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2018年12月

2018年12月29日 (土)

2018年12月28日

2018年12月28日

 

 今朝は、日が昇る東の空に、少し雲がありましたが、その他は、雲1つ無い素晴らしい天気でした。しかも、風があり、湿度が極めて低いらしく、空気が澄み切っていました。富士山が、縁取りをしたようにくっきりと見えました。

 日本が、IWC(国際捕鯨委員会)から脱退しました。脱退の理由については、詳しい報道が為されませんでしたので、推測に過ぎませんが、クジラ資源が回復したのに捕鯨禁止が、なかなか解除されない事に、日本政府が業を煮やしたのだろうと思います。もともと鯨を食材として利用する国は少なく、鯨を食べる習慣を持つ国は、犬を食べる習慣を持つ国と同様、嫌悪感を持って見られる傾向があります。そのような、国際会議の場ですから、鯨を食べる国の意見が、理解されることは少ないと思われます。今後も、日本の言い分が、通る可能性は少ないと思われます。従って、IWC脱退については、一応の理由はあると思いますが、習慣を変えることも1つの考えだと思います。脱退後の国際関係の変化をどの様に読んだのでしょうか、知りたいと思います。

 元々、日本が南氷洋で鯨を捕りすぎたために、鯨が絶滅の危機に瀕したので、IWCが設置されたと思います。表向きの理由の他に、日本の海外での鯨の操業を嫌い、米国の肉を日本の食生活の主流にするという、日本を占領していた米国の政策だった可能性もあります。何れにしても、日本は、半世紀近く、捕鯨から遠のき、鯨を食べさせる店を、殆ど見なくなりました。それなのに、脱退したのは、増え過ぎた鯨が日本の漁業資源を減少させているからでしょうか、日本の意地を通したいのでしょうか、古来の食文化を守りたいのでしょうか、良く分りません。捕鯨再開によって、オーストラリア等の国々との関係が悪化するのではないか、その方が心配です。日本人が、また鯨を食べるようになって、オーストラリアの肉を買う量が、少なくなると考えるかも知れません。また、IWCのリーダー的存在の米国が、トランプ大統領になってから、種々の国際協定から脱退しているので、日本の脱退にクレームを付けてこないだろう、今が好機だ、と思ったのかも知れません。

 

 今日は、午後7時から、今年最後の「語ろう会」がありました。7時までには、時間がありましたので、もう一度ダイヤモンド富士を見に行きました。

 午後2時半に家を出て、今日は、聖蹟桜が丘から京王線で高幡不動、モノレールに乗換えて柴崎体育館駅に行きました。そこから、ダイヤモンド富士が見られる昭島運動公園に行くつもりでしたが、3時半に着いたので、残堀川や普済寺を歩いた後、公園へ行きました。4時15分くらいに日没が始まりました。今日も、富士の頂上の左端から太陽が沈んでいきました。そして、太陽が完全に沈む直前、盃を伏せたような太陽の欠片が、富士の頂上の真ん中になりました。これも、1つのダイヤモンド富士だと思っています。これだけでも満足したのですが、今日の日没後の残照の強烈な明るさは、これまでに経験したことが無いものでした。日没後15分ほど、その場に立ち尽くし、50枚ほど写真を撮ってしまいました。今週3回、同じ所から富士への日没を見ました。毎回、空の色合い、雲の形、空気の霞具合、奥多摩や丹沢の景観などが異なり、毎回感動しました。

 ダイヤモンド富士を見終わると、5時少し前になりましたので、逆のコースを辿って、高幡不動に出て、さらに新宿から恵比寿へ出て、6時半頃に「語ろう会」の会場である先輩の店に着きました。ワインを飲み、先輩の奥さんが作った美味しい料理を食べながら、何時ものように色々と話をしていました。これが、ある時から、メンバーの女性が、結婚する話を契機として、結婚、家庭、仕事、男女平等、子供の教育、日本の若者の現状、日本の将来等、人生の根幹に関わる部分に話が移りました。余りにも問題が大きく、結論が出るようなものではありませんでしたが、元々結論を求めず意見を出し合うこと、それが「語ろう会」の趣旨ですから、趣旨通りになりました。時の経つのを忘れて話し込み、11時頃に、会場を出ました。聖蹟桜が丘に着いた時は、12時を過ぎていて、すでにバスは無く、タクシー乗り場は長蛇の列でした。タクシーは諦めて、多摩川の土手を歩いて、我が家に帰りました。茶碗のような半月が、私と一緒に歩いてくれました。

 

 これから年末年始ですので、29日から9日まで日記を休みます。

 

「日没に 涙を流す 人の居る 今日の我も その一人なり」

「日没の 主役は君の 他に無し 富士の高嶺の ダイヤモンドに」

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2018年12月28日 (金)

2018年12月27日

2018年12月27日

 

 素晴らしい天気で、富士が輝く朝でした。冬型の気圧配置になり、寒波が押し寄せると、関東の平野部は、良く晴れることが多くなります。

 昨晩、酒を飲むことが出来なかったので、なかなか眠れず、6時半に目覚ましをかけておきました。予想は的中して、目覚ましで起きる羽目になりました。朝食も食べてはいけないので、ゆっくり仕度をして、7時半には家を出て、8時半には、病院に着きました。今日は、採血とCT検査だけでした。

 自動的に受付を済ませ、採血に行くと、私の番号は、71番でした。採血は、ものの5分も掛からずに終わるのですが、待ち時間は、30分近くでした。次のCT検査は、検査自体は10分程度で終わるのですが、待ち時間は1時間程度でした。全部終わって、会計をするのに、また10分くらい待ちました。病院という所は、待合所のようなものです。検査の結果については、来年の1月10日に、主治医より説明があるようです。

 全てが終わったのは、10時半くらいでした。何時もならば、小鷹の道から、殿ヶ谷戸庭園を見るのが常なのですが、日記を書いていないので、早めに帰る事にしました。バスで府中に出て、武蔵府中郵便局により、留守にしていたため受け取れなかった、ユーパックを受け取り、近くの酒屋で、残り少なくなったラム酒、サカパを買って帰りました。家の近くの工場の横の空き地で、異常に小さい、紫カタバミとオッタチカタバミの黄色い花を見つけました。

 家に帰って、簡単に昼食を食べ、昨日の日記を書き上げて、午後3時少し前に、急いで散歩に出ました。今日も良い天気だったので、ダイヤモンド富士を見に行くことにしたのです。実は、この為にも早く帰ってきたのです。日没は、4時20分頃で、ダイヤモンド富士が見える所まで、歩いて1時間10分程度掛かるので、急ぐ必要がありました。一昨日歩いた道なので、脇見もしないで、ひたすら、昭島運動公園まで歩きました。とは言っても、夕日の中の青鷺や小鴨を見ると、足を止めざるを得ませんでした。途中で見た富士は、雲の後ろに隠れていたのですが、日没時には、雲が無くなると信じて歩きました。

 昭島運動公園には、4時10分頃でした。既に太陽は、富士の頂上付近に近づいていました。もう少し上流まで歩けば、完全なダイヤモンド富士が見られたはずですが、間に合いませんでした。それでも、もう少しでダイヤモンド富士になる所でした。日没後の残照、雲の輝き、霞んだ奥多摩の峰々の様子は、一昨日とは、また違ったものでした。自然の営みが見せる素晴らしい光景は、自分が努力さえすれば見る事が出来ます。有難い事です。

 家に戻った時は、6時過ぎていました。今日は、酒が飲めますので、クリスマスに娘が持ってきた紅茶豚を切り、途中で買って来たガーリッククラブ、アボガドのカルパッチョを作り、クリスマスの時の残り物のチーズの盛り合わせで、ワインを飲みながら、贅沢に晩酌をしました。昨晩の反動で、少々、食べ過ぎ飲み過ぎで、そろそろ寝ようとしていた時に、次男が帰ってきたので、日付が変わるまで、一緒に飲みました。

 

昨日の分

「冬の濠 水面に映る 摩天楼 赤き葉一枚 彩り添える」

「葉を落とし 冬支度の 整いし 桜の向こうに 摩天楼かな」

「濠の渕 桜並木と 摩天楼 間を走る 列車の音する」

「くるくると 渦巻き作る 鴨の群れ 長旅癒やす お濠の水にて」

「赤き葉を 残して並ぶ 唐楓 通りの向こうは ビルの居並ぶ」

「唐楓 公孫樹と片組み 赤と黄の トンネル作る 都会の年の瀬」

「四谷濠 向ヶ丘には 学び舎の 叡智が香る 都会の一画」

「工事中 鉄骨背にした 百合の木の 並木の残り葉 はらりと落ちる」

「街路灯 点灯始める 四谷橋 ビルの彼方の 夕焼けの空」

 

今日の分

「紅葉す 野草の葉の上 花咲かし 冬の日浴びる 紫方喰」

「年の瀬に 固き地面に へばり付き 小さき黄花 おっ立ち方喰」

「日没の 富士を見に行く 西の空 白く大きな 雲の居座る」

「夕日受け 水辺に佇む 青鷺の 一本足の 哀愁誘えり」

「冬の日の 川面に落ちて 金の川 影を作りつ 小鴨が泳ぐ」

「日の落ちる 富士から北は 雲の切れ 夕日近づく 富士の頂」

「富士の嶺の 端をかすめて 日の落ちて 火炎が登る 富士の頂」

「青霞む 奥多摩の峰 赤霞む 富士に向かって 波寄ろう山」

「刻々と 変わり行くかな 空の色 去るを躊躇う 見事な演出」

「夕暮れて 巷に灯りの 点る頃 明るさ残す 富士の天幕」

「夕闇が 迫って富士も 闇の中 巷の光 輝き増しぬ」

  

 

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2018年12月27日 (木)

2018年12月26日

2018年12月26日

 

 雲の多い朝でした。今日辺りから、本格的な寒波が、日本列島に迫ってくるようです。

 株価の下落が続き、とうとう2万円台を切ったそうです。これは、アメリカの株価の下落が飛び火したようです。しかし、株価の下落が、直接実体経済の不況に繋がるとは思えないのです。株価は、経済に関連しそうな人や組織、企業の動きに敏感に反応する株式市場において、単なる儲け話に対する思惑に、振り回されているに過ぎないのではないかと思います。とは言っても、経済そのものが、消費者の思惑で動いているとすれば、思惑で動く株式市場も、実体経済の一部と思わざるを得ないのでしょうか、誰か、懇切丁寧に教えてほしいものです。しかも、株の売買の多くは、人間の思惑を数値化したITによって行われているようです。ITは、人間が、過去の経験によって作り上げたプログラムによって動くわけですし、学習機能があったとしても、学習の仕方は、人間が教えたものです。新しい局面には対応できないと思います。このようなITに、経済の将来を託さなければならないのでしょうか、そら恐ろしい話だと思います。

 

 今日は、アパートの防災委員として、東京都庁で行われる研修会に参加しなければなりませんでした。理事会の理事長も、参加するとのことでした。研修会は午後2時からなのですが、アパートの経営を委託している会社の車が、午前11時半に迎えに来るとのことでした。

 時間通りに車が来て、午後1時には、会場のあるビルに着きました。新宿の都庁で説明会が行われると思っていたのですが、飯田橋にある都庁関連のビルで行われるそうです。この辺りは、妻としょっちゅう会っているので、良く知った場所でした。時間があったので、軽く昼食を取って、1時40分頃に会場に入りました。

 説明会の内容は、防災関連の備品を買うための資金を、都に援助して貰う場合の書類の作成の仕方、援助を受けた場合の防災訓練の実施の仕方についての説明でした。微に入り細に入り、実に細かな説明が為されました。説明に従った書類が提出されないと、都の援助が受けられないとも言っていました。無償で援助して貰うわけですから、当然なのでしょうが、都民が、金で行政に踊らされている印象を持ちました。防災の問題だけで無く、様々な分野に於いて、同じような事が行われているようです。税金が、都民に帰って来るのですから、1つの行政のあり方だとは思うのですが、諸手を上げて賛成できない気持も残りました。

 我々のアパートに直接関連する説明は、3時頃に終わったので、他の人と別れて、飯田橋から四谷まで歩きました。唐楓並木、運動公園の公孫樹とメタセコイア、四谷駅近くの百合の木等に、紅葉の名残が見られました。市ヶ谷の堀には、毎年来るハシビロガモ(嘴広鴨)が飛来していて、渦巻きを作るように泳いでいました。高層ビルのひしめく大都会の中での、季節の変わり目を見るのは、人間の奢りに抗う自然の姿に、憐憫と底力への敬意と、同時に感じました。

 我が家に戻ったのは、6時近くになりました。本来なら、酒の肴を作り晩酌の時間なのですが、明日は、癌の検査の日なので、アルコールは控える必要がありますし、9時以降は、食べ物も食べてはいけないそうです。ノンアルコールビールで我慢して、夕食にしました。しかし、酒の無い夕食は、直ぐに終わってしまい、酒無しのテレビも詰まらなく、長い夜となりました。

 

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2018年12月26日 (水)

2018年12月25日

2018年12月25日

 

 今朝は、晴れて這いましたが、昨日の澄んだ空気ではなく、奥多摩が霞んでしまうような湿度の高い天気でした。

 今日が、本当のクリスマスですが、日本で大事なのは、イブの夜です。酒(ワインやウィスキー)を飲みながら七面鳥を食べ、ケーキを食べるという、戦後日本を占領していた、アメリカの影響だったと思います。最初は、進駐軍が出入りするキャバレー辺りで始まったのが、日本の経済復興に併せ、急速に家庭の行事になって行きました。最初の頃は、ケーキや酒の売り上げを伸ばそうとした、クリスマス商戦が、日本式クリスマスイブの夜を作り上げました。そんな訳で、クリスマスの当日は、教会にも行きませんし、職場も学校も休みではありません。

 今日は、霞はかかっていましたが、ほぼ快晴に近い良い天気だったので、立川根川公園から残堀川、昭島の河川敷運動公園まで歩いて来ました。

 午後2時頃家を出て、多摩川の土手に出ました。日は、大分西の方に傾いていました。つい最近歩いたばかりなのですが、荻の穂の白さがまた少し少なくなった気がしました。冬は、確実に近づいていました。土手下の畑の畔に、真っ赤な柿の実が、夕日を浴びて輝いていました。今にも落ちそうに、熟していました。鳥が実を突いていたので、雀かなと思っていたのですが、良く良く見ると目白でした。若しかすると、目白を見るのは、今年初めてかも知れません。良く食べて冬を越せよと、応援していたら、ヒヨドリ(鵯)達がやって来て、目白を追い払ってしまいました。目白を応援したくなりました。

 立川根川と多摩川が合流する所で、渡り鳥が泳いでいるように思えたので、近づいてみたら、何時ものカルガモ達でした。白鷺や青鷺も居ましたが、私の姿を見て、皆飛び去ってしましました。

 立川根川の桜並木の所に着くと、「工事中で道が通れないので回り道をして下さい」と係員に言われて、回り道をしようとした瞬間、「今工事のための板を外すから、通れますよ」と声がかかりました。「僕のために、道を空けてくれたの」と聞くと、「丁度、道路補修の終りの、絶妙の時間だったのですよ」と言ってくれました。

