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2018年10月

2018年10月29日 (月)

2018年10月28日

2018年10月28日

 

 天気予報では、昨日はほぼ1日、雨だと言っていましたが、午前中から晴れて、午後は、素晴らしい秋晴れになりました。今日は、1日中爽やかな秋晴れと言っていましたが、朝は雲の多い空でした。しかし、午後は申し分の無い天気になりました。

 我が家のベランダの植物達に、水遣りをしていると、アロエに蕾が出来ていました。私が定年になってから育てましたので、かれこれ10年近くになり、漸く花が咲くようです。何時になるのか楽しみです。ブライダルベールは、台風の風が当たった部分の葉が枯れてしまいましたので、ベールの下の部分を綺麗に整髪しました。花の数は少なく、白いベールとは言えませんが、咲き続けています。ランタナの枝振りを見ていると、今にも枯れそうなのですが、どの枝にも全て、太陽の輝きのような花が咲いて、私を楽しませてくれています。

 向島百花園に行った時に、受付の小父さんが、白花ルコウソウ(縷紅草)が咲いていると言ったので、探したのですが見つかりませんでした。後で調べたら、細く切れ込んだ葉に、小さな白粉花のような花が咲く植物でした。マルバルコウソウ(丸葉縷紅草)は、我が家の近くでも沢山咲きますが、ルコウソウは今まで見たことが有りませんでした。ところが、名前を知ると不思議なもので、我が家の近くの家の垣根で見つけました。実は、見ていたのかも知れませんねー。

 今日は、5時からアパートの防災委員会に出席する必要があったので、早めの10時半に家を出て、神代植物公園と隣の植物多様性センターに行って来ました。

 植物多様性センターには、11時半には着きました。何度も来ている所ですが、今日は、珍しい桜や季節外れの花等を見ました。1つは、10月桜だと思ったのですが、コブクザクラ(子福桜)でした。花は小さな八重で、なんと春と秋に2度花を咲かせるそうです。近くで、満開の花を咲かせている山ツツジを見ました。と思ったのですが、葉っぱが山ツツジとは違うようです。まだ調べ着いていません。ボケ(木瓜)の花、カワラケツメイ(河原決明)の花も見ました。カワラケツメイは、葉がネムノキ(合歓木)に似ているので、別名ネム茶と呼ばれているそうですが、マメチャ(豆茶)、ハマチャ(浜茶)とも呼ばれるそうです。また、ハマコンギク(浜紺菊)、イソギク(磯菊)、一輪だけでしたが、カワラナデシコ(河原撫子)、ヤブヘビイチゴ(藪蛇苺)の花も咲いていました。

 植物多様性センターで昼食を済ませ、神代植物公園に映りました。正門から入ったところにある女性の彫像が、紅葉したコキアの後ろから、入ってくる人を見ていました。何時見ても、何となく寂しげな顔をしているのですが、今日も変わりませんでした。

野草園では、キチジョウソウ(吉祥草)とマルバフジバカマ(丸葉藤袴)にであいました。キチジョウソウは、ヤブラン(薮蘭)とヒメヤブラン(姫薮蘭)の中間のような花でした。マルバフジバカマは、名前の通りの花でした。少し歩いた花畑では、ハクチョウソウ(白蝶草)を見つけました。この花は、聖蹟桜が丘近くの大栗川に、春から秋にかけて、ずっと咲いている花で、どうしても名前を知りたい花でした。やっと名前が分りました。確かに、花は飛んでいる白蝶の形をしています。出来れば、白鳥草と間違わないように間違わないように、シロチョウソウにして欲しかったと思っていたら、後で調べたところ、読み方の問題で、シロチョウソウとも言うようでした。

暫く歩くと、ムクゲ園のところまで来ました。20本近くムクゲの木があるのですが、僅か数輪の花が、秋の到来に耐えて咲いていました。この近くに、百合の木や楓葉風の巨木が並んでいます。神とか縁起とかを信じない私ですが、この巨木からは、力が貰えるような気がして、神代植物公園では、一番好きな場所でした。その巨木の1本が根こそぎ倒れていました。台風24号の被害でしょう。胸が痛みました。別のところでは、桜の大木が3本、幹から折れていました。

 バラ園に行くと、秋薔薇が満開でした。菊花展も催されていて、しかも、晴天の日曜日でもあり、広い植物園が、何処も大混雑していました。通常、栽培された花は、余り気を引かないのですが、澄み切った空からの太陽の光が、薔薇を輝かしていましたので、ついつい沢山写真を撮ってしまいました。薔薇と彫像のツーショットも沢山撮りました。普段は入らない温室にも入りました。温室では、1年中、洋蘭や洋睡蓮の花が咲いています。今日も同じでした。

 3時を過ぎたので、植物園から深大寺へ出て、バスで調布に向かいました。このバスは、深大寺で扉が閉まらなくなるほどの満員となり、途中で降りる人も無かったので、調布駅まで、一切止まること無く直行しました。お陰で、思ったより早く、4時20分には家に着きました。

 5時から、防災委員会に出ました。緊急時用の備品購入の件でした。既に良く検討された資料が出来ていましたので、特に大きな問題も無く、購入が決定されました。

 防災委員会は、6時少し前に終り、その後は、昨日と同じように、野球の日本一決定戦、広島―ソフトバンク戦を見ながら晩酌をしました。


29日から11月2日まで、日記休みます。



 

「アロエさん その膨らみは 蕾かや 早く見たいな 我が友の花」

「嵐来て ベールの下の 乱れ髪 整髪しようか ブライダルベールさん」

「枝先に 地上に降りた 陽の子供 顔輝かす ランタナの花」

「縷紅草 我が家の近くに 君が居る 素知らぬ顔した 我を許せよ」

「春と秋 二度も花咲く 桜かな 子供に福を 子福桜」

「どうしたの 秋に満開 山ツツジ 君はほんとに あの山ツツジ」

「ボケたるや 何故に今頃 木瓜の花 春と惑える 小春日日和か」

「野に咲けば 君の名前は 野紺菊 浜に咲いたら 浜紺菊」

「下草の 更にその下 吉祥草 見つけた時の 嬉しさ格別」

「その姿 見知りの花の 藤袴 似てはいるけど 丸葉藤袴」

「君の名を 探し求めて 幾年月 長き苦労が 今報われる」

「四弁の 花の姿は 宙を舞う 紋白蝶ぞ 白蝶草」

「秋深し 我が世は既に 過ぎ去りし 夏の王様 木槿の数輪」

「君だけは 嵐に負けぬと 信じてた 楓葉風の 根こそぎ倒れる」

「天を突く 巨木の君は 今は無く 君の友等の 力借りよう」

「陰り無き 秋の日浴びて 輝ける 秋薔薇の横 素通りできぬ」

「山門の 苔生す屋根に 花の跡 綿毛となりし 秋の深大寺」    

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2018年10月28日 (日)

2018年10月27日

2018年10月27日

 

 昨晩、帰宅する時には、既に雨が降っていました。今朝方まで雨は降っていたようですが、私が起きた6時半頃には、前は止んでいました。今日は、予報通りに、1日中雨になると思っていたのですが、9時頃から日差しが出て来ましたので、諦めていた洗濯をしました。

 今日は、明星大学の公開講座に行って来ました。今日が、今年の公開講座の最終日でした。

 11時半に家を出て、12時半に明星大学に着きました。講座は、12時55分からでしたので、晴れ間が広がったキャンパスの中で、軽い昼食にしました。雨上がりの澄んだ空気の中で、とても美味しい昼食となりました。

 今日の講座は、人文学部日本文化科の服部教授による、「民主主義とポピュリズム ー ポスト冷戦時代の民主主義 ー 」でした。今年の公開講座のテーマは、平成時代らしいので、ポスト冷戦時代は、平成時代のことのようです。まさしく、1989年、平成元年に、東欧諸国で民主化運動が起き、議会制民主主義国家となり、ソ連圏から離脱しました。更に、東西ドイツ分離の象徴であったベルリンの壁が開放され、その年の年末、マルタにおいて、米ソ首脳会談(ブッシュ、ゴルバチョフ)が行われ、冷戦終結が宣言されました。冷戦は、1945年、第2次世界大戦をどの様に終結するか、米英ソの首脳が、ヤルタに集まった頃から始まったとされており、ヤルタからマルタへが、冷戦終結の標語のようになりました。私は、この歴史的な年を、メキシコで迎えました。

 ところで、今日の講座は、民主主義とポピュリズムは、同じものか違うものか歴史を通じて考えて見る事でした。ポピュリズムは、日本では、愚かで盲従型の大衆を上手く操り、専制的な政治を行うこととされ、衆愚政治、大衆迎合主義と訳されているそうです。こういう政治をする人のことをポピュリストと呼び、最大のポピュリストは、ヒトラーであったとのことでした。経済の停滞や、社会不安が高まると、どういう訳か、右傾化が始まり、極右政党が力を持って来るようです。現在は、主要国である、米英仏で右傾化が顕著になっているようです。極右の考え方の根底には、自国第一主義で排外主義でもあり、戦争も止む無し考えます。民主主義のリーダーである米国に、自国第一主義のトランプ大統領が誕生しました。これは、選挙というきちんとした国民の審判の結果誕生したものです。しかし、ヒトラーもまた選挙で選出されたのです。ヒトラーは、その後独裁者になりましたが、時代が違っていても、トランプ大統領が、ヒトラーにならない保証はありません。こう考えると、民主主義とポピュリズムは、基本は同じだと言えるとのことでした。そして、結論は、民主主義をポピュリズムにしないためには、民衆が衆愚にならないよう、日頃から心がけ、選挙できちんとした自分の意思表示をすることが大事であり、それが民主主義を守るのだと言うことでした。

 私も、この論理の過程や結論に異論はありません。しかし、実際の選挙においては、与党も野党も、1つの政党の政策の中には、賛同出来るものも出来ないものも混在しており、最終的には、賛同できないものも含めて、人を選ぶしかありません。選挙後、選ばれた人、政党が、選挙前とは違った政策を実施することも多々あります。しかし、選挙後は、選挙民は被統治者ですから、残された方法は、デモとか反政府活動になってしまいます。下手をすると、反逆者、非国民にされてしまします。ネットが普及し、虚偽の情報がいとも簡単に流れる時代になりました。誰が、真実を保証するのでしょうか、情報氾濫の時代に、個人で真実を確認するのは、簡単なことではありません。民主主義を守ることが非常に困難な時代になったと思います。マスコミに木鐸になって欲しいのですが、マスコミ自体のモラルの低下も進行しています。第2のヒトラーが出ないことを祈るばかりです。

 公開講座が終わり、外へ出ると抜けるような青空が広がっていました。今日は、散歩をしていないので、隣の中央大学から七生丘陵を越えて、多摩動物園駅まで歩きました。汗ばむほどの陽気になっていました。歩いている内に、今日洗濯した洗濯物を干さなかったことを思い出しました。急いで家に帰ることにし、4時近くには、家に戻りました。帰ってベランダを見ると、洗濯物が干してありました。次男が、仕事に行く前に干してくれたようです。これは、生活パターンは違うけど、一人住まいでは無いことの良さだと思いました。

 それから、近くのスーパーに買い物に出かけ、家に帰って日没を見ました。とても綺麗な日没でした。もう、5時前に日没なのですねー。随分日が短くなりました。日没の場所も、我が家から見える富士山の位置に近づいていました。

 ベランダに干してあった鶏皮を焼いて鶏皮煎餅を作りました。鶏の軟骨と同様、美味しく出来ました。同じく干してあった椎の実は、縦に割れ目が入り、直ぐに実が食べられるような状態になっていました。細い椎の実は、これが良いのです。

6時半から、ワインを飲みながら、野球の日本一決定シリーズ第1戦を見ました。延長戦になっても決着が付かず、引き分けで終わったのは、11時過ぎていました。少しワインを飲み過ぎてしまいました。

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2018年10月27日 (土)

2018年10月26日

2018年10月26日

 

 今朝も晴れ間が見える朝でした。この所、関東地方も、晴の日が長く続くように様になりました。秋本番になったようです。

 今日は、夜、「語ろう会」のため、都心に行くので、少し早めに出て、2度失敗した、向島百花園に行くことにしました。都立の十庭園の内、向島百花園だけ、1度も足を踏み入れたことが無いのです。

 我が家を、2時15分に出ました。これまでの失敗の経験から、電車の乗り方、乗る位置等を研究しましたので、4時には着くと思ったのですが、結局、着いたのは4時20分でした。極めてスムースに行ってもこの時間ですから、もう30分は早く家を出る必要がありそうでした。

 天気は次第に崩れて、百花園に着いた時には、厚い雲と日没が同時に迫ってきて、早くも薄暗くなっていました。4時半には入園が終り、5時には庭園を出なければなりませんでした。受付の小父さんに、「充分見学する時間はありますか」と聞いたところ、「時間は充分ですよ」と軽く答えました。中に入ってみると、小父さんが言ったことが良く分りました。色々な木々や草花が蜜に植えられていましたが、縁側から一望する程度の庭園だったのです。ささっと歩くと、5分足らずで1周できそうでした。ゆっくり歩いて20分で見終わりました。咲いている花も、ノコンギク、シュウメイギク、シオン、フジバカマ程度でした。面白かったのは、日本庭園の向こうに、スカイツリーが見えることぐらいでした。

 百花園を、4時45分に出て、東向島駅から、曳舟で地下鉄半蔵門線に乗換え、渋谷に出ました。渋谷で山手線に乗換えましたが、渋谷の人の多さには、驚きました。渋谷から目黒に出て、所用を済ませて、「語ろう会」の会場である、先輩の喫茶店に行きました。先輩は、顎の癌の治療中なのですが、ちょっと調子が悪く、声がスムースに出なくて辛そうでした。そんな訳で、「語ろう会」にも参加しませんでした。今日の「語ろう会」には、面白い経験をした若い女性の話を聞いたのですが、実に興味のある話でした。しかし、この話は公に出来ないそうなので、日記に書けないのが残念です。簡単に言えば、現在の若い人の苦しみ、苦しみからの脱却、そして将来への希望と不安について赤裸々な話を聞きました。世界の大きなうねりも感じることが出来ました。

 今日、「語ろう会」に、一昨日作った鶏の軟骨の一夜干しを持って行きました。どうも私が、この一夜干しのことを話したことがあるらしく、皆が食べたいと言っていたのです。遅く来た人にも残しておいて、全員が試食してくれました。一応好評でしたので、一安心しました。

 10時過ぎに店を出て、何時ものように新宿から京王線で帰ったのですが、電車が、府中駅に止まる寸前、がーんと大きな音がしました。何かがぶっつかったようでした。その後、直ぐに電車が止まり、ドアーが開くと、頭から血を流した年配の男が、車内に入ろうとしました。近くの人が、「入っちゃ駄目、駅員を呼ぼう、出血は酷いよ」と言うと、周りの人が大声で駅員を呼びました。ちょっとした騒ぎになりました。かなり酔っ払っていたようです。駅員が来て、男の頭の血を拭き、応急の包帯をして、連れて行きました。別の駅員がホームや電車の入口の血を拭いて、約10分遅れで、電車は発車しました。隣に座っていた小母さんが興奮して、「これだから酔っ払いは困るのよね」と何度も繰り返して、叫んでいました。結局、我が家に着いたのは、12時近くでした。

 

「二度までも 入園できない 百花園 今日は際どく 入園完了」

「宵闇の 迫る庭には 薄の穂 小さな池に 逆さスカイツリー」

「百花園 薄の彼方に 直立す 超大型の花 スカイツリーかな」

「大東京 下町の庭 百花園 尾長の群れが 木々を飛び交う」

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2018年10月26日 (金)

2018年10月25日

2018年10月25日

 

 昨日の朝に較べれば、少し雲の多い朝でした。でも良く晴れた朝と言えるでしょう。幽かな富士が、ほんの僅か見えましたが、直ぐに霞と雲に隠れてしまいました。

昨日だったか、一昨日だったかのニュースで、トランプ大統領が、旧ソビエト(現ロシア)との間で結ばれた、INF(中距離核)全廃条約を破棄して、中距離核開発を行うと宣言しました。理由は、ロシアが秘密裏に核開発を行い、中国やイラン北朝鮮でも、核開発を行っているからだそうです。しかし、米国は、既に長距離ミサイルを、かなりの数保有していますし、軍事衛星からの核攻撃も出来るようになっている筈です。米国は、条約以外の分野では核開発を続けてきて、現在、核戦力では、世界1の筈です。

では何故、トランプ大統領が突然条約破棄を言い出したか、人の気持は計り知れないところがありますので、正確には分りませんが、彼が何時も言っているアメリカファースト(米国第1主義)の1つだと思っています。従来米国が背負わされてきた、国際平和だとか、核廃絶のリーダーシップ、国際警察の役割等は、米国に負担を強いるだけで、何の得ももたらさないと、彼は思っているようです。「現実社会に於いて、夢物語のような理想を追い求めるのは、馬鹿げた行為である」と思う人は、どの国においても半数以上いるものなのです。彼等は、国の安全と経済発展以外を望むのは、現実を度外視した愚かなことだと思うのです。だからこそ、トランプが大統領になりましたし、日本では、自民党政権が長期政権を維持し、安倍総理が3選されるのです。

