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2017年8月

2017年8月19日 (土)

2017年08月18日

2017年08月18日

 

 今日の未明、雨が降ったそうで、18日連続の雨だそうです。私が、窓を開けた6時半頃は、もう雨は止んでいました。

 昨日、土方歳三の墓のある石田寺に行きましたので、今日は、近藤勇の墓のある、野川公園の近くの龍源寺に行こうと思っていました。所が、散歩に出かける時刻の、2時近くになって、急に空が暗くなり、雨が落ちてきました。出鼻を挫かれたので、今日の龍源寺散歩は、止める事にしました。

 3時近くから、録画してあった、太平洋戦争の特別番組「インパール作戦」を見ました。太平洋戦争の日本の作戦は、全てが常軌を逸していました。最初もそうですが、戦況が思わしくなくなってからの、日本軍の作戦は、まさしく狂気そのものです。精神力で戦争をしようなどと考えるのは、何処かに宗教の影があります。インパール作戦の司令官だった人が、前線でやった事が、毎朝、戦勝祈願の祝詞を上げる事だったと番組の中で言っていました。司令官が、真っ当な戦略も戦術も無く、神頼みでは、兵隊は堪ったものではありません。弾薬や食料の補給も無く、極端な言い方をすれば、敵の機関銃隊に刀で切り込めとか、戦車には手榴弾で対抗しろとか、飛行機は竹槍を投げて落とせとか、兵隊を見殺しにする命令を、何の躊躇も無く出せるのは、狂気以外の何物でもありません。そして、それらの命令が成果を上げないと、兵隊の大和魂が足りないから、神も応援しないのだと言われたら、兵隊は、死ぬ他道がありません。良く良く見ると、私の周りにも、精神論をぶつ人は、結構いる事が分りました。

 日本人は、何故こうも情緒的なのでしょうか、長い歴史の生活文化が、情緒的人間を育ててきたのでしょうか、良く分りません。かなり昔の事ですが、日本人の中で、情緒的な人間と合理的な人間の割合は、7対3位だと聞いた事があります。明治以降の文明開化と、戦後は、この合理的な人間が、日本の発展を支えて来たとも聞きました。情緒的で叙情性豊かな人間が、日本では尊敬され勝ちですが、これは生命の原理に反します。合理的で無ければ、本来生きる事は出来ないのです。叙情的に生きていけるのは、権力を持ち、自分の力で生きていく必要の無い人間達の、暇潰しの生き方だと思います。現在の私の生活と同じようなものだったろうと推測できます。日本の武家社会は、戦闘集団が作ったのですから、本来合理的である筈なのですが、権力の座にいる事が長くなると、貴族階級の物真似をするようになり、本来の合理性を忘れてしまいました。日本が、欧米列強諸国の影響を受けて、非合理的な支配組織を脱して、まだ、150年程度しか経っていません。所が、明治維新を成し遂げ、非合理的な支配組織からの脱却を果たしましたが、人間自身を変える事が難しく、極めて不完全だったため、社会の多くには、情緒的な人間と組織が残りました。これが、太平洋戦争の悲劇を生む原因だったと思います。幸いな事に、私の人生は、戦争無き人生でした。お陰で、73まで生きる事が出来ました。この幸せな状態で、早めに人生の幕を閉じたいものです。

 「インパール作戦」をテレビで見た後、高校野球の神村学園―明豊戦を見ました。5対2で明豊が勝っていたのですが、9回表、神村学園が同点に追いつき、延長12回には8対5と勝ち越しました。これで、勝負があったと思ったのですが、その裏、明豊が、4点を入れて、9対8でサヨナラ勝ちをしました。なんとも、劇的な試合でした。高校野球に限らず、日本のスポーツの世界では、未だに「根性が足りない」とか言って、選手を殴るコーチや監督がいるそうです。しかし、本当に試合の勝つ為には、合理的練習と合理的戦術・戦略が必須です。基本的体力差によって負けるのであれば、身体能力の改善には、何世紀もの時間とか、身体能力の強い血を受け入れる他、手の施しようがありません。神頼みとか、精神論は止めて欲しいと思います。そして、更に肝心なのは、試合というのは、あくまで試し合うことですから、相手を叩き潰す事では有りません。試合後は、相互に称え合って欲しいと思います。高校野球では、それが出来ているように思います。国家間の戦争も、相手の行き過ぎを、公正な方法で、たしなめる程度にして欲しいと思います。そして戦争後は、お互いに協力することが出切れば、最高だと思います。このようになるまでに、人間の叡智の向上を、あと何世紀、待つ必要があるのでしょうか。

 高校野球を見た後、5時頃から、四谷橋を渡って帰って来る、短い散歩で、外の風に当たってきました。空には、所々に青空が見えました。明日は、若しかした良い天気だと期待しました。多摩川は、水量が増え、白鷺は餌を捕るのに困っているようでした。川鵜達は、少々の水の多さは気にしません。夕餉は済んだのでしょう、送電線の塒は、満員状態でした。

 夜は、実に久し振りに、ステーキと手羽焼きを摘まみに、赤ワインで晩酌にしました。

 

「民主主義 国の制度に 助けられ 年金暮らしは 仙人暮らし」

「人間は 自ら作る 生きる糧 そこから始まる 複雑社会」

「ればたらの 空虚な国の 戦略に 屍の山を 異国に築く」

「若者よ 情の世界に 流さるな 常に流れて 何をも生まず」

 

 

 

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2017年8月18日 (金)

2017年08月17日

2017年08月17日

 

 つい今し方まで、雨が降っていたような朝でした。ベランダの前の電線に、雨の雫が並んでいました。17日連続の雨だそうです。

 今日は、午後は雨が降らないようなので、久し振りに御朱印帳をリュックに入れて、石田寺と宝泉院を廻ってきました。

 この所、散歩の量が少ないので、今日は、少し多めに歩こうと、午後1時には、家を出ました。我が家の前の水門から、四谷橋の方を見ると、河原の殆どが、葛で覆われていました。荻も薄も、桑の木などの木々もあったのですが、葛の原に変わっていました。葛の繁殖力の強さには、毎年感心しますが、今年は8月に入って雨が多いので、繁殖力が1段と旺盛になっているようでした。

 土手の道を、石田大橋の方へ歩くと、背丈の伸びたツメクサが、優雅に咲いている場所がありました。ツメクサの盛りは過ぎて、花が黒い玉になっている所が多いのですが、まだまだ、元気な連中も残っていました。白ツメクサと赤ツメクサの花が、仲良く咲いているのが、良い気持ちにさせてくれました。

 長雨の影響で、土手の道にも、多くの種類の茸が顔を出していました。浅川の方の土手も含めて、今日の散歩で見た茸は、10種類を越えました。私の掌よりも、大きな傘を持った、茸もありました。中心部分が紅い、日の丸のような茸もありました。

 石田大橋を渡り、水再生センターの南公園に行くと、生け垣に使われているアベリアが、白い壁のように咲いていました。細長い公園の真ん中辺りに行くと、なにやら良い薫りが漂ってきました。ローズマリーの庭園になっていたのです。花が沢山咲いていました。香草系の植物は、どれも生命力が強いような気がします。ここのローズマリーは、細い枝が垂れ下がるように伸びて、髪を振り乱した状態で、公園を席巻していました。そこから、少し歩くと水琴窟があります。その横から出ると、石田寺は目の前にあります。

 浅川と多摩川の三角州は、昔、石田村と言って、土方歳三の故郷でした。昔からなのでしょうが、現在、この一帯には、土方姓の家が、何軒もあります。石田寺には、土方家の墓が、私がざっと数えただけでも、30を越えていました。その中に、土方歳三の墓もありました。記念碑も建てられていました。私が、石田寺に来た時は、必ず一人か二人、土方歳三の墓参りをする人がいるのですが、今日はいませんでした。

 呼び鈴を押して、御朱印を頼むと、無愛想な住職が出て来て、御朱印帳を受け取ると、玄関の戸を閉めて、無言で中に入りました。5分くらいすると、御朱印帳を持って出て来ました。立派な御朱印でした。ありきたりの質問ですが、「この辺りには、何件くらいの土方家があるのですか」と聞くと、「百軒くらいかな」面倒そうに応えました。また、「土に点のある土方姓がありますが、何か謂われがあるのですか」と聞くと、「良く知らないな」とけんもほろろでした。余程、私の初印象が悪かったのでしょう、早々と退散する事にしました。

 石田寺は、樹齢400年の榧の木が、本堂の前に立っています。日野市の天然記念物にも指定されています。今日ネットで調べて、初めて知ったのですが、石田寺の読み方は、「せきでんじ」だそうです。

 石田寺から、新井橋を渡って、浅川の右岸に出ました。月見草が沢山咲いていて、月見草にも白花があるのかと思って、良く良く見たら、花が萎れると色が抜けて、白くなるようでした。ヒメジョオン、ヤマイモ、オオアレチノギクの花が、咲き続けていました。

 浅川の土手から、程久保川に出て、四谷橋、一の宮へと歩きました。一の宮交差点の横に、稲田が聖蹟桜ヶ丘のビル群を背景に、青々と稲を実らせていました。直ぐ横には、栗林もあり、緑のイガグリが、まるまると肥えてきて、今にもはち切れそうでした。

 宝蔵橋を渡って、大栗川を越えると、大きな庭を持った家があります。この庭は、何時訪れても、花が1杯なのです。野草ではなく、栽培種の花ばかりなので、豪華絢爛です。宝泉院に行く坂の上から眺めると、その家の人よりも、道行く人の為の花園のようでした。花好きの家主に感謝です。

 花の屋敷から、2分も坂を登ると、宝泉院に着きました。6月末、多摩13仏巡りで来た時は、どなたかの不幸があり、8月になってから来て欲しいと言われたお寺です。今日、御朱印を頼むと、6月に、声だけで応対してくれた、お婆さんが出て来ました。このお寺では、御朱印帳には、書いてくれないようでした。仕方が無いので、この寺のご本尊(十一面観世音菩薩)と、多摩13仏(文殊菩薩)の、御朱印の紙を貰いました。お婆さんに、「この前来た時は、ご不幸があったようですが、ご住職だったのですか」と聞いたら、私の事を思い出したらしく、「住職は、子供に譲って、長老でした」とのことでした。恐らく、お婆さんの旦那だったのでしょう。「ご冥福をお祈りします」と言うと、「ご丁寧にありがとうございます」と深々と頭を下げられました。お寺の人に、こんなことを言って良いのかと思いましたが、他の言い方を知らず、思わず口に出たのですが、しっかりと受け止めてくださいました。今日の宝泉院で、多摩13仏全ての御朱印を頂きました。

 宝泉院から、桜ヶ丘の崖下の公園を抜けて、霞ヶ関橋で、もう一度大栗川を渡り、聖蹟桜ヶ丘の駅に出ました。4時過ぎていました。駅では何もする事が亡かったので、カルディーで只のコーヒーだけ飲んで、4時11分のバスで、我が家の方に戻り、お弁当等、軽く買い物をして帰りました。5時近くになっていました。今日は、非常に満足しました。

「見渡せば 河原一面 葛の原 河原の攻防 勝者明らか」

「長雨に 背丈の伸びて 柳腰 赤白ツメクサ 競い咲くかな」

「長雨に 日向の道に 茸出ず どこもかしこも 木陰と同じ」

「生け垣の 白きアベリア 満開に 道沿いに建つ 白塗りの壁」

「公園で 髪振り乱し 薫り撒く メドゥーサ擬き 夏のローズマリー」

「石田寺 檀家の半分 土方家 土方歳三 安らぎの地」 

「月見草 月見ぬ日々の 多かりき 今年は異常 葉月の長雨」

「一の宮 ビルを背にした 稲田有り 栗も実りし 多摩の古里」

「宝蔵橋 花1杯の 庭のあり 道行く人も 心華やか」

「宝泉院 昔の大黒 お婆さん 何処にでも居る 優しき婆さん」

 

