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2019年3月

2019年3月31日 (日)

2019年03月30日

2019年03月30日

 今日は、何時雨が降り出すのか分らないような、曇り空の朝でした。空気も冷たく、桜の季節の花冷えの日でした。
 今日は、鎌倉に住んでいる職場の先輩の家で、年に1度の花見の日でした。11時集合でしたので、7時半には家を出て、鎌倉駅には、9時45分に着きました。何故こんなに、早くしたかというと、例年、花見はろくにしないで、一日中酒ばかり飲むのが慣わしなので、運動不足にならないように、鎌倉山の先輩の家まで、歩くことにしたのです。以前にも1度歩いたことがあります。
 トイレを済まし、観光案内所で地図を貰って、10時丁度に、鎌倉駅の西口から歩き始めました。市役所の横を通り、隧道を3つ越えて、常磐八雲神社に参拝して、その前の道から鎌倉山へ登る桜並木の道を歩き、11時丁度に先輩の家に着きました。私が最後かなと思ったら、最初でした。その後、なかなか人が集まらず、先輩が電話をしてみた所、3分の2の人が、集合時間を12時だと思っていたようです。そんな訳で、全員集まったのは、12時10分くらいでした。私は、11時から飲んでいましたので、早くも酔いが回っていました。
 今日集まったのは、男性12名、女性5名の17名でした。その内10名が、我々と一緒に仕事をした、メーカーの人達でした。先輩が仕事止めてから、10年以上花見の会が続いています。私が参加するようになってから、8年ほどになります。
 丁度、コンピュータが、職場に入ってきた黎明期でしたので、メーカーの人達も、我々の職場に通勤していたのです。本当に仲間でした。忘年会も、新年会も、花見も、課内旅行も、スポーツ大会も、全て一緒にやりました。職場の同僚と同じでした。誰も皆、そこそこに年を取ったのですが、此処では、病気のことが話題にならないほど、当時の思い出話に花が咲きます。もう何年も同じ顔触れで集まっているのに、何かしら、それまでに話題に上らなかったことが、新たな話題として出て来るのです。年を取ったので、物忘れが激しくなったのかもしれませんが、、、。
半分くらいの人は、一応花見に出かけましたが、残り半分は、私も含めて飲み続けました。1時間ほどで、花見に行った人達も戻ってきて、また全員での宴となりました。皆が、それぞれ酒を持ち寄るので、色んな酒を楽しみながら、結局、午後6時まで飲み続け、話し続けました。最後に、昔一緒に唄った、メーカーさんの色々な製品の替え歌を歌って、お開きにしました。
 現代では、業者と同僚のように仕事をすることなど考えられないと思います。しかし、業者との癒着など悪い面もあるとは思いますが、業者と共に一体感を持って、共通の問題を一緒に議論し、知恵を出し合い、問題解決に当たることが、日本の高度成長期を支えてきたのではないかと思っています。他の職場が、我々と同じように、業者とこれ程親しく付き合っている所があるのか、知りませんが、似たような状況だったのではないかと思います。つくづく、良い時代を生きてきたと思っています。

「仲間とは 酒は飲め飲め 飲み明かせ あの世じゃ宴 なき物と知れ」
「思い出を 話せる仲間の 多いほど 生きた人生 実りも多し」

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2019年03月29日

2019年03月29日

 今日は、雨は降らなかったものの、余り良い天気とは言えませんでした。
 今日は、午後5時から、後輩が経営する、駒込のカラオケバーで、大学時代の友人との集まりがありましたので、早めに家を出て、旧古河庭園と六義園にも行って来ました。
 1時半に家を出て、3時には、駒込駅に着きました。駅の北口、南口の広場も、桜が満開でした。まずは、旧古河庭園に行きました。駅から歩いて、15分程度で着きました。庭園内に入ってみましたが、桜は、玄関の横の桜が見事で、洋風の建物ともよくマッチしていました。所が、庭園の方は、入口の枝垂れ桜の他は、数も少なく、桜の花見をしている気分にはなんでした。しかし、旧古河庭園は、秋の紅葉と薔薇が売りの庭園です。今は、紅葉の芽吹きの時期で、春紅葉を味わうことが出来ました。春紅葉は、白神山地の小母さんから教わった言葉で、お陰で春の楽しみ方が、一つ増えました。
 旧古河庭園を後にして、六義園に向かい、4時には着きました。駒込駅の近くの、染井門から入り、正門の内庭大門へ行くと、枝垂れ桜の巨木が満開の花を下げていました。夜は、ライトアップされるそうです。心泉亭茶屋の横に、辛夷の巨木が、桜に負けじと花を咲かせていました。枝垂れ桜違って、1本の幹が、すらりと立って、扇を広げたように真っ白い花が咲いていました。庭園の奥へ行くと、桜と紅葉の芽吹きとの競演を見る事が出来ました。吹上茶屋から池沿いを歩くと、3組の真鴨が静かに泳いでいました。「もうすぐ四月なんだよ、故郷へ帰らないで大丈夫?」聞いてみたくなりました。六義園の方では、良い花見が出来ました。欲を言うと、太陽の光があったら、申し分なかったと思います。
 六義園を出て、丁度5時に、後輩の店に着きました。私が1番乗りでした。程なく、3人が来て、今日のメンバーが揃いました。店主を含めて5人でした。皆、私の後輩ではありますが、70を過ぎた老人です。冠動脈の手術をした者、
脊椎間狭窄症の者、肺癌を治療中の者、胃癌で胃を切った私と5人中4人が、病気の経験がありました。今までに、大病をしなかったのは、1人だけでした。しかし、病気はしても、皆それぞれ元気でした。結局、今日来られなかった仲間の病気も含めて、殆どが病気の話になりました。仲間が集まれば、それはそれで楽しいものでした。8時過ぎまで飲んで、1曲歌って、お開きにしました。

「桜咲き 芽吹きの楓 紅残し 春紅葉の 都会の庭園」
「包むよに 大手を広げ 花咲かす 薄桃色の 枝垂れ桜よ」
「空に向け すらりと立ちし 辛夷かな 空を覆うは 白き大傘」
「遠目には 桜と見紛う 辛夷かな 池の端にて 容姿を競う」
「常緑と 芽吹きの緑に 囲まれて 負けじと花咲く 桜の意地かな」
「春告げて 役目果たした 梅の木の 節くれ枝に 青葉の息吹」
「時を経て 使い古した 我が身体 部品変えても 昔に戻らず」 

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2019年3月29日 (金)

2019年03月28日

2019年03月28日

 今朝は良い天気だったのですが、次第に雲が広がり、今にも雨が降り出しそうでした。それが午後になると、ぱらっと雨が落ちたり、弱いながらも日差しが出るなど、おかしな天気になりましたが、夕方になると、日差しの方が強くなり、天気も安定しました。
 今日は、余り良い天気ではなかったのですが、それ程悪い天気でもなかったので、東郷神社、東京競馬場、安養寺、妙高院、大国魂神社と、花見に行って来ました。
 11時半に、我が家を出ました。実は、最初に予定していたのは、東郷神社だけだったのです。後は、その時の状況次第でした。東郷神社は、枝垂れ桜で有名な寺です。この寺の山門は、黒澤映画「羅生門」の参考になったそうです。行ってみたら丁度満開で、一番の見頃でした。山門とも良く合って、見応えがありました。一通り写真を撮って、御朱印を貰いに行きました。元々、海軍が東郷元帥の別荘地に建てた寺らしく、寺と言うよりは、合宿所のような雰囲気があります。寺務所や庫裏らしきものが見当たらず、何処で、御朱印を貰えば良いのか、迷っていると、本殿の横の大きな建物の玄関が開いていて、年配の住職の姿が見えました。そこが、寺務所でした。御朱印を頼むと、若い僧が出て来て、「書いてあるものですが」と断りながら、参拝の日付を入れて、御朱印を渡してくれれました。
 実は、御朱印を待っている間、住職と話していたのですが、御朱印が出来ても、なかなか離してくれませんでした。色々、話が止まりませんでした。この寺の枝垂れ桜は、戦後、本山である身延山の久遠寺から持ってきたもので、70年近くになるそうです。最近、テレビやネットで話題となり、急にお客が増えたそうです。また、この寺の山門で、羅生門のロケの話しも合ったが、黒澤監督が、高さが足りないこと、新しすぎて寂寥感がないことで、京都に模型を作ってロケを行ったそうです。しかし、此処の山門が、参考とされたことは間違いが無いそうです。山門の石段が急なのは、この寺が、海軍に由来し、戦艦の階段のように、険しいものを好んだからだそうです。また、山門の材木は、杉ではなく欅だそうです。欅の方が、強くて重厚感もあるそうです。御朱印を貰って、住職の話も聞けて、枝垂れ桜も見て満足しました。
 寺務所を出て、境内の写真を撮っていると、手押し車で歩いている、白髪のお婆さんが近づいてきて、「良いカメラだねー、良い趣味を持っているねー」と話しかけてきました。「下手の横好きで」と答えると話が始まり、枝垂れ桜のこと、東郷元帥の墓のこと、子供が海軍で戦死したので此処に墓地が貰えたことなど、色々話をしてくれました。なんと、このお婆さん、90歳でしたが、とても頭がクリアでした。
 東郷元帥の墓の前で、お婆さんと別れ、そろそろ多磨霊園でも行こうかと思ったら、パラパラと雨が落ちてきました。不思議なことに、雨と一緒に日差しも出て来ました。もう一度、枝垂れ桜を取り直し、多磨霊園を止めて、府中に行くことにしました。家の間の狭い道を縫って歩いていると、東府中の近くで、東京競馬場へ行く、大通りに出ました。そこから、ものの10分も歩かない内に、東京競馬場に着きました。
 東京競馬場に併設されている、「日吉ヶ丘」という遊園地が、今日は無料でしたので、子供の遊び場ですが、入ってみました。初めてでした。丘の上に登ると、レース場も見る事が出来るようになっていました。午後2時になっていて、この時間まで、弁当を食べていなかったのを思いだして、子供達の歓声を聞きながら、弁当を食べました。弁当を食べ終わって、公園の中にある競馬博物館を見ました。馬、馬、馬ばかりで、競馬好きなら堪らないのでしょうが、私は全く興味がありませんでした。
 遊園地を出て、競馬場の正面に出たら、競馬場内の日本庭園が、開放されていました。池の横の桜並木が、満開を迎え、月曜日から明日まで、一般公開してくれたのです。此処でも、思いがけず花見が出来ました。
 この後、競馬場の隣の安養寺、妙高院から、大国魂神社、府中桜通り、農業高校と花見を続けました。その後、明後日、職場の先輩の鎌倉の家で、毎年行われる、花見の宴のための酒を買って、我が家に戻りました。5時近くになっていました。「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と歌に詠まれたような、桜を追いかけて、忙しい一日になりました。

「東郷寺 枝垂れ桜の 花簾 桜が映える 黒き山門」
「歌詠みの 心が分る 桜花 見る場所多く 命短し」

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2019年3月28日 (木)

2019年03月27日

2019年03月27日
 
 今朝も良く晴れた朝でした。しかし、富士が見えたかどうか、鮮明な記憶がありません。地平の霞が、強かったのだと思います。
 今日は、良い天気なので、桜、草花、芽吹きを楽しむために、長沼森林公園、東京薬科大学、堀之内寺沢里山公園を歩いてきました。
 少し早めの、午前11時に家を出ました。我が家の近くの桜公園の第1期拡張工事が、ほぼ完成しました。滑り台やブランコなどが設置された、児童公園になりました。元々の桜公園では、枝垂れ桜が満開となり、多摩川沿いの桜並木も、2分咲き程度になりました。いよいよ桜の季節です。府中の桜祭りは、四月の第1週の土日に行われます。そこまで、桜が花を残しているでしょうか、心配です。府中の桜祭りは、何時も遅いのです。
 長沼の駅には、12時15分くらいに着きました。森林公園の方に歩くと、一面に蒲公英が咲いている畑がありました。最近、我が家の近くでは、このような光景を見ることが無くなりました。公園の入口の六社宮に参拝し、霧降の道から尾根を目指しました。霧降の道は、初めて歩きましたが、整備され過ぎて、街中の歩道と変わりありませんでした。しかし、道脇には菫の花道が続いており、森も古き多摩丘陵の面影を残していました。多くの木々の芽吹きが始まっていて、森に差し込む光に輝いていました。
 芽吹きを始めた楓の下で弁当を食べ、尾根に登ると、春の嵐が尾根を吹き抜け、物凄い音を立てていました。音は写真に撮れないので、スマホの動画で音を拾いました。凄まじい音を、そのまま拾えたかというと、そうではありませんでしたが、私が音の凄さを思い出すには充分でした。
 長沼森林公園を出て、住宅地の平山通りから、薬科大に向かいました。良く整備された道には、花が沢山植えられていましたが、私は、花壇の花より、舗装されたアスファルトの道路の隙間に、花を咲かせる花達の強靭さに感動しました。同じ花韮の花も、花壇の花は、背も高くすらりとしていますが、道路の花は、背も低く、道路からいきなり、花が咲いているように見えるのです。生活条件が悪いことは明らかでした。それでも、菫、カタバミ(片喰)、ノミノフスマ(蚤の衾)等々、しぶとい花が沢山あり、沢山写真を撮りました。
 薬科大の薬草園は、現在薬草の入れ替え中で、殆ど花がありませんでしたが、薬草園の奥で、姫立金花、アメリカスミレサイシンが、広い花畑を作っていました。薬科大では、何かしら花の勉強をします。今日初めて、フジモドキ(藤擬き)とアミガサユリ(編笠百合)、ユスラウメ(山桜桃梅)の花と名前が一致しました。それから、私が、赤木蓮と思っていた木蓮の大木が、花を咲かせていましたが、正式の名前は、ソトベニハクモクレン(外紅白木蓮)だそうです。その他にも幾つか花があったのですが、全くの外国名だったので、憶える気になりませんでした。
 薬科大を出て、谷戸の里山の春を楽しみました。家々の庭に、点々と桜が咲いて、里山を春の色にしていました。菜の花畑や、一面仏の座の畑もありました。怪物の集団のような桑畑があり、芽吹きを始めた桑の木もありました。多くの畑で、野菜の植え付けが始まっていました。長閑な里山の春を、充分に楽しみました。
 家に帰ったのは、5時近くで、6時半くらいから、昨日の酒の肴に、もう一つの鶏の軟骨を加え、晩酌にしました。7時頃から、久し振りに次男も参加して、愉快な晩酌になりました。
 
「一面に 蒲公英咲きし 畑あり 街に少なし 春の代表」
「風神の 焼き餅なるや 春嵐 桜目がけて 強風荒れる」
「森の道 山紫陽花の 花の咲く ありし日留める 去年の花かな」
「櫛の歯の 歯先が埋まる 芽吹き時 多摩の尾根にも 春は来にけり」
「櫛の歯の 隙間の向こう 八王子 風強けれど 霞の彼方」
「森出れば 舗装道路の 街の中 舗装の割れ目 菫花咲く」
「多摩の奥 今にも街が 押し寄せる 何時まで続く 里山景色」 