 その後も、直ぐに逃げられましたが、カワセミも見ましたし、セミダイヤモンド富士を見る事が出来ましたし、望外の散歩となりました。

 

「年明けが 間近に迫る 多摩の土手 未だに元気 泡立草の花」

「枯れ草の 中に一輪 赤詰草 冬が一番 気品漂う」

「枯れ尾花 綿毛も少なく なりにけり 師走の北風 綿毛を飛ばす」

「西日受け 穂波輝く 荻の原 白穂も何時か 坊主頭に」

「雌刈萱 早くも白く 冬枯れて 路傍に並び ありし日偲ばす」

「茅の葉 思い思いに 紅葉す 違いを強調 師走の夕日」

「畔道に 今にも落ちん 熟し柿 目白に過分の 馳走の食卓」

「冬枯れの 近さ知らせる 熟し柿 目白押し退け ヒヨが占領」

「春は花 秋は黄葉 山吹の 何時も変わらぬ 山吹色かな」

「散り遅れ 梢に残る 紅葉葉の 青空背にして 赤さを誇る」

「夕日差し 赤き水面を 飛び跳ねる 小魚作る 波紋広がる」

「葉は枯れて 小紫の実の 寒そうに 実を寄せあいし 師走の午後かな」

「冬木立 居並ぶ上に 一筋の 飛行機雲の 何処へ向かうや」

「金網に 山と下がりし 茶色の実 夕日に光る ヘクソカズラの実」

「土手下の 道から土手を 振り仰ぐ 土手に没する 夕日見るなり」

「土手の上 沈む夕日の 輝きを 一身に受け 自転車走る」

「西の空 夕日が富士の 山頂に 予想はしても 感動胸に」

「冬の日の 富士の背中に 回り込み 空を焦がして 武蔵野照らす」

「残照の 光の下を 列車行く 沈む夕日を 追い行く如し」

「振り返り また振り返りの 戻り道 富士を背にして 家路を辿る」   

 

 

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2018年12月25日 (火)

2018年12月24日

2018年12月24日

 

 2日ほど、愚図ついた天気でしたが、今朝は、快晴の青空の中に、富士の白嶺が光っていました。

 昨晩は、孫達も遅くまで起きていたので、今朝起きてくるのは、10時過ぎだと思っていたのですが、9時前に、末の孫が、私の部屋に現れ、起きたことを報告しました。続いて、孫娘も現れました。孫達が起きて来たら、朝食の準備をしなければなりません。丁度日記を書き終わっていたので、直ぐに、朝食の準備に入りました。

 昨晩の後片付けをして、アオサとタマネギと豆腐の、孫娘の好きな、味噌汁を作りました。ご飯の方は、昨晩、誰も食べなかったので、温めるだけで済みました。おかずは、昨晩の残りと、レトルトの平目の煮物を温め、じゃこ天を焼きました。食事には、次男も起きて来て、10時頃から、朝食兼昼食が始まりました。孫達は、夜の席には、大人達が酒に酔って居るので、まともに参加できないのですが、朝食は、大人も酒を飲まず、まともに相手をしてくれるので、安心して良く話をします。ゆっくり食べて、11時過ぎに、朝食は終わりました。

 その後、孫達は、クリスマスプレゼントの任天堂のゲーム機で遊び、大人は、2時過ぎまで、日常の問題や思い出話をしながら、昨晩の酒の酔いを醒ましました。車が運転できるほどに、酔いが醒めたところで、末の孫の縄跳びの披露を最後に、孫達は帰っていきました。台風一過と同じような感覚になりました。若さの活力は、実にエネルギッシュです。

 孫達が帰った後、多摩川と浅川を回る標準的なコースを歩きました。昨日今日と、少々食べ過ぎましたので、運動しないと、またメタボに戻りそうでした。  

多摩川の土手に出ると、天気が良く、空気が澄んでいたので、奥多摩の稜線が、秩父の方まで、くっきりと見えました。何時ものことで慣れていますが、富士の方にだけ雲がありました。石田大橋を渡り、浅川の方へ行く頃には、日没が始まりました。日没の輝きを背にした、冬木立の立ち姿は、何度見ても感動します。夕日が、七生丘陵に沈むと、関東平野の全方位の地平が、西の空と同じように夕焼け色に染まりました。地表近くの水分が、朱く染まるのでしょうか、一瞬ですが、自然の演出の壮大さに圧倒されました。四谷橋に差し掛かる頃、日没は終り、残照の中に、富士が現れました。不思議なのですが、日没が終わると、西の方の空にあった雲が、亡くなってしまうことが多いのです。何だか、自然にも意図があるのではないか、そんな気に、なってしまいます。富士を愛している私の気持を察してくれたような、そんな気がしました。

 散歩を終え、買い物をして帰る頃は、すっかり宵闇に包まれました。今日が、本来のクリスマスイブですが、次男は昨晩の寝不足のため、熟睡しているようなので、残り物を摘まみにし、一人で晩酌をして、イブを過ごしました。

 

「クリスマス ジージの家で 祝うもの 玄関開ける 孫等の笑顔」

「クリスマス 孫等も一緒に 夜更かしし 酒飲めなくも ゲームで祝う」

「孫達は 祭りの後は 朝寝坊 ドアをトントン 朝の挨拶」

「僕の技 皆見てねと 末の孫 北風の中 縄跳び披露」

「青空に 群青の峰 並び立つ 我が故郷の 奥多摩の峰」

「稜線の 夕日の輝き 背に受けて 枝を広げる 裸の大木」

「西の地に 日の没する 一時に 東西南北 地平が燃える」

「我が気持 察したような 西の空 雲は幕開け 富士の現る」

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2018年12月24日 (月)

2018年12月23日

2018年12月23日

 

 いかにも曇りという朝でした。そして、雨なのか霧なのか、分らない程度の雨が、一日中降っていました。

 今日は、天皇誕生日で、天皇の記者会見の模様が、朝から放送されました。16分に亘る天皇の挨拶は、極めて人間的、常識的で心が和むものでした。特に、美智子妃に対する感謝を述べる時、感情が溢れて、涙で声が詰まってしまいました。聞いている私も、思わず涙ぐんで仕舞いました。

 来年、平成天皇は譲位され、新しい時代が来ることを宣言されました。そして、国民が協力して、良き新しき時代にして欲しいとも述べられていました。平成天皇は、幼少期を、太平洋戦争と戦後の混乱期の中で過ごされました。その為、戦争に関しては、強い反省の念を持っておられるようです。生涯多くの時間を、戦地への巡礼と、災害地への慰問に費やされました。その行為が、戦後、新しく憲法に定められた、象徴天皇のあるべき姿を模索する、決意の表れだったようです。そして、平成という時代が、戦争の無い時代として終わることに、安堵したとも言っておられました。

 以前にも書きましたが、私は、個人的に、以前のような天皇制は容認できませんし、現在の象徴天皇の存在も良いものだとは思っていません。民主主義の中の国民は、生まれた時点で、家柄、貧富、社会的地位に差があってはならないと思っています。同時に、自分の考えが、一種の机上の空論だとも思っています。 生物として存在している人間は、生きるための糧を確保するために、糧を横取りする者を排除して自分の縄張りを作り、縄張りを固定化し、縄張りの固定化を永続させる事が、自然の営みとして行われてきたようです。これが、王制(天皇制)と呼ばれる、社会体制に変化しました。此の体制への、一般国民の反発が、フランス革命、ロシアのおける共産主義革命に繋がりました。そして民主主義という社会体制も生まれました。このような、歴史的過程を見ていると、体制の変更というのは、自然の営みの一環として、時代の波に会わせて、変わっていくのが、自然のような気もします。

 改めて、平成天皇の生き方は、立派な生き方だと思いますし、今後の天皇のあり方や、将来の日本のあり方について、一石を投じられたのではないかと思います。

 

 今日は、午前中、EV車の充電器を設置するかどうかについて、アパートの臨時総会がありました。此の決定は、重要事項決定に当たるため、住民の四分の三の賛成が必要でした。結果的に賛成が四分の三に到達せず、充電器の設置は見送られました。反対者の意見は、「EV車は、現在技術が急速な発展をしており、蓄電池や充電の仕方等が変わる可能性が大であり、早急に充電器を設置しても、充電器が直ぐに使えなくなる可能性が高い、従って充電器の設置は、時期尚早である」とのことでした。尤もな意見だと思いました。

 総会が終わってから、我が家のクリスマスのために頼んでいた、クリスマスケーキを取りに、聖蹟桜が丘に行きました。同時に、クリスマス用に私が作る料理の材料を買って来ました。我が家のクリスマスは、それぞれが、手作りの料理を持ち寄る事になっています。今年は、長男の所が、鶏の唐揚げとサラダ、次男がスモークサーモンとセビッチェ、娘の所が、リブステーキと紅茶豚を作ってきました。私は、何時もの通り、アサリバター、鰺のカルパッチョ、魚介類のアヒージョを作りました。その他に、チーズの盛り合わせや生ハムも加わり、豪勢な食卓となりました。

 6時近くに、長男家族と娘の所の孫娘と末の孫がやって来ました。所が、娘の所の上の孫が、ピアノの発表会だったため、娘夫婦と上の孫は、9時近くからの参加となりました。何時もとは違ったクリスマス会になりましたが、食事やワインを大いに楽しみ、全員揃ってからは、最近コーラスをやるようになった、孫娘の歌に始まり、次いで、今年のクリスマスプレゼントである任天堂のゲーム機を使って、カラオケ大会に変わりました。マイクは、長男からのプレゼントでした。なんと、ネットから無限に歌を取り込むことが出来るのです。また、ネット社会の凄さを感じました。長男の所の孫の歌を、初めて聴きました。会う度に、大人になってきました。

長男の家族は、11時近くに帰りましたが、その他の者は、日付が変わるまで唄い続けました。孫達も、必至で付き合いましたが、先ず孫娘が眠りに入り、1時近くになって、他の孫もダウンしました。私も1時過ぎに、部屋に入りました。家族が全員集合した、楽しいクリスマスになりましたが、誰もクリスマス飾りを見てくれませんでした。

 

「家族等が 全員集合 クリスマス 食べて唄って お祭り騒ぎ」

「聖家族 我が家の騒ぎ 横に見て 静かに合掌 クリスマス祝う」

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2018年12月23日 (日)

2018年12月22日

2018年12月22日

 

 富士が見えるような天気では無かったのですが、日差しはあった朝でした。それが、暫くすると雲が広がり、昼頃には、小雨が落ちてきました。夕方も小雨が降りましたが、薄い雲の奥から、14夜の月を見る事が出来ました。

 今日は、冬至でした。季節は冬に向かっているのですが、天体の活動は、春の到来を約束してくれる、大きな区切りの日なので、私の好きな日です。

 コマーシャルに良く出てくるローラという女優が、沖縄の基地問題に関して、辺野古基地造成反対の署名活動をネットで呼びかけました。日本政府が、全く耳を貸さないので、直接アメリカ政府に働きかけようと言うものでした。アメリカでは、一定期間に、10万人以上の署名が集まれば、政府内で、当該問題に対する検討が行われるそうです。そんな訳で、日本政府では無く、アメリカ政府に、訴えようとのことのようでした。私は、こうした動きは、良い動きだと歓迎しています。

 所が、私の友人で、右翼的な考えの強い人物は、民意について、「民意とは、卑猥な表現であり、特定勢力が意図的に煽り立て、偏向マスコミが鼻の穴を広げて言い募るもの」だと思っていたと、ネットで考えを述べていました。最近のネット社会は、何が真実か分りにくくなっています。彼の考え方は、現代社会の問題について、一定の真実を含んでいますが、かなり強烈な、民意の否定に繋がると思いました。民意が否定されると、何に基づいて政治が行われるのでしょうか、権力を力で奪い取った人物、あるいは集団の考えに従えと言う事なのでしょうか、全く理解が出来ません。民意の否定は、民主主義の否定に繋がると思いました。何となく、世界全体が、自己中心主義の力による政治に移行しているようで、怖さを感じました。

 辺野古基地造成のための埋め立てに関し、民意を知るために、沖縄の各都市で住民投票をやろうと呼びかけが行われました。此の呼びかけに対し、多くの都市が、住民投票の実施に関し、否決したそうです。此の否決の意味は、最近知事選挙で、民意は計られたばかりだとの民意だったのかも知れません。造成反対そのものが否決されたのかも知れません。私の不勉強ですが、彼は、この事により、埋め立て反対が、民意によって否決されたと判断しました。彼は、これによって、民意も捨てたものではないと見直したそうです。自分に都合の良いように解釈して、民意として認めると言っているように思いました。諸国民の公正と信義に信頼し、恒久の平和を目指す日本国民が、その基盤である民主主義を、日本人自身が、忘れかけているのではないかと思ってしまいました。

 

 今日は、我々が所属していたクラブの現役の、幹部交代式でした。毎年、参加しているので、今日も参加しました。我々の時代からは、考えられないような、時間の遅れ、規律の無い、幹部交代式でしたが、個々人の考え方そのものは、そこそこ、しっかりしたものを持っていました。但し、現在のお笑い番組のように、真剣な態度をはぐらかすことが、皆から受けると言った、現代の風潮が現れているようにも思いました。しかし、規律とか時間厳守とか、前時代の我々の考えを強制することは、最も危険なことだと思いました。現在、彼等は自分でものを考え、自分の中に十分のルーツを形成しようとしています。その中で、彼等が既存の組織や慣習とどの様に向き合うのか、それは矢張り、彼等自身に考えさせるべきだと思います。現実に、彼等は我々の時代よりも、各クラブへの支援は増大し、各クラブとの親密度も増しています。クラブへ加入する学生も増えていますし、クラブは、大いに発展しているのです。大学生に、教育は不要だと思います。

 幹部交代式が終わって、懇親会となり、20歳を超えた、幹部、準幹部と盃を交わしました。想い出話を含めて、色々な話が出来ました。彼等が、クラブで多くのことを自ら学び、自分自身に確固たる基盤を造り、社会でも力を発揮し、成長を続けて欲しいと心から思いました。今宵は、歳を取ったことを忘れて、現役に戻ったような気がしました。

 

「小雨降る ビルの灯りの その上の 雲の後ろに 一四夜の月」

「青春を 如何に過ごすか そのことが 如何に大事か 老いて知るなり」

「危うげで 熱の籠もった 議論する これが青春 明日への門出」

 

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2018年12月22日 (土)

2018年12月21日

2018年12月21日

 

 今朝は、5時過ぎに起きました。孫の終業式の音楽会に出る前に、日記を書いてしまおうと思ったのです。まだ、朝ぼらけも始まっておらず、夜の帳が覆っていました。7時頃には、日記を書き上げ、ベランダから外を見ると、随分冷え込んだのでしょう、多摩川の川面から、朝霧が立ち上っていました。恐らく霜も降りたのではないかと思います。素晴らしい良い天気なのに、我が家の近くに霧が立ちこめて、富士が見えませんでした。