 

 

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2017年8月17日 (木)

2017年08月16日

2017年08月16日

 

 今朝も雨でした。この所、毎日、山水画のような風景を見ています。電柱と電線が無ければ、絵のような景色の筈です。テレビのニュースに拠れば、東京は、8月に入って今日まで、ずっと曇りか雨だったそうです。こんなことは、40年振りだそうです。そして、心配した通り、稲や野菜類の生育に、かなりの影響が出ているそうです。

 昨晩、次男と酒を飲みながら、現在の職場の状況について少し話しました。私は、公務員という温室が職場でしたので、色々な製品を作る工場とか、外食委産業とか、セールスを等の販売業、農水産業等に務めた事は無く、日本を支えている産業の勤務状況については、私の生活と関連する所で垣間見る他は、テレビ等のニュースでしか知りません。

 次男に拠れば、外食産業の勤務状況は、相当劣悪だそうです。昔、日本の食堂等は、若者を厳しく鍛えましたが、最後はのれん分けをして、独立した経営者にしました。所が、現在は、米国のファーストフードの影響を受けて、経営者は何時までも経営者で、従業員は何時までも従業員のようです。料理の作り方から、客のアテンドまでマニュアル化されて、個人的な技術の向上など、むしろ余計な事になったようです。従って、従業員は、学生のアルバイトや、パートの従業員の方が好まれるようです。給料を安く抑える事が出来るからです。当然従業員の給料も安く抑えられ、少しでも給料を増やす為には、働く時間を増やすしかないようです。毎日、昼前から深夜まで働いて、やっと食べていける程度の金しか稼げないようです。これでは、恋人と出会うチャンスも無くなり、家庭を持とうという気持ちすらも、無くなってしまうようです。これは、少子化の進行を加速しているようなものです。少子化が進めば、経済のパイが小さくなり、不景気になると言われています。

従って、安倍政権は、給料の増加、働き方改革、女性の活躍する社会、1億総括役社会の実現を目指した改革を実施しようとしています。一見した段階では、誰もこの政策を悪いとは言えないでしょう。しかし、今後、あらゆる職業に於いてIT化が進み、人間とITの関係は、更に増大すると共に、人間が行う職業は、ITの補助程度になり、人間の職業における活躍の場は、益々狭まる可能性があります。安倍政権も米国のトランプ政権も、将来の人間社会の変化について、きちんとした見通しが無く、高度成長期の経済理論にしがみついているように思えます。その為に、株価とか様々な経済指標を、政府が介入して人為的に操作し、見せかけの経済だけ、良くなったように仕向けています。

経済の問題は専門ではありませんが、素人でも現在の政治の、経済への関与の仕方には、疑問を持ちます。長くなりそうなので、ここらで止めますが、出来れば、各分野の専門家を集め、人類の未来を研究する機関を設置して貰いたいと思います。人類は無限にパイを大きくする事は出来ません。世界の人口は、増え過ぎました。現在の10分の一でも、良いでしょう。未来を研究する機関で、パイが縮小する際の経済についても、研究して欲しいと思います。

今日は、1日雨が止みそうにありませんでしたので、午後2時頃から、バスで聖蹟桜ヶ丘に、気晴らしに行ってきました。家で、パソコンの前に座るか、テレビの前に座るかしかやる事が無いと、気が滅入るのです。

聖蹟桜ヶ丘で、先ず、文房具店に行って、トンボのインク式ボールペンのインクを買いに行きました。インクの予備が無くなったのです。私は、毎日某かの、標語というか、感想というか、和歌というか、訳の分らない75調の文を作っています。その文を、手書きでノートに写す事にしています。手で字を書かないと、手の機能が衰えてしまいそうな気がするのです。そうすると、只でさえ進行しているボケが、加速しそうな気がするのです。本当は、筆で書きたいのですが、時間が無い時は、サボってしまいそうなので、止めました。暫くは万年筆で書いていたのですが、縦書きで右から左に書く為、インクの乾きを待つ事が多くなります。ボールペンにすれば、全く問題は無いのですが、どうも一味足りません。このような訳で、インク式ボールペンを使っています。予備を5本買って来ましたので、2年くらいは大丈夫でしょう。

その後、デパートや食料品店等を廻りましたが、何も買う物がありませんでしたので、我が家の近くに戻り、ホームセンターに行きました。そこの植栽売り場で、雪華草を見つけました。神代植物園にも植えられていましたが、名札がありませんでした。小さな白い花を沢山付ける草花です。「雪華」は、一昨年亡くなった、書を嗜んでいた従姉の雅号です。私も、雅号の付いた従姉の書を、何枚か持っています。戦後間もなく、私の母親が病没し、伯母の家で一時期暮らした事がありました。その時、一緒に暮らした従姉です。これから、この花を見る度に、従姉の事を思い出すでしょう。

植栽売り場から、電気製品売り場に行き、洗面所の電球を買い、ついでに、小さな整理箱を1つ買って帰りました。沢山溜まった手紙類を整理する為です。別に断捨離をする積もりはありませんが、そろそろ、父との思い出(私が社会に出る迄の時期)を纏める時期になってきたので、父との手紙の遣り取りを、他の手紙類と別にしたかったのです。今日は、既に晩酌の用意をする時間になっていましたので、何時かやる事にしましょう。

 

「文明は 急加速して 進化遂げ 人の生き様 人事では無し」

「花売り場 雪華草の 名を見つく 今は世に亡き 従姉の雅号」

「父逝きて 役半世紀と なりたれば 若き日の父 知るは我ばかり」 

 

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2017年8月16日 (水)

2017年08月15日

2017年08月15日

 

 今朝は、川向こうの七生丘陵が、見えなくなるような雨の朝でした。一体、今年の8月はどうしたのでしょうか、暑くない雨の多い8月は、矢張り変です。

 今日は、お盆の終わりであると同時に、終戦記念日です。終戦記念日になると、閣僚や国会議員の靖国神社への参拝が、問題となります。今年は、閣僚の参拝は無かったようですが、多くの国会議員が、集団で参拝したようです。私は、どの宗教も嫌いになってしまいました。人間の狂気の原因が、宗教による場合が多いからです。宗教は、論理では無く信仰を言動の基本とします。信じる者は救われ、信じない者は、迫害され抹殺されます。論理無き所に、正義も公正も平等も寛容もありません。しかし、論理は現実では無く、思考の産物ですから、多くの人から支持されるのは、至難の業です。結局は、現実の多くの犠牲を積み重ねて、多くの人が納得できる論理が、現実社会の現実の力になります。現在の民主主義や人種の平等と言った論理は、非常に多くの犠牲の上に勝ち取られました。しかし、前述したように、論理は思考の産物ですから、別の思考は、無限に存在します。有る有力な政治家が、勝手な論理構成で、戦争に国民を導く事は、日常の事なのです。そして、その論理を国民に支持されるように仕向ける為に、宗教が利用されます。宗教の基本は、前述したように、自分の神を信じる者は許し、信じない者は抹殺を厭わないので、宗教の違う国家間の戦争の、格好の協力者になります。相手を憎み身内の結束を高めるからです。政治権力者と宗教の協力関係が始まったら、国民は、逃げ道を閉ざされ、後は従う他無いのです。ですから、日常の簡単な事であっても、政治と宗教を切り離さなければなりません。それが、太平洋戦争の教訓だったと思います。ですから、政治家の靖国参拝は、看過できない事なのです。しかし、或る論理を持つ政治家にとっては、この教訓は、邪魔な物のようです。現在も、イスラム教とキリスト教の戦いは続いて居ますし、民族間の戦いの火種も消えていません。冷戦時代の名残の戦争が、再度頭をもたげています。このような国際情勢を背景に、政治家の中には、戦争是認の風潮が高まっています。日本国民が、あらたな戦争に巻き込まれる事もまた、国民の為の論理を強化する為の、現実の試練なのでしょうか、暗澹たる気持ちになります。

 今日は、朝からずっと雨が降り続いていましたので、散歩は止めようかと思ったのですが、霧雨のようだし、空が少し明るくなったような気がしたので、午後2時頃から、聖蹟桜ヶ丘まで歩く事にしました。所が、外を歩いてみると、雨は、思いの外、雨がしっかり降っていて、とても傘無しで歩ける状態ではありませんでした。四谷橋まで行った所で折り返し、近くのスーパーで買い物をして、帰りました。3時頃には、家に着きました。

 時間は、たっぷりあったので、テレビを見る事にしました。今日は、関西地方も雨らしく、高校野球が1日順延で、今日は試合がありませんでした。仕方が無いので、録画してあった「蜩の記」を見ました。武家社会の制度と、武家社会における家を守る為の、個人の策略、忠義、犠牲に関する物語でした。関連する百姓や商人の生活も織り交ぜられていて、そこそこ見応えの或る物語でした。しかし、私は、貴族階級よりはましだと思いますが、長く支配階級であった武家社会も、好きではありません。従って、一般的に支持されている、武家社会の論理や倫理などは、国民の大多数を占めた百姓の為の物では無く、武家社会が支配階級であり続ける為の物だと思っています。それは、私が百姓の子孫だからです。

 テレビを見ていると、今日休みの次男が起きて来ました。次男は、この物語は、既に見ていたらしく、散髪に出かけました。この物語が終わると、5時半になっていました。次男との晩酌を考えて、ゴーヤチャンプルーでは有りませんが、ゴーヤを加えた野菜炒めと、オクラとピーマンの叩き、秋刀魚の開き、今日買ってきたトンカツを用意しました。私は、6時過ぎから飲み始め、次男は6時半頃に帰ってきて、晩酌に加わりました。次男も、酒の肴に刺身を買ってきて、結構優雅な晩酌となりました。

 

「人の世に 決まった道など 有りはせぬ 自ら作る 自らの道」

「各人が 作る道は 異なれど 譲り合えば 共に歩ける」

 

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2017年8月15日 (火)

2017年08月14日

2017年08月14日

 

 向かいの丘が、白く煙った雨の朝でした。夏、あまり暑くないのは、助かる事も有りますが、良い事ばかりではありません。実りの秋へ、順調に進むのか心配です。

 午前中降っていた雨も、午後には止んだので、今日は、立川根川公園から残堀川まで歩いて来ました。

 午後2時を過ぎると、空が大分明るくなりましたので、午後2時半に家を出て、土手の道へ出ました。土手を歩いていたら、ジャコウアゲハが飛んでいました。普段なら、人が近づくと飛び去るのですが、今日は、私の前を道案内のように飛んでいました。お陰で、写真が撮れました。私と同じ老年の蝶で、素早い動きが出来なくなったのかも知れません。子孫は上手く残せたのでしょうか、それが気懸かりでした。

 左側の土手下の道に、アキアカネが行ったり来たりしていました。かなりの数でした。アキアカネは、すいすいと飛んでいて、急にUターンするのですが、何をターニングポイントにしているのか、知りたいものです。

トンボを見ながら歩いていたら、「やーやーやー」と和やかに笑いながら、近づいてくる小父さんがいました。知り合いだと思えないのですが、散歩中に話をした人は何人もいますので、その内の一人かも知れないと思いました。その小父さんは、更に近づいて、握手をして「行ってらっしゃい」と言ってくれました。あまりに急な事で、言葉は出ませんでしたが、手だけは強く握り返しました。

 石田大橋を過ぎ、中央高速の橋を過ぎて暫く歩くと、根川を渡る小さな吊り橋まで、人家と生垣が続きます。その生け垣に出来た、蜘蛛の巣団地が、午前中の雨で水浸しになっていました。水浸しと言っても、銀の水玉をすくった網のようになっていました。ヴェルサイユ宮殿とまでは行きませんが、味わい深いシャンデリアの列でした。

 吊り橋を渡ると、根川の桜並木が始まります。通りの左側は、陸上競技場と野球場になっています。この根川の桜並木は、残堀川まで続き、多摩川桜の名所八十八箇所の六十七番になっているそうです。

 1つ橋を潜ると、カワセミの来る池になります。今日は、何時も来るカワセミも、カワセミの写真を撮る為に集まる小父さん達もいなくて、閑散としていました。コウホネの葉の上に、川トンボが休んでいました。

 次の橋の下を潜って、柴崎体育館の横に出ると、薮蘭が沢山咲いていました。薮蘭の花の時期は、夏だったか、春にも咲いていたような気がしました。近くに、八重の山吹が咲いていて、こちらの方は、狂い咲きだと思いました。水路沿いに植えてあるコムラサキが、実の色と同じような紫の花を、咲かせ始めていました。

 もう一つ橋の下を潜ると、立川根川公園の最後のゾーンになり、最後の最後に、人工ではありますが、野川のせせらぎの源流となっている、石造りの噴水があります。噴水の池には、コウホネの花が沢山咲いていました。池の縁には、白百合が咲いていました。噴水の後ろは、残堀川になります。普段は、水が少ないのですが、今日は、水嵩が増えて、カルガモたちが、のんびりと泳いでいました。

 ここから、崖下の道を通って、モノレールの柴崎体育館駅、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘経由で我が家に戻りました。帰り道に、何時もは朝早い時期しか、花が開いていない、オシロイバナが咲いていました。オシロイバナの横には、珍しくホウセンカ(鳳仙花)の花が咲いていました。幼い頃は、何処の家の庭にも咲いていたような気がします。家に帰ったのは、5時過ぎでした。

 夜は、録画して置いた、「731部隊」「何故日本は焼け野原になったか」という、戦争の特集番組を見ました。言いたい事は山程ありますが、一言で言えば、「戦争は狂気であるが、狂気を狂気と思わせないのが戦争の一番怖い所だ」と思いました。日本は、二度と自ら戦争を起こしてはならないと、改めて思いました。

 

「蝶達よ 土手に子孫は 残すなよ もうすぐ丸刈り 魔の手が来るぞ」

「土手下の 河原は水の 上がり来る 人里近くは 虫等の修羅道」

「目の前を 赤とんぼが 行き来する めぼしき相手 探し出せたか」

「生け垣の 蜘蛛の巣団地 水浸し 水玉となり 網上浸水」

「雨の後 蜘蛛の巣輝く 野の小道 離宮の廊下の シャンデリアかな」

「カワセミの 代役俺には 務まらぬ 目立たぬ場所に 川トンボかな」 

「昼下がり オシロイバナの 花開き 右に左に ラッパ転がる」

「幼き日 思い出誘う 鳳仙花 葉の陰に咲く 朱き花かな」

 

 

 

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2017年8月14日 (月)

2017年08月13日

2017年08月13日

 

 今朝は、一面雲に覆われた空でした。今日から盂蘭盆です。8月も中旬になろうとしていますが、今月、文句無しに良い天気は、2,3日しかなかったような気がします。

 一昨日5弁の仙人草について書きましたが、ネットで調べて見ても、仙人草の花は、4弁が通常でした。ドクダミの5弁の花は、意識して探しましたが、仙人草の5弁の花は、本当に偶然でした。また、仙人草がクレマチスと呼ばれ、展示会が行われる程綺麗なものは、外国産だと分りました。ネットでの説明に拠れば、「センニンソウ属は世界中に300種、日本には20種以上がある。花の美しいカザグルマや、それに類似の花の美しい外国種が栽培され、クレマチスと呼ばれている。日本産のもので、蔓になって小型の花を多数つけるものはセンニンソウまたはボタンヅルの名で呼ばれる。」とのことでした。

 また、パッションフラワーは、和名は時計草とのことで、次のような説明がありました。「和名は3つに分裂した雌しべ時計の長針、短針、秒針のように見える特徴のある花を咲かせることに由来する。英名 passion flower は「キリスト受難の花」の意味で、イエズス会宣教師らによってラテン語で flos passionis と呼ばれていたのを訳したものである。 16世紀、原産地である中南米に派遣された彼らは、この花をかつてアッシジの聖フランチェスコが夢に見たという「十字架上の花」と信じ、キリスト教の布教に利用した。 彼らによればこの植物はキリストの受難を象徴する形をしており、花の子房柱は十字架、3つに分裂した雌しべが釘、副冠は茨の冠、5枚の花弁は合わせて10人の使徒、巻きひげはムチ、葉は槍であるなどと言われた」。パッションフラワーも、白花は非常に珍しいようでした。

 初雪草は、葉の大部分を白い斑が占めているので、何処に花があるか見つけにくいのですが、良く良く見ると、普通に茎の先端部分に、花が咲いていました。花が、白い花弁なので、一見しただけでは、分りにくかったのです。

 今日は昼から、中河原経由、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。お盆の時は、お寺も忙しいでしょうから、お寺巡りは止めたのです。私が、散歩する時に限って、日差しが出て来ました。

 午後1時半頃に家を出て、四谷医院から、中河原へ向かいました。この辺りは、田畑が比較的残っている地域で、稲の花が咲き始めた田、既に実が肥り頭をたれ始めた田、花の気配も無い田と、田によって稲の育ち方に、随分差がありました。恐らく、田植えの時期が違ったのでしょう。

 色々な野菜が植えてある畑の垣根に、早くも「むかご」がなっていましたので、ほんの少しだけ頂いてきました。その脇を、ツマグロヒョウモン蝶が、休んでは飛び休んでは飛びしていました。アゲハ蝶は、翅を休めるのは、非常に希なので、写真に撮るのが難しいのですが、ツマグロヒョウモン蝶は、動きがゆっくりしているので、写真の撮り易いです。

 暫く歩くと、住宅地の一角が、田圃と植木を育てる場所になり、急に田舎の風景になりました。その真ん中に、この土地の持ち主の墓がありました。墓の周囲に、小型の向日葵のような花が、沢山咲いていました。今、何処にでも咲いているような気がします。調べて見ると、ルドベキア・タカオ(別名オオミツバハンゴンソウ(大三葉反魂草))という北米原産の花だそうです。既に、野草化しているようでした。この花の枯れた花心に、シオカラトンボの雌が、翅を休めていました。風景だけで無く、田舎の生き物も残っていました。感激しました。

 今日歩いた道の半分以上は、初めて歩く道でした。府中四谷から中河原迄でも、随分沢山の道があるものです。御嶽神社も初めてでした。珍しく、狛犬が置かれていない神社でした。神社から直ぐに中河原の駅に出ました。此処まで来ると、中河原公園の棗を見たくなります。棗は、実が鈴生りでした。秋に来るのが楽しみです。公園の脇の道に、ピンクの花が咲いていると思ったら、葉っぱの色でした。この草の名前は、初雪カズラと言うそうです。正直、栽培種には興味が無いのですが、野草のような感じで道脇にあると、ついつい写真を撮って、名前を調べてしまいます。

 関戸橋を渡って、土手の道を聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。土手の脇には、多くの仙人草が有りました。今日も5弁の仙人草の花を見つけました。土手から、駅の方へ行き、「あおば」と言うスーパーに入ると、パッションフルーツを売っていました。思わず買ってしまいました。

 家に戻ったのは、5時頃でした。今日の晩酌では、「むかご」の初物を頂きました。

 

「住宅地 周りは家の 田圃かな 稲の青葉に 花穂がいずる」

「クレマチス 仙人草の 仲間とは 野に咲く花と 大違いなり」

「時計草 白装束の 姿には 南米生まれの 派手さ無かりし」

「白き葉に 今満開の 初雪草 置き惑わせる 白き花弁」

「住宅地 畑の垣に ムカゴかな 実りの秋は 間近となりけり」

「我を見て 翅の模様を 見せつける 人に慣れたか 褄黒豹紋」

「住宅地 用水脇の 枯れ花に トンボ見るとは なんと良き日か」

「公園に 実が鈴生りの 棗かな 早く来い来い 実りの秋よ」

「緑濃き 夏草の中 ほんのりと 薄桃色の 初雪カズラ」

「初物の 茹でたムカゴに 舌鼓 季節の変わり目 舌で味わう」 

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2017年8月13日 (日)

2017年08月12日

2017年08月12日

 

 昨晩と言うべきか、今朝と言うべきか、3時頃に寝たので、今朝は、流石に9時近くに起きました。朝が、どの様な状態だったのか、分りません。部屋で日記を書いていると、10時頃、末の孫が、そっと部屋のドアを開けました。居間の方に行ってみると、孫達は皆起きていました。

 カーテンを開けてみると、所々に青空が見え、日差しもありました。今日は、雨の予報でもあり、ベランダにはハンモックが吊されているので、洗濯は止めるつもりでしたが、急遽洗濯機を回しました。昨日の残骸を片付けて、味噌汁を作り、ご飯を炊き始めると、11時になり、娘夫婦も起きて来ました。次男も起きて来て、仕事に出かけました。なんと、長男は、前回もそうでしたが、私が起きる前に帰ったそうです。殆ど寝ていないのではないかと思います。

 娘1家が泊まると、何時もそうですが、大人も子供も夜更かしが過ぎて、昼食と朝食兼用になってしまいます。今日も11時半頃から食事になりました。秋刀魚を焼いて、コロッケを温め、簡単な食事になりました。我が家に来ると、何故か孫娘の食欲が旺盛になります。今日もお替りをして食べました。私としては、嬉しい限りでした。

 食後、洗濯物を干し、朦朧とした頭で、昨日の日記を書きました。昨日、娘一家が来る前に、ある程度書いていたので、2時近くに、漸く書き上げる事が出来ました。

 孫達は、ゲーム機で遊んでいましたが、孫娘と末の孫が、外で遊びたくなったようなので、娘婿と私とで、孫達を近くの公園に連れて行きました。小さい割には、比較的遊具が揃っている公園です。前回もこの公園で遊びましたが、その時は、ターザンロープの下に、ロープに沿って細長い水溜まりが出来ていました。その水溜まりを避けて、上手に着地するのが、スリリングで面白かったようでした。今日も水溜まりを期待していたようですが、残念ながら、ターザンロープそのものが新しくなり、水溜まりも出来ないように整備されていました。

 別の所には、ロープで作られた網の橋があります。末の孫は、ターザンロープが未だ出来ないので、この網の橋で遊んでいました。穴が空いている場所もあり、上手に歩かなければなりません。末の孫なりに工夫して、機嫌良く遊んでいました。その内に、ターザンロープで遊んでいた、上の孫と孫娘が、網の橋に移ってきました。所が、この後、末の孫が、トイレに行くと言って、娘婿とトイレに行きました。そして、トイレから出て来た後、何も話さず、一歩も動かなくなりました。

暑さが厳しくなり、持って来た水も無くなりましたので、上の孫と孫娘は、私と我が家の戻り、かき氷を食べていました。暫くして、大泣きしながら、末の孫が帰ってきました。しかし、玄関から中には入ろうとせず、号泣しました。この前、私が娘に家に行った時も、同じような事が起きました。今日、末の孫の様子を見て、なんとなく、末の孫の号泣の意味が、分ったような気がしました。

末の孫は、人一倍負けず嫌いです。この負けず嫌いの性格も、3人兄弟の末っ子という事から、強くなったと思います。今のところ、お兄ちゃん達に勝てるものが、何も無いのです。ですから、自分が楽しくやっている所には、お兄ちゃん達に、入ってきて欲しくないのです。このことを、親達にも分って欲しいのですが、その自分の複雑な気持ちを、親達に伝える事が出来ないので、「分ってくれー」と号泣するのだと思います。末の孫にとって、家の中は、お兄ちゃん達がいて、お兄ちゃん達の言う事を聞かなければならないし、自分の思い通りに出来る事は、何も無いのです。ですから、玄関から中には入りたくないのでしょう。

 上の孫達の我が家での合宿は、1週間延びて、23日からになりました。娘に、その時の末の孫の様子を、普段と変わらない生活をしながら、じっくりと観察して貰いましょう。恐らく、我が世の春を感じると共に、お兄ちゃん達のいないと、実は何やっても面白くない事に気づくかも知れません。

幼年期であっても、人生の悩みはあるものだと思いました。同時に、自分の事も思い出しました。私が、中学校1年の時、父が、家族で稲佐山に遊びに行こうと言った事がありました。今の末の孫に較べれば、随分大人でしたが、絶対に嫌だと言い張り、最後は、号泣しました。父もそんな私を見るのは初めてでしたので、継母の子供達だけを連れて、稲佐山に行って来ました。継母が来て、弟達が生まれた後、私は、この家族の一員では無いと常々思っていました。父は、その後全てを了解し、その後私に何かを言う事が無くなりました。娘一家に、このような事情はありませんが、兄弟は一番近くにいて大切な存在であると共に、一番憎い存在になる事もあるのです。娘の家では、上の孫が生真面目で甘えん坊なのが、問題かも知れません。長男は、少し「ぼー」としているくらいが、良いのかも知れません。

結局、末の孫は、泣き止まないまま、3時半頃、娘一家は、自宅に戻る事になりました。以前作ったトマトソースと、昨日作ったビーフシチュウを持って帰って貰いました。両方、同じようなトマト味ですが、娘一家の何食分かにはなるでしょう。家に戻ってからの、末の孫の様子は、後で聞いてみる事にします。

 

「親達に 分って欲しい この気持ち 号泣だけで 言葉にならず」

 

 

 

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2017年8月12日 (土)

2017年08月11日

2017年08月11日

 

 今朝も曇り空で、一時小雨もふりました。梅雨が明け、8月に入ってからの方が、曇り空が多いような気がします。

 今日の夜は、娘一家と長男が来ますので、11時半頃から買い物に出かけました。買い物は、近くのスーパーでも間に合うのですが、そうすると歩きませんので、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。日差しは強くありませんでしたが、昨日、生まれ変わった、帽子を被って行きました。

四谷橋を渡って、多摩川の右岸に出ると、仙人草の花が咲いていました。一番大きい花は、5弁でした。しかし、その他の花は、ドクダミと同じで、4弁の白十字でした。後で調べたら、仙人草の花は、4弁でした。いきなり、変わり者に出会ったのです。また、仙人草の別名は、クレマチスと言うそうです。本当なのでしょうか、これまで見たクレマチスは、花弁も多く、色も多彩だったと記憶しています。

今日は、ずっと曇り空で、夕闇のような感じでした。月見草は、その暗さを感じるようでした。散歩の時間は、殆ど花を閉じているのに、今日は、花を開いていました。昨日も今日も、小雨が降ったので、露草やおっ立ちカタバミが、元気に花を咲かせていました。

土手を下りて聖蹟桜ヶ丘へ行く道に、保育園があります。毎年、今の時期には、パッションフルーツの花が咲いています。そろそろ花の時期は終わりですが、一輪だけ花が咲いていました。白い花弁に紫の輪のような模様があり、独特な花です。4年前は、我が家でも花を咲かせ、実もなりました。我が家の近くの家の庭には、白花のパッションフルーツが咲いています。非常に珍しいと思います。

聖蹟桜ヶ丘に着いて、花屋を見ていたら、我が家の近くに植えられている草の名前が分りました。初雪草でした。葉に大きな白い斑が入り、全体が花のような草で、初雪草という名前は、実に言い得て妙でした。

デパートの食品売り場に行きました。このデパートは、デパ地下が無く、1階が、食品売り場です。その売り場の中央は、バス停から駅の改札に抜ける通路になっていて、特設の食品売り場になっています。今日は、その中に新潟の特産品売り場が設けられていました。今晩の酒の肴にしようと、蒲鉾を見ていたら、これは良い客だと思ったのでしょう、売り子のお姉さんが、次から次に試食を勧めました。試食だけで、お腹が1杯になりそうでした。結局、6種類もの蒲鉾を買ってしまいました。その様子を、隣で見ていた総菜屋のお兄さんが、一箱1500円と書いてある鶏の唐揚げを、「1000円にまけますよ」と声をかけてきました。誘いにまけて、この唐揚げも買ってしまいました。

長居をすると余分なものを沢山買いそうなので、1時のバスで、我が家の方へ戻り、近くのスーパーで、予定していた買い物を済ませ、我が家に戻りました。それから、今晩の為に、ビーフシチュウを作り、高校野球を見ながら、皆が来るのを待ちました。

6時近くに娘一家が尽きました。孫娘が、真っ先にベランダに出て、ハンモックを見つけました。その時の笑顔が、とびっきり素敵でした。ハンモックに横になり、目を閉じて、ハンモックの感触を確かめていました。他の孫達も争うようにハンモックに乗りました。簡単には味わう事の出来ない経験で、皆、本当に嬉しそうでした。何十年振りかに、ハンモックが役に立って、私もハンモックも本望でした。

子供達の食事が終わった7時半頃、長男が着きました。本格的な宴が始まりました。今日は、本当は花火大会をする予定だったのですが、雨が降って出来なかったので、この前買って置いた、おかめとひょっとこのお面を出しました。これが、大受けで、大人を含め、全員で代わる代わる「お面」を被り、1時間程、大笑いしました。普段真面目な上の孫が、頭が壊れたかと思う程、笑い転げていました。

11時頃、孫達は流石に限界を超え、眠ってしまいました。大人達の宴は続き、日本酒、ワインのボトルが次々に空いて、終に日が変わり、次男が帰ってきました。改めて、飲み会が始まった状態になりました。私も、3時近く迄付き合いましたが、孫達と同じで限界を超え、休ませて貰いました。

 

今日は、頭が朦朧として、歌がでてきません。

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2017年8月11日 (金)

2017年08月10日

2017年08月10日

 

 今朝は、全くの曇り空でした。8時半頃、洗濯物を干し始めたら、小雨が降ってきました。

 今日は、12時からホテルオータニで、エクアドルの独立記念日の式典に参加する事にしていました。早めに日記を書き上げ、朝の仕事も早く済ませて、出かける準備をしました。セミフォーマルなので、白いワイシャツにダークスーツ、ネクタイ、革靴と、最近縁の無かった服装で、10時半には家を出ました。

 11時近くに聖蹟桜ヶ丘の駅に着き、京王線のホームに上がると、「人身事故の為、上下線とも運転を見合わせており、復旧の見込みは12時頃です」とアナウンスがありました。これでは、全く間に合わないので、国立から中央線で行こうと、11時13分のバスで、国立に向かいました。分ってはいたのですが、バスが国立に着いたのは、11時45分でした。本来なら会場に着いている筈の時間でした。念のため駅員に聞いた所、中央線で四谷迄、どんなに早くとも40分は掛かると言われました。次の電車が、11時52分でしたので、四谷に着くのは、12時30分から40分の間でしょう。四谷駅から、ホテルまで15分近く掛かりますので、会場に着くのは1時頃になってしまいます。2時までの式差し振りの背広も、日の目を見ませんでした。

 スーツに革靴で、散歩する気にもなれず、乗ってきたバスで、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、12時半でした。約2時間、バスに乗って、うろうろしただけになりました。

 改めて、何処かへ散歩する気にもなれず、午後たっぷり時間があったので、押し入れの上の探し物と、山や散歩用の帽子の繕いをしました。実は、何回も引っ越しを繰り返している内に、私の一番大事なものが、見当たらなくなったのです。大事なものというのは、中学から大学までの日記、中学時代の美術の先生が褒めてくれた絵、高校時代の国語の先生が褒めてくれた詩、中学と高校の歌集等です。これらは、私の人生の基礎を形成してくれました。今日、ここにしか無いと思われた場所を探しましたが、結局、見つかりませんでした。引っ越しの何処かで、無くなってしまったようです。とても寂しい思いがしました。

 帽子の繕いは、不器用な男の下手さ加減が良く出ていて、私自身としては、非常に気に入りました。これで、それほど長くは無い、私の人生が終わるまで、私と付き合ってくれると思います。

 6時近くに、探し物と帽子の修理が終わって、晩酌の用意をしていたら、孫娘から電話がありました。直後に、末の孫からも電話がありました。孫娘からは、「明日行くので、ハンモックを使えるようにして置いて欲しい」との要望でした。この前、我が家にハンモックがある事を知って、どうしても、ハンモックに乗ってみたいらしいのです。末の孫は、単に「僕もジージと話したい」と思ったのに、孫娘が電話を切ってしまったので、母親に頼んで、架け直して貰ったようです。随分しっかりと話すようになりました。

 食事の前に、ハンモックをベランダにセットしました。このハンモックは、良く憶えていませんが、ヴェネズエラの原住民が使っているものに似せて作ったものだと思います。昔、ヴェネズエラのギアナ高地に行った時、原住民部落を訪れ、原住民が気持ちよさそうにハンモックに寝ていたので、首都のカラカスに戻って買ったような気がします。このハンモックをセットするのも使うのも、子供達が、今の孫達よりも小さい頃以来ですから、随分久し振りです。孫娘が気に入ってくれたら、私もハンモックも本望です。

 夜は、何時ものようにテレビを見ながら、晩酌をしました。テレビ見酒では、あまり趣がありませんね。

 

「擦切れて 綻び目立つ 山帽子 綻び直し 老いらく共に」

「孫娘 遠い昔を 呼び覚ます 我が子も遊んだ ハンモックかな」

「末の孫 僕も明日 行くからね 電話の向こうの 笑顔が見える」

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2017年8月10日 (木)

2017年08月09日

2017年08月09日

 

 今朝は、我が家のベランダからは、雲は見えず、青空が広がった良い天気でした。富士の所にだけ、ドーム型の雲が出来ていました。やがて、その雲は、ソフトクリーム状になり、何時しか大きな丸餅のようになりました。気温は、午前中からぐんぐん上がって、猛暑日となりました。

 今日は、私の故郷長崎の原爆記念日です。丁度、昼食の用意をしていたと思われる、11時2分に原子爆弾が投下され、爆発しました。私が通った城山小学校は、爆心地から最も近い小学校です。当然、学校の近くに住んでいた子供達が、通っていました。原爆が落ちた8月9日は、夏休み中でしたので、学校で死んだ子は少なかったらしいのですが、多くの児童が、自宅で無くなったようです。

私が、城山小学校に入学したのは、恐らく昭和26年だったと思います。木製の仮校舎で、2部授業でした。その同じ年に、坂道を登った学校の正面に、少年平和像が立ちました。また、原爆で亡くなった子供達に捧げる「子らの御霊よ」という歌も作られました。全校朝礼があった日は、必ず「子らの御霊よ」を歌い、少年平和蔵を見て、教室に戻りました。

 今日の平和式典で、城山小学校の生徒達が、「子らの御霊よ」を合唱しました。この歌を聴くと、昔を思い出して目頭が熱くなり、胸がじんとしてしまいます。我々が入学した頃は、殆どの児童が、継ぎの当たった服を着て、運動靴が買えなくて、ゴム草履を履いていた子も多かったのですが、今の子供達は、とても品が良く服装も綺麗でした。城山小学校は、制服になったのでしょうか、それとも合唱隊だけの制服だったのでしょうか、良く分りませんが、時代が変わった事だけは分りました。

 今日の式典では、安倍総理が、明確に非難されていました。核兵器禁止条約に、被爆国である日本が、賛成しなかったからです。

 今日は、猛暑日なので、散歩は諦めようかと思っていたのですが、午後2時を過ぎると、奥多摩の方から黒い雲が迫ってきて、今にも雨が降りそうな空模様になってきました。そこで、雨の中を歩いても良いような準備をして、聖蹟の方まで歩いてきました。

 2時半頃に家を出て、四谷桜公園で体操をしていると、ぽつりぽつりと雨が降ってきました。体操が終わった頃には、本格的な雨になりました。雨は覚悟の散歩でしたので、雨の中を四谷橋の方へ歩き始めました。肌を濡らす雨が、とても気持ち良く感じられました。しかし、四谷橋を渡り切る頃には、雨は止んでしまいました。ほんの15分くらいの雨でした。土手の草達は、雨が贈ってくれた水玉を葉の上に乗せて、銀色に輝かしていました。

 聖蹟に着くと、先ずAUのサービスセンターに行きました。歩数や消費カロリーを計算してくれるアプリが、急に動かなくなったのです。若い係員に相談すると、私のスマホを手にとって、1,2回触ると、「治りました」と言ってスマホを返してくれました。アプリがフリーズしていたので、一旦アプリを消去して、再度呼び出しただけだそうです。私が、ほぼ一月悩んでいた事が、ほんの一瞬で解決しました。流石に専門家です。お陰で問題が1つ解決しました。

 外国食品店カルディは、冬はホットコーヒー、夏はアイスコーヒーをサービスしてくれます。バスが発車するまで時間があると、このコーヒーを飲む事にしています。散歩を終えた身体には、とても美味しく感じられます。今日も、美味しく頂きました。只のコーヒーは、なんとなく申し訳無いので、終わりそうになっているオリーブオイルを買いました。私は、店の思惑に乗り易いタイプの人間のようです。

 5時前に家に帰り、高校野球、プロ野球と、今宵はは野球三昧でした。

 

「被爆から 72年の 時流る 我生きてきた 時間と同じ」

「雨足が 足早に行く 多摩の里 地上の舞台に 霞の幕かな」

「猛暑日に 雨中の散歩 また楽し 身体のほてり 取り去るシャワー」

「葛の葉も 茅の葉にも 水玉の 銀に輝く 夕立の後」

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2017年8月 9日 (水)

2017年08月08日

2017年08月08日

 

 台風一過とまでは行かず、雲の多い空に少しだけ青空が見えました。ニュースによれば、台風5号は、紀伊半島から、琵琶湖を抜けて日本海に出たそうです。朝の段階では、富山県沖を北上中との事でした。取り敢えず、東京からは、台風の影響がほぼ無くなりました。

 昨晩、奥多摩の方には、かなりの雨が降ったようです。多摩川の水嵩がかなり増えていました。通常は、我が家のベランダからは、多摩川の流れをみる事は出来ません。所が、水量が増えると、通常の岸を越えて水位が上がる為、流れが見えるようになります。見える川幅の広さによって、増水の度合いが分ります。今日は、かなり水位は上がりましたが、これくらいだったら、梅雨時の雨と大差はないと思いました。

 今日は、姪と食事をする為に、夕方から出かけるので、昼間は、近くのスーパーに水を買いに行っただけです。2リットルのペットボトルが6本入った箱を、3箱買いました。何時も買うのは、南アルプスの天然水です。サントリーのウィスキー白州と同じ所で、ペットボトルに詰められています。何時だったか、ウィスキー白州の工場見学をした時、この水で作ってくれた水割りが、とても美味しかったので、以来この水にしています。それにしても18本で、1400円強でしたから、1本100円しないわけです。コンビニでは、同じ水の300CCが100円です。水の値段では無く、手間の値段ですかね。

 5時半頃に、次男と一緒に家を出て、丁度約束の6時半に吉祥寺に着きました。姪との食事会を今日にしたのは、次男が休みだったからです。姪は、既に着いていました。最初に予定していた「鳥良」が、改装中だった為、前回と同じイタリア料理の店にしました。駅を出て、水道道路の方に出ると、沢山の人が、カメラを空に向けていました。空を見上げると、なんと虹が出ていたのです。ビルの谷間の、町の灯りの上に虹が架かり、それを見ている自分達が、とても幸せ者に思えました。西の空は、綺麗な夕焼けの空でした。太陽が落ちたばかりなのでしょう、光の帯が空に向かって延びていました。我々の目からは、太陽は既に山の向こうに沈んでいました。しかし、放射状に延びる、この光をが、虹を作っているのだと思いました。

 イタリアレストランは、井の頭公園の入口近くにあります。今日は、我々が最初の客でした。イタリアでは、あまりビールを飲まないのですが、ここは蒸し暑い日本です。先ず生ビールを飲みました。本当に旨いです。日本では、ビールは欠かせないと思います。その後、前菜を7種類くらい頼みました。会って話して飲むのが、主目的ですから、前菜は酒の肴です。3人とも酒は強いので、ビールの後は、ハウスワインの飲み放題にしました。とても美味しく、沢山飲みました。

 長崎の実家は、末の弟が守ってくれています。私も、私の子供達も、長崎に行ったら、必ず弟の世話になってきました。その為、従兄弟同士良く知っていますし、仲も良いのです。特に、弟の嫁さんが、すかっとして気立てが良いので、お世話になり易いのです。姪と半年に1回の食事は、そのお礼の意味もあります。

 話しは尽きなかったのですが、ハーモニカ横丁で飲みたかったので、9時には、店を出ました。ハーモニカ横丁は、結構な混雑でした。この前下調べをして、予定していたバーで飲む事にしました。横丁の狭い通りに面したカウンターで、立ち飲みにしました。横丁で飲んでいる雰囲気が、良く出ていました。酒は、お定まりのグアテマラのロン(ラム酒)のオンザロックを頼みました。姪も次男も、ハーモニカ横丁の雰囲気を気に入ってくれました。姪は、吉祥寺に住んでいて、友達と来た事があるそうですが、次男は、どうやら初めてだったようです。

 暫く飲んでいると、流しの小父さんが、我々の所にやって来ました。未だに流しがいるのですね。そして、なんとこの流しの小父さん、長崎出身だったのです。香焼で育ったらしいのですが、香焼の地名を知っている人と会った事が無いと言っていました。しかし、私が香焼の事を良く知っていましたので、歌より先に、話しの方が盛り上がりました。その後、狭い横丁で、4人一緒に「長崎は今日も雨だった」を大合唱しました。近くで飲んでいる人も、楽しそうに見ていました。

 流し小父さんは、次の客の所へ移り、我々は、バーの小母さんが勧めてくれた、名前も知らないスコッチを、またオンザロックで飲みました。今日は、どんな酒でも旨かったです。何時までも飲んでいたかったのですが、姪は現在職業訓練所に通っていて、朝が早いようですし、我々もバスがなくなるので、10時でお開きにしました。

 11時頃、我が家に着きました。今日は、満月なのですが、朧月でした。なんとなく、酒が物足りなかったので、次男が持っているガイアナのロンを飲みました。次男は、吉祥寺で3歳くらいまで育ったのですが、何の記憶も無いそうです。子供の頃のアルバムを見ながら、次男が子供の頃の話しを、1時過ぎまでしてしまいました。我が家では、子供一人一人に専用のアルバムを作ってやったのです。

 

「街の灯の 上に大きな 虹の出て 暑さ忘れる 夏の夕暮れ」

「吉祥寺 虹は東に 日は西に 虹へ向かいて 残光延びる」

「狭き路地 すれ違いも ままならぬ 誰もが友達 ハーモニカ横丁」

「同郷の 流しの小父さん 気分良く 皆で合唱 長崎の歌」

「子供らが 一番可愛い 幼年期 子供ら自身は 覚えておらず」

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2017年8月 8日 (火)

2017年08月07日

2017年08月07日

 

 雲もあるものの、青空も広がった良い天気の朝でした。これが、夕方頃には、台風5号の影響で、雨になると言うのが嘘のようでした。

 江崎沖縄北方領土担当大臣の、大臣就任に対する軽口が、色んな所で問題になっています。官僚主導型の議委員は、昔、沢山いた者です。彼も安倍総理が好きな二世議員です。彼の父親、江崎真澄議員は、私が社会に出た頃に活躍していた議員でした。幾つかの大臣を歴任したと思います。戦後の混乱期に、議員となり、種々異論はあるでしょうが、彼なりに日本の復興、新しい日本の政治のあり方に貢献してきました。その息子が、私と同じ歳なのですね。私と父の関係とほぼ同じです。復興を終え豊かになった日本は、将来が見えにくい社会になりました。政治も、日本の未来に関する議論よりも、汚職に関する議論ばかりになりました。昭和は、遠くなりました。

昨日の夜作ったミートソースを、キュービック状に冷凍するのに、今日1日掛かってしまいました。一度に沢山作った方が美味しいので、毎回作り過ぎ気味なのです。しかし、半分は娘の所に行きます。

何時も冷蔵庫にあった方が良い物が、もう一つあります。グレープフルーツの生ジュースです。口の渇きが治まらない時、なんとなく口の中が片で味が分らない時等、この生ジュースを一口飲むだけで、口の中も気分もすっきりします。私にとっては、万能薬のような物です。ただ、人によっては、強すぎる場合が有るようです。メキシコ時代、娘が中学生で、試験だった日の朝、この生ジュースを飲ませた所、下痢になって、まともに試験が受けられなかったと言っていました。当時の我が家の台所が、不衛生だったのかも知れません。胃癌で切り取ってしまいましたが、私の胃は、以前、少々傷んだものでも平気な、鉄の胃と言われていました。

今日の午後から、台風5号の影響が出て、雨になるかも知れないと、天気予報が言っていました。確かに、何時雨になってもおかしくない空でした。今日も、お寺巡りを考えていましたが、御朱印帳を濡らしたくなかったので、取り止めました。何時雨になっても良いように、カメラも何も持たないで、四谷橋を渡り、浅川の土手から、石田大橋に戻ってくる、標準的なコースを歩いてきました。

午後2時過ぎに家を出て、桜公園で体操をした後、土手に出て四谷橋方面に歩いていると、いきなり雨が落ちてきました。日向雨のようなもので、四谷橋を渡り始めたら、雨は止見ました。5分程度の雨でした。四谷橋から、カワウの塒の送電線を見ると、普段川の浅瀬にいる川鵜も全て、塒に帰っていました。台風の襲来を予感しているようでした。しかし、私には、台風の暴風雨が来た時は、送電線の塒も、安全な場所とは思えませんでした。

浅川と程久保川の合流点にある、仙人の花畑は、夏草が我が物顔でした。浅川の土手には、やっと名前を覚えた、オオアレチノギク(大荒地野菊)が、私の背丈に負けない程度に大きくなって、並んでいました。

 石田大橋の下の堰では、青鷺と川鵜が非常に近い距離で、にらめっこしていました。カメラを持たない時に限って、こんな光景に出会います。暫く、お互い見つめ合っていましたが、終に青鷺が、横を向いてしまいました。川鵜が、どんな顔をしたのか、良く見えませんでしたが、これでは青鷺の負けでしょう。

去年まで、石田大橋の下には、沢山の燕の巣がありました。餌を捕って戻ってくる親鳥の数だけでも、相当な数でした。所が、今年は、燕の姿を見かけないのです。人間が、冬の間に、燕の巣を取り払ってしまったか、燕が危険を察知する何かが起きたのだろうと思いました。

浅川の土手と、スーパーの近くの道で、また日向雨に遭いました。しかし、雨とは言えない程度の雨で、大して濡れもせず、我が家に戻りました。4時半頃でした。時間が、たっぷりあったので、蛸のアヒージョ、ほうれん草のソテー、モロヘイヤの叩き、アスパラと豚肉の炒め物と、全部自分で作って、白ワインで優雅な晩酌になりました。モロヘイヤの叩きは、茎の部分が多いと、3年前、白神山地のガイドが作ってくれた、「みず」の叩きのようで、とても美味しいです。

結局、台風5号の雨風は、日付が変わる頃になって、漸く始まりました。私は、寝る時間でした。

 

「川鵜達 避難指示は 無けれども 自主避難の 送電線かな」

「どうしても 好きになれない 君なれど 命の勢い 大荒地野菊」

「堰の上 川鵜青鷺 にらめっこ 青鷺横向き 川鵜の勝利」

「燕等が 行き交う姿 今は無し 味気無きかな 石田大橋」

「足早に 黒雲通る 多摩の里 ばらまく雨は 雀の涙」

「いそいそと 肴を作り ご満悦 月は出ずとも 雲見酒かな」

 

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2017年8月 7日 (月)

2017年08月06日

2017年08月06日

 

 今朝は、かなり青空が見えていたのですが、1時間程で、雲が空を覆ってしましました。その後は、時々青空が見えて、日差しが出るようになりました。

 今日は、広島の原爆記念日です。朝から、記念式典の模様が、テレビで放映されていました。式典の中での、安倍総理の挨拶が、役済ましで素っ気なく感じました。被爆国が、国連の核兵器防止条約に反対したのですから、広島に来る事自体、気まずかったのでしょう。

後3日すると、私の故郷、長崎の原爆の日です。原爆が落ちた日、私は、未だ1歳の誕生日前でしたので、原爆が落ちた当時の記憶は全くありません。それでも、原爆手帳を貰いました。原爆投下のほぼ一週間後の8月17日、疎開先の佐賀から、爆心地に近い、城山の我が家に戻ったからだと思います。爆心地から、直線にして、2キロメートルの範囲内だと思います。私が通っていた、城山小学校は、爆心地から500メートル無いと思います。

 今日は、多摩十三仏で、御朱印を貰えなかった、永山駅の近くの二つの寺に行って来ました。私の散歩の時に限って、強烈な日差しが出て、猛烈な暑さになりました。

 1時半に家を出て、聖蹟からバスで、永山駅に2時15分に着きました。先ず、駅前から5分程度の阿弥陀堂の御朱印を貰いに行きました。阿弥陀堂は、本当に小さなお堂ですから、御朱印を貰う所は、そこから20メートル程離れた、一般の家の車庫の中にあります。所が、この前も今日も、車庫には誰もおらず、インターフォンも無いのです。どうしたものか考えて、この家の玄関の方へ廻って、インターフォンを押して、「御朱印を貰う所に誰もいないのですが、何かご存じないですか」と聞いた所、「お入り下さい」と返辞がありました。中から、見た事のある、お婆さんが出て来ました。この前も、どうして良いか分らず、庭をうろうろしていたら、このお婆さんが出て来て、「何をされているのですか」と、詰問されました。この時に、「御朱印を貰いに来た」と言えば良かったのです。なんと、このお婆さんが、紙に書いた御朱印を預かっていたのです。参拝の日付も書き込まず、ただ印刷された御朱印の紙を貰いました。

 御朱印を貰って、次の大福寺へ向けて歩き始めたら、雨が落ちてきました。日向雨でした。雨は、ほんの僅かな時間で止み、その後は、唯々、真夏の日差しが降り注ぎました。今日は、大して歩かないからと、水を持って来なかったのですが、大汗を掻き、水無では歩けなくなりました。途中で、スーパーに飛び込み、水だけ買いました。

 大福寺には、2時45分頃に尽きました。大福寺は、よく手入れされ掃除の行き届いた、閑静なお寺です。住居のインターフォンを押すと、未だ三十代だと思われる、若い大黒さんが出て来ました。後ろの方に子供が二人、玄関の様子を、伺っていました。御朱印帳を渡すと、住職は留守だったらしく、全て判子だけ、参拝日も書かれていない御朱印が押されて、返って来ました。仕方ないでしょう。参拝日は、自分で書き込めば済む事です。お礼を言って、玄関を出ようとしたら、大黒さんが、一旦奥に入り、サイダーとコーヒーの缶を持って帰ってきました。「とても暑いので、どちらかお好きなのをお持ち下さい」と言ってくれました。どのお寺にも、あめ玉くらいは置いてあるのですが、こんなサービスを受けたのは、初めてでした。サイダーを有り難く受け取りました。夏の暑い日に、お寺巡りをする、信心深い仏教徒だと思ってくれたのかも知れません。

 永山駅への帰り道、白い花の芙蓉、実を大きくし始めたカラスウリ(烏瓜)に、夏本番と秋の気配を感じました。そう言えば、昨日、神代植物園では、つくつく法師の鳴き声を聞きました。もう1月足らずで、暦の上では秋が始まります。そして、コンクリートの裂け目に根を下ろし、金網に巻き付いて、一輪の花を咲かせていた山芋に、とても感動しました。葉は小さく縮れ、生きる事すら難しい環境で、良く花を咲かせました。

3時半には、永山駅に着き、聖蹟には3時45分に着きました。聖蹟4時発のバスで、我が家の近くに戻り、スーパーで買い物をしました。一昨日、ピザを作った段階で、ミートソースが終わってしまいました。ミートソースが無いと何故か落ち着かないので、今日は、ミートソースを作る事にしました。必要な材料等を買ったので、結構な荷物になりました。

5時頃から、ミートソース作りに取りかかりました。先ず、ニンニク大玉一個半を微塵切りにしました。次ぎに香味野菜(今日はセロリ)を微塵切り、玉葱中玉十個を、粗微塵にしました。これで、基本的準備はお仕舞いです。何しろ量が多いので、微塵切りは大変です。その後、鍋で、たっぷりのバターを溶かし、ニンニクとセロリと豚挽肉を炒め、更に玉葱を加えて良く炒めます。玉葱が透明になった所で、トマト缶4缶、マッシュルームスライス4缶(小)、野菜ジュース、ローリエを加えて、焦がさないようにじっくりコトコト煮て、コンソメの素で味を整え、更にじっくり煮れば、出来上がりです。今日は、寝るまでコトコト煮ていました。

十三夜の月は、我が家のベランダから見えるようになった7時頃は、朧月でしたが、9時近くから雲が取れ、今日も煌々と輝きました。

 

「御朱印を 預かっているの この私 もうすぐお盆 掃除もしたよ」

「真夏日に お寺巡りの 老人に 冷えたサイダー 優しき大黒」

「生け垣に 緑の大葉 白芙蓉 君に似合いの 真夏日の午後」

「丸刈りの 庭木の上に よじ登り 実を肥らせる 烏瓜かな」

 

「金網に 半枯れの蔓 巻き付けて 必死の山芋 花の一輪」

「ベランダに 杯持って 月見酒 夜風も漸く 涼しくなりぬ」 

 

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2017年8月 6日 (日)

2017年08月05日

2017年08月05日

 

 昨晩、一瞬月を見たのですが、今日もまた、雲の多い朝だと書かなければなりません。何時になったら、青空の朝を迎える事が出来るのでしょうか。

 私は、今度総務大臣になった、野田氏が好きではありません。もう、20年近く前になりますか、有る会議で野田氏と同席した事があります。1年か2年生議員だったと思います。その時、会議に参加した一般人に対する言動が、非常に傲慢だったのが、強い印象として残っています。その後、野田氏は、経験を積み、子供の事等、個人的に苦労もしたようですから、人間が大きく成長したのかも知れません。今後、総務大臣の職責を全うする過程で、その成長振りが見たいものです。

 今日、調布に住んでいる友人に電話したら、身体が空いているとの事でしたので、深大寺と神代植物園に行く事にしました。

 午後1時15分、早めに家を出ました。調布についたのは、丁度2時頃でした。調布では、深大寺の前に、もう一つ御朱印を貰いたい寺があったのですが、乗るバスを間違えたようで、いきなり深大寺入口バス停に着いてしまいました。西参道を歩いて行くと、水車のある蕎麦屋に出ました。水車の前には、藪茗荷の花が咲いていました。藪茗荷の季節なのですねー。深大寺の前に出ると、物凄い人混みでした。今日と明日は、夕涼みの会が行われ、屋台も多く出店し、浴衣姿の人達で、賑わっていました。

深大寺の境内に入り、御朱印が貰える場所を探したら、ちゃんと標識がありました。深大寺は、有名な寺ですから、寺務所で御朱印を出してくれました。極めて事務的でした。それはそれで良いと思いますが、住職の話が聞けないのは、少しだけ残念でした。深大寺の御朱印は、深大寺の本尊阿弥陀仏(無量寿)、国宝に指定された釈迦如来(白鳳仏)、厄除けの元三大師の三つあり、全部貰ってきました。

これまでに、何度も深大寺に来ていますが、今日初めて、元三大師堂に入りました。堂内は、極めて暗く、良く見えませんでしたが、向かって左側の不動明王の右目だけが、異様に光っていました。闇の中から、心を見透かすような、強い眼差しでした。

元三大師堂から、開山堂に登りました。深大寺の開創1250年を記念して、昭和58年に建設された、奈良様式の小さなお堂でした。高い木々に覆われて、エゾゼミ(ヒグラシ?)の鳴き声が聞こえました。どうも、エゾゼミとヒグラシの区別がつかなくなりました。エゾゼミは、深山の蝉で、町の近くで鳴く事はないそうです。最近、丹沢で聞いたのはエゾゼミ、その後、高尾山、桜ヶ丘公園、今日深大寺で聞いたのは、ヒグラシなのかも知れません。鳴き声は、良く似ています。

開山堂の直ぐ横に、庭木を得る店がありました。その店で、深大寺北町で、個人が採蜜した、純粋の蜂蜜を売っていました。蜂蜜は、沢山買い置きがあるのですが、記念に一瓶買って帰りました。ラベルも何も無い瓶に、誘われたのかも知れません。

植木屋の前が、神代植物園になっています、何時もは、植物園を見た後で、深大寺に参拝するのですが、今日は逆でした。深大寺の賑わいに較べ、植物園は、閑散としていました。植物園を一回りしても、出会った人は20人足らずでした。こんなに閑散とした植物園は、見た事がありません。

 植物園の林の下には、一塊の藪茗荷の花が咲いていました。多くの種類の木槿が、品評会のように咲いていました。花の名前がついていませんでしたが、狐の剃刀と彼岸花の交配種のような、花も咲いていました。池には、真っ白いサルスベリが水面に姿を映し、その上をカイツブリが泳いでいました。この夏、カイツブリを見るのは、別々の所で3回目です。それも常に1羽だけでした。夏鳥なのでしょうか、留め鳥なのでしょうか、分りません。

隣の蓮池の横に、ラクウショウ(落羽松)の小さな林があります。ヒマラヤスギは、立派な実を上向きに付けるのですが、ラクウショウは、小さな丸い実を、下向きに付けていました。ラクウショウの実は初めて見ましたが、フグリのようでした。バラ園やダリア園にも行ってみましたが、時期は過ぎたようでした。それに、人がいないので、妙な寂寥感がありました。

4時に植物園を出て、調布駅へ向かいました。道路が非常に混雑していて、調布駅に着いたのは、4時40分でした。待ち合わせの時間は、5時でした。普段なら最低でも10分前に来る友人が、5時になっても現れません。仕方なく電話をしたら、遠くの飲み屋のビルの前で、電話を取る友人の姿が見えました。待ち合わせの場所は、駅の出口だったのですが、勘違いしたようです。

行きつけの飲み屋に入り、先ずはビールで乾杯、酒の肴も頼んで、飲み会が始まりました。最近の政治の事、昔頻繁に新宿で飲んでいた時代の思い出、共通の友人の消息、家族の事等、話しが広がり、あっと言う間に、8時過ぎてしまいました。この友人とは、何時でも会えるので、今日は、これくらいで終わりにしました。

家の近くのバス停に着いたのは、9時近くでしたが、12夜の月が煌々と輝いていました。昨晩は一瞬でしたが、今日は、日付が変わる頃、私が寝る時まで、ずっと輝いていました。

 

「深大寺 水車の前の 藪茗荷 新蕎麦も出る 夕涼みの会」

「山門で ブラスバンドの 演奏会 浴衣姿で 楽器操る」

「夕涼み 浴衣の多い 参道に 短パン姿の 異邦人かな」

「深大寺 名高き湧水 涼の素 子供等ジャブジャブ これ昼涼み」

「深大寺 境内の池 我が住家 キリリと白帯 コシアキトンボ」

「旨そうな トウモロコシが 焼けている お土産品屋の 俄か商売」

「お隣の 寺の賑わい 嘘のよに 静まりかえる 植物園」

「こんなにも 木槿の種類 あったかな 純白可憐 ダイアナ木槿」

「百日紅 水面に白き 影映す 影を揺らす カイツブリかな」

「落羽松 丸い緑の 玉下げて 大松のフグリ 野外品評会」

「鬼蓮の 葉の大きさに 遠慮して 隙間探して 小さき花咲く」

「町の灯の 点るを待てず 居酒屋に 中は何時でも 酒飲む時間」

「老いたれば 思い出語り 世を愁い 一際旨し 友と飲む酒」

「幸せな 一日過ごし 帰宅の途 良き日を祝う 十二夜の月」 

 

 

 

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2017年8月 5日 (土)

2017年08月04日

2017年08月04日

 

 今日も、雲の多い朝でした。8月に入って、すっきり晴れた気持ちの良い朝が、未だ有りません。昨晩は、その前の晩よりは、少し温度が上がったものの、冷房無しで寝る事が出来ました。今朝7時半まで寝てしまいました。

 改造安倍内閣が発足して、各テレビ局が、この人事の背景について、種々検討をしています。この人事の背景のついては、安倍総理の考えを憶測するだけのゲームのようなものですから、特に関心はありません。しかし、改造内閣の発足に当たっての、安倍総理の発言は、腹立たしいものでした。安倍総理は、森友学園、加計大学の獣医学部、自衛隊の日報の問題で、国民に疑惑を与えた事に謝罪していましたが、自分が疑惑の根源であるのに、担当大臣の説明や力量不足の為、疑惑を引き起こしたような口振りでした。政治家の薄汚さを見たようで、全身に悪寒が走りました。担当大臣を変えた事で、種々の問題の幕引きは、止めて貰いたいと思います。野党もきっちり追求して欲しいと思います。

 私は、民主主義の世の中に於いては、職業の世襲は良い事だと思っていません。特に、社会の現実の問題に対応し、社会の将来の変革を担う政治家の世襲は、良くないと思います。もう少し、世の中の現実を知って欲しいと思います。しかし、安倍総理は、自分と同じ、二世三世議員が大好きです。政党や政府の要人を、世襲議員のクラブのようにしている感があります。それだけでも気持ちが悪いのですが、そのクラブが、私腹を肥やし、私的関係者に便宜を図り、利権の巣窟のようになっているような気がします。以前は、検察の特捜部が、活発に政治家による汚職の調査をしていましたが、特捜部そのものが、味噌を付けた為、最近は、特捜部による政治家の捜査が下火になっています。特捜部に再度頑張って貰うと共に、マスコミにも、政治の監視を続けて欲しいと思います。

 今日は、近場の分倍河原まで、歩いて来ました。妻と一緒に住んでいた時、良く歩いた道です。途中にお寺が二つあります。

 午後2時過ぎに家を出て、稲荷神社からチュウバスの道に出ると、ヒマワリが沢山咲いていました。此処は、毎年ヒマワリを咲かせています。この辺りは、水田も残っています。私が、一番大きなヒマワリ畑を見たのは、ハンガリーでした。ヒマワリ油を取る為に、遥か地平の方まで、見渡す限りヒマワリ畑が広がり、圧倒されました。スペイン、パラグアイでも、かなり大きなヒマワリ畑を見ました。多摩地方で見るヒマワリ畑は、可愛いものです。今日のヒマワリには、蜜蜂が蜜を採っているようでしたが、ヒマワリの蜂蜜が有るのか、私の中では、定かではありません。

 ヒマワリ畑から、バス道を離れて、中央高速道路の下を、高層道路に沿って歩きました。この辺りの高速道路は、コンクリートの橋による高架ではなく、土を盛り上げた状態になっています。道路の両側には、木が植えられています。木の種類は、場所によって違いますが、今日歩いた所は、キョウチクトウが植えられていました。そのキョウチクトウの9割は、葛に覆われて、折角の夏の花が、殆ど見えませんでした。所々で、葛の葉の下から、白や薄紫のキョウチクトウの花が、顔を覗かせていました。良く見ないと葛の花かと思ってしまう程でした。葛は、キョウチクトウだけでなく、電信柱も覆っていました。

 道脇には、背丈の大きなアザミが、既に時期を過ぎ、綿毛になっていました。今咲いている花の一つに、クマバチが、何かを探しているようでした。アザミの横に、いかにも夏らしく、芙蓉の花が、咲き誇っていました。

 鎌倉街道に出て、高速道路の反対側に行くと、正光院と言うお寺があり、御朱印を貰いました。この寺の住職は、何処にでも居る小父さんのような方でした。寺の玄関にあった「小野学校発祥の地」という石碑の謂われについて聞くと、「この地区は、昔、小野村と呼ばれていた。江戸時代より、近隣の子供に読み書き等を教えていた。明治になって、正式の育幼学舎と認められ、明治7年、小野学校と改称した。現在の府中市第五小学校の前身です」と教えてくれました。どんな田舎にも歴史があり、多くの場合、神社や寺は、その歴史の中心にあります。神は好きでは無くとも、歴史を変える事は出来ません。

 鎌倉街道から、御猟場道を歩いて、分倍河原に向かいました。この辺りは、江戸時代、徳川家の御猟場だったそうです。夏本番なので、至る所でミンミンゼミが鳴いていました。子供の頃は、どんなに高い所にいても、蝉を見つける事が出来たのですが、年を取ると目が見えなくなって、蝉を見つける事が、とても難しくなりました。音のする方向も、良く分らなくなりました。そんな私にサービスしてか、並木の花水木で、ミンミンゼミが、私の目の高さで鳴いていました。今年初めて、ミンミンゼミの写真が撮れました。

御猟場道が、中河原からの道と交差する所に、光明院というお寺があります。御朱印を頼んだら、住職が多忙の為、御朱印帳に書く事は出来ないが、出来上がりの紙だったら渡せると言われました。多忙な住職を煩わせる事は出来ないので、紙で我慢する事にしました。本堂が何処なのか分らないような、近代建築のお寺ですが、山門の横の、蓮に囲まれた弁財天の像が、良い雰囲気でした。

 分倍河原から、電車で聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家に戻りました。5時過ぎになっていました。

 

「畦道に 並び立つかな ヒマワリの 丸い花心に 蜜はあるかや」

「葛の葉の 陰から顔出す 紫の 白旗上げぬ 夾竹桃かな」

「何もかも 覆い尽くすや 葛野郎 電信柱は 歓迎かもね」

「背高の アザミは既に 盛り過ぎ 最後の花に 熊ん蜂かな」

「年寄りに 私は此処よと 蝉の鳴く 蝉の好意に 返すもの無し」

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2017年8月 4日 (金)

2017年08月03日

2017年08月03日

 

 今日も、雲の多い朝でした。昨晩も、冷房の要らない程、気温が上がらず、気持ちよく眠れました。夏本番の8月になってから、気温の低い日が続きました。

 我が家のブルーベリーのプランターに、面白い花が咲きました。柔らかい大きめの葉の中心から、細い花茎が伸び、小さな紫色の花を咲かせました。近くの道端では、時々見かけますので、そこから種が飛んできたのでしょうが、我が家では初めての花でした。

 今日は、午後2時過ぎから、吉祥寺に行って来ました。来週、姪と食事をすることになっていた、井の頭公園近くの「鳥良」4号店の予約しようと電話をした所、どうしても電話が掛からないのです。どうなっているのか、確かめる為に直接行ってみる事にしたのです。

 「鳥良」に行ってみると、店内改装中で休業していました。電話の配線部分も工事中なのでしょう、使える電話の張り紙がしてありました。同じチェーンの店は、他に2店吉祥寺のあるのですが、公園の緑を見ながら食事が出来るのは、4号店だけなのです。食事の場所を考え直す事にしました。

 やる事が無くなったので、御朱印集めをすることにしました。公園に下りて、池を渡り、弁財天の上の大盛寺に行きました。この寺は、不思議な寺で、寺への入口が無く、普通では境内に入る事が出来ないのです。今日、その理由が分りました。寺の横に、住職の家があるので、呼び鈴を押して、御朱印が貰えないか、聞いた所、「この寺は、檀家さんの為の寺で、一般の人への御朱印は用意していない、御朱印なら、下の弁財天で貰ってください」と言われたので、諦めました。7福神の御朱印には、興味がありません。

 井の頭池の水源の一つである「お茶の水」湧水に行くと、カイツブリが歩いていました。7月27日、皇居の大手濠でも、カイツブリを見て不思議に思ったのです。私は、カイツブリは冬の渡り鳥だと思っていました。これまで、冬以外にカイツブリを見た事が無かったのです。所が、今日ネットで調べたら、本州中部以南は留鳥として周年生息し、本州北部と北海道は、夏鳥として飛来し、中間の関東は、更に北に生息するカイツブリが、生息地の凍結を避けて、冬鳥として飛来するそうです。地球温暖化の関係で、関東のカイツブリも、留め鳥になっていくのかも知れません。そうすると、本州北部には、夏鳥が行くのでしょうか、冬鳥が行くのでしょうか、興味ある変化になりそうです。地球温暖化は、多くの生き物の生息場所を、変化させているようです。

 西の端から公園を出ると、焼き鳥「いせや」に出ました。ビルになっていましたが、一階だけは、昔の焼き鳥屋の雰囲気を残した造りになっていました。50年程昔、此処の焼き鳥を食べたら、実は豚のモツを焼いたもので、どんなに噛んでも飲み込めなかったのを思い出しました。

 高架の下を渡って、北口の方へ出ました。私が大学1年の頃は、吉祥寺の駅は、未だ高架では無く、駅舎も白い板張りで、大正ロマンを思わせる、雰囲気のある建物でした。私が社会人になって、吉祥に住み始めた頃には、高架が完成し、高架下の店も沢山出来ました。吉祥寺は、本当に懐かしい場所です。

 高架下の道を、真っ直ぐ北へ進むと、吉祥寺小江戸寺町四軒寺に出ました。最初の蓮乗寺で御朱印を貰いました。此処の住職は、非常に気の良い方で、始終笑顔で「どの様なお遍路をされているのですか、これまでに参拝した事のある寺を廻っておられるのですか、どちらから来られましたか、吉祥にお住まいでしたか、吉祥寺は随分変わったでしょう、どうか沢山の御朱印を集めてください、暑いから身体には気をつけて下さい」等と話しかけてくれました。

 次ぎに、武蔵野八幡の隣の安養寺に行きました。残念ながら、住職が不在だったので、住職直筆の御朱印の紙を貰いました。安養寺という名のお寺から、御朱印を貰うのは、今日で3度目でした。次は、安養寺の前の、光専寺で御朱印を貰いました。此処の住職は、吃音の為、初めての人と話すのは、非常に苦労するようでした。しかし、とても真面目そうな方でした。玄関の、「修行する釈迦の像」の写真について、一所懸命説明してくれました。隣の月窓寺へ行った時は、5時近くになり、寺務所は4時半で終了していました。寺務所を持つ大きい寺では、住職の家の呼び鈴を押す事は出来ません。またの機会にすることにしました。

 折角来たので、昔、お世話になった「ハーモニカ横丁」に行ってみました。店は、替わっているのかも知れませんが、横丁の雰囲気は昔のままでした。この横丁には、何度も来ているのですが、何時も懐かしい気持ちが込み上げてきます。当時は、戦後の貧しさ、今日を生きた安堵、明日への希望等々が渦巻いていました。次々に、戦後が消えていく中で、吉祥寺の横丁は、かなりの広さで残っています。来週の食事の後、少しだけ、この横丁で飲んでみようと思いました。

 吉祥寺は、これから何度も来る事になるでしょう。私の人生劇場の中で、大事な場面の一つですから、、、。

 

「ベランダに 風に乗っての 侵入者 君なら歓迎 道に咲く花」

「カイツブリ 君は真冬の 渡り鳥 真夏の午後の 井の頭池」

「寺巡り 楽に廻れる 四軒寺 小江戸寺町 吉祥寺村」

「東京の 家族の故郷 吉祥寺 今も残りし ハーモニカ横丁」

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2017年8月 3日 (木)

2017年08月02日

2017年08月02日

 

 今朝は、今にも雨が降りそうな曇り空でした。この所、雨や曇り空の日が多くなりました。昨晩は、かなり涼しく、冷房を使わないで、寝る事が出来、よく眠れました。

 我が家のベランダのレモンが、大規模修理以降、2度目の芽吹きが終わり、以前と変わらない枝振りになりました。ブルーベリーも枝を伸ばしつつありますが、南天はすっかり枯れてしまいました。南天の鉢に、今後何を植えるか、目下、検討中です。

 明日、安倍内閣の改造人事と党役員の人事が行われるそうですが、今日の段階で、留任が決定した人が何人かいます。その中で、私としては、一番留任して欲しくない二人が、留任しました。二階幹事長と菅官房長官です。二人とも、心根の悪さが露呈している顔付きをしています。自分の権力、あるいは自分の為に必要な政権の為なら、どの様な手段でも執る事が出来る、これまで実際にやって来た、その履歴が顔に刻まれているような気がします。「きれい事では権力を守れない」、このような考えを、座右の銘として来たのでは無いのでしょうか、何れにしても、一番早く替わって欲しい人でした。

 米国では、トランプ政権が、迷走しています。私は、理論ばかりが先行する政治は、問題があると思いますが、全く理論が無いのも困ったものだと思います。人間に、ある程度理論的思考が無ければ、哲学も大局観も生まれないと思います。生きる為に混沌としている現実社会に、自由、正義、規律、善悪、平等等、これまで人類が、長い年月をかけて、血を流しつつ勝ち取ったものの大切さに、もう少し気を配って欲しいと思います。権力者が、損得勘定だけで、社会に対応すれば、権力に追随するものだけしか、まともに生きる事が出来ない時代に、逆戻りしてしまいそうです。どの国を見ても、まともな政治家が、いないような気がします。

 今日は、山の仲間の写真展を見る為に、山の仲間が、12時に新百合ヶ丘に集まる事になっていました。ネットで調べたら、聖蹟桜ヶ丘からバスで永山駅に行き、そこから小田急唐木田線で、新百合が丘に行くのが、最善だとの道程が示されました。バスは、運行本数が少ないので、余り利用しないのですが、今日は使ってみる事にしました。

 少し早めの10時10分に家を出て、10時22分のバスで聖蹟桜ヶ丘に出ました。聖蹟からネットで示された通り、10時45発のバスで永山に行くと、11時には永山駅に着いてしまいました。永山駅から新百合ヶ丘駅まで、10分少々ですから、いかんせん早過ぎますので、30分、永山駅を見学してから、集合場所へ向かいました。永山駅を見学して、地上から駅への上り下り、改札階からホームへの上り下りの為に、エレベーターはあっても、エスカレーターが1機も設置されていない事が分りました。何か考えがあるのでしょうが、不便でした。

 12時、予定の7人全員が集まり、歩いて展示会場へ行きました。展示会場には、写真を撮った本人が着いており、出迎えてくれました。写真は、彼が、この1年間に挑戦した、南米のアコンカグア(約7000)、エベレストのロプチェ(約5000)の写真が展示されていました。展示会場は、彼の弟が経営している、パン屋の横のスペースで、手狭の為、写真の展示は、多くはありませんでしたが、その代わり、数冊のアルバムが置かれていました。

 写真は、紺碧の空と氷河を頂いた峰、高さを競う尖った峰々、朝日に朱く染まった氷河の峰、高地にへばり付いた人里等、実際に現場に行って、これらの写真を撮って来た事が分り、本当に羨ましい限りでした。彼は、私と同じ年なのに、若い頃から、山登りで体を鍛えていた為、現在でもこのような挑戦が出来ます。それもまた、羨ましい事でした。私は、日本の1000メートルクラスの山でも、足が悲鳴を上げたりしますから、、、。

 一通り写真を見て、弟さんのパン屋で、夫々パンを買って、駅の近くの中華料理屋で昼食にしました。今日集まった8人の内7人は、7月29日に川苔山に登ったメンバーでしたので、思い出話や反省に花が咲きました。川苔山の山行は、高低差1000メートル、歩いた時間8時間、かなりの強さの雨と過酷だったのです。甕出しの紹興酒が、話しに火を付け、店が昼の休憩に入るまで、2時間以上、話し続けました。川苔山登山の、2度目の打ち上げのようでした。

 来た道を戻り、家に帰り着いたのは、4時半くらいでした。思いがけず旨い酒も飲めて、楽しい1日になりました。昼間、十分に飲みかつ食べましたので、今日の晩酌は止めました。

 

「ヒマラヤの 世界の尾根に 踏み入れし 友の写真が 羨ましきかな」

「同い年 友はヒマラヤ 我高尾 山行後の酒 同じく楽し」

「何時の日も 山の仲間の 集まれば 思い出噴出し 話しは尽きず」

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2017年8月 2日 (水)

2017年08月01日

2017年08月01日

 

 早くも8月に入りました。昨晩は、半月が我が家のベランダの前で、長い間輝いていました。今朝の上天気を期待していたのですが、雲の多い朝でした。

 7月は、どうした訳か、非常に予定が多く、月の3分の2、外出する事になりました。自由気儘な生活に慣れてしまったので、予定の有る日々が続くのは、少々疲れました。8月は、ゆっくり暮らしたいと思います。

僅か6日程、日記は書きましたが、ブログにアップするのを、休ませて貰いました。ブログに掲載するのを休む事は、一応ブログに書いた筈なのですが、二日前、有る友人から電話がありました。最近日記を見ないので、私が病気したのではないかと、心配になったそうです。有り難い事です。日記を毎日ブログに掲載するのは、かなり大変なのですが、こういう友人がいるのですから、詰まらない老人の生活では有りますが、日記のブログ掲載を、止める訳にはいかないと思いました。

天気予報では、午後から雨になるというので、散歩を躊躇っていたのですが、雨に濡れても良いように、カメラとかを一切持たないで、3時近くから石田大橋まで往復してきました。

昨日も、府中第8中学校の校庭で見かけた庭漆が、石田大橋までの河原にも数本有り、花を付けていました。実は、対岸の河原には、大きな庭漆の森が二つあり、その森が沢山の花を付けると、夏が来たと思ったものでした。所が、今年は、その森に花がなく、中学校の校庭の庭漆の花を、庭漆ではないのではないかと、疑っていたのです。対岸の森の方に、何等かの問題があったのかも知れません。

土手の道には、薄の一種が沢山穂を出していました。私は常磐ススキだと思っていたのですが、ネットで見た常磐ススキの穂とは、違っているように思いました。さてさて、この薄の名前は何なのか、宿題が一つ出来ました。

河原には、月見草の群落があり、黄色い花畑になっていました。月見草は、普通、昼間は、花を閉じているものですが、今日はどうしたのでしょうか。恐らく、暗雲が垂れ込めて薄暗くなったので、宵が始まったと思ったのでしょう。しかし、今晩は、月見は出来ませんよ。

多摩川の水嵩を計る杭の上に、鳶が休んでいました。これは、結構珍しい事なのです。カメラを持って歩かない時に限って、このような光景に出会います。カメラの雨対策を考えなければ成りません。

石田大橋でUターンして、土手と並行して走る大通りを歩いて、我が家へ戻りました。我が家の近くのショッピングモールの近く迄来た所で、いきなり驟雨に見舞われました。覚悟はしていたのですが、全身ずぶ濡れになりました。ショッピングモールから、我が家までは、5分程度ですから、そのまま家に帰れば良かったのですが、ショッピングモールで雨宿りする事にしました。先ずトイレに行き、T-シャツを絞って、手を乾かす乾燥器で、T―シャツを乾かしました。なんだか、河原の仙人のような感じになりました。仙人は、公共のものを旨く利用すると聞いていたからです。

生乾きになったT-シャツを着て、ショッピングモールに入っている、スポーツ用品のスポーツデポ、野島電気、コーナンホームセンター、西友を廻って時間潰しをしました。昨日、買い物を済ませたので、買う物はなかったのです。野島電気とスポーツデポのお客は、店の大きさに較べて、非常に少ないのですが、これで商売になるのか、不思議に思いました。

雨が小降りになったので、家には、5時近くに戻りました。その後、一風呂浴び、酒の肴を用意して、6時半から晩酌にしました。今日は、次男が休みだったので、二人分の酒の肴を用意したのですが、中々自分の部屋から出て来ませんでした。普通は、6時半頃を見計らって出てくるのですが、今日は、8時頃に出て来ました。私の晩酌は、既に終わっていました。次男は、用意された肴で酒を飲み始め、私は、テレビを見ながら、ウィスキーで付き合うという、変則的な晩酌になりました。話をしながら分ったのですが、次男も、ずっと燕の巣を見ていたそうです。

 

「夏来れば 対岸の森 花盛り 今年は見えぬ 庭漆の花」

「暗雲が 低く垂れ込み 薄暗し 河原に群れ咲く 月見草かな」

「花開き 月を待つのか 月見草 今夜の月は 出て来はせぬぞ」

「戻り道 夏の名物 驟雨来る ずぶ濡れもまた 心地良きかな」

 

 

 

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