて6時には家を出ました。それでも法事の始まる10時の15分前に、やっと着きました。法事と精進落としの食事会が終わったのは1時過ぎ、老人ホームで暮らしている前妻の長男の嫁の暮らしぶりを見て、その町を出たのが2時半頃でした。それから、電車を乗り継ぎ、我が家に着いたには、7時頃でした。半分以上電車に乗っていた、長い長い1日でした。
 〇前回の3回忌から、更に二人の親族が亡くなり、寺の住職も亡くなって、息子が住職になっていました。新住職の話を聞き、お経を聞きました。少し青臭さを感じましたが、良い修行が出来ていて、どれも親父さんより一歩上をいっているような感じがしました。法事に集まった人達も、殆どが80過ぎとなり、棺桶に足を半分入れている状態になりました。時代は、子供等の時代になりました。その子供等も、50を過ぎる年になりました。時の流れを、身に浸みて感じました。
 〇死については、種々考えがあると思いますが、今日の住職の話は、中々良い話でした。私の意見も少し入っていますが、次のように言っていました。「死は生きていた時の人生の記憶も含めて、一切が無に帰すことであり、その人との関係は、全て絶たれてしまいます。魂とかの形で残るものではありません。その人の魂が残っているように思えるのは、自分の中にある記憶です。法事の役割は、関係ある人々が、各々の記憶を表に出し、語り合いながら、現在生きている自分達の生きる覚悟を、確認することにあります」。少々、理屈勝ちですが、理に適っているし、宗教の関与も忘れない、良く出来た話だと思いました。

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2019年6月 5日 (水)

2019年06月04日

2019年06月01日
 〇今日から6月になるというので、昨晩、ベッドの掛具をタオルケットからバスタオルにしました。所が夜中寒くて、タオルケットをまた出してしまいました。暦通りには、なかなか上手く行きませんねー。
〇今日は、大学時代の「恩師について語る会」が、大学の同窓会の部屋で行われました。私は、この会のメンバーではないのですが、今日、代表して思い出を語る人が、大学時代から良く知っている同郷の後輩だったので、私も参加しました。その恩師との思い出は、参加した人がそれぞれ持っているので、結局、思い出を話し合える仲間と、思い出を話し合いたいのですねー。懇親会になって、酒が入り、一気に盛り上がりました。
 〇それにしても、この会を切り盛りしている女性は、私がやっていた会でも、実際は彼女が全部やってくれました。大学の同窓会の要のような人です。頭が下がります。彼女と彼女の仲間で、酒と食料を準備してくれて、参加費1000円で、充分に飲み食いが出来ました。

 

「年取れば 口実作って 会えば良い 友との別れは 日々に近づく」

 

06月02日
 〇今日は御岳山に行ってきました。何年ぶりでしょうか。ケーブルカーの滝本駅の近くで、白雲木の花が沢山咲いていました。御岳山駅の近くでは、良く似たアカシアの花が、まだ咲いていました。
 〇御嶽神社への道筋でも多くの花に出会いました。遠方の山を見ると、まるで山水画のような、強い霞でした。門前の店の手前にある、欅の巨木を見上げると、この時だけ薄日が差しました。
 〇御岳山には何度も来ていますが、上り下りにはケーブルカーを利用していますので、今日は、下りは歩きました。杉林の中の道は、門前の店に物を運ぶための舗装道路で、山道を歩いている感じはしませんでした。しかし、この道は、その昔御嶽神社の参道だったらしく、道の脇の杉は、相当に樹齢を重ねていました。長い年月を必死に生きてきた感じが、根の張り方に現れていましたので、根の写真を沢山撮りました。写真を撮っていて、根の所が繋がっている夫婦杉が多いことにも気がつきました。
 〇バスで御嶽駅に戻り、玉堂美術館に、何年かぶりに行きました。晩年、玉堂は、奥多摩に居を移し、絵を描き続けました。現役最後の私の事務室に、大きな玉堂の多摩の絵が飾ってありました。正当の日本画を受け継いだ感じがして、好きな画家の一人でした。第2展示室に移ると、玉堂の絵とは思えない「いわさきちひろ」の絵に似た、子供の絵が展示されていました。係員に聞いてみたら、特別展だったようです。画家の名前は、忘れてしまいました。
 〇御嶽渓谷を渡って、御嶽駅に戻り、お土産に「のしこん」と豆腐こんにゃくを買って家に戻りました。それにしても、日曜日の御岳山の人では、高尾山の10分の1以下のような気がしましました。都心から遠い、電車の本数が少ない、駅からバスに乗らなければならない、綺麗な富士が見えない等々、一般人が訪れるには、魅力が少ないようです。

