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2019年2月

2019年2月28日 (木)

2019年02月27日

2019年02月27日

 

 今日も、雲の多い朝で、一日中日差しも無い、薄ら寒いどんよりとした1日でした。

 24日に、沖縄の辺野古基地の埋め立てに関する県民投票の結果が出ました。その結果は、「反対」が434273票で、有効投票の72.2%となりました。投票率は52.48%でした。この数値を見て、「反対」は全有権者数から見れば、5割に満たないという人が居ます。これは、投票しなかった有権者が、投票すれば全て賛成票を投じると、仮定した結果出て来る考えです。この主張が、間違っていると言う事は、比較的容易に分りますが、世の中に流布されている様々な数値は、意図的な嘘、意図的では無い間違い等、容易に真実が見えないものが沢山あります。

 本来、行政機関が行う社会的統計は、社会の真実を把握するための、基本的データですから、以前にも書きましたが、統計そのものに嘘をつかせないために、細心の注意が必要です。しかし、最近の行政のやり方を見ていると、能力が低下したのか、労働力が足りないのか、外部(上部)からの圧力があるのか、統計データが信用できなくなりました。統計データが信用できないと、社会学は、正常な研究が出来なくなり、政府は、行政の不備の改善や、国家の将来設計が出来なくなります。この事を、上手く利用している政治家が居るようですが、、、。

 社会の木鐸であるマスコミは、統治側(政府及び政府機関)に対する監視という役目を負っているはずですが、最近は、マスコミ自身が、商売第一、売名行為、能力の低下、特定の所からの圧力等によって、真実が何処にあるのか、良く分らないような報道が、多くなっているような気がします。結果として、社会の現状と将来が、見えなくなっているような気がします。老い先短い私でも、この状態には、空恐ろしさを感じます。

 

 今日は、多摩市役所の近くの、原峰公園に行って来ました。昔の多摩丘陵の里山が、そのまま残っているような公園で、梅の名所でもあります。何年か前、この公園で、落ち梅を沢山拾ってきて、梅酒を作ったことがあります。

 午後1時近くに家を出て、聖蹟桜が丘に出ました。その後、霞ヶ関橋から、大栗川を下流に向かって歩き、途中で、小鴨達を見ながら昼食にしました。弁当は、昨日古市庵で、海苔巻きと稲荷寿司を買ってあったのです。日差しが無かったので、少し寒かったのですが、美味しく食べられました。

 昼食後、大栗橋を渡り、鎌倉古道を市役所方面に向って歩きました。左側には、片側3車線の鎌倉街道が並んで走っています。途中から、坂を登って多摩観音堂、阿弥陀寺を経て、原峰公園に入りました。入った所が、満開の梅林でした。そこから、入り組んだ多摩丘陵の斜面に、小さな梅林が幾つも続きました。殆どが白梅でした。昔の農家の梅畑が残っているようでした。公園内には、赤松林、竹林、雑木林が連なり、それらと白梅が、互いに相手を称えているようでした。この公園は、小金井公園と違って、遊具も広場も無く、里山と梅を充分に楽しみました。

 ある梅の木に、細い嘴をして鳩のように丸い身体をした鳥がいましたので、何枚も写真を撮りました。初めて見た鳥だと思ったのです。所が、帰って調べて見ると、ヒヨドリでした。ヒヨドリは、細長い鳥だと思っていたのですが、あんなに丸くなることもあるのですね。日差しが無く、ヒヨドリも寒かったのですかねー。

 原峰公園を出て、一旦住宅地に入り、更に谷戸に降りると、数件の農家があり、谷戸全体が農地でした。農地と原峰公園の間に、河津桜と白梅が同時に咲いていました。早咲きの河津桜のお陰で、梅と桜の揃い咲きを、至る所で見る事が出来るようになりました。畔道では、ネコヤナギ(猫柳)の白い毛玉に、小さな緑の粒が、沢山出てきて、緑の玉に変わっているものがありました。猫柳の芽吹きが始まったようです。どんな宝石よりも綺麗だと思いました。農地の出口の所にも、大きな梅の木があり、何故か此処だけ、花吹雪が舞っていました。良く見ると、目白が10数羽、梅の花を突いていたのです。

 谷戸の出口から、ほんの少し坂を登ると多摩市役所です。そこからバスに乗り、聖蹟桜が丘に戻って、我が家に戻りました。今日は、水曜日で次男は休みで家に居たので、一緒に酒が飲めるかなと思ったのですが、新しく始めた仕事の関係も有って、最近深酒は、止めているようです。私と一緒に居ると、ついつい酒が飲みたくなるらしく、部屋に引っ込んでしまいました。

 

「小鴨等の 泳ぐ姿を 目の前に 今日は巻き寿司 頬張る我かな」

「白梅を 下に見ながら 語り合う 赤松達の 声の聞こえる」

「木橋の 下に広がる 梅林 歌の一つも 詠んでみるかな」

「直立す 青竹達に 触れなんと 花枝延ばす 白梅心」

「谷戸の村 古の多摩 思わせる 畔を縁取る 白梅の列」

「白梅に 混じり花咲く 桜かな 主役は我と 言わんばかりに」

「畔道の 猫柳に 春来たり エメラルドの玉 身に纏うなり」

「此処だけに 花吹雪の 舞い落ちる 白梅突く 目白の仕業」

 

 

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2019年2月27日 (水)

2019年02月26日

2019年02月26日

 

 雲の多い朝でした。今日は、226事件で有名な日ですが、長男の所の子供、私にとって初孫の誕生日でもあります。これまで、初孫の誕生日を祝ってやった記憶がありません。長男も私も、外国暮らしが長く、初孫が中学生になるまで、近くで暮らす機会が少なかったのです。その初孫も、去年から大学生になりました。中学生から、日本で暮らすようになって、我が家を訪れることが増え、娘の所の子供達(従姉達)の良き兄貴になっています。

 今日、金正恩北朝鮮労働党委員長、トランプ米国大統領が、首脳会談が行われるヴェトナムのハノイに着きました。明日から、2日間に亘って、首脳会談が行われるそうです。

 私は、軍事独裁者にしか見えない金正恩が嫌いです。また、自国中心主義のトランプ大統領も嫌いです。しかし、動機がどの様なものであれ、話し合う姿勢は、良いことだと思います。日本人は、話し合いをせず、実力行使に踏み切った事による、悲惨な自国の歴史を知っています。話し合いを拒否する為、自国は皇国であり、自国の考えだけが正しいという、論理を無視した感情的主張が、国民に押しつけられました。話し合いというのは、結局譲歩の世界です。譲歩は、双方が出し合わ無ければ、話し合いは決裂します。一般的には弱い側が、多くの譲歩をせざるを得ないのですが、現在のように世界の衆目の中で、話し合いが行われる場合は、強い側も、相応の譲歩をせざるを得ないでしょう。自分自身や自国の外交的得点を挙げたい気持は分りますが、全世界の人が、「良い話し合いが行われた」と思えるような、首脳会談にして欲しいと願っています。

 私の正直な気持は、世襲権力化した金政権が政権を放棄し、ドイツと同じように、北朝鮮は韓国と合併し、冷戦時代からの民族の分断に、終止符を打って貰いたいと思っています。米国は、分断国家を作った張本人でもあります。仮に、北朝鮮が、今は名目だけに過ぎない共産主義を止め、資本主義側に入るのであれば、米国が、最大限の経済援助をしても、全世界が賞賛する事はあっても、非難する人は居ないでしょう。金正恩が、「自分は如何なる事になっても良いから、国民を助けて下さい」という姿が見たいものです。その時は、日本も惜しみなく援助をして欲しいと願っています。絵空事の夢物語ですが、、、。

 

 今日は、小金井公園に行って来ました。小金井公園は、非常に広い公園なのですが、広場が中心で、野草園や大きな池も無く、私にとっては魅力に欠けます。

 今日、梅はほぼ満開でした。梅林も、何の制限も無く、梅の木が触れるのですが、その為に梅林の下には草も無く、運動場に梅の木が植えられたようでした。北口の近くにある池に行ってみましたが、渡り鳥もカルガモさえも居ませんでした。水鳥のためには、池が浅すぎるように思います。この公園は、花鳥風月を楽しむのでは無く、広場で遊ぶ公園なのかも知れません。今日は、人影も少なく、寂しい感じすらしました。

 途中で、公園歩きを止めて、小金井公園と小金井カントリークラブの境にある道を歩きました。何度も小金井公園に来ていますが、初めて歩く道でした。右に、名門小金井カントリーのゴルフ場を見ながら、小金井街道まで歩きました。ゴルフ場は、通りの向こうにも続いており、クラブハウスも通りの向こうにありました。このゴルフ場は、1937年(昭和12年)に開場した名門ゴルフ場で、女性が会員になれないことでも有名です。大分前になりますが、当時外務政務次官だった女性が、このゴルフ場でのプレイを希望しましたが、断られた事が話題になりました。古い名門のゴルフ場なので、クラブハウスも、外見は大きな武家屋敷のように見えました。若し、会員で無い一般客も、プレーできる日が有るのであれば、一度プレーしてみたいと思いました。

 小金井公園から、武蔵小金井駅に出て、国立からバスで我が家に向かいました。日没には、少し早い時刻だったのですが、雲の切れ間に顔を出した太陽が、真っ赤に輝いていました。海の上に沈む時の太陽のようでした。多摩地方で、このように赤い太陽を見るのは、珍しいことです。

 

「西の空 厚き雲をば 押し開き 多摩に輝く 真っ赤な太陽」

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2019年2月26日 (火)

2019年02月25日

2019年02月25日

 

 朝は、雲が多く、今日の散歩はどうしようかと思っていたのですが、午前中から晴れ間が広がり、午後には快晴に変わりました。

 今日は、11時半から、歯の治療の予定が入っていましたので、11時には家を出て、聖蹟桜が丘の歯医者の所へ行きました。6週間、週に1度歯の治療を続けてきましたが、漸く、来週で終わりになりそうです。今日、歯の上に被せる、金属のための型取りをしました。以前、左下の奥歯を治療した時と同じやり方です。歯根部分を残して、その上に歯の形の金属を被せます。この治療をしてから、5年以上経っていますが、固い物を食べても平気ですし、違和感もありません。この時と同じような結果になる事を願っています。自分の歯で物を食べることが、人間の条件の一つのような気がします。

 12時には、歯の治療が終わりました。外は、素晴らしい天気になっていたので、梅の名所、郷土の森公園に行くことにしました。京王ストアで、弁当と野菜ジュース、缶コーヒーを買って、郷土の森公園まで歩きました。公園に行く途中で、白っぽい小鳥を見ました。今までに見たことが無いような鳥でした。急いでカメラを向けたのですが、ピントが合わず、何の鳥か未だに分りません。図鑑で調べて見ると、何となくサメビタキに似ているような気がしました。

 1時過ぎに、郷土の森公園に行き、入場券を買おうとしたら、係員が私のシルバー市民優待カードを見て、「このカードをお持ちの方は、入口の機械に、カードのQRコードをかざして下さい。そのまま入場できます」と言われました。その通りにすると入口のバーが自動的に上がり、中に入ることが出来ました。つい最近来た時は、まだ入場券を入手する必要がありました。種々機械科が進んでいるようです。

 郷土の森公園には、大小幾つかの梅林がありますが、比較的入口に近い梅林の真ん中にあるベンチで、昼食にしました。この梅林の梅は、ほぼ満開でした。満開の梅の下に、春のサファイア、イヌノフグリ(犬陰嚢)の花が輝いていました。時々白い梅の花片が、ヒラリとサファイアの上に落ちました。最近、昼食は、出来るだけ戸外でするようにしていますが、今日は、贅沢な昼食となりました。色々な人が、梅を楽しみつつ、食事をしている私を、横目で見ながら通り過ぎていきました。若い3人の着物姿の女性も、通りました。

 食事後、一番大きな梅林に行き、「冬木立と梅と青空」をテーマに、何枚も写真を撮りました。私の友人には、青空を上手に撮る人が居るのですが、私が撮った青空は、私が受けたイメージとは、若干違った印象になってしまいます。どうも空の青さが弱く、梅の際立ちも弱いような気がします。とかなんとか、偉そうなことを言っていますが、充分満足しました。梅林から、茶室のある庭園に行くと、梅の木に目白が来ていました。小鳥は、せわしなく動くので、なかなかピントが合いません。それにしても、梅に目白も良く似合いますね-。

 郷土の森公園を出て、下川原緑道を歩いて、高安寺に行きました。高安寺には、1月2日に、初詣でに行き、その時近くの下川原緑道に、草藤の花が、1輪咲いていたので驚愕しましたが、今日は、かなり沢山の草藤の花が咲いていました。草藤は、5月頃の花だと思っていたのですが、地球温暖化の影響が、草花を狂わしているのでしょうか。草藤の中で、ピンクの花も咲いていました。この花は、カラスノエンドウだと思います。高安寺の山門の横では、桜も咲いていました。何だか、ギャーギャー五月蠅いと思ったら、尾長が山門の脇の木々を、行き来していました。

 府中駅から、聖蹟桜が丘へ出て、我が家に戻りました。家に着いたのは、5時を過ぎていました。

 

「夥し 蕾山盛り 雪柳 細き枝先 白花一輪」

「盆栽の 節くれ枝の 枝の先 ほんのり緑 新芽膨らむ」

「富士のよに 蕾の頭 白くなり 辛夷花咲く 季節間近に」

「白梅の 花咲き溢る 梅林 昼餉楽しむ 幸せ者かな」

「一面に 白く輝く 梅の下 青空映す 犬陰嚢の花」

「背の高き 欅の梢 仰ぎ見て 梅が献げる 春の花かな」

「そこら中 梅梅梅の 公園に 肩身の狭い 山茱萸一本」

「梅の香に 誘われ来たる 目白さん 写真撮るから 動かずポーズ」

「年明けに 早くも見たる 草藤の 花の増えたる 二月の終わり」

「尾長さん 嗄れ声では 愛されぬ 凜々しき君に 一つの難点」 

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2019年2月25日 (月)

2019年02月24日

2019年02月24日

 

