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2018年12月 7日 (金)

2018年12月06日

2018年12月06日

 

 雨の朝でした。気温は昨日よりも10度近く下がり、本来の冬に戻った寒い朝でした。ベランダの窓の内側から見える、3本の桜は、殆ど葉を落としてしまいました。葉を落とした枝に、水滴が列を成していました。

 今日は、1日中雨らしいので、ずっと家で過ごしました。机に座っていると、ペン皿の中に、この前鶴見川の源流地帯を歩いた時に、摘んできた数珠玉がありました。数珠玉には、色々想い出がありますが、祖母の遺品の中に、数珠玉で作られたロザリオがあったのを思い出し、遺品箱を久し振りに開けてみました。子供時代の、祖母との生活の想い出が、走馬燈のように廻りました。祖母が死んだ時、祖母が大事にしていた、ロザリオ4本と、ハタとメダイを1個ずつ遺品として貰いました。殆どじっくり見ることは無かったのですが、今日、じっくり見て、これまで、知らなかったことを発見しました。

 婆ちゃん(子供の頃、祖母のことをそう呼んでいました)は、ロザリオのことを「コンタツ」と言っていました。子供の頃は、「長崎の鐘」の歌に出て来るロザリオという言葉の方に違和感を覚えていました。祈りを1つする度に、コンタツの玉を、1つ進めることを、「コンタツをくる」と言っていました。祈りは、「天にまします」と「めでたしせいちょう」でした。これは、主祷文と天使祝詞という祈りの出だしなのですが、子供の頃は、出だしの部分が祈りの名前だと思っていました。恐らく、婆ちゃんは、祈りの名前は知らなかったと思います。私も中学生の時、教会で、カトリックの公教要理を習って知りました。しかし、誰が付けたのか知りませんが、私には、全く有り難みが感じられない名前でした。

コンタツは、始まりが3個、次は、10個の玉が5回連続し、それぞれの間を少し大きめの玉で、分けているのは、誰もが知っていると思います。小さな玉では、「めでたしせいちょう」を祈り、大きな玉では、「天にまします」を祈りました。「めでたしせいちょう」の方が、短い祈りなので、数の多い玉の方が、「めでたしせいちょう」になったのだと思います。婆ちゃんは、朝必ず、コンタツを全部くって祈りをしていました。小学校低学年までは、付き合いましたが、高学年になったら逃げ出しました。

婆ちゃんの遺品の4本のコンタツの内、数珠玉のコンタツを含めて、3本は前述のコンタツでしたが、1本は、始まりは同じなのですが、次は、7個の玉が、7回連続していました。長いこと生きてきて、こんなコンタツを初めて見ました。このコンタツでは、「めでたしせいちょう」が1回減り、「てんにまします」が2回増えます。結果として、祈りの回数が1回増えます。一体どういった時に使ったのか、全く分りません。キリスト教が主たる宗教である外国で、お土産にコンタツを買ったことがありますが、7連のコンタツなど見たことが有りませんでした。今度、大学のクラブの顧問をしてくれている神父さんに、聞いてみようと思います。

婆ちゃんの遺品の中に、婆ちゃんが言っていた「ハタ」があります。コンタツというキリシタン用語は、世間でも知られており、ネットでも調べることが出来ました。しかし、ハタは、凧の長崎弁であるハタと混同されているようです。

遺品の中のハタは、布製の四角いメダイなのです。首にかけることが出来るようになっています。婆ちゃんの首にかかっていたのを思い出しました。布で軽いせいか、時々背中の方に廻っていました。布が四角かったので、四角い凧の長崎ふうの呼び方、ハタと言うようになったのかも知れません。しかし、婆ちゃんが言っていたハタは、後述の、明治時代キリシタンと言うことで迫害を受けた、片岡サダの体験記の中の1文で、布製のメダイだったと確信しました。私の記憶は、正しかったようです。

 

また和歌山にやられて馬小屋に入れられました。そこに入れられるとき、身を調べられて、コンタスもマリアのハタも取り上げられてしまいました」

 

 この文で使われているコンタスは、コンタツの原型で、ポルトガル語で、数えるという意味の言葉だそうです。此処で使われたハタは、身を調べられて取り上げられたのですから、どう考えても、持ち歩きできる、小さい物で、凧のように大きなものではないはずです。

これまで、メダイと言う言葉を、普通に使ってしまいましたが、これもキリシタン用語の1つだと思います。キリストやマリヤが彫られた硬貨のようなものです。首に架けたり、コンタツに付けたりしていました。コンタツに付いたメダイは、軽い金属で出来たものが多いのですが、どれも歴史を感じます。勿論、隠れキリシタン時代のものではなく、比較的新しいものだとは思いますが、明治12年生まれの婆ちゃんと一緒に生きたものだと思います。

 本棚から、公教要理が出て来ました。中学時代の私の署名がありました。なんという下手な字を書いていたのでしょうか、我ながら恥ずかしいです。昭和32年ドン・ボスコ社出版で、価格は25円でした。これが、234頁の文庫本サイズの本の値段でした。昭和32年と言えば、私が12歳、娘の所の上の孫と変わらない年頃です。でも、考えて見れば、10年が、たったの6回廻っただけなのです。でも、これが寿命なのですねー。婆ちゃんと暮らしていた時は、子供だった私が、婆ちゃんが死んだ年に近づいてきました。

 婆ちゃんの影響もあり、中学時代までは、カトリックの真面目な信者として暮らしていました。神父が行うミサの手伝いもしていました。しかし、現在、我が家には、前妻の仏壇もありますし、クリスマス飾りもあり、キッチンには大国魂神社の札もあります。まさしく、日本風の無宗教の典型のような家です。何度も書いていますが、私は、大人になって、宗教が嫌いになりました。特に、政治や権力に結びついた宗教には、恐怖を感じます。宗教には、排他主義と強制、教えに従わない者への迫害が付きものです。それでも、生活に困窮したり、種々の困難に遭遇したりしている人は、神に掬いを求めたくなるでしょう、このことを否定するつもりはありません。従って、宗教は、救いを求める人を、求めに応じて受け入れる、受け身のものであって欲しいと思っています。政治や権力に近づかないことは勿論、積極的な布教活動も止めて貰いたいと思っています。

 今日は、潰さなければいけない時間が長くて、婆ちゃんの遺品を見て、日記に思い出話を書いた後、録画してあった「春の雪」という映画を見ました。特殊な恋愛映画で、今の私には、遠い話のように思えました。ただ、よく見かける俳優の年が若くて、そのことに驚きました。岸田今日子が、お婆さん役で出ていました。

 映画が終わったのが、5時半、漸く晩酌の時間がやって来ました。摘まみの準備をして、何時ものように、6時半頃から晩酌にしました。晩酌を初めて暫くしたら、知り合いの女性から電話がありました。私よりずっと、聡明で社会的にも活躍しているのに、凄く誉め上手で、つい乗せられて良い気分になってしまいました。彼女の電話のお陰で、少し救われましたが、散歩をせず、自然と対話しないと、こんなにも1日が長く感じられるのかと、改めて痛感した1日でした。

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