 

「苔生した 石垣に咲く 飛燕草 野辺と異なり まるで別花」
「石垣の 見上げる高さに 雪の下 小さな白蝶 群れ舞う如し」
「若葉から 白き花房 群れ下がり 白雲紛い 白雲木かな」
「山の上 白雲木と 思いきや 房花下がれど 君はアカシア」 
「五月過ぎ 既に林は 深緑 異様に白き マタタビの葉」
「根を絡め 大地に踏ん張り 天を突く 力寄せ合う 夫婦杉かな」
「長年の 命支えた 杉の根の 大地を掴む 恐竜の手」
「杉の根の 暗き祠に 花咲かす 一人静の 静かにたちおり」 
「薄暗き 杉の林の 下草に 淡き紫 小紫陽花かな」
「渓谷の 奥多摩の里 霞濃く ひたひた歩く 玉堂の世界」

 

06月03日
 〇今日は、京王フローラルガーデンへ行って来ました。調布から橋本方面に、一つ目の駅、京王多摩川駅の側にあります。1度は行ってみようと思っていたのですが、庭園の名前から、人が作った花畑のような気がして、足が向かなかったのです。行ってみると、予想通り、花は沢山咲いていましたが、花屋の中を歩いているようで、何の感動も覚えませんでした。更に悪いことには、若者を呼ぶためでしょうか、庭園の真ん中がバーベキュービレッジになっていました。薔薇の季節でしたが、早々に退散しました。
 〇その後は多摩川に出て、府中まで歩きました。フローラルガーデンに入った時から、青空が広がり、日差しも強く真夏の暑さになり、大汗を掻いた、大変な散歩となりました。府中では、市役所に寄り、父母や祖父母の戸籍謄本を、郵便で採る方法について教えて貰いました。
 〇夜、録画しておいた、昨日放送の「彼女は、安楽死を選択した」というNHKの特別番組を見ました。日本では、積極的な安楽死は認められていないので、スイスで行ったそうです。薬物投与で、極めて短時間に死に至ったそうです。また、日本では違法なので、遺灰もスイスの川に流したそうです。彼女は、多系統萎縮症と言う病気で、そう長くない時期に、全くの寝た切りになり、やがて死に至る事が分っていたため、52歳で、安楽死を選んだそうです。以前にも書きましたが、私は安楽死賛成論者ですから、日本で許されている、延命治療をしない消極的安楽死については、既に登録済みで、子供達にも話してあります。今日の、テレビを見ていると、彼女の病気は、進行速度こそ違いますが、老化とほぼ同じだと思いました。私も何れ、積極的安楽死を登録しようかと思います。それが、何等かの都合で不可能の場合は、食事を断り、即身仏になりたいと思っています。「結婚は親の見栄、葬式は子供の見栄」「罪ではなく恥の文化」と言った、日本固有の特殊な文化や考え方では、個人の権利としての安楽死の選択は、容易に実現しないでしょう。確かに、他人が悪用することばかりが増えそうです。良い方の例を示すことが出来れば良いのですが、、、。

 