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2019年3月27日 (水)

2019年03月26日

2019年03月26日

 今日は、雲の多い朝でした。こんな中で、我が家の前の3番目の桜も開花しました。
 午前中、21日から25日までの日記をブログに上げました。新しいブログのシステムも問題なく使えるようになりました。写真を同時に掲載できるようになったので、この前、ブログの掲載の仕方を、システムの運用会社に聞いた時、試しに写真を、3月20日の日記の一番下に入れてみました。その日の日記を、パソコンで見た所、写真が変に歪んでいました。色々試してみましたが、正常に戻すことが出来ませんでした。
 次に、スマホで日記を読んでみました。実は、自分の日記をスマホで読むのは、初めてでした。スマホで読んでみると、日記が非常に長くて、とても、読む気にならない長さに思えました。常時、1日に24,5名の読者が居ますが、その内の半分はスマホです。よくぞ我慢して読んでくれていると思いました。新元号になってからは、毎日の日記を、ブログに上げることは止めようと思っています。もう少し、辛抱して貰う他有りません。写真の方は、鮮明度は落ちますが、パソコンの場合と違って、歪んではいませんでした。しかし、常時写真を掲載するかは、日記を止める日も近いので、思案中です。
 今日は、天気も良くないことだし、1日中家で過ごそうかと思っていたのですが、昼頃から日差しが出始め、午後2時頃には、天気がすっかり回復しました。こうなると、散歩がしたくなって、少し遅めですが、3時頃から、近場の標準的なコースを歩きました。
 四谷橋を越えて、多摩川の右岸に出ると、枯れた荻の河原に、ダイサギがアオサギのように、羽を窄めて一本足で、身動ぎもせず立っていました。こんなダイサギの姿を見るのは珍しいです。
 暫く歩くと、程久保川、浅川、多摩川の合流点になりました。程久保川から浅川の土手へ出る所に、常設のトイレが建設中でした。確かに、この近辺には、トイレがありませんので、良いことだとは思いますが、程久保川から浅川の土手に移る突端なので、景観上はしっくりきませんでした。このトイレの目の前に、仙人の花畑があります。前にも書きましたが、数年放置されてきた花畑が、今年から手入れが始まり、半分だけ昔の花畑に戻りました。今は、水仙が植えられていました。仙人も年齢が進みました。河川局からは、河川に勝手に手を加えないように注意されているようですし、河原に住む仙人達も少なくなりましたので、後継者は居ないでしょう。
 仙人の花畑を見ていたら、隣のアカシアの林に、大きな鳥が見事な滑空をして枝に止まりました。これは鳶に違いないと思って、カメラを向けたら、カラスでした。
アカシアの林から、胡桃の林に変わる所に、浅川の飛び石の堰があります。水量は結構あったのですが、飛び石の頭が、繋がっている所があったので、意を決して浅川を渡りました。丁度、浅川の中央辺りで、白鶺鴒が、私の危なっかしい飛び石渡りを、じっと眺めていました。面白がって居たのでしょうか、心配してくれていたのでしょうか、一応問題なく渡ることが出来て、多摩川の右岸に出ました。そして、私が秘密の池と呼んでいる所に出ました。早くも、葦の新芽が、水面から顔を覗かせていました。多摩川と並行して流れる、根川の桜並木は、この近辺の桜の名所ですが、まだ、2分咲き程度でした。
 芽吹きから新緑に移ろうとしている柳の古木に、黒っぽい塊が見えました。またカラスかなと思いつつカメラを向けると、今度は鳶でした。カラスより一廻り大きく、なんとも言えない風格がありました。
 石田大橋から、多摩川の上流を見ると、日溜まりの中を十数匹のバンが泳いでいました。もう旅立ってもおかしくないのにと思って眺めていたら、バン達の上を、燕が1羽、猛スピードで旋回しました。燕がやって来てもおかしくない季節になりました。今日は、鳥達と面白い出会いをしました。
 石田大橋を渡って、国立のSVマーケットに行き、何時もの通り、鶏の軟骨、鶏皮、手羽中を大量に買いました。この他に、長芋、ナメコ、オクラ、ツブ貝、ホタルイカ、ヤリイカ、ビール等を買い、重い荷物を背負って、6時過ぎに我が家に戻りました。それから、何時もの干物と唐揚げを作り、晩酌の肴を作ったので、晩酌は8時過ぎからになって仕舞いました。

「白鷺の 黙然と立つ 荻河原 春の日溜まり 何を思うや」
「空からの 見事な滑空 披露する 鳶かと思えば 烏なりけり」
「危なげな 飛び石渡りを 横に見て 羽無き我を 笑う鶺鴒」
「新緑の 柳の古木に 羽休む 烏と違う 鳶の勇姿よ」
「鷭達に 旅立ち急かす 燕かな 桜咲く日の 春の午後かな」

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2019年3月26日 (火)

2019年03月25日

2019年03月25日

 霞の強い朝でしたが、良い天気でした。我が家の前の桜を見るのが、毎日の楽しみになりました。今日は、ヒヨドリが、桜の花に埋もれながら、花を突いていました。
 今日は、昼食を孫達と一緒にすることになっていましたし、午前中には金曜日のゴルフバッグが帰ってくることになっていました。また、4時には都心の大学で、クラブの同期と待ち合わせて、花見、食事会が予定されていました。
 これが非常に上手く行って、午前11時過ぎには、ゴルフバッグが届き、12時に我が家を出て、一之宮交差点まで歩き、そこからバスで中和田のファミレスに、12時45分に着きました。5分後に孫達も到着しました。ファミレスは、非常に混んでいて、食事が始まったのは、1時過ぎになりました。育ち盛りの孫達との食事は、食べっぷりが良く、私も食が進みます。2時過ぎには、食事が終り、聖蹟桜が丘駅まで送って貰って、都心へ向かいました。何事も上手く行ったので、約束の時間の1時間前に着きましたので、一つ先の赤坂見附まで行って、弁慶橋、清水谷公園、食違い見附、真田濠と歩いて、大学の正門に3時45分に着きました。何時も早い時間に来るWが、既に来ていました。大学のキャンパスは、今日が卒業式だったらしく、背広姿の男子学生と袴姿の女子学生で溢れていました。その後、U,N,Yも集まって、全員揃いました。足を痛めていたKは、直接、食事会の場所に行くことになっていました。
 花見組全員が揃った所で、真田堀に上がり、花見の散歩が始まりました。残念ながら、真田濠の土手の桜は、まだ殆どが5分咲き以下でした。しかし、四谷見附から市ヶ谷の土手へ行くと、ほぼ満開に近い桜となりました。充分に花見気分が味わえました。桜と共に、市ヶ谷濠を泳ぐハシビロガモ達も見る事が出来ました。市ヶ谷見附から、牛込堀の土手に移り、古い桜や、新しく植えられた桜を見ながら、牛込見附に着きました。そこから、神楽坂の食事会の店、紅龍に丁度5時に着きました。
 今日の同期6人全員が揃い、酒が飲めないUはウーロン茶で、他は生ビールで、2ヶ月ぶりの再会を祝って、乾杯しました。UとKと私が、耳が悪いことを皆知っていますので、怒鳴り合いのような話になりました。この店の料理は、辛いのですが、辛さを少し弱めにして貰い、どの料理も美味しくて、今年から全員後期高齢者になる、爺さん婆さんが、モリモリ食べて、8品頼んだ料理を1時間も掛からず食べ終わってしまいました。その後、摘まみになりそうな物を、更に3品頼み、1時間後に、更に点心など4品を追加しました。酒もたらふく飲み、他では話せない、家庭の状況なども吐き出して、何だか、あっという間に8時半になって仕舞いました。
 青春時代を同じクラブで、共に過ごした同期も、皆それぞれに年を取りました。皆、老い先が短いこと、死してこの世を去る事に対し、悟りの境地に達しているようです。変える事が出来ない運命ですから、、、。変に片意地を張らず、残された人生を、あるがままに素直に楽しもう、そういう気持が表れていました。今日も楽しい1日でした。

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2019年03月24日

2019年03月24日

 今日は、富士が見える快晴の朝でした。我が家の前の1番先に咲いた桜は、既に満開となり、2番目の桜が、昨日開花しました。我が家も、花見のシーズンになりました。
 今日は、良く知っている我が大学の、体育の教授が定年となり、今月末、大学を去ることになりました。今日は、その最終講義が、午前11時から、大学で行われることになっていましたので、参加しました。教授の誕生日でもありました。
 教授は、オリンピック・パラリンピックを始め、多くのスポーツ競技団体の役員を務めています。フライングディスクを、日本に広めた第1人者でもあるそうです。全体として、楽しい講義でしたし、最後の閉めも良かったと思います。現在の私にとって、一番良かったのは、「体育を肉体の鍛錬とだけ考えず、自然との触れ合いが体育の原点である、、、」という事でした。体育というと、軍事教練に似たイメージが強かったのですが、教授と同じような考えが、世の中に広まってくれれば良いと思いました。また、大学に体育が必要なのかという疑問もありますが、我が大学は必修だったそうです。そして、我が大学におけるスポーツの教育的効果も「、、、スポーツは、男女の若人が成功と失敗の両方を、寛大に受容する多くの機会を提供する。また、彼等は、グループ全体のより大きな利益に貢献するために、各自の最も優れた資質を活用して、他の人と協力して、働く必要に気づくようになる。」と紹介されました。この自ら「気づく」というのが大事で、強制的に「気づかされる」のでは、戦前と同じになって仕舞います。
 最終講義が済んでからは、懇親会があったのですが、良き飲み仲間が少なかったので、花見方々、思い出の地を歩くことにしました。先ず、四谷の真田堀に出て、土手の道を市ヶ谷まで歩きました。東京の桜の名所の一つでもあります。まだ、満開の桜は少なく、殆どが5分咲き以下でした。市ヶ谷の土手で、昼食にし、そこから、靖国神社に向かいました。靖国会館の横の入口の前で、右翼の宣伝カーが3台止まっていて、北朝鮮、韓国の横暴に対し、鉄槌を下すべきだと、大声で叫んでいました。その横が、シャルトル聖パウロ修道女会でした。白百合学園の経営母体だと思います。極めて対照的でした。伯母が、この修道女会に居ました。
 先ず靖国神社を見ました。社会人になりたての頃、毎年此処で花見をして、夜遅くまで騒いだのを思い出しました。しかし、我々が、騒いでいた場所は、現在、花壇として整備され、花見が出来なくなっていました。桜も、随分少なくなったような気がしました。何れにしても、靖国神社は、私の頭の中では、戦争と結びついてしまうので、昔、伯母が居た、隣の白百合学園を一廻りして神楽坂に向かうことにしました。
 丁度、一廻りして修道女会の所へ戻ると、二人連れのシスターに出会いました。一人は90歳前後、もう一人は60歳前後のようでした。この二人に、「この修道会のシスターですか? 実は義理の伯母も、スール・エレナといい、この修道院のシスターでした。その為、この修道院には、何度も来たことがあるのです」というと、「それでは、寄ってお御堂も見て下さい」と言われ、喜んで誘いに乗りました。何度も通った修道院です、何処もかも見覚えがあり、思い出がどっと吹き出ました。伯母は、若い方の修道女が、修道女になりたての頃の、修練長だったようで、話が良く合いました。私が知っている、当時のシスター達の事も良く知って居ました。途中から、現在の修院長も参加し、思い出話に花が咲きました。私は、お世話になった伯母の話を出来る人が周りに居なくなったので、次々と思い出話をしました。思わず涙が出そうになりました。もう、伯母が亡くなって何年になるでしょう。20年近くになると思います。今日は、期せずして伯母を偲ぶ会になりました。残ったお茶菓子を、全部貰いました。伯母が居た時も良く食べさせて貰った、トラピストのビスケットでした。また、涙が出そうになりました。私は、神を信じない人間ではありますが、こんな時に一番似合う言葉は、「神に感謝」です。今日の話を、全部書くと小さな本が出来そうですから、この辺りで止めます。
 修道会を後にして、飯田橋に向かいました。この近くに、戦前、父が通った暁星高校(旧中学校)があったと思っていたのですが、見当たりませんでした。何処かえ移転したのでしょうか、とても気懸かりになりました。何時かは、父のことも書きたいと思っています。
 飯田橋から、神楽坂に行き、有名な善国寺の毘沙門天、安養寺、円福寺の御朱印を貰いました。妻が居なくて、神楽坂を歩くのは、少し変な感じでした。しかし、妻が居る時は、神楽坂は、夕方以降に来るので、御朱印が貰えないのです。安養寺では、現在の住職のお母さんなのでしょう、90歳くらいの前の大黒さんと、寺には厳しかった、信長の時代の話をしました。この寺は、元々、近江の方の寺だったそうです。
その後、食器店に入り、以前、この店で梟の切子のグラスを売っていたと思うが、現在は見当たらないので、そのことを聞いてみました。すると、店員が言うには、メーカーが制作を止めたとのことでした。赤と碧の二つの梟のグラスを、妻からプレゼントされたのですが、エクアドルで家事手伝いをしていた女性が、割ってしまったのです。若しあったらかおうと思ったのですが、残念でした。
結局6時近く迄、神楽坂をぶらつき、家に帰り着いたのは、7時過ぎでした。今日は、良い事尽くめの1日でした。

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2019年03月23日

2019年03月23日


日記を休んでいた日の概略を、簡単に書いておきたいともいます。


3月21日


 我が家の前で、最初に開花した桜が、5分咲きになりました。


 18日から、20日までの日記をブログに上げようとしましたが、メインテナンスの失敗の復旧は終わったものの、使い方が良く分らず、カスタマーセンターに電話してみましたが、相変わらず繋がりませんでした。仕方なく、有料の相談センターに電話に電話した所、取り敢えず相談センターへの会員登録をする必要がありました。登録後、応対した女性の係員と、同じ画面を見ながら、種々教わりました。とても親切で丁寧な女性でした。しかも、同じ画面を見ているので、非常に良く分りました。但し、赤緑色弱の私にとっては、非常に見づらい画面でしたし、画面で使っている単語が、やるべき事が直ぐに連想できる言葉ではありませんでした。システムを変更した人達の、研究不足、配慮不足を感じました。ただ、システムの機能は、上がっていて、写真の掲載も可能になっていました。随分手間取って、結局、3時にブログへの掲載が完了しました。


遅くなりましたが、4時から、近場の散歩に出かけました。NEC工場から分倍河原まで歩きました。歩き始めて、強烈な風を受けました。春の嵐でした。稲荷神社の大欅が、大きな唸り声を上げていました。東京の桜も開花宣言をしたばかりでした。今は、桜も殆どが蕾でしょうから、春の嵐の影響は少ないと思いますが、満開の頃になったら、少し静かにして欲しいと思います。出来るだけ花を楽しみたいですから。しかし、昔から多くの人は、枝に花の跡を残さず、花の盛りの内に散る、潔ぎ良い桜の散り方も愛でていました。春の嵐は、桜の散り際の手助けでもあるようです。


 


3月22日


 今日は、茅ヶ崎の湘南シーサイドカントリーで、旧来のゴルフ仲間とゴルフをする事になっていました。スタートが9時12分だったので、5時起きして、5時45分には家を出て、分倍河原、川崎経由で、8時5分に茅ヶ崎に着きました。8時20分のクラブバスを待っていたら、一緒にプレーする先輩が一人やって来ました。メキシコで随分お世話になった先輩です。もう30年近く、ゴルフや麻雀をやっています。ゴルフ場に着いたら、他に二人は、既に着いていました。一人は、来月81歳になる先輩で、今日のゴルフ倶楽部のメンバーです。もう一人は、同期で、40年以上前にヴェネズエラで知り合い、メキシコでも一緒でした。4人とも同じ大学なのですが、知り合いになったのは、中南米の国でした。


風は結構ありましたが、良い天気でした。このゴルフ場は、海と富士を楽しめるのですが、今日の富士は、存在が分らないほど、霞んでいました。


私は、年を取った上に、ゴルフの回数も減っているので、寄せやパットなど、繊細な技術を必要とする事が上手く出来なくて、スコアは滅茶苦茶でした。しかし、虚心に打てるティーショットは、上手く行くと、他の3人の内一番飛ばす人よりも、50ヤード近く先まで飛ばすことが出来ましたので、飛距離には満足しました。風はあっても暖かい良いゴルフ日和でした。スコアが悪いせいで、賭は、私の一人負けとなり、19番ホールの代金は、全部私が払うことになりました。


帰りは同期に、車で京王線の駅まで送って貰い、我が家には、6時過ぎに着きました。長い1日となりました。


 


3月23日


 今日は、市川の学園の評議委員会、理事会に出席しました。理事会だけの時は、10時から始まるのですが、評議委員会は9時から始まる事になっていました。結局、今日も5時半起きとなり、6時10分には家を出て、学園に8時45分に着きました。予定通り、評議委員会が始まりました。評議委員会は、学校の先生と父兄、法人事業部がメンバーでした。そこで話し合われる、学事報告、本年度の問題点、来年度の方針が、理事会にも関係が有るので、合同の会議となったようです。


評議委員会は、10時半に終り、その後は理事だけが残り、理事会となりました。年度末なので、決算案と予算案が提出され、種々説明がありました。何度聞いても、若者が減少し、IT時代が進展する中での、学校教育、学校運営の難しさを痛感しました。今日は、学校の運営努力と、文部科学省の補助金のあり方が、大きな話題となりました。多くの学校が、募集人員に対し、入学生徒数が達しない学校が増えている中で、募集人員を越えて入学者があり、全体として学校に定められた定数を越えた場合、補助金が停止されるそうです。この施策は、少数の学校に生徒が集まり過ぎ、他の学校が廃校になる事を防ぐ施策のようなのですが、この施策が、本当に日本の教育の将来にとって有効なのか、納得が出来ない理事が居たのです。私も良く理解が出来ませんでした。文部科学省の説明があるわけではなく、疑問は残ったままでしたが、12時過ぎに、理事会は終了しました。


折角千葉の方まで来たので、何時ものように、近隣を歩こうと思ったのですが、余りにも寒かったので何処にも拠らず帰宅しました。家に着いたのは4時頃でした。晩酌までに時間があったので、小さなドングリで、20羽の梟を作りました。単にドングリに目玉を書き、木の上に座らせるだけなのですが、時間潰しには、充分でした。

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2019年3月21日 (木)

2019年03月20日

2019年03月20日

 今朝は、天気は良いのですが、地平のぼかしが強く、富士が霞んで見えました。明日は、春分の日、季節はどんどん先へ進んでいきます。
 昨日の夜は、ブログがどうして使えないのか、何の情報も得られないままでしたので、今日、ブログの会社が仕事を始めた、10時を見計らって電話をしました。昨日よりも、早く電話が繋がって、話を聞くことが出来ました。19日に、ブログを使いやすくすることと、ブログへのサイバー攻撃から守るために、システムのメンテナンスをしたそうです。所が、電話口に出た人に拠れば、メンテナンスが旨く行かず、現在復旧作業を行っているので、復旧を待って欲しいとのことでした。また、復旧状況については、ホームページで順次公表しますが、今日中には、終わるとの事でした。
 私も、コンピューター関係の仕事をしていたので、システムのメンテナンスには、トラブルが付きものだというのは、良く分ります。私も何度かトラブルを引き起こしました。便利なようで、やっかいな時代になったものです。今回のトラブルに対しては、会社を上げて、復旧に取り組んでいるようなので、明日まで待つことにしました。今までの経験から、トラブルは必ず解決しますし、私が、特に大きな損害を受けているわけでもありませんので、、、。
 取り敢えず、昨日の日記だけは書いておいて、天気も良いので、今日は高尾山に行くことにしました。
 11時に家を出て、高尾山口のケーブルカーの駅に、12時13分位に着きました。もうすぐケーブルカーが発車しますとの放送が流れていたので、慌てて切符を買ったら、下りは歩く積もりだったのに、往復切符を買ってしまいました。
 高尾山駅に着いて、四方を眺めると、霞が素晴らしい景色を演出してくれていました。高尾山から見る大山が、私は一番好きです。富士と似ているようで、大山独特の山の形は、湘南から見る大山とは、全く違います。特に今日のように、霞の強い日は、なだらかな三角錐の山が青霞み、丹沢の奥に座って、威厳のある優しさで、見る者を励ましてくれているようでした。何枚も何枚も霞の風景写真を撮りました。今日は、霞が強すぎて富士は見えませんでした。大山の写真を撮っていたら、目の前に蝶がやって来ました。山でよく見かけるヒオドシ蝶でした。
 高尾山の頂上で、大山と多摩地方を眺めながら、何時ものように弁当を食べました。先週キャンパス訪問をした法政大学が、高尾から続く丘陵地帯の林の中に見えました。真正面でした。
 食事が終わると、もう下山です。薬王院に続く、だらだら道を降りました。アブラちゃんの黄色い花、はち切れそうな蕾の菫、花を開いた菫、夕日が差し宝石のようだった花の跡、等々を見ながら、猿園まで降りました。3時半でした。往復切符を買ったので、帰りは楽ですので、日頃は素通りする猿園と、野草園を見る事にしました。
 高尾山には、100回以上、楽に来ているのに、猿園は3度目、併設されている野草園には初めてでした。猿園に入ったのは、まだ、野草に興味を持っていなかった時期でした。山の斜面に作られた野草園は、それなりのものでした。ユキワリソウ(雪割草)、一輪草、二輪草、カタクリ(片栗)、富貴草、山瑠璃草、菫、を見る事が出来ました。猿園の猿は、代替わりしているのでしょうが、以前見た時と全く同じような印象を受けました。子猿達が元気で遊ぶ姿も一緒でした。この山の猿達は、何代もこの猿山しか知らないで生きているのでしょうねー。人間が、地球から出られないのと同じですかねー。
 猿園を出る時、入口の係の女性に、「もうカタクリが咲いていたよ」と言ったつもりが、「もうカタツムリが咲いていたよ」と言ってしまって、二人で大笑いになりました。年は取りたくないですねー。猿園を出て、4時半のケーブルカーで高尾山口に下り、谷間に差し込む最後の夕日を受けて、最後を飾る梅達の写真を撮って、高尾山と別れました。家に帰り着いたのは、6時近くでした。
 早速、パソコンを開いて、ブログの復旧状況がどうなっているか、確かめました。以前と画面のレイアウトは変わっていましたが、ちゃんとログインできて、日記をブログに上げることが出来るようになったようです。復旧が確認できたので、実際の作業は明日にすることにして、晩酌にしました。

 22日から予定が続きますので、21日から25日まで、日記の掲載を休みます。

「青霞む 大山の峰 心打つ 君見ていれば 心静まる」
「手を広げ 全てを受ける マリヤ様 高尾から見る 大山の姿」
「大山に カメラを向ける 人々を 手すりに戻す ヒオドシ蝶かな」
「膨らみて 明日は開花の 菫花 詰まりしものは 希望だけなり」
「去年の花 夕日背にして 煌びやか 花の時より 美しきかな」
「山道の 黄色き花は キブシかな いえいえ我は アブラちゃんなり」
「山道に ひっそり咲けば 良きものを 山と山瑠璃 野草園の花」
「谷間の 細き隙間に 夕日差し 最後を飾る 梅を称える」
 
20190320-96

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2019年03月19日

2019年03月19日
 今朝は、雲の多いどんよりとした空だったのですが、珍しく富士の所だけが、雲が切れたようで、薄暗い空に富士だけが輝く、不思議な光景でした。
 10時半くらいに、昨日の日記を書き終えて、ブログにアップしようとしたら、「メンテナンス中なので、しばらくお待ちください」というメッセージが画面に現れ、ブログのアプリを使うことが出来ませんでした。少し間を置いて、何度か試してみましたが、画面が変わらないので、11時過ぎから、散歩に出ました。今日は、よこやまの道を歩きました。
 バスで、東部団地入口まで行き、そこから、今年の元日初日の出を見た、みはらしの丘に行き、新宿、東京、武蔵小杉、川崎、横浜といった、江戸、武蔵野、相模を一望しながら、弁当を食べました。一人だけ、私と同じように弁当を食べている、若者が居ました。
 弁当を食べ終えて、よこやまの道の入口まで行くと、久し振りにアトリの群れに出会いました。この鳥は、群れでありながらも、鳴き声を出さない、とても静かな集団です。逃げ出す前に、なんとか写真が撮れました。
 よこやまの道に入ると、直ぐにヒメコブシ(姫辛夷)の巨木に出会いました。よこやまの道の景観木に指定されていました。樹齢も100年は超していると思われる巨木です。その姫辛夷が、空を覆う白い大きな天幕となっていました。この状態が続くのは、せいぜい1週間程度でしょう、良い時期によこやまの道に来ました。また今の時期は、キブシの花の時期でもあり、よこやまの道には、沢山のキブシ(木五倍子)の花が咲いていました。また、よこやまの道には、ヤマナラシ(山鳴らし)という木が、あるそうなのですが、どの木がそうなのか、分りませんでした。芽吹きの頃の花や葉は、似た物が多くて、素人の私には、見分けが付きません。
 見晴台の近くでは、鶯にからかわれて仕舞いました。直ぐ近くの木から、鶯の鳴き声が聞こえたので、必至になって探したのですが、見つかりません。諦めて、その場を去ると、また近くで鶯の声が聞こえます。今度も笹藪の後ろの木でしたが、見つかりません。また歩き始めて暫くすると、また鶯の声が聞こえました。その都度、立ち止まって鶯を探すのですが、結局見つかりませんでした。どうも同じ鶯が、私の後を付けているようでした。その後、鶯の声を気にしないで、歩くことにしました。
 1本杉公園では、真鴨が一番(つがい)、恋が成就したような、落ち着いた泳ぎをしていました。水面に映った冬木立が乱れないような、本当に品のある静かな泳ぎに、感動しました。公園の出口の所に、クマシデ(熊四手)が、黒くなった去年の実の後ろから、新しい花が咲いて居ました。譲り葉ならぬ譲り実の様でした。
 1本杉橋を渡り、よこやまの道と分かれて、多摩センターを目指しました。多摩センターまで、広大な団地の中心を通る道を歩きました。比較的新しい団地や、立て直された団地もありました。この広大な土地に、1軒家が1軒もありませんでした。異様な風景でもありました。そう言えば、団地生活が文化的な生活だとして、多くの若者が団地を選んだ時期があったのを思い出しました。私が中学生か高校生だった、高度成長時代の始まりの頃ではないでしょうか、その時の社会の勢いの余韻を感じました。
 多摩センターからバスで、聖蹟桜が丘に戻り、6時前に我が家に帰りました。早速、ブログを更新しようとしましたが、メンテナンスは終わったようですが、「IDを2つ以上持っていませんか」などと別のメッセージに変わり、更新が出来ませんでした。仕方なく、カスタマーセンターに電話しましたが、30分近く経っても繋いでくれませんでした。「順番におつなぎしています。暫くお待ちください」との音声が流れるだけでした。結局、1時間以上、格闘しましたが、ブログの更新は出来ませんでした。
「丘の上 武蔵と相模の 国境 殿様気分で 昼餉楽しむ」
「空隠す 巨木が広げる 白き傘 よこやまの道 姫辛夷かな」
「芽吹き前 小さき黄葡萄 道しるべ 木陰に灯り 木五倍子の花」
「鶯が 探せとばかり 高鳴きす 探せぬ我を 笑って一鳴き」
「恋なりて 池面を滑る 真鴨かな 心穏やか 泳ぎも穏やか」
「冬木立 池面に映り 逆さ森 木立の中を 真鴨が泳ぐ」
「赤枯れし 去年の実並ぶ 枝先に 今年の花咲く 熊四手譲り実」

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2019年03月18日

2019年03月18日
 今朝は、快晴で、空気が乾燥しているのか、地平のぼかしがなく、富士が白銀のように輝いていました。丹沢の雪もまだ融けないで、雪山のままでした。この朝の状態が、午前中、ずっと続きました。午後は、霞が強くなりました。
 2日前に、我が家の山椒が芽吹きました。今は、何処でも黄梅の花を見る事が出来るのですが、我が家の黄梅は、半分枯れた状態で、花が咲く気配はありません。壁掛けの鉢が、小さかったのかも知れません。昨年買ったマダガスカル・ジャスミンは、冬、家の中に入れなかったので、霜枯れてしまいました。ベランダで植物を育てるには、もっと注意深く、まめな人でないと駄目なようです。
 我が家の前の桜が開花しました。我が家の前には、開花時期の違った3本の桜があり、何時ものように、開花時期の一番早い桜が開花したのです。僅か4,5日のずれで咲くのですが、順番が狂わないのに驚きます。桜の温度感知機能が、どの様に機能しているのか、何時も不思議に思います。これは、桜だけでなく、全ての草木についても同じです。本当に、自然の生業は、興味が尽きません。
 今日は、午後、配水設備の点検があるので、点検が済むまで、家を空けることが出来ませんでした。散歩には絶好の天気だったのに、残念でした。点検の人達は、2時半に着き、15分程度で、点検は終了しました。詰まりが生じていないか、確認するだけの作業でした。
 晴れているのに、家でじっとしていることの出来ない人間なので、3時から散歩に出ました。多摩川の土手伝いに、上流の立川根川公園へ行って来ました。散歩に出る頃は、雲も増え、富士も隠れてしまいました。しかし、奥多摩の霞具合が、東山魁夷の絵のようでした。最近、自然の写真を撮る時に、東山魁夷の影響を受けていると感じることが増えました。この冬、冬木立の写真を、何枚撮ったでしょうか、空を背にして立つ木々を見ると、どうしても写真が撮りたくなるのです。
 根川公園には、白木蓮、土佐水木、日向水貴、雪柳、水仙等、春の花が、あちこちで花を開いていました。翡翠の来る池の前には、今日も数人のカメラマンが陣取っていました。私も仲間に加わって、翡翠が来そうな場所を睨んでいました。すると、本当に翡翠がやって来たのです。夢中で写真を撮りました。今年、初めての出会いでした。何時見ても綺麗な小鳥です。翡翠と会えただけで、今日の散歩は、大満足でした。
 池から、多摩モノレールの柴崎体育館駅に出ました。ホームに登ると、今まで隠れていた、富士山が見えました。何時ものように、高幡不動から京王線で、我が家に戻りました。6時近くになっていて、真上の空に朧月が出ていました。今週末のゴルフのため、ゴルフバッグを宅急便で送り、昼間、配水管の検査員を待っている時に選んでおいた写真を、フェイスブックに投稿したりしていたら、晩酌の時間が、8時になってしまいました。
「ベランダの 前の桜が 開花する 如何に計るや 開花の時期を」
「春霞 奥へ行くほど 白くなり 空に融け入る 奥多摩の峰」
「春を待つ 河原で揺れる 枯れ薄 煌めく川面に 小鴨が泳ぐ」
「白枯れた 泡立ち草の 花の跡 綺麗な行列 行儀良きかな」
「春祭り 飾り提灯 花の房 土佐の水木も 祭りに参加」
「春祭り 飾り電球 花の玉 日向水木も 祭りに参加」
「白無垢の 花の居並ぶ 春祭り 白木蓮は 祭りの主役」
「花房の 水面に映る 土佐水木 その絵の中に 翡翠を見る」
「縮れ花 万作さんも 春祭り 花笠提灯 祭りを先導」
「白襷 幾重も巻いて 春祭り 盛り上げ役の 雪柳かな」  
「木の陰の 暗がりに咲く 黄水仙 落ち葉も草も 優しく照らす」

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2019年3月18日 (月)

2019年03月17日

2019年03月17日

 

 今朝も良い天気でした。天気予報では、午後から、八王子近辺は雨だそうですが、ほぼ快晴状態の空に、本当に雨雲が来るのでしょうか、信じられませんでした。結局、今日は、少し雲が増えた時期がありましたが、雨はぱらりともせず、1日中良い天気でした。天気予報も当たらないこともあります。

 今日は、アパートの理事会が、午後6時からあるので、少し早めに出かけて、早めに帰って来る感じで、七生丘陵散策東コースを歩いて来ました。

 午前11時に家を出て、四谷橋を渡り程久保川へ出ました。四谷橋の下で、バン達が泳いでいました。そろそろ桜が咲き、燕がやって来ます。もうすぐ北へ帰るでしょう。河原の冬木立の中で、柳が1本芽吹きを終えて、萌黄色に輝いていました。柳の芽吹きは早いですねー。程久保川と浅川の合流点にある仙人の花畑は、3,4年前の台風による増水被害以降、手入れが放棄されていましたが、今年は手入れが進んでいました。春には、昔のような花畑に戻るかも知れません。期待しています。

 程久保川から、百草園駅の方へ曲がりました。駅までの通りに、古い空き家が何軒かあったのですが、全て更地に変わっていました。百草園駅の近くは、新陳代謝が一段落しそうです。最近出来たばかりの、セブンイレブンに入り、弁当を買いました。弁当は充実していますし、コーヒーは何時でも飲めて、新鮮野菜の一画も出来ました。小綺麗な喫茶店兼スーパーの様になっていました。

 大宮神社の横から、多摩丘陵に登り、百草園の梅を外から眺め、百草八幡に参拝して、百草台公園に出ました。この公園の一番高い所で、昼食にしました。先程のコンビニで買ってきた、ダッカルビ弁当です。一日分の野菜ジュースと一緒に食べました。最近予定がない時は、出来るだけ外で食べるようにしています。1日3食食べることが、面倒で負担に感じることが増えてきましたので、色々変化が必要だと思っています。自分で作るより、費用は嵩みます。弁当の後は、缶入りですが、温かいコーヒーを飲んで、食事を終わりました。最近の自動販売機には、缶入りの味噌汁や豚汁なども売られています。まだ、試していませんが、出来るだけ早く試してみようと思っています。

 百草台公園から、百草団地の横を通り、もう一つの丘にある高幡台団地に出ました。両方ともかなり大きな団地です。団地の横の雑木林を歩いて、明星大学に出ました。そこから、丘を降りて多摩動物園駅に出れば、七生丘陵散策東コースは終わるのですが、少し遠回りして、明星大学と中央大学のキャンパスを歩いて、多摩動物園駅に戻りました。午後2時半になっていましたので、約3時間半の散歩でした。まだ帰るには早いので、高幡不動の骨董品を売る「ござれ市」と、境内の花を見て、聖蹟桜が丘経由、4時過ぎに我が家に戻りました。

 シャワーを浴び、写真の整理などをしていると、理事会の時間になりました。私の階にある会議室で、時間通り会議が始まりました。私が住んでいるアパートは、192世帯の大型アパートです。各所に修繕すべき所が発生し、ゴミ出しや生活マナーの悪い人もかなり居ます。また、共益費を払わない、払えない人も居ます。定年と同時にアパートを購入して、食費と光熱費だけで暮らせると思っていた人にとっては、月4万円を超す共益費は、負担が大きいようです。等々、今日も2時間、ぎっしり議論が続きました。

 これまで、アパートには、住民の親睦と、お金の掛からない生活上の問題を担当する自治会と、費用絡みの問題を担当する理事会に別れていました。所がこれでは、各会の役員を受ける回数が増え、住民の負担が増えるので、今年の理事会と自治会の役員が話し合って、来年から一つの会に統合する案を作りました。今度の7月の住民総会で、採決を仰ぐことになっています。負担が減ることですから、問題なく通ると思いますが、総会の準備も一仕事です。それにしても、私が子供の頃の田舎の生活とは、随分生活の仕方が変わったものです。これ程社会生活が激変した時代は、無かったと思います。

 

「蔓延りし 葛も枯れ果て 冬河原 希望の緑 柳の芽吹き」

「多摩川に 泳ぐバン等も 故郷へ 桜咲く頃 燕と交代」

「早春の 枯れ草色の 土手の道 日一日と 緑増え行く」

連翹も 花の仲間に 加わりて 垣根彩る 色の増えけり」

「春告げる 役目を終えた 梅の花 梢に数輪 花の残れり」

「遅咲きの 梅は今頃 満開に 桜咲け咲け 一緒に春を」

「枝越しに 我が家が見える 百草台 芽吹き終われば 幕の後ろに」

「榎かな 名前分らず 気になる木 黒き去年の実 新芽の緑」

「丘の上 梅の彼方に 広がりし 武蔵国の ビルの人里」

「真上から 鶯の声 聞こえ来る 瞳凝らせど 姿は見えず」

「葉を落とし 裸の木々の 逞しき 真の強さに 心打たれる」 

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2019年3月17日 (日)

2019年03月16日

2019年03月16日

 

 今日は、雨だと思っていたのですが、雲は多いものの明るい朝でした。しかし、富士は見えませんでした。

 テレビの報道によれば、ニュージーランドで、イスラム系移民が、2箇所のモスクで、礼拝中に銃撃され40人以上の死者が出たそうです。イスラム移民を排除しようとする過激派グループによる、周到に準備された事件だそうです。

 現在、世界で起きる様々な事件や戦争は、殆どが宗教絡みです。イスラム教絡みとも言えます。私は、如何なる宗教も嫌いですが、人間の人生は、色々と問題があり過酷でもありますから、神にすがろうとする人間が嫌いなわけではありません。

しかし、宗教は、神話の時代の種族を守る原始宗教から、歴史を重ねて今日の日常生活の土台であり、倫理観念の基礎を形成する宗教に至るまで、民族の文化や歴史と共に成長してきました。しかし、あくまでも原点は、生きるテリトリーを守るという生物の本能ですから、問題が起きれば、自分さえ良ければ良いという原点に返ります。敵を排除して、自分を守ることが最高の善なのです。自分達の縄張りを守るために、抗争を繰り返すヤクザの世界と何ら変わることがありません。神学等と、哲学を基礎とした高尚な思考の産物のように言っていますが、まやかしに過ぎないと思っています。

人間が増加し、人類が平等に繁栄を享受することは、非常に難しくなりました。生きるために敵を排除する傾向は、更に多くなるでしょう。米国の大統領が、自国第一主義を言う時代になりました。移民の受け入れを嫌い、英国がEUから離脱する決意をしました。これは、世界の頂点で優雅に暮らしていた、西欧の白人にも、生きることの困難さが生まれてきた証左です。今回のニュージーランドの事件は、白豪主義とキリスト教が一緒になった、自己中心的排他主義の結果だと思います。繰り返しますが、人口は、地球が人類を生かすためのキャパシティーを越えて増大していますので、敵を排除する戦争は、増えることはあっても減ることは無いでしょう。私のような、平和主義者は、無用の人間かも知れません。

 

 テレビで言っていましたが、梅の見方には、探梅、賞梅、送梅と三つの見方があるそうです。何のことかと思って調べて見たら、俳句の季語でした。咲き始めの梅を探す、満開の梅を観賞する、盛りの過ぎた梅を見送る、というように時期によって異なる見方があり、その時々の梅を楽しむことが出来るそうです。流石、日本の俳句の世界だと思いました。私も、言葉は知りませんでしたが、そのように楽しんでいました。

 今日は、雨が降るはずだったのが、一向に降る気配がありませんでした。1日、家に居ることになると、沈んでいた気持が晴れて、何時でも引き返せるような、近場を歩くことにしました。季節は、送梅の時期となり、こんな言葉があるのか知りませんが、探桜の時期と重なりました。

 我が家から、泉町公園、国立水再生センター、ヤクルト中央研究所、谷保城山公園、谷保天神と歩いて返って来ました。泉町公園の頃は、何日か前に薬師が池公園に行った時と同じように、鈍い光の太陽だったのが、次第に雲が晴れて、城山公園辺りでは、燦々と輝く太陽になり、谷保天神では、急に雲って太陽が見えなくなり、甲州街道でバスを待っている時には、ほんの少しではありますが、雨が落ちてきました。この変化が、僅か2時間足らずで起きたのです。花を見たり、空を見たり、忙しい散歩になりました。

 家に帰り着いたのは、4時過ぎで、時間があったので、この前、薬師が池で買ってきた梟達を、木の枝に止まらせる作業をしました。この為に、以前、適当な枝を拾ってきていたのです。先ず、2本の枝を縛り、冬木立らしくしました。これを、保管してあったウィスキーの蓋に差し込み固定しました。蓋に丸みがあって起き上がり小法師のようになるので、蓋の周囲を少し高くして、安定させました。その後、枝に5羽の梟を止まらせ、作業は完成しました。元々の梟が可愛いので、とても良いものが出来ました。飾る所を色々考えましたが、最終的にトイレに飾ることにしました。

 作業が終わると、晩酌の時間になりました。酒を飲んでいる時、知り合いの女性から一昨日電話があったことを思い出し、電話をしました。この女性と話すと、何時も話があちこちに飛び火して、長い電話になります。今日も1時間近く話しました。

 

「花片を 広げたような 芽吹きかな もうすぐ出番 五月の紫陽花」

「花韮に 病の友を 思い出す 庭に一面 希望の花達」

「白雲の 落ちてきたよな 雪柳 皆を待てずに 独り満開」

「薄雲に 日差し柔らか 多摩の里 蝶々も来たり 菜の花畑」

「小さくも 蘭にも似たる 花の咲く 何れ黒豆 烏の豌豆」

「濃き緑 椿の中から 枝延ばし わたし綺麗と 呟く黄梅」

「本物の 猿も楽々 座れよう 欅の幹に 猿の腰掛」

「谷保天神 鎮守の森を 背に負いて 一際目立つ 白木蓮かな」

 

 

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2019年3月16日 (土)

2019年03月15日

2019年03月15日

 

 今朝も素晴らしい天気でしたが、地平の方が霞んで、富士が良く見えませんでした。2,3分富士の方角に目を凝らしていると、薄らと白い富士を見たような気になりました。

 明日は、雨になりそうなので、今日は、もう一度狭山湖に行きました。桜の花が咲く前に、故郷へ帰る渡り鳥達が、この狭山湖で一休みするらしく、この時期は、真鴨、小鴨、尾長鴨達が、狭山湖に大集結するのを、これまでに何度か見て来ました。今日も大集結を期待していたのですが、小鴨が10数羽泳いでいただけで、鴨達が、全く居ないのと同じようでした。日本が暖かいので、早くも北帰行してしまったのでしょうか、故郷も暖かくなっていることを祈っています。

 午後1時を過ぎていましたので、静まりかえった湖畔を見つめながら、弁当を食べました。奥多摩の大岳が遠くに霞んでいました。このまま、来た道を折り返して帰るのは悔しいので、堰堤を渡って、狭山湖外周道路に入りました。狭山湖を1周したときに歩いた道です。以前と同じようにラブホテルが、3軒建っていました。今日は狭山湖を1周する積もりは無かったので、外周道路から降りて、山里に入りました。葡萄農家が多いらしく、あちこちに葡萄畑がありました。畑のあちこちに、幾つも梅園があり、畑の畔は、ホトケノザ(仏の座)、ナズナ(薺)、タネツケバナ(種付け花)、オオイヌフグリ(大犬陰嚢)が花盛りでした。山里の春ですねー。

 近くに神社が見えたので、参拝しました。八幡神社でした。参拝はしたものの、自分が今何処に居るのか、どの方向へ向かって歩けば良いのか、さっぱり分りませんでした。人も歩いていないので聞くことも出来ず、大きめの道路を、適当に歩きました。道には、裏高尾の私の友人のアトリエと同じように、作品が野晒し状態で山積になっている、彫刻家のアトリエがあったり、畑1面を埋めた仏の座の赤紫絨毯があったり、山茱萸の畑があったり、姫四手辛夷が咲いていたりで、とても魅力的でしたが、何時の間にか、外周道路に戻ってしまいました。

 外周道路を暫く歩いていると、「緑の森博物館」へ降りる道の標識が出て来ました。横にある看板の地図では、降りると早稲田大学の所沢キャンパスがありました。3時を過ぎて、居場所も分らず、どうしようかと思っていたのですが、ほっとしました。大学には、必ずバスが来ているからです。何となく足取りが軽くなって、「緑の森博物館」は、単なる森でしたので素通りし、ものの15分も歩くと、早稲田大学に着きました。キャンパス訪問をさせて貰いましたが、此処には学部はなく、運動場やトレーニング施設等、スポーツ関連の施設専用のようでした。武蔵野の森に囲まれた、素晴らしい環境でした。

