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2018年11月

2018年11月30日 (金)

2018年11月29日

2018年11月29日

 

 今朝は、雨の予報でしたが、既に雨は上がっていました。昨晩の雨も大した事は無かったようです。道路の濡れ方が僅かでした。

 今日は、早めに日記を書き上げて、この前、山の仲間と歩いた「よこやまの道」を、反対方向に向かって歩いてきました。ついでに、町田市の薬師池公園に紅葉狩りに行って来ました。

 今日の散歩の出発点は、この前と同じ唐木田でした。11時頃に唐木田に着き、よこやまの道を、西端に向けて歩き始めました。どうも、歩き始めた所が、町田市と多摩市の境界線と同時に、分水嶺になっていました。ずっと自動車道を、坂道を下る感じで、歩きました。最初に現れたのは、川崎水道の建物でした。なんで川崎なんですかねー。まさか、川崎の方に下りて来たのではないか、そんな心配にかられました。それから、更に下ると、長い谷戸が続き、民家が点々と繋がっていました。何処で、よこやまの道の西端を過ぎたのか、気がつきませんでした。自動車道から脇道にそれて、古民家を訪問しました。紅葉と花の古民家で、黄花秋桜、菊、山茶花、秋明菊に似た花が、所狭しと咲いていました。別の道の古民家も訪れました。本当に古い古民家でしたが、公園に移築された古民家と違って、人が生活している古民家でした。濃淡の違う何種類かの紅葉に囲まれた、素晴らしい古民家でした。自動車道に戻って、少し歩くと「山の端」というバス停が出て来ました。図師から町田ターミナルへ行くバスでした。バス停の名前が、気に入りました。この辺りは、確かに山の端でした。

 バス停から、少し歩くと、大泉寺が出て来ました。山門まで、ちょっとした桜の参道があり、下草の中に、タンポポ、春紫苑(恐らく)、白百合、仏の座、秋のノゲシ(野芥子)が咲いていました。紅葉を脇に従えた山門は、実に立派でしたが、本殿は、新しく建て直された物でした。庫裏に行って、御朱印を頼むと、印刷したものしかないと言うので、その御朱印を貰いました。帰り際に、山門の近くで、首を切られた多くの地蔵を見ました。廃仏毀釈の残骸だと思います。顔の代わりに石を載せた地蔵や、首無しの地蔵、斬られた頭を乗せた地蔵などが置かれていました。残っていた地蔵の顔は、どれも優しい笑顔の良い顔をしていました。

 大泉寺を出ようとしたら、階段があったので、登ってみると、二つの神社がありました。一つは何処にでもある神社でしたが、もう一つは、昔風の建築で、立派な神社でした。神社の名前がなかったので、恐らく、大泉寺の中の神社だと思います。大泉寺を出たら、直ぐに横に、上根神社(かさねじんじゃ)がありました。最近作られたばかりの神社でした。後で調べて見たら、この神社も、元は大泉寺の鎮守社だったそうです。

 元の車道に戻って、歩いていると山の端に、大きな公孫樹が見えました。暫く、山の端の昔道を歩きました。未だに、谷戸の田畑を耕す農家が幾つもありました。畑の真ん中に、公孫樹のある小さな神社が見えました。畔道を辿って、神社に行きました。所が、この神社も名前がありませんでした。丁度、犬と散歩してきた古老に聞いてみると、小山田神社との事でした。この地域は、小山田地区ですから、「村の鎮守の神様」です。おらが村の神社で、誰もが知っており、名前など必要なかったのでしょう。

 この神社の近くに、清流が流れていました。これまでも、所々で細いながら川の流れを見て来ました。今日の出発点の所は、分水嶺で鶴見川の源流と言われていますので、若しかすると鶴見川ではないかと思いました。それから、暫く歩いて、図師大橋まで行くと、下を流れているのは、鶴見川だと書いてありました。どうやら、今日は、鶴見川の源流域を歩いて来たようです。川の完歩が好きな私としては、思いがけない良き日になりました。

 図師大橋の所から、バスで野津田車庫に行き、そこで町田駅行きのバスに乗換えて、薬師池公園に行きました。この公園は、梅、菖蒲、蓮、紅葉で有名な公園です。今日は、正しく紅葉の盛りでしたが、午後2を過ぎていましたので、先ずは紅葉を楽しみながら、お握りとビールを楽しみました。摘まみに鶏の干物を持ってきていたのです。缶ビールでしたが、実に美味しく飲めました。昼食が済んでから、ゆっくりと園内を歩き、紅葉狩りをしました。色合いの違った紅葉が池の端に植えられ、山の小楢等の黄葉とも見事に調和していました。移設された古民家と紅葉も良い雰囲気でしたし、薬師堂の大銀杏も古刹を引き立てていました。紅葉を映す池には、留め鳥となったカイツブリの他に、キンクロハジロが渡って来ていました。もう少し光があれば、申し分なかったのですが、午後から、曇り空になってしまって、残念でした。

 帰りは、小田急線町田、新百合ヶ丘、永山、バスで聖蹟桜が丘と乗り継いで、我が家に戻りました。5時近くになっていました。エリンギ、豆苗を炒め、イカフライ、手羽中、アヒージョの残りで、赤ワインをじっくり飲みました。

 

「よこやまの 尾根を下れば 谷戸の里 ニュータウンの 荒波避ける」

「山道の 奥に佇む 古民家を 色とりどりの 紅葉が飾る」

「大泉寺 門へと続く 参道に あちらこちらに タンポポの花」

「タンポポの 綿毛が白く 路地に立つ 綿毛飛ばすは 木枯らしなりや」

「紫の 君は確かに 春紫苑 小春日和は 早春擬き」

「春紫苑 ロゼットからの 立ち姿 冬越す準備の 最中でなきや」

「君もまた 小春日和に 花咲かす タンポポ見つつ 白百合の花」

「黒ずんだ 山門飾る 紅葉かな 門に触れなん 赤き枝先」

「首斬られ 地蔵の頭は 丸き石 谷戸の奥にも 時代の荒波」

「谷戸の里 畑の真ん中 神社あり 畔が参道 村の鎮守さま」

「山の端に 紅葉背にした 古き家 小川せせらぐ わらべうたの里」

「谷戸の川 流れの先は 鶴見かや それでは君は 鶴見川かな」

「晩秋に 炎が揺れる 薬師池 遠来の客 今年も来たり」

「苔の上 赤く降り積む 紅葉葉を 拾いつ歩く 老婆が一人」

「藁屋根の 屋敷を隠す 紅簾 透けて見えるは 御殿の如し」

「薬師堂 境内埋める 公孫樹の葉 誰もが歩ける 黄絨毯かな」

「晩秋の 赤き水面に 銀の輪を 幾重も広げる カイツブリかな」  

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2018年11月29日 (木)

2018年11月28日

2018年11月28日

 

 今朝は、快晴の空でしたが、矢張り富士は見えませんでした。富士の方にだけ雲が有り、地平は、霞がかかっていました。

 天気予報では、午後には、天気が崩れ、夕方から雨になるような予報でした。どうせ散歩するなら、ポカポカ陽気の中を歩きたいと思い、何時もは午後からの散歩を、朝からに変えました。そんな訳で、昨日の日記は午後書くことにしました。多磨霊園、浅間山公園、府中の森公園を歩いてきました。

 8時半に家を出て、バス停までの道を歩くと、道脇の植え込みに、朝日に白く輝いた、蜘蛛の巣の列がありました。何故か、どんな形でも蜘蛛の巣が好きです。子供の頃に、黄金蜘蛛を集めた時の記憶だろうと思います。また、角の家では、石榴が黄葉していました。

多磨霊園駅には、9時半に着きました。駅の近くの公園から、武蔵小金井行きのバスで、多磨霊園へ行くのですが、バスの発車は9時40分でした。公園に面した家の垣根に、朝顔のようなハイビスカスのような花が咲いていました。写真を撮っていると、この家の主人と思われる人が、咲き終わった花や枯れた葉を取っていました。近づいて、花の名を聞いてみると、マンデビラとのことでした。春からずっと咲き続けているそうです。後で調べて見ると、蔓性の花で、朝顔と同じように、緑のカーテンとして窓辺に植える人が多いようです。ピンク、赤、白の花が、同時に咲く、中央アメリカ原産の花のようです。今は、世界中から花が入ってくるようになりました。これらの花の名前を、全部覚えようとするのは、無理がありますねー。

 9時40分になったので、バスに乗って、9時50分には、多磨霊園表門に着きました。多磨霊園は、紅葉の名所でもあります。いきなり色づいた紅葉が迎えてくれました。歩いてみると、至る所に朱く色づいた紅葉が、墓石や松や桜に混じって、良い雰囲気を醸し出していました。ある墓では、花梨の鈴生りの実と、庭木として良く植えられている細葉の紅葉とが、朝日に輝いていました。花には、沢山の花梨の実が落ちていて、2個ほど貰ってきました。どこもかしこも、秋が充満していました。

 多磨霊園から、キスゲ橋を渡って、浅間山公園に入りました。浅間山は、コナラとクヌギが殆どで、紅葉は1本もありません。山全体がほんのり黄色く色づいていました。葉が少なくなったコナラの林に、朝日が差し込み、秋を感じさせました。にも拘わらず、シジミ蝶の1種が大発生し、森中を飛び回っていました。

 浅間山から府中の森公園に入ると、色づいたコナラの下で、紫色の石楠花の花が咲いていました。今年は、至る所で、季節外れの花を目にします。今日も、小春日和というか、春そのもののような暖かさでした。イヌシデなどの黄葉とモミジの紅葉が、とても良い感じでした。毎年、真鴨がやって来る池は、まだ真鴨の姿は見ませんでしたが、コナラの黄葉とモミジの紅葉が、水面に映り、カルガモがその中を泳いでいました。

 隣の航空自衛隊の基地の公孫樹は、しっかりと黄葉していましたが、東府中に続く公孫樹並木、甲州街道の公孫樹並木は、未だ色づきが始まったところで、多くの公孫樹は、緑のままでした。何が違うのでしょうか、気温が大きく違うのでしょうか、毎年の大掛かりな剪定の影響なのでしょうか、良く分りません。

 東府中から、聖蹟桜が丘へ出て、我が家へ4時頃に戻りました。家の近くの住宅地で、年老いた住民がいなくなり、家が壊された更地に数輪、黄色い花が咲いていました。更地は、野草が蹂躙していましたが、この黄色い花だけが、以前、この地に住民がいたことを、思い出させるように咲いていました。

 3時には家に戻り、昨日の日記を書きました。日記を書き終えた4時頃には、天気予報の通り、雲が空一面に広がりました。朝から散歩したのは、正解だったと思いました。

 その後、干していた手羽中を焼いて、以前焼いていた鶏皮や軟骨と、鶏尽くしのワインの摘まみが出来ました。6時半頃から、ワインで晩酌をしていると、次男が帰ってきたので、次男と一緒の晩酌となりました。

 

「朝の道 朝日に白き 朝露の 餌とはならぬ 蜘蛛の巣の列」

「割れた実の 皮だけ残る 石榴かな 小春日和の 石榴の黄葉」

「縁側の 灯台躑躅 朝日受け 赤さ際立ち 庭先飾る」

「遠来の 花を愛しむ 主かな 大和国の 仲間になりぬ」

「幾万の 魂眠る 多磨霊園 秋に再び 命の炎」

「あちこちに 命の炎 燃え盛り モミジ背負いて この世で宴」

「黒松の 諫めの言葉 耳貸さず 華やぐ宴 御霊安らか」

「墓石の 居並ぶ上に 傘開き 黄玉広げる 花梨の大木」

「墓中を 埋め尽くしたる 花梨の実 甘き香りを 御霊も楽しむ」

「青空と 松の緑と 紅葉かな 御霊もうっとり 秋の霊園」

「山茶花と 色を競いし 紅葉かな 御霊は何れに 軍配上げるや」

「木の葉下げ 朝日に光る 蜘蛛の糸 此処は極楽 糸は要らぬぞ」

「松の下 張るは間違い 蜘蛛の網 松の葉達が 網を占領」

「桜木の 妙なる色づき 目を奪う 春のお礼と 御霊のご褒美」

「朝の日に 黄金に染まる 公孫樹達 威儀を正して 御霊見守る」

「天焦がす 楓葉風を 焚き付ける 根元に真っ赤な 紅葉の炎」

「秋の日に 浅間山は 浅黄色 紅葉無き森 武蔵野の森」

「木の葉落ち 朝日差し込む 小楢森 森を飛び交う シジミ蝶の群れ」

「小楢等の 落ち葉の筵の その上に 濃き紫の 石楠花の花」

「赤と黄の 色合い見事 多摩の森 じっと佇む 乙女の彫像」

「赤と黄の 紅葉と小楢の 色映す 鏡を乱す カルガモ夫婦」 

「主無く 空き地となりし 家の跡 生き越し日々の 花の数輪」

 

 

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2018年11月28日 (水)

2018年11月27日

2018年11月27日

 

 今朝も良い天気でしたが、富士は見えませんでした。2,3日良い天気が続くと、地表に人間が作り出した汚れが溜まるようです。

 昨日、妻から連絡があり、今日は、また妻と会えることになりました。最初は、神楽坂で会う事になっていましたが、急遽、池袋の東武デパートで、4時半に会うことになりました。

 午後3時に家を出て、京王線で新宿へ向かいました。ところが、調布を過ぎた辺りから、眠り込んでしまい、新宿に着いても眠りこけていました。親切な小母さんが、「新宿ですよ」と声をかけてくれて、漸く目を覚まし、電車から降りました。若し、小母さんが声かけをしてくれなかったら、また、聖蹟桜が丘の方へ、戻ったかも知れませんでした。慌てていたので、充分にお礼は出来ませんでしたが、取り急ぎお礼を言いました。

 4時10分には池袋駅に着きました。池袋駅の混雑は、異常なほどで、吃驚仰天でした。東武デパートの生鮮食品売り場で会うことになっていましたので、地下の生鮮食品売り場に行って、妻に電話しましたが、なかなか電話に出ませんでした。暫くして妻から電話があり、私が居る売り場に来るという事でした。それからも、時間が掛かり、その間、チーズ屋のお兄さんの誘いに負けて、3種類のチーズを買ってしまいました。そうしている内に、妻が、真っ赤なコートを着て現れました。華やぎを忘れない、妻の気持の現れでした。

 魚売り場と、野菜売り場を廻りましたが、魚売り場は、特に驚きませんでしたが、野菜売り場は、新鮮かつ品物も良く、しかも値段も高くはありませんでした。私が何時も行っている西友とは、比べる事が出来ませんでした。米国産松茸や、ピラミッドのような平茸とか、珍しい物もありました。妻はパプリカとカリフラワーを買って、買い物はお仕舞いになりました。

 池袋から、地下鉄の有楽町線に乗り、飯田橋に向かいました。取り敢えず、地下鉄の中で、高尾山のお土産「スナック なつめ」を渡しました。直ぐに試食は出来ませんでしたが、喜んでくれました。私達の正面では、女子高生が、短いスカートのまま、足を広げて眠りこけていました。妻は、「皆から見られているのにねー」と嘆いていました。妻は、このような品の無い行為に対しては、かなり手厳しいのです。染みや汚れの付いた服を、平気で着る私に対しても、手厳しいのです。

 5時半近くに神楽坂に着き、荷物を妻の家に置いて、近くのふぐ料理屋に行きました。酒を飲まない妻にとっては、余り魅力のある所ではないのかも知れませんが、私の為に付き合ってくれたようです。なんやかやと話ながら、楽しくコース料理を完食しました。胃のないお腹が、悲鳴を上げそうでした。お酒も、ほろ酔い加減に飲めて、正しく酔生夢死の境地でした。お勘定の時、妻が、「自分の分くらいは、自分で出す」と言い出しました。妻は、男女が一緒に食事をすれば、男が、勘定を持つのが、自然な行為だと思うタイプの人間です。今日は、どうしたのでしょうねー。腹が決まっているようでしたので、受け入れました。

 食事が済んだのが、8時半近くだったので、何時ものように、コーヒーが飲めるバールに行って、話の続きをしました。最初の頃は、ゆっくり話が出来たのですが、暫くして、若い女性のグループが隣の席に来て、やんやと盛り上がるものだから、話が思うように出来なくなり、2週間後に会うことを約束して、今日のデートは終わりました。

 9時過ぎにバールを出て、飯田橋から新宿に出て、京王線に乗換える予定でした。所が、席が空いていたので、座ったのが間違いでした。また、眠りに入って、新宿の次の大久保まで行ってしまいました。何故、新宿で目を覚まさないのですかねー。結局、新宿まで戻って、予定より20分ほど遅い、9時56分発の準特急で、聖蹟桜が丘に向かいました。聖蹟桜が丘に着いたのは、10時30分丁度で、大急ぎでバス停まで走りました。乗った途端に、バスが発車しました。我が家の方へ向かう最終バスでした。家に着いたのは、11時過ぎていました。眠気に抗しきれなかった日でした。

 

「貧乏な 亭主に金は 出させない 意地張る妻に 従うばかり」

「眠りこけ 失敗だらけの 一日も 過ぎてしまえば 愉快な想い出」

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2018年11月27日 (火)

2018年11月26日

2018年11月26日

 

 今朝も良い天気で、富士が見えました。しかし、午後には、薄雲が張り詰めて、月のような太陽になりました。

 一昨日、関西の友人から、大阪万博が決まったことについて、コメントがありました。オリンピックにしろ万博にしろ、一時的なイベントに無駄金を使わずに、日頃から住民生活の向上のために、きちんとした金の使い方をすべきだと言うのが、彼の基本的な意見でした。的を射た意見だと思います。

しかし、一般論として言っている時は良いのですが、では、具体的に国や自治体が、住民生活向上のために出来る事は何かというと、これは難しいことなのです。自由主義経済の中では、労働の対価、会社経営や商売による収入、投資や株など金融収入など、自分達で生活向上のための所得を獲得するのが原則です。国や自治体は、住民が獲得した所得の内、一部を税金として徴収し、住民活動の補佐をします。公共インフラの整備、教育や医療の補助、犯罪防止など社会の安定化等を実施しますが、直接、住民の所得を増加させることは出来ません。

自由主義経済は、あくまで自由ですから、必然的に競争社会となり、現在、殆どの国が自由主義経済を採用していますので、競争は、世界に広がっています。日本は、早くから工業化を進めたので、これまで世界の中での競争に勝ち抜いてきました。所が、産業の自動化IT化が進み、競争に打ち勝つ技術格差も、世界中で狭まってきており、日本が、競争に打ち勝つ事が、確実とは言えなくなりました。この事を、肌で感じている住民の中に、将来に対する不安が大きくなり、それが支出を抑えるようになり、経済を停滞させる負の循環となりつつあります。

イベントが、この負の循環を断ち切るための変化を、もたらすことが出来ると、断言は出来ませんが、対策の一つと見る事は出来るでしょう。

 

今日は、米国政府に提出する、税金関係の書類を作るのに手間取って、散歩の時間が少なくなり、聖蹟桜が丘の往復だけにしました。

今年の春、米国の預金を解約し、全ての預金を日本に引き揚げました。日本の預金が少なくなり、生活が不自由になったからです。こんな訳で、米国に資産がなくなったので、国外居住者に対する源泉徴収課税は、ない物と思っていました。所が、銀行から書類提出の要請がしつこいのです。母国語である、日本語ですら、忘れている単語が多いのに、英語の書類は、読むことさえ大変なのです。そこで、銀行の現地の日本人スタッフに、日本語による書き方を同封して貰い、今日、漸く書類を書き終えて、郵便局に持って行き、米国に送りました。ちゃんとした書類として、受領して貰えるかどうかは、分りません。

12月1日から、テレビの4K放送が始まるというので、現在使っているテレビが、4Kに対応しているのか、現在使っているテレビの説明書を持って、聖蹟桜が丘のビッグカメラに確かめに行きました。説明書を見て、種々調べた上で、係員の説明に寄れば、画面自体が4Kに対応していないので、テレビを買い換える必要があると言われました。つまり、4K用のチューナーを付けても、4Kの画面にはならないそうです。テレビを買い換えるかどうかについては、暫く、4K放送の動向を見てから決めようと思います。現在の解像度でも充分きめが細かく、鮮明だと思っています。

3時近くに家を出て、5時頃に家に戻りました。一昨日から干してある、鶏手羽の軟骨と鶏皮をトースターで焼いたら、トースターの下から油が流れ出しました。鶏皮の油が強烈でした。思いがけず、トースター周辺の大掃除になりました。しかし、取り敢えず焼けましたので、暫くは、酒の肴に困らないでしょう。

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2018年11月26日 (月)

2018年11月25日

2018年11月25日

 

 朝、富士が見える良い天気が続いています。冬晴れのような、澄んだ空になりました。

 今日は、大学のクラブの現役が、各大学の同じクラブの発表会に参加するというので、10時までに、白銀台の方にある会場に行きました。所が、またしても私の勘違いで、開演は11時でした。

そこで、時間潰しに、近くの八芳園に行ってみました。白銀台には、以前仲人をしてくれた大学教授の家があったので、何度も行ったことがあったのですが、八芳園は初めてでした。それにしても、白銀台付近は、本当に此処が白銀台かと思うほど、様変わりしていました。半世紀という時の流れは、歴史を変えるのに十分の時間だったようです。

八芳園は、最初は大久保彦左衛門の屋敷だったらしいのですが、その後、何代か持ち主が変わったとのことでした。現在は、ホテルの和式庭園となっていました。丘陵を上手く利用した、素晴らしい庭園で、国分寺の殿ヶ谷戸公園と雰囲気が良く似ていました。池には色づいた紅葉が映り、丸々肥った大柄の錦鯉が、群れ泳いでいました。また、八芳園は、結婚式場としても有名らしく、今日も、三組の新婚夫婦が、庭で写真を撮っていました。

10時45分になりましたので、会場に行きました。会場には、既に多くの人が集まっていました。時間通りに、発表会は始まりました。今日発表するクラブは、少々特殊なクラブで、種々問題もありました。伝統を残すことに一所懸命になり過ぎて、自己開発が疎かになり、時代を読むことや、社会の変化に対応できないクラブとなった時がありました。幾つかの大学の演技を見ていて、まだ、この傾向が残っているのではないかと危惧されました。伝統を守ることは、悪いことではありませんが、新しい時代の波に乗ることも大事なのです。古くから言われている、温故知新、故きを温ねて(温めて)新しきを知る、この言葉を忘れないで欲しいと思いました。

第1回目の休憩の時、後ろから、先輩と言う声が聞こえました。後輩3人も来ていたのです。誰も来ていないだろうと思っていたのですが、以外でした。我が校の発表は、既に終わっていたので、次の休憩で会場を出て、目黒にある先輩の店で飲むことにしました。

2時頃に先輩の店に着き、外出から戻ってきた先輩に、後輩を紹介しました。以前ならば、一緒に飲んで、話をするのが大好きな先輩でしたが、2ヶ月ほど前から、耳の下の方の癌の影響で、殆ど耳が聞こえなくなったようで、直ぐに奥に引き籠もりました。補聴器も効かないのでしょうか、後輩達を連れてきたのが、悪いことをしたような気持になりました。

でも、後輩達とは、久し振りだったので、あれやこれやと話が弾んで、5時近く迄飲んでしまいました。3人の後輩の独りで、名古屋に住んでいる後輩から、酔生夢死という面白い言葉を聞きました。この言葉は、「何もせずにいたずらに一生を終えること」と言う意味で、良い言葉として使われることはないのです。しかし、彼が言うには、既に人生を精一杯生きて、余生に入った人間は、この言葉を、「酒を飲んで楽しく生き、何の苦痛もなく夢のように死ぬ」と解釈すれば、最高の余生の生き方ではないかと言うのです。なかなか、味のある言葉を知り、味のある解釈をする、味のある後輩でした。まさしく、今の私は、彼が言う言葉の通りに生きています。酒に酔い夢心地のまま死ねれば、これに勝る幸せはないと思います。

家に帰り着いたのは、6時を過ぎていました。実は、午後5時から、アパートの防災委員会だったのですが、委員会が終わる時間に帰ってきましたので、無断欠席をしてしまいました。

 

「仲人の 家を訪ねた 白銀台 昔の町並み 歴史の彼方へ」

「林立す ビルの只中 八芳園 大久保彦左の 屋敷跡かな」

「後輩に 余生の生き方 教わりぬ 良き言葉かな 酔生夢死」  

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2018年11月24日

2018年11月24日

 

 昨日のように、くっきりとした富士ではありませんでしたが、今朝日も富士が見えました。

 今日は、娘が、染み抜きの終わった着物を、取りに来るというので、押し入れに仕舞ってある帯とか、着物関係の小物も出して置きました。脚立を使って、押し入れの奥から出すので、年寄りの身には、結構な作業になりました。

 娘は、寝坊したらしく、12時頃にやって来ました。何時もは、末の孫が必ず付いてくるのに、今日は独りでした。昨日あったばかりなので、ジージの顔を見る気になれなかったのかも知れません。娘が来て、話をして分ったのですが、娘は、着物を自分では着ることが出来なかったのです。前妻は、織物屋の娘でしたので、着物を自分出来る事が出来ましたし、他の人に着せることも出来ました。ですから、女性は、自分で着物を着るのが普通のことだと思っていました。私の勘違いでした。娘は、七五三の祈念写真を撮る写真館で、着物を着せて貰い、小物は全部写真館で貸してくれるそうです。結局、帯と着物だけを持って行きました。

 今朝は、結構良い天気だったのですが、昼間は雲が広がりました。気分が乗らなかったので、近場を歩くことにしました。

 2時過ぎに、家を出て、日新小学校のところから、高速道路沿いの緑道を歩きました。或る家に前に、姫彼岸花が咲いていました。この前、東京薬科大学の薬草園で名前を知った花でした。今まで、見かけたことがないと思っていた花も、名前を知ると、出会いがあります。名前の縁とは不思議なものです。暫く歩いていると、何時も散歩する道に出て、高速道路を潜りました。何時もの通り、国立環境センターの前に出ました。花梨が沢山植えられているところで、花梨たちが、夕日を受けて、黄色い実が一層黄色く輝いていました。この頃から、散歩を始めた時にあった雲が流れて、やがて空一面に、青空が広がりました。

 日野バイパスを越えて、谷保城山公園から、崖下の道を歩きました。この道は、蜘蛛の網がとても多いところですが、どの蜘蛛の網にも、落ち葉が沢山掛かっていました。「なんとかしてよー」、そんな蜘蛛の声が聞こえてきそうでした。

 最初は、崖下湧水のところまで歩こうと思っていたのですが、3時を廻りましたし、青空に変わりましたので、中止して国立のSVマーケットに行き、大急ぎで買い物をしました。このマーケットで買うものは決まっています。長芋、鶏の軟骨2種類、鶏皮、鶏の手羽中、ツブ貝を買って、土手に出ました。4時を回っていました。恐らく今日は、この土手でダイヤモンド富士が見られるはずなのです。私が、観察点と決めていた所まで歩いた時、日没が始まりました。まだ太陽の輝きが強くて、太陽の周りの状況が良く分りませんでした。また雲も少しあって、富士山の頂上に沈んでいるのか雲なのか、確認が出来ませんでした。しかし、半分近く、太陽が隠れた時点で、沈んでいる場所が、はっきり富士山だと分りました。我が家の近くで、ダイヤモンド富士を見る事が出来たのです。暫く、夕焼けの空を楽しんで、我が家に戻りました。5時近くになっていました。

 我が家に戻って、取りの踝の軟骨は、唐揚げ粉を塗し、そのままトースターで焼いて、今晩の摘まみの一つにしました。手羽の方の軟骨は、塩もみして少し寝かせました。鶏皮は、ニンニクと出汁醤油に漬け込みました。手羽中は、柚胡椒、七味、酒、出汁醤油に漬け込み、冷蔵庫で2日間くらい寝かせます。どれも、何れは日干しにします。今後、暫くは、良い天気のようですから、良い日干しが出来るでしょう。

 

「晩秋に 薄桃色の 花咲かす 彼岸過ぎれど 姫彼岸花」

「山茶花と 並んで黄金の 花梨かな 釣瓶落としの 秋の日浴びる」

「崖下の 蜘蛛の網には 落ち葉だけ 小径に聞こえる 蜘蛛の恨み節」

「夕日受け 黄金に輝く 蜘蛛の糸 蜘蛛の手になる イルミネーション」

「輝きを 残したままの 夕日かな 落ち行く先は 富士の山頂」

  

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2018年11月24日 (土)

2018年11月23日

2018年11月23日

 

 快晴の青空の中に、朝日に輝く富士の、素晴らしい姿を見ました。空気が澄んで、湿気も少なく、冬の空になったようです。多摩川の川面には、朝霧が立ち、その中を、白鷺達が、次々と飛び立ちました。朝一番に、このような景色を見る事が出来て、生きていることの幸せを感じます。

 今日は、孫娘が音楽会で唄うそうなので、八王子のオリンパスホールに行きました。12時半に着いたのですが、既に音楽会は始まっていました。会場に入ろうとした時、末の孫の姿が見えました。父親と一緒にトイレに行くために出て来たところでした。お陰で、娘の家族が座っている場所が分りました。前から3列目の席でした。舞台に近いので、孫娘の顔が良く見えるのです。孫娘は、通っている小学校の合唱団の一員として、音楽会に参加します。丁度1時頃から、その小学校の合唱が始まりました。孫娘は、一番前の中央に居ました。娘が動画を撮っていましたが、私も撮りました。全員で、身振り手振りをしながら歌う様子が、とても可愛らしかったのです。最年少の3年生は、最初の1曲だけで、舞台を去りました。孫娘がいなくなると、興味が薄れてしまいますが、休憩時間まで、他のプログラムも聞きました。

 休憩時間になったので、ホールと同じビルの中の、イタリアンのサイゼリアで昼食にしました。食事は、それぞれ食べたのですが、全員で特別メニューの裏の、間違い探しに挑戦しました。全部で10個の間違いがあると書いてありました。7個までは比較的簡単に見つかったのですが、最後の3個が見つかりません。食後に、全員で頭を寄せて見つけました。3人寄れば文殊の知恵、9個まではすんなり見つけました。最後の1個は、苦労しましたが、見つけたのは、娘でした。

 今日は、この後、大学のクラブの発表会があるので、都心の大学に5時までに行く必要がありました。3時半に孫達と別れて、大学へ向かいました。今日は、中央線が休日運転でしたので、思った以上に早く、4時40分に大学に着きました。今日は、休日で大学は休みだと思っていたのですが、学内には、週日と変わらない学生がいました。なんと、休日も授業があるとのことでした。会場になっている、講堂の前には、学生達の行列が出来ていました。この時点から、胸がじーんと熱くなりました。

 午後5時になり、それまで日頃の活動や練習風景の動画が流されていたのですが、何の前触れもなく、いきなり演技が始まりました。意表を突く、良いアイデアだと思いました。伝統的な演技に、今風の演出を織り交ぜ、会場とも一体となって、素晴らしい雰囲気の中で、演技は続きました。この発表会をもって役目を終え、実質的に後輩に、任務を譲る4年生の演技には、涙が零れそうになりました。最後は、何時ものように校歌で終わりました。こうして、青春の想い出を、現役が再現してくれ、毎年、幸せな時間を持つことが出来ます。特殊なクラブに心血を注いで、青春の一時期を過ごしたことが、現在の、老後を生きる礎になっています。

 発表会終了後は、例によって、現役との懇親会になりました。中華料理屋を、ほぼ貸し切りにして貰って、現役と酒を飲み、かつ話しました。今日は、酒が飲めるようになった、3,4年だけが参加しましたので、心置きなく飲むことが出来ました。

 懇親会が終わって、1曲歌わないと帰れないという後輩と一緒に、皆と別れて、4人でカラオケに行きました。この後輩は、本当に音楽的才能が豊かで、我がクラブの愛唱歌を、作詞作曲したのです。勿論、歌も、ただ怒鳴るだけの私と違って、非常に上手いのです。既に、10時半を過ぎていましたので、一人2,3曲歌って帰りました。土手の道を歩いて帰り、家に帰り着いたのは、午前1時を過ぎていました。

 

「多摩河原 朝日に輝く 富士を背に 朝霧の中 白鷺の舞い」

「親離れ 舞台で歌う 孫娘 やんちゃ娘が 天使に見える」

「青春の 我等が姿 目の前に 後輩達は 今を生きてる」

「歳とりて 頭は白く なりぬれど 声張り上げて 校歌を歌う」

「年進み 後輩達は 孫の歳 若い血潮の たぎる時なり」

「夜の土手 歌唄いつつ 家路行く 昼間の余韻 胸から去らず」

 

 

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2018年11月23日 (金)

2018年11月22日

2018年11月22日

 

重苦しい朝でした。天気予報では、雨になると言っていたのですが、雨は降らず、午後には日差しも出て来ました。

ゴーン社長逮捕のニュースは、今日も続いていました。ゴーン社長の出身会社であるルノーは、フランス政府の資金も入っているらしく、フランスの経済大臣は、今度の事件は、日本の陰謀ではないかと疑っているようです。何れ明らかになっていくでしょう。

それにしても、日本の大企業に、陰りが見えてきたように思いました。日本の根幹を支えてきた三菱重工業、東芝、シャープ、パナソニック等、往事の勢いがなくなったように思われます。会社は、創設発展期、拡大安定期、放漫没落期と、3代目で潰れると言われていますが、日本は、没落期に入ったのではないでしょうか、とても心配です。社会を動かす政治家も官僚も、そして経済人も、甚だしく質が低下したように思われます。政治家は、未来を見据えて政策を立てるのではなく、場当たり的な政策で、知り合いを助けるか、政権維持だけに終始しています。官僚も、国家を正常に動かすのは自分達だという自負心を忘れ、政治家に盲従しています。トップ企業の経済人も、着実な企業運営よりも、投機的な企業運営に関心が強まっているように思います。

最近の若者は、このような社会の衰退を、肌で感じているのではないでしょうか。未婚率の増大、少子化といった社会現象は、その如実な表れのような気がします。孫の世代が、暗い世代にならないように願っています。

 

この2,3日の冷え込みで、我が家の前の桜が、一気に紅葉しました。今年は、紅葉しないまま葉を落としてしまうのではないかと諦めていたのですが、目の前の紅葉を、楽しめるようになりました。

今日は、天気予報に拠れば、1日中曇りだとの予報だったので、散歩は聖蹟桜が丘へ歩くだけにしようと思って、土手に出ました。すると、河原の荻が赤枯れて、穂は真っ白になっていました。毎年見ていた晩秋の風景が、目に前に広がりました。多摩の里にも本格的に秋が訪れたことが分かり、郷土の森公園まで歩くことにしました。

中河原公園の棗は、すっかり葉を落としていましたが、欅が程よく色づいて、渋みのある紅葉でした。また、公園の北側には、公孫樹と唐楓が2列に植えられていて、朱と黄色の競演が見られるのですが、今日はまだ、唐楓が遠慮していました。

そこから、第3都市緑道を歩くと、次々と秋の出し物が出て来ました。早く色づいた唐楓、道に落ちた真っ黒い楠の実、満開の山茶花の道、黄葉真っ盛りの公孫樹並木、紅葉の始まったイロハ紅葉、モチノキの赤い実、存分に秋を楽しみました。

郷土の森公園に入ると、真っ先に歓迎してくれたのは、盆栽の紅葉でした。手作りの盆栽は、あまり好きでは無いのですが、今日の盆栽の紅葉は、人間の細工に対する自然の抵抗のように思えて、気分良く見る事が出来ました。公園の中の日本庭園には、十月桜、皇帝ダリア、黄花秋桜、アメジストセージ、色々な菊、薔薇と花づくしでした。これも人間の手作りです。1番驚いたのは、土手一面に植えられたサツキが、ほぼ満開だったことです。まるで、春のようでした。狂い咲きしたサツキやツツジは、今年はありふれていて、何度も見ましたが、これ程沢山花が咲いているのを見たのは、初めてでした。歩いている途中で、青空が広がり、日差しも出て来ました。紅葉が一段と輝きました。思いがけない紅葉狩りとなりました。

 