06月04日
 〇今日は、少しばかり延期していた、鶴見川歩きに行って来ました。今日の始点になる、綱島駅に近づくと立派な寺の屋根が見えました。先ず、御朱印集めから始めようと、駅から見当を付けて歩くと、綱島公園に出てしまいました。公園の入口で休んでいた地元の老人に寺への行き方を聞くと、「方向としては、こっちで良いんじゃが、道も難しいし、遠回りになる。一旦、駅の方に戻って、綱島街道に出るとスーパーがあるから、その横の道を左に入ると直ぐじゃ」と言われました。行ってみると、流石に土地の人の助言、的確そのものでした。しかし、残念なことに、その寺、長福寺は、浄土真宗の寺でした。浄土真宗は、御朱印をやっていないのです。
 〇鶴見川の方へ戻って、前回住職が不在で御朱印を貰えなかった久光院へ行くと、今日は住職がいて、快く引き受けてくれました。頭の低いとても親切な住職でした。しばし、鶴見川歩きのことを話したところ、無事と成功を祈ってくれました。
 〇鶴見川と新幹線を見ながら、コンビニ弁当を食べ、午後1時丁度に、鶴見川歩きを開始しました。途中2度、土手の道が通行不能で、強制的に橋を渡らされるなど、種々問題はありましたが、川風が心地よく、楽しい散歩になりました。河口まで、2.5キロの所で、土手の道が無くなり、いきなり鶴見の中心街に入り、区役所の前から鶴見川に戻りました。そこから、河口まで1.5キロになっていました。そこから1キロくらい歩いて、海は見えているのに、河岸の道が無くなってしましました。大きなインターチェンジになっていました。河口の縁に立ちたかったのですが、ここで鶴見川歩きを完了ということにしました。3時45分でした。
 〇鶴見駅へ出ようと思って、駅の方向へ向かって歩いていたら、鶴見線の国道駅に出ました。高架の下にある無人駅で、戦後の名残が残っていました。鶴見駅は隣でしたので、この電車を利用することにしました。お客がいるのかと思ったら、学校があるのでしょう、学生で満員でした。
 〇終点の鶴見駅で、京浜東北線に乗換え、隣の川崎から、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、6時半過ぎていて、さっと汗を流して、鶴見川完歩の晩酌にしました。美味しい酒が飲めました。

 

「新幹線 近くを走る 橋側に 並木を作る 鬼胡桃かな」
「沢山の 実を付けたる 鬼胡桃 何故かべとつく 若き実達よ」
「晴れた日に 葛も荻等も 葉が光る 何故かべとつく 濡れ葉の如し」
「荻伸びて 茎にまとわる 昼顔の 何故か寄り添う 夫婦花かな」
「対岸に ズラリと並ぶ マッチ箱 ドミノ倒しに 隙間が狭し」
「人住まぬ アパートの壁 一面に 緑活き活き 蔦の茂れり」
「川風に 綿毛を飛ばす 茅の穂 春紫苑等に 羽衣着せる」
「いつの間に 土手も河原も 緑無く コンクリートの 壁の続けり」
「生き物の 姿少なし 鶴見川 一羽の川鵜 翅を広げり」
「両岸の 住民達に 呼びかける 神奈川県警 巡視艇かな」
「目障りな 橋の向こうに 海を見て 鶴見川歩き 完歩するなり」
「国道駅 取り残された 闇市に ぽつんと残る 居酒屋ありき」
  

 

 

 

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2019年6月 1日 (土)

2019年05月27日

2019年05月27日
 〇今週は、妻が上京する日だったのですが、上手く予定が折り合わず、今週は、会えなくなりました。ちょっと残念です。
 〇今日は、国立から玉川上水へ出て、玉川上水沿いに、小金井公園の入口の近く迄歩きました。思いの外距離があり、2時間以上掛かってしまいました。国立市、小平市、国分寺市を歩いたことになりました。
 〇最後に、何時も歩いている、小金井橋の手前で、海岸寺という禅寺に出会いました。表通りから見えないので、玉川上水を歩かないと気がつかない寺です。小さいながら境内は良く手入れされた、閑静な寺でした。寺に着いた時、4時過ぎていましたので、「御朱印は無理かな」と思ったのですが、住職がいて快く引き受けてくれました。御朱印を貰う前に、住職から御朱印の説明がありました。「元々御朱印は、写経を寺に納経した時、受領証の形で渡したもので、納経もせずに単なる収集趣味になっているのは、感心できない、せめて短いお経でも良いから、お経を覚え、本殿の前で唱え、御朱印を申し込んで欲しい」と言われました。これまで、何度も聞いたことです。それを聞いた後、私が偉そうに、般若心経が、仏陀の悟りそのものであること、仏教の本質は悟りを開くことであり、仏に救いを求める事では無い、救いを求める宗教的考えは、後々の僧侶がその時の世相に合わせて考え出したものであり、仏教の本質とは異なるものだと議論を持ちかけ、1時間近くの議論というか話し合いになって仕舞いました。しかし、議論で相手を説き伏せようとする形ではありませんでしたので、それぞれの考えを尊重し合う形で話は終り、丁重にお礼をして、寺を出ました。「犬も歩けば棒に当たる」、外に出ると、何か1つは、面白い出来事に出会います。

