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2017年6月

2017年6月29日 (木)

2017年06月29日

2017年06月29日

 

 薄い雲を通して、鈍い日差しがあるような朝でした。午後には、薄雲が切れる所も出てきて、そこからの日差しは強いものでした。

 何日か前に、テレビが報じた所では、竹中平蔵を初めとする学者や一般人の会合があり、竹中平蔵氏は、加計学園の問題に対して、文部科学省の前次官である前川氏が、「加計学園の獣医学部創設は、行政を歪めた」との発言に対し、「行政を歪めたのは、文部科学省自身で、半世紀に亘り獣医学部新設を認めなかったことこそ、行政を歪めたのだ。岩盤規制を打ち壊す特区は、むしろ有効な政策であった」と反論していました。

 私は、前川氏が行政を歪めたと言ったのは、行政を特定個人や団体に便宜供与するようなやり方について、行政を歪めたと言ったのであり、岩盤規制を打ち砕く特区の政策について言ったのではないと思います。これに対して、竹中平蔵氏は、利益誘導については触れずに、阿部総理の前向きの政策を否定する、前川氏の発言そのものがおかしいと、印象づけるような発言でした。

 おかしな政治家も多いですが、政治家は国民から選ばれた国民の代表です。行政官僚は、国に雇われた使用人に過ぎません。しかし、行政官僚は、長年行政に携わった専門家でもあります。ある時期、官僚が専門家面して、政治家を小馬鹿にしたことがあります。政治家が、余りにも実情を知らないで、政策を立てるからです。何れにしても、雇われ人である官僚は、政府に従わなければなりません。そして、政府が突拍子も無いことをやらない為に、法律や規制があります。官僚の拠り所は、この法律や規制です。

 諄くなりましたが、色んな事を考慮しても、竹中氏の発言は、個人に対して利益誘導をした、安倍総理の窮地を救う為の、印象操作のように聞こえました。「安倍総理は、岩盤規制を打破し、日本の未来の為に政策を打ち出しているのだ、官僚は黙っていろ」と言ったのと同じでした。こんなことで、加計学園に対する利益誘導の追求を終わりにしてはいけないと思います。

 一昨日知ったのですが、アパートの3階のエレベーター乗り場の近くに、燕が巣を作りました。燕は、人間の行き来が多い所が、安全だと心得ているようです。確かに、燕の天敵になりそうな、烏や蛇は、人間の多い所は避けます。これまで、良好だった燕と人間の関係も、都会では変化してきています。都会人は、燕に虫を捕って貰う必要も無く、糞をまき散らす燕は厄介者になったのです。燕が巣作りをしようとすると、巣を壊してしまう人が増えました。燕と人間の関係が、どの様な落ち着きを見せるのか、気懸かりではあります。

 明日はゴルフの為、朝6時半には、家を出る必要が有ります。遠出をせず近場を歩きました。

 我が家の近くの昔道に、藪甘草が沢山咲いていましたが、その中に、花はしおれていましたが、白花の藪甘草に見える花がありました。本当に白花かはっきりしないので、もう少しきちんとした白花を見たいものです。また、春から、小さな石蕗の葉が、地面を這っているような野草に、白い花が咲いていました。この花の名前が未だに分りません。金平糖のような、薄紫の花も咲いていました。ママコノシリヌグイでした。我がアパートの前の木槿が、花を咲かせ始めました。私は、昨年7月16日に退院しましたが、その時、満開の木槿が、私を迎えてくれました。夏にも結構色んな花が咲くものです。

 今日は、散歩の後、簡単に買い物をして、3時半には家に戻りました。それから夕食前に日記を書き上げました。これで、安心して寝ることが出来ます。

 

 

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2017年06月28日

2017年06月28日

 

 今日は、雨の朝でした。いよいよ本格的な梅雨になったと思ったのですが、午後から日差しも有り、夜は三日月を見ることが出来ました。

 今日は、「国際平和協力法25周年記念公開シンポジウム」に参加しました。私の以前の職場のOB会から、出席の打診が有りました。最近、現実の社会活動と縁の無い生活をしていますので、偶には、参加してみようかと思ったのです。会場は、青山学院大学でした。

 12時15分に我が家を出て、1時半に渋谷に着きました。青山学院には、青山通りを赤坂方面に歩けば良いと分っていました。所が、渋谷駅を出ると、背の高いビルが幾つも建っていて、どれが青山通りか、またどの方角に青山通りが有るのか、全く分りませんでした。丸2年来なかっただけで、すっかり、お上りさんになってしまいました。

 2時からシンポジウムが始まるので、気持ちも焦ってきました。道行く人に尋ねまくって、漸く青山通りに出ました。青山学院に着いたのは、2時丁度でした。会場の本多講堂に着くと、受付を待っている人の列が有りました。どうやら間に合いました。

 15分遅れで、シンポジウムが始まりました。安倍総理、ジャン・ピエール・ラクロワ国連PKO局長からのビデオメッセージの後、明石元国連事務次長の基調講演等が有り、第1部が終了しました。第2部は、内閣府国際平和協力事務局長より、我が国に国際平和協力法が出来てから25年間の、我が国が国連PKOに参加した活動実績の総括が有り、その後パネルディスカッションとなりました。パネラーの一人に、イタリアで一緒だった友人が参加していました。髪が白くなっただけで、子供っぽい顔付きも、他人とは違った鋭い指摘をする時の話し方も、全く変わっていませんでした。参加者の中にも、昔良く見た顔が幾つもありました。今は、全く関係ない人になりました。

 国際鄭和協力法は、国連のPKO(ピース・キーピング・オペレーション=平和維持活動)に参加する為に制定された法律です。参加する自衛隊が、武器を携行し、その武器を外国で使用できるか、大きな議論が巻き起こりました。当時は、PKOに自衛隊が参加すること自体に、反対する声も多かったのですが、現在では、9割以上の国民が、自衛隊の参加に賛成しています。最近は、「駆けつけ警護」も可能となりました。

 一度、書いたことがあると思いますが、私が子供の頃、朝鮮戦争が勃発しました。その時、韓国を支援して朝鮮戦争に参加した米軍は、国連軍と称しました。今でも、横田基地の中には、国連軍の執務室があると言われています。国連軍は、国連の安全保障理事会の承認を得て編成されるものです。安全保障理事会の決定は、構成5カ国の全会一致で決定されることになっています。従って、国連軍は、これまで1度も編成されたことはありません。

 これと違って、PKOは、UNESCOと同じく、常設された国連の活動です。この活動に参加する各国の部隊を、PKF(ピース・キーピング・フォース=平和維持軍)と呼ぶこともありますが、国連軍とは全く違ったものです。もともとPKOは、その名の通り、平和維持活動が主たる任務ですから、一方の組織を支援したり、武力を行使したりすることは、基本的にありません。平和を維持する為に間接的に、行政の相談に乗ること、病院とか社会インフラの建設、難民支援とかが、主要な任務です。しかし、最近の国際情勢、特にイスラム圏で起きている問題は、PKOの自身のあり方にも、大きな問題が生じています。経済のグローバル化を含め、人類社会が国際化している今日、国際正義、国際平和、テロと治安の維持、世界的な豊かさの享受、民族と宗教と国家等々、人類の将来について、根本の理念から、真剣に議論する必要があると感じました。

 シンポジウムの後、青山学院大学のキャンパス訪問をしました。50数年前に1度来たことがありますが、全く忘れていました。米国の国家施設に似た建物があったのですね。憶えていたのは、公孫樹並木だけでした。丁度秋で、ギンナンが山程落ちて、臭かったのを思い出しました。

 帰り道、青山通りから、並木のある坂道を下りました。途中、ビルの間に鳥居があり、長い階段がありました。稲荷神社でした。横に宮益不動尊が祀られていましたので、私が下りていた坂は、宮益坂なのでしょう。宮益坂をどんどん下りて行くと、テレビでも有名なハチ公前交差点に出ました。人混みの凄さに、肝を潰しました。一体何処から、これだけの人が集まってくるのでしょうか、東京の山手線の主要な都市は、何時も別世界のような気がします。

 夜7時半、月を見ながら帰宅しました。久し振りに、お上りさんになり、久し振りに現実社会の活動に触れましたので、少々疲れました。最近世の中の動きは、テレビで見るだけになりました。

 

「当てもなく 世界平和を 生甲斐に 日々を生きたる 昔もありし」

「年老いて 年金暮らし 板につき 生甲斐忘れ 仙人暮らし」

「人々の 心の糸を 紡ぎたる 稲荷神社 ビルの谷間に」

「何故に これ程の人 集まりぬ 東京都心は 暇人ばかりか」

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2017年6月28日 (水)

2017年06月27日

2017年06月27日

 

 今朝、外を見ると道路が濡れていました。昨晩かなりの雨が降ったようでした。今日は、梅雨らしい曇り空の一日でした。

 今朝は、5時に起きて、7時には日記を書き上げることが出来ました。午前中に予定が入ると、日記を書くのが大変です。

 8時半には家を出て、9時20分には、多摩総合医療センターに着きました。1年前の今日、胃癌の手術をしました。先ず、採血をして貰い、今日行うCT検査の窓口に行きました。検査は10時50分からでしたので、まだ時間が相当あり、10時20分に戻ってくるように言われました。

 40分程時間があったので、手術の為に入院していた病棟を訪ねました。手術後、毎日歩いていた、3階のテラスの小さな庭には、1年前と同じように、アガパンサスとデージーが咲いていました。こうして1年前を思い出しながら歩けるのは、手術が上手く行って、現在私が生きているからです。手術をしてくれた先生他、病院の方々、医術の進歩に感謝です。

 まだ時間があったので、病院の庭を通って、武蔵台小学校の方へ歩きました。庭には、1輪の藪甘草の花が咲いていました。私が退院する頃は満開だったのを思い出しました。また、1輪のコスモスが咲いていました。今の時期にコスモスが咲くのは、いかにも珍しいと思いながら、武蔵台小学校の方に行き、戻ってくると、コスモスの花が見当たりませんでした。どうしたのだろうと、何度も探していると、藪甘草の葉の下に、コスモスの花がありました。誰かがちぎって捨てたのです。珍しく腹が煮え返る程、怒りが込み上げてきました。

 予定の時間に、CT検査の受付に行きました。受付は直ぐに済み、自分で血圧を測定した後、待合室で40分程待って、11時過ぎから検査が始まりました。お茶を沢山飲まされる他は、苦しいことは何も無く、15分程度で呆気なく検査は終わりました。検査の結果は、7月13日の手術をした担任の医師の講評を待たなければなりません。

 昨晩の9時から、何も食べていませんでしたので、病院内のコンビニで、お握り、カツサンド、食後のモナカを買い、病院内で昼食を済ませました。

 食後、医療センターに来たら、殆ど立ち寄る、近くの武蔵国分寺へ行きました。今回は、御朱印をお願いしたら、住職が出てきて、「御朱印帳はお持ちですか」と聞かれました。この所、欠かさず持ち歩いている御朱印帳を渡して、書いて貰いました。昨日の安養寺も、今日の武蔵国分寺も、全部手書きで、サンスクリット文字と思われる寺独特の記号が、有難さを増したようでした。

 武蔵国分寺からは、何時ものように「小鷹の道」を歩き、国分寺駅に出ました。国分寺駅の北口で、超高層マンション2棟が建築中でした。その内1棟は、駅の北口に直結していました。国分寺が更に発展するものと思われます。国分寺跡、現在の武蔵国分寺、国分寺崖線、恋ヶ窪、日立中央研究所、殿ヶ谷戸庭園等の緑地と住宅地とのバランスが良いので、人気が有るのかも知れません。西武線と中央線が乗り入れているのも有利だと思いました。

 国分寺に来たので、殿ヶ谷戸庭園に寄りました。花は、殆どありませんでしたが、鬱蒼とした庭園の木々が、周囲の住宅を遮蔽し、都会の中とは思えない雰囲気を、醸し出していました。夏の庭園も良いものです。

 国分寺から国立に出て、今晩の酒の肴を買いました。今日は、酒を飲むことが出来ます。次男も休みで、予定が有るとは言っていませんでしたので、少し多めに、酒の肴を買って帰りました。予想通り、今晩は、久し振りに、次男とゆっくり飲むことが出来ました。小林麻央さんのように、若くして癌で死ぬ人も居るのに、私のような爺さんが助かり、以前と変わらない感じで、子供と酒が飲めるようになりました。何と言う幸せ者かと思います。一度、死を意識すると、日常の全てのことが、宝物のように思えるのです。残り少ない命が、急に輝きを増しました。これは、死ぬ前の一寸した贈り物だと考えないと、此の世との別れが、本当に辛くなりそうです。

手術からの1年間、親しい友人の訃報には幾つか接しましたが、私自身は、毎日が回復の喜びと、新しい発見の連続でした。花鳥風月の全てが、以前より魅力的に思えるのです。残り少ない人生、せいぜい、この喜びを満喫しながら生きて行こうと思います。

 

「退院時 満開だった 藪甘草 今一輪の 早咲きの花」

「昨年の 手術の時と 同じよに テラスの庭に アガパンサスの花」

「何者か 千切って捨てた 愛らしき 季節外れの コスモスの花」

「武蔵野の 空を突き刺す 摩天楼 所々に 昔の武蔵野」

「殿ヶ谷戸 新緑の森 濃緑に 駅前なのに 深山幽谷」

「昨年は 生きるか死ぬかの 瀬戸際に 今は子供と 酒飲めるなり」

「近年の 医術の進歩 凄まじく 命取り留め 自然を愛でる」

「蓮の花 座る仏を 見るよりは 此の世で愛でたい 花鳥風月」

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2017年6月27日 (火)

2017年06月26日

2017年06月26日

 

 今日は、雨の予報だったと思いますが、多摩地方は曇り空で、午後になる頃か日差しまで出てきました。

 昨晩も、英国のドラマ「ダウントンアービー」が、12時20分までやった為、寝たのは1時近くでした。英国の貴族社会の変遷のドラマで、なかなか面白く、興味を持って見ています。ただ、その時代の英国に生まれなくて良かったとは思っています。何故なら、私は使用人側に生まれたと思いますから、、、。

 6月30日に、ゴルフをすることになっていますので、クラブを往復宅急便で送ることにしました。所が、クラブを取りに来てくれた、クロネコヤマトの従業員が、クラブのヘッドカバーが無いのかと、しつこく言いました。古いクラブなので、ドライバーを除いて、ヘッドカバーは無いと言うと、本社に確かめて、渋々、受け取って貰いました。出来れば、ゴルフバッグの上部もハードなものにして欲しいと言っていました。余計なお世話だと言いたくなりましたが、輸送中に、クラブヘッドが傷ついたとか、クラブが曲がったとか、クレームが多く、場合によっては、何十万もの弁償をしなければならないことが、増えていると言われて、取り敢えず何も言わないで、持って行って貰いました。

 午後から、この二日間、まともに歩いていないので、散歩兼お寺巡りをしてきました。

 午後1時半に家を出て、先ず桜公園で、準備体操をしました。この前から、桜公園で気になっていることは、1本の桜の葉が、殆ど無くなってきていることです。ウィルスによる、変な病気で無いことを祈っています。青梅の吉野梅郷の梅がウィルスに冒され、全て伐採されましたので、荒唐無稽な心配では無いのです。

 準備体操後、多摩川の土手下の道を、上流の石田大橋まで歩きました。既に、冬枯れの植物は、全て緑が覆い尽くし、葛も蔓延って、夏本番でした。緑の小道に色があるのは、テリハノイバラ、ヒメジョオンの白、クサノオウ、カワラサイコ(河原柴胡)、ハルシャギクの黄色等で、小道に彩りを与えていました。鬼胡桃の実は、立派に肥っていました。ポプラの木に似た木に、山ほどの花が咲いていました。どのピラカンサスの木にも、山ほどの実がついていましたが、1本だけ、実がついていませんでした。花が下向きに咲いていた木です。私は、ピラカンサスと思っているのですが、若しかしたら、ピラカンサスではないのかも知れません。所々に咲いていた山芋の花は、朝顔のような花が、本当に愉快な顔に見えて、気持ちも晴れ晴れしました。

 石田大橋の近くでは、土手下の道も河原のように、砂礫の道になりました。通常、ハルシャギクは、結構背も高く、地面を覆い尽くすように咲くのですが、砂礫の中では、高山植物のように、背が低く健気なのです。別の花では無いかと思ってしまいました。

 石田大橋を越えて、万願寺交差点から、安養寺に行きました。高幡不動まで散歩する時、良く立ち寄る寺です。御朱印を頼むと、住職の方から「御朱印帳があれば、お書きしましょう」と言ってくれました。朱印以外は、全部手書きでした。矢張り手書きは、味があります。「府中にも安養寺がありますが、何か関係がありますか?」と聞いてみた所、「宗派が違いますし、関係はありません。安らかに養うという言葉の感じが良いので、同じ名前の寺は結構あるのです」とのことでした。安養寺は、関東八十八カ所の六十八番目、多摩新四国の八十五番目の札所でした。

 安養寺から、万願寺交差点に戻り、モノレールで立川の芝崎体育館まで行きました。そこから普済寺まで歩き、御朱印を頼んだのですが、御朱印は扱っていないと言われました。誰がどの様にして、お寺巡りの札所を決めるのか、調べて見たくなりました。先ずは、何処かの寺で聞いてみましょう。普済寺は、最近、寺のあらゆる所を、新築ないしリフォームした、立派な寺です。この寺の六面石幢(ろくめんせきどう)は、立川唯一の国宝だそうです。本殿の前の大きな甕に、蓮の花が咲いていました。秋には、石蕗が沢山咲きます。

 普済寺から、残堀川に下り、立川根川公園を歩き、柴崎体育館駅まで戻り、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘経由、我が家に戻りました。

 明日は、CT検査で、今日アルコールの入ったものは飲めないし、9時からは、水以外は口に出来ません。仕方が無いので、ノンアルコールのビールを買ってきて、酒を飲んだ気分になりました。どんなに味を似せて作っても、ビールと同じにはなりませんでした。

 

「緑濃き 草むす小道 彩りぬ 白花黄花 花の列かな」

「鬼胡桃 まるまる肥えた 実の房を 幾つも下げて 泣き笑いかな」

「何故此処に 君が居るのか ピラカンサス 庭から出るは 反則なりき」

「土も無き 水も少なき 砂利道に 必死に生きる ハルシャギクかな」

「頬寄せて 元気一杯 高笑い この世は楽し 山芋の花」

「山芋の 家族揃って 高笑い 腹の底から 此の世は楽し」

「水甕に 寺に似合いの 蓮の花 仏の国では 仏の座椅子」

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2017年6月26日 (月)

2017年06月25日

2017年06月25日

 

 朝起きて、ベランダに出ると、ベランダが水浸しでした。しかし、良く見ると水浸しは、ベランダの真ん中の部分だけでした。こんな感じに雨が降る訳は無いと、飲み過ぎと寝不足の頭で必死に考え、漸く冷房の水だと分りました。エアコンの室外機のホースが外れていたのです。わたしと次男は、リビングのエアコンを点ける事は無いのですが、孫達が泊まると、フル回転します。今朝は、予想通り、どんよりと曇った梅雨空でした。

 昨晩、3時過ぎに寝て、今朝は8時に起きました。酔いが、完全に抜けきれなくて、頭が朦朧としていました。10時近くになると、孫達も起きて来ましたので、昨晩の食器類を片付けて、朝食の用意をしました。我が家の朝食は、基本的に一汁一菜です。ご飯を炊き、味噌汁を作り、サラダを作り、後は鯖を焼くだけでした。結局、朝食は11時過ぎからになってしまいました。

 孫達は、何回もの集まりから、夜は大人の時間、朝は子供の時間と、学習したようです。朝食の時は、孫達が競って学校のこと、幼児園のこと、以前、遊びに行った時のことを話してくれました。末の孫が、お兄ちゃん他と同じように、すんなりと自分の思ったことを表現できず、苛立っている様子が、可哀想でも有り、可愛くもありました。お兄ちゃん達に追いつくのは、もう少し時間が掛るでしょう。

昨日が末の孫の4歳の誕生日でしたから、4年前になりますか、末の孫が生まれた年、上の孫と孫娘を連れて、お台場のレゴランドに行きました。お父さんやお母さんが居なくで、電車で遠出をするのは、孫達にとって初めてのことでした。孫娘は、その時、今の末の孫と同じ4歳だったと思いますが、その日のことを、良く憶えていると、楽しそうに話してくれました。余程、気が張っていたのだと思います。孫達の記憶の中に、ジージの姿が残ってくれれば、こんなに嬉しいことはありません。

食後、孫達は、誕生日のプレゼントの「温度で色の変わる粘土」で遊び、冷凍庫から氷を取り出し、冷たい水を作り、台所のお湯を使って、粘土の色の変化を楽しんでいました。上の孫の半ズボンのゴム紐が緩み、パンツが見えていましたので、新しいゴム紐を入れてやりました。感激屋の上の孫は、何度も「ありがとう」と頭を下げていました。孫娘は、午後からターザンロープのある公園で遊びたかったようですが、娘の体調が悪かった(飲み過ぎ?)ので、家に帰ることになり、少々むくれていました。娘一家は、午後1時過ぎに帰って行きました。

 娘一家が帰った後、朦朧とした頭で、昨日の日記を書きました。その後、エアコンの室外機のホースを修理し、1時間ほど昼寝をしました。その後、野球の巨人―中日戦を見ました。今日は、一日中家で過ごしました。

 実は、昨晩も巨人―中日戦を見ながら酒を飲みました。我が家では、長男だけが巨人ファンで、その他はアンチ巨人でした。長男が、中学高校時代は、家で野球を見ると、自分だけが仲間外れになり、辛かったと長男がこぼしていました。

 今日の晩酌は、昨晩の酒の肴が、上手い具合に、一人分残ったので、何も料理すること無く、晩酌を始めました。7時少し前でしたか、今まで黒く立ち籠めていた、富士の方向の雲が、急に茜色に染まり、夕焼けの空に変わりました。日の沈む、西の空の雲が切れたのでしょう。劇場の幕が、一気に上がったような、不思議な高揚感が湧き上がりました。夕焼け見酒では、語呂が悪いですが、茜色が夕闇野色に変わると共に、高揚感も次第に静まり、昨晩の馬鹿騒ぎでは無く、自然と一体となったような、美味しい酒を飲みました。明日は、CT検査の前の日ですから、酒は飲めません。今年の一連の検査は、これで最後です。

 

「孫達と 過ごす時間の 重なりて 孫の心に 積もる思い出」

「孫達が、初めて見知る 旅立ちが 我であるなら 言うことは無し」

「梅雨空が 一転茜の 空となる 予期せぬ夕焼け 見つつ晩酌」

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2017年6月25日 (日)

2017年06月24日

2017年06月24日

 

 今朝も良い天気でした。どうやら明日からは、梅雨らしい天気になるそうです。

 今テレビを賑わしているのは、将棋界の新星、藤井4段の連勝記録です。プロ入り以来、負け無しの28連勝となりました。歴代連勝記録の1位とも並びました。私は、小学校の高学年の頃、3歳年下の子とやって、一度も勝てませんでした。それ以来将棋を止めてしまいました。将棋をやる人は、特別な才能があるようです。藤井4段は、その中でも凄い才能があるようです。彼のお陰で、今空前の将棋ブームが、起きているようです。

 今日は、末の孫の誕生会のため、夕方、娘家族と長男が来ることになっていました。皆が来る前、1時半頃から、刺身を買いに聖蹟桜ヶ丘に行って来ました。刺身だけは、当日買わないと怖いです。聖蹟の京王ストアに行ったら、アサリが食べたくなって、アサリを買ってしまいました。また、北海道フェアーやっていて、ツブ貝が美味しそうだったので、ツブ貝も買ってしまいました。刺身は、キビナゴとマダイにしました。それから、我が家に戻り、色々準備をしました。

 6時頃に長男が来て、娘家族は、6時半頃に着きました。準備万端でしたので、ビールで乾杯して直ぐに、孫達は食事、大人は飲み会になりました。孫達が食べ終わった所で、誕生日のプレゼントを渡しました。プレゼントは、殆どが玩具でしたので、孫達は別の部屋に行って、遊びに熱中しました。お陰で大人達は、ビールから日本酒、ワインと飲み続けました。肝心の誕生会のケーキカットと誕生日の歌を何時やったのか、憶えていないくらいでした。

 長男も娘家族も泊まっていくことになりましたので、更に飲み続け、12時15分、次男も帰ってきて、結局、3時過ぎまで飲んでしまいました。久し振りに、兄弟が揃ったので、嬉しかったようです。

 まだ、頭が朦朧としていますので、今日は、これで終わりにします。

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2017年6月24日 (土)

2017年06月23日

2017年06月23日

 

 今朝は、昨日より良い天気だと思うのですが、富士が見えませんでした。天気予報士が言って居ましたが、空気中の湿度が関係するそうです。

昨日も少しだけ書きましたが、多摩十三仏巡りのための地図は、非常に分りにくい地図でした。先ず、文字が小さくて、年寄りには読むのが大変でした。また、目印となる建物や通りの名前が、書いてありませんでした。住所ばかりが沢山書いてありました。しかし、日本は、道に整然と住所表記がされていませんし、番地の付け方も、きちんとしたルールがありません。私が、長く滞在した中南米の国では、通りの名前と番地が分れば、誰でも間違えずに、示された場所や家に行くことが出来ます。通りの入口には、必ず通りの名前が書かれていますし、番地は順序だって付与されていますし、家には番地を標記することが、義務付けられています。道路の標記とか、以前よりは少しは良くなった感じもしますが、日本の街作りには、統一性が無いと思いますし、現在、自分が何処に居るのか、分りにくい街作りだと思います。このような状態の街を、地図を持って歩くには、地図の表記の仕方に、余程の工夫が必要だと思います。地図の標記に関しては、私なりのアイデアがあったのですが、今回歩いて、道を聞いた人の多くが、スマホで調べてくれました。最近は、スマホがあれば、全て問題解決なのかも知れませんので、先ずはスマホを勉強してみようと思います。

多摩十三仏巡りをしてみて、ニュータウン開発以前の多摩地方は、山里そのものであったろうと思えました。歴史的にも、武蔵国の中心であった府中は、かなり栄えたようで、神社もお寺も、歴史が有り立派ですが、今回歩いた所の、神社も寺も、貧相だったし、最近建築されたものばかりでした。ニュータウンが出来、人口が増えて、それに連れて、檀家が増え、墓の売り上げ、法事の回数も増え、漸く寺としてある程度の体面が保てるようになったと思われました。歴史が見えるような、お寺巡りでした。

今日は、午後から眼科に行って来ました。3ヶ月に1度、緑内障の進行状況を、確認するために行っています。緑内障は、それほど進行していないようですが、白内障は、かなり進行しているようで、手術をするのであれば、何時でも病院と医者を紹介すると言ってくれました。白内障の手術は、妻もやっていますし、かなりの友人もやっています。今は、比較的簡単な手術になったようです。友人からは、残り少ない命なのだから、早く手術をして、すっきりとした毎日を送った方が良いと、何度も言われています。私自身、何を躊躇っているのか、良く分らないのです。日々の生活に、大きな支障が無いこと、緑内障の方は直らないので、他の人に較べると、目の前が開けた感じにはならないのではないかと、自分で勝手に思っているのです。

眼科が終わった後、明日の末の孫の誕生会用の買い物をするために、府中の魚屋「浜喜屋」に行って来ました。孫達の食べ物は娘が担当し、大人達の酒の肴は、私が担当することになりました。浜喜屋は、海産物の種類が多いこと、比較的安いこと、珍しい魚の刺身があるため、以前から、よく利用しています。今日は、鯛のあら2匹分、鰯の1夜干し10匹、赤魚の干物1枚、じゃこの干物1袋、長崎の蒲鉾6枚、冷凍大粒海老2袋、鰺の刺身1舟、鰆の刺身1舟、搾菜の浅漬け2個を買いました。これだけ買って、4,981円でした。酒場での、一人の飲み分程度ですね。

近くのスーパーで、野菜類や小物を買って、5時半頃に我が家に戻りました。早速、鯛のあら煮を作りました。今宵の晩酌は、鰺の刺身、長崎蒲鉾1枚、焼き厚揚げで、日本酒にしました。鮭のあら煮は、明日用です。

テレビで、小林麻央さんの死亡のニュースをやっていました。この若さでの死は、どんなに言葉で繕っても、人生を十分に生きたとは言えないでしょう。私とは、大学が同じくらいで、何の関係もありませんが、可哀想な感じがしました。しかし、ニュースから消えれば忘れてしまうでしょう。関係の無い人の死は、所詮その程度のものです。先日急死した後輩のことは、色んな折に思い出しては、胸に込み上げるものがあります。長い人生劇の中の、多くの場面で共演しましたから、心の中に繋がりが残っています。

 

「山里に 時代の波が 押し寄せて 静かな森も 高層団地に」

「孫達の 誕生会を 口実に 大人達は 宴の準備」

「いそいそと 酒の肴を 買い求め 宴思いつ いそいそ料理」

「芸能人 顔は良く知る 人なれど テレビ画面の 中だけの人」

 

 

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2017年6月23日 (金)

2017年06月22日

2017年06月22日

 

 久し振りに富士が見えました。頂上付近であっても、黒い部分が広がり、残雪の感じが強くなりました。空は、薄い雲で覆われ、日差しと言うより、朧月のような太陽でした。

 今日は、次男を送ってから、多摩十三仏の残り6カ所を廻ることにしました。1カ所は、我が家から近い、大栗川の側の高蔵院で、残りは多摩センター方面でした。

 11時半に家を出て、12時過ぎに多摩十三仏の7番札所、高蔵院に着きました。一度散歩で来たことのある寺でした。大栗川の向こうに、帝京大学のタワーが良く見えました。鉄筋コンクリートの四角い寺で、墓と門が無ければ、寺とは思えないような作りでした。

 高蔵院を出て、中和田橋の近くの公園で、昼食にしました。朝食の残りの、ヒレカツとカンパーニュパンを持ってきました。40分くらい歩いたので、美味しく食べられました。そこから、中和田橋を渡って野猿街道に出て、バスで聖蹟桜ヶ丘、同じくバスで多摩センター、更にバスで清泉女子大学まで行きました。この時、行こうとしている妙櫻寺を思い出しました。この前、よこやまの道を散歩した時に訪れた寺でした。清泉女子大学の大学院の側にありました。午後2時を過ぎていました。

 妙櫻寺で御朱印を貰う時、住職が、「今日は、お寺関係の法事なんだよね、宝泉寺の和尚が亡くなったらしい、そろそろ出かけなければならない」と言いました。聞いた時は、私に影響することではないと思ったのですが、後で、大いに影響がありました。

 妙櫻寺から、この前歩いた一本杉公園を抜け、尾根幹線道路を越えて、多摩センターの近くの、東福寺へ向けて歩きました。しかし、尾根幹線道路から、横に入る道を間違えたらしく、どうも地図と違ったように歩いているようでした。偶々交番があったので、聞いてみると矢張り間違っていました。道順を丁寧に教えて貰って歩きましたが、公園の中や林の中の道で、全く自信が持てず、同じお方向に歩いている、女子高生に聞いてみました。女子高生は、いきなりスマホを取り出して、調べてくれました。どうも、反対に曲がったようです。彼女達の教えの通りに歩き、途中旧富沢家で働いているボランティアに、再度確かめて歩き続けました。なんと、パルテノンの丘から下った、白山神社の下に東福寺がありました。何度も歩いたことの或る所で、勿論、東福寺も何度か訪れていました。妙櫻寺から、30分程度で歩ける所を、1時間以上掛ってしまいました。こんなに手こずるとは、思っても居ませんでした。東福寺に着いた時は、3時半になっていました。

 東福寺では、大黒さんでしょうか、その娘さんでしょうか、若い女性が応対してくれました。東福寺まで、苦い思いをしたので、次の吉祥院への詳しく聞きました。後、残り3カ所になりました。

 次の吉祥院は、お陰ですんなりと行けました。インターホンを押して御朱印をお願いすると、袈裟懸けをした坊さんが出てきました。住職は、宝泉寺の法事に出かけており、この坊さんも出かける所でした。もう少しで、無人になる所、間一髪で間に合いました。

 次の大福寺は、吉祥院の後ろの丘を越えた所だと言われました。一つ丘を越えるだけだと思っていましたが、これがまた難しくて、途中、散歩している何人かの住民に聞いてみたのですが、なんだかはっきりしませんでした。丘の上に登った所で、もう一度、私より年上と思われる老人に聞いてみました。すると、その老人は、スマホを取り出して、調べてくれました。直ぐに分りました。「向こうに見える階段下りたら、大福寺が見えますよ」と説明してくれました。その通りになりました。私が、スマホを旨く使えたら、ナビを持って歩いているようなもので、今日のような苦労は、しなくて済んだでしょう。これは、絶対勉強する必要があると思いました。

 大福寺は、なかなか立派なお寺でした。しかし、門が閉まっていて、境内にすら入れませんでした。無理矢理境内に入り、インターホンを押しましたが、応答が一切ありませんでした。どうやら、宝泉寺の法事に出かけたようです。御朱印は、お預けになりました。

 丁度この時に、妻から電話がありました。分倍河原まで買い物に来て、これから、私と行っていた銭湯に、友人と車で垢すりに行き、今日は、そのまま帰るとのことでした。この前、外務省の友人と神楽坂で会った時には、元気が無かったのですが、今日は、声に張りがあり、元気そうでした。私も嬉しくなりました。

 私の、多摩十三仏巡りは、最後の一つとなりました。永山駅の近くの阿弥陀堂でした。永山駅まで行けば、直ぐに分ると思ったのですが、これが全く分りませんでした。私の阿弥陀堂に対する、イメージが全く違っていたのです。犬を散歩させていた女性に聞いた所、方角だけ教えて貰いました。教えられた方角に行って探していたら、道を聞いた女性が、やって来ました。「直ぐそこですよ、この犬が気懸かりだったらしく、あなたが行った方へ行こうと言って聞かないのですよ」と言って、駐車場の所を指さしました。お礼を言って、犬の頭を撫で、女性とは別れました。駐車場の後ろに行ってみると、小さな祠のようなお堂と、小規模の墓地がありました。私は、大きな寺ばかり探していたので、見つかる筈がありません。御朱印を渡してくれる人が、居そうにもありませんでした。お堂への登り口に、多摩十三仏九番所、朱印所は、20メートル先右と書いてありました。行ってみると、工事会社のガレージの中でした。誰も居ませんでした。電話もしてみましたが、応答がありませんでした。矢張り、多摩十三仏の関係も有り、宝泉寺の法事に出かけているのだと思いました。此処も御朱印は、お預けとなりましたが、取り敢えず、多摩十三仏、全てを訪問しました。宝泉寺、大福寺、阿弥陀堂の御朱印は、何かのついでの折に、取りに来ることにしましょう。

トータル3万歩近くを歩き、流石に疲れました。6時半近くになっていました。永山から、バスで聖蹟桜ヶ丘に戻りました。鎌倉街道を真っ直ぐに走る路線は、思った以上に近く、10分少々で聖蹟桜ヶ丘に着きました。自宅に帰って、酒の肴を用意するのが躊躇われましたので、珍しく一人で「磯丸水産」という酒場で、多摩十三仏巡りの達成を祝いました。注文は、I-パッドでやるようになっていて、使えるかどうか心配でしたが、非常に簡単でした。イカとキノコのホイル焼き、ほっけ、ベーコンの厚切りを肴に、ビール2杯、酒1合を飲みました。最近にしては、飲み過ぎでしたが、美味しい酒になりました。

酒場を出て、終わりそうな夕焼けを見ながら、酔い覚ましに、多摩川の土手を歩いて帰りました。四谷橋の向こうに、茜色を紫に変えながら、宵闇に抵抗している奥多摩の空が見えました。

 

「山里の 仏も肩身 狭かろう 戦後の夢の 多摩ニュータウン」

「経済の 高度成長 波を受け 多摩市の寺は 現代建築」

「十三仏 少なきながら 寺巡り 終われば酒の なんと旨きか」 

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2017年6月22日 (木)

2017年06月21日

2017年06月21日

 

 朝は、曇り空だったのですが、9時前から雨が降り始め、雨の一日になりました。ベランダはおろか、窓の方まで雨が降り込みました。

 今日は、夏至でした。テレビでやっていましたが、知床半島の先端では、午前3時34分に日が昇るそうです。明日から半年は、日の出の時刻は遅くなり、一日が短くなる一方です。一日が長くなっていく時に較べ、気持ちがなんとなく低調になります。

 今日は、午後、野村ハウジングの人と会う予定でした。1週間ほど前、私の土地を売らないかと、電話で持ちかけて来たのです。私は、確かに土地を持っています。どうやら、登記簿謄本で調べたようです。その際、彼は、私の家で話したいと言いましたが、見ず知らずの相手と、家で会うのは抵抗があるので、今日の午後2時、聖蹟桜ヶ丘の駅で会うことにしていたのです。一昨日、会う前に野村ハウジングについて、調べて見ました。ネットでは、非常に評判が悪く、しつこく電話を繰り返すし、土地の名義変更などで、お金をだまし取られた人も居るとのことでした。どうも詐欺グループのようでした。

 今朝、8時半頃、今日会う筈だった、野村ハウジングの人間に電話をしました。まだ、寝ていたらしく、起き抜けの変な声が聞こえました。こちらから、「午後は雨が強くなるし、今日会うのは止めにしましょう。また、あなたの会社を調べた所、詐欺、、、」と、詐欺という言葉を出した途端に電話が切れました。矢張り、詐欺グループだったようです。私は、詐欺とは無縁だと思っていたのですが、いよいよ我が家にも詐欺の電話が来るようになりました。

 私は、小池都知事が好きではありません。政治家に対する、政策の批評は何の問題も無いと思いますが、個人的批評は、例え相手が政治家であっても、慎んだ方が良いのだろうとは思います。この節度を、踏み越えたくなるほど、小池知事が嫌いです。あのように気持ち悪い顔を、70年を超える生涯で、初めて見ました。男で言えば、自民党の二階幹事長に匹敵します。

 小池知事の政策も、政治姿勢も全く理解が出来ません。築地を将来食のテーマパークにするのはともかくとして、将来、豊洲と築地を両方市場として残すとは、どういうことなのでしょうか。単に流通や魚介類の仕入れを混乱させたり、様々な部門に、経費増を招くだけでは無いでしょうか、納税者としては、腹立たしい思いです。

 午後から、雨が強くなったので、今日は1日中家に居ました。アパート管理会社に提出する資料を作ったり、多摩十三仏の道順を調べたりしましたが、大した時間を潰せませんでした。本が読めれば、何の苦労も無いのですが、、、。午後2時半頃から、かなり以前に何度か見た「ベン・ハー」をまた見ました。4時間半の大作ですから、時間潰しには、持って来いの作品でした。見始めると、殆どの場面を、嫌でも思い出してしまいました。所が、ベン・ハーの母と妹が罹った病気の名前を、なかなか思い出すことが出来ませんでした。映画の後半は、この病気の名前を思い出すことと格闘しました。映画「砂の器」や、最近特効薬が出来てテレビに出てきた人達の顔は、なんとなく思い出すのに、名前はどうしても出てきませんでした。ボケが深刻になったのではないかと心配しました。映画が終わる頃になって、漸く思い出しました。癩病でした。どうして記憶の糸が切れるのか、どの様な記憶の糸が切れやすいのか、どうして記憶の糸が再度繋がるのか、思い出そうとする行為は何を刺激しているのか、人間の脳の働きに驚くと共に、老いに伴う脳の働きの低下に、もう一度驚きました。

 今年、あるいは今月、石原裕次郎の特別の記念に当たるのでしょうか、この所、石原裕次郎の映画やドラマがテレビを賑わしています。昨日、「狂った果実」を初めて見ました。中学から高校時代、裕次郎を初めとする、日活映画の全盛期だったと思います。私は、時流に流されるのが嫌いなタイプの人間でしたから、日活の映画は見ないと決めていました。今見ても、何故、裕次郎が、あれほどの人気俳優になったのか、理解出来ません。演技は下手ですし、暴力的です。時流に乗って、狂ってみないと、分らないのかも知れません。

 

「善き人と 人を信じて 生きられぬ 生きるが難き 人の増えけり」

「老い先は 日に日に短く なりぬれど 時間が余る 雨の午後かな」 

 

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2017年6月21日 (水)

2017年06月20日

2017年06月20日

 

 霞は強いものの、快晴の朝でした。冷気を帯びて、心地良かった朝の空気も、午後には、真夏のような暑さになりました。

 昨夕、国会が、一応区切りが付いた所で、安倍総理の記者会見がありました。加計学園問題に関し、野党が印象操作のような追求をするので、つい声を荒げた事を陳謝していました。しかし、この安倍総理の発言自体が、野党は印象操作をするものだと国民に印象づける、印象操作だと思いました。安倍総理は、極めて狡猾です。

しかし、どの程度本気でやろうとしているのか、疑問もありますが、安倍総理の政策の中には、良い政策もあります。「いかなる状況の子供も、すべからく勉学が出来るようにする」という政策は、誰しも賛同できるのではないかと思います。貧しい子供が出来なような経済政策があれば良いのですが、自由主義経済を変えない限り、ある程度の格差はやむを得ないでしょう。民進党の野田氏は、加計学園問題等の追及が、安倍総理の支持率を落としたと述べていました。勿論、悪い点は追求しなければなりませんが、良い点は、野党としても賛同の意を示しても良いのではないかと思います。追求ばかりで、まともな政策論議が出来ないというのは、安倍総理の印象操作に嵌まっているような気がします。政権交代を狙うのであれば、その点も考慮して貰いたいと思います。国民の力は、政権交代でしか発揮できないのですから。究極の目標は、今でも共産主義革命だと言うような、共産党と同じようになっては、政権交代は難しいと思います。

今日は、本来なら仲人の奥さんと食事をするはずでしたが、ご気分が優れないというので、中止にしました。お年ですから、大事に至らず、早く回復されることを祈っています。料理屋の予約解約は、問題なく済みました。

 昨日までのお寺巡りは、これまで行ったことのある寺ばかりでしたが、今後は、きちんと目標を定め、下調べをした上で、廻ろうかと思います。少し調べて見ましたが、首都圏にある寺巡りの種類だけでも、32種類ありました。この32種類の寺巡りは、殆どが、三十三カ所巡りで、多摩十三仏は入っていませんでした。そんな訳ですが、多摩十三仏は、多摩市だけなので、歩く範囲が限定されています。始めるには手頃のようですから、先ずは、多摩十三仏から寺巡りを始めようと思います。

 2時近くに家を出て、先ずは、聖蹟桜ヶ丘の抽選会場に行きました。夏の大抽選会が行われていました。この前、鳥取の方に送った羊羹とその他細々とした買い物で、2回分の抽選券が貰えたのです。抽選会場のアウラホールに行って驚きました。抽選会は、明後日までなので、会場は満員の人でした。ジグザクに歩いて、抽選場所に辿り着くまで、30分も掛ってしまいました。その結果、抽選で貰ったのは、駅前で配られているような、ティッシュが一つだけでした。

 その後、多摩十三仏の第一番札所、観蔵院に行きました。聖蹟桜ヶ丘駅の直ぐ近くで、大栗川の霞の関橋の側にあります。何度も訪れたことのある寺で、境内にかなり大きな七福神の像が置いてあります。何時ものようにインターホンを押して、御朱印と多摩十三仏巡りの地図をお願いすると、腰の曲がった、婆さん大黒さんが出てきました。その後、住職も顔を出しましたが、矢張り、相当の年配でした。参拝した日付も何も入っていない、御朱印の紙切れと、地図を貰いました。この手の寺巡りに、全く関心が無い様でした。

 地図を見たら、私が麻雀のボランティアをやっていた、ケアセンターの直ぐ近くの高西寺が、多摩十三仏に入っていました。久し振りだったので、高西寺の御朱印を貰ってきました。これで、多摩十三仏も、残り六カ所になりました。

 5時過ぎに、我が家に戻りました。今日、ポリープ切除後1週間を経過しましたので、酒、生物等一切の注意事項を解禁することにしました。次男が休みの日なので、久し振りに次男と飲もうと思っていたのですが、次男も休みを利用して、飲み会の約束をしていました。仕方なく、一人で、秋刀魚、鰺の叩き、焼き厚揚げ、しめ鯖を肴に、日本酒を楽しみました。ぐい飲み2杯の酒でしたが、十分満足しました。

 

「1週間 我慢の時は 過ぎ去りて 肴並べて 酒を楽しむ」

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2017年6月20日 (火)

2017年06月19日

2017年06月19日

 

 昔の暦で言えば、梅雨の晴れ間、五月晴れになりました。まだ、晴れ間が欲しくなるほど、梅雨は続いていませんが、、。

 先日、ビールを送ってくれた人に、お礼の葉書を書きました。最近、手の動きがスムーズでは無くなって、字が上手く書けません。少しずつ、色んな事が不自由になってきました。

 今日も、午後から、お寺巡りをすることにしました。私が、何度も行ったことのある宝泉院から始めることにしました。

 午後2時頃に家を出ました。家の前の土手に、何本もすくっと伸びた花茎に、綿毛のような品の良い花が咲いていました。良く見ると野蒜の花でした。野蒜の花が咲いている頃に、土手の草刈りが行われ、野蒜は無くなったと思ったのですが、草刈り後、花を咲かせた、数少ない野蒜だと思います。

 四谷橋を渡り、一の宮交差点に着くと、小さいながらも栗畑があって、小豆ほどの栗の実が付いていました。栗畑の横、川崎街道のビルの後ろに、数枚の田圃が有り、ビルの姿を写していました。新興都市の面白い光景でした。

大栗川に架かる宝蔵橋を渡り、直ぐ左手の坂道を暫く登ると、宝泉院に着きました。御朱印を貰えるか聞いた所、「不幸が重なって、色んな事が出来なくなっています。御朱印も今は出来ないので、8月以降に来て欲しい」と言われました。残念ながら仕方がありません。

 宝泉寺から、寿徳寺に向かいました。この辺りは、倉持の大きな旧家が多く、杉田姓の家が何軒かありました。旧家と新興住宅の間を縫って、寿徳寺に着きました。この寺では、住職が応対してくれて、直筆で御朱印帳に書いてくれました。住職が言うには、「有名な八十八カ所の場合は、御朱印帳に書いてくれる常駐の人がいるが、多摩十三仏の場合は、住職くらいしか書ける人がいないので、住職が居そうな時を見計らって、参拝した方が良いですね」との事でした。

 寿徳寺から、隣の山神社、その横の「とりで公園」から、紫陽花の小路を縫って、桜ヶ丘に登りました。桜ヶ丘には、旧家はありませんでした。更に、この前歩いた、原峰公園を抜けて観音寺に出ました。鉄製のせきど観音があった寺です。御朱印が貰えるか聞いたら、大黒さんが出てきて、「この寺には、多摩川三十三カ所、武相、多摩新四国、多摩十三仏の四つの御朱印がありますが、どれになさいますか」と言われました。そこで、「多摩十三仏を御朱印帳に書いて貰い、他は出来上がりの物を貰っていきます」と、伝えました。大黒さんが書いている間に、寺の本堂を見せて貰いました。旧家の座敷程度の小さな本堂でした。

 この前の散歩で見つけた、延命寺にも行ってみることにしました。市役所通りを聖蹟桜ヶ丘に向けて歩いていると、地酒専門の小山商店がありました。この店の前は、何度も通って素通りしていました。地酒は、その土地に行って買う物だと、私なりの考えがあったのです。今日は、ふと寄ってみる気になりました。中に入ってみると、地酒、地焼酎、地ビール、地ワインが、所狭しと並んでいました。通りに人は少ないのに、店の中は客で一杯でした。皆、車で買いに来ているようでした。買う気は無かったのですが、1升瓶の地ワインが目について、ついつい、赤と白、2本も買ってしまいました。幼い頃、父が1升瓶から、赤い酒を飲んでいるのを見て、とても不思議に思ったのを、思い出してしまったのです。これは、ワインではなく、葡萄果実酒だと思います。

 ワインの入った重たいリュックを背負って、延命寺への坂を登りました。本当は、重たい物も背負うなと、医者に言われていたのですが、もう全て解禁です。延命寺に着いたら、木魚を叩く音が聞こえてきました。どうやら読経中のようでした。一瞬このまま引き返そうかと思いましたが、大黒さんが出てくるだろうと気を取り直して、インターホンを押しました。すると木魚の音が消え、若い坊さんが顔を出しました。別のお寺と兼任していて、そろそろ引き上げる所だと言っていました。御朱印が欲しいと言ったら、書く時間が無いから、紙で良いかと言われたので、受け入れることにしました。この寺は、人がいない時が多いようですから、人がいて御朱印を、貰えただけでも幸運だったのです。今日のお寺巡りは、これまでにしました。

 

「野蒜さん 幼き頃から 我が友の 綺麗な君は 我の喜び」

「一の宮 車の多き 交差点 都市化逃れし 栗畑あり」

「栗の木に 小豆が如き いが栗の 今は緑の 金平糖かな」

「水田に 姿映して 見栄を切る 川崎街道 ビルの列かな」

「夫々に 寺の事情が 異なりて 興味尽きない お寺訪問」

 

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2017年6月19日 (月)

2017年06月18日

2017年06月18日

 

 梅雨らしいと言えば梅雨らしい、どんより曇った朝でした。

 東京都議会選挙の選挙活動が、始まったようです。午前中、都民ファーストより電話がありました。小池都知事の講演会を開催するので興味があれば、案内状を送付するとの誘いの電話でした。即座に「小池都知事は大嫌いだから、何もしないでくれ」と応えたため、一瞬電話の向こうの、唖然とした空気を感じました。その後、電話が切れました。小池知事の講演会なら、誰でも喜んで受けてくれると思っていたのでしょう。

 それにしても、腹が立つのは、民進党から都民ファーストに寝返った議員が結構いることです。政治家が、所属する政党を離脱するのには、余程の決断を伴うと思っていましたが、いとも簡単に離脱してしまいました。元々、政治理念など無かった人達かも知れません。そもそも、小池都知事が代表を務める、都民ファーストが、一体何をする政党なのか、私には良く分りません。民進党の議員が、単に選挙のため、小池人気の恩恵を受けようと考えて、都民ファーストに鞍替えをしたのならば、何時かしっぺ返しを受けることになるでしょう。