 今日は、10時からアパートの防災訓練が行われました。良い天気だったので助かりました。

 私は、アパートの理事会に理事であり、防災委員でもあるので、午前9時から、防災訓練の実施要領を、他の理事と共に、再確認しました。10時に、「火事による緊急事態発生の放送をして、参加者は、南側の公園に集合しました。その後は、消防署の指導で、消火器の使い方、階段を降りる椅子の使い方、AEDの使い方の訓練を受け、11時過ぎに防災訓練は、無事終了し、30分ほど反省会を行い、解散しました。日本は、災害大国のような国ですから、何時何が起きるか分りません。防災訓練は、実際の訓練と共に、防災意識を再認識するためにも、大切だと思いました。

 更に今日は、大学のクラブの全体同窓会の日でした。都心の同窓会室で、4時から行われるため、午後2時15分には家を出て、3時40分には、会場に着きました。「早いかなー」と思ったのですが、我がクラブは、時間厳守がモットーなので、既に多くの人が来ていました。

 70代から30代まで、50名近くが集まりました。現役も10名くらい来ていました。どんなに年代が違っても、大学時代の4年間は、同じような事をやって来たので、話が良く合います。先輩から見たら気の弱そうだった後輩が、更に下の後輩には、厳しい先輩だったりして、様々な思い出話が飛び交いました。4時から、7時頃まで同窓会室を借り切って、大いに盛り上がりました。

 その後は、近くの居酒屋で二次会となり、したたかに飲みました。更に、別れたくない連中が集まって、カラオケに行きました。良く憶えていませんが、全部が終わったのは11時頃ではないかと思います。無事に電車には乗ったのですが、完全に寝過ごしてしまい、八王子の手前の北野まで行ってしまいました。戻りの電車は、あることはありましたが、高幡不動止まりでした。どの道、バスはありませんので、聖蹟桜が丘と大差ありません。高幡不動からタクシーで、家に帰り着いたのは、1時近くでした。朝早くから日付が変わるまで、中身の濃い1日でした。

 

「大学で 同じ経験 した仲間 月日経ちても 思い変わらず」

「実社会 歩いた道は 異なれど クラブの絆 消えること無し」

「年老いて 間近に迫る 別れの日 今こそ絆の 強さ確かむ」

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2019年2月24日 (日)

2019年02月23日

2019年02月23日

 

 今日は、富士山の日らしいのですが、朝は、雲が多く富士山は見えませんでした。しかし、直ぐに晴れ間が出て、快晴に代わりました。富士も見えるようになったのでしょうが、昼間は、富士が見える場所に居ませんでした。一日中、かなり強い北風が吹いていました。夕方、日が沈んだ時に、我が家のベランダから、富士を見ました。

 今日は、久し振りに予定が無かったので、春の先駆けの花を見に、神代植物園に行きました。

 12時15分に家を出て、聖蹟桜が丘に1時近くに着きました。バスが10分以上遅れたのです。聖蹟桜が丘で昼の弁当を買い、調布から神代植物園に行きました。先ずは、植物多様性センターに行き、そこで昼食にしました。欅や小楢の冬木立が、北風に右や左に揺れて、ごうごうと大きな音を立てていました。冬の名残の嵐のようでした。

 植物多様性センターを出て、神代植物公園に移りました。春に備えて、色んな所の補修をしたり、花壇の準備をしたり、工事現場に来たような雰囲気でした。それでも、ユキワリイチゲ(雪割一華)、アシビ(馬酔木)、クロッカス、福寿草、梅、サンシュユ(山茱萸)、マンサク(万作)の花が咲き、もう春は始まっているのだと思いました。

 ツツジ(躑躅)園の中に、キンカン(金柑)のような木が見えました。近づいてみると、小型の温州蜜柑のようでした。これが橘でした。実は、橘を意識してみたのは初めてでした。何故か、我が家の家紋が橘でしたので、名前だけは良く知っていました。調べて見ると、日本古来の在来種の柑橘類でだそうです。平安時代から家紋として使われ、江戸時代には、90家ほどの旗本が家紋として使ったようです。

 今日は、久し振りに、シジュウガラやコゲラに合いました。コゲラが、枝垂れ桜のてっぺんの方で、しきりに枝をつついていましたが、あんな所に餌になるような物が、あるのでしょうか。

 深大寺門へ歩いていると、昨年の秋、台風で根こそぎ倒れた百合の木が、上部は切られていましたが、根の部分は、台風被害の強さを物語る展示物となっていました。

 最後に、椿園と梅園を見て、深大寺門から深大寺へ降りました。まだ、3時半頃でしたので、水生園から深大寺城趾へ登り、今日の散歩を終えました。

 

「木を揺らす 冬将軍の 雄叫びが 森に木霊す 春待つ武蔵野」

「北風も 何処吹く風と 知らん顔 備え充分 冬の鈴掛」

「風は冬 日差しは春の 梅林の 満開の花 春を告げおり」

「押し分ける 雪は無くとも 春告げる 雪割一華 花の一輪」

「緑の葉 数を増したる 草むらに 何を探すや シジュウガラ跳ねる」

「枝だけの 枝垂れ桜に コゲラさん 二年ぶりの 再会ですね」

「去年の秋 根こそぎ倒れし 百合の木の 台風被害の 見本となりぬ」

「楓等の 葉の無き木々を 背負いつつ 一足先に 山茱萸の花」

「節くれて 地を這うような 梅の木の 枝に可

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2019年2月23日 (土)

2019年02月22日

2019年02月22日

 

 今日は、昼間は晴れて、夕方から雨になるような天気予報でした。取り敢えず、洗濯はしました。

 今日は、大学で行われる国際シンポジウム「よみがえれアンコールワット、修復はカンボジア人の手で」に参加しました。午後1時から、修復事業に携わる、日本人とカンボジア人による講話が通訳を付けて行われました。その為に、倍の時間が掛かり、シンポジウムが終わったのは、午後の6時でした。

 これまで、修復事業の責任者である先生の案内で、アンコールワットにも行きましたし、先生による修復関係の講話や実演会などに、何度も参加しました。アンコールワットの遺跡としての素晴らしさにも感動しましたが、先生が貫かれた、「修復はカンボジア人の手で」という人材育成の考え方及び信念に、更に感動しました。今日、来賓として参加したカンボジア文化芸術省大臣、駐日カンボジア大使、アプサラ機構総裁(世界遺産であるアンコールワット遺跡群の修復・管理を行う)の方々も、日本がこれまでに行ってきた、人材育成を通じた遺跡の修復に対し、どなたも深く感謝の意を表明していました。

 カンボジアは、1863にはフランスの保護国となり、1887年には植民地になりました。駄2時世界大戦後、1953年に独立し、日本でも有名だったシアヌーク殿下によるクメール王国が出来ました。その後、ベトナム戦争の影響を受けたり、ポルポト軍による内戦が勃発したりして、アンコールワットも戦場になりました。内戦が終わった頃のカンボジアは、国全体が、疲弊しきっていました。

 内戦が終了してから暫くして、アンコールワットの修復が始まり、日本も修復に関与するようになりました。ある時期から、前述の先生が日本側の修復のリーダーとなり、遺跡の修復をカンボジア人自身で行えるよう人材育成をモットーとしたのです。同時に、カンボジア人に、自立心と自国文化を尊重する意識を目覚めさせました。カンボジア人の考古学的知識の向上、修復技術の向上を待つ必要があり、修復には、随分時間が掛かっていますが、並行してカンボジア人の知識や技術は、素晴らしく向上しました。日本のこの対応の仕方は、現在、世界遺産等に関する他国の関与の仕方のモデルになっています。

 文化とか宗教は、時として排他主義を生み、戦争に至ることが、これまでも何度もありましたし、現在でも起きています。人間個々が、自国の文化や宗教を大事にするのは、自然の成り行きですし、誰も干渉したり、卑下したりしては行けないことだと思います。戦前日本は、この点に関し間違いを犯しました。現在でも、間違いを犯している国が、多々あります。将来、世界が戦争の無い平和な時代を迎えるために、現在の日本とカンボジアのように、お互いがお互いの文化を尊重出来るような関係が、世界中に広まっていくことを願っています。

 シンポジウムが終わってから、数年前、先生と一緒に、アンコールワットに旅行した内の5人が、シンポジウムに参加していましたので、一緒に中華料理屋に行きました。アンコールワットに旅行した時、今日、参加した女性の部屋に、10人以上が集まり、毎晩宴会を開きました。忘れられない楽しい旅行となりました。その時、宴会に参加した人とは、その後も、ずっと付き合っています。今日も、楽しい宴会になりました。男3人で、紹興酒をボトル3本くらい開けたと思います

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2019年02月21日

2019年02月21日

 

 今日は、大学の同窓で、メキシコ時代の友人とのゴルフの日でした。ゴルフ場のある飯能まで、7時40分までに行くには、6時14分発のバスに乗らなければならないので、今日は、5時半起きでした。昨晩の内に、ゴルフの準備は出来ていますので、大急ぎで軽い朝食を食べ、洗面をして6時には家を出ました。  

バス停で、今日は十六夜ではありますが、昨日の朝のように、スーパームーンが見えるのではないかと期待したのですが、西の空には雲が有り、残念ながら、月は見えませんでした。所が所が、暫くして、ほんの1分ほどだけ、雲の切れ間から丸い月が、顔を出してくれました。一度諦めた後だったので、感激は一入でした。国立に着く少し手前で、夜が明けました。雲が少しずつ切れて、日差しも出て、良いゴルフ日和になりました。

 7時半に飯能に着き、7時50分発のゴルフ場のバスで、8時10分には、ゴルフ場に着きました。以前、別の友人と、一度だけゴルフをしたことがあるような気がするのですが、良く思い出せませんでした。今日は、このクラブのメンバーである私の同期、横浜の方から来た3年先輩とその友人の4名でプレーをしました。全員が後期高齢者で、目は悪いは、耳は遠いは、筋力は衰えたはで、昔のようなゴルフは出来ないのですが、冗談を言い合って、楽しいゴルフになりました。キャディーさんも、冗談に乗って、キャッキャ笑いながら、気持ち良く老人の世話をしてくれました。メンバーである友人が良く使うキャディーさんで、明るく気配りが良かったので、皆がキャディーさんには、満足しました。私は、どうした訳か、バーディーが一つありましたが、その他は悲惨な成績で、全員に負けてしまいました。但し、ティーショットの飛距離だけは、他を圧倒しましたので、充分満足しました。ゴルフは、年に3回程度大会ゴルフに参加するだけで、友人とのゴルフは、このメンバーだけになりました。このメンバーとのゴルフも、後3年が限度のような気がします。

 私以外は、車で来ているので、酒が飲めず、19番ホールは盛り上がらず、私以外は、コーヒーを1杯飲んで、今日のゴルフは幕を閉じました。先輩の乗る車は、先輩の友人が運転するそうです。先輩は、メキシコに40年ほど暮らしていたので、日本の運転免許証を持っていないようです。しかし、先輩の友人は、耳は補聴器無しでは、殆ど聞こえず、右目は黄斑症で殆ど見えないそうです。もう運転しない方が良いと思うのですが、今日は帰らなければ成らず、事故を起こさないで帰って欲しいと願うだけでした。

 私は、同期に飯能まで送って貰い、朝と逆に家に帰りました。飯能を4時過ぎに出て、家に着いたのは、6時近くでした。シャワーを浴びたり、メールの処理をしたりしている内に、晩酌の時間になりました。晩酌をしながらテレビを見ていると、居眠りをしてしまいました。今日は、朝早く起きましたからねー。

 

「月見たい 願い届きし 朝の空 帳上がりて 十六夜の月」

「長きこと ゴルフ仲間の 集まりて 老いに鞭打ち 球を追うかな」

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2019年2月22日 (金)

2019年02月20日

2019年02月20日

 

 今朝は、多摩川に朝霧が立っていましたので、日の出前に、多摩川の土手に出てみました。土手に出てみて驚きました。真ん丸で大きな月が、奥多摩の上の西の空で輝いていました。太陽も月も、沈む前は大きく見えるものですが、今朝の月は、異常に大きく感じました。昨晩から今朝にかけて、満月でスーパームーンだとテレビが言っていたのを思い出しました。朝霧のお陰で、良いものを見せて貰いました。朝霧の多摩川、朝霧の多摩の里、朝日と朝霧の鬩ぎ合いも、素晴らしいものでした。地球の、そして日本の素晴らしさを、身体一杯感じました。霧が次第に晴れてくると、富士も顔を出してくれました。良い日になりそうな予感がしました。

 朝の散歩の後、遅めの朝食を済ませて、午前中の仕事をしていると、妻から電話がありました。妻は、大洗の方に「あんこう鍋」を食べに行っていると思っていたのですが、一緒に行く友達が、身体の調子を崩したので、大洗へ行くのは止めたそうです。その為、今日の夕食は、私に付き合ってくれることになりました。良いことの1つ目でした。

 1時頃、日記を書き上げてメールを見ると、山の仲間の女性から、メールが来ていました。私の拙文を読んでくれて、丁寧な感想を寄せてくれました。本当に有難い事です。良いことの2つ目でした。

 妻との約束は、6時神楽坂でしたが、大分早めの1時半には家を出て、調布の駅に2時半近くに着きました。調布で気懸かりだった寺の御朱印を貰おうと思ったのです。甲州街道の脇の、調布の町の近くにしては、大きな森の中に寺の屋根だけが見えて、何時かは、御朱印を貰おうと思っていたのです。寺の前に行くと、門の前には、青竹が2本横に置かれており、寺に入るのを拒否しているような印象を受けました。諦めようかと思ったのですが、横の木戸を押してみると、木戸が開いて、中に入ることが出来ました。小さな寺でしたが、竹林あり、榧の大木があり、梅が花を咲かせ、涅槃の釈迦も置かれており、閑静で落ち着いた寺でした。真言宗大正寺でした。

庫裏に行ってベルを鳴らすと、驚いたような顔をして住職が出て来ました。気むずかしい感じがしたのですが、御朱印を頼むと、いとも簡単に引き受けてくれ、立派な御朱印を書いてくれました。良いことの3つ目でした。

大正寺の前は、天神通りと言い、布多天神に続く道でした。布多天神にも行ったことがなかったので、布多天神に行ってみると、満開とまでは行きませんでしたが、枝垂れ梅等、多くの梅が咲いていました。思いがけず、梅の花見が出来ました。布多天神の後ろが、天正寺の墓になっており、墓の中央に、4っつの顔を持った大きな観音様が立っていました。観音様の背後にある3っつの顔の写真を撮ろうとして、観音様の背後に回ると、観音様のお尻が、とっても豊かで色っぽく感じました。不謹慎ですが、梅の花と観音様のお尻が、良いことの4つ目でした。

