« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月

2017年10月30日 (月)

2017年10月29日

2017年10月29日

 

 これが雨の朝だ、そんな感じで雨が降っていました。正面の七生丘陵が、白く霞んで、見えない程でした。多摩川の水嵩も、また増えているようです。

 雨は、午後になっても一向に止む気配はなく、次第に雨脚が強くなりました。散歩に出かける訳にもいかず、予定もないので、今日は、一日中家に居ることになりました。

 時間があるので、フェイスブックに、前回の台風21号の時の写真を投稿しました。丁度、一週間後の今日、台風22号がやって来たようですが、関東地方には上陸せず、風も左程強くなく、雨も前回程ではありませんでした。

フェイスブックに写真を投稿した後、昨日録画してあった、寅さんを見ました。昼間テレビで映画を見るのと、夜見るのとでは、感じが随分違いました。昼間は仕事という習慣が、未だ完全に抜け切れず、何となく罪悪感があるのです。昼間の散歩も、退職したばかりの頃は、罪悪感があったのですが、現在漸く罪悪感がなくなりました。その内に、昼間、テレビで娯楽映画を見ることにも、罪悪感が無くなる日が来るでしょう。しかし、本当のことを言うと、75歳位までは、働かせて欲しいと思っています。老人は、他の人に迷惑を掛けないで、ただただ生きていれば良い、こうした考えを、心底から良いとは思っていません。一種の妥協なのです。若者の色との関係、社会での地位等々様々な問題はあるでしょうが、社会全体の問題として、検討して欲しいと思っています。

 2時頃から、寅さんを見て、終わったのは、4時過ぎでした。結局、時間があれば料理で、この前、高校時代の仲間と飲んだ時、千葉の八街から来た友人が、お土産に持ってきてくれた落花生を煮ることにしました。友人の話では、沸騰したお湯で煮るのではなく、沸騰する前の80度位のお湯で、40分以上煮た方が良いというので、その通りにしました。レシピを守ったので、水分を多く含んで、甘みの強い落花生になりました。とても、粒の大きな落花生でした。

 落花生を煮ている間に、今晩の晩酌用のカプレーゼとピザを作りました。今晩の晩酌は、ワインにしました。6時半から、野球の日本シリーズの第2戦が始まりました。既に外は深い闇になっていましたので、何の罪悪感も無しに、野球を楽しみながら、盃を傾けました。野球が終わって、ベランダから外を見ると、半月でしたが、月が煌々と輝いていました。台風は、既に東北の海上に抜けたようです。

 

 31日の朝早くから、長野の方へ山登りに行くので、30日、31日、1日の日記は休みます。

 

「昼間から テレビ見ている 侘しさよ 恨めしきかな 秋の台風」

「酒という 友もなくして 只一人 テレビ見ている 雨の昼時」

「夜も更けて 台風一過の 月の出て 我に伝える 新たな明日」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月29日 (日)

2017年10月28日

2017年10月28日

 

 晴れの日が長く続きません。今日も、雲の多い朝でした。昼頃から小雨が降り始めました。

 ベランダのブライダルベールの花が、3輪咲いていました。今日初めて、ベランダとバルコニーの違いが分りました。私は、呼び方だけが違うのだと思っていました。ベランダが、あまり響きが良くないので、今後はバルコニーと言う言葉を使おうと思って、念のためネットで調べた所、ベランダは屋根付、バルコニーは屋根無しで、構造的に違ったものでした。我が家のは、ベランダでした。そんな訳で、響きが良いからと言って、勝手に呼び方を変更出来ないことが分りました。

 今日は、明星大学の公開講座に行って来ました。散歩も兼ねようと、石田大橋を渡って、万願寺まで歩き、そこからモノレールで行きました。

 我が家を、11時45分に出ました。傘が必要か、微妙な程度の雨が降っていました。多摩川の水は、大分引いたのですが、明日はまた、台風22号の影響で、本格的な雨が降るようですから、また、暴れ龍に戻るかも知れません。石田大橋の上から見ると、多摩川は、既に濁流ではなくなり、乳白色をしていました。何故、こんな色になるのか、少し不思議でした。

 ゆっくり歩いたせいもあって、公開講座の教室に、講座の始まる5分前に着き、いきなり講座が始まりました。今日の1時間目の講座は、「義持と耕雲―黄金の室町時代、北山文化の盛衰」でした。講義は、1時間半でしたが、私のこれまでの人生で、耳にしたことのない事ばかりでした。全部を書くと何ページにもなりますので、1つだけ例を出すと、武家執奏という言葉です。室町時代は、公武一体と言われるように、宮廷と将軍家が密接に協力して政治を行っていたそうです。特定の事項に関しては、将軍家から宮廷に対し、政治的要請を行ったそうです。この事を、武家執奏と言うのだそうです。宮廷側には、この武家執奏を天皇に取り次ぎ、かつ、宮廷側の考えを将軍家に伝える役職があったそうです。日本人なのに、日本文化に対しては、全くと言って良い程無知なので、毎年、明星大学の文化部日本文化科が、実施してくれる公開講座は、本がまともの読めない私にとっては、とても有り難いです。年を取ってなお、階段教室の椅子に座るのは、格別の喜びです。偶に講師が、白墨で黒板に字を書くと、その音が心地よく耳に残りました。教壇と黒板は、我々の大学時代と大差有りませんが、パソコンを駆使して、大型のスクリーンを活用するのは、我々の大学時代にはなかったことです。

 2時間目の講座は、「フランスのジャポニズム 印象主義芸術と浮世絵」でした。中学の頃から、絵には興味がありましたので、フランスの印象派の著名な画家や彫刻家が、浮世絵の影響を受けていたことは、良く知っていました。そして、ヨーロッパの著名な美術館は、ほとんど行って、様々な絵や彫刻などを、食傷する程見てきました。しかし、今日は、どの浮世絵の、どんな所を真似て(影響を受けて)、フランスの印象派の画家が、自分の絵を描いたのか、一枚毎に対比してくれたので、非常に良く分りました。浮世絵というと、広重、歌麿、北斎の絵を思い浮かべますが、春画も大量にフランスに流れたようです。そこから、エロチシズムにも影響を与えたそうです。中々面白い講座でした。

 2時間目は、4時に終わるはずでしたが、時間超過して、4時20分頃に終わりました。電車を乗り継ぎ、家に戻ったのは、6時近くでした。この前買ってきた、198円の餃子を焼き、次男が作ってくれた豆腐の煮付けで、晩酌にしました。土曜日は、何時も寅さんを見るのですが、今日は野球の日本シリーズを見ながらの晩酌になりました。餃子が、とても美味しくて12個全部食べてしまいました。

 

「教室の 椅子に座れる 嬉しさよ 昔に帰る 公開講座」

「老いてなお 学べることの 嬉しさよ 我が子のような 教授の話」

「白墨で 黒板打つ音 響きたり 老いて座りし 雨の教室」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月28日 (土)

2017年10月27日

2017年10月27日

 

 今朝も、快晴の青空でした。しかし、地平の霞は、昨日より濃くなって、富士が霞の中に消え入るようでした。

 今日は、大学時代の体育会の同期会に参加しました。同窓会は、午後1時からでしたが、幹事の一人なので、12時に着くように出かけました。

 家を、10時近くに出て、バス停に行った所、なにやら工事をしていました。そして、人が沢山並んでいました。工事のせいかと思ったら、そうではなく、1つ前のバスが、未だ着いていなかったのです。私が乗ろうとしたバスも、5分以上遅れても、一向に来る気配がありません。そこで、工事の人が気を利かして、バス会社に連絡してくれました。それによると、南武線の谷保の踏切で人身事故が発生し、車が通行止めになっているとのことでした。これでは何時来るか分らないと思い、聖蹟桜ヶ丘まで歩くことにしました。国立へ行くバスも、谷保で止まるはずだからです。そんな訳で、歩き始めて四谷橋に差し掛かった時に、バスが2台一緒にやって来ました。これらのバスが来るという事は、谷保の通行止めは、15分前には、解除されていたはずです。会社に最新情報が行っていなかったか、工事人の電話のかけ方が悪かったのか、何れにしても歩く他無くなりました。

 トラブルはあったものの、早めに家を出ていたので、都心の同窓会の会場には、予定通り12時に着きました。会場が少し分りにくいので、私ともう一人の幹事が、会場の入口近くで、参加者を待ちました。12時半から1時まで待ったのですが、入口の近くを通ったのは3人だけでした。皆遅れてくるのかなと思いながら会場に入ると、ほぼ全員揃っていました。一体何処から入ったのでしょうか、待っていた2人の目がおかしいのか、とても不思議な感じでした。

 同期会は、予定通り始まりました。芦屋からも新潟からも同期がやって来て、総勢23名になりました。元気だから集まったのでしょうが、それにしても、後期高齢者と呼ばれる年齢に近づいているとは思えない程、誰もが元気でした。この調子ならば、今後10年は、同期会を続けられそうでした。

 1年振りの再会で、一気に会は盛り上がり、酒も大いに進みました。矢張り同期は、名前も呼び捨てに出来るし、一番気が置けない仲間です。喉が嗄れる程話しました。初参加の陸上部の友人の苦労話も聞きました。それも、過去の思い出になったそうです。話しては飲み、話しては飲みしている内に、すっかり酩酊してしまいました。所々記憶がなくなりました。帰りは、同じ方向の調布の友人に、すっかり迷惑を掛けてしまいました。今後は、飲み過ぎないように注意しようと思います。転んで怪我でもしたら、寝た切りになる可能性が大ですから、、、。

 

「人生の 出発点を 共にした 掛替えの無き 同期の仲間」

「今年また 元気な君の 姿見た 来年同じか 怖くもありけり」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月27日 (金)

2017年10月26日

2017年10月26日

 

 今朝は、晴天の空に、真っ白い富士が見えました。私にとっては、初冠雪です。何時見ても感動します。これから初夏まで、我が家のベランダからは、真っ白い富士を見ることになります。

 富士が冠雪する位ですから、気温も随分下がりました。昨日まで咲き続けていたブライダルベールでしたが、今朝は、一輪の花もありませんでした。昼近くには、日差しがベランダに届き、気温も上がってきたのですが、それでも花は開きませんでした。

 昨日、台所の蛍光灯が切れたので、近くのショッピングセンターの中のコーナンというホームセンターに、交換用の蛍光灯を買いに行きました。折角だから同じ型のLEDを買いました。所が、家に帰って取り替えてみましたが、最初にピカっとしただけで、後は全く点灯しませんでした。仕方なく買った所に行って事情を話すと、「お宅の蛍光灯はグロースターターですか」と聞かれたので、「多分違うと思うが、はっきりしない」と言うと、「此処の書いてあるように、この直管式LEDは、グロースターター専用なのです。豆電球も取り替えて試して見て下さい」と言われました。仕方が無いので、家に帰り試そうとしましたが、豆電球を付ける所がありませんでした。つまりグロースターターではなかったのです。そこで、またホームセンターに戻り、グロースターターではない、直管式LEDに替えて貰おうとしたら、このホームセンターには、グロースターター以外にはないそうです。仕方なく、お金を返還して貰い、2階のノジマ電気に行きました。流石に電気屋さんで、全方式に対応する直管式LEDが有りました。しかし、値段は、グロースターター方式の3倍で、約1万円でした。随分迷いましたが、明かりは全部LEDにしようと決めていましたので、買うことにしました。家に帰って付けてみたら、無事点灯しました。このLEDの寿命は、私の寿命より長いでしょう。それにしても、たった1つの買い物に、3回も店を往復し、1時間以上掛かってしまいました。

 今日は、午後5時から、高校の同級生と銀座で飲むことにしていました。実は、ほぼ一月前に、同じ高校の在京同窓会で会ったばかりなのですが、もう少し、少人数で飲もうと言うことになったのです。話しのきっかけは、フェイスブックで知り合いになった同級生が、私がフェイスブックに掲載した草花の写真が何処で撮ったのか聞いてきましたので、写真を撮った日の日記を読めば分ると、この日記を教えたら、彼が別の同級生にも教えて、教えられた人が、日記を書いている本人に会って話してみたいと言うことになり、今日の飲み会となった訳です。

 午後3時に家を出て、飲み会の会場である居酒屋には、4時半に着きました。隣の銀座三越で、15分程度時間を潰して、居酒屋に入った所、店は電気も付いて無く、店主と思われる人が一人で、開店準備をしていました。そして、急に扉を開けて入って来た私を見て、目を丸くして驚いていました。私は、てっきり予約してあるものと思っていたのですが、そうでは無かったようです。5時になっても、誰も現れません。若しかしたら、日が違うかも知れないと思って、帰ろうとした所へ、電話が掛かって来ました。店は、2階なのですが、他の連中は、外で私を待っていたとのことでした。

 最初のハプニングはありましたが、酒を飲み始めると、いきなり話しが弾けました。電話をかけてきた友人は、中学からの友人ですし、他の二人も高校の同級生ですから、思い出話には、事欠かないのです。最初こそ、日記に関して、幾つかの質問がありましたが、それは引き金に過ぎません。後は、年寄りお定まりの健康の話し、最近の政治のこと、共通の友人の消息、思い出の数々、あっという間に2時間半が過ぎてしまいました。

 これでは、物足りないので、ネット通販のアマゾンが、全世界の酒を安く飲ませるらしいと言うことで、アマゾンに行ってみましたが、もの凄い行列で、少なく見積もっても、1時間は待ちそうでしたし、ゆっくり話が出来るとも思えなかったので、近くの日比谷バーで2次会になりました。話しは尽きませんでしたが、一人は千葉の外房から来ていましたので、9時には店を出て、残りも9時半過ぎには、お開きにしました。非常に楽しかったので、近々またやろうと言うことになりました。

 

「故郷の 最後の日々を 共にした 仲間と飲むは 銀座の赤き灯」

「それぞれに 戦後を過ごした 仲間達 違いあれども 多難な時代」

「郷里より 一日かけて 東京へ 此処で始まる 我等が人生」

「人生の 未来ばかりが 大きくて 不安も大きい 高校時代」

「年を取り 過去ばかりが 積み上がり 今は楽しい 思い出数々」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月26日 (木)

2017年10月25日

2017年10月25日

 

 また、雨の朝に戻りました。今年は、本当に雨の多い年だと思います。万葉の時代から、春夏秋冬、四季は必ず訪れて、咲く花にも変わりは無いように思われるのですが、何かが少しずつ変わっているような気もします。

 テレビのニュースに拠れば、今回の選挙の結果、希望の党と民進党が大荒れのようです。当たり前だと思います。希望の党が出来た時、その希望の党に民進党が合流すると決めた時、それぞれ感想を書きましたが、その通りになってしまいました。今頃になって、希望の党の議員から、小池氏の人格について、批判する人が沢山出て来ましたが、最初から分らなかったのは、その議員が人を見る目が無かったと言うことでしょう。小池氏には、国家の政策について、きちんとした考えがある訳でもなく、傲慢で日和見で注目されたがり屋の、ただそれだけの人だと思います。

民進党の前原代表も酷かった、安倍政権を倒すだけでは、政治家の信念とは言い難いと思います。安倍政権を倒す為であれば、どんな手段を執っても良い、そんな政治家だけの論理に、民心が着いて来なかったのは、国民の良識です。政策や、その実行の仕方が異なることによって、政権交代が起きることは、民主主義の政治、特に政権を自民党が半ば独裁化している、日本の政治に於いては、非常に望まれることであることは認めます。しかし、政権交代すれば、どんな方法でも良いとは思っていません。そんな浅はかな考えだから、民主党は折角政権交代しても、きちんとした政策を実行出来ず、国民から見放され、民主党自身が多くの離党者を生むことになりました。今回は、それより更に酷く、党そのものを売ってしまったのです。しかも、最悪の人に。

しかし、リーダーだけが悪いのではありません。信念を持たない、人を見る目がない、民心を読めない、世界が読めない、ないない尽しの政治家も悪いのです。文句だけでなく、自分達の、知性と人間性を高めて欲しいと思います。それにしても、政治家の質が、著しく落ちたと思います。自民党の小泉進二郎がヒーローに見えました。

今日は一日中、雨でした。また一日、家の中で過ごすことになるのかと、少々暗い気持ちになりました。本が読めれば、何の問題も無いのですが、それが出来ないので、困っています。午後になっても雨は止みませんでしたが、傘を差して、聖蹟桜ヶ丘まで歩いて来ました。

午後1時半頃に家を出て、昨日とは反対の、多摩川の下流に向かって歩きました。

四谷橋の下、土手下の道と同じレベルに、仙人の庵が3つ出来ていました。何処に避難していたのか、随分早く戻ってきました。仙人ならではの増水対策が出来ているようでした。京王線の鉄橋の堰に、立木が流されてきて引っ掛かっていました。恐らく、中州に生えていた木だろうと思います。激流の凄さを、物語っているようでした。今日は、中州もほとんど顔を出して、主たる流れは、台風以前とほぼ変わりなくなっていました。多摩川は、相当水嵩は増しましたが、土手を越えての氾濫は、無かったようです。未だ、台風の名残がある川のあちこちに、白鷺、青鷺、川鵜の姿がありました。

