« 2016年11月25日 | トップページ | 2016年11月27日 »

2016年11月27日 (日)

2016年11月26日

2016年11月26日

 

 地平線の辺りは、雲が多く富士は見えませんでしたが、まあまあ良い天気と言える朝でした。

 昨晩、11時に帰って来て、そのまま寝てしまいましたので、日記に書く概要を纏める事が出来ず、日記を書くのに、何時もより時間が掛かりました。

 今日は、先週に続いて、明星大学の公開講座に行くことにしていました。午前中の仕事を終え、早めの昼食を済ませて、午後1時には、家を出ました。講座が始まる時間は、2時半からでしたので、随分早く出かけたことになります。口座の前に、キャンパスの秋を楽しみたかったのです。先週は、カメラを持たずに行ったため、キャンパスの秋の風景を、写真に撮ることが出来ませんでした。

 家の前の土手を、上流の石田大橋に向けて歩きました。一昨日の雪は、日の当たらない北側の一部を除いて、すっかり消えていました。東京は、北国ではありませんので、根雪になるような雪が降ることはありません。ましてや、季節外れの淡雪でしたので、融けるのも早かったようです。しかし、この淡雪が、必死に抵抗していた、河原の侵略者、葛やアレチウリを枯らしてくれました。雪が降るまで、辛うじて緑を保っていたのですが、ほとんどが枯葉色になりました。

 石田大橋の上から、バンとカイツブリが泳いでいるのが見えました。これまで、我が物顔だったカルガモが、遠慮がちに泳いでいました。渡り鳥が来ると、毎年、このような光景が見られます。

 石田大橋を渡り、万願寺駅からモノレールに乗り、4つ目の中央大学・明星大学駅に2時前に着きました。先ず、中央大学を訪問しました。入り口からキャンパスに入る所で、メタセコイアが出迎えてくれました。紅葉はしていましたが、校舎の影になり、色が鮮やかではありませんでした。中央広場に出る校舎の間に道は、トウカエデが紅葉の盛りを過ぎようとしていました。中央広場の前の桜の森は、すっかり葉を落としていました。中央広場の丘の上から、メインストリートを歩いて、メタセコイアのある入り口近くに戻ると、裏手に森があり、もみじの紅葉の真っ盛りでした。この位置からは、隣に明星大学、正面に帝京大学のシンボルタワーが見えました。

 2時15分になりましたので、明星大学に行き、シンボルタワーの横の、盛りを過ぎたカエデバフウの紅葉や、公孫樹、メタセコイヤ、トウカエデと校舎とのツーショットの写真を撮り、公開講座の教室に入りました。シンボルタワーの横の校舎が、公開講座が行われる棟でした。

今日の公開講座は、「日本人は暴力が好きなのか?;教育とスポーツにおける暴力の諸相」がテーマで、体育哲学と言う、聞きなれない分野を研究している若い講師でした。今日は、先週と違って、現役学生も、かなりの数、参加していました。

講義は、佐藤栄作首相が奥さんを叩く暴力亭主として、アメリカの新聞に載ったことから、文化の違う国家における暴力の考え方の相違、〇日本では、明治12年、太政官布告教育令42条において、「学校ニ於イテハ生徒ニ体罰ヲ加ウヘカラス」と早くから、体罰が禁止されているにも関わらず、体罰は減少していない。〇英国では、最近まで体罰は正統であった。1998年に体罰禁止法が制定され、体罰は激減した。しかし、体罰復活論が再燃している。〇体罰の在り様は、時代によっても変わる。――社会の要請もあり、戸塚ヨットスクールは、校内暴力時代は、非行少年の矯正を目指したが、最近は、引き籠り、不登校の矯正を目指している。〇暴力に対する、社会や親の考え方も、時代や境遇によって異なる。〇スポーツにおける暴力は、容認されやすい。しかし、暴力によって死ぬ者は常に存在する。〇体罰は、間違ったことをした人間を訂正に戻すための「罰」として、暴力を肯定しやすい。罰が無いと自由放任となり、社会的正義が無くなる。〇罰を与える人間が、罰を与える能力、権利、人徳を有しているかは、保証されていない。〇結論として、暴力(体罰)について、単なる是非論ではなく、視野を広げて見つめ直すことが必要。ざっと、こんな感じで行われました。

この講義に対し、質問の時間が与えられましたが、私は、質問ではなく、私の意見として次のように述べました。

「先生が、早急に結論を出さず、視点を広げて見つめ直すとされたことは、非常に大事だと思う。教育、教育の一環として行われるスポーツは、国家の将来を担う子供を育てる意味において、国家全体として考える重要な問題である。但し、国家全体の問題であっても、国民が主体となって考えなければならない。ところで、未来のことについて考え決定するのは誰か、未来を、その時多数である政党、現在の大人だけが、一義的に決めるのはおかしい。一義的に決められないものは、規則や法にすることは出来ない。法にならないもので、(教育)現場のやり方を決めるのは、おかしい。ではどうすれば良いのか、それは、子供を特定の考え方や損得で縛らず、純粋に個人的能力を伸ばすために、大人はどのようなことが出来るのか、それが本当に可能なのか、これまでの知恵と知識を結集して、此処の問題に関し、是々非々を議論しつつ対応する他ないのである。これは、国際社会と同様である。国際社会には、国内法と同じような、いかなる国も全て平等に守らなければならず、守らない場合は力による制裁を容認する、そのような法は存在しない。国際社会の在り方、正義と言うものを一義的に決めることが出来ないからである。北朝鮮の核保有に関して、経済的制裁(罰)を与えているが、これは核保有国と、その国に追随する国の考え方を基礎にしているに過ぎない。これは一種の暴力である。非核は、望みではあっても、如何なる国も平等に従う、正義にはなっていない。米国や中国等の核保有国に、核を放棄せよと命令できる法は存在しないと言うことである。米国や中国に罰を与えることの出来る力も、存在しないのである。どの国も、自国にとって、相対的に良い物を、その時々情勢を見つつ決めているに過ぎない。従って、暴力(体罰)の問題は、人間の歴史、現在、未来に関わる最も大きな問題であり、早急に結論が出るものではない。個人も国家も、常にこの問題と向き合って生きざるを得ないのである。」

年寄りの意見ですから、先生も素直に聞いてくれました。今日も、知的刺激を受けた、良い日になりました。他の大学の事は、良く調べていませんが、明星大学が、無料で、かつ、誰でも参加できる、このような公開講座を開いてくれるのは、本当に有難いと思っています。

4時に、講座は終わり、万願寺まで出て、石田大橋を渡り、近くのスーパーに寄りました。そこで、大量の買い物をし、重い荷物を担いで30分程歩き、我が家に帰りました。日はとっぷりと暮れ、相撲の最後の2番、日馬富士が負けた一番と、鶴竜が優勝した瞬間だけを見ることが出来ました。

 

「黄葉の 公孫樹並木に 若者の 笑う声する キャンパスの秋」

「年寄りも 公開講座に 参加して 共に味わう キャンパスの秋」

 

|

« 2016年11月25日 | トップページ | 2016年11月27日 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/554231/64549909

この記事へのトラックバック一覧です: 2016年11月26日:

« 2016年11月25日 | トップページ | 2016年11月27日 »