調布を後にして、市ヶ谷に5時近くに着きました。市ヶ谷から丘の上を歩いて、神楽坂に行ってみようと思ったのです。市ヶ谷の濠では、50羽を越す、ハシビロガモの渦巻きが、出迎えてくれました。丘の上は、閑静な住宅地でしたが、最高裁判所長官の公邸や、インスティチュート・フランセ、観光専門学校等、文化的な建物も多くありました。1年間住んだこともあり、その後何度も来ているのですが、神楽坂の近くの、圓福寺、龍門禅寺を初めて知りました。御朱印を貰いたかったのですが、5時を過ぎていたので遠慮しました。

約束の時間の6時に、毘沙門天で妻と落合いました。種々悩んだ末、妻のアパートの前の、沖縄料理屋に行ってみました。妻は一度入ったことがあるとの事でした。店は、4人席のテーブルが3卓あるだけの、小さな店でした。我々の前に若い男性客が、一人居ただけでした。最初は、店主だけだったのですが、6時半に店主夫人が出勤し、いきなり賑やかになりました。今年還暦なのだそうですが、もっと若く見えました。今の亭主とは、3度目の結婚だそうです。この店主夫人のお陰で、若い男性客とも友達になり、仕事のことや恋愛のこと、色々話を聞きました。この若者は、豊洲の大手の卸会社で働いており、奥さんは中国人で、現在熱々のようでした。料理は全部、彼がやるそうです。

料理は、パイナップルのサラダ、ホタルイカの掻き揚げ、鰺とマコカレイの刺身、そして妻が大洗で食べることの出来なかった「あんこう鍋」を頼みました。どの料理も美味しかったし、ビール、日本酒、店主お勧めの泡盛も全部美味しく飲めました。妻も、私と二人だけでは出来ない、楽しいおしゃべりが出来て、美味しい料理も食べて、大満足の様子でした。最初妻は、余りお腹が空いてないのと言っていたのに、驚くほど沢山食べました。余程、雰囲気が良く、美味しかったのでしょう。これが良いことの5つ目でした。予感通りの、良いことだらけの1日でした。

 

「山水の 絵巻の中に 入り込み 霞の中を 我も歩けり」

「霧深き 里の彼方の 朝の空 大満月の 輝いており」

「霧の中 釣り糸垂れる 人影の 古の大河 思い起こせり」

「霧の中 黄金の十字 光ける 救いの主は 坊主か神父か」

「公園の 木々の後ろに 日が昇る 我が住む町に 光の届く」

「日の出でて 白さ強まる 霧の里 遠くに聞こえる 雉の鳴き声」

 

 

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2019年2月20日 (水)

2019年02月19日

2019年02月19日

 

 今日は、雲の多い朝でした。午後からは、雨になると言う事でした。5日ほど日記を書いていませんので、散歩をせずに、日記を書くことにしました。

 昨日、ゴルフバッグを宅急便で送るはずでしたが、忘れてしまいました。朝1番で、ゴルフバッグを担いで、近くのコンビニに行き、宅急便を頼みました。プレー日は、明後日ですから、明日中には、届かなければなりません。受け付けてくれた小母さんに確認しましたが、申込書のデータを入力しなければ分らないとのことでした。急いで申込書を書き、入力して貰うと、明日の午後には着くことが分りました。朝の、一仕事が終わりました。

 今日は、6時半から、大学の同窓会の会議が予定されていました。会議に任された仕事を実現するためのタイムリミットが、徐々に近づいているので、1時間前に委員長、副委員長、主事が集まって、会議の進行について協議をする事になり、4時には家を出なければならなくなりました。午前午後と日記を書き続け、ギリギリ4時15分前に、日記をブログに上げることが出来ました。目はしょぼしょぼ、尻も痛くなりました。5日間くらい日記を休めば良いと思うのですが、日記を休んだ時ほど、色んな事が起き、書きたいことが多いのです。

 4時5分前に、まだ雨は降っていませんでしたが、傘を持って都心の大学に、5時15分に着きました。予定の5時半には、全員集まり、協議が始まりました。協議の内容については書けませんが、ボランティアなのに、皆、真剣そのものでした。昨年から、同窓会の会議に参加して驚いたことは、無償にも拘わらず、その真剣な活動振りでした。6時から、正規の会議が始まりました。此処でも、白熱した議論が続き、8時過ぎに会議は終わりました。これから暫くは、詰めの会議が続くと思います。

 会議が終われば、決まって酒場での飲み会です。酒は身体に悪いとか、正気を無くすとか言われますが、少しなら、初期を無くす時があった方が、良いような気がします。今日も楽しく飲んで、家に帰り着いたのは、11時頃でした。

 

「人生の 基礎固めの 4年間 懐かしきかな 大学時代」

「人生の 多くの時を 生きて来た 夢多かりし 大学時代」

「若き日に 慣れない酒に 酔い痴れて 友と歩いた 通りを歩く」

「時は過ぎ 白髪交じりの 友と共 昔懐かし 赤き灯青き灯」 

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2019年2月19日 (火)

2019年02月18日

3日分の日記を、纏めて簡単に書きました。

 

2019年02月16日

 

 今日は、市川の学園の理事会の日でした。私立学校としては、現在の少子化時代を、どの様に生き抜くか、かなり、切羽詰まった問題に直面しています。現実に、幼稚園の入園者希望者は、既に現象が始まっているとのことでした。今後、小中高の定員を確保するためには、どうすれば良いのか、白熱した議論となりました。此処では、教育の将来などと悠長な議論では無く、どうすれば学園を継続できるか、目の前に迫っている焦眉の問題についての議論でした。何時もは、12時前に終わるのに、今日は、12半を過ぎてしまいました。

 昼食を済ませ、1時には学園を出て、上野へ出ました。昨日、山の仲間の奥さんの書が、東京都美術館の展覧会に出品されていると聞いたので、折角都心に出てきたので、見てみることにしました。

 東京都美術館は、大混雑でした。友人の奥さんの玄朝会の書道展の他に、東京都の小学校の書道展、絵画展があり、更に、特別展である「奇想の系譜展」も実施されていました。それぞれの展示会への客が殺到していたのです。玄朝会の書道展だけでも、15室以上の展示場が続いており、目的の書に行くのに、結構時間が掛かりました。

 その後、「奇想の系譜展」を見ました。江戸時代の型破りな日本画家、所謂、奇想画家8名、伊藤若冲、曽我簫白、長沢芦雪、狩野山雪 岩佐又兵衛、鈴木其一、歌川国芳、白隠慧鶴の展覧会でした。この展覧会も人が多く、ゆっくり見る事が出来ませんでした。しかし、私が住んでいる多摩の田舎と違って、都心では色々な催しが行われていて、楽しそうですねー。でも私は、田舎の方が落ち着きます。

 

2019年02月17日

 

今日は、孫娘の合唱祭でした。入場券が、3枚しか配賦されず、家族全員で応援に行けないため、娘の家族の男組は、家で留守番することになったそうです。その代わりに、私が、男組を代表して応援に行くことになりました。合唱祭の場所は、府中劇場でした。8時20分には、娘達が迎えに来てくれて、8時40分には、劇場に着きました。所が、会場は9時30分、開演は9時50分でした。9時から、並ぶことが許され、一番前の方に並びました。早く並んでいないと、良い席が取れないのです。

9時40分近くになって、劇場に入り、2階席の最前列に場所を取ることが出来ました。なんと、孫娘の真上の席でした。名前を呼んでみましたが、気がつかなかったようです。合唱祭全体の出場校は、50校近くでしたが、昨日今日と4回に分けて、合唱が行われました。孫娘の学校は、今日の午前の部に参加する11校中11番目、酉でした。

9時50分から、主催者の挨拶があり、10時から合唱が始まりました。5番目までの学校は、左程上手だとは思いませんでしたが、6番目くらいから、随分上手になり、10番目に学校は、素晴らしい合唱をしました。娘は、孫娘の学校が、この学校より上手に合唱が出来るのか、心配で胃が痛いと言っていました。しかし、合唱が始まると、杞憂であることが分りました。人数も一番多かったのですが、声が良く纏まり、ハーモニーも綺麗で、流石に酉だと思いました。孫娘は、4列の中の最前列で、しかも真ん中でした。一番光って見えたのは、ジージの欲目でしょうか。これから、孫娘の前では、歌は唄わない方が良いでしょう。

合唱祭が終わって、家で待っていた男組に連絡して、一緒に食事をする事にしました。皆で食べ放題の焼き肉屋に行きました。今日の主役である孫娘の希望でした。次から次に運ばれてくる肉を、皆でワイワイ言って食べたので、いささか食べ過ぎました。昼間から、生ビールを3杯も飲んで仕舞いました。

今日は、アパートの理事会が6時からあるので、娘家族とは4時頃に別れて、5時には、我が家に戻りました。6時からは、来週の防災訓練のため、自治会と一緒に、訓練のやり方を再確認しました。その後、6時45分くらいから理事会となり、種々の補修の進捗状況、理事会費滞納者の処置などを確認し、管理人や清掃員の賃上げについて、議論をして8時に終わりました。

 

2019年02月18日

 

 今日は、12時から歯の治療の日でした。今日で治療は終わるかと思っていたのですが、来週に持ち越しました。

 歯の治療の後、娘と末の孫に会うことになっていました。末の孫は、土曜日に「お遊戯会」あり、今日は幼稚園が代休なのだそうです。一人で、お兄ちゃん達が帰って来るのを待っているのは詰まらないので、ジージと遊びたいと入っているそうです。取り敢えず、娘の家の近くで、中華料理の昼食を食べました。またしても、昼間から生ビールを飲んで仕舞いました。末の孫も、良く食べました。最近、末の孫は、お子様用の茶碗とか、ナイフ、フォークを使わなくなりました。お兄ちゃん達と同じようにしたいようです。

 食後、多摩境の方の公園に行ったのですが、公園の遊具が工事中で、遊べないため、娘の家の近くの上柚木公園に行くことにしました。丁度、孫娘の帰宅時間になったので、孫娘も一緒に、公園で遊びました。ブーメランをやったり、木登りをしたり、滑り台、ブランコ、ミニターザンロープ等したりして、2時間近く遊びました。ゲームだけで無く、外で遊んでくれると、私も付き合えるし、何となくほっとします。

 4時頃に、孫達と別れ、我が家には、5時過ぎに着きました。返信しなければならないメールの処理などをして、7時頃から晩酌にしました。何だか、酒ばかり飲んでいます。

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2019年02月15日

2019年02月15日

 

今日は、山の仲間と南高尾の尾根を歩きました。その時の様子は、次の75調の紀行文で、想像して下さい。

 

「北風に 首をすくめる 山中間 今日は十人 高尾山口」

「晴れ女 晴れ男等の 念力や 高尾を覆う 雲を払えり」

「短パンに 半袖姿の 爺様は 日がな一日 高尾温泉」

「小半時 遅れて着いた バスに乗り 僅か二駅 梅の木平」

「うかい亭 うかい鳥山 横に見て 最初に目指す 入沢山頂」

「昼飯を 何処で食べるか 迷いつつ 何はともあれ 入沢山頂」

「正面に 丹沢山塊 迫り来る 見晴らしベンチ 富士は見えざり」

「もう此処で 昼餉にしたい 気もあれど 意地も手伝い 山頂制覇」

「大室の 後ろに白き 稜線が 義理堅きかな 富士のお山よ」

「富士も見て 山頂極め 迷い無し 見晴らしベンチで あたかも宴」

「青空に 西の彼方へ 空の道 飛行機雲を 仰ぎ見るなり」 

「孫娘 チョコをくれたと 山男 皆と分け合う 孫の優しさ」

「このチョコは、私からよと ドボンさん 一日遅れの バレンタインデー」

「チョコで無く 饅頭だけど 許してね 気持暖か 高幡の人」

「会う度に 昔の元気 戻り来る 手作り昼餉 伊勢原の人」

「昼餉終え 宴へ向かう 戻り道 根こそぎ倒れる 倒木多し」

「尾根歩き 左は武蔵 右相模 国の境を 歩き続ける」

「津久井湖に 城山湖まで 後にして 終りは近いぞ 元気で歩こう」

「あの尾根を 越えれば終り もうすぐだ 期待裏切る 尾根のまた見ゆ」

「この尾根に どうして巻き道 無いのかな 登りも下りも 最早うんざり」

「痙り癖を 持ちて不安の 山女 山男居て 安堵し歩く」

「草戸山 武相の国を 一望す 今日の思い出 記念撮影」

「見えたわよー 声につられて 見てみれば 一人歩きの 若者見える」

「若者は 今日初めての 出会い人 南高尾は 人気なかりし」 

「若者に 写真撮影 お願いし 全員揃って にっこりハイチーズ」

「草戸山 下れば漸く 四辻に 駅まで僅か 三百メートル」

「花開く 河津桜に 迎えられ 高尾山口 駅に着きたり」

「高尾駅 酒の飲めない 身であれば 皆と別れる 伊勢原の人」

「山歩き 〆の宴に なりました グラス合わせて 皆で乾杯」

「喉越しの ビールの旨さに 疲れ取れ 今日の歩きが 酒の肴に」

「たまの里 誰もがみんな 注ぎ上手 注がせてみたく 酒の進めり」

「宴には 会計さんの 居てくれて 心置きなく 酔いの深まる」

「忌憚なく 話せる友の 有難し 次を約束 家路へ向かう」 

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2019年02月14日

2019年02月14日

 

 今朝は、良く晴れていたのですが、富士の方にだけ雲が出ていました。

 今日は、市川の格好の授業参観をお願いしていたので、7時半には家を出ました。北風が吹いていて、異常な寒さを感じました。

 今日は、バレンタインデーでした。それと関係が有るのかどうか分りませんが、同性婚がニュースとなりました。何処の区役所だったか忘れてしまいましたが、10組以上の同性婚希望者が、区役所に結婚届を出しに行き、断られたそうです。欧米では、同性婚を認める所が増えているようですが、日本では、認められておらず、今日、集団で結婚届を出しに行ったのは、一種の抗議活動だったようです。私も、個人的には、同性婚は嫌いです。同性が一緒に暮らすのに、何故、結婚届をする必要があるのか、理解が出来ません。結婚届は、結婚する男女の愛の形の届けでは無く、新たな家族のため、つまり新たな生命の誕生を、社会が認める為の物だと思っています。同性愛者は、新たな命を産み出さないのですから、これまでの結婚届とは違った新たな届け出を検討するよう公的機関に要請したら良いと思います。社会に対しては、同性間の愛の形に対して、理解はしなくても良いから、差別をして同性愛者を迫害しないよう抗議すべきだと思います。

