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2018年9月

2018年9月28日 (金)

2018年09月27日

2018年09月27日

 

 今日も、梅雨草が喜びそうな、小雨の朝でした。それでも、昼頃からは雨も止み、夕方には青空も見えました。

 今日のニュースで、日本と米国が、2国間の物品貿易交渉を開始すると報じられました。自由貿易交渉ではない物品に限定された、交渉なのだそうです。日本と米国の関係は、幕府と小藩の関係のようなものですから、対等な交渉等と言う、大それた事は出来ないのです。ひたすら忠誠を誓い、幕府の温情にすがる他ありません。これまで日本は、米国の温情に頼ってきたのです。

 第2次世界大戦の前から、米国は世界一の経済大国でした。競争相手になりそうな、欧州諸国や日本は、駄2次世界大戦によって、民間の経済活動が、ほぼ停止し、共産主義国は、統制経済により、経済の活性化が阻害されました。戦後、20年ほど、米国は、欧州諸国や日本に対し、経済的支援を行い、復興の手助けをしました。この間に、欧州も日本も急速な経済発展を遂げ、米国を脅かす存在になりました。家電、事務機、繊維製品、時計、オートバイ等々、多くの米国企業が倒産し、倒産の危機に瀕しました。多くの失業者が町に溢れることもありました。それでも、米国は、世界経済の発展と自由貿易の推進を念頭に置き、関税や非関税障壁によって、自国企業や農村を守る日本に、数少ない例を除いて、強硬な手段は執りませんでした。軍需産品や航空機の購入国であったことも影響していると思いますし、投資等貿易以外の収益も大きかったからだと思います。

 所が、今回トランプ大統領は、何事も近視眼的に理解し行動する人ですから、米国が推し進めていた自由貿易とは真逆の、自国産業保護を打ち出してきました。日本は、これまでのように時間的猶予を貰い、対策を講じようとしていますが、トランプ大統領時代は、対応は難しいと思います。小藩の分際で、幕府に楯突けば、敵に対する怒りより大きな怒りを買いそうです。トランプ大統領は、暴力団の親分のように見えます。安倍総理も、慎重なようで深く物事を考えられないタイプなので、これから世界の、そして日本の経済が、どうなっていくのか大変心配です。

 

 午後、アランドロンの古い映画、「太陽は独りぼっち」を見ました。カンヌ映画祭で賞をとった作品だと、番組表に書いてあったので、見る気になったのです。アランドロンなので、フランス映画かと思ったのですが、イタリア映画でした。会話は全てイタリア語でした。懐かしい言葉でした。しかし、映画は悲惨でした。何の盛り上がりもない、何を言いたいかもさっぱり分らない映画でした。2時間以上、椅子に座って不健康な時間を過ごしました。

 3時から、高幡不動まで歩きました。高幡不動へは、色んな行き方がありますが、土手が草刈りで丸坊主になっていましたので、今日は、住宅地の中に残された農地を辿りながら歩きました。

 昨晩は、かなり激しく雨が降ったのでしょう、多摩川の水嵩が上がって、白鷺達が餌を捕る浅瀬が無くなっていました。今日も梅雨草は元気一杯、路傍の至る所で花を咲かせていました。野生の梅雨草とは、大分違って、葉は蘭のような花も、ムラサキツユクサ(紫梅雨草)と言って、ツユクサの仲間のようです。この花も元気でした。今日も、丸葉縷紅草、黄花彼岸花に出会いました。黄花秋桜、秋桜、桔梗等の他に、花屋で売っている花々が植えられており、住宅地に方が、土手よりも沢山花が咲いていました。

 しかし、住宅地の中は、道が曲がりくねっていたり、袋小路が沢山あったりして、高幡不動まで、何時もの2倍以上の時間が掛かってしまいました。高幡不動には、5時少し前に着きました。今日、高幡不動に来ようと思ったのは、昨日、富士が初冠雪したからです。高幡不動の境内に、初冠雪という植物の鉢があったのを思い出したのです。以前見たときと、何も変わっていませんでした。てっぺんだけ白い、半夏生のような植物です。でも、丈六不動尊堂の横に、白花の萩が満開でした。

 高幡不動に着いた頃から、西の空に青空が出て来ました。周りの黒っぽい雲のせいか、真っ青に澄み切った空に見えました。五重塔越しに見ると、黒い屋根の上の金色の相輪が、青空に延びて、天へ登る梯子のようでした。高幡不動を軽く歩いて、高幡不動駅へ着くと、太陽が現れて、日没が始まろうとしていました。太陽が沈む、西の空だけ雲が切れていました。まるで逆日の出のような日没と、夕焼けを楽しみました。

 高幡不動から、成績桜ヶ丘へ出て、6時近くに我が家の近くへ戻ると、大分暗くなった夕焼けの空に、黒い富士が見えました。昨日積もったという冠雪は確認できませんでしたが、あの綺麗なシルエットを久し振りに見ました。


明後日から四国へ行ったり、予定が続きますので、10月4日まで、日記を休みます。

 

「田畑が 今は宅地に 変われども 日野用水の 流れ変わらず」

「派手派手し 現代住宅 のさばりて 蔵付き屋敷 肩を窄める」

「花の寺 高幡不動の 不動堂 白萩満開 秋は来にけり」

「秋雨の 雲の切れ間の 青空に 天への階段 相輪延びる」

「西の空 雲の切れ間の 日の出かな 夕闇消えて 輝く武蔵野」

「日は沈み 暗さ増し行く 西の空 救いの大仏 黒富士の見ゆ」

 

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2018年9月27日 (木)

2018年09月26日

2018年09月26日

 

 朝から霧雨が降り、向ヶ丘が霞んでいました。今年は、6月に梅雨が無いと思ったのですが、9月に入って、日差しの少ない日が多く、梅雨がやって来たようです。

 朝のニュースで、国連総会におけるトランプ大統領の演説が紹介されました。昨年もそうでしたが、今年も何の進歩もなく、がっかりしました。国連総会は、自国の利益だけを追い求め、自国の意見が通らないときは、戦争によって解決を図る、第2次世界大戦の悲劇を繰り返さないために、世界の叡智を集め、弱肉強食の無法の世界に、万国共通のルールを作り出し、強国と雖もそのルールに従うように促す、国際平和の核となることを目指したものでした。直ちに、法の支配する世界が出来なくても、取り敢えずは話し合いによって、国際的な諸問題を解決しようとした筈でした。

 人間は生き物ですから、より豊かに生きることを求める実利主義が、人間生活の基本的な考え方になるのは、自然の成り行きかも知れません。平和主義では、飯は喰えないという考えは、多くの人の支持を得やすいのは分ります。しかし、この考えの行き着く先に、戦争があり、人々がまともに生きられず、何百万の人が命を奪われた事実を、人類は、現実として経験しました。そして、平和こそが繁栄を生み、多くの人が不足無く食べることが出来ることも知ったのです。戦争への反省と、平和がもたらした繁栄を知った結果として、平和主義が広まったのです。国連は、その平和主義の先頭に立っていると思っています。国連で演説する各国の指導者は、世界平和を念頭に置いて話をしました。トランプ大統領は、この平和への願いを無視し、自国第1主義を国連の中で平然と主張しました。そして、各国代表からの失笑を買いましたが、何故、自分が笑われたのかを、理解できていないようでした。現在、世界の中で、最強国である米国の指導者が、この程度であれば、今後の世界が、また、戦争へ向かって進むのではないかと心配です。

 未だに、国際社会は、無法社会であり、国連で立派なことを言っても、裏で様々な画策が存在します。しかし、国連で立派な演説をすることが、裏での画策に、ある程度の制限を加えているのも事実なのです。私がくどくど言っても仕方がありませんので、日本国憲法の前文の後段の願いを、再確認して欲しいと思います。

 「日本國民は、恒久の平󠄁和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平󠄁和を愛する諸國民の公󠄁正と信義に信賴して、われらの安全󠄁と生存を保持しようと決意した。われらは、平󠄁和を維持し、專制と隷從、壓迫󠄁と偏狹を地上から永遠󠄁に除去しようと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全󠄁世界の國民が、ひとしく恐󠄁怖と缺乏から免かれ、平󠄁和のうちに生存する權利を有することを確認󠄁する。

われらは、いづれの國家も、自國のことのみに專念して他國を無視してはならないのであつて、政治道󠄁德の法則は、普遍󠄁的なものであり、この法則に從ふことは、自國の主權を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

日本國民は、國家の名譽にかけ、全󠄁力をあげてこの崇高な理想と目的を達󠄁󠄁することを誓ふ。」

 

 今日は、午後雨が止んだ時間帯がありましたので、散歩を兼ねて国立へ行き、29日の四国行きの切符を買ってきました。

 午後1時頃、我が家の前の三屋通りを真っ直ぐに歩いて、谷保天神へ向かいました。国立府中インターの手前の、連れ込みホテルが建ち並ぶ所で、二つの蔓の花に出会いました。1つは小さなアサガオのような花と、もう一つは小さなノウゼンカズラのような花でした。前にも見たことが有ると思いますが、名前の調べが出来ていなかったと思います。今日調べたら、マメアサガオ(豆朝顔)とマルバルコウソウ(丸葉縷紅草)でした。今日は、この花の名前が分っただけで、大満足でした。

 9月の梅雨のような雨のせいか、梅雨草が異常に元気でした。田圃の畔には、ノミノフスマやハコベ(繁縷)まで咲いていました。家の庭でしたが、秋明菊と初めて目にした、黄花彼岸花も咲いていました。

 一橋大学のキャンパスを訪問した後、国立駅の近くの花屋に寄りました。店の前にイワシャジン(岩沙参)が、置いてありました。山の仲間から教えて貰った花でした。この花を見て、先日、小諸城趾の石垣に咲いていた花は、ツリガネニンジン(釣鐘人参)ではなく、岩シャジンだと思いました。岩シャジンは、岩場に好んで咲くそうです。しかし、ツリガネニンジン属なので、全くの間違いでは無いようです。

 3時頃、駅で四国の高松まで行く切符を買いました。岡山まで新幹線で、岡山から本四連絡橋を列車で渡るようです。丁度私が高松にいる、29,30日に、台風24号が四国に上陸する可能性があるようです。仕事の他に高松観光も申し込んでいますが、キャンセルになる可能性が高いと思います。8月の長崎行きも、台風を目がけていきました。今年は、台風が多い年です。

 4時頃家に着きましたが、その後のニュースで、富士山が初冠雪したと言っていました。雲が多くて、下界からは見えなかったようです。暑い暑いと思っていましたが、富士が冠雪する季節になったのですねー。

 

「秋雨に 頭起こして 花広げ 天に感謝の 紫梅雨草」

「春告げる ハコベの花の 未だ咲く 稲刈りを待つ 田圃の畔に」

「豆粒の 花を連ねて よじ登り 垣根を飾る 豆朝顔かな」

「朱き花 垣根の上で ラッパ吹く 垣根制した 丸葉縷紅草」

「人の手に かかれば色も 自在なり 見たくなかった 黄花彼岸花」

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2018年9月26日 (水)

2018年09月25日

2018年09月25日

 

 朝から、曇っていましたが、昼頃から本格的な雨となり、1日中降り続けました。今日は、1歩も外に出ませんでした。歩かないと、色々な面で不健康な感じがします。

 昨日、4ヶ月ほど休んでいた、ブライダルベールの花が、再び咲き始めました。去年は、冬の一時期を除いて、ほぼ1年中咲いていたのですが、今年はどうしたのでしょう。強風と酷暑のせいですかねー。

そして、今年も我が家の彼岸花は咲きませんでした。球根を拾ってきたときだけは花が咲いたのですが、我が家のプランターで、年を越すと花が咲かなくなります。何故だか、理由がさっぱり分りません。土に栄養分を多く必要とするとは思えませんし、水が少ないとも多いとも思いません。これから、葉っぱだけは出て来ますので、一時期だけの観葉植物になりました。

 今日の朝のニュースの中で、老人の緊急事態のために出動した救急車が間に合わず、心肺停止の状態になった時、蘇生を拒む家庭が増加しているようです。救急隊員は、救急措置をすることが義務なので、戸惑いがあるそうです。従って、尊厳死協会がやっている延命治療の拒否と同じように、蘇生拒否の書類を以前から準備して置く事が、始まっているようでした。

 私は、以前に何度か書きましたが、人間70を過ぎたら、個人差はあるでしょうが、死は確実にやって来る物で、受け入れざるを得ないと思っています。その死の受け入れ方は、受け入れる人自身が決めなければならないと思っています。しかし、年を取ると、認知症等、自分の意思を表せない状態になる人が多く出て来ます。従って、意思表示が出来るときに、意思表示をしておくのは、大事なことだと思います。長い文化や宗教の関係で、家族は、どんなに犠牲を払っても、老人を助ける義務があるとの倫理観が浸透しており、死を平静に迎えることが悪だという社会風潮が支配的です。この為に、延命治療が出来たと思います。

 現在、介護老人ホームなどで、種々問題が発生していますが、これは、社会的倫理観と、介護の現実の中での、意識の乖離の問題があると思います。私は、70を過ぎた人の介護や病気治療においては、安らかな死を迎えて貰うために、医者に安楽死の権限を付与するような、社会通念が出来ても良いと思っています。所謂、終末対応をする病院の指定が出来、医師の判断によって安楽死が出来るようにして欲しいと思います。老人が、終末病院への入院を希望した時点で、安楽死を希望したと見做しても良いと思います。もっと極端に言えば、老人に意識があるとき、老人が安楽死を望むのであれば、安楽自殺の為に、その種の薬を医者が処方できるようにして欲しいと思っています。

 私も、70を過ぎた老人ですので、何時まで自分の意思が保てるか疑問です。延命治療拒否については、既に書類を残して長男に預けていますが、自分の体力が弱まり、寝たきり老人になる気配を感じたり、自分の口から食事が出来なくなったりしたら、即身仏になろうと思っています。何のことはない、食事を絶って自殺することと何等変わりは無いのですが、世間は、自殺だと非難しますが、即身仏になるというと誉める傾向にあります。宗教が、倫理観の基礎となるのは、分らないではありませんが、老人になるとやっかいな部分もあります。

 午後には、貴乃花親方の引退記者会見がありました。自分の弟子に対する暴行事件の告発が、貴乃花と相撲協会との対立の発端となりました。相撲の世界は、私は良く分りませんが、矢張り宗教絡みの独特な世界があるようです。暴行事件は、この奇妙な世界に、モンゴルの力士が、相撲界を席巻していることで、もう一つ複雑な動きが加わったように思います。相撲は、スポーツではなく神事というのを、改めない限り、すっきりとしたルールで、相撲の世界を動かすのは困難だと思います。暴行事件の告発から、貴乃花の動きを見ていますが、貴乃花が、相撲の世界の、何処をどの様に改革しようとしていたのかが、良く見えませんでした。そうなると、改革ではなく、単なる勢力争いに見えてしまいます。若し、そうだとしたら、誰が勝とうと負けようと、知ったことではないというのが、今の心境です。

 相撲を神事では無くすのは、天皇制の問題と同じく、日本においては、きちんとした議論は難しく、変更は、日本の歴史と文化が絡みますから、そう簡単には行かないでしょう。しかし、天皇でさえ現人神から象徴に変わったのですから、全く変えられないわけではないでしょう。

全体的な改革は別として、土俵だけは、マイナーチェンジをして欲しいと思います。俵の外側を、もう少し広くして欲しいこと、土俵の高さを、少なくとも現在の半分にして、傾斜をもっと緩やかにして欲しいと思います。そうすることによって、稀勢の里を始め、土俵から落ちることによって怪我をする力士を、少なくすることが出来ると思います。これも、神社辺りから、一切変更ならぬと声が掛かるか、相撲協会の忖度により、非常に難しいと思いますが、是非やって貰いたいと思います。見ている方も。心配なのです

