« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月21日 (木)

2017年12月20日

2017年12月20日

 

 今日は、秋川丘陵の今熊山に、山の仲間と登りました。今日1日の様子は、何時ものように、75調の今熊山紀行で、想像して下さい。

 

12月21日から来年1月10日まで、日記は休みます。

 

今熊山紀行

 

「五日市 武蔵国の 西外れ 武相の国から 仲間十人」

「バス待つ間 駅前パン屋で 朝餉かな 山行前に コーヒー1杯」

「時来たり バスに乗り込む 仲間達 いざ今熊へ 心は逸る」

「バス停は 今熊山の 登山口 されど見えない 登山口かな」

「今熊の 「えき」を「えさ」と 間違いて 熊飼う村かと 興味津々」

「地の人に 教え仰いで 分かりたり 今熊神社が 登山口なり」

「それぞれに 今熊神社に 遙拝し 今熊山へ 登山開始す」

「見晴らしが 少し異なる 登山道 頭寄せ合い 地上を確認」

「緑濃き 杉の若木を 背景に 残り少なき 枯れ葉舞うなり」

「冬晴れの 寒気残れど 汗ばみて 上着を脱いで 登山再開」

「延々と 階段の登り 頂上へ 山より丘の 505m」

「登山道 登り来たりし 階段は 今熊神社の 参道なりき」

「山頂の 神社の横から 失せ物の 名前を呼べば 失せ物帰る」

「冬晴れの 陽光浴びて 昼餉かな 笑顔笑顔の 今熊山頂」

「次々に 食後のデザート 飛び出して お腹1杯 幸せ1杯」

「日野の人 夏の山行 報告す アフリカの峰 キリマンジャロ」

「我が仲間 古希を過ぎても 挑戦す アコンカグアに キリマンジャロ」

「ニューフェイス 仲間の皆に 挨拶す 大先輩に 緊張緊張」

「低けれど 皆で登った 今熊山 登頂祝して 記念撮影」

「誰も皆 失せ物などは 無き様子 神社離れて 金剛の滝へ」

「冬晴れに 乾いた落ち葉 足を取る 恐る恐るの 急坂下り」

「歩けども 瀬音聞こえぬ 渓谷に 滝は何処と 不安の募る」

「朝霜の 消えぬ河原の 現れて 近くになりぬ 金剛の滝」

「現れた 我が背と同じ 小滝に 誰の顔にも 落胆隠せず」

「小滝の 横なる岩に 穴のある 誰が穿ちか 青の洞窟」

「洞窟を 潜れば開ける 目の前に 空から落ちる 金剛の滝」

「岩場から 滝壺見下ろす 金剛像 修験の僧を 見守り励ます」

「山降りて 秋川河岸の 広徳寺 室町偲ばす 古刹でありき」

「茅葺きの 山門潜れば 大銀杏 天を貫く 大門となる」

「茅葺きの 本堂大きな 百姓屋 簡素でありし 仏への道」

「タラヨウに 榧の大木 大銀杏 寺の歴史を 語りているなり」

「冬の日の 沈む前には 歩き終え 心は早くも 打ち上げ会へ」

「山里を 離れて都会の 立川へ 足取り軽く 目指す居酒屋」

「やるき茶屋 我等十人 受け入れる いよいよ始まる 今宵の宴」

「リーダーの かけ声1つ 鳴り響き テーブル寄せて 全員一緒に」

「カンパーイ ジョッキの音が 鳴り響き 仲間の心も 響き合うなり」

「広徳寺 今熊神社の 神仏 良き一日を 褒美にくれる」

「宵進み 相模の小母さん 家路へと 小父さん達は 向かいの酒場に」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月19日

2017年12月19日

 

 今朝も,素晴らしい天気でした。富士も良く見えましたが、富士の冠雪の部分の黒ずみが、どんどん大きくなっているような気がします。この時期になって、こんな富士を見るのは、この地に移り住んでから、初めてのような気がします。

 何時の間にか、桜の葉は、全て落ちてしまいました。正面の七生丘陵も、稜線が、櫛の歯状になってきました。こんな中で、我が家のブライダルベールは、濃い緑の葉を茂らせ、未だに花を咲かせています。なかなかしぶといので、少々驚いています。

 今日は、次男が休みの日を選んで、姪と夕食を一緒にすることになっていました。約束は、午後6時、吉祥寺の「鳥良」でした。それまでの間、かなり時間があったので、次男はクリスマス用の、スークサーモン作りに精を出しました。以前は、良く作っていたのですが、ここ数年、中断していました。次男が作る、スモークサーモンは、逸品なので楽しみです。

 午後4時半、次男と一緒に、富士の脇に沈む夕日と、残光を楽しんだ後、吉祥寺に向けて出かけました。姪との待ち合わせ時間、5時45分の10分前に、吉祥寺駅に着きました。姪は、予定通りに到着しました。前にも書きましたが、姪とは、年に二回程、夕食を一緒にすることにしています。姪は、単身上京し、頑張っているので、東京での唯一の親族として、姪の状況を確かめる意味で、夕食を共にしています。本当の所は、姪と酒が飲みたいのです。今年から、私と一緒に暮らしている次男も、参加するようになりました。

 「鳥良」は、井の頭公園が見晴らせる、雰囲気の良い料理屋で、昔、吉祥寺に住んでいた頃、何回か来たことがあります。姪は、「鳥良」は、高級料亭の感じがするので、自分達の年代では、入りにくいと行っていました。それだけに、今日は、とても喜んでくれました。我が家の家系なのか、三人とも酒が大好きです。様々な鳥料理を肴に、美味しい日本酒を、5種類も飲んでしまいました。

 夕食が終わってから、この前と同じように、ハーモニカ横丁のバール兼居酒屋「たっちゃん」に行きました。年末の忘年会シーズンだからでしょう、大変な混雑でした。この前と同じ、会計カウンターの前の、立ち飲み席が空いていましたので、そこに陣取りました。私と姪は、ラム酒「サカパ」のロック、次男はビールを頼んで、懐かしい戦後の雰囲気を味わいながら飲みました。暫くすると、この前も来た、流しの小父さんがやって来ました。同郷の人なので、お互いに良く憶えていました。今日は、私の好みで、河島英五の「酒と涙と男と女」、吉幾三の「酒よ」を歌って貰いました。ハーモニカを混ぜながら、楽しく歌ってくれました。流しを聞き終わると、カウンターの小母さんが、「そう言えばあなた達、この前も来て、流しを頼んでいたわね」と、嬉しそうに話しかけてきました。小母さんの笑顔につられて、3人とも別の酒をもう一杯飲んで、お開きにすることにしました。10時近くになっていました。ハーモニカ横丁に来ると、何故だか良い気分になります。

12月21日から来年1月10日まで、日記を休みます。

 

「親子して 富士山包む 残光を じっと見つめる 冬の夕暮れ」

「年の瀬に 保護者気分で 姪と飲む 次男も加わり 親族談義」

「上京し 酒を始めた 青春の 思い出残す ハモニカ横丁」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月19日 (火)

2018年12月18日

2017年12月18日

 

 今朝も、素晴らしい天でした。今日は、よく眠れて、7時半に目が覚めました。その時点では、富士の所にだけ雲が湧いて、既に富士は雲隠れしていました。

 今日は、1年下の後輩から誘われて、彼等のテリトリーである川崎での忘年会に参加しました。折角川崎に行くので、何時ものように、家を早く出て、川崎大師の御朱印を貰うことにしました。

 我が家を1時半に出て、谷保から川崎まで1本です。3時に川崎に着きました。7,8年前に妻と初詣でに来たことがあるだけなので、何もかもがうろ覚えでした。しかし、京急の大師線で川崎大師駅に降りると、目の前が参道になっており、何も迷うことはありませんでした。8分程歩くと、川崎大師入口が出て来て、本来の参道が出て来ました。両側にびっしりと、お土産品屋が並んでいました。初詣でに来た時は、幾つものお土産屋から、飴を切るリズミカルな音が響いていましたが、今日は閑かでした。あと2週間すれば、初詣で客で、大忙しになるでしょう。

 大きな山門を潜ると、八角形の中国風の五重塔が、赤く輝いていました。境内は、背の高い本堂が西日を遮り、宵の口の雰囲気が漂っていましたので、五重塔が、余計に目立ちました。本堂を参拝して、御朱印を貰いました。待っている間に、本堂で行われていた、護摩法要の法話を聞くことが出来ました。

 次に、直ぐ隣にある不動明王堂に行き、矢張り御朱印を貰いました。小さなお堂で、不動明王も小さかったのですが、なかなか立派な不動明王でした。私は、組織としての宗教は嫌いですが、一人で悟りの境地に至る、開祖の頃の仏教は嫌いではありません。仏や不動明王も彫り物としては、立派だと思う物が幾つもありますが、神話として、組織の宗教に利用されると、それだけで、興味が薄れてしまいます。

 更に隣の、薬師殿へ行きました。以前初詣でに川崎大師に来た時は、三元日は過ぎていましたが、大変な混雑でしたので、不動明王堂と薬師殿には、参拝しませんでしたので、今日が初めての参拝でした。薬師殿は、コンクリート作りで、形は、タイのパゴタのようでした。4時近くになっており、扉を閉める準備をしていました。慌てて御朱印を頼みましたが、快く引き受けてくれました。此処には、薬師如来と共に、真鍮の大仏が置かれていました。大仏を触って、病気快癒を願うらしく、ピカピカに磨かれていました。

 川崎大師には、横綱北の湖像とか平和の像とか、少し変わった彫像が飾られていました。山門を出ると、丁度五重塔の後ろに日が沈みました。良い雰囲気でした。人気の無い参道に、お土産を買って下さいという、売り子の小母さん達の声が、次々に聞こえましたので、参道の出口のお土産屋で、名物のとんとこ飴を買いました。飴を切る時、とんとこ、とんとこ音を立てて切るので、この名前が付いたのだろうと思います。

 外側の参道に出ると、川崎大師に較べると、ぐっと小さな明長寺がありました。此処でも、御朱印を頼むと、とても綺麗なお嬢さんが、快く引き受けてくれました。この年で大黒さんなのでしょうか、本当に綺麗な方でした。受付の近くに、大きな甕が6つ並んでいて、大きさの違った小さな魚が、それぞれの甕で泳いでいました。御朱印を貰う時に、魚の種類を聞いたところ、メダカでした。孵化した順番に、甕を変えないと、先に孵化したメダカが、後から生まれたメダカを食べてしまうと言っていました。その通りです。40年近く前、私も緋メダカを飼ったことがありますが、同じ事をやりました。そして、緋メダカを沢山繁殖させ、アパート中に配ったことを思い出しました。

 415分となり、忘年会の始まる時が近づきましたので、川崎駅に戻りました。一応地図を印刷してきたのですが、分かり憎い地図だったので、地元の人らしい人に聞きながら、店に行ったところ、440分には、店に着きました。店は未だ閉まっていましたし、後輩達も来ていませんでしたので、隣の本屋で、時間潰しをして、5時過ぎに店に行ったところ、聞き慣れた大きな声がしました。

 大学のクラブの1年後輩で、川崎の3羽烏となって、しょっちゅう飲んだり遊んだり、行動を共にしている連中です。こんな連中の仲間として呼んで貰えるのですから、私も幸せ者です。3人とも個性があって、それぞれ社会で活躍してきた連中です。急ピッチで酒は進み、何やかや、訳の分らないことを、大声で喚き合いながら、時間はどんどん過ぎていきました。予約したのが、2時間飲み放題の店だったので、あっという間に終わりの時間が来ました。本当に、7時きっかりに、飲み会が終了しました。二次会も無しでした。私は、何時腰を上げるか、分らないような飲み会ばかりをやっているので、こんな飲み会は、珍しいものでした。年を取ったら、こんな飲み会にすべきですかね。お陰で、8時半には家に帰り、安全な我が家で、一人で二次会をやりました。

 

19日と20日の日記は、21日に書く予定です。そして、12月21日の日記から、来年1月10日まで、日記を休みます。

 