 

 今日は、千葉の方の学園の、授業参観を行う事になっていましたので、7時半に家を出て、国立へ向かいました。国立へ行くバスで、満員なのに、二つの席を譲らない女性がいました。自分が座っている座席の横の座席に、紙袋を二つ置いていました。ラッシュアワーの時間で、バスは、後ろの方まで立っている人が大勢居ました。彼女の直ぐ横で、座りたさそうな若い女性が立っていましたが、彼女はスマホに夢中でした。どうすべきか、暫く悩みましたが、「荷物をどかして、席を空けてあげたら」と注意しました。私は、彼女の直ぐ後ろの席に座っていたのです。彼女は、ほんの少しだけ紙袋を動かしましたが、人が座れるようなスペースを作りませんでした。結局、満員のバスは、終点国立まで、1席空いたままの状態でつきました。降りる時、彼女は後ろを向いて、凄い目で私を睨み、バスを降りました。大学生か、卒業して間もない位の若い女性でした。どうして席をちゃんと空けなかったのか、今でも分りません。

 市川の学園には、10時少し前に着き、小1―音楽 小2―体操、小3―英語、小5ー算数、小6―体操、中1―英語、中2―漢文(論語)、高2―英語、の授業参観をさせて貰い、図書室とメディア室を見学しました。授業参観の後、本当に考えさせられました。世界の将来、日本の将来、そのあるべき姿、あるべき姿に行くための方法、方法を企画できる体制と能力、過去の歴史の増大、科学技術の発展、経済の行く末、過去と現代のギャップ、日本の少子化問題、教育者の質、教育に対する期待の変化、教育は子供にどう対応するか、人間の成長の基本は知識か思考能力か、品性と自由な発想は両立するか、幼児の頃からの外国語教育は日本人の国民性を喪失させないか、国民性の喪失は良いことか悪いことか、世界の国境の壁は今後高くなるのか低くなるのか等々、人間社会の全ての問題を内包していると思いました。父が、教育者であったこともあり、以前から教育には関心がありました。人生の最後に、ほんの少しでも教育の現場に携わる機会をくれた友人に、本当に感謝の気持で一杯です。

 授業参観は、午前中に終わったので、今日も新宿御苑に寄りました。寒くて週日なので、閑散としていました。この前に来た時は、紅葉の終りの頃でしたが、今日は、梅が咲き、福寿草が咲き、葉を落とした木々も、新芽を膨らませていました。何十年かぶりに、温室に入ってみました。しかし、温室の様子は、何時でも、どの公園でも代わり映えがしませんでした。公園を出る頃に、ダイヤモンド富士ではありませんでしたが、ダイヤモンド・何処モビルを見ました。ビルの先端に夕日が輝きました。晴れていれば何時でも見られる光景なのでしょうが、感激しました。

 新宿御苑を、4時半頃に出て、家に着いたのは、6時近くでした。直ぐに、晩酌の時間になりました。

 

「若者の 学ぶ姿を 垣間見る 孫の世代の 未来や如何に」

「傘のよな あの木何の木 気になる木 テレビで見た絵 目の前にあり」

「鈴掛の 巨木の裸 仰ぎ見る 乱れ簾の 空を遮る」

「プラタナス 葉を落として 列をなす ビルも列なす 新宿御苑」

「明日咲かん 山茱萸の小径 色づきて 微かな黄色 水面を染める」

「白梅と 緋寒桜の 揃い咲き 福寿草も 花を添えけり」

「蕾かと 思いてカメラ 向けたれば 枝に巻き付く 豆電球なり」 

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2019年02月13日

2019年02月13日

 

 天気予報では、午前中から晴れるというので、洗濯をしたのですが、晴れたのは、午後の2,3時間だけでした。

 昨日は、イラン革命の40周年だそうです。この革命の10年ほど前に、イランを訪れた事があります。まだ日航に、南回りでイタリアのローマに行く瓶があった頃です。はっきり憶えていませんが、香港、クアラルンプール、ニューデリー、テヘラン、ローマだったような気がします。イランのテヘランには、夜に着きましたが、夜景が素晴らしく綺麗だったのを思い出しました。

 当時のイランは、パーレビ国王の時代で、一見した所では、非常に豊かな感じがしました。金持ちが行く、ナイトクラブには、イスラムでは禁じられている酒が置いてありましたし、舞台では、北欧から来た女性達がセミヌードでダンスを踊っていました。昼間、宝物館を見せて貰いましたが、銀行の地下にある金を保管する場所に似た、分厚い扉を開けて入りました。ペルシャ時代からの宝物が沢山ありましたが、ダイヤモンドだけの1室もありました。一般的には世界一と言われる、英国女王の王冠に付けられた、ダイヤモンドを上回る大きさのダイヤモンドがありました。ダイヤモンドは、ブリリアンカットが一般的ですが、此処のダイヤモンドは、スクウェアーカットだと説明されました。何しろ、部屋中が山ほどのダイヤモンドだったので、全部ガラス玉に見えました。

 恐らく、私が見た贅沢は、国民には縁が無かったのだろうと思います。既に、多くの石油を産出していたのですから、国民が豊かにならない方が不思議な気がします。結局、イスラムの指導者を巻き込んで、国民が蜂起し、イラン革命が起きました。革命後の最初の大統領は、ホメイニ師でした。それ以降現在まで、宗教家による政治が続いています。

 私は、国王による政治も、宗教家による政治も、独裁者による政治も嫌いです。少々トラブルがあっても、一般国民の代表者が、政治を行って欲しいと思います。但し、一般国民から選ばれた代表が、権力を手放したくなくなって、独裁者になるのは、何よりも嫌いです。真に民主主義を実現するには、一定期間で、代表者が交代しなければなりません。しかし、人間に個性があるように、国にも個性があります。一朝一夕に全世界が、理想的な民主主義になるとは思っていませんが、一応出来るだけ多くの人の頭には、民主主義の理念を、入れておいて欲しいと思います。

 

 来週ゴルフの予定が入っているので、ゴルフの練習に行きました。今週、来週と予定が詰まっていて、今日くらいしか練習する時間が取れないのです。昨年、ゴルフは2回しかやっていません。約半年ぶりのゴルフです。球を前に飛ばすことが出来るのか、それさえ心配なので、練習しないと、一緒に回る人に、迷惑を掛けてしまいそうです。念入りに、柔軟体操をして、200発の球を打ちました。普段使っていない筋肉と、身体の節々が痛くなりましたが、一応、前に飛ぶようになりました。

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2019年2月13日 (水)

2019年02月12日

2019年02月12日

 

 今朝は、快晴の素晴らしい天気でした。富士の頂きは、真っ白でしたが、丹沢には、雪が無いように見えました。二日前の雪は、もう融けてしまったのでしょうか、余りにも早い気がします。

 昨日書けませんでしたが、昨日、安倍総理が、「民主党時代は悪夢だった」と発言しました。この発言は、「国民が民主党を選んだのは、悪夢だった」と言ったのと同じなのです。国民の負託を受けて政治を行う、民主主義時代の政治家が言う言葉ではありません。まして、総理が言うとは、政治家としての品格を疑います。民主党が政権を担ったのは、国民の意思だったはずです。確かに、民主党は、理想を現実に出来る事と履き違えたり、担当大臣が変わるとやることが変わったり、官僚をよく使えなかったり、党内のガバナンスが出来ていなかったり、政権運営に関しては、不慣れを露呈しました。しかし、国家にどの様な損失を与えだのでしょうか、安倍政権と較べて、国民にどの様な不利益を与えたのでしょうか、具体的に例示できるのでしょうか、知りたいと思います。

安倍総理は、民主主義時代の政治家ではないように見えます。戦後、民主主義国家になったのに意識改革が出来ていない、頭の中は、戦前の政治家なのではないかと思っています。安倍総理の母方の祖父岸信介(佐藤栄作の兄)は、東条内閣の高官であり、A級戦犯の被疑者でしたが、釈放され首相にもなりました。「安保反対、岸を倒せ」のシュプレヒコールが、日本中に湧き上がった時、幼年期の安倍総理は、かなりの影響を受け、左翼系に対する不快感が芽生え、自分の中に右翼系の考えが根付いたようです。この頃、私は高校1年生で、バスケットをやっていましたが、夏の合宿に東京の大学に行った先輩が合宿に参加し、ランニングの時の、かけ声が「安保反対、岸を倒せ」だったのを憶えています。しかし、私の考えには、何の影響も与えませんでした。政治について、全くの無知でした。安倍総理の場合は、政治家一族の中で育ったのですから、私より年少であっても、肌で感じる物があったのでしょう。

私は、右翼系の政治についても、それが国民の選択で有れば、それも一つの政治だと思っています。しかし、その政治が不当で有り、国民の多くが違った政治を望む場合、政権交代できる受け皿は欲しいと思っています。どちらの政権も、国民の平和と安全と繁栄を、戦争に拠らない方法で、目指すのであれば、何の問題も無いと思っています。

ところが、現在の安倍政権は、右翼系左翼系とか、政治理念や政策とは懸け離れた、自分の知人のために便宜を払う事は平気でやる。賃金が少ないとの意見があれば企業に賃上げを依頼する。国に金はないのに金だけを頼りに外交をやる。政治に必要な資金の殆どは借金でまかなう。経済指標が政権に有利で無ければ適当に誤魔化す。反対党を支持した国民を平気で罵倒する。まだまだ、沢山あります。これらは、国民のための政治と言えるのでしょうか、国民のためには、何もしていないような気がします。

私が見ている限り、安倍総理は、将来の日本国家や日本国民のために、何もしていないように見えます。将来、何もしなかった総理として、歴史の本に書かれるでしょう。

 

 今日は、12時から、歯の治療があり、聖蹟桜が丘まで、歩いて往復しました。特に帰りは、バンやコガモの大きな群、白鶺鴒達、カワセミ、ムクドリなどを見ながら歩きました。以前中州だった所が、浅川と多摩川の合流点が変わったため、以前の中州まで歩いて行けるようになり、河原を、石を拾いながら歩きました。我が家の真ん前の河原です。リュックが重くなるほど石を拾いました。合流点の手前で、流れが崖まで押し寄せて、河原伝いに歩けなくなったので、崖の上に登りましたが、道が無くなり、藪漕ぎをせざるを得なくなりました。多くは、荻の枯れ野原だったのですが、1箇所、野茨の密生地があって、1歩も進めない状態になりました。一本一本、野茨の細い枝を踏みしめて、乗り越えました。僅か2mを進むのに、15分くらい掛かってしまいました。結構寒いと思っていたのですが、大汗をかいて仕舞いました。

 浅川と多摩川の合流点に行くと、以前は、対岸だった仙人の花畑に、ちゃんと道が出来ていました。この花畑は、34年前、大雨のため流砂で埋まってしまい、世話をしていた仙人が、世話を放棄してしまいました。所が今日、花畑の再生のために汗を流している、仙人を見ました。とても嬉しく思いました。

仙人の花畑から、程久保川を渡り、多摩川の右岸に出ました。1本だけある、土手の河津桜の蕾が、一つだけ花片を広げようとしていました。また、我が家の近くの家の庭では、雪の日、花を窄めていた姫立金花が、元気に花を広げていました。多摩や秩父の山々は、墨絵のように霞んでいましたので、確実ではありませんが、二日前の雪は、融けてしまったようでした。

 

 これから暫く、朝からの予定が続きますので、17日まで、日記を休みます。

 

「梅の花 探し歩いた 睦月過ぎ 早や如月の 梅の季節に」

「梅並木 早咲き遅咲き 並び立ち 片や満開 片や一輪」

「葉を落とし 鳥の巣の跡 丸見えに 鳥も引っ越す 欅の大木」

「多摩川の 流れ楽しむ 小鴨達 我の姿に 慌て飛び立つ」

「岸の石 白鶺鴒の 舞い舞台 飛んで跳ねての 踊りを披露」

「尻を振る 白鶺鴒を 脇に見て 身動ぎもせぬ 翡翠独り」

「多摩河原 河原の石は 宝物 リュックにずっしり 宝の重み」

「荻の原 枯れた薄を 踏み分けて 道無き原に 道を作れり」

「野茨が 藪漕ぎの足 引き留める 一枝一枝 踏みしめ歩く」

「藪漕ぎの ご褒美なるか 目の前に 仙人手塩の 花畑見ゆ」

「浅川の 流れの奥に 多摩の峰 霞み霞みて 空に融け入る」

「多摩の土手 河津桜の 独り立つ 今開かんとする 蕾の一つ」

「雪の日に 花を窄めた 立金花 冬の日差しに 元気一杯」

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2019年2月12日 (火)

2019年02月11日

2019年02月11日

 

 暗い雪の降り出しそうな朝でした。千葉や茨城や千葉に近い東京等は、行きになったようですが、我が家の近くは、雪には成りませんでした。

 今日は、建国記念日だそうです。しかし、今日が、何故建国記念日なのか、正規に教えて貰った記憶がありません。父からだったかはっきりしませんが、日本の歴史に関係が有り、昔は紀元節と言っていたようです。今日、ネットで調べたら、初代の天皇である神武天皇が、即位した日を、1873年(明治6年)、和暦の1月1日を西洋歴に換算した、2月11日を紀元節とし、国民の祝日にしたそうです。しかし、占領軍の意向もあり、戦後1948年(昭和23年)紀元節は廃止された。その後、1966年(昭和41年)「建国記念の日」として復活したとのことでした。

 日本の歴史は、武家政治が長かったように言われていますが、結局、神話時代の原始宗教(神道)と結びついた、天皇制のようです。戦後育ちの私としては、政教分離が当たり前で、天皇と神道の結びつきは、過去の物と思っていたのですが、どうもそうではないようです。神話時代の歴史研究は、神道や天皇に影響を及ぼす事については、歴史を変えないよう、何処からか暗黙の圧力がかかるようです。実証に基づく研究に圧力を加えては、戦前の国家神道への逆戻りが危惧されます。しかし、現実の社会は魑魅魍魎の世界ですから、学者の研究が常に実証の基づく物かは、簡単に判別できる物ではありません。大事なのは、国民に全てを公表することです。現実に、我々は、建国記念日について、何も教えられていないのです。平成天皇は、即位の時から、政教分離の象徴天皇であり、靖国神社との関係を疎遠にしていますし、平民から皇后を娶り、戦争への反省とか、被災地への訪問とか、国民との接近を試みてきました。戦争という大きな犠牲の結果ですが、日本に穏やかな改革が進展したと思っています。日本人だけでは、決して出来なかった改革だと思います。出来れば、天皇家は、全ての神社との関係を、もう少し希薄にして、国民との関係を更に濃厚にして欲しいと思っています。国民の側も、天皇家に対して、もう少しフランクであっても良いと思っています。

