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2018年12月 8日 (土)

2018年12月07日

2018年12月07日

 

 夜中、2回目のトイレの時、カーテンが、未だ白っぽくなっていなかったので、夜が明けていないんだと思ったら、時計は6時半になっていました。霧の深い朝でした。日が昇ったのでしょう、全体が白んできましたが、霧は更に濃くなって、向かいの七生丘陵が見えませんでした。

 明日にも、入国管理法の国会決議が行われるようです。現在、日本が労働者不足であることは、何となく分ります。従って、これまで、特定技能の持ち主だけに許された、労働者の受け入れを単純労働者にも拡大するという考えについても、理解できない訳ではありません。しかし、野党が指摘するように、この単純労働者の受け入れ拡大のために、自民党内で、どれだけ真剣に議論されたかが見えないのです。女性の労働者は増えていないのか、どの分野にどの程度の労働者が不足しているのか、IT化など労働者不足を補う手段は無いのか、外国人労働者を増やした場合日本人の就労分野を限定してしまわないか、プアーホワイトと同じようなプワー日本人が増加しないか、日本の経済は外国人労働者を拡大することで安定的に発展するのか等々、検討結果を先ず説明し、自民党の決断の理由も説明すべきだと思いますが、それが為されたとは思えません。

 一番怖いと思ったのは、情報の隠蔽でした。太平洋戦争に置いて、日本軍が負けたことは発表せず、負けに等しい勝利を勝利として誇大に発表した、大本営発表と同じような事を、この現代社会で、実施していることでした。技能実習と言いながら、最低賃金以下で過酷な労働を強いられ、それが原因で、逃走したり、死亡したりした人の数が、政府発表とは全く違っていました。奴隷状態だった外国人労働者が存在したのです。そのようなことを、実際に行っていた日本人がいたのです。このように事実を隠蔽し、特定の企業の要請に応えようとする政府の姿勢は、戦時中に戻っているような気がして、寒気を覚えました。

自民党というのは、旧軍部のような人達の集まりなのでしょうか、自民党内に意見の相違も見られません。頬をぶたれても、有り難うございますとのみ言う人達なのでしょうか。安倍総理は、最後は数で押し切れるのだから、野党には吠えさせておけば良い、吠えるだけの野党には、国民はついて行かないと、高を括っています。その傲慢な顔を見る度に、国民の将来が案じられます。本来、政治権力が主権者である、国民のために仕事をしているのか監視すべき、マスコミも野党も、レベルと熱意が低下したような気がします。日本社会も、右傾化しているようです。

 

今日は、本来なら大学時代の、学生会の関係者との忘年会が、駒込の後輩の店で行われるはずでした。ところが、感じが体調を崩し、参加者の中にも病気だったり、老老介護で参加できない人が多く、中止となりました。皆それぞれに、年を取りました。仲間と会えないのは残念ですが、例年、この機会を利用して、六義園と旧古河庭園の紅葉を楽しんでいたので、この楽しみだけは実行することにしました。

六義園には、キンクロハジロと真鴨が、渡って来ていました。我が家の前の多摩川には、まだ、渡り鳥の姿が見えないので、今年は渡り鳥が遅いと思っていましたが、来るところには来ているようでした。六義園は、今が紅葉の真っ盛りで、人間も沢山来ていました。今年驚いたのは、私の背丈を超える、紫式部の山盛りの実でした。どうして、これまで気がつかなかったのでしょうか、紅葉や公孫樹等に気を取られて、無視していたのでしょうねー。私は、ムラサキシキブとコムラサキの区別が出来なかったのですが、今日調べて分りました。コムラサキは、葉の先端部分にだけ鋸歯があるが、ムラサキシキブは、葉全体に鋸歯があるそうです。

六義園には、何本かのハゼノキ(恐らく)があり、この木の紅葉は、モミジとは違った味わいがあります。昔、長崎の低地で朱く紅葉する木は、ハゼノキくらいだったので、懐かしさもあります。しかし、子供の頃は、漆かぶれと同じく、櫨(ハゼ)かぶれがあり、私は木の下を通っただけでかぶれました。そんな訳で嫌な木でしたが、何時の頃からか、触ってもかぶれなくなりました。

六義園で凄いと思うのは、私の背丈を遥かに超えた、灯台躑躅(ドウダンツツジ)の並木です。何度見ても感動します。家の近くで見る灯台躑躅は、小さい物ばかりなのです。どうも成長が遅いようです。今日は、梔子(クチナシ)の赤い実も見ました。子供の頃の我が家にもあり、随分世話になりました。虫刺されや櫨かぶれにも、梔子の実の汁を塗ったものでした。

六義園から、歩いて旧古河庭園に行きました。途中の道で、鉢植えのアベリアの花を見ました。葉が紅葉していました。垣根などで多く見るアベリアが、紅葉するとは思いませんでした。旧古河庭園も何度も見ているので、特に変わったものはありませんでしたが、木々に覆われた茶室の庭園に、スポットライトのように夕日が差し込み、紅葉をその部分だけ、明るい紅にしました。木漏れ日が作る風景は、何時も感動をくれます。

旧古河庭園から、駒込橋に戻り、山手線の谷間に落ちる夕日を眺めました。都会に沈む夕日も、なかなか良いものです。その後、駒込の後輩の店に行ってみましたが、まだ、鍵がかかっていました。一緒に酒でも飲もうと思ったのですが、残念でした。友達との飲み会を諦めて、新宿へ戻る途中、新大久保に寄り、キムチやチャンジャ、トッポギ、ブルコギ、ダッカルビを買いました。また、駅の左側にある、アラブ系食材店で、カレーやアラブ料理のレトルトパックを買うと共に、ケバブを買いました。

家に着いたのは、6時半頃で、買ってきたもので晩酌を始めたところ、出かけていた次男が帰ってきました。次男は、韓国食品は、あまり好きでは無いのですが、ケバブは大好きです。何時もは、晩酌に付き合うのですが、昨晩酒を飲み、今朝、朝帰りだったので、今晩の酒には付き合わず、コーラで付き合いました。

一緒に、なんだかんだと注文を付けながら、フィギャースケートのグランプリファイナルを見ました。

 

「六義園 紅葉の向こうに ビルの列 都会に残る 渡りの池かな」

「葉の形 赤子の手とは 言えなくも 赤さは負けぬ 櫨の紅葉」

「唐楓 脱ぎ捨てたる 葉の上に 裸身を晒す 師走の日溜まり」

「赤と黄が 主役務める 庭園に 我も主役と 紫式部」

「梔子の 白き矢車 赤き実に ビルの街にも 晩秋の風」

「紅の モミジ背にした 黄モミジ 私が綺麗と ちゃっかり娘」

「笹道の 脇に並んだ 紅騎兵 見上げる背丈 灯台躑躅」

「紅葉す 朱き葉の中 白き花 君にも秋が アベリアの花」

「君だけに 依怙贔屓する 夕日かな 黒ずむ森に 君だけ輝く」

「夕日受け 赤き灯の点く 雪洞に 木陰の石にも 淡き灯届く」

「夕暮れの 都会の谷は 夕霞 夕日に染まる 人いきれかな」

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