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2019年5月

2019年5月27日 (月)

2019年05月26日

2019年05月26日

05月20日
 〇我が家の近くの家の庭で、薔薇が立派に咲いていました。この家には、もう誰も住んでいないのです。恐らく介護老人ホームに移ったと思われます。
〇今日は、午後には雨になる予報でしたが、多摩地方は青空が広がり、良い天気でしたので、青梅の「吹上げしょうぶ園」に行ってきました。大塚山公園、光明寺、師岡神社、妙高院、宗泉寺を回って、「吹上げしょうぶ園」に着きました。光明寺では、御朱印を貰うことが出来ましたが、他の二つの寺は、御朱印は、やっていないとのことでした。光明寺の横の諸岡神社の椎の木は、師の記念樹木になるほどの大木で、芽吹きの緑が圧巻でした。宗泉寺の榧の木も市の記念木になっていました。「吹上げしょうぶ園」では、5月25日から「花しょうぶまつり」が始まるとのことでしたが、今は、全くといって良いほど、花がありませんでした。
 〇「吹上げしょうぶ園」から塩船観音まで、1キロ少々のようでしたので、4月の終りに来たばかりの、塩船観音にも行ってみました。ツツジの時期は、あれほどの人だったのに、時間が遅いせいもありましたが、私以外に、5人しか参拝者は居ませんでした。お陰で、藁葺きの古刹を充分堪能しましたし、本尊の観音菩薩を拝顔できました。おまけに、令和記念の特別御朱印を頂きました。墨書ではなく金書でした。この5月中だけの特別なサービスのようで、何時もより少し高い、500円でした。

「主無き 家に立派な 薔薇の花 五月の風に 主を思う」
「光明寺 屋根潰すよな 椎巨木 師岡神社の 神の連れ合い」
「墓周り 黄色いニガナ 花盛り 地上に降りた 星座が光る」
「しょうぶ園 菖蒲は未だ みな蕾 落胆癒やす 睡蓮石楠花」
「塩船の ツツジが自慢 花の寺 季節は過ぎて 静かな古刹」

05月21日

 〇今日は、市川の学園の監査の日でした。学園の監事である私に取っては、最も責任ある仕事の日でした。大雨と強風の中を学園に行き、午後2時から、もう一人の監事と共に、監査を実施しました。会計報告、事業報告の後、中学・高校の校長、小学校の校長、幼稚園の園長から、それぞれの報告を受け、5時過ぎまで掛かって、一応監査を終了しました。
 〇法的に定められた監査は、形式的なものでしたが、教育、特に私学経営は、少子化、家族のあり方、住宅地開発、社会そのものの変化の影響をもろに受ける極めて難しいものだと言う事を痛感しました。

「大雨と 強風受けつつ 学園へ 教育現場の 課題を勉強」
「文明の 社会変化の 大嵐 至難の技かな 未来教育」

05月22日
 〇今日は、白内障の手術をするか、決断をするヒデした。午後3時から、検査と診断になっていましたので、早めに家を出て、一橋大学の学内を散歩し、昼食を取りました。
 〇その後、癌検診センターに行き、取り敢えず消化器の内視鏡検査の予約を取りました。胃癌手術後、丸2年となるので、6月は、検査漬になりそうです。検査は、出来るだけしないで、「遅き発見早期死亡」が、モットーだったのですが、胃癌手術後、このモットーが通せなくなりました。
 〇3時になっても、予定されていた眼底検査はなく、3時半近くになって、直接診察室に呼ばれました。所が、前回と先生が替わっていました。前回は、女医だったのに、今回は男性でした。今回の先生が、本当の担当でした。この先生も、私の場合の白内障の手術は、期待通りの結果が得られるか、疑問のようでした。私自身が、手術に極めて前向きでない所が、一番の問題だと言っていました。結局、暫く様子を見る事になりました。
 〇審査の後は、病院の裏の国分寺緑地から、旧鎌倉街道、国分尼寺、東芝府中前、府中刑務所など、府中街道を歩いて府中駅に出て、我が家に戻りました。

「昨日の 雨の恵みに ほだされて 我が家のベランダ 赤花の咲く」
「風に乗り 我が家に住着く 赤花の 姿美し 晴天の朝」

05月23日
 〇今日は、先日亡くなった大学のクラブの初代の先輩の葬儀に参列しました。自宅の近く苦、東武東上線の「ときわ台」の式場でした。東京の済むようになってから、半世紀を過ぎましたが、東武東上線に乗るのは初めてでした。式場には、クラブのOB4人と現役1名も参加していました。葬儀屋のやる葬儀は、何処も同じでした。これから何度、同じような葬儀に出ることになるのでしょうか、70を過ぎたら、家族だけで葬儀をするのが、良いのかも知れません。今日のような、本人は棺の中で焼却を待つだけで、話すことは出来ませんし、先輩の奥さんも家族も友人の方も、誰一人知りませんでした。今後は、このような葬儀には出席しないことにしました。
 〇葬儀の後、葬儀場の近くの天祖神社に参拝し、クラブの関係者だけで、軽く精進落としをして、池袋で別れました。別れたのが、1時半くらいだったので、私としては、何処かへ行きたかったのですが、30度を超える猛烈な暑さとなり、スーツ姿でもあったので、新大久保で、酒の肴になりそうな、チャンジャやキムチを買って、3時過ぎには、我が家に戻りました。