 

 今日は、曇りで寒いので、散歩は止めて、この前行けなかったスタジオジブリへ行くことにしました。スタジオジブリの入場券を売るローソンが、我が家の近くに無いので、途中の国立で、入場券を買うことにしました。所が、国立のローソンで、入場券を買おうとしたら、2月分の入場券は、完売していました。人気が高いのは分りますが、これ程とは思いませんでした。しかし、思い立った時、ふらりと行けないような場所は、私は嫌いです。残りの時間は、少ないですから、生涯スタジオジブリには、行かないと思います。

 午後1時半頃に、我が家を出たのですが、我が家の戻ったのは、3時近くでした。国立への往復だけで、1時間以上、時間が掛かりました。それでも、午後の時間は、たっぷりあったので、実に久し振りに、昨日の雪景色の散歩の様子を、写真と75調の短歌擬きと一緒に、フェイスブックに掲載しました。散歩の時は、何時も写真を撮り、和歌らしきものも作るのですが、面倒くさいので、ほぼ1年近く、掲載していませんでした。嬉しいことに、最近、フェイスブックの中で友達関係になった、大学時代の同期から、コメントが届きました。6年ほど、全く音信不通だったのですが、元気でやっているようでした。

 その後、昨日全部見る事が出来なかった、AI戦争(AI診療に関するドラマ)を最後まで見ました。残念ながら、人工知能そのものに対する認識と掘り下げが甘く、コンピュータの世界に長くいた私にとっては、物足りないドラマでした。単なるSFファンタジーであった「鉄腕アトム」の方が、もっと真剣にロボットのことを捉えていたように思います。人間に作られたロボットからの独立、感情が持てるようになるロボット、既に、半世紀前から、この問題が論じられていました。この半世紀、コンピュータ技術が加速度的に進展した現在、SFがほぼ現実になりました。そして、今一番問題なのが、鉄腕アトムで示された、ロボットの人間からの独立、機械的計算だけで無く、論理を越えた感情を持つことが出来るか、この点に関して、現在の技術動向(プログラミング技術)が、どの辺りまで来ているのか、あるいは、逆に技術の進展により、ロボットの独立や感情は、絵空事だと分ってきたのか、この辺の所が、殆ど描かれておらず、「白い巨塔」的な、病院の内部問題に終始しました。ドラマの題名に引かれたのですが、残念でした。

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2019年2月11日 (月)

2019年02月10日

2019年02月10日

 

 今朝起きたのは、何時もより少し遅い、7時頃でした。良く晴れた朝で、雪を被った丹沢、富士の白嶺が見えました。多摩川や多摩川の土手の雪景色も見えました。

 日が高くなると、雪が融けてしまいそうでしたので、直ぐにカメラを担いで、散歩に出かけました。家の前の多摩川の土手に出ると、一面雪景色でした。丹沢から秩父に至る、山々が雪化粧をしていました。以前も一度、雪化粧をしましたが、3日くらいで、元の山の景色に戻ってしまいました。今回の雪の方が、長続きしそうです。

 目の前の七生丘陵の住宅地が、富士山のように真っ白くなりました。両者の記念撮影をしました。高幡不動の相輪が、金色に輝いていました。日の出から僅かの時間だけ、相輪の輝きを見る事が出来ます。以前にも書きましたが、お寺の塔なのに、十字に光って見えるのです。

 土手から、四谷下堰緑地におりました。薄らとした雪なので、元の植物を残した形で、雪が積もっていました。それが、淡雪の良い所だと思います。彼岸花の葉、薄、枯れた泡立草、芽の出始めたツツジ、椿、小栴檀草等々、とても良い感じでした。

 更に、日進小学校から、旧家が残っている四谷三丁目、稲荷神社、四谷クリニックと歩き、野猿街道に戻ってきました。此処でも、太陽を閉じ込めた雪解けの雫、雪と間違いそうな白梅、雪を乗せた蝋梅、今にも花が咲きそうなミモザと雪等、日頃見る事の出来ない景色を、楽しみました。特に、雫は素晴らしかったのですが、写真では、どうしてもこの美しさを取ることが出来ません。特別のレンズや技術が必要のようです。

 バス停の東の方の畑に行ってみると、日当たりが良いので、雪はかなり融けていましたが、ナズナと仏の座が、雪の中で花を咲かせていました。この畑の仏の座は、昨年の春から、ずーっと咲き続けています。このまま行けば、一年間途切れなく花が咲き、今年の春に繋がると思います。聖蹟桜が丘へ行くバスを利用する時は、花が咲いているか毎回確かめてきました。本当に凄いと思いました。ナズナも多分同じだと思うのですが、仏の座に気を取られて、憶えていません。ハコベ(繁縷)も随分永く咲いていたのですが、流石に年が変わった頃に終わりました。

 四谷桜公園では、木瓜の花の周囲に雪が積もっていました。木瓜の花も1年中咲いているのではないかという気がします。確実に確かめたわけでは無いのですが、何時行っても、木瓜の花が咲いていたように記憶しています。我が家の近くの家の庭に、ヒメリュウキンカ(姫立金花)が満開だったのですが、雪を被ってしまい、花を窄めて耐えていました。

 我が家に帰ったのは、9時半を過ぎになりました。殆どの雪は融けてしまいました。それから、朝食を食べ、洗濯をする等、1日の生活パターンが、2時間ほどずれてしまいました。午後の散歩は、雲も出て来ましたので取止め、久し振りに、AI診療に関するテレビドラマを見て過ごしました。

 

「枝の背に ほっそり長き 淡雪に 負けず膨らむ 桜の蕾」

「公園の 遊具の上の 薄き雪 子等が来るまで 残っているや」

「雪の朝 多摩の河原の 雪景色 何故に一筋 道の残るや」

「雪の朝 丘の家並の 屋根の雪 富士の白嶺に 負けぬ白さよ」

「葉を延ばし 栄養補給の 彼岸花 白菊擬きに 雪の積もれり」

「八つ手の葉 白手袋の 雪化粧 午餐会には 派手過ぎないか」

「ツツジから 伸び出してきた 笹の葉の 雪振り落とし 朝の日浴びる」

「淡雪に 包まれ立ちし 君の名は 答え簡単 柊南天」

「雪被り あのモコモコは 何者ぞ 白髪に変わりし 泡立草の花」

「朝日ごと 多摩の景色を 閉じ込めて キラリと光る 雪解け雫」

「雪の朝 ダンプ並んで 大笑い 昨夜は皆で 雪見酒かや」

「憎らしき 小栴檀草の 実の上に 淡雪乗れば 可愛いく見える」

「明日咲かん 黄色く染まりし ミモザにも 淡雪乗りて 焦り諫める」

「冬の花 早や咲き終えし 枇杷の木の 舟形の葉に 雪の積もれり」

「多摩の里 村の鎮守の お稲荷さん 木々に囲まれ ひっそり雪化粧」

「真っ白の 芍薬擬き 雪の花 新芽を伸ばす 垣根のツツジ」

「網の中 生まれし雫 夥し 朝の光に 宝石の山」

「畔道に 雪と見紛う 白梅の 咲きこぼれて 雪中の春」

「石楠花の 蕾の周りの 雪化粧 花咲く日々を 思い起こせり」

「霜枯れし 芙蓉の花の 花の跡 雪が再び 花を咲かせり」

「雪化粧 花は何処や 白椿 緑濃き葉は 昼には戻る」

「置物の 門の小鳥の 脇に雪 本物よりも 可愛く見える」

「雪を乗せ 赤さ際立つ 葉が覗く 公園の道 おたふく南天」

「梅雨時も 夏の暑さも 乗り越えて 雪の朝にも 仏の座咲く」

「雪背負い 戸惑い勝ちに 花窄め 春待ち顔の 姫立金花」

「君もまた 一年通して 咲くのかや 雪の朝にも 木瓜の花かな」 

 

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2019年2月10日 (日)

2019年02月09日

2019年02月09日

 

 昨日の天気予報では、今日は、記録的寒波がなんかして、かつ、南岸低気圧が近づくこともあって、関東地方も雪が降るといっていました。天気予報の通り、今日は、非常に寒い朝で、我が家の方でも、霙らしき物が少しだけ降りましたが、直ぐに止みました。

大分前から、厚生労働省の統計が問題になっていますが、前にも書いた通り、統計の不備は、国家の基本政策を揺るがす大きな問題です。コンピューターを使った、様々な政策資料の作成は、多くの場合、統計データが基本となります。

 私が、コンピュータの仕事を始めた頃、もう半世紀も前の話になりますが、職場に統計学の権威の先生を呼んで、「統計で嘘をつく方法」を講義して貰ったことがあります。この講義の骨子は、社会統計のデータを正確に取ることの難しさでした。例えば、NHKが頻繁に実施してる世論調査一つですが、正確な物は忘れましたが、

「憲法改正に賛成しますか 

 〇大いに賛成 〇大いに反対 〇まあまあ賛成 〇まあまあ反対」

このように、極めて簡単な質問項目選択型のデータの場合でも、質問で使われる言葉やその並べ方によっては、受け取り方が、各人によって異なってしまう場合が多いのです。前述の調査票にも、不適切な言葉の使い方があります。「賛成しますか」と聞くのではなく、「どう思いますか」と聞いた方が良いように思います。このように不適切な質問で取られたデータは、最早、正確とは言えないのです。面接、質問応答型のデータも同じ問題を持っています。同じ選択型も、紙に書いてあるものに答える場合と、調査人に答える場合とでは、矢張り結果のデータに影響が出て来ます。また、何れの場合も、報道によって作られた世論動向によって、調査時点の違いでも回答に影響が出て来ます。経年変化を伴う統計データには、更に様々な問題が生じます。従って、官庁の統計担当者は、この事を充分認識していなければなりません。訪問調査から、質問票送付調査に変えることは、統計の結果を変える事にもなるのです。

つまり、当時の先生の講義は、統計で嘘をつく気が無くとも、社会統計には、どんなに注意しても、ある程度の嘘が混入してしまうということでした。

そんな訳で、私は、統計が主たる根拠になっているような、世論、経済の状態、病気になる確率、治療方法、薬、サプリメント等は、基本的に信用しないことにしています。もう一度自分の頭の中で、自分なりの論理で確かめた上で、自分の判断を決めています。今の世の中、意図的な嘘も沢山横行しています。

 

 午前中には、日記を書き終えたのですが、寒いし雪が降りそうだし、家でのんびりしていると、何日か前に頼んだ、大分の「とりかわサクサク揚げ」が、午後2時頃届きました。普段なら、散歩に出ていたかも知れません。直ぐ一袋開けて食べて見ました。美味しくて、夜が待ち遠しくなりました。

 天気予報を見ていると、雪は、南岸低気圧に近い、千葉、茨城等、海岸に近い方で降っているようなので、2時半頃から、散歩に出かけました。

外は、昼間でも非常に空気が冷たく、余り経験した事の無い寒さでした。空気が冷たいと、川の水の方が暖かいのかも知れません、バンやコガモが、四谷橋の下で泳ぎ回っていました。河川敷のテニスコートやサッカー事には、人影がありませんでした。天気予報に恐れをなしたのでしょう。少し遠回りをしても、聖蹟桜が丘に、3時15分頃に着きました。しかし、聖蹟桜が丘では、何もすることがないのです。何も買う物がないと、デパートや小売店の集まったビルを歩いても、何にも興味が湧きませんでした。私以外の老人も、似たようなものでしょうから、老人が、経済に貢献しないわけです。結局、4時のバスで我が家に戻りました。

 散歩から帰る時に降り始めた雪は、夜まで降り続き、薄らと雪が積もりました。明日は、雪景色が見られるかも知れません。晩酌のビールの摘まみとして、「とりかわサクサク揚げ」を食べました。美味しくて、あっという間に一袋食べてしまいました。今回、1箱に4袋入りを3箱、計12袋を頼み、頼み過ぎたのかも知れないと思っていたのですが、1袋が小さくて、直ぐに無くなって仕舞いそうです。私が、大分で買った袋の半分しかないようです。

 

 

 

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2019年2月 9日 (土)

2019年02月08日

2019年02月08日

 

 夜明けから、しばらくの間、富士が見える良い天気でしたが、やがて富士は見えなくなり、午後は薄い雲が、空を覆うようになりました。

 今日は、娘の誕生日です。私の最初の海外勤務地、ヴェネズエラで生まれました。メキシコへは、入ったばかりの中学校を止めさせて、連れて行きました。親のために、大変な子供時代を過ごしました。その娘も、40も半ばに達し、3児の母となりました。私が、メキシコに行った時より、歳を取ってしまいました。私が、爺さんになるわけです。孫達は、母の子供時代の苦労は知らないで、とても素直に育っています。

 最近、連日のように報道されている、10歳の女の子の虐待死は、余りにもむごたらしく、チャンネルを変えたくなります。チャンネルを変えても、同じニュースのことが多いです。虐待したのが父親で、母親も夫の虐待を止めることをせず、むしろ手伝っていたようです。そして二人とも、殺人や傷害の罪で逮捕されました。ITとか様々の分野での社会の発展が、人間を生き物としての本質的な生き方から、遠ざけているのではないかと思ったりします。動物の子供は、育ててくれる親に可愛がられるように、とても可愛く生まれてくると言われています。その可愛い子を、親が虐め殺すと言う事は、全く信じられません。今後、詳細が明らかになっていくと思いますが、虐待の張本人である父親が、正常な精神を持たない狂人であること、それだけが救いのような気がします。しかし、表面的には、正常に見えるので、それが何より怖いです。正常な人間が、躾などと称し、正常に虐待する事は、絶対にあってはならないことだと思っています。我々の、子供時代にも、同じような事件があったのでしょうか、詳細は分りませんが、私の個人的な記憶では、極めて少なかったと思います。怖い世の中になったと思います。取り敢えず、虐待されている子供を救うことが先決ですが、何故このように、家族による虐待が増えたのか、本質的な問題についても、研究を進めて欲しいと思います。