平和主義者の私としては、ロシアや中国等が核開発していることが明白であれば、核廃絶条約を、2国間だけで無く、全ての核保有国に広げようと、国連安全保障理事会の常任理事国で議論して欲しいと思いました。米国は、その中でリーダーとして力を発揮して貰いたいと思いました。常任理事国は、全て核保有国ですし、現在最も力を有している国々です。国際世論を喚起する上でも、良いと思うのですが、馬鹿げた夢物語なのでしょう。国家安全保障、経済発展も、国際平和と対立しない方法があると思うのですが、これも夢物語なのでしょうかねー。私は、夢物語ではないと思っています。

今日は、午後から、天気も良いので、昭和記念公園に、銀杏と椎の実を拾いに行って来ました。

午後2時頃、西立川口から公園に入り、バーベキュー広場や色々なスポーツが出来るエリアに入ると、長い公孫樹並木があります。300mは続いていると思います。この近くに来るだけで、銀杏の独特の臭いがしました。並木の下には、夥しい数の銀杏が落ちていました。この並木の銀杏は、例年小さいのですが、今年は、更に小さい気がしました。最後の成長期の前に、台風が実を落としてしまったのでは無いでしょうか。それでも両手に1杯くらい拾いました。更に「こどもの国」に行って、そこでも、両手に1杯くらい拾いました。

こどもの国から、日本庭園を見て、「こもれびの里」へ行くと、里の前の丘に、秋桜が満開でした。何時も、季節毎に、季節を代表する花が、丘全体に植えられ、昭和記念公園の名物になっています。秋桜の時期は、終わったと思っていたのですが、ラッキーでした。秋桜と青空と白雲と夕日の、良い写真が撮れました。

「みんなの広場」を廻って、残堀川の淵にある休憩所に行きました。この裏に、お目当ての椎の実があるのです。此処の椎の実は、現在食べている椎の実より、ずっと細長いのです。以前、私は、この細長い椎の実しか食べられないと思っていました。幼い頃に食べていたのは、この椎の実でした。用意していった小さな袋に、半分ほど拾いました。子供の頃からそうですが、食べ物を摘んだり拾ったりすると、宝物を拾ったような満足感を覚えました。今日も充分満足しました。

何時もは、西立川口に戻ることが多いのですが、立川口の所に、もう一つ公孫樹並木があるので、今日は立川口へ歩きました。途中の橋の所に、ヒマラヤ杉の林があって、一番橋に近いところのヒマラヤ杉は、毎年、大きな実を沢山付けて、皆の人気者だったのですが、伐採されていました。台風24号の被害だと思います。

出口の近くの公孫樹並木で、最後の銀杏拾いをして、4時半には公園を出ました。出口の前に、かなり広い空き地があったのですが、ホテルや商業施設の総合開発が始まっていました。立川の変わりようも激しいものがあります。立川から国立へ出て、国立の西友で買い物をして、我が家に戻りました。6時近くになっていました。

 

「頭には 宝の地図が 広げられ 何時もの場所で 銀杏拾い」

「秋桜が 揃って夕日に 顔向ける 貴方のお陰で 私は綺麗」

「山盛りの 秋桜の丘 仰ぎ見る 丘の彼方に 白雲流る」

「丘の上 木々から漏れる 日の光 秋桜畑に 夕日の縞模様」

「紅葉の 兆しが池に 映ってる 仄かなる朱 駆け出しの秋」

「焦げ茶色 小さく細き 椎の実の 宝の島に 今年も来たり」

「誰よりも 強いと思いし ヒマラヤ杉 倒してしまう にっくき台風」

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2018年10月25日 (木)

2018年10月24日

2018年04月24日

 

 少し雲の多い朝だなと思っていたのですが、次第に雲が取れて、ほんの僅かでしたが、富士も見えました。その後、青空は広がり、かなり強い日差しも出て来たのですが、富士野近くに雲が湧き、富士を隠してしまいました。

 この前拾ってきた椎の実を、1日置きに20粒くらい食べているのですが、未だ食べ終わっていません。野生の木の実を食べていると、矢張り戦後の貧しい時代を思い出します。椎の実、栗の実、茱萸の実、木苺、苗代苺、食べられるものは何でも食べました。どれが食べられるかは、婆さんに教わりました。

 今は、人間が空気中に種々有害物質をまき散らし、樹齢400年の椎の木も、完全に野生の植物とは言えないのかも知れませんが、人間が栽培した物に較べれば、野生と言えるでしょう。こうした、野生の実や草を食べていると、身体の健康が保たれると感じます。野生と共に生きることによって、人間は進化してきたと思っています。人間が自然と共に生き、長い年月をかけて獲得した身体の仕組みや機能の集大成である進化は、500年ほど前の大航海時代で終わったような気がします。つまり、自然ではなく、人間が作り出した模造の世界で生きるようになったからです。人間の集団が大きくなり、他人が作った食べ物を食べ、人間が人間を支配し、宗教という訳の分らない考え方と集団が出来、有害物質は増え、病気も増えました。

進化の中の1つである、免疫機能は、自然と共に生き、人間の生命体の基本である細胞と、細胞を正常に生かすための情報交換手段である神経が一体となって、生存機能を脅かす微生物や有害物質への対抗手段を獲得したものです。これには、長期間の試行錯誤が必要でした。現在、医学が発展し、多くの薬や治療法が考案されました。身体に入った有害菌や有害物質を、免疫機能の代わりに薬やメスで強制的に取り除く事が当たり前になっています。これは、病気そのものを、一時的に直すことは出来ますが、免疫機能を弱体化させると思います。これは結果として、病気に罹りやすい人間を増やす事に繋がると思っています。薬や治療が、これまでに獲得した免疫機能を弱体化させ、同時に強靭な身体を弱体化させると思っています。

サプリメントも同じです。人間が充分に食べられた時代は、進化の過程では、それ程多くはなかったと言われています。自然の中で生きることは、特殊な栄養分を取ることは、かなり難しいことです。つまり、少々栄養が不足しても、生きていけるように進化して来たのです。サプリメントは、特殊な人を除いて、人間を豚のように飼育するのと同じようなものだと思います。椎の実を食べていると、猿に戻ったようですが、人間社会の儲け主義から生まれる、様々な不自然な食べ物から離れられるような気がします。

今日は、明星大学で行われた、「日本の音 日本の踊り ー 江戸糸あやつりと歌舞伎音楽 ー」を見て来ました。普段、日本文化と接することが少ない私にとっては、貴重な体験でした。また、上演の間に、若者にも分るように、道具や技術を分り易く解説してくれました。操り人形の糸は、15本あり、その内3本は、名前は忘れましたが、人形を吊すのが主要な役目で、人形を移動させる時に使うそうです。その他の、12本の糸は、足や手、腰など、身体の仕草を表現するための糸だそうです。顎や肩を利用して、人形に息づかいまでも、表現させることが出来ました。日本以外の操り人形では、このような細かい芸当は出来ないそうです。師匠が行った至芸と、弟子達も含めた「鈴ヶ森」という人形劇を見させて貰いました。台詞は、操っている人が言うのですが、人形が喋っているように聞こえました。

また、鼓、三味線、長唄の演奏も聴きました。鼓の音の出し方や構造についての説明があり、鼓の叩く面が、取り外し可能であることを初めて知りました。また、次のような、芝居の意味も初めて教えて貰いました。

芝居(しばい)とは、劇場演劇、あるいは演技のこと。

もともとは、猿楽等の芸能を寺社の境内で行った際、観客は芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して「芝居」と呼んでいた。これが徐々に能楽舞踊等の諸芸を行う場所全体を指す言葉になり、そこで行われる芸能(特に演劇)や、演技の意味にまで転じた。「芝居を観る」という表現は現代でも非常に一般的で、商業的な演劇歌舞伎オペラ等、演技を含む舞台表現全般を劇場で鑑賞する場合に使われる。

詐欺行為やいたずらで人を騙すために演技することも「芝居」と呼ばれ、「ひと芝居打つ」等の表現がある。

日本の伝統芸能が、宗教との絡みが薄くなれば、私は良いと思うのですが、そうすると、日本の日本らしさも無くなってしまうのでしょうかねー。

 4時半から始まった人形劇は、6時半に終り、鈴を振るような虫の合唱を聴きながら、多摩動物園駅まで歩きました。宵は深くなったのに、何故か明るいと思ったら、月が煌々と輝いていました。確か明日が一五夜だと思いますが、真ん丸に見えました。

 

「家路へと 急ぐ我が背に 虫の声 明日の良き日を 願うが如し」

「月の端が 鋭利な刃物の 刃先のよう 遮るもの無き 月の光よ」

「ホームでは 月見る我を 気にもせず スマホに耽る 若者多数」

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2018年10月24日 (水)

2018年10月23日

2018年10月23日

 

 また雲の多い朝に戻ってしまいました。こんな天気の中でも、我が家のランタナは、花を咲かせ続けています。ランタナは、南米原産ではないでしょうか、南米のエクアドルでも、沢山咲いていました。調べて見たら、確かに中南米が原産でした。なんと和名は、シチヘンゲ(七変化)なのだそうです。花の色が、次第に変化するからだそうです。

 また、現在ベランダには、干物用のネットが下がっています。昨日買って来た鶏の軟骨が、昨晩から干してあります。天気予報では、今日の午前中は、少し晴れ間が出て、午後は、曇りとなり所々で小雨が降るかも知れないと言っていました。所が、午前中から曇っており、干物の為の十分な日光は、期待できないようでした。

 今日も、午後2時頃から散歩に出かけました。空は、厚い雲に覆われて、今にも雨が降りそうだったので、リュックに折畳みの傘を入れて出かけました。昨日は、国立方面でしたが、今日は、府中駅まで歩きました。

 昔の府中四谷地方の中心だった稲荷神社は、正式な名称は水明社だそうですが、今ではバス停も稲荷神社前になっています。近くには、四谷文化センターと四谷公会堂があります。四谷公会堂は、昔の小学校の跡地です。この辺りは、旧家が多く、田畑も残っています。

 稲荷神社から、田畑を辿り歩きました。既に稲刈りは終り、多摩川から引かれた用水は、水が無くなっていました。高速道路を潜ると、目の前にNECの工場が、刈り入れが済み、稲木が並ぶ広い田圃の向こうに見えました。府中市が誘致した、とても大きな工場です。田圃の畔には、白花の溝蕎麦が、畔を埋めるように咲いていました。その一画に、ホトケノザ(仏の座)やスイバ(酸葉)、タンポポ(蒲公英)、ハコベ(繁縷)の花が咲いていて、此処だけ春のようでした。その中に、マメアサガオのような小さな花を見つけました。花片が5弁になっているようなので、ホシアサガオ(星朝顔)かも知れません。しかし、色がブルーなので、アメリカ朝顔かも知れません。未だ調べが着いていません。

 NECの工場を半分くらい廻ると、府中崖線の崖下に出ました。湧水の淵にツワブキの花が沢山咲いていました。何度も書いていると思いますが、ツワブキを見ると戦後の食糧難の時を思い出します。婆さんの言いつけで、山を駆け巡って、柔らかいツワブキの茎を集めたものでした。家に持ち帰ると、皮を剥き、水に浸けて灰汁抜きをしました。指先も水も真っ黒になりました。これを煮付けにして食べたのですが、美味しかったという記憶はありません。

 橋のようになった歩道橋を渡って、崖上の西府駅の方に出ました。眼下にNECの工場が広がり、遠方には奥多摩の峰々が見えました。奥多摩の方は、青空が広がり、散歩を始めた時の、どんよりとした空が、明るさを増していました。

 西府駅から、また崖下に下りて御狩場道に出ると、家の垣根にシジミ蝶が2匹止まっていました。良く見つけられたと、我ながら感心しました。よく見かけるウラジロミドリシジミ(裏白緑小灰蝶)でした。日差しが出て来たので、求愛が始まったようでした。カメラを向けると慌てて飛び立ち、別の所に2匹並んで止まりました。これを何度か繰り返し、すっかり恋路を邪魔する意地悪爺さんになってしまいました。

 御狩場道から、分倍河原駅へ出て、南武線の踏切りを渡り、高安寺に入りました。この頃、青空は東の方まで広がり、西の空には鱗雲が生まれ、真っ白に輝いていました。寺の屋根や、木々の向こうに見える青空と鱗雲が、なんとも言えない美しさでした。何枚も何枚も、写真を撮りました。

高安寺から、大国魂神社まで歩くと、鱗雲は頭に上にまで広がっていました。天気の急激な変化を楽しみながらの散歩となりました。府中と聖蹟桜が丘で買い物をして、5時過ぎに我が家に戻りました。

 

「住宅地 残り少ない 稲田には 昔ながらの 稲木が並ぶ」

「秋深し 稲木の列を 見下ろして 大型工場 ドームの屋根かな」

「刈り入れの 済みし稲田の 畔道に 白さ際立つ 溝蕎麦の列」

「蒲公英や 繁縷に酸葉 仏の座 季節外れの 春を楽しむ」

「秋の日に 恋路の最中 シジミ蝶 恋路邪魔する 意地悪爺さん」

「雨雲と 青空の後 鱗雲 天空走り 天気急変」

「高安寺 黒屋根の上 鱗雲 青空の中 白銀の白」

 

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2018年10月23日 (火)

2018年10月22日

2018年10月22日

 

 今日も快晴の朝でした。ただ、富士は見えましたが、昨日よりは、地平の湿りが多いように思えました。時間が経つと、雲が湧き始め、やがて富士を隠してしまいました。しかし、雲が湧いたのは、富士の周りで、他は良い天気でした。

 昨日の夜のニュースで、卓球の福原愛ちゃんが、現役引退を発表しました。3歳の頃から、卓球尽くめでした。笑顔も泣き顔も真剣な顔も、何もかも可愛い人でした。お月様のようなまん丸い、ふっくらした愛ちゃんの顔、大好きでした。今は、2児の母となり、幸せに暮らしているようなので、私も幸せな気分です。日本の女子卓球を、よくぞ此処まで育ててくれました。愛ちゃんの力が大きかったと思っています。御苦労様でした。

今日は、5時半に起きて、日の出を見に行きました。家を出たのが、6時少し前になったので、太陽は早くも地上に顔を出していましたが、まだ赤みを帯びた、まさしく日の出の太陽でした。ほぼ真横から光を浴びた、土手の草花が、何時もとは違った顔を見せていました。荻の穂は、白銀のようでしたし、エノコログサの穂は、金色に輝いていました。露の降りた草の葉は、初霜のようでしたし、水門の近くでは、朝霧が立っていました。土手下の1部に、まだ花を咲かせている月見草の小さな群落もありました。お目当ての富士は、裾野のかなり下の方まで、雪に覆われていました。

朝飯前の散歩をし、午前中は、5日分の日記をブログに上げました。色々あって、2時過ぎまでかかってしまいました。午後2時半頃から、散歩に出かけました。国立崖線を中心に歩きました。概略のルートを紹介すると、我が家の前の三屋通りから、泉町公園、国立水再生センター、中央高速を潜って、国立環境センター、日野バイパスを越えて、谷保城山公園、ヤクルト中央研究所、国立文化センター、南養寺、滝野川学園、矢川と府中用水の合流点、崖下(ママシタ、この場所だけの呼び方)湧水、多摩川を越える中央高速の橋、国立SVマーケット、石田大橋、我が家と国立が中心のルートです。約2万歩の歩きでした。

季節によって、それぞれに見所があるのですが、今日は、見る物が多くはありませんでした。それでも、国立環境センターでは、山ほどの花梨を見ましたし、ヤクルト中央研究所の横の、崖下(ハケシタ)の道では、東京タワーのような珍しい蜘蛛の巣を見ました。国立文化センターでは、早くも山茶花の花が咲いていました。矢川と府中用水の合流点には、崖下湧水も合流します。崖下湧水の流れを飛び越えないと、かなり戻って別の道から崖下湧水の水源へ行けません。僅か60cm程度の幅を飛び越えるのに、千尋の谷を飛び越える気分になりました。無事、せせらぎを飛び越えて、水源へ向かって歩きました。清流の淵のタデや溝蕎麦が、天国の花園の花のように思えました。水源の近くでは、赤トンボが、しつこく私に擦り寄ってきました。「写真を撮りたいから、向こうの棒に止まってよ」と追い払うのですが、離れたと思ったらまた来るのです。私が、水源の木陰に入ったら、漸く諦めたらしく、棒の先に止まってくれました。崖下湧水から一旦崖上に登り、多摩川の土手に続く道に出る道路で、崖下の方へ下りると、90際は越えているようなお婆さんに出会いました。「ねえねえ、この先で映画を撮っているんだけどさー、囲いを作って人を寄せ付けないんだよ、どんな映画を撮っているんかねー」と話しかけてきました。「私も、4日前に行ったのですが、映画撮影は秘密らしいですよ、私も追い出されましたから、貧乏暮らしの若者の集団生活のようでしたがねー、映画が出来たら見ましょうよ」と言って別れました。中央高速の橋の所に行ってみると、4日前とは全く違って、厳重な囲いが作られていました。その後、SVマーケットで、ここに来たら買わずにいられない鶏の軟骨類を買い、土手に戻って、日没と霞んだ富士を楽しんで、我が家に戻りました。

我が家の戻ると、次男がいました。私の帰りを待っていたようです。直ぐに、買い物に行ってくると言って出かけました。次男がいない間に、イカとツブ貝のアヒージョ、ほうれん草のバターソテー、豚肉の炒め物をワインの摘まみように作りました。晩酌の準備が終わった頃、次男が帰ってきました。刺身が食べたくなったので、日野の方にある「角上」まで、刺身を買いに行ったそうです。近くの西友とは、種類も鮮度も違う物でした。鰺の刺身があったので、少しだけカルパッチョにしました。そんな訳で、最初は日本酒から入り、後は、それぞれ好きな酒にして、晩酌を楽しみました。

