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2018年2月

2018年2月28日 (水)

2018年02月27日

2018年02月27日

 

 雲の多い朝でしたが、直ぐに晴れ間が見えました。

 昨日の続きですが、ロボットが人間を越える知恵を持ち、感情を持ち、人間に対抗するする時期が、近々来るのではないか、そんな恐怖を感じる人が、少なからず居るそうです。果たして、この恐怖の現実味は、どれほどあるのでしょうか?

 学習という言葉を広辞苑で引くと、①学び習うこと、②過去の経験の上に立って新しい知識や技術を習得すること、と書かれています。動物が、本能ではなく、後天的に行動の仕方を変化させるのは、学習の原始的な形態だと思われます。例えば、猿が胡桃の実の割り方を覚えるなどです。

 さて、コンピュータは、人間が数千年に亘って蓄積した経験を知ることは出来ます。しかし、そこから何を学んで、どの様な新しい知識や技術を、自主的に生み出すのか、そこには、多くの疑問があります。コンピュータ自身が、学ぶべき対象を決め、新しい知識や技術を生み出す意欲を持たなければなりません。対象の決定、知識や技術の創設は、意思の問題です。

 例えば、囲碁の世界における学習機能は、学ぶべき対象が事前に決まっています。かつ、人間が常時対局して、勝利の為に新しい戦法を作り出すことを強制しています。つまり、コンピュータ自身の意思によって、学習している訳では無いと私は思っています。私は、将来的にもコンピュータが、自己の自由意志を持つことはないと思っています。従って、コンピュータを頭脳として作られたロボットが、ロボットの意思で、人間に反抗することは、現実味がないと思ってイオます。

 ロボットの優秀さは、人間の優秀さなのだと思います。同じように、ロボットの悪さも、人間の悪さだと思います。人間が、ロボットを最終的な兵器として大量生産すれば、ロボットが人間を襲うという心配は、現実のものとなります。人間の倫理観を、常に正しい方向に向けることが、最重要課題だと思います。

 

 今日の夜は、姪の就職祝いを、吉祥寺でやることにしていましたので、四谷橋を渡り、石田大橋を渡って帰って来る、標準的な散歩コースを歩いてきました。

 1時過ぎに家を出て、四谷橋を渡ると、前回来た時は、河津桜が、たった1輪の花を咲かせていて、驚いたのですが、今日は5分咲き程度になっていました。明後日は、もう3月ですから、早咲きの河津桜が咲くのは、当たり前なのでしょう。それにしても、春の到来は、何故こんなに気持ちが高ぶるのでしょうか、命の再生を感じるからでしょうかね。

 四谷橋は、野猿街道に架かっている橋です。四谷橋を渡って直ぐの所に、野猿街道から、真明寺に入る裏道があり、小さいながらも昔の田圃の切れっ端が残っていました。ここは、タンポポ、ノゲシ、オオイヌノフグリ、ナズナ、ホトケノザ、タネツケバナ、カラスノエンドウなど、春の花の宝庫のような所でした。所が、何週間か前に、綺麗に聖地されました。恐らく駐車場になるのだと思います。年々、我が家の周囲から、野草の花園が消えていきます。

 程久保川と浅川の合流点にある、仙人の花畑が、今年は荒れ放題のままでした。昨年秋の大雨が、花畑に大量の砂を運び、花畑が砂で埋まってしまいました。仙人一人で再生するのは、非常に難しいと思いました。

 石田大橋を渡り、国立のSVスーパーに寄りました。このスーパーには、我が家の近くの西友には無い物が、沢山売っています。特に、魚介類と野菜は、魅力的です。今日、魚介類は青柳、ツブ貝、蛸を買い、野菜は、霜降り平茸、山伏茸、たもぎ茸、黒あわび茸、株なめこ,長芋1本を買いました。そして、このスーパーに来たら必ず買うことにしている鶏の軟骨、手羽中も買いました。このスーパーには、買い物の楽しみがあります。

 6時10分位前に家を出て、今日は休みの次男と連れだって、吉祥寺に向かいました。姪とは、7時に駅で待ち合わせをしました。少し遅れて姪が到着し、公園口の伊勢屋に行きました。「鳥良し」と違って、大衆酒場です。姪も、何度か来たことがあるそうです。

 店に着いたら、1組並んでいました。しかし、それ程待つことなく、席に案内されました。店は、地下、1階、2階とあるのですが、案内されたのは1階の奥でした。1階だけでも100人以上入れそうな店が、超満員でした。店全体が騒がしいのですが、隣の席の男性3人組は、メガホンで怒鳴っているような大声でした。姪の話が、良く聞こえませんでした。姪の就職祝いとしては、場所を間違えました。でも、姪は、どんな所でも、喜んでくれるので助かります。姪の話では、最近は、このての大衆酒場が、人気があるそうです。

 伊勢屋を少し早めに切り上げて、ハモニカ横丁の行きつけのバーに行って、飲み直しました。

 

 

 

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2018年2月27日 (火)

2018年02月26日

2018年02月26日

 

 今朝も、重苦しい曇り空でしたが、昼前から日差しが出て来ました。春が近づいているのでしょう、富士の見えない日が多くなりました。

 「語ろう会」の続きですが、産業用のロボットに加えて、掃除用ロボットだとか、コーヒー店でコーヒーを淹れるロボットとか、子供達と子供の言葉で話すロボットとか、普通の生活の近くにも、多くのロボットが出て来るようになりました。これらのロボットは、人間が与えたプログラムを忠実に実行するだけの、少し利口なマシーンという安心感がありました。

 所が、チェスや囲碁で、人間と勝負をするコンピュータ(ロボット)は、学習機能がついていて、コンピュータが、勝負に勝つように、自己学習すると言われています。最近では、最高のプロ棋士が、コンピュータに勝つことが少なくなりました。この事から、コンピュータの技術が更に進んだら、コンピュータが、人間の知能を越えるのではないか、感情を持ち人間に忠実なマシーンではなくなるのではないか、そんな心配が生まれています。昨今のコンピュータ(IT)技術の進歩のスピードを考えると、現実から懸け離れた、馬鹿げた心配とも言えないようです。この心配の極限は、学習により知能も人間より上回ったロボットが、人間に反抗心を持ち、無限のエネルギーを手に入れ、ロボットの製造工場で複製を大量に作り、最新の武器を手に入れ、人間を抹殺することだろうと思います。神が作った人間を、人間が作ったロボット(マシーン)が、抹殺するのですから、まさしく人間にとっては、神も仏もない状態であり、確かに恐怖です。地球上では、現実の物体としては存在しない神を除いて、人間に勝る存在を知りませんでした。突如、天敵が出て来る訳ですから、恐怖は当然です。この心配が、現実味の有ることなのか、単なる根拠の無い妄想なのかは、私には、良く分りませんが、私の勝手な考え方は、明日書くことにします。

 

 午後1時頃から、小金井公園に行って来ました。バス停までの道に、オオイヌノフグリ、タンポポ、タネツケバナ、ナズナ、仏の座の花が咲いていて、春が幕を上げたことを目の当たりにしました。

 バス停の横の花咲爺さんが住んでいたアパートの解体が完了し、ビニールシートも取り除かれて、更地になっていました。この辺りの風景が随分変わりました。このアパートに、最後まで住んでいた、軽い発達障害の青年と、80歳位の老人は、何処に引っ越ししたのでしょうか、最近バス停で見なくなりました。もっと良いアパートに引っ越したと思うようにしています。

 武蔵小金井駅からバスで、2時頃に小金井公園に着きました。小金井公園は、桜の園があったりして、桜の名所です。梅園もありますが、桜の園に較べれば、5分の1程度の小さなものです。今日、梅は、ほぼ満開でした。周囲の冬木立に、「今年も何時ものように、春が来たよ」と告げているようでした。春告げ花とは、良い渾名がついたものです。

 梅園から、花小金井方面への出口の方へ歩きました。小金井公園の横は、有名な小金井カントリークラブです。今日は月曜日で、ゴルフ場は休みらしく、ゴルフ場の整備をやっていました。そのお陰で、通用門が開いていましたので、少しだけカントリークラブの中に入らせて貰いました。流石に名門のクラブで、手入れの行き届いた立派なクラブでした。ちょっと得をしたような気分になりました。

 花小金井方面への出口の所は、「石神井川 上流端」という看板が立っていて、石神井川の源流であることを示しています。しかし、そこから、ゴルフ場沿いに暗渠が続いていましたので、暗渠の上を歩きました。ほんの少し歩くと、暗渠は無くなり、ゴルフ場と大きなビルの間の細い溝になりました。ここが、本当の源流だと思いました。水は流れていませんでした。

 小金井公園へ戻って、入口の近くにある池に寄りました。この池には、例年真鴨がやって来るのですが、今日は、真鴨はおろかカルガモの姿も無く、深閑とした森の池でした。良く良く見ると、池に泥が堆積して、相当浅くなっていました。水鳥が泳げそうな池ではなくなっていました。

 小金井公園は、かなり広い公園で、池から東の方に更に歩いていると、東小金井駅方面への出口に出ました。もう戻る気は無いので、東小金井の駅まで歩くことにしました。途中、市杵島神社に立ち寄りました。この神社の名前とは、初めて出会いました。江戸時代、梶野神田を切り開いた人達が建立したと言われています。この神社の阿形の狛犬の写真を撮ったら、何故か大笑いしているように撮れました。

 5時過ぎに家に帰り、夜は、柴又で買って来た柴又漬と穴子の佃煮を魚に日本酒で晩酌にしました。どのテレビでも、平昌オリンピックの総集編と、帰国した選手達の記者会見の模様を放映していました。確かに今回のオリンピックは、興奮し感動しました。特に、女子選手の頑張りには、驚嘆しました。楽しい時間をありがとうございました。

 

「多摩の里 早くも春が やって来た 道端に咲く タンポポの花」

「道脇に 春の花達 勢揃い 如月に吹く 弥生の風かな」

「冬木立 周りを囲む 梅の園 白雲見上げ 白梅満開」

「何故か 写真の狛犬 大笑い 笑いの神を 祀る神社か」

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2018年2月26日 (月)

2018年02月25日

2018年02月25日

 

 薄暗い曇りの朝でした。今日は、一日曇りで、夜は油が降るかも知れないと、天気予報で言っていました。洗濯を止めようかと思ったのですが、部屋干しでも良いと思って洗濯しました。所が嬉しいことに、午後からは日差しが出て来て、洗濯物は、きっちり乾きました。偶に、天気予報も外れることがありました。南岸低気圧の進み方次第だとも言っていましたから、外れたとは言えませんね。

 「語ろう会」の続きですが、コンピュータは、人間がこれまで行ってきた活動の多くを代替する可能性があります。自動車の運転が、現在話題になっていますが、勿論、これもコンピュータが制御しています。オートメーション工場は、コンピュータで制御された、多くのロボットが活動しています。ロボットというと人間型のロボットを想像しますが、単一の機能を持った機械型のロボットは、かなり以前から活躍しています。事務部門については、事務のメカニズムが定型化されていない為、人間の介入を必要としていますが、事務がもっと国家レベル・国際レベルで定型化され、金銭の動きも現金ではなく電子決済にすれば、事務も一気に自動化される可能性があります。会計士とか、弁護士とか、行政書士とか、事務の曖昧な部分を担当する公的職業の多くは不要になる鴨知れません。会社の事務部門は、殆ど必要なくなるでしょう。この自動化を、担うのがコンピュータです。極端な言い方をして、トヨタ自動車が、自動車工場に20万の職員、事務に10万の職員を雇っているとすると、コンピュータに代替出来るように、仕事を定型化すれば、職員は、1000人程度で済む可能性があります。これが、あらゆる分野で起きることが、コンピュータが引き起こす産業革命だと思います。この産業革命は、職業の8割が、工場労働者、会社の事務員等、労働を提供し対価を得る勤め人社会では、人間の勤め先を無くし、生活の為の金を稼げない、今までに経験したことのない悲惨な社会になる可能性があります。人間社会に、無限の需要があって、その中で会社の競争力強化の為に、人員削減が必要である場合は良いのですが、需要には限界があり、会社の払う給料が、需要を支えている場合は、効率化が需要を減らす可能性は大なのです。需要が減衰する社会で儲かるのは誰か、資本家か、実は誰も儲かる人はいないのです。買う人がいなくなる訳ですから、物を作る事が儲けに繋がらないのです。コンピュータに拠る産業革命の行き先は、楽観を許さないものがあります。従って、コンピュータをどの様に使うかは、人間の叡智に委ねられています。

 今日は、アパートの防災訓練でした。私も、自治会の副会長の時、防災訓練をやって、アパートの住人に参加を呼びかけたことがありますので、一応進んで参加しました。防災訓練の内容は、消火器の使い方、AEDの使い方は同じでしたが、我々の時は、地震体験、今回は、老人や障害者、怪我人を階段で安全に下ろす方法でした。訓練は、10時から始まり、1時間少々で終わりました。

 防災訓練で、日記を書き上げたのは、12時を過ぎてしまいました。急いで、昼食を食べ、2時頃から東京薬科大学の方へ散歩に出かけました。つい忘れてしまったのですが、薬科大学の薬草園は、日曜日は休みでした。それでも薬草園の下の「たにしヶ池」には、3組の真鴨、2組の小鴨、常連の白鷺1羽、川鵜1羽、カルガモが5羽程いました。真鴨が、お尻を天に向けて、盛んに餌取りをやっていました。池をかなり上の方から見たので、川鵜が水中で泳ぐ姿も見えました。小鴨達は、岸に近い方で、顔を上げる時間も惜しい程、頭を見ずに突っ込んで、餌取りをしていました。

 薬科大学の前の集落は、山間の村の雰囲気を良く残しています。その村から、雑木林の中の道を歩くと、ボーイスカウトの訓練施設があります。冬は全く利用しなかったらしく、1月の大雪が、未だ残っていました。更に歩いて丘を越えると、八王子の新興住宅地が出て来ます。実は、以前、この住宅地の中の家の生け垣から、黄梅の枝を頂いてきたのです。今日も、その家に行ってみましたが、ちゃんと黄梅が咲いていました。その家の、生け垣の黄梅は、枝が茂りすぎて、花を付けない枝も多いようなので、枝を失敬した罪の意識は消えました。

 住宅地を、どんどん下りて行くと、由木中央小学校の前に出ました。そこから、バスで一の宮へでました。一の宮に地元の野菜を売っている所があるので、そこで、セロリと人参を買い、四谷橋を渡って近くの西友まで歩き、カリフラワーとパプリカを買って帰りました。作り置きのピクルスが終わってしまったのです。

 テレビを見ながら、ピクルスを作りました。このピクルスは、妻から伝授して貰ったものです。買って来た4種類の野菜を、適当な大きさに切り、少量の大蒜(ニンニク)を加え、塩と胡椒で少しだけ味付けをし、その後、千鳥酢、黒酢、寿司酢を、少し酢が多いかなと思う位加えます。最後にオリーブオイルを適量加えて出来上がりです。大きなタッパーに、山盛り作りますので、私の場合、最低3ヶ月はもちます。

 夜7時半から、平昌オリンピックの閉会式を見ました。日本選手が活躍し、私の一人の夜を楽しませてくれたオリンピックも、終わってしまいました。友人とも話すのですが、最近、まだ先のことだと思っていた予定が、次々にやって来て、次々に終わってしまうのです。時間が、早く進むようになったような気がします。老い先短い身としては、なんだか恐いような気がします。

 

「薬科大 学生少なき 日曜日 たにしヶ池に 水鳥集まる」

「多摩の里 雑木林の 奥の奥 未だに残る 睦月の大雪」

「黄梅の ルーツ訪ねて 丘を越え 黄梅花咲く 家と再会」

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2018年2月25日 (日)

2018年02月24日

2018年02月24日

 

 晴れた朝が戻ってきました。地平の方を見ると、春のようなぼかしがあって、富士の姿を見ることは出来ませんでした。

 昨日、「語ろう会」で話題になった、科学技術の進歩と宗教(キリスト教)との関係については、長い論争の歴史がありました。一旦治まったかのような論争が、コンピュータの進歩により、また火が点く気配があります。しかし、最早真剣な論争にはならないでしょう。「人知の及ばない所に、神の意志がある」と考え方を改めて、宗教側が、論争に封印をしたのです。

 最初は、処女マリアが論争の種でした。「処女が子を産むはずはないし、男女の営みの結果生まれた子供が、神である筈が無い」というのが、論争の種でした。その次は、ガリレオの地動説で、次はダーウィンの進化論でした。カトリック教会は、それまでの自説が間違っていることを、認めざるを得ませんでした。科学技術は、更に進歩して、ビッグバンと言われる、宇宙の誕生にまで遡るようになりました。しかし、何故ビッグバンは起きたのか、ビッグバンまで実証的に遡れるのか等々、人知の及ばない所は、まだ山程あります。カトリック教会は、その人知が及ばない所を、神の意志としたのですから、もう、神の本質について、論争の種は無くなったのです。