 7時までに、日記を書き上げて、朝食を食べ、大急ぎで仕度して、8時には家を出ました。末の孫の幼稚園は、南大沢にあるので、通常は四谷橋を渡った先の、一之宮交差点の所から、南大沢行きのバスに乗るのですが、今日は、一旦聖蹟桜岡に出て、バスで永山駅に行き、そこから南大沢に行きました。8時50分には、南大沢駅に着きました。直接バスで行くのと変わらない時間でしたが、気分的には随分早く着いたように思いました。

 幼稚園までの地図は、ネットで調べて大体頭に入れてきたのですが、今日初めてスマホの地図を使ってみました。GPSを利用しているので、アプリを起動した段階で、現在自分が居る南大沢の周辺情報が出て来ました。そこに、音声で目的地の名前を入れると、即座に目的地の位置が示されました。お陰で迷うことも無く、9時過ぎには、幼稚園に着いてしまいました。門はまだ開けられておらず、父兄の列が出来ていました。音楽会は、9時半からと聞いていましたので、近くの公園を散歩しました。此処も紅葉は、終りに近づいていましたが、大葉楓の、淡く黄色い黄葉が、とても新鮮でした。小楢や櫟の中での赤い紅葉は、多摩丘陵地帯の特徴的な黄葉かも知れません。少し、遠いところに、アキサンゴ(秋珊瑚)の木があって、葉を落とした枝に、小さな珊瑚色の実を山ほど付けていました。

 9時20分に門が開かれ、音楽会が行われる講堂に移りました。音楽会は10時からでした。9時40分には、娘がやって来ました。音楽会は、保育児、年少組、年中組、年長組、特別出演の順でした。孫は、年中組ですから、3番目でした。講堂の前の席は、登場する子供の親が、グループ毎に入れ替わることになっていました。近くで、我が子のビデオを撮る親が多いからです。良い考えだと思いました。

 孫の順番がやって来ました。何時もとは違って、キリリと引き締まった顔で出て来ました。贔屓目でしょうが、一番可愛く、かつ、利巧そうでした。そして、娘と私を見つけると、クシャクシャの笑顔になりました。そして、演目である、「パイレーツ・オブ・カリビアン」と「くまのプーさん」を、立派に演奏し、唄いました。幼稚園時代の1年の進歩は、大きな違いとなって、見る人にも歴然と分ります。それが教育の凄いところでしょうか。

 音楽会が終わって、教室に移り、冬休みの注意を聞いて、2学期が終了しました。3人で、私が来た道を歩いて、南大沢駅に出て、今日も一緒に昼食をして別れました。今日は、焼き肉でした。

 来た時と同じ経路を辿って、3時過ぎに、我が家に戻りました。家では、年賀状作成をやりました。昨日、宛名は印刷したので、今日は、先ず裏面を印刷し、その後、一人一人に、短いメッセージを書きました。メッセージを書きながら、此の5年間、全く会わなくなった人が、随分多くなったと思いました。70枚近くの根賀状の内、20枚が、そのような会ってない人への年賀状になりました。10年前は、100枚くらい出していた年賀状が、今年は66枚でした。

 6時くらいには、年賀状を書き上げました。気が楽になり、干していた鶏皮や手羽中を焼いて、以前の鶏の軟骨と合わせ、鳥尽くしの摘まみで、ゆっくりと晩酌をしました。

 

「日に透ける 大葉楓の 薄黄色 葉の無き森に 一際映える」

「夥し 赤き実付ける 秋珊瑚 作ってみたいな 秋珊瑚酒」

「紅葉や 花鳥風月 好きなれど 孫の笑顔に 勝るもの無し」

「緊張し 舞台に立ちし 孫の顔 我等見つけて 破顔一笑」

「年毎に 少なくなりし 年賀状 友も減り行き 心の穴増ゆ」

「亡き人が 文に返事を くれるなら 出してみたいな あの世への文」

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2018年12月21日 (金)

2018年12月20日

2018年12月20日

 

 今朝も富士が見えたのですが、地平のぼかしの中で、ぼんやりと立っていました。天気予報では、1日中曇りとのことでしたが、一日中良い天気でした。お陰で、鶏手羽の軟骨の代わりに、鶏皮と手羽中を干すことが出来ました。

 午前中、日記を書いている時、娘から電話があり、「年賀状作成の手伝いに行こうか」と言ってくれました。その時は、昨日の悪戦苦闘が頭にありましたので、とても有難く、来て貰うことにしました。所が、日記を書き終えて、試しに印刷してみると、インクの付け方が悪いと、プリンターが止まることも無く、印刷の飛びも無く、濃さも丁度良くなっていました。一晩、システムを止めて、再起動した形になったので、システムが機嫌良く動くようになったのかも知れません。取り敢えず娘の手助けは不要になりました。しかし、一旦来る気になっていたので、末の孫と一緒に、昼食を食べることにしました。

 12時少し前に、娘達がやって来て、スシロウに行くことにしました。末の孫が、とても気に入っているらしいのです。確かに、5歳の子とは思えないほど、モリモリ食べました。自分の好きな物を、好きなだけ食べられるのが、良いのかも知れません。その他に、帰りに貰えるポイントとお土産も、魅力の1つのようです。

 食後、我が家まで送って貰い、娘にフェイスブックの基本情報の中の、私のローマ字の名前を漢字にして貰いました。スマホで分らないことがあると、最後は娘頼りになってしまいます。そして別れ際、明日の末の孫の終業式の話になりました。末の孫が、終業式で皆と合唱するらしいのです。朝9時半からですし、通常の終業式の儀式なので、参加する気は全く無かったのですが、末の孫が、とても切なそうな顔をして、「きてー」と頼むものだから、行くと約束しました。末の孫の顔が、これ以上無いほど嬉しそうな顔になりました。

 娘達は、帰っていき、私は散歩に出かけました。多摩川の土手伝いに府中駅の方まで歩く積もりでした。四谷橋から上流の土手の道は、茅が白枯れていたのに、下流の方は、赤枯れていました。その茅が、夕日を受けて更に赤さを増し、朱い道になっていました。河原には、荒れ地瓜の残骸でしょうか、草葺きの家が並んでいるように見えました。多摩川の向こう岸の方では、50羽を越える白鷺の群舞が見えました。歩くと何かしら、面白い光景に出会います。郷土の森公園まで来ると、蝋梅が咲いているのが見えましたので、急遽、府中駅に行くのを止め、郷土の森公園に入りました。紅葉は、期待していなかったのですが、まだ、かなりの数の紅葉や小楢が、紅葉を楽しませてくれました。茶室と紅葉、蝋梅と紅葉、寒桜と紅葉、冬木立の森と紅葉など、とても良い感じでした。

 4時頃、家に戻って、取り敢えず70枚ほどの年賀状の、宛名部分だけの印刷を終了しました。明日、裏の部分を印刷し、各人に一言書き加えれば、今年の年賀状作成は完了です。年賀状を出し終えれば、1年が終り、新しい年を迎える気になります。こうした、年中行事は、結構大変ですが、生活の重要な一部だと思うようになりました。

 

「赤枯れし 茅の土手の 燃え上がり 気持も燃える 多摩川散歩」

「木を覆い 河原に蔓延る 荒れ地瓜 今は朽ち果て 草葺きの家」

「覇を競い 河原を埋めた 葛達も 強者どもの 夢の後かな」

「日の影の 暗き川面が 引き立てる 白鷺達の 群れ舞う姿」

「年の瀬も 残り僅かと なる中で 真っ赤に燃える 紅葉見るとは」

「茶室への 小さな門に 似合いかな 苔の緑と 紅葉の赤さ」

「冬枯れて 木々は裸の 森の中 紅葉が独り 森を焦がせり」

「年明けに 盛りを迎える 蝋梅を 盛り過ぎたる 紅葉羨む」

「気の早い 蝋梅数本 満開に お前は未だかと 梅を急かせる」

「木々達は 眠りに入る 冬の入り 蝋梅達は 早くも新春」

「蝋梅に 負けじと満開 木瓜の花 幾らなんでも 速過ぎないか」

「薄雲に 鈍き光の 夕日ショウ 木々の個性を 引き立てるなり」

 

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2018年12月20日 (木)

2018年12月19日

2018年12月19日

 

 良い天気が続いています。今朝も富士が良く見えました。

 朝一番に、悲しい電話と嬉しい電話がありました。悲しい電話は、長崎の弟からで、弟の嫁のお父さんが、今日、明け方亡くなったそうです。晩年は、弟達と一緒に住み、長崎に行った時には、一緒に食事をしたりして、私も良く知っていました。ここ数年は、介護老人ホームに入っていました。92歳だったそうです。嬉しい電話は、妻からで、今後東京に出る時は、少し時間に余裕を持たせるようにするので、食事だけで無く、色んな所に行ってみようと言うことでした。東京近辺でも、沢山行くところがあります。妻と一緒に行ければ、また一味違うでしょう。

 テレ朝のニュース解説でやっていましたが、中国と米国の関係が穏やかでは無くなってしまいました。少しオーバーかも知れませんが、大航海時代から、500年に渡り繰り返された、世界の覇権の交代時期に来ているのではないか、そういう見方も出て来たようです。私の人生の全ての期間は、米国の覇権でした。米国の覇権は、今でも続いています。しかし、今後、世界の覇権を握るのは、通信とIT技術を制した国が覇権を握ると言われています。今、この技術に関して、中国と米国が先陣争いをしているようです。

 しかし、私の目から見れば、現時点で中国は、自国で先進技術を生み出す力は無いと思います。高度成長期の日本と同じく、既にある技術を必死で改良し、実用性と価格面に於いて、優位に立っている物もあるというだけだと思います。しかし、儲けた金を研究開発につぎ込めば、何時の日か、中国も先進技術を自国で開発出来る日も来るでしょう。それがどの程度早く来るかというと、かなり、早いと思われます。あらゆる産業へのIT技術の活用は、特定の発明品を産み出す必要は無く、過去の技術の数値化が基本となるからです。

 此の数値化のために、技術先進国の米国や欧米諸国、そして日本の技術の多くが、利用、盗用されることになるでしょう。米国は、極めて神経質になっているようですが、電子的産業革命のような物ですから、何れ先進国の共有財産になっていく物だと思っています。そうならなければ、多くの国は、技術の覇権国に従うだけの存在になってしまいます。

 

 午後、年賀状作成に挑戦しました。宛名部分は、以前作成した物が使えますので、今日は裏面を作成しました。比較的簡単にできましたので、試しに印刷をしてみました。すると、黒が極めて弱く、霞んだような印刷になりました。黒インクは、最近変えたばかりで、残量は充分でした。色々やっても、上手く行かないので、娘に助けを求めました。しかし、電話での対応なので、私がついて行けず、結局、印刷は明日へ持ち越しとしました。

今日は、午後6時から、第2ローマ会の忘年会があるので、4時頃には家を出ることにしました。忘年会の場所が、渋谷だったので、無事会場に着くか、心配だったのです。最近、渋谷を歩いた時、迷路のような仮設通路に閉口したのを思い出しました。

渋谷に着いたのは、5時15分くらいで、地図は印刷して置いたので、駅のインフォメーションで、行き方を地図に書き込んで貰いました。これでは、早く着いてしまうと楽観したのですが、大間違いでした。地図に示された所へ行ったはずですが、肝心の店が見つからないのです。仕方が無いので、店へ直接電話して、周りに見えるものを示しながら、道順を聞きました。電話をしながら、歩いて、最後の直線になったところで、電話を切りました。これがまた、大間違いでした、店の看板がイタリア語だけで、日本語が無かったのです。店の名前は、ACCESO(アチェーゾ)を、スペイン語ふうにアクセソと読んで、その店を通り過ぎてしまったのです。結局見つからなかったので、また店に電話したら、ACCESOが、目的の店だと分りました。

店に着いたのは、5時45分くらいで、既に二人が来ていました。6時にもう一人、6時半過ぎにもう一人来て、忘年会が始まりました。最初の話題は、この会の幹事を長くやっていた友人の死でした。1年以上に渡り、種々の病気を患い、今月10日に亡くなったそうです。そういう訃報もありましたが、全員、歳を取ったので、明日は我が身と、死に対して達観しており、その後は、愉快に再会を祝いました。

 

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2018年12月19日 (水)

2018年12月18日

2018年12月18日

 

 今日は、何時もより1時間遅く起きましたので、外は既に明るく、快晴の空と、朝日を受けて輝く富士が、目に飛び込んできました。素晴らしい天気でした。次男も起きて来て、一緒に富士を眺めました。

 安倍政権が、またしても戦争準備へ舵を切りました。護衛艦出雲を改造し、空母にするそうです。空母用の戦闘機も増加させ、戦闘員の訓練も強化するそうです。頭に、国家防衛の為という言葉さえ付ければ、戦闘行為の何もかもが、合憲とされてしまいます。戦前の日本と大差なくなってしまいました。ちょっとした詰まらない事件を契機として、戦争が始まる可能性が出て来ました。

 安倍総理は、トランプ大統領を始め、習近平中国主席、プーチンロシア大統領と、積極的な外交を展開しているようですが、北朝鮮との話し合いの際の、彼の行動から見て、平気で相手の信頼を裏切ることができます。誠実さの欠片もありません。それが、外交だと決めている節が見られます。彼の言動が、日本を戦争に導く可能性があると私は思っています。このような予想が、馬鹿な老人の身勝手な空想であることを願っています。

 今日は、年賀状を仕上げようと思っていたのですが、余りにも良い天気だったので、多摩川を上流に向かって歩きました。

 土手の茅は白く枯れてしまい、白い冬の道になっていました。その中に、仏の座、赤詰草、姫女菀、泡立草が、しぶとく咲いていました。中でも、緑の葉をしっかり延ばしていたのは、彼岸花でした。来年のための栄養蓄積をやっているようです。河原は、小栴檀草が、衣服にくっつく黒い実となって、河原を埋め尽くしていました。とても河原を歩く気になれませんでした。

 石田大橋を過ぎた辺りから、泡立草が目立つようになりました。白い花の跡と共に、黄色い花も沢山咲いていました。夕日を受けた枯れ尾花と一緒に、冬の前の風景を作り出していました。

 国立の方まで来たので、SVマーケットに寄って、鶏の軟骨類を買いました。近くの西友では、良いものが手に入らないので、どうしても買わずにいられなくなるのです。ついでに、黒い袋の忘れ物が無かったか聞いてみました。一月ほど前から、買い物に不可欠な、此の袋が見当たらなくなったのです。大学の紋章が描かれており、とても便利な袋でした。忘れそうな所に問い合わせているのですが、出て来ませんでした。残念ながら、此処にもありませんでした。

 帰りに、我が家の近くのホームセンターに寄ったら、花売り場で、我が家に近くの空き地で咲いている、黄色い花の名前が分りました。オキザリスという名前でした。花の大きな黄花カタバミのようでした。ネットで調べて見たら、なんと和名がオオキバナカタバミ(大黄花片喰)でした。見た通りの名前になるのですね。ついでに、末の孫の七五三の時に知った、アリッサムという花を買って帰りました。

