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2018年3月

2018年3月28日 (水)

2018年03月27日

2018年03月27日

 

 霞の奥に隠れた富士を見つける朝が続いています。今日も良い天気でした。これからも暫く好天が続くらしく、花見の時期に、これ程長く好天が続くのは、異例のことのようです。

 昨夜と今朝早く、登録していない人からの電話がありました。通常、このような電話には、自分から電話することはないのですが、一寸気になったので電話してみました。その時は繋がらなかったのですが、直ぐに向こうの方から電話が掛かって来ました。なんと、長野に住む山の仲間でした。彼も、私に電話したつもりは無かったようで、スマホの操作ミスだったようです。しかし、そのお陰で、久し振りに話すことが出来ました。一日の始まりのプレゼントを貰ったようでした。

 今日は、森友学園問題に関する、財務省の佐川氏の証人喚問の日でした。私も、午前午後、それぞれ1時間程度、証人喚問の様子をテレビで見ました。ある程度予想されていたことですが、安倍総理、総理夫人の他、国会議員の関与については、明確に否定しましたが、その他、国有地の値下げ、公文書の改竄、国会答弁の矛盾等については、回答を避けました。

 今朝のテレ朝の本件問題に関するニュース解説で、日本会議の事が漸く出て来ました。森友学園の問題に関わった人の殆どが、日本会議に関わっている人でした。以前にも書きましたが、日本会議が掲げる、日本国家の歴史、文化、国の成り立ち等に関する考え方や、その考え方に基づく、国防、憲法、政治のあり方に関する個々の政策は、安倍総理が掲げる政策と酷似しています。詳しいことは分りませんが、「佐川、分っているだろうな」という裏の声が聞こえてくるような、証人喚問でした。

経済が停滞し、先の見透しが効かなくなると、何故か右翼が台頭してきます。「このような閉塞感は、他の国が、日本の経済発展を阻害しているからだ、このような状況から日本を守るには、国民の愛国心と戦争も辞さない強い政府が必要だ、その為には、民主主義も制限しなければならない」と言った考え方が、じわりと国民の中に浸透してきます。戦前及び戦時中の、国民を戦争の道具としか考えない、恐ろしい時代への回帰が始まるかも知れません。私が、最も嫌いなことは、生殺与奪の権限を他人や政府等に握られることです。そういう意味において、森友学園の問題は、非常に大きな気懸かりです。

 佐川氏の証人喚問を見たので、散歩に出かけるのが遅くなりました。なおかつ、行く先も間違ってしまいました。実は、2時半に家を出て、高尾にある森林科学園に行ったのですが、着いたのが3時半、閉園時間は、4時でした。とても30分で見ることの出来るような広さの公園ではないのです。日本中の桜の標準木が植えられており、世界の木々も、幾つもの丘に渡って植えられています。仕方が無いので、久し振りに多摩御陵に行ってみました。しかし、多摩御陵も閉園は4時で、私が着いた時に、丁度門が閉められました。

 仕方なく、近くの綾南公園に行きました。この公園は、入場制限をするような公園ではないので、ゆっくり桜見学をすることが出来ました。所が、私が家を出た頃から、霞が強くなって、高尾に着いた時には、近くのビルが霞んでしまう程でした。こんな経験は、大気汚染が深刻だった時の、東京とメキシコシティーに住んだ時と、数年前、中国を旅行した時以来でした。今日も、中国の大気汚染物質が、日本に流れてきたのではないかと思いました。太陽も肉眼で見ることが出来る程、輝きを失い、朧月のようでした。お陰で、桜見物も、今一つ気が乗りませんでした。

 折角、高尾に来たので、前回来た時に会えなかった、大学時代のA氏の家を訪ねてみました。所が、前回は昼寝中だったのですが、今日は、何回呼び鈴を鳴らしても応答は無く、不在のようでした。医者に行ったのかも知れません。いずれにせよ、今日は、全てに振られてしまいました。

 29日は、定期検診の為、早朝家を出ます。その後、4月1日まで予定が続きますので、その間、日記を休みます。

 

「霞濃く 昼間の太陽 朧月 御陵の森の 夕暮れ時かな」

「春の午後 霞の中の 朧月 欅並木も 朧に黒き」

「浅川の 桜の上の 朧月 初夏の陽気に 霞む午後かな」

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2018年3月27日 (火)

2018年03月26日

2018年03月26日

 

 今日も、富士の存在を確かめなければならない程、霞の強い朝でした。天気は良く、春たけなわの陽気でした。

 我が家の右手の桜も、多摩川沿いの桜並木も、四谷桜公園の桜も、全て満開となりました。ところが、四谷桜公園の桜の内1本が、殆ど花が咲いていませんでした。この桜は、昨年の秋、どの桜よりも速く、紅葉する間もなく、葉を落としてしまいました。何かの病気に罹ったのだと思います。自分の力で回復することが出来れば良いのですが、植物に、その力があるのか、私の知らない世界です。3、4年前、ウィルスに感染したとして、青梅の吉野梅郷の梅が、全部伐採されました。そのような事態にならないことを祈ります。

 昨日、家に帰ってから、次男と一緒に酒を飲みながらテレビを見ていると、長岡市の中野俣小学校が、今年で廃校になるニュースが流れていました。校庭が神社の参道になっていて、冬は鳥居の上の方まで雪が積もると言っていました。これと同じ鳥居だったかどうかは分りませんが、昨日、北堀之内を歩いている時、雪に半分以上埋まった、鳥居を見ました。今日調べて見ましたが、何故か、その写真を撮っていなくて、確認することが出来ませんでした。

 今日、送る言葉をパソコンに取り込む為に、エプソンに電話しました。応対してくれた担当の女性は、とても親切な方でした。私から正常にスキャナーが作動しない状況を聞いた後、彼女は、私からのお願いと言って、作業のやり方を教えてくれました。彼女のお願い通りにしたら、何の問題も無く取り込むことが出来ました。彼女のお願いとは、パソコンを再起動すること、スキャナーの電源を一旦切って再度電源を入れ、その後スキャナーを動かすソフトを起動すること、それだけだったのです。彼女の優しさに、何度もお礼を言って、電話を切りました。

 スキャナーで読み取った送る言葉を、ラスパルマスの事務所に、メールで送りました。夕方、返事が来て、今年で定年退職する現地の職員の送別会の席上で、本人に渡して暮れるとのことでした。本人が、喜んでくれれば、嬉しい限りです。

 今日は、桜の時期には、1度行ってみたいと思っていた、小金井公園に行って来ました。

 バスで国立に向かいましたが、国立の学園通りの桜が余りにも綺麗だったので、途中の国立高校でバスを降り、国立駅まで、満開の桜並木の下を歩きました。昨日は夜桜を見ましたし、国立の桜を見るのは、既に3回目です。駅前の屋内だけでなく、桜並木の下にもピアノが置かれていて、花見を楽しんでいる人に、もう一つの楽しみを分けてくれました。

 国立から、武蔵小金井に出て、バスで小金井公園に行きました。桜の園、江戸東京建物館の事務所前の広場は、桜の林になっていて、そこだけ、ほんのりとした桃色の霧が立ちこめているようでした。天気も良く、絶好の花見日和だったので、月曜日だというのに、多くの花見客が集まっていました。多くの人が、桜の下で花見の宴を開いていましたので、私も、変な取り合わせですが、ビールとサンドイッチと桜餅を買って、花見客に混じり、独りで花見を楽しみました。周囲の冬木立達も芽吹きを始めていて、色を添えていました。

 それにしても、高尾梅郷で、満開の梅を見ながら歩いたのは、わずか1週間程前のことでした。昨日は、一面の雪景色の中を歩きました。今日、満開の桜の下を歩いているのが、信じられない思いでした。日本の春は忙しいです。特に桜の見頃は短く、あと幾つ桜の名所を歩けるか、せき立てられるような思いです。「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」という在原業平の意味が良く分ります。

 

「満開の 桜の下に ピアノかな 華やぐ心 旋律となる」

「満開の 桜の下に 異邦人 普通に見られる 景色となりき」

「満開の 桜の園は 花霞 霞の中の 花見の宴かな」

「ビール飲み サンドイッチに 桜餅 独り楽しむ 花見の宴かな」

 

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2018年3月26日 (月)

2018年03月25日

2018年03月25日

 

 昨晩の月の輝きから、予期した通り、ほぼ快晴の朝でした。ただ、地平のぼかしは強く、何時も富士が見える位置に、富士があるのかどうか、必死で確認し無ければなりませんでした。霞の中に、富士がぼんやりと見えました。

 7時のニュースの時、テレビに、中央線が運転を見合わせていると表示されていました。一昨日、既に国立から長岡行きの乗車券を買っていましたので、

困ったことになったと思いました。しかし、中央線に乗るのは、国立から西国分寺までの一駅ですし、最悪の時は、バスで西国分寺に行く覚悟をして、8時50分、家を出て国立に向かいました。

 国立は、一昨日来た時は、4分咲き程度だった桜が、一気に満開になっていました。学園通りが、桜色に染まっていました。中央線は、運休や遅れがあるものの、運転は再開していました。運良く、私がホームに上がった時、電車が来て、何の遅れもなく、西国分寺に着きました。西国分寺で、武蔵野線に乗り換え、武蔵浦和で埼京線に乗り換え、更に大宮で新潟新幹線に乗り換えて、長岡に12時に着きました。娘からの情報で、長岡駅の東口3番バス乗り場から、姑が入院している立川総合病院行きのバスがあると聞いていました。バス停はあったのですが、日曜日は、バスが少なく、12時台は0でした。仕方なくタクシーで病院に向かい、12時20分に病院に着きました。日曜日は、病院が通常の事務を行っていないので、救急受付に行って、病室を教えて貰うなど、手間取ったので、病室に付いたのは、12時30分近くになっていました。

 姑T子さんは、私が前触れなく行ったので、「誰かしらこの人」みたいな顔をしていましたが、直ぐに気がついて笑顔になりました。大腸癌は、腹腔鏡手術が、非常に上手く行き、手術の跡も目立たないし、術後の経過も良好だそうです。また、他の所への転移もなく、明後日には退院するそうです。T子さんは、もともと痩せている人なので、やつれた感じは全くなく、むしろ顔色は、手術前より良くなったような気がしました。T子さんがいないと、生活出来ない様に思われていたご主人も、なんとか独りでやっているようでした。人間、困難な場面に直面すると、秘められていた力が湧き出すようです。

 病室を1時過ぎに辞去して、今度はバスで長岡駅に戻りました。電子マネーが使えない、現金だけのバスでした。長岡市内は、除雪の時の雪捨て場に、少しだけ雪が残っているだけで、雪国の雰囲気は、山に残った雪だけでした。長岡市内は、余り見る所がないようなので、上越線の各駅停車に乗って、適当な駅で降りることにしました。

 長岡駅の次の宮内駅から、上越線と信越線に別れますが、信越線に次の駅は、私の姓と同じ名前でした。今日は止めましたが、何時か信越線に乗り、その駅に下りてみたいと思いました。宮内駅から、山の方に向かい、トンネルを越える毎に、雪が深くなりました。北堀之内の駅に着くと、反対側のホームに、1メートルを越す雪が残っていました。豪雪地帯のようなので、途中下車して歩いてみることにしました。上越線の線路を越えて、山側に向かって歩くと、一面の雪景色でした。除雪の時に積まれた雪が、2階建ての家の屋根を越えそうでした。そんな雪の山が、あちこちに点在していました。雪国の生活は、本当に大変だと思いました。屋根の雪も主要な道路からも雪が無くなりましたので、ここの人達にとっては、春なのでしょうが、南国生まれの私にとっては、真冬のような光景でした。ほぼ1時間後に、次の電車が来るので、戻ることにしました。景色につられて、ついつい遠くまで来てしまいましたので、帰りは小走りで帰り、ホームへ着いたら、直ぐに電車が来ました。危ない所でした。汗は山程掻くし、心臓はばくばくして、死にそうでした。

 北堀之内から、また上越線に乗り、新幹線も止まる浦佐で下りました。正面の山が真っ白の雪山で綺麗だったことと、信濃川が目の前を流れていたからです。電車を降りて、浦佐大橋を渡って信濃川を越え、ひたすら真っ直ぐ雪山に向かって歩きました。池田美術館、八色の森公園が出て来ました。公園は、まだ雪に覆われていて、前方の雪山も含めて、何処もかも真っ白の風景でした。僅かに公園の冬木立だけが、灰色でした。氷の溶けた池では、小白鳥と真鴨が泳いでいました。公園の看板に拠れば、正面の3つ山は、越後三山(中の岳、越後駒ヶ岳、八海山)のようでした。ここでも、次の電車に遅れない為、小走りで帰り、際どく間に合いました。

 浦佐から、越後湯沢に向かう途中、六日町の辺りで、夕日が山の向こうに沈みました。雪山の頂上付近のみ光が当たり、ライトアップされているようでした。とっても明るい、宵の明星を見ることが出来ました。宵の明星を見るのは、久し振りでした。越後湯沢には、6時少し前に着きました。少し外を歩いてみましたが、殆どがシャッター街になっていました。所が、駅舎の中が、かなりの大きさの商店街になっており、お土産品、軽食等、黒山の人だかりでした。余りの違いに驚きました。街中で店をやっていた人が、駅の中の店をやっていると宵のですが、、、。

 今日は、水上辺りで泊まろうと思っていたのですが、越後湯沢まで来た上越線が、水上行きの最終電車でした。越後湯沢に泊まる気はしませんでしたので、新幹線で帰る事にしました。日曜日でもあり、新幹線の自由席はスキー客で超満員でした。電車のデッキで、ビールを飲みながらホットドックを食べ、夕食にしました。周りの若者達と同様に、立ち食いでした。

 朝来た通りに戻り、国立に8時20分に着きました。学園通りの桜がライトアップされていて、夜桜を楽しみました。半月になった月が、夜桜の上に出て、花見をしているようでした。我が家には、9時過ぎに着き、丁度、12時間の旅になりました。

 

「新幹線 猛スピードで 雪国へ トンネル多く 駒子は如何に」

「田舎道 我が背の丈の 雪の壁 越後の山里 北堀之内」

「春の日の 土の温もり 雪溶かし 背丈縮める 雪の壁かな」

「遠くには 白き屏風の 連なりぬ 春待つ峰々 越後連山」

「雪解けを 集めて速し 信濃川 越後の田畑 潤し流る」

「日は落つも 明るさ残る 西の空 更に明るい 宵の明星」

「残照が 白嶺を照らす 宵の入り 平地の雪に 影の伸びゆく」

「山越えて 関東平野 春爛漫 夜桜楽しむ 宵の国立」

「日も暮れて 関東平野を ひた走る 新幹線に 負けぬ明星」

「三日月が 里の真上の 天空に 腰を下ろして 夜桜見物」

 

