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2017年4月

2017年4月30日 (日)

2017年04月29日

2017年04月29日

 

 今日も良い天気で、丘の上に十字架が見えました。宗教は全て嫌いになり、カトリック信者は止めてしまいましたが、丘の上に十字架が、見えたり見えなかったりするのは、面白いです。

 今朝、ニュースを見ていると、北朝鮮がミサイルの打ち上げに失敗したとのニュースが入ってきました。国連の安保理で、北朝鮮制裁の議論が行われることを意識しての、ミサイル発射だと言うことでした。北朝鮮問題に関しては、言いたいことが山ほどあり、毎日1年間書き続けても、書き尽くすことが出来ないのではないかと思う程です。つまり、人間の歴史を全部話さなければならないような気がするのです。

 整理もしないで今の気持ちを言うと、北朝鮮の正式な国名は、朝鮮人民民主主義共和国ではないのですか? 民主主義国家で何故権力者が世襲するのでしょうか? 権力の世襲を支えているのは軍隊ではないのですか? つまり軍が力を維持するために世襲の権力者を利用しているのでしょう? 国民には苦しい生活をさせながら軍事力を強化し続けているのでしょう? これは軍国主義国家ではないのですか? 第2次世界大戦に於いて軍国主義国家は征伐され2度と軍国主義国家を作らないのが国連の使命ではないのですか? 国連は、国連の意思に背く国の制裁を米国に任せたのですか? そもそも国連の意思は欧米の意思ではないのですか? 米国は、欧州の人が他人の土地を奪って作った国ではないのですか? 欧州そのものが、多くの国を植民地化したでしょう? 欧米に国際平和を仕切る資格があるのでしょうか? 欧米の真似をして、朝鮮と満州を植民地化した日本に、北朝鮮を責められるのですか? 北朝鮮は、他国を侵略したことはなく、国家統一をしようとしているだけではないのですか? 第2次世界大戦中、米国の関与がなければ、朝鮮全土で革命が起き、朝鮮戦争は起きなかったでしょう? 朝鮮戦争の際、米国が国連の名を借りて関与しなければ分裂国家にはならなかったでしょう? 今の北朝鮮は、戦前の日本を真似ているのではないのですか? 歴史的にも日本は朝鮮に2度出兵しました。 歴史的にも朝鮮の北と南は、長い対立時代がありました。歴史的な事実を踏まえ、欧米そして国連の国際平和の理念はどの様なものですか? 米国を世界を、白人優先に戻そうとするようなトランプ大統領に、国際平和が語れるのですか? 等々など。

 言いたいことは山ほどありますが、今の北朝鮮は、戦前の日本を見ているようで、大嫌いです。これだけは確かです。ソヴィエトがロシアに戻ったように、国民に適切に情報が与えて、北朝鮮の国家体制が変わると良いのですが、軍国主義の国民管理は、非常に強烈なので、簡単にはいかないでしょう。一戦交えなければ、軍国主義を終わらせることが出来ないとしたら、武器の進歩が凄いので、想像を超える惨事となるでしょう。何れにしても、国際社会の根本原理は、弱肉強食ですから、弱者が強者と付き合うのには、ある程度屈辱はつきものです。それを忘れると、北朝鮮も日本の二の舞になることを知るべきです。米国の副大統領だったか、米国の圧力は、「狂気を正気にしようとしているだけだ」と言っていました。強者は、何でも言えるのです。弱者は、強者の言うことさえ聞いていれば、破滅だけは免れるでしょう。

 ニュースのことに触れると、私の一日を書くことが、少なくなってしまいます。今日は、昭和記念公園に行こうと思っていたのですが、家を出た所で、昭和記念公園の方向に、黒い雲が見えたので、南の方の南多摩から、城山公園、向陽台、稲城駅の方に変更しました。

 稲城城山公園には、石蕗のような葉に、4弁の白い花を付けた植物が群生していました。何処を探しても名札が見つかりませんでした。一度調べて名前が分った気がするのですが、どうしても思い出せませんでした。同じように名前を思い出せない植物が、幾つもあります。自分なりの図鑑を作る必要があるのかも知れません。黄色い小さな花もありました。多分、ミツバツチグリだと思うのですが、自信がありません。キジムシロ、ミツバツチグリ、ヘビイチゴの花はそっくりで、何れもキジムシロ属なのです。春の黄色い花には、似たようなものが沢山あります。

 昨日の平山城址公園にも、今日の城山公園にも、金襴が咲いていました。キンランが咲き始めると、府中の浅間山公園に、武蔵野キスゲが咲き始めます。そろそろ足を運ぶ時期になりました。

 城山公園を出ると、稲城市の向陽台になります。良く整備された新興の住宅地で、電線がほとんどありません。街全体が緑に包まれているようでした。何時もは、稲城中央公園から若葉台公園の方に歩くのですが、今日は趣向を変えて、京王線の稲城駅の方へ歩きました。途中、駅の方向が分らなくなったので、通りがかった高校生くらいの女性に、駅の方向を聞きました。所が、その女性は、目を一点に据えたまま、何も答えず通り過ぎました。「見知らぬ人に声をかけられたら、絶対応えてはいけない」と言われているに違いないと思いました。そこへ稲城駅行きのバスが来ましたので、駅の方角は分りました。

 稲城駅から、多摩センターに出て、多摩モノレールで高幡不動に出ました。折角だから高幡不動にも依りました。此処は、一雨来たらしく、木々の葉が濡れていました。雨が空気を洗い、五重塔の相輪の金箔が、新緑の紅葉の向こうで輝いていました。森の下は、シャガの季節でした。昨日から、明日までの、春の大祭の行事が終わった所らしく、法被姿の男女が沢山いました。法被の下は、兵児帯だけで、尻がむき出しの男も何人かいました。祭りの最中は良いのかも知れませんが、街中では見栄えが良いとは言えませんでした。

 高幡不動から、何時ものように家に帰り、何時ものように次男と晩酌をして、今日一日が終わりました。

 

「森陰に すらりと伸びる 金襴の 横に賑やか シャガの花かな」

「土方が 背を向けている 池之端 揃って直立 松の花かな」

「雨の後 春の日差しの 降り注ぎ 新緑突き抜く 金の相輪」

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2017年4月29日 (土)

2017年04月28日

2017年04月28日

 

 朝は、雲も霞も多かったのですが、比較的良い天気だったと思います。今朝は、鉄塔が十字架の形に見えました。朝の、斜めからの光が、真ん中の白いペンキの部分を強調し、十字架のように見えるのだと思います。写真を撮ってみると、十字の部分と共に、鉄塔全体も写っていました。恐らく、視力の良い人には、写真のように見えるのでしょう。

 今日も、昼過ぎから、東京薬科大学、平山城址公園、平山付近の里山を歩いて来ました。

 昼食を家で済ませて、1時半頃に家を出ました。聖蹟桜ヶ丘から、電車で平山城址公園駅に行きました。平屋建ての背の低い駅舎の軒下に、燕が 巣作りをしていました。警備用の非常ベルの上でした。私でも手を延ばせば届く位置でした。住宅地に巣を作るのが、当たり前の燕ですが、もう少し高い所が良いのではないかと思います。それにしても、色々な駅舎で、燕の巣を見ました。若しかしたら、燕は人混みが好きなのかも知れません。

 駅舎の横の大木が芽吹いていました。酷い剪定をされた木は、芽吹きが遅いのです。芽吹きは、枝先だけではなく、太い幹からも直接、たくさんの芽が出ていました。木に充満している芽吹きの力を抑え切れない、そんな印象を受けました。街中で生きなければならない木々達の、辛い生き様を見せつけられました。

 東京薬科大学の学内や周囲の木は、剪定されることなく、木本来の芽吹きを終え、新緑が萌えていました。残念ながら花の時期は、終わっていましたが、新緑が目映いくらいに輝いていて、特にメタセコイアの新緑は見事でした。しかし、薬草園は、種を蒔いたばかりのようで、整理された畑だけが並んでいました。それでも、薬草園の入口の肉桂、月桂樹の木は、花盛りでしたし、二輪草、菫、イチハツ、クサノオウなどの花が、慰めてくれました。僅かに残った枸橘の花も趣がありました。

 薬科大学を出て、山ツツジが見頃になっている、平山城址公園に入りました。展望台に行きましたが、霞が強烈で、直ぐ近くの奥多摩の山さえ見えませんでした。十二単や稚児百合等が咲く、森の小道を降りて、「終わりの始まり広場」に出ました。若葉で覆われ、薄暗くなった広場に、二筋の木漏れ日の帯が届いていました。

 この広場から、里山への道が始まります。ものの5分も歩けば、里山に出ます。この里山は、田畑を「田んぼの学校」として、幾つかの学校や団体に貸し出しています。通常の農作業は、里山の農家の人がやるのですが、田植えとか、稲刈りとか主立った作業の時は、借り主も参加するようです。この里山の田には、田の肥料として、蓮華や雀の鉄砲が植えられており、今日も見ることが出来ました。両方共、最近見ることが少なくなりましたが、此処では、この時期、必ず見ることが出来ます。一枚の田は、苗代になっていて、田植えが近いことを表していました。

 里山から丘を越えて、程久保川の源流である、もう一つの里山に出ました。こちらの里山は、多摩動物公園に近いので、最近宅地化が進んで、里山らしさが、失われて来ています。多摩動物園駅から高幡不動へ出て、我が家に戻りました。

 家に帰り着いたのが、6時半くらいだったので、次男と酒の肴を作り、7時過ぎから晩酌にしました。次男の膝は、幾分良くなったそうですが、来週から仕事に出られるか、はっきりしないそうです。仮に、仕事に出られるようになったとしても、膝を痛めた原因が、仕事の作業内容に依るのであれば、再発の可能性は、非常に高いと言わざるを得ません。外食産業は、マニュアル化とチェーン店化が進み、若者のアルバイトや主婦などのパート従業員が、ほとんどを占めるようになりました。そして、次男のような年代の料理人が、新たに務められる場所が、極端に少なくなりました。以前のように、料理人が、渡り職人のような形で、何時でも職があった時代とは、時代が変わってしまいました。個人的には、歳も取り、体力も衰えて来ています。次男は、これから先の自分の人生をどうするか、厳しい決断の時期に来ていると思います。

 

「賑やかな 人の世界に 仲間入り 駅で巣作り 燕さん達」

「街の木は 枝の多くを 切り取られ 固い幹から 新芽押し出す」

「幼き日 香り楽しむ 肉桂の 花の咲くのを 初めて見るなり」

「料理では 馴染みの深い ローリエも 花の咲くのを 見るは珍し」

「森の奥 木漏れ日二筋 帯を為し 春の日差しを 届けてきたり」

「蓮華咲く 里山の田に 一枚の 苗代出来て 田植えは近し」

「世の中は 何時も変わらぬ 世にあらず 熟練の技 いかに生かすや」

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2017年4月28日 (金)

2017年04月27日

2017年04月27日

 

 今日は、朝は曇っていましたが、昼近くから晴れてきました。富士も見えませんでしたし、丘の上の十字架も見えませんでした。

 4日間、まともに歩いていなかったので、今日は遠出をしようかと思っていたのですが、日記に手間取り、その他やる事もあって、1時過ぎから近場の秘密の池コースを散歩しました。

 1週間ほど前でしたか、多摩川も浅川も、土手が全部刈り込まれてしまいました。暫くは、土手の散歩が物足りません。四谷橋を渡って、日野市側の多摩川の土手から、程久保川へ出ました。ここから、浅川の土手へ出る道の、鬼胡桃の木に、この前、コアカゲラが巣を作っていました。その後どうなったか、見てみたのですが、単に穴が開いているだけで、巣として使われているのか、良く分りませんでした。単に留守なのかも知れませんし、手が届くような場所なので、安全の観点から放棄したのかも知れません。

 浅川の土手に出ると、一番遅く芽吹きが始まったニセアカシアの葉が、すっかり出揃っていました。土手の上が面白くないので、土手の下の道を歩き始めると、馬に乗った婦人がやって来ました。こんな所で、乗馬の練習をやっていたのです。最初は良い気持ちではなかったのですが、「済みません」と挨拶してきたので、道の端によって、馬を通しました。土手下の道には、カキドオシの広い花畑があったり、藪ニンジンやコメツブツメクサ等、沢山の花が咲いていたりしました。白い球のような花を付けている木もありました。花の時期が終わると、白い球は、イチゴのようになっていました。この木の名前が分りません。

 新井橋を渡り、浅川の対岸の土手に出ました。ここから、多摩川との合流点に向けて歩きました。道の両脇に、草藤が、花の盛りを迎えていました。白花の草藤を探しましたが、一株すら見つかりませんでした。河原は、菜の花で埋まっていました。種が河原に残っていたのでしょうか、人が蒔いたとも思えませんし、理屈はともかく、いかにも春らしくて綺麗でした。河原の水辺には、芹やクレソンの花が、菜の花に負けじと咲いていました。

 合流点に近くなった所で、多摩川の右岸の土手に出ました。この土手は、浅川との合流点の近くで、行き止まりになりますし、来方が面倒なので、人が少ないのです。合流点から、石田大橋までの土手の左側は、日野市の水再生センターになっており、土手の右側は、人の手が入らない自然林になっています。今は、新緑が最高です。庭漆の林は、ドームのような形をしています。此処に、カワセミ等の野鳥が集まる秘密の池があるのですが、最近は、藻で覆われる事が多く、野鳥を見る事は少なくなりました。

 この自然林の中には、野蒜が沢山生えている所があります。今年は、まだ野蒜を食べていないので、林に入って野蒜を採りました。僅か30分ほどで、レジ袋に一杯になるほど採れました。林の奥の方は、土が軟らかく、野蒜の根まで全部とれました。これで今日の酒の肴が決まりました。根は一茹でして、酢味噌和えにし、茎から葉の部分は、餃子にすることにしました。

 帰り道、餃子の皮などを買って、家に戻ったのは、4時過ぎでした。一風呂浴びて、餃子作りに取りかかりました。野生の植物は、採ってくるのは良いのですが、始末が大変です。先ず、小さな玉葱のような根を取り、一皮剥かなければなりません。次ぎに、茎の所も一皮剥いて、葉先の固い所を全部切って捨てます。この作業を200本近くやるのですから、その作業だけで、1時間以上掛りました。次には、白菜と野蒜と大蒜を微塵切りにします。次ぎに、豚の挽肉と大蒜を混ぜ、酒とだし醤油で、簡単に味付けし、白菜と野蒜を混ぜ込み、良く練り込み、餃子の具を作ります。それから、餃子の皮で具を包み、餃子の出来上がりです。今日は、大判の餃子の皮で、20個作りました。

