« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »

2017年7月

2017年7月26日 (水)

2017年07月25日

2017年07月25日

 

 今朝も雲の多い朝でした。夜中空気が冷える事が泣く、朝、ベランダ側の窓を開けても、朝の冷気では無く、昼の暑さが残っているような空気でした。

 昨日は、朝早くから、孫達と過ごしましたが、今日は、何時もの朝に戻りました。朝食を食べ、日記を書き、朝の仕事をして、昼食を食べると、半日が終わりました。

 今日は、暫く行っていなかった、桜ヶ丘公園に行って来ました。午後は、雷雨になる予報が出ていました。午後2時に家を出て、バスを乗り継ぎ、記念館前で降りました。このバス停が、桜ヶ丘公園の入口の一つです。今日は、直ぐには桜ヶ丘公園には入らず、近くの成満寺を訪れました。米軍の多摩ゴルフクラブを見渡せる丘の上にあり、何度か来た事があります。ゴルフ場を見渡す墓が、見晴らしは良いのですが、一寸違和感を覚える寺でもあります。何時ものように、呼び鈴を押したのですが、返辞がありませんでした。中に人の気配がありましたので、もう一度しつこく、呼び鈴を押しました。漸く、「どうぞお入り下さい」との声が掛かりました。玄関の戸を開けてはいると、年配の大黒さんが立っていました。「御朱印を頂きたいのですが」というと、「今、住職がいなくて、書けません、また改めてお越しください」と言われました。諦めて、言われた通りにすることにしました。

 記念館入口に戻って、桜ヶ丘公園に入りました。黒雲が近づいてきているようで、公園の森は、宵の口のように暗くなっていました。少し坂を下りると、突然エゾゼミの鳴き声が聞こえました。エゾゼミは、深山にいるとされており、都会の中の公園で聞くとは思いませんでした。あちらこちらから、カナカナカナ、カナカナカナ、呼び合うような、張り合うような鳴き声が聞こえてきました。芭蕉の「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の蝉は、エゾゼミだったのでは無いでしょうか。アブラゼミやミンミンゼミでは、「五月蠅さや 岩にぶつかる 蝉の声」になりそうです。

 遠くの方で、雷の音が聞こえました。パラパラと雨も落ちてきました。偶には、本降りの雨の中を歩いてみたいと思っていたのですが、雨は直ぐに止んでしまいました。今日の天気予報の性でしょうか、この広い桜ヶ丘公園を、大回りして1周したのですが、出会ったのは、僅か3人でした。「閑さや 雷雨の予報に 恐れ為す」という所でしょうか。

 最後に、トンボの広場に行ってみました。毎年、胡椒のような赤いトンボに出会うのですが、今日はシオカラトンボだけでした。圧倒的に雄が多く、たった1匹いた雌は、選ばれた雄と子孫繁栄の為の、儀式の最中でした。私が、カメラを向けると、儀式の形のまま、右往左往していました。

 トンボの広場から出て、丘沿いに歩くと、林野庁が管轄する森になります。その森の入口には、林野庁の職員宿舎が、5棟ありました。1棟に4部屋という小さな宿舎ではありましたが、全てが更地になっていました。梅の時期に来た時には、まだ宿舎があったと思います。戦後間もなく建てられたような宿舎でしたから、壊すのは簡単だったのでしょう。林野庁の森も、桜ヶ丘公園の管轄になるかも知れません。

 そこから、鈴生りの栗畑を経て、小さな棚田が残っている場所に出ました。棚田の1枚が、古代蓮の蓮池になっていて、まだ、数本の蓮が、これから咲きそうでした。緑の棚田と薄紫の蓮の蕾が、まさしく古代の田園風景を再現しているようでした。

 そこから、聖蹟桜ヶ丘に戻り、時間が遅くなったので、酒の肴に、餃子、焼売、鰹のたたきを買って帰りました。我が家に着いたには、6時過ぎで、一風呂浴びて、今日休みの次男と、晩酌を共にしました。

 

 今日加計学園問題について書きたかったのですが、時間が無くなりました。また、何時の日か。何れにしても、安倍総理が便宜を図ったのは、以前から明白。

 

 また、今後色々予定が有る為、7月中は日記を休みます。再開は、8月1日分からです。

 

「山深き 森に住着く エゾ蝉の 鳴き声響く 桜ヶ丘公園」

「遠雷の 響きと共に 小雨降り 暗き公園 我のみ歩く」

「子作りに 精が出るなり 夏の午後 トンボ広場の シオカラトンボ」

「数枚の 棚田の中の 古代蓮 瞼の奥に 古の多摩」

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月25日 (火)

2017年07月24日

2017年07月24日

 

 今朝も、曇り空でした。朝から蒸し暑く、風も無く、昼の暑さが予感されました。昨日、ほぼ1日中見えていた富士は、今日は姿を隠しました。

 昨日の夜、娘から電話があり、「末の孫が、病気とは言えないものの、少し具合が悪いので、幼稚園に預ける事が出来ず、仕事に行けないので、家に来て孫達の面倒を見て欲しい、出来れば明日の朝、8時半までに来て欲しい」と言ってきました。娘は、子供達が、幼稚園と小学校に行き始めたので、週に3日程、仕事をするようになりました。少しでも、家計を助けたいそうです。若い時代の生活苦は、私も同じでしたし、特に予定が有りませんでしたので、娘の頼みを引き受けました。

 そんな訳で、昨夜は何時も見るダウントンアビーも見ないで早寝をしました。今朝は5時半に起きて、急いで日記を書き、洗濯をして、食事をして、8時前には家を出ました。それでも、バスを乗り継いで、娘の家に着いたのは、9時になってしまいました。娘は、既に出かけており、孫娘と末の孫が、食事中でした。上の孫は、学校で行われる、水泳の練習に出かけたそうです。上の孫は、10時半には帰って来て、その後、3人は自分で思い思いに遊び、私は、テレビで国会の閉会中審査を、ずっと見ていました。

 昼食は、用意されていなかったので、近くのスーパーに、皆で弁当を買いに出かけました。末の孫は、暫くは元気よく歩いていたのですが、途中から歩かなくなりました。娘から、少し具合が悪いと聞いていたので、肩車をしてスーパーまで行きました。とても嬉しそうでした。スーパーで、買い物をして、帰る時は抱いて帰りました。この時も、嬉しそうでした。所が、家に着いたら、家の中に入ろうとしないのです。この時の末の孫の気持ちが良く分りませんでした。外に出して置くと、何処かへ行ってしまうかも知れないので、取り敢えず、玄関の中に入れました。これが、気に入らなかったらしく、火が付いたように泣き始めました。こうなったら、手が付けられないので、暫く泣くままにして、他の孫達と食事を始めました。途中で、「呼びに来るのは1回だけだよ、皆と一緒に食事をしよう」と、食事の場所に連れてきました。抱いてあやしながら、食事をするように言うと、一旦その気になりかけたのですが、急に以前より高い声で鳴き始め、玄関に駈け戻りました。

 1時半頃に、娘が帰って来て、泣いている末の孫を、食事の場所に連れて来ました。しかし、泣き止みません。逆に、一層声を張り上げて泣くようになりました。余りにも激しく泣くので、口の中に唾が溜まり、それを何処にでも吐き出しました。娘によると、泣き始めると何時も、この調子だそうです。後は、親子の根比べになりました。私を含めて誰も口出ししません。スーパーから帰ってきてから約1時間泣き続け、漸く泣き止んで、食事をする事に合意しました。嘘のように、静かになりました。下の孫の方が根負けしたのです。これは、非常に大切な事です。

最近は、児童虐待野問題もあり、子供を躾けるのは、かなり難しい問題を孕むようになりました。私と子供達の母親である妻との間で、子供の躾けの仕方を決めました。それは、3歳までに、危険がどういうものか、身をもって体験させることにしました。火は熱い、小刀で切ると痛い、水に長く顔を浸けると苦しい、辛いものを急に食べると喉が痛い、等々です。3歳を過ぎて5歳くらいまで、社会的ルールの基本部分を教える事になります。ルールがなんなのか話した所で、分る筈がありませんので、ルール違反をしたら親が怒る、親はルール違反を止めるまで起こり続ける事にしました。これは、親と子の勝負でした。親が、毅然と怒り続け、一方の親が怒っている時は、他の親は口出しや助け船を出さない、怒られている方の兄弟にも何も言わせない、そう決めていました。お陰で、我が家では、このような怒り方をするのは、1回だけで、その後は全部話しで済みました。その後、母親が時々感情的になって怒り出す事もありましたが、、、。その時は、既に子供の方が、大人になっていました。

今日、娘の怒り方を見ていて、私達が、子供にやっていた事が、身に浸みているようでした。しかし、躾で間違えてならないのは、親の言う事を聞くだけの子供にしてはいけないという事です。親の言う事が、非常に大事だった時があります。士農工商の身分制度があった時には、武士には武士の、農民には農民の生き方があり、当然それぞれに、躾の仕方が異なりました。躾けがされていないと、所属する身分を維持できない事もあったのです。現代の民主主義時代に於いては、身分制度は無くなり、人口は爆発から減少に転じ、人口の都市集中が極端になり、生き方が極めて多様になり、村の中で生きれば良かったのが世界の中で生きなければならなくなりました。現代社会は、人間が生きる事が、非常に難しくなったので、3歳を過ぎてからの躾は、親を離れて、現代社会で生きて行く為の、基礎的力を身につけさせる事だと思います。生きる為の基礎力とは何か、以前とは違って個々人の問題になり、当然、躾けも個々の家庭の問題になってきました。何時の時代も、身分と資産を受け継がない人間が、生きると言う事は、簡単な事ではありません。

娘は、食事が終わったら、今度は学校の用事でまた出かけました。末の孫は、すっかり気分が良い時の子供に戻っていました。良く考えて見ると、肩車をして貰ったり、抱いて貰ったり、そうした甘えを、ずっと続けていたかったのが、家に入りたくない原因だったようです。更にその甘えの原因は、お腹が空いて力が出なかったせいでも有るようです。

娘は、3時過ぎに帰って来ましたので、私も我が家に戻る事にしました。今日の閉会中審査における加計問題は、夜の主要なニュースになっていました。この問題に関しては、私も色々言いたい事がありますので、明日書きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月24日 (月)

2017年07月23日

2017年07月23日

 

 今朝は、珍しく曇り空でした。そして珍しく、霞んでいましたが、富士が見えました。残雪も殆どなくなり、頂上まで青い富士山でした。

 今朝、ゴミ捨てに行くと、管理人が、リサイクル用のペットボトルを回収する袋が、足りなくなったと話していました。これまでで、初めての事だそうです。今週、梅雨明けをし、暑い日が続いたので、飲み物用のペットボトルが、異常に増えたようです。

 昨日、書くのを忘れましたが、プールに行く前、娘が、「手術の跡を人目に晒さない方が良いのでは」と、随分気にしていました。手術の跡は、かなり目立つと思っていたようです。所が、プールで実際に手術の跡を見て、殆ど目立たないのに吃驚していました。同時に、この回復は、手術した先生の力量もあるが、私が持っていた基礎体力ではないかとも言っていました。何れにして、私の快復力に吃驚していました。

 今日の午前中、3回も燕の巣を見に行きました。昨日、1羽が巣立ちをしたと思ったのですが、どうも巣の中に5羽いるようなのです。1回目は、良く確認できなかったのですが、2回目は、全員が巣の縁に顔を並べたので、巣の中の5羽の子燕を確認すると共に、写真を撮る事も出来ました。昨日、親鳥と一緒に巣の近くにいた燕は、何だったのでしょうか、巣立ちでは無かったのでしょうか、巣の近くに監視カメラを置きたいと思いました。3回目は、巣の中の5羽は変わりませんでしたが、その中の1羽が、巣の縁に出て、羽を羽ばたかせていました。この子が、巣立ちをしたのに、素に戻って来たのではないでしょうか。

 午後2時から、多摩川の土手の道を、府中駅まで歩いてきました。日差しが無く、風は適度にあったので、比較的散歩し易い午後でした。

 京王線の鉄橋、関戸橋を越えた河川敷に、二つの野球場があります。野球場の横の林は、毎年、木が葛に覆われて、モンスターによる「カレーの市民」状態になるのですが、今年も同じでした。そこから、少し歩くと鬼胡桃の林になります。鬼胡桃は、葛に覆われる事は無かったのですが、逆に、葉をすっかり落として丸裸の木が、2本有りました。何かの虫に食われたのであれば、もう一度芽吹く可能性がありますが、病気であれば、今後どうなるか分りません。夏の濃緑の時期、葛に覆われてモンスターになった木とは、逆の不気味さがありました。

 更に歩くと、土手下の道に、ノカンゾウ(野甘草)、カワラナデシコ(河原撫子)、カワラサイコ(河原柴胡)、クサハギ(草萩)が、一緒に咲いて、一寸した花畑になっている所がありました。ノカンゾウは、ヤブカンゾウに較べ、花の時期が少し遅いようです。私は、キスゲに似た、一重のノカンゾウが好きです。

 郷土の森公園の脇を抜け、昨日、孫達と泳いだプールも越えて、大東京綜合卸売市場に着きました。実は、今日この散歩道を選んだのは、この市場が目的でした。この市場には、かき氷の宇治茶シロップが売っています。他では売っていないのです。私は、かき氷というと、宇治金時なので、このシロップがどうしても必要なのです。しかしながら、今日は、日曜日で市場は休みか、あるいは午前中で終わったのか、閉まっていました。残念でした。

 府中駅に着き、さくら市場館、伊勢丹のデパ地下、京王ストアで宇治茶シロップがあるか、店員に聞いてみましたが、矢張りありませんでした。京王ストアは、府中駅の南口開発により、南口のビルの地下に移転し、府中では最も広く、品揃えの良いスーパーに変身していました。以前は、駅の下の1階にあり、コの字型の使いにくいスーパーでした。

 家に帰ったのは、5時過ぎになりました。テレビで白鵬の優勝を見て、一風呂浴びて、今日手に入れる事が出来なかった、宇治茶シロップ作りに挑戦しました。抹茶が残っていると思ったのですが無かったので、煎茶を濃い目に淹れて、オリゴ糖と蜂蜜を加え、水で適当に薄めました。売っているシロップより、良い材料を使っていると思いますが、味の方は今一でした。これで、普段使わない、煎茶とオリゴ糖を始末する事が出来ました。

 

「毎日の 楽しみくれる 燕の巣 子育て苦労 何処も同じ」

「多摩の土手 河原撫子 野甘草 草萩加わり 真夏の花畑」

「夏来れば 暑さ凌ぎの かき氷 我の定番 宇治金時かな」 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月23日 (日)

2017年07月22日

2017年07月22日

 

 今朝も良い天気でした。朝の空気が、少しだけひんやりするのが、せめてもの救いでした。

 午前中、燕を見に行きました。巣の下に燕が3羽いました。雛が孵った頃、ハクセキレイが来ていたのですが、今日は、全部燕でした。親鳥2羽と、どうやら一番大きかった子が、巣立ちをしたようでした。巣を確かめてみると、燕の子は4羽しかいませんでした。