約1時間歩いて、2時半には、聖蹟桜ヶ丘に着きました。買い物をする気は無かったのですが、スーパーを見ていたら、餃子の実演販売をやっていて、餃子を焼いている小父さんが、気前よく餃子を3個も試食させてくれた。その気前に負けて、餃子を2パック買ってしまいました。一口餃子のような、小さな餃子ですが、1パック12個入りで、198円という安さも気に入りました。

家に帰ったのは、3時半でした。時間があったので、トイレと台所を徹底的に掃除しました。トイレは、何処かで、少量ですが、水漏れが起きているようでした。場所も旨く特定出来ませんでしたし、業者を呼ぶ他無いと思いました。台所を掃除していたら、長い蛍光灯が切れてしまいました。住み始めて15年を過ぎましたので、色々老朽化が進んでいるようです。住人の老朽化も進んでいます。これは、業者に頼んで修理する訳には、行きませんが、、、。

その後、本当に久し振りに、麻婆豆腐を作りました。出来上がりのソースが売っているので、作ることもないのですが、雨の日は時間潰しには、料理が一番です。大蒜と長ネギを微塵切りにして、豚肉と炒め、酒、砂糖、豆板醤、出汁醤油、花椒、味付けをし、豆腐を加えて煮て、とろみを付けて出来上がりです。まあまあの出来でしたが、矢張り、麻婆豆腐は、酒の肴ではなく、ご飯の友でした。その他に、鶏肉のつみれを、大蒜と胡椒で味付けをしたオリーブオイルで炒めてみました。一種のアヒージョのようで、結構美味しかったし、ワインの友になりました。

夜は、珍しく録画してあった「杉原千畝」を見ました。第二次世界大戦における、杉原千畝の功績の原点となった、ユダヤ人迫害が、胸を締め付けました。戦争という狂気は、600万以上もの、罪無きユダヤ人を、残虐な方法で虐殺しました。人間は、こうしたことが出来ると言うことを、忘れないようにしなければならないと、改めて思いました。

 

「台風で 避難していた 仙人の 庵が戻る 橋の下かな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月25日 (水)

2017年10月24日

2017年10月24日

 

 台風一過の晴天は、昨日だけでした。今朝は、薄雲が、空一面に張り詰めていました。夜明けの日で、薄雲が朱く染まっているのが、我が家からも見えるようになりました。我が家は、若干南西向きなので、真東を見ることは出来ないのです。冬の時期、冬至までは、日の出と日の入りの位置が、少しずつ南へずれますので、日の出は少し見えるようになり、日の入りは、真正面になります。

 台風にもめげず、ブライダルベールが咲き続けています。ベランダ唯一の花に、毎日、話をしながら元気を貰っています。

 今日、中国の共産党大会が終わりました。習近平総書記の権力が、一段と強化されたようです。若い頃、共産主義が、王制のような、古くから続く絶対権力を倒し、革命を起こしたことには、感動を覚えました。しかし、革命を起こした共産主義国家は、民主主義を標榜しながら、選挙を行うことなく、共産党による独裁政治を行いました。共産党は、民衆の為の政党だから、許されるというのでしょうか、それは間違いです。何時でも、政治権力は、国民の負託によるもので有り、国民の負託に反する政治を行った場合は、国民が審判出来る制度でなければ、民主主義とは言えません。その制度が、選挙です。現在の日本の共産党や社会党が言っていることは、尤もだと思うことが多々あります。共産党が、戦前、軍国主義に抵抗したことも教わりました。しかし、選挙では、この二つの党に、投票する気になれません。共産主義国家中国の、2の舞いになる気がするからです。私が、何よりも嫌いなのは、権力が、国民の意思によって交代しない、独裁政治なのです。独裁は、王であろうと、軍であろうと、党であろうと同じものだと思っています。人間社会の治め方は、法治でなければならないと思います。法治も、最初から完璧では無いでしょう、試行錯誤しながらでも、国民の意思を吸収しながら、少しずつ改善していくのが良いと思っています。今の日本には、この良識が根付きつつあると思っています。勿論反対意見も強固ですが、、、。

 今日は、余り良い天気とは言えませんでしたが、立川根川公園の方まで歩いて来ました。

 午後1時半頃家を出て、目の前の土手に上がりました。一日で随分水位が下がりました。河原の半分程は顔を出し、所々に中州が出来てきました。この中州に、かなりの数の川鵜が下りてきていました。一昨日から、送電線の塒に止まっていたのですから、結構疲れたのではないかと思います。未だかなりの急流ですが、川に入って泳いでいる川鵜も沢山いました。

目の前の葛の原は、昨日の朝は流れの下でしたが、今日はすっかり水が引いていました。川鵜達の写真を近くで撮ろうと、葛の原を通って川岸まで歩きました。以前は、ちゃんとした道があったのですが、無くなっていました。なぎ倒された荻や小栴檀草を踏み越えて歩きました。流木のように、外の場所から流されてきたものも沢山ありました。一番歩きにくかったのは、葛の蔓が、あちこちに絡まっていて、不意に足に引っ掛かることでした。岸辺まで行くと、流れの勢いを改めて感じました。苦労はしましたが、川鵜達の写真は撮れました。

河原から土手に戻り、多摩川を見ながら上流へ向かって歩きました。土手が刈られて2週間以上経ち、白ツメクサ(詰草)、赤ツメクサ、ヒメジョオンが、もうすぐ木枯らしが吹くというのに、少ないながらも花を咲かせていました。群がって咲いている時と違って、とても可憐で可愛く思えました。水気の少ない土手に咲くセイタカアワダチソウも、小人のように背が低く、とても愛らしく感じました。根川と多摩川の合流点近くのシャクチリソバは、土手の上だったので、水没することなく、まだ花を咲かせていました。

(所で、小人は、差別用語のようです。かな漢字変換の対象から外されていました。ですから、小人という熟語では変換されませんでした。)

根川貝殻坂橋を渡って、根川沿いに、カワセミが良く来る池まで歩きました。残念ながら、カワセミを見ることは出来ませんでした。今年は、年の初めの頃を除いて、カワセミとの出会いがありません。通常は、此処からモノレールの柴崎体育館駅に出て、高幡不動に出るのですが、今日は、多摩川を良く見る為に、日野橋を渡り、甲州街道駅に出て、何時ものように、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘を経由して、我が家に戻りました。5時近くになっていました。

今日は、次男が休みなので、一緒に晩酌をしようと思っていたのですが、散歩の間に、出かけたようでした。出かけると、日付が変わらないと帰ってきませんので、何時ものように、一人の晩酌になりました。野球のクライマックスシリーズを見ながら、酒が飲めると思っていたのですが、どのテレビ局も放送してくれませんでした。

 

「朝起きて ブライダルベールの 花数え 今日一日の 良き日を願う」

「台風が 海へと抜けて 一夜明け 中州現る 多摩の暴れ龍」

「電線の 塒暮らしは もう飽きた 中州に集まる 川鵜嬉しげ」

「葛の原 水の底から 蘇り 傷つきながらも 王者を保つ」

「刈られても また刈られても 花咲かす 赤白詰草 姫女苑かな」

「土手の上 水没逃れし 蕎麦の花 君等だけでも 残るは嬉し」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月24日 (火)

2017年10月23日

2017年10月23日

 

 今朝は、重苦しい雲が立ち籠めていましたが、雨も風も止んでしました。なんと多摩川は、土手下の道まで水が上がる程、水嵩が増えていました。

 どうしても、川を見たい気持ちが抑えられず、6時20分頃から、四谷橋周辺を歩いて来ました。

 我が家の前の土手に出ると、土手下の道が、水に浸るような状況で、河原は全て水の下でした。四谷橋まで歩くと、河原を埋め尽くすような勢いだった葛、河原で草原を作っていた荻、仙人の花畑、河川敷の運動場、程久保川の蕎麦達、河原の仙人の庵、全てが流れの下になっていました。多摩川も浅川も、濁流が渦巻き、土手から土手まで、目一杯広がって流れていました。中国の大河程では無いにしろ、4年程前の台風の時より広く、初めて見る多摩川の広さでした。

 浅川の土手下の道には、鯉が流されてきていました。思った程の水が無く、もがき苦しんでいました。その様子を、近くで烏が眺めていました。「早く、くたばれ」と言わんばかりでした。鯉と一緒に、小魚も流されてきて、こちらの方は、抵抗する間もなく、烏の餌になってしまいました。濁流では無い、河原の縁のあちこちに、白鷺や青鷺が、立っている訳が分りました。濁流を避けて、岸辺に避難する小魚を狙っていたのです。深い所が濁流になって困っているのは、川鵜達でした。彼等は、川に潜って魚を捕るのが基本ですから、餌を捕る所がないのです。塒の電線から、何匹か餌場を探して飛んで行きましたが、潜る場所は探せなかったようです。

 川越しに、聖蹟桜ヶ丘を見ると、ビル街が川の中に立っているように見えました。京王線の鉄橋を渡る電車が、徐行運転をして、のろのろと鉄橋を渡っていました。本当に、何時もとは違った凄い光景を見ました。

 家に戻って、ニュースを見て、朝食を済ませた頃には、西の方は青空に変わりました。急いで洗濯をし、洗濯物を干し終わった10時過ぎには、更に青空は広がり、空気が澄んでいる為、強い日差しが降り注いで来ました。霞のない青空の下に、くっきりと一際蒼い富士が立っていました。未だ冠雪していませんでした。富士山程度の高山であれば、昨日の雨は、雪に違いないと思っていたのですが、読みは外れました。

 昼食を済ませ、1時頃から、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。明け方に較べると、水位は随分下がりました。河川敷の運動場には、既に水はなく、フットサルのゴールポスト、テニスのネットの支柱などに絡みついた草が、明け方に水が流れていたことを物語っているだけでした。何を血迷ったのか、私の直ぐ足下に、殿様バッタが飛んできました。直ぐに逃げるかと思ったのですが、カメラを向けても動きません。自らが取った行動を理解出来ない風でした。赤とんぼも、漸く雨が止んだので、飛んでは見たものの、台風の吹き戻しの風が強いので、調子が狂っているようでした。

 聖蹟桜ヶ丘から、電車で多磨霊園駅へ行き、そこからバスで多磨町へ行きました。今日は、4時から東京外大で行われる公開講座に参加することにしていました。東京外大は、武蔵野の森公園の近くなので、武蔵野公園、野川公園、武蔵野の森公園を廻ってから行くことにしたのです。

 2時半には、武蔵野公園に着きました。武蔵野公園から野川公園に行く、野川の流れが何時もより、増えていました。台風は、既に東北の方に抜けたのですが、吹き戻しの風が強くて、公園の木々が唸っていました。風が吹く度に、落ち葉は宙を舞い、ドングリがバラバラと落ちてきました。野川沿いの道が、ドングリで埋まっている所がありました。何時もは、野川公園の自然観察園に必ず寄るのですが、今日は時間が無いので、直ぐに東八道路を越えて、野川公園の本園に入りました。ひたすら歩いて、武蔵野の森公園(北側)に入りました。

 武蔵野の森公園の修景池は、公園に水が溢れる程、満々と水を湛え、毎年飛来するヒドリガモが、既に飛来していました。渡り鳥の動きを、年老いた青鷺が、黙然と眺めていました。既に3時半になり、少し傾いた日差しが、池の水面で跳ね返っていました。

 3時40分に、東京外大の講演会場に着きました。講演会の題目は「トランプ大統領の政策動向とメキシコ」でした。講師の経歴が紹介されて、私の所に、講演会の案内のメールが届いた訳が分りました。講師は、長男と同じ会社で、私と3年程メキシコで一緒だったのです。それで、メキシコアミーゴ会から、メールが流れたようでした。参加者の中に、アミーゴ会で良く知っている人がいました。

 講師は、大学で講演するのは、余り経験が無いようでした。90枚もの資料を作ってきて、早口でまくし立てました。東京外大にいる友人が、特別に講師を招いたようでした。台風の中、足を運んでくれたことに、何度も感謝していました。講演会場は、かなりの人で埋まっていました。講師は、トランプ大統領、特に側近の副大統領の支持者で、私と考えは違いましたが、久し振りにメキシコの話を聞き、満足しました。

 講演が終わったのは6時近くで、すっかり日が暮れてしまいました。澄んだ空に、鋭い草刈り鎌のような三日月が出ていました。大学から飛田給駅まで、月を見ながら歩きました。飛田給から聖蹟桜ヶ丘へ出て、今日の酒の肴を買って、家へ戻りました。空から月が消えていましたので、不思議に思って、探してみると、丁度七生丘陵の上に、赤くなった月が、沈んでいく所でした。夜明けから、月が沈むまで、色々なことに出会った、昨日とは真逆の、忙しい一日でした。

 

「非日常 自然の猛威に 胸震え ドラマの中を 散歩するなり」

「多摩川の 昔思わす 暴れ龍 台風接近 逆巻く流れ」

「大陸の 大河思わす 川幅に 広がり波打つ 多摩の暴れ龍」

「河川敷 運動場も 水浸し ゴールポストも 流れの中に」

「多摩河原 時間をかけて 制覇した さしもの葛も 水草となる」

「仙人の お花畑も 水の下 恐らく庵も 床上浸水」

「溝蕎麦も 赤地利蕎麦も 水の下 雨台風の 仕業なりけり」

「荻の原 流れに押され 横倒し 最早見られぬ 河原の穂波」

「靴濡らす それが嫌さに 鯉見捨て 写真だけ撮る 薄情者よ」

「濁流を 避けて岸辺に 避難して 憐れ小魚 烏の餌食」

「嵐過ぎ 空は雲無き 快晴に なんとど派手な 大変身かな」

「青空に 一際蒼き 富士の立つ どんな嵐も 富士は平然」

「何故俺は 人の世界に 迷い出た 殿様バッタの 悩みは深し」

「赤とんぼ 青空待ち侘び 空を飛び 風の強さに 慌てふためく」

「吹き戻し 上陸時より 風強し 木々等が唸る 公園の森」

「強風に バラバラ落ちる ドングリの 小道を埋めて 豊穣の道」

「故郷に 台風などは 来はしない 早く来過ぎた 北の渡り鳥」

「穢れ無き 台風一過の 青空に 池も応えて 水面が光る」

「池の縁 身動ぎもせず 立ち尽くす 何を思うや 老いたる青鷺」

「講義終え 宵の進んだ キャンパスの 頭上に鋭き 三日月ありき」

「家路にて 向こうが丘の 稜線に 今没せんとす 赤き三日月」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月23日 (月)

2017年10月22日

2017年10月22日

 

 今日も雨の朝でした。毎日、雨に煙った向こうが丘と、多摩川の流れを見ています。我が家から見える多摩川の流れの幅か広がりました。一段と水嵩が増したようです。

 昨日も、一昨日も花を開かなかったブライダルベールが、今日は花を開きました。この花の開閉の理屈が良く分りません。

 一昨日、期日前投票をしておいて良かったと思いました。まだ風は左程ではありませんが、かなり強い雨が降り続いています。多摩川の流れは、時間が経つ毎に、川幅が広がり、通常の河原の上まで来ているようでした。見に行きたいという強い衝動に駆られて、雨用の服を着て、アパートの外に出てみたら、思いの外、雨が強いので、アパートに戻って、10階の廊下から四谷橋方面の多摩川を見るだけにしました。思った通り、浅川と多摩川の合流点の中州が、ほぼ無くなりかけていました。

 今日は、一日中雨でしたので、一日中家の中で過ごしました。夕方から、千切り山芋、下ろしじゃこ、鯛の兜煮、野菜炒めと、日本風の酒の肴を作り、日本酒で晩酌にしました。千切りの山芋は、卵の黄身と海苔と醤油で味付けしました。これは、長男が子供の頃、ヴェネズエラで珍しかったせいか、食べ過ぎて吐いたことを思い出しました。

 晩酌をしながらテレビを見ている内に、夜の8時になりました。早速、選挙速報が始まりました。8時に投票が締め切られた直後に、当選確実が出る、出口調査の結果に毎回驚かされます。投票した人の何パーセントが、調査に協力しているのでしょうか。協力した人は、全て正直に答えているのでしょうか、何時も気になります。日付が変わる頃、私が寝るまで、選挙速報と台風のニュースばかりでした。そして、今回の選挙の大勢が判明しました。

 選挙戦が始まった初期の段階で、今回の選挙の結果予想が出されました。その予想に拠れば、自民党は単独で過半数を超え、公明党を含めた与党は3分の2議席を越える勢い、希望の党は伸び悩み、立憲民主党は健闘、その他の政党は伸び悩み、となっていました。これも、調査結果を分析したのでしょうが、今日の開票結果は、100%予想が的中したと言っても良い程、予想通りの結果となりました。これも、よくぞ此処まで正確な予想が出来るものだと、感心してしまいます。

