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2017年1月

2017年1月31日 (火)

2017年01月30日

2017年01月30日

 

 今朝も、雲の多い空でした。天気予報では、今日、は20度を超えるところもある、4月中旬並の陽気になると言っていましたが、その通りの陽気になりました。ベランダの片付けをしているだけで、汗を掻きました。

 朝一番から、南棟の残っていた足場の撤去作業が始まりました。昼前には、我が家のベランダから、足場が消えました。実にすっきりしました。足場が無くなって、電信柱と電線が出てきました。これが無くなれば、ベランダからの視界に関しては、それ以上は、望まないのですが、私が、生きている間は、無くなりそうにありません。

 植栽を移動する準備として、植栽を置くウッドデッキにビニールを貼りました。ウッドデッキを長持ちさせるために、やった積もりですが、良かったのか悪かったのか、自信はありません。上からの水は遮断できても、下からの湿気は、貯めてしまいそうな気がします。 木製のプランター3個を除いて、植木鉢の植物全部をベランダに移しました。大分片付きましたが、玄関のポーチから運んだ物が、まだ部屋の中に残っています。

 二日続けて歩かないと、悪いことが起きそうな感じがして、近場を少し歩いた後、関戸橋を渡って、聖蹟桜ヶ丘まで、歩いてきました。

 府中の四谷地域は、他の地域に比べて、田畑がかなり残っています。畑の畦に犬フグリやホトケノザが咲いていました。或る畦は、ホトケノザの花で、赤紫に染まっていました。このホトケノザは、越冬中では無いでしょうか、昨年の暮れにも咲いていたような気がします。そうだとすれば、もう越冬は成し遂げたようなものです。ほとんどの梅が咲き、春はもう間近です。

多摩川の土手に出て、京王線の鉄橋に着くと、堰の下側の流れが塞き止められていました。関戸橋の付け替え工事の一環で、仮橋設置工事の為だと思います。塞き止められて池となった昔の流れに、川鵜が一羽た佇んでいました。状況の変化は分っているのでしょうか、餌となる魚は残っていたのでしょうか、心配になりました。河川工事の時、魚達を逃がす配慮をしているのか、何時も気になります。

関戸橋の方へ歩いていると、河原を大急ぎで駆けている鳥がいました。雉の雌でした。工事現場から、薄の原へ逃げ込もうとしていたようです。どうして、工事現場に行ったのでしょうか、それなりの理由があったのでしょう。これから暫くは、関戸橋の上流下流共500メートルは、雉が住める場所は無くなりました。雉にとっては、迷惑なことでしょう。

関戸橋から上流を見ると、中州の真ん中に新たな水路が出来ていました。今は、その水路を水が流れていました。ほんの少し来なかっただけで、これだけの変化がありました。重機の発展もあり、土木建設に関する人間の力は、格段に増大しました。その内に、雉だけで無く、人間が生きるために必要な場所も、全て無くなるのでは無いかと、恐怖すら覚えました。この50年で、関東平野の田畑の半分以上が、工場と住宅地に変わりました。四谷地域の古老に聞くと、50年前は、この地域には、家は数える程度しか無かったそうです。

聖蹟桜ヶ丘で、今夜のための酒の肴を少し買って、日没の頃に、我が家に戻りました。まだ、夕焼けの明るさが残っている空に、眉のような月が出ていました。暫くぶりに見る月でした。足場が無くなって、そして良い具合に月が出て、妙に感動しました。これから、月がベランダの方に回ってくるのが、少しずつ遅くなり、外へ出なければ月を見ることが出来なくなります。良いタイミングで月が出たものです。

そろそろ、晩酌を始めようかとしている時、次男が起きてきました。昨晩は、休みの前で、徹夜で飲んだらしく、朝帰りでした。10時頃から寝て、夕方の6時近くに起きてきました。酔いは覚めたらしく、晩酌に付き合ってくれました。次男は、大学時代テニス部だったので、テニスの話を良くします。今日は、ナダルとフェデラーの試合の話で、盛り上がりました。

 

「畦道が 赤紫の 花筵 季節を跨ぐ 仏の座かな」

「犬フグリ 梅に誘われ 花咲かす 畦にサファイヤ 春の始まり」

「昨日まで 流れの中の 我が餌場 何処へ行ったと 川鵜呆然」

「橋工事 一角獣が 唸り出し 雉は魂消て 河原を走る」

「開発が 手当たり次第に 広がりて 雉等も人も 住めない世界に」

「足場取れ 視界広がる ベランダに 久しく顔出す 眉状の月」

「また君と 酒が飲めるね お月さん 何時でも歓迎 君の訪問」  

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2017年1月30日 (月)

2017年01月29日

2017年01月29日

 

 今朝は、雲の多い空でしたが、雨ないし雪が降りそうな気配はありませんでした。

 昨日の夕方、散歩から帰って郵便箱を開けると、大規模修理を受け持っている工事会社から、バルコニーの修理が完了したことを知らせる通知が入っていました。その通知には、今日から、バルコニーを以前のように戻すことが出来ると書いてありました。私は、バルコニーではなくベランダと言っています。バルコニーとベランダが、同じ物を別の言葉で言っているだけか、違うものなのか調べたところ、違うものでした。バルコニーは、室外に張り出した屋根のない見晴らし台のようなもので、ベランダには屋根があるのが違いだそうです。似たようなものですが、雨の日に洗濯物が干せるのがベランダです。従って、私の方が正しい言葉の使い方でした。私のアパートには、室外に張り出したところは、一つしかありませんので、どちらでも分かりはします。

 植栽の移動する前に、金属の棚を二つ、ベランダに出しました。これだけでも、かなりの労働でした。棚に乗っているものを全部下ろし、棚をベランダに移してから、下ろしたものを元に戻しました。これで、一部屋が片付きました。

 植栽の方は、ベランダから玄関に移した時に、木製のプランターの5つの内2つの底が抜けてしまいました。底の部分が腐っていたのです。残った3つも、ベランダに移す時には、底が抜けるでしょう。そこで、木製のプランターの外側だけ生かし、プラスティックのプランターを、内側に嵌め込むことにしました。サイズを測って、ホームセンターから、試しに一つプラスティックのプランターを買ってきました。ところが、ほんの少し大きくて、木製のプランターに入らないのです。木製のプランターの内側を削ったりしましたが、思うように嵌まりませんでした。植栽の移動は、明日以降にすることにしました。

 ベランダへの物の移動に、思いの外時間が掛ったので、今日は散歩を取りやめ、テニスの全豪オープンの決勝戦を見ました。怪我から復活した、往年の名選手同士の戦いとなりました。ナダルとフェデラーの決勝となりました。見ていると、「往年の」という言葉は、失礼だと思いました。当然、決勝に残って良い二人でした。ストロークもボレーも、技と力を出し切った、近来に無い名勝負でした。二人は、これまでグランドスラム大会の決勝戦を8度戦いました。過去の成績では、6勝2敗とナダルの実績が、フェデラーに勝っていましたが、今回は、フルセットでフェデラーの勝利に終わりました。どちらが勝ってもおかしくない、素晴らしい試合でした。

 また、トランプ氏のことですが、彼の横暴に日本は我慢せざるを得ないと書きました。安倍総理は、あたかも対等な同盟国のように、日米同盟の重要さを述べていますが、日本と米国は、対等ではありません。日米安保条約は、米国は日本を守るが、日本は米国を守らない、片方だけが義務を負う片務条約です。戦後日本は、軍隊を解体され、丸腰になりました。そうしたのが戦勝国で日本を占領した米国でした。戦いの結果、このような状態になるのは、昔から変わらぬ事です。ところが、共産主義勢力の拡大に伴い、第2次世界大戦の連合国の分裂が起き、世界が大きく二つの勢力に分かれ、冷戦、あるいは代理戦争の時代になりました。この時、二つの勢力の境界にいた日本に、再軍備をさせ、日本が他の勢力に入らないようにしたのも米国です。このような国際情勢の中で、米国が日本を守るのはごく自然な形で、片務条約の日米安保条約が出来たのです。ところが、日本が戦後目覚ましい経済成長を成し遂げ、米国に次ぐ経済大国となった頃から、米国の中に、日本の安保ただ乗り論が出てきました。日本企業の経済進出で、廃業に追い込まれた米国の企業は、多かったのです。廃業寸前の企業も数多くあったと聞いています。ハーレーダビットソンも廃業寸前でした。当然、米国の中に不満が溜まってきました。しかし、ロシアや中国の将来の動きが読めないこと、戦争で日本をこっぴどくやっつけたこと等から、米国は、片務条約の継続を容認して来たのです。しかし、どの国にも国民の意見は様々であり、政治情勢も刻々変化します。自国第一主義を前面に押し出し、日本の「安保条約ただ乗り論」の側に立ったトランプ氏が大統領になりました。片務条約に不満を持つのは当然です。これに対して、日本は、現在、自国を守るだけの兵力を持っていません。軍事力の強い国に、保護をお願いするしか無いのです。世界を見渡して、米国以外に保護をお願いできる国は、無いと行っても良いのです。日本は、国際社会の信義と信頼に自国の将来を託す形で、戦後出発したのですが、国際情勢の変化によって、米国の庇護下に入ることを余儀なくされました。従って、別の言い方をすれば、日本は戦後一貫して、米国の属国だったし、今後も暫くは、この状況を変えることは出来ないでしょう。こうした状況の中で、日本は、トランプ大統領と向き合わなければならないのです。

 

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2017年1月29日 (日)

2017年01月28日

2017年01月28日

 

 昨日、雲が多かったのですが、結局は晴れました。今日は、朝から良い天気でした。雨が恋しくなるほど、良い天気が続いています。富士も毎日顔を出しています。

 昨日行った恵比寿の丘の上は、大学時代に1年ほど住んでいたところだったので、住んでいた場所を探してみました。しかし、50年の月日は、当時の恵比寿とは、全く違った街に変ってしまいました。発展は、良い事なのでしょうが、思い出がすべて消えるのも、辛いものがあります。

昨日、お会いした仲人の奥様は、共通の知り合いに電話をしたらしく、私に、奥様の連絡先を教えて切れた女性と、大学のクラブの同期から、メールが入りました。奥様は、私の訪問を本当に喜んでくれたようです。随分不義理をしていたので、胸のつかえが降りたような気分になりました。しかし、教えて貰ったメールアドレスにメールをしましたが、届きませんでした。パソコンからのメールを拒否しているのか、メールアドレスを間違って記録したかだと思います。

今日は、矢川緑地まで歩いてきました。この前、武蔵五日市の道端に、犬フグリが、あちこち、で咲いていたので、矢川緑地でも咲き始めたのではないかと思ったのです。矢川緑地には、犬フグリが絨毯のように咲く場所があります。

2時半頃、家を出て、目の前の土手を上流に向けて、先ずは、立川根川と多摩川が合流するところまで歩きました。枯れた茅の土手が、合流点近くまで続きました。合流点の手前に、昔の長屋が集まった様な、不思議な集落があります。土手の上に作られているので、不法占拠ではないかと思うのですが、何か、特別の事情があるのかも知れません。この集落に、2年ほど前から、米国の高級車である、黒塗りのリンカーンが置いてあるのです。動かしている様子はなく、埃を被っています。この集落には、全く不似合いの車です。天気が良い日は、この集落の老人達が、合流点を見ながら、雑談しています。今日も7人ほど集まって、雑談をしていました。この合流点から、上流が立川運動公園、立川根川公園、残堀川と続き、私が良く散歩をするところです。

この合流点を右折し、甲州街道を超え、真っ直ぐ歩くと矢川緑地に着きます。矢川緑地の湿地帯に生えていた蒲や葦は、皆刈られて春の準備が出来ていました。この湿地で、青鷺と小鷺が餌を捕っていました。面白いことに、青鷺と小鷺の餌の捕り方は、全く逆なのです。青鷺は、不動の姿勢を続け、小魚達が、敵はいないと安心して出て来た所を捕えます。小鷺は、足を小刻みに震わせて、小魚達が驚いて出て来た所を捕えます。残念ながら、私の目の前では、どちらも餌を捕えることは出来ませんでした。湿地の横を流れる矢川に、真鴨が1羽だけ来ていました。雌も連れていませんでした。真鴨のこのような光景を、世kぅ見かけるのですが、真鴨の習性が良く分かりません。

矢川緑地は、アオジやモズ等、小鳥をよく見かけます。今日は、アオジ(青鵐)、シメ(鴲)、シジュウガラ(四十雀)に出会いました。シメに出会ったのは、2年振りくらいでした。今日は、シメに出会っただけでも満足でした。

その後、矢川沿いに歩いて、多摩川の土手に戻りました。国立市の多摩川の土手下の道は、夕焼け通りと言います。今日は、石田大橋から、来た時の土手の道を、夕焼けを見ながら、我が家に戻りました。アパートの南棟の工事用足場の撤去が、9割5分終わっていましたが、残りの五分が、我が家のある南棟の西の端でした。でも、ベランダの半分は、足場が亡くなりました。

世界を騒がせているトランプ氏の言動には、非常に腹が立ちます。TPPからの離脱後は、二国間交渉にしたいと言っています。メキシコとの国境の壁造りの費用負担に関しては、公開せずに交渉すると言っています。公開及び集団の交渉には、理屈と理性が必要ですが、非公開、二国間交渉は、両方とも交渉にならないのです。単なる押しつけになると思います。ヤクザの恐喝と似たようなものです。弱者が強者に、物申すことは出来ないのです。特に日本は、米国の庇護を受けおり、庇護者に盾突くことは出来ません。メキシコも似たり寄ったりです。力を持つものが、理性を無くすと、単なる横暴になります。トランプ氏は横暴そのものです。そして、力を持たない国は、どんなに押し付けられた交渉でも、表面的には、公正な交渉が出来たと、言わざるを得ないのです。そうしないと、国内世論を抑え切れなくなるからです。若し、米国の要請を飲まず、交渉を破綻させると、戦争か孤立か、別の庇護者を探すことになります。日本は、この選択をしないだろうと高を括っているから、横暴になるのです。これから暫く、臥薪嘗胆、隠忍自重の時代が来るでしょう。

 

「白枯れし 茅の土手の 散歩道 芽吹きを守る 譲り葉の如し」

「土手上の 長屋の庭に リンカーン 何処から見ても 不釣り合いかな」

「刈り終えた 矢川緑地の 湿地帯 青鷺小鷺 独自の餌捕り」

「裸木に 若芽のような アオジかな 春を思わす 緑の体」

「枯れ枝に 止まっているは シメさんか 君に会うとは 想定外なり」

 

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2017年1月28日 (土)

2017年01月27日

2017年01月27日

 

 今朝は、久し振りに雲の多い朝でした。最初は、富士が見えなかったのですが、その後、雲が切れて、富士が顔を出しました。

 今日の予定は、友人が参加している「光彩写友会」の写真展を見に行くだけだったのですが、とても良いことが二つ続きました。

 写真展は、四谷駅の近くの、ポートレートギャラリーで行われました。20人くらいの写真好きの写真が、四季毎に展示されていました。友人が、全ての作品を紹介してくれました。今回の写真は、全て和紙に印刷したそうです。その為、油絵の感じが出ていました。和紙の凹凸が、筆のタッチのようなのです。森や木を良く描いた、写実派の名残のコローの絵のような作品もありましたが、色彩の明るさは、印象派のモネの絵のような作品もありました。和紙の力が、こんなに凄いものだとは、思いませんでした。最近の写真は、パソコンで、写真の一部を切り取ったり、拡大したり、不要の物を取り去ったり、色調や明るさを、変えることが出来ます。今回の作品は、そのような補正がされているそうです。私は、四季の美しさを伝えようとする、今回のような作品に関しては、真実を伝える報道写真ではありませんので、補正は良い事だと思います。補正した結果の写真を見て、撮った人間の美しさに対する感性が注ぎ込まれ、一種の芸術写真になっていると思いました。

 先日、大学の卒業50周年を祝う会(金祝の会)の準備会合の後、食事をしながら話した女性から、丁寧なメールが届きました。この女性とは、ゴルフ、山、体育会の同期会等で、何度もお会いしていたのですが、じっくり話したことはありませんでした。顔を突き合わせて話したのは、先日が初めてだったと思います。話してみると、お互いが、これ迄に、築いてきた、あるいは生まれながらに持っていた、家族や友人の輪が、色んな所で重なることが分かりました。私の仲人をしてくれた夫妻は、彼女が子供の頃から親しい、家族のような人だったようです。実際に親戚だそうです。私は、仲人の奥様には、ご主人(私が大学生の時の化学の教授)が亡くなられた後も、随分良くして貰いました。何度も一緒に食事をしました。ところが、この4年程ご無沙汰しており、会いたいと思っていたところ、彼女は、今現在、仲人の奥様と、親しく付き合っているとのことでしたので、連絡先を教えて貰いました。

 仲人の奥様は、恵比寿の施設に入っているとのことでしたので、午前中、教えて貰った電話にかけて見たのですが、繋がりませんでした。そこで、写真展を見た後、直接、恵比寿の施設に行ってみました。とても、立派な施設で、セキュリティーがしっかりしており、私のような変な人間は、簡単には中に入れて貰えませんでした。しかし、私の名前を告げて、奥様に連絡して貰ったところ、漸く知り合いだということが分かり、中に入れて貰いました。すると直ぐに奥様が、降りてきて私を認めると、笑顔が弾けました。もう90歳になられたそうですが、10年は、若く見えました。頭もしっかりしており、昔話に花が咲きました。私が、昨年の胃癌の手術の話をすると、奥様も胃の手術をしたり、子宮の手術もしたそうです。体調に自信が持てなくなったので、この施設に入ったそうです。ただ、これまでの家には、頻繁に変えるようにしているそうで、今日も帰っていたそうです。電話を取らなかったのは、知らない電話番号だったからだそうです。90歳なのに、メールもやり取りしているそうです。私達は、ご夫妻にとって、仲人第1号だったそうで、私達のことは、良く覚えているとのことでした。何やかやと1時間半以上話ししました。とても、幸せな気分になりました。

 5時半頃に、奥様と別れて、近くにある先輩の店に立ち寄りました。今日は、先輩の幼馴染の誕生会をやるところでした。突然顔を出した私を見て、先輩が、「お前は、俺が何か特別の集まりをすると、何時も突然顔を出すなー」と不思議がっていました。先輩の幼馴染T氏とは、この店で、私も知り合いになりました。そして、T氏は、ヴェネズエラ時代の私の友人と同じ大学で、大学時代から友達だったそうです。ここでも、友人の輪が重なったのです。結局、誕生会の仲間に入れて貰い、先輩の奥さんが作った、心の籠った料理を、沢山頂きました。酒もたっぷり飲みました。途中で、仙台に住んでいる、ヴェネズエラ時代の友人に電話し、その奥さんとも10年振りくらいに話をしました。今日の主人公であるT氏にも話して貰いました。話は尽きませんでしたが、9時過ぎに腰を上げて家に帰りました。

本当に、縁というのは不思議なものだと思います。今年の年賀状にも書きましたが、今後は、こうした縁を大事にして生きて行きたいと思います。今日は、懐かしい人の顔を見、声を聴き、素晴らしい1日になりました。

 

「年老いて 未だ人の輪 広がりぬ 昔の縁が 広げる手伝い」

「友人の 写真展を 見に行きぬ 生き様語る 友の作品」

「人生を 始める我の 背中押す 恩人の愛 今も変わらず」

「予期せざる 誕生会に 割り込んで 飲んで食べて 話して笑って」

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2017年1月27日 (金)

2017年01月26日

2017年01月26日

 

 昨日に負けず劣らず、素晴らしい天気でした。幕が取れたので、ベランダからも、空の様子が分るようになりました。

 幕が取れたので、今朝、早速、雀がベランダにやってきました。この小さな訪問客が、自然と共に生きていることを感じさせてくれました。多摩の里も、どんどん自然が少なくなっているので、どんなに小さな自然の欠片であっても、とても貴重に思えます。自然が無いと、人間が、どうにでも作り替えることの出来る、玩具箱の中で、生きているような気がするのです。人間手では、どうにもならない悠久の自然の中にいる事を感じている気がしないのです。

 9時頃でしたか、結構早い時刻に、玄関の呼び鈴が鳴りました。何だろうと思ったら、水道のメーターを取り替えるとのことでした。お金が掛ることではなさそうなので、適宜やって貰いました。本当に取り替えるだけだったらしく、ものの10分もしないうちに、取り替えは終わりました。

 今日は、5年振りくらいに、秋川渓谷檜原村の払沢の滝に行ってきました。冬、寒気が強まると、凍結するので有名な滝です。

 この為に、日記も昨日の内に、書きましたので、9時半には我が家を出ました。立川で、青梅線に乗り換えたところ、向かいの座席に、二人の子供を連れたお母さんがいました。必死にスマホを触っていました。子供二人が、不安そうに「この電車じゃないと思う」とお母さんに訴え続けていました。話を聞いていると、八王子でお父さんと会うことになっているようでしたが、お母さんがこの辺りの地理に無案内のようでした。このままだと、とんでもない所に行ってしまうので、「この電車は、八王子には行きませんよ、直ぐ戻った方が良い」「立川からは、高尾行きに乗るんですよ」と言ってやりました。お母さんが納得し、子供も安心しました。電車は直ぐに、一駅先の西立川駅に着き、同時に立川方面行きの電車が到着しました。3人は、急いで乗り換えました。お母さんは、しきりに頭を下げ、子供達は手を振っていました。恐らく、無事八王子に着いたことでしょう。

 拝島で、五日市線に乗り換えたら、今度は、お婆さんが、必死でバッグの中を探していました。足下に、手袋の片方が落ちていましたので、無言で足下を指さしました。ところが、お婆さんは、全く気づきませんでした。すると私の隣にいた小母さんが、私の仕草を見ていて、さっと席を立ち、手袋を拾ってやりました。矢張り、探していたのは手袋だったのです。途端に笑顔になったお婆さんが、何度も何度も頭を下げていました。

 11時半に、武蔵五日市駅に着き、駅前の1番乗り場のバスで、丁度12時に払沢の滝入り口に着きました。帰りのバスの時間を確かめてから、滝へ向かって歩きました。滝までは10分少々で行くことが出来る筈です。バスで一緒に来た人達と、並んで歩きました。滝に着く前から、渓谷の流れの岩場に、面白い形をした氷が、幾つも出てきました。期待に胸を膨らませながら歩くと、視界の先に白い塔が現れました。払沢の滝でした。一緒に歩いていた人達から、おーという歓声が上がりました。今年の寒気は、かなり強いようで、見事な氷結振りでした。滝壺全体に無数の氷柱が下がっていました。思い切って、本当に来て良かったと思いました。

 20分程度滝を堪能し、帰ることにしました。次々に人が来るので、長居できないのです。来るときにも見た、人工の氷柱が、途中にありますが、杉林の下の全く氷柱が出来そうに無い所に、無理矢理水をまいて氷柱を作っているので、見る気もしませんでした。更に下がった所に、木工品を売っている店があります。この店の前の木で、ヤマゲラの写真を撮ることが出来ました。この前に来たときも、同じように写真が撮れました。此処のヤマゲラは、人慣れしていて、直ぐには逃げないのです。きっと餌付けされていると思います。餌付けされた鳥は、もう野生の鳥とは言えません。野生の鳥の、人に対する警戒感がないと、写真を撮る楽しみが、半減します。

 バスが来る10分前、12時50分にバス停に着きました。バス停の前の豆腐屋で、名物らしい卯の花ドーナツを買いました。大山、奥高雄、奥多摩と山間の地は、豆腐が名物の所が多いです。水が良いからでしょう。山の中という環境もありますが、美味しかったです。

 1時半に、武蔵五日市駅に着きました。時間がありましたので、大悲願寺から五日市カトリック墓地へ行きました。この墓地には、弟と弟の次男が眠っています。2年前妹と来たことがあります。此処には書きませんが、弟も弟の次男も、実に悲しい死に方をしました。墓には、2時半に着き、コンビニで買ってきたお握りと、卯の花ドーナツで遅い昼食にしました。眠っている二人は、小さな時の顔がそっくりでした。そのことを憶えているのは、もう私一人になりました。二人が死んで、もう10年が過ぎました。一緒に飯を食った気持ちになって、一人で思い出を辿りました、最後に墓掃除をして、別れを告げました。鳶が、弟の代わりに、別れを告げているようでした。

 武蔵五日市駅に戻るよりも、次の駅に行った方が近そうなので、次の武蔵増戸駅まで歩きました。犬フグリがあちこちに咲いていました。越冬中の犬フグリではなく、この春の犬フグリだと思います。秋川渓谷から出てくると、日差しも暖かく、春の花も咲いて、すっかり春の気分を味わいました。

 5時近く、日没の頃に、我が家に戻りました。幕が取れたお陰で、洗濯物が、しっかりと乾いていました。富士の大分右側に日が落ちましたが、今日も素晴らしい夕焼けでした。

 

「幕取れて 早速雀が 訪れる 戻って来たのだ 自然の中に」

「冬探し 寒波の後が 好機なり 秋川渓谷 払沢の滝」

「冬木立 向こうに白き 氷の塔 共に来た人 おーと歓声」

「山奥の 密かな舞台 滝の壺 舞台飾りの 氷柱のカーテン」

「白龍の 空に向かいて 身構える 冬の山中 払沢の滝」

「岩を縫い 流れる川の 岩肌に 匠の技の 氷の細工」

「山間は 何処も豆腐が 名物に 清水が作る 豆腐の旨さよ」

「卯の花の ドーナツ買って 墓参り 早死にしたる 弟と喰う」

「弟の 幼き頃を 語る人 この世に残るは 我一人なり」

「黙然と 何も語らぬ 墓石に 思い出辿りて 我独り言」

「墓を去る 我の頭上を 鳶の舞う 名残惜しいと 何度も舞うなり」

「道端の 空き地に青き 犬フグリ 日差しの中の 小さな春かな」

 

 

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2017年1月26日 (木)

2017年01月25日

2017年01月25日

 

 良く寝たせいか、今日は6時半に起きました。カーテンを引いたところ、夜明けが始まろうとしていました。天気予報によれば、今朝の最低気温は、府中でも零下4度になるとのことでしたので、先ず朝日を見て、それから、この前は見ることが出来なかった、氷柱を見に行こうと思い立ちました。昨日は、都心の日比谷公園でも氷柱が出来たそうですから、昨日より寒い今日は、必ず氷柱が出来ると確信しました。

 急いで、準備をして、四谷橋に着いた時には、日の出は終わって、多摩丘陵の上に太陽が乗っている感じでした。全天、一点の陰りも無い、希に見る見る素晴らしい天気でした。空気が澄んでいるからでしょう、朝日を受けた白銀の富士が、輝きを増していました。太陽の光が、多摩川に反射し、一直線に四谷橋に延びてきました。河原に佇んでいた白鷺がシルエットとなり、黒鷺に変わってしまいました。多摩地方の色々な所のビルの窓が、朝日を反射して、幾つもの太陽が、地に降りた様でした。

 四谷橋を渡り、川崎街道に出ました。三年ほど立ち寄っていなかった真照寺を、訪ねてみました。どうしたのでしょう、墓の半分が無くなって、プレハブの建物が建っていました。小さな寺ですから、経営が行き詰まったのかも知れません。余計な詮索ですが、墓を処分するのは、余程の事だと思います。

 百草園駅の直ぐ近くに、大宮神社があります。この神社の横にも、水が滴る場所があるのを思い出したので、行ってみました。丘の小さな窪みに、可愛い氷柱が出来ていました。

 川崎街道に戻って、今日の目的地の三沢台へ行きました。目的地は、百草園駅から、歩いて10分程度の豆腐屋さんの裏手にあります。三沢台下自治会館の敷地の裏の崖がそうです。幅20Mに渡って、小規模な崖が続き、常に水が滴っています。昨夜は、相当気温が下がったのでしょう、立派な氷柱が、崖を埋めるように下がっていました。奥秩父の三十槌の氷柱に比べれば、規模は小さいですが、地元の氷柱ですから、我が子のような可愛さを感じました。奥秩父の氷柱のように、一冬もつ氷柱では無く、明日には消えてなくなるかも知れないと思うと、余計に可愛さが募りました。満足しました。

 その後、何時も散歩するように、新井橋で浅川を渡り、石田大橋を渡って多摩川の左岸に出ました。途中、日野高校に登校する学生の列と擦れ違い、万願寺駅へ急ぐ通勤の人と並んで歩きました。私のように、ぼんやりと歩く人は無く、誰もが目的を持って歩く、朝の風景でした。右岸から、午前中早い時間帯の富士は、山肌の雪の積もり方まで分るほど、くっきりとしていました。その富士と、朝の食事に忙しい鳥達を見ながら歩いていると、突然「オス」という声が聞こえ、吃驚しました。声の方を見ると、小父さんが柔やかに笑って、「今日は富士が綺麗ですね」と言いました。私も、「本当に綺麗ですね」と応えて、擦れ違いました。確かに、誰かに言いたくなるような、富士の美しさでした。少し、背の低くなった影法師を従えて、9時過ぎに、我が家に戻りました。朝飯前の一散歩でした。

 午後、時間が出来たので、種々のメールに返信したり、フェイスブックに投稿したり、延ばし延ばしにしていた事を片付けることが出来ました。4時過ぎてから、買い物に出かけようと、玄関のドアを開けると、ビニールの覆いが取れていました。昨日記念撮影をしておいて、良かったと思いました。家の周りを軽く散歩して、5時頃家に戻ると、家の中が、やけに明るく感じました。そうです、南棟の工事用の幕が取り除かれたのです。これで、膜に内の生活とはお別れです。まだ、足場は残っていますが、それでも晴れやかな気持ちになりました。夕焼けの色が、とても鮮やかになりました。着々と工事が終わって行くのは、嬉しい限りです。

 夜、テレビを見ると、稀勢の里の横綱昇進のニュースで持ちきりでした。19年振りの日本力士の横綱だそうです。これは、相撲協会が、変に日本人贔屓をせず、公正な相撲をしてきた証でしょう。無愛想で話し下手の横綱ですが、それも良いでしょう。優勝した時の涙は、とても感動的でした。長年の苦労が、漸く、報われましたね。

 

「一点の 陰り無き空 日の出ずる 出でし時より 真昼の輝き」

「多摩川の 水面を走る 日の光 真っ直ぐ延びて 我の足下」

「目の前の 河原に佇む 白鷺の 朝日を浴びて 黒鷺となる」

「我が里の 七尾が丘の 氷柱かな 知る人ぞ知る 冬の景勝」

「朝の道 通勤登校 人の列 今を生きる 確かな足取り」

「朝の日に 背高のっぽの 影法師 行きは先導 帰りは従者」

「物事が 予定通りに 進み行く 人間だけが 為せる技かな」

「愛国心 政治に利用 されなくば 誰もが抱く 自然の感情」  

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2017年1月25日 (水)

2017年01月24日

2017年01月24日

 

 今日も、日本各地が大荒れの天気で、記録的な大雪もある中で、関東平野は、素晴らしい好天気でした。

 トランプ大統領が、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)からの永久的離脱に署名したそうです。TPPについては、詳細に調べたわけではないので、確実なことは言えませんが、基本的には自由貿易協定だと思っています。TPPの場合は、単なる関税の自由化だけではなく、食品衛生、薬承認、薬価基準、著作権など、商品の売買を規制する国内法についても、一定の標準を設けるように、これまでの自由貿易協定より進化した形になっているようです。全ての、外交的話し合いにおいては、自国有利を押し通すだけでは、話が纏まりません。過去、日本はこの手の交渉において、農業と工業を天秤にかけさせられました。日本は、工業製品の自由化は、かなりの程度勝ち取りましたが、農業の保護は、米等の農産品については、ある程度守り通しました。そして、日本の複雑な国内法は、非関税障壁として、外国製品の日本への流入を抑制してきました。そうはいっても、日本は、小麦、大豆の9割を主としてアメリカから輸入しています。また、自衛隊の武器の多くを、米国から買っています。工業製品の関税を下げて貰う為の代償だったのです。米国の代償は、電気製品のような工業製品でした。結局、日本の経済協定は、工業製品(大企業)を守るための協定とも言われています。

トランプ大統領の言い分は、日本も味わっている、米国の産業の空洞化が、米国に不平等な、自由貿易協定の結果だということでしょう。しかし、これは国際的な自由経済を目指す国においては、通らなければならなかった道なのです。米国に限らず、どの国も、自国で消費する製品は、自国の工場で作ることになれば、貿易はほぼ必要なくなり、結局、鎖国時代の日本と同じ、循環経済となり、総需要は少なくなり、経済は低水準均衡し、食うや食わずの国民が増えることに繋がります。それを、解決するために、国内の経済格差をなくし、金持ちを追放する現代型革命を実行し、社会主義的な国家にするというのであれば、それは、それなりの政策として認められますが、トランプ氏は、単に、目の前の問題を見ているだけでしょう。

いずれにしても、日本はTPPに、大きな期待をしておらず、その為遅れて参加し、本来交渉権が無かったのを、特別に交渉できるようにして貰った経緯があります。TPPに置いて、米国のターゲットは、日本だったとも言われています。元々、存在しなかったTPPですから、発効以前に米国が離脱し、TPPが今後も発効しなくても、状況は何も変わりません。TPPの国内批准を早めようとした、安倍総理だけが、TPP,TPPと騒いでいるに過ぎません。問題なのは、今後の米国の出方です。

 昨晩も寝るタイミングを逸し、眠りについたのは、3時近かったと思います。そんな訳で、今朝起きたのは、9時半になってしまいました。日記を書くのにも手間取りましたので、午前中やるべき事をやり終えた時は、3時を過ぎ、次男が出かける時間になってしまいました。次男が出かけた後、4時頃から、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。

玄関に出て見ると、今日で、玄関側のペンキ塗りは、天井も含めて完了していました。あと一日か二日で、ペンキ塗りたてのシールも取れるでしょう。更に嬉しいことに、私が住んで、いる南棟も、工事の足組と幕の撤去が始まりました。遅くとも1月中には、足組と幕のない、すっきりとした状態が戻ってきそうです。早ければ、今週中にも、ベランダがすっきりするかもしれません。ビニールに覆われた、廊下の写真を記念に撮っておきました。

土手の道を急ぎ足で歩きました。聖蹟桜ヶ丘の交差点にあるビルの、7階の展望室から、日没を見るためでした。4時50分、展望室に上った時には、太陽の最後の一欠片が、富士の頂上の近くの、右側の稜線に沈むところでした。ぎりぎり間に合った感じです。私と同じ目的を持った老人が、既に何人もいて、カメラを富士に向けていました。富士がシルエットになり、空が茜色に染まる頃、展望室に上ってきた小母さん達が、「見て、見て! 富士よ、富士山が見えるよ!」と大騒ぎしていました。誰でも、富士を見ると心が浮き浮きするようです。

ビルを降りて、交差点に立つと、空に明るさは残っていましたが、街の灯がつき始めました。昔は、街の灯というとネオンが代表的だったのですが、今は、LEDなのでしょうか。昔より、ずっと明るくなったような気がします。京王ストアで、少しだけ買い物をして、我が家に戻りました。

夜は、ビールとワインを飲みながら、「剱岳」という映画を見ました。3時間の長い映画でした。最近、ビールを飲む練習をしています。以前のように、一気にグラスを干すことは出来ませんが、一気に半分くらいは、ビールらしく飲むことが出来るようになりました。しかし、ビールを飲んだ後の、あの爽快感と満足感は、まだ戻ってきません。

 

「魅せられて 富士の追っかけ お爺さん 期待違えぬ 富士の優しさ」

「富士見れば 得した気分 小母さん等 富士よ富士よと 大騒ぎかな」

「歌にある 街にネオンが 点る頃 襟にマフラー 冬の夕暮れ」

 

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2017年1月24日 (火)

2017年01月23日

2017年01月23日

 

 今朝は、富士が輝く素晴らしい天気でした。ほぼ日本全国が、寒波の影響を受け、大雪に悩まされているときに、関東だけは、冬晴れの晴天を享受していました。

 今日は、大学において、本年5月に実施される、卒業50周年式典の準備委員会が、午後2時から開かれることになっていました。大学の近くに迎賓館があり、今日は見学可能な日でしたので、家を少し早く出て、迎賓館を見学後、委員会に参加することにしました。

 我が家の玄関を出ると、廊下を含め、各戸の玄関側の天井の、ペンキ塗りの最中でした。エレベーターの方まで歩くとペンキで汚れそうでしたので、西棟の階段を使ってアパートの外へ出ました。良い天気なのに風が強く、かなり寒く感じました。

 四谷駅に着いたのが12時半、学習院初等科の前を通って、迎賓館西門へ行きました。多くの人が、ぞろぞろ歩いていましたので、流れに乗って歩きました。直ぐに西門について、手荷物検査を受けて、中に入りましたが、肝心の入場券を買う場所が分りませんでした。結局、本館の入り口まで行って、入場券の売り場を教えて貰いました。

 本館に入ると、後は順路に従って歩くだけでしたし、係員が要所要所にいましたので、極めてスムーズに見学することが出来ました。外観も内装も、フランスとロシアで見た宮殿とそっくりでした。基本的にフランスのヴェルサイユ宮殿をまねて作られたものだと思います。この宮殿は、明治42年に、皇太子の住居、東宮御所として建設されましたが、見栄えは良くとも生活には不便で、皇太子が使う機会は少なく、別荘のように特定の時期にだけ使う離宮として使用されることが多くなり、赤坂離宮の名で呼ばれるようになったそうです。西洋建築の模倣ではありましたが、建設当時から、日本の兜や鎧など、日本的なものが、壁のレリーフ等に組み込まれていました。係員に質問すると「それを探すのも楽しみの一つですよ」と言っていました。戦後、国の所有に移され、昭和49年、赤坂離宮を迎賓館として使用することが決定され、床や壁の大改修が行われたそうです。その際、七宝の絵や、藍染めの刺繍、寄せ木細工の床な等、日本的なものが付け加えられ、現在に至ったようです。それでも、本館内や裏の噴水から本館を見ると、日本と全く掛け離れた世界に、瞬間移動したような気分になりました。また、大学時代は、赤坂離宮の前庭は、草ボウボウだったことを思い出しました。

 見学が終わったところで、山の仲間の女性から電話が掛ってきて、委員会の行われる場所が分らないとの電話がありました。今日の会合場所は、初めての人は、必ず迷うのです。一応、行き方の注意書きはあるのですが、最後の最後のエレベーターの選択で、間違ってしまうのです。エレベーターの所に、注意書きが必要だと思います。今度行っておきましょう。集合場所に行くと、電話をかけてきた女性は、無事付いていました。

 前回の準備委員会に比べると、参加者は3倍くらいになっていました。全員同期ですから、良く知っている人も多かったですし、知らない人も、友人の糸を手繰っていけば、何かしら共通の思い出を見つけることが出来ました。ほとんどの学部学科は揃いましたが、5,6学科の代表にまだ連絡が取れていないそうです。私の友人の中に、今日来ていなかった学科の人もいますので、連絡してみることにしました。この準備委員会の仕事は、出来るだけ多くの同期に、連絡を取り、卒業50周年の祝状を受け取って貰うこと、当日の記念式典の会場に出来るだけ多くの人に来て貰い、再開の喜びを共有できるようにすることです。

特に難しいことではありませんが、連絡先を確定するのが一番大変な仕事だと思います。会合は、同期会の様相を呈し、私語が多くなり、旨く進行しませんでしたが、予定より早く終了しました。次回は、2月20日です。

 2次会は、学生達のいる大学の食堂で、自販機のコーヒーを飲みながらとなりました。同期の集まりは、山ほどの話がありますので、場所とか飲み物は、何でも良いのかも知れません。食堂の中で、我々老人の席が、一番うるさかったと思います。

 1時間ほどで、2次会も終わり、私は、良く知っている女性3人の女子会の仲間に入れて貰い、パン屋に付属する料理屋で、3次会となりました。ここでは、料理の他に、ワインも飲んで、只でさえ話し好きの女性に、火を付けた形となりました。止めども無く話が出てくるとは、今日のようなことを言うのでしょう。1つ話が出ると、次には10の話が出てくるのです。その話が、色々絡み合っていて、私の友人の知らない一面を教えて貰ったり、半世紀の話を一度に聞いたようでした。唯々、凄いと思いました。

 女性達と四谷の駅で、右左に別れて、我が家に着いたのは、10時頃でした。今日は、次男が休みの日だったので、そこから次男とワインを飲みながら、1時過ぎまで話しました。稀勢の里、錦織の話から始まって、テニスで活躍した様々な選手達のこと、野球のこと、ラグビーのこと、我が家で何度も話されてきたことを繰り返しました。何度繰り返しても、面白いから不思議です。今日は、良く飲み、良く話しました。

 

「青春に 訪ねた離宮 草ぼうぼう 今は国家の 迎賓館なり」

「外見も 建物内部も ヴェルサイユ 気持ち異国に 瞬間移動」

「同じ時 同じ場所にて 青春を 生きてきたのだ 同期の仲間」

「半世紀 大学の名を 背に負いて 生きてきたのだ 夫々の道」

「半世紀 頭も体も 老い迫り 生きた長さを 今振り返る」

「ある人の 思い出の糸 手繰り寄せ 辿り着きたる 共通の友」

「人生の 節目節目を 祝いつつ 我が人生の 生き様なぞる」

「学食の 一角陣取る 卒業生 白髪頭の うるさい集団」

「女子会の 仲間に入り 3次会 酒も入りて 話にアクセル」

「我が家では 息子と二人で 4次会 日付変わるも 話は尽きず」

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2017年1月23日 (月)

2017年01月22日

2017年01月22日

 

 今朝は、富士が見えているのか、見えていないのか、幕の内からは良く分りませんでした。外へ出てみると、奥多摩も見えないほど、霞の濃い日でした。

 トランプ氏が、米国大統領に就任してから、1日がたちました。トランプ氏のニュースが、どのテレビ局でも報じられていますが、トランプ氏の就任演説に関し、私と同じような感想を持った人が、非常に多い事が分りました。やはり政治家は、未来に対する構想を持ち、その構想を持つに至った、自分の考えを述べて欲しいと思うのは、皆同じのようでした。

 トランプ氏のマスコミ攻撃は、彼という人間を良く表しています。彼は、自分に従い諂う人間しか、自分の側に置かないのです。彼は、自分の会社でも、彼に反対する人間は、直ぐ首にするのでしょう。彼は、全てを自分の意のままに動かしたいのです。

国民は、選挙が終わると、統治される側の人間になり、基本的には、政治権力に従わざるを得なくなります。そのような国民の唯一の味方は、マスコミなのです。そして、マスコミは政治権力の対極に存在し、権力が不当に行使されないように、また、国民の負託に応えているかどうかを、常に監視しなければならないのです。マスコミが、「社会の木鐸」だと言われる所以は、政治の動きを常に監視しているからです。確かに、マスコミが己の分をわきまえず、世論の動きをマスコミが作るような事もありました。しかし、概ね、社会の木鐸の役目を果たしてきたと思っています。

トランプ氏は、自分の意に従わないマスコミを、嘘つきだと攻撃しています。もし具体的に嘘の証拠があるのであれば、法の場で争うべきなのに、「何れ落とし前を付けてやる」みたいな、言葉による脅しを、誰憚ること無く言っています。これは、「政治を、既得権者から、国民に戻す」と述べた、彼の就任演説に明らかに矛盾することを、知らないふりをしているのか、本当に分らないのか、いずれにしても、困ったものです。国民の唯一の味方のマスコミを、権力の側に従わせようとする意図の表れです。誰でも、自分に従わせようとする、彼の人間性が良く現れていると思います。このまま行けば、彼は専制君主として、これまでの既得権益をほしいままにするでしょう。それが、国民にとって良い政治家とは、到底言えないでしょう。

昨晩、昨日の寝不足の分を取り戻そうと、11時にはベッドに入り、11時半には寝たと思います。夜中、最初のトイレに起きたのが、5時半ですから、6時間は、ぶっ続けに寝たわけです。こんなことは、最近ありませんでした。その後、また眠り、次に起きたのは、8時半でした。トータル9時間も寝てしまいました。何だか、凄く満足しました。偶には無茶をするのも、良いことなのかも知れません。

今日は、百草園、三沢台の方を歩いてきました。私が散歩する多摩丘陵にも、氷柱が出来るところがあります。三沢台は、その一つです。

今日は、強烈な寒気が去ったと見えて、日差しが暖かでした。その為か、我が家の前の、固い蕾だったノミノフスマに似た花が咲きました。本当によく似ているのですが、ハコベ属の特徴である、花弁の先が二つに割れていないのです。まだ冬ですが、温暖化の傾向もありますし、あちこちに、春の花が咲き始めるでしょう。

四谷橋の下に、珍しくキンクロハジロが来ていました。川鵜が1羽いて、餌捕りをしていました。その川鵜の餌捕りに合わせて、小鷺が走るのが、愛らしいというか滑稽というか、面白い光景でした。小鷺に限らず大鷺も、川鵜から逃げる小魚を狙っています。そんなわけで、白鷺と川鵜は、一緒にいることが多いのだと思います。

四谷橋を渡り、程久保川に出ました。程久保川のコンクリートの壁には、沢山の姫蔓蕎麦が勢力を伸ばしています。その中の一つを除いて、全てが枯れていました。枯れているというと、死んだように思うかも知れませんが、落葉樹と同じく、越冬し春の準備をしているのだろうと思います。姫蔓蕎麦は、海外種で、簡単に死ぬような玉では無いのです。

百草園を通って、三沢台の氷柱の出来る場所に着きました。残念ながら、氷柱はありませんでした。水は滴っていましたので、寒さが足りないようでした。多摩地方も、氷点下になるような寒波が来た時の、出来るだけ早い時間に訪れないといけないようです。氷柱が出来たとしても、昨日見た「三十槌の氷柱」に比べれば、100分の一にも満たない規模ですが、それでも散歩の楽しみです。

4時過ぎに帰ってきて、千秋楽の大相撲を見ました。既に優勝の決まっている、稀勢の里が、結びの一番で白鵬を破り、優勝に花を添えました。2横綱、1大関が途中休場し、2大関が負け越すなど、荒れた場所ではありましたが、いかなる状況でも、優勝は優勝です。是非、横綱になって貰いたいものです。昨年、最多勝なのですから、問題ないと私はおもうのですが。

相撲の後は、テニスの全豪オープン、錦織―フェデラー線を見ました。フェデラーは、膝の手術をしてからの復帰戦でした。残念ながら、錦織に勝てる要素がありませんでした。よくぞフルセットに持って行ったと思います。錦織のテニスは、体力を消耗するテニスです。最後は、腰か脇腹を痛めてしまいました。骨格が華奢で、強靱な筋肉が付きにくい日本人は、どうしても無理をせざるを得ません。だからこそ、応援したくなります。よくぞ世界ランク5位を維持していると思います。

 

「寒波去り 奥多摩隠す 濃い霞 路傍に早くも 春の花咲く」

「多摩川に 金黒羽白 初目見え 冬の多摩川 賑わい増しぬ」

「白鷺が 餌捕る川鵜 追いかけて ちょいと待てよと 河原を走る」

「百草園 早咲き梅の 満開に 外から愛でる 貧乏老人」

「冬探し 多摩の氷柱は 姿無し 奥秩父とは 違う温もり」

 

 

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2017年1月22日 (日)

2017年01月21日

2017年01月21日

 

 日本時間の午前1時、トランプ大統領の就任式の中継が始まりました。その時間には、次男も仕事から帰ってきましたので、一緒に見ました。次男は何時も、明け方までは起きていて、明け方から昼過ぎまで寝るのです。

 アメリカの大統領就任式を、実況中継で見るのは初めてでした。アメリカを率い、世界の歴史を作った大統領の多くが、参加していました。今回のトランプ大統領は、右翼系の人間で、年を取って頑固になり、これまでの伝統など知ったことでは無いというタイプの人間のようですから、就任式典にも何かハプニングが起きるのではないかと期待したのですが、式典は、淡々と進みました。そして、彼の就任演説は、選挙の時の口振りと何ら変わること無く、平凡な物でした。理屈を捏ね回し、話すだけで実行しない、これまでの政治家と違い、実行を重んじる、米国の救世主気取りのトランプ氏の話は、心に響く物が何もありませんでした。レベルの低い経済人の話を聞いているようで、不愉快でした。人間が、歴史から倫理観を学び、人間の英知は多くの発明を生み、生活を豊かにし、民主主義を手に入れ、国家中心で無く国際的な繁栄、国際平和を国際社会が協力して作る方法を模索するようになりました。その先頭にいたのがアメリカでした。そのアメリカが引き籠もりのようになっては困りますし、歴史の中で消化してきたナショナリズムや愛国心を振り回すような、時代錯誤は止めてほしいと思いました。就任式の時ぐらいは、人間社会の将来について、IT時代の倫理について、民主主義の将来について、国際平和の実現方法について、一言ぐらい触れても良かったと思います。具体的な貿易の話や、難民の話は、現実の政治の場で、するべき話だと思います。何が、アメリカファーストですか、戦前の神国日本と同じように聞こえました。次男も、そんな感じに聞こえたそうです。日本人の中には、同じように感じた人が、多いので無いでしょうか。北朝鮮の金正恩を思い出した人もいるでしょう。

 但し、次男とも話しましたが、このように、国民の力で政権が変わると言うこと、これは素晴らしいことだと思いました。トランプ氏がどんな人間であろうと、米国民が選んだのであれば、大統領になれることが良いことなのです。米国民の期待通りに働かなかったら、次には、彼や彼が属する政党を、国民は選ばず、政権交代が起き、新たな政権が生まれます。政権の与奪の権限は、国民に委ねられています。政権交代が起きても、社会は混乱しないし、米国の力も衰えない、これが民主主義の基本だと思います。北朝鮮の金王朝、中国共産党、ロシアのプーチン大統領、日本の自民党、発展途上国等は、国民による政権交代が置きにくく、民主主義が成熟したとは言えないと思います。

 現実的な話をすれば、米国が一番嫌っていた保護主義を、米国が主張するとは、一体何事かと言いたいと思います。主張の裏に、世界中が保護主義になっても、国際経済は成長し続けるし、世界中が豊かさの恩恵に預かれる、確固とした見通しがあるとは思えません。株価は、単なる期待ですから上がりもするでしょうが、実体経済は、必ず大きな不況を経験すると思います。戦争になるかも知れません。そのような怖さを持つ大統領だと思いました。しかし、彼の現実の施政は、今日から始まります。成り行きを見る他ありません。

 世界の政治や経済について書き始めると、切りがありませんし、日記ではなくなりますので、ここらで止めます。

 テレビを見終わって、次男と話していたら、明け方の4時近くになり、寝るタイミングを逸してしまいました。とろとろとしただけで、7時には起きてしましました。富士がよく見える、素晴らしい天気でした。

 今日は、テレビでやっていた、秩父の「三十槌(みそつち)の氷柱」を見に行くことにしていましたので、そのまま起きて、急いで洗濯をし、朝食を食べて、8時半には家を出ました。玄関を出た時、玄関の様子が全く変わっていたのに驚きました。全てにビニールの覆いがされていました。これでペンキ塗りの準備は完了しました。来週には、ペンキ塗りも完了するでしょう。

 国立行きのバス停に行くと、バス停の前の庭の姫蔓蕎麦が、ほぼ全滅していました。ベランダの床下の、風の来ないところに、僅かに残っていたものも枯れてしまいました。2,3輪、花が残っていましたが、これでは、種としての姫蔓蕎麦が、越冬したとは言えないでしょう。

 国立から中央線で西国分寺、武蔵野線で新秋津、歩いて西武線に乗り換え、西武線鈍行で隣の所沢、西部線特急レッドアロー号で西武秩父、歩いて秩父線御花畑駅に行き、そこから三峰口駅まで行きました。着いたときには、11時半になっていました。更に三峰口から、バスで三十場まで行かなければならないのですが、そのバスは、12時45分にしか出ないとのことでした。バスの待合室で、コンビニで買ってきた弁当を食べ、車両や機関車の展示場があったので、それらを見ながら時間を潰しました。

 12時40分にバスが着きました。既に満員でした。西武秩父駅の駅前から、三峯神社行きのバスでした。三峰口からも、20人近く乗ったので、バスは超満員になりました。30分ほどで、三十場につきましたが、そこから、氷柱のある場所まで、15分歩かなければなりませんでした。これほどまでに山奥深く、近づくのが難しい所だとは、思ってもいませんでした。結局、8時半に家を出て、着いたのは午後1時半近くでした。

 しかし、氷柱は、思った以上に広い渓谷に、一面にが下がっており、素晴らしい眺めでした。太陽が当たれば、もっと素晴らしいだろうと思うのですが、太陽の当たらない川の北側にしか氷柱は出来ないのです。氷柱が出来ている所は、切り立った岩場が川に迫っており、岩場を伝って落ちる水が、岩場を埋めるような氷柱に成長していました。隣の岩場は、水が少ないようで、氷柱が出来にくいため、土地の人が、上から水道水を流し、天然の氷柱に負けない氷柱の壁を作り、見物客にサービスしていました。帰りの時間もあるので、20分ほど氷柱を見て、バス停に戻りました。

 ところが、バスの時刻表を見ると、2時台には、バスが全くありませんでした。ところが、土地の女の人がいて、「直ぐに市営バスが来て、大滝村の銭湯と道の駅がある所まで行くと、他の所から来るバスもあるので、とりあえず市営バスに乗りましょう」と行ってくれました。土地の人は、有り難いもので、彼女の言う通りになって、大滝村の道の駅で、2時20発の三峰口駅行きのバスに乗ることが出来ました。

 その後、西武秩父、飯能、所沢、秋津、新秋津、西国分寺、国立と、来た道を辿って、我が家に6時半に着きました。一日中、交通機関に乗っていて、満足に歩いていない気がしましたが、万歩計を見ると、1万歩近くになっていました。忙しい一日でしたが、西国分寺の辺りで往復に見た富士山は、我が家に近くで見た富士山より、ずっと雄大でした。多摩丘陵が、視界を遮らないのが良いようです。西武秩父では、武甲山の雪景色を見ましたし、荒川の源流の三十場近くでは、落葉樹の林の下の雪景色が、綺麗でした。思い切って、氷柱を見に行って良かったと思いました。

 家に帰ると壁のペンキ塗りが終わっていました。後は、天井だけになりました。家に入ってテレビを付けると、ニュースで稀勢の里の優勝を報じていました。何度も稀勢の里の優勝を阻んできた、横綱白鳳が貴の岩に負け、稀勢の里が逸ノ城に勝った為、優勝が決まったそうです。その瞬間を見たかったのですが、取り敢えず、良かったです。それにしても、色んな事があった、長い一日でした。

 

「米国の 大統領が 気に掛る 世界動かす キーマンなれば」

「大寒の 寒波を浴びて 枯れたるも 良く頑張った 姫蔓蕎麦よ」

「石切で 階段状の 武甲山 階段残る 雪の薄化粧」

「秩父線 終着駅の 三峰口 雪の残れる 山間の駅」

「氷柱見に 遙々来たり 奥秩父 関東流れる 荒川源流」

「隅田川 元を辿れば 奥秩父 歴史を超えて 流れ続ける」

「来る道の 難きが故に 感動も 一際強し 三十槌氷柱」

「氷柱谷 冬の盛りの 一時期の 儚き命 我は見ており」

「葉の落ちた 林の下の 白絨毯 奥秩父の 雪景色かな」

「多摩丘陵 離れてみれば 富士の山 多摩より雄大 その立ち姿」 

 

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2017年1月21日 (土)

2017年01月20日

2017年01月20日

 

 昨日からの天気予報で、今日は雨か雪とのことでした。確かに、今朝は、今にも雪が降りそうな曇り空でした。今日は大寒だそうですが、確かに空気は冷たかったです。

 昨日、書くのを忘れましたが、散歩から我が家の戻ると、ウッドデッキのペンキ塗りは、完了していました。実に綺麗に仕上がっていました。工事で、ペンキの2度塗りをやってくれなければ、自分でやろうと思っていましたので、手間と時間とお金が省けました。

午前中の仕事が終わってから、ワインがなくなっていたので、近くのスーパー西友に行ってきました。ワインを買うついでに、水も二箱買ってきました。今日の運動はこれくらいかなと思っていましたが、家に着いたら、工事の人が、玄関側の置いてある物に、ペンキ塗りの為に、ビニールで覆いをしているところでした。壁のペンキ塗りは、ウッドデッキと違って、ノズルから噴射する方式なので、ペンキが飛び散ることもあるので、入念にビニールの覆いをしないと、ペンキで汚れてしまい、落とすのが難しいのです。ところが、我が家の玄関側には、色々なものが飾ってあるし、ベランダから持ってきた鉢植えも沢山あります。工事の人から、「鉢植えや、脚立等々を一時的に、家の中に入れてほしい」と言われました。他の家に比べると、桁違いに物が多いので、困っているようでしたので、邪魔そうな物を全部家の中に入れました。これが、玄関と奥の部屋を何度も往復することになり、寒い日なのに汗をかくほどの、運動になりました。来週中には、我が家のある階のペンキ塗りが、終了しそうです。

昼食を済ませ後、今日は散歩するつもりはないので、たっぷり時間がありました。そこで、病院に入院中に書いた3週間分の手書きの日記をパソコンに入れることにしました。昨年の6月25日分から初めて、27日分まで順調に進みました。ところが、28日分を打ち終わって、保存しようとしたら、パソコンが「うんともすんとも」応答しなくなりました。結局、パソコンを再稼働させたら、28日分は、影も形も無く消えてしまいました。腹が立って、今日の作業は、打ち切りました。

その後、久しぶりに包丁を5本研ぎました。子供の頃から、小刀を研いでいましたので、包丁研ぎは苦になりません。実は、砥石を長く使っているので、真ん中がすり減って、平らでは無く大きく湾曲しています。こうなると、刃先が丸くなって良く切れるようには研げないので、本当は、砥石を変えなければならないのに、これも決断出来ないでいます。私は、つくづく経済に貢献しない人間ですね。

夕方から、大相撲と錦織のテニスを見ていたら、9時近くになっていました。稀勢の里は、今日は対戦相手の大関豪栄道が欠場し、そのため不戦勝となり、1敗のままトップを走っています。二人の横綱も休場しましたし、このような幸運は、優勝を引き寄せそうです。そうなってほしいと思います。実は、私は、腰高で相撲に勢いがなく、取りこぼしは多いし、愛想もないので、稀勢の里が好きではありません。しかし、稀勢の里が、何度も優勝を逃すので、一度くらいは優勝させてやりたいのです。テニスの錦織も順調に勝ちましたが、4大大会では、一度も優勝の経験がありません。彼も、まぐれでも良いから、4大大会で、1度だけでも優勝してほしいと願っています。

現地時間の20日は、トランプ大統領の就任式で、日本では、日付が変わって、21日の午前1時から、就任式の中継があるそうなので、少し休んで、中継を見ることにしました。トランプ氏は、好きでは無いのですが、何か、ハプニングがありそうで、事後のニュースではなく、実況中継を見たくなったのです。 

 

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2017年1月20日 (金)

2017年01月19日

2017年01月19日

 

 今朝は、久し振りの曇り空でした。好天気が続くのも良いのですが、続き過ぎると心配になります。太陽と雨は、バランスが肝心です。今日は1日曇りかと思ったら、午後はすっかり晴れて、霞の強い陽気となりました。そして何時ものことながら、富士の方にだけ雲がありました。

 3,4日前には、小銭入れのファスナーの引き金が、壊れてしまったので、残りの金具をペンチで取り去り、クリップで代用しました。問題なく、ファスナーの開け閉めが出来るようになりました。今日は、ハンドタオルの破れを繕いました。ハンドタオルの中に刺繍がしてあるものがあり、刺繍の端から綻びが始まりました。捨ててしまっても良いのですが、何時も修理や手直しがしたくなるのが、私の性のようです。そして、修理したものは、何も修理しないものより、愛着を感じるようになり、余計捨てられなくなってしまいます。我が家には、修理したものが結構あり、今でも実用に供しています。断捨離が、進まないわけです。

 昼食を済ませて、散歩に出ようとしたら、ベランダで、工事の人の動きが見えました。どうしたのか聞いてみると、「ウッドデッキにペンキを塗ろうと思ったら、洗濯物が干してあったので、延期しようか検討している所です」とのことでした。1週間ほど前に、ペンキの2度塗りを希望するかどうか、調査票が回ってきたとき、希望する旨、回答して置いたのです。「洗濯物は片付けるので、是非今日やって下さい」と頼みました。責任者に連絡を取り、どうするか指示を仰いでいたようですが、暫くして、「今から直ぐにペンキを塗ります」と言ってくれました。「私は、これから散歩に出ますので、後はよろしくお願いします」と言って、玄関を出ました。すると、玄関ポーチのあらゆる所が、ビニールで覆われていました。いよいよ玄関側も、最後のペンキ塗りが始まるようです。

 今日の散歩は、聖蹟桜ヶ丘まで歩いただけです。何時もは、土手の上の道を歩くのですが、今日は川岸を歩きました。四谷橋の下は、浅川と多摩川が合流して、急な流れになっています。小鴨は、この流れが好きらしく、今日もかなりの数の小鴨が、流れを楽しんでいました。しかし、私が近づくと、一斉に飛び立ち、何度か群舞を繰り返しながら、下流に飛び去ってしまいました。私は、そんなに危険人物ではないと思うのですが、大層嫌われたものです。でも、群舞している良い写真が撮れました。

 流れが緩やかになった川の中で、カモメ(鴎)が水浴びをしていました。今日、写真を撮って、良く調べたところ、確かにカモメでした。ウミネコ(海猫)、カモメ、セグロカモメ(背黒鴎)は、よく似ています。見分け方は、嘴の違いが分りやすいようでした。ウミネコは、嘴の先に黒と赤斑があり、カモメは、嘴全部が黄色、セグロカモメは、嘴の先が赤だそうです。この他、ユリカモメ(百合鴎)は、体が一回り小さく、可愛い顔をしているので、比較的簡単に、他のカモメと区別ができます。この前、数羽で来ていたのは、ユリカモメでした。

 聖蹟桜ヶ丘に着いて、郵便局に寄り、お年玉年賀はがきで、切手シートが2枚当たっていたので、交換して貰いました。毎年、切手シートは当たるのですが、それ以外は、当たったことがありません。聖蹟桜ヶ丘では、これと言って買う物もなく、家に戻りました。4時過ぎていたので、日没を見に、土手に出ようかと思いましたが、富士の方の黒い雲が厚かったので、止めにしました。

 大相撲の初場所が、12日目となり、大詰めを迎えつつあります。去年、年間最多勝を取りながら、優勝できなかった稀勢の里が、1敗でトップを走っています。これまで、幾度となく寸前で優勝を逃してきた、稀勢の里、今回は絶対優勝して貰いたいものです。昨年の初場所で全勝優勝した、琴奨菊が、角番で負け越し、大関から陥落することになりました。私は、大関陥落は、実力から言って仕方ないと思います。全勝優勝が奇跡だったと今でも思っています。

 

「我を見て 小鴨が群舞 逃げていく 捕って食おうと 思ってないのに」

「多摩川で 仲間のいない 鴎さん 川の真ん中 悠々水浴び」

 

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2017年1月19日 (木)

2017年01月18日

2017年01月18日

 

 良い天気が続いています。寒波は、ピークを過ぎたらしく、一昨日ほどの寒さはありません。昨晩、この冬初めて、暖房を寝る前1時間ほど入れたので、寒暖差アレルギーは、治まりました。

 昨日、家に帰った時に、東棟の足場と幕の一部が、外されていました。東棟の工事は、玄関側のペンキ塗りまで終了したようです。私が住んでいる南棟は、これからペンキ塗りが始まります。最後が西棟になります。南棟の足場と幕の撤去も、2月の半ばには、終了しそうです。あと一月弱の辛抱となりました。終わりが見えると、本当にほっとします。

 今日は、大学のクラブの新幹部との食事会でした。都心の神楽坂での食事会でしたので、少し早めに家を出て、東京都庁の展望台から、夕日を見る事にしました。

 夕日が落ちる時間を見計らって、3時15分に家を出て、新宿に1時間後の4時15分に着きました。都庁の45階の南棟展望台に着いたのは、4時30分でした。展望台は、思ったほどの混雑ではなく、日没を見ることが出来る窓の一角に、陣取ることが出来ました。日没の前に周囲を見渡すと、100人近い来客の半数以上が、外国人でした。今日は、富士も見えると期待していたのですが、富士の方にだけ黒い雲がありました。日没と富士を同時に見る事は出来ない事がわかりました。雲の近くまで降りてきた日の光が、家々の屋根を照らし、一直線に都庁まで延びて来ました。赤坂、丸の内、大手町等、東京を代表する高層ビル街が、夕日を受けて輝いていました。目の前の明治神宮の森の黒さが異常に感じました。中に入ると深い森なのですが、上から見ると、大都会に取り残された、自然の残骸のように見えました。

4時45分くらいから、日没が始まりました。関東平野の西部を一望しながらの、日没でした。我が家の近くの土手から見る日没とは、スケールが違いました。ものの2,3分で太陽は、雲の後ろに沈みました。都庁まで延びていた光の帯は一瞬にして消え、日が沈んだ空は、茜色に染まっていましたが、関東平野は、夕闇の世界に入りました。地上に降りると、新宿の高層ビルの窓に、一斉に明かり点きました。巨大な光の塔が、何本も並んでいました。高層ビルが作る、谷間の向こうに、茜の空が見えました。人間の進歩と悠久の自然が織りなす、現代の夕暮れの様子でした。

満足して、地上の道を歩き、新宿駅に出ました。私が上京した時は、新宿の西口のビルらしいビルは、現在の小田急ハルクしかなく、淀橋浄水場が、まだ存在していて、浄水場越しに、地上から夕陽を見ることが出来ました。現在の小田急デパートも京王デパートも工事中でした。新宿の12社に、私の田舎の友達のアパートがあり、飲みすぎて家に帰れなくなったときは、良く世話になりました。新宿は、思い出の多い街ですが、その変わり様には、思い出すらも吹き飛ばされてしまいそうでした。

新宿の写真を撮っている内に、5時半となり、丁度良い時間となりました。待ち合わせの場所、神楽坂の毘沙門天に6時5分前に着きました。現役の3人(男子1人、女子2人)は、既に着いていました。予約した中華料理屋で、6時過ぎから食事会が始まりました。ここの中華料理は、結構辛いので、女子には不向きかと思ったのですが、何の問題もなく、美味しいと言って食べていました。若い人の食欲は、見ていても小気味よく、これが若さだと思いました。最初に頼んだ5皿は、あっという間に食べ、更に5皿を注文しましたが、これも程なく終わりました。最終的に15皿は食べたのではないでしょうか。食べることに夢中で、酒の進みはそれほどでは、ありませんでした。

この食事会は、現役の男子の責任者が希望したもので、女子にとっては、思いがけない事だったと思います。今日の3人は、昨年末、新幹部の中でも責任ある地位に就きました。最も、責任ある男子は、クラブをどのように率いて行くか、真剣に考え、その考えを私に聞いてもらいたかったようです。食事中の会話の端々に、それらしい考えを述べていましたが、あまり話が深化することなく、食事が進みました。これは、女子の二人が、頭で多くのことを考えず、目の前のやるべきことに対して、腹が決まっているようでした。考えにこだわるより、現実に素直に向き合っていけば良いと、割り切っているように見えました。考えることも、重要ですが、考え過ぎては、現実への対処が疎かになります。「当たって砕けろ」的、割り切りも必要だと思います。何れにしても、この女子2人のサポートがあるのであれば、これからの1年、クラブの運営に、多くの問題は生じないと思います。

食後、行きつけのバーで、軽く一杯飲んで、終わりにしました。皆で、神楽坂から新宿へ出て、そこから各々の家路につきました。私の方が、色々楽しめた食事会でした。

 

「都庁から 見渡す限り 家の波 丹沢奥多摩 地平の一部」

「物言わぬ 高層ビルが 林立し 夕日を受けて 顔の赤らむ」

「大東京 都会の中の 黒き染み 自然の欠片 明治神宮」

「一人では 弱き生き物 人間が 造り育てた 摩天楼街」

「光る帯 屋根を伝いて 一直線 都庁に届く 都会の夕暮れ」

「富士隠す 雲に夕日の 沈み行き 光の帯消え 夕闇迫る」

「高層の ビルの窓に 灯り点き ずらりと並ぶ 光の塔かな」

「一日の 終わりを告げる 宵の口 ビルの谷間に 茜の残照」

「孫の歳 若者達が 引き継ぎぬ 我が青春の 生きた証を」

「邪念なく 澄んだ瞳の 奥にある 君等の思い しかと受けたり」

「仲間こそ 人生生きる 宝物 個性の違う 仲間が嬉し」

「人生の 最も輝く 一場面 語り合えるは 仲間しか無し」

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2017年1月18日 (水)

2017年01月17日

2017年01月17日

 

 雲もなく、富士が綺麗な朝でした。珍しく朝早く起きてきた次男と一緒に、朝日に白く輝く富士を見ました。

 9時頃、玄関の呼び鈴が鳴ったので出てみると、工事の人でした。玄関側のペンキを塗る前に、高圧洗浄をするそうです。我が家は、玄関の植栽の代わりに、色んなお土産物を飾っています。それらに水がかかったり、落ちて壊れたりすることがあるかも知れない事を、承知してもらうために来たのです。「濡れようが壊れようが、一切構わない」と言って、高圧洗浄をして貰いました。凄い音で洗浄していましたが、僅かの時間でした。

 今日は、石神井公園に行ってきました。渡り鳥が多く渡ってくる、石神井池と三宝寺池があります。

 11時に我が家を出て、荻窪からバスで1時近くに石神井公園に着きました。石神井公園の入り口の池は、石神井池です。最近の寒波で、池が凍っていました。そう言えば、昨年来た時も、凍っていました。池全部に氷が張り詰めているわけでは無く、場所によっては、凍ってないところもありました。入り口の貸しボート屋の前のベンチで、昼食を済ませ、1時過ぎから池の周りを歩き始めました。

 石神井池の岸辺には、立派な屋敷が並んでいて、庭木も立派です。石神井公園の池と森のお陰で、都会の中で豊かな四季を楽しめるため、金持ちが邸宅を構えたのでしょう。池の中の島に、アヒルが寒さに耐えているように蹲っていました。また、石神井池の枯れた葦の中に、青鷺が立っていました。手が届きそうな近い所でした。大きさから言って、生後1年くらいの幼鳥ではないかと思いました。一緒に見ていた小父さんが、「あんまり動かないので、最初は置物かと思ったよ」と言っていました。

 石神井池から、三宝寺池に移動しました。入り口の子供用の公園と軽食屋を過ぎると、小さな池があります。三宝寺池の始まりです。この池は、カワセミ(翡翠)の猟場らしく、カメラマンが大勢集まっていました。直ぐ目の前の小枝に止まって、逃げようとしないのです。今日は、冬の渡り鳥を見に来たのですが、カワセミの写真も沢山撮りました。体の色が綺麗なので、見ると写真を撮りたくなります。

 この池の先から、大きな三宝寺池になります。比較的大きな島があり、鳥達の楽園になっています。青鷺、白鷺、川鵜、五位鷺、星五位が、島の木々に止まっていて、鳥類動物園のようでした。しかし、鳥達との距離が、遠いのは残念でした。別の所には、カラスの集団が大騒ぎをしていました。池には、キンクロハジロ(金黒羽白)、ハシビロガモ(嘴広鴨)、オナガガモ(尾長鴨)、マガモ(真鴨)、バン(鷭)、カイツブリ()が泳いでいました。種類は多かったのですが、去年に比べると数が少なく、寂しい感じがしました。三宝寺池は、ほとんど凍っていないのに、どうしたのでしょうか、ハシビロガモ、オナガガモ、マガモは、一番だけしかいませんでした。今年は渡りが少ないのか、一時的に少なくなっているのか、来月また来てみましょう。

 三宝寺池は、周囲を森が取り囲んでいるため、都会の中とは思えない、深い山中にいるような錯覚を覚えました。荻窪から石神井公園まで、家また家が、続きましたので、三宝寺池の景観は、異様な感じすらしました。三宝寺池を一回りし、カワセミの池に戻り、石神井池の反対側に出ました。こちら側からは、石神井公園駅方面の家並と高層ビルが良く見え、都会の中の公園に戻った感じがしました。ラクウショウ(落羽松)とメタセコイアの巨木の下に、どちらの木の根か分かりませんでしたが、土の上に盛り上がって、面白い形をしていました。自然の現代アートのようでした。池の渕には、カイツブリが一組休んでいて、間近からカイツブリの写真が撮れました。カイツブリを、こんなに間近で写真が撮れたのは、初めてでした。

 石神井公園を一回りしたので、来た通りの道順で、我が家に戻りました。4時20分頃に着いたので、土手に出て、日没を見ました。富士の方向には、幾つも雲があったのですが、太陽は、その雲の階段を、次々に降りてきて、富士の頂上の左端から沈み始めました。太陽の上端が富士の山頂の真ん中に消えました。これも1種のダイヤモンド富士でしょう。明日は、冬至の時、高尾山でみたように、太陽の下端が富士山頂の真ん中に落ちるダイヤモンド富士になるかもしれません。しかし、明日は他用があり、ここでの日没は見ることが出来ません。思い通りのことが出来ないのも、良いことです。その後太陽は、富士の中心から右の方の地平に沈んだらしく、富士の右側の稜線と空の輝きが、左側よりずっと強くなっていました。富士山の真後ろから、光が放射する光背の時期は、過ぎたようでした。

 

「池凍り 光が直接 反射して 光に埋もれる 石神井公園」

「池の中 氷の裂け目 さざ波の 鏡や玉に 光の競演」

「枯れ葦の 倒れた水辺 青鷺の 彫像のよう 立ちているなり」

「人集め 君には誰も 敵わない 見事な衣装 見栄きる翡翠」

「木の枝に 黒白青茶の 鳥提灯 人が行けない 池の中島」

「森の木々 人の世界を 遠ざけて 鳥の楽園 三宝寺池」

「落羽松 木の根が作る 彫像が どれも奇抜な 現代アート」

「太陽が 雲の階段 降りてきて 富士山頂に 沈み行くなり」

「寒き日の 茜の空に 黒き富士 何度見てきた 冬の夕暮れ」  

 

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2017年1月17日 (火)

2017年01月16日

2017年01月16日

 

 明け方5時半、トイレに起きてベッドに戻ると、寒さで布団が暖まらなくなって、寝付けなくなってしまいました。一所懸命眠ろうとしたのですが、どうしても眠れず、6時半には起きることにしました。

 今日も良い天気でしたが、富士の方にだけ雲が多く、富士が見えたり隠れたちする、一日でした。

今朝の寒さのため、私が勝手に寒暖差アレルギーと呼んでいるアレルギーが発症しました。水のような鼻水が、止めど無く流れ、ティッシュだと1時間で1箱使うような感じになってしまいます。従って、ハンドタオルで鼻水を拭くのですが、1日で4枚使ってしまいました。

一昨日、山の仲間の一人が、かなり進行した肝臓癌であるとの知らせを受けました。私は、一緒に山に登ったことはないのですが、毎年、新年会では会って、話もしました。新年会に、何時も越乃寒梅を用意してくれる人でした。昨年は、奥様も一緒に新年会に参加されたのですが、今年は参加されなかったので、誰もが気に掛かっていたのです。それが、このような知らせになり、とても残念です。しかし、我々は皆年を取りました。このような知らせは、今後増えていくでしょう。常に覚悟を持って生きる必要があります。

昨日は、南米のアコンカグアへ無酸素登頂に挑んでいた仲間が、無事帰国した知らせが入りました。残念ながら、登頂はならず、あと200メートルの所で、想像を絶する強風のため、引き返したそうです。知らせの中に、行くことも引き返すことも、素晴らしい勇気だと書いてありましたが、本当にそうだと思います。私も、仲間にこんなに勇気のある人がいることを誇りに思います。我々も、その勇気を貰いました。無酸素登頂に挑戦した彼は、私と同じ年、2年前に古希を迎えた人です。「年寄りぶって、家に閉じ籠っては駄目だよ」と言われているような気がしました。何れまた、酒を酌み交わしたいと思います。

今日は、衛星放送用のパラボラアンテナをリサイクルセンターへ持って行き、

スーパーの梯子をして、散歩に変えました。そろそろ玄関側の塗装工事が始まるので、玄関側も整理する必要があったのです。

 アパートの横に咲いていたノミノフスマが、この2,3日の寒波のせいで、全部枯れてしまいました。残念ながら、ノミノフスマの越冬はなりませんでした。しかし、近くにノミノフスマらしい草が、白い蕾を付けていました。もしこれが、ノミノフスマであれば、命のリレーを見る事になります。野芥子はしぶとくて、まだ3株ほど花をつけていました。国立へ行くバス停の前の姫蔓蕎麦も、9割が枯れてしまいましたが、建物の側の1割が、矢張りしぶとく、花をつけていました。

 今日は、土手の上ではなく、土手の下の道をリサイクルセンターまで歩きました。粗大ゴミは、市役所で、お金を払って処分を頼まなければならないのですが、国立との境にあるリサイクルセンターに持って行けば、半額で処分をしてくれます。リサイクルセンターは、我が家から歩いて、15分程度ですから、わざわざバス代と電車代をかけて市役所へ行き、倍の処分料を払う気にはなれないのです。

 アンテナを預けてからは、身軽になりましたが、特に行き先を考えていなかったので、石田大橋を渡って「いなげ屋」、戻って「スーパーヴァリュー」、最後に我が家の近くの「西友」とスーパーの梯子をしました。果物を探しに行ったのです。最近、体重が増え始めているので、食事と食事の間食を、プリンとか菓子類を止めて、主に果物にする事にしています。最近、少し小さめの林檎なら、丸々一つ、平気で食べられるようになりました。梯子はしたものの、置いてある果物は大差なく、結局、我が家の近くの西友で買って帰りました。

家には、4時過ぎに帰ったところ、今日は休みの次男が、出かけるところでした。「今日中には帰るよ」と言って出かけました。次男が出かけてから直ぐに、日没が始まりました。全天青空の中、富士の上に富士型の雲が、富士にへばりついていました。その雲の中に、日が落ちていきました。工事の足組と幕が張られた我が家のベランダから、日没の様子を写真に撮りました。日没後直ぐに、富士にへばりついていた雲が、金色に代わり、黒い富士が際立ちました。金色の雲が、色々な形に姿を変えながら、次第に消えて行き、やがて全天雲のない空に代わりました。昨日もそうでしたが、どうして日没が済むと、雲が消えるのでしょうか、自然は色んな芸を見せてくれます。

 

「闘病や 山への挑戦 様々に 仲間は生きる 夫々の道」

「寒波来て 蚤の衾の 皆枯れて 越年せしも 越冬ならず」

「霜枯れし 蚤の衾の すぐ近く 命受け継ぐ 花の蕾の」

「野芥子さん 君は意外に しぶといね 越冬するは 君かも知れぬ」

「全滅を 免れ未だ 花咲かす 姫蔓蕎麦の 紫の花」

 

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2017年1月16日 (月)

2017年01月15日

2017年01月15日

 

 朝は、雲も少なく良い天気だったのですが、昼近くから、空中に小さな雲が、ばら撒かれた状態になりました。青空もあり、雲もあり、そんな空でした。

 今日は、府中駅の方まで、土手の道を歩いてきました。暦の上では、1月15日は、冬のど真ん中で、非常に強い寒波も来ていたので、きちんと防寒対策をして出かけました。しかし、外は日差しもあり、思ったほどの寒さではありませんでした。

 府中駅へは、我が家の前の土手を、下流に向かって歩きます。昼食を食べた後、2時近くに家を出ました。土手の枯れた茅の中に、緑の葉が見えるところがありました。多くは、土にへばりつくようにして、放射状に葉を伸ばし、全体は円形をしています。この円形の葉のことを、ロゼット(小さなバラ)というらしく、この形で越冬する野草が数多くあるそうです。アザミ、タンポポ、ヒメジオン、オオアレチノギク等々です。関戸橋の手前の土手には、オオアレチノギクの群落があって、そこだけは、一面の緑でした。

 関戸橋の古いほうの橋の架け替え工事が、本格化するようで、関戸橋の上下流500メートルは、採石場の様相を呈し、渡り鳥も常連の鳥達も、寄り付かなくなりました。この工事が完成するには、最低でも2年はかかるでしょうから、完成を見ることが出来るか、確信が持てない年齢になりました。

 関戸橋を越えると、雀の大群が、アカシアの冬木立に鈴なりのように羽を休めていました。都心のほうでは、雀が少なくなったと聞いていますが、多摩地方は増えているような気がします。この先のグランドの横には、葛に全身を覆われた木々が、ロダンの「カレーの市民」というか、お化けの群像のように立っていたのですが、葛の葉が落ち、普通の冬木立になっていました。そのすぐ先で、珍しい鳥が飛んでいると思って、カメラを向けたらラジコンでした。郷土の森を超え、野球場の前の河原は、BBQ広場になっていますが、今日はBBQをしている人は見当たらず、幾つかのグループが凧上げをしていました。正月らしい風景でした。私が小さい頃は、正月の遊びといえば、凧(長崎では旗)揚げ、独楽回しでした。正月気分が残っていましたので、安養寺、妙光院、大國魂神社に参拝しました。大國魂神社は、三箇日のような混雑ではありませんでしたが、人込みは、今日も続いていました。その後、桜市場館、伊勢丹のデパ地下、魚屋の浜喜屋を覗きましたが、何も買わずに家に帰りました。買い置きの物を、消化出来ないでいるのです。

 4時近くに、我が家に戻りました。すぐに日没が始まりました。富士の方角に、大きな雲が横たわっていたので、日没が早かったのです。ところが、相撲を見終わった6時に、富士の方を見ると、あれだけあった雲が全部消えて、夕焼けの中に、黒富士が立っていました。あの雲達は、短時間でどこに消えたのでしょうか。キツネに抓まれたようでした。

 今晩の晩酌の抓みは、お節の残りや買い置きの物の整理に徹し、15日目にして、黒豆の煮物、蓮根、牛蒡、人参の三種のキンピラを全部食べて、お節料理が片付きました。冷蔵庫の中も大分片付きました。

 

「野辺の道 ノートルダムの バラ窓を 思い起こさす 野草のロゼット」

「ロゼットが 茅の土手を 埋め尽くし そこだけ緑 足早の春」

「チュンチュンと 雀鈴生り 冬木立 アカシアの森 雀のお宿に」

「ブンブンと 変な鳴き声 変な鳥 ラジコン鳥の 空を舞うなり」

「凧の尾が 空で揺れてる 多摩河原 年に一度は 凧揚げ遊び」

 

 

 

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2017年1月15日 (日)

2017年01月14日

2017年01月14日

 

 今朝は、良い天気でしたが、富士山のほうに、かなり大きな雲があり、富士を見ることは出来ませんでした。

 昨日、自動車の修理と代車の請求が届きました。昨年の秋に白骨温泉に旅行し、飛騨高山にも足を伸ばしました。その時、私が駐車場で、隣の車にドアを軽く当ててしまいました。傷が有るか無いか、良く見てもわからないほどの傷でした。この傷の修理代が、約7万円、代車代が約10万円、計17万円の請求でした。私は、自動車を運転しませんし、自動車保険に入っていません。従って、私が起こした損害の賠償は、保険屋が仲立ちするのではなく、個人と個人の間で行われることになります。このような交渉は、本来、示談で行われるか、民法の規定に拠るべきものだと思われます。損害賠償として、被害者は何をどれくらい請求できるのか、逆に加害者である私が、その請求を了承できるかどうかを、事前に協議しなければならないと思います。修理の見積もりは妥当なのか、代車は何の目的で、どれくらい使う必要があったのか、代車ではなく、タクシーやバスで代用できないか、何の事前協議もなく、いきなり掛った費用を全部払えと言われても、承服出来ません。年金暮らしの老人の年金の、約ひと月分ですから、右から左に出せる金ではないのです。事後になりましたが、個人間で協議をしてみようかと思います。最初から、協議を申し込めば良かったのですが、1万円以内で済むみたいなことを真に受けた、私の非もあります。そして、今後は、個人の自動車での旅を止めようと思います。

 今日は、孫娘の誕生会を、我が家でやる予定だったので、日記を書き終えてから、料理に取り掛かりました。すると、娘から電話があり、娘の所でやるので、来て欲しいとのことでした。娘の言う通りにすることにしましたが、材料は、既に用意できていましたので、料理は作って持って行くことにしました。作った料理は、皿うどん、麻婆茄子、お焼でした。

 お焼は、私が作るオムレツのようなもので、私が考案したものです。スーパーで売っている「つみれ」を潰して、荒い粉状にして、山芋のすり身と卵を混ぜ、更に固める役として、粉を少々混ぜて焼くだけです。調味料を使わないので、後で、ソース等をかけて食べると良いと思います。何もかけなくても、食べられると思います。今日の「つみれ」は、エビ入り「つみれ」と、鶏肉と野菜の「つみれ」を混ぜたものでした。

 料理やワイン等の荷物があるので、4時半くらいに娘が迎えに来てくれました。今日は、相当寒くなるとの予報でしたので、防寒対策は、十分にした積りでしたが、少し外に出ただけで、身を切るような寒さでした。

 5時過ぎに、娘の家に着きましたが、私の料理を含め、食卓に料理を出す準備があり、誕生会は、6時半くらいから始まりました。主役の孫娘がドレスに着替え、皆で乾杯して、記念撮影をしました。それから食事になり、孫達は、食事を楽しみ、大人は、ワインを楽しみました。上の孫は、味にうるさいほうなのですが、私の料理全部に、合格点を出してくれました。気の使い方も、覚えたのかもしれません。

 食事が済んで、一段落してから、ケーキを出して、何時もの誕生会の儀式を行いました。この時が、一番主役らしくなるので、孫娘が良い笑顔になりました。今日の、私の誕生日プレゼントは、現金でしたが、何か自分で買いたいものがあるらしく、とても喜んでいました。お金の価値が、分かって来たようです。

 その後暫く、ワインを飲みながら、話をしていたら、右手首の所が、温かくなりました。猫の小水でした。娘の所には、3匹の猫がいます。2匹は、娘が独身時代から飼っている猫で、相当高齢です。もう1匹は、最近事情があって買い始めた子猫です。小水を掛けた猫は、年寄りの猫のほうで、最近とみに、所構わず小水をするようになったそうです。年のせいでしょうね。人間も動物も年には勝てませんね。

 9時半近くに、娘の家を出て、バスで一宮まで来て、そこから四谷橋を渡って、我が家に戻りました。煌々と輝く17夜の月が、ずーと私について来てくれました。子供の頃は、これが不思議で、早く走ったり、止まったりして、月の動きを確かめた事を思い出しました。昼間より、寒さが和らいだような気がしたのは、酒のせいでしょうか。

 

「何事も 他人任せは 無責任 文句ばかりが 先に出るなり」

「孫娘 今日が七つの 誕生会 孫のためなら せっせと料理」

「上の孫 我が料理を 味見して これは美味いと OKサイン」

「七つの灯 じっと見つめる 孫娘 ふーっと一息 私は七歳」

「床につく 手の甲じわっと 温くなり 素知らぬ顔して 老猫逃げる」

「老猫は 天井見つめ 知らん顔 皆さん何を 騒いでいるの」

「1週間 毎日月見 楽しみぬ 仙人もどきの 暮らし振りなり」 

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2017年1月14日 (土)

2017年01月13日

2017年01月13日

 

 今朝も良い天気でしたが、富士の周りに薄らと白い雲があり、富士の白雪と見分けがつかない状態でした。

 昨日、トランプ氏の関係でナショナリズムについて書きましたが、愛国心が悪いことのように、感じた人も居るかも知れません。愛国心というのは、文字として表現すると単なる言葉に過ぎません。人が、心に感じる愛国心の中味は、極めて多様性があり、千差万別です。この一つ一つの愛国心の、どれが良くてどれが悪いかを決めることは、本来誰にも出来ないことです。政府のような公的機関は、どれが良いとか悪いとか決めてはならないのです。私が嫌いな、ナショナリズムの基礎となる愛国心は、良い愛国心とは、こんな愛国心だと、何処かの組織で決められ、個々人によって多様な愛国心を、一つにしようとし始めた愛国心です。その組織の愛国心を最高の物と認め、その示すとおりに生きなければ、愛国心の無い人間と見なすと言い始めたら、寒気がします。愛国心の基礎を、宗教、歴史、文化、民族と言った、如何様にも解釈が変えられる、現実の生活と、かけ離れたものに置いてはならないのです。もっと単純な、家族を愛すると同じように考えるべきです。我が子が一番可愛いと思うのは自然のことです。しかし、それは他の人も同じですから、他人の子を排除したりはしません。このような状態でも、共同作業は出来るものなのです。

 今日は、何処でどの様に決まったのか分らないのですが、横浜で食事会がありました。大学の同期が経営している、スペイン料理屋での昼食会だったので、8時半には家を出ました。家を出て気づいたのですが、昨晩調べておいた、店の地図、電話番号、行き方を書いた紙を忘れてしまいました。最近、このような肝心なものの忘れ物が多いのです。しかし、調べた段階で、内容を確かめたので、電話番号以外は、ある程度覚えていました。横浜スタジアムが終わった辺りを、左に入り、ここら辺りに違いないという所までは、すんなり行けたのですが、最後の詰めが、出来なかったので、ネクタイとか帽子、手袋など男性用の小物を売る店の主人に尋ねました。そうすると「ほら、あそこのスペインの旗が出ているところだよ」と教えてくれました。

 集合時間は、11時だと聞いていたので、10時45分には店に着いたのですが、実は集合時間は、11時半でしたので、港を一回りしました。丁度11時半に店に戻ると、今日集まる7人の内、2人を除いて揃っていました。その内男性の一人は、今朝方、高齢の母親が他界したと言うことで、欠席とのことでした。もう一人は女性で、5分後に現れました。どうも、この女性とは、以前に会ったことがあるようなのですが、私の記憶から飛んでいて、失礼してしまいました。結果として、女性4名、男性2名の6名となりました。やがて、食事が始まりました。同期の店のオーナーも、ワインだけで暫く付き合ってくれました。

集まったのが、全部大学の同期だったので、一つ思い出の紐を引っ張ると、次々と思い出の紐が解けてきて、堰を切ったように話が弾みました。女性の内3人は山の仲間でもあり、男性は、どんなに急に連絡しても、特別の用が無ければ酒に付き合ってくれる、気の置けない友人なので、家族の食事会のような雰囲気になりました。出された料理については、ウェイターが種々説明してくれたのですが、もうすっかり忘れてしまいました。皆と同じように全部食べたのですから、美味しかったのだろうと思います。話は、止まる様子が無く、2時半になり、他のお客は、夫婦らしき一組を除いて居なくなりました。

 漸く腰を上げ、誰もが少々食べ過ぎ気味だったので、腹ごなしに港を歩くことになりました。食事をした店が、関内で横浜の中心だったので、直ぐ近くが横浜三塔でした。そこから海に向かうと、大桟橋が見える海浜公園に出ました。海浜公園の一部に、赤レンガ倉庫があり、野外のアイススケートのリンクもありました。公園の中で、ウサギをペットにしている人が居ました。そのウサギがベンチの上で、飛び上がって小便をしたので、飼い主にウサギの飼い方などを聞きました。このウサギは、外国生まれだそうですが、飼い方はそんなに難しくないようでした。ウサギもペットになると、ペットだということを意識しているようで、猫と犬の中間のような感じがしました。

 目の前に、海上保安庁の巡視艇と工作船資料館がありましたので、全員で資料館の方を見学しました。北朝鮮の工作船を海上保安庁が、銃撃の末拿捕した船が展示されていました。2001年に拿捕したものだそうです。巡視艇からの縦断の跡が、現代の平穏からすれば、異様な景観をさらけ出し、少なからず衝撃を受けました。

 その後、遊園地を経て、ランドマークタワーの前を通って、桜木町駅に出ました。途中で、今日初めて被った、南米のインディオの帽子が、風に飛ばされ、輪回しの輪のように、良く転がりました。女子高生が捕まえてくれないと、何処まで転がったか分りませんでした。横浜には、何度も来ているのですが、桜木町駅に来たのは、学生時代以来、50年振りくらいでした。当時、駅前には、半間間口の飲み屋街が連なっていて、戦後の雰囲気が色濃く残っていました。この辺りは、すっかり変わってしまいました。日本の大きな躍動の歴史を、長いこと生きてきました。改めて、その長さと幸せを感じました。

 桜木町駅で一人別れ、横浜で二手に分かれました。私と憶えていないで失礼した女性とは、川崎から南部線で帰りました。昔は、女性と二人になると緊張して、話も出来なかったのですが、古希も過ぎ、漸く平静に話が出来るようになりました。話をしていると電車は、早く目的地に着くもので、あっという間に彼女が降りる駅に着きました。楽しい食事会の2次会が終わりました。

 明日は、孫娘の誕生日なので、料理の材料を買って家に戻りました。今日は、十六夜の月が、とても綺麗に輝いていました。家に着いたのは、7時近くでした。とても楽しい1日でした。

 横浜三塔について、ウィキペディアの内容次の通りです。

 

 横浜三塔(よこはまさんとう)は、神奈川県横浜市中区関内地区にある、塔を持つ3つの建物の愛称である。キングの塔神奈川県庁本庁舎)・クイーンの塔横浜税関)・ジャックの塔横浜市開港記念会館)は、地元では「横浜三塔」と呼ばれ、横浜港のシンボルとして長年市民に親しまれている。都市開発が進んだことによって、周りにビルが建ち、目立ちにくくなってしまったが、建った当時は他に目立つものはなく、横浜港に入港してくる船の目印になっていた。塔の愛称は、入港する船の外国人船員達がトランプのカードに例えて名づけたと言われている。

 

「横浜の 文明開化 感じつつ スペイン料理 舌鼓打つ」

「山の友 何時もは山頂 握り飯 偶に巷で 午餐会かな」

「青春は 半世紀前と なりにけり 歴史作りつ 生きて来たりし」

「1本の 思い出の糸 引きたれば 解ける糸玉 思い出の山」

「この人が まなじり決し 人生を 始めた時を 今に知るなり」

「人生は 過去ばかりが 増えていき 語りたきこと その嵩増える」

「時は過ぎ 腹膨らむも 終わり無し 語りつくせぬ 青春の日々」

「午餐会 済めば皆で 園遊会 港の公園 連れ立ち歩く」

「横浜の 歴史を語る 三塔を 友等と歩く 冬晴れの午後」

「チョッキ着て 主に抱かれる 兎さん 外国生まれ 横浜らしき」

「工作船 銃弾の跡 生々し 平和維持する 守りの激しさ」

「元日に 高尾より見た 横浜の 臍の辺りを そぞろに歩く」

 

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2017年1月12日 (木)

2017年01月12日

2017年01月12日

 

 今日も、上々の天気でした。来週から、3月4日にかけて、大規模修理用の足場を解体すると連絡が入りました。幕や工事用の足場がなく、直接富士を見ることが出来る日が近づいてきました。しかし、3月に入ると、春霞が強くなり、富士が見える機会は減っていきます。それでも邪魔者がなくなるのは、嬉しいです。

 戦後、ナショナリズムは、口に出すのも罪悪感がありました。世界を戦争に巻き込んだ危険な思想だと言われていました。ところが、昨日も少し書きましたが、「貧すれば鈍す」の言葉通り、生活が苦しくなると、常識的な思考に代わって、神頼みや愛国心を基礎とするナショナリズムが、頭をもたげてきます。このナショナリズムの台頭を、抑制しグローバリズムを進めたのが、米国でした。当然のことながら、グローバリズムは、米国の国益を増進するものでした。そのために、米国の中で、製造業が若干犠牲になりました。この製造業を中心に、米国では失業者が増えました。しかし、失業者を吸収する業種もあり、米国の景気はそれほど悪い状態ではなかった筈です。多くの人が言っているように、現在、全世界的に需要が低迷し、経済全体の停滞が起きています。高い経済成長を望めない停滞の中で、経済格差が大きくなり、社会に暗い影を落としています。米国でも経済格差は広がっており、グローバリズムの旗手である米国が、ナショナリズムを掲げたトランプ氏を大統領に選出しました。彼自身は、経済格差の裕福な層にいるのに、低層にいる人達が、彼に投票したのです。彼の政策が、どのようになるかは、現段階では、はっきりしませんが、ナショナリズムを唱える人の考えは、簡単に変わるものではありません。政治的にも経済的にも、数多くの国と国の対決を、覚悟しなければならないと思います。結果は、その後貿易の停滞が始まり、国際経済は停滞ではなく、下降線を辿り、裕福層も貧困層も、大きな打撃を受けるでしょう。そうなって初めて、ナショナリズムの諸悪に気づくことになるでしょう。経済的世界大戦を、もう一度経験するかもしれません。米国の有識者層が、トランプ氏に上手なブレーキを掛けてくれることを願っています。トランプ氏は、米国の大統領としては珍しく、年を取っていますので、頭の柔軟性も失くしていると思われます。今日の、トランプ氏の記者会見で、その片鱗が見えました。ブレーキを掛けるのは至難の業かもしれません。米国のなだめ役の英国もまた、ナショナリズムの傾向が強くなっていますので、本当に困ったものです。

 今日もダイヤモンド富士を見るために、昨日と同じ、石田大橋の近くまで行ってきました。昨日は歩き足りなかったので、今日は四谷橋を渡り、浅川を回って、石田大橋に戻ってきました。

 

浅川と程久保川の合流点にある、仙人の花畑は、花が全て枯れてしまっていました。春までは、同じ状態が続くでしょう。仙人の花畑から、浅川の土手を歩いていると、何かが違う感じがしました。最初は、何が違うのか分からなかったのですが、暫く歩いている内に、漸く気が付きました。河川敷の土手側にあった木が、全部切り取られていたのです。多くは、鬼胡桃の木でしたが、合歓の木等の木もありました。木を切るのは、あまり好きでありませんが、土手の道がすっきりとして、見晴らしが良くなりました。少し来ないだけでも、いろいろ変わってしまいます。

昨日の地点には、415分頃につきました。昨日より少し遅くなりましたが、4時半を少し回ったころから、日没が始まりました。今日こそは、ダイヤモンド富士だと思っていたのですが、頂上のほんの左下に、太陽の外周が接しました。ダイヤモンド富士は、明日か明後日だと思います。今日は、富士の左側の稜線の上に雲があり、黄金の竜が降り立ったようでした。今日も素晴らしい夕焼けでした。ぼーっと富士を眺めていると「今頃が一番良い時期だね」と、散歩中の小父さんが、声をかけてきました。もう40年ほど、この近くに住んでいるとのことで、毎年ダイヤモンド富士を楽しみにしているそうです。この小父さんも、ダイヤモンド富士より、富士の真後ろから、茜の空が光り輝く時、つまり、富士の光背見る時が、一番感動するそうです。その時の富士を見れば、多くの人が納得すると思います。今日も良い夕焼けを見ました。

少し買い物があったので、スーパーで買い物をして外に出たところ、今昇ったばかりの満月が見えました。昨日より、月の出が遅いようでした。西の空には、未だ幽かに残照が残っていて、どちらを向いても、いい雰囲気でした。天空には、一番星が輝いて、天空ショウを見ているようでした。

 

「夕暮れの 我が目の前に この山この色 素晴らしきかな 我が住む地球」

「人里を 真の闇から 救うよに やんわり光る 十五夜の月」

「藍色に 溶け込みそうな 西の空 夕焼け残照 幽かになりぬ」

「人里の 灯りは強く 輝くも 等しく照らす 優しさは無し」

「小さくも 100カラットの ダイヤより キラキラ光る 宵の明星」

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2017年01月11日

2017年01月11日

 

 北日本は、寒波の襲来で、かなりの雪が降っているようですが、多摩地方は、申し分の無い快晴でした。

 昨日、井草八幡と荻窪八幡と二つもの神社に行ってきました。年初から初詣での数が多いようですが、信心からではありません。前から言っているように、私は宗教が、好きではありませんし、宗教の世界を信じているわけではありません。宗教が嫌いなのは、宗教が、人々の考え方や生き方を、宗教に合わせて強制するからです。宗教が信じられないのは、神とか極楽とか、宗教の根本が、理屈として受け入れ不能だからです。それでも、強制が無い場合は、単なる伝統や生活習慣の一部として、受け入れることが出来ます。戦後の日本人は、クリスマスやハロウィンなど、本来宗教に根ざしている行事も、単なる生活の楽しみの一つとして、受け入れました。同時に、日本古来の宗教的行事も、単なる生活のアクセントとして受け止めるようになりました。この程度の、宗教意識でもって、宗教行事をやるのであれば、何ら問題は無いと思っています。私が、神社に行くのは、この程度の意識です。しかし、宗教には、常に宗教をかたくなに信じている人と、その信仰を、一定の定められた作法に則って、世の中に広め、他人に強制する力が存在します。この力は、自由とは対局にあるものだと思っています。他の人の考えや生き方や尊厳を認めず、憎しみの対象としてしまい勝ちです。現実の世の中が、暮らしにくくなると、必ずこの力が大きくなります。この力を、大きくしないためにはどうしたらよいのか、その適切な方法は、存在しないと思います。結局、最後は争いになります。

 日記を書き終えてから、買い物に出かけました。米が無くなっていたのです。近くのスーパーで、米と他の物を少々買い物して、リュックに詰め込み、我が家に戻りました。帰って腕時計を見ると、止まっていました。今は何というのか、昔はネジ巻きと言った小さな釦が、曲がっていました。思い出すと、リュックを背負う時、右から背負い紐に手を入れ、その後左手を入れようとしたら、腕時計に引っかかったのを強引に、左手を入れました。その時に、曲がったのだろうと思います。元に戻そうとしたら、折れてしまいました。仕方なく処分することにしました。時計には、手荒な扱いをして申し訳ないことをしました。高価な時計ではありませんが、イタリアの中の小さな独立国、サンマリノで買った、思い出のある時計でした。こういう形で、物を捨てるのは、本意ではありません。どのような物でも、そのものが持っている本来の役目を、為し終えたときに処分することにしていました。今後はこういうことの無いように、気をつけたいと思います。どのようなものでも、私の人生を構成する思い出の一品なのです。

 今日は、3時少し前から、石田大橋のところまで歩いてきました。ダイヤモンド富士の状況を確認するためでした。

 途中の河原には、多くの小鳥が、木に止まっていましたが、何の鳥か、さっぱり分かりませんでした。西に傾いた太陽の光が逆光になっていたことと、寒さのためか、どの鳥も体を丸めて、テニスボールのようになっていました。大き目のボールは椋鳥で、小さ目のは雀だろうと思ったのですが、確信は持てませんでした。

 3時半には、石田大橋について、富士を見る場所を決めましたが、まだ日没までには時間があったので、近くのスーパーで時間を潰し、4時過ぎに決めた場所に戻りました。それでも太陽は、まだ富士から離れており、日没までには、もう少し時間がかかりそうでした。4時半頃から、日没が始まりました。残念ながら、ダイヤモンド富士ではなく、頂上の僅かに下の、左側の稜線に、日が沈み始めました。僅か2,3分だったでしょうか、太陽は、すっかり富士の後ろに隠れてしまいました。本当の日没は、富士の真後ろの地平だったようです。富士を中心に、茜の空が、仏の光背のように輝いていました。宗教は嫌いなのですが、宗教的な言葉を使わないと、表現の幅が狭くなってしまいます。いずれにせよ、ダイヤモンド富士に勝るとも劣らない、素晴らしい夕焼けでした。なんだか涙がこぼれそうになりました。胃癌の手術をしてから、この世の、ありとあらゆるものに対する情愛が深まりました。そして、その中でも富士は格別です。

 次第に赤みが弱まり、宵に向かう富士を見ながら、家路を辿りました。空には、14夜の月が、ほぼ真ん丸になって、東の空に浮かんでいました。「月は東に日は西に」、ずーと昔から、多くの人が見た光景が広がっていました。七尾丘陵には、灯りが点き始めました。聖蹟桜ヶ丘のビルの灯りも点きました。この光景は、昔には無かったと思います。

 夜は、茸と野菜を始末するために、茸鍋にして晩酌をしました。しかし、鍋は一人では、寂しい感じがします。鍋は、大勢で食べるという、これまでの経験と固定観念のせいでしょう。

 

「持ち主の 手荒な扱い 腕時計 時を刻むを 止めるに至り」

「どの品も 我が人生の 思い出の 引き金として 宝なりけり」

「多摩河原 日差し強くも 寒波来て 小鳥まーるく 寒さ対策」

「西日背に 巷を見れば 昼のよう 西日に向かえば 影絵の世界」

「古の 人も見ていた 夕焼けの 富士の光背 我も見ており」

「その昔 夕日眺めて 涙する 詩人のように 我が目も涙」

「人里に 灯りの燈る 宵の口 東の空に 14夜の月」

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2017年1月11日 (水)

2017年01月10日

2017年01月10日

 

 富士が戻りました。雪化粧をした丹沢と奥多摩の間に、雪の量を増した富士の白さと高さが際立っていました。富士の懐にある大室山も雪化粧をしていました。

 私がブログを休んでいる時に、友人からメールを貰いました。その友人は、メールで「君のブログがないとパソコンを開ける楽しみがない」と言ってくれました。私のメールの9割は、散歩の様子や日常の細々したことばかりなのですが、それを楽しみにしてくれる友人がいるのは、嬉しい限りです。クラブの後輩を含め、彼の他にも10数人、毎日ブログを読んでくれている人達がいるようですから、今後も出来る限り日記を書いて、ブログに掲載しようと思います。

 冬の渡り鳥の季節は、池を持つ公園、湖、川等、水場に行くことが多くなります。夫々の水場は、渡り鳥の種類が、時々によって違いもありますが、大体決まっています。善福寺公園(オナガガモ、キンクロハジロ、ゴイサギ)、妙正寺池(キンクロハジロ)、石神井公園(オナガガモ、ハシビロガモ、マガモ、バン、ゴイサギ)、狭山湖(冠カイツブリ、マガモ、コガモ)、府中の森公園(マガモ)、武蔵野の森公園(ヒドリガモ)、昭和記念公園(カイツブリ、キンクロハジロ)、井之頭公園(オナガガモ、ゴイサギ)等々です。今日は、手始めに善福寺公園に行ってきました。

 11時近く、富士があまりにも綺麗だったので、時間的に余裕を持って家を出て、一旦土手へ出て、富士を見てからバス停に向かいました。ぼーっと見ていたら、時間が無くなってしまい、バス停付近では、バスと並行して走る羽目になりました。バスには乗れましたが、動悸が激しく死ぬかと思いました。ぽっくり逝くためには、良い方法かも知れません。しかし、流石に死ぬために走る気にはなれません。

 国立から荻窪に出て、バスで善福寺公園に降りたときは、12時半近くになっていました。先ず上の池にいきました。風も無く穏やかな日で、池に周囲の冬木立が映って、お伽の世界のようでした。入り口から見た向こう岸に行く前に、本当に小さな小島がありますが、そこに、オナガガモ(尾長鴨)かなりの数泳いでいました。小島に中には、ゴイサギ(五位鷺)が身動ぎもせず、立っていました。島の横の杭には、川鵜が4羽、寛いでいました。島を回って向こう岸に出ると、キンクロハジロ(金黒羽白)が50羽近く、群れていました。この光景は、毎年見られる光景です。今日は、たった1羽のバン(鷭)が、オナガガモとキンクロハジロの群れを渡り歩いていました。

 キンクロハジロの群れを見ながら、お握りとサンドウィッチで昼食にしました。少し飛んで滑空したり、水の上で羽ばたいたり、追いかけっこをしたり、鴨達の日常の様子を見ながら、楽しい昼食になりました。

 昼食後、下の池に移りました。途中の林でオナガ(尾長)が、高い木の梢のほうで遊んでいました。今日は、上出来とは言えませんが、オナガが飛び立つ瞬間を写真に撮ることが出来ました。オナガが飛んでいる姿は、長い尾羽が開いて、とても綺麗なのですが、上手く写真に撮ることは、難しいのです。今日はラッキーでした。

 下の池の枯れた葦の間の木に、コサギ(小鷺)が止まっていて、横にゴイサギが立っていました。老人の素人カメラマンにとっては、このようなツーショットが撮れるのは、本当に嬉しいことなのです。今日は、更に嬉しいことがありました。ホシゴイ(星五位)とオナガガモのツーショットが撮れました。ホシゴイは、ゴイサギの幼鳥で、見る事そのものが難しいのです。まさか、幼鳥で渡ってきたとは思えませんし、かといって日本生まれとも思えず、頭を傾げてしまいます。調べてみると次のようでした。

日本では夏季に北海道に飛来(夏鳥)するか、本州以南に周年生息する(留鳥)。冬季に南下する個体もいる。全長58-65cm。翼開長105-112cm体重0.4-0.8kg。上面は青みがかった暗灰色、下面は白い羽毛で被われる。翼の色彩は灰色。幼鳥は上面が褐色の羽毛で被われ、黄褐色の斑点が入る。この斑点が星のように見える事からホシゴイの別名がある。ゴイサギの幼鳥「ホシゴイ」の羽根はタカやワシといった猛禽類を思わせる。 これが成長 すると目の覚めるような純白と藍色のツートンカラーのゴイサギに変身します。

下の池にも小島がありますが、島の大木には、何時もアオサギ(青鷺)が、沢山羽を休めています。今日も、7羽いました。また、この島には、オナガの巣があるらしく、必ずオナガがいて、変な声で鳴いています。先ほどのオナガも、ここから来たのかもしれません。最後にシジュウガラ(四十雀)も顔を出してくれて、今日の善福寺公園訪問は、大満足でした。

来たついでに、井草八幡と荻窪八幡を参拝して、宝くじが当たるようお願いして、歩いて荻窪まで帰りました。

ちょうど太陽が沈む頃、我が家に戻りました。もう少しで、我が家でもダイヤモンド富士が見られそうです。多摩川の少し上流では、すでにダイヤモンド富士が始まっており、毎日、少しずつ下流に移動しているようです。今、どの辺りで、ダイヤモンド富士が見えるのか、明日にでも確かめてみようと思います。

今日は、久し振りに、小鯵の南蛮漬けを作りました。3日後くらいから、酒の肴になるでしょう。

 

「雪多き 富士の姿に 我忘れ 並んで走って バスに乗るなり」

「上の池 池の小島に 五位鷺の 身を潜めて 夜を待ちおり」

「善福寺 今年も会えた 渡り鳥 変わらぬことが 何より嬉し」

「鷭1羽 鴨の仲間を 行き来して 自分の仲間 探しているなり」

「岸辺から 鴨等の日常 眺めつつ 家族気分で 昼餉食うなり」

「鴨達が 岸辺の観客 意識して 皆で協力 水上鴨ショウ」

「珍しく 川鵜がショウに 感激し 杭の上から 拍手喝采」

「大木の 梢の小枝 飛び跳ねる 尾長の腹は 純白羽毛」

「枯れ葦の 隙間に小鷺 五位鷺と 喧嘩もせずに 並び立つなり」

「枯草の 上にいるのは 鳶の子か いやいや君は 五位鷺の子」

「星五位に 興味津々 尾長鴨 ひっそり近づき 静かに挨拶」

「鳥見せショウ 取を務める 四十雀 舞台彩る 桜の小枝」

 

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2017年1月10日 (火)

2017年01月09日

2017年01月09日

 

 今日も、曇った朝で、富士が見えませんでした。しかし、予報通り、午後早くから天気が回復しました。

 年の初めには、1年の計を立てるのが、慣わしのようになっていますが、私のように人生が既に余生に入り、未来の短さが分ってしまうと、計を立てるのは、非常に難儀です。1年の計は、大きな未来設計図の中で、各年に実行すべきことを計画する時は、希望もあり、やり甲斐もあり、計画のし甲斐があります。しかし、未来が、ほぼ無くなり、未来設計図が描けなくなると、1年の計そのものが、あまり意味を成さなくなってしまいます。結局、「健康で楽しい1年を過ごす」というような、計画ではなく、最低限の望みになってしまいます。生涯現役と言えるような、個人で生きてきた人はともかく、会社とか役所とか、社会の組織人として生きてきた人は、定年以後、第二の人生を設計するのは、至難の業です。そして、これまで8割以上の日本人が、組織人として生きて来ましたし、現在も生きています。所謂、雇われ人です。労働だけが売り物だった、革命前のロシアの農奴と大差がありません。もうその売り物も使えないのですから、「健康で楽しい1年を過ごす」ことに専念して生きるほか無いと思っています。社会が進化し、そのような人も食べていけるようになりました。

 1年の計に変わる物として、これまで作るだけ作って放置してきた、果実酒、蜂蜜漬、ジャムを積極的に消費することにしました。梅酒だけでも、大きな瓶で4個もあります。更に、サントリーインペリアルの瓶で7本分の果実酒もあります。公園のサクランボ、野ブドウ、山桃、桑の実、ジューンベリー、ナツメ、アロエです。蜂蜜漬も同じくらいあります。せっせと飲んだり食べたりしないと、全部飲むだけの時間が無いかも知れません。これでは、作った甲斐がないというものです。そして、新しい物を作らないことにしました。早速、1瓶目の梅酒を、食後酒として飲み始めました。

 今日は、早めの昼食にして、昨日見た冠カイツブリが、まだ多摩川にいて、写真が撮れることを期待して、関戸橋から大栗川の合流点まで歩いてきました。しかし、期待は見事に外れ、常連の鳥と、モズ、カシラダカを見ただけでした。冠カイツブリは、見ることが出来ませんでしたが、散歩は楽しいものでした。歩き始めたときには、西の方から青空が顔を出し、奥多摩の峰々が、雪をかぶっているのが見えました。空を見上げると、私の歩みを追い越すように、天空の幕が引かれました。やがて、幕の内に隠れていた太陽が顔を出し、地上に輝きが戻りました。素晴らしい天空ショウを見せてもらいました。

 3時頃家に戻って、昨年一年間の手紙類を整理し、残しておくべきものは、日本間の押し入れの上にしまおうとして、日本間の電気を付けたところ、蛍光灯の一つが、点かなくなっていました。このアパートを買ったときに付けた蛍光灯なので、15年は経過しています。日本間の灯りは、あまり使うことがなかったので、これだけ長く持ったのでしょうが、よく頑張りました。世の中は、LEDの時代になりましたので、蛍光灯を替えるのではなく、日本的な笠も含めて、処分することにしました。その後には、次男が引っ越しの時に持ってきた、LEDの天井ライトに付け替えることにしました。自分で付け替えをしようとしましたが、脚立に乗るのが不安定なので、次男にやってもらいました。丁度良いことに、次男の休みに日だったのです。LEDの天井ライトが、二つ余っていましたので、良くライトを使う、食堂と私の部屋に、LEDライトをつけ、私の部屋の蛍光灯ライトを日本間につけました。残った蛍光灯のライト1つは、取り敢えず保管しました。

 その後、次男は出かけましたが、7時ころには帰ってきましたので、二人で昔話をしながら、酒を飲みました。

 

「奥多摩の 峰々白き 雪化粧 冬来ぬ春は 嬉しさ半減」

「天空の 幕引く風の 足早に 重黒き幕 引いていくなり」

「天の幕 我の歩みを 追い越して 幕の内の 青空広げる」

「雲去りて 多摩の里には 日の戻り 路傍の草の 水玉光る」

「雲去りて 大栗川の 川面にも 光の玉の 転がり走る」

「裸木の 広がる枝の 彼方には 今開かれた 青空広がる」

「二匹目の 泥鰌を追って 関戸橋 期待は儚し 冠カイツブリ」

「冬となり 薄も枯れる 枯れ河原 栴檀何時も 椋鳥の群れ」 

「綿毛抜け 筋だけ残る 薄の穂 並んで揺れる 河原に冬の日」

「薄越し 川面の光 見ていれば 薄に飛び来る 百舌鳥の嬉しや」

「大栗川 光る川面の 向こう岸 草陰に立つ 青鷺一羽」

「大栗川 流れの中の 石の上 ぽつねんと立つ 川鵜の一羽」

「15年 日本間照せし 蛍光灯 役目終わりて 永遠の休息」

「我が父の 話を息子に 聞かせたり 知る人少なき 父の生き様」

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2017年1月 9日 (月)

2017年01月08日

2017年01月08日

 

 私のブログを読んで下さっている方々、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 関東では、松の内も明け、私のブログの休みも明けました。2017年の、普通の生活が始まりました。

 年末から昨日まで、良い天気が続き、ほぼ毎日富士が見えましたが、今日は珍しく、富士が見えませんでした。午後から、雨になるような予報でしたので、午前中、聖蹟桜ヶ丘まで歩いてきました。

 曇っているし、枯れた茅の土手を歩くので、カメラを持たないで歩いたのが、失敗でした。河原には、多くの小鳥が姿を見せていましたし、関戸橋の下では、なんとカンムリカイツブリが、泳いでいました。この渡り鳥は、狭山湖には毎年来るようなのですが、多摩川では、滅多に見かけません。今年は、酉年ですから、サービスなのかも知れません。

 今年、酉年のせいなのか、一昨日アトリという雀位の大きさの渡り鳥に初めて出会いました。写真を撮っていた時は、ヤマガラか何かだろうと思っていたのですが、調べてみたら、アトリでした。羽の模様の特徴が一致していましたので、間違いないと思います。また、同じ日に背黒セキレイの幼鳥を見たのも初めてでした。大栗川と合流する前の、乞田川の堰の上に、黄セキレイと一緒に、小さな鳥が居ました。歩き方、尾の振り方から、セキレイに違いないと思ったのですが、顔がずんぐりと丸く、顔全体が黒くて、白い模様がありませんでした。後で調べて、背黒セキレイの幼鳥だと分ったのです。この堰では、15羽位の小鴨が泳いでいましたが、セキレイと一緒だと、小鴨が大きく見えました。

 一昨日で、ベランダ側の工事が終わりました。やり残しが無いか、アンケート調査の紙が来ていましたが、私の所には、なさそうです。ベランダのスカパー用のアンテナは、工事に合わせて外したのですが、コードはそのままでしたので、コードも全部取り外しました。ついでに室内配線の整理をしていたところ、サイドテーブルの脚を傷めてしまいました。傷めたところを修理して改めて見ると、脚に先の、フローリングを傷めないためのカバーが、全部外れていました。これも全部貼り替えしましたが、動かすと直ぐに取れそうな気がしました。そこで、更に上からカバーをしようと思い、赤ちゃんの靴下を履かせたらどうかと考えました。そんなわけで、赤ちゃん用の靴下を買いに、今日、100円ショップに行ったら、チェアーソックスとして、私のイメージを、完璧に具現化したものを売っていました。一つ一つに、動物の顔の絵が描いてあるのに、4枚一組で100円でした。いろんなアイデアが、商品化され、しかも安価で売られていることに驚きました。今後の経済が、どのように変わっていくか、年寄りには想像もつきませんが、先行きは、暗いばかりではないのかも知れません。年寄りは、悪い方ばかりを見るのかも知れません。

 

「小柄故 気品と共に 可愛さも 多摩の流れに 冠カイツブリ」

「あら嬉し 買いたい物が 値も安く 売っているなり 100円ショップ」

 

 ところで、年末から昨日まで、私が何をしていたか、例の75調で書き留めておきましたので、少々長くなりますが、この後に付記します。

 

2016年12月25日

「パソコンが 自己診断し 訴える ハードディスクに 問題発生」

「手を尽くし 症状回復 努めるも 病のパソコン 我が手に負えず」

「年末に 水色の花 犬フグリ 春告げ花を 今に見るとは」

「白鷺が 雁首揃えて 河原見る 河川工事を 恨むが如し」

「白鷺に 抜き足差し足 近づけば 思わぬ場所から 小鴨飛び立つ」

 

2016年12月26日

 

「6時起き 日の出と共に 家を出て 久々病院 半年検診」

「手術後の 丁度半年 検診日 結果は新年 5日にお預け」

「パソコンを 近くの医者に 連れて行く 医者は勧める 新たにしろと」

「パソコンも 年老いたれば 病気がち 医者の勧めに 従うことに」

「孫達と 再び祝う クリスマス 食事の後は カラオケ大会」

「夜は更けて 日付変われど 誰も寝ず 我だけ一人 お休みなさい」

 

2016年12月27日 

 

「日は昇り 昼は迫れど 孫起きず 我は一人で 食事の支度」

「昼近く 朝昼兼用 食事かな 旨そに食べる 孫等可愛ゆし」

「夕方は 先輩の店 4周年 飲んで歌って 年を忘れる」

 

2016年12月28日

 

「湘南の 朝日を浴びる 富士の山 白銀の峰 神々しきかな」

「湘南の 海辺に近い 浜の富士 波の飛沫と 峰の白雪」

「湘南の 澄み切る空に 立つ富士の 峰の稜線 剃刀の刃」

「湘南の 枇榔並木と 雪の富士 南国気取りに 迫る白雪」

「湘南の 家並みの向こうの 冬の富士 供の丹沢 共に雪化粧」

「湘南の 海と富士山 眺めつつ ゴルフ楽しむ シーサイドカントリー」

「ホール毎 富士の姿の 変りゆく それが自慢の シーサイドカントリー」

「富士山の あまりの近さに 感動し 手足震えて 我が球OB

「我が友は 湘南の富士 見慣れおり 心平静 球はフェアウェイ」

「真っ直ぐに 富士に向かえば 良きものを 海に飛び込む 我の球筋」

「ティーショット 構えた時に 鳶の鳴き ピーヒョロロと 球曲がり行く」

「鳶一羽 烏六羽の 小競り合い 決着するまで ゴルフ中断」

「鳶一羽 負けじと嘴 武器にして 烏に応戦 獲物を落とす」

「鳶の持つ 獲物の横取り 悪巧み 見事に成功 烏の勝利」

「年の瀬の 山茶花垣根 カート道 ぬかるむ浜辺 ゆるゆる走る」

「小春日に 池に寛ぐ 渡り鳥 突然曲玉 吃驚仰天」

「湘南の 小春日和の 昼下がり 富士の白嶺の 霞行くなり」

「朝日から 富士黒くなる 夕日まで 今年最初の ゴルフ楽しむ」

「年の瀬に 共にゴルフを 楽しめる 友持つ我は 幸せ者なり」

 

2016年12月29日

 

「正月の お節の材料 買い求め 年の瀬気分 盛り上がるなり」

「新品の パソコン我が家に 連れてくる 世間知らずに 躾手間取る」

「パソコンが 言うこと聞かず 駄々捏ねる 明日は再度 医者に相談」

 

2016年12月30日

 

「専門の 医者に掛かれば パソコンも 素直になりて 問題解決」

「問題の 解決すれば 気も晴れて 足取り軽く 何時もの散歩」

「木々の葉の 落ちて無くなる 隠れ場所 頬白現る 我が目の前に」

「西多摩の 多摩の流れに 鴎かな 鴎も多摩には 冬の渡り鳥」

「バン達が 我らが島と 言い寄るも 鴎関せず 悠々泳ぐ」

「川鵜去り 新たなゲームの 始まりぬ バンと鴎の 黒白対決」

「カルガモの 昼寝邪魔する 黄セキレイ 師走なれども すること無き鴨」

「残堀川 鴎の飛来 気に食わぬ 白鷺鴎の 白白対決」

「多摩川で 常連達に 嫌われる 鴎は海辺が 似合いの場所か」

「翡翠の 縄張りの池 カシラダカ 冬は小鳥の 顔見せ季節」

「湘南で 凜々しき姿 富士の山 多摩の里でも 見栄を切るかな」

「多摩川を 渡って富士へ まっしぐら 多摩から甲斐へ 中央本線」

「立川の 崖上の寺 展望台 今見えるは 送電塔なり」

「普済寺の 境内飾る 石蕗の 年越ししそうな 花もあるなり」

「年の瀬の 小春日和の 寒桜 梅の花かと 見紛う人あり」 

「帰宅して お節の準備 取りかかる 窓の向こうに 夕焼けの富士」

 

2016年12月31日

 

大晦日 年越しを待つ 野芥子かな 赤詰草も 後に続くぞ」

「まさかでしょ 雀の豌豆 背を伸ばし 大晦日に 花咲く勢い」

「下手くその 盆栽職人 剪定す 憐れなるかな 鈴懸二本」

「大晦日 我等に関係 ありません カメラ抱えて 鳥追う老人」

「小春日の 強き光を 跳ね返し キラキラ星の 川面に光る」

「大晦日 公園の梅 三分咲き 年明け既に 迎春の候」

「交番の 垣根の木斛 鈴生りの 赤き実顔出す 年の瀬の駅」

「どの店も 新年準備で 一色に 肩が触れそな 駅前商店」

「今日もまた 茜の空に 黒き富士 青き天空 細き三日月」

「大晦日 お節料理も 完成し 息子と楽しむ 紅白歌合戦」

「一人なら 見ることも無き 紅白も 息子とならば 思い出の摘」

「この夏に 死病の癌を 取り除き 家族や友の 思い出とならず」

「死が常に 隣り合わせに 居ることを 思い知ったる 今年の一年」

「これからは 死を身近に 感じつつ 短き命 楽しく生きん」

 

2017年01月01日

 

「闇の中 鉄橋渡る 白い帯 今日は元日 終夜運転」

「聖蹟の ビルの灯りが 闇の中 のっぽの灯籠 駅へ一列」

「初日の出 見に来る人の 増え過ぎて 高尾山頂 満員御礼」

「街灯り 関東平野 埋め尽くし 闇の追放 待ちているなり」

「東方に 新たな山脈 出現す 海に寝転ぶ 雲の塊」

「雲の上 西の果てまで 陰り無く 心の中の 陰りも消える」

「夕暮れと 進行反対 日の出かな 東の空が 薄っら緑」

「東雲の 空は茜に 変わり行き もうすぐ来るぞ 新年初日」

「雲の山 金の縁取り 光増し 待ち侘びたる 御来光かな」

「初日の出 歓声上がり 手も上がり 両手の中に 御来光見る」

「初日差し 雲海の中 大東京 ビルの形の 地平となりぬ」

「右手には 一際高き ビルの影 あれは横浜 ランドマークタワー」

「初日の出 済めば頂上 解禁に 観客席の お客交代」

「下る人 上る人とが 擦れ違う 高尾の山道 渋谷の如し」

「初日受け 光り輝く 富士の山 丹沢従え 鎮座まします」

「初日の出 富士の白雪 人の波 生きてりゃこその 極楽経験」

「来たついで 高尾名物 霜柱 探せど探せど 一つも無かりし」

「名物の 霜柱は 無かりせど 道に沢山 普通の霜柱」

「霜柱 訪ねて歩く 尾根の道 紅葉台から 一丁平」

「夫々の 尾根から見える 富士の山 似てはいるけど 夫々の富士」

「真横から 光差し込む 杉林 日頃と違い 今日は綺麗だ」

「霜柱 探すを諦め 薬王院 朝餉は高尾の 名物団子」

「戻り道 梢を跳ねる 山ゲラが 酉年初めの 鳥の初撮り」

「初日の出 鳥の初撮り 満足し 家に戻れば 年賀の便り」

「初日の出 夕日となりて 沈み行く 朝の茜を 夕にまた見る」

「宵進み 冷たくなった お節食べ 息子と共に お屠蘇で新年」

 

2017年01月02日 

 

「野芥子達 ノミノフスマも 越年し 後は越冬 為るか為らぬか」

「年明けに 公園飾る 白き花 水仙の花 冬の花かな」

「あちこちに 梅の花の 咲き始め 多摩の里も 春遠からじ」

「大木の 梅の小枝に 一輪の 花を見る時 春を感じる」

「紅葉か 芽吹きの赤か 分からねど いずれにしても 季節外れよ」

「茶人等が 愛でて止まない 花の跡 我も納得 侘寂の道」

「小春日に 木の葉が揺れる 風もなく 目白集まる 山茶花の道」

「枯れ枝に 枯れ枝もどき アオジさん 悪さはしない 写真撮らせて」

「梅咲けば 君も咲くかな 木瓜の花 紅白そろい 新年祝う」

「初詣で 大国魂は 大混雑 参道全て 五列縦隊」

「新年に 似合わぬものと 思えども ビーフケバブで 昼飯にする」

 

2017年01月03日

 

「新旧の パソコン使い 年賀状 出さない人から 年賀の届く」

「孫達が 揃って新年 挨拶に 年玉封筒 買いに走る」

「新年は ジージが作る 卵焼き 孫等の記憶に 残しておきたい」

「夕焼けの 富士山闇に 消える頃 孫等の声が 聞こえ来るなり」

「食卓に 並び切れない 料理あり ちょっと贅沢 新年会かな」

「乾杯に 麦茶で付き合う 孫達の 笑顔弾ける 新年会かな」

 

 

2017年01月04日

 

「孫達が 寝ている間に 散歩する 早寝早起き 元気な爺さん」

「春霞? 向ヶ丘も 霞ける 早くも迎える 春景色かな」

「はぐれ鳥 仲間は去った 多摩川に 川面見つめる 川鵜が一羽」

「冷やかしか 優しき気持ちか 鴎達 孤独な川鵜の 周りを泳ぐ」

「ヒヨドリや モズにツグミも 顔を出し 冬の多摩川 鳥で賑わう」

「穏やかな 川面に広がる 波紋の輪 潜って顔出す バン等の朝餉」

「ホトケノザ アワダチソウに ヒメジオン 揃って越年 日野バイパス」

「初詣で 人影も無し 安養寺 高幡不動の 近くが災い」

「本殿の 前まで並ぶ 屋台かな ご利益多いか 高幡不動」

「三度目の 初詣でを 無事終えて 願より蛸焼き 高幡不動」

「一生に 一度は食べたい バナナチョコ 叶わぬ夢に 残せば良かった」

「初詣で 着物と袴に 正装し 記念撮影 雌犬雄犬」

「昼近く 家に戻れば 孫達の やっと目覚める 寝正月かな」

「お雑煮と お節の残りで 揃って昼餉 我が家の正月 これでお仕舞」

 

2017年01月05日

 

「年末の 検査結果を 医師に聞く 経過良好 素敵な年玉」

「行き違い 漸く妻と 話し出来 年賀の挨拶 遠隔夫婦」

「丸の内 ビルの谷間を 鴎飛ぶ 勝手知ったる 棲家のように」

「冬の日の 澄んだ光 窓に受け 高層ビル街 新年躍動」

「岩崎邸 大規模修理の 最中で 我が家と同じ 幕の内なり」

「年の瀬の 混雑少し 和らぐも 人混み続く アメ横界隈」

「例年の 山の仲間の 新年会 例年通り 蕎麦屋越後屋」

「年初から 思い込みの 甚だし 引っ越し前の 越後屋へ行く」

「道すがら 何度も訪ねて 辿り着く 新越後屋に 仲間の顔顔」

「仲間等は メールの中身 良く読みて 誰も迷わず 越後屋到着」

「越後から 信濃の国から 懐かしき 仲間集まる 上野の越後屋」

「懐かしき 胸に五つの 金ボタン フランスからの 仲間も来る」

「アルプスの 昔の少女 ハイジさん 日本酒好む 我等が仲間」

「ドイツ語で 声張り上げて 乾杯と 言ってはみたが 我のは何語」

「リーダーの 和服姿が 珍しき 新年会の 良き風景」

「越後屋に 飛び交う声の うるささよ 負けじと話して 声も嗄れ果つ」

「夜は進み 宴も進み 誰も皆 至福の時の 過ぎてゆくなり」

「冷静な 世話役皆を 導きて へぎ蕎麦食べて 〆にするなり」

「二次会は 酔い覚ましに 喫茶店 大テーブルを 仲間で占拠」

「大テーブル 先客一人 めげもせず 仲間となりて 話に興ず」

「先客は 医者と知りて 良き機会 只で相談 受ける人あり」

「3次4次 新宿組は 飲み続け 至福至福の 仲間との新年」

 

2017年01月06日

 

「3回の 初詣での 御利益か ロト籤4等 1万2百円」

「探鳥に 桜ヶ丘の 公園に 同じ目的 老人多し」

「小鳥等が あちらこちらで 飛び交うも カメラ向ければ その場にいない」

「1回の チャンスで撮れた その鳥が 初めて出会う アトリと分る」

「調べれば アトリも冬の 渡り鳥 何故にこれまで 君を知らずや」

「乞田川 小鴨の群れに 黄セキレイ なんと小鴨が 大きく見える」

「黄セキレイ 近くで跳ねる セキレイは 背黒セキレイ 幼鳥らしき」

「バラなるや 裸木に妙なる 白き花 山茶花の花と 見えなくもない」

 

2017年01月07日

 

「家々の 蝋梅の花 七分咲き 多摩の里には 早春の兆し」

「郷土の森 70以上は 只となる 今後は繁く 足を運ぼう」

「郷土の森 蝋梅既に 満開に 毎年君が 春告げ一番」

「誰植えし せっかち梅と 寒桜 共に満開 冬木立の前」

「梅林の 多くは未だ 冬眠中 所々に 気の早き梅」

「満開の 梅の時期より 今が好き 固き小枝に 花の数輪」

「花つける 紅梅の枝 鳥の来る 冬の渡りの アトリなりけり」

「枝先の 蕾膨らみ 花の色 明日には咲かん 春は近くに」

「何本も 大筆小筆 逆立ち中 芽吹き待ちたる 紫陽花冬芽」

「紅葉し 山吹色の 山吹の葉 一葉残る 山茶花の下」

「我もまた 花を付けんと 椿の木 全盛誇る 山茶花の道」 

   

 

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