「禅寺の 庭の片隅 雪の下 悟りも教えも 花には不要」

05月28日
 〇山の仲間と筑波山に登りました。その時の様子は、何時ものように、75調の紀行文で、想像して下さい。

「午前9時 ラッシュアワーの 秋葉原 今日の仲間は 14人」
「爺婆の 善行認める 仏かな 真夏日去りて そよ風の吹く」
「車窓から 遠くに筑波の 山見える 我等を運ぶ 筑波エキスプレス」
「筑波から バス借り切りて 筑波山 つつじヶ丘の ロープウェイ口」
「登山口 筑波名物 大ガマの 無事を祈れと 腰を据えおり」
「全員で 大ガマ詣で 無事済まし 筑波登山の 始まり始まり」
「小半時 急な坂道 女体山 弁当広げる 仲間もありき」
「岩多く きつい坂道 女体山 我等を癒やす ニガナの列かな」
「良く見れば 花弁の多き 花ニガナ 我等を癒やす 仲間に加わる」
「それぞれに 名前の付いた 大岩を 仰ぎ見上げて 頂上目指す」
「弁慶も 躊躇うほどの 大岩の 下からひょっこり 高幡の人」
「罪背負い 再び母の 胎内に 穢れ清めし 還暦の人」
「岩道に 天女が残した 羽衣の 揺れるが如し ツクバネウツギ」
「鎖場も 岩の背中も 乗り越えて もう上がない 頂上制覇」
「頂上で 故郷の山に 思い馳せ しばし異国を 忘れる人あり」
「誰も皆 霞む地上に 目をやりて 人それぞれの 思いに耽る」
「万葉の 歌にも詠まれる 筑波山 今は我等の 足下にありし」
「頂上の 狭き岩場に 集まりて 恐る恐るの 記念撮影」
「頂上の 神社がやけに 騒がしい テレビ番組 撮影らしき」
「中心は 元アイドルの なれの果て 鉄の胃袋 錦野旦」
「爺婆も 元アイドルと 肩並べ にっこり笑って 記念撮影」
「爺達は アイドルよりも 付き人の 若き美人が 気に掛かるなり」
「女体山 制覇の後は 男体山 御崎ヶ原から 楽々制覇」
「男体山 ぐるりと回る 人もあり 御崎ヶ原へ 戻る人あり」
「筑波山 男女の峰を 登り切り 下りは楽ちん ケーブルカーで」
「山下りて 筑波神社に お土産屋 ふらりふらりと 観光気分」
「バスに乗り 一眠りして 筑波駅 待ちに待ちたる 宴の席へ」
「何時からか 宴欠かせぬ 山登り 最初のビールに 喉が鳴るかな」
「次々に 酒と肴を 追加して 楽しさ1杯 腹も1杯」
「飲み足らぬ そんな顔する 人あれど 帰りが心配 宴を終える」

05月29日  
 〇今日は、平山城址公園駅から、浅川の右岸を歩いて、八王子に行こうと思って、取り敢えず平山城址公園駅で降りました。所が、浅川の右岸は、この駅の所で、歩ける土手が繋がっておらず、土手の道がある所まで、河原を歩くことにしました。この河原は、人が全く入らないらしく、荻と葛と菜種で河原が埋まっており、30分近く藪漕ぎをしなければなりませんでした。物凄く疲れましたが、自然の中を歩いている気分に浸ることが出来ました。
 〇漸く浅川の右岸の土手に道に出たら、ほんの少し歩いただけで、湯殿川との合流点になりました。浅川は歩いたことがあるので、歩いたことのない湯殿川を歩くことにしました。結構歩いたのですが、切りよく散歩を止める所が見つからず、結局、山田駅まで歩きました。山田駅近くの丘の上に、雲龍寺の五重塔が見えた時には、終りが見えた安堵感が広がりました。大凡の地理は把握していても、見知ったものが出て来ると、本当に嬉しくなりました。