 論争の種はなくなっても、神は現実から遠いものとなってしまいました。元々、文字を持たない生物には、過去に遡ることも、科学技術を使って自然環境を変えることも、頭脳で論理を組み立てることも、論理(善悪、平等、自由等)によって現実生活のあり方を変えることも出来ません。ただ、現在という瞬間瞬間を生きて行く他ありません。人間以外の生物には、神という概念を認識することが出来ません。従って、神が現実から遠いものになったと言うことは、人間が築いて来た、人間の中だけの神の概念が、変化した訳です。何故か、それは科学技術が進歩し、人間の論理構成の基本に、大きな影響を与えたからと思います。

 所で、昨日、柴又で買ってきた草団子とくず餅の賞味期限が、今日だと言うことが、今日分りました。おやつとして、1週間位かけて、ゆっくり食べようと思っていたのですが、賞味期限が分った後では、そうは行きません。娘に取りに来てくれと頼むと、承知してくれました。

 娘家族は、1時頃我が家に着きました。暫くチェス等をして遊んでいましたが、娘が、草団子とくず餅は、持って帰らず、此処で食べて帰ろうと言いだし、その通りにしました。大人と上の孫は、めっちゃ美味しいと言って食べましたが、孫娘と末の孫は、左程美味しいと思わなかったらしく、残してしまいました。でも、寅さんの話をしながら、皆で一緒に食べて、この方がずっと良かったと思いました。

 2時頃から、この前、末の孫と一緒に遊びに行った、交通公園へ行きました。上の孫達が、話しを聞いて、行きたくなったようです。この前と違って、大変な混雑でした。足漕ぎカート。電気カート、ゴーカートの全てに、長い列が出来ていました。足漕ぎカート、ゴーカートをやり終えて、電気カートの所に行ったら、カートは片付けられていました。4時になって、貸し出しが終了したのです。この前、上機嫌だった末の孫は、今日は、ずっと不機嫌でした。お兄ちゃん達は勝手に遊ぶし、母親もジージも、この前程、自分中心に面倒を見てくれなかったからです。末っ子の宿命ですかね。孫娘は、もっとジージに甘えたい素振りを見せるのですが、あまり構ってやれなくて、寂しそうでした。

 4時過ぎたので、孫達と別れ、散歩を兼ねて、交通公園から歩いて帰りました。1時間15分位の歩きとなりました。最後の頃、孫達を乗せた車が、追い抜いていきました。

 6時半から、寅さんを見ました。昨日歩いた柴又の駅と町並みが、そのまま映画に出て来ました。ただ、映画の中の俳優が、皆歳を取ってきました。45作目ですから、もうそろそろお仕舞いです。柴又にあったポスターに、49作が最後の作だと書いてありました。今日は、帝釈天の坊主が出て来ませんでした。俳優が亡くなったのだろうと思います。寅さんを演じた俳優は、最終作の映画を撮りおわって、亡くなりました。歳を取ると、このような事実が、胸を締め付けます。「とらや」の小父さんも小母さんも、隣の社長も、既にこの世の人ではないのではないかと思います。

 寅さんを見終わってから、女子のカーリングを見ました。なんとイギリスを下して、銅メダルを獲得しました。この競技には、それ程期待していなかったのですが、本当に素晴らしい結果を残しました。よく頑張りました。明日で、平昌オリンピックも終わりです。

 

「孫達と 柴又土産の 草団子 皆で食べれば 話しも弾む」

「孫3人 3台並んで ゴーカート ジージは一人 写真撮影」

「末の孫 兄さん達と 同じよに やりたいけれど 思うに任せず」

「孫娘 甘え足りない 素振りする 弟いたら ジージは冷たい」

「寅さんの 映画の中の 柴又は 昨日歩いた 柴又の町」

「我老いて 俳優達も 過去の人 映画に残る 若き寅さん」

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2018年2月24日 (土)

2018年02月23日

2018年02月23日

 

 今朝も雨でした。道路の濡れ具合は、昨日の朝より多い用でした。しかし、午後からは、晴れるというので、二日分の洗濯をしました。天気予報通り、午後から晴れ間が見えました。本当に、最近の天気予報は、良く当たります。科学技術の進歩のお陰だと思います。

 今日は、12半に歯のクリーニングを予約しているので、11時半には、我が家を出て、歯科医院に行きました。この前の歯科衛生士のお嬢さんが、待っていてくれました。そのお嬢さんが、最初に私の歯を診て、「最近歯ブラシを変えましたか、固い歯ブラシではありませんか、歯の着色は少なくなっていますが、歯を傷つけたり、歯茎を下げる事があり、その方が歯の為には、悪影響が強いのです」と言われました。流石、専門家だと思いました。3週間程前から、買い置きの歯ブラシの中に1本だけあった、固めの歯ブラシを使い始め、歯茎が痛く感じていたのです。歯科衛生士の言いつけを聞いて、今晩から、柔らかめの歯ブラシに変えました。

 今日は、夜7時頃から、恵比寿の先輩の店で「テレビを消して語ろう会」がありますが、歯の治療は1時で終わったので、柴又の帝釈天に、御朱印を貰いに行くことにしました。聖蹟桜が丘からバスで、小田急線の永山駅は出ました。永山で、昼食をとり、小田急に乗り入れしている地下鉄千代田線で、午後2時半に永山を出て、金町へ行きました。約1時間20分の長旅となり、金町に着いたのは、4時10分前でした。金町から一駅の柴又に着いたのは、4時20分でした。柴又駅は、寅さんの映画のままでした。駅前広場では、寅さんと妹さくらの銅像が出迎えてくれました。

 国の重要文化的景観に指定された、柴又の町並みを見ながら一目散に帝釈天に行きました。遅くなると御朱印の受付を止めてしまう寺が多いのです。ぎりぎり間に合いました。坊さんが、受付の前を閉じようとしていました。慌てて御朱印を頼むと、快く引き受けてくれました。

 御朱印さえ貰えば、後は自由ですから、各お堂に参拝し、帝釈天の自慢である彫刻の写真を、沢山撮りました。その後、参道に戻り、漬け物屋で柴又漬、佃煮屋でアサリの佃煮を買いました。日本酒の酒の肴になるでしょう。そして、一番のお目当ての「とらや」に行き、名物の草団子を買いました。店内には、寅さんが2階に上っていく階段が残っているようなので、写真を撮りたいと売り子に頼むと、直ぐに店内に案内してくれて、階段の他に、寅さん関係の品々が飾られている部屋にも案内してくれました。参道に船橋屋というお菓子屋がありました。大学時代、神楽坂で1年間下宿しましたが、そこが船橋屋というお菓子屋でした。とても懐かしくて、くず餅を一箱買ってしまいました。神楽坂の船橋屋と関係が有るのか聞いてみましたが、若い店員だった為、その辺の知識は無いようでした。神楽坂の船橋屋は、お菓子屋を止め、立派なビルを建て、貸事務所にして優雅な生活をしています。寅さんの生まれ故郷、葛飾柴又に来て、寅さんの映画を持って、ペルーの村々を訪れた日のことを思い出しました。明日の晩の「土曜は寅さん」を絶対見ようと思いました。

 半世紀振りの柴又を堪能して、6時半に先輩の店に着きました。私が

1番でした。他の人は、現役で仕事をしている人達ですから、そんなに早く会社を抜け出せないのです。7時頃に、「語ろう会」のリーダー的存在であるT女史と友達の新人が到着しました。そのT女史が、「米国のグーグル社の元社員が、テクノロジーを神とする宗教法人を立ち上げたと聞きました。私の持っている神のイメージとは、かなり違うので違和感が強いのです。今日は、この問題について話してみたい」と切り出しました。科学技術と宗教(特にキリスト教)の間には、長い論争の歴史があります。多くの本も出されています。物凄く大きなテーマだと思いました。しかし、コンピュータの急速な進歩は、人間社会の多くのものを、根底から変えてしまう可能性があり、人間社会の有識者の中でも、議論されなければならない問題だとは思います。

 コンピュータ関連の仕事をしているU氏の到着を待って、話し合いが始まりました。しかし、予想通り、非常に難しい問題に入ることになりました。テクノロジーが神であるとする真意が不明なこと、この神は信仰の対象なのか、この神の何を信仰するのか、テクノロジーは人間を越えるようなもの(ロボット)を作ることが可能か、神が人間を作ったのであれば人間を越えるロボットを作ったテクノロジーは神ではないか、ロボットは生命体になり得るのか、人間を越えるロボットが人間の仕事を全部代替したら人間は何をするのか、テクノロジーが人間を越えるロボットを作った後テクノロジーは人間の神であり得るのか、

これまでの神はどのようになって行くのか等々、哲学者にも宗教家にも手に負えないような話になりました。しかし、手に負えようが負えまいが、話しをするのが「語ろう会」の趣旨ですから、結論が出ることが大事ではありません。色んな考えがあることを知っただけでも、充分有意義だったと思います。私も、色々話しましたが、我ながらきちんとした見識が無く、何を話しているか分らない状態でした。

 私にとっては、嬉しいことが二つありました。私が、コンピュータを扱っていた時代の昔話をU氏にメールで送った所、今日、本の体裁にして持ってきてくれました。拙い昔話が、立派な書き物のようになっていました。もう一つは、私の本を探して買ってくれたO氏が、サインを求めてきました。恥ずかしくて嬉しくて、字を間違ってしまいました。この前、T女史も同じ本を持ってきてサインをしました。年老いて、こんな機会があるとは全く思っていませんでした。

 

「柴又の 駅のホームは 変わらずに 駅前広場で 寅さん出迎え」

「思い出が 堰を切って 流れ出る 葛飾柴又 寅さんの町」

「帝釈天 山門潜れば 年老いた 映画の坊さん 顔出しそうだ」

「名物の とらやの団子 お土産に 映画に出て来る お客となりぬ」

「一軒の 喫茶店にて 語ろう会 老いて広がる 人の輪嬉し」

「我が本に サイン求める 人のあり 嬉し恥ずかし 初の経験」

「拙文が 本の体裁 整えて 作りし人の 愛情滲む」

 

 

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2018年2月23日 (金)

2018年02月22日

2018年02月22日

 

 雨というか霧というか、小さな雨粒が、時々落ちてくるような朝でした。生け垣の木の葉に、ほんの少しだけ雨が溜まっていました。

 7時近くに起きて、スマホを見たら、LINEにメッセージが入っている印がついていました。LINEを開けてみると、嬉しいニュースが入っていました。長男の息子、私の初孫が、第1志望の大学に受かったそうです。人生、乗り越えなければならない難関が、幾つもありますが、最初の難関を乗り越えたと言えるでしょう。本当に良かったと思います。

 10時頃に、東京ガスの修理の人がやって来ました。3個のガスコンロの内、よく使っていたコンロが、ガスを点けて1分程度で、消えてしまう事を説明しました。修理員は、色々確かめていましたが、結果的に状況は、解決されませんでした。どうやらセンサーが、正常に機能しなくなっているようです。結局、センサーを取り寄せて、修理することになりました。センサーを取り寄せるのに、最低でも1週間は見て欲しいと言われました。

 今日は、特に見たいオリンピックの競技はなかったのですが、女子のアイスホッケーの決勝戦が中継されていたので、その決勝戦を見ることにしました。アメリカとカナダの戦いでした。隣同士の国でもあり、オリンピック以外でも、常に戦っている因縁の相手なのだろうと思います。試合の初めから、激しい闘志のぶつかり合いでした。互いに譲らず、延長戦でも勝負がつかず、パット合戦に持ち込まれました。パット合戦も最初の5人で勝負がつかず、サドンデスのパット合戦となり、その最初のパットで、アメリカが勝利しました。執念と執念のぶつかり合いを見ました。スポーツだから良いようなものの、戦争だったらと思うと、恐ろしさを感じました。どうか試合後は、手を取り合って、お互いを称えて欲しいと思いました。

 2時頃から、近場を散歩しました。外へ出ると思った以上に寒く、時々、雪が、一片二片落ちてきました。昨日調べた、姫立金花が、花を窄めているように見えました。歩道のアスファルトと塀の煉瓦の間で、逞しく花を咲かせている菊も、花が閉じ気味でした。

バス停の横の、アパートの解体がほぼ完了しました。花咲爺さんが住んでいたアパートでした。工事の為、庭にも車が入り、解体の時に出たコンクリートの屑や、木材などを運び出していました。この庭では、花咲爺さんが手塩にかけた、日々草、パンジー、ランタナ、アメジストセージ、昼咲き月見草、野草の桔梗草等が、バスを待つ人の目を楽しませていたのですが、この春は、期待出来そうにありませんでした。

散歩の後、近くのショッピングモールに寄って、散髪をし、100円ショップで、酒の肴になりそうな、魚の干物を何種類か買いました。100円ショップで食べ物を買ったのは初めてでした。その後、西友で買い物をして帰りました。

夜は、久し振りにオリンピックを見るのを止めて、録画してあった映画「沈黙」を見ました。遠藤周作の原作を、外国人の監督が映画化したものです。「沈黙」は、私の郷里の、そして、恐らく私の祖先にも関係した話しなのですが、私は、読んだことがありません。キリスト教禁止令がしかれ、キリスト教信者が迫害された時代の話しです。日本の官憲による、キリスト教徒の迫害が極めて強く、転びバテレンと言われる、改宗した神父が、かなり居たそうです。「沈黙」の主題も転びバテレンでした。しかし、私は、中南米で、カトリックに改宗しない原住民を、見るに堪えないような方法で迫害した、キリスト教の過去の遺跡をこの目で見ました。金箔が貼られた教会と、アドベ(泥の日干し煉瓦)で作られた、貧しい原住民の家も見てきました。日本は、難を逃れましたが、中南米の20数カ国は、キリスト教国になりました。メキシコで一人だけカトリック教の聖人が居ますが、長崎の26聖人殉教者の一人で、メキシコ人の神父でした。殉教者だから聖人になったのでしょうが、メキシコと同じように、日本をキリスト教国にして、乗っ取ろうとしていたのかも知れません。いずれにせよ、宗教改革、大航海時代など世界の歴史が、大きく動いた時代でした。

今日見た映画「沈黙」は、転びバテレンの心理描写に重点が置かれており、日本の権力者である武士階級、圧政に苦しむ農民等、宗教と現実生活との係わりが描写されておらず、深みに欠けた作品になっていました。いずれにせよ、宗教は、始まった時は別として、信者が増える度に、政治と深い関わりを持つようになり、多くの罪もない人々を殺すようになりました。今の私は、宗教そのものが嫌いです。

 

「肩すくめ 寒い寒いと 急ぎ足 顔を横切る 雪の一片」

「日差し無く 花を窄めて 寒さ絶つ 寒の戻りの 姫立金花」

「土も無き 歩道の隅の 菊の花 荒れ地に負けぬも 寒さ堪える」

「今は無き 花咲か爺の 館跡 弥生の風も 花咲かすまい」

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2018年2月22日 (木)

2018年02月21日

2018年02月21日

 

 雲の多い暗い朝でした。当然のことですが、富士は見えませんでした。これから、富士の見える日が、だんだん少なくなって行きます。

 何時の頃から咲き始めたのか、忘れてしまいましたが、我が家の黄梅は、その後ずっと咲き続けています。今のベランダで、唯一の花です。この花の中国名が、迎春花と知った時は、嬉しくなりました。この花は、寒い時に咲き初めて、春を迎えるのだ、良い花をベランダに持ってきたと思いました。実は、この花は、或る家の垣根に、山程下がっていた枝を、1本貰ってきて、挿し木した物なのです。申し訳無いことをしましたが、立派に育てることで、許して貰うことにしましょう。

 午前中、妻から電話があって、一昨日、腎臓癌だと言っていた友人が、実は癌ではなかったそうです。何故こんなに病状が変わるのか、医者はちゃんと対応しているのか、不思議な点が残りますが、取り敢えず、良かったと思います。

 今日は、女子のフィギャースケートのショートプログラムを見て、3時頃から散歩に行こうかと思ったのですが、その前に、調子が悪くなっている、ガスレンジの修理を頼もうと、東京ガスに問題点を電話して相談したところ、「その問題ならば、電池を替えれば解決するケースがあるから、試してみて下さい」と簡単に言われました。そこで、買い置きの電池がありましたので、交換して試してみました。結果は、何も変わりませんでした。仕方なく、もう一度電話すると、別の係員が応対してくれました。問題点と電池を替えた経緯を話した所、明日、午前中に、修理の人を派遣して貰うことになりました。ついでに、トイレの水漏れの修理を、良く宣伝している「クラシアン」に頼んだ所、修理工を今日中に派遣してくれることになりました。所が、修理工からの修理に来る時間の連絡を待っていたら、5時近くになってしまい、今日の散歩は、止めにしました。天気も良くなかったので、散歩が出来なくても、左程苦にはなりませんでした。

 水漏れの修理工からの連絡を待っている間、石蕗(ツワブキ)に似た花の名前を調べました。簡単に調べが着くと思ったのですが、思いの外手間取りました。「冬、黄色い花、石蕗に似た花」で検索したら、出て来た花の写真は、石蕗ばかりでした。仕方なく「冬、黄色い花」で検索したら、山のような花が出て来て、その中から、目的の花を探すのは、とても大変でした。でも、分りました。ヒメリュウキンカ(姫立金花)で間違いないと思います。ハート型の葉と、光沢のある花が、石蕗のように先端で別れず、一輪ずつ立って咲いていますので、まさしく私が見た花の形でした。それにしても、カタカナでは分りませんが、漢字で見ると、小柄の金の花が立つ、良く花の姿を捉えた名前だと思いました。

