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2019年4月

2019年4月30日 (火)

2019年04月29日

2019年04月29日

 富士が見える素晴らしい天気は、昨日1日だけで、今朝は雲の多い空でした。薄ら寒い1日でした。
 今日は、妻と会う日だったのですが、昨日妻より電話があって、「上京する日を1日間違っていて、実は今日の夜、上京するので会えない」とのことでした。幸いなことに、昨日、大田区の六郷の土手に住む、大学のクラブの後輩から、「29日には、例年の凧揚げ大会が、六郷の土手で今年もあるようですが、先輩は参加しますか、参加するのであれば、その後、川崎に住む者も含めて、一献傾ける場を持ちたい」とのメールが入っていました。妻からの電話の前は、後輩達とは昼間会って、妻とは夜会おうか等と思案していましたが、妻との電話の後、躊躇無く、凧揚げ大会に行き、後輩達と会う約束をしました。
後輩達とは午後2時に会う約束をして、私は1時に、凧揚げ大会の会場に行きました。郷里の物らしい凧が、多数揚がっていました。所が大会そのものは、終りが迫っていて、最後の催し物である「蛇踊り」をやっていました。懐かしい故郷の思い出です。今日も沢山の人が来ていましたが、私の同期会の幹事の姿が見えませんでした。今日のような、郷里の行事を欠席するような人間ではないので、少々心配になりました。
蛇踊りが終わると、2時近くになり、同じ高校の在京同窓会全員で記念撮影をして、後は自由散会になりました。缶ビールを飲みながら待っていると、後輩達が、次々とやって来ました。約1年振りの再会でした。4人全員が揃った所で、場所を川崎に移し、大衆居酒屋で、午後2時半、昼間からの飲み会となりました。後輩と言っても、わずか1年、浪人した後輩は、年は私と同じです。同じ年格好なので、病気のこと、大学時代のクラブのこと、クラブの現状、色んな人達の消息、大学のこと、大学時代のマドンナのこと、年号が変わること等々、話が盛り上がりました。結構うるさい酒場でしたが、我々の席が、一番うるさかったと思います。生ビールを1杯飲んだ後、4合瓶ですが、4人で3本の焼酎を空けました。
後輩達が、遠くへ帰る私の事を心配して、5時過ぎにはお開きになりました。私達の大学時代、川崎の街は、戦後を色濃く残した街でしたが、今は、高層ビルが立ち並び、駅も近代的で綺麗になりました。全く様変わりしました。明後日からは、時代も変わり令和時代になります。昭和は遠くなりにけりです。

「山ほどの 未来を過去に 変えてきて 語り尽くせぬ 山ほどの過去」

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2019年4月29日 (月)

2019年04月28日

2019年04月28日

 暫く、曇りや雨の日が続きましたが、今日は素晴らしい天気でした。窓を開けると、白く輝く富士と雪の丹沢が、目に飛び込んできました。昨日降った雨は、丹沢では雪だったようです。もうすぐ5月になろうというのに、雪の丹沢を見るとは思いませんでした。
 良い天気だったので、布団カバー、シーツ、寝間着を洗濯し、夏仕様に変更しました。つい3日ほど前までは、初夏の暖かさで、布団から手足を出して寝ていたのですが、布団を無くそうとしたら、急に気温が下がりました。それでも、タオルケットと毛布で、気持ち良く寝ることが出来ました。
 今日は天気が良いので、外へ出たくてうずうずしていました。早めに、午前中の仕事を終えて、ツツジで有名な塩船観音寺に行って来ました。
 11時半には、家を出て、12時に国立に着きました。駅のコンビニで弁当を買い、ホームに上がり、富士が見えるホームの端に行きました。まだ雲に隠れることなく、武蔵野を見守っているような富士を見る事が出来ました。丹沢も見えましたが、光線の具合で、丹沢の雪は見えませんでした。
 丁度青梅線直通の青梅行きの電車が来ました。その電車で河辺(かべ)へ行き、そこから、臨時バスで塩船観音寺入口に着きました。入口とは言っても結構歩き、途中、塩船観音寺とどの様な関係にあるのか分りませんが、塩船寺がありました。御朱印を貰いたかったのですが、帰りに貰うことにしました。
 仁王門を潜り、阿弥陀堂、本堂、鐘楼を過ぎて、観音様と一面のツツジを見ながら、遅めの昼食にしました。ツツジの見頃には時期が早かったようで、まだ3割ほどが咲いているだけでした。しかし、連休最初の日曜日でもあり、その人の多さには驚きました。人を見に来たようでした。去年か一昨年だったか来た時には、連休を過ぎて、しかも週日だったので、落ち着いて花見が出来ました。
 食事を終えて、観音像の所に登ると、新緑の連なる山々の向こうに、富士が見えました。富士に至るまで、1軒の家も見えず、古い時代に戻ったかのような錯覚を覚えました。気持の良い錯覚でした。急に、新緑の中を歩いて見たくなりました。観音像の後ろに、ハイキングコースへの出口があり、係員が居たので、どの様な所に、どれくらいの時間で行けるのか聞いてみました。係員は、「色んな所へ行けますが、飯能までは2時間半くらい、岩蔵温泉郷までは2時間くらいで歩けると思います」と教えてくれました。岩藏温泉郷まで歩くことにしました。塩船寺の御朱印は、次の機会ですね。
 午後2時丁度に、塩船観音寺を出て、歩き始めました。所が、最初はゴルフ場の脇を歩き、続いて立正佼成会の敷地となり、敷地を抜けると杉・檜の林となり、外界を見晴らす場所も無く、新緑を楽しむと言う感じにはなれませんでした。人は少なく、黙々と歩いたせいか、1時間40分で岩蔵温泉郷に着きました。しかし、タンポポ、ジシバリ、ブタナ、ムラサキケマン(紫華鬘)、ヒエンソウ(飛燕草)、小さなツボスミレ(壺菫)、オオアマナ(大甘菜)等、野草の花を沢山見ました。ハルジオン(春紫苑)の白い花に、ベニシジミチョウ(紅小灰蝶)が、乗っていました。図鑑で見るような、典型的な写真が撮れました。
岩蔵温泉郷は、温泉郷と言っても、極く普通の山里でしたので、長居する気になれず、4時4分のバスで、飯能に出て、秋津で武蔵野線に乗換え、西国分寺、国立経由で我が家に戻りました。6時を過ぎていました。

「新緑の 連なる先に 白き富士 上にぽっかり 白雲の浮く」
「玉簾 良く似た花の 大甘菜 荒れ地制して 白き花筵」
「タンポポと 良く似た花の ジシバリさん 見分けが付いて ルンルン気分」
「野に撒いた 米粒のよう 壺菫 小径に似合いの 可憐なる花」
「白花の 春紫苑に 紅シジミ 蝶の図鑑で 見たよな光景」

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2019年4月28日 (日)

2019年04月27日

2019年04月27日

 今日は、午前中曇り、午後は雨、夕方日が沈む頃、太陽が顔を出しました。何だか薄ら寒い一日でした。
 ここ3日、まともに歩いていないので、「歩かなきゃ」という気持が強くなっていました。昨日の夜、真夜中の電車を見て、「耳をすませば」を思い出したので、「耳をすませば」の舞台となった聖蹟桜が丘を歩きました。
 11時過ぎに家を出た時には、早くもポツリポツリと雨が落ちていました。聖蹟桜が丘で腹拵えをして、霞ヶ関橋を渡り、桜が丘へ登りました。最近の貧相な戸建て住宅と違って、バロンが居そうな立派な住宅地を歩きました。珍しい白花シャクナゲ、個人宅としては大きな藤棚、漸く芽吹きを始めた百日紅、苔の上に花を落とした黄梅、石垣の上の芝桜等々、庭の花や木が、良く手入れされていました。
 桜が丘から、寿徳寺へ下りました。雨が、ポツリポツリから、雨らしい雨に変わりました。写真が撮りにくくなってしまいました。レンズに雨粒が落ちることもありました。寿徳寺は、今、牡丹が見頃を迎えていました。葉の水玉が銀色に光り、大きなピンクの花と良い取り合わせでした。裏庭には、アカシアでしょうかウツギでしょうか、真っ白い花が背の高い杉の上まで登っていました。
 寿徳寺から、山神社に参拝し、旧家の多い東寺方へ出て、宝泉寺に行きました。背の高い観音像にも、春の雨が降り、観音様の顔に、一筋の涙の跡が着いていました。雨が観音様の心を引き出したのでしょうか、きっと溜まりに溜まった悲しみを、雨に交えて流しているのではないかと思うと、心が痛みました。上水桜も項垂れていました。今の人の世を嘆いているのではないでしょうか。
 宝泉寺から、宝蔵橋、倉沢川緑地、百草八幡と、何時もとは逆コースで歩きました。以前は、花の多い谷戸だったのですが、歩く度に、新興住宅が増えて行きます。こんな谷戸の奥まで、家を作る必要があるのでしょうか、日本には、都市計画は、無い様に思います。
 百草八幡駅から、程久保川に出ると驚きました。川縁の道が、桜の絨毯を引いたようになっていました。程久保川の八重桜が、盛りを過ぎた時に、春の嵐が吹いて、花片も花の房も大量に落としたのです。桜の花の下のツツジ、八つ手、南天、山茶花にも、沢山の桜の花落ちて、それぞれが桜の花を咲かせているようでした。歩いている時も、時々強い風が吹いて、花片が舞い、花房が散る様子を、この目で見ました。良い贈り物を貰いました。
 程久保川から、多摩川に出て、四谷橋を渡る頃には、雨が止み、西の空に青空が見えました。4時過ぎに我が家に着きました。久し振りに良く歩きました。燕の巣作りも順調に進んで、完成間近になりました。大きな巣ではありませんが、あの小さな燕が、小さな口で泥や枯れ草を運んで、唾液で固めるという大変な作業をして、巣作りをするそうです。凄いことだと、改めて思いました。

「花咲し 順序が分る 綿帽子 雨に濡れては 綿毛飛ばせず」
「家も良し 庭も庭木も 全て良し 団地と違う 丘の町かな」
「芽吹き時 最終ランナー 百日紅 つるつる幹に 漸く新芽」
「芝桜 仰ぎて見れば 天女舞う 踊りの舞台 石垣の上」
「石垣に 紫梅雨草 花咲かす 石を伝わる 水の手助け」
「花水木 いえいえ私 山法師 桜の後の 花咲競争」
「雪柳 次のランナー 小手毬の 雨を受けつつ 枝垂れ咲くかな」
「雨の中 花の雨だれ 藤の房 花も涙の 雫を落とす」
「春の雨 仏の顔も 雨に濡れ 肩を伝いて 衣も濡らす」
「観音の 涙一筋 春の雨 愚かな人に 嘆き溜まるや」
「八重桜 春の嵐に 花散らし 我を迎える 桃色の道」
「花の道 天へと続く 老いの道 はたまた現世の 栄光の道」
「南天も ツツジも八つ手も 山茶花も 春の嵐で 桜に変身」

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2019年4月27日 (土)

2019年04月26日

2019年04月26日

 朝から雨が降っていました。しかし、洗濯物が溜まって居ますし、昨日のように、若しかしたら午後には日差しがあるかも知れないと思って、洗濯をして部屋干しにしました。乾燥機にかけて、乾かしてしまえば良いものを、ほんの少しでも良いから、日光に当てたいと思い、何時でも外に出せるようにして置いたのです。
 今日は、大学の同じ学科の同窓会が作る文集に、寄稿文を書いて送りました。何時もの日記の中にある、和歌擬きを10首送りました。同窓会の中には、私と同じように、仕事を辞めてから、和歌を始めた人が、数人は居るようです。これまでに、色んな国に行かせて貰いましたが、日本のような、繊細な自然、数多くの花や生き物、季節の移ろい等を持った国は、無かったように思います。生まれ育った国に対する依怙贔屓かも知れませんが、確かに詩心を育てる環境だと思います。
 弟の墓のことについて、郷里の妹に聞いてみましたが、良く分らないと言うことでした。その妹が、郷里の言葉で、「兄ちゃん、日記ば止むっと、寂しかー」と言ってくれました。嬉しい言葉でした。元々、日記は、家族や親族に、近況報告の積もりで書き始めました。今では、家族や親族の他に、毎日20人近く、日記を読んでくれる人が出来ました。しかし、老いの初心で、一つでも良いから、纏った本を書きたいと思いましたので、1度は、それに挑戦したいと思います。毎日の日記は、結構な負担なので、日記を書いていると、他のことが考えられないのです。
 今日は、6時から、大学で来日60年になる、アイルランド人の先生の講演会がありましたので、参加しました。現在の年齢は、88歳、米寿になったそうです。思い出の写真を使った、とても良い講演会でした。講演会と言うよりは、人生の思い出話でした。しかし、所々に、先生の大事にしてきた言葉が顔を出しました。「自分という人間は、世界にたった一人しか存在しないという事を、自分で認識することが大事だ」「話は、言葉ではなく、心を伝えるものだ」等、先生の人柄を彷彿させるような言葉でした。
 講演会に集まった人達は、何等かの形で、先生との触れ合いがあり、人生の思い出を共有した人達ばかりでした。その中に、学生時代からの友人も来ていましたし、他にも沢山の知り合いの顔がありました。先生が持つ、多くの人との絆が、このような人の集まりを、作ってくれたと思います。有難いことだと思いました。
 久し振りに会った友と、11時過ぎまで飲んで仕舞い、聖蹟桜が丘に着いたのは、12時半を過ぎていました。当然、バスはないので、タクシー乗り場に行ってみると、長い行列が出来ていました。これでは、歩いた方が早いと思い、多摩川の土手を歩いて帰りました。途中、四谷橋から、鉄橋を渡る夜の電車を見ました。暗闇の中を走る、光の帯でした。ジブリの「耳をすませば」の世界に入り込んだような気分になり、足取りが軽くなりました。結局、家に着いた時は、1時を過ぎていました。

「故郷の 訛りから出る 心内 我の心を 強く打つなり」
「人生の 多くの舞台を 共有す 友と出会えば 飲む酒旨し」
「真夜中の 鉄橋渡る 光る帯 見る者全て 夢の世界へ」

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2019年4月26日 (金)

2019年04月25日

2019年04月25日

 午前中は曇っていたのですが、午後から青空が見えてきて、日差しも出てきました。初夏を通り越したような暑さを感じました。
 我が家のベランダで、ヒメヒオウギスイセン(姫檜扇水仙)の花が咲きました。我が家では、日当たりが少ない、水遣りが少ない、土の養分が足りない等、花にとっては過酷な環境であるため、中々花が咲かないのですが、この水仙は元気です。良く花を咲かせてくれました。
 テレビで、老齢者による交通事故のニュースが繰り返し報道されています。事故で、家族を失った人が、老化によって少しでも異変を感じる人は、運転をしないという選択肢を、もっと真剣に考えて欲しいと訴えていました。私は、平成28年、71歳の時に免許を返納しました。従って、交通事故の加害者になる事は無くなりました。しかし、被害者になる可能性はあるので、信号待ちをする時、信号を渡る時、歩道を歩く時など、良く注意をして安全を確保するようにしています。
 実は、交通安全への注意は、中南米にいた時に習慣づけられました。中南米は、法治国家と言わない部分があって、特に夜などは、車が信号を守らないのは極く普通でした。誰もいないような信号で止まると、車が襲われる可能性があるのです。これは人も同じでした。夜は出歩かないのが1番なのです。昼間でも、酒を飲んでの運転は常識ですし、元々運転が荒いので、何が起こるか分りませんでした。自分の身は、自分で守らなければなりませんでした。どんなことが起ころうと、警察は呼ばないのが常識でした。賄賂を取られるだけで、まともな解決はしてくれなかったのです。日本は、私が居た当時の中南米と違って、立派な法治国家ですが、老人による事故は、悪意の無いものですから、大きな罰を受けることはありません。しかし、事故の結果は、同じか、それ以上です。老齢化社会の大きな問題だと思います。
 今日も、夕方から雨だとの予報でしたので、遠くへの散歩は止めて、聖蹟桜が丘の皮膚科の病院に行って来ました。左手の指の付け根の所が、カサカサして痒いのです。この症状が、2ヶ月近く続いていました。1月ほど経った時、市販の塗り薬を買ってきて、塗ってみたのですが、一向に良くなる気配がありませんでした。そこで、きちんと先生の診断を仰ぐことにしたのです。
 結構混んでいる病院で、30分ほど待って先生に呼ばれました。先生は、私の手を見るなり、「瘡の一種ですね、軟膏を渡しますので、1日に2度塗って下さい。掻いたら症状が悪化しますから、掻かないようにして下さい。水を使うと治りが遅くなりますから、水作業をする時には、水を通さない手袋を使って下さい。この瘡のような出来物は、皮膚の表面を正常に保つ機能が低下している為に現れたもので、感染の恐れはありません。1週間ほど経っても、症状が良くならない場合は、もう1度来院して下さい」と、まるで諳んじている文を読んでいるようでした。同じような症状の人が、多いのだろうと思いました。診察は、ものの5分で終わりました。
 病院内で薬を受け取り、我が家まで多摩川の土手をゆっくり歩いて帰りました。その頃には、日差しが出ていて、気温が急激に上がり、大汗をかいて仕舞いました。こんなに良い天気になるのであれば、洗濯をすれば良かったと思いました。土手の道は、既に緑の道となり、冬枯れの景色が残るのは、荻の原の一部だけになりました。
 家について、燕の巣を見ると、半分ほど出来上がっていました。令和が始まるまでには、完成するでしょう。