 

 

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2018年9月25日 (火)

2018年09月24日

2018年09月24日

 

 雨が降りそうな朝でした。予報でも雨になると言っていましたが、昼頃から、晴れ間が見えるようになり、急に温度が上がりました。

 昨日、娘から、お彼岸でもあるし、仕事が休みの次男も一緒に、皆で墓参りに行こうと電話がありました。今日、午前11時頃に迎えに来るとのことでした。それまでに、午前中の仕事を済ませて待っていると、時間通りに娘家族が着きました。

 車での移動は、乗っているだけで良いので、非常に楽です。途中、少々混んでいる所もありましたが、12時頃高尾の奥の霊園に着きました。娘家族は、最低でも年に1度は、墓参りをして、墓掃除をやっているようなので、孫達が、一所懸命、墓掃除を手伝いました。未だ5歳の末の孫と孫娘が、桶で何度も水を運び、墓石にかけて墓石を洗いました。上の孫は、余り出しゃばらないで、弟や妹を助けていました。年の違う孫達は、年に応じて手伝いが出来るようになりました。雑草を抜き取り、植木を剪定し、墓掃除が終わった所で、皆でお参りをして、墓参りは終わりました。墓掃除の間、日差しが強くなり、誰もが汗だくになってしまいました。

 丁度、昼時になったので、孫達が大好きな回転寿司「すしろう」に行って、昼食にしました。娘は、子供達の朝食が遅かったので、あまり食べないのではないかと言っていましたが、思いの外良く食べて、子供3人、大人4人の7人で、約60皿食べました。孫達も、満足したようでした。

 昼食が終り、一旦娘の家に行って、その後、娘の家の前の競技場で行われる、大学ラグビーの試合を見ました。長男が、高校時代ラグビーをやっていて、千葉県大会で準優勝しました。惜しくも、花園へはいけませんでしたが、我が家は、全員ラグビーに関心を持つことになりました。実は、私としては次男にラグビー、長男にはサッカーをやらせたかったのですが、長男が、何故かラグビーをやったので、次男はテニスをやることになりました。娘は、体育会系を離れ、バンドをやりました。私の子供達は、高校時代は、長男は2年ほど一緒に暮らしましたが、その後は3人とも親元を離れて暮らしました。親が知らないような苦労も、随分したようでした。

 今日のラグビーの試合は、対抗戦グループではなく、大学ラグビーの1部の試合でした。記憶がはっきりしていませんが、流通経済大と中央大学の試合だったと思います。前半0点だった流通経済大が、後半は一方的に主導権を握り、29-7で流通経済大学が勝利しました。来年は、ラグビーのワールドカップが日本で行われますが、一般の人の関心は、まだまだ薄いように思われます。今日、孫達も観戦しましたが、全く試合には興味を示しませんでした。日本全体の一般の人も、孫達と大差ないのではないでしょうか、、、。

 5時にラグビーの試合が終わり、6時半頃から、娘の家で、大人は飲み会となり、孫達は、夕食になりました。1時間程度は、孫達も入れて、穏やかに話していたのですが、大人達は、だんだん酒が回ってきて、大声で昔の話をし始めたので、末の孫と孫娘は、別の部屋に行き、上の孫は、大声のする中で、ゲームに浸っていました。なんやかやと飲んで話して、10時になってしまいました。娘の家から、バス停まで10分強、バスで30分強、更に歩いて15分強は掛かりますので、帰ることにしました。会った時と別れる時の孫達の儀式は激しく、今日も派手な別れの儀式をして、娘の家を出ました。

 バスを一の宮で降りて、四谷橋を次男と一緒に渡っていると、「煌々と」と言う訳には行きませんが、一五夜の月が、多摩川の上に出ていました。家に帰り着いたのは、11時半近くになっていました。

 

「ぐれもせず 素直に生きてる 子や孫と 楽しく過ごした 夜の満月」

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2018年9月24日 (月)

2018年09月23日

2018年09月23日

 

今朝は曇っていましたが、予報に拠れば、今日は貴重な晴になるそうです。昨日、大量の洗濯をしたので、今日は、キッチン・風呂・トイレのマット、ソファーの肘掛けなどを洗濯しました。洗濯男のようですね。

午前中、5日分の日記をブログに上げました。休んだときの日記は書かないで、ブログにも上げなければ、随分楽なのですが、日記を休むのは、日記を休まなければならないほど、色んな活動をした時なので、他の日よりも、日記を書きたくなるのです。書いたらブログに上げたくなるのです。

大阪なおみの決勝戦は、11時過ぎからでしたので、未だ1時間ほど時間があったので、日曜日にしか出せないリサイクルゴミを出し、近くの西友に、ミネラルウォーターを買いに行きました。何時も、サントリーの南アルプスの天然水を買います。ウィスキーの白州を作っている所と同じ場所で、作っています。一度、妻とローマ時代の友人夫婦と見学に行き、この水で、白州のオンザロックを飲みました。美味しい水だったので、この水に決めたのです。2L入りのペットボトルが6本入った箱を3箱買うので、何時もキャリーを持って買いに行きます。

11時過ぎに、家に戻ったら、大阪なおみの決勝戦が始まる所でした。第1セットは、大阪なおみのサーブから始まりました。全部サービスエースで、ものの3分くらいで1ゲームを取りました。その時点では、もう負けは無いなと思ったのですが、第5ゲーム、このトーナメントで一度もしたことのないダブルフォールトをして、その性もあって、ゲームを落としてしまいました。その後はストロークにも精彩を欠き、コーチを呼んで話しましたが、流れを変えることは出来ず、結局、優勝を逃してしまいました。相手のチェコの選手のコーチは、父親でした。昨日、父親のコーチは良くないと書きましたが、その考えは変わっていません。大阪なおみは、まだまだ強くなれます。コーチの助言など必要ないように、自分で技を磨き、自分で精神力を鍛え、自分でゲームプランを立てて欲しいと思います。勿論、練習の時には、コーチ他チームの皆の、助言は聞いて良いと思います。今回優勝を逃したことを、良い薬にして、出来るだけ自立して欲しいと思いました。コートに立つのは、大阪なおみ一人なのです。

大阪なおみの試合を見終わって、お台場で行われているフィエスタメヒカーナ(メキシコ祭り)行って来ました。2日間、全く散歩しなかったので、天気も良いことだし、外に出ずにはいられなかったのです。

午後1時近くに家を出て、午後3時前には、フィエスタメヒカーナの会場に着きました。毎年、お台場の2階の大通りでやるのですが、大変な混雑でした。タコスなどのメキシコ料理の店は、長い行列が出来ていました。私も、メキシコのビール、テカテを片手に色々な出店を除き、催し物会場へ行きました。マリアッチとか色々催し物があるのですが、今日は、女性歌手による歌、子供達によるメキシカンダンス、老人等によるタップダンスを見ました。

1昨年、胃癌の手術をした後の、最初の遠出が、このフィエスタメヒカーナでした。どんなに辛いこともめげずに、笑い流すメキシコ人を思い出し、随分気分が楽になりました。約7年間、仕事は大変でしたが、メキシコの生活を楽しみました。メキシコは、私の第2の故郷だと思っています。最初にメキシコの地を踏んでから、4半世紀以上経ちました。時の流れは速い物です。

フィエスタメヒカーナで、友人にも出会わなかったので、今まで行ったことのなかった、第3台場公園に行きました。途中の道で、とても大きな白と茶色の茸がありました。茶色の方は、食べられそうでした。また、この時期に、野甘草と思われる花が咲いていました。台場公園へ行く道に、マテバ椎の並木があり、凄まじい数の実が落ちていました。周りが超高層のビル街なのに、多摩の散歩道を歩いているようでした。台場に登ると周囲は全部、大東京の近代的なビル街でした。芝浦桟橋の方では、消防船と思われる船から、滝のような放水が行われていました。その横から、超大型の客船が出港してゆきました。放水は、多分客船の見送りなのでしょう。それにしても、初めて台場公園に来た私に、良い演出をしてくれました。港の出口の方には、大型のクレーンが2基、麒麟の夫婦のようでした。今日、9月23日、お台場公園でも、ツクツクホウシの鳴き声を聞いたことを、書いておきます。

台場公園の見学を終えて、ユリカモメで新橋に向かっていたら、レインボーブリッジを歩いて渡っている人が沢山いました。私も次回は、歩いて渡ろうと思いました。大都会の風景も、決して嫌いではないのです。

新橋から山手線で新宿へ出て、家に帰り着いたのは7時頃でした。期待していなかったのですが、東の空に、ほぼ真ん丸の月が輝いていました。14夜の月でした。日曜日は、NHKの日なので、晩酌をしながら、ダーウィンが来た、西郷どん、ニュース、サタデースポーツまで見て、一日が終わりました。

 

「我が人生 第二の故郷 メキシコの 想い出探しに フィエスタメヒカーナ」

「タコス食べ メキシコビール 飲みながら 胸に湧き出す メキシコの日々」

「人工の お台場の浜 飾りたる 大型茸に 椎の実の山」

「何故ここに 何故に今頃 花咲かす 造花でないよね 野甘草の花」

「お台場も 時期は違えど 人工島 今では貴重な 歴史の遺産」

「静々と レインボーブリッジ 滑り出る 大型客船 次なる港へ」

「港では 客船見送り 大放水 次のお越しを お待ちしてます」

「港口 麒麟が2頭 見送りぬ 都会生まれの 大型麒麟」

「虹橋の 橋の下には 針のよう 東京タワーの 先端見える」

「予期せぬに 東の空に 月の出て 家路を急ぐ 我の背を押す」

 

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2018年9月23日 (日)

2018年09月22日

2018年09月22日

 

 今日は、天気予報通り、曇った朝でした。予報では、1日中曇りだと言っていましたので、躊躇しましたが、洗濯機から溢れるほど洗濯物が溜まっていましたので、洗濯をしました。所が、予報と違って、午後から日差しが出ましたので、すっきりと乾きました。洗濯したのは正解でした。

 今日も、午前中は日記を書いたり、扇風機をしまったり、ベッドの上掛けを厚めで広いタオルケットにしたりしました。9月も下旬になって、秋への模様替えをするのですから、今年の夏の暑さは激しく、かつ、長引きました。

午後は、テニスの試合を見ました。シングルの2試合と日本人のペアが出場するダブルスの決勝戦でした。準決勝でも、大阪なおみは貫禄勝ちして、決勝に進みました。特に、サーブの威力は段違いでした。相手は、コーチが父親のイタリアの選手でした。父親は、コートに出たくて、うずうずしていましたが、選手は呼びませんでした。彼女は既に26歳、これからも選手を続けるのであれば、早めに父親と縁を切った方が良いと思いました。明日は、決勝戦を見る事になると思います。

大阪なおみの試合の後は、女子ダブルスの決勝戦を見ました。相手は、チェコのペアでした。ダブルスのランクでは1位にもなったことがある、強豪ペアでした。日本人のペアは、160センチに満たない小柄な、いかにも日本人らしいペアでした。両方の第1ゲームを見たとき、これは、相手が嫌がることをやるか、日本人らしいチームプレーの強さを見せつけるかしなければ、勝てないと思いました。

男子ダブルスでも採用しているのか知りませんが、女史ダブルスでは、ジュースの後は、2ポイント連取ではなく、ディサイディング・ポイントと称し、先にポイントを上げた方がゲームを取る事になっていました。以前からそうだったのか知りませんが、初めて知りました。日本の女子ペアは、第1セットの第5ゲームから、3ゲーム連続でディサイディング・ポイントを取り、最終的に第1セットを奪いました。この事によって、チェコのペアに動揺が生まれたようでした。第2セットも日本ペアが取って、優勝を果たしました。日本人ペアの優勝は初めてだそうで、歴史的な瞬間を見させて貰いました。

女子ダブルスの試合が、午後5時半に終わりましたので、急いでWOWOWからNHKの相撲に切り替えました。丁度、大関横綱の取り組みが始まったところでした。栃ノ心が角番を脱し、稀勢の里が10勝目を上げました。高安は、残念ながら3敗目をきっしました。最後の取り組みで、白鵬が優勝を決め、幕内での勝利を1000勝にしました。もうこれ以上の記録を出す力士は、今後出ないでしょう。白鵬の時代は、未だ少しは続くでしょうから、記録は伸びるでしょうが、矢張り歴史的瞬間を見たと思いました。

今日は、次男が休みだというので、テニスの話でもしながら飲もうと思っていたのですが、約束があるとのことで、夕方から出かけてしまいました。結局、何時ものように、一人で晩酌をし、今日の歴史的瞬間を、LIVEで見たことの喜びを噛み締めました。

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2018年09月21日

2018年09月21日

 

 今日は、朝から雨で、一日中雨が降っていました。お陰で、散歩にも行かず、2日間、朝早くから動き回った後の、良い休養となりました。

 朝のテレビを見たら、自民党の総裁選挙で、安倍総理が3選されたと報じていました。その安倍総理が、NHKの朝の番組に出演していました。最近、私は、安倍総理が話すことを、殆ど理解できなくなりました。今朝の番組の中での、安倍総理の発言は、何を言っているのか、さっぱり分りませんでした。

 安倍総理は、自分の考えとか、希望とか、個人の意見を発露するようなことを何も言わないのです。例えば、働き方改革を実施するとは言うのですが、何故働き方改革が必要なのか、改革を実施しなければ如何なる弊害が生じるのか、他の問題と比較してどれほど重要で緊急性を有するのか、安倍総理自身の考えを何も述べないのです。ある会社で若い社員が、仕事のノルマが大きく、如何に残業してもノルマを達成できなくて自殺したことが、大きな社会問題になったため、放置すると自分が批判される立場になるので、仕方なく標語だけ立派な、働き方改革を政策の一つに加えたのです。具体的な施策に関しては、官僚が上げてくる物を適当に選択しているだけのような気がします。日本社会の旧軍隊式とも思える働き方を、安倍総理自身はどう考えるのか、本当に悪いと思っているのか、何処がどの様に悪いのか、どの様にすれば改善できるのか、その為に国は何がやれるのか、どの様な施策を優先的にやるのか、改善することで日本経済に悪影響はないのか、何にも言わないのです。これは、人口減少対策、国家安全保障問題、日本経済の将来等についても、同じなのです。意図的に言わないようにしているのか、問題意識を全く持っていないのか、本当に雲を掴むようにもどかしく、同時に腹立たしくなります。出来の悪いロボットのように思えるのです。このように思っているのは、私だけなのでしょうか、私の方が、頭が可笑しくなったのではないかと、心配になりました。

今日は、午前中、日記を休んでいた日の日記を、書ける分だけ書きました。午後は、近くのスーパーに出かけて買い物をした後で、東レのパンパシフィックオープンを見ました。全米オープンで優勝した大阪なおみの準々決勝の試合が見たかったのです。ついでに、他の2試合も見てしまいました。

それにしても、大阪なおみは、全く危なげなく勝ち、準決勝に駒を進めました。王者というか女王の風格が感じられました。もともと実力はあったのに、精神面が脆く、自滅する傾向にあったのを、新しいコーチとそのチームが、忍耐の重要さを説き、大阪なおみがその重要さを理解したことが、彼女の試合での強さを引き出したと言われています。コート上で試合をしているのは、大阪なおみだけですので、コーチとの関係を正確に判断できませんが、試合振りを見ていると、コーチの教えを自分の物として戦っていると感じました。この調子を続ければ、優勝は間違いないと思いました。

ATPの試合では、コーチをコートに呼ぶことが出来るそうです。準々決勝に残った2人の選手のコーチが、父親でした。しかし、父親がコーチでは、長く女王を張れるような選手にはなれないでしょう。何事もそうですが、親離れをして、自己を確立した上で、コーチと向き合わなければ、継続的に技術と精神力を鍛錬し、その力を維持する事は出来ないと思います。コーチへの出費節減と父親の出たがりばかりが、目につきました。大阪なおみは1度もコーチを呼びませんでした。試合中に、コーチの助言で、試合展開を変えることが出来るはずがありません。それを敢えてするのは、日頃の信頼関係が出来ていない証拠だと思いました。

 

 

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2018年09月20日

2018年09月20日

 

 昨日は、妙高高原でも珍しいと宿の主人が言っていましたが、一日中、素晴らしい天気でした。今日は、一転して曇り空でした。

 朝7時から、朝食となり、その後、現役は最後の反省会をするとのことでしたので、私は、近くのイモリ池に散歩に出かけました。妙高山や黒姫山を間近に眺めることが出来ました。池の水面の殆どを睡蓮が埋めて、白い花を咲かせていました。池を1周する道には、紅白の嫁菜、女郎花、藤袴、薊、紅白の溝蕎麦、継子の尻拭い、吊舟草等、夏から秋にかけての花が、一斉に咲いているようでした。池の端の料理屋の庭には、秋桜が沢山咲いていました。また、多摩でもよく見かける、細い三角錐状に、紫の花が咲いていましたが、名前が思い出せませんでした。

 9時20分頃、宿に戻ると大型バスが2台着いていました。そろそろ現役が帰る時間になりました。全体で記念撮影をしたり、グループで写真を取ったり、宿の人と写真を取ったりしていると、あっという間に時が過ぎ、10時には、現役達は帰っていきました。毎年ですが、この瞬間に、安堵感と寂寥感に襲われます。これまでの年は、長野の友人が迎えに来てくれて、長野を旅行し、友人宅に泊まるのが、慣わしでしたが、友人も癌の疑いがあり、今日は検査の日でした。そこで、今日は、長野まで先輩と一緒に戻り、長野で新幹線で帰る先輩と別れて、小諸に行って来ました。

 小諸までの電車も「しなの鉄道」でした。昔の信越本線なのでしょうが、新幹線が出来てしまうと、寂れた田舎の電車のようでした。山深い長野の谷間を走っているはずでしたが、山は、霧に隠れて見えず、平原の様相でした。黄金色の田圃が、辛うじて風景に色を添えていました。

 小諸に着いたのは、1時近くでした。昼食の時間でしたので、コンビニの弁当でも食べようと思ったのですが、駅にも駅前にも、コンビニはありませんでした。仕方なく、昼食は後にすることにして、小諸一番の名所、小諸城趾の懐古園に行きました。駅から直結した三の門から入り、早速写真を取ろうとしたら、スマホの電池がなくなっていました。イモリ池で、写真を撮り過ぎました。写真を撮るのは諦めて、徴古館、二の丸跡、懐古神社、天守台、藤村記念館、酔月橋、小諸寅さん会館、小山敬三美術館、鹿鳴神社、水の手展望台、馬場、富士見台と、児童遊園地、動物園を除いて、全てを歩きました。樹齢500年を超える欅の大木、苔生した石垣、展望台から見る千曲川、心を揺さぶる物があったのでしょうが、若い頃から好きだった、島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の歌が頭を占拠して、藤村が見たであろう景色ばかりがよぎって、目の前の物が見えなくなってしまいました。それでも、藤村と同じ場所に立ったという満足感はありました。

 2時51分発の小海線で、小淵沢に出ることにしました。小海から小淵沢までは、何回も乗ったことがあるのですが、小諸から小海は初めてだったのです。腹が減っていたので、ビールとチー蒲を買い、合宿所のお母さんから貰った、リンゴのチーズケーキで、昼食の代わりにしました。

懐古園を見ているときから、雨が降り始めていて、小海線の初めての風景を楽しむ事は出来ませんでした。小諸へ来たときと同じように、雨に霞む黄金色の棚田ばかりを見ました。やがて、小海を過ぎて、鉄道の最高地点野辺山を過ぎて、信濃川上駅から小淵沢へ向かうとき、広々とした野菜畑を目にしました。何度も見たことが有る風景でした。そこで作られている野菜は、とても有名でした。所が、この野菜の名前を思い出すことが出来ませんでした。他の野菜の名前は、幾つも出て来るのですが、肝心の野菜の名前が出て来ませんでした。小淵沢に付き、中央線に乗換えて、甲府へ行き、甲府で特急に乗換え、八王子で京王線に乗換えても、野菜の名前を思い出そうと必死でした。私も、認知症になってしまったかと思いました。仕方が無いから、聖蹟桜が丘で、スーパーに入り、その野菜の名前を確かめようと思いました。そして、スーパーの野菜棚を、何気なく連想した瞬間、名前を思い出しました。レタスでした。思い出したのは嬉しかったのですが、矢張り軽度ではあっても認知症が始まっていると思いました。しかし、そのことがはっきりするのは怖いので、検査は少し待とうと思いました。

 家に帰り着いたのは9時頃で、腹が空いていたので、ウィンナー、生ハム、チーズと、直ぐに食べられるものを肴にして晩酌をし、「濁り酒濁れる飲みて」ではなく、赤ワインでしたが、楽しくもあり、認知症の怖さも知った1日に乾杯しました。

 

「秋の花 イモリの池に 揃い咲き 遠くから来た 旅人歓迎」

「小諸なる 古城の跡の 懐古園 平成遊子 雨をかなしむ」

「若き日に 藤村の詩 諳んじた 古希を過ぎて 藤村の地に」

「我もまた 佐久の草笛 聞きたいと 耳を澄ませど 人声ばかり」

「歴史旧る 苔の石垣 並び咲く 小諸城趾の 釣鐘人参」

「山里の 山を消し去る 雨霞 黄金の棚田 霞に色添ゆ」

「赤ワイン 染まりて飲んで 夢枕 心の想い出 旅した一日」

 

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2018年09月19日

2018年09月19日

 

 今朝は、目覚ましより早い、6時に起きました。朝から、とても良い天気でした。大急ぎで、持っていく物をリュックに詰め込み、軽く朝食を取って、7時10分には、我が家を出て、現役が毎年合宿を行っている、妙高高原へ向かいました。

 国立、西国分寺、武蔵浦和と電車を乗り継いで、大宮で新幹線に乗換えようとした時、昨日、乗車券を国立から買ったのに、スイカで乗ってしまったことに気がつきました。駅員に頼んで、スイカの今日の乗車記録を消して貰い、新幹線のホームへ行きました。その時丁度、新幹線がホームに入ってきましたので、これは、良いタイミングだと思って乗ってしまいました。所が、新幹線が動き始めて、行き先表示が出て来たら、なんと長野には行かない新潟行きでした。歳を取ると失敗が多くなってしまいましたが、今のところは、大事に至らず済んで、助かっています。

 高崎で北陸行きの新幹線に乗換え、長野に10時30分頃に着き、「しなの鉄道」に乗換えて、妙高高原に11時20分に着きました。駅を出たら、現役が合宿をしている宿の主人の顔がありました。出迎えは頼んでいなかったのにと思ったところ、私の後ろに、現役クラブの顧問の先生がいました。顧問の先生を迎えに来ていたのです。私も同乗させて貰って、合宿地に着きました。合宿に顧問の先生が参加するのは、初めてではないかと思います。

 昼食を現役と一緒に食べ、一息ついていると、我々のクラブの創設者である初代の先輩が到着しました。今年は、思いがけない人が参加しました。

 3時から、今年の夏合宿の成果発表式が、最近、地元に新しく建設された立派な体育館で行われました。スキー客が減り、また北陸新幹線の駅が、妙高高原より、直江津寄りに出来たため、大学や高校などの夏合宿を呼び込むために、立派な運動場とプール付きの体育館が造られたのです。そんな訳で、現役の合宿は、町興しの一助になっています。

 成果発表式になると、普段へらへらしている現役の学生が、見違えるように締まった顔になり、キビキビと動き、立派に演技をこなしました。女子部員の数は、年々、増え続け、60人を超す勢いになりました。女子の演技は、笑顔を絶やすことなく、リズミカルで、一糸乱れず、力強く演じられました。また、合宿所や妙高高原の人達に対する感謝の気持が良く表れていて、関係者を感動させました。私も感動しました。少しずつ演技は変わっていても、根底に流れる気持は、相通じる物があり、自分達の青春の姿を目の当たりに見て、思わず涙が零れました。

 私も、仕事を辞めて、来年で丸10年になります。現役の合宿には、春夏、7年参加しました。今年、孫も大学生となりました。今年の合宿に参加した1年生は、孫と同い年です。現役の学生は、入れ替わりますので、年齢は変わりませんが、私は確実に歳を取り、身体の衰えを感じます。何時まで、現役に付き合えるか分りませんが、出来るだけ長く付き合えるように、頑張ってみましょう。

 夜7時半から、合宿の打ち上げの納会が行われました。20歳未満は、酒が飲めませんので、乾杯から何から全部ジュースでした。でも、学生は、慣れているようでした。ジュースでも盛り上がることが出来るのです。一番驚いたのは、顧問の先生の体力でした。現役の学生でも出来ないような筋トレを楽々とこなし、やんやの喝采を浴びていました。

私は、大学の部活の顧問が、指導の意味で学生の中に入り込むのは、学生の成長の妨げになると思っています。学生の友達となり、上下の関係なく、自由に人生を語るのであれば、大歓迎です。大学の4年間、学生は、親からも社会からも束縛を受けず、個を磨くべきだと思っています。それが、自分の力で物を見、考え、決断する力を形成すると思っています。我々のクラブは、体育会系のクラブではありますが、上意下達式の最近問題になっているようなクラブにだけは、したくないと思っています。

納会では飲み足らず、初代の先輩と1時過ぎまで飲みました。両者とも、最近癌の手術の経験があり、そんなに酒を飲んではいけないのでしょうが、そのまま布団に入る気にはなりませんでした。

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2018年09月18日

2018年09月18日

 

 今朝は、結構雲が多かったのですが、時間が経つ毎に、青空が増えてきましたので、今日も洗濯をしました。普通の洗濯物が少なかったので、ベッドの汗取りシーツ、シーツ、抱き枕カバー、枕カバー、タオルケットを洗いました。結果的に、現前中から日差しが出始め、洗濯は正解でした。

 昨日、府中の森公園の池で、銀ヤンマの写真が撮れました。ツクツクホウシも鳴いていましたし、夏の名残が、まだ続いていました。

また、昨日、農工大のキャンパスを歩いていると、広い試験農場の中で、鳥形の凧が揚がったり下りたりを繰り返していました。近づいてみると、凧を揚げている人は誰もいなくて、凧糸が杭に縛り付けられているだけでした。それでも風が来ると自然と空に舞い上がるのです。暫く見ていて、この凧は動く案山子だと気がつきました。鳩や雀などから、作物を守っているようでした。動かない案山子よりは、効果がありそうでした。

今日は、大学全体のOB会の委員会が、午後6時半からあるので、都心へ出かけなければなりませんでした。明日からの妙高高原行きの切符を買うため、少し早めの4時半に我が家を出ました。しかし、切符の購入は、極めてスムーズで、6時少し前に、大学の近くの駅に着きました。駅の商店街のパン屋で、パンを買うなどして、時間を潰し、会議室へ行きました。既に、半分以上のメンバーが来ていました。大学のOB会の仕事は、全くのボランティアなのですが、誰もが真剣に、自分の役を全うしていますし、幾つもの役を兼任している人も多いのです。皆、愛校心が強く、本当に頭が下がります。

時間通り、6時半から委員会が始まりました。来月は、年に2回のOB会の全体会議が行われますので、全体会議で審議して貰う事項を、我々の委員会も纏める必要がありました。しかし、当委員会で出す審議事項は、今回は少なく、委員会は、早めに終り、酒の会へと移りました。

実を言うと、大学のOB会の仕事は、仕事の後の飲み会が、母校に関する昔話や、母校の将来について真剣に話すなど、最高に楽しいのです。特に、自分達も大学の未来に関与しているのだという感覚が、単に思い出話を語る集まりより、ずっと大きな感動が得られるようです。人間は、本質的に、何かの役に立ちたいとの欲望があるのでしょう。何かの役に立ちたいという気持の原点は、人によって異なるでしょうが、無償の人助け、無償の社会貢献の方が、人の役に立つ感動の度合いは、大きいようです。

1軒目が終わると、梯子酒となり、大学のOBがやっている酒場に入りました。飲んでいるのは、皆同窓生で、また、話が盛り上がりました。結局、我が家に辿り着いたのは、日付が変わる頃でした。明日は、早く出かけるのに、起きられないかも知れないと思い、6時半に目覚ましをかけて寝ました。

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2018年9月18日 (火)

2018年09月17日

2018年09月17日

 

 今日は、珍しく晴れ間の広がった朝でした。毎年、府中市が行う敬老の日記念大会の午前の部に参加する積もりでしたので、5時半に起きて、大急ぎで、昨日の日記を書き、洗濯もして、食事も洗面もして、8時15分に家を出ました。会場である東府中の府中芸術劇場には、9時5分に着きました。既に老人の長い列が出来ていました。列に並んで、自分の席に座ったのは、9時20分頃でした。

 この敬老の日記念大会には、府中に住む70歳以上の老人が招待されます。府中の70歳以上の老人は、45、000人以上いるそうです。100歳以上も100人以上いるようです。世は100歳時代と言いますが、100歳まで生きる人は、年代毎に見ると、0,1%にも満たないのではないでしょうか。

記念大会に参加する人が、70歳からなので、此処へ来ると、私も若手の部類なのです。府中市は、大手の企業の誘致(東芝、NEC、サントリー、キューピー等)、東京競馬場、是政競艇場といった賭博施設があるため、市の財政が、比較的裕福なので、老人に対するケアも行き届いている方だと思います。健康な老後を目指した、府中健康体操を会場でやると、ほとんどの参加者が一緒に体操をやっていました。

 市長の挨拶等が終り、武蔵野太鼓保存会の太鼓の演技が終わると、今日のメインである山本譲二の舞台になりました。彼も、68歳になったそうです。歌は、それ程上手だとは思いませんでしたが、声は良く出ていました。何より、歌と歌の間の小話が、とても面白かったのです。老人向けに一所懸命考えてきた形跡が見られました。芸人の偉さを感じました。他の所では、普通に使われている話かも知れませんが、私には初耳でした。細かいところは省略しますが、沢山の小話の中から、三つの小話を紹介します。

  歳を取ると物忘れが激しくなりますね-。私も朝食べたいものがあったのに全く思い出せません。その内、トイレに行きたくなり、トイレに入って、漸く思い出しました。ソウセージが食べたかったのです。

 お盆に田舎に帰りました。年を取った母に、お坊さんへのお布施は多めにしてねと頼まれました。お布施をお坊さんに渡しました。お坊さんも金を数えるのですねー。ナンマイダ、ナンマイダ、何枚だ。

 結婚した頃妻は優しかったですねー。私の好きな物を何でも作ってくれました。今では、3食冷凍食品です。妻との関係は、治りかけのインフルエンザのようです。「熱は冷めれど咳(籍)は抜けず」

 敬老の日祈念大会は11時には終わりました。このまま帰るのも、勿体ない気がしたので、府中の森公園、農工大キャンパス、以前棲んでいた幸町の住宅を廻って、府中駅に出ました。伊勢丹で、明後日行く、現役の合宿所のお母さんへのお土産、虎屋の羊羹を買いました。毎年、持って行ってます。そして、帰りには、お母さんお手製の辛子味噌を貰って帰ります。これが、とても旨いのです。お母さんと言っても私と同年代なのです。現役が、お母さんお母さんという物だから、私までお母さんと呼ぶようになりました。

 家には、午後2時に帰りました。5時からは、アパートの理事会になりました。最初にアパートの共用の設備、屋上、給水設備、緊急資材保管場所などを見て回りました。見学中に、雨が降ってきましたので、早めに切り上げ、会議室に移りました。今日の主要なテーマは、4KKテレビへの対応、EV車への充電設備の設置の問題でした。知識が十分ではないので、各々専門の会社の人に来て貰い説明して貰いました。

 4KKテレビの問題に関して、8KNHKだけが放送を計画しているが、民放各社は計画していないので、基本的に8Kへの対応は検討しなくても良いとのことでした。また、4Kと8Kの違いは、テレビ画面の大きさが、100インチ程度の超大型テレビにならないと分らないとの事でした。4Kテレビは、現在のアンテナで、NHKと民放は、僅かな機器の変更で見る事が出来るとのことでした。

 EV車への充電器に関しては、ガソリン車のようにスタンドが出来ると思っていたのですが、半分の充電をするのにも、4時間くらい掛かり、とてもスタンドでは対応するのが困難なので、アパートで、夜、充電する事を考えているようです。EV車が増えれば、アパートでの充電でも、様々な問題が起こりそうでした。

 何れにしても、住民によく説明して、理解して貰う必要がありそうです。アパートの理事会は、自分達の生活に関することなので、責任重大です。結局、住民にアンケート調査をした上で、11月半ば過ぎに臨時総会をして、決定することになりました。結局、理事会が終わったのが8時、それから晩酌となりました。今年は、どうした訳か、色んな役を引き受けることになってしまって、ボケ防止には良いかも知れませんが、少々疲れます。

 

 明日から、現役の合宿に参加するため、妙高高原に行きます。22日まで日記を休みます。

 

 

 

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2018年9月17日 (月)

2018年09月16日

2018年09月16日

 

 今日も、雲の多い朝でした。今年は、梅雨が殆ど無かったような6月でしたが、今頃になって梅雨のような日が続いています。天気予報に拠れば、午後は日差しが出て、夕方からは、山際で雨になるとの予報でしたので、溜まっていた3日分の洗濯をしました。結構な量でした。

 今日は、少し早めの午後1時半頃、四谷下堰緑地から、立川根川公園の方を歩いてきました。

 四谷下堰緑地は、この近くでは、彼岸花の名所です。つい最近、花芽が伸びてきたと思ったのですが、今日は、早くも満開でした。曇っていた空も、青空が広がり始め、日差しも出て来ました。彼岸花の赤は、太陽の光がないと、物足りない感じがします。

 四谷下堰緑地から、多摩川の土手へ出ました。此処にも彼岸花が咲いていて、石田大橋の近くまで、彼岸花が目を楽しませてくれました。もう盛りを過ぎようとしていましたが、ツルボの薄い紫の花が、夏草の緑の中でとても目立ちました。紫と白花のツリガネニンジン(釣鐘人参)も咲いていましたが、彼岸花の勢いに押されて、影が薄いように感じました。アゲハチョウ、黒アゲハ、モンキチョウ、モンシロチョウ(紋白蝶)が飛んでいましたが、何故か彼岸花の方に行きませんでした。彼岸花は、蜜を持っていないのかも知れません。何時もと違って、褄黒の中に白い斑点を持つ、綺麗な紋白蝶と紋黄蝶が、2匹じゃれ合って飛んでいましたが、やがて茅の陰で、重なり合いました。求愛は、成立したようでした。

 石田大橋の近くになると、イタドリの花が増えてきました。小さくて、茅の中から顔を出すイタドリは、可憐な感じがするのですが、大きくなって、花で覆われると鬱陶しい感じになりました。

 石田大橋を越え、更に中央高速の陸橋を越えて、暫く歩くと立川の陸上競技場に出ました。この脇を流れる根川が多摩川と合流するところです。此処から、根川公園が始まります。以前、合流点は、両側にちょっとした林があり、渓流の趣がありました。カワセミも良く来ていました。今の時期の河原は、菊芋の花で覆われていました。ところが1昨年から、水門の工事が始まり、今は、立派な水門が出来ました。お陰で、カワセミは来なくなり、菊芋の河原は砂利の河原になりました。

 根川公園を何時ものように、残堀川まで歩き、立川崖線の上に出て、立川の旧家の側を歩いて、多摩モノレールの柴崎体育館駅まで出ました。ツクツクホウシが鳴いたり、アゲハの幼虫と思われる芋虫が道を横切ったり、遠くから見た白花彼岸花がゴミに見えたり、彼岸花を背にして白鷺が羽を休めていたり、旧家の庭で大きなカラタチ(枸橘)に木にカラタチの実が鈴生りだったり、イヌホウズキに似た初めての花を見たり、とても楽しい散歩となりました。日差しは、かなりきつく、温度も30度近くまで上がったのではないかと思いました。

 柴崎体育館から高幡不動、聖蹟桜が丘へ出て、我が家に戻りました。4時半になっていました。心配していた洗濯物は、からからに乾いていました。シャワーを浴び、相撲を見て、6時過ぎから晩酌を始めたところ、ドンと花火が上がる音がしました。ベランダに出てみると、聖蹟桜が丘の方で、花火大会をやっていました。我が家のベランダからも良く見えました。東日本大震災の年から中止されていましたので、7年振りの再開ではないでしょうか。三日月も煌々と輝いていましたので、グラスをベランダに持ってきて、暫し、花火酒、月見酒を楽しみました。しかし、花火大会は、僅か15分程度で、終わってしまいました。テストだったのかも知れません。何れにしても、楽しく忙しい1日でした。

 

「住宅地 僅かに残った 森陰に 赤き絨毯 彼岸花かな」

「切株を 鉢に見立てて 花咲かす 自然の生け花 彼岸花かな」

「木漏れ日の 光を浴びる 彼岸花 君が一番 綺麗に見える」

「土手の道 茅の中の 彼岸花 はらりと落ちた 赤き帯かな」

「背の高き 赤き彼岸花 仰ぎ見る 盛り過ぎたる 紫ツルボ」

「盛り過ぎ 必死のツルボ 君が好き 夏草の中 輝く紫」 

「彼岸花 咲いたら僕に 目もくれぬ 僕も見てねと 釣鐘人参」

「彼岸花 立派な花を 広げても 蝶々は隣の 赤ツメクサに」

「紋黄蝶 紋白蝶に じゃれついて 秋の初めの 激しき求愛」

「盆も過ぎ 子等の休みも 終わったに いまだ鳴いてる ツクツクホウシ」

「芋虫よ 道を歩くは 止めにして 早く飛び立て 秋は近いぞ」

「白鷺よ 彼岸花の赤 良く似合う 貴族のように せせらぎに立つ」

「晩酌の 酒を楽しむ 宵の口 いきなりどかんと 花火の上がる」

「ベランダで 花火と月を 共に見て グラス傾く なんたる幸せ」

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2018年9月16日 (日)

2018年09月15日

2018年09月15日

 

 今日は、千葉の市川にある学校の理事会に参加する為、7時15分には、家を出なければなりませんでしたので、昨晩、6時半に目覚ましをかけて寝ましたが、6時前に起きてしまいました。出かける日なのに、雨が降っていました。

 朝食、洗面などを済ませ、予定通り、7時15分に家を出ました。電車を乗り換え、学校の会議室についたのは、9時40分でした。片道、2時間半の行程でした。

 予定通り、10時から理事会が始まりました。今日の理事会のテーマは、教職員の働き方改革、中高生の補修のやり方、小学校に英語教育が開始される事への対応方法、それに学事報告でした。

 教職員の働き方改革については、文科省の方針もあり、早急に対応しなければならないようですが、基本的には、残業時間の縮小です。部活動の外注化、残業の削減方法等が話し合われました。

 中高生の補修のやり方については、全く知らないことで驚きましたが、学習塾の中に、補修を専門に学校と契約する部門があるそうです。契約した学校施設の中で、派遣された大学生が、生徒の能力に応じて、個人指導の形で、補修事業を行うそうです。塾へ通うより安く、成果も挙げており、この学校も、採用を検討しているそうです。

 小学校の英語教育については、年齢毎の教育方法、ロボットの活用等が話し合われました。

 私立一貫校の理事会に参加して、私が強い興味を持ちながらも、一番不得手の分野だと分りました。私立ですから企業です。生徒(父母)が、その学校を選択しなければ、学校経営は破綻します。従って、生徒数の減少、景気の動向、将来の社会のあり方など、根本的な問題の他に、学校周辺の児童数の推移、周辺家族の収入、父母が学校に望む物、優秀な先生の確保、他校の状況、大学との連係、地方行政との関係、中央行政との関係等々、様々な現実に目を配り、適切に対応し、生徒が集まるような魅力ある学校にしなければ、何時、経営破綻してもおかしくないのです。私は、生涯、破綻する心配の無い組織で働いてきましたので、組織を生かすことの重要性について、意識が希薄だったことを痛感しました。年を取って、動きの悪くなった頭で、何処まで対応出来るのか、最後のご奉公という気持で、頑張ってみたいと思います。今のところ、理事会に出るだけで、報酬まで貰っているのですから、出来るだけ勉強して、役に立てなければ、報酬泥棒になってしまいます。

 12時に理事会は終わり、皆で昼食をしました。少し雑談が出来たので、理事会だけで無く、授業や行事、部活動など、教育の現場を見てみたいと、お願いしたら、快く承諾して貰いました。先ずは、自分の目で見、自分なりに考え、理解することが大事だと思いました。

 折角、千葉の方まで来たので、京成線の各駅停車で、上野へ出ました。アメ横に行ってみたら、物凄い人出でした。アメ横一帯には、幾つの通りがあるのでしょうか、どの通りも肩が触れ合うほどの混雑でした。昼間から、数多くある大衆酒場が、何処も満員でした。そして、その何処にでも、外国人の顔がありました。大衆酒場の雰囲気も、大好きなようです。

 一通りアメ横を散歩して、この前、妻と行った上野の韓国人街で、酒の肴に韓国料理の、チャンジャ、チャンジャキムチ、セロリキムチ、ニンニクの醤油漬を買いました。午後4時半頃に家に帰って、この他にも、マグロのカルパッチョ、アサリバターを作り、日本酒とワインで、美味しい晩酌を楽しむことが出来ました。

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2018年09月14日

2018年09月14日

 

 朝から雨でした。天気予報に拠れば、一日中、降ったり止んだりの天気が続くそうです。散歩は出来そうにありませんでした。

 テレビのニュースを見ていると、ロシアのプーチン大統領が、ウラジオストックで行われた東方経済フォーラムにおいて、中国の習近平主席、安倍総理の前で、突如、前提条件無しで、年内に日ロ平和条約を結ぼうと話したそうです。日ロ(ソ)平和条約交渉は、半世紀以上も行われており、最近、安倍政権がプーチン大統領に対して、しつこく交渉の進展を求めてくるものだから、少々うんざりしたのでしょうか、、、。

 国際社会は、究極においては弱肉強食の無法社会です。領土が、外交によって返還されることは、9割9分ないと思います。戦争によって失った領土は、戦争によって取り戻すしか、方法は無いのです。しかし、こうした提案をすれば、ロシアは領土返還に応じそうだという外交姿勢は、内政に対する見せかけに過ぎないのです。安倍総理が、得意とする分野です。結果は得られなくても、努力はしているというだけでも、自分はこれ程日本のことを思い、精一杯頑張っていると、報道を通じて、見せつけることが出来るからです。

 若干、日誌平和条約のこれまでの経緯について、若干、不正威嚇名部分や、私独自の見解が含まれますが、おさらいをしてみたいと思います。1952年(昭和27年)、日本はサンフランシスコ平和条約によって、米国の占領下から独立を回復しました。その条約で、日本は南樺太と千島列島を放棄しました。但し、当時は東西冷戦が始まっており、東側のソ連を中心とする共産主義国は、この条約に参加しませんでした。その後、日ソは交渉を重ね、1956年(昭和31年)日ソ共同宣言を締結し、国交回復が成立しました。この宣言において、当時のソ連は、平和条約締結後に、歯舞色丹を返還すると約束しました。しかし、今でもそうですが、平和条約が締結されるまでは、ソ連の施政権下にあり、当時歯舞色丹の近海で漁をしていた日本漁船が、何隻もソ連に拿捕されました。此処から、日ソ平和条約交渉が始まる訳です。ざっと半世紀以上、交渉が続けられています。

 最初の頃、日本は、歯舞色丹だけの返還でも仕方が無いと思っていた節がありましたが、日本の高度経済成長と、共産主義国の経済発展の鈍化があり、国後択捉も、経済協力の名で、買い取ることが出来るという考え方が力を強めてきて、何時の間にか、北方四島が返還されなければ、平和条約は結べないとの方針に変わり、現在に至っています。どちらの国の権力者も、話し合いのよって、自分が相手国に屈した人間にはなりたくないので、日ロ平和条約の締結は、何時になるか予想が出来ません。

 最初にも言いましたが、領土は金では取り戻せません。当時、唯一当時方法があったとしたら、日本が共産主義革命を起こし、ソ連の支配下に入ることだったと思います。しかし、それを米国が容認するはずはありません。勘違いしてはいけませんが、日本は、戦後から弱小国なのです。弱小国から脱皮しようと、自国防衛の名を借りて、軍事力の強化を望む人も多いですが、何れ自国防衛の枠を越え、戦争への道を歩むだけだと思います。弱小国は、弱小国である事実を見据えながら、弱小国に応じた生き方を探る必要があると思います。

 長くなってしまいましたが、今日は4時から2ヶ月に1度の、歯のクリーニングの日でした。たまたま雨が止んでいましたので、聖蹟桜が丘の歯医者まで歩いて行きました。

 一月ほど前まで、右側の上下の奥歯が、少しぐらついて、噛むと痛みもあったのですが、この所、ぐらつきも痛みも、ほぼ消えてしまいました。丁度、1年に1度、歯のレントゲン写真を撮る時期になっていましたので、写真を撮って貰い、先生に確認して貰いました。すると先生も、「歯茎の下の方が、しっかりしてきました」と言ってくれました。年を取っても、悪い所が良くなることがあるのかと不思議に思いましたが、嬉しくもありました。今年になって変えたのは、歯ブラシを柔らかめにしたこと、歯のクリーニングを、3ヶ月に一度から、2ヶ月に一度にしたことくらいです。恐らく、クリーニングの回数を増やしたのが良かったのでしょう。

私の人生も、あと10年がMAXだと思いますが、自分の歯で食べ、自分の足で歩き、自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の肌で感じ、自然を愛でつつ死ねたら最高だと思っています。

 

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2018年9月14日 (金)

2018年09月13日

2018年09月13日

 

 すっかり秋を思わせる、空気の冷たい朝でした。所々に、雲の切れ間があって、そこに太陽が来ると、日尾差しが注ぎました。

 テレビのニュースを見ると、今日は、ウェイトリフティングでも、パワハラがあったようです。若しかすると、全てのスポーツで、有力者によるパワハラや、コーチによる暴力があるのではないかと思ってしまいます。現在、パワハラ報道をされている、体操やウェイトリフティングの有力者は、東京オリンピックでメダルを取り、日本中を湧かせた人達です。ある種、国の英雄だった人達です。最初は純粋に、後進を育てていこうと意気込んでいたのでしょうが、次第に過去の名声の上に胡座をかき、過去の名声で築き上げた権力に逆らう者を、許せ無くなったのではないでしょうか。既に自分自身で、新たな名声を作ることが出来なくなってしまった人の、陥りそうな権力志向だという気がします。

 私は、平昌オリンピックでの女子のアイススケート、アジア大会での水泳選手の活躍を見ていて、この選手達は、過去の軍隊式トレーニングから脱却し、科学的訓練法を取り入れ、自身が納得して練習に励んでいると思いました。変な精神主義で無く、理に適った勝ち方のような気がします。

 スポーツは、勝ち負けを争うものですから、勝負に拘ることは当然だと思います。しかし、平和主義者の私としては、この勝負を国家の名誉と結びつけ過ぎないようにして欲しいと思っています。スポーツ選手に限らず、勝利した時に、国旗が揚がり、国歌が流れるのは、我が子が運動会で頑張った様子を見るようで、非常に嬉しいことですが、国家の名誉ばかりが強調されると、相手への思い遣りが無くなるなど、敵対意識が助長されます。中米の国で、サッカーが原因で、国家間の戦争が起きた所があります。スポーツにおける勝負が、個々人の努力の成果の発露であり、勝負の後は、互いの力を認め合う、友人になって欲しいと思います。今の若者には、この傾向が強くなっているように思えます。

 今日は、一月ほど前に訪れた時、夏休みかあるいは御盆の休みかで閉まっていた、東京薬科大学の薬草園に行って来ました。

 次男を送り出して、2時頃家を出ました。平山城址公園駅から、バスで東京薬科大に着くと、新学期が始まったようで、キャンパスには、沢山の学生がいました。キャンパスの中には入らず、真っ直ぐ薬草園に行きました。薬草園に入る時、部外者は、入園帳に名前を記載しなければなりません。名前を記載しようとしたら、今日は、入園帳の脇に、「東京薬科大学の風景」と称する写真集が置いてありました。その横に、寄付のお願いという用紙がありましたので、寄付への誘いだったようです。私としては、情けないですが、写真集だけ頂きました。

 見本園の中に入ると、女郎花と男郎花が並んで咲いていました。その横には菊芋の花も咲いていて、薬草園も秋を迎えていました。昨日、由木農場にもあった、八つ手の花のような、丸く白い花が沢山着いた草(木?)がありました。名前が分らず悩んでいたのですが、ウドだと分りました。薬科大に来ると、こういう事が良くありますで、ちょいちょい薬科大に来たくなってしまうのです。その他の薬草は、殆ど花の時期を過ぎていました。

 見本園の先に、圃場があり、そこには、薬草では無く季節毎の農作物が植えられていました。その中の1つにキャッサバがありました。キャッサバは、中南米ではマンジョカと呼ばれ、至る所で栽培されていました。特に、パラグアイでは、マンジョカの粉にチーズを混ぜて焼く、チパというパンが主食でした。とても美味しいパンで、チーパ、チーパと言いながら売り歩く小父さんの声が、懐かしく思い出されました。チパの小さい物をチピータと言いますが、この上に、カナッペのように色々な物を乗せて食べると、とても美味しかったです。妻の得意の料理になりました。また、パラグアイのエンカルナシオンと言う町では、マンジョカの粉を練って、棒に巻き付け、「きりたんぽ」のようにして、道端で小母さんが焼いて売っていました。この辺りには、日本人の移住者が沢山いましたので、若しかすると日本人が教えたのかも知れません。これも、とても美味しかったです。今日は、懐かしい植物に出会いました。

 温室に行く道の入口のところに、芝桜のような白い花が何時も咲いています。春から秋まで、花の時期がとても長いのです。薬草園の手入れをしている人に、何の花か聞いた所、「バーベナ」という花の一種で、品種改良された物だそうです。

 東京薬科大学を出て、平山城址公園に入ると、ヌルデという木に出会いました。余り見栄えのしない木で、普段は素通りするのですが、今日は、黄色い実を沢山付けていました。実を見ると、見過ごすことは出来ないのです。ヌルデの実は、高い所にあって取れなかったのが残念でした。

 平山城址公園から、多摩動物園に出て、そこから電車で聖蹟桜が丘に出ました。そこで、帰りのバスの中で食べるエクレアモカと、明日の朝の為に、生春巻きを買って帰りました。家に着いた時は、6時過ぎていました。


明日は朝早いので、日記を休みます。

 

「女郎花 男郎花等が 並び咲く 薬科大学 薬草園の秋」

「育ち過ぎ 我が背を越えて そそり立つ 何だか偉そな 菊芋の花」

「君があの 食卓に出る ウドなりや 我の背丈を 越えて花咲く」

「今日知りし 花咲く頃は クレマチス 花の終りは カザグルマかな」

「薬草園 初めて目にする 白き花 花より葉っぱの タバコの花かな」

 

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2018年9月13日 (木)

2018年09月12日

2018年09月12日

 

 空気が冷たい朝でした。地震被害で、電気や水等、生活に最も必要なライフラインが、未だ正常化していない北海道で、一番北の稚内では、氷点下を記録し、被害の大きかった道南の方でも、10度以下にまで温度が下がったそうです。被災者の苦労の大きさを想像する事も出来ません。一日も早く、ライフラインが復旧することを願うばかりです。

 昨日、日体大のパワハラコーチが、ある高校のマラソンチームを、軍隊式訓練で、その地域の強豪校にしたことがあると書きました。これは、ニュースの中で言っていたことです。

 この事だけを聞くと、軍隊式訓練も、スポーツ選手の能力向上には、必要なことだと思われ勝ちです。特に、日本人の中には、そのように思う人が多いように思います。しかし、高校の部活としてのスポーツが、その地域で、どの様に行われていたか、本当の所をきちんと知らなければなりません。進学を第1として、部活は2の次だという所もあるのです。そのような中で、かなり厳しい練習を取り入れる学校が出て来れば、その学校が、その地域で強豪校になる事は、不思議では無いと思います。問題の暴力コーチが、ある程度の成果を上げたのは、こういう状況下では無かったかと推測しています。

 では、その地域の全ての高校が、軍隊式訓練を取り入れたら、結果はどうなるでしょうか。先ず考えられるのは、訓練は、ドンドン厳しくなるものの、思ったような成果が上がらない事になるでしょう。ある時期まで、高校の部活のスポーツは、この訓練を繰り返すだけでした。

 しかし、ある時期、スポーツを強くする為には、優秀なコーチと基礎的能力の高い選手を獲得することが重要だと気がつきました。そして、資金力を使って優秀なコーチや選手のスカウト合戦になりました。高校のスポーツでさえ、金のある高校の戦いになりました。少数の金のある高校で、勝利を分ける事が多くなりました。

 現在は、スポーツを行う同期や厳しい訓練は、選手自らが納得し、必要なトレーニング方法を科学的に導き出し、相手とどう戦うか緻密な分析を行うなど、軍隊式訓練とは、全く違った科学的訓練方法が採用されるようになりました。しかし、何時の時代も、時代の進展に追いつけない人がいます。最近起きているスポーツ界の多くの問題は、このような人達が引き起こしているのではないでしょうか。

 今日は、妻と夕食を共にする為、5時に神楽坂で会うことになっていましたので、午後3時半には家を出て、京王線で新宿に向かいました。調布の駅から、私の目の前の席に、母子らしい二人連れが座りました。娘の方の顔に見覚えがありました。しかし、何故見覚えがあるのか、何処で見たのか、最初は思い出せませんでした。しかし、彼女の前のバックの中味が、テニスのラケットでは無く、バドミントンのラケットだったので、漸く思い出しました。リオのオリンピックで、日本の女子で初めてメダルを取った、バドミントン女子シングルの日本代表選手でした。その時、名前は思い出せませんでしたが、新宿について下りる直前、「バドミントンの日本代表の方ですよね」、「ええ」、「この前のアジア大会は残念でしたね」、「ええ」、「でもリオでは素晴らしい成績でしたよね」、「ええ」、「これからも頑張って下さい、応援しています」、「ありがとうございます」といった会話をして別れました。後で調べたら、奥原希望さんでした。スポーツ選手らしくはきはきとした、思っていた以上に素敵な女性でした。

 丁度、5時近くに神楽坂に着きました。5時10分頃に、妻が待ち合わせの場所へやって来ました。二人で相談して、今日の夕食は、スペイン料理にしました。開店は、6時からでしたが、妻が予約をして置いた方が良いというので、開店前の店のドアを開けて、予約しました。神楽坂のことを良く知っている、妻の言うことを聞いて正解でした。6時に予約無しで、のこのこ行っても、恐らく席は無かったでしょう。

 6時まで、神楽坂名物の入り組んだ小径を散歩して、スペイン料理屋に入りました。妻とは、スペイン領のカナリア諸島ラスパルマスで、一緒に暮らした事がありますので、スペイン料理は良く食べました。今日は、生ハム2種類、サラダ、エビとマッシュルームのアヒージョ、エスカルゴ、トルティージャ、パエージャを頼みました。妻は、ラスパルマスで食べた、パン・デ・チャパータの味が今でも忘れられないそうです。フジツボのようで、長い茎のある貝も食べましたが、名前が思い出せませんでした。あれやこれや、スペイン時代の思い出話を山ほどしました。カナリア諸島の思い出話は、今、私の周りでは、妻としかすることが出来ません。とても楽しい一夜になりました。あっという間に9時過ぎになっていました。残念ではありますが、際限なく付き合わせる訳にも行きませんので、今日の夕食を終りにしました。

 

「想い出を 偶の逢瀬に 出し会いて 妻と話せる 至福の一時」

 

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2018年9月12日 (水)

2018年09月11日

2018年09月11日

 

 今朝は、重苦しい空でしたが、雨にはなりませんでした。しかし、空気は冷たく、秋の気配を感じました。テニスの全米オープンも終り、何時ものような朝に戻りました。

 今朝、ニュースを見ていると、またしても、日体大の陸上部のマラソンでのパワハラが問題となっていました。パワハラで問題となっているコーチは、以前或る高校のマラソンのコーチをしていたことがあり、その高校では、暴力を使ったコーチをしていたそうです。しかし、その高校は、マラソンでは無名から、地域の強豪校に成長したそうです。暴力に関しては、暴力を受けた側の意思に関係なく、事実が表面化した段階で罰することが出来ますが、言葉や権力を使った威圧や不利益行為(パワーハラスメント)は、事実が表面化しても、受け手側の受け取り方によって、罰せられるかどうかが決まります。

 日本は、明治維新によって、鎌倉時代からの武家政治は終わりました。約700年近く、純粋に戦闘集団による政治が行われ、組織運営や家族のあり方など、社会の価値観は、武家社会の価値観が使われました。この武家社会の前後、つまり平安朝以前と明治維新後から太平洋戦争終結までは、公家社会という古来からの権威者が、武家(軍)と協力しつつ国を治めました。これに儒教の5倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)精神も加わり、孔子の教えに沿っているかどうかは別として、上下関係の厳格な維持が、主要な社会ルールとなりました。

 日本の長い歴史の中で、上下関係とは違った形の社会ルールが、日本に入ってきてから、まだ100年しか経っていません。従って、日本には、下の者は上の者に対して絶対服従という社会ルールが、色濃く残っていると思います。現在、スポーツ界で起きている、様々な暴力やパワハラの問題は、日本の伝統的社会ルールから新しい社会ルールへ移行する為の、苦難の時期かも知れません。福沢諭吉が、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と上下関係を廃した社会ルールに対する、真剣な議論がやっと社会の浸透してきた、そんな気がします。昔の社会ルールは、単にスポーツ界だけで無く、企業等あらゆる分野に残っているので、この改革の先行きは、かなり大きな山を乗り越えなければならないと思います。

 今日は、2時半頃から、雲が多く薄暗い中を、石坂ファーム、由木農場の方まで歩いて来ました。

 府中四谷橋から、浅川と多摩川の合流点の方を見ると、合流点の近くの浅瀬に、川鵜と白鷺の集団が出来ていました。餌取りが終わって、一休みしているようでしたが、オセロゲームのように見えました。

 四谷橋を渡り、百草園駅から丘陵を登って、百草八幡へ出ました。百草八幡のある丘の一帯には、樹齢数百年のスダ椎の森があります。毎年椎の実を拾うのですが、今日は未だ早かったようです。百草八幡から枡井緑地に下りて、倉沢への道を歩くと、道脇が韮の花の白い帯になっていました。倉沢の栗畑では、栗の実が大きくなって、今にも割れそうでした。そんな実りの時期に、なんと栗の花が一房咲いていました。栗の木の中にも、勘違いするお馬鹿さんがいるようです。また、その栗畑の中に、1本病気の栗の木がありました。葉は、殆ど落ちて、栗の実はピンポン球程度でした。この木が、変なウィルスに感染していなければ、良いのですが、、、。何年か前に、私も何度か訪れた青梅の吉野梅郷の梅が、ウィルスに感染し、1万本近い梅が、全部伐採されました。そうではない事を祈ります。

 倉沢から、もう一つ丘を登ると、由木農場になります。もぎ取り用のリンゴが随分大きくなっていました。色んな花も咲いていて、どれも一度は名前を調べて憶えていたのに、名前が全然出て来ませんでした。自分の老いを自覚しました。

 由木農場の隣の石坂ファームを通って、倉沢へ戻る時、道にイガグリが落ちていました。足で踏んでみると、中から焦げ茶色の栗の実が、3個出て来ました。重さを感じる良い栗の実でした。少年時代の感動が、湧き上がってきました。今日の散歩は、この事だけで、大満足しました。歩けば、何かしら1つ良いことがあります。

 倉沢から、宝蔵橋、四谷橋と散歩も終りに近づきました。最初に見た浅瀬には、白鷺だけとなり、川鵜達は浅瀬の上の、送電線の塒に戻っていました。私も、5時丁度に塒に戻りました。

 

「毬栗の 大きくなった 実の横に 秋だというに 花の一房」

「葉を落とし 病んで弱った 栗の木に ピンポン球の 小さな毬栗」

「道に落つ 毬栗踏んで 実を出せば これは旨そな 焦げ茶の栗の実」 

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2018年9月11日 (火)

2018年09月10日

2018年09月10日

 

 今日は、全米オープンテニスの男子の決勝戦でした。決勝に出たジョコビッチとデルポトロは、親戚でも同国人で無いし、特に応援したい理由が有る訳でも無く、試合を見る気は無かったのですが、何時も6時半には起きるので、丁度その頃やっている決勝戦を、見てみようと気が変わりました。

 7時近くにテレビを付けると、既に第1セットは、ジョコビッチが取っていました。第2セットの7ゲームまでは、互いにサービスをキープして、第8ゲームは、ジョコビッチのサーブになりました。正確に覚えていませんが、10回以上ジュースになったと思います。このゲームだけで、20分以上掛かりました。技術と意地が絡み合う壮絶な試合となりました。同国人で無くとも感動しました。結局、このゲームは、ジョコビッチがキープし、二人ともサービスキープのまま、タイブレークに入り、ジョコビッチがタイブレークを制しました。

駄2セットの終りの頃から、次男もテレビ観戦に加わり、昨日と同じように次男の解説付きで試合を見ました。史上希に見る大接戦だった第2セットを制した方が、優勝すると思いましたが、その通り、ジョコビッチが全米オープンの覇者になりました。これで、ジョコビッチは、米国が生んだ世界的テニスプレーヤー、ピートサンプラスとグランドスラム大会の優勝回数が並びました。

私は、ピートサンプラスのフアンでした。たった1度だけですが、ピートサンプラスの生の試合を見たことが有ります。ローマでの試合でした。相手は、ジョコビッチの直ぐ近くの、クロアチアの選手で、イワニセビッチでした。強烈なサーブが売りの選手でした。しかし、そのサーブはサンプラスには通用せず、サンプラスが2セット連取で勝ちました。その時も、第1セットは、タイブレークに持ち込まれ大接戦でしたが、第2セットは、6-0だったと記憶しています。全く勝負になりませんでした。またまた、昔のことを思い出してしまいました。

午後早い時間帯に、散歩に出ました。雲が厚く、今にも雨が降りそうでしたが、折りたたみの傘をリュックに入れて、雨の備えをして出かけました。

近くの桜公園で、準備体操をしていた時、同じ大学のOBの女性から電話がありました。彼女とは、北海道で行われたOBの集まりの時に知り合いました。その時以来、時々電話で話すのですが、彼女は、私が知識豊かな人物と勘違いして、結構難しいことを聞いてくるのです。今日も、終戦直後位の保健所の立ち位置とか、戸籍法の変更が何回か行われているが何故かとか、非常に難しいことが多いのです。私には、答えられるような知識がありません。そんな訳で、私が、好い加減な人間であることが分るような、以前書いた文章を。散歩の後、メールで送ることにしました。今後は、出来が悪いのに、多くの人に助けられて、なんとか生きてきた老人と思ってくれれば良いと思っています。

桜公園には、沢山の木瓜の実と馬刀葉椎の実が生っていましたので、リュックに半分ほど頂きました。実が生っていると何でも持ち帰りたくなるのは、子供の頃からの習性です。食べ物が無い時代でしたからねー。ずしっと重くなったリュックを担いで、四谷橋を渡り終えようとした時、雨が降り始めました。直ぐに止みそうな雨では無かったので、散歩を中止し、近くの西友で、今晩の酒の肴に刺身や貝わさび、牡蠣フライ等を買って帰りました。次男は、今日も休みなので、今晩も一緒に飲めると思ったのです。

4時半位に、家に着き、電話が掛かって来た女性にメールを送ったり、シャワーを浴びたり、相撲を見たりして、6時半頃から、晩酌を始めました。次男が西友の刺身の盛り合わせを食べて見て、「これは、寿司ネタの残りだなー」と笑っていました。

何時もは、じっとテレビに釘付けにならないで済む、スポーツの中継を見ながら、雑談しつつ飲むのですが、今日はスポーツの中継が無く、推理ドラマを見ながら酒を飲んだのが、大失敗でした。画面をちゃんと見る必要があり、話も出来ず、酒の味が落ちました。おまけに、推理ドラマの出来が悪く、2時間半のドラマの最初の2時間と、最後の30分は、何か脈絡があるのかと文句を言いたくなるほど、出来の悪い推理ドラマでした。次男が「大どんでん返し」と言っていましたが、言い得て妙だと思いました。如何に豪華キャストでも、これでは困ります。以前から、松本清張を除いて、最近の推理ドラマは、この傾向が強く、見ないようにしていたのですが、その考えは正しいと改めて感じました。

 

「木の実なら どうにかすれば 食べられる 戦後育ちの 哀しき想い出」

「思い出す 胸を躍らせ 家路かな 大収穫の リュックの重み」 

 

 

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2018年9月10日 (月)

2018年09月09日

2018年09月09日

 

 今日は、大阪なおみの試合を見る為に、5時に起きました。自分の部屋を出て、テレビのあるリビングへ行くと、電気が点いていて明るかったのです。次男も大阪なおみの試合を見る為に、私より早く起きていたのです。次男は、大学でテニス部のキャプテンをやったこともあり、大のテニスフアンなのです。今日は、次男の解説付きで、全米オープンテニス女子決勝の試合を見ました。

 第1セット、大阪なおみが、あっさりと勝利しました。ダブルフォールトとか相手もミスも多少はありましたが、ストローク戦など、実力でセットを奪い取りました。ところが、第2セットが始まって、審判が、セレナがコーチからの指示を受けていると、セレナに注意しました。これから、セレナは大荒れになりました。試合以外の時間は、全て審判への文句になりました。ラケットを捩じ曲げるコートバイオレーションも起き、1ポイントを取られました。更には、審判への文句の為にゲームの進行を遅らせたとして、ゲームバイオレーションも取られ、1ゲーム大阪なおみに与えられました。これまでに、何十年もテニスの試合を見てきましたが、このような事は初めて見ました。その後も、セレナの気持は治まらず、大阪なおみは、2セット連取で、全米オープンの優勝を勝ち取りました。しかし、なんとも後味の悪い優勝となってしまいました。

 日本人の血が入っている日本国籍の女子選手が、グランドスラム大会の決勝に進出したこと自体が、初めてだったのに優勝までしてしまいました。これは矢張り、父親の黒人の血のお陰だと思いました。日本民族は、農耕民族なので、狩猟民族が持っている、瞬発力とか、相手の動きへの予測と対応とかに対して、劣る部分がありました。大阪なおみは、基礎体力面において、父親の能力を受け継ぎ、辛抱強さとか、冷静さとかについては、母親の能力を受け継いだのではないかと思いました。

 以前、日本においては、混血は歓迎されませんでした。混血を意味する間の子(あいのこ)は、差別用語でした。現在は、使用禁止用語になっていますので、パソコンのかな漢字変換で、漢字に変換されなくなっています。言葉として認識されないのです。太平洋戦争後、米軍による占領時代には、多くの混血の子供が生まれましたが、この多くの場合は、非合法なものでした。

 私は、平和主義者ですから、国家における民族の純血主義は、戦争の大きな原因だと思っています。現実的ではないかも知れませんが、結婚によって宗教を変えない、生まれた子供は、成人する迄どちらの宗教行事へも参加させず、成人した段階で、無宗教を含め、全く自由に宗教を洗濯させる事を条件に、全世界で混血を奨励したらどうかと考えています。これが出来ると、世界から民族差別や、国家間の戦争が無くなるのではないかと思っています。

 朝早くから、大阪なおみの試合を見ましたので、寝不足気味でしたが、余りにも天気が良いので、今日は、久し振りに、武蔵野公園、野川自然観察園、野川公園、武蔵野の森公園、飛田給と、府中市の緑地地帯を歩いて来ました。

 昨日は、つくつく法師の声が寂しげに聞こえたのですが、武蔵野公園も野川公園も、つくつく法師の大合唱でした。油蝉も、そして1度だけでしたがミンミン蝉の鳴き声も聞きました。つくつく法師の鳴き声をスマホで記録したと思ったのですが、私の息使いは良く入っていたのに、蝉の声は入っていませんでした。自然観察園では、薮蘭の花が満開でしたが、盗人萩、釣船草等は盛りを過ぎ、ユウガギク、彼岸花など秋の花が、勢力を伸ばす準備が出来ていました。

 名前の分らない小さな花の写真を撮って、自然観察園の寺務所に行き、職員に名前を聞きました。キツネノマゴ(狐の孫)でした。以前、一度調べたことがあると思うのですが、全く忘れていました。それにしても、此処の職員は、花や実や昆虫の名前を、良く知っています。前回は、蝋梅の実を教えて貰いました。色んな人から質問されるので、一所懸命勉強したのでしょう、嬉しかったし、感心もしました。

 武蔵野の森公園から、東京外語大の前を通って、飛田給まで歩きました。味の素スタジアムでは、今日、サッカーの試合があるらしく、沢山の人が、飛田給の方から歩いてきました。流れに逆らっているのは、私と、ほんの数人でした。

 結構歩いて、6時頃に我が家に着きました。今日と明日、次男が休みだというので、久し振りに次男と晩酌をしました。

 

「真夏日の 暑さの中にも 秋の風 夏の最後の 蝉の大合唱」

「森の中 彼岸花の 群落に ひょろりひょろりと 花茎伸びる」

「木漏れ日を 浴びて存在 誇示するや 今が盛りの 薮蘭の花」

「緑濃き 森の上には 白き雲 暑さ忘れて 青空仰ぐ」

「あちこちに 君の姿が 目にとまる 花は米粒 狐の孫かな」

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2018年9月 9日 (日)

2018年09月08日

2018年09月08日

 

 雨が降りそうな空では無かったのですが、雲の多い朝でした。今日は、テニスの全米オープン準決勝の試合が、朝5時からやるというので、5時半に起きてテレビを付けると、確かに準決勝ですが、ナダルとデルポトロの試合をやっていました。見たかったのは、錦織の試合だったのですが、この試合の後でした。起きてしまったので、この試合も見ました。すると、ナダルは、2セット連取された時点で、棄権してしまいました。どうやら右膝を痛めたようでした。このお陰で、何時になったら錦織の試合が始まるかと思っていたのですが、8時半位から錦織の試合が始まりました。

 錦織の相手は、ジョコビッチでした。これまでに5度ほど戦っていますが、錦織が勝ったのは、1度切り、5年前だったかの全米オープンの準決勝でした。この時、錦織は、全米オープンの決勝に進出しました。残念ながら、優勝は出来ませんでした。その後、ジョコビッチには1度も勝てていません。今日は、5年前の再現のようになったのですが、残念ながら、錦織とジョコビッチの実力差は、かなり開いていました。錦織の得点の殆どは、ジョコビッチのミスによるものであり、自分の力(ウィナーとかサーブ等)での得点は僅かでした。結局、3セット連取され、錦織は敗退しました。錦織は、選手としてのピークが過ぎたようです。今後、錦織にグランドスラム大会の優勝を期待する事は出来ないと思いました。

 テニスの試合を見た後、日記とか午前中の仕事を終えて、3時頃から多摩川と大栗川の合流点を回って、聖蹟桜が丘まで歩きました。今日は、土手ではなく、1本内側の西府緑地伝いに歩きました。

 2番目の西府緑地に、君が代蘭が咲いていました。子供の頃、我が家の庭でも咲いていたのですが、この花の名前を知ったのは、なんと昨年のことでした。同じ緑地の端にあるムクロジ(無患子)の実が、鈴生りになって黄緑色に輝いていました。ムクロジは、別名「石鹸の木」とも言われ、黄緑の皮を石鹸の代わりに使うことが出来ます。ちゃんと泡が出るのです。子供の頃の我が家にムクロジもありましたので、この皮で手を洗ったものでした。5個ほど貰ってきました。年を取ると、子供時代のことばかり思い出してしまいます。

 3番目の西府緑地を過ぎると、鎌倉街道に出ました。此処まで来ると、中河原公園の棗の実がどうなっているか気になりました。公園に寄って、棗の木の下に行きました。棗の実も鈴生りでした。少しずつ実が赤くなり始めました。赤くなった実は、落ちやすいらしく、既にかなりの数の赤い実が、木の下に落ちていました。既に、何度も棗の実を拾い、蜂蜜漬にしているのですが、今日も性懲りも無く、30個ほど拾ってきました。

 関戸橋を渡り、大栗川との合流点へ向かう、多摩川の右岸に出ました。今は、韮の花の時期で、何時もは、韮の花の白い道が出来るのですが、既に草刈りが行われ、土手は丸坊主でした。道脇の土手に、草刈りの魔の手から逃れたオオキンケイギク(大金鶏菊)の株がありました。沢山の黒い花の跡の中に、たった1輪、黄色い花が咲いていました。とても感動しました。また、河原の殆どは、ブタクサ(豚草)に覆われていましたが、ほんの少しだけ、キクイモ(菊芋)の黄色い花が見えました。これにも感動しました。強いものや環境の変化に負けまいと、必死に頑張っている姿は、植物であっても健気なものです。

 大栗川の方へ廻ると、何時もは川の淵で獲物を狙っている白鷺や青鷺が高い木の上で羽を休めていました。腹一杯に食べたのかも知れません。その木の方から、ツクツクホウシの鳴き声が聞こえました。若しかすると、今年の蝉の鳴き声を聞くのは、これが最後になるかも知れません。

 川崎街道近くの小屋の屋根に、ブドウが鈴生りでしたが、誰も食べる人がいないらしく、端の方からドンドン腐っていました。食べ物が、このような状態になっているのを見るのは、辛い物があります。

 川崎街道を越えて、聖蹟桜が丘に出て、少し買い物をした後、バスで我が家に戻りました。我が家の近くの四谷下堰緑地で、彼岸花が花芽を伸ばしていました。そうそう、もうすぐ彼岸ですねー。今年の猛暑に余り影響を受けなかったのでしょうか、花の持つ時計の仕組みを知りたいものです。

 家に帰って、シャワーを浴びて、ピザとアサリバターを作ってワインで晩酌にしました。明日の朝は、どうしても、大阪なおみの全米オープンテニスの女子決勝戦を見たいので、11時には寝ることにしました。

 

「固き葉の 上にどっさり 白き花 老いて名を知る 君が代蘭かな」

「幼き日 熊蝉鳴いた 無患子の 実にて洗った 手の泡懐かし」

「公園に 独りぼっちの 棗の木 酷暑にめげず 実は鈴生りに」

「戸棚には 既に幾つも 棗漬 またもや拾う 棗の赤き実」

「春の花 酷暑を越して 秋の入り 大金鶏菊の 一輪咲きぬ」

「徒党組む 河原の荒くれ 豚草に 必死の抵抗 菊芋の花」

「森の木の 高みで休む 白鷺の 近くで鳴いてる つくつく法師」

「小屋の屋根 朽ち行く無数の 葡萄の実 食べる人だに 無きは哀しき」

「もうすぐに 彼岸となりぬ 秋の入り 土から顔出す 彼岸花あり」

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2018年9月 8日 (土)

2018年09月07日

2018年09月07日

 

 朝6時半頃に、我が家で目を覚ましました。昨日は、朝以外全くテレビを見ていませんでしたので、テレビを付けると、北海道の地震のニュースばかりでした。震度7の地震となった地区もありました。特に土砂崩れの範囲が余りにも大きいので、驚愕しました。そして、信じられないことですが、北海道全域が停電になったそうです。これは、人災の部分も大きいと思いました。その他のライフラインも被害を受け、避難場所ですら、生活に困っている様子が映し出されていました。前にも書きましたが、何の良識も無く、地球上の表面を覆い尽くすように広がり続ける、人間の住む町に対し、地球が身震いして、嫌がっているような印象を受けました。

経済の発展の為には、永遠に人口が増え続けた方が良い等という経済学に変わる経済学、あるいは、将来の社会のあり方に関する学問が、そろそろ出て来なければならない時期だと思いました。地球には、リミットがあります。人間がこのまま増え続ければ、何時かは、地球の持つ許容量を超えるのは明らかです。増えすぎたバッタやネズミが、大飛翔あるいは大行進して、集団自殺するようなことが、何れ人間にも起きるかも知れません。この集団自殺の為に、核兵器を開発しているのですかね。

今日の午前中は、宅急便が2つ来る予定でした。昨日のゴルフバッグと、長崎での結婚式の引き出物を、引き出物会社に頼んで、今日の午前中に送って貰えるように頼んでいたのでした。午前中、何時来るか何時来るかと待っていませんでした。1時過ぎて、宅配ボックスに入っているかも知れないと、郵便受けを見に行くと、宅急便の不在通知が2通入っていました。11時40分頃に来たそうです。玄関からの呼び鈴も、電話も私には聞こえませんでした。どの様に不在確認をしたのでしょうか、少々腹が立ちました。両方ともゆうパックの宅急便でした。

先ず、配達者本人に電話しましたが、全く通じませんでした。仕方なく、顧客サービスセンターに電話したら、これもオペレーターが出て来ませんでした。最後に地域の再配送センターに電話したら、全部が音声ガイダンスでした。入力することが沢山あって、何度か失敗しながら、漸く再配送依頼が出来ました。

再配送は、午後7時半頃に来ました。午前中配達に来た人と、同じ人のようでした。結構な年寄りで、郵便局が民営化される前から郵便局に勤務した人だろうと思いました。私が、午前中はずっと待っていたのに、不在扱いされたことに不服を言うと、明らかに不快な顔をしていました。電話をかけると、余分な金が掛かるので、やりたくないのかも知れませんが、それくらいの不在確認はして欲しいと思いました。

午後4時頃から、聖蹟桜が丘まで、ほんの少しですが歩いて来ました。多摩川沿いは、結構強い風が吹いていて、私は気持が良かったのですが、送電線を塒としている川鵜達には、強すぎる風だったようで、全ての川鵜が、多摩川の岸辺に下りていました。今日は、歩くのが目的だったので、聖蹟桜が丘では、何もすることが無く、6時には我が家に戻りました。

テレビのニュースを見ると、昨日、全米オープンテニスで、男子の錦織と女史の大阪なおみが、準決勝に同時に進出したと言っていましたが、今日の朝の試合で、大阪なおみは決勝に進んだと言っていました。女子で、グランドスラム大会の決勝に日本人が進出するのは、歴史上初めての事だそうです。これまで、長いこと女子の女王だったセレナ・ウィリアムスとの試合だそうです。日本時間、9日の朝早くから決勝戦があるそうです。これは、どんなに朝早くとも、ライブで見なければならないでしょう。どうか勝利して、災害に苦しむ日本人に、希望を与えて欲しいと思います。出来れば、今後暫く、大阪なおみの時代を作って欲しいと思います。

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2018年9月 7日 (金)

2018年09月06日

2018年09月06日

 

 箱根カントリークラブの宿舎で、5時に目を覚ましました。洗面場所が風呂場にしか無いので、温泉で朝湯をして、洗面を澄まし、6時近くに部屋に戻って、テレビを付けると、北海道の地震のニュースをやっていました。震度6強の地震が起き、広汎に土砂崩れが起きているようでした。大雨、大風と大きな被害の対応すら出来ていない時に、また、地震による被害が起きました。何と言う災害大国でしょう。この中で生きている日本人の、辛抱強さと、過ぎたことに拘らない強さを感じますが、何故こんなに詐害を受けなければならないのだろうと、自然を恨む気持も湧いてきました。

 こんな時に、ゴルフをやって良いのか、申し訳ないような気もしましたが、他のところで起きている災害によって、こちらの生活まで変更する訳にはいきません。6時半頃クラブハウスに行くと、既に受付が始まっていました。今日の箱根は、山の半分が雲に隠れ、吹く風も涼しく、老人にとっては、有難いゴルフ日和でした。

 7時46分に、同期3人と1年先輩の4人で、4番目にスタートしました。箱根カントリークラブは、カートは有料で事前に申し込まなければなりません。我々4人は、体力自慢の老人ばかりでしたので、カートは頼まず、自分の足でゴルフをしました。今日は、我が大学のOBで、このゴルフ場を借り切りました。総勢140名を超えるOBが参加しました。フェアウェイが広く、手入れが行き届いたゴルフ場なので、とても気分良くゴルフが出来ました。ラフの一部では、桔梗、釣鐘人参、女郎花、仙人草、梅雨草等の花が咲いていて、夏から秋へ、季節の変わりを感じさせました。

 我々は、午後1時半頃ホールアウトしましたが、4番目にスタートしたので、最終組がホールアウトするまで、約2時間待たなければなりませんでした。後で、表彰式を兼ねて、全員でのパーティーが用意されていたのです。結局、4時頃からパーティーが始まりました。車で来ている人間が多く、酒が飲めませんので、若干盛り上がりに欠ける所がありましたが、それでも、楽しいパーティーでした。そして、此処でも、最後の最後にエールを送ってパーティーを締めました。皆が、最後のエールを期待するのです。

 5時過ぎに、パーティーは終わり、気の合った5人で、2次会に行くことにしました。クラブバスで箱根湯本まで送って貰い、電車で小田原へ出て、6時頃から2次会となりました。気の合った人達でしたので、話が弾んで、あっという間に9時過ぎてしまいました。余りゆっくりとしていると、電車が無くなる可能性さえあります。渋々2次会を打ち切って、小田原で皆と別れ、再びロマンスカーで新宿へ出て、我が家に着いたのは、11時半を過ぎてしまいました。

長く楽しい1日でした。今日2次会で飲んだ一人は、とっても率直な人で、この大学を卒業し、この大学の名を背にして生きることが、自分の生きる誇りだと言っていました。私は、この大学を卒業することは出来ませんでしたが、卒業生の一人として遇してくれますし、多くの仲間を得ました。この仲間のお陰で、退屈な老後では無く、楽しい老後を過ごさせて貰っています。本当に有難いことだと思っています。

 

「箱根谷 緑の絨毯 ゴルフ場 富士の見えぬが 玉に瑕かな」

「ゴルフ場 次のホールへ 続く道 秋を告げてる 桔梗女郎花」

「池の端 未だ夏なのと 拗ねている ショートホールの 梅雨草の意地」

「仲間等と 19番ホールの 宴かな これがセットで ゴルフは楽し」

 

 

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2018年09月05日

2018年09月05日

 

 今日は、大学のOB会の仕事で、東京丸の内の三菱UFJ信託銀行に行きました。東京駅丸の内北口から、歩いて2.3分の所にありました。約束の時間は、11時からでしたが、10時半には、東京駅について仕舞いました。丸の内は、何度行くのですが、行く度に、超高層ビルが増えています。今日行った銀行の前にも、新たな超高層ビルが建ちそうでした。時間があったので、超高層ビルの間を縫って、お上りさん気分を味わいました。同時に、55年前、大学受験の為、初めて上京した時のことを思い出しました。東京駅から、丸の内のビル街を眺め、こんな所が現実にあるのだと本当に驚きました。当時は、未だ高さ制限があったようで、現在のような超高層ビルはありませんでしたが、10階建てくらいの大きなビルが、ぎっしりと並んでいました。当時私の郷里の長崎市には、ビルらしいビルは、1つしかありませんでした。超高層ビルを仰ぎ見ながら、これだけの東京の変化を見て来れたことに、少なからず感動しましたし、私も、よくぞ此処まで生きて来られたと、感謝しました。

 11時10分前に、銀行に行くと他のメンバー2人も着きました。26階の応接室に行くと、皇居から新宿の方まで一望出来ました。こうした感じで、皇居を見下ろすことに遠慮があって、丸の内の高さ制限があったと聞きました。しかし、樹木も大きくなり、上から見ても、天皇の私生活を覗き見るのは、困難になった為、天皇の意思もあり、ビルの高さ制限が加除され、現在の超高層ビルのラッシュになったようです。

 今日訪れたのは、この銀行に勤め、大学のOB会の仕事の経験もある方に、今後のOB会のあり方について、種々、ご意見を頂きました。OB会というのは、同窓会であり、昔を懐かしむ任意の仲間が寄り合う団体なのですが、どうしても自分達が卒業した大学に誇りを持ち、将来大学が更に発展するようにと、愛校心も強化されます。愛校心が、広い意味で人間生活において、良いものかどうかは、まだまだ議論すべき余地があると思いますが、家族、同学、同郷、同国等、地の近い順に愛情の輪が出来るのは、他に代替することが難しい、人間の自然の営みなのかも知れません。今日も、2時間ほど、仕事に無関係のOB会について話しました。

 OB会の用事が終わって、箱根に向かいました。明日は、箱根カントリークラブで、やはり大学のOB会のゴルフ大会があり、遠方居住者の私は、カントリークラブ付属の宿舎で1泊することにしたのです。新宿へ出て、コンビニ弁当を買い、小田急のロマンスカーで、箱根湯本に向かいました。ロマンスカーに乗るのは、実に久し振りでした。滑るように走るロマンスカーの中で、景色を見ながら、弁当を食べ、ビールを飲みました。この所、何かというとビールを飲むようになりました。1時20分に新宿を出たロマンスカーは、2時51分には、箱根湯本に着きました。箱根湯本で、今晩と明日の食事と酒類を買い、30分ほど時間を潰して、桃源台行きのバスに乗りました。このまま行くと、4時半には、カントリークラブの宿舎に着いてしまいますので、途中のガラスの森で下りて、ベネチアングラスの展示品を見ました。ベネチアングラスについては、本場のヴェネチアのムラーノ島に行って、展示品や製造現場なども見て来たのですが、此処の展示品は、歴史的なものもあり、また、渓流の側にイタリア的建物やガラス細工が配置されており、それなりに楽しむことが出来ました。芸術性から言うと、妻が働いているエミールガレ美術館のガラス製品の方が、優れているように感じました。

 ガラスの森の見学を終え、またバスに乗って、千石原を抜けて、カントリークラブの宿舎に、6時近くに着きました。千石原は、出たばかりですが、薄の穂が山肌を埋めていました。

 

「超高層 ビルの谷間の 谷の奥 江戸の昔の お城が見える」

「ビル続く 大東京の 真ん中に 緑の湖 皇居が見える」

「和田倉濠 酷暑の日本を 棲家とし 愛を語らう 二羽の白鳥

「天下の険 羊腸の小径の 行く先に イタリア擬き ガラスの森かな」

「酷暑越え 千石原は 秋の風 穂が出たばかり 薄が揺れる」

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2018年09月04日

2018年09月04日

 

 今日も朝から雨でした。四国から関西に上陸しそうな、台風21号の余波だと思いました。結局、予報通りに上陸しました。実は、明日は午前中から予定が有り、最初の頃は、明日関東の方に上陸するのではないかと心配していました。関西の方々には申し訳ありませんが、上陸が1日早くなり、関東ではなく関西の方だったので、私個人としては、有難く思いました。

 午前中、降っていた雨が、昼前から3時頃まで、一時的に止みました。丁度次男が仕事に出かける1時半頃は、風もそれ程強くなく、極く普通の感じで出かけていきました。ところが、3時になると、隣のアスファルト工場が霞むほどの猛烈な雨になりました。その雨も、わずか30分ほどで止みましたので、散歩に出かけようかと思いましたが、ニュースで関東地方は、これから強風になるので不急不要の外出は控えるように言っていましたので、私は、不急不要のの用の無い典型的な人間ですから、止めることにしました。最近の天気予報は実に正確で、5時前から猛烈な風になりました。ベランダに出る為の大きな窓が、風の圧力で音を立て全体が振動して、外の風の勢いが家の中にも伝わってきました。このような非日常的な光景は、子供の頃から好きでした。妙に心が躍ってはしゃいだものでした。今日は、はしゃぎこそしませんでしたが、心は高鳴りました。暫く、風に撓む桜や南京櫨などの木々を眺めていました。この強風は、私が寝るまで続き、暫くぶりに自然の猛威を見ました。

 また、大分の旅の話になりますが、案内してくれたタクシーの運転手に拠れば、国東半島にある豊後高田市は、江戸時代は、島原蕃の飛び地だったそうです。ネットで調べたところ、「1669寛文9年)島原藩の飛び地となり島原領豊州陣屋が築かれる。」とのことでした。関ヶ原以降幕末まで、最後の内戦とも言える島原の乱以降、島原は、徳川の譜代の大名の統治下に置かれたようです。そして、旨く統治した褒美として、飛び地が与えられたようです。当時の交通事情を考えると飛び地の運営がどの様に行われたのか、疑問はありますが、飛び地があったのは事実でした。

島原の乱は、天草四郎を総大将とするキリシタンの反乱のように思われ勝ちですが、基本的には、圧政と貧困に耐えかねた百姓の一揆だったようです。しかし、単なる百姓一揆では無く、改易された蕃の浪人達も、数多く一揆に参加したようですし、一揆に参加した人達を纏める為にキリスト教が、利用されたようです。いずれにせよ、一揆を鎮圧した幕府は、全ての外国人を国外に追放し、鎖国が始まったようです。外国人やキリスト教は、国家の安全を脅かすものとして、恐れられました。島原の乱で、相当懲りたようです。これらのことは、学生時代歴史で教わったのかも知れませんが、全く頭に残っていませんでした。世の中知らないことが多過ぎます。知らなくても良いことも多過ぎます。

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2018年9月 4日 (火)

2018年09月03日

2018年09月03日

 

 今日も、朝から雨でした。所が、午後までには雨は上がり、午後からは日差しも出て来ましたので、慌てて洗濯しました。

 日本の現代社会の中で、一時期、宗教離れが強まったことがありました。多くの人が、「自分は無宗教だ」と言っていました。種々の宗教行事も、クリスマスと同じように、生活に彩りを与える単なる習慣と捉えている人が大勢居ました。この傾向が定着したのか、宗教的意識が復活してきたのか、私には良く分りません。しかし、神に頼らないでも生きていける人が増えてきたのは事実だろうと思います。

 昨日、私は宗教と決別したと書きました。私と前妻が結婚した時、妻は仏教徒でした。その時、既に宗教に関心が薄れていた私は、前妻の宗教を変える気は毛頭ありませんでした。妻とは、その後も宗教の事については、話したことがありませんでした。そして、平成14年、前妻は他界しました。前妻の望みは聞いていなかったのですが、その時の葬儀は、妻の生家が檀家をしている寺の住職に来て貰って、仏式で行いました。住職は、妻と幼馴染みでもあったのです。立派な戒名も頂きました。そして、我が家の片隅には、阿弥陀如来を飾った仏壇も置いてあります。娘や孫達は、我が家に来ると、最初に仏壇に線香を上げ、手を合わせます。私は、殆ど行きませんが、娘達は、彼岸には必ず墓参りをします。外見上は、仏教徒のようです。これで、私が宗教と決別したとは言い難いと思う人が多いでしょう。

 確かに私の心の中では、宗教と決別しましたが、だからといって、共産主義者のように、宗教そのものを、現実の世界から排除しようとは思っていません。宗教を、単なる生活の彩りと考える人であっても、敬虔な信者であっても、人の生き方はそれぞれです。個人の生き方に、他人が介入してはいけないと思います。勿論、宗教も、人が望まないのに人の生活に介入してはいけないと思います。宗教が、人の生活に介入したり、人の生活を縛ったりするのは、尤も危険なことだと思っています。

 今日は、午前中の仕事を終えて、次男を送り出してから散歩に出ました。午後2時を過ぎていました。既に雨は止み、日差しも出て来ていました。家の前の土手に上がると、茅や蓬、月見草などの、野草の葉の上に水玉が乗り、至る所に真珠が転がっているようでした。茅の中から、ツルボの花が沢山顔を出していました。ツルボの花の時期が来たのですね。韮もツルボに負けじと花を咲かせていました。待宵草の花の時期が終わろうとしていました。先端部分に咲く花は、白花が多くなっていました。また、八弁の仙人草を見つけました。「犬も歩けば棒に当たる」です。

 郷土の森公園に行くと、石垣の上のヘクソカズラがとても綺麗に見えました。名前のせいもあるかも知れませんが、ヘクソカズラの花を、綺麗だと思って見ることは少ないのです。修景池の蓮の花は、全てシャワーの先のようになっていました。結局、大国魂神社まで歩いてしまいました。

 

 明日から2日間箱根に行きますので、7日まで日記を休みます。

 

「萱の葉に 水玉光る 雨の後 微かな風に 水玉走る」

「夏草の 緑の中に 紫の ツルボの花の 秋を呼びおり」

「緑蒸す 土手に初雪 韮の花 一足跳びに 冬の白さよ」

「白花は 再会誓う 旗印 待宵草の 月見も終る」

「四弁の 花に混ざりて 八重咲きの 花も咲くらん 土手の仙人草」

「仰ぎ見る 君の姿の 美しさ 名前変えよか ヘクソカズラよ」

「蓮池の 蓮の花等も 店仕舞い 誰が使うか シャワーの行列」

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2018年9月 3日 (月)

2018年09月02日

2018年09月02日

 

 今日は、朝から雨でした。温度も上がらず、漸く秋が来るのかなと思いました。今年は夏が長く、かつ、非常に暑かったので、秋を心待ちする気持が強くなっていました。

 今度、長崎に帰り、世界遺産となったキリスト教の四つの教会を見て来ました。大野集落の大野教会だけは初めてでした。私が、外海村神浦の小学校に通っている時、この集落から通ってきた同級生が4人居ました。片道2時間近くを毎日歩いて通って来ていました。この大野教会は、出津教会を作ったフランス人のド・ロ神父が、大野集落の26世帯の為に作ったと言われています。世界遺産になった教会群は、明治時代キリスト教解禁後に建立されたものだそうです。従って、古くても150年程度の歴史しかありません。唯一の例外は、長崎市の大浦天主堂だそうです。この天主堂は、長崎市に居留するポルトガル人やオランダ人などの外国人用だったそうです。

 私の祖母は、明治12年頃生まれと聞いていますので、今年生きていれば139歳です。世界遺産の教会の歴史とほぼ同じです。祖父は五島の生まれ、祖母は平戸の生まれです。両方ともカトリック教の信者でした。父も私も幼児洗礼ですから、まだ、詳しく調べていませんが、隠れキリシタンの子孫の可能性が高いような気がします。しかし、私は、年を取る毎に、心が宗教から離れていきました。私が、30歳の時、仕事の関係で中南米のペルーに行きました。その時、中南米でカトリック教が行った、現地人に対する虐待を知りました。信者にならない現地人に、考えられないような拷問をした道具が見つかったのです。これで、完全にカトリックと決別しました。宗教は、神の組織では無く、企業と同じように人間の組織であることを実感しました。場合によっては、日本の軍部がやったようなことを、カトリックもやっていたのです。この悪行は、神の意思に背いた悪人がやったことで、神に責任はないと言う人が居ます。しかし、悪行を止められないとすれば、神には意思も何も無い飾り物です。恐らく、これが真実です。神は、人間によって利用されるだけの飾り物なのだと思います。

 宗教は、どの宗教であっても、人民を食い物にする、あくどい部分があります。そうであっても、宗教にすがる人民は、数多く居ました。何故、宗教無しに生きることが出来ない人民が多かったのか、深く調べた訳ではありませんが、圧政、貧困、無知のせいだったのではないかと思います。これから、宗教に頼らないでも生きていける世の中になってほしいものです。

 今日は、10日分の日記を簡単に書くだけで、午後4時まで掛かってしまいました。完全に日記を休んでしまえば良いものを、色んな事を経験したので、メモらずには居られなかったのです。それから、今日の晩酌の摘まみの材料を買い出ました。今日、家の外に出たのは、この時の30分だけでした。アサリ、エビ、タコを買い、久し振りに、アサリバター、海老と蛸のアヒージョを作り、ワインで晩酌にしました。美味しく酒が飲めて、我が家に帰ってきたのだと実感しました。

 

「権力者 喰わせる為に 生きてきた 民の心を 誰か知るらん」

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2018年09月01日

2018年09月01日

 

 9月になってしました。なかなか暑さは治まらないのに、時間だけが過ぎていきます。

朝起きた時、身体に気怠さが残っていて、未だ、旅の余韻が残っているような気がします。

今度の大分の旅は、大分のことを良く知らないし、別府以外に訪れたこともなかったので、行ってみたのですが、本当に知らないことが数多くありました。 宇佐神宮は、日本全国に44,000程ある八幡神社の総本社だそうです。郷里長崎では、小さい頃相撲大会などで、良く八幡神社に行きました。今回も、八幡神社に行って来ました。私は、神話伝説の類いは、余り好きではありません。神話が単に神話であり、現実の世界とは関係ないものであっても、好きにはなれません。特に、日本のように、神話が、現実の権力者と結びついてしまうと、恐怖さえ感じます。大分には、宇佐神宮を中心に、神話に基づく日本文化形成に、大きな影響を与えたような場所が数多くあるように思えました。宇佐神宮は、神仏習合の元祖とも言える存在で、日本で初めて、神社内に仏を祀る神宮寺だったそうです。こうして、もともと権力者の間で広まった仏教が、また違った形で、現実の権力者である天皇家と関係を持つことになりました。神も仏も、平民の信仰の対象から、権力者の道具にもなりました。人々は、救いを得るのではなく、服従を強いられる事が多くなりました。それでも、宗教が人民の生活に、深く根付いていたことも事実です。そんな訳で、日本の人民文化は、非常に分りにくいものとなりました。文化の根源を理解をしようとすることそのものが、実施を憚られる雰囲気すらあります。大分では、この人民文化を不可解なものとした現実を見ました。

しかし、日本も民主主義国家となりました。信教の自由が保証され、天皇も象徴天皇となり、政治権力から離れることになりました。今後日本が、どの様な国家を作り、どの様な文化を形成していくのかは、現在の若者の手に委ねられていると思います。私のような老兵は、最早、見守る他ないと思います。

今日の午前中は、旅の前に冷蔵庫を整理していたので、食料品の買い出しに出かけました。普段は、あまり野菜は買わないのですが、作り置きの野菜の酢漬けが残り少なくなってきましたので、その材料である、カリフラワー、ニンジン、セロリ、パプリカを買いました。その他には、ヨーグルト等の乳製品やご飯のおかず、そして一番肝心なビールワインを買いましたので、結構な重さになりました。

午後、6日のゴルフの為に、ゴルフバッグを送ろうと、クロネコヤマトに何度も連絡しましたが、電話が混雑していた為、全く繋がりませんでした。音声電話が、パソコンやスマホで、クロネコヤマトのホームページから集荷の予約が出来ると電話の度に言われたので、アクセスしてみました。所が、私の個人情報を入力する画面で、電話番号だけが、どうしても入力出来ず、結局パソコンでも集荷の依頼が出来ませんでした。仕方なく、重いゴルフバックを担いで、近くのコンビニまでバッグを持って行きました。既に、宅急便の伝票には、必要事項を書いて行ったのですが、このコンビニは、クロネコヤマトを扱っておらず、ゆうパックの宅急便でした。伝票を書き換えて、漸く受け付けて貰いました。単にゴルフバッグを送る為だけに、2時間以上も時間を取られてしまいました。IT化時代には、旨く対応出来ない自分を知りました。そして、そろそろゴルフも止め時なのかも知れません。

その後、野菜の酢漬けを作ったあと、秋刀魚を焼き、ツブ貝のわさび和え、明太子、平目の煮物で、久し振りに我が家で晩酌にしました。勿論、酒は日本酒でした。この時間があるので救われています。

 

「もうすぐに 宇宙の素材に 戻り行く 楽しめるのは 生きてるうちよ」

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2018年9月 2日 (日)

2018年08月31日

2018年08月31日

 

 今日、久し振りに我が家で目を醒ましました。8月の23日からの長崎、27日から30日までの大分、書き切れないほど沢山、楽しい日々が続きました。どうしても全部は、書き切れないので、箇条書き形式で、8月の終りの日々を書いてみました。

 

8月23日

 8時半    我が家を出発

 10時頃   東京駅着、お土産虎屋の羊羹を買う。駅ナカには無かった。

 11時10分 東京駅発、焼売弁当を食べる。列車内でビールを買って飲んでいると隣の人から、摘まみを分けて貰う。

 15時近く  隣の人は徳山で降りる。

 16時10分 博多駅着、鹿児島新幹線に乗り換える。

 16時18分 鹿児島新幹線出発。

 16時30分 新鳥栖駅着、たったの一駅。長崎行き特急「かもめ」に乗り換える。

 16時45分 新鳥栖発、久し振りの長崎本線。懐かしい景色。

 18時30分 長崎駅着。二つの台風の間をすり抜けた。

 19時頃   弟の家に到着(昔の我が家があった所)。東京で会う姪も来ていた。いきなり宴会。刺身、弟の奥さんの料理が、抜群に旨い。

 20時頃   妹夫婦と今回結婚する甥が来て、宴会に加わる。

 22時半頃  妹家族帰る。

 24時頃   したたか酔って、就寝。

 

8月24日

 6時前    起床、散歩に出かける。裏の山、向こう側の谷、幼馴染みの家。

 8時半頃   昔道を通って帰る。朝食を食べて一休み。

 11時頃   車で、弟夫婦、その長女と雲仙へ。暫く、中学時代の通学路を走る。千々石で名物「じゃがちゃん」を食べる。

 13時半頃  雲仙仁田峠着。台風の名残の強烈な風。

 14時半頃  林道を通って隠れ里へ。小規模ながら綺麗な段々畑。道端に大日如来像の磨崖仏、実はキリシタン遺物。

 15時過ぎ  雲仙市国見神代小路(こうじろくじ)歴史文化公園、旧鍋島邸跡。存在そのものを初めて知った。

 17時過ぎ  帰宅。姪は友人の所へ。

 18時過ぎ  弟の長男家族到着。3歳の男の子、2歳の女の子が可愛い盛り。

 19時過ぎ  再び宴会

 12時近く  就寝

 

8月25日

 6時頃    朝の散歩。城山協会、八幡神社、城栄町商店街、城山小学校、丘の上の墓、長崎西校。幼年期から高校生まで過ごしてきた場所を巡る。

 8時半頃   帰宅。朝食

 11時頃   女性は美容院へ

 13時半頃  甥が、女性陣を迎えに。甥の子供の面倒を見る。

 14時頃   私と弟を除いて、結婚式会場へ。

 14時半   私と弟、結婚式場へ。

 15時    結婚式開始。カトリック式結婚式。

 17時    結婚披露宴開始。最後の最後に飛び入りでエールを送る。

 20時近く  披露宴2次会。新郎の親族との交歓会。エールのお陰で壁が取れて、親しく酒を飲む。

 22時近く  披露宴2次会終了。

 22時半近く 帰宅

 

8月26日

 6時半頃   朝の散歩。油木町従姉の家の跡、城山協会墓地、緑が丘墓地、長崎科学館、平床公園。

 8時頃    帰宅。朝食。

 10時頃   甥の家族が帰る。

 13時頃   姪が帰京。弟の奥さんが送る。

 14時頃   私と弟は、外海の方へ。

 15時頃   黒崎協会、世界遺産。

 15時半頃  遠藤周作文学館。

16時頃   出津教会、世界遺産。小学校5,6年生の頃1年半、毎日曜日に通った所。

 16時半頃  大野教会。世界遺産。同級生が4人居た集落の教会。

 17時頃   神浦。小学5,6年生の頃住んでいた。外海で教会の無い村。

        飛び込みをやった岩場、同級生宅、鮮魚購入。

 17時半頃  枯松神社、実は隠れキリシタンの教会。

 18時半頃  帰宅

 19時半   幼馴染みの兄妹来訪。4歳の頃からの友達。冥土の土産の山盛りの昔話。弟の知らない話も数多い。

 1時過ぎ   幼馴染み帰る。家は2軒下。

        弟の奥さんと3時頃まで話す。本当の妹のよう。

 3時過ぎ   就寝

 

8月27日

 8時過ぎ   起床、朝食、出発の準備。

 10時頃   奥さんに別れを告げ、出発。弟が長崎駅まで送ってくれた。

 11時頃   長崎発

 13時頃   博多着。久留米線に乗り換え。鳥栖で乗り換えれば良かった。

 14時半頃  久留米着。久大線に乗り換え。

 16時頃   日田着。日田の駅前を歩く。

 16時半頃  日田発。車中から慈恩の滝、切株山を見る。

 17時過ぎ  湯布院着。寝る場所探し、由布見通りの入口の旅館「しらたき」に決定。素泊まり5,500円。

 17時半頃  散歩。由布見通り、金鱗湖周辺。スーパーで夕食と酒類、朝食を買う。

 19時半頃  旅館に帰る。温泉旅館なのに、普通の湯船に湯は無し、家族風呂は使用中、結局シャワーのみ。

 20時頃   ビールとワインで晩酌。

 23時    就寝

 

8月28日   

 5時半頃   起床。窓から十六夜の月が正面に見える。天気が良さそうだから、由布岳に登ろう。朝食を済ます。

 7時頃    荷物は旅館に預けて、駅前のバス乗り場へ。

 7時55分  出発。

 8時半    由布岳登山口に到着。

 8時40分  登山届けを書いて、登山開始。登山口の標高740m。由布岳西峰1590m。普通の人は2時間程度で登れるらしい。牛達の冬の餌の為の緑の小富士と裾野の緑が美しい。

 10時40分 由布岳の峠着。由布岳の西方は、鎖を使って岩登りが2箇所、登頂を諦める。

 11時    由布岳東峰登頂。革靴での登山であったし、約20分遅れ。標高は、西峰より10m低い、1580m。高山植物の花が見事なのに、携帯の電池が無くなった。

 11時20分 下山開始。

 13時頃   登山口到着。足がガクガク、パンパン。

 13時半   バスで湯布院へ

 14時頃   由布院駅到着、旅館から荷物を受け取り、再び駅へ。名物の肉巻き握りとビールで昼食。

 15時17分 湯布院発。

 16時頃   大分着

16時45分 大分発博多行ソニック46号

17時半   中津着。

 18時    駅前のサンライズホテルに宿を決定。朝食付き3200円。安い。駅へ戻り、夕食とビールを購入。ホテルに戻り、晩酌。

 23時    就寝

 

8月29日

 5時半    起床。

 6時     朝食。朝食後連泊の手続きをする。

 7時     駅前に出て、タクシーで中津城。その後歩いて、福沢諭吉旧邸、寺町散策、駅へ戻る。

 8時半    バスで耶馬溪へ。

 9時半    耶馬溪旬菜館前着。耶馬溪ダム1周。狸に出会う。

 11時半   バス停に戻る。握りとソフトクリームを食う。

 12時頃   バスで青の里へ。弘法寺を経て、羅漢寺へ。

 12時45分 羅漢寺着。旧参道を登る。5百羅漢、3千以上の仏像、崖にへばり付く本殿、室町時代からの古刹。御朱印も貰った。下りはリフトで下りた。

 14時半   リフトの前のお土産屋兼食堂でビール。摘まみは自家製の「椎茸からし」、旨かったのでお土産にする。この時点で携帯の電池が無くなった。

 15時    歩いて青の里に帰る。途中、門前茶屋「のどか」で、かき氷宇治金時を食べる。客は私一人、感じの良い旦那も一人。旨かった。

 16時    青の里着。歩いて青の洞門を歩く。

 17時半   バスで中津へ。

 18時    中津着。夕食とビールを買う。

 18時半   ホテル着。風呂、晩酌。

 23時    就寝。

 

8月30日

 5時半    起床。

 6時     朝食。昨日も今日も人は沢山、しかし女性の姿を見ない。

 7時半    ホテル発、中津駅へ。

 7時50分  中津発。

 8時20分頃 宇佐駅着。駅前には予約のタクシー1台のみ。運転手に交渉して観光をしてくれるタクシーを手配して貰う。

 9時頃    タクシー到着。国東半島の観光。富貴寺、元宮磨崖仏、真木大堂、熊野磨崖仏。富貴寺と真木大堂の御朱印を貰う。

 11時半   宇佐神宮着。観光案内所で荷物を預かって貰う。所員に府中の分倍河原のNECで働いていた人が居た。参道のお土産屋で昼食。カレーと生ビール。宇佐神宮参拝。全国の八幡神社の頂点に立つ神社。広かった。

 13時半   参拝終了。大分空港行きのバスを待つ。またしても参道でビール。驟雨が来た。

 15時    バス到着。豊後高田、国東半島を回って空港へ。

 17時    大分空港着。ANA-EDYで20時発最終便のチケットを買う。またもやビールを飲みながら待つ。

 20時    大分空港発。月が窓から見えた。東京の夜景も見えた。スカイツリーが分った。

 21時40分 羽田空港着。

 22時25分 南大沢行きリムジンバス出発。満員。

 23時30分 聖蹟桜が丘着。

 24時    我が家着、荒片付けをする。

 1時近く   就寝

       

8月31日

 7時     起床。テレビを見て朝食。大量の洗濯をする。

 8時半    洗濯物を干して、旅行中のものを片付ける。

 9時半    メールを調べ、返事を出す。

 11時半   娘と末の孫が来て、一緒に蔵寿司で昼食。

 13時半   我が家に戻る。娘達も暫く我が家で休む。

 15時半頃  娘達が帰る。

 16時半 我が家を出て恵比寿へ。

18時  恵比寿の先輩の店に着く。

19時  月に1回の「語ろう会」に出る。

22時  「語ろう会」を早めに出て我が家へ

 24時前 我が家着

 1時半  就寝。

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