 ネットに、燕の孵化から巣立ちまでを観測した記事が出ていました。その記事によると、燕は、1度の5個の卵を産むのでは無く、日に1個づつ生んで、1繁殖期に5個か6個生むそうです。そう言えば、小さい頃、鶏を飼っていましたが、毎朝1個しか卵を産まなかったような気がします。卵が生まれる時期が違えば、孵化する時期が違うのも当然です。但し、卵を温める始める時期は同じですから、孵化の時期は、違ってもせいぜい1日程度のようです。私は、燕の子の成長の違いは、個々の体力の差だと思っていましたが、孵化した時期の差も大きいようです。いずれにせよ、目立って大きかった子燕は、先に巣立ちました。残りの4羽の巣立ちも、そう遠くは無いでしょう。

 午後から、娘1家と、府中市の流れるプールに行きました。3年前から、夏に1度は、このプールに行きましたが、昨年は、胃癌の手術の為、私は、参加できませんでした。回遊状になった、流れるプールの内側には、高さ10メートル近い、ウォータースライダーが有ります。このスライダーは、小学校2年生からしか、使えません。1昨年、上の孫が使えるようになり、今年から、孫娘が使えるようになりました。今日、家族が見守る中、孫娘がスライダーに初挑戦しました。何の恐がりも見せず、物凄いスピードで下りてきました。2回目は、上の孫と一緒に滑りましたが、上の孫より、速い速度で滑り降りて来ました。末の孫が、自分も滑りたさそうでしたが、禁止されているので、幼児用の滑り台に移動しました。

 その後、休憩時間除いて2時間半、目一杯泳ぎました。最初は、全員流れるプールで遊びましたが、上の孫は、途中から競技用のプールで、父親から泳ぎを習い、末の孫は、母親と幼児用のプールで遊ぶのが多くなりました。孫娘と私は、ずっと流れるプールでした。1昨年、孫娘は、未だ幼稚園で、プールの底に足が届かず、浮き袋に掴まって、流れに身を任せる程度でした。それが、今年は、足が届くようになり、少しなら浮き輪無しで泳げるようになっていました。孫娘が、流れに乗って、どんどん進むものだから、私は、追いつくのに必死でした。それに、孫娘は、手荒な事が結構好きで、抱えて水の中に投げてくれとか、浮き輪の中に入るから、ぶんぶん回して欲しいとか、色んな注文を出してきました。孫娘は、2年間で滅茶苦茶元気になり、私は、2年間で体力が随分落ちましたので、今日のプールは、相当疲れました。しかし、水中ウォーキングは、体には非常に良いと言われていますので、孫達のお陰で、良い運動が出来ました。一人では、絶対にやらない事です。但し、何時まで付き合えるかは、分りません。上の孫が、下の子の面倒を見る事が出来るようになる、2年後くらいまでは、頑張ろうと思います。

 プールは、5時に閉場となりました。車で家に送って貰いながら、8月、上の孫と孫娘の、我が家での2泊3日の合宿が、本決まりになりました。後は、日にちを決めるだけです。末の孫が生まれた時、上の孫達だけを、お台場のレゴランドに連れて行った事がありますが、今度親のいない所で泊まるのは、初めての経験ですので、孫達にとっては、一寸した冒険です。大分先になりますが、巣立ちの練習のようなものです。

 中国が、一人っ子政策を実施していた頃、子供の修学旅行に、親が添い寝をする為に、付いていったという、本当か嘘か分らないような話がありました。これでは、永久に巣立ちが出来ず、巣の中で親の死を迎える事になりそうです。人間の世界では、他の生き物と違って、親が財産を残してくれれば生きていけますし、国や他の人達が、面倒を見てくれたりしますので、巣立ちを、左程重要な事とは思っていないようですが、何れ間違いに気づかされる事になるでしょう。

 

「1羽だけ 巣立ち終えるも 巣が恋し 餌を貰える 兄弟羨む」

「親鳥に 付いて回るも 餌捕れず 今は懐かし 巣での生活」

「兄弟も 巣立ちの時期は 間近なり 残りし親鳥 如何に暮らすや」

「孫達は 巣立ちの前の 雛の時期 今は楽しい 家族生活」

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月22日 (土)

2017年07月21日

2017年07月21日

 

 今朝は、快晴でした。良くある事ですが、快晴の空の下で、富士の所にだけ雲が湧き、富士を見る事は出来ませんでした。丘の上の鉄塔の十字架は、はっきりと見えました。

 昨日、娘から電話があって、今日、末の孫の幼稚園の終業式だそうです。終業式が終わったら、我が家に遊びに行きたいと言っていました。そんな訳で、12時少し前に、孫達が我が家に着きました。時間が時間ですから、先ずは、昼食にしようという事になりました。なんと、娘は既に回転寿司を予約していました。

 昼食に出かける前に、孫達に燕の巣を見せました。燕の子供達が、頭を並べて、食事の配給を待っている所でした。巣の近くに行くと、孫娘や末の孫の視線からは、燕の子が見えなくなるので、代わる代わる肩車をして、見せてやりました。間近で燕の顔が見られたので、二人は興奮気味でした。上の孫が「僕も、本当は肩車して欲しいのだけど」、そんな顔をしながら、我慢していました。「弟や妹と同じように、おねだりは出来ない」、そんな気持ちが伝わってきて、とても可愛く思えました。

 回転寿司に着くと、比較的空いていて、かつ、予約もしてあったので、直ぐに席に案内されました。回転寿司は、勝手に回ってくる寿司を取れば良いし、特別に注文したい場合は、パソコンの画面から、簡単に注文できます。いきなり食事になりました。上の孫は、早速4皿取って、食べ始めました。孫娘は、お兄さん以外の人の、寿司の皿を取る役目を引き受けました。簡単な作業ですが、実に手際が良いのです。末の孫は、好きな卵とイクラの寿司を取って貰い、満足して食べ始めました。私は、先ずビールが飲みたくて、生ビールを頼もうと思ったら、セルフサービスでした。ジョッキを、ビールを注ぐ機械において、ボタンを押すと、ジョッキを傾け、余分な泡を落とし、手慣れたバーテンダーのように、生ビールを注いでくれました。生ビールの量も、泡の量も最適でした。この前、テレビで、そう遠くない時期に、人間の作業の大半を、ロボットが代替する時期が来ると言っていましたが、その通りだろうと思いました。この孫達が、社会に出る頃は、どんな社会になっているのか、空恐ろしくもなりました。

 食事が終わって帰る時、孫娘が眠ってしまいました。私が抱いて家に連れて行きました。車から出した時、半分起きていたのは、分っていました。ずっと抱かれていたくて、嘘眠りをしていたのです。娘も同じような事をやっていました。でも、こういったことをやられると、可愛さが10倍になるのです。私を頼り切り、甘えて貰えるのは、一番嬉しい事です。

 家に着いて、一応孫娘をベッドに寝かせたのですが、直ぐに起きて来ました。他の二人が、ワイワイ言って「かき氷」を食べ始めたからです。娘は、「かき氷」を食べるのは、ジージの所でと配慮してくれて、孫達は、夏の暑い日、我が家で「かき氷」を食べるのを楽しみにしているのです。家にあると食べ過ぎるので、我が家で偶に食べるのが、一番だと思います。娘達も、我が家のかき氷器で、かき氷を食べていたのです。

 孫達は、我が家に来ると、ゲーム機で遊ぶのを止めて、我が家に置いてある古い玩具や、自分達で考えた遊びをします。今日は、極めて標準的な、「かくれんぼ」をしていました。末の孫が鬼になると、上手に隠れた、お兄さん達を探す事が出来ません。直ぐにふて腐れて、探すのを止めてしまいました。私が、そっと隠れている所を教えるのですが、隠れている所まで、連れて行かないと探せないのです。結局、お兄さん達は、隠れている所を叩いたり、声を出したりして、隠れている場所を教えるのですが、それでも探さないので、体を半分見せて末の孫を呼びました。漸く見つける事が出来ました。「かくれんぼ」の意味を成さない「かくれんぼ」でした。

 孫達は、4時近くに帰って行きました。燕の雛は、一月くらいで巣立ちをするようですが、人間が巣立ちをするまでには、18年から22年掛かります。孫達が、全員成人する迄、後17,8年、そこまで生きるのは難しいと思いますが、出来るだけ長く、元気でいようと思います。近々、上の孫二人だけで、3日程、我が家で合宿する話しが出ました。実現するでしょうか、孫達次第です。孫娘は、乗り気満々でした。

 

「孫達と 燕の子等の 様子見に 揃ってはしゃぐ 燕と孫達」

「下の孫 代わる代わるの 肩車 一寸羨む 年上の孫」

「孫娘 しなだれかかって 嘘眠り 母親譲りの 甘え上手なり」

「真夏日は ジージの家で かき氷 自分で削る 氷の旨さよ」

「苺味 大口開けて 舌出して 舌が赤いと 聞きたい孫かな」

「かくれんぼ 探す気のない 末の鬼 居場所教える 上の孫達」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月21日 (金)

2017年07月20日

2017年07月20日

 

 今朝も良い天気でした。これから何度同じ事を書くのでしょうか。今朝9時過ぎ、日記を書いていたら、地震がありました。微震程度でしたが、堅固な建物が、足下から揺れるのは、いかなる場合も嫌なものです。

 今日、雛から子供になった燕が5羽、巣の縁から1列に並んで頭を出しました。今まで、正確な数が分らなかったのです。今日はっきり5羽だと分りました。5羽の燕の子は、成長振りに、かなりの差がありました。真ん中に陣取っている子は、既に親鳥のような大きさに育っていましたが、端の2羽は、未だ雛のような幼さを残していました。遠慮がちな子と、横着な子とでは、親からの餌の貰い方に差があるようです。

 テレビのニュースで、ちらっと見たのですが、小池都知事が、東京都の無電柱化を明確に打ち出したようです。小池都知事は、好きなタイプの人ではありませんが、東京の無電柱化は大賛成です。一気には難しいでしょうが、少しずつでも良いから、進展させて欲しいと思います。国も、観光立国を目指すのであれば、自然遺産、文化遺産の所だけでも、無電柱化を進展させて欲しいと思います。つまり、無電柱化を進める自治体には、出来るだけ多くの交付金を回して欲しいと思います。

 今日は、午後から狭山湖の方に行って来ました。狭山不動寺、金乗院(山口千手観音)から御朱印を貰う為でした。

 国立から、国分寺に出て、国分寺から西部遊園、西部遊園で通称レオライナーに乗り換えて、西武球場に行きました。球場の前に、今日訪れる二つの寺があるのです。これまでに、何度も訪れた寺です。

 先ずは、狭山不動寺に行きました。この寺は、江戸時代の色々な門(徳川家の芝御廟の御成門、勅額門、毛利家の江戸屋敷の門、奈良桜井寺の桜井門)を移築している事と、私の背丈を超す、数十の大きな石灯籠が並んでいるのが、特徴的です。普通の寺とは違った、近代的な本堂の中に、御朱印の受付がありました。御朱印帳に書いて貰っている間、本堂内を見学させて貰いました。本堂内は、初めて見ましたが、本尊の不動明王は、なかなか立派でした。受付の前には西武ライオンズの選手達の優勝祈願の絵馬が、沢山掛かっていました。

 次ぎに、ほぼ隣の金乗寺に行きました。正式には、吾庵山金乗院放光寺と言います。山号の吾庵山の発音が、ご安産ですから、安産祈願と流産した時の水子供養が特徴的です。寺の裏の斜面全体に、数千の水子供養の地蔵が、並んでいます。また、この寺は、至る所に龍が使われており、私は「龍の寺」と呼んでいます。御朱印は、本殿の隣の寺務所で貰いました。御朱印を渡して貰ったのは、恐らく大黒さんで、「お暑いのに、御信心様です」と言われました。御苦労様は良く聞きますが、御信心様は、初めて聞く言葉でした。既に神を捨てて数十年、信心とは程遠い私には、不似合いな言葉ですが、この暑い最中に、御朱印を貰い歩いている人間は、他の人からは、信仰心の篤い人間に見えるのは、仕方のない事だと思います。しかし、この言葉を使った、大黒さんの優しい気持ちは、良く伝わりました。

私は、宗教が、他の宗教を信じる人を憎んだり、国政に関与して宗教を信じない人を不当に取り扱ったり、国民を戦争に巻き込んだり、宗教家の贅沢の為に信者を利用したり、等々の悪行をせず、悩める人の相談に乗るのであれば、別に宗教に敵意を持つ訳ではありません。私が、御朱印を集めるのは、私のコレクター性癖を満足させるものであり、明日を前向きに生きようとする、私なりの手段だからです。また、寺の歴史が、有る地域の歴史と重なったり、知的満足も得る事が出来ます。

 近くの狭山湖に寄ってみました。冬場は、北からの渡り鳥で賑わうのですが、夏場は、カルガモでさえいませんでした。しかし、湖の周囲の森からは、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえました。アブラゼミの鳴き声も混じっていました。今年初めて、ミンミンゼミの鳴き声を聞きました。道脇には、オニユリが沢山咲いていました。私が小さい時、故郷の長崎の山では、ヤマユリと言えばオニユリの事でした。丹沢や高尾山で見た、鹿の子百合のような派手な百合は、少なかったと思います。今年は、梅雨がなく水が少ないだろうと思っていたのですが、狭山湖は、満々と水を湛えていました。

 狭山湖から、金乗寺に戻り、パッションフルーツの花が咲いている家の前を通り、西武球場駅に戻りました。来た道を辿って、我が家に戻りました。6時半を過ぎていました。多摩地方では、蝉は未だかなと思っていたのですが、我が家の近くの四谷下堰緑地で、ミンミンゼミが盛んに鳴いていました。ミンミンゼミは、俗名だと思っていましたが、ネットで調べると正式な名前でした。

 

「燕の子 横に並んで ご挨拶 今後もよろしく お願いします」

「燕の子 兄弟喧嘩に 強い子が まるまる肥って 益々強し」

「夏本番 ミンミン蝉の 声高ら 熱き心で 連れ合い探し」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月20日 (木)

2017年07月19日

2017年07月19日

 

 朝の内は分りませんでしたが、矢張り今日、関東地方は、梅雨が明けたそうです。朝の内は、雲が多かったのですが、その後良い天気に変わりました。そして、今日は、関東だけでなく、多くの所で梅雨が明けたそうです。

 私が、生まれ育った長崎の梅雨明けも、何時も7月下旬になる頃、つまり学校が夏休みになる頃と同じでした。ですから、夏休みになった途端、網や鳥もち棒を持って、蝉やクワガタ、カブトムシ、トンボ(銀ヤンマ)、チョウチョ等を捕まえに、近くの山や田畑を駆け回ったものでした。あちこちにあったグミの実や木苺は、おやつ代わりでした。年を取ると、子供時代が、昨日の事のように懐かしく、思い出されます。

 今日は、高尾山に御朱印を貰いに行くと決めていたので、昼食前、11時には家を出ました。聖蹟桜ヶ丘の改札前にあるコンビニで、弁当を買いました。

 最初は、めじろ台で下りて、以前行った事のある雲龍時を目指しました。長崎の崇福寺の唐門に似た、5重の塔の有る寺です。また、戦後の日本の復興の恩人として、マッカーサー、蒋介石、ジャエワルデネ・スリランカ大統領の銅像があるのも面白い寺です。所が、めじろ台住宅の中で、道に迷ってしまいました。そのお陰で、正山寺という小さな寺と出会いました。一寸雰囲気の違う寺でしたが、一応呼び鈴を鳴らしてみました。すると、中から色の浅黒い、流暢な日本語を話す、外国人が二人出て来ました。「何か用ですか」「御朱印が欲しいのでが」「御朱印て何ですか」「本尊の名前とお寺の赤い印鑑が押されたものです」「この寺は、スリランカの寺で、朱印はありません、2階に長老がいますから会って話してみて下さい」「長老とお話しする事はありませんので、仏様だけ拝まさせて貰います」というようなやりとりの後、2階の上がり、真っ白い仏様を拝みました。寺を出る前に、写真を撮っていると、私の事が、連絡されていたのでしょう、2階から朱1色の衣を着た坊さんが下りてきて、手を振ってくれました。道を間違ったお陰で、面白い経験をしました。昔、スリランカがセイロンと呼ばれていた頃、高原の町キャンディーを訪れて、お寺を訪問した時のことを思い出しました。

 この寺の近くに、雲龍寺の五重塔が見えました。中に入って一回りして、寺務所に行って、御朱印を貰いました。寺務員しかいませんでしたので、御朱印帳には、書いて貰えませんでした。この寺の自慢は、五重塔の中に飾ってある大きな達磨大師で、普段は公開していないそうですが、節分とかの特別の日には、公開してくれるとの事でした。

 めじろ台駅に戻り、電車を待つ間に、腹拵えをしました。やがて電車が来ました。高尾山口は、3つめの駅です。往復のケーブルカーの券を買って、直ぐにケーブルカーに乗れました。珍しく乗客が少なく、一番後ろの席に陣取る事が出来、登る毎に変わる景色を、写真に撮る事が出来ました。ケーブルカーの駅から、薬王院に向かって歩き始めると、丹沢では少なかった百合が沢山咲いていました。また、ギボウシ(擬宝珠)も沢山咲いていました。私は、エビネ(海老根)の1種だと思っていたのですが、花の前で騒いでいた小母さん達が、ギボウシだと言っていました。後でネットで調べましたが、間違いないと思います。蛸杉の当たりから、丹沢で聞いた、エゾゼミの鳴き声が聞こえました。しかし、聞こえたのは、この1帯だけでした。

 薬王院に着いて、最初に御朱印を貰いました。有名な寺ですから御朱印を貰う人も多いのでしょう、専門の係がいました。女性の係の人が、目の前で御朱印帳に書いてくれました。これまでは、御朱印帳に書く場合は、奥の方に入って書きましたので、目の前で、書いたり朱印を押したりする所を、見る事はありませんでした。係員の慣れた筆遣いに、見入ってしまいました。

 実は、御朱印を貰って帰ろうと思っていたのですが、折角来たので、頂上まで奥の院経由で登り、3号路を使って薬王院に戻りました。仁王様の弟子達の前で、百合と桔梗が、花を手向けたように咲いていました。先日登った丹沢が、霞の中で波打っていました。

 高尾山に来ると、必ず寄る事にしている、我々が大学生だった頃の、職員の家に行きました。玄関は、網戸になっていましたが、呼び鈴を何度鳴らしても、誰も出て来ませんでした。実は、此処へ来るのは、半分は怖いのです。職員は91歳、奥様は85歳の二人暮らしですから、何が起きても不思議では無いのです。私が、変事の発見者になるかも知れないと思うのです。今日も、網戸を開けて中に入ろうかと、真剣に悩みました。しかし、尋ねたのが4時半頃でしたので、奥様が買い物に出て、職員が、補聴器を外している場合が考えられたので、住居の不法侵入は止めました。

 高尾駅まで歩き、駅の裏手にある、しだれ桜が綺麗な、大光寺に行き、御朱印をお願いしました。住職が、快く書いてくれました。この寺の玄関には、山のようにカエルの置物が飾ってありました。先代が集め始め、今は檀家の方も寄贈してくれるそうです。「何れ、仏の所へ帰る(カエル)」という言葉の響きが良くて、集め始めたそうです。先代が書いた、カエルの書のコピーを、頂きました。

少しだけ紹介すると、

「とびっきりの笑顔で若ガエル」「笑う門に福カエル」「座禅組み心あらたにみちガエル」「誰もが振りカエル見返り美人」「跳んでカエルこいしい我が家」、、、。

愉快なカエルさん達だと思いました。

 大光寺の住職から、「この暑い中を大変ですね、どの様な所を廻っているのですか」と質問されたので、「これまで、訪れた事のある寺を廻っています」と応えると、「それは、良い事です、ご縁のあったお寺から廻るのが、一番ですね」と言ってくれました。我が意を得たりと思いました。大光寺には、白木槿が咲いて、布飾りを付けた本殿と似合いでした。

 高尾から聖蹟桜ヶ丘経由で、我が家に戻りました。6時半を過ぎていました。今日も、美味しい酒が飲めました。

 

「迷い道 異国の仏に 救われし 白き釈迦像 スリランカの寺」

「新興の 住宅街に 五重塔 異国の趣むき 雲龍寺かな」

「百合がある 君に見せたい 百合がある 高尾の山路 百合が満開」

「百合と共 参拝客を 出迎えし 頭を下げる ギボウシの花」

「甲高し 天狗の叫びと 思う程 高尾の山の 蝉の鳴き声」

「境内に 百合と桔梗の 競い咲き 高尾の山の 夏の午後かな」

「薬王院 これまで何度 来ただろう 初めて貰う 朱印嬉しき」

「名物の しだれ桜は 葉桜に 白木槿咲く 夏の大光寺」  

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月19日 (水)

2017年07月18日

2017年07月18日

 

 今朝は、雲は多かったのですが、良い天気の部類でした。天気予報では、今日の午後は、落雷と雨だそうです。そして、明日には、関東地方の梅雨明け宣言が、出かも知れないと言っていました。そうすると、今年、関東には梅雨が無かったような気がします。

 昨日の詐欺っぽい薬が良かったのか、入念な柔軟体操が良かったのか、はたまた、少し無理をして歩いたのが良かったのか、足の痛みが、かなり治まって、ヨチヨチ歩きでは、無くなりました。これで、また山に登る気になりました。

 朝のテレビで、北九州の流木被害について、解説していました。その中で、大雨の際、流木を下流に流さない特殊なダムの設置とか、流木が川を塞き止めない方法だとか、流木が存在することを前提として、話していました。しかし、15日に歩いた、丹沢の山でも、流木となる間伐材や、払った枝が山の斜面に山程放置されていました。昔から、治山治水と言い、治山が無ければ、治水は無いと言われていました。間伐材を減らせば、流木も減ると思います。

 戦後、復興資材の確保の為か、日本国中に杉や檜の植林が行われました。日本国中に営林署が設けられ、国有林の管理等、治山に関わる仕事をしていました。しかし、日本が高度成長期を迎え、南洋材を初めとする輸入材が、安価に輸入出来るようになって、国内の林業が重要視されなくなりました。営林署は整理統合され、職員も激減しました。当然のことながら、治山は疎かになり、前述したように、間伐材も枝も、山中に放置されるようになりました。最近の水害は、異常気象による洪水の被害だけでは無く、流木が洪水を引き起こすことも、相互作用として明らかです。山の側面の土砂崩れによって、立木が流れ出すこともあるでしょうが、一番多いのは、間伐材や払われた枝が、大量の流木となって流れ出す為だと思います。国際経済が振興する中、国内の林業をどうするか、減少する労働者の問題も含めて、検討しなければならないと思います。

 午前中は、これから雨が降るとは思えない程、青空が見え日差しもありました。昼食が終わって、何時もなら、散歩に出かける2時近くから、急に空が曇り、奥多摩や丹沢の方から、遠雷の音が聞こえ始めました。この雷の音で、今日休みの次男が起きて来ました。二人して、ベランダから外を眺めていると、雨が降り始めました。ものの15分もしない内に、雨は篠突くような土砂降りになり、物凄い雷鳴が轟きました。目の前の丘に、雷が落ちたようです。この土砂降りの雨も15分くらいで終わり、更に15分もすると、晴れ間が出て来ました。何と言う天気の変わりようでしょうか、天気そのものの変わりようにも驚きましたが、このことを正確に予報した、天気予報にも驚きました。

 雨が降っている最中、燕の巣を見に行きました。この雨の中、親鳥が雛に餌を運んできました。燕の子育てに感動しました。こんな物凄い雨の中でも、燕はそれを飛べるのですね、驚きました。

 今日の午後、雷雨があるとの予報を信じて、洗濯はしなかったのですが、晴れ間が出て来たので、3時頃から、次男が洗濯をしてくれました。その洗濯物を、干し終わって、次男は約束があると、都心に向かいました。

 次男を見送って、4時頃から、しょっちゅう歩いている多摩川の土手を、石田大橋まで往復しました。昨日、あれほど萎れていた草達が、キリリと背筋を伸ばして並んでいました。夏草の元気さを取り戻していました。枯死寸前の様相を呈していた春女苑が、生気を取り戻していました。緑の草の中に、黒死病のような真っ黒花の跡がありました。恐らく、遅咲きのオオキンケイギクの蕾だと思いますが、最近の水不足で、花が咲く前に、黒くなったと思われます。今日の雨も、この蕾を再生することは出来ませんでした。

 散歩の帰りに、近くのスーパーで買い物し、外に出ようとしたら、雨が降っていました。西には太陽が輝く、日向雨でした。暫く雨宿りして、外を眺めていたら、東の府中駅の方向に、虹が見えました。虹を見たのは、久し振りでした。今日の午後は、驚きと感動の連続でした。

 

「青空に 俄に雲の 広がりて 今にも夕立 来そうな予感」

「雨の神 雷神連れて 多摩行脚 轟く雷鳴 土砂降りの雨」

「雛の為 激しい雷雨 気にもせず 餌取り止めぬ 親燕かな」

「雨の神 連れの雷神 駆け足で 命の水を 蒔きて去りゆく」

「雨降れば 悪魔の如き 太陽が 神に戻りて 微笑む如し」

「雨の後 草等きりりと 整列し 生気漲る 観閲式かな」

「雨を待ち 必死に耐えた ヒメジョオン 土手の王者に 返り咲くなり」

「日向雨 激しき雷雨の 名残り雨 希望の架け橋 虹の出るなり」 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

2017年07月17日

2017年07月17日

 

 今朝も良い天気でした。毎日、こう書くのが嫌になるくらい、良い天気が続いています。

 朝の仕事を終えて、昼食を食べるのは、徹子の部屋が始まる頃になります。そんな訳で、テレビの徹子の部屋を見ながら、昼食を食る事が多いのですが、黒柳徹子が、どんどん気持ち悪くなってきました。目の周囲のメイクの仕方が、相当きついように思います。その為、黒く大きく縁取られた目の中に、黒い瞳がギョロギョロして、私は、非常に不気味に感じるのですが、他の視聴者はなんとも無いのですかね。黒柳徹子は、自分の番組を後で見ないのでしょうか、見たらその気持ちの悪さに気がつくでしょうから、見ていないのかも知れません。メイクを全くするなとは言いませんが、視聴者が見て、気持ち良くなるようにして欲しいと思います。黒柳徹子も80を過ぎたのではないかと思います。年相応の顔で、番組に出ても良いのではないかと思いました。目尻に皺の寄った顔も、悪くないと思うのですが、、、。このままでは、私が少年の頃に見た、「バス通り裏」の素敵な黒柳徹子の思い出が消えて、最近の気持ち悪い顔ばかり、思い出してしまいます。

 足の痛みが引かないので、痛み止めの薬を塗ることにしました。私は、バンテリンを買った積もりでいたら、違いました。箱に人間の裸体が描いてあるので、てっきりバンテリンだと思ったのです。筋肉痛には、バンテリンが一番だと思っていました。薬の名前が何処に書いてあるのか、最初は分りませんでした。箱の下に小さく注意書きのように書いてあった、パスロックID1%ゲルが、薬の名前でした。これは、商標詐欺に近いものだと思います。私のようにいい加減な人間は、直ぐに欺されてしまいます。両方とも、筋肉痛に効くとされているインドメタシンを使っているので、効果が、同じであれば、使用する者としては、問題では無いのですが、、、。

 今日も、茹だるような暑さでしたが、一番暑い午後2時から、散歩に出かけました。家にじっとしていたのでは、足の痛みが治らないと思いました。また距離も、ある程度歩く必要があると思ったので、浅川を回ってくる、標準的なコースを歩きました。

 先ず桜公園で、念入りに準備体操をしました。私の足に、これから歩くことを覚悟させました。四谷橋を渡り、多摩川の右岸の土手に出ました。土手の草達が、長引く日照りに、喘いでいました。もう10日以上、雨が降っていないように思います。さしものヒメジョオンも、立ち枯れ寸前の様相を呈していました。葉が横に広がらず、下向きに垂れ下がっている草もありました。それでも、多摩川の水量は、普段と変わらないので、奥多摩の山の方では、ある程度、雨が降っているようです。

 程久保川から浅川の土手に出ました。ここも土手の草達は、喘いでいましたが、川岸の鬼胡桃の林は、青々とした葉の下に、良く肥った青い実を沢山付けていました。今年も豊作のようでした。我が家には、去年の鬼胡桃が、未だ沢山残っています。未だ、実を割ることが出来ないのです。

 新井橋を渡り、万願寺交差点から、石田大橋を渡りました。今年の初め頃から、石田大橋の両側の空き地を、公園にする工事が始まっています。工事は、ある程度進みましたが、未だに、どの様な公園になるのか、見当が付きません。緑と花の多い公園にして欲しいと思います。

 家を出る時は、よく冷えた麦茶を、ペットボトルに入れてきたのですが、石田大橋を越えて飲んだ時には、温かいお茶になっていました。家の近くの、スーパーに寄って、ビールとアイスクリームを買って帰りました。猛暑の中を、約2時間歩き、汗だくになりましたが、足は持ち堪えました。しかし、痛みが消えた訳ではありません。

 今日から、プロ野球の後半戦が始まりましたので、アルコール度数7%の「頂」と言うビールを飲みながら、観戦しました。初めて、このビールを飲みましたが、今日のところ、その良さが分りませんでした。果たしてこれは、ビールなのでしょうか、、、。アルコール度数が上がるとこくが出ると言われていますが、熱い時に飲むビールは、軽い方が良いと思います。

 

「雨の神 気紛れ仕事 困ります 西は大雨 東は日照り」

「多摩の土手 草等の喘ぎ 聞こえ来る 恵んで欲しい 一滴の水」

「ヒメジョオン いかなる苦難 乗り越える 今年だけは 自信が持てず」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月17日 (月)

2017年07月16日

2017年07月16日

 

 今日は、昨日の山行の疲れのせいか、夜中2回起きたものの、12時から8時半まで、良く寝ました。普段は、こんなに熟睡することはありません。山歩きの効果でしょう。

 しかし、ふくらはぎと腿の筋肉の痛みは、相当なものです。私のアパートは、一応バリアフリーで、洗面所と廊下、洗面所と風呂の間に、小さな段差が有るだけです。この段差を下りる時に、凄い痛みが走りました。他のいかなる動作でも、痛みがありますので、身体障害者のような動きになってしまいました。自分では、日頃相当歩いている積もりでしたが、普段の生活では、殆ど足の筋肉を使っていないことを、痛感しました。昨日のような山登りは、足の筋肉の使い過ぎかも知れませんが、、、

 昨年の今日は、胃癌の手術で入院していた病院から、退院してきた日です。アパートの前の木槿が、満開の花で出迎えてくれました。今年も、今まさに、木槿は満開です。季節の変化に応じて、毎年同じように花が咲く、その変わらない様々な出来事を、感じることが出来る事が、如何に素晴らしいことであるか、本当の意味で知ることが出来ました。花が咲き、鳥が鳴き、風が吹き、月が輝く、花鳥風月の営みを愛しむ気持ちが強くなりました。老い先短い命、五感を鋭くして、花鳥風月の世界を、楽しみたいと思います。

 今日は、一昨日の日記と、昨日の山登りの紀行文を纏めるのに、丸1日掛かってしまいました。日記はボケ防止に始めました。日記を毎日書く為に、花鳥風月は勿論、世の中の色々なことに関心を持ち、僅かですが社会の一員で、有り続けられるような気がします。75調の紀行文は、一寸した趣味で始めたのですが、今は、山の仲間に無理矢理押しつけて、読者になって貰いました。山の仲間が褒めてくれたりするものだから、現在は生きる糧の一つになっています。他の人から認めて貰うこと、人間が一番嬉しいことなのかも知れません。

 相撲が終わった6時から、少しだけ遠回りして、近くのスーパーに買い物に行って来ました。階段を下りるのが、辛いこと辛いこと、黙って家に居れば良かったと思ったりしました。しかし、買い物をして、荷を背負っても、上りの階段は、左程に辛くはありませんでした。どうも私は、坂や階段を下りる時の筋肉の使い方が、悪いようです。

 この前食べた、海老のニンニク風味が美味しかったので、この前のバナメイエビより一回り大きい、ブラックタイガーを買ってきて、味付けをして、冷蔵庫に入れました。今晩の酒の肴は、2種類の鶏の軟骨と、今朝から干していた、手羽中と、鶏のオンパレードでした。

7時から、NHKテレビを見続けました。最後に、何時も見ている、ダウントンアービーを休みにした、全英オープンの男子の決勝戦を見ました。なんと34歳のフェデラーが、10歳程年下のクリッチをストレートで破り、全英オープン最多勝利、最年長勝利の栄冠を達成しました。日付が変わらないうちに、2時間足らずで、決着が付いてしまいました。こんなに選手生命の長い、テニスのトッププレーヤーは、珍しいのでは無いでしょうか、感服しました。

 表彰式を見終わった頃に、次男が帰ってきました。大学時代にテニス部員だった次男に、今夜のテニスの様子を報告し、ひとしきりテニス談義をして、寝ました。1時間程前から、冷房を付けていたので、すんなりと寝る事が出来ました。この所の暑さは、大変なものです。この暑さが、8月いっぱい続くのかと思うと、ぞっとします。

 

「昨日に 山に登った 証拠かな 足の痛みに ヨチヨチ歩き」

「今日の日は 退院してから 丸1年 今年も満開 木槿の花かな」

「猛暑日と 足の痛みを 言い訳に 冷房付けて 家に籠もれり」

「今晩の 酒の肴を 何にする これが無ければ 買い物もせず」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月16日 (日)

2017年07月15日

2017年07月15日

 

 今日は、山の仲間と丹沢の三ノ塔に登って来ました。その様子は、何時ものように、75調の「三ノ塔紀行」で推察して下さい。

 

三ノ塔紀行

 

「超の付く 晴男女の 集まりて 夏は恨めし 快晴の空」

「新人を 加えて今日は 6レンジャー 夏山見廻る 老人部隊」

「梅雨開けず されど海の日 3連休 早くも真夏 猛暑日の駅」

「猛暑日に 誰しも屋外 山登り 臨時バスにて ヤビツ峠へ」

「二ノ塔へ 何故下りる 愚痴も出る 下りた分だけ 登らにゃならぬ」

「二ノ塔へ やっと出て来た 登山口 気持ち引き締め 登り始める」

「いきなりの 急坂続き 我が肺は こりゃたまらんと 喘ぎ苦しむ」

「木漏れ日の 林を抜ける 涼風に 地上と異なる 優しさの有り」

「涼風に 癒やされ登る 森の道 地上で聞けない 蝉の合唱」

「森林に 木霊す蝉の 鳴き声に 命を繋ぐ 必死さを知る」

「蝉が鳴き 木々は緑の 夏山は 自然の命 燃え上がるなり」

「老いたれば 急な山道 荷が重く 仲間の一人 気分を害す」

「気丈なる 仲間は元気 取り戻し 漸く極めた 二ノ塔山頂」

「ここいらで お昼にしたい 女性陣 それとはなしに 雰囲気作り」

「今日目指す 三ノ塔まで もう少し 昼はそこでと 白髪の爺さん」

「二ノ塔で 我等迎えた 蝉さんに 別れを告げて 三ノ塔目指す」

「四半時 せずして制覇 三ノ塔 木立無き山 眺望絶好」

「大山と 背高較べ 三ノ塔 塔ヶ岳には 及びもせぬが」

「山頂を 離れて木陰の 草むらに 腰を下ろして 昼餉始まる」

「前方に 相模の海の 広がりて 左に大山 右塔ヶ岳」

「雄大な 自然の中で 喰う飯は 一流料亭 顔負けの味」

「女性等の 心尽くしの 品々の 回り来たりて 昼餉は楽し」

「昼の為 心尽くしの 品々は 女性のリュック 重くするなり」

「昼餉済み 最短距離の 大倉へ 転げ落ちそな 急坂下る」

「下り道 お腹も朽ちて 気も軽く 花を楽しむ 余裕の歩き」

「尾根筋の 照り葉野薔薇の 可愛さよ 多摩と違って 小振りの花かな」

「高山に 健気に生きる 草花の 可憐な姿 オダマキの花」

「道脇に 赤き木苺 鈴生りに 口に含めば 幼き日の味」

「地上では 終わりを告げた 山法師 丹沢の山 今が満開」

「名を聞けど 思い出せない 大柄の 花咲き始め 地上は近し」

「百合が無い 君等に見せたい 百合が無い 一人で騒ぐ 伊勢原の人」

「友思う 声を仏が 聞き入れて 道の最後に 百合の花かな」

「渓谷が 丸ごと公園 行楽地 水無川の 戸川公園」

「渓谷に ロンドン橋を 思わせる 水無川の 風の吊り橋」

「吊り橋を 渡れば目の前 蕎麦屋さん 今日の登山の 〆の場所なり」

「何時誰が 予約したのか 不思議なり 我等が席の 用意されおり」

「酒無くば 今日の山行 味気なし 予約したるは 酒好き爺さん」

「登頂と 三途の川から 出戻りと 共に祝いて 宴弾ける」

「酒飲みの 爺に付き合う 女性陣 酒は少しで 話し沢山」

「山歩き 辛きが故の 旨き酒 疲れ吹き飛ぶ ビールの喉越し」

「再会を 約して今日の 幕閉じる 丹沢背にして 家路を辿る」 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年07月14日

2017年07月14日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。何日、良い天気だと言い続けているのか、忘れてしまいました。今年の多摩地方の梅雨は、台風3号の前後に、少しばかり雨が降った記憶しかありません。こんな梅雨は、初めてのような気がします。

 ニュースで、森友学園に対する、国有地を大幅値引きをしての、払い下げに関し、弁護士や学者のグループが、背任と証拠隠滅の罪で、近畿財務局を告訴すると言っていました。非常に良いことだと思います。森友学園の問題を、力関係に差がある政治の場で議論しても、真実は明らかにならないでしょう。矢張り、司法の場に持ち込んだ方が良いと思います。政府の圧力で、官僚が、法を曲げて行政を実施したのであれば、真実は明らかにされるべきであり、不法な行為であれば、罰せられなければなりません。そうしなければ、政治の横暴を許し、民主主義の崩壊に繋がります。今回の告訴に関しては、拍手を送りたいと思います。

 安倍総理が、加計学園問題に関し、閉会中審査に応じる姿勢を見せました。内閣の他の人の反対を押し切って、総理が自身で決断したように報じられています。阿波総理の狡猾さが、此処でも発揮されたような気がします。自分が説明責任を果たす事を決断したのであり、これまでの説明責任の不履行は、他の政府関係者の考えであり、自分は常に説明責任を果たそうとしていた。そのような印象を、国民に与えたいのでしょう。安倍総理自身が、質問に応えるというのですから、先ずは聞いてみることにしましょう。

 今日、我慢できなくなって、燕の写真を撮りました。何処でも見ることの出来る、燕の子育てですが、我が家の庇で子育てをしているようで、とても愛着が湧くのです。私が、写真を撮っていると、親鳥が帰って来ました。最初は、私が写真を撮っていることに気がつかなかったようですが、私に気づくと、いきなり私の方へ飛んできました。慌てて、カメラを隠し柱の後ろに隠れましたが、親鳥は、何度も私の近くを飛び、威嚇してきました。私が、急いで巣から遠ざかると、漸く餌取りに飛んでいきました。

 2時頃から、散歩に出かけようと思いましたが、余りの暑さに、気持ちが萎えてしまいました。結局、一番暑い時間帯を避けて、4時過ぎから散歩に出ました。暑さは、左程変わりませんでしたが、風がかなり強くなり、楽に歩けるようになっていました。土手の道も、緑濃き、草原の道になっていました。

遠くまで歩く気は無かったので、多摩川沿いの、国立のスーパーヴァリューまで、歩いて来ました。この所、鶏の軟骨を食べていないので、軟骨が食べたくなったのです。スーパーヴァリューには、関節と羽の部分の鶏の軟骨が2種類、そして鶏皮が何時も置いてあって、しかも安いのです。私は、鶏の軟骨は、味付けをして、その後干して焼くのですが、梅雨や夏の時期は、干すのには向かないと思って止めていたのです。しかし、良い天気が続きますし、蠅や虫も寄ってきていないので、軟骨を食べる気になりました。

5時半近くに我が家に戻り、相撲を見ながら、羽の方の軟骨を、塩もみして笊に広げて干しました。関節の方の軟骨は、今夜の酒の肴に、唐揚げ粉を塗して、レンジで焼きました。相撲の方は、稀勢の里が休場し、興味が半減しました。二場所連続の休場は、感心しません。悪い箇所の徹底的な治療と、心身の強化も徹底して欲しいと思います。三場所連続休場するようであれば、横綱になったばかりですが、引退も覚悟した方が良いと思います。

相撲が終わった所で、一風呂浴びて、晩酌にしました。昨晩、メキシコ料理のランゴスティーノ・アル・モッホ・デ・アホ(海老のニンニク風味)を作っておきました。海老を開いて、ニンニクの汁を塗り、一夜干しにして、焼いて食べるのです。メキシコに遊びに来た親戚が、美味しい美味しいと言って、お皿に一盛り食べたのを思い出しました。昨晩は、一夜干しの代わりに、ラップをせずに冷蔵庫で水気を取りました。この海老のニンニク風味と鶏の間接の唐揚げ、ブルチーズ、パルメザンチーズを肴にして、マスカットの白ワインで、晩酌にしました。

明日は、丹沢の三の塔に登る為、早く起きて出かけなければなりません。明日の準備をして、早めに寝ました。

 

「突然に 我が家に家族 出来たよに 毎日覗く 燕の巣かな」

「5分刈りの 土手がまたもや 草原に 風吹き抜ける 多摩の風の道」

「手作りの 一品肴に 付け加え 盃を傾く 老いての幸せ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月14日 (金)

2017年07月13日

2017年07月13日

 

 今朝も、上天気でした。全く、雨が降る気配がありません。本当に、今、梅雨なのでしょうか。

 今日は、癌手術後1年目の、種々の検査結果に対する、担当医の判断を聞く日でした。朝6時に起きて、大急ぎで日記を書き、朝食を食べ、洗顔して8時50分に家を出ました。

アパートのエレベーター横にある廊下の手すりに、燕が3羽止まっていると思ったら、一寸したバトルが始まりました。1羽はハクセキレイでした。燕の巣の様子を、伺っている為、燕の親鳥2羽が、追い払おうとしていたのです。ハクセキレイは、しぶとく手すりに止まっていましたが、私が行くと、慌てて飛び去りました。それを見て、親燕も、餌探しに出かけたようです。矢張り、人間は燕の味方です。雛達は、何が起きたか良く理解が出来ず、巣の縁から頭を出して、じっとしていました。

医療センターに、9時40分に着きました。担当医の診察の予約は、10時だったのですが、1時間待っても、呼ばれる気配が無く、担当医が来ていないのではないと、受付に聞いて見ました。どうも、先生が遅れて、30分前頃から、漸く診察が始まったようでした。私の担当医は、医療センターに常駐している医師ではなく、外部の病院から来ているのです。結局、1時間半待たされて、11時15分に診察室に入りました。待たされたことには、腹が立ちましたが、先生の「何処にも異常はありませんでした」の一言で、腹立ちや検査結果に対する不安が吹き飛んで、安堵しました。今後は、CT検査は半年に1度、消化器の内視鏡検査は、年に一度で良いことになりました。血液検査だけ、3ヶ月に1度になりました。先生の話は、ものの5分で済みました。

医療センターの近くに、国分尼寺跡や付属施設の跡があります。医療センターの裏手から、武蔵台文化センターの方へ行ってみました。文化センターの前の広場に櫓が組まれ、盆踊りの準備をしていました。東京は、今晩からお盆が始まりますので、盆踊りも、今晩からでしょう。文化センターを越えると、住宅地になってしまいました。どうも道を間違えたようです。仕方なく、一旦東八道路に出て、裏から回り込む形で、国分尼寺跡に着きました。柱を乗せる敷石だけが残っている、単なる広場です。此処から北へ向けて、昔の鎌倉街道が、少しだけ残っています。昔は、上野国、信濃国の方まで、道が続いていたそうです。そこを歩いたら、医療センターの近くまで戻ってしまいました。

バスに乗って、府中駅に向かいました。途中、一昨日話を聞いた、府中刑務所の塀を見ながら走りました。武蔵野線を挟んで、東芝府中と向かい合っていたのですね。両方とも、ほぼ府中市の真ん中にありました。

府中駅南口の再開発のオープンは、明日だと思っていたのですが、一部を除いて、殆どが今日オープンしていました。道路にあった工事用のコーンだとか、仕切り板などが無くなり、すっきりしました。駅の改札から、直接新しいビルに行けるようになりました。新しいビルの地下は、京王ストア、1階はレストランとお菓子とかの食料品店、2階は衣料及び雑貨店、3階は飲み屋街、4階はマッサージ等の身体ケアの店、5階以上7階までは市の施設、その上はアパート(恐らく)になっていました。これで、南口は、伊勢丹を含み、大きなショッピングビルが、3棟になりました。これだけの数の商店が、ちゃんとやっていけるのか、心配になりました。また、改札口の前にも、幾つか店が出来ていました。1時過ぎていたので、何か食べようと思いましたが、どの店も一杯でしたので、聖蹟桜ヶ丘に戻りました。

聖蹟桜ヶ丘に着いた時には、2時を過ぎ、急いでカレー屋に行き、カツカレーを食べました。以前は、なんとも思わなかったのですが、今日は、レトルトカレーより不味いのではないかと思ってしまいました。

近くのスーパーで、買い物をして、3時半には家に戻りました。先ず、妻に今日の結果をメールで伝えました。また、検査の結果が出るまで、態度を保留していた、近場の山登りにはOKを、秋田の山歩きにはNOの返事をしました。秋田のNOの返事をしたのは、余り前向きになれないのに加え、9月に年に1度のゴルフ大会が2回、名古屋、箱根と、大学のOB会の1泊の小旅行の予定があり、出費が嵩むのも大きな原因になりました。

夜は、昨晩のピザの残り、アサリバター、アサリバターの汁を使ったカレイのホイル焼、モロヘイヤとオクラのネバネバ和えを作って、白ワインで、今日の良好な検査結果を祝いました。

 15日は、朝早く出かけなければならないので、14日、15日分の日記は、16日に書きます。

 

「燕等の 天敵なるや ハクセキレイ 雛達守る 燕の夫婦」

「気を揉みつ 一刻近く 医師を待つ 早く聞きたし 安全宣言」

「担当医 薄ら惚けて 異常無し 思わず安堵 医師が仏に」

「暫くは 医者いらずに 生きられる 足取り軽く 鎌倉街道」

「府中駅 生まれ変わりし 南口 昭和レトロは 昔のことに」

「異常無し 結果に安堵し 盃を上ぐ 酒も肴も 旨き夜かな」 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月13日 (木)

2017年07月12日

2017年07月12日

 

 月が、我が家のベランダに廻ってくる時間が、毎日遅くなっています。昨晩の一七夜の月も、煌々と輝いていたのでしょう。今朝も、快晴と言える程の上天気でした。梅雨だというのに、毎日茹だるような暑さが続いています。

 今日散歩に出かけようとしていたら、メキシコ時代の友人から電話があり、「未だ、メキシコに在住している友人が、来日しているので、一緒に食事をしたので、出てこれるか」と聞いてきました。今日は、用が無いので、勿論OKしました。食事は、6時からだというので、後が決まった散歩は、したくありませんから、午後時間の余裕が出来ました。日頃、偶にしかしない風呂場の掃除、キッチンマットとかの大物の洗濯、ポロシャツ、Tシャツなどの入れ替え等、後回しにしていた事を、片付けました。

 4時近くに家を出て、何時ものように燕の巣を見ると、今日は、雛を確認できました。本当に生まれたばかりの雛が3羽、巣から頭を出していました。燕の雛は、生まれた時から、黒っぽいのですね。暫く雛達の様子を眺めて、アパートを出ました。

何時ものように京王線で新宿へ出て、地下鉄丸の内線で銀座に5時半に着きました。今日の食事は、銀座コリドー街にある、「トーロ(雄牛)」というメキシコ料理屋でした。銀座の駅から直ぐだったのですが、最初、勘違いして、反対側の、銀座インズの方へ歩いてしまい、結局着いたのは、6時10分前でした。予約された席で待っていたのですが、誰も現れません。オラ・メヒカーナ(メキシコ人時間)でした。6時15分に、電話してきた友人が現れました。二人で、飲み始めた所、来日した友人から、電話があり、同じ店の別の場所で、他の友人達と飲んでいるとのことでした。久し振りの来日だったので、彼が知っている友人に声をかけていたのです。

彼等が集まっている場所に行ってみると、メキシコ人が二人、日本人の男性が二人、日本人の女性が二人来ていました。その人達を紹介されて、話してみると、男性の一人は、交通事故の際、私に世話になったと言っていました。女性の一人は、その頃、大学を出たばかりで、メキシコで研修をしており、色々な集まりで、私をよく見かけたと言っていました。

私を除いて、全員スペイン語がペラペラでした。私だけ、片言のスペイン語で、付き合いました。約1時間遅れで、今日の会をアレンジした、友人が到着しました。彼も、4人で会うものと思っていたらしく、10人もいたので吃驚していました。食事は、4人分しか頼んでいませんでした。既に、前菜とビールで、食事会は始まっていましたが、食事の予約を10人に切り替えて、本格的な食事会が始まりました。私、いた頃の、当時の共通の仲間の話とか、様々な事件の話しとか、次から次に話しが飛び出し、一気に盛り上がりました。今日の食事をアレンジした友人の、悲しい話しも聞きました。今年1月、ご子息の一人を脳幹梗塞で亡くされたのです。何時までも、嘆いてばかりいても始まらないと、残された人生、精一杯生きると言っていました。他の人も、深刻にならず、話題を変えて、楽しい集まりを続けました。

人間誰しも、ある国に長く住み、その国の言葉で話すようになると、その国の人間と同じようになると言われていますが、今日集まった人達は、メキシコ人化していました。メキシコ時代に戻ったような、楽しい夜になりました。

夕食会は、10時には終わりました。輸入関係の会社の社長をしているメキシコ人と、メキシコで弁護士事務所を開いている友人で、今夜の夕食会の費用を全部負担してくれました。皆は、それぞれ帰りましたが、私ともう一人の友人は、残ったワインを全部飲み干すまで、飲み続けました。二人は、メキシコ時代からの飲み仲間でした。11時近くに全てを飲み干し、10月の再会を約束して別れました。実は、弁護士をやっている友人が、日本から勲章を貰ったので、そのお祝いの会を、今日の店で10月に開くことになっているのです。

メキシコは、私の気持ちと生き方を、大きく変えた国でした。メキシコから、私の人生が、上昇気流に乗ったような気がします。メキシコについては、語り尽くせない程、様々な出来事がありました。そのどれもが、私の人生の糧になったとおもいます。メキシコは、私の第二の故郷です。

今日は、乗り過ごしもせず、我が家には日付が変わってから着きました。よくぞ、私を、今日の食事会に誘ってくれました。お陰で、掛け替えのない1日を過ごすことが出来ました。飲み仲間の友人に感謝です。

 

「目の開かぬ 雛がもぞもぞ 燕の巣 日々の成長 見るが楽しみ」

「メキシコを 離れて既に 四半世紀 私を育てた 思い出の国」

「メキシコの 一つ一つの 出来事が 我が人生の 糧となりけり」

「会えば直ぐ 昔に戻り 時忘る メキシコの友 生涯の友」

「大海を 隔てて遠き メキシコに 抑えきれない 郷愁覚ゆ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月12日 (水)

2017年07月11日

2017年07月11日

 

 昨晩の、十六夜の月も、十五夜に負けないくらい、輝いていたのでしょう。今朝も、素晴らしい天気でした。

連日熱くて、長くなった髪の毛が、鬱陶しくなりました。午前中、日記を書き上げて、小中学生が学校にいる間に、散髪に行って来ました。お陰で、待っている人は居なくて、直ぐに散髪して貰えました。最も短いバリカンで、借り上げて貰い、夏向きのさっぱりした頭になりました。家を出て、散髪して、家の戻るまで、トータル30分でした。

散髪から帰って、エレベーター近くの燕の巣を見ると、珍しく親鳥が2羽、すにいました。どうも燕の雛が孵ったようでした。しかし、孵ったばかりのようで、動いているような気配はあるのですが、下の方からは、雛の姿を確認できませんでした。親鳥が、トンボを与えようとしていましたが、どうも雛には、大き過ぎるようでした。写真を撮りたいのは、山々なのですが、カメラを向けると、親鳥が警戒して巣から離れてしまうので、雛がある程度大きくなるまでは、写真は控えています。

昼食を食べて1時少し前に家を出て、府中駅の近くにある、府中グリーンプラザ、欅ホールに行きました。「今、塀の中で何が起きているのか」と題する、講演会を聞きに行ったのです。講演者は、山本譲司と言い、歌手の山本譲二とは1字違いで、読みは同じです。講演者の山本譲司は、元民主党の議員でしたが、政策秘書の給与を詐取したとして、2001年2月、1年6ヶ月の実刑判決を受け、栃木県黒羽刑務所で服役し、刑務所内の障害者の世話をしていたようです。更に一定期間、府中刑務所でも服役したことがあるそうです。出所後は、訪問介護の資格を取り、現在、訪問介護員として活躍しているそうです。また、獄中の記録である、「獄窓記」が新潮ドキュメント賞を受賞し、TBSの「水曜プレミア」でドラマ化されたそうです。この関連で、ジャーナリストとして、刑務所等のルポや、講演活動もしているそうです。

所で、講演の内容ですが、第一に驚いたのは、最近の刑務所は、PFI方式と称して、民間と共同経営される「社会復帰促進センター」と称する刑務所が、幾つか出来たそうです。警備等は従来通り国で行い、病気への対応、カウンセラー、社会復帰支援等は、民間が対応するそうです。これまで、忌避されていた刑務所が、地方の活性化の為の方策の一つになっているそうです。知らないことが多い物です。参考までに、PFI(プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ)とは、公共施設等の設計、建設、維持管理及び運営に、民間の資金とノウハウを活用し、公共サービスの提供を民間主導で行うことで、効率的かつ効果的な公共サービスの提供を図るという考え方です

 第二に驚いたのは、軽度の発達障害者、知的障害者は、組織暴力団等の、振り込め詐欺、アダルトビデオ等、組織暴力団に組み込まれ、犯罪が発覚した場合に、捕まるのは、殆どが障害者なのだそうです。社会から、差別され虐められて生きてきた障害者にとっては、刑務所は、むしろ住みやすい所なのだそうです。また、組織暴力団は、障害者を一般社会より必要な人間として、扱ってくれるので、障害者は、出所後、また組織暴力団に戻ることが多いのだそうです。そして、現在の若年の犯罪の多くは、肉体ないし精神に障害を持つ人に拠る場合が、多いのだそうです。

 第三に驚いたのは、ニュースなどでは、少年犯罪が多いように感じますが、激減しているそうです。大阪などの1部を除いて、少年鑑別所は、がらがらの状態なのだそうです。代わりに増えているのが、老人による犯罪者なのだそうです。これは、犯罪と呼べないような、万引き、総菜の鰺フライを囓った程度の物が多く、殆どが犯罪を重ねる累犯者だそうです。彼等もまた、刑務所は住みやすい所なのだそうです。

 第四に驚いたのは、殺人等の凶悪犯罪者は、刑務所にいる犯罪者の1%未満なのだそうです。そして、最近、殺人は親族による殺人が増えたそうです。所謂、老老介護とか、介護を原因とする殺人が多くなったのだそうです。これは、良く分りました。

 府中市に住んでいるので、刑務所の塀は良く見ますが、その塀の中は、全く未知の世界でした。面白い講演を聞きました。この講演会は、法務省が主唱する「社会を明るくする運動」の府中市推進員会が開催したものでした。犯罪者を生まないような地域作り、犯罪者が出所した時は、「お帰りなさい」と言って、受け入れることの出来る地域作りを目指しているそうです。趣旨には賛同しますが、その趣旨を実行するべき地域社会の、一般社会人の中には、ぎりぎりの生活をしている人も数多くいます。何を優先し、どの様に調整していくかは、現在の大きな政治課題です。十分な検討が必要でしょう。

 講演会は、4時15分頃に終わり、急いで家に帰り、5時少し前に着きました。相撲の三役以上の取り組みが始まるところでした。高安は勝ちましたが、稀勢の里は、また負けました。毎日一喜一憂です。今日は、次男が休みなので、一緒に飲もうと思っていましたが、飲み会の約束があると言って出て行きました。見事に振られました。

 

「何時見ても 命の引き継ぎ 安堵する 生きると言うこと 宇宙の不可思議」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月11日 (火)

2017年07月10日

2017年07月10日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。大きな水害を被った、北九州の人には、申し訳ありませんが、関東地方では、雨が恋しくなりました。

 テレビのニュースで、加計学園問題に関し、国会の閉会中審査が行われ、文部科学省の前川前次官が、証人喚問に応じていました。前川氏は、加計学園の獣医学部創設の問題に関し、「行政が歪められた」との自らの発言に対し、次のように発言しました。「経済特区に於いて、獣医学部創設を検討するのであれば、獣医の現状と将来予測等の実態調査が行われるべきであるが、行われなかった。仮に、獣医学部不足が事実であったとしても、その創設に関しては、創設を望む大学に、平等に機会が与えられるべきであった。所が、最初に加計学園ありきで、官邸主導で極めて短期間に、政策が進行した。このことを、私は行政が歪められたと感じている」と、以前の発言を繰り返しました。

 此処からは、私の個人的な意見ですが、前川前次官の発言は、真実だと思っています。そもそも、安倍総理が何も無い状態で、獣医学部創設を政策課題にする筈が無いと思います。加計氏との間で、話し合いが為された筈です。安倍総理と加計氏は、旧来の親友だと安倍総理自身が言っています。安倍総理は、二世議員として、考え方や価値観に子供っぽい所があります。だだっ子みたいで、ずる賢い面や無理を押し通す面もあります。安倍総理は、加計氏の要請である獣医学部創設を、政策問題でやれると判断した筈です。後は、一般的政策論として、内閣の下部組織である内閣府に対して、実際の政策実現を任せる、それだけで良かったのです。後は、進展が遅いとか、従来の獣医学部による募集人員の増大では特区の政策と言えない、試験的に一つだけ獣医学部を新設しよう、今までに獣医学部が無い地域で、獣医学部創設を計画している所が良いのではないか等と、政策論を述べていれば、加計学園に獣医学部創設する方向で、内閣府の政策実現が、自分の意思通りになる事を確信していたと思います。多くの国の政策は、政治家の周囲の有力者が、夕食会などで漏らしたことが、政府の基本政策になる事は、珍しくないのです。政治家と有力者は、阿吽の呼吸で、利害関係を隠し、政治家は、それを自分の政策として実施するのです。

 何故、自民党や内閣自体から、慎重論が出なかったか?それは、現在の自民党が、安倍総理の一強だからです。何故一強かというと、安倍総理が外交で点数を稼ぎ世論の支持が高いこと、アベノミックスが表面的に上手く行ったように見えること、聞こえの良い政策を打ち上げることが旨いこと等の為、対立候補が現時点で皆無に近いことが上げられます。政治家には外交に弱い人が多いのです。外国の要人と適当に話すことが出来ないのです。安倍総理の得意な分野は、誰もが願っているような一般論を、政策に取り込んだように見せることです。外交は、相手あってのこと、それぞれ自国に有利な一般論を言っていれば良いのです。具体論が無い所には、失敗も無いのです。

 現在の安倍総理は、駄々っ子が、自分の思い通りにならなくて、拗ねている状態です。駄々っ子は、我慢が出来ませんから、若しかすると、加計学園問題と森友学園問題について、事態が進展するかも知れません。

 昼食を食べて、午後2時頃から、散歩に出かけました。この時間、昨日はアイスホッケー場で震えていたのですが、今日は、30度を超える真夏日の中を歩きました。風があったので、幾分、暑さが和らぎました。それでも、日影の無い土手を歩くのは止めて、日影の多い西府緑地から中河原公園まで歩きました。

 四谷小学校の近くで、ヒヨドリがホバリングしてノウゼンカズラ(凌霄花)の蜜を吸っていました。大型のハチドリのように見えました。ネットでは、ノウゼンカズラとリュウゼンカズラが同じようなのですが、どちらが正しいのでしょうか?立正佼成会の裏手に、栃の木並木が在り、蝉の季節になれば、多くの蝉の抜け殻が、幹や葉に着いているのですが、今日は、未だ抜け殻はありませんでした。

 鎌倉街道を越えて、中河原公園に行きました。この公園に来たのは、棗の木がどうなっているか、確かめたかったからです。緑の葉の中に、黄緑の棗の実が、鈴生り状態でした。今年も沢山棗が拾えるでしょう。私が良く散歩する所で、棗の木があるのは、この公園と国分寺駅のマンションの前、聖ヶ丘緑道しか知りません。

 中河原公園から、関戸橋を渡り、多摩川の右岸の土手に出て、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。日を遮る物が何も無い、かんかん照りの中を歩きました。土手の道は、ヒメジョオンの全盛時代でした。道の両側が、白く輝いていました。河原の中州は、荻の原が一面に広がり、緑の野が続いていました。そこだけ見ていると、大草原にいるような気分になりました。

 聖蹟桜ヶ丘から、我が家の近くのスーパーで買い物をして帰りました。買い物をしたのも久し振りでした。果物、野菜、麺類、総菜類を買いました。一週間

は、食べられそうです。

 夜は、昨日と同じく、相撲を見て、野球を見ながら晩酌をして、今日は十六夜の月を見ること無く寝ました。高安と稀勢の里が、万全とは言えませんでしたが、取り敢えず勝ったので、一安心しました。

 

「大型の ハチドリなるや ヒヨドリの ノウゼンカズラの 蜜を吸うなり」

「風に揺れ 花に狙いが 定まらぬ ヒヨドリ必死の ホバリングかな」

「夏の日に ノウゼンカズラ 似合いかな 暑さに負けぬ 茜の大花」

「蝉時雨 響き渡るは 未だ先や 何処にも見えぬ 蝉の抜け殻」

「公園の 隅に立ちたる 棗の木 葉から零れる 緑の宝石」

「夏の日を 全身に受け 輝きぬ ヒメジョオンの 輝く小道」

「荻の原 風の渡りて 波模様 ビルの谷間の 緑の草原」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月10日 (月)

2017年07月09日

2017年07月09日

 

 今朝も、上天気でした。関東地方の梅雨は、とっくに明けたのではないでしょうか。例年に無いことで、気象庁が戸惑って、梅雨明け宣言が出せないのではないかと思ってしまいます。お陰で、梅雨の時期、洗濯物を部屋干ししたのは、たったの1日だけだったように記憶しています。

 次男は、電動アシスト付きの自転車を購入したようです。玄関のスペースに、自転車が置いてありました。この自転車で、膝の痛みが、全て治るとは思いませんが、一つずつでも、膝に悪いと思われることを除去して行くことは、大切なことだと思います。

 今日は、姉妹校との定期戦の最終日で、最後を飾るアイスホッケーの試合が、東伏見のダイドードリンコ・アイスアリーナで行われることになっていました。試合開始が、12時からでしたので、我が家を10時前に出て、11時半には、東伏見に着きました。距離的には、大した距離では無いのですが、乗り換えが大変で、これだけ時間がかかってしまいました。因みに、経路を辿ると、バスで国立、中央線で国分寺、西部多摩湖線で萩山、西部拝島線で小平、西武新宿線で東伏見に行った訳です。乗り換えが多いと、待ち時間のロスが、電車に乗っている時間より長いのではないかと感じられました。

 昨晩の飲み会で約束した、クラブのOB会長、副会長、姉妹校のクラブの幹事も応援に来ました。選手の紹介入場、応援団による試合開始前の応援など、試合前のセレモニーに時間が掛かり、試合開始は大幅に遅れて、12時45分からとなりました。選手の入場は、アリーナに立ち籠めた霧の中から、名前を呼ばれた選手が、一人ずつ入場するという、手の込んだものでした。

 試合は、実力に格段の差があり、第1ピリオド5-0,第2ピリオド6-0,第3ピリオド6-0、トータル17-0で、我が校が圧勝しました。自国で、アイスホッケーを経験した事のある、3人の外国人留学生の活躍が、大きかったと思います。体力とスピードに、かなりの差がありました。昨日のラグビー、今日のアイスホッケーと、心配する必要の無い試合を見せて貰いました。アイスホッケーは、そのスピード、高度な技術、肉弾相打つ格闘技の要素など、見て非常に楽しいスポーツだと思います。

 アイスホッケーの試合を見るのは、非常に寒いと分っていましたので、ブルゾンを持って行ったのですが、それでも体の芯から冷えて、ピリオドの間の休憩時間には、屋外に日向ぼっこに出ました。屋外は、猛暑日寸前の暑さでしたが、直ぐには、体は温まりませんでした。

 試合は、3時に終わりました。OB会長は、夕方の便で九州に帰る為、軽い飲み会も出来ず、東伏見で皆と別れました。来た時の経路を逆に辿って、我が家に4時半に戻りました。一風呂浴びて、今日から始まった大相撲を見ました。私も、日本人の多くの人も、大いに期待していた、高安と稀勢の里が、両方とも初日黒星発進となりました。相撲が終わり、6時半から野球を見ながら、ブロックのパルメザンチーズ、エリンギのオリーブオイル炒め、鶏の唐揚げを摘まみに、のんびりと晩酌を楽しみました。暫く、自宅で夜をゆっくりすることが無かったので、新鮮な感じがしました。

 夜11時、ダウントンアービーが始まる時間には、月がベランダの方に廻って来て、「矢張り、私が1番でしょう」と言わんばかりに、雲一つ無い空に燦然と輝いていました。満月の輝きでした。

 

「夏最中 年に一度の 定期戦 古き仲間と 七夕祭り」

「十三夜 十四夜などに 負けられぬ 我が一番 十五夜の月」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 9日 (日)

2017年07月08日

2017年07月08日

 

 今朝も、梅雨は明けたのではないかと思わせる程、素晴らしい天気でした。今日は、暑くなりそうです。

 午前中の仕事を済ませ、午後1時半に家を出て、飛田給のアミノバイタルフィールドに行きました。味の素スタディアムのサブフィールドで、今日、大学の姉妹校とのラグビーの試合が、行われることになっていました。

 バイタルフィールドには、2時半に着きました。既に、20人以上の観客が来ていました。ラグビーのOBとその家族のようでした。屋根無しのフィールドなので、メインの観客席側の塔の下に出来た僅かな日影の中に、集まって座っていました。私も、影の中に入りました。試合は、3時からで徐々に観客も増え、応援団の応援合戦とエール交換が始まる頃には、100人を越える観客となりました。

 試合は、3時丁度に始まりました。試合は、我が大学が、圧倒的な力を見せて

進行しました。我が大学のラグビー部が、これ程強いとは思いませんでした。結局、試合は、88-0という大差完封で、我が校が勝利しました。試合に勝った時に、応援団が歌う凱歌を久し振りに聴きました。目頭が熱くなりました。観客のラグビーのOBが、「この歌、なんていう歌だったかな」と、頭を傾げていました。

 試合が終わって、観客席から出ようとしたら、何処かで見た顔がありました。1昨年、就活に失敗した後輩でした。その後彼は、大学に残って勉強をやり直し、教員試験に受かって、教員になったようです。自分の意思と努力で、自分の生きる道を決めたのですから、素晴らしいことだと思いました。

 フィールドを出て、味の素スタディアムから飛田給駅の方へ歩くと、今日はJリーグのサッカーの試合があるらしく、凄まじい数の人波に出会いました。ラグビーの観客は、100人強でしたが、サッカーの観客は、優に5万人を越えるのではないかと思われました。駅についても、まだ続々と人が到着していました。日本のサッカーは、偶にテレビで見る以外に見たことがありませんので、1度見てみようかという気にさせられました。

 飛田給から、大学の近くの酒場に行きました。姉妹校との定期戦の関係で、同じクラブのOB同志の懇親会がありました。6時から始まる予定でしたので、6時5分前には酒場に着いたのですが、早くも懇親会は始まっていました。我々が入学した半世紀以上前には、既に定期戦が始まっており、定期戦を通じて、両校の関係は、緊密さを増しました。目的を同じにするクラブは、定期戦が終わると、固い絆で結ばれた、掛け替えの無い友人になりました。相手校の校歌や学生歌も、自校の校歌や学生歌のように歌うことが出来ました。懇親会の席には、定期戦を通じた、熱い青春の思い出が充満していました。

 暫くして、現役の幹部も参加しました。青春の思い出が、現実の姿になって現れた、そんな感じになりました。この年になると、現役と一緒に酒が飲めるのは、最高の幸せです。歌の文句ではありませんが、「飲んで 飲み潰れて眠るまで 飲んで」、楽しい酒も両校の校歌でお開きになりました。

 両校のOB会長と、数人の有志で、2次会となりました。先日、急死したSは、両校でも有名でしたので、しばし、思い出話をしながら、Sを偲びました。我々が生きている限り、Sも我々の中で生きています。それが、Sにとって幸せだとか言う積もりはありませんが、我々の記憶に残る人生を送ったことは、間違いないでしょう。

 二次会は、11時近くに終わり、若い時のように、終電間近の電車で帰りました。日付が変わろうとしていました。ほぼ、満月に近い十四夜の月が、星の光を消してしまうように、煌々と輝いていました。

 

「青春と 同じ舞台が 目の前に 目頭熱き ラグビーグランド」

「思い出の 一つ一つに 涙する 我も何時しか 耄碌爺」

「数多く 思いで残し 君は逝く 思い出語れば 君蘇る」

「幽かなる 東京の星 消し去りて 孤高に輝く 十四夜の月」

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 8日 (土)

2017年07月07日

2017年07月07日

 

 昨晩、良い月が出ていました。その空を引き継いだように、今朝は良い天気でした。今日は、スリーセブンですね。パチンコやパチスロで、サービスはないのでしょうか、最近パチンコ屋に行かないので、雰囲気が分りません。また、今日は七夕です。織姫と夏彦の、年に一度の再会が出来ますように。

 今日は、午前中の仕事を片付けるのに、思いの外時間がかかりました。夕方に予定が有るので、午後はゆっくりして、午後4時に家を出て、都心の大学に向かいました。

 午後の予定とは、金祝の際お世話になった、元グリークラブの友人から誘われて、日伊国交樹立150周年記念コンサートを聞きに行くことにしていました。このコンサートは、大学の横の教会で行われることになっていました。

 5時半に、大学に着きました。コンサートは、6時45分から始まるとのことでしたので、丁度、姉妹校との定期戦を行っている大学に行きました。キャンパスに入ると、浴衣姿の学生で溢れていました。思わず、写真を撮ってしまいました。聞いてみると、今日は浴衣デーなのだそうです。授業も、浴衣のままで受講して良いのだそうです。学内にある、体育館に行ってみると、ハンドボールの試合が始まる所で、応援合戦とエール交換をやっていました。我が大学の友人は勿論、名古屋からも多くの友人が来ていました。姉妹校との定期戦は、私の人生の素晴らしい栄養となり、今の私を作ってくれたものの一つです。この場に来ると、体が熱くなります。スポーツの試合を見ていると、時間はあっという間に過ぎて、6時半になりました。

 隣の教会に行くと、まだミサが続いていました。結局、コンサートは、少し遅れて、7時頃から始まりました。最初は、女声コーラスで、次ぎに友人のグリークラブの現役とOBによる合唱でした。OBの数が遙かに多く、現役8人程度に対し、OB30人くらいでした。車椅子の人も一人居ました。私の友人は、真ん中で歌っていました。若い人の声も良いですが、年寄りの声も捨てた物ではありません。特に2曲目は、テンポもハーモニーも良く、素晴らしいものでした。次ぎに、男性バスバリトンの独唱が有り、教会でのコンサートだからでしょう、「長崎の鐘」を歌ってくれました。長崎生まれで、社会人になる頃までは、カトリック信者だった私には、特別な思い入れが有り、目頭が熱くなりました。女性のソプラノの独唱もありました。

 次に、今日のコンサートのメインである、イタリアの男声合唱団「Coro Brianza コロ ブリアンツァ」の合唱になりました。メンバーは、中年以上の腹の出た、小父さん達でした。民謡調の歌、コミカルな歌、戦争の苦難を乗り越えた歌等、11曲を歌いました。どの歌も素晴らしかったのですが、その中の1つの歌は、地から湧き出てくるような低い声が、次第に大きくなり、やがて全員の声が集まって、声も更に大きくなり、地上のあらゆる物を揺り動かし、天をも突き崩すような、大きな声の柱が見えるような歌でした。思わず感動して、「ブラビ」と叫んでしまいました。全ての歌が終わった時、観客が総立ちとなり、拍手喝采でした。観客からの、アンコール要請に応えて、「ふるさと」を歌ってくれました。また、目頭が熱くなりました。

 最後は、出演した全ての人による大合唱となりました。「言葉や文化の違いを超えて、人は一つになれるのだ」と言うことを、目の前で教えてくれているようでした。このコンサートが、誰でも無料で入場できるコンサートであったことも、良かったと思います。一般の人との、自然な交流という感じが、良く出ていました。

私は、音楽会とか演劇などには、余り参加しない人間ですが、今日のコンサートは、参加して本当に良かったと思いました。コンサートを紹介してくれた友人に感謝です。

 9時に教会を出たのに、我が家に着いたのは、10時半近くでした。昼から何も食べていなかったので、スモークチキン、フランクソーセージ、カルパス等で、空腹を満たしながら、一人酒を楽しみました。空には、13夜の月が煌々と輝いていましたので、織姫と夏彦も、1年振りの逢瀬を楽しむことが出来たと思います。

 

「キャンパスに 浴衣の波の 押し寄せて 踊り出しそな 花笠音頭」

「青春の 熱き血潮が 蘇る 兄弟校との スポーツ対決」

「我が友の 晴れの舞台の タキシード 君の人生 歌が友達」

「目が濡れる バリトン歌手の 熱唱す 我が故郷の 長崎の鐘」

「腹の出た 中年太りの 合唱団 まさしくこれは、イタリアチーム」

「街歩く 小父さん達の 合唱団 魂揺るがす 歌を披露す」

「イタリアの 小父さん達も しみじみと 心は同じ 故郷の歌」

「歌好きの 日伊の人が 勢揃い 違いを超えた 心のハーモニー」

「七夕に 織姫夏彦 案内する 逢瀬の光 十三夜の月」

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 7日 (金)