 結局、次男と晩酌が始まったのは、7時過ぎになりました。次男は、別に買ってきたホタルイカを、食べやすい様に処理してくれました。あの小さいホタルイカから、目、口、背板を取ってくれたのです。餃子は一人10個ずつ、根は半分ずつ、次男は生で、私は一茹での代わりに、電子レンジで温めて食べました。餃子は、なかなか美味しく出来ました。野蒜の根の生は、想像以上に辛かったらしく、次男がむせていました。それでも、自然のものを食べる幸せを感じました。

 

「浅川の 河原の道で 乗馬かな 蝶も驚く 我も驚く」

「浅川に この木何の木 気になる木 色は桑の実 木苺もどき」

「浅川が 菜の花畑に 変わりたる 岸辺に草藤 勢い競う」

 

「名前から 少し卑猥な 気もするが すらりと伸びた おっ立ちカタバミ」

「庭漆 林の形は ドーム型 自然の技の 奥の深さよ」

「寄り添いし 二輪のタンポポ 優しげに 休んでおゆきと 紋白誘う」

「夥し 菜の花巡り 疲れしか 河原の石に 紅シジミ蝶」

「野蒜摘み 強い香りに 刺激され 天から顔出す 従姉妹と婆さん」

「野蒜にて 餃子作りに 格闘す 自然の恵み 食すは難し」

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2017年4月27日 (木)

2017年04月26日

2017年04月26日

 

 今朝は、曇り空でした。昨日見えた、丘の上の十字架は見えず、ありきたりの鉄塔が立っていました。鉄塔が、十字架に見えるためには、特別な光の加減が必要なようです。

 今日は、娘から頼まれた、幼稚園から帰ってくる末の孫を迎えるため、娘の家に行って来ました。

 10時に家を出て、四谷橋を渡って、一の宮まで歩きました。そこから、南大沢行きのバスに乗って、柳沢バス停に11時15分に着きました。娘のアパートの近くの、末の孫を待つ場所まで、15分くらいかけて歩きました。私の嫌いな電線が無く、木々の多い通りなのです。若葉のユリの木並木が、燃え立つ命と共に安らぎも感じさせました。土手を沢山のスギナが埋めていて、土筆が一杯顔を出した、早春の頃を想像させてくれました。スギナの中に、可愛い筆竜胆を見つけました。草イチゴやハルジオンも咲いていました。晩冬には、筆先のようだった紫陽花の芽が、大きな葉っぱになり、蕾も出来ていました。既に、初夏を迎えた風景でした。

 末の孫を待っていると、違った幼稚園のバスが3台通り過ぎました。この辺りは、新興住宅地が、沢山ありますので、児童の数も多いのでしょう。11時50分に、孫が通っている幼稚園のバスがやって来ました。孫が、最後の園児でした。バスの中から、私を見つけて、にっこり笑って手を振りました。べそを掻くのではないかと心配していましたが、その様子は、全くありませんでした。アパートに戻る僅かの間でしたが、幼稚園で肘を噛まれて泣いた事、橋の階段にペンキが零れていて水では掃除が出来ない事、お兄ちゃんが垣根を越えて道へ出てきた事など、切れ目無く話し続けました。アパートの玄関のドアを開ける事、家の玄関の鍵を開ける事、何もかも末の孫が、やってくれました。

 家に入って、幼稚園の制服から普段着に着替える時、肘の湿布薬を剥がして見たところ、歯形がくっきりと付いていました。これは相当に痛かっただろうと思いました。その後、二人でお昼ご飯を食べ、末の孫は、玩具を取り出して、一人で遊び始めました。暫くして、遊びに飽きたのか、DVDの「アナと雪の女王」を見たいと言い始めました。時間潰しに良いから、一緒に見ようと、テレビを操作しましたが、我が家のテレビと使い方が違っていて、どんなに格闘しても、DVDを見る事が出来ませんでした。「ジージはお馬鹿さんだから、お兄ちゃん達が帰って来るまで待ってね」と言ったら、納得してくれました。

 2時半に、上の孫も孫娘も帰ってきて、早速DVDを付けて貰いました。何度も途中で見なくなった事があったらしく、お兄ちゃんから「今日は最後まで見るんだよ」と念を押されていました。最初は、私の横に寝そべり、腕枕で見ていました。こういう時が、一番可愛いですかねー。孫娘も一緒に見ました。孫娘の方は、筋もキャラクターも、歌も全部覚えていて、解説付きで見ることが出来ました。

 4時過ぎに、娘が帰って来ました。「噛みつき事件」について話したら、幼稚園に電話して、経緯を聞いていました。少し、発達障害のある子が、末の孫が遊んでいた玩具が気に入って、「貸して」と言えれば良かったのですが、いきなり玩具を取ろうとしたようです。末の孫は、当然ながら、その玩具を離さなかったので、玩具を持っている手に噛みついてきたのだそうです。入園式から、3週間足らずですが、被害者は、かなりの数に昇っているそうです。娘に依れば、晩婚化や種々の要因が重なり、障害児の割合が、かなり高くなっているようです。

「アナと雪の女王」が終わったとこで我が家に戻りました。

 所で、現代の人間社会、特に大都市の生活は、自然の生命活動から懸け離れています。未婚化晩婚化、長い教育期間、自営業の衰退、会社勤務のストレス、薬品漬けの生活環境、生活・家族維持の困難化、生活維持のための社会インフラの強大化、社会インフラを維持するための国民負担の増大等々、生活そのものが、非常に難しくなってきました。障害児の確立が高くなるのも、やむを得ない事なのかと思ってしまいます。

 この障害者の問題に関しては、戦前には、国民優生法、戦後昭和23年の優生保護法、平成8年母体保護法(優生保護法の改正法)と、国民の間でも国会でも多くの議論が為されてきました。一定の範囲内とはいえ、人間が人間の生き方を決めるという、非常に難しい問題なので、簡単に結論は出ないかも知れませんが、自分で生きる能力を失った高齢者の安楽死を含めて、宗教を除いた倫理観をベースとした、社会運営が出来ないものか、何れは考えなければならないと思います。

 

「今年また 命湧き出る 春が来た 残る自然に 心安らぐ」

「我が横に 寝そべる孫の 小ささよ 小さい身体 大きな未来」

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2017年4月26日 (水)

2017年04月25日

2017年04月25日

 

 良い天気でしたが、富士は見えませんでした。富士の代わりと言ったら変ですが、何時も富士が見える少し左の丘の上に、大きな十字架が見えました。これまで、気がつかなかったので、非常に不思議に思いました。新たに教会が作られたのかと思いました。双眼鏡で確かめると、送電線の鉄塔でした。鉄塔の真ん中の部分が、光の当たり方によって、十字架に見えるように白いペンキが塗られていたのです。これまで、何年も朝一度は、この方向を見てきたのですが、十字架に気がついたのは、今日が初めてでした。若しかしたら、ペンキの塗り方が、変わったのかも知れません。

 今日は、恩師(A師)の3回忌の為に、都心の大学の方に行って来ました。A師は、神父でもあり、倫理学を教えていました。私は、先生の授業を受けた事はないのですが、学生部の次長でもあったので、様々な活動を行う際、先生と行動を共にしました。私生活に於いても、随分とお世話になりました。私と同じように、A師にお世話になった人が多く、何時の頃からか「A師と語る会」が出来ました。A師は、大学の定年を期に、故国の中南米に帰りましたが、2009年、そして最後は、大学の100周年の2013年、来日しました。A師自身、最後の来日となる事が分っていたのでしょう。1月半の滞在期間中、寸暇を惜しんで、旧交を温めました。日本が、A師の人生そのものだったのです。中南米に帰って、体調を崩し、2015年4月8日、永眠されました。「A師と語る会」の仲間が送った、応援のメッセージを聞きながら、他界されたとA師の甥から聞きました。84歳だったと思います。

 A師の追悼ミサは、大学が大々的にやってくれましたが、1周期は、「A師と語る会」を「A 師を語る会」と会の名称を改め、少人数の仲間で、行いました。今日も、同じ仲間20数人で、3回忌を行いました。何故だか分りませんが、「語る会」は、何時からか私が主催するようになりました。最近は、名幹事が現れて、その幹事が、全てを手配してくれるようになりました。大学内の小さな聖堂で、11時から追悼のミサを行い、卒業生のクラブの会議室で、「語る会」を行いました。献杯をし、久し振りの再会を楽しんだ後、優しく微笑んだ、A師の写真の前で、一人ずつ、A師との思い出を話しました。思い出は思い出を呼び、話しが尽きませんでした。A師の思いでは、我々の人生の思い出でもありました。

 予定された会は、2時過ぎに終わりましたが、9人が大学の卒業生クラブのサロンに場所を移し、話しは、ずっと続きました。摘まみもなく、ワインを飲みながら、延々と6時過ぎまで話しをし、漸く重い腰を上げました。ワインを10本ほど空けました。ほとんど飲まない人もいたので、一人一本以上飲んだ事になります。

その後、4人が、蕎麦屋で、また酒を飲み、腹ごしらえをして、カラオケで少しばかり歌を歌って、長い1日が終わりました。少々飲み過ぎました。電車で眠ってしまい、乗り過ごしてしまいました。我が家に戻ったのは、11時を過ぎていました。

 

「人生の 大きな部分を 占めていた 恩師も既に 思い出の中」

「老い行くは 誰にも起きる 事なれど 友の訃報を 聞かずに死にたし」

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2017年4月25日 (火)

2017年04月24日

2017年04月24日

 

 雨風が強い荒れ模様の天気ではありませんでしたが、雲の多い朝でした。やがて雲は薄くなり、日差しが出てきました。

 昨日歩けないような状態だった次男の膝は、痛み止めで収まる気配はなく、娘が次男のかかりつけの病院に、連れて行ってくれるとの事でした。

 私の方は、今日は金祝の準備委員会があったので、都心の大学に行って来ました。何時の間にか、金祝も後一月後に迫りました。準備委員会は、総勢50名を超え、準備委員会そのものが、お祭り状態になっています。人間の世の中に、お祭りが必要なのが、分ったような気がします。全員が同期であり、青春時代を共に過ごした人達なので、共通の思い出を話せる事が嬉しいのだと思います。そして、同じように歳を取って、老い先が短くなった仲間と、何かを一緒にやる事に、飢えていたのかも知れません。

 今日は、種々の準備状況の確認をした後、金祝で寄贈される日本酒のラベルを決定しました。その為に、見本として提供された二本の酒を、会議の後、十数名の委員で試飲をしました。酒という物は、不思議な力を持つ物で、話しが止まらなくなってしまいました。何時もは、会議の後はコーヒーで話をしていたのですが、なんとなく話しが弾まず、30分程度で終わっていました。所が、今日は、2時間半近く、話していたと思います。金祝が終わったら、準備委員会も解散となり、脱力感を覚えるのではないかと、今から心配しています。

 家に戻ったのは、7時過ぎになりました。次男は、医者に行って戻っていました。関節炎を起こし、膝に、かなりの水が溜まっていたとの事です。回復にどの程度掛るのか、確実に言えないらしく、暫くは、仕事を休まざるを得ないとの事でした。関節炎の原因が、仕事の時の足への負担が原因であれば、仕事そのものを続けていく事が困難になるでしょう。仮にそうなったら、次の仕事を、どの様に見つけ、どの様に今後の人生を生きていくのか、非常に心配です。しかしながら、私がしてやれる事は、何もありません。暫くは、経過を見る他なさそうです。

 

「世は移り 思い出全て 胸の内 語る相手は 同期が一番」

「人生を 閉じる間際の 老い先に 息子の未来 危うきを知る」 

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2017年4月24日 (月)

2017年04月23日

2017年04月23日

 

 良く晴れた朝でした。ほんの短時間でしたが、霞に消え入りそうな富士が見えました。

 午前中の作業をしている時、娘から電話がありました。26日、どうしても都心に出なければならない用事があるので、その日、幼稚園から帰ってくる末の孫を出迎えて欲しいとの事でした。都心へ行く用事というのは、家計が苦しいので、自宅で出来る仕事をするために、仕事の研修に行くのだそうです。政府は、少子化対策を重要案件としてやっているように言っていますが、娘は、3人子供を作ったのに、大学に行かせる事そのものが難しいと言っています。政府が、本当に実のある、少子化対策をやっているのか疑問を感じました。

 昼近く、次男が起きてきました。様子が変でした。右膝に痛みがあって、上手く歩けないとの事でした。一週間の新しい仕事で、足に負担が掛ったか、持病のようになっている痛風が出たのだろうと言っていました。確かに、次男は、少々肥り過ぎているので、上手な食事をして、体重をコントロール必要がありそうです。

 私も、昨年胃癌の手術をして、体重が一気に15キロ減りました。一度に沢山食べる事が出来なくなりましたので、乳製品を中心に、栄養価の高い食品を、一日に何度も食べるようになりました。結果、体重は10キロ戻りましたが、右足の親指、両手の先に痛風の症状が出ました。右足の親指は、頻繁に激痛が走り、両手の先は、朝起きた時むくんだ状態になりました。これではいけないと思い、1日3食に戻し、食事の内容は、基本的に一汁一菜、腹八分にすることにしました。少年時代の、食事が満足に出来ない時代に、戻った感じになりました。病理学的に適切かどうかは別として、痛風の症状は治まりました。

 私は、幼稚園は精勤賞、小学校は健康優良児賞を貰い、その後、中高大学と賞は貰いませんでしたが、病気で休んだ事はありません。42年間の仕事に於いても、病気で休んだ記憶はありません。本当に健康な体を貰ったと思っています。生涯、贅沢が出来る状況になかったのが、良かったのかも知れません。従って、次男にそんなに贅沢をさせた覚えはないのですが、肥り過ぎ、むちゃ食いの傾向があると思います。

 昼過ぎに、娘家族がやって来ました。娘に次男を日曜日でも診てくれる保健センターに連れて行って貰い、私と娘の旦那とで、孫達と近くの公園に遊びに行きました。色々な種類の遊具が置いてある公園で、上の二人の孫は、ターザンロープに夢中になりました。普通は2,3回やると満足するのですが、今日は、昨日の雨で、ターザンロープの下が、水溜まりになっていたため、知恵と冒険心が必要となり、遊びを面白くしたようです。末の孫は、網の上を歩くのに熱中していました。最近、末の孫は、何でもお兄ちゃん達と同じ事をしたいとか言わなくなり、無茶をしなくなりました。危険性を自分で判断するようになったようです。一つの成長でしょう。