 

 今日は、先輩の店の完全閉店が、一月延期されたので、先月23日に行った「語ろう会」のお別れ会を、もう一度やることになっていました。

 5時に家を出た時は、日差しも無く、風も強くて、猛烈な寒さを感じました。西の空には、巨大な鯖雲というか、鯨雲というか、帯状の雲が連なっていました。6時過ぎに、先輩の店がある恵比寿に着いた時は、ガーデンプレイスのイルミネーションの上に、細い三日月が輝いていました。

 6時半に、先輩の店に着きました。お別れ会は、7時からなのですが、先輩とゆっくり話す機会を持つために、30分は早く行くことにしています。耳が、殆ど聞こえなくなった先輩が、私の声なら、ある程度聞き分けが出来ると言ってくれました。私の銅鑼声が、役にたつことがあるのは嬉しいことです。でも、先輩は、様々な困難から、立ち直りつつあります。表情が、大分明るくなりましたし、再来週は、海外に仕事に出かけるそうです。店を閉じる大変な時ではありますが、仕事をするのは、良いことだと思います。

 語ろう会のメンバーも少しずつ集まり、8時過ぎには、全員が集まりました。先輩夫婦を加えて、男7人、女10人、全部で17人集まりました。でも、女性の内2人は、私が帰る時まで、厨房を手伝い、話の輪の中には、入って来ませんでした。

色々な話をしている中で、誰かが、私のコンピューター昔話の小冊子を、新しく参加した人に、紹介しました。私のパソコンに保管されていた単なるデータを、今日のメンバーの一人の女性が、お洒落な小冊子にしてくれたのです。そして、メンバーの皆に、配ってくれたのです。身に余るような、光栄だと思います。また、ある女性は、私のブログをスマホで近くの人に見せていました。老人の日々の生活など、退屈至極だと思うのですが、読んでくれているようでした。元々は、親族や家族に、近況を知らせるために始めたのですが、同期とか、関西の友人とか、山の仲間とか、そして、今日の「語ろう会」にも読者が出来て、嬉しくもあり、恥ずかしくもあります。

こんな老人になって、先輩が、食事も出来、酒も飲める店を開いてくれたお陰で、新たな友達が出来ました。先輩夫婦と、「語ろう会」の発起人の方には、本当に感謝です。毎回、美味しい料理を作ってくれた奥さんの料理も、今日が食べ納めになるのではないかと思うと、とても残念ですが、これまでに食べられたことを、幸せだと思うことにしました。今日は、お別れ会らしく、全員で集合写真を撮った所で、皆さんと別れて帰宅しました。何時もより、少し長くいたので、家に帰り着いたのは、日付が変わる頃でした。

 

「老いてなお 新たな友の 集い来て 笑顔で話す 幸せ貰う」

「人生は 旅立つ日まで 出会いあり テレビを消して 出会いを探そう」

 

 

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2019年2月 8日 (金)

2019年02月07日

2019年02月07日

 

 今朝は、良い天気でしたが、西の地平は雲が出て、富士も丹沢も見えませんでした。それでも、日差しはたっぷりあるようですから,鶏の軟骨の日干しは、日干しらしくなるでしょう。

 今日は、北方領土の日だそうです。テレビで、北方領土返還大会の様子を報道していました。去年まで続けられていた、「北方領土を返せ!」と書かれた鉢巻きも襷もシュプレヒコールも無くなり、日ロ平和条約締結推進に変わったそうです。北方領土が、日本固有の領土だという主張もしなくなったそうです。この固有の領土の件に関し、安倍総理が、国会に於いて、何時もの通り、訳の分らない答弁をしていました。ロシアは、北方4島全てに関し、主権はロシアにあることを認めなければ、平和条約交渉が継続できないと言っているようです。このロシア側の主張を、受け入れるために、安倍総理は、固有の領土という言葉を使わなくなったようです。

 あと10年もすると、北方領土に住んでいた人達の殆どが、死に絶えると言われています。例え、来年、何等かの形で、旧島民の帰島が許されたとしても、日本の法が及ばない所に、帰りたいという気持になるのでしょうか。移住者と同じではないのでしょうか。

 国際社会は、万民に適用される法は存在しない、弱肉強食の世界です。国際法と呼ばれ、いかにも法のようですが、個々の国が、国際的取り決め(条約)に従うと約束したに過ぎません。何時でも脱退できますし、破棄することも出来ます。これらの行為に対し、国内法と同じような罰則は存在しません。脱退したり、破棄したりした国を咎めるのは、軍事力、経済力、所謂、力しか無いのです。だから、弱肉強食の世界なのです。今の日本には、ロシアを日本の言うがままに従わせる力はありません。米国の力を借りても難しいでしょう。領土の問題に、米国が日本に力を貸すことも、極めて難しいと想います。

 では何故、今になって日ロ平和条約交渉が、解決すべき案件として出て来たかというと、ロシアの詳しい事情は分りませんが、ロシアによるクリミア半島占領に対する、EUの経済制裁が、ロシア経済に大きな影響を与えているからだろうと思います。結局、日本のお金が欲しいのでしょう。安倍総理は、きちんとしたビジョンも無く外交をやっていますので、外交を進めるには、金のバラマキしかありません。経済が停滞し、以前ほど外貨が充分に稼げない日本は、国債という形で政策実施のための金を捻出しなければなりません。従って、最終的には、国民一人一人に付けが廻ってくることになります。このような安倍総理を、外交上手ともてはやすのですから、日本に人材がいなくなったと言うことでしょう。上手く行かない時は、外交などは、放って置けば良いのです。

 

 

今日は、節分草の花を見に、昭和記念公園に行って来ました。春のような陽気の中で、色々春の花を見ました。

午前11時頃、我が家を出て、昭和記念公園の西立川口に、12時近くに着きました。水鳥の池では、泳いでいる鳥は少なく、多くは岸辺で丸くなって日向ぼっこを楽しんでいました。今日は、鳥達に近い岸辺のベンチで、昼食にしました。今日も、箸を忘れてしまい、また木の枝で箸を作りました。目の前に、カイツブリがやって来て、何度も潜って餌取りをしていました。「僕も昼食なんだ」と言ってるかのようでした。

昼食を終えて、今日は何時も歩かない所を歩こうと思って、残堀川の縁の、「川沿いの散歩道」を歩きました。反対側は、記念公園ではないので、私が歩いている所が記念公園の外周でした。記念公演には、至る所にイチョウの木がありますが、芽吹きが早そうなイチョウの枝には、小さなこけしというか、小坊主というか、芽吹きの前の膨らみが並んでいました。どの木も芽吹きの準備が進んでいました。木の下には、「石のかくれ家」が幾つもあって、石をそっと持ち上げると、虫達の姿を見る事が出来ると書いてありました。指示通りにしたのですが、残念ながら、虫達の姿を見る事は出来ませんでした。

暫く歩くと、玉川上水口に着きました。そこから、こどもの国、星のピラミッドに行きましたが、何時もとは、反対側から見る事になりました。違った風景を楽しむことが出来ました。更に、外周の道を歩いて、砂川口へ出ました。砂川口の前には、小さな池があり、周囲には、蝋梅と梅の花が同時に咲いていました。こもれびの里に近い、池の縁には、今日の目標であった節分草が咲いていました。

旧家の前とか、畑の畔で梅が咲いている、「こもれびの里」を抜けて、小さな梅林の方へ行くと、梅は早くも満開でした。福寿草や水仙の花も咲いていました。春の花と言えるかどうか分りませんが、スノードロップ、クリスマスローズも咲いていました。花を堪能し、更に外周を歩いて、立川口へ出ました。レインボープールを除いて、ほぼ外周を歩き尽くしたので、結構な歩きとなりました。

立川から国立に着いたのは、3時半頃でした。まだ帰るには、早い時間だったので、駅前にある多摩信用金庫の美術館で、倉田三郎の美術展を見ました。こういったことを言っては失礼ですが、趣味から一歩先に出た程度だと思いました。しかし、私の散歩道の絵が幾つもあって、それは楽しむことが出来ました。

家に帰ったのは、5時少し前で、直ぐに鶏の軟骨、鶏皮を干し網から取りだし、オーブンで焼きました。軟骨は何時も通りでしたが、鶏皮をオーブンで焼いたのは失敗でした。がりがりに焦げるし、油は流れ出すし、手間取った割には、美味しくありませんでした。種々時間が掛かって、今日の晩酌を始めたのは、7時過ぎになってしまいました。

 

「飯喰らう 我が目の前で 餌を捕る 一緒に昼食 池のカイツブリ」

「春を待つ 公孫樹の枝の コケシ達 芽吹きの歌を 歌う日近し」

「枝先に 残る赤き葉 冬備え 棘も隠せぬ 春待つ野茨」

「青空を 背にして黒き 冬木立 生き越し日々を 曝け出しおり」

「名は体を 名前の通りの 三つ又さん 枝先三つ 花の三輪」

「木の下に 程よき石の 並びたる 虫等が好む 石の隠れ家」

「整然と 二列縦隊 公孫樹達 身動ぎもせず ひたすら立ちおり」

「葉の落ちた セコイア並木の 真ん中に 青空仰ぐ 星のピラミッド」

「早咲きか 去年の花かは 分らねど 二輪花咲く 雪柳かな」

「満開と 見紛うほどの 花残る 散らし忘れた ノリウツギかな」

「お目当ての 節分草に 出会いたり 狙い定める 爺様カメラマン」

「満開の 梅と一緒に 春告げる 梅の足下 福寿草かな」

「赤枯れし 葉がそのままに 木に残る 君も譲り葉 ヤマコウバシ」

「病葉の 重なる路地に 白き花 頭を垂れる スノードロップ」

「春を待つ 楓の枝に 蝶の舞う 二枚の羽の 蝶の舞うなり」

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2019年2月 7日 (木)

2019年02月06日

2019年02月06日

 

今日は、朝から雨で、午後まで降り続けました。昨日今日と、日差しが殆ど無く、最悪の時に、鶏の軟骨や鶏皮の干物作りをやってしまいました。なんと、東京に1mm以上の雨が降るのは、昨年の12月中旬以降、この冬初めてだそうです。太陽の光に晒さないと、干物のような気がしないので、明日も1日干すことにしました。明日は、朝から日差しがありそうです。実は、昨日も、天気予報では、一日中晴れだったのです。昔と違って、天気予報が良く当たるようになったと感心していたのですが、肝心な時に外れました。

今日は、トランプ大統領が一般教書を発表する日でした。世界で最も強大な国の大統領の施政方針演説ですから、全世界が注目しました。しかし、全体として、どの様な一般教書だったのか、良く分りません。日本のニュースで大きく報道されたのは、北朝鮮の金正恩との2度目の首脳会談を行う事くらいでした。若し、トランプ大統領が、南北朝鮮の戦争状態に終止符を打ち、米軍の南朝鮮からの撤退を決めることが出来れば、私も評価したいと思いますが、それは、多分あり得ないでしょう。彼は、米国の軍需産業の手先のような人間ですから、米国が絡む緊張関係を緩和することは、お得意先の期待に背くことになってしまいます。現在、お得意先の希望通りに、ロシアと中国との間に、直接的な緊張関係を作りだし、軍需産業にこれまでに無い様な好景気を生み出したので、若しかしたら南北朝鮮の終戦に言及するかも知れないと思われます。北朝鮮との危機が、相対的に低くなっているからです。所が、北朝鮮問題が解決すれば、ロシアと中国との緊張関係も、切実なものではなくなってしまいます。そうすると、米国が軍拡に大規模な予算を使うことに、国民が納得するような説明が出来なくなるでしょう。軍需産業のためには、常に世界の何処かに、戦争の火種を残しておく必要があるのです。繰り返しになりますが、北朝鮮との首脳会談は、中途半端な妥協で終わるでしょう。

トランプ大統領が言う、アメリカファーストは、かつての日本の軍国主義に似たような、ナショナリズムを前面に打ち出していることを、我々も良く知るべきだと想います。トランプ大統領は、正直な人だと言う人もいます。ある意味その通りだと想います。ナショナリズムの考え方は、家族という自然の縁を原点とした考えですから、多くの人に理解されやすい考え方です。ナショナリズムに較べれば、世界平和とか博愛主義等と言った考え方は、自国が他国よりも、強く豊かである時以外は、絵空事になってしまうのです。そして、自国の状況が更に悪くなると、ナショナリズムは、必ず排他主義になり、戦争も辞さないことになり、戦争では、相手を徹底的に打ち負かすよう、味方の兵士を鼓舞するのです。私のような、原爆を落とされた長崎育ちの、平和主義者にとっては、矢張りナショナリズムは、怖いです。

 

 今日は、午前中からずっと、雨が降っていましたので、何処にも出かけないと決めていたのですが、2時過ぎになると、雨が弱まってきましたので、近くのショッピングモールへ、暇潰しに行って来ました。

ショッピングモールには、西友、ホームセンターコーナン、ノジマ電気、スポーツデポ、100円ショップダイソー、リビングデポが入っています。先ずコーナンで、普段立ち寄ることの無い、ペットショップコーナーへ行ってみました。犬と猫の赤ちゃんを売っていました。種類の違う犬の子供が、別々の檻に入れられていました。犬の子供は元気に動いていましたが、猫の子供は、例外なく、渾々と眠っていました。鳥も動物も、子供は全て可愛いです。最近は、犬も猫も、飼い主から可愛がられているようですから、違和感が少なくなりましたが、以前は、命ある物の売買に、大きな違和感を覚えていました。在来種と熱帯魚のコーナーを見て、ダイソーに移りました。

ダイソーで、三猿の真似をした三梟が売っていました。見ざる梟が、片目を隠していないのが面白くて買ってしまいました。我が家には、極く普通に三猿を真似た物と、三ざるを真似した三梟に、下を隠した梟を加えた、四梟があります。この二つは、外国で買った物です。左甚五郎の三猿は、世界中で真似されているようです。