 長男の家族から、電話がありました。今日は、父の日だったのですね。一昨日、長男の所から、送られてきた日本酒は、父の日のプレゼントだったようです。私の父の時代、そして私自身が、父親になった時代は、父親は、確かに仕事はしましたが、家庭のことは母親に任せっぱなしでした。自分だけ、友人と酒を飲んだり、職場の旅行に行ったりしていました。家族から、プレゼントを貰う資格は、無かったと思います。そんな訳で、商売のために作られた「父の日」には、全く馴染めませんでした。今は、家事も一所懸命にやる「イクメン」が増えたようですから、父の日も定着して来たのかも知れません。

 只、個人的に言えば、長男が小学校三年生の時、ペルーにいた頃でしたが、妻が脳腫瘍で倒れました。妻は、単独で日本に帰り、手術をしましたが、あと半年の命だと言われました。私も、帰国の許可を貰い、急遽子供三人連れて帰国しました。残り少ない家族の生活を、千葉の柏で始めました。小三、小一、4歳と幼い子供がいたからだと思いますが、半年の命だと言われた妻は、徐々に回復し、結果的に25年生きました。柏での最初の2年間は、自分で言うのは恥ずかしいですが、仕事に家事に、獅子奮迅の勢いで頑張りました。友人との酒も無くなり、職場の行事も欠席し、仕事以外の時間は、全て家族と過ごし、家事に追われました。今のイクメンにも負けないと思います。このお陰で、家事を苦にしない、小母さんみたいな老人になる事が出来ました。老後も、そこそこエンジョイしています。長男の父の日のプレゼント、素直に受け取ることにしましょう。

 午後から、近くのお寺に行って来ました。大掛かりな寺巡りは、別途計画するとして、我が家の近くの寺だけは、早めに御朱印を貰おうと思いました。

 2時半頃に家を出て、先ずは、聖蹟桜ヶ丘に行くバスのバス停にもなっている、真明寺に向かいました。四谷橋を渡り始めた頃から、雨が降り始めました。大した雨にはならないと、高を括っていたのですが、結構な雨になりました。真明寺に付いた時には、かなり濡れてしまいました。家を出る前に、洗濯物を部屋に入れてきたので、自分の機転に、一寸だけ満足しました。真明寺は、近代建築で建てられた新しい寺なので、御朱印があるか疑問に思っていましたが、二つも御朱印がありました。多摩新四国と多摩十三仏でした。多摩新四国の方は番外とのことなので、多摩の分だけ貰いました。第十番札所でした。

 真明寺から、川崎街道に出て、百草園駅の方へ向かいました。駅の直ぐ手前に、真照寺があります。付属の幼稚園は大きいのですが、小さなお寺です。途中に、ワルナスビ(悪茄子)が沢山咲いている所がありました。早くもナツツバキ(夏椿)が一本だけ咲いていました。真照寺に着くと、何かの集まりをやっていて、住居の方の玄関が開いていました。声をかけると、住職らしい人が出てきました。御朱印が欲しいと言うと、「どの御朱印が欲しいの、この寺には三つあるんだよ、一番古いのは、武蔵国と相模国の武相だけどね」と言われましたので、此処では、三つとも頂きました。武相の第八番、多摩川三十三カ所の第十一番、多摩新四国の第十七番札所でした。一体幾つの寺巡りがあるのでしょうね。

 この寺の、水瓶のような小さな池に、バイカモ(梅花藻)の花が咲いていました。それにしても、お寺と紫陽花は良く似合います。真性寺の小さな庭に、紫陽花の花が、雨に打たれていました。もう一つ廻りたい寺があったのですが、雨が止みそうも無いので、百草園駅から、程久保川、四谷橋に出て帰りました。

四谷橋に行く土手の手すりに、幾つもの雫が下がっていて、どの雫にも、四谷橋が閉じ込められていました。雫は、次々に地面に落ちました。そしてまた、雫が出来、橋を閉じ込めました。雨に濡れながら、雫の成長と消滅を眺めていました。これで、太陽の光があると、雫の中の景色が、それは綺麗なのですが、この瞬間に出会うのは、非常に難しいのです。太陽が出ると、雫が直ぐ無くなってしまうのです。

 

「ワルナスビ 徒党を組んで 悪巧み そうとは思えぬ 可愛い花達」

「真照寺 小さな池に 梅花藻の 花を咲かせる 花好き和尚」

「黒き屋根 境内濡らす 梅雨の雨 何故か似合いの 紫陽花の花」 

「雨の午後 橋の手すりに 雨雫 橋を閉じ込め 橋の行列」

「雨雫 育って景色 閉じ込めて 育ちすぎては ぽとりと落下」 

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2017年6月18日 (日)

2017年06月17日

2017年06月17日

 

 良く晴れた朝でした。今日は、山の仲間が、高尾山から相模湖方面を歩くはずです。晴れ男、晴れ女が多く、山の仲間の山行の日は、大体良く晴れます。今日も、良い山行になったことでしょう。

 昨日は、昼寝もせず、1日を過ごしたためか、2度トイレに起きたものの、12時半から8時半まで、たっぷり寝ました。こんな感じで眠れたのは、随分久し振りのことでした。

 午前中、ビールの宅急便が届きました。最初誰からか分らなかったのですが、5月末の金祝の折、車椅子で会場まで案内した人でした。その時、非常に感謝されていて、その後、奥様からも電話があり、丁重なお礼の言葉と、心ばかりの品を送ったと、連絡があったことを思い出しました。私は、役目としてやったことなのに、過分のお礼を受けてしまいました。しかし、それほど喜んで頂けたのであれば、私としても嬉しい限りです。今日は、良い1日の始まりとなりました。

 午後から、府中のお寺巡りをしました。先日、高幡不動で買った御朱印帳に、御朱印を集めて見る気になったのです。どうも私は、コレクターの性癖があるようです。

 午後2時に家を出て、チューバスで分倍河原へ行きました。これまでなら、歩いて行く所ですが、ポリープ切除の関係で、長歩きを控えています。最初に、何度も行っている、高安寺に行きました。立派なお寺ですが、人影は何時もまばらです。何処で、御朱印が貰えるか分らず、坊さんが住んでいそうな家のインターホンを押しました。言われるまま中に入ると、事務の人か大黒さんか分らない、小母さんが出てきました。「御朱印帳に直筆で書くことは出来ないが、既に用意されている物で良ければ、お渡し出来る」と言われました。勿論、異存はなく御朱印を頂きました。多摩川第三十三札所で、御朱印の代金は300円でした。また、開基が足利尊氏であることを、初めて知りました。

 高安寺を出て、南部線沿いの清水下小路を歩いて、府中本町の善明寺に行きました。手入れの行き届いた庭を持つ、小さな寺です。多摩川の土手にも沢山咲く、ネジバナ(捩花)が、この庭でも沢山咲いていました。この庭のネジバナは、野草として勝手に花を咲かせているのでは無く、きちんと配置されたものでした。高安寺と同じように、インターホンを押して、御朱印について尋ねると、「この寺では、御朱印を扱っていません」との返事でした。全ての寺が、御朱印を扱っている訳ではないことを知りました。

 府中街道を歩いて、競馬場横の安養寺に行きました。此処でもインターホンを押して御朱印について尋ねると、「どーぞお入りください」と言われました。玄関に入ると、ちょっとした寺務所になっていて、品の良い小母さんが出てきました。「御朱印帳に書きますか、それとも出来上がりのもので良いですか」と尋ねられましたので、御朱印帳を渡し、書いて貰うことにしました。出来上がったものを見ると、品格がありました。これも、同じ300円でした。帰り際に小母さんが、「暑さが厳しくなっているようですから、道中気をつけてください」と気遣ってくれました。この方は、住職の奥さんである大黒さんに違いないと思いました。この寺は、多摩川三十三カ所の第五番札所でした。

 隣の妙高院に行きました。同じようにインターホンを押して、御朱印をお願いしました。玄関の中は、安養寺よりも事務所らしい寺務所になっていて、職員(?)らしくない人がいました。御朱印に関しては、住職がいないので、「御朱印帳に書くことは出来ないが、紙の物なら作ることが出来る」と言われました。同時に、「丘の上の普門寺と妙高院は、多摩新四国の二十二、二十三札所になっていて、普門寺には人がいないので、両方御朱印を作りましょうか」と言われましたので、両方作って貰いました。ついでに、この寺は、〇〇寺ではなく、何故妙高院と称するのか聞いてみましたが、明確な答えは得られませんでした。この事務の人は、檀家の人が手伝っているのではないかと思いました。

 御朱印帳を買ったお陰で、何度も訪れている寺ではありましたが、寺巡りをしました。今まで知らなかったことを、幾つも学びました。そして、多摩にも、幾つものお寺巡りがあることを知りました。四国八十八カ所巡りの前に、多摩地方のお寺巡りをしたくなりました。

 夜は、四カ所のお寺巡りをしたお祝いに、ビールだけ解禁にしました。実は、既に昨日、ビールも焼酎も少し飲みました。しかし、気持ちまで解禁とは行かなかったので、今晩気持ちも解放しました。来週20日は、丁度1週間なので、全ての酒を解禁しようと思います。勿論、無茶飲みは、止めようと思っていますが、、、。

 

「何気無き 我の手助け 深謝する 人の心に 我は感激」

「御仏の 御利益などは 欲しくない されどやりたい 寺巡りかな」

「山門は 東大寺にも 引け取らぬ 尊氏開基の 高安寺かな」

「捩花も 枯山水の 一部なり 府中崖線 善明寺の庭」

「品の良き 大黒さんの お持てなし お寺巡りも 悪く無かりし」

「竹林と 新緑の森 清々し 墓も華やぐ 妙高院かな」

「寺巡り 祝いて今宵 杯を上ぐ 酒解禁の 立派な口実」

 

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2017年6月17日 (土)

2017年06月16日

2017年06月16日

 

 昨晩、星が幾つか見えました。予想通り、今朝は良い天気でした。ゴルゴダの丘ではありませんが、七生の丘の上の十字架が、綺麗に見えました。残念ながら、富士は、霞の彼方でした。

 加計学園の獣医学部に関する、文部省と内閣府の文書の再調査が行われ、それまで野党が提示した文書が、実在することを政府も渋々ながら承諾しました。政府のお抱え役人の頭である、菅官房長官の苦しい言い逃れが目立ちました。通常の人間ならば、自分の不見識を恥じて、辞任する所ですが、彼は、このような事態に遭遇することは、覚悟の上ですから、今後も平気で策略を駆使して、安倍総理に仕えるでしょう。そのことに使命感を持っていますから、このような人と、公平な立場で、論理に基づいて、真偽を議論することは出来ません。

 安倍総理も、特区については政策問題なのだから、政治家がやって当然のことだと言っています。それは、その通りなのだろうと思います。以前にも書きましたが、他の人は別として、安倍総理と加計学園の間には、金銭の授受は無かっただろうと思っています。しかし、安倍総理自身が言っている、腹心の友である加計学園の理事長に何等かの便宜を図りたいという気持ちは、強かっただろうと思います。政治家が国民の声を聞く為に、陳情を受けるのは仕方が無いでしょう。しかし、その政治家が、国会の議論の場から、行政を動かす政府の人間となった場合は、それまでの、個別の人間との関係を、行政に持ち込まないことが肝心です。金銭の授受しないのは当然のこととして、個人的関係を行政に持ち込まない配慮が必要なのだと思います。安倍総理は、何故か、自分がやりたいことの為なら、孤高の政治意識など、取るに足らないとする、変な現実主義的割り切りがあるように見えます。これは、なまじの悪者より、危険な場合が多いものです。

 今日は、午後5時半から、職場の同窓会が大手町のホテルで開かれることになっていました。都心でやることがあったので、早めに家を出ました。都心から遠い所に住んでいますので、一つの事だけのために、都心に出るのは、勿体ないような気になるのです。

 2時少し前に家を出て、恵比寿に3時頃に着きました。来週20日に、恵比寿の老人ホームに入っている、恩師の奥さん(91歳)と食事をすることになっています。あまり多くは食べられないそうですが、食事もせず、お茶だけで話すのも、辛い物がありますので、恵比寿ガーデンプレイスの38階にある蕎麦屋「銀平」を予約しました。自分が一度も食べたことが無い店を予約するのは、非常に無責任ですが、恵比寿で酒は飲んだことはあっても、食事をしたことは無いのです。許して貰いましょう。そんなに悪い店ではなさそうでした。

 時間が余ったので、何時も行く、恵比寿と目黒の中間にある、先輩の店に寄りました。2週間ほど前に来たばかりでした。先輩と酒を飲みながら話したかったのですが、ポリープ切除のために酒が飲めないというと、奥さんが、特製のバナナジュースを作ってくれました。軽食喫茶ですから、不意にお立ち寄っても、問題はありません。むしろ歓迎されます。そして、何時でも話し相手になってくれる人がいます、有り難いことです。

 4時過ぎましたので、店を出て大手町へ向かいました。東京駅から、丸の内から、お堀端の道を歩きました。10日前、備前焼の陶器展の時にも歩きました。10年近く掛った東京駅や駅前の工事も、漸く完成間近になりました。何度歩いても、丸の内の変貌には、驚嘆します。今では、ニューヨークの摩天楼街にも負けない街に、なったのではないかと思います。地盤や地震の問題等が有り、日本にはニューヨークのような摩天楼街は、絶対に出来ないと思っていました。技術の発達を含め、改めて、凄いと思いました。

 職場の同窓会の会場には、5時20分に着きました。既に、多くの人が来ていて、懐かしい顔が幾つもありました。今日集まったのは、14人でしたが、北海道から、盛岡からも来てくれました。我我の職場は、電子計算機が、企業や大学、官庁に使われ始めた頃に、電子計算機を活用する為に出来た職場でした。誰にも、時代の最先端を担う意識がありました。プログラマー、オペレータ、キーパンチャー、システムエンジニア、データ係等、職種は違いましたが、大家族のような雰囲気で仕事をしました。徹夜の仕事もしょっちゅうでした。酒も良く飲みました。年に1度は、一緒に旅行に行きました。野球チームもありました。水泳や卓球などの大会にも、チームを作って参加しました。何組も職場結婚がありました。今日集まった人達の殆どは、その当時の人達でした。殆どの職種の人が来ていました。

 固いものは食べない、酒は飲まないとの禁を破って、極めて薄く作って貰った焼酎の水割りを飲みながら、話しまくりました。2時間の飲み放題だったのですが、一人500円足して、1時間延長して貰いました。それでも話したりずに、神田のオープンバールに寄って、10時過ぎまで話しました。久し振りに大家族が集まり、嫁に出した娘に会ったような、それぞれ社会で活躍した兄弟達が帰って来たような、なんとも幸せな夜でした。職場結婚をした、私の飲み仲間(10年ほど前に他界)の奥さんも来てくれました。近くに住んでいたことがあるので、何度も夫婦麻雀をしました。今日の話を全部書くと、何ページあっても足りません。本当に良い夜でした。声も嗄れました。

 

「緊張し 足踏み入れた 社会人 素敵な仲間の 集いし場なり」

「金稼ぐ 職場の仲間に 恵まれて 人生全て 曇り無かりし」

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2017年6月16日 (金)

2017年06月15日

2017年06月15日

 

 お湿りは、終わりました。朝は、曇り空でしたが、9時くらいから日差しが出てきました。

 昨晩から、可決に向けて攻防が続いていた、「組織的犯罪処罰法改正案」(「テロ等準備罪」法案)が、今朝、参議院に於いて可決しました。しかも、通常の可決に至る過程とは異なり、審議を省略しての強行採決でした。この法案の、最も大きな問題点は、犯罪が現実に発生した後では無く、計画段階から処罰の対象となる事です。つまり、あの人はテロを計画しているようだと、警察や警察を動かす政府の人間が思えば、自由に捜査が出来るようになる事です。つまり、物理的な証拠無しに、疑いだけで処罰が可能になります。警察や政府が、極めて良識的で無ければ、多くの冤罪を生み、言論の自由を奪い、国民の日常生活は、暗澹たるものになるでしょう。今日の、強行採決は、政府が良識的であり得ないことを、目の前で証明したようなものです。

 安倍総理は、テロが国際社会で蔓延しているので、テロや組織暴力団による犯罪から、国民の安全を守るために、国際社会と協力して対応するために、どうしても必要な法案だと言います。言葉では、どのようにでも、体裁を整えることが出来ます。テロ防止のための国際条約に加盟している国は、今日可決した日本の法律と同じような法律を持っているのでしょうか、また、今日可決した法案は、条約加盟のための必要条件だったのでしょうか、きちんとした説明が為されていないように思います。どうしてこの法案が、国民の安全を守ることになるのか、その説明が無ければ、全ての情報が政府によってコントロールされた、軍国主義の時代と大差ないのではないかと思います。

 テロを無くすには、何故テロが起きるようになったのか、その原因を調査解明し、憎しみを和らげる方法を探る必要があると思います。戦争やテロを少なくするには、寛容と相互理解が必要不可欠だと言うと、現実性を欠いた机上の空論とせせら笑う人が多くいます。若い時に読んだ、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」を、また思い出しました。相手を憎むような愛国心は、憎しみの連鎖を生み出すのです。米国は、永久に日本を守るという保証はありません。米国が、ロシアや中国と緊密な関係を持った場合、日本は、どの様な対応が考えられるでしょうか。今日のようなことが続けば、日本は、現在の北朝鮮と同じく、再び世界を相手に戦争を挑み、国民の多くを死に追いやり、国家を破滅させる恐れが、全くないとは言い切れなくなりました。

 嫌な一日の幕開けとなりました。ポリープ切除後の体調は、すこぶる良好です。体調の悪さを自覚出来ない時に、食事制限や活動制限を守ることは、容易なことではありません。今日は、切除後、丸一日以上立ちましたので、聖蹟桜ヶ丘まで行き、帰りにスーパーに寄って買い物をしました。

 聖蹟桜ヶ丘で、我がクラブの研究に関する著書を送ってくれた先生に、虎屋の羊羹を送りました。以前、著書以外に、鳥取の名産品を幾つか送って貰っていたのです。私は、東京の名産品は、虎屋の羊羹に決めています。子供の時に、父が東京出張のお土産として買ってきました。その時、とても贅沢で美味しいものを食べたという印象が、今でも強く残っています。また、最近は、賞味期限が、1年と長いのも助かります。その後、本屋とエスニック食料品店を、見るだけ見ました。

 近くのスーパーでの買い物は、ほんの僅かでした。消化の悪い物や、生物は駄目ですし、当然酒の肴も駄目ですから、コロッケ、キウイフルーツ、プリン、水羊羹と、トイレットペーパー、ティッシュペーパーを買って帰りました。行きも帰りもバスでしたが、ちょっと外に出ただけで、3時間ほど、軽く時間が潰れるのです。

 バスの中から、四谷橋の下の河原に、大きなハルシャギクの花畑が見えました。毎年、今の時期には、この花畑が出来ます。来週は出かけてみようと思います。名前が分ったので、一段と愛着が出てきました。

 今日の夕食は、コロッケ、チーズドッグ、オマール海老のスープでした。自分で作った物は、何もありませんでした。

 

「この道は 何時か来た道 父さんが 徴兵された 戦争への道」

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2017年6月15日 (木)

2017年06月14日

2017年06月14日

 

 今朝も、道路が濡れていました。昨日は、ほぼ1日中雨でしたから、散歩道の木々や野草たちにとっては、良いお湿りだった事でしょう。今日の雨は、午前中早い時刻までで、8時には雨が止み、午後は日差しも出てきました。

 朝のお務めは、少し赤いかなと思える程度で、血便ではありませんでした。ポリープの除去は、上手く行ったと考えて良いでしょう。それでも、今日は、何時もの私と違って、昨日、大腸検査とポリープの除去をしてくれた先生の言いつけを守って、一日家に居ることにしました。

 次男も、昨日の検査が気になっていたらしく、仕事に出かける前に、結果がどうだったか聞いてきました。「最終的な結果は、7月6日でなければ分らないが、ポリープを5個切除したため、1週間酒が飲めないのが辛い」と言うと笑っていました。

 午前中は、何時ものように、掃除・洗濯などの家事や、日記を書いてブログに上げる、メールの処理等をしていると、午前中は難なく過ぎてしまいました。しかし、昼食を食べてからの、通常散歩の時間は、何もすることが無く、仕方なく保存用食料の整理をしました。次男と一緒に住むようになってからは、次男の分も増えて、結構量が増えて、何が何処にあるのか、分らない状態になっていました。そこで、大まかに、保存用主食系、麺類、干物系、レトルトパック系、缶詰系、調味料系に分けました。一番多かったのは、麺類でした。結構時間が掛ったと思っても、30分程度でした。

 食料の整理が終わっても、まだ2時でした。外は日差しが出て、緑が萌え立っているのに、家の中に居るのは、辛いものです。結局、録画していた「風に立つライオン」を見ました。どんな映画なのか忘れていたのですが、故郷長崎を題材にしていたものだったのです。長崎医大を卒業し、長崎大学病院に勤務し、長崎大学熱帯医学研究所に派遣されて、アフリカの医療現場に携わることによって、アフリカに自分の生き場所を見つけ出し、現地の赤十字病院勤務するようになり、内戦に巻き込まれて予期せぬ不幸な死を遂げた、医師の物語でした。高校時代、大学入試、病院勤務、恋愛時代と、故郷長崎の風景と言葉が、胸を熱くさせ、涙が零れそうになりました。アフリカの子供達との交流も良く描けていました。久し振りに見た、良い映画でした。長崎出身の、「さだまさし」の歌も、胸に響きました。偶に暇なのも良いですね。

 私は、2歳の時に母を亡くし、母の思い出はありません。母との写真は、佐賀に疎開していた時の1枚だけです。誰が採ったのでしょうか、それも分りません。その時、私は1歳でした。父は、軍隊に招集されていました。芋畑で、母に抱かれている写真でした。私が、東京の大学に行く時、父のアルバムから、母の写真を2枚剥がして持ってきました。しかし、写真からは、母の言葉や肌の温もりを感じる事は出来ませんでした。母は、長崎大学病院の看護婦でした。母の父が、長崎大学病院の事務をやっていました。小さい頃、祖父を訪ねて、長崎大学病院に行ったことを憶えています。爆撃を避けるためか、壁に白黒の迷彩が施されていました。戦争の記憶が、まだ生々しく残っていました。今は、私が祖父の歳になりました。この祖父は、私が中学生になるまで、生きていました。私が、知人との別れを経験した最初の人でした。昔の焼き場には、窓があって、死体を焼く炉の中を、見ることが出来たように思います。外側の棺が焼けた時、中の死体が、むっくり起きたような記憶が、頭の中にこびり付いているのです。

 変な思い出話になりました。映画が終わった時は、4時半を過ぎていました。今日の夜からは、検診センター配給の、レトルト食品では無く、自分で作って良いことになっていました。冷凍してあった牛肉の薄切り、大蒜、保冷室の残り物の野菜(玉葱、人参、キャベツ、シメジ、茄子)を軽く炒め、その後、トマトの缶詰、酒、牛乳、ローレルを足して、圧力鍋で具材が柔らかくなるまで煮込みました。この圧力鍋は、もう30年以上使っています。その後、圧力鍋の蓋を取り、コンソメの素とクリームシチューの素を入れて味付けをし、ご飯を加えて、また煮込みました。ビーフシチュー&クリームシチューの味が入り交じった、リゾット風の「おかゆ」が出来ました。検診センターから貰ったレトルト食品より、ずっと美味しかったです。

 夜は、野球を見たり、ニュースを見たりしたのですが、座っているのに疲れ、腰が痛くなってしまいました。仕方なく体操をしながら見ました。最近まで13連敗と、どん底だった巨人が、ノーヒットノーランの記録を達成しました。野球は、分らないものです。昨晩は、長島と王が一緒に観戦していましたし、今日は王の756本塁打の記念行事が行われました。私が、若い時代の英雄達でした。私も、彼等も年を取りました。

 

「年取れば 故郷異常に 懐かしい 我が人生の 始まりなれば」

 

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2017年6月14日 (水)

2017年06月13日

2017年06月13日

 

 朝、ベランダに出てみると、道路は濡れ、電線に雫が付いていました。一応、雨らしい雨が降ったようでした。

 今朝、何時もより早く、5時半に起きました。昨晩飲んだ下剤が効いてきて、強い便意を覚えました。この下剤で、昨日食べたものを出し、その後、7時半頃から、経口腸管洗浄剤なる液体を飲みました。この洗浄剤は、約1時間かけて1リットル飲まなければなりません。同時に、0.5リットルの水も飲むのです。拷問のようなものでした。飲み終わって、暫くすると、強烈な便意があり、1時間に5回もトイレに駆け込みました。4回目から、便が、透明な小水のようになりました。これで、腸管の洗浄は完了しました。もう洗浄剤を飲む必要はなくなりました。しかし、引き続き便意はあるので、検診センターに行く時には、オムツが必要ではないかと心配しました。癌の手術をした時に買った物が、2枚残っていたので、オムツを買いに走る事はありませんでした。しかし、時間が経過するにつれて、便意の間隔が大きくなり、オムツの出番は無くなりました。

 11時50分に家を出て、12時45分に検診センターに着きました。予約は、1時だったのですが、色々時間が掛って、1時45分検診が始まりました。検診をしてくれたのは、若い女医(技師?)で、補助は看護婦が2人、女性だけでの検診でした。検診で大きなポリープが見つかった場合は、手術して除去すると言っていました。どうも、こっちの方がメインだったような気がします。点滴で、軽い麻酔薬が入ったと思いますが、頭の方はクリアだったので、検診の様子をテレビで見ていました。

 赤い壁の腸管を、内視鏡が進んで行きました。「ミクロの大冒険」だったと思いますが、昔見た映画を思い出しました。一旦、内視鏡を大腸の奥まで入れて、ゆっくり引き出しながら、腸壁を調べていきました。その内、素人にも分るピンク色の玉が見えました。これがポリープでした。確かにない方が良さそうです。そのポリープを、細い針金の輪っかで掴み、先生が合図をすると、パチッと小さな銃声のような音がして、ポリープが弾けました。恐らく静電気を流したのではないかと思いました。その後、へらのようなもので、ポリープの跡を撫でていました。何をやっていたのか、定かではありませんが、消毒か血止めでしょう。4つポリープを取って、大分肛門に戻ってきましたので、先生も終わりだと思っていたのでしょう、そこに、もう1つ見つかって、「あれれ、また出てきたわ」と頓狂な声を上げました。そして、3人で大笑いしていました。変な深刻さが無くて、良かったと思います。一応5個で、ポリープ除去の手術は終わりました。

 その後、先生から今日の検査の概要の説明がありました。ポリープは10個以上あったが、大きいものだけ5個除去したこと、ポリープは癌性では無いと思われるが念のため一部組織を生理検査に送ったこと、1年か1年半に1度は検査を受けて欲しいこと、外部に傷跡が無いので養生を怠りがちになるが歴とした手術であることを忘れないこと、等の説明を受けました。

 その後1時間近く安静にして、その次は、看護婦から、手術後の生活について注意がありました。今日明日は、酷い血便がでないか良く観察すること、手術後の3食は、検診センターが用意したレトルト食品を食べること、最低1週間は、生物と消化の悪いものを食べないこと、酒も飲まないこと、過激な運動は避けること等について注意がありました。辛い1週間になりそうです。このことは、ある程度、事前に言われていたので、今週から来週にかけて、金祝総務委員会、後輩を偲ぶ会、山登りの3つの誘いを断ってしまいました。

 何やかやと、大腸の検査とポリープの除去に、半日掛ってしまいました。5時近くに我が家に戻りました。その後、友人の事が連載されている日経新聞の人間発見というコラムを読みました。このコラムについては、友人自身からメールで連絡があり、出来たら読んで欲しいと言われたものです。今週1週間続くそうです。また、我がクラブを研究の対象にしている先生から、以前からお願いしていた先生の著書が、今日送られてきました。本を読むのは、時間が掛るので、取り敢えず見出しを、流し読みをしました。この二つのお陰で、辛い1週間を乗り越えられそうです。

 6時から、野球とサッカーを見て寝ました。普段なら、酒をちびりちびりやりながら見るのですが、今晩は、麦茶やコーヒーを飲みながら見ることになりました。

 

「年取れば 体の劣化は 避けられぬ 命あるもの 定めなりけり」

「この世での 千変万化は 代え難し 未練断ち切る 病なりけり」

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2017年6月13日 (火)

2017年06月12日

2017年06月12日

 

 曇り空でしたが、今朝も雨無しでした。梅雨入り宣言が、間違っていたのではないか、そんなことまで思ってしまいました。

 明日の大腸検査に備えて、今日の昼食から、癌検診センターから渡された、レトルトパックに入った、流動食になりました。癌の手術をしてから、レトルト食品を食べることが多くなっていましたので、特に抵抗感はありませんでした。

 昼食後、多摩川の左岸伝いに、立川根川公園、残堀川の方へ歩いてきました。桜の時期以来でした。

 家を午後2時に出て、多摩川の左岸の土手下の道を、上流に向かって歩きました。土手下の道は、野茨(野薔薇)の時期に歩きましたが、今はテリハノイバラ(照葉野茨)の時期になっていました。地面にへばり付くように広がった枝から、大きな花が、地面から、あまり背丈を伸ばさないで、幾つも咲いていました。ある花には、小さな虫が入り込み、蜜を吸っているのか、花粉を食べているのか、もぞもぞと動いていました。

 以前、歩いた時に、満開の花を付けていたピラカンサスには、山盛りの実が付いていました。今頃、花を咲かせているピラカンサスもありました。河原には、黄色い花の塊が、幾つも点在していました。この前、漸く名前が分ったハルシャギク(波斯菊)でした。盛りは過ぎましたが、クサノオウも残っていました。土手下の道に列を成す、イタドリにも、蕾が白い小さな炎のように、葉の上に並んでいました。今は、ヒメジョオンが最盛期のようです。何処でもヒメジョオンの白い花が目立ちました。普通、1メートルを超すような背丈なのですが、土手下の道の、中央分離帯になっている所のヒメジョオンは、10センチから15センチ程度の花の小道を作っていました。道が乾いていて、大きくなれないのです。別の花かと思うほど逞しく可愛い花でした。

 川岸に背丈の高い、紫色のアレチハナガサが咲いていました。紫一色の花の中に、紋白蝶が1匹、翅を休めていました。紫の中で、白さが際立っていました。荻や薄は、若葉が背丈を伸ばし、冬枯れ色を残しているのは、穂先だけになりました。早春から花を付けていたスイバは、葉は枯れ、種がびっしりと付いて、緑の中に異様な程の黒さでした。

 石田大橋、中央高速を越えて、根川との合流点の近くに行くと、風に乗って、クチナシの薫りが漂ってきました。庭木のクチナシが満開でした。庭先の朝顔に先駆けて、道脇には山芋の花が沢山咲いていました。そろそろ、真夏が近づいているのに、まるで春の道を歩いているような、素敵な散歩になりました。

 立川根川公園に入ると、運動公園の桜並木の奥の淀みで、魚を釣っている女性がいました。淀みには、多くの鯉に混じって、サワラほどの大きさの鯉が、3匹泳いでいました。これ程大きな鯉は、珍しいです。釣ったら持って帰れるのか、心配になりました。それにしても、此処は入漁料を払わなくとも、釣りが出来るのでしょうか、余計な心配をしました。何時も、カワセミ撮影のため、カメラマンが集まる池には、今日は、人がいませんでした。流れに沿った、笹垣の笹の新芽が、伸び放題になっていました。一月ほど前は、小さな筍だったのではないでしょうか、山菜として食べられそうな気がしますが、どうでしょうか。

 散歩を終えて、家に帰ると何もすることがありませんでした。検査の前日で、酒が飲めないため、肴を作る必要もありません。レトルトパックの夕食を食べただけでした。食器を洗う必要もないのです。雑用が多いことは、時間潰しの最高の手段だと、改めて思いました。食事や酒の肴を作ろ必要がないと、買い物をしたり、作ったものを保存したりとか、付随する様々な雑用もなくなります。早く検査が終わって欲しいと思いました。

 

 

「棘のある 照葉野茨 花筵 誘い有りても 座りたくはなし」

「山盛りの 実を付けたる ピラカンサス 秋には山盛り 赤き実となる」 「ハルシャギク 君の名決して 忘れない 多摩の河原に 君の花畑」

「紫の 荒れ地花笠 笠飾り 白さ際立つ 紋白蝶かな」

「荻の原 親を追い越す 若葉かな 後は穂先を 残すのみなり」

「遠くから 甘き香りを 風に乗せ 鼻をくすぐる 梔子の花」

「鰆ほど 肥え太りたる 野鯉かな 釣りする乙女の 手に余るらん」

「公園の 笹の新芽が 伸び放題 山菜として 喰えないものか」

「逞しき 野の草花も 喘いでる 名前の通り 今は水無月」

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2017年6月12日 (月)

2017年06月11日

2017年06月11日

 

 そこそこ良い天気の朝でした。あまりに雨から遠ざかっているので、一雨ざあーっと降ってくれないかと、思うようになりました。

 今日は、ラグビー狂の先輩と一緒に、帝京大学のラグビー専用グランドでの、大学ラグビー帝京―早稲田戦を、観戦する予定でした。所が、先輩は、急に膀胱の検査をすることになり、一緒に行けなくなりました。どうしようか、少し悩みましたが、頭の中では、予定がしっかり組み込まれており、散歩道でもあるので、一人で行くことにしました。お陰で、良いことがありました。

 ラグビーの試合は、午後2時から始まるので、我が家を12時半に出て、四谷橋、一の宮、倉沢緑地と何時もの散歩とは、逆に歩きました。緑地の直ぐ先の、石坂ファームの母屋の庭木の中から、けたたましい鳥の鳴き声が聞こえました。最近、何処ででも、しょっちゅう聞く鳥の鳴き声でした。何時もは、木の葉陰から出てこないので、写真も撮れないのですが、今日は、なんと葉陰から目の前の電線に出てきて、鳴き続けてくれたのです。写真を撮って、後で調べた所、この鳴き声の主は、ガビチョウでした。目の周りの特徴的な白い線が、疑いも無くガビチョウであることを示していました。何年か越しの疑問が、解決しました。

 石坂ファームの母屋の前には、田植えが済んだ田圃が数枚有り、その田圃の端にちょっとした花畑があります。今は、紫カタバミ(片喰)、矢車草、ドクダミ等が咲いていました。八重のドクダミも咲いていました。紫カタバミの横に、白いカタバミの花が咲いていました。私は、白花のカタバミは、これまで、高尾山で見かけた「みやまカタバミ」しか知りませんでした。どう見ても、白花のオッタチカタバミにしか見えませんでした。後で調べて見たのですが、白花のオッタチカタバミは、存在するようですが、私が見たのが、そうであるかは、まだ確信が持てません。オキザリスという観賞用の白カタバミを、誰かが、道端の花畑に植えたのかも知れません。北アメリカ原産のオッタチカタバミも1965年に京都で初めて見つかったようですが、今では、日本全国何処にでもあります。オキザリスも、その例を辿るかも知れません。

 花畑の直ぐ先の、果樹園の横の空き地に、白花赤花の群落がありました。此処では赤花の方が劣勢でした。私が良く散歩する、多摩川や浅川を初めとする多摩地方では、白花赤花を見つけるのは至難の業なのです。誰かが、白花赤花を集めて、育てたのではないかと思います。それにしても、最初は驚かされました。

 側を流れる排水溝には、コンクリートの壁に沢山のペラペラヨメナが咲いていました。この花は、全部白花のように見えますが、一株に赤花も一緒に咲いています。これは、実は、白花がある時期、淡紅色に変色するのだそうです。変色したら直ぐ枯れてしまうらしく、赤花は目立ちません。この変色のため、日本では「源平菊」と言われることもあるそうです。また、花の形からか、ペラペラヒメジョオンという別名もあるそうです。

 此処から、少し登った所が、帝京大学のグランドです。家から丁度一時間、午後1時半にグランドに着きました。グランドでは、既に試合が行われていて、後半戦に入っていました。帝京の圧勝でした。スコアボードには、確かに帝京―早稲田と書いてありました。しかし、試合は、2時からの筈でしたし、ユニフォームが違います。後で分ったのですが、これは、2軍の練習試合だったのです。

 午後2時から、予定通り正規の試合が始まりました。見慣れたユニフォームでした。こんなに間近でラグビーの試合を見ると、凄い迫力があります。筋肉質の相撲取りのような男達が、ぶつかり合うのですから、音も凄かったです。試合は、前半帝京が28-0、後半7-14、トータル35-14で、帝京大学が勝利しました。私が大学の頃は、大学ラグビーと言えば、早・慶・明が優勝するものと思っていましたが、時代は変わりました。ここ8年くらいは、帝京大学が連覇している筈です。

 4時に試合が終わり、散歩が足りなかったので、大回りして野猿街道の中和田に出て、一の宮から四谷橋を渡り、我が家に戻りました。我が家に着いた時は、5時過ぎていました。

 明後日が、大腸の内視鏡検査で、明日から1週間ほど、酒は飲むな、過激な運動はするなと言われています。今晩は、アスパラのベーコン巻き、白身魚のフライ、納豆とモロヘイヤで、ゆっくり酒を楽しみました。

 

「聞き慣れし 鳴き声の主 目の前に 特別サービス 優しきガビチョウ」

「白花の おっ立ちカタバミ 見つけたり 真偽知らねど 心は躍る」

「探すのが 難儀な故に 貴重なり 多くはいらぬ 白花赤花」

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2017年6月11日 (日)

2017年06月10日

2017年06月10日

 

 これが本当に梅雨なのでしょうか、素晴らしい朝でした。富士もすっきりとした顔を見せていました。昨夜、所々にある雲の切れ目から、時々満月が顔を出していました。昨夜のうちに、雲の切れ間が、どんどん広がったようです。

 洗濯に申し分の無い天気だったので、通常の洗濯の他に、シーツ、タオルケット、抱き枕のカバーも洗濯しました。

 午後から、多摩の紫陽花寺である高幡不動に行くことにしました。1時半頃家を出ようとしたら、結構風邪が強くなっていて、シーツがベランダの植物に触りそうになっていたので、洗濯物は全て、取り込んで行くことにしました。結局、2時少し前に我が家を出て、2時半には、高幡不動に着きました。

高幡不動には、この時期、八重のドクダミが沢山咲いています。観音菩薩の近くと、本堂の右側です。私は、ほとんどの花で、八重よりも一重の方が好きです。それでも、八重のドクダミは、散歩道には咲いていないので、ついつい高幡不動に来てしまいます。幸いなのは、紫陽花と花の時期が重なることです。

八重のドクダミと柏葉紫陽花の写真を撮っていると、本堂の右手の、茶室へ行く門が開いていました。高幡不動へは、土日に来ることは少なく、この門は閉まっていることが多いのです。庭に入ったら、茶室の手前の大きな住居が開放されていて、お茶を振る舞っていました。和服を着た小母さん達が沢山いて、お茶を飲んで行けと盛んに誘っていました。お茶を飲む気は無かったのですが、羊羹と美味しい干菓子があるからという、誘い文句に負けて、1杯300円のお茶を飲むことにしました。抹茶を飲むのは、久し振りでした。この小母さん達は、週に一度、お茶の手習いをしているとのことでした。

ペルー時代は、ペルーの日本庭園に派遣された、裏千家のお茶の先生夫婦と非常に仲良しでした。良く夫婦麻雀をやっていました。麻雀の前に、先生が、ささっとお茶を淹れてくれました。形に拘らない、この時のお茶は、とても美味しかったことを思い出しました。その時代から、ほぼ40年の歳月が流れました。今どうしているのやら、裏千家に連絡してみようかと思いました。

お茶を飲んだ後、紫陽花園の方へ行きました。高幡不動は、山紫陽花の自生地として有名です。山紫陽花は満開でしたが、その他の紫陽花は、まだ時期が少し早いようでした。驚いたのは、山紫陽花の葉が、全部下を向いて、今にも枯れて落ちそうでした。梅雨のこの時期の光景とは思えませんでした。紫陽花の花の時期に、水を撒かなければならないとは、坊さんも考えていないと思います。

歩きが足りない気がしていたので、久し振りに山内88箇所巡りをすることにしました。高幡不動の愛宕山を一周するように、88の地蔵が置かれています。この地蔵の一つ一つが、四国のお寺を表していて、簡易版88箇所巡りが出来るようになっています。以前に2度廻っており、今回が3度目でした。愛宕山の山頂の見晴台近くが、39番だったように思います。そこから丘を下りて、もう一つの富士山が見える見晴台の所が、53番です。その53番に、お参りしている二人の小母さんがいました。小母さんと言っても、私より10歳以上年上だと思います。どうも廻る順番が、旨く分らないようです。この88箇所巡りは、注意しないと、道を間違える箇所が、5箇所ほどあります。60番の方から来たと言っていましたので、てっきり逆回りをしていると思いました。そこで、番号が小さくなる道を教えました。所が、私が60番代の方へ行くと、先程の二人がいました。或る所から、少し方向が分らなくなっただけで、順周りに廻っていたのです。その後は、一緒に廻りました。「この地蔵は男前だ、この地蔵の目は細くてつり上がっている、この地蔵は左目だけがつり上がっている、この地蔵はあほな爺さんみたい」等と、女性の関心は実に面白いと思いました。また、彼女達は、1円玉を88枚袋に入れて、1箇所に1枚、1円玉を置いていました。88番目の地蔵の時、二人とも3枚1円玉が余ったそうです。余った分は、最後の地蔵に、置いていました。

88箇所巡った後で、御朱印を貰いに行きました。私は、88箇所巡りのご褒美として、御朱印が貰えると思っていたのですが、彼女達は、高幡不動に来た時に既に貰っていました。確かに、御朱印は、高幡不動に参拝したことの証明でした。88箇所巡りをしたかどうか、お寺の人には分りませんからね。別の4人の仲間が彼女達を迎えに来て、そこで彼女達と別れました。

私は、何時ものように、御朱印を紙切れで貰おうと思っていましたが、係の坊主が、紙切れを保管するきちんとした入れ物が無いと、御利益では無く、罰が生じると何度も言うものだから、根負けして、1500円の御朱印帳を買って、それに御朱印を貰いました。散歩の途中、あちこちの寺に寄ることが多いので、今後は、御朱印帳を持って歩こうと思います。

 

「一重八重 一緒に咲いて 微笑まし 高幡不動の ドクダミの花」

「寺の木戸 越えそに大きな 花踊る 慎み知らず 柏葉紫陽花」

「雨無しの 梅雨に紫陽花 喘いでる 葉はうなだれて 今にも落ちん」

「老いたれば 高幡不動の 山内で 八十八箇所 四国巡礼」

「期せずして 巡礼仲間の 小母さん等 地蔵の顔の 寸評巧み」

 

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2017年6月10日 (土)

2017年06月09日

2017年06月09日

 

 梅雨らしい、どんよりとした朝でしたが、雨は降りませんでした。梅雨入りした後、少なくとも多摩地方では、1滴の雨も、降っていないと思います。

 午後から、ゴルフの練習に行って来ました。今月末に、大学の体育会のゴルフ大会に参加申し込みをしてしまったのです。練習用のゴルフバッグに、ドライバーを初めとして、五本のクラブを入れて、バスで、桜ヶ丘ゴルフ練習場へ行きました。二時間打ち放題のコースを選びました。今年初めてクラブを振るので、どうなるかと思いましたが、以前と大差なく球を飛ばすことが出来ました。失敗もほぼ同じでした。スポーツは、体が覚えているようです。

 練習が終わって、聖蹟桜ヶ丘まで歩こうと思いました。そこで、練習場の脇を通って、ゴルフ場を管理する車が出入りする、門の方へ歩きました。所が、この門は開いてなく、正門に戻るには結構歩くので、塀を乗り越えました。塀の前の通りは、川崎街道ですので、車の通りは多い所です。しかし、横がずっとゴルフ場なので、民家がなく人通りは少ない所です。私が塀を乗り越えた時には、幸いにも、一人も歩いてなく、助かりました。

 聖蹟桜ヶ丘の本屋で、先日注文していた、「スペイン語で詠う小倉百人一首」を受け取りました。先日、百人一首コンサートで会った、私の先輩が出した本です。最近私も、少しだけ和歌らしきものをやるので、家に帰って読んでみました。しかし、和歌を外国語に訳すのは、至難の業だと思いました。文字として訳すことは出来ても、和歌の持つ情感を伝えることは、ある意味では、無理と言わざるを得ないと思いました。日本の季節感、神話の世界、固有名詞が持つ特別な意味、別の和歌からの情感の借用等々、日本人ですら解説無しには、詠んだ人の心が分らないものもあります。この本は、この解説を翻訳したように思います。翻訳者が、和歌から直接感じた情感を、スペイン語の詩にしたものではないようです。それにしても、大変なことをやったものだと思いました。

 和歌の本を読みながら、ふと、私は今、平安時代の貴族の生活をしていると思いました。生きるために仕事をする必要もなく、毎日を遊び暮らしています。暇に任せて、山野を歩き、花鳥風月を愛す等とほざいて、和歌まがいのものを作ったりしています。蹴鞠の代わりに、偶にゴルフをやったりもしています。年を取ったので、色恋沙汰がないだけです。

 あまり記録には残っていないようですが、当時の貴族以外の百姓は、必死に作物を作っても、ほとんどを貴族達のための年貢に取られ、自分の口を養うことすら難しく、自分の土地を離れることも出来ず、貧困に喘ぎながら、不自由な生活を強いられて居たようです。

 昭和の百姓の家に生まれた私が、よくぞ、貴族のような生活が出来ると、戦後始まった、民主主義という政治の仕組みの基本となっている、自由、基本的人権と言った現代の思想と経済の発展に感謝感激です。民主主義の思想の定着のためには、封建主義のヨーロッパからアメリカへの脱出、ヨーロッパ人の犠牲となった原住民、フランス革命、ロシア革命等々、多くの血が代償として流されています。我我は、この思想の、恩恵だけを摘まみ食いしていますが、せめて、この思想が、なおざりにされる可能性がある時には、声を上げなければいけないと思います。

 私は、戦後の、自由な民主主義のお陰で、(全ての貴族が、同じでは無いでしょうが)、生まれた時から、やることも無く、色恋沙汰くらいしか面白いことが無い人生を生きた、平安時代の貴族よりも、紆余曲折、千変万化、喜怒哀楽が鮨詰め状態の充実した人生を送らせて貰いました。そして、人生の終章は、姥捨山では無く、貴族のような生活をさせて貰っています。神の国など信じてはいませんが、神の国は、退屈に違いないと思えるほど、この世で良い思いをさせて貰いました。この思いのまま生を終え、無の世界に移ることが出来れば、これに勝ることはないと思っています。

 

「先行きの 希望だけが 花盛り 我が人生に 幾度の春」

「今盛り 誇らしげに 胸張りし 我が人生に 幾度の夏」

「盛り過ぎ 試練を前に 緊張す 我が人生に 幾度の秋」

「試練明け 希望の再来 信じてた 我が人生に 幾度の冬」

 

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2017年6月 9日 (金)

2017年06月08日

2017年06月08日

 

 今朝、雨の降った痕跡はありませんでした。関東地方は、昨日梅雨入りし、昨夜は、雨が降るようなことを言っていましたが、それは、別な所の話しだったのでしょう。

 一昨日採ってきた梅の実を、蜂蜜漬にしました。落ちた梅を拾ってきたので、表面に傷のあるものが多く、面倒でしたが、皮をむいて果肉を削いで、蜂蜜に漬けました。熟して落ちた梅が多く、香りは、最高でしたから、暫く漬けると美味しい蜂蜜漬になるでしょう。

 午後からは、青空が現れ、かなり強い日差しが出ました。洗濯をした時には、乾くかなと思っていた洗濯物が、からからに乾きました。今日は、6時半から神楽坂で、職場時代の友人夫妻と我々夫妻とで、食事をすることになっていました。良い天気になったので、早めに出て、この前行けなかった、皇居東御苑に行ってみようかと思いましたが、今日の午後は、配水管清掃の日で、アパートに居なければなりませんでした。清掃の人は、3時少し前に来て、3時少し過ぎには、清掃が終わりました。せめて、1時台に来てくれれば、時間の有効活用も出来たのですが、中途半端な時間に来たので、テレビを見て時間を潰す他ありませんでした。

 5時少し前に家を出て、6時35分に神楽坂に着きました。電車が遅れて、私も遅れてしまいました。友人夫妻も、妻も、待ち合わせ場所の毘沙門天の前に集まっていました。妻と会うのは、一月強振りでした。なんだか弱々しく、影が薄い感じに見えてしまいました。

食事は、毘沙門天から近くの、鳥茶屋別亭でした。コース料理にしないで、この店の名物料理を、アラカルトで注文しました。食事中に、妻が、胃潰瘍が2ヶ月も治っていないと言っていました。私にも責任があるようで、胸が痛みました。しかし、食事は、かなりの勢いで食べていましたので、食欲が無くなるほどの、胃潰瘍では無いように思えました。少しだけ、気が楽になりました。

友人も膵臓の腫瘍が、大きくなっているか定期的に一時帰国して、検査をしなければならない状態なのです。今回の検査は既に済んで、腫瘍の大きさに変化は無かったそうです。私も、今月は手術後1年の検査が、幾つも入っており、病気に囲まれての生活のようで、つい憂鬱な気分になりました。

気を取り直して、食事と酒と話しに切り替えました。最近の政治の話し、一緒に勤務していた頃の思い出、友人が現在勤務しているバルセロナの町の話し等、楽しい食事になりました。働き始めたばかりか、アルバイトか分りませんが、若い女の子が、和服を着てサービスしてくれました。サービスと言っても、食事を持ってくるのが、精一杯の感じでした。気分が乗ると、時間が経つのは早いもので、何時の間にか9時半を過ぎてしまいました。食事も終わりましたので、お開きにしました。

今日も、終バスの時間が過ぎて聖蹟桜ヶ丘に着き、歩いて我が家に戻りました。梅雨が始まったというのに、空には十四夜の月が、煌々と輝いていました。

 

「落ち梅の 香り高くも 傷多く 果肉削ぎ取り 蜂蜜漬に」

「久し振り 顔見る妻は 元気なく 心が痛む 役立たずの我」

「真ん丸の 月の明かりに 背を押され 小唄混じりに 家路を辿る」

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2017年6月 8日 (木)

2017年06月07日

2017年06月07日

 

 今朝、曇ってはいましたが、雨は降っていませんでした。それでも、今朝のうちに、関東地方は、梅雨入り宣言が為されました。

 今日のテレビで、歯槽膿漏の菌が、アルツハイマー病を引き起こす可能性が高いと言っていました。昨日、歯のクリーニングに行って来ましたので、他人事のように聞いていました。何度も書いたと思いますが、私は、最近の「〇〇は、〇〇病を引き起こす可能性が高い」というような研究には、全く信頼を置いていません。商業的な意図があるのではないかとさえ、思ってしまいます。ほとんどの研究が同じなのですが、「マウスに〇〇菌を投与した所、何もしないマウスよりも、〇〇病に罹る率が〇〇パーセント高くなった」と言うことを研究の成果だと言って発表するのです。これは、同時に、「〇〇菌を投与しても、〇〇病に罹るマウスもいれば、罹らないマウスもいる、〇〇菌を投与しなくても、〇〇病に罹るマウスもいれば、罹らないマウスもいる」とも言っています。言い換えれば、何の研究にもなっていないと思います。〇〇菌と〇〇病の因果関係を、きちんと病理学的に研究して欲しいと思います。確かに、いかなる病気も、罹る人と罹らない人がいます。多くの要因があるのかも知れませんが、近年は、個人の持つ免疫力(体外から侵入する異物(菌やウィルス等)から体を守る機能)の差だと言われています。免疫機能についても、まだ、きちんとした研究が終了していないと思います。免疫力が、人間が誕生して以来の情報の蓄積なのか、新規の異物にも対応できるのか、対応した経験がどの様に遺伝子に組み込まれるのか、対応した遺伝子は、どの様に後生に引き継がれるのか、私にとっては、分らないことだらけです。しかし、免疫力を高めるサプリメントは、山ほど出ています。

 昨日、キバナコスモス擬きが、咲いているのを見ましたので、一度、その花の名前を見た、府中駅近くの「島忠」に行ってみました。途中の寿中央公園で、大賀蓮と舞妃蓮の花が咲いているのを見ました。蓮の花は、七月からだと思っていましたので、少し吃驚しました。地球温暖化の影響でしょうか、単なる慌て者でしょうか、咲いていたのだけは事実です。「島忠」は、売っている花の種類は多いのですが、残念ながら求める花はありませんでした。なんと、至る所に蔓延っている、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)を売っていました。異常なほどに生命力が強い帰化植物を、売っても良いのでしょうか、気になりました。帰りは、下川原緑道から、分倍河原に出て、帰りました。

 何年か、この花の名前を知るために苦闘しましたが、今日家に帰って、「キバナコスモスに似た花」で検索した所、一発で出てきました。以前島忠で見たのとは、全く違った名前で、ちゃんとした和名がありました。ハルシャギク(波斯菊)でした。この名前の由来となっているハルシャ(波斯)は、ペルシャのことだそうですが、植物そのものは、北アメリカ原産の帰化植物で、別名ジャノメソウ(蛇目草)だそうです。中心が濃紅色で、周辺は黄色の蛇の目模様なので、この別名になったそうです。なんと分かり易い名前でしょうか、長年の疑問が晴れて、すっきりしました。それにしても、最近のパソコンの検索は、凄いと思いました。私は、きちんとした名前が分らないと検索できないと思っていました。素直に、先生に聞くように聞けば良いのですね。今頃、恥ずかしながら、驚きました。

 夜は、またまた、野球の交流戦(巨人―西部)見ながら、晩酌にしました。なんと巨人は、球団のワースト記録を塗り替えて、12連敗となりました。

 

「幾歳も 探しあぐねた 花の名を 知りて晴れ晴れ 波斯菊かな」

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2017年6月 7日 (水)

2017年06月06日

2017年06月06日

 

 昨晩、一雨来たようです。今朝、道路が濡れていました。明日辺りから、梅雨に入るのではないかと、テレビで言っていました。

 今日は、12時に歯のクリーニングを予約していましたので、先ずは、聖蹟桜ヶ丘に、歯のクリーニングに行きました。担当してくれる歯科衛生士は、一所懸命な可愛い女の子です。クリーニングが終わった時に、マスクを外して、挨拶してくれるのです。今日は、咳が完全に治っていなかったので、クリーニングを中断して、咳をすることが3回ほどありました。その度に、衛生士が、自分のクリーニングの仕方が悪いのではないかと、非常に気にしました。何度も、「私のせいなので、心配しないで、続けてください」とお願いしました。そんな影響も有り、通常30分程度で終わるクリーニングが、45分くらい掛ってしまいました。

 歯のクリーニング後、吉野家に行って、牛丼で昼食にしました。味はともかく、安いのが魅力です。しかし、このような料理店が、きちんと利益を上げるのは、大変なことだと思いました。チェーン店化して、仕入れなどは相当合理化しているのでしょうが、光熱費、人件費、税金、機材の償却費等、必要経費を算入すると、1日に、何食の牛丼が売れれば良いのか、聞いてみたいものです。

 昼食後、大栗川に出ると、ヒメジオンや、この前名前が分ったブタナ、アレチハナガサが、川縁の散歩道に咲いていました。名前の分らない白い花も咲いていました。何時になったら、名前の分らない花が無くなるのでしょうか、多分生涯そんな日は、来ないと思います。

大栗橋を渡った所の自転車屋の庭に、この時期になると、至る所に咲く、真ん中が濃い赤紫なっている、キバナコスモスのような花が咲いていました。一度、ショッピングモールの花売り場で、名前が分ったのですが、忘れてしまいました。外来種らしく、とっても変な名前だったと、記憶しています。その後、何度も名前を聞いたのですが、知っている人に出会ったことがありません。自転車屋の庭先に小母さんが出てきたので、若しかしたらと期待して、花の名前を聞いてみましたが、残念ながら、今日も名前は分りませんでした。小母さんが、「ごめんなさい」と、非常に気の毒そうに言うので、聞いた私が、恐縮してしまいました。

 自転車屋は、多摩市役所方面に行く通りの入口にありました。その道を歩いていたら、丘の上に続く、人一人がやっと通れそうな、魅力的な昔道が見えました。道脇の紫陽花やドクダミを見ながら、どんどん昔道を上っていくと、延命寺に出ました。初めて訪れた寺でした。一般の民家と変わらないほどの、小さな寺でした。ただ、周囲の鬱蒼とした竹林は見事でした。竹林の中に、時期遅れの筍が一つ、顔を出していました。この筍は、ちゃんと竹に育つのか心配でした。

 延命寺は、袋小路になっていました。しかし、元来た道を戻るのはしゃくですから、竹林と柵を越えて、別の昔道を下りて、市役所通りへ戻りました。暫く歩くと、観音寺という標識が見えたので、行ってみました。此処も初めて訪れた寺で、延命寺同様小さな寺でした。最近作られた漫画のキャラクターのような、鉄製の「せきど観音」が出迎えてくれました。

 観音寺から、かなり大きな森が見えたので、行ってみました。「原峰公園」でした。一度来たことがあります。梅林では、沢山の梅の実が落ちていましたので、良さそうなものを拾って持ち帰りました。梅酒も梅干しも梅ジャムも、沢山残っていますので、さてどうしますか。公園内にある児童文化館では、「渡辺一宏 石彫展」が、開かれていました。作品数10点程度の小さな展示会でした。私以外に見学者はおらず、展示会の外のサロンで、作者らしい老人が、昼寝をむさぼっていました。

 原峰公園の下に、比較的大きな農地が残っています。此処も以前歩きました。今日、農作業をやっていた二人の老人は、私より10歳は年上に見えました。何れ、この土地も宅地に変わるでしょう。多摩地区は、団地や戸建ての住宅地に空き家が増えているのですが、新しい住宅地は、常に森や農地を切り開いて作られます。なんとかならないのでしょうか。

この農地の脇の坂を登ると、いきなり開けた土地になり、奥には立派な建物が見えました。多摩市役所でした。今日の散歩は、此処でお仕舞いにしました。

バスを乗り継いで、我が家の近くのスーパーに立ち寄り、買い物して帰ると、4時半くらいになりました。

夜は、ピザ、ホタテ貝のアヒージョ、アブラカレイの煮付けで、次男と野球の交流戦(巨人―西部)を見ながら、ワインを飲みました。巨人は、今日も負けました。なんと、1975年の長嶋監督の時以来、42年振りの11連敗だそうです。今日は、エースを立てても連敗を阻止出来ませんでした。何時、連敗脱出が出来るか、その方に興味が移りました。次男と、「現在の巨人は、チーム力が欠如している、これは監督の責任だ」とか、勝手な評論をしつつ、酒を楽しみました。

 

「我が庭の 花の名知らず 済みません 謝る人に 我は戸惑う」

「道脇の ドクダミの花 道しるべ 多摩の山里 昔道かな」

「竹林の 竹の間の 地蔵さん 偶に来てよと 頼むが如し」

「真ん丸の 顔にまーるい 目が二つ 現代風な せきど観音」

「落ち梅が 緑の宝に 見えにけり 思わず拾うも さて如何にせん」

「山里の 児童の館の 石彫展 見る人少なく 作者は昼寝」

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2017年6月 6日 (火)

2017年06月05日

2017年06月05日

 

 今朝は、上々の天気でした。雲が少しかかっていましたが、富士山も良く見えました。尾根の黒い筋が、大分大きくなっていました。

 昨日一日、家でゆっくりしたことは、無駄では無かったようです。鼻水の出方も痰の絡み方も、少なくなりました。次男は、今日明日と連休らしく、久し振りに一緒に昼飯を食べました。

 今日は、東京の八重洲のギャラリーで行われる、友人の陶器展に行くことにしていました。陶器展の初日は、仲間で飲み会をやるのが通例となっています。オープニングパーティーと言えば、格好良いのですが、矢張り飲み会が適切な表現だと思います。飲み会は、午後6時からでしたが、8日の別の食事会の場所を予約する為、2時少し前に、家を出ました。

 先ず、聖蹟桜ヶ丘の本屋で、職場の先輩が翻訳した、小倉百人一首の西語版の本を注文しました。恐らく、自費出版なので、店頭に本は置いていなかったのです。

食事会を予定している、神楽坂には、3時半頃に着きました。江戸時代から続いていると言う鶏屋とかフランス料理屋を見ましたが、なんだかピンと来ませんでした。一番気に入ったのが、落語を聞きながら食事が出来る所だったのですが、残念ながら6日しかやっていませんでした。仕方なく、平凡ですが、神楽坂で有名な鳥茶屋別亭を予約しました。

予約が完了したのが、4時前で、随分時間が余りましたので、皇居の東御苑に行ってみることにしました。所が、御苑に行ってみると、月曜日と金曜日は休みでした。行き当たりばったりで行動すると、こんな羽目になります。仕方なく、皇居前広場をゆっくり歩いて、日比谷公園に行きました。此処を歩くと何時も、誇らしい日本の中心の躍動と、バベルの塔のような人間の傲慢とを、同時に感じます。時代の最先端を切り開く現代と、時代を超えて生き残る江戸とを、同時に見て感じることも出来ます。

日比谷公園の日本庭園で休んでいると、目の前の池に、沢山の雨粒が落ちているように見えました。良く良く見ると、アメンボが、水面を歩き回っていました。なーんだ雨じゃ無かったのか、そう思っているうちに、本当に雨粒が落ちてきました。直ぐ近くで雷鳴も聞こえました。大急ぎで、有楽町駅に向かいました。朝の天気予報で、天気の急変があると言っていましたが、その通りになりました。

一駅電車に乗って、東京駅へ出て、八重洲のギャラリーに着いた時には、丁度、飲み会が始まる時間になっていました。何時もの顔触れが集まっていました。その中に一人、大学4年生の中国人留学生がいました。仲間の紹介で、その学生と暫く話しました。彼は、日本語を普通に話すことが出来ました。彼は、将来、日中交流に貢献したいと真剣に思っているようでした。日本と中国が自然に協力出来るようになるのは、若者しか出来ないと、つくづく思いました。2002年、日韓でサッカーのワールドカップをやった時、若者の中に、日韓の融和の時代が来る兆しが見えました。所が、その後、大人達の不見識な行動のため、融和の兆しが消えてしまいました。今日の中国人の彼に、日中交流は、若者の交流から始め、若者の交流の輪を広げるように、焦らないで、地道に続けて欲しいと言いました。それから、大人の意見を、出来るだけ聞かないようにも言いました。未来を作るのは若者です。

飲み会は、本当に楽しく過ぎました。備前焼の器で、ビール、ワイン、日本酒と進みました。備前の美味しい地酒も飲めました。イスラム難民が多く入り込んだヨーロッパの将来についての難しい話も出ました。こうした話しも、全て酒の肴に出来る、人達なのです。坊主の倅で、その関係の大学を卒業した人もいます。カトリック系の大学を卒業した人が多い、この仲間の中で、面白い意見を出します。彼も、違った意見を楽しんでいるようです。

飲み会も終わり、家路につきましたが、新宿からの京王線が、人身事故のため、大幅に遅れ、特急も準特急も運行していませんでした。その為、最終バスに間に合わず、月を従えて、多摩の土手を歩いて帰りました。夜風が、肌に心地良く、酔い覚ましにもなりました。

 

「初夏の富士 日増しに雪の 融けて行き 尾根の黒筋 太さを増しぬ」

「路地裏に 粋な黒塀 神楽坂 何処にしようか 迷いも楽し」

「行儀良く お堀に映る 摩天楼 波立て壊す 二羽の白鳥」

「雨粒と 思えばアメンボ 水面跳ね 波紋重なる 公園の池」

「アメンボと 思えば夕立 走り来て 我にも池にも 雨粒落ちる」

「池之端 昼寝楽しむ 三毛猫も 夕立避けて のそりと移動」

「この為に 西の果てから やって来た 備前焼にて 酒を楽しむ」

「酔い覚まし 頭上の月を 伴として 辿る家路に 涼しき夜風」

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2017年6月 5日 (月)

2017年06月04日

2017年06月04日

 

 今朝は、すこぶる付きではありませんでしたが、良い天気でした。富士も短時間でしたが、薄らと見えました。

気温が高くなったせいか、プランターの土の乾きが早くなりました。お陰で、水遣りの回数が増えてきました。レモンの、2回目の芽吹きが始まりました。アパートの大規模修理の際、水をやらなかった期間が長かったので、全て葉を落としてしまい、再生するか心配していましたが、春には芽吹きました。それでも。葉が少なく、葉の無い枝もありました。今回の芽吹きで、全ての枝に葉が揃い、ほぼ大規模修理前の状態に戻りそうです。安心しました。

 今日は、予定がない日なので、運動不足解消のため、少し遠くまで足を伸ばそうと思っていました。所が、一昨日、昨日と風邪気味なのに、昼間から夜まで酒を飲んだので、声は嗄れるし、鼻水は出るし、それに一番嫌だったのは、痰が頻繁に絡みました。熱は無いのですが、どうも風邪のようでした。私は、5年に1度くらいしか風邪にかかりません。実は、この10年風邪にかかった記憶は無いのです。妻は、年に一度は風邪にかかり、自分なりの風邪の治し方を知っています。風邪が治るまで、家でじっとしているのです。取り敢えず今日は、妻の真似をして、家で静かにしていることにしました。それにしても、夏日が続く6月の暑さの中でも、風邪を引くのでしょうか、気懸かりです。

 時間が出来たので、先送りしていた、白い蝶の名前を調べました。5月中半、多摩川の側道の歩道で、尾羽打ち枯らして横たわっていた蝶です。かなり大きな蝶だったので、アゲハチョウ科だと思いましたが、アゲハチョウの中には、全身白い蝶はいませんでした。専門家では無いので、確定は出来ませんが、恐らく、シロチョウ科のスジボソヤマキチョウだと思います。紋白蝶よりは、大きいですし、前翅と後翅に、1個ずつ付いている、小さな文様から、ほぼ間違いないと思います。思ったより簡単に分かり、時間が潰れませんでした。

 また、衣類の整理をし、山用のチョッキ1枚、ズボン2本、長袖ワイシャツ1枚、半袖シャツ1枚、エクアドルの長袖シャツ1枚、アンダーシャツ1枚を、処分することにしました。小さな断捨離でした。これも、目星を付けていましたので、大した時間が掛りませんでした。

 散歩をしないと、時間はなかなか進まず、何をして良いのかも分らず、結局、昼間から野球中継を見てしまいました。あの巨人軍が、10連敗をしてしまいました。ニュースでは、来宮選手が高校通算100号ホームランを放ちました。巨人軍には、日本を代表するような選手が必要だと思いました。来宮選手のような大物を獲得し、球界を代表するような選手に育て、自らも以前のように、強くなって欲しいと思います。

 夜は、11時から始まるダウントンアービーまでテレビを見続けて、目も頭もおかしくなりそうでした。なんだか、風邪の症状は、朝より悪くなった感じがしました。病気慣れしていないというか、結構、大変な一日となりました。

 

「風邪ひきて 時間潰しが 分らない 病気知らずの 幸せ者よ」

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2017年6月 4日 (日)

2017年06月03日

2017年06月03日

 

 素晴らしい朝でした。6月なのに空気が澄んでいて、富士の山肌まで、くっきりと見えました。昨晩の月が綺麗だったので、ある程度良い天気になるだろうとは、思っていましたが、これほどとは思いませんでした。

 昨日は、早く寝たお陰で、大分体がすっきりしました。ただ、声だけが嗄れ声のままでした。

 今日は、目黒にあるcafé y librosというラテン文化サロンで、百人一首コンサートが行われたので、参加しました。このサロンは、昨年末、私の山の仲間の音楽会をやった所でもあります。日の丸自動車の手前の山手線の線路際にあります。

このコンサートが、どの様な経緯で始まったのか、詳しく我知りませんが、今回2回目だそうです。私の職場の先輩である、スペイン後の専門家(I氏)が、小倉百人一首をスペイン語に翻訳して本を出し、その本に感動したピアニストが、和歌に旋律を付けて歌おうと言うことになったようです。和歌に旋律を付けて、日本語で歌うだけでは、面白くないので、先ず、花鳥風月を詠んだ歌は、情景が分るように、恋の歌は、コミカルに解説したうえで、日本人が和歌を朗読しました。次ぎにメキシコ人の女性が、スペイン語で歌の意味を述べ、スペイン人の女性が、スペイン語に翻訳された和歌そのものを朗読しました。最後に、ピアニストによる和歌の弾き語りになりました。これを和歌一首ずつに対して行い、全部で18首の和歌を歌いました。

和歌に詠まれた情景には、当然音も一緒に詠み込まれています。和歌そのものの味わいは、後で、その和歌を詠んだ人に大きく依存します。当然、和歌の中に籠められた音も、感じ方は個人の感性に由来します。和歌の持つ味わい、和歌の中の音は、私は、人知れず自分の中で温めるものと思っていましたので、突然旋律となって、外に現れると、違和感を覚えてしまいました。和歌では無く、ある詩を元にして作られた歌謡曲は、多くの人と感性が共有されることによって、一時代の人の人生の思い出となったりします。出来た時代も古く、平民には無関係の貴族の遊びだった和歌が、現代の一般人の多くに受け入れられる歌謡曲となるかは、私としては疑問ですが、新しい試みは常に必要でしょう。

コンサートの後、近くに在る、大学の同じクラブのT先輩の店(軽食喫茶)に寄りました。恵比寿や目黒に来た場合は、必ず寄ることにしています。クラブの連絡網で、T先輩にも連絡が来ていると思っていたのですが、T先輩は、後輩Sの死を知りませんでした。暫く、死に至る様子や、葬儀の様子について話し、後は、思い出話になりました。結局最後は、「どうしようも無い奴だったが、可愛い奴だった」との結論になりました。急死は、周囲は吃驚するが、本人にとっては、幸せだったというのが、先輩も私も同意見でした。その後、長―いクラブの思い出話に話しが移り、3時半から、8時半まで話し続けました。昨日も今日も、ほぼ半日、飲み続け、話し続けました。喉が嗄れるのも、止むを得ないでしょう。

先輩は、もうそろそろ、この店を閉めると言っていました。確かに、私が着いた時に、一人の客が帰り、その後5時間に来たお客は、2人だけでした。それが、今日だけのことでは無いそうです。確かに、閉め時かも知れません。しかし、この店は、ほとんど先輩の奥さんが切り盛りし、料理も全て奥さんの手作りです。それが、とても良い味なのです。勿体ない気がします。先輩と奥さんは、かなりの年の差がありますので、店を止めるのは簡単でも、奥さんの生き方をきちんと決めてやる必要があると思います。私のような人間が、口出すような問題でありませんが、色々お世話になったので、気にはなります。

今日も、月を見ながら、10時半近くに我が家に戻りました。昨日と同じように、風邪薬を飲んで早寝しました。

 

「あちこちで 良くも悪くも 思い出が 仲間の話題 君は幸せ」

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2017年6月 3日 (土)

2017年06月02日

2017年06月02日

 

 素晴らしい朝でした。富士が燦然と輝いていました。この前場所を確かめた、十字に見える鉄塔が、綺麗な十字に見えました。

 今日は、フェイスブックの友達、一人は東京に住むS君、もう一人は、南米エクアドルに住むIさんと東京丸の内の「やんも」という料理屋で、食事をすることになっていました。

 食事は、12時からでしたが、少し早めの10時少し前に家を出ました。一応地図はプリントしましたが、すんなりと目的の店に行けるか、自信が持てなかったからです。11時半には、東京駅に着きました。しかし、東京駅の丸の内側の地下は、予想以上の迷路で、私だけでは、何処をどの様に歩いたら、地図上の目的地まで行けるのか、さっぱり分りませんでした。最後は、色んな人に聞きまくって、漸く、11時50分には、目的の店に着きました。着いたのは、私が1番でした。今日この店を決めたS君が、12時5分に現れ、Iさんが12時15分に着きました。相当迷ったようです。

 取り敢えず、ビールで乾杯して食事に入りました。何故、この変な3人が食事をするようになったかというと、S君は、ダイビングが趣味で、世界中の海へ潜りに行っているそうです。そのS君が、去年、エクアドルのガラパゴスの海にダイビングに行ったそうです。その時、現地の観光会社に勤めていたIさんの、お世話になったそうです。二人が話しているうちに、両方とも私を知っている事が分ってで、お陰で話しが進み、個人的に仲良くなったそうです。今回は、Iさんが久し振りの里帰りで、日本に帰ってきたので、3人で会おうと言うことになったのです。

 私とS君は、同じ大学ですが、一回り以上離れており、10年ほど前までは、全く知りませんでした。それが、2009年に、コロンビアから来た大学の恩師の世話で、知り合うことになり、その後、恩師を語る会で、毎年、一度は会うことになりました。Iさんとは、深い仲ではありませんが、私が、エクアドルにいた時、新年会、麻雀大会等と、現地に住んでいる日本人と、何かにつけて顔を合わせ、話をしていたのです。世の中には、色々な結びつきがあります。最近のエクアドルのこと、最近の浅草のこと等を話しながら、食事は2時過ぎまで続きました。食事が、まさに日本酒の摘まみのようだったので、ビールの後は、日本酒にし、昼間からほろ酔いになりました。

 今日は、一昨日連絡のあった山の仲間W氏の葬儀が、1時半から四谷の教会でありました。東京駅から急いで四谷に向かい、3時少し前に教会に着きました。ぎりぎり、最後の献花に間に合いました。私が、最後の最後で、その後、棺の蓋は閉められ、焼き場に向かいました。私と新発田から来た山の仲間Oは、焼き場に付き合うこと無く、二人で飲むことにしました。二人とも焼き場が好きでは無いのです。死んで魂の抜けた体は、単なる物となり、僅かなりとも生前の面影を残していた体も、焼き場で骨と灰になります。その無情な現実を、出来るなら見ないで済ませたいのです。二人は、大学の同窓会クラブに場所を移し、ビールとワインを飲みながら、W氏を偲び、昔話しつつ、流れた年月の大きさを改めて感じました。Oによれば、W氏は、山登りの仲間に、美味しい料理を振る舞うことで、山の仲間に貢献したそうです。

 5時過ぎに、焼き場に同行した山の仲間M氏夫妻が帰ってきました。焼き場でのことは、我我も聞きませんでしたし、彼等も話しませんでした。暫くして、近くで働いている夫妻の子供が、仕事を終えて、参加しました。それから、8時半まで、とりとめの無い話をしました。これから先の、夢とか、家族とか、社会とか、将来の話しでは無く、老い先短くなった、老人の話でした。

9時に四谷を出て、10時前には、我が家に地来ました。七生丘陵の上に、実に綺麗な半月が出ていました。昨日までの月は、霧の中の朧月の状態でしたから、今晩の月が、素晴らしく輝いて見えました。

今日一日、風邪気味で、鼻水は出るし、咳も出ました。鼻水は、風邪で無くてもしょっちゅう出るのですが、鼻水と咳が一緒に出るのは、珍しいことでした。喉も痛くなっていました。数年に一度のことですかが、風邪薬と睡眠薬を飲んで、早めに寝ました。

 

「友の糸 手繰り寄せたは 天の師や 天は退屈 思いは地上」

「生きし者 変わる事無き 定め有り やがては来たる 生との別離」

 「老いし者 語る未来の 少なくて 残る友も 日々に少なし」

「急速に 過去も未来も 消えてゆく これが定めの 老いらく道中」

「過去の友 未来の夢も 消えゆくも 死ぬまで楽しく 老いらく道中」

 

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2017年6月 2日 (金)

2017年06月01日

2017年06月01日

 

 今朝起きると、道路が濡れていました。昨日の夜は、月が出ていたのに、明け方にかけて、雨が降ったようです。11時頃から、青空が見えてきたので、洗濯をすることにしました。

 今日から6月、ジューンブライド(6月の花嫁(結婚))の季節になりました。我が家のブライダルベール(花嫁(結婚)用のベール)は、5月から咲き続けています。花が3弁で、常磐露草に似ていると思っていましたが、今日調べてみると、ブライダルベールは、露草科の植物でした。本当に良く似ています。

 今日は、七生丘陵散策東コースを歩いてきました。この所、運動不足気味なので、少し長めの散歩コースにしました。

 午後1時半頃に家を出て、桜公園で準備体操をして、四谷橋を渡り、落川団地の横から京王線を潜り、川崎街道を越えて、七生丘陵に入りました。真っ先に、トリアシショウマ(鳥足升麻)の白い姿が目に入りました。薄暗い森の小道では、とても目立つ存在でした。

今は、ドクダミの全盛時代でした。道脇にも、庭にも、土手にも、ありとあらゆる所に、ドクダミの花が咲いていました。ドクダミの花は、4弁の白十字ですが、中には変わり者がいて、5弁のドクダミもあります。四つ葉のクローバーと同じで、5弁のドクダミを探すと、何か良いことがあるような気がして、ドクダミの季節になると、毎年、5弁のドクダミを探しながら歩きます。今日は、一度谷に下りて、もう一つの丘に登る土手で、完璧な5弁のドクダミを見つけました。きっと何か良いことがあるでしょう。今年は、これで満足です。ばっちり写真を撮りましたので、フェイスブックで紹介しようと思います。

この辺りの丘は栗畑が多くて、栗の花が満開でした。強烈な臭いが、丘中に立ち籠めていて、頭が痛くなりそうでした。白い乱れ髪のような花は、雄花だと思うのですが、蜜はあるのでしょうか、見たことも無いようなシジミ蝶が、花に止まっていました。後で調べた所、ミズイロオナガシジミ(水色尾長小灰蝶)でした。

栗畑から少し歩いた所に、毎年、ホタルブクロ(蛍袋)が沢山咲く場所があります。1本のホタルブクロが、花を咲かせていました。私は、早過ぎると思ったのですが、家に帰って花の時期を調べてみると、そろそろホタルブクロの季節が、始まる頃でした。栗畑の横の土手には、クララ(眩草)が咲いていて、クマバチ(熊蜂)が、盛んに蜜を吸っていました。クララの和名の由来は、「を噛むとクラクラするほど苦いことから、眩草(くららぐさ)と呼ばれ、これが転じてクララと呼ばれるようになったといわれる」とのことでした。

 百草八幡から、百草台公園、三沢給水塔、百草台団地と歩き、百草台団地が終わる頃、土手に白詰草の花が一面に咲いていると思いました。しかし、近づいてみると、花はそっくりですが、白詰草では無く、地面を這う蔓性の植物でした。恐らく栽培種が蔓延ったのだろうと思います。一本だけ失敬してきました。

 百草台団地から、一つ谷を越えて、高幡台団地に行きました。七生丘陵散策コースは、此処から尾根道を歩くのですが、今日は、団地の側の道を歩いてみました。所が、この選択は間違いでした。目的とする明星大学の方には行かず、袋小路状他に何度も嵌まりました。色々道を探して丘を下りたら、モノレールの程久保駅に出ました。此処で、今日の散歩を終わることにしました。運動不足が、少しだけ解消されたような気がしました。

今日の夜は、野球の交流戦を見ながらの晩酌にしたお陰で、楽天の則本投手の歴史的瞬間を見ました。7連続二桁奪三振という、誰も成し遂げたことの無い新記録でした。対戦相手は、巨人でした。それにしても、巨人軍は、球界の王者のイメージが崩れてしまいました。私は、アンチ巨人だから、嬉しいはずなのですが、強過ぎるからのアンチ巨人だったので、最近の巨人軍を見ていると、逆に寂しい感じがします。

「純白の 鳥の足形 升麻かな 暗き森陰 灯りの点る」

「どの様に 命繋いで 冬を越す そこいらじゅうに ドクダミの花」

「また君と あえて嬉しい 希有な君 万に一つの 5弁のドクダミ」

「早過ぎる 君の出番は まだ先よ 何故急ぐ 蛍袋よ」

「早や君の 季節となりや 驚きぬ 水無月入りの 蛍袋よ」

「列を成す クララの花に クマンバチ 君が集めた 蜜は何処に」

「鼻をつく 命の臭い 栗の花 蜜はあるのか シジミ蝶君」

「憎きほど 君臨してた 巨人軍 哀れを誘う 今の姿よ」

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2017年6月 1日 (木)

2017年05月31日

2017年05月31日

 

 雲多い朝でした。今日で5月も終わり、明日からは6月、水無月です。旧暦の6月は、梅雨明けの月だったので、水無月となったようです。そして、旧暦の5月は、梅雨の時期で、五月晴れとは、梅雨の晴れ間だったようです。新暦と旧暦とでは、一月ほど、季節がずれてしまったようです。

 色々予定があって、27日から、29日まで日記を休むとブログで宣言しました。宣言したのだから、30日から日記を書き始めれば良いものを、休んだ日の分まで、書いてしまいました。予定が詰まっていたと言う事は、色んな出来事があり、書きたい事が沢山あったのです。しかし、到底全部は書き切れず、中途半端になってしまいました。食事をしたり、テレビのニュースを見たり、洗濯・掃除をしたりと、午前中はやる事も多く、6時頃から書き始めたのに、書き終わったのは、午後の3時過ぎでした。お陰で、今日外に出たのは、近くのスーパーに買い物に行っただけでした。

 11時近くに、次男が仕事に出かけました。仕事場へは、自転車で通っています。その自転車通勤にも、職場での長時間立ちっぱなしの作業にも、耐えられるように回復したのか、今日、試してみると言っていました。次男も、膝の状態が直らなければ、これまでやって来た仕事から、経験の無い新たな仕事に、仕事を変えなければならない、重大な岐路に立っている事を、十分認識しているようでした。

テレビ番組「徹子の部屋」で、黒柳徹子が、出演者の田淵幸一夫妻に、夫妻の孫について、同じ質問を3回もしました。流石に黒柳徹子も年を取りました。若し、この長寿番組が、近いうちに無くなるとすれば、昭和の星が、また一つ消えてしまいそうです。

 山の仲間(W氏)の訃報が届きました。今日午前中に、肝臓癌のため亡くなったそうです。私が、6年前に山の仲間に入れて貰った時には、W氏は、既に山歩きをしなくなっていたので、一緒に山に登った事はありません。しかし、毎年新年会には参加して、話す機会もありました。彼が用意してくれた「越乃寒梅」で、何時も贅沢な新年会になりました。闘病生活は、半年だったそうですから、長い苦しみで無かった事が、せめてもの救いだと思います。ご冥福をお祈りします。

金祝の際、学内を車椅子で案内した人(A氏)の奥さんから、電話がありました。金祝の時、お世話になった事へのお礼の電話でした。「A氏が、私のお陰で、気分良く金祝祝賀会に参加できたし、楽しい一時を過ごせたと、大変喜んでいます」と言って下さいました。私への気遣いもあるでしょうが、本当であれば、何よりです。4ヶ月ほど、金祝の準備を手伝ってきましたが、今日、素晴らしい褒美を頂きました。

次男の膝が、どうなるか分りませんが、良くなって今の仕事を続けるのであれば、次男と会うのは、出勤時の1回と、休みの日だけになります。そうなってくれる事を祈っています。

今日は、一人で金祝の記念の酒で、金祝の余韻に浸りながら、一人で晩酌をしました。書き切れませんでしたが、金祝では、もっと沢山嬉しい事がありました。くも膜下出血から回復した、山の仲間の女性と話しが出来ました。大学時代、体連で一緒に働いた友人と久しぶりに会いました。等々。余韻を高めるように、ほんの僅かな時間でしたが、久し振りに窓から三日月が見えました。

 

「半世紀 時の流れし 学内を 車椅子押し 同期と歩く」

「再会の 余韻噛み締め 一人酒 窓の向こうに 月の輝く」

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