2017年07月06日

2017年07月06日

 

 所々に、青空が見える朝でした。日差しもあったのですが、昨日の午後の一時期に較べれば、幾分凌げる暑さでした。

 今日は、大腸の組織検査の結果を、教えて貰える日でした。9時10分には家を出て、10時5分には、癌検診センターに着きました。予約は、10時半でしたが、1時間待たされて、11時半から医師の話を聞きました。ものの5分で医師の話は終わりました。組織検査の結果、大腸のポリープは、良性だったそうです。つまり、癌性ではありませんでした。「ポリープは、まだ幾つも残っており、癌に変わる可能性もあるので、1年後か2年後に、また検査をしましょう」とのことでした。体調が良いので、癌ではないだろうと思っていても、結果を聞くまでは、不安が拭い去れません。今日漸く、不安の一つが消えました。後は、13日、CT検査の結果と、手術をした担当医からの総合所見を聞くだけになりました。

 癌検診センターは、手術をした総合医療センターの隣にあります。医療センターからバスに乗って、府中へ出ました。府中駅南口の再開発が、最終段階に入っていました。再開発地域に出店する店が、開店準備に大忙しのようでした。南口の再開発は、これまでに何度か行われましたが、これで最後だと思われます。辛うじて残っていた昭和が、完全に無くなりました。各店の開店日は、来週金曜日、14日のようですから、もう一度来てみることにしましょう。開店記念で、何か良いことがあるかも知れません。

 一旦家に戻り、5時に家を出て、今度は大学に行きました。今年、大学全体のOB会の会長になった人から、OB会の一つの仕事を引き受けてくれるように頼まれました。特に、することも無いので、引き受けてしまいました。OB会長は、OB会の副会長をやっていた人で、様々な折に、顔を会わせることは多かったのですが、私よりも3年先輩で、特に深い関係が有った訳ではありませんでした。、

 仕事の関係で集まった人達は、総勢10人で、今日だけOB会長と前任の人も来ていました。私以外は、OB会の仕事に関与してきた人達で、ばりばりの現役社会人でした。30台の弁護士も居ました。OB会長の同期で、会社の社長も居ました。そして、OB会長の根回しが済んでいたらしく、私は大学を卒業した訳でもないので辞退したいと言ったのですが、この仕事の責任者に推挙され、全会一致で決まってしまいました。話を聞いてみると、かなり難しい仕事らしく、私が出来るのか疑問です。9名の委員と副委員長に頑張って貰うしかないようです。それでも、久し振りに、頭を使って疲れました。これから3年は、ボケる暇もなさそうです。

 この会の後は、必ず飲み会になるらしく、これだけは嬉しいことです。今日は、新しいOB会長の下での初会合、私の新委員長就任を祝っての飲み会になりました。大学の近くの立ち飲みバーで、新しい仲間と飲みました。酒を飲むと旧知のような気がしてきました。この年齢になっても、新しい仕事を任される、そして新しい仲間が出来る、卒業は出来ませんでしたが、大学に感謝です。

 飲み会は、10時過ぎまで続き、最終バスの時刻が、過ぎてしまいました。家に着いたのは、11時半近くで、空には、随分お腹が膨らんだ、十二夜の月が輝いていました。

 

「半刻も 気をば揉ませて 蓋開ける 出て来た言葉 全て良性」

「老いらくに 新たな仕事 良き仲間 今暫くは ボケる暇無し」

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 6日 (木)

2017年07月05日

2017年07月05日

 

 今朝は、台風一過の晴天だと思っていましたが、雲の多い曇天でした。ただ、空気の汚れは、吹き払われたのか、残雪も少なくなって、ほぼ青山となった富士が姿を見せていました。

 次男は、完全に膝の痛みは、取れていないようでしたが、仕事に出かけました。電動アシストの自転車に関しては、前向きに検討することにして、価格、膝の負担軽減にどの程度効果をもたらすか等を、お互いに調べて見ることにしました。

 次男が出かけた後、早めの朝食にしました。今日は、2時から山の仲間の集まりがある為、12時15分には、家を出ました。エレベータの前の燕の巣には、常に一羽、燕が居ますので、卵を温めているに違いありません。それにしても、タイミングが合わないだけかも知れませんが、巣に止まっている燕に、餌を持って来る燕を見たことがありません。

 玄関を出ると、朝の雲は既に無くなっていて、強い日差しが照りつけていました。猛烈な暑さを感じました。バス停まで行って、バスを待っていると、私より年上と思われる、小母さんが「今日の暑さは、ただ事ではないね。今後、まだ暑くなるのかね、生きて行くのがしんどいね」と話しかけてきました。本当に、雨とか暑さとか、人類がこれまで経験したことの無い様なことが、頻繁に起きるようになりました。

 山の仲間の集まりの場所、日比谷公園の公会堂寄りのグリーンサロンに2時5分前に着きました。今日の集まりの目的は、8月末の秋田県奥阿仁渓谷行きを実施するかどうか協議することでした。

 何時もは、計画をすいすい決めていくリーダーも、今回は、水の多い場所を長く歩くので、水場用の靴や岩場の為のヘルメットを、用意して貰わなければならないことで、負担が大きく躊躇したようです。色々、説明を聞いた上で、私と別の男性を除いて、渓谷歩きに参加する表明し、渓谷歩きは、実施されることになりました。

 私が、参加を保留したのは、一つは、手術後1年の検査の最終結果が、現段階では分っていないこと、もう一つは、色々と制約が多いことでした。私は、本格的な山登りや渓谷歩きは、余り期待しておらず、従って、今回のような、特別な装備を必要とする、高度な渓谷歩きは、躊躇するのです。しかも、5人に一人ガイドが必要と言うことは、何時ものように、仲間とワイワイ言いながらの山行とは違い、誰かの言いつけを守って歩く、制限の多い山行になる予感がするのです。もともと、自由気儘な人間ですので、「ねばならない」タイプの決まりに従うことが、苦手なのです。しかし、リーダーからの参加要請もありますし、検査の最終結果が出た所で、もう一度、前向きに考えることにしましょう。

 集まりは、5時近くに終わり、後は、有楽町の近くで、飲み会となりました。昔良く飲み歩いた所で、懐かしくなりました。昔は無かった「磯丸水産」で飲むことにしました。我が家の近くの聖蹟桜ヶ丘にもあります。タブレットで注文するのは、皆初めてだと言うことで、私が注文を担当しましたが、どうも、思ったように注文が出来ませんでした。種々思い通りには行きませんでしたが、酒は、何時ものように楽しく、飲めました。しかし、料理は、量が少なく、欲求不満が溜まりました。そんな訳で、〆に近くのラーメン屋で、夫々ラーメンや冷やし中華を食べて、終わりにしました。このラーメン屋は、以前からある人気店で、待っている人が多く、「食べ終わったら、早く席を空けて欲しい」と頼まれました。時代が変わっても、変わらない所もありますね。

 聖蹟桜ヶ丘に着いたのは、10時半過ぎで、辛うじて最終バスに間に合いました。多摩一帯には、相当の雨が降ったらしく、道路は水浸しでしたが、雨は既に上がっており、問題なく家に帰ることが出来ました。

 

「アパートの 廊下に出来た 燕の巣 雛が顔出す その日待ち侘ぶ」

「夜も更けて 酒の終わりに ラーメンを 時代変われど 変わらぬ拉麺屋」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 5日 (水)

2017年07月04日

2017年07月04日

 

 雲に覆われた、典型的な曇りの朝でした。台風3号は、私の故郷長崎に上陸し、その後、四国、紀伊半島、東海沖、伊豆諸島と列島を横断し、後は関東の東の海上に抜けるだけとなりました。

 仕事が休みの次男と、昼食を一緒に食べました。昨日医者に行ったのですが、膝の痛みは、まだ続いているようでした。医者から、膝に負担をかけ無い様に言われたようです。自転車で、坂道を無理して登らないようにとも言われたようです。体重も落とす必要があるかも知れません。しかし、次男の職業は、夜型の仕事で、朝11時近くに家を出て、夜1時近くに帰って来ます。自分の自由になる時間が、殆どありません。体重コントロールの運動をする時間も、ままにならないと思います。また、我が家が、電車の駅から遠く、どうしても自転車を使わざるを得ない状況にあります。電動アシストの自転車に、せざるを得ないのかも知れません。

 昼食後、そろそろブルーベリーの季節だと思って、石坂ファーム、由木農場の方を散歩してきました。多摩川の土手下の道では、ハルシャギクの花畑が、葛の葉に侵略されていました。鬩ぎ合いは、まだ続いていましたが、葛の葉に覆われるのは、時間の問題でしょう。四谷橋の近くの送電線に、カワウが戻ってきました。今年は、戻ってくるのが、遅かったように思います。四谷橋を渡って、向かい側の土手に出ました。この前歩いた時には、花を咲かせていたクララが、今日は、サヤエンドウのような実を付けていました。浅川と多摩川の合流点にある仙人の花畑は、夏草の勢いに負けて、荒れ放題でした。花畑の横の、トウネズミモチが、半分以上葛に覆われ、所々から白い花を突き出して、お化けのようでした。

 百草園駅から、七生丘陵に入り、百草園、百草八幡神社迄登りました。そこから枡井緑地を下り、百草観音へ出ました。枡井緑地の出口には、旧家が2件あり、まだ農業をやっています。家の周りや畑の畦には、季節毎に色々な花が咲いていて、散歩する人の目を楽しませてくれます。今日も、名前は分りませんでしたが、沢山の花が咲いていました。畑の隅に白いラッパ状の花が咲いていて、白百合かと思いましたが、アマリリスでした。百草観音は、小さなお堂です。今まで気がつかなかったのですが、武相観音霊場四十八カ所の九番札所でした。しかし、お堂の横の家には、人が住んでいる気配は無く、御朱印を貰う場所が分りませんでした。

 百草観音から、バス通りに出ました。帝京大学のラグビーグランドは、直ぐ近くです。今日はグランドには用が有りませんので、由木農場へ向かいました。農場への坂道は、姫竹の垣根のようになっており、まだ若い筍がありましたので、2本頂きました。坂を登り切ると由木農場です。一部を近隣の人に貸してあり、様々な、農作物と花が植えられていました。超大型のアザミが目を引きました。恐らく食用の朝鮮アザミではないかと思います。ブルーベリーは、あと半月ぐらいで、摘み取りが出来ると思います。東京では珍しい、リンゴ園のリンゴも、随分大きくなっていました。石坂ファームとの境には、鮮やかな朱色の大きな花が、薄の穂のように立っていました。この花の名前も分りません。

 由木農場から住宅地へ下りる途中に、一寸した林があり、1本の大きな桐の木があります。何故か、その桐の木だけが、葛の葉に覆われて、見た目には葛の大木になっていました。林の縁を廻って、住宅地に下りると、白い花を付けた庭木がありました。この木の名前を、思い出そうと、一週間程前から必死だったのですが、今日、突然思い出しました。トネリコ(梣)でした。この年になると、人を始め、色々なものの名前を思い出せないことが多く、ボケが心配になりますので、一つでも思い出すと、私は、まだボケていないと、妙に嬉しくなりました。林の縁には、トラノオ(虎の尾)が、白い花穂を揺らしていました。

 因みに、トネリコの和名の由来は、「本種の樹皮に付着しているイボタロウムシ[1]が分泌する物質(イボタロウ:いぼた蝋)にあり、動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから「戸に塗る木(ト--ヌル-キ)」とされたのが、やがて転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられている。」とのことでした。

暫く歩くと、何度も訪れた事のある大乗寺に出ました。御朱印を頼むと、優しそうな住職が出て来て、気持ちよく引き受けてくれました。私から見ると、素晴らしい字なのに、「拙い字で申し訳ない」と謙遜していました。私は、この寺は、日野市の寺だと思っていましたが、多摩市の寺でした。所が、この寺は、多摩十三仏の話があった時、加わるのを断ったそうです。

のんびりと歩いたので、家に戻った時には、5時過ぎていました。一風呂浴びて、肉じゃが風煮込み、姫筍の辛子酢味噌和え、焼き茄子、鰯の丸干しを焼いたものを、今晩の酒の肴として作りました。6時半頃、次男が部屋から出て来て、野球を見ながら、一緒に酒を飲みました。矢張り、今日の酒の肴の一番は、自然の恵み、姫筍でした。次男も旨いと言って食べていました。来年は、春からこの筍採りを考えて見ましょう。

9時少し前でしたか、野球が面白くなった時に、猛烈な雨となり、BSの電波が届かなくなりました。どうやら台風3号が関東に接近したようでした。仕方なく、地上波の民放に切り替えた所、今日、芦屋の友人から連絡があった、「こんな所に日本人」のエクアドル版をやっていました。日本人そのものは、知らない人でしたが、エクアドルの街は、とても懐かしく、来年の「日本―エクアドル修好100周年」には、行ってみようか、そんな気分になりました。

「土手の下 黄色眩しき 花畑 葛の魔の手が 忍び寄るなり」

「ネズミモチ 最も大事な 花の時期 丸ごと葛に 飲まれて喘ぐ」

「白百合と 思えば君は アマリリス 花が浮き立つ 緑のスカート」

「梅雨の時期 春の山菜 姫竹の 筍採れし 多摩の里かな」

「巨大なる アザミの花が 目を引きぬ 何処かで食べた 朝鮮アザミか」

「薄の穂 朱色に染めた 君の名は 問うてはみたが 応え返らず」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 4日 (火)

2017年07月03日

2017年07月03日

 

 昨晩は、半月が綺麗に見えました。今朝は、雲は多かったのですが、良い天気の部類に入るでしょう。

 都議会銀選挙の結果は、都民ファースト55、自民党23,民進党5、公明党23,共産党19 その他2となりました。都議会選挙は、私の期待とは、違った結果に終わりました。民進党に、せめて公明党と同じ程度の23議席は、取って欲しかったと思いました。国会にせよ都議会にせよ、民進党は、自民党から政権交代するに値する党だと、国民から思われていないようです。これでは、社会党が辿った道を辿るのではないかと、非常に心配です。日本の政治風土には、2大政党は、むかないのかも知れません。

 何度も言っているように、私は、小池都知事が嫌いです。好き嫌いは、感情の問題ですから、理屈がある訳ではありません。米国のトランプ大統領のアメリカファーストは、帝国主義の臭いがします。小池都知事の都民ファーストには、無策と迎合の臭いがします。どちらも危険な臭いがします。

 今日は、12時から、金祝の準備委員会の打ち上げ(慰労会)がありました。約半年に亘って、金祝の為の準備を一緒にやって来ました。金祝そのものは、5月末、予想を遙かに超える出席者の為に、様々なハプニングを引き起こしましたが、無事終了しました。青春時代を共に過ごした大学の同期の3分の1(400人以上)が、様々な人生を経て老境を歩み始めた後、再会しました。祝賀会が始まった瞬間から、様々な人生の苦労は弾け飛び、青春時代に戻り、喜びが爆発しました。改めて、仲間の存在を感じ、心の奥に温もりのある余韻を残しました。