 次男は、痛み止めを貰っただけで、きちんとした診察は、明日、専門の整形医に行くように言われたそうで、1時間程度で帰ってきました。その後、娘の家族と近くのスーパーに食事を買いに行き、4時頃から遅い昼食となりました。全員、お腹が空いていたらしく、多めに買った積もりのお弁当類を、ほぼ完食しました。そして、食後、孫達は、今年初めての「かき氷」を食べ、シロップ色に変わった舌を較べ合っていました。むちゃ食いが出来ない孫娘の舌が、余り変わらなかったので、皆の注目を引かず、悔しそうでした。

 娘の旦那が、我が家に来ると、ゲームではない遊びをやるので、有り難いと言っていました。コマを回したり、ひょっとこのお面を被って踊ったり、ビー玉で遊んだりするのです。3人が3人とも、甘えん坊で負けず嫌いです。今日は、孫娘が、上の孫に父親を取られ、末の孫に母親を取られ、寂しそうでした。何時もは、私が孫娘を面倒見てきていたのですが、手術以来、孫娘に方が遠慮するようになりました。それだけに、とてもいじらしく感じました。最後は、上の孫を押しのけて、父親に張り付いていました。

 孫達は、5時半頃に帰りました。次男は、痛みは少し取れたようですが、上手く歩けるような状況ではありません。今後、新しく始めた仕事を、どの様にこなしていくのか、そもそも仕事を継続できるのか、非常に心配です。明日の、医者の判断を待つ他ありません。

 

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2017年4月23日 (日)

2017年04月21日

2017年04月21日

 

 19日、20日、21日は、概ね次の様にして過ごしました。

 

19日

 ベランダや玄関の片付けをして、中河原から聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。染井吉野の代わりに、八重桜、ハナミズキ花の時期を迎えていました。夕焼けと夕焼けの中の富士が、何時になく綺麗でした。

「辛夷散り 桜も散れば 花水木 花のリレーは 今年も順調」

「春嵐 猛威を耐えた 幹桜 無骨な肌の 幹を称えり」

「葉桜の 横に豪華な 八重桜 楽しみ続く 公園の春」

「早咲きの ツツジに驚く 冬の日は 早去り行きて ツツジ満開」

「青空に 残り桜の 梢かな 雲の流れに そろり手を振る」

「木漏れ日の スポットライト 浴びるシャガ 我が主役や 怪訝な面持ち」

 

20日

 昔の仲間6人で、熱海に酒を飲みに行きました。沼津や富山からも、久し振りの友がやって来ました。11時半に熱海駅前に集まり、食事を済ませて、2時頃には、部屋に入れて貰いました。その時点から、夜中の2時まで、飲んで話して、普段にはない飲み会になりました。飲み会が中断したのは、5時から6時まで、風呂の時間だけでした。「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。」

 

21日

 10時にチェックアウトして、熱海で生まれ育った仲間の友人がやっている喫茶店で、軽くビールを飲んで、11時に皆と別れました。その後、箱根に行き、入山禁止が解けた大涌谷を見てきました。以前と変わらなくなったと思います。良い天気とは言えない週日なのに、観光客で大混雑でした。此処も外国人の観光客が、半数近くでした。残念ながら、富士山は裾野の一部が見えただけでした。それにしても、観光客が戻り、箱根も一息ついたでしょう。何時もは素通りする、強羅公園に寄ってきました。

「ロープウェイ 眼下に広がる 冬木立 桜も見頃の 箱根の春かな」

「観光地 何処も目に付く 異邦人 珍しきもの 地獄の噴煙」

「噴煙と 硫黄の臭い 黒たまご 完全復活 大涌谷」

「一時に 全てを見るは 欲張りよ 今度またねと 富士は隠れり」

「石楠花が 所狭しと 咲き誇る 癒やしの里の 強羅公園」

「苔生した 大きな岩と 春の花 互いを称える 強羅公園」

「藁葺きの 古色の茶屋に 山吹の 日本の春の 侘びと華美かな」

「この茶屋で 袴姿の 侍が 今茶を淹れるも 不思議無かりし」

「多摩の里 三つ葉ツツジは 盛り過ぎ 箱根の山では 今盛りなり」

 

 

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2017年04月22日

2017年04月22日

 

 曇り空の朝でしたが、ベランダから外を見ると、大規模修理用の作業小屋が撤去され、掃除もされて、綺麗な公園に戻っていました。これで、大規模修理は、完全に終わりました。恐らく次は、10年後でしょう。それまで元気で入られると良いのですが、その保証はありません。

 早くから楽しませてくれた、目の前の桜、その次を引き受けてくれた斜め前の桜、風の道の桜は、全て花の時期は終わりました。作業小屋が撤去された公園には、桜の季節の最後を締め括る八重桜が咲きました。

 今日の午前中は、3日分のメールの処理と、3日分の行動の概要を纏めました。日記を書くのは、負担ではありますが、この負担のない全く自由な一日は、何をして良いのか分らなくなります。霞を喰い、瞑想に明け暮れる仙人の生活は、私には出来そうにありません。この日記は、ブログで公開しているため、毎日、最低でも20人の読者がいます。多いときには、100人を越えます。一人の人間の、極くありふれた日常の生活の事を、読んでくれる人がいるのは、本当に嬉しいことです。

 私に、日記を書く習慣を与えてくれたのは、修道女であった義理の叔母でした。西洋の書物の様な、分厚い立派な日記帳をくれて、「何でも、あったこと思ったことを書きなさい」と言われました。中学生の頃から、その日記帳に日記を書き始めました。今この日記帳が見つからないのです。海外と日本との引っ越しだけでも、10回を越えました。空けていない段ボールもありますから、一度家捜しをしなければなりません。 

午後から、遠回りして、聖蹟桜ヶ丘まで歩いて来ました。午後1時頃に家を出て、対岸の土手に出ました。この土手は、程久保川に繋がります。程久保川には、両岸に八重桜が植えられているので、その桜を見ながら歩こうと思ったのです。程久保川に向かって歩いていると、後ろから、私を呼ぶ声が聞こえました。なんと、高幡不動に住む、山の仲間でした。奥さんも一緒でした。彼等も、程久保川の桜を見ながら、聖蹟桜ヶ丘まで歩き、所用を済ませて、歩いて高幡不動まで戻るところでした。私の家を教えたりして、暫く一緒に歩きましたが、程久保川に差し掛かったところで、二人と別れ、一人、八重桜を楽しみました。

程久保川から、百草園駅に曲がる角に、藤を垣根にした家があります。毎年、綺麗な花を咲かせてくれ、今年も既に満開でした。私と同じように散歩している人から、「この家は、毎年綺麗な藤を咲かせるね」との呟きが聞こえました。誰もが、同じような感想を持っている様でした。

百草園駅の近くは、燕が沢山巣を作る所だったのですが、毎年、巣の数が減っています。巣を作られると、その下が糞で汚れるので、巣を壊してしまう家が多くなったのです。燕が、田畑の害虫を食べる益鳥として珍重される時代は、大都会東京の一部である、多摩地区では終わったようです。田畑は減り続け、ビルが建ち、新興の住宅地に変わってしまいました。今日燕の巣を見たのは一つ、燕は2羽しか見ることが出来ませんでした。

百草園駅から、七生丘陵を越え、谷に沿って野猿街道に出ました。そこから、大栗川の宝蔵橋に出て、大栗川の遊歩道を、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。聖蹟桜ヶ丘からは、先程出会った山の仲間と同じく、歩いて家まで帰ろうと思っていたのですが、雨がぱらついてきたので、バスで我が家に戻りました。バス停の前のアパートの庭では、一面に赤枯れていた姫蔓蕎麦が、一斉に葉を出し、一斉に花を咲かせました。今年の初め、越年した姫蔓蕎麦が、越冬できるか楽しみに見ていたのですが、越冬は出来ず、一旦は枯れてしまいました。しかし、蔓は枯れていなかった事が分りました。非常に生命力の強い植物だと改めて思いました。

家に帰ったのは、4時近くでした。家では、次男がテレビを見ていました。次男の今度の仕事は、土日が休みだそうです。次男にとって週休二日の会社で働くのは、始めての事だと思います。

 

「家近く 春の多摩川 土手の道 思いがけない 友との出会い」

「川側は 老人達の 散歩道 路傍の花は 散歩の楽しみ」

「冬鳥に 替わって飛来 燕達 歓迎されない 多摩の里かな」

「少し前 赤枯れの庭 花一杯 姫蔓蕎麦の 全面復活」

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2017年4月19日 (水)

2017年04月18日

2017年04月18日

 

 昨日の夕方から、今朝方にかけて、春の嵐になるという予報でしたが、多摩地方は、嵐にはなりませんでした。今朝は、雨も止んでいて、9時過ぎから青空が見え始め、午後にはすっかり晴れ上がり、夏のような陽気になりました。

 大規模修理の際、玄関の方に移動し、十分な日差しと水を与えることが出来なかったレモンが、漸く芽吹きました。しかし、レモンに限らず、ブルーベリー、南天、山椒も、芽吹きはしましたが、以前のような活力はありません。盆栽を作る時に、厳しい環境でも生き抜けるように、「いじめ」をするそうですが、同じような状態になったような気がします。昨年は、美味しいレモンの実が生ったのですが、今年は難しそうです。

 午後から、高尾山に登りました。今まさに新緑の季節で、高尾山には「若葉祭り」の幟が立っていました。それにも拘わらず、高尾山は驚く程閑散としていました。こんなに静かで、人影が少ない高尾山は、初めての経験でした。天気予報の春の嵐が、影響したのだろうと思います。お陰で、新緑の高尾を、ゆっくり楽しむことが出来ました。日の光が森に差し込み、緑の若葉を一層燃え上がらせていました。山頂から見た、多摩丘陵、丹沢、奥多摩には、杉林の中に新緑の帯が出来ていました。この帯は、秋には紅葉の赤い帯に替わります。富士山の、日の当たっている斜面が、霞の中で異様に光っていました。昨日の雨で、山肌の雪が氷のように滑らかになったのではないかと思います。そう言えば、丹沢の雪も少なくなっていました。一気に初夏になったようでした。

 4時過ぎには、高尾山から下りて、近くに住んでいる、大学時代の職員(A

)の家に、立ち寄りました。実は、今日の主目的は、こちらの方だったのです。

しかし、高尾まで来て、高尾山に登らずに帰るのは忍びなかったので、大急ぎで

登ってきたのです。一月程前、A氏のお宅に寄り、4月25日行う、大学の恩師

の3回忌への参加を要請した時、参加の意向を示していました。但し、91歳の

ご高齢なので、1週間前にもう1度、体調等の確認に来ますと言ってあったの

です。矢張り、行って良かったと思いました。「1週間程前に腰を痛め、歩くの

も困難になったので、参加は止めたい」とのことでした。我々の大学時代から、

半世紀以上の歳月が流れました。当時の教授や職員等、大学関係者のほぼ全て

の人が、この世を去りました。その意味に於いて、A氏は非常に貴重な人物で、

恩師の3回忌の集まる多くの人が、A氏との再会を望んでいました。しかし、無

理は言えません。皆に状況を報告しようと思います。その後、A氏と奥様と、昔

話に花が咲き、暇乞いをした時は、6時近くになっていました。

 

 熱海の方に旅行に行く関係で、19日から21日分の日記は、休みます。

 

「予報にて 春の嵐に 恐れ為し 人影まばら 初夏の高尾山」

「新緑の 緑の流れ 人里へ 命届ける 山の贈り物」

「嵐明け 初夏の光の 森に入り 輝く若葉 湧き出す命」

「高尾山 輝く小道 両脇に 菫並んで 我を歓迎」

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2017年4月18日 (火)

2017年04月17日

2017年04月17日

 

 今朝は、快晴とは言えませんでしたが、一応晴れていました。天気予報では、夕方から、雨風とも強まる予報でした。

 今日は、2時から金祝祝賀会の総務委員会があったので、都心の大学へ行って来ました。少人数で、前回行われた全体会議の、決議内容の確認や新たに全体会議に掛けるべき事項について、協議をしました。気心が知れた人達ばかりなので、予定通り4時に終了しました。

 折角、都心に出て来るのですから、5時半から大学で行われる、ノーベル物理学賞受賞者、梶田隆章先生の特別講演会への参加申し込みをしていました。1時間半も時間があったので、四谷の若葉町近辺を散歩しました。

 四谷の若葉町には、大学時代、同期が住んでおり、遊びに行った事があります。残念ながら、その同期は、1昨年他界してしまい、葬儀に参列しました。また、良く飲みに行った「ありんこ」の夫婦の家もあり、徹夜麻雀をしたこともあります。そんな、思い出深い場所でした。

先ず、数年前にこの近くに出来た、私の故郷のアンテナショップに行ってみましたが、もうアンテナショップは、特産品の販売店では無くなって、単なる事務所になっていました。

 その少し先に、人気の鯛焼き屋があったのを思い出し、行ってみました。昔のままの店ではありませんでしたが、昔の雰囲気は残っていました。昔の人気は、まだ続いているらしく、長い行列が出来ていました。職人が二人いて、鯛焼き器に餡と皮を上手に詰め込んで、一つずつ焼くので、結構時間が掛り、私の番が来るまでに30分近く掛りました。私の後にも、長い行列が出来ていました。

 鯛焼きを食べながら、更に奥へ歩きました。新宿通に並行するような、すんなりとした道が無く、入り組んだ道を辿っていくと、石塀に小さな蔦のような花が咲いている、西念寺に出ました。学生時代にこの寺に来た事はありません。小さな寺でしたが、住宅街の真ん中に、墓地が残っていて、八重桜が咲いていました。西念寺は、服部半蔵が開基したらしく、本堂には、「槍の半蔵」の槍が保管されているそうです。

 西念寺から、かなり急な坂に出ました。西念寺と真成院の間を降りる形になっていました。この坂の名前は、観音坂です。名の由来は、真成院の潮踏み観音だそうです。何故潮踏み観音と呼ばれたのか、看板の説明に依れば、昔、この坂の下は、海辺だったそうで、そこに立っている観音は、潮の満ち干によって、足が濡れたり乾いたりしたそうです。それで潮踏み観音と呼ばれるようになったそうです。四谷という名前の由来も分ったような気がしました。今日は、昔の思い出の場所には出会えませんでしたが、何度も訪れた四谷の街の、歴史をまた一つ勉強しました。

 観音坂を下りた所の通りの雰囲気が、神楽坂の坂下の通りと良く似ていました。そこから、四谷見附に出たかったのですが、道が良く分らず、取り敢えず、通学路と書かれた坂を登ると、漸く見慣れた風景が出てきました。学習院初等科の裏側の坂を登ってきたのでした。目の前に迎賓館が見えました。四谷中学校の横を通って、四谷見附に出て、講演会の開始10分前に、会場に着きました。