 

「我が影が 荻の穂波に 延びて行く 晴れ渡りたる 秋の朝かな」

「朝の日の 未だ届かぬ 土手の道 初霜紛い 白露の帯」

「朝の日の トキワ薄の 頭撫で 土手一番の 美形にしたり」

「エノコロの 小さな尾っぽ 日を浴びて 金の尾っぽに 変わり行くかな」

「朝の日に 高幡不動の 相輪の 何故か十字に 光おるかな」

「昨晩の 素敵な月を 君も見た 花片広げた 月見草かな」

「君咲けば 直ぐに木枯らし やって来る 秋の日溜まり 山茶花の花」

「崖下の 小径に並んだ 蜘蛛の網 技法駆使して 東京タワー」

「湧水の 清流の淵 蓼の花 夕日も手伝い 花の妖精」

「湧水の 清きせせらぎ 覆うごと 薄桃色の 溝蕎麦の花」

「赤トンボ 何を好んで 我が肩に その好意には 嬉しかれども」

「うっすらと 霞んだ富士を 赤く染め 今朝の朝日が 地平に沈む」

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2018年10月22日 (月)

2018年10月21日

2018年10月21日

 

 朝起きてベランダに出ると、真っ白い富士が目に飛び込んできました。全天雲の欠片も無い澄んだ青空でした。大分前に、初冠雪のニュースがありましたが、その後冠雪は融け、青山に戻りました。その後今日まで、富士の姿を見なかったのですが、冬を思わせる見事な雪山に変わっていました。何だか、秘蔵品のご開帳に立ち会った気分になりました。

 今日は、孫娘の歌の発表会が、南大沢の文化会館ホールで行われることになっていました。娘家族が住んでいる地域の、子供を中心とした音楽フェスティバルでした。

 11時半に家を出て、聖蹟桜が丘からバスで永山に出て、電車で南大沢に12時半に着きました。南大沢の駅は、大変な賑わいでした。駅前広場には、何時もはない小さな店が、沢山出ていましたし、通りを越えた広場では、フリーマーケットをやっていました。フリーマーケットの直ぐ上のベンチで、駅のコンビニで買ってきたサンドイッチとジュースで昼食にし、12時45分には、文化会館ホールに行きました。娘が来ているはずだと思って、探してみましたが、姿が見えませんでした。孫娘の世話のため楽屋の方に行っているのだろうと思って、会場に入りました。会場に入ると、スマホの電源を切るように言われたので、素直に従いました。

 1時から、フェスティバルが始まりました。プログラムを見ると、孫娘の出番は、後半のようでしたが、前半も全部見(聞き)ました。前半は、2時に終わり20分間の休憩となりました。ホールのロビーに出てみると、末の孫の姿が見え、側に上の孫も旦那もいました。娘がいないのは、私を捜し回っているせいでした。旦那が電話して、娘がやって来ましたが、険悪な顔をしていました。何度も電話をしたし、メールも入れたと言っていました。まー電源が入っていなかったのですから仕方ないでしょう。

 後半が始まる前に会場に入り、孫娘を除いた全員が、最前列から4番目の真ん中の席に陣取りました。孫娘は、後半の3番目、通っている小学校の合唱団の一員として出演します。孫娘は、今年から3年生となり、漸く合唱団に入ることが出来るようになったのです。やっと順番がやって来て、合唱団が入場しました。孫娘は、最前列の真ん中でした。丁度我々の目の前でした。壇上の孫娘も我々を見つけて嬉しそうでした。指揮をする先生が、少し左に寄ってくれたので、助かりました。「怪獣のバラード」を歌ったのですが、歌詞に合わせた身振り手振りが、とても良く合っていて、心を揺さぶる素敵な合唱になりました。合唱団は、更に2曲歌ったのですが、孫娘達3年生の出番は、この1曲でした。それでも、充分満足しました。孫達の成長する姿を見るのは、格別の喜びです。折角、お姉ちゃんが歌ったのに、末の孫は、娘の膝の上で、白河夜船でした。最後に全員でYMCAを歌い、全プログラムが終了しました。

 娘家族は、食事に出かけるとのことでしたが、残念ながら、私はアパートの理事会が6時からあるので、娘家族と別れて家に帰ることにしました。4時丁度のバスに乗って、一之宮に4時40分に着きました。そこから歩いて四谷橋を渡ると、丁度日没の時刻でした。この時刻になっても、空には一片の雲も無く、地平が赤く染まり、素晴らしい夕焼けになりました。自分が生きていて、この光景の中にいること、そして、その光景を、我が身で感じることが出来る喜びを、噛み締めました。

 家に着いたのは、5時頃で、大急ぎで洗濯物を取り込み、買い物に出かけました。毎朝、必ず食べることにしているヨーグルトが無くなっていたのです。買い物から帰ってきたら、理事会の時刻になりました。私の階(3階)にあるホールで会議が行われ、8時までかかりました。毎月、何やかやと話すことがある物だと思いました。そんな訳で、今日の晩酌は、8時半からとなってしまいました。寝る前に、ベランダの前に回ってきた月と、煌めく街の灯を暫し眺めました。1箇所だけ、街の灯が星空以上に、強烈に瞬くところがあるのです。光の瞬きは、空気の層の揺らぎだと言われていますが、その場所だけ、空気が揺らぐ特殊な要件があるのでしょうか、とても不思議ですが、とても綺麗です。

 

「朝起きて 窓を開ければ 真白なる 富士の高嶺の 青空に立つ」

「日本晴れ 孫娘の 晴れ舞台 爺の顔に 笑い皺増ゆ」

「孫娘 私の客は 家族だけ 目と目を合わせ 唄い続ける」

「夢の中 姉貴の歌が 聞こえ来る 末の弟 白河夜船」

「朱に染まる 夕焼けの空 感じつつ 生きてる喜び 全身に満つ」

「煌々と 冴え渡る月 仰ぎ見て 瞬き送る 地上の街の灯」 

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2018年10月20日

2018年10月20日

 

 今日は、市川にある学園の理事会に参加するため、朝6時に起き、7時には、家を出ました。朝、どんな天気だったか、はっきり覚えていません。比較的明るい空だったように思います。

 前回は、理事会が始まる10時ぎりぎりに着いたため、今日は、早めに家を出たら、学校の近くの駅に、9時前に着いてしまいました。如何せん速過ぎるので、ぶらぶら歩きをして、9時半に学園の会議室に着きました。

何時も通りに、10時に理事会は始まり、2時間近くに亘って会議が続きました。今日は、一般的な学事報告の他に、短期将来計画が話されました。聞けば聞くほど、少子化のうねりの中で、私立の学校を経営していくことの難しさを教えられました。私立とは言え、教育機関なので、利益ばかりを追求する訳にも行かず、かといって利益を上げなければ、学園は破綻する、利益の根源は授業料、授業料を取らない公立校は近くに幾つもある、授業料を払っても私立に来るメリットは何か、学校はそのメリットを作れるか、誰がどの様に作るのか、そのメリットをどの様にアピールするのか、子供を持つ家庭にきちんとアピール出来るのか、子供を持つ家庭は何時まで近くにいてくれるのか等々、私にとっては、経験したことのない、難しい問題ばかりでした。私を、理事会に招いてくれた、メキシコ時代の友人である理事長の期待に、応えられないのではないかと心配しています。しかし、私は教育者を父に持ったこともあり、教育には大きな関心を持っています。もう少し頑張ってみようと思いました。

理事会の後、食事をしながら雑談の時間になるのですが、今日は大学の同窓会があるため、早めに学園を去りました。

今日は、春秋、年に2度行われる、同窓会の決議機関である全国代議員会が行われる日でした。代議員会は、午後2時半から始まり、5時に予定通り終了しました。なんと、代議員会において、代議員の発言は1つもありませんでした。常任委員会が、問題になるような審議事項を代議員会に出しませんでした。また、司会も発言を封じるような、会の運営をしました。これは、代議員会で延々と話し続ける人がいるので、その対応策でもありました。同窓会は親睦団体ですから、目くじら立てる問題ではないのかも知れませんが、どういった団体であれ、私は、このような組織運営は好きではありません。国家において、専制政治を許さないのであれば、身の回りの組織運営も、出来るだけ発言がし易いように、発言のチャンスを潰さないようにすべきだと思っています。主権在民の予行演習というか、基礎作りだと思っています。私は、現在常任委員の側ですが、何れ会長に対し、私の意見を述べたいと思います。

代議員会の後、懇親会になりました。全国代議員会のもう一つの目的は、全国に散らばっている同窓生の親睦を深めることにありますので、この点に関しては、申し分なく効果を上げたと思います。2次会には、50人ほどが参加しました。こんなに大勢参加した2次会は、初めてのような気がします。余程、1次会が楽しかったのだろうと思います。その余韻は、3次会まで続きました。3次会にも、20人以上が参加しました。1つの店に治まらず、2件に別れてしまいましたが、最後に合流しました。午後から、酒浸りの1日でした。

今日は、1年に1度の高校の同窓会の日でもありました。会いたい人が何人もいましたが、予定が重なり出席できませんでした。ちょっとだけ損した気分になりました。

帰りは、聖蹟桜が丘に着いたのが、11時近くでしたので、バスも無く、酔い覚ましを兼ねて、少しお腹の膨れた月を見ながら、多摩川の土手を歩いて、我が家に戻りました。月が一緒に歩いてくれました。

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2018年10月19日

2018年10月19日

 

 今日も、雲の多い朝でした。例年、10月は天気が良いので、運動会のシーズンなのですが、関東地方は、雲の多い日が続いています。

 今日は、夕方から都心の大学で、元同窓会の会長と会うことになっていましたので、午後5時の出発の時間まで、我が家で過ごしました。

 実は、昨日の夕方、知り合いの女性から電話が掛かって来て、トルコにあるサウジアラビア領事館で起きたサウジアラビア人記者の殺害事件について、聞かれました。この記者は、表現の自由等、自国に対する批判を繰り返し行っていたそうです。現在、トルコ政府による調査が続けられていますが、何処から何処までが真実なのか、良く分りませんが、殺人が行われたことだけは、真実のようでした。それも、サウジアラビアの政府機関が行ったと言われています。

彼女は、文明が高度に発展した現代において、このような事件が起きたことに、言いようのない恐怖を覚えたようでした。それで、海外経験が長い私に、何故このような事が起きたのか聞いてきたのです。しかし、私は、イスラム圏は、旅行では行ったことがありますが、深い知識はありませんし、サウジアラビア、トルコは、旅行ですら行ったことがありません。従って、彼女に、この事件の背景とか必然性について、説明できるような知識を持ち合わせていませんでした。

しかし、現在のイスラムの世界には、私が1番嫌いな、宗教と権力の結びつきがあります。イスラムの聖職者が、如何に温厚な顔をしていても、大統領となって政治を動かしている姿を見ると、恐怖さえ覚えます。政治を神の声として実施されたら、国民は文句の言い様がありません。ひたすら、聖職者に胡麻を摺り、自分達の方に目を向けて貰うしか、現実世界を生きる術が無くなるような気がします。聖職者は、髪は間違わないというのでしょうが、実際の政治は、間違いだらけのような気がします。この間違いを、誰も指摘することが出来ないのです。世の中には、絶対の神など居る筈も無く、人間の誰かが作った神だけが存在するのです。

また政治を、一族で世襲する王制も大嫌いです。王制を維持するために、王制に批判的な国民は、容赦なく排除されます。王制もまた、国民は権力者に従うしか、生きる術が無くなります。戦前の日本は、王権と宗教が手を組んだような状態でした。現在の日本の政治が理想的だとは言えない部分が多々ありますが、政府が治安警察を使って、国民を闇から闇に葬るようなことは、出来なくなりました。権力を監視するマスコミも、ある程度機能しています。国民が団結すれば、政府(政治権力)を交代させることも出来るようになりました。多くの犠牲を払って手に入れた、主権在民を守ることが如何に大事か、改めて痛感させられました。

家を出る時になって、小雨が降り始めました。バス停の横にあった桜は、小雨程度であれば、充分に雨宿りが可能でしたが、今はありません。台風24号の被害を受けたため、伐採されてしまいました。何となくすっきりしましたが、来年の春は、花見をしながらバスを待つことは出来なくなりました。

6時20分に、大学の同窓会室に着き、現在私と一緒に同窓会の仕事をしている二人のメンバーと共に、元同窓会長と話をしました。今日は、一応真面目な話でしたが、旧来の友でもあり、つい先日、一緒に岡山を旅行したばかりでした。彼は、比較的押しの強い人間ですが、彼なりのしっかりした考え方を持っています。彼が、同窓会長時代にやって来た、同窓会の運営の仕方、同窓会と大学の関係、更に、大学と同窓会の将来について、共感出来るものが多々ありました。「同窓会も大学も、互いに独立したものであり、互いを支配下に置くような動きは、絶対に避けなければならない」「独立した上で、互いが互いを尊敬できるような存在となり、それを基礎に協調できる様になるべきである」など、とても良い意見を聞きました。これは、私の信条でもあります。

話し合いの後は、例によって飲み会となり、真面目な話から離れて、愉快な酒を飲みました。家に帰り着いたのは、夜も更けていて、空に半月に近い月を見ました。

 

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2018年10月18日

2018年10月18日

 

 「富士が見えるのでは」と思わせるほど、最近では珍しく良く晴れた朝でした。しかし、地平のぼかしは強く、富士は見えませんでした。今日は、午前中は良く晴れているというので、午前中に、立川根川公園と残堀川まで散歩しました。本当は、名古屋から出て来た友人と、高尾山に登る予定だったのですが、昨晩一緒に酒を飲んでいる段階で、お互い少々飲み過ぎたので、予定を中止したのです。

 午前10時に家を出て、土手に上がると、水門の堰にカワセミが、堰の下を睨んでいました。カワセミは小さい鳥ですが、嘴が大きい特徴的な姿をしているので、遠くからでも容易に見分けが付くのです。かれこれ、1年以上カワセミと会っていませんでした。大急ぎで堰の近くに行って、写真を撮りました。絶滅危惧種になったのではないかと心配していましたが、そうでもなさそうなので、安心しました。この所、午後に散歩することが多くなっていたので、それが、カワセミとの出会いを少なくしたのかも知れません。勿論、河川工事等で、人間がカワセミのテリトリーを破壊するため、生きる場所を変えなければならなくなるのが、一番大きな原因だと思います。

 土手の下の道は、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)とコセンダングサ(小栴檀草)の全盛時代でした。紋白蝶と紋黄蝶等が、かなりの数、黄色い花の間を飛び交っていました。蜂も何種かいましたが、家に帰って、図鑑で調べて見ても、どの蜂だか未だに分りません。蜂の種類が、こんなにも多いとは知りませんでした。

 石田大橋を越えた辺りから、薄や荻の穂が、小径に並ぶようになりました。その小径にツマグロヒョウモン蝶の雌が、私が近づくと少し前に飛び、水先案内人のようでした。荻原の穂波の中には、赤トンボが休んでいました。写真を撮るのに苦労しましたが、1枚だけ良い写真が撮れました。残り少ない秋の日の中、冬支度をする生き物達の姿を、見させて貰いました。

 荻の原を抜けて、中央高速の橋の下に行くと、映画撮影をしていました。かなり大掛かりな撮影でした。遠くの方から見ていると、係の人が近づいてきて、映画に映ってしまうので、この場から出て下さいと言われました。撮影自体が公表されていないらしいので、詳しくは書きませんが、面白い経験をしました。矢張り、外へ出ると予期しないことに出会います。

 立川根川と多摩川の合流点近くの断崖(ハケ)では、シャクチリソバの白い花が、満開でした。隣では、シュロの機を覆った葛の上に、更に蔓が覆い、大きなスカートのようになっていました。そのスカートを蔓の淡い白い花が覆っていましたが、葉の緑には勝てず、白いスカートにはなりませんでした。

 根川公園の桜並木に行くと、関東に大きな被害を与えた、台風24号の被害の跡が残っていました。桜の大木が、根元から折れていたり、多くの枝が傷んだりしていました。桜並木から雑木林に入ると、欅の大木が、舗装された小径を持ち上げ、根こそぎ倒れていました。同じように見える木でも、強い木と弱い木があるようです。

 根川公園の中に、柴崎体育館があり、近くにモノレールの柴崎体育館駅があります。根川公園に入った時から、便意を催したので、所々にあるトイレに入ってみたのですが、全部和式のトイレでした。和式のトイレは、便器に触れないで済むので、その点は良いのですが、しゃがんで用を足すことが、非常に辛くなってきました。仕方が無いので、柴崎体育館のトイレを借りることにしました。予想した通り、洋式の便器でした。危ないところでしたが、すっきりと用を足すことが出来ました。体育館では、老人達が健康体操をしていました。これまでに何10回も、前を通っているのに、柴崎体育館に入ったのは、初めての事でした。

