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2018年10月25日 (木)

2018年10月24日

2018年04月24日

 

 少し雲の多い朝だなと思っていたのですが、次第に雲が取れて、ほんの僅かでしたが、富士も見えました。その後、青空は広がり、かなり強い日差しも出て来たのですが、富士野近くに雲が湧き、富士を隠してしまいました。

 この前拾ってきた椎の実を、1日置きに20粒くらい食べているのですが、未だ食べ終わっていません。野生の木の実を食べていると、矢張り戦後の貧しい時代を思い出します。椎の実、栗の実、茱萸の実、木苺、苗代苺、食べられるものは何でも食べました。どれが食べられるかは、婆さんに教わりました。

 今は、人間が空気中に種々有害物質をまき散らし、樹齢400年の椎の木も、完全に野生の植物とは言えないのかも知れませんが、人間が栽培した物に較べれば、野生と言えるでしょう。こうした、野生の実や草を食べていると、身体の健康が保たれると感じます。野生と共に生きることによって、人間は進化してきたと思っています。人間が自然と共に生き、長い年月をかけて獲得した身体の仕組みや機能の集大成である進化は、500年ほど前の大航海時代で終わったような気がします。つまり、自然ではなく、人間が作り出した模造の世界で生きるようになったからです。人間の集団が大きくなり、他人が作った食べ物を食べ、人間が人間を支配し、宗教という訳の分らない考え方と集団が出来、有害物質は増え、病気も増えました。

進化の中の1つである、免疫機能は、自然と共に生き、人間の生命体の基本である細胞と、細胞を正常に生かすための情報交換手段である神経が一体となって、生存機能を脅かす微生物や有害物質への対抗手段を獲得したものです。これには、長期間の試行錯誤が必要でした。現在、医学が発展し、多くの薬や治療法が考案されました。身体に入った有害菌や有害物質を、免疫機能の代わりに薬やメスで強制的に取り除く事が当たり前になっています。これは、病気そのものを、一時的に直すことは出来ますが、免疫機能を弱体化させると思います。これは結果として、病気に罹りやすい人間を増やす事に繋がると思っています。薬や治療が、これまでに獲得した免疫機能を弱体化させ、同時に強靭な身体を弱体化させると思っています。

サプリメントも同じです。人間が充分に食べられた時代は、進化の過程では、それ程多くはなかったと言われています。自然の中で生きることは、特殊な栄養分を取ることは、かなり難しいことです。つまり、少々栄養が不足しても、生きていけるように進化して来たのです。サプリメントは、特殊な人を除いて、人間を豚のように飼育するのと同じようなものだと思います。椎の実を食べていると、猿に戻ったようですが、人間社会の儲け主義から生まれる、様々な不自然な食べ物から離れられるような気がします。

今日は、明星大学で行われた、「日本の音 日本の踊り ー 江戸糸あやつりと歌舞伎音楽 ー」を見て来ました。普段、日本文化と接することが少ない私にとっては、貴重な体験でした。また、上演の間に、若者にも分るように、道具や技術を分り易く解説してくれました。操り人形の糸は、15本あり、その内3本は、名前は忘れましたが、人形を吊すのが主要な役目で、人形を移動させる時に使うそうです。その他の、12本の糸は、足や手、腰など、身体の仕草を表現するための糸だそうです。顎や肩を利用して、人形に息づかいまでも、表現させることが出来ました。日本以外の操り人形では、このような細かい芸当は出来ないそうです。師匠が行った至芸と、弟子達も含めた「鈴ヶ森」という人形劇を見させて貰いました。台詞は、操っている人が言うのですが、人形が喋っているように聞こえました。

また、鼓、三味線、長唄の演奏も聴きました。鼓の音の出し方や構造についての説明があり、鼓の叩く面が、取り外し可能であることを初めて知りました。また、次のような、芝居の意味も初めて教えて貰いました。

芝居(しばい)とは、劇場演劇、あるいは演技のこと。

もともとは、猿楽等の芸能を寺社の境内で行った際、観客は芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して「芝居」と呼んでいた。これが徐々に能楽舞踊等の諸芸を行う場所全体を指す言葉になり、そこで行われる芸能(特に演劇)や、演技の意味にまで転じた。「芝居を観る」という表現は現代でも非常に一般的で、商業的な演劇歌舞伎オペラ等、演技を含む舞台表現全般を劇場で鑑賞する場合に使われる。

詐欺行為やいたずらで人を騙すために演技することも「芝居」と呼ばれ、「ひと芝居打つ」等の表現がある。

日本の伝統芸能が、宗教との絡みが薄くなれば、私は良いと思うのですが、そうすると、日本の日本らしさも無くなってしまうのでしょうかねー。

 4時半から始まった人形劇は、6時半に終り、鈴を振るような虫の合唱を聴きながら、多摩動物園駅まで歩きました。宵は深くなったのに、何故か明るいと思ったら、月が煌々と輝いていました。確か明日が一五夜だと思いますが、真ん丸に見えました。

 

「家路へと 急ぐ我が背に 虫の声 明日の良き日を 願うが如し」

「月の端が 鋭利な刃物の 刃先のよう 遮るもの無き 月の光よ」

「ホームでは 月見る我を 気にもせず スマホに耽る 若者多数」

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