 家に帰ってからは、鶏手羽の軟骨を塩揉みして干しました。鳥の踝の軟骨は、唐揚げ粉を塗してオーブンで焼き、今晩の晩酌の摘まみにしました。鶏皮は、適当な大きさに切って、七味、出汁醤油、酒で味付けし、冷蔵庫で味を馴染ませています。手羽中は、柚胡椒、柚ぽん、出汁醤油、酒で作った汁に浸けて、これも味を馴染ませています。明日か、明後日には干そうと思っています。干物にすると、一味替わります。

 今日は、我が家から、夕日が沈むのを見ました。既にダイヤモンド富士の時期は過ぎていて、富士山の左側の裾野の方に沈みました。日が高い時には見えなかった富士が、日が沈むと同時に顔を出し、黄金の龍も出現しました。刻々と色を変えていく空の写真を撮り続けました。

 

「白枯れた 茅の土手に 濃き緑 明日に備える 彼岸花の葉」

「冬枯れの 茅の土手の 枯れ尾花 夕日に輝く 綿毛を飛ばす」

「先に咲き 綿毛となりし 親達の 後追う黄色き 泡立草の子等」

「夕日浴び 凜々しく立ちし 赤詰草 年を越しても 花を咲かすぞ」

「早春に 一番早く 花咲かす 暮れにも花咲く 仏の座かな」

「日は沈み 富士の背後に 回り込み 後光さすかな 富士の大仏」

「黒き雲 突然黄金に 早変わり 頂き目指す 昇り龍かな」

「刻々と 変わり行くかな 空の色 それを見ている 我が居るなり」

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2018年12月18日 (火)

2018年12月17日

2018年12月17日

 

 一昨昨日、一昨日と富士が見えたのですが、今朝は雨の朝でした。1週間、毎日外出していましたので、偶には、家でゆっくりするようにとの、天気の神様の配慮なのかも知れません。朝起きた段階では、そう思っていたのですが、午前中には、快晴の空に替わりました。信じられないような、天気の変わり方でした。

 午前中、日記を休んでいた1週間分の日記を、簡単に纏め、ブログに掲載しました。書き足りないことが、山ほどありましたが、全部書いたら、3日くらいは、日記を書くだけの毎日になります。こういった生活は、矢張り嫌いです。

 日記を書き上げて、年賀状の準備をしました。今日は、取り敢えず、来年年賀状を出さないようになった人達6人を、名簿から削除しました。6人の内、4人は、今年、本人が亡くなりましたので、永久に年賀状を出すことはありません。他の2名は、親族の不幸により、年賀の挨拶を辞退してきた人です。来年、また年賀状が出せるようになってほしいものです。定年後、新しく知り合った人には、年賀状を出さないことにしていますので、毎年、確実に年賀状を出す人が減って行き、その内、私自身が旅立つことになるでしょう。

 午後から、近くの桜が丘公園を歩いてきました。先月、山の仲間と「よこやまの道」を歩いた後、桜が丘公園に寄った時は、紅葉が未だ始まっていませんでしたが、今日は、紅葉の時期が、ほぼ終りに近づいていました。落葉樹の林は、木々の葉が残り少なくなり、夕日が、林の奥まで入り込んでいました。所々に、遅く紅葉を始めたのでしょう、まだ、赤い葉が残っている紅葉が、林の中で燃え上がっていました。やがて全ての葉を落とし、寒さに耐える冬の林に替わる直前の、最後の輝きに感動しました。

 桜が丘公園から、稲毛市と多摩市の境に架かっている、坂浜聖ヶ丘橋に行き、武蔵野を一望しながら、丹沢の方に沈む夕日を眺めました。山の上に雲がありましたが、その雲が、沈む夕日に輝いて、空に素敵な絵を描いてくれました。

 聖蹟桜が丘に戻り、珍しく本屋に立ち寄りました。メキシコ時代の友人が「メキシコと麻薬戦争」という本の読後感を、ネットに出していました。目が、少しずつ見えなくなってきており、本を読むのは辛いのですが、今年、中米の難民キャラバンで、メキシコが話題になりましたので、読んでみる気になったのです。

 残念ながら、目的の本は在庫が無く、取り寄せになるそうでしたので、一旦保留しました。所が、東山魁夷の画集が目について仕舞いました。東山魁夷の文庫本サイズの本は、若い頃に買って読みましたが、画集は持っていませんでした。定年後、山の仲間と山野を歩いたり、一人でも色々なところを歩くようになりました。この年になって「風景との出会い」に感動する、魁夷の気持が良く分るようになりました。彼が描く風景画は、どれも私も見たことがあり、感動した気持が良く現れていました。結局、断捨離の時期に、東山魁夷の画集を3冊買ってしまいました。

 ついでに、藤原正彦の「国家と教養」も買ってしまいました。彼の「国家の品格」に対しては、反論の意見を書いたことがあります。品格とか教養とか、本来国家と無関係であって欲しい分野に、彼は、国家を結びつけてしまうのです。国家が絡むと、どうしても、排他主義と強制が入り込んできます。私が最も嫌いなことです。恐らく、今回の本も同じようなものだと思いますが、このような本が何故売れるのか、少し研究してみたいと思います。経済の停滞と格差社会の拡大は、自由で独自性豊かな社会よりも、国家の言うことを聞き、国家の駒として安定した生活を望むのかも知れません。

 

「冬支度 完了間近の 森の中 長く伸びゆく 木々の影かな」

「葉の落ちて 森の奥まで 日の入り 残り火燃える 遅まき紅葉」

「木の幹の 一つ一つが 輝きぬ 冬への仕度 祝うが如し」

「並び立つ 紅葉と公孫樹 葉を落とし 赤と黄色の ふかふか絨毯」

「薄らと 残り葉朱き 森の上 小さく白き 月の出ており」

「夕日受け 紅葉の梢に 火のつきて 空に伸びゆく 紅蓮の炎」

「大木の 腹の辺りに 枝延ばし 大木燃やす 紅葉の付け火」

「赤枯れる 森の中にも 緑あり 苔生す岩に 夕日の届く」

「武蔵野に 夕日のシャワー 降り注ぎ 雲を焦がして 夕日の落ちる」

「多摩の里 朱き光に 夕霞 ランドマークの ビルが点々」

 

 

 

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2018年12月17日 (月)

2018年12月16日

2018年12月16日

 

 日記を休んでいた間の1週間を簡単に振返って見ました。哀しい知らせが2つも飛び込みました。都心の庭園巡りもしました。

 

12月11日

 この日は、大学の同窓会の今年最後の会議がありました。同窓会関係の仕事の多くは、ボランティアなのですが、皆さん真剣そのものです。会議の後、忘年会をやりました。単なる年忘れでは無く、来年への決意を込めた、なおかつ、楽しい会になりました。バス停への道で、白粉花の花を見つけました。

「北風の 冷たき冬に 夏の花 白粉花の 花を見つける」

 

12月12日

 この日は、山登りの仲間と、大山の蓑毛道を歩きました。この日の模様は、何時ものように、75調の「大山蓑毛紀行」として纏め、別途日記としてブログに掲載しました。この山歩きの最中に、電話があり、私を、彼が経営する学園運営の監事にしてくれた、メキシコ時代の友人である理事長が、動脈剥離のため緊急に大手術をしたとの連絡が入りました。未だ、ICUにいて、意識は回復していないそうです。山歩きから、家に戻ると、私の仲人をしてくれた教授の奥さんが亡くなったとのメールが入っていました。通夜が14日の午後6時からでした。葬儀は、15日の午後1時からでしたが、葬儀の方には行けそうも無いので、通夜に行くことにしました。

 

12月13日

 午前中、大学の同窓会の仕事の関連で、同窓会長と話し合いの場を持ちました。この同窓会長の仕事もボランティアです。同窓会長は、喜寿を過ぎた人なのですが、大学を愛する気持は誰にも負けず、頭脳明晰で、話の内容も敬服しました。現在、私がやっている仕事は、この会長からの依頼によるものです。なんとかして、お役に立ちたいと思いました。

 昼食を、贔屓にしている居酒屋で食べました。同窓会における様々な出来事を話ながら、鯖定食を食べました。勿論、居酒屋ではありますが、昼食時は、酒は禁止でした。

 夕方から、大学紛争に関係した友人達との忘年会でした。時間があったので、皇居の東御苑に行ってきました。都会の真ん中の皇居の雑木林が、柔らかく紅葉し、丸の内の高層ビル街に、季節の移り変わりを知らせていました。

 4時に妻を迎えに行き、忘年会に参加しました。この忘年会は、毎年行われますが、この会だけは、夫人同伴なのです。大学時代を共に過ごした時期は、既に半世紀以上も前になりますが、当時の右も左も一緒になって、何時も、熱き時代のことを話しています。この会の中心人物が、胃も膵臓も胆嚢も、癌のために切除してしまいました。未だに酒を飲んでいますが、昔の勢いは無くなりました。

「背景に 高層ビルの 見えなくば 武蔵と同じ 皇居の紅葉」

「摩天楼 黄葉公孫樹の 逆立ちす お濠を泳ぐ 主の白鳥」

「赤き葉と 高層ビルと 霞む空 都会の谷間に 師走の風吹く」

「江戸城の 石の狭間に 公孫樹立つ カメラを向ける 異邦人あり」

「石垣と 松を見上げる 紅葉あり お城の中での 紅葉狩りかな」

「半世紀 時は移れど 血が騒ぐ 紛争時代の 仲間と忘年会」

 

12月14日

 大学を出て直ぐに、大学の理工学部の教授に、結婚の仲人を頼みました。どうして仲人を頼んだか、面白い縁があるのですが、今回は、長くなるので、その話は抜きにします。仲人夫婦からは、とても親切にして貰いました。私達が、仲人の第1号だったそうです。教授は、大分前に亡くなりましたが、夫人はとても元気でした。大学の同期の女性から、夫人が住んでいる老人ホームを教わり、昨年お会いして、本当に暫くぶりに話すことが出来ました。夫人は、立派な家柄に人で、私の大学時代のクラブの同期の女性(住所を教えてくれた女性とは別)と、古くからの知り合いだったようです。今回の知らせもその同期からでした。両方の女性も、通夜に来ていました。

 通夜は、目黒の教会で行われましたが、かなり広い教会が、満員状態でした。仲人夫人は、92歳だったそうで、老人が半数を超えていました。

 今年は、大学時代の職員も92歳で亡くなりました。そして、仲人夫人が亡くなり、この日をもって、私の青春時代を、大人の立場から見ていた人達は、皆無となりました。私の青春時代が消えてしまったような、激しい寂寥感に襲われました。そして、次に此の世を旅立つのは、我々の世代だと改めて思いました。この寂寥感を癒やすため、目黒の先輩の店で、飲んで帰ろうと思ったのですが、残念ながら、店は開いていませんでした。最近、調子の悪い先輩に、何かあったのではないかと、とても心配になりました。

「愚かなる 青春時代の 我が姿 見ていた人の 全て旅立つ」

「誰が言う サヨナラだけが 人生だ これまで幾度 サヨナラしたるや」

 

12月15日

 この日は、理事長が、動脈剥離の大手術をしたと連絡のあった学園の、理事会の日でした。集まった理事全員が、緊張した面持ちでした。最初に事務局から理事長の現状が報告されました。理事の8割が70を越えており、理事長は、76歳でした。この歳の大手術が、何を意味するか、全員が理解していました。取り敢えず、暫定の議長を選出し、所定の議案の審議を終了しました。その後、学園長も兼任していた理事長が、職務に復帰できない場合に備え、職務代行者の順番を第2位まで暫定的に決めました。ずっと重苦しい雰囲気でしたが、流石に、社会経験の豊富な人達なので、やるべき事は済ませました。

 10時から始まった理事会は、12時半には終わりました。良い天気でしたし、汐留の高層ビル街と、隣の浜離宮庭園を見て、家に戻りました。

「国立の 駅のホームで 富士を見る 心病めども 空は青空」

「何時もなら 君が座りし 議長席 君の姿が 見えぬは悲し」

「老い病 世代替わりを 促せる 誰もが従う 自然の摂理」

「汐留の ビルの隙間に 夕日差し 公孫樹並木の 黄金に輝く」

「冬晴れの ビルが居並ぶ 公園に 肌を晒した 女神が並ぶ」

「年毎に 大木越える ビルの増え 浜離宮も 何時しか箱庭」

「森の中 浜離宮の 隠れ池 渡り鳥等が 群れ泳ぎおり」

「芳梅亭 茶室の彼方 摩天楼 時の流れを 思い知るなり」

「大木の 後ろに沈む 冬の日の 子供輝く ビルの窓かな」

「浜離宮 歴史の違いが 売り物に 違い楽しむ 異邦人かな」

「車窓から 夕日の沈む 多摩を見る 何時しか此処が 我が故郷に」

 

12月16日

 多摩川の左岸を歩いて、関戸橋を渡り、大栗川と多摩川の合流点を廻って、聖蹟桜が丘まで歩きました。大栗川は、小鴨の渡り地なのですが、未だ小鴨の姿を見る事は出来ませんでした。今年は、渡り鳥の渡りがとても遅いように思います。何時もなら、小鴨が集まる、乞田川と大栗川の合流点は、何故かダイサギが大集合していました。

 今日は、夕方5時から、アパートの防災委員会があり、6時からは理事会があるため、4時過ぎには、我が家に戻りました。散歩を始めた時には、小雨がぱらついていたのですが、関戸橋を渡る頃には、青空が広がりました。これで、洗濯物が乾くかと思ったのですが、全く駄目でした。

 理事会が終わったのは、7時半でした。それから、晩酌の仕度をして、「西郷どん」の最終回を見ながら晩酌をしました。次男は、既に酒を飲み終わっていたのですが、また、私に付き合ってくれました。

「丸刈りの 土手に再び 芽を出した 茅も枯れる 北風の道」

「小鴨等の 渡りは未だかと カルガモの 寂しさ半分 嬉しさ半分」

「川岸に 泡立草の 花の跡 白髪頭が 夕日に光る」

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2018年12月12日

2018年12月12日

 

 今日は、山の仲間と大山の蓑毛道を歩いて来ました。何時ものように、75調の紀行文を纏めましたので、1日の様子を想像して下さい。

 

大山蓑毛紀行

 