「葬儀とは 死の現実を 悟らせる 極めて大事な 儀式なれども」

05月24日
 〇午前中時間があったので、パジャマのズボンの繕いをしました。繕う所が、筒状なので、手を添えた運針が出来ず、あちこちが引きつった、悲惨な結果になりました。お役御免にしてしまえば良いのですがねー。
〇今日は、数少ない予定のない日でした。5月は、僅か7日しか予定のない日がありませんでした。天気も良いし、井の頭公園から、三鷹方面を歩いて来ました。井の頭公園で、木々の緑と池の深い碧、空の明るい青、白い雲を見ながら、自前の弁当で昼食を取りました。その後、井の頭西公園と玉川上水を歩き、玉川上水沿いの「風に散歩道」を三鷹に向かいました。
 〇途中、何度か訪れたことのある「山本有三記念館」に寄って、館内に入ると、山本有三の代表作とも言える、「路傍の石」の映画をテレビで上映していました。昭和39年に公開された映画で、中村加津男、淡島恵子等全ての俳優が若々しく、映画も実に良く出来ていて、最後まで見てしまいました。2時間近くテレビの前に陣取っていたことになります。

「新婚の 夢多けれど 危なげな 一時過ごした 吉祥寺かな」
「子供等と 何時も歩いた 池の端 今も変わらぬ 井の頭公園」
「緑濃き 玉川上水 脇に見て 三鷹へ続く 風の散歩道」
「小説も 映画も既に 遠き過去 路傍の石の 映画に見入る」

05月25日
 〇今日が、監査としての一番大事な日でした。形式的ではありますが、理事会と評議員会に、監査結果を報告しなければなりません。朝5時半に起きて、6時半には家を出て、8時半に学園に着きました。
 〇理事会は9時から、評議員会は10時半から、行われましたが、監査報告は、この学園で中高校の校長の経験がある、もう一人の監事が、全部引き受けてくれました。
 〇夕方5時から、体育会系の友人と会うことになっていましたが、時間がたっぷりあったので、堀切菖蒲園に行ってみました。菖蒲祭りは、月曜日からで時期的には少し早かったのですが、はち切れんばかりの蕾の中に、ちらほら咲く菖蒲もなかなか良いものでした。花屋で売っている外国の花のようでしたが、銀梅草、銀盃草と名付けられた花も見ました。その後、荒川を一目見て、天祖神社の祖霊社に行きました。この神社の十二支天は、実にユーモラスでした。そのすぐ近くに古びた極楽寺がありました。疣(いぼ)取り地蔵が有名なのだそうです。
〇その後、上野へ出て、芸大の展示館と猫展を見ると、4時を過ぎましたので、今日皆と会う、新宿のバーに行き、4時45分くらいに着きました。私は、5時からと思っていたのですが、実は6時からでした。何だか思い込みが激しくなりました。店長と一緒に相撲を見ながら、ビールを飲んで、皆が来るのを待ちました。
〇6時過ぎに、全員(11人)集まり、喧嘩をしているのではないかと思われるほどの、大声が飛び交い、一気に盛り上がりました。ただでさえ声の大きい一人が、声を振り絞って詩吟を始めるなど、たいへんな飲み会となりましたが、良い気分で飲めました。

「膨らんだ 蕾が並ぶ 菖蒲園 荒川縁の 堀切の里」
「堀切の 天祖神社の 十二支天 怖そな顔で レッツゴーダンス」
「ふくよかな お尻の絵画に 魅せられて 素通り出来ない 芸大美術館」
「売り物と 思って見てた 猫の象 写真は禁止 芸大猫展」
「久し振り 大声自慢の 仲間達 飲んで騒いだ 新宿の夜」 