 予想通りに、学内の正門近くにバス停があり、西武池袋線の小手指駅に出ることが出来ました。名前は聞いたことがありますが、初めての駅でした。そこから、秋津へ出て、新秋津まで歩いてJR武蔵野線に乗換え、西国分寺から、国立へ出ました。

本来なら、此処からバスで、我が家に帰るのですが、今日は一旦聖蹟桜が丘まで行きました。何時もかかっている眼科の先生から、今週取りに来るように言われていた、左目の白内障の手術をやってくれる病院への紹介状を、取りに行ったのです。まだ、手術をするかどうかは、迷っています。紹介された病院(実は癌の手術をした病院)で、もう1回相談してみようと思っています。

聖蹟桜が丘から戻って、近くのスーパーで買い物をして帰ると、7時近くとなり、すっかり暗くなって居ました。

 

 

「いち早く 芽吹く柳の 乱れ髪 髪の梳かしは 風に委ねる」

「枯れ落ち葉 分けて顔出す 土筆ん坊 春の日溜まり 心地よきかな」

「小滝の 白く泡立ち 流れ落つ 渓流擬き 馬酔木の花かな」

「枯れ草の 影に隠れて ひっそりと 花を咲かせる たちつぼ菫」

「狭山湖に 渡り鳥等の 姿なし 今年は早いか 故郷の春」

「武蔵野の 畑の畔の 梅霞 流れる雲と 似た者同士」

「仏の座 薺種付け 犬陰嚢 畔は花園 里の春かな」

「仏等が 降りてくるのか この畑 仏が座る 紫絨毯」

「早春の 芽吹きの前の 冬の森 木漏れ日優しく 芽吹き促す」

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2019年3月15日 (金)

2019年03月14日

2019年03月14日

 

 昨日より、空気は冷たいものの、穏やかに晴れた、気持の良い朝でした。富士も、雲のベールを被らないで、素顔でした。

 今日は、午後2時から、歯のクリーニングでした。約一月半、毎週行ってきた歯の治療が先週で終わり、約四ヶ月ぶりに、歯のクリーニングが出来るようになりました。私を担当してくれる歯科衛生士は、治療の助手もしてくれて、治療した歯に金属の蓋をする、最後の仕上げは、彼女がやってくれました。とても親切で、丁寧な仕事をしてくれます。久し振りにクリーニングをして貰って、とてもすっきりしました。

 クリーニングが終わったのが、2時45分くらいだったので、遠くへ足を伸ばすことは出来ないので、近場の桜が丘公園に行きました。鎌倉街道と川崎街道の交差点から、桜が丘カントリーまでの川崎街道は、辛夷並木です。3分の1程度の辛夷が、5分咲き程度になっていました。今日乗ったバスは、稲城行きのバスだったので、桜が丘カントリーでバスを降り、桜が丘公園の入口近くにある、成満寺まで歩きました。

 これまで桜が丘公園に行く時は、大抵、成満寺に寄っていました。2年前に、御朱印集めを初めてから、10回以上立ち寄ったと思いますが、何時も住職が不在で、御朱印を貰うことが出来ませんでした。今日も、余り期待せずに庫裏のベルを鳴らした所、とても元気の良い大黒さんが出て来て、「私で申し訳ないが、御朱印を書きましょう」と言ってくれました。多摩13仏の番外でした。2年越しの念願が叶いました。

 成満寺を出て、桜が丘公園に入りました。入口の左の道を降りると、両側に沢山の白花の犬フグリが咲いて居ました。犬フグリというと、ブルーの花をイメージするのですが、この道の犬フグリは、全部白花です。珍しいのではないかと思います。そんな訳で、春になると1度は、白犬フグリを見たくなります。

 坂を下りた所から、雑木林に入り、小楢や櫟、メタセコイヤ、公孫樹、梅園などを抜けて、丘の上の広場に出ました。多くの木々は、まだ冬木立でしたが、梅園の梅は盛りを過ぎ、イヌシデは芽吹きを始め、キブシの花が下がり、辛夷が花を開いていました。丘の上の広場には、仏の座の勢力圏に姫踊り子草が進出し、花を咲かせていました。花々が、季節の移り変わりを教えてくれる、そんな春は、1年の中で1番、心が浮き浮きします。

 今日は、コゲラ、ヤマガラ、シジュウガラ(多分、高い木の梢付近に群れていたので、良く分らない)を見る事が出来ました。また、鶯の初鳴きも聞きました。本当に春ですねー。

 蜻蛉の池広場からの公園の出口には、森林総合研究所があり、以前は、2階建ての職員宿舎が4棟あったのですが、全て更地になってしまいました。森林研究所にしては、周囲が都会になり過ぎ、研究が出来なくなったのではないかと思います。いっそのこと、公園の一部として開放し、研究所の施設は、森林の重要性を理解するための、展示館にした方が良いと思っています。

 地元と言うべき、桜が丘公園を歩いたのですが、家に帰り着いたのは、6時近くになりました。アパートの近くの更地に、黄花水仙と鈴蘭水仙が咲いているので、何時か貰おうと思っていましたが、今日実行しました。所が、思いの外根が深く、我が家のベランダに植えられる形では、引き抜けませんでした。折角意を決したのに、残念でした。

 

「晩冬に 顔覗かせし 蕗の薹 梅散る頃に 花になりけり」

「この道は 白犬陰嚢の 領地なり 世にも珍し 桜が丘公園」

「複雑に 枝張る木々の 真ん中に 襟を正した メタセコイア」

「夕日背に 影絵となりし 森の木々 影絵の君等が 我は好きなり」

「芽吹き待つ 冬の残れる 森の中 明日を約束 辛夷の花かな」

「我こそが 古の多摩 生き証人 多摩丘陵の 櫛の歯の森」

「仏の座 横にワイワイ 大はしゃぎ 春本番の 姫踊り子草」

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2019年3月14日 (木)

2019年03月13日

2019年03月13日

 

 今朝は良く晴れていたのですが、富士山は、富士の形に雲に覆われ、一廻り大きく見えました。

 今日は、春本番の暖かさだとテレビが言っていますし、日記も早めに書き終えたので、相模原へ行ってみようと思いました。結果的に、相模原市に行くには行ったのですが、最初の想定とは、随分違ってしまいました。

 10時半には家を出て、聖蹟桜が丘からバスで、永山に行きました。そこから、京王相模原線に乗れば、相模原駅に着くと思っていたのですが、これが間違いでした。京王線は、橋本が終点で、相模原駅は、JR横浜線に乗換えて、一つ目でした。橋本も降りたことがなかったので、フラフラと歩いてみることにしました。多摩の端の方にしては、結構高いビルが多い町でした。数年後には、リニア中央新幹線の停車駅になると言われています。

 しかし、余り見るべき所がなく、相模原駅の方角へ歩いていると、細い川に出会いました。川歩きは好きなので、川の側を上流に向かって歩きました。曲がりくねった川で、川側から離れたり、川側に戻ったりしながら歩きました。川岸には、欅、櫟、小楢等の冬木立の他に、竹林や、梅や桜の花も咲いていました。所々に旧家もあって、庭には様々な花が咲いて居ました。キクザキイチゲ(菊咲き一華)、諸葛菜、白木蓮、辛夷、雪柳も咲いていて、正しく春爛漫を満喫しながら歩きました。今日の空の青さは格別で、その中に浮かぶ白雲の白さもまた、格別でした。この青空と白雲を背景に、冬木立、梅や桜など、何枚も何枚も写真を撮りました。

 ある橋に来ると、上流に向かって、右側が東京都町田市、左側が神奈川県相模原市でした。今まで、歩いて来た川が、神奈川県と東京都の境でした。しかし、川の名前が何処にも書いてありませんでした。更に暫く相模原市側を歩いて、町田市の方に移ると、バス通りに出ました。町田街道でした。爺さんが、バスを待っていましたので、川の名前を聞いてみたら、境川とのことでした。成る程と思いました。爺さんは、法政大学行きのバスに乗りました。私は、反対側の相模原駅行きのバスに乗ろうと思ったのですが、急に気が変わり、法政大学のキャンパス訪問をする事にしました。まだ、訪問したことがなかったのです。

 七分後には、バスが来て、法政大学へ向かいました。暫くすると、見たことの有る風景が出て来ました。城山湖から下りて来た谷戸の続きだったのです。何度か、この近くの相原駅から、横浜線に乗り、八王子に出て帰ったことがありました。町田街道を右折して、暫くすると法正大学に着きました。多摩丘陵の中に、広々としたキャンパスが現れました。人間社会から、隔離されたような空間でした。午後1時半を過ぎていましたので、経済学部のキャンパスのベンチで、昼食にしました。大学は、春休みに入っているのか、キャンパスには、学生の姿が、殆どありませんでした。閑散とした広いキャンパス中で、一人寂しい食事となりました。しかし、残された雑木林と青空と白雲を見ながらの、贅沢な昼食でもありました。

 昼食後、富士山が見える場所を探して、キャンパスを隈無く歩きましたが、富士は見えませんでした。丹沢は見えるのですが、近くの丘が邪魔をしているのです。大学のシンボルである、背の高い塔の教室からは見えるのでしょうが、建物の中には入ることが出来ませんでした。それにしても、歩きでのあるキャンパスでした。なんと、校内巡回バスもありました。

 3時を過ぎたので、学内から出る西八王子駅行きのバスで、京王線のめじろ台駅で降りました。京王の高尾山口線ですから、通い慣れた電車です。京王片倉の駅から、丹沢と富士が一望できました。3時40分には、聖蹟桜が丘に着き、我が家には、4時半近くに着きました。

 今日、花の名前が一つ分りました。我が家の近くに咲いて居る花で、花はスズラン(鈴蘭)、葉は水仙のようでした。名前を調べようと思って、スズラン水仙で検索した所、それが名前でした。見た通りの名前は、多いですが、少なからず驚きました。正式にはスノーフレークというようです。

 

「老いてなお 花を咲かせる 枝垂れ梅 気力称える 空の白雲」

「春の日に 空に浮かんだ 白雲に 負けじと白き 地上の雪柳」

「小楢等の 梢のむこう 青き空 幹の向こうに 白雲座る」

「木の形 真似して白き 雲の立つ 雪を背負った 雪国の木や」

「欅等が、作る簾の 奥に咲く 空に大輪 白薔薇の花」

「冬木立 青空白雲 梅の花 絵の中を行く 春の多摩散歩」

「今日の日を 誰かの画集で 見たような そんな気がする 春の日散歩」

「県境 君にぴったり 境川 東京神奈川 行ったり来たり」

「塀の外 覗いて見たい 白木蓮 塀から顔出し いかにも満足」

「朽ち果てた 幹にしぶとき 梅の花 君の強さに 空も魂消る」

「待ち侘びて 土からいきなり 白き花 我は知ってる 君はクロッカス」

「川縁に 菊咲き一華の 花をみる 植物園の 花かと思えど」

「君の名は 花は鈴蘭 葉は水仙 形通りの 鈴蘭水仙」 

 

 

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2019年3月13日 (水)

2019年03月12日

2019年03月12日

 

 今朝は、若干霞は強いものの、素晴らしい天気で、雪を被った丹沢、相変わらずの富士の白嶺が見えました。

 今朝、テレ朝のテレビで、人工透析をせずに死に至った、44歳の女性の件について、特集番組がありました。番組の解説者の中でも、意見の相違があり、激しい討論になりました。意見が違うと言う事は良いことなのですが、日本人の悪い癖は、意見の違う相手を、敵対する人間として、感情を込めて攻撃することです。本来議論は、個々の考えの違いが、何に由来し、違いの克服は可能かどうか、様々なデータ(真正な)を示しながら、論理的に議論されなければならないと思います。しかし、30分程度のテレビの番組では、このような議論が、充分に出来るわけもなく、取り敢えず、意見の違いを曝け出した、それだけで終わることがままあります。それはそれで、無意味ではありません。

 今日のテレビでは、病院側の意見、一般的な患者の意見、倫理委員会の意見等が事前に調査され、議論の前提となっていました。最近多くのテレビで採用されている方法です。しかし、この方法は、テレビ局側に議論の誘導がないか、その点の問題が常に残ります。

 私は、延命治療拒否者で、尊厳死協会に入っています、私の意思については、現時点で長男に書類を渡しています。従って、病院側が言っている、「このような機会を捉えて、長生きは絶対善だとする考え方を、倫理上の考え方を含めて、見直す機会とすべきだ」との意見にも、一理あると思っています。しかしながら、命に関する価値観、倫理観に関しては、宗教が多くの影響力を有しています。宗教が絡むと、それだけで、論理的な議論が出来なくなります。宗教的な倫理観を拒否すると、社会から村八分状態にされることがあります。宗教は、信仰の問題であり、排他性が強いものです。日本人は、宗教は形式だけを重んじ、心の内では無神論者だと言われていますが、その日本人が、命の問題になると、論理的思考を排除するのです。あそこの神社は、〇〇に御利益があるというようなことが、自分では遊び心の積もりでも、社会現象を引き起こすような国です。思った以上に、宗教的な人間が多い国なのかも知れません。

 今日のテレビの中でも議論されていましたが、医者の側にも多くの問題があります。医者は、病人に対しては、生殺与奪の権利を有した、絶対的権力者です。病人に対して、知らず知らずに、場合によっては意図的に、その権力を行使していることがあります。権力を行使しない権力者は居ないのです。特に、日本に於いては、庶民から人徳を兼ねた素晴らしい知識を有した人として、尊敬の対象でもありました。その尊敬の対象であることは、現代に於いても継承されている所があります。

 しかし、権力者は、必然的に別の権力と結びつきます。つまり、政治との結びつきは、一番憂慮すべき問題です。戦前の化学兵器、優生保護法等、過去の歴史を振返ってみる必要があります。更に、現代に於いては、医療は企業化していますので、医療行為に企業論理が入ることは、避けられない状態になっています。また、製薬業界、サプリメントの業界等も、医療機関とつるんで、大きな儲けを目論んでいます。

 医学の進歩が素晴らしいことは認めます。私も癌の手術をし、その恩恵にあずかりました。しかし、医学の中に、「酒を飲む人は癌になる可能性が高い」等々、確率論的な考え方が幅をきかせるようになりました。また、人間を解剖学的部分に分けて、治療することが多くなり、人間が持つ、統合されたシステム機能に目を向けない医者も出て来ました。科学の進歩が、医学に悪影響を及ぼしている部分もあることを知っておくべきです。また、医者の判断について、鵜呑みにせず、自分なりの判断や、第三者あるいは別の医者の判断(セカンドオピニオン)も大事な時代になりました。

 医療全般、特に終末期の医療は、少し考えただけでも、計り知れないような大きな問題で有ることが分ります。安楽死の問題を含め、人間の基本的生き方に関わりますので、マスコミも感情に溺れず、きちんと対応して貰いたいと思いました。

 