「年老いて 後輩と飲む酒 旨きかな 全てのことが 良き思い出なり」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月18日 (月)

2017年12月17日

2017年12月17日

 

 今朝は、素晴らしい天気になりました。青空に富士の白嶺が、きっちり見えました。この前、河口湖に行って、私が見ている、北側の頂上部分の富士だけが、白いと言うことが分りました。この部分でさえ、黒ずみがあります。

 日記を書き終え、次男を送り出してから、テレビの前とテレビの横に小さなテーブルに、クリスマスの飾りをしました。信仰の問題としては、キリスト教とは、縁を切っているのですが、そのキリストの誕生を祝う、クリスマスの飾りをするのですから、我ながら、信念無き人間だと思います。日本では、クリスマスもハロウィンも、宗教的な意味を取り除いた、単なるお祭りとして、一般生活上の楽しみになっています。そんな訳で、日本では、クリスマスツリーは飾っても、ベレン(聖家族)を飾るのは、希なようです。私も、その影響が、強いと思います。

 我が家のクリスマス飾りは、信仰心も無いのに、ベレン(聖家族)が中心です。以前は、クリスマスツリーも飾りましたが、最近は、場所の問題もあって飾らなくなりました。ツリーの替わりに、松ぼっくりを沢山並べています。イタリア、パラグアイ、カナリア諸島等で拾ってきた、とても大きな松の実です。

 1時半頃から、四谷橋を渡り、浅川を回り、石田大橋を渡って帰って来る、標準的なコースを歩いてきました。

 四谷橋では、高齢のサンタクロース・マラソンをやっていました。参加者は、全員、サンタクロースの衣装で走っていました。だんだん年の瀬が近づいて来ました。今度の日曜日は、クリスマスイブです。

 程久保川の八重桜の並木は、すっかり葉を落としていました。その裸の枝先に、丸い玉のような物が、幾つも付いていました。2,3日前に、昆虫達の越冬についてのテレビ番組がありました。この丸い玉も、何かの昆虫の、越冬の場所に違いないと思いました。枝を曲げて見てみましたが、越冬中の昆虫を見ることは出来ませんでした。

 程久保川と浅川の合流地点にある仙人に花畑は、今年の台風の時の増水で、砂で埋まってしまいました。この砂地を、もう一度花畑にするのは、至難の業だと思います。年老いた老仙人の手に負えないのではないかと、他人事ながら心配しています。

 仙人の花畑から、少し歩いた所に、浅川を渡る堰があります。この堰は、台風の時の増水によって、川の流れが変わり、とても渡り易くなりました。以前は、川の中央を水が流れ、中央部分の堰の石が、水中に隠れている石がありました。長年の流れで、石が小さくなったのです。それが、増水の時、中央部分に小石が集まり、州を作りました。流れは、両側の川岸近くを流れるようになり、この部分は、堅牢な石ばかりで、水中に沈む石がなくなったのです。これで、秘密の池に行くのが、非常に簡単になりました。

 葉を落とした鬼胡桃の枝に、ホオジロ(頬白)が止まっていました。最初は、雀かと思っていたのですが、良く良く見たら、ホオジロでした。冬の散歩では、野草の花と出会うのは少なくなりますが、小鳥達との出会いが増えますので、違った楽しみに出会えます。

 浅川の土手には、コセンダングサの実が、行列していました。少しでも衣服が触れると、その実が沢山くっつきますので、非常に嫌いな草です。所が、今日は

、斜めからの日を浴びて、丸い花のように輝いていました。光のマジックですね。特に、冬の強い斜めの日は、思いがけないマジックを見せてくれます。今日が、まさしくそうでした。

 石田大橋を渡り、スーパーヴァリューで、スペアリブや、鶏の軟骨類、貝類、果物、長芋等を買いました。昨日まで、スペアリブは、牛だと思って牛肉の所ばかりを探していましたが、牛も豚も羊も、骨付き肉はスペアリブで、リブステーキになるようです。牛のスペアリブは、どのスーパーにもありませんでしたが、豚は、何処のスーパーにもありました。

スーパーヴァリューでは、メキシコ産のグレープフルーツのルビーが、1個99円で売っていました。どのスーパーよりも安いと自慢している、我が家の近くの西友では、南アフリカ産のグレープフルーツのルビーが、1個177円でした。しかも、西友の方が、玉が小さいのです。一度、この事で西友と揉めたことがあったので、スーパーヴァリューのレシートを持って、西友に行き、値段の差を見せつけてやりました。

 家に戻ってからは、買ってきた肉類を調理しました。スペアリブ、鶏の手羽中は、適当に味付けをして、冷蔵庫に入れ、味を馴染ませることにしました。鶏の軟骨は、塩味だけにして、ベランダで干しました。鶏の関節の軟骨は、唐揚げ粉を塗して焼きました。これだけのことに、1時間以上掛かってしまいました。

 夜は、生しらすと青柳、ツブ貝を肴に、大河ドラマの最終回を見ながら、日本酒で晩酌をしました。女性が主役の歴史物は、どうもしっくりきません。女性が歴史の主役になったとは思えないからです。

日本酒だけでは、矢張り物足りなかったので、海老、青柳、ツブ貝のアヒージョも作り、日本酒の後は、ワインにしました。

 

「木や虫の 厳しき冬を 越す為の 長年の知恵 目の当たりに見る」

「雀かや いやいや頬白 枝の先 冬は葉陰の 隠れ家の無し」

「冬の日は 真昼であっても 斜めから 花の跡をも 光で包む」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月17日 (日)

2017年12月16日

2017年12月16日

 

 今日は、曇りになるような予報でしたが、思いの外良い天気でした。

 昨夜寝たのは、1時過ぎでした。5時半位にトイレに起きて、眠れぬままベッドで横になっていたら、夜が白んできました。カーテンの端の白くなり方で、大凡ですが、外の夜明けの具合が分るのです。その後、眠れそうに無かったので、起きることにしましたが、寝不足で、頭が朦朧としていました。

 天気が良かったので、外に出たかったのですが、午前中の仕事を終え、昼食を食べてから、年賀状の最後の仕上げに取りかかりました。12月は、予定が少なかったのですが、後半になってきて、かなり予定が入り、延ばし延ばしにすることが出来なくなりました。70人宛ての葉書に一言ずつ、手書きの挨拶を加えました。年を取って、指先に時々震えが出るので、一苦労でした。50音順で、一番最後になる大学の同期への挨拶を書き終えて、年賀状書きは終わりました。寝不足の頭は、朦朧の度合いが強くなり、目は霞み、指先が痛くなりました。年は、取りたくないものですね。若い時なら、この程度の年賀状ならば、1時間足らずで書き終えたでしょうが、2時間近く掛かってしまいました。それだけに、

胸の痞えが下りてほっとしました。

 3時過ぎに、年賀状を書き終えましたので、3時半に家を出て、聖蹟桜が丘に、買い物に出かけました。バス停までの道にある郵便ポストに、書いたばかりの年賀状を投函しました。年賀状の束が、ポストの底に落ちる音がしませんでした。多くの年賀状が、投函されているようでした。年賀状を出す習慣は、ネット社会になっても、戦後に育った老人達が死に絶えるまで、もう暫くは続くのでしょう。

 聖蹟桜が丘で、来年、和歌を書き留める為の、白紙のノートを買いました。私の75調の歌は、和歌とは言えないような代物なのですが、パソコンの中にだけ入れておくのは可哀想なので、ノートに自筆することにしています。白紙のノートに縦書きで書くだけで、和歌っぽくなるから不思議です。漢字を忘れない為にも、役立っているようです。今日、聖蹟桜が丘には、このノートを買うだけの為に行きました。

 他の買い物は、我が家の近くのスーパーで買うことにしました。23日に、我が家で、孫達と一緒にクリスマス会をやるので、この所、リブステーキを探しているのですが、今日もありませんでした。直ぐに売り切れるのでしょうか、注文しなければいけないのでしょうか、明日は、他のスーパーも廻ってみようと思います。我が家では、クリスマスにリブステーキは欠かせ無い物でした。どうやら、他の家でも同じなのかも知れません。

 5時過ぎに家に帰り、今日は、久し振りにアサリのバター炒めと貝柱のアヒージョを作り、チョリソーを焼いて、「寅さん」を見ながら、ワインで晩酌をしました。最近、日本酒の晩酌より、今日の摘まみとワインでの晩酌が、一番満足感を憶えるようになりました。

それにしても、寅さんを毎週見ていると、寅さんが年を取っていく様子が、手に取るように分って、少々辛いものがあります。寅さんの最終作は、阪神淡路の被災地を訪ねるものだったように記憶しています。その後、寅さん役の渥美清が、他界して寅さんシリーズも終了しました。

 もう40年異常前になりますか、「私は5歳」と寅さんの映画フィルム、それと映写機を積んで、ペルーの原住民の部落を、ジープで廻ったことがありました。村の広場にスクリーンを立てて、野外で上映したものです。電気の無い村もあったので、発電機も一緒に持って行きました。その部落の原住民にとっては、電気を見ることが、最初の驚きでした。寅さんは、原住民も大いに笑って、とても評判が良かったのを思い出しました。随分昔のことになりました。私の人生も、終わりが近づいてきました。

 

「何しても 古き思い出 湧いてくる 色々あった 私の人生」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月16日 (土)

2017年12月15日

2017年12月15日

 

 昨日は、一日中、雲1つ無い天気でしたが、今朝は、雲が空を覆っていました。何と言う天気の変わり様でしょうか、昨日、富士を見に行って、本当に良かったと思いました。

 今日は、天気が悪かったので、年賀状に取り組みました。既に、宛名も文章やレイアウトも出来上がっていましたので、今日は、70部印刷しました。6年程前は、110部程年賀状を出していたのですが、音信不通になった人、亡くなられた人、喪中欠礼の人が、毎年少しずつ出て来て、今年は、70部になってしまいました。印刷の仕方を間違って、2枚無駄にしましたが、1時間足らずで、全部の印刷作業が、完了しました。明日、余り天気が良くないようですから、各人に一筆書いて、年賀状を終わりにしたいと思います。

 確かに、午前中は雲が多かったのですが、年賀状の印刷が終わった、午後2時頃から日差しが出て来て、3時過ぎには、青空が広がりました。その青空の中に、北の方から、3本の白い帯状の雲が、放射状に広がってきました。寒気の吹き込みのような印象を受けました。地上は、日差しが出ても、強い寒気が残っていました。

 今日は、急な用事が出来て、新宿に出かけました。年末の新宿は、何時にも増して、大混雑でした。府中市の外れに住んでいると、この人混みには、一寸した恐れを感じるようになりました。用というのは、大学の後輩である女性の相談に乗ることで、1杯のコーヒーで、2時間も話してしまいました。こんなことは、今まで、あまりなかったことです。

 話が終わった時は、7時を過ぎていましたので、恵比寿の先輩の店に行きました。つい最近もお邪魔したばかりでした。店の入口に、貸し切りの札が下がっていたのですが、中を伺ってみたところ、客は一組しかいませんでした。先輩に、聞いたところ、貸し切りのパーティーは終わったとのことでした。また、先輩に拠れば、「後輩の一組が、来たいと電話してきたが、その時はパーティーをやっていたので断った」のことでしたので、私から、その後輩に電話して、「若し良かったら一緒に飲まないか」と誘いました。後輩は、「是非飲みたい」と言って、1時間後5人でやって来ました。その内の4人は、我が家にも良く飲みに来たことのある後輩でした。5月に急死した後輩の月命日だったので、偲ぶ会兼忘年会をやっていたそうです。もう一人は、急死した後輩の友人でした。今日後輩達と、知り合ったそうです。

 その後は、私を含めて、偲ぶ会の2次会になりました。皆、70を過ぎ、死は身近なものになっているのですが、一番死にそうに無かった奴が死んだので、何となく、心の整理が付かないのです。様々な思い出話が、次から次に出て来て、11時になってしまいました。1月にもう一回、我が家で偲ぶ会をやることにして、お開きにしました。家に帰り着いたのは、日付が変わった12時半でした。こんなことは、実に久し振りでした。

 先輩の店は、今年で止めると言っていたのですが、手助けをしてくれる人が現れて、半年だけ延ばして見るそうです。もう暫く、先輩の奥さんの、美味しい料理が食べられそうです。今日も、美味しいピラフ(?)を頂きました。

 

「この5月 急に召された 皆の友 偲んで語る 月命日かな」

「誰にでも 良くも悪くも 強烈な 思い出残した 友の命日」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月15日 (金)

2017年12月14日

2017年12月14日

 

 昨日、午後3時頃から湧いてきた雲は、何処へ行ったのでしょうか、素晴らしい快晴の朝になりました。

 午前中の仕事をしながら、外の様子を見ていると、今日は、富士山の方にも、全く雲が湧く気配がありませんでした。そこで、次男を送り出した後、直ぐに、河口湖へ富士を見に行くことにしました。

 11時半に家を出て、河口湖には、2時には着くと思っていたのですが、高尾で15分、大月で30分電車待ちをすることになり、丁度、45分遅れの2時45分に着きました。

 最近、河口湖では、日本語を聞くのが少なくなりました。右から左から、聞こえて来るのは、外国語ばかりでした。確かに富士山は、誰が見ても、素晴らしい山だと思います。それを世界中の人が知ってくれるのは、急速に発展した、ネット社会の恩恵のようです。有難いことです。

 先ずは、河口湖の船津浜に近い、円通寺に行きました。とても雰囲気のある臨済宗のお寺で、何度も参拝したことがありますので、御朱印を貰いたいと思いました。丁度、住職が、車の掃除をしていたので、御朱印を頼んだところ、「うちは、御朱印は扱っていません」と簡単に言われてしまいました。これは、仕方の無い事です。

 今日は、かちかち山(天上山)に登らないで、湖岸の遊歩道を歩いて、船津浜の反対側の岸へ行き、そこからじっくり、日没時の富士を見ることにしました。遊歩道沿いに歩いて行くと、岸辺の枯れた薄や葦が、富士や湖畔の風景と良く合っていました。葦の中に、スワンの形をしたボートが2艘置かれていました。白と赤のスワンが、とても仲の良いカップルに見えました。その葦が切れた岸辺で、バン(鷭)が7羽、餌探しをしていましたが、私の気配に驚いて、急いで湖に逃げました。岸辺に打ち寄せる波は、小さなものでしたが、バンには丁度良い波乗りになりました。直ぐ近くで、カイツブリが盛んに潜っていました。沖の方では、マガモが泳いでいました。

 歩いている内に、富士が、かちかち山の後ろから顔を出し、ホテルのある湖岸まで行くと、全身を現しました。近くで見ると、富士は、まだ冠雪を頂いたとは言えない状態でした。我が家から見る、北東側の頂上付近だけが、冠雪らしくなっていましたが、今日見た北西側の斜面は、溶岩の山肌が剥き出しになり、筋状の雪が、何本もへばり付いている状態でした。まだ、本格的な雪が降っていないようでした。

 ホテルへ登る坂の中間に、ひっそりと裸婦像が置いてありました。肉付きの良い肉感的な裸婦像でした。毎日、富士を眺めているであろう裸婦像に、ほぼ真横から夕日が当たっていました。光の加減で、男を誘っているような妖艶さを感じました。

 3時40分から、4時30分まで、ほぼ1時間、富士の日没ショーを見続けました。北斎の赤富士のような富士が見られるのではないかと期待したのですが、ほんの少し赤くなったような気はしたものの、とても赤富士とは言えませんでした。それでも、予想した通り、一片の雲も無い富士の夕焼けを見て、充分満足しました。富士の右側に落ちた夕日が、富士全体に、スポットライトを当てているようでした。100枚以上、写真を撮ってしまいました。

 来た道を、船津浜へ戻っていると、またしてもバンが、湖へ逃げ出しました。既に夕闇は進み、黒いバンは、見えにくくなっていたのですが、残照を映した湖面では、妙に黒さが際立ちました。ホテル側も船津浜の方も、灯りが点りました。富士が見える間だけでも、富士見酒をやっていかないかと、誘っているようでした。

 5時14分発の富士急で、我が家に向かいました。電車の客の9割は、外国人でした。多くの人が、旅の途中なのでしょう、電車が動き出したら、深い眠りに落ち込みました。大月、高尾で乗り換えて、我が家に着いたのは、8時半でした。今晩は、流れ星が見えるというので、空を見ながら帰りましたが、全くみえませんでした。最近は、宵の明星も、明けの明星も見ていないような気がします。昔は、真っ先に見つけたオリオン座が、何処に見えるのかさえ、分らなくなりました。

 

「河口湖 右も左も 異邦人 富士を愛する 世界の人々」

「立ち枯れし 薄の白穂 西日受け 白やいや増す 水辺の夕暮れ」

「寒き冬 枯れ芦原に 寄り添いて スワンボートの 愛の語らい」

「夕暮れに 女の裸像 いと妖し 夕日を受ける 乳房の色気」

「我避けて 水辺に逃げる 鷭の群れ 思いがけない 波乗り遊び」

「夕日受け 突如輝く 十字架の かちかち山にて キリストを呼ぶ」

「近づけば 雪はまばらな 縞模様 未だ少ない 富士の白雪」

「富士山の 裾野の端に 日の沈み 気高き富士を 下から称えん」

「北斎の 赤富士見たさに 懲りもせず 寒き夕暮れ 耐えて富士見る」

「一片の 雲無き富士の 立ち姿 冥土の土産に 出来る富士かな」

「飽きもせず 半時ばかり 対峙して 仰ぎ見るなり 富士の雄姿を」

「残照の 明るさ映す 河口湖 黒き鷭等の 姿留める」

「宵進み 湖面に映る 街の灯の 誘い強し 富士見酒かな」

「電車内 誰も寝こける 異邦人 疲れ癒やして 明日も頑張れ」

「漆黒の 闇無き都会の 流れ星 願いはあれど 見ること出来ず」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月14日 (木)

2017年12月13日

2017年12月13日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。今日も、日の出を見に行く衝動に駆られましたが、止めました。欲望逓減の法則と同じように、感動逓減もあると思います。どんなに素晴らしい日の出でも、毎日見ると感動が次第に薄らいでいくと思います。

 ベランダのブライダルベールの花が、沢山咲きました。これまでも、少しずつではありますが、花を咲かせていました。年越しをして花を咲かせるのか、楽しみになってきました。

 今日は、正午頃まで、本当に快晴だったのですが、昼間の天気予報で、今日の3時過ぎには、雲が湧き出して、関東平野でも、小雪がぱらつくかも知れないと言っていました。空を見ながら、「そんな馬鹿な」と思ったのですが、一度聞くと気になるものです。早めに家を出て、近くの高幡不動まで歩きました。

 12時半に家を出て、多摩川の土手を上流に向かって歩きました。最近、歩くと白鷺に出会います。今日も、60羽位の白鷺の群れに出会いました。今日は、川鵜と一緒では無く、白一色でした。白鷺が、川の中を歩くと、水面が乱れて、光の玉を作りました。

 石田大橋の下の堰に、何か白い鳥がいました。驚かさないように、近寄ってみるとユリカモメ(百合鴎)でした。例年、冬の季節になると、この辺りまで飛来して来るのですが、今日は、たったの1羽で、黙然と堰の石の上に立っていましたが、やがて足を畳んで、昼寝の体制に入りました。

 石田大橋を渡り、万願寺交差点から、浅川の左岸に出ました。川の向こうに富士が立っていました。今日歩いてきたコースは、何処からでも富士が見え、場所によって風貌が変わる富士を楽しみながら歩きました。高幡不動の浅川からは、裾野まで広がった富士を見ることが出来ました。

 ふれあい橋を渡ろうとしたら、吊り橋の支柱のてっぺんに、鳶が止まりました。てっぺんは、丸い玉になっていて、足場が悪そうでしたが、暫く、多摩の里を睥睨していました。

 ふれあい橋を渡り、高幡不動駅を越えて、高幡不動尊に入りました。高幡不動尊は、暫く振りでした。此処も、紅葉が綺麗なのですが、時期も過ぎていましたし、丘の東側にある為に、午前中に来ないと、僅かに残った紅葉も楽しむことが出来ませんでした。光のない紅葉は、味気ないものです。境内は陰に入り薄暗くなっていましたが、五重塔の金色の相輪にだけ、冬の日が当たり、異常に輝いていました。境内では、そろそろ正月の準備が始まっていました。参道には、まだ飾りの付けられていない、門松が並んでいました。

 高幡不動から、聖蹟桜が丘へ出て、熊沢書店に行きました。1週間前に頼んで置いた本が届いたとの連絡があったのです。百人一首をスペイン語に翻訳した、私の職場の先輩が、新たに、「スペイン語で楽しむ一握の砂」と題し、石川啄木の和歌の翻訳を刊行しました。前にも書きましたが、同じアパートに住んだこともある、縁のある先輩の本でしたので、手に入れたかったのです。この先輩は、職場を離れた以後も、中南米関係の仕事をやっていましたが、やがて、その仕事も終わり、その後は、和歌のスペイン語訳が、ライフワークになったようです。外国語を日常的に使う職場にあって、スペイン語では1番と言われた先輩ですから、自然の成り行きだったと思います。この先輩は、人物的にも、温厚で謙虚な方です。一芸に秀でた人で、その一芸が多くから評価されていると、目くじら立てて、他と争うことは無いようです。

 3時13分発のバスで、我が家に向かいました。正午頃の天気予報を聞いた時は、「嘘だろう」と思いましたが、空には多くの雲が、湧き出していました。最近の天気予報では、こんな短時間の天気の変化まで分るようになったかと、科学の進歩に、唯々驚嘆しました。

 この予報の為に、早めに我が家に戻りましたので、年賀状作成の準備をしました。取り敢えず、年賀状の裏と宛名書きが、問題なく印刷出来ることを確認しました。更に住所録に、喪中欠礼の葉書を受け取った人、今年中に無くなった人を、印刷停止にするマークを付け、印刷停止が、正常に行われるか、確認しました。

この時点で、丁度、晩酌の時間になりました。次男が作ってくれた「おでんもどき」と、近くのスーパーで安売りしていた生の鰯の煮付け、買って来たツブ貝のわさび味で、日本酒を楽しみました。

 

「白鷺の 動きに合わせ 多摩の川 光の玉を 作り転がす」

「百合鴎 仲間とはぐれ ただ一羽 彼方に目をやり 途方に暮れる」

「吊り橋の 支柱の上に 鳶止まる 多摩を見渡す 良き場所なるかな」

「冬の午後 噴煙もどきの 雲湧かせ 山の裂け目に 富士の立つなり」

「丘の陰 早くも宵の 迫り来て 晩生の紅葉も 色を無くせり」

「宵迫る 寺で唯一 輝くは 五重塔の 金の相輪」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月13日 (水)

2017年12月12日

2017年12月12日

 

 今朝も、雲1つ無い快晴でした。余りにも良い天気でしたので、昨日、沈むのを見た太陽が、昇るところを見に行きました。昨日は、光が少しずつ闇に飲まれていくところを見ましたが、今日は、少しずつ闇を追い払っていく様を、寒気に身をすくめながら、見ていました。このような素晴らしい現世を、目の当たりにしているのですから、現世に別れを告げたくないのは、当然です。

 帰ろうとしたら、四谷橋の下に、白鷺と川鵜の大群が、一緒になって押し寄せました。どうやら、朝餉時のようでした。川鵜は、電線の塒から、もっと遠いところに塒を変えたと思っていたのですが、それほど遠い所では無いようです。川鵜の餌取りには、大体白鷺が付き合います。川鵜から逃げる小魚を狙っているのです。以前、川鵜と白鷺のオセロゲームは、何時も川鵜の圧勝だったのですが、最近、場所によっては、5分に近い勝負になる事があります。今朝が、そんな感じでした。

 我が家の方の土手に戻って、富士を良く見ると、頂上付近が、また黒ずんでいました。ここ二日間の日中の暖かさで、雪が解けたようです。そもそも雪が沢山積もっていなかったようです。丹沢、奥多摩、秩父の雪化粧も、すっかり消えていました。

 我が家に戻ると、玄関の門の所に日が当たっていました。この時期の約2週間位、ほんの10分足らず、朝日が我が家の門の所まで差し込みます。門柱の上のシーサーや、塀代わりの中南米の飾り物に、朝日が当たって、ほんの僅かな時間、スポットライトを浴びていました。飾り物達にとっては、貴重な時間です。太陽の動きが、影の動きとなって見えました。

 今日は、大学時代からの知り合いであり、現在は山登りの仲間でもある女性の、クリスマスコンサートに、行って来ました。彼女が所属する歌の会は、元々、スペイン語の勉強の為に、スペイン語の歌を歌うことから始まったようですが、最近は、色々な歌に挑戦しているようです。なんと、私の同期である彼女とその同期が、このグループの最年少なのです。実は、お客も、我々の代が最年少のようでした。

 午後1時半開場だったのを、開演と間違えて、午後1時過ぎには、会場に着きました。まだ、リハーサルの最中でした。このグループのコンサートには、既に5回程来ていますので、メンバーとは、皆顔見知りです。じっくりとリハーサルの様子を見させて貰いました。リハーサルには、本番に無い面白さがあります。

 1時半に、コンサートが始まりました。私は、一番前の席に陣取り、写真を担当することになりました。コンサートは、1部、2部、3部に別れていましたが、3部は、クリスマスソングでした。去年もそうでしたが、私には、彼女と男性歌手が歌う、ロッシーニ作曲の「猫の2重唱」が、一番気に入りました。コミカルな感じが出ていましたし、ミャーオという猫の声が、彼女のソプラノと良く合っていました。

 各部の間の休憩時間は、ワインを飲みながらの談笑となりました。彼女が、「お酒でも出さないと来てくれないでしょう」と言って、何時の頃からか、このコンサートは、ワイン付きのコンサートとなったのです。スペインのリオハのワインを用意してくれて、とても美味しく頂きました。

 今日は、4人の同期が来ていましたので、コンサートが終わったら、彼女も含めて、5人で、近くの大学の先輩の店に、飲みに行こうと思っていたのですが、女性の一人は、非常に忙しい人で、他(多)用がありましたし、主役の彼女は、義理の弟の通夜が、今日行われるとのことで、残念ながら、一緒に行くことは出来ませんでした。結果的に、私の大学時代のクラブの同期でもあり、山の仲間でもあるWと、大学の同期で山の仲間でもあるO女史と3人で、先輩の店に行きました。

 O女史は、非常に不思議な人で、私の親友と悉く知り合いなのです。寮で同室だった親友とはマンドリンクラブで、学部学科の同期の親友とは仲間同士の集まりで、体育会で一緒に仕事をした親友とは地域の同窓会で、それぞれ仲の良い知り合いになったそうです。そして現在、O女史とは山登りの仲間になっています。先輩の店に行ったら、先輩の顔に見覚えがあると言い出しました。大学時代、同じ授業を受けたことが、あったようです。本当に不思議な人です。今度何時か、今日の3人で、飲もうという話しが纏まりました。この年になって、親しい人の輪が広がっていくことは、嬉しいことです。

 先輩の店は、6時頃から、団体で貸し切りになるとのことでしたので、5時半近くに店を出て、それぞれの家路につきました。

 

「何時見ても 元気をくれる 日の出かな 川面を伸びて 我に届けり」

「白鷺と 川鵜の群れの 朝餉時 河原で始まる オセロゲームかな」

「玄関の 置物達の 嬉しき日 彼等を称える 朝日のライト」

「若き日の マドンナの歌 聞きに行く 毎年貰う クリスマスプレゼント」

「友達を 介して広がる 人の輪よ 老いて嬉しい 人との繋がり」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月12日 (火)

2017年12月11日

2017年12月11日

 

 冬は、関東地方は良い天気が多いです。今朝も、雲1つ無い快晴でした。富士の白嶺が一段と白く見えました。

 富岡八幡宮の家族間の殺人事件が起きました。宗教がらみの事件は、常軌を逸しおぞましいものですが、今回の事件は、本当に幼稚でおぞましいものでした。日本では、仏教も神道も、神に仕える職を、世襲しようとするのを、当然と考えるのが、良く理解出来ません。自分達は、特別の人間と思いたいのでしょうか、単に、自分達が思うだけで無く、他の人にもそう思うように強制しているようです。

私が育った戦後の時代は、神社が権威を失墜しました。生活習慣も大きく変わり、一般人の生活に於いても、旧来の陋習を排除する動きがありました。多くの人が、何も無いところから、自分達の力で、生活を始めました。権威や職業の世襲化は、思い描くことも出来ませんでした。しかし、最近は、社会の安定と並行して、将来への不安も大きくなり、何故か、社会が右傾化し、時代に逆行しているような気がします。特定の神社仏閣が、勢力を伸ばし、古来の文化と称し、宗教を中心とした、地域社会の復活、社会習慣が、頭をもたげて来ています。

今度の事件で、宗教の中味がいかなるものか、良く見極め、どの様に宗教と関わっていくか、自分自身で結論を出して欲しいと思います。宗教組織というのは、論理では無く、信仰心を束ねることによって、組織運営の基盤を強化しますので、必ず、理屈に合わない強制が伴います。一旦、宗教活動に深入りすると、この強制から逃れるのは容易ではありません。そのところを、じっくりと考えて欲しいと思います。

今日は、3ヶ月に一度の眼科の検診に行って来ました。散歩をかねて、聖蹟桜が丘まで、少し遠回りして、関戸橋を渡るコースを歩きました。京王線の鉄橋と関戸橋の間の河原に、白鷺が50羽程群れていました。最近、白鷺の数が、かなり増えたような気がしています。

3時に、聖蹟桜が丘の近くにある眼科に着きました。眼科の検診は、待ち時間を入れて、大体1時間かかります。待っている間に、視力検査や眼球の写真を撮ったりします。今日の検査で、左目に視力が前回よりも落ちていました。白内障が進んでいるのが原因のようです。今日は、緑内障の視野検査はしませんでしたが、眼圧が低めに安定しているので、進行は遅くなっているとのことでした。白内障に関しては、緊急では無いので、手術するか否かは、私の決断次第だと言われました。なかなか決断出来ないでいます。白内障の手術は、比較的簡単なようですから、残り少ない命、クリアーな世界の中で生きた方が良いとは思うのですが、、、。

 眼科の検診が終わると、丁度4時になりました。そろそろ日没の時刻となりました。聖蹟桜が丘の交差点に、OPAビルがあり、その6階に、多摩市市民センターがあります。大きな見晴台のような部屋で、西の方を一望出来ます。丁度、日没が始まろうとしていました。太陽は、富士山と丹沢の蛭が岳の間に沈んでいきました。今日は、一片の雲もありませんでした。昨日が、この状態であれば、ダイヤモンド富士が見られたのに、残念でした。

聖蹟桜が丘のダイヤモンド富士は、大分前に終わったようです。しかし、冬至を境に、太陽が沈む位置は、逆に富士の方に移動しますから、近いうちに、またダイヤモンド富士になります。ダイヤモンド富士ばかり、気にしているようですが、何処に太陽が落ちても、残照の中に立つ富士は、威厳があり、かつ端麗でした。富士の後ろの地平まで、空気が澄んでいるらしく、暫くすると明るさの中心が、富士の真後ろになりました。西の空全体が、富士仏の光背のようになりました。今日は1時間程、残照が続きました。余程空気が澄んでいたのでしょう。

 

 

「蛭が岳 富士の間に 日が落ちる 丹沢山塊 ダイヤの山に」

「半時も 迫る宵闇 跳ね返し 富士を真ん中 光のパノラマ」

「残照が 富士の背後を 赤く染め 光背背負う 富士仏かな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月11日 (月)

2017年12月10日

2017年12月10日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。一昨日の雨が、富士では雪だったのでしょう、富士山の頂上付近の黒い部分がなくなり、真っ白い冠雪になりました。富士としては、遅い冬の到来かも知れません。

 日記を書き終えてから、年賀状を作りました。1年に一度しか「筆ぐるめ」のソフトを使わないので、最初は思い出しながら、「筆ぐるめ」を使いました。しかし、簡単なソフトなので、使っているうちに、使い方を思い出し、比較的短時間で、年賀状の裏を作り上げました。この前見つかった住所録のデータが、そのまま、宛名書きのデータになりますので、これで、基本部分は出来上がりました。後は、印刷して、各人に直筆で一言加えれば出来上がりです。今週中には、投函したいと思います。

 昼食後、タグア(象牙椰子の実)で作られた鳥の置物の修理をしました。タグアは、私が最後に働いた外国、エクアドルで沢山採れました。本当に、色合い、触った感じが象牙に似ています。しかし、大きさがゴルフボール程度ですから、主に装飾品や民芸品の材料として使われていました。私は、梟の置物を集める趣味があるので、タグアで作られた梟を、大分買いました。その他に、エクアドル特有のオーム(鸚鵡)やハチドリ(蜂鳥)の置物も買って持ち帰りました。所がこの鳥達は、台座に乗っている物が多く、安定感が悪いのです。そんな訳で、東日本大震災の時に、棚から落ちて、台座から離れたり、嘴が折れたりしたものが、10個近くありました。長いこと方って置いたのですが、今日思い立って、修理をしました。台座から離れたものは、台座に付けてやりました。嘴が折れたものは、木を削って嘴を作り、付けてやりました。顔や身体に傷が付いた物は、綺麗に磨いてやりました。取り敢えず置物として復活しました。

 今日は、3時過ぎから散歩に出ました。西の方に、雲が少なく、ダイヤモンド富士を見に行くと決めていたのです。我が家から見えるダイヤモンド富士が、11月23日頃でしたので、相当上流まで行く必要がありました。我が家の前の多摩川の土手に出ると、かなり低くなった太陽の光が、真っ直ぐに目に飛び込んできて、とても正視出来ませんでした。サングラスを持ってくるのを、忘れてしまいました。日没の時刻は、4時15分頃だと思いますので、かなり急ぎ足で歩きました。

 石田大橋、中央高速道路の鉄橋、日野橋を越えた所で、太陽が富士山に近づきました。所が、富士の所にだけ雲が有り、先程まで、燦々と照り輝いていた太陽の光が、雲の後ろからの鈍い光になってしまいました。途端に興味は半減しましたが、立日橋を渡り、中央線の陸橋近く迄行ったところで、日没が始まり、富士の頂上の左側に、日が沈みました。沈む位置としては、ダイヤモンド富士と呼べるのですが、ダイヤモンドの輝きは無く、行灯を見ているようでした。

 何時も歩いている、残堀川から立川根川公園に出て、柴崎体育館からモノレールに乗りました。モノレールから、武蔵野の向こうに富士が良く見えました。なんと、頂上から、右側の裾野にかけて、真っ赤な龍が出現していました。暗がりの中の真っ赤な龍でした。雲の後ろに落ちた太陽が、更に落ちて雲の下に行ったのだろうと思います。見事で珍しいので、写真が撮りたかったのですが、モノレールの窓ガラスが邪魔して旨く撮れませんでした。それでも、必死で多摩川を歩いたご褒美を貰ったようでした。富士は、何時でも素敵な褒美を用意しているような気がしました。

 モノレールで高幡不動に出て、聖蹟桜が丘に戻りました。聖蹟桜が丘の豆腐専門店で、がんもどきと、ヒジキや煮豆などが入った揚げ豆腐を買って帰りました。今日の晩酌は、これらと「おでん」で、日本酒を飲みました。

 

「我が部屋に 300を超す 梟さん 元気でいろと 傷のお手当」

「夕暮れに ダイヤモンド富士 追いかけて 上へ上へと 多摩川歩く」

「雲無くば ダイヤモンド富士 拝めるに 何故に富士だけ 雲隠れする」

「宵闇に 富士の形に 昇り龍 真っ赤に燃えて 頂上越える」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月10日 (日)