「伊勢原に 爺婆集合 野球かな 今日の仲間は 総勢9人」

「雨上がり 貸し切りバスで 大山へ 午後には晴れるさ 気分上々」

「バスを降り 土産物屋の 立ち並ぶ 階段上りて ケーブルカー駅」

「待ち時間 質問好きの 爺様が 次々質問 駅員苦笑」

「大山の 紅葉今が 最盛期 白きベールに 霞し紅葉」

「ケーブルカー 特等席を 占拠して 空に揺れてる 落ち葉見上げる」

「ケーブルカー 高度上げれば 霧深し 白き世界に 皆で降り立つ」

「霧深く 阿夫利神社も 白霞む 雨降り神社に 似合いの風景」

「加護頼み 阿夫利神社を 後にして 今日の山行 始まり始まり」

「霧の中 青みがかった 杉林 東山魁夷の 絵画の世界」

「霧の中 裸身を晒す 落葉樹 赤霞する 紅葉もありき」

「葉を落とし 物寂しき 細き枝 霧まつわりて 玉となりけり」

「次々と 神秘の世界が 現れる 爺婆達への 神のご褒美」

「スイスイと 歩いて早くも 昼餉時 上手い具合に テーブルありき」

「霧深く 落ち葉の残る テーブルで 押しくら饅頭の 楽しき昼餉」

「落語爺 卵サンドに かぶりつく 怖さ半分 嬉しさ半分」

「腹満ちて 力身体に 漲りぬ 再び霧濃き 魁夷の世界へ」

「見上げれば 青空あれど 森は霧 先頭歩く 仲間が見えぬ」

「黙々と 落ち葉降り積む 森の道 ひたすら降りて 山里に着く」

「もうこれで 今日の山行 終わったの 物足りなさが 顔に出にけり」

「話し合い 髭僧の滝へ 足延ばす 多様な色の 落葉樹の森」

「予想せぬ 登りの道に なりにける 最後に1つ 山行らしき」

「丸木橋 足のすくみし お嬢さん 震える足で 渡り切るなり」

「何本も 砂防の滝を 通り過ぎ 突然現る 髭僧の滝」

「目の前に 峡谷の滝 流れ落つ 紅葉が一本 彩り添える」

「滝壺へ 渡らにゃならぬ 丸木橋 遠くから見る 乙女が二人」

「最後まで 霧深き山 歩き終え 後は宴が 待つばかりなり」

「宴前 何時もの通り 一風呂を 鶴巻温泉 弘法の湯」

「落語爺 風呂は無理だと 申し出て 残念そうに 家路へ向かう」

「風呂上がり 風呂屋の中の 蕎麦屋にて 先ずはビールで 宴始まる」

「友ありて 山を歩ける 幸せを 噛み締め噛み締め 宴は続く」

「酒飲まぬ 乙女も啜る 丹沢山 歩いた山の 地酒なりけり

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2018年12月11日 (火)

2018年12月10日

2018年12月10日

 

 今日も、雲の多い寒い朝でした。暫く富士を見ていないような気がします。冬は、空気が乾燥して、富士が見える日が多いはずなんですがねー。

 今朝早く、妻から電話がありました。今週は、木曜日に妻と会うことになっているのですが、今日も会えることになりました。

 トランプ大統領が、首席補佐官を解任するようです。これまでに、何人解任したでしょうか、自分の意見と違う意見があるからこそ、物事の本質に近づけると思うのですが、イエスマンだけにしたいようです。イエスマンだけを周囲に置く権力者は、所謂、独裁者です。人類は、独裁者が行う政治の結末の悲惨さを、歴史上何度も経験し、教訓を得たはずでした。米国民は、今すぐに対応しなくても、2年後の大統領選挙で、首をすげ替えるから、大丈夫だと思っているのでしょうか、気になります。

 私は、現在のネットと呼ばれる通信網が、社会に与える影響が良く分りません。トランプ大統領が、ネット上にツイッターなる物を使って、政策に関わる意見を述べているようですが、十分に審議されたものでしょうか、個人的意見でしょうか、私には、個人的意見としか思えません。何故なら、極めて短時間に、飛行機の中からでも投稿しているようだからです。仮に、このトランプ大統領のツイッター上の意見が、多くの人から総スカンを食い、ネットで炎上したら、どうなるのでしょうか。政策を変えるのでしょうか。そもそも、ネット上の意見が、どれくらいの数なのか、真摯なものかどうか、誰がどの様にして判定するのでしょうか、一人の人間が、別人となって、何度も意見を出す事が出来ると聞いています。先ずは、ネット社会のあり方について、きちんと道筋を付けるのが、先決問題だと思います。取り敢えず、1国の政治を左右できる権力を有したトランプ大統領は、政策に関わる個人的意見を、ネット上に公開すべきではないと思います。これは、個人の表現の自由の制限とは、性格が異なるものだと思っています。

 

 今日は、妻と会って、蟹を食べることにしたのですが、妻が、以前入ったことがある「わさび飯」屋が旨い居酒屋で、蟹を食べたことがあるというので、その店に電話してみました。居酒屋の旦那から、「蟹を食べたい時は、前日に予約して欲しい、今日あるのはセイコウ蟹だけだ」と言われました。何時も脳天気な私は、セイコウ蟹が、どんな蟹かも知らず、取り敢えず予約してしまいました。取り敢えず、妻には「わさび飯」の居酒屋を予約したことを連絡しました。

 妻と5時半に、神楽坂の毘沙門天で会い、タクシーで居酒屋に向かいました。最近、都内では、ドアが開かずスライドする、天井の高いタクシーが増えました。これは非常に良いことだと思いました。ドアを人や別の車に当てる心配がありませんし、道路を有効に使えます。また、初乗り料金が、410円なのも、今日のように短距離を移動する時には、助かります。

 居酒屋について、妻が蟹の形状を聞いたら、海岸で見られるような小さな蟹だそうです。結局、蟹は止めて、通常の魚介類を食べることにしました。本来、酒を飲まない妻のような人間は入りにくい、純粋の居酒屋なのですが、妻は、酒は飲まなくても、酒の肴も「わさび飯」も大好きなので、私としては、付き合って貰って有難いです。妻は、以前この近くに住んだことがあり、この店の人達は、昔からの知り合いでもあるのです。実は、此処を教えてくれたのは、妻でした。女性客は、たった一人の居酒屋で、結構楽しく過してくれました。私にとっては、酒も料理も申し分ありませんでした。

 結構なスピードで、肴や「わさび飯」を食べたので、7時半には、居酒屋を出ました。如何せん未だ早かったので、何時ものコーヒーが飲めるバーで、それぞれコーヒーとワインを飲んで、なんやかやと話をして、8時半に、今日のデイトを終わりにしました。

 

 11日から予定が続きますので、18日まで日記を休みます。

 

「酒飲まぬ 妻を誘いて 宵の口 赤提灯の 引き戸を開ける」

「酒の香に 酒飲み集う 居酒屋に 紅一点の 酒飲まぬ妻」

「まこも竹 老いると寂し 枯れ薄 若くば旨い 焼きまこも竹」

「生牡蠣を 口を窄めて 流し込む 喉越しも良き 牡蠣の旨さよ」

「店にある 全ての魚介の 盛り合わせ 何処に乗せるや 狭きカウンター」 

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2018年12月10日 (月)

2018年12月09日

2018年12月09日

 

 今朝起きたのは、8時半でした。夜中、トイレの回数が多く、眠れなかったぶん、朝寝坊してしまいました。起きた時は、雲が多かったのですが、次第に雲が少なくなり、午後は申し分のない天気になりました。

 この所、漸く冬らしい寒さになってきました。そろそろ、紅葉も終わりに近づいてきました。今年は、東京の紅葉の名所を、ほぼ隈無く訪れました。今日は、最後に神代植物園と深大寺に行って来ました。これから、冬の間は、渡り鳥を訪ね歩くことになります。

 私が、バス停に行く時に通る道筋に、今年、家が取り壊され、空き地になったところがあります。その一軒おいた隣も、半年ほど前から、人が住まなくなりました。老人ホームか何処かへ転居したようです。雑草が生い茂り、雨戸が閉じたままの庭に、紅葉が朱く色づいていました。一時代早くできた、この住宅地の周囲には、新しい住宅地、大きなマンション4棟、工場や倉庫群がひしめいています。現代の家族のあり方、東京一極集中、時代の移り変わり、社会のあり方等を、考えさせられる通りです。

 少し早めに家を出たので、バス停の周辺を散歩しました。四谷クリニックの脇の農地には、葉を落とした柿の木に、夥しい柿の実が、赤く輝いていました。今年は、どの家の柿も、鳥に食べられること無く、熟しすぎて、丸い実のまま地面に落ちていました。柿の木の隣には、栗の木があり、熟さないまま木に残った毬栗が、葉が落ちて露わになりました。バス停の近くの農地まで戻ると、仏の座と繁縷、唐綿、秋明菊が、咲き続けていました。穂が紫では無く、真っ黒い紫狗尾草も見ました。

 神代植物園には、午後2時頃着きました。10月の終り頃に来た時には、秋の薔薇展をやっており、広い植物園に人が溢れていたのですが、今日は日曜日だというのに、閑散としていました。見るべき花がないからでしょう。また、神代植物園の紅葉は、多くの種類の楓が、楓園に寄せ植えされているだけで、紅葉を楽しめるところが少ないのです。他の木々と一緒の紅葉を探して、歩き回りました。広場の近くの、大紅葉の近くで、ビンカミノール(姫蔓日々草)の花を1輪見つけました。ペカン(アメリカ原産の胡桃)の大木、カマツカ(鎌柄、別名ウシコロシ)など、植物園らしい木の黄葉を見る事が出来ました。

 植物園から深大寺へ出ました。境内では、ナンジャモンジャの木が、黄葉していましたが、本殿の境内は、既に枝垂れ桂は、葉が無くなっていましたし、紅葉のある池は、工事中でしたので、本殿から深沙堂へ続く道を歩きました。この道は、紅葉の道といわれ、紅葉のシーズンは、この道が、深大寺で一番人気のある場所です。今年も、充分に、紅葉を堪能しました。そこから、階段を上がり、深山亭という蕎麦屋を通って、丘の上(崖上(ハケウエ))の墓地に出ました。背後に植物園の森、前方には武蔵野を一望できる、素晴らしい場所でした。晴れていれば、富士も見えると思いますが、今日は見えませんでした。しかし、奥多摩の大岳と御前山は、見る事が出来ました。此処に眠る御霊達は、森を背に西方浄土を見ながら、安らかな時を過ごしていると思いました。この墓地を、散策したのは、初めてでした。

 我が家に戻った時は、5時半近くとなり、既に夕闇が濃くなっていました。冷蔵庫を片付けるために、ほうれん草のバター炒め、焼エリンギ等を作りました。6時半頃から、次男も牛肉の炒め物を作ってくれて一緒に、晩酌をしました。日曜日の定番のテレビを見た後、女子のフィギャースケートのグランプリファイナルを見ました。実は、この結果は既に分っていたのですが、どういう滑りをしたか見たかったのです。所が、前置きが非常に長くて、実際の演技が見られたのは、1時間後の10時からでした。最終演技者である紀平選手の演技を見たのは、11時頃になっていました。

 番組には、文句がありますが、紀平選手は、最初のミスにめげない、素晴らしい演技をして、今年の冬季オリンピックで金メダルを取った、ロシアのナギトワ選手を圧倒して優勝しました。最近、スポーツにおける日本女子の活躍には、目を見張ります。今日のフィギャースケートを始め、スピードスケート、カーリング、スキージャンプ、水泳、卓球、バドミントン、レスリング、柔道と、世界のトップで活躍しています。以前と何が変わったのでしょうか、体力でしょうか、精神力でしょうか、練習の仕方でしょうか、良いコーチとの出会いでしょうか、ともかく素晴らしいの一語に尽きます。

 

「主無く 荒れたる庭の 紅葉かな 主無くとも 秋な忘れそ」

「木の上も 木の下にも 熟し柿 秋の実りを 鳥も食わぬか」

「沢山の 車行き交う 道の脇 壁にもたれる 黒狗尾草」

「仏の座 季節の変わりを 忘れたや 年を越しても 咲き続けるや」

「冬空に 裸身を晒す 乙女像 見ているだけで 寒気が走る」

「夕日差し 炎と燃える 大紅葉 見上げる君は 姫蔓日々草」

「冬の入り 実りの秋は 既に去り 枯れて下がりし 瓢箪1本」

「淡き赤 それが私の 秋化粧 私も見てねと 鎌柄の声」

「深大寺 蕎麦屋を囲う 紅葉達 若き乙女の 呼び込みの声」

「崖上の 墓地から見渡す 武蔵野の 遙か彼方に 西方浄土」

 

 

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2018年12月 9日 (日)

2018年12月08日

2018年12月08日

 

 晴天を期待していたのですが、雲の多い朝でした。空気も冷たく、本格的な冬の到来を感じました。

 一昨日辺りから、二つのアロエの蕾の内1つが、蕾が解けてきて、今日は、花のように広がりました。丸い管のような花片が、花火のように広がり、モミジのように赤い花です。花片の一つ一つは、閉じた細い管の様になっていますので、これが、最終的な開花とは言えないのかも知れませんが、私は、開花だと思っています。アロエの先端から、花茎が出て来たのは、一月以上も前のことで、花は咲かないと心配していましたが、よくぞ咲いてくれました。

 パソコンのニュース画面に、労働者受け入れ拡大のための、入国管理法改正法案が、可決成立したと報じられていました。政府のやり方には、非常に腹立たしく、民主主義が壊れていく一面を見たような気がしました。しかし、労働者を受け入れる国民自体が、低賃金の半ば奴隷を受け入れて、一儲けしようと考えるのではなく、知り合いの子供を受け入れるように扱い、家業の安定と共に、将来の友好関係の芽を育てるつもりで、労働者を扱って欲しいと思います。そうすることによって、将来日本は、国際社会の中で、信頼に足る国家として、認められるでしょう。植民地時代、東南アジアや中南米で、現地の人を奴隷同様に扱った、西欧人の真似を、絶対にしないで欲しいと思います。

 今日は、我が家の近くのモミジの名所でもある、百草園とその周辺を歩いて来ました。

 午後2時過ぎに、我が家を出て、四谷橋を渡りました。何時の間にか、高圧線の上には、川鵜が一羽もいなくなりました。冬の塒へ移動したのでしょう。浅川と多摩川の合流点の荻の白穂が、岸辺を埋めていました。そして、いたる所に、黄葉した葛の葉が、次第に朽ちていく姿を見ました。夏の強者のイメージは亡くなっていました。今年栄えた葛の葉は、来年の再生へ向けての肥やしになっていくようでした。

 浅川との合流点から始まる、程久保川の八重桜の木は、すっかり葉を落としていました。幾つかの木に、最後の一葉が、風に揺れていました。木に一枚だけ残る葉を見ると、若い時代に読んだ、オー・ヘンリーの「最後の一葉」の小説を思い出し、「頑張れ」言いたくなります。小説の中では、嵐の中でも最後の一葉が落ちなかった事に勇気づけられ、生死の境から蘇った女性画家の事が書かれています。最後の一葉は、木の葉では無く、蔦の葉であり、嵐の晩、女性の画家を助けるため、嵐の中で友人の画家が描いたものでした。最後の一葉を描いた画家は、一晩中嵐に打たれた為、急性肺炎になって死んでしまうのです。小説の細かい事実がどうであれ、木に残った一枚の葉を見ると、何時も心を打たれるのです。

 百草園駅から、七生丘陵に登り、百草園に着きました。小さな公園で、箱庭を見るような感じで、ゆっくりと歩きました。既に百草園の紅葉祭りは終わっていましたが、充分に楽しめるだけのモミジが残っていました。モミジとドウダンツツジの赤較べや、今年の若竹とモミジとの色の対比とか、充分に楽しませて貰いました。梅に木の下を埋める水仙の他に、キスゲとか、紫陽花、ツツジ、ミツマタといった珍しい花も見ました。

 百草園から、百草台公園に行くと、丁度、日没の時刻でした。西側には、黒い大きな雲が広がっていて、日没は見られないだろうと思っていたのですが、地平の所だけ、大きな雲が切れて、小さな雲が切れ切れに浮かんでいました。太陽が、雲から出たり、雲に隠れたりしながら、地平に沈んでいきました。10分ほど、日の入りを魅入ってしまいました。