その後、西友で軽く買い物をし、3時過ぎに家に戻る頃には、雨は完全に止みました。まだまだ、時間があるので、ジョン・スタインベックの小説を、ジョン・フォードが監督し、ヘンリー・フォンダ主演の昔の映画「怒りの葡萄」を見ました。米国の移住時代の貧民層の話です。米国にどうして小作農がいたのか、良く分らなかったのですが、今になって良く分りました。かなり遅れて移住した人達なのでしょう。既に、最初の頃の移住者が、広大な農地を所有しており、農業が出来るような、自分の土地を確保することが出来なくなっていたのでしょう。この最初の頃の、成功した移住者が、米国の民主主義と資本主義の原点だと想います。小作は、何処の国でも惨めです。ロシアでは農奴と言われました。しかし、現代は自己の生活源を持たない、勤め人ばかりになりました。勤め人(サラリーマン)は、言い換えれば、企業の小作人です。日本の戦後の企業は、財閥解体もあり、個人が創設し、銀行が株を持ち合うなどして、社会全体の企業の感じがありました。企業は、ファミリーであり、国家に拠らない社会主義の感じがしました。しかし、最近はグローバル経済に巻き込まれ、米国型の資本主義になり、資本を持つ側と持たない側(小作人)に別れ、格差が拡大しています。戦後の日本経済のあり方を、もう一度見直して欲しいと思います。

映画を見終わった時、丁度日没になりました。西の空はすっかり晴れ上がり、素晴らしい日没の瞬間を見る事が出来ました。赤富士も、顔を出してくれました。突然の自然のプレゼントで、少額の宝籤に当たったような気分になりました。

 

「突然に 幕の上がった 西の空 夕焼け空に 赤富士の立つ」

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2019年2月 6日 (水)

2019年02月05日

2019年02月05日

 

 今日は、鶏皮と鶏の軟骨の天日干しをしているので、太陽の光が欲しかったのですが、ほぼ一日中、黒い雲に覆われていました。

 テレビのニュースで、ヴェネズエラのことが、大きな話題になっています。私が、50年ほど前、初めて海外で仕事をした国です。当時ヴェネズエラは、中南米で1番の石油産出国でした。しかし、ヴェネズエラ石油の生産は、永いこと米国企業の手で行われていました。従って、中南米1の産油国でありながら、ヴェネズエラ国民は、豊かではありませんでした。勿論、そのようなヴェネズエラにあっても、ゴム、砂糖、コーヒーなどの荘園を以前から経営する、少数の一族は、桁外れの金持ちでした。当時、ヴェネズエラに於いて、国民を豊かにするとか、金持ちが更に金儲けをするとか、どの様な考えが主流だったのか、深い所は分りませんが、ヴェネズエラが石油産業の国有化をしたばかりでした。その影響で、国民にも、若干のお金が廻ったのでしょうか、中南米一、物価の高い国でした。また、強盗などの事件が多く、非常に危険な国でもありました。

 私は、中南米の多くの国を経験しました。そして感じたのは、中南米には、きちんとした国家意識が、いまだ根付いていないと思いました。それ故、国家を運営する官僚組織も、形だけの物で、国家の運営は、金と権力を持つ一部の人間に独占されていました。村の運営と大差ない世界でした。実を言うと、同じ新世界ですから、先を歩く米国にも、この傾向は残っています。しかしながら、米国の場合は、移住者の多くが、アングロサクソン系で、比較的組織能力が高く、論理的思考も出来たので、ラテン系を中心とする、中南米諸国より、先を進むことが出来るようになったと思います。勿論、移住の仕方、原住民の文化等々、多くの違いもありました。この差は、19世紀以降広がり続け、中南米に多くの問題を引き起こしました。米国による、中南米支配が始まったのです。

 メキシコに、「米国は嫌いだけど、米国無しに生きてはいけない」という言葉があります。様々な観点から、中南米諸国は、技術等の先進国米国に追い付くことが出来ず、利益を生み出す産業の多くは、米国産業に牛耳られて仕舞いました。従って、中南米の金持ちは、米国とは競争せず、持ちつ持たれつの関係になり、国民は見捨てられました。その為、中南米の国には、どの国にも社会主義主義革命の土壌が存在しました。キューバ革命以降、多くの社会主義政権が誕生しましたが、キューバを除いて、どの国も上手く行きませんでした。ヴェネズエラも上手く行かなかった国の一つです。国家意識と国家運営能力が低いこと、近くに共産主義・社会主義を毛嫌いする米国が存在したからです。

 私は、全く同じだとは言いませんが、自由主義の国家も、一部の人間に金と権力が集中し、それが固定化した後は、米国の移住者が、封建主義の困苦から逃れた王制と変わりが無いように思います。現在ヴェネズエラをめぐって、米国とロシア、中国が対立していますが、どちらも、真にヴェネズエラ国民を救うことにはならないでしょう。一般国民というのは、使い捨ての働き蜂のように思えます。長くなってしまいました。この問題は、何冊本を書いても書ききれないでしょう。

 

 今日の午後は、妻の買い物に付き合い、浅草に行きました。妻は、浅草の「さんき」という衣料品店に行きたかったのでした。妻は、何故か「さんき」が好きで、私と一緒に府中で暮らしていた時も、分倍河原の「さんき」に、何度も付き合いました。買い物が終わって、国際通りを渡り、新仲見世通りに入りました。中国の春節の影響だと思いますが、中国人らしい観光医客が、沢山歩いていました。私達は、特に浅草観光には、興味はなく、モンブラン浅草で食事をする予定でした。所が、私がきちんと場所を調べていかなかったこと、スマホで場所探しが出来なかったため、神楽坂に戻って食事をする事になりました。

 種々迷いましたが、結局、焼き肉屋に入りました。食べ物に関しては、文句はなかったのですが、従業員の応対が悪いのには、閉口しました。店の奥に引き籠もり、お客が何を必要としているか、全く気配りをしていないのです。客の方から呼んでも、聞こえないのか、応対してくれませんでした。客商売なのですから、最低限の教育をするべきでしょう。

 妻とは、色々話をしましたが、最近の官僚の質の低下について、妻は、男のレベルの低さが原因なので、早く女性をあらゆる職場で増やした方が良いと言っていました。尤もな意見ではありますが、私は、全面的に賛成は出来ませんでした。女が職場に増えれば、レベルの低い女性も沢山出て来るだろうと思うのです。つまり、男も女も所詮同じだと思うのです。この問題も、非常に根の深い問題なので、直ぐに結論は出せませんが、本来的に、男が優秀だとか、女が優秀だとか、このような議論は、無意味だと思っています。男と女の違いは、基本的には生殖の役割の違いに由来する物だけだと思っています。この由来を入れることによって、違いを無限にしてしまう人もいるので、矢張り難しい問題です。

 9時過ぎに食事を終わって、妻とは神楽坂で別れました。最近、酒が弱くなり、電車で座ると直ぐに寝込んでしまうのですが、今日は、何の問題も無く、我が家に戻りました。11時近くになっていました。

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2019年2月 5日 (火)

2019年02月04日

2019年02月04日

 

 今朝は、良く晴れていたのに、丹沢と富士の所に、大きな雲が、ドデンと座っていました。その雲も、昼近くには、何処かへ消えて無くなり、丹沢と富士が顔を出しました。

 今日は、立春で、本来は寒の底らしいのですが、今日は、20度近くまで温度が上がり、春一番が吹いた所もあったそうです。これから暫く、三寒四温が続き、やがて春が訪れるのでしょう。四季折々の花があり、四季折々の生き物の活動があり、四季折々の人間に生き方がある等々、日本の四季の変化は、災害など厳しい場合もあるけど美しいと思います。日本に四季があるのは、本当に有難い事です。

 昨日、美味しかった「とりかわサクサク唐揚げ」を注文しようと、会社の方に電話をしたら、ネットに注文用のサイトがあるので、そこから注文して欲しいと言われました。早速ネットから注文しました。便利になったのか、不便になったのか分りませんが、注文を受ける側にとっては、人件費も増えず、確実に楽になったと思います。

 12時半から、歯の治療があったので、聖蹟桜が丘の歯医者に行きました。今日は、女医が治療をしてくれて、何の問題もありませんでした。しかし、歯の治療とは、一体何処が悪くて、どの様な治療をしているのか、何の説明も無いので、私のほうから聞いてみました。すると、女医の説明に拠れば、「奥歯の内部に傷があり、その傷に歯周病菌が感染して、膿が溜まっていました。従って、歯茎を損傷しないように、歯の上部に穴を開け、中の膿を取りだし、傷口を殺菌し、傷が回復するようにしています。傷が治ったら、歯の上部を金属で閉じて、治療は終了になります。しかし、今日の段階では、傷は治っていませんでした。傷が完全に治るまで、治療を続けなければなりません。傷は、身体の外部の傷と同じですから、貴方の体力次第です。良く食べて体力を付け、早く傷が治るようにして下さい」と言われました。私が、歯茎の腫れと痛みを訴えて治療を頼んだのですから、大体のことは想像できましたが、こういう事は、早く説明すべきでしょう。

 治療後、30分間は食事が出来ないので、一旦、我が家に戻りました。食事を済ますと、2時半を過ぎてしまいましたので、今日は、スーパーバリュー国立へ買い物に行くだけにしました。土手の道を、石田大橋を越えた所にあるスーパーまで歩いたのですが、春というより初夏のようでした。軽いスポーツ用のジャケットを着ていたのですが、大汗をかいてしまい、途中で脱いでしまいました。夜のニュースに拠れば、我が家の近くでも、20度くらいまで温度が上がったそうです。

 国立のスーパーで買うものは、決まっています。鶏の軟骨2種類、鶏皮、鶏の手羽中、それに長芋です。今日は何時より多量に買いました。また、夜は、アクワパッツアを作る予定でしたので、白身の魚である鱈と、蛤、牡蠣も買いました。重い荷物を担いで、家まで歩いて帰りました。家に帰り着いたのは、4時頃でした。それから、鶏手羽の軟骨は、塩もみして干し網に入れて天日干しにしました。鶏皮は、適当な大きさに切り、出汁醤油と七味、酒、味醂の汁につけ込んで、一晩寝かせることにしました。手羽中は、ゆずポンに黒酢を混ぜて、味付けをし、二日くらい寝かせるため、冷蔵庫に保管しました。結構な作業量になり、全部が終わった時には、6時近くになっていました。

 晩酌の時間になりましたので、鱈を軽く焼き、蛤、牡蠣、タマネギと一緒に煮込み、最後に市販のアクワパッツァのスープを入れ、醤油にんにくを少量足して、更に煮込んで完成しました。その他に、牛肉とにんにくの芽の炒め物、鶏の踝の軟骨の唐揚げを作り、7時近くから、白ワインでの晩酌となりました。とても、美味しい酒を飲みました。これが、歯の傷に良いのかどうかは、分りませんが、、、。気分が晴れ晴れしていれば、体力もつき、傷も治ると勝手に思っています。

 

「立春は 寒さの底と 言われるも ツツジの季節と 紛う暑さに」

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2019年2月 4日 (月)

2019年02月03日

2019年02月03日

 

 今日も、快晴の良い天気でしたが、湿度が高かったのかも知れません。地平のぼかしの中に、丹沢も富士も融けてしまいそうでした。

 午前中、日記を書いていたら、関西の友人から電話がありました。既に、ラグビーのコーチのために、グランドに出ていたのが、タバコが吸いたくなって、車に戻ったら、私を思い出したそうです。話は、たわいの無い物でしたが、ちょっとした時間に、私を思い出してくれる友がいることは、嬉しいことです。

 今日は、節分ですから、色んな神社やお寺で、豆撒きが行われます。丁度府中駅の方に用があったので、地元の大国魂神社の豆撒きに行って来ました。

 11時半に家を出て、久し振りに11時40分発のチューバス(府中のコミュニティーバス)に乗って、府中駅に行きました。あちこちグルグル回るので、最低50分ほど掛かり、着いたのは12時半でした。先ずは、武蔵府中郵便局に行って、私が留守のため配達できなかった郵便物を受け取りました。なんと、私が米国のユニオンバンクに出した手紙が、住所不明で戻ってきたのです。しかし、この手紙の住所は、私が書いたものではありません。ユニオンバンクから私宛に来た郵便の中の返信用封筒だからです。トランプ大統領のせいで、米国の国家機関の業務が停止している所があるようですが、その影響を受けたのではないかと思ったりしました。書類は、米国における税金のことですから、後で、不利に働かないように願っています。何が原因かは、分りませんが、不思議なことが起きるものです。

 郵便局を出て、大国魂神社についたのは、1時過ぎでした。豆撒きは2時からと言う事で、近くの公園で弁当を食べることにしました。所が、箸が入っていなかったのです。幕の内弁当ですから、手掴みで食べられないことは無いのですが、気が進まないので、木の下に落ちていた枝を上手く折って、箸の代わりにしました。思ったより、使い勝手も良かったです。

 1時40分頃に、大国魂神社に戻りました。本殿の前が、殆ど人で埋まっていました。2時になると、節分祭の提灯を持った神社の人が、本殿へ上がり、節分祭が始まりました。しかし、節分祭は、本殿の中で行われ、一般の人は関係が有りませんでした。〇〇の儀、〇〇の儀が続いて、豆撒きに招待された人達が、本殿の舞台に現れたのは、2時半頃でした。俳優もいましたが、一番多かったのはスポーツ選手でした。特に、府中はラグビーの街ですし、今年、ラグビーのワールカップが日本で行われることもあり、東芝府中、NEC、サントリーの選手の代表が招待されていました。バスケットや野球の選手もいました。他にも、府中市のお偉いさん方や、ミス府中、ゆるキャラも来ていました。節分祭の代表の「福は内」のかけ声と共に、多くのまめの袋が投げられました。残念ながら、私は一番後ろの方にいたので、豆を拾うことは出来ませんでした。子供達が小さい時には、我が家で豆撒きをやるのが、習慣でした。一部屋一部屋、全部の部屋の豆撒きが終わると、最後に鬼を玄関から追い出しました。私は、何時も鬼の役でした。随分昔のことになりました。

 豆撒きの場所から離れ、参道に出ている屋台でケバブを買い、3時過ぎには、府中から我が家に戻りました。途中、我が家の近くのホームセンターで、トイレ用の40Wの電球を買いました。

 家には、4時前に着いたので、以前からの懸案であった、木綿のワイシャツの補修をしました。ナイロン生地のワイシャツは、永く着ても、なんとも無いのですが、木綿の生地のワイシャツは、比較的最近買ったのに、襟が擦切れてしまいました。他は、新品同様です。捨ててしまうのは悔しいので、補修することにしたのです。補修の跡が分らないようにするのではなく、補修したことが、明らかになるように、家に沢山ある日本手拭いの、豆絞りを使いました。慣れないことだったので、どの様に補修するか決めるだけでも大変でした。勿論、縫うのも大変で、1時間以上も掛かりました。しかし、思った以上に上手く補修できたと思います。でも、散歩の時くらいしか着ることは出来ないですかねー。