「ビル見つつ 藪漕ぎをする 爺様の 足に絡まる 葛に枯れ荻」
「白鷺の 安住の地に 人が来る その慌て振り 可愛くもあり」
「藪漕ぎを 終えればご褒美 花畑 河原に広がる オオキンケイギク」
「浅川の 支流の1つ 湯殿川 出会いがあれば 歩かにゃなるまい」
「歩けども 更に歩けど 見知らぬ地 無事に我が家に 戻れるだろか」
「丘の上 あれに見えるは 雲龍寺 救いの神の 現れ出でる」

05月30日
 〇今日は、非常に良い天気でしたが、夕方に上野で、久し振りに「語ろう会」があるので、午前中から午後4時までは、一昨日の筑波山登山の寄稿文などを書いて過ごしました。
 〇5時頃に家を出て、6時20分には、会場近くに着きました。しかし、会場そのものが分らず、30分近く迷ってしまいました。電話しても通じないし、道行く人にも聞いたのですが、知る人が少なく、三人目で漸くきちんと場所を教えて貰いました。そのビルの前を、何度も往復していました。私は、大きな看板があると思っていたのですが、玄関のドアに、小さく「上野クラブ」と書いてありました。東京メトロの事務所の一部だったのです。
 〇久し振りに「語ろう会」のメンバーに会いました。何時ものように、大いに話、大いに飲んで楽しい一時を過ごしました。友が居て、現在世間を騒がせているような、引きこもりにならないで済みました。有難い事です。

「友ありて 老い先短い 人生を 笑って話して 盃を傾く」

05月31日
 〇今日は、山田駅から湯殿川に下り、湯殿川の続きを歩き、最後は川沿いの道が無くなったのですが、源流を突き止めました。なんと、源流は、拓殖大学の堤の水だったのです。川歩きの途中、多くの花や、蝶、虫達に出会いました。緑の多い、楽しい川歩きでした。
 〇多摩地方の拓殖大学は初めてだったので、キャンパス訪問をしました。入口から堤まで、比較的長い紅葉並木でした。秋には、また行かなくてはいけませんねー。堤の端から、扶桑が丘の拓殖招魂社に参拝し、学内に入りました。多摩の森を上手く活用した、広いキャンパスでした。学生の帰宅時間には、ほぼ5分置きにバスが出ました。私も学生達と一緒に、バスで高尾へ出て、我が家に戻りました。
 〇我が家に戻ると、燕の雛達が、初めて巣から顔を出していました。この瞬間が、一番可愛いです。

「湯殿川 ツツジの垣根に 蜘蛛団地 白蝶たちの 墓場となりき」
「飛び立てぬ 蝶のお腹に 蜘蛛が乗る 羽が無ければ 似たよな姿」
「ひらひらと 所定めず 舞い続け 我を惑わす ウスバアゲハよ」
「蜘蛛の巣を 巧みに避けて 蜜を吸う ツツジ大好き ベニモンアゲハ」
「満開の 枝垂れウツギを 飛び回り 満足そうな アオスジアゲハ」
「熊ん蜂 我も負けじと 蜜を吸う 枝垂れウツギに 蜂と蝶かな」
「シモツケの 花にぽつんと 緑玉 羽に星持つ 黄金虫かや」
「一面に 豚菜の黄花 乱れ咲く 泉の里の 浄泉寺かな」
「苔生して 歴史を背負う 狛犬が 社殿を守る 御霊神社」
「湯殿川 突然道の 無くなりて 谷戸を流れる 小川となりき」
「せせらぎに 終りの予感 強くなり 疲れし身体に 力が戻る」
「道脇に いきなり水の トンネルが 湯殿川の 源流なりき」
「源流の 奥に広がる 多摩の森 森の中には 拓殖大学」
「学内の 堤の水が トンネルを 流れ出でたる 湯殿川かな」
「学生の 長蛇の列が バスを待つ 中にしょぼくれ 爺が一人」
「我が家では 燕の雛が 出迎える 今夜は雛の 誕生祝い」

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