「面倒見 悪い爺の ベランダで 元気に花咲く 姫檜扇水仙」
「年号の 変わる頃には 完成か 普請の続く 燕の巣作り」

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2019年4月25日 (木)

2019年04月24日

2019年04月24日

 本格的な、曇りの朝でした。夕方近くからは、雨になりました。この所、晴れても曇っても富士は見えません。
 平成も、残り1週間を切ってきました。時間は、何時もと同じように流れ、平成から令和に、時代の呼称が変わっても、生活そのものが変わることは、本来ありません。しかし、呼称の変更が、古くからの我が国の歴史や文化に由来することなので、結構な騒ぎになるのでしょう。
 今朝、娘から電話があり、令和の最初の2日は、孫達と過ごすことになりました。孫達は、正しく令和を生きるので、一番良い過ごし方になりました。娘達も、10連休をどう過ごすか、思案中だったようです。
 昨日、武蔵增子駅の階段で、ムカデ(百足)を見ました。ムカデを見たのは、何十年振りでしょうか、記憶が定かではありません。まだ絶滅していなかったのですねー。幼い頃住んでいた我が家では、しょっちゅうムカデが出没し、何度か刺されたこともありました。結構毒性が強く、刺されると腫れて痛みが続きました。虫の中で、私が一番嫌いな奴でした。暫くぶりに見ても、嫌な思いは変わりませんでした。
 更に昨日は、通販の夢グループから拡大鏡が送られてきました。同じような拡大鏡が、ハズキルーペから販売されていますが、1つ1万円します。所が夢グループでは、2つで3980円です。機能は、左程変わらないのに、何故こうも価格が変わるのか、現代の消費社会は、良く分りません。今日、拡大鏡をかけて本屋に行ってみましたが、近くは拡大して良く見えるのですが、本棚の上の方はボケてしまって、眼鏡無しの方がすっきりしていました。遠くの方を見るには、役にたたないようです。
 今日は、夜、雨が降るというので、昼間2時近くに家を出て、聖蹟桜が丘を2時間ほどブラブラしました。何年かぶりに本を3冊も買いました。拡大鏡が届いたので、若しかしたら読めるかも知れないと思ったのです。まだ買っただけで、読んでいません。
 4時、バスに乗って我が家に向かっていると、かなり強い雨が降ってきました。バスのフロントガラスのワイパーが、間に合わないような状態でした。まさか、こんなに強い雨が降るとは思わず、傘を持ってきませんでした。運転席の横を見ると、販売用の傘が置いてありましたので、運転手に値段を聞いたら400円でしたので、買ってしまいました。所が、バスが府中四谷橋を越えて、府中市に入ると雨が嘘のように弱まりました。我が家の近くのバス停で下りた時には、本当にポツリポツリとなり、傘が要らないほどでした。傘を買うのが、早過ぎました。
 家に着いた時には、次男は仕事が休みで、家に居たのですが、約束があるというので、直ぐに出かけました。私としては、時間があるので、パソコンの整理をしたり、晩酌用の摘まみを作ったりして、早めの晩酌にしました。時間の進み方が遅い1日となりました。

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2019年4月24日 (水)

2019年04月23日

2019年04月23日

 今にも雨が降りそうな朝でしたが、天気予報の通り、午後は、日差しが出て初夏の陽気になりました。相変わらず霞は強く、富士の姿を見る事は出来ませんでした。
 スリランカにおけるテロは、イスラム国が犯行声明を出しました。予想通り、イスラムの犯行でした。民族主義と宗教を、政治に関与させない民主主義がどうして世界の常識にならないのでしょうか。民族主義と宗教が内蔵している排他主義は、憎しみを生み、憎い相手を抹殺することは、当該国では英雄視されます。排他主義は憎しみを生み、憎しみは憎しみの連鎖を作り出し、結局、相手を抹殺することだけが目的となるようです。手塚治虫の「アドルフに告ぐ」、ドストエフスキーの「罪と罰」を思い出します。
 社会は、固定観念に取り憑かれた年寄りに、政治を任せてはならないと思います。同様に、論理を離れ、個人の独自性を許さず、信仰を押しつける宗教家、あるいは盲目的に宗教を信じる組織に、政治を任せてはいけないと思います。これは、どの宗教も例外ではありません。政治は、かくあらねばならないと決めつけるのではなく、こうして欲しいという国民の声を聞いて、国民に変わって国民が希望することを実施するのが政治なのです。その政治を担当した政党が、上手く政治を実行できない場合は、国民によって、他の政党に変更する、この当たり前の民主主義を、当たり前に行う国が、多くなることを願います。
 イスラムの自爆テロは、軍国主義日本の模倣であると言われています。民族主義の年寄りに操られ、一体どれだけの若者が、鬼畜米英の排除を目指した先の戦争で、「天皇陛下万歳」と言って敵に突っ込み、国家の英雄となり、靖国神社に祀られたのでしょうか、今の私にとっては、想像だに出来ない恐怖です。それなのに、これを真似する人達が存在するのです。世界の技術は、物凄く発達していますが、変わらないものも、数多く残されています。

 今日は、五日市カトリック霊園に甥の墓の掃除に行ってきました。私の弟が作った墓で、その弟も他界しました。弟は、生前から自分の家族と絶縁状態でしたので、この墓に来るのは、私以外にいません。偶に、郷里の方に住んでいる、弟の兄妹が来ることがあるくらいです。
武蔵五日市駅から、大悲願寺、横沢入里山等、新緑と里山の景色、春の花々を楽しみながら、霊園に着きました。横沢入り里山では、管理棟のベンチで昼食を食べていたら、発達障害の子供達15人ほどが、3人の先生に引率されてやって来ました。私に遠慮をしたのか、管理棟には入らず、管理棟の軒下で、弁当を食べ始めました。この子達に関しては、私は言葉がありません。私の兄妹のようだった従姉の女の子が、予防接種の影響で脳が冒され、発達障害と似たような症状となり、母親は死んだのに、今でも、まだ入院治療を受けています。最近の15年くらいは、寝たきり状態です。もう50位だと思います。私も、何度も面会に行きました。従姉も、その子も、なんと凄まじい人生を背負ったかと思いました。
墓に着いたら、丁度墓掃除の管理人が、我々の区域を、掃除していて、墓も綺麗になっていました。去年の秋に来た時には、あの憎らしい小栴檀草が、墓を埋めていました。今日は、小栴檀草は、未だ芽を出しておらず、烏の豌豆が、少しだけ生えていました。墓掃除に頻繁に来ることは出来ないので、今日は、根こそぎ雑草を取る除草剤を持ってきましたので、それを撒き、墓を水洗いして終わりにしました。除草剤の効果があったか確かめるために、秋にもう一度来ようと思います。
東京都の八王子霊園は、墓の形も決められ、宗教色がありませんが、その他の墓は、宗教色が抜けません。死んだ人は、実在しなくなり、その空白を埋めるには、宗教の力が必要なのですかねー。
墓を掃除していて、弟も死んだのに、墓には、建立者として弟の名前はあっても、故人としては、弟の名前が書いて無いのに気がつきました。ここに、弟も埋葬されたと思っていたのですが、一体弟は、何処に埋葬されているのでしょうか、故郷の墓に埋葬されたのでしょうか、今度聞いてみましょう。
実は、弟は、私のせいで、少しひねた考えを持ち、幸せとは言えない人生を送りました。弟は、実に素直な子として生まれてきました。この墓に入っている甥とそっくりでした。再婚した父の最初の子供でした。弟の母親は、四姉妹の末っ子で、少し我が儘な所があり、前妻の子である私や、かなり厳しい祖母との暮らしに慣れていませんでした。私は、継子ですから継母にとっては、気に入らないことが沢山あったようです。私を怒りたいのですが、何となく継子虐めのようになるのが嫌で、私への怒りを弟に向けました。弟は、自分が何故怒られているのか分らず、だんだん性格が変わっていきました。弟にとって私は、一番頼りになる兄でもありましたし、一番嫌いな人間でもありました。その後、祖母も亡くなり、継母も家庭生活に余裕が出来、私も上京してしまいましたので、家庭は平和になったのですが、弟の性格は、容易に変わりませんでした。結婚後の、弟自身の家庭生活も、幸せとは言えなかったと思います。墓の前で、色々な思い出が蘇りました。何だか今日は、辛い思い出ばかりでした。

「秋川の 渓谷囲む 山々に 萌黄の大波 押し寄せており」
「里山の 小径の脇に 並び咲く 春の一員 赤白華鬘草」
「里山の 畔の小径に 並び咲く 烏の豌豆 雀の豌豆」
「庭先に 春の日浴びる 立浪草 遠くに見える 新緑の山」
「道脇の 野草の中の チューリップ 色鮮やかな 掃きだめの鶴」
「墓の土手 十二単の 並び咲く 春の墓場は 気分うららか」
「薔薇の蔓 土手に下がりて ロザリオに 祈り届くや カトリック霊園」
「野の花と 新緑の山 春の風 故郷のような 弟の墓」
「何故ここに 甥が一人で 眠るのや 何故この墓に 我が立つのや」
「親族の 年上全て 世を去りし 良くも悪くも 全て思い出」

 

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2019年4月23日 (火)

2019年04月22日

2019年04月22日

 今日も、霞の強い日でした。我が家からは、七生丘陵が見えるだけで、山という山は、全て霞の中でした。それにしても、暖かい日でした、25度以上の夏日になったそうです。東京は、今年最初の夏日だと思います。
 高齢者による事故が増えています。今日も、87歳の老人が二人の青年をひき殺し、数人の負傷者を出した様子が、何度もテレビに流れました。これは、現代社会を牽引してきた、自動車文明の問題ですので、一朝一夕に解決出来る問題ではないと思いますが、全世界が考えなければならない問題だと思います。現在、研究されているITによる自動運転の信頼性が向上し、運転を車に任せる時代が、早く到来してほしいものです。並行して、特定の場所、例えば信号、踏切、高速道路の出入口等では、自動車を外部信号の通りに走らせるような仕組みを作ることも必要かと思います。歩道と車道の境界を強固にすることも大事かと思います。また、宅配便については、早くドローンによる配達が可能になるようなシステムを開発して欲しいと思います。また、研究されてはいるようですが、大型のドローンで飛行船を作り、電車や長距離バスの代替が出来るようにもして欲しいと思います。更に、様々なことを研究して実践に移し、車文明から次の安全な文明社会への移行を、出来るだけ早く行って欲しいと思います。そうすることによって、老人が車に頼らなくとも、円滑に生きることが出来れば、老人による事故はなくなるでしょう。老い先短い老人に、若い人間が殺されるのは、どう考えても理不尽です。スポーツに似た感じで、趣味の一つとして車を運転したい老人には、そういった場所を提供してやったら良いと思います。「車が沢山走り、人も沢山いる所を運転しなければ、何の面白身もないんだよ」といった声が、実は多いのかも知れませんが、、、。

 今日は、夕方、大学の同窓会の関係で、都心に行かなければならないので、典型的な、程久保川、浅川を回って帰って来るコースを散歩しました。程久保川の桜並木は、全て八重桜で、他の桜が終わった今が、一番の見頃なのです。
 四谷橋を渡って、日野市側の多摩川の土手に出ると、後ろから、妙齢の女性に、「良い写真が撮れましたか」と声をかけられました。「私の写真は、記録写真のようなものですから、貴方が思うような写真ではないのですよ。貴方は、何か目的とするものがあるのですか」というと、「私は、狸を探して狸の写真を撮るのが趣味なのです」とのことでした。面白い趣味だと思いました。彼女は、百草台の方に住んでいて、この辺りにも良く来るらしいのですが、狸以外のことは、良く知らないというので、色々知ったか振りをして、仙人の花畑のこと、雉が住んでいる場所、花や木の名前、カワウの塒等々自慢げに話しました。途中、人を乗せた馬に出会いました。何時もは、浅川の土手の下を女性が乗って歩いていることが多いのですが、今日は男性が乗っていました。不思議に思って、知り合った彼女と一緒に、暫く馬について歩いたら、何時もの女性が馬を先導していました。今日は、台湾から来た夫婦に馬を貸しているのだと言っていました。馬貸しの商売もやっているようでした。孫達が馬に乗ってみたいと言っていたのに、連絡先を聞くのを忘れました。
 新井橋で浅川を渡った所で、彼女と別れました。多摩川と浅川の合流点の所で、狸を見かけることが多いのだそうです。どうも、彼女は赤シャツの男に付けられていたようです。その為、危険性が少ないと思われる私に、近づいてきたようです。時々、後ろを振返っては、「赤シャツの人まだ来ているかしら」と呟いていました。新井橋で土手全体を確認して、赤シャツの人が見えなかったので、安心したようです。私にも狸を見せたかったようですが、今日私は、次の予定が有ったので、残念ながら、彼女に付き合えませんでした。
 その後、石田大橋の下で、昼食を食べ、国立のスーパーで、鶏の軟骨とニンニクを買い、我が家に戻りました。2種類の鶏の軟骨の下ごしらえをして、シャワーを浴びると、丁度出かける時間になりました。
 6時に、私が担当している委員会の副委員長2名と私で、同窓会長に会いました。同窓会の将来について、あれこれと話しました。その後、近くの飲み屋で、飲み会となりました。同窓会長とは、何度か飲んだことがありますが、今日のように肩が触れ合う感じで飲んだのは、初めてでした。同窓会長は、私の4つ年上で、戦後のこと、大学時代のこと、話が良く合って、しこたま飲みました。とても旨い酒でした。

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2019年4月22日 (月)

2019年04月21日

2019年04月21日

 天気は良いのに、霞が強く、富士が見えない日が続いています。奥多摩の峰さえはっきりしないほどの、強い霞です。
 スリランカで、高級ホテルやキリスト教の教会が爆破されるテロが発生しました。随分昔、国名が、まだセイロンだった頃だったと思いますが、スリランカを訪問したことがあります。英国の植民地時代が続いたことにより、セイロンティーが、有名でした。首都コロンボと島の中央の山の上にあったキャンディーと言う町に行きました。元々、仏教徒の多い国で、当時は、民族紛争もなく、穏やかな国のように思えました。特に、キャンディーの町は、仏教の聖地のような趣がありました。日本が、戦後国際社会に復帰するための、サンフランシスコ条約の会議で、スリランカの大統領は、仏教国の寛容な精神から、日本に対する戦後賠償を放棄し、最後に、「、、、日本は、ずっとアジアの兄であった。どうか今後も兄として、アジアを導いて欲しい」と演説し、会議に参加していた吉田首相を感涙させたようです。京王線の高尾に近い山田という所に、雲龍寺という寺があり、戦後の日本を助けた人として、3人(マッカーサー占領軍司令官、蒋介石国民党党首、ジャヤワルダナ・スリランカ大統領)の銅像があります。
どうして、このような地で、テロ事件が起きるのか、民族問題なのか、宗教問題なのか、まだはっきりしていませんが、自爆テロでキリスト教の教会がテロの対象になったようですから、イスラム教が絡んでいる可能性が高いような気がします。民族と宗教から、排他性を取り除くことは出来ないのでしょうか、他を悪く言わなければ、自分達の良さを認識できないのでしょうか、この争いの種は、人間が絶滅するまで続くような気がします。

今日は、二日分の日記を書いたので、書き終わった時は、12時を過ぎていました。先ず、四谷文化センターで、府中市議会議員の選挙をしました。他の人達は、生活に影響の無い時間に投票をしたのでしょう、投票所は、閑散としていました。私の他は、一人だけでした。投票の対象の候補者は、人数が多いし、知らない人ばかりなので、結局、政党で投票しました。
投票後、まだ農地が残る昔道を歩いて、新田川緑道に入りました。緑道の欅の木の下で、遅めの昼食にしました。昼食を食べてから、緑道の続きから、分倍河原駅、高安寺、大国魂神社、府中駅まで歩きました。そこそこの散歩となりました。府中では、何もすることがなかったのですが、雑貨屋で、おたふくのような梟が売っていたので、ついつい買ってしましました。何時まで経っても、断捨離は、出来そうにありませんねー。
今日は、6時からアパートの理事会があるので、適当に散歩を切り上げ、4時過ぎには、我が家に戻りました。燕を見かけることは少ないのですが、燕の巣が、少しずつ大きくなっているので、嬉しくなりました。
6時5分くらい前に、理事会が行われる会議室(3回の燕の巣の直ぐ横)に行くと、会議がもう始まっていました。と思ったら防災委員会でした。私も、防災委員なのに、どうして呼ばれなかったのでしょうか、後で、自治会の防災委員長に聞いてみたら、「これまで、長く防災委員会は開かれておらず、暫くぶりだったので、取り敢えず自治会の防災委員で準備会議をしました。次会からは、理事会の防災委員にも参加して頂きます」とのことでした。
自治会の防災委員会は、6時には終わり、その後理事会となりました。何時ものように、種々の問題への対応を協議し、7時半には、終了しました。家に戻って準備をして、8時から、遅めの晩酌になりました。

「見る度に 大きくなってる 燕の巣 我が事のよに 嬉しくなりぬ」

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2019年4月21日 (日)

2019年04月20日

2019年04月20日

 今日は、市川の学園の理事会に出席するため、朝6時半に目覚ましをかけておいたのですが、6時前に起きてしまいました。この前、中・高校の入学式に行った時は、土曜日ではなく週日だったこともあり、30分も遅刻してしまいました。早く起きたお陰で、ゆっくりと準備して、7時15分には、我が家を出ました。土曜日でもあり、京王線を使って、新宿から総武線に乗換えて行った所、市川に9時には着きました。理事会は10時からで、市川駅から歩いても20分足らずですので、ゆっくり歩いて、9時半前に学校に着きました。用心しすぎて、早く着き過ぎました。
 理事会は、予定通り始まりましたが、早起きしたので、急に眠気が押し寄せて、目を開けているのに必死でした。実は、私は監事ですから、理事会での発言機会は殆ど無いのです。監事の役目は、学園の資産状況と運用状況について監査すること、学園の運営が適法適正に行われているかを監査する事にあります。理事会での、種々学校運営上の討議に関しては、明らかに適正でない場合に限り、指摘をするだけなのです。監事の仕事は、来月の決算報告だけだと言っても過言ではありません。これまでの理事会でも、発言したことはありません。それだけに、眠気が襲ってくると、堪えるのに必死です。
 理事会が終わると、理事の一人が、毎回市川駅まで、車で送ってくれるようになりました。帰り道なのだそうです。ある会社の会長さんで、市川の学園の卒業生だそうです。私より、2年年下で、とても気の良い人です。私の娘の所と同じような構成で、孫がいるらしく、二人して直ぐ孫の話になって仕舞います。市川駅には、5分程度で着きました。
 今日は、東京都庁と新宿中央公園に行ってみました。先ず、新宿駅から、地上の道路を歩きました。摩天楼街の公孫樹や欅並木が芽吹き、コンクリートジャングルに、季節の変化を届けていました。都庁では、南北両方の展望台に上りました。この展望台も、随分久し振りでした。今日、展望台にいたのは、8割が外国人でした。残念ながら、今日は霞が強く、富士も丹沢も奥多摩も、山は一切見えませんでしたし、東京近辺のビル街も霞んでいました。
 展望台から、中央公園におりました。展望台から見た時は、小さな箱庭のように見えたのですが、下りてみると結構大きな公園でした。ここでも新緑が、息づいていました。滝の広場と、その上の広場で、四川料理祭が行われていて、沢山の料理店が出店し、見物客も大勢いました。中央公園全体で、発泡スチロールのカップや皿で、四川料理を食べている人達が、沢山いました。今年は、中央公園が出来てから、50周年に当たるそうです。新宿の西口が、淀橋浄水場の頃から、今日の摩天楼街に変わっていく様子が、新宿中央公園開園50周年記念パンフレットになって、配られていましたので、貰ってきました。私の人生と重なる所が多いので、とても懐かしく思いました。私が、東京に来た頃は、新宿の西口にあるビルは、現在の小田急ハルクくらいでした。その後急ピッチに開発が進みました。新宿は、今でも青春時代の、想い出の泉です。
 思い出の泉を後にして、我が家に戻りました。6時近くになっていました。長い1日となりました。

「金属と コンクリートの ビル街に 命が芽吹く 公孫樹の並木」
「目の前の ビルに似たよな 白き花 誰が植えたか 白花蘇芳」
「新緑の 欅の向こうに 聳え立つ 夕日背にした 東京都庁」
「若き日の 新宿の街 東口 心に残る 若気の至り」
「新宿の 移り変わりと 我が人生 半世紀もの 年の過ぎたり」
「我老うも 新宿未だ 若き街 較べてならぬ 命と石と」
 

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2019年04月19日

2019年04月19日

 今朝も良い天気ではあったのですが、霞が強く、富士を見る事が出来ませんでした。
 地方議会の統一選挙が明後日に迫ってきましたので、各候補者の選挙カーが、我が家の近くにも、沢山来るようになりました。しかし、私が住んでいる街も結構大きな街ですから、候補者の誰一人とも、会ったことも無ければ、噂さえも聞いたことがありません。選挙カーでは、「〇〇をお願いします」を連呼するばかりです。これでは、政党で選ぶしか投票のしようがありません。所が、その政党も、具体的に、どの様な政策をどの様に実施していくのか、その話を聞いたことがありません。身近な、自分が住んでいる市議会選挙なのに、人を選ぶ手立てがないのです。これが民主主義の実態なのです。私が、地域社会に溶け込んでいないのが、原因の一つではありますが、、、。
 昨日、昭和記念公園の水鳥の池で見た何種類かの鴨の内、一つをヘラ鴨と書きましたが、ハシビロガモの間違いでした。何時もの思い込みです。
 今日は、午後は曇りになるというので、早めに家の戻ろうと思って、近場の郷土の森公園に行ってきました。梅も桜も終わって、花水木とツツジが見頃でした。昭和記念公園に較べて、小さな公園ですが、小楢の森の芽吹きは、同じような春の勢いがありました。森の中には、キンラン(金蘭)も咲いて居ました。蒸せ返るような春の芽吹きの中で、命の息吹を感じつつ弁当を食べました。
 昼食後、園内を一廻りして、2時半から、久し振りに、プラネタリウムに入りました。府中市の星空の様子を見せてくれるもので、以前にも見たことがありました。星空を眺めながら、リクライニングシートが、余りにも気持ち良かったので、ついつい寝てしまいました。600円かけての昼寝でした。
 プラネタリウムの後、2階の展示会場で行われていた、大西浩次氏の星景写真展 ー森から見上げた宇宙ー を鑑賞しました。星の写真展を見るのは、初めてでしたが、どれも素晴らしい写真でした。私も、山歩きの仲間と、北八つの山小屋へ行くと、森から夜空の星達を見て感動しますが、写真に撮ることは出来ません。私のカメラは、下手の横好きで、技術が全くありません。技術を高めようとする気もないのです。私は、写真そのものから、感動を受けることはありませんが、自分が実際にその感動の場面を経験していると、その感動を再現する手助けをしてくれるものだと思っています。下手過ぎると、手助けににもなりませんが、、、。今日は、立派な写真でしたので、幾つもの感動の場面を思い出しました。森から見上げたわけではありませんが、メキシコのカリフォルニア半島で見た、満天の星空は、生涯忘れることは出来ません。今日、思い出させて貰いました。
 4時近くになり、公園が閉まる時間が近づいてきましたので、公園を出て、チュウバスで、我が家の近くまで戻り、少しだけ買い物をして、我が家に戻りました。5時半過ぎていました。今日は、平成最後の満月だったようですが、家に帰ってからは、外に出ることもなく、満月を見るのも忘れてしまいました。

「星空を 見上げる我が ここにいる 感じることが 生きてる証」
「芽吹きたる 緑の森に 風渡る 我今ここに 立ちているなり」
「芽吹きたる 森の香を 身に受けて 花を広げた 金蘭の立つ」
「数々の 星空見上げた 感動を 呼び覚ますなり 星の写真展」

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2019年4月19日 (金)

2019年04月18日

2019年04月18日

 今朝は、ほぼ快晴の空でしたが、霞が強く、西の地平には雲があり、富士を見ることは出来ませんでした。
 昨日、我が家で燕を見たこともあり、立川根川公園の青鷺の巣がどうしても見たくなり、見に行って来ました。モノレールの上からも、巣がある木の下からも見ましたが、親鳥は見えても子供姿を見る事は出来ませんでした。もう暫くして、また行くことにしました。
 立川根川公園から、モノレールで立川に行き、昭和記念公園に行きました。新緑の季節を感じたかったのです。桜は、ほぼ葉桜になっていましたが、正しく芽吹きと新緑の公園になっていました。立川口から入った所の公孫樹並木に、芽吹きの順番に並んでいる公孫樹がありました。まだ芽吹いてない公孫樹では、コケシ状の新芽が、枝の上に並んだり、逆立ちしたりしていました。次の公孫樹では、コケシの頭が弾けて、緑のイソギンチャク状になっていました。芽吹きの終わった公孫樹では、コケシの胴体も弾けて、細い枝となり小さく可愛い公孫樹の葉が、何枚も開いていました。何だか、芽吹きの講習会を受けているようでした。
 公孫樹並木の横にあるトイレの前に、紫陽花のような白き大きな花を付けた木がありました。チョウジガマズミ(丁子莢迷)でした。
 今までは、日向を探して昼食を食べていたのですが、今日は日陰を探しました。今日は、汗ばむような初夏の陽気でした。広場の中にある、芽吹きを終えた小楢の大木の下のベンチで、コンビニ弁当を食べました。家で、昼食を食べると、「面倒くさいなー」と思うのですが、外で食べるとどんな物でも「旨いなー」と思います。食後は、缶入りコーヒーを飲みながら、新緑を満喫しました。
 広場から、水鳥の池、ハーブ園を抜けて、渓流広場へ行くと、山ほどのチューリップが植えられていて、今が見頃でした。最近は、色々な公園で、大々的な花畑で人を呼ぼうとする試みが増えています。昭和記念公園でも、季節毎に、ポピー、コスモス等の花畑が作られますが、今は、チューリップと菜の花でした。この手の花畑には、余り感動しないのですが、凄いなー、大変だっただろうなーとは思います。今年は、ひたち海浜公園に較べれば、100分の一にも満たないでしょうが、ネモフィラの花畑もありました。
 渓流広場から、日本庭園、こもれびの里を見て、大広場に行きました。この広場には、菜の花の大きな花畑が、見頃を迎えていました。昨年は、菜の花とシャボン玉の写真を撮ろうとする家族がいて、私も便乗して写真を撮らせて貰いました。今日は、恋人同士が、同じようにシャボン玉と菜の花の写真を撮ろうとしていました。今回は、邪魔をしないように、飛んできたシャボン玉の写真だけを撮りました。
 大広場から、水鳥の池に行くと、鈴掛の大木が芽吹いていました。芽吹いた枝には、既に今年の小さな鈴も下がっていましたし、去年の大きな鈴も一緒に下がっていました。その鈴掛の下に、鴨達が羽を休めていました。どうせカルガモだろうと思ったのですが、カルガモは2羽だけで、小鴨も沢山いました。池の中の小島の方を見ると、なんと、ヘラ鴨、ヒドリ鴨もいました。まだ、北へ帰っていなかったのです。いやー驚きました。まさか留鳥には、ならないでしょう。
 水鳥の池に近い西立川口から、公園を出て、我が家に戻りました。5時過ぎていました。アパートのエレベータを降りると、去年と同じように、燕の巣作り為の棚が作られ、糞受けのシートも廊下に貼られていました。昨日は心配しましたが、杞憂に終わりました。どうか去年と同じように、今年も巣作りをして欲しいと思います。

「並木にて 芽吹きの仕方の 講習会 早生から晩生へ 公孫樹が並ぶ」
「焦らずに 何時ものんびり 公孫樹さん 新芽を包む コケシが並ぶ」
「春だよね 我慢できない 公孫樹さん コケシの頭に 新芽顔出す」
「新芽等を 早く世に出す 公孫樹さん 春の日受けて 若葉輝く」
「芽吹き時 白く大きな 花ありき 紫陽花擬き 丁子莢迷」 
「日向より 日陰恋しい 春の日に 小楢の木陰で 弁当開く」
「常緑の 楠も春には 芽吹きかな 若葉を待ちて 古き葉去るや」
「渓流に 色取り取りの チューリップ 木陰も明るき 花の彩り」
「桜木の 花片流る せせらぎの 岸辺を埋める チューリップの花」
「若者の 心を乗せた シャボン玉 次々生まれる 新たな恋心」
「日本での 楽しい思いに 魅せられて 旅立ち延ばす 鴨達の群れ」
「今年また 巣作りしてねと 棚作り 燕よ応えて 優しき心に」 

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2019年4月18日 (木)