 講演会は、時間通りに始まりました。最初は、陽子の崩壊を観測しようとしてカミオカンデの観測所を作った時のこと、そこで陽子の崩壊は観測できなかったがニュートリノの震動を観測できたこと、最近は重力波の観測に挑戦していることを、出来るだけ分り易く説明してくれました。しかし、どんなに分り易く説明して貰っても、あまりにも現実離れした、超ミクロ(ニュートリノ)、逆に超マクロ(重力波)の世界なので、手に取ってみる訳にも行かず、全ては理論だけの世界で、本当の所理解できませんでした。それでも厚かましく、質問などをしてしまいました。質問の内容は、秘密です。今日は、小学生から私のような爺さんまで、各年代層が、様々な質問をしていましたが、どんな質問に対しても、真摯に答えようとする姿は、非常に好感が持てました。今日は、何時になく、高尚な勉強をしました。

 今日は、夕方から春の嵐になると行っていましたが、雨風共に大した事はありませんでした。9時に我が家に帰ると、次男が初めての仕事から帰っており、慣れない仕事に疲れ果てた様子でした。そこで、買ってきた鯛焼き出すと、美味しいと言って食べ、明日があるからと酒も飲まず、早々に部屋に入って寝てしまいました。

 

「街角に 昔の友の 思い出を 探し歩けど 街は様変わり」

 

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2017年4月17日 (月)

2017年04月16日

2017年04月16日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。昨日の春の嵐が、霞を幾分払ったのか、薄らと富士が見えていました。

 今日は、9時から多摩川の清掃ボランティアの日でした。四谷橋近くの土手に、府中市の職員が来て、ゴミ袋とゴミ掴みと手袋を渡してくれました。手袋は、清掃に参加してくれた人への参加賞のような物です。四谷橋の近くの河原では、既に多くの人が、ゴミ拾いに入っていましたので、私は、我が家の近くの河原で、ゴミ拾いをしました。僅か20分、河原を歩いただけで、貰った二つのゴミ袋が一杯になってしまいました。ペットボトル、コンビニの袋、ジュース類の空き缶が主だった物でした。河原で飯でも食べているんですかね。困ったものだと思いました。

 10時からは、アパートの住民総会でした。アパート内のサロンで行われました。大規模修理の報告と、新しい議題として、機械式駐車場の整備と共用部分の電灯のLED化の件でした。特に問題のある案件では無いのですが、余程の事が無い限り、住民総会には出る事にしています。192世帯のマンモスアパートですから、私も住民だという自己主張のようなものです。総会そのものは、淡々と進み、11過ぎには、閉会になりました。

 昼には、孫達が来るとの電話があったのですが、少し遅れて、12時半頃にやって来ました。取り敢えず、食事にしようと、次男も一緒に、西府にある蔵寿司に行きました。日曜日のせいもあるのでしょう、大変な混みようでした。信じられない事ですが、席に案内されるまでに1時間半待ちました。その間、上の孫は、口をきかなくなりました。孫娘は、次男の膝の上で寝てしまいました。末の孫は、すっかりふて腐れて、娘に八つ当たりしていました。昼食を食べるのに1時間半待つ事は、私の人生の中で初めての事でした。よくぞ辛抱した物です。

 席に着いてからの孫達は、欲求不満が一度に満たされたように、馬鹿食いをしていました。蔵寿司は、寿司の他に、カレーやうどん、ケーキ、コーヒー等、何でもござれの店で、それが人気の一つになっているらしいのです。末の孫は、食べた後の皿を、皿受けの穴に入れるのが面白いらしく、全員の分をせっせと投げ入れていました。皿を5枚穴に入れると、景品が当たるアニメ籤が、注文用のテレビに流れます。我々は6人で、60皿食べたので、12回籤が引け、3回当たり籤が出ました。実は、59枚食べたところで、全員ギブアップしていたのですが、孫娘が、籤を引くために、もう一皿頑張って、最後の当たり籤が出たのです。孫達は、待っていた時の不満が、どうやら解消したようです。私が回転寿司に行くのは、孫達とだけです。孫達が喜んでくれれば、爺も満足です。

蔵寿司は、関西系の店で、東京への1号店は、八王子で、開店当初1度行った事があると記憶しているのですが、確実ではありません。寿司を機械が握るとかで、東京でやっていけるのかと、疑問視していましたが、今では、顧客満足度日本一なのだそうです。そして、東京にも、かなりの数の店舗を構えているようです。

私が、カナリア諸島のラスパルマスにいた時に、回転寿司が初めて出来ました。中国人がやっている中華料理屋が出したのですが、ここは、最初から、今の蔵寿司と同じように、何でもありの店でした。今の蔵寿司と同様、大変な人気店となりました。今から、10年以上前のことで、当時から人気だった寿司を、中華料理屋で出していたのです。日本人がやっている日本料理屋もあったのですが、回転寿司を始める、初期投資の金と、度胸が足りなかったようです。

なんと12時半に家を出て、帰ってきたのは、4時でした。孫達は、思い思いに遊び、その間、娘には、私がスマホで撮った動画の編集等を頼み、一段落したところで、孫達は5時過ぎに帰って行きました。

7時頃から、次男と軽く晩酌をしました。次男は、明日から仕事が始まり、5時に起きて、6時には家を出なければならないと言っていました。就職先が、多摩センターの近くの、給食センターなので、我が家からの交通の便が悪く、通勤に相当負担が掛るようです。早めに酒を止めて、寝てしまいました。次男は、料理関係の仕事をずっと続けてきましたが、給食センターは、料理を作ると言っても、作業は工場のような物で、次男にとっては、初めての経験になるでしょう。今後の役に立てば良いのですが、、、。

 

 

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2017年4月16日 (日)

2017年04月15日

2017年04月15日

 

 今日も、良い天気でした。相変わらず、霞は強く、富士を見る事は出来ませんでした。朝から、風が強く、花散らしの春の嵐の風が吹いていました。

 昨日の後片付けが、9時過ぎまで掛りました。良く飲み、良く食べました。朝食は、昨日の残り物で済ませました。

 午後1時頃から、土手下の道を郷土の森公園迄歩きました。春の嵐の強風が、風の道に沿って吹き荒れていました。何時帽子を飛ばされるか、心配になりましたので、帽子無しで歩きました。

 京王線の鉄橋近くに行くと、水鳥が泳いでいるのが見えました。もう冬の渡り鳥はいないと思っていたのですが、小鴨でした。50羽を越えそうな数でした。鉄橋の下では、7羽のバンが泳いでいました。その上を、燕が猛スピードで飛んでいました。もう少し早くから来ていたのでしょうが、私が見たのは、初めてでした。冬鳥と夏鳥のツーショットを撮りたかったのですが、燕を入れる事が出来ませんでした。しかし、私の目では、しっかりと見ました。

 関戸橋の仮橋の工事が、大分進んで、川の中央部分まで出来ていました。今年中には、古い関戸橋の解体工事が、始まるかも知れません。関戸橋から二つの野球場を越えると、カキドオシとカラスノエンドウが続く小道となりました。カキドオシは、肥えた土地と痩せた土地とでは、違った花だと思える程、印象が変わりました。この小道では、紫色の花が多かったのですが、白花のカラスノエンドウを見つけました。今日歩いて目にした山程のカラスノエンドウの中で、僅か2本だけでした。

 2時20分頃、郷土の森公園の横の土手付近で、雨がぱらつき始めました。濡れる程の雨にはならないし、直ぐに止むだろうと高を括っていました。所が、黒い雲が多摩川の上を覆い、道路が濡れる程の雨になりました。急いで、チュウバスの停留所に行きましたが、10分前に行ったばかりでした。チューバスは、30分に1本しか来ませんので、仕方なく、急いで郷土の森公園の正面へ行き、分倍河原へ行くバスを待っていたら、雨は止んで空が明るくなりました。雨が降らなければ、東郷神社の方まで歩く積もりでいたのですが、一旦萎えた気持ちを立て直す事は出来ず、分倍河原へ出て、聖蹟桜ヶ丘から我が家に戻りました。我が家に着いたのは、まだ4時前でした。家に戻って、暫くすると、風も止み、快晴の空が戻ってきました。日が沈む頃は、富士まで顔を出しました。全く、天気に翻弄された一日でした。

 晩酌の時間に富士が見えたので、次男と共に、久し振りの富士見酒となりました。

 ところで、昨日言い争いの原因となったのは、後輩(M)の話が、多くの若者や国民を無駄死にさせた戦争責任者を、戦争当時、国教化して戦争に利用された靖国神社に、殺した側と殺された側を、一緒に神格化されて祀られるのは、我慢できないと言う事が発端でした。私も全くの同意見です。もう一人の後輩(S)は、先の戦争は、日本国家のため、兵隊も指導者も一緒に戦ったのであって、日本に戦争犯罪者はいないという立場ですから、一緒に靖国に祀られても、何の違和感も無いのです。そういう訳ですから、私が賛成しそうな、彼の意見を、どうしても封じたかったのです。人の物の見方、考え方は自由ですから、自分の意見を通すためには、相手の考えを封じるか、多勢に無勢にするか、相手を抹殺するしか方法が無いのです。昨日も書きましたが、国際社会は、この原理で動いています。常識派の人間は、常識派であるが故に、このような方法を自ら否定し、その為に、弱腰と見做されてしまいます。国際平和に関する考え方の広がりは、遅遅として広がらないのに、戦争の兵器だけは、日進月歩です。歳を取ったせいだけで無く、以前から感じていた無力感が、非常に強くなりました。最近は、平和主義が絵空事で、戦争が、人間の生物としての本来的な生き方では無いかと思う時があります。この問題に関して、書き物にして纏めてみたい、という気持ちは強いのですが、なかなか筆が進みません。

 

「森芽吹く 春たけなわの 多摩川に 小鴨が泳ぎ 燕空飛ぶ」

「白花の 烏の豌豆 珍しや 爺も歩けば 白花に当たる」

「土手下の 小道に並んだ カキドオシ 良く良く見れば 欄に似た花」

「春嵐 雨風荒れる 風の道 夕に収まり 夕焼けの富士」

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2017年4月15日 (土)

2017年04月14日

2017年04月14日

 

 今朝は、快晴でした。所が、霞が極めて強く、富士はおろか丹沢も奥多摩も見えない程でした。テレビでは、富士吉田から見る富士が、何の陰りも無く快晴の空に立っていましたが、残念ながら多摩の方からは、霞の彼方でした。

  急いで、日記を書き、皿うどん、サラダ、アヒージョを作って、10時15分、後輩達を迎えに、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。玄関のドアを開けると、玄関のポーチに、桜の花弁が溜まっていました。恐らく、私の部屋の前の桜が、花弁を飛ばしたのでしょう。少しずつ桜の時期が終わっていくのを感じました。外は、いかにも春といったポカポカ陽気でした。遅咲きの「風の道」の桜が、我が世の春を謳歌していました。河原には、菜の花が咲き、緑が枯れ河原に侵入し始めました。土手は、ほぼ緑に変わりました。

 約束の11時に、5人が集まりました。足を悪くしている後輩が一人いたので、タクシー2台に分乗して、我が家に着きました。既に作っておいた料理を出して、先ずは、ビールで乾杯しました。5人それぞれが、ワイン、ビール、ウィスキー、日本酒、わさび漬けをお土産として持ってきていました。暫くすると、府中の後輩が、南紅梅の梅干しを持ってやって来ました。私を入れて、7人となりました。乾杯をやり直し、本格的な飲み会となりました。更に、アクアパッツアを作り、買ってきた鶏の唐揚げ等を出して、宴会が盛り上がりました。ビールは、あっという間に無くなり、各々が、ワイン、ビール、焼酎と自分が好きな飲み物に移りました。

後輩の一人が、私と別の後輩の一人とが、必ず言い争いになると予想していました。毎度の事だからです。所が、言い争いとなる後輩(S)は、言い争いになる話題は避けようと努力していました。11時半過ぎに始まった飲み会は、7時近く迄、話をしたり、昔、良く歌った歌を歌ったり、実に良い感じで過ぎていきました。今日は、良い感じに終わる事が出来ると思ったのですが、一人の後輩が、戦時中の家族の事や戦争責任について、話を始めました。すると、S後輩が、話しをさせないように割り込み、止めろと命令するようになりました。私は、何度も「話を聞こう」と諭した積もりでしたが、一向に聞きませんでした。結局最後には、後輩の一人が予想した通り、私とS後輩の言い争いになってしまいました。何のことは無い、「話を聞こう、嫌だ」の連続で、話しにもならないくだらなさでした。後味の悪い終わり方になってしまいました。今日は、別の大学の後輩も一人参加していたのですが、醜態を見せてしまいました。

 つくづく世の中は難しいと思いました。世界平和は絵空事のように思えました。戦争を好む人は、多数いるのです。理由は、下らないものから、高尚なものまで様々です。テロを擁護する国には先制攻撃も辞さない、国政や国民を馬鹿にする国は許せない、力による領土の変更は許せない、国際社会が決めた事に従わない国は罰すべきだ、独裁政権が人民を苦しめる国は許せない、敵の攻撃から国を守らなければ家族も守れない、自由や人権など大切な事を守るためには血を流す事も辞さない、等々です。

 現在、北朝鮮を巡って、国際社会はきな臭いですが、何時かは戦争になるでしょう。戦争に懲りたはずの、日本でも好戦的な人が力を持ってきて、戦争の悲惨さなど、過去のものとなりました。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」です。今日の事を思えば、国内政治に於いても、国際政治に於いても、話し合いでの解決が、いかに難しいか分りました。私も、たった一人の後輩すら、説得する事が出来ませんでした。国際平和への道は、苦難の道が続きそうです。結局、国際平和は、人々が飢えず、宗教に頼る必要が無く、平和の良さを共感できるように、地道な運動を続ける他無い様です。

 

「玄関の ポーチに花弁 舞い来る 終わり近づく 桜の季節」

「河原にも 土手の道にも 聞こえ来る 勢いづいた 春の足音」

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2017年4月14日 (金)

2017年04月13日

2017年04月13日

 

 今朝は、良い天気でしたが霞が強く、富士の姿は、霞に溶け込みそうでした。このように霞の強い国は、世界でも珍しいのでは無いかと思います。

 昨日は、初めての所を2万歩以上歩いたので、日記に書きたい事が多く、日記を書くのに、昼近く迄掛ってしまいました。今日は、午後から、多摩の桜の名所を歩いて来ました。

 午後1時半に家を出て、「府中風の道」から、四谷桜公園を通って、何時も利用する四谷橋北のバス停に行きました。開花が遅れた風の道の桜は、今満開となり、見頃を迎えていました。桜公園の桜は、満開を過ぎましたが、まだ十分に花見に耐える状態で、近所のお母さん達が、子連れで花見をしていました。バス停の桜も満開を過ぎ、花弁を落としていました。バス停の横のツツジに沢山の花弁が乗っていて、バス待ちの小母さんが、花弁を集めて、本の間に入れていました。押し花にするようでした。花を見ながら、バスを待つと、待つ時間が短く感じられました。