 百草台公園から、三沢台公園を通り、百草園駅に戻ると、日がとっぷりとくれてきました。多摩川の右岸に出ると、対岸に我が家の灯りが、夕闇の中に輝いていました。何時の間にか、15年以上、この場所に住んでいます。大きなビルのアパートの一室ですが、我が家だと思えるようになりました。故郷の長崎に次いで、長く住む場所になりました。

 

「一月も 気を持たせつつ 花開く 我が家のベランダ アロへの花かな」

「誰がために 必至で残る 病葉の 願いよ届け 求める人に」

「病葉の はらりと一葉 舞い落ちる 役目を終えた 最後の一葉」

「桜木の 新芽の中に 下がりたる 明日を目にする 最後の一葉」

「微かなる 光の中で せめぎ合う 遅れし紅葉 葉の色区々」

「夏の日は 河原を埋めた 葛の葉も 一時黄葉 後は朽ち行く」

「実を下げた 藤の病葉 朽ちて行く 終りは始まり 希望が見える」

「病葉の 降り積もりし 木の下に 手を携えた 若葉が2枚」

「菊芋や 雲に向かって 背を伸ばし 花も咲かせる 師走の寒空」

「人住まぬ 空き家の壁に 赤き蔦 食べてのいない 柿も熟せり」

「君の名を 未だに知らぬ 我なれど 赤く染まりし 君は忘れじ」

「多摩の丘 小楢に櫟 赤枯れて これが自然の 多摩の紅葉」

「晩秋の 七生が丘の 森の道 大葉楓の 落ち葉目を引く」

「水仙と 紅萌ゆる 紅葉葉が 似合いと思えぬ 師走の百草園」

「青竹の 簾の向こうの 紅葉かな 大和の絵心 そそる者達」

「藁屋根の 旧家の裏の 池に落つ 紅葉葉語る 古の時」

「紅葉葉と 灯台躑躅の 色較べ 軍配上げれば 物言い必至」

「病葉の 朽ち行く中に 白き花 師走の多摩に 紫陽花の花」

「三つ叉の 今頃咲くとは 思えぬが 花の少なき 師走に嬉し」

「雲裂けて 朝日が丘に 夕日さす 空も負けじと 赤く紅葉」

「黒雲と 黒き大地の 狭間にて 最後の輝き 日の沈み行く」

「日は沈み 夕闇迫る 多摩川の 向こうに点る 我が家の灯かな」

 

 

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2018年12月 8日 (土)

2018年12月07日

2018年12月07日

 

 夜中、2回目のトイレの時、カーテンが、未だ白っぽくなっていなかったので、夜が明けていないんだと思ったら、時計は6時半になっていました。霧の深い朝でした。日が昇ったのでしょう、全体が白んできましたが、霧は更に濃くなって、向かいの七生丘陵が見えませんでした。

 明日にも、入国管理法の国会決議が行われるようです。現在、日本が労働者不足であることは、何となく分ります。従って、これまで、特定技能の持ち主だけに許された、労働者の受け入れを単純労働者にも拡大するという考えについても、理解できない訳ではありません。しかし、野党が指摘するように、この単純労働者の受け入れ拡大のために、自民党内で、どれだけ真剣に議論されたかが見えないのです。女性の労働者は増えていないのか、どの分野にどの程度の労働者が不足しているのか、IT化など労働者不足を補う手段は無いのか、外国人労働者を増やした場合日本人の就労分野を限定してしまわないか、プアーホワイトと同じようなプワー日本人が増加しないか、日本の経済は外国人労働者を拡大することで安定的に発展するのか等々、検討結果を先ず説明し、自民党の決断の理由も説明すべきだと思いますが、それが為されたとは思えません。

 一番怖いと思ったのは、情報の隠蔽でした。太平洋戦争に置いて、日本軍が負けたことは発表せず、負けに等しい勝利を勝利として誇大に発表した、大本営発表と同じような事を、この現代社会で、実施していることでした。技能実習と言いながら、最低賃金以下で過酷な労働を強いられ、それが原因で、逃走したり、死亡したりした人の数が、政府発表とは全く違っていました。奴隷状態だった外国人労働者が存在したのです。そのようなことを、実際に行っていた日本人がいたのです。このように事実を隠蔽し、特定の企業の要請に応えようとする政府の姿勢は、戦時中に戻っているような気がして、寒気を覚えました。

自民党というのは、旧軍部のような人達の集まりなのでしょうか、自民党内に意見の相違も見られません。頬をぶたれても、有り難うございますとのみ言う人達なのでしょうか。安倍総理は、最後は数で押し切れるのだから、野党には吠えさせておけば良い、吠えるだけの野党には、国民はついて行かないと、高を括っています。その傲慢な顔を見る度に、国民の将来が案じられます。本来、政治権力が主権者である、国民のために仕事をしているのか監視すべき、マスコミも野党も、レベルと熱意が低下したような気がします。日本社会も、右傾化しているようです。

 

今日は、本来なら大学時代の、学生会の関係者との忘年会が、駒込の後輩の店で行われるはずでした。ところが、感じが体調を崩し、参加者の中にも病気だったり、老老介護で参加できない人が多く、中止となりました。皆それぞれに、年を取りました。仲間と会えないのは残念ですが、例年、この機会を利用して、六義園と旧古河庭園の紅葉を楽しんでいたので、この楽しみだけは実行することにしました。

六義園には、キンクロハジロと真鴨が、渡って来ていました。我が家の前の多摩川には、まだ、渡り鳥の姿が見えないので、今年は渡り鳥が遅いと思っていましたが、来るところには来ているようでした。六義園は、今が紅葉の真っ盛りで、人間も沢山来ていました。今年驚いたのは、私の背丈を超える、紫式部の山盛りの実でした。どうして、これまで気がつかなかったのでしょうか、紅葉や公孫樹等に気を取られて、無視していたのでしょうねー。私は、ムラサキシキブとコムラサキの区別が出来なかったのですが、今日調べて分りました。コムラサキは、葉の先端部分にだけ鋸歯があるが、ムラサキシキブは、葉全体に鋸歯があるそうです。

六義園には、何本かのハゼノキ(恐らく)があり、この木の紅葉は、モミジとは違った味わいがあります。昔、長崎の低地で朱く紅葉する木は、ハゼノキくらいだったので、懐かしさもあります。しかし、子供の頃は、漆かぶれと同じく、櫨(ハゼ)かぶれがあり、私は木の下を通っただけでかぶれました。そんな訳で嫌な木でしたが、何時の頃からか、触ってもかぶれなくなりました。

六義園で凄いと思うのは、私の背丈を遥かに超えた、灯台躑躅(ドウダンツツジ)の並木です。何度見ても感動します。家の近くで見る灯台躑躅は、小さい物ばかりなのです。どうも成長が遅いようです。今日は、梔子(クチナシ)の赤い実も見ました。子供の頃の我が家にもあり、随分世話になりました。虫刺されや櫨かぶれにも、梔子の実の汁を塗ったものでした。

六義園から、歩いて旧古河庭園に行きました。途中の道で、鉢植えのアベリアの花を見ました。葉が紅葉していました。垣根などで多く見るアベリアが、紅葉するとは思いませんでした。旧古河庭園も何度も見ているので、特に変わったものはありませんでしたが、木々に覆われた茶室の庭園に、スポットライトのように夕日が差し込み、紅葉をその部分だけ、明るい紅にしました。木漏れ日が作る風景は、何時も感動をくれます。

旧古河庭園から、駒込橋に戻り、山手線の谷間に落ちる夕日を眺めました。都会に沈む夕日も、なかなか良いものです。その後、駒込の後輩の店に行ってみましたが、まだ、鍵がかかっていました。一緒に酒でも飲もうと思ったのですが、残念でした。友達との飲み会を諦めて、新宿へ戻る途中、新大久保に寄り、キムチやチャンジャ、トッポギ、ブルコギ、ダッカルビを買いました。また、駅の左側にある、アラブ系食材店で、カレーやアラブ料理のレトルトパックを買うと共に、ケバブを買いました。

家に着いたのは、6時半頃で、買ってきたもので晩酌を始めたところ、出かけていた次男が帰ってきました。次男は、韓国食品は、あまり好きでは無いのですが、ケバブは大好きです。何時もは、晩酌に付き合うのですが、昨晩酒を飲み、今朝、朝帰りだったので、今晩の酒には付き合わず、コーラで付き合いました。

一緒に、なんだかんだと注文を付けながら、フィギャースケートのグランプリファイナルを見ました。

 

「六義園 紅葉の向こうに ビルの列 都会に残る 渡りの池かな」

「葉の形 赤子の手とは 言えなくも 赤さは負けぬ 櫨の紅葉」

「唐楓 脱ぎ捨てたる 葉の上に 裸身を晒す 師走の日溜まり」

「赤と黄が 主役務める 庭園に 我も主役と 紫式部」

「梔子の 白き矢車 赤き実に ビルの街にも 晩秋の風」

「紅の モミジ背にした 黄モミジ 私が綺麗と ちゃっかり娘」

「笹道の 脇に並んだ 紅騎兵 見上げる背丈 灯台躑躅」

「紅葉す 朱き葉の中 白き花 君にも秋が アベリアの花」

「君だけに 依怙贔屓する 夕日かな 黒ずむ森に 君だけ輝く」

「夕日受け 赤き灯の点く 雪洞に 木陰の石にも 淡き灯届く」

「夕暮れの 都会の谷は 夕霞 夕日に染まる 人いきれかな」

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2018年12月 7日 (金)

2018年12月06日

2018年12月06日

 

 雨の朝でした。気温は昨日よりも10度近く下がり、本来の冬に戻った寒い朝でした。ベランダの窓の内側から見える、3本の桜は、殆ど葉を落としてしまいました。葉を落とした枝に、水滴が列を成していました。

 今日は、1日中雨らしいので、ずっと家で過ごしました。机に座っていると、ペン皿の中に、この前鶴見川の源流地帯を歩いた時に、摘んできた数珠玉がありました。数珠玉には、色々想い出がありますが、祖母の遺品の中に、数珠玉で作られたロザリオがあったのを思い出し、遺品箱を久し振りに開けてみました。子供時代の、祖母との生活の想い出が、走馬燈のように廻りました。祖母が死んだ時、祖母が大事にしていた、ロザリオ4本と、ハタとメダイを1個ずつ遺品として貰いました。殆どじっくり見ることは無かったのですが、今日、じっくり見て、これまで、知らなかったことを発見しました。

 婆ちゃん(子供の頃、祖母のことをそう呼んでいました)は、ロザリオのことを「コンタツ」と言っていました。子供の頃は、「長崎の鐘」の歌に出て来るロザリオという言葉の方に違和感を覚えていました。祈りを1つする度に、コンタツの玉を、1つ進めることを、「コンタツをくる」と言っていました。祈りは、「天にまします」と「めでたしせいちょう」でした。これは、主祷文と天使祝詞という祈りの出だしなのですが、子供の頃は、出だしの部分が祈りの名前だと思っていました。恐らく、婆ちゃんは、祈りの名前は知らなかったと思います。私も中学生の時、教会で、カトリックの公教要理を習って知りました。しかし、誰が付けたのか知りませんが、私には、全く有り難みが感じられない名前でした。

コンタツは、始まりが3個、次は、10個の玉が5回連続し、それぞれの間を少し大きめの玉で、分けているのは、誰もが知っていると思います。小さな玉では、「めでたしせいちょう」を祈り、大きな玉では、「天にまします」を祈りました。「めでたしせいちょう」の方が、短い祈りなので、数の多い玉の方が、「めでたしせいちょう」になったのだと思います。婆ちゃんは、朝必ず、コンタツを全部くって祈りをしていました。小学校低学年までは、付き合いましたが、高学年になったら逃げ出しました。

婆ちゃんの遺品の4本のコンタツの内、数珠玉のコンタツを含めて、3本は前述のコンタツでしたが、1本は、始まりは同じなのですが、次は、7個の玉が、7回連続していました。長いこと生きてきて、こんなコンタツを初めて見ました。このコンタツでは、「めでたしせいちょう」が1回減り、「てんにまします」が2回増えます。結果として、祈りの回数が1回増えます。一体どういった時に使ったのか、全く分りません。キリスト教が主たる宗教である外国で、お土産にコンタツを買ったことがありますが、7連のコンタツなど見たことが有りませんでした。今度、大学のクラブの顧問をしてくれている神父さんに、聞いてみようと思います。

婆ちゃんの遺品の中に、婆ちゃんが言っていた「ハタ」があります。コンタツというキリシタン用語は、世間でも知られており、ネットでも調べることが出来ました。しかし、ハタは、凧の長崎弁であるハタと混同されているようです。

遺品の中のハタは、布製の四角いメダイなのです。首にかけることが出来るようになっています。婆ちゃんの首にかかっていたのを思い出しました。布で軽いせいか、時々背中の方に廻っていました。布が四角かったので、四角い凧の長崎ふうの呼び方、ハタと言うようになったのかも知れません。しかし、婆ちゃんが言っていたハタは、後述の、明治時代キリシタンと言うことで迫害を受けた、片岡サダの体験記の中の1文で、布製のメダイだったと確信しました。私の記憶は、正しかったようです。

 

また和歌山にやられて馬小屋に入れられました。そこに入れられるとき、身を調べられて、コンタスもマリアのハタも取り上げられてしまいました」

 

 この文で使われているコンタスは、コンタツの原型で、ポルトガル語で、数えるという意味の言葉だそうです。此処で使われたハタは、身を調べられて取り上げられたのですから、どう考えても、持ち歩きできる、小さい物で、凧のように大きなものではないはずです。

これまで、メダイと言う言葉を、普通に使ってしまいましたが、これもキリシタン用語の1つだと思います。キリストやマリヤが彫られた硬貨のようなものです。首に架けたり、コンタツに付けたりしていました。コンタツに付いたメダイは、軽い金属で出来たものが多いのですが、どれも歴史を感じます。勿論、隠れキリシタン時代のものではなく、比較的新しいものだとは思いますが、明治12年生まれの婆ちゃんと一緒に生きたものだと思います。

 本棚から、公教要理が出て来ました。中学時代の私の署名がありました。なんという下手な字を書いていたのでしょうか、我ながら恥ずかしいです。昭和32年ドン・ボスコ社出版で、価格は25円でした。これが、234頁の文庫本サイズの本の値段でした。昭和32年と言えば、私が12歳、娘の所の上の孫と変わらない年頃です。でも、考えて見れば、10年が、たったの6回廻っただけなのです。でも、これが寿命なのですねー。婆ちゃんと暮らしていた時は、子供だった私が、婆ちゃんが死んだ年に近づいてきました。