 今日は、午後5時半からの、大学の同窓会の会議の為、都心の大学に行って来ました。この年になって、大学と関われることは、本当に有難い事です。何れ止めなければならない時が来るまで、精一杯やろうと思います。仕事の中味は、表に出さないことになっていますので書きませんが、今日も真剣に議論して、その後、美味しい酒を飲みました。家に帰り着いたのは、11時半を過ぎていました。

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2019年3月12日 (火)

2019年03月11日

2019年03月11日

 

 昨晩は、かなり強い雨が降っていたようですが、今朝方は、小降りになっていました。9時頃には、雨も上がり、日差しも出て来ました。

 今日は、東日本大震災が起きた日で、もう8年になるそうです。あの日のことは、今でも良く憶えています。関東も、かなり強い地震が起きました。丁度、青梅市の吉野梅郷を見た帰り、拝島で電車が止まっている時に、地震が起きました。拝島で直下型地震が起きたのではないかと、思ったほどでした。拝島から歩いて帰り、テレビを付けて津波の様子が写し出された時の衝撃を、忘れることが出来ません。

 東日本大震災の2年後だったか、3年後だったか良く憶えていませんが、吉野梅郷の梅は、全て伐採されました。ウィルスに感染したのだそうです。誰がその感染を見つけ、どの様なウィルスが、どの様に感染し、どの様な病気を引き起こしたのか、良く分らないことだらけですが、済んでしまったことは、仕方がありません。東日本大震災の日に、吉野梅郷を思い出したので、現在どうなっているのか、行ってみることにしました。

 国立から、立川に出て青梅線で青梅に行き、奥多摩線で青梅から二つ目の、日向和田に着きました。この駅が、吉野梅郷への入口です。今日も、「吉野梅郷梅祭り下車駅」との看板が出ていました。今、正しく梅祭りの期間中でした。

 駅を出て、青梅街道を少し歩くと、「へそまんじゅう」の看板が見えました。奥多摩名物と書いてあり、店の隣には「へそのを観音」が祀られていました。今日は、土日でもなく、客が少ないので、爺さんが一人で店番をしていました。一番小さな8個入りの箱詰めを買いました。すると爺さんが、蒸かし立ての饅頭を一つサービスしてくれました。この事を機会に、話が始まり、吉野梅郷、特に梅の公園の回復状況について聞きました。すると爺さんは、力なく笑って、「最低でも後10年は掛かるねー」と答えました。

 へそまんじゅう店の近くに、西欧風の教会のような建物がありましたので、寄ってみました。近づくと教会ではなく、Rose Town Tea Garden(イギリス風ティーレストラン)でした。残念ながら、今日は休みでした。

 その後、多摩川に架かる橋を渡って、吉野梅郷に入りました。道の両脇に新しく植えられた梅並木が出来ていました。以前歩いた道を辿って歩くと、梅の公園の入り口に着きました。その入口近くに、野草園を持った寺がありました。以前もこの寺に寄りました。梅林山天澤院でした。御朱印を貰おうと庫裏のベルを鳴らすと、住職が出て来ました。御朱印をお願いすると、渋々な感じだったのですが、承諾してくれました。御朱印を貰った後、昔の梅の公園の話になりました。住職は、目の前にあった梅の公園を、毎年当たり前の事として、見ていたそうです。所が、無くなって初めて、どんなに素晴らしい物であったかを再認識しているそうです。自分が慣れ親しんできた物が、目の前から消えてしまう、そんな、想像だにしなかった事が、現実になりました。東日本大震災の被害に遭った人達の、自分とは比較にならない程の、心の傷の大きさが分ると言っていました。最後に、「その頃の絵葉書を沢山持っているから、少し持って帰って下さい」と言われましたので、2枚だけ貰いました。私が以前見た、丘を梅が覆った、綺麗な梅の公園でした。

 寺を出て、梅の公園に方に行くと、焼きそばやタコ焼きなどの屋台が、無造作に置いてありました。土日は商売をしたのでしょうが、土日以外は、とても商売にならないのでしょう。公園全体に来ている人の数は、20人足らずでした。屋台が、何となく侘しく見えました。屋台の道を通って、梅の公園に入りました。梅祭りの期間中飾られている、「つるし梅かざり」が、沢山飾ってありました。毛糸や布で作った梅の花が、枝垂れ梅のように長く下がり、所々に鶯が顔を出しました。何故か、私の好きな梟も居ました。しかし、本物の梅は、まだ殆どが苗木であり、昔に戻るには、半世紀はかかるだろうと思われました。

 丁度、梅の公園の高い所へ上がった時、2時46分となり、東日本大震災の黙祷の合図のサイレンが鳴りました。梅の公園を訪れている人は、ほんの僅かでしたが、皆で北へ向かって黙祷をしました。梅の公園自体が、ほぼ裸の丘となっており、被災地に居るような感じでした。

 何となく、思い気持を引きずりながら、梅の丘を一廻りして、梅の公園と別れました。吉野の里の昔道を歩いてみましたが、矢張り梅は苗木でした。以前は、屋根を越す梅が、そこら中にあったのです。

 吉野梅郷から青梅に戻り、更に国立に戻りました。国立のホームから、多摩全体を見下ろすような富士を見ました。少し落ち込んでいた気持が、漸く晴れました。ほんの一瞬だけ、「この富士が爆発で無くなったら」と思いましたが、富士の雄大さが、その気持を吹き飛ばしてくれました。

 

「我と共 生きた証が 無くなりて 心の穴に 風の吹き抜く」

「老いてから 漸く知りし 梅の里 そが無くなると 想像だにせず」

「発展は 古きを壊し 生まれ出ず 懐かしむのみで 生きては行けず」

「故郷も 子供時代の 面影は 山の形が 留めるばかり」

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2019年3月11日 (月)

2019年03月10日

2019年03月10日

 

 今朝は、曇り空かと思っていたのですが、良い天気でした。どうやら、夜、雨になるそうです。昨日吹いた強い風は、春一番だったそうです。

 昨日、ベランダから飛んで、桜の木の上の方に掛かって、取ることが出来なかったシャツは、今日は、一番下の枝まで落ちていて、簡単に取ることが出来ました。これも「待てば海路の日和あり」ですかねー。

 午前中の作業を出来るだけ早く終わらせて、今日は、町田市の薬師池公園に、梅を見に行って来ました。今年は、随分沢山の梅を見ました。

 11時頃に家を出て、薬師池公園に着いたのは、午後1時を過ぎていました。朝の良い天気は、何処かへ行って仕舞って、空は薄い雲に覆われていました。その薄い雲の後ろから、太陽が必死に光を送ろうと、頑張っていましたが、何時もの太陽とは違って、力のない鈍い光でした。それが、何時もとは違った、素晴らしい贈り物でした。淡い陽の中の梅林で、遅めの昼餉にしました。

 私は、薬師池の梅は、剪定が行過ぎていて、余り好きでは無いのですが、今日は、梅と太陽、寒桜と太陽、冬木立と太陽等々、何時もとは違った薬師池公園の魅力を見せて貰いました。

 薬師堂に行くと、何時もは人気のない庫裏の2階に、電灯が付いていました。若しかしたら、御朱印が貰えるかも知れないと思い、呼び鈴を鳴らしてみましたが、応答がありません。玄関から離れて、2階を見てみると、大黒さんらしい女性が、窓の後ろから下を窺っていました。あまり良い感じがしなかったので、御朱印は諦めました。

 薬師堂から、薬師池に降りると、キンクロハジロの番が、水面に綺麗な線を作りながら、近づいてきました。桜が咲く頃には、北へ帰っていくでしょう。

 薬師池公園にある事務所で、写真展と椿展をやっていたので、見学しました。写真展は、写真それぞれに俳句が添えられていました。私は、和歌を添えますから、気持が良く分りました。本来、俳句や和歌は、写真ではなく、それだけで情景がつぶさに分るように作るべきだとは思うのですが、最近は、あまり難しく考えないようにしています。一般人の老後の楽しみですから。椿展は、この庭園内の椿の花の、生け花展のようなものでした。この庭園を管理する人達の作品だと思いました。

 展示会を終わって、会場を出ようとしたら、手作りの布の梟が売っていました。以前も1度買ったことがあるのですが、今日も買ってしまいました。1羽100円で安いし、私の親指程度で、とても可愛いし、使ってる布が全部違うので、梟のファッションショーの様なのです。今回も5羽買ってしまいました。

 薬師が池公園を、3時半くらいに出て、我が家に、5時過ぎに着きました。雲行きがだんだん妖しくなってきたので、大急ぎで洗濯物を取り込みました。晩酌は、暫く食べないと食べたくなる、アサリバター、ほうれん草のバター炒め、鰺のカルパッチョで、美味しくワインを飲みました。今日は、雨の予報で、外には出られないかと思ったのですが、予想に反して、良い1日となりました。

 

「もうすぐに 春本番の 桜咲く 膨らむ蕾に 優しき太陽」

「もう少し つましく咲くと 思いけり 溢れんばかりの 馬酔木の花かな」

「白梅の 下に紫 花の咲く 春の日の中 寒咲あやめ」 

「仰ぎ見る 梢の先の 梅の花 枝垂れる花に 優しき太陽」

「空を突く 剣のような 枝先に 鉾治めよと 優しき太陽」

「葉を落とし 幹を晒した 欅には もうすぐ青葉と 優しき太陽」

「梅林に 仄かな光 降り注ぐ 朧な太陽 満開の梅」

「月の出と 見紛うほどの 陽の光 気持和ます 梅の花かな」

「梅林に ヴェール透した 春の陽の 優しく注ぐ 薬師池公園」

「冬木立 簾の向こうに 柔らかな ヴェール被った 優しき太陽」

「生き様を 晒して立ちし 大木に よくぞ生きたと 優しき太陽」

「屹立す 辛夷に一輪 花開く 梅と桜の 中間走者」

「寒き日は 少なくなりし 早春に 早咲き桜 熱海寒桜」

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2019年3月10日 (日)

2019年03月09日

2019年03月09日

 

 今朝も素晴らしい天気でした。昨日と同じような丹沢と富士が見えました。この所、2日続けて良い天気は、珍しいような気がします。

 今日は、メキシコアミーゴ会総会が、11時半から、代官山のメキシコ料理屋で行われました。

 代官山は、大学時代、恵比寿に住んでいた頃、1度行った記憶はありますが、半世紀以上も前のことなので、記憶も朧です。10時に家を出て、明大前に着いたのが、11時頃でした。井の頭線で渋谷に行くのも、ほぼ半世紀振りでした。渋谷に着いたのは、11時10分くらいでした。井の頭線の出口は変わっていませんでしたが、東横線の乗り場が、全く変わっていました。私の記憶では、地上階にあったと記憶しているのですが、なんと地下3階でした。昔、渋谷には、地下の駅は無かったと記憶しています。

 東横線で、隣の代官山に着くと、此処も雰囲気が全く変わっていました。代官山は、落ち着いた高級住宅街で、ケバケバとした商店や、四角いビルは、全く無かったと記憶していたのですが、他の駅前と大差が無くなっていました。代官山は、丘と谷が入り組んだ所なので、目指すメキシコ料理屋が、何処にあるのか見当も付きませんでした。仕方なく、改札の前に立っていた駅員に聞いたら、早速、スマホで調べてくれて、店の位置が分る所まで案内してくれました。駅員の親切さと、スマホの便利さに感動しました。自分でスマホを使いこなせると良いんですがねー。

 11時半丁度に、店に着きました。店は、貸し切りになっていて、席が足りない状況でした。私が、席に着くと直ぐに、総会が始まりました。昨年の活動報告、決算、今年の活動計画、予算など、お定まりの式次第を終えて、メキシコ料理、メキシコのビール、メキシコのワイン、テキーラで、一気に場が盛り上がりました。皆の中にある、メキシコへの愛着、数々の思い出が吹き出しました。このメンバーでなければ話せないことが、沢山ありました。来たばっかりだと思ったのに、気がついたら3時を過ぎていました。名残は尽きませんが、1年に1度の、アミーゴ会の総会が終わりました。何時も2次会に行く人が、不参加でしたので、私も帰ることにしました。今年は、秋にアミーゴ会創設20周年の行事が予定されているので、もう1度会えそうです。

 代官山の駅へ戻る途中、ロシア民芸品店があったので、入ってみました。沢山のマトリョーシカが飾られていました。マトリョーシカの入れ子人形は、女性ばかりだと思っていたのですが、色々な物があり、梟もありましたので、ついつい買ってしまいました。この年になって、断捨離とは程遠いですねー。

 今日、久し振りに井の頭線に乗って、昔を懐かしく思い出したので、独身時代最後を過ごした、下北沢に行ってみました。行ってみて魂消ました。駅と駅前と商店街が様変わりしていました。新宿の一画のような賑わいでした。私が、住んでいたのは、駅から坂を下りて、桜並木の川の側のアパートでした。坂道は幾つもありましたが、どの坂道か分らなくなっていました。闇雲に坂を下りて、桜並木に辿り着きました。昔は、若く小さな桜だったのに、巨木になっていました。半世紀の年月が過ぎました。桜並木の下を流れていた川は、今は埋められていて、遊歩道になっていました。私が住んでいたと思われるアパートは、探すことが出来ませんでした。大学を中退した年の暮れに結婚し、最初の1夜を過ごしたのは、このアパートの6畳1間の部屋でした。大家の老夫婦がやっていた豆腐屋も見当たりませんでした。時の流れを目の当たりにした、下北沢訪問となりました。

 我が家に着いたのは、6時近くで、ベランダから赤い夕焼けの空と黒い富士が見えました。かなり強い風が吹いていたので、急いで洗濯物を入れようとしたら、紐に吊していた洗濯物がありません。2枚は、ベランダの隅にありましたが、1枚は、外の桜の木に掛かっていました。結構長い棒を使いましたが、ベランダからも、外の通りからも取ることが出来ませんでした。明日まで、様子を見ることにしました。

 

「我青春 昭和は遠く なりにけり 思い出の地も 知らぬ世界に」

「あの世から この世の変化 見てみたし 適わぬ願いと 知りておれども」

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2019年3月 9日 (土)

2019年03月08日

2019年03月08日

 

 今日は、素晴らしい夜明けでした。雪化粧をした丹沢と、白さが増した富士山が、我が家の前方に並んで顔を出しました。

 今日は、ミモザの日らしいです。そして、国際女性デーでもあるそうです。この日の由来は、「イタリアではこのFESTA DELLA DONNA(フェスタ・デラ・ドンナ=女性の)とされ、男性が日ごろの感謝を込めて、母親や奥さん、会社の同僚などにミモザを贈ります。 このことから「ミモザの日」とも呼ばれるようになりました。」だそうです。

 イタリアは、ミモザの花は、日本の梅と同じように、春告げ花でした。早春には、至る所にミモザの花が咲いて居ました。現在は、日本でも、かなり多くのミモザの花が見られるようになりました。黄色い花を山盛り咲かせる木です。イタリア人の間では、あまり花粉症という言葉を聞かなかったのですが、イタリアに住んでいる日本人には、ミモザ花粉症の人が、結構居たことを思い出しました。花粉症のような、アレルギー症状は、免疫機能が他の問題(雑菌など)に対応しなければならない環境では発症しないらしいので、日本が清潔になり過ぎ、イタリアには多少不潔が残っていて、イタリア人の身体の免疫機能が、不必要に過剰反応をしなかったのだろうと思います。細菌やウィルスは、単なる悪だけではないのかも知れません。病気の治療は、単純では無いようです。

 今日は、娘と末の孫に付き合って、久し振りに「トリックアート美術館」に行きました。末の孫の幼稚園が、年長組の特別行事のため、末の孫達は休みになったそうです。

 何時もは、11時過ぎにやって来るのですが、今日は、10時前にやって来ました。じっくり遊びたかったようです。トリックアート美術館は、高尾山口にあるので、日野バイパス、八王子、甲州街道を走り、高尾山口へ行きました。途中、石田大橋を渡る時、富士山と丹沢の大パノラマが、正面に見えました。末の孫も一緒になって、大歓声を揚げました。娘が、ハンドル操作を誤るのではないかと心配になるほどの感激振りでした。

 トリックアートは久し振りでしたが、何時行っても不思議な感覚に襲われます。末の孫は、初体験だったのですが、特に大きな驚きでは無かったようです。小さな子供は、まだ、固定観念が強くないので、目の錯覚などを、強く感じないようです。ただ、母親とジージが、キャッキャ喜ぶので、一所懸命写真のポーズを取ったりしました。それが、なかなか意地らしく可愛く思えました。暫くする、説明用のテレビを見ながら、自分でポーズを取るようになりました。後で、写真を見ると、また楽しめるでしょう。

 トリックアートの後、直ぐ近くにある高尾温泉に行きました。トリックアートを充分に楽しんだので、12時半を過ぎていました。先ずは、食事をしてから、風呂に入ることにしました。高尾温泉の中にある食堂で、末の孫は、普通に大人が食べる「八王子ラーメン」を頼んだのですが、ほぼ一人で食べきりました。半分は残るだろうと想定して、軽い蕎麦を注文した娘の当てが外れました。

 その後、末の孫は、私と一緒に風呂に入りました。最近、「何でもお母さんとでなければ嫌だ」とは言わなくなりました。第1時反抗期というか、第1次自立期というか、幼児から子供へと変わりつつあります。ジージも家族の一員だと言う事も分ってきたようです。末の孫と二人で、7つの風呂に全部は入りました。長風呂が出来ない私も、30分以上風呂に入りました。

 風呂から出た時は、3時近かったのですが、末の孫はソフトクリーム、私はビールを飲んで、また30分くらい時間が経ちました。高尾温泉を出た時は、3時半近くになっていました。今日は天気も良いし、梅が見頃なので、孫達と別れて、高尾梅郷を見ようと思い、その旨を娘に伝えると、娘も梅郷を見たいと言いだし、皆で高尾梅郷に行きました。高尾梅郷は、裏高尾にある幾つもの梅林の総称です。幾つもの梅林を通り越して、一番大きな梅林に行きました。正しく見頃でした。雲1つ無い青空と、傾いた日差しに、白い梅の花が、梅とは思えないほど輝いていました。孫は、「ふーんこれが梅」というような様子で梅を見ていました。昨年、娘が来た時は、まだ咲いて居なかったそうで、今日の梅を見て、娘も満足したようです。途中、摺差(するさし)の豆腐を買って、一旦娘の家に戻りました。上の孫、孫娘、長い付き合いの猫が、大歓迎してくれました。暫く孫達と話して、6時過ぎに我が家に戻りました。針のような三日月が迎えてくれました。

 

「助手席に 孫の笑顔が 覗いてる 思わずジージも 笑顔が浮かぶ」

「望外に フロントガラスの 全面に 丹沢富士山 大パノラマ見ゆ」

「富士山だー 孫の口から 叫び声 誰にとっても 希望の富士山」

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2019年3月 8日 (金)

2019年03月07日

2019年03月07日

 

 今日も、朝から曇り空で、午後には雨となりました。3月に入ってから、東京は、晴れた日より雨の日の方が、多いような気がします。

 バス停の一つ奥の畑で、昨年から咲き続けていた仏の座が、今月に入って終りの時を迎えたようです。まだ、花は咲いていますが、細く小さくなった気がしますし、葉は赤枯れて仕舞いました。所が、昨年からの仏の座に変わって、今年生まれの仏の座が、昨年からの仏の座を押し退けるように広がり、世代交代が終わりました。1年中花が絶えませんでした。今年は、1年を通して、気温が高かったような気がします。今後、多少気温が低くなる年もあるでしょうが、地球温暖化は、進行していくような気がします。今年の仏の座のように、植物などの生き方が、進化していくかも知れません。

天文学的な気温の変化は、100年や200年といった短期間には、変化しないのでしょうが、現在進行中の気候温暖化は、人間が引き起こしているものですから、人間社会の時間の範囲内で進行するものと思われます。天文学的見地から見れば、極めて急激な変化になるのですから、予期しない様々な変化が起きる可能性があります。これまでの、科学的知見を結集して、地球の変化を見極めると共に、人間社会も、自然との共生の道を探して欲しいと思っています。

 

今日は、近くのスーパーに買い物に出かけた以外は、家の中で過ごしました。テレビばかり見ていると、足腰が萎えてしまいそうなので、今日は、押し入れを片付けました。何でも捨てられない性分ですから、押し入れの中に、紙袋、包装紙、ビニール袋などが溜まっていました。今日は、思い切って、その殆どを処分しました。しかし、我が家にある不要不急のものからすれば、微々たるものでした。

正直言うと、子供達には悪いのですが、断捨離はしないで、死のうと思っています。私の部屋には、千羽を越す梟の置物が飾ってあります。それらの一つ一つが、違った顔をしていますし、世界の様々な国のものもあり、私の人生の思い出と繋がっています。梟達を見ながら、梟達と思い出話をしています。このような事が出来るから、この年になっても精神的な異常も起こさず、元気に暮らして行けると思っています。勿論、これだけが、生きる糧ではありませんが、、、。

 断捨離は、捨てるだけで無く、そもそも物欲を無くすことが大事なようです。所が、詰まらないことですが、毎年、宣伝用のティッシュペーパーは、溜まる一方なのです。鼻を噛むとか、一所懸命使っているのですが、貰う方の方が多いのです。只のものは、何でも貰うという根性を、無くさないといけませんねー。

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2019年3月 7日 (木)

2019年03月06日

2019年03月06日

 

 昨日は、あんなに天気が良かったのに、今日は、朝から曇り空でした。その曇り空が、ほぼ一日中続き、夜には雨になりました。

 今日、日産のCEOだったカルロス・ゴーン氏が、保釈されました。保釈金は10億円だそうです。保釈金の額はどの様にして来メルのでしょうか、我々貧乏人にとっては、信じられないような巨額のお金でした。この保釈金は、実際に裁判が終了して、有罪であっても無罪であっても、返還されるのでしょうか、裁判が結審していないのに、長期間拘留するのは許されるのでしょうか、実際に裁判が終わって有罪の場合、この拘留期間は、刑期から差し引いてくれるのでしょうか、今度の事件では、日本の法律がどの様に決められ、どの様に運用されているのか、殆ど無知だと言う事に気づかされました。

 カルロス・ゴーン氏は、好きなタイプの人間ではありませんが、今回の検察曲特捜部の動きは、戦前の治安警察を思わせました。世の中には、多くの種類の悪があり、その悪から国民を守るため、国民は、国家権力に、法による処理を委ねました。この趣旨に則り、検察は、恣意的で無い厳格な方の適用を実施しているのでしょうか、信じられなくなって、怖い気がしました。

 

 今日は、妻と6時に神楽坂で会うことになっていました。昨日、山の仲間と行った湯河原梅林と幕山の75調の紀行文を纏めるのに、午後までかかってしまいました。結局、紀行文は完成しないまま、午後4時過ぎには、我が家を出ました。バスが10分以上遅れて、余裕を持ってでかけたはずなのに、丁度6時頃に神楽坂に着きました。

 最近妻は、何かが吹っ切れたように、機嫌が良いのです。電話で話す口調も、とても朗らかで軽やかになりました。ただ、夕食を何処で食べるかは、何時も悩みます。今日も悩んだあげく、ラムチョップを売り物にしている、スペイン・イタリア風の店に入りました。妻は、ラムチョップが好きなのです。売り物のラムチョップを3種類、その他に、茄子のバルサミコ風味生ハム乗せ、海老と茸のアヒージョ、牛すじのアヒージョを頼みました。私は、ビールを飲んだり、赤ワインを飲んだりして、それなりに食べましたが、酒を飲まない妻にとっては、どの料理も、今一つピンとこない味だったようです。早々に切り上げて、近くの海鮮居酒屋に場所を移し、妻は極めてシンプルな、銀ダラの西京焼とお握りを頼みました。これは、美味しかったと言うより、無難に食べられたようです。私は、刺身の盛り合わせを頼み、今度は日本酒を飲みました。

 食事の方は、若干問題がありましたが、カルロス・ゴーンの保釈に関しては、話に花が咲きました。妻もカルロス・ゴーンは、嫌いなようですが、日本の検察による長期拘留や、経産省が何等か関与しているらしいのに、その詳細が表沙汰にならないことに対しては、非常におかしいと行っていました。また、何故外国人の社長が必要なのか、日本人は経営能力が不足しているのか、何故外国人の社長に桁外れに多額の給与を支払わなければならないのか、社員は不足無く生活が出来ているのか、一体日本の会社、引いては、日本の経済は何処へ行くのか、心配で仕方が無いと言っていました。私も、全く同感でした。これから、カルロス・ゴーンが、どの様な話をするか、興味深くなりました。

 なんだかんだと話している内に、9時になってしまいました。終バスに乗り遅れるので、妻にお土産の梅干しを渡し、今日の食事会は、お仕舞いにしました。聖蹟桜が丘に着いたのは、10時20分くらいで、かなりの雨になっていました。

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2019年03月05日

2019年03月05日

 

 今日は、山の仲間と湯河原梅林を見て、幕山に登って来ました。何時ものように、75調の湯河原梅林・幕山紀行で、1日の様子を想像して下さい。

 

湯河原梅林・幕山紀行

 

「暗き内 目覚まし時計に 起こされて 浮き浮き準備 仲間と山行」

「満員の 通勤電車で 湯河原へ 我のみ一人 山の装い」

「空咳の 一つだに無き 電車かな スマホに居眠り 朝の通勤」

「二日間 空を覆いし 雨雲の 東に抜けて 西に富士山」

「二日間 春の長雨 山は雪 丹沢山塊 北国の山」

「小田原の 人つ手前が 湯河原と 思いて着いた 鴨宮かな」

「改めて 東海道で 湯河原へ 集合時間に 遅刻寸前」

「湯河原の バスの乗り場に 山中間 ラグビーチームの 十五人」

「菜種梅雨 からりと晴れて 山日和 山の仲間は 善き人多し」

「早春に 湯河原梅林 見頃なり バス待つ人の 長き行列」

「バス来ても 我等の列まで 乗せきれず 次のバスにて 湯河原梅林」

「梅林に 入れば皆から おお!の声 山肌埋める 紅白の梅」

「菜の花も 今が盛りと 咲き誇り 梅に負けじと 客をもてなす」

「もうすぐに 湯河原芸子の 踊りあり 未練残れど 山へと向かう」

「十五人 揃った所で はいバター 梅を背にして 集合写真」

「病癒え 老いの道行き 老夫婦 彼等残して 幕山目指す」

「梅の香の 漂う中に 列をなし 我等が仲間 頂上目指す」

「梅の花 雨の雫が 残りたり あちらこちらに ダイヤの輝き」

「山道に 落ちた花片 露残し 足下からの 光が届く」

「頂上を 目指す人等の 多かりき 岩登りする 人も居るなり」

「山道に シキミの花を 見つけたり 山の中にも 春は来にけり」

「草陰に ひっそりと咲く 菫花 見つけた人に 笑顔届ける」

「道脇に 馬酔木の蕾 鈴生りに 揃って花咲く 時は間近に」

「葉の落ちた 枝の簾の その先に のたりのたりの 春の海かな」

「幾度も 折れ曲がりし 道の後 突然着いた 幕山山頂」

「頂上は 足場無きほど 人多し 梅も良かれど 山も良きかな」

「太平洋 大海原を 見下ろして 仲間と食べる 飯の旨さよ」

「昼餉終え 幕山登頂 記念して 皆にっこり 記念撮影」

「降り道は 何処まで続く ぬかるみぞ 足場気にして ひたすら降りる」

「泥道で すってんころりん 宙返り 見事な着地 怪我も無きかな」

「転びたる 本人さえも 魂消たる 何で私は 普通に立ってる」

「泥濘を 歩き通して 到着す 大石多き 大石平」

「大石に 腰を下ろして 泥落とす 山靴さんへ 感謝込めつつ」

「渓流に 降りて山靴 清めたる 綺麗好きなる 山男かな」

「皆無事で 湯河原梅林 戻り来て 頭にちらつく 宴のビール」

「満員の バスに揺られて 湯河原へ 後は宴が 待つばかりなり」

「湯河原で 四人の仲間と 別れ告げ 野球のナイン 駅前酒場に」

「日は高く 働く人には 悪いけど 皆にこにこ ビールで乾杯」

「山降りた 麓の町の 居酒屋で 疲れ吹き飛ぶ 仲間と飲む酒」

「日も落ちて 更に四人が 家路へと 残る五人は バスケのチーム」

「宵進み 酔いも進んで 仕舞い時 渋々腰上げ 家路を辿る」 

 

  

 

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2019年3月 6日 (水)

2019年03月04日

2019年03月04日

 

 今朝も雨でした。昨日から、ずっと降り続いています。2月までは、雨の少ない年だと思っていたのですが、急に雨が多くなりました。

 今日は、11時から歯の治療だったので、少し早めに、病院に行きました。着いて診察券を出すと、11時10分前だったのですが、直ぐに名前を呼ばれました。今日は、医者ではなく、何時も私の歯のクリーニングを担当してくれる、歯科衛生士が治療してくれました。先週型取りした金属の蓋を、埋め込むだけの治療でした。11時10分には、今日の治療が終わり、そして1月以上掛かった右上の奥歯の治療が、完了しました。暫くは、歯も大丈夫でしょう。衛生士に歯のクリーニングの予約をして、病院を出ました。