 その後、トイレに電球を取り替えたり、シャワーを浴びたり、メールの処理をしていると、6時を過ぎ、晩酌の時間になりました。今日は、アサリバターの汁の残りでパスタを作り、ケバブ、生ハム、トマトサラダで美味しくワインを飲みました。ワインの後、ビールを飲み、摘まみを探したら、昨年、大分で買って来た「とりかわサクサク揚げ」が出て来ました。これが、とても美味しかったので、大分の会社に連絡して、送って貰えないか、明日トライしてみようと思います。

 

「我が友の 遠方からの 声を聞く 予期せぬ声の 嬉しからずや」

「容赦なく 時は流れて 歳を取り 七十五もの 豆は食えぬよ」

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2019年2月 3日 (日)

2019年02月02日

2019年02月02日

 

 今日も、青空の下白い富士が見える、素晴らしい天気でした。今日は、風も無く、春を思わせるような暖かさでした。

 昨晩、トイレの電球が切れて、買い置きの電球と付け替えました。これまでの電球は、点けた時は暗くて、時間の経過に伴って、少しずつ明るくなるタイプでした。しかし今度の電球は、いきなり、以前の電球の最も明るい時の、倍位の明るさでした。この明るさでは、夜中トイレに半眠半覚(半醒半睡)状態で行った時、しっかりと目覚めてしまいそうです。明日は、何とかしようと思います。また、明るすぎると汚れが目立ち、今日、緊急にトイレ掃除をしました。

 次男は、今日が開店の日で、いつもより早く。10時頃には出かけました。次男を送り出して、10時半には家を出て、善福寺公園に行って来ました。渡り鳥の時期には、最低1度は、行くことにしています。

11時半には、荻窪駅に着きました。何時も利用する、南善福寺行きのバスでは無かったのですが、行き先の一つに善福寺と書いてありましたので、そのバスに乗って、善福寺で降りました。ところが、降りた所は、青梅街道で、善福寺公園は、見えませんでした。辺りを見回すと、江戸向き地蔵が通りの入口に立っていて、その横に、善福寺まで200m、善福寺公園まで460mと書いた看板が見えました。これまで、10年近く善福寺公園に通っていますが、善福寺は地名にだけ残って、寺そのものは、存在しないと思っていました。

看板に従って、5分ほど歩くと、寺が見えました。善福寺でした。恐らく、戦時中、空襲でやられたのでしょう、寺は鉄筋コンクリートで新しく、墓も新しいものばかりでした。しかし、境内の10本ほどの桜は、戦後直ぐに植えられたのでしょう、杉並区の名木に指定されるほど、巨木になっていました。直ぐに庫裏の方に行って、御朱印を頼むと、年配の住職が、快く引き受けてくれました。出来上がった御朱印は、恐らく、住職の息子の嫁と思われる、若い女性が持ってきてくれました。人形のように可愛いという表現がぴったりの、弾けるような笑顔の女性でした。「善福寺があることを、今日まで知らなかったのです」と話すと、「これからは何時でもお立ち寄り下さい」と笑顔で答えてくれました。今後は、桜の季節にも来てみようと思いました。善福寺があることを知ったこと、御朱印を貰えたこと、綺麗な女性に出会い話が出来たこと、今日はこれだけでも大満足でした。

善福寺から、善福寺公園は直ぐ近くでした。当然ですよねー。5分も歩かないで、善福寺公園の「上の池」の端に出ました。見慣れた風景でした。何時もは、キンクロハジロが沢山飛来するのですが、今日は少なくて10羽ほどでした。その代わりオナガガモが、矢張り10羽ほど来ていて、冬の日差しを楽しみながら泳いでいました。今日は、鴨達の泳ぎを見ながら、昼食にしました。

昼食を終えて、下の池に行くと、此処も何時もの通り、枯れた葦の中に、オナガガモが二組、葦の水路を泳いでいました。池の中の小さな島の木に、アオサギが5羽ほど止まっていました。ゴイサギやジョウビタキのメスも、姿を見せました。池の周りの落羽松が、今が冬であることを強調していました。

もう一度、上の池に戻り、1周しました。白くなった栴檀の実が、花のようでしたし、冬木立の中で咲き始めた枝垂れ梅が、裸の枝達に、春の訪れを告げていました。池の上の辛夷の花芽は、もうはち切れそうでした。蝋梅も甘い香りを漂わせていました。冬と春の交代劇が始まっていました。

上の池の遅野井湧水の近くに、小さな島があり、例年、ホシゴイ(星五位)を見る事が出来るのですが、今日も見る事が出来ました。しかし、善福寺公園以外では、ホシゴイを見たことが有りません。ホシゴイは、渡り鳥だと思っていたのですが、幼鳥が渡れるはずはありません。渡って来て直ぐに生まれたのでしょうか、そうとも思えません。恐らく、留鳥に成ったのだろうと思います。

善福寺公園に満足し、井草八幡に参拝して、我が家に戻りました。5時過ぎていました。丁度、日没が終り、富士の回りの西の空が、朱く染まっていました。今日は、久し振りに、冷奴、じゃこ天、鰤の照り焼き、メカブを肴に、日本酒で晩酌にしました。

 

「大江戸の 盛りが恋しい 江戸外れ 地蔵までもが 江戸を向きおり」

「善福寺 過去の遺物と 思いしが 我が目の前に 突如現る」

「渡りくる 鳥との出会い 楽しみに 冬の公園 池巡りかな」

「尾長鴨 水面に銀線 引きながら 時に羽ばたき 飛び散る銀の玉」

「弁当を 広げて食べる 我を見て 擦り寄り目配せ 尾長の夫婦」

「枯れ葦の 水路を泳ぐ 番い鴨 恋は成就し 泳ぎ穏やか」

「枯れ葦の 干し草色に 青き盾 何故か寂しげ 五位鷺の背」

「せせらぎを ピョンピョン跳ねる セキレイを 上から眺める ジョウビタキかな」

「星五位の 水辺の土手に 立ち尽くす 土手の一部と 変わりなき色」

「はち切れそう 蕾の中に ぽつぽつと 花を開いた 春告げ梅かな」

「二月入り 春を思わす 暖かさ 梅も慌てて 蕾を花に」

「冬枯れし 栴檀の実に 冬日差し 青空背にして 白銀の花」

「池の端 水面に延ばす 枝の先 花芽膨らむ 春告げ辛夷」

 

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2019年2月 2日 (土)

2019年02月01日

2019年02月01日

 

 昨晩は、私が寝る頃まで雨が降っていたのに、今朝起きた時には、道路が乾いていました。大した雨では無かったようです。と思ったのですが、我が家から見える丹沢は、雪山に変わっていました。我が家から見える丹沢は、丹沢で一番高い、蛭が岳の頂上付近なのです。この冬初めて、丹沢が雪を被りました。富士山も、朝日にキラキラ輝いていました。

 雪の丹沢と輝く富士を見て、どうしても行きたい所がありました。多摩テックの近くにある墓地、メモリアルガーデン多摩でした。此処から、丹沢全山と富士を一望することが出来るのです。私が、一番好きな景色の一つです。

 午前、11時半には家を出て、家の前の多摩川の土手に出ました。我が家からは見えなかったのですが、丹沢だけでは無く、奥多摩も秩父の山も、雪を被っていました。これから何日かは、雪山を見る事が出来ると思います。冬には、冬の風景を見る事が出来る、その当たり前のことが、とても嬉しいのです。

 石田大橋を渡り、万願寺から多摩モノレールで多摩動物園まで行き、そこから歩いて、メモリアルガーデン多摩に、12時20分くらいに着きました。思った以上に、素晴らしい光景でした。一点の曇りも無い青空の下に、青い屏風のような丹沢と、その上に顔を出す真っ白な富士、その前に広がる武蔵野の森と、武蔵野から相模へ続く人里、今日ここに来て、本当に良かったと思いました。

 墓地の最上部の所に、四阿風のベンチがありましたので、そこで絶景を眺めながら、昼食にしました。一昨日、谷中銀座で買った、鳥の照り焼は、胸肉1枚分くらいで、とても大きく、今日まで、食べ切れなかったのです。同じく、谷中銀座で買った、1Lのマンゴジュースも飲み切れず、今日持ってきました。それに今日買った、巻き寿司と稲荷寿司の弁当でした。ゆっくり時間をかけて食べましたが、結局弁当は、半分残りました。

 午後1時頃墓地を離れ、一旦、程久保の谷戸に降りて、中央大学経由で、多摩モノレールの駅に出ました。中央大学のヒルトップから、丹沢連山と富士をほんの少しだけ見ました。また、先日、中央大学の方を見た、東山住宅の見晴台を中央大学の方から見ました。多摩地域は、本当に良く歩いています。

 中央大学から多摩センターへ出て、多摩美術大学の美術館に行き、福沢一郎展を見ました。この展覧会のことを何処で知ったのか、忘れてしまいました。シュールレアリズムの独特な絵で、私には、このタイプの絵の良さが、良く分らないのです。ギリシャローマ神話や、ルネッサンスの頃のイタリアの絵を題材にしたものが多くありました。そういったものに対して、彼の心に湧き上がった印象を絵にしているようでした。メキシコの壁画を思い出しました。

 絵画館から、パルテノン多摩の博物館に行き、「瓜生・貝取と谷戸のくらし」を見ました。瓜生や貝取りは、多摩ニュータウンの一部ですが、ニュータウンになる以前の生活の様子や、先史時代の発掘も行われています。私も、何度か歩いたことがあります。森と山里だけだった多摩を、多摩センターのような近代的な街に変えてしまった償いのような気がします。

 パルテノンの丘に登り、広場にある人工の池を尋ねてみました。此処にも、渡り鳥がやって来るのです。今日も、オナガガモ、キンクロハジロが来ていました。魚はいそうでは無いのですが、訪れる人が、適当に餌をやっているようです。今日は、母親と来た子供が、池にお菓子の欠片を投げ入れ、寄ってくる鴨達を見て、大はしゃぎでした。

 日が大分傾いてきましたので、多摩センターからバスで、聖蹟桜が丘に出て、我が家に5時近くに帰りました。

 今日は、またしても、アサリバター、鰺のカルパッチョ、合鴨肉でゆっくり時間を過ごし、11時から始まった、サッカーのアジアカップ決勝戦を見ました。丁度、後半戦に入り、日本が1点を返した所に、次男が帰ってきて、一緒にテレビを見ました。日本は準優勝で終わりました。

少し次男と話しました。次男と友人が始める店は、明日が、開店だそうです。これから暫くは忙しくなるでしょうが、次男にとっては、今が人生の働き時、此処をどう生きるかで、自分が後で納得できる、実りある人生かどうかが決まります。一所懸命やるほか無いでしょう。

 

「多摩の墓地 西方浄土に 富士を見る 故人と共に 我は飯食う」

「多摩の森 半分以上 ニュータウン 変化見ている 丹沢と富士」

「丘の上 人造湖にも 渡り鳥 多摩センターの パルテノンの丘」

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2019年2月 1日 (金)

2019年01月31日

2019年01月31日

 

 朝から、雲の多い天気でしたが、夕方、7時頃から雨になり、11時頃まで降り続けました。久し振りに、まとまった雨になりました。春も、一気に近づくのではないかと思います。

 1月も今日で終りです。1月を過ぎると、急に時間が早く進むような気がします。今年は、現天皇の退位、新天皇の即位と歴史的な区切りの年ですので、余計に時間が、早く進むのではないかと思っています。

 今日は、余り天気も良くなかったので、外に出たのは、近くのスーパー西友だけでした。西友が入っているショッピングモールの横に、1年以上前から、大型の倉庫の建設が行われていました。今日、建設現場を見たら、建物は既に完成し、駐車場や敷地の整備など、最終段階に入っていました。大和ハウスグループの倉庫でした。

私が住んでいる府中市の四谷地区は、府中市が、工場誘致のために開放した地域でした。府中市は、東芝、NEC、サントリー、キューピー等大型の工場誘致によって、市の財政が豊かになったため、更に工場誘致に力を入れたのです。その為に、かなりの数の製造工場が進出しました。しかし、景気の低迷や日本の所得や生活水準の高さなどから、工場を閉じたり、東南アジアに工場を移す企業が増えて、四谷地区にかなりの空き地が出来ました。この空き地に進出したのが、私が住んでいるようなアパート(マンション)と倉庫です。アパートとしての立地条件は良くないのですが、土地の価格がかなり安かったようです。また、倉庫が建つのは、近くに中央高速道路の府中・国立インターがあるからです。現在の日本は、商品の流通、建設・製造等生産資材の配送等、物流によって支えられているようです。最近20年くらいの、私が住んでいる府中四谷地域の変遷を見ていると、日本の経済の動きが分るような気がします。

テレビのニュースや特集番組は、各局とも、明日行われる、サッカーアジアカップ決勝戦に集中していました。サッカーに限らず、野球、バスケットボール、テニス、卓球、バドミントン、水泳、女子スピードスケート、スキーのジャンプ等々、日本選手の活躍は、凄いものがあります。スポーツは、エンターテインメントの一つとされていますが、人間の気晴らしとなるもの、人間を楽しませてくれるものは、エンターテインメントとされています。例えば、音楽、演劇、絵画、映画、漫画、落語、漫才、美食等々、現在は、エンターテインメントつまり娯楽が、経済を支えているような感があります。

しかし、古代ローマ帝国は、エンターテインメントによって国が滅びたとも言われています。地中海沿岸を殆ど制覇し、絶頂期を迎えたローマ帝国は、その後、彫刻、演劇、スポーツ、戦車競走、剣闘士の戦い、風呂、美食と人々が娯楽に走り、自給経済の安定や国家運営が疎かになったようです。結果的に、植民地であった、フランス、イギリス、ドイツが国家として成長し、ローマ帝国は、破滅を迎えたのです。

現在、アメリカ(帝国)も、元々は製造業を中心に経済が発展し、軍事力を誇り、世界一の経済大国になりました。しかし、製造業は、真似しやすいものであり、一部を除いて、日本、ドイツ、イギリス、韓国、中国等に主導権を奪われる状況になっています。そして、アメリカ経済の主体は、エンターテインメントになっています。今後どうなって行くのか、興味深いのですが、結果が出る頃には、エンターテインメントの無い、あの世の住民になっているでしょう。

 

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