 婆ちゃんの影響もあり、中学時代までは、カトリックの真面目な信者として暮らしていました。神父が行うミサの手伝いもしていました。しかし、現在、我が家には、前妻の仏壇もありますし、クリスマス飾りもあり、キッチンには大国魂神社の札もあります。まさしく、日本風の無宗教の典型のような家です。何度も書いていますが、私は、大人になって、宗教が嫌いになりました。特に、政治や権力に結びついた宗教には、恐怖を感じます。宗教には、排他主義と強制、教えに従わない者への迫害が付きものです。それでも、生活に困窮したり、種々の困難に遭遇したりしている人は、神に掬いを求めたくなるでしょう、このことを否定するつもりはありません。従って、宗教は、救いを求める人を、求めに応じて受け入れる、受け身のものであって欲しいと思っています。政治や権力に近づかないことは勿論、積極的な布教活動も止めて貰いたいと思っています。

 今日は、潰さなければいけない時間が長くて、婆ちゃんの遺品を見て、日記に思い出話を書いた後、録画してあった「春の雪」という映画を見ました。特殊な恋愛映画で、今の私には、遠い話のように思えました。ただ、よく見かける俳優の年が若くて、そのことに驚きました。岸田今日子が、お婆さん役で出ていました。

 映画が終わったのが、5時半、漸く晩酌の時間がやって来ました。摘まみの準備をして、何時ものように、6時半頃から晩酌にしました。晩酌を初めて暫くしたら、知り合いの女性から電話がありました。私よりずっと、聡明で社会的にも活躍しているのに、凄く誉め上手で、つい乗せられて良い気分になってしまいました。彼女の電話のお陰で、少し救われましたが、散歩をせず、自然と対話しないと、こんなにも1日が長く感じられるのかと、改めて痛感した1日でした。

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2018年12月 6日 (木)

2018年12月05日

2018年12月05日

 

 雲多い、暗い朝でした。9時頃には、小雨もぱらつきました。昨日、東京は22度くらいあり、私も、散歩中大汗を掻きました。今日も、幾分昨日より、温度は幾らか下がったものの、20度近くまで上がり、12月とは、とても思えない陽気でした。

 現在、気候温暖化に関するCOP24の会議が、ポーランドで開催されています。何年か前に、気候温暖化抑制に関する国際協定であるパリ協定が成立しました。しかし、地球温暖化を進める炭酸ガスの排出量が、世界第2位である米国が、炭酸ガスと地球温暖化の関係は、科学的で無いとして、トランプ大統領は、パリ協定からの脱退を表明しました。少数の科学者の中に、このような意見を言う人がいるのです。この科学者は、地球の温暖化そのものを認めないのでしょうか、地球上のありとあらゆる所から、氷河が減少している事実、世界中に異常気象が発生している事実については、どういう解釈をするのでしょうか、聞いてみたいものです。仮に、温暖化の原因が、マグマの再活性化だと結論づけることが、出来るのであれば、その科学的根拠を示して貰いたいと思います。また、温暖化の可能性としては、太陽の活動の活発化も考えられると思いますが、この点についての観測結果は、どうなのでしょうか、既に結論が出ているのでしょうか、教えて欲しいと思います。一番大事なことは、この種の問題は、政治家が単独で、政治的に結論を出すのではなく、COP24のように、科学者を交えた国際的な議論を通じて、結論を出して欲しいと言うことです。

 

 今日は、午後6時半から、我が家の直ぐ近くの、四谷桜公園のワークショップに参加したかったので、散歩は止めて、3ヶ月に一度の眼科に行きました。今日は、視力検査、視野検査、眼圧検査をしました。検査結果は、何れも前回と殆ど変わっていませんでした。緑内障の進行は、極めて緩やかなようです。但し、左目の白内障が、進行しているので、手術について、そろそろ結論を出しても良いのではないかと言われました。緑内障で、既に視野欠損もある私が、白内障の手術をして、どれほどの効果があるのか聞いたところ、少なくとも現在見えている部分は、更に明瞭になると言われました。なるほど尤もです。

 眼科の後、聖蹟桜が丘と我が家の近くで、買い物の梯子をして、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、五時半近くになっていました。一休みして、桜公園のワークショップに参加しました。

 現在の桜公園と我が家のアパートの間には、NECの体育館と独身寮がありましたが、6,7年前だったかに、NECは、これらの設備を撤去し、府中市がこの跡地を買い取りました。府中市は、この跡地を利用して、桜が丘公園を拡張することにしました。これまで、近隣の住民との間に、8回のワークショップを行い、今週から、児童公園造成のための第1期工事が、始まっています。今日のワークショップは、第1期工事の説明と、第2期工事の基本プランに関する意見交換が主たる議題でした。

 ワークショップは、形式的な挨拶から始まったのですが、市の担当者による工事の説明が終わった段階から、話が全く進まなくなりました。80歳は楽に越えているような3人の爺様達から、説明の仕方に対する不満や、様々な質問、自分が持っている意見等が、止めども無く出て来たのです。話に脈絡が無く、様々なことをごちゃ混ぜにして話すものだから、市や工事会社の説明も、的を得ないものになり、それがまた、爺様達を焚き付けました。約1時間我慢しましたが、耐えられなくなって、早退してしましました。爺様達には、ワークショップくらいしか、公的に意見を述べる場が無く、張り切っていたのだと思います。若い人から見れば、私も同じなのだろうと思うと、私もまた、色んな社会的な役目からの、引き時なのだと思いました。

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2018年12月 5日 (水)

2018年12月04日

2018年12月04日

 

 朝方は、雲が空を覆っていたのですが、見る見るうちに雲が切れて、午前9時頃には、快晴の空になりました。天気予報では、一日中曇りのようなことを言っていたので、今日は、家でゆっくりするかと思っていたのですが、こんなに良い天気になったのでは、家にじっとしているわけには、いかなくなりました。

 イギリスでは、EUからの離脱の条件について、国内で意見が分かれているようですが、EUと、どの様な離脱交渉をしていたのか、どの様な交渉結果になったのか、反対派は、交渉結果の何に反発しているのか、詳細の情報が分りません。日本のマスコミは、昔から、外国の情勢については、報道が少ないし、報道されたとしても内容が貧弱です。主要な国には、特派員が派遣されていると思いますが、時々出て来る特派員の現状報告だけでは、物足りない気がします。今後、全ての国が、国際社会との係わりが強くなっていくでしょう。特に日本は、国際社会抜きに、将来を考えることは出来ないでしょう。マスコミが、もう少し国際情勢を身近な物として、報道して欲しいと思います。

 

 今日は、クリスマスの飾り付けをしました。クリスマスに来る、孫達に自慢するためです。飾り付けといっても、聖家族の人形や蝋燭、松ぼっくりを並べ、玄関に藁細工のクリスマス飾りを付けるだけです。30分くらいで済みました。1年に1度、松ぼっくりを出すのは、私の楽しみでもあります。全部色んな国で、拾ってきたものだから、思い出があります。特に、パラグアイで拾ってきた、パラナ松の実は、私の両手より大きい位なのです。アルゼンチンやブラジルとの国境を流れる、パラナ側の流れを、今年も思い出しました。

 午後1時半頃家を出たら、西から南にかけて、真っ白で面白い形をした雲が、青空の中に浮かんでいました。何枚も写真を撮りました。国立経由で、荻窪の大田黒公園に、2時半くらいに着きました。大田黒公園は、紅葉の名所です。しかし、小石川後楽園に較べたら、10分の1程度の小さな公園です。去年は、ライトアップされた紅葉は見たのですが、昼間の紅葉は、見たことがなかったのです。先ず、門から庭園に続く、公孫樹並木の黄葉が、想像以上に迫力があったので、これだけでも来た甲斐がありました。多くの紅葉の名所を見たので、紅葉には、それ程感動しませんでしたが、庭園の木々や紅葉と、青空の中の白い鯖雲の相性が抜群でした。家を出た時の小さな鱗雲が、鯖雲となって、空一面に広がっていました。此処でも、雲の写真を何枚も撮りました。また、池では、朱い紅葉の下を、紅葉の衣装を纏ったような、鯉が泳いでいました。

 大田黒公園を、3時には出て、小金井公園のある武蔵小金井駅に、3時半に着きました。バスを10分程度待ちましたので、小金井公園には、4時10分前に着きました。日没は未だでしたが、大きな木々に囲まれた公園は、夕闇が迫っている感じでした。紅葉も輝きを失い、夕闇に沈んでいました。しかし、日没を間近にした西の空は、明るく輝き、木々達の姿を影絵のように浮かび上がらせていました。広場から、南の空を見ると、鯖雲は無くなっていましたが、流線型の鱶のような雲が、大海を泳いでいるようでした。今日は、色々形を変えて、空を飾った雲に痺れました。

 

「世界から 拾い集めた 松の実が ベレンを飾る 我が家のクリスマス」

「青空に 誰が描くか 白絵筆 天衣無縫の 天女の羽衣」

「整然と 並んだ騎士と 黄絨毯 我を迎える 大田黒公園」

「晩秋の 紅葉を纏う 池の鯉 赤き落ち葉を 揺らして泳ぐ」

「夕日差し 森は火祭り 炎立つ 木々達手を取り 祭り楽しむ」

「見上げれば 木々の向こうに 鯖雲の 縞を作りて 空に広がる」

「木の幹を 火の手が登る 秋の森 夕日に朱き 蔦の紅葉」

「青空の 大海泳ぐ 巨大鱶 海でも空でも 偉大なる君」

「葉を落とし 裸晒した 大木の 夕日に立ちて 生き様告げる」

「夕闇の 森の向こうに 放射する 雲が明日の 希望を告げる」

「宵闇に 公孫樹並木の 様変わり 光瞬く クリスマスツリー」

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2018年12月 4日 (火)

2018年12月03日

2018年12月03日

 

 暗く寒い朝でした。ところが、ちょっと晴れ間が見えたので、洗濯したら、今度は小雨が降ってきました。

 フランスで、かなり激しいデモが行われたようです。直接の原因は、ガソリン税の値上げに端を発したようですが、真の原因は経済格差のようです。米国でも日本でも、経済格差は拡大を続けています。恐らく、世界中で、同じような傾向が起きているものと思われます。これは、自由・資本主義経済の自然の成り行きのように思えます。多くの国が、全く自由な経済ではなく、法律などの制定によって、労働者や貧民の救済を行う、修正資本主義を取り入れているようですが、そもそも、企業が安定的に利益を上げる事が、限界に達しているような気がしてなりません。つまり、需要の拡大が望めなくなっているような気がするのです。そうすると、利益を出す企業は少なくなり、どんどん会社が統合され、競争は無くなり、就労人口は減り、社会の活力が失われ、結局、社会システムそのものが破綻して仕舞う方向に、動いているような気がします。この傾向を改善するアイデアが、世界中、何処にも見当たりません。と言うことは、大恐慌が起きて、一からやり直しになるのでしょうか、怖い話です。

 

 今日は、午後5時半から、神楽坂で大学のクラブの同期の、忘年会を兼ねた食事会でした。少し早めに出て、小石川後楽園に行きました。

 午後2時に家を出て、3時40分頃に小石川後楽園に着きました。入口で、いきなりモミジの紅葉に迎えられました。紅葉の時期に、小石川後楽園に来たのは、初めてでした。園内に入ると、池の周囲のモミジが、見事に紅葉していました。紅葉狩りは、お寺や名のある庭園が、期待を裏切らない気がします。庭園は、人間が作ったものですが、多くの趣向が凝らされており、一種の芸術だと思いました。

 しかし、小石川後楽園は、上を見上げないと静かな庭園なのですが、上を見上げると、周囲に高層ビルが建ち並び、ある方向には、野球の東京ドームや後楽園遊技場のジェットコースターまで見えます。このように、本来隔絶した時代が、並び立つ風景は、時の流れとか、人の人生とか、社会の変遷とか、様々なことを考えさせられます。都会のど真ん中の庭園の、面白さでもあります。充分に紅葉の庭園を楽しみました。

 4時40分頃に小石川後楽園を出て、5時には、同期会の会場に入りました。一応、私が幹事役になっていますので、早く来た人にも対応する必要があると思ったのです。予想通り、5時15分に一人、5時20分に、また一人やって来ました。5時半丁度に、女子が一人、少し遅れて最後の女子が現れて、同期会が始まりました。女子の一人が、テレビの近くは嫌だというので、離れた個室を用意して貰いました。皆、歳を取って、大声で話すので、個室は良いアイデアでした。周囲に気兼ねなく、自由に大声で話すことが出来ました。今日集まった同期は、男も女も全員酒を飲むので、盛り上がりが早かったです。モリモリ食べて、グイグイ飲んで、ペチャクチャ喋って、あっという間に9時になってしまいました。何を話したか、良く憶えていませんが、食べ物は美味しく、酒も美味しく飲めたので、全員満足しました。皆気分が乗ったので、来月、目黒の先輩の店で、新年会をやることになりました。

 今日は、女子の一人が、新宿まで一緒だったので、何の問題も無く我が家に帰ることが出来ました。

 

「大小の 池の周りに 立ち並ぶ 赤く燃え立つ 紅葉に見とれる」

「ビル並ぶ 大東京の 只中に 大きな箱庭 小石川後楽園」

「鴨達が 静かに泳ぐ 庭園に ジェットコースターの 嬌声聞こゆ」

「目は霞み 耳も遠くに なりたれど 気分は青春 同期の集まり」

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2018年12月 3日 (月)

2018年12月02日

2018年12月02日

 

 今朝は、雲の多い重苦しい天気でした。気温も低くて、冬の到来を感じさせました。

 今日は、5時に起きて、昨日の日記を7時半までに書き上げました。今日は、末の孫の七五三の為、9時までに娘の家の近くの写真館に行く必要があったのです。大急ぎで仕度をして、一之宮交差点まで歩きました。四谷橋を越えて、京王線の踏切まで、道路端に植えられた黄花秋桜が、まだ咲き続けていました。本当に、黄花秋桜の花の時期は長いです。

 一之宮交差点から、8時18分のバスで写真館へ向かいましたが、日曜日の午前中の為、道路が空いていたので、20分も早く、付いてしましました。周囲の秋の風景の写真を撮ったり、店を開けていた花屋さんで、花の名前を教わったりして、娘家族が来るのを待ちました。店番の小母さんに、芝桜のような白い花の名前を教えて貰いました。アリッサムというのだそうです。冬場にも咲く、強い花だそうです。また、ポインセチアの変形種として、ピンク色のプリンセチアが出来たことを初めて知りました。ポインセチアは、メキシコ原産だったと思います。メキシコには、私の背丈よりも大きいポインセチアが、普通にありました。

 9時過ぎに、娘家族がやって来ました。それから、娘と孫達の着替え、写真撮影、再度着替え、アルバムにする写真の選択と、3時間以上架かってしまいました。娘は、この前染み抜きをした、母親の着物と帯を、着せて貰いました。今日の主役の、末の孫は、和装と洋装で沢山写真を撮って貰いました。写真家が良いのか、被写体が良いのか、両方良かったと思いますが、全部素敵な写真でした。ジージと主役の末の孫との写真は、写真館のプレゼントでした。これで、孫3人とのツーショット写真が出来ました。上の孫の5歳の時と較べると、一段と老けてしまいました。あと10年生きると、上の孫が成人を迎え、孫娘は大学生、今日七五三の末の孫は、高校生になります。自信はありませんが、その時まで元気で生きることが出来たら、思い残すことはないと思います。

 12時過ぎて、写真館でやることは、全て終わりましたので、主役の要望もあり、「スシロウ」で寿司を食べることになりました。娘が、スマホで予約しました。僅か15分程度で、スシロウにつきました。待合室は、昼飯時でもあり、客でごった返していました。末の孫は、自動車で眠り、孫娘は、私の膝の上で眠りに落ちました。全幅の信頼を寄せて眠る、孫娘の重さが、私にとっては、何にも代え難い喜びでした。我々の順番が回ってきて、席に移る時も、抱いたまま連れて行きました。皆、お腹が空いていたのか、猛烈な勢いで、寿司を食べました。全部で60皿以上食べ、私は生ビール、孫達はデザートも食べたのですが、7千円弱で済みました。育ち盛りの子供を持っている家庭には、ありがたい店だと思いました。

 食後は、高幡不動で、護摩焚きとお祓いをして貰いました。これで、七五三の行事は、全て終わりました。幸いなことに、高幡不動の紅葉は、今日が最盛期でした。曇り空でしたが、それでも、森中が赤く染まっていました。色合いの違う紅葉が、上手に植え込まれていて、上手く表現できないような、綺麗さでした。五重塔や観音様と紅葉が、秋にしか見られない良い構図となっていました。孫達も、大はしゃぎで駆け回っていました。この秋は、色んな所で紅葉見学をしましたが、今日が一番良かったと思います。最後に、鳴り龍を見学して、護摩焚きをして貰ったお札を貰いました。その時、上の孫が、杖を突いた婆さんのために、さっとドアを開けてやりました。優しい子です。優しい子は、最後には強くなります、これからが楽しみです。

 全てが終わって、我が家まで送って貰いました。家に着いたのは、4時過ぎになっていました。目一杯孫達と過ごしました。

 

「主役得て 喜色満面 末の孫 子役のように ポーズ取るなり」

「全ポーズ 得意満面 末の孫 笑顔も気取りも どれも良きかな」

「孫娘 我が懐で 昼寝する 腕に伝わる 眠りの深さ」

「老婆見て さっとドアーを 開けてやる 心優しき 上の孫かな」

「御不動の 炎のような 森の中 悪き心を 焼き尽くすなり」

「孫達が 紅葉の中を 駆け回る 朱き炎に 心も跳ねる」

「鳴り龍を 一番鳴かせた 孫娘 素直な心に 龍も応える」

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2018年12月 2日 (日)

2018年12月01日

2018年12月01日

 

 今朝も良く晴れて、富士も見えましたが、霞の中にうっすらと見えました。とうとう師走になってしまいました。また、残り少ない人生の、1年を食い潰そうとしています。

 20カ国首脳会議で、トランプ大統領の顔を見ましたが、正気を失っている顔付きをしていました。中間選挙を機に、精神の安定を失ったような気がします。何でも思い通りに行くと思っていたのが、思い通りに行かないことがずっと続いて、自分を見失っているのではないかと思います。若しかすると、任期途中で大統領の任務を離れざるを得ない事態が、起きような気がしてなりません。また、70を過ぎた年齢が、思考の柔軟さを損なうと共に、理知的思考が出来なくなっているのかも知れません。マスコミの批判に苛立ち、自らテレビ局を作るという、現在の常識では考えられないようなことを、平気で言うようになりました。米国も世界も、自分の思い通りにならないと、気が済まないようです。リーダーというのは、違った考え方の人と、相手を尊重しつつ、どう折り合いを付けるかが、重要な役目なのだと思います。世界のリーダー国である米国の大統領が、自己中心主義では困ります。

 

 今日は、武蔵五日市の、カトリック墓地に、弟の墓の掃除に行って来ました。私以外の兄妹が、長崎にいるので、墓掃除は私以外に、する人がいません。今年初めての墓掃除をしてきました。また、どうしても、公孫樹で有名な広徳寺にも公孫樹の時期に行きたいと思っていましたので、広徳寺にも行って来ました。。

 12時過ぎに家を出て、何時もの通りバス停への道を歩いて、国立経由、武蔵五日市に1時50分に着きました。始めに広徳寺に行くことにしました。観光案内所で、広徳寺への行き方を聞くと、「1番乗り場で、上養沢行きのバスに乗り、上町で降りて、この地図の通り歩いて下さい、2時丁度にバスが来ます」と言われました。急いで1番乗り場に行ったら、直ぐにバスがやって来て、2時20分頃、広徳寺に着きました。

広徳寺には、以前、山の仲間と近くの山に登った後に来たことがありました。冬だったので、自慢の公孫樹は、全て葉を落としていました。今日は、公孫樹の黄葉が見られるかも知れないと、密かに期待を持っていたのですが、残念ながら、梢の方の一部を除いて、葉を落としていました。モミジの方は紅葉の真っ盛りでした。しかし、広徳寺が、西側の山裾にあるため、日が当たっているモミジは、半分ほどでした。広徳寺には、午前中来なければ行けないようです。それでも、藁屋根の広徳寺、苔生した山門と、炎のようなモミジが程良く調和して、素晴らしい秋の風景を作り出していました。写真を撮っている時、境内を歩いている住職を見かけましたので、急いで声をかけて、御朱印を頼みました。いとも簡単に引き受けてくれ、立派な御朱印を頂きました。

 広徳寺を後にして、秋川の方まで下りると、或る家の庭に、姫彼岸花が沢山咲いていました。もう師走だというのに、随分遅くまで咲く彼岸花だと感心しました。秋川に架かった佳月橋を渡っている時、寺の鐘が聞こえました。川の向こうに、寺の屋根が見えたので行ってみると、王林寺でした。新しく改築された寺で、小さいながら庭が綺麗でした。庭の各所に置かれた仏像も、他の寺とは少し変わっていました。「見ざる言わざる聞かざる」の3小僧もありました。此処でも御朱印を頼むと、快く引き受けてくれました。年寄りの感じの良い住職でした。

 来た時のバス道、檜原街道に出ると、丁度バスが来る時間でした。1分ほどで、バスが来ましたが、なんと、乗客は私独りでした。終点の武蔵五日市駅に着いたのが、3時半でした。そこから、カトリック墓地まで歩いて、弟の墓に付いた時は4時を過ぎていました。日は早くも沈んでいました。弟の墓は、一番奥にあるのです。想像通り、枯れた小栴檀草が、沢山残っていました。枯れ葉も随分溜まっていました。30ほどかけて、掃除が終わった時には、服のいたる所に小栴檀草の種が付きました。なんとかして、この小栴檀草を、全滅させなければならないと思いました。来年は、年に2度彼岸頃、墓掃除に来て、除草剤を試してみようと思いました。

 帰りは、武蔵五日市では無く、1つ手前の武蔵増戸駅へ行ったところ、此処でも運良く、私がホームに着いたと同時に、ホリデー急行が滑り込んできました。お陰で、立川まで、すんなりと戻ることが出来ました。立川で、快速に乗換えて、国立に着いたのは、5時35分でした。急いで買い物をして、公孫樹並木を利用した、何本もの大きなクリスマスツリーのイルミネーションの写真を撮って、バス停に行くと、バスの発車時刻は過ぎていたのに、少し遅れていたバスが滑り込んできました。今日は、乗り物といい御朱印といい、何もかもが上手く行きました。家に帰り着いたのが、6時半頃で、気分上々で、晩酌が出来ました。

 

「年老いた 夫婦の家の 庭先に 取る人も無き 熟し柿かな」

「花と共 風船蔓の 実の生りて 何時もの道の 何時もの光景」

「色づいた 木をあやすよに 抱きかかえ 夕日を受ける 杉木立かな」

「山門の 向こうに見える 境内の 黄金に染まりし 秋の広徳寺」

「晩秋に 公孫樹の季節は 過ぎたれど 紅葉が迎える 広徳寺かな」

「夕闇に 静かに佇む 広徳寺 屋根に火の手の 西日の悪戯」

「森陰に 紅蓮の火の手 迫り来る 悪戯好きの 紅葉と夕日」

「木の幹に 夕日を受けて 輝ける 仏の御心 羊歯の葉一枚」

「色付いた 紅葉と公孫樹の 葉の落ちて お寺の庭は ふわふわ絨毯」

「竹藪に 見事な色の 楓かな 晴れ着を纏う 秋の竹林」

「君達が 群れ咲く姿 初目見え 薄紫の 姫彼岸花」

「夕日受け 木の影屋根に 墨影絵 青空背にした 王林寺かな」

「荒れ果てた 墓を飾りし 赤き葉は 神が贈りし 救いの手かや」

「神などを 信じぬ我も 手を合わす 良きこと少なき 弟のために」

「夕闇に 光のツリーが 立ち並ぶ 年の瀬迫る 国立駅」 

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2018年12月 1日 (土)

2018年11月30日

2018年11月30日

 

 今日は、素晴らしい快晴の朝でした。勿論富士も見えました。出来るならば、昨日と替わって欲しかったですねー。

 今日で、11月は終わるというのに、今年は、木枯らし1号は、吹きそうにありません。こうやって、次第次第に、地球の温暖化は、進行していくのでしょうか。早く、車をEV車にして、暖房に灯油や薪を使わないようにし、発電を再生可能エネルギーに切り替える必要があると思います。

 今日、秋篠宮の記者会見のニュースが流れました。その中で、秋篠宮は、「平成天皇の交代以後に行われる大嘗祭は、宗教色が強く、国事行為として行うのは、政教分離の観点から望ましくないのではないか」と発言されました。そして、「以前もこれと同様な発言をしたが、宮内庁が一顧だにしてくれなかった」と言っていました。

 私は、宗教が好きではありません。世界各国で、宗教が引き起こした悪行の数々を見て来ました。現在でも、世界中の問題、特にイスラム系との関連で、多くの悲劇が生じています。特に、政治に絡んだ宗教は、必ず個人の生き方を強制します。そのような意味で、天皇家は廃絶した方が良いのではないかと考えたこともありました。所が、最近の安倍総理を見ていると、天皇の重しがなく、彼のような人物が、政治権力を手中にしたら、新興宗教のように、日本を支配するかも知れないと思うようになりました。麻原彰晃が、権力の座につき、政治を欲しいままにし、反対者を粛正する図を思い浮かべると、背筋が寒くなりました。恐らく、伝統も文化も、自由で理性的な考えも、主権在民も、全てが失われるでしょう。

 今日記者会見を見て、天皇家の方が民主主義を良く理解し、宮内庁の一般人である官僚の対応が、民主主義に反しているように思えました。天皇家の儀式を、「美しき日本」の原型として、日本国の儀式として執り行いたい右翼系の政治家や安倍総理の考え方を忖度したのかも知れません。私は、今日の記者会見を見て、天皇は政治に関わらない象徴天皇、政教分離、宮中儀式を天皇家のみに留める事は、極めて現実的で、良い制度だと改めて思いました。

 

 今日は、夜7時から「語ろう会」が、都心の先輩の家で行われるので、少し早めに出て、都心の紅葉を楽しみました。

 午後2時頃に家を出て、四谷駅に3時過ぎに着きました。迎賓館に向かってお堀側の歩道を歩くと、並木の百合の木が、盛りは過ぎていましたが、紅葉の名残の赤い葉を残していました。反対側には、鈴掛の大木があり、この大木は紅葉の真っ盛りでした。迎賓館の脇を通って、東宮御所前から右に曲がって、住宅街の中を歩き、明治記念館の前に出ました。この道を歩いたのは、何十年振りでしょうか、記憶が定かではありません。記念館の前の横断歩道を渡って、絵画館の前に出ました。学生時代の朝練を思い出しました。我々のクラブは、ここまで朝練に来ることはなかったのですが、対抗するクラブが冬の絵画館前で、氷の張るような水に足を入れて練習しているとの話を聞いて、1度同じ事をやらされた記憶があります。絵画館の横では、2年後のオリンピックのために、国立競技場が建設されていました。外観はほぼ出来上がっており、後は内装等が残っているようでした。それにしても、巨大な建造物でした。

 秋の外苑と言えば、公孫樹並木の黄葉が、一番有名です。行ってみて驚きました。車道は通行止めになって、見物客に開放されており、歩道も車道も、人で埋まっていました。此処の公孫樹も、人によって植えられた物ですが、芯を切り取るような剪定が、一切されていないのが、良いところです。公孫樹の命の芯が、天に向かって延び、細い笠状の枝振りが、芯の勢いを支えていました。丁度夕日を受けて、黄葉に少し赤みがかったような感じで、輝いていました。青山通りの方から見ると、並木の真っ正面に、絵画館が見えました。これを意図して、この並木を作ったのでしょう。

 青山通りに出ると、ビルとビルの谷間に、日が沈むところでした。日の沈むところまで、真っ直ぐに通りが延びて、都会に落ちる夕日を見る事が出来ました。何と言う幸運かと思いました。日没を見て、暫くすると、公孫樹並木のライトアップの時刻になりました。未だ、明るさが残っていたので、外苑の方に戻り、陶器展などを見学していたら、漸く夕闇が濃くなり、ライトアップが綺麗になりました。もう一度、公孫樹並木を歩いて、青山通りに出ました。そこから、都心の夜景を楽しみながら渋谷まで、歩きました。年の瀬を迎えるイルミネーションが、とても綺麗でした。

 少々疲れたので、渋谷から1駅、恵比寿まで電車で行くことにしました。所が、再開発中の渋谷は、何処をどう歩けば駅に出るのか、さっぱり分りませんでした。人の流れを見つけて、流れに乗って歩くと、駅に出ました。大混雑の電車に乗って、恵比寿で下りて、ガーデンプレイスに出ました。此処でもイルミネーションを楽しんで、先輩の店に着きました。6時半頃でした。

 今日は、先輩が出て来ました。耳の調子は依然として悪く、補聴器も役に立たず、他人との会話は、非常に難しいそうです。音が耳の中で響いて、言葉として聞こえないそうです。身近な単語であれば、聞き取れるとのことでした。大きな声より、明確な発音が良いそうです。普段は、奥さんから酒を禁じられているようでしたが、ワインを飲みながら、付き合ってくれました。私も、明確な発音に気を使って、何となく会話が出来ました。

 今日の語ろう会は、年末の繁忙期のため、参加者が4人と少なく、先輩も途中で部屋に引き籠もりましたので、先輩の奥さんの手作りの料理を食べながら、たわいも無い世間話に終始しました。これが、語ろう会の本旨としても良いと思いました。

 家が遠いので、9時半に失礼して、新宿へ向う電車に乗ったところ、満員の電車だったのに、目の前の席が空いていたので、座ったら高田馬場まで行ってしましました。この為、聖蹟桜が丘からの、最終バスに下り送れ、タクシーで帰るは目になりました。夜の電車は、座ってはいけませんね。

 

「青空に 影絵となりし 百合の木に 赤き葉残る 都会の秋かな」

「整然と 公孫樹並木の 立ち姿 並木の先に 古風な絵画館」

「傘立てに 並んだ黄傘 整然と 公孫樹並木の 立ち姿かな」

「外苑に 黄葉見に来た 筈なのに 人種様々 人間見学」

「青山の 通りの向こうに 日が沈む ビルの谷間の 地平へ続く」

「宵闇に 光細工が 浮かび出る 年の瀬迎える 都心の秋の夜」

 

 

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