「晩秋の 丸刈りの土手 君を見る 独り逞し 月見草かな」

「荻の原 白穂の彼方 ビルの町 秋の知らせを 受ける気ありや」

「荻の穂と 高さを競った 泡立ち草 今は穂先の 白さを競う」

「公園に 木陰作りし 欅の木 子供の歓声 聞きつつ色づく」

「盆栽の 鉢の楓も 紅葉し 造花じゃないと 主張しており」

「黄葉の 公孫樹並木を 皆が見る 今年も変わらぬ 大和の秋かな」

「山茶花の 垣根が続く 小径には 木枯らし吹かずも 花筵かな」

「唐楓 公孫樹並木と 並び立つ 人が目論む 秋の競演」

「雲切れて 夕日の光 森を射て 赤く輝く 梢の連なり」

「森走る 光の帯が 呼び覚ます 色とりどりの 秋の役者等」

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2018年11月21日

2018年11月21日

 

 今朝は、余り良い天気とは言えませんでしたが、うっすらと富士が見えました。

 どの局のニュースを見ても、日産のゴーン会長の逮捕のことばかりでした。私は、会社の経理のことは分りませんので、ゴーン会長が、逮捕されるだけの悪事を働いたのか、良く分りませんが、要は、公的な書類に嘘の記述をして、税金逃れをしたと言うことでしょうか、何れの場合も、嘘は良くないですね。しかし、大会社の会長が、自身で書類を作成し提出するのでしょうか、上手くやって置けと、部下に不正を指示したのでしょうか、テレビで色んな可能性を言っていますが、ストンと胃の腑に落ちません。また、記者会見を行った、西川社長は、ゴーン会長とどういう関係にあったのでしょうか、社内でゴーン会長の不正を暴いた人の側で、経営を正しくしようとする理想を持った人なのでしょうか、それにしては、人格的に高尚な人とは思えませんでした。未だ、隠された物が多いような気がしてなりません。

 

午前中は、昨日のよこやまの道のウォーキングの記録を書くために、朝からずっとパソコンの前で作業をしました。早く書かないと、どんなことがあったかも良く思い出せなくなってしまうのです。午後、休憩を兼ねて、染み抜きの終わった着物を、引き取りに行きました。

午後、2時に家を出て、バスで記念館前まで行きました。そこから、昨日、山の仲間と歩いた道を逆を歩いて、桜が丘公園から聖ヶ丘遊歩道へ出ました。染み抜きをしてくれた工房は、聖ヶ丘センターの一角にあるのです。昨日のことを思い出しながら歩きました。聖ヶ丘センターの入口に、郵便局があり、年賀状発売中のポスターが見えたので、年賀状を買いました。もう、年の瀬は、直ぐ近く迄来ているのを改めて感じました。来年は、私も後期高齢者になります。

郵便局の直ぐ先の方に、染み抜きの工房があり、中に入ると、着物を預けた時に、受付をしてくれた白髪のお婆さんが出て来て、着物を開いて染み抜きの状況を、丹念に説明してくれました。染み抜きを頼んだのは、訪問着2枚と羽織が一枚でした。訪問着の方は、染み抜きも洗いも良く出来たらしいのですが、羽織の方は、染み抜きをしたら、色抜けしてしまったようです。この事は、受付の段階で言われていたので了解しました。全部を大きな紙袋に入れて、バスで聖蹟桜が丘に戻り、そのまま我が家に戻りました。この訪問着は、娘が、12月2日、末の孫の七五三の時に着るそうです。七五三のお参りには、私も一緒に行く予定です。

我が家には、4時過ぎに着いて、また、よこやまの道紀行に取りかかりました。その最中に、珍しい人から電話がありました。イタリアのローマに居た時代の麻雀仲間で、画家でもありました。日本でも、何回か個展に顔を出したことがあります。彼の作品も1点買いました。ところが、ここ数年音信不通でした。ただ、今年の夏に、奥さんを亡くしたことを、風の便りで聞きました。その人から、いきなり電話があったので、最初は誰だったか、直ぐには思い出せませんでした。しかし、話している内に、全てを思い出しました。イタリア時代の懐かしい思いで話になりました。共通の友の話が次々に出ました。人生の一時期を一緒の舞台で過ごした人の有難さを、改めて痛感しました。

彼は、奥さんを亡くした後、気持の整理がつかず、絵筆を取ることが出来ないそうです。割と強気な奥さんで、彼の尻を叩いていました。個展の開催とかは、全て奥さんがやっていました。頼りにしていた奥さんの死は、本当に辛いことのようでした。今日電話してきた理由は、イタリア時代を矢鱈と思い出すらしいのですが、誰と誰が一緒の時代か、頭が混乱するらしく、私が、何時から何時までローマに居て、その時の麻雀仲間は誰だったか等を知りたかったようです。彼と話しながら、私も一気にイタリア時代に戻ってしまいました。あれから、もう20年以上、月日が過ぎたのですね-。

彼とどれくらい話していたのか、30分近く話したと思います。夕食を遅くして、漸く「よこやまの道」の紀行文を纏めました。ほっとして、ボジョレヌーボーの残り半分を飲みながら、今日の一日を終えました。

 

「友達と 歩いた思いで 辿りつつ 文字に書き出す 楽しき作業」

「一日を 一緒に過ごせる 友が居る 思い出話も 一緒に出来る」

「この歳で 思い出作りが 出来るとは 有難きかな 仲間の存在」

「想い出に 浸りし時に 懐かしき 別の舞台の 友の声聞く」

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2018年11月22日 (木)

2018年11月20日

2018年11月20日

 

 今日は、山の仲間とよこやまの道を歩きました。何時もの75調の「よこやまの道紀行」で、一日の様子を想像してみて下さい。

 

よこやまの道紀行

 

「何時になく 気弱そうなる 山男 何時もの笑顔 見えぬは寂し」

「唐木田に 革ジャン姿で 登場す 取りを務める 伊勢原の人」

「遊歩道 これなら行けると 思うたか 今日の参加者 十六人」

「爺婆の 長き行列 唐木田に 信号短く 一度で渡れぬ」

「のんびりと 尾根幹線を 渡り切り 漸く始まる よこやまの道」

「暫しの間 林の小径 歩いたら 車行き交う 一般道に」

「右手には 緑色濃き ゴルフ場 古色豊かな 建物左に」

「道脇に コンビニ店の 現れて コンビニエンスと 用足しに行く」

「小休止 終りて人数 数えたら 一人足らぬと 大捜査網」

「探し人 木陰の側で 空見てた 一件落着 愛でたし愛でたし」

「右に折れ 左に折れてを 繰り返す 里中の道 よこやまの道」

「突然に 視界の開け 丹沢山 皆で登りし 大山の勇姿」

「大勢に 踏まれて固き 道端に 晩秋に咲く 菫の一輪」

「庭先に 赤き実の生る 棗の木 皆集まりて 棗味わう」

「庭先を 飾る花の名 尋ぬれば 思い出せずに 思わず笑い」

「昼餉時 昼餉の場所に 到着す ほんのり紅葉 一本杉公園」

「真鴨等が ゆっくり泳ぐ 池の端 皆集まりて 弁当広げる」

「冬間近 最後の恋の 真っ最中 蜻蛉の恋路 邪魔する爺婆」

「膝の上 帽子の上に 一休み 人なつっこき 赤トンボかな」

「これまでは 大きな握りを 頬張った 昔が恋し 伊勢原の人」

「こんにちは 大きな声が 聞こえ来る 可愛い盛り 園児の列かな」

「歳問えば 私は5歳と 手を広ぐ となりの園児 指を3本」

「昼餉終え 女の園を 素通りし 墓地の広がる 白樫への道」

「武者達の 戦場への道 鎌倉道 今は立派な 鎌倉街道」

「えっ此処が 昔人等が 行き交いし 武相の境 古道五差路か」

「防人も 見返るほどの 峠かな 武蔵国を 眼前一望」

「大名が 領地を見渡す 気分なり 撮らずばなるまい 記念撮影」

「眼前に 武蔵国を 取り囲む 丹沢奥多摩 秩父の山々」

「山見つつ 皆で登りし 山々を 思い出しつつ 指折り数える」

「弓なりに 歩き来たりし 道見える まだまだ元気 顔の綻ぶ」

「唐木田に くるくる回る 灯が見える 出発点を 教える如し」

「眺望を 堪能し尽し 峠去る もうすぐ完歩 よこやまの道」

「病押し 皆と歩いた 気丈なる 伊勢原の人 疲れが見える」

「結局は よこやまの道 完歩した 我等が仲間 伊勢原の人」

「もう一人 病を押して 参加した 山の男も 完歩するなり」

「弓の橋 よこやまの道 東端で 病の二人を 車に乗せる」

「歩ければ どんな時でも 歩こうよ それしか出来ぬが それが幸せ」

「二人去り 残りし者は 腹を決め 宴の前の もう一歩き」

「剣橋 馬引沢公園 元気橋 紅葉見事な 聖ヶ丘かな」

「もう少し 一踏ん張りの エネルギー クッキー広げる 高幡の人」

「予期しない 最後の最後に 上り坂 これは堪えた 明治記念館」

「記念館 見学時間は 5分間 きついお達し 慌てて見学」

「調べたら 三分後には バスが来る 走って走って 楽々セーフ」

「宵の口 今日の歩きを 無事終えて 心待ちした 宴の始まり」

「高々と ジョッキを上げて 乾杯す 喉を流れる ビールの旨さよ」

 

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2018年11月19日

2018年11月19日

 

 今日の午前中は、雨の予報でしたが、朝起きた段階では、曇り空ではありましたが、雨は降りませんでした。

 午前中の仕事をしていると、着物の染み抜きを頼んでいた、藤原染洗工房から電話がありました。頼んでから一月以上掛かりましたが、漸く染み抜きと洗いが終わったようです。明後日取りに行くことにしました。

 午後、少し遠回りをして、近くのショッピングモールへ行きました。私が利用する四谷橋北というバス停の近くには、桜の木があったのですが、この前の台風で、かなり痛んでしまい、伐採されてしまいました。その他にもこの辺りは、古いアパートが壊されて、更地になるなど、すっきりとしましたが、情緒がなくなったような気がします。来年の春からは、桜の花の下で、花吹雪を見ながら、バスを待つことは出来なくなりました。

 バス停から、一本離れた道の畑には、ハコベ(繁縷)と仏の座の花が、まるで春のように咲いていました。フウセンカラワタ(風船唐綿)の花も、ほんの少しだけ咲いていて、実は沢山生っていました。前にも書いたと思いますが、フウセンカラワタの花は、白く小さくて可愛い花です。でも、その実は、鬼灯のようでもあるのですが、毛の生え具合、膨らみ方が、陰嚢を連想させ、好きになれません。今は、イヌホオズキ(犬鬼灯)の花の季節なのでしょうか、となりのアパートで、沢山咲いていました。

 軽く歩いて、近くのショッピングモールに行き、先ずノジマ電気に行きました。12月から、4K放送が始まるようなので、我が家のテレビで、4K放送を受信する事が可能なのか確認しました。定員によれば、私が、テレビの型番をメモしていかなかったので、正確には言えないが、説明書に4K用チューナー内蔵と書いてあれば、そのままで受信可能であるし、内蔵していなければ、チューナーを買う必要があるそうです。家に帰って調べて見たら、どうやらチューナーは内蔵していないようです。

 次に、西友に行き、色々買い物もしましたが、ボジョレヌーボーが安く売っていましたので、買ってみました。何時頃から、これ程ボジョレヌーボーが騒がれるようになったのか記憶していませんが、どんな小さなスーパーにも、ボジョレヌーボーが並ぶようになりました。マスコミが発達した時代の商売は、凄いと思いました。私のような、流行に鈍感な人間でも、つい買ってしまいました。

 夜は、ボジョレヌーボーが美味しく飲めるように、貝柱と海老のアヒージョ、とろけるチーズを軽く春巻きで巻いてフライにしたチーズ春巻き、トマトサラダを作り、ボジョレヌーボーを楽しみました。安物でしたが、美味しく飲めました。私は、誰にでも共通し、数値で表せるような絶対的味覚は、存在しないと思っています。当然ながら、値段に比例して味が良くなるとも思っていません。酒でも食事でも、味は個人的なもので、体調、気持の高揚、場の雰囲気などに大きく左右されると思っています。逆に、美味しく酒が飲める、食事が旨いと感じる時は、体調も精神の状態も良いのだと思っています。今日は、美味しく飲めたので、明日のウォーキングも楽しめるでしょう。

 寝る前にニュースを見ていたら、日産のゴーン会長が、所得の虚偽申告で逮捕されたと報じていました。社長が記者会見に応じているようでした。今後どうなるか分りませんが、大変な事件が起きました。

 

「バス停に 日陰をくれた 桜の木 風に痛んで 伐採の憂き目」

「冬間近 そんなに咲いては いけないよ 春と見紛う 仏の座かな」

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2018年11月18日

2018年11月18日

 

 「雲多けれど、日差しもござる」、そんな朝でした。アロエの花は、未だ開きません。蕾を見つけてから、少なく見積もっても2週間は経っていると思います。一体何時になったら咲くのでしょうか。

 今日は、10時から、アパートの理事会がありました。夕方も6時から理事会があるのですが、午前の部は、EV車(電気自動車)充電器を導入するかどうかを最終決定するため、工事会社を交え、導入反対の人も含め、意見交換会と勉強会をやりました。色々話をしてみて、充電器導入に反対の人も、今後、EV車が増えることには賛成であり、ただ、現在1台もEV車がないのに、現時点で充電器を入れるという、タイミングの問題として、反対だったようです。何れにしても、早めに住民総会を開き、総会の場で決定することになりました。

 午前の理事会は、11時半には終わりましたので、夕方の理事会までに、高尾山口、多摩森林科学園、武蔵野陵、多摩陵、綾南公園と急いで歩いて来ました。歳で行われる、スペイン語による百人一首の会にも誘われていたのですが、午後の理事会までに戻るのが難しいようなので、止めることにしたのです。

 12時半に家を出て、1時20分頃、高尾山口に着きました。今日は、高尾山に登る気持はさらさら無く、高尾山口のお土産屋で、高尾山みやげの「スナックなつめ」を買うために行ったのです。このお菓子は、棗の実を輪切りにして、軽く塩味にして、乾燥させたものだと思います。カリッと歯応えも良く、棗の味がしっかり残っているので、自然の実を食べているようで、私好みのお菓子だったのです。今度妻と会う時のためのお土産にしようと思ったのです。私が、一度に3袋勝ったので、お土産屋の小母さんが喜んで、「これ、うちだけで売っているんですよ、噛んでいると棗の風味がして美味しいでしょう」と言ったので、「そうですね、だから買いに来たのですよ」と答えると、くしゃくしゃの笑顔になりました。

 高尾山口に長居をする気は無かったのですが、1週間前に来た時に較べると、紅葉が、ほぼ盛りを迎えていましたので、枇杷滝口の紅葉園を鑑賞して、高尾山口駅に戻り、高尾駅から、森林科学園に2時に着きました。高尾山口は、紅葉が見頃を迎えたこともあり、信じられないような混雑でしたが、森林科学園の方は、私と一緒に入園する人は、誰もいませんでしたし、園内でも数人の人と出会っただけでした。森林科学園の春は、様々な桜が咲き、人気があるのですが、秋は見るべき物がなく、全く人気がありませんでした。私も、早々に切り上げることにしました。1つだけ良かったのは、この前、何処かで見かけた木の名前が分ったことです。葉っぱが、チューリップ型をしている珍しい木でした。先端が三裂した唐楓に似た葉なのですが、葉がもっと大きいのです。オヒョウ(於瓢)という名の木で、別名アツシノキ(厚司の木)、ヤジナ(矢科)、ネバリジナ(粘科)とも言うそうです。

 森林科学園から歩いて武蔵野陵に行き、3時過ぎに着きました。入口広場の近くにある池の周囲の紅葉が、今が盛りと色づいていました。残念だったのは、太陽の光が、殆ど無くなっていたことです。折角の紅葉が、輝いていませんでした。昭和天皇の武蔵野御陵から、大正天皇の多摩御陵へ移動した時、管理人から「直ぐに閉門に時間になります」と注意されたので、閉門の4時少し前に、御陵を出ました。

 高尾街道から、御陵へ続く欅並木の落ち葉を踏みしめながら、南浅川縁にある陵南公園へ行きました。綾南公園では、大々的に「八王子いちょう祭り」をやっていました。川の両側には、ズラリと出店が並び、運動公園には、ミニトレインが走っていました。更に、二つの舞台が用意され、1つの舞台では、新撰組のような服装をした若者が、何十人も居て、八王子の町内会の大きな旗を打ち振っていました。別の舞台では、若い女性のチームが、ダンスの競演をやっていました。公園内には、いたる所に黄花秋桜が咲いていました。しぶとい花です。

 陵南公園を出て、高尾街道に出ると、イチョウ並木が、見事に黄葉していました。此処も太陽がないのが残念でした。日没の時間も過ぎ、宵闇は直ぐ近く迄迫っていました。

 我が家に5時半に帰り、急いでシャワーを浴びて、6時5分前に、理事会に出席しました。理事会では、午前中のEV車の充電器の他、前回からの懸案であった、台風被害の回復について、理事会としての結論を出しました。今日初めて知ったのですが、アパートの新しい事業に関しては、総会に於いて、四分の三の賛成がなければ、実施できないそうです。監督官庁の指導があるのかも知れませんが、住民の少数派の意見も大事にする、良い方法なのかも知れないと思いました。しかし、事業に対する結論を得るのは困難で、事業が進まないことも多々あるようです。

 

「冬間近 何時から君を 見てるだろう 今も元気な 黄花秋桜」

「ビル街に 黄色き帯の 続いてる 高尾街道 公孫樹の並木」

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2018年11月17日

2018年11月17日

 

 今日は、私が監事をしている、千葉の方の学園の理事会だったので、6時に起きて、7時には家を出ました。そんな訳で、今朝どんな天気だったかを、落ち着いてみていませんでした。外へ出ると、空気は冷たく感じましたが、なかなか良い天気でした。

 バス停に着くと、聖蹟桜が丘行きのバスが、丁度行ったばかりで、30分近く待たなければならなかったので、急遽、国立から中央線に乗り、お茶の水で総武線に乗換え、本八幡へ出ました。これまでの、京王線と地下鉄新宿線を使って、本八幡に行ったのに較べ、30分以上早く、8時半には本八幡に着きました。理事会は、10時開始です。余り早く着いたので、本来なら菅間まで一駅、京成線に乗るところを、歩いて菅間まで行きました。ゆっくり歩いた積もりでしたが、9時前に菅間駅に着いてしまいました。仕方なく、平田緑地の松林で、松ぼっくりを拾ったりして時間を潰しました。松というと、盆栽の曲がった松を連想するのですが、此処の松は、すらりと真っ直ぐ伸びていました。9時半に平田緑地を出て、9時40分に学園に着きました。