2019年04月17日

2019年04月17日

 今日は、薄い雲が空を覆っていましたが、雨の気配はなく、暖かい1日でした。風は冷たかったので、コートを着て出かけたのですが、邪魔になって仕舞いました。
 午前中の仕事が、比較的早く終わったので、聖蹟桜が丘まで、軽く散歩に出かけました。
アパートのエレベーターの所へ行くと、燕が2羽、去年巣があった所に来ていました。恐らく、カップリングは済んで、巣作りを始めるための下見ではないかと思いました。少なくとも2羽の内1羽は、ここで生まれた燕だと思います。昨年は、巣作りが簡単になるように、また、廊下が汚れないように、管理人が、板を用意してくれたのですが、今年はどうなるのでしょう。一昨年は、板が無くても巣は出来ました。いずれにせよ、巣作りをさせないで、追い払うことだけは、止めて欲しいと思います。毎日、燕の子育てを見る事が出来ると、とても幸せな気分になれるのです。
 桜公園から、西府緑地を辿って、関戸橋に出ました。桜が終りを迎え、花水木が咲き始めました。花水木も、木1杯に花を付けているのですが、矢張り桜の華やかさには勝てません。梅も芽吹きが始まり、梅の実も小指の先ほどの大きさになりました。新緑の欅、小楢、公孫樹、唐楓、榛の木などの、新緑の下を歩くと、元気の源を沢山貰った気になりました。七生丘陵も多摩丘陵も、冬木立の櫛の歯は既に無くなり、丘陵全体が新緑に覆われていました。良い色ですねー。
 午前11時から歩き始め、午後1時には、家に戻りました。今日も、午後神楽坂で友人夫妻との食事があるので、早めに切り上げました。昼食を食べ、シャワーを浴び、ドラマを見て時間を潰し、4時には家を出て、待ち合わせ場所の神楽坂毘沙門天の前に、6時15分前に着きました。妻も友人夫妻も、6時丁度に着いて、予約した日本料理の店に行きました。
 友人は、南米で一緒に仕事をしたことがあり、まだ現役で働いています。何年か前に、膵臓に腫瘍が見つかり、それが大きくなって癌化しないか、毎年検査をしているのです。これまでの検査でも、今回の検査でも、全く進行していないそうなので、今日は、安心して飲んだり食べたり出来るとのことでした。ただ、この店を選んだのは、間違いでした。食事は、コースを頼みました。所が、能書きは多いのですが、料理はメリハリがなく、料理人が料理したのかと思われるほど、プロの旨味を感じませんでした。別の料理になっても味が変わらないのです。特に、味にうるさい妻は、ぼやきっぱなしでした。料理は不味かったのですが、久しぶりに会ったので、話は弾み、あっという間に8時半になりました。
 そこで、何時ものコースですが、コーヒーが飲めるバーに移動し、2次会にしました。今日は珍しく、妻もサワー系の酒で付き合ってくれて、とても楽しい宴会となりました。ここでも、時間は瞬く間に過ぎて、10時半になりました。それで、お開きにしたのですが、バーの代金は、現役である友人の世話になって仕舞いました。既に、退職して10年になる私の所に、訪ねてきてくれるだけでも嬉しいのに、お土産は貰うは、2次会は奢って貰うは、良い友人を持った私は、幸せ者です。

「新緑が 押しくら饅頭 春の丘 行く白雲も 春の彩り」
「年老いた 我を訪ねる 後輩に 職場の今を 聞ける喜び」

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2019年4月17日 (水)

2019年04月16日

2019年04月16日

 今朝は、雲一つ無い快晴でした。風は強かったのですが、快晴の空は一日中続きました。
 平成も、あと2週間を残すだけになりました。私の日記をブログに上げるのも、あと2週間になって仕舞いました。自分で勝手にそう決めたのですから、自分で守るしかないでしょう。
 今朝のニュースで、パリのノートルダム寺院の火災の報道がありました。ノートルダム寺院は、石造りで火災は起きないと思っていたのですが、意外でした。礼拝所の空間が、酸素の供給場所のようになり、巨大な釜となって、凄まじい炎が上がり、礼拝所の部分は、焼失してしまいました。パリ市民は、自分の身体の一部を失ったように悲しんでいるそうです。私も、3回ほど訪れたことがありますが、本当に素晴らしい建物です。パリ市民やフランス国民にとっては、建造物としての素晴らしさ以上に、宗教的な心の拠り所だったのだろうと思います。
 ノートルダムのことを寺院と書きましたが、大聖堂とも言うようです。ネットでは、逆に大聖堂が正式で、寺院ともいうと書いていました。私は、キリスト教の礼拝所のことは、教会とか天主堂としか呼びませんが、ノートルダムに関してだけは、寺院と呼びます。何故、そうなったのか自分でも分りません。学生時代の歴史の教科書に、寺院と書かれていたのでしょうか、若しそうだとしたら、何時誰が、この呼び方を決め、広めたのでしょうか、教えてほしいものです。寺という字が使われているので、仏教の寺も寺院というのかというと、日本国内で、仏教のお寺の固有の名称に、寺院を付ける寺を聞いたことがありません。東大寺とは言っても、東大寺院とは言いませんよねー。しかし、寺院建設のように、固有名詞では無い時は、寺院という言葉を使うような気もします。火事のニュースから、自分の知識の不確かさを再認識しました。

 今日は、大学の同窓会の会議があるため、5時半には都心の大学に行く必要がありました。その為には、4時には我が家を出なければなりません。後に用事があると気儘な散歩が出来ませんので、今日は、4時まで、散歩に出ないで、のんびり家で過ごして、会議に参加しました。何時も思うことですが、同窓会の仕事は、全くのボランティアで、交通費も出ません。出るのは、軽食と称して、サンドイッチとお茶が出るだけです。何度も書きますが、会議に参加する人は、真剣そのものです。喰うために、稼がなければならない時より、年を取ってボランティアで、母校のために働く時の方が、生甲斐を感じているのではないか、そう思うことが度々です。
 会議の後は、毎回、飲み会になり、少し気を緩めて、会議の続きをしたり、昔話をしたりします。これもまた、結構楽しいのです。今日は、珍しく1次会の後、酒飲み二人で、何時も素通りする卒業生がやっている店に立ち寄り、2次会をやりました。以前は、良く行っていた店なのですが、私のクラブの後輩とのトラブルがあって、いかなくなっていました。店の主人と私の後輩は、同期でした。両方とも結構我が強くて、引かない人間なのです。今日久しぶりに行って、話をしたら、本当に嬉しそうでした。私の後輩は、既にこの世を去りましたので、昔のことは水に流そうと思いました。
 良く飲んで、家に帰り着いたのは、11時過ぎていました。
 

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2019年4月16日 (火)

2019年04月15日

2019年04月15日

 今日も良い天気でした。青空に、白い雲が浮かび、夏のような空でした。富士の近くには、雲があり、富士を見ることは出来ませんでした。
 我が家の前の桜は、一番目に咲いた桜は、既に新緑の木になりました。二番目に咲いた桜も、ほんの僅か、花を残すだけになりました。3番目に咲いた花は、土手の桜並木と同じ頃に開花し、まだ半分ほど花が残っていますが、完全に盛りを過ぎました。今は、目の前の公園の端にある、八重桜が満開になりました。一番先に咲いた桜から、一月以上桜を楽しんできました。八重桜が終わる頃には、初夏になるでしょう。毎年、同じように巡ってくる、季節の変化は、心に安らぎをもたらしてくれます。
 朝1番に、妻から電話がありました。明後日の友人夫婦との食事会に関する、確認の電話でした。私は、予約した店の場所は、妻が知っているものと思っていたのですが、妻も知らないそうです。場所を調べるのは、難しくはないですから、調べておきましょう。
 今日は、聖蹟桜が丘で銀行の用事を済まし、松屋で食事をして、そこから調布まで、多摩川沿いの道を歩きました。まだ桜を見ながら歩けました。川崎街道の栃の木並木が芽吹きを始めていました。過酷な剪定の後からの、必至の芽吹きでした。
 聖蹟桜が丘のちょっと不思議な名前の「ろくせぶ公園」の桜が、本当の吹雪のように花吹雪を飛ばしていました。時々、私の顔も撫でました。地に落ちた花片が、風が吹く度に、地上に波頭を作り、公園の端に押し寄せていました。春の終りの光景ですねー。
 公園の脇に、雪柳がありました。何だか濃くて重そうな花でした。近付いてみると八重の雪柳でした。これまでに、八重の雪柳を見た記憶がありません。若しかすると、今日が初めてだったかも知れません。梅も桜も他の花も、私は八重より一重の方が好きです。八重の花からは、人間の細工が窺われます。それが嫌いなのだろうと思います。例えば、菊花展の菊の花を、美しい花と思ったことはありません。御苦労様と言った気持になるだけです。
 工事中の関戸橋を渡って、多摩川の左岸に出ました。何故か広々として、妙に明るく感じました。アカシアの林が、全て伐採されていたのです。アカシアが外来種であること、折れやすいことから、我が家の前の多摩川の河原でも、3箇所のアカシアの林が伐採されました。アカシアは、河川関係者からは、嫌われ者のようです。
 多摩川の土手に並行した桜並木は、まだ半分以上、花が残っている桜もあり、新緑と桜と青空と白い雲のコラボをテーマに写真を撮りながら、のんびりと歩きました。風がある時は、冷たく感じるのですが、風が収まると汗が噴き出る感じになりました。気温は、20度を超したようです。初夏の感じでした。
今日は、郷土の森公園はお休みで、桜公園から二カ村緑道に入り、是政橋に出てて、府中街道を歩いて大国魂神社に出ました。この前満開だった枝垂れ桜は、葉桜となっていましたが、春の日を浴びたツツジが、それは見事でした。境内と参道は、大国魂神社の最大の祭り、5月3,4,5日の「くらやみ祭」の準備が始まっていました。新天皇になったばかり、令和の最初の祭ですから、今年は特別でしょう。
府中には、特に用事は無く、聖蹟桜が丘に戻って、軽く買い物をして、家には、4時少し過ぎに着きました。少し、時間があったので、録画してあった宮崎駿監督のアニメ「風立ちぬ」を見ました。飛行機作りが大好きな人間の生き方を通して、関東大震災から〇戦が出来、敗戦までを、淡々と描いていました。監督が何を言いたかったのか良く分りませんが、私は、「善人であっても、様々な形で戦争に参加していたのだ、その時代の人間は、今の時代から見る過去を生きているのではなく、その時代そのものを生きていたのだ、そして、悲惨だった戦争の記憶も風化した」と思いました。

「子供等に 読んで聞かせた もちもちの木 5厘坊主の 都会での芽吹き」
「箱庭の 公園を舞う 花吹雪 我が顔撫でて 飛んでいくなり」
「花吹雪 地上を駈けて 波頭 飛沫をあげて 公園の岸」
「野に出でて 十二単は 重かろう 単衣が適当 八重の雪柳」
「何の木や 芽吹きの赤が 花のよう 春の日差しに 際立つ赤さよ」
「この楓 春の芽吹きの 春紅葉 命沸立ち 真っ赤に染まる」
「芽吹く木々 今が盛りの 桜花 青空の中 白雲流る」
「狛犬の 脇に紅 赤ツツジ 笑い溢れる 狛犬の顔」

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2019年4月15日 (月)

2019年04月14日

2019年04月14日

 今朝も、早い内は良い天気でした。しかし、天気予報では、午後3時頃から雨になると予報していました。その予報を裏付けるように、今朝の富士山は、ベレー帽を被っていました。
 最近、テレビのニュースにも関心が薄くなりました。トランプ大統領の馬鹿さ加減にも慣れてしまいました。安倍首相の厚顔無恥にも慣れてきました。スポーツへの関心も薄れてきました。映画とか、音楽、絵画といった芸術にも興味が向かなくなりました。最近は、昔の仲間と飲んだり話したりする事が、一番楽しくなりました。でも感動する事は、実は増えているのです。テレビのどうでも良いようなドラマでも、子供が真剣に挑戦しようとしている姿を見ると、どんなに小さな事でも、うるっとしてしまいます。土手を歩いて、枯れた茅の中に、タンポポを見つけただけで、涙が出そうになります。毎年、同じ場所に渡り鳥が来ると矢張り感動します。木々の紅葉や芽吹きにも、涙が出そうになります。朝、富士が見えただけでも感動するのです。昨日、高尾山で知り合った老人も同じような事を言っていました。年を取り老い先が短くなると、人間の作り話以外は、何でも感動するようになるのではないかと思うようになりました。感動の対象が、変わりました。最大で永遠の奇跡である、美しい地球との別れが迫っているせいだと思います。実際は、地球から出ることは出来ません。地球を美しさを感じることの出来る、自分という生命の力がなくなってしまうのです。感じられる内に、その美しさを感じようと、焦るのかも知れません。

 今日は、午後から雨だというので、日記を午後書くことにして、朝9時に家を出て、神代植物公園に行って来ました。病気に弱い染井吉野の後継となるのではないと言われている、神代桜を見たいと思ったのです。
 10時丁度に、神代植物公園に着きました。先ずは、植物多様性センターに行きました。入口から、山吹が沢山咲いていました。黄色い山吹の中に、白っぽい花が咲いていましたので、新種かと思い、係員に尋ねたら、花の盛りが過ぎると、黄色い花片が色抜けして、白くなるだけだと言われました。管理棟の横は、手を加えない広場になっていて、タンポポ、ハナニラ、ムスカリ、チューリップが、気儘に咲いていました。とても良い感じでした。広場の横では、利休梅が満開でした。桜と梨と梅の良い所だけを受け継いだような、とても綺麗な花でした。確か、昨年、鎌倉の友人の家の近くの、料理屋で見たような気がします。カラタチ(枸橘)、ツクバネウツギ、ハウチワカエデ(羽団扇楓)の花も見ました。ハウチワカエデの花は、初めて見ました。
 色々な草木の春を見て、多様性センターから、植物公園の本園に移りました。植物園の方も、ツツジ、シャクナゲ、ハナモモ等が咲き始めていました。桜は、盛りを過ぎていましたが、満開の桜も残っていました。色々な桜を集めている、桜園の中に、神代曙という種を見つけました。どうやらこれが、神代桜のようでした。説明文には、次のように書いてありました。「エドヒガンの影響がある栽培品種。神代植物公園で発見され命名された。当園では染井吉野より数日早く開花し、開花直後の花は染井吉野より紅色が濃い等の特徴がある。」この桜が、今後日本を代表する桜になるのでしょうか、いずれにせよ今日の目的は果たしました。
 桜園の隣に、花桃園があり、その中の菊桃が、この前、仲間と下町散歩の時に見た花だと確信しました。桜の一種ではなかったようです。それから、もう一つ、昨日の高尾山で、長いこと気懸かりだった花の名前が分りました。細い枝の下に、電灯の笠を並べたような花が列をなして咲きます。モミジイチゴ(紅葉苺)でした。
 午後1時を過ぎたので、公園内の売店で、焼きそば、焼き餅、缶入りコーヒーを買って、昼食にしました。未だ花の咲いてないバラ園を見る、藤棚の下で食べました。少し危惧していたのですが、麺類は、食べるのが難しくなりました。危うく、誤嚥しそうになりました。麺を細かくかみ砕いて食べることに、未だに慣れないのです。それでも時間をかけて、完食しました。その後は、新緑の雑木林を散歩し、落羽松の芽吹きを見ました。細い枝に、小さな緑の針が、びっしりと並んだ、初めて目にする芽吹きでした。感動しました。
 その後、深大寺に参拝し、水生園を軽く歩いて、神代植物公園を離れ、我が家に戻りました。3時には、我が家に着きました。幸いなことに、雨に降られることはありませんでした。午前中書かなかった日記を書いたりしていると、6時を過ぎましたので、野菜炒め、ホタルイカ、おろしじゃこ、メカブを肴に、日本酒で晩酌にしました。見るテレビ番組が無かったので、録画してあった寅さんを見ながらの晩酌になりました。

「芽吹き時 白鮮やかな 利休梅 茶の湯の席も 春の訪れ」
「タンポポさん いやいや君は ジシバリさん 似た者同士 着物が違う」
「棘多き 枸橘の木に 白き花 動物嫌いも 蜂は呼ぶなり」
「岩陰に 細き葉をした 菫かな 最近見かけぬ 古来の菫」
「萌黄色 団扇の下に 赤き花 幾つも下げる 羽団扇楓」
「高尾では 芽吹きの頃の 山ツツジ 多摩の里では 花開かせる」
「高尾にて やっと覚えた 君の名を そっと呟く 紅葉苺さん」
「我と共 染井吉野も 年老いて 次の時代は 神代曙」
「下町の 綺麗な花は 菊桃さん 植物園で 教えられけり」
「くねくねと 曲がった枝に 花房の 明日には咲かん 藤棚の藤」
「細き枝 上に居並ぶ 緑針 落羽松の 芽吹きなるかな」

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2019年4月14日 (日)

2019年04月13日

2019年04月13日

 昨日とは、打って変わって良い天気になりました。しかし、1昨日より、霞は強くなっていました。
 昨日の日記で、ミートソースのことを、トマトソースと書いて仕舞いました。似たような物ではありますが、矢張り間違いです。今日山歩きをしている最中に、何故かふと、この事に気づきました。最近よくあることなのです。肝心な時に名前を思い出せなくて、何の関係もない時に、突然思い出したりするのです。脳の記憶回路が、機能不全になっているからだと思います。色んな事を考えるのも、その基礎となる事実関係のデータの多くを忘れてしまったり、思い出せなくなったりしていますので、論理が組み立てられなくなってきています。これは、思考回路が機能不全を起こしているのでしょう。この傾向は、老化によるものですから、回復することはなく、悪化するばかりです。老いの初心で、最後の本を書こうなどと大それた決心をしましたが、実現させるには、相当の苦労を覚悟しなければならないようです。
 今日は、少し霞はあるものの良く晴れていましたので、高尾山に登りました。つい最近も来たのですが、この時期は、少し間を開けるだけでも、様相がガラリと変わってしまいます。全ての木々の芽吹きが始まり、特に、山ツツジと紅葉の新芽が綺麗でした。早めに芽吹きが終わった木々は、萌黄色に輝いていました。頂上に登ると、雲に隠れないで待っていてくれました。丹沢も、全山を一望できました。まだ雪が残っていました。
 高尾山や多摩地方の尾根の新緑、富士山、青霞む奥多摩の峰々は良かったのですが、頂上の人数の多さには驚きました。足の踏み場もないと言ったら大袈裟になりますが、それに近い状態だったのです。その中の一部に紛れ込んで、富士を見ながら昼食にしました。
 今日は、下山を稲荷山コースにしてみました。もう何年も歩いていません。距離は長いし、最後に金比羅山のような階段があるので、嫌いなコースだったのです。今日も選んで失敗しました。一番丹沢に近い尾根筋の道なのですが、丹沢を見晴らせる所が何処にもないのです。ひたすら黙々と歩いて、ケーブルカーの清滝駅に着きました。稲荷山コースでは、殆ど写真を撮りませんでしたので、枇杷滝口の方まで、ふらりふらりと歩いて、写真を撮っていると、琵琶滝の方から下りて来た老人が、「芽吹いている木の下に赤い実があるんだよ、写真に撮ってみたら」話しかけてきました。
 どうやら、この老人は、話の出来る一人歩きの老人を探していたのではないかと、後で思いました。写真を取り終わったら、私に近づいてきて、「あの赤い実、何だろうねー」というので、「多分、青木の去年の実だと思いますけどー」と答えると、急に勢い良く話し出し、25歳まで一人で剱岳に登っていたこと、珍しい高山植物を見たこと、剱岳までの道の恐ろしかったこと、山小屋で同じように一人歩きの山人を見つけ何度か一緒に歩いたこと、25から50までは仕事に専念したこと、50から60までまた剱岳に登ったこと、その後は易しい山に何時も一人で登っていること、天皇陛下の退位のこと、美智子妃のすばらしさ、今後の天皇家のあり方と過去の天皇のこと、安倍政権の厚かましさ、野党のだらしなさ、官僚が地に落ちたこと、共産主義の行方、IT時代の将来等々、話すは話すは、1時間近く立ち話をしたと思います。どうせなら、何処かの茶屋によって、酒を飲みながら話をすれば良かったと思います。ちょっとタイミングを失してしまいました。彼は、私より4年先輩で、昭和15年生まれだそうです。結局、彼は、高尾の南尾根の四辻の所まで、どうしても行きたいとのことだったので、駅の近くで別れました。気取らない、とても善い人でした。
 6時近くに、家に帰り、昨日のミートソースでピザを作り、チョリソーを焼き、トマトサラダを作って、スケートの国別対抗戦を見ながら、晩酌にしました。最終演技者の紀平利香は、フリーが得意なので、誰もが期待したのですが、2回もジャンプを失敗しました。日本は、辛うじて2位に留まりました。何より素晴らしいと思ったのは、フランスのペアの演技でした。日本人が、このレベルまで行くのには、かなり長い年月が掛かるでしょう。

「新緑の 林の中に 輝ける 三つ葉ツツジの 紫の島」
「岩陰に ひっそりと咲く 山瑠璃草 高尾の山に 君が居るとは」
「道脇に 少し卑猥な 木に根かな 見ている我が 卑猥なのかな」
「木漏れ日が 山ツツジの葉 突き抜けて 森に輝く イルミネーション」
「山桜 小径に花片 散らしつつ 山行く人に 春を届ける」
「夕日差し 紅葉の若葉 萌黄色 汚れを知らぬ 赤子の掌」
「蔓巻いて 自然が付ける 丸印 良く咲きました 二輪草さん」
「手を伸ばし 光求める 新芽達 願い叶いて 光届けり」
「春の日に 山を歩けば 出会いあり 旧知のように 半時話す」

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2019年4月13日 (土)

2019年04月12日

2019年04月12日

 1日置きに天気が変わるような気がします。昨日、あれほど良い天気だったのに、今日は、青空が見えません。当然富士も見えませんでした。
 私も、年を取りました。自分の身体の、各機能の衰えから判断すると、私の人生も長くて後10年、普通ならば、あと5年が良い所でしょう。人生の終りが見えてきました。青春の頃、周囲に年寄りがいても、自分の人生の終りを意識したことは、一瞬たりともありませんでした。それが、目の前の現実となりました。若い時には、人生とは何か等を含め、様々な未知の世界に、強い興味があり、沢山の本を読みました。最近は、目が悪くなって本も読めませんし、興味そのものがなくなりました。自分の部屋に、昔読んだ本が、山ほど置いてありますが、中味は、殆ど忘れてしまいました。今は、自分自身で思い出を反芻しながら生きています。生涯現役と言いながら、老いの人生を生きることが出来る人は、幸せな人だと思います。
 では私が不幸かというと言うと、そうでもありません。若い時は、他人に負けたくないとか、世の中に認められたいとか、私の生き方はこうだとか、色んな事の達成具合に、一喜一憂し、悩みもしましたが、年を取ると、こういう事にも無関心になりました。現在の社会の一員であることすら、忘れてしまいそうです。実は、他の人はどうか知りませんが、私に取って、この無関心さは、老いの人生を生きる術ではないかと思っています。悩みそのものが、無くなってきました。出来る事も限られてきましたので、やることを絞って、残りの人生を、楽しみたいと思えるようになりました。

 今日は、余り天気が良くなかったので、散髪に行き、買い物をした時だけ、外へ出ました。午後は、本当に久し振りに、トマトソースを作りました。昔から、トマトソースを作る時は、大量に作りましたので、今でもこの癖が抜けません。今日も大量に作りました。
 先ず、タマネギとニンニク、香味野菜の微塵切りをします。量は適当ですが、どれも多めにしています。タマネギは、大玉を10個ほど、ニンニクは粒に分けてない大きめの根を3個くらい、香味野菜は、パセリとかセロリとか好きな物で良いのですが、最近、私はセロリを使っています。大きめの葉の付いたセロリを1本使いました。これらを、バターでじっくりと炒めます。タマネギが透き通ってきたら、少なめの挽肉(牛豚の合い挽き)を加え、更に炒めます。挽肉の色がなくなった所で、ホールトマトの缶詰3缶を加え、スライスマッシュルルーム3缶、月桂樹の葉を10枚くらい加えて煮込みます。途中で、トマトジュースを加えながら、3時間ほど煮込んで、コンソメの素で味付けをしたら完成です。
ほぼ失敗無く作ることが出来ます。私一人で食べると1年分くらいありますので、キュービック冷凍皿で、急速冷凍し、保存ラップに入れて冷凍庫に保存します。冷凍が済んだ物を、半分以上、孫達にお裾分けするのが、通例になっています。孫達が、ジージのトマトソースは美味しいと言ってくれます。
 今日は、午後中トマトソース作りに専念し、スパゲティーと蛸と貝柱のアヒージョを作り、巨人―ヤクルト戦を見ながら、早めの晩酌にしました。

「全身が 機能不全に 陥りし 老いの人生 易しく生きよう」

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2019年4月12日 (金)

2019年04月11日

2019年04月11日

 昨日の雨が、大気を綺麗に洗浄してくれたようです。今朝、カーテンを開けると、真っ白に輝く富士が、目に飛び込んできました。真冬でも見られないような、キリリと存在感のある富士でした。丹沢山も、今年一番の雪山になっていました。
 朝一番に、妻から電話がありました。来週、外国から一時帰国する、友人夫妻との食事会について、色々と相談しました。妻から、3つほど日本食の店を例示して貰い、私がネットで店の様子を調べたのですが、どれも遜色のない良い店のようでした。予約は、私に任されることになりました。
 外が余りにも綺麗なので、早く外に出たいという気持が強く、午前中の仕事を出来るだけ早く終わらせ、午前11時には、家の前の土手に出て、散歩を始めました。通常11時というと、朝、どんなに晴れていても、富士山には雲が湧く時間なのですが、今日は輝きを失っていませんでした。土手から、丹沢、富士、甲斐の山、奥多摩の峰、秩父の山々が、全部雪を被っているのが見えました。天気は良いのですが、これらの雪山から、吹き下ろしの強い風が吹き、かなりの寒さを感じました。
 綺麗な富士を見ると、高幡不動に向かって歩きたくなります。ずっと富士を見ながら、富士に接近する感じで歩くことが出来るからです。電線の邪魔者が多いのですが、石田大橋からは、富士と丹沢、奥多摩の光景が、目の前に開けるのです。今日も、素晴らしい光景を見せて貰いました。
 高幡不動では、楓の新緑と桜と五重の塔が、良い雰囲気を作り出していました。写真を撮りながら、鎮守の森の上に上がると、我が家とその線上に、新宿の摩天楼街、更にスカイツリーが見える場所がありました。午後1時を過ぎていましたので、今日の昼食は、地上を遠望しながら食べました。この丘そのものが、高幡城趾なので、私も大名気分を味わいました。
 帰りは、四国八十八箇所お遍路のミニバンを、30番くらいから逆に降りて、五重の塔へ出ました。このミニお遍路には、寺の代わりに坊主の像が置かれています。一つ一つ表情が違い、とても良い顔をしているのですが、誰の仕業なのか、全部の像が、赤い毛糸の帽子を被り、赤やピンクの涎掛けをしているのです。これでは、写真を撮る気もしなくなります。今日は、お遍路に誰もいなかったので、日が当たっている像だけ、涎掛けを取り、帽子を脱がせて、写真を撮りました。良い顔の写真が撮れました。それにして、どの寺に行っても、仏像までが、同じような格好をしています。信徒の信心の証のようなものなのでしょうが、好い加減止めて欲しいと思います。お別れに、もう一度、5重の塔を仰ぐと、塔の上に鱗雲が広がり、東の方に放射状の雲が伸びていました。感動的な空でした。私の横で、タイから来たと思われる僧侶が、しきりと空の写真を撮っていました。
 高幡不動から、高尾に出て、森林科学園に行きました。桜の原木を保存しているので、多くの種類の桜を見る事が出来ます。これまで、4度ほど桜の時期に来たことがあります。今日は、半分の桜は、時期を過ぎていましたが、残り半分は満開でした。桜も楽しみましたが、多くの草木の芽吹きも楽しみました。帰りに、科学園の人に、この前、下町散歩の時に、神社で見た万作の花に似た、赤い花の桜があるか聞いてみましたが、写真でも見なければ判断が付かないと言われてしまいました。自分で調べることにしましょう。
 森林科学圓に来ると、多摩御陵と陵南公園に行くのがセットになっています。しかし、3時半を過ぎていたので、多摩御陵には入れませんでした。陵南公園は、今が桜の見頃でした。南浅川両岸の桜並木は、見応えがありました。桜を楽しみながら、高尾駅へ戻りました。
 実は、私が持っているJRのビユーカードのポイントが、13000ポイントを超え、ビューカードにチャージすることが出来るらしいので、パソコンで試してみたのですが、上手く行きませんでした。そこで、高尾駅で、駅員になんとかならないか聞いた所、駅の前のJR・ATMで簡単にチャージが出来ると、やり方を教えてくれました。簡単そうでしたが、自分一人では上手く行かず、結局、女性駅員が手伝ってくれて、問題なくチャージが出来ました。1万3千円のキャッシュバックを受けたと同じになりました。
 5時半頃に家に戻り、朝、妻から頼まれた日本食レストランの予約をパソコンでしたら、なかなか返事が返ってこないので、結局、電話で予約しました。もう一つ、私の白内障の検査の予約も出来ました。今日は、懸案が3つ1度に解決しました。美味しい晩酌になりました。

「我が部屋の 埃払った 置物の 光るが如き 富士の白嶺よ」
「武蔵野を 囲む山々 雪景色 野にも山にも 桜の色かな」
「春の色 五重の塔に 色添える 仏も外を 覗き見ている」
「新緑に 燃える林の 奥からも はっきり見える 金の相輪」
「五重の塔 仰ぎて見れば 鱗雲 雲の筵で たれか花見を」
「相輪を 出でたるような 放射雲 東の空へ 希望を運ぶ」
「天空に 仏の心 見るように タイの僧侶も 空をパチリと」
「咲き誇る 菫の中の まむし草 桜の木の下 ここにも春が」
「丘の道 蕨ぜんまい 破れ傘 眠りを終えて 目覚めの春来る」

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2019年4月11日 (木)

2019年04月10日

2019年04月10日

 朝起きた時は、既に雨が降っていました。この雨が1日中降り続けました。なんと、朝方、6度くらいあった気温が、正午には3度に下がってしまいました。4月の桜の時期に、真冬に戻ってしまいました。東京でも、奥多摩や青梅が雪になりました。その他に、関東の至る所で雪となり、夕方のニュースは、雪の事ばかりになりました。昨日とは、何という変わり様でしょうか、自然のもたらす変化に唯々驚きました。
 今日は、天皇皇后両陛下の結婚記念日でした。もう60年経つのですねー。その頃、我が家でも漸くテレビを見る事が出来るようになり、家族で、ご成婚のニュースを見たのを思い出しました。あの頃、中学生だった私が、今年の10月で、75歳の後期高齢者になり、人生を終えるのも間近となりました。私より、10歳以上年上の天皇陛下が、お歳を召されるのは当然です。退位を決心されたのは、本当に良いことだと思っています。そして、この決心の背後には、美智子妃の存在が大きかったと思います。私個人としては、現実の人間を神の如く扱うのは好きではありませんが、美智子様を見ていると、観音様やマリヤ様のように見えてしまいます。申し訳ありませんが、天皇陛下は、神にも仏にも見えず、普通の爺さんに見えました。平成の時代は、勿論、天皇陛下を抜きにして語ることは出来ませんが、美智子様を抜きにして語ることも出来ないと思います。日本国民の多くが、私と同じように思っているのではないかと思います。そう言えば、何の関係も有りませんが、私の前妻の誕生日が、4月10日でした。
 今日は、1歩も外に出ずに過ごしました。ベランダの窓から、何度も外の景色を眺めました。子供の頃、雨が降って友達と遊ぶことが出来なかった日は、窓から目の前の山を見たり、雨だれを数えたりしていたことを思い出しました。私が、小学校の低学年の頃は、我が家の屋根には、雨樋もなかったのです。勿論、テレビもありませんでした。そんな訳で、雨の日は、絵を描いたり、カード(メンコのこと)やビー玉を数えたりして過ごしました。
 今日の私は、子供時代と同じように、日記を書いたり、本棚の整理をしたり、最近撮った写真から、気に入った物を選んでフェイスブックに登校するなどして過ごしました。写真は、1日平均100枚は取りますので、1月の写真を見るだけでも結構大変でした。しかし、デジタル写真がない頃だったら、1日100枚の写真を撮ったら、フィルム代、現像代、プリント代と大散財で、とてもではありませんが、こんな風に写真は撮れなかったと思います。明治から今日のかけての科学技術の進展による人間社会の変化は、凄まじい物があると思います。特に、最近のIT(情報技術)関連技術の発展には、目を見張る物があります。
 しかし、人間の生活の基本が、生殖と衣食住であることには変わりはありません。ITは、この基本に関わる様々な活動を補助するに過ぎません。それを忘れないようにしないと、ITによって人間社会が、破滅に追い込まれるかも知れません。これは ITが行うのではなく、人間がITを利用して行うものです。ITにより電子頭脳の発展が、人間を越えると騒がれていますが、これも人間が作った学習機能というプログラムの問題です。人間1個人の能力を超えることは容易でも、総体としての人間を越えることは出来ないはずです。それを可能にするのは、人間自身が各々の知恵を結集して良い方向に使わず、仲間割れして、人間同士が戦争をした時です。人間は、進化の頂点にいるわけですから、人間を含めた生物の今後を決めることが出来るのは、人間でしかありません。そのことを肝に命じるべきです。
 長い1日でしたが、夜は、長崎の弟がくれたイカ刺しの瓶詰め、娘がくれた子持ちこんにゃく、長崎のじゃこ天鰺天、鰺の干物と珍味を肴に、日本酒で晩酌を楽しみました。

「雨の日は 雨の日なりの 楽しみが 何でも楽しむ 老いの人生」

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2019年4月10日 (水)

2019年04月09日

2019年04月09日

 富士が、くっきり見える素晴らしい朝でした。昨日降った雨が、大気の汚れを洗い流したのでしょうか、昨日までの霞もなくなりました。今日は、1日中富士が見えていました。富士は真っ白なのに、丹沢の雪は見えませんでした。
 今日は、夜7時半から、大学のクラブの後輩と飲むことになっていました。新宿で待ち合わせなので、6時過ぎに家を出ても充分間に合います。そこで、立川根川公園の青鷺の巣の様子を見に行ってきました。
 正午頃に、家を出て、土手を上流に向かって歩き、富士が良く見える所で、昼食にしました。富士は、かなり裾野の方まで雪が残っており、冠雪が消えるには、まだ時間が掛かりそうでした。前に富士、後ろに桜を背負い、春の日差しを受けながら、美味しい食事となりました。
 この前、青鷺の巣を見た帰り、モノレールから、青鷺の巣を上から見る事が出来たので、今日は、モノレールで、立川根川公園の近くの柴崎体育館駅に行きました。駅に着く直前に、青鷺の巣のある木の横を通りました。各々の巣で、卵を温めている青鷺が見えました。そろそろ雛が孵って、青鷺の子供が見られるのでは無いかと期待したのですが、残念ながら、それはまだでした。駅に着いて、駅のホームから写真を撮ろうと思ったのですが、巣からは離れてしまい、横から巣を見る形となって、卵を温めている青鷺が見えたのは、一つの巣だけでした。巣がある木の芽吹きも始まっており、次に来る時は、巣を見る事さえ出来なくなっているでしょう。しかし、今年は、野生の青鷺が、命の鎖を繋いでいる様子を垣間見ただけでも、満足でした。
 立川根川公園の桜は、盛りを過ぎようとしていましたが、強い日差しのせいで、桜並木が最後の輝きを見せ、時折吹く風が花吹雪を舞わせ、小径は桜の花片が敷き詰められました。小径の脇のせせらぎにも、水面を埋めるように花片が落ちていました。その花片が、太陽の光の加減で、宝石の飾りのように、光っていました。水辺のコセンダングサ(小栴檀草)の、あの嫌なくっつき虫の実に、花片が捕らえられていました。
根川公園から、崖上の普済寺の桜、残堀川の滝口から多摩川との合流点まで、桜並木を全部歩きました。今日が、今年で一番良い花見になったように思いました。余りにも沢山写真を撮り過ぎて、カメラの電池が、無くなって仕舞いました。
我が家まで歩いて帰り、4時過ぎに我が家に着きました。写真の整理をしたり、シャワーを浴びたりしている内に出かける時間になりました。新宿には、約束の時間の10分前に着きました。しかし、後輩は、会社で問題が発生したらしく、最終的に、1時間ほど遅れて、到着しました。現役で仕事をしている人には、色んな事が起きます。仕方が無いでしょう。
 結局、9時近くから飲み始めることになりました。後輩は、昨年就職し、現在2年目に入りました。どうも、仕事の内容が、自分が目指す物と違うようでした。話を聞くと、現在の会社務めは、若者が持つ、向上心や社会貢献、使命感を満足させてくれないようです。それが、務めている職場だけの問題か、全般的な問題か分りませんが、このような問題に対しては、私のような古い人間が適切な助言は出来ません。結局、私が若い時代に考えていたことを、話すくらいしか出来ませんでした。でも、私の話を彼なりに理解し、その後は、学生時代の思い出話に花が咲き、あっという間に、2時間が過ぎて、11時になって仕舞いました。遅くなると、だんだん帰りが難しくなるので、お開きにしました。今日の店は、摘まみが、とても美味しい所でした。
11時半頃の電車で、聖蹟桜が丘に向かいましたが、気がついたら4つ先の平山城址公園でした。12時を過ぎており、高幡不動から新宿方面への電車は終わっていました。取り敢えず高幡不動に戻り、そこからタクシーで我が家に戻りました。午前1時近くになっていました。なんと、次男が先に帰っていました。しばし、次男と飲みながら話して、寝たのは、2時頃でした。12時過ぎて帰ったのは、実に久し振りでした。

「木の上の 風に揺れてる 巣の中に 卵抱いてる 青鷺の見ゆ」
「春の日に 白く輝く 桜かな 空にもっこり 綿菓子並木」
「花吹雪 我が頬撫でて 舞い落ちて 小径に続く 花片絨毯」
「風に舞う 桜の花片 身に纏い 私綺麗と 小栴檀草」
「せせらぎに 落ちて寄り添う 花片の 縁が煌めく 宝石流し」
「人生は 己の力で 作るもの 叩けよさらば 扉開かん」

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2019年04月09日

2019年04月09日

 富士が、くっきり見える素晴らしい朝でした。昨日降った雨が、大気の汚れを洗い流したのでしょうか、昨日までの霞もなくなりました。今日は、1日中富士が見えていました。富士は真っ白なのに、丹沢の雪は見えませんでした。
 今日は、夜7時半から、大学のクラブの後輩と飲むことになっていました。新宿で待ち合わせなので、6時過ぎに家を出ても充分間に合います。そこで、立川根川公園の青鷺の巣の様子を見に行ってきました。
 正午頃に、家を出て、土手を上流に向かって歩き、富士が良く見える所で、昼食にしました。富士は、かなり裾野の方まで雪が残っており、冠雪が消えるには、まだ時間が掛かりそうでした。前に富士、後ろに桜を背負い、春の日差しを受けながら、美味しい食事となりました。
 この前、青鷺の巣を見た帰り、モノレールから、青鷺の巣を上から見る事が出来たので、今日は、モノレールで、立川根川公園の近くの柴崎体育館駅に行きました。駅に着く直前に、青鷺の巣のある木の横を通りました。各々の巣で、卵を温めている青鷺が見えました。そろそろ雛が孵って、青鷺の子供が見られるのでは無いかと期待したのですが、残念ながら、それはまだでした。駅に着いて、駅のホームから写真を撮ろうと思ったのですが、巣からは離れてしまい、横から巣を見る形となって、卵を温めている青鷺が見えたのは、一つの巣だけでした。巣がある木の芽吹きも始まっており、次に来る時は、巣を見る事さえ出来なくなっているでしょう。しかし、今年は、野生の青鷺が、命の鎖を繋いでいる様子を垣間見ただけでも、満足でした。
 立川根川公園の桜は、盛りを過ぎようとしていましたが、強い日差しのせいで、桜並木が最後の輝きを見せ、時折吹く風が花吹雪を舞わせ、小径は桜の花片が敷き詰められました。小径の脇のせせらぎにも、水面を埋めるように花片が落ちていました。その花片が、太陽の光の加減で、宝石の飾りのように、光っていました。水辺のコセンダングサ(小栴檀草)の、あの嫌なくっつき虫の実に、花片が捕らえられていました。
根川公園から、崖上の普済寺の桜、残堀川の滝口から多摩川との合流点まで、桜並木を全部歩きました。今日が、今年で一番良い花見になったように思いました。余りにも沢山写真を撮り過ぎて、カメラの電池が、無くなって仕舞いました。
我が家まで歩いて帰り、4時過ぎに我が家に着きました。写真の整理をしたり、シャワーを浴びたりしている内に出かける時間になりました。新宿には、約束の時間の10分前に着きました。しかし、後輩は、会社で問題が発生したらしく、最終的に、1時間ほど遅れて、到着しました。現役で仕事をしている人には、色んな事が起きます。仕方が無いでしょう。
 結局、9時近くから飲み始めることになりました。後輩は、昨年就職し、現在2年目に入りました。どうも、仕事の内容が、自分が目指す物と違うようでした。話を聞くと、現在の会社務めは、若者が持つ、向上心や社会貢献、使命感を満足させてくれないようです。それが、務めている職場だけの問題か、全般的な問題か分りませんが、このような問題に対しては、私のような古い人間が適切な助言は出来ません。結局、私が若い時代に考えていたことを、話すくらいしか出来ませんでした。でも、私の話を彼なりに理解し、その後は、学生時代の思い出話に花が咲き、あっという間に、2時間が過ぎて、11時になって仕舞いました。遅くなると、だんだん帰りが難しくなるので、お開きにしました。今日の店は、摘まみが、とても美味しい所でした。
11時半頃の電車で、聖蹟桜が丘に向かいましたが、気がついたら4つ先の平山城址公園でした。12時を過ぎており、高幡不動から新宿方面への電車は終わっていました。取り敢えず高幡不動に戻り、そこからタクシーで我が家に戻りました。午前1時近くになっていました。なんと、次男が先に帰っていました。しばし、次男と飲みながら話して、寝たのは、2時頃でした。12時過ぎて帰ったのは、実に久し振りでした。

「木の上の 風に揺れてる 枝の上 卵抱いてる 青鷺の見ゆ」
「春の日に 白く輝く 桜かな 空にもっこり 綿菓子並木」
「花吹雪 我が頬撫でて 舞い落ちて 小径に続く 花片絨毯」
「風に舞う 桜の花片 身に纏い 私綺麗と 小栴檀草」
「せせらぎに 落ちて寄り添う 花片の 縁が煌めく 宝石流し」
「人生は 己の力で 作るもの 叩けよさらば 扉開かん」

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2019年4月 9日 (火)

2019年04月08日

2019年04月08日

 今朝、カーテンを引くと雨が降っていました。天気予報では、午後一時的に、晴れ間が出るが、夕方には雨になると言っていました。
 今日は、10時から、市川の学園の入学式だったので、7時45分には、我が家を出ました。国立で、7時半くらいの電車に乗れば、9時半頃には、市川に着くと思っていました。土曜日の理事会に出る時は、その計算で間違いはありませんでした。所が、通常20分程度で国立に着くバスが、40分掛かりました。月曜日で、通勤客が多いことと、雨が降っていたため、バスを利用する人が増えたようでした。更に、中央線が25分遅れ、市川に着いたのは、10時15分でした。そこから、タクシーで学園に行き、結局入学式の会場に入ったのは、10時半でした。本来、来賓だったのですが、父兄席の一番後ろで、入学式に参加しました。それでも、式次第の3番目、校長先生の話の途中から参加できました。入学式そのものは、特に変わったことはなく、多分、一般的な入学式だったと思います。そのことを確認しておくのも、私の仕事だと思っています。
 入学式は、11時半に終り、来賓の学園の理事に市川駅まで送って貰いました。ものの10分足らずで、市川駅に着きました。そのまま、家に帰りたくはないので、皇居1周をして、千鳥ヶ淵の桜見物をする事にしました。天皇と皇后が、お忍びで皇居の外に出て、花見をしたとのニュースを思い出したのです。12時過ぎには、東京駅に着きました。
 東京駅の丸の内中央口から、一直線に皇居外苑に出て、桔梗門に行ってみました。以前、皇居内の花見で、乾門まで一直線に行ったことがあります。若しかしたら今日も開放されているかも知れないと思ったのですが、残念ながら開放されていませんでした。何時も開放されている大手門も、月曜と金曜は閉まっているそうです。仕方なくマラソンランナーと同じ道を歩きました。
 お濠には、バンが何羽も泳いでいました。留め鳥になったのでしょうか。留め鳥になった、カイツブリと白鳥は、ちゃんと顔を出してくれました。自然を残す皇居の緑と、周囲のビルの金属の輝きのアンバランスが、何時も面白いと思って見てしまいます。歴史の変化が目の前にあるのです。桜の盛りは過ぎていましたが、まだ鑑賞に堪えうる桜が、数多く残っていました。千鳥ヶ淵は、桜の木の下の土手に、白や黄色の菜の花、花韮が一面に咲き、春爛漫でした。百合の木並木の芽吹きも、とても綺麗でした。
 半蔵門から、桜田門に出ました。この辺りは、ツクシガ1杯出るのですが、早くも杉菜に変わっていました。二重橋は、ちょっと見ただけでしたが、ほぼ皇居1周できました。皇居1周をしていた人の半分以上が、外国人でした。確かに、見応えがあると思います。日本人の私でさえ、何度来ても失望することがありません。
 桜田門の交差点で見た、法務省の赤煉瓦庁舎の桜が、魅力的だったので、官庁街を一廻りしました。外務省の桜や農水省の前の公孫樹、通り全体の栃の木並木を久し振りに見ました。年を取ると、何もかもが過去の思い出となり、懐かしさが込み上げました。有難い事に、散歩の時間だけ、青空と日差しがありました。昔通っていた地下鉄で新宿に出て、我が家に戻りました。我が家に着いた4時頃は、ポツリポツリと雨が落ちてきました。

「餌おくれ 可愛い声で 擦り寄りぬ お濠の主の 白鳥目配せ」
「故郷へ 帰るか残るか 思案中 鷭等にとって お濠は天国」
「カイツブリ 去年出会った 君なりや 今はお濠が 君の住まいか」
「我が背越す 柳並木が 草のよう 背後に聳える 巨大ビル街」
「灰色の 四角いビルに 囲まれて 皇居の森の 芽吹きの優しさ」
「黒瓦 壁に白塀 江戸の城 枝垂れ桜が 似合いなりけり」
「桜木の 下を埋めたる 菜の花の 金の輝き 桜戸惑う」
「菜の花と 桜の花が 競い合い 都会の春を 豪華に演出」
「聳え立つ 百合の木並木 芽吹き時 緑の新芽を 光が抜ける」  

 

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2019年4月 8日 (月)

2019年04月07日

2019年04月07日

 今日も良く晴れていましたが、霞の強い日でした。日中は、半袖でも良いような、暖かい春の日でした。
 今日は、府中と聖蹟桜が丘の桜祭りでした。府中は、昨日見たので、今日は聖蹟桜が丘の桜祭りに行って来ました。
 今日は、午前11時、早めに家を出ました。昨日の府中の桜祭りは、4時までで、桜は見ても祭りは見る事が出来ませんでした。そんな訳で、早めに家を出たのです。先ず、コンビニで弁当と野菜ジュースを買い、多摩川の左岸の土手を、中河原に向かって歩きました。この土手に沿った桜並木は、昨日、満開を迎えたばかりです。この近辺の染井吉野としては、一番遅いような気がします。風の道になっていますので、気温が幾分低いのだろうと思います。
 京王線の鉄橋を越えた、キューピーマヨネーズの工場の横の公園で、昼食にしました。桜を見ながら昼食を食べるのは、この春、何度目でしょうか、目も腹も満足です。
 昼食を済ませ、関戸橋を渡り、大栗川と多摩川の合流点に行きました。この場所には、何時もチョウゲンボウを狙うカメラマンが、常に数人いるのですが、今日は、女性のカメラマンが多く、20人近くいました。女性達は、河原の木に止まっている百舌にカメラを向けていました。私もカメラを向けましたが、この百舌は、サービス精神が旺盛で、暫く木の止まっていると、次には少しだけ空を舞い、また木に戻ってきました。お陰で、飛んでいる写真も撮ることが出来ましたし、戻ってきて木に止まる時、違ったポーズも捕れました。
 大栗川の崖の上は、桜が丘カントリークラブで、丘の上に、桜が並んでいました。正しく桜が丘でした。大栗川から、右側の用水路の方に下りると、多摩第1小学校があります。集まっていた5,6人の子供達が、「こんにちは」と大きな声で挨拶してきました。吃驚しましたが、「こんにちは、ここは、君達の学校だろう、桜が綺麗だね」と言うと「ありがとうございます」と、とても嬉しそうでした。グランドの4分の3は、桜の壁のようになっていて、今満開で、本当に綺麗だったのです。
 そこから、バス通りに出て、バスで桜が丘公園に行きました。公園は、芽吹きと桜の真っ盛りでした。ついこの前、白花犬フグリを見た時は、冬木立だった森が、淡い緑になっていました。その中に、薄桃色の桜が入り交じり、命の華やぎを見せて貰いました。
 桜が丘公園から、以前、麻雀ボランティアをしていた、「そよ風」というケアセンターの脇を歩き、広西寺に参拝して、一旦丘を下り、鎌倉街道を越えて、もう一つの丘に登りました。この丘が、本当の桜が丘で、桜の名所です。丘の上から、聖蹟桜が丘のまで「いろは坂」になっていて、色々な角度で、桜を楽しむことが出来ました。明治天皇も楽しまれたようです。
 坂を下りたら、大栗川に戻り、霞ヶ関橋を渡ると、駅は直ぐ目の前です。取り敢えず、大栗川の脇の瑠璃光会館で、市民によるフラメンコを見ました。フラメンコは、スペインで見ても、日本で見ても、リズムさえ取れれば、「ああフラメンコだー」と思います。懐かしさが込み上げてきました。桜祭りの最後には、間に合ったようです。
 フラメンコが終わったので、駅の方に行くと、川崎街道の交差点にある桜広場で、TSJO(多摩スウィングジャズオーケストラ)による、ジャズの演奏会が行われていました。これも市民のバンドでした。アンコールも入れて、5曲演奏し、時刻も4時半となって、聖蹟桜が丘の桜祭りも終わりました。

「木々達の 芽吹きと桜 重なりて 命の息吹 老いを忘れる」
「多摩河原 ただ1本の 桜の木 枯れ葦残る 河原に華やぎ」
「崖覆い 紫絨毯 日向干し なにかと思えば 諸葛菜の花」
「取り壊し 間近に迫る アパートの 庭にひっそり 滑り台かな」
「人住まぬ 荒れ放題の アパートに 何時ものように 桜満開」
「幼き日 花見するなら 校庭へ 誰もが思った 桜の学び舎」
「春の日の 桜が丘の いろは坂 一つ曲がれば 違った桜」
「天皇も 愛でたが故に 聖蹟と 名前が付いた 桜が丘かな」
「芽吹き終え 新芽色づく 辛夷の木 僅か一輪 花の残れり」

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2019年4月 7日 (日)

2019年04月06日

2019年04月06日

 今日は、良い天気でしたが、富士はおろか、奥多摩ですら見えない程の霞でした。テレビに拠れば、春霞の他に黄砂の影響もあるようです。
 午前中、昨日の下町散歩の日記を書いたのですが、好い加減なことを書けないので、ネットで色々調べながら書いていると、書き終わったのが、午後1時過ぎになりました。それにしても、今の時代は、知識を手に入れるのが、本当に簡単になりました。昭和の頃であったら、一地方の寺や神社のことなど、図書館に行っても調べることが出来なかったでしょう。今は、パソコン一つで、何でも調べられます。現代では、単なる知識は、価値を持たなくなってしまったと思いました。人間はこれから、どの様な価値を求めて生きて行けば良いのでしょうか、若い人の未来は、かなり多くの試練が待っているようです。
 午後2時から、府中市の桜祭りの見学を兼ねて、府中の森公園に行きました。ここも桜の名所なのです。府中市全体が、桜の名所のようなものです。満開の桜を見ながら、公園の中心の桜並木を歩き、府中市美術館に着きました。実は、この美術館で開催されている「へそまがり日本美術」展を見るのが、もう一つの目的でした。2月に東京都美術館で、「奇想の系譜展」を見て、江戸時代の日本画家が描いた、ユニークな絵がとても面白いと思いました。
 今日の「へそまがり日本美術」は、残念ながら、出展された絵も作者も、「奇想の系譜展」の較べるとレベルが低いように思われました。ただ、徳川家光、徳川家綱と言ったお殿様の絵を、「ヘタウマ」として展示したのは、面白いアイデアでした。実を言うと、私はへそまがり的な絵は、あまり好きでは無いのですが、写実性の高い絵や、伝統に乗っ取った作品ばかりを、ずっと見ているのも気が滅入ります。世の中、色んなものがあった方が良いと思います。
 美術館からは、チューバスで、府中駅まで行こうと思ったのですが、今日明日、桜祭りの期間中は、運行停止でした。仕方なく、桜祭りの本部がある、府中公園まで歩きました。昔は、この近くに5年ほど住んでいて、この公園の桜を楽しんだものでした。この公園に着いたのは、4時半近くで、既に桜祭りは終了しており、本部も出店も店仕舞いの最中でした。仕方なく、桜通りに出ると、かなりの人だかりがあったので、近づくと酒屋でした。ビール、日本酒、ワインなどが、立ち飲みできるようになっていたのです。後ろ髪を引かれましたが、もうすぐ、我が家で飲めるので、諦めました。
 桜通りから、欅通りに出て、府中駅に出ました。駅の近くのドラッグストアで、歯磨き用のコンクールとメンソレータムを買い、浜喜屋魚店で、長崎の蒲鉾を買って、聖蹟桜が丘に戻り、そのまま我が家に帰りました。我が家の近くで、バスを降りると、太陽が異様な赤さで、西の空に浮いていました。午前中より、霞が強くなり、山という山が全部見えなくなっていました。普段目にする事が出来ない光景でしたので、多摩川の土手から、異様なほどに赤かった太陽が、次第に赤さを弱め、小さな紫の点となって、西の空に消え去るまで、15分ほど、太陽を見続けました。物事の終焉を象徴しているようでした。

「仰ぎ見る 桜並木の 花吹雪 仲良く花見 白チューリップ」
「新緑の 欅を包む 桜花 青空の下 春の競演」
「輝きを 霞の帳に 覆われて 異様に赤い 夕日が浮かぶ」
「色を変え 形を変えて 消える陽の ものの終りを 示すが如し」

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2019年4月 6日 (土)

2019年04月05日

2019年04月05日

 今日は、良く晴れ、富士がくっきりと見えました。今日は、山の仲間と下町散歩の日でした。山の仲間には、晴れ男と晴れ女が多いらしく、山の仲間が集まる日は、大抵良い天気になります。
 11時に、地下鉄日比谷線南千住の南口に、下町散歩のメンバー9人が集まりました。男性5人、女性4人の9人でした。女性の中の2人は、暫くぶりの参加でしたが、元気そうなので、安心しました。
 駅の直ぐ近くの、延命寺から下町散歩を始めました。この一帯は、江戸時代の小塚原刑場の跡地で、処刑された人達を弔うために作られた、小塚原回向院から、昭和になって分離独立した寺だそうです。延命寺なのに首切り地蔵が有名だったり、浄土宗なのに南無妙法蓮華経の大石碑があったり、良く分らないお寺でした。
隣の小塚原回向院は、橋本左内等、幕末の著名な志士達の墓が沢山ありました。幕府に捕まった志士達なのでしょう。その中に、鼠小僧やカール・ゴッチの墓もありました。鼠小僧の墓は、他の寺にも幾つかあるようです。カール・ゴッチは、私が中学か高校の頃に活躍したプロレスラーだと思います。とても懐かしい気がしました。アントニオ猪木が、この墓を建立したそうです。今日の仲間は、全員同世代なので、男性は全員、カール・ゴッチを憶えていました。寺の入口には、吉展地蔵尊がありました。私が大学に入った年だったと思いますが、台東区入谷で起きた誘拐殺人事件がありました。その殺された少年の名が、吉展だったので、吉展ちゃん事件として有名でした。幕末と自分達が生きてきた昭和の時代を振返るような、そんな寺でした。
 直ぐ近くに 素戔雄神社がありました。瑞光石に現れ、神託を告げた素戔雄命と事代主命の二神を祀っているそうです。神話時代の事に関しては、全く無知ですが、境内は立派で、人形展をやっていました。
 そろそろ、昼食の時間となり、今日の下町散歩の発案者であるOが、この地域の歴史を紹介する「歴史プチテラス」の責任者と交渉して、このテラスの庭で、昼食をする事を許可して貰いました。小さな庭でしたが、我々だけで庭を占有し、日溜まりの中で、楽しく食事が出来ました。
 食後、昔は「やっちゃ場」(千住野菜市場)から、旧日光街道を歩きました。昔は、2階建ての問屋が並んでいたそうですが、今はビル街になっていて、昔の面影は何もありませんでした。また、この地は、江戸から北へ向かう出口だったので、芭蕉の銅像が建っていました。
 日光街道を歩いている内に、北千住駅に着き、そこから電車で浅草に出ました。いよいよ隅田川の花見となりました。しかし、言問橋までの桜は、枝の多くが切られていて、無残な感じがして、花見の気分になれませんでした。昼頃から、風が強くなっていたのですが、言問橋の上では、隅田川を猛烈な風が吹き抜けて、春の嵐となりました。
 言問橋を渡った対岸の向島に、牛島神社がありました。牛島神社には、狛犬と狛牛があり、山輪鳥居もあるそうですが、私が撮った写真には写っていませんでした。もう一つ社殿があったのかも知れません。神社の辺りの桜は、切られることもなく、とても綺麗でした。意地悪と言うべきか、良き演出と言うべきか、春の嵐が、花吹雪を舞わせ、地面が花筵に変わっていました。花見をしている内に、Oの姿がが見えなくなりました。なんと、外国人ツアーに混じって移動していたのです。何の違和感もありませんでした。
 更に墨田区役所、隅田公園(水戸徳川家小梅邸跡)、朝日ビール本社、枕橋を歩いて、吾妻橋から浅草に戻りました。一応、下町散歩は終わったので、楽しみの宴会を何処でやろうか、悩みました。築地、アメ横等の案も出ましたが、目の前の神谷バーにする事にしました。昔から、電気ブランで有名な、浅草1丁目1番1号にあるバーです。私は、学生時代にたった1度だけ行ったことがあります。本当に久し振りでした。今日は、何度も若い頃を思い出させられました。
 超有名なので、混雑していましたが、2階のレストランに空きがありました。先ず、乾杯用のビールの中と小を頼みましたが、通常の飲み屋だったら、大と中並みの大きさでした。一番楽しい一時が始まりました。喉の癌で酒が飲めない人間がいるのに、酒は、どんどん進みました。ビールから有名な電気ブランに変わりました。アルコール度が30度と40度のものを頼みました。度数が高いので、最初は恐る恐るでしたが、甘くて飲み易かったので、スイスイと杯が進むようになり、すっかり酔ってしまいました。その後、仲間のNの知っている新橋酒場で、2次会をやったのですが、眠り込んでしまい、殆ど覚えていません。しかし、我が家には無事帰ることが出来ました。

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2019年4月 5日 (金)

2019年04月04日

2019年04月04日

 今朝も、素晴らしい天気で、富士が輝いていました。まだ、孫達が寝ていたので、カーテンを開けずに覗き見ました。
 昨晩遅かったので、朝9時になっても誰も起きて来ませんでした。10時少し前に、末の孫と孫娘が起きて来ました。末の孫は、起きると必ず、私の部屋に入ってきて「起きたよ」と挨拶に来るのです。それから、昨晩の食器類を片付け、ご飯を炊き、味噌汁とサラダを作り、鰺の干物を焼き、昨晩の残り物も出して、11時半頃から朝食にしました。シンプルな朝食ですが、皆喜んで食べてくれました。改めて、旅行の話などをしながら、賑やかな朝食となりました。
 朝食が済み、後片付けをして、溜まったリサイクルゴミを捨てに行こうとしたら、末の孫が一緒に行くと言い出しました。ゴミ置き場に行くと、末の孫は、分別された置き場を見て、一目で分別の仕方が分ったようです。持って行った袋から、ペットボトルや空き缶、空き瓶などを取り出し、手際よく分別してくれました。お陰で、何時もの半分の時間で終わることが出来ました。
 一段落したら、娘がフローリングやトイレの掃除道具を買いに行こうと言い出し、皆で近くのホームセンターに買いに出かけました。末の孫は、一番に走り出さないと気が済まない性分で、エレベーターの方に走り出し、孫娘がそれを追いました。所が、私と上の孫と娘は、近くの階段を下りました。この方がずっと近かったのです。エレベーターから、下りて来た末の孫が、自分の後を着いてこなかったことに怒り始めました。今日は叱らずに、肩車をしてご機嫌を取ると、今度は、滅茶苦茶甘えるようになり、ホームセンターでもずっと肩車や抱っこをせがんできました。暫くは抱っこしてやりましたが、重たくなったので床に下ろすと、駄々を捏ねて床に寝転がりました。そんな末の孫を放って置いて、皆で買い物を済まし、家に戻りました。帰りは、娘が、末の孫をおんぶして帰りました。我が家まで、5分と掛からないのです。
 2時近くから、大掃除となりました。娘が指揮を執り、孫達が協力しました。娘は、男所帯の汚さに、何れは掃除をしてやろうと思っていたようです。先ずは、居間と食堂の家具を移動し、埃取りから始めました。すっかりご機嫌を直した末の孫も、埃取り棒で、せっせと埃を取ってくれました。その後、一番大変な、洗剤による床の汚れ落とし、雑巾がけが始まりました。娘を上の孫が率先して手助けし、孫娘も後に続きました。しかし、この作業は、末の孫には無理があり、一人大人しく、皆の作業を見ていました。洗濯物を干し終わった段階で、私も加わり、娘と上の孫、私と孫娘の2チームに分かれて、作業をしました。廊下、台所、食堂、居間と作業が進み、午後3時半には、掃除が終わりました。それから、廊下、台所、食堂と居間の一部のワックスがけをしました。ワックスがけをした所は、最低30分は歩かないようにと言うことでしたので、全員、居間で時間を潰しました。その内、30分経ったので、廊下が歩けるようになりました。同じ家だとは思えないくらい、綺麗になりました。ワックスがけをした所は、光っていました。また、娘からは、トイレ掃除の指南も受けました。
 5時近く、孫達は帰る事になったのですが、どうしてもお礼がしたくなって、一緒にファミレスに行って、おやつをご馳走する事にしました。孫達も、喜んで話に乗ってくれました。孫達と一緒になって家事をやる、子供達が小さい頃に帰ったようでした。
 6時近くに孫達と別れ、大栗川の桜を見ながら、我が家まで歩いて帰りました。家に帰ったのは、7時を過ぎ、夕焼け空の中の黒い大仏、富士が迎えてくれました。シャワーを浴び、最後に、残った居間のワックスがけをしました。乾くまでの時間、娘達がお世話になった長崎の弟の所に電話をしました。この弟夫婦は、とっても気の良い夫婦で、去年は、私がお世話になりましたが、娘達もすっかり世話になったようです。床が乾いた頃を見計らって、居間の家具を移動し、晩酌を始めた時には、9時近くになっていました。それにしても、楽しい一日でした。

「孫達の お陰で老後の 侘び住い 光輝く 宮殿となる」
「山ほどの 未来へ向かう 孫達と 廊下拭きつつ 昔話を」

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2019年4月 4日 (木)

2019年04月03日

2019年04月03日

 今日は、すこぶる付きの良い天気でした。一日中晴天でした。ただ、風は冷たく、花冷えではありました。我が家の前の桜は、1番に咲いた桜は、葉桜になり、2番目は、満開の時期を過ぎようとしており、3番目は、今日満開になりました。3月の中旬から、桜を楽しんでいます。
 今日は、孫達がやって来ました。娘一家は、車で長崎まで行って来たそうです。長崎では、弟の所に止まり、今日は、娘と孫達が、弟から託された、私へのお土産を持ってきてくれました。
 12時頃に着いたので、一緒に焼き肉を食べに行き、その後、4月1日に四谷さくら公園に開設した児童用の遊び場で、新しい遊具を一通り楽しみました。それから、多摩川の河原に場所を移し、石の研究をやりました。上の孫が、今、石に非常な興味を持っているのです。河原には、思った以上に様々な石があり、変わった石を見つけては、報告に来ました。時々、それらの石を割ってみて、中の様子を確かめました。何か、小さな結晶体が入っている石が多く、どれもキラキラと輝いていました。実は、石を割った一番の目的は、化石が有るのではないかと期待したのです。残念ながら、どの石にも化石はありませんでした。下の二人の孫も、石探しが面白くなったらしく、一緒になって、河原中の石から、面白い石を探していました。皆で集めた面白い石は、持ち帰ることにしました。末の孫が、茸に似た石を探し、持ち帰りたいと言い出しましたが、私でさえ持ち上げるのが大変なほど、重たい石だったので、持ち帰りは止めました。
 4時過ぎに、一旦我が家に戻り、今日は休みの次男も一緒に、日野の方にある海産物専門店角上と近くの西友に行き、今夜の酒の肴と、孫達の食事を買いました。6時頃に我が家に戻り、食事の仕度をしていると、孫達の兄妹喧嘩が始まりました。喧嘩の原因は、はっきりしませんが、最初は、それぞれ鉄砲で撃ち合う真似事をしていたのですが、その内、上の孫と孫娘が、一緒になって末の孫を打つ感じになり、その為に末の孫が、上の孫と孫娘に怒り始めたようです。そして、拳で、二人を殴り始めました。末の孫は、小さいのに結構パンチ力があり、抵抗しない二人は、かなり痛そうでした。しかも、全く殴ることを、止めようとしないのです。普段は、孫達を叱る事は、娘に任せるのですが、偶々、娘が長いトイレになっていたので、私と次男が末の孫を叱りました。思いがけず二人から怒られたので、末の孫は、大泣きし、泣き止みませんでした。暫くして、娘がトイレから出て来て、3人を諭し、末の孫も泣き止みました。そして、皆で乾杯し食事に移りました。めでたしめでたしです。
食事をしながら、長崎旅行の話を聞きました。1日目は、明石まで行き、車の中で一晩過ごし、2日目は、明石海峡を渡り、四国の瀬戸内側を走って、佐田岬から大分に移り、長崎の弟の家まで行ったそうです。弟の家に2泊し、長崎見物をし、4日目は、宮島を見て、後は時々休みながら、終夜運転し、5日目には、自宅に戻ったそうです。走行距離が2500キロ以上の、凄まじい旅行になったようでした。良く事故を起こさなかったものです。しかし、人生、突拍子もないことを偶にはやってみるものです。常識が何時も良いとは限りません。孫達にとっても、良い経験になり、良き思い出になると思います。良き、人生経験になったと思います。
旅行の話をしながら、次男と娘と、3人で飲み続け、ビール各々1缶、ワインをボトル3本、日本酒4合瓶1,5本飲みました。11時近くから、カラオケを始め、2時近く迄唄いました。孫達も必死で付き合いましたが、11時頃から次々に目、売りに入りました。なんと一番遅くまで起きていたのは、末の孫でした。久し振りの夜更かしとなりました。
 

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2019年4月 3日 (水)

2019年04月02日

2019年04月02日

 今日も、富士が見える快晴の朝でした。昨晩の雨は、富士や丹沢では、雪だったのでしょう、丹沢が雪山に戻りました。午後からは、昨日と同じように、雲が広がりましたが、雨にはなりませんでした。
 昨日、新元号が発表されましたが、実際の適用は、5月1日からです。私自身は、日付が必要な場合は、西暦を使っていますので、元号を使うことは、殆どありません。しかし、友人達と話す時は、明治以前は別として、自分が生きてきた時代を表現するには、元号の方が適していると思います。西暦より元号の方が、しっくりくるのです。
私は、宗教全般が余り好きではありませんが、神話の時代から続く神道や天皇制に、若干違和感があります。特に、天皇を飾り物にして、自分の権力を誇示しようとする取り巻きの人々や宗教家に対しては、違和感を通り越して、腹立たしさを覚える事もあります。戦後、憲法に象徴天皇が規定され、政治への不介入が決められたことは、日本の歴史上、一番大きな変化だった気がします。そして、平成、令和と一般人と結婚した天皇が、2代続きます。どうか、天皇が、政治権力と宗教から離れた存在になって欲しいと思います。現在の安倍政権は、何となく、天皇を戦前の状態に戻したい、神国日本とまでは行かなくても、他の国とは違って、優れた国だと言う事を、国民に押しつけ、世界に知らしめようとする傾向があります。戦前の民族主義の復活のような嫌な感じが、何時もつきまとっています。出来れば、天皇の方から、この種の動きを、柔らかく遠ざけて欲しいと願っています。

 今日は、妻と会う日でした。どうやらパソコンが、変なソフトに乗っ取られて、外部との通信が出来なくなったようなのです。そこで、秋葉原に行って、パソコンを買った店で、色々相談することにしたそうです。私も、それに付き合いました。
 所が、妻のパソコンが、ウィンドーズ7の時代のもので、古くなっていること、妻の携帯がガラケーであることによって、パソコンを取り敢えず修理する、パソコンを新しくする、パソコンは何もせずガラケーをスマホに変えて外部と通信はスマホでやる等、大きな選択に迫られると共に、その各々の契約の仕方によって、一月の支払金額に、かなりの差が出ることが分って、直ぐには決断できない状況になりました。私も、全くフォローが出来ず、結局、妻は、決断を持ち越す決断をしました。
 その後、少し早かったのですが、5時半から、神田の中華料理屋で、夕食にしました。ラム肉を中心とした、いかにも大衆料理屋風の中華料理屋です。変わった味で、かつ美味しいので、何度か一緒に来たことがあります。何時も、混雑するのですが、今日も混雑していました。7時には、食事を終り、神楽坂に戻って、何時ものコーヒーが飲めるバーで、ゆっくり話ししました。妻は、極めて前向きな女性なので、過去を振返ることは、あまりしないのですが、流石に年を取って、自分の人生を話すようになりました。我々は、幼年期から人生の佳境に入った中年まで、昭和を生きました。一番大変だったのは、幼年時代で、その後はずっと上昇志向の時代でした。勿論、沢山の困難もありましたが、二人して、良い時代に生きたことに感謝しました。

「お互いに それぞれの道 生きつつも たまの逢瀬の 老いらくの恋」

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2019年4月 2日 (火)

2019年04月01日

2019年04月01日

 久し振りに、白く輝く富士が見える、快晴の朝でした。頂上付近に、黒い線が見えましたので、富士も雪解けが進んでいるようです。丹沢も久し振りに見えましたが、雪はすっかり融けていました。こんなに良い天気なのに、天気予報では、午後から雨になると言っていました。
 雨になる前にと思って、11時頃、近くの西友に買い物に行きました。あれだけ良い天気だったのに、既に西と南の空は、雲に覆われていました。買い物は、30分もしないで終わったのに、帰りには雨が降ってきました。その後、雨が続くのかと思ったら、日差しが出たり曇ったりの繰り返しでした。自然のエイプリールフールのようでした。
 今日は、新元号が発表されました。万葉集から取った「令和」でした。巷もテレビも新元号で持ち切りでした。何故こんなに騒ぐのですかねー。何時もと変わったことに心が浮き立つのでしょうねー。確かに、平常と違った経験は、私も感激したものです。新しいことの経験が、人生そのものに思えました。今でも思い出すのは、自分が巻き込まれた変化の事ばかりです。
 ところが、年を取ると、外界の変化は常に起きても、自分に関わる変化は、極端に少なくなりました。年金生活に入り、生きる糧のために必死になる必要もなくなりました。ラグビーのワールドカップも、東京オリンピックも、天皇の交代も、新元号も、私に取っては、どうでも良いことになって仕舞いました。政治とか経済とか、社会の問題に対しても、関心が薄れてしまいました。何の厳しさもなく、温室の中で、単に生命を維持しているような状態です。このような生き方をしていては、毎日、日記を書く気にもなれません。そんな訳で、現在のような日記は、あと1ヶ月、平成で終りにしようと思います。
 私の人生も、長く持っても後5年程度でしょう。仮にそれ以上生きたとしても、戦後の自動車を動かすようなもので、どんなに手間暇かけても、動くことも難しいでしょう。病院で、過去の遺物として展示されるのが関の山でしょう。従って、比較的まともな5年間を、老いての初心を持ち、その初心の通りに生きていこうと思います。その初心は、「何故、社会が不安定になると、排他的民族主義が力を持つようになるのか」と言うことを、私なりに調査研究してみることです。日本、ドイツの民族主義が、世界に戦争を引き起こし、多くの悲劇をもたらしました。戦争終結後、国際社会の動きは、国際間の話し合いを活発化させ、民族主義が頭をもたげないようにしました。民族主義に対する研究も、世界各国で行われたようです。従って、私の研究など、社会的には、何の価値もないかも知れません。それは良く分っています。あくまでも、老いての私の初心なのです。可能ならば、民族主義の時代と戦争を経験した父の人生についても、纏めてみたいと思っています。更に可能ならば、私の人生を変えたと思っている、メキシコ時代についても、思い出を綴ってみたいと思っています。

 今日は、午後中雨だというので、散歩する気は無かったのですが、天気が持ち直したので、桜の時期には何度も歩いたことのある、立川根川公園、残堀川まで歩いて来ました。ここも桜の名所で、満開の桜を楽しむことが出来ました。ついでに、聖蹟桜が丘の、桜も尋ねました。
今日の散歩で、何より嬉しかったのは、桜ではなく、青鷺の巣を見つけたことでした。1本の大きな欅(多分)の木のてっぺん近くに、5つの青鷺の巣があり、どの巣にも青鷺が座っていて、今正に、卵を孵化させようとしていると思われました。巣の横にいるのは雄でしょうか、周りを警戒しているようでした。今日まで、青鷺と言えば、川岸に仙人の如く、黙然と立つ姿ばかりが印象的でした。どうも青鷺は、集団で繁殖するようでした。これまで、沢山の鳥を見て来ましたが、子育てをしている現場を見たのは、カルガモだけでした。思いがけずに、良いものを見せて貰いました。
我が家に戻ると、近くの桜公園の子供用遊園地が、オープンしていました。元気な子供達の声が聞こえました。私の子育ては終わりました。矢張り、私も生き物、子育てしている時が、一番充実していました。

「公園の 桜並木の 先頭に 威儀を正した 辛夷立つなり」
「満開の 桜の下に 金色の 我こそ主役 山吹の花」
「今正に 命を繋ぐ 様を見る 欅のてっぺん 青鷺の巣」

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2019年4月 1日 (月)

2019年03月31日

2019年03月31日

 朝は濃い霧だったのですが、次第に日差しが出てきたと思ったら、午後にはまた雲が押し寄せ、夕方には日差しが戻るという、変化の激しい空模様でした。
 3月も最後となりました。年が明けた頃は、何時春が来るかと思っていたのに、早や梅は散り桜は満開、春たけなわとなりました。もう暫くすると、藤村の歌にあるように「梅も桜も散り果てて、既に柳は深緑、人は飽かねど行く春を、何時までここにとどむべき、、、」と季節は移るでしょう。年を取る毎に、時の流れの速さを感じます。
 今朝6時、カーテンを引くと濃霧とも言える風景でした。霧が作る水墨画のような風景を見ると、どうしてもその中を歩いて見たくなります。カメラだけを持って、多摩川の土手に出ました。奥多摩の峰は全く見えず、自分の周囲の1キロ四方が見える程度でした。こういうのを、五里霧中と言うのでしょうか、今日の状態では、一里(キロ)霧中と言った方が正しいような気がしました。霧の中ですが、何時もは横目で見ている、我が家の近くの四谷桜公園の、桜をじっくりと見ました。近くの一軒家では、昨晩降った雨が、木の枝や垣根の手すりに残り、周りの風景を閉じ込めていました。霧と水滴を楽しんだ朝の散歩となりました。
 8時頃に、我が家に戻り、それから朝食、洗濯などの朝の仕事、日記を書いていると、昼になって仕舞い、結局、昼食も我が家で済ませて、午後2時半頃から、花見の散歩へ出かけました。
 最初の桜の名所、多磨霊園に3時半くらいに着きました。家を出た時には、日差しがあったので、良い花見日和だと思っていたのですが、多磨霊園に着いた時には、雲が大きく張り出して、日差しがなくなってしまいました。多磨霊園は、桜の数では、何処にも負けないのではないかと思うほど、沢山の桜があり、どれも満開でした。「太陽、顔を出せ」と叫びたくなりました。
 多磨霊園を出て、府中自動車試験場、武蔵野公園と桜を見ながら歩きました。自動車試験場の空き地には、白花のタンポポの群落がありました。白花のタンポポがこれ程咲いているのを、初めて見ました。肝心の桜は、網塀の中にあり、写真を撮る気にならず、ゆっくりと桜見物が出来ました。実は、ゆっくりしたのはほんの少しで、直ぐに武蔵野公園入口があり、ここでは、桜と芽吹きの木々と白雲の写真を沢山撮りました。
 武蔵野公園から、東八道路の橋を渡って野川公園に入りました。東八道路沿いの桜が、見事でした。公園の中の桜も見事で、プロのカメラマンが、2箇所で若い女性をモデルにして、写真を撮っていました。私も負けずに撮りましたが、矢張り光が欲しいと思いました。
野川公園から、国際基督教大学に、5時過ぎに着きました。観桜は、5時までと書いた立て看板が立っていましたが、「観桜ではなく、キャンパス訪問だ」と勝手に決めて、正門に続く桜並木から、大学の中に入りました。桜並木が、正面の教会まで続いていました。数年前に来た時と同じでした。それにしても、何故こんなに桜を見ようとするのでしょうか、我ながら驚きます。
5時40分くらいのバスで、三鷹に向かいました。すると、奥多摩に沈む寸前の太陽が、顔を出しました。今日の花見は、太陽には翻弄されてしまいました。三鷹駅から、国立駅に着いたのは、6時15分、夕闇が迫ってきて、国立の桜並木には、ライトアップが始まっていました。思いがけず、夜桜見物が出来ました。今日、歩いた所は、全部桜の名所で、「もう桜は、これくらいで良いか」と思うくらい、山ほどの桜を見ました。家に帰り着いたのは、8時過ぎで、晩酌の開始が、8時半になって仕舞いました。

「霧の朝 桜の花も 霧の中 桜の向こうの 我が家も霞む」
「刈られずに 思いのままに 枝延ばし 自然の連翹 かくも美し」
「春盛り 朝霧の中 花霞 桜も溶け込む 山水画の中」
「霞より 現れ出でる 人影の 我が前通り 再び霞へ」
「霧の中 釣り糸垂れる 釣り人の これぞ山水 黒き影かな」
「薔薇の木の 雫の中の 我が家かな ビルがすっぽり お伽の世界」
「亡き人に 花見の宴 プレゼント 桜山盛り 多磨霊園かな」
「花見時 小悪魔達も 浮かれるや 墓石前に やんやと踊る」
「花見好き 桜並木の 正面に 花を見上げる 基督の家」
「日も暮れて 夕闇迫る 国立で 思いがけずの 夜桜見物」 

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