 すっきりしましたので、更に歩いて残堀川に出ました。途中から崖を登り、普済寺に行きました。何度も来た寺ですが、ネットで調べた歴史を簡単に紹介すると「この寺は、文和年間(1352 - 1356)地頭立河宗恒の開基、この寺のある場所は武蔵七党の一族である立河氏の居館があったところであり、この寺ははじめ外の場所にあったが、立河氏が衰退した後に今の場所へ移されたと見られている」とのことです。国宝の六面石幢も見る事が出来ます。御朱印は取り扱っていません。晴れていると富士が良く見えます。今日は、良く掃除が行き届いた墓の中に、セイタカアワダチソウとヨメナが1杯咲いている墓が1箇所ありました。遠くの寺の屋根、並んだ墓石、墓の中の小さな観音像と花達が、なんとも言えない良い雰囲気でしたので、何枚も写真を撮りました。

 普済寺から、柴崎体育館駅に戻り、高幡不動経由で、我が家に戻りました。3時を過ぎていました。今日は、それから日記を書き、夜は、ワインを飲みながら、野球の広島―巨人戦を見ました。

 

「水門の 流れの淵の シルエット 一目で分る 君は翡翠」

「川縁に 微動だにせぬ 青鷺に 悟りの境地の 仙人を見る」

「荻の穂と 青空目指して 背比べ 黄色の山笠 背高泡立草」

「白き花 命短く 黄玉へと 終にはイガ虫 小栴檀草」

「秋の日の 黄玉が並ぶ 花畑 小栴檀草に 蝶の戯る」

「蝶に蜂 必死に励む 冬支度 久し振りなる 秋の日溜まり」

「赤トンボ めっきり数も 減り来たり 荻の河原に たったの一匹」

「背高の 荻の足下 身を潜め 青空移した 青き昼顔」

「青空が テンテンテンと 落ちている 多摩の河原に 梅雨草の花」

「紛うたや 秋の実りの 赤き実の 横に一輪 照葉野茨」

「蜂達が 冬に備えて 蜜集め 泡立草にも 蜜はあるらし」

「崖下の 水路が白き 花畑 蕎麦にはならぬ 赤地利蕎麦かな」

「多摩河原 蝶の案内で 歩を進む 薄の小径に 華やぎ添える」

「荻の穂に たった一匹 赤トンボ 何故か寂しく 空を見ている」

「小紫 紫式部と 兄妹か 違いの分らぬ 似た者同士」

「秋の日に 墓を飾りし 泡立草 観音様も 笑顔なりけり」

 

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2018年10月17日

2018年10月17日

 

 今日は、比較的明るい朝でした。その内に、青空が広がり、久し振りに日の光を感じました。ニュースによると、4時間も日差しがあったそうです。

 今日は、午後1時から、大学の昭和38年入学、所謂同期の体育会系クラブの同窓会があり、都心の大学まで行って来ました。

 私を含めて7名が幹事役になっています。幹事は、1時間前の12時に集まることになっていましたので、10時半に家を出て、何時ものように電車で都心に向かいました。電車が、調布に着いた頃に、携帯電話が鳴りました。名古屋から久し振りに出て来た、同じクラブの同期でした。電車内でしたので、後で電話することにして、電話を切りました。約30分後、電車が大学の最寄り駅に着いた時に、また電話が鳴りました。彼も、タクシーでそろそろ大学に着くと言ったので、大学の正門で待ち合わせをしました。ほぼ同時に正門に着き、無事彼を同窓会の会場に案内できました。

 幹事の5名は、既に着いていました。男性は、会場設営をして、女性の幹事は、ケイタリングで頼めない、野菜サラダと果物等を自分達で作りました。後ほどケイタリングが来たのですが、私には、彼女達の1品が、ケイタリングの品々より、美味しそうに思えました。

 1時から、乾杯をして同窓会が始まりました。誰もが、待ち切れなかったように、話が爆発しました。当時の我が大学は、4000人程度の小規模の大学でしたし、同じ学科から別のクラブに入ったり、体育祭や大学祭では、同じクラブで無くとも知り合いになる事ができました。この同窓会も、今年で5回目となり、これまでの同窓会で、すっかり顔馴染みになった者も多いのです。同期ですから、大学時代の想い出は、殆ど共有できますし、歳のせいで誰もが、某か身体に問題があり、病気に関する話題も共有できるのですから、話が爆発するのも当然です。

 あっちの仲間、こっちの仲間と、話し相手を変えながら、あっという間に1時間半経ち、その後、一人ずつ近況報告をして、同窓会の1次会は終了しました。その後、4時過ぎから、同窓会のロビーのような場所で、2次会となりました。本当は、私と同じクラブから6人の同期が集まったので、クラブの同期会をしようと思っていたのですが、成り行きで、全体の2次会に参加してしまいました。

 全体の2次会も、5時過ぎには終わりました。その後、名古屋から出て来た同期と、千葉に住んでいて一緒に飲む機会の多い同期と3人で、3次会をすることになりました。大学に近くの老夫婦がやっている店にしました。酒も料理も美味しく、同じクラブの同期だけになれば、共有する想い出も細部に亘り、また、話が弾み、あっという間に8時を過ぎてしまいました。昼間から飲み続けだったので、今日の飲み会を終わりにしました。良い1日になりました。

 

「人生の 旅路に友は 多けれど 同期に勝る 友は少なし」

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2018年10月17日 (水)

2018年10月16日

2018年10月16日

 

 今朝、6時過ぎにベランダから外を見て、幾分良い天気だなーと思いながら、自分の部屋に戻った時、妻から電話がありました。こんなに朝早く、どうしたのだろうと思ったら、早く起きてしまって、寝付けなくなったそうです。歳を取ると、こうしたことは良くあります。それにしても、どの様に眠れない時間を過ごして良いか分らない時に、私に電話してくれたことは、嬉しいことでした。1時間以上長話をして、今晩、一緒に食事することになりました。

 午後5時半に、神楽坂に行くことにしましたので、今日は、散歩もせず、普段は、なかなかやる気にならない繕い物をしました。昨日、Gパンを履いたら、両側の前ポケットの端がほつれているのが気になったのです。靴を縫うのに使うような、強力な糸で纏り縫いしました。そこそこの出来映えでした。

 午後には、知り合いの女性からも電話がありました。以前、私が、若しかしたら潜伏キリシタンの子孫かも知れないと話したら、色々気にかけてくれて、潜伏キリシタンに関する知識が手に入ると、知らせてくれるのです。この年になって、妻以外にも気にかけてくれる女性が居て、私は、本当に幸せ者です。

 午後4時に我が家を出て、丁度、5時半に待ち合わせ場所の毘沙門天に着きました。妻が、5時半から予約を取ってくれていました。神楽坂での食事は、何時も妻に「おんぶにだっこ」です。毘沙門天の前の細い路地を入っていくと、お目当ての、韓国薬膳・家庭料理の「松の実」がありました。妻も初めての店でした。多分、普通の民家を料理屋の改装したのでしょう、食事が出来るところは2階だけで、4人掛けのテーブルが3卓あるだけの、こじんまりした店でした。しかし、上手に飾り付けをした、良い雰囲気の店でした。

 料理は、最初の粥、最後のデザートを含め9種類でした。以前、何処かで食べたことのあるような物でしたが、材料、味付けが良く工夫されており、とても美味しく頂きました。女将さんが、料理の食材、作り方、食べ方を一所懸命説明してくれました。日頃から味にうるさく、なかなか合格点を出さない妻が、美味しいと言って、完食しました。私も、次から次と間を置かずに出て来る料理に、胃を無くした腸が悲鳴を上げていましたが、完食しました。初めての経験だったのは、マッコリのビール割りでした。これが、マッコリハイボールのような感じになり、すっきりと飲めました。新しい良い経験は、何時も感動を伴います。

 料理が終わったのが、8時少し前だったので、お酒もコーヒーも飲めるバーで、2次会をしました。丁度、サッカーの強化試合、日本―ウルグアイ戦をやっていました。今日は、朝早くから夜まで、思い出話や、互いの人生で起きた不思議なこと、我々以後の将来、今の政治の不透明さと政治家の資質の低下等々、沢山語りました。

 その中で妻が、「天皇制については、種々意見があると思うけれど、私は、以前の天皇のことは良く分らないが、象徴となった今生天皇は、実に良く日本の伝統文化を保持し、国民に対する親愛の情を持ち、外国の代表を心から接待している。何よりも、現実社会に生きていないので、現実世界の悪行に手を染める政治家と違って、高潔な行き方をされており、高潔な人格を保持されている。まさしく、日本の良さを外国に示していると思う。裏で何をしているか分らない、安倍総理などに、日本を代表して欲しくない。天皇制を無くせば、日本は、ろくでもない人間の集まる国になってしまうだろう」と言っていました。

 私は、世襲権力が嫌いですし、現実の人間と宗教が絡むのは更に嫌いですので、戦前までの天皇制については、疑問を持っています。しかし、日本が民主主義国家となり、天皇が国民の象徴となり、国民との混血も進み、世襲権力は無く、国民の依頼した国事行為を実施することに専念している現行天皇制は、妻と同じように、その存在を認めなければならないのではないかと思ったりしています。

 「恥の文化、罪の文化」という言葉がありますが、日本は恥の文化で、他の人に対して恥ずかしいと思う気持が、人間の生き方の規範となっているようです。つまり、他の人からどう思われるかが、一番重要なことなのです。従って、個人の中で築き上げられた倫理観は、無いに等しいのです。この結果、他の人に知られなければ何をしても良い、世の中の流れには逆らわない、世の中の流れは悪い奴が勝手に作る、妻が心配するように、日本はろくでもない人間の集団になってしまうかも知れません。天皇制に関しては、次の天皇まで、様子を見る必要がありそうです。但し、天皇に権力を付与することは、絶対に避けなければなりませんし、神社との結びつきも避けなければならないと思っています。

 

予定が重なりますので、22日まで日記を休みます。

 

「我が為や 髪をただして 若返る 妻の笑顔に 心が揺れる」

 

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2018年10月16日 (火)

2018年10月15日

2018年10月15日

 

 今日も、陰鬱な朝でした。そんな中で嬉しかったのは、台風24号に痛めつけられ、花を咲かせなくなっていたブライダルベールが、1輪の花を咲かせた事でした。蕾も幾つか出来ていました。これで、冬まで花を咲かせてくれるかも知れません。逞しい花です。

 今日は、前妻の訪問着2枚と羽織1枚を持って、染み抜きと洗濯をして貰うために、聖ヶ丘センターまで行って来ました。娘が、末の孫の七五三の折りに着てみたいというので、一度娘と着物の状態を調べたら、かなりの染みが付いていたのです。そこで、着物専門の染み抜きをやってくれるところを探していたら、偶然にも散歩の途中で、聖ヶ丘センターの浸み抜き屋を見つけたのです。2ヶ月ほど前、着物を持って行って、店番のお婆さんに見積もりをして貰いました。その時の値段が、結構高く3万円近くしたので、どうしようか迷っていましたが、今日決断して、お願いする事にしました。今日も、店番のお婆さんが、再度着物をチェックして、前回と同じ値段でやって貰うことになりました。お婆さんは、着物に関しては、プロのようでした。

 来る時は、バスで来ましたが、帰りは歩くことにしました。聖ヶ丘遊歩道から、谷戸公園に入り、桜が丘公園へ行きました。木々はほんのり色付いて居るのですが、陰鬱な空の下では、灰色がかっていて、秋の気配を感じませんでした。小径には、ヨメナ(嫁菜)やキバナアキギリ(黄花秋桐)などが咲いていましたが、矢張り太陽の光が無いと、花の輝きがありませんでした。散歩の楽しみは少ないし、雨もぱらついてきましたし、帰ることにしました。

 桜が丘公園から、記念館前というバス停の方へ出ました。この出口の近くに、成満寺があり、何度か御朱印を貰いに来たのですが、何時も住職が不在でした。折角、近くまで来たので、今日もトライしてみました。本堂の前に着いた時に、かなりの年配の人が、墓の方から上がってきました。「ご住職ですか」と聞いたところ、「そうです」と答えたように聞こえました。そして、年配の人が、この近くのことを色々と話し始めました。お寺の話では無く、この地域の昔のこととかを延々と話しました。どうも変だと思って、もう一度「ご住職ですか、御朱印をお願いしたいのですが」と聞くと、「わしゃ住職じゃ無いよ」と言われました。どうも、最初の返事を私が聞き間違えたようでした。年配の人と別れて庫裏へ行き、呼び鈴を鳴らしましたが、返事はありませんでした。またしても、御朱印を貰うことが出来ませんでした。多摩市のお寺で、御朱印を貰っていないのは、この寺ともう一つ阿弥陀寺だけなのです。

 成満寺からバス停に戻ると、丁度、聖蹟桜が丘行きのバスが来て、バスを乗り継いで、5時過ぎに、我が家に戻りました。シャワーを浴び、マッシュルームとエビと貝柱のアヒージョ、チーズの盛り合わせ、トマトサラダを作って、パリーグのクライマックスシリーズを見ながら、ワインで晩酌をしていると、買い物に行っていたらしい次男が帰ってきました。次男も今日は、ワインを飲む気だったらしく、白ワインを買ってきていました。そして、急いでウィンナーを炒めたりして、晩酌に加わりました。

 時間がたっぷりあったので、野球やスポーツの話の他に、経済の行方について話題になりました。次男が、「経済の発展が個人の購買意欲にあるとすれば、先進国の人口減少の中で、人数そのものを急激に増やすのは無理があるし、物が溢れている中で、現存の人間の購買意欲を上げるのにも無理があるように思える。以前は、経済的に突出していた米国の購買力が、他の国々から色々な物を買い、それらの国々の経済力を発展させ、世界全体の購買意欲を高めて来たが、現在、米国の経済力自身が弱体化しているようだ。これでは、このままの従来の経済政策を続けていれば、世界経済の先行きは不安で、近い内に経済破綻、世界大恐慌が起きるのではないか。トランプ大統領や安倍総理の経済政策を見ても、小手先の辻褄合わせばかりで、将来の経済発展など、全く期待できないし、逆に経済破綻を早めているような気がする。」と言っていました。全くその通りだと思いました。現在の若者は自分達が生きている現在の経済的環境について、我々の若い時代の高度成長時代とは、全く違った印象を持っている様でした。コンピューター、AI技術、ネット社会など、我々の時代からは、想像も出来ないほど、著しく発展し、経済環境が大きく変わりました。次の時代にどう対応するかは、その時代変化の中に生きている若者しか出来ないと、改めて思いました。

 

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2018年10月15日 (月)

2018年10月14日

2018年10月14日

 

 今朝は、曇りではなく、雨が降りました。関東地方は、他の地方より、統計的に晴れの日が多いとされていますが、今年は反対になっているのではないかと思ってしまいます。

 今日は、昨日の公開講座の影響もあって、半世紀近く訪れていない、ノスタルティックな所へ行って来ました。吉祥寺の井の頭自然文化園です。以前は、単なる俗称だったのかはっきりしませんが、井の頭動物園と言っていたと思います。

 1968年、昭和43年に長男が生まれ、その年から、吉祥寺にあった職場の寮に住むことになりました。当時、私は23歳で、駆け出しの社会人でした。当然給料は安く、給料だけでは家族を養える状況ではありませんでした。ただ、職場は、その当時日進月歩していた、コンピュータ部門だったので、毎日、残業があり、泊まり込みも日常茶飯事でした。それで、生活が出来たのだろうと思っています。今になって、妻子には、大変な苦労を押しつけたと思っています。風呂もない6畳3畳のアパートでの、貧乏暮らしでした。一緒にいることも、とても少なかったのです。罪滅ぼしのように、日曜日に、井の頭公園や井の頭動物園に行くことが多かったのです。吉祥寺には5年間住みました。住み始めて3年目には、次男も生まれました。とてもハードな人生の船出の時期でした。しかし、責任ある仕事も任され、コンピュータに取り憑かれたような日々で、私にとっては、充実した日々でした。

 今日、井の頭動物園に入ると、日曜日でもあり、園内は家族連れで混雑していました。日曜日の混雑は、以前も同じでした。園内の木々の感じ、列を成した檻等、殆ど変わっていない印象を受けました、今日ほどではなかったと思います。昔をなぞって歩いてみましたが、子供達が一番喜んだ、象のはな子の居た場所が、分りませんでした。象のはな子は、色んな事で話題になり、日本で最年長となる70近く迄生きて、誰にも愛されながら天寿を全うしました。その象舎は、更地になってしまったようです。その後、井の頭動物園は、外国から珍しい動物を連れてくるのではなく、身近な動物との触れ合いを大事にする動物園に変わったようです。モルモットコーナー、ヤギ舎、リスの小径は、動物に触ったり抱いたり出来る所で、行列が出来るほどの人気の場所になっていました。モルモットコーナーで、モルモットを抱かされて固まってしまった男の子や、笑顔がとても素敵な外国人の父娘を見ました。以前と一番変わったのは、外国人が増えた事と、子育てに心から協力するイクメンの優しさではないかと思いました。リスの小径では、リスに触れるのは難しいのですが、直ぐ目の前の木や、足下をリスが駆け回っていました。子供達の完成が響いていました。小さな森が全部檻になっていて、その中に入ることが出来ました。檻の上の方は、開いている所があって、ヤマガラが、リスの餌を食べに入って来ていました。久し振りに野鳥のヤマガラを見ました。係員に拠れば、ヤマガラはリスの小径の同居鳥だそうです。

 動物園の一角、リスの小径の近くには、長崎の平和祈念像の作者である、北原西望の立派な展示館、彫刻A館、彫刻B館、アトリエ館が出来ていました。以前は、彫刻が少しと、平和祈念像の原型が飾ってある木造のアトリエだけでした。長崎人である私は、平和祈念像の作者が、近くに居ることにとても感動したものでした。多分、北原西望の作品の複製だと思いますが、「将軍の孫」など、東京の色んな所で、彼の作品を見ましたが、何処で見たのかを忘れてしまいました。

 動物園を見て、水生園に行ったところ、入口の前で、大道芸人が大道芸をやっていました。これが話も上手いし、芸も達者だったので、ついつい最後まで見てしまいました。最後の芸は、高い1輪車に乗り、刀2本とリンゴを投げ回しながら、リンゴを食べる芸でした。リンゴにかぶりつくと、観客から「オ-」という歓声が漏れました。これが、大堂芸人に対する一番の褒め言葉のようでした。大道芸人の顔が、とても得意げでした。誰も動画に撮っていないので、私も撮りませんでしたが、少し残念でした。

 水生園は、今年見たばかりでしたので、さっと見て、井の頭池のほうに出ました。池は、ボートで埋まっていました。井の頭公園は、以前から人気のある公園でしたが、これ程の混みようではありませんでした。公園から、駅へ行く道も大変な混雑でした。私が、大学1年生の時、初めて吉祥寺に来た時は、鉄道は高架ではなく、駅舎は、大正時代を思わせる、古い木造でした。そして、私が住み始めた頃には、既に高架となり、高架下の商店街も出来ていました。確か、ロンロンと言っていたように記憶しています。時代の変化とは、凄いものだと改めて思いました。

 国立から我が家の方に戻り、近くの西友で買い物をして帰ると、6時を過ぎていました。野球のクライマックスシーリーズ、ヤクルトー巨人の第2戦が始まっていました。この試合をゆっくり見るために、酒の肴を何種類か買って来たので、今日は、日本酒で晩酌をしながら、試合を楽しんでいると、仕事が休みの次男も加わりました。贔屓のヤクルトは負けてしまいましたが、巨人の菅野投手がノーヒットノーランの偉業を達成する瞬間を見る事が出来ました。次男も巨人不安ではなく、高橋監督は嫌いなのですが、菅野の実力は認めていました。

 

「想い出が 形を変えて 目の前に 同じも嬉し 違いも嬉し」

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2018年10月14日 (日)

2018年10月13日

2018年10月13日

 

 今日は、朝から雲の多い陰鬱な空でした。地上も同じように陰鬱でした。この所、偶に日差しはあるものの、スカッと晴れた日がありません。気分も晴れません。日差しが少ないので、ベランダに干していた木の実も片付けました。

 今日は、明星大学の公開講座に参加しました。明星大学の人文学部日本文化学科は、毎年10月の各土曜日の午前と午後に、公開講座を開いています。参加は、誰でも自由なのですが、私のような老人が半数以上を占めています。私も、ここ5年ほど毎年参加しています。

 今日の公開講座のテーマは、「平成における<昭和>の記憶 ノスタルジアからバブルまで」でした。講座の講師、日本文化学科の向後恵理子准教授に拠れば、毎年午前の部は、日本の古典文学とテーマが決まっているそうですが、午後の部は、毎年テーマが変わるそうです。今年のテーマは、平成が来年で終わることから、平成がテーマになったそうです。そんな訳で、向後講師の専門は、明治期の文学なのだそうですが、今日の講座は、専門を離れて纏めたものだそうです。こんな裏事情があるとは知りませんでした。専門だけに拘らず、色々な方向に視野を向けるのは良いことだと思いました。

 約1時間半の講義でしたので、講義の内容を全部書くわけには行きませんが、最初に良いと思ったのは、ノスタルジアの説明でした。ノスタルジアは、最初は心身の病の名前だったそうですが、その後、誰もが知っているような、「遠く離れた異郷にいて、故郷を懐かしく思う気持。遠い過去の時を懐かしんで、憧れる気持。郷愁。」と変わったそうです。講師が紹介した様々な昭和の出来事に、まさしくノスタルジアを感じました。

 私は、全く知らなかったのですが、チェコ生まれのフランス作家ミラン・クンデラの作品「存在の耐えられない軽さ」の中の一文が紹介されていました。「消え去ろうとしている夕焼けは、あらゆるものをノスタルジアの光で照らすのである、たとえギロチンでさえも」でした。作家の気持と同じではないかも知れませんが、人生の夕焼け時を迎えている私としては、過去の人生の全てが、ノスタルジアの光に包まれています。あの悲惨な原爆で破壊された故郷長崎の、瓦礫の中で、満足に食べるものも無い状態で育った事さえもです。

 講師の最後の締めくくりも良かったと思っています。「時が経てば、全てがノスタルジアになるけれど、過去は常に未来に繋がり、未来の活力を生んでいる」と結んでくれたのです。ある意味、当たり前の結びではありますが、誰もが、このように考えてくれることが、人生の夕焼け時を迎えている、私のような人間にとっては、有難く嬉しいことなのです。

 公開講座のお陰で、頭に刺激を受け、良い時間を持てました。講座の後は、隣の中央大学のキャンパスを歩いて、程久保川の源流地帯である七生の谷へ出て、多摩動物園駅まで歩きました。その後は、高幡不動から聖蹟桜が丘に出ました。そこで本屋に寄り、公開講座で紹介された本、「一億人の昭和史」があるか、探してみました。しかし、昭和50年代に刊行されたものなので、置いているはずもありませんでした。毎日新聞が刊行した、本というかグラフというか、写真の多い本だったようです。アマゾンとか通信販売では売っているようなので、買ってみたい気になりました。そして、今日は珍しく、本屋の歴史の書棚を真剣に見ました。なかなか面白そうな本が、沢山ありました。歳を取り、緑内障を患ってから、本とは縁遠くなってしまいました。学生時代、寝食を忘れ本を読んでいた日々を懐かしく思い出しました。罪と罰を始めとし、ドストエフスキーの本は、全て読みました。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」も、「郷愁」も読みましたねー。これも、ノスタルジアですねー。

 家には、5時過ぎに戻り、今日から始まった、野球のクライマックスシリーズ、ヤクルトー巨人戦を見ながら、晩酌にしました。昼間のアカデミックな時間の過ごし方とは違いますが、これが本来の日常です。

 

「念じれば 夕日の再び 昇るなら 想い出もまた 現つとなるや」

「人の世は 時の流れを 変えられぬ 想い出の数 増え行くばかり」 

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2018年10月13日 (土)

2018年10月12日

2018年10月12日

 

 今朝も暗い夜明けで、どうなることかと思いましたが、雲は多いものの、所々に青空が出て、日差しも出て来ました。お陰で、洗濯物も乾きました。

 テレ朝の朝のニュースで、しつこいくらいに貴乃花の去就について報道しています。貴乃花部屋の貴の岩が、日馬富士から暴行を受けた件について、警察への被害届を出しながら、相撲界の元締めである相撲協会への事情説明をしなかったことに端を発し、結局、相撲協会と対立した貴乃花は、相撲界から離れることになりました。確かに、貴乃花の去就については、国民が知りたいニュースのネタかも知れませんが、毎朝のような貴乃花のニュースには、少々うんざりしています。

 貴乃花が相撲協会と対立しているのならば、何故対立しているのか、その理由を国民が分るように説明して欲しいと思います。貴乃花自身が、現在の相撲のあり方について良しとしているのか、若し良しとしていないのならば、どの様な点が悪いのか、悪いと思っている点を貴乃花自身はどの様に改正しようと思っているのか、改正の根拠となる貴乃花の相撲に関する考え方は如何なるものか、何にも伝わってこないのです。きちんとした考え方が、貴乃花の中で出来上がっていないような気がします。少なくとも、相撲は日本文化を継承する神事か、逆に相撲は世界に開かれたスポーツであるか、あるいは神事ではないものの日本文化をある程度残したスポーツなのか、その辺りの考えを聞かせて欲しいと思います。

 今日は、3ヶ月に一度の眼科検診に行って来ました。点眼用の薬が終わりそうだったのです。掛かりつけの眼科は、聖蹟桜が丘にあり、何時もとは違って、武蔵一之宮小野神社を通る径を歩きました。

 午後2時頃家を出て、四谷橋を渡り、日野落川のバス停の所から、真明寺に入りました。後継者のいなくなった大きな墓を整地して、小さな墓石だけの墓が沢山出来ていました。今日も工事をしていましたが、骨壺を入れる場所があるのか、分りませんでした。

 真明寺の直ぐ近くには、大きな庭を持った旧家が数件あり、真明寺の裏は、まだ田圃が残っています。その直ぐ近くに、柿の木公園がありました。どうした訳か、現在柿の木は一本も無く、桜の公園でした。その公園に、バングラディッシュの人だと思いましたが、たった一人ベンチに座って、恐らくイスラム教の祈りを、ずっと唱えていました。単なる習慣かも知れませんが、外国暮らしの苦労を忘れようとしているのかも知れないと思いました。表情に、悲しみが見えたのです。

 柿の木公園から、ものの二,三分歩いた所に、武蔵一之宮小野神社があります。門の彫刻が立派な神社です。今日は人影もなく、閑散としていました。神社の境内に入って、貴乃花関のことや戦時中の国家神道のこと等を思い出して仕舞いました。私は、宗教そのものとは縁を切りましたが、まだ、宗教から派生したお祭りとかの、社会生活に入り込んだ生活習慣とは、完全に縁を切れないでいます。人間が、神無しで生きると言うことは、これまでの歴史や文化を否定することに繋がり、心の拠り所も失う不安がつきまといます。そんな訳で、既存の宗教は、未だ大きな力を持っています。お寺や神社を歩き、柿の木公園で、祈りを唱えている外国人を見て、少しだけ宗教について考えさせられました。

 小野神社を出たところに、黄花ジャスミンが、電信柱に巻き付いて、今が盛りと咲いていました。その横には、辛うじて花が残っているスイカズラ(吸い葛)がありました。栄枯盛衰が並んでいました。

 少し歩くと、聖蹟桜が丘の駅の直ぐ近くなのですが、比較的廣い梅林と畑が残っている所がありました。電車からは良く見るのですが、此処を歩いたのは初めてです。直ぐ横に駅の高いビルが並んでいて、ちょっと奇妙な感じがしました。畑には、真っ赤なベビートマトが鈴生りでした。花は、イヌホウズキにそっくりでした。

 普通、30分で歩くところを1時間ほどかけて歩き、3時過ぎに眼科に着きました。視力検査や目の写真を撮り、医者の診察を受け、薬局で薬を貰うと、何時も1時間くらい掛かります。今日も同じでした。少し歩き足りなかったので、帰りも歩いて帰りました。帰り道では、これもしぶとい、仙人草の花を見ました。また、四谷橋から見た北の方の空は、どう表現すれば良いのでしょうか、階段状の雲が、ずっと続いていました。千変万化ですねー。我が家には、5時過ぎに戻りました。

 

「時は過ぎ 栄枯が並ぶ 秋の道 誇るジャスミン 嘆きのスイカズラ」

「生きてれば 全て活き活き 己が道 何から何まで 千変万化」

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2018年10月12日 (金)

2018年10月11日

2018年10月11日

 

 霧の濃い朝でした。天気予報では、午後から雨になると言っていましたが、午前中早い時間帯に、一雨来ました。その後は、雨も降らず、多摩全体に深い霧が立ち籠めていました。

 今、我が家のベランダには、色々な木の実が干してあります。木瓜、馬刀葉椎、鬼胡桃、ムクロジュ、椿、椎などの実です。ビニール袋に入れておいたら、実の水分が袋に充満し、腐りそうになったからです。まさか、固い木の実が、こんなに水分を持っているとは思いませんでした。椎の実は食べますが、他の木の実は、特に何かをしようとは、思っていません。しかし、見るだけで、豊穣の気分が味わえるのです。

 2日ほど前に、テレビのニュースで輪島関が逝去した旨、報じられていました。70歳だったようです。学生相撲の横綱から相撲界に入り、横綱になりました。前褌を取ったら、絶対に負けない、そんな相撲を取っていました。ニュースでも報じられていたように、横綱引退後、親方になりましたが、親方株を借金の担保にしたことで、結果的に相撲界を追放されました。その後、1986年にプロレス界に入りましたが、1988年12月には、突然ですがプロレスも辞めたそうです。

 恐らく、輪島関がプロレスをやっている頃だと思いますが、メキシコで彼と会いました。プロレスの興行をやっている人と一緒でした。メキシコは、プロレスの盛んな国でした。詳しくは忘れましたが、私は、この興行主をホテルに尋ね、治安状況とかメキシコの社会状況を説明しました。この席に、輪島関も同席していました。一目で輪島関だと分りました。ところが、興行主と輪島関との関係は、まるで暴力団の親分と組員の関係のようでした。興行主は、私のような外部の人間の前で、輪島関に「灰皿を持って来い」などと、力関係を何度も誇示して見せました。当時の、大学の相撲部は、暴力団的な雰囲気があったので、彼も知らないわけではないでしょうが、それ故に、一時期、角界の頂点にいた人にとっては、大変な屈辱だったと思います。その光景が目に焼き付いていて、忘れることが出来ません。私は、その後10年近く、海外生活でしたので、その後の輪島関の人生を知りません。良い人生が送れたとは思えません。彼にとって死は、永遠の平安だったのかも知れません。

 今日は、霧と言うより、公害の時のような陰鬱な感じの霞かたでしたので、散歩は辞めようかと思ったのですが、外に出たいという気持のほうが強く、多摩川と大栗川の合流点まで歩いて来ました。

 2時半頃家を出て、多摩川の左岸の土手を、下流に向かって歩きました。草刈り後の丸坊主から、少し草が伸びていました。その中に、点々と黄色い花が咲いていました。コウゾリナかブタナだと思うのですが、良く分りません。草刈りの後出て来たのか、旨く草刈りから逃れたのか、数は少ないですが、ヒメジョオン、ニラ、イヌホウズキ、マツヨイグサの花もありました。私は、このように困難にめげない、あるいは困難から逃れて生き残った草達の花が大好きです。

 関戸橋の工事が始まったようなので、関戸橋を歩いて渡れるか、心配でした。ところが、すんなりと渡れました。しかし、何か様子が違うと感じました。分りました。工事のために仮設された仮橋のほうに、歩道と府中の方へ行く2車線が作られていて、昔の歩道も車線に変更されつつありました。いよいよ、関戸橋の工事も、下流側の半分を架け替える、大工事になるようでした。

 関戸橋を渡り、多摩川の右岸に出ると、君が代蘭の咲いている庭に、葉を落とした柿の木に鈴生りの柿が生っていました。木の下には、熟して落ちた柿も沢山落ちていました。渋柿なのでしょうが、何にも利用する気は無いようです。干し柿くらいにはなると思うのですが、恐らく住んでいる人は老人で、干し柿を作る作業そのものが困難なのかも知れません。余計な心配をしてしまいました。

この家の庭には、日頃は、入れないのですが、今日は門が開放されていたので、入らせて貰いました。

 大栗川を遡ると、未だ草刈りが終わっておらず、ヒメツルソバ、紅白のツメクサ、黄花秋桜、セイタカアワダチソウ、そして、春からずっと咲いている白い花が咲いていました。この花の名前が知りたくて、スマホのカメラで、花の写真を撮りました。早速、花判定機というアプリで、花の名前を調べて見ましたが、タマスダレとかハナニラとかニワセキショウとか、出て来た名前は、全く見当違いでした。矢張り、花の名前は、苦労して調べなければいけないようです。

 大栗川沿いに歩いていると、全天雲の中に、薄い雲の部分があったのでしょう、「この後ろに太陽があるぞ」と分るような明るい部分が出来ました。明るい部分の写真は撮りましたが、風景の中で撮りたかったので、橋の所でカメラを構えたら、明るい部分が消えてしまいました。本当に一瞬の事だったのです。

 我が家には、6時近くに戻り、7時から女子バレーのブラジル戦を見ながら、晩酌をしました。次にステップに行けるかどうかの重要な試合でしたが、最初の2セットを連取した時点で、次のステップに行くことは決まりました。しかし、試合そのものは、その後3セット連取され、負けてしまいました。

 

「刈られても また刈られても 花咲かす 自然に生きる 花の強さよ」

「中秋の 明月過ぎて まだ月見 土手に一輪 月見草の花」

「しぶとくも 秋に花咲く 梅雨草よ 今年の梅雨は 秋に来たるや」

「夏の日が 似合いの花の 芙蓉かな 花梨を横に 今盛りなり」

「葉の落ちた 枝に鈴生り 朱き柿 烏も食わぬか 朽ちるを待ちおり」

「コンクリの 細き割れ目に 根を下ろし 川岸飾る 黄花秋桜」

「紫の 色の抜けたる 力芝 これは見事な 大猫じゃらし」

「叢に 誰にも負けぬ 自己主張 我が世は春ぞ 蒲公英一輪」

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2018年10月11日 (木)

2018年10月10日

2018年10月10日

 

 雲の多い朝でしたが、直ぐに日差しが届くようになりました。思った以上に暑い日となりました。

 今日は、主に中南米で仕事をした、職場の友人との昼食会でした。12時から神田の中華料理屋、廣豊楼とのことでした。案内には、神田駅西口から歩いて2分と書いてありました。

 遅れないように余裕を持って、10時15分に我が家を出ました。電車は順調で、11時半に神田に着きました。西口に出ると、目の前に神田西口商店街の看板が見えました。会場は、恐らくこの中だろうと思って、商店街を最後まで歩いてみましたが、会場は見つかりませんでした。一旦西口に戻り、両サイドの道の看板を確かめましたが、矢張り見当たりませんでした。仕方なく、古くからありそうな小間物屋のお婆さんに聞くと、「廣豊楼?そんな名前知らないね、西口商店街にはなかったんだね、その先の道を右に折れて真っ直ぐ進むと、大通りに出る前のビルの1階に、確か中華料理屋があったよ」と教えて貰いました。その通りに行くと、確かに廣豊楼がありました。店の前に立った瞬間、去年と同じ店で、去年も迷ったことを思い出しました。歳は取りたくないものですね-。せめて、ネットで地図を確かめてから行動すべきですねー。店に着いたのは、丁度12時でした。半分以上の人が、未だ着いていませんでした。後から、少しずつ到着しましたが、皆迷ったそうです。傘寿以上が3人、喜寿以上も3人、後の6人も、全員70歳以上でした。

 乾杯をして、昼食会を始め、順番に近況報告をする事になりました。誰もが、病気の話が長くて、近況報告が終わりそうにありませんでした。昔話も出来ないほどになってしまいました。この会は、もうそろそろお仕舞いですね-。若い頃は、中南米のいたる所で顔を合わせ、時には一緒に仕事もしました。力を合わせて、職場の中南米の仕事を支えてきたとの自負を持っていました。それも、昔のことになってしまいました。これが、誰もが従わなければならない、世の習いと言うものでしょう。

 昼食会は、2時半頃に終り、4人で、軽くコーヒーでも飲んで帰ろうと言うことになり、こーひー&バーに入りました。所が、我々が注文を決めていると、注文受付の女性と、「注文はご一緒ですか」別々だよ、、、「順番は誰が最初ですか」並んでいる通りだけど、、、「お客さんの注文は何ですか」アルコール類はどんなものがある、、、「此処で売れるのは、ビールだけです」それではビールを、、、「ジョッキにしますか、グラスにしますか」グラスで、、、「後ろから出ますから貰っていって下さい」と言うような会話がありました。極く普通の会話のようですが、女性は、早口で大声で怒鳴っていたのです。まるで怒られているようでした。私は、腹が立っても文句を言うことは滅多にないのですが、最後に、「そんなに怒鳴るなよ」と言ってしまいました。

 軽く休んで、他の3人と別れたのは、3時15分くらいでした。折角、都心に来たので、この前入れなかった向島百花園に行くことにしました。地下鉄銀座線の神田駅から、浅草へ出れば、直ぐだと言うのは、分っていました。所が、銀座線の乗り場を探すのに、15分くらい掛かってしまいました。結局、浅草の東武線乗り場に着いたのは、3時40分になっていました。3時52分発の電車が、ホームに居ましたので、その電車に乗り込んで座席に座ると、どうも、いきなり眠ってしまったようです。昼食会で結構飲みましたし、地下鉄乗り場を探すのに、随分歩きましたから、いきなり眠気が押し寄せたようです。目が覚めたら、東向島を3つ乗り越した牛田という駅でした。それから引き返して東向島に行くと、4時半を過ぎてしまいそうなので、向島百花園は、今日も諦めました。

 悔しいので、スカイツリーに登ることにしました。初めてでした。何時も混んでいて長時間並ぶと聞いていたので、敬遠していたのです。今日もある程度混雑を覚悟していたのですが、今日は左程混んでなく、10分程度並んだだけで、展望デッキに登ることが出来ました。5時少し過ぎで、日没前でした。霞のかかった新宿の摩天楼街の後ろに、日が沈むようでした。30分ほど、今か今かと待ち続けましたが、地平線の近くは厚い雲に覆われて、日没の輝きは見る事が出来ませんでした。しかし、少しずつ町の灯が点き始め、やがて東京タワーにも灯りが点灯し、東京駅周辺の摩天楼街の窓の灯が、重なり合って光り始めました。今日は、物事が旨く運ばない1日でしたが、最後の最後に不興を慰めて貰いました。今度は、冬の良く晴れた日に来て、関東平野の広がる大東京と、冠雪の富士を同時に見たいと思いました。

 

「若き日に 高き夢見た 仲間等も 黄泉国への カウントダウン」

「宵の口 スカイツリーの 高みから 次第に増え行く 街の灯を見る」

 

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2018年10月10日 (水)

2018年10月09日

2018年10月09日

 

 素晴らしい快晴の朝でした。しかし、直ぐに雲が広がり始め、このまま天気は崩れるのかと思ったら、また青空が広がりました。

 今日は、何も予定は無いし、良い天気になったので、稲城市の若葉台、向陽台、城山公園を歩いてきました。何度も歩いているところですが、今回は、約1年振りのような気がします。

 11時半頃家を出て、聖蹟桜が丘から、聖ヶ丘経由永山駅行きのバスで、東部団地入口で降りました。そこから、歩いて丘を登り、多摩大学の裏手に在る八坂神社に行きました。この神社の入口には、樹齢200年は越えそうなスダ椎の大木があり、夥しい数の椎の実が落ちていました。去年もこの時期に来たと思います。落ちた実の中から、焦げ茶色の濃い実を選んで拾いました。ものの20分ほどで、2,3回は食べられるほどの実を拾いました。

 その後、境内に登って、ベンチで昼食にしました。弁当は、一昨日の誕生会の残りで、漸く、一昨日の残り物がなくなりました。食べている間中、吽形の狛犬に見つめられていました。「俺にもよこせ」と言われているようでした。前にも書いたことがありますが、此処の狛犬は、阿形と吽形の位置が逆です。阿形が、社に向かって左にあるのです。

 八坂神社は、多摩地方の丘陵では、一番高いようです。そのせいかどうか、この地は、明治天皇の休憩所、野立てだった所だそうです。明治天皇は、この辺りに良く立ち寄られたようです。聖蹟桜が丘の聖蹟は、貴人(明治天皇)が立ち寄った跡という意味のようです。また、八坂神社は、多摩よこやまの道の起点(終点?)でもあるようです。

 八坂神社から橋を渡り、稲城市の若葉台方面に下りました。桜並木が続いていますが、葉の多い桜と、殆ど葉のない桜がありました。台風の風を強く受けた桜と、比較的風当たりが少なかった桜があったようです。並木の至る所に、蜘蛛の巣があり、蜘蛛の巣にかかった葉が、風に揺れていました。何枚も写真を撮りました。高い所に網を張った蜘蛛は、雲を背景に手足を伸ばしていました。良い写真が撮れました。それにしても、この蜘蛛達は、台風の時はどうしていたのでしょうね、気になりました。

 若葉台から、サッカーチームヴェルディーの練習グランド、多摩カントリークラブの正門と歩きました。西日を受けた荻の穂が、セイタカアワダチソウと共に、道脇を飾っていました。出始めたばかりの荻の穂は、薄い紫がかった色をしているのですが、日の光を浴びると、銀色に輝き、細い花を広げた飾り物のようでした。

その後、クジラ橋を渡り、稲城中央公園に出ました。この一帯は、総合運動場ですが、その中に、花畑があります。何時も山盛りの花が咲いています。今日も、沢山の花が咲いていました。しかし、人が植えたものなので、魅力は今一です。でも今日は、花に戯れるツマグロヒョウモンチョウの雄と雌を、同時に写真に撮ることが出来ましたし、花に身を委ねた殿様バッタも写真に撮れました。

クジラ橋に戻って、野球場を廻り、向陽台に出ました。そこから、城山公園に入り、南武線南多摩駅に出て、4時過ぎに、我が家に戻りました。

シャワーを浴びたり、椎の実を洗ったりした後、先日、潜伏キリシタンの関する番組情報を教えてくれた、友人の女性に、番組を見た旨の報告の電話をしました。ところが、何かの弾みで、宇佐神宮の話になりました。私は、8月末に行って来たばかりの所でしたが、彼女にとっては、母方の先祖が、この神社の一族だったようです。私は、仕入れたばかりの聞きかじりの情報を、得意げに話したりして、なんだかんだと30分近く話してしまいました。

夜は、久し振りにワインを飲みながら、巨人阪神戦を見ました。巨人の岡本が、野球史に残るような記録を、劇的に達成すると共に、巨人のクライマックスシリーズ進出が決まりました。久し振りに良く歩いたので、気持ち良く酔いが回りました。

 

「蜘蛛の網 悶える木の葉に 夕日差し 赤く染まりし 病葉一枚」

「女郎蜘蛛 網にかかった 病葉を 如何にしようか 思案投げ首」

「白雲を 背にして揺れる 蜘蛛の網 両手広げて 蜘蛛が空行く」

「台風の お陰で暑さ 戻り来て 恋路楽しむ 褄黒豹紋」

「大輪の 花に腰掛け 空仰ぐ 気品溢れる 殿様バッタ」

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2018年10月 9日 (火)

2018年10月08日

2018年10月08日

 

 今日は、良く寝て、朝7時半頃に目を覚ましました。リビングに近い部屋に、孫達が寝ているので、自分の部屋で、8時頃から昨日の日記を書き始めました。8時半頃、ドアを叩く音がしたので、開けると娘でした。何時もは、10時くらいまで寝るのに、今朝は、随分早く起きました。どうやら、朝食を作って欲しいようでした。

 キッチンへ行って、昨晩の洗い物を片付け、また、ヴェトナム風春巻きを作り、何時もの、豆腐とタマネギとアオサの味噌汁を作りました。10時頃、昨晩の主役、上の孫が起きて来ましたので、サバを焼いていたら、次男も起きて来て、牛タン炒めを作ってくれました。また、昨日の残り物や、次男の作り置きのモツの煮込みも出して、朝から豪勢な料理になりました。どうも孫達は、魚より肉が好きらしく、牛タンの炒め物が、取り合いのようになりました。そして、味噌汁は、何時も好評です。

 11時頃、朝食兼昼食が終り、孫達は、早速ゲームに夢中となり、大人は一休みして、昨晩の酒をすっかり抜いて、午後1時頃、娘家族は、帰っていきました。途中、何処かに寄って遊んでから帰るというので、次男も付き合いました。私は、今日6時から、アパートの臨時理事会があるので、一人残りました。少し時間が出来たので、天気は、余り良くなかったのですが、2時頃から浅川を回って帰って来る、標準的なコースを歩いてきました。土手は、草刈りが行われて、丸坊主なので、多摩川も浅川も、土手下の道を歩きました。

 あれほど勝ち誇っていた葛の勢力が、落ち始めていました。葛の葉の下から、アレチウリが蔓を伸ばし、花を咲かせていました。葛に取って代わろうとする勢いでした。私の嫌いな、コセンダングサも今が盛りでした。荻の穂も出揃い、セイタカアワダチソウ、アレチハナガサの花も咲き始めました。しかし、あれほど目立っていたヒメジョオンが、草刈りのせいも有るのでしょうが、今日、出会ったのは、ほんの数株でした。しぶとく咲いていたのは、小さいながらもキツネノマゴとオッタチカタバミでした。

 新井橋から、程久保川との合流点まで、浅川の右岸は鬼ぐるみの林になっています。しかし、鬼胡桃の実が、樹上にはありませんでした。恐らく、台風24号の強風で落ちてしまったのだろうと思います。ところが、木の下には、実が落ちていないのです。良く良く見ると、林のあちこちに、ビニール袋が置いてありました。木の枝に下げたビニール袋もありました。その中には、鬼胡桃の実が詰まっていました。恐らく仙人が拾って、林の下に置いたのでしょうが、程久保川との合流点にある、仙人の花畑までに51袋もありました。これは、どうやら持ち帰り自由なようなので、一袋頂いてきました。帰りのリュックが重たくなりました。実は、3年か4年前の台風の時も、同じような事があって、その時も一袋貰ってきましたので、我が家のベランダは、鬼胡桃の実が沢山あります。上手に割ることが出来ないので、まだ、1個も食べていません。

 仙人の花畑は、最近全く手入れがされておらず、草ボウボウなのですが、その中に、黄花秋桜と秋桜が、花畑の名残を示すかのように、咲き誇っていました。シャクチリソバも勢力を伸ばしていました。最近、仙人の姿を見ないのですが、鬼胡桃の実を拾っているようですから、元気なのでしょう。

 四谷橋の近くの家の庭で、アメジストセージが咲き誇っていました。花の世話が好きだった、花咲爺さんのアパートの庭では、毎年、アメジストセージの花が咲いていました。今年の3月頃から、花咲爺さんのアパートは更地になり、売りに出ていますが、買い手が付かないらしく、未だに更地にままです。

 4時過ぎに家に戻りました。胡桃を洗って干し、6時から理事会に出ました。今日のテーマは、1軒のリフォームの承認、台風24号の被害の修復、防災用品の購入についてでした。台風24号の被害は軽微だったこともあり、どの議題も左程議論もなく承認され、7時には、理事会は終了しました。家に帰って、酒を飲みながら、「そして誰もいなくなった」というドラマを見たところ、4時間以上掛かるドラマで、半分以上ウトウトしてしまいました。

 

「葛の葉の 下から顔出す 紫の 小さな花の 小さな花畑」

「背高の アワダチソウは 雲の上 狐の孫と 住む世が違う」

「何処にても 目立った君の 立ち姿 姫女苑は 何処に去りし」

「遠くへと 去りし友との 想い出を 呼び覚ますかな アメジストセージ」

「仙人の 手入れ無くして 草茫茫 負けず群れ咲く 秋桜の花」

「台風の 強風受けし 鬼胡桃 誰の仕業か 実は袋詰め」

 

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2018年10月 8日 (月)

2018年10月07日

2018年10月07日

 

 台風25号が、南の空気を運んできたらしく、昨日から、真夏のような暑い日になっていますが、今朝の空は、青く澄んだ、すっかり秋の空でした。富士山も良く見えました。

 今日は、娘の長男の誕生会でした。午前中、誕生会用の料理の材料を買いに、聖蹟桜が丘に行きました。午後は、料理作りに専念しました。作ったのは、2種類の叩き、ヴェトナム風春巻き、アサリバターでした。一つ目の叩きは、モロヘイヤ、オクラ、長芋の叩きでした。皆ネバネバするものでした。もう一つも、ナメコ、納豆、モズク、長芋の叩きでした。これも、ネバネバするものを集めました。1時間近く、トントントントン叩き続けました。ヴェトナム風の春巻きは、手抜きをして、買って来たサラダの材料を、生ハムで巻きました。

 3時半くらいに、一通り食事の準備が出来て、丁度始まった、テニスのジャパンオープンの決勝戦を、次男と一緒に見ました。決勝戦は、錦織とロシアのメドベージェフの試合でした。ジャパンオープンですし、久々に決勝戦まで勝ち上がってきた錦織に、どうしても勝って欲しかったのですが、相手が強過ぎました。ストレートで負けてしまいました。

 五時半近くに、長男家族、娘家族が全員やって来ました。今日作った料理に、昨日買ってきた、ウニ豆腐、次男が作ったジャガイモサラダ、娘の旦那が作ったリブステーキ、長男が買って来た刺身を、食卓に並べ、大人はビールで、子供達は麦茶で乾杯し、いきなり宴会となりました。リブステーキが一番人気で、あっという間になくなりました。ネバネバの叩きも、そこそこ人気がありました。

 肴が日本酒系だったので、ビールの後は日本酒になりました。長崎の妹から送られてきた「からすみ」が、酒の肴に加わりました。日本酒の肴としては、絶品です。大いに酒が進み、8時までに、1升4合空けてしまいました。肝心の誕生日パーティーを忘れそうになりました。取り敢えず、プレゼントを渡し、蝋燭に灯を点けて、灯りを消し、何時ものようにハッピーバースデーを唄い、一応誕生日らしくなりました。

 その後、子供達は、ケーキを食べ、大人達は、また酒になりました。今年大学生になった長男の所の子供は、すっかり大人の仲間に入りました。中学校の入学式に行ったのは、ついこの間だったような気がするのですが、子供の成長は早いものです。今日誕生日をした子が、11歳になったので、大人の仲間に入るのは、あと7年です。それまで、元気で生きていられれば良いのですがね-。

 次男が、金目の煮付けをササッと作ってくれて、肴が一品増え、色々、家族の想い出があり、ホラー映画を見た時の話とか、あちこちの旅行の話とかしている内に、更に1升4合空けてしまいました。4合瓶2本は、19度もある強い酒で、醸造元は、長男の嫁の親戚がやっており、長男が来る時は、何時もこの酒を送って来ます。最初と最後に、この酒を飲んだので、すっかり酩酊してしまいました。何時の間にか、10時を過ぎて、長男達が帰る時間になりました。長男は、渋々ながら腰を上げました。タクシーを呼んで、娘の家族全員が、見送りに出ました。これで一応誕生会は終わりました。取り敢えず、食器類を片付けて、珍しく12時前に寝ました。

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2018年10月 7日 (日)

2018年10月06日

2018年10月06日

 

 結構雲の多い朝だと思ったのですが、7時頃から朝日が、向かいの七生丘陵の家並みを照らし始めました。台風25号は、朝鮮半島をかすめ、日本海を進むようで、関東地方への影響は少ないようです。今日は、監事をしている日出学園の学園祭を見に行くため、朝早くから出かけるので、大急ぎで洗濯しました。洗濯機に、洗濯物が溜まると、気になるのです。

 我が家から、日出学園までは、2時間半くらいかかるので、8時半に家を出ました。本八幡から菅野まで一駅ですが、京成電車を利用します。昨日、丸1日、台風24号の影響を調査するため、京成電車が運転を取り止めたので、今日は動くのか心配していましたが、平常に戻っていました。結局、日出学園に着いたのは、11時でした。

 日出学園は、幼稚園から高校までの一貫校ですから、生徒と父兄が集まるだけで、大変な数です。昼食や水類が売っている場所では、長い行列が出来ていました。後で気がついたのですが、校内には、幾つもの水類の自動販売機があるのですが、全部準備中になっていて、買うことが出来ませんでした。恐らく、弁当と一緒に売っていた水類は、自動販売機から取り出して、3割ほど高い値段で売ったのだろうと思いました。

 生徒の研究や創作物は、とても全部を見ることは出来ないほどの数でした。取り敢えず、バンドの演奏を聞き、美術部、写真部、漫画、フラワーデザイン等を見ました。他のものは良く分らないのですが、美術部や漫画には、将来、その道に進んでも良いような、素晴らしい作品もありました。この学校の生徒達が、自由闊達に学校生活を送っている、そんな印象を受けました。

その後、軽く昼食を済ませ、12時から、小学生による学芸会を見ました。その時の最初の注意が変だったのです。携帯電話の電源を切れというのは、ちょっと遣り過ぎでは無いかと思いました。マナーモードで十分だと思います。しかし、これが変だったわけではありません。変だったのは、「演目と演目の間は、会場への出入りは止めて下さい、生徒が演技に集中できなくなります」という注意は逆だと思いました。本来なら、「会場への出入りは、演技中ではなく、演目と演目の間にして下さい」と言うべきではないかと思いました。私のほうこそ、変なことばかり気にしてしまいました。

学芸会の午後の部は、4年生以上で行うものでした。幾つもある演目の内、最初の2つ、劇「アリババと40人の盗賊」を見て、吹奏部による演奏を聞きました。劇は、良く出来ましたが、小学生の演技でした。吹奏楽部による演奏は、音楽に弱い私の判断ですので、適切な評価とは言えないかも知れませんが、立派な演奏だと思いました。

1時半頃、日出学園を出て、本八幡から総武線で秋葉原に出て、山手線に乗換え銀座へ行きました。明日、娘の長男の誕生会で、家族全員が我が家に集まります。その時の酒の肴に、熊本の「ウニ豆腐」と「辛子レンコン」を買いたかったのです。銀座の数寄屋橋交差点の近くに、熊本のアンテナショップがあるのです。小さな店に、入りきれないほどの客が居ました。ウニ豆腐は売れ筋の品らしく、3個しか残っていませんでした。店の人に聞いたら、奥に在庫があるそうなので、それを出して貰って、全部で5個買いました。その他に辛子レンコン3個と、蒲鉾類を少々買いました。明日は、美味しい酒が飲めるでしょう。

4時頃、家に帰り、パソコンを開けると、沢山の人から、誕生日のお祝いのメッセージが入っていました。今日が、私の誕生日なのです。とうとう、74歳になってしまいました。父親より、一廻り以上長生きしてしまいました。定年になった時には、長く生きても仕方が無いと思っていたのですが、一人で気儘に生き始めると、これまでに無かった、新たな発見や新しいものの見方が出来るようになり、仕事中とは違った新鮮な人生を楽しめるようになりました。「老いての初心」と言うことを、明星大学の公開講座で、90歳を超えた女性歌人に教えられました。確かに、老いても胸がときめくような初心があることを知りました。特に、花鳥風月が、今までと違って、心の底から愛おしくなりました。花鳥風月を見る事の出来る時間は、残り少ないので、体力が続く限り、頑張ろうと思っています。

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2018年10月05日

2018年10月05日

 

 外の景色が、山水画のような朝でした。台風25号が、秋雨前線を刺激して、今日は、雨になるとのことでした。

 1週間ほど、散歩らしい散歩をしていません。旅行したり、都心に出たりしているので、そこそこ、運動はしていると思っていますが、野辺の草達と話をしながら歩いていないので、散歩した気になれません。今日は、予定がないので、散歩しようと思ったら雨になり、家を出たのは、近くのスーパーに買い物に出かけただけになりました。

 今日は、四国へ行く前に買ってあった野菜を、一掃することにしました。朝と昼は、茸、タマネギ、セロリの豚肉炒め、夜は、焼ナス、エシャレット、ラディッシュ、ミニ大根のサラダと、野菜づくしになりました。白セロリも買ってきていたのですが、パクチーの一種のようで、それだけで沢山食べることは出来ませんでした。結構な量で、一人では食べ切れない程でしたが、次男が休みだったので、手伝ってくれて、なんとか、一掃することが出来ました。

 夜のテレビのニュースで、今年のノーベル平和賞の発表がありました。下馬評では、文在寅韓国大統領、金正恩北朝鮮委員長が取り沙汰されていました。また、トランプ大統領の噂も出ていました。朝鮮半島の非核化、南北朝鮮の融和に貢献し、世界平和に貢献したと、ノーベル賞を決める国が判断すると読んだのでしょう。これまで、イラクから米軍を引き揚げる政策を掲げたオバマ大統領や、南アのマンデラ大統領など、政治家が選ばれることがあったので、今回のような下馬評が出たのだと思います。

 しかし、下馬評は外れて、性暴力と戦う二人の人物に決まりました。下馬評が外れて、本当に良かったと思います。韓国の文在寅大統領は別として、他の二人は、真剣に平和を望んでいるとは思えません。金正恩委員長は、餓死する国民が居るというのに、豚のように肥った身体を見るだけで、嫌悪感を覚えます。核兵器を開発する金が有るのであれば、国民生活が豊かになるような投資に回すべきでしょう。そして、権力の世襲を止めて欲しいと思います。トランプ大統領は、国民の選挙によって選出された大統領ではありますが、金正恩大統領と良く似ています。極めて自己中心的で、自分に従わなければ、マスコミであれ、司法機関であれ、他国であれ、平気で攻撃できる人です。世界平和を望んでいるわけでも、世界平和に貢献したわけでもありません。

ノーベル平和賞を選んでいる国には、それなりの思惑があるのでしょうが、出来れば、政治家からノーベル平和賞受賞者を選ばないで欲しいと思います。以前、佐藤栄作首相が、ノーベル平和賞を受賞した時、日本国民の多くが、唖然としたと思います。非核3原則という政策は打ち出しましたが、核爆弾の最初の被爆国である国民の批判をかわし、自党の政権維持のためだったと思われます。政治家の言動の中には、このような場合が多いと思います。政治家には、ノーベル平和賞をやらないで欲しいと思います。そして、適当な候補者が居なければ、5年でも10年でも、該当者無しで良いと思います。

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2018年10月 5日 (金)

2018年10月04日

2018年10月04日

 

 台風24号が去ったばかりだというのに、また台風25号が、日本にやって来そうです。日本列島は、一体どれほどの災害を受けなければならないのでしょうか、美しい瑞穂の国に住む、住み方を誤っているのではないかと思うことがしばしばです。最低でも、電線は地下にして貰いたいと思います。

今日は、午後までかかって、暇を見つけて書いておいた、5日分の日記をブログに上げました。惚け防止のために書いていますが、読んでくれる人がいることは、有難い事です。

今日は、大学の同窓会の全体会議に、オブザーバーで参加しました。午後6時半から始まった会議の、最初の議題は、大学祭の現役実行委員会に対する、金銭的支援についてでした。

現役の実行委員のメンバーが、大学祭の内容や資金不足に関する説明を行った後、同窓会の委員より、大学祭の催し物の1つである、ミスコンについて、ジェンダー(性)問題との関係を、どの様に考えているか、質問がありました。ミスコンについて説明した現役学生は、ジェンダーの問題について、知識が少なかったのでしょう、質問の意味も良く分らず、とんちんかんな答えになってしまいました。この答えに対し、質問した委員を始め、数人の委員から、学生の無知を糺弾する意見が述べられると共に、このような実行委員会には、資金的援助は出来ないとの意見も出ました。

ジェンダー問題は、私も良く理解できない面があります。基本的には、生物的性では無く、社会的性の平等を、どの様に推し進めて行くか、その取り組みの問題だと思います。国連が推し進めようとしているジェンダー平等は、発展途上国において、国家や国民の貧困によって、インフラ等の不備、電気製品等の購入不能等による家事の負担が女性に集中し、男女間の不平等の原因になっているとして、貧困の解消を推し進めようとしています。日本では、ある程度貧困が解消されているので、ジェンダー平等を推し進めようとしている団体が、観念的平等を直ちに実行しようとして、別の問題を産み出していると聞いたことがあります。

人間社会には、理屈だけでは解決出来ない、歴史、文化、宗教等、長く人間社会の中で倫理感、規範を形成してきたものがあります。

このような、結論を出し得ないジェンダーの問題について、質問した委員は、どの様な答えを期待していたのでしょうか。若者が、答えられなかった時、ある特別の考え方を、若者に押しつけるのが、大人のすることでしょうか。その前に、大学が黙認していることに、同窓会が文句を付けるのは、明らかに立場を逸脱した行為であり、大学の自治を脅かしかねません。強者が、弱者を支配する、実に嫌な面を見せつけられました。母校を愛する者は、何をしても良いのでしょうか。これは、戦前の軍部の原型ではないでしょうか。

しかし、委員の中に、同窓会の立場をきちんと理解した人がいたので、少し安心しました。その委員は、「学生が、自由に発想し、行動するのは、若者の成長のために非常に重要なことであり、若者に大人の考えを押しつけてはならない。OB会が、金銭的援助を理由に、若者の計画に口出しするのは、OB会の範囲を明らかに逸脱している。若者の成長に責任を持っているのは、大学でありOB会ではない。」と発言しました。他の委員も、この発言の真意と重大さを、理解して貰いたいと思います。同窓会は、会員の親睦と、大学から要請された支援だけをすれば良いのです。大学のやることが、間違っていると思われる場合は、支援のための募金は、集まらないと思います。

人間、力を持てば、力を行使したくなるのは、普通のことのようです。この前、現役の合宿で、顧問の先生と話した時、私学助成の名を借りた、文科省の締め付けが厳しく、大学は文科省の網から逃れるのは難しいと言っていました。これは、大学の自治が、有名無実になっていることを現していると思います。大学の自治が、現実の社会に役立つかどうかは、多くの意見があるでしょう。しかし、自治があれば、大学独自の意見が出て来るでしょう。それが大事だと、私は思っています。大学の自治など、「百害あって一利無し」と言う人もいるかも知れませんが、私は、「百論あって一理あり」と思っています。

 

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2018年10月03日

2018年10月03日

 

 台風一過の青空は、3日と持たず、今朝は曇り空でした。しかし、雲が薄いので、雨にはならないそうです。

 ここ5日間程、ゆっくりテレビを見る間も無いほど、飛び回っていました。その間、沖縄県知事選挙が終わり、翁長知事を後継する玉城氏が当選しました。私としては良い結果だったと思っています。真面目な良い顔をしていました。総裁選で3選を果たした安倍総理の内閣改造が終わりました。悪党顔をした内閣の要の人達は留任し、新しく入閣した人は、どんな人か知らない人ばかりでした。日本の将来が危ぶまれます。ノーベル生理学賞に、氏名の読み方が非常に難しい人が、日本から選ばれました。本庶佑(ほんじょたすく)氏です。免疫細胞の攻撃力を弱めようとする癌細胞の働きを弱め、本来の攻撃力を発揮する為の薬を作ったそうです。人間が病気と向かい合うための本来の機能、免疫によって癌を克服する、医療の王道だと思いました。元横綱日馬富士から暴力を受けた貴の岩が、賠償請求の提訴をしたそうです。「お前のためを思って殴ったのだ」、このような角界の悪習を正すためにも良いことだと思います。巨人の高橋監督が辞任するそうです。巨人は、球団を強くするために、なり振り構わなかった渡辺氏の影が薄くなって、何時の間にか普通の球団になりました。フロントのチーム強化の意思が見えません。誰が監督になっても同じでしょう。ところで、渡辺氏は、未だ生きているのでしょうか。 

 今日は、妻と夕食を共にする日でした。午後3時頃家を出て、途中、府中で妻が好きだった「黒ドラ(黒餡のどら焼き)」を買って、待ち合わせの神楽坂へ行きました。5時頃に神楽坂に着いて、毘沙門天の所で、妻と会いました。妻は、お土産をとても喜んでくれました。何時も、何を何処で食べるか迷うのですが、今日は、既に決まっていました。牛込柳町の居酒屋「つず久」の「わさび飯」が食べたくなったそうです。6,7年前だったと思いますが、妻に案内されて食べに行ったことがあります。妻は、以前牛込柳町に住んでいたことがあります。

 店まで、かなり歩かなければならないのですが、時間が早かったので、妻とゆっくり歩いて行きました。店に着いたのは、6時頃で、客は誰もいませんでしたが、もうやっていました。入口近くのカウンターに座りました。座敷と奥のカウンターは、予約されていました。先ずビールを頼んで、刺身の盛り合わせも頼みました。ビールを飲み終わらない内に、刺身の盛り合わせが出て来ました。カウンターに乗り切れないほどの大きさでした。直ぐに、日本酒に切り替えました。何時ものことですが、酒を飲まない妻は、お茶で付き合ってくれました。しかし、今日の妻は、店の旦那や奥さんと、色々昔話が出来たので、満足そうでした。私も、昔風の全くの居酒屋で、気兼ねすることなく存分に酒を飲み、妻ともワイワイ話し、隣に一人で来ていた若者に迷惑を掛けてしまいました。その後、焼秋刀魚や生牡蠣を頼み、全部平らげました。少々食べ過ぎました。妻は、お目当ての「わさび飯」を頼みました。一人用の釜飯として炊いてくれ、炊きたての熱々の飯に、山葵とか海苔とかを好きなようにかけて食べます。妻も隣の若者も満足そうに食べていました。酒を飲まない人にとっても、居酒屋の肴や料理は、美味しいものなのです。残念ながら、私は、酒の肴の食べ過ぎで、山葵飯の方は、食べることが出来ませんでした。次回は、後のことも、ちゃんと考えて飲むことにしたいと思います。

 8時頃、一応終りにし、神楽坂の交差点まで、タクシーで帰りました。初乗り料金が450円、最終的な料金は、490円でした。近距離でも気軽に利用して貰えるように、都心のタクシー会社が考えたことですが、利用したのは初めてでした。妻とは毘沙門天の所で別れ、我が家に帰りました。

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2018年10月 4日 (木)

2018年10月02日

2018年10月02日

 

 3日振りの我が家での朝でした。台風一過の青空が続いているような青空でした。我が家から、富士も見る事が出来ました。

 台風24号は、関東でも大暴れをしたらしく、我が家のベランダでも、色んなものが落ちて、壊れたプランターもありました。ベランダから見える多摩川が、かなり増水していました。何より哀しかったのは、6月頃の強風で花を咲かせなくなっていたブライダルベールが、半月ほど前から花を咲かせるように、立ち直っていましたが、またしても強風で、花も蕾も一切なくなったことでした。今年は、もう花は咲かないだろうと思います。ただ、今年も花を咲かせなかった彼岸花は、今、葉っぱが出始めたばかりで、被害はありませんでした。

 今日は、午後2時から新橋で、メキシコのアミーゴ会の中で、同じ大学だけの集まりがありました。昨年、メキシコでの日系企業に対する、経営コンサルタントの業績で勲章を貰った、同じ大学の先輩が来日したので、大学の同窓会の感じで集まったのです。実を言うと、メキシコでも大学の同窓会があって、かなり頻繁に同窓会をやっていました。今日集まったのは、その頃、同窓会に参加していた人達で、皆、顔見知りでした。寿司屋の昼の時間を利用させて貰って、良く飲み良く話しました。しかし、全員歳を取りました。共通の友人の話をすると、誰のことを話しているのか、全員分っているのに、その友人の名前が出て来ないのです。何れ我々が死に絶えたら、その頃のことは、誰も知らない世界になるでしょう、それが、時代が変わると言うことなのだと思いました。

 メキシコの友人との集まりは、5時頃に終わったので、新橋から銀座線で神田に行き、一昨日、岡山で世話になったM氏の備前焼展に行きました。今日は、初日で、同じ大学の現役やOBによるレセプションが、6時からあるので、それに参加したのです。

 個展の会場は、神田神保町のアートギャラリーコルソで、案内状に場所や3階だということは、書いてあったのですが、現実に行ってみると、入り方がさっぱり分りませんでした。昼間の酒の酔いもあったのでしょう、看板の前で、うろうろしてしまいました。仕方なく、近くの店の人に聞いて、漸く会場に入ることが出来ました。M氏夫婦の顔が見えたので、一昨日のお礼を言いました。一昨日、岡山で別れたばかりなのに、今日は、東京の神田で会っていることに、ドラえもんの何処でもドアのような、ちょっと不思議な感覚に陥りました。

 此処に集まっている人も、半分以上は良く知った人でした。M氏も含めて、大学100周年記念、カンボジア・ミャンマー旅行で知り合った人達でした。この5日間、連日、大学の同窓会をやっている気分です。

 何時頃までレセプションをやっていたのか、憶えていませんが、目を覚ましたのは、京王永山駅の近くでした。神田神保町から、京王線に乗り入れている都営新宿線に乗ったのですが、調布で我が家の方へ行く京王線に乗換えなければならないのに、眠りこけていたのでした。永山駅に着いたのは、10時近くでしたが、未だバスがあり、バスで聖蹟桜が丘に戻って、タクシーで我が家に帰りました。酒三昧の日が続いています。

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2018年10月01日

2018年10月01日

 

 今日は、6時半頃に目を覚ましました。ホテルの窓のカーテンを開けると、朝日が、すっかり海の上に昇っていました。昨日の雨風とは、打って変わった晴天の空の下に、瀬戸内の風景が広がっていました。淡路島から小豆島まで180度瀬戸内の景色を展望できました。

 ホテルの建っている場所は、万葉岬と言い、万葉の故地だそうです。岬から、少し下がった所には、山部赤人の歌碑がありました。瀬戸内の景色を詠んだもので、「縄の浦ゆ 背向(そかい)に見ゆる 沖つ島 漕ぎ廻(み)る舟は 釣しすらしも」とあり、現在、私が見ている景色でした。

 1時間ほど歩いて、ホテルへ戻りました。ホテルも万葉岬ホテルと言います。朝風呂を楽しんでいた時、I氏が顔を出して、8時には、ホテルを出て姫路に行こうと言いましたので、その言葉に合わせて、出発の支度をしました。7時50分には、チェックアウトを済まし、ロビーで待っていると、I氏が下りてきました。相生駅までタクシーを頼んだそうです。8時には、迎えに来てくれる事になっていました。丁度8時頃、目の前の玄関先に、相生駅行きのバスがやって来ました。このバスがあることを、ホテルの従業員が教えてくれなかったそうです。I氏が唖然としていました。バスが出発した直後に、タクシーが来ました。二人でホテルのサービスの仕方に文句を言いながら、乗り込みました。

相生駅には、8時20分くらいに着きました。相生駅から姫路駅までは近いので、在来線で行こうと思ったのですが、8時50分過ぎまで電車が無かったので、8時34分発の新幹線で姫路に向かいました。隣の駅が姫路駅なので、9時40分には姫路に着きました。荷物を預け、軽く朝食を取って、姫路駅の姫路城側に出ると、正面に姫路城が、「私は此処よ、早くおいでなさい」と言っているように立っていました。

シャンゼリゼ通りのように広く、真っ直ぐに姫路城に向かう道を二人で歩きました。道には、多くの彫刻家の作品が並んでいました。I氏は、私より3歳若く、現在清里の方で、山里生活をしていて、足腰も強く、どんどん足早に歩くものだから、付いて行くのが大変でした。お陰で、堀之内の姫路城敷地に、9時半くらいに着きました。何故か、I氏は、姫路城を含む20くらいの博物館や美術館などの、無料招待券の束を2つ持っていて、1つを私にくれました。お陰で、全てが無料でした。

姫路城は、遠望していても、綺麗だと思っていたのですが、近くに来てみると、台風一過の青空を背景に聳え立つ天守閣の威容と美しさは、息を呑むほどでいた。少し歩くと違った形に見え、それが何処から見ても美しく、何枚も何枚も写真を撮りました。今回は、台風のお陰で、予期しないご褒美を沢山貰いました。台風と旅に誘ってくれた友人に感謝です。

天守閣に登って、姫路の町を一望し下りてきたら、天守閣の後ろの青空に、白い雲が流れ、別名白鷺城の姫路城に、白鷺が舞っているようでした。その後、西野丸、化粧櫓などを見て、隣の好古園も見学しました。好古園は、武家屋敷跡を旨く利用して、色んな種類の庭園が造られていました。

12時過ぎに、見学を終り、ビールで喉を潤し、軽く讃岐うどんを食べて昼食とし、姫路駅でI氏と別れました。I氏は、伊丹空港から飛行機で帰るとのことでした。私は、並んで新幹線の当日券を買い、2時発の「ひかり」で帰りました。静岡を過ぎて清水辺りから、車窓に富士の全景を見る事が出来ました。

5時45分くらいに、東京駅に着き、都内にある大学のOB会の会議場に6時過ぎに着きました。会議は6時半からでしたので、私が一番でした。会議は、1時間程度で終り、その後は、何時ものように軽く飲んで帰りました。それでも家に着いたのは、10時過ぎでした。

 

「瀬戸内の 島々の上 日は昇り 出船が見える 万葉岬」

「姫路駅 彼方に見える 姫路城 憧れの地に 我は立ちおり」

「歩く度 姿を変える 白鷺城 何処から見ても 君は艶やか」

「白鷺城 台風一過の 青空に 白鷺擬きの 雲の流れる」

 

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2018年09月30日

2018年09月30日

 

 今朝は、6時のモーニングコールで起きて、チェックアウトを済まし、7時から始まった朝食を食べていたら、M氏の奥さんが、迎えに食堂まで来てくれました。殆ど食べ終わっていたので、口をもぐもぐさせながら、ホテルの前のM氏の車に乗り込みました。

 私は、朝食を済ませましたが、他の3人は、未だだったので、瀬戸大橋の中間地点にある、瀬戸内海を跨ぐ瀬戸大橋の勇姿を見る事が出来る観光ポイントで、一旦瀬戸大橋を下りて、朝食にしました。M氏に拠れば、日曜日、この広い駐車場に車が4台しかないのは、驚異的な少なさだそうです。M氏は、その光景を写真に撮っていました。私は、瀬戸大橋の勇姿に見惚れてしまいました。

 食事が終わった後、I氏と相談して、折角岡山に来たのだから、日本三名園の1つである後楽園を見ようと言うことになりました。また、M氏に拠れば、姫路城は白鷺城、岡山城は烏城と言い、白黒二つの白を見るのが、見学の完成なのだそうなので、岡山城も見る事にしました。後楽園に、着いた頃から雨が、ぽつぽつ落ちてきましたが、傘をさせば問題ない程度の雨でした。入場券を買い、券をもぎって貰って行楽園内に入り、最初の広場に出た所で、急に猛烈な雨に変わりました。傘が、全く役に立たないような雨でした。広場の向こうに、本来は黒い岡山城が、白く霞み、霞の中に消え入りそうでした。台風がもたらす雨で、少し待っていれば止むような気配もなかったので、後楽園の見学を中止し、岡山城の見学は、取り止めました。

 傘を差しても足下は、ずぶ濡れになりながら、駐車場に戻り旅を続けました。ワイパーも間に合わないような雨で、前の車が見えなくなりそうでした。それも何故か、1時間くらいで止みました。私の3歳下のI氏は、コンピューター関連の会社に勤めていたので、私と違ってスマホを自在に操ります。気象情報を見ながら、台風はこれから紀伊半島の方に接近し、今は、この辺りの雲が切れているので、一時的に雨が止んでいるだけだと言っていました。

雨が止んでいるのを利用して、備前焼の故郷や旧山陽道の町並みを車の中から見学しました。出来れば、歩いてみたい所でした。更に、大きな鮮魚売り場が付いている大型のスーパーに立ち寄って、キビナゴ、ママカリ等酒の肴と、サザエ、大アサリ、牛肉、鶏の手羽中、松茸、椎茸等炭火焼の材料を買って、M氏の自宅に行きました。

家に上がる前に、先ずは、近くにあるというM氏の備前焼用の登り窯を見に行きました。M氏は、備前焼の陶芸家なのです。全部自分で作ったそうですが、20メートル程もある大釜でした。一体どれほどの煉瓦を積んだのか、数え切れないような大きさでした。この大きな登り釜の上の屋根も作ったそうですが、その時は、奥さんも母親も、手伝わされたそうです。

 大釜を見た後、家に戻り、買ってきたものを焼きながら、昼間から宴会となりました。M氏が証券会社を辞め、備前焼の世界に入った訳や、その時の気持などを語って貰いました。全く違った方向への大転換を、M氏が良く決意したと思うと同時に、奥さんも良く付いてきたと思いました。奥さんが、「みのもんた」のクイズショウに出て、250万円稼いだときのビデオも見せて貰いました。奥さんは、凄い物知りだったのですね-。この賞金は、大釜作りの大きな資金となったそうです。これからも、二人で協力して、素晴らしい人生を築いていくでしょう。

夕方に近くなったので、酒を飲まない奥さんの運転で、ホテルへ送って貰いました。不思議なもので、この時になって、台風の風がやって来ました。パジェロというかなり思い車で、4輪駆動なので、やっとの事でホテルまで辿り着きました。M氏夫婦は、急いで自宅に戻りました。

ホテルに入ろうとして玄関に近づくと、ホテルの正面のドアには、「台風のため休館中」と書いてありました。予約を取り消さなかったのは、I氏と私の二人だけだったようです。休館中と言いながら、ホテルマンも1人いましたし、大浴場も沸いていました。それぞれ1時間ほど休憩して、その後、6時頃からI氏の部屋で、またしても飲み会となりました。I氏は、台風の風の中、小さい露天風呂に入ったそうです。良い経験というか、きちがい沙汰というか、いかにも彼らしい行動だと思いました。今日は、未だ書き切れないほど、様々なことがありました。貴重な経験をした、楽しくて長い1日でした。

 

「人の世は 奇なる縁で 結ばれる その多さ強さが 宝なりけり」

「見上げれば 東京タワーも 負けそうな 鉄塔連なる 瀬戸の大橋」

「後楽園 入った途端に 土砂降りの 雨に白んだ 烏城かな」

「古の 町並み残る 山陽道 近くに佇む 備前焼の里」

「友人の 決死の思いを 肴にし 人生語る アメリカワイン」

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2018年09月29日

2018年09月29日

 

 台風の接近を思わせる、雲の多い朝でした。今日は、東京駅9時10分発の、新幹線と瀬戸大橋を渡るマリーンライナーを乗り継いで、高松に行くことになっていました。少し早めの6時50分に家を出て、国立経由東京駅に行き、8時20分には東京駅に着きました。弁当や摘まみ、ビールを買い、予定通り新幹線に乗り込みました。

新幹線は、一番速い「のぞみ」でしたので、新横浜を過ぎてから、弁当を食べ始め、ビールをゆっくり飲み終わった頃には、名古屋を過ぎていました。あと1時間半くらいで、岡山に着いてしまう所まで来ました。胃が無くなったせいで、食べるのも飲むのも、遅くなってしまいました。

12時半頃に、岡山に着いて、マリンライナーに乗換え、いよいよ瀬戸大橋を渡ることになりました。気持がはやっていたせいか、瀬戸大橋に着くのが、とても遅く感じられました。岡山から3つほど駅を過ぎて、漸く瀬戸大橋を渡り始めました。想像以上の高さでした。海の中の橋桁は、どの様にして作ったのでしょうか、よくぞこのような橋を作ったものだと、感心しました。これで、四国と本州は、陸続き同然になりました。以前から見たいと思っていたものを漸く見る事ができました。冥土への土産が、また1つ増えました。

約1時間、午後1時半頃に、高松に着きました。高松には、大学生の時ですから、もう半世紀以上も前に、一度来たことがあります。余りに昔のことで、町はすっかり変わってしまいました。以前の町の姿を、何一つ思い出すことが出来ませんでした。

急いでホテルにチェックインして、大学の同窓会の全国大会が行われている、シンボルタワービル6階の国際会議場へ行きました。丁度、意見交換会が終わり、休憩時間に入りました。良く知った顔が幾つもありました。その後、今回の全国大会のメインセレモニーとなり、同窓会長、理事長、学長の式辞の後、記念講演会がありました。

6時から、会場を移して懇親会となりました。この懇親会が、全国大会の一番の目的のようです。同窓会の本部がある東京からの参加者は勿論、全国大会が行われている四国や中国地方からも多くの参加者がありました。また、全国大会の常連も出来て、日本全国津々浦々からも、一定の数の人が集まりました。ホテルの宴会場が、熱気に包まれ、あちらこちらで笑い声が聞こえました。こうした同窓会の全国大会を実施する大学は、少ないのではないかと思います。卒業後も、大学に愛着を持ち続ける事が出来るのは、良き大学生活を過ごし、卒業後も長く教授達との関係が続いたことなど、大学の暖かさと包容力の大きさのせいでは無いかと思っています。また、この大会に集まる老人が多いのは、当時の大学の規模が、1学年千人程度で、当時の思い出話が通じ合うこと事が、嬉しいのだと思います。

懇親会は、2時間ほど続き、阿波踊りの余興が済んで、校歌を歌い、私が最後にエールを行って閉会となりました。何時も、懇親会だけでは物足りない人が多いので、同じホテルの上層階で、2次会の席が用意されていました。酔いも手伝って、話も延々と続きましたが、一番の関心は、台風24号の影響でした。この会を仕切ってくれた名鉄観光の人が、次々と情報を集めて報告してくれました。明日の高松発の航空便は、殆ど欠航だそうです。また、岡山へ行くマリンライナーは、明日朝7時48分の列車が最終となるとのことでした。瀬戸大橋も、10時過ぎには、通行止めになるかも知れないと言っていました。誰もが、どうやって帰るか、非常に大きな問題となりました。私は、どうするか全くアイデアがありませんでした。ところが2次会の席で、以前同窓会長だったI氏が、岡山在住で車で大会に参加しているM氏と一緒に、M氏宅を訪問することになっているので、同行しないかと誘ってくれました。I氏もM氏も、良く知っている人なので、一も二もなくOKしました。M氏も快く賛同してくれました。明日、瀬戸大橋がどうなるか分らないので、明日の朝7時には、高松を出ることになりました。

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2018年09月28日

2018年09月28日

 

 素晴らしい、快晴に朝でした。富士も良く見えましたが、双眼鏡を使っても、冠雪を確認することは出来ませんでした。変わりに、頂上の左側に、白い建物を見る事が出来ました。

 今日は、夜、都心の先輩の店で「語ろう会」がありますので、都心へ出なければなりませんでした。折角都心に出るし、天気も良いので、向島百花園に行ってみることにしました。東京都立「江戸・東京の庭園」の9庭園のうち、8庭園は既に訪れたことがありますが、向島百花園だけ行ったことがなかったのです。

 午後1時半頃家を出て、日暮里へ向かいました。庭園への行き方を調べた所、幾つか行き方があった内、日暮里からバスで行くことにしたのです。バスが庭園の前に止まるので、間違わないで済むと思ったのです。

 日暮里駅に着いたのは、3時丁度でした。駅前に出て、バス乗り場を探していると、私の目の前を、私が乗るべきバス(亀戸行き、里22)が、出発して行きました。バス乗り場に行って、次のバスを調べたら、30分後の3時32分発のバスしかありませんでした。庭園がしまってしまうのではと、不安がよぎりましたが、今更、行き方を変えるわけにも行かず、次のバスに乗りました。所が、百花園は思いの外遠く、渋滞もあって、ほぼ1時間近く掛かり、百花園のバス停に着いたのは、4時20分頃でした。案内に従って、百花園の入口に着いたときには、4時半を過ぎて、「本日の入園は終了しました」との札が下がっていました。結局、百花園訪問は、次回に持ち越しになりました。

 先輩の店は、恵比寿にあるので、東武線スカイツリーラインの東向島駅へ行くことにしました。道行く人に道を尋ねながら歩いたら、10分程度でした。東向島から、浅草へ出て、地下鉄銀座線で渋谷、そして山手線で恵比寿へ出て、先輩の店に着いたのは、6時20分頃でした。電車での経路が分ったので、次回は、問題なく百花園に行くことが出来ると思います。

「語ろう会」は、7時からですが、何時も早めに行って、皆が集まる前に、先輩と個人的話をする事も、楽しみの1つでした。何時もは店に出ているのですが、今日は、なかなか出て来ませんでした。30分後に出て来たのですが、元気がありませんでした。8月、顎の癌を手術し、手術したのか分らないほど綺麗な手術結果だったのですが、手術で癌を取りきれず、再手術するか他の癌治療をするか、現在、どの治療法にするか悩んでいるとのことでした。

語ろう会のメンバーは、現役で仕事している人が殆どで、7時の時点で来たのは、会の中心的な女性と、近くの年配の女性でした。8時近くになって、コンピュータ関係の仕事をしている若い男性が、立派なカメラを持ってやって来ました。カメラに詳しそうなので、語ろう会のメンバーが揃うまで、彼にカメラの使い方の手ほどきを受けました。私が、以前から知りたいと思っていた、一点オートフォーカス、写真から動画への移行の仕方を聞くと、いとも簡単に、フーカスの設定を変えてくれ、動画への移行方法を教えてくれました。また、ファインダーを自分の見やすい状態にする方法も教えて貰いました。今日は、これだけでも来た甲斐がありました。これから、また、散歩が楽しくなります。

8時半頃から、ぼつぼつと集まり始め、今日はLGBTLesbian(レズビアン、女性同性愛)、「Gay(ゲイ、男性同性愛者)、「Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、「Transgender(トランスジェンダー、出生時に診断された性と自認する性の不一致)頭文字をとり、セクシュアル・マイノリティー(性的少数)の一部の人々を指した総称)が話題になりました。ある女性議員が、LGBTについて、人口減少の歯止めに役立たない非生産的人間だと、議会で発言したからです。私のような、年配者にとっては、LGBTは不道徳な人間として、差別の対象だったことが頭にこびり付いています。しかし、現代の若者は、身体の障害を克服して、必死に生きようとしている身体障害者と同様に、LGBTの人達が、必死に生きている事を認め、彼等の生活の仕方を、一般人と同じように受け入れることに、大きな抵抗はないようでした。従って、新たに差別を生み出すような、女性国会議員の発言は、逆に受け入れ難いようでした。

 

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