 選挙直前に、野党が分裂騒ぎを起こしましたので、今度の選挙はどうなることかと危惧しましたが、立憲民主党のお陰で、一定の歯止めが出来ました。戦後70年を過ぎましたが、日本には、一定の数の平和主義者が残っているようでした。少し安心しました。しかし、過去を決して忘れず、過去から絶対変わらないことが、重要だと言うつもりはありません。日本も、時代の流れを熟知し、未来へ向けて十分に検討して、日本が歩いて行く道を決める必要があると思います。その中で、国家が個人の尊厳を考慮せず、国家の名前で多くの若者を殺し、美しい山河や町を焦土と化した、過去の過ちを繰り返さないのも、検討における重要な要素の1つだと言いたいのです。

 少し前に、Jアラートは、政府が、国民に危機意識を植え付ける為の広報だと書いたことがあります。自国の危機に関しては、多くの国民は平常ではいられません。専守防衛であれば、軍備も核保有も致し方ないと思いがちです。この言い方が、実は現在の北朝鮮が言っていることと良く似ているとは、半分以上分っていても、日本は北朝鮮とは違うと思い込んでしまうのです。安倍政権は、北朝鮮を旨く利用して、過去の過ちの方へ、舵を切ろうとしているように見受けられます。それ故に、今回の選挙は大事な選挙だと思いましたが、むしろ悪い方へ、流れが傾いたような気がします。しかし、選挙の結果ですから、受け入れざるを得ません。何時か、国民が気づいてくれる、それを願うしか有りません。選挙は、それ程重要な国家の基本原則です。今から半世紀過ぎた未来から、今度の選挙を振り返った時、この時点で、日本の進路が、戦争へ向かって大きく舵を切られたと、評するかも知れません。

 

「台風が 秋雨前線 刺激して 朝から晩まで 雨の降るなり」

「雨降れば 楽しきことは 飲むだけよ 肴作りの 料理に励む」

「選挙戦 予想通りに 与党勝つ 任せられるや 日本の舵取り」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月22日 (日)

2017年10月21日

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月21日 (土)

2017年10月20日

2017年10月20日

 

 今日も、雨の朝でした。我が家からも、多摩川の流れが見えるようになりましたので、相当水嵩が増したようです。

 昨日、あれほど咲いたブライダルベールが、ただの一つも花を開いていませんでした。訳が分りません。

 テレビの天気予報を見ていたら、投票日に、台風21号が関東に上陸する恐れが有ると言っていました。仮に上陸したら、関東では珍しい、勢力の強い台風になるだろうとも言っていました。そんな訳で、今日は、午後から一時的に、雨が止むと言っていましたので、今日、期日前投票をすることにしました。

 12時丁度に家を出て、通常の投票が行われる四谷文化センターに行ってみましたが、期日前投票はしないとのことでした。期日前投票は、西府文化センターか、府中市役所で行うとの事でした。雨も、傘が要らない程度の、霧雨になっていましたので、西府文化センターまで、散歩のつもりで歩きました。

 四谷文化センターの横の稲荷神社から、バス道に出て、中央高速の脇の道を通って、鎌倉街道に出ました。良く妻と歩いた所です。そこから、NECの工場の正面に出て、突き当たりの崖を、階段で上ると、直ぐに南部線の西府駅に出ました。西府駅は、利用する駅でもないし、散歩でも初めて来ました。最近完成したばかりの、立派な駅でした。西府駅を誰が利用するのかと想っていたのですが、NEC工場の通勤客用の駅ではないかと思われる程、NECが直ぐ近くにありました。府中崖線の崖上から、NECの工場を一望すると、平面的に見るのと違って、巨大な工場でした。この工場に出入りするだけでも、相当な人数だろうと想いました。西府駅の北口は、ただの原っぱだったのですが、今は、大きな商店も出来て、駅前らしくなっていました。

 西府文化センターは、西府駅の南口の崖上にありました。目の前にNECの工場が見えました。結構多くの人が、期日前投票に来ていました。私と同じように、台風を理由にして、期日前投票をする人がいました。矢張り、台風のことが気になるのでしょう。

 投票を済ませて、崖上の緑道を、分倍河原駅の方へ歩くと、見慣れたマンションが出て来ました。何時も遠くから見るばかりだった、鎌倉街道のトンネルの上にあるマンションでした。丘の上マンションと名前が付いていました。その後ろは、団地になっていました。団地の間を抜けて、崖下に下りると、何時も歩いている御猟場通りに出ました。此処からは、分倍河原駅は、直ぐ近くです。分倍河原駅から電車に乗って、一つ目の聖蹟桜ヶ丘に出ました。午後2時近くになっていました。

 昼食が未だだったので、吉野家で牛丼を食べ、その後、京王デパートや京王アートマンを見て歩きました。しかし、何も買う物がありません。私が、日本の経済に貢献出来るのは、酒と食べ物だけしか無さそうです。結局、我が家の近くのスーパーで、ビール、ワイン、トマト、モッツァレラチーズ、スウィートバジルと、その他に少々食べ物を買って、我が家に戻りました。3時半過ぎていました。

その後、シーフードミックスを解凍して、アヒージョを作り、トマト、モッツァレラチーズ、スウィートバジルで、カプレーゼを作り、妻から貰ったスペインの生ハム、荻窪のチーズ屋で買った24ヶ月熟成のパルメザンチーズで、一寸贅沢な、南欧風晩酌となりました。カプレーゼで、この前届いた、オリーブオイルの味も試してみました。味に濃くと刺激性が有り、美味しいと言うべきか、面白いと言うべきか、非常にユニークな味でした。スペインの生ハムは、文句なしに美味しかったです。

 

「飲む食べる 欲と名の付く 人の性 僅か二つの 老いの人生」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月20日 (金)

2017年10月19日

2017年10月19日

 

 また、雨の朝に戻りました。そして、10月のこの寒さは、79年振りとのことでした。私が、生きてきた年数を超えていますので、まさしく経験したことの無い10月の寒さを、現在経験している訳です。

 昨日は、寝不足だったのに、昼寝もテレビを見ながらのうたた寝もしなかったし、都心からの帰りの電車で、席は空いていても、眠って寝過ごししないように立ったまま帰ってきました。お陰で、昨晩は1度も起きず、6時間ぶっ通しで寝ることが出来ました。熟睡すると、尿も溜まらないのですかね、人間の身体というのは、本当に不思議なものだと想います。

 この寒さの中で、ブライダルベールの花が開きました。一昨日、花を閉じていたのが、更に寒い日に花を開くのは、とても不思議です。小さな白い3弁の花が、濃い緑の丸い球状の葉の上に、点々と咲いていて、良い名前を付けたものだと感心しました。

 衆議院選挙の投票日が、近づいてきました。私は、73年間生きてきましたが、つくづく良い時代を生きてきたと想っています。国家の政治が、独裁者や特定の組織による独裁的権力で動かされ、国民は、ただ横暴な権力に従うだけ、といった時代が終わり、場合によっては、国民が選挙によって、国家権力に「NO」の意思表示をし、権力の座から引き下ろすことが可能になりました。戦後から今日まで、日本では、長いこと自民党が、政権を担ってきました。しかし、戦前の軍国主義とは違い、一応選挙によって、国民の支持を基盤としたものでした。人間社会ですから、全てが理想通りには行きませんでしたが、権力が国民の意思を尊重し、その基礎となる自由、平等、公正といった基本的人権や、思想、信教、結社の自由等も、尊重される世の中になりました。世襲の権力に拠って、自分の生き方を強制されるのが、何より嫌いな、私にとっては、現在の日本は、この世の天国のように思えます。一国の総理を、馬鹿呼ばわりしても、警察に呼ばれ、拷問を受けることはありません。日本が、このような良い状態を保てるのは、選挙のお陰だと思います。22日の選挙には、どんなことがあっても行こうと思います。

 この幸せな日本から、中国や北朝鮮を見ていると、どんなに経済力や軍事力が強大になっても、国民が幸せだとは思えません。国民が、直接、権力に力を行使出来なければ、権力から与えられた範囲内で生きることが、国民の人生になります。中国では、この1年間260万もの人が、不正を犯したとして、国家権力に摘発されたそうです。確かに不正を犯したのかも知れませんが、国家権力により、一方的に摘発され、裁判とか自分を守る手段も無く、処罰されてしまったようです。また、何の不正をしなくとも、政府の批判をするだけで、逮捕されるそうです。これが、共産党独裁国家の実態のようです。北朝鮮ついては、何をか言わんやです。国民が、国家権力の奴隷のように見えてしまいます。日本も一時期、似たような経験をしました。それ故に、つくづく、良い時代の良い国に、生きてきたと思えるのです。

 今日は、一日、一歩も外に出ず、家の中で過ごしました。やることが無いので、料理をしました。1つは、大分前に買ってあった栗で、スウィーツを作りました。栗の実を茹でて、皮を剥き、中の実を取り出しました。所が、日が経っていた為、固くて食べられる状態ではありませんでした。一日中、煮ては実を潰し、また煮ては実を潰しの繰り返しでした。とろりとしたスープ状になった所で、ゼラチンを加え、小さなタッパーに分けて、冷蔵庫で固めました。ゼラチン以外に何も加えませんでした。夜、試食してみましたが、甘さが足らず、潰し切れなかった実の、ざらざら感が残り、スウィーツとは言えない状態でした。

 もう一つ、この前上手に煮ることが出来なかった、ベビーオニオン煮に挑戦しました。前回は、圧力鍋で煮て、煮過ぎましたので、今回は、普通の鍋で煮ました。そして、味付けは、前回の和風味から、洋風に変えました。これも特別美味しくは出来ませんでしたが、小さなオニオンを、丸ごと口に含み、噛み砕くとオニオン本来の甘さが口に広がりました。味付けなどせずに、単に煮れば良かったのかも知れません。

 この他に、晩酌用に、つみれを潰して、セロリ、長ネギのみじん切りを加え、更にヤマイモのすり身と、卵を加え、何時ものオムレツを作りました。最後に簡単な豚キムチを作り、晩酌をして、料理漬けの一日が終わりました。

 

「ベランダの ブライダルベールの 花の咲き 秋雨続きの 無聊慰む」

「良き国の 良き時代に 生を受け 良きことばかりで 生を終わらん」

「天国に 神も仏も おわせずに 友と飲めれば 天国行きたし」

「下手なりに 料理をすれば 酒旨し 雨の無聊も 肴の一つ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月19日 (木)

2017年10月18日

2017年10月18日

 

 久し振りの、晴の朝でした。富士が幽かに見えましたが、冠雪は未だのようでした。

 昨晩、次男との酒に、ビールで付き合った為、寝る前にビールを飲む結果になりました。夜中4回、ほぼ1時間おきに目を覚まし、満足に眠れませんでした。まだ、頭が朦朧としています。

 今日は、また都心に出なければならなかったのですが、夕方の6時半前までに行けば良かったので、午後、久し振りの日差しの中を、浅川を回る一番標準的なコースを、歩いて来ました。

 次男を送り出し、昼食を食べて、12時半頃に家を出ました。四谷橋から、多摩川を眺めると、正面の送電線に、400羽を越えそうな川鵜が止まっていました。普段は、送電線の下の浅瀬で、羽を休めたり、餌を探したりしているのですが、昨日までの雨で、その浅瀬が無くなっていました。

 四谷橋を渡り、程久保川と浅川の合流点に出ました。仙人の花畑が或る所です。今日は、仙人の花畑に潜入しました。背丈を超すようなコスモスの下に、この前名前を思い出したキツネノマゴや、シャクチリソバの花も咲いていました。仙人の作業場には、既に多くの鬼胡桃の実が集められていました。昨年は、仙人が集めて、散歩する人に提供したと想われる、胡桃の実が入った袋を、2つも貰いました。まだ、実を割ることが出来ず、ベランダで場所を取っています。私が、花畑を出たのと入れ替わりに、仙人が出勤してきました。元気そうなので安心しました。

 花畑の横の広場から、浅川の土手下の道に入ると、馬に乗った女性がいました。これまでにも、何度か会ったことがあります。農耕馬では無く、ちゃんとした乗馬用の馬だと想います。私が来たのを知ると、鞭を当て、馬は、何時もよりは高い、浅川の瀬音に負けないような、荒い鼻息を1つして、新井橋の方へ走っていきました。

 浅川の土手は、刈られた後に芽を出したコセンダングサが斜面を埋めていました。盛りは過ぎていましたが、白い花も沢山咲いていました。一面のコセンダングサの中の所々に、キツネノマゴ、オッタチカタバミ、ムラサキカタバミ、アレチハナガサ、ヒメジョオンの花が咲いていました。私の、嫌いな栴檀草の花にも、蜜があるようで、紋白蝶、紋黄蝶が盛んに飛び回っていました。また、蜜蜂や、私が、多摩川で初めて見た、コヒオドシ(小緋縅)蝶も集まってきていました。

 新井橋の近くの草むらに足を踏み入れると、十数匹の紋黄蝶が、一斉に舞い上がりました。休んでいる所に、人間が踏み込んできて、紋黄蝶も驚いたのでしょうが、私も驚きました。春爛漫の花畑のようになりました。この光景を写真に撮れなかったのが、残念でした。

 新井橋の橋の袂の石垣には、セイタカアワダチソウが、今年も格好良く咲いていました。写真を撮っている足下に、深山カタバミのように、葉も花も大きい白花カタバミが一株咲いていました。恐らく誰かが植えたのだと想います。

 石田大橋を渡り、国立のスーパーで買い物して、我が家に戻ったのは、3時半でした。シャワーを浴び、洗濯物を取り込み、今日の写真を整理し、メールに答えている内に、出かける時間になりました。5時少し前に家を出て、都内の大学に、6時半に着きました。前にも書きましたが、今年から、大学のOB会の或る委員会の委員長を引き受けることになりました。今週の土曜日、OB会の代議員会で、私が今年の代議員の増減に関して、発表しなければ為らないことに為っているそうです。その為に、経験のある副委員長が、発表の為の資料を作成し、発表の手ほどきをしてくれることになったのです。それ程難しいことでは無かったので、資料の説明と発表の手ほどきは、1時間近くで終わり、何時ものように、酒を飲み、軽く食事をして帰ることになりました。

 副委員長は、65歳で、種類販売会社の社長です。おおらかで明るい性格の人で、見た感じでは60歳位にしか見えません。そして、見た目とは違って、正確な仕事もしてくれます。何度も、一緒に酒を飲んだことがありますが、今日、二人きりでゆっくり飲んでいたら、日本酒の味の傾向とか、ビールの旨さについて、とても詳しいのです。酒屋さんですから、当然と言えば当然なのですが、ビールの注ぎ方にも、一言有りました。ソムリエではないかと聞いてみたら、まさしくそうでした。そして、ソムリエの試験には、テイスティングだけでは無く、ワインの歴史や、葡萄の育て方、料理との相性等々、様々な試験があるそうです。イタリアにいたことの或る私より、ずっと多くのイタリアの歴史を知っていました。イタリアだけで無く、ヨーロッパ全体についても、深い知識があり、話は盛り上がり、あっという間に、9時半近くになりました。最後に盛り蕎麦を食べましたが、この蕎麦の食べ方に対しても、一家言がありました。それでいて、彼が言うような食べ方をしない私に、食べ方を強要すること無く鷹揚でした。これは、非常に大事なことです。強要するようなタイプの人であれば、今後一緒に酒を飲むことも、食事をすることも出来ません。

 とても良い酒を飲んで、11時頃に我が家に着きました。もう雨が降り始めていました。

 

「仙人の 手塩にかけた 花畑 今満開の 秋桜の花」

「背の高き 秋桜見上げる 紫の 小人のような 狐の孫かな」

「秋桜の 足下に白き 蕎麦の花 偶の日差しに なにやら嬉しげ」

「雨の後 瀬音も高き 浅川に 馬のいななく 土手下の道」

「盛り過ぎ 狐の孫の 尻尾出て 逆さ歩きの 狐の孫達」

「数にては 栴檀草に 及ばずも 色では負けぬ 紫カタバミ」

「星屑の 地上に落ちて 蘇り 小道に煌めく おっ立ちカタバミ」

「何処にても どんな花とも 並び咲く 河原制した 小栴檀草」

「憎たらし 栴檀草の シルエット 思いの外に 姿良きかな」

「一面の 栴檀草の 花畑 蜜に誘わる 緋縅蝶かな」

「安息を 乱され宙に 群舞する 春を想わす 紋黄蝶かな」

「杉林 金色いろに 早変わり 変化の主の 背高泡立草」

「老いてなお 新たな友との 出会いあり 仲を取り持つ 一献の酒」

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月18日 (水)

2017年10月17日

2017年10月17日

 

