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2016年12月

2016年12月25日 (日)

2016年12月24日

2016年12月24日

 

 昨日は、散歩の時、下着の上にウィンドブレーカーを着ただけで歩きましたが、しっかり汗を掻きました。10月下旬の陽気だったそうです。今朝は、快晴でした。空気も乾燥し、富士が綺麗に見えました。天気は、例年並みに戻ったそうです。

 明日、25日クリスマスから来年1月7日まで、日記を休みます。今年1年を振り返ると、幼い日を兄妹の様に暮らした従姉の死から始まり、二人の友の死を経験し、自分は大学のクラブのOB会長を退き、胃癌の手術をする羽目になるなど、波乱の多い1年となりました。これからの波乱が、自分の死だけになることを願っています。少し贅沢ですかねー。

 今年の年初、従姉の葬儀に参列するため、ゴルフをドタキャンしたメンバーと、28日、年忘れのゴルフをやります。メンバーの中には、胃がん手術の為、ドタキャンした友人も含まれています。その友人は、私に2度もドタキャンされたわけです。大学の体育会のゴルフ、大学のOBのゴルフ大会もキャンセルし、今年は、キャンセル続きのゴルフでした。28日は、キャンセルしないで済みそうなので、今日、ゴルフバッグを往復宅急便で出しました。バッグは、取りに来てもらいました。年を取ると、このサービスは有難いです。

 今日は、娘の家でクリスマス会でしたが、5時からなので、その前に近場を歩きました。

 1時半、玄関を出たら、ヒヨドリが廊下の壁に止まっていました。何処からどのように入ったのか、工事用の幕の内に入り込んでいました。私が近寄ると、少しだけ遠ざかるのですが、幕の外に出るのが分からないらしく、戸惑っていました。更に、私が近づくと、取り敢えず下の階に逃げました。最後はどうなるのでしょうか、、、。

 何時ものように、家の前の土手を、富士を楽しみながら歩きました。今日は、石田大橋の方へは行かず、高野フルーツパーラーの工場の横で土手を降り、北多摩第2水再生センターを回って、高速道路を潜りました。すると、国立環境センターがありました。この一帯に、凄く良い香りが充満していました。花梨でした。環境センターの敷地の中に、花梨の木が10本ほどあり、沢山の実が付いていました。スズメ達も、固くて食べられなかったのでしょう、丸のままの黄色い実が、青空に映えていました。誰も持って行く人がいないのでしょう、地面には、山ほど実が転がっていました。花梨は、既に蜂蜜漬けにしてあり、もう要らなかったのですが、花梨の方が、「役に立ちたい役に立ちたい」と叫んでいるようでしたので、木に生っている、傷の無い花梨を3個頂きました。今日は、リュックを背負っていなかったので、ポケットに1個ずつ入れました。もう一つは、大き過ぎてポケットに入らないので、手に持って歩きました。花梨の液で、手がベトベトになりました。

 環境センターの敷地の前のフェンスにも、何か黄色い物が沢山ぶら下がっていました。烏瓜でした。こんなに沢山の烏瓜を見たのは、子供の時以来ではないかと思います。

 環境センターから、日野バイパスを越えて、谷保の城山公園を少し歩き、谷保天神へ向かいました。この辺りは、畑がかなり残っており、用水路には水が流れていました。多摩川からの水は、稲の刈入れの前に、止められていますので、恐らく、崖下湧水の水が流れているのではないかと思います。水路の石垣には、ヒメツルソバの花が咲いていました。また、畑の畦には、ナズナ、タネツケバナ、ホトケノザ、ノゲシが咲いていて、冬が始まったばかりなのに、春が来たようでした。確かに、昨日は、春の様に暖かい日でした。野草たちも、今年の陽気では、季節を勘違いすることもあるでしょう。

 谷保天神に挨拶をして、三屋通りを歩いて、3時近くに我が家に戻りました。丁度次男が、出勤する所でした。その後、娘から電話があり、4時頃に迎えに来てくれるとのことでした。

 4時過ぎに、末の孫と一緒に娘が迎えに来て、少しだけ買い物をして、娘の家に行きました。家には、クリスマスツリーが飾ってあり、クリスマスの雰囲気が出ていました。カトリックでなくとも、子供が喜ぶなら、何でもやろうと言うのは、親譲りだろうと思います。孫達は、クリスマスプレゼントを貰って、プレゼントで遊ぶのに熱中しました。私達は、娘の旦那が作った煮つけ風リブステーキや、鶏の唐揚げなど、クリスマスらしい料理で、ワインを楽しみました。娘の旦那は、なかなか料理のセンスが良く、自分で料理することも好きなので、娘も助かっているようです。今日のリブステーキも美味しく出来ていました。また、料理を作る時に、子供達を手伝わせているのも、とても良い事だと思いました。サラダを手伝った上の孫、リブステーキを手伝った孫娘が、幸そうでした。

 時間は、あっという間に過ぎ、9時近くになりましたので、孫達と別れて、10時過ぎに我が家へ戻りました。家に入ると、昼間取って来た花梨の香りが、家中に香っていました。三個の花梨を、一つは私の部屋のベッドの棚に、もう一つは机の上に、最後の一つはリビングに置きました。一晩中良い香りがして、良い夢が見られるでしょう。

 

明日、25日から来年1月7日まで、日記はお休みします。

 

「迷い鳥 ビルを覆いし 幕の内 入ってみたけど 出るに出られず」

「多摩の里 花梨の館 実の熟し どこもかしこも 花梨の香り」

「雀等も つつくに固き 花梨かな 柿と異なり 丸ごと残る」

「ほの赤き 葉は散りぬれど 実は残り 黄色き花梨 青空に映ゆ」

「香り良し 土産にせよと 花梨達 望み叶えて 三個を捥ぎる」

「屋敷前 なんと小さな 花梨かな 垣に鈴生り 烏瓜かな」

「多摩の里 畑の畦には 春の花 冬本番は 間近に迫るに」

「孫達と 今日は楽しい クリスマス 孫を肴に ワイン傾く」

「花梨達 願い叶いて 我が客に 自慢の香り 家中に満つ」

「花梨をば ベッドの頭に 一つ置き 今夜は良き香で 良き夢見よう」

「白檀の 香りと異なり 生花梨 しっとり香る 香の泉」

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2016年12月24日 (土)

2016年12月23日

2016年12月23日

 

 昨晩帰る頃は、強い風が吹き、雨も降っていましたが、今朝は良く晴れました。朝方は、富士が見え隠れしていましたが、9時過ぎると、夏のような雲が湧き、富士は隠れてしまいました。

 一昨日、冬至となり、これから半年、日は長くなる一方です。天体が何故動くのか、良く分かりませんが、天体が動くから生命もあるのでしょう。日が長くなったり、短くなったり、それにつれて、暖かくなったり、寒くなったり、天体の動きが、命の活動に千変万化の趣を与えてくれます。

 今の私の関心は、ノミノフスマとヒメツルソバの花が、越年するかどうかです。今日、見た所では、越年は間違いないようです。次の関心は、越冬するかどうかです。年々暖かくなっているようですから、越冬しそうですが、春が楽しみです。

 今日は、天皇誕生日でした。朝から天皇に関するニュースが、沢山報じられていました。今年、天皇が退位の意思を表明されました。天皇が、自らの進退について、自らの意思を表明するのは、非常に珍しいことです。日本では、天皇は、国家形成の神話まで絡むような、特別の存在です。国民の天皇に対する考えは、種々ありますが、神話的崇拝の念を叫ぶ一部の人間を除いて、具体的に考えを述べる人は、多くはありません。学者も遠慮しがちです。戦後を生きた、今生天皇は、多くの国民と外国の人達を死に追いやった戦争について、心の底から悩まれていました。そして、天皇と国民と国家について、常にあるべき道を模索されて来たと思います。天皇の国民を思う気持ちと真摯な態度は、戦前とは違った天皇像を作り上げました。国民の中から選ばれ、天皇を支え続け、国民の生活や考え方を天皇家にもたらした、皇后の存在も大きかったと思います。国民も、天皇の気持ちを真摯に受け止め、日本の将来を見据えた、良い対応策を見つけてほしいと思います。

 今日は、立川根川公園まで歩きました。今年のカワセミの見納めをしようかと思ったのです。立川根川公園の何処かに、カワセミの巣があるらしく、最近、立川根川公園に行って、カワセミを見なかったことはありません。

 12時半に家を出て、石田大橋の方へ向かって歩きました。土手も河原も、すっかり冬枯れ色になっていました。その中で、セイタカアワダチソウの黄色い花が、とても鮮やかに見えました。この花も、越年は確実にしそうでした。富士山から雲が離れ、富士が顔を出していました。雲の湧き出しと動きが早く、少し歩いて富士を眺める度に、富士の見え方が変わっていました。

 立川運動公園の横の根川の桜並木に行くと、先ず、我が家の近くでは、あまり見かけないセグロセキレイが、根川の石を飛び跳ねていました。同じようにキセキレイ(黄鶺鴒)も、尾羽を振りながら、石から石へ、渡っていました。なんと、カルガモの群れに混じって、一(ひと)番のオナガガモ泳いでいました。常連のコサギも、足を震わせながら、餌を探していました。鳥達が、総出で出迎えてくれたように思われました。

 根川公園の桜並木の終わりで、一人のカメラマンが、ある方向にカメラを向けていました。カメラの先には、カワセミがいました。何時もの、カワセミが、現れる池ではありませんでしたが、本当に、根川公園は期待を裏切らない場所です。カワセミが、桜の小枝の止まる場所を変えたり、餌をとって見せたり、小半時は、充分に楽しませて貰いました。

 何時もの池には、何人ものカメラマンが、カワセミを待っていました。丁度私が池に着いた時、カワセミが飛来しました。急にカメラマン達が、カワセミの行方を追いました。残念ながら、カワセミは見えにくい所に入ってしまいました。

 池から、根川に沿って、柴崎体育館、残堀川まで歩きました。根川の流れに落ちた木の葉が、流れに光と影の小さな模様を作っていました。流れの底に沈んだクヌギの葉が、まだ赤さを残していました。実生の小さな欅のてっぺんの、紅葉した2枚の葉が、流れに色を添えていました。まさに、秋の幕引きの光景でした。残堀川は、鳥の姿は無く、水も濁っていて、見るべきものはありませんでした。

 柴崎体育館まで戻り、モノレールで高幡不動、聖蹟桜ヶ丘に出て、1テラバイトの小型のハードディスクを買いました。私の全てのデータを保存している、500GBのハードディスクの容量が、残り少なくなったのです。写真の撮り方が半端でないので、仕方がありません。それで、2倍の容量のハードディスクを買ったのです。現在のデータを全部、新しいハードディスクにコポーするのに、6時間くらい掛かってしまいました。終わったのは、日付が変わった12時半頃でした。コピーは、5時頃から始めたのですが、途中で、1時間ほど、指示待ち状態だったのを、私が放置してしまったのです。コピーが終わった後、コピー状況を確認した所、問題なくコピーが終了していました。これから10年くらいは、安心して写真が撮れると思います。

 

「年の瀬に 夏雲の湧く 多摩の空 富士の白峰も 白雲の湧く」

「尾羽ふり 濡れた小石を 渡り行く 危なげも無く 跳ねる黄鶺鴒」

「翡翠の 獲物捉えて 自慢顔 流石肉食 眼光鋭し」

「葉の落ちた 桜の小枝に 身を委ね 獲物を狙う カワセミマタギ」

「枯れ落葉 小川の小石に 留まりて 水面に作る 波影模様」

「水底の 櫟の落ち葉 ザラメ色 今消えなんとす 秋の色かな」

「背の低き 実生の欅 川の淵 梢に2枚 紅葉残す」 

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2016年12月23日 (金)

2016年12月22日

2016年12月22日

 

 久し振りに、雲の多い朝で、富士は見えませんでした。毎日、当たり前のように富士が見えるのも悪くはありませんが、見えない日があるから、見えた日の喜びが増すこともあると思います。

 朝、娘から電話があり、末の孫のクリスマスプレゼントとして、ニンテンドー・クラシック・ミニにする積りだったが、通販では間に合わず、近くの店では売り切れとのことで、私の家の近くの電気店で買えないか、調べて欲しいとのことでした。朝の毎日の仕事が終わって、11時頃、近くの大型電気店に行ったところ、あるとのことでした。しかし、この店の会員で、以前に買い物をしたことがある人にだけ売るとのことでした。偶々、私は、その条件に適っていましたので、買う事が出来ました。その場で娘に、言われたものが買えたことを電話をした所、あまりに呆気なく問題が解決したので、拍子抜けしたようですが、喜んでいました。

 今日は、夕方から飲み会の約束があり、4時過ぎには家を出る必要があったので、散歩をしないで、家の事をやりました。昼食を済まし、3時前に次男を送り出してから、部屋の掃除、植木への水遣り、ベランダの窓から外して玄関の方に置いてある網戸を洗いました。この網戸を、何時ベランダの方に戻せるかと、ベランダを確かめた所、既にベランダの窓には、網戸が嵌まっていました。網戸は、私が取り外して、玄関の方へ運んだのを覚えていますので、網戸が1枚余った状態になりました。若しかすると、工事の人が、間違って別の家の網戸を持って来た可能性があるので、その旨、網戸に張り紙をして置きました。

 4時15分に家を出て、約束の6時の5分前に、浜町の飲み屋「魚とら」に着きました。実は、今日の飲み会は、この店の親方の偲ぶ会でした。今年の夏頃、亡くなったそうです。

この店は、この近くの会社に勤めている友人に紹介され、その友人と何度も飲みに来ましたし、大学時代のクラブの同期会を3度やったことがあります。この町の商店街の祭りにも、参加したことがあります。一度、この親方夫婦を入れて、台湾旅行をしたこともあります。親方は、「江戸っ子と言うのは、このような人の事を言うのだ」と思わせる、きっぷが良く人情味溢れる人でした。台湾旅行の際、奥さんと逸れた時の、心配そうな顔が忘れられません。この店の刺身は、親方の古くから馴染みの築地の店から、親方自身が仕入れ、親方の切り方も良くて、とても美味しかったのです。また、煮物は、薄味ながら、それでもしっかりと味が付いていて、素材の味を良く残した絶品でした。客席の見える板場に立ち、そこから客の様子を眺め、話しかけていた親方の姿を思い出しました。

台湾旅行から、1年だったか2年だったか、はっきりしませんが、この親方が、肺癌になりました。しかし、肺癌の手術はせず、身体が動く限り、板場に立っていました。そのような親方を、何度か見ました。次第に、身体が弱り、息子が板場に立つことが多くなりました。そして、親方は、この世を去り、今日、板場は息子だけでした。今は、母親と息子だけで、店を切り盛りしているようでした。残念ながら、刺身盛りの出し方、煮物の出し方は、いかにも雑でした。テーブルの大きさとか、洗い場の関係もあるのでしょうが、本来一人一皿で出すべき料理だと思います。切り方も、刺身の組み合わせも、本当にきちんと検討したのか分かりませんでした。日本料理と言うものは、出し方一つで、味が変わるものです。息子は、親方の事を思い出しながら、昔ながらの「魚とら」の店の雰囲気を守り、そこから自分独自の道を切り開いて貰いたいと思います。所謂、温故知新というものです。

「魚とら」は、相撲取りが良く飲みに来るらしく、手形の額が沢山飾ってあります。今日は、武蔵川年寄りが、一人で飲みに来ました。板場の前のカウンターで飲んでいました。以前、出羽の海部屋の親方をしたこともあり、相撲協会の理事長をしたこともあったそうです。現役時代の四股名は、出羽の花だったそうです。あまり、記憶に残っていませんでした。

今日の偲ぶ会には、友人夫婦の他に、もう一組夫婦が来ていました。一緒に旅行したこともある夫婦でした。友人のダジャレの連発には、毎回閉口しますが、笑って親方を送れたと思います。うるさい酒の席で、妻が、そっと、私が育てたレモンが、とても美味しかったと言ってくれました。

 

「また一人 思い出だけの 人増える 余生を生きるは かくなることか」

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2016年12月22日 (木)

2016年12月21日

2016年12月21日

 