2017年12月09日

2017年12月09日

 

 一点の曇りも無き空、そんな朝でした。空気も澄んでいました。昨晩の雨が、空気中の汚れを、全て落としてくれたようでした。

 良い天気に誘われて、日の出を見に四谷橋まで歩きました。多摩川の河原も土手の道も、霜が降りていました。この冬、初めて見る霜でした。昨晩降った雨の湿りが、丸い氷の結晶となって、土手の道に敷き詰められていました。このような光景は、滅多の見られるものではありません、素晴らしいものを見せて貰いました。

東の空はすっかり明るくなり、西の奥多摩の空も、ほんのりと赤くなり、夜明けの瞬間が近づきました。背の高いビルの窓が反射を始め、やがて多摩丘陵の稜線の上に、朝日が顔を出しました。それまでも大分明るくなっていたのですが、太陽が顔を出した瞬間、夜の帳が引き上げられ、光の世界に変わりました。何時ものことですが、感動的でした。

日が昇って、西の方に目を移すと、遠くの甲斐の山々、奥多摩・秩父の峰が雪化粧していました。富士の白さも際立っていて、丹沢の蛭が岳も、ほんの少しですが、雪が積もっているようでした。未だ、12月の初旬です。こんなに早い雪化粧は、初めての経験ではないかと思います。

日が少しずつ高くなり、道の上の氷の結晶が少しずつ消え、草に付いた霜が、小さな水玉に変わり、朝日に輝き始めました。この写真を撮りたかったのですが、カメラの電池が切れてしまいました。朝の散歩の終わり時となりました。

今日は、駒込の後輩の店で、午後3時から、大学の学生会の仲間と忘年会となっていました。駒込には、旧古河庭園と六義園の二つの有名な庭園がありますので、何時ものように早めに家を出ました。

午後1時に、旧古河庭園に着きました。此処も紅葉の名所の1つです。紅葉の時期に、1度来たことがあります。今日は、既に、紅葉の時期は過ぎていましたが、何処にも晩生の木はあるもので、庭園のあちこちで、紅葉の最後の輝きを見せていました。池では、モミジの落ち葉の中で、カルガモが昼寝をしていました。最初、この庭園は、戦前はフィリピンのダバオで、戦後は南米のエクアドルで、ジュート麻を作っている古川拓殖と関係が有るのではないかと思ったのですが、古川と古河の違いであることが分りました。古河財閥、古河虎之助男爵の邸宅の跡を、都立の庭園にしたものだそうです。

旧古河庭園を出て、六義園まで歩きました。途中の小さな店で、長崎の壱岐対馬特産の「かす巻き」に似た、羊羹巻きを売っていたので、思わず買ってしまいました。「かす巻き」とは、変な名前ですが、カステラ巻きのことです。その後、近くの鶏の揚物屋から、唐揚げを昼食用に買いました。駒込駅の近くの染井門から六義園に入り、早速、柳沢吉保の大名庭園を見ながら昼食にしました。この庭園も紅葉の名所で、何度か来たことがあります。古河庭園と同じく、紅葉の時期は過ぎていて、数本のモミジとドウダンツツジが、紅葉の季節の最後を飾っていました。何処にでも居る、冬の渡り鳥、キンクロハジロが、群れを作って泳いでいました。今日一番の収穫だったのは、滝見茶屋の横にある石でした。これまで気づかなかったのですが、この石は、ある方向から見ると、とてもエロティックでした。生命誕生の為の結合の瞬間に見えるのです。誰かが意図的に作ったのではないかと思ってしまいました。

六義園を出て、後輩の店の方に歩いていると、携帯電話が鳴りました。なんと、つい最近、膵臓の手術をした友人からでした。彼は、この忘年会の常連なのですが、膵臓の手術をして間が無いので、今年は参加しないと思っていましたが、参加することを決めたそうです。ただ、場所が分らなくて困っているとのことでした。大塚と間違ったそうなので、直ぐ近く迄来ているので、駒込の駅で、待ち合わせることにしました。ものの5分もしないうちに、彼が現れました。軽く手を上げて合図を送ってきました。胃癌に加えて、膵臓癌まで手術をした人間と思えない程、元気な様子でした。彼の、生命力の強さに、唯々驚きました。

忘年会の会場に着くと、彼の膵臓癌の手術を知っている仲間は、誰もが驚きの声を上げました。彼が、「癌のツーペアを作ってしまった」と皆に挨拶をすると、仲間の一人から、「スリーカードを作ろうなんて思うなよ」と言われ、笑いのうちに忘年会が始まりました。なんと、彼は酒も普通に飲めました。私は、彼が胃癌の手術をして、1年半後位に、胃癌の手術をしました。そのせいもあって、彼が、今度、膵臓癌の手術をする為に入院する時、「今度は真似するなよ」とメールをくれました。勿論、私は、彼を真似てツーペアを作る気は、さらさらありません。

忘年会は、延々と続き、彼は、7時半位まで付き合いました。残りは、8時半近くに、漸くお開きになりました。思いがけず、彼が参加してくれて、何時もの忘年会になりました。

 

「初氷 銀のロゼット 敷き詰めた 道を歩いて 日の出見に行く」

「丹沢に 奥多摩秩父の 武相の峰 冬の初めの 雪化粧かな」

「日の出前 朝霧揺れる 多摩の川 高層ビルは 既に夜の明く」

「稜線に 朝日の頭 顔を出し さっと一引き 夜の幕引き」

「小春日に 水面漂う 落ち紅葉 日差し楽しむ カルガモ昼寝」

「この秋に 二度目の癌を 乗り越えて 忘年会に 参加する友」

「我が先 訃報を友に 送りたし 友の訃報は 聞きたくもなし」 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 9日 (土)

2017年12月08日

2017年12月08日

 

 今日は、薄雲の多い朝でしたが、比較的明るく、西の空には、青空もありました。今朝は、富士を包むような雲があり、富士が一回り大きくなったようでした。

 昨日から、我がアパートの玄関にクリスマスツリーが飾られました。我が家の玄関の扉に、私が作ったクリスマスの飾りを架けました。イタリアのクリスマスマーケットで買った材料で作ったものです。欧州や中南米の国では、この他にベレン(聖家族)を飾るのが通例で、私も3セット持っています。その中の1つは、今は亡き義理の伯母が、私の長男が生まれた頃に、くれた物です。伯母は、カトリックのシスターでした。当時から既に、キリスト教に興味をなくした私に、何かと信仰心を取り戻すように、気を遣ってくれました。年を取ってからは、片瀬のシスターの養老院にいました。92歳だったと思いますが、片瀬の近くの病院で亡くなりました。その時、今は亡き弟と病院に泊まって、伯母の最期に立ち会いました。最後に、私の名を呼んだ、伯母の声を今でも忘れることが出来ません。何もかもが、過去の思い出になりました。今年は、伯母さんがくれたベレンを、孫達が来る日に飾ることにしましょう。

 今日は、山登りの日でしたが、またも延期になりました。今日は、天気予報の通り、本当に雨が降りそうでしたので、散歩もしないで、家に中の仕事を片付けることにしました。フェイスブックは、普段は見るだけなのですが、今日は写真を2回も投稿してしまいました。

 午後になって、年賀状の準備をしようと、パソコンの「筆ぐるめ」を開けた所、これまでに作った年賀状とか、住所録が一切消えていました。今年、パソコンを新しくした時、古いパソコンの「筆ぐるめ」のソフトとデータは、全て新しいパソコンにコピーを頼みました。新しいパソコンを貰った時、トップ画面に、「筆ぐるめ」があったので、安心していたのです。それが、新しいソフトだけインストール(パソコンへのソフトの取り込み)していたのです。また、住所録を作り替えるかと思うと、目の前が真っ暗になりました。

 古いパソコンは、娘の所にやったので、娘に電話して、古い「筆ぐるめ」とそのデータが残っていないか確かめてみました。残念ながら、娘は「筆ぐるめ」を、パソコンから取り除いていたので、全く救いの手掛かりが、無くなってしまいました。諦めて、今日から、名簿造りをやり直すことにしました。

 そう思って、新しい住所録作りに取り掛かりました。色々、新しい「筆ぐるめ」を触っていたら、旧バージョンからの住所録の取り込みという、項目が出てきました。クリックしてみると、今年の年賀状を作った時の、最終住所録が出てきました。中身も健在でした。思わず万歳です。古いパソコンの住所録は、新しいパソコンに取り込んであったのです。早速、娘に連絡して、喜びを分かち合いました。

 年賀状の季節になると、父が年賀状を書いていた姿を思い出します。学校の先生だった父は、卒業した教え子も含め、300枚以上の年賀状を書いていました。全部、墨書でした。小さな文机の前に正座して、書いていました。文章は短いものでしたが、それでも大変な作業でした。パソコンの、住所録が亡くなって大騒ぎをした自分が、恥ずかしくなりました。それにしても、時代が大きく変わりました。

私の早とちりと、老いの思い込みのせいで、午後が潰れてしまいました。目も霞んで来ましたので、パソコンから離れ、少し早め、6時少し前から晩酌にしました。アサリバターの残り汁でスパゲティーを作り、アヒージョの残りの油で、ステーキとエリンギを焼きました。とても良い味になり、ワインが美味しく飲めました。

 

「老いたれば 日々の生活 何処にでも 思い出の糸 頭出しおり」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 8日 (金)

2017年12月07日

2017年12月07日

 

 今朝も、良い天気でした。但し、富士の方角では、雲が湧いたり消えたりしましたので、富士が見えたり隠れたりしていました。

 テレビを付けると、色々なことが起きていました。トランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都として、米国の大使館をイスラエルに移すことを宣言しました。彼は彼なりに言い分があるのでしょうが、軽率な発言をしたものです。それにしても、米国は、とんでもない人を大統領にしたものです。米国民の選択ですから、如何ともし難い事です。しかし、世界一の軍事・経済大国ですから、米国大統領の言動が、世界に大きな影響を及ぼすので、米国の大統領の言動に関しては、世界が関心を持っています。国際政治に大きな影響を与えるからです。この問題を書くと、全世界の歴史、宗教に言及しなければなりません。今日は、此処で止めますが、第5次中東戦争に発展しないことを願っています。

 最近のニュースで、最も腹が立つと同時に、有難いと思ったことは、北朝鮮の漁船の漂流です。あの北朝鮮の国民の貧しさは、想像を越えていました。大型のミサイルの発射、首都平壌の高層住宅や高級な政府の建物からは、想像出来ないものでした。各国の報道振り、脱北者の話し等から、北朝鮮の国民が、極めて貧しく、過酷な生活を強いられていることは、知らない訳ではありませんでした。それにしても、冷蔵庫も持たない漁船が、漁に出ているとは思いませんでした。日本は、300万を越える人的被害、国の多くが焦土となる犠牲を払いましたが、軍国主義を止め、民主主義を手に入れました。私は、それと同時に、人生を始めたことを、これ程有難いと思ったことはありませんでした。

 今日は、12時から、聖蹟桜が丘の歯医者で、3ヶ月に一度の歯の掃除をして貰いました。随分丁寧な歯科衛生士さんでした。これまで、30分程度で済んでいたのが、50分掛かりました。歯石と着色の除去を非常に丁寧にやってくれました。お陰で、とてもすっきりしました。今後は、2ヶ月に1度来て欲しいと言われました。彼女が、やってくれるのであれば、従うことにしました。

 歯のクリーニングの後、吉野家で昼食をして、多磨霊園へ行きました。多磨霊園の、正面入口の近くには、幾つか寺がありますので、御朱印を貰おうと思いましたが、この辺りの寺は、末寺のようで、特別の行事や法事が無い時は、誰もいないようで、門が閉められていました。御朱印は、1つとして貰うことが出来ませんでした。

 多磨霊園は、広葉樹の多くが葉を落とし、只でさえ目立つ松の木が、一段と目立っていました。所々に、紅葉した紅葉がありましたが、紅葉狩りをした気分にはなりませんでした。浅間山に近い所では、紅葉葉風の大木が紅葉していました。盛りは過ぎていましたが、何時見ても力を分けて貰えます。欅並木は、既に葉を落として、冬木立になっていました。此処では、剪定が行われませんので、裸になった枝振りが、団扇の骨組みのようでしたが、とても魅力的でした。

 霊園から、キスゲ橋を渡って、浅間山に入りました。浅間山と言っても、街中の小さな丘で、ほとんどがコナラの林で覆われています。此処も、黄葉は盛りを過ぎていましたが、葉を残している木も多く、林全体が、黄色のぼんぼりのようでした。林の下は、一面に落ち葉が積み重なっていて、歩くと、わさわさと音がしました。私が、作り出している音でした。小さな丘で、モミジは数本しかありませんでしたが、充分幸せな気分を味わいました。

 浅間山から、府中の森公園に移り、桜通りを通って、府中駅に出ました。昔、この近くに住んでいた頃、良く歩いた道でした。今日も良く晴れて、西の空に雲がほとんど無かったので、急いで、我が家の方に戻り、4時10分には、多摩川の土手に立ちました。丁度、富士の左側の裾野の一番下に、日が沈もうとしていました。辛うじて、日没の最後の瞬間に間に合いました。今日は、日没を見に走ったので、感動が一入でした。その後、富士と夕焼けを楽しみながら、我が家に戻りました。

 

「霊園に 眠る魂 見守りつ 安らぎ与える 紅葉葉風」

「葉を脱ぎて 自慢の骨格 露わにし 枝振り誇る 欅達かな」

「雪洞に 灯りが点いた 冬の森 木々の足下 落ち葉が積もる」

「森の中 歩けばわさわさ 音がする 冬だ冬だと 落ち葉の声聞く」

「今日こそは 日没見んと 多摩の土手 息堰戻れば 今没せんとす」

「様々の ドラマ見ながら 今を生く 天国などには 行きたくないな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 7日 (木)

2017年12月06日

2017年12月06日

 

 今日も、素晴らしい快晴の朝でした。富士が、あばたまで見えるようでした。朝の冷え込みは、この冬1番だったそうです。昨日歩いた八王子市は、零下まで下がったそうです。ブライダルベールも、朝は花を開かなかったのですが、昼頃から、花を開きました。11輪でした。

 天気の解説者に拠れば、日没は、昨日を境に少しずつ遅くなりますが、夜明けの遅くなり方が大きいので、昼の長さは、冬至まで短くなり続けるそうです。この事実を、初めて知りました。冬至まで、日没の時間は、早くなり続けると思っていました。

 今日は、神代植物園と、深大寺へ行って来ました。紅葉葉風の大木の紅葉が見たくなったのです。紅葉葉風の大木は、多磨霊園と神代植物園でしか、見たことがありません。

 12時半に家を出て、柿の木のある家に行くと、予想通り、柿の実は、全部無くなっていました。雀の群れが、ぴょんぴょん枝を飛び跳ねて、「何時無くなったんだ」と言い合っているように聞こえました。

 バスで、四谷橋を渡ると、送電線の川鵜の塒が、空になっていました。恐らく、冬用の塒に移ったのだろうと思います。その塒が何処にあるのか、知りたいものです。

 神代植物園の紅葉は、盛りを過ぎているのではないかと、心配しましたが、モミジの紅葉は今が盛りでしたし、今日の目的であった、紅葉葉風の紅葉も見ることが出来ました。池之端の落羽松は、ほぼ裸になっていましたが、メタセコイアは、紅葉の木立を池に落としていました。雑木林に点在する紅葉が、赤く燃えていました。林の木々が葉を落とし、強い日差しが林の中まで差し込んでいました。紅葉園では、色合いの違う紅葉が重なり合って、錦絵のようになっていました。

カマツカという木の紅葉を初めて見ました。何度も見ているのに、名前を知らなかっただけかも知れません。植物園の良い所は、多くの木々に名札が着いていることです。紅葉だけでなく、赤い実も綺麗でした。春は、花も綺麗なようですので、春、気をつけて見ることにしましょう。

深大寺も、紅葉の名所です。本堂の境内には、モミジは少ないのですが、延命観音から深沙堂までの短い道ですが、私は、この道が一番綺麗だと思います。延命観音の所の、何と言う名前でしょうか、大葉楓と言うことにしておきましょう。この楓を裏から見ると、強い日差しが葉を抜けて、強烈な赤を作り出していました。表側から見ると、黒みがかった変な色でした。

深沙堂の後ろから、崖上に上がる階段があります。崖上の墓地に上る階段ですが、墓地の手前に深大寺蕎麦の店がありました。但し、店は、かなり前から営業していないようでした。この蕎麦屋の前と横にあるモミジが、燃え盛っていました。太陽の光が、下からモミジを照らしているようで、ライトアップされているようでした。これまで、この階段を上がったことは無かったのですが、今日は、良い紅葉狩りが出来ました。

 深大寺を早めに切り上げ、4時少し過ぎには、我が家の近くに戻りました。今日は、良い天気なので、我が家の近くの多摩川の土手から、日没と夕焼けを楽しもうと思ったのです。所が、土手に立ってみると、丁度日没の場所、富士山の辺りから、かなり幅のある帯状の雲が、土手の近く迄、棚引いていました。日没と夕焼けを楽しむのは、別の機会にしました。

 夜、10時近くに月を確かめると、まだ、東の方の空にありました。十七夜の月ですが、かなり欠けたように見えました。十三夜の月と同じだろうと思っていましたが、十三夜の方は、ほぼ満月に見えました。気分の問題で、そんな感じがするのでしょうか、実際に、満ちる時と、欠ける時は、欠け方が違うのでしょうか、天文の専門家に聞いてみましょう。

 

「来てみれば 美味しい柿は 既に無く 不平たらたら 雀の囀り」

「冬備え 川鵜達さえ 塒換え 北風強き 電線放棄」

「池の奥 赤き紅葉の あるらしき ぼんやり赤き灯 水面に映る」

「熊笹の 上に紅葉の 広がりて 光の雫 撒いているなり」

「池の奥 ゆらゆら揺れる 落羽松 揺れて捻れる 逆さ紅葉」

「池の端 メタセコイアの 整列し 水の奥では 逆さ整列」

「見る度に 天を突き刺す 立ち姿 元気振りまく 紅葉葉風」

「紅葉の葉 林の中で 色合わせ 今年この色 流行の色よ」

「ほんのりと 紅く染まりし カマツカの 秋の出で立ち 初に目にする」

「大楓 何故そうまで 赤かくなる 堪えきれない 喜び爆発」

「冬の日の 下から紅葉に 照りつけて 昼のうちから 大ライトアップ」

「燃えさかる 紅葉の炎 屋根の上 林の中の 深大寺蕎麦」 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 6日 (水)

2017年12月05日

2017年12月05日

 

 今朝は、素晴らしい天気になりました。富士もくっきり見えました。本来ならば、今日は、山登りの日でしたが、長期予報で、雨の予想があったので、8日に延期になりました。長期予報は見事に外れ、最高の山登り日和になりました。

 この所、比較的暖かかったので、ブライダルベールが復活し、今朝、20輪以上の花を付けました。黒い虫の方は、復活していません。

 今日は、歩くことよりも、御朱印集めを主たる目的として、八王子城跡公園に行って来ました。

 今日は、どうした訳か、次男が寝坊して、12時過ぎに出て行きましたので、私は、12時半に家を出て、バス停まで何時ものように歩きました。バス通りにでる手前の角の家には、つい2、3日前、かなりの数の柿の実が残っていたのですが、今日残っていたのは、1個だけでした。その最後の1個を、ムクドリが突いていました。明日には、全てが終わるでしょう。この近くにも、柿の木は沢山あるのですが、鳥が食べに来る柿の木と、食べに来ない柿の木があるようです。また、雑食の極みのような、烏が、柿の実を食べている所を、見たことが無いのです。鳥にも色々好みがあるようです。

バスで聖蹟桜が丘に出て、コンビニで昼食を買いました。外で、弁当を食べるのは、楽しみの1つです。所が、今日は電車に乗ったのが1時を過ぎていたことと、隣に座った女子学生に二人が、美味しそうにパンをかじっていましたので、私も買って来た、お握りとサンドイッチを、車内で食べてしまいました。少し、悪乗りしてしまいました。

高尾から、バスで八王子城跡入口で降りて、歩きました。城跡まで僅か15分くらいの道に、3つのお寺があります。先ずは、閑窓寺に行きました。呼び鈴を鳴らすと、誰も答えませんでした。諦めて次へ行こうと思ったら、道の向こう側に、住職の家がありました。住職の家の呼び鈴を押すと、少し離れた部屋の縁側の戸が開いて、お婆さんが顔を出しました。優に80歳を超えていると思いました。御朱印を頼むと、「書くのは書きますけど、判子が何処に行ったか分らないのよ、判子無しでも良い?」と言うので、「確かに、字の方が有り難いですけど、判子が無くても御朱印ですかね」なんて余計なことを言ったので、お婆さんが、電話をして判子を持ってくるように頼みました。何処から持ってくるのか気になりましたが、判子は直ぐに届きました。同じ家の別な所にあったのです。お婆さんがいた所は、隠居部屋だったようです。想像するに、お婆さんは、昔の大黒さんで、住職は、子供の代になり、判子を持ってきたのは、30歳位の孫のようでした。もと大黒さんから、立派な御朱印を書いて貰い、良い思い出になりました。お礼の、300円をあげると、物凄く恐縮して、「何も無いけど、お茶でも飲んでいかない」と誘われましたが、丁重に断りました。

次の、一条法華寺に歩いていると、私を呼ぶ声が聞こえました。若い女の人が、走ってきました。私が、御朱印帳に挟んでいた薄紙を持って来てくれたのです。お婆さんが、どうしても持って行けと言ったそうです。単に、書いたばかりの墨書が、他のページを汚さないようにする薄紙でした。追いかけてまで、返す必要は無かったと思います。お婆さんの一途な気持ちでしょう。有り難く薄紙を受け取って、一条法華寺に行きました。此処は、お寺を新築中で、住職の家族は、当面別な所に住んでいるようでした。勿論、御朱印は貰えませんでした。

近くの宗関寺に行って、呼び鈴を鳴らすと、赤ちゃんを負ぶった、元気で朗らかな女の人が出て来ました。この若い人が大黒さんなのでしょうか。取り敢えず、御朱印を頼みました。「此処は、紙に書いたものですが、それでも良いですか」と言われたので、紙に書いたものを頂きました。この寺は、豊臣勢に滅ぼされた、北条氏照ゆかりの寺だそうです。北条氏照の墓は、近くの林の中にあります。2度行ったことがあります。

これで、今日の目的は一応達成したので、八王子城跡博物館、八王子霊園、東京霊園、南多摩霊園を廻った後、バスで帰ろうと思いましたが、高尾駅に近い方に、もう1つ寺があったことを思い出し、そこまで歩きました。その寺は、妙観寺と言い、住職が庭の手入れをしていました。私より年上だと思いました。御朱印を頼むと、「はい、はい」と言って家に入り、紙に書いた御朱印を持ってきました。有り難く受け取りました。

妙観寺から、高尾駅は近いので、歩いて、3時20分頃高尾駅に戻りました。結構な散歩となりました。3時40分には聖蹟桜が丘に戻り、買い物などをして、我が家には、4時半頃に着きました。丁度日没の時間で、茜の空に黒く存在感のある富士が、でんと座っていました。夕焼け時の富士を見ると、どうしても大仏を思い出します。

今日は、次男は休みの日で、お互いに刺身などの、酒の肴を買ってきていて、6時半頃から、一緒に酒を飲みました。富士は、既に闇の中に消えていました。今日は、十六夜の月で、月見酒にしたかったのですが、残念ながら、我が家の方へ廻ってくるのは、日付が変わる頃のようでした。富士見酒にも月見酒にもなりませんでしたが、次男が軽い濁り酒を買って来ていて、千曲川旅情の詩を思い出しながら、美味しい酒が飲めました。

 

「幾度も 途絶えた花の 復活す ベランダ飾る ブライダルベール」

「熟し柿 僅かに1つ 残すのみ 多くの鳥の 命の糧に」

「寺々の 由緒も暮らしも 異なりぬ 寺に寄せ来る 現代の波」

「冬の日の 地平の果てまで 澄み渡り 茜の空の 神々しき富士」

「濁り酒 濁れる飲みて 思い出す 青春時代の 藤村の詩」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 5日 (火)

2017年12月04日

2017年12月04日

 

 朝は、申し分の無い天気で、富士も良く見えました。しかし、直ぐに薄雲が張り詰めて、富士も見えなくなってしまいました。

 ついついテレビ朝日のモーニングショウを見てしまいました。相変わらず、相撲界のことを、取り上げていました。これまでもそうですが、貴乃花を、相撲界の旧態依然とした体質を改革しようとする、英雄のように持ち上げていますが、私は、そうは思いません。彼は、彼が思っている旧体質に戻したいだけのような気がします。現代のスポーツの世界に、相撲を合わせようとする気は、無いような気がします。彼は、日本人だけで行う、神事としての相撲に憧れているのかもしれません。柔道を国際的な競技にした嘉納治五郎には、なれないと思います。国際競技には、誰もが納得し、誰もが同じように守る、共通のルールが必要です。それが、民族とか、文化とかの違いを乗り越えた、世界の競技となります。相撲を、日本人だけの神事に戻すというのであれば、それはそれで、構いませんが、その神事を、国家の政治に絡めないで下さい。それにしても、かつて日本を戦争に導いた旧体質を批判する立場にいた、朝日新聞系のテレビ朝日が、旧体質の擁護派に廻ったような気がします。品格を重視することが、論理性を軽視し、訳の分らない愛国心を強制し、また、戦争に進むことを容認するのでしょうか、今回のような、旧体質がらみの問題に関しては、年寄りの意見よりも、若者の意見を参考にした方が良いと思います。朝日新聞のお偉いさんとか、杉山とか言う老人の意見は、気持ちが悪いです。今回の暴行事件に関する、相撲界の対応と国民の世論は、日本人の国際性が試されていると思います。

 今日は、余り天気は良くありませんでしたが、春歩いた「よこやまの道」を、聖ヶ丘から唐木田まで、歩いて来ました。

 12時半に家を出て、「よこやまの道」に入り、歩き始めたのは、1時半でした。多摩丘陵の林は、自然林では無く、炭の原料として、コナラやクヌギが植林されたようです。「よこやまの道」も、多摩丘陵を尾根伝いに歩くのですが、高低差は、10メートル程度では無いでしょうか、多くを、コナラとクヌギの林を歩きました。コナラやクヌギも、中には、かなり強い朱に紅葉している木もあり、昨日、石神井公園で見た、茶屋の上の大木は、コナラかも知れないと思うようになりました。今日は、日が差さないので、林の中が、ぼんやりと朱い感じがしただけでしたが、日差しが強ければ、見事な紅葉になると思いました。「よこやまの道」には、尾根幹線という道路が並行して走っており、林の道が途切れた所は、尾根幹線を歩きました。

 「よこやまの道」を完歩するには、3時間は掛かると思っていたのですが、写真を撮ることも少なく、ひたすら歩いたので、2時間15分で歩き切りました。役0キロだそうです。3時45分には、唐木田駅に着きました。唐木田は、神奈川県だとばかり思っていたのですが、東京都の多摩市でした。多摩市も相当広いですね。しかし、神奈川県と接しており、鎌倉街道を渡る橋から、町田市の標識が見えました。一昨日訪れた薬師池が近いのかも知れません。

 唐木田から多摩センターへ出て、そこからバスで聖蹟桜が丘に戻りました。4時40分、思いの外早く、宵闇が始まることには戻ることが出来ました。近くのスーパーで買い物をして、5時半には、我が家に着きました。その頃には、小雨がぱらついていて、満月の顔を見ることは出来ませんでした。

 

「尾根の道 落ち葉の絨毯 踏みしめて 歩ける幸せ よこやまの道」

「山里に 皇帝ダリアの 花を見る 師走の空に 大輪の花」

「切り株に 欅の子供 秋の色 師走に入りても 色を留める」

「紅葉も 最後の時を 迎えたり 俺も俺もと 皆でわっしょい」

「春は花 秋は黄葉 小道かな よこやまの道 山吹色に」

「落葉松の 赤き並木を バスが行く 色とりどりの 多摩ニュータウン」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 4日 (月)

2017年12月03日

2017年12月03日

 

 今日も、快晴の朝なのに、富士の姿を見ることが出来ませんでした。一目見れば気が済むのに、なんと意地悪な雲でしょう。

 今日は、石神井公園と大田黒公園に行って来ました。大田黒公園も、紅葉の名所として、テレビで紹介された公園です。

 午後12時半に家を出ました。アパートの前にある家の、薔薇の垣根が紅葉していました。黄色の上に薄く赤を乗せたような、個性豊かな紅葉でした。野猿街道に出る1つ前の角にある家の、熟れた柿の実を、目白が必死に啄んでいました。良い写真が撮れました。今日は、出だしから良い感じでした。

荻窪からバスで、2時近くに石神井公園に着きました。先ず、入口の近くにある、禅定院に御朱印を貰いに行きました。偶々、大黒さんが庭に出て来たので、インターフォンを押さないで、直接頼むことが出来ました。とても気持ち良く、引き受けてくれました。出来上がった御朱印は、住職から頂きました。住職の手になる御朱印でした。

禅定院の横にある入口から,石神井公園に入りました。そこが、公園で一番のモミジの名所でした。既に傾いた夕日を受けて、至る所、炎が燃え盛っているようでした。私と同じような多くのカメラマンが、池に映った炎を撮っていました。

ボート遊びの多い井の頭池を、三宝寺池に向かって歩くと、バン、キンクロハジロ、オナガガモ、ハシビロガモが泳いでいました。ハシビロガモは、井の頭公園でしか見たことがありません。今年もよく来てくれました。

三宝寺池に入ると、茶屋の上の大木が、見事な紅葉をしていました。恐らく欅の大木だと思うのですが、他を圧倒していました。団扇のような大きな枝振りが、紅葉を一段と派手なものにしていました。今年の欅の紅葉は、何処のも素晴らしいです。茶屋を過ぎると、島の中の木のてっぺんに、青鷺が、「俺が島の主だ」と言わんばかりでした。何時もは傲慢な川鵜が、従者のように、一段下の枝に止まっていました。少し離れた木に、丸まったゴイサギが止まっていました。また、見事な紅葉をしている、メタセコイアの下には、ゴイサギの幼鳥であるホシゴイがいました。冬の渡り鳥が、勢揃いしていました。

紅葉したメタセコイアを見ながら、三宝寺池を一回りして、石神井池との境の道路に出ました。そこにバス停があって、着いた場所に戻らなくても、荻窪へ戻ることが出来ました。荻窪に着いたのは、4時過ぎでした。

今日行く大田黒公園は、荻窪駅の南口から、そう遠くない所にあることは、調べてきました。所が、道が複雑なので、どの様に道を選ぶか、迷っていました。暫く様子を見ていると、何となく、買い物客では無い、人の流れがあるような気がしました。そこで、その人の流れに乗ってみました。大正解でした。私と同じように、テレビを見て、大田黒公園に来た人が多いようでした。4時20分には、大田黒公園に着きました。思った以上の混雑でした。

公孫樹並木を歩いて、公園の中心に出ると、池の周囲に植えられたモミジが、日没後の薄明の中で、赤い林を作っていました。5時から、ライトアップされるそうで、人はどんどん増えて、どの道も身動き出来ない状態になりました。テレビの影響とは、凄いものです。5時丁度にライトアップされ、宵闇の中に、モミジだけが赤く浮かび上がりました。確かに、幻想的な光景ではありました。しかし、小さな庭に、この人出は、度が過ぎています。小さな池を一回りするのに、20分掛かってしまいました。

5時半に、荻窪駅に出て、中央特快などを旨く利用して、国立5時50分発のバスに乗ることが出来ました。我が家の近くの、四谷橋北のバス停に、6時10分頃に着きました。日はとっぷり暮れているのに、何となく明るい感じがしました。14夜の月が、煌々と輝いていました。モミジとコラボの写真が撮りたかったのですが、私のような素人には難しく、枯れ葉、枯れ枝を月の中に入れて写真を撮りました。思ったようには撮れませんでしたが、私の気持ちだけは、取れたような気がします。

 

「常日頃 花の季節の 薔薇の花 紅葉したる 君も艶やか」

「身の丈を 越えて大きな 熟し柿 目白啄み 冬への備え」

「落ち葉浮く 水面に朱き 楓かな 身体の炎 水で冷やすや」

「冬鳥の 常連達が 勢揃い 朱き水面の 石神井池」

「贔屓筋 ハシビロガモの 顔のあり 石神井池も 安堵しており」

「公園に 大手広げた 大欅 今年の紅葉 俺が一番」

「紅葉の 木々を見つめる ホシゴイの 故郷となる 三宝寺池」

「ホシゴイの 背中が語る 胸の内 命の門出 大和の紅葉」

「木の上で 川鵜従え 青鷺の 夕日を浴びて 天下睥睨」

「闇の中 モミジの赤のみ 蘇る モミジ見る人 押し競饅頭」

「一日の 終わりに月の 輝きを 見れば気持ちの 和み行くなり」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 3日 (日)

2017年12月02日

2017年12月02日

 

 9分9厘、空に雲が無い快晴に朝でした。残り1厘の雲が、富士を覆い隠していました。

 一日の変化は、霜月でも師走でも変わりは無いはずですが、カレンダーを1枚めくって、師走になった途端、ブライダルベールの花が咲かなくなりました。蕾は、まだ沢山残っているというのにです。今後、花が一切咲かなかったら、凄く劇的だと思います。同時に、臭い黒い虫も出なくなりました。これで、暫く殺生をしなくて済みます。既に、100匹以上殺しましたので、仏教の世界ならば、地獄行きは確実でしょう。

 今日は、良く晴れたので、遠出をしたくなり、町田に行って来ました。何時だったか、町田の薬師池公園の様子を、テレビで紹介していました。紅葉が、とても魅力的な公園のようだったのです。

 町田そのものが、初めてでしたので、午前11時半に家を出ました。バスで永山に行き、そこから、小田急線で新百合ヶ丘経由、町田に午後1時に着きました。町田が、思った以上に大きな町で、更に街の構造が複雑で、新宿並みの人出だとは思っていませんでした。最初は、自分なりに薬師池公園への行き方を探したのですが、30分程うろうろしましたが、全く分りませんでした。仕方なく、何時ものように、道行く人に薬師池公園へ行くバスは無いか、聞いてみたのですが、誰も知らないというのです。仕方なく、制服を着たビルの守衛らしき人に、交番の在処を聞きました。その結果、漸く交番の場所が分りました。交番そのものが、非常に分りにくい場所にありました。

 交番で、薬師池公園に行くバスを聞くと、運良く、交番の横の道の延長線上にありました。21番乗り場でした。バスの乗り場は、色々な道に点在していて、この道のあるのは、21番と22番だけでした。

 バスで薬師池公園に向かっていると、なんだか見たような景色なのです。道路の標識を見ると、鎌倉街道でした。娘の車で、孫達と一緒に、横浜に遊びに行く時、何度か通った道でした。思っていた以上にバスに乗り、薬師池公園に着いたのは、2時近くになっていました。バス停から公園に入るのは、裏口からでした。1つ前で降りたのかも知れません。

 公園は、無料でした。入るといきなり、紅葉が目に飛び込みました。池の周囲に沢山のモミジが、植えられていました。そのモミジが、更に外側の丘の木々達とコラボして、見事な紅葉となっていました。イチョウの大木がある薬師堂は、境内がイチョウの葉で覆われていました。ほんの少しの風でも、イチョウの葉が落ちました。薄暗い薬師堂を背景に、はらはらと舞い落ちるイチョウの葉が、とても印象的でした。此処の御朱印が貰えたら、最高だと思い、呼び鈴を押しましたが、残念ながら、留守でした。若しかしたら、住職は公園の外に住んでいるのかも知れません。

 遅くなりましたが、池の側で、モミジを見ながら、遅い昼食にしました。モミジで朱く染まった池の上を、カルガモ、キンクロハジロ、カイツブリが泳いでいました。紅葉と池は、お似合いですね。

 昼食後、私と同じような年格好の、写真好きの老人による写真展を見て、更に、公園の隣のリス園に行きました。3時20分頃でしたが、4時には閉まるとのことでした。こちらの方は、幼児が主体であり、爺さんは私だけでした。リスの放し飼い園で、餌を貰うリス達の写真を少し撮って、早々に園を出ました。バス停へ向かって、歩いていると、バスが追い越して行きました。バス停には、かなりの数の人が並んでいましたので、必死になって走りました。赤信号も無視して走りました。努力の甲斐あって、バスには乗れたのですが、そのまま死ぬのではないかと思いました。

 なんとか命永らえて、町田の駅に着きました。帰りは、八王子経由で帰ることにしましたので、JR横浜線の駅に行き、4時12分発の電車に乗ることが出来ました。八王子で、京王線に乗り換えるには、駅の外に出て、5分以上歩かなければなりませんが、聖蹟桜が丘に着いたのは5時5分、1時間足らずでした。実は、町田に来る時も、同じ程度だったのですが、帰りが異常に早く感じました。聖蹟桜が丘からのバスを降りて、一三夜の月を背負いながら、我が家に帰りました。5時半過ぎには、我が家に着きました。

 

「ホームへの 駅の階段 虹の落つ ステンドグラスの 欠片の如き」

「薬師池 裏口入園 気が引くも いきなり歓迎 モミジの炎」

「薬師池 個性豊かな 木々達の 個性豊かな 秋の彩り」

「薬師堂 境内覆う 公孫樹の葉 そよぐ風にも 葉の舞い落ちる」

「師走入り 相模国の 木々達は 今紅葉の 盛りなりけり」

「木々達の 豊かな色が 水面染め 名だたる画家も 出せぬ色合い」

「鴨達が、朱き水面を かき分けて さっと一筆 白銀の線」

「仰ぎ見る 紅葉の炎の 行く先に 澄んだ青空 白雲浮かぶ」

「冬囲い 水面に映り 逆さツリー 周りに赤き灯 早クリスマス」

「嬉しいわ 貴方がくれれば 皆美味し 手を合わせる 栗鼠のおねだり」

「目の前を 僕が乗りたい バスが行く 命を賭けて バスへと走る」

「老いの身の 忙しき一日 和ませる 空に輝く 十三夜の月」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 2日 (土)

2017年12月01日

2017年12月01日

 

 今日から12月、師走になりました。雲が多く、寒い朝になりました。寒さだけは、師走らしくなりました。午後には、天気が回復するとの予報だったので、洗濯をしましたが、3時過ぎても、一向に回復の気配が無く、洗濯物も乾きませんでした。

 今日も、テレビ朝日のモーニングショーを見てしまいました。この番組は、まさしくショーであり、ニュース解説番組では無いと思いました。今日は、常時出ていた玉川氏が、出ていませんでした。番組の趣旨に反対するような解説員を、テレビ局が出さないようにしたのではない事を願っています。

 法律の及ばない特殊な職場、宗教のような信仰の世界、相撲界のように伝統・文化・礼節・品格が重んじられる世界等では、論理では無く、情実で組織が動きます。情実の世界では、最終的には強者が弱者を支配することになります。武士の階級社会のように、上位の物には、絶対服状が原則となります。論理を表に出すと、小理屈を捏ねる者としてと、虐めから、村八分、リンチ、迫害と対応がエスカレートしていきます。何故なら、情実の世界の体制は、論理的では無いので、論理によって、いとも簡単に、体制の基盤の矛盾や悪意が露呈し、体制そのものが崩壊してしまうからです。情実の世界では、論理は、体制を破壊させる、反体制思考と見做されるのです。論理が恐怖なのです。

 今回の、日馬富士による暴力事件は、情実の世界である相撲界に於いては、ありふれたことだろうと思います。戦後になっても、日本の多くの所に、情実の世界が残っていました。料理人や職人の世界では、新しい職人を仕込むには、暴力は肯定されていましたし、過酷な労働条件も容認されていました。また、学生スポーツにおいても、同じようなことが残っていました。相撲界は、日本の文化と宗教が絡んだ為、この傾向が一番強く、現在まで残ってしまったのです。最も大切なことは、人間の社会を情実の世界から、論理の世界に変えることです。魔女狩りのように、理屈に合わない考え方や慣習は、人間社会から追放しなければなりません。鉄拳指導でなくとも、過酷な労働でなくとも、強い相撲取りを育てることは出来ますし、良い料理人も育てることが可能です。

 相撲界は、適切な近代化が必要です。先ず、誰もが分り易く、納得して守ることの出来る、全力士共通の競技ルールが必要です。横綱と横綱以外の力士との間に、ルールの適用の差があってはなりません。この技を使うのは、横綱の品格に悖(もと)ると言うような、ルールの適用を、競技者によって変えてはならないのです。その他の競技に於いては、既にルールが出来上がっていますので、相撲も同じようにすべきです。若し、相撲を、神社のお祭りとして、年に一度程度行うのであれば、競技用のルールは必要ありません。

 公共の競技というのであれば、競技の運営、運営の為の意思決定等々を透明化し、一般人の参加を認めるべきだと思います。今回の暴行事件に対する、日本国の法の適用が決まって後で結構ですから、徹底した議論を行い、相撲の近代化を実現して欲しいと思います。

 私が何故、相撲の問題に拘るかというと、現代の日本に、国粋主義への揺り戻しが起きているように思うからです。日本の都市化が進み、核家族になり、アパート暮らしをするようになり、地域社会の崩壊が叫ばれました。そして、地域社会の復活は、地域の神社のお祭りへの参加から始めようとする人達が多いのです。皆が同じ考えで、同じ方向を向き、同じように行動する、それが地域社会だと決めつけているのです。それが日本の伝統的な社会であり、文化だと決めつけているのです。このような、風潮を作り出す、グループが存在します。各人が、各人の気持ちで、各人なりに文化や伝統を受け入れ尊重するのは、何の問題もありません。同じ方向にしようとするのが、私は嫌いなのです。前にも少し触れたことがありましたが、伝統とか文化の強制は、戦争への道を歩いた、日本の戦前を思い出すのです。イスラムとキリスト教の戦争も思い出します。組織の各人が、同じ方向を向かないと、組織が弱体化し、他の組織に負けてしまう、それを極端に、怖がるのです。私は、日本に於いては、相撲が、伝統とか文化の強制を妥当とする考え方の、先頭にいるような気がするのです。同じような意味で、神社の2礼2拍手1礼という作法の強制も嫌いです。基督教の十字を切るというしきたりも嫌いです。イスラムのメッカに向かった拝礼も嫌いです。仏教は、基本的には、個々人の悟りですから、最も強制が少ないと思うのですが、宗派によっては、強制が強くなってきました。故に、全ての宗教から、心が離れました。私には、自分の人生を自分で決められる、自由な世界が理想です。

 今日は、曇りで寒かったので、午後1時頃から、聖蹟桜が丘まで軽く散歩し、近くのスーパーで買い物をして、3時半には、家に戻りました。後は、テレビを見て過ごしました。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年12月 1日 (金)

2017年11月30日

2017年11月30日

 

 雲の多い朝でした。朝の冷え込みは、左程きつくなく、ブライダルベールの花が咲いていました。河原も、七生丘陵も紅葉が盛りとなり、我が家から見る景色が、全体的に朱くなっていました。

 テレビ朝日のモーニングショーにおける相撲報道は、中止したらどうでしょうか、何度も言うようですが、礼儀、品格、相撲道というのは、個々人が人生(相撲の場合もある)を生きていく中で、自分自身で会得していくものであり、また個人の思い入れであり、誰かから教わる物でも無く、万人が従うべきルールでもありません。従って、今回の暴行事件の解決に関与させるべきではありません。

このモーニングショウに出ている人は、公的な人と判断されますので、実名で書きます。私が、このモーニングショウで、まともな意見と思われるのは、玉川氏だけでした。彼は、前述のように、今回の暴行事件を相撲界と絡めないで、日本国内で、人が従うべきルールである日本の法がどう裁くか、それが最も重要なことだと言っていました。この考えを、モーニングショウの進行役である、羽鳥氏に対して、何度も、相撲道とかの心とか文化の問題を絡めないように、発言していました。その度に、羽鳥氏は、「暴行問題を警察に任せると言ってしまえば、今回の相撲界の暴行に関して、報道することが何も無い」と言って、玉川氏の提案を撥ね付けました。そして、モーニングショーは、個人の発言の裏を読むとか、モンゴルと日本の文化の違いとか、常に変な方向へ向かいました。このような番組の進行の仕方は、羽鳥氏一人の考えで、出来る事では無いので、テレビ朝日、引いては朝日新聞の方針なのでしょう。出来るだけ、テレビ朝日を見ないようにして、ニュースはNHKを見るようにしています。流石に、NHKは、この問題に関して、さらりとした報道に変わりました。しかし、NHKだけを見ていると、民法のテレビやスポーツ紙が、国民を煽っている状況が掴めませんので、全く見ないという訳にも行きません。しかし、現在のマスコミは、何事もエンターテインメント化しているようで、日本の将来が、暗くなっていくのを感じます。

今日は、大学のクラブの現役による、年に一度の発表会の日でした。都心の大学に、4時半に着きました。5時から開演だと思っていたのですが、5時半からでした。私と同じような間違いをしたOBが、何人もいましたので、OBが利用出来る学内の同窓会クラブで、ビールを飲みながら、開演を待ちました。

開演の時間が近づいてきたので、会場へ行くと、800人程入る会場が、ほぼ満席でした。現役の活動を支援する人達が、こんなにも大勢いるのかと、1OBとして嬉しくなりました。最近、年を取って、妙に涙脆くなってしまいました。我々の頃に始めたクラブが、困難な時期を乗り越えて、半世紀以上続き、また隆盛時期を迎え、こうしてOBとして発表会を見る事が出来、目頭が熱くなってしまいました。我々の時代を受け継いでくれている物もあり、現役独自の工夫も多々見られ、温故知新を地で行っているようでした。堅固な土台の上に、時代に即出来るように、組織のメンバーが、常に考え協力し合わなければ、組織は崩壊します。現役が、この事を良く理解しているようなので、我々の現役時代を超えたような気がしました。

8時過ぎに発表会は終わり、8時半過ぎから、懇親会になりました。今日の発表会を機に、クラブの活動から身を引く、4年生の慰労会でもありました。4年間をやり遂げた安堵感と、クラブから身を引くという寂寥感が入り交じっていましたが、誰もが自信を持ち、人間が大きくなったようでした。この4年生も、後数ヶ月で、社会人となります。大学という人生の猶予期間も終わりです。クラブでの4年間が、社会人としての人生を、豊かにしてくれることを、祈って止みません。

また、3年生の中には、クラブを越えて、体育界全体を束ねる人間も出て来ました。新たな分野に挑戦し、新たな経験をする度に、人間は成長を続けるものです。現役時代、私も同じ事をやっていましたので、エールを送りました。これから、クラブを率いる3年生は、5人いて、それぞれ個性豊かです。彼等が、どの様なクラブを作っていくのか、楽しみでもあります。

なんと、11時近く迄飲みましたので、家に帰り着いたのは、12時を過ぎていました。しかし、若者の中に入って、話をし、酒を飲み、幸せな1日でした。

 

「後輩が 我が青春を 再現し 目頭熱く 涙に曇る」

「人生は 老いも若きも 共にいて 飲みつ話して 楽しかるべし」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »