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2017年3月

2017年3月31日 (金)

2017年03月30日

2017年03月30日

 

 春になりましたねー。良い天気でも、地平の霞が強く、今日も、富士も丹沢も見えませんでした。

 今日は、手術後の検診の為、朝早く出かけなければならないので、目覚ましを6時にセットしておいたのですが、5時半には、起きてしまいました。お陰で、ゆっくり準備が出来、7時10分に家を出て、病院に着いたのは、8時丁度でした。

 機械で再診の受付を済ませ、8時半から採血が始まり、私が採血を終えたのは、8時45分頃でした。手術担当医の診察は、10時40分からでしたが、採血した血液の検査に、1時間はかかるというので、早めに来たのですが、1時間程、早く来過ぎました。病院内に入っているコンビニで、お握りやサンドイッチ、コーヒーを買って朝食にしましたが、食事が終わっても9時になった程度でした。

 病院の府中寄りには、旧鎌倉街道があり、国分尼寺跡があるのを思いだし、病院からどの様に行けば良いのか、探検して見るしました。ところが、漸く出口が分かり、鬱蒼とした国分寺崖線を降りたところで、胸に下げた病院の受信機が「此処は圏外です。直ぐに病院の方に移動して下さい」と警報音が鳴り続けるようになりました。仕方なく、病院の待合室に戻りましたが、まだ9時半でした。スマホを見たり、待合室のテレビを見たりして、時間を過ごしました。待ち時間が非常に長く思われました。やっと診察の時間になりましたが、10分過ぎても、案内がありませんでした。受付に聞いてみると、診察が長引いているとのことでした。結局、更に40分待って、11時20分に、診察室に入りました。

 診察室では、先生が血液検査の結果を見ながら、「問題ありませんね」その一言で終わりでした。6月の終わり、丁度手術から1年目の27日に、血液検査とCT検査をすることになりました。その日までに、隣の癌検診センターで、消化器と大腸の内視鏡検査をしておくように言われました。3時間近く待ったのに、たったの10分で終わりました。

 病院の手続きを全部済ませて、何度も歩いている、武蔵国分寺公園、薬師堂、仁王門、楼門、武蔵国分寺、真姿の池、おたかの道、殿ヶ谷戸庭園を歩きました。

 武蔵国分寺公園は、今風の良く整備された広い公園です。その公園に隣接して、武蔵国分寺薬師堂があります。市の文化財になっています。薬師堂に横から入る鉄の門がありますが、その手前の楠に、コゲラの巣があります。残念ながら、今日、コゲラはいませんでした。何時もは行かない、薬師堂の裏に回ってみました。地蔵や如来等の石像がずらりと並んでいました。その中の幾つかは、頭が壊されていました。廃仏毀釈の影響だろうと思います。

 薬師堂から、隣の神社に行きました。この神社の名前が分りません。一度調べたのですが、忘れてしまいました。多分、八幡神社だと思います。此処の狛犬は、小さいのですが、年を経て、なかなか味わいがあります。神社から仁王門に戻り、楼門を見て、武蔵国分寺に入りました。この寺の境内には、万葉集に詠まれた、花が集められ、名札が付いています。その花とは関係なく、菫、二輪草、木瓜等の花が咲いていました。木瓜の木に、カシラダカと思われる小鳥が、やって来たのですが、写真を撮る前に逃げられてしまいました。

 もう一度、仁王門の方に戻ろうとしたら、本堂と、薬師堂や仁王門の間は、金網で仕切られて、行き来が出来ないようになっていました。同じ武蔵国分寺なのに、どうしてなのでしょう。よせば良いのに、墓の所の金網が破れていたので、一旦墓へ出て、墓の後から、ほんの10mくらいですが、藪漕ぎをして仁王門へ出ました。その様子を、写真を撮っていた老人に見られ、「そんなに無理しなくても、ちょっと回れば、直ぐに来られるでは無いですか」と言われてしまいました。

 その後、おたかの道を通り、真姿の池や本多家の長屋門などを見て、国分寺駅の方へ行きました。駅の近くの「元祖スタ丼」で、昼食にしました。昨年、退院してから4ヶ月後くらいに、この店でミニスタ丼を、必死の思いで食べたのを思い出しました。今日は、スタ丼の並盛りに挑戦してみました。流石に、ほんの少しだけ残してしまいました。

 昼食後、殿ヶ谷戸庭園を訪ねてみました。イカリソウ、イチゲ、フッキソウ、二輪草などの花が咲いていましたが、中でもカタクリの花は、小母さん達の歓声を誘っていました。池の縁には、石蕗の花の跡が、池に、その姿を写していました。近くの石組みの間に、今、顔を出したばかりのゼンマイが、幾つも綺麗な渦巻きを見せていました。着ていた上着を脱いでも汗を掻くような、春の陽気の中で、気持ちの良い散歩が出来ました。

 殿ヶ谷戸庭園を出て、目の前のバス停から、府中駅に出ました。魚屋で、今晩の酒の魚を買い、八百屋で安売りの野菜を買って、我が家に、4時近くに戻りました。夜は、買ってきた酒の肴で、次男と酒を飲みました。

 

 

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2017年3月29日 (水)

2017年03月29日

2017年03月29日

 

 春霞の濃い朝でした。富士も丹沢も霞の彼方でした。ベランダの目の桜では、ヒヨドリが、花と戯れていました。

 今日は、日曜日に買ってきたインクを、プリンターにセットしました。プリンターに版画のように書いてある、インクの取り替え方を読むのに苦労しましたが、なんとか取り替える事が出来ました。試し印刷に、一昨日、大学で会ったクラブの卒業生との写真を印刷してみました。印刷は、良く出来たのですが、本当に孫との記念写真のようでした。髪は、自分では胡麻塩だと思っていたのですが、真っ白でした。黒インクが、良く出ていないのではないかと思いましたが、若者の髪は、黒でした。

 森友学園のニュースは、まだ続いていました。野党としては、通常では、なかなか切り崩すことの出来ない安倍政権に、楔を打ち込むチャンスだと思っているのでしょうから、追及の手を緩めないのでしょう。確かに、野党の質問に対する自民党の回答は、詭弁を弄している感が否めません。こうした回答振りが、国民の自民党支持を落とせば良いのですが、なかなか思うように事は運ばず、返って野党の支持を落とすような傾向さえ見えます。野党は、明らかに自民党が失態を犯しても、支持率を下げないのは何故か、質問の仕方も含めて、もう一度研究し直す必要があると思います。

 午後、テレビ朝日で、「森友学園に関して、自民党議員と民進党議員との生激論」と宣伝していましたので見てみましたが、議論はこれまでの繰り返しで、新味はありませんでした。自民党の議員は、民進党議員の発言を阻もうとして、相手が発言中にも、自分の発言をしたりする等、自民党議員の狡猾さが目立ちました。

 私にとっては、森友学園問題より、日本が核兵器廃絶に向けての、国連の交渉に参加しない等、国際平和に向けて後ろ向きになってしまったことの方が、重要な問題だと思っています。戦争が起きないように、自らを律すると共に、世界に向かって武力行使の愚かさを説き、話し合いによる解決を模索し続けることを説く、そのような平和国家日本のイメージは、過去のものと為ってしまいました。「祖国の防衛のためなら武力を用いるのが当たり前だ」と言うような意見が、格好良く聞こえる時代になったように思えます。

 午後から、散歩に出かけました。足の向くまま、気の向くままといった感じで、分倍河原まで歩いて来ました。

 午後1時半頃家を出て、住宅地の中に残っている、昔道を辿りながら、NECの工場に出ました。道脇には、春の花が、極く普通に咲いていました。なんとツクシも出ていました。イヌフグリ、ホトケノザ、ナズナ、ノゲシ、タンポポ、ヒメオドリコソウ、カラスノエンドウ、スズメノエンドウ、ヒナゲシ、タネツケバナ、ハコベ、ノミノフスマ、フキ等、つい2週間程前には、探していた花達が、ほぼ出そろいました。コブシは、早くも盛りを過ぎていました。また、この辺りに多い、梨園の梨の木が芽吹きを始めていました。

 分倍河原に続く、御猟場緑道では、椿と辛夷と欅が階段のようになって、空に向かっていました。空には、春の雲が、ゆったりと浮かんで、木々達を空に誘っていました。道に並んでいる、ステンレスの杭の頭に、雲と周りの景色が移っていました。

 分倍河原の京王線の線路の土手には、びっしりと菜の花が植えられていて、数人のカメラマンが、電車が来るのを待っていました。私も、その中の一人に入れて貰いました。鉄道不安ではありませんが、良い写真が撮れました。

 明日は、病院で手術後の三ヶ月検診ですから、朝、8時迄には、病院に行かなければ為りません。その為には、7時10分には、家を出る必要がありますので、散歩は分倍河原で止めて、4時には、自宅に戻りました。

 

「つくしんぼ 君の姿が あればこそ 私の春は 完全無欠」

「蕗の薹 背丈延ばして 蕗の花 食べる季節は 遙か昔に」

「道脇に タンポポ並ぶ 昔道 子供の歌が 聞こえて来るよう」

「青空に 浮かぶ雲まで 誘うよに 椿に辛夷 欅の階段」

「菜の花の 上を電車が 走る行く 春ならではの 多摩の里かな」

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2017年03月28日

2017年03月28日

 

 昨日の午後からの続きで、快晴の朝になりました。富士の白さと共に、丹沢の白さに驚きました。一昨日、昨日と、丹沢の尾根には、かなりの雪が降ったようです。来週は4月だというのに、丹沢の雪景色には、驚きました。

 森友学園問題のニュースが、一向に落ち着く気配がありません。100万円の寄付に関しては、安倍総理は、存在しなかった事が事実でも、それを証明することは困難、所謂、悪魔の証明だとして、自分が証明する気は無く、籠池氏側からの証明を待つことすると言っていました。前にも書きましたが、100万円の寄付金の問題は、仮に寄付があったとしても、公金で寄付したのなら別だけれども、私金で寄付したのであれば、「美しい国を作る国民の教育は、戦前のような教育を、総理も良い教育だと思っているのだ」と言った反応がある程度の問題で、選挙法違反にもならないはずです。安倍総理は、保守を自認していますから、特に気にならないのかも知れませんが、私には寒気がする程、嫌なことです。しかし、繰り返しますが、森友学園の問題は、官僚が、自ら行った行政事務の資料を廃棄したことです。この廃棄が、森友学園に対する政治家や官僚の関わりを不透明にしています。許しがたい行為だと思います。

 今日は、12時半から、歯のクリーニングを予約していたので、11時には家を出て、土手を散歩しながら、聖蹟桜ヶ丘へ行きました。四谷橋の上流に、真鴨が一番(つがい)泳いでいました。小鴨も10数羽泳いでいました。今週で3月も終わり、燕の来訪のニュースが聞ける頃になりましたが、北帰行の決断が出来ないのでしょうか、単なるしんがりの方なのでしょうか、毎年繰り返される季節の変わり目の感傷を覚えました。何時か、燕と鴨達のツーショットが撮れると良いなと思います。

 四谷橋の下流の土手に回ると、物凄い数の虫が宙を舞っていました。蜉蝣(かげろう)よりも小さいので、雲霞(昔は雲蚊―うんか)だろうと思います。数時間の命の煌めきだと聞いていますが、素晴らしい輪舞を見せて貰いました。

歯科医院が入っているビルの前の桜も、大分花が開いてきました。空気の冷たい日が続いていますが、1週間もすれば、桜も見頃を迎えるでしょう。歯の掃除は、時間通り始まりました。この3ヶ月に、特に変わったことはありませんでしたので、何時もの通り、30分で終了しました。ただ、下の奥歯の歯茎が下がってきているので、次は2ヶ月後に来て欲しいと言われました。自分でも気になっていたので、従うことにしました。

吉野家で昼食を食べ、その後バスで、久し振りに、多摩センターに行きました。これまで、ゆっくり多摩センターを見たことが無かったので、先ず、サンリオピューロランドに行ってみました。なかなか立派な建物なので、以前から気になっていたのです。入口に行くと、入場料が大人3800円でした。人形の博物館程度にしか思っていませんでしたので、入場料の高さに驚きました。入ったことが無いので分りませんが、ディズニーランドのように、様々な遊興設備が用意されていたり、ショウがあったりするのでしょう。それらには、私は何の興味もありませんので、早々に立ち去りました。

ショッピングモール等をちらっと見て、丘に登る両側のビル、「パンテオン多摩」に入ってみました。右側には、市民ギャラリーや多摩地方の歴史や、多摩ニュータウン開発の歴史に関する、常設展示場がありました。こちらの方は無料でしたので、特に興味があった訳ではないのですが、見学しました。サンリオの方は、入場料は高いのに、結構な人出でしたが、こちらは、無料なのに見学者は、私一人でした。写真よりも、読まなければならない説明が多過ぎて、目が弱くなっている私には、辛いものがありました。人が来ない訳が、分った気がしました。

多摩センターは、早めに切り上げて、バスで聖蹟桜ヶ丘の方へ戻り、一宮で降りて、四谷橋を渡って、4時半頃、我が家へ戻りました。我が家の前で、何処かへ出かける次男と出会いました。次男は、6時頃には戻ってきて、一緒に、サッカー、日本―タイ戦を見ました。試合は、日本が4-0で勝ちましたが、私が想像していた以上に、タイの選手の動きが良く、3-2位の試合内容だった気がしました。

 

「燕来る 弥生も終わる 春の日に 多摩の流れに 鴨等が泳ぐ」

「数時間 雲蚊の定め 命の火 空中を舞う 激しき輪舞」

 

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2017年3月28日 (火)

2017年03月27日

2017年03月27日

 

 今日も、暗い雨の朝でした。金祝準備委員会で、都心に出る時には、雨がぱらついていましたが、委員会が終わった時には、快晴の空に変わっていました。

 朝のニュースで、森友学園に対する昭恵総理夫人のフェイスブックの文章は、昭恵夫人の物では無く、官僚が書いた文章だと言う人がいると言っていました。その推測は、当たっていると思います。私は、籠池夫人とのメールの交換も、昭恵夫人自身が書いた物では無い様な気がしています。文章が、極めて当たり障りの無い、個人の固有の意思を感じられない文章だからです。

 ところで、民進党の森友学園問題に関する質問について、一昨日簡単に触れました。私が、政権交代が起きる日本の政治を熱望している、民進党支持の一個人として、民進党に対する希望を改めて述べたいと思います。

今回の森友学園の基本的問題は、学校法人としての認可の条件付き容認、国有地の値引き売却と、国や地方自治体の行政が、正当な実施手順を踏んで行われた否かであったはずです。この問題の解明を不透明にしているのは、官庁側が、本来残すべき処理手順の記録を、勝手に廃棄してしまったことにあると思います。従って、現在の法律に於いても、廃棄処理を処罰できるのであれば、厳しく処罰をすべきだと思います。若し、現行法では、処罰が出来ないのであれば、国内行政に関しては、例外なく記録を残す事と、記録の公開を義務づける、法律の制定を立案すると共に、自民党と協議して欲しいと思います。国民が行政を負託した訳でも無い、雇われ人の官僚が、行政をほしいままにするのは不当では無いかと、自民党を諭して欲しいと思うのです。

自民党は、長い間の行政経験の中で、一時、行政のほとんどを、官僚任せにしていた時代があります。そして、利権を使いたい時のみ、官僚に支持していました。これが、多くの疑獄事件を生みました。その後、行政改革を実施し、政治家も官僚も、出来るだけ行政に、汚職のような不当な処理が入り込まないようにしました。しかし、現在に於いても汚職が、完全に排除された訳ではありません。様々なやり方で、公金の不正あるいは不当使用をしているのです。この状態の、更なる改善を民進党にはお願いしたいのです。確かに、森友学園と行政の対応には、限りなく不透明な部分がありますが、怪しい怪しいと叫ぶだけでは無く、事実を集め、冷静に分析し、行政の透明化を図り、官僚の行政の適正化を図って貰いたいと思います。民進党の前身である民主党が、政権を取った時の、

官庁の業務仕分けは、政治家が、官僚の行政の仕方を監視するという意味では、良かったと思っています。長期政権は、例外なく腐敗すると言われています。再び、政権交代を行える政党になって欲しいと思います。共産党や社民党のように、政権を諦め、施策と無関係と思えるような、反対は止めて欲しいと思います。

 今日は、卒業50周年の金祝準備のため、都心の大学に出かけました。会議は、2時からだったのですが、1時半に大学に着きました。大学に着いて驚きました。正装や袴姿の女子大生と背広姿の男子学生で、大学が埋まっていたのです。今日は、卒業式でした。我々の頃、全学部学科の1学年は、1000人強でしたが、現在は3000人強となり、学内で卒業式をやる場所が無く、東京フォーラムで卒業式を実施し、学位証を貰うために、大学に戻ったようです。準備委員会が行われる会場の方に行くと、我がクラブの卒業生が固まって居ました。この前、我が家で食事をし、飲んだ学生もいました。どの学生も、合宿や様々な行事で、顔見知りでした。皆の晴れ姿を見て、目頭が熱くなるのを覚えました。これで、4年間(人によっては、5年間以上の人もいるでしょうが)の大学生活が終わり、明日からは、社会人です。どうか大学で学んだこと、クラブで経験したことを生かして、立派な社会人になって欲しいと、心の底から思いました。我が子の巣立ちを見るようでした。皆で、記念写真を撮りました。

 金祝の準備会合は、滞りなく進みました。女性の二人の委員が、良くこれだけ話せるものだと驚く程話しながら、問題に対応して行きました。委員長が、時折、二人の話に上手に割り込みながら、適切に会を進行させました。私は、ひたすら黙って、話しを聞いていました。

 会議が終わって、委員長と女性一人と私で、新築された校舎と、その中の同窓生クラブを見学しました。従来の同窓生クラブの、3倍以上の広さになり、設備も整っていました。同窓生クラブの内装を担当している、親しい先輩が、クラブ内を案内してくれました。

 委員長と二人で、新宿まで戻り、我が家に着いたのは6時半過ぎになりました。あり合わせのものを酒の摘まみにして、クラブの後輩の卒業を思い出しながら、晩酌をしました。

 

「学び舎に 今巣立ち行く 若者の 希望溢れる 華やぎ満ちる」

「4年間 成長見てきた 若者の 飛び立つ姿 目頭熱くす」

「我々は 今年卒業 半世紀 夢も希望も 喰らい尽くせり」 

 

 

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2017年3月27日 (月)

2017年03月26日

2017年03月26日

 

 大気の流れの変化が激しいようです。昨日の朝は、富士山が見えたのに、今朝は、富士も見えない、雨の朝でした。

 小雨ながら、冷たい雨が降っていましたので、散歩は止めました。しかし、一日中家にいるのは嫌だったので、バスに乗って聖蹟桜ヶ丘に買い物に行きました。プリンターのインクが無くなっていたのです。近くの大規模電気店でも買えるのですが、時間潰しに聖蹟桜ヶ丘の方に行ったのです。雨の日なのにか、雨の日だからか、単に日曜日だからか、非常な混雑でした。ユニクロ、ビッグカメラも、10くらいのレジを開いていましたが、それでも列が出来ていました。ビッグカメラで、プリンターのインクを買い、ユニクロで襟無しハイカラーのシャツを2枚買いました。着るものは、買わないことにしているのですが、ついつい誘惑に負けてしまいました。また、京王デパートの食品売り場にある、酒類販売店エノテカで、ワインを見ていたら、「雨の日割引をしますよ」と言われ、此処でも誘惑に負けて、ワインを買ってしまいました。

 ある程度、時間も潰れたので、我が家の近くのショッピングモールに戻りました。コジマ電気店でインクの値段を較べてみましたが、ほぼ変わりがありませんでした。1本売りのインクは、ビッグカメラの方が、少し安かったような気がしました。場所のせいかもしれませんが、ビッグカメラはあれほど混んでいたのに、コジマ電気は閑散としていました。週日はほとんど客がいませんので、いつまでこの店が持ち堪えられるのか、心配になりました。

同じモールにある西友で、期限切れ寸前のフィリピン産バナナ5本85円、アメリカ産のリンゴ10個379円、グレイプフルーツ1個97円を3個、アメリカ産のアブラカレイ265円、中国産アサリ245円を買いました。安い物を買おうとすると、全部外国産でした。これがグローバル経済というのでしょうか。大いに疑問があるのですが、色んな経済学者の意見を聞いても、経済のあるべき姿が良く分りません。

 4時過ぎに家に戻って、次男と一緒に相撲を見ました。一昨日肩を痛め、それでも出場し、昨日は鶴竜にいとも簡単に破れた、新横綱稀勢の里が、今日の千秋楽で輝の富士を破り、優勝決定戦でも勝って、優勝したのです。次男と喜びを分かち合いました。昨日の相撲を見る限り、起こり得ないと思っていたことが、現実に起きました。日本人の誰もが期待し、そして、諦めた優勝が、実現したのです。日本人の一丸となった後押しに、モンゴル人の輝の富士が気後れしたのかも知れません。何れにしても、相撲の歴史として、語り継がれるであろう取り組みを見ました。

 夜は、アブラカレイのアクアパッツア、アブラカレイのアヒージョ、鴨肉の燻製のアヒージョオイルかけを摘まみとして、白ワインを飲みました。次男は焼酎のお湯割りで、付き合ってくれました。私が10日に1度は、今日のような料理を作るので、「アクアパッツアとアヒージョとアサリのバター炒めは、お父さんのソウルフードだね」と次男に言われました。確かに、最近その傾向が強くなった気がします。アクアパッツアにもアサリは欠かせませんし、どの料理もニンニクたっぷりです。アサリとニンニクが大好きなのです。

 その後、2夜連続のドラマ「そして誰もいなくなった」を見ました。アガサクリスティー原作の推理小説のリメイク版だという触れ込みだったので見たのですが、その出来の悪さには、次男と共にあきれました。原作は、こんなに詰まらない物では無かった筈です。9人の連続殺人の理由が、個人の特殊な感情であり、個々の殺人と関連性が無く、自分も殺害されたように見せ自殺し、「そして誰もいなくなった」という結末でした。取って付けたようなトリック、あり得ないようなどんでん返し、見る人を馬鹿にするなと言いたいような作品でした。推理番組という物は、場面場面を注意深く見て、論理的に考えれば、犯人に到達するし、犯人が使ったトリックにも辿り着かないと、面白くありません。最近、矢鱈と推理番組が多いのですが、どれも余り面白くありません。見て楽しいのは、ニュースとドキュメンタリーとスポーツだけになりました。今日のドラマは、俳優だけは、豪華な顔触れでしたが、お笑い芸人をシリアスなドラマに使わないで欲しいと思います。

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2017年3月26日 (日)

2017年03月25日

2017年03月25日

 

 地平のぼかしに中に 富士が見えました。三寒四温の時期なのでしょう、天気がくるくると変わっています。

 我が家のブルーベリーが芽吹きました。この他に、レモンが芽吹いてくれれば、大規模修理による植物の被害は、柚とバス停の小父さんから貰った草花だけとなり、最小限に抑えられました。これを機に、ベランダの植物を、花と実を楽しめる、棗、山査子、ジューンベリー、木苺、梅等に変えてみようかと思っています。

 森友学園の問題については、一段落しましたので、長いことテレビの前に座るのを止めて、日野用水の上流部分を歩いて来ました。

 昼食を済ませ、1時半に家を出て、国立経由、2時15分には日野駅に着きました。駅前の看板で、用水の位置を確かめて、歩き始めました。駅の近くは、暗渠になっていましたが、直ぐに用水は現れました。周辺の開発が進み、工場や宅地が増え、農業用地はほとんどなくなっていました。その為、用水路はコンクリートで固められた、半分暗渠のようになっていました。しかし、水量はかなりあり、澄んだ水が流れていました。途中に、ふよう森公園があり、此処には、昔の用水が保存されていました。どんどん歩いて行くと、倉持の大きな家が何軒も現れました。しかし、その横が工場だったりして、田舎の風景を楽しむことは出来ませんでした。

 更に歩くと、多摩川に注ぐ「かじ川」がありました。用水は、その川を渡る新旭橋と並行して、川の上を流れていました。ところが、橋を渡ると、突然用水が消えてしまったのです。暗渠になってしまったのかと思いましたが、どうも腑に落ちませんでした。暫くしたら、この土地の古老と思われる人が来たので、用水の在処を聞いてみました。するといとも簡単に「ほれ、あそこだよ」と指を差されました。「かじ川」の堤防のように見えたのが、実は用水だったのです。用水の流れが、一旦90度左に変わったのでした。古老に礼を言って、用水歩きを再開しました。

 暫く歩くと、右側に多摩大橋が見えました。日野市と昭島市を結ぶ橋です。そこから、多摩川に沿って、横長の大きな建造物が現れました。八王子水再処理センターでした。用水の方は、行き止まりになりました。此処で、日野用水は終わりかなと思って、写真を撮っていると、散歩の小母さんがやって来ました。「此処には、鯉が沢山いるはずなのに、今日はいないね」から、話しが始まって、日野用水は、この再処理センターの少し上の日野用水堰から取り込まれたものだけだったが、再処理センターが出来てからは、再処理後の水も用水に流されていると教えられました。その後、小母さんの案内で、再処理センターの上から、多摩川を眺めました。何処も同じですが、再処理センターの上は、運動場と公園になっているのです。公園の端から、以前歩いた、多摩川の左岸が一望できました。日野用水堰の位置も大体分りました。日野の農地と堰のあるところは、かなりの高低差があるので、特に立派な堰を作る必要はなかったようです。我が家の近くの四谷堰も、同じだったようです。一応、日野用水の源流近く迄歩いたので、これで、日野用水の一つは、完歩したことにしました。

 案内してくれた小母さんは、私より一つ上の昭和18年生まれだそうです。小母さんが住んでいる用水近辺は、店がほとんどなく、買い物は宇津木台という丘の上のショッピングセンターまで行かなければならないそうです。歩くと30分はかかると言っていました。勿論、バスはあります。小母さんは、散歩を続けるというので、再処理センターの前で分かれ、私はバスで日野駅に戻りました。3時40分頃のバスに乗り、日野駅には、4時頃着きました。日野市の南の端は、我が家の前ですが、今日は北の端まで歩きました。日野用水の水は、我が家の前で、再び多摩川に合流し、妙な親近感があります。今日歩いたのは、街中の道でしたが、それなりに面白かったです。

 5時には、我が家に戻り、相撲を見ました。昨日の日馬富士戦で肩を痛めた、稀勢の里が、肩にテーピングをして、出場しました。その根性に感服しました。今日の取り組みは、鶴竜でしたが、あっさり負けてしまいました。とても相撲が取れるような状態では無い様に見えました。それでも、出場したことに、拍手を送りたいと思います。観客も、同じ気持ちだったようで、大きな声援を送っていました。

 夜は、久し振りに次男とゆっくり酒を飲みました。話しの中で、森友学園問題に限らず、民進党の質問の仕方は、真実を突き止めるより、自民党を悪者に見せたいという気持ちばかりが先走りして、愉快なものではないし、逆に民進党が国民から見放されることになるのではないかと、意見が一致しました。

 

 

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2017年3月25日 (土)

2017年03月24日

2017年03月24日

 

 雲の張り詰めた、薄暗い朝でした。かなり強い北風も吹き、冬の抵抗を感じました。

 今日は、籠池氏の証人喚問後の参議院予算委員会の様子を、午前午後とテレビ中継で見ました。国会審議の様子を、これほど長く見たのは、初めての事でした。昨日の籠池氏の証人喚問で、籠池氏が述べた国有地の値引きに関する政治家の関与、学校認可に関する政治家の関与、安倍総理からの100万円の寄付について、行政の当事者である省庁の責任者を参考人として、質疑が行われました。

 しかし、森友学園の小学校建設に関する基本的問題である、「政治家の関与による違法な優遇措置」に関しては、限りなく疑わしいものの、立証する事は出来ませんでした。官僚の見事な答弁振りが、目立ちました。

官僚は、国家の雇われ人ですから、国民が選んだ議員による国会で承認された、行政の責任者、つまり内閣の指示に従って仕事をしなければなりません。それが、国政の基本構造です。しかし、内閣の施策としての仕事なのか、内閣を担当する政治家の個人的嗜好や利益の為の仕事なのかは、グレイゾーンが大きくなるので、行政の基本は、国会で基本法を制定し、行政機関で施行細則を決めて、法に遵守する形で実施するようになっています。ところが、現実の世の中は、理想通りに動く事は希なのです。どうしても行政の権力者の顔を立てる事や、雇われ人である官僚自身が、行政の責任者のごとく振る舞う事が、多々あります。雇われ人である官僚は、極めて慎重に仕事をし、不正が明るみに出ないように、また、出てしまった時の言い逃れについても慎重に準備しています。今日のような、国会審議の中で、真相を明らかにするのは、かなり難しい事だと思います。「あの官僚には、発言させるな」と叫んだ議員もいました。

 何処かのテレビに出ていた大学の教授が、「真相が分らないように、森友学園に関する種々の行政手続き資料を廃棄した、官僚の処理の仕方を問題にしたほうが良いのではないか、かつ、同じ事が起きないための罰則付きの立法化を検討すべき」という趣旨の発言をしていましたが、大いに賛成です。

奥さんが渡したという安倍総理の100万円寄付に関しては、最後まで水掛け論でしょう。もし寄付したとしても、「あんな学園に何故寄付するの」と、私は思いますが、他の人のすることですし、選挙区ではありませんので、法には触れないのではないかと思います。「美しい国」で阿部氏の信奉者であった籠池理事長の、そうあって欲しいという強い思いが、嘘をつかせた可能性も高いのです。意趣返しですから、相手が困ることは、何でもするかも知れません。

 特別委員会の昼休みの時に、近場を散歩してきました。12時に家を出て、泉町公園、国立水再生センター、ヤクルト中央研究所、谷保城山公園、谷保天神を回ってきました。

三屋通りから泉町公園に向かっていると、庭や道脇の辛夷と白木蓮の白さが際立っていました。梅は終わり、桜は未だ早い、端境期の王様のようでした。泉町公園の前の水再生センターの生け垣には、雪柳がこれも白さを誇っていました。その雪柳が、良く剪定された丸い椿の木から、白く細い枝を何本も出していました。面白い光景でした。隣で、児の手柏も小さな撒き菱状の実を沢山付けていました。水再生センターを過ぎた辺りの、工場と工場の小さな畑に、菜の花が咲いていました。いずれ、この畑もなくなってしまうでしょう。中央高速を潜ると、大きな花を付けた椿の生け垣の建物が出てきました。秋には花梨の実が、沢山落ちていたところです。そこから、日野バイパスを越えると、ヤクルト中央研究所と谷保城山公園が見えてきました。前の畑には、菜の花が、相当な広さで咲いていました。菜の花に負けじと、ナズナやホトケノザが、精一杯花を咲かせていました。

城山公園に入ると、この時期何処にでも咲いている白い花に、モンシロチョウが止まっていました。時々飛ぶから分りましたが、モンシロチョウが花の一部に見えました。実は、この白い花の名前を知らないことに、家に帰って分りました。私は、庭セキショウとばかり思っていたのですが、間違いでした。この花は、栽培種なのでしょう、私が持っている野草図鑑には、載っていませんでした。ありふれた花ですから、花屋に聞いてみましょう。城山公園では、この他に二輪草の花が、1輪咲いていましたし、諸葛菜も紫の花を付け、姫オドリコソウが、山程背を伸ばしていました。小さいながら、檜林に見えました。

谷保天神に着いて、厳島神社の池に行くと、甲羅干しをしていた亀が、私を見て大慌てし、切り株の上から池に転落して、腹を見せてもがいていました。何時も行動が悠長な、亀の慌て振りが、とても滑稽でした。天神様に挨拶をして、梅園に行くと、梅は既に終わり、梅林の中を、日本画の題材になりそうな、大和鶏が餌を探していました。もう成鳥に近い子供の鶏もいました。その和鶏の向こうに、ツグミのような小鳥が、歩いていました。近づいてみるとツグミではありませんでした。椋鳥の幼鳥のような気もしました。帰って調べると、シロハラのようでした。しかし、確信が持てません。他の小鳥の雌のようでもあるのです。

僅か2時間程度の散歩でしたが、色々な花に出会いました。初めての出会いかも知れない鳥とも出会いました。今日の風は冷たかったものの、いよいよ春本番になってきました。

 

「屋根を越え 空に広がる 白木蓮 梅と桜の 隙間を埋める」

「春の日に 未だ残れる 雪景色 垣根に白き 雪柳かな」

「椿の木 何故に真白き 手を延ばす 雪柳と 二人羽織」

「工場の 間に菜の花 春告げる 季節忘れる 仕事場に春」

「身に余る 大きな花を 咲かせける 深々お辞儀の 椿の花かな」

「目の前が 明るくなりし 春景色 春の王様 菜の花畑」

「仏の座 ナズナと共に 自己主張 菜の花畑の 勢力争い」

「あれれれれ 突然花びら 飛び回る 紋白蝶の 擬態なるかな」

「北国の 荒野の森の 針葉樹 模型のような 姫踊り子草」

「甲羅干し 春を楽しむ 午後なのに 無粋な奴に 腹見せドボン」

「日本画の 優雅な世界に お似合いの 天神様の 大和鶏」

「盛りすぎ 再び裸の 梅の木に 鶯もどきの 小鳥の止まる」 

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2017年3月24日 (金)

2017年03月23日

2017年03月23日

 

 良い天気なのに、富士が見えない、そんな朝でした。季節が、冬から春に移ったと言う事でしょう。

 今日は、天気が良かったので、何時もの洗濯物の他に、キッチン、トイレ、バスルームのマットを洗濯しました。ついでに、キッチンとダイニングルームの拭き掃除をしました。結構な運動になりました。

 日記を書き上げるゆとりもなく、籠池森友学園理事長の国会での証人喚問の様子を、午前午後テレビ中継で見ました。どんなドラマよりも面白かったと思います。今回、籠池氏は、国会の証人喚問に呼ばれるように、自作自演したように思われます。安倍総理から、100万円の寄付があったとの発言は、真偽は別として、まさしくその為に手段だったと思われました。彼自身が言うように、小学校建設に積極的に協力した人達が、国による小学校用の土地の値下げ等の問題が騒がれるようになった後、手のひらを返すように、反対に回った事に対する、意趣返しを仕組んだように思われました。「俺一人で死ぬのはごめんだ、相打ちか一蓮托生だ」、そんな彼の気持ちが、ありありと見て取れました。通常は、うやむやにする政治家の関与を、名指しで示したのも、彼の怒りの表れだと思いました。大阪府知事に対する怒りは、最も激しかったようです。

 今、安倍総理の「美しい国へ」という本を読み返しています。こんなに目が悪くなる前は、3,4日で読み終えた本も1月以上かかっても、まだ終わっていません。以前読んだ時の記憶も含めて言うと、安倍総理は、天皇を中心として、伝統、歴史、文化を育んできた、瑞穂の国(日本)を、日本人の意識の中に取り戻そうというのが、この本の、趣旨だったと思います。そのようなことを、彼は保守だと思っていますし、保守であることに誇りを持っています。彼が育った環境にもよりますが、当時の左翼が、国家の生い立ちや伝統文化を無視して、単に理屈だけの社会改革、共産主義化を目指していたことへの反発でもあると思います。それは、それなりに理解でします。しかし、私は、どちらかというと左翼です。それでも、野球で日本が勝つと嬉しいですし、日本人の真面目さ、優しさ、我慢強さ、研究心、団結力等々、世界に負けないものが多くあると思っています。海外勤務が多く、自分の国家のことを随分意識しました。外国の人々の前で、一人で国家を歌ったこともあります。しかし、それが盲目的な愛国心にならず、異なる国々の人と、どのように協調するか、民主主義の本質等についてもも、常に考えさせられました。

 今回の籠池氏の証人喚問を見て、安倍総理の持っている保守的な美しい国日本への憧れは、日本人の多くの人が、持っているものだと明らかになりました。特に政治家の中に、多そうだと分かりました。籠池氏が作ろうとしていた小学校の名前は、瑞穂の国記念小学校という名前です。しかし、この美しい国への思いは、いとも簡単に暴走することも明らかになりました。美しい国を守り育てるための若者は、昔の考え方や生き方を絶対に引き継ぐべきだと主張するのです。イスラムの原理主義者の考えと似たところがあります。籠池氏のように、自分の考えが否定されると、反抗し反乱を起こすのです。籠池氏の反乱を受けて、籠池が指摘している政府関係の人を、証人喚問すべきだとの意見が出始めると、元文部大臣だった人が、「政府高官は噓をつかない」旨の発言をしたそうです。戦前の大本営発表は、戦争の後半、ほとんどが嘘でした。政府というものは、政策の実施の為なら、意図的に平然と嘘をつくものなのです。官房長の記者会見は、いかにして自党の総裁と党そのものを守るか、そのためには、嘘のような本当、本当のような嘘等、あらゆる発言技術を尽くそうとする、党の番頭の姿勢が色濃く出ていました。日本の国民が、この証人喚問を通じて、右派の内部紛争を冷静に観察して貰いたいと思います。

 篭原氏の参議院と衆議員での証人喚問の間、ほんの少しだけ、野球のWBCのアメリカープエルトリコの決勝戦を見ました。アメリカが、8-0で解消しました。日本が負けたチームが優勝すると、少しだけ気持ちが癒されました。

 籠池氏の証人喚問は、朝10時から参議院、午後3時から衆議員で行われ、午後5時頃に終わりました。その後相撲を見て、買い物に出かけました。今日外に出たのは、天気は良かったのに、この時だけでした。こういう日もあるでしょう。それだけ、今日の証人喚問は、興味深いものでした。

 昨日、府中まで歩いた時の土手の道の桜並木は、まだ開花の様子はありませんでした。我が家の前の桜は、矢張り染井吉野ではなさそうです。早くも七分咲きになっています。昼間は、メジロがやってきて、蜜を吸っていました。その我が家の前の桜は、道路脇にあり、桜よりも高い電柱が、桜の真ん中を突き抜けています。そして、丁度桜の木の中に街路灯が付いており、毎日、夜桜を楽しむ事が出来ます。

 

「人の世は 百家争鳴 大騒動 目白蜜吸う 春の桜花」

「テレビあり 国の騒動 部屋で見て ベランダ越しに 夜桜見物」

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2017年3月23日 (木)

2017年03月22日

2017年03月22日

 

 今朝は良く晴れました。快晴と言って良い程の空でしたが、地平の方は、薄桃色のぼかしが入ったようになっていました。それでも、富士の白嶺が見えました。

 今日は6時に起きて、急いで朝の仕事を済ませて、野球のWBCの準決勝日本―アメリカ戦を見ました。両チームとも、ピッチャーの出来が良く、なかなか点数の入りにくい、息詰まるような試合展開でした。そして、アメリカの先制点も、決勝点もエラー絡みでした。球場が何時もと違う事、気候や時差などの問題の他に、緊張感が生んだエラーだと思います。しかし、USAコールが球場に響く、アウェーという不利な条件の中で、良くぞ此処まで戦ったと思います。勝たなければ全てが無意味というのでは無く、いかに戦ったかも勲章の一つだと思います。感情的では無く、冷静に試合運びを分析して、次に備えて欲しいと思います。どんなに分析しても、基本的力量に大きな差がある場合は、いかに秘策を練っても勝利を手にする事は出来ませんので、毎年のシリーズの中で、力を蓄えて欲しいと思います。

 昼食を済ませて、府中駅まで、土手伝いに歩いてきました。春分を過ぎ、早春の時期も終わろうとしています。そんな気配を肌で感じたのでしょうか、何時も群れていた多摩川の流れに、小鴨と大鷭の姿が見えませんでした。柳の芽吹きが進み、冬枯れの河原に幾つも、緑の灯りが点りました。土手に道は、緑の勢力が大分広がってきました。スイバなのか、ギシギシなのか、はたまたスカンポなのか、私には区別が付きませんが、ほうれん草もどきの葉の中に、早くも花が咲いていました。カラスノエンドウもスズメノエンドウも紫の花を付けていました。

 是政橋の手前で土手を降り、是政交差点の地下道を潜りました。私はてっきり府中街道に出たと思い、そのまま歩いていたのですが、どうも何時も見る府中街道の景色と違っていました。右手に東京競馬場が見えませんでした。どうも、多摩川に沿った感じで歩いているようでした。色々検討して、方向を変え、細い道を抜けると、東京競馬場の裏手に出ました。初めて歩くところでした。競馬場の塀に沿って歩いていると、厩舎と乗馬センターが出てきました。このような場所がある事さえ知りませんでした。一体何年府中に住んでいるのでしょうね。そこを過ぎると、何時も見ている競馬場通りの、幅の広い並木道に出ました。正門に行く前に、東門がありました。この東門も初めてでした。

 今日は、正門の方には回らず、東門の横から、府中崖線の竹林の小道を上りました。此処は、随分前に一度来た事があります。この竹林のある場所は、鳩林荘と呼ばれる、ある会社の所有地でした。昔風の建物や門があって、とても良い雰囲気でした。そこから、崖上の道を歩くと、八幡神社に出ました。今は小さな神社ですが、以前は、かなり大きな神社では無かったかと思います。かなり大きな敷地があり、参道が京王競馬場線を超えて、旧甲州街道まで続いていました。調べてみないと分りませんが、大国魂神社の二ノ宮か三ノ宮ではないかと思います。旧甲州街道を、暫く大国魂神社の方へ歩くと、漸く見慣れた町並みになりました。今日は、道を間違えたお陰で、府中の再発見をしました。

 午後5時近くに、我が家に戻り、毎日楽しみにしている相撲を見て、その後夕食にしました。昨日作ったミートソースは、3回に分けてキュービック状に冷凍して、保管しました。72個のキュービックになりました。一枚のピザを作るには、2個のキュービックで十分です。普通の人ならば、一人分のスパゲッティーには、4個で十分です。今日の夕食は、冷凍しないで残した分で、スパゲッティーを作って食べました。少し塩分が足りなかったようですが、まあ美味しく食べました。

 

「小鴨等が 何時も群れてた 多摩川に 小鴨が消えし 多摩の春かな」

「枯れ河原 次なる季節 始まりぬ 柳は芽吹き、緑の灯火」

「冬枯れの 土手が緑に 変わり行く 茅押し分け スカンポの花」

「豌豆の 烏も雀も 共に咲く 春も本番 紫の花」

「胡麻粒も 大きく見える 野の花よ 雀の豌豆 なんと愛らし」

「春の日に 流れの形に 煌めきぬ 多摩の流れに 釣り人の影」

「間違いは 決まった世界を 打ち破る 間違いだらけ 私の人生」

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2017年3月22日 (水)

2017年03月21日

2017年03月21日

 

 今日は、雨の朝になりました。朝起きて、初めて見る景色が、水墨画のような景色なのも、なかなか良いものです。電線が無ければ、更に良いのですが、、、

 昨日の豊洲市場に関する石原氏の尋問に関して、どのテレビ局でも大きなニュースになっていました。どのテレビ局でも、尋問によって、具体的な汚職とか法律違反の新事実が発見できず、尋問そのものについても、疑問の声が上がっていました。あの尋問を見ると、誰しも似たような感想を持つのだと思いました。小池知事の「安心」についても、少なからず疑問の声が、起きていました。当然の事だと思いました。専門家の一人が、「豊洲市場は、コンクリートで覆われているので、地上は安全であり、使わない地下水が汚染されても市場としては安全である」旨の発言をしていましたが、小池知事は、築地市場については、安全としながらも「地上と地下の安全を分けて考えるのは適切では無い」と言っていました。これは、自己矛盾だと思います。

 韓国の朴槿恵大統領の検察による事情聴取も、大きなニュースになっていました。しかし、夜になっても事情聴取は終わらず、どの様な尋問が行われたのか、その点は、まだ分りませんでした。日本で、検察が当時日本の首相であった田中角栄の汚職を立件した事から、汚職にまみれた日本の政治風土が、少しだけ変わりました。韓国に於いても、今回の弾劾裁判、検察の介入が、韓国の政治風土を変える契機になってくれる事を願っています。

今日は、1日雨らしいので、散歩は諦めて、近くのモールの中の散髪屋に行って来ました。カットファクトリーと称する、1000円の散髪屋です。土日は、子供達で混んでいますが、週日は、老人で混んでいました。8割は、男ですが、女性の老人も来ていました。30年程前は、洗髪、散髪して髭を剃って貰って、4000円以上していました。此処の散髪屋では、洗髪も髭剃りも無くなりましたが、値段も安くなりました。その頃は、女性は美容院に行くのが当然で、散髪屋に来るのを、見た事がありませんでした。女性が来ると言う事は、金回りの悪い人が、随分増えたようです。美容院は、最低でも理髪店の2倍以上の値段だったと記憶しています。新宿、東京、横浜等々、大都市は、米国にも負けないような高層ビル街になりました。一見すると、日本は、非常に豊かになったように思えます。しかし、かなりの人が切り詰めた生活を余儀なくされています。これが、格差社会の実態なのでしょうか。

次男は、今日は用があるらしく、午後2時過ぎには出かけましたので、久し振りに、午後から夜まで、一人我が家で過ごしました。時間が有り余る程あったので、ミートソースを作りました。19日の家族の集まりで、ピザを作った時にミートソースが終わってしまったのです。ミートソースの作り置きが無いと、なんとなく不安な気分なのです。たっぷりのニンニク、少なめの豚肉、たっぷりの玉葱、セロリ少々を、たっぷりのバターで良く炒めます。全部みじん切りです。良く炒まったら、缶詰のトマト4缶、野菜ジュース2缶、スライスされたマッシュルームの缶詰3缶に、ローリエの葉を加え、焦がさないように注意して、良く煮込みます。2時間程煮込んだら、コンソメスープの素で味付けてお仕舞いです。少し、酸味を強くしたい時には、トマト缶2缶の代わりに、新鮮トマトのみじん切りを同量加えても良いです。あるいは、トマトピューレにしても良いです。何れにしても、味は自分で決めれば良いと思います。どのメーカーのトマト缶を使うかで、味が変わりますが、玉葱のみじん切りがたっぷりであれば、大きく失敗する事はありません。

 

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2017年3月21日 (火)

2017年03月20日

2017年03月20日

 

昨晩、酒が終わったのが12時半くらいでした。娘家族は、我が家に泊まりました。孫達も12時近くまで起きていましたので、今朝は、10時過ぎまで寝ていました。孫達が起きてから、昨晩の片付けをして、サラダと味噌汁を作っておきました。12時近くに、娘が起きてきて、全員起きましたので、えぼ鯛と鮭を焼き、オクラ納豆を作り朝食にしました。孫達も、お腹が空いていたのでしょう、皆綺麗に食べました。

12時半から、都議会における石原元都知事の尋問の様子を見ました。質問者の愚かさばかりが目立ちました。質問に至る説明が非常に長く、一体何を質問しようとしているのか、テレビを見ている私にも良く分りませんでした。石原氏も、質問の中味が何なのか戸惑っていました。質問者は、質問の仕方について、もう少し勉強すべきです。

ところで、尋問の中で石原氏が、「小池知事は、安全と安心を混同している」と言っていました。この点に関しては、私も、石原氏と同意見です。選挙であれば、ムード、気持ち、信念等々、客観的に測れないものを武器として、票集めをやったとしても、日本の選挙は、人気投票ですから、仕方が無いでしょう。しかし、行政は、客観的に説明できる基準を示しながら、実施しなければならないと思います。安全基準が、何処まで信憑性があるか、専門家等が真剣に議論したところで、何処かで妥協があり、信憑性は保証されません。人類はもはや、汚染物質の存在しない、原始的環境では暮らせないのです。このような、地球環境の汚染状態の中では、可能な限りの安全を確保するような、安全基準を設けて、行政を行うより他に、方法がないと思います。安心というのは、字の通り、心情の問題ですから、客観化しようがありません。従って、安心を基礎として行政を行うのであれば、行政の実施毎に、住民投票をせざるを得ないでしょう。これでは、経費もかかるし、能率的な行政は不可能でしょう。また、住民の心情は、変わりやすいものですから、行政の一貫性も、保証されないでしょう。ですから、小池知事が言うように、「安全であっても、都民の安心が無ければ、豊洲市場移転はありえない」としたら、豊洲市場移転の問題は、都民の投票に委ねる他ありません。この場合は、築地市場の今後のあり方、これまでおよび今後の経費等に関する増税、土地、建造物、食品工場、食品等に関する安全基準を提示して、投票を行うべきでしょう。

石原氏の尋問が終わってから、娘にスマホのカメラの使い方を教わりました。カメラを望遠にするか、広角にするかは、画面の上で指を広げたり閉じたりすれば良い事が分りました。その他に、LINEFACEBOOKへの登録もして貰いました。娘の主人には、ダイヤリーとして仕えるカレンダーの使い方を教わりました。スマホは、携帯電話では無く、パソコンだと言う事を実感しました。スマホを使いこなしている若者が、これまでのようなパソコンは、使わなくなったのは、良く分りました。

娘家族は、3時頃帰りました。その後、高幡不動まで、散歩に出かけました。土手に出てみると、奥多摩も見えず、正面の七生丘陵さえ、煙った感じになっていました。四谷橋を渡り、百草園駅から川崎街道を歩きました。今日、この散歩コースを選んだのは、夜になると、百草園駅の近くに、横1列の光の帯が見えるのですが、その光の正体がなんなのか、確かめに行ったのです。しかし、川崎街道の両側には、それらしきものが見つかりませんでした。若しかしたら、電車の線路の両側の何れかにあるのかも知れません。探す方法を検討しなければならないようです。

夜、次男と就職について、少しだけ話しました。料理人として、働き口は幾つもあるそうですが、現在、次男は、給食関係の仕事をしてみようとしているようでした。これまで、ずっと夜の仕事をしてきた訳ですが、料理屋や居酒屋の職場環境は、どんどん悪くなって来たようです。過酷な労働と低賃金、本当にセミブラック企業のようです。体調に自信の無い次男は、今後、夜の仕事を続けるか、自分の店を持つ時にどの様に考えるのか、1度昼間の仕事をしてみようと思ったそうです。私としては、何も言う事がありませんでした。次男が、選んだ当時の飲食業界と現在とでは、随分様変わりしました。50に手が届きそうになった次男の道は、険しいかも知れませんが、自分自身で対応しようとしているので、親として口出しすべきとは、思いませんでした。

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2017年3月20日 (月)

2017年03月19日

2017年03月19日

 

 快晴だと思われるのに、富士が見えませんでした。富士が、霞の中に溶け込んでしまいました。

 東京の開花宣言はまだですが、我が家のベランダの目の前にある桜が、開花しました。東京都心より、多摩の方が気温は低いと思うのですが、毎年、我が家の前の桜の方が、早く開花します。若しかすると、我が家の前の桜は、染井吉野ではないのかも知れません。桜の種類はともかく、本当に春になりました。暫く、桜を楽しめます。

 ベランダの、南天と山椒が芽吹きました。大規模修理のため、ベランダから玄関の方へ移し、日当たりも悪く、満足に水もやれなかったので、どの植物も瀕死の状態でした。柚は、完全に枯れてしまいました。日々草とか草の類いも、全て枯れてしまいました。そんな中で、南天と山椒の芽吹きは、心を和らげてくれました。

 今日は、夕方から私の家族全員が集るので、午後は、今日から始まった、選抜高校野球を見ながら、料理をしました。サラダ、納豆とオクラの油揚包み、油揚の煮込み、特製オムレツを作り、アクアパッツァとピザを、何時でも作れるように準備しておきました。

 相撲が、三役の取り組みになった頃、長男家族と娘の家族がやって来ました。子供が3人、子供の連れ合いが2人、孫が4人、私を入れて10人が、私の家族全員です。私が、この世で生きてきた証ですし、命の継続を感じさせる存在です。長男も今年50歳になり、子供は、来年大学生になります。私もつい最近、50歳になったと思っていたのですが、月日の経つのは早いものです。

長男の無事な帰国を祝って乾杯し、何時ものように楽しい宴会が始まりました。色んな事に、話しが飛び火し、酒も進みました。そんな調子で、皆で、わいわい話している中で、次男の就職が思うように行かない事、娘もそれなりに悩みがある事を知りました。しかし、この年になり、蓄えも無い親は、子供になにもしてやれる事がありません。私は、色んな事に余り悩まない、無頓着の人間なのですが、今日は、少し感傷的になりました。娘の子供達の無邪気な笑顔が、救いでした。

 

「目の前の 桜の花が 咲いている これから暫く 我が家で花見」

「工事あり 突如苦難の 我が家の木 苦難乗り越え 命の芽吹き」

「人生の 悩みは人を 育てけり 言葉のように 行かぬが悩み」

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2017年3月19日 (日)

2017年03月18日

2017年03月18日

 

 良い天気が続いています。富士も丹沢も、白い頂を見せていました。

 漸く、我がアパートの大規模修理が終わりました。後は、公園にある、工事用の小屋2棟の撤去だけとなりました。壁は全てペンキが塗り替えられ、廊下や玄関は、高圧洗浄してくれましたので、本当に新築のようになりました。しかし、このような大規模修理のために、月4万円の修繕積立金は、年金生活者にとっては、結構大きな負担です。

 今日は、丹沢の雪の状況を見るために、丹沢全体が見渡せる、多摩大学の上の方の丘を歩きました。

 午後1時半に家を出て、聖蹟桜ヶ丘で、聖ヶ丘経由永山駅行きのバスで、東部団地入り口で降りました。反対側は、米軍の多摩ゴルフ場の入り口でもあります。そこから、更に坂を登ると、八坂神社に着きました。坂の上の神社なので、良い名前の神社だと思います。この神社には、秋に一度来た事があります。樹齢が400年を超すと思われるスダ椎の巨木があり、地面が椎の実で覆われていました。この神社の狛犬は、通常の神社と反対で、右側に吽形、左側に阿形が置かれています。設置した人の単なる間違いか、八坂神社のしきたりか、まだ確かめていません。

 八坂神社の直ぐ下に、多摩大学があります。四阿のように見える屋根は、多摩大学で一番高い塔の屋根です。どうも八坂神社のある丘は、この辺りでは一番高い丘のようです。ここからは、天気が良ければ富士も丹沢も良く見えるのですが、今日は両方とも雲に覆われていました。他の所は、良い天気でしたが、富士と丹沢の方にだけ雲がありました。朝、どんなに良く晴れていても、午後には曇るのは、良くある事です。日本一高い山は、雲の発生源なのです。

 八坂神社から、尾根伝いに歩いて、隣の丘の公園に出ました。公園の名前が、何処にもありませんでした。その公園からは、新宿、東京、武蔵小杉、横浜などのビル街が、遠望できました。背後には、多摩の里が開けていました。直ぐ近くに、この一体を潤す巨大な貯水塔が二つ、電波塔が二つ建っていました。

 また、尾根の道を歩くと、「よこやまの道」の入口に出ました。一度、桜ヶ丘公園から若葉台駅まで歩いた時に来たところです。「よこやまの道」は、そこから小田急の唐木田まで続く、かなり長い道のりだったので、今日は諦めて、またの機会に歩く事にしました。

 目の前の「弓の橋」を渡り、多摩市陸上競技場に出ました。ここから、剣橋を渡ると、桜ヶ丘公園の方行くのですが、今日は、90度方向を変えて、新しいところを歩く事にしました。最初に電車見橋を渡りました。何故、電車見橋かというと、橋から小田急線と京王線が並行して走っているのが、見えるからです。今日も、お爺さんと孫が、電車を見に来ていました。

 電車見橋を渡ると大きな団地でした。団地の名前が分りません。古い建物と新しいものが共存していました。古い団地の1画に、以前は商店街だった所がありました。しかし、現在残っているのは、コンビニ風の小さなスーパーだけでした。八百屋も魚屋も蕎麦屋も、何処も店を閉じていました。近くの小学校も廃校になり、現在は、多摩市諏訪いきがいデイサービスセンターと諏訪南学童クラブになっていました。昭和は、遠くなりました。

団地の中から、「諏訪永山ふれあいの道」が始まりました。何処を歩いているのか分らないまま歩いている内に、大きな通りへ出ました。両側に高層のアパートが並び立つ団地が見えました。道脇に梅林が作ってあり、良く整備された団地でした。どんどん歩いて行くと、小田急線と京王線の永山駅が現れました。桜ヶ丘公園から歩いて来た事があります。漸く位置関係が分ったところで、今日の散歩はお仕舞いにして、バスで、聖蹟桜ヶ丘に戻りました。

明日は、家族が全員集まりますので、その為の買い物と、朝食用の野菜のピクルスが無くなりましたので、その分の買い物もして帰りました。買い物をして、家に戻る途中、これから買い物行く次男と出会いました。次男も明日の為に、料理を作ってくれるようです。

5時少し前に、家に着き、相撲を見終わってから、ピクルスを作りました。材料は、カリフラワー、ニンジン、セロリ、パプリカです。適当な大きさにして、大きなタッパーに入れ、千鳥酢、黒酢、米酢、寿司酢を適当に入れ、塩と粗挽き胡椒とニンニクで味付けをし、ブドウのシードオイル、オリーブオイルをかければ出来上がりです。大量に作るので、最低でも2ヶ月は、野菜に困る事はありません。悪くなる事もありません。

 

「君を見に わざわざ登った 多摩の丘 富士と丹沢 雲隠れする」

「ニュータウン 戦後を脱した 希望の地 空き家が目立つ 老人の里」

「ニュータウン 昭和の輝き 今は無く 昭和は遠く 遺跡となりけり」

「平成に 再度建設 ニュータウン 百年後には 再度遺跡に」

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2017年3月18日 (土)

2017年03月17日

2017年03月17日

 

 真っ白い富士と丹沢が見える、素敵な朝でした。空気の冷たさも弱まり、本格的な春が来たようでした。

 まだ、午前中にやるべき事が終わっていない段階で、大学のクラブの先輩から電話がありました。「今日、大学で、アンコールワットに関する公開講座があるので、一緒に行かないか」という誘いでした。アンコールワットには、4年前に訪れて、その修復に対する、大学の貢献振りを見てきましたので、誘いを受ける事にしました。

 午前中の仕事を急いでかたづけて、早めに昼食を食べて、11時半には、家を出ました。公開講座は、1時半から始まるのですが、少し早めに出かけ、1時には大学に着きました。そこで、恩師の3回忌の準備をお願いしている女性に会いました。大学の種々の行事にまめに顔を出す人なので、会える予感はありました。3回忌の会場の予約と、追悼ミサについて話してみると、開始時間に了解違いがありました。改めて、会場の予約と追悼ミサの時間を変更して貰いました。彼女には、何時もお願いばかりしていますが、彼女の顔の広さと実行力には敬服します。会場を、探して見たのですが、誘ってくれた先輩の姿が見当たりませんでした。電話をしてみたのですが、電話も通じませんでした。「どうしたのかな」と思いましたが、取り敢えず公開講座を受けました。

 公開講座は、大学の新校舎の竣工を記念するもので、新校舎の真新しい講堂で行われました。講座は、アンコールワット修復の歴史、石組みに関するパネルディスカッション、奉納のためのカンボジア舞踊、石組みの実演の順に行われました。公開講座に参加した人の3分の2以上が、老人でした。

 大学は、長い事、西参道の修復に当たって来ました。この修復は、お金をかけて、日本の職人が一気に修復するのでは無く、可能な限り、アンコールワットのレリーフに刻まれた、昔の工事方法を踏襲し、かつカンボジア人に修復技術を習得して貰うようにしているとの事でした。日本の石工とカンボジアの石工の交流も、長い事続いているそうです。これは非常に良いやり方だと思いました。

 石組みの実演では、今日のために来日したカンボジア人の石工が、上半身裸で、作業に当たりました。大分空気の冷たさが緩んできているとは言っても、コートが手放せない寒さでした。冬を知らないカンボジア人にとっては、随分と厳しい寒さだったことでしょう。

 驚いた事に、石工が石を運ぶ段階で、我がクラブの現役が、カンボジア語で応援のかけ声をかけ始めたのです。公開講座に来た人達にも、かけ声をかけるように、参加した人達の中にも入ってきました。周囲の皆が、かけ声をかけるのが、昔のカンボジア流の、やり方らしいのです。現役が出てきたお陰で、今日、誘ってくれた先輩と出会いました。先輩も、何度も私に電話したようです。不思議な事が起こるものです。先輩も私も、まさか公開講座に現役が出演するとは思いませんでした。現役と一緒に、長年、アンコールワットの修復に携わってきて、今日の公開講座の主催者でもある元学長に挨拶をして、石工の実演会場を離れました。

 4時過ぎに、現役の一人を誘って、近くの居酒屋に飲みに行きました。二十歳になったばかりの二年生でした。上級生も二人いたのですが、その二人は、用があって付き合えないとの事でした。2年生の彼は、漸く酒が飲めるようになったのですが、まだ、日本酒を飲んだ事が無いそうです。専ら酒はサワーだそうです。これで、日本酒などを沢山飲ませると、家に帰れなくなる恐れがあったので、現役はサワーだけにしました。OBは、何時ものように酒を飲み、現役に偉そうな事を言って、可愛そうに現役はほとんど聞き役でした。爺さん相手にのむ時は、仕方が無いでしょう。

 日のある内から飲み始め、9時近くになりましたので、お開きにしました。新宿まで現役と一緒に帰り、新宿で小田急線と京王線に分かれました。思いがけず、楽しい一日になりました。

 

「未来ある 若者そばに 侍らせて 説教たれる 飲兵衛爺さん」

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2017年3月17日 (金)

2017年03月16日

2017年03月16日

 

 富士が輝く、快晴の朝でした。我が家からは、ほんの少ししか丹沢は見えないのですが、見えた部分は、真っ白でした。この2,3日、かなりの雪が降ったようです。

 先日、大学時代の先輩から電話があり、我々が学生時代、学生担当だった大学の職員の方(A)を、大学の新校舎にお招きしたいので、招きの応じてくれるかどうか、確認して欲しいとの電話がありました。何しろ、90歳を超えているので、大学まで来て貰うのは、大変な事なのです。

 今日、A氏の様子を見ると共に、先輩の用件を受けてもらえるか、A氏の家に行って来ました。私が、高尾山に登ると、必ずお寄りするお宅です。1時近くにお邪魔すると、在宅でした。先ず、大学の方に足を運んで貰えるか、話してみたところ、行くのは良いのだけど、多くの人が集まって、多くの人と話さなければならない所は、非常に疲れるので遠慮したいとの事でした。補聴器を付けているのですが、それでも他の人の話を聞くのは、やっとの事なので、非常に神経を使うそうです。そこで、私が計画している、恩師の3回忌の事を話すと、3回忌のミサならば、その日の体調にも依るが、参加しても良いとの事でした。3回忌の日が近づいた時点で、再度、体調等を確認した上で、最終的に決定する事にしました。

 その後、昔の話しから、最新の事まで、色々話をしました。隣の椅子に座って話す時も、かなり大きな声で話さなければなりませんでした。A氏が91歳、奥様が今年86歳になるそうです。何時も感心しますが、お二方とも、頭はクリアーですし、元気です。

 A氏が、毎年、年賀状を貰っているのだけど、良く思い出せないという人が居ました。名前を聞いてみると、私の良く知っている人でした。関西に行くと何時もお世話になりますし、東京での会合でも良く会います。学生の頃、体育会を一緒にやっていたというと、「ああ彼か」と、漸く思い出して嬉しそうでした。

A氏の奥さんが、最近のニュースで、矢張り気になるのは、森友学園の事だそうです。学校で、教育勅語を暗唱させるなど、押しつけ教育は、心配で仕方が無いそうです。そうした教育を、国の政治の指導者が、褒めるのは更に心配だと言っていました。そして、日本の風土の根幹にある、主君の為への「おもんぱかり」は、どんどんエスカレートし、何時か歯止めが無くなると、これも心配されていました。私も、全く同感でした。

色々話をしている内に、3時を過ぎてしまいました。お暇をして、近くの高尾梅郷を歩きました。そろそろ、盛りを過ぎようとしていましたが、まだ、満開の時の余韻を残していました。太陽があると良かったのですが、私が、歩いている間は曇っていて、花の色も褪せた感じとなり、少々残念でした。駒木野宿と小仏関跡は同じ所にあり、寄ってみました。梅の時期には、何回か来ています。1回転捻れた梅の木があり、山茱萸と梅のそろい咲きは、何時もの通りでした。ついでに駒木野庭園を見ましたが、入って5分もしない内に、4時が閉園の時間だと言われ、追い出されました。その後、高尾駅まで歩き、京王線で我が家に戻りました。

 我が家に着くと、丁度次男が出かけるところでした。まだ、職探しが上手く行かないようです。相撲を見た後は、テレビもこれと言って見る者が無く、録画してあった「ピアノ レッスン」という映画を見ました。男と女の業でしょうか、不思議な映画でした。変な話しですが、夜の時間潰しが、一番大変です。

 

「半世紀 時は流れて 老いたれど 未だ若造 この人の前」

「戦前の 悪夢が今にと 案じてる 戦前戦後を 生きしこの人」

「来週は 桜にバトンが 渡りそう 春の先駆け 高尾梅郷」 

 

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2017年3月16日 (木)

2017年03月15日

2017年03月15日

 

 今朝も曇り空でした。通期も冷たく、山沿いでは雪だと言っていました。

 昨日、迎賓館を高い位置から見る事が出来ました。黒塗りの車が沢山止まっていました。恐らく、サウジアラビアの国王一行が来ているのだろうと思います。他の国の政治状態、文化、宗教については、他の国人間がとやかく言うべき事ではありませんが、私は、人間が生まれながらにして、富と権力を保障されるのは、個人的には好きではありません。また、宗教が、政治に関与するのも好きではありません。宗教が政治に関わると、生き方も魂も、神の名をもって、同じ人間である誰かに、支配・強制されているような気になると思います。宗教が絡むと、何事も論理では無く、信仰の問題に変わります。信仰心の無い者や、他の宗教を信じる者は、邪悪であるとか可愛そうだと決めつけられ、徹底的に排除されるか、救済の名の下に徹底的な再教育が行われます。従って、宗教は政治に関与させなければ良いのですが、人間は、信仰に頼るのが好きですし、宗教は、個人の家や地域社会、ひいては国家の社会習慣として、歴史が積み重ねられ、容易に宗教から離れる事が出来ない仕組みができあがっています。日本のように、形式的には、政治と宗教が切り離されていても、陰に陽に宗教が政治に関与します。宗教が政治と一体となった国では、社会生活が、論理では無く、信仰の強さで何事も計られてしまいます。これが、国と国との戦争に発展し、殺戮合戦にならない事を祈りますし、国内では異教徒の迫害にならない事を、常に願っています。

 ところで、昨晩、激辛数独が1冊終わりました。我が家では、ベッドサイドとテレビの横のテーブルに激辛数独が1冊ずつ置いてあります。先週、テレビの横の物が終わり、昨日終わったのは、ベッドサイドの物です。ベッドサイドの物は、睡眠薬の代わり、テレビの横の物は、暇潰しです。激辛数独という名前は同じですが、テレビの横の物は、ベッドサイドの物より、1ランク上の上級編なので、難易度が上がると、しょっちゅうカンニングしています。両方とも105問ですが、解くのに3日かかったり、解かない日もありますので、1冊終わるのに、大体半年程かかります。1冊の半分くらい解くと、使っていた鉛筆の芯が丸くなり、これを研ぐのが楽しみの一つです。

 昼食後、2時近くから、宝蔵橋、宝泉寺を経て、聖蹟桜ヶ丘までを歩きました。最初は、桜ヶ丘の方まで歩こうと思っていたのですが、思いの外寒く、歩く距離を短くしました。

特に予定が無かったので、3ヶ月に1度の、目の検査をしました。今日は寒いせいか、患者が少なく、視力検査の他に視野の検査もしました。視力検査は、3ヶ月に1度で、前回と大差在りませんでした。視野検査は、半年に1度ですが、今回は、特別でした。視野の方は、前回と比べて、見えにくくなっている部分が、両目とも増えているそうです。視野の欠損は、緑内障が原因ですから、特に治療法は無く、進行を遅くするのが関の山です。まあー老い先も短いですから、死ぬ迄に盲目になる事は無いでしょう。医者から、左目の白内障の手術を進められました、まだ決断が出来ずにいます。車の免許も返し、生活に大きな支障が無いためです。

5時近くに我が家に戻り、久し振りに、ゆっくりと相撲を見ました。横綱陣が、バタバタと取りこぼしをしている中で、新横綱の稀勢の里が、落ち着いた相撲で、4日間ではありますが、一人勝ち続けていました。新横綱の全勝優勝を見てみたいものです。

相撲が終わると、急いで晩酌の準備をし、次男も1品作ってくれて、7時から酒を飲みながら、野球を見ました。シーズン中の国内四球と違って、野球のオリンピックとも言うべき、WBCの国別対抗戦は、独特の高揚感があります。今日も、素晴らしい試合で勝利し、アメリカで行われる準決勝に、全勝で進出する事が決まりました。お陰で、野球がある日は、夜が短いです。

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2017年3月15日 (水)

2017年03月14日

2017年03月14日

 

 珍しく、雨の朝でした。電線に雨の雫が付き、向ヶ丘が煙っていました。これもまた、良い風情です。

 今日は、午後2時から、金祝の全体会議があるため、散歩もしないで、12時15分には、我が家を出ました。順調に乗り換えが出来て、30分近く前に会場に着きました。開始時刻の2時には、40人程の参加者が集まりました。この前、一緒に山に登り、体調を崩した友人も参加しました。体調は、すっかり元に戻ったそうです。安心しました。それにしても、山歩きの仲間が、この会に4人も参加しています。その他に、友人の音楽会で知り合った人、先輩の店で知り合った人、横浜の友人のレストランで食事をした人、時々ゴルフ大会や山登りで会った人等、最近知り合った人も少なからず居ます。初めての人も半数以上居ます。しかし、同じ時代に、同じ学び舎で学んだ人達ですので、似たような思い出が沢山会って、糸口さえ見つければ、色んな思い出に繋がります。古希を過ぎるまで生きてきて、現在は惰性で生きているような、老いたる身にとっては、有り難い集まりです。この会議の責任者が、「老い先短いとは言え、この会を新しい出会いの場にしましょう」と言っていました。確かに、幾つになっても、新しい出会いはあるものです。

 全体会議は、和やかな内に進行し、それぞれの役割の中味について確認し、金祝の全体像が、概ね決まりました。私も、祝賀会の概要について、昨日作った資料を参加者に渡しました。後は、案内状を出す人が決まり、案内状を出せば、最大の山は越す事が出来ると思います。

 全体会議終了後、コーヒーでの懇談会になりました。学内の食堂には、アルコール飲料は、置いていないのです。来月からは、新しい校舎が完成し、卒業生の為のクラブもオープンしますので、若しかするとワインくらいは、飲めるようになるかも知れません。コーヒーでの懇談会にも慣れましたけど、、、

 懇談会が終了した後、一人だけ酒を飲みに行きたいと騒いでいる人が居ました。通常ならば付き合うのですが、今日はWBCの野球が見たくて、辞退しました。これまでの試合時間から見て、試合途中で帰らなければならなくなると思ったからです。

 皆と別れて、7時には家に着きました。丁度野球が始まるところでした。次男と一緒に、キューバ戦を見ましたが、手に汗を握る熱戦でした。今度の野球は、どの試合も見応えのある試合でした。テレビの画面に向かって、勝手な事を叫びながら、試合を楽しみました。試合は、日本の劇的な勝利に終わり、良い気持ちで寝る事が出来ました。

 

「大学の マドンナ達も 年を取り 気後れせずに 話が出来る」

 

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2017年3月14日 (火)

2017年03月13日

2017年03月13日

 

 今日は、朝から曇り空でした。午後、ほんの十数分、太陽が雲の後ろから顔を出しました。

 昨晩は、酔っ払ってしまって、後輩と一緒に写真を撮ったのを忘れていました。今朝スマホを開いたら、いきなり写真が出てきたので、吃驚しました。その彼から、昨日のお礼のメールが届きました。他人を喜ばせるのが上手いというか、表現力が豊というか、感動的なメールでした。下手な料理と話しを褒めてくれました。長生きはするものです。

 昼食後、1時頃から、大栗川の合流点を回って、聖蹟桜ヶ丘まで歩いてきました。曇り空なので、遠出をしないで、標準的な散歩コースを歩いたのが、良い結果となりました。

 家の前の土手を、下流に向かって歩きました。京王線の鉄橋に近い流れには、かなりの数の小鴨が、泳いだり向こう岸で休んだりしていました。その群れの中に、川鵜が2羽、将軍のように微動だにせず、立っていました。私が、川岸に着いたのを合図のように、オオバンが8羽、川の中心に向かって泳ぎ始めました。隊列は崩れていましたが、黒一色の制服集団でした。なんだか、役目の異なる軍隊の野営のようでもありました。川鵜が将軍、オオバンが騎兵、小鴨が歩兵のようでした。

 近くの、芽吹きを始めた柳の中では、オナガが、中が透けて見える緑の鳥かごの中で、上に行ったり下に降りたりを、繰り返していました。隣の冬木立には、椋鳥達が、羽を休めていました。

 京王線の鉄橋から下流は、関戸橋の工事のため、川という様相では無くなってしまいました。関戸橋の上流と下流のあった荻の原の中州が、砂利の山になっていました。工事現場を離れ、大栗川との合流点に急ぎました。合流点の、カメラ老人の聖地が、子供達に占拠されていました。近くの小学校の校外学習が、行われていたのです。子供達は、川の美化、動植物の保護に関して、思い思いのポスターを作成し、川岸の金網で、展示会をやっていました。多摩川の流域も、宅地化が進んでいます。残された自然を、守る気持ちは大切だと思います。出来れば、これ以上自然を破壊しないような教育も必要だろうと思いました。

 大栗川を200メートル程遡って、乞田川との合流点に着きました。小さな鳥が数匹飛んでいました。最初は雀かと思っていましたが、体の黄色が目立ちました。キセキレイかとも思いましたが、キセキレイにしては、体が小柄で、尾が短いのです。取り敢えず、写真を撮って、家に帰って調べてみたら、スズメ目アトリ科のカワラヒワ(河原鶸)でした。恐らく、これまでにも会った事はあるのでしょうが、今日のように、写真も撮れて、何時もの鳥とは違うと意識して会ったのは、初めてでした。嘴が太いのが特徴の一つでした。アトリ、黒ツグミに続いて、今年3回目の初めての出会いとなりました。もう既に10年以上、府中近辺の多摩川を彷徨いていますが、未だに新しい出会いがある事に、驚いています。逆に、府中の鳥にもなっているヒバリに、未だに会えないのは不思議です。

 3時過ぎに家に戻りました。早速パソコンの前に座り、撮ってきた写真を拡大して、カワラヒワを特定しました。その後、明日の金祝の全体会議のための資料作りをすると、6時近くになってしまいました。次男は、外での飲み会に出かけましたので、今宵は、一人での晩酌になりました。

 

「長旅を 控えて小鴨 野営中 将軍面の 川鵜旅せず」

「小鴨等を 守りて飛ぶや 大鷭の 黒き制服 騎兵集団」

「芽吹きたる 柳の鳥籠 遊園地 尾長が遊ぶ 緑のケージ」

「雀かな 黄鶺鴒かも 知れないな いいえ私は 河原鶸なの」

「河原鶸 お初にお目に かかります 河川工事で 中州を後に」

 

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2017年3月13日 (月)

2017年03月12日

2017年03月12日

 

 富士が見えない日が続くようになりました。だからといって、天気が悪い訳では無いのです。春という気候のせいなのかも知れません。

 今日は、後輩2人が、4時に聖蹟桜ヶ丘に着きますので、午前中の仕事が終わって、昼食を食べた後から、料理の準備をしました。アサリのバター炒めようの、ニンニク、パセリ、セロリのみじん切り、ピザ用にサラミ、トマト、ピーマンの薄切りをしておきました。サラダは、切るだけですから、1品の料理として完成しました。

 3時過ぎに家を出て、歩いて聖蹟桜ヶ丘に行きました。今日の歩きは、これだけでした。4時丁度に、後輩達が着きました。3人で、今日の料理の材料と、酒類を買いました。何時もは、きちんとした場所で会っているので、なんだか妙な気分でした。

 5時前に我が家に着き、早速アサリのバター炒めを作り、昨年1年クラブの責任者として大任を果たした後輩に、ご苦労様の乾杯をし、今日の飲み会が始まりました。二人は若いので、食べるスピードが速く、あっという間にサラダとアサリバターが無くなりました。次のアヒージョが間に合いませんでした。仕方なく、今日のイタリア系の料理とは合わないのですが、昨晩作っておいた肉じゃが風の煮込みで時間稼ぎをして、アヒージョとカルパッチョを作りました。その後、ピザを焼き、チーズの盛り合わせを出して、ゆっくりと酒の時間になりました。

 クラブの歴史や将来について、種々話しが弾みました。今日来た2人は、ユニークな考えを持ち、進取の気象に富んでいます。しかし、クラブの持つ伝統にも配慮が出来る、所謂、温故知新が出来る人物です。お陰でクラブは、70人を超す隆盛期を迎えています。クラブの隆盛が続くと共に、彼等が、実社会に於いても、充実した人生を送れる事を願ってやみません。

 今日は、稀勢の里が横綱になって初めての場所が始まり、WBCの第2ラウンドも始まりました。テレビを見たり、話をしたりしている内に、10時近くとなり、最後に、アサリバターの汁と、私が作ったトマトソースで、スパゲッティーを食べて貰いました。先輩が作った料理を、後輩が不味いとは言えませんので、半分強要が入っていますが、全ての料理を美味しいと言って食べてくれました。出した物は、何一つ残さず、完食してくれました。嬉しい限りです。

 後輩達は、10時半近くに帰って行きました。私は、一人で余韻を楽しみ、ワインを飲み、山となった食器を洗いながら、野球を見ていたら、次男が帰ってきました。野球は、なかなか決着が付かず、また次男と酒を飲みましたので、したたか酔ってしまいました。12時を過ぎて、日本の勝利で、漸く野球の決着も着いたので、楽しい一日も終わりにすることにしました。

 

「後輩の 努力のお陰で 先輩も 青春時代を 今に見るなり」

「継続は 力なりと 人の言う 言葉の意味を 今噛み締める」

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2017年3月12日 (日)

2011年03月11日

2017年03月11日

 

 今朝も富士は見えませんでしたが、良い天気でした。春になったので、空気が湿ってきたのでしょう、霞が強くなりました。

 今日は、東日本大震災から丸6年ということで、復興の状況等を色々なテレビでやっていました。それにしても、日本ほど災害の多い国は、無いのでは無いでしょうか。地震、津波、台風、洪水、火事、火山の噴火と災害のショウウィンドウーのようです。どの災害も、多くの人の生命や生活を根こそぎ奪ってしまいます。私が生きた時代に起きたものでも、伊勢湾台風、雲仙岳の噴火、三原山噴火、中越地震、阪神淡路大震災、東日本大震災等々数多くあります。東日本大震災の、津波の様子をテレビで見た時の衝撃は、今でも忘れる事が出来ません。人間が営々と築いて来た町や村を、その歴史ごと丸呑みにしてしまいました。自然の力の大きさを、目の当たりにしました。この震災に遭われた方々の心痛は、察して余りあるものがあります。震災からの復興も道半ばの感があり、慰めの言葉もありません。

 自然災害は、予期しない形で甚大な被害をもたらしますが、人間が引き起こす災害は、場合によっては、更に大きな被害をもたらす事があります。以前にも書きましたが、戦争は、その最たるもので、太平洋戦争は、多くの街を焼き尽くし、多くの人を殺戮しました。戦争は、止める事が出来ます。戦争を是とする人あるいは組織は、何処かに狂気を孕んでいます。愛国心や神の思し召しという名の狂気の場合が多いのです。良識ある人々は、この狂気の芽が育たないように注意しなければなりません。戦争の相手も、家族を持ち平穏な暮らしを望んでいる人が多いのです。話し合いの道を閉ざさないようにしましょう。

 今日は、私が標準第2コースと呼んでいる、四谷橋、程久保川、浅川、新井橋、石田大橋を回るコースを歩いてきました。

 多摩川の土手も、浅川の土手も緑が少しずつ増えてきました。街路樹の山桃は、目立たないのですが、花が咲いていました。四谷橋を渡った多摩川の土手に、一本だけ在る河津桜は、花の盛りを過ぎ、葉桜になっていました。河原の柳は、既に芽吹きが始まっており、冬枯れ色の濃い河原で、明るい萌葱色が、春の到来を主張していました。今日、多摩川を泳いでいた冬鳥は、小鴨とバンだけでした。春が来るのは、嬉しいのですが、冬の水鳥達との別れは、少しではありますが、寂しさを感じます。

 明日は、若者が我が家に遊びに来るので、国立のスーパーで、野菜や茸類を買いました。たいした料理が出来る訳では無いのですが、料理も我が家に来る目的の一つだと言っていますので、張り切ったり緊張したりしています。何時ものように、イタリア料理を中心に、料理を作ろうと思います。

 重い荷物を背負って、4時過ぎに、我が家に戻りました。最近の若者は、我々の時代と違って、綺麗好きが多いようなので、何時もより丁寧に掃除をし、明日の分の洗濯もしておきました。

 6時近くには、外出していた次男が帰ってきましたが、胸焼けがするらしく、酒は休むというので、今日は、一人で晩酌をしました。今夜は、特に見たいテレビは無かったのですが、時間潰しに、11時までテレビを見て、寝ました。1日を大まかに、午前中は日記やメール等の処理、午後は散歩や買い物、夜はテレビと決めているのですが、夜は、自分で計画してやる事では無く、人任せなので、外れが結構あるのです。

 

「震災の 辛い思いも 思い出に 時の流れが 辛さ薄める」

「忘却は 今を生きる 糧となり 未来の災難 呼び水となる」

「早春に 冬の居残る 多摩河原 柳奮闘 芽吹きの緑」

「何時帰る 北の国にも 春が来る 来冬来るは 君等の子供か」

「葉の色と 変わらぬ花の 咲いている バス停横の 山桃の木」

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2017年3月11日 (土)

2017年03月10日

2017年03月10日

 

 今朝は、富士は見えませんでしたが、良い天気でした。富士の上の雲が、色々形を変えながら育ち、9時頃には、丹沢と富士を覆う大きな雲になりました。

 今日は、メキシコ同窓会と言っても良い、アミーゴ会の年に一度の総会と懇親会がありましたので、参加しました。12時から開始されるので、10時15分に我が家を出ました。赤坂見附で銀座線に乗り換えるのを忘れたため、余分な時間がかかり、京橋の会場に着いたのは、12時10分頃でした。5分後に総会が始まり、形式的に、2016年度の決算、活動報告が承認され、次いで2017年度の予算、活動計画が承認され、総会は、30分程で終了しました。その後、懇親会となりましたが、私の胃癌の手術に関する、報告会の様相を呈しました。多くの人が心配をしていてくれたようです。その後、俺はこうだった、俺もこうだったと、病気の話しに花が咲きました。アミーゴ会も老人の会合になってしまいました。

 通常、二次会の音頭を取る副会長が、今日は欠席でした。今年の初めに、次男が急死したのです。この年になって、息子に先立たれるのは、何より辛い事だと思います。そんな訳で、2次会も無く、二時半頃に会場を出て、京橋から有楽町、桜田門まで歩きました。

日比谷の、昔、映画館が何軒か在った所だと思いますが、巨大な高層ビルが、建設中でした。最近、大型の高層ビルの建設は、見慣れているのですが、これまでに見た事も無い様な、巨大なビルでした。その巨大なビルの前を、ユリカモメの群れが、ビル風を楽しんで居るように舞っていました。桜田門の手前の堀には、ユリカモメ、バン、小鴨の集団が泳いでいました。

今日は、カメラを持って来なかったので、スマホのカメラで、写真を撮りました。少し、アップに撮ろうとして、スマホをいじっている内に、スマホを変えた時と同じように、カメラが動かなくなりました。仕方が、無いので近くで、写真を撮っていたお嬢さんに、写真の撮り方を聞きました。彼女が、私のカメラで撮ると写真が撮れました。どうも、スマホの画面を矢鱈に触ったり、叩いたりするのは、特別のソフトが起動され、写真の撮影モードから、別のモードに移るようでした。

まだ3時を少し回ったばかりでしたので、裁判所が入っている法務省のビルに行き、裁判の傍聴の仕方を教えて貰う事にしました。裁判所に着くと、いきなり手荷物検査をされ、中に入りました。職員らしき人影が無かったので、入り口のカウンターの横に座っている、警備の人に傍聴の仕方を聞きました。すると、「そこのカウンターに、刑事事件、民事事件毎に、どの法廷で、何時から裁判が行われているかのファイルがあります。傍聴券が必要な場合は、その旨明記されています。傍聴券が必要ない裁判は、何時でも自由に傍聴できます」と教えてくれました。

ファイルの中に、5階の法廷で裁判が行われていて、傍聴券が必要なかったので、その法廷に行ってみました。ところが、着いた時には、丁度裁判が終わったところでした。5階に来るエレベーターで、4階で降りた人が何人か居たので、4階に行ってみました。すると、開廷中の札が掛った法廷があったので、傍聴人入り口から入ってみました。そこでは、外国人の裁判をやっていました。

その裁判は、今日が結審で、被告人の最終尋問をやっていました。オーストラリアの軍に所属する人で、休暇を利用して日本に遊びに来て、ある日バーで酒を飲んでいた時、コカインを勧められ服用した罪に問われていました。通訳付きの裁判でした。求刑は1年6月の禁固刑でした。弁護人は、罪を認め、密売組織に関わっていない事、初犯である事、深く反省している事等を理由に情状酌量を要請しました。裁判官は、1年6月の刑を決定すると共に、3年間の執行猶予を言い渡しました。通訳、検事、弁護士、裁判官、それぞれ一人だけの小法廷でした。

裁判は、四時半頃に終了しましたが、直ぐに、日本人同志の傷害事件の裁判が始まりました。被告、検事、弁護士は入れ替わりましたが、裁判官は同じでした。事件は、一方が他方を突き飛ばし、怪我させたという単純なものでした。今日は、被害者の証言が行われました。ほとんど意味の無いような、弁護士の質問が、繰り返し行われ、5時半近くに裁判は終了しました。エレベーターでは、被告と弁護士と一緒でした。彼らの話を聞いていると、あのしつこい質問は、被害者の証言の矛盾を引き出す為のようでした。次の裁判では、目撃者の証人喚問が、行われるようでした。

法廷の様子は、ドラマで見ていた物と、ほぼ同じでしたので、なんとなく安心しました。ただ、1日に行われる裁判の数の多さには、驚きました。裁判官もかなりの重労働だと思いました。今日は、地方裁判所の刑事事件でしたが、民事事件や高等裁判所での裁判についても、何れ見学したいと思います。

五時半に裁判所を出て、7時少し前に我が家に着きました。次男が、酒を始めていたので、私も付き合い、二人で野球のWBC日本―中国戦を見ました。日本の第2次リーグ進出は決まっていたので、気楽に見る事が出来ました。結果は、日本の楽勝でした。

その後のニュースで、韓国大統領の有罪が決定した事、金正男暗殺事件で殺害された人が金正男本人である事が確認された事、森友学園が小学校の認可申請を取り下げ理事長が辞任した事が伝えられました。一気に事件が進展しました。

 

「人生の 場面場面を 共にした 仲間もいよいよ 最終場面へ」

「大東京 ビルの谷間に ユリカモメ お堀の水と ビル風楽しむ」

 

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2017年3月10日 (金)

2017年03月09日

2017年03月09日

 

 素晴らしい、快晴の朝でした。昨日の朝と同じように、朝日を浴びた富士が輝いていました。

 今日は、12時には家を出なければならない用が有るため、朝6時30分から、多摩川の土手を散歩しました。

夜明けが、随分早くなりました。6時20分に、ベランダ側のカーテンを引いた時には、既に日が昇っていました。しかし、太陽の位置は未だ低く、あちこちに太陽の子供ができていました。高幡不動の相輪も輝いていました。百草園駅と高幡不動駅の間に、水平に輝く物が有りました。実は、これは、夜も同じように輝くのです。これが、一体何なのか、何時か確かめなければならないと思っています。四谷橋の二本の柱の影が、浅川の土手の方まで伸びていました。

昨晩は、かなり冷え込んだのでしょう、枯れた茅の土手に一面霜が降りて、銀色の道になっていました。歩いていると、沢山の銀の粒が輝くのですが、止まって写真を撮ろうとすると、この輝きが減ってしまうのです。歩くと銀の粒の角度が変わり、次々と光るのだと思います。茅の中に数を増してきた野草のロゼットが、銀のペンダントのようになっていました。写真を撮っても、この銀の粒を見た感じのように撮る事は、私の腕では出来ません。実は、光の感じを写真に撮ろうとすると、朝の太陽の反射も、夕方の空の色も、思ったような写真が撮れません。もう少し勉強する必要がありそうです。

四谷橋の上流には小鴨達が、下流には真鴨が三番(さんつがい)泳いでいました。彼らの北帰行の時期は、間近に迫っています。四ヶ月近く、散歩を楽しくしてくれました。昔の人達ように、花鳥風月を愛でる気持ちが、老いを生きる大きな力となっています。

朝食を作って食べ、日記をブログにアップし、植木に水をやりしているうちに、出かける時間になりました。少し早めに出て、吉野家で昼食を食べて、都心に向かいました。

今日は、金祝の総務委員会と言う事で、準備委員会の会長を含めて、6人の少人数が集まり、2時頃から会議が始まりました。何故、私がこの中にいるのか、良く分りませんでした。会長の補佐役として、何時も側にいるようにと会長が望んでいるようでした。まー、何かとお世話になっている会長ですから、出来るだけの事はしたいと思います。準備委員会に入ったのが、そもそも会長の補佐をする事でしたので。

今日の総務委員会は、先日行われた全体会議の決議事項を確認すると同時に、決議自体が、金祝の実施上、誤解や不都合が無いか検証しました。昨年の実施状況と照合しながら確認したところ、幾つか誤解が見つかりました。次の全体会議で、事務の分担と内容を承認して貰って、円滑に金祝が実行できるようにしなければなりません。金祝は、5月の最終日曜日です。ふんだんに時間がある訳ではありません。金祝の祝賀会そのものは、たいしたことではありませんが、混乱だけは、無い様にしましょう。なんだかんだと、全ての確認が終わった時は、5時近くになっていました。二次会も無かったので、6時過ぎには家に帰りました。

今夜は、見るべきテレビも無く、録画してあった映画を見ながら、次男と酒を飲みました。スピルバーグの「世界の終わり」だったと思いますが、話の進め方に非常に無理があり、何が何だかさっぱり分らない映画でした。テレビのドラマやバラエティー番組、最近の映画、どれも見て良かったと思える物は、ほとんど無くなってしまいました。

ところで、豊洲問題ですが、石原元知事と小池知事との間に、軋轢が生じているようです。私にとっては、どちらも嫌なタイプの政治家です。石原都知事は、右翼系で中国との尖閣列島の問題は、彼が表面化したようなものです。国と国の関係に置いては、多くの違った主張があります。それを、問題先送り、あるいは主張を先鋭化させない知恵が、国と国との対立を和らげて来たのです。それを、彼は深く考えもしないで、彼なりの愛国心で、日本の主張を行動に移したのです。彼は、そうした右翼系の典型のような人間です。豊洲の問題に置いても、「古いところに固執しないで、新しいところに移そう」と彼なりの決断力を発揮したのだろうと思います。右翼系がリーダーになった場合は、反論が難しいのです。ただそれだけの事だったと思います。通常この種の問題に置いて良く見られる、森友学園のような金銭的汚職はなかったと思います。土地の汚染の状況や建物の工事の仕方については、彼に詳細な報告が為されたかどうか疑問です。彼は、決断し、実際の作業は都の官僚が実施したと思います。それだけの事だと思います。豊洲市場の問題は、国内問題ですから、適宜解決して欲しいと思います。

小池知事は、何を考えて居るのか、私には良く分りません。しかし、彼女の目は、私の周り女性の中で、これまで見た事も無い様な、嫌な目をしています。これまでの人生に於いて、多くの苦労があったのでしょう。その苦労の原因が、彼女を取り巻く政治家達にあったのかも知れません。個人的報復に、都政が利用されない事を祈ります。豊洲市場の問題に関しては、築地市場にも土壌汚染があると指摘された時、「アスファルトなどで表面に出てこないようになっているから問題ない」との見解でした。では、豊洲も同じように工事をすれば済む問題だと思います。建物の地下空間と泥鰌の下の地下水を除いて、豊洲市場の表面が汚染されているとは、誰も指摘してはいないと思います。都の政治のやり方を透明化するための手段として(それで選挙にかったので)、問題を拡大するのは、早めに見切りを付けて欲しいと思います。

 

「霜降りて 朝日の中の 銀の道 野草のロゼット 数を増しおり」

「多くの日 散歩の起点の 四谷橋 水鳥達が 我の送迎」

 

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2017年3月 9日 (木)

2017年03月08日

2017年03月08日

 

 今朝は、空気が澄んでいるのか、富士が輝いていました。それでも、午後は天気が不安定だと言う事でした。

 昨日、ハンドタオル一枚を、廃棄しました。両側の縁取りが解れてしまい、次々と糸が出てくるようになりました。「ここまで使ったら処分しても良いか」という気持ちにさせてくれました。どんな物も、こんな感じで使っていますので、我が家から物が減る事は、ほとんどありません。お陰で、昨日のように、ハンドタオルを処分した時、「これまでありがとう」という気持ちになれるのだと思います。処分する時、一瞬だけでも幸せな気持ちになれるのは、嬉しい事です。だからといって、特別な廃棄の仕方をする訳では無く、通常のゴミと一緒に、処分するのです。

 昼食後、東京薬科大学から、南大沢の方まで歩いてきました。早春から初夏にかけて、そして秋には、最低でも月に一度は、薬科大学の薬草園に行きたくなります。

 1時15分に家を出て、2時には薬科大学に着きました。明日は入学試験らしく、一般の人は学内に入れないと看板が立っていました。今日来て良かったと思いました。入ると直ぐに「たにし池」があります。この池は、通常、睡蓮の葉が池を覆っていて、水鳥を見るのは珍しいのですが、今日は、葉が全部取り除かれ、小鴨が一番(ひとつがい)泳いでいました。

 薬草園に入ると、色んな所が工事中でした。大掛かりな工事では無く、一般の人が歩き易いようにする為の道の整備や、花を育てる場所を拡大していました。私と同じように、薬科大を散歩コースとしている人にとっては、非常に有り難い事です。こんな状態でしたので、花は、ほとんどありませんでしたが、山に入る道の土手に、菫が沢山咲いていました。春ですね-。薬科大学の薬草園の周囲の丘は、珍しい木を植えているところもありますが、大半は自然の森なのです。

 薬科大学を出て、目の前の里山を歩きました。畑の一画に、小さいながら梅林があり、紅白の梅が満開でした。里山に行って心が和むのは、少年時代の故郷に帰ったような思いがするからだと思います。少年時代の我が家は、山裾の谷間にありました。我が家ともう一軒の家が、段々畑を耕していました。五反百姓と言われる、貧乏な農家でしたので、食べ物のほとんどは、自給自足でした。今日見たように、我が家にも小さな梅林があり、また、畑の周囲にも数本の梅の木がありました。今の時期は、今日の梅林と同じように綺麗だったのを思い出しました。目白もやって来ました。我が家には、梅の他に、柿、蜜柑、柚、栗、茶の木がありましたが、桜はありませんでした。恐らく実を付けないからでしょう。

 里山から、多摩丘陵の森を越えると、里山では無く住宅地が現れました。どんどん丘を下りていくと、由木中央小学校に出ました。南大沢の方まで来てしまったのです。私が南大沢の娘の家に行く時に通る、バス通りにでました。ここから、我が家まで歩いて帰るのは、かなり大変ですので、バスで帰りました。家に着いたのは、四時半頃になりました。

 今日の夜も、次男と、野球のワールドカップであるWBCのオーストラリア戦を楽しみました。今日も、日本が勝ち、第一次予選の通過を、ほぼ確実にしました。美味しい酒が飲めました。

 ところで、森友学園の、教育勅語を強制的に暗記されるような、教育方針に関しては、良いと評価する人が少なからず居るのです。私には、信じられない事です。更には、このような教育方針を、日本全国の学校で行うべきだと言う人もまた、少なからず居るのです。安倍総理も、道徳教育の復活を考えて居るようです。流石に、森友学園と同じでは無いでしょうが、まかり間違うと似たような物になります。道徳は、個人の生き方や考え方に、密接に関わる物ですから、生き方や考え方の、国家的強制に繋がる可能性があるのです。何故かというと、特定の国家の道徳の根幹に、歴史、文化、宗教が深く関係するからです。そして、いつの間にか、道徳と愛国心の区別が付かなくなってしまいます。しかも、この場合の愛国心は、人間が素直に持つ愛国心を超えて、敵と戦うための愛国心となってしまいます。何故かというと、理性を持って考える人が排除され、感情だけを大声で唱える人の力が、組織を支配していくからです。理性は、戦う力を弱める物として、誰もが嫌うようになるように仕向けられます。戦前、そのことは、嫌と言う程、経験したはずです。現在の北朝鮮を見て、変な国だという人も、自分が似たような事を言っている事に気がつかないのです。

 民主主義の基本は、個人の尊厳と自由です。勿論、個人が山程居る、組織社会の中で生きるのですから、個人の尊厳と自由が相互に制限される場合は、当然あります。しかし、個人の尊厳と自由は、国家ですら、簡単に犯す事は出来ないと言う事を、民主主義社会の法や道徳の根幹としなければなりません。日本で、民主主義の根幹に基づく、正義や倫理観が確立されているでしょうか、私は未だだと思っています。戦後70年、社会生活や裁判などを通じて、少しずつ理解が深まってきたとは思います。従って、道徳は教育として、決まった価値観を押しつけるのでは無く、結論を求めない議論をする事から始めるべきだと思います。教師も、結論を出してはいけないと思います。出せるはずも無いのです。

 

「多摩の里 少年時代の 故郷を 思い起こさす 里山ありき」

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2017年3月 8日 (水)

2017年03月07日

2017年03月07日

 

 富士は見えませんでしたが、午前中は良く晴れていました。所が、午後には短い時間ですが、雨が降って天気予報の通りになりました。今日も、洗濯は控えました。

 ゴミを捨てに行ったら、管理人に捕まってしまいました。我がアパートでは、当然のことながら、府中市のゴミ処理基準に従って、ゴミを捨てる事になっています。基準に合っていない物については、収集業者が持って行かないので、ゴミ捨て場の横の誰もが見える場所に置いて、出した人に持ち帰って貰うように促しています。ところが、長い事、不適切なゴミが残っています。先ず、府中市のゴミ袋に入っていません。燃える物燃えない物の仕分けもされてないゴミなのです。管理人が、このゴミについて愚痴を言っているのです。多分、収集業者から、嫌みを言われているのだろうと思います。私は、2年前は、自治会の役員だったのですが、1年毎に回ってくる当番制ですから、現在は役員ではありません。私に色々言われても困るのですが、なかなか離してくれませんでした。「管理人が責任を問われる事は無いのですから、放っといたら良いでしょう」「最終的には自治会がなんとかしてくれますよ」等となだめて、漸く解放して貰いました。

 昨日、長崎の高校の同窓生から、資料が届きました。我々が作成した恩師の追悼文集に関する、長崎新聞の記事などが入っていました。その中に、長崎に住んでいる10人程の同窓生の写真が入っていました。何処かの老人グループの記念撮影そのもので、誰一人として、顔と名前が一致しませんでした。年月の流れを痛感しました。

 昼食後、神代植物公園に行って来ました。一時過ぎに家を出て、神代植物公園に着いたのが、2時過ぎでした。西南の方は日差しが残っていたのですが、北の方は、黒い雲に覆われていました。公園は、春の花の準備をしている段階で、花らしい花は、梅、花桃、サンシュユ(山茱萸)、万作、椿くらいでした。ダリア園のダリアは、未だ芽が出て居らず、ホトケノザ、タネツケソウ、ナズナ等の野草が、地面を覆っていました。今日は、花よりも、葉を落とした落葉樹の木の姿の写真を、沢山撮りました。桜、ユリの木、カエデバフウ(楓葉風)、桂、サルスベリ、ラクウショウ(落羽松)、メタセコイア、欅等、個性豊かな木の姿を見せてくれました。

 時間があったので、暫くご無沙汰していた大温室に入りました。此処は、何時も熱帯の花が咲いていますし、ランと〇〇の部屋では、山程の花に食傷気味でした。ランも〇〇も、どれも華やかで美しい花なのですが、何時もラン展とか、今日のように一部屋に集められた花を見ているので、ため息は出ますが感動はしません。緑がむせ返るような熱帯のジャングルの中で、自然に咲いているランに出会いたい物です。変な話しですが、若い頃良く行っていた、新宿の大キャバレーを思い出しました。睡蓮の部屋、小笠原の部屋を回って、温室を出ました。

 温室を出ると雨が降っていて、傘を差しての散策になりました。深大寺門の近くで、一つの収穫がありました。この前、名前が分らなかった、黄色い花を付けた山吹の子供のような木の名前が分りました。ヒマラヤ原産のキンケイというモクセイ科の木でした。植物園の良いところは、花や木に名札が付いている事です。

 雨の中、梅園と隣の椿園を見ました。梅は、既に盛りを過ぎ、雨に濡れて寒々としていました。苔の付いた梅の幹は、雨に濡れ、花の付いた枝には、雨の雫が何時もとは違った風情を感じさせました。雫には、梅園全体が閉じ込められていました。

 植物公園を出て、深大寺へ出た頃は、雨は上がって、薄い雲の後ろから、太陽の光が届きました。4時を過ぎていましたので、周辺を見ること無く、我が家に戻りました。6時近くになっていました。

 晩酌の摘まみに、豚キムチを作ったつもりが、牛キムチになっていました。肉を間違えてしまいました。食べられない事は無かったのですが、豚と思ってしっかり炒めたので、歯応えが抜群でした。これに、買ってきた「鰹のたたき」、「チーズチキン」などを加えて、次男とWBCのキューバ戦を見ました。4回までは、ファインプレーの応酬で良い試合でしたが、その後は点取り合戦になりました。なんと試合が終わったのは、11時を過ぎていました。

 

「高校の 同窓生が 皆爺さん 記念撮影 胸締めつける」

「植物園 剪定されない 木々達の 自然の姿 心打つなり」

「奥山の 自然の木々とは 異なるも 切り刻まれた 並木と違う」

「春を待つ 裸の木々の 枝振りが その木独自の 生き様語る」

「花桃に 手を差し伸べる 乙女をば 上手く撮りたい 若者必死」

「盛りすぎ 雨に濡れたる 梅園の 節くれ幹の 苔の緑よ」

「花付ける 梅の小枝に 雨雫 周囲閉じ込め 下がり居るなり」

「白梅の 小枝の先の 雨雫 花と並んで 白さを競う」

「多摩の里 散歩に喜び くれた君 漸く名を知る 君はキンケイ」 

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2017年3月 7日 (火)

2017年03月06日

2017年03月06日

 

 朝は、晴れていたのですが、午後には雲が出て、小雨がぱらつきました。今日は、洗濯をしないで正解でした。最近は、天気予報を疑う事はしません。

 昨日、クラブの後輩から、共通の友人に連絡が取れないと電話がありました。彼の三鷹のアパートに行ってみたところ、住んでいる様子は無いとの事でした。大家は何も知らず、アパートを管理する不動産屋は、「元気だ」と言うだけで、現在何処に居るかを、教えてくれなかったそうです。

 今日、私が、市役所の方に連絡をして、死亡届は出されなかったか、何か給付金を受け取りに来なかったか等と、色々聞いてみましたが、個人情報に関わるとの一点張りで、何も教えてくれませんでした。これ以上、どうしようも無かったのですが、一応彼のアパートに行ってみる事にしました。

 昼食を食べた後、1時半に我が家を出て、2時20分頃に三鷹駅に着きました。彼のアパートには、1度訪れた事があるのですが、場所を覚えていませんでしたので、タクシーで行く事にしました。駅前に並んでいる最初のタクシーに乗ったら、個人タクシーのお爺さんのタクシーでした。ナビが付いていなくて、私が行きたい所の住所を言うと、お爺さん運転手が、大きな地図を広げて、場所を探し始めました。簡単には、探せそうに無かったので、後ろの客に譲って、私は、次のちゃんとしたタクシー会社のタクシーに乗りました。流石にタクシー会社のタクシーには、立派なナビが付いていて、直ぐに行き先が分りました。

 私は、ほとんどタクシーを使う事が無く、本当に久し振りにタクシーに乗ったのですが、テレビで言っていた、新しい料金システムになっていました。初乗り料金が、410円でした。客が減った事への対策だそうです。バブルの頃は、東京から府中まで平気でタクシーに乗りました。夜、流しのタクシーを拾う事は、乗車拒否に会う事は日常茶飯事で、タクシー乗り場でも長い列が出来、予約をしていないと、タクシーを捕まえるのが、非常に難しかったのを思い出しました。それに較べて、現在のタクシー業界の苦労が思いやられました。

 彼のアパートには、直ぐに着きました。820円でした。2階建てのアパートが2棟あり、各棟10室でした。その中の1室に彼の部屋がありました。彼の郵便受けには、山程、郵便やチラシの類が詰まっていて、彼が、暫くこのアパートに戻っていない事は、一目瞭然でした。三鷹市役所からの郵便も届いていましたので、何等かの形で、市役所と関係を持っている事が分りました。また、ベランダには洗濯機が置いてあり、アパートを引き払った形跡はありませんでした。以前も病気で入院していた事がありますので、今回もそうかも知れません。病院を探そうとしても、現在は、個人情報保護が壁となり、これ以上、彼を探すのは、違法行為を覚悟しなければなりません。暫く、様子を見る事にしました。彼も、私より一つ下の今年72歳、独居老人です。何が起きるか分りません。しかし、結局、何もしてやれないのです。

 帰りは、直ぐ近くにバス停があり、簡単に三鷹駅に戻る事が出来ました。彼のアパートは、仙川の源流探しで歩いた所の、直ぐ近くでした。この地点の仙川は、ほとんどが暗渠になっていて、源流探しを諦めた所の側でした。近くに八幡大社、禅林寺がありました。また、三鷹の駅は、玉川上水を歩いた時にも来ました。玉川上水が三鷹駅の北口から、駅の下を通って南口に出ていたのが、印象的だったのを思い出しました。

 4時には、我が家に戻り、玄関の整理をするなどして、その後、夜の酒の摘まみを作りました。昨晩もそうだったのですが、次男と私が、それぞれ作った摘まみを持ち寄り、晩酌を楽しみました。晩酌は楽しいのですが、次男の新しい仕事がどうなるのか、とても心配です。次男の体調の問題もあり、今後も料理人として働くのが良いのか、疑問があります。しかし、この年まで、料理人としてしか、生きて来なかったので、今から他の道を選ぶのは難しいでしょう。本人は、料理人を続ける積もりのようですが、今の料理の世界は、セミブラック企業の様な物で、仕事はハードで給料は安く、悩みは尽きないようです。親として、何もしてやれないのが、辛い所です。

 ところで、昨日の日記で、森友学園の事を書きましたが、少し書き足りない部分がありました。安倍総理夫人は、森友学園が現在建設中の小学校の名誉校長でした。新しい小学校の客寄せパンダになったのです。そして、幼稚園での挨拶で、「この幼稚園で学んだ事を忘れないで欲しい」というような趣旨の発言をしたと思います。総理夫人が、幼稚園で教えていた事をどの様に認識していたのか、直接聞いてみたい物です。

 午後、雨がぱらついたのですが、直ぐに霧に変わりました。日没の頃、西の方の霧が、太陽があると思われる所は、茜色になり、次第に薄桃色から、薄紫に変わりました。まるでモネの「ロンドンの議事堂」の絵を思わせる色合いでした。向かい側の七生丘陵は、薄紫に白が残り、灯りも点って、自然と人里が作り出した素晴らしい景色でした。

 

「多摩の里 薄きベールに 包まれて ベール越しの 夕暮れの色」

「宵の口 薄紫と 霧の白 つましく光る 人里の灯」

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2017年3月 6日 (月)

2017年03月05日

2017年03月05日

 

 今朝、我が家から富士を見ました。何時何処から見ても、富士山は良いものですが、鳥羽から見た富士山は、感動しました。こんなに遠くから、富士を見た事が無かったのです。自然が作った本当の意味でのランドマークだと思いました。先日、河口湖で見た、勇壮な富士とは違い、小さな物でしたが、見紛う事無き富士山でした。朝靄の中でしたが、富士を目印として、あの辺りが東京、富士の後ろは、奥多摩辺りだと、色々と推測を楽しむ事が出来ました。後で聞いたのですが、鳥羽から富士山が見えるのは、年に数える程しか無いとの事でした。そんなに心懸けが良いとは思わないのですが、、、

 昨日、日記を休んだ時の日記を書き上げて、ブログにアップしました。休むなら休むで、腹を決めれば良いものを、普段とは違った出来事を知って貰いたいと思ってしまいます。親族、山の仲間、クラブの仲間など、かなりの人が、私の詰まらない日常の話しを読んでくれています。最近では、日記をブログに上げるのが、一つの生甲斐になりました。今日から、毎日少しずつ、日記が書けるようになりました。

 この10日間で、我が家の大規模修理は、ほぼ終わりました。後は、ビルの裏側の1,2階の足場を取り外す事と、この工事のために、ビルの前の公園に建てた2棟の工事用の小屋を撤去すれば、完全に元に戻ります。桜が開花する前には終わるでしょう。多摩川の方から、アパートのビルを見ると、まるで新築のように輝いて見えました。

 今日は、久し振りに由木農場の方を歩いてきました。四谷橋の上から多摩川を見ると、小鴨やバンが泳いでいました。その中に、鴎のような白い鳥が混じっていました。良く見ると首が長く、頭にリボンらしき物が見えました。冠カイツブリでした。この前、山の仲間と大山に登った時、府中に住んでいる友人が、「多摩川で冠カイツブリ」を見たと言っていましたが、半信半疑でした。所が今日、私自身が冠カイツブリを見ました。本当だったのですね。恐らく、愛鳥家の奥さんが見つけたのだろうと思います。

 大山を歩いた時は、下界と違って春の気配は少なかったのですが、多摩の里は、そこら中に、イヌフグリ、ホトケノザ、ナズナ、タネツケバナ、ハコベが咲いていましたし、諸葛菜も花を付け、辛夷の花も綻んでいました。河原の柳の芽吹きも始まっていました。それでも、多摩川の河原や土手は、葦や薄、茅の冬枯れの色が残っていて、冬と春が鬩ぎ合う、早春という言葉がぴったりでした。

 家に帰って、メールを見ると、先日のパラグアイの友人から、奥様が魔女になった時の動画を送ってくれていました。何度見てもよく似合っていました。

 この10日間に、金正男暗殺事件、豊洲移転問題、森友学園の問題が、かなり、進展していました。どれも嫌なニュースですが、最も嫌なニュースは、森友学園の問題でした。

右翼系の人には、自民党も政府も官僚も、何故こうも弱いのでしょうか。自分達の支持母体と思っているのでしょうか。何等かの弱みを握られているのでしょうか。是非、きちんと真相を明らかにして欲しいと思います。

森友学園は、幼稚園の子供に、教育勅語を暗記させ、中国や韓国を憎み蔑むような教育をしています。こんな教育が、日本の未来を背負う子供の教育と言えるのでしょうか。何故、安倍総理夫人は、このような学校の名誉校長を引き受けたのでしょうか。阿部夫人の学園での挨拶は、信じられませんでした。正確に覚えていませんが、「この幼稚園で学んだ事を忘れないで欲しい」と言うような事を言ったのです。私には、戦前のように「国の為に喜んで死に、上官の命令には絶対服従し、敵を許さない人間になれ」と聞こえました。ファーストレディーの発言とは思えない低劣さでした。

現在、日本が、敗戦後、勝ち得た民主主義は、敵を作らず、お互いの考えと自由を尊重し、法に基づく正義を基本としています。従って、右翼系の人が居る事、右翼系の考えがある事は、容認できます。そして、中国や韓国が、反日教育をしている事も少しはあるでしょう。しかし、日本が反日教育を嫌うのであれば、反中国韓国教育をしてはいけないでしょう。相手の立場や考えは、きちんと聞くべきですし、自らの発言も誠意を持って為されるべきです。長崎生まれの平和主義者としては、右翼系の人達が、戦争の種を作らないように切に願っています。

 

「多摩川の 流れを滑る その姿 気品溢れる 冠カイツブリ」

「春告げる 早咲きの花 勢揃い 多摩の里山 早春の装い」

「枯れ果てた 薄が原の 冬の色 駆逐するのは 容易ならざり」

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2017年3月 5日 (日)

2017年03月04日

2017年03月04日

 

 2月23日から3月03日まで、9日間、日記を休みました。色んな事があったので、書く事は山程あるのですが、全部は書き切れませんので、その間の動向を、簡単に纏めてみました。

 

02月23日

 午前中は、何時もの通り、前日の日記を書き、炊事洗濯をして、過ごしました。昼食は、娘と末の孫、次男の4人で、ファミレスに行って食べました。末の孫とは、一月程会わなかっただけですが、随分子供らしくなっていました。午後は、四谷2丁目にある郵便局に、高尾霊園の供養料を払いに行き、ついでに、2丁目一帯を歩きました。四谷の旧家、市川家が十数件あります。大きな敷地に、立派な庭がある家は、ほとんど市川家です。

 散歩から帰って、明日からの旅行の準備をし、次男と酒を飲んで、早めに寝ました。

 

02月24日

 今日からの旅行は、イタリア時代の友達夫婦と、その友達の同じ会社の友人夫婦と3組の夫婦で出かけました。目覚ましは、7時にセットしたのですが、6時には起きてしまいました。シャワーを使って、早めの朝食を食べ、今日のニュースを見て、8時5分前に家を出ました。10時には、東京駅に着き、10時30分発の新幹線で名古屋に12時12分に着きました。新幹線からJRの「快速みえ」に乗り換えました。「快速みえ」と言っても、2両編成の全くのローカル線でした。それなのに、指定席がありました。2時40分鳥羽駅に着き、3時にホテルの迎えの車で、3時30分鳥羽の岬の近くの丘の上に着きました。石鏡(いしず)第一ホテル神俱良(かぐら)と、難しい読み方のホテルでした。眺望が売りのホテルで、部屋の窓から、伊勢湾、知多半島、神島、渥美半島 近くには、石鏡漁港、答志島、管島、鳥羽のホテル街が見えました。鳥の糞で白くなった瀬も正面に見えました。この見晴らしの良さとホテルの建て方から、以前は石鏡城と呼ばれていたそうです。4時過ぎから風呂に入り、軽く酒を飲んで、鈴鹿の山の方に落ちる夕日を楽しみ、6時から夕食、8時半から部屋で2次会となりました。朝、太平洋からの日の出が見たかったので、早めに寝ました。

「鳥羽岬 眼下の漁港 鴎舞い 岬の空に 鳶の舞うなり」

「海岸に 杉や檜の 姿無く 広葉樹の森 海を豊かに」

「鳥羽岬 鈴鹿の山に 日の落ちて 知多渥美の 灯台点る」

 

2月25日

 朝、6時に起きて、6時10分には、日の出が見える食堂に行きました。6時45分が日の出の時間と聞いていましたが、空は、かなり明るくなっていました。朝ぼらけの渥美半島の向こうに、薄ぼんやりと富士が立っていました。ホテルが建っている丘を、富士見ヶ丘と言うそうです。6時20分には日の出が始まり、6時25分には、日は海面の上に出ました。一緒に旅行している夫婦も日の出を見にやって来ましたが、間に合いませんでした。日の出を見た後、7時10分からの鳶への餌やりを見て、朝食になりました。朝食後、石鏡漁港に下りてみました。大半が老人の小さな漁港でした。海女ではないかと思われる、小母さんが大きな籠を背負って歩いていました。ホテルから見た鴎は、小鳥のようでしたが、港で見ると立派な鴎でした。

 10時発のホテルの車で、鳥羽へ出て、近鉄電車で伊勢へ行きました。外宮、内宮の順に回りました。土曜日のせいか、外宮、内宮、おかげ横町、何処も人の多さに驚きました。昼食は、人が並んでいない喫茶店で、カレーを食べました。内宮からは、バスで鳥羽へ戻り、迎えのバスで、ホテルに戻りました。

「朝ぼらけ 伊良湖岬の 彼方には 薄らぼんやり 富士の立つなり」

「鳥羽の地の 富士見ヶ丘から 富士を見る いずこの富士も 心が揺れる」

「広大な 太平洋の 日の出かな 大和の国は 日出ずる国」

「海面に 光の雫 滴らせ 太平洋に 朝日の昇る」

「朝の日の ホテルの中に 入り込み 壁に人影 ガラスに太陽」

「日が昇り 霞が強く なりたれば ぼんやり富士の 姿が消える」

「日の出時 出船入り船 石鏡港 日々の営み 豊漁祈る」

「餌付けされ 毎日満腹 鳶達の 飽食慣れした メタボ腹かな」

「お零れを 狙って集まる 烏達 鳶に負けない メタボ腹かな」

「鳥羽の海 瀬に立つ岩の 雪化粧 尋ねてみれば 海鳥の糞」

「漁港から 丘のホテルを 見上げれば 砦のような ホテル石鏡城」

「鳥羽までの 道に幾つも 焼き牡蠣屋 残りし蛎殻 石垣の如し」

「何故に これほどまでに 人の来る お伊勢参りの 人の行列」

「昼餉時 おかげ横町 人の海 飯屋の前は 人の行列」

「伊勢参り 懸け離れた カレー喰う コーヒー自慢の 喫茶店かな」

「歴史古り 八千代の森の 木々達の 生命力に ひたすら驚嘆」

「現役の 海女さん我等の 世話係 漁の話しを 聞きつつ夕餉」

「取れたての 若布一茹で 舌鼓 地元ならでは 出せぬ味かな」

 

2月26日

 7時に起きて、朝食を済ませ、9時にはホテルの車で、鳥羽駅に行きました。来た時と同じように、JR「快速みえ」で名古屋に、12時30分に着きました。新幹線の出発時間は、16時03分発で、時間があったので、独りは徳川博物館、残り5人は、ノリタケ美術館を見学しました。ノリタケ美術館から、名古屋駅に戻ったのが、2時40分、手荷物を取り出して、昼食を食べるために、レストラン街へ行きました。昼食は、名古屋名物「味噌煮込みうどん」にしたかったのですが、3時近くだというのに凄い混みようだったので、またしても、人が並んでいない、スパゲッティーにしました。時間通り新幹線に乗って、5時40分、東京に戻りました。

「ノリタケの 歴史を語る ディナー皿 我が家の皿も 歴史の一つ」

「ノリタケの 創業者の 末裔が 大学時代の 恩師夫人とは」

「名古屋駅 食堂街は 超満員 地元料理は 次にお預け」

「食べずとも 持って帰れる 土産物 名古屋名物 味噌煮込みうどん」

 

2月27日

 今日は、3日間のメールを処理したり、旅行の75調の紀行文を書くのに、ほぼ1日かかりました。全く歩かないと、気持ちが落ち着かないので、宝蔵橋から大栗川に沿って、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。

 

2月28日

 冬の最後の1日となりました。冬の名残と春の便りを尋ねて、交通公園、新田川緑道、下川原緑道、高安寺、大国魂神社と歩いてきました。季節の変わり目を感じさせる物が、幾つもありました。

「道脇や 庭や畑の 梅の木は 何処も満開 春は来にけり」

「寒桜 河津桜と 競演す 近々バトンを 染井吉野に」

「ヒヨドリも 桜の中では 可愛げな 小鳥に見える 春の午後かな」

「この花を 見ればローマを 思い出す 黄色き房の ミモザの花かな」

「日を受けて 白く輝く あの花は 白木蓮の 大きな花びら」

「てかりある 葉と花を持つ 君の名は 石蕗もどき 早春の花」

「花終えて 棘ある枝の 薔薇の実の 赤みを帯びて 食べられそうだ」

「白枯れて 枝に残れる 薔薇の花 隣の枝に 新芽膨らむ」

「枝垂れずに 咲いているのは 雪柳 身繕いもせぬ 慌て者めが」

「黄金色 小さな花が 輪に枝垂れ 君は誰ぞや 山吹の子か」

「高安寺 墓の傍ら 水仙の 姿勢正して 咲いているなり」

「千を超す 水子供養の 地蔵達 世に出ぬ水子の 顔立ちしてる」

 

3月1日

 山の仲間と阿夫利神社まで、丹沢の大山を登ってきました。その様子は、何時ものように75調の紀行文で推測して下さい。

「伊勢原に 正月以来の 山仲間 春を探しに 十二人」

「駅前の バスに乗り込み いざ行かん 昔の霊場 日向薬師へ」

「日向里 春の近きを 告げている 畑縁取る 梅の花かな」

「茅葺きの 日向薬師の 佇まい 仏も瞑想 静寂の地」

「檀家無く 里の男衆 庭掃除 説明役も 買って出るなり」

「葺替えし 茅の出どこは 富士の山 烏時々 茅を盗みに」

「愚痴も出る 昔大山 今高尾 人の賑わい 時代と共に」

「森深き 日向薬師を 後にして 本格的に 春を探しに」

「登山口 行き着く前の 石雲寺 此処も山号 雨降山」

「葛折れ 何処まで続く 坂道ぞ 弱りし足の 悲鳴を上げる」

「見上げれば 木々の向こうに 稜線が しばしの辛抱 終わりは近い」

「稜線に 辿り着いたら 尾根歩き 希望は失意に どんでん返し」

「大山の きつき登りに 阻まれて 仲間の一人 顔色悪し」

「耐え抜けば 苦難は何時か 喜びに 見晴台にて 楽しい昼餉」

「見晴台 大山制覇の 帰り道 5年前の 思い出の地」

「ひたすらに 阿夫利へ向かう 下り道 谷の崩落 痛々しきかな」

「渇水か 滴る水無き 枯れ滝で 復活願い 記念撮影」

「大杉や カモシカを見た 谷を越え 大山参りの 大山寺に」

「山号が 雨降山の 大山寺 日照り続けば 大山頼み」

「出来るだけ 楽に下りたい 下山道 選びし道は 女坂なり」

「性悪な 女のための 女坂 転げ落ちそな 階段続く」

「ようように バス乗り場に 辿り着き 今日の登山は 無事に終了」

「大山に 来たなら寄らず 帰れない 疲れを癒やす 鶴巻温泉」

「風呂を出て 待っているのは 宴かな 先ずは乾杯 満面の笑み」

「年の瀬に アコンカグアに 無酸素で 挑戦したる 仲間のありき」

「春探し 話しに花の 咲きにけり アコンカグアの 思い出種に」

「山道に 春の兆しは 少なくも 宴の席は 春爛漫」

「永遠に 話し続けて いたいけど 風呂屋の酒には 時間制限」

「男だけ 飲み屋探して 入りしは 独りで経営 婆さん酒場」

「手伝いを 申し出でても 知らん顔 無愛想なる 婆さんなりし」

「飲む程に 宴の席は 盛り上がり 何時しか皆で カラオケ大会」

「これまでに 聞いた事無き 人歌う 我が故郷の 長崎の鐘」

「良く見れば 婆さんの前に 裕次郎 それから後は 裕次郎アワー」

「婆さんも 仲間入りして 銀恋を デユエットする顔 笑みの零れる」

「婆さんに エールを送り 本日の 春探しての 山行終了」

 

3月2日

 西湖で行われていた、現役の合宿の最終日、成果発表式に参加しました。富士急を使って、10時半に河口湖に着きました。途中の富士山駅から、乗客の8割は、中国人になりました。河口湖から10時40分発のバスで、西湖に向かいました。河口湖は、雪ではありませんでしたが、西湖は雪でした。いかにも春の雪らしい、大きな牡丹雪でした。周遊バスに乗ったため、西湖のあらゆる観光地を巡り、30分で着く筈が、1時間10分かかってしまいました。現役と一緒に昼食を食べ、1時過ぎから散歩、散歩している間に雪が雨に変わりました。3時半から成果発表式、4時半からまた散歩をしました。山に湖に霧が棚引き、神秘的な風景となりました。6時から夕食、7時40分から納会となりました。20歳以下の学生に、酒を飲ませる事は、固く禁じられていますので、半分近くは、酒が飲めません。しかし、最近の若者は、酒無しでも楽しめる術を知っているようでした。実に愉快な納会になりました。11時に納会から部屋に戻り、12時就寝。半日、若者と過ごしました。今回の合宿には、姉妹校からも2名参加して、とても面白い合宿風景でした。

「富士急線 富士山駅から 河口湖 聞こえる言葉は 皆中国語」

「音も無く 糸引くように 雪落ちる 春の弥生の 西湖の雪かな」

「河口湖 西湖一周 バスの旅 思いがけない 周遊旅行」

「宿に着き 現役と共 食事する 一度に孫が 五十人増える」

「過ぎ去りし 半世紀の 年月が 今現実に 蘇るなり」

「雪止みて 西湖に霧の 棚引きて 妖精出そうな 神秘の世界」

 

3月3日

 6時起床、着替えて散歩、ホテルの正面に富士の頭だけが、朝日に輝いているのが見えました。道も湖の渚も凍っていましたが、湖岸の林で雉の雌、イカル、ツグミなどに出会いました。昨日の雪で、辺り一面雪景色でした。ホテルの裏側の道を、山の方へ上ると、少しずつ富士の背が高くなり、その迫力に圧倒されました。7時半朝食、中国人の泊まり客が、制服姿の現役を見て、何時もの騒々しさがありませんでした。気を遣ったのでしょう。9時合宿締めくくりの総会、10時15分、荷物の積み込みを開始しました。その後、クラブの自慢の旗を掲げ、湖岸での記念撮影をしました。何時見ても、何度見ても素晴らしい光景でした。10時半出発式、なんと我等が合宿に感動したホテルの支配人が、現役にエールを送ってくれました。その後、姉妹校とのエール交換を行い、合宿の全てが終了しました。10時40分現役出発し、姉妹校の現役も車で帰路につきました。私は、10時48分のバスで河口湖、河口湖大橋を渡って、湖畔から我が家からでは見る事の出来ない、壮大なる富士を楽しみました。湖畔には、冠カイツブリの集団、キンクロハジロ、バン、カイツブリと、渡り鳥達が、残り少ない日本での日々を楽しんで居ました。その後、かちかち山ロープウェイを使って、天上山まで登りました。河口湖も山は雪だったようで、雪解け道で、靴とズボンの裾が泥だらけになりました。しかし、苦労に勝る、素晴らしい富士を見る事が出来ました。河口湖駅で遅めの昼食、富士急で大月、中央特快で高尾、4時20分聖蹟桜ヶ丘に着きました。一旦家に戻り、荷物を置き、泥で汚れたズボンと靴を替えて、再び聖蹟桜ヶ丘へ出て、調布へ行き、パラグアイ時代の友人夫妻と6時から夕食、ロシア人の奥さんが、魔女の姿で宣伝に出たそうで、動画を見せて貰いました。あまりにも、ぴったりの魔女でした。「千と千尋の神隠し」の魔女そっくりでした。店は、客への気遣いも無く、早く食べて早く出て行けみたいな、変な店でしたが、我々は気にしないで、ゆっくり話しを楽しみました。今日は、なんとも忙しい一日でした。

「朝一番 富士の白嶺が 眼前に 富士の麓の 西湖の夜明け」

「木々達が 山の形に 列を成し 影絵となりぬ 東の稜線」

「覚めやらぬ 西湖の南 早や朝日 青空の下 白く輝く」

「西の山 頂だけに 日の当たり 天の恩恵 始めに受ける」

「湖の 渚も凍る 夜明け前 渚の形の 白き帯かな」

「渚から 西の山裾 後退り 動きに合わせ 富士の背伸びる」

「稜線に 頂のみの 富士なれど その迫力に 圧倒される」

「西の山 次第に朝日の 下りてきて 雪を纏いし 木々等が見える」

「谷の底 西湖の湖面に 日の届き 光の玉の 転がり始める」

「朝餉終え 高くなりにし 日の下で 現役達と 記念撮影」

「我一人 西湖を後に 河口湖 全容見せる 富士と相対」

「湖の 奥に真白き 鳥の群れ 恐らくあれは 冠カイツブリ」

「岸辺には キンクロハジロ バン達が 残り少なき 日本を楽しむ」

「天上山 雪解けの道 ぬかるんで 靴もズボンも 泥だらけなり」

「飽きもせず 心行くまで 富士を見て 満足しつつ 富士にお別れ」

「夕食は 職場の友と 卓囲み 盃傾け 昔を語る」

「幾歳も 共に暮らした 仲なのに 初めて知った 奥様は魔女」

 

3月4日

 この3日間の出来事を纏めました。初めは、簡単に纏めるつもりだったのですが、書いて居る内に、書く事がだんだん増えてきて、一時はどうなる事かと思いましたが、なんとか目処が立ち、ほっとしました。パソコンの前に座っている時間が長く、腰が痛くなってきましたので、中河原方面まで歩いてきました。

「白と紅 交互に並んだ 梅の道 梢の先の 空の青さよ」

「紅梅と 白梅ミモザ 共に咲く 赤白黄色 勢揃いなり」

「木斛の 新芽の赤さ 際立ちて 隣の椿 色を失う」

「まだ残る 新芽の時期に 花の跡 新芽と並ぶ アザレアの春」

「紫陽花の 黒き筆先 殻落とし 緑の新芽 顔を出すなり」

 

 

 

 

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