 バスで聖蹟桜ヶ丘に出て、京王線で多磨霊園駅、駅前の武蔵小金井行きのバスで、多磨霊園に着きました。霊園内のバス通りは、長い桜並木になっていて、その桜並木に交差するように、何本もの桜並木が在りました。松、楓、ユリの木、鈴掛等、霊園の木々達と共に、どんな公園にも負けないような、景観を作っていました。墓所が持つ、少し暗い印象が消えていました。

 多磨霊園を抜けると、府中運転免許試験場に出ます。実は、この試験場が、桜の名所なのです。車の試験のためのコースが、全て桜で埋まっていました。流石に、ここで花見をしている人は、いませんでした。試験場の外側を回って、武蔵野公園に行く途中に、白花タンポポが一面に咲いている所が在りました。こんなに沢山の白花タンポポを見たのは、初めてでした。

 武蔵野公園は、染井吉野の他に、多くの種類の桜が植えられています。芽吹きの始まった林の中に、桜の林がありました。既に盛りを過ぎた桜、今が見頃の桜と、色々の桜が楽しめました。花見の人は結構いましたが、花見の宴は開かれていませんでした。

武蔵野公園から、野川公園に入りました。野川公園の自然観察園から本園に行くために、東八道路を越える橋が在ります。この橋から見る桜は圧巻でした。両側に、背の高い桜並木が続き、道路の先には試験場の桜が広がっていました。この辺りは、何処を見ても桜桜でした。このところ、花見の連続で、古今和歌集の在原業平が詠んだ「世の中に たえて桜の なかりせば 春のこころは のどけからまし」という歌の意味を、改めて感じました。

この辺りには、国際基督教大学、神代植物園、府中飛行場の両側の桜並木、府中の森公園、野川等、桜の名所が沢山在るのですが、今日は、野川公園で止める事にしました。来た通りの順路で聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家の近くのスーパーに戻り、明日後輩達が来るので、その為の買い物をして帰りました。6時近くになっていました。

その後、何時ものように、次男と野球を見ながら晩酌をしました。広島が、巨人を3連覇し、10連勝としました。この強さは、一体何処から出て来るのでしょうか、格別凄い投手やバッターがいるとは思えないのです。気持ちが一つになった組織力なのでしょう。それにしても、夜の一時を楽しませてくれました。

 

「縦横に 桜並木の 広がりぬ 仏も華やぐ 霊園の桜」

「桜木の 下に広がる 花畑 白花タンポポ 咲き誇るなり」

「梅の花 花を愛でるは 冬木立 桜を愛でるは 芽吹きの木立」

「武蔵野の 全ての桜 一春に 見ようなどとは 愚かな考え」

「桜見る 人の心は 時越えて 昔も今も 変わる事無し」

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2017年4月13日 (木)

2017年04月12日

2017年04月12日

 

 昨夜の満月が暗示してくれたように、真っ白な富士の白嶺が輝く朝でした。昨日の雨は、丹沢の峰でも雨だったらしく、丹沢の峰の雪が、随分少なくなっていました。

 七生丘陵が、ほぼ新緑で覆われました。その新緑の上に、残雪を残し青山となった丹沢の峰が顔を出し、富士の白嶺が乗っていました。自然が、一番華やぐ季節となりました。

 今日、日記を書いていたら、机の本棚の下に取り付けてある蛍光灯が、パチンと消えました。寿命でした。この蛍光灯が、何年活躍していたのか、記憶が定かではありません。少なくとも、現在の住所に移ってきてからは、ずっとこの蛍光灯でした。今まで、使っていた物の何かが、寿命を終える事は、感動するのですが、蛍光灯の場合は、買い換える必要があり、断捨離にはなりません。

 今日は、昨日歩かなかった分まで歩こうと、この前先延ばしにしていた、「多摩よこやまの道」を、米軍の「多摩の丘ゴルフクラブ」から唐木田の駅まで歩いて来ました。

 9時半には、家を出て、バスを乗り継ぎ、10時半には、東部団地入口に着きました。このバス停は、「多摩ゴルフクラブ」の入口の前でもあります。普段は、門が閉まっているのですが、今日は、門が開いていましたし、桜がとても綺麗でしたので、写真を撮っていたら、遠くから、「早く出なさい」とお叱りを受けてしまいました。

 そこから、八坂神社、坂浜聖ヶ丘橋、丘の上広場、天王橋を通って、弓の橋の所まで来ました。先日は、ここから弓の橋を渡って、永山に出て帰りました。今日は、橋を渡らず、多摩尾根幹線道路に沿って続く、「多摩よこやまの道」を歩きました。新緑と桜の下の、良く整備された道が続きました。途中に「姫辛夷」の大木が出てきました。既に花の時期は過ぎ、新緑となっていましたが、その大きさには、度肝を抜かれました。古くからの、多摩丘陵の名残なのでしょう。

 小さな尾根の展望広場に出ると、富士は雲の後ろでしたが、丹沢、山梨、奥多摩、秩父の山々に、相模、多摩、武蔵野の市街地を一望できました。多摩センタ-、永山、八王子、立川の高層ビルに加えて、帝京大学、明星大学のタワーが、丁度良いランドマークになっていて、「あそこも、あそこも歩いた」と指を差しながら、眺望を楽しみました。どうも、この近くに、来週から次男が働く職場があるようでした。

 暫く歩くと、国士舘大学の運動場に出ました。所が、近くに在る筈の、大学そのものが見えませんでした。キャンパス訪問をしたかったのですが、残念でした。この運動場の先から、市街地の道路に歩く事になりました。その道で、小母さん二人が、地図を見ながらぶつぶつ言っていました。通りかかった私に声を掛けてきて「よこやまの道を通って唐木田の方へ行きたいのだけど、よこやまの道は、山道の筈で、こんなに舗装されているのはおかしい」と私の意見を求めてきました。「私も唐木田に行くところで、先ほど道路標識を確かめ、地図でも確かめましたので、大丈夫だと思いますよ」と答えましたが、納得した様子ではありませんでした。

 小母さん達と分かれて、さっさと歩いて橋を渡ると、橋の上から見た事のある風景が見えました。孫達と横浜へ遊びに行った時に何度か通った、鎌倉街道でした。この辺りは、現在の鎌倉街道と旧鎌倉街道がほぼ並行していました。橋を渡った舗装道路の横に道路標識があり、また山道が始まりました。私の判断は、間違っていませんでした。菫、筆竜胆、タンポポ、カラスノエンドウ、ハコベ等が咲いている道を歩いて行くと、妙櫻寺に出ました。ここで、写真を撮っていると、先ほどの小母さん達が追いついてきました。漸く納得したのでしょう。笑顔で会釈して来ました。

 妙櫻寺から、また桜並木の市街地の道となりました。歩き始めると直ぐに、恵泉女学園大学が出てきました。守衛に、「学内を見学したい」と言うと、「通常は、ちゃんとした用事が無いと入門は許可できないのですけど」と一応断る素振りを見せながら、書類に所定事項を記入させ、許可の番号札をくれました。年老いて、人畜無害と思ってくれたようです。小さな学内でした。しかし、女学園らしく、四角いビルの校舎では無く、ヨーロッパに見られるような、三角屋根の良い雰囲気でした。所々にお花畑があり、公園のようでした。時を知らせるのは、学内の中央に設置された、音階付きのベルの塔からでした。色々、女学園らしいキャンパス訪問となりました。

 恵泉女学園直ぐ隣が、一本杉公園でした。この公園は、二つに分かれており、最初は、森の中に、芝生や池、古民家が配置された物で、もう一つは、野球場やテニスコートがある運動公園になっていました。芝生の公園を歩いていたら、太鼓や吹奏楽の音が、間断無く聞こえてきました。トンネルを潜って隣の運動公園に行くと、野球場で大学の野球の試合をやっていました。農大と駒大の試合でした。両大学とも、応援団が応援に来ていました。吹奏楽もチアリーダーも一緒でした。観客も、結構来ていました。私は、農大の応援団の後ろの観客席で、昼食をしながら、7回から最後まで、野球の観戦をし、大根踊りを間近で見ました。いきなり、青春時代にタイムスリップしたようでした。最近覚えたスマホの動画で、応援風景を録画しました。野球は、農大が3-0で勝利し、凱歌で勝利を噛み締めていました。最後の、両校の応援団によるエール交換まで見ました。涙が出そうになりました。

 次の試合は、拓殖大と立正大の試合でしたが、応援団も観客もいなくて、寂しい試合になりました。私も観戦を止めて、歩きを続けました。桜並木通りから、尾根幹線道路に出ました。ずっと桜が続いていました。暫くすると、東京国際カントリークラブの横を歩く事になりました。緑の芝生と薄桃色の桜が、これが春だと言わんばかりでした。ゴルフ場の横に、スペインのお城のような建物が見えてきました。案内図によると、多摩市総合福祉センターのようでした。周囲とは、少し変わった景観でした。その横の、高い煙突を持つ、多摩清掃工場を過ぎると、漸く目的地の唐木田駅が見えました。

 丘から降りて、駅への道を歩いていると、麻生南多摩幼稚園のバスが、園児を送ってきていました。一昨日、孫の入園式で行ったばかりの幼稚園でした。こんな遠くからも、園児が来ているのだと驚きもしましたし、幼稚園経営の難しさも感じました。駅に着いた時は、3時少し前でした。長い散歩となりました。

帰りは、唐木田の駅から多摩センター駅へ出て、バスで比較的簡単に聖蹟桜ヶ丘に帰る事が出来るのですが、小田急の多摩線に乗った事が無かったので、遠回りをして、小田急の多摩線で帰る事にしました。駅に入ると、唐木田から我孫子まで、1本で行ける電車が出ていました。その電車で、登戸へ行き、そこから南部線で分倍河原、その次が聖蹟桜ヶ丘でしたので、こちらも比較的簡単に帰る事が出来ました。

近くのホームセンターで、机用の蛍光灯を買い、スーパーで少し買い物をして家に着いた時は、6時近くでした。ほぼ1日外に出ていました。その後、次男と一緒に飲んだ酒が旨くて、少々飲み過ぎました。

 

「四国の 山と里とを 一望す 多摩の尾根道 よこやまの道」

「芽吹き時 森にも里にも 桜花 薄いピンクの 並木が続く」

「足下に 菫花咲く 森の道 筆竜胆も 負けじと顔出す」

「ベルの音に お花畑の 白き椅子 女の園なり 恵泉大学」

「池之端 桜吹雪の 花筵 鯉の背びれが 筵持ち上ぐ」

「野球場 聞き慣れたる 笛太鼓 大学野球の 応援風景」

「半世紀 変わらず残る 風景に 青春時代へ タイムスリップ」 

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2017年4月12日 (水)

2017年04月11日

2017年04月11日

 

 朝起きた時には、まだ雨は降っていなかったのですが、今にも泣き出しそうな空でした。予報通り、朝の9時過ぎ頃から、雨が降り出しました。

 今日は、一日雨だとの予報でしたので、家から出る事なく、午前中は、何時ものように日記とか午前中の仕事をして過ごしました。時間に余裕があったので、金祝関連のメール、職場の仲間との会合の打ち合わせ、梶田ノーベル賞受賞者の講演の受講申し込み、胃癌手術後1年目の内視鏡検査の予約と、懸案であったものを一通り片付けました。

 内視鏡検査は、5月中半にすることになりました。昨年、内視鏡検査をしたのも、5月の中半でした。若し、今度の検査で、新たに癌が見つかったら、どうするか決めかねています。今から悩んでも仕方が無いので、検査の結果を待つ事にしました。昨年行った、癌の手術の結果は、予想以上の好結果となり、この1年は、余生を大切に生きる事を学び、花鳥風月と共に、楽しく生きる事が出来ました。しかし、このような生き方を、何時まで続けられるか、それは、良く分りません。以前にも書きましたが、私は、尊厳死協会の趣旨に共感を持ち、尊厳死協会に入っています。現在の尊厳死協会の影響としては、延命治療拒否に賛同してくれる医師が増えている程度です。これが、もう少し考えを拡大し、一旦体が不自由になった場合、患者が尊厳死を医師に手伝って貰えるようになれば良いと思っています。私個人としては、体が不自由になる前に、人間としての尊厳を保ったままで、この世と分かれる事が出来れば良いと考えています。まだ、一般的に認められるのは、難しい事だとは思っています。

午後は、やはり予定の無かった次男と、録画しておいた映画を見て、夜は、酒を飲みながら、プロ野球の巨人―広島戦を見て過ごしました。

 今日見た映画は、「64(ロクヨン)」と言う題で、昨年制作されたものでした。テーマは警察組織の組織防衛を内部告発するものでした(違うかも知れません)。豪華俳優による4時間にわたる大作でしたが、物語の展開がしっくり来ず、登場する意義が明確では無い人物が多く、心の葛藤の表現が私の感覚に合わず、告発者が何故組織を内部告発に至るか肝心な部分も明瞭ではありませんでした。年を取ると、作られた物語、所謂フィクションに対して、感動出来なくなってしまいました。次男も似たような感じを持ったようです。次男も歳を取って来たのですかね。

 夜の巨人―広島戦は、点を取ったり取られたり、後半の展開が非常に面白く、こちらは、良い酒の肴になりました。その後、ニュースを見て、寝る前にベランダに出てみると、雨はすっかり上がり、空には十五夜の月が、中秋の名月のように煌々と輝いていました。

 ところで、昨日、幼稚園に行って分った事ですが、幼稚園への入園者が、かなり減少しているとの事でした。4年保育を始めたのも、園児の数が足りないからだそうです。これは、単なる人口減少だけでは無い様でした。ニュータウンを中心とする、現代の街作りとも大きく関係しているようでした。家族が、世代を越えて同じ所に住み続けないのです。新しい世代は、その時代に作られる、新しい街で生活を始めます。この結果、東京のニュータウン以降の新しい街は、ほとんどが1代限りなのです。この結果、その1代の世帯が生む子供の数と時期は決まっており、当然、時間が経てば子供の数は、減ってしまうのです。この傾向は、既に私が、家族を持った時には始まっており、現在は、更に加速して、地方の若者をも大都市が吸収して、地方都市の過疎化が急速に進んでしまいました。民間任せの地方再生等と小手先の対策が講じられていますが、もっと抜本的な対策が必要な時期に来ていると思います。

 

「寝る前に 今日の無聊を 慰める 仄かに夜桜 十五夜の月」

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2017年4月11日 (火)

2017年04月10日

2017年04月10日

 

 今朝は、良い天気でしたが、西の空には雲があり、霞も強く、富士が見えたのは、ほんの少しの間でした。それでも、富士を見たのは、久し振りの事でした。

 風の道の桜並木も満開となりました。右を見ても左を見ても、桜桜の季節になりました。向ヶ丘の七生丘陵にも、点々と桜が咲いているのが見えました。その向ヶ丘の稜線の、櫛の歯のようだった冬木立が、一斉に芽吹き始め、櫛の隙間が、ほぼ埋まってきました。

 今日は、今年4歳になる、娘の末の孫の入園式に参加するため、南大沢の幼稚園まで行って来ました。

 7時半に家を出て、一宮に出ました。川崎街道を渡ったとこに、一宮のバス停があります。私が、信号を待っていると、南大沢駅行きのバスが、バス停に着きました。「少し待ってくれー」と心の中で叫びましたが、聞こえる筈も無く、バスは、発車しました。バスの発車を待っていたかのように、信号が変わりました。南大沢行きのバスは、20分に1本しか出ませんので、次の次のバス停である和田まで、野猿街道の桜を見ながら歩きました。此処の桜も、今が満開でした。

 バス停の和田付近は、竹林や雑木林に囲まれた旧家があったのですが、今は、土地開発業者の手で、宅地になっていました。旧家も代替わりし、親の遺産が、負の遺産にならないように、処分したのかも知れません。多摩地方では、空き家は、どんどん増えているのに、緑地は減り続け、安普請の新築家屋が増えています。住宅政策に関しては、もう少し将来を見据えた政策が必要だろと思います。

 次のバスで、南大沢駅に9時10分前に着きました。そこで、娘の亭主

K君)と落合って、幼稚園まで歩きました。この辺りの団地や住宅は、良く

整備されていて、公園が連なっている感じでした。私が嫌いな電信柱が無く、

見た感じが、すっきりとしていました。日本の全てが、このような風景になっ

て欲しいと思います。

 9時20分頃に、幼稚園に着くと、既に、多くの園児と父兄が来ていまし

た。娘と末の孫もいました。この幼稚園の名前は、「麻生南多摩幼稚園」でし

た。今騒がれている、関西の幼稚園を思い出しました。9時半開門となり、組

毎に教室に入り、入園式の説明を受け、その後入園式会場に移りました。親と

離れるのが、初めてという児が多く、大泣きする子が、かなりいました。特に

今年から始まったという、4年保育の2歳の子は、半分くらいが泣いていまし

た。それでも、先生達は、親元に帰す事無く、必死に宥めながら、入園式を進

めました。明日からは、一人でバスに乗って来なければならないのですから、

確かに、妥協は出来ないと思いました。

 末の孫も泣くのかなと思っていたのですが、笑顔で入園式を終えました。明日のバスの時泣かなければ、もう大丈夫でしょう。この子は、寂しがって泣く子では無く、悔しがって泣く子です。幼稚園には、自分がどうしても敵わない、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいませんから、恐らく泣く事は無いでしょう。

入園式が終わって、末の孫を、自転車の後部座席に乗せ、南大沢駅まで行き、個室形式の店で昼食にしました。末の孫は、正直ほっとしたのか、はしゃいで食事も良く食べました。面白かったのは、末の孫が、トイレに行った後、私がトイレに行くと言うと、案内してくれました。トイレは、店の端の方にあり、かなり遠かったのですが、良く覚えていて、しっかりと案内してくれました。私が、トイレから出るとドアの外で待ってくれていて、ちゃんと部屋まで案内してくれました。似たような部屋なので、大人でも間違いそうなのですが、実に正確に覚えていました。感心しました。将来が楽しみな子です。

食事の後、駅の直ぐ近くにある、首都大学東京の外周の桜並木を見学しました。去年は、孫娘の入学式の後、矢張り此処で花見をしました。今が丁度満開で、見頃でした。時間もたっぷり合ったので、また末の孫を自転車の後部座席に乗せ、首都大学東京のキャンパスを見学しました。所が、入って5分もしない内に、反対側の門に出てしまいました。キャンパス案内を見ると、一番狭いところを歩いたようです。もう一度入り直して、横長のメインストリートを歩きました。末の孫は、自転車の上で、「良くそんな格好で眠れるな」と大人では絶対に出来ない格好で、熟睡していました。

キャンパスは、多摩丘陵の丘に沿って作られており、想像以上の広さでした。森あり、池ありの素晴らしい大学でした。並木の公孫樹が芽吹き始め、学内でも花見が出来ました。よく知らなかったのですが、首都大学東京は、以前、東京都が経営していた4大学を統合した物だそうです。南大沢には、何度も来ているのに、初めてのキャンパス訪問でした。キャンパス訪問を終えて、娘家族とは、何時も使うバス停で別れ、4時には家に着きました。

キャンパス訪問中に、薄雲がかかり、太陽がベールに覆われたようになりました。日没時には、このベールが普段よりも赤い、茜色に染まり、なんと、我が家の斜め前の桜を、濃い桜色に変えました。一瞬の事でしたが、素晴らしい色の桜を見ました。

 

「何処もかも 桜桜の 南多摩 学始める 孫を祝うや」

「末の孫 今から始まる 親離れ 真の巣立ちへ 学は続く」

「満開の 桜が迎える 幼稚園 学の人生 スタート地点」

「首都大の キャンパス巡り 昼寝時 孫には遠き 学びの終点」

「我が孫の 立ち居振る舞い 誰よりも 立派に見える 爺の贔屓目」  

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2017年4月 9日 (日)

2017年04月09日

2017年04月09日

 

 今日も雨の朝になりました。花落としの雨という言葉は無いのでしょうか、若し無いとしたら、今日命名しました。実は、ベランダの直ぐ横にも、桜が咲いています。2,3日前に満開だったのですが、今日の雨で随分花を落としました。

 このところ、毎日のように、ベランダに雀が遊びに来ます。巣を作れる場所があるのか、探しているような気がしました。7年くらい前に、1度餌付けをしたのですが、ムクドリ、ヒヨドリ、カラスまでもやって来るようになり、雀に餌が回らなくなり、止める事にしました。色々苦難も多いでしょうが、自分の力で生きていくのが、野生の生き物だと思い直しました。

 昨晩、次男と酒を飲みながら、池上彰の共謀罪に関するニュース解説を聞きました。概要を把握するために、ウィキペディアより概要を引用すると次の通りです

組織的な犯罪の共謀罪(そしきてきなはんざいのきょうぼうざい)は、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(以下「本法」)案6条の2所定の、一定の重大な犯罪の共謀を構成要件とする犯罪をいう。

日本の刑法は、未遂罪は「犯罪の実行に着手」することを構成要件としており(同法43条本文)、共同正犯共謀共同正犯)も「犯罪を実行」することを構成要件としているために、組織的かつ重大な犯罪が計画段階で発覚しても、内乱陰謀(同法78条)などの個別の構成要件に該当しない限り処罰することができず、したがって強制捜査をすることもできない。しかし、2000(平成12)年11月に国際連合総会で採択された国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約、パレルモ条約)が、重大な犯罪の共謀、資金洗浄(マネー・ロンダリング)、司法妨害などを犯罪とすることを締約国に義務づけたため、同条約の義務を履行しこれを締結するための法整備の一環として、本法を改正して組織的な犯罪の共謀罪を創設する提案がなされた(日本国政府の説明による)。

 非常に難しい説明ですが、要は、犯罪の実施では無く、計画段階から犯罪として取り締まる事が出来るという事です。最近国際化している、テロ組織、組織暴力団の活動を未然に防ごうとする目的のために、現在立法化しようとしています。池上氏に依れば、国連の要望もあるので、主要国は全て立法が済んでおり、立法化がされていないのは、日本だけだそうです。何故、立法化が遅れているかというと、国民の中に戦前の治安維持法の悪夢が、残っているからではないかと言っていました。

  私は、戦前を体験した訳ではありませんが、左翼思想の本を持っているだけで、治安維持法を適用を受け、拘束されて凄まじい拷問を受けたと聞いています。権力者は、権力を守るためには、法律、習慣、伝統等、利用できる物は何でも利用して、権力の保持を試みるものです。現在、漸く弱者である国民の権利が、権力者に犯されない時代になってきました。この状態を壊さないで欲しいと思います。国際社会が力を合わせて、テロや組織暴力の根絶を計ろうとしていて、日本としても国際社会との関係で、立法化せざるを得ない場合は、政府による冤罪を防ぐため、厳格な歯止めを設けて欲しいと思います。

 

 今日は、雨が降って何処にも出かけなかったので、変な日記になってしまいました。

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2017年04月08日

2017年04月08日

 

 昨夜は、月も星も見えていたのに、今朝は雨が降っていました。雨は、直ぐに止みましたが、一日中曇っていました。

 我が家の目の前の桜は、すっかり葉桜になってしまいましたが、斜め前の桜と四谷桜公園の桜は、満開になりました。日野の水再生センターの前の桜並木も、今が満開です。ところが、府中風の道の桜並木は、まだ5分咲きといったところです。まだ暫くは、桜が楽しめそうです。

 5日、山に登った後、太股が痛くて歩くのが大変でしたが、漸く痛みが取れました。登った当日は、今回の山登りは、比較的楽だったと思っていたのですが、日頃鍛えていない太股の筋肉にとっては、ハードだったようです。しかし、痛くなったと言う事は、その部分の筋肉を使ったわけですから、良いトレーニングになったと思います。

 今日は、霞が強く、しかも曇り空だったので、花見には不向きな日でした。桜の花見時は、こうした日が多いのは、神様の悪戯でしょうか。しかし、雨は降らないようでしたので、立川の根川公園から残堀川まで歩いて来ました。今日の散歩には、水を入れたブランデーグラスを持って行きました。グラスの中の春を撮ってみたかったのです。

 昼食を食べて1時頃家を出ました。先ずは桜が満開となった、四谷桜公園で、軽く準備運動をし、先ず1枚グラスの中の桜の写真を撮りました。ところが、グラスの位置が低く、イメージしたような写真が撮れませんでした。これから、グラスを置く場所があるか不安になりました。

 土手に出て、上流に向かって歩くと、対岸に桜の薄桃色の帯が出来ていました。日野市の水再生センターの前の桜並木でした。幸いな事に、土手には、ほぼ100メートル置きに、上が平らになった道路用のコーンが置いてあり、丁度良い高さだったので、良い具合にグラスの写真が撮れました。しかし、桜からは遠く、グラスの中に、桜を閉じ込めた感じにはなりませんでした。

 石田大橋を越えたところで、バンが3羽泳いでいました。恐らく、これが冬の渡り鳥の見納めになると思います。来年も当然のように、渡り鳥を見る事が出来るとは、言えない歳になりました。そうした思いが、生きとし生ける物に愛着を覚えるようになりました。

 立川陸上競技場の横から、桜並木が始まりました。根川の両岸の桜並木が、根川を埋めるように、満開の花を咲かせていました。根川の左岸には、切れ目無く花見の宴が行われていました。川の手すりの杭が、格好のグラス置き場となり、普通の写真と、グラスの写真をペアで何枚も撮りました。グラスの写真を撮っている私を、花見の人達が不思議そうに見ていました。

 競技場から根川公園に入ると、カワセミの来る池があります。その辺りも、桜が満開でした。今日も3人のカメラマンがいましたが、あまりの混雑に、カワセミの写真を撮るのは諦めたようでした。代わりに、少年カメラマンに、撮影の手ほどきをしていました。

 桜並木が始まった競技場から、根川公園、そして残堀川の滝口まで、約2キロ強、桜並木が続きました。残堀川の桜も見事なのですが、花見の宴を開く所が無いため、競技場の横や根川公園ほどの混雑ではありませんでした。残堀川の滝口から、根川公園まで折り返し、ゲップがでるほど桜を見ました。

 5時過ぎに家に帰り、グラスの写真をパソコンで大きくしてみましたが、期待したような出来とは言えませんでした。グラスに閉じ込められた景色は、面白い事は面白いのですが、感激できないのです。矢張り桜は、普通の写真の方が良いようです。

 

「直ぐに初夏 暑さの中の 北帰行 心配なりし 鷭等の長旅」

「川岸に 花見の宴の 切れ目無し 頭上も桜 川面も桜」

「お花見に ブランデーグラス 持ち歩く 変な爺さん 何する人ぞ」

「桜木の グラスの中に 逆立ちし 風変わりなる 桜の舞いかな」

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2017年4月 8日 (土)

2017年04月07日

2017年04月07日

 

 朝は、愚図ついた天気でしたが、午後は、快晴に変わりました。風が強く、雲の動きも速かったのでしょう。

 今日は、夕方5時から、日本―エクアドル修好100周年実行委員会の発会式とチャリティーコンサートが赤坂区民センターで行われる事になっていました。私は職場の関係で、エクアドルとは関係が深いので、参加する事にしました。

 折角だから、都心の桜の名所の花見をしようかと思っていたのですが、午前中の仕事に手間取って、3時頃に家を出る事になってしまいました。それでも、4時半には四谷に着いたので、真田堀から、食い違い見附、紀尾井坂、清水谷公園、弁慶橋、豊川稲荷と花見をしながら歩いて、会場に着きました。豊川稲荷の前に赤坂区民センターがありました。真田堀の桜が、春の日差しを浴びて輝いていました。堀の上の土手では、多くの花見の宴が行われていました。自分の青春時代を見るようでした。

 会場では、何人か、とても懐かしい人に出会いました。メキシコで一緒に働き、その後国会議員となり最近まで国会議員だった人、エクアドルで手広く商売をやり現在は日本に帰国した人、現在もエクアドルにいて時々日本に来る人でした。他に、企業、商社、政府関連機関等多数来ていましたが、皆代替わりして若い人が多く、知らない人ばかりでした。どうしたわけか、駐日エクアドル大使の横に座らされ、日本語でさえ忘れかけているのに、日頃使わないスペイン語で挨拶するだけでも大変でした。発会式が始まると、話さなくても良くなったので、助かりました。

 発会式は、主要な人の挨拶で終わり、チャリティーコンサートに移りました。コンサートは、ここ何年かの間に、エクアドルで公演した事のある、尺八、三味線、和太鼓の演奏会でした。若者達が、日本の古典芸能を生かしつつも、外国人にも共感して貰えるように、工夫を凝らしていました。リズム感、リズム感を元にした躍動感は、素晴らしいと思いました。戦後流行ったロックを思い出しました。初めて、スマホで動画を撮りましたが、思いの外良く撮れました。

 コンサートが終わって、数少ない知人と酒でも飲みに行こうかと思ったのですが、皆、私が来るとは思っていなかったらしく、先約がありました。残念でしたが、赤い灯りが妖しく誘う、赤坂の灯を後にして、一人我が家に戻りました。空には、お腹の膨れた月と、星が幾つか見えました。

 家では、次男とニュースを見ながら、軽く晩酌をしました。それにしても、アメリカによるシリア攻撃、北朝鮮のミサイル発射など、嫌なニュースばかりでした。シリア攻撃のニュースの中で、シリアの飛行場の中に、旧日本軍が作った物と同じような、掩体壕が見えました。シリア政府軍においては、空爆が主要な戦闘手段なのに、ふんだんに戦闘機を買う事も出来ないし、制空権も持っていないので、掩体壕は不可欠なのかも知れません。しかし、このような状態は、旧日本軍と同じように、戦う手段を無くした事を意味しています。内戦という形をとっていなければ、イラクの時と同じく、戦争は短期間に終了していたでしょう。アメリカのイラク攻撃は、化学兵器の所持とテロの支援が理由でした。今度のシリア攻撃も、化学兵器の使用が、攻撃の表向きの理由でした。しかし、どんな理由を持ち出したところで、国際社会には正義も法も無く、国利国欲に過ぎません。現在のアメリカの大統領は、恥ずかしげも無く、この国利国欲を、政治の目標としています。せめて、自国民に認めている、自由、平等、基本的人権の権利を、世界中の国の国民が持っている事を、頭の片隅に入れて欲しいと思います。

 ところで、旧日本軍の掩体壕は、調布飛行場の隣にある、野川公園側の武蔵野の森公園で見る事が出来ます。

 

「桜咲く 思い出の道 辿り行き 胸に湧き出ず 青春の味」

「憎しみの 連鎖生み出す 殺し合い 千代に八千代に 終わる事無し」

 

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2017年4月 7日 (金)

2017年04月06日

2017年04月06日

 

 今日は、朝から強い南風が吹き、春の嵐でした。早くから楽しませてくれた、我が家の前の桜は、まだ花も残っていますが、かなりの部分が葉桜になりました。昨晩、気温が余り下がらなかったのでしょう、熱くて目が覚めました。夜中でしたが、毛布を掛けないで、タオルケットと布団だけにして寝ました。

 今日は、大学で金祝の準備会合があるので、昨日の山行の紀行文を書き上げるために、朝6時過ぎから作業に取りかかり、途中朝食などで手を休めたこともあり、作業が全部終わったのは、11時半でした。

金祝の準備会合は、午後2時からでしたので、12時15分には、家を出ました。昼食を家で食べる時間が無かったので、聖蹟桜ヶ丘のパン屋で、簡単な昼食にしました。最近は、パン屋で食事をする人が多い用です。今日も、30席の半分以上が、埋まっていました。

食事を済ませて、駅へ行くと、人身事故のため、京王線のダイヤが乱れていました。特急や準特急は、運行を停止していました。これでは、時間通りに会議に出られないのは確実だったので、取り敢えず委員長にその旨を連絡し、各駅停車で、新宿に向かいました。特急や準特急ならば、30分で着くところを、1時間10分掛ってしまいました。結局会議には、30分遅れで参加しました。今回は、私の出番は無く、迷惑を掛けないで済みました。全体的な作業の確認が終わったと、作業グループ毎の打ち合わせになったので、その時点で、会議から退席しました。

実は、後輩数名が、上野公園で花見をしているとの電話がありましたので、花見の方に行くことにしました。会議より花見です。

上野に行く電車の中で、ずーっと独り言を言い、時折大声で叫び出す、小母さんがいました。完全に精神が、壊れているようでした。どの様な精神状態を正常な精神というのか、曖昧な部分がありますが、現在は、正常な精神を保つのが、難しい時代なのかも知れません。

上野に着いて不忍口に出ると、曇って風も強い週日なのに、身動き出来ないくらいの混雑でした。良く晴れた日曜日だったら、一体どれほどの混雑になるのか、想像も出来ないくらいでした。例によって、かなりの数の外国人が来ていました。西郷さんの銅像の所に、後輩の一人が迎えに来てくれて、花見に合流しました。桜の木の下ではなく、桜を横に見る、楠の木の下でした。少し、混雑から離れて、ゆっくりと酒が飲めました。先に始めていた後輩の一人は、既に酔っていて、彼の独壇場でした。何時ものことですが、、、。彼は、自分中心でないと気が済まず、命令口調で話す、ちょっと癖のある人間なのですが、何故か私には良くしてくれます。今日も私が参加した事を、本当に喜んでくれました。取留めも無い話しをしている内に、やがて提灯に灯りが点り、夜桜見物となりました。しかし、風も強く、宵闇が迫ってきましたので、花見の宴を終わりにしました。

ところで、良く考えて見ると、上野公園の桜の花を見たことはあっても、花見の宴に参加したのは、初めてのことだと思います。働くようになってから、海外に出るまでの5年間、花見の宴は毎年、靖国神社でした。一緒に働いていた会社が、靖国神社の近くに事務所を持っていたので、何時も席取りをお願いしていたのです。その連中と、今は鎌倉で、毎年花見の宴をやっています。昔は、そんな事が許されたのですね、、、。

花見の宴で名前の出た、別の後輩がやっているカラオケバーに行ってみる事にしました。1年に1度、別の仲間と忘年会をやる店なのですが、一人で行ったのは、初めてでした。カラオケに来ていた、他の客が帰った後、ママさんや、忙しい時だけ店の手伝いに来ているフィリピン人の女性の、小説になりそうな人生模様を聞かせて貰いました。

後輩の店を、10時半頃に出て、我が家には、日付が変わる少し前に着きました。京王線は、すっかり正常に戻っていました。朝から、忙しくも面白く味わい深い、1日となりました。

 

「後輩と 上野の山で 花見かな 語り継がれる 花見の聖地」

「花見の宴 我の参加を 歓迎す 後輩達の 気持ちの嬉し」

「後輩が もてなすバーの カウンター 思い出摘まみに 水割りウィスキー」

「バーのママ ふと思い出の 口に出る 胸に秘めたる 人生模様」 

「誰も皆 人それぞれに 積み上げた 巌を飾る 人生の苔」

 

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2017年4月 6日 (木)

2017年04月05日

2017年04月05日

 

 今日は、春本番の素晴らしい天気に恵まれて、山の仲間と生藤山という山に登ってきました。これまで知らない山でしたが、360度山また山の、素晴らしいところでした。何時ものように、75調の紀行文を書きましたので、今日の1日を推測して下さい。

 

生藤山紀行

 

「生藤山 目指す仲間は エイトメン 皆元気に 上野原駅」

「高校の 入学式の 上野原 バス待つ人で 長蛇の列かな」

「日焼けした 爺さん見事な バス捌き 長蛇の列も 短くなりき」

「我々が 目指しているは 生藤山 何故か乗り込む 井戸行きのバス」

「春の日の 長閑に照らす 里山に 梅も桜も 共に咲くなり」

「春爛漫 善男善女の 功徳かな 申し分なき 山行日和」

「鶯の 歓迎の声 聞こえ来る 春の里山 前に青山」

「けたたまし 小鳥の囀り 恋の歌 目指す相手の 心動くや」

「里山を 超えて入るは 杉林 薄き空色 霞棚引く」

「杉林 木を切り出す 人のあり 山が生業 里山の人」

「杉林 超えて明るい 尾根の道 前後左右 三国の山」

「正面に 相模の国の 山の王 富士の白嶺と 丹沢山塊」

「あの山は 陣馬山では あるまいか 慣れ親しんだ 武蔵の山々」

「春霞 山の青さが 変わり行く 青山連なる 甲斐の山々」

「空近き 三国峠の 尾根そばに 神話の世界 甘草水かな」

「甘草水 千代に八千代に 涸れもせず 水の滴る 清き音する」

「尾根の道 北の斜面に 残り雪 山の桜の 蕾の堅し」

「汗ばむも 左程疲れも せぬままに 三国山の 山頂に立つ」

「三国の 山の眺望 楽しみて 今日の昼餉は この山頂で」

「人は来ぬ 荷物を置きて 身は軽く 昼飯前の 生藤山行」

「坂道を 爺さん一人 降りてくる 余程の山好き 単独山行」

「今日の日の 目的の山 制覇して 霞の富士に 挨拶するなり」

「昼餉の地 三国山への 戻り道 ワイワイガヤガヤ 佐久の二十人」

「昼餉の地 ベンチは全部 占拠され 場所を移して 楽しき昼餉」

「昼餉済み 下山の前の 我々に 別れを惜しむ ヒオドシ蝶かな」

「下山して 軍刀利神社 奥の院 天をも貫く 大桂かな」

「大桂 パワー分けてと 願い込め 桂背にして 記念撮影」

「珍しや 屋根付き社 おわします 軍刀利神社 本宮なりし」

「バス停の 近くに農家の 直売所 ビールの直売 無きが悔しき」

「直売所 我等が仲間の 店となり 仲間が育てた アシタバ分ける」

「バスの来て 早くも心 打ち上げ会 上野原駅 飲む場所皆無」

「酒好きの 仲間が勧める 高尾駅 蕎麦屋で一献 今日の打ち上げ」

「升酒に 若き乙女は 注ぎ上手 コップも枡も 並々の酒」

「うら若き 笑顔可愛い 注ぎ上手 皆で乙女に 拍手喝采」

「旨き酒 乙女に注いで 貰おうと 皆で争い お替り合戦」 

「常日頃 酒は苦手の リーダーも 今宵は特別 枡を離さず」

「良き酒と 良き注ぎ手と 良き仲間 笑い転げて 時は過ぎゆく」

「酔い痴れて 頭朦朧 爺達 会計お任せ 仲間の守り神」

 

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2017年4月 5日 (水)

2017年04月04日

2017年04月04日

 

 今日も、良い天気でしたが、富士は見えませんでした。一気に気温が 上がったようで、霞も一段と強くなりました。

 4月4日は、5月5日の男の子の節句と、3月3日女の子の節句の間なので、お釜の節句などと言っていました。重陽では無く重陰ですから、節句とは言わないのかも知れません。

 明後日から、学校が始まるというのに、孫達は大人に付き合って夜更かしをしたので、起きたのは10時過ぎでした。ちゃんと朝早く起きることが出来るのか、少々心配です。娘は、昨夜かなり酔っていましたが、早く起きたらしく、9時頃には、昨夜の食器類は綺麗に片付いていました。11時頃から、朝食にしました。ご飯に味噌汁、焼きウィンナー、魚のフライと鰺の干物を焼いたもので、我が家の朝食は、毎回同じようなものでしたが、孫達は、美味しそうに食べてくれました。子供というのは、お腹が空けば、何でも美味しく食べられると思います。

 孫達は、12時半には帰り、私は、1時頃から、花見が出来るのを期待して、桜ヶ丘公園を、歩いて来ました。

 桜ヶ丘公園の入口の桜が、ほぼ満開でしたので、大いに期待したのですが、公園の中で、一番桜が多い丘の上広場の桜は、まだ3分咲きから5分咲き程度でした。多摩地方は、何処も桜の開花が遅れていました。

 丘の上広場から、一旦入口の方に戻り、キツツキの丘の方へ降りていくと、道脇に白い花が沢山咲いていました。春、何度も桜ヶ丘公園に来ているのに、初めてこの花に気がつきました。白花イヌフグリに違いないと思いました。帰って調べてみると、間違いなく白花イヌフグリでした。今までも、咲いていたのでしょうに、私は一体何処を見ていたのか、情けなくなりました。しかし、遅まきながら気がついたので、今日は、自分を褒めてあげました。

 キツツキの丘に入ると、これまで寒々としていた冬木立の森が、ほんのりと赤みを帯びていました。芽吹いたばかりの葉や、芽吹く前の膨らみは、赤みが混じっているのです。これを春紅葉と言うのかも知れません。ちょっとした谷間に、桜が、背が異常に高い高く、一列に整列したメタセコイア冬木立をバックに、花を咲かせていました。この時期の公園ならではの風景でした。

 メタセコイアの後ろを通って、まだ芽吹き前の銀杏の林に出ると、直ぐ近くで鶯の声が聞こえました。ちらっとですが、鶯の姿を見ました。しかし、カメラを向けた時には姿を隠し、その後は、姿を見ることは出来ませんでした。

 更に歩くと、梅園に出ました。既に花は散り果て、芽吹きが始まっていました。良く見ると、芽吹きの横に、小豆大の可愛い梅の実が付いていました。気によっては、この小さな実が鈴生りになっていました。一つの季節が、終わりました。春告げ花として、晩冬に花を咲かせた梅が、実を実らせる春の盛りになったのです。実は、これまで、この小さな梅の実には、無関心だったのです。今日は、今までに無い感動を覚えました。

 今日は、色々な木の芽吹きを見ました。ケヤキ、ハンノキ、クヌギ、ホオノキ、ヤマザクラ、ニワトコ、カツラ、イヌシデ、カエデ、キブシ、クロモジ等々でした。ニワトコやキブシのように、芽吹きと花が一緒の木もありました。ハンノキは、芽吹きなのか花なのか、区別が付かないような、紫色をしていました。

 桜ヶ丘公園を、ほぼ一周して、大谷戸公園の近くの梅園に着きました。そこに、2本だけ花を付けた木がありました。この木が、梅なのか桜なのか、梨なのか、さっぱり分りませんでした。大谷戸公園から、入口の方に登る林の下を、諸葛菜の紫の花が埋めていました。どこもかしこも春でした。気温も上がり、4日前のあの寒さからは、信じられないような暖かさになりました。

 

「イヌフグリ 青花ばかりと 思うたに 白花あるを 今に知るなり」

「冬木立 今はほんのり 赤み帯び 新緑前の 春紅葉かな」

「梅園の 花は何時しか 散り果てて 芽吹きと共に 小さな梅の実」

「冬の森 花簪の キブシかな 今一時の 春の使者なり」

「芽吹き前 林の中に 日の届き 木立の下に 紫絨毯」

「天をつく メタセコイアの 冬木立 眼下の桜 愛でているなり」

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2017年4月 4日 (火)

2017年04月03日

2017年04月03日

 

 天気が良いと言って良いのか悪いのか、迷うような天気でした。丹沢や富士が見えない日が続いています。

 今日、日記を書いている時、娘から電話があり、孫達の春休みが終わる前に、一緒に花見をかねて、遊びに行きたいと電話がありました。今日は、ほぼ一日孫達に付き合いました。

 12時近くに、孫達がやって来て、次男も一緒に、娘の車で府中の森公園に向かいました。途中で昼食用のお弁当を買って、府中の森公園に、12時半頃に着来ました。都心では、桜が満開になったそうですが、多摩の方の桜は、都心より随分遅れていて、府中の森公園の桜は、まだ2分咲き程度でした。孫達は、桜の咲き方に関係なく、公園に備え付けられた、沢山の遊具で、すぐさま遊び始めました。上の孫が10歳、孫娘が7歳、末の孫が3歳ですので、上の孫にとっては、遊具は物足りず、自分なりに遊び方を難しくして、遊んでいました。末の孫は、一人では遊具で遊べず、娘や上の孫の助けを借りて、遊んでいました。孫娘にとっては、遊具が一番合っていて、次々に挑戦していました。三人それぞれ楽しんでいました。私は、特にやることが無かったので、写真係になり、あちこちに動き回る孫達を追いかけて、結構な運動になりました。

 一段落したところで昼食を食べ、更に一遊びをして、その後、遊具を離れて公園を一回りしました。木に登ったり、銅像のまねをしたり、この頃の子供は、何でも遊びの道具にすることが出来ます。その内に、末の孫がソフトクリームを食べたいと言い始めたので、おやつの時間にしました。走り回って熱くなったようでしたので、最初は良かったのですが、ソフトクリームを食べ終わる頃には、3人とも震えが出ていました。隣で花見の宴を開いていた、私よりは、10歳は上だと思われる、男ばかりの老人のグループが、そろそろお開きにするらしく、残った酒の摘まみやお菓子を、私達に分けてくれました。孫達が、とても可愛く見えたようです。

 おやつが終わったところで、場所を移すことになりました。府中の森公園も桜の名所ですが、もう一つの桜の名所である府中桜通りを回って、交通公園に行きました。桜通りの桜は、5分咲き程度でした。末の孫は、寝てしまったので、娘を車に残し、次男と私が、上の孫と孫娘に付き合うことにしました。先ずは、ゴーカートに乗ることにしました。4年生から一人でゴーカートに乗ることが出来ます。上の孫がその年になり、一人でゴーカートに挑戦することになりました。生まれて初めての挑戦でした。娘もいないし、非常に心配したのですが、挑戦する気が満々でしたので、一人で乗せてみました。係員も初めてだと言うことが分ったので、細かく注意をしていました。しかし、走り出すと、何の問題も無いハンドル捌きでした。ゴーカートにITコントロールが付いているようでした。ゴーカートの練習など出来るはずも無く、私の方が唖然となりました。上の孫は、結構慎重派なのに、どうして運転できると思ったのでしょうか、それにしても成長したものです。私も安心して、孫娘とゴーカートに乗り、後を追いかけました。ゴーカートが終わると、足漕ぎカートに乗ったり、展示してあるバスや電車等で遊んだりしました。

 その内に、末の孫も起きてきて、娘とゴーカートに乗り、兄さん達がやった遊びを、一通りやりました。そろそろ終わりにしようかと思っていた時に、雨が降り始め、孫達も何の文句を言うこと無く、遊びを止めました。交通公園から我が家までは、車だと10分足らずです。5時を回っていましたので、私と次男を送って、娘と孫は帰る予定だったのですが、孫達が、明後日まで春休みなので、泊まっていくことになりました。娘が、酒を飲みたくなったようです。思いがけず、孫達との夕食会になり、その後、大人達は、我が家の前の桜を垣間見た後で、花見の宴をやりました。3人でワイン4本を空けてしまいました。

 

「孫達も ゲームと離れ 外遊び 運動不足を 解消するかな」

「銅像の ポーズを真似る 孫娘 銅像よりも 数倍可愛い」

「森の中 身動ぎもせぬ 上の孫 自作自演の 銅像なりき」

「末の孫 どんな遊びも 初挑戦 人の巣立ちは 時間がかかる」

「孫娘 ブランコならば 名人と 天まで揺らし 自慢顔かな」

「上の孫 初挑戦の ゴーカート エンジンふかし 手を振る余裕」

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2017年4月 3日 (月)

2017年04月02日

2017年04月02日

 

 良く晴れた朝でしたが、地平の辺りは乳白色のベールに覆われ、ベールの中を見ることは出来ませんでした。

 昨日、我が家に帰ったのは、9時近くでしたが、久し振りに月を見ました。まだ生まれて間もない三日月でした。我が家の向きの関係で、夜、ベランダから見ることの出来る月は、かなり限定されます。特に冬は、夜ベランダに出ることはなく、窓越しに見るので、余計に限定されてしまいます。少し損をしたような気分です。

 昨日は、半日、座り込んで飲んでばかりいましたので、今日は、少し頑張って、浅川の右岸を平沼城址公園駅まで歩いてきました。思いがけず、沢山の鳥達と出会いました。

 11時に家を出て、四谷橋を渡り、程久保川から浅川の土手に出ようとしたところ、コゲラ(調べたらコアカゲラ)が、鬼胡桃の木に、丸い穴を掘っていました。穴の中から小気味良いドラミングの音が聞こえてきました。かなり深く掘っているようですから、巣を作っているのだと思います。それが、私の背より少し高い所なのです。手を伸ばせば、届きそうな所なので、非常に危険な気がするのですが、大丈夫なのでしょうか。穴の中で木を突いて、木屑を外に出すという動作を、何度も繰り返していました。このことを、誰かに教えたくて、丁度歩いて来たお嬢さんに、「そこにキツツキの巣があるよ」と教えました。巣を見つけると、お嬢さんの顔が、急に素敵な笑顔に変わりました。私も嬉しくなりました。飛んでいたり、羽を休めていたりではなく、小鳥の必死の生き様を見ると、何時になく感動を覚えました。

 浅川の土手に出ると、鶯の声が聞こえました。鶯の初鳴きは、1週間程前に聞いていましたが、その時より、鳴き方が上手になったような気がしました。私の歩きに会わせて動いているのか、どんなに歩いても、直ぐ横から、鶯の声が聞こえました。しかし、何時ものことながら、「声はすれども姿は見えじ」でした。

 暫く歩くと、青鷺と一緒に白っぽい青鷺と同じくらいの鳥がいました。青鷺の一種のようでもあるし、ゴイサギのような気もするのですが、頭と背中の色が、良く見るゴイサギとは違います。目の周りと羽の縁が黒いだけで、全体に色の付いた部分が少ないのです。若しかすると、青鷺の冬羽かも知れません。私の野鳥図鑑に載っていないので、色々手を尽くして、調べる他ないと思います。

 暫く歩くと、今度は、キビタキかアトリのような、黄色が目立つ鳥が、芽吹きが始まろうとしている木の枝に止まっていました。アトリだとしたら、アトリも冬鳥らしいので、もうすぐいなくなります。今年は、初めてアトリと会って、何度もアトリと会う機会がありました。年によっては、来る数が少ない時もあるようです。来年も沢山来て欲しいと思います。

  新井橋の下を潜り、更に「ふれあい橋」の下を潜って、高幡不動を横目に見て、更に橋をもう一つ潜ると、なんと4番のヒドリガモが泳いでいました。浅川で、ヒドリガモを見たのは、初めてでした。恐らく北へ帰る前に、立ち寄ったのだろうと思います。鴨達は、北へ帰る前にペアリングが終わると言われていますが、まさにその通りで、この時期の鴨達は、ペアで行動しているようです。

 南平を超えた辺りで、チゴモズに出会いました。目の周りが真っ黒で、白い線が無いので、間違いないと思います。通常のモズより、少し小柄でした。何度か出会っていると思うのですが、チゴモズだと意識してみたのは、初めてではないかと思います。

 この他にも、常連の鳥は、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ハト、カラス、カルガモ、ダイサギ、アオサギ、コサギ、カワウと勢揃いでした。常連とは言えませんが、冬場は常連のような、ツグミやコガモもいました。一年の中でも、こんなに沢山の鳥達に会えるのは、珍しいことです。

 

「春の日に 芽吹き始まる 鬼胡桃 幹にキツツキ 巣作りドラム」

「巣作りに 精を出してる コアカゲラ 穴から顔出す 子供が見たい」

「巣作りを 初めて目にした 喜びを 若き乙女と 分かち合うなり」

「我が歩き 先取りするや 鶯の 鳴き声常に 我の横から」

「葦の原 仙人もどき 白き鳥 青鷺纏う 冬の装い?」

「長旅の 覚悟は出来たか ヒドリガモ 連れ合い揃って 北の大地へ」

「色の濃き サングラスにて 目を覆う ギャングを気取る 可愛いチゴモズ」

「多摩川の 河原で生きる 鳥達と 触れ合い散歩 老いの楽しみ」 

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2017年4月 2日 (日)

2017年04月01日

2017年04月01日

 

 朝から雨の、4月の幕開けとなりました。電線に雫が連なり、目の前の桜も寒そうでした。

 今日は、鎌倉に昔の職場の友人が集まり、年に一度の花見の宴を開くことになっていました。昨日の夜の内に、あらかた書いていた日記を、大急ぎで仕上げ、9時10分には、家を出ました。それにしても、何という寒さでしょうか、真冬の支度をして、出かけました。今日花見をすると決めた奴を、恨みに思いました。南部線谷保駅を9時48分に出て、武蔵小杉で横須賀線に乗り換え、11時半近くに、鎌倉に着きました。パソコンで調べた通りに着きました。コンピュータが無い生活が考えられない時代になりました。寒い雨の日だというのに、鎌倉駅は大混雑でした。その半分は、外国人でした。

 鎌倉駅の西口には、バスの乗り場が無く、タクシー乗り場に行こうとしたら、今日の花見の主催者である、昔の上司が迎えに来てくれていました。タクシー乗り場には、今日の花見の参加者が7,8人並んでいました。この内、私を含めて4人が、上司の車に乗り、残りはタクシーで、上司の家に向かいました。上司の家が花見の宴の場所なのです。毎年、同じです。

 もう一組の到着を待って、12時過ぎから、宴会が始まりました。寒いし、雨は降るし、桜は咲いていないし、最悪の花見となりました。しかし、宴会は何時も以上に盛り上がりました。参加者が持ち寄った酒は、獺祭、雁木、出羽桜と普段飲めないような上等の酒に、焼酎のワイン割りという危なっかしい酒、そしてキューバのロンと、無茶苦茶な酒の飲み方になりました。

 この花見の会には、何時も、昔の職場の同僚の他に、一緒に仕事をしたコンピュータメーカーの、システムエンジニア、システム保守、営業担当も参加します。私が、職場に入った頃は、官庁や企業の仕事に、コンピュータを使うのが始まったばかりでした。メモリーが僅か40Kのコンピュータでした。そのコンピュータが、ビルの1フロアを占拠していたのです。コンピュータ会社の人も私達も、手探り状態で、必死にコンピュータと格闘しました。システムが思ったように動かず、週に何度も徹夜をしました。今日、集まった人達は、皆、戦友のような人達なのです。当時は、今のように、官庁と企業の付き合いが制限されていませんでした。官民挙げて、「米国に追いつき追い越せ」を錦の御旗にして、頑張りました。当然のことながら、社員旅行も一緒でした。この半世紀、コンピュータの目覚ましい発展も、一緒に見てきました。誰の胸の中にも、コンピュータの夜明けの時代を支えてきたのだという、自負の念があります。尽きること無く話しが続き、夜が迫ってきました。渋々重い腰を上げ、来年を約して、今日の宴をお開きにしました。花見が出来なかったお陰で、中身の濃い宴になりました。

 今日、現役が参加したのは二人だけでした。現役と言っても、かなりの歳です。コンピュータの初期の時代の仲間は、皆年を取りました。今後何度、今日のような、花見の宴が出来るか分りません。残り少ないが故に、貴重なのだと思います。

 

「花の無き 花見の宴は 大酒宴 花は口実 花より仲間」

「往年の 熱き心の 弾け出す 同じ時代を 生きし仲間よ」

「年取れば 苦しきことは 忘れ去り 話しは尽きぬ 楽しき仲間」

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2017年4月 1日 (土)

2017年03月31日

2017年03月31日

 

 今朝は、どんより曇っていました。天気予報に依れば、午後からは、雨になるとのことでした。昨日は、上着を脱いでも汗を掻く程でしたが、今日は、真冬に戻ったような寒さでした。

 ついこの間、年が明けたと思ったのですが、今日で3月も終わりです。毎日のように、ヒヨドリが訪れていた、我が家の前の桜は、早くも満開を過ぎました。東京の桜の開花宣言は、確か10日程前でしたが、まだ2分咲き程度の所が多いらしいです。我が家の前の、「府中風の道」と称する、多摩川沿いの桜並木は、まだ開花したとは言えない状態です。今年の冬は、2月の一番寒い時期は、気温が高く、早春の3月に入っても、3月とは思えない寒い日が結構ありました。桜も面食らったようです。

 昨日、病院の前で、柏の木を見ました。まだ、枯れた葉が沢山付いていました。もうすぐ全部落ちる、その葉が愛おしく感じられました。私は、長崎西高校を卒業しました。長崎西校の校章は、2枚の柏の葉の上に高の字があり、その上に西を表すWがありました。何時の日だったか、校長先生が、柏の葉について話をしてくれました。秋に枯れた柏の葉は、冬の間中木から落ちないそうです。それは、春に立派な新芽が出るように守っているのだそうです。春に元気な新芽が出てくると、古い葉は、全部地面に落ち、今度は木の栄養になるのだそうです。このような葉のことを、譲り葉というのだと校長先生が言っていました。校長は、生命の不思議さと、犠牲の尊さを教えたかったようです。半世紀以上も昔のことが、懐かしく思い出されました。

 今日は、国立のスーパーと近くのスーパーの梯子をして、散歩に替えました。雨が降ってきそうなので、長く歩く気になりませんでした。細々したものを買って、ついでにベランダが寂しいので、ブライダルベールを買って帰りました。3時半頃、家に戻る時は雨が降り始めました。

 家に帰ってから、夜の為に、玉葱のワイン煮を作りました。昨日、府中の八百屋で買った玉葱は、枇杷の実程度の大きさで、10個100円でした。その玉葱を丸ごと、牛肉と一緒にゆっくりと煮込みました。味付けは、ビーフコンソメ、白ワイン、黒砂糖でした。なかなか美味しくできあがりました。

 夜は、変な取り合わせでしたが、玉葱のワイン煮、焼き鳥、かいわれ大根を肴にして、プロ野球の開幕戦を、次男と一緒に見ました。

 

「ベランダの 前の桜は 盛りすぎ 花好きヒヨドリ 足の遠のく」

「北風の 通り道なる 風の道 並木の桜 蕾の堅し」

「半世紀 時は過ぎても 色褪せぬ 思い出の場面 思い出の顔」

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