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2018年3月25日 (日)

2018年03月24日

2018年03月24日

 

 晴れてはいましたが、富士も丹沢も見えない朝でした。我が家の前の、満開の桜には、毎日ヒヨドリがやって来ます。左斜め前の桜も、ほぼ満開となりました。しかし、こちらの桜には、ヒヨドリが行かないのです。私には分りませんが、何かが違うのでしょう。

 カナリア諸島のラスパルマスの昔の職場の人からメールが来て、そこで働いていた現地の職員が定年退職することになったそうです。私の事を良く覚えていて、懐かしがっているので、何か一言、送る言葉が欲しいと言ってきました。こんなに嬉しいことは、滅多にあるものではありません。久しく使っていないスペイン語と日本語で、手書きの送る言葉を書きました。それをスキャナーでパソコンに取り込み、メールの添付ファイルとして送ろうとしましたが、パソコンのソフトが悪いのか、何が悪いのか分らず、悪戦苦闘しましたが、結局パソコンに取り込むことが出来ませんでした。時間が空いたら、スキャナーのメーカーに連絡をしてみようと思います。

 今日は、次男と娘家族と一緒に、前妻の墓参りに行って来ました。彼岸でもあり、今年は17回忌でもありました。

 午後2時に、娘家族と高尾山口で待ち合わせをして、墓へ行きました。墓の中央にある桜が、満開になっていました。孫達が一所懸命墓掃除をしてくれました。末の孫が、「お婆ちゃん喜んでくれるよね」と、なんとも可愛いことを言ってくれました。

 墓参りの後、娘の家で一緒に食事をすることになりました。途中のスーパーで買い物をしていると、末の孫が不機嫌になりました。何が気に入らないのか分らないので、誰も構わないで放っておいたら、大声で泣き出しました。結局、買い物が終わって、家に帰り着くまで泣いていました。所が、次男が肩車をして、家に入ると人が変わったように上機嫌になりました。上の孫は、少し熱が出て調子が悪く、くったりしていました。和やかで一番元気だったのは、孫娘でした。

 5時過ぎから、早めの夕食になりました。孫達の学校の話などをしている内に、何故か中南米の音楽の話になりました。次男や娘が、これほどに中南米音楽が好きだとは知りませんでした。スマホで検索して、中南米の音楽を何曲も聴きました。私のスマホの使い方は限られていますが、娘のスマホの使い方には、驚きました。それにしても、凄い世の中になったものだと思いました。

 ビールを各自1缶、日本酒1升、ワイン3本を空け、漸く10時頃に腰を上げ、次男とバスで我が家の戻りました。一の宮で下りて、歩いて四谷橋を渡りました。三日月が煌々と輝いていました。

 

 25日は、娘の姑の見舞いに長岡に行って、1泊しようと思っていますので、25日、26日の日記は帰ってきてから書く積もりです。

 

 

 

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2018年3月24日 (土)

2018年03月23日

2018年03月23日

 

 灰色の雲をバックに、富士の頂上付近が白く輝いていて、異様な感じすらしました。21日の雪は、富士や丹沢では、相当強く降ったらしく、富士の冠雪は厚みを増し、丹沢も雪山に変わっていました。

 米国のトランプ大統領が、鉄鋼・アルミ製品の輸入関税適用から、日本を除外してくれませんでした。カナダ、メキシコ、ブラジル、韓国は適用除外国となりました。また、米国の貿易赤字国第1位の中国に対しは、ソpの他の製品に対しても、輸入関税をかける決定を行いました。彼は、商売人だから、国家運営においても、赤字は気に入らないのかも知れません。しかし、米国が輸入する中国製品の中には、米国資本の入った企業が生産する製品も、多く入っていると思います。国の収支は、貿易収支だけではありません。資本金から得られる配当収支、株式の売買による収支、著作権の権益等、米国が儲かっている部門は数多くあり、総合的な国際収支において、米国が大幅な赤字であるとは、考えられません。統計のマジックのようなものです。

そして、国際経済において、関税を出来るだけ無くしていこうというのは、米国が推進しようとしていた政策だと思います。また、世界の国々を豊かにし、国際的な経済の活性化を促し、米国製品の販売先を広げるというのも、米国の政策だった筈です。トランプ大統領のように、目先の利益だけに気を取られていると、貿易戦争を引き起こし、国際経済そのものを縮小させ、結果的には、世界経済の牽引車である、米国経済を不況に陥れる危険性があります。本来ならば、大統領は、様々な意見を聞いた上で、政策の中に潜んでいる危険性を排除しなければならないのですが、自分の意見に合わない人間は、次々に首を切って、自分の意見に追随する人だけを、周囲に置こうとしています。これでは、現在の中国や北朝鮮、戦前の日本と大差がありません。世界の民主主義の旗頭がすることではありません。これまでに無い、恐怖を感じています。

 

 今日は、JRの切符を買う為に、国立まで行って来ました。今度の日曜日、長岡まで、娘の姑の見舞いに行くことにしました。大腸癌の手術後の経過も良くて、来週早々には退院するとのことでした。私が、胃癌の手術をした時には、わざわざ新潟から見舞いに来てくれました。

 家を出る時は、日差しもあって良い天気だったのですが、国立に着いた時には、北の方は晴れているのに、多摩地方は黒い雲で覆われました。国立の桜の名所、学園通りの桜は、4分咲き程度でしたが、中には満開の桜もありました。

国立の駅前には、このまえテレビで紹介された、ピアノが弾けるスペースが出来ていました。誰でも自由に弾くことが出来るそうです。切符を買う前は、コートを着た女性が弾いていたのですが、切符を買って再び訪れた時は、親子連れが、連弾をやっていました。残念ながら、観客はまばらでした。

 駅前のロータリーから、学園通りを歩き、久し振りに一橋大学に入りました。もうすぐ、新入生が入ってくるので、キャンパスのあちこちに、大学のクラブが、新入生の入部を誘う看板が立てられていました。大学のメイン広場には、満開の枝垂れ桜が、春を告げていました。運動場の手前に、真鴨が来る池があるのですが、今日は、カルガモだけでした。真鴨が、この池に来る時期は、過ぎたのだろうと思います。まだ芽吹き前の大銀杏の下で、白木蓮の白さが際立っていました。ある校舎の前の庭では、盛りを過ぎた辛夷、満開の桜、下を飾る満開のレンギョウが、季節の進みを現していました。学びの園の春でしねー。

 大学から、谷保天神まで、桜並木を歩こうと思っていたのですが、多摩地方を覆っていた黒い雲から、ポツッと雨が落ちてきましたので、駅前ロータリーまで戻り、バスで我が家に戻りました。少々、歩き足りない感じでした。夜は、次男と酒の摘まみを出し合って、野球を見ながら晩酌となりました。

 

「桜咲く 良き知らせを 受けとりし 新入生待つ 大学の桜」

「人生の 芽生えの時期の 新入生 迎える公孫樹も 芽吹きの季節」

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2018年3月23日 (金)

2018年03月22日

2018年03月22日

 

 雨と雪は去ったものの、どんよりと曇った朝でした。昨晩寝たのは、2時近くでしたが、今朝7時には目が覚めてしまいました。昨晩、遅かった孫達は、白河夜船でした。

 孫娘が、一番早く、10時頃に起きて来て、次に上の孫、最後に末の孫が起きて来ました。朝食の準備は、済ませていたので、11時半頃から、何時ものように朝食兼昼食にしました。昨晩喧嘩した上の孫と孫娘は、何事もなかったように、仲良く食事をしました。兄弟喧嘩は、深刻になる場合もありますが、多くの場合は、遊びの一種のようなものですから、周りも気楽に構えた方が良いと思います。

 食事が終わって準備をして、多摩動物園の前の、約束の遊戯施設(ハグハグ)に、次男も一緒に行くことにしました。施設の近くに行って、駐車場を探していたら、殆どが営業をしていませんでした。悪い予感がしました。漸く、営業をしている駐車場に入ると、係員がやって来て、「昨日が休日だった為、今日は、多摩動物園は休みですよ、車を止めますか?」と聞かれました。娘が、「動物園の前のハグハグに行きたいのですが、やっていますか?」と聞くと、「色々な施設は、多摩動物園と連動して営業していますから、やってないと思いますよ」との答えが返ってきました。取り敢えず、係員に駐車はしないことを告げ、ハグハグに電話して、確認した所、矢張り営業していないとの事でした。娘が、スマホで、近くの遊戯施設を探した所、「よみうりランド」が、営業していることが分ったので、予定を変更して、「よみうりランド」に行くことにしました。車で、30分もあれば着くとのことでした。

 「よみうりランド」へは、1時半頃に着きました。次男も私も初めてでしたが、想像以上に、大きな遊園地でした。よみうりランド駅から、ロープウェーで直接来ることも出来るようになっていました。「ひよこパス」という小学生向けの、1日フリー切符を買って、目一杯遊園地を楽しむことにしました。私は、写真担当で、フリー切符は、買いませんでした。

 遊園地には、50近い遊戯施設があり、その内半分以上が、ひよこパスで乗ることが出来ました。今日は空いていたので、殆ど並ばずに乗ることが出来、お陰で、あしかショウを含めて、20近い遊戯施設を楽しみました。遊園地の閉園時間は、6時でした。今日は、小中高の生徒がかなり来ていましたが、彼等もフリーパスを買っていたようで、5時頃になると、出来るだけ沢山の施設に乗る為に、施設から施設へ全力疾走するのです。これなら、良い運動にもなるでしょう。孫達も真似をして、走り回るようになりました。付いていく親が大変でした。時には、乗りたいものが違って、二手に分かれて走ることもありました。私だけが悠然としていました。

 やがて、6時になり、最後に2度目のメリーゴーランドに乗って、その後、お土産売り場で、アシカの人形を買って、遊園地を後にしました。日が暮れて、夕闇が迫っていました。

家に着いた時は、真っ暗になり、夕食の時間になったので、孫達も、我が家で夕食を済ませて帰る事になりました。昨日の鍋の残りの味付けを変え、買い置きの唐揚げ、インスタントピザ、トマトとチーズのサラダに、次男がラーメンを作ってくれて、孫達は、大満足でした。昼間の疲れで、睡魔と戦いながらの食事でしたが、空腹の方が勝っていたようです。孫達は、9時過ぎに帰って行きました。私も、結構疲れましたが、孫達の嬉しそうな顔が、疲れを吹き飛ばしてくれました。

 

「カメラ持ち 孫等の笑顔 撮りまくる よみうりランドの ジージカメラマン」

「孫達の 笑顔に勝る 宝無し 孫等の他に 何も見えざり」

「孫達の 笑顔に勝る 薬無し 一日歩けど 疲れを知らず」 

 

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2018年3月22日 (木)

2018年03月21日

2018年03月21日

 

 雨の朝でした。その雨が、霙に変わり、やがて雪に変わりました。満開の桜に雪が舞い降りました。気温は2度、何と言う春分の日でしょうか、真冬に戻ってしまいました。なんとこの寒さの中、ベランダの右側の桜が開花していました。

 今日は、長男の子供の大学進学祝いだったのですが、31日に延期しましたので、急遽、次男の誕生祝いに変えました。実は、明日が次男の誕生日なのです。娘と娘の子供達とは、明日、多摩動物園の前に出来た、大きな遊戯施設に一緒に遊びに行くと約束していましたので、予定通り泊まりに来ます。丁度、真冬に戻ったので、この冬最後の鍋料理にすることにしました。我が家の鍋は、茸鍋が通例なので、11時頃、雪の降る中、材料を買いに近くの西友に行きました。この天候の中、結構な人が来ていました。

 鍋の材料を買って家に戻る時が、一番激しい雪となりました。四谷下堰緑地や我が家の前の公園の草の上に、薄らと雪が積もりました。しかし、雪は午後1時頃には止み、積もった雪も解けてしまいました。一番悪いタイミングというか、一番良いタイミングに買い物に出かけました。非日常的なことが起きると、何故か心が高ぶってしまいます。

 鍋に入れる「ふっくら鶏団子」等を用意して、相撲を見ながら待っていると、6時少し前、相撲の最後の取り組みの時、孫達がやって来ました。用事で出かけていた次男が、7時に帰ってきましたので、漸く誕生会が始まりました。大人は酒を飲み、孫達は鍋を突きながら、とても楽しい誕生会になりました。子供達は、食事が済むと思い思いに遊んでいましたが、やがて3人一緒に風呂に入りました。風呂は遊びの延長で、随分長風呂になりました。風呂から出て来た時は、10時を過ぎていて、パジャマに着替え、娘が布団を敷くのを、皆で手伝っていました。

 ここまで孫達は、非常に仲が良かったのですが、寝る前に、私と次男で孫達を肩車したり、負ぶったりして、寝る前の一遊びをしました。次男が、上の孫を負ぶった時、私が、おふざけの積もりで、上の孫のパジャマのズボンを少し下げて、パンツを出して見せました。すると、孫娘も下の孫も私の真似をしたのです。3人ともとても楽しそうでした。所が、次男が、次に孫娘を負ぶうと、上の孫が、自分がされたように孫娘のパジャマのズボンを下ろしたのです。その後、二人の激しい喧嘩となり、最後には上の孫が泣き始めました。上の孫は、手出しをすると親から怒られるので、ひたすら孫娘の攻撃に耐えていたのですが、耐えきれなくなったようです。それから、娘が二人の言い分を聞いて、お説教をして、二人が握手して仲直りするのに30分以上掛かりました。娘は、元々の原因が私であり、酒の酔いもあって、話しが要領を得ませんでした。喧嘩の張本人である私は、口出しする訳にはいかないので、ひたすら聞いていました。兄弟喧嘩ですから、明日は、忘れてしまうでしょう。結局、孫達が寝たのは、12時近くになってしまいました。大人達は、また飲み直して、寝たのは2時近くでした。

 

「満開の 桜の花に 雪の舞う 真冬に戻る 春分の雪」

「吹雪く雪 桜吹雪に 見えにけり 春の弥生の 雪景色かな」

「孫達の 喧嘩の原因 作り出す ちょい悪ジージの 悪ふざけかな」 

 

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2018年3月21日 (水)

2018年03月20日

2018年03月20日

 

 雨の朝でした。そして、空気は、真冬の冷たさに戻りました。今年は、気温の上下変動が、非常に激しいような気がします。

 昨晩、9時頃起きて来た次男と、貴乃花部屋の貴公俊の暴行事件について、話をしました。次男の考えでは、ある人間が、自分のやるべき事をきちんと出来ない場合は、体罰的暴力もやむを得ない場合があると言っていました。しかし、この考えの裏には、相手の為を思うとか、正しいことをやっている自信とか、暴力が許される条件を、暴力を振るう側が、言い訳を用意しているのだろうと思います。

次男が、働いている料理人や多くの職人の世界には、このような考え方が、伝統としてありました。実際、暴力やしごき等、厳しい修練の過程を経て、技術を習得し、店そのものを引き継いだり、暖簾分けをして貰ったりして、生活の基盤を得ることが出来ました。ある時代、地位も土地も財産も持たない若者が、社会での生活基盤を持つ為には、長年の技術習得、丁稚奉公等は、どうしても通らなければならない道とも思われていました。

私が、ある時期過ごしたメキシコでは、世界でも早い時期に、日本食のブームが起きました。私の友人が経営する日本食レストランに、日本から寿司職人が来たことがありました。彼は、非常に厳しい職人で、メキシコ人の見習い職員を、叩きながら技術を教えました。最初は戸惑っていたメキシコ人も、彼のやり方を理解するようになりました。そして、結果的に彼は、良い寿司職人になりました。しかし、周囲のメキシコ人は、明らかに不快感を持っていました。

こうした話をしてくると、一定の条件下では、暴力が許されるように思われますが、時代も社会制度も経済のあり方も変わった現代では、過去の悪習と言わざるを得ません。技術の伝授の仕方は、暴力ではなく、もっと合理的な方法で出来る筈です。暴力というのは、強い者が弱い者を制裁するリンチの形で行われてきました。権力者による国民への暴力、列強による植民地への暴力、地主による小作人への暴力、白人による黒人奴隷への暴力、軍による一般人への暴力、教師による生徒への暴力等々は、個人の心の中にある、ほんの少しの暴力容認が、根拠となる場合が多いのです。戦前の「お国の為に、、、」という言葉と、その言葉によって強制された様々な暴力の形を、思い出して下さい。

世界は、長い年月を掛けて、様々な反暴力の考え方を大衆も共有し、それに見合った民主主義という社会制度を作り上げました。法の下における平等を獲得しました。日本が、民主主義を社会制度として、まだ、70数年の歴史しかありません。国民が気をつけて監視しなければ、また、戦前の状態に戻る可能性は、大いにあるのです。ある種の資産や権力を手に入れた人間は、なんとかして、資産や権力を守ろうとするものなのです。暴力の中で、国家権力が、国民に暴力を振るうこと、つまり反対出来ない形で、国家の意思を押しつける事が、最も悲惨です。北朝鮮を見ていると、国民主権が守られている、現在の民主主義日本に生まれてつくづく良かったと思います。

このように親子であっても、意見の違いはあります。違いがあることを認め、一方の意見を、民主主義の決定のルール以外のやり方で、相手に押しつけないのが、民主主義の基本です。日本の民主主義の歴史は、私の年齢と同じです。従って、私は民主主義以外の社会制度を、体験としては知らないのです。もっと良い制度があるのかも知れませんが、想像することさえ出来ません。

 

 午前中、長男から電話があり、明日予定していた、長男の息子で私の初孫の、大学進学祝いを、延期して欲しいと頼まれました。明日から、どうしても出張しなければならなくなったそうです。一応月末に延期しました。

今日は、一日中、家の中で過ごしました。フェイスブックに写真を投稿したり、テレビを見たり、目の前の満開の桜を見たりして、無聊な時を過ごしました。夜は、次男が休業中なので、テレビを見ながら、話をしながら、酒を飲んで過ごしました。

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2018年3月20日 (火)

2018年03月19日

2018年03月19日

 

今朝の富士は、灰色の空の中に、頂上付近の輪郭だけが白く光っている、普段見慣れない光景でした。それが、全体が光り出したかと思えば、背景の灰色と同じような色になったり、刻々と変化しました。

我が家の前の桜は、早くも満開となり、ヒヨドリが、花を啄みに来るようになりました。ヒヨドリが、蜜を吸うとは思えないのですが、満開の桜の中で、盛んに花を突いていました。斜め前の桜も開花しました。我が家の周りの桜は、順番に咲いてくれるので、桜を楽しむ期間が長くなり、得した気分になります。

春になって、嫌なことが1つあります。我が家のアパートは、廊下側の玄関に、植栽用のプランターがあり、柴の木を植えている所が多いのです。アパートが売りに出された時は、全て柴の木が植えられていたからです。春になると、柴の木が花を咲かせます。この花の臭いが、なんとも言えない嫌な臭いなのです。この臭いが、ずっと廊下に漂って、逃れることが出来ないのです。

今日は、土手下の道を、時々河原に出ながら、聖蹟桜が丘まで歩き、眼科へ行って定期的な目の検査をしてきました。

1時頃に家を出て、第八中学校の所から、河原に下りました。冬枯れの荻の原から、砂利の河原に入り、流れの縁まで行くと、小鴨が6羽と鷭が10数羽、流れの中に飛び出してきました。どうやら私が、安眠を妨害したようでした。多摩川への滞在も残り少なくなったのに、申し訳無いことをしました。鶯の鳴き声も聞かれるようになりましたし、今月末には、燕も飛んでくる季節になりました。もうすぐ春たけなわとなります。

土手下の道は、緑の島が大きくなり、蓬の新芽も見えるようになりました。緑の島には、必ずと言って良い程、イヌフグリ(犬陰嚢)の青い花が咲いていました。ヘラオオバコ(箆大葉子)、スイバ(酸葉)、オオキンケイギク(大金鶏菊)等の葉も随分大きくなりました。

鎌倉街道の関戸橋を渡り、この前、コブシが咲き始めているのに、梅の花が咲いていなかった公園に行きました。コブシは満開となり、公園の桜も開花しているのに、コブシの隣の梅は、まだ咲いていませんでした。こんな梅の種類もあるのですね。但し、蕾はピンクになって、今にもはち切れそうでしたから、一両日中に花が咲くでしょう。

眼科の診療室に着いたのは、2時20分でした。診療は2時半からでしたが、入室が許されました。私の前には、女性一人しかいませんでした。彼女も緑内障らしく、今日視野検査をするとのことでした。彼女の視野検査が済んだ時、後から来たお婆さんの片目だけの視野検査を、先にやれ背手欲しいと頼まれましたので、承諾しました。結局、私の視野検査が終わったのは、3時半でした。その後医者の診察と検査の講評は、10分で終わりました。眼圧が、前回14だったのが、今回は17だったので、目薬をちゃんと差しているか、注意されました。また、視野の方は、前年より、欠損が進んでいるとのことでした。また、左目の白内障も進行しているとのことでした。但し、生活に影響が無いのであれば、このまま様子を見ようと言うことになりました。診療を終えて、薬局で薬を貰った時には、4時になっていました。

聖蹟桜が丘で少しだけ買い物をして、更に近くの西友でも買い物をして、我が家に戻ったのは、6時近くでした。次男は、寝込んでいるようでしたので、昨日の残り物で、6時半頃から晩酌にしました。

7時から、池上彰と美輪明宏の、「日本の行方」に関する対談を見ました。美輪明宏は、同郷の長崎の先輩です。私が、大学生で上京する頃は、歌手として有名になっていました。但し、当時は、非常に希だった、性倒錯的なシスターボーイとしても有名だったので、好きになれない存在でした。現在は、80を越えていますが、非常に知識も豊富で、見識もしっかりしているようでした。原爆を経験したことから、反戦平和主義者のようにも見えました。日本の未来について、文化立国という考え方も、悪くはないと思います。しかし、文化がどの様にしてなり立ったのか、何処で生まれ育ったのか、きちんと頭に入れて欲しいと思いました。文化は、基本的に宗教や支配階級の中で生まれました。生きる為に、必死で働く必要の無い人達の産物です。現在、世界の観光地の殆どは、神社仏閣、お城、美術館の類いです。文化や観光は、生きる為にどうしても必要なものではないのです。経済が好調な時に発展するものであり、経済が低迷すれば、見捨てられるものです。従って、文化や観光で、安定的に国民を養うことは困難です。美輪明宏に限らず、文化立国を唱える人は、この事を考慮に入れて欲しいと思います。

 

「土手の道 春の兆しの 増え続け 緑の島には 犬陰嚢の花」

「桜咲き 辛夷満開 その隣 眠り続ける 梅もあるなり」

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2018年3月19日 (月)

2018年03月18日

2018年03月18日

 

 昨日と一転して、雲の多い朝となりました。朝早くは、富士も見えなかったのですが、暫くすると、富士が少しだけ顔を出し、直ぐに顔を隠してしまいました。それでも午後には、日差しがたっぷりでました。

 朝帰りの次男が、我が家の前の河原で、雉を見たというので、今日の散歩は、河原を辿って歩こうと思って、河原に出てみました。しかし、雉の鳴き声もせず、姿が見える気配もしなかったので、急遽考えを変更して、高尾梅郷を歩くことにしました。柳の新緑は、見事でしたが、、、。

 高尾からバスで終点の小仏まで行き、そこから歩いて高尾に戻ることにしました。高雄に着いた時、運良く小仏行きのバスが出る所でした。日曜日のせいもあって、バスは超満員でした。私と同じような考えをする人が、多いようでした。バスから見た高尾梅郷は、至る所で梅が満開でした。小仏には、丁度2時に着きました。小仏のバス停には、既に登山を終え、高尾山から下りてきた登山客の長い行列が出来ていました。

 先ずは、小仏駅から少し先の寶珠寺へ行きました。この寺の墓地にも、梅が沢山あるのです。この寺は、小仏谷の奥にあるので、湿気が多いのでしょう、石垣も梅の木も苔で覆われていました。この石垣の苔の上に、紅白の椿の花が落ちていました。苔に覆われた幹の先で、花を付けている梅の写真をを撮りました。今日のテーマを「苔と梅」にしました。

 寶珠寺を後にして、南浅川の源流である不動の滝、浅川神社に立ち寄り、小仏街道に戻りました。バス停の手前で、未だ咲いている節分草を見つけました。山奥の谷では、今が節分の陽気かも知れません。最初の民家が出て来た所の浅川の縁に、梅並木があり、浅川の横を中央線が走っていました。梅と電車の写真を撮りたかったのですが、5分以上待っても来ないので諦めました。この梅並木の1箇所から、水が勢いよく放水されている所がありました。大男の放尿のようでした。梅と電車ではなく、梅と放尿の写真を撮りました。

 更に小仏街道を下りて行くと、民家が増えてきて、民家の石垣や庭に、タマスダレ、ムスカリ、スイセン、ショカツサイ、カタバミ、スミレ、ヒメツルソバ、ミツマタ、コブシ、モクレン等、様々な花が咲いていました。なんとカタクリの花も咲いていました。興奮したせいか、カタクリの名前が出てこず、焦りましたが、クリ、クリと呟いている内に名前が出て来てほっとしました。小仏街道には、ピンク色のコブシが咲いていました。

 摺指の方まで下りると、友人である彫刻家のアトリエがありますが、ここ3年以上、彼がアトリエに来た気配はありません。彫刻はずっと野ざらしでした。直ぐ近くに、有名な摺指豆腐がありますが、今日は殆どが売り切れでした。バスから見た時は、沢山の客が並んでいました。暫く歩くと、右手の林の中に梅林が見えました。林の中に、霧が棚引いているようでした。

 駒木野関所跡の公園では、毎年のことですが、山茱萸と梅が揃い咲きしていました。近くで白木蓮も咲いていました。高尾梅郷は、梅郷の名に恥じない所だと思います。小仏から高尾まで、切れ目無く、梅が咲いていました。約時間半、満開の梅を見ながら歩きました。目一杯、腹一杯、梅を楽しみました。

 小仏からの浅川と高尾からの浅川が合流する所から、高尾山口の方へ歩き、高尾山に来たら必ず寄ることにしている、大学時代の職員A氏の家に行きました。玄関は開いているのに、人の気配がありませんでした。声を掛けようかと思った時に、裏手から人が現れました。多分A氏の弟だと思います。「〇〇さんですね、Aは、今昼寝をしています。普段、今頃は起きる時間なのですが、今日は、用が有り、ついさっき寝たばかりです」と言われました。無理に起こしてまで会う用はありませんので、今日の所は、辞去することにしました。

 高尾山口から、京王線で我が家に戻りました。6時近くでした。7時近くから、晩酌にしました。8時からは、平昌パラリンピックの閉会式を見ながら、酒を飲みました。次男は、昨晩飲み過ぎたらしく、食事をして、ジュースで付き合ってくれました。日本人が大いに活躍し、暇な私を楽しませてくれた、冬のオリンピックも終わってしまいました。

 

「冬枯れの 荻の河原に 柳立ち 春を先導 新緑の灯」

「裏高尾 谷1杯の 梅の花 梅見の客も 谷を埋めおり」

「落ち葉積む 山の小径の 道脇に 春の日浴びる 節分草かな」

「谷の奥 梅の古木に 苔の生え 緑の幹に 映える白梅」

「浅川に 放水される 谷の水 大男の 放尿もどき」

「春の日に 梅を見ながら 放尿す それが出来たら 至高の喜び」

「突然に 姿を見せた 君の名が 出てこぬ程に 君は美し」

「花弁を 後ろに纏め ポーズ取る 春の妖精 カタクリの花」

「石垣で ひっそり花咲く 姫蔓蕎麦 傍若無人な 君とは思えず」

「黄水仙 私が主役と 胸を張り 玉簾等を 見下ろしており」

「土筆ん坊 周りを囲む 仏の座 万葉からの 春の訪れ」

「菫さん そろそろ出番と 思う日に 願い叶える 君の優しさ」

「桃色の 辛夷の花が 梅と共 花を咲かせる 高尾梅郷」

「浅川の 森の向こうの 梅林 森に漂う 梅霞かな」

「梅と苔 仲良く花咲く 梅古木 時が作りし 自然の贈り物」

「駒木野に 梅と山茱萸 白木蓮 春告げ花の 揃い咲きかな」

「尾根筋の 櫛の歯状の 冬木立 早く芽吹けと 梅が急かせる」

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2018年3月18日 (日)

2018年03月17日

2018年03月17日

 

 快晴の朝でした。富士の白嶺が、七生丘陵の上に輝いていました。富士がこんなにすっきり見えるのは、空気が冷たく乾燥している冬日に多いのですが、今日は、初夏の陽気から冬日に戻ったように、空気の冷たい朝でした。

 今日は、藤沢で大庭山賊男声合唱隊の「男の心唄」を聞きに行きました。私の大学の同期で、グリークラブに入っていた友人が、この合唱隊のメンバーなのです。入場券を送ってきました。

 府中の街中にある偁名寺に行った時、その寺が時宗であることと、時宗の総本山が、藤沢の遊行寺(正式名―清浄光寺)だと知りました。それで、何時ものように早めに出て、藤沢に行きました。音楽会は、午後2時半からでしたが、藤沢に着いたのは、1時でした。遊行寺あるところが、南口だと言うことは分っていたのですが、行き方が分らないので、丁度、日蓮宗のビラ配りをやっていた女性に道を聞くと、懇切丁寧に教えてくれました。

 教えられた通り、ものの10分程歩いて、境川に架かる藤沢橋の交差点に出ると、目の前に大きな遊行寺の伽藍が見えました。遊行寺の参道の両脇に真徳寺と真浄院という時宗の寺がありました。御朱印を頼んでみましたが、両方とも御朱印はやっていないとのことでした。目の前に総本山があるので、当然かも知れないと思いました。

 広い境内に、本堂が、でんと座っている状態で、殺風景な感じもしましたが、横の中雀門から入った御番方には、放生池もあり普通の寺の雰囲気がありました。池の前には、見たこともないような大きさの白木蓮が、丁度見頃でした。隣の寺務所に行って、御朱印を頼むと、若い修行僧が出て来て、快く引き受けてくれました。一遍上人の絵付きの御朱印でした。

 大銀杏や大楠等、巨木が多い境内や墓地を散策していると、娘から電話がありました。昨日、姑の大腸癌の手術は成功裏に終わり、早くも今日から歩行訓練が始まったようです。私の出の時を思い出しましたが、ともかく良かったです。

 遊行寺の見学を終えて、音楽会の開かれる藤沢市民会館大ホールに着いたのは、2時10分頃でした。なんと会場は、ほぼ満席でした。観客の平均年齢は、75~80と思われ、全ての人が私より年上に見えました。2時半に音楽会は始まり、大庭山賊合唱団の面々も舞台に現れましたが、この平均年齢も、観客と同じ位でした。その為か、音楽会は、合唱団と観客の間に距離感のない、温かい雰囲気の素敵なものになりました。合唱団と観客で、「仰げば尊し」を合唱しました。合唱隊の最後の曲が、「時代遅れ」でした。思わず涙が零れそうになりました。今、一緒に住んでいる次男が、中学生の頃に、誕生日プレゼントとして贈ってくれた曲でした。歌詞が、私の生き様を写しているようでした。私達の年代は、皆、時代遅れになりました。しかし、私達の時代には、良い思い出が一杯詰まっています。この合唱隊の座右の銘が「夢見る頃を過ぎても!」であることも、素晴らしいと思いました。いかなる年代にも、それ相応の初心は出来るものです。「唄わないより、唄った方が幸せだ」という合唱隊の心意気で、どうか何時までも唄い続けて、観客である私達も幸せにして欲しいと思いました。

 私の友人の縁で、メキシコアミーゴ会の会員が5名、他に1名が観客としてきていました。音楽会が5時に終わったので、皆で軽く一杯飲むことになりました。開店が5時半からと言うスペイン料理屋に、料理は5時半以降に頼むので、取り敢えず酒だけ飲ませて欲しいと頼み込み、承諾して貰いました。音楽会のこと、海外生活のこと、最近の政治のこと、老人達が、俺が俺がと争うように話し、8時半位まで、飲んでしまいました。楽しい1日となりました。

 

「一夜明け 初夏の陽気が 冬の日に 寒空に立つ 富士の白嶺よ」

「青空に 見上げる程の 白木蓮 時宗本山 遊行寺の春」

「誰も皆 白髪頭の 合唱隊 観客同じく 白髪で満席」

「誰も皆 夢見る頃は 過ぎたれど 年相応の 夢を見るかな」

「誰も皆 時代遅れに なりたれど 生きた時代の 思い出楽し」

「誰も皆 老いて新たな 初心持つ 何時も挑戦 楽しく生きよう」

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2018年3月17日 (土)

2018年03月16日

2018年03月16日

 

 どんよりと曇った朝でした。午後からは、霧雨のような雨まで降ってきました。

 昨日開花した、我が家の正面の桜は、早くも3分咲きから4分咲き程度になりました。昨日が、暖かかったからでしょう。

 森友学園への国有地売却問題に関し、佐川前財務省理財局長を証人喚問するそうです。官僚が悪いことをするのは、殆どが政治家がらみです。今度の森友学園問題も陰に陽に、政治家が絡んでいるのは間違いないでしょう。私は、この政治家の絡み方が、単なる金銭的絡みだけでなく、右翼系の団体、日本会議の影響を受けた、国家の政策絡みであることを伺わせる事が、何よりも大きな問題だと思っています。

昭恵安倍総理夫人が、日本会議メンバーの籠池氏が経営する幼稚園に行き、教育勅語を暗唱する園児を見て感涙したそうです。この時点から、私は寒気を感じます。日本会議の人達は、「美しい日本の再建と誇りある国づくり」を目指しているようですが、安倍総理も「美しい国へ」という本を書いています。しかし、彼等が考える美しい国日本は、国民が作る国家では無いような気がします。美しい国日本は、神話の時代から決まっていて、国民はそれに従うだけの存在としか思われていないと考えます。従って、国民が、以前から決まっている国家観に逆らえば、当然、社会的、国家的罰を受けることになります。これは、終戦前の時代への逆行を意味します。戦後、国民が手に入れた民主主義、すなわち国民主権は、葬り去られてしまうのです。現在は、民主主義の時代ですから、言論の自由が保障されており、日本会議の考え方を、頭ごなしに否定することは出来ません。大切なのは、国民が民主主義の大切さを意識し、民主主義を軽んじる政党には投票しないと、民主主義を守る国民の力を行使することだと思います。

 

 今日は、午後から、傘が要らない程度の雨が降り、当然日差しは全くないので、散歩は取りやめ、1日中、家の中で過ごし増した。朝のテレビ番組「わろてんか」は、国家による国民生活の統制時代が描かれていました。そして、夜のBSテレビでの「点と線」は、松本清張の代表作ですが、東京オリンピックの為の土地買収に絡む、国家ぐるみの汚職による殺人事件でした。汚職の当事者が、汚職に深く関わった官僚を、自殺に見せかけて殺し、最後は、政治家を守る為、自分は自殺する話しです。現在の社会状況とダブっているような気がしました。

 今回の森友事件で、既に官僚の自殺者が出ています。来週は、当時、この問題を担当した佐川財務官僚の国会喚問が行われます。佐川氏が、自殺に追い込まれないことを願っています。野党も、佐川氏だけを責めるのではなく、裏に存在する政治家や右翼系団体についても、きちんと追求して欲しいと思います。官僚が勝手に忖度して、官僚だけが悪いことをやった、そんな結論だけにはしないで欲しいと思います。官僚は、政治家に対しては、弱い立場の人間なのです。

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2018年3月16日 (金)

2018年03月15日

2018年03月15日

 

 雲の多い朝でしたが、時々日差しもありました。午後からは、強い南風が吹いて、春の嵐となりました。

我が家にも春がやって来ました。山椒が芽吹き始め、目の前の桜が開花しました。1月の終わりの頃から今日まで、しぶとく咲いていた黄梅が、今日の春の嵐で、全ての花がなくなりました。迎春花と呼ばれる花ですから、そろそろ役目が終わる頃だったと思います。

13日と14日の日記を書き終え、散歩に出かけようとしたら、今朝洗濯して物干しロープに干した、シャツ3枚がなくなっているのに気がつきました。ベランダに出てみると、2枚はベランダの中に落ちていましたが、1枚は、ベランダの横の桜の木に、引っ掛かっていました。上の方の洋服棚から、洋服を取る為の、長い暴を持って桜の木の下に行きましたが、この程度の長さの棒では、届く位置ではありませんでした。むしろ、ベランダからの方が近いようでした。家に戻って、何か長い棒がないか考えて、釣り竿を思い出しました。磯釣りに使う長い竿でした。順番に引き延ばすと、充分にシャツに届く長さとなりました。先端の細い部分は引き出さず、その部分にビニールテープの粘着部分を表に出して巻き付け、シャツが釣れるように工夫しました。そして、強風にはためいているシャツを、たいして苦労することなく、釣り上げることが出来ました。

この釣り竿は、唯一の父の形見です。父と魚釣りをした思い出は、2回しか残っていません。最初は、父が長崎の西彼杵半島の神浦に転勤した時、川釣りに連れて行って貰いました。小学校6年生だったと思います。その時に釣った魚が、私が生まれて初めて釣った魚でした。その時の竿は、今日の竿ではなく、細く短い竹竿でした。魚が掛かった瞬間は、直ぐに分りました。大興奮してしまい、魚を釣り上げるのではなく、空中に放り上げて、後ろの地面に叩き付けてしまいましいた。釣れた魚は、鮠(ハヤ)でした。もう一度は、小舟を借りて、海で鰺を釣りに行きました。父が、長崎に近い式見の学校に転勤した時でした。私が、中学生の頃だったと記憶しています。この時は、竿を使わず手釣りでした。クーラーボックスが1杯になる位釣れました。その後、父と行動を共にすることは殆ど無くなりました。しかし、父の形見の釣り竿は、ペルー、エクアドルの磯釣りで活躍しました。

シャツ釣りが終わって、3時頃から散歩に出ました。所が、物凄い風で、気をつけて歩かないと、蹌踉けて転びそうでした。昨日の山行で腿も痛いし、四谷橋の途中から引き返して、西友で買い物をして帰りました。

今日は、次男も私も予定がなかったので、二人で酒の肴を持ち寄って、晩酌にしました。野球やテニス、ペルーでの釣り、欧州旅行、森友学園の問題等、話に花が咲いて、あっという間に寝る時間になってしまいました。

ペルー時代は、次男が幼稚園生から小学校1年になった頃でした。ペルーから思い出が残っているようです。ペルーでは、毎週のように日曜日に釣りに出かけました。一番多く釣れたのが、ペヘレイでした。ぺへ(魚)、レイ(王)、つまり、魚の王様という名の魚でした。キスの仲間で、ペルーの海岸の何処にでも居ました。釣り糸に7本位の針をつけ、竿で遠くに投げると、ほぼ7匹釣れました。それ程良く釣れたのです。ゴルフボールに針と糸を付けて、海へ向かってゴルフボールを打つというようなこともやっていました。海岸で油を熱して、釣った魚を直ぐ揚げて食べました。残った骨を更に揚げて食べました。この骨が、一番美味しかったような気がします。ここで釣りを知った次男を、日本に帰って、川釣りに連れて行ったのですが、余りの釣れなさに、その後、魚釣りに行こうと言わなくなりました。

 

「目の前の 桜の開花 始まりて 山椒芽吹く ベランダの春」

「冬最中 花を咲かせた 迎春花 春の嵐に 最後の花散る」

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2018年3月15日 (木)

2018年03月13日

2018年03月13日

 

 良く晴れた朝でしたが、富士の見えない朝でした。春霞が、始まったようです。今日3月13日は、サンドイッチの日らしいです。3と3で1を挟んでいるからだそうです。

 森友学園に対する国有地売却問題は、日本の現在の政治の、非常に嫌な部分を公にしました。森友学園が、その名を聞いただけでも寒気がする、皇国日本を目指しているようなので、戦後手に入れた信教の自由や、象徴天皇のあり方等が、戦時中の考え方に戻らないようにして欲しいと思います。政治家と右翼系団体、政治家と国家公務員などの関係が、憲法を遵守した形になるように、出来るだけきちんと膿を出し切って欲しいと思います。

テレ朝は、この問題の特集を何度もやっていますが、その度に、解説者として呼ばれるT氏は、私は好きになれません。他の出演者からの質問が、核心に触れようとすると、焦点をぼかしてしまうような発言を繰り返すからです。意図的なのか、彼の体質なのか分りませんが、聞いていて非常に不愉快です。世の中には、このような話し方をする人がいるという例示としては、良いかも知れませんが、、、。

 今日は、夕方から大学のOB会関係の会議が、6時半から行われるので、少し早めに家を出て、築地本願寺へ行って来ました。

午後3時半に家を出て、築地本願寺には、5時5分に着きました。築地本願寺は、浄土真宗の寺で、御朱印は扱っていないらしいのですが、その代わりにスタンプが有ると聞いていました。守衛の所に行って、スタンプの置き場所を聞いた所、本堂の中に置いてあるとのことでした。残念ながら本堂が開いているのは5時までで、丁度閉まったばかりでした。また、別の日に来ることにしましょう。

築地本願寺から、晴海通りを一直線に、数寄屋橋まで歩きました。この辺りの表通りからは、電信柱と電信線がなくなりました。やっと先進国の町らしくなりました。出来るだけ早い時期に、日本全国から、電信柱と電信線を無くして欲しいと思います。新規に住宅地を開発する時には、電線を地中に埋めることを前提に、開発を許可して欲しいと思います。

午後6時半から、予定通り会議が始まり、8時半に終わりました。サンドイッチだけの軽食で、会議をしましたので、お腹も空きましたし、今日は、新しい委員が決まりましたので、結局、飲み会となりました。何時もの老夫婦の店に行き、美味しい摘まみで、美味しい酒を飲みました。委員の一人が、会議の後、飲み会があるので、大学のOB会の仕事を、ボランティアでやれるといっていましたが、まさしくその通りだと思いました。大いに飲んで、結局家に帰り着いたのは、11時を過ぎてしまいました。

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2018年03月14日

2018年03月14日

 

 今日は、山の仲間と奥多摩の雷電山に登りました。何時ものように、75調の紀行文から、一日の様子を想像して下さい。

 

雷電山紀行

 

「山中間 同じ電車に 乗り合わせ 九人全員 軍畑駅」

「下見した 仲間が配る 工程表 今日の歩きが 一目で分る」

「早春に 晩春並みの 暖かさ 上着を脱いで 歩き始める」

「暖かき 日差し浴びつつ 山里の 野草花咲く 長閑な風景」

「花粉症 マスク外せぬ 人ありき マスクしてても くしゃみ連発」

「村道を 離れて始まる 登山道 杉の林の 急坂登る」

「急坂に 話しの声が 途絶えがち 息使いのみ 大きくなりぬ」

「黙々と 登れば何時か 辿り着く 最高地点の 雷電山頂」

「山頂で 記念撮影 皆笑顔 シャッター下りず 笑顔強ばる」

「もう一度 記念撮影 皆笑顔 シャッター押せども カメラ天向く」

「諦めず 記念撮影 皆笑顔 漸く成功 笑顔解ける」

「今日の道 トレイルランの コース道 間近に迫った トレイル大会」

「老人が ぼちぼち歩く 山道を 駆け抜けて行く 若者多し」

「杉の木 林の中に 苔の岩 跡形も無き 辛垣城趾」

「歩けども 更に歩けど 杉檜 飛び交う花粉 逃れる術無し」

「幾度も 連なる尾根を 越えたるも 見晴らし悪く 昼餉遅れる」

「少しだけ 下界が見える 尾根筋で 待ちに待ちたる 昼餉となりぬ」

「昼餉終え 鋭気補強し いざ下山 無事に下山し 次は宴だ」

「道標に JR古里線の 表示あり 送電線の 名前でありしか」 

「山裾の 雑木林の 隙間から 人里見えて 終わりも見える」

「青梅市の 名前の由来の 梅が有る 行かずばなるまい 金剛寺かな」

「金剛寺 山門横に 満開の 河津桜が 我等迎える」

「境内の 青梅名物 梅の木は 自然の手になる 野梅なりとか」

「青梅市は 家並みの中に 梅多し 梅を愛する 人の多かり」

「駅までの 道の途中に 稲葉邸 江戸から続く 屋敷跡なり」

「日は高く 青梅駅前 昼休み 今日の宴は 立川駅で」

「行きつけの やるき茶屋にて 先ずビール ふーっと一息 今日に乾杯」

「一日を 仲間と共に 山歩き 老いたる日々の 輝く一日」 

 

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2018年3月13日 (火)

2018年03月12日

2018年03月12日

 

 快晴の朝でした。富士がくっきりと見えていました。こんなに綺麗な富士は、2日に西湖に行った時以来ではないでしょうか、久し振りのような気がします。

 テレビのニュースで、森友学園に対する国有地売却問題で、財務省の近畿財務局が作成した関係文書を、財務省の何処かで改竄したしたことが、明らかになったと報じていました。改竄の趣旨は、国有地売却に関し、安倍総理夫人の関与を消去する為に、その他の部分も書き換えざるを得なかったようです。改竄される以前の文書は、私が見ても、どうしてこれ程詳しく、売却の経緯を書かなければならなかったのか、不思議に思うような文書でした。これは、近畿理財局全体が、違法な行為をやらされているとの、罪悪感と責任逃れが存在したことを伺わせるものでした。昨日のニュースで、国有地売却に関係した財務局の職員が、自殺したことも知りました。

 国家公務員、特に行政関連の国家公務員は、国家の雇われ人です。国民が選出した国会議員が組織する行政の責任部門である内閣が行う、行政の手助けをするのが、彼等の仕事です。しかし、手助けと言っても、総理や国務大臣等、内閣の国会議員からの命令を実行するのではなく、法律に従って、内閣が目指す行政の手助けをするのです。従って、内閣は、目指す行政を実施する為には、その趣旨を明確にした法案を作成し、国会の承認を得なければなりません。これが、憲法が定めた、国家の運営の基本だと思います。

 今回の事件は、重大な憲法違反だと思います。近畿財務局の罪悪感の根底にあったのが、この罪悪感だったと思います。昔から、国家公務員がらみの事件は、数多くありました。従って、公務員の全てが、法律に従って公正な仕事をしている訳ではないと思いますが、以前は、公務員には公務員なりのプライドもあったと思います。それは、日本国憲法を、一番身近に接している自分達が守るのだ、というプライドだったと思います。以前は、このプライドが強かった故に、国会議員も一目置かざるを得なかったのですが、どうも最近、このプライドが薄れてきているのではないでしょうか、今回の事件を憲法問題として、きちんと解決し、公務員が再度プライドを持って仕事が出来るようにして欲しいと思います。公務員が、憲法が定めている民主主義を守らないと、国民主権を無視した戦前の政治に戻る可能性があります。

 

 今日は、5時に妻と神楽坂で会うことになっていましたので、少し早めに出て、四谷から飯田橋まで、外濠に沿って歩きました。

 我が家を2時過ぎに出て、四谷に3時半過ぎに着きました。四谷駅から、外濠公園に入りました。公園の土手には、イヌフグリ等、お馴染みの春の花に加えて、烏の豌豆(カラスノエンドウ)が花を咲かせていました。もう何が咲いていても、不思議では無くなりました。公園から、外濠通りに出ると、強烈な香りが鼻を突きました。通りの並木の下は、全て沈丁花が植えられていて、今まさに満開でした。この沈丁花の通りは、市ヶ谷まで続きました。

 市ヶ谷を過ぎた濠には、恐らく70羽を越えるキンクロハジロが泳いでいました。更に、次の濠には、50羽近いハシビロガモが泳いでいました。このハシビロガモは、10数羽集まって、渦を巻くように泳ぐのです。濠には、3つの渦が出来ていました。以前にも、この濠で渦を見たことが有ります。今日この道を散歩したのは、この渦を見たかったからでも有ります。

その後、都会に出るとどうしても気になる、濠に映る高層ビルの写真を撮ったりして、妻と待ち合わせ場所である神楽坂には、4時半に着きました。妻が、夕食には早いというので、近くの喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら、共通の友人の病気の話しなど、あれやこれや、話をしました。

その中で、矢張り近畿財務局の書類改竄も話題になりました。妻も、今回の事件は、非常に腹立たしく思っていました。話しが合ったり合わなかったりしましたが、妻の意見で面白いものが有りました。歳を取った頭の固い老人ばかりが、国政を担うのは、古い考えから脱却出来ないし、国政を私的に利用することばかり考えると言っていました。従って、フランスのように小泉進次郎のような若手を、総理にしても良いのではないかと言っていました。若者の方が、理想を追うものだとも言っていました。日本は、フランスのように大統領制ではなく、議院内閣制なので、年寄りが幅をきかせ、若者が活躍するのは難しいですが、非常に的を射た面白い意見だと思いました。日本も、大統領制採用を、一度議論しても良いと思いました。

6時過ぎに、喫茶店を出て、スペイン料理に行きました。妻は、パン・デ・チャパータを焼いているスペイン料理屋を期待していたのですが、残念ながら、今日の店では焼いていませんでした。妻は、スペイン領のカナリア諸島で食べた、パン・デ・チャパータの味が忘れられないのです。しかし、生ハム、ニンニクスープ、トルティーリャ、白子のアヒージョ、イカの墨煮、パエージャを食べながら、酒飲みの私に付き合ってくれました。9時過ぎまで、妻との3週間ぶりの逢瀬を楽しみました。

 

明日は、山行が予定されていますので、13日、14日の日記は休みます。

 

「多摩よりも 都会の公園 早く咲く 薄紫の 烏の豌豆」

「ビル並ぶ 大東京の 並木道 強き香りの 沈丁花の花」

「江戸の頃 見附が並ぶ 外濠に 姿を映す 摩天楼かな」

「外濠に ハシビロガモの 渦泳ぎ 水面に3つの 渦を作れり」

「妻と会う 偶の逢瀬に 胸躍る 形は自由 老いの道行き」

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2018年3月12日 (月)

2018年03月11日

2018年03月11日

 

 今朝も雲の多い朝でした。しかし、夕日が沈む頃には、雲1つ無いような、素晴らしい天気になりました。

 今日は、3月11日、東日本大震災から、丁度7年目となります。震災に関係の有る各地で、色々な記念行事が行われたようです。テレビも震災に関する特集番組を始め、震災関連の番組が多く見られました。日本は、震災大国ですから、私が生きてきた70数年の間に、伊勢湾台風、阪神淡路大震災、中越地震御嶽山の噴火等々、様々な自然災害が、発生しました。その中で、群を抜いて大きな災害だったのが、東日本大震災だったと思います。天災としての、地震・津波の他に、福島原子力発電所の崩壊という人災まで引き起こしました。この原子力発電所の崩壊が、自然災害に加えて、自然災害に勝る悲劇を、福島の住民に与えました。多くの人が、故郷を離れざるを得なくなったのです。友人を失い、生活基盤を失い、将来を失いました。7年経った現在も、多くの問題が積み残されたままです。この問題に対して、精神的な解決を述べる人や、現実と隔たりの大きい希望ばかりを述べる人がいますが、現実的に解のある論理的議論をして、現実的に対応して欲しいと思います。例えば、故郷を離れた人の年齢構成や故郷を離れた後の職業の選択などから、故郷へ帰って来ることが出来る人が何人いるのか、返って来た人が高齢者の場合、生産への関与は期待出来ず、介護の必要性のみが発生するのであれば、全部の村を復興するのでなく、場合によっては廃村も検討から排除してはならないと思います。私は、復興というのは、昔の戻すのではなく、新しい生活基盤を作ることだと思っています。

 今日、散歩に出かける頃は、曇り空だったので、近場の桜ヶ丘方面を歩いて来ました。

 午後2時過ぎに、近くの四谷桜公園に行きました。この公園に、紫の花の束を下げたような、桜が咲いていました。満開の状態ですが、華やかさも美しさも感じません。何と言う名前の桜なのでしょうか、どうしても好きになれない桜です。後で調べたら、寒緋桜または緋寒桜というそうです。その後、四谷橋、一の宮、宝蔵橋を歩いて宝泉院に出ました。宝泉院の梅は、盛りを過ぎようとしていましたが、大観音の下で、紅白の梅の木が花を咲かせていました。また、墓地の入口には、私と同じ姓の墓がありました。そこから、東寺方に入り、寿徳寺に行きました。

 寿徳寺には、立派な枝垂れ梅が、黒ずんだ本堂の前にあり、なかなか良い雰囲気で咲いていました。本堂の横から、墓地へ登る所に、一寸した梅並木があり、その中に紅白の花が同じ木に咲く梅がありました。郷土の森公園にも同じ種類の梅があり、特別な名前がついていたのですが、私が行った時は、白梅しか咲いていなかった為、名前を写真に撮るのを忘れてしまいました。後で調べて見ると、日月(じつげつ)という種類のようです。しかし、郷土の森公園では、違った名前もついていたような気がします。

 寿徳寺では、もう一つ、木蓮そっくりの花が、常緑の木に咲いていました。木蓮が、常緑の木に咲くと言うのが、とても不思議でした。その木には、「招霊」という名札が下がっていました。しかし、それが名前だとはとても信じられませんでした。仏教上の渾名のようなものだと思っていました。所が、後で調べて見ると、木の名前は、オガタマノキで、その漢字の当て字の1つでした。ウィキペディアの説明文を紹介します。「オガタマノキ(黄心樹・招霊木・小賀玉木 学名:Michelia compressa)は、モクレン科オガタマノキ属の常緑高木。日本に自生するモクレン科では唯一の常緑樹である。別名オガタマトキワコブシ今日は、3つも花の名前について勉強しました。

 寿徳治から、桜が丘に登り、1,2,3丁目を歩いて、多摩市役所に出ました。この頃は、快晴に近い天気になり、すっかり春の陽気になりました。市役所から、バスで、聖蹟桜が丘に出ました。次男が、昨日から仕事を辞めて、家に居るので、餃子、焼売を酒の肴の1つとして買って帰りました。

家の近くに、四谷下堰緑地があり、クヌギやニセアカシアの林があり、彼岸花の名所でもあります。今日、この緑地を見ると、林の中の小径がアスファルトで舗装されていました。何故、舗装が必要なのか、全く分りません。小さいながらも、林の雰囲気が合ったのに、台無しになってしまいました。

夜は、次男と飲もうと思ったのですが、次男は昨日飲み過ぎたらしく、今日は、禁酒するというので、次男と話をしながら、一人で飲みました。

 

「寒に咲く 寒緋桜の 名前良し されどその花 好きにはなれぬ」

「歴史旧り 黒ずむお堂に 枝垂れ梅 歴史と似合いの 梅の花かな」

「同じ木に 紅白の梅 揃い咲き 名前は日月 言い得て妙なり」

「寿徳寺 阿弥陀如来の 功徳呼ぶ 招霊木の 白き花かな」

「多摩の里 自然の名残 消えていく 林の小径を 何故舗装」

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2018年3月11日 (日)

2018年03月10日

2018年03月10日

 

 余りすっきりしない朝でしたが、昼近くになって、晴れ間が出て来ました。今日は、出かける前に、大量の洗濯をしました。

 今日は、3つの予定が重なってしまいました。メキシコ勤務経験者の集まりであるアミーゴ会、大学のクラブのOBの集まり、スペイン語による百人一首の会でした。結局、百人一首の会は、欠席することにしました。

 アミーゴ会が、11時半から始まるので、我が家を10時に出る必要がありました。朝6時半に起きて、朝食の用意をして、朝食を取り、洗濯をして、昨日の日記を大急ぎで書きました。午前中の予定が有ると、何時も大変なことになります。

 アミーゴ会の会場には、11時20分、会場である、銀座のTOROというメキシコ料理店に、計ったように着きました。既に、懐かしい顔が、沢山ありました。メキシコ時代以降、初めて再会した人もいました。予定通り、11時30分から、総会が始まり、12時15分頃から、食事・懇親会になりました。総会の時、少し悲しい知らせがありました。アミーゴ会の会員は、今から、25年前から35年前にメキシコで活躍した人が中心になっており、若い人の新規加入は殆ど無く、平均年齢が、75を過ぎてしまいました。毎年、10名位ずつ、会員の自然減があり、当然会費収入も、その分だけ落ち込んでいるそうです。思い出を共有する人達の集まりですから、やむを得ないことではありますが、寂しい気持ちは、拭い去ることは出来ませんでした。参加した人も、明日は我が身と言える程、歳を取ってしまいました。

 今日の懇親会には、マリアッチ楽団が参加してくれて、懐かしいメキシコの歌を歌ってくれて、大いに盛り上がりました。シエリトリンド、マラゲーニア、ラクカラーチャ、ラバンバ、ベサメムーチョ等、メキシコで何時も、何処ででも聴いた曲でした。多くの人が、それぞれの人生で、働き盛りの時期をメキシコで過ごしました。誰にとっても、メキシコは第2の故国、第2の故郷になりました。思い出と再会を大いに楽しみました。

 午後2時半に、懇親会が終わりました。もう少し、腰を据えて飲もうと思ったのですが、皆歳を取って、三々五々帰っていきました。次の予定は、四谷で午後5時半からでしたので、懐かしい、東京散歩をしました。

 メキシコ料理店から、山手線のガードを潜ると、帝国ホテルでした。2度程止まったことがあります。今日は、トイレを借りに立ち寄りました。帝国ホテルも前は、日比谷公園です。日差しが出て、春の陽気になった公園を、ゆっくり散歩しました。公園の前には、超大型の超高層ビルが誕生し、風景が変わりました。ずーっと以前は、ここにあった三信ビル内に、職場のクラブがあり、何度も通いましたが、クラブが虎ノ門に移って、縁が遠くなっていました。

 日比谷交差点に出て、日比谷濠を歩きました。帝国劇場の前の濠には、鴎が数羽、飛んだり泳いだりを繰り返していました。直ぐ横の石垣に水面に届くような松の木がありました。そこに、白い梟のような鳥が止まっているように見えました。私は目が悪いので、通りがかった若者に見て貰いました。若者が、「確かに鳥のように見えますね、今動いたような気がします」というので、取り敢えずスマホのカメラで、写真を撮りました。何時ものカメラを持って来なかった事を後悔しました。家に帰って調べて見たら、松の木の後ろの石垣に日が当たって、白い鳥のように見えたのです。動いたように見えたのは、風が松の葉を揺らしたからだと思います。

 桜田門に近くなった所では、小鴨、真鴨、鷭ヶ泳いでいました。桜田門を越えた桜田濠では、鷭、小鴨、キンクロハジロ、カイツブリが泳いでいました。彼等が、北へ帰るのも間近に迫りました。

 桜田濠の百合の木並木の下を、皇居ランナーに逆らって歩きました。濠の土手には、沢山の大きくなった蕗の薹が、今にも花を咲かせそうでした。半蔵門を超え、一旦千鳥ヶ淵を歩いて、国立劇場の方へ戻りました。最高裁判所の所で、右に折れ青山通りに入りました。そこから、国会議員宿舎を横に見て、弁慶橋に出ました。濠の隅で、小舟に乗って釣りをする人がいました。

 弁慶橋を渡り、清水谷公園、紀尾井坂、食い違い見附、真田濠と、青春の最も輝いた時期に良く通った道を歩いて、四谷の待ち合わせ場所に着きました。出来るだけゆっくり歩いた積もりでしたが、約束の時間の30分前に着いてしまいました。ビールを飲みながら待っていると、予定の時間の5時半に、今日の仲間全員がやって来て、いきなり飲み会が始まりました。

 大学のクラブの次のOB会長を誰にするか、どの様に若い世代に繋いでいくか、結構難しい話になりました。我々のクラブのOBは、飲むと筋道の通った話しが出来なくなる人間が多く、話しは紛糾しましたが、それが酒の肴のようなもので、訳の分らない話を楽しみながら、盃を傾け、久し振りの再会を楽しみました。

 酒は、8時半頃に終わったのですが、それでは満足出来ない人間がいて、酔い覚ましに、カラオケに行って、ひとしきり怒鳴って、お開きにしました。家に帰り着いたのは、12時少し前でした。長く楽しい1日でした。

 

「人生の 輝く日々を 過ごしたる メキシコ常に 最高の思い出」

「故郷を 遠く離れた メキシコは 異国と思えず 第2の故郷」

「松多き 濠の水面に ビルの影 大東京に 江戸の面影」

「江戸城が 葦原だった 頃からの 渡り鳥等が お濠を泳ぐ」

「青春を 同じ場所にて 過ごしたる 仲間と共に 青春に戻る」

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2018年3月10日 (土)

2018年03月09日

2018年03月09日

 

 明け方は、雨が残っていたのですが、8時頃には雨は止み、どんよりとした曇り空になりました。昨日から今朝にかけて、相当雨が降ったらしく、多摩川が、かなり増水していました。

 北朝鮮問題は、話し合いの糸口が掴めたようです。4月に、南北朝鮮首脳会談開催が決定し、5月までには、北朝鮮と米国の首脳会談が、行われる可能性が高くなりました。何はともあれ、顔を付き合わせて話すのが一番でしょう。そして、双方が少しずつ譲歩して、お互いが勝利したような状況を作り出す、それが外交の基本だと思います。

 今回の事態の好転は、平昌オリンピックに来た、北朝鮮の金永南氏と金正恩委員長の妹である金与正女史を、文在寅韓国大統領が、極めて丁重にもてなしたことが、きっかけだと思います。現在の韓国の大統領は、米国の大統領や日本の総理よりも、誠実な人柄のように見受けます。物事の裏ばかり見ていては、世の中良い方向には動かないと思います。平和への新年が必要です。

 私の本当の希望は、北朝鮮が世襲権力を止め、真の民主主義国家になる事です。しかしながら、焦り過ぎると、逆効果になるでしょうから、将来を見据えて、北朝鮮の国民に、民主主義の良さを根気よく知らせていくことが肝要だと思います。

 今日は、重苦しい空だったので、散歩に気乗りはしませんでした。光がないと良い写真が撮れないので、散歩の楽しみが半減するのです。しかし、家に居て、テレビばかり見るのは、更に嫌だったので、聖蹟桜が丘まで歩いて来ました。

 1時頃から、テレビで「追憶」と言う映画を見たのですが、余りに詰まらなくて、途中寝てしまいました。ロバート・レッドフォードは、大根役者だと思います。内容も良くありませんでした。映画が終わった、3時頃に家を出て、家の前の多摩川の土手を、関戸橋の方に歩きました。枯れた茅の白い道に、緑の小島が出来ていました。あと10日もすれば、島が次々に繋がって、緑の道に変わっていくでしょう。毎年目にする光景ですが、この変わらなさが、心に平穏を与えてくれるような気がします。

 関戸橋の仮橋工事が、本格化していました。6月末には、設置工事が完了するようです。そうすると、現在の関戸橋の下流側を架け替える、本格的な工事が始まると思います。東京オリンピックまでには、完成するのでしょうか、気になります。オリンピックまでは、生きようと思っていますから、、、。

 関戸橋を渡って右側の、用水路脇の公園に出ました。この公園の梅は、早咲きの梅で、早くも花が散り、芽吹きを迎えようとしていました。公園の先の家の庭では、白木蓮が綻んでいました。また1つ先にも公園がありますが、この公園の梅は、まだ花を咲かせおらず、隣に辛夷の花が咲いていました。何故かここだけ、花のバトンリレーが、上手く行っていませんでした。

 聖蹟桜が丘の駅へ着くと、あいおい損保ビルに掛けられていた幕が、一部、取り除かれていました。私は、我が家のアパートと同じような大規模修理を遣っていると思っていたのですが、今日見たら、以前のビルがなくなっていました。ビルの建て替え工事をやるそうです。聖蹟桜が丘の街も、また1つ変わります。私が生きてきた時代の全てで、このダイナミズムが続いているように思います。

 5時半頃家に帰って、6時半頃から何時もの晩酌をして、8時から、平昌パラリンピックの開会式を見ました。オリンピックもそうでしたが、素晴らしい光にショウでした。よくぞ、こんなにも素晴らしい演出が出来るものだと、毎回感心して見ています。これから、オリンピックもパラリンピックも、開会式と閉会式は、夜にしか出来ないと思いました。

 

「冬枯れの 茅がつくる 白き道 そこらここらに 緑の小島」

「白梅が 白木蓮に リレーする 毎年来たる 春の幕開き」

「早春の 辛夷の花が 開きても 未だ花付けぬ 頑固な梅あり」

 

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2018年3月 9日 (金)

2018年03月08日

2018年03月08日

 

 朝は、曇り空でしたが、直ぐに雨に変わり、その雨は、1日中降り続きました。今日は、散歩は出来ないと覚悟しました。

 テレビのニュースでは、トランプ大統領が、鉄鋼・アルミの製品に対して、輸入関税をかけることを報じていました。露骨な、保護貿易主義だと思います。これまで、米国は、米国産業のある分野に、多少の犠牲はあっても、グローバル経済を推進することに、熱意をしましてきました。世界の経済発展は、米国がリードし、世界の経済発展は、米国の経済発展を持続させると、信じていたのです。

 所が、トランプ大統領は、日米繊維交渉時代の経済政策に戻りました。当時米国は、日本が、多くの繊維製品を米国に輸出できるのは、コストを度外視したダンピングだと位置づけました。そして、関税ではなく、数量制限をしたのです。日本の多くの繊維産業が、破産したり規模を縮小したりしました。現在、鉄鋼製品に対して輸入関税を課すのは、中国の過剰生産で安くなった鉄鋼を利用して、各国が安価な鉄鋼製品を市場に出し、米国企業を苦しめているとの判断です。しかし、これは発展途上国を国際経済の一員とする為には、先進国が払う代償だと思います。発展途上国では、人件費や公共経費が安いのですから、安価に製品が出来るのです。それだからこそ、多くの先進国の企業が、発展途上国に生産拠点を移す訳です。生産コストを下げようとするのは、経済の基本原則だと思います。これは、単にコストを下げるだけではなく、当該発展途上国の、経済レベルを上げることになります。世界の経済レベルが上がることによって、先進国が恩恵を受ける場合の方が多いのです。これまで、米国が、その恩恵を一番受けたのではないでしょうか、私はそう思っています。

 今回のような経済政策が出される時、必ずと言って良い程、もう一つの理由があります。国防、つまり国家安全保障を確保すると言うことです。安い鉄鋼やアルミの輸入により、鉄鋼やアルミに関する、自国産業が衰退すると、戦闘機や弾道弾を作る材料に外国産の物を使わざるを得なくなり、いざ戦争が始まった時に、鉄鋼やアルミの輸入が止められ、戦争遂行能力がなくなると言う考えです。この考えは、国際経済に国防の観点から、保護貿易にせざるを得ないと主張し、国民受けするので、封じ込めるのは極めて困難なのです。

 トランプ大統領の経済政策は、世界経済を考えるに当たっては、極めて次元の低い考えのような気がします。彼が言う、アメリカ・ファーストは、実は、アメリカ・ホワイト・ファーストのように思えます。大統領の気持ちの奥底に、白人第一主義があるように思えます。彼が救いたいのは、プアーホワイトなのではないかと思います。以前、多くのアメリカの巨大産業は、多くの白人を雇い、富裕中産階級を作りました。それが、メキシコ等からの移民の増大、外国製の製品の大量流入によって、米国企業が、思うように儲けを出せなくなり、社員も安い給料の移民を使うようになりました。この結果、富裕中産階級は激減し、多くのプアーホワイトが、出現する様になりました。メキシコとの壁とか、特定のアラブ諸国からの入国禁止とか、トランプ大統領の政策を見ていると、アメリカ・ホワイト・ファーストが見えて来るような気がします。

 

今日は、雨の中を散歩する気になれませんので、1日中家の中で過ごしました。一日中、外に出ないと、気分も滅入ってしまいました。やることと言ったら、テレビを見る位で、録画してあった「007は2度死ぬ」を見ました。1967年公開だそうですから、私が社会人になった時に公開された、日本が舞台の映画です。1967年と言えば、東京オリンピックが終わって2年後で、オリンピックの為に建設された、ホテルオータニが映画に出て来ました。このホテルの回転式展望レストランで食事をするのが夢だったことがあります。もう、半世紀も昔の事になりました。「昭和は遠くなりにけり、墓場は近くなりにけり」です。

この映画を見ながら、毎回変わるジェームスボンドの相手役の女優の名前が出てこなくて、映画を見ている間中、気になって仕方がありませんでした。所が、終わりの頃になって、不意に名前を思い出しました。浜美枝でした。ビキニスタイルの海女役を何となく恥ずかしそうにやっていました。キスシーンもぎこちなくやっていました。それでも、当時、浜美枝は、日本人離れした、現代的な女優と言われていたような気がします。今、彼女は、どうしているのでしょうか、生きていたら顔を見てみたいものです。

 

「青春を 生きた昭和は 遠くなり 我が行く墓場は 近くなりけり」

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2018年3月 8日 (木)

2018年03月07日

2018年03月07日

 

 雲の多い朝でした。天気予報では、午前中は、日差しがあるようなことを言っていましたので、洗濯をしました。乾くかなと心配したのですが、午後も3時過ぎまで、日差しがあり、問題なく乾きました。

 今日は、今年3度目となりますが、郷土の森公園に行って来ました。これまでに行った時は、1,2割しか梅が開花しておらず、満足出来なかったのです。

 午後1時頃に家を出て、チューバスで郷土の森西のバス停で下りました。そこから、郷土の森公園の正面に行くまでに、短いですけど、梅並木があります。この梅並木の梅が、ギタギタに切られていました。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とは言いますが、幾ら何でも切り過ぎだと思いました。花が咲く所が、殆ど有りませんでした。そんな状況の中で、偶々切り残された枝に、数輪咲いている花達の健気さが、胸を打ちました。

 郷土の森公園に入ると、かなりの人出でした。その殆どは老人でした。若い人は、仕事をしている時間ですからねー。今日は、午後から曇りだとの予報でしたが、充分日差しがあり、歩くと暖かさを感じました。公園の梅全てが満開でした。公園全体が、霞んでいるように見えました。私を含めて、今日来た人達は、満足したと思います。この辺りでは、梅の木が一番多い公園だと思います。今日は、数本ではありますが、梅に負けまいと、別名、春黄金花―山茱萸(サンシュユ)の花も咲いていました。

 郷土の森公園には、色々な種類の盆栽が置かれています。その中の、欅の盆栽は、葉を落とした冬木立で、裸となった幹や枝振りが、とても魅力的でした。良く見ると、梢の方に、小さな緑の膨らみが、沢山着いていました。芽吹きが、今、正に始まっていました。小さくとも、大木の雰囲気を持つ盆栽にも、春がやって来ました。盆栽はやらないので、盆栽の芽吹きは、初めて見る光景でした。

 郷土の森公園を出て、下川原緑道を歩きました。紫陽花は、既に芽吹きを始めていました。あちらこちらで、姫立金花(ヒメリュウキンカ)が咲いていました。名前を知ったお陰で、親しみが湧きました。丸いボールのような形をした、黄色い花がありました。枝が刈り込まれた黄梅(オウバイ)でした。この花の名前も、今年知ったばかりです。なんと、雪柳(ユキヤナギ)も花を咲かせていまし、沈丁花(チンチョウゲ)も花を咲かせ、すっかり春になっていました。近くにも、似たような感じの花があると思ったら、白い貝殻虫(恐らく)が、沢山着いていたのです。

 下川原緑道から、高安寺に入りました。山門の横の竹林の前に、梅と山桜が咲いていました。桜は、葉も一緒に出ていましたので、山桜だと思いますが、染井吉野より早く咲くとは思っていませんでした。それにしても、お寺の建物と、梅や桜は良く似合います。本堂の前では、馬酔木(アセビ)が、沢山の蕾を下げていました。

 高安寺から、旧甲州街道を歩いて、府中駅へ出ました。府中駅に出れば、必ず魚屋の浜喜屋に寄るのですが、今日は、昨日の酒の肴が残っているので、素通りして、聖蹟桜が丘に戻り、我が家に帰りました。

 

「梅は切れ 多くの人が 言うけれど これは切りすぎ 枝のなき梅」

「残された 枝に数輪 梅の花 その健気さに 心打たれる」

「赤く咲く 椿の下に 花咲かす トパーズ色の 柊南天」

「春霞 郷土の森は 梅霞 どの木も満開 山盛りの春」

「別の名を 春黄金花 山茱萸 梅と仲良く 春招くなり」

「遠目には 枯れ木のような 盆栽も 梢に緑 芽吹き始まる」

「名を知れば あちらこちらに 見えて来る 黄金色した 姫立金花」

「丸刈りの 黄色き花の 君の名は 良く良く見れば 黄梅の花」

「早春に 君も咲くのか 沈丁花 香りに誘われ 蝶も目覚めん」

「山門を 背にして白き 梅の花 歴史の重み 梅が称える」

「竹林の 緑背にして 山桜 冷たさ残る 早春の午後」

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2018年3月 7日 (水)

2018年03月06日

2018年03月06日

 

 日差しはあるのに、地平の方の霞が強い、そんな朝でした。晴れているのに、結構空気は冷たく、冬が戻ったようでした。

 北朝鮮を訪れた韓国の代表団は、金正恩主席と直接会談することが出来、金正恩主席が主催する晩餐会にも招待され、大歓迎を受けたようです。また、4月には、首脳会談の実施も、公表されました。私は、平和主義者ですから、裏の意図などを探らないで、素直に雪解けムードを歓迎したら良いと思っています。そして、双方の往来が頻繁となり、38度線の存在が無意味となり、金正恩が退位して政治から身を退き、南北合わせた大統領・国会議員の選挙が出来れば良いと思っています。現実味のない馬鹿げた希望だと、一笑に付されてしまうかも知れませんが、では、何が両国の平和的統一を妨げているのか、きちんと根拠を示して、私に分るように、説明して欲しいと思います。

 娘の姑の大腸癌手術の日が、10日後に迫ったと、娘から電話がありました。手術そのものは、病院の任せる他は有りませんが、姑が入院している時の舅の面倒を、誰がどの様に見るか、大きな問題を抱えることになりました。舅が、糖尿病を患い、その食事をどうするかも無視出来ない問題のようです。また、姑が退院した時、二人の生活を、どの様に立て直すかも大きな問題です。娘も、介護の問題に直面することになりました。何れ確実に来る問題ではあったのですが、目の前の現実の問題となりました。

私の胃癌の手術が、極めて上手く行き、回復も極めて早く、手術と入院に一銭の金もかからなかったので、私の介護の問題は、一旦遠のいていますが、私の介護の問題も、何れ現実の問題となるでしょう。自分達の生活を維持するのが、精一杯の子供世代にとっては、介護は、家庭生活を崩壊させる危険があります。現在多くの介護老人ホームやケアセンターがあって、この問題に対応しようとしていますが、なかなか思うようには行かないようです。また、社会保障制度の維持の為の国民負担も、限界に近づいているようです。以前から言っていますが、老人の自己意思による自殺を、容認するようにして欲しいと思います。

今日は、谷保天神の梅園を見に行って来ました。谷保天神も、この辺りの梅の名所の1つです。

午後2時頃家を出て、四谷6丁目の住宅地の道を歩いて、泉町公園に出ました。何軒かの家の庭で、ミモザが咲き誇っていました。ミモザを見ると、どうしてもイタリアを思い出してしまいます。また、旧家の前の梅が満開で、霞がかかったようになっていました。周囲を見渡すと、必ず何処かで梅の花が咲いていました。

泉町公園から、日野バイパスを越え、更に中央高速を潜ると、ヤクルト中央研究所に出ました。研究所の裏手の崖下の道を歩いて、谷保城山公園に出ました。道脇の緑地には、イヌフグリ、タネツケバナ、ハコベ、ホトケノザの花が咲いていました。春になりました。

城山公園から、田畑の残る用水路の脇を歩いて、谷保天神に向かいました。そこで、悲しいことに出会いました。ここには、小さいながら蜜蜂を飼う農家があり、蜜蜂用の花畑があって、一年中花が絶えなかったのです。この辺りを散歩する時の、楽しみの1つでした。それが、綺麗に整地され、6軒の家が建設中でした。何れこの辺り全てが、住宅地になってしまうのでしょう。東京近郊の宿命なのでしょうが、悲しい限りです。

谷保天神の梅は、まさしく満開でした。梅の木の間を、谷保天神の和鶏の雄鳥が、歩き回っていました。斜めからの光を受けて、アイスクリームのようになった白梅の枝に、ヒヨドリが止まっていました。私が近づいても逃げもせず、色々ポーズを取ってくれました。

谷保天神からは、バスで我が家の方に戻り、西友で買い物をして帰りました。今日は、次男が休みなので、二人で酒の肴を作って、楽しい晩酌となりました。

 

「イタリアの 思い出誘う ミモザかな 日本の庭にも 多くなりけり」

「満開の 大手広げた 梅の花 人住む館を 霞の奥へ」

「梅の花 仰ぎ見ている 足下に サファイア色の イヌフグリの花」

「盛り土に こんもり赤き 仏の座 早くも春を 謳歌するなり」

「蜜蜂の お花畑は 今は無く 兎小屋へと 変わり行くなり」

「春の日に 谷保天神の 梅の園 尾羽揺らして 雄鶏歩く」

「日を受けて もっこり白き 白梅に ヒヨドリ止まり 独りの芝居」

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2018年3月 6日 (火)

2018年03月05日

2018年03月05日

 

 雲の多い朝でした。それでも地平の霞の中に、薄らと富士は見えましたし、時々日差しもありました。それが、午後には小雨が降り始め、やがて本降りとなり、風も強まって、春の嵐になりました。

 そんな訳で、今日は1日、家の中で過ごしました。時間が山程出来たので、3月1日から4日まで、日記を休むことにしていましたが、全部、日記を書き上げました。執念のようですね。

 パソコンの前にばかり居るのも辛い物がありますので、昼間、「カサブランカ」を見ました。若き頃の、イングリッド・バーグマンの映画でした。主演は、ハンフリーボガードで、アフリカにおけるドイツ軍への、民衆の抵抗を主題とした映画なのですが、私は、バーグマンを見ているだけで、充分満足でした。カサブランカは、この映画ではフランス領でしたが、現在はモロッコ領です。妻と一緒にスペイン人のモロッコツアーの加わり、カサブランカを訪れたことがあります。洒落た家があり、細い路地の町があり、いかにもアラブらしい市場があり、良い雰囲気の町でした。雨は降らないと思っていたのに、雨に遭ったことを思い出しました。

バーグマンの映画は、沢山見ましたが、「セイントメリーの鐘」が一番心に残っています。映画の内容は、すっかり忘れてしまいましたが、尼僧姿のバーグマンの笑顔の美しかったこと、こんなに美しい人が、現実に居るのかと、驚きました。しかし、余りに美し過ぎて、このような人を恋人にして、男女の行為は出来ないと思いました。彼女は、神との愛だけを誓う尼僧が、一番似合いかも知れません。

夜は、根菜の余りと練り物類を入れて、煮込みを作り、日本酒で晩酌としました。テレビは、見るものがないので、録画してあった、広島の原爆で死んだ315名の女学生の特集を見ました。原爆に関する調査資料の中で、この女学生の部分のみ極秘とされ、最近まで公開されなかったそうです。学徒動員で,工場で働いていた時に原爆に遭い、爆死したそうです。

米国は、広島に原爆を投下した直後原爆傷害調査委員会(げんばくしょうがいちょうさいいんかい、Atomic Bomb Casualty CommissionABCC)という民間機関を設立し、原子爆弾による傷害の実態を詳細に調査記録することにしました。この民間機関には、日本の医者や学者も協力したそうです。

私の郷里は長崎ですが、長崎にも原爆が落とされました。私が小さい頃、爆心地に近い我が家の近くには、多くの原爆被害者が住んで居ました。その為、ほぼ毎日のように、何処かの家にABCCの車が止まっていたのを思い出します。戦争の記憶は、幾つになっても辛い物です。

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2018年03月04日

2018年03月04日

 

 夜明け前、カーテンを引くと、16夜の月が、西の空に今にも沈みそうでした。「月は東に日は西に」の逆の状態でした。75兆にするのが、難しいです。

 今日は、メキシコの友人との集まりが、1時から新橋の寿司屋で行われることになっていました。メキシコの友人と言っても、日本人で同じ大学の先輩です。ずっとメキシコで仕事を続けておられます。私が、メキシコにいた頃、同窓会で良くお会いしました。今日は東京で、ミニ同窓会となりました。

 11時、次男より先に家を出て、途中電車が少し遅れましたが、12時45分には、新橋の駅に着きました。ネットで一応地図を確認して来たのですが、地図と現実の町のイメージが合いません。そもそも肝心の栄通りが見つかりませんでした。後は、自分の勘を信じて歩いてみましたが、全く店が見つかりません。店の電話番号はメモってきましたので、電話して道を聞いたのですが、道の説明が全く要領を得ず、結局、SL広場の警察に聞きました。警察でさえ、栄通りが何処にあるのか、知りませんでした。しかし、電話番号で検索すると直ぐに場所が分りました。「SLの後ろの道を、虎ノ門方向に歩き、最初の信号を右に曲がると、直ぐに店が見えます」と教えてくれました。

 同窓会の会場である、「すしまみれ」という寿司屋に入ると、カウンターに良く知った顔が見えました。なんと山の仲間の新発田の人でした。お互い顔を合わせて「なんでお前がー」と叫んでしまいました。大学の理事長の講演会に参加したそうです。理事長と言っても、彼のクラブの後輩なのです。ミニ同窓会の仲間が、2階で待っているようなので、山の仲間と別れて、2階に上りました。同窓会は、直ぐに始まりました。何時ものように、思い出話に花が咲きました。

 2時間位話して、メンバーの二人が、次の土曜日に行われるメキシコ・アミーゴ会の会場となる、メキシコ料理の店との打ち合わせに行くことになりました。他の4人は、話し足りなかったので、一緒に店に行き、その店で二次会をすることになりました。テキーラとかメスカリとか、強い酒ばかり飲んで、すっかり酔ってしまいました。

 5時を過ぎ、二次会もお開きになりました。酔うと歯止めが掛からない私は、恵比寿の先輩の店へ飲みに行くことにしました。都心に出て来て時間があると、お定まりのルートになってしまいました。皆と別れて、日比谷線で恵比寿に向かいました。酔って、ついうとうとしたらしく、恵比寿の次の中目黒まで行ってしまいました。仕方ないと、戻ろうとしたら逆方向の電車に乗ってしまい、祐天寺まで行ってしまいました。中目黒が終点ではなかったのです。色々トラブルがありましたが、恐らく7時過ぎに先輩の店に辿り着きました。

 何時ものように、先輩に付き合って貰って、ワインを結構飲みました。最初の寿司屋で食べた以外は、ほとんど何も食べずに、酒だけを流し込みました。酔いは、更に深まりました。何時頃だったか時間は分りませんが、先輩の所を辞して、山手線に乗りました。ここでもうとうとして、新宿で下りなければならないのに、池袋まで行ってしまいました。家に着いたときは、12時半を過ぎていて、次男が先に帰っていました。今日は、トラブル続きの1日でした。

 

 

 

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2018年03月03日

2018年03月03日

 

 レイクホテル西湖で朝を迎えました。昨日の風は、すっかり収まり、西湖の湖面は、鏡のようになって周囲の景色を写していました。しかし、逆さ富士を期待したのに、何故かほんの少しだけ顔を出している富士が、湖面に映っていませんでした。

 朝食が終わって、8時半から、軽く散歩をしました。昨日、十二ヶ岳の中腹へ行った時、根場道(ねんばみち)という看板を見ました。昔、根場集落から、河口湖へ出る道だったようです。根場集落は、1966年の台風26号による、土石流被害で全壊し、94名の死者がでたそうです。その後、残った住民は、対岸に移住したそうです。昔の根場集落の後は、2006年、旧集落の茅葺き民家を復元し、「いやしの里根場」として観光客を集めています。現在は、西湖を1周する道路や河口湖・精進湖への舗装道路が整備されていますが、根場集落への昔道は、細い山道でした。少しだけ、昔道を歩いてみましたが、現在全く使われておらず、落石や崖崩れ等で通行禁止になりました。

 9時半から、西湖湖畔で、記念撮影会があり、私も仲間に入れて貰いました。これで春期合宿は、終了しました。現役達は、貸し切りバスに乗り込み、西湖を後にしました。私が乗る河口湖行きのバスも、直ぐにやって来ましたので、ホテルの人に別れを告げて、私も西湖を後にしました。

 河口湖ハーブ館のバス停で下り、昨日とは逆に、河口湖大橋から対岸へ歩きました。どうしても、逆さ富士が見たかったのです。所が、既に釣りの船や遊覧船が、活動を始めており、湖面には波が立っていました。幽かに富士の白雪が映っているらしく、湖面に白い部分があって、波に揺れていました。逆さ富士の一部を見たと言うことにしておきましょう。逆さ富士の近くを、バン達が、光の多摩を作りながら、泳いでいました。

 昨日、登れなかった「かちかち山」に登りました。湖岸を歩いていた時に見た富士は、青みがかってはいましたが、全部見えていました。所が、「かちかち山」で見た時は、幅広い帯状の霧が、中腹に棚引いていました。腹巻きをした珍しい富士山を見ました。ロープウェーを待っている間に、こんなにも表情を変えたのです。霧は、少しずつ上がっていき、富士の白嶺が、ベールを被った状態になりました。また、かちかち山からは、多分南アルプスだと思いますが、真っ白い雪山も見ることが出来ました。かちかち山を下る頃には、中腹から頂上まで、富士の姿を見ることが出来なくなりました。昨日今日と、富士尽くめで、目一杯楽しませて貰いました。

 河口湖駅で、生ビールを飲みながら、富士山ドックを食べて、軽い昼食を終え、大月行きの電車に乗り込みました。出発したら直ぐに眠ったらしく、二つ目の富士山駅に着いたことを覚えていませんでした。起きた時は、かなり大月に近くなっていました。

 大月には、3時頃に着きました。未だ時間があるので、一旦大月で下りて、以前、菊花山に登った時に通った、無辺寺に御朱印を貰いに行きました。呼び鈴を押しても応答がありませんでした。諦めて帰ろうとしましたが、念のためにもう一度呼び鈴を押した所、なにやら応答がありました。御朱印を頼むと、「はい」と答えたように思いました。暫くしてから、漸く玄関が開きました。出て来たのは、パーキンソン病を患っているようなお爺さんでした。話すのもやっとで、聞き取るのに苦労しましたが、「既に住職は息子に譲っており、今は息子がいないので、御朱印は出せない」とのことでした。お騒がせしたことを詫びて、辞去しました。

 線路の反対側の岩殿山の麓に、もう一つ寺があったように思いましたので、行ってみました。しかし、これは私の勘違いでした。岩殿山の史料館が、お寺のような形をしていたのです。何の収穫もなく、4時20分頃、大月を後にしました。聖蹟桜が丘には、5時過ぎに着きました。5時半には、我が家に戻り、「土曜は寅さん」には、ゆっくり間に合いました。

 

 

「山際に 荒れ果てたる 昔道 時の流れが 偲ばれるなり」

「薄らと 白嶺が揺れる 河口湖 湖面に朧な 逆さ富士かな」

「河口湖 渡り烏の 鷭達が 光の玉を 作りつ泳ぐ」

「天上山 登れば富士に 霧の帯 腹巻き姿の 富士を見るなり」

「河口湖 富士観光の 入口に 喰わずばなるまい 富士山ドック」

 

 

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2018年03月02日

2018年03月02日

 

 素晴らしい朝でした。富士が綺麗に見えました。今日は、現役の合宿に参加する為、富士五湖の1つ西湖まで行くので、近くから富士が仰げると朝から胸がワクワクしました。

 7時に我が家を出て、高尾から河口湖へ直通電車に乗ることが出来ました。お陰で、9時半には河口湖に着きました。合宿所であるレイクホテル西湖には、12時までに行けば良いので、ゆっくりと富士山を見学することにしました。

 先ずは、船津浜にいって、ロープウェイで「かちかち山」に登ろうとしましたが、既に長い行列が出来ていましたので、諦めて対岸に向けて歩きました。雲1つない空に聳え立つ富士、枯れた蘆、真鴨や鷭と言った水鳥等、風景は暮に来た時と変わっていませんでしたが、富士は、何時見ても何度見ても、素晴らしいです。

 河口湖大橋を廻って、11時に河口湖駅に戻りました。次の河口湖行きの路線バスは、11時38分発で、40分近く待たなければなりませんでした。丁度、西湖周遊バスが出る所だったので、このバスに乗りました。このバスには、去年も乗ったのですが、風穴とかの観光地、幾つかの民宿地を廻るので、ホテルまでは1時間以上掛かります。今日は、12時20分にホテルに着き、昼食にギリギリ間に合いました。

 1時には、昼食が終わり、成果発表会は、4時からとのことでしたので、十二ヶ岳の中腹まで、登ってみることにしました。ホテルから見える富士は、前の山が邪魔をして、頂上部分しか見えないのです。ホテルのバス停の1つ前に、十二ヶ岳登山口というバス停があり、そこまで行けば、登山道の案内があると思ったのです。しかし、行ってみると、案内は何も無く、別荘地へ行く道だけがありました。結局、別荘地が終わると、道なき道を上ることになりました。それでも、少し登れば、その分だけ富士が大きくなるのが嬉しくて、もう少し、もう少しと頑張って、富士の裾野が見える所まで登りました。雑木林越しにしか富士を見ることは出来ませんでしたが、満足しました。北斎の簾越しの美人を思い出しました。

 富士を堪能して、降りることになりましたが、悲惨なことになりました。人間が踏み固めた道が、如何に歩き易いか、痛烈に感じました。落ち葉もその下の土も柔らかく、足を支えてくれず、砂地のトレッキング状態で何度も尻餅をつきました。それでも、なんとか遭難せずに別荘地に辿り着きました。時刻も、3時を過ぎて、良い頃合いになりました。

 4時から、成果発表会を見て、偉そうに批評までしました。これが、成果発表会に来た、先輩の役目でした。実は、色んな面で、現在の現役は、我々の現役時代よりも上のような気がします。成果発表会は、5時に終わり、夕食は6時から、打ち上げは、7時40分からとなりました。夕食まで、5時15分から45分まで、3階の屋上テラスから、夕暮れの富士を楽しみました。湖の向こうの山の雑木林が、夕日で朱く染まっていました。湖から、雑木林まで影が延び、刻々と山を登り始めました。この調子で、尾根まで登るのかと思っていたら、有る瞬間、山全体が、すとんと暗くなってしまいました。日が、地平に落ちたのでしょう。そして、尾根の上に顔を出している富士の白雪だけが、赤みを帯びて輝きました。素晴らしい瞬間を見せて貰いました。やがて、富士にも影が延び、宵闇が始まりました。

 夕食を終え、打ち上げとなり、酒を飲みながら若者達と話しました。ついつい、お説教調になったりして、後輩達を困惑させてしまいました。後輩の半分以上が未成年で、打ち上げだというのに酒も飲めず、先輩の話を聞いているのですから、可哀想になり、出来るだけ早く開放してやりました。その後は、メキシコで中学時代を過ごしたという女子と、メキシコの話に花が咲き、大いに盛り上がりました。12時にお開きになるまで、話し続けました。彼女が抱いている、学生達を纏め、仲間意識を強め、思いで作りにもなるような、イベントの計画についても聞きました。若者の夢は、何時の時代も、清々しいと思いました。何等かの形で、支援が出来れば良いのですが、、、。

 

「山肌を 一歩登れば 望外に 富士の背丈が ぐんぐん伸びる」

「丘の上 雑木林の 隙間から 背丈延びたる 富士を眺める」

「柔土と 落ち葉踏みつつ 山肌を 尻餅突きつつ 落ちて行くなり」

「刻々と 影が尾根へと 這い上る 影寄せ付けぬ 富士の輝き」

「尾根筋の 冬木立等が 色づきぬ 夕日が作る 紅葉なるかな」

「年老いて 若者前に 話しする この幸せに 勝るもの無し」

 

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2018年03月01日

2018年03月01日

 

今朝は、暴風雨になる予報でした。しかし、雨は激しく降っていましたが、風は殆どありませんでした。春一番は吹かなかったようです。9時過ぎには、日差しが出て来て、昼前には、すっかり晴れて富士の姿も見えました。

今日、名前は分りませんが、ウィンドブレーカーのようなビニールのコートを1枚、廃棄処分にしました。濃い緑のコートで、パラグアイの日本人移住地、ラパス市の農協から頂いたものでした。胸に、農協のマークがありました。パラグアイは、暖かい国ですが、冬には霜が降りることもあります。そんな中で、パークゴルフをする時、とても重宝しました。パラグアイの移住地では、パークゴルフがとても盛んで、幾つもパークゴルフ場がありました。土日は、殆どと言って良い位、移住地の老人達とパークゴルフをし、終わった後に木陰で飲むワインの美味しさが、忘れられません。日本に帰ってからは、毎年冬は、仇のように着ていました。何度も補修しましたが、流石に破けた部分が多くなり、今年、冬が終わったのを機会に廃棄処分にしました。思い出の品が、1つ少なくなりました。実は、ラパスのコートは、もう1枚赤いのがあるのです。

テレビのニュースで、働き方改革の法案から裁量労働制に関する条項を削除するとの安倍総理の決断が、報じられていました。国会に厚生労働省が提出した統計データが、極めてでたらめでした。50年程昔になりますが、私が、コンピュータの仕事を始めた頃、著名な統計学の先生が書いた「統計で嘘をつく方法」という本を読んだことがありますし、直接、話を聞いたことがあります。現在の社会では、あらゆる事に統計を使っていますが、社会科学の聞き取り調査をベースとした統計は、質問に使う言葉、質問の順番、回答の時の心理状態等によって、結果が大きく変わってしまうのだそうです。サプリメントや薬の効用などは、この嘘を、巧妙に使うことが多いようです。医者の診察においても、この嘘を見抜けない場合があります。嘘つく積もりはなくとも、嘘になってしまうこともあります。私の一方的な判断かも知れませんが、現代の世の中は、巧妙な嘘だらけです。今回の、厚生労働省が提出したデータは、巧妙な嘘と言うより、稚拙な間違いのようでした。労働者を守る省なのですから、きちんとした仕事をして貰いたいと思います。

台所の横に、針金の格子で作られた、吊り棚があります。その棚の1つのペンキが剥げ、錆が広がってきましたので、錆を落として表面を磨き、ペンキを塗り直しました。棚は新品のようになり、台所が明るくなりました。補修が上手く行って、とても幸せな気持ちになりました。

午後から、北浅川の川原宿へ行って来ました。雉と河津桜が目的でした。去年も、同じ時期に同じ目的で、川原宿へ来たのですが、両方とも当てが外れました。実は、今回も雉はいませんでしたし、河津桜は、まだ全く花が咲いていませんでした。どうやら、雉はこの辺りには棲まなくなったようですし、河津桜は、伊豆と八王子の山の中とでは、咲く時期が違うようです。当てが外れた私を慰めるように、百舌の雌が1羽、私を励ましてくれました。その後は、浅川の土手を黙々と八王子の市街地まで歩きました。

午後6時頃、バスで四谷橋を渡る時、東の方に14夜の月が、満月のように浮かんでいました。「月は東に日は西に」の状態になりました。日付が変わる頃になると、月は我が家の正面までやって来て、月明かりが明るさを増し、ベランダまで入って来ました。

 

「思い出を 誘う品々 どれも皆 共に過ごした 人との絆」

「吊り棚の 剥げたペンキを 塗り直し 一人で自慢 満面の笑み」

「お目当ての 雉も桜も 当て外れ 老人励ます 雌百舌一羽」

「弥生入り 地平に並ぶ ビル街の 上にぽっかり 十四夜の月」

 

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2018年3月 1日 (木)

2018年02月28日

2018年02月28日

 

 薄雲が、空を覆っている感じの朝でした。今日は1日中、薄雲を透した弱い日差しがありました。

 昨日、ロボットが、自己の意思を持つことはなく、ロボットの意思で人間に反抗することはないと書きました。私の考えでは、意思は、進化の頂点にいる人間固有のものではないかと思っています。勿論、一定の進化を遂げた、動物にも原始的な意思があると思います。この意思の根底にあるのは、動物が生命を維持する為に、行動を起こさなければならない時に、環境に応じて学んだ餌取りを、実行しようとする時、意思が現れると思います。例えば、ライオンが集団で他の動物を襲う時は、意思があると言えるのではないかと思います。私は、証明方法は分りませんが、意思は、生命体固有のものだと思っています。

 コンピュータを頭脳とするロボットは、生命体にはなり得ないと確信しています。従って、人間に反抗すると言う意思を持つこともないと考えます。あたかも意思を持ったかのようなロボットが出来るかも知れません。しかし、それは人間が、ロボットの外見や動きを人間に似せて作った結果だと思います。如何にコンピュータが進歩したとしても、これだけは変わらないと思います。何故なら、コンピュータは、電気信号のONOFFを検知し、そのONOFFのパターン(ビットパターン)の連続(プログラム)を、動作命令として解釈し、命令通りに動きます。若し、コンピュータに意思を持たせるとすれば、意思の発生のメカニズムを、数式・数値化して、コンピュータ自身が、プログラムを作らなければなりません。このようなプログラムは、囲碁ソフトの学習機能とは次元の違うものだと思っていますし、そのようなコンピュータが出来るとも思っていません。

 

 今日で、2月も終わりです。何処も梅が満開になってきましたので、町田市の薬師池公園の梅園を見に行って来ました。

 我が家を12時半位に出て、永山、新百合ヶ丘経由で、薬師池公園に着いたのは、2時近くでした。紅葉の時期に来た得は、朱く染まっていた林が、葉を落として冬木立の林になっていました。薬師池に行くと、大型のカメラを持ったカメラマンが、20人程、池の縁に並んで、水鳥の写真を撮っていました。我が家の近くでは、これ程のカメラマンが集まることは、滅多にありません。少し、驚きました。

 キンクロハジロ、カイツブリもいましたが、カメラの放列の先にいる水鳥は、ホシハジロでした。僅か2組でした。多摩川の方では、殆ど見ることは有りません。私も、仲間に入って、何枚も写真を撮りました。

 今日の太陽は、薄雲の後ろからの日差しの為、肉眼でも直視出来る程度の光でした。太鼓橋の上から見ると、月が池に落ちたように,水面で揺れていました。

 薬師池の横に梅園がありますが、ここは、温度が低いのでしょうか、3割程度の梅しか、花を咲かせていませんでした。薬師池に来る時に、バスの窓から見た畑や家の庭の梅は、何処も満開だったのに、とても残念でした。公園に移築された藁葺き屋根の民家と梅の写真が取りたかったのですが、直ぐに再訪する気にもなれませんので、来年の楽しみに残しましょう。

 公園の入口の近くに、町田市フォトサロンがあり、「フォトクラブまちだ写楽」の第9回写真展が行われていました。若しかしたら、今日、集まっていたカメラマン達は、このクラブの人達かも知れません。私のような好い加減な写真家ではなく、良い写真を撮る為に、日々の努力が分るような、良い写真が沢山ありました。光を、写真の中に取り込みたいと言う気持ちが表れていました。

 帰りは、八王子経由で帰り、6時を過ぎてしまいました。昨日買って置いた、青柳、ツブ貝、蛸でアヒージョを作り、テレビを見ながら、赤ワインで晩酌にしました。

 

 少し予定が重なったので、3月1日から4日まで、日記を休みます。

 

「ホシハジロ カメラの砲列 前にして 得意の潜り 披露するなり」

「カイツブリ 我も負けじと 競い合う 潜りの技では 引けは取らぬと」

「梅園の 梅の木達は 未だ寒そう 固き枝先 小さな蕾」

「薄雲を 通して届く 日の光 水面に揺れて 昼の月かな」 

 

 

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