 5日連続でしょうか、冷たい雨の朝でした。この雨が明けて、富士が見えると、恐らく富士の冠雪を見ることが出来るでしょう。

 連日、寒い日が続き、さしものブライダルベールも、今朝は花が開いていませんでした。

 今朝、ローマ時代の友人から、オリーブオイルの宅急便が届きました。彼は、趣味として、イタリアのオリーブオイルの輸入の仕事をしています。非常に美味しいオリーブオイルだと自慢していましたので、1リットル缶を2缶頼んでいたのです。偶々、今日、妻と会うことになっていましたので、少々、無理をして、今日の午前中に送って貰ったのです。妻は、一般市販品より、特別な製品に興味があるので、お土産には丁度良いと思ったのです。少しだけ飲んでみましたが、油の中にオリーブの木の香りが溶け込んだような、刺激のある独特な味でした。これだけで、美味しいかどうか判断は出来ませんが、私が大好きな、アヒージョ、カプレーゼ等を作って、どうなるか試してみようと思います。

 午後3時15分に家を出て、都心に向かいました。約束の5時丁度頃に、飯田橋の妻のアパートに着きました。お土産に、オリーブオイルと蜂蜜を持って行きました。蜂蜜は、深大寺近くの養蜂家が採集した蜜で、神代植物公園の花々の蜜とのことです。以前、神代植物公園に買って置いたものです。お陰様で、2つとも喜んでくれて、お返しにと、スペインの生ハムを貰いました。ワインの摘まみには最高です。

 秋だというのに、結構冷え込んでいたので、毘沙門天の近くのふぐ料理を食べることにしました。最近、一人とか、大勢の飲み会が多いので、ふぐ料理屋に入ることは全くなく、3年程前に妻と食べて以来でした。我々の席のある2階には、学生のアルバイトが3人もいて、何をして良いのか分らず、隅の方で固まって居ました。その中の一人の男子学生が、ふぐを焼いてくれました。聞いてみると理科大の学生でした。神楽坂で学生と言えば、昔は法政大学だったのですが、今は理科大です。山の仲間に理科大の友人がいますし、高校の同期にも理科大の教授がいます。色々話してみましたが、分ったのは時代が全く違うと言うことだけでした。

 妻は、この手の店のサービスは、あまり好みません。アルバイトの手際の悪さが、気になって仕方が無いのです。途中の鍋、最後の雑炊と別々のアルバイトの女学生が担当しました。妻は、「私達がやるからいいわよ」というのですが、アルバイトの女学生は、これをやらなければ仕事が無くなると、笑顔の中に悲壮感を漂わせていました。妻も渋々認めました。

 色々有りましたが、ふぐ料理は、そこそこ美味しくて、久し振りに沢山話をして、8時過ぎに、楽しい夕食が終わりました。妻は、酒は飲まないのですが、酒飲みの私に気を遣って、必ず、食後の酒に付き合ってくれます。今日も、コーヒーと酒が飲めるカフェバーで、2次会をやりました。

現在、妻は、妹の仕事を手伝って、那須に住んでいます。3週間に一度、慶応病院に来る必要があり、上京します。その時が、妻と会う少ない機会です。実は、結婚前の状態に戻ったのです。前回は、私の都合が付かず、会えなかったので、今日は6週間ぶりでした。今度からは、出来るだけ確実に会えるようにしようと約束して、今日の再会を終わりにしました。お互い、こんな夫婦関係も、良いものだと想っています。

10時半頃に、我が家に着きました。なんとその時間に、次男が食事をしながら、酒を始めようとしていました。私も、ビールで日付が変わる頃まで、付き合いました。

 

「離れても 僕には愛しい 妻がいる 会えば楽しい 遠距離夫婦」

「近くにて 欠点ばかりを 見るよりも 遠くの妻を 想うもまた良し」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月17日 (火)

2017年10月16日

2017年10月16日

 

 今朝も、雨の朝でした。気温は、12月上旬の温度だそうです。最高気温が、15度を下回りました。

 この寒さの中で、数は少なくなりましたが、ブライダルベールの花が、咲き続けています。彼岸花の葉も、9月の終わりの暖かい時に顔を出して、元気に葉を延ばしたのですが、この所の寒さに、戸惑っているようです。

 現在、明星大学は、「教育の明星大学の教育展」を開催しています。この展示会の題名からすると、明星大学は、教育を大学の目標にしているようです。明星大学の前身が、実務高校だったからかも知れません。私は、大学で教育を行うことそのものに、違和感があり、教育を大学の主たる目標とすることには、更に大きな違和感があります。

 教育は、現代社会の中では、非常に重要なことなので、様々な研究が為されているようですが、その中での定義の1例を見ると、次のようになっています。「教育は、教え育てることであり、ある人間を望ましい状態にさせるために、の両面に、意図的に働きかけることである。教育を受ける人の知識を増やしたり、技能を身につけさせたり、人間性を養ったりしつつ、その人が持つ能力を引き出そうとすることである

 この定義を見ると、教育は、教える側と教えられる側が、明確に別れていることになります。教える側には、絶対的知識や教養があり、教えられる側は、教える側に身を任せる他無いように感じられます。人間も生物ですから、生きる為の基本的方法、餌の採り方等を動物が子供の教えるように、人間もまた進化の過程で獲得した技能、人間の歴史の中で獲得した技能や、歴史的事実については、後進に伝える必要がありますが、技能のレベル、歴史的事実は、非常に高く膨大になっていますので、仕事に就いてからも学ぶことは多いでしょう。

 しかし、ある時期から、教えられ学ぶだけでは、新たな技能の進展は無く、人間社会の発展も望めなくなります。このある時期を、私は大学だと思っています。教える側は、教えるのを止めて考えさせ、教えられる側は、学ぶだけでは無く、自分の考えで研究しなければなりません。大学は、まさしくこの為に創設されたものだと思っています。この考えは、大学が、少数のエリートを生み出す為に作られた時代と、現代は違うという人も少なからず居るでしょう。それが、「教育の明星大学」を生んでいるのでしょう。これでは、何時教育が終わるのでしょうか、永遠に教育が続くことはあり得ません。「人間は、生涯学ぶものだ」というような言葉もあるようですが、これは、道徳的意味合いが強いと思います。

 技能と事実の伝達に関しては、時期の問題ぐらいで、左程大きな問題にはならないでしょう。しかし、定義の中にある「、、、ある人間を望ましい状態にさせる、、、」には、技能とか事実では無く、倫理、正義、善悪、道徳、人徳、価値観、文化観、社会観、歴史観、国家観、宗教観等の持ち方によって、人間の望ましい状態が決まると、判断され勝ちです。これ等は、論理的に正当なものが決められるものでは無く、本来教えられるものでもありません。有るとしたら、信じ込ませるだけです。考え方は数多く存在し、存在するそれぞれを認めるのが基本です。権力や金銭によって、正当性を決めるのは、もっての外です。これで人間が、望ましい状態になる訳がありません。しかし、個々の考え方、個々の考え方に基づく行動を自由にすると、社会的混乱も生じます。「人は殺しても良い」と言うような倫理観は、慎重に討議し、ある組織の判断に従うのではなく、国民全体の合意として、法律化する必要があります。単純に悪いことのように思えますが、「正義の為なら人を殺しても良い」「国家を守る為であれば、戦争をして出来るだけ沢山の敵を殺すべきだ」等と、様々な例外を出して、人を殺すことを正当化する場合も出て来ます。だからこそ、慎重に討議し、法体系にしなければなりません。現代社会に於いては、法体系が、考え方の自由を保障し、制限もします。それ故に、法を決める国会、法体系の基本理念の合意である憲法は、国民が最も真剣に討議し、理念を検討すると共に、法を決める国会議員を、慎重に選ばなければなりません。

 現在の学校の先生に、技能と事実以外を教えさせるのは、非常に問題があると思います。学校の先生の少なくとも3分の1は、社会経験豊かな様々な分野の社会人を、ローテーションとして派遣するようにした方が良いと考えています。そして、各学校は、顧問弁護士を置く必要があるとも考えます。学校の生徒といえども、法に反したものは、法で裁かれなければならないと思っています。手に負えない子供が増えているのであれば、少年法の見直しも必要でしょう。何れにしても、社会経験の少ない教師が、思想的なものを指導するので無く、国民全体の判断とすべく、法体系で処罰すべきでしょう。国家権力(文部省)の指導を仰ぐのは、もっての外です。

 

 今日は、雨の一日で、外へ出たのは、買い物だけでした。そんな訳で、日頃思っていることを書いてしまいました。

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月16日 (月)

2017年10月15日

2017年10月15日

 

 三日連続、雨の朝でした。10月は、こんなに雨が多い月だとは、思っていませんでした。50年前の東京オリンピックを10月にしたには、晴れる日が多いからだと言っていたように記憶しています。

テレビのニュースで、トランプ大統領に、北朝鮮の拉致問題の解決を依頼すると報じられていました。誰がこんなことを考えたのでしょうか、安倍総理の他に考えられません。どうしてこんな馬鹿な発想が出てくるのでしょうか、私が、日本の現代の考え方に、全くついて行けていないのでしょうか、あまりにも、私の考えから想像も出来ないことが、起きてしまいます。トランプ大統領のような、北朝鮮と戦争を始めそうな人に、何を期待しているのでしょうか、全く理解出来ません。拉致問題を解決したら、核開発を容認するとでも、トランプ大統領に言わせるのでしょうか、その後、日本は、米国と北朝鮮とにどの様に向き合えば良いのでしょうか、教えて欲しいと思います。私の想像以外に、トランプ大統領に、どの様に解決を依頼したか、それも教えて欲しいと思います。元々、拉致問題を拗らせたのは、青部総理自身であったと、私は思っています。

今日は、午後2時から、我が大学グリークラブのOB合唱団により、杉並公会堂で行われたコンサートに行ってきました。

昼には、我が家を出て、1時過ぎに荻窪に着きました。時間が少し早かったので、駅近辺や白山神社等を散歩して、1時半に、杉並公会堂に着きました。既に、沢山の聴衆が来ていました。OB合唱団は、普通に仕事を終え、余生の楽しみとして始めた人が多く、聴衆もほとんどが老人でした。しかし、小雨の中、公会堂の1階席は、ほぼ満席となり、2階席も使うことになりました。

この合唱団は、なんと40人を超えるメンバーなのです。私の同期が、この合唱団の1員です。メンバーの中には、立っていることが困難な人が、何人かいました。このようなメンバーが杉並公会堂で、お金を取ってコンサートを開くことは、ある種の驚異でした。

合唱は、4ステージに分けて行われました。第2ステージだけが、同じ大学女性合唱団でしたが、その他は、全てグリークラブのOBに拠る男声合唱団でした。私には、合唱の良し悪しを判断する力はありませんが、どのステージも、良くハーモニーが取れ、力強く、感動しました。これだけの合唱をするのですから、余程練習をしたのだろうと思いました。白髪の老人達が、真剣な顔をして、精一杯声を出して歌を歌う、感動的でした。同時に、幸せな人達だなーとも思いました。

私は、舞台から4列目で、合唱を聴きました。最初は、ハモった1つの声として聞こえていたのですが、良く良く注意して聞くと、友人の声を聞き分けることが出来ました。合唱として誉められる事かどうかは分りませんが、親しみが増して、今日、コンサートに来て、本当に良かったなと思いました。コンサートが終わり、合唱団が舞台から引き上げる際に、大きな声で友人の名を叫びました。コンサート終了後、玄関で友人と会いましたが、照れてはいましたが、嬉しそうでした。

友人と飲めれば良いなと思っていたのですが、友人は既に飲み会の約束が出来ていました。何時も、大学関係の行事の顔を出す、女史3名に会ったのですが、酒に誘うタイミングを失い、今日は、飲み仲間を探せず、家路につきました。

家に着いたのは、6時過ぎ、真っ暗になっていました。コンサートの余韻が残っていて、歌を口ずさみながら酒の肴を用意し、何時もの晩酌となりました。

 

「老いてなお 舞台に集う 合唱団 老いを感じぬ 力強さよ」

「白髪に タキシードが 良く似合う 生き越し日々の 歌に籠もれり」

「予期しない 人並み外れた 我が声に 嬉し恥ずかし 友の顔かな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月15日 (日)

2017年10月14日

2017年10月14日

 

 今朝も、雨の朝でした。気温も冷え込んで、長袖にジャンパーを羽織らなければならない程でした。

 今日は、12時55分からの明星大学の「歌論から能芸論へ」という公開講座に参加しました。歌人でもあり、能にも極めて造詣の深い日本芸術院会員、馬場あき子さんの特別講演でした。なんと、昭和3年生まれで、来年90歳とのことでした。確かに年配の方だとは思っていたのですが、非常に元気で、話し方もしっかりしているし、私より少しだけ年上程度と思って見ていましたので、年齢を紹介された時、少なからず驚きました。

 彼女は、太平洋戦争の終戦期を、一番多感な時期に迎えたと思います。焼夷弾が山程落とされる中を生き抜いて来られた人でした。その方が、北朝鮮のミサイルに対する、Jアラートやその時の避難方法について、あまり意味が無いと言っていました。焼夷弾より遥かに威力を増した現在の爆弾に対して、防空壕すら無い現代の都市で、太平洋戦争当時と大差ない避難要領は、何の役にも立たないと言っていました。ミサイルで撃ち込まれる爆弾が、原爆や水爆であれば、東京のような大都会でさえ、消滅するような威力を持つのに、Jアラートにどんな意味があるのか疑問だと言っていました。

 彼女は、Jアラートには、別の意味があると思うが、自分の口からは言えないと言っていました。そこで、彼女とは無関係に、私が思っていることを言いたいと思います。私は、Jアラートの意味は、日本人の心の中に、北朝鮮は危険な国だとの意識を植え付ける為の、政府の広報ではないかと思っています。政府は、そんな意図は、全くないと言うでしょうが、意図があっても無くても、結果的には、同じ事になります。一旦、国民の中に危機意識が芽生えれば、仮想敵国を作り、自国防衛の為の軍事力を強化し、憲法を改正し、集団的自衛権を行使し、米国と共に、日本を再び戦争をする国家にしようとする、政府の野望のようなものが、ごく自然の形で動き始め、誰にも止めることが出来なくなるような気がします。戦時中の鬼畜米英と似たようなものだと思います。

安倍総理は、今度の選挙に於いても、日本を守ると言うことを、一番のスローガンにしています。そしてこれまでも、集団的自衛権、共謀罪、国家機密保護など、戦前の軍国主義の政策を想起させるような、政策を実現してきました。何故、安倍総理が、こんなことまでして、日本を戦争出来る国家にしようとするのか、その意図の根底にあるものが良く分りません。安倍総理の本から推測すると、1960年代、70年代安保闘争が、祖父を貶める、狂気の集団の狂気の考えだと、子供心に刻み込まれたのかも知れません。幼児体験みたいなものですから、その後、柔軟な思考が出来なくなったのかも知れません。

 私は、戦争を直接知りません。しかし、自分の子供9人の内、3人を原爆で、二人を戦争で亡くした祖母と、一緒に暮らしながら成長しました。焼夷弾が、家や周りの山や谷に落ちた時の話しを聞きました。当然、家は廃墟になり、家具も、布団も、食器類も無くなりました。子供ながら、役に立ちそうなものは、何でも拾ってきました。山の木を切って、作れるものは何でも作りました。一時期の我が家は、現在の多摩川のホームレスの家と大差がありませんでした。食事も、ろくなものが食べられませんでした。こんな状況の中で、成長しましたから、国家の命令で、若者が死ななければならない戦争は、身震いする程嫌いです。その若者が、国家の為に死んだ英霊として、靖国神社に祀られ、政府の関係者が参拝する姿は、若者を戦場に無理矢理に送った、軍国主義者を思い出させ、吐き気がします。祀られることそのものが好きではありません。宗教が、国家権力と結びつくと、理性では無い、情念と信仰が、社会を支配します。近代的国家のあり方とは、全く相容れないものだと思っています。このように、私は平和主義者です。平和主義者の考え方は、現実的で無いと非難されますが、この70年間、一人も戦争で国民が死ななかったのは、単純なことですが、戦争をしなかったからです。戦争で国家を守ることの愚かさを、国民の多くが知っていて、政府を監視してきたからだと思っています。今、それが危うくなっています。

所で、今日の講師の話に戻りますが、行使は講演の最後に、「北朝鮮のミサイルで日本国家が無くなるかも知れない中で、日本文化の将来はどうなると考えますか」という質問に答えて、「国破れて山河あり」の言葉があるように、「国破れても文化は残る」と答えました。先の戦争中、軍は日本文化を、愛国心を高揚させる道具として使いましたが、日本の文化の基本は、花鳥風月、所謂、自然を愛する心であり、そこには国家意識は無かった。朝鮮からも多くの言葉を借りたし、自然を愛する心には、国境など無かったと言うような趣旨の話しがありました。今日は、とても良い話を聞きました。講師も、平和主義者だと思いました。

このように書いてくると、今日の公開講座は、戦争反対の集会だったのかと、思われそうですが、戦争関連の話しは、1時間半の講義の中で、10分足らずのものだったのです。私が、その僅かの話しに、強く反応したと言うことです。講師の名誉の為に付け加えます。

最後に、今日の講師の言葉で、2つ感動したことを付け加えたいと思います。1つは、「万葉の歌人は心が素直であったが故に、自然に感動し、良い歌が作れた」と、後の歌人が評した言葉を紹介してくれたことです。私も、定年後、歌のようなものを始めました。歌の作り方を教わったことはありません。全くの自己流です。今日紹介して貰った言葉で、背中を押して貰ったような気がしました。

もう一つは、老いの人生に関して、講師は「私は、若者達が分らない、全く新しい人生を生きている」と話していました。壇上の講師の様子を見て、その言葉が、何の誇張も無しに、自然に出た言葉だと感じました。若い時の生き方をずっと続けようとする、「人生死ぬまで現役だ」とは、一味違った言葉でした。誰もが、同じような気持ちで生きられるかどうかは別問題として、一人の人間の生き方を例示してくれたと思いました。

 

「老いてなお 人の話に 魂が 激しく動くを 感じる時有り」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月14日 (土)

2017年10月13日

2017年10月13日

 

 雨の朝でした。小鳥達が、電線に並んで止まっていました。雨宿りしなくても良いのでしょうか、羽には水を弾く力があるのでしょうが、濡れ過ぎると飛べなくなるのでは、と心配してしまいます。

 今日は、12時15から、昔の職場の中南米関係のOB会が、神田で行われるので、午前中の仕事を急いで終わらせて、10時15分に家を出ました。10時26分の聖蹟桜ヶ丘行きのバスに乗り、京王線で新宿に出て、新宿で中央線の快速に乗るつもりでした。所が、バスが20分近く遅れましたので、国立に出て、そのまま中央線で、神田に行くように変更しました。こちらの方は、非常に上手く行って、10時40分のバスで、国立に11時に着き、11時5分の中央線快速に乗り、国分寺で中央特快に乗り換え、11時40分には、神田に着きました。会場へ行く説明の通りに歩くと、5分で会場に着きました。30分も早く付いたので、あまり来ることの無い神田駅の周辺を探索し、12時10分に会場に行きました。

 今日集まったのは、14人の予定だったのが1人欠席し、13人となりました。最高齢は85歳、最年少は、多分68歳だったと思います。80代が2人、60代が2人、後は70代でした。家族寮で一緒だった人が3人いました。6畳3畳の2部屋に、テーブルも置けない様な台所だけでした。風呂も居間もありませんでした。給料も1万円台だった事など、当時の生活を思い出し、しばし、感慨に耽りました。戦後を生きてきた、改めてそう思いました。

 集まった人達は、全員中南米関係の人なので、現役時代は、同じ勤務地で一緒に仕事をしたり、勤務地は同じでなくとも、色んな場面で顔を合わせたり、様々な関係が有りました。話しても話しても話し足りない、何時ものような老人会になりました。

 OB会は、3時近くに終わりました。帰るには早かったので、恵比寿にある大学時代の先輩の店に行きました。ワインも飲める軽食喫茶です。雨が降り、突然寒くなったこと、客の少ない時間帯だったことも有り、客は誰もいませんでした。お陰で先輩とゆっくり話すことが出来ました。そして、二人の共通の先輩の、安否が話題となり、思い切って電話をしてみました。膀胱癌の検査の結果、癌と診断され、現在治療中とのことでした。声は、比較的元気でしたが、以前と同じように、出歩くことは難しくなったようです。最悪の事態ではありませんでしたが、病魔に冒されていました。こういった話しが、今後はどんどん増えるでしょう。その他に何を話したのか、9時近く迄話しました。瓶ビールを1本、ワインを3本空けて、お開きにしました。この間に、客は3人だけでした。

 それにしても、都心に先輩の店があるのは助かります。自宅訪問では無く、店ですから、何の気兼ねもせずに行くことが出来ます。我が家から都心までは、1時間半位掛かりますので、1つの用だけで帰るのは、何となく、勿体ないような気がするのです。今日は、客もいなかったので、先輩も退屈凌ぎが出来たようです。私も、昼間から酒と話しを堪能して、10時半頃に我が家に戻りました。

 

「人生の 場面場面を 振り返り 頷き合える 友との集まり」

「人生は 過去ばかりが 増えてきて 未来にあるは 死ばかりとなる」

「如何に死す それも仲間の 関心事 会えば一時 健康談議」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月13日 (金)

2017年10月12日

2017年10月12日

 

 今日も、霧の朝でした。それでも、午前中は、快晴の空で日差しも強く、真夏を思わせる暑さでした。

 今日は、野草の勉強を沢山しました。忘れていた花の名前を4つ思い出しました。ノミノフスマ(蚤の衾)、キツネノマゴ(狐の孫)、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)、カヤツリグサ(蚊帳吊草)でした。何処にでも或る、ありふれた草でした。毎日見ているのに、名前を思い出せないのは、もどかしく辛いことでした。これから暫くは、大丈夫でしょう。

 名前を知って一番嬉しかったのは、サルトリイバラ(猿捕茨)でした。前にも書いたことがありますが、子供の頃、祖母が、偶に饅頭を作ってくれました。その時、饅頭を蒸す時の、饅頭の下に敷く葉っぱ(カッカラの葉)を取ってくるのが、私の役目でした。この葉っぱの名前は、長崎の片田舎の婆さんの、特別な言い方だと思っていました。所が、サルトリイバラは別名カカラとも言うそうです。ウィキペディアの説明に、そう書いてありました。婆さんは、カカラと言ったのに、私が勝手にカッカラと聞いたのでしょう。この8年程、この葉っぱを見る度に、名前を知りたいと思っていました。大きな痞えが、取れたような気がしました。

 また、多くの家の庭で咲いている、日の丸のような花の名前も分りました。中南米原産のランタナだそうです。そう言えば、中南米でもよく見かけました。和名は、七変化と言うのだそうです。小さな花が集合して、丸い花になるのですが、どの花も一様ではありません。これが、七変化と呼ばれる所以かも知れません。

 昨日、木を覆っていた蔓の名前を調べようとして、ボタンズル(牡丹蔓)に出会いました。仙人草属なのだそうですが、花の写真を見ると、仙人草との違いが分りません。この夏、私が仙人草と思っていたのは、ボタンズルかもしないと思いました。未だ、確認は出来ていません。ツルソバ(蔓蕎麦)とも出会いましたが、昨日の蔓とは、少し違うようでした。

 今日は、程久保川沿いに、高幡不動まで歩いて来ました。昨日、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)の花を見たので、蕎麦の花が多い程久保川に行ってみたくなったのです。

 午後2時半頃に家を出て、桜公園で準備体操をしました。公園は、草刈りが済んで、すっきりとしていました。公園の端で、カイドウ(海棠)ですかね?、季節外れの花が咲いていました。黄色い堅い実は、とても良い香りがしました。カリン(花梨)のように蜂蜜漬になると思い、幾つか失敬してきました。

 四谷橋を渡って、程久保川と浅川の合流点では、河原に住む仙人が出て来て、花畑の手入れをしていました。暫く姿を見なかったので、心配していましたが、どうやら杞憂に終ったようでした。今日嬉しかったことの1つでした。

 程久保川は、思った通り、ミゾソバ(溝蕎麦)、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)が、川を埋めるように咲いていました。浅川と程久保川の合流点から、高幡不動駅まで、約1.7キロ、蕎麦の花は途切れなく咲いていました。ミゾソバは、赤花と白花があり、シャクチリソバは、白花だけです。これらの花が、上手く棲み分けて花の島が出来ていましたが、偶に入り乱れて咲いている所もありました。白い小山のようになったシャクチリソバの花に、アオスジアゲハが、花から花へ飛び回っていました。これだけの量の蕎麦の花が、食べられる蕎麦の実を付けてくれたら、これ程良いことはないと思うのですが、そうは行かないようです。

 高幡不動駅は、電車の整備場が有り、大きな敷地が塀で囲まれていました。この塀には、蔦が張り付いていて、蔦の紅葉が始まっていました。塀が、単なる白い壁で無いのは、掬われる気がしました。塀の前の家の庭には、緑の夏みかんの下に、信じられないくらい沢山のピラカンサスの実が、赤く色づいていました。駅に着いた時は、4時になろうとしていましたので、高幡不動には寄らずに、聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家に戻りました。4時半近くになっていました。

 

「饅頭を 見る度祖母を 思い出す 森で集めた カカラの葉かな」

「カカラの葉 猿捕り茨と 今に知る 瞼の裏に 祖母の顔かな」

「小さくも 花梨のような 実を付けて 秋の日の中 カイドウの花」

「仙人が コスモス畑 手入れする 元気な姿に 我は感動」

「溝蕎麦の 赤花白花 揃い咲き 赤地利蕎麦も 仲間に加わる」

「山盛りの ご飯のような 蕎麦の花 一際目立つ アオスジアゲハ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月12日 (木)

2017年10月11日

2017年10月11日

 

 濃い霧の朝でした。向ヶ丘が、霧に霞み、深い山間の里にいるような、感じがしました。

 テレビが、選挙一色になってきました。今回の総選挙の結果予測が、早々と出ていますが、自民党及び公明党の所謂与党は、300議席を超える圧勝、希望の党は伸び悩み60議席がせいぜい、立憲民主党が思いの外頑張り4議席越え、その他の党は現在の議席を守れるかどうか、と言った所だそうです。あくまで予想ですから、この通りになる保証はありませんが、そうなるかもと思わせる予想でした。私も、民進党が緑の党に合流した時は、投票する党が無くなっていたのですが、立憲民主党が出来たので、この党に投票しようかと思っています。

 今日は、立川根川が多摩川と合流する地点、崖下湧水、ヤクルト中央研究所、国立水再生センター、泉町公園を歩いて来ました。

 土手が刈られてから、土手の上が、魅力が無いので、今日は、立川根川と多摩川の合流点まで、土手下の道を歩きました。歩き始めたのは、午後2時頃からでした。土手下の道は、刈り込みが行われていない為、野草が気儘に生い茂っていました。現在は、クズ(葛)、アレチウリ(荒れ地瓜)、コセンダングサ(小栴檀草)が、三つ巴の勢力争いをやっていました。また、セイタカアワダチソウ(背高泡立草)、荻も負けじと頑張っていました。つい少し前までは、オオブタクサ(大豚草)も、勢力を誇っていたようですが、今は、多くが立ち枯れ状態でした。

 中央自動車道の橋を過ぎると、河川敷の運動場になりました。土手下の道と運動場の境に、アベリアの垣根が設けられていました。垣根の手入れがキチンとされていないようで、アベリアの木の中から、色んな草木が顔を出し、アベリアの花が何の花か分らない状態でした。水が足りず、枯れているアベリアもありました。枯れる寸前なのか、葉を全て落としたアベリアが、満開の花を付けていました。胸が痛みました。

アベリアの花の近くに、茅のようなトウキビのような草がありました。刈られる前の土手にも沢山生えており、名前を知りたいと思っていました。今日偶然に、名前が分りました。セイバンモロコシ(西藩唐黍)でした。成る程と思いました。

 運動場の内、サッカー場では、女子が練習をしていましたが、奥の野球場の方には誰もいませんでした。閑散とした野球場の写真を撮っていると、私と同じくらいの老人が、3匹のドーベルマン(多分?、顔が少し四角)を連れてやって来ました。なんと、そのドーベルマンが、3匹揃って、じっと私を見ていました。何か、彼等に気に入らないことをしようものなら、何時でも飛びかかって来そうに、身構えていました。犬が一旦動いたら、老人はコントロール出来ないと思って、私は、身動ぎもせず、立ち止まっていました。やがて老人と犬は、私が来た方に、移動しました。その時、3匹の子犬を連れた小母さんが、土手の上にやって来ました。ドーベルマンを見た、3匹の子犬が、キャンキャンと吠えた為、ドーベルマン3匹が、キッと身構えました。幸い何も起こらず棟を撫で下ろしました。

 土手を上がると、合流点の前の小さな集落に出ました。この集落の前の用水の縁に、2本の木を埋め尽くした葛を、更に蔓が埋め尽くし、白い花を咲かせて、巨大なかき氷が2つ出来たような状態になっていました。丁度、集落の小母さんが出て来たので、蔓の名前を聞いてみましたが、知らないとのことでした。後で調べて見ましたが、名前は分りませんでした。この蔓の斜め下には、シャクチリソバ(赤地利蕎麦)が、一面に白い花を咲かせていました。

 この集落で、Uターンして、崖上の道を歩きました。この道は、2年程歩いていなかった事もあり、青柳稲荷神社の新築が終わったのを、今日初めて知りました。神社の向きと、参道の向きが違うような気がしました。崖上の道は、住宅地と畑が連なっており、庭や畑のあちこちで、白花の秋明菊が咲いていました。遠くから見ると、白花のコスモスのようにも見えました。崖の雑木になった茶の木が、私の背丈の2倍以上に成長し、今満開の花を付けていました。

 崖下(ママシタ)湧水の所で、崖下の湧水に沿って、歩くことにしました。暫く歩くと、崖下湧水と矢川が、同じ所で府中用水と合流しました。今度は、府中用水に沿って、ヤクルト中央研究所まで歩き、そこから中央道の下を潜り、北多摩第2水再生センターに出ました。そこから、我が家の近くのショッピングモールへ行き、今晩の酒の摘まみ等を買って、我が家に戻りました。5時過ぎていました。

歩き始めた頃は、雲の後ろの太陽が見えたのですが、雲はどんどん厚くなり、5時には、すっかり暗くなってしまいました。日差しは無かったのに、今日も大汗を掻いてしまいました。

 

「一日中 霧に霞みし 多摩の里 雲の後ろで 太陽もがく」

「今まさに 天下分け目の 戦いに 葛に挑むは、荒地瓜なり」

「荒地瓜 小栴檀草が 入り乱れ 葛も混じりて 戦い混沌」

「葛の蔓 荒れ地瓜が よじ登り 俺の天下と 河原睥睨」

「荻の穂と 背高泡立 背比べ 此処では荻に 軍配上がる」

「アベリアよ 君は何時でも 花を付け 役目果たすに 人は放置す」

「名を聞けば 君の生き様 合点する 空に黍の穂 西藩唐黍」

「身構えて 我を見つめる ドーベルマン 我は決して 悪さはせぬぞ」

「木を覆う 白き蔓花 かき氷 どんな巨人が 食べに来るやら」

「伸び過ぎて 今は林の 木となりぬ 背高茶の木に 満開の花」

「白花の 秋明菊の 風に揺れ 遠くで見れば 白きコスモス」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月11日 (水)

2017年10月10日

2017年10月10日

 

 今朝は、雲1つ無い、まさしく快晴でした。地平の霞の中に、富士が辛うじて見えました。

 今日10月10日は、もう50年以上前になりますか、東京オリンピックの開会式の日だったと思います。自衛隊のジェット機によって、空に描かれた5輪のマークが、凄く誇らしく思えました。戦争で焼け野原になった街も、復興の槌音が高く鳴り響き、工業製品や建築技術なども、世界に肩を並べるようになりました。高度成長が、勢いを付けた頃だったと思います。

 今日、衆議院の総選挙が公示されました。各政党、色々言っていることは違っても、日本の将来に漠然とした不安を持っているのは、或る部分、共通の認識があると信じたいと思います。家業は、3代で潰れると言われます。初代が起業し、2代が家業を拡大し、3代が家業を食い潰すとされています。戦後の焼け野原の中から、多くの企業が生まれました(初代)。その後、日本人が得意な改良に改良を加え、多くの物が世界一の技術力を誇りました(2代)。しかし、技術はITに取って代わられるようになりました。IT化された産業は、技術的優劣が顕著に表れません。この状況の中で、日本が世界一を誇る物は減少し、企業の存続に漠然とした不安が、日本社会に蔓延しています(3代)。

 安倍総理は、日本企業の活性化に、経済数値の操作で対応しました。株価は国が大量に株を買うことで、株価を高値誘導しました。マイナス金利という異次元の金融緩和で、名目の物価を上昇させ、経済そのものの動きが良くなっているような印象を与えました。賃金も政府が企業にお願いして上げて貰いました。しかし、このような政府主導の操作では、日本の実体経済は、向上、活性化しなかったと思います。日本の経済の状況を、充分に認識していないような気がします。国家が膨大な借金を抱え込み、膨大な株を買い込み、その出口は見えていません。国民の不安は、増大する一方のように思います。そして、今度の選挙で、どの党も、きちんと、この問題に答えてはいません。