当日参加者の喜びの顔を見て、準備委員は、それを上回る喜びを感じました。今日集まった準備委員は、約40人でしたが、誰もが旧知の友のようでした。写真担当が撮った、金祝当日の写真のスライドショウを見ながら、話しが弾みました。どの顔も、笑顔笑顔でした。12時から始まり、予定の2時間は、あっという間に過ぎました。40人の半分が、別の場所に移動し、2次会になりました。2次会の席上、この準備委員会の会合を、毎年行うことで意見が一致しました。委員長は、従来のままとし、幹事の一人に、名前が「かんじ」さんが選ばれました。

この「かんじ」さんは、私が頼んで、準備委員になった人でした。彼と寮時代の友人と3人で、3次会に出かけました。4時から6時まで、「かんじ」さんが、何故、次会からの準備委員会の幹事になったか、酔った彼に、繰り返し、繰り返し説明した3次会でした。特に理屈なんか無い、役と名前が同じ、単なる洒落だったのです。「かんじ」さんは、分ったような分らないような素振りをしながら、何度も我我に説明させました。結局、この訳の分らない話の為に、ビール1杯、枝豆1皿で、2時間粘り、1人830円でした。1次会から3次会まで、今日使ったお金は、この830円だけでした。店を出て、駅に行く時に分ったのですが、「かんじ」さんは、6時半から、彼が主催するスペイン語関係の会に参加の予定が有り、どうやら私達は、時間潰しに利用されたようでした。

寮時代の友人と、新宿まで一緒に帰りました。彼とは、大学時代、1年間、同じ寮にいたのですが、殆ど話したことがありませんでした。学部もクラブも違っていました。この年になって、古くて新しい友人関係になりました。集まるだけが目的だった、金祝の賜だと思いました。

我が家に戻ったのは、7時半を過ぎていました。流石に腹が空いたので、作り置きの肉じゃが風煮物で、腹を膨らませながら、一人酒になりました。雲の隙間から、月が時々顔を出しました。

 

「誰しもが 残りし時の 短さを 知りたればこそ 今を楽しむ」

「一言で 昔の景色 思い出し 密かな恋も 蘇るなり」

「年と共 往事のマドンナ 魅力増し されど今は 話しが出来る」

「夢多き 苦労も多き 日々は過ぎ しみじみ思う 青春時代」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 3日 (月)

2017年07月02日

2017年07月02日

 

 夜雨が降ったのでしょう、道路が濡れていました。しかし、雨は止んでおり、次第に雲も薄くなって、午前中、残雪の富士が顔を出しました。残雪の富士を見ると、夏になったのだと思います。

 ベランダのブライダルベールが、ジューンブライドは終わったのに、ずっと花を咲かせ続けています。夏中花を咲かせるのでしょうか、楽しみです。大規模修理の際に傷んだ南天が、再生出来ないようです。派を残している木だけを残して、他の部分を伐採し、養分が行きやすいようにした積もりでしたが、結果は逆効果だったようで、最後の1本も枯れる寸前です。

 我がアパートの、燕の糞害対策は、完璧です。巣の下のシートは勿論のこと、壁にもシートが貼ってあります。また、巣の直ぐ下には、糞受けの棚が作られています。現在燕は、卵を抱いているようで、1羽は、必ず巣に居ます。アパートで、雛が誕生したら、毎日が更に楽しくなります。

 今日は、昼食を食べ、12版頃から、都議会選挙の投票に行きました。投票所は、何時もと同じ、稲荷神社の横の、四谷文化センターでした。府中市の選挙区では、都民ファーストから2名、自民党から1名、共産党から1名しか、立候補者が居ませんでした。私としては、どの党にも投票したく有りませんでした。しかし、白票は意思表示にならないと思い、お目付役として、共産党に入れてしまいました。どうしてこんな選挙になったのでしょう、不毛の選択を強いられたようで、腹が立ちました。

 選挙の後、泉町公園、国立水再生センターから、中央高速を潜り、国立環境センターに出ました。このセンターの事務所は、花梨が多く、秋には幾つか花梨の実を拾っています。今、花梨の鶏卵大の実が、沢山生っていました。先日、一本杉公園で、同じものを見た時は、辛夷の実ではないかと思っていました。しかし、何時も見ている辛夷の実は、粒々が外に見えるような実の形をしていますので、謎だったのですが、今日、何時も花梨を拾っている場所に来て、謎が消えました。

 環境センターから、谷保城山公園、崖下の散歩道、国立市民文化館を経て、南養寺に行きました。お朱印をお願いしたら、住職が出て来たので、御朱印帳に書いて貰いました。3回連続で、御朱印帳に書いて貰いました。御朱印帳に、御朱印が増えていく、コレクターの私にとっては、とても嬉しいことでした。今日1日は、これだけでも満足といった気分になりました。

 南養寺から、崖上の道を歩きました。少しずつ宅地化していますが、結構、畑が残されている地域です。道脇に、リンゴの木がある旧家があります。4年程前、このリンゴの写真を撮っていたら、畑仕事をしていた、お爺さんが飛んで来て、「何しているんだ」と大声で怒鳴られました。私を泥棒と間違ったようです。お詫びに屋敷に案内されて、庭の蜜柑を貰ったことがあります。最近、この道を散歩しても、リンゴの写真を撮っても、お爺さんの姿を見かけなくなりました。何かあったのではないかと心配です。

 この辺りの道は、行き止まりが多く、城山公園に戻って、谷保への昔道を歩きました。崖上は畑ばかりで、崖下は水田が多くなっています。今の時期には、どの用水にも水が流れ、新しい住宅を意識から消してしまえば、昔の光景が目の前に広がるのを感じました。

 谷保天神から、甲州街道に出ると、丁度バスがやって来ましたので、帰りは、バスで帰ることにしました。家に帰り着いたのは、3時半でした。午後は、日差しが強くなり、気温は30度を超えました。大汗を掻きました。一風呂浴びて、夜の酒の肴に、肉じゃが風煮込みを作りました。

 夜は。8時から、東京都議会選挙の開票足票ばかりになりました。早々と、小池都知事の都民ファーストの大躍進、自民党の大敗北が決定的になりました。小池知事が、早々と勝利の記者会見をしました。私のとっては、好ましくない結果でしたが、都議会が、自民党と決別し、政権交代したことだけは、都民の意思表示として、評価出来ると思います。

 日曜日には、毎週見ているダウントンアービーは、選挙速報の為、お休みになりましたので、11時半には、ベッドに入りました。すると、12時前に、玄関が開く音がしました。部屋を出ると、次男が帰ってきていました。また、膝に水が溜まって、早退して来たそうです。膝の病気が、持病化したように思われました。これは、次男にとっては、今後の生き方を左右する、大きな問題だろうと思います。明日病院に行くそうですが、完治させる為の治療法があることを、祈って寝ました。

 

「老いてなお 社会に関わる 選挙かな 選べる人の 無きは寂しき」

「緑色 鶏卵大の 実の生りて 君が花梨と 知るよしもがな」

「本殿に 賽銭箱の 無きお寺 檀家健在 南養寺かな」

「朱印帳 素敵な宝 一つ増え 足取り軽く 武蔵野を行く」

「谷保の道 現代家屋 なかりせば トンボ飛び交う 田園風景」

「春は梅 夏は木陰に 風渡る 谷保天神の 鎮守の森かな」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 2日 (日)

2017年07月01日

2017年07月01日

 

 7月、文月になりました。1年の半分が終わり、残り半分のスタートです。季節は梅雨、今日も雨の朝でした。

 去年の今頃は、手術後まもなく、辛い毎日を送っていました。食事も無く、点滴だけで、1日の殆どをベッドで過ごしました。この状態が何時まで続くのか、先の見えない日々でした。以前よりも健康な感じになった、現在の姿など、想像だに出来ませんでした。しかし、今振り返れば、本当に辛かったのは、手術後、僅か1週間だけでした。時は流れ、状況は刻々と変わります。良いことも悪いことも、長くは続かない、このような変化は、有り難いことだと、心から思えるようになりました。

 今日は、1年に1度のローマ会の日でした。毎年、七夕前後に行われます。昨年は、入院中であったので、参加出来ませんでした。

 10時15分に、燕に挨拶をして、アパートを出ました。まだ、小雨がぱらついていたので、傘を持って出かけざるを得ませんでした。集合時間は、12時、集合場所は、青山学院大学の東側、アイビー通りにある青学会館でした。3年前から、毎年、この会館の中にあるイタリアレストランで、ローマ会を開くようになりました。つい先日、苦労して青山学院大学に来たお陰で、12時丁度に会場入りをしました。参加予定者の中で、まだ来ていないのは、ただ一人でした。ローマ時代は、ローマ時間というのがあって、15分から30分遅れるのは、極く普通のことでした。多くの人が、日本人に戻りました。

 5分後、妙齢な女性が一人、会場に入ってきました。集まっている皆の顔を、しげしげと見つめていました。ローマ会は、始まった時から、男だけの集まりでしたから、誰もが、この女性は、会場を間違ったに違いないと思いました。所が、その女性は、一向に出て行きそうにありません。暫く、異様な空気が部屋を包みました。すると、漸く私の隣に座っていた、元ローマトヨタの支店長で、郵政民営化の折、重要な役職を引き受けた人が、「僕が誘ったのだ、今は個人で会社を経営しているが、ローマの日本大使館にいたことのある人です」と紹介してくれました。場の空気が一転して明るくなりました。

 12時15分、最後の一人も到着して、会が始まりました。今日集まった、30人弱の参加者の内、9割は、ローマで同じ時期を過ごした人達でした。1年お休みしたので、どの顔も懐かしくて、食べるのを忘れるくらい、話しに夢中になってしまいました。会場を借りたのは、2時までだったらしいのですが、結局終わったのは、3時半でした。1時くらいに、食事と、ある程度の歓談が終わったのを見計らって、一人一人の近況報告になったのですが、どの人も話しが中々終わりませんでした。幹事が、何度も「話す時間は2分です」と叫んでいましたが、そんなことを聞く、ローマ会の人間ではありません。どんどん時間が延びて、3時半になった訳です。

 2次会に出かける人も居たようですが、私は、先日、行くと約束していたのに、事情があって行けなくなった、先輩の店に行くことにしました。この近辺に来た時には、大体寄ることにしているのです。飲んで話して、4時頃から9時近く迄、長居してしまいました。奥さんが作ってくれた料理を、持ち帰りにして貰いました。我が家に着いたのは、10時半になってしまいました。今日は、少々飲み過ぎでした。

 

「例年は 彦星だけの ローマ会 今年漸く 織り姫誕生」

「縁ありて ローマ暮らしを 共にした 仲間集まり ローマに帰る」

「後輩が 兄弟姉妹に 思えけり 家族談義で 半日潰す」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 1日 (土)

2017年06月30日

2017年06月30日

 

 朝5時半、目覚まし時計の音で目を覚ましました。普段も、この時間には起きているのですが、予定が有って、早く起きなければならない時は、目覚ましをセットするようにしています。緊張して、早く起きてしまうからです。今日は、大学の体育会OB会のゴルフ大会の日でしたが、雨の夜明けでした。

 昨夜の内に、準備しておいたので、6時半、焦ること無く家を出ることが出来ました。エレベーター乗り場の燕の巣から、既に目を覚ました燕が、私を見ているようでした。巣の下には、ビニールシートが貼られ、糞害の対策がされています。このアパートの管理人は、燕が嫌いでは無いようです。アパートから出る時に、楽しみが一つ増えました。

 聖蹟桜ヶ丘6時58分発の各駅停車の電車で、高尾に向かいました。電車は、空いていたので、用意しておいたパンを2個食べて、朝食にしました。高尾からは、7時47分発の、河口湖行きの電車に乗りました。こちらの電車は、かなりの混みようでした。私が下りる上野原にある高校の、通学時間と重なったのです。京王線で、朝食を済ませて正解でした。上野原は、高尾から3駅目で、8時6分に着きました。駅から、メープルポイントゴルフクラブまで、タクシーで行くのですが、狭い駅前広場に、高校へ行くバスが、3台陣取って、タクシーが駅前広場に入って来られませんでした。仕方が無いので、坂の下でバスが出のを待っているタクシーの所まで歩き、そこからUターンして貰いました。

 ゴルフ場には、8時20分に着きました。丁度、大会の前の朝礼が始まった所でした。私が最後でした。朝礼が終わり、8時49分、OUTから第1組でスタートしました。周囲の山には霧がかかり、霧雨の中でのゴルフとなりました。メンバーは、元体育会OB会長、現体育会OB会長、陸上部OB会長でした。良く知っている人達でした。陸上部のOB会長とは、何度も一緒に廻ったことがあります。

 今年初めてのゴルフでしたが、パー、ボギー、パー、パーと、何時もより良い出だしになりました。3ホール目のショートでは、ニアピン賞まで貰いました。所が、その後、大叩きが始まり、結果として、パーが3つ、ボギーが3つ、大叩きが3つで、53叩いてしまいました。

 11時半から昼食、12時から後半のスタートになりました。後半は、ダボ、トリプルの連続で、57となり、フラストレーションが溜まりました。しかし、トータル110の成績は、手術前と大差なく、上出来と言うべきでしょう。特に最後の3ホールは、ドライバーの飛距離が、手術前に戻りました。私にとっては、成績より何より、嬉しいことでした。「歳の割に良く飛ばすね」と言われることを楽しみに、ゴルフをしているようなものなのです。

 後半は、霧が山の方に登り、雨も止み、所々に青空が見えるようになりました。遠くに、蒼く霞んだ甲斐の山々や、丹沢の峰が見えて、まるで山水画のような風景の中で、ゴルフをしました。

 2時半には、我我の組はゴルフを終わり、ゆっくり風呂に入り、後続の組が上がって来るのを、ビールを飲みながら待ちました。3時半には、表彰式が始まりました。成績は、47人中43位と、さんざんな結果ではありましたが、私もニアピン賞を一つだけ頂きました。何よりも、2年振りでしたので、仲間の消息や私の手術の話しと、健康管理に関する話しに花が咲きました。私は、結構カートを利用しましたが、陸上部のOB会長は、一切カートに乗りませんでした。歩くことが健康の素で、その為にゴルフをやっている、特に、このゴルフ場は、アップダウンが多く、健康の為には、最高のゴルフ場だと言っていました。

 5時には、表彰式も終わり、後輩に上野原駅まで送って貰い、来た道を戻り、我が家の近くのスーパーで、今晩のワインを買って、7時近くに家に着きました。家に着くと小母さんに戻って、今日のゴルフの汚れ物の洗濯をし、ゆっくりとワインを飲んで一日が終わりました。ほんの短時間でしたが、月が空に輝き、霞んだ富士が見えました。

 

「参加者に 我より年上 一人だけ 何時しか我も 長老グループ」

「梅雨時に 棚引く霧の ゴルフ場 水墨画の中 仙人ゴルフ」

「年取れば 色んな仲間 有り難し 酒・山・ゴルフ 昔の同期」

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »