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2017年2月

2017年2月23日 (木)

2017年02月22日

2017年02月22日

 

 風も無く穏やかに晴れて、こんなに良い天気が続いて良いのか、そんな感じの朝でした。しかし、昼にかけて、風が強く吹き始め、雲も多くなりました。

 昨日、吉祥寺の成蹊大学、武蔵野八幡宮、光専寺、月窓寺を訪れましたが、45年振りでした。吉祥寺には、毎年、最低一度は出かけるのですが、どうしても、吉祥寺の街と井の頭公園に、行く場所が限られていました。昨日は、良い思い出と再会しました。また、井の頭公園を訪れた事で、武蔵野地方で冬の渡り鳥が来る主要な池、湖をほとんど訪問したことになります。渡り鳥は、散歩を本当に楽しくしてくれました。長い旅を繰り返して、命を繋ぐ渡り鳥の姿が、何度見ても、必死で逞しく、崇高で愛らしく感じます。そろそろ別れが近づきました。しかし、この別れは、私が死なない限り、再会を約束された別れです。穏やかな気持ちで、送ることが出来ます。

 今日、2月22日は、ニャンニャンニャンとかで、猫の日だそうです。1年は、365日ですが、各地域での記念日が重なって、1年に3千以上の記念日があると、何処かのテレビで言っていました。人によって、地方によって、商売によって、記念すべき日は、夫々でしょうから、家族や個人の記念日を加えたら、1年の記念日の数は、日本だけで、10億を超えるかも知れません。1日や1年、時の刻みは、限りある命の営みの中では、重要なことなのでしょう。

 今日は、梅が見頃を迎えていると思って、郷土の森公園に行って来ました。予想通りでした。

 今日は、午前中の仕事が長引いたので、昼食を食べて、1時半に我が家を出ました。最初は歩いて行こうと思っていたのですが、丁度、府中コミュニティーバスのチューバスが来ましたので、チューバスで行くことにしました。バスの通り道にある、畑や庭の梅が、何処も満開でした。特別な梅園も悪くは無いですが、普通の生活空間の中の梅も悪くはありません。むしろ、この方が私は好きです。チューバスは、これでもかと言う程、色々と回りますので、郷土の森に行く前に、楽しい花見をさせて貰いました。

 郷土の森公園西のバス停で下りて、公園の脇の歩いていると、ピンクの梅の花の中で、雀が花見を楽しんでいました。隣の梅の木では、ヒヨドリが首を長くして、蜜を吸っているように見えました。ヒヨドリの大きな嘴では、梅の花の蜜を吸えるとは思えないのですが、香りを楽しんで居るのでしょうか。雀もヒヨドリも受粉には、少しは役に立つのかも知れません。

 郷土の森公園は、予想通り、全ての梅が満開でした。今日は北風が吹き、葉を落とした冬木立が、寒さを耐えているように見えました。その冬木立と満開の梅は、好対照でした。この好対照を楽しみながら、ゆっくりと梅園を回りました。ある所では、サンシュユ(山茱萸)の花やマンサク(万作)が咲き始めており、春のツーショットが撮れました。

園内に設けられた、せせらぎの小道では、ネコヤナギの花穂が、綿毛の殻を破って顔を出していました。もう春は、始まっているのですね。その小道で、ネコヤナギ(猫柳)の写真を撮っていた小母さん二人が、何かを追いかけ始めました。ジョウビタキ(常鶲)の雄スでした。私も、小母さん二人を追いかけました。この小鳥は、何時見ても、歌舞伎役者に見えます。それほど、体全体の色合いが豪華なのです。カメラを持つ人ならば誰でも、写真を撮りたくなります。

一応梅を見終わって、博物館に向かって歩いていたら、地上に屯していた小鳥が、一斉に木の上に場所を移しました。何処かで見たことのある光景でした。小金井公園の梅園で見た光景でした。アトリ(花鶏)の集団でした。アトリは、一切鳴き声を出さないのです。警戒心が強いのだと思います。その集団が、羽音だけを立てて、地上と木の枝を往復する様子は、異様さすら感じます。今日も、私が木の陰に隠れて、ひっそりとしていると、アトリ達は地上に舞い戻りました。しばし、地上で何かを啄んでいましたが、人が通ったので、また木の上に戻りました。それを何度も繰り返しました。

 その後、博物館の一画でやっていた、「鳥達の冬の陣」と称する展示会を見て、分倍河原経由、我が家に戻りました。

 

明日、23日から3月4日まで、予定が詰まっていますので、日記を休みます。

 

「満開の 花に埋もれて 鳴く雀 香りに酔いし 梅見の宴かな」

「梅の蜜 吸うには嘴 大き過ぎ ヒヨドリ達の 努力実るや」

「葉の上に ロゼット状の 花の粒 黄色く膨らむ 柊南天」

「晩冬に 一足先に 春告げる 冬木立背に 満開の梅」

「北風に 梅に負けじと 春告げる 黄一色の 山茱萸の木」

「白梅に 並んで満開 万作の 列を成したる 乱れ髪かな」

「猫柳 狗尾草の 穂のような 花穂を付けて 春を告げおり」

「我を見て! 小母さん誘う ジョウビタキ 我も追うなり 小母さんの後」

「声立てず 羽音も静か 忍び足 アトリの群れの 隠密行動」  

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2017年2月22日 (水)

2017年02月21日

2017年02月21日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。丘の上に、富士の白い頭の部分と丹沢が、ほんの少し見えるだけで、一日の始まりを、わくわくした気分で迎えることが出来ます。

 一昨日あたりから、左手にビニールの手袋をしないで、水を扱うことが出来るようになりました。鋏で傷つけた傷口は、もう少し前に塞がっていたのですが、怖くて手袋を離せなかったのです。手袋を使わないと、洗顔も、風呂も、炊事も全てが快適になりました。特に、手袋をしての洗顔は、嫌な感触でした。五体満足を授かったことが、どれほど素晴らしいことか思い知らされました。

 先日、姪と食事をするために、吉祥寺に行って、もう一度吉祥寺を歩いてみたくなり、行ってきました。吉祥寺は、私が人生を始めた場所とも言える、貴重な思い出の場所なのです。

 11時過ぎに家を出て、先ずは、成蹊大学に午後1時頃に着きました。大学時代、何度も野球の応援に来ました。その頃の吉祥寺の駅は、まだ高架では無く、木造のレトロな駅でした。成蹊大学は、欅並木が、とても印象的でした。50年という年輪を加え、欅並木は、更に立派になっていました。現在、「残したい日本の音風景100選」に選ばれたそうです。葉擦れ、濃緑のしじま、落ち葉、静寂と春夏秋冬の音が、選ばれた理由のようです。

 正門から幾つもの校舎を抜けて、一番奥の野球場に着きました。私の思い出の中のグランドとは、違うような気がしました。何も無かったグランドに、夜間照明設備が付いたり、スコアボードが出来たり、随分立派になりました。バックネットの後で、コンビニで買ってきた弁当を、思い出をかみしめながら、食べました。吉祥寺には、大学を出た翌年から、吉祥寺にあった職場の家族寮で、妻と長男と3人家族で住み始めました。風呂も無い2K(6畳、3畳)の3階建てのアパートでした。成蹊大学には、子供連れで何度か散歩に出かけましたし、後輩が野球の試合の応援に来ると、家族で出かけたものです。

 成蹊大学から、武蔵野八幡宮へ行きました。昔は、何の違和感も無かったのですが、今日は、かなり違和感を覚えました。吉祥寺の街が、発展し過ぎた為だと思います。鬱蒼とした鎮守の森が、白く四角く、ビルが立ち並ぶ、街中の風景から取り残された、小島のように見えました。必死で街を守っているようにも見えました。 八幡宮の横には安養寺、向かいには光専寺、蓮乗寺、月窓寺が並んでおり、ビルの谷間に墓が並んでいました。この一画や、成蹊大学、ハーモニカ横丁、井の頭公園、井の頭動物園、玉川上水等、時代を特徴付ける場所が、近くに残っていることが、吉祥寺を魅力的な街にしているのかも知れません。

 井の頭公園にも足を伸ばしました。昔は、神田上水の水源として江戸市民の水瓶であり、私が住んでいた頃は、湧水を使ったプールがあって、夏でも震えるような冷たさでした。それほど豊富な湧水を誇っていたのですが、一昨年来たときは、弁財天の前の池を干して、湧水の位置を確かめていました。看板によると、吉祥寺の発展に伴い、帯水層の位置が低くなり、湧水が極めて少なくなったので、地下水層から水を汲み上げる工事をしたそうです。今日は、弁財天の前の池にも水があり、キンクロハジロ、オナガガモ、カイツブリ、そして常連のカルガモ、カワウが、泳いでいました。ボート乗り場のある木橋の吉祥寺駅側の所に、私が勝手に五位鷺の森と呼んでいる小さな森がありますが、今日も4羽の五位鷺が、潜むように休んでいました。その森で、一番態度が大きかったのは、小鷺でした。一番目立つ所に陣取っていました。

 吉祥寺駅へ向かう階段の横に、沈丁花の花が咲き始めていました。蕾が紫で、花は白いため、日の丸のように見えました。階段の横に「鳥良」という料理屋がありますが、一度食べたことがあります。落ち着いた雰囲気の店でした。その直ぐ近くに、改装が住んだ焼き鳥店「いせや」がありました。本店は、吉祥寺通りだったと思いますが、そこで食べた焼き鳥(?)が、噛み切れなかったことを思い出しました。

 吉祥寺は、子供だった私が、職場を持ち、家族を持って、大人としての人生を生き始め、最初の海外勤務を始めるまで、5年間住みました。思い出を全て書き始めると、本が一冊出来てしまいます。今日は、思い出の欠片の一部を拾ってきました。何時になく、感傷的な気分に浸りました。最近は、センチメンタル散歩が多くなりました。

 

「思い出は 年取る毎に 光増し 思い出の場所 散歩するなり」

「記憶には 白い木造 板の壁 大正ロマン 吉祥寺駅」

「デパートに 高架の駅舎 アーケード 発展の様 我が目で見たり」

「五十年 年輪加えし 成蹊の 欅並木の 変わらぬ姿」

「グランドを 見れば聞こえる 往年の 太鼓に声援 風切る球音」

「目の奥の 景色を今に ダブらせて ネット裏にて 握り頬張る」

「鬱蒼と 鎮守の森の 緑濃く 自然忘れる 街を守れり」

「子供らと 何度も遊んだ 池之端 思い出深き 井の頭公園」

「白鳥の ボートに擦り寄り 餌ねだる 都会慣れした キンクロハジロ」

「体格も 態度もでかい 川鵜かな 縄張り示す 池の親分」

「夜型の 五位鷺横に 白鷺の 独りで目立つ 井の頭池」

「木の色の 映る水面に カイツブリ 波紋残して 水中散歩」

「咲き始め 日の丸型の 花となり 小道に香る 沈丁花かな」 

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2017年2月21日 (火)

2017年02月20日

2017年02月20日

 

 今朝も、良い天気でした。今日の午後、天気予報が言うように、本当に雨が降り、強風が吹くのでしょうか、そう思うくらい穏やかな良い天気でした。ただ、富士には雲が張り付き、ドーム型の富士になっていました。

 今日は、大学卒業50周年の金祝準備委員会に参加するため、都心の大学に行ってきました。

 会合は、午後2時から始めるため、12時半には、家を出る必要がありましたが、家で昼食を取る時間が、若干せわしなかったので、早めに家を出て、聖蹟桜ヶ丘で食事をして出かけました。胃癌の手術後3ヶ月くらいは、外食をするのは、緊張したものでしたが、その後は、極く普通に、外食が出来るようになりました。

 会議が始まる15分前に、会場に着きました。2学科を除く、全学科から代表者が集まり、総勢40名を超す準備会議となりました。私が参加をお願いした人も来ていました。急に無理なお願いをしたので、事情を詳しく説明し、納得して貰いました。この会議のお陰で、現役時代、同じ大学に居ながら、話した事も無かった人達と、親しく話しが出来るようになりました。今回、準備委員長を引き受けている、学科の同期のお陰です。有り難い事です。

 2時から、会議が始まり、和やかな内に会議は進みました。金祝の会場は大学の施設が使えますし、飲食については、大学からの支援がある為、金祝の会を実施する上での主要な問題は、解決済みなのです。準備委員会が行う主要な任務は、参加者への連絡と、その為の名簿作りです。その他に、名札作り、会場設営、当日の会の運営等、補助的な作業になります。長い事社会経験を積んできた人達ですので、やるべき事の飲み込みは早く、積極的に作業に参加し、予定の時間に今日決めるべき事項は、全て決まりました。私も、学生時代から知っている女性と共に、当日の会の司会をすることになりました。これは、委員長の命令に近い形の要請でした。今回は、委員長を補佐するために準備委員会に参加したので、大役だとは思いましたが、喜んで引き受けました。

 4時前に、会議は終わり、会場の外へ出たら、猛烈な風でした。まさしく春の嵐でした。今日もまた、天気予報通りになりました。半数くらいの参加者が、大学の食堂に集まり、雑談をしました。場所は開いていましたが、食事のサービスが無かったので、自動販売機でコーヒーを買っての雑談となりました。酒も飲まないで、1時間近く話しました。最近、こういうことが出来るようになりました。

 5時頃、雑談も終わり、帰路についたら、雨になりました。3次会も無く、そのまま電車に乗り込みました。新宿からは、調布へ帰る女性と一緒でした。大学時代、英語を専攻した人で、今でも、週2回程、英語を教えているそうです。「芸は身を助く」で、私は、羨ましく思いましたが、彼女は、時々負担に思うようになったので、英語を教えるのは止めて、合唱のような気楽なものが良いと言っていました。確かに、何もかも以前と同じようには出来ません。それが、老いだと思います。今日集まったのは、全員同期ですから、何の気負いも無く、現在の状況を話すことが出来ました。

 6時頃、聖蹟桜ヶ丘に着きました。雨の降り方は、かなり強くなっていて、傘無しで歩ける状態ではありませんでした。ビニール傘は、家に山程ありますので、タクシーで帰りました。ビニール傘(580+税)を買って、バス代(175円)を払って帰るのと大差ないタクシー料金(1090円)で帰ることが出来ました。

 家について、ベランダにパジャマを干していたのを思い出し、ベランダに出てみました。パジャマは、見当たりませんでした。良く探してみたら、ズボンはベランダの隅に、上着は外の桜の木に引っかかっていました。上着は明日捕りに行くことにしました。天気予報を甘く考えて、取り込んで出かけなかった、私の間違いでした。

 夜は、次男も出かけているため、録画しておいた松本清張の「事故」を見ながら、独りでの晩酌となりました。密かに、今日は同期との飲み会があると、期待していたのですが、何事も思うようには行きません。

 

「誰も皆 古希を過ぎたる 同期かな 若者見れば 老人集団」

「人生の 通りし道は 異なれど 時代は同じ 同期の仲間」

「春2番 猛威を振るう 春嵐 パジャマは飛んで 桜の木の枝」

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2017年2月20日 (月)

2017年02月19日

2017年02月19日

 

 今朝は、申し分の無い天気と、キリリとした富士が戻りました。今日は、日曜日なので、目の前の土手を歩いている人、サイクリングをしている人の数が、終日より増えていました。これは、何時もの事です。我が家の前に続く多摩川の左岸の土手は、数十キロ、舗装された道が続き、格好のサイクリング道路となっています。散歩する人も多く、自転車と散歩する人の接触事故が多発しています。

 今日は、少し多めの洗濯をしたら、最後の脱水のところで、洗濯機が止まってしまいました。洗濯槽の中の洗濯物が、バランスを欠いている為に、洗濯槽が上手く回転しないのです。何度か、洗濯槽の中の洗濯物の位置を変えてみたりしましたが、結果は変わりませんでした。仕方なく、一番重たそうな洗濯物を取り出したところ、漸く回転し始めました。この洗濯機は、既に十数年使っていますので、そろそろ買い換え時かも知れません。しかし、偶に今日のような事はありますが、その他は全く正常ですから、積極的に買い換える気になりません。流石に、日本製だと思います。

 今日は、狭山池に行ってきました。残堀川の源流探しの時に行った池です。狭山湖が近いので、若しかしたら、冠カイツブリが来ているかも知れないと思ったのです。

 2時少し前に、家を出て、立川駅に2時40分に着き、30分近く待って、3時5分発の、八高線の箱根ヶ崎駅行きのバスに乗りました。私は、せいぜい20分もあれば、箱根ヶ崎駅に着くと思っていたのですが、住宅地をグルグル回って、なんと1時間かかり、着いたのは4時5分でした。駅に着いてみると、残堀川の源流探しで、歩いたときの事が、思い出されました。まだ、2年程しか経っていないと思うのですが、妙に懐かしさがこみ上げてきました。

 狭山池は、直ぐ近くにあり、歩いて10分程で着きました。妙正寺池より少し大きい程度の小さな池です。来る前に抱いた期待は、ものの見事に外れて、水鳥は、常連のカルガモと川鵜だけで、小鳥も、見慣れた椋鳥と雀だけでした。冬の水場に、渡り鳥が居ないのは、寂しいものです。

 来るのに時間がかかったので、早々に狭山池を切り上げ、横田基地を少し見ることにしました。箱根ヶ崎駅の直ぐ近くが、横田基地の飛行場の端になっています。基地の周囲は、住宅や工場等が、無秩序にひしめき合っていましたが、基地は、対照的に広大な空間を誇示していました。金網の外から、基地の様子を眺めました。直ぐ近くに、奥多摩の大岳が見えました。この基地の何処かに、未だに、朝鮮戦争当時から、国連軍の事務所があるそうです。年に一度位は、一般開放日があるようですから、一度基地内を訪れてみようと思いました。

 箱根ヶ崎駅に戻り、5時丁度の八高線で拝島に出て、立川経由国立に、5時半には着きました。矢張り、電車の方が便利で速いです。

 家には、6時過ぎに着きました。日曜日の夜は何時も、テレビ三昧なのですが、今回の大河ドラマが面白くないし、刑事フォイルも終わり、今日でダウントン・アービーも終わりました。来週の日曜日から、テレビの見方を変えなければならないようです。

 ダウントン・アービーは、第1次世界大戦前後の、イギリス貴族社会を描いたイギリスのドラマでした。どの時代も、その時代の生き方があり、その生き方の善し悪しは、後から、とやかく言えるものではありません。参考として見るだけの事です。多くの時代、富と権力を持つ人は、僅かな存在であり、大半の人々は、貧乏に喘いできました。仮に、私がダウントン・アービーの時代に生まれたら、確率として、貧乏な階層に生まれたはずです。今も、大して裕福ではありませんが、ダウントン・アービーのドラマの時代に生まれなくて、つくづく良かったと思います。生き方の選択が、あまりにも少なく、その為に、富と権力を持った人達の支配下に入らざるを得ません。私が、最も我慢できない事です。産業革命始まりとして、第2次世界大戦以降、様々な技術革新により、人間社会が構造的に変化しました。生き方も職業も、選択の幅が格段に広くなりました。勿論、現在が理想的社会とは言えませんが、私個人的には、歴史物のドラマを見るたびに、歴史ドラマの時代よりは、現代の人間社会の方が、ずっと良いと思っています。

 

 

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2017年2月19日 (日)

2017年02月18日

2017年02月18日

 

 晴れているのか、薄雲が張っているのか、分らないような今朝の空でした。珍しく、富士が見えませんでした。昨日が、異常に暖かかったので、今朝の空気の冷たさが、身に浸みました。

 今日は、夕方から大学時代のクラブの同窓会に参加するため、早めに都心に出て、この前、散歩出来なかった、根津近辺を歩こうと思っていたのですが、昼食が終わって、テレビを付けたら、「明日への遺言」という映画をやっていて、内容が戦争裁判でしたので、見てしまいました。その映画を見終わったら、そろそろ出かける時間になりました。

 この映画は、大岡昇平の原作で、太平洋戦争後の戦争裁判を題材にしたものでした。国家を構成要素とする国際社会では、現在に於いても、国家を裁く司法の力を保障するものがありません。国連等の国際機関における合意が、国際社会の立法の様相を呈し、合意の内容を各国の国内法に移して実施する事が、国際社会の行政の様に見えますが、前にも書きましたが、国際社会は、未だに弱肉強食の世界です。立法も、司法も、行政も、構成要素の国の力によって、極めて不平等です。現在でも、このような状態ですから、戦後、戦勝国が裁く、戦争裁判は、形は裁判のようであっても、実際は裁判とは言いがたいものです。

 しかし、弱肉強食の世界であれば、戦争に勝利した国は、裁判をせずに、勝者が敗者の戦闘員を皆殺しにしても、文句が言える状態では無いのです。それを、形だけでも、裁判にしたのは、移民の国であり、民主主義を国是としていた米国が、連合国の中で、最も力のある戦勝国であったからだと思います。また、真珠湾攻撃以降、太平洋戦争は、始まった当初を除いて、日本と米国の1対1の戦争だったこともあります。終戦間際は、圧倒的に有利だった米国が、もはや戦略としては意味の無い、市民を巻き込む無差別攻撃、特に原子爆弾の投下は、戦勝国の米国民の中にも、疑問に思うものが居た事等々が、儀式的裁判を行った理由だと思っています。

 「明日への遺言」は、戦争指導者を裁く、東京裁判では無く、東海方面軍の司令官が、捕らえたB29の搭乗員を、斬首刑にした事件を裁く、横浜裁判をテーマにしたものでした。実在した事件でした。結果は、司令官の高潔な人格と、戦争の矛盾の指摘が、部下を救い、米国に対しても、戦争犯罪の責任を感じさせ、映画は終わりました。

原爆を投下された長崎の人間としては、米国に対する気持ちは、非常に複雑なのですが、戦前の日本は、今の北朝鮮に良く似ていたのだろうなーと思ってしまいます。戦時中、国家の意図にそぐわない生き方をした国民が、非国民として、国家権力によって、拷問を受けたり、殺害されたりしたそうです。戦争の勝ち負け、善し悪しについては、何も言えませんが、少なくとも、敗戦国の国民である私が、生きてきた戦後の日本は、戦争の無い、米国から貰った民主主義ではあっても、自由で平等な良い時代でした。

  3時5分前に映画が終わって、3時15分に家を出ました。今日の同窓会の会場のある四谷に、4時半に着きました。会場の前で、色んな事で、お世話になって居る、活動的な女史二人に出会い、彼女達の会合に少しだけ顔を出しました。今日の同窓会もそうですが、生涯を通じて大学に助けられてきたと思っています。

 クラブの同窓会は、5時に始まりました。今日の会合の目的は、7年間OB会長をやった私への慰労、今年還暦を迎えたOBのお祝い、新OBの入会式が目的でした。青春の一時期に、情熱を燃やしたクラブが、存続の危機を乗り越えて、半世紀を超える歴史を築いてきました。現在、部員の数は70名を超え、創設以来最大規模になりました。定年から今日まで、OB会長という役職のお陰で、現役と過ごせる時間が、沢山持てました。孫の歳に近い若者の、昔との違い、昔と変わらぬもの、色々と見せて貰いました。現代という時代に負けそうな者も居ました。大いなる挑戦をしようとする者も居ました。遠い昔に過ごしてきた自分の人生と、向き合っている気になりました。本当に楽しい7年間でした。今日、記念の品として、立派なボールペンを貰いましたが、既に、数多くの記念品を、思い出という形で貰っています。本当に、過分の幸せを貰いました。今後も、現役との繋がりだけは、出来るだけ続けて行きたいと思います。

 直ぐ隣の酒場で、2次会になりました。飲み、かつ、話し、青春時代に戻ったようでした。

 

「60年 各代揃う 同窓会 歴史を語る 年輪を見る」

「若者に どれだけ貰った 贈り物 心の中で 活力を生む」

 

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2017年2月18日 (土)

2017年02月17日

2017年02月17日

 

 今朝、カーテンを引くと、良い天気ではありましたが、富士にぼんやりと雲がかかっていました。天気予報では、4月上旬、春本番の陽気になり、春一番が吹くと言っていました。

 午前中、次男に手伝って貰って、部屋の中に入れていた、玄関側の荷物を、全部元に戻しました。漸く、日本間が、物置状態から、通常の状態に戻りました。

 昼食後、春一番を体感しようと、近場を散歩してきました。午後1時半、家の前の土手に出ると、いきなり春一番の強い風を受けました。四谷橋に着くと、遮るものが何も無い、吹き晒しになり、歩くのが困難な程、強い風になりました。天気予報の通りになりました。水鳥達も、何処かへ避難しているのでしょうか、小鴨が数羽泳いでいるだけでした。程久保川と浅川の合流点では、仙人が、花畑で春の準備に精を出していました。今年は、どんな花を咲かせるのか、楽しみです。

 程久保川と浅川の間に、日野市の落合市民センターがあります。このセンターの庭は、タンポポが密生して咲きます。白タンポポもあります。そろそろ、花が咲いているのでは無いかと思って寄ってみましたが、残念ながら、まだ花は咲いていませんでした。真明寺の前のタンポポの花は、どうしてあんなに早く咲いたのでしょうか、今更ながら不思議に思いました。

 センターから、浅川の土手へ出て、少し戻ると、浅川を渡る飛び石状の堰があります。若いときであれば、何の苦労も無く渡れると思うのですが、年を取ると、筋肉もバランス感覚も衰えて、飛び石を飛ぶのが、非常に怖いのです。冬場、水が少ない時は、台形の石が、少し大きく見えます。今日、水が少なかったので、思い切って渡ってみました。川に落ちそうになった所が、1カ所ありましたが、無事渡り切る事が出来ました。

 この堰を渡ると、水再生センターの脇を通って、多摩川の土手へ出ます。相当な近道になります。下流は、浅川との合流点で、土手が無くなりますので、上流へ行くと、秘密の池が出てきます。小鳥や水鳥は居ませんでしたが、枯れた葦の中に、青鷺がぽつねんと立っていました。ある人が、青鷺があまりにも動かないので、銅像のようだと言いましたが、言い得て妙だと思いました。

 日差しも風も暖かいのですが、土手の茅も、河原の庭漆やアカシアも、まだ、冬の装いでした。庭漆の林は、形の良いドーム型になっていて、白雲の流れる青空を背に、芽吹きの時を待っていました。

 石田大橋を渡り、国立のSVスーパーで買い物をし、重い荷物を背負って我が家に、30分かけて戻りました。汗が噴き出ました。このスーパーに来ると、プチニンニク、長芋、鳥の軟骨、鳥の手羽中は、必ず買う事にしています。プチニンニク、肉付きの鳥の軟骨は、この近くでは、此処しか売っていないのです。ところが、今日は、結構大きな玉葱10個を、398円で売っていたので、我が家に玉葱が切れていた事もあり、思わず買ってしまいました。その為に、重い荷物を背負う事になったのです。

 帰り道の田圃に、種付け花が咲いていました。春は、確実に歩みを進めているようでした。

 我が家に戻ったのは、3時半でした。陽気が暖かったので、玄関ポーチに飾ってある、山程の灰皿や置物を水洗いして、飾り直しました。工事の時に、邪魔になると言って滅茶苦茶にされていたのです。玄関側も、漸く工事以前の状態に戻りました。全体の工事は、もう暫く続きますが、我が家は、今日で、全てが終わりました。気分的にすっきりしました。

 夜は、我が家の原状回復を祝って、次男と酒を飲もうと思いましたが、次男は、外で大酒を飲むので、自宅では酒を控えるとの事で、麦茶で付き合いました。

 

「春一番 多摩の川筋 風の道 温もり連れて 芽吹き促す」

「仙人も お花畑で 春支度 季節は巡る 多摩の里かな」

「年老いて 萎える気持ちを 振り切って 飛び石飛んで 浅川渡る」

「枯れ葦の 林の中に 青鷺の 何を思うか 独り佇む」

「庭漆 領地広げて 鏡餅 林の彼方 白雲流る」

「特売と 買う気をそそる 売り上手 思わず買って 重き荷背負う」

「埃積む 思い出の品 水洗い 今日の温もり 春本番」

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2017年2月17日 (金)

2017年02月16日

2017年02月16日

 

 今朝は、6時前に起きてしまいました。カーテンを開けると、夜が白み始めて、今日も良い天気だと分りましたので、性懲りも無く日の出を見に行きました。一眼レフカメラの電池を確認し、スマホも持って出かけました。

 丁度6時頃に、土手に出ました。ほぼ半月になった月が、七生丘陵の上に輝いていました。恐らく19夜の月だと思うのですが、月の満ち欠けは早いですね。月を見ながら土手を歩いて、四谷橋の日野市側の定位置に着いたのは、6時15分くらいでした。朝も夕も同じですが、時間と共に変わる、空の色、地上の色の変化が、何度見ても素晴らしいと思います。6時半過ぎ、冬木立の後ろから、真っ赤な太陽が、いきなり顔を出しました。地表近くの太陽は、どうしてこんなに赤いのでしょうか、不思議ですね。何枚も何枚も写真を撮りました。太陽が、冬木立の上に、まん丸の姿を現すと、何時ものように沢山の太陽の子供が生まれました。私のアパートにも太陽の子が生まれました。この太陽の子供達は、ものの10分程度で消えてしまいました。太陽光線と窓の角度、見る人の位置関係だと思います。一瞬の輝きという変化が、命の源のような気がしました。宇宙の中で、変化の無い所に、命が生まれるはずが無いと思います。生まれた命も、様々な変化を経験し、最後に死があるから美しいと思えるようになりました。

 河原の枯れた葦が、これも一瞬ですが、赤く染まりました。朝霧も、ほんの一瞬赤くなり、その後は白さを増して、やがて消えていきました。朝霧の川の石に、小さな鳥の影が見えました。黄セキレイでした。今日は、霜が降りているのですが、枯れた茅の上では、霜が降りているのかどうか、良く分りませんでした。しかし、陽が当たると、小さな小さな光の球が、キラッと輝いて、霜が降りていることを教えてくれました。最近増え始めた、緑の葉の上には、一目で霜と分る綿毛のような氷の結晶が、緑の葉を縁取っていました。

 富士山も良く見えましたが、最近、良く見られたような、キリリと引き締まった富士では無く、少し霞がかかっていました。それでも、昨日の相模湖の欲求不満は、解消しました。

 家に戻って、テレビを付けると、北朝鮮の金正男の殺害のニュースが、引き続き報道されていました。金正男は、北朝鮮の世襲権力の家族ですから、一般国民とは違います。殺害される特別の理由があったのでしょう。このような、特別な人だけで無く、現在の政治体制に不満を持つ一般人、政治的経済的理由で、北朝鮮を離れた一般人に対しても、殺害の魔の手が伸びているようです。脱北者に手記を読むと、この国の国民の悲惨さが分ります。何故、国民は、これ程までに過酷な、国家の束縛から解放されないのでしょうか。北朝鮮の正式な国名は、朝鮮民主主義人民共和国だそうですが、民主主義とは、懸け離れた国になってしまったと思います。国家はどの様にして生まれたのか、国家権力の基盤は何か、国家と国民との関係、個人による国家の選択、難民・他国民の受け入れ、国家の問題に対する他国あるいは国際機関の干渉等々、国家と個人との関係を、どの様に位置づけ、どの様に処理するかは、人類の将来に関わる非常に重大な問題だと思いました。

 昼食後、ベランダを整理し、玄関ポーチを水で綺麗に洗浄しました。明日には、工事のために部屋の中に入れていた物を、玄関ポーチに移そうと思います。漸く、以前の状態に戻りそうです。

 今日は、夕方から姪と食事をすることになっていました。次男も今日は予定が無い様でしたので、一緒に出かけました。昨年の11月だったか、弟夫婦が我が家に来た時、姪も一緒に来ましたが、次男は、仕事に出ていて会えなかったのです。6時に、吉祥寺で会って、以前、行ったことのあるイタリア料理の店に行きました。井の頭公園へ行く道筋の店で、まだ、イルミネーションがしてあり、クリスマスのようでした。次男も姪も、何故か独身組で、話は専ら、旅行や料理になりました。ワインをボトルで3本空けて、すっかり良い気分になりました。姪も飲める口で、飲むと陽気になります。ワインも料理も美味しく、話に花が咲いて、3時間が、あっという間に過ぎてしまいました。まだ、飲みたい気持ちは山々でしたが、姪は明日仕事なので、今日の所は、グラッパとエスプレッソ・コーヒーで締めて、お開きにしました。最後に、今日、我々をアテンドしてくれたイタリア人に、「イタリアの何処から来たの?」と聞くと、「カラブリアから来ました、中村という日本人を知っています」と行っていました。中村さんは、ローマで一緒でした。カラブリアは、長靴のつま先の方ですが、中村さんは、土踏まずの所にあった、日本が協力して作った製鉄所の顧問のような仕事をしていました。当時の日本人会の代表者でもありました。色々な、縁があるものです。

 

「四日前 満月だった お月さん メタボの腹も 明日には解消」

「刻々と 変わり行くかな 空の色 日の出見に来る 幸せ此処に」

「冬木立 焼き尽くすよに 陽が昇る 地上も赤く 朝日に染まる」

「一日の 初めを告げる 日の出かな 命の躍動 背を押す太陽」

「白枯れし 茅の上にも 霜の降り 朝日に光り 存在主張」

「春近し 緑の草に 霜の降り 朝日を受けて 銀の縁取り」

「朝霧の 中に小柄な 鳥の影 尾羽打ち振る 黄鶺鴒かな」

「多摩の土手 視界邪魔する 森も無く 富士の白嶺を 仰ぎ見るかな」

「何処にでも 転がりて居る 縁かな 友の名を聞く イタリア料理屋」

 

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2017年2月16日 (木)

2017年02月15日

2017年02月15日

 

 今朝も、申し分の無い良い天気でした。朝日に輝く富士の上に、月が出ていました。まだ、かなり高いところにありましたので、毎日、月の入りが遅くなっているようでした。

 今朝のニュースで、現在の北朝鮮の国家主席である金正恩の兄の、金正男がマレーシアで暗殺されたと報じていました。一日中、このニュースで持ちきりでしたが、暗殺は事実のようであり、北朝鮮の国家機関による可能性が高いと言っていました。嫌なニュースでした。北朝鮮にとって、共産主義革命は何だったのでしょうか。高句麗時代の王朝の強権時代に戻ることだったのでしょうか。日本の江戸時代のお家騒動も思い起こさせる、現代の出来事とは思えない、実に嫌なニュースでした。共産主義革命を起こした国々の多くが、一党独裁の強権主義に陥ったために、革命の思想や王権のような強固な権力を倒した価値も、全て帳消しになってしまいました。その内に、別の革命を経験することになるかも知れません。このような、世襲権力を維持しようとする北朝鮮の愚行を見ていると、トランプ氏のような大統領さえも、民主主義の光のように見えてしまいます。国民が政治家を選び、法に基づいて政治や社会生活が行われる、良い時代の良い国に、生まれ育ったことに、大いに感謝です。

 今日は、朝の仕事が比較的に早く終わったので、相模湖へ行ってきました。遠いように感じますが、実は、高尾から一駅です。電車が頻繁に出ていれば、都心に出るより、ずっと近いのです。

 10時15分に家を出て、京王線で高尾、高尾から中央線で相模湖に、12時近くに着きました。先ずは、相模湖の湖岸に出て見ましたが、水鳥は、バンが数羽泳いでいるだけでした。白鳥の形をした遊覧船が1艘、湖を回っていました。湖岸には、小白鳥型の貸しボートが、沢山繋がれていました。誰一人、借り手が居ないようでした。鳥らしいのは、これだけでした。また、相模湖からは、今日の目的の一つである富士も見えず、暗澹たる気持ちになりました。

 次の藤野まで行けば、富士が見えるだろうと思い、国道20号線(甲州街道)を藤野に向けて歩きました。たいして歩かない内に、慈眼寺入り口の看板が見えました。中央高速道を渡った向こう側にあるようでした。高速道路を渡るにしては、幅が広く立派な階段が二つもありました。登ってみると高速道路の上が、お寺の境内のようになっていました。なかなか 古いお寺のようでした。お寺の直ぐ横に、立派な鳥居が立っていました。与瀬神社でした。急な階段があり、途中の山門には、色の剥げ落ちた貴族の像が、2体飾ってありました。この像が、誰なのか分りませんが、歴史を感じさせました。最後の階段は、更に急な階段で、手すりもなく、這いつくばって登りました。境内の狛犬も苔生していて、表情が分らない程でした。これだけ登ったのだから、富士山が見えるだろうと期待したのですが、境内の周りも、階段の横も鬱蒼とした森で、富士は、全く見えませんでした。

 帰ろうかどうか、迷っていた時、神社の後ろから、山歩きの格好をした人が下りてきました。「上の方に富士山が見えるところがありました?」と聞くと、「何カ所もあったけど、かなり登らないといけないよ」と言われました。まだ1時にもなっていなかったので、少しだけでも登ってみることにしました。少し登ると、葉を落とした雑木林の向こうに、富士のてっぺんだけが、辛うじて見えました。30分程登ると、ベンチ付きの見晴台に着きました。ここでは、富士の位置は分っているのに、檜林が邪魔をして、富士は見えませんでした。目の前の山と相模湖を見ながら、昼食にしました。看板によると、私が居る山は、孫山という山で、歩いている道は、明王峠に続く道でした。明王峠は、神馬山に近い峠だったと思います。

 昼食を終えて、孫山の頂上目指して歩きました。所々で、富士が見えました。随分下の方まで見えるようになったのですが、何れにしても、葉を落とした林の向こう側で、欲求不満が募りました。頂上近くまで行きましたが、状況は、何ら変わりませんでした。結局、この山から富士を見るのは、諦めました。神社まで下りて、急な階段の迂回路を下りたら、与瀬遊歩道が出てきました。この道を下りると、小原宿、小原本陣へ行けるそうですから、遊歩道を歩いて下りました。国道20号線迄下りましたが、そこから右に行くのか、左に行くのか自信が持てなくなりました。聞く人も居らず、結局、小原宿も諦めて、相模湖駅に戻りました。まだ、1時40分でした。

駅のホームで電車を待ちましたが、信号機の故障とかで、1時間以上待たされて、電車が来たのは、3時近くでした。たった一駅に、えらい時間が掛りました。その後、買い物をして帰ったので、家に着いたのは、5時近くになってしまいました。

小鳥も、現れたのは雀だけで、心が浮き浮きするようなことが、何もありませんでした。何もかも憑いていない一日でした。こんな日もあるでしょう。まあー、運動にはなりました。

 

「相模湖は 水鳥少なく 富士見えず 電車遅れて 一日惨憺」

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2017年2月15日 (水)

2017年02月14日

2017年02月14日

 

 今朝も、素晴らしい天気でした。富士も良く見えました。去年の暮れから、今日まで、何度同じことを書いたでしょう。冬の関東地方は、本当に良い天気が続きます。

 今日は、バレンタインデーとのことですが、この日を祝った記憶がありません。チョコレート屋さんが、商売繁盛のために作った記念日とは、この記念日が、出来た当初から言われていたことです。

記念日とは、全く関係ありませんが、昨日は分らなかった、スマホからパソコンに取り込んだ、写真のデータが入っている場所が分りました。そこから、日の出の写真と、私が焦っている顔を、記念として今年の写真フォルダーに移し、漸く、スマホの写真が、通常の管理下に入りました。また、スマホの中の写真の消去についても、やり方が分りました。これで、昨日、一日格闘した問題については、一件落着しました。めでたし、めでたしです。辛うじて、現代文明に取り残されないで済みました。

今朝は、飯が丁度良い具合に残っていたので、パエーリャを作りました。具とソースは、冷凍食品です。具にアサリとピーマンを加え、良く炒めた後で、ご飯を加え良く解しました。そこへ、ソースを加え、良く炒めた上で、底が焦げるようにして出来上がりです。ちょっと醤油味が強く、サフランの香りが弱いようでしたが、まあまあでした。何より嬉しかったのは、スペインから買ってきたパエーリャパンを始めて使ったことです。焦げ目も良く着いて、流石パエーリャパンでした。サフランの粉は、買ってありますし、今度は、本格的なパエーリャに挑戦しようと思います。

パエーリャが2食分出来ましたので、昼食もパエーリャを食べ、その後、昭和記念公園に行ってきました。

1時少し前に家を出て、何時もの通り、国立までバスで行きました。そのバスで寝込んでしまい、終点の国立で起こされました。昼間、酒も飲んでいないのに、終点に着いたのが分らない程、眠りこけたのは、初めてのことでした。

昭和記念公園に着いたのは、1時50分でした。西立川口の目の前が、水鳥の池になっています。土日は、ボートで遊ぶ人が多いのですが、今日は、1舟も出ていませんでした。静かな池に、小鴨、ヒドリガモ、ハシビロガモ、オナガガモ、カイツブリ、カルガモが、泳いだり、岸辺で日光浴を楽しんだりしていました。今日は、この池に、毎年来ていたキンクロハジロの姿は見えず、何時もは見ないヒドリガモが居ました。ヒドリガモは、昭和記念公園で見られるバードカレンダーに書かれていませんので、今日は、珍しい日なのかも知れません。

小鳥達にも、沢山会いました。椋鳥、ヒヨドリ、ツグミは勿論のこと、シジュウガラ、ヤマガラ、コゲラ、モズ、セグロセキレイにも出会いました。もう1羽、別の小鳥とも出会ったのですが、1枚しか写真が撮れず、顔が写っていないので、鳥の名前が分りませんでした。

春が来て、渡り鳥が北へ帰り、木々が芽吹き始めると、水鳥や小鳥との出会いが、非常に難しくなります。あと一月程、せいぜい鳥達との出会いを楽しもうと思います。

今日は、日本庭園の池が、干されていました。池を渡る木橋の工事をするらしいのです。こんな、だだっ広い枯山水は、好きではありません。日本庭園から、木漏れ日の里を通って、砂川口の池まで行ってみました。しかし、この池は、水鳥が泳げない程の浅さですし、餌になる小魚も少ないのでしょう、水鳥は1羽も来ていませんでした。池の周りの梅と、節分草を楽しみました。

午前中は、素晴らしい天気で、午後から曇り空になり、俄雨が降るなど考えられませんでした。ところが、昭和記念公園に着いた頃には、奥多摩に黒い雲がかかり、雨が降っているのが見えました。天気予報通りになったのです。3時には、昭和記念公園にも雲が来て、寒さが身に浸みるようになりましたので、今日の散歩は、お仕舞いにしました。国立で、今晩の酒の肴に、牡蠣フライ、ミートフライを買って帰りました。

 

「冬場には 何時も鴨等と 出会いあり 期待違わず 心穏やか」

「池の岸 丸い毛玉に 足のあり 鴨等楽しむ 冬の日溜まり」

「カルガモの 集う水辺に オナガガモ 自慢の衣装 見せて近づく」

「オナガガモ 池を借りても 不遜なり 顔を寄せ合い 嘆くカルガモ」

「大勢の 鴨等の中に 只一羽 我が道を行く カイツブリかな」  

「晩冬に 久し振りだね コゲラさん 縞模様の コートがお似合い」

 

 

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2017年2月14日 (火)

2017年02月13日

2017年02月13日

 

 今日は、日の出と日の出前の十六夜の月を見るために、6時に目覚ましをセットして置きました。目覚ましのお世話にならないで、起きることが出来ると思っていましたが、矢張り目覚ましのお世話になりました。

 6時10分には、土手に出ましたが、空は既に明るくなっていました。十六夜の月は、明るさを失わず、まだ、高い位置にあり、奥多摩からは、かなり離れていました。日の出が近くなった空の、なんと素晴らしいことか、「今日も、これから命の営みが始まるのだ」、そんな空の色でした。十六夜の月と、朝日を待つ四谷橋の写真を撮り、四谷橋の欄干に出ました。光の感じで、是政橋の所から日が昇りそうでした。そこで、日の出間近の写真を撮ろうとしましたが、シャッターが切れません。なんと、電池がなくなっていたのです。「何のために来たんだよー」と気持ちが焦りました。一眼レフは諦めて、万歩計のつもりで持ってきた、買ったばかりのスマホで写真を撮ることにしました。

 スマホを日の出の方角に向けて、写真を撮りました。ところが、シャッター音が聞こえないのです。顔を近づけて、もう一枚捕りましたが、まだ、撮れたのかどうかはっきりしません。「どうしたんだよー」と色々触っている内に、突然、スマホの画面に、私の焦っている顔が出てきました。カメラが、自分撮りモードに変わったのです。何処をどう触ったから、モードが切り替わったのか、それが分りません。ですから元に戻す方法も分りませんでした。スマホと格闘している間に、日の出の瞬間がやってきました。西の空が薄桃色にかわり、月が光を失ってきました。太陽は、予想通り、是政橋の側の南多摩の丘から昇りました。一点の穢れも無い空に、赤く輝く太陽が現れました。「こんなに素晴らしい光景を何故撮れないんだ」、スマホの画面には、むくつけき自分の顔が、性懲りも無く出ていました。

 太陽が昇ると、巷のあちこちに太陽の子供が出来ました。遠くには、新宿の都庁や、スカイツリーも見えました。素晴らしい光景は、自分の胸の内に納めていれば良いものを、それだけでは済まないのが、年を取って始めた、俄かカメラマンの性なのでしょう。今日は、素晴らしい日の出と、朝の十六夜の月を見たのに、損をした気分になってしまいました。富士も綺麗に見えていましたので、本来なら、昨日のように朝飯前の散歩になるはずでしたが、7時には、我が家に戻りました。

 朝食と朝の仕事を終えて、11時半に家を出て、妙正寺池へ行ってきました。荻窪から、下井草行きのバスで、妙正寺池バス停で下りると、直ぐ近くです。ところが、案内もなく、見晴らしも悪いので、何処に妙正寺池があるのか、分りにくいのです。私も、初めての時は、大いに迷いました。今日は、すんなりといくことが出来ました。昔、妙正寺池は、善福寺池、三宝寺池と並んで、立派な池だったようですが、宅地開発で埋められたのでしょう、今は、猫の額ほどの小さな池になっています。この小さな池にも、冬には渡り鳥がやってきます。今日も、30羽ほどのキンクロハシロ、15,6羽のオナガガモ、10羽程度の小鴨が来ていました。池の側のベンチに座り、鴨達を見ながら、昼食にしました。池が小さいお陰で、鴨達の動きが、手に取るように分りました。昼食を終えて、池を一周しました。ゆっくり歩いても、一周するのに5分程度でした。どうも、この池には、餌をやる人が居るようでした。私が歩くと、鴨達が、私の側に近づいてきました。鴨だけでなく、鳩までも近づいてきました。その内、私が、餌を撒かないので、「なんだ、餌やり爺さんとは違うのか」というような顔をして、離れて行きました。

 妙正寺池には、他に見る物がないので、来た道を辿って、聖蹟桜ヶ丘のAUサービス店に行きました。遠くまで行って来たようでしたが、まだ、2時半でした。若い店員に、スマホのカメラのことについて聞いてみました。自分モードと普通モードの切り替えは、画面を撫でれば良かったのです。この動作のことを、スワイプというのだそうです。写真が撮れたかどうかを確認するためには、カメラの右下の窓を、タッチではなく、タップすれば良いそうです。このタップとスワイプは、スマホを使うときの常識のようでした。若い店員は、まるで手品のようにスマホを操りました。調べて貰ったら、今朝の写真は撮れていした。しかし、日の出の写真は、3枚だけで、その他は、私のむくつけき顔が30枚程、四谷橋の欄干のコンクリートのような物が、やはり30枚程写っていました。今朝の格闘の痕跡でした。スマホの写真のパソコンへの取り込み方、スマホの写真の消去の仕方なども聞いて、店を出ました。

 4時近くに家に戻り、写真のパソコンへの取り込みに格闘しました。取り込みは出来たものの、特別なソフトで取り込んだため、何時ものデータ管理用のソフトに移すことが出来ませんでした。スマホ上の写真も消去出来ず、また、課題が残りました。この2ヶ月の間に、パソコンとスマホを、一度に新しくしたため、問題山積です。夕方、妻から電話があったのですが、上手く取ることが出来ませんでした。困ったものです。

 

「希に見る 日の出と月の 名場面 写真に残る 爺の顔かな」

「年老いて 時代の進歩に 追いつけず スマホと格闘 老化現象」

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2017年2月13日 (月)

2017年02月12日

2017年02月12日

 

 朝6時半、あまりに良い天気なので、朝の散歩をすることにしました。土手に出てみると、陽が昇ったばかりでした。明るくなった奥多摩の空に、大きな満月が出ていました。昨晩が満月ですから、沈む前の月も満月でしょう。「月は東に日は西に」の全く逆でした。我が家の方からは見えませんでしたが、昨日、日が沈んだ後は、満月が東の空に見えたのだろうと思います。今晩十六夜の月を見て、明日の朝は、陽が昇る前に、十六夜の月を奥多摩の上で見たい物です。今日のような、良い天気になることを祈ります。朝早くに、思いもしなかった15夜の月を、思いもしなかった所に見ました。

 昇ったばかりの太陽に光が、ほぼ水平に、地上を照らしているので、街のあちこちに太陽の子供が出来ました。その中の一つに、十字架を思わせる柱が燦然と輝いていました。最初は、何処かの教会の十字架かと思ったのですが、何処まで歩いても光っていました。良く良く見ると、柱の下にお寺の屋根のような物が見えました。高幡不動の5重の塔の相輪(そうりん)だったのです。我が家の方の土手から、石田大橋まで、高幡不動が、ずっと見えていることを、今日初めて知りました。朝日のお陰でした。

 石田大橋の橋桁には、沢山の鳩が、活動を始める前の休息中でした。橋の上から見ると、小鷺が1羽、川の中央で餌を捕っているようでしたが、どうもうまくいかない様子でした。何度も飛び上がったり、嘴を水に突き刺したりしていました。その周りを、川鵜が2羽、「手伝おうか」と偉そうな顔をして、泳いでいました。

石田大橋を渡り、万願寺の交差点を過ぎると、何か黒い鳥が、畑のブロッコリーの葉を啄んでいました。烏鳩にしては小さいし、ヒヨドリにしては黒過ぎるし、訳が分らないまま写真を撮りました。後で調べてみたら、黒ツグミでした。生涯初めての出会いでした。今年は、酉年のせいか、初めての出会いが、これで2度目です。最初は、アトリでした。今日は、幸運な日でした。

 黒ツグミが居た所から、日野バイパスを左折すると、土方村に入ります。一軒の土方さんの家の、立派な松の木の写真を撮っていたら、松葉が銀針のように輝いていました。松葉が、こんなに光を反射するとは知りませんでした。輝く松葉を意識して見たのは、初めてでした。

 相輪の輝きに惹かれて、高幡不動に着きました。8時20分頃だったと思います。高幡不動では、今日フリーマーケットが出来るらしく、その客目当ての屋台が、店を出す準備をしていました。たこ焼きと焼きそば屋は、既に店が出来ており、1回目の焼きが終わり、屋台の準備をしている人達が、買っていました。お寺の境内に、たこ焼の臭いが漂って、私も、買いたかったのですが、現金を持ってこなかったので、買えませんでした。こんなに朝早く、高幡不動に来たことがなかったので、朝の高幡不動の写真を、沢山撮りました。枯れた葉を落としていないイロハ紅葉が、朝日を受けて秋の紅葉を彷彿させました。寺と枝垂れ梅は、よく似合っていました。満開の梅の上の五重塔も素晴らしかったです。朝日を受けた、金の相輪は、何処から見ても輝いていました。

 高幡不動から高幡不動駅に出ると、9時になっていました。普段の朝食の時刻を過ぎてしまいました。駅と駅周辺は、電子マネーが使えるので、駅前のレパスという、京王線の主要駅には必ずあるパン屋で、ホットドッグとカレーパンを買い、イートインでコーヒーを頼み、朝食にしました。通勤客の動きを見ながらの朝食になりました。

 我が家に戻った時は、10時過ぎていました。日記、洗濯など朝の仕事をすると、昼になり、朝食で野菜を取らなかったので、ベビーリーフ、ベビートマト、セロリの薄切り、レタスの、たっぷりの野菜に、ベーコンの薄切りを加え、ゴマドレッシングで食べました。野菜不足を解消しました。

 昼食後、玄関ポーチの植物を、全てベランダに移し、水遣りをしました。春にどれだけの植物が芽を出すか、気懸かりです。特に柚子、南天は、すっかり枯れているようにしか見えません。その後、ほとんどの時間は、パソコンの前に座ってパソコンをいじっていました。胸と腰が痛くなってしまいました。

 夕方、6時過ぎに十六夜の月を見に、四谷橋まで行きましたが、まだ、月は昇っていませんでした。十六夜の月を見たのは、我が家のベランダから、日付が変わる頃でした。澄んだ空に、煌々と輝いていました。

 

「朝の日が 山肌照らす 奥多摩の 峰の上には うっすら満月」

「雲も無く 強い朝日が 空を射て 沈む前に 消える満月」

「夜が明けて 日の出の太陽 子沢山 地上で光る 太陽の子等」

「向こう岸 十字に光る 柱あり キリスト神の 御降臨や」

「良く見れば 十字の下に 五重塔 光る十字は 金の相輪」

「餌捕れぬ 小鷺からかう 川鵜2羽 周囲を回り 餌追い払う」

「黒ツグミ 図鑑の中に 居るだけと 思っていたのに 我が目の前に」

「朝日受け 樹齢重ねた 松の葉の 銀糸の衣 纏うているなり」

「枯れ果てて 枝に残りし 紅葉の葉 朝日に染まり 往事の輝き」

「本堂の 黒く流れる 屋根を背に 枝垂れ梅花 白さ際立つ」

「境内に たこ焼の香 漂いぬ 我も喰いたし 朝餉の時刻」

「駅前の パン屋で朝食 イートイン 通勤せずに 通勤見ており」

 

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2017年2月12日 (日)

2017年02月11日

2017年02月11日

 

 今日も、朝は素晴らしい天気でした。ドーム型の富士も見えました。午後、雲は多くなりましたが、空を埋め尽くす程ではなく、夕方は、雲の切れ間に日が落ちました。

 昨日、書くのを忘れましたが、朝の散歩の終わりの庭木が、とても良い表情をしていました。

初めは、雀のお宿になっている家の柿の木が、花が咲いているように見えました。秋、熟した柿の実を綺麗に食べて、残った赤い皮が、花弁のように揺れていました。北風と共に花弁は落ち、柿の木には、「へた」だけが残りました。その「へた」が、朝日を受けて、一重のバラの花のように見えたのです。梢の青空を背にした「へた」は、本物のバラと迄は行きませんでしたが、十分綺麗でした。その横の石榴の木には、固くなった実が、二つだけ残っていました。遅く出来た実だったのでしょう、熟す前に北風が吹き、実が割れて落ちる前に、固くなってしまったのだと思います。

 同じ並びの家の木斛の木が、赤い新芽を出していました。その新芽の上に、一昨日の霙の名残が乗っていて、朝日に輝いていました。新芽の赤と銀の玉の輝きが、絶妙な配色でした。どんな宝石細工にも負けないような、自然の匠による、素晴らしい出来映えでした。

 我が家との角に、バラの垣根を持った家があります。このバラの木に、僅かに残った葉が、赤枯れた紅葉の色を残していて、北風の吹く冬の日に見ると、なんとも健気に見えました。

 今日は、午後から、大栗川の合流点を回って、聖蹟桜ヶ丘まで、歩きました。今日は、建国記念の日の祝日で、メジャーな場所は、人が沢山集まるので、鳥とか草木を楽しむ気が失せるのです。

 午後、1時半から、関戸橋を渡る何時ものコースを歩きました。白く枯れた茅が続く土手の道に、何の草か分りませんが、緑が目立つようになりました。関戸橋の古い方を架け替える為の、仮橋設置工事が始まっていました。橋脚用の鉄の杭が、数本打ち込まれていました。いよいよ、工事が本格化してきました。聖蹟桜ヶ丘に近い、工事のために塞き止められ、池となった多摩川の流れでは、餌を捕る為に潜っている川鵜を、大鷺と小鷺が必死に追いかけていました。鷺達は、川鵜のおこぼれに預かろうとしているのです。

 関戸橋から、多摩川と大栗川との合流点へ行き、大栗川を遡りました。ここでは、川鵜の親子、小鴨、大鷺、カイツブリ(鳰)、カルガモ、ジョウビタキ(常鶲)の雌、目白、そしてカワセミまで顔を見せてくれました。これは、サービスのし過ぎではないでしょうか。川鵜も親子だと、愛らしく見えました。母親が、魚の捕り方を、子供に一所懸命教えていました。小鴨が、一斉に逆立ちして、餌を捕る様子は、シンクロナイズ・スイミングを思い出しました。カイツブリは、鳩より小さいくらいの大きさなのですが、息継ぎをせず潜っている時間が、思いの外長いのです。何処に顔出すのか見ていると、「そんな所まで行ったの」と思うくらい、遠くまで行くのです。ジョウビタキは、岸から川の方へ、少し飛んでは戻るを、何度も繰り返していました。ジョウビタキも、川で餌を捕るのでしょうか、それにしても、何のために、そんな動作を繰り返すのか、良く分りませんでした。逆に、カワセミは、ジョウビタキを横目に、ひたすら川を見つめていました。この姿は、見慣れています。

 川の側の小学校では、今日は、休みなので、生徒達が野球の試合をしていました。低学年の生徒だと思いますが、自分の背丈と、あまり変わらないようなバットを振り回していました。見学している親達が、嬉しそうでした。

 大栗橋を渡って、更に大栗川の土手を歩いていると、紋黄蝶が飛んできました。今年、初めて見た蝶でした。まだ、晩冬でこの冬一番の寒気が来ている中での、蝶との出会いでした。何時も、思うのですが、何処で、どの様に越冬しているのか、見てみたいものです。

 聖蹟桜ヶ丘に着いて、AUの店に寄りました。昨日は、後に予定があったので、省きましたが、新しいスマホには、万歩計の機能が無いのです。「今日はどの様なご用件でしょうか」と聞きに来る新米の店員に、万歩計の機能を付けてくれるように頼むと、標準では装備されていないので、万歩計より一段高級な、体調管理のアプリをダウンロードしてくれました。お陰で、古い機種は、単に歩数のカウントだけでしたが、新機種では、歩数の他に、歩いた距離、消費カロリー、1週間の実績表などを見ることが出来るようになりました。カウンターに行く前に今日の用件が解決しましたので、今日は、20分程度で済みました。

 5時過ぎに、家に戻り、写真を整理して、晩酌の準備をしました。次男は、昨日、一昨日と飲み過ぎたらしく、今日は、晩酌の摘まみを食べながら、ウーロン茶で付き合ってくれました。

 

「柿のへた 朝の光の 恵み受け 青空背にして 薔薇の花びら」

「赤き実を 曝して割れる 暇も無く 冬を迎えた 石榴が二つ」

「木斛の 赤き新芽に 銀の玉 自然の匠の 宝石細工」

「この冬の 最も激しい 冬将軍 寒さを耐える 薔薇の残り葉」

「白枯れし 茅の土手に 緑葉の 目立ち始める 晩冬の多摩」

「大鷺も 小鷺も共に 追いかける はぐれ川鵜の 食事時かな」

「幼子に 餌取り教える 母川鵜 川に漂う 家族愛かな」

「小鴨達 揃って尻を 天に向け 息はぴったり シンクロナイズ」

「小柄でも 潜りは得意 カイツブリ 何時水面に 顔を出すやら」

「川の中 飛び込む勇気 無かりしか 飛んでは戻る ジョウビタキかな」

「勇気無き ジョウビタキを 一睨み 俺を見てろと ハンターカワセミ」

「冬明けぬ 猛烈寒波の ただ中に 春の妖精 蝶の舞うなり」

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2017年2月11日 (土)

2017年02月10日

2017年02月10日

 

 朝、起きた時には、良く晴れて、ドーム型の富士が見えました。1時間ほどすると、富士を覆っていた雲が消え、キリリと引き締まった富士に変わりました。今日は、このまま良い天気かと思ったら、急速に雲が張り出し、午後4時過ぎには、小雪が舞いました。天気の変化の激しい一日でした。

 朝7時半、外の景色が、霧で良い感じだったので、朝飯前の散歩をしました。多摩川の土手に出ると、昨日の霙の湿気が、霧状になって多摩の里を覆っていました。既に陽が昇り、東の方は、霧全体が、中に太陽を取り込んだように、明るくなっていました。七生丘陵の冬木立が、霧に霞み、川合玉堂が描いた、奥多摩のようでした。奥多摩や丹沢では、昨日は雪だったのでしょう、白い山肌が増えていました。四谷橋まで行くと、聖蹟桜ヶ丘の街が、明るい霧の中に輪郭だけが浮き上がり、天空の城のようでした。所々の屋根が、朝日を受けて、天空の城に光の飾りを添えていました。渡り鳥は、渡り先でペアリングし、北へ戻って子育てをすると言われています。四谷橋の下には、真鴨の番が11組、泳いでいました。集団新婚旅行のようでした。真鴨が、多摩川にやって来ると、北帰行の時期が近づいた感じがします。

 今日は、根津のちゃんこ料理屋で、昔の職場の仲間で、遅い新年会をやることになっていました。根津の近辺には、神社、仏閣、美術館など、見るところが多いので、早めに家を出ることにしました。

 午後、1時半に家を出て、聖蹟桜ヶ丘の駅に、2時頃に着きました。根津へ行く前に、携帯電話の電池交換をして貰うために、AUの店に寄りました。電池が劣化して、100%充電しても、半日と持たなくなったのです。電池を替えるだけですから、10分もすれば済むと思っていたのですが、40分程待たされて、漸く私の順番が来ました。「電池交換をして貰うだけで良い」と言いましたが、「携帯電話は、4年以上お使いのようですし、電池だけの交換では、正常に戻らない可能性が高いですよ、新機種に交換しても、全体の使用量は、同じ程度か安くなります、新機種に交換された方がお得ですよ」と言われ、結局、商売上手の店員に負けてしまいました。電話帳のデータを移行したり、種々の設定をしたり、新機種を使えるようにするために、かなり時間が掛りました。加えて、AU電気、AUカードの勧誘までされて、AUの店を出たのが、4時半を過ぎてしまいました。電気屋に行って、電池だけ買えば良かったのです。

 店を出ると、小雪が舞っていて、強烈な寒さでした。新宿へ出て、丸ノ内線で霞ヶ関、千代田線に乗り換えて、根津の料理屋には、6時5分前に着きました。約束の時間は、6時でしたので、ぴったり間に合いました。そんな訳で、根津界隈の見学は、次回に持ち越しとなりました。10分程遅れて、最後の一人が到着し、新年会が始まりました。海外勤務が多い職場で、コンピューターという特殊な部門で働いていた仲間なので、40年以上、家族のような付き合いをしてきました。一番、気心の知れた仲間だと思います。

ちゃんこ料理も美味しく、話も弾み、予定時間の8時半が、あっという間に過ぎました。その後は、コーヒーバーに場所を移して、10時まで話し続けました。楽しい新年会でした。家に帰り着いたのは、12時近くでした。

 

「朝霧が 朝の光を 包み込み 朝の多摩川 光の坩堝」

「聖蹟の ビルの輪郭 霧の上 地上に降りた 天空の城」 

「霧の中 尾根に並んだ 冬木立 多摩を愛した 玉堂の絵」

「丹沢も 奥多摩も皆 雪化粧 富士の白さに 届きはせぬが」

「霧の中 全て朧の 多摩の里 一筋輝く 我が散歩道」

「恋実り 連れ合い同志 寄り添うて 近づきけりな 真鴨の旅立ち」

「年を取り 意地張ることも 無くなりて 笑顔笑顔の 昔の仲間」

 

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2017年2月10日 (金)

2017年02月09日

2017年02月09日

 

 天気予報通り、曇りから、小雪、霙と冬本番の一日でした。向ヶ丘の七生丘陵が、水墨画のように霞んでいました。

 今日、外へ出たのは、午前中、プランターを買いに、近くのホームセンターに出かけただけでした。散歩して歩かないと、足腰が弱り、杖無しでは歩けなくなり、やがて、寝たきり老人になるという、恐怖感があります。自分の力で動けなくなること、それが、近々起きそうな、現実的で一番怖い恐怖なのです。今日のように、天気が悪く、霙が降っていると、霙だから仕方が無いかと、自分に言い訳が出来るので、散歩をしないでも、不安を感じないで済みました。

 日記を書き終わってから、ネットから高校時代の恩師の文集を送ってくれた人に、僅かですが、賛助金を送りました。同時に、腹立たしいのですが、昨年の秋、高山の駐車場で、自動車のドアが軽くあたり、他の車に傷を付けた(本当に傷がついた?)時の修理用の費用と代車の費用、合計175,565円を、私の友人に支払いました。仮に傷があっても、テレビで宣伝している、軽い傷修理用のスティックで、一撫ですれば、それで十分なくらいの傷だったでしょう。それをここまで大袈裟にしたには、小金持ちの根性の嫌らしさでしょう。どうせ相手は、保険で払うのだから、好きなだけ請求しよう程度の頭しか持っていないのです。中間に入った保険屋も、保険を支払う人に、何の説明もしないで、交渉をしたのは、良心的企業人とは、言えないでしょう。保険を支払う私の友人(実際の処理は、友人でなく、友人の奥さんがやったらしい)も、保険屋の言うがままに、実際に支払う私に何の説明もなく、保険屋に支払った後で、私に、その金を支払えというのは、人間性を疑う行為だと思いました。何れにしても、最近には珍しく、気分の悪い出来事でした。原因を作ったのは、私ですから、結局、私が一番悪いのでしょう。まあ、こんな悪いことがあるので、良いことが、より良く見えると思って、諦めることにしましょう。この世に居るのも、そう長くないですしね。

 昼食後、次男が起きるのを待って、木のプランターの底を抜いて、土を取り出し、木の部分だけベランダに運びました。次に、今日買ってきたプラスティックのプランターに、取り出した土を入れて、ベランダの木のプランターに嵌め込みました。これ迄のように、木のプランターを使い続けると、木が腐ってしまいそうだったのです。実際底の部分は、腐っていました。そんな訳で、木のプランターの改良には、丁度良い機会でした。但し、木のプランターで、育てていた植物は、この4ヶ月で、全部駄目になってしまいました。一からやり直しとなりました。木のプランターを捨てきれないのは、格子状の背があって、釣り下げ用の鉢を下げることが出来るからです。何れにせよ、プランターの引っ越しは、完了しました。重い物を運ぶのは、全部次男がやってくれました。

 次男は、用があると事で、4時には出かけました。その後、軽く玄関ポーチを片付け、部屋の掃除をして、6時半くらいから、晩酌にしました。今日の晩酌の摘まみは、一人用の豆腐鍋、焼売、作り置きの鳥の軟骨、小鰺の南蛮漬でした。豆腐鍋と焼売は、レンジで温めるだけでしたので、非常に簡単でした。豆腐鍋には、生の茸、葱、もやしが入っていましたが、3分で完了しました。豆腐には、時間が長かったようで、中が少し固まってしまいました。焼売は、1分30秒で十分でした。そんな訳で、僅か10分程度で、準備が出来ました。贅沢を言わなければ、便利な世の中になりました。年金のお陰で、住む所があって、電気代が払えて、レンジを使えることは、河原の仙人に比べれば、贅沢なことかも知れません。

 

 

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2017年2月 9日 (木)

2017年02月08日

2017年02月08日

 

 朝起きて、一番最初にベランダの窓のカーテンを引くと、外の景色が飛び込んできます。この景色を見ることが出来るのが、生きているという証を再確認し、喜びをかみしめています。良い天気だろうが、雨だろうが、雪だろうが、どれも素晴らしい事に思えます。今日は、雲一つ無い素晴らしい天気でした。勿論、富士も見えました。

 今朝のニュースで、何処かの大学の教授が、トランプ大統領の政策を擁護するような発言をしていました。人の考え方は、多様ですから、どんな意見を持ったとしても、おかしくはありません。しかし、最高学府である大学の教授であれば、意見の根拠については、事実を整理分析し、論理的に冷静に結論を導き出してものであって欲しいと思います。しかし、今日の教授の発言は、できの悪いニュース解説者のようで、なるほどと思える発言は、何一つありませんでした。他の教授がどうかは分りませんが、社会科学のレベルが低くなったのではないかと心配しました。テレビのお笑い番組でやっている、社会事象の解説のように聞こえました。社会の変化が激しく、落ち着いて研究していると、研究そのものが陳腐化してしまうので、研究の深化が出来ない事は、理解も出来ますし、同情もします。とは言っても、教授らしい発言をして欲しいと思いました。

 今日は、小金井公園に行ってきました。冬の時期、小金井公園の池に行ったことがなかったからです。

 1時半に家を出て、国立、武蔵小金井を経由して、2時40分くらいに、小金井公園に着きました。西口から公園に入りましたが、池は、西口から対角線上の東の端にあります。石神井川の源流の近くです。結構距離があるのです。SL展示場、江戸東京たてもの園の前を通って、梅園に出ました。既に半分くらいの梅が、満開を迎えていました。その梅の木の下に、小鳥の大集団が、地面をつついていました。最初は、雀だろうと思っていたのですが、体の膨らみ具合や、羽の模様、嘴の形が少しずつ雀と違いました。近づくと木の枝に移り、遠のくと木から下りてきました。そんなことを繰り返しながら、何枚も写真を撮りました。家に帰って調べてみたら、この前見た、アトリ(花鶏)でした。今年、生涯初めてアトリに出会ったのですが、今日は、50羽位の大集団に出会いました。

 梅園から、いこいの広場を横切り、石神井川の源流の方に歩きました。左手に、小金井カントリーが見えると、池は右手にあります。石神井川源流探しでも書きましたが、石神井川の源流は、小金井カントリーの中にあるのです。二つ並んだ池に行ってみると、周囲の木々が池に映って、深山幽谷の池のようでした。池に映った木々が、波紋で揺れました。真鴨が泳いできたのです。番が三組来ていました。真鴨は、こんな所の、こんな池にと思うような、町中の分りにくい小さな池にやってきます。どの様にして、場所を探すのか、聞いてみたいものです。

 二つの池の内、石神井川に近い方の池の側に、カワセミが獲物を狙っていました。この池で、カワセミを見るとは思っていませんでした。この池は、今は、自然の池のように見えますが、元々は人工の池で、池の底はコンクリートだったと思います。池を干しているところを見たことがあります。獲物は居るのでしょうか、カワセミが来ているのですから、居るのでしょう。それにしても、カワセミは、何時見ても、美しく魅力のある鳥で、カワセミを見ると、どんな散歩でも満足します。今日は、この他に、真鴨も、アトリの大集団にも会えたので、大満足です。

 池の石神井川寄り(北側)は、民家が迫っていますが、反対の南側は、武蔵野の面影を残す雑木林になっています。傾いた日が、葉を落とした雑木林に差し込み、芽吹きを促しているようでした。雑木林を抜けて、いこいの広場に出ると、小父さんが長い竿で、実を落としていました。近づいてみると、ムクロジュでした。子供やお母さん達が集まってきて、実を拾っていました。私も少しだけ拾ってきました。

 梅園に戻ると、蝋梅の花が、西日を受けて輝いていました。逆光で見ると、蝋梅の花びらが、ガラス細工で作った電灯の笠の様に見えました。何人もの写真家が、写真を撮っていました。隣の梅の木では、シジュウガラが、花の間から顔を出していました。

 公園の西口に戻り、バスで武蔵小金井駅に出て、来た通りに我が家に戻りました。時刻は、6時近くになり、丁度次男が出かけるところでした。

 

少しだけ アトリについて

日本には冬鳥として秋にシベリア方面から渡来する。主に日本海より山形県富山県等に飛来し、それから各地に散らばる。渡来する個体数は年による変化が大きい。全長16cm。黄褐色を基調にを加えた羽色をもち、特に胸部の羽毛は橙褐色で目立つ[1]。オスの夏羽は頭部が黒い。メスおよびオスの冬羽の頭部は褐色であり、メスはオスより色が薄い[2]

 

「大挙して 梅の木の下 啄みぬ 雀と思えど 冬の来客」

「梅の園 我は此処では 雀捕り 慌てて避難 小鳥の大群」

「避難先 梅の小枝の 花を見て 花に口づけ 小鳥等の群れ」

「梅の香の 漂う園にて 鳥を追う 風流知らぬ カメラ老人」

「鏡池 水面に移る 木の姿 揺らし近づく 真鴨三組」

「真鴨さん この池知った その訳を そっと私に 教えて欲しい」

「池の縁 小枝の上から 池睨む 鋭き眼差し ハンター翡翠」

「翡翠に 出会えば散歩 得した気 魅力満点 千両役者」

「武蔵野の 面影残す 冬の森 西日差し込み 芽吹き促す」

「枝枝に 西日に輝く 笠下げて 香り濃厚 蝋梅の花」

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2017年2月 8日 (水)

2017年02月07日

2017年02月07日

 

 雲一つ無い快晴の空が、戻ってきました。稜線で縁取られたような、富士の頂上が、白く輝いていました。

 ニュースでは、トランプ大統領に関するニュースで持ちきりでした。特定のイスラム圏の国からの入国禁止が問題になり、裁判所から大統領令の執行停止処分が出たそうです。他国の人を入国させるか否かは、国家の固有の権利ですから、他国がとやかく言う筋合いではないのですが、今回の大統領令が、あまりにも強引で無分別だったので、問題を引き起こしました。一つは、例え前政権の決定であれ、入国許可証とも言えるビザ所有者まで、入国拒否したことです。これは、行政の内部矛盾であり、是正するように指摘されても止むを得ません。もう一つは、入国禁止にする国を、名指しにしたことです。これは、名指しされた国の国民は、全員悪者扱いにしているようなもので、人道的配慮に欠けているので、反発が起きても当然でしょう。しかし、前にも書きましたが、国際社会には、国内法のような法は、存在しません。単なる約束事の世界です。トランプ大統領の行政に関しては、米国内で解決する他、いかんともしがたい問題です。何故なら、米国は世界一の軍事大国ですから、一方的に約束事を破ることが出来るのです。どの国も、約束を破った米国に、制裁を加えることは出来ません。逆は、米国が世界の警察などと称して、何度も行われてきました。国際社会の正義とか常識とかは、それ自身は力を持つものではないので、強者を従わせることは出来ないのです。

午前中の仕事を急いで片付けて、昨日行けなかった、八王子の川原宿へ行ってきました。

11時半に家を出て、高尾からバスで午後1時頃に、川原宿大橋に着きました。そこから、北浅川を下流に向かって歩きました。ものの5分くらい歩いたら、小さな堰から下が、水が干上がり、白い川底がむき出しになっていました。近くで工事のために水が塞き止められている様子もありませんでした。ここ一月ほど、雨らしい雨が降っていませんので、水が枯渇したのでしょうか、なんとも痛々しい光景でした。最後の水場に、百舌、ジョウビタキ(常鶲)、椋鳥、鳩が集まっていました。百舌とジョウビタキは、同じ枝に止まり、時々、顔を見合わせて、この冬の厳しい暮らしぶりについて、話をしているように見えました。

ところが、100メートルくらい歩くと、また堰が現れ、その下からは、水が流れていました、どうも堰の下辺りから、水が湧き出しているようでした。100メートルの川の干上がりは、何だったのでしょうか、とても不思議でした。流れが始まったところも、例年に比べ、水量は、かなり少なかったと思います。

高尾下ろしというか、奥多摩下ろしというか、猛烈な北風の中を、帽子を飛ばされないようにしながら、歩き続けました。楽しみにしてきた、河津桜並木は、蕾は、どれも弾けそうでしたが、1輪も開いていませんでした。何時もは、必ず顔を出していた雉も、今日は姿を現しませんでした。棲む場所を変えたのかも知れません。救いだったのは、イカルらしき鳥の写真が撮れた事です。シメより一回り大きいので、たぶんイカルです。

北風の中、浅川の右岸を歩き、松枝住宅からバスで、京王八王子に出て、我が家に、4時過ぎに戻りました。

今日は、次男がいるので、次男と飲むことにしました。5時頃から、細々とした摘まみを沢山造り、妻がお土産に持ってきてくれた漬け物も切って、6時頃から飲み始めました。最初の酒は、「魚寅」から香典返しで貰った、熟成大吟醸を飲みました。言葉の通り、良く吟味され、醸し出された酒が、ほどよく熟成されていて、飲み濃くのある美味しい酒でした。稀勢の里と相撲、手塚治虫と漫画、トランプ大統領と今後の国際社会等々、話が弾みました。私は、途中で30分ほどうたた寝をしてしまいましたが、日付が変わった1時過ぎまで飲み続けました。少々、飲み過ぎました。

 

「この冬の 日照り続きで 水涸れて 白き川底 のたうつ大蛇」

常鶲 百舌と並んで 一休み 暮らし厳しく 情報交換」

「はち切れん 河津桜の 蕾かな 明日は恐らく 開花宣言」

「何処に居る 雉を尋ねて 1万歩 一声なりとも 鳴き声聞きたし」

「冬木立 梢に止まる あの鳥は 枝が邪魔して 身元不明」

「酒飲みに 育てたお陰 この宴 老いて息子と 飲む酒旨し」

 

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2017年2月 7日 (火)

2017年02月06日

2017年02月06日

 

 今朝も早い内は、良い天気でした。富士も見えました。ところが、8時頃になると、富士の頂上から、雲が噴煙のように吹き出し、その雲が左右に広がって行きました。富士が雲を作る様を見せて貰いました。晴れた空に、富士の所にだけ雲があることは、何度も経験しました。矢張り、富士が雲を作っているようです。弧峰は、上昇気流を作りやすいのでしょう。

 富士が作った雲とは別の雲が、奥多摩の峰を越えてやってきて、多摩の空を覆いました。空は俄に曇り、小雨がパラつく天気となりました。その後、雲は南に去り、晴れ間が見えるという目まぐるしい天気となりました。

 昨日、河津桜と思われる桜の開花を見ましたので、北浅川の川原宿へ、河津桜と雉を見に行こうと思いました。11時に家を出た時は、丁度、小雨がパラついましたが、昨日と同じように、たいした雨にはならないと思い、聖蹟桜ヶ丘へ出て、昼食用のお握りとサンドイッチを買いました。そこで、もう一度、奥多摩の方を確かめると、奥多摩も、これから行こうとしている八王子の方も、雨が降っていました。それも、かなり強い雨のようでした。風も強いので、今日の川原宿への散歩は、止めることにしました。散歩を止めると昼食を何処で食べるか、頭を悩ましました。外で食べるのが一番なのですが、風が強いので、外で食べる気になりませんでした。そこで、聖蹟桜ヶ丘の交差点にあるオーパビルの7階にある、多摩市民広場に行ってみました。この前、富士の写真を撮った所です。なんと間の悪いことか、広場は定休日でした。仕方が無いので、京王ストアが入っているビルの5階の休憩用ベンチで、昼食にしました。ちょっと罰が悪かったです。こういうことが出来るようになるのが、年を取ったと言うことですかね。

 昼食が、終わった頃に、妻から電話があり、「東京に戻ったので、旅行に行った夫婦と一緒に夕食を食べに行こう」と誘いがありました。散歩も中止し、やるこくと無く困っていたので、二つ返事でOKしました。世の中、悪いことばかりではないと思いました。

 何時もの散歩とは逆に、関戸橋を渡り我が家に向かいました。既に奥多摩の方は、青空になっていました。京王線の鉄橋を越えた多摩川の流れに、20羽近くのバンとオオバン(昨日写真で確かめたところ、確かにオオバンでした)、100羽近くの小鴨が泳いでいましたので、土手を降りて、川岸に出ました。予想通り、小鴨の群れは、一斉に飛び立ち、泳ぐ場所を上流に変えました。小鴨達が、これほど大騒ぎをして逃げるのに、バンもオオバンも、我関せずと、悠々と泳いでいました。

 土手に戻り歩いていると、突然後ろから声をかけられました。私より年配と思われる老人でした。聖蹟桜ヶ丘の向こうに見える山の名前を、教えて欲しいとのことでした。「丹沢の大山です」と応えると、丹沢の別の峰や奥多摩の峰々の名前を聞いてきました。私が淀みなく応えるので、驚いていました。実は、ほとんどが、登ったことのある山だったのです。その後、ダイヤモンド富士の話から、植物の話、カメラの話、戦時中の話に移り、30分以上話し込むことになりました。カメラを提げて、この近くを散歩する、私と同じような、7歳上の老人でした。今までも会っていたのかも知れませんが、通常は、顔も見ないのです。今後会った時は、挨拶したり、話したりすることが出来るでしょう。

 家に戻って暫くすると、次男が起きてきました。次男は、昨日で、今まで働いていた所を辞めました。少し休んで、新たな働き場所を探すようです。料理人の働き口は、高望みをしなければ、苦労しないで見つかるそうです。しかし、仕事はハードで、給料も安いそうです。次男も良い歳になりました。今後どうなるか、頭が痛い問題です。

 妻と約束した食事に行くために、玄関を出たところ、玄関側の窓に、格子が嵌まっていました。随分すっきりしました。これで、我が家に関する大規模修理の工事は、完了しました。今後の、ベランダと玄関ポーチの整理は、住民個々の仕事になりました。

 妻と約束した店に、約束の時間に着きました。しかし、女性陣は来ておらず、友人が一人、ビールを飲んでいました。私は、日本酒を頼み、摘まみも注文し、女性陣を待たず、酒盛りを始めました。予定より1時間過ぎても、女性陣が現れません。流石に心配になって、友人が電話をしに、店の外に出たところに、女性陣が現れました。色々あったようです。妻と会ったのは、一月半ぶりでした。妹の仕事の手助けと、老犬の世話のため、暫く東京を離れていたのです。この店の、刺身や鯖寿司が、とても恋しくなったそうです。しっかり食べて、満足した様子でした。

 食後、女性陣は、酒を飲まないけど、男性陣はもう少し飲みたくて、コーヒーの飲めるバーで、2次会となりました。このようなバーに来ると、中南米のロンを飲まずにはいられません。ヴェネズエラとグアテマラのロンを飲みました。旨かったです。バスがなくなるので、10時に荻窪の店を出ました。国立で、10時45分発の最終バスで、我が家に戻りました。

 我が家では、次男が一人で飲んでいましたので、私もつきあい、1時まで飲んでしまいました。胃癌を手術した人間の飲み方ではなくなりました。

 

「我が姿 小鴨達には 鴨ハンター 慌てふためき 大空を舞う」

「カメラ提げ リュック背負って 土手歩く 我と似たよな 老人多し」

「何時もなら 挨拶もせぬ 似た仲間 今日小半時 話し込むなり」

「お互いに 束縛嫌う 我と妻 普段は平穏 会えばときめく」

「我が息子 働き盛りの 歳となり 選んだ道の 険しさに会う」 

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2017年2月 6日 (月)

2017年02月05日

2017年02月05日

 

 今日も、朝は良い天気で始まりました。ところが富士山には、富士の形に雲が取り巻いて、何時もとは、一回り位大きいドームのような富士に見えました。やがて、大きな笠状の雲が出来、その内雲が、大きく富士を隠しました。その雲に裂け目が出来て、細いピラミッド状の富士が見えました。朝から、富士の七変化を見せて貰いました。

 ほとんど雲がなかった空が、11時頃には、薄い雲が空に張り詰めました。今日は、雨が降るという天気予報が当たりました。この前、テレビでやっていましたが、関東地方の天気予報の的中率は86%だそうです。私の子供の頃と違って、気象衛星から逐一雲の動きを観測できるようになりました。天気予報が的中するのも、当たり前のことになりました。

私が生きてきた時代の、科学の進歩には、目を見張るものがあります。これまで、毎日が変化し進歩し続ける、驚きと活力に満ちた人生を、送らせて貰いました。日本においては戦争も無く、あらゆる時代を通じて、最高の時代を生きたように思います。しかしながら、科学は、まだ進歩するかもしれませんが、人間の生活を豊かにするような進歩には、繋がらないような気がします。今後、人間が、宇宙の中で、どのように生きていくのか、良い未来を思い描くことが出来ません。

今日は、午後から雨が降るとの予報でしたので、散歩は、聖蹟桜ヶ丘まで歩くだけにとどめました。

午後、1時半頃に家を出た時には、小雨がパラついていましたので、散歩を止めようかと思いましたが、傘が必要なほどの雨でもないし、それ以上、雨が強くなりそうな空模様でもなかったので、散歩を続けました。

四谷橋の上流側で、小さな鳥が、川面を飛んでは岸に帰る行動を、繰り返していました。最初は、この鳥が何という鳥だか分りませんでした。少しずつ橋に近づき、漸くキセキレイだと分りました。ハクセキレイが、キセキレイを追い払う様に、飛んでいました。縄張りを主張しているようでした。多摩川の水辺で、ハクセキレイより小さい鳥は、私が見ている限りでは、ジョウビタキ、カワセミ、キセキレイくらいしかいません。自分と同じくらいか、小さい鳥にしか、縄張りの主張は出来ないようです。烏に縄張りを主張しようものなら、勝ち目はなく、相当な危険を覚悟しなければならないでしょう。人間社会も同じですね。

四谷橋を渡り、一旦、真明寺へ行きました。バスから見ると、真明寺の横の空き地に、タンポポが沢山咲いていたので、それを見たかったのです。四谷橋を渡って、5分足らずで着きました。本当に、タンポポが一面に咲いていました。慌て者が、間違って花を咲かせているのではなく、春はもう始まっていました。晩冬と早春が、交錯する時期なのですね。

四谷橋の下流側に行くと、小鴨とバンが、少し急な流れを楽しんでいました。更に、下流の方から、一回り大きいバンが泳いできました。オオバン(大鷭)だと思います。泳いでいる時は、よく分らないのですが、潜る時や、陸に上がると、バンの羽には、白い模様がありますが、オオバンは、全身真っ黒です。何度も、尻を上げて潜りましたが、羽に模様は見えませんでした。

聖蹟桜ヶ丘に着いて、100円ショップに行きました。今日は、赤い布の端布とポリエチレンの手袋が欲しかったのです。100円ショップは、期待を裏切りませんでした。これで、長年着てきた赤いダウンコートの繕いと、左手人差し指のカバーが出来ます。

我が家に帰る時、我が家の木のプランターに入る、プラスティックのプランターを探すため、我が家から少し離れた、「コメリ」というホームセンターに立ち寄りました。残念ながら、適当なプランターは、見つかりませんでした。次は、四谷緑道を歩いて、我が家の近くのホームセンター「コーナン」へ向かいました。すると、桜が2本、2分咲き程度になっていました。私には、良く区別がつきませんが、早咲きの河津桜でしょうか、本当に春は始まっています。「コーナン」には、ぴったりのプランターがありました。玄関側の格子が設置されたら、買いに来ようと思います。

今日の夜は、電子レンジだけで出来る「包みピザ」、昼用に作った皿うどんの具、次男が作ってくれたモツ煮を肴に、ワインで晩酌にしました。包みピザ(冷凍ではない)は、初めて食べました。美味しいとは言えませんが、不味いとも言えません。食べ物は、どんどん進化しているようです。

 

「富士の山 朝も早よから 七変化 ドーム・白笠 ピラミッドかな」

「天気予報 今は当たるが 当たり前 科学の進歩 思い知るなり」

「多摩川で 小柄な体 黄鶺鴒 白鶺鴒と 陣取り合戦」

「タンポポが 一面に咲く 真明寺 春呼ぶ仏 おわしまします」

「里中の 小道の桜 二分咲きに 隣の欅 冬の出で立ち」 

 

ところで、築地本願寺についてですが、鉄筋コンクリートの、西洋の城のような寺は、他にあるのでしょうか、フランス旅行で見た城を思い出しました。この築地本願寺を見たのも、半世紀振りくらいでした。私が書くより、筑地の名の由来、寺の歴史等々、ウィキペディアの記事を簡単に紹介します。

築地本願寺は江戸時代1617に、西本願寺の別院として浅草御門南の横山町(現在の日本橋横山町東日本橋)に建立。「江戸海岸御坊」「浜町御坊」と呼ばれていた[注 1]。しかし明暦の大火(振袖火事)により本堂を焼失。その後、江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、その代替地として八丁堀沖の海上が下付された。そこで佃島(現中央区佃)の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築き(この埋め立て工事が地名築地の由来)、1679に再建。「築地御坊」と呼ばれるようになった。なお、このときの本堂は西南(現在の築地市場)を向いて建てられ、場外市場のあたりが門前町となっていた。

19239月1関東大震災では、地震による倒壊は免れたが、すぐ後に起こった火災により再び伽藍を焼失。また、58か寺の寺中子院は、被災後の区画整理により各地へ移転。

現在の本堂は1934の竣工。古代インド様式をモチーフとしたこの建物は、当時の浄土真宗本願寺派法主大谷光瑞と親交のあった東京帝国大学工学部名誉教授・伊東忠太による設計である。当時の宗教施設としては珍しい鉄筋コンクリート造で、松井組(現松井建設)の施工により建築された。大理石彫刻がふんだんに用いられ、そのスタイルは現在においても斬新かつ荘厳で、築地の街の代表的な顔である。本堂は日本国政府重要文化財に指定されている。 浄土真宗本願寺派の新体制移行(201241日付)に伴い、正式名が従前の「本願寺築地別院」から「築地本願寺」になった。これにより、築地本願寺は全国唯一の直轄寺院となる。

 

 

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2017年2月 5日 (日)

2017年02月04日

2017年02月04日

 

 良い天気が続いています。東京は、26日間、雨らしい雨が降っていないそうです。お陰で、富士見朝食は、美味しく頂いています。昨日が節分、今日が立春、暦通り暖かい一日でした。今朝のニュースで、昨日、新横綱稀勢の里が、府中の大国魂神社の豆撒きに来ていたのを知りました。

 昨日、久し振りの所を訪れ、少々興奮気味で、歩き過ぎました。1万9000歩近く、歩きました。今日は、軽く府中の森公園を歩いてきました。

 1時半くらいに家を出て、東府中駅から歩いて、2時半近く、府中の森公園に着きました。防衛庁の航空基地の方から入ると、小さな梅園ですが、ほとんどの梅が花を綻ばせていました。小鳥が飛んできたのですが、カメラを構えたときには、逃げられてしまいました。梅園の先に、小さな池が二つあります。毎年のことですが、この池にマガモが来ていました。例年より大分少なく、5組と数えることが出来ました。池が小さいお陰で、マガモの表情まで、はっきりと見ることが出来ました。冬の渡り鳥がやって来ると、常駐しているカルガモが、場所を譲って、ひっそりとしている池が多いのですが、この池では、カルガモの数が圧倒的の多く、「仲間に入れてやるから、大きな顔するな」と、言わんばかりのカルガモの態度でした。

 この池を離れて、売店の方まで行くと、もう一つ池があります。昨晩、そんなに冷えましたかねー、池が凍っていました。氷の上を、ハクセキレイが、ツツツー、ツツツー、と滑るように歩いていました。

 売店の近くには、花畑があるのですが、まだ、花は植えられていませんでした。辛うじて沈丁花だけが、今にも咲きそうな蕾を付けていました。桜並木の下の、赤く紅葉した小さな木は、「おたふく南天」だと言うことが分かりました。公園にも家庭の庭にも、数多く見られるようになりました。紅葉した葉が落葉せずに冬中赤いこと、背丈が大きくならないので育てやすいことが、人気の理由だそうです。私は、好きではありません。

 売店から、美術館へ行き、現在開催中の「ガラス絵展」を見ようと思いましたが、入場料が700円で、老人割引もないというので、止めにしました。そこから、家族連れが遊んでいる、広場の横を通って、入ってきた方へ戻り、芸術劇場前から、チュウバスで府中駅に戻りました。美術館でお金を使わなかった分で、魚屋で晩酌の摘まみとして、締め鯖と蛸わさびを買いました。685円でした。食い意地だけが張った老人になりました。

 4時過ぎに、家に着いて郵便箱を開けると、高校時代の恩師の追悼文集が届いていました。私も、編集者に頼まれて寄稿したのです。恩師は、一昨年、91歳で亡くなりました。恩師は死んで、この世にいないのに、何故恩師に関する文集を作るのか、編集者が言っていましたが、生きている我々の思い出の共有の為です。酒飲んで、昔話をするのと同じようなものだと思います。

 ところで、昨日歩いた時に見た築地市場のことですが、歩いたのが4時過ぎていましたので、場外市場の飲食店は、開いている所もありましたが、市場としての活動は終わっていました。しかし、垣間見ただけですが、一見して老朽化が進んでいるのが分りました。現在騒がれている移転先の豊洲市場は、有害物質の問題で騒がれていますが、築地市場は、老朽化による不潔感、不衛生感が漂っていました。どちらも、食品を扱うところとしては、不適切のような気がします。豊洲市場には、盛り土をしなかった問題、汚染調査の問題について、犯人捜しが中心課題になっているようですが、汚染物質は地中から湧き出すものだから、待っていたのでは、何年で浄化されるか分りません。以前、盛り土をすることで、汚染物質が、地上に出ないように封印できると専門家が判断したのですから、盛り土をしていなかった、建屋のコンクリートの空間を、耐水工事をすることで、同様の効果が期待できないのか、早急に専門家に検討して貰いたいと思いました。罪深い人間が、勝手に作り出した有害物質で、人間の本来の機能まで、弱体化しつつある今日、有害物質対策は、非常に重要なことであることは、間違いありません。その重要さを認識しながら、移転の現実的対応に関しては、早急な決着が必要だと思いました。

犯人捜しは、並行してやれば良いと思います。官僚の上層部には、戦争の時の軍部のように、「自分達が政治(国家)を動かす」というような考え方をする人間が、沢山いますので、今度の豊洲移転問題の数々の不始末について、きちんとした決着を付ける必要はあると思います。小池知事は、人間的に好きではありませんが、都政をオープンにすることは、良いことだと思います。

昨日、浜松町から浜町まで歩いた結果、築地市場が、銀座、東京、大手町等、大東京の中心の一大消費地から、非常に近いことが分りました。多くの店の人が、歩いてでも買いに行けるような近さでした。しかし、現代に於いては、卸売市場に、歩いて買い物に行く人はいないでしょう。自動車であれば、豊洲市場も、それほど遠くではないと思いました。

築地本願寺と、その界隈については、また明日書こうと思います。

 

「真鴨等に 水場を貸した カルガモの 地主気分の 自慢顔かな」

「カルガモに 水場を借りる 真鴨達 礼を失せず 静かに泳ぐ」

「立春の 声聞き蕾 膨らます 明日には咲かん 沈丁花かな」

「霜枯れて 花の少なき 冬の日に 色を届ける おたふく南天」

「青春の 思い出の頁 共有す 恩師を偲ぶ 文集届く」

「罪の上 罪を重ねて 生きて行く 人の未来に 希望少なし」

 

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2017年2月 4日 (土)

2017年02月03日

2017年02月03日

 

 窓を開ければ、目の前に富士が輝いていました。今朝も、雲一つ無い良い天気でした。最近は、富士見酒では無く、富士見朝食を楽しんでいます。

 昨日、妻が送ると行っていた餅が、10時半には届きました。日本の流通の凄さを感じました。海苔や豆が入っている、美味しそうな餅でした。形は、郷里長崎の「かんころ餅」に似ていました。食べ物の味に関しては、妻は非常にうるさい方ですから、きっと美味しい餅だと思います。

 今日は、夜、九州から出てきたローマ時代の友人と飲むことになっていましたので、早めに家を出て、旧芝離宮恩賜公園、浜離宮恩賜庭園を見学しました。その後、築地市場、勝鬨橋、築地本願寺、水天宮、明治座と、浜松町から浜町まで歩きました。今日の飲み会の場所は、明治座の前の「魚寅」でした。

 家を1時15分に出て、浜松町に2時40分頃につきました。北口から出れば、芝離宮は目の前だったのですが、南口に降りてしまい、北口へ回るのに、骨が折れました。浜松町の貿易センタービルは、霞が関ビルの次に出来た高層ビルではなかったかと思います。当時、皇居周辺には、ビルの高さ制限があり、高層ビルを建設することは出来なかったと思います。

 芝離宮は、周囲がビル街の小さな庭園です。以前、この庭園に来たのは、何年前だったのか忘れてしまいました。周囲の様相がすっかり変わってしまいました。幾つも高層ビルが建ちました。それらのビルが、中央の池に映り、いかにも都会の公園でした。この小さな池に、バン、キンクロハジロ、オナガガモ、ヒドリガモ、ハシビロガモ、ユリカモメ、カワウ、そして、多摩の方では見ることの少ない、ホシハジロもいました。水鳥の顔見世興行のようでした。何時もは見られない、カワウとホシハジロ、ユリカモメとホシハジロ、バンとハシビロガモの、愉快な触れ合いの場面を見ることが出来ました。また、西の方のビルは、太陽がビルの後ろになるように見ると、後光が差したようになり、立ち観音の様でした。

 芝離宮は、30分居ただけで、次の浜離宮に歩きました。都会の真ん中の並木に、ヒヨドリが止まっていました。何処にでも現れる鳥ですね。芝離宮から浜離宮までは、歩いても10分少々でした。中の御門から入り、新銭座鴨場、中島の御茶屋がある潮入の池、横堀、庚申堂鴨場の順に回りました。芝離宮の5倍以上ありそうな広さでした。富士見山という小さな丘が作られていましたが、見えたのは、ビルだけでした。江戸時代、徳川家の鴨場として作られた頃には、富士がよく見えたのでしょう。天皇家の離宮となった明治時代にも、良く見えたのだろうと思います。横堀の直ぐ横は、京浜運河一つが並んでいて、向こう岸はビルばかりでした。そして、この景色を楽しんでいたのは、多くが外国人でした。新旧ごちゃ混ぜが、面白いのかも知れません。潮入の池までは、水鳥が少なく、キンクロハジロが、数羽いただけでした。横堀には、ハシビロガモの番が二組いて、気心の知れた素敵な水上ダンスを披露してくれました。庚申堂鴨場は、人が近づけないようになっていて、此処に沢山の水鳥がいました。ところが周囲の森が深く、早くも薄暗くなっていて、水鳥の種類は、確かめられませんでした。此処で、何より驚いたのは、烏の数でした。何本もの木の梢が黒くなるように烏が止まって、大合唱をするものだから、うるさいのなんの、魂消てしまいました。都会というのは、烏にとって棲み心地が良いのですかね-。此処では、夕暮れになっても、烏は山に帰らないのです。

 浜離宮を出たときは、4時を回り、日没の時間が近づいていました。なんとかして、都会の日没の写真を撮りたくて、築地市場を過ぎて晴海通りに出て、勝鬨橋を渡って隅田川の向こう岸から、日没を見ました。築地大橋のアーチの右端のビルの谷間に、日が落ちました。自然を破壊し、ビルだらけの街にも、茜の空が美しく映え、ビルの谷間の上に月が出ました。天空の営みは、まだまだ人知が及ばないと言っているようでした。妙に、感動しました。

 勝鬨橋を渡って、隅田川に並行する大通りに出ました。残照の残るビルの谷間に、街の灯が点り始め、谷底は自動車の灯りが勢いよく流れていました。お寺とは思えない、石造りの築地本願寺前を通り、流れの縁をどんどん歩いて、待ち合わせの居酒屋へ急ぎました。新しくなった水天宮の前の交番で、明治座の位置を確かめました。二つ目の信号を渡って、左折して下さいと言われました。私は、明治座は、歩いている通り沿いにあると思っていましたので、助かりました。待ち合わせの居酒屋「魚寅」に、6時20分につきました。約束の時間の10分前でした。

 居酒屋には、九州の友人の他、良く旅行を共にする夫婦も来ていて、直ぐに酒盛りが始まりました。酒の席は、九州の友人の独壇場で、心筋梗塞から生き返った話から、ローマ時代の思い出まで、彼の独演会のようでした。9時近くに、もう一人のローマ時代の友人が来て、結局、10時半くらいまで、結構な量の酒を飲みました。

 今日は長くなりますので、築地市場の感想については、明日書きたいと思います。

 

「芝離宮 積み木の中の 箱庭に 北の客人 水鳥団欒」

「築山を 嘴広鴨と 鷭達が ヨチヨチ歩き 仲良し散歩」

「私見て! 羽を打ち振る 川鵜さん 誘い無視する 星羽白かな」

「西日背に 後光眩しき 摩天楼 平安願う 観音並ぶ」

「二組の 気心知れた 夫婦鴨 水上ダンス 披露するなり」

「浜離宮 梢を覆う 烏達 銅鑼声張り上げ 大合唱かな」

「人様の 隣に住めば 憂い無し 恩返しの 大合唱かな」

「夕日見る 場所を探して 隅田川 居並ぶビルの 谷間に夕日」

「自然をば 破壊尽くした ビル街の 谷間の空も 茜に染まる」

「ビル街の 谷の上にも 月の出て 谷の底には 光の流れ」

「罪深き 人の街にも 月明かり せめて月等を 壊さぬ様に」

「人生の 一場面を 共にした 友と飲む酒 何時でも旨し」

 

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2017年2月 3日 (金)

2017年02月02日

2017年02月02日

 

 幕が無くなってから、ベランダの窓のカーテンを引くのが楽しみになりました。今朝は、雲一つ無い、最高の天気に戻りました。空気も昨日より、ずっと澄んでいて、気高さを感じるような富士が見えました。そして、一日中、富士の近くに一片の雲も出来なかったのは、珍しいことでした。朝、雀が、ベランダの手すりに来るようになったのも、嬉しい事の一つです。

 天気が良いと、早く外に出て歩きたいと思うのですが、左手人差し指を怪我した為に、色々な事をするのに時間が掛ってしまう様になりました。洗濯、掃除、料理、食器洗い、シャワー 洗顔、ありとあらゆる事がスムーズに行きません。痛みがあるのと、左手を濡らさないように手袋をするのが、作業の要領を悪くしてしまうのです。また、パソコンのキーボード操作は最悪です。違うキーを触ったりして、何度も打ち直すことになります。早く、傷口が塞がって欲しいと願っています。

 今日は、昼食後、富士を見ながら、高幡不動まで歩いてきました。富士が綺麗だと、歩きたくなる散歩道です。

 午後1時半頃に家を出て、石田大橋へ向けて歩きました。多摩川の流れの中の石の上に、川鵜が1羽、羽を休めていました。春から秋にかけて、大群で傍若無人の餌取りを数多く見ているので、冬場、単独で行動する川鵜を見ると、なんとなく哀感を覚えます。

 石田大橋を渡り、浅川に出る前に、多摩川と浅川が合流する手前の三角州に入りました。この三角州には、日野高校や、浅川水再生センター、日野ゴミ処理場といった公共施設があります。日野高校までは、昔からの屋敷と新しい住宅が入り交じっています。日野高校の裏手に、石田寺があり、住宅地は此処で終わりです。この寺の墓の半分近くは、土方性でした。以前から不思議に思っているのですが、土に点が付いたものもあります。このような漢字は、漢和辞典には存在しません。恐らく、あまりに土方性が多いので、何時の頃か、点を付けた家があったのだろうと思います。寺の近くにある、屋敷もほとんど土方性で、点付きの表札がかかった家もあります。当然ながら、土方歳三の生家も近くにあり、土方歳三資料館として、日曜日だけ公開しています。歳三の墓も本殿に近いところにありました。5年ほど前に1度来た時には、歳三個人の墓石があったかどうか記憶が定かでは無いのですが、今日見ると新しい墓石がありました。一家の墓に個人用の墓石は珍しいので、日野市が、観光用に建てたのかも知れません。新撰組が大河ドラマになった後、新撰組ゆかりの地を、整備したと聞いています。今日も一人の若者が、墓参りに来ていました。石田寺は、小さな寺ですが、樹齢400年の榧の木は立派です。

 石田寺を出て、新井橋の方へ行こうとしていたら、梅が満開の家がありました。写真を撮ろうとしたら、花の中で、何かが動いていました。目白でした。細い嘴を、梅の花の中に差し込んでいました。目白が蜜を吸うには、梅の花は、小さ過ぎるように思うのですが、現実に蜜を吸っているのですから、大丈夫なのでしょう。梅に鶯では無く、目白でしたが、よく似合っていました。ネットで「梅に鶯」の画像を見たら、かなりの写真が、「梅に目白」でした。

 新井橋を渡らず、浅川の左岸の土手に出ました。浅川の流れの先に富士が立っていました。ビルが増えてきましたが、ここから見る富士は、大好きです。流れに目を向けると、なんとカワセミがいました。浅川でカワセミを見るのは、珍しいのです。川鵜も、白鷺も、青鷺もいました。鯉が背中を出して泳ぐため、鯉の周りに光の玉が出来ました。写真を撮ろうと思って、コンクリートの急な斜面を降りて、河原に降りると、川鵜以外は、全て逃げてしまいました。それでも、残った川鵜の写真を撮ると、1羽は、まだ子供のようでした。大人の川鵜と違って、あどけない顔をしていました。

 ふれあい橋を渡り、高幡不動駅へ出て、今日は高幡不動に参拝せずに、我が家に戻りました。4時過ぎでした。

昨日、工事会社から、2月6.7日に、玄関側の窓の格子を取り付けるとの、知らせが入っていました。その前に網戸を取り付けておいて欲しいとも書いてありましたので、必死に網戸を取り付けました。簡単なようで結構難しいのです。来週は、漸く工事前の状況に戻すことが出来、一時的に部屋の中に入れていた物を、全て外に出すことが出来ます。暫定的な生活から、普通の生活に戻るのは嬉しいものです。

 

「多摩川の 悪たれ小僧 川鵜でも 流れに一羽 孤愁漂う」

「日野の里 土方村の 石田寺に 歴史見てきた 榧の木の立つ」

「冬晴れに 花で埋もれた 梅の木に 蜜吸う鳥は 目白なりけり」

「鶯に 負けず劣らず 似合いかな 梅に目白も 一幅の絵なり」

「背を出して 川面を進む 野鯉達 光の玉が 後に従う」

「鯉達の 泳ぎをよそに 静かなり カワセミ狙う 小魚いずこ」

「苦労して 河原に降りて 来たものの 写真の獲物 逃げた後なり」

「親切な 川鵜の親子 我を待ち 写真撮らせて その場立ち去る」  

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2017年2月 2日 (木)

2017年02月01日

2017年02月01日

 

 今朝は、西の方に雲はありましたが、良い天気でした。一月は、雨らしい雨が降ったのは、たったの一日だったそうです。私も、ほぼ毎日良い天気だと、書いてきたわけです。

 午前中、散歩に出かける前に、黒のリュックの紐を鋏で切りました。私のリュックは山用に使っていたもので、リュックを体に固定するためとか、ストックなどをリュックで持ち運ぶために、紐が沢山着いています。しかし、2年ほど前に、山用のリュックは新しくしたので、それまでのリュックを、紐を付けたまま散歩用にしたのです。散歩用には、紐は必要ないのですが、たいした問題は無いと、そのままにしておいたのです。ところが、この前、電車の網棚にリュックを乗せたところ、紐が網棚の間に入り、簡単には抜けず、電車を一駅乗り越してしまいました。それで、紐を切ったのですが、変な弾みで、左手の人差し指の根元を、鋏で切ってしまいました。切れ味の悪い鋏だったので、傷は深くないのですが、傷口が広くとても痛いのです。取り敢えず傷の手当てをし、昼食を食べてから散歩に出かけることにしました。

 昼食には、電子レンジで温めるだけの、皿うどんにしました。電子レンジで5分間、具を温め、チャー麺にかけるだけで出来上がりです。これが、そこそこ美味しく食べられました。胃癌の手術をしてから、冷凍食品を食べる機会が多くなりましたが、どれも味に不足は無いのです。冷凍食品の進歩は、私のような人間にとっては、有り難いことです。

 今日は、武蔵野の森公園に、ヒドリガモを見に行ってきました。その前後、欲張って、東京外国語大学、野川公園、武蔵野公園も回ってきました。

 午後1時に家を出て、飛田給に1時40分くらいに着きました。味の素スタジアムの隣に建設中だった、総合スポーツセンターがほぼ完成しました。3年後のオリンピックにも使えそうな、立派なスポーツセンターとなりました。

 調布飛行場の横の桜並木を歩いて、東京外国語大学のところまで来ました。この大学のキャンパスを見たことが無かったので、思い立ってキャンパス訪問をしました。単科大学なので、キャンパスもシンプルでした。一回りして写真を撮り、百合の木並木を歩いて、元に道に戻ろうとしていたら、若い女子学生が、走ってきました。必死に何か話そうとするのですが、日本語がスムースに出てきません。「留学生ですか?」「何処から来たのですか?」「何時来ましたか?」等と、外国人に分るように、ゆっくり、短いフレーズで聞いてやると、口籠もりながら、「私は、一月前、短期留学生として、中国からやってきました。日本語を勉強しています」と応えました。「日本の生活には慣れましたか?」と聞いてみましたが、この「慣れる」という言葉の意味が分らないようでした。色々説明を試みましたが、分って貰えませんでした。彼女は、スタイルも良く、顔立ちも美形で、何より目がキラキラ輝いていました。これから、自分の人生に挑戦しようとしている若者は、本当に綺麗ですね。彼女は、私のことを、大学の先生と勘違いしたようです。

 大学から、ものの5分で武蔵野の森公園に着きました。目の前の修景池に行ってみると、期待に違わず70羽位のヒドリガモが、池の中を泳ぎ回ったり、池の縁で羽を休めたりしていました。この鴨達は、キュルルルーガーみたいに鳴きながら泳ぐので、池が賑やかでした。それにしても、こんなに小さな人工の池に、これだけの数の鴨が生きているのが不思議に思えました。池の縁の土の上で、バンとツグミが、食べ物を探していました。珍しいツーショットが撮れました。池の端では、カルガモが、「何時もは僕達の場所なのに」と言いたそうに、ヒドリガモの泳ぎを眺めていました。

 隣の野川公園に行くと、桜の木に止まった百舌夫婦が、出迎えてくれました。隣の梅園では、白梅3本が満開となり、他の梅も花を綻ばせていました。野川を渡って、自然観察園に行くと、大型のカメラを持った老人が、何人も歩いていました。鳥を狙っているようですが、なかなか現れてくれないようでした。結局、私も、節分草の花と冬木立の写真を撮っただけで、自然観察園を出ました。

 野川沿いに歩き、武蔵野公園に入ったところで、シジュウガラの群れに出会いました。その場所は、特別の場所らしく、私が近づいても飛び去らないで、木の枝を変えたり、地上に降りたりを繰り返していました。夕日を背にして写真を撮っていると、私の影が地面に出来、シジュウガラ達が、私の影に寄ってきました。ちょっと影を揺らすと、ぴょんと飛び退いたりするのです。暫く、楽しい時間を過ごしました。

 4時を過ぎ、太陽が木立の後ろに降りてきました。個性豊かな木立が、影絵のようになって、とても良い雰囲気になりました。この風景を、写真に撮るために、太陽を幹の後ろに隠して、写真を撮りました。影絵の中心から後光が差しているようなすてきな写真になりました。

 武蔵野公園から、チューバスで府中駅に出て、我が家に帰る頃には日が沈み、茜の空を背景にした、四谷下堰緑地の林が、昼の終わりを飾っていました。その上には、夜の始まりの、一番星と月が、枝の間から顔を覗かせていました。

 

「未来見る 目の輝きに 曇り無し 若き命に 勝るもの無し」

「穢れ無き 君の瞳に たじろぎぬ 未来見据えて 異国に学ぶ」

「目の前は 離島に向かう 飛行場 何でこの地に ヒドリガモさん」

「ヒドリガモ キュルルルルーと 恋の歌 恋の成就を 願っているよ」

「冬来れば 我等は隅に 追いやられ カルガモ嘆く 修景池かな」

「冬なれば バンとツグミの ツーショット 光の春の 午後の一時」

「冬晴れの 桜の枝に 百舌夫婦 野川公園 接客係」

「節分に 咲くから君は 節分草 期待違えぬ 君に感謝す」

「我が影と 遊びにけりな 四十雀 我も仲間に 入った気分」

「夕日差し 木々の個性が 浮き立ちぬ 裸になった 木々の枝振り」

「茜背に 四谷下堰 冬木立 梢に三日月 宵の明星」

 

 

 

 

 

 

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2017年2月 1日 (水)

2017年01月31日

2017年01月31日

 

 文句の言いようのない素晴らしい朝でした。空気が澄み切って、きりりとした富士が見えました。

 トランプ氏の現実に始めた国家主義的政治が、世界中に波紋を広げているようです。どのテレビ局も、朝から、トランプ氏の言動がトップニュースでした。経済力も軍事力も世界第一の国の政治ですから、当然世界に影響しますので、マスコミが取り上げるのは、当然だと思います。私は、トランプ氏の言動について、つまり、政治の仕方については、非常に反発を覚えますが、現在の国際社会に置いて、国家とは何か、国家は必要なのか、国家形成の基本は何か、国家形成における民族と理念と宗教、国家の役割とは何か、国家間の力の違いや考え方の違いをいかに解決すべきか、国家間の争いを調整する適正な方法があるのか、国民は国家を離脱可能か、離脱した或る国の国民をどの国も受け入れない場合その個人はいかに生きるか等々について、希望的な考えを述べることは出来ますが、その考えが、現実の政治で通用するのか、全く自信がありません。考えは単なる脳の活動の産物であり、考えが現実の世界で力を持つためには、力を持っている人の賛同を受けること、多数の人に支持されることが必要です。しかし、人の考えは多様であり、時代の流れによって変化するし、また、考えに力を持たせるための陰謀や策略が横行する中で、特定の考えが、常に力を持つことは、非常に難しいことが分りました。

 年を取って、自分の幼年時代から晩年に至るまでの人生を、振り返ることが出来るようになりました。同時に自分が生きてきた時代の、人類の歴史も、ある程度振り返ることが出来るようになりました。現実の世界との関わりが希薄になった晩年の生活に於いては、自分の考えを纏めることが、大きな楽しみと思えるようになりました。勿論、多くの人が多くの考え方を公表しており、重複することは多いかと思いますが、学問的に意味のある考えを纏めるのでは無く、自分の個人的知見に基づく、個人的考えを纏めるに過ぎません。昔話に毛が生えたようなものになるでょう。以前から、自分の考えを纏めてみようと思っていましたが、現実の生活に未練があって、なかなか始められませんでした。ところが、昨年癌を患い、危うく自分の考え(別の言い方をすると自分史)を纏める以前に、死ぬところでした。幸いにも、手術をして、ある程度回復しましたが、残された時間が、そんなに長くないことを知りました。特に、物が書ける時間は、更に短いでしょう。更に、昨年、英国のEU離脱、米国の大統領選におけるトランプ氏の勝利は、国際社会の今後、人類の今後について、大いに疑問を投げかけました。これも、自分の考えを纏めるための、大きな契機になりました。今後、自分の考えを纏めてみようと思いますが、日記は日記で、続けようと思っています。

 今日は、狭山湖と多摩湖に行ってきました。どうしても、冠カイツブリが見たくなったのです。狭山湖は、冠カイツブリが飛来するところなのです。

 11時少し前に家を出ました。バス停に行く途中に、ロゼットの真ん中に、へばり付くようにして、タンポポの花が二輪咲いていました。あちこちで、こんな感じのタンポポが見られるようになりました。犬フグリもそうですが、タンポポの花が咲くと、冬はもうすぐ終わるのだと思います。

 バスで国立、国立から11時30分発の中央線で国分寺、国分寺から11時45分発の西武線で12時少し過ぎに西武遊園地に着き、西武遊園地から12時7分発レオライナー(西部山口線)で西部球場前に12時15分近くに着きました。そこから、山口観音を経て、12時40分くらいに狭山湖に着きました。この前の、奥秩父に比べれば、随分楽な行程でした。

 狭山湖は、良く晴れていて、奥多摩から秩父に至る山は、雲一つありませんでした。丹沢も見えるのに、富士のところにだけ雲がありました。狭山湖から見る奥多摩は、多摩から見るのと随分違っていました。多摩から見ると、大岳を中心に、三頭山、本仁田山、川苔山、御嶽山は、ほぼ重なって見えるのに、狭山湖からは、峰々が左右に広がっていました。三頭山は左、その他は、右側に並んでいました。

 狭山湖には、今日の目的である、冠カイツブリの群れだけが飛来していました。200羽を超すような、大きな群れでした。ところが、善福寺池とか三宝寺池と違って、狭山湖のような大きな湖では、私と鳥との距離が遠くて、鳥を見たという気持ちになれませんでした。人一人いない、北風の吹き抜ける堤防の上から、冠カイツブリの白い集団が、静々と湖の中心まで動くのを見ていました。湖の中心を過ぎたところで、一斉に餌取りを始めました。潜ったり頭を出したり、群れの集団行動が崩れてしまいました。

 これ以上、冠カイツブリが、近づいて来そうにないので、タヒバリらしき鳥と、雀の写真を沢山撮って、狭山湖を離れました。途中、狭山不動寺に寄り、今年最後の初詣でをしました。明日から2月、1月中は、初詣でと言って良いでしょう。西部球場前で、お握りとタコスで、遅めの昼食にしました。狭山不動寺も西武球場も、人影はまばらで、寂しい限りでした。

 1時47分のレオライナーで、西武遊園地駅に戻り、そこから、多摩湖に行ってみました。渡り鳥がいるかと思ったのですが、1羽の水鳥もいませんでした。湖が深すぎて、餌取りが出来ないのかも知れません。堤防の下にある、小さな宅部池(たけべいけ)にも行ってみましたが、鳥の影すらありませんでした。

 此処で、今日の散歩を諦め、西武遊園地駅に戻りました。駅から観覧車が見えましたが、住宅の上に乗っているように見えました。西武遊園地3時5分発の電車で、国分寺に戻り、国立3時50分発のバスで、四谷の方に戻り、また、酒の肴を少し買って、日没近くに、「我が家に戻りました。日没後、暫くしてベランダに出ると、昨日は気がつきませんでしたが、一番星と月が、月星マーク程ではありませんが、やけに近いところで輝いていました。

 

「冬を越す ロゼットの葉の 中心に 飾り釦の タンポポ二輪」

「冬晴れの 狭山湖まるで 能舞台 群れで静々 冠カイツブリ」

「雀達 体丸めて 日向ぼこ 湖面吹き抜く 北風寒し」

「狭山不動 睦月晦日の 初詣で 人に言えない 最後の願い」

「願い事 叶いているや そっと見る 仏も願う 宝籤かな」

「陽はあれど 北風寒し ドーム前 握り頬張り 青空見上ぐ」

「家並みに 転げ落ちそな 観覧車 巨人が使う 輪回しの輪」

「多摩の空 仲良しこよし 月と星 お手々繋いで 夜のお出かけ」

 

 

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