 思った以上に歯の治療が、早く終わったので、3ヶ月に1度の眼科検診に行くことにしました。眼科の方は、予約が不要なのです。視力検査や眼底写真を撮り、医者の診察を受けました。毎度のことですが、「緑内障には変化は無いが、左目の白内障が進んでいる」と言われました。1年以上迷い続けていたのですが、今日、白内障の手術を受ける意思を伝えました。来週までに、紹介状を書いてくれるそうです。手術する病院は、府中市の総合医療センターでした。胃癌の手術をした病院でした。その方が、私にとっては好都合でした。

 眼科の方の検診も、12時半には終り、今日の昼の弁当と、明日、山の仲間と山での昼食用の弁当を買い、我が家に戻りました。1時半には、我が家に着きました。たっぷり時間はあるのに、雨が降り続いているので、散歩に行く気にならず、録り溜めていた医療関係のドラマを見たり、日記を書いたりして、時間を潰しました。

 夜は、野菜の残り物を整理するために、一人用の鍋で、アブラカレイと一緒に、水炊きにしました。お陰で、古い野菜を一掃することが出来ました。鍋ですから、日本酒での晩酌となりました。

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2019年03月03日

2019年03月03日

 

 今日は、桃の節句ですが、西湖は、昨日と打って変わって、雪の朝でした。窓から見る湖は白く霞み、松林に目を移すと、小雪が舞っているのが見えました。しかし、積もりそうな雪ではありませんでした。

 後輩達は、今日で合宿を終え、10時にバスが迎えに来て、大学に帰るそうです。7時から、後輩達と最後の朝食を済ませ、部屋を片付け、ホテル代の精算をして、8時半頃から、雪の中を散歩しました。

西湖を取り囲む山々の尾根は、雪霞の中に隠れてしまっていましたが、湖の縁の木々は、今にも消えようとする影絵のようでした。木々の上に落ちた雪は、多くの水玉となって、枝に留まっていました。白い花を付けた梅の枝にも、綺麗な水玉が出来ていました。

 湖の縁に出て見ると、キャンピングカーが1台と、テントが一張りあって、撤収の準備をしていました。昨日からは、想像できない朝だったろうと思いました。この雪の中、毎年来ている大鷭が、岸の近くで泳いでいましたが、私を見て岸を離れていきました。湖岸の木で翅を休めていた鳶も、私の接近を見て、慌てて飛び去りました。こんな雪の朝に、人が来るとは思っていなかったのでしょう、どうも私は、お邪魔虫のようでした。湖岸に並べられたボートが、「出番が来るのは、もう少し先かなー」と言っているようでした。

 9時を過ぎましたので、ホテルへ戻ると、何時もは湖岸で行う記念撮影を、ホテルでしていました。私も仲間に入れて貰い、記念撮影の中に入りました。後輩達に、最後の話をしていると、迎えのバスがやって来ました。バスに、合宿で使った道具や荷物を積み込み、後輩達は、合宿地を去りました。

 私は、3月から始まった就活のため、合宿に遅れて参加した、新4年生の車で、河口湖駅まで送って貰いました。その後は一人で、河口湖の船津浜まで歩きました。この時、雪は既に雨に変わっていました。富士も見えませんし、早々に切り上げて、11時52分発の急行で大月へ戻りました。

昼食が、まだだったので、大月駅のキヨスクで弁当を買いました。最初は、列車の中で食べようと思ったのですが、高尾行きの電車が来るまで、30分以上時間がありましたので、駅のベンチで弁当を食べていると、小学校高学年の男の子と、母親が隣に座りました。そして、いきなり口論が始まりました。どうやら、子供が母親に、渾名を付け、母親を渾名で呼んだのが、始まりのようでした。母親は、この渾名が嫌いらしく、人が嫌がるのに渾名で呼ぶのを止めないのは、どんなに悪いことかと渾々と、子供に説教していました。直ぐ隣の話ですし、興奮した甲高い声でしたので、私にも良く聞こえました。正直言って、このお母さんの説教には、子供に対する愛情の欠片も感じませんでした。子供の方が、「分ったよ、分ったよ、もう渾名で呼ばないから」と、気楽な感じで、母親の意見を受け入れました。それでも母親の説教は終わらず、子供は、赤ん坊を抱いて、離れた所に居た父親の所へ行って仕舞いました。何だか、将来が危ぶまれる、嫌な場面を見たような気になりました。気分が悪くなったので、弁当を途中で止め、ベンチから離れてしまいました。

13時13分に大月駅を出て、高尾で京王線に乗換え、北野で特急に乗換え、聖蹟桜が丘には、2時半頃に着き、我が家には、3時過ぎには着きました。雨は降っているし、時間もたっぷり出来たので、書く積もりが無かった、3月1日、2日と今日の日記を書きました。夜は、随分久し振りに、自家製のピザを作り、美味しくワインを飲みました。矢張り、自分で作るピザは、美味しかったです。

 

「起き抜けに カーテン引けば 雪の朝 富士の麓で 富士を拝めず」

「富士五湖の 湖畔の宿も 雪の舞い 冬将軍の 雄叫び聞こゆ」

「細雪 枝に留まり 雨雫 枝1杯の 水玉飾り」

「白梅の 花の下にも 雨雫 花を宿した 水玉飾り」

「鳥達の 朝の憩いを 掻き乱す カメラ抱えた 無粋者あり」 

 

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2019年03月02日

2019年03月02日

 

 今日は、素晴らしく良い天気で、春のように暖かい日でした。

今日は、大学のクラブの現役の合宿に、最後の一日だけ参加しました。ここ、5,6年、毎回参加しています。毎年、春合宿は、富士5湖の一つ西湖で行われ、最後の日の昼食から参加することにしています。そんな訳で、河口湖に10時半までには着きたいと思い、ネットで調べた所、9時に高尾に到着する、ホリデー急行富士山1号が、中央線から直接富士急線に入り、丁度10時半に河口湖に到着することが分りましたので、この電車で、河口湖に行くことにしました。所が、この電車に乗ってみると、まるでラッシュアワーのような混雑でした。それでも、四方津で、かなりの数の子供達が降りたので、漸く座ることが出来ました。車窓から満開の梅が、あちこちに見えました。ここら辺りは、幾分標高も高いので、梅はもう少し後かなと思っていたのですが、多摩と変わらない、梅の季節を迎えていました。大月から富士急線に入ると、雪を被り、中腹に雲が棚引いている富士山が、どーんと姿を現しました。

 河口湖に着くと、10時40分の西湖周遊バスが発車する所だったので、そのバスで、西湖の入口まで行き、後は歩いて合宿地のホテルに、11時20分には着きました。12時半から現役と一緒に、昼食を食べ、1時には昼食を済ませました。今日の目的の一つである、成果発表式は、4時からだというので、風穴と氷穴を見に行くことにしました。

 風穴は、西湖周遊バスで行けるとのことでしたので、先程降りた西湖の入口まで歩きました。20分足らずでバス停に着き、10分足らずで、バスがやって来ました。バスに乗り、あちこちを周遊して、2時には風穴に着きました。風穴のバス停が、周遊バスの往路の終点でした。

 ほんの少しだけ、青木ヶ原樹海の雰囲気を味わい、風穴に入りました。腰をかがめる場所も幾つかありましたが、比較的広い空間でした。風穴には、氷筍とか氷柱は無いと思っていましたが、立派なものがありました。50年ほど昔に、風穴と氷穴を見たはずでしたが、その時のことが、良く思い出せませんでした。

 氷穴は、風穴から歩いて15分程度だというので、歩きました。歩き始めたのは、2時15分でした。15分で氷穴に着き、10分で氷穴を見、15分で風穴に戻れば、3時のバスには乗れると計算しました。所が、氷穴は、這いつくばって進むような狭い場所が多く、見学に15分以上掛かってしまいました。急いで風穴の近くに戻った時は、バスが動き出した後でした。結局、30分、次のバスを待って、合宿所に着いたのは、4時10分前でした。ぎりぎり成果発表式に間に合いました。

 成果発表式は、合宿地の関係者を招いて、予定通り行われました。毎年思うのですが、合宿所の小さな体育館で、現役の演技を見ると、もの凄い迫力を感じます。人数も増えていますし、合宿の練習効果も充分に発揮されました。成果発表式が終わると、合宿の評価をするのが、私の役目です。感じたままを伝えました。

 6時から夕食、8時から納会となりました。20未満の子は、ジュースで、納会に参加します。半分以上が、20未満でした、20歳以上でも酒を飲まない者も居ますので、結局、酒を飲むのは、私と新4年生の幹部程度でした。特に、何をするでも無く、話だけなのですが、今の若い人は、それでも充分に楽しめるようです。結局、11時過ぎまで、孫の年代の子と話をしました。

 

「車窓から 春爛漫の 甲斐路見る どこもかしこも 白梅の花」

「家の庭 畑の畔の 白梅の 富士の高嶺と 白さを競う」

「額縁に 入ったような 富士の山 線路に応じて 姿を変える」

「祖父のよに 年老いたる 先輩を 先駆者として 迎える後輩」

「生涯に たった一度の 思い出を 辿りて進む 風穴氷穴」

「早春の 青木ヶ原に 雪は無く 木漏れ日届く 苔の緑に」

「夜更けまで 孫の世代と 話する 我の未来は 残り少なし」 

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2019年03月01日

2019年03月01日

 

 年が明けた1月は、結構長く感じるのですが、1月を過ぎると、あっという間に2月が終わった気がします。今日から、暦の上でも春になりました。

今日は、監事を仰せつかった学園の、高校の卒業式に参加することにしていました。集まるのが、12時半でしたので、何だか中途半端な時間だなーと思っていたのですが、取り敢えず12時10分くらいに学園に行ってみました。学園の事務員に、卒業式の会場を聞くと、「卒業式は午前中に終わりましたよ、1時から、お祝いのレセプションが行われます」と言われました。私が出席したかったのは、レセプションではなく、卒業式だったので、理事長にレセプションには参加しないで帰ると伝えて貰い、学園を後にしました。

学園から、市川駅を過ぎ、市川橋を渡って、江戸川の右岸、東京都に入りました。江戸川の風景を見ながら、途中で買って来た弁当を食べました。江戸川の風景は、我が家の前の多摩川に良く似ているのですが、違うのは、多摩丘陵も奥多摩の山も無く、近くに山がない事です。唯々平坦で、高いものと言えば、高層住宅とスカイツリーぐらいでした。

河川敷を見ながら弁当を食べた後、柴又まで歩くことにしました。今にも寅さんが顔を出しそうな、土手を歩きました。土手の下には、さくらの家ありそうで、満男が飛び出してきそうでした。この辺りの河川敷は、殆どが野球場でした。歩いた範囲でも、野球場は20面近くあったのに、サッカーコートは、2面しかありませんでした。30分か40分か歩いた所で、寅さん記念館の看板が出てきました。記念館の正面が、矢切の渡しだったので、先ずは、矢切の渡しを見ました。もう40年近く前になりますか、柏に住んで居た時に、1度だけ矢切の渡しを渡り、野菊の墓に行ったことがあります。本当に、長い時間が過ぎたのですね。

寅さん記念館に行く前に、山本亭に行きました。柴又は4度目ですが、山本亭は初めてでした。関東大震災以降、カメラ部品工場の経営者である山本栄之助翁の自宅だったそうです。特に凄い家ではないのですが、最近の新興住宅に較べれば、立派な邸宅でした。寅さん記念館は、この邸宅の直ぐ横になります。寅さんの映画の舞台が再現されていて、何度も映画の場面で見た部屋や階段などを、懐かしく見学しました。実は、寅さん記念館も初めてでした。映画などと言うものは、作り物の余興に過ぎないのですが、人生の一部のように思えるのですから、不思議なものです。

寅さん記念館から、帝釈天に行き、映画と同じような門前町の参道を歩いて、柴又駅に出ました。寅さんとさくらの銅像がある駅前では、金運が巡ってくると言う「金色のうんち」を売っている店があり、売っているお姉さんが、非常に威勢が良くて、何時も人だかりがしていました。私も、お姉さんの口上は聞いたものの、買う気にはなれませんでした。

柴又から、金町に出て、地下鉄千代田線に乗り、霞ヶ関で千代田線に乗換え、新宿へ出て、後は何時ものように我が家に帰りました。千代田線も丸の内線も、懐かしい地下鉄です。特に千代田線は、前妻が病気して、一番苦しい時期に利用した路線でした。しかし、今思い返して見ると、子供達と一番濃密に暮らした時でもありました。「苦あれば、楽あり」と言う言葉を、身に浸みて感じています。

 

「寅さんの 映画の舞台を 散歩する 思い出溢れ 涙も溢れる」 

 

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2019年3月 1日 (金)

2019年02月28日

2019年02月28日

 

 2月の終りを悲しむように、今日は、朝から雨が降り続けました。流石に散歩に出かける気になりませんでした。

 今日、2度目の米朝首脳会談が行われましたが、何事も無く終わってしまいました。金正恩委員長が、独裁政治を放棄し、南北朝鮮が統一されるというのは、私が描いた勝手な絵空事ですから、当然現実になるとは思っていませんでしたが、それにしても、世界中が、こんなに注目したのに、これ程成果の無い首脳会談は、珍しいと思います。両首脳が、表面的勝ち負けに拘り、自国と世界の将来について、何らのビジョンも持ち合わせていなかったのだと思います。私としては、金正恩委員長もトランプ大統領も、組織の観光の隷属しない、言わば子供みたいな二人ですから、変な大人の良識とは違った、面白いことが起きるかも知れないと、密かに期待していたのですが、それも起こりませんでした。加えて、トランプ大統領が、何にも出来なかったことを、同盟国日本との信頼関係を壊したくなかったと、日本への配慮のために、北朝鮮と合意に至らなかったかのように言われては、何をか言わんやです。日本に気遣いをしてくれたと喜んでいる日本人も居るのかも知れませんが、こういう事を表に出して言う人間は、反対のことも平気で言うのです。つまり、自分の都合で、如何なる信頼感家も、簡単に着ることが出来る人間です。まあ、何も起きなかったのですから、今後、何かが起きるかも知れないと、次に期待する事にしましょう。

「金正恩退陣せよ、世襲独裁政治は許さない」「北朝鮮国民に自由とパンを」「北朝鮮国民の面倒は世界見る」といったような、国際世論は起きないものですかねー。ネットで大騒ぎになれば良いのですがねー。ネットでの国際世論は、北朝鮮の国民には届きませんかねー。国民の耳も口も封じ込めるのが独裁政治ですからねー。

 

 今日は、外へ出かけなかったので、何をして良いか分らず、月に一度の玄関側の植栽への水遣り、日頃はしないフローリングの拭き掃除、雑誌類の整理の他は、昼間から、テレビを見て過ごしました。椅子に座ってテレビを見る方が、歩くより疲れるような気がしました。

 午後6時頃から、晩酌のために、酢漬けしていた野菜と、貝柱、鶏の唐揚げで野菜炒めを作りました。酢豚風の面白い味になりました。6時半頃からは、何時もと同じように、ワインを飲みながら時間を過ごすことが出来ました。

 

 明日から、5日までは、予定が詰まっているので、日記を休みます。

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