 少し霞がかかって雲は無く、実に穏やかに晴れた朝でした。富士も、あまり自己主張することなく、ぼんやりと見えていました。

 日記を書き終わった後、年賀状に一言書き加え、句集を送ってくれた、クラブの先輩への礼状を書き終えました。年末の、一番大変な作業が終わりました。今では、年賀状は印刷して、一言書き加えるだけで、それほど大変な作業ではありませんが、父の時代は、それは大変でした。父は、表も裏も墨書で、200枚を超える年賀状を書いていました。何度も何度も、墨を擦るので、父の硯の真ん中が、かなり擦り減っていたのを思い出しました。あの硯は、どうなったのでしょうか、私の記憶の中にあれば良いことですが、、、。私も、伯母から貰った硯を使っていますが、年に一度、書初めをするくらいですから、硯は、まだ平らなままです。

 天気予報に拠れば、今日は一日穏やかに晴れるとのことでしたので、ダイヤモンド富士を見るために、高尾山に行って来ました。例年、冬至の頃には、高尾山でダイヤモンド富士が見られます。この種の事に関心のある人であれば、誰でも知っていることです。今日は、その冬至です。これまで、延ばし延ばしにしていたのですが、今日は、気持ちが前向きでした。年賀状を書き終えた安堵感と、手術をしてから、やりたいことを先に延ばすなど、そんな時間的余裕はないことを、痛感したからだと思います。

 1時半に我が家を出て、2時半には、高尾山口駅に着きました。2時45分のケーブルカーで山の上の駅まで登り、ゆっくり歩いて3時半に、高尾山頂に着きました。山頂は、人でごった返していました。富士を正面に見る展望所には、ずらりとカメラの砲列が敷かれ、その後ろにも多くの人達が陣取っていました。これでは満足に写真も撮れないと思い、少し先の紅葉平まで行って見ました。状況は、ほぼ変わりませんでしたが、立たないことを条件に、カメラの砲列の前のベンチに座らせてもらいました。最前列で、しかも椅子付きの絶好の場所に陣取ることが出来ました。

 今日は、昭島の近くでダイヤモンド富士を見た時に較べると、丹沢や富士の上に薄い雲があり、峻烈な太陽光で富士が見えなくなることも無く、富士は終始姿を見せて、富士の山頂に近づく太陽の動きも見えました。4時5分頃、太陽が、富士の山頂に近づきました。シャッター音が途切れなくなりました。4時13分でしたか、太陽の下の縁が、富士山頂のど真ん中に触れました。歓声が上がるかと思ったのですが、逆に人声は無くなり、シャッター音だけが高くなりました。固唾を呑むとは、こういうことを言うのでしょう。私は、真正ダイヤモンド富士を始めて見ました。天体の動きと、日本人が敬愛する山が、最高の形で交わるのですから、こんなに素晴らしいことは、そう沢山はありません。感動しました。

太陽が沈み切るまで、何分掛かったのか時計を見ませんでしたが、皆が帰り支度を始めたのは、4時20分過ぎた頃でした。富士から、丹沢の大山の方まで、夕焼け空が広がりました。奥多摩の大岳さんが、太陽が地平に沈むまでの光を受けて、既に夕闇で黒くなった低い山の上に、得意げに赤く輝いていました。5時に高尾山口駅に着いた時には、すっかり日が暮れていました。

良い気分のまま、6時過ぎには我が家に着きました。長男の嫁が送ってくれた日本酒が、宅配ボックスに着いていました。嫁の父親の兄弟が、宮城で造り酒屋をやっているのです。何かにつけて、送ってくれるのですが、今回は、私が酒を飲めるようになったことへの、お祝いだそうです。純米、秋あがり、「しぼりたて」の3種類でした。とても美味しい酒なので、嬉しい限りです。

工事の方は、ベランダのペンキの下塗りが終わり、玄関の方の窓の格子が、取り付けられました。

 夜は、鰯の煮つけ、カボチャのいとこ煮、卵豆腐、カブの漬物で、晩酌にしました。鰯の煮つけは、私が、とても旨かったと言ったら、次男が自分の分を、食べないで残して置いてくれたのです。酒は、送って貰った3種の内、「しぼりたて」を頂きました。今日は、忙しかったけれども、とても素晴らしい一日でした。

 

「年賀状 書けば何時も 思い出す 父が使った 硯のへこみ」

「冬至には 高尾山にて 天体シヨウ 年に一度の ダイヤモンド富士」

「我が愛す 富士のお山の 艶姿 見ずして愛を 語るは愚か」

「太陽が 富士山頂の ど真ん中 一瞬なれど 仏見るなり」

「厳かな 宇宙の舞台 幕の開き 固唾飲みつつ 富士に釘付け」

「嫁からの 優しさ籠る 贈り物 留守の間に 宅配ボックス」

「晩酌の 酒も摘みも 優しさの 味がするなり 冬至の夜かな」

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2016年12月21日 (水)

2016年12月20日

2016年12月20日

 

 朝起きた時は、晴れ間もあり、頭に雲を乗せた富士も見えたのですが、直ぐに富士の所に雲が湧き、富士も下の方まで姿を隠してしまいました。

 今日は、大学で、卒業50周年のお祝い(金祝)を、企画実施するための実行委員会の発会の為の集まりがありました。

 私は、大学を卒業していないので、金祝に参加する資格はないのですが、入学当時からの友人が、大学当局と交渉をしてくれて、参加資格が得られることになりました。その友人から、金祝実行委員会に参加して欲しいとの要請があったので、断るわけにもいかず、その友人の手助けをするために参加する事にしたのです。

 12時半に我が家を出て、大学に2時に着きました。既に友人を含め10人集まっていました。集まったのは、全員入学同期なので、3人を除いて、これまでに大学関係の行事で、何度も会ったことのある人達でした。少々気が重かったのですが、気が楽になりました。特にテニス部だった女性は、昔から、はっきりものをいう人ですが、心根の優しい人で、その人がいて、ほっとしました。今日集まった者が、発起人となり、正式な実行委員会を作ることになりました。我々の在学中は、5学部20学科だったので、各学科から最低一人の代表者に出て貰う様に、その作業から始めることになりました。取り敢えず、実行委員長、副委員長、会計2名を決め、来月の正式委員会で承認して貰うことになりました。実行委員長には、私の友人が指名されました。

 その後、幾つかの会場予定地の視察をして、今日の会は、4時近くに終わりました。委員長となった友人が、酒を飲めないこともあり、2次会は喫茶店で行われました。2次会と言えば、酒を飲む以外に考えたことが無い私にとっては、初めての経験でした。1時間くらい大学時代の話をして、5時前に散会しました。まだ、暮れ切っていない都心を後にして、6時半には、我が家に着きました。

 我が家に戻って、今日の工事の進捗状況を見るために、ベランダを見た所、ウッドデッキの再設置が終わっていました。あとは、ウッドデッキのペンキ塗りが終われば、ベランダ側は、壁の部分的補修だけになります。工事が、着実に進行している様なので、嬉しくなりました。

 夜、昨日の残りの酒の肴と、次男が作ってくれた鰯の煮つけで、晩酌にしました。最近、食べたことが無いような、美味しい鰯を食べました。お陰で、昼間の欲求不満が治まりました。

 一昨日、大学の先輩から、自作の句集が送られてきました。お礼の手紙を出そうと、読んでみたのですが、読めない漢字が、かなり出て来ました。読めないので、ネットで調べる訳にも行かず、久し振りに分厚い漢和辞典を取り出して、格闘しました。例えば、嚔(くさめ――クシャミのこと)、石斛(セッコクーーラン科の植物――高尾山にある)等々です。俳句を作る際の季語にあるのかも知れませんが、普段は見ることのない漢字でした。日本の花の名前の漢字は、全部当て字ですから、知っていないと読めません。それなら、花や動物などは、全部カタカナにすれば読める事は読めるのですが、俳句や短歌の趣を台無しにしてしまいます。しかし、一般の人が読めない作品集は、俳句や短歌をやっている人だけの閉じられた世界だけの物になってしまいます。解決策は、ルビを振ることですかね。そうでなければ、漢字の横に番号を付けて、巻末で解説する他ないでしょう。長いこと漢和辞典を調べた為、ただでさえ、弱い目がしょぼしょぼになりました。読めない漢字が有ったものの、句集の中の多くの句は、日常の出来事を、上手くとらえた良い句でした。私が、作っている短歌もどきも、何時かは日の目を見せてやろうかと思うようになりました。

 

「来る年は 大学出てから 半世紀 旅行く前に 皆に会いたし」

「鎮座する 漢和辞典を 取り出して 友が送りし 句集を読む」

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2016年12月20日 (火)

2016年12月19日

2016年12月19日

 

 良い天気が続いています。今朝も富士が良く見えました。それにしても、この時期に、何という暖かさでしょうか、ある程度冬用の服を着ていたせいもあって、少し歩いただけで、汗が噴き出ました。

 今日は、帝京大学まで歩きました。この所、明星大学には、公開講座の関係もあり、良く行くのですが、帝京大学は、2年以上ご無沙汰していました。

 四谷橋を渡ると、多摩川の右岸の河川敷に、猫がちょこんと座っていました。飼い猫の散歩でしょうか、毛並みも良く、ふくよかな体つきをしていました。送電線の、川鵜の塒には、たった1羽の川鵜しかいませんでした。昼餉時なのか、冬用の塒に移動したのか、散歩の帰りに確かめることにしました。

程久保川と浅川の合流地点まで行くと、裸の木に一枚の葉が、残っていました。何の気なしに写真を撮っていたら、風が吹いて葉の裏側が見えました。葉の裏には、白い繭が付いていました。何らかの虫が、越冬しようとしているようです。葉は、繭の糸で木に繋がっていました。葉は、外敵からの隠れ蓑なんですね。小さな虫の命の営みを見させて貰いました。程久保川の八重桜の並木にも、1本の木に数枚の虫食い葉が、付いていました。高い所にあったので、確かめることは出来ませんでしたが、恐らく、同じように虫の隠れ蓑だと思います。

程久保川を離れて、百草園駅方面に出ると、角の家の庭木に、数枚の紅葉の葉が残っていました。枝先に2枚の葉と黒い粒が二つ、まるでトンボのようでした。

百草園駅から、川崎街道を高幡不動に向かって歩きました。途中、此処へ散歩に来る度に厚揚げを買った、百草食品という豆腐屋の角から、三沢台の方へ登りました。登り口に、小沢緑地があります。緑地の奥には、東京の名水に選ばれている湧水があります。この緑地は、まだ秋の気配が残っており、真紅の紅葉と、黄色の強い朱の紅葉が、色付きを競っていました。

紅葉の残っているトウカエデの並木道を登り、日野市七生緑小学校の横の、百草台自然公園に着きました。冬木立ちの林の中に、枯葉が、蜘蛛の糸で短冊状に繋がり、鈴の無い短冊だけの風鈴のようになって、林の中で、幾つも風に揺れていました。林の中には、小さな赤い実を付けた木が、1本ありました。多分柿だと思うのですが、梢の方にしか実が生っていないので、確認できませんでした。柿にしては、実が小さすぎます。桃栗3年柿8年、初めての牡蠣のみかもしれません。

百草団地の脇を通って、帝京大学に着きました。中央のタワーが出来てから、初めての訪問でした。タワーの他にも幾つかの校舎の工事をしていましたが、それらも完成し、随分大きな大学に変身していました。現在、新たに2校舎の建設が進んでいました。構内にバスの発着所があり、聖蹟桜ヶ丘、高幡不動、多摩センターと結ばれていました。少子化の波の中、学生を増やしているようでした。

帝京大学からは、バスで聖蹟桜ヶ丘へ出ました。今日の昼食は、「なか卯」で親子丼を食べました。味噌汁は、味も具もしっかりとしていましたが、親子丼は甘すぎました。昨日の牛丼も、今日の親子丼も、何の問題も無く完食できました。もう、外食を残すことも無く、怖さも無くなりました。

郵便局で、不足分の年賀状10枚を買って、3時半頃に我が家に戻りました。バスの中から見た、川鵜の塒には、1羽の川鵜も居ませんでした。矢張り、冬用の塒に移動したのでしょう。

家に帰って、早速、年賀状の作成に掛かりました。ところが、昨日旨く行って気が緩んだのか、最初の4枚、裏面に宛名を印刷してしまいました。また、年賀状を買いに行くのも悔しいので、白インクで修正し、乾かしてから印刷を再開しました。結局終わったのは、5時半頃になってしまいました。そんな訳で、年賀状に一言追加する作業は、明後日にすることにしました。

夜、晩酌用の酒の肴(ナメコ、オクラ、厚揚げ、焼き鯖、カブの漬物)の準備をしていたら、てっきり飲みに出かけていると思っていた次男が、起きて来ました。今日、仕事は休みで、かつ、酒を飲む約束も無かったそうです。私が用意した酒の肴が、足りないようでしたので、適当に酒の肴を買って来てもらって、久し振りに親子でゆっくり酒を飲みました。

 

「虫達の あの手この手の 冬支度 梢の枯葉 虫の隠れ蓑」

「赤き葉の 二枚残りし 枝の先 秋の蜻蛉の 舞い戻りしか」

「年の瀬に 秋がどっさり 残りおり 茜眩しい 三沢の紅葉」

「蜘蛛の糸 枯葉繋いで ブランコに 風に揺られて 空中曲芸」

「冬枯れた 林の中に 赤き実の 汝は柿かや 問うても答えず」

「小春日に 川鵜の塒 川鵜居ず 冬の塒に 引っ越したるや」 

 

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2016年12月19日 (月)

2016年12月18日

2016年12月18日

 

 雲は在ったものの、快晴と行って良い朝でした。勿論、富士もくっきりと見えました。

 日曜日は、工事が無いので、静かです。補修工事は、壁にドリルで穴を開けたり、壁を叩いたりと、普段聞きなれない音がしますので、とても耳障りです。朝から昼までが、睡眠時間の次男にとっては、実に不愉快らしいです。

今日は、多摩大学から、聖ヶ丘の方を歩いて来ました。近くの大学で、キャンパス訪問をしていなかったのは、多摩大学だけでした。

自宅を11時半くらいに出て、多摩大学まではバスで行きました。途中、四谷橋で、サンタのマラソン大会を見ました。ランナーが全員、サンタクロースの衣装を着て走っているのです。走る距離は、聖蹟桜ヶ丘の前の河原から、四谷橋往復のようでした。主催者側に、どんな意味があるのか分かりませんが、バスの中の子供が「サンタさんが走ってるー」と嬉しそうでした。

四谷橋から見る七生丘陵は、この3,4日で、木々が急速に葉を落とし、ほとんどの稜線が、櫛の歯状になっていました。今年の冬は、思いの外暖かいのですが、七生丘陵は、例年のように冬木立に変わりました。

聖蹟桜ヶ丘でバスを乗り換えて、多摩大学の前で降りました。多摩大学は、聖ヶ丘の丘の上にあり、同じ敷地内に付属の中学校と高等学校が併設されていました。中高大の一貫教育のようでした。大学そのものは、小さな大学のように思いました。日曜日だったので、グランドで野球部員が野球をやっているだけで、キャンパスには人影がありませんでした。中央に、5階建てほどの校舎があり、階段で登れるようになっていましたので、屋上に登ってみました。素晴らしい眺めでした。丹沢が何時もより近く大きく見えました。恐らく富士も良く見えるのでしょうが、富士の所だけが、雲に覆われていました。神奈川県の北部から、埼玉県の西部まで、所謂、武蔵の国が一望できました。これまでに、そのほとんどを、歩きました。至る所に見慣れた建物が見えて、歩いた時のことを思い出しながら、眼前の風景を楽しみました。

多摩大学を出ると、近くに聖ヶ丘小学校があり、学校が勢揃いした感じでした。少し丘を降りる感じで歩くと、別の丘が出て来ました。この丘全部が公園になっており、広い公園なのですが、何処にも名前を書いている立て札などが無く、公園の名前が分かりませんでした。以前来た時も、名前の札を探したのを思い出しました。この公園の中に、1本のコナラだけ、紅葉の枝を残していました。芝生の広場は、落ち葉で覆われて、歩く度に、落ち葉の乾いた音がしました。

丘を降りると剣橋になり、剣橋を渡ると多摩市の陸上競技場になりました。競技場の前には、武道場もありました。この辺り一帯は、木々が多く、公園のように整備されていますので、沢山の老人達が散歩していました。更に、弓の橋を渡り、一旦、稲城市の丘に登りました。目の前には、中央分離帯がやたらに広い道路がありました。何故か、此処へ来ると何時も、鶴見へ行く武蔵野線は、何処を走っているのだろうと思います。府中から鶴見までは貨物線で、7割以上が地下らしいのです。この広い中央分離帯を見ると、この下を武蔵野線が走っているのではないかと思ってしまうのです。しかし、この道路は、丘の上の道路ですから、この下を武蔵野線が走る訳はないのですが、、、

暫く景色を楽しみ、剣橋まで戻りました。そこから元気橋を渡ると、聖ヶ丘小学校の反対側に出ました。林と住宅に囲まれた閑静な小学校でした。通学路になっている聖ヶ丘遊歩道を歩き、聖ヶ丘橋から桜ヶ丘公園に入りました。今日は、桜ヶ丘公園も隣の大谷戸公園も素通りして、春日神社に出て、そこから聖蹟桜ヶ丘までバスで戻りました。

昼食が、まだでしたので、吉野家に入り、牛丼の並みと味噌汁を頼みました。「並みより小さいのは無いのか」と聞いてみましたが、無いとのことでした。私の隣は、アフリカ系の黒人で、私と同じように牛丼を食べていました。日本に何年くらい住んでいるのか、何をしているのか分かりませんでしたが、上手に箸を使い、まるで日本人のように牛丼を食べました。こんな所にまで、外国人が普通に入るのですね。本当に世の中変わりました。プアージャパニーズが増えないと良いのですが、、、。

聖蹟桜ヶ丘の駅前の京王ストアで、モロヘイヤ、パクチーを買いました。この野菜は、我が家の近くの西友では売っていないのです。ついでに、京王ストアに寄ると買いたくなるアサリや、果物などを買って、3時半頃に、我が家に戻りました。

それから、今日の課題である、年賀状の印刷に取り掛かりました。先ず、宛名の自動印刷の為、喪中欠礼の人や亡くなった人を、印刷しないように、一覧表から外す作業をしましたが、上手く行きませんでした。仕方なく、1枚1枚手作業で印刷しました。その後裏面は、自動印刷にして、6時には年賀状印刷が一応完了しました。実は、年賀状は70枚しか買っておらず、10枚不足しました。その分は、明日にすることにしました。

夜は、真田丸の最終回から、ダウントンアービーまで、NHKのテレビを見ました。歴史物として、真田丸は面白くも無く、歴史的興味も湧きませんでしたが、結局、見てしまいました。真田幸村をやった俳優は、ミスキャストだと思っています。脚本も監督も良くなかったと思います。私は、三谷幸喜監督が肌に合わないのです。私には、三谷幸喜が作品を通じて、何を言わんとしているのか、何も伝わってこないのです。漫画の実写化のような感じがします。これも時代の変化でしょうか。

 

「毎年の 季節の巡り 目にすれば 命の輪廻 信じたくなる」

「年の瀬の サンタマラソン 恒例に 女のサンタも 走っているなり」

「目の前に 散歩の歴史 一望す 武蔵の国の あの山この町」

「近づけば 丹沢背丈を 高くして 相模の国から 武蔵の国へ」

「公園の 冬の木立に 赤み差す 秋の名残の 小楢の一枝」

「公園の 芝生を隠す 落ち葉達 冬が来たよと 落ち葉の声する」

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2016年12月18日 (日)

2016年12月17日

2016年12月17日

 

 今朝も申し分ない天気でした。空に一片の雲も無く、滅多にないような富士を見ることが出来ました。

 午後は出かけるので、11時半頃から、近場の散歩に出かけました。富士が、綺麗なので、先ずは石田大橋の方へ向けて歩きました。今日も、富士を見ながら歩くことが出来ました。

 石田大橋、更に中央高速の橋を越えた所から右折して、多摩川の河岸段丘の崖上(ハケウエ)に出ました。崖上の道を暫く歩くと、東京の名湧水に選ばれている崖下湧水(ここだけは、ママシタ湧水と呼びます。通常はハケシタです)の上に出ますので、階段を降りてママシタ湧水に行きました。今日も滾々と水が湧き出ていました。我が家の前から甲州街道へ抜ける道路の下を潜ると、ママシタ湧水の流れと矢川(これもハケシタ湧水)が、府中用水に合流する地点に出ました。以前は、ママシタ湧水の方に、板が渡してあったのですが、取り払われていました。湧水の流れは細いので、楽に飛び越えられる筈なのですが、年を取ると少し覚悟が要りました。しかし、飛び越えないと、一旦道路の方に戻らなければならないので、意を決して飛び越えました。屁っ放り腰を、他人に見られなくて、良かったです。

そこから5歩も歩くと、滝野川学園の敷地になります。身体障碍者の学園です。矢川沿いに、ものの1分も歩くと、小さな教会に出ます。この一角は、学園の入り口の施設です。暫く来ない内に、教会の後ろの宿舎が壊されて更地になっていました。矢川を渡った所に、滝野川学園の大きな敷地がありますので、そちらに移ったのかも知れません。今日は、その方へは行きませんでした。

学園の門を出て、路を渡ると南養寺になります。落ち着いた良い寺です。南養寺を真っすぐ抜けると国立郷土文化館、更に住宅地を抜けるとヤクルト中央研究所に出ました。この研究所の後ろに、城山公園があります。今日は寄らずに、中央高速を潜り、水再生センターの脇を通って、我が家に、丁度1時に戻りました。

シャワーを浴び、昼食を食べて、我が家を2時半に出ました。今日は、大学のクラブの幹部交代式が、5時から行われることになっていましたが、その前に、妻の家に寄り、妻から頼まれたものを届けました。妻は、年末年始、以前一緒に仕事をしていた妹さんの所へ行き、仕事の手伝いをするそうです。暫く留守にするからと言って、妻が漬けた蕪漬けを貰いました。この前の柚子味がするそうです。

妻の家を4時10分近くに出て、4時15分頃に、牛込橋に出ました。丁度日没の時間でした。太陽は、新宿方面のビルの彼方に沈んでいましたが、飯田橋の高層ビルの上の方には、まだ、日が差していました。あっという間にビルの頭に差していた夕陽も消えて、西の空だけが際立って明るくなりました。都会の夕暮れを見ました。

飯田橋から電車に乗り、4時半には、交代式が行われる四谷に着きました。ホームから出ようとしていたら、後ろから私を呼ぶ声が聞こえました。クラブの同期でした。まだ、夕焼けが続いていましたので、二人で、学生時代に練習をしていた真田濠の土手に出て、夕焼けを楽しみました。若い時には、夕暮れを楽しむ気持ちなど、全くなかったのに、お互い年を取ったと、つくづく思いました。

幹部交代式は、今年からやり方が変わりました。我がクラブも、70人を超える大所帯となり、一度に全員が入れる食堂が無くなったようです。従って、第一部、全員参加の交代式を学内で行うことにし、第二部の懇親会は、基本的に、酒を飲める新旧幹部とOBだけにしたそうです。但し、浪人して、20を超えた1,2年生も参加出来るようにしたそうです。

第一部で、何故乾杯があるのか分かりませんでしたが、私がウーロン茶で乾杯の音頭を取りました。全員の飲み物も、ジュース、コカ・コーラとアルコール抜きでした。学内でのアルコールは禁止だそうです。このような、乾杯の音頭をとるのは、生まれて初めてのことでした。乾杯の後、ケーキが出て来ました。懇親会と言う飲み会の前に、ケーキを食べると言うのも、初めてのことでした。時代が変わると言うのは、こういうことでしょう。そして、過去に捉われることなく、時代に合わせたやり方が出来る後輩が、頼もしく思えました。

7時近くから、大学の近くの酒場で懇親会となりました。なんと、従業員は、全員外国人でした。しかし、飲む酒は変わらず、酔いが回って、手当たり次第に後輩を捕まえては、議論をし、説教を垂れ、私が一番エンジョイしました。手術をした後の今年の夏を除いて、ここ4年くらいは、春夏の合宿に参加しましたので、顔見知りの後輩が、結構いるのです。若いって素晴らしいですね。今日は、若さの持つエネルギーを、少し分けて貰いました。

 

「飯田橋 高層ビルの 頭だけ 夕日が残る 都心の夕暮れ」

「真田濠 青春時代を 思いつつ 夕焼け眺める 同期の二人」

「今まさに 青春生きる 若者と 酒酌み交わし 話せる幸」

 

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2016年12月17日 (土)

2016年12月16日

2016年12月16日

 

 今朝も、気持ちの良い天気でした。空気は澄んで、富士も奥多摩もくっきりと見えていました。

 今日は、早めに散歩に出ました。午後は、年賀状作成に、纏めて時間が欲しかったからです。

 家の前の土手に上がると、処理水が多摩川に流れる小川に、大鷺が4羽、獲物を探していました。大鷺の視線の先に、何か光るものが3つほど波紋を立てていました。大きな野鯉でした。野鯉達は、大鷺は自分達を餌にすることは出来ないと、高を括っているようでした。大鷺の足下まで近寄って、水面まで体を曝していました。私が近づくと、大鷺たちは、多摩川の本流の方に場所を移しました。野鯉も一跳ねして、水中に消えました。

 大鷺を追って、河原を多摩川の岸まで歩きました。この時期に、河原を歩くと小栴檀草の実が、沢山ズボンにつくので、好きでは無いのですが、川鵜と白鷺が、川鵜の塒の下で、昼餉の最中らしかったので、見に行きました。葦や荻が枯れて、身を隠すものが無く、川鵜達に直ぐに察知されてしまいました。川鵜達が水面を走り、大きな羽音を立てて、一斉に空に舞い上がりました。その数、100羽を越し、壮観でした。川鵜の群れは、急なことで行き場所を考えていなかったらしく、暫く空を右往左往していましたが、3分の1は塒に、他は少し上流に場所を移しました。川鵜と一緒に、かなりの数の白鷺もいましたが、彼等は、私の事など、全く我関せずといった態度で、餌を取り続けていました。

 土手に戻り、ズボンに着いた小栴檀草の実を取って、石田大橋まで歩きました。茅は冬枯れ色をしていました。その中に紫色の花を1輪見つけました。赤詰草でした。この時期まで、良く頑張って花を咲かせたものだと、感心しました。また、茅の中に、背の高くない背高泡立草が、必死に背伸びして、茅の上に黄色い花を覗かせていました。背の高い方の背高泡立草は、花の跡が薄の穂のように白くなり、薄と一緒に風に揺れていました。薄のほとんどは、穂の綿毛が無くなって、筋だけになっていたのですが、どうした訳か、土手に一株、生まれたての薄の穂がありました。穂の色が、まだ紫がかっていました。石田大橋まで、青空に輝く富士山を見ながら歩くことが出来ました。石田大橋の近くでは、鳶が2羽空を舞い、時々、富士の白峰を横切りました。こんな絵のような光景を見せつけられると、「鳥になってみたいなー」と思ってしまいます。石田大橋の下では、小鴨、バン、カルガモが泳いでいました。ある角度から見ると、小鴨達が泳いでいる水面が、日が落ちたようにキラキラと輝いていました。小鴨達が泳ぐと、新たな日の玉が出来ました。ほんの僅かな距離でしたが、とても良い散歩になりました。

 散歩の帰り、国立市のスーパーバリューで、プチニンニク、イエローカリフラワー、足つきナメコを買い、我が家の近く西友で、安売りの野菜、ホウレンソウ、カブ、キャベツ、を買って帰りました。西友には、当たり前の品揃えしかしないので、西友にない目新しいものは、国立のスーパーバリューか、聖蹟桜ヶ丘の京王ストアで買う事にしています。

 2時には、家に帰り、年賀状作成に取り組みました。最初に、大失敗をやりました。年賀状作成のソフトが、写真を読み込む時参照するフォルダーを空にして、今年の年賀状用の写真を入れようとして、フォルダーの中身を、新しく作ったフォルダーにコピーしました。ところがこのフォルダーは、非常に大きく、3時間近く掛かっても終了しないので、コピーを強制終了しました。その上で、此処を消せば旨く行く筈と見当をつけて、フォルダーの中身の一部だけを、コピーし削除しました。これは大正解で、その後は、比較的順調の編集が進み、年賀状の裏面の編集が完了しました。明日は、用がありますので、次の日曜日に、約70部の年賀状の両面の印刷を完了し、月曜日に、直筆の一文を加えれば、一応完成出来る所まで漕ぎ付けました。

 夕食の前に、イエローカリフラワーは、作り置きのピクルスに足し、カブは、酒麹をヤクルトで溶いたものに漬けて、北陸で有名な蕪漬けもどきを作りました。蕪漬けの方は、富山の友人が昨年持って来てくれましたが、絶品でした。これと同じようになるとは期待しませんが、非常に楽しみです。

 夜、プーチン大統領の訪日の締め括りとして、首脳会談の結果の記者会見がありました。結果は、領土問題を棚上げにして、経済優先の形になりました。これは、止むを得ない結果ですし、国内に首脳会談が失敗だったとの世論を起こすことなく、こういう形で終われたのは、安倍総理の旨さだと思います。それと、昨日も書きましたが、日本が未だにデノミから完全に脱却できず、日本の国力の基盤である経済力が相対的に低下すると、強腰の外交は出来ないものです。鄧小平氏が、中国を慢性の貧困から脱却するため、経済開放政策をとった時、日本の経済面での協力を必要としました。その時、「鄧小平は、領土の問題は子孫の手に委ねましょう」と領土問題を棚上げしました。力無きものは、上手に振舞うほかありません。国家の力は、軍事力ではなく、国民の英知が作り出すものです。国民の英知は、国民が一致協力して、若い世代の英知を高める努力をしなければなりません。若者の英知は、強制的な教育ではなく、若者自身が、知、仁、徳、愛、勇、等について自ら考える力を持つことだと思います。これを実現するために、旧制高校のような、寛容で自由な時間を、若者が持てる様な場所が、必要だと思っています。

 

「大野鯉 大鷺などは 物とせず 足下近くを 泳いで見せる」

「川鵜達 我が気配を 察知して 羽音鋭く 空へ飛び立つ」

「冬枯れの 茅の中に 健気なる 赤詰草の 花の一輪」

「泡立草 薄と見紛う 花の跡 薄と仲良く 風に揺れおり」

「冬枯れて 綿毛飛び去り 穂は裸 中に一株 ベイビー薄」

「低き背を 必死に伸ばす 泡立草 黄色き花の 茅を越える」

「裾野まで 真白き富士を 背景に 鳶の夫婦の 大空を舞う」

「北風に 光が跳ねる 川面かな 小鴨泳げば 新たな日の玉」 

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2016年12月16日 (金)

2016年12月15日

2016年12月15日

 

 一日で、富士が戻って来ました。冬は、富士が見える日が多いので、晴れやかな気分になれる日も増えます。

 ウッドデッキの再取り付け工事が始まりました。先ず、板を取り付ける、台座のような物が敷かれました。ウッドデッキ自体の交換も行うと思っていたのですが、それは、新しいタイプのウッドデッキを購入した人だけのようです。何れにしても、工事は進展しているようでした。

 今日、ロシアのプーチン大統領が訪日するので、朝から、その関連のニュースが、どの局でも持ち切りでした。当然、北方領土の問題が話題になっていましたが、時代の波でしょうか、ある種の諦めでしょうか、「北方領土4島を同時に返還を勝ち取らなければ、外交の敗北である」と言うような論調が、トーンダウンしたように思いました。国際政治に、誰もが従うような、真理、正義は存在しないと言うことを、肌で感じているようでした。確かに、国際政治は、力の誇示、力の均衡、力の暴発の抑止、大国と中小国の関係等々、理屈で解決できないことが多いものです。日本から、強硬論の影が薄れたことは、日本人の気持ちの中から、戦後の日本の力の源泉であった経済力が、相対的に低下したと、日本人自身が思っていることの証左だろうと思います。

 今日は、2時から、3か月に1度の歯のクリーニングを予約していましたので、1時過ぎから、歩いて聖蹟桜ヶ丘に行きました。七生が丘の稜線に、櫛の歯の部分が大分増えました。冬の訪れを感じました。

 私の歯のクリーニングをしてくれる歯科衛生士は、何時も同じだったのですが、今日は担当が変わっていました。これまでの担当は退職したそうです。以前の歯科衛生士は背の高い女性でしたが、今後の担当は、比較的背の低い人でした。歯科衛生士は、容姿容貌は、あまり関係ありません。着ているものは、何時も白衣ですし、顔には大きなマスクをしています。大事なのは、痛くないように、きちんと汚れが取れるように、丁寧に作業をしてくれることです。新しい担当も、その点合格でした。

 帰りは、大栗川と多摩川の合流点を回り、関戸橋を渡って帰りました。合流点の大栗川は、例年、小鴨の飛来地なのですが、今日は1羽の小鴨も見かけませんでした。見かけたのは、青鷺、白鷺、カルガモの常連の鳥達でした。今年は、私の家の近くへの、渡り鳥が少ないような気がします。合流点の三角地帯にある、政府の施設や学校の校庭に、公孫樹や紅葉の秋の名残がありました。

 関戸橋の上流も下流も、一定の範囲で、河原が更地化していました。関戸橋の工事の為だと思います。この辺りには、雉も棲んでいたのですが、上手く避難できたでしょうか、野生の動物の危険察知能力は、凄いと言いますが、相手が機械を使う人間だけに、心配です。多摩川の河川は、何処かで河川工事が行われています。よっぽど強(したた)かでないと、多摩川の河原で生きて行くのは、困難だと思います。狸や鼬も棲んでいたのですが、狸は河原の外に、鼬は浅川の上流に棲家を移したようです。

 歯医者から早めに帰り、年賀状作成のソフト「筆ぐるめ」を操作してみました。ところが、年賀状の裏面の編集の為の、背景や写真の取り込みが、旨く出来ません。1時間以上格闘しましたが、思う様に動きませんでした。昨年までは、比較的簡単だったようなので、肝心な所を忘れているのかも知れません。娘にも聞いてみて、明日、再挑戦しようと思います。

 夜、昨日作った、柚子ジャムを味噌に混ぜて、柚子味噌を作りました。私は、ジャムの甘さの方が強いと思ったのですが、少々のジャムでは、味噌の塩っぽさに勝てませんでした。また、ジャムを作る時、柚子をに過ぎたのか、柚子の香りも弱くなっていました。そんな訳で、妻と同じようには行きませんでしたが、蒲鉾や豆腐に付けて食べました。極上とは言えませんが、美味しい酒の肴になりました。柚子味噌だけでも、酒の肴になりました。

 ロシアのプーチン大統領は、到着が3時間ほど遅れ、出迎える安倍首相も、テレビの各局も、対応に戸惑っていました。夕食会は、なかなか終わりませんし、私は、LIVEに近いニュースを見るのを止めて、寝ることにしました。

 

「人という 天敵なくば 多摩河原 動物達にも 楽園ならん」

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2016年12月15日 (木)

2015年12月14日

2016年12月14日

 

久し振りの雨の朝でした。時々で良いですから、雨が地面を潤してくれると安心します。古代の神様が、太陽と雨だったと言うのは良く分かる気がします。メキシコの古代においては、日本と同じように、八百万の神がいたのですが、一番崇められたのは、矢張り太陽と雨でした。

今日、パンツを1枚捨てました。ゴムが伸び切って、尻に引っ掛からなくなってしまったからです。ゴムの部分を糸で摘まんで、もう少し使おうかと思いましたが、パンツは沢山あることだし、思い切って捨てることにしました。

最近、終活とやらで、断捨離が流行っているようですが、私の断捨離は、積極的断捨離ではなく、消極的断捨離をしています。入って来る要らない物を断つ断行は、食料品や生活用消耗品以外は、買わないことにしていますので、断行は、ほぼ実行していますが、旅行に行った時のアメニティーグッズは持ち帰る為、タオルや室内履きのソックスは、年々増えており、完全とは言えません。家にある不要なものを捨てる捨行は、物への執着から離れる離行が、全く出来ていない為、当然捨行も出来ていません。衣服類は、古くなったら捨てようと思っていますが、古いと感じる基準が、他の人に較べると甘い(?)ので、なかなか捨てられません。妻に言わせれば、私の衣服や下着は、とっくに捨ててもいいような物が多いようです。今年1年間では、バスタオルを2枚捨てました。使い過ぎて、布地が薄くなり、とうとう真ん中から破れてしまったからです。ボールペン2本も捨てました。インクが出なくなったからです。本については、ページを開くことのない本がほとんどで、本の題名が読めなくなった文庫本も多いのですが、本棚に沢山飾ってあります。色んな国で買って来た、安物のお土産や人形なども、玄関前のポーチを含めて、ありとあらゆる所に飾ってあります。このように、私の断捨離は不徹底ですが、物への執着心は、自分の人生の思い出と重なっているから出て来るものであり、これらの物を捨てると、私自身が空っぽになってしまいそうです。私が死んで子供の時代になれば、子供達の私の物に対する執着心は当然薄くなります。従って、簡単に断捨離が出来ると思っています。この程度のこと、子供に迷惑を掛ける事になるとは、思っていません。

 2時頃から、程久保川沿いに高幡不動に行って来ました。程久保川沿いに高幡不動まで行くのは、本当に久しぶりでした。

 四谷橋の所で、浅川と程久保川が多摩川と合流しています。従って、四谷橋を渡って直ぐに、程久保川に出ます。3面がコンクリート構造の用水路のような細い川です。偶にカワセミがやって来ます。今日は、かなりの数のカルガモが、羽を休めていました。昨晩の雨で、若干増水していましたが、水も綺麗だと言えず、ゴミが沢山投げ捨てられていました。一度徹底的に掃除する必要があると思います。川の両側に、小学校と中学校があるので、社会奉仕に一環として、川の清掃をやらせると良いと思います。若干危険が伴うので、学校は、良い顔をしないかもしれませんが、、、。こんな汚れた川の中で、川の壁に、沢山の姫蔓蕎麦が花を咲かせていました。

 程久保川を遡ると、高幡不動の電車の整備工場の裏に出ます。整備工場の高い塀には、蔦がびっしり張り付ているのですが、既に葉を落としていました。壁に残った蔦の蔓が、とても面白い模様を作っていました。影絵の世界のようでした。

 駅を越えて、高幡不動尊の境内に入りました。モミジもすっかり葉を落とし、冬支度は整ったようでした。休憩所の入り口に、ミニトマトのような赤い実が見えました。何だろうと思ったら「花なす」でした。誰かが奉納した物でした。初めて、「花なす」なるものを見ました。どんな味がするのか試してみたくなりましたが、流石に仏に奉納されたものを、失敬するわけには行きませんでした。

 高幡不動は、早々に切り上げ、夜の摘みの刺身と生牡蠣を買って、5時過ぎには家に戻りました。

その後、柚子ジャムづくりをやりました。今朝、妻から電話があって、色々な話の後に、この前、神戸の友人から貰った柚子の皮を、ジャムにしたと言っていました。このジャムを、味噌に混ぜると、甘みと香りのある美味しい味噌になり、豆腐とか蒲鉾とか、その他、何に付けても、美味しく食べられるし、保存も効くと言っていました。但し、味噌に混ぜるのは、使う直前が良いとも言っていました。料理に関しては、妻はプロ級ですから、私もやって見ることにしました。薬味用に細かく千切りにして冷凍した物を取り出し、良く煮て砂糖を足し、ジャムにしました。味噌に加えて食べるのは明日です。

夜は、今年の年賀状に使う、写真を選ぼうとしたら、滅茶苦茶な量の写真を撮っていました。今年の1月と2月分を見ただけで、他を見るのは諦め、結局、1月の夜明けの写真か、フェイスブックに投稿した物から選ぶことにしました。

 

「役立たず 古着一枚 捨てるのに 大決断の 我の断捨離」

「工場の 塀を埋めにし 蔦の葉の 散り尽して 影絵となりぬ」

「境内に トマトもどきの 実の下がり 不動に奉納 赤き花なす」

「妻に聞き 柚子ジャム作り 精を出す 味噌に混ぜれば 摘み旨くす」

「一年を 振り返りて 写真見る 夥しきかな 思い出の山」 

 

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2016年12月14日 (水)

2016年12月13日

2016年12月13日

 

 天気は崩れるとの予報でしたが、午前中は晴れていて、出かけるのに傘を持つかどうか、悩むような天気でした。

  山歩きの仲間の一人の女性が、コーラスのグループにも入っており、例年クリスマスの近くに、ミニコンサートを開きます。この5年間は、大学のクラブの同期と一緒に、欠かさず参加しています。今日は、そのミニコンサートの日で、今年も当然ながら参加する事にしました。コンサート会場を確保するのが難しいらしく、今年は、目黒の中南米サロンで行われました。私がコンサートに参加するようになってから、三度目の会場変更でした。変わらないのが、歌う人、ピアノ伴奏をする人、歌を聞きに来る人です。歌う人も、聴衆もみんな老人です。私より年下の人も、かなり居ると思っていたのですが、私と同期か、私より年上がほとんどでした。何かに興味を持って生きている人は、若く見えるようです。

 山の仲間の女性も、山歩きの時と違って、ロングドレスで来ていました。色々な催しに応じて、衣装を変えることも、大きな喜びだと思います。プログラムは、コーラスだったり、独唱だったりするのですが、今日はどうした事か、独唱になると、皆上がってしまって、間違う人が何人も出て来ました。まあ、ご愛敬でしょう。

 コンサートは、2回休憩時間があり、ワインを飲みながらの、懇談となりました。歌い手の女性に対しては失礼かもしれませんが、私は、このワイン懇談会に誘われて参加するようになったと言っても、過言ではありません。ほとんどが同じ大学の仲間で、共通の話題を探すことが比較的容易なのです。

 ミニコンサートは、最後にクリスマスソングを、全員で歌って終了しました。なんだか、このミニコンサートが皆の、年の瀬の年中行事になりました。来年も皆が、元気で参加出来るように、皆にエールを送りました。皆さん、蛮声に驚いた様子でした。

 ミニコンサートの後、今日の歌い手の女性と、私達男二人、参加した同期の女性と4人で、大学クラブの先輩の店が近くにあるので、その店に行きました。お酒の飲める喫茶店です。私の同期は、以前この先輩と口論になったことがあるとかで、あまり乗り気ではなかったのですが、会って話すと、昔のしこりは、消えたようでした。一緒に来た女性と先輩は、同じ学科で同じ授業を受けたことがあるそうでした。この理由については、深く問わないことにしましょう。

 色々話居ている内に、自衛隊の駆けつけ警護に関する話になりました。国連の平和維持活動に参加している自衛隊が、一定の要件を満たす場合、武器を使用して仲間の救出等が出来る事になったことに関して、私の同期と議論になりました。同期には、幾つかの誤解があったと思います。その中で、一番の誤解は、国連軍の支配下に入った自衛隊は、否応なく戦争に参加させられると言う誤解でした。

国連は、国連憲章第42条によって、平和に脅威となる行為に対して、国連が軍事的措置を取ることが出来ると定めていますが、この憲章の規定に基づいて、国連軍が構成されたことは、これまで一度もありません。現在行われている、国連の平和維持活動(PKO)は、憲章の規定には無く、総会の合意に基づき、その趣旨に賛同する国々が、自国の国内法に基づいて軍を派遣する寄り合い所帯です。PKOは、国連軍と違って、紛争の仲裁をするのが目的で、武力制圧をすることを目的としていません。従って、PKOの部隊には、連絡協議はあっても、一国の軍のような統一された司令部は無いのです。従って、日本の自衛隊が、PKO司令部の配下となり、戦争に引き起こすような司令部の命令に従わなければならないことは無いのです。あくまでも、駆けつけ警護は、日本の国内法による規定であり、自衛隊の意思で警護の仕方を決める必要があるのです。私の同期だけではなく、多くの日本人も誤解している節があります。

朝鮮戦争の際、在日米軍が国連軍と称して、朝鮮戦争に参加しましたので、在日米軍基地の中に、国連軍の後方司令部が置かれました。この後方司令部は、今でも横田基地の中に存在しているようです。これが、国連と国連軍の問題を厄介にしているようですが、この問題については、私も、経緯等知らないことが多いので、もう少し勉強したいと思います。

ワインも結構飲み、お腹を満たすような料理も作って貰い、お陰で夕食も済んでしまいました。7時頃になったので、お開きにすることにしました。支払いは、今日の歌い手の女性に、ほとんど出して貰うことになりました。男として、面目ない次第です。

8時半頃、我が家に帰る時には、予報通り雨になり、持って行った携帯用の傘が役に立ちました。

 

「声合わせ クリスマスソング 歌いつつ 来年もまた 会う日を誓う」

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2016年12月13日 (火)

2016年12月12日

2016年12月12日

 

 この所、午前中は毎日、朝日に輝く富士を見ています。今朝も、綺麗な富士が見えました。

 ベランダの耐水工事は、終わったと思っていたのですが、一昨日、2度目のペンキ塗りが終わりました。流石に、このペンキ塗りで耐水工事は終わりでしょう。

 この1か月、韓国の政治状況に関するニュースが、毎日のように流れました。昨日だったか一昨日だったか、朴槿恵大統領の弾劾決議が、国会で可決されたそうです。これにより、大統領の職務は停止されたとのことでした。しかし、最終的には、司法による弾劾決議の妥当性の判断がなされ、その決議が不当であれば、大統領は、職務に復帰することが出来るそうです。今後、朴槿恵大統領が、公権をどのように乱用したか、公権に私人をどのように参加させたか、公金の着服があったか、機密の漏えいがあったか等について、詳細な調査が行われると思います。

私の個人的見解としては、大統領による公金の着服は、なかったと思いますが、その他の事は全部あったと思います。但し、大統領の関与の仕方は、お人良しの小母さんが、知り合いの面倒を見る様な感じだったのだろうと思っています。個人の問題と公的問題の切り分けの仕方が、良く分からなかったのだろうと思います。元々、このような権力のトップに出てくる人ではなく、権力と権力の行使について、知識が足りなかったと思います。こんな場合は、良いブレーンを選び、そのブレーンに手助けをして貰う必要があるのですが、そもそも、ブレーンに問題があったのではないかと思われます。両親の問題もあり、人間として女性として、可愛そうな人だと思います。

 今日は、散歩は止めて、ゴルフの練習に行って来ました。年末に、今年初めてのゴルフをやるので、その準備でした。今年は、4回のゴルフ大会をキャンセルしてしまいました。仲間とのゴルフも、ドタキャンしてしまいました。年末のゴルフは、このドタキャンした時のゴルフ仲間が、快気祝いのゴルフをアレンジしてくれたのです。「持つべき者は友だ」と何度思ったことでしょう。

手術後、1度だけゴルフの練習をしましたが、その時は、恐る恐るクラブを振ったのですが、今日はしっかりクラブを振ることが出来ました。自慢の飛距離は、それほど落ちていませんでした。コントロールは以前と同じで、定まりませんでした。これは素人の愛嬌みたいなものですから、良しとしましょう。どうやら迷惑を掛けないで、ゴルフが出来そうなことは、確認できました。

ゴルフ場から聖蹟桜ヶ丘までは、丁度ハーフのセットが入ったゴルフバッグを担いで歩きました。距離が少ない分、負荷が掛かって丁度良い運動になったと思います。家には、4時半に着きました。今日は休みで、友達との飲み会に出かける次男と、玄関で鉢合わせになりました。また、朝帰りになるかもしれません。

今日の夕食に、麻婆豆腐を作りました。何時もの調味料(ニンニク、紹興酒または酒、砂糖、豆板醤、花椒、出汁醤油)に、「僕たちのパラパラおかずラー油」を混ぜてみました。結果は、非常に美味しくなりました。最近、この手の食べるラー油が好きになって、ご飯無しでも食べる事があるくらいです。かりっとしたニンニク(アーモンド)が、食感も風味も良いです。他に「乙女たちのおかずラー油」「辛そうで辛くない少し辛いラー油」も常備しています。

麻婆豆腐の他に、山菜汁を作りました。これにカキフライを加えて、晩酌にしました。最近、晩酌に白ワインが多くなりました。ボトル半分で終わるようにしています。セーブを掛けないと、ボトル1本飲んでしまいそうなのです。我ながら、良くぞ此処まで回復したと思います。少しずつ、快方に向かう感じは、希望が実現される充実感になって、毎日をとても楽しくしてくれています。

 

「毎日の 取るに足らない 出来事の 一つ一つが 生きる喜び」

 

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2016年12月12日 (月)

2016年12月11日

2016年12月11日

 

 今日も昨日と同じで、午前中は、富士がくっきりと見えていましたが、午後から富士の所だけ、雲が湧いてきました。

 昨晩は、寝たのが遅かったので、今朝、起きたのは、8時近くでした。いきなり朝食と言う訳には行きませんので、取り敢えず、4合ご飯を炊きました。炊き上がるまで、50分くらい掛かります。9時頃に、炊き立てのご飯と、秋刀魚の開き、味噌汁の典型的な日本の朝食を、何時もより1時間遅れで、朝食を食べました。

残ったご飯は、昼食を食べた後、お握りにして冷凍しました。定期的にやっていることですが、最初の頃は、4合のご飯で、20個近くの、お握りになっていたのが、何時しか15個になり、今日は、9個になりました。お握りの大きさが、少しずつ大きくなって来たのです。1回に食べる食事の量も増えて来ました。胃癌手術後の回復が順調だと、自分なりに思っています。

今朝、妻から電話があり、私が大丈夫か心配していました。酒を相当飲んだので、無事に帰ったか気になったようです。昨日の御婦人たちは、酒を飲まないので、どれくらい飲めば、どのような状態になるか、良く分からないのです。酒飲みの気持ちも分からないようです。昨晩、食後バーに行ったのは、妻が面白いバーがあると、その店を友人に教えたからです。それが、具体的に「入りましょう」と誘わなくても、妻としての許可でもあり、誘いと同じだと言うことが分からないようです。

色々と、午前中の仕事に手間取り、終わったのは、1時半になっていました。その頃、次男が起きて来て、久し振りに、次男と昼食を食べました。二人とも、毎日の食事は、夫々予定しているものがあるので、全く別々の料理を食べました。次男は、カレーライス、私は、スパゲティーナポリタンとコーンポタージュスープでした。次男は、自分が作ったもの、私のは、スパゲティーは冷凍食品、スープはお湯を注ぐだけのインスタント食品でした。毎回食事を作るのが面倒なので、1日に最低1度は、インスタント食品にしています。これが、結構旨いので、インスタント食品を大量に買い込んでいます。最近は、冷凍食品も良く開発されていて、電子レンジで温めるだけで、茹で上がりのスパゲッティーになるのです。

午後2時半から、散歩に出かけました。立川市と昭島市の境に近い、河川敷の運動公園まで歩いて来ました。かなり上流に向けて歩くので、若しかしたら、ダイヤモンド富士が見られるかもしれないと思ったのです。

石田大橋、中央高速の橋、日野橋、立日橋を越え、残堀川の歩道橋を渡り、目的とする運動公園に着きました。すぐ先に中央線の鉄橋が見えました。歩いている内に、大室山が次第に富士から離れて、富士の左側に移り、手を繋いだ親子のように見えました。我が家の前の土手では、大室山は、完全に富士の懐に抱かれた、赤ん坊のように見えるのです。

運動公園に着いたのは、3時45分でした。日没までには、30分程間がありました。少し雲がありましたが、日差しは強烈で、何処に富士山があるのか、全く分かりませんでした。大室山が少し霞んで見えたので、場所の見当はついたのですが、直接姿を見ることは出来なかったのです。その内、大室山も見えなくなりました。日没の時が迫りました。4時10分頃、太陽の下の部分に斜めの線が入りました。日没が始まりました。富士山の頂上の左端の直ぐ下に、太陽が入り始めました。セミダイヤモンド富士です。昨日か一昨日の何れかが、ダイヤモンド富士だったと思います。日没が始まると、一気に富士が姿を見せました。富士の周りの雲もほとんど消えました。あっという間に、太陽が富士の後ろに隠れました。富士の後ろの地平では、太陽は更に右側に沈んだらしく、富士の右側の裾野の先が、最も明るく輝いていました。

昨日は、日没後の夕焼けの空を、大東京のビルの稜線の向こうに見ましたが、今日は、丹沢、富士、奥多摩、秩父の連山が作る稜線の上に、茜に輝く夕焼けを見ました。この辺りは、送電線や送電用の鉄塔が無く、視界を遮る邪魔者がありませんので、素晴らしい夕焼けを楽しむことが出来ました。この運動公園には、何度も来たことがありますが、ここで、夕焼けの富士を見たのは、初めてでした。此処から見る富士は、丹沢が終わり、奥多摩が始まる山並みの切れ目に、全身を晒すように立っており、多摩川から見える富士の中でも、指折りの富士だと思います。この近くのアパートに住んでいる人は、幸せ者だと思います。

富士の反対側には、月が出ていました。昨日、上弦の月だと思ったのですが、下弦の月でした。しかし、現時点では下弦ですが、沈む頃には、上弦の月になります。次第に色を変えてゆく夕焼け空に、後ろ髪を引かれながら、帰宅の途につきました。約45分、日没と夕焼けを楽しみました。帰りは、近くのモノレールの芝崎体育館駅から、高幡不動、聖蹟桜ヶ丘へ出て、6時半近くに我が家に戻りました。日はとっぷり暮れて、宵の明星が輝いていました。

 

「多摩の里 生きた全ての 人達が 私と同じ 夕焼け見たはず」

「有史より 悠久の時 重ねしも 富士の夕焼け 変わること無し」

「生きてれば 宇宙の万物 我のもの 意識の中にぞ 万物のあり」

「今まさに 万物もたらす 喜びを 全身に受け 我は生きてる」

「死の怖さ 意識の消えて 万物が 我の元から 離れる事なり」

 

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2016年12月11日 (日)

2016年12月10日

2016年12月10日

 

 良い天気が続いています。今日も、午前中は富士がくっきり見えました。但し、午後からは、良くあることですが、他は雲一つない快晴なのに、富士の所にだけ雲が出て来ました。4000メートルに近い弧峰には、雲が出来易いようです。

 早めの昼食を食べ、1時には家を出て、明星大学へ向かいました。2時半からの、公開講座アンドロイド演劇に参加するためです。万願寺からモノレールで行くことにして、万願寺駅まで歩きました。

 何時もの土手から、富士が見えると期待していたのですが、残念ながら雲に覆われていました。多摩川の浅瀬では、白鷺の群れが餌をとっていました。川鵜も混じっていましたが、今日のオセロゲームは、白鷺が優勢でした。石田大橋の下では、カイツブリとバンが仲良く泳いでいました。石田大橋を渡ると、枯れた薄の横で、菊芋が必死に花を咲かせ、風に合わせて何度もお辞儀をしていました。石田大橋を渡ると、日野市の万願寺地域となり、モノレールの駅も直ぐです。駅に登ると、先程の白鷺の群れが、大空を舞っていました。恐らく餌場を変えるのでしょう。

 公開講座が行われる、明星大学のシェイクスピア劇場に、2時20分に着きました。アンドロイド演劇は、パンフレットの説明に拠れば、

「大阪大学石黒研究室が、2010年に開発した、実在のモデルそっくりのアンドロイドと、人間の俳優が共演するロボット演劇プロジェクト。アンドロイドと人間の関りの中に、「人間とロボットの境界とは」、「人間にとって、ロボットにとって、生とは、そして死とは、、、」を鋭く問う。観る者のロボット/人間のイメージを一新し、演劇X科学の融合の臨界点を示す、衝撃の短編作品です。」

時間通り、アンドロイド演劇が始まりました。しかし、会話が主体の演劇なのに、アンドロイドと人間の出演者の声が低くて、ほとんど聞き取れませんでした。これでは、アンドロイドが人間の感情をどれだけ理解できるか、理解した感情に合わせて、アンドロイド自身が、どれだけ感情表現が出来るか、そんなことを期待していたのですが、全く伝わりませんでした。また、演出家が狙った趣旨も、全く理解できませんでした。演劇は、30分程で終わり、その後、質疑応答が始まりました。しかし、私は、演劇を見たと言うような状態ではありませんでしたので、質疑応答にも参加できず、今日の公開講座は、時間を潰しただけになりました。こういったことを研究している人も居るのだと、思っただけでした。

明星大学を、3時45分に出て、先ずは妻の家に向かいました。スムーズに電車に乗り換えられたので、約束の時間の1時間前の5時には着きそうでした。折角なので、一つ前の市ヶ谷で降りて、夕暮れの東京の夜景を楽しみながら、妻の家まで歩きました。

夕日が沈み、まだ明るさの残った地平に、ビル群が四角い稜線をつくり、明る過ぎるほどの一番星が輝く、大都会の夕暮れは、多摩の里とは違った美しさがありました。お堀に映ったビルの灯も都会ならではの美しさでした。反対側の高層ビルの横に、少しお腹の膨らんだ月が、ビルの灯に負けず、煌々と輝いていました。所々に残ったトウカエデ並木の紅葉が、街路灯に照らされて、赤く輝いていました。牛込橋から、濠の内に入ると、イルミネーションで飾られた教会と並木が、年の瀬の街を彩っていました。牛込橋を渡り直して、濠の外に出ると神楽坂の町の灯がずらりと並んで、「いらっしゃいませ」と誘っているようでした。妻に家はもう直ぐです。

5時45分に妻に家に着きました。昨日話して置いた、柚子を渡すと、お返しに、大きな林檎3個と立派なチーズを貰いました。「海老鯛」になってしまいました。妻は、柚子を余すところなく使うそうです。皮は、みんなと同じように香りの薬味として使い、実は蜂蜜漬けにして食べ、種は酒に漬けて化粧水として使うそうです。これだけ使って貰ったら、柚子も本望でしょう。

6時に、待ち合わせの場所毘沙門天に行きました。今日の夕食は、白骨温泉に一緒に行った夫婦と、アンコウ鍋を食べる事にしていました。店の場所は、毘沙門天から直ぐ近くでした。以前、妻と歩いていた時、小母さんから食べて行けと誘われたところでした。妻に言わせると、あの小母さんの店は、閉店となり、最近、今の店に変わったそうです。女二人は、アンコウ鍋を楽しみましたが、男二人は、酒ばかり飲んで、アンコウ鍋はほとんど手を付けませんでした。店の器ですから、割り引く必要がありますが、日本酒を、一人5合、二人で1升空けました。少々飲みすぎでした。私達の世話をしてくれた若い女性は、最近仕事を始めたアルバイトで、なんと私の後輩でした。まだ慣れてなく、こちらの意思を伝えるのが、大変でした。何時の間にか9時を過ぎ、漸く腰を上げました。

飲み過ぎにもかかわらず、店の前のバーに寄りました。バーボン、ロン、テキーラ等、少し特殊な酒を飲ませてくれるバーです。特別の物を除き、1ショット500円で飲ませてくれます。私は、何度か行ったことがありますが、友人達は初めてでした。かなり気に入ったようでした。私は、中南米で良く飲んでいた、ヴェネズエラのロンとメキシコのテキーラを飲みました。手術後、まだ半年もたっていないのに、こんなに飲んで良いのでしょうか、以後注意しましょう。

家に帰り着いたのは、日付けが変わった12時半でした。若い時に戻ったような一日でした。

 

「親子かな 始めて見ると 間違える 仲良く泳ぐ バンとカイツブリ」

「薄の葉 風にざわわと 音を立て 隣で菊芋 何度もお辞儀」

「今しがた 昼餉を終えた 鷺達が 駅まで飛来 我を見送る」

「薄明の 四角いビルの 稜線の 上に輝く 宵の明星」

「並び立つ 高層ビルの 窓明かり 負けじと輝く 上弦の月」

「町の灯が 二列縦隊 立ち並び お客を誘う 夜の神楽坂」

「妻達と 飲みかつ食べて 上機嫌 声張り上げて 何を話すや」

 

 

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2016年12月10日 (土)

2016年12月09日

2016年12月09日

 

夜中三時頃、トイレに起きたら、台所が明るかったので行って見ると、次男がカレーを作っていました。少しだけ様子を見て、直ぐ寝ました。朝起きたら、結構、大量に出来ていましたので、朝食もカレーにして、5食分冷凍させて貰いました。ずいぶん助かります。

今朝も良い天気のようでしたが、どうも富士山の方にだけ、雲が湧いているようでした。幕の内から、一番分かり難いのが、雲の状態なのです。

日記を書いていたら、備前焼をやっている友人から、柚子が送られて来ました。自宅で獲れた柚子らしく、私に送ってくれたのは、奥さんの配慮のようでした。こうした気配りは、年を取って来ると本当に有難く、勿体ないくらいでした。沢山送って貰ったので、妻にも分けることにして、明日妻と会うので、持って行こうと思っています。

朝の仕事に手間取りましたが、昼食後、2時近くに散歩に出ました。今日は、向ヶ丘である七生丘陵を歩きました。

我が家のアパートのすぐ前の家の庭の柿の木に、雀が群れて、良く熟れた柿の実を啄んでいました。既に、上の方の実は、食べ尽くしており、柿の実の皮が、紅葉した葉のように風に揺れていました。良く見ると、皮の下側が丸くなっている皮の中には、種が並んで入っていました。それにしても、見事な食べっぷりでした。

四谷桜公園で、準備体操をしていると、時折、強い風が吹き、その度に、紅葉した欅の葉が、吹雪のように宙に舞いました。残った葉で、身を隠そうとしている欅の衣服を、情け容赦なく剥いでいるようでした。高安寺の山門に居る、脱衣婆の意地悪なのでしょうか。そうではなく、冬支度を急がせる、母の思いやりだと思います。

今日の散歩では、年の瀬まで健気に咲いている、多くの花と出会いました。土も無いような四谷橋の欄干に咲いていたヒメジオン、アパートの庭の落ち葉の中の韮の花、道端のタンポポ、コンクリの割れ目に二輪並んだ紫カタバミ、そこだけ満開のカタバミの花、今が季節の枇杷の花、まさかまさかのホトケノザ、未だ咲いているのツワブキの花、葉は枯れても一輪残った皇帝ダリア、少し早過ぎないか蜘蛛と並んだスイセンの花、旧家の庭にイソギクの花、溝の中にヒメツルソバ、同じく溝にペラペラヨメナ、本当に健気な花達でした。

七生丘陵は、紅葉の時期が過ぎようとしていました。コナラやクヌギの赤枯れた紅葉が、夕陽のお陰で、楓に負けない様な朱赤になって、丘を染めていました。その紅葉の海の中に、百草八幡のスダジイの森だけが、緑の小島になっていました。

七生丘陵から、大栗川に出ると、水面で何かが跳ねていました。最初は、水鳥が潜って、魚を取っているのだろうと思いましたが、近づいて見ると鯉の大群でした。鰹より大きいのではないかと思われる野鯉の群れでした。鯉は群れる魚なのでしょうか。そうではなく、河川工事の影響だと思います。鯉が群れているすぐ下から、宝蔵橋、聖蹟桜ヶ丘の駅の近くの霞が関橋まで、河川工事が行われており、住んでいた場所を追われた鯉達が、「お前もか」と言いながら集まったのだと思います。

 宝蔵橋から、一之宮交差点を経て、四谷橋に戻りました。散歩の初めに渡った時には、塒の送電線に、川鵜が一羽も居ませんでした。冬も深まって来たので、例年のように塒を変えたと思いましたが、私が四谷橋に戻った時には、川鵜も50羽程戻っていました。まだ、塒は変えないようです。

 四谷橋を渡っていたら、仕事に出かける次男と会いました。4時近くでした。寝坊して遅くなったそうです。四谷橋から我が家の前の土手に出て、富士が見える何時もの場所に陣取って、夕日の沈むのを待ちました。昼間見ると、只の枯れ草だった土手の茅が、夕陽を受けて、炎のように輝いていました。夕日は、富士の裾野を離れた所に、4時15分頃沈みました。何時もなら、日が沈むと綺麗な富士のシルエットが現れるのですが、今日の富士は雲に覆われていました。富士は見ることが出来ませんでしたが、沈んだ夕陽が雲の端を金色に縁どってくれたので、時間と共に、雲が様々な形をしてくれました。寝釈迦、鯨、イルカ、ライオン、後ろ向きの寝釈迦等、見ていて飽きませんでした。

 

「西の風 播磨の国より 柚子の香の 届けられにし 冬の贈り物」

「雀等の 実に見事な 食べっぷり 枝にひらひら 柿の実の皮」

「雀等の 食べ残しの 柿の皮 夕日を浴びて 見事な紅葉」

「欅の木 一陣の風 吹き抜けて 赤き枯葉の 吹雪となりけり」

「北風の 恥じらう欅の 衣剥ぐ 脱衣婆の 底意地悪し」

「強き風 欅の残り葉 剥ぎ取るは 冬への支度 母の優しさ」

「欄干で 風に耐えてる ヒメジオン 君の強さが 我を慰む」

「冬なのに 落ち葉の中で 花咲かす 葉も若葉の 韮の花かな」

「道脇の 小さな畑の 野の花は まさかまさかの ホトケノザかな」

「梅の下 早くも花を 咲かせたる 蜘蛛と並んだ 水仙の花」

「冬来れば 花の季節の 枇杷の花 蜜蜂達の 仕事は減らず」

「肩寄せて 冬の寒さを やり過ごす 可憐に二輪 紫カタバミ」

「小春日に 俺の季節と タンポポの 路傍に咲くも 仲間少なし」

「垣の下 道行く人を 惹きつける 夕映えの花 石蕗の花」

「天を突く 勢い失くし うなだれて 命絶え絶え 皇帝ダリア」

「紅葉の 広がる七生の 丘の上 百草八幡 緑の小島」

「人間の 工事に追われ 集まりぬ 棲家失くした 野鯉の大群」

「昼間には 唯の枯れ草 茅かな 沈む夕日に 炎となりぬ」

「日は沈み 金の縁取り 富士の雲 天才役者の 七変化かな」

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2016年12月 9日 (金)

2016年12月08日

2016年12月08日

 

 今朝は、幕の内からでも、くっきりと富士が見える様な、素晴らしい天気でした。

 今日、妻の家に行くので、二つ残っていたレモンを朝摘みして、一つを妻へのお土産にしました。授粉から今日まで、私が育ててきたものです。皮が薄くてとてもジューシーです。

 私がメキシコで教わったレモンの切り方をすると、絞るのが簡単で、汁が沢山出ます。先ず、レモンの細長い方に沿って、中心から少し外側に包丁を入れて切ります。次は、切った面を上にして、矢張り中心から、少し外側を両方切ります。残った薄い片は、中心だった白い部分を取り去ります。これで完了です。どれも、レモンの袋の中の小さな粒まで包丁が入っていますので、とても簡単に汁が絞れるのです。

 今日は、午後から妻の家に寄り、その後一緒に友人達との忘年会に出席することにしていました。遅くとも2時には、家を出ることにしていました。散歩は止める積りだったのですが、あまりにも天気が良くて、富士が綺麗だったので、矢張り散歩することにしました。

11時に家を出て、何時もの土手を、左手に富士を見ながら歩きました。地平の霞が少なく、今日のように綺麗な富士は珍しいです。私と同じように、富士の写真を撮りながら歩いている人が、3人いました。写真を撮る所は、誰もが同じで、送電線に邪魔されない所でした。

石田大橋を渡り、万願寺地域に出た所で、妻から電話があり、「来る時に戸籍抄本を取って来てほしい」とのことでした。これだと府中市役所に寄る必要がありますので、ゆっくり歩いていられなくなりました。万願寺まで来ていたので、高幡不動まで歩いて、電車で聖蹟桜ヶ丘に出て、1時に我が家に戻りました。今日の散歩は、早足で歩いたので、周りの景色等を楽しむ余裕はありませんでしたが、良い運動になったと思います。沢山汗を掻きました。

大急ぎで、シャワーを浴びて朝食を食べ、着替えを済ませて、2時5分前に家を出ました。府中市役所で戸籍抄本をとり、府中駅を出たのは3時頃、妻の家には、予定した4時丁度に着きました。日頃、のんびりした生活をしているので、時間に追われる生活は、結構、緊張感がありました。こうした日が織り交ざるのも、良い事だと思いました。

妻には、レモンの他に、今週の月曜に参列した葬儀の、会葬御礼のハンカチも持って行きました。二つとも喜んでくれました。今日、妻の家に寄ったのは、もう一つ訳がありました。妻のパソコンが、まともに動かなくなったようなのです。それを、復元するのが、今日の主たる目的でした。あれこれ、試して見ましたが、全く旨く行きません。或るソフトが画面を占拠して、他のソフトが全て動かなくなっていました。私の手に負えそうにないので、パソコンの会社の、サポートセンターに電話をすると、オンラインで回復指導をするので、指示通りにパソコンを操作して欲しいとのことでした。言われた通り、操作しようとしましたが、パソコンの番号が探せなかったり、画面の文字を読むのに手間取ったり、指導してくれる女子職員の声が良く聞こえなかったりで、対応に随分時間が掛かりました。それでも40分後には、復元が出来ました。どうもウィルスバスターが機能しておらず、ウィルスが侵入しているので、最新のウィルスバスターをインストールして欲しいとのことでした。オンラインでウィルス駆除も出来るが、1回あたり1万円近く掛かると言われました。問題全てが解決したわけではありませんが、一応通常の画面に戻ったので、妻も一安心したようでした。

5時を回ったので、六本木の忘年会会場に向かいました。赤坂見附から、「ちぃバス」に乗って、折角だから、イルミネーションを見て行こうと言うことになりました。ところが、バスは、色んな所をグルグル回り、イルミネーションを見る時間が無くなってしまいました。仕方なく、六本木駅でバスを降りて、会場に着いたのは、集合時間の5分過ぎでした。既に、全員集まっていました。

会場は、今日集まった仲間の一人が経営している、有機栽培の野菜等を使った、中華の薬膳料理店でした。以前にも2回ほど忘年会をやったことがあります。集まったのは、学生紛争時代、右と左に分かれて、睨み合っていた連中が6人集まりました。そのうち4人は、奥さん同伴で、計10人集まりました。そんな訳で、話は先ず、紛争時代の思い出から始まり、店の経営者の奥さんが、昨日、腸閉塞の為、緊急入院したことの経緯の説明から、病気の話に移り、最後に近況報告をして、終わったのは、10時近くになりました。振り返ってみると、良く話すことがあったと、何時も思います。

忘年会終了後、六本木のイルミネーションは、11時まで見ることが出来ると言うので、妻と二人で、最初に予定していたビルのイルミネーションを見に行きました。盛り場の年の瀬だなーと感じました。

そのビルの隣のホテルからタクシーに乗り、四ツ谷駅に出て、妻と右左に湧かれました。我が家に辿り着いたのは、11時半になっていました。凄く、中身の濃い一日でした。

 

「朝摘みの レモン携え 妻のもと 妻の喜ぶ 顔の見たさに」

「右左 学生時代の 情熱を 発酵させて 時代を生きたり」

「青き過去 良き思い出と 変わりけり 語れる友の 居るが嬉しき」

「盛り場の 眩ゆき光 人誘う 妻と並んで 年の瀬の街」 

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2016年12月 8日 (木)

2016年12月07日

2016年12月07日

 

 今日は、曇り空でした。日差しは、ほとんど無く、気温は昨日より低かったのですが、風が無かったので、体感温度は、昨日より暖かい感じでした。

ベランダの耐水塗装工事が、終了しました。ベランダの床全面に、分厚い水色のペンキが塗られていました。今回の大規模補修工事の目的は、ベランダの耐水工事と、壁の弱くなった部分の補修でしたから、目的の半分は終了しました。12月一杯で、ウッドデッキの再敷設をするようです。

ドウダンツツジ(灯台躑躅)は、春の花より秋の紅葉の方が、ずっときれいだと思います。あまり大きくならないので、道路や公園等、様々な所に植えられています。今日も、聖蹟桜ヶ丘の小さな公園で、見事に紅葉したドウダンツツジを見ました。道路のドウダンツツジは、刈り込まれたものが多く、これらは、綺麗な紅葉をしません。これは、ドウダンツツジだけではなく、全ての紅葉木に言えることだと思います。ドウダンツツジのことを、漢字で満天星とも書くそうです。春の花のイメージなのですかね。そうだとすると灯台躑躅の灯台は、秋の紅葉のイメージなのでしょうか。一体どんな人が名付け親なのか、興味が湧きます。

今日は、3か月に一度の、眼科検診に行くことにしていました。朝の仕事を終え、昼食を済ませて、2時くらいから、掛り付けの眼科病院のある聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。

正面の七生丘陵の紅葉が、盛りを迎えていました。やがて葉を落とし、丘の稜線が、櫛の歯状になります。そうなったら、多摩の里は、完全な冬になります。暦の上では、今日は大雪で、本格的な冬の寒さが、始まるとのことでした。多摩の里も、葉を落とした木が増えて来て、小鳥が、実を隠す場所が少なくなりました。今日、モズを見ました。雀、ムクドリ、ヒヨドリ以外の小鳥を見る機会が、増えて来そうです。

土手を歩いて、関戸橋に差し掛かると、橋の下で測量や河原の工事が行われていました。工事の案内板が見当たりませんでしたが、恐らく、古い方の関戸橋の架け替え工事が始まると思います。関戸橋は、鎌倉街道の多摩川に架かる橋で、かなり古く(1937年)架設されており、その後、鎌倉街道の拡張に伴い、新関戸橋を架設し、現在、新旧合わせて関戸橋と呼んでいます。

関戸橋を渡り、聖蹟桜ヶ丘の街に入ると、鎌倉街道のすぐ横に、小さな公園があり、小さな子供達が遊具で遊んでしました。遊具の横に、イチョウの木が、まるで「きをつけ」をしているように、直立していました。地面に敷き詰められた落ち葉を、子供達が投げて遊んでいました。もう少し進んだところに、更地の公園があり、少し年の行った子供達が、サッカーをして遊んでいました。子供達は、あまり関心がなさそうでしたが、ドウダンツツジとイロハモミジが、秋の最後の抵抗をしていました。

この季節、家の庭とか公園で、満開の花と言えば山茶花が多いです。童謡の「たきび」を思い出しました。一番と二番を少し混ぜましたが

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

この童謡は、とても良く季節感が出ています。垣根の曲がり角ではないですが、街角に咲く山茶花は、自分の季節だと、なんとなく誇らしげでした。
 掛り付け眼科の入っているビルの一階は、啓文堂と言う、京王線の各駅に店を出している本屋でした。この本屋が、喫茶店に変わっていました。2年程前に、別の大きな本屋も閉店しましたので、新刊本を売る、本屋らしい本屋が、聖蹟桜ヶ丘の駅の周辺から無くなりました。若者が、電子書籍等、ネットを通じて本を読んだり、漫画やゲーム以外に関心を持たなくなったり、若者の活字離れが進んでいると言われていますが、その事実を目の当たりにしたようでした。私の青春時代、岩波文庫の全てを読むと言う、野望を持っていました。名高い本を手にした時の、震えるような喜びを、今でも覚えています。今でも、本棚に並んだ本の題名を見るだけで、結構満足します。これに変わる満足感を、若者は、何処で手に入れているのでしょうか、聞いてみたいものです。

 今日の目的の眼科に、3時前に入りました。普段は、10人くらい先客が居るのですが、今日は一人だけでした。お陰で、視力検査、眼底写真の撮影をしても、30分少々で検診が終了しました。通常は、1時間以上かかるのです。視力も、眼圧も、視野も特に大きな変化はなく、今回も薬だけの処方で済みました。この調子でいけば、緑内障で盲目になる前に、死ぬことが出来そうです。

 

「大雪に 七生が丘の 赤枯れて 木々等も急ぐ 冬支度かな」

「木々達が 競いて枯葉 落としけり 隠れ家失う 小鳥達かな」

「子供等の 遊具の横に 直立す 黄金の公孫樹 公園の秋」

「子供等の 歓声聞こえる 公園に 僅かに残る 初冬の紅葉」

「冬に入り 花の少なき 街角に 咲き零れる 山茶花の花」

「歌のよう 北風吹けば 我が季節 誇らしげなる 山茶花の花」

「読みたいと 思いし本を 手に入れた あの喜びを 要らぬと言うのか」

「変わり行く 時代の節目 垣間見る 本屋の消えて 街角喫茶に」 

 

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2016年12月 7日 (水)

2016年12月06日

2016年12月06日

 

 今朝、幕の内からは、富士が見えているのかどうか、分からない状態でした。晴れてはいるようでした。

 朝食を終えて、日記を書き始めていると、次男が帰って来ました。休みの日の多くは、酒を飲んで朝帰りが多いのです。次男を見ていて、飲食業界の仕事は、想像以上に過酷だと思いました。過酷な割に、給料は安く、将来も明るいものではありません。年金の補助をしてくれる店は、少ないようです。酒も飲みたくなるでしょう。

 早めの昼食を済ませ、今日は、日野の根川の源流探しをすることにしました。根川は、多摩川と浅川の間を流れて、我が家の前で、多摩川に合流します。合流地点から、石田大橋までは、多摩川の土手と並行した桜並木になっていて、桜の時期は、かなりの人出がありますが、その他は閑散としています。合流地点で行き詰まりとなり、かつ、石田大橋から根川に出るのが面倒なためです。合流地点から石田大橋まで、根川と並行する多摩川の河原は、自然再生地域として、人手を入れない森になっています。この森と多摩川の土手の一角に、私が秘密の池を呼んでいる池があります。根川と浅川の間は、日野高校、日野ゴミ処理センター、日野水再生センター等があります。

 先ずは、我が家の前の多摩川の土手に出ました。何時も歩いている所です。幕の内からは分かりませんでしたが、雲一つない素晴らしい天気でした。ただ風が強く、よろけそうになる程強い風が、風の道を吹き抜けていました。土手の両側の紅葉した茅が、振り乱した髪のように、風を受けていました。多摩川の上を、20羽近い白鷺が、風に向かって必死に場所を移動していました。左手に、富士山を見ながら歩きました。雲一つない空でしたが、地平の方が白く霞んで、富士の冠雪との境界が、分かり難くなっていました。

石田大橋を渡り、階段を降りて、桜並木から少し上流の根川に出ました。今日の源流探しの出発点は、公園橋でした。そこから、根川は、多摩川から離れて、日野市の万願寺地域の住宅地に入りました。万願寺地域は、土方の生家がある所で、土方姓の家が多数あります。住宅地の小さな川は、何処も同じですが、暗渠の上を取り除いたような、三面護岸構造の川が続きました。護岸の垂直の壁の至る所に、ヒメツルソバが蔓延り、花を咲かせていました。この花の生命力の凄さを感じました。

何の見所もない、フェンス張りの川の横の道を歩きました。その内に、歩く方向の右側の中央高速を越え、高速の左側を高速に沿って歩きました。暫く歩くと、もう一度高速を越え、ほぼ高速と直角に、住宅地の中に入りました。この辺りから、川幅が狭くなり、護岸の高さも低くなって、農業用水に変わりました。住宅開発が、計画的ではなかったのでしょう、水路の側を歩くことが出来なくなりました。大きく回り道をして、高速道路の左側を歩いていると、水路と再会しました。再開後直ぐ、水路は、またも高速を潜りました。その後は、良く整備された、水路に変わりました。畑に1本のイチジクの木が、たわわに実を付けていました。良く熟した実を一つだけ頂きました。罪悪感を持ちつつ食べましたが、イチジクの実は美味しかったです。近くの柿の木には、雀、ムクドリ、ヒヨドリが集まって、喧嘩をしながら柿の実を啄んでいました。

散歩道のようになった水路の側を歩いている内に、イチョウとドウダンツツジのコンビが綺麗だった日野第一小学校、寺の黒屋根と山紅葉の紅葉が実に見事な大昌寺が出て来ました。水路は、大昌寺の横から木枠で囲まれ、やがて暗渠になりました。今日の源流探しは、此処で終わることにしました。公園橋を1時半頃に歩き始め、大昌寺に3時少し前に着きましたので、1時間半足らずの源流探しでした。

後で、ネットで調べたところ、日野地域は、昔は米所で、水路が網の目のように張り巡らされ、その総延長は、170キロにも及んだそうです。用水は、浅川と多摩川の両方から取水したそうです。根川は、万願寺の近くで、日野用水と上田用水が合流した地点からを、準河川として整備し、根川と呼ぶようになったようです。今度は、日野用水の取水所に至るまでを、歩こうと思います。

大昌寺から、中央線の日野駅までは、10分程度でした。良く晴れていたので、出来るだけ早く我が家に戻り、夕日が沈むのを見ようと思いました。若しかするとダイヤモンド富士を見ることが出来るかもしれないと思ったのです。日野から二つ目の国立へ出て、何時ものバスで、我が家の前の土手に、4時に着きました。富士が良く見える場所に陣取って、日が沈むのを待ちました。4時15分頃に日が沈みましたが、日は富士山の左側の裾野の一番下に沈みました。我が家の近くからの、ダイヤモンド富士は、4,5日前だったようです。しかし、富士山を中心にして、丹沢から秩父に至る稜線が、夕焼けの空の下に、きりりとした存在感のある線を引いていました。寒風吹く寒空の下、次第に明るさを弱める夕焼けの空を、宵闇が深まり、対岸の七生丘陵の住宅地に灯りが点くまで、20分程夕焼けを眺めていました。宵闇の深まりとともに、月は明るさを増しました。

 

「頬染し 茅の上を 吹き抜ける 小春の嵐 風の道かな」

「小春日の 嵐の中を 戸惑いつ 風に舞うかな 白鷺の群」

「白鷺の 群れ飛ぶ彼方 奥多摩の 秩父へ続く 青き峰々」

「小春日に 地平の空は 白ぼかし 何処にありや 白き富士の峰」

「水路壁 姫蔓蕎麦の 花咲けり なんと逞し 水路の救い」

「日野根川 源流訪ねて 日野の里 土方歩いた 水路を歩く」

「土方も 近藤勇も 顔映し 未来語りし 水路の水面」

「水路脇 たわわに実る 無花果を 一つ摘まんで 口に頬張る」

「水路脇 鳥等柿の実 啄みて 縄張り争う 声のやかまし」

「小春日に 灯台躑躅 公孫樹の木 互い称える 学校の庭」

「土方も 見上げおりしか 日野の里 紅葉輝く 秋の大昌寺」

「日は沈み 地平は茜に 山黒し 空に半月 里には灯り」

「夕暮れに 天上地上の 諸々を 身体に感じて 我は佇む」

 

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2016年12月 6日 (火)

2016年12月05日

2016年12月05日

 

 今日も、うっすらと富士が見えました。しかし、今日は、先日亡くなった、「照川丸の会」の幹事の告別式に参加するため、朝7時半には、家を出ることにしていましたので、ゆっくり富士を見る時間はありませんでした。

 朝6時に目覚ましをかけ、1時間半で、洗顔、朝食、出かける支度をして、予定通りに、自宅を出ました。ネットで調べた路線情報に拠れば、8時13分の聖蹟桜が丘発の電車に乗れば、10時5分には、千葉駅に着くことになっていました。告別式は、千葉駅近くの斎場で、10時半から行われることになっていました。

 朝の新宿行きの京王線は、特急電車が無く、急行電車に乗りました。ラッシュ時の京王線は、久し振りでした。昔のラッシュ時に比べれば、混雑はさほどでもありませんでした。一番混雑する時間帯は、過ぎていたのかも知れません。しかし、電車の進み方は、新宿に近づくに連れて、徐行運転が多くなり、ラッシュ時でなければ、30分で着く筈の所が、一時間近く掛かってしまいました。

 新宿から中央線快速に乗り御茶ノ水、中央総武線で市川、総武線快速で千葉に向かい、路線情報の通り10時5分に千葉駅に着きました。路線情報は、京王線の状況を織り込み済みだったのでしょうか、予定通りだったので、感心しました。それにしても千葉は、近いようで遠い所です。

 千葉駅の出口が分からず、最初西口に出てしまいました。西口の方は、まだ工事中でした。斎場に電話した時、目印として言われた「そごうデパート」が、左手の方に見えましたので、そこまで歩くと、千葉駅の南口に出ました。南口の方は、工事は完了し、近代的な街並みに変身していました。千葉駅を通ることは、しょっちゅうあったのですが、千葉駅の外に出たのは、何十年振りか、思い出せない程でした。そんな訳で、千葉駅と言うと、何となく田舎の駅だと言うイメージが残っていました。そごうデパートの大きさにも吃驚しました。日本全国から、そごうデパートは消失したと思っていましたので、全く想定外でした。

 そごうデパートの左側を回る形で、直ぐに斎場着きました。告別式の会場に着いた時は、丁度10時半、「ただいまより、告別式を執り行わせていただきます」のアナウンスが、流れていました。菊の花で飾られた壇上に、去年まで一緒に酒を飲んでいた時の、笑顔の友人の写真が飾られていました。集まった参列者の9割以上が、私と同年輩か年上でした。「照川丸の会」からも、私の他に二人が参列していました。参列者の中から、来年、何人がこの世を去るのだろうと思ってしまいました。読経、焼香、弔電の披露、親戚代表(故人の兄)の挨拶と告別式は、たんたんと進みました。

  暫く会場を出て、その後、納棺となりました。棺の中に菊の花を添え、故人と最後の別れとなりました。既に物と化した故人を見るのは、私は好きではありません。死に顔が穏やかだった等と言う人がいますが、私は死んだ人の顔には、何の感情も湧きません。死と言うものの虚しさを、感じるだけです。故人に対して持っていた、友人としての様々な思いすら消えてしまいそうです。ですから、葬儀に出るのは、あまり好きではありません。特に、今日のようなタイプの葬儀は、好きではありません。荼毘に付すまでの葬儀は、家族だけでやって貰い、別途、故人は写真だけで参加する「偲ぶ会」をやって貰った方が、有難いと思っています。なんなら葬儀は、なくても構いません。一つのけじめではありますが、故人は、私の思い出の中で生きて行くものだと思います。私の場合は、全く宗教抜きの生前葬にするか真剣に考えています。妻や子供達が、納得してくれるのであれば、それも選択肢の一つかなと思っています。

 そうは言いつつ、友人の葬儀に、マメに顔を出すのは、故人の事を話せる仲間に会えるからです。今日も、「照川丸の会」の、当時、照川丸のパーサーだった人と、先ずは献杯をし、蕎麦屋で酒を飲みながら、故人を偲びました。12時半から、3時頃まで蕎麦屋に居座って、昔話をしました。既に80歳を越した先輩ですが、記憶も頭の働きも、視聴覚も私よりずっと確かでした。故人もパーサーだった人も私も、中南米を中心に仕事をしてきたので、共通の友人、共通の話題が山ほどあり、時を忘れました。

 その後、蕎麦屋を出て、私は、千葉の幕張に住む友人と会おうと思って電話をしたのですが、電話は通じず、結局パーサーの人と新宿まで、総武線の鈍行で帰り、約1時間、蕎麦屋の話の続きになりました。人間、感情を持って話が出来る間が、生きていることだと思いました。これから、昔の友人は、減る一方です。出来るだけ、元気に楽しく生きようと努力していますが、矢張り、友との別れは辛いものがあります。

 

「また一人 話し相手の 世を去りて 心の内の 思い出となる」

「思い出は 心の内に 残れども 話せざれば 忘れ行くのみ」

「相槌を 打ち合う人と 盃交わし 遠き仲間も 宴に参加」

「老いたれば 思い出つくりは 今の為 無精しないで 今を楽しむ」

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2016年12月 5日 (月)

2016年12月04日

2016年12月04日

 

 今日は、見えないだろうと思っていた富士が見えました。雲はあっても風は無く、穏やかな晴れでした。

 昭和記念公園に行って来ました。1時近くに家を出て、2時頃に記念公園に着きました。

 国立へ行くバスで、バスの中で、次の停車地をアナウンスする女性の声が、谷保天神の事を「やぼてんじん」と言っているように聞こえていました。それが、ずっと気になっていました。今日、停車地を知らせる運転手の横の電子掲示板を見た所、「やぼてんじん」となっていました。私は、「やほてんじん」とばかり思っていました。ネットで調べて、バスの方が正しいことが分かりました。ウィキペディアの説明に拠れば、次の通りです。

「谷保天神は、東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる。南武鉄道(現:JR南武線)が谷保駅の駅名を「やほ」としたため、地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが、本来の読み方は「やぼ」である。江戸時代の著名な狂歌師の大田蜀山人(南畝)が、「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」と詠み、ここから「野暮天」または「野暮」の語を生じたと逸話に伝える。」

約2か月前に、昭和記念公園に来た時は、おっちょこちょいの楓の葉が数枚色付いていただけでしたが、今日は、多くの楓やイチョウは、既に紅葉を終え、葉を落として冬木立になっていました。イロハモミジは、未だに多くの木が紅葉していましたが、盛りは過ぎたようです。暦の上では、冬に入っていますが、紅葉を歌に詠む時は、秋と言う季語を使うのでしょうね。残り少ないですけど、まだ秋が残っていました。

昭和記念公園の立川口の方では、夜のイルミネーションが始まっていました。点灯されるのは、4時半からだそうです。私が、立川口の方へ回ったのは、3時半でした。イルミネーションのやり方は、数年前、夜にイルミネーションを見に来た時と同じでした。門の前には、ワイングラスによるピラミッドが作られ、ライトアップされるはずです。イチョウ並木の間の池には、ワイングラスによる小さなピラミッドの行列が出来ていました。池の奥の広場には、光による、お伽の世界が用意されていました。どれもこれも、数年前と同じですから、大事に保管してあったのでしょう。

このワイングラスには、水が満タンに入っており、周囲の景色をワイングラスの中に閉じ込めていました。残念ながら、周囲には、葉を落としたイチョウの並木しかなく、閉じ込められた世界も、イチョウの冬木立でした。モミジが在れば、紅葉の色付きの景色をグラスの中に閉じ込められたのですが、それが出来ず残念でした。しかし、グラスに閉じ込められた逆さの世界は、非常に面白いので、何枚も写真を撮りました。来年から散歩の時には、水が零れない様に工夫したグラスを持って歩こうと思ったりしています。

夜、戦艦武蔵に関する、NHKスペシャルを見ました。武蔵は、長崎の三菱造船所で作られました。当時造船所は、海側も山側も、高い塀で覆われていて、中で何が作られているか、分からないようになっていたと、誰かが言っていました。私が小さい頃は、海側の塀は残っていたような気がします。確か、グラバー亭の正面にあったのを見たような気がします。私の勘違いでしょうか。何れにしても、戦艦武蔵は、私にとって馴染みのある名前でした。

今日のNHKスペシャルは、その戦艦武蔵が、海底に沈んでいる映像を、NHKが、調査したアメリカの研究機関から入手し、戦艦大和の最後の状況を、再現してみたそうです。多くの事は省略しますが、この戦艦武蔵は、戦艦同士の戦いを想定して作られた巨艦でしたが、その最期は、巨大な主砲を発泡することなく、戦闘爆撃機の餌食となり、ほとんど、なぶり殺しの状態だったようです。1000人以上の将兵が、武蔵と共に海の藻屑になったそうです。日本を守る頼りになる戦艦ではなかったのです。

このテレビを見ながら、日本は、明治維新後始まった、列強に追いつき追い越せの目標が、何時頃から追いついたと錯覚し、列強と闘う方向に舵を切る狂気を生んだのか、知りたいものです。太平洋戦争の、如何なる場面も背筋が凍るような、狂気を感じます。

 

「公園の 季節も冬に 変わり行く 裸の木々と 落ち葉増え行く」

「小春日に 夜の飾りの グラスたち 周りの景色を 手に平サイズに」

 

 

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2016年12月 4日 (日)

2016年12月03日

2016年12月03日

 

 漸く、外に出なくても外の景色が見られるようになりました。工事用の幕の内ながら、朝、富士を見ることが出来ました。冬の関東地方は、晴れの日が多く、空気も乾燥し霞が少ないので、富士を見る機会は多くなります。

 今日は、午後1時半から、都心の四谷で、大学時代の恩師について語る会が催され、私も参加する事になっていましたので、遅くとも12時には、家を出なければなりませんでした。朝食、洗濯、ゴミ捨て、日記と朝の仕事を、11時には終わるように頑張り、丁度12時に家を出ました。

 新宿から、中央総武線に乗り換えて、四谷へ向かうと、あちこちの道路で、イチョウが黄葉していました。都心は、今が、紅葉の盛りのようでした。今日の強い日差しを受けて、金色に輝いていました。四谷に着くと、先週の火曜日に来た時は、未だ青葉だった、教会の前のユリノキが、見事に紅葉していました。季節は、確実に進んでいました。

 教会の花壇には、多くの花が植えられていました。ツワブキ(石蕗)も植えられていました。この秋、鎌倉、神代植物園、高幡不動、六義園、旧古河庭園等々、様々な所で、ツワブキの花を見ました。何処でも、花として植えられていました。前も書いたことがあると思いますが、子供時代の私にとって、ツワブキは食料でした。祖母に言われて、山を駆け巡り、ツワブキの茎を集めました。家に戻って、茎の皮を剥がし、灰汁に漬けて、あくを抜き、油で炒めて食べました。皮を剥いた指が、真っ黒になりました。ツワブキを見ると、少年時代と祖母の思い出に繋がります。この秋、沢山のツワブキを見て、祖母の事を沢山思い出しました。出来るだけ早く、纏めてみようと思います。

 今日の、催し物の会場に、1時15分に着きました。知っている顔が半分、知らない顔が半分でした。大学がらみの催し物には、何時も世話役を務めてくれる女性二人が、今日も世話役として来ていました。彼女たちを見ると安心しまました。

 会は、理事長時代に大学紛争に取り組んだ神父(恩師)について、紛争時代に学生会長であり、最近まで、大学の同窓会の会長だった友人が、紛争当時の理事長だった恩師について語りました。これまで見たことも無い、紛争当時の写真も、沢山見せて貰いました。私は、関係が薄かったのですが、その神父の、人柄、正義感、決断力が、我々の大学だけでなく、他大学の紛争も解決に導いたことが分かりました。話し手の、恩師に対する熱い気持ちも、十分に伝わりました。

何時だったか、当時政府側の責任者として、大学紛争解決に当たった人が、当時を回想する番組を見たことがあります。彼も、当時、我々の大学の理事長、学長が、重い決断をしてくれたことに感謝していました。

会は、3時に終わり、場所を移して懇親会になりました。懇親会の食事や飲み物も、全て世話役の女性二人が準備した物でした。頭が下がります。男の世話役だと、偉そうな顔をするばかりで、他人の世話は何にもしないのが通例ですが、彼女達は、本当に世話をする、本当の世話役です。私も、別の神父の関連で、何度も世話になりました。

懇親会が終わって外に出たら、明るさが残っていました。私は、7時くらいだと思っていたのですが、まだ、5時でした。帰るには早いので、近くの酒場で、気の合った8人で、2次会となりました。当然、世話役の女性二人も加わりました。それから8時まで、延々と話が続きました。今日の友人達と話すと、どうしても大学紛争当時の話になります。紛争時代、全共闘とは逆の立場で、紛争の当事者として大学に居たのですから、当然と言えば当然です。

私の個人的見解ですが、日本の歴史的大転換期は、源平合戦、関ケ原合戦、明治維新、太平洋戦争だと思っています。どの大転換期も、落ち着くまでには、4分の1世紀程度の時を必要としているようです。大学紛争は、太平洋戦争後、日本が戦後の混乱を乗り越え、落ち着いた社会になる為に、最後に通らなければならない関門だったように思います。その後の日本社会は、嘘のように落ち着いた社会になりました。

今日集まった人達の多くは、太平洋戦争の終戦直前、ないし、終戦直後に生まれ、戦後の混乱時代に子供時代を生き、青春時代に大学紛争を経験し、社会に出てからは、日本の高度成長と安定を支えて来ました。明治維新期を生きた人が、老いても明治維新を忘れる事が出来なかったように、若い時代に、太平洋戦争と言う日本の大転換を経験した人は、決してその時代を忘れる事が出来ないと思います。改めて、今日の友人達は、凄い時代を生きて来たと思います。

 

「思い出に 祖母が顔出す 秋の花 花より茎の 石蕗料理」

「集まりの 要のような 人のいて 心穏やか 集いに入る」

「人生に 恩師と呼べる 人のいて そを糧にして 生きて来にけり」

「時は過ぎ 戦後は遠く なりにけり 老いは進めど 思い変わらず」

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2016年12月 3日 (土)

2016年12月02日

2016年12月02日

 

今朝も、7時前に幕の外へ出て見ました。全天、雲一つない素晴らしい天気でした。勿論、富士も、くっきり見えました。一雨毎に、富士の雪の量が増えているのを感じました。

今朝、我が家の前の多摩川は、白鷺、青鷺、川鵜達の朝食の場所になっていました。これだけの鳥が集まると壮観でした。バードウォッチングの専門家ではないので、正確ではないと思いますが、川鵜だけでも300羽を超え、白鷺が50羽近く、青鷺が20羽くらい居たと思います。鳥達が、1日に何度食事をするのか分かりませんが、朝1回だけでも、その食べる量は半端ではないと思います。多摩川にこれだけの数の鳥を養う力が出来たことは、凄いことだと思いました。

我が家のアパートの周りに、ノミノフスマが沢山咲いています。この花も、春先から咲いていたと思うのですが、早くも師走、越年しそうな勢いです。今年は、例年より寒いとニュースで言っていましたが、私は、そうとは思えません。確かに寒い日もありますし、初雪が異常に早かったので、寒いように感じますが、全体的には、年々暖かくなっているようです。地球温暖化は、トランプ氏が言うような、でっち上げではないと思います。

今朝のニュースで、小池東京都知事が、色々改革をしようとしたにも関わらず、元の鞘に収まったことして、記者が「大山鳴動して鼠1匹」と揶揄しました。これに対し、小池都知事は、「頭の黒い鼠を沢山捕まえたではないか」と反論していました。私は、記者の意見に賛成で、小池知事の反論は当たらないと思います。沢山の黒い鼠とは、処分された役人の事だと思いますが、行政において役人は使用人です。国民が選んだわけではありません。この使用人に踊らされていたと言うのなら、その時の政治家は、元々政治を行う資格がなかったと言うことです。このような、変な政治家を選んだ国民にも責任がありますが、このような政治家の仕置きをしないで、使用人を何十人首切っても、改革にはならないと思います。行政は、政治が、ものを考え、責任を取る所です。黒い鼠を何匹も養っていた、政治家である石原、猪瀬、舛添は、どんな責任を取ったのでしょうか、退職した鼠から俸給の返還をもとめるのであれば、辞めた政治家にも、これまでの罰に加えて、何らかの罰が必要でしょう。本物の悪は放置して、鼠を何匹か捉えることを、「大山鳴動して鼠1匹」と言うのです。

余りに良い天気だったので、昼食前に家を出て、高尾山に登って来ました。天気が良いのに、監獄のような我が家に居ることは、我慢が出来ません。

高尾山口に着くと、目の前の尾根が紅葉していました。今日はさぼって、登りは、リフトを使いました。ガラス越しではない景色を楽しみたかったからです。リフトが上がるにつれて、眼下の紅葉の尾根の範囲が広がりました。白骨温泉に行った時の、北アルプスの紅葉に較べれば、規模は小さいですが、都心に近い所で、これだけの紅葉を味わえるのは、とても満足です。私と同じように考える人は多いらしく、週日だと言うのに大変な混雑でした。半分は、外国人だと思われました。

2時近く、ほら貝の音と共に、2時からの読経の為に、山伏と坊主の一行が、薬王院にやって来ました。薬王院の前に屯していた外国人は、大喜びでした。誰もが、カメラを向けていたので、私も写真を撮りました。通常、人物の入った写真を撮ることは、遠慮が入るのですが、外国人の無遠慮さに便乗させて貰いました。

頂上まで行くと、思いの外霞が強く、丹沢でさえ霞んでいました。富士山は、更に霞んでいて、幽かな幽かな富士を見ました。頂上から、東京、横浜方面を見ながら、買って来たおにぎりとサンドイッチを食べました。何時もより、遅い昼食となりました。青空の下、人の蠢く下界を見ながら、お握りを頬張ることが出来るだけで、幸せです。後何年、続けることが出来るでしょう。

3時には、ケーブルカーを使って下界におり、高尾山に来ると必ず訪ねることにしている、大学時代の知り合いの家に寄りました。この前、「能面展」をやった人です。しかし、何度呼び鈴を鳴らしても、出て来ませんでした。留守のようでした。郵便受けに私が来たことが分かるようにして、高尾山口の駅に戻りました。

高尾山口、16時3分発の特急電車で、聖蹟桜ヶ丘に向かいました。途中、16時15分、京王片倉付近を走っている時、つい今しがたダイヤモンド富士が終わったと思われる富士を見ました。山麓付近の空は茜色なのに、山頂付近が、異常に明るいのです。思わず、電車の中で、富士の方を指さして「うわー」と大きな声を出してしまいました。ところが、周りの人は、一向に気にする様子は無く、富士の方を見ることすらしません。一人くらい、富士の方を振り返っても良いではないかと思いましたが、誰も振り返る人はいませんでした。私が、一人だけ浮いてしまいました。

聖蹟桜ヶ丘で買い物をして、5時過ぎに家路に付くと、薄暮の空に、一番星と三日月が出ていました。しかし、家に帰ると、この星達も見ることは出来ないと、暗い気持ちになりました。ところが、家に帰り中にはいったら、窓のビニールが剥がされていて、工事用の外側の幕だけになっていました。ベランダの塗装が、終わったようです。まだ、月見酒、富士見酒をするわけにはいきませんが、辛うじて、外の景色が見えるようになりました。

 

「裏山に 登るが如く 高尾山 握り頬張り 下界を眺む」

「高尾から 多摩の里まで 赤き尾根 やがて都会の 霞に沈む」

「霞ける 世界に名だたる 大東京 こんな世界で 生きて来たのか」

「日本国 小さく見える この地球 何度も回って 仕事して来た」

「頂きに まさに後光の 富士の山 電車の窓に 名画の嵌まる」

「名画など どこ吹く風の 人ばかり 人は夫々 生き方夫々」

「薄暮れし 家路の空に 三日月の 一番星と 我を出迎え」

 

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2016年12月 2日 (金)

2016年12月01日

2016年12月01日

 

外の様子が分からないのは、本当に困ります。天気予報では、雨だったのですが、雨が降っているのかどうか、それが分からないのです。仕方が無いので、ゴミを出すついでに幕の外へ出て、雨が降っていることを確認しました。

以前から、玄関側にも植物があったのですが、現在は、ベランダの植物を玄関側に移動しましたので、玄関側は、植物で一杯です。玄関側は、日当たりが悪く、1年の内、半月ほど午前中約30分、日が差し込むことがある程度です。こんな状態ですから、葉からの蒸散は弱く、熱による土の水分の蒸発も弱いので、月に1度くらいしか水遣りをしません。今日、今年最後の水遣りをしようと思ったら、工事の為に外した窓の格子が、植物の前に立てかけられていて、植物に近づくことが出来なくなっていました。ご丁寧に、玄関側の上に取り付けられた、エアコンの室外機に、縛り付けられていました。仕方なく、縛りを解き、格子をずらして、植物に近づけるようにして、水遣りを可能にしました。工事の人は自分達の工事の事だけしか考えていないので、生活が、かなり乱されてしまいます。既に生活が始まっているアパートの補修工事は、何度も経験しているでしょうから、住民の声を聞いて、可能な限り生活を乱さないようにして貰いたいものです。

昼近くになったら、景色は見えませんが、ベランダの窓が、ぼーっと明るくなりました。雨が上がったようです。今日は、散歩は出来ないものと諦めていましたが、一橋大学のキャンパスの秋を訪ねることにしました。昨日も今日も、昼食は次男が作ったカレーを食べて、1時過ぎに家を出て、1時45分くらいに国立に着きました。

国立駅の南側の学園通りは、春は桜、秋はイチョウとモミジが楽しめるようになっています。イチョウの黄葉は、既に盛りを過ぎましたが、それでも、かなりの数の晩熟のイチョウの黄葉が見られました。駅前広場に近い数本のイチョウが、クリスマスツリーに変身中でした。イチョウの替わりに、モミジが紅葉の盛りでした。

駅前広場から直ぐ近くの学園通りに、「サンスモーク」というタバコ専門店がありました。喫煙者が減っている今日、タバコの専門店は珍しかったので、ウィンドウを眺めていたら、「時計の電池交換致します」との張り紙がありました。しかも、交換費用が1000円でした。電池交換をやった人なら分かると思いますが、最近、1000円で電池交換をやってくれる所は、そうは無いのです。たまたま、何時も使っている腕時計が、電池切れになっていたので、チャンスがあれば、電池交換をして貰おうと、持ち歩いていましたので、店に入りました。電池交換を頼むと、受付の伯母さんが、「貴方はラッキーな人ね、今、時計屋さんが遊びに来ているから、直ぐに交換が出来るわよ」と言いました。訳を聞いたら、通常このタバコ屋は、取次だけで、午前中預かったものは、午後渡しになる等、直ぐに電池交換が出来るわけではないそうです。確かに、運が良かったと思いました。午後に預かったものは、翌日渡しと言われたら、この近くに住んでいない私は、電池交換などできません。交換を待っている間、マドロスパイプ、外国タバコ、葉巻、ライターのコレクションが、あまりにも見事だったので、店内の写真を撮りたいと許しを乞うたところ、何故か断られてしまいました。理由がさっぱり分かりませんでした。この程度の度量では、商売も旨く行かないでしょう。ラッキーマンと言われて、気分が良かったのですが、一転して気分が悪くなりました。時計の電池交換は、15分くらいで済みました。

タバコ屋の直ぐ近くが、一橋大学の正門です。正門からイチョウ並木を通って、広い庭園に出ました。この庭園の右手に兼松講堂、正面に図書館、左手に本館があります。この庭園に、松、桜、イチョウ、モミジ、メタセコイア、ドウダンツツジ等が、旨く配置され、キャンパスの秋を演出していました。仄かに赤いレンガ造りの建物と、イチョウの黄色、モミジの赤が良く似合っていました。この前、キャンパスの秋を訪ねた中央大学、明星大学とは、比べ物にならない素晴らしい、キャンパスの秋でした。至る所に、イチョウの落ち葉が黄色の絨毯が出来ていましたし、場所によっては、イチョウとモミジの落ち葉が入り混じった、和服の模様のような絨毯も出来ていました。キャンパスの奥に残された、武蔵野の森は、コナラやクヌギの巨木が、淡い黄赤に紅葉していました。国立の駅前の住宅地の一角に、これ程、自然を楽しめる場所が残っているのは、凄いことです。このような環境で、勉学に勤しむことが出来る学生は、幸せ者だと思いました。

兼松講堂の前では、和服を着た20人前後の外国人留学生が、記念撮影をしていました。留学期間が終わったのかも知れません。彼等にとって、日本留学が、良き経験、良き思いでとなり、将来本国で活躍し、日本との仲を取り持ってほしいと思いました。

若しかすると、我が家の近くでダイヤモンド富士を見ることが出来るかもしれないと思い、国立の駅を3時半に出るバスで、早めに我が家に戻りました。富士の見える土手の方に回ってみましたが、今日は、富士の方から放射状に雲が出て、残念ながら、夕日が沈むのを見ることは出来ませんでした。

 

「駅前の 公孫樹並木 変身中 師走に不可欠 クリスマスツリー」

「国立の 学園通り 町自慢 春には桜 秋には公孫樹」

「国立の 一橋大も 町自慢 静謐守る 学問の府」

「正門を 潜れば公孫樹の 並木あり どの一角も キャンパスの秋」

「学び舎の 隙間の向こうに 炎舞い 赤き紅葉の キャンパス焦がす」

「葉を落とす 公孫樹と紅葉の 花の帯 キャンパス中が 佳人の装い」

「武蔵野の 面影残す 森のあり 黄赤の巨木 空を覆いぬ」

「青春の 思い出の色 赤き色 恋の芽生えと キャンパスの秋」

「日の落ちる 富士の山から 放射雲 期待外れの 多摩の夕暮れ」

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2016年12月 1日 (木)

2016年11月30日

2016年11月30日

 

 昨日、素晴らしい夕焼けを見たので、今朝は、日の出を見に出かけました。6時半近く、家の前の土手に出た時が、日の出の瞬間でした。四谷橋から見ると、丘の名前は知りませんが、桜ヶ丘カントリークラブのある丘から、日が昇って来ました。多摩川の真正面なので、川面に朝日の長い光の帯が出来ました。丘の上には、2層の雲が棚引いていて、3度、日の出を眺めました。

 奥多摩の峰々は、雲一つない空の下で、朝日を受けていました。今度は富士を見ようと、富士が見える土手に移動しました。ところが、奥多摩に向かって、太めの帯状の雲が、棚引いていました。まるで、富士山が噴火して、その雲が棚引いているように見えました。この雲の為に、富士山は見えませんでした。

 日の出の頃には、塒に1羽も居なかった川鵜が、私が家に戻る8時頃には、10数羽戻っていました。川鵜達も朝餉時だったのでしょう。それにしても、明日から12月、川鵜も冬用の塒に引っ越しする時期なのですが、今年は、引っ越しが遅いような気がします。

 少し、遅めの朝食を食べた後、デザートにメキシコ産のアップルマンゴを食べました。なんという不味さでしょう。甘味が少なく、繊維質が強くて、時期の過ぎた山菜を食べているようでした。メキシコでは、こんなに不味いマンゴを食べたことがありません。町中の並木のマンゴですら、今日食べたマンゴより、10倍美味しい気がします。メキシコから日本までの移動距離が長いので、相当に早や摘みしたマンゴだと思います。しかし、これでは日本人は、メキシコの美味しいマンゴを食べられなくて、日本人もメキシコ人も可哀そうだと思います。メキシコの野菜や果物の、日本への輸出に貢献した人を、良く知っています。もう90歳くらいで、日本に帰って来ています。彼がやっていた頃は、もっとおいしいマンゴを、もっと安く日本で売っていたと思います。今の状態を知ったら、彼も、嘆いていることでしょう。

 体調が戻って来て、毎日酒を飲むようになったため、酒の減り方が早くなりました。水も少なくなったため、近くのスーパーにキャリーを引いて買い物に出かけました。2Lの水6本パック2個、2Lの箱の酒1箱、白ワイン2本を買って帰りました。キャリーなら楽々でした。以前は、配送を頼んでいたのですが、歩いて5分程度の配送に、水パック1個分くらい配送費が掛かるので、体調が比較的戻った、先々月くらいから、今日のような買い物スタイルに替えました。

 午後は、歩いて聖蹟桜ヶ丘まで買い物に出かけました。そろそろ、来年の予定が入り始めたので、カレンダーとダイアリーを買いに行ったのです。両方とも買うものは、毎年決まっていますので、直ぐに終わりました。ついでに、100円ショップに行って、2L用写真立て2枚、爪磨き2枚セットを1セット買いました。こうした物が、100円で買えるのが不思議に思います。私の子供の頃の方が、高かったのではないかと思うくらいです。

 我が家の近くの家の庭で、磯菊を見つけました。先日、神代植物園に行った時、植物多様性センターに咲いていた菊です。本来なら、海岸地帯に咲く花のようです。葉は菊の葉に似ていますが、花はミモザのように黄色く、粒状です。多摩地方では、会えないかと思っていましたが、磯の花が好きな人のお陰で、思いがけず再会できて、とても嬉しくなりました。

 夜、メールを見ていたら、戦後まもなく、中南米に就航した照川丸で中南米に行った人達の会である、「照川丸の会」の幹事であった人が、亡くなったとの知らせが入りました。中南米中心に活躍された方で、「メキシコアミーゴ会」でも一緒でした。80は超えていたと思います。海外では、一緒だったことはありませんが、ダンディーで気の良い先輩でした。今年、一度も照川丸の会が開かれなかったので、おかしいと思っていたのですが、幹事が臥せっていたのですね。今年は、年初に従姉が亡くなり、更に、近しい友人が、3人この世を去りました。一つ一つ灯が消えて行くような寂しさを覚えました。

 

「丘の上 二層の雲を よじ登り 多摩に燦燦 日の出の光」

「邪魔も無く 我に向かいて 一直線 多摩の川面に 朝日の帯かな」

「奥多摩に 向かいて長き 帯雲の 出所見れば 富士の山なり」

「今年また 暦買う日の 来るらん 明日から師走 冬の入りかな」 

「磯の香の 届かぬ武蔵野 多摩の里 磯好きの家 磯菊の花」

「我が胸に 灯り点して くれた人 一つ二つと 灯りの消える」

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