 理事会の席上には、A3の紙に数字がびっしりと詰まった、6ページの資料が置かれていました。学園の経理に関する中間報告と、幼稚園から高校までの生徒数の経年変化の資料でした。経理は、私の役目に関連するのですが、眼鏡をかけても目が霞んできました。気持が、拒否しているのかも知れません。事務局からの説明を聞いても良く分りませんでした。頭もぼーっとなりましたが、30分早く、理事会が終わって救われました。

 12時には学園を出ました。午後は予定がないので、朝とは反対に、市川駅まで歩きました。平田緑地の後ろは、諏訪神社でした。小さな神社でしたが、狛犬は立派でした。直ぐ近くに、胡録神社、春日神社も並んでいました。「ふれあい七社めぐり」が開催中でした。神社は、八百万神を祀るので、幾つあっても良いとは思いますが、こんなに近くに並んでいるのは、珍しいと思います。

 市川駅から、秋葉原で乗換え、上野公園に行きました。フェルメールの絵を見たかったのですが、日曜日で行列が出来ていましたので、止めることにしました。他に、ルーベンスやムンクの絵画展もやっていましたが、心が動きませんでした。帰ろうと上野駅の方へ歩いていたら、刑務所の手作りの製品を売っている場所があったので、寄ってみました。私が住んでいる、府中刑務所でも、同じような店を出す事がありますし、刑務所内の作業場を見学したことも有りますので、何となく親近感があるのです。今日も、梟の絵が描いてある、小さな手鏡を買いました。囚人の更生に役立つのではないかと、思ったりするのです。北海道刑務所の品でした。

 上野公園の紅葉も盛りとは言えなかったので、新宿御苑に行ってみました。此処も、週日とは違って、かなりの混みようでした。バラ園の両側のプラタナス並木が、良い感じに黄葉していました。下の池と中の池には、真鴨がやって来ていました。冬の渡り鳥と紅葉の時期は、重なるようです。そろそろ多摩の方にも、渡り鳥が来ているのでしょうね。上の池では、菊花展をやっていました。高幡不動の時と同じで、凄いとは思いますが、あまり好きにはなれませんでした。新宿門の所まで歩いてくると、芝生に光の帯が出来ていました。夕日のものではないようでした。近づいて確かめたら、反対側のビルの反射光でした。木漏れ日とは違った味わいでした。新宿御苑は、都会の真っ只中にありますが、大木は高尾山より多いような気がします。土地の栄養の違いでしょうか、伐採が少ないせいでしょうか、一度調べて見たいと思いました。喉が渇いたので、新宿門の近くの売店で、ビールを買おうとしたら、園内は禁酒とかで、アルコール類は一切売っていませんでした。残念至極でした。

 新宿門から出て、新宿駅の南口まで歩きました。南口の人の多さに、また魂消ました。私が、上京した頃は、東口だけが栄えていたのですが、今の新宿は、どこもかしこも人だらけでした。それが新宿らしさですかねー。何せ日本一の盛り場ですからねー。

 新宿から乗った電車が、多摩川渡る時、富士の裾野の方に、日が沈んだところでした。残照が空を朱く染め、黒い大仏のような富士を際立たせていました。聖蹟桜が丘に着いて、家に帰り着いた頃には、薄紫色が、地平の方まで下りてきていました。

 

「杉のよに 真っ直ぐ素直な 松林 地面に松の実 踏み場なかりし」

「薔薇と共 朱く色づく プラタナス 大和国にて 秋の装い」

「紅葉の 映る水面に 真鴨かな 君住む土地も 寒くなりしか」

「子等遊ぶ 芝の広場に 矢の如く 真っ直ぐ延びる 光の帯かな」

「我が家へと 向かう電車の 車窓から 朱く染まった 夕焼けの空」

「今し方 炎の如き 残照の 青紫の 帳に変わる」

「西方の 富士の裾野に 日の落ちて 輝く光背 黒き大仏」

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2018年11月16日

2018年11月16日

 

 今朝が、どんな天気だったか、良く憶えていません。良く晴れていたが、富士は見えなかった、そんな気がします。

 ニュースで、安倍総理とプーチン大統領の首脳会談の結果が報じられていました。両首脳が自国のマスコミに向けて発表した内容は、根幹の部分で、かなり食い違いがありました。安倍総理は、2島の先行返還が順調に進展しているように話しましたが、プーチン大統領は、1956年の共同宣言における、平和条約締結後の2島返還は、どの様な形で返還するかは決まっていないと言い出しました。主権は返還せず、使用権のみ返還と言うことも有り得ると言っています。いずれにせよ、外交上の発言は、交渉を有利にするための、巧妙な虚言が多く、今後の進展を見守るほかないと思います。単に、内政の弱点を隠す為に、外交問題を取り扱うことは、良くあることで、今回、両国に同じような事情があったという意見が、かなり出ています。

しかし、一般的に言って、純粋に外交で、2国間の問題を解決することは、非常に難しい事です。両国間に、軍事的あるいは経済的に大きな力の差がある場合にのみ、力のある国に有利な形で、交渉が妥結します。日本は、軍事的に弱い立場にありますが、この差を、日米安全保障条約によって、米国に埋めて貰っています。経済力においては、日本のバブル崩壊以降、大きな差がなくなりました。従って、両国に大きな力の差がなく、この外交交渉は、日ソ間だけでは、妥結するのは、非常に難しいのではないかと思います。

しかし、変わったなーと思ったのは、ロシアがソ連の中心だった冷戦時代は、鉄のカーテンと言われて、ロシアの内部情勢は、殆ど外へ出ませんでした。ロシア人には、外部の情勢も知らされませんでした。ところが、今回の北方領土交渉に関しては、ロシア内部の専門家の討論の模様が、ロシア国内にも流れ、国際ニュースにもなりました。若しかすると、ソ連時代とは、違った対応をするかも知れないと思いました。

 

今日は、来週の「よこやまの道」のウォーキングの最後となる、桜が丘公園の紅葉の状態と、明治記念館の開館日と開館時間を確認に行って来ました。

少し、遅くなったのですが、3時近くに家を出て、バスを乗り継ぎ、桜が丘公園の入口である、記念館前バス停に着いたのは、4時頃でした。バス停から記念館までは、5分も掛からないので、先ず明治記念館に行きました。休館日は、月曜日と水曜日で、その他の日は、10時から午後4時まで開館、入場料は無料でした。今度のウォーキングは、火曜日ですし、4時までには入館できそうですので、問題ないと思います。但し、私は、桜が丘公園に、数え切れないほど行っているのですが、明治記念館に入ったのは、何年か前に一度きりでしたので、すっかり忘れていました。残念ながら、今日は中に入れませんでした。明治天皇の乗馬姿の像以外、記憶に残っているものがありません。その程度の展示物だったと思います。

記念館の周囲には、沢山の紅葉があるのですが、残念ながら、まだ紅葉とは言えない状態でした。記念館から、トンボの池の方に下りて、大谷戸公園を経て、聖蹟桜が丘に戻りました。途中に、千日紅と白花の千日紅が、紅白の花畑を作っていました。白花赤花もそうですが、白花千日紅と言うのですかね-。何か少し変な気がします。5時半に我が家に戻りましたが、完全な夜になっていました。日没は4時半、天体の運行は、冬至に向かって確実に進んでいます。

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2018年11月16日 (金)

2018年11月15日

2018年11月15日

 

 雲1つ無い、素晴らしい、朝でした。富士の白嶺が、朝日に輝き、青空の中に、稜線がくっきりと引かれ、存在感がありました。

 思わずカメラを持って、外に飛び出し、富士が裾野の方まで見える場所まで、急いで歩きました。何度も何度も富士を見ているのに、何故、飽きないのでしょうね-。今日も暫く、富士を眺めていました。

既に朝日は昇っていましたが、ほぼ真横から光を放つ朝日は、草木の別の顔を引き出していました。コセンダングサ(小栴檀草)は、ほぼ花の時期が終り、イガ玉に変わっていました。普段は、衣服に付くので、憎たらしい奴なのですが、朝日を後ろから受けて、飾り玉のように光っていました。背の高いアワダチソウ(泡立草)は、終りを迎えたのに、背の低いアワダチソウは、今が盛りでした。これだけ背丈が違うと、同じ草花なのかと疑ってしまいます。逆光状態で見ると、エノコログサ(狗尾草)も、チカラシバ(力芝)も、荻の穂も本当に綺麗に見えますが、今朝一番驚いたのは、アレチウリ(荒地瓜)の蔓の先の方でした。産毛のような細かい毛が、真っ白く輝いていました。アレチウリも、葛に負けないほど河原に蔓延り、他の草を隠してしまう憎い奴なのですが、こんなにも美しい一面があると知りませんでした。また、朝露が降りたのでしょう、草の葉の個性を生かすように、水玉が光っていました。ノビル(野蒜)の緑の髪のような葉が、その形に輝いていました。タンポポ、仏の座、釣鐘人参、木瓜も咲いていました。何枚も何枚も写真を撮りました。時々、水玉が金色に輝く時もあるのですが、その輝きが中々写真に撮れませんでした。

 午後は、ずっと富士を見ながら、高幡不動まで歩きました。しかし、地平が白っぽく霞んで来て、朝のような存在感はありませんでした。高幡不動は、この地方の紅葉の名所ですが、楓の紅葉は、始まったばかりで、紅葉した木は、まだ2,3本でした。イチョウの黄葉は、最盛期を迎えていて、金色の相輪と輝きを競っていました。境内は、七五三の家族と菊花展を見に来た人で混雑していました。境内の殆どが菊で埋まっていました。菊花展に出展された菊の花には、驚かされはしますが、造花を見ているようで、余り好きになれません。高幡不動の門の南の空に、この明るさの中、月が見えました。今、近くにいる太陽が、光らせているのだと思うと、不思議な気がしました。

 午後4時過ぎには、我が家に戻りました。丁度、日没が近づいていました。夕日のせいで、富士が見えませんでしたが、日が地上に落ち始めると、富士が現れました。富士の少し右に、日が落ちました。あと1週間以内に、我が家でダイヤモンド富士が見られそうです。

5時半頃から、暫く間が開くと食べたくなる、アサリバター、蛸と茸のアヒージョ、鰺のカルパッチョを作り、6時過ぎから、次男と一緒に日米野球を見ながら、晩酌にしました。カルパッチョは、市販のカルパッチョソースで作ったものと、私の手作りの、塩、おろし立てのニンニク、オリーブオイルだけのものを、食べ比べて貰いました。次男は、市販のソースでは、肴の生臭さが残ると言って、私のカルパッチョが旨いと行ってくれました。

 

 ところで、米国と中南米諸国の国の発展の違いで、私が上げた4つの要因の4つめは、移住者の宗教との係わり方でした。

 米国への移住の最初の頃、英国から米国への移住者を乗せたメイフラワー号には、英国国教会から迫害され、信教の自由を求めて、50人近い移住者が乗船していたそうです。米国における植民地建設の先駆けとなった彼等は、英国国教会に属さず、米国に信教の自由を根付かせたそうです。その後、米国に移住した移住者の中には、カトリックも含め、様々な宗教の人達もいましたが、各々の信教を守ることが出来、宗教の違いによる、組織的な迫害や差別は、少なかったようです。信教の自由は、宗教組織による支配が強かった、中世から、主権在民の民主主義を基調とする、近代への移行にも繋がったようです。そして、国民自身が、自己と国家の発展に、大いに寄与したのです。

 中南米では、移住者に先駆けて、国家組織やカトリックのイエズス会が、現地に赴きました。そして、原住民を支配すると共に、カトリックへの改宗を強要しました。強硬な手段を執ったりしたので、原住民の全てが、カトリックに改宗しました。カトリックは、国教となりました。そして、原住民を、以前の文化や宗教との隔絶を計るため、原住民の寺院を破壊し、カトリックの教会を建設しました。そして、政治と宗教が共同で民を支配する、中世の社会が、長く中南米諸国に残ったのです。その後移住したスペインからの移住者は、貴族のような待遇で、原住民を使った農業や鉱業等で、巨万の富を得ると共に、原住民支配の手伝いをしました。住民が富を手にし、力を付けることは、植民地経営を危うくすることでした。その為、住民は常に、貧困に喘ぎました。このような状態では、中南米の各国が発展するのは、無理があるというものです。

 

 明日から、朝からの予定が続くため、16日から22日まで、日記を休みます。

 

「起き抜けに カーテン引けば 真白なる 富士の高嶺の 我が目の中へ」

「朝日背に 小栴檀草の イガ玉の 宝の玉に 変わりし如し」

「朝露が 朝日を受けて 金色に 萱の葉の背で 光を放つ」

「蔓先の 産毛が光る 荒れ地瓜 朝日が教える 新たな一面」

「晩秋に 春と変わらぬ 木瓜の花 新たに出来た 小さな木瓜の実」

「宝箱 ひっくり返った 土手の道 道1杯に 輝く宝石」

「朝露の 野蒜の髪に 白銀の ベールとなりて 髪を覆えり」

「金色の お花畑が 出来ている 何故か小さい 泡立草かな」

「黒門の 上に仄かな 月明かり 夕日の輝き 月をも照らす」

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2018年11月15日 (木)

2018年11月14日

2018年11月14日

 

 朝方は、雲があったのですが、直ぐに晴れて良い天気になりました。残念ながら、富士の方にだけ、雲が残りました。

 今日のニュースで、移民キャラバンが米墨国境に着いたようで、私が以前見たのと同じような、国境の塀を登っている不法移民者の姿が報じられていました。こうした光景が生まれざるを得ない、米国と中南米諸国の違いについて、原因の3番目は、移住者の民族の違いだと思っています。当初は主として、米国にはアングロサクソン民族、中南米にはラテン民族が、移住しました。この民族の違いも、その後の発展に影響したのではないかと思っています。

 しかし、民族が、一定の遺伝形質を持ち、共通の歴史や文化を持ち、誰もが同じような考え方をし、同じような行動をする集団として論じることが出来るかについては、甚だ疑問があります。それにも拘わらず、民族の問題を取り上げたのは、厳密に民族の性質を定義することは出来なくても、一定の性質は共有するのではないかと思ったのです。

 記憶は定かではありませんが、多分ヘーゲルだったと思いますが、ピレネーとアルプスを越えた地は、ヨーロッパではない。その地は、気候が温暖で、食料生産も容易であり、生活に多くの知恵を必要としない。従って、その地に住む人は、生活の維持改善に大きな関心を持たないと、論じていたように記憶しています。現実に、イタリア、スペイン、イギリス、ドイツを訪問して、確かに一定の違いがあるように思われました。ラテン民族は、組織化や共同社会を嫌い、規範よりも自分の考えを信じ、自分達の利益を優先する民族のように思えました。アングロサクソンについては、組織化や共同社会も尊重するが個人の自由も尊重する、個人の利益も尊重するが社会への貢献も忘れない、自己主張も認めるが理性的な規範も尊重する、非常にバランスの取れた民族のような気がしました。このバランス感覚を巧みに利用して、国家も個人も、他に優越する狡知にも長けていたような気がします。従って、社会全体を発展させるためには、アングロサクソン民族の方が向いていたような気がします。

 米国と中南米諸国の発展の格差には、様々な要因が絡んでいると思われますが、民族の違いも要因の1つだとは思います。

 

 午前中、妻から電話があり、午後、新大久保の韓国人街を買い物方々、一緒に歩きませんかと誘いがありました。予定もなかったので、嬉しい誘いでしたが、急に用が入ったらしく、残念ながらキャンセルとなりました。

妻との予定がなくなりましたので、今日は、良く晴れましたので、多摩市役所から、「よこやまの道」を歩いて来ました。来週20日火曜日に、私の提案で「よこやまの道」を歩くことにしたのですが、思った以上に参加者が増え、地図が足りなくなったので、市役所によって地図を、人数分貰ってきました。そして、今度の「よこやまの道」は、何時も私が歩いている時と違って、唐木田から聖蹟桜が丘に向かって、逆方向に歩くので、間違えないように予行練習をしたのです。所要時間や食事の場所なども確認しました。駅から駅までだと、3時間半を見た方が良いと思いました。紅葉を楽しむウォーキングなるかは、疑問でした。

11時過ぎに家を出て、市役所に午後1時、唐木田駅に2時、「よこやまの道」を歩いて桜が丘公園に着いたのが、午後5時、家に着いたのが6時過ぎでした。7時頃から晩酌をしていたら、次男が帰ってきました。仕事ではなく、外出していたようです。二人で、ワイワイ言いながら、またしても日米野球を見ました。昨日に続き、今日も逆転で日本が勝利しました。

 

 

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2018年11月14日 (水)

2018年11月13日

2018年11月13日

 

 今にも、雨が降り出しそうな朝でした。陰鬱な風景でしたので、心も陰鬱になりそうでした。

 我が家の前の3本の桜が、紅葉しているようには見えないのに、花が咲いた順に、葉を落としています。最初に花を咲かせた桜は、既に半分以上の葉を落としました。

 移民キャラバンの続きですが、米国と中南米諸国の格差の起因の2番目は、移住者の意識の違いだと思っています。

 16世紀、ヨーロッパにおいては、大航海時代と宗教改革がほぼ並行して進行していました。宗教改革が進行するにつれて、カトリック側が、プロテスタントの勢いに押される傾向が出て来ました。この時期に、カトリック側にイエズス会が結成され、非キリスト教徒(未信者ともいう)の改宗、プロテスタントの拡大に対するカトリックの防波堤、高等教育の普及を目的として活動しました。創設者の一人で或る、フランシスコ・ザビエルは、日本にも来日しました。

 スペインが武力により植民地化した、旧アステカ帝国(メキシコ)、旧インカ帝国(正式にはタワンティン・スーユ(4州の国))の帝国地域は、副王領となり、スペインの政治組織、軍隊が駐在する事になりました。政治組織以外では、イエズス会が早い時期に進出して、原住民の改宗に取り組みました。拷問を含む、強烈な改宗も行い、早い時期に改宗に成功したようです。ペルーで拷問の跡を見てきました。一般の移住者は、一旗組が多く、自己の生活設計のためではなく、原住民からの搾取、原住民の統治補佐のような形で、移住することになりました。この移住者の子孫が、独立以後も中南米の旧帝国地域の支配者であり続けました。富の殆どを、彼等が握りました。原住民や、混血のメスティーソも、自由に職業を選択できない状況にありました。つまり、国民の側に、経済的発展の主役になる環境が整わなかったのです。

 一方米国には、ヨーロッパの封建社会の中で、小作として苦しい生活をしていた人達が、苦難から逃れ、自分で自分の生活を設計できる夢の新天地として、移住してきました。新天地には、原住民の国家もなく、出国した元の国からの支配も弱かったようです。移住者は、元の国にも、富をもたらすと思われていました。カトリックとか、英国国教会とか、組織力で信者を統制する宗教と縁を切り、個人が聖書と向き合う、プロテスタントの人々も、数多く移住しました。つまり、移住者の中に、将来を設計する自由と活力が存在したのです。従って、その後の産業革命も、自然に取り込むことが出来たのです。宗教組織は、国の発展には貢献できないと思います。国の発展には、国民の自由と活力が基本だと思っています。但し、経済発展が限度に近づいている現在においては、新しい経済モデル、社会運営が必要になっているのではないかとも思っています。

 

 今日は、大学のOB会の会議がある日でした。現役で働いている人も居るので、何時も6時半からと遅い始まりです。

 家を5時に出て、6時半に大学に着きました。夏の間は良かったのですが、今の時期は、5時というと既に暗くなっていて、夜の巷に出かけていく気分になりました。今日の会議は、私の勘違いで、種々議論が沸騰し、8時半過ぎまで掛かってしまいました。それにしても、何時も感心するのは、我が大学の卒業生の、大学に対する愛校心の強さです。同窓会の中には、幾つもの委員会があり、私もその委員会の1つに属していますが、委員の皆さん全てが、真剣そのものです。愛校心が、排他的になったり、大学運営に口を出したり、現役学生を支配するようにならなければ、それはそれで良いことだと思います。

 会議の後は、何時ものように軽く飲んで帰ります。皆が酒好きなので、私も助かります。今日も、楽しく美味しい酒を飲みました。

 

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2018年11月13日 (火)

2018年11月12日

2018年11月12日

 

 今日は、一日中曇りか雨との予報でしたが、午前中から夕方まで、日差しがありました。昔と違って、天気予報の当たる確率が非常に高くなったと驚いているのですが、今年の秋は、当たらない場合を何回か経験しました。

 ところで、移民キャラバン問題に関連する、米国と中南米諸国の国家発展の格差について、1番目の原因は、原住民の文化の違いだと思っています。南北アメリカが、大航海以降、欧州人が移住してくるまで、現在のメキシコを中心とするアステカ帝国、ペルーを中心とするインカ帝国が栄えていました。それぞれ、国家体制を持ち、現在とは比べ物になりませんが、軍隊も持っていました。ところが、メキシコ以北と、中米、南米北部からアマゾンに至る地域、現在のブラジル、アルゼンチン、チリには、以前の文化が廃れたり、遊牧民や原始的な種族しか居ませんでした。

この二つの地域を、仮に、帝国地域、未開地域に分けてみます。帝国地域では、先ず帝国と戦争をしなければなりませんでした。戦争そのものは、武器の威力に格段の差があり、短期間で欧州人(スペイン人)側が勝利しましたが、帝国地域には、住民が多数存在していたので、皆殺しにすることは無理がありました。また、移住者が自由に開発出来る土地も、限定されていました。結局、原住民を統治するという形で、スペインが国家として入りました。メキシコとペルーには、スペインの副王が置かれ、スペイン軍が駐屯しました。しかし、国民としては、原住民が圧倒的に多く、かつ、強姦を中心とした混血が進みました。この混血のことを、メスティーソと呼びます。結果的に、欧州的な政治を行うことが出来ず、スペイン支配による原住民国家という、中途半端な国造りになりました。

ところが、未開地域では、国家も存在しませんでしたし、原住民の数も少なく、欧州の移住者が開発出来る土地は、有り余っていました。従って、少数の原住民との間に、小さな争いはありましたが、原住民の多くは排除され、欧州移住者の地に変わって行きました。現在米国には、多くの民族が生活していますが、国家の成り立ちとしては、欧州人の国家です。ブラジル、アルゼンチン、チリも未開地域でしたので、基本的に米国と同じような、欧州人の国家になりました。従って、米国と同じとは言えませんが、南米では、ある程度発展している国です。

中米、南米北部から、アマゾンに至る地域も未開地でしたので、欧州人の国家が出来ました。しかし、米国が近いという理由や、奴隷として入国させた黒人との混血が進むなど、他の理由も重なって、発展が停滞することになりました。

種々省略した素人の意見ですが、米国と中南米諸国の違いの原因の1つは、簡単に言えば、欧州人国家が作れたかどうかだと思っています。

 

今日は、妻と夕食を共にする事になっていました。5時に待ち合わせでしたが、都心の大学に用事もあったので、少し早めに家を出ました。

午後3時少し前に家を出て、都心の大学に4時過ぎに着きました。この前、山の仲間と日向山に登った時に、大学のヒュッテを使いましたが、その時の鍵を返しに行ったのです。実は、鍵を借りたのは別の人間で、何処で借りたのかを聞くのを忘れていました。行けばなんとかなるだろうとの、何時もの楽観主義は、今日も上手く行きませんでした。守衛、大学の事務室2箇所に聞き回って、漸く鍵を返すことが出来ました。

その後、時間があったので、お堀端を歩いて、待ち合わせの神楽坂まで行きました。今日は、馴染みの中華料理屋で食事をすることにしていたので、直接、中華料理屋に行き、ビールを飲みながら妻を待ちました。10分ほど遅れて妻が現れましたので、先ず、昨日買った奥多摩の山葵漬けを渡し、誕生日のお祝いにしました。妻は、「えー これが-」と言うような顔をしていましたが、取り敢えず、義理にでも嬉しい顔をしてくれました。料理を注文する時、サプライズとして、妻が好きなフカヒレの姿煮を頼もうとしたのですが、高いので気を使ったのでしょうか、既に食べたことがあり好みの味でなかったせいか、断られました。仕方なく、何時ものように適当に6種類ほど料理を注文し、食事になりました。昼食が遅かったので、余り食べられないと言っていた妻が、良く食べました。他の所とは違って、辛みが強く、食欲を進めるのかも知れません。

満足して中華料理屋を出たのは、7時半頃でした。なんだかんだ言って、2時間以上、話しかつ食べました。妻は、私が以前話したことを覚えていないと怒りますが、話の内容をきちんと覚えていることは、最早無理なのです。自分も忘れるので、気になるのかも知れません。でも、忘れるから何度も話せるのだと思います。場所を移して、また、1時間ほど話して、今日の食事会は終わりました。年老いて、このような時間が持てることは、本当に有難い事です。

 

「永遠の 別れの時は 遠くない 楽しき逢瀬を 大事に大事に」

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2018年11月12日 (月)

2018年11月11日

2018年11月11日

 

 今日は、全国的の晴れるとの予報でしたが、雲の多い朝でした。ほんのお義理程度に富士が見えましたが、直ぐに雲に覆われてしまいました。

 今日は、妻の誕生日ですが、お互い歳を取り、歳を取ったことを祝う誕生日が、あまり嬉しい日では無くなりました。命の残りお時間を、知らされている感じになるのです。スペイン語では、誕生日のことを、クンプレアーニョと言います。クンプリールと言う動詞の意味は、遂行する、成し遂げると言う意味ですから、私は、スペイン語の誕生日は、「この1年間、生きることを、きちんと成し遂げた日」だと思っていました。歳を取った現在、この言葉が、とても良い言葉に思えるようになりました。

 もう40年ほど前になりますが、私の友人が、米国と中南米諸国を視察に来たことがありました。その友人が、「北米は技術や産業が発展し、それによって経済も国家も発展しているが、中南米に発展途上国が多いのは何故か、同じように白人が移住した国では無いのか」と質問され、曖昧な答えしか出来ませんでした。きちんとした研究をしているわけでありませんので、今でも曖昧さは残りますが、違いの原因は、次の4つに起因すると思っています。 ①原住民の文化の違い ②移住者の意識の違い ③移住者の民族の違い ④移住者の宗教との係わり方の違いです。

 個々については、明日から書こうと思いますが、結果として現在のような、米国と中南米諸国との格差は、誰の目にも明らかだと思います。この傾向は、産業革命の影響が米国の新都市始めた、200年近く前から始まり、格差は一向に縮まっていません。映画、ゴッドファーザーでも、少し触れられていますが、米国の産業やマフィアが、キューバの支配者層と手を組んで、キューバをほぼ植民地同然に取り扱っていました。キューバ革命の原因は、米国が絡んでいたと思っています。

 現在ニュースになっている移民キャラバンについては、正当な行動とは思いませんが、彼等の気持は、分らないでは無いのです。中南米で出回っている、衣料雑貨など、多くの製品は米国産であり、これらを買う中南米の庶民は、「我々は、米国の経済を助けており、米国が我々に助けの手を差し伸べるのは当然だ」と気持が、心の奥底に溜まっているのだと思います。この問題は、そう簡単には、解決出来ないと思います。米国は、日本列島縦断の長さを遥かに超える、米墨国境に壁を作るのではなく、中南米諸国への技術移転、政治経済の安定化への貢献の仕方について、真剣に考え、話し合うべきだと思います。

 

 今日は、昨日行けなかった奥多摩に行って来ました。奥多摩の紅葉は、最盛期を迎えていると、テレビで言っていました。

 この時期の日曜日は、奥多摩方面への電車が増便され、乗り継ぎも実に良く出来ていました。10時半に、家を出て立川へ行くと、直ぐに青梅行きの電車が来ました。その電車で青梅に着くと、奥多摩行きの電車が待っていて、乗換えたら直ぐに発車し、奥多摩駅には、12時25分には着きました。また、駅前には、奥多摩湖経由丹波行きのバスが待っていて、お陰で、1時前に奥多摩湖に着きました。余りにも上手く乗り継ぎが出来たので、昼食を買う時間さえありませんでした。結局昼食抜きになりました。普通の日だったら、1時間以上ロスタイムが出て、2時に着くのも無理だったでしょうし、昼食も余裕で買えたと思います。乗り継ぎは上手く行きましたが、電車もバスも大混雑でした。

 奥多摩湖の堤防を渡り、奥多摩湖の右岸、バス道とは反対側の「いこいの路」を歩きました。岩肌に赤い葉になった低木と共に咲く嫁菜、姫蔓蕎麦と嫁菜、コナラやクヌギなどの渋い赤、榎木などの薄い黄色、ダンコウバイの派手な黄色、楓の強烈な赤等の木々が入り混じって、良い感じの紅葉になっていました。湖の湖面は、キラキラと輝き、岸辺の水の色はエメラルドで、紅葉した木々と対照的でした。路には落ち葉が、降り積もり、更に次々と、落ち葉が舞い降りていました。西の青空の下には、甲斐の山々が霞み、友と登った甲斐の山の想い出に耽りました。クマが出没するので注意と書いた看板がありましたが、多くの人が散策を楽しんで居ました。

或る場所に、15人くらいの若者が居ました。「達磨さんが転んだ」みたいなゲームをやっていました。中国人だと思いましたが、とても楽しそうでした。電車の中でも、沢山の中国語を聞きました。彼等は、旅行者でしょうか、留学生でしょうか、技術実習生でしょうか、それは、分りませんでしたが、日本での生活を楽しんでくれれば有難いです。

心地よい秋を満喫しながら、1時間ほど歩き、奥多摩湖のバス停に行くと、直ぐにバスが2台やって来ました。やっと乗れるくらいの混みようでした。でも、何処にも停車すること無く、2時半には、奥多摩駅へ着きました。明日、妻と会うので、奥多摩名物、山城屋の山葵付けを、お土産に買いました。それでも時間があったので、ビジターセンターに行って、奥多摩の花の写真などを見ました。

3時になったところで、行きつけの酒場「むら㐂」に行ってみました。この時間から、店に暖簾が掛かっていました。中に入ると、懐かしい女将さんの顔がありました。暫く、ご無沙汰していたので、積もる話に花が咲きました。女将さんも70を過ぎ、背中に丸みが出て来ました。誰も寄る年波には勝てません。でも、奥多摩に来ると寄るところがあるので、幸せです。昼食の代わりに、瓜の山葵漬、牡蠣フライ、冷奴を肴に、生ビール、日本酒2合程で、5時頃まで酒と話を楽しみました。客が増えてきたので、店の名前が入った焼酎をボトルで買って、奥多摩駅へ行きました。今日は、電車には、何もかも憑いていて、立川まで、数駅にしか止まらない特別快速に乗ることが出来ました。

国立で、少し買い物をして、家に着いたのは、7時近くでした。次男が、酒の用意をしてくれていて、今日もまた、次男と日米野球を見ながらの晩酌になりました。忙しく、楽しい一日でした。

 

「全山が ほんのり赤く 紅葉す 奥多摩湖畔 御前山かな」

「入口に 熊出没と 注意書き 誰も気にせぬ いこいの路かな」

「岩肌に 必死に根を張る 嫁菜達 紅葉の路 白さを添える」

「さくさくと 落ち葉の音を 聞きながら 秋の日浴びて 湖畔を歩く」

「ハラハラと 落ち葉の上に 落ち葉舞い いこいの路が 落ち葉で埋まる」

「楓葉の 下で陽の玉 揺れている 秋の陽による ライトアップかな」

「エメラルド 水面に浮かぶ 楓葉の 妙なる宝石 貴女に似合おう」

「仰ぎ見る 森の紅葉 青き空 何度仰げど 飽きること無し」

「青霞む 湖畔の彼方 甲斐の山 友と登りし 思いでの山」

「白百合と 十月桜 バス停に 灯台躑躅は 真っ赤っかなり」

「谷の西 影に隠れて 宵の入り 暖簾潜りて 馴染みの酒場」

「久し振り 笑顔で迎える 女将さん 馴染みの店の 酒の旨さよ」

「秋の日の 締めくくりの 宴かな 我が子と飲める 酒の旨さよ」 

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2018年11月11日 (日)

2018年11月10日

2018年11月10日

 

 久し振りに素晴らしい朝でした。富士もばっちり見えました。両側に裾野のような白い雲が有り、供え餅のような富士でした。

 ニュースで、ホンジュラスから米国を目指す移民キャラバンが、メキシコに到着したと言っていました。移民キャラバンの中の一人の発言では、ホンジュラス国内で迫害を受けたわけでは無く、単に働き口を求めているとのことでした。つまり、難民ではない訳です。かつ、米国から事前の入国許可を受けていないわけですから、所謂、トランプ大統領が排除したいと主張している、不法移民となる可能性が極めて高いと思います。不法移民対策には、多くの人員と経費を必要とします。米国にとっては、非常に困った問題なのです。従って、トランプ大統領の言い分には、それなりの根拠があるわけです。しかし、通常不法移民する人達は、国境までは、ひっそりと移動したものです。それが、表だったキャラバンとなり、ニュースで取り上げられ、移動用のバスを出せ等と、理不尽なことを言っています。何か、裏があるような気がしてなりません。共和党が中間選挙で勝つための、企みでない事を祈ります。

 私は、約30年近く前、メキシコに居たことがあり、メキシコ側のティファナと米国のサンディエゴの間の国境の金網を、這い上って毎日のように、何十人もの不法入国者が米国に侵入する現場を目撃したことがあります。その内の多くは、米国の官憲に捕まり、強制送還されるのですが、僅かの人は逃げ延びて、米国に住着くことになりました。人手を必要とした、米国の企業等が、彼等を上手く利用したのです。当時のメキシコに「米国は嫌いだけど、米国無しに生きてはいけない」と言う言葉がありました。それ程、メキシコと米国の間には、経済格差がありました。メキシコに限らず、中南米のどの国においても、この関係が有りました。そして、この格差の裏には、陰に陽に、米国の中南米に対する、経済支配があったのです。

 この経済格差には、種々理由がありますが、それは次の機会にして、世界的な経済格差、自国内の格差拡大は、社会や政治のあり方にも影響を与え、米国にトランプ大統領、ブラジルにボルソナロ大統領を生むことになりました。何度も言いますが、自国第一主義、排他主義のポピュリスト政治が、またしても頭をもたげているのです。

 

 今日は、朝から素晴らしい富士が見えたので、高尾山に行って来ました。本当は、奥多摩に行く予定だったのですが、イタリア時代の友人から、イタリア産のオリーブオイルを、今日の午前中に附くように送ったと言われたので、オイルを受け取るまで、外に出られず、奥多摩は次に伸ばすことにしました。

 午前、11時少し前にオイルが届いたので、11時15分に家を出て、12時15分頃に高尾山口に着きました。ある程度予想はしていましたが、凄い混雑でした。ケーブルカー乗り場には、長蛇の列が出来ていました。歩いて登ろうかと思いましたが、ケーブルカーは、7分間隔で運転されているとのことでしたので、20分待って、3台目に乗ることが出来ました。紅葉の時期ならば、ケーブルカーの両側は、朱く色づいた紅葉が歓迎してくれるのですが、まだ、紅葉までには、2週間はありそうでした。矢張り、この前行った日向山とは、随分紅葉の到来に開きがあります。

 ケーブルカーを降りて、頂上まで歩きましたが、道は、上り下りの行列で埋まっていました。新宿の歩道を歩いているようでした。頂上は、富士は見えず、びっしりと人で埋まり、食事をする場所さえありませんでした。頂上付近でさえも、紅葉した木は、僅かでした。高尾山では、多摩地方の稜線が紅葉し、縞模様を作りながら、東京都心に向けて延びていく光景が一番好きなのですが、多摩地方は、未だ緑の丘でした。今回の高尾山は、フライングでした。どうせ同じ苦労をするのならば、紅葉の時期に行くべきでした。

 紅葉は、外れでしたが、石楠花の花と蕾をみました。この秋は、季節外れの花を見るのが、楽しみの1つになりました。下りは琵琶滝コースを歩きましたが、薄着をしてきた積もりだったのに、汗だくになりました。まだ、時間があったので、高尾599ミュージアムで、高尾山の動植物、昆虫の展示を見てきました。

 高尾山に行くと必ずお邪魔していた、大学時代の職員の方も、今年亡くなり、高尾での楽しみが、1つ減りました。棗のスナックとムカゴを買って、我が家に戻りました。バスから降りて、東の方を見ると、大きな白い雲が、衝立のように並んでいました。目の前に、ヒマラヤの山が引っ越してきたようでした。西の空は、夕焼けに染まり、新月から生まれたばかりの細い月が輝いていました。自然が作り出す、見事な風景に感動しました。風景を見ながら涙を流すと言われた、作家の気持が分りました。

我が家に着いた時は、5時過ぎていました。次男は仕事を変えるらしく、今月は、家に居ることが多く、昨日今日と、次男と一緒に日米野球を見ながら、晩酌をしました。

 

「高尾山 紅葉見ずして 人を見る 山とは思えぬ 人の行列」

「晩秋に 石楠花の花 高尾山 蕾もありて 後に続くや」

「白雲の 巨大な塊 並び立ち ヒマラヤの山 眼前に見る」

「白雲に ここまで来れると 見栄を張る 天空飾る 鋭き三日月」

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2018年11月10日 (土)

2018年11月09日

2018年11月09日

 

 予報通りの雨の朝でした。向ヶ丘の霞具合が、一幅の山水画でした。目の前の電線と電柱は、私の頭の中で消してしまいました。

 外国人労働者を増加させるための、出入国管理法の改正問題が、衆議院で揉めているようです。労働者の日本における生活環境をどうするか、給与や働き方をどうするのか、労働者は真にどれほど必要なのか、日本人の労働者は本当に足りないのか、政策立案に必要な、精確な調査が全くと言って良い程出来ていないようです。昔は、官僚が必死にデータを集めて、政策の原案を作っていたと思うのですが、最近の官僚は、政治家の思いつきを適当に聞くだけのような気がします。その思い付きが上手く行かなければ、言い逃れだけを官僚がやらされているようです。確かに、官僚は国民から選ばれた人間では無く、雇われ人ですが、実質的に国政を支える人間です。もう少し官僚に、日本国家の将来を見据えた仕事をさせるべきだと思います。官僚が、しっかりした仕事をする国だけが、先進国になれるのです。

 ところで、外国人労働者の件ですが、戦前、石炭は主要なエネルギーでした。従って、石炭産業は、国家にとって非常に重要な産業でした。私の故郷の長崎にも、多くの炭鉱が存在しました。その殆どは、海底炭鉱であり、石炭の層は非常に薄い者で、石炭を採掘する労働は、困難を極めるものだったと聞いています。そして、現在、韓国との間で問題となっている、徴用工が、かなりの数、朝鮮から派遣され、日本の石炭産業を支えたそうです。給与も、労働条件も、差別も過酷なものであったようです。私は、この徴用工の子供と、幼馴染みでした。徴用工の時代は。隔離されていたのですが、戦後我が家の近くに家を建てることが出来たのです。日本人の全てが、礼儀正しく、親切で、平等を重んじる国民では無いのです。白人に対しては、卑屈なほど相手を立て、服従するのに、アジア系の人には、極めて横暴だったようです。この傾向は、実は現在も残っているのです。

 高度成長期からバブルに至る間、ブラジルを初めとして、中南米の国々から、日系人を労働者として、来て貰いました。最初の10年ほどは、日本と中南米の通貨の価値に大きな開きがあり、5年間、真面目に日本で働けば、自国に立派な家を立てる事が出来ると言われていました。従って、日系人は、過酷な労働に耐えて必死に働きました。しかし、バブルが弾け、日本経済が停滞すると、真っ先に日系人が馘首されました。人員調整に使われたのです。その後、日本と中南米の経済格差は小さくなり、日本で働くことを希望する日系人は少なくなりました。

 それを埋めたのが、現在の留学生と技能実習生です。留学生の仕事は、都会でのアルバイトが主ですから、日本の大学生と同じで、大きな問題はないようですが、それでも多くの問題があるようです。技能実習生は、最初から一番底辺の単純労働を低賃金でやらせる制度だったようで、農業、中小企業等、人間扱いされなかったような、働き場所が数多くあったようです。つまり、徴用工と大差が無いと言うことなのです。しかも、現在の徴用工は、両方とも労働者として、日本に受け入れたのではないのです。

少し極端な言い方をしましたが、労働者の増加は、日本の将来、つまり日本の若者の将来にも大きく関係します。国会では、適当に言い逃れをして、法律を変更し、政治家の知り合いに恩恵を与えるような政治は、止めて貰いたいと思います。何処かの企業家が、労働者が足りないと言っているのに応えるだけではなく、実際にどの様な部門にどれだけ労働者が足りないのか、放置すると日本経済はどうなるのか、日本の若者と競合しないのか、他に労働力を補充する手段は無いのか等々、基礎的データと将来のあるべき姿を、きちんとしたビジョンとして示して貰いたいと思います。

 

今日は、2ヶ月に一度の、歯のクリーニングを予約していましたので、聖蹟桜が丘まで行って来ました。この予約が無ければ、1日中家の中で過ごさなければなりませんでした。バス停に行く道の、ジューンベリーが、程よく色づいていました。

12時に予約しましたので、11時15分には家を出て、歯科医院には、12時10分前に着きました。今日の歯科衛生士は、何時もの私担当の衛生士でした。前回は、怪我のため休暇を取っていました。怪我の状態を聞いたら、誰かに聞いて貰いたかったのでしょう、話が止まらなくなりました。人差し指し指から、手の甲に至るまで、骨が見えるような傷だったらしいのですが、皮膚移植をせずに、皮膚が再生したそうです。一時期は、衛生士の仕事を断念しなければならないと思ったようです。人間の身体の機能の凄さに、感動していました。そのせいもあって、今日の歯のクリーニングは、1時間近く掛かってしまいました。

クリーニングの後、郵便局に寄って、オリンピックのメダル作成用に、古い携帯電話を集めている箱を確認しました。私も、協力しようと思っています。その後、昼食を終えて、色々な店が入っているビルに行き、来年のカレンダーと手帳を買いました。カレンダーを買った時のポイントが、10倍になる広告に釣られてしまったのです。何時の間にか、来年の用意をする時期になってしまいました。

他に、する事も無いので、家に帰りましたが、2時少し過ぎでした。行く時には降っていなかった雨が、本降りになっていました。家に帰ってもする事が無いので、日常生活に関係の無い、日記の一部を書いたり、テレビを見ながら、先日拾ってきた椎の実の殻剥きをしたりしました。5時頃になったので、晩酌用に、ツミレ鍋を作ったのですが、春に摘んで冷凍していた蓬を加えたら、臭いがきつくて、野辺の草の生きる力のようなものを感じました。しかし、酒の肴には不向きでしたので、急遽、ししゃもを焼き、セロリのキムチ漬、餃子で晩酌にしました。

 

「タンポポの 花が咲くほど 暖かき 秋であれども 年の瀬近し」

「春の野の 蓬で作る つみれ鍋 身体に良くても 酒には合わぬ」

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2018年11月 9日 (金)

2018年11月08日

2018年11月08日

 

 今朝も、雲の多い朝でしたが、直ぐに日差しが出て来ました。何時からか、富士の見えない日が続いています。

 トランプ大統領の記者会見の模様が、何度もテレビに流れています。自分の意に従わない者は排除する、暴君とは如何なる人間かを、あからさまに公開したようで、一般人にとっては、今後の教訓になると思います。記憶は、不正確ですが、何代か前の大統領は、記者の質問攻めに対して、「政治家にとって、記者はやっかいな者ではあるが、社会のためには必要だ」と言いました。国民監視の中で、仕事をするのは当然という、民主主義の基本を尊ぶ良識がありました。ところが、日本のあるマスコミの代表者は、「選挙の趨勢は、マスコミがどのようにでも変えられるのだ」と言いました。警告としていったのならば良いのですが、世論を誘導しているのは、マスコミだと本気で言ったのであれば、本質を軽んじ、民主主義を破壊するような言葉でした。ネット時代、真偽が不明な情報が、世界中に流れる時代になりました。正しい情報ならば、マスコミのニュースを見るべしと言えるような、マスコミであって欲しいと思います。

 

 アロエの蕾を見つけたのは何時だったか、忘れてしまいました。1週間以上前だったような気がします。花茎は大分延びましたが、未だ花は咲いていません。楽しみにしているのですが、急かせるわけにはいきません。ブライダルベールの花は、台風の傷跡から、随分回復して、花の数も以前に近づいてきました。ランタナは、しぶとく沢山の花を咲かせています。

 今年もまた、黒いテントウムシのような虫が、大量発生しています。この虫は、白いものにくっつく習性があり、白い洗濯物には、必ず2,3匹寄って来ます。そして、この虫は、強烈な臭気を出すのです。しつこく追い払って、白い手すりに止まった所を、叩いて殺しているのですが、少し目を離すと、また、何処かからやって来ます。寒くなればいなくなるので、早く寒くなって欲しいです。

 今日は、午後、天気が良くなったので、東京薬科大学から平山城址公園、里山を越えて、野猿街道まで歩いて来ました。

 我が家を12時過ぎに出て、東京薬科大学に午後1時頃に着きました。キャンパスに入る所にサンザシ(山査子)の実がなっていたので、赤と黄の実を1個ずつ貰いました。東京薬科大学は、どこもかしこも薬草だらけです。それから、薬草園に向かいましたが、今日の薬草園では、珍しい花を沢山見ました。全く私が知らなかった花は、次の通りです。キイイトラッキョウ(紀伊糸辣韮)、イトラッキョウ(糸辣韮)、ヒメヒガンバナ(姫彼岸花)、サイヨウシャジン(細葉沙参)、オオバハブソウ(大葉波布草)、ヒキオコシ(引起)、シマカンギク(島寒菊、油菊)、タンジン(丹参)、ハナトリカブト(花鳥兜)、ハナシュクシャ(花縮紗)、ライオンズテール(和名―カエンキセワタ(火炎着せ綿)、オータムセージ、パイナップルセージでした。

 イトラッキョウは、ヒメヤブランのような小さな紫色の花でした。ヒメヒガンバナは、花が幾分小さく、薄い紫色の花でした。サイヨウシャジンは、ツリガネニンジンとそっくりでした。若しかしたら、多摩川や浅川の土手で咲いているツリガネニンジンは、サイヨウシャジンかも知れません。注意してみることにしましょう。ハナシュクシャは、遠目にはカンナのような花に見えましたが、近づくと、花も葉もカンナより可憐でした。

 ライオンズテールには、その大きさと山盛りの朱い花に驚かされました。まさしく和名の通りの火炎でした。オータムセージは、ハーブのような花で、パイナップルセージは、大型のサルビアのようでした。このような出会いをさせてくれるので、東京薬科大の薬草園には、ちょくちょく来たくなります。

 今日の薬草園では、もう一つ驚きがありました。薬草園の中の道脇の土手に、菫が沢山咲いていました。小さな紫の濃い花でした。今年は、多摩の畑の畔でも、タンポポや仏の座など、春の花を沢山見かけますが、菫は初めてでした。係員がいなかったので聞けなかったのですが、特別に植えたものではないようでした。

 薬草園から、平山城址公園の「やまつつじの道」へ出ようとしましたが、此処も台風の影響で、通行禁止になっていました。仕方なく回り道をして、もう一度平山城址公園に戻り、展望台に上りました。武蔵野の町が、太陽の光の当たり具合で、斑模様になっていました。

 展望台から谷へ下りて、谷間の山里に出ました。嫁菜や薊、キジムシロのような黄色い花が沢山咲いていました。或る家のツツジは、1輪や2輪では無く、満開の花でした。仏の座、タンポポと一緒に菊も咲き乱れていました。その近くでは、カエデバフウ、イチョウが黄葉していました。そう言えば、カンナも咲いていました。何だか、季節の分らない多摩の里の散歩となりました。

 

「昔人 山野を巡り 見つけたる 苦労が見える 薬草園かな」

「今の世は 世界中から 薬草が 集まり花咲く 薬草園かな」

「君もまた 薬草なりや 糸辣韮 花の綺麗さ 蘭に負けぬぞ」

「奥の間の 質素で可憐 お姫様 初の目通り 姫彼岸花」

「晩秋の 山間の土手 菫咲く 上にぶらんと 朱き烏瓜」

「天を突く 火炎の上がる 森の脇 花だったのね 火炎着せ綿」

「目の前に 赤き火炎が 揺れている 大型サルビア パイナップルセージ」「山茶花と 黄花秋桜 揃い咲き 季節を越えて 友好関係」

「黄葉の 楓葉風の 足下に 菊とツツジの 揃い咲きかな」

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2018年11月 8日 (木)

2018年11月07日

2018年11月07日

 

 今日は、立冬だそうですが、雲が多くすっきりとしないものの、この時期にしては、暖かい朝でした。暫くしたら、日差しが出て来ました。

 午前中は、日記を書いた後、ずっと米国の中間選挙の結果を知るために、テレビを見ていました。午後1時頃、開票は終わっていなかったのですが、上院は共和党が過半数を取り、下院は、民主党が過半数を撮ることが確実になったとの、CNNの発表を聞いて、散歩に出かけました。

 昨日、全く歩かなかったので、少し長めの散歩コースにしました。我が家から、七生丘陵散策路東コースを歩きました。

 我が家の近くの家に、イソギク(磯菊)が咲いていました。この前、植物多様性センターで見かけた花です。蕾状の丸い玉が集合した形になっています。花片といった感じがしないのです。何時も素通りなのですが、何となく、何処かで見たなと思い、良く良く見たら、イソギクだったのです。名前の通り、海岸地方の花だそうです。3軒隣の家の石榴の実が弾けました。中の赤い実が鮮血のようでした。

 四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出ると、小さな黄色い花が土手にへばり付くように、コマツヨイグサ(小待宵草)の花が咲いていました。今年は、秋が暖かいせいか、春から夏にかけての花を、晩秋になった今でもよく見かけます。仙人の花畑や百草園駅近くの道では、黄花秋桜が未だ咲いていました。後から咲き始めた秋桜が、終りを迎えたのに、黄花秋桜の盛りの時期は長いです。それでも、かなりの花は咲き終えて、花の跡になっていました。その形が、コセンダングサ(小栴檀草)の花の跡と同じような形をしていました。余り好きでは無い、くっつき虫の形でした。

 七生丘陵に登り、少し歩いて百草八幡神社に出ました。この神社には、20本近くのスダジイの大木があり、椎の実が山ほど転がっていました。スダジイは、鎮守の森の代表的な木なのだそうです。そう言えば、多くの神社でスダジイの木を見ました。椎の実を見ると素通りできない性質なので、今日も100個ほど拾いました。そこから、百草台公園に出ました。イロハ紅葉の紅葉が見られる所ですが、まだ時期が早いようでした。ただ、複雑な色合いをした桜の落ち葉が重なって、味わい深い色になっていました。桜の木の紅葉は、綺麗だと思わないのですが、落ち葉の色は桜が一番好きです。

 百草台から、百草団地の縁を歩き、日野第3中学校へ行く途中で、葉の落ちた枝にサクランボに良く似た赤い実が、鈴生りの木を見つけました。この実の正体が、未だ分りません。その先で、また丘陵に昇りました。どの丘陵の森も、台風の被害が目立ちました。自然の営みですから、やむを得ないでしょう。暫く森を歩いて、第3中学校の裏門のところで、住宅地に下り、明星大学の脇を歩いて、京王線の多摩動物園駅へ出ました。これで、七生丘陵散策路東コースは、お仕舞いで、私の散歩も終わりました。

 5時頃、家に帰ってテレビを付けると、米国の中間選挙は、上下院とも若干の未開票は残っていましたが、開票済みの票だけでも、上院は共和党、下院は民主党の勝利が確定していました。昼頃のCNNの発表の通りとなりました。この結果に、トランプ大統領は、素晴らしい選挙だったと言っていました。本当にそう思っているのでしょうか、負け惜しみでしょうか、何でも自分の都合の良いように考える人ですから、本当に良い結果だと思っているのかも知れません。

それにしても、世界中が右傾化している中で、よくぞ米国国民が、良識を示してくれたと思っています。米国の原住民が経験した歴史は、酷いものだったことは承知していますが、現在の米国は、どの様な人種も、一緒に暮らすことが出来る、民主主義の手本のような国です。勿論、旧支配者であった白人やその一族が、政治経済で大きな力を持ち続けていることは否めませんが、黒人の大統領が出たり、今回は、イスラム系の女性議員も出馬したり出来ます。その女性は、当選したのでしょうか、当選して欲しいと願っています。今回は、多くの女性議員が、頑張ったようです。

選挙後のトランプ大統領の記者会見のニュースもありました。記者をばとうする姿は、ファシスト的ポピュリスト、暴君の怖さを示してくれました。暴君が如何に酷いことをするか、見た人は、分ったと思います。こういった暴君を見ても、世の中には、強力な人に追従する形でしか、生きていけない人も多いのです。だからこそ、良識を持って行動できる人が重要なのです。良識ある社会は、良識ある人で無ければ、作り上げることは出来ないと思います。間違っていけないのは、例えば、良い慣習や規則を守るのは良識であり、絶対だと言う人は、追従型の人間です。規則には最終的に従うが、規則の是非を確かめる気持を常に持つことが、良識ある人だと思っています。民主主義国家で、国民が作った規則(法)は、従うことが原則ですが、不完全であったり、時代に合わなくなったり、意図的に歪められたものであったりすることもあります。常に、見守る必要があるのです。今後の米国の動きを良く見ていきたいと思います。

 

「秋の日に 多摩の里にて 花開く 磯から離れた 磯菊の花」

「立冬に 膨れた腹の 石榴の実 ぱっくり割れて 鮮血の実」

「何時までも 月見がしたいと 駄々をこね 花を広げる 小月見草」

「秋告げた 黄花秋桜 冬告げる 立冬迎えて 未だ花咲く」

「境内に 黒光りする 実の落ちて 拾わにゃなるまい スダジイの実」

「桜葉の 病葉落ちて 重なりて 味わい深き 色となりけり」 

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2018年11月 7日 (水)

2018年11月06日

2018年11月06日

 

 朝から雨でした。川向こうの七生丘陵が雨に煙って、良い感じでした。電柱や電線が無ければ、一幅の絵なのですが、腹立たしい限りです。

 アメリカでは、偉大なアメリカを取り戻すために、外国人の移民を制限しようとしています。日本では、少子化による労働人口減少のため、経済活動が破綻するのを防ぐために、外国人労働者を増やそうと、政府が入国管理法の改正を目論んでいます。これまでの日本の入国管理法では、外国人が日本に永住するのは、非常に難しなっていました。従って、ヴェトナムや中近東の難民を受け入れるのも、極めて限定された数でした。単純労働者も基本的には受け入れず、中南米の日系人だけを例外的に受け入れました。それでも、単純労働者が足りないと、日系人の他に、外国からの留学生や技能実習生をアルバイトとして使い、一定年数で帰国させました。今回の法改正においても、単純労働者の枠は広げるものの、一定期間で、帰国を前提とし、移民という形は取らないようです。

 日本が、外国人の永住を嫌うのは、様々な意見があると思いますが、基本的には、日本国の成り立ち、伝統文化、歴史の重積と、これらを支えてきた、日本国民の血の問題があると思います。古代から海洋に守られた国家として、ほぼ純血を守り、神話から続く天皇を頂く形で、国家運営がされてきました。外国人の血や数が一定数以上になると、それまでの国家体制が崩壊するとの危惧を持つ人達が、権力の周りに多数存在して、私が生まれた時まで、日本独自の国家体制が維持されました。敗戦後、日本には急拵えの民主主義国家が成立しましたが、旧来の国家体制を信奉する人達は、しぶとく残り、経済が停滞すると、戦前に近い国家体制を復活させたい人達の力が強くなり始めました。

 私は、平和主義者ですから、世界中の人が混血し、国境を無くし、同時に国教も無くするのが、究極の平和ではないかと思ったりしていました。ところが、最近、民族は現実に存在し、これまでの世界は、民族を前提として出来上がって来た事を無視して、理論上の平和主義を押しつけるのは、無理があるかも知れないと思うに至りました。家族を無視して、地域全体が集合生活するのが、可能かどうかと言う問題と同じようなものです。一時期、強豪国が弱小国を占領支配する傾向が強くなったため、民族自決という民族国家主義が、国際平和をもたらすと考えられた時代もありました。これは、地域社会で言う家族の独立です。但し、国家権力と地域のルールには、絶対的に従うという条件付きでした。この世に長く生きて、ファシズム的民族国家では無く、机上の空論的平和主義でも無い、つまり、左右両極端の政治では無い、両者の良いところを採用する折衷的な政治が出来ないものか、つくづくそう思うようになりました。日本は、戦後の一時期、この折衷的政治が、何となく出来ていたような気がします。

 

 今日は、午後、インターフォンの工事があるため、在宅しなければなりませんでした。一日中雨で、散歩も出来ない状態だったので、好都合でした。

 工事関係者を待っている間、昨日、市役所へ行く時、桜が丘の高級住宅街で見た、石垣を埋めるように咲いていた、紫色の花の名前を調べました。スマホで写真を撮っておいたので、花判定機というアプリで、花の名前を調べたのですが、全く違った名前を回答してきました。これまで、正しかったことは1度だけでした。もうこのアプリは、使わないことに決めました。次にどうやってパソコンで検索しようかと悩みました。この花に似ている花を思い出そうとして苦労しましたが、コデマリに似ていることに気づきました。そんな訳で、「コデマリに似た紫色の花」で検索したら、幾つか出て来た花の中に、昨日見た花がありました。プランバーゴという名前でした。和名は、瑠璃茉莉(ルリマツリ)でした。何時まで、覚えていられるか分りませんが、名前を知っている花が1つ増えて、とても嬉しかったです。

インターフォンの取り替え工事の人は、3時頃二人でやって来ました。その内の一人が、「玄関の飾り物は凄いですね、色んな国に行かれたのですか」と聞いてきました。「飾ってあるのは、皆がらくたですけど、想い出があって捨てられないのですよ」と答えて、その後、取り替え工事をしながら、昔話を聞いて貰いました。取り替え工事は、30分ほどで終了し、その後、火災報知器と煙探知機との連動を確認し、最後に、もう一人の人が来訪者になって、使い方の説明をして貰い、約1時間で、工事は完了しました。

その後は、1時間ほどパソコンを触り、5時頃から、春に摘んで冷凍していた蓬の芽とか、パクチー、セロリ、タマネギ、エノキダケ、キャベツを豚肉で炒め、今晩の酒の肴にして、早めに晩酌をしました。

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2018年11月 6日 (火)

2018年11月05日

2018年11月05日

 

 雲の多い暗い朝でした。道路が濡れていましたので、夜中雨が降ったのでしょう。所が、9時頃から急に晴れて、日差しが出て来ました。しかし、散歩に出かけた10時半頃は、急に曇って、小雨がぱらつきました。散歩には、傘を持って出かけたのですが、四谷橋を越えて、一之宮辺りから、また日差しが出て来ました。今日は、この繰り返しの変な天気でした。

 この前のテレ朝のニュースで、トランプ大統領が、アメリカ国籍取得を、出生地主義から、別のルールに変えるといっていました。どういうルールにするのかは、まだ分っていません。日本や西欧の国のように、血統主義にするのだろうと思います。どちらにしても良いのですが、アメリカの経済発展が顕著な時は、人手不足のため、多くの移民を受け入れる必要があり、無条件出生地主義を採用し、国籍取得も容易で、多くの移民が流入しました。当初は、ヨーロッパ系の移民が多く、イタリア系のギャングの流入を除いて、特に大きな問題は発生しませんでした。現在、増大した中南米等からの移民やイスラム系の難民が急増し、従来のアメリカ人の職業を奪うようになりました。現在のアメリカ経済では、受け入れる余力が無くなってしまいました。トランプ大統領が、移民の受け入れを拒否する政策へ移行しようとしているのは、経済が思わしくなく、プアーホワイトを始め、困窮者がアメリカに増大しているからでしょう。だからこそ、トランプ大統領が出て来たのでしょうが、アメリカが貧しくなると、世界から民主主義が消えていくような不安を感じます。同時に、世界から理性と英知と忍耐も消えて行くような気がします。人類はまた、世界中の国が自国ファーストを主張し、世界規模の戦争を経験することになるのでしょうか、間近に死を迎える老人にとっても、戦争は怖いです。

 

 今日は、我が家から歩いて、多摩市役所へ行って来ました。今度、山の仲間で多摩市の「よこやまの道」を歩くことになったので、「よこやまの道」の地図を貰いに行ったのです。日本一長い遊歩道として、多摩市の自慢なのです。

 午前10時半に家を出て、四谷橋を渡り、更に一之宮交差点から宝蔵橋を渡り、東寺方へ出て、寿徳寺へ行きました。家を出た時は、小雨が降っていたのですが、一之宮辺りから雨が止み、寿徳寺へ附いた時は、青空が広がり、強い日差しが降り注ぎました。傘を持って歩いているのが、場違いのようでした。寿徳寺の良く手入れされた境内には、嫁菜や石蕗の花が、境内を上手に飾っていました。また、日差しを受けて、黒い本堂をバックに、細い蜘蛛の糸が、キラキラと光っていました。

 寿徳寺から桜が丘に登ると、ある家の庭に、横谷峡の休業していたホテルで見た、ネグンド楓がありました。白い枯れ葉では無く、斑入りに葉が風に揺れていました。私は、斑入りの葉を持つ植物が好きになれません。この葉は、恐らく紅葉しないでしょう、横谷峡には向かないと思います。色んな事をきちんと考えないから、休業に追い込まれるのだと思いました。

 桜が丘を関戸の方に下りると市役所です。市役所へ行く歩道で、この時期、仙人草に出会いました。如何に晩生でも、早や霜月です、良く耐えたと思います。市役所に行って、案内に、「よこやまの道」の地図が欲しいと言うと、2回の経済観光課に行くように言われました。観光課のカウンターに、地図が置いてありました。仕事をしている職員に頼んで、あと10部貰いました。

 市役所で、今日の散歩は終りにして、バスで聖蹟桜が丘、そして、我が家の方に戻り、買い物をして家に戻りました。四時近くになっていました。シャワーを浴びるなど、所要を済ませて、5時頃から、酒の肴を作りました。ジャガイモと味噌漬豆腐を捏ねた物、おろしじゃこ、スライス大根、それに、買って来たかいわれ大根、胡麻豆腐、焼鰺を加えて、少し早めの6時頃から晩酌にしました。勿論日本酒でした。今日は、次男が休みなので、一緒に飲めると思っていたら、休肝日とかで、ジュースで付き合ってくれました。

 

「曇の裂け 秋の日受けて 野辺に立つ 仏の顔が 笑って見える」

「青空を 背にして立ちし 大師像 足下に咲く 石蕗の花」

「正面に 秋の日受ける 嫁菜達 笑い転げる 乙女見るよう」

「公園の 日陰にひっそり 菊の花 何故君は 一人で咲くや」

「この秋は 暖かき日の 多かりし 街の片隅 仙人草かな」

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2018年11月 5日 (月)

2018年11月04日

2018年11月04日

 

 今朝は、最近珍しい雲の多い朝でした。それでも洗濯をしたのですが、午前中に小雨がぱらつき、今日は、日光を期待するのは無理のようでした。

 明後日が、米国の中間選挙だそうです。自分の将来を決めることになる中間選挙なので、トランプ大統領が、まるでギャングのように、民主党を誹謗中傷しています。民主党も、これに応じてレベルの低い誹謗合戦に応じる結果となっています。小学校の悪童の喧嘩のようです。これは、つい最近、明星大学の公開講座で勉強した、民主主義とポピュリズムを思い起こさせました。トランプ大統領の言動は、戦前、中国や朝鮮を蔑視し、欧米を鬼畜米英として敵視する事を国民に煽った、日本の軍事政権と同じ事をやっています。自国を窮乏から脱するために、ゲルマン第一主義を唱えた、ヒトラーとも酷似しています。まさしく、ポピュリストです。米国の中に、種々問題があるのは分ります。しかし、その問題は、原因を究明し、他国と関係が有るのであれば、関係国とよく話し合った上で、解決しなければならない筈です。それが、第2次世界大戦の教訓だった筈です。トランプ大統領は、その教訓を無視し、直接の戦争ではありませんが、米国の国力を誇示しながら、経済戦争を仕掛けています。まかり間違えば、本当の戦争に変わる可能性があります。どうしてアメリカ国民は、このような人物を大統領にしたのでしょうか。種々、要因はあるでしょうが、製造業における米国の経済力の低下が、主たる原因だと思っています。白人の中間層の職場が狭まり、プアーホワイト(貧困白人)が増えている事が、原因の1つであると思います。米国の白人中間層が、プールの或る家に住めたのは、昔の夢物語になったのです。トランプ大統領の目指すアメリカファーストは、実は白人ファーストなのです。白人以外は、まともな人間と思っていないのです。しかし、この中間選挙で、トランプは勝利する可能性大だと思います。社会の低迷が、ポピュリストが力を得た、第2次世界大戦前と良く似ているからです。米国国民の良識に期待したいと思います。

 今日、気持の悪いニュースがもう一つありました。安倍総理が、明治から150年を期に、明治神宮を参拝し、日本国家の安全と平和、国民の安寧、天皇家の弥栄を祈ったそうです。彼の狡猾さが見え見えで、気持ち悪くなりました。彼も隠れポピュリストであり、右翼系の支持者が欲しいのでしょう。将来に不安が見えると、どうしても社会が右傾化する傾向にあります。右傾化した国民を味方にすれば、政権は安泰だと思っているのでしょう。政治的には、正しい見方ででしょう。しかし、首相は、もう少し、政治に埋没しないで、品格を持って欲しいと思います。日本の野党にも、安倍総理を力づける要因があります。野党として、政党の進める政策について、広く国民と対話するのではなく、与党の政策の批判に終始するからです。難癖を付けるだけで、国民がついてくると思ったら大間違いです。それでは、野党とは言えないのです。それにしても、政治家と神社の縁は、切り離して欲しいと思っています。どうしても戦前を思い出してしまいます。

 

 今日は、以前、京王線の中に、「京王線で大学祭に行こう」という広告があり、高校に載せられて、首都大学東京の大学祭に行ったのですが、昨日で終わったらしいので、多摩センターにある、東京埋蔵物センターと縄文の村に行って来ました。

 午後1時頃家を出て、午後2時頃に、南大沢の駅に着きました。駅に出て右側に2,3分歩いた所が、首都大学東京です。門を入ると、公孫樹の黄葉は綺麗でしたが、期待していた模擬店も無く、学生達は後片付けに精を出していました。一人の学生に「大学祭は終わったの」と聞いてみたところ、「ええ、昨日まででした」との返事が返ってきました。

 大学祭は諦めて、駅前のアウトレットモールに入ってみました。最近、食料以外、物を買うことに一切興味が無いので、これまで素通りしていたところです。入ってみて、その店の多さに驚きました。大半は、靴、服、バッグ、装飾品でした。店も多いのですが、人の多さにも驚きました。ぐるっと一廻りして退散することにしました。

 南大沢から、次の次の多摩センターへ出ました。実は、多摩センターに縄文の村があることを、今日、永山駅から南大沢へ向かう電車の中から、見かけたのです。場所は、見当が付いていたのですが、2度道を間違ってしまいました。先ず見えたのは、東京埋蔵物センターでした。小さいながら立派な展示館があり、入場は無料でした。縄文から江戸まで、主に多摩地域で発掘された土器が展示されていました。なんと見学者は、私一人で、係員もいなかったので、写真取り放題でした。撮影禁止の看板もありませんでした。各時代の土器を見ましたが、矢張り、縄文の土器が、一番魅力的でした。

 展示館を出て、「縄文の村」に行きました。東京埋蔵物センターの付属施設でした。多摩センターの駅の近くに森が残されていて、縄文時代の家が3軒復元されていました。縄文時代は、農業が未だ行われていなかったと思いますので、家は茅葺きでした。最初の一軒は、縄文時代のままでしたので、中は真っ暗で何も見えませんでした。2軒目は、係員が家の中で焚き火をしていました。家の真ん中に焚き火をするところがありました。縄文人の暮らしがどんなものだったか、良く分りませんが、食べ物を炙ったり、冬は暖を取っていたのでしょう。係員に、「縄文時代は、1万年ほど前なのに、復元できるような家の形が残っていたのでしょうか」と聞いてみました。しかし、係員は、この道の専門家ではないらしく、「さー、どうでしょうね」と言うばかりでした。私と同年配のボランティアのようでした。3軒目は、家の中に電気が点いていました。森と3軒の家だけの「縄文の村」でした。縄文時代に、それ以外があるとは思えません。まさしく縄文の村でしたが、森の側に、京王線・小田急線の高架橋、多摩センターの高層ビル、送電線用の鉄塔が立っていました。日本の歴史の両極端が同居していました。

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2018年11月 4日 (日)

2018年11月03日

2018年11月03日

 

 今朝は、文句無しに良い天気だったのですが、富士は見えませんでした。富士と丹沢の間は、雲が湧きやすい地域のようです。今日も、快晴の空なのに、富士の所にだけ、雲がありました。

 昨日、世の中の動きに対する興味が薄れてきたと書きました。それは本当です。しかし、世の中の動きは、自分の人生の想い出と重なる様になりました。生きてきた人生の長さは74年、私自身の生活、心の動きを含めて、想い出は山のように積み重なりました。寂しいことですが、想い出だけの人生になりつつあります。

 テレビのニュースで何回も取り上げられましたが、フリージャーナリスト安田さんが、シリアで40ヶ月に及ぶ拘束から解放されました。このニュースを見て、戦争カメラマンであったロバート・キャパの本「ちょっとピンぼけ」を思い出し、本箱から探して、パラパラとページをめくりました。この本を読んだのが何時の頃だったか正確な記憶がありませんが、感動したことを思い出しました。多分30代の初めの頃だったと思います。彼自身、戦争の真っ只中にいて、戦争の写真をとり続けました。彼の直ぐ隣の兵士が、銃弾に当たり死ぬことを何度も経験したようです。単に戦闘シーンだけで無く、戦争の時代を生きる民衆の写真も撮りました。戦争の悲惨さだけでは無く、何が戦争を引き起こすのか、人間の心に潜む激情も撮りました。これは、彼の心の中に存在した、絵なのだという人もいます。

 岡村昭彦さんの「南ヴェトナム戦争従軍記」も思い出しました。新書版だったと思います。その本で見た、子供が裸で逃げ回る写真が衝撃でした。結局は、世界一の武力を誇る米国と、農民上がりのヴェトナム兵士との戦いでした。このような悲惨な戦争が、現実に起きているのだと驚きました。何故、これ程までに米国が共産主義を憎むのか、良く理解できませんでしたが、現実だけは分りました。

 安田さんの件については、フリージャーナリストとして、十分な活動が出来ないまま、拘束状態に入った不幸な事件なので、本人としても忸怩たるものがあると思います。ジャーナリストは、自分が手に入れたニュースを世の中に知らせることが仕事ですから、仕事が出来なかったジャーナリストは、辛いと思います。しかし、拘束された40ヶ月の経験も、多くの人が知りたいものだと思います。獄中記のような本を書いて欲しいと思います。今ネットで騒がれている、自己責任とか、英雄とかは、他人が勝手に騒いでいることです。どの仕事も同じだと思いますが、仕事は結果勝負だと思います。私は、安田さんのことを、全くと言って良い程知りません。現在のフリージャーナリストがどの様に仕事をしているかも知りません。しかし、時代が如何に変わろうとも、真実を民衆に知らせる仕事は、民主主義に不可欠のものだと思います。民主主義だけは、男賭しても守らなければならないと思っています。

 

 今日は、私達が住んでいる府中市の四谷地域の「防災フェスタ」が、四谷文化センターで、10時から行われました。私も、アパートの防災委員なので、顔を出しました。アパートの理事会のメンバーも来ていました。いかにも地域の催し物でした。会場には、消防車や地震体験車も来ていましたし、備蓄用の食料も分けて貰いました。また、子供が楽しめるように、玩具の重機でゴムボールを掬い、掬ったゴムボールを持ち帰ることが出来ました。私は、「舫い結び」の講習に参加しましたが、一番覚えの悪い参加者でした。

 1時間ほど参加して、後は中河原の駅の方まで散歩しました。耕作地が残っている場所を、縫いながら歩きました。

四谷地方には、市川家の本家、分家を合わせて、30軒以上の市川家があると思います。現在残っている多くの耕作地の殆どは、市川家のものです。今日、耕作地を辿って歩いていたら、大きな家で行き止まりになりました。矢張り、その大きな家は市川家でした。家の庭にも畑の横にも、赤い柿の実や黄色い蜜柑が沢山ありました。歩いている道には、次々と菊の花が顔を出しました。別の市川家では、庭で米の精米作業をしていました。庭には、大きな紫の花房が、四方に広がっている木がありました。何回も来ているのですが、この木の名前が分りません(思い出せません)でした。作業をしている若い男の人に花の名前を聞いたら、自分は知らないので、母に聞いてくると言って、直ぐに聞いてくれました。ブッドレアでした。後で調べて見たら、和名は、フサフジウツギ(房藤空木)でした。良く花の形を表していると思いました。

中河原駅の近くにでたら12時近くになっていました。吉野家があったので、入ってみると大混雑でした。なんと料理が出て来るまで、20分近く待ちました。余り外食をする事が無いので、驚きました。食後、我が家の方に戻り、近くのショッピングモールに行くと、偶々、散髪屋に客がいなかったので、散髪をして貰いました。吉野家で待った時間より早く、散髪が終わりました。その後、買い物をして家に帰ると、3時を過ぎていました。シャワーを浴び、一休みして、5時頃から、暫く食べていなかった、アサリバター、蛸と貝柱のアヒージョ、トマトサラダを作り、6時過ぎから、仕事が休みの次男と、野球の広島―ソフトバンク戦を見ながら、ワインを飲みました。残念ながら、応援していた広島は、日本一を逃してしまいました。

 

「柿の実の 朱く輝き 枝垂れてる 昔留める 旧家の庭かな」

「秋晴れの 青空の下 畑仕事 僅かな畑地 僅かな農民」

「家族にて 精米作業 珍しき この風景を 何時まで見れるや」

「庭先の 花の名前を 知りたくて 仕事している 家族に割り込む」

「紫の 大きな房の 花の名は 言い得て妙なり 房藤空木」

「畔道も 畑の端にも 菊の花 勢い譲る 秋桜の花」

「水涸れた 用水路の渕 ホトトギス 秋の日浴びる 斑の花かな」

「カタバミと 大して違わぬ 昼顔の 可愛い花咲く 野辺の日溜まり」

「刈り入れの 終りし稲田に 仏の座 群れ咲く様は 春と見紛う」

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2018年11月 3日 (土)

2018年11月02日

2018年11月02日

 

 今日も、申し分ない朝でした。朝日が、七生丘陵の家々を照らし、丘陵の上に見える富士の白嶺を、ほんのり朱くしていました。

 山に登った二日間は、テレビと無縁の生活でしたので、世界の動きとも無縁でした。今の世の中は、非常に便利な世の中になったので、携帯電話(スマホ)でテレビ局のテレビを見ることも出来ますし、スマホ独自のニュース提供もありますし、スマホで見る事が出来るネットに、話題のニュースに関しては、種々投稿がありますので、その気になれば、世の中の動きを知ることは、難しいことではありませんでした。しかし、それを敢えてしなかったのです。それだけ、仲間といた時間が、充実していたのだと思います。

私は、年を取る毎に、普段の生活では、テレビで時間を潰すことが多くなっています。久し振りに、時間潰しをしなくても良い二日間を過ごしたわけです。こうした時間を、過ごしてみると、世の中の動きが、自分の生活とは無関係の、空虚な物に感じられるようになりました。世の中が、どう動こうと知ったことか、そんな気持にさえなりました。しかし、私が3食食べて、家を持ち、便利な現代生活を維持できるのは、世界、そして日本の政治経済が安定している事が、前提条件です。しかし、現在の世界の状況は、安定を脅かすような事態になっています。つまり、本来ならば、私にとっても無関心ではいられない状態な筈なのです。それでも、私が死ぬまで、あと10年足らず、その間位、安定は保たれるだろうと思ってしまいます。

今日の夜、録画しておいた「戦後0年」というドキュメンタリー映画を見ました。戦後の悲惨な時代は、私も経験しています。今日の私のような、無責任、無関心では、生きていくことは出来ませんでした。それから私の歳の年数、日本は、民主主義を手に入れ、経済発展し、生活は便利になり、社会保障制度も充実しました。お陰で、働かなくとも、年金で生きていくことが出来ています。戦後の日本の歴史を全部見てきました。そして充分長く生きてきました。あと10年足らず、このままで生きていけるよう願うばかりです。

今日は、素晴らしい天気だったにも拘わらず、1日中家の中で過ごしました。山の仲間との2日間の紀行文を書くのに、随分時間が掛かりました。何時の頃からか、紀行文を書くのが、私の役目になりました。誉めてくれる仲間が居るものだから、必死になって書いています。椎の実を摘まみながら書いたので、椎の実は終わってしまいました。それでも夕方には書き上げ、仲間に送ることが出来ました。肩の荷が下りました。

紀行文を書き終えて、椎の実と一緒に拾ってきた銀杏の始末をすることにしました。銀杏は、椎の実と違って自分で割れてくれませんので、なんとかして実を割らなければなりません。店で売っているような、大きな銀杏であれば、紙袋に入れて電子レンジで温めると、上手い具合に殻が割れるそうです。一度試してみましたが、私が拾ってきた小さな銀杏は、殻が固く、殻が割れるまで温めると、実も破裂してしまいました。そんな訳で、今日は、1個1個ペンチで殻を割りました。1時間以上掛かってしまいました。しかし、実についている渋皮を指で取るのは、更に面倒なので、渋皮の付いた実を茹でて、渋皮を取りました。思った以上に、大変な作業になりました。20個くらい、軽く塩を振って、今晩の酒の摘まみにし、残りは冷凍しました。手間が掛かった割には、余り美味しいとは言えませんでした。

 

「手間かけず 自然の木の実 食べられず 手間暇かけるが 生きる事なり」

 

 

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2018年11月01日

2018年11月01日

 

 11月になってしまいました。今年もあと二月となりました。年を取ると、時の経つのが、非常に早く感じられます。出来るだけ長く、この世に留まっていたい、そんな気持が、時の流れを早く感じさせるのでしょう。数十億年かけて、地球が作り出した景色の多様さ不思議さ、地球が生んだ生物の多様さ不思議さ、生物の中の人間が作り出した歴史や文化の多様さ不思議さ、これらを感じることの出来る自分の存在の不思議さ、今、自分が生きている地球以外に、天国は無いと思います。今朝も良い天気でした。綺麗な富士が見える日が続いています。

 今日は、末の孫の幼稚園が休みなので、ジージが遊びに付き合うことになりました。「ジージと遊びたい」と言ってくれるようですから、ジージとしても嬉しい限りです。

11時半頃に、娘と末の孫が、二人でやって来ました。昼前ですが、遊ぶ時間を多くするために、近くのファミレスで、食事をする事にしました。店内に入ると、孫が、レジの前に置いてあった猫の縫いぐるみを、とても気に入りました。孫は、生まれた時から、猫と一緒に暮らしており、猫には特別な感情を抱いています。食事が終わって支払いの時、この猫の縫いぐるみを買ってやりました。孫としては、まさか買って貰えるとは思っていなかったようですし、食事の時には、縫いぐるみのことを、すっかり忘れていましたので、奇跡が起きたような、驚きと満面の笑みを浮かべました。一瞬ですが、まるで神様を見るような目つきで、私を見ました。安くて価値のある買い物でした。

食後、京王線の多摩動物園駅にある、京王レールランドに遊びに行くことにしました。上の孫が小さかった時に行ったことがあります。幼稚園までの子供にとっては、とても楽しい遊び場です。食事に行く時、既に、車のガソリンがない事に気がついていました。食事が、終わったら入れようと言っていたのですが、娘も私も、すっかり忘れてしまいました。レールランドの近くの駐車場に着いた時は、残り8キロ走れますとの、表示が出て来ました。孫も、この表示の意味が分ったようです。走る度に減っていく、走ることが出来る残りの距離を心配していました。

レールランドでは、ミニ電車に乗ったり、模型の町の中で電車を走らせたり、ボールの池や滑り台等々がある子供ランド、自分でレールを作って、その上を模型の電車を走らせるなど、目一杯遊びました。今日は、母親やジージの目が、自分一人に注がれていることが分っていて、末の孫も大満足でした。4時近くになり、上の孫達が帰って来る時間になったので、先ずはガソリンを入れ、高幡不動駅で別れました。

私は、高幡不動駅から、府中駅に出て、武蔵府中郵便局に行きました。私が、山に行って不在だった為、配達されなかった書留郵便を引き取りに行ったのです。西友のカードでした。一番買い物をする機会が多いので、無いと不自由します。

カードを引き取って、家に帰ると6時近くになっていました。酒の肴を作り、6時半から、野球の日本一決定戦広島―ソフトバンク戦を見ました。丁度、試合が面白くなった8時頃、玄関の呼び鈴が鳴りました。今日は、8時から理事会だったのを忘れていました。来週から工事が始まる、インターフォンの設置確認でした。急いで会議場に行くと、私の到着を待っていて、直ぐに玄関へ移動しました。玄関側のカメラの角度により、訪問者が室内のモニターにどの様に映るか、確認する必要がありました。カメラの角度を変えて、モニターへの写り方を検討し、背の低い子供のことも考えて、60度に決定しました。

部屋に戻ったのは、8時半を過ぎていました。1-0で広島が勝っていたのですが、3-2に変わっていました。その後、3-3になり、4-3になり、4-4となって、2度目の延長戦に入りました。結局、延長11回、ソフトバンクの4番バッター柳田のサヨナラホームランで、ソフトバンクの勝利で終わりました。終わったのは、10時半を過ぎていて、野球放送の延長のため、一つの番組が中止となり、ニュース番組も短縮されてしまいました。

 

「縫いぐるみ 買って貰って 我を見る 孫の笑顔に 勝るもの無し」

「疲れたー しな垂れかかる 末の孫 肩車してーの 合図なりけり」

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2018年11月 2日 (金)

2018年10月30日

2018年10月30日

 

 10月30日と31日は、山の仲間と八ヶ岳のヒュッテに行き、日向山に登りました。その時の様子は、何時ものことですが、75調の「日向山紀行」で想像してみて下さい。

 

日向山紀行

 

「茅野の駅 いきなり全員 勢揃い 今日の仲間は エイトメンなり」

「駅前に 大葉紅葉の 大紅葉 山を仰ぎて 期待が募る」

「出迎えと 見送り兼ねる 信濃人 赤シャツ姿で 季節を背負う」

「年寄りに 甲斐と信濃は 広過ぎる 足の代わりの レンタカーかな」

ITの 技術の詰まった 現代車 年寄り達は 思案投げ首」

「ようように 我等の足が 動き出し 先ずは今夜の 食料買いだし」

「信濃路の 紅葉の名所 横谷峡 右も左も 色づく木々達」

「各地から 紅葉目がけて バスラッシュ 何処のバスにも 爺婆多し」

「乙女滝 乙女のものとは 思われぬ 激しき水量 飛沫を上げる」

「色づいた 木々の下にて 昼餉かな はらりと紅葉葉 弁当飾る」

「仰ぎ見る 紅葉が並ぶ 尾根の上 白雲も行く 天色の空」

「どう見たら 鷲に見えるか 鷲の岩 岩を眺めて 侃々諤々」

「時間なし 展望台へは 車にて リーダー一声 車へ戻る」

「蔦の葉の 見事な紅葉 目を引きぬ 横谷渓谷 温泉旅館」

「お隣の 大型ホテルに 人気無し ネグンド楓の 枯れ葉舞うなり」

「落葉松の 林の中に 朱に染まる 紅葉のトンネル 歓声上がる」

「朱に染まる 信濃に甲斐の 山肌が 下界の町に 紅葉運ぶ」

「八ヶ岳 蓼科山も 雪かぶり 裾野は紅葉 なんと良き日か」

「峠越え ヒュッテへ急ぐ 道すがら 富士の白嶺の いきなり顔出す」

「富士を見て 綺麗と叫ぶ 運転手 景色見ないで 道路を見てね」

「紅葉の 続く山路を 駆け下りて ヒュッテに続く 道に着きたり」

「道の口 駐車禁止の 大看板 無視して駐車 無法者達」

「勘定は しっかり者の 会計さん 枝に躓き すってんころり」

「森の奥 紅葉の中に 鹿の声 万葉人の 気持味わう」

「落葉松の 林を抜けて 岳樺 心の故郷 ヒュッテの屋根見ゆ」 

「ヒュッテには 電気も無ければ 水も無し 各自それぞれ 役割分担」

「水汲みや 寝床の準備 爺達 婆様連は 夕餉の支度」

「恋の火も 暖炉の火付けも お任せを 昔に取った 杵柄なれば」

「薄暗き 小屋の真ん中 暖炉の火 身も心も 温めるなり」

「山間に 夜の帳が 下り始め 宴会始めの 号令下る」

「沢水で 冷やしたビールで 乾杯し 次はワインと 宴は進む」

「婆様が 手塩にかけた きりたんぽ 酒旨くなり 酔いも早まる」

「小屋の外 ひしめく星を 見る人と 雲だけを見る 不幸な人あり」

「暗闇を ほんのり照らす 蝋燭の灯 心に残す 記念撮影」

「夜は更けて 日本酒焼酎 みな空けて 一晩早い ハロウィンパーティー」

 

 

「夜明け前 目覚めて辺り 見渡せば 何故か二階の 寝床に寝てる」

「朝起きて 昨夜のことを 知らされる 聞けば聞くほど 顔の赤らむ」

「大急ぎ 朝餉を済ませ 小屋掃除 今日が本番 日向山登山」

「小屋の外 滴る水が 凍ってる 山は早くも 冬の到来」

「山中に 一晩放置の 現代車 置き場が違うと むくれて動かず」

「爺婆が 機嫌直せと 声かけて 宥め賺して 発車オーライ」

「ナビゲーター 信頼されぬと 怒り出し ナビの役目を 放棄するなり」

「地図見たり 道行く人に 聞きまくり 漸く着いた 日向山裾」

「1台が やっとの林道 ひた走り 日向山への 登山口着」

「林道が 少し広がる 登山口 車置き場は 早くも満車」

「上方に 別の置き場を 探し出し 問題解決 登山を開始」

「下草の 笹の筵に 落葉樹 散りゆく前の 刹那の輝き」

「大楓 壇香梅も 入り交じり 今が盛りの 山の紅葉」

「昨晩の 酒も物かは 山男 先陣切って 皆を導く」

「下りてくる 人達全部に 聞いてみる 頂上までは 残り如何ほど」

「皆が言う 天気が良くて 頂上最高 残り気にせず 登らにゃ損々」

「良く見れば 我等未だに 4合目 覚悟を決めて ひたすら登る」

「5合目に 思いの外に 早く着く 安堵の色が 皆に広がる」

「頂上に 着けば景色が 一変す 八つの全山 一望するなり」

「青空に 白砂紅葉 日向山 初めて目にする 自然の不思議」

「白砂に とぐろを巻いて 昼餉かな 八見えなくば 海辺の如し」

「昼餉終え 勇気ある人 尾根歩き 今にも崩れる 白砂の尾根」

「下り道 足取り軽く 気も軽く 景色楽しみ 話も弾む」

「むくつけき 爺が一人 お花摘み 杖も一緒に 置いて来るなり」

「皆無事で 下山できたる お祝いに 汗でも流そう 尾白温泉」

「尾白の湯 まさかまさかの 定休日 休みでは無い 延命の湯へ」

「この年で 延命などは 願わぬが 汗を流して 気分は上々」

「二日間 お世話になった 車達 お別れをして 残るは宴会」

「小淵沢 頼みの蕎麦屋も 定休日 待合室にて 宴会開始」

「5時になり 待合室の 灯が消える 地元の乙女が 再び点灯」

「静かにと 言った側から 騒ぎだし 所構わず 何時もの宴会」

「宴会は 列車の中まで 引き続き 列車の中でも 我が物顔かな」

「酒足らず 車内販売 待ち遠し 私も足らぬと 埼玉の女」

「酒来たり 宴会続く あずさ号 あっという間に 八王子着」

「老いらくも 友さえいれば 世は楽し 別れは次の 会う日の楽しみ」

 

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2018年10月29日

2018年10月29日

 

 富士が見えるのが、当たり前に思えるようになりました。もうそろそろ晩秋になるのですね。今朝は、ほぼ快晴でしたので、四谷橋まで、日の出を見に行きました。

 四谷橋について、10分もしないうちに、日の出が始まりました。稲城市の清掃工場の煙突の左から、日が昇り始めました。日が昇る毎に煙突に近づき、登り切った後は、煙突から離れていきました。太陽は、真っ直ぐ昇るのではなく、斜めに昇ることは聞いていました。特に、秋から冬にかけては、斜めの角度が強いのも聞いていました。しかし、日の出の場所は、太陽の動きが分るような目印が少なく、本当に斜めに上がっているのか、自分の目で確かめるのは困難でした。今日は、しっかり確かめることが出来ました。

 日の出の写真を何枚も撮りましたが、日の出の太陽が、一瞬にして地上を明るくする感じが、全く出ていませんでした。地上は暗いし、太陽も汚れた暗い色をしていました。太陽を一緒に入れては、いけないのかも知れません。何れにしても、写真の撮り方について、全く勉強をしてこなかった、私のせいだと思います。朝日を受けた、草花の方は、まあまあの出来でした。

 昨日、妻からメールがあって、今日だったら会えると行って来ました。私も、明日からは、山の仲間と山へ行く予定が有るので、今日の方が好都合でした。4時頃、荻窪で会うことにしました。

 3時前に家を出て、丁度4時頃に荻窪に着きました。妻は、4時40分には荻窪に着いたらしく、買い物も終わっていました。私の酒の肴にと、明太子を一腹買ってくれていました。嬉しいことです。何時も行く寿司屋は、5時開店なので、近くのコーヒー店で時間を潰しました。

 5時丁度に寿司屋に行って、色々な物を食べて、妻と沢山話をしたのですが、この日記は、3日後に書いているので、何を食べたかも、何を話したかもすっかり忘れてしまいました。ただ、とっても幸せな気分で家に帰ったのを覚えています。

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