 午後になっても、ほとんど雲が無く、真夏のような暑さの中を、久し振りに、新田川緑道を歩いてきました。

 午後1時頃家を出て、準備体操をする為、四谷桜公園に行った所、私が体操をする所に、沢山の軽トラックが止まっていました。公園の草刈りが始まる所でした。準備体操は止めて、直ぐに歩き始めました。稲荷神社、四谷公会堂の側の畑地を歩いていると、巨大な芋虫のような野菜の棚が現れました。花は一面に咲いているのですが、実らしい物が付いていませんでした。一体何を植えているのでしょうか、聞いてみたいと思ったのですが、誰一人いませんでした。非常に珍しいものを見ました。

刈り取られて干されている稲、黄金色に光っている稲、赤く色づいた柿を見ながら、中央高速の下を潜り、NECの工場の裏手に出ました。此処から市川緑道が始まり、NECの正面に出る近くで、市川緑道と別れました。やがて、NECの正面に出ました。NECの工場を4分の3歩いたことになります。正面の少し先で、鎌倉街道を渡り、新田川緑道に入りました。

 緑道には、ハコベ(?)が沢山の花を咲かせていました。メヒシバ、エノコログサも沢山ありましたが、早や枯れた状態でした。オシロイバナも盛りは過ぎて、星形の萼の中に、黒い実が出来ていました。セイタカアワダチソウは、此処でも今が盛りでした。金木犀が、所々で、甘い香りを漂わせていましたし、或る場所では、ツツジが数輪の花を付けていました。私は、この季節外れの花が、結構好きなのです。

 郷土の森公園の近くで、新田川緑道から下川原緑道に入り、多摩川の土手に出ました。土手は、全く日差しを遮る物が無く、絞れる程の汗を掻きました。この辺りは、荻の穂が、セイタカアワダチソウに勢力を奪われ、河原が黄色い草原のようになっていました。この草原の向こうの川面が、遮る物の無い秋の日に照らされて、銀色に光っていました。

 関戸橋を渡り、聖蹟桜ヶ丘に出て、4時近くに我が家に戻りました。シャワー

を浴び、汗まみれの身体がすっきりしました。その後、撮ってきた写真やメールの整理をして、晩酌用に、ピザ、ほうれん草のソテーを作り、チョリソーを焼いて、6時半頃から、ワインで晩酌にしました。そしたら、次男が顔を出しました。魂消ました。次男は、今日は休みでしたが、私が散歩する前に、用があると言って出かけていましたので、帰っていたとは思いませんでした。

 お陰で、二人での飲み会となりました。次男は、暫くは、私が作った摘まみで飲んでいたのですが、物足りなくなったらしく、近くのスーパーに日本酒の肴を買いに行きました。直ぐに帰ってきて、本格的な飲み会になり、11時過ぎまで続きました。

 

「ハコベかな 小さき花の 花筵 枯れ草多き 小道に並ぶ」

「枯れ果てて 白髪となりし メヒシバの 続く小道は 緑道なりや」

「萼片に 黒き実乗せて 最終章 オシロイバナの 花の跡かな」

「稲穂かな 黄色に染まる 多摩河原 アワダチソウの 勢力地帯」

「多摩川が 鏡の帯に 変身す 雲1つ無き 秋空の下」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月10日 (火)

2017年10月09日

2017年10月09日

 

 昨晩遅かったので、今朝起きたのは、9時近くでした。孫達も全員起きていました。この時点では、富士の方には、沢山雲が湧いていました。

 ベランダに出ると、昨日も咲いていたのですが、今日も20以上のブライダルベールの花が咲いていました。温度が上がったからだと思います。

 昨晩の後片付けをして、10時頃から朝食にしました。孫達が泊まった朝は、焼き魚と味噌汁が定番なのですが、今朝は、この前作った南瓜の(パンプキン)スープを食べて貰おうと、昨晩のアサリバターの汁で、スパゲッティーにしました。ボンゴレ・ビアンコのような物です。サラダは、昨日の残った物で充分でした。南瓜のスープは、末の孫を除いて、好評でした。末の孫は、母親から無理に勧められ、スプーンで口に入れられた為、絶対の飲み込もうとしませんでした。末の孫は、このように非常に強情な所があります。末の孫が飲まない南瓜のスープは、孫娘が引き受けてくれました。孫娘は、私が作った物は、何でも美味しいと言って食べてくれます。「ジージは私の物」、孫娘が、身体でそう言っているような気がしました。3人兄弟の真ん中は、何処か寂しい気持ちを持っているものなので、一時期、孫娘を特別に可愛がった時期がありました。その時のことが、未だ孫娘の心に残っているのかも知れません。今は、一番元気で活発な子になりました。所が、帰る時になって、孫娘が、急に父親に甘え始めました。私が末の孫を抱いていたからかも知れません。孫達は、1時頃帰っていきました。

 孫達が帰ってから、掃除、洗濯、後片付けをして、通常の状態の戻ったのが、2時過ぎでした。昨日は、全く歩いていませんでしたので、2時半から、国立駅まで歩いてきました。

 桜公園で準備体操をして、アパートの方に戻って来ると、倒産したコンビニの後に出来たコーヒー店に、人が群がっていました。全部サイクリングの人達でした。このコーヒー店は、普段の日は、ほとんど客がいないのですが、土日、祝日は、今日のように、人が入り切れない状態になります。多摩川の土手のサイクリングコースに近いことと、隣が、自転車の調子も見てくれる自転車店だからだと思います。

そのコーヒー店を右折して、アパートの前の三屋通りを真っ直ぐ歩いて、中央高速を越え、更にホテル街、石田大橋に続く日野バイパスを越えると、谷保天神に着きました。谷保天神の側の畦道には、ホトケノザ(仏の座)、ナズナ(薺)、イヌナズナ(犬薺)、イヌホウヅキ(犬鬼灯)が咲いていて、此処だけ春のようでした。

 谷保天神の裏手に、「常磐の清水」が在ります。この名の由来は、この地を訪れた僧が、「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣となせり」と詠んだからだと言われているそうです。隣りに、湧水が作った池が有り、その真ん中に小さいながら、厳島神社があります。池の水は、完璧に透き通っていて、泳いでいる鯉達が、水の中にいるとは思えない程でした。今日は日差しが強かったので、池の亀全部が、甲羅干しをしていました。普通は人が近づくと、池の中に入るのですが、今日は、写真を撮るのに近づいても、身動ぎもしませんでした。

 池の水は、谷保天神の塀の外を流れて、府中用水と合流します。合流する前の川で、子供達が、体育の日で休みの親と、網で何かを掬っていました。沢蟹が網に入り、大きな歓声が上がりました。こんな所にも、沢蟹が住んでいるとは思いませんでした。この清流の小川には、苔とシダ類による、自然の山水の庭園が出来ていて、道行く人を楽しませていました。

 谷保天神から、隧道を潜って甲州街道をわたり、更に南部線の歩行者専用の踏切を越えて、国立市役所へ出ました。何処も、役所の建物は立派です。そこから、国立市の住宅地を歩き、一橋大学の裏側の塀に沿って歩いていると、国立学園に出ました。この学園の前には、一橋大学の職員寮がありました。この職員寮の大学側には、職員が出入りする門がありました。なんとか一橋大学に入ろうとしましたが、大学に入る門は、鍵が掛かっていました。この門を、どうにかして乗り越える方法は無いかと思案していると、幸いなことに、大学の方から、寮の住人が戻ってきました。お陰で、大学の中に入ることが出来ました。後は、何度も散歩したことのある学内を通って、正門から学園通りに出ました。もう国立の駅は直ぐ近くです。駅のバス停から、4時30分発のバスで我が家に戻りました。

 我が家に着いた頃は、5時近くで、日が沈む頃でした。西の空は、夕焼けで茜色に染まり、富士が幽かに見えていました。しかし、私が晩酌を始める6時半頃には、日はとっぷりと暮れ、富士見酒にはなりませんでした。

 

「秋なのに 日向の畦道 春うらら 花を咲かせる 薺仏の座」

「体育の日 親と一緒に 川遊び 沢蟹捕れて 歓声上がる」

「中秋の 夏日の日差し 貴重なり 全員揃いて 亀の甲羅干し」

「清流の 流れの縁の 石垣に 苔と羊歯とで 山水庭園」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 9日 (月)

2017年10月08日

2017年10月08日

 

 今朝は、良く晴れました。久し振りに富士が見えるかと期待しましたが、西の方には雲が有り、富士を隠していました。

 今日は、午前中はNHKの日曜討論、午後は記者クラブでの各党党首による討論会の模様を、料理をしながら、すっと見ていました。希望の党の小池党首は、党名と同じですが、希望は沢山述べましたが、具体的政策については、党が出来たばかりなので検討中と言うことで、逃げることが出来ました。具体的政策以外については、口が上手いですから、少し陰りが見えていた小池党首の人気を、少しは取り戻せたような気がします。しかし、今度の衆議院の総選挙は、都知事選の時と同じようには、行かないと思います。

 午前中、長男の奥さんから電話があって、長男の所の孫が熱を出したので、行けなくなったと連絡がありました。久し振りに、全員集まると思っていたのですが、体調が悪いのであれば、仕方が無いでしょう。長男は、来るとのことでした。

 5時までに、今晩の準備は全部終わりました。私が作った料理は、サラダ、アヒージョ、アサリのバター炒め、鶏の軟骨を焼いたものと、毎回同じ物でしたが、今回は、チレ・レジェーノが加わりました。刺身は長男が、子供達の食べ物とケーキは娘が持ってくることになっていました。料理の他は、足りない椅子を出して、テーブルのセッティングをしました。何やかやと結構忙しいことになりました。

 5時半判頃、長男と娘の家族が一緒に着きました。所が、ドアを開けて皆が入った時、末の孫が泣き始めました。どうやら、自分が一番に入りたかったようです。1度泣き始めると、30分くらいは、泣き続けるので、そのまま放っておいて、他は乾杯をして食事を始めました。末の孫は、予定の時間泣いて、テーブルにやって来ました。全員揃った所で、一日延びて今日になった、末の孫の運動会の動画を見ました。踊りも、かけっこも良く出来ました。この頃の子供の仕草は、本当に可愛いです。末の孫は、自分の運動会の動画を見ながら、すっかり機嫌が直りました。上の孫と孫娘に、ノンアルコールのビールを飲ませてみました。余程不味かったのでしょう、二人とも、一口飲んで顔をしかめていました。この頃の子供には、ビールの味は、一番嫌いな味のようです。

 食事が済んで一段落して、上の孫の歳の10本のロウソクを立て、何時ものように誕生日の歌を、英語とスペイン語で歌い、ケーキカットにしました。孫娘が、最近スマホで写真を撮る事に凝っていて、写真担当をしてくれました。ふと思いましたが、ハッピー・バースデイの日本語版はあるのでしょうか、歌った記憶がありません。

 その後は、何時ものように飲み続け、11時頃に長男は帰り、12時半過ぎに次男が帰ってきて、結局、2時過ぎまで飲んで、長い一日が終わりました。

 

「あと何年 孫等の成長 見れるやら 約束出来ない 歳となりけり」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 8日 (日)

2017年10月07日

2017年10月07日

 

 向ヶ丘が、雨飛沫に霞む、雨の朝でした。昨晩も相当な雨が降ったのでしょう、多摩川の水嵩が増えていました。気温も随分冷えたので、雨が明けたら、富士に雪が積もっていたとなれば、嬉しいのですがね。

 昨日テレビで、男が、妻と5人の子供を殺害したとのニュースが流れました。こんなことが、現実に起きるのですね、信じられません。子供は、11歳から3歳でした。妻との間に、どんな諍いがあったにせよ、幼い子供を殺すことが出来るのでしょうか、本能的にも出来ないと思うのですが、人間は、生き物としての基本すら、捨てることが出来るようになったようです。

 今日は、多摩地方にある明星大学の公開講座に、参加することにしていました。昨年、電車内の広告で参加したのですが、その時、連絡先を登録したので、今回は、直接大学から案内状が届きました。10月、11月は、公開講座のシーズンとなりました。公開講座は、沢山の講座があるのですが、私は、基本的に午後1時近くから始まる講座に、参加することにしました。今日の講座は、「明朝中国人の日本人像」でした。

 11時15分、次男を仕事に送り出し、11時半に我が家を出ました。我が家の前の土手を、石田大橋まで歩き、国立のスーパーで、昼食と飲み物を買いました。それだけで止めとけば良かったのですが、このスーパーに来ると、鶏の軟骨と長芋、茸類が買いたくなります。今日は、それに加えて、ゴルフの為程度の小さな玉葱が、非常に安かったので、一袋買ってしまいました。結構な重さになってしまいました。

 石田大橋を渡り、多摩モノレールの万願寺駅に出ました。そこから、明星大学・中央大学駅は、4つ目です。講座が始まる5分前に、公開講座の教室に着きました。教室の前に、大学関係者が2名立っていて、神妙な顔付きで「公開講座参加の方ですか、申し訳ありませんが、講師が急病の為、今日の公開講座は中止となりました、よろしかったら明星大学の教育展をやっていますので、ご覧になって下さい」と言われ、パンフレットを渡されました。

 特にやることも無いので、言われた通り、教育展を覗いてみました。教育展の中に、明星大学が持っている、古書の展示会場もありました。伊能忠敬の「実測日本地図」の中の相模湾のページが開かれていました。国府津の少し鎌倉寄りに、前川という地名が載っていました。私の故郷長崎には、前川性が結構あるのですが、江戸時代の相模湾に、前川という地名があったことを知り、驚きました。原本かどうかは分りませんが、前野良沢翻訳の「解体新書」もありました。この本は、カタカナ混じりの日本語で、書かれているものとばかり思っていましたが、カタカナは一切使われていない、中国語で書かれていました。江戸末期に於いても、知識層は、中国語が主流だったのでしょうか、自分の無知を恥じました。

 教育展を見た後、キャンパスの一角で昼食を取り、お隣の中央大学を訪れました。1年前は、キャンパスの中の桜の園の下に咲いていた、黄色い花の名前を教えて貰いました。ブタナでした。今日も咲いていました。この頃には、朝方の雨は嘘のように上がり、青空が広がりました。中央大学の正門から出て、旧家の並ぶ昔道を通り、野猿街道の東中野に出て、バスで聖蹟桜ヶ丘に戻りました。聖蹟桜ヶ丘で、明日の誕生会の為の、野菜や魚の干物、アサリ等を買って、我が家に戻りました。3時半を過ぎていました。

 その後、細々としたことをやった後、明日の為に、ミニ玉葱の煮込みと、辛ピーマンの詰め物(チレ・レジェーノ)を作りました。両方とも、あまり美味しく出来ませんでした。

チレ・レジェーノは、私が大好きなメキシコ料理の1つです。日本では、辛ピーマンを手に入れることが難しく、作ったことは無かったのですが、先日、長野の友人が送ってくれた野菜の中に、辛ピーマンが入っていたので、明日の為に作ってみたのです。作り方は、非常に面倒なのですが、手抜きをして作りました。

 参考までに、作り方は次の通りです。先ずは、詰め物を作ります。詰め物は、色々自分の好きな物で良いのですが、メキシコでは、ハンバーグのような肉団子が一般的でした。今日もそれにしました。次に、辛ピーマンを焼いて、薄皮を取ります。その後、辛ピーマンの中に詰め物を詰め、溶いた卵を付けて、さっと揚げます。それを特製のトマトスープに入れて、少し煮込めば出来上がりです。特製スープの作り方は、教えて貰っていませんが、メキシコでは、トマトをミキサーにかけ、塩とオレガノ等の香料を加えて煮込んだ物だったように思います。

 今日は、辛ピーマンの薄皮を取ること、溶き卵を漬けて揚げることを省き、スープは缶詰のトマトジュースにコンソメの素とローレルの葉を入れただけでした。

 料理を作ると、7時近くになってしまいました。味見を何回もしましたので、今日は、簡単な摘まみで、晩酌にしました。

 

「新しき 知識を学ぶ 嬉しさよ この喜びは 老いても変わらず」

「手料理は 味定まらぬが 良き所 上手く出来たら 旨さ格別」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 7日 (土)

2017年10月06日

2017年10月06日

 

 今朝は、どんより曇った空でした。「女心と秋の空」、良い天気が、長続きしません。

 今日は、戸籍上の誕生日です。就職するまでは、16日が誕生日でした。何時だったか、はっきり覚えていませんが、長崎市庁舎が、火事で全焼し、戸籍を再生した時に、10が抜けたのではないかと、伯母が言っていました。しかし、今は戸籍しか、生年月日を保証する物はないので、戸籍の生年月日を誕生日にしています。就職の時、私が書類に書いた生年月日と、戸籍の生年月日が違うと指摘され、その時初めて、戸籍をしっかりと見たのです。23歳の時だと思います。その後、50年間現在の誕生日で生きてきました。73歳になりました。多くのネットの仲間から、お祝いの言葉が届きました。「まだ、健康でいるんだね、おめでとう」と言うことだと思っています。

 現在我が家は、至る所に、私の50年の思い出の品が、所狭しと飾ってあります。玄関にも飾ってあるので、アパートの住民から、好奇の目で見られています。私の部屋は更に酷く、帽子を掛ける所すら無いのです。以前は、散歩の時に被って行った帽子は、床に放り投げていたのですが、一月程前から、本箱の上に飾ってある、「あばたのビーナス」に被せるようにしました。「あばたのビーナス」は、なんとなく愁いのある顔をしていると思っていたのですが、この帽子を被るようになってから、憂い顔が笑顔に変わったように思えます。とっても魅力的になりました。女性が、様々な小道具で、自分を変身させるというのが、本当に分ったような気がします。それより何より、自分自身の見方が変われば、対象も違って見えることがわかりました。

 昨日、シモバシラのことを書きましたが、シモバシラ草と書いた方が分り易いと思います。このシモバシラ草は、冬の初めの寒い日、根の方に、薔薇の花のような、とても綺麗な霜柱を作ります。その年の草が生きていて呼吸している間だけ、霜柱を作ることが出来ます。高尾山は、この霜柱の名所なのですが、この3年程、この霜柱を見たことがありません。霜柱が出来る日を予測して、高尾山へ行くのが、結構難しいのです。タイミングが狂うと、今年のシモバシラ草は、枯れてしまい、霜柱を作らなくなります。この3年間、タイミングを外したのか、地球が暖かくなったのか、草刈りをするタイミングが悪いのか、あの素晴らしい霜柱と出会っていません。

 今日は、午後3時過ぎには、雨になりそうなので、土手から1本奥の、西府緑地を辿って、中河原の方へ歩いて来ました。1時過ぎには家を出て、緑地伝いに歩いていると、金木犀の良い香りがしてきました。四谷桜公園の金木犀は、既に花が散りましたが、金木犀にも晩生が居るようです。

 今日の、一番の目的であった、中河原公園の棗の木は、鈴生りの実が赤く色づき、かなりの実が落ちていました。落ちた実は、ほとんどが踏み潰されていましたので、拾った実は、ほんの僅かでした。棗は、食べても美味しいし、生薬にもなるのに、拾う人は居ないのですかね。木の上の方には、未だ多くの赤い実が残っていましたので、持ってきた折り畳み式の傘を投げて、実を落とそうとしましたが、肩が弱くなって勢いが足りず、落とすことの出来た実は、ほんの2,3個だけでした。

 今日は、府中駅の方まで歩こうと思ったのですが、棗の実を落としている最中に、ぽつぽつと雨が落ちてきました。仕方なく、聖蹟桜ヶ丘の方へ歩きました。関戸橋から見るとセイタカアワダチソウ(背高泡立草)と荻の穂が、多摩川の河原を席巻していました。秋の深まりを感じました。聖蹟桜ヶ丘に着いた頃には、雨は、本格的になりました。明後日、家族全員が集まって、娘の長男と私の誕生会をやるので、ワインとワインの摘まみ、ビールを買って、我が家に戻りました。まだ、3時半でした。以前、拾ってきたドングリで、飾り物を作ったり棗の蜜漬けを作ったりして、のんびりと午後を過ごしました。夜は、満月の筈ですが、月が出る状態ではありませんでした。体操男子の個人総合の試合を見ながら、ゆっくりと晩酌をしました。

 

「老いたれば 喜び少なし 誕生日 身体弱まり 歳を背負えぬ」

「赤き実の 甘き香りに シナモンの 薫りも混じる 生薬棗」

「年毎に 棗の蜜漬け 増えにけり 熟成する頃 我は天国」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 6日 (金)

2017年10月05日

2017年10月05日

 

 薄雲が張り詰めたような朝でしたが、富士は、比較的良く見えていました。秋の空に、なってきたのでしょう、空が高く、鱗雲も浮かんでいました。

 癌の手術以後、1年目の大検診が6月に済んで、特に問題が無かったので、それ以降は、3ヶ月に一度検診することになりました。今日が、その3ヶ月検診の日でした。朝、5時半に起き、所用を済ませ、7時半には家を出ました。この時間は、未だ通勤ラッシュの時間で、混み合ったバスを乗り継いで、8時半に病院に着きました。受付を済ませ、採血を終わったのが、9時半でした。今日採血してくれた人は、非常に下手くそで、何時もより倍以上の時間が掛かり、針を刺す時だけで無く、採血中ずっと痛さがありました。担当医との面談は、10時20分からでしたので、病院内のコンビニで弁当を買い、朝食を済ませ、テレビを見ながら待ちました。

 前回は、面談が1時間近く遅れたのですが、今日は、10分早く面談が始まりました。担当医から、「血液検査の結果は良好でした。体調の変化はありませんか」と聞かれ、「すこぶる良好です」と答えました。これで、面談は終わりました。次の3ヶ月検診は、12月27日となりました。その後、診療費(無料ですが)の精算をしても、10時半には、全て終了しました。

 病院に来ると、武蔵国分寺から、おたかの道を通って、国分寺駅に出るのが通例ですが、今日は、史跡の道を通って、西国分寺に出てみました。史跡の道は、極く普通の並木道でしたが、恐らく、旧鎌倉街道だと思いました。国分尼寺の史跡から、武蔵野線沿いに、旧鎌倉街道が有り、その続きだと思いました。

 史跡の道を10分程度歩くと、西国分寺駅前に出ました。なんと、次男が働いている居酒屋が、目の前にありました。これまでも、探していたのですが、見つからなかったのです。次男は、今頃が起きる時間で、あと1時間もすれば、通勤してくるでしょう。別の機会に寄ることにしましょう。

 西国分寺の駅から、恋ヶ窪の姿見の池に行きました。随分久し振りでした。小さな池ですが、湧水で出来た池です。カルガモが、7羽程泳いでいましたが、なんと、その中に1羽の真鴨が居ました。留め鳥になって、この池で夏を越したとは思えませんので、北から渡ってきたのでしょう。この冬初めて見た渡り鳥でした。今年の北の冬は、早いのかも知れません。隣りにいた40代くらいの小母さんが、「あの頭の黒いのは雄ですか」と聞くので、「雄は雄ですけど、真鴨の雄です。北からの渡り鳥です。他のは、皆渡りをしないカルガモです」と答えたら、「そうなんですか、皆同じ仲間だと思っていました」と驚いていました。知ったか振りが出来て、ちょっと気分を良くしました。

 この池には、鯉が居るのですが、見たことも無い様な大きな鯉が、10匹近く居ました。どの鯉もメタボのようでした。今日も、餌をやっている小母さんが居ましたが、きっと、餌をくれる人が、一人では無く、有り余る程の餌を貰って、食べ過ぎなのでしょう。因みに、姿見の池は、「現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵野路や、鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、姿見の池と呼ばれるようになった」と言い伝えられています。その頃は、鯉が水面を波立てる事は、無かったのではないかと思います。

 この池から、日立の中央研究所の脇を通って、国分寺駅へ行くと近いのですが、面白くないので、西国分寺駅へ戻って、何時もの道を歩くことにしました。薬師堂から、現在の武蔵国分寺を経て、武蔵国分寺跡資料へ行きました。ここ2年程、古い門の改修工事を行っていたのですが、改修が完了していました。資料館の中については、以前、専門家のボランティアから詳しく説明を聞いた時から、資料館そのものと展示品は、変わっていませんでした。

 資料館から、おたかの道を通り、国分寺駅に出て、1時半、駅前の殿ヶ谷戸庭園に入りました。65歳以上は、70円で入れます。病院のコンビニで、昼食も買ってきていたので、都会の中の緑豊かな庭園で、昼食にしました。白花のホトトギス(杜鵑草)、シモバシラ(霜柱)、スイフヨウ(酔芙蓉)、桔梗の花が、咲いていました。私は、斑点のあるホトトギスより、白花のホトトギスが好きですが、野生からは、遠ざかった感じがします。

 2時半には、庭園を出て、3時半近くには、我が家に着きました。この時には、日差しがかなり強かったので、急いで洗濯をし、風呂場の掃除をしました。日頃は、朝やっている、メールの整理などをしている内に、晩酌の時間になりました。昨日は、検診の前だったので、酒をセーブせざるをえませんでしたが、今日は、時間をかけてゆっくり楽しみました。

 

「姿見の 池に一羽の 真鴨かな 北の故郷 冬が早きか」

「姿見の 池の鯉達 肥り過ぎ まるで養殖 生け簀の魚」

「秋晴れの 空に流れる 鱗雲 ヒマラヤ杉の 大樹の先に」

「鱗雲 背にして赤き 夾竹桃 過ぎ越し夏の 名残の花かな」

「秋の日に 白く輝く 杜鵑草 斑入りと違い 清楚な感じ」

「昼間酒 飲んで赤らむ 酔芙蓉 夜明けは素面 白さ眩しき」

「白き花 並び咲きたる シモバシラ 蜜を求める 蜂の虎模様」  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 5日 (木)

2017年10月04日

2017年10月04日

 

 ほんの少し、霧雨が混じった朝でした。午後には晴れると天気予報では言っていたのですが、結局昼間は、晴れず仕舞いでした。

 今朝のニュースで、東京都の都民ファーストより、2名の離党者が出たことを知りました。良く2名で済んだと思います。その内、希望の党で、小池氏を支えているように見える、若狭議員も離れていく公算が、高いと思います。民進党から、希望の党に移った細野議員も、後で自分のテレビを見返すと、自分のアホさ加減が分るでしょう。前から言っていますが、小池氏は、人間的な誠実さ、包容力、責任感と言った徳性が見当たりません。政治家なのに、信念も政策も見えません。無い無いづくしだと思います。こうした人間は、人徳でも政策でも、人を引きつけられないのですから、自分に諂い従う者だけを集めて、独裁者の道を歩くしか無いと思います。都議会選挙で、都民ファーストを支持した人達も、次第に、小池都知事の本質を知り、支持は縮小していくでしょう。

 それにしても、前原は馬鹿な男です。政権交代という目標は良いとしても、民進党を自ら立て直す事はせず、よりによって最悪の小池に党を丸投げするとは何事かとおもいます。民進党の前身である民主党が、政権を失ってから、党を立て直す為に、どんな努力をしたというのでしょう。国民に訴える、地道な努力はしてきたのでしょうか、それもせずに、希望の党に身売りするのが、苦渋の選択とは、お笑いぐさだと思います。10月22日に、どういう顔をするか、早く見てみたいものです。

 今日は、午後1時から、散髪に行き、近場を散歩しました。スーパーや散髪屋のある、四谷のショッピングモールから、四谷北通緑道に入りました。細い緑道ですが、色々植え込みがしてあります。ほとんどの所で、稲は刈り取られているのですが、この道脇の稲田は、未だ稲刈りが済んでいませんでした。その小道を歩いていると、どういう思い違いをしたのか、紫陽花が花を咲かせていました。その横では、黄色いカンナも咲いていました。また、野ブドウが青黒い実を、山程ぶら下げていました。この野葡萄を、我が家のプランターに植えようと思って、一房もぎっていると、子供が近づいてきました。「それってブルーベリー?」「違うよ、野ブドウだよ」「野ブドウって食べられるの」「良く分らないけど、食べない方が良いと思うよ」という会話の後、子供は去って行きました。小学校の高学年位くらいだったと思います。

四谷北通緑道から、日新小学校へ出て、学校の前の田圃を見ると、稲刈りの済んだ田圃の畦にタンポポが咲いていました。秋に咲くタンポポは、それ程不思議ではありません。イヌタデも咲いていましたが、これも珍しい事ではありません。花の時期が、非常に長いのです。一寸珍しいと思ったのは、ホトケノザが咲いていたことでした。

一旦、野猿街道に出て、マクドナルドの所で、普段歩かない道に入りました。小さな神社が出て来ました。日新稲荷神社でした。小さな神社に似つかわしくない、立派な石碑が建っていました。なんと此処が、谷保天満宮の発祥の地だそうです。一寸、歩く所を変えるだけで、面白い物に出会います。

日新稲荷神社の前の、葡萄畑が放置されていました。葉は枯れてしまい、緑色の葡萄の房が、傷つき腐りかけていました。良さそうなのを食べてみましたが、ちゃんと葡萄の味がしました。この葡萄畑を管理する老人に、何か異変が起きたのでは無いかと、勘ぐってしまいました。この葡萄畑の囲いに、ヤブマメが咲いていました。一昨日見たばかりです。何処にでもある花だとは思っていませんでした。

斜め前方の、梨畑では何が起きたのでしょうか、梨の花が沢山咲いていました。これだけ一斉に季節外れの花が咲くのは、本当に珍しいと思いました。この辺りは、梨栽培が昔から盛んで、多くの梨畑がありますが、花が咲いているのは、この梨畑だけでした。この梨畑だけ、手入れが悪く、多くの枝が伐採されていることが、影響しているとしか思えませんでした。今日は、時季外れの花を、沢山見ました。

そこから、四谷稲荷神社を抜けて、稲荷神社のバス停へ出ると、住宅地の小さな空き地に、青鷺が立っていました。バス停でバスを待っていた小母さんと、若い女性と3人で、青鷺の動きを眺めました。多分今年生まれの若鶏だと思いました。何時も見る青鷺に較べると、一回り小さく、動作の一つ一つが可愛くて、3人で顔を見合わせて、「本当に可愛いね」と何度も頷き合いました。

そこから、野猿街道を渡り、四谷駐在所西から、昔道に入りました。この前、通った時には、葛の花がブランコのように揺れていましたが、今日は、花が全部、サヤエンドウのような実になっていました。花と同じように、風に揺れていました。道脇は、コセンダングサの天下でした。私は、嫌いなこの花に、ツマグロヒョウモン蝶、シジミ蝶、紋白蝶が戯れていました。

これで一回りして、ショッピングセンターに帰ってきました。果物とヨーグルト等が、無くなっていましたので、買い物をして、4時頃、我が家に戻りました。明日は、3ヶ月の定期検診なので、8時半には、病院に行かなければなりません。今日の日記を纏め、早めに夕食にしました。9時からは、酒も飲めず、面白くない夜でした。

所で、有るテレビが、今日が一五夜だと言っていましたが、それは全くの間違いで、今日は中秋の名月でした。月の満ち欠けとしては、一三夜です。ネットの中秋の名月に関する説明を、簡単に引用します。「中秋の名月」とは、太陰太陽暦の815日の夜の月のことをいいます{中秋の名月には美しい月が見られる。そして、その月は満月(一五夜)である。}と思われている方は少なくないと思います。しかし今年は、104日が中秋の名月、その翌々日の106日が満月と、中秋の名月と満月の日付が2日ずれています。実は、中秋の名月と満月の日付がずれることは、しばしば起こります。」、ずれる理由については、長くなるので省きます。何処かのテレビは、今日が中秋の名月と言えば良かったのに、一五夜と言ってしまったのです。これが間違いでした。

さて、我が家では、今日の午後まで、ずっと曇りでしたが、夜、11時頃は、雲が切れて、素晴らしい中秋の名月を見ることが出来ました。

 

「中秋の 黄金の稲田の 道脇に 秋風受ける 紫陽花の花」

「夏の花 黄花カンナの 畦道に 黄金の稲穂に 負けじと咲くなり」

「野ブドウの 青黒き実の 鈴生りに 自家製ワイン 作れる程に」

「春なりや 犬蓼蒲公英 仏の座 揃い咲きする 秋風の中」

「葡萄園 主の健康 気に掛かる 葡萄の房の 皆立ち腐れ」

「中秋の 落ち葉の時期に 梨の花 季節外れの 花の白さよ」

「青鷺の 一人芝居に 魅入りたり 立ち居振る舞い 仙女の如し」

「昔道 花は実となる 葛の蔓 ブランコ遊びは 今も変わらず」

「一日中 雲の切れずに 気を持たせ 夜に煌々 中秋の名月」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 4日 (水)

2017年10月03日

2017年10月03日

 

 雲は多いものの、明るさを感じる朝でした。やがて、日差しも出て来て、良い天気になりました。

 今日は、大学の先輩で、メキシコ時代に大変お世話になった方の叙勲祝賀会に参加しました。叙勲した先輩は、経営コンサルタントとして、日墨の経済交流のみならず、文化交流にも貢献したことが、叙勲の対象になりました。祝賀会は、昼間12時から始まりましたので、10時過ぎに家を出て、12時10分前には、会場である銀座の泰明小学校の近くのメキシコ料理店に着きました。泰明小学校では、子供達が運動会の練習をしていました。銀座にも、住民が戻ってきたのですね。

 祝賀会の会場には、駐日メキシコ大使、駐メキシコ日本大使が二人、メキシコに進出している日本の企業の重鎮も参加して、フォーマルな祝賀会でした。私のように、同窓会に参加するような気楽な感じで参加している人は、数人しか居ませんでした。叙勲者本人、友人代表、駐日メキシコ大使、乾杯の音頭をとる人と、1時間は、話しが続き、1時過ぎに漸く乾杯となりました。この後は、メキシコ料理を食べ、マリアッチが出て来て、フィエスタメヒカーナの雰囲気になりました。こうなると、一気に砕けた状態になるのが、メキシコ関係者の集まりの良い所です。私が、スペイン語を初めて習った時の、先生も来ていました。バリバリの若手の女史だったのですが、随分お年を召していました。大学の先輩で、中南米の研究をしていた先生も、傘寿を迎えたそうです。私の隣にいて、お互いにそっぽを向いていたのが、30年前には、飲み仲間だったのが分りました。まさしく、30年振りの再会でした。話している内に、色々な人の名前、出来事を思い出しました。それにしても、長い年月が過ぎたものです。

今日の、叙勲祝賀会のお陰で、沢山の友人と再会することが出来ました。今日の祝賀会の費用は、全部叙勲した先輩が出したようです。テキーラ1本、参加した人全員にお土産として渡されました。経営コンサルタントとして、儲けているようですから、甘えることにしましょう。 

2時半頃に、祝賀会を出ました。メキシコ時代から、30年来の飲み仲間が来ていましたので、近くの酒場で、二人きりで、飲み直しをしました。本当は、もう一人仲間が居るのですが、最近、外で酒を飲まなくなりました。そんな訳で、最近は、二人で飲むことが増えました。好きなことを、何でも言える相手ですので、あっという間に3時間が過ぎて、次の太学のOB会関連の会議に行かなければならない時刻になってしまいました。

会議の始まる6時半丁度に着き、私の到着を待って、会議が始まりました。ずっと酒を飲んでいたので、悟られないように、出来るだけ発言しないようにしていましたが、最後の取り纏めだけは、私がせざるを得ませんでした。なんとか無事にこなして、8時半に会議は終了しました。そこで、此処でも飲みに行こうと言うことになり、会議に参加した人の内5人で、近くの居酒屋で、飲むことにしました。新しいのみ仲間です。私の任期が終わる、2020年までは、続くと思います。酒を飲むと、会議のことは忘れて、個々人の自己紹介のような形で、話が進み、直ぐに10時近くになりました。女性も居ましたので、お開きにしました。最終バスに間に合い、11時過ぎに、我が家に戻りました。酒、酒の1日でした。

テレビでは、明日が満月だと言っていましたが、間違いだと思います。空に出ていた月は、腹の膨らみ加減から、12夜か13夜の月だと思いました。

 

「三十年 時の流れを 飛び越えて 若き時代の 人生劇場」

「酒抜きで 我が人生は 語られず 酒に浸りて 老後も歩かん」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 3日 (火)

2017年10月02日

2017年10月02日

 

 雲の多い朝でした。夜には雨になると、天気予報が言っていました。

 我が家の彼岸花は、すっかり枯れてしまいましたが、もう咲かないと思っていたブライダルベールが、3輪の花を咲かせました。今、ベランダの、唯一の花です。

 テレビで、民進党が分裂し、リベラル派の枝野氏が、立憲民主党を立ち上げたことを報じていました。当初は、民進党の候補は、希望すれば全ての議員が、希望の党から公認されるような、説明がされていたそうです。しかし、実態は、希望の党から、かなり厳しい選別をされているようです。特に、私が民進党に投票する理由になっている、リベラル派に厳しいようです。そして、この騒動を引き起こした、前原民進党代表は、米国式の保守党に拠る、2大政党を作りたかったのではないか、その為には、自党のリベラル派の切り崩しを画策したのでは無いか等と、噂する人も出て来たそうです。真意が何処にあるかは別問題として、小池知事と手を組むなど、どんな目的があろうと馬鹿げたことです。彼女は、政治の悪い部分、権謀術数をごく自然に行える人だと思います。選別も、最後に彼女の好き嫌いが入るようです。どんなに馬鹿げたことであったかは、数日である程度分るでしょうが、投票日の22日は、全てがはっきりするでしょう。一番問題だった安倍政権が、安定政権になる手助けをした事が、分るでしょう。

 今日は、天気も悪いし、遠出をする気にならなかったので、由木農場、石坂ファームの方を歩いて来ました。

 午後1時頃家を出て、四谷桜公園で、何時ものように体操をしました。つい最近、金木犀が満開だったのが、今日は、ほとんど落ちて、甘い香りもしなくなっていました。週単位で季節が変わっています。

体操を終え、四谷橋を渡り、程久保川に差し掛かると、八重桜の葉が、パラパラと落ちてきました。小鳥が、桜の木の中で飛び回っていました。最初は、ハクセキレイかと思ったのですが、ハクセキレイが、こんなに群れで飛ぶのを見たことがありませんでした。それに、ハクセキレイより、ずっと小さな鳥でした。後で調べて見たら、コガラでした。なんとその時、コゲラも久し振りに見ました。コガラとコゲラの同時出演でした。コガラをこんなにしっかり見たのは、初めてのことでした。「犬も歩けば棒に当たる」の心境でした。

 程久保川に、白い花が沢山咲いているので、何の花か良く良く見ると、シャクチリソバでした。川岸の八重桜の木には、蜘蛛が沢山の網を張っていました。その網に、獲物では無く、桜葉が何枚も掛かっていました。多分、蜘蛛にとっては、迷惑なのだろうと思いました。

 程久保川から百草園駅に出て、七生丘陵に登りました。森の道を抜けて、百草八幡に出ました。この時期、百草八幡に来る目的はただ1つ、椎の実拾いです。以前にも、何度か書きましたが、百草八幡は、樹齢300年を超す、スダ椎の木で覆われています。豊作の時は、30分もあれば、スーパーのビニール袋に1杯の椎の実を拾うことが出来ます。今日は、時期が少し早かったようです。

 百草八幡から、百草観音を経て、由木農場に入る坂道で、ヤブマメに出会いました。何度も出会っているのですが、名前と花が一致したのは、今日が初めてでした。その後、農場に入ると、お茶の木や、実を付けたシソ、赤くなり始めたリンゴ、本物のソバの花、紫の関東嫁菜、背高のシオン(紫苑)等々、沢山の花に出会いました。キンセンカのような花と戯れるツマグロヒョウモンの雌、ペンタスの花に戯れるナガサキアゲハ(多分?)と出会いました。コスモスの花の中に、すっぽりと入ったセセリ蝶にも出会いました。

 由木農場から、倉沢緑地へ出ると、白花のカタバミに出会いました。白花のカタバミは珍しいと思って、写真を撮ったら、あちらこちらに白花のカタバミがありました。私は、白花のカタバミと言えば、深山カタバミしか知らなかったのですが、それとは明らかに、葉や花の大きさや違います。此処では、紫カタバミが、そのまま白花カタバミになっていました。暫く歩くと、マンションの庭に、10月桜が、咲いていました。

 片側が森になっている小道を抜けて、野猿街道に出て、一の宮の交差点に戻った頃から、ポツリポツリと雨が降ってきました。それ以上強くなる雨では無かったので、四谷橋を渡って、我が家に戻りました。4時半頃でした。

 夕方から夜にかけて、アメリカのラスベガスで、銃の乱射事件があり、50人ほどの人が殺され、400人以上の負傷者が出たようです。様々なテロ事件の根源に、貧富の差があるようです。グローバル化、通信の発達などは、貧しい人に、その貧しさを突きつけているように思います。

 

「風も無き 落ち葉の舞いの 不思議なり 木々を飛び交う 小鳥の仕業」 「蜘蛛の巣に 掛かった二枚の 桜葉は 固く寄り添い 蜘蛛には迷惑」

「足裏で ドングリ潰れる 音がする 実り豊かな 秋の山道」

「畦の土手 何か可愛い 花がある 細き蔓先 ヤブマメの花」

「実も沢山 花も沢山 茶の木かな されど花と実 見向きもされず」

「秋の日に 薫り豊かな 紫蘇の実の 酒の肴の 薬味とならん」

「我が丈を 越える勢い 紫苑かな 秋空の色 身体に宿す」

「豹紋蝶 尾羽うちかれ 花の上 君の姿に 苦労偲ばる」

「背高の 花に戯る アゲハ蝶 命の時は 長くは無いぞ」

「コスモスの 花の輪の中 セセリ蝶 一寸法師の 茶碗の舟かな」

「白花の カタバミ並ぶ 田舎道 肩身の狭い 紫カタバミ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 2日 (月)

2017年10月01日

2017年10月01日

 

 良く晴れた、気持ちの良い朝でした。そこに富士が見えることを知らない人が見たら、ただの空にしか見えない、幽かな幽かな富士が見えました。

 今日は、弟の墓に行くことと大悲願寺の御朱印を貰う為、早めに家を出て、武蔵五日市に行くことにしました。

 12時近くに家を出て、立川、拝島経由、武蔵五日市の1つ手前、武蔵増戸に、1時半頃に着きました。そこから歩いて、あきる野カトリック教会の、弟の墓地には、1時半頃に着きました。この墓には、弟と弟の子供が眠っています。悲しい歴史があるのですが、それは省くとして、元々、弟が子供の為に作った墓でした。この墓には、誰も訪れる人が無く、予想通り、荒れ放題でした。

 先ずは、昨日のお別れ会で貰った、炊き込みご飯とトンカツで、あきる野市と立川方面の景色を見ながら、腹拵えをしました。赤とんぼが、沢山飛んでいましたし、ツマグロヒョウモン蝶は、子作りの最中でした。

食事が済んでから、墓掃除に取り掛かりました。コセンダングサが墓を埋め、メヒシバもかなり茂っていました。そして、名前は、はっきりしませんが、洋種ヤマゴボウのような木が、柘植の木の間から、枝を伸ばしていました。コセンダングサとメヒシバは、簡単に引き抜くことが出来ましたが、名前の分らない木は、引き抜くことも折ることも出来ず、苦労しました。結局、茎を何度も捩ったり、折ったりしながら、茎を細い繊維にして、切り取りました。これで、我が家の墓掃除は終わったのですが、向こう1軒両隣が、弟の墓と同じように、コセンダングサが、沢山生えていましたので、放っておくと弟の墓に、種をまき散らしそうだったので、コセンダングサだけは、全部抜き取りました。墓掃除が、全部終わった頃は、2時半を過ぎていました。

カトリック墓地を出て、五日市線の線路脇を歩いて、大悲願寺に向かいました。あちこちにコスモス畑が有り、線路脇を賑わしていました。最初に龍性寺が有ったので、立ち寄ってみましたが、人が住んでいる様子は無く、御朱印は諦めました。

暫く歩いて、大悲願寺に着きました。3時を回っていました。この辺りでは、中々大きな寺だと思います。今、白萩が、境内中に咲き誇っていました。御朱印を貰う為に、事務所に行くと、80は過ぎているだろうと思われる、ご老人が一人うろうろしていました。この人が住職でした。私が、「御朱印をお願いしたいのですが」というと、「御朱印帳は持ってきた?」というので、御朱印帳を渡すと、事務所内に戻り、震える手を押さえるようにして、ご御朱印帳に書いてくれました。「余分なことをさせてしまったな」と思ってしまいました。次の人が、待っていましたので、お礼を言って退去しました。

大悲願寺から、旧家が多い道を抜けて、五日市街道に出ると、正面に正光寺がありました。小さな寺ですが、住職は居そうなので、呼び鈴を押そうとした時、「何かご用ですか」と声が掛かりました。庭の手入れをしていた人で、この人が住職でした。御朱印を頼むと、快く引き受けてくれました。

御朱印を貰うようになって、散歩に花鳥風月を訪ねることの他に、目的が1つ増えました。「宗教心の無い者が、御朱印を集めて、何が楽しいのだ」と言われそうですが、私のコレクター心に火が付いたので、止めることが出来なくなりました。また、田舎の小さな寺を廻ると、話し好きの住職が居たりして、時々、面白い話を聞くことも出来ます。私自身としては、御朱印集めを楽しみにしています。以前、秋川の完歩をやった時、あきる野市の寺は、未だ沢山有りました。今後少しずつ、御朱印を集めることにします。

五日市街道を歩いて、4時過ぎに武蔵五日市駅に着きました。丁度、4時15分発のホリデー快速に乗ることが出来ました。ホリデー快速だと、拝島で乗り換える必要が無く、拝島から止まる駅も少ないので、随分時間の節約になりました。4時40分には、国立駅に着きました。我が家の近くで、少し買い物をして、我が家に着いたのは、5時半頃でした。少し、お腹の膨らんだ月が、出ていました。

 

「早くして この世を去りし 弟の 心安らか 願う墓掃除」

「雑草が 乱れし心 吸いとりて 外に吐き出す ようにも見える」

「墓地の中 人の気持ちは 我知らず 無心に飛び交う 赤とんぼかな」

「墓地の中 組んずほぐれつ 無我夢中 子作り最中 褄黒豹紋」

「白萩が 境内覆う 秋最中 悲願叶える 大悲願寺」 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月 1日 (日)

2017年09月30日

2017年09月30日

 

 今朝は久し振りに、富士が見えました。これからは、次第に空気が乾燥するので、富士が見える機会が多くなります。富士が、何時冠雪するか、それも楽しみです。

 何時の間にか、9月も終わりとなり、明日から10月、中秋に入ります。随分先だと思っていた予定も、どんどん消化して、怖くなる程、時間が早く進みます。この調子だと、10年、20年があっという間に過ぎそうな気がします。

 今日は、午後5時から、高校時代の同窓会が、帝国ホテルの横のビルの地下にあるウスケボーレストランで行われれ、その後、この前、浅草で飲んだ友人が、上田に引っ越すので、そのお別れ会に参加しました。

 高校の同窓会は、毎年同じ所で行われるのですが、お別れ会の会場は、初めての場所でした。西新宿のHide’s Barと言う所でした。地図を貰ったのですが、これが中々分りにくい地図なので、早めに家を出て、場所を確かめました。新宿西口の、青梅街道から、更に大久保よりにあり、私が一度も足を踏み入れたことの無い所にありました。事前に場所を確かめて、本当に良かったと思いました。夜、酒を飲んだ後では、探すことは難しかったと思います。

 新宿の駅に戻ると、西口の前の通りで、選挙演説が始まっていました。安倍政権に反対する側の演説でした。かなり激しい演説であり、安倍総理をヒトラーに真似た似顔絵が掛けてありました。20人近くが立ち止まって、演説を聴いていました。政党名がはっきりせず、演説しているのが、議員のようでもありませんでした。若しかしたら、私的な演説会だったのかも知れません。私は、安倍総理が嫌いですが、私以外にも、安倍総理を嫌う人が、結構居ることが分りました。

 新宿から、地下鉄丸の内線で、霞ヶ関で下りて、日比谷公園に出ました。此処では、フィリピン・フェスティバルをやっていて、大変な混雑でした。フィリピン料理のテントがあったり、民族衣装の人達が、踊ったりしていました。多摩地方と違って、都心では色んな行事があり、多くの人が行事を楽しんで居ました。

 5時10分前に、高校の同窓会の会場に着きました。ほとんどの人が、既に会場にいました。毎年集まる懐かしい顔がありました。この同窓会に集まっている仲間の半分は、中学校も一緒です。今日私の横に座った、久し振りの参加者が、同じ城山小学校だと言うことが分りました。彼も、8月9日の長崎原爆記念日の式典で、城山小学校の生徒が、「子等の御霊よ」を歌うのを聞くと、涙が出てくるそうです。私も同じです。60数年前、週に1度は、この歌を歌いました。同窓会は、司会の声が聞こえない程、至る所で、話しの花が咲きました。長崎弁も混じるようになりました。去年欠席した仲の良かった友人は、私と同じように、胃癌の手術をしたそうです。何時も長崎から出席する女性は、くも膜下出血になったそうです。誰もが歳を取り、病気を経験する人が増えてきました。

 高校の同窓会は、8時までなのですが、お別れ会に参加する為、7時過ぎ、一足先に、会場を出ました。そこから新宿に出て、下調べをしていたので、問題なく、8時前に、お別れ会の会場に着きました。こちらも、会が始まって2時間経っており、宴酣の状態でした。こちらも酔っていたので、直ぐに溶け込むことが出来ました。狭い店で、皆が大声で話す為、日頃声では誰にも負けない友人の声が、聞こえない程でした。お別れ会に関係なく、飲みに来た人には、大変迷惑を掛けてしまいました。お別れの会の主人公は、今後は、出来るだけ多くの、再開の会を催して欲しいと願っていました。今日は、大学時代人気者だった女性が、何故か、私の側で大はしゃぎでした。羨ましいような視線を幾つか感じました。今日集まったのは、同じ大学の体育会系の人ばかりだったので、校歌を歌い、引っ越す人にエールを送って、お開きになりました。10時を過ぎていました。

 

「古希を過ぎ、残り少なき 人生の 得難き仲間 得難き思い出」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »