« 2017年10月15日 | トップページ | 2017年10月17日 »

2017年10月17日 (火)

2017年10月16日

2017年10月16日

 

 今朝も、雨の朝でした。気温は、12月上旬の温度だそうです。最高気温が、15度を下回りました。

 この寒さの中で、数は少なくなりましたが、ブライダルベールの花が、咲き続けています。彼岸花の葉も、9月の終わりの暖かい時に顔を出して、元気に葉を延ばしたのですが、この所の寒さに、戸惑っているようです。

 現在、明星大学は、「教育の明星大学の教育展」を開催しています。この展示会の題名からすると、明星大学は、教育を大学の目標にしているようです。明星大学の前身が、実務高校だったからかも知れません。私は、大学で教育を行うことそのものに、違和感があり、教育を大学の主たる目標とすることには、更に大きな違和感があります。

 教育は、現代社会の中では、非常に重要なことなので、様々な研究が為されているようですが、その中での定義の1例を見ると、次のようになっています。「教育は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、の両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである

 この定義を見ると、教育は、教える側と教えられる側が、明確に別れていることになります。教える側には、絶対的知識や教養があり、教えられる側は、教える側に身を任せる他無いように感じられます。人間も生物ですから、生きる為の基本的方法、餌の採り方等を動物が子供の教えるように、人間もまた進化の過程で獲得した技能、人間の歴史の中で獲得した技能や、歴史的事実については、後進に伝える必要がありますが、技能のレベル、歴史的事実は、非常に高く膨大になっていますので、仕事に就いてからも学ぶことは多いでしょう。

 しかし、ある時期から、教えられ学ぶだけでは、新たな技能の進展は無く、人間社会の発展も望めなくなります。このある時期を、私は大学だと思っています。教える側は、教えるのを止めて考えさせ、教えられる側は、学ぶだけでは無く、自分の考えで研究しなければなりません。大学は、まさしくこの為に創設されたものだと思っています。この考えは、大学が、少数のエリートを生み出す為に作られた時代と、現代は違うという人も少なからず居るでしょう。それが、「教育の明星大学」を生んでいるのでしょう。これでは、何時教育が終わるのでしょうか、永遠に教育が続くことはあり得ません。「人間は、生涯学ぶものだ」というような言葉もあるようですが、これは、道徳的意味合いが強いと思います。

 技能と事実の伝達に関しては、時期の問題ぐらいで、左程大きな問題にはならないでしょう。しかし、定義の中にある「、、、ある人間を望ましい状態にさせる、、、」には、技能とか事実では無く、倫理、正義、善悪、道徳、人徳、価値観、文化観、社会観、歴史観、国家観、宗教観等の持ち方によって、人間の望ましい状態が決まると、判断され勝ちです。これ等は、論理的に正当なものが決められるものでは無く、本来教えられるものでもありません。有るとしたら、信じ込ませるだけです。考え方は数多く存在し、存在するそれぞれを認めるのが基本です。権力や金銭によって、正当性を決めるのは、もっての外です。これで人間が、望ましい状態になる訳がありません。しかし、個々の考え方、個々の考え方に基づく行動を自由にすると、社会的混乱も生じます。「人は殺しても良い」と言うような倫理観は、慎重に討議し、ある組織の判断に従うのではなく、国民全体の合意として、法律化する必要があります。単純に悪いことのように思えますが、「正義の為なら人を殺しても良い」「国家を守る為であれば、戦争をして出来るだけ沢山の敵を殺すべきだ」等と、様々な例外を出して、人を殺すことを正当化する場合も出て来ます。だからこそ、慎重に討議し、法体系にしなければなりません。現代社会に於いては、法体系が、考え方の自由を保障し、制限もします。それ故に、法を決める国会、法体系の基本理念の合意である憲法は、国民が最も真剣に討議し、理念を検討すると共に、法を決める国会議員を、慎重に選ばなければなりません。

 現在の学校の先生に、技能と事実以外を教えさせるのは、非常に問題があると思います。学校の先生の少なくとも3分の1は、社会経験豊かな様々な分野の社会人を、ローテーションとして派遣するようにした方が良いと考えています。そして、各学校は、顧問弁護士を置く必要があるとも考えます。学校の生徒といえども、法に反したものは、法で裁かれなければならないと思っています。手に負えない子供が増えているのであれば、少年法の見直しも必要でしょう。何れにしても、社会経験の少ない教師が、思想的なものを指導するので無く、国民全体の判断とすべく、法体系で処罰すべきでしょう。国家権力(文部省)の指導を仰ぐのは、もっての外です。

 

 今日は、雨の一日で、外へ出たのは、買い物だけでした。そんな訳で、日頃思っていることを書いてしまいました。

 

 

 

 

|

« 2017年10月15日 | トップページ | 2017年10月17日 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/554231/65927795

この記事へのトラックバック一覧です: 2017年10月16日:

« 2017年10月15日 | トップページ | 2017年10月17日 »