05月26日
 〇今日は、私の後、大学のクラブのOB会長を引き受けてくれた後輩が、今日のOB総会で、更に後輩に引き継ぐので、一緒に仕事をした関係者の労をねぎらいたいと、食事に招待してくれました。この前のオリンピックの時に完成した、屋上の回転式レストランが、有名なホテルでした。回転レストランは、改修中だったので、屋上近くのレストランが食事の会場でした。屋上から見る景色に、皆の声が一瞬無くなりました。赤坂や新宿の高層ビル街の、時の流れと時代の変貌を示すように、眼前に広がり、自分の人生と重なったのだと思います。自分達が青春を過ごした大学を眼下に見下ろすことも出来ました。大学もまた、大きく変わりました。食事も美味しかったのですが、湧き上がる思い出で、腹一杯になりました。
 〇午後2時から場所を大学に移して、OB総会となり、1年間の報告等と新OB会長を選出して、総会は終了しました。その後は、OB会が催すASF(大学祭)と、我等がクラブの現役が行う、フィナーレを見ました。何度見ても目頭が熱くなります。今日も同じでした。半年以上も前の、我々の活動を引き継いでくれる後輩の姿が、矢張り自分達の青春とダブります。幸せな時間でした。
 〇5時半から、現役も参加した懇親会となりました。孫と変わらない年頃の現役と酒を酌み交わしました。今日は、午前中から、間断なく酒を飲みました。とても幸せな酒でした。8時頃に、懇親会は終わったのですが、何となく立ち去りがたく、歌好きの連中と、カラオケで数曲歌って帰りました。

「青空に 飛行機雲の 五つの輪 今蘇る 青春時代」
「眼前に 時代の流れ 一望す 共に流れた 我が人生の道」
「孫達と 盃交わす 日の来たる 道同じくす 後輩達かな」
「年老いて 願う祈りは ただ1つ 孫等の未来の 豊かな平和」

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2019年5月20日 (月)

2019年05月19日

2019年05月19日

05月12日
 〇今日は、スペイン語による百人一首を歌う会に、参加しました。数年前、職場の先輩が、百人一首をスペイン語に訳しました。それを機会に、ピアニストに拠る演奏と歌、音楽寺務所スタッフによる語り、スペイン人の日本文学研究科による翻訳された和歌の朗読、日本文化研究のメキシコ人による語りの翻訳などを担当するメンバーが集まり、百人一首を歌う会を開くことになりました。これまでに、数回に分けて、歌う会を実施してきましたが、今日の歌う会で、100首全部を歌いきることになりました。私は、途中2回参加できませんでしたが、今日を入れて、4回は参加しました。私は、音楽のことは良く分りませんが、日本の文化を知って貰いたい、日本の文化に恋しました、日本の文化をもっと深く知り自分の国に広めたい、国境を越えた、そんな温かい気持が、会場に漂う素敵な歌う会でした。
 〇歌う会に参加した人の中に、メキシコ時代に知り合い、現在も付き合いが続いている人と軽く酒を飲みました。一人は82歳、もう一人は、86歳です。しかし、まだゴルフをやるほど健康で、頭もしっかりしていました。私も後期高齢者に今年仲間入りをするので、いっぱしの老人の積もりでいたのですが、全く子供扱いされました。今日の二人の先輩と同じように生きられるのであれば、私も後10年頑張って生きたいと思いました。

05月13日
 〇今日は、白内障の手術をするかどうかを決めるために、胃癌の手術をした、多摩総合医療センターに行きました。沢山の検査をした結果、先生の意見としては、「緑内障の視野欠損が進んでいるので、他の人と違い、白内障の手術により、劇的に視界が向上することはないでしょう。しかし、幾分鮮明に見え、まぶしさは少なくなるでしょう。来週、眼底検査をして、結論を出しましょう」とのことでした。
 〇目の検査の後、久し振りに、武蔵国分寺、おたかの道、殿ヶ谷戸庭園を歩きました。武蔵国分寺は、万葉集に歌われている草花を、和歌と一緒に紹介しています。今日は、ジャケツイバラ(蛇結茨)の花と、立浪草に白花もあることを、初めて知りました。殿ヶ谷戸庭園では、白糸草等の花が咲いて居ました。
 〇今日は、以前一緒に旅行したことのある、三夫婦で人形町の加賀料理を食べることになっていました。少し早めに、今夜食事をする人形町に行き、水天宮など人形町を散歩しました。大観音寺では、令和初めての御朱印を貰いました。その後、この近くの会社に務めていた、今日の食事のメンバーの一人が到着し、名高い老舗、古き時代を残す通り、神社などを案内して貰いました。加賀料理「高はし」は、料理も酒も美味しく頂きました。味にうるさい妻が、美味しいと言ったのですから、間違いないと思います。また、普段は酒を飲まない妻が、少しだけ酒を飲んで、どうやら美味しかったようです。

「ツボスミレ 万葉人にも 詠まれたり 今も路傍に 古来の菫」
「万葉の 花を集めた 国分寺 昔も咲いたか 白花立浪草」
「蔓延ばし 棚の上にて 昇り藤 黄色き房花 蛇結茨」
「おたか道 水芭蕉似の カラーかな 蛍のせせらぎ 白く彩る」
「草萌える 土手に花咲く 白糸草 昇り白滝 殿ヶ谷戸庭園」
「ビル街に 花のお江戸の 下町の 家並みが残る 人形町かな」 

05月14日
 〇この前採った野蒜に蓬の新芽を加えて、餃子を作りました。野草各々が、独特の香りを強調し、訳の分らない香りと味になって仕舞いました。野草は、余り混ぜない方が良いようです。
 〇テレビで、北方4島ビザ無し訪問に参加した国会議員が、旧島民に対して、「北方4島を戦争で取り戻すことに賛成か、反対か」を聞いたそうです。北方4島の返還交渉に、半世紀以上経過しているので、旧島民が死に絶えるまでに、何等かの手を検討すべきとの思いがあったのだろうと思います。質問という形を取っていましたが、彼自身が、戦争以外に解決の道は無いと思っての質問だったと思います。意見を表に出さなくても、世の中、この手の戦争肯定論者が結構多いのです。
 〇夕方、都心の教会で行われた、友人のお別れ会のミサに出ました。私の父と同じ洗礼名でした。私の5年後輩ですが、大学のOB会のために、奥さんと一緒に働いてくれました。癌が転移して、亡くなったようです。今の時代では、若くして死んだことになるのでしょう。素晴らしい笑顔の写真が、悲しみを大きくしました。
 〇ミサの後、以前良く二人で山に登った後輩と、献杯を上げて友人を偲びました。

「また一人 友の訃報が 届きたり 笑顔の写真 悲しみ誘う」

05月15日
 〇今日は、大学のクラブの後輩の3回忌に参加しました。四角いテーブルに腰掛けて、思い出話をするという、変わった3回忌でした。
 〇その後、土手で現役のリードで校歌を歌い、一次会を終わりました。校舎内では、大きな声で歌えないそうです。
 〇近くの酒場で2次会、カラオケと11時過ぎまで、3回忌の集まりが続きました。少し変わった後輩でしたが、人を集める力は、あったようです。

05月16日
 〇今日は、大学時代の学生会の友人達と、湯河原に一泊し、思う存分に当時に話で盛り上がりました。全員、何等かの形で、当時の大学紛争に関係を持っていました。熱い時代に、大学生活を送ったのです。そのことが分ってくれる仲間は、掛け替えのない存在なのです。
 〇温泉なので、一緒に風呂にも入りましたが、ほぼ全員に何等かの手術の跡がありました。人生70年を越えて生きて来たのですから、身体が疲労するのもやむを得ないでしょう。

「古稀過ぎて 身体の疲労 加速する 取り替え可能な 部品が欲しい」
「温泉の 風呂で見せ合う 手術跡 君もなのかと 互いに納得」

05月17日
 〇皆は、素直に帰るようでしたが、私は、これまでに歩いたことのない真鶴半島を歩いて見ることにしました。
 〇真鶴教会 発心寺 真鶴港、琴ヶ浜、貴船神社、中川一政美術館、お林展望公園、ケープ真鶴、遠藤貝類博物館、三石、真鶴岬と歩きました。楠の大木の森、太平洋の大海原を見渡す展望台、海岸の岩に押し寄せる波の飛沫、何時も歩いている所とは、全く違った大自然でした。
 〇小田原に戻ったのが、3時頃だったので、大雄山最乗寺にも行ってきました。しかし、最乗寺に着いたのが4時を過ぎ、人っ子一人居なくて、寺の受付も閉まっていました。本当は、御朱印を貰いたかったのですが、残念ながら次に持ち越しとなりました。それでも、山奥の厳粛な寺の雰囲気を充分堪能しました。

「相模湾 霞の彼方 大山の 形良きかな 流石霊山」
「大楠の 緑の天幕 空隠し 昼なお暗き 真鶴の森」
「人住まぬ 熱帯雨林を 思わせる 真鶴岬 大楠の森」
「木々達の 隙間に見える 波飛沫 岩に打ち寄せ 白く輝く」
「眼前に 広がる海は 太平洋 果てしなき海 果てしなき空」
「三石を 砕かんばかりの 波の寄せ 岬へ続く 波の帯かな」
「飛沫飛ぶ 岬の崖を 埋めるよに 潮風好むや 常磐露草」
「海岸の 砂地の中の 石陰に 浜昼顔の 寄り添い花咲く」
「深閑と 静まりかえった 境内に 物欲しそうな 爺が一人」
「背高の 杉の梢に 夕日差し 明るき昼の 終りの一時」
「大雄山 杉の林で 放尿す 背高杉よ 天まで伸びよ」

05月18日
 〇今日は、大学のOB会の全国代議員会が大学で行われました。私は、代議員の一人であり、OB会の仕事もしているので、参加しました。2時から5時過ぎまで、長い代議員会となりました。
 〇代議員会の後は、懇親会、2次会、カラオケと大学の仲間達と、大いに飲みました。懇親会では、招待された現役と一緒に、ほんの少しだけですが、演技をさせて貰いました。そして、今日カラオケに集まった人は、皆凄く歌が上手で、音程が外れるのは、私だけでした。長く楽しい1日でした。ただ、以前から会う約束をしていた関西の友人とは、会うことが出来ず、申し訳無いことをしました。

「久し振り 学生時代の マドンナの 老いても綺麗な 顔を見るなり」

05月19日
 〇今日は、大学のクラブの新入生歓迎会に出席しました。全員孫の世代ですが、人生のスタートラインに立つ若者を歓迎し、話が出来るのはありがたいことです。
 〇歓迎会の後は、参加した二人のOBと軽く飲んで帰り、午後6時からは、アパートの理事会に出席しました。
 〇7時過ぎに理事会が終わり、メールを見たら、大学のクラブの先輩と後輩の訃報が入っていました。先輩の方は、クラブを創設した初代の先輩の一人で、後輩の面倒見の良い人でした。

「若者と 出会いし夜に 訃報来る 古からの 定めなれども」
「また一人 人生の友 この世去る 明日は我が身と 覚悟するなり」

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2019年5月12日 (日)

2019年05月11日

2019年05月11日

05月06日
 〇 良く晴れた日で、良く富士が見えていました。陽気に誘われて、横瀬、羊山公園、西武秩父の方に行って来ました。羊山公園は、芝桜で名和売っている公園ですが、余り好きには慣れませんでした。横瀬から羊山公園までの、里山が残った道の方が楽しめました。
 〇秩父線で三峰口の方から、現役のSLが走ってきました。踏切の所に、多くの鉄道フアンが集まっていました。

「羊山 白とピンクの 花絨毯 手間暇かけた 客寄せ公園」
「山全て 消えて仕舞うや 武甲山 人に欠かせぬ セメント材料」
「里山を 彩る花を 愛おしむ 切り傷だらけ 武甲山かな」
「捨てきれぬ 幼き頃への ノスタルジー SL列車で 思い出の世界へ」

05月07日
 〇午前中、郷里の妹から電話がありました。ブログがなくなったので、偶には、電話しなければと思ったようです。ブログを始めたのは、近況報告の為でした。それで、山の仲間の女性に言われたように、五日分簡単に纏めてブログに掲載しました。
 〇夕方から、都心の大学でOB会の会議に参加しました。会議の後は、これが本当の目的では無いのと言われそうな、楽しい酒を飲みました。

05月08日
 〇今日は、一日中、雲一つ無いような快晴でした。こんなに良い日でも、一日中、殆ど日が差さない玄関側の藪柑子が、今年も立派に芽吹きました。本当に有難いことです。
 〇今日は、平山城址公園駅、宗印寺、平山城址公園、東京薬科大学、近くの里山、多摩東山ニュータウンを歩きました。ある程度、時が経つと、何となく薬科大の薬草園に行ってみたくなります。集められた、多くの薬草や木々の花を見る事が出来るからです。今日は、この前日比谷公園の山野草展で見た、ヒメシャガ(姫著莪)を見ました。
 〇帰りのバスの中で、スマホを見ると、「平山城址公園はいかがでしたか」とのメッセージが入っていました。開くと、感想を多くの人に知らせる為、投稿して下さいとグーグルからの要請でした。そう言えば、一昨日も、「横瀬は如何でしたか」とのメッセージが入っていました。私の行動が、殆ど分るのですね-、怖い世の中になりました。

「森の中 日陰育ちの 藪柑子 我が家の日陰に 新芽の緑」
「山野草 展示会にて 見たばかり 姫著莪の花 薬草園に」
「初夏の陽に 山査子の花 見頃なり 秋の実りの 赤き実思う」
「今しがた 薬草園にて 見たばかり 里の畑に 花菱草の花」
「山の木の 緑の木の葉 裏返し 谷戸を駈け抜く 五月の風かな」
「里山に 僅かに残る 桑畑 鬼の拳に 新芽の緑」
「山開き 多摩東山 ニュータウン 多摩の開発 未だ止まらず」

05月09日
 〇今日も、夕方から、都心の大学でOB会の会議があるので、遠出をせず対岸の河原に、野蒜採りに行って来ました。レジ袋1杯取りました。少々取り過ぎでした。野蒜は、花芽が出ると茎も葉もが固くなり、食べる所が少なくなります。危うくその時期になる所でした。野蒜を採るのは良いのですかが、食べられるようにするには、大変な手間が掛かります。家を出る直前、漸く整理が終わりました。
 〇野蒜採りを終わって、浅川の河原に出ると、この前出会った馬が、また人を乗せていました。孫達が、馬に乗ってみたいと言っていましたので、連絡先を聞きました。馬カフェ「マリアの風」といい、ネットで調べられるとのことでした。
 〇今日は、OB会の全体会議に参加し、普段会わない人と久し振りに顔を合わせました。会議終了後、旧交を温め、美味しい酒を飲みました。

「草藤と 野茨続く 河原道 時経つにつれ 自然が再生」
「森陰に 一際目立つ 白き列 背高のっぽの 花独活の花」
「草むらに 縮れた長き葉 野蒜見て 一人ではしゃぐ 人無き河原」
「野蒜には 幼き頃の 思い出が 山と詰まりて 心打つなり」
「見上げれば 空を覆いし 白き花 蜜蜂喜ぶ アカシアの花」
「アカシアの 空に融け入る 花霞 梢の先まで 白房の花」

05月10日

 〇今日は、鶴見川の踏破に挑戦しました。鶴見川は、「よこやまの道」の唐木田付近が、源流となっており、源流から川崎市の下大蔵までは、既に歩いているので、そこから、河口までを制覇したいと、ずっと思っていたのです。思いの外距離があり、12時半から5時過ぎまで掛かって、河口から18キロの、横浜線鴨居駅まで歩きました。今日歩いた部分は、ハナウド(花独活)、野茨、菜の花、矢車草、昼咲き月見草等、沢山の花が咲いていました。まるっきり住宅地と思っていたのですが、かなり広い農地が残っていました。
〇カルガモ、アオサギ、シラサギ、カワウと言った常連の鳥の他に、バンを見ました。もう帰るのを止めたのかも知れません。
 〇我が家のアパートで、燕が卵を温め始めました。可愛い雛の姿を、もうすぐ見る事が出来ます。
 〇どの国も、ある程度自国第一主義だと思いますが、今の米国、中国、北朝鮮の指導者の自国第一主義は、品性も節度もなく、このような連中が、戦争を招くのだなと改めて思いました。

「川風が 気持ち良きかな 花独活さん 君を見るのは 川側ばかり」
「花独活と 白さを競う 野茨の 長き行列 鶴見川かな」
「葉の色が 黄色き小手毬 満開に 人の手になる 新種なるべし」
「薫風を 受けて優雅に 羽広げ 煌めく川面 青鷺の舞い」
「常連の 鳥等の中に ただ一羽 五月の川に 北国の鳥」
「明らかな 野良猫3匹 日向ぼこ 目つき鋭く 我を観察」
「鴨居橋 端午の節句の 名残あり 川を跨いで 子鯉幾百」


05月11日
 〇今日は、昨日の鶴見川踏破の続きで、横浜戦の鴨居駅から、東急東横線の綱島駅まで歩きました。あと河口まで、残り9キロとなりました。昨日、沢山の鯉が飾られていた鴨居橋は、飾りは取り払われ、すっきりとしていました。
 〇今日は、二つの寺に御朱印をお願いしたのですが、住職がいなくて、二つとも振られてしまいました。
 〇家の近くまで帰って、西友に向かっていたら、警官から職務質問を受けました。「リュックの中味を調べさせて欲しい」と言われました。刃物が入っていないか確認されました。余程、怪しい人間に見えたようです。私以外に、職務質問された人は居ませんでしたから、、、。特に、この近くで事件が起きたわけではないようでした。
 〇街の何処にでも見られる新芽が赤い木の名前が分りました。調べよう調べようと思いながら、ついつい先延ばしにしていました。ベニカナメモチ(紅要黐)でした。最近の曖昧検索は、凄いと思います。ずっと以前ですが、情報検索を担当していたものとしては、技術の進歩に、唯々驚きです。

「遠目には 野薔薇に負けぬ 白き花 並んで風受く 烏麦かな」
「春霞 帳に日輪 朧月 河原を埋める 昼咲き月見草」
「女学生 河原に下りて 鯉に餌 鯉の飛沫に 少女も浮き浮き」
「白縁の 帽子被りて ダンスする ヘラオオバコの 鶴見48」
「花独活の お花畑を 走り抜く 都会の中の 田園風景」
「五月晴れ 緑の中を 流れゆく 川の彼方に 高速道路」
「土手の上 居並ぶ桜に サクランボ 喉の渇きを 甘く潤す」
「天を突く 高層ビル街 横に見て 大きく蛇行 鶴見川かな」
「鶴見川 土手に一面 ヤセウツボ 多摩では希少 寄生草花」

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2019年5月 7日 (火)

2019年05月05日

2019年05月05日

 令和の時代と共に、日記を毎日書くのを止めました。適当な間隔を置いて、各日の主要な出来事や感じたことを、箇条書き程度に纏めて書くことにしました。初心撤回みたいな事になりましたが、妹や弟の嫁さん、山登りの仲間、関西の友人などから、日記がないのは寂しいと言われてしまいました。お世辞半分だとは思いますが、とても有難く嬉しく思いました。

05月01日
 〇令和の時代が始まりました。令和天皇の一般参賀に、多数の人が押し寄せました。複雑な気持もありますが、これが日本なのでしょう。
 〇孫達と多摩動物公園に行く予定が、雨模様のためボウリングに変更しましたが、同じ考えの人が多いようで、2時間待ちでした。結局、夕食の買い物をして、早めに令和を祝う宴会に切り替えました。孫達も結構満足していました。次男も含めた大人達は、夜2時くらいまでカラオケを楽しみました。
「孫達と 令和の初日 祝いたり 孫等の記憶に 爺が残る」
「孫達が 令和の半紙 手に持ちて 笑顔笑顔の 記念撮影」

05月02日
 〇朝寝坊して、朝食兼昼食を済ませ、さー出かけようとしたら、雷鳴が轟き、暗雲が立ち籠めました。
 〇2時過ぎには、暗雲も去り雷鳴も遠くなりましたので、昭和記念公園に行きました。先ずチューリップを楽しむ予定でしたが、殆ど花は散って見頃を過ぎていました。ネモフィラを少しだけ楽しみました。孫達にとっては、これが幸いだったようで、「こどもの国」に行って、大きなハンモックが連なった遊具で、1時間以上、跳ね続けました。その後、高いトンネル状の滑り台も楽しみました。末の孫は、トンネル状の滑り台は苦手だったのですが、今日克服しました。彼にとっては、令和の快挙でしょう。
 〇6時近く迄遊んだので、夕食を一緒にして、一旦我が家に寄り、作り置きのミートソースなどを持って帰って行きました。
「花よりも 飛んだり跳ねたり 遊びたい 望み叶いて 孫等満足」
「末の孫 トンネル状の 滑り台 漸く克服 令和の初仕事」

05月03日
 〇都心でメキシコ時代の友人と会うために、アパートを出ようとしたら、管理人から呼び止められました。昨晩のカラオケで、隣近所から眠れなかったと苦情が出たそうです。
 〇都心には、早めに出かけ、新緑の日比谷公園を楽しみました。一画で、多摩野草の会主催の「山野草展」を見ました。鉢に植えられた山野草が、花の貴婦人のように見えました。
 〇食事会は、銀座の中南米料理屋で、話も弾んで、とても楽しく美味しく頂きました。
「大都会 摩天楼等の 真ん中で 新緑輝く 日比谷公園」
「山野草 展示会では 貴婦人に 君を見るのは 山野が一番」
「異国の地 同じ舞台で 演じたる 舞台仲間の あの日あの時」 

05月04日
 〇山の仲間と八王子城址公園に行って来ました。この仲間の女性達に、「簡単な形で良いから、日記を続けられない?」と言われました。
「戦国の 歴史の波に 流されて 廃墟と化した 八王子城」
「城跡の 土手に林立 春紫苑 強者どもの 夢は何処に」
「石垣の 狭き隙間に 金瘡小草 昔を偲ぶ 紫の花」
「大手道 脇にヤンヤと ツボスミレ 武将も愛でしか 白花小粒」
「城跡を チャボの子供ら 散歩する 闘鶏するとは 思えぬ可愛さ」
「人の手で 森も城へと 変われども 廃墟となれば 自然に戻る」
「新緑の 森の上には 白き雲 雲に無縁の 歴史の移ろい」
「白雲も 風雲急の 八王子 黒雲勝利 雨粒の落つ」
「予期せざる 雷雨来たりて 誰も皆 宴へ移行 酒場満員」
「宴済み 仲間と別れて 我が住家 雹の残渣が 畑の隅に」
「孫や友 余生の宝と 過ごす内 10連休も 残り1日」
「世間では 10連休と 大騒ぎ 毎日休みの 私の老後」

05月05日
 〇みはらしの丘、若葉台、若葉台いずみ境界、稲城長峰ヴェルディーフィールド、稲城中央公園、城山公園を歩き、南多摩駅から府中駅に出ました。大国魂神社の「くらやみ祭り」最終日でした。
 〇毎年のことですが、境内中に屋台が埋まり、凄まじい人出でした。最近は、外国人の屋台が、かなり増えました。ケバブとビールを買って、腹拵えをし、6時から、大太鼓に先導され、神社の集まっていた各地域の山車が、それぞれの地域に帰って行くのを少しだけ見て、我が家に戻りました。
「足下の 歩道の端に 庭石菖 荒れ地に耐える 二輪の花かな」
「近頃は ついぞ見かけぬ 都草 路傍の草地 黄色に染める」
「公園の 花壇を埋める 花達は 綺麗なれども 名は外国語」
「襟口に なにやらモソモソ 動きあり 捕らえてみれば 青虫なりき」
「新緑の 枝から下がる 銀の糸 青虫達の ターザンごっこ」
「ベンチでは 独り青虫 尺を採り 我が目の前で 蛇踊り披露」
「道脇を 黄色く染める 豚菜かな 背丈すらりと 容姿端麗」
「溝脇に 手を取り合って 母子草 どこもかしこも 春爛漫」
「ごつごつの 幹にも芽吹く 楓葉風 これぞ正しく みどりごの手」
「金蘭が 木漏れ日浴びて 金の塔 暗き木陰に 仏の光り」
「歴史ある 武蔵総社の 祭にも 外国人の 屋台が並ぶ」

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2019年5月 1日 (水)

2019年04月30日

2019年04月30日

 平成最後の朝は、雨の朝でした。平成に思いを馳せて、ゆっくり自宅で過ごすには、格好の雨でした。
 実は、今日は「テレビを消して語ろう会」の日だと思っていました。昨日、最終的な連絡が来ないので、世話役に確認した所、この会は5月30日でした。私の思い違いだったのです。最近よくあることですが、お陰で、今日は何の予定もない日になりました。
 テレビで、天皇の退位について特集番組がありました。日本は、二千年を超える歴史があるそうですが、民主主義という時代を迎えたのは、私の年と同じ、74年前、敗戦後のことです。アメリカから押しつけられた制度だという人も居ますし、よくぞ民主主義にして貰ったと言う人も居ます。私は、後者の方です。
 天皇と民主主義についても、多くの意見があると思います。万世一系の天皇家が、最初に権力を手に入れたのは、神話からの続きではなく、世界中の何処の国でも同じような、武力によるものだったと思います。その後、武家が実権を握った時代も、形式的には、天皇家より内政と国防を委任された形になっていました。天皇家は、実質的か形式的かの違いはあっても、権力の座から下りたことは無かったと思います。明治維新以降、日本が西洋に追い付き追い越せを目標にして、近代化を目指した時は、権力の頂点は天皇にあると、明治時代の大日本帝国憲法に於いて、明示的に国権の長と規定され、軍の総司令官でもありました。所が戦後の日本国憲法では、天皇は国政に関与しない、象徴天皇となりました。
実際の条文の規定は次の通りです。
大日本帝国憲法 
第一條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
 日本国憲法
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 では、国民の総意に基づく象徴天皇とは、具体的にどの様な事をするのか、この点については、明確な規定がありません。私の印象としては、武家時代の武家が、国民に替わったような気がします。武家がどんなに力を持っても、天皇抜きには、国家を統治できなかったのではないかと思います。詰まり、国家の代表は、依然として天皇だったような気がします。一番良く似ている国としては、英国だと思います。国王は、国政には関与しないが、対外的な儀礼上の儀式等に於いては、国家元首の役割をしています。日本の現在の天皇も、同じだと思います。このような、象徴天皇は、国政に関与しなくとも、権力の座から全く離れたわけではないのかも知れません。
 今日、象徴天皇の話を持ち出したのは、今日で天皇を退位する平成天皇が、象徴天皇のあり方を真摯に追求し、その一つの解として、「国民に寄り添う」ことだと認識し、具体的に地震等の被害に遭った国民に寄り添いました。民主主義の中の天皇のあり方を誰も知らない、それ程大きな、歴史上の大転換の中で、平成天皇は、象徴天皇の一つのあり方を示しました。その陰には、皇后の力が極めて大きかったと思いますが、よくぞ過去の天皇像と決別して、平和を希求し、国民に寄り添う、素晴らしい象徴天皇のあり方を示したと思っています。先の戦争に対する反省から、二度と戦争をしないという決意も素晴らしかったと思います。
 どうか、平成天皇が考えた、「国民に寄り添う」象徴天皇のあり方が、令和天皇に引き継がれ、同時に平和への思いも引き継がれて欲しいと思います。そして、出来れば、神道と縁を切り、宗教から完全に独立した天皇であって欲しいと思います。それが、民主主義における象徴天皇の、一番大切なことではないかと思います。また、神話と実際の歴史を、明確に分けて欲しいと思います。
象徴は、古来からの日本語ではなく、シンボルの訳語として生まれたそうです。言葉の意味としては、曖昧で抽象的な概念を、具体的なものによって現すのだそうです。例えば、「鳩は平和の象徴」のようにです。結局、天皇が象徴するのは何か、それは、主権者である国民と天皇との相互関係の中で決まっていくものだと思います。平成時代は、その関係が素晴らしかったと思います。
種々の意見の中には、天皇そのものを無くしてしまい、国民自身が全てを考え、全てを実施していくのが、民主主義の本質だとの意見もあるでしょう。私も、出来ればそうあって欲しいと思っています。しかし、日本国民の生き方について、長年の歴史や文化を見ると、一気にその段階に行くのは、日本が分裂してしまうのでは無いか、そんな危険を感じます。日本人個々人の政治意識、モラルの問題、公正平等の考え方、歴史の捉え方等に於いて、違いもあるしレベルも区々だと思うのです。
天皇を特別な人と思う日本人の心理は、私は余り好きではありません。しかし、現在の政治家と平成天皇を見ると、直ぐには天皇を廃止できないと思うのです。私の人生もそう長くはありません。令和がどの様な時代になるかを見守ることは出来ません。ただ、孫達の時代が良き時代になることを祈るだけです。日本国民が、物事の真実を見極め、世界のあるべき姿を正しく理解し、違った国々の人も理解し、天皇に頼らないで、国家運営が出来る国民に為って欲しいと思います。

平成が終わった今日で、私の日記も終わりにします。長いこと読んで頂いた方々に、お礼を申し上げます。ありがとうございました。今後は、自分のやりたいことの実現に向けて、努力をしたいと思います。

 

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