 夜は、昨日の残り物で、酒を飲みながら、オリンピックを見ていると、8時頃、クラシアンの人がやって来ました。トイレに案内して、便座の所から水が漏れていることを言うと、「残念ながら、便座の修理は出来ません。メーカーも修理不能だと思いますよ。新しい便座と交換して下さい。我が社でも便座を売っています」と言って帰っていきました。15年以上使っていますから、替え時だとは思います。

 9時近くになって、女子のパシュートの準決勝、決勝を見ました。決勝で、スケート王国オランダを破って、見事優勝、金メダルを獲得しました。組織力・チームワークの勝利だと言っていました。

 塩野七生のどの本だったか忘れましたので、詳細が正しいか分りませんが、古代ローマは、文化面はギリシャに勝てず、土木技術はアルバニア(?)を模倣し、体力においてはゲルマンに勝てなかったが、組織力においては、何処よりも勝っていたと書いてあったのを、思い出しました。特に、歩兵連隊の組織力は、当時の国々の群を抜いており、大ローマ帝国が出来たと言われています。

 日本も、武家社会の影響かどうか分りませんが、組織力が強いと思います。日本の戦後の経済発展は、国の押しつけではない、自由を得た国民による自由な発想と、自分達自身が築いた組織力の力だと思います。

 戦後、中南米においても、日本人が活躍しましたが、その背後には、日本人会と言う、互助組織の力が大きいと言う人も居ます。私も、長い中南米勤務の中で、良くも悪くも日本人の組織力を体感しました。

 女子パシュートの試合を見て、とても感動し、自分の人生に関係した、様々なことを思い出しました。彼女達が、昔風の根性論ではなく、スポーツに科学を取り入れ、勝つ為の方策をきちんと理解し、その方策に基づいて努力を積み重ねたことに、心から敬意を表します。良い試合を見せて貰いました。

 

「黄梅の 枝垂れの先へ 下りて行く 我が家に春呼ぶ 君は迎春花」

「庭先に 冬の盛りの 黄金花 なるほど君は 姫立金花」

「体力の 勝る相手に 勝利する 頭と身体 使い方次第」

「勝利した 笑顔の裏に 隠れてる 努力の大きさ 我が胸を突く」

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2018年2月21日 (水)

2018年02月20日

2018年02月20日

 

 雲の多い朝で、富士も見えているのか確認できないほど、霞んでいました。

 昨日は書けませんでしたが、様々な問題もありました。娘の旦那のお母さんが、大腸癌と診断されたそうです。現在、新潟の方で、ご主人と二人暮らしをしていますが、ご主人の方は私より4歳以上、奥さんの方は、私と同じ位だと思いました。奥さんが入院中、ご主人が一人で生活出来るのか、危ぶまれています。いずれにせよ、今後二人の生活をどの様に見ていくのか、娘夫婦には、大きな問題だと思います。何れ私も、そう遠くない時期に、同じような問題を引き起こすのは、明らかです。自分のことについても、対応策が出来ていません。

 また、少しだけ書きましたが、麻雀をしたり旅行に一緒に行ったりしていた友人夫婦の内、亭主は、肝硬変と膵臓癌の疑いがあり、昨日、妻から聞いたところに拠ると、奥さんの方は、腎臓癌が見つかったようです。状態は思った以上に悪く、早急に手術をしなければならないそうです。

 妻は、至って健康そうなのですが、目に大きめの異物が見えるそうで、一種の飛蚊症らしいのです。手術するかどうか、迷っていました。

これが歳を取ると言うことでしょうか、私を含め、周りが病人だらけになりました。しかし、どうあがいても若返ることは出来ませんので、運命を受け入れて、毎日を生きていく他ありません。現在、私は尊厳死協会に入っていて、延命治療はしないことを、子供達に宣告していますが、後期高齢者以上の老人には、当人が決断したら、自ら命を絶つことが出来る薬の使用も、認めて欲しいと思います。法律的に無理であったら、尊厳死協会と同じように、社会風潮として、容認出来る状況を作り出したいものです。在宅治療は、現在の社会状態では、家族の負担が大き過ぎると思います。

ちょっと深刻なことを書きましたが、今日は、次男が休みなので、昼間、一緒にオリンピックのアイスダンスを見ました。アイスダンスは、競技と言うより、ショーを見ているようでした。優雅で少しエロティックでも有ります。アルゼンチンタンゴを、氷上でスケートを履いて踊っているように思えました。競技の正確さに加えて、男女の惹かれ合う雰囲気を上手に表現したペアが、きちんと上位に入りましたので、次男と一緒に納得しました。

次男がいても、散歩は欠かせませんので、一昨日行った、浅川と多摩川の合流点から、大栗川との合流点を廻って、聖蹟桜が丘まで歩きました。

一昨日いた鴨達は、そのまま止まっていました。一昨日の日曜日と違って、火曜日の今日は、河原に人が少なく、鴨達の午睡を邪魔する無粋者がいませんでしたので、約半分、100羽以上の鴨達が、水辺の岸に並んで、午睡をむさぼっていました。今日は、春のように暖かい日でしたので、日光浴をしている鴨も、流れで遊んでいる鴨も、気持ちが良かったでしょう。

河川敷の運動公園の脇に、木瓜(ボケ)の花が咲いていました。実は、私は、海棠(カイドウ)と木瓜の区別が良く分らず、ネットで調べた所、今日見た花は、木瓜の花だと思いました。また、木瓜がパパイヤの別称であることを、初めて知りました。確かに、パパイヤは、漢字の意味そのものだと思いました。私は、木瓜には実が生らないと思っていたのですが、漢字の通りの実が生るそうです。

今年に入って、関戸橋の架け替え工事の為の仮橋設置工事が、再開されました。その為、関戸橋一体の河原は、露天掘りの鉱山の様相を呈していました。多摩川の流れも、無理矢理変えられていました。現代社会は、渡しで用を足す訳には行きませんから、老朽橋の掛け替えは、やむを得ないことだと思います。関戸橋の場合は、半分だけのようです。

大栗川との合流点には、何時もより多い、9人の老人カメラマンが、大きなカメラを据えて、チョウゲンボウの飛来を待っていました。彼等は、ほぼ一日中、ここに居るのです。私も、暫く付き合いましたが、一向にチョウゲンボウが現れる気配がありませんでした。

合流点から、大栗川を遡ると、かなりの数の小鴨が居ました。全部、多摩川の方に移ったのかと思っていましたが、そうでもないようです。今日の陽気で、亀達が、甲羅干しをしている周りを、小鴨達が泳いでいました。

聖蹟桜が丘に着くと、京王関係のビルが、全て休館でした。駅の周囲のビルは、殆どが京王関係なので、何処もシャッターが降りて、廃墟の様相を呈していました。聖蹟桜が丘に来ると、用が無くてもcaldiと言う、海外食材店に寄ることにしています。何時でも、コーヒーのサービスがあるからです。今日は、コーヒーも飲めず、散歩の締めくくりが出来ませんでした。

夜は、次男と一緒に、酒を飲みながら、オリンピックをまた見ました。私が、おでん風の煮物と鰯の干物を焼き、モロキュウを作り、次男が煮炒め鶏を作って、美味しい酒が飲めました。しかし、見たオリンピックの競技は、どれも調子が悪く、ノルディックラージヒル、スキー女子ハーフパイプ、女子カーリングは、期待通りにはなりませんでした。

 

「老人が 自分の命に 幕を引く 悪いとばかりは 言えぬ現代」

「世の中に 矢鱈に人の 多過ぎて 必要以上に 長生きもする」

「気は温み 春の日差しの 川縁で 午睡楽しむ 鴨の群れかな」

「鴨達の 泳ぎ見ながら 木瓜の花 気づいてくれる 人の少なし」

「小鴨等が 周りを泳ぐ 岩の上 我関せずと 亀の甲羅干し」

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2018年2月20日 (火)

2018年02月19日

2018年02月19日

 

 雲の多い朝で、富士も見えなかったのですが、暫くすると晴れ間が見えるようになり、富士も顔を見せました。

 今日は、末の孫が、土曜日のお遊戯会の代休で、幼稚園が休みだとかで、交通公園で少し遊んで、昼食を一緒にすることにしました。

 10時40分頃に、娘と末の孫が、我が家に来て、そのまま車で交通公園に行きました。交通公園は、郷土の森公園に隣接する、府中市の施設です。公園の中には、蒸気機関車、ディーゼル機関車、消防車、市電、バスが展示されています。その他に乗り物として、足漕ぎカート、電池カート、ゴーカートがあります。末の孫は、展示物全部を見て、全部のカートに乗りました。足腰カートは、足がやっとペダルに乗る程度なので、自分で漕ぐことが出来ず、娘と私で交互に押さなければなりませんでした。電池カートは、漕ぐ必要はなく、最初は戸惑ったハンドル捌きも、直ぐに慣れて、一番楽しかったようです。3種類の電池カートに乗りました。流石に、ゴーカートは、大人と一緒でなければ、乗せてくれませんでした。末の孫は、未だ4歳です。その後、ブランコに乗り、私が、ブランコがギーギー悲鳴を上げる程大きく揺らすと、ブランコの悲鳴が気に入ったらしく、「もっと押して、もっと押して」と大喜びでした。

 12時半近くになりましたので、回転寿司の蔵寿司に行きました。これも、末の孫の希望だったようです。5皿で1回籤が引けるので、末の孫も頑張って、7皿食べました。娘が12皿、私が8皿、合計27皿食べて、5回籤を引きました。当たったのは1度切りでしたが、お腹も膨らんで満足したようです。それでも、デザートのチョコレートケーキも、殆ど全部食べました。良く食べるようになりました。ラーメンからコーヒーまで、何でもある回転寿司は、子供に大人気です。誰が考えたのか知りませんが、時代に合っているような気がします。

 食事は、1時半過ぎに終わり、聖蹟桜が丘の駅まで送って貰いました。今日は、妻が上京する日なので、4時に神田の駅で待ち合わせる事にしていたのです。電車は実にスムーズで、神田には、2時45分に着きました。1時間以上も時間があり、神田界隈は、実に久し振りだったので、ぶらぶらと東京駅まで歩きました。

 神田の界隈は、電車の線路の下やガード下、狭い路地の商店街等、学生時代や勤めを始めたばかりの頃の雰囲気を残していました。しかし、大手町や反対の日本橋方面を歩くと、様相は一変して、超高層のビル街になりました。現在の日本の中で、最先端を走っている所だと思います。東京駅のリフォームは、すっかり完成して、赤煉瓦の駅舎の前から、工事用のシート等が全て無くなっていました。本当にすっきりしました。東京に出て来て何時も思うのですが、東京の魅力は、古き物と新しいものが、ごちゃ混ぜな所だと思います。その中でも一番メリハリを与えているのは、皇居(江戸城)だと思います。

 3時45分に神田駅に戻りました。妻は少し遅れるかも知れないと言っていたのですが、4時10分過ぎに電話が来て、「今、眼科の診療が終わったので、40分程遅れるので、先に行って欲しい」とのことでした。教えられた道を辿って、今日の料理屋「味坊」に行きましたが、未だ準備中でした。仕方が無いので、近くの珈琲館で、時間を潰していると、4時40分位に妻から「今着いた」と連絡がありましたので、珈琲館を教えました。妻は、この辺りは良く知っているらしく、直ぐにやって来ました。

 5時過ぎて、開店時間になったので、「味坊」に行ったら、細長い席がズラリと並んだ所へ案内されました。時間が早いので、お客は、まだ僅かでした。長い席での相席は、妻が嫌いらしいので、2階の小さな4人席に替えて貰いました。30分程食事をしていると、他の席は1杯空いているのに、女性を1人相席させて欲しいと言われました。「えー何故」と思いましたが、同意しました。5分後くらいに、もう一人友達がやって来ました。結局、肩が触れそうな小さなテーブルに、4人相席することになりました。

 妻は、私とありきたりの話しをするより、若い女性と話し始めました。私は、女子会に参加している一人の男性のようで、凄く良い気分でした。最初に来た子が40歳前、後からきた子が30前で、同じ会社の上司と部下でした。二人とも、最近結婚したばかりだそうです。上司の女の子は、小学校の頃から剣道をやっていて、高校・大学は、剣道の特待生だったとのことでした。私も剣道をやっていたので、良く話しが合いましたが、彼女は3段、私は2段で負けてしまいました。部下の女の子は、水泳で身体を鍛え、趣味でトロンボーンを吹いているとのことでした。二人は、お酒も良く飲んで、とても明るい子でしたので、会社のこと、結婚のこと、最近の男性の気風のこと等々、話しがどんどん弾みました。妻から、「貴方、男のくせに気が利かないのね、お酒1杯位、奢ってやりなさい」と言われて、その通りにしたら、更に話しが弾みました。

 この店は、中国の東北地方の料理で、この辺りやネットでも有名店らしく、既に超満員になっていました。店の雰囲気は、昔の大衆食堂そのものでしたが、そこが人気の秘密かも知れません。私も昔に帰って、大いに楽しみました。所が、7時前頃になると、食べ物も飲み物も、ラストオーダーだと言われてしまいました。「飲み放題は頼んでないよ、なんで2時間で終わりなの」と文句を言ってみましたが、同席の女の子から「この店は、仕方が無いんですよ」と言われました。7時過ぎると、次の客が我々の席の所まで来て立っていましたので、想定外だった楽しい酒を終わりました。別れ際に、連絡先を教えて貰いました。妻が、上京する時は、また、一緒に飲み食いしたいと思いました。

 我々の、友達の女性が、腎臓癌になったとの辛い話しも合ったのですが、二人の若い女性のお陰で、一時だけ忘れることが出来ました。妻とは、お茶の水で別れて、家に戻りました。9時過ぎでした。今日の余韻を楽しみながら、ワインを傾け、オリンピックを見ました。

 

「我が孫の 元気な姿 見ていれば 老いの寂しさ 一時忘る」

「孫の背に ブランコ押した 爺の手を 思い出す日の 何時か来るらん」

「人生の 盛りの時期の 若者の 話し聞きつつ 飲む酒旨し」

「我妻と 短き逢瀬 盛り上げる 初めて出会う 若者二人」 

 

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2018年2月19日 (月)

2018年02月18日

2018年02月18日

 

 今朝は、くっきりとした存在感のある富士が見えました。薄い雲はありましたが、良い天気でした。

 昨日は見なかった、フィギュアースケート男子の表彰式を、今日ニュースで見ました。表彰台の上に、日本の国旗が揚がり、日本国歌が聞こえると、何故かじーんとしました。この「何故か」というのは、私の素直な気持ちです。筋の通った理由を説明することが出来ないのです。自分が愛するもの、誇りに思えるもの、尽したいと思うものの頂点に、国家があるような気がします。しかし、官製の愛国心には、愛想が尽きていますし、不気味なものを感じます。戦争へ駆り立てる為のマインドコントロールではないかと思うのです。自分の心の中に、自然にわき起こる愛国心と、官製の愛国心と何処がどの様に違うのか、私の中で、明確になっていないのです。

 オリンピックの表彰式で、国旗掲揚の際、拳を突き上げるシーンを見たことが有ります。誰にでも愛国心が有る訳では無いようです。また昔から、多くの国で、他国との戦争において、敵を沢山殺し、自国を守る人は英雄視されてきました。愛国心の問題は、簡単ではないようです。ゆっくり考えて見たいと思います。

 今日も、3時位から、西府緑地(公園)巡りから、関戸橋を渡り、浅川との合流点の河原、そして四谷橋を渡って戻るコースを歩いてきました。

 多摩川の左岸、土手下の道の1本内側の道を歩くと、3つの西府緑地があります。西府というと、府中崖線の所にある南武線の西府駅のイメージしかない為、多摩川縁で、西府の名前がついた緑地には、若干違和感があります。

 四谷桜公園から野猿街道を越えると、最初の西府緑地になります。多くの遊具を備えた公園で、子供達に人気があり、今日も沢山の子供達が遊んでいました。私も、孫達が来ると、何度か一緒に遊びに来た事があります。

 最初の緑地から、四谷小学校、府中第8中学校を過ぎると、2番目の西府緑地になります。テニスコートやゲートボールが出来るような広場、梅並木、スポーツの練習広場などがあります。この公園で、何故か朱く色づいた南天が並んでいました。また、我が家のベランダで咲いている黄色い花を見つけました。花の名前が分らなかったのですが、今日は簡単に分りました。黄梅でした。中国語名は迎春花、英語名はウィンター・ジャスミンだそうです。なかなか洒落た名前でした。ベランダで、冬の寒い時期に花を咲かせたので、狂い咲きかと思ったのですが、全く正常だったのです。昨日、一所懸命花の名前を調べた時、名前を簡単に調べる方法が分りました。素直に、花を見た感じで検索すれば良かったのです。今日は、(枝垂れ、黄色い花、冬)で検索した所、黄色い花の写真が沢山出て来ました。その中から、知りたい花を見つけました。ネットの情報量、情報を検索する力の凄さを改めて感じました。

2番目の緑地から、キューピーマヨネーズの工場を過ぎると、3番目の西府緑地になります。今は、冬木立の小さな公園で、水が抜かれていますが、春になると、水が入れられ小さな池となり、新緑やネムノキの花が水に映ります。この公園で、西府緑地は終わり、白椿と栃の木並木を歩いて、中河原公園に入りました。鎌倉街道を挟んで、二つの中河原公園があり、鎌倉街道の向こうの中河原公園には、棗の木があります。

 今日は、鎌倉街道を渡らないで、関戸橋を渡り、多摩川の右岸の土手に出ました。通常は、聖蹟桜が丘の街に寄るのですが、今日は寄らないで、四谷橋の方へ向かって歩きました。昨年秋の大雨で、浅川と多摩川の合流点が、四谷橋の下流になりました。その合流点に向かって、川岸を歩いていると、沢山のコガモが泳いでいました。そして、向こう岸にも、休んでいるコガモ等の長い列がありました。そこに、近づいている人影が見えました。「鴨達が逃げるから近づくな」と心で念じたのですが、全く通じず、ずかずかと鴨達が休んでいる場所に近づきました。しかし、お陰で、小鴨の群れの大移動を写真に撮ることが出来ました。小鴨達は、遠くへ逃げるのではなく、近くで泳いでいる鴨達と合流しました。コガモが約200羽、真鴨が30羽、バンが20羽程度の大集団になりました。この中に、たった一番(つがい)のキンクロハジロがいました。多摩川にこれ程の鴨達が集まるのは、これまでの例からすると、北帰行が近いのです。

 鴨達の写真を何枚も撮った後、浅川との合流点の河原に行きました。四谷橋の上から見ると、中州との間は、細い流れでしたので、中州へ移ろうと思いましたが、実際に近づいてみると、老人が渡れるような幅ではありませんでした。河原には、人形のようなケルンが、沢山出来ていました。私も一つ作りましたが、石の重いこと重いこと、力の衰えをしみじみと感じました。 

 河原から土手に上がり、四谷橋を渡って、我が家に戻りました。6時前でした。丁度、女子のアイスホッケーの順位決定戦予備選をやっていました。相手は、準決勝で敗退した、スウェーデンでした。予選の時、2-1で負けたチームです。予備選の意味、何故相手がスウェーデンなのか分りませんでしたが、今度は、日本が、延長戦の末、2-1で勝ちました。これで、6位以上を確保したことになるそうです。K君が、大喜びしている顔が見えるようでした。

 夜、9時頃、女子のアイススケート500mを見ました。小平選手が、見事金メダルを獲得し、感動しました。3000mでメダルを取れなかった時の顔を見て、どのレースでも良いから、是非メダルを取って欲しいと思っていたら、1000mで銀、500mで金メダル、世界一になりました。悲愴だった顔が笑顔になりました。ジャンプの高梨選手もメダルが取れましたし、本当に良かったと思いました。

 

「ベランダの 黄色き花は 迎春花 確かに春の 気配を感じる」

「この時期に 紅葉するか 南天さん 君の上には 梅の花咲く」

「白椿 何故か馴染めぬ 花の色 椿は赤と 心が叫ぶ」

「鴨達の 午睡邪魔する 無粋者 鴨等慌てて 空へ飛び立つ」

「鴨達の 慌てる姿 撮りまくる 無粋を越えた 無礼者めよ」

「コガモ等の 群れに混じって 一番 仲間とはぐれた キンクロハジロ」

「草も無く 賽の河原を 思わせる 河原に並ぶ 石の塔かな」

「我もまた 河原に一つ 石の塔 老いた身体に 石の重さよ」

「昨日今日 オリンピックの 大舞台 輝く同胞 胸を熱くす」

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2018年2月18日 (日)

2018年02月17日

2018年02月17日

 

 今朝も、良い天気でしたが、富士が見えませんでした。14日、三浦半島を歩きましたが、何故か富士を見ることが出来ませんでした。相模湾の向こうに富士を見るのが楽しみだったのですが、どうしたのでしょう、天気は最高だったのですが、、、。

 今日は、ガス漏れの探知機の交換の日でした。1時から3時の間に来るように頼んだところ、2時頃、丁度羽生選手の演技の最中にやって来ました。交換作業中に、羽生選手の演技が終わり、ショートとフリー綜合で、1位となりました。この時点で、メダルは確定しました。その次に、ショートで2位のスペインの選手と、3位の宇野選手が演技をしました。結果は、2人とも羽生選手には届かず、宇野選手がスペインの選手を抜いて、2位になりました。日本の選手が、金銀のメダルを獲得しました。これまでで初めてのことであり、今後も有るかどうか分らない、歴史的な瞬間を見ました。作業員と一緒に、この喜びを分かち合いました。羽生選手のオリンピック2連覇も、66年振りの快挙だそうです。

 他の人がやったことですが、歴史的な瞬間を見たという興奮を醒まして、3時頃から、近くの多摩の里を歩いて来ました。

 土手の道に出ると、強い北風が吹き抜けていました。この土手の道を「府中かぜの道」と言います。この「かぜの道」を奥多摩下ろしの冷たい北風が吹き抜け、まさしく「かぜの道」になっていました。四谷橋の上に出ると、風は一段と強くなり、注意して歩か無いと、よろけそうでした。

 四谷橋を渡り、多摩川の右岸をほんの少し歩くと、土手に1本だけ有る河津桜が、1輪の花を咲かせていました。明日にも咲きそうな、はち切れんばかりの蕾は、幾つもありました。もうすぐ春ですね、これからは、花のリレーが続きます。

 程久保川から百草園駅へ向かうと、アパートの椿の生け垣の後ろで、白梅が満開でした。花の少ない冬の間、赤い花を咲かせ続けた椿が、未だ頑張っていました。冬の日に、梅も椿も輝いていました。

 百草園駅を越えて、七生丘陵の登り口の家に、軒から下がった蔓に、下向きの花が満開でした。八王子城址公園の近くでも見たことがありましたが、名前が分りませんでした。後で、一所懸命調べたら、クレマチスの一種で、ウィンターベルと言う花だと分りました。名は体を表すと言いますが、本当に冬に咲くベルのような花なのです。今日は、一つ勉強しました。

 七生丘陵の尾根を少し歩いて、百草園に出ました。この辺りの梅の名所の一つです。百草園は、北側の斜面にあり、梅は、まだ2分咲き程度でした。百草園から、百草八幡神社、枡井緑地を抜けて、旧家が多い南斜面に出ました。そこの家の梅は、何処も満開でした。矢張り日当たりが良いからでしょう。

 この旧家の一画に、百草観音の小さなお堂があります。人が住むようなお堂ではありません。ところが、武相九番百草観音札所と書かれた石柱が立っています。このような札所は、近くの家が御朱印を預かっている事があります。多摩十三仏第九番永山阿弥陀堂がそうでした。そのことを思い出して、近くの二軒に行ってみましたが、人気が無く呼び鈴を鳴らす勇気が出ませんでした。この散歩道は、これからも何度も歩くでしょうから、次の機会にしましょう。

 百草観音から、由木農場、大乗寺を経て、大栗川に出ました。この川はカルガモの天下です。何羽もカルガモが泳いでいて、雄も雌もいるのでしょうが、全部同じに見えました。少し離れたところに、コガモが泳いでいました。その横の川岸に、青鷺が、首を折りたたんで、いかにも寒そうに立ち尽くしていました。もっと風を避けられる適当な場所は無いのですかねー、、、。

 6時過ぎに家に戻り、今日は、寅さんを見ました。シリーズ第44作目でしたので、もうそろそろお仕舞いです。最終作は、阪神淡路大震災の模様が描かれていたように思います。寅さんの渥美清が、満足に身体を動かせなかったように思えました。もう渥美清も思い出の人となり、柴又で銅像になってしまいました。人の世の常とは言え、寂しい気持ちがしました。

 

「冬の午後 奥多摩下ろしの 風の中 河津桜の 花の一輪」

「生け垣の 椿の紅と 梅の白 何を祝うや 見事な紅白」

「冬の日に 軒から下がる 白き花 名前の通り ウィンターベル」

「春を呼ぶ 梅を訪ねて 多摩の里 旧家の庭の 梅は満開」

「日の影が 岸辺に延びる 夕暮れに 首をすくめて 青鷺の立つ」

「一世を 風靡したる 名役者 昔の姿で 町に佇む」 

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2018年2月17日 (土)

2018年02月16日

2018年02月16日

 

 あれが富士かなー、見えているような、見えていないような、良い天気なのか、そうでないのか分らない、そんな朝でした。

 午前中にやるべき事は、11時頃には終わったので、それから男子のフィギュアスケートを見ました。羽生選手が、足の怪我を克服して、どの様な演技をするのか興味がありました。テレビで、さんざん煽り続けるものだから、フィギュアスケートに左程興味を持っていなかった私も、ついつい興味を持ったのです。羽生選手の滑りは、本当に怪我をしていたのかと疑うような、格の違いを見せゆける素晴らしい演技でした。当然、第1位になりました。明日のフリーが、どうなるのか、また楽しみが出来ました。

 男子のフィギュアスケートの全ての演技が終わったのは、2時半を過ぎていました。その為、散歩に出たのは、3時頃でした。これでは、遠出をすることは出来ません。どうやら、オリンピックの期間中は、近場の散歩で我慢せざるを得ないようです。

 先ず、聖蹟桜が丘に出て、郵便局から、墓地のある寺と被爆者団体に、年会費を振り込みました。年の初めは、年に1度の振り込みが、10件近く発生します。自動引き落としの物もありますし、ネットから送金する物もあり、今日のように、郵便局から振り込む物もあります。郵便局からの振り込みは、今日でお仕舞いです。

 郵便局の前が、何時も通っている歯医者なので、歯のクリーニングを予約しました。前回クリーニングを担当してくれた、歯科衛生士が、2ヶ月に1度クリーニングした方が良いというので、その勧めに従った訳です。予約の時間も、午前中最後の12時半からにしました。これも、歯科衛生士の要望なのです。通常、歯のクリーニングは、次の予約もあり、30分が限度なのですが、45分位かけて、しっかりとクリーニングしたいので、後に予約が入らない時間に予約して欲しいと言うのです。こうまで言われたら、従わない訳に行きませんでした。

 聖蹟桜が丘から東府中に出て、「府中の森公園」に行きました。この公園にも、小さいながら梅林があります。昨日、一昨日と暖かい日もあったのですが、ここの梅林では、2本の梅の木に、1分咲き程度の梅の花が咲いていただけでした。一昨日歩いた湘南地方とは、えらい違いでした。

 梅林の近くに、小さな池が2つあります。この池には、例年、真鴨がやって来るのですが、今年も来ていました。4番(つがい)8羽の真鴨でした。既にカップリングが出来ているようで、番毎に仲良く泳いでいる所へ、カルガモが何羽も擦り寄っていました。恋路を邪魔しているようではないのでしょうが、マガモは、何となく嫌な顔をしているように見えました。マガモの雌は、カルガモに似ていますが、顔を見ると直ぐに違いが分ります。逆に、カルガモの雄雌の違いが、未だによく分りません。

 私と同じように、1匹の猫が、鴨達の泳ぎを木陰で見物していました。そこへ、黒猫が擦り寄ってきて、見物している猫にちょっかいを出しました。何故、ちょっかいを出したのか訳が分りませんでした。黒猫の指定席だったのかも知れません。突然激しいバトルが始まりました。勝負は、あっさり決まって、黒猫の方がその場を立ち去りました。

 公園の中にある、府中市美術館で行われている、「府中市民美術展2018」を鑑賞しました。水彩画、油彩画、版画、絵手紙等、様々なサークルから、作品が出展されていました。恐らく、サークルに入って余生を楽しんでいる、老人達の作品だと思いました。玄人肌のものもありましたが、殆どが素人のものでした。我が身を振り返りながら、毎日、やることを探すのが、老いの生き方だと思いました。そして、老いから始める物は、それまでにやったことの無い物が良いと思いました。伸びしろが、沢山あるからです。

 チュウバスで、府中駅に出ました。魚屋の浜喜屋で、晩酌用に鰯の刺身となまこを買いました。今日の晩酌は、日本酒となりました。夜のオリンピックは、男子のカーリングを見ました。ニュースで、羽生選手の滑りを、3度も見てしまいました。

 

「春近し 君と一緒に 北帰行 体寄せ合う 真鴨のカップル」

「真鴨等の 仲睦まじき 語らいに 焼き餅焼きて カルガモ擦り寄る」

「目を細め 鴨等の泳ぎ 眺めつつ 午後を楽しむ 木陰の三毛猫」

「三毛猫の 座る木陰は 我の場所 抜き足差し足 黒猫迫る」

「突然に 陣取り合戦 三毛と黒 三毛に軍配 黒猫逃げる」

「毎日を やること探して 一苦労 老いを生きるは 容易ならざり」

 

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2018年2月16日 (金)

2018年02月15日

2018年02月15日

 

 薄雲が、空を覆った朝でした。薄雲の下に、薄らと富士の姿が、見えていました。

 一昨日、北朝鮮のことについて少し触れました。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国においては、北朝鮮の地理的位置、国が出来た頃の世界情勢、日本の植民地からの独立等、様々な事情があるとは思います。どんな事情があれ、現在の北朝鮮には、私が嫌いなものばかりがあります。内政面においては、話しに聞いた、戦前の日本の軍国主義より、更に悪いように思います。

 一番許せないのは、世襲権力です。国民の主権をないがしろにする国が、民主主義人民共和国を名乗らないで欲しいと思います。次に許せないのは、自由の封殺です。国家に対する批判は、即座に反逆罪になり、粛正されます。民主主義社会の中では、最もあってはならないことだと思います。次に許せないのは、軍備拡張の為に、国民生活を犠牲にすることです。書き始めると切りがありません。ロボットのような軍事パレード、一糸乱れぬマスゲーム、官製の芸術・音楽、官製の応援団、見ていると背筋に悪寒が走ります。

 米国は、日本を壊滅させた敵国ですが、日本国民に、民主主義と自由をもたらしました。予期しなかった米国による占領政策が、米国に対する憎しみを忘れさせ、軍国主義国家を再現させない決意を日本国民にもたらしました。米国は、日本の占領政策が、余りにも上手く行ったので、何処の国にも通用すると思ったようですが、アフガニスタンやイラクなどでは、日本のようには旨く行かなかったようです。9.11のテロ以降、先制攻撃を辞さない米国は、狂気に陥っているとしか思えません。

 現在の北朝鮮を、民主主義に変える事は、良いことかも知れません。結果だけを考えると、私も良いことだと思います。しかし、北朝鮮は、戦前の日本のように、外国に軍を派兵し、外国の領土を占領し、他国を植民地化している訳ではありません。北朝鮮が、外国に被害を与えているのは、拉致問題だけではないでしょうか。むしろ、内戦状態の国に派兵しているのは米国です。このような状態で、米国の先制攻撃は、大国の横暴としか思えません。金正恩が、国内で行っていることを、国際的に行うようなものです。どうか自制して、暫くは雪解けの今後を見守り、北朝鮮の春を待って欲しいと思います。現在の北朝鮮の国家体制に、韓国が吸収されるので許せませんので、韓国への米軍の駐留は認めましょう。その方が、米国の軍需産業にとっても良いでしょう。

昨日、姪から電話がありました。就職が決まったそうです。姪は、もう随分昔に、漫画家になる夢を持って上京しましたが、なかなか思うように行かず、就職していました。しかし、高卒で資格を持っている訳でもないので、責任ある仕事が出来ず、1昨年会社を辞め、職業訓練校に入学し、経理の資格を取りました。今回、その資格を生かしての就職が決まったのです。自分で自分の道を切り開いたのです。小さい頃から知っている伯父として、本当に嬉しいと思いました。落ち着いたら、就職祝いをやりたいと思います。

今日は、13日と14日の、2日分の日記を書いたので、書き終えたのが、4時近くになってしまいました。目がしょぼしょぼして、見えない目が、更に見えなくなりました。こんな時は、外を歩くのが一番なので、遅くなりましたが、聖蹟桜が丘まで歩きました。四谷橋の近くの柳が、何となく緑っぽくなっていました。そろそろ芽吹きが始まるのでしょう。暖かくなったり、寒くなったり三寒四温が続いていますが、春は着実に近づいているのを感じました。

聖蹟桜が丘で買い物をして、我が家へ戻りました。6時近くになっていました。メールを見ると、K君から、スマイルジャパンが、韓国と北朝鮮の連合チームに勝ったとメールが入っていました。どうも平昌へ行って応援していたようです。メンバーとの写真も送られてきました。彼の女子アイスホッケーへの思いは、筋金入りです。

夜は、酒を飲みながら、女子のカーリングの韓国戦を見ました。解説者が作戦を上手に解説してくれたので、とても興味深く見ることが出来ました。オリンピックという一大イベントが行われているお陰で、毎晩退屈せず、美味しい酒が飲めています。3000mの1500m女子スピードスケートで、メダルを逃した小平選手が、1000mで銀メダルを取りました。女子スキージャンプで、高梨選手も銅メダルを取りました。私の心まで、ほっとしました。オリンピック以前の彼女達の活躍が、あまりにも素晴らしかったので、マスコミからのプレッシャーが、想像を絶する程きつかったと思います。本当に良かったと思いました。明日が、羽生君のフィギャースケートです。

 

「スポーツや 娯楽事業の 隆盛は 国が滅ぶと 言われているが」

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2018年2月15日 (木)

2018年02月13日

2018年02月13日

 

 まさに快晴、そんな朝でした。今年は、富士が綺麗に見える日が、多いような気がします。

 北朝鮮の幹部は、本国に帰り、韓国での処遇につき、金正恩最高指導者に詳細に報告したそうです。これにより、金正恩主席は、韓国の処遇に対する、謝礼の意を表明したそうです。ニュースでは、この南北融和の盛り上がりを、日本政府も米国政府も、歓迎していないと報じていました。そして、北朝鮮への圧力を更に強めるべきだと、関係国への呼びかけを強めているようです。

 北朝鮮の共産主義革命は、ロシアのように、国内の世襲権力に対する革命ではなく、朝鮮を植民地として支配していた、日本に対する抗日パルチザンとして発生し、同様な抗日戦争を起こしていた中国と協力して、抗日戦争を戦ったようです。同時に、共産主義を世界に広めようとする、ソ連の協力も得たようです。そして、抗日戦争は、自らの力ではなく、現在対立している米国が、日本を壊滅させたことにより、植民地支配からの独立を獲得し、朝鮮民主主義人民共和国と称する共産主義国家を建国しました。

 北朝鮮は、韓国の民衆を蜂起させ、共産主義による国家統一を図る為、韓国に侵攻し、一時は、釜山近くまで、韓国軍を追い詰めました。ところが、期待したように民衆の蜂起は起きず、共産主義の拡大を恐れていた米国が、日本に駐留していた軍隊を、国連軍と称し韓国軍支援に向かわせました。後に言う朝鮮戦争の始まりでした。命軍の支援で韓国軍は持ち直しましたが、北朝鮮に対する、中共やソ連の支援もあり、戦争は、38度線近くで膠着し、現在の休戦状態になりました。

 この時の米国は、共産主義拡大の阻止が、最大の課題でした。しかし、その後世界は動き、ソ連の中心であったロシアは、共産主義国から自由主義国となり、ソヴィエト連邦は崩壊しました。中国も改革開放により、経済は自由主義経済を採用するになりました。

 時代は、止まることなく流れます。焦眉の問題である北朝鮮の問題は、今後どうなっていくのか、我が国にとっては重要な問題です。私は、現在、米国が基本的な国際政策に於いて、明確な方針が定められない状態だと思っています。裏の軍需産業の問題は置いといて、表向きの米国の世界戦略が見えません。米国内の政策集団も、いかなる国際戦略が良いのか、決めきれないのではないかと思います。このような状態だからこそ、世界のリーダーとしての戦略を持たないトランプのような大統領が生まれたのだと思います。この結果、米国の戦略は、突然変わる可能性があります。安倍総理が、必死でトランプ大統領に忠誠を尽しても、突如、北朝鮮と米国が和解する可能性があることを、考慮しておく必要があると思います。

 今日は、次男が休みの為、午後暫く、ピョンチャンオリンピックを一緒に見ました。冬季のスポーツに対しては、二人とも、経験も無いし、テレビで見ることも、殆どありません。ところが、今日、女子と男子のスノーボードハーフパイプの予選を、ずっと見ていたら、技の難度、完成度などが分るようになりました。次男と得点の予想をすると、二人がほぼ同じで、採点の結果もほぼ同じでした。

夕方から、大学のOB会関連の委員会の会議が予定されていたので、家を出て都心の大学へ行きました。この委員会の活動目的、活動の仕方について、委員の合意を得ることが、結構難しく、今回、更に次回も、基本合意形成の為の議論を続けることになりました。

会議の後は、酒を飲みながら、会議に続きをやりました。酒を飲むと細かいことは抜きになりますので、合意の形成は早くなる事もありますが、自己主張が強烈になり、喧嘩騒ぎになる事もあります。今日は、前者の方になり、穏やかに美味しい酒を飲みました。酒の肴も美味しくて、10時半を過ぎてしまい、家に帰り着いたのは、12時近くとなりました。

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2018年2月13日 (火)

2018年02月12日

2018年02月12日

 

 快晴と言って良い朝でしたが、何故か富士は見えませんでした。富士の方に、雲があるとは思えないのですが、丹沢も見えないから、矢張り雲があったのでしょう。

 韓国で行われているピョンチャンオリンピックは、北朝鮮の参加で、話題が沸騰しています。未だに、1民族が2つの国家に別れ、戦争状態なのは、朝鮮半島しかありません。今回のオリンピックが、南北融和の糸口になるのではとの期待もあります。

 私も、この年まで生きてくると、歴史的な出来事、そして色んな考え方が、生物としての人間の業ではないかと思うようになりました。生きる為の食べ物をどう確保するか、他の人より、出来るだけ多く、出来るだけ楽な方法で、食べ物を確保し、その確保の仕方(体制)を永続的に維持出来るか、この命題の元に、国家の誕生、戦争の勃発、貴族による圧政、新世界の征服、弱小国の植民地化、奴隷制度、共産主義革命、第2次世界大戦、イデオロギー対立、冷戦、朝鮮戦争等々、人間世界の歴史が築き上げられてきました。

 この歴史が、動物の縄張り争いのように生物の業であれば、民族や宗教、国家体制の相違に基づく争いは、根本的に解決する手段は無いのではないかと思うようになりました。強大な理性と力を持った1国による世界支配か、SFの世界のように地球外の敵の出現のように、非現実的な方法しか思いつかないのです。民族による世界の棲み分け、国家観の富の偏在の緩やかな解消、国家内の富の配分の平等化、段階的な人口減少、労働そのものが個人の豊かな人生に繋がる社会の実現、IT技術の効果的活用等々、か弱い平和主義者の考えなど、何処かに、消えてしまいそうです。

 朝鮮戦争は、共産主義の拡大が、自国の政治経済体制をも破壊させると恐れた米国が、内戦に介入した戦争だと思います。米国と米国の考え方に賛同する10数カ国の軍が、国連軍として参加しました。しかし、国連では、国連軍の結成は否決されましたので、国連軍と称しているのは、内戦に参加した国々だけです。

現在、韓国に駐留している軍隊は、米国軍だけです。軍隊の派遣の仕方が特殊だったので、そう簡単に軍は引けないのです。もう一つの理由は、米国の軍需産業の問題です。世界から脅威が無くなれば、米国の軍事物資は、日本を含め、多くの顧客を失い、米国の産業全体の土台を揺るがします。従って、北朝鮮の脅威は、米国にとっては、都合の良いことです。この驚異を、完全に消滅させることはしないでしょう。南北朝鮮が、本当の雪解けが起きるのも、暫くは無いでしょう。

オリンピックを見ながら、色々なことを考えましたが、今日は、標準的な、秘密の池コースを歩いてきました。

最近、まともな雨が降っていないので、浅川の河床が見えるようになりました。昨年秋の大雨の影響で、或る所では、上流が、全部砂礫で閉ざされているのに、水の流れが続いていました。砂礫の下を潜って水が流れ出していました。大雨が運んだ砂礫が、面白い模様を作っていました。

浅川と多摩川の合流点から、300m位上流に、コンクリートのブロックを何列も並べた堰があります。去年の大雨まで、浅川の流れは、堰の中央を流れていました。この為、中央部分のコンクリートブロックの背が低くなり、水没しそうになっていました。ところが、大雨が流れを変えて、両岸を中心に分散して流れるようになり、コンクリートブロックの全てが顔を出し、乾いた状態になっていました。お陰で、私もこの堰を渡って、浅川の左岸に出る事が出来ました。通常は、新井橋を渡り大回りするのですが、今日は、随分近道が出来ました。堰の横では、白鷺2羽が、求愛ダンスを繰り返していました。

この堰を渡って、合流地点の三角州へ出ましたので、仙人の道を通り、仙人の庵の方まで歩きました。すると後ろから、自転車に乗った小父さんがやって来て、「この先に、浅川と多摩川の合流点はありますか、そこまで自転車で行けますか、合流点の広場でどんど焼きをやると言われたので」と聞いてきました。「此処も合流点の一部ですよ、この先直ぐに道はなくなり、滅多に人は来ることはありません。どんど焼きをやるとしたら、四谷橋の方でしょう」と答えると、道が無くなることを確かめて、戻っていきました。

私は、以前、仙人の庵があった所へ行ってみました。しかし、庵は、跡形も無くなっていました。隅の方に、アルマイトの食器と洗濯物干しが埋まっていました。庵は、昨年の大雨で流されてしまったのでしょう。仙人は、亡くなったのではなく、戻って来るのを諦めたのだと思うことにしました。昨年の大雨以来、多摩川の河原に庵を構える仙人が、大分少なくなりました。

合流点から、多摩川の土手に出て、秘密の池に出ました。この所、秘密の池に来る鳥が少なくなったので、カメラ小父さんの姿を見ることは少なくなっていたのですが、今日は、3人のカメラ小父さんが、大きなカメラを備え付けていました。しかし、私には、鳥は見えませんでした。

そこから、石田大橋を渡り、国立のスーパーで、鶏の軟骨を沢山買って我が家に戻りました。

夜は、オリンピック開始以来日課となっている、競技を見ながらゆっくりと酒を飲みました。またしても、アイスホッケーの女子は、3-1でスイスに敗れました。惜しい試合でした。これで、決勝戦に行く可能性は、9分9厘無くなりました。残りの1厘は、連合チームがスウェーデンに勝ち、スウェーデンがスイスに負け、日本が連合チームに勝ち、3チームが1勝2敗で並び、得失点差で日本が2位になる場合だけです。さあーどうなるでしょう。

 

 14日は、朝早くから出かけますので、13日、14日の日記は、15日に書くようにします。

 

「暖かき 日差しの注ぐ 河原にて 白鷺にも春 求愛ダンス」

「爺さんが 堰をピョンピョン 向こう岸 白鷺達も 拍手を送る」

「仙人の 庵の跡に 埋もれてた 昔懐かし アルマイト食器」

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2018年2月12日 (月)

2018年02月11日

2018年02月11日

 

 雲の多い朝でした。昨夜の雨は、お涙程度の雨だったらしく、道路は既に乾いていました。

 今日は、建国記念の日の祝日です。以前は紀元節と呼ばれていました。初代天皇と言われる神武天皇が即位した日、旧暦の1月1日を、新暦の日付、2月11日に改めた祝日です。この祝日は、戦後、昭和23年占領軍によって廃止されたのですが、昭和41年建国記念の日として復活しました。

 神武天皇は、神話の時代の人物であり、実在すら確実ではない天皇の即位の日を、建国記念の日として素直に祝う気持ちになれません。どれほどの国民が、この祝日を心から祝う気になるのでしょうか、疑問です。祝っている人達の集会の様子が、ニュースで流れましたが、何か異様な雰囲気でした。

 何処の国にも、神話の時代はありますので、神話を否定するものではありません。しかし、神話の世界は、現実の政治とは、切り離して欲しいと思います。宗教を政治から切り離す考えと同じです。神話は、宗教と結びつき易いものです。宗教と結びついた神話の世界が、現実の人間を現人神として、現実の政治に関与させ、論理ではなく、信仰心の押しつけで政治を行い、数百万の国民を死に追いやった、日本の戦前を思い出して欲しいと思います。

 一旦、宗教が政治の中に入り込むと、「身命を賭して、神の命に従います」というタイプの人間が、現実政治を支配することになり、身勝手な神の命を作り出し、それに従わない人々を排斥する、恐怖政治になります。このようなことにならないように、国民が理性を働かせて欲しいと思います。その為には、正常なマスコミの報道が重要です。

 今日は、府中駅の方へ行って来ました。昨日、郷土の森公園で特別展が行われていた、府中御殿の位置を確かめに行きました。

 南武線と武蔵野線の府中本町駅の横に、発掘作業をやっていた空き地があります。以前は、イトウヨーカドーの駐車場でしたが、イトウヨーカドーが本町の店を閉めたのを機会に、駐車場は廃止され、発掘作業が始まりました。現在は、発掘作業も終わり、公園として再整備をしていました。今年度中には、完成するようです。この空き地に、「国府跡」の看板がありました。私は、此処が、間違いなく徳川の府中御殿の跡だと思ったのですが、少し怪しくなりました。そこで、大国魂神社の境内(市役所の裏)にある「ふるさと府中歴史館」に行って確かめた所、この地は、昔、府中御殿国府台と呼ばれていたようなのです。今日は、日曜日で係員がおらず、確かめられませんでしたが、恐らく間違いないと思いました。

 歴史館から、参道を通って、伊勢丹の向かい側に出ました。此処から道一つ入った所に、称名寺があります。府中の繁華街のど真ん中で、墓地も含めて、相当な敷地があります。この寺には、これまでに2度御朱印を貰いに来ましたが、住職不在の為、貰うことが出来ませんでした。今日は、運良く住職が、玄関から顔を出したので、御朱印を頼むと、快く引き受けてくれました。住職に拠れば、この寺は、時宗とのことで、時宗の寺は、数が少ないそうです。私も、時宗という宗派を、今日初めて知りました。とても気持ち良い住職で、御朱印の他に時宗のカレンダーも頂きました。時宗は、浄土宗の一宗派で、開祖は一遍上人だそうです。一遍上人は、宗派を作る気は無く、一遍上人の教えに従う人達を「時衆」と呼んでいたのが、何時の間にか時宗に変わったようです。総本山は神奈川県藤沢市清浄光寺(通称遊行寺)だそうですので、何時か行ってみようと思います。

 折角、府中市の繁華街に来たので、魚屋の浜喜屋に寄って、酒の肴を買って、家に戻りました。この店は、未だに現金商売で、通常現金を持ち歩かない私は、思い切った買い物が出来ません。今日は、ホタテの稚貝が、一盛り190円と安かったので、買って帰り、アサリと同じようにバター炒めにしました。

 夜は、ピョンチャンオリンピックを見ましたが、残念ながら、日本選手のメダルはなりませんでした。定期的に行われている国際大会で、好成績を収めている選手も、オリンピックで同様の成績を収めるのは、至難のようでした。女子のスケート3000メートルで、これまで勝利の笑顔しか見たことのなかった選手が、メダルに届かず、顔が引きつっていました。

 

「墓石の 向こうに並ぶ ビルの列 昔も今も 変わらぬ地蔵」

「称名寺 ビルの谷間の 別世界 時折通る 買い物婆さん」

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2018年2月11日 (日)

2018年02月10日

2018年02月10日

 

 空には、薄雲が張っていましたが、富士は見える朝でした。午後からは、雲が増え、夜には雨となりました。最近の天気予報の良く当たること、脱帽です。

 ベランダの黄色い花が、また2輪咲きました。白く変色した花も健在です。この花は、季節外れの早咲きではなく、今が花の時期なのかも知れません。

 我がアパートの前の住宅の玄関先で、石蕗のような花が咲きました。まだ、この花の名前を知れません。葉も花も石蕗に良く似ているのですが、葉も花もエナメルを塗ったようなテカリがあるのです。住んでいる人に、花の名前を聞こうと思うのですが、会ったことがありません。昼間は、デイサービスに行っているのではないかと思います。アパートに向かって右手の住宅地には、私より年上の住民ばかりです。

 その家の隣の隣は、夫婦共健在ですが、矢張り私より年上だと思います。庭には、沢山の花が植えられています。その花の種が外に出たのでしょう、アスファルトの歩道と煉瓦の塀の間に、菊が必死に花を咲かせていました。こういう光景を見ると、感動します。

 今日は、午後から曇ってくると言うので、近場を歩いて、早めに家に帰ってくる積もりで散歩に出かけました。チュウバスに乗って外を見ていたら、郷土の森公園で「梅祭り」をやっているとの看板が見えました。郷土の森公園には、一月程前に行ったばかりでしたが、また、行ってみることにしました。

 郷土の森公園は、70歳以上の府中市民は、入場無料ですから、気楽に行く気になります。公園の中は、お祭りだけあって、人出も多く、食べ物の店も増えていました。肝心の梅は、寒波のせいか、まだ7割程の梅が花を咲かせていませんでした。今年は、例年と同じように梅祭りを始めるには、無理があったのかも知れません。花を咲かせている梅の多くは、八重の梅でした。梅と冬木立、そして冬木立の上の青空が、とても良い感じでした。蝋梅の花は、未だ咲いていましたが、盛りの時期は過ぎていました。

 公園内の茶室の近くで、万作が、赤っぽい黄色の花を咲かせていました。また、茶室の前では、黒い実の跡の先に銀色の新芽が輝いている木がありました。この冬、良く見る木なのですが、この木の名前は、未だ分りません。葉が出て花が咲けば、分ると思います。その横で、茶室に似合いの梅が、二分咲きでした。

 一通り花を見て、郷土の森資料館の方に行くと、「徳川御殿の府中」という特別展を開催していました。殆どは、御殿に関する資料が展示されていました。掲示されていた解説文に拠れば、現在の府中本町のところに、御殿があったそうです。東北征伐に出かけた豊臣秀吉を、徳川家康がもてなす為に作ったという説と、秀吉自身が作ったという説があり、どちらが作ったかは、定かではないそうです。家康が征夷大将軍になり、江戸に幕府を開いてから、この御殿は改築され、鷹狩りの休憩所として利用されたそうです。家康の死から1年後、久能山から日光へ、遺骨を移す時、御狩り場であった府中を通ったそうです。残念ながら、御殿は、その後火事で焼失し、現在まで再建されていないとのことでした。

 郷土の森公園を出て、分倍河原まで歩き、そこからチューバスで、我が家に戻りました。4時過ぎになっていました。雲も多くなり始めたので、丁度良い時間でした。

 夜は、女子アイスホッケーの追っかけのK君から、是非応援してくれとメールが来ましたので、日本―スウェーデン戦の応援をしました。残念ながら、1-2で負けてしまいました。今回も、K君の親戚の子が出たのかどうか分りませんでした。女子アイスホッケーの参加国は、8カ国で、4カ国ずつAとBのグループに分かれて、予選リーグを戦っています。この予選リーグのグループで、2位以上にならないと、メダルの可能性はないそうです。

 日本戦の後、今話題の北朝鮮と韓国の合同チームとスイスの試合を見ました。北朝鮮からの美女応援団の華やかな応援、北朝鮮と韓国の首脳陣の応援もありましたが、試合は、8-0でスイスが圧勝しました。日本は、明日スイス、明後日合同チームと対戦します。最低でも1勝して欲しいと思います。

 

「寒波にて 花の少なき 梅祭り 花より団子の 人は多かり」

「公園の 隅でひっそり 花咲かす 主役になれぬ 万作の花」

「蝋梅の 花の盛りは 過ぎたれど 香りは未だ 梅に劣らず」

「希に咲く 梅の梢を 見上げれば 冬の青空 薄雲流る」

「梅の花 周りは何処も 冬木立 春告げ花の 面目躍如」

「青空に 花火のような 冬木立 梅咲き揃えば 芽吹きは近し」

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2018年2月10日 (土)

2018年02月09日

2018年02月09日

 

 良く晴れた快晴の朝になりました。湿度が高いのか、地平の方は霞がかかっていました。それでも我が家から富士は見えました。しかし、NHKの天気予報では、都心の方からは、富士が見えなかったようです。

 11時近くに、宅急便が届きました。一昨日のゴルフで忘れてきたスマホが届いたのです。非常に丁寧な梱包がしてありました。梱包を解いて、機能を試してみましたが、何の問題もなく動作しました。お客さんの為とはいえ、本来の仕事でもないのに、本当に親切に対応してくれました。直ぐに、お礼の電話を入れました。先方も、無事に届いたのを喜んでくれました。

 午後は、妙正寺と妙正寺公園に行って来ました。公園の方には、何度も行ったことがあるのですが、お寺の方は初めてでした。

 妙正寺公園へは、色々な行き方があるようですが、私は何時も、荻窪からバスで行くことにしています。甲州街道が混んでいなければ、荻窪から10分足らず妙正寺池のバス停に着きます。

今日は、家を1時10分に出たのに、途中、うたた寝をしてしまい、荻窪と間違って西荻窪で降りるなど、一寸したトラブルがあって、妙正寺池に着いたのは、3時近くでした。妙正寺池は、湧水の池で妙正寺川の源流になっています。妙正寺川は、以前完歩しましたが、高田馬場近くで神田川に合流する短い川でした。池も川も妙正寺が由来です。

妙正寺池には、冬期、沢山の渡り鳥がやって来ます。昔は閑静な武蔵野の湧水池が、今は子供達の遊具が沢山あり、子供達の歓声が絶えない、都会の公園になりました。武蔵野の森公園の修景池より小さい池になってしまいましたが、昔は、もっと大きかったようです。今日も、100羽を越える渡り鳥が来ていました。ざっと数えた所、オナガガモが3分の1、キンクロハジロが3分の2位でした。その中に混じってカルガモが、数羽いました。石神井公園では、我が物顔だったカルガモが、此処では借りてきた猫のように、大人しくしていました。

この池で、渡り鳥達の餌が十分だとは思えません。誰かが餌やりをしているようです。私が、岸に近づくと、キンクロハジロが一斉に近づいてきました。その後には、オナガガモも続いてやって来ました。私が、餌をやらず、カメラを構えて写真を撮ると、「なあーんだ」と言うような顔をして、遠ざかって行きました。鴨の表情が分る程、小さい池なのです。池の木陰で、カップリングが済んだと思われるオナガガモが一対、なにやらひそひそ話をしているように見えました。

暫く鴨達を眺めて、妙正寺へ御朱印を貰いに行くことにしました。妙正寺は直ぐに分ると思ったのですが、公園の周りの住宅が邪魔をして、寺らしい所が見当たりませんでした。そこに、散歩の老夫婦が来たので訪ねたら、いとも簡単に「あの突き当たりを左に曲がったら、お寺の裏口だよ、裏口からも入れるよ」と教えてくれました。ものの1,2分で角まで行くと、墓が見え、裏口も見えました。

妙正寺は、歴史はあるようですが、比較的小さな寺でした。参拝を済ませて、住職の住む庫裏の呼び鈴を鳴らすと、歳を取った大黒さんが出て来ましたので、御朱印を頼むと、「住職がいないので、書いてあるものでいいですか」との事でした。勿論OKしました。大黒さんには、私が非常に信仰心の篤い人間に見えたらしく、寒い中のお寺参りを、色々と誉めてくれるので、恐縮してしまいました。

御朱印を貰った後、妙正寺池に戻り、更に以前歩いた、妙正寺川の始まりの地点を確認して、荻窪に戻りました。家に戻ったのは、6時過ぎでした。

夜は、夜はピョンチャンオリンピックの開会式を見ました。開会式の貴賓席に、北朝鮮の金正恩の妹、北朝鮮ナンバー2の金永南、安倍総理などが座っており、後から入って来た文在寅韓国大統領と握手していました。北朝鮮の創始者金日成の直系の親族が、韓国を訪問するのは、初めてのことだそうです。テレビでは、色んな事をいっていますが、南北の雪解けが始まる兆しが、あるのであれば、前へ進める努力をした方が良いと思います。

 

「子供等の 嬌声の中 渡り鳥 昔の武蔵野 今は都会に」

「北帰行 早めた方が 良くはない なにやらひそひそ オナガガモかな」

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2018年2月 9日 (金)

2018年02月08日

2018年02月08日

 

 雲の多い朝でしたが、9時頃には、すっかり青空に変わりました。その青空も、午後2時頃から、西の方から雲が出て、東の方は青空なのに、4時頃には、雪を降らせるような黒い雲に変わりました。そして、5時頃には、また青空に変わっていったのです。まさしく、天気予報が言っていた通りの、天気の移り変わりとなりました。天気予報の凄さを感じました。

 昨日の夜、「貴乃花全てを語る」という2時間の特集番組をやっていました。しかし、私には、貴乃花が何を話したのかが,よく分らない消化不良の番組でした。若い時から、相撲界に入り、一般的な高等教育を受ける機会が少なかったこと、社会に存在する多くの組織を知らないで成長したこと、違う価値観を持った多くの友人と切磋琢磨してこなかったこと、このようなことが影響しているのかどうか、正確には分りませんが、貴乃花は、自分の思いや考えを、きちんと相手に伝えることが苦手なのではないでしょうか、そう思いました。名前は、忘れましたが、映画監督と言われる人が、貴乃花のインタビュアーになっていましたが、貴乃花が話したいことは腹で理解するタイプでなければ、インタビューそのものが、成立しなかったのかも知れません。

 それにして、TVアサヒの今回の相撲界の暴行事件に関する報道も、何か異常で、スポーツ紙の報道振りと大差ありませんでした。TVアサヒに限らず、多くのマスコミが、パパラッチ化して、世の中の何が真実なのか、マスコミの報道が信じられなくなってきました。マスコミ自身が、記事を捏造するという、あってはならないことが、極く普通に起きるようになりました。トランプ大統領は嫌いですが、彼が現代のマスコミを嫌うのも、分るような気がします。しかし、トランプ大統領は、権力を持つ統治者です。権力者を監視するのは、マスコミの役目ですから、権力者に嫌われるマスコミは、正常と言えるでしょう。問題なのは、被統治者である国民に、どの様に真実を伝え、主権者をきちんと守ろうとする姿勢が、マスコミにあるかどうかです。国民にとっては、マスコミだけが頼りなのですから、、、。

 我が家のベランダで咲いた、黄色い花の一輪が、色が褪せたと言うべきか、白い花に変身していました。もう一輪の方は、白くなっていないので、今のところどちらが通常の現象なのか分りません。冬場、時季外れに咲いたので、平常を見失ったのかも知れません。

 今日は、多摩地方の公園巡りをしてきました。武蔵野の森公園のヒドリガモを見ること、野川公園の自然観察園で、節分草を見ることが目的でした。

 1時半に家を出て、電車で飛田給駅まで行きました。味の素スタジアムの横に、昨年後半、完成した、水泳、武道の競技場を見学しました。中までは入りませんでしたが、なかなか立派な施設で、2020年の東京オリンピックの会場になるようです。前回の東京オリンピックの時は、貧乏学生で何一つ競技を見ませんでした。見たのは、開会式の時、空にジェット機が描いた五輪のマークだけでした。今回のオリンピックまで後2年強、生きていれば、一つ位競技を見て、日本の選手を応援したいと思っています。

 競技場から桜並木を歩いて、武蔵野の森公園に入り、修景池へ行きました。修景池は、人工の左程大きくない池ですが、毎年ヒドリガモがやって来ます。昨年、紅葉の時期に来た時には、既にヒドリガモが、飛来していました。その時は、カルガモやバンもいたのですが、今日は、ヒドリガモの独占王国に変わっていました。約70羽程いたと思います。これだけの数の鴨を、この池だけで養えるとは思えませんでした。

 暫く眺めていると、全ての鴨が、池の一つの端の方に集まり始めました。その内、1羽の雌が、ピョンと池から出て、丘の方に歩き始めました。すると次々に他の鴨達が後に続き、一列になって歩き始め、ヨチヨチ歩きの長い行列が出来ました。中の1羽が立ち止まったりすると、後ろの鴨が、お尻を嘴で押して、歩きを続けさせました。行列の写真を斜め後ろからだけではなく、前から撮ろうと思って、行列の前の方に出て見ました。すると、私を認めた鴨達は、くるりと後ろを向いて、池に帰ろうとしました。これは、悪いことをしたと思い、すぐさま斜め後ろの方に下がりました。行列は、元のように続き、最後の1羽まで、陸に上がりました。丘の芝生の中に、何があるのか分りませんが、皆、嘴で何かを突いているようでした。食べ物なのでしょうか、何か丘に上がる理由があると思いました。全ての鴨が、丘に上がって5分もしない内に、何が起きたのか理解出来ませんでしたが、一斉に飛び立ち、池に戻りました。壮観でした。面白く興味深い、鴨達の生活の一部を見させて貰いました。

 公園の小さな丘に登ると、調布飛行場と味の素スタジアム、更には武蔵野を一望することが出来ました。私の頭の上から東の方は晴れているのですが、西の方は、暗雲が立ち籠め、幾本もの雲の筋が、地上に垂れていました。天気予報で言っていた、小雪が舞っている所だと思いました。

 野川公園に入り、野川を越えて自然観察園に入りました。この時期ですから、花らしい花は、蝋梅と節分草だけでした。しかし、「この時期に、あそこへ行けば、あの花に出会える」、その願いに違わず花に出会えると、安心感と再開の喜びで、とても幸せな気分になります。今日も、願いは報われました。

 そこから、野川の縁を歩き、武蔵野公園へ行きました。野川には、沢山のムクドリが群れていました。ムクドリは見慣れた鳥です。余りにも群れが大きくなって、糞被害に遭う所も出ています。少し嫌われ者のムクドリも、飛んでいる姿を後ろから見ると、尾羽が、白い線の入った扇のようで、魅力的です。その飛んでいる姿を、今日、後ろから取ることが出来ました。

 武蔵野公園の前の多磨町から、チュウバスに乗って、府中駅に出て、6時頃、我が家に戻りました。既に暗雲は去っていました。

 

「毎冬の 修景池の ヒドリガモ 常連客に 池は貸し切り」

「女王鴨 一族郎党 引き連れて 近くの丘へ 気晴らし散歩」

「一列で 脇見しないで 歩くのよ 鴨の行列 園児の如し」

「一列で ヨチヨチ歩き ヒドリガモ 漸く丘へ 全員集合」

「なにがしか 危険察した 鴨達が 羽音も高く 一斉に飛ぶ」

「水鳥は 池に戻れば 一安心 危険過ぎ去り スイスイ泳ぐ」

「時来れば 何時もの場所で 我を待つ 今年も再開 節分草の花」

「椋鳥の 尾羽に白線 舞扇 野川に群れて 扇の舞いかな」

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2018年2月 8日 (木)

2018年02月07日

2018年02月07日

 

 今日のゴルフの為に、朝5時半に起きました。着替えをして洗面を済ませ、ピザパンを一枚とヨーグルトを食べて、6時に家を出ました。外は、夜明けが近づいている空に、三日月と明けの明星が輝いていました。朝ぼらけの中のアパートの電灯が、白んだ空と同じように光っていました。これだけでも、凄く得をした気分になりました。

 バス停に着くと、通勤客が大分並んでいました。こんなに朝早くから、仕事に出かける人が、こんなに沢山いるんだと思いました。バスに乗ると、この気持ちは更に強くなり、電車に乗ると、朝のラッシュが既に始まっていました。電車の中には、疲れているのか眠りこけている人、仕事に不安があるのか落ち着かない人、大きなタブレットで早くも仕事をしている人、化粧に打ち込んでいる人、様々な人達がいました。この人達のお陰で、私はゴルフに行けるのです。有難いと思いました。

 川崎で南武線から東海道線に乗り換えた所、電車がなかなか動きませんでした。一号車のトイレが汚れたので、清掃をしたそうです。下痢をした人が居たのではないかと思いました。約4分遅れで、電車は出発し、横浜を過ぎた所で、今度は緊急停車しました。上りの電車が、異常音を察知し緊急停車したため、下りの電車も緊急停車したのだそうです。私が乗っていた下りの電車には異常がなく、直ぐに発車しましたが、それでも、8分遅れで、茅ヶ崎駅に着きました。本来なら、8時20分発のクラブバスに、楽々間に合うはずでしたが、5分しか余裕が無くなりました。仕方なく、クラブに電話して、クラブバスの発着場所を教えて貰うと共に、少し待って貰うように頼みました。駅の階段を降りていると、和やかに笑いながら私を見ている人が居ました。今日のメンバーの1人の先輩でした。同じ電車で来たようでした。2人してクラブバスに乗り込み、漸くゴルフモードになりました。

 私の日記を欠かせず読んでくれている関西の友人から、「このくそ寒いのにゴルフなんて、、、」と言われましたが、今日の湘南は、全くの快晴で、空気も澄んでいて、富士が、間近にそそり立っていました。我が家から見る富士とは、大きさが、まるで違いました。風も無く穏やかで、暖かくすら感じました。絶好のゴルフ日和となりました。

 今日ゴルフをしたのは、湘南シーサイドカントリーのメンバーであり、今日我々を招待してくれた先輩(今年傘寿)、メキシコで一緒だった先輩(今年喜寿)、ヴェネズエラとメキシコで一緒だった同期(今年後期高齢者)と、私(来年後期高齢者)の4人でした。なんと、私が一番の若輩でした。しかし、ゴルフは私が一番下手で、OBは連発するは、林から出せないは、パットは滅茶苦茶オーバーするは、さんざんなゴルフで、130近く叩いてしまいました。しかし、ドライバーの飛距離だけは、他を圧倒していましたので、充分満足しました。また、コースの至る所から富士の雄姿が見え、その度に私がワーワー騒ぎ、写真を撮るので、「遠足に来たのではないぞ、ちゃんとゴルフをやれ」と言うような顔をされました。しかし、富士好きの私にとっては、なんとも幸せなゴルフでした。

 帰りは、同期の車で、京王線の芦花公園駅まで送って貰いました。彼は運転には自信があるようで、免許証の返上は考えていないようです。しかし、家族からは、そろそろ返上したらどうかと言われているようです。今年後期高齢者ですから、やむを得ないと思いますが、私が乗った感じでは、しっかりした運転をしていると思いました。

 家に帰り着き暫くすると、クラブハウスから電話がありました。ロッカーにスマホを忘れてきたのです。明日、料金着払いで送って貰うことにしました。電話が来て初めて、スマホを忘れたことに気がついたのです。歳は取りたくないものです。

 

「夜明け前 白んだ空にて 見つめ合う 細る三日月 明けの明星」

「朝ぼらけ 最後のお役目 屋外灯 必死の輝き 愛しくもあり」

「夜明け前 既に電車は 超満員 皆は仕事に 我はゴルフに」

「湘南の 海から仰ぐ 富士の山 富士の雄姿と よくぞ言いたり」

「冬枯れの 芝生の向こうの 富士見るも 球を見ずして OB連発」 

 

 

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2018年02月06日

2018年02月06日

 

 今朝は、昨日よりも鮮やかな富士が見えた、快晴でした。朝のニュースでも,関東のあらゆるところから見える、富士の映像を紹介していました。

 七生丘陵の上に、くっきりと顔を出した富士を見ながら、朝食を食べていると、テーブルに何か白いものが映っていました。ベランダに出て確かめてみると、月でした。皆既月食以来、月が何処へ行ったのかと思っていましたが、月の出が遅くなり、我が家の方に廻ってくるのは、朝だったのですねー。妙に納得しました。 

 冬枯れのブライダルベールをどうするか、ネットで調べたら、枯れた蔓は、切り取った方が、春の芽吹きが良いとのことでしたので、歌舞伎の髪のように大きなベールになった蔓を全部切り取って、丸坊主にしてしまいました。ベランダが、すっきりしました。

次男と一緒に暮らしていますが、次男の勤務の関係で、一緒に食事をしたり、話したりすることは、殆どありません。今日は、火曜日で次男の休みの日でした。休みの日は、午前中ずっと寝ています。今日は、私がゴルフの練習に行こうとしていた時に、起きて来ました。今日も夕方から飲みに出かけるとのことでした。ゴルフの練習は、時間が決まっている訳では無いので、少しだけ話をしました。次男は、大学時代テニスをやっていましたので、今年の全豪オープンでの老練フェデラーの優勝の話から、テニスの思い出話になりました。これまでに活躍した有名選手のプレースタイル等が、懐かしく思い出されました。それから、錦織の話に移り、錦織が、今までのように活躍するのは、無理だろうと言うことで、次男と意見が一致しました。錦織の話から、スキー女子ジャンプの高梨沙羅選手の話に移り、最近、彼女の顔に悲壮感が漂っており、勝利への重圧に押し潰されそうで、逆に今年の冬季オリンピックにおいて、メダルに届かないのではないと、これも意見が一致しました。これまでの彼女の活躍もあり、どんな形でも良いから、彼女にメダルを取らせてあげたいとの気持ちも一致しました。

 一時間程次男と話して、2時半位に家を出て、桜が丘ゴルフ練習場に行きました。天気は良いのですが、空気は冷たいので、客は少なく、ど真ん中の席で練習することが出来ました。年に4,5回しかゴルフをやらなくなりました。そのゴルフの前に1回練習するだけですから、クラブを握るのは、年に10回程度になってしまいました。

 1時間程、ゴルフの練習をして、4時半頃から、桜が丘公園を歩きました。桜が丘公園は、多摩の森が中心の公園で、その森は、95%以上が、落葉樹である為、新緑、濃緑、紅葉、冬木立と春夏秋冬森の感じが変わります。どの季節も良いのですが、私は、冬が一番好きかも知れません。今日は、夕日が差し込む森の木々が、様々な顔を見せてくれました。森の木々の根元にまで夕日が落ちて、輝く光の中で、黒い木々達が踊っているようでした。木々達の向こうには、茜の空に白い雲が浮かんでいました。太陽を背にしてみると、森が燃えているようでした。光の当たらない北側の斜面には、残雪がかなり残っており、冬木立と良い雰囲気を醸し出していました。融け残った小さな雪だるまが二つ、大雪の思い出を話しているようでした。

公園の出口のところに、森林研究所があり、職員の宿舎用にアパートが四棟あったのですが、全部撤去され更地になっていました。もう此処に、森林研究所は要らないと思います。森林研究所の森も、桜が丘公園に移管して、公園の一部にして欲しいと思いました。今は、森林研究所が管轄する森には入ることが出来ないのです。

森林研究所の敷地から人里に出ると、いきなり夕焼けの富士が、目に飛び込んできました。人里の屋根の向こうの富士も、なかなか良いものです。この素晴らしい風景を、電柱と電信線が台無しにしていました。

何時も思うのですが、原子核から、故郷の街を一瞬にして廃墟にした原子爆弾ではなく、放射能も無く、臨界熱を使わない、安全で小型の発電機が出来ないものでしょうか、これこそが、世界を平和にし、地球温暖化に歯止めをかけ、送電線を無くすことが出来ると思います。そうすれば、私も、戦争への不安が無くなり、送電線の無い風景を楽しむことが出来るのですが、私が生きている間は、無理でしょうかねー、、、。

 

「稜線の 木々の根元に 日の落ちて 黒き木々等が 足踏み踊る」

「全身に 夕日の光 浴びながら 手を振り踊る 森の木々達」

「冬木立 重なる枝の 彼方には 茜に染まる 雲の漂う」

「大雪の 思い出語る 雪だるま 何時まで続くや 二人の命」

「日の差さぬ 北の小径の 残り雪 人の足跡 今も残れり」

「日を浴びる 南の小径 雪も無く 木漏れ日強く 輝く小径」

「闇迫る 林の彼方 山燃える 未だに夕日 山を焼きおり」

「人里の 家並みの彼方 富士の山 茜の空と 仲良しコンビ」

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2018年2月 6日 (火)

2018年02月05日

2018年02月05日

 

 朝起きて窓を開けると、真っ白い富士が目に飛び込んできました。白い丹沢も見えました。良いことが起きそうな、そんな朝でした。

 11時半、次男が出かける時間になっても、起きて来ません。何か異変が起きたのではないかと思い、「大丈夫かー」と声をかけたら、一瞬間を置いて、「ええー」と言う声がしました。病気とか特別の事態では無く、単に寝過ごしただけだと言うのが分りました。直ぐに次男の部屋のドアが開いて、「目覚ましをかけるのを忘れてしまったよ」と言いながら次男が顔を出しました。その後、10分で支度をして、仕事に出かけていきました。どんなことがあっても仕事に行く、私もそんな時代を過ごしてきたことを思い出しました。今、仕事もしないで、何も自分を束縛するものが無い、老後を生きています。ヨーロッパの貴族のような生き方をしているような気がします。貴族は、狩りをしたり、スポーツをしたり、歌ったり踊ったり、美味しいものを食べる位しか,やることが無かったようです。昔の自分を思い出して、生きると言うことの意味を、考えさせられました。

 しかし、この年になると、生きると言うことの意味を考えることの意味が分らなくなりました。生きると言うことに、そもそも意味など無いと思うようになりました。どうしても仕事に行くというのは、そうしなければ食べることが出来ない、小作や農奴と同じように、労働を売って生きなければ、他に適当な生きる道が無かっただけだと思いました。そして、年金制度のお陰で、老後は貴族のような生活をしています。「このどちらに生き方に、生きる意味があるか」と問われれば、「片方は辛いけど楽しい、もう片方は楽だけど退屈だ」と答えますが、意味については、答えようがありません。この事は、別の機会に、また、取り上げたいと思います。

 次男を送り出して、レトルトカレーで簡単に昼食を済まし、12時半には、家を出ました。今日は少しだけ遠出をして、石神井公園に行くことにしました。水鳥が、沢山集まる所だからです。

 荻窪から石神井駅行きのバスに乗りました。今日は、途中の荻窪総合病院で降りました。この近くにある、お寺の御朱印を貰いたいと思ったのです。石神井公園に行く度に,何時かは、実行しようと思っていたのです。お寺の名前は観泉寺でした。室町時代から続く、関東有数の大名だった今川家に縁のある寺で、今川家累代の墓がありました。今でもかなり広い敷地を持っていますが、江戸時代は、現在の数倍を越える寺領を持っていたのではないかと思われます。恐らく、寺の近くの総合病院、杉並高校などの大きな敷地は、寺領だったのではではないかと思いました。寺の敷地内の樹木も、年輪を経た立派なものが沢山ありました。裏の墓には、古い仏像が沢山ありました。雪が残る墓地の、紅白の梅が満開でした。思いがけず、立派な寺に参拝しました。御朱印の方は、スタンプでしたが、寺を参拝出来たので、満足しました。

  降りたバス停から、またバスに乗って、石神井公園に着きました。石神井公園には、石神井池と三宝寺池の二つの池があります。私は、石神井池を上石神井池と下石神井池に分けて、三つの池があると思っています。今日のバスは、下石神井池の方に着きました。この池は、ボート遊びが出来る池なので、水鳥が少なく、今日もカルガモだけでした。

 上石神井池まで歩くと、ボート遊びが出来なくなっているので、いきなり水鳥の集団が、泳いできました。カルガモ、キンクロハジロ、バン、ハシビロガモ、

マガモのごちゃ混ぜ集団でした。簡単に数えてみましたが、キンクロハジロが、6組12羽程度、ハシビロガモが3組6羽、バン4羽、マガモ1組2羽、

カルガモ10羽程度、合計30数羽でした。昨年に較べれば、大分少ないようでした。上石神井池は、冬場は良く凍りますが、今年も端の方に氷が残っていました。

 三宝寺池で、泳いでいたのは、カルガモ10羽程度、バン3羽、カイツブリ1羽だけでした。冬場、カルガモは、渡り鳥に場所を譲って、比較的ひっそりとしているものだと思っていましたが、どの池も、カルガモの天下のようでした。三宝寺池に沢山やって来るゴイサギは、藪の中や、離れ島の林で、夜に備えて休憩中でした。

 水鳥観察を早めに切り上げて、三宝寺池の名前の由来である、三宝寺(三寶寺)に行きました。三宝寺池から、氷川神社を経て、石神井川の方へ行くと、山門へ出ます。この寺も由緒ある寺で、広い敷地の中に、山門(御成門)、長屋門、本堂、大師堂、根本大塔、観音堂、大黒・地蔵堂、平和大観音等があります。山門を御成門というのは、徳川家の庇護を受け、鷹狩りの時は休憩所に使われたからだそうです。また、長屋門は、勝海舟の家から移設したそうです。この寺には、寺務所があって、寺務員が気軽に、御朱印を受け付けてくれました。しかし、御朱印帳には、住職が直筆で書いてくれました。

 隣に、三重塔がある道場寺にも行ってみましたが、御朱印の受付は、4時まででした。既に4時半を過ぎていました。あちこち写真を撮っていると、大黒さんが出て来て、「そろそろ門を閉めます」と言われました。御朱印は貰えませんでしたが、石神井公園には、今後も来る機会は何度も有るので、その時に貰うことにしましょう。

 それから、荻窪に出て、家に帰ったのは6時過ぎで、日がとっぷり暮れていました。

 7日は、茅ヶ崎でゴルフをやる為、早朝に家を出る必要があります。6,7日の日記は、8日に書く予定です。

 

「観泉寺 瓦の屋根に 残り雪 瓦の形の 雪垂れ下がる」

「観泉寺 苔むす庭の 残り雪 苔と雪との 争い続く」

「鬼瓦 恐き顔して 悪を断つ 寺に漂う 厳しき優しさ」

「墓所の春 紅白の梅 満開に 仏も待つや 春の華やぎ」

「鏡池 二本の線を 描きつつ 愛を語らう 鴨のカップル」

 

 

 

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2018年2月 5日 (月)

2018年02月04日

2018年02月04日

 

 雲の多い朝でしたが、明るさもありました。一日中、日が出たり、雲に隠れたりを繰り返していました。

 テレビのニュースで、仮想通貨のことが話題になっています。仮想通貨が、所定の保存場所から流出した為に、仮想通貨の所有者に対する保証が問題となっています。仮想通貨の信用が揺らいでいる訳です。

通貨は国家が管理するものも、信用が前提となって流通しています。昔日本では、社会的に価値が定まっていた、希少金属である金銀がそのまま通貨となりました。経済規模が小さく、かつ、鎖国時代はそれで良かったのですが、外国との交易が盛んになると、通貨である金銀が、単なる希少金属として、海外に大量に流出しましたので、明治以降、通貨として紙幣の発行に切り替えました。通貨である紙幣の信用を確保する手段として、金との交換が可能な、兌換紙幣が作られました。その為、日本銀行には、発行する紙幣に相当する金が、保管されていたと言われています。流石に日本の経済が拡大すると、発行する紙幣は、保管している金の何十万倍となり、兌換制度は無くなりました。つまり、保証の無い信用だけの通貨になった訳です。

 国家管理の通貨は、信用度が高いように思われますが、中南米で仕事をしている時、何度も通貨危機の国に出会いました。通貨が信用を失った途端、持っている通貨や銀行の預金が、一瞬にして無価値となってしまうのです。それでも中南米の国が、大きな混乱も無くやってこれたのは、金持ちの多くが、最も信用度の高い米国の通貨を信用し、資産の多くを米国の通貨で保管したこと、市中でも米国通貨が使われていたこと、中産階級が少なく、多くの貧乏人は、蓄財することも出来ず、その日暮らしをしていたからだと思います。

 国民が、支払い可能な税金の何杯もの借金をしている、日本の通貨の信用は、実は、極めて危機的状況にあります。そうした中で、仮想通貨の信用の問題が生じています。

 前置きが長くなりましたが、国家の通貨でさえ信用を得るのが難しいのに、ネット上でのみ取引され、コンピュータの記憶装置の中にだけある通貨は、何を信用の基本とすれば良いか、私には全く分りません。昔の藩札や軍票よりも更に信用度の無い個人が、勝手に通貨を作り、その通貨を国家管理の通貨で買わせ、買った人の通貨は、コンピュータ上で数値として所有権が記録されるだけです。これは、私には詐欺行為としか思えません。この通貨は、ネットを利用して、これまでのクレジットカードと同じように、実際の経済活動に使われているのでしょうか、何もかもが知らないことばかりです。また、この通貨が投機に使われるのもよく分りません。確かに現在は、国家の通貨も売買の対象のようですが、仮想通貨を買う人は、何が、その仮想通貨の価値だと思っているのでしょうか、本当に分らないことばかりです。

 今日は、午後から矢川緑地から、谷保の方まで歩いて来ました。矢川緑地には、真鴨が来ることが多いので、真鴨を見に出かけたのです。

 立川根川と多摩川が合流する所までは、多摩川の土手下の道を上流に向かって歩きました。今日も、沢山の鳥と出会いましたが、殆どが常連の鳥達でした。その中で、木のてっぺんに止まっていた鳥を、ムクドリだと思っていたのですが、後で調べて見ると、白い帯が首の後ろ方まで延びていて、ノビタキのようなのです。未だ確信出来ていません。

 歩いている内に、日差しが出て来て、とても暖かくなりました。そう言えば、今日は立春なんだなーと思いました。日差しが作る川面の輝きをバックに、川鵜が1羽、特徴のあるシルエットを作っていました。

石田大橋の下では、20羽近いバンだけの群れが、盛んに潜って餌取りをしていました。バンの群れが、これ程の数になるのは、多摩地方では珍しいことです。

根川との合流点から右折して、矢川緑地に向かいました。甲州街道に向かう道の分離帯に、綿の木が植えられていて、しっかり綿が出来ていました。日本では珍しかったので、少しだけ失敬しました。

甲州街道を越えると、梅林がありました。どの梅の木も、蕾が弾けそうでした。暫く歩くと矢川緑地に着きました。蒲や葦が生える湿地帯は、綺麗に刈り取られていました。この湿地帯は、矢川の水が引かれているのですが、今は塞き止められていました。また、この湿地帯には、小さいながらハンノキの森があります。去年春の名残の雄花や黒い実が、しぶとく木に付いていました。

矢川と矢川が作る小さな池に、真鴨が来ていると期待していたのですが、居たのは、カルガモだけでした。この池では、真鴨を手が触れそうな距離で見ることが出来るのですが、残念でした。まー、こんな日もあるでしょう。しかし、立春に、ニワトコが芽吹いていました。芽吹きの新緑が、眩しく感じられました。

矢川緑地を出て、南武線の踏切を渡って、桜通りを歩いて谷保へ出ました。そこからは、バスで我が家に戻りました。

 

「冬枯れの 荻の穂揺れる 多摩川の 空は青空 雲流れゆく」

「立春の 川面の輝き 背景に 仙人もどき 川鵜のシルエット」

「鷭の群 煌めく川で 昼餉かな 馳走はありや 水中の膳」

「立春に 今にも弾けん 梅蕾 二月は梅の 花咲く季節」

「ハンノキに 未だに残る 去年の春 青空背にして 雄花と黒き実」

「立春に ニワトコ芽吹く 姿見る 緑鮮やか 春は間近に」 

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2018年2月 4日 (日)

2018年02月03日

2018年02月03日

 

 雲の多い朝となりました。富士は見えませんでしたが、丹沢が少しだけ見えました。昨日の朝までに降った雪は、平地では消えてしまいましたが、丹沢の山頂付近では、相当降ったようで、丹沢の峰の白さが、北国の山のようでした。

 今日は、節分だそうです。昭和記念公園の「木漏れ日の里」の砂川方面からの入口、野川公園の野草園では、節分草の花が咲いているだろうと思いました。

 我が家のブライダルベールが、葉の部分まで枯れ始めました。これをそのまま放置して良いのか、何等かの手入れをしなければならないのか、全く分りませんので、ネットで調べて見ましょう。最近は、何でもネットで調べられるので、非常に有難いです。

 朝、メールを見たら、山の仲間の女性からメールが入っていました。「電話したいから電話番号を教えて」というメールだったので、私の方から電話してみました。私の1月28日のアイスホッケー応援のブログを見て、彼女の知り合いの女性(私も少しだけ知っている)の親戚が、女子アイスホッケー日本代表チームのキャプテンなのだそうです。それで、28日その親戚の人も、応援に行ってファミリー席にいたそうです。私は、ファミリー席にはいませんでしたが、私を応援に誘った友人は、ファミリー席にいました。人間の縁の繋がりは、色々な所にあるものですね。

 7日に、ゴルフ仲間とゴルフをやるので、ゴルフバッグを往復宅急便で送ることにしました。バッグを取りに来てくれるように頼むと、「2時半までに伺います」とのことでした。丁度2時半にバッグを取りに来ました。宅急便の値段が上がっていると聞いていましたが、本当に上がっていました。この前出した時は2800円程度でしたが、今回は3400円程度でした。約600円の値上がりでした。この値上がりは、流通業界の人手不足の影響らしいのですが、年金暮らしの人間には堪えます。次回から、ゴルフに行く時は、練習用のバッグにして、自分で担いでいこうかと思いました。

 ゴルフバッグを渡して、3時から散歩に出かけました。大栗川と多摩川の合流点から、聖蹟桜が丘に行く、慣れ親しんだコースでした。

 四谷橋を越えた河原の上空で、鳶(トビ)が2羽悠然と輪を描いていました。暫くトビの舞う姿を見ていたら、突如トビが、河原の木の中に急降下しました。4羽程いた烏(カラス)を襲ったのです。トビとカラスのバトルは、よく見かけるのですが、大抵は、カラスの方が、縄張り近く迄降りてきたトビに、スクランブル発進をして追い払うのが通常でした。今日は、不意を突かれたカラスが、あたふたと逃げ出しました。一度、カラスにスクランブル発進をされたトビの仕返しだったのかも知れません。

 関戸橋の近くの河原に、未だ沢山の実を着けた栴檀(センダン)の木がありました。その木に、椋鳥(ムクドリ)や鵯(ヒヨドリ)が群がっていましたが、実を啄んでいる鳥は僅かでした。きっと美味しくないのでしょう。餌の少ない冬になっても、センダンの実は、何処でも残っています。

関戸橋に行くと、多摩川の流れが強引にねじ曲げられていました。関戸橋の架け替え工事の為の、仮橋の工事が再開するようでした。自然の猛威も凄いですが、重機を使った人間の力も凄いものです。塞き止められて水溜まりと化した場所で、川鵜と白鷺が、逃げ遅れた魚を狙っていました。

 合流点から、大栗川を遡ると、青鷺(アオサギ)が、鷭(バン)、小鴨(コガモ)、鳰(カイツブリ)の泳ぐ姿を、じっと眺めていました。アオサギ自身が餌を捕る姿を見るのは、殆ど見たことが有りません。

更に歩くと、遠くに小さな黒いシルエットが見えました。目が悪くなった私でも、一目でそのシルエットが翡翠(カワセミ)だと分りました。この前、立川根川公園では会えなかったのに、今日会えるとは思ってもいませんでした。急いで、上流まで歩いて、日の当たる側からカワセミの写真を何枚も撮りました。何時も思いますが、どうしてこんなにも綺麗な鳥が、この世にいるのかと、不思議に思ってしまいます。夕日に、翡翠(ヒスイ)色をした翡翠(カワセミ)の背が、一段と鮮やかに輝いていました。冬の散歩の楽しみは、鳥達との出会いです。

 

「青空に 円を描いて 舞う鳶が 烏目がけて 突然降下」

「予期せざる 鳶の不意打ち 功奏し 烏混乱 河原のバトル」

「実を残す 栴檀の木に 鳥の群れ この実は喰えぬ 失敗失敗」

「水鳥の 泳ぐ姿を じっと見る 我が子愛しむ 青鷺の目」

「川岸に 小さな鳥の シルエット 一目で分る 君は翡翠」

「夕日受け 翡翠の背 翡翠色 翡翠と翡翠 何れも宝石」

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2018年2月 3日 (土)

2018年02月02日

2018年02月02日

 

 明け方から雪が強くなったらしく、朝起きてカーテンを引くと、またもや雪景色になっていました。しかし、1月22日の雪に較べれば、薄らと雪が乗った程度でした。それでも、正面の七生丘陵の住宅地は、屋根に残っていた雪に、また雪が降り積もったので、大雪の時のような白さになりました。しかし、雪は9時過ぎには止み、昼2時頃には、今回降った雪は、殆どが解けてしまいました。

 今日は、長野に住んでいる職場の後輩が、上京してきたので、関係者が集まりました。全員で7人集まったのですが、現役で働いている人が3人いたので、飲み会は、午後7時からでした。少し早めに都心に出て、都心の見学をしようかと思ったのですが、寒いし天気も悪かったので、止めにしました。

 家を出るまでの時間、テレビを見ていると、ロボットがコーヒーを入れるカフェが開店するニュースをやっていました。お品書きに書かれた、何種類ものコーヒーを淹れることが出来るそうです。ロボットとロボットをメンテナンスする人だけで、経営が可能だそうです。飲食業界の人手不足と、人件費の高騰対策として、このカフェが出来たそうです。

 今は、このカフェが、珍しいものとしてニュースになっていますが、10年もしない内に、当たり前になる可能性があります。あらゆる外食産業が、ロボット化するかも知れません。つまり、給食センターではありませんが、幾つかの大きな料理制作会社が、レトルト食品を作り、消費者は、街中の店で電子マネーを使い料理を注文すると、料理が温められて出て来ます。サービスの売り買いに、誰一人として人間が介在しないことになるかも知れません。経理とかも全てロボットがやり、それを検査するのもロボットがやります。こうした社会を運用する為に、ロボットが出来る社会制度に改めれば、公務員も不要になるでしょう。

このような社会は、遠い将来の話しでは無いのです。中国では、人の居ない小売店が増えているそうです。ロボットが管理する工場生産の野菜も増えています。製造業もロボット化が進み、今でも人間が行う作業は、どんどん少なくなっています。流通もトラックとか船とか飛行機では無く、流通用のパイプを世界中に張り巡らすことになりかも知れません。この流通用のパイプを使えば、人の移動も、速く正確に事故も無く、出来るようになるかも知れません。

問題は、その時人間は、何で富を作り出し、どの様に各人に分配するかです。これについては、なかなか想像が出来ません。現在社会のロボット化は、現在と同じように経済が拡大し、ロボットが作った富が、そのまま人間の富となり、現在と同じように自由競争が成り立つことを前提としています。ロボット化の進展は、この前提を覆してしまうのではないかと危惧しています。

午後5時過ぎ、辺りが暗くなり始めた時に家を出ました。通常は、家に帰る頃ですから、少し変な気分でした。飲み会が行われる銀座に着いたのは、6時45分、銀座の町の灯がキラキラと輝いていました。ちょっと道に迷いましたが、店に電話して、7時丁度には、店に着きました。

今日集まったのは、一人を除いて、後輩ばかりでした。職場の中では特殊な部門でしたので、仲間意識が非常に強いのです。この後輩を迎えた頃は、バブル期を迎える日本経済の絶頂期でもありました。仕事のこと、当時の社会情勢のこと、話しは一気に盛り上がりました。長野の後輩は、随分前に職場を辞め、現在は、長野で家業の農業をやっています。私は、年に一度は、彼の家にやっかいになっています。このような昔の仲間が上京したと言うだけで、直ぐに何人か集まって、飲み会が成立します。職場に入った頃の思い出が、強烈なようです。今日の会を仕切ってくれたのは、未だ現役の女性ですが、昔から酒の場に欠かせない人です。この女性と共に、3人で江戸情緒のある酒場を飲み歩いた後輩も来てくれました。おどけた口調で、「俺の酒が飲めないんかー」と言うのが口癖だった後輩も来ていました。酒は飲まないのに、飲み会に絶対欠席しない後輩が、今日もちゃんといました。唯一の先輩は女性で、この人がいなかったら、私はサラ金地獄に嵌まっていたかも知れません。良き時代の良き仲間達です。ロボットに時代では無く、人間が頑張っていた頃の時代に生きることが出来て、本当に良かったと思いました。

 

「人と人 触れ合う時代に 生きてきた 時代の良さが つくづく分る」

「思い出が 仲間の中で 絡み合う 話せる人いて 思い出楽し」

 

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2018年2月 2日 (金)

2018年02月01日

2018年02月01日

 

 2月最初の朝は、雲の多い朝でした。天気予報では、午後から雪になると言っていました。

 一番寒いこの時期に、どうした訳か、我が家のベランダで、黄色い花が2輪咲きました。小さな山吹のような花です。一度は、調べたのですが、この花の名前を忘れてしまいました。どの花にも慌て者がいるようです。しかし、この時期の花は、とても貴重で嬉しかったです。

 今日は、夕方から雪になるとのことでしたので、昼間の内に、ゴルフの練習に行こうと思っていたのですが、午後1時頃から、霙が降り始めました。仕方なく、一日中家で過ごしました。

 時間が出来たので、テレビで話題になっている、貴乃花部屋のホームページを見てみました。その中には、貴乃花部屋の力士の育て方等に関する10数箇条の基本方針や、相撲協会のあり方、及び、相撲の今後について貴乃花親方の考えが簡単に示されていました。しかし、残念ながら私には、貴乃花親方が目指す、相撲及び相撲協会の改革について、根拠も目指す所も良く分りませんでした。一般論に終始しているように思えました。細部まで言及したものを掲載すると、ネット上で大激論になって、収拾が付かなくなる恐れは、確かにあります。しかし、此処は譲れないという確固たる改革精神を持っていれば、一般論からでも、改革の片鱗が見えてくるものです。どうしても、それが見えませんでした。都知事選の時の、小池知事を思い起こさせました。貴乃花親方では、相撲界の根本的改革は難しいと思います。具体的な改革論議に入った時に、考え方に筋を通すことが出来ず、立ち往生するような気がします。単に、私だけの危惧に終わることを願っています。

 私の相撲改革を簡単に述べてみます。先ず第一点、相撲は神事であり日本古来の文化であることを、何処まで容認するかです。私は、相撲界の運営、土俵上の勝負の規則、昇進の規則、勝負を行う土俵の形状、親方株(相撲部屋―力士の育成)、力士のあり方、タニマチ(ファンクラブのあり方)については、これまでのやり方を残しつつ、近代的競技のあり方を取り入れて、公正な形で行うべきだと思います。髷、褌などの衣装、行司、呼び出し、塩撒き等の勝負に至る進行に関すること、奉納土俵入り等勝負以外のことは、これまでの通りで良いと思っています。但し、神事であることを強調して、何らの変更も許さないような、風潮が存在するのであれば、先ず、その風潮の改革から始めなければならないと思います。

 相撲界の運営については、興業として損益は出していないようですから、特に大きな改善点はないと思います。若し、現在の理事達では、興業が成り立たない場合は、外部の専門家を入れても良いと思います。また、密室的な運営をしないこと、法律に関わる問題を内部処理しないことが大前提です。

土俵上の勝負の規則及び勝負の判定については、公正化が進んでいるように思います。但し、横綱の品格を理由に、横綱だけに禁じ手が有るよう物言いは、公正とは言えないと思います。禁じ手は、全ての力士に共通でなければなりません。品格とは、個人の中で形成され、ファンによって認知されるものです。勝負とは関係が有りません。

昇進の規則については、横綱の退位を含めて、更に明確公正にして、一般に公表すべきです。この事が、最も大事なことです。相撲の将来を決めることになると思います。独りよがりの日本文化を固執するような、横綱審議委員会は不要です。

土俵の形状は、もう少し力士に優しくすべきです。段差を低くして、土俵下にはマットを敷くべきです。稀勢の里の怪我は、固い土俵下に転落したことによって生じたものです。

部屋の開設については、親方株の有無、日本国籍の有無を条件とすべきでは無いと思います。きちんとした条件を定めて、誰にでも開放すべきです。相撲経験者だけが、力士を育てられると考えるのは、間違いです。

力士のあり方は、ヤクザや軍隊のやり方を引きずっている所が見受けられるので、早急に是正する必要があります。これが、暴力事件の引き金となっています。

タニマチについては、今の形を残しても良いですが、一般の相撲ファンとの交流を深める方法を検討すべきです。

 他の人に文句を言う資格が無い程、雑駁な意見ですが、何時か何処かで検討して欲しいと思います。

 

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2018年2月 1日 (木)

2018年01月31日

2018年01月31日

 

今朝は、雲一つ無い快晴の空でした。存在感のある富士が、くっきりと見えました。この空が、夜まで続いてくれたら、皆既月食が楽しめるのにと思いました。

今日で、1月も最後になりました。例年、1月が過ぎると、時間の進みが急に速くなるように感じます。

今日は、ホテルオークラで行われた「日本―エクアドル修好100周年」パーティーに参加しました。エクアドルは、私の最後の海外勤務地で、思いで深い国でした。招待状が届いた時は、スペイン語で話さなければならなかったらどうしようと、不安になりました。しかし、誘われたら断らないことにしているので、思い切って参加しました。最初は、知っている人が誰もいなくて、一人黙々とワインを飲んでいましたが、セレモニーが始まる頃には、知っている人の顔が数人見えました。セレモニーが終わって、順番に知っている人に、挨拶に行くと、色々新しい人を紹介され、不安は、何処かに消し飛んで、とても楽しいパーティーとなりました。食事には、エクアドル料理も何品か用意されており、美味しく頂きました。今日は出ていませんでしたが、危険ですが、名物の赤貝の肝いりセビッチェを食べてみたくなりました。食べた人の半分は、下痢すると言われていました。

エクアドルでは、妻と公共のバスで、原住民の部落へ行ったことがあります。妻も良く付いてきてくれたと思います。公共バスには、原住民位しか乗らないのです。妻とアマゾン地方の旅行した時は、カブトムシの幼虫の料理を食べたこと(流石に妻は食べられず、その分私が溜めました)、この村の酒は、昔は、女の子が食べたものを口から出して作っていたと、話を聞いた後に、丼1杯のどぶろくを飲まされたこともありました。4000m迄、ロープウェイで生けるものだから、4600mのピチンチャ山に運動靴で登ったこと等々、エクアドルには、山程の思い出があります。本当に良い思い出ばかりの国です。そのエクアドルと日本の修好100周年の行事に出られて本当に良かったと思いました。

パーティー終了後、ホテルオークラから、飯倉片町の方へ歩きました。この辺りの変わり様は、凄まじいばかりでした。多くの高層ビルが建ち並んでいましたし、新たに3棟、高層ビルが建築中でした。飯倉片町交差点を飯倉交差点の方へ曲がると、飯倉公館と外交史料館がありました。種々、街の様子が変わる中で、この二つは、全く変わっていませんでした。50年程前、仕事の関係で良く通った思い出の場所でした。史料館の中も見させて貰いましたが、全く変わっていませんでした。歳を取ると、思い出の場所が、思い出のままあるのは、本当に嬉しいことだとつくづく思いました。

まだ時間が、3時半位でしたから、六本木交差点まで歩き、二つ目の恵比寿まで行きました。先週来たばかりですが、先輩の店で、もう少し酒を飲んで帰ることにしました。先輩の店は、今日も貸し切りでしたが、客が来るのは6時過ぎらしく、それまで、先輩が付き合ってくれました。

 6時頃に先輩の店を出て、我が家に7時頃に着きました。夜は曇りだと思っていましたが、満月が輝いていました。今日は、皆既月食の日でした。月は、ベランダの方からは見えず、玄関側の廊下からは見えました。急いで晩酌の用意をしました。テレビのニュースでは、月食が始まるのは9時近くからとのことでしたから、9時からは、テレビを見たり、ワインを飲んだり、廊下に出たりの繰り返しになりました。9時半頃には、半分以上月が欠けましたので、それから30分程、寒い廊下で、月が欠けていく様を見ました。9時50分頃に、最後の一点の輝きも消え、皆既月食となりました。薄暗い月が、空に浮かんでいました。それから、何度も廊下に出ましたが、11時半位まで、薄暗いままでした。元の満月に戻る様子も見たかったのですが、昼から飲み続けでしたので、眠さに勝てず寝てしまいました。今回は、スーパームーンと、月に2回の満月、そして皆既月食が重なった、珍しい現象だったそうです。この現象は、19年後だそうですから、何処から見ることになるんですかね、、、。

 

「次々と 時を繋ぎて 1世紀 絆強める 日本エクアドル」

「我もまた 時の鎖の 輪の一つ 思い出深き 赤道の国」

「100周年 集まる人は 誰も皆 胸に秘めたる 思い出似たり」

「変わり行く 定めの都心に 変わりなく 残りておりし 我の思い出」

「都心にて 一人訪ねる 我を待つ 東京砂漠に オアシスありき」

「家路にて 空を仰げば 満月の 欠けること無く 輝いており」

「珍しき 天体ショウを 肴にし 滅多に出来ない 月見酒かな」 

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