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2016年11月

2016年11月30日 (水)

2016年11月29日

2016年11月29日

 

 昨晩、娘の家から帰ったら、玄関側の窓の格子が外されていて、ベランダ側の窓に、ビニールシートが貼られていました。この為に、今朝カーテンを引いても、ベランダ側から外の様子が、全く分からなくなっていました。監獄の獄房のような状態になってしまいました。この状態で、3か月間暮らすかと思うと、ぞっとしました。

 今日は、8時過ぎ、随分早く妻から電話がありました。早くに目が覚めてしまったようです。良く眠れないと、気分が優れない妻ですが、今日はそうでもありませんでした。美味しそうなアンコウ鍋屋を見つけたので、何時か食べに行こうとの嬉しい誘いでした。その後、午前中は、昨日の日記と写真を整理するのに、随分時間が掛かってしまいました。

 今日は、1時過ぎから小金井公園に行って来ました。アパートの中からは、分からなかったのですが、外は、雲一つない秋晴れでした。

 国立方面へのバス停まで行く途中の家に、何軒か柿が生っている家があります。すっかり葉を落とし、実だけ秋晴れの太陽に、赤く光っていました。この中の1軒は、柘榴や姫リンゴなど果樹が多いせいか、雀のお宿になっていて、何時も雀の鳴き声が聞こえます。今日も、多くの雀が、熟して落ちそうな柿の実を啄んでいました。

 バス停の前は、私に日日草をくれた小父さんの家と、小父さん所有のアパートがあります。アパートの前の庭は、ヒメツルソバが、何時見ても一面に咲いています。1年を通じてヒメツルソバの花が、咲いていない時を見たことが無いような気がします。本当かどうか、きちんと確かめたいと思います。少なくとも、今年の4月以降は、ずっと花が咲いていました。

 武蔵小金井からバスで、2時過ぎに小金井公園に着きました。小金井公園に着いてから、去年も、この時期に小金井公園に来たことを思い出しました。モミジやイチョウの在る場所まで思い出しました。広い公園の中のモミジは、コナラなどの大木の影に隠れて、日差しを受けにくく、紅葉の輝きが足りませんでした。紅葉が綺麗なのは、江戸東京たてもの園の古い屋敷の庭だったことを思い出し、今回も「たてもの園」に入りました。或る古い屋敷の枯山水の庭に、イロハモミジ、ヤマモミジの紅葉が、古い屋敷の黒と苔むす庭の緑に、鮮やかな赤を加え、日本庭園の秋を演出していました。今日は、空気が澄んでいて、日差しが強烈でした。その日差しが西に傾き、赤い紅葉の葉を燃え上がらせていました。この赤い炎が、屋敷の縁側のガラス戸に映りました。現在のように滑らかではないガラスに映った景色は、旨い具合にぼかしが掛かり、印象派の絵のように芸術的になっていました。

 一回りして、「たてもの園」を出て、広い公園の中の、葉を落とした欅、仄かな黄色のコナラ等、武蔵野の面影を残す大木の森を、心行くまで楽しみました。今日、若しかしたら我が家の方で、ダイヤモンド富士を見ることが出来るかもしれないと思い、少し早めに小金井公園を出て、玉川上水を歩き、3時45分くらいに、バス停に着き、4時近くに武蔵小金井の駅に着きました。

  国立駅に着いたのは、4時5分を回ってしまいましたので、我が家に戻ったのでは、日が落ちた後になってしまいます。そこで、国立駅のホームの端で、日没を待つことにしました。このホームの端は、富士山が良く見えるのです。此処から何度も富士山の写真を撮ったことがあります。ホームの端に、電車の到着を何処かに連絡している作業員がいましたので、彼にも、ダイヤモンド富士の事を教えました。仕事柄、私のように、ずっと日没を眺めることは出来ませんでしたが、電車が通り過ぎた後、富士の方に目を移していました。

 4時20分頃、太陽が富士の稜線に掛かりました。5合目くらいだったと思います。残念ながら、ダイヤモンド富士迄に、あと3,4日掛かるようでした。空気が澄んでいるため、輝きを失わない太陽が、3分の2になり、半分になり、3分の1になり、太陽の輝きが少なくなるに連れて、富士の姿が明確になって来ました。日が落ちて暫くすると、舞台の照明のように、雲一つない富士の後ろの空が茜色に染まり、大仏の後光のようでした。作業員も満足そうでした。

 5時過ぎに、明る過ぎるほどの一番星を見ながら、牢獄のような我が家に帰りました。外も、宵闇が迫っていましたので、諦めが付きました。

 

「葉は落ちて 実も落ちそうな 熟し柿 雀も焦る 秋の深まり」

「何時見ても 姫蔓蕎麦の 花絶えず 花無き君を 見たくなりにし」

「ビードロの 窓に映りし 紅葉の 旨くぼやけて 印象画風」

「黒き家 苔の緑に 山紅葉 枯山水の 秋の装い」

「足下の 枯葉踏む音 高くなる コナラの森の 冬支度かな」

「武蔵野を 切り裂き掘りて 江戸へ水 玉川上水 秋は変わらず」

「国立の ホームの端から 富士山に 日の落ちるのを じっと眺める」

「日は沈み 後光背にした 富士の山 関東すべてに 仏の恵み」

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2016年11月29日 (火)

2016年11月28日

2016年11月28日

 

 朝、幕の内からでも富士がくっきり見えていましたが、直ぐに富士の周囲に雲が湧き出て、富士を隠してしまいました。しかし、風は冷たくても、全体的には良い天気でした。

 今日は、次男の休みと、孫達の休みが重なったので、皆で多摩動物園に行くことにしました。末の孫が、キリンを見たことが無いので、キリンを見せたいと娘が言っていて、以前から計画されていたものです。

 12時過ぎには、孫達がやって来て、その騒がしさに次男も起きて来ました。全員用意が出来た所で、日野バイパスにある回転寿司「すしろう」で昼食にしました。週日だと言うのに大変な混みようで、我々の前に10組ほど並んでいました。しかし、待ち時間は10分足らずでした。最近の回転寿司は、何処も流れ作業のようです。寿司が小さいので、小学3年生の孫でも、8皿16貫の寿司を食べました。

ところで、寿司の数え方の1貫を、寿司2個を1貫と言う人と、1個が1貫と言う人がいます。私は後者ですが、前者も多いようです。どちらが正しいか、ネットで調べてみたところ、どちらが正解とは言えないそうです。寿司屋によっても数え方が違うのだそうです。若し、寿司の値段が1貫当たり00円と書いてある場合は、先に1貫は、何個か聞いた方が無難だそうです。

2時近くに、動物園に着いて、娘が、先ずモグラを見たいと言うので、その線に沿って、歩く順番を決めました。多摩動物公園は、広いので半日で全部回るのは、不可能と言って良いでしょう。先ずモグラ館に行って、娘の希望通り、モグラを見ました。箱の中の土に、モグラのトンネルが出来ていて、所々からモグラが通るのを見ることが出来るようになっていました。私は、昔は、モグラを捕まえたりしたものですが、実に久し振りにモグラを見ました。

モグラ館の下に、金網の中に、見たことのある鴨達がいました。ヒドリガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ハシビロガモ等でした。どれも渡り鳥ですから、今年渡って来た鳥だと思います。一度に多くの渡り鳥を見せようとする気持ちは、分からないでもありませんが、金網の中の渡り鳥は、何時も野外で見ている私としては、胸が痛くなりました。

今日の動物園の動物達は、非常に活発でした。コアラは、細い木を渡ったり、ユーカリを食べたり、盛んに運動をしてくれました。普段は寝てばかりのコアラしか見たことが無いので、孫達も大喜びでした。オランウータンの子供が、見学用の窓に顔を押し付けて、外を見ていました。どちらがどちらを見学しているのか、「どっちーも」が正しいのでしょう。虎は、檻の外の庭を、盛んに歩いてくれたり、木によじ登ってくれたり、サービス満点でした。カンガルーは、2匹が立ち上がって、じゃれているのか、話し合っているのか、戦っているのか、真相は良く分かりませんが、私には、話し合っているように見えました。時々は、3者会談になったりしました。

猛禽類の檻を見て、一番の目的であるキリンを見る為に、アフリカ園に入ったのは、4時前になってしまいました。4時半には、見学が終了となります。急いで、キリンの所に行きましたが、日が陰って寒くなったのでしょう、納屋に入って見ることが出来ませんでした。キリンは、次回に持ち越しとなりました。そろそろ、帰り支度をしていたら、ライオンの物凄い雄叫びが聞こえました。広い多摩動物園の、公園中に響く様な凄まじい雄叫びでした。雄叫びは、随分長いこと続きました。私も、こんな雄叫びは初めてでした。雄叫びをする雄ライオンを見ることが出来ました。最後に、チーターが、庭の方で、ほんの少しですが、走って見せてくれました。「俺の走る所を見に来たんだろう」と言わんばかりに見えを切っていました。その後、檻に戻って来て、直ぐ近くで色々ポーズをとってくれました。あまりの格好良さに、何枚も写真を撮りました。

今日の動物園は、動物達も大サービスでしたが、紅葉も真っ盛りでした。良い日に、動物園に来たものです。私は、ワライカワセミを始めて見て、その笑い声なるものを初めて聞きました。笑い声と言うより叫び声でした。顔付はカワセミに似ていますが、大きさはハトくらいあり、渓流の宝石と言われる様な美しさはありませんでした。

今日の立動物園の見学は、大人3人子供3人だったので、主として、次男が上の孫、私が孫娘、娘が末の孫の面倒をみたので、孫3人共満足でした。孫達は、最後の頃は、疲れたので、上の孫は次男、孫娘は私が肩車し、末の孫は、娘とベビーカーで移動しました。夫々に満足でしたが、特に上の孫が、一番満足したようでした。日頃は、一番上だと言うことで、あまり構って貰えず、拗ねたり寂しがったり、甘えたい気持ちを抑えていることが良くありました。今日は、それが見えませんでしたので、余程嬉しかったのだと思います。

多摩動物公園の後は、我が家で夕食にしようと言っていたのですが、次男の提案で、娘の家に変更しました。車を運転する娘が、酒を飲めないからです。料理をするのは大変ですから、途中のスーパーで、子供用の弁当、総菜、酒の肴、酒を買って、6時頃から、面白かった多摩動物園の見学に、皆で乾杯しました。末の孫だけは、動物園を出て直ぐに眠りに入り、8時過ぎまで起きて来ませんでした。起きて来た時には、自分が何故、家に戻っているのか、不思議そうでした。

何やかやと話は続きましたが、最後に、一昨日の土曜日に行われた、上の孫と孫娘の学芸会の様子を見て、お開きにしました。今日は、土曜日の学芸会の代休だったのです。身内贔屓の典型で、孫が一番上手で、一番可愛く見えました。

 

「秋の午後 孫等と楽しむ 動物園 誰かの絵で見た 憩いの一時」

「動物ら 就寝前の 一運動 見る人嬉し 元気な動物」

「枝渡り 食事の様子を 御披露す 昼寝終わりし ものぐさコアラ」

「誰知るや 百獣の王 我なりき 目力強し 虎が見え切る」

「孫達は 窓の向こうの 子猿見る 子猿窓から 孫達を見る」

「物言いか 3匹立って 協議中 取り直しかや カンガルー相撲」

「遠雷の 間近に迫る 音のする 百獣の王の 雄叫びなりき」

「一走り 終わって見え切る チーターに 皆で拍手 千両役者」

「今日だけは 伯父さん僕の 味方なり 久々燥ぐ 上の孫かな」

「ジージーは 何時でも私の ものなのよ 何時もの笑顔 孫娘かな」

「母さんが 側に居るなら 満足だ 遊び疲れた 末の孫かな」

「大人達 動物園も 肴なり 盃を合わせて 今日の締め括り」

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2016年11月28日 (月)

2016年11月27日

2016年11月27日

 

 雲の多い朝でした。天気予報では、雨になりそうだと言っていましたので、散歩は諦めていました。ところが、昼近くから、日差しが出ました。これだったら、昼食後、散歩に出ようと思ったところ、昼食を食べ終わった1時過ぎには、今にも雨が降り出しそうな空に変わりました。結局、散歩は止めることになりました。

 ところで、私は、水分の取り方が少ないと、先生に言われています。1Lの水のボトル3本は、最低でも飲むように言われています。出来るだけ、飲むように心掛けてはいますが、検査の度に水分の摂取量が少ないと言われますので、充分ではないのでしょう。以前から、水をがぶがぶ飲む習慣はありませんでした。最近、朝昼の食事の時、出来るだけスープを飲むようにしています。これも一応水分だと思っています。スープと言うと手の掛かる料理のように思えますが、私が飲んでいるスープは、お湯を掛ければ出来上がりと言う、インスタントスープです。この方が、水分摂取の観点からは、濃いスープより良いと思っています。このスープから栄養を補給しようとは、思っていません。勿論、時々は、栄養補給の為のスープも飲みますが、この場合も、レトルトパックのインスタント食品です。前者のインスタントスープを飲むときに、この前、飛騨高山で買って来た、木製のマグカップが、とても役に立っています。熱湯を注いでもカップが熱くなることが無いのです。とても良い買い物をしたと思っています。

 次男を送り出してから、本棚の一部を整理しました。昔読んだ、何人かの詩人の詩集を読んでみたくなったのです。ところが、学生時代に読んだ本は、本棚の上の方に置いていた為、本の名前が読めなくなってしまいました。そこで、比較的最近読んだ新しい本と入れ替えたのです。本屋が付けてくれたブックカバーや、元々ついていたセロハン紙が、年月を経て黒くなっていましたので、全部取り去りました。名作と名が高かった、海外及び日本の本が沢山ありました。哲学の本も沢山出て来ました。青春時代、このような本を夢中になって読んだものでした。詩集も4冊ほど出て来ました。埃にむせながら、しばし、青春の思い出に浸りました。

 青春の思い出と言えば、昨日、キューバのカストロ氏の逝去のニュースが、報じられました。キューバ革命も青春の思い出の一つです。私は、世の中の制度によって、生まれながらにして生き方が決まっている社会が、大嫌いでした。これは、今も変わっていません。従って、フランス革命、ロシア革命、中国革命は、考え方もスローガンも美しいと思いました。しかし、全く平等で画一化された社会を望んでいたわけではありません。大学予科と言われた旧制高校の、何にも束縛されないで、自由に自分の生き方を探すことにも、強いあこがれを持っていました。

 第2次世界大戦後、朝鮮戦争を経て、共産(社会)主義国と資本主義国の冷戦が始まっていた頃、資本主義国の領袖であるアメリカの膝下で、キューバ革命が起こりました。その頃は、まだ中学生でしたが、何となく冷戦の雰囲気は、感じていました。凄いことが起きたと思いました。当然キューバは、社会主義国を目指しました。アメリカは、キューバに対して種々制裁を加えました。砂糖の生産くらいしか産業の無かったキューバは、困窮に喘ぎました。大学生になった私は、キューバに労働奉仕に行った人の話を伝え聞き、自分も労働奉仕に行きたいと思ったものでした。そういう気持ちを持ちつつ、アメリカに対しても、欧州の封建主義の圧政から逃れ、人民が作った自由な国として、以前、日本の敵国だったことを忘れ、尊敬していました。後に起きたキューバ危機の際は、ケネディーは立派に、フルシチョフは憎たらしく思えました。無知で考えが浅はかだったと言うべきか、熱情に侵されていたと言うべきか、矛盾に満ちた青春時代でした。今、人間の生き方に、絶対的に正しいものは無く、個々の生き方は、時代、地域、歴史、文化等々を、個々に決めて行くしかないと思っていますが、これも変な納得の仕方だと思っています。青春時代の矛盾は、今でも残っている様な気がします。

 今日は、一日、青春時代と向き合って過ごしました。老い先が短くなると、妙に青春時代が懐かしくなります。

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2016年11月27日 (日)

2016年11月26日

2016年11月26日

 

 地平線の辺りは、雲が多く富士は見えませんでしたが、まあまあ良い天気と言える朝でした。

 昨晩、11時に帰って来て、そのまま寝てしまいましたので、日記に書く概要を纏める事が出来ず、日記を書くのに、何時もより時間が掛かりました。

 今日は、先週に続いて、明星大学の公開講座に行くことにしていました。午前中の仕事を終え、早めの昼食を済ませて、午後1時には、家を出ました。講座が始まる時間は、2時半からでしたので、随分早く出かけたことになります。口座の前に、キャンパスの秋を楽しみたかったのです。先週は、カメラを持たずに行ったため、キャンパスの秋の風景を、写真に撮ることが出来ませんでした。

 家の前の土手を、上流の石田大橋に向けて歩きました。一昨日の雪は、日の当たらない北側の一部を除いて、すっかり消えていました。東京は、北国ではありませんので、根雪になるような雪が降ることはありません。ましてや、季節外れの淡雪でしたので、融けるのも早かったようです。しかし、この淡雪が、必死に抵抗していた、河原の侵略者、葛やアレチウリを枯らしてくれました。雪が降るまで、辛うじて緑を保っていたのですが、ほとんどが枯葉色になりました。

 石田大橋の上から、バンとカイツブリが泳いでいるのが見えました。これまで、我が物顔だったカルガモが、遠慮がちに泳いでいました。渡り鳥が来ると、毎年、このような光景が見られます。

 石田大橋を渡り、万願寺駅からモノレールに乗り、4つ目の中央大学・明星大学駅に2時前に着きました。先ず、中央大学を訪問しました。入り口からキャンパスに入る所で、メタセコイアが出迎えてくれました。紅葉はしていましたが、校舎の影になり、色が鮮やかではありませんでした。中央広場に出る校舎の間に道は、トウカエデが紅葉の盛りを過ぎようとしていました。中央広場の前の桜の森は、すっかり葉を落としていました。中央広場の丘の上から、メインストリートを歩いて、メタセコイアのある入り口近くに戻ると、裏手に森があり、もみじの紅葉の真っ盛りでした。この位置からは、隣に明星大学、正面に帝京大学のシンボルタワーが見えました。

 2時15分になりましたので、明星大学に行き、シンボルタワーの横の、盛りを過ぎたカエデバフウの紅葉や、公孫樹、メタセコイヤ、トウカエデと校舎とのツーショットの写真を撮り、公開講座の教室に入りました。シンボルタワーの横の校舎が、公開講座が行われる棟でした。

今日の公開講座は、「日本人は暴力が好きなのか?;教育とスポーツにおける暴力の諸相」がテーマで、体育哲学と言う、聞きなれない分野を研究している若い講師でした。今日は、先週と違って、現役学生も、かなりの数、参加していました。

講義は、佐藤栄作首相が奥さんを叩く暴力亭主として、アメリカの新聞に載ったことから、文化の違う国家における暴力の考え方の相違、〇日本では、明治12年、太政官布告教育令42条において、「学校ニ於イテハ生徒ニ体罰ヲ加ウヘカラス」と早くから、体罰が禁止されているにも関わらず、体罰は減少していない。〇英国では、最近まで体罰は正統であった。1998年に体罰禁止法が制定され、体罰は激減した。しかし、体罰復活論が再燃している。〇体罰の在り様は、時代によっても変わる。――社会の要請もあり、戸塚ヨットスクールは、校内暴力時代は、非行少年の矯正を目指したが、最近は、引き籠り、不登校の矯正を目指している。〇暴力に対する、社会や親の考え方も、時代や境遇によって異なる。〇スポーツにおける暴力は、容認されやすい。しかし、暴力によって死ぬ者は常に存在する。〇体罰は、間違ったことをした人間を訂正に戻すための「罰」として、暴力を肯定しやすい。罰が無いと自由放任となり、社会的正義が無くなる。〇罰を与える人間が、罰を与える能力、権利、人徳を有しているかは、保証されていない。〇結論として、暴力(体罰)について、単なる是非論ではなく、視野を広げて見つめ直すことが必要。ざっと、こんな感じで行われました。

この講義に対し、質問の時間が与えられましたが、私は、質問ではなく、私の意見として次のように述べました。

「先生が、早急に結論を出さず、視点を広げて見つめ直すとされたことは、非常に大事だと思う。教育、教育の一環として行われるスポーツは、国家の将来を担う子供を育てる意味において、国家全体として考える重要な問題である。但し、国家全体の問題であっても、国民が主体となって考えなければならない。ところで、未来のことについて考え決定するのは誰か、未来を、その時多数である政党、現在の大人だけが、一義的に決めるのはおかしい。一義的に決められないものは、規則や法にすることは出来ない。法にならないもので、(教育)現場のやり方を決めるのは、おかしい。ではどうすれば良いのか、それは、子供を特定の考え方や損得で縛らず、純粋に個人的能力を伸ばすために、大人はどのようなことが出来るのか、それが本当に可能なのか、これまでの知恵と知識を結集して、此処の問題に関し、是々非々を議論しつつ対応する他ないのである。これは、国際社会と同様である。国際社会には、国内法と同じような、いかなる国も全て平等に守らなければならず、守らない場合は力による制裁を容認する、そのような法は存在しない。国際社会の在り方、正義と言うものを一義的に決めることが出来ないからである。北朝鮮の核保有に関して、経済的制裁(罰)を与えているが、これは核保有国と、その国に追随する国の考え方を基礎にしているに過ぎない。これは一種の暴力である。非核は、望みではあっても、如何なる国も平等に従う、正義にはなっていない。米国や中国等の核保有国に、核を放棄せよと命令できる法は存在しないと言うことである。米国や中国に罰を与えることの出来る力も、存在しないのである。どの国も、自国にとって、相対的に良い物を、その時々情勢を見つつ決めているに過ぎない。従って、暴力(体罰)の問題は、人間の歴史、現在、未来に関わる最も大きな問題であり、早急に結論が出るものではない。個人も国家も、常にこの問題と向き合って生きざるを得ないのである。」

年寄りの意見ですから、先生も素直に聞いてくれました。今日も、知的刺激を受けた、良い日になりました。他の大学の事は、良く調べていませんが、明星大学が、無料で、かつ、誰でも参加できる、このような公開講座を開いてくれるのは、本当に有難いと思っています。

4時に、講座は終わり、万願寺まで出て、石田大橋を渡り、近くのスーパーに寄りました。そこで、大量の買い物をし、重い荷物を担いで30分程歩き、我が家に帰りました。日はとっぷりと暮れ、相撲の最後の2番、日馬富士が負けた一番と、鶴竜が優勝した瞬間だけを見ることが出来ました。

 

「黄葉の 公孫樹並木に 若者の 笑う声する キャンパスの秋」

「年寄りも 公開講座に 参加して 共に味わう キャンパスの秋」

 

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2016年11月26日 (土)

2016年11月25日

2016年11月25日

 

 雪の日の翌日、良く晴れた朝でした。幕の内からも、富士山がくっきり見えたので、何はともあれ富士を見に行くことにしました。朝の一瞬を逃すと、富士が雲に隠れてしまうことが多いのです。

 7時過ぎに土手に出ました。丹沢、富士、関東山地、奥多摩、秩父と、目の前に開ける全山が、朝日を受けて、白く輝いていました。河原の雪も残っていました。中学校の卒業アルバムに載っていた、高村光太郎の詩を思い出しました。今朝の私の気持ちが良く現れていますから、紹介します。

 「冬だ 冬だ どこもかも冬だ

  見渡すかぎり冬だ

  その中をぼくはゆく

  たったひとりで ーーー」

 茅に乗った雪の中に、泡立草の黄色い花が、朝日を受けて、何時になく美しく感じました。土手の道脇の、凍りついた雪から、太陽の子供のような光が輝いていました。土手から、河原に降りてみると、雪解けのたまり水が凍っていました。背の低い草地に行くと、雪が融けた所と、雪が残った所が、入り組んだ縞模様になっていました。雪が融けた所の枯れた野草に、無数の水玉が無数の宝石となって輝いていました。

 目を遠くへ移すと、裾野まで雪を被った富士山が、一際白く輝いていました。七生丘陵の住宅地の屋根も、輝いていました。目の前の全ての景色が、光り輝いていました。予期せぬ雪が、予期せぬ贈り物を届けてくれました。

 朝飯前の散歩を終えて、遅めの朝食としました。朝食を食べ終わった頃に、妻から電話がありました。起きたばかりのようでした。昨日の雪は、都心では多摩地方のようには、積もらなかったようです。妻も住んだことのある我が家は、奥多摩の山裾に近い方なので、都心とは天候が、随分違います。今朝の様子を伝えたら、驚いていました。

 ベランダの方から、物凄い音がするので行って見ると、高圧洗浄機で、ベランダの壁と床を掃除していました。いよいよ、大規模補修工事も本格化して来ました。誰かが、補修工事で一番大変なのは、足場を組んで幕を張ることで、お金も、そこに一番掛かるのではないかと言っていました。

 今日は、大学時代の学生会関係の仲間が集まる、「悪友会」と称する集まりが、仲間の一人がやっている、駒込のカラオケバーで4時半から行われるので、かなり早めの1過ぎには、家を出ました。駒込には、六義園と旧古河庭園があるので、両庭園の紅葉を見てみようを思ったからです。

 先ず、六義園に行きました。今日は、紅葉の時期で、駅の近くの染井門が開いていたため、あまり歩かずに六義園に入ることが出来ました。昨年も、紅葉の時期に歩いたのですが、染井門は開いていませんでした。

園内の順路に従って、正門に出ると、子供の頃に良く見た、傘の上で独楽を回す芸をやっていました。正面の池に出ると、あまりにも鮮やかな赤の櫨の木が、他を圧倒していました。櫨は九州にも沢山ありましたが、こんなに綺麗な紅葉ではなかったような気がします。子供の頃は、良く櫨にかぶれました。そんな訳で、あまり好きな木ではありませんでしたが、今日の紅葉は素晴らしいの一語でした。もみじの紅葉には、少し時期が早かったようです。一通り、庭園を回って、旧古河庭園に向かいました。

今日の主目的は、旧古河庭園でした。今日が、初めての見学でした。元々、陸奥宗光の邸宅として、英国人の建築家によって建設され、宗光の次子が古河財閥の養子になった時、古河財閥に譲られたものだそうです。当時の建物は、現存しておらず、現在の建物は、再建されたもののようです。館の立つ台地には、バラ園を始め、様式の庭園が整備され、台地の下は、日本庭園となっていました。西洋文明を取り入れようとした、陸奥宗光の気持ちが伝わってくるようでした。様式庭園と日本庭園を分ける場所や、日本庭園の池の周りに、多くの「もみじの木」が配置されていて、今が見頃でした。残念ながら日が傾いて、日本庭園の方には、日が差さなくなっていました。日が差さない紅葉は、燃える様な赤にはなりません。残念でした。様式庭園には、いかにも洋風のバラ園があり、櫨と銀杏の紅葉の下、昨日の雪が、少しだけ残っていました。

庭園を見終わって、館内を見学しようとしたら、館内の喫茶店に入るか、事前に団体として予約する必要がありました。仕方なく、1杯850円のコーヒーを飲むことにしました。少しだけ、1階のフロアを見学しましたが、これと言って目新しい物や、当時を偲ばせるものは、何一つありませんでした。

両庭園を見終わって、丁度4時半に、「悪友会」の会場である仲間の店に着きました。この会は、年に1回、忘年会として12月に行っていましたが、幹事が富山の人間で、12月は雪が多く、車で来られないこともあるので、今年は11月にしたそうです。そうしたら昨日の雪です。幹事の男が、「俺は雪男か」と嘆いていました。殆どが、70を超え、重い病気を経験し、この世に舞い戻り、それでも元気に生きていました。今後をどのように生き、どのように死ぬか、一番の関心事でした。4時半から9時半まで、いったい何を話したのか、ほとんど憶えていませんが、久し振りに仲間の顔を見て、安心しました。

 

「多摩の里 取り巻く山々 雪化粧 一際白き 富士の山かな」

「霜月の 予期せぬ雪の 贈り物 予期せざる故 心浮き立つ」

「雪乗せる 茅の中の 泡立草 白き世界の 黄色の花よ」

「初雪の 翌朝に見る 初氷 初めて尽くし 霜月の冬」

「枯草に 無数の水玉 雪の後 朝日を浴びて 無数の宝石」

「枯草と 残りし雪の 縞模様 辺り一面 宝石の花」

「紅葉の 赤さを越える 赤き色 我が目疑う 六義園の櫨」

「崖上に バラが似合いの 洋館の 西日を受けて 往時の威容」

「元勲が 文明開化の 夢を見た 和洋折衷 古河庭園」

「夫々に 夫々の道 生きて来た 仲間等の顔 揃うているなり」

「一人欠け 二人欠ける日 来るらん 命の限り 楽しく生きよう」

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2016年11月25日 (金)

2011年11月24日

2016年11月24日

 

 6時過ぎに起きた時には、霙模様の雪が、6時半頃から本格的な雪に変わりました。東京の11月の初雪は、54年振りだそうです。若し、東京に積雪があれば、観測史上初の事だそうです。寒さも、半端ではなかったのですが、朝食を早めに食べて、8時前から、近くを歩いて来ました。

 外へ出て見ると、激しく雪が降り、七生丘陵はおろか、多摩川の対岸すら見えませんでした。土手の脇の道路を走る車のヘッドライトが、淡く光っていました。また、雪霞の中の四谷橋の灯が、蛍の光よりも弱く感じました。一片一片が大きい、牡丹雪が舞っていて、景色全体が白いベールで覆われていました。四谷橋から、聖蹟桜ヶ丘の街が全く見えませんでした。川鵜達も、送電線の塒から避難したらしく、日頃、300羽を越す川鵜が、10数羽しかいませんでした。

道路と、人が歩く土手の道は、まだ雪が積もっていませんでしたが、河原や土手の草地、公園や庭の木も雪が積もっていました。四谷公園では、葉を落とした桜や梅の枝の先まで雪が乗って、氷細工のようになっていました。葉を残した桜の木にも、雪は積り、残った葉は、どれも下を向いていました。紅葉真っ盛りの、もみじの葉にも雪が乗り、白い覆いの下から、真っ赤な顔を覗かせていました。僅かに残った山法師の葉の上に、綿のように雪が乗り、本当に綿の木に見えました。常緑の、マテバ椎、蓑隠し、松、山桃等は、夫々の個性を残したまま、雪を乗せていました。既に、蕾が黄色くなっているミモザにも、雪が積もっていました。

家に戻ると、テレビで各地の雪の様子を報じていました。関東一円、大雪注意報が出され、交通機関の乱れも起きていました。チェーンを巻いていない車が動けなくなり、渋滞を招いている高速道路もありました。あまりにも早い11月の雪が、人間生活の各所で、問題を引き起こしているようでした。

朝一番に散歩をしたので、朝の仕事が終わったのは、1時近くになってしまいました。昼食を食べ終わった頃に、次男が起きて来て、3時前に出て行きました。その頃には、あんなに激しかった雪が、ほぼ止んでいました。懸案として残っていた、玄関ポーチを片付けて、もう一度、午前中雪の中を歩いた、同じ場所を歩きました。

歩き始めた4時頃には、雪は完全に止んでいました。七生丘陵の中の住宅地の屋根に雪が積もり、住宅地が白い塊になっていました。聖蹟桜ヶ丘はしっかり見えるようになり、更に遠くまで視界が広がりました。川鵜達も塒に戻り西の空が、ほんのりと茜に染まっていました。時ならぬ雪の一日が、黄昏ました。

夕食に、昨日、「角上」で買って来た、殻付きの生牡蠣を割って、我が家のレモンをたっぷりかけて食べました。身は痩せていましたが、満足しました。料理屋で食べる生牡蠣は、太って立派ですが、それほど感動しません。恐らく、真水で洗ってから客に出していると思います。また、スーパーや魚屋で売っているパック入りの生牡蠣も、一度洗ってパックしているのではないかと思われます。それほど、塩気が抜け、磯の香りがしないのです。

メキシコでは、殻付きの生牡蠣を良く食べました。牡蠣は、山の上のメキシコシティーまで、毎日メキシコ湾の方から、運ばれてきましたが、当時のメキシコは、冷蔵技術が悪く、牡蠣は殻付きしか食べられませんでした。殻付きだと、自力で、1週間は生きる事が出来ると、言っていました。魚介の卸売市場から、殻付の牡蠣を、家族で食べる分だけ買って帰るのは、大変なことでした。一つ一つ殻を開けるのも、一仕事でした。そうした苦労とメキシコの香り豊かなレモンのお陰で、メキシコでは、何時も美味しい生牡蠣を食べる事が出来ました。メキシコで使っていた生牡蠣割りの道具を久し振りに使いました。

 

「紅葉の 盛りとなりし 関東に 半世紀振り 霜月の雪」

「牡丹雪 激しく舞いて 雪霞 白き薄絹 視界を閉ざす」

「四谷橋 欄干の灯 霞内 寒さに耐える 冬蛍かな」

「山法師 綿雪つもり 綿の木に 摘まんでみれば 手先冷たし」

「晩秋に 赤さを増した もみじの葉 白雪乗りて 冬化粧かな」

「紅葉の 晩熟の桜 赤き葉の 雪に戸惑い 下向き加減」

「早々に 蕾色付く ミモザかな 大和の国の 冬は厳しき」 

 

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2016年11月24日 (木)

2016年11月23日

2016年11月23日

 

 良い天気が、長続きしません。昨日の晴天と、日差しの強さが嘘のような、暗く寒い朝でした。天気予報では、今夜から明日の朝にかけて、雪になるかもしれないと言っていました。11月の初雪となると、50数年振りの事らしいです。

 今日、2本のボールペンを、お役御免にしました。一つは黒、もう一つは赤のボールペンでした。黒のボールペンは、約2年間、良く働いてくれました。最後にインクが出なくなり、ノートにペンの跡だけが残るようになった時は、何時ものことながら、感動します。赤のボールペンは、逆に、10年近く、全く使わなかったので、インクが固まってしまったようです。申し訳ないことをしました。道具の持つ役割を発揮して貰うために手元に置いたのに、全く使わなかったのは、本当に失礼なことだと思います。年老いて、赤のボールペンを使う機会が、無くなってしまったのです。許して下さい。

 今日は、孫娘の七五三のお祝いでした。12時に、娘の家の近くの写真スタジオで待ち合わせすることにしました。我が家を11時頃に出たのですが、バスの乗り継ぎが非常に旨く行って、11時40分に待ち合わせの場所に着きました。スタジオは、七五三のお祝い、誕生日の写真撮影の為、子供連れの若い家族で何時も一杯です。今日は、祝日でもあり、大変な混雑でした。私にとっては、場違いな雰囲気の中で、30分近く待ちました。

 娘家族は、12時過ぎに着きました。早速、孫娘は、着物に着換えました。着替えるのに、30分近く掛かりました。子供の着物姿は、とても可愛いです。日頃、活発な娘なのですが、着物を着ると、急に、お淑やかになります。着物には、そのような力が、あるのかも知れません。

 お昼を食べてから、高幡不動に参拝する予定でしたが、どうも肝心の孫娘が、着物の帯で胸を締め付けられ、苦しそうだったので、参拝から先に済ませることにしました。1時からの護摩法要に、間一髪間に合いました。本殿の法要の間は、七五三を祝う客で、満員でした。護摩法要の後に、七五三のお祝いに参列した人に、仏式のお祓いをして、法要が済みました。

 お札と、千歳飴ならぬ千歳チョコを貰って、お定まりの記念撮影をして、七五三のお祝いは、お終いとなりました。車に向かう時の、草履をはいた孫娘の、ちょこちょこ歩きが、何とも言えず可愛かったです。車の中で普段着に着替えた孫娘は、急に元気になり、声が出るようになりました。兄弟も、着物姿の時は、近寄りがたい様子でしたが、普段着になると、気兼ねなく遊ぶようになりました。高幡不動の、五重塔の後ろの森は、紅葉の真っ盛りでした。お寺と紅葉は、良く似合います。

 753のお祝いが済んだので、後回しにした昼食に出かけました。今日の主役の孫娘が、ピザを食べたいと言うので、イタリアンにし、マンマパスタ日野に行きました。ピザ2枚の他に、前菜の盛り合わせ、蛸の天婦羅風、イカ墨のスパゲティー、ハンバーグ、自家製のパンを頼みました。チェーン店にしては、ちゃんとした料理で、美味しく食べられました。主役の孫娘は、最後に、ワゴンサービスのケーキの3種盛りを食べ、満足そうでした。また、ケーキを持った皿に、コンデンスミルクとチョコレートで、ハートの絵を描いてくれたのも、嬉しかったようです。

 食事が終わって、我が家に戻る前に、娘の亭主の両親が住んでいる、寺泊の魚屋「角上」に寄りました。広い駐車場が、満車状態でした。従って、店内も非常な混雑でした。比較的物が良く、種類が豊富で、値段が手頃なので、人気が出るのも当然かなと思いました。私も思わず、今夜用の鰤しゃぶの他に、秋鮭、殻付き牡蠣、蛸、鯵の干物、冷凍のシーフードミックス、剥きエビを買ってしまいました。車でないと来られない所でした。

 我が家に帰る途中で、孫達は全員寝てしまいました。疲れたようです。家に着いた時、娘の旦那に家に上がって貰い、頂き物の柿を持って行ってもらいました。美味しい柿ですから、孫達が食べてくれれば、私も柿も柿をくれた人も、本望だと思います。

 夜は、一人でゆっくり、鰤しゃぶで、亀田酒造のアルプス正宗を楽しみました。また、見るべきテレビが無かったので、黒人に対する白人の偏見を描いた「大統領の執事の涙」「夜の台走査線」を見て、今日一日を終えました。

 

「秋の日は 女心と 言う様に 熱くなったり 冷たくなったり」

「髪を上げ 簪さして 口に紅 小粋に着物 孫娘かな」

「七五三 高幡不動の 護摩法要 孫娘の 仲間沢山」

「孫娘 着物の裾が 邪魔をして ちょこちょこ歩き なんと可愛ゆし」

「帯び解きて 普段着姿 孫娘 途端に元気 声も明るし」

「七五三 祝う不動の 赤き森 炎の不動 悪者退治」 

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2016年11月23日 (水)

2016年11月22日

2016年11月22日

 

 明け方は、今日もまた、曇りの1日かと思ったのですが、9時頃から、雲が消えて行き、10時過ぎには、雲一つない快晴の空になりました。

 今日は、一度目を覚まして、ベッドの中でうとうとしていた時に、地震の揺れが来ました。強い揺れではなく、ゆっくりとした横揺れでした。暫くして、テレビを付けてみると、どの局も、緊迫感のある声で、地震のニュース地震の様子を伝え、避難を要請していました。地震は、午前5時59分に発生し、震源地は福島県沖で津波も発生しているとのことでした。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という感が否めませんでしたが、東日本大震災の記憶がある限り、「なます」を吹き続けなければならないでしょう。今後も、地震の発生や規模、津波の規模や到達に関する、科学的解明が早期に実現すれば良いのですが、そう簡単ではないでしょう。

 朝食のデザートに、我が家のレモンでパパイヤを食べました。中南米に居た時は、良く食べました。中南米のパパイヤは、日本で売っている様な小さなものではなく、3倍はありそうな大きなものでした。腐る寸前が美味しいと言われ、柔らかくなった果肉に、レモンをたっぷりかけて食べるものだと、されていました。中南米のレモンは、小粒でしたが、香りは素晴らしく強烈でした。我が家のレモンは、皮が薄く、ジューシーで、中南米のレモンには負けますが、とても良い香りでした。美味しくパパイヤを食べる事が出来ました。

 日記を書き終えた10時半には、快晴の空になりましたので、何時もの標準的なコースを逆回りして来ました。

 家の前の多摩川の土手を上流に向い、石田大橋を渡って、多摩川の右岸に出るまでは、白く輝く富士の峰を見ながら、歩きました。日に日に、雪の量が増えているようでした。万願寺交差点から、浅川に出て、新井橋を渡り、浅川の右岸に出ました。野草の花と言えば、小センダングサ、ヒメジオン、アワダチソウ位なもので、土手も、だんだん寂しくなりました。ところが、今日の日差しは、小春日和ではなく、小夏日和と言いたくなる程暑くて、この時期には珍しく大汗を掻きました。喜んでいるのは蝶達で、紋白蝶や紋黄蝶が、少ない花に戯れていました。

浅川から程久保川に出る所に、この前も頂いた、鬼胡桃の実が詰まったビニール袋が、まだ残っていました。今日もまた、一袋頂きました。大変な重さでした。四谷橋を渡って、我が家に戻ると、12時半を過ぎていました。それから、大量の鬼胡桃の実を洗うのに、30分近くかかりました。鬼胡桃の実の先が尖っていて、注意して洗う必要があったのです。

今日は、大学のクラブの現役に拠る発表会の日でした。5時半から、発表会が始まるので、早めに着く様に、3時過ぎに家を出ました。思い通りに、5時前に着いたので、真田濠からの夕焼けを楽しみました。素晴らしい夕焼けでした。

現役の発表会は、先輩たちの築いたものの内、残すべきものは残し、自分達の新たな試みも随所に取り入れて、まさしく、温故知新、素晴らしい発表会でした。一般学生の参加も、立ち見が出るほどでした。後輩達の努力、更には一般学生に認められていることが分かり、涙が出そうになりました。人生は1回限り、その一番重要な時期のクラブ活動は、自己形成の場所です。自分が生きようとする仕事の知識を獲得するのも、とても大事なことです。同じように大事なのは、仕事にも、職場の組織の中での生き方にも、家族の形成にも、社会との交流にも、ありとあらゆることに対して、自分自身の考えと責任に基づいて行動できる人間形成もまた、非常に重要なことです。青臭くても良い、哲学を、人生論を、友情等々を熱く語って貰いたいと思っていましたが、それが出来ているようでした。

発表会の後、現役と飲む機会が用意されており、青春の熱気を感じながら、旨い酒が飲めました。自分達が、半世紀以上も前にやっていたことが、今でも引き継がれ、今後も続いて行く、過去から未来への鎖の、一つの輪の中に、自分がいることを、とても幸せに感じました。良い一日でした。

 

 

 

「太陽の 日差し厳しく 汗ばみぬ 蝶は喜ぶ 小夏日和か」

「豊穣の 鬼胡桃の実 山盛りに 固き殻の内 命の源」 

「成し遂げし 仕事も尊い ものなれど 土台の青春 更に香し」

「今まさに 青春生きる 若者の 熱き血潮を 受けて盃上ぐ」

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2016年11月22日 (火)

2016年11月21日

2016年11月21日

 

 今にも雨が降りそうな朝でした。今日は、自宅から一歩も出ないで、一日過ごしました。

 何時ものように、日記を書いて、朝の仕事を終えると、11時半になっていました。少しテレビを見て、昼食を食べると、午後1時になりました。

 その後、高校時代の先生の追討集の為の、原稿を書きました。実は、昨日、中学、高校時代のマドンナで、現在は、高校時代の在京同窓会の幹事でもある女性から、ある先生の思い出話を書いて欲しいと頼まれたのです。マドンナから頼まれて、断ることなど出来ません。二つ返事で引き受けました。期限は、11月一杯とのことでしたが、予定が思いの外詰まっていることもあり、雨模様の今日、書き上げることにしました。

 この先生は、女性の国語の先生で、生涯独身、生涯我々の高校だけで教鞭をとりました。教師を辞めた後も、東京を始めとする、各地の同窓会を訪れては、教え子達と話すことを生き甲斐としていたようです。私が、高校3年生の時、私達のクラス全員で、この先生に対し、悪ふざけをした事件がありました。全員が、教壇に対して、机を後ろ向きにして、授業を拒否したのです。この事件の顛末を、思い出として書きました。久し振りに、高校の卒業アルバムを見ました。懐かしさがこみ上げました。

 書き上げた時は、午後4時を回っていました。早速、マドンナにメールで原稿を送ったところ、大変面白く、大笑いをして読んだと、お礼のメールが帰って来ました。今日は、ほとんどを、パソコンの前で過ごしましたが、非常に充実感を覚えました。

 5時から、相撲を見ていると、次男が起きて来ました。今日は、月曜日で次男の休みの日でした。起きたのは、随分前だったようですが、私が自室に籠って、書き物をしていたので、次男も自室でテレビを見ていたようです。相撲が、終わった所で、次男に手伝って貰って、玄関ポーチを片付けました。玄関部分も工事をするので、片付けて欲しいと要請があったのです。何処にも、持って行く場所が無いので、家の中の空いている1室に、取り敢えず大物を運び込みました。小物は、期限である27日までに、私が適宜片付けることにしました。

 次男は、今日、予定が無かったので、この前の散歩の時に買って来た、地場産の茸で茸鍋にし、白骨温泉に行った際に買って来た、亀田酒造のアルプス正宗を飲むことにしました。鍋も酒も旨く、次男と久し振りにゆっくり飲み、かつ、話しました。丁度、テニスのATPファイナルの中継をやっていたので、テニスの話で盛り上がりました。次男は、大学時代テニス部だったのです。

 

「思春期の マドンナからの 頼み事 青きレモンの 記憶が戻る」

「人生の ページ捲れば 現れる 我を育てし 恩師の姿」

「蔵元で 求めて来る 吟醸酒 息子と飲めば 旨さ格別」

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2016年11月21日 (月)

2016年11月20日

2016年11月20日

 

 今朝は、良く寝て7時半に起きました。幕の内からでも富士の存在が分かる程、くっきりとした富士が見えました。日曜日は、工事がありませんので、ベランダに欲し物が出来ますし、今日は、日差しも強く温度も上がって、絶好の洗濯日和だったので、大量の洗濯をしました。この所、洗濯しても部屋干しばかりなのです。幕の内なので、充分な日差しは、期待できませんが、少しでも光を感じさせてやりたいと思いました。

 8時半頃から、富士を見に土手に出ました。土手に行く道に、昨日の雨で出来た水溜りに、我が屋の前の紅葉した桜が映っていました。紅葉の季節は、何でも絵になる風景に変わります。土手から見た富士は、朝日に照らされて、くっきりと見えました。冠雪も大分裾野の方まで降りて来ました。土手の草が、夜露を乗せていました。その夜露が、朝日を浴びて、ルビー、サファイヤ、トパーズ色に光っていました。太陽が夜露を乾かすまでの、一時の輝きです。この色を、写真に撮りたいと何度も挑戦しているのですが、旨く行きません。ファインダーを覗いている時は、実に綺麗に光っているのですが、写真ではその光が、出て来ません。レンズとシャッタのせいでしょうか、私の技量のせいでしょうか、今、反省中です。

 今日は、ローマ時代、麻雀の仲間だった平田画伯の個展を見に、池袋の西武デパートまで行って来ました。

 妻と一緒に行くことにしていましたので、先ずは、妻から頼まれた買い物を届けるために、4時までに妻の家に行くことにし、それならば東京の紅葉を楽しもうと、我が家を1時過ぎに出ました。2時半近くには、東京の四谷に着きました。

 ほぼ紅葉の終わった真田濠を歩き、食い違い見附から、迎賓館に出ました。ユリノキ並木が、今、紅葉の時期を迎えていました。迎賓館の白い門、土手の向こうの大学、遠く赤坂のビル街と、ユリノキ並木の紅葉が、都会の秋の演出をしていました。この辺りは、青春の思い出が詰まっています。

 現在の迎賓館は、赤坂離宮と呼ばれ、我々が学生の頃までは、戦後のまま放置され、草茫々の荒れ地で、自由に入ることが出来ました。何時だったか、はっきり覚えていませんが、迎賓館として整備され、夏の極く僅かな日を除いて、一般の入場は禁止されました。それが、今年から、迎賓館として使用しない場合は、1年中一般公開されるようになりました。折角、迎賓館まで来たのだから、見学してみようと思ったら、11月の公開予定日は、昨日まででした。12月の公開予定日は、8~12日、20~27日とのことでした。

 四谷から、お堀の外周道路を歩き、神楽坂に向かいました。四谷駅近くの運動公園は、銀杏や欅の紅葉が見頃でした。その先の唐楓の並木は、紅葉には、暫く間があるようでした。市ヶ谷濠には、毎年来るキンクロハジロとマガモが、今年もやって来ていました。その中に、渡り鳥ではないカモメが、浮き立つような白さで泳いでいました。ある場所では、20羽くらいのマガモが、1点を中心に、円を描いてグルグル回っていました。こんな光景を見たのは初めての事でした。一体何が起きたのでしょうか。その必死さが、容易ならざることが起きたようにも見えましたが、滑稽にも見えました

 飯田橋まで行くと、歩道に出店が出て、大変な混雑でした。東京理科大の学園祭をやっていました。公共の歩道でしたが、学園祭の時だけは、出店を出すことが許されているようです。神楽坂にも、歓迎の幟が出ていました。

 丁度4時に妻の家に着き、頼まれたコーヒーを渡しました。妻は、すっかり外出の用意が出来ていましたので、そのまま展覧会場に出かけました。会場のあるデパートで、買い物もしたいとのことでした。地下鉄有楽町線で、乗り換えることも無く、池袋に着きました。少し買い物をして、5時過ぎには、展覧会場に着きました。

平田さんは、夕日の画家として、これまでずっと、夕陽の絵を描いてきました。ローマに住んでいたので、ローマとかフィレンチェ、ヴェネツィアなどイタリアの夕日が中心だったのですが、今日の会場には、富士山の夕日がありました。昨年、ローマを引き上げて来たそうです。40年を超えるローマ滞在だったようです。最近は、絵の売れ方が以前ほどではなくなり、経費を賄うのが大変になったようです。

展覧会場を出て、この前、白骨温泉に一緒に行った友人夫婦と、イタリアンバールに行って夕食にしました。旦那は、同じ頃にイタリアに居たので、当然、平田さんも良く知っています。4年程前だったか、矢張り平田さんの展覧会の後、この店で夕食をしました。店の雰囲気を感じながら、その時の事が、少しずつ思い出されました。イタリアのワイン、ピザ、生ハム、チーズ、スパゲティー、アヒージョとイタリア三昧で、美味しい食事になりました。

帰りは、飲み過ぎのせいか、寝過ごして北野まで行ってしまいました。聖蹟桜ヶ丘に戻った時は、10時34分の最終バスが出た後でした。結局、タクシーで11時近くに我が家に戻りました。

 

「水溜り 桜の紅葉 映しとり 額に嵌まりし 画人のえなり」

「多摩の土手 うち出で見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪の降り積む」

「朝の日に 宝石箱を 飛び出した 赤青黄銀 野辺の宝石」

「灰色の 季節忘れた ビル街に 秋が来たよと ユリノキ並木」

「到着の 祝いだみんな 輪になって 真鴨が躍る 市ヶ谷ワルツ」

「異国の地 短き時を 共にした 夕日の画家の 人生も紅葉」 

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2016年11月20日 (日)

2016年11月19日

2016年11月19日

 

 今朝は、本降りの雨でした。幕がある為、外の様子は、良く分かりませんでしたが、幕が雨で濡れていました。空気は冷たく、晩秋を感じました。

 午前中の、仕事を終え、昼食に麻婆豆腐を作って食べました。一週間前に豆腐を買ったのですが、食べるタイミングを逸して、豆腐が、悪くなってしまいそうだったのです。一昨日買った茸も、キノコ鍋をしようと楽しみだったのですが、3日連続、夜は外食になってしまいました。鍋物だけは、昼に食べる気になれません。茸も、食べるタイミングを逃してしまいそうで、怖いです。

 昼食後、明星大学の公開講座「イスラームとフランス社会」に参加しました。聖蹟桜ヶ丘から高幡不動に出て、多摩モノレールに乗り換えれば、三つめが中央大学・明星大学駅です。駅を出たら直ぐにキャンパスです。公開講座の建物は、この前と同じでしたが、教室は違っていました。

 予定通り、午後2時半から講義が始まりました。比較的若い、西洋史を研究している講師でした。きちんとした資料も用意され、無料の公開講座にしては、配慮が行き届いていました。講義は、フランスで起きた3つのテロに対して、IS(イスラミックステート=イスラム国)が、犯行声明を出したことから、イスラムとフランスの歴史的関係から、テロとの関係を探ろうとしたものでした。具体的には、イスラム教の開祖ムハンマド、イスラム史、イスラム教、キリスト教とイスラム教の関係、十字軍、教皇ウルバヌスの考え方、十字軍がムスリムに行ったこと、イスラム側の「聖戦(ジハード)」の呼びかけ、の如く、

11世紀から、フランクとイスラムの対立が存在していたこと、現在のフランス社会においても、イスラム移民に対する就職差別による移民の貧困の問題、フランスのみならず西欧の人々のムスリムに対する偏見が昔も今も存在する事、このような、歴史的対立と現在の偏見差別の問題が、ISをフランスでのテロに駆り立てたと言う話でした。更に、解決策の1例として、歴史上においても、フリードリヒ2世のように、対話による交渉によって、キリスト教とイスラム教の聖地の共存を達成した事例が紹介されました。そして、歴史家は、未来を語ることはしないが、と前置きして、温故知新――>過去の良き例を学ぶこと、〇教養とコミュニケーションーー>偏見の壁を破るには、学びの姿勢が大切、〇多文化主義ーー>文化・文明には、優劣は無く、あるのは違いだけ、偏見の壁を破るには、多文化主義の視点が必要、と結んで講義は終了しました。

 私は、一昨年フランス旅行をした時に、フランスの右翼団体が、黒ずくめの衣装で、トランプと同じように移民追放を叫んでいたのを実際に見ました。そして、私としては、文化は多くの場合、宗教との関連の中で形成される場合が多く、日本は特にその傾向が強い、日本の社会文化を代表する祭りは、その典型であると思っています。従って、多くの国の国民にとって、文化は単なる多様性の一部ではなく、生活の拠り所になっていることが多いと思っています。戦前の韓国蔑視を未だに持っている人は、日本国民の中に多いと思います。かく言う私も、完全に偏見を捨てきれないでいます。このような観点から、多文化主義なる言葉は、実際の偏見を打ち破る鍵となるのかについては、疑問を感じました。

 この点を、講師に質問した所、講師は、「全くご指摘の通りで、多文化主義は、偏見をなくそうとする努力の、入り口の一つと考えています。偏見の打破は、非常に難しいこととは思いますが、色々な糸口を見つけて、打破に向かって努力をしない限り、偏見は永久に残るだけでなく逆に強まり、戦争やテロは終わらないのです。」と答えてくれました。若い講師でしたが、しっかりとした考えを持っていると思いました。

また、彼は、個人的な見方に過ぎないと前置きし、政治体制は、国家によって異なってもやむを得ない。アラブの国々にとっては、国家の指導者を選挙で選ぶ民主主義より、王政や絶対権力者による独裁政治が合っている様な気がすると言っていました。確かに、近代になって、独裁主義のアラブ諸国が、アラブ同士の内戦以外、戦争を仕掛けた話を聞いたことがありません。王政や独裁政治の方が安定した国家運営をしているようです。戦争を仕掛け、アラブ諸国を蹂躙したのは、西欧側です。西欧とアラブの実力差もあったと思います。アラブの春と言う民主化運動も、結果的に国家に混乱を招いただけになっています。これらに関しては、西欧の真似をして、他国侵略を厭わない戦争好きの軍国主義を経験し、近くに北朝鮮がある我が国としては、多くの意見があると思いますが、議論してみる価値はあると思います。私個人としては、王政も独裁政治の両方とも、論理的にも感情的にも嫌いです。公開講座のお陰で、久し振りに、知的刺激を受けました。

 四時過ぎ、霧の中で見事な紅葉をしているキャンパスを後にしました。昨日の酒場、調布の「つぼ八」には、五時前に着きました。先ず、レジに行って、昨晩、一万円札を落として、電話連絡をした者だと伝えました。すると、昨日我々をアテンドしてくれた店員が出て来て、レジの奥の部屋から、綺麗に包まれた1万円札を出してきました。身分証を出して、昨日電話した物だと分かるようにしました。店員は、私の事を思い出して、1万円札を出してくれました。

来たついでですから、カウンターで、びっくり鮪、白子の天婦羅、アスパラの肉巻きフライ、〇〇焼き鳥を頼み、相撲を見ながら、熱燗二合を飲みました。今日は、寒かったので、熱燗が体の芯から暖かくしてくれました。少々、食べ過ぎ飲みすぎでした。

帰りに、レジで同じ店員が清算をしてくれて、「カウンター席の下に、落し物が無いことを確認しましたよ」と言ってくれました。「同じことは、しない積りでいるのだけど、年と取ると何度もやるんだよ」と答えると、「この店では、私達が気を付けますので、またいらして下さい」と言われました。なかなか良い店員でした。カウンターでは、一人で飲んでいる老人が、私の他に三人いましたので、また来てもいいかなーと思いましたが、いかんせん遠過ぎます。

 買い物をしたりしましたので、家に帰ったのは、八時近くでした。何もすることが無く、日記を概略纏め、取り溜めた録画の一つを見て寝ました。

 

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2016年11月19日 (土)

2016年11月18日

2016年11月18日

 

  今朝も、6時半頃、幕の外へ出て、外の様子を確かめました。雲が、ほとんどない快晴で、今登ったような太陽が東に輝き、西の空に月が出ていました。スーパームーン以来、何処に行っていたのかと探していたのですが、見つかりませんでした。余程時間が遅くならないと、我が家の方には、顔を出さなくなっていたようです。「日は東に、月は西に」、非常に語呂が悪いですね。

 我が家の前の、水門の所に朝霧が立っていました。水門から出てくるのは、この前散歩に行った、国立の水再生センターから出て来る処理水なので、水温が少し高いようなのです。多摩川の本流には霧は無く、此処だけが霧に覆われていました。吐く息も白く、かなり冷え込んだようです。川鵜達が、朝食の地へ向かって、雁行のように空を飛んでいました。

 一旦家に戻り、午前中の仕事を終えて、今日は、日中良い天気が続くとのことだったので、11時半には、散歩に出ました。手術後初めて、神代植物園と深大寺に行って来ました。

 1時半過ぎには、神代植物園着きました。先ずは、植物園の隣にある、植物多様性センターを訪れました。特に何かを見る積りは無く、良い紅葉をしている木があるかもしれないと思ったのです。入り口のスズカケが、黄葉していました。大木なので、見応えがありました。その他は、特に見るべきものは無く、ツワブキとイソギクが、花らしい花として咲いていたくらいでした。イソギク(磯菊)は、名前の通り磯に咲く菊のようですが、名前も花も初めてでした。

 植物園に行ったら、財布を持って来ていないことに気が付きました。電子マネーで入場券が買えれば良いと思ったのですが、買えませんでした。当然、ATMも無く、近くのコンビニのATMで、現金を3千円下ろして入場券を買い、漸く入場する事が出来ました。入り口近くでは、秋の恒例の菊花展をやっていました。残念ながら、最近、この種の作られた花には、興味が薄れました。精一杯生きる美しさが感じられないのです。造花の世界と同じです。同じように、この植物園が誇るバラ園のバラにも、何の感激も覚えなくなりました。温室の花も同様です。従って、この植物園そのものに対し、魅力を感じなくなりました。どの公園の植物も、人が作り育てているのですが、この植物園程完璧ではない所が、実は魅力になっています。

 今日は、大木のユリノキ、楓葉風の紅葉を見に来ました。これらの木も、移植され育てられた木だと思いますが、大木になり人手が必要なくなりました。そして、彼等自身が、風景を作り出すようになりました。彼等と武蔵野の面影を残す雑木林が、数少ない魅力です。この大木達は、期待通りの秋の風景を作り出していました。

 今日、幾つか良い事がありました。一つは、多くの家の垣根で見られる花の名前が分かったことです。ウキツリボク(別名チロリアンランプ)でした。別名の方が、良く花の感じが出ています。小さな赤い提灯のような花です。次は、シャクナゲ園で、季節外れのシャクナゲの花を見ました。ツツジを始めとして、今年は季節外れの花が多いです。次は、バラ園の奥の緑の木の中に、真っ赤な物を見つけました。こんな所に花が咲くのかと不思議に思って、よーく見ると木に巻き付いた蔦の紅葉でした。夕日を受けて、赤く輝いていたのでした。思いがけない紅葉で、楓にも負けないと思いました。また、3人組の伯母さんが、休憩所のテーブルの上の木の実の写真を、真剣に撮っていました。「何ですか」と聞いてみると、「何かの木の実だろうけど、見方に拠っては、カブトムシに見えたりするのよ」と言いました。確かにその通りで、私も、小母さんの真似をして、写真を撮りました。池の脇に、メタセコイヤの林がありますが、此処のメタセコイアの紅葉は、もう少しと言う所でした。しかし、隣の杉か松か分からない様な、ラクウショウ(落羽松)は、渋みもあるとても綺麗な紅葉をしていました。

 紅葉園の紅葉は、あと1週間ほど掛かるようでした。植物園の見学は、これで終わることにし、急ではありますが、調布の近くに住んでいる友人に電話をかけ、一緒に酒が飲めないか誘ってみたところ、二つ返事でOKしてくれました。余程の事が無いと断らないのが、この友人の良い所です。4時に、調布駅で待ち合わせることにしました。

 時刻は、まだ3時でしたので、深大寺の方へ出て、先ず深大寺に参拝し、門前町を歩きました。こちらの方の紅葉は既に紅葉し、秋を感じさせました。蕎麦屋の前の池では、赤い紅葉の下を、一番の真鴨が泳いでいました。

 3時半にバスで調布へ向かい、調布でもう一度コンビニにより、酒を飲むためのお金を1万円下ろしました。4時5分程前に、待ち合わせの場所に行くと、友人の顔が見えました。丁度一月前、体育会の同期会であったばかりですが、二人で飲むのは久し振りでした。以前は、良く二人で飲んだものです。現在は、お互い年を取り、夫々病気上がりで、酒も沢山は飲めない為、1時間くらいを予定していたのですが、飲み始めれば腰が据わり、結局、6時過ぎまで飲みました。割り勘にして、飲み代を払い別れました。

 私は、途中の府中で降りて、妻から頼まれたコーヒーを買ったところで、1万円が見当たりません。買い物そのものは、カードで払ったので問題はありませんでしたが、1万円の紛失は、結構痛手でした。友人に電話して、割り勘で渡した2千円が、実は1万1千円渡したかもしれないと、調べて貰いました。ところが、友人の所には、割り勘分の残りの分、2千9百円しかないとのことでした。5千円しか持って行かなかったので、間違いないそうです。

 家に帰って、徹底的に調べてみましたが、どうしても1万円札が見当たりません。そこで、今日飲んだ飲み屋に電話した所、私達が飲んだところに、1万円札が落ちていたので、保管してあるとのことでした。外国人が日本に来て、同じようなことを経験し、大変驚くそうですが、日本人である私も驚きました。日本は、素晴らしい国です。お陰で、とても良い1日になりました。1万円は、明日取りに行きます。

 

「秋晴れの 夜明けの空に 月の出て 東に朝日 西に半月」

「天を突く ユリノキ見事に 紅葉し 期待通りの 秋の風景」

「頭上から 赤く小さな 花下がる チロリアンランプ 花のトンネル」

「石楠花さん 小春日和で あるけれど 君咲く季節 とうに過ぎたり」

「緑の木 梢近くに 赤き花 楓に負けぬ 蔦の紅葉」

「小母さんが 必死に撮ってる 枯れた実の 光で変身 甲虫へと」

「赤錆の 光るが如く 紅葉し 水面に映る 落羽松かな」

「我儘に 応えてくれる 友のいて 散歩の終わり 嬉しほろ酔い」

「現金の 失せ物出でて 魂消たり 世界に類無き 和人の住む国」

 

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2016年11月18日 (金)

2016年11月17日

2016年11月17日

 

 今朝、工事用の幕の内からは、晴れているのか曇なのか、はっきりしませんでした。ところが、朝日は、隣の工場を照らしているようでした。どうしても、きちんと外の景色を見たくなりました。7時過ぎに、幕の外の様子を確かめようと、家の前の多摩川の土手に出て見ました。雲一つない快晴でした。富士も見えました。朝日の中の多摩川の河原も見ることが出来ました。薄の葉が赤枯れて、多摩の河原も紅葉したようになっていました。土手の茅も色付き始め、朝日の赤さも手伝って、河原全体が、ぼーっと明るくなっていました。

こんな幕の内の生活は、うんざりです。それで、工事の終わりが気になっていたのですが、アパートの前の看板に、工事の概要が書いてあり、工事期間は、来年2月26日まででした。あと3か月強の辛抱です。春までには、幕は撮れそうです。

 家に戻って、次男が作って置いてくれたカレーで、朝食を食べ、その後、昨日の鎌倉の紀行文に取り組みました。これまでの山歩きの時、最初は私の趣味の延長で、軽い気持ちで75調の、山歩きの感想を取り纏めました。その後、感想が少しずつ詳しくなり、記録係のようになりました。山歩きに復帰すると同時に、記録係としても復帰した積りで、一所懸命頑張りましたが、完成したのは、1時近くになってしまいました。出来るだけ早く纏めないと、どんどん記憶が薄れてしまうのです。書き上がった紀行文を、山の仲間にメールで送り、ブログにも上げて、肩の荷が下りました。こう書くと、紀行文を書くことが苦労だけのようですが、苦労は同時に喜びであり、生甲斐の一つなのです。

 一段落した所で、昼食を済ませると、次男が起きて来ました。暫く、現在の韓国情勢について話しました。韓国の朴槿恵大統領に対する国民の怒りが、最高潮に達しています。これが、韓国の検察を動かし、経済や政治の実力者が、法を無視したような形で、社会を動かすような現状を変更できれば、韓国社会も大人の社会になるだろうと言っていました。以前、日本の警察が、ロッキードの汚職疑惑の関係で、田中角栄首相を追い詰めたことにより、日本の政治・社会風土は、かなり変わりました。国民は、国の組織が、法に従うこと、つまり法の下の平等が守られないと、誰も自分達を守ってくれないことを知るべきです。裁判所や検察は、法の番人としての職務を、国民が委託しているのです。韓国も同じように、民主主義と言う社会体制を採用していますから、韓国でも同様の筈ですが、韓国においては、未だに財閥の横暴、政治家と財閥の結託等、法による支配が成熟していない状況が見られる様な気がします。民主主義は、歴史的な多くの経験から、人間が到達できた、今の段階では、一番良い社会体制だと思います。日本も韓国も、民主主義社会が本当の意味で導入されたのは、戦後の事です。韓国も、早く民主主義を成熟させるとともに、日韓両国の関係も、成熟した民主主義の下で、発展して欲しいと思います。

 良い天気なので、次男を送り出す前、2時頃から、散歩に出ました。百草園まで歩いて来ました。

 四谷橋を渡り、百草園駅から、七生丘陵に登りました。丘陵の多くを占める、コナラやクヌギの黄葉が始まり、落葉も進んで、森に少しずつ隙間が出来て来ました。今年は、少し遅いような気がします。

 同じく、七生丘陵にある、百草園に着きました。百草園は、梅の名所ですが、紅葉の名所でもあります。但し、規模が小さいことが残念です。この規模で、300円の入場料は高いです。老人割引もありません。今日は、時間が遅かったせいなのか、人の姿を見かけませんでした。しかし、紅葉はしっかり進んでおり、イロハモミジもオオカエデ?(大楓)も真っ赤でした。ただ、日が西に傾いていて、百草園全体が、影の領域に入り、紅葉の赤さが今一つでした。

 隣の百草八幡から、朝日山緑地、桝井緑地へ抜けて、百草観音へ出ました。随分歩いたようですが、皆隣り合わせなので、15分も歩けば、全て歩けます。昔、この辺りは、里山だったと思いますが、里山の名残は、ほんの一部だけで、ほとんどが新興住宅地になっています。少しだけ残った森や畑は、倉沢緑地として、一応保護されています。

 倉沢緑地から、大栗川の宝蔵橋を経て、野猿街道の一之宮に出ました。交差点の近くに、温もり市という、産地直送が歌い文句の、八百屋があります。店頭に並べられた、キノコ類がどれも安かったので、ヒラタケ、椎茸、シメジ、キクラゲと、ついでに泥付き大根と、巨大な男根のようなカボチャを買いました。レジの若者に寄れば、今日、私が買った物は、シメジを除き、全て自分達が作ったものだと言っていました。カボチャは、(ちょっと自信を失いそうですが)、観賞用として、このまま乾燥できるか聞いたところ、若者は、「中身が甘くて美味しいんですよ、食べないのですか? ほっとくと腐るかも知れませんよ、どうなるか私も分かりません」と、なんという変な人だと言わんばかりでした。

 一之宮から、日の落川を通り、四谷橋を渡りました。夕焼けが、川面に映っていましたが、時々鯉が跳ねて、大きな波紋を作り、川面の夕焼けを壊しました。4時半に我が家の前の土手に着いたら、もう日は沈んでいました。富士山の稜線から、稜線の延長線に影が延びて、富士が巨大に成長したように見えました。

 5時近くに我が家に戻りました。丁度、三役の相撲が始まっていました。夜は、次男が作った、「おでんもどき」と買い置きの胡麻豆腐、買って来た大根の葉の塩揉み、作り置きの鶏の軟骨で、晩酌にしました。幕のお陰で、月見酒も富士見酒も出来なくなってしまいました。あと3か月の辛抱です。

 

「薄の葉 茅の紅葉 競い合い 朝日も手伝い 茜の河原」

「百草園 紅葉進むも 日の陰り 赤さ今一 残念至極」

「店頭に 並んだ茸 皆安い どれも採れたて 地場産茸」

「男根の 見本のような 南瓜あり 撫でて擦って 力貰おう」 

「夕焼けが 川面に映り 茜色 意地悪鯉が 波紋をつくる」

「陽が落ちて 稜線上に 影延びる 巨大な富士の 誕生なりや」

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2016年11月17日 (木)

2016年11月16日

2016年11月16日

 

 今日は、山の仲間と鎌倉の天園ハイキングコースを歩くので、昨晩は興奮して良く眠れませんでした。目覚まし時計を、朝6時にセットしたのですが、5時には起きてしまいました。しかし、思った以上に楽しい一日でした。何時ものように、75調の紀行を書きましたので、私の今日の一日を想像してみて下さい。

 

鎌倉天園紀行

 

「天の園 歩いてみようと 山仲間 北鎌倉に 13人」

「胃癌から 仲間に復帰の 山猿に 心からなる お帰りなさい」

「天気予報 今日は晴れと 予報せり されど日は無く 風は冷たし」

「鎌倉の 山を歩きに 来たけれど 一つくらいは お寺詣でを」

「駅の側 円覚寺派 本山に 我等も向かう 誰もが向かう」

「よそ様の 記念撮影 お邪魔して 総門前の 紅葉楽しむ」

「山門を 潜りて正面 仏殿へ お邪魔しますと 仏に挨拶」

「晩秋の 赤が似合いの 境内に 青紫の 野ボタンの花」

「池の縁 冬を間近に 白百合の 己が姿を 眺めているかな」

「茶を飲ます 庵の入り口 おもてなし これぞ活け花 一枝の秋」

「本堂と 山水の庭 朱紅葉 寺の境内 大和の秋景色」

「まだ元気 急な階段 上り詰め 鎌倉一の 洪鐘見学」

「洪鐘の 展望カフェより 一望す 鎌倉湘南 丹沢山塊」

「修行の地 円覚寺に 別れ告げ 仏になろう 天園歩き」

「境内は 紅葉の多く 秋景色 山は常緑 南国の山」

「山歩き 始めて見れば 北風も 心地良きかな 上着を脱ぎし」

「曇り故 常緑の森 薄暗し 木々は茂りて 見晴らし悪し」

「尾根の上 展望台の 現れて 展望カフェより 広き世界が」

「13人 展望カフェを 占拠して 弁当開きて 楽しき昼餉」

「展望台 我等の中に 二人連れ 我等気にせず 真ん中陣取る」

「下り道 ぬかるむ道に 足取られ すってんころりと 転ぶ人あり」

「ゴルフ場 展望開け 横浜の ランドマークが 一際高し」

「横浜の 向こうに見えるは スカイツリー 言う人あるも 全員不同意」

「大島の 隣に広がる 水平線 光の落ちて 輝く一文字」

「突然に 現代建築 現れる 鎌倉カントリー クラブハウス」

「鎌倉に ゴルフ場など 想定外 山切り開き 何人楽しむ」

「ハウス脇 昼餉楽しむ 人多し 昼餉狙いて 鳶の舞うなり」

「天の園 歩き終わりて 俗世間 極楽真似る 永福寺跡」

「我が仲間 史学を学びし 人のあり 発掘途上の 史跡に真剣」

「史跡横 我等が仲間 逗子婦人 通い楽しむ テニスコートあり」

「人だかり 何かと思えば 野菜売り 地場物野菜 多くは無かりし」

「鎌倉に 昔の仲間の 家のあり 全身不随の 仲間を見舞う」

「その昔 仲間と登った 月山の 地場の漬物 馳走になりき」

「頂上の 記念撮影 忘れしも 昔の仲間と 記念撮影」

「時は過ぎ 昔の仲間の 家を出て 立派な建物 清泉小学校」

「女子校か? 仲間の一人が 言ったため 地元の老人 纏わり付きぬ」

「老人の ボランティアガイド 受けながら 古都鎌倉の 古道を歩く」

「八幡宮 老人ガイドも いなくなり 思い思いの 〆の鎌倉」

「台風で 倒れてしまった 大銀杏 ひこばえ銀杏 大きくなりぬ」

「参道を そぞろ歩いて 小町通り 今日の打ち上げ 中華二楽荘」

「今日の日は 南米の山 挑戦す 我等が仲間の 壮行会なりし」

「壮行会 主役の家に 不幸あり 急遽癌手術の 全快祝い」

「山歩き 打ち上げとしては 上品な 欧風中華で 意気は上がらぬ」

「紹興酒 重ねて飲めば 酔い回り 不平忘れて 何時もの打ち上げ」

「何となく 長居の出来ぬ 店を出て 名残惜しけど 駅で解散」

「用足しに 出かけた3人 置き去りに 迎えてくれるは 逗子婦人のみ」

「3人は、続きをやろうと 大船へ 駅前広場に 仲間が一人」

「何故此処に 理由はともかく 飲みましょう されど明日は 検診の日」

「結局は 3人だけで 居酒屋に 正真正銘 これが打ち上げ」  

 

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2016年11月15日 (火)

2016年11月15日

2016年11月15日

 

 今朝も、雲の多い朝でしたが、天気予報の通り、午前11時過ぎには、日差しが出て来ました。

 6時半、私が起きた時、次男が帰って来ました。自分では朝帰りと思っていないらしく、今日中に帰れて良かったと言っていました。次男は、直ぐ眠りに入ったので、私は何時もの通り、日記を書いて、11時半頃から、散歩に出かけました。

 今日は、先日、日曜日に行ったため、薬草園を見ることが出来なかったので、もう一度、東京薬科大学へ行って来ました。

 薬科大学に着いたら、校門のメタセコイアの紅葉が出迎えてくれました。メタセコイアの紅葉は、つい先日、白骨温泉への山道で見た、落葉松の紅葉と同じ色をしていました。明るい朱色の紅葉で、日光が当たると黄金色になりました。メタセコイアの下の、ツツジの植え込みの上に、ヨメナの花だけが出て来て、変なツツジの花だなーと思ってしまいました。

 この前来た時に見た、山査子の実が、まだ木に残っていました。山査子の実は、漢方薬の一つらしいので、赤い実と黄色い実を、夫々5個ずつ頂いてきました。

 薬草園に入る前に、「たにしの池」を見ながら、昼食にしました。薬科大に着いた時には、1時近くになっていたのです。店で売っている、お握りや弁当などが、普通に食べられるようになったので、食事時の外出も、何の問題も無くなりました。昼食を食べているベンチの前に、フユノハナワラビが咲いていました。

 1時半頃、薬草園に入りました。花の跡にも素晴らしいものがありましたが、取り敢えず、薬草園に咲いていた花を列記すると、次の通りです。薬草園ですから、世界中から薬草を集めており、全く耳慣れない花もあると思いますが、悪しからず。ヒイラギ、シマカンギク、オオバハブソウ、サフラン、ローズマリー、サルビア・ヒスパニカ、アルカネット、ナスターチウム、ボリジ、カワラナデシコ、イトラッキョウ、カミメボウキ、キバナオランダセンニチ、オランダセンニチ、テンダイウヤク、トウガラシ。

 実が面白かったのが、サネカズラ、ケブカワタでした。紅葉が綺麗だったのは、ハイブリッシュ・ブルーベリー、シデコブシでした。勿論、池の端や森には、イロハモミジ、コナラ、ユリノキ等の紅葉も見られました。残念ながら、枝垂れ桂の黄葉は終わっていました。

 今日の薬草園では、三つ感激することがありました。一つは、我が家の近くに、咲いている花の名前が分からず、悩んでいたのですが、それがローズマリーの花だと分かったことです。分からないことが、一つずつ解消していくのは、とても嬉しいことです。二つ目は、水藻の小さい黄色い花を始めて見たことです。若しかすると、生涯一度の事かも知れないと思いました。三つめは、温室の出口で、コーヒーの赤い実を見たことです。名前が付いておらず、係員にも確認しませんでしたが、中南米で何度も見た実ですから、間違いはないと思います。とても懐かしく思いました。これまで、何度も薬草園に来ましたが、失望したことはありません。

 花の中で、オランダセンニチは、千日紅(センニチコウ)のオランダ版です。日本のセンニチコウの花は、紫か白がほとんどですが、オランダ版は、黄色や黄色の中に紫がある花もあるのです。

 薬科大学の見学を終えて、薬科大学の前の里山を歩きました。始めて歩くところでした。丘陵の裾の昔道を歩きました。至る所に、山盛りの菊の花が咲いていました。狂い咲きとは思えない程、ツツジやサツキが咲いていました。皇帝ダリアが、里山を睥睨するように咲いていました。薬草園で、オランダ版センニチコウを見て来ましたが、里山には大和の国の千日紅が、乱れ咲いていました。韮の花と露草が肩を寄せ合って咲いている所もありました。ノゲシには、ベニシジミ蝶が、コスモスには、紋黄蝶が翅を休めていました。昼顔には、テントウムシが止まっていました。野生化した三色菫なのか、はっきりしませんが、葉が紅葉し、濃い紫の花が咲き、お伽の国の花園に迷い込んだようでした。近くには、名も知らない野草が、淡い紫の花を咲かせ、お伽の国の花園に参加していました。今でも養蚕をやっているのかと思わせるほど、立派な桑畑もありました。そう言えば、この里山は、八王子市でした。里山には、駐車場も沢山ありましたが、里山の雰囲気は、充分残っていました。

 平山通りに出て、堀之内第一トンネル、第二トンネル、第三トンネルを歩いて、平山城址公園入口のバス停に着き、そこからバスで、平山城址公園駅へ行き、聖蹟桜ヶ丘経由、我が家に戻りました。今日は、想定外の、過分の散歩が出来ました。相撲を見る時間には、太陽が富士の裾野の端に落ちました。ダイヤモンド富士が近づいてきました。

 明日は、胃癌の手術後初めて、山歩きの仲間の山歩きに復帰します。少々、緊張しています。皆について行くだけで十分なのですが、それが出来るかどうか心配です。明日は、早く家を出なければならないので、早く寝ようと思います。

 

「天を突く メタセコイアの 紅葉が 我を迎える 薬科大学」

「刈り込まれ 坊主頭の ツツジの木 坊主に簪 嫁菜の花かな」

「山査子の 赤と黄色の 実を貰い 健康願い 蜂蜜漬けに」

「紅葉の たにしの池を 眺めつつ 握り頬張る 秋の薬科大」

「薬草園 ローズマリーの 花を見て 気懸りだった 花の名を知る」

「枯れ果てた コウホネの下 水藻あり こんなに可愛いい 花咲かすとは」

「温室の 側に馴染みの コーヒーの木 赤き実を付け 思い出誘う」

「古くから 守り続けた 里山は 畑の畦に 菊が山盛り」

「菊の側 千日紅の 咲き乱れ 日本古来の 花の競演」

「晩秋の 野芥子の花に 紅シジミ 君等の春は 何時迄続くや」

「昼顔の 大きな花に 染みのよう 赤地に七星 てんとう虫かな」

「晩秋に 肩を寄せ合い 咲き続け 韮に露草 長生き競争」

「野に咲くや 三色菫の 青き花 葉は紅葉し お伽の花園」

「今の世に 養蚕農家の 残りしか 多摩の里山 桑畑のあり」

「里山は 多摩は多摩でも 八王子 昔は名高き 絹の生産地」

 

 

 

 

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2016年11月14日

2016年11月14日

 

 気持ちまで暗くなるような、薄暗い朝でした。

 我が家のアパートの近くに、一戸建て住宅地が3地域あります。その中で一番古い地域は、約40軒ほどですが、既に2軒が空き家になっています。残りの家も、全部調べた訳ではありませんが、ほぼ9割が、老人夫婦が暮らしています。その中の1件は、独居老人が暮らしていて、庭の手入れも出来ない状態になっていました。これまで、ケアハウスの車をよく見かけましたが、最近見かけなくなりました。昨日、50代くらいの夫婦がこの家を訪れ、庭の手入れをしていました。息子か娘夫婦か分かりませんが、この家で同居するのかと思っていましたが、今日見ると、車が無くなっていたので、老人を引き取ったのかも知れません。まだ、独居を続けているのかも知れません。死んでしまったのかも知れません。健康な時から知っていましたので、とても、成り行きが気になります。明日は、我が身ですから。

胃癌の手術をして、取り敢えず、命を取り留めましたが、自分自身の手で、家事すらままならぬ時が、そう遠くない時期に来ることが分かっています。しかし、その対策は、無いと言ってよいのです。歩いたり、体操をしたり、努力はしているものの、それで老化が止まるものではありません。財産や葬儀等の始末を含めて、就活(就職活動)をもじったような終活が、流行っているようですが、老人が、どのように、この世と別れを告げるか、社会がその為に何が出来るかについて、宗教とか文化とかの枠組みに捉われない議論を、して欲しいと思います。私は、本人の覚悟、場合によっては本人の意思を受け継いだ家族等が、覚悟を決めた場合は、医者が旅立ちを手伝っても、法に触れないようにして欲しいと願っています。同時に、道義的責任を追及するような、社会的風潮を抑えて欲しいと思います。

 雲行きが怪しいので、2時頃から散歩に出ました。今日は、この前、途中で中断した、谷保天神に行って来ました。

 先ず、最近来ることの少なかった、四谷桜公園で準備体操をしたところ、公園の早咲きの桜は、既に紅葉の盛りを過ぎ、葉がほとんど落ちていました。遅咲きの桜と欅、ユリノキは今が紅葉の盛りでした。紅く染まった桜の葉が1枚、常緑の金木犀の木に落ちて、小さな灯(ともしび)のようでした。

 四谷公園から、我が家の前の三屋通りを経て、四谷緑道に出ました。家の庭では、様々な種類の菊が咲いていました。日本の秋の代表的な花と言えば、矢張り菊でしょう。ある家の庭には、紅葉した葉の上に、山瑠璃草のような青い花を付けた草がありました。葉の赤と花の青が、好対照でした。名前は分かりません。この緑道は、国立市と府中市の境で終わり、国立市に入ると直ぐに、泉町公園があります。先日、彼岸花が一杯だった公園で、今はユリノキと欅、山桜、辛夷の紅葉が真っ盛りでした。

 泉町公園から、歩道橋を渡って、国立水再生センターの屋上に行くことが出来ます。屋上には、野球場、テニスコート4面、バスケットコート1面の運動場になっています。建物の屋上ながら、かなり大きな桜の木が植えられていて、紅葉していました。水再生センターの敷地には、この辺りでは珍しく、ポプラの木がありますが、紅葉している様には見えませんでした。

 再生センターから、中央高速を越えて、ヤクルト中央研究所へ出た時、雨が降り出しました。強い雨ではありませんでしたが、歩いていると、しっかり濡れました。研究所のすぐ前の「城山さとのいえ」で雨宿りをさせて貰いました。10分程、展示物を見ながら雨宿りをしましたが、止みそうもなかったので、濡れるのを覚悟で、谷保天神まで歩きました。城山公園から谷保天神までは、15分も歩くと着きました。境内の真ん中にある大銀杏が、見事に黄葉していました。

 谷保天神から、バスで我が家の近くまで来て、簡単に買い物をして、4時過ぎに帰りました。雨のせいで、なんだか慌ただしい散歩になりました。我が家の前の近くのショッピングモールには、大きな植え込みがありますが、全く手入れをしていない為、あらゆる野草の繁殖地になっています。現在は、ススキ、セイタカアワダチソウ、オオアレチノギク、ムカシヨモギ、エノコログサ等が勢力争いをしていました。紫狗尾草(エノコログサ)も、生えていました。紫狗尾草の紫は、穂だけかと思っていたのですが、茎も葉も全部紫でした。日頃、注意して見ていないのですね。

5時前から、大相撲を見ました。大相撲が始まると、テレビで見る物が、一つは出来て、これは有難いことです。通常は、ニュース以外に、見たいテレビがほとんどないのです。有り余る時間を過ごすには、困ったことです。

 

「足早に 冬将軍の 近づきて 慌てて紅葉 公園の木々」

「一枚の 赤き桜葉 舞い降りて 金木犀に 灯りの点る」

「晩秋の 家々の庭 菊の花 日本古来の 秋の花かな」

「そぼ降りし 秋雨の中 紅葉狩り 公園渡る 人里の秋」

「秋雨の 紅葉探しの 締め括り 谷保天神の 大銀杏なり」

「葉も茎も 全身紫 緑なし いかに生きるや 紫狗尾」

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2016年11月14日 (月)

2016年11月13日

2016年11月13日

 

 今日も、良く晴れた朝でした。昨日のニュースで、成蹊大学が、大学のある吉祥寺の辺りから、富士山が見える日を調査しているとのことでした。大気汚染対策が進んだこと、住宅が増え、逆に森林が減ったことにより、木から大気中への水蒸気の蒸散が減ったので、富士山の見える日が、年々増えているそうです。森林が減るのは問題ですが、富士が見える日が増えるのは、嬉しいことです。気持ちと言うのは、矛盾を孕んだものです。

 今日の昼は、次男が作って置いてくれた、「おでんもどき」と牛肉のステーキ風で昼食にしました。良い天気でしたので、昼食後間も無く、1時半近くには、散歩に出ましたので、今日は、次男には合わずじまいでした。

 3日程、まともな散歩をしませんでしたので、今日は、稲城城山公園から、向陽台、若葉台へ抜ける、少し距離のあるコースを歩きました。

 京王線で分倍河原へ行き、南武線に乗り換えて、多摩川を越えた稲城市の南多摩駅の南口に降りて、府中街道と川崎街道の交差点を、府中街道の丘陵を登る方へ歩きました。紅葉したユリノキ並木を歩くと、稲城中央図書館があります。その横の細い道が、稲城城山公園の入り口です。

 普通は、中央図書館に寄ることは無いのですが、今日は、「樹のカタチ」という写真展をやっていましたので、覗いてみました。写真展は、日本国中の、ご神木、巨樹、珍樹、樹の装いと言う副題がついていて、樹の持つ生命力、長年の風雪に耐えた痕跡、見方によってはとても面白いものに見える珍しい樹、さらには、新緑、花、黄葉と、何時も我々を楽しませてくれる樹の装いが、集められていました。私も、同じような視点で、何枚も写真を撮っているので、とても興味深く見ました。

 図書館の方は、1階のスペースが、オープンの本棚になっており、恐らく、通常読みたい本の9割は、このオープン本棚で見つける事が出来ると思います。来館者は、自分で勝手に本を探し、立ち読みするなり、椅子の所に持って行くなりして読むことが出来ます。館外に持ち出す時だけ、係員に書類を提出すれば良いようになっていました。人間を信用したやり方だと思いました。

 図書館の裏手に、野草園があり、春から夏にかけて、様々な野草が咲きますが、今は、ツワブキと僅かに残った関東ヨメナが咲いていました。

 野草園も城山公園の一部です。そこから階段状の山道を登って行くと、昔の多摩丘陵の森を感じる事が出来ます。途中、高野箒が咲いていました。城山にも高野箒が咲くのかと思って、写真を撮っていたら、60代と思われる小母さん3人組が寄って来て、「これは何の花ですか」と聞いてきました。私が、「これは、高野箒と言って、昔、高野山のお坊さんが、この木の茎を集めて、箒として使ったので、この名前が付いたそうです。」と答えると、とても感心してくれました。ちょっとだけ鼻が延びました。

 直ぐ近くが、見晴らし台でしたので、小母さん達と行って見ました。ところが、見晴らし台の入り口が閉まっていました。入り口の前のベンチで休んでいた小父さんに聞いてみると、最近は、4月から10月までの、日曜・祝日の午後しか、入り口を開けないそうです。

 見晴らし台から、急な階段を下りると、いきなり多摩ニュータウンの高層住宅街になります。ここで小母さん達と別れて、私は向陽台の方へ向かいました。向陽台は、最近のニュータウンで、並木や植え込みが多く、良く整備されています。何より、電柱と電線が無いのが、すっきりします。早く、日本中の街から、電柱と電線が無くなることを願っています。並木や植え込みの、欅、楓葉風(カエデバフウ)、山桜等の紅葉が始まっていました。欅は、木によって、紅葉の仕方が微妙に違っていました。赤色っぽいもの、朱色っぽいもの、黄色っぽいもの、その色合いの違いと、近代的な建物が、とても良い雰囲気を醸し出していました。石垣では、蔓延ると厄介ですが、適当な数の姫蔓蕎麦(ヒメツルソバ)が、紅葉していました。

 向陽台から、稲城中央公園を抜けて、楓葉風の並木が並ぶ、大通りに出ました。右手は、多摩カントリークラブ、左手は高層住宅街になっていました。3割ほどの楓葉風が、紅葉していました。ここでも、楓葉風の紅葉と、高層住宅が、良い具合に秋を演出していました。ユリノキとカエデバフウは良く似ていて、ユリノキ並木は良く見かけますかが、楓葉風の並木は珍しいと思いました。ユリノキとカエデバフウの違いは、葉を見るとすぐわかります。葉の先端が凹んでいるのがユリノキ、尖っているのがカエデバフウです。

 暫く歩くと、稲城長沼運動公園の土手に出ます。丘の上が運動公園になっています。初夏、この土手は、茅(チガヤ)の白い穂がとても綺麗な所です。今は、茅は紅葉を始め、薄(ススキ)が白い穂を出していました。穂の白さから言えば、茅の方が断然綺麗です。茅と薄は、ちゃんと棲み分けがされているようでした。紅葉を始めたチガヤの中で、背高泡立草やヒメジオンが、一緒に咲いている所があり、皆が一緒だと花園のように見えました。

 更に歩くと、「若葉台いずみ教会」という小さな教会が出て来ます。ここからは、多摩カントリークラブのフェアウェイが良く見えます。更に10分も歩くと、若葉台公園になります。日曜日なので、多くの人が集まっていました。若葉台公園の前の通りの桜並木は、すっかり葉を落としていました。ここから土日だけ運行しているバスに乗って、聖蹟桜ヶ丘に戻りました。

 我が家に戻ったのは、5時過ぎでした。四谷橋でバスの中から、府中駅の方に、14夜の月が出ているのが見えました。地上近くの月は、とても大きく感じました。家に帰って、テレビのニュースを見ると、今は、月が地球に一番近づく時期らしく、実際に大きく見えるとのことでした。明日の満月は、一番大きく見えるスーパームーンなのだそうですが、残念ながら、東京では見られそうにありません。

 

「小母さんに 高野箒の 名の由来 話しながら 鼻の延びけり」

「楓葉風 欅並木も 色付きて 向陽台は 森の町かな」

「日当たりや 木々の個性が 色変える 赤朱黄色に 欅の紅葉」

「石垣に 節度弁え 花咲かし 葉は色付きし 姫蔓蕎麦」

「色付きし 茅の隣 薄の穂 茅に代わり 白く輝く」

「ヒメジオン 色付く茅 泡立ち草 共に競いて 秋の花園」

「晩秋に 月は東に 日は西に 14夜の月 ビル街の上」  

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2016年11月13日 (日)

2016年11月12日

2016年11月12日

 

 今朝は、良く晴れました。しかし、工事用の幕のせいで、富士が見えているのか、はっきりしませんでした。寒気と暖気の押し合いが続いているのでしょう、昨日とは一転して、暖かい日になりました。

 昨日、工事用の幕が玄関側にも張られて、アパート全体がすっぽりと半透明の黒い幕で覆われてしまいました。昼間から、玄関側の廊下は、電灯がつけられるようになりました。この状態を残して置こうと、あらゆる角度から、写真を撮りました。四谷橋を渡って、多摩川の向こう側からも写真を撮りました。

 四谷橋から、多摩川の下流を見ると、小鴨が泳いでいました。この前来ていたカイツブリは、何処かに行ってしまいましたが、小鴨が来れば、本来の冬の渡り鳥シーズンの到来です。多摩川や支流の川、公園の池等、水場を歩く楽しみが増えました。常連の鳥達と渡り鳥との触れ合いも、楽しみの一つです。

 四谷橋の上、橋の周囲のアスファルトの道の、草でも生きて行くのは大変だと思われる、アスファルトの裂け目、コンクリートの割れ目、石垣の隙間に、必死に根を下ろしている草花がありました。花の時期の終わった、狗尾草、昔蓬、小栴檀草等でした。今日、雲一つない空で、真夏のように輝いている太陽が、この草達の影を作っていました。今まで、花の美しさばかりに気を取られて、影には気も止めませんでしたが、思いの外綺麗でした。この綺麗な影は、この草達が生きている条件の悪い所にしか出来ないのです。この草達の健気さを称えているようでした。

 我が家の近くに、柘榴、柿、姫リンゴ等、果樹が多い家があり、この家は、雀のお宿になっています。今日も、赤い実が鈴なりの柿の木で、休んだり柿の実を啄んだりしていました。小春日和の、長閑な風景でした。

 午後から、大学の野球部の創部100周年の記念行事があり、私は、野球部ではありませんが、参加しました。大学に着いたら、私のクラブの後輩が、練習していました。これを見ただけで、大学に来た甲斐があると言うものです。私は、式典は3時半からと思っており、15分は早く着いた積りでしたが、式典は既に始まっていました。3時からだったそうです。

 式典は、理事長、学長の挨拶など、淡々と進みました。我がクラブと野球部は、切っても切れない中ですので、式典の最後に、我がクラブの現役が、校歌を指揮しエールを送って、式典を締め括りました。更に、もう一つ、大学に来た喜びを貰いました。

 式典の後、大学の近くの盛り場で、後輩達と飲むことにしました。若者と飲めることは、老人の最高の幸せです。年寄りには、説教という本能が加わると言われています。今日も、訳の分からない説教を沢山して来ました。

 我がクラブの若者は、我がクラブで、自分の目で社会を見て考え、自分の力で人生を生きる、人間力の基礎を学んでほしいと思います。人生の生き方で、「この生き方が良い」と言うものは、何一つありません。自分の生き方を、自分で納得する他ありません。納得するためには、自分の力と責任で生きる他ないのです。

 我々が、子供の頃の大人達は、戦争に負けて自信を失くし、若者に、人生について話すことは少なかったと記憶しています。我が家の特殊事情もありましたが、私は、父と人生について話したことは、一度もありませんでした。学校でも、淡々と知識のみを教えました。図らずも、当時の若者は、自分で社会を見て、自分で人生を生きざるを得ませんでした。このことが、良かったのか悪かったのか、証明のしようがありませんが、この時代の若者は、日本の高度成長期を支えました。

 そして、この成長期を生きた人間が年を取ると、成長期を支えたことが、成功体験となり、若者に自分達の考えや生き方、成功体験を、教えたり押し付けたりするようになりました。時代は、どんどん変わっていくと言うのにです。学校でも、人生教育のようなものが始まりました。この教え方によっては、指示待ち人間やイエスマンを作り、将来の社会を築く、若者の力を削ぐと言うことが分からないようです。

 我がクラブは、少し特殊なクラブです。スポーツクラブのように、単に技を磨けばよいと言う訳ではありません。クラブの存在意義すら、あやふやなものです。しかしながら、歴史もあり、先輩も多く、他のクラブの信望もあり、組織力も強固です。国家や会社と似たような面があります。我がクラブの現役は、この疑似社会を、一番下から一番上まで4年間で駆け抜けます。このクラブで、最初に言ったように、自分の意識さえしっかりしていれば、自分の目で物を見、自分の力で人生を生きる、人間としての基礎力を磨くことが可能だと思っています。

 実際の社会は、我がクラブに較べれば、ずっと強固で複雑です。大企業に入ったら、企業の力に押しつぶされること無く、自分が成功するために企業の力を利用するくらいに考えて欲しいと思います。中小企業も別の問題を抱えています。問題から逃げることなく、自分の人間力が生かせる場所だと思うくらいになって欲しいと思います。新しく起業するのであれば、まさしく人間力が、生きる場所となるでしょう。失敗をする人も出て来るでしょう。その時は、仲間と過ごしたクラブ時代を思い出し、今が、人間力の発揮の為所だと思って欲しいと思います。社会の動きが、おかしいと思えば、きちんと発言するのも、人間力だと思います。

 こんな話をしながら、酒飲める私は、幸せ者だと思います。

 

「荒地でも 必死に生きる 草達の 健気な姿 写す影かな」

「良く見れば 美しき事 多かりき 草の花にも 草の影にも」

「老いの身に 若者の熱 伝わりぬ 不安な気持ちも 同時に伝わる」

「若者と 酒飲み話し 大笑い 青春時代に 戻りし夜かな」

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2016年11月12日 (土)

2016年11月11日

2016年11月11日

 

 今朝は、かなり激しい雨が降っていました。工事用の幕越しに見るので、外の様子が良く分からないのが問題です。レースのカーテンと同じで、明るい方は良く見えるのですが、暗い方は見えにくくなっています。今朝は、外の方が暗い為、外の様子が良く見えなかったのです。

 中国では、陰陽五行説に由来して、奇数を陽、偶数を陰として、陽の重なる日を縁起が良い日として祝う習慣があったそうです。日本でも、1月1日は正月、3月3日桃の節句、5月5日端午の節句、7月7日七夕として祝う習慣が残っています。奇数が陽ですから、別に同じ数字でなくても良いのですが、同じ数字の方が見栄えが良いですね。11月11日も当然何かを祝う習慣があっても良い筈ですが、これまで聞いたことがありません。今日のニュースでは、中国では、独身の日としているそうで、バク買いの習慣があるそうです。中国共産党は、宗教や古来の慣習を排除しましたので、経済開放政策後に出来た祝日だと思いますが、最近はかなり定着し、今日1日の売り上げは、1兆円を超えたそうです。中国には、独身者が約1億人いるそうです。

 長々と11月11日について書きましたが、実は妻の誕生日なのです。実に良い日に生まれたものです。妻は、誕生日のお祝いは嫌いなのですが、白骨温泉への旅行中、旅館側が誕生を祝って、各人にお酒1本のサービスをしてくれました。日頃は、酒を口にしない妻が、少しだけ飲んで、すっかり陽気になりました。

 今日は、ほぼ1日中雨だったため、散歩には出かけられず、午後中掛かって、75調の「白骨温泉紀行」を書き上げました。この紀行文を書くために、中部地方の地図とにらめっこしました。どのように車で走ったのか、確認したかったのです。そして、地図を見ながら、子供時代を思い出しました。父は、駒澤大学の専門部高等師範科歴史地理科を卒業しました。我が家は、戦争で焼けてしまったのですが、私が小学校1年の頃、小さな家を建て、小学校3年生の頃、増築をしました。増築した時に、父の書斎が出来ました。何処にどのように保管してあったのか、今思うと不思議ですが、書斎には、多くの本が並べてありました。当時、その中の、大きな地図と地学辞典を見るのが、とても好きでした。今日のように雨が降って、外に遊びに行けない日は、飽きもしないで地図を見ていたものでした。父がこの世を去って、早くも40年近くの月日が流れてしまいました。父の年より、一回り近く長生きしてしまいました。この年になって、父との思い出が、鮮明に思い出されるのです。あの世や霊魂の存在を信じている訳ではありませんが、父が呼んでいる様な気がします。死が迫る老いの人生の頼りなさに、宗教が巧みに入り込み、多くの人の心に長いこと影響を与えて来たのでしょう。

  午前中、冷蔵庫の中の野菜を整理するために、少しだけ残っていた、キャベツ、セロリ、玉ねぎ、シメジを炒め物にしました。炒め物用にソースは、「家政夫ミタゾノ」の第1話で紹介された、「ミートソースを中華ソースに変える方法」の通りに作ってみました。先日作って、少しだけ撮って置いたミートソースに、おかずラー油を混ぜました。確かに中華ソースらしくなりましたが、辛みが弱かったので、豆板醤を加えたら、とても美味しく食べられました。冷蔵庫もすっきりしました。

 夜は、この前旅行の後、エクアドルの友人と、新宿の広島料理店「安芸路酔心」に行った時、店の方針で、生牡蠣が食べられなかったので、今日は、近くのスーパーで、野菜類の他に、生牡蠣を買って来て、生牡蠣を肴に日本酒を飲みました。とても美味しかったです。

生牡蠣にも、父の思い出があります。長崎は、養殖はしていませんでしたが、牡蠣の美味しい所でした。私が子供の頃は、長崎港に流れ込む、浦上川の河口でも、牡蠣を取ることが出来ました。私が取って来た牡蠣を割って、大根で汚れを取り、酢醤油をかけて、父が美味しそうに食べていたのを思い出しました。今夜で、弟夫婦が来た時に買った酒が、漸く終わりました。毎日、何らかの酒を飲んでいますが、一人で飲むときは、1合弱程度なのです。

 

「父の背が 近くに感じる 老いの道 子供時代は 遥か昔に」

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2016年11月11日 (金)

2016年11月10日

2016年11月10日

 

 午前中は、晴れの予報でしたが、曇り空の夜明けでした。昨夜は、綺麗な月が出ていたのに、天気の替わり方は早いものですね。

 我が家の前でも咲いている、ワルナスビの小型版のような花の名前が分からずにいたのですが、昨日の日記を書く時に、ヤブマメを調べていたら、偶然に花の名前が分かりました。イヌホウズキでした。私が見ていた植物と、その名前が実によく合っていて、この名前で間違いないと思いました。一つ懸案事項が無くなりました。

 日記を書いていると、妻から電話がありました。この2,3日予定があるとのことでしたので、私の方から電話をしなかったのです。風邪を引いてしまったそうです。私は、オリンピックではないですが、4年に1度くらいしか風邪を引きません。ところが、妻は1年に1度は風邪を引きます。一定期間で回復する軽いものですから、厄落としのようなものかも知れません。今回も、軽い風邪のようでした。

 9時頃から、物凄い音がすると思ったら、我が家のベランダを工事していました。ウッドデッキを取り付ける予備的工事のようでした。この音で、次男が起きて来ました。午前中が睡眠時間の次男にとって、この音は、非常に大きな問題です。10時半過ぎには、音が治まったので、二度寝したようです。正月迄に工事が終わって、工事用の足組が無い状態で、正月を迎えたいものです。

 11時半には、日記を書き上げたので、散髪に行きました。カットファクトリーと称する子供中心の散髪屋は、午前中だと子供がいないので、空いているのです。今日は先客が誰もおらず、行ったら直ぐに散髪して貰え、15分程度で、散髪が終わりました。散髪代も1080円でした。時間もお金も無駄なく済みました。しかし、ほんの少し髪を切っただけで首筋が寒く、くしゃみを連発しました。

 3時過ぎ、次男を送り出してから、近場の散歩に出かけました。谷保天神辺りまで歩いて来ようと思っていたのですが、空が、あまりにも暗く、想像以上に寒かったので、途中で止めて帰って来ました。

 夕方のニュースでは、トランプ氏の事で持ち切りでした。昨日、1000円近く降下した株価が、今日は1000円以上上昇し、最高値を更新したとのことでした。私は、この株の動きが、国際経済の動きに直結すると言う考え方が、信用できないし嫌いです。トランプ氏は、次期大統領に選出されたばかりで、大統領になったわけではありません。当然、彼の考え方が、政策として実施されたわけでもありません。それなのに株が乱高下するのは、株式市場が、先物市場と同じように、「こうなるかもしれない」という思惑だけで動いていることを表しています。実際の経済とリンクしていないわけです。それにも拘らず、このような状況が生まれるのは、実際の経済が悪化してからでは、特定の株、場合によっては多くの株が無価値になってしまうので、これを恐れる投資家が、無価値になりそうな株はどれなのか、逆に安全な株はどれなのか、経済動向を一所懸命先読みをして、その読みを基準として株の売買を行います。この時点までは、株の取り引きも正常と言えるでしょう。

ところが、この先読みによる取引は、儲けるためだけに、先読みのための情報を操作する、詐欺的行為が横行することになります。また、資金力のある投資家は、ある時点で安い株の買いに走り、他の投資家の買いを誘い、株価を釣り上げ、ある程度株価が上がった段階で売りに転じ、この差額で儲けを出します。彼等は、これを繰り返せばよいのです。この時点では、株式市場と実際経済の動向とは、相当乖離してしまい、株式市場の動向は、将来の経済動向を真剣に先読みした物とは、違ったものになっています。トランプ氏の件で、株が乱高下したのも、ある種の情報操作だと思います。世界一の経済大国が、保護主義的経済政策を取る可能性を、過度に煽り、株の売り買いに火を付けたのでしょう。大手の投資家は、株式市場が動かないと利益を出せないのです。

 ところで、安倍総理の経済政策は、実質経済とは無関係に、株価を上げれば経済が良くなると思っています。金融緩和をすれば、企業家は投資をし、消費者の消費傾向を底上げし、経済が活性化すると思っています。これは、経済学の中で、成長期のみに通用する、「ればたら」の部分のみを見ている経済政策であり、彼の思惑通りには、実体経済は動きませんでした。前述したように、株式市場と実際経済はリンクしていないのです。企業は、金を手にしても投資する所が無いのです。言わば、まやかしの経済政策なのですが、国際経済が、これまでの経済常識では対応出来ない状態になっており、誰も適切な経済政策を打ち出せなくなっています。従って、まやかしであろうと、経済政策らしく見えるのです。このように、文句を言っている私も、発展の為の経済政策に関しては、知恵がありません。どうしても、守りに入って、発展と豊かさを犠牲にした、自給自足を確保する方向で考えてしまいます。これでは、誰も賛同してくれないでしょう。

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2016年11月10日 (木)

2016年11月09日

2016年11月09日

 

 囲いの中のベランダから、朝の景色を見ました。昨夜、多摩では雨だったようですが、富士では雪だったようです。これまで、うっすらとした冠雪だったのが、しっかりとした冠雪となり、朝日を受けて白く輝いていました。このような富士を見ると、本当に冬が来たのだと思います。

 昨日の午後作った、ミートソースを冷凍しました。3日に弟夫婦が上京し、娘家族も一緒に夕食をした時に、ピザを4枚作り、作り置きのミートソースが無くなったので、昨日作りました。作る時は、大きな鍋で沢山作り、使い易いように製氷皿で冷凍し、保存します。製氷皿が2個しかないので、2回に分け製氷皿で4個分冷凍しました。これで、半年以上持ちます。

 今日、久し振りに日記をブログにアップしました。書くことが沢山あったので、どのように日記を書くか迷ってしまい、日記を書き終えたのが12時近くになってしまいました。テレビのニュースでは、アメリカの大統領選挙の開票状況が、実況で放送され、予想に反し、過激な発言をしていたトランプ候補が、優勢のようで、日本のテレビ局も大騒ぎでした。

 午前中の仕事が一段落すると、午後1時近くになっていました。昼食の時間になったので、昨夜のアサリ汁にココナッツミルクを加えて、「クラムチャウダーもどき」を作ろうとして、間違えてタイカレーソースを加えてしまいました。仕方が無いので、急遽タイカレーに変更し、ジャガイモやマイタケを煮込み、「タイカレーもどき」を作りました。そこそこ美味しく食べられました。昼食が終わった2時近くに、次男が起きて来ました。昨夜寝たのが遅かったのか、今日は、随分遅く起きて来ました。

 次男を送り出して、2時半過ぎから、石田大橋、日野橋を回るコースを歩いて来ました。このコースは、石田大橋から日野橋までの、多摩川の右岸の見所が少ないので、普段は歩きません。今日は、歩く距離を増やすために、凡そ3年振りに歩きました。

 石田大橋までは、何時もの左岸の土手を歩きました。この土手の道は、「府中風の道」と呼ばれ、北風、南風の通り道になっています。今日は、今年の木枯らし1号が吹き抜けて、草刈りの後、再度背を伸ばした茅や常盤薄等が、強い風に押し付けられて、喘いでいました。

 雨の後、風の強い日でしたので、大気の汚れが無く、西に傾いた太陽の光が、痛い程照り付けました。斜め横から太陽の光を浴びた狗尾草が、穂を金色に光らせていました。狗尾草の近くに、ヤブマメの紫色の花が、人目を避けるように、土手の影の部分で咲いていました。

 石田大橋を渡り、多摩川の左岸に出ると、土手の道が建物の影になって、寒さが一段と厳しく感じられました。建物の切れ間から差し込んだ夕陽に、ヒメジオンが白く光って、違う花にみえました。

 何時も歩いている、対岸の土手を見ながら歩いている内に、日野橋に着きました。日野橋を渡ると、野球場と陸上競技場がある立川公園に出ました。何時も歩いている道に出て、根川と多摩川の合流点に出ました。この合流点の一角に、不法占拠ではないかと思われるような家が3軒あり、色々な花を植えています。現在、菊と一緒におしろい花が、花を咲かせていました。

 合流点から、土手の道を歩く頃には、太陽が沈み始めました。それでも、澄んだ空気の中で、輝きが強く、直視できませんでした。夕日に照らされた柿の実が赤く光って、「日本の秋だなー」と思いました。

 中央高速の端を過ぎて、夕日に輝く薄の原の写真を撮っていると、それから、ものの5分しない内に、太陽が西の稜線に沈みました。近くに富士山が、くっきりと姿を現しました。あと2週間くらいで、ダイヤモンド富士になりそうです。次第に富士の黒さが増し、空は茜色に変わりました。奥多摩は、全く雲が無く、黒と茜色を分ける稜線は、一つ一つの山の形を浮き彫りにしていました。中央に、大岳山、三頭山が夫婦のように寄り添っていました。東の中天には、半月が、聖蹟桜ヶ丘の街を見下ろしていました。石田大橋を越えて我が家まで、夕焼けと富士を見ながらの散歩になりました。我が家に着く頃には、聖蹟桜ヶ丘の街も、七生丘陵の住宅地も灯りが点りました。素敵な散歩でした。

 買い物をして6時頃家に着き、テレビをつけると、トランプがアメリカの大統領に選出されていました。選挙戦術かどうか知りませんが、日本の右翼を思わせるような男は、私は好きではありません。しかし、アメリカの国民が、自分達の意思で選んだのであれば、それは受け入れざるを得ません。それが、民主主義と言うものです。今回の選挙を、アメリカのマスコミの敗北と言った人がいました。以前、日本のマスコミ関係者が、「選挙の行方は我々の思うように出来る」と言った人がいました。アメリカのマスコミも、聞き取り調査の結果と称しながら、世論を誘導し、マスコミが大統領選挙を方向づけしていた向きがありました。今回、マスコミの調査結果から予想したクリントン勝利が外れたのであれば、マスコミに左右されず国民が決めたことですから、マスコミの驕りを排した意味においても、結構なことだと思います。

 但し、アメリカは国際社会の頂点に位置し、日本にとっては重要な同盟国です。そこの大統領が、理性や人徳に欠けたような人物が選ばれたわけですから、日本の対応は、忍耐と熟慮が必要になるでしょう。欧州人の根底に差別主義があることは、これまで隠されてきましたが、トランプは露骨に差別主義を表に出しました。理屈で説き伏せるのは難しいでしょう。彼が大統領になってから1年くらいは、種々の決定を避け、じっくりと様子を見ましょう。

 

「風の道 木枯らし一号 吹き抜けて 風の形に 茅ひれ伏す」

「夕日受け 黄金に光る 穂を揺らす 金の狗尾 日輪の子」

「日光は 好きでは無いか 藪豆の 茅の影に ひっそり花咲く」

「影延びて 暗き道脇 ヒメジオン スポットライトを 浴びて輝く」

「頭では 白粉花は 夏の花 菊と揃いて 晩秋に咲く」

「夕日受け 赤く染まりし 柿を見て 日本の秋に 柿は欠かせぬ」

「外来の 植物山野に 盛る中 日本古来の 柿の朱さよ」

「沈みゆく 夕日に輝く 薄の穂 昼の終わりの 白金の波」

「稜線の 彼方に夕日 沈み行き 存在感増す 富士の立ち姿」

「峰々の 形くっきり 茜空 夫婦気取りの 大岳・三頭山」

「灯の点る 里の上には 半月の しばしの間 里を照らすや」

 

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2016年11月 9日 (水)

2016年11月08日

2016年11月08日

 

 夜明けの頃は、晴れていたのですが、時間が経つ毎に、雲が増えて行きました。それでも、日中は薄日が差す時もありました。昨日が、立冬だったようですが、本当に寒くなりました。

 5-7日の白骨温泉と飛騨高山の旅行は、晴天に恵まれ全山紅葉と言う時期にも恵まれ、心が高揚しました。落葉松の林の黄金の輝き、櫟や楢、楓等、色合いの違う木々が、山を埋めていました。標高が1500m近い白骨温泉は、明け方氷点下になりました。霜が降り、深い谷に、遅めの太陽が顔を出すと、落葉松の林に筋状の光が差し込み、黄葉した枝枝の葉を金色に替え、霜に覆われた林の下草を銀色に替えました。筆舌に尽くし難しとは、このことを言うのでしょう、それほど素晴らしい紅葉でした。

 6日の飛騨高山は、絶好の行楽日和の日曜日とあって、新宿の街を思わせる混雑でした。しかし、多くの人が日帰りなのでしょう、3時過ぎると急に閑散としてきました。狭い駐車場に入れた為、車に入る時にドアを隣の車に軽く当ててしまいました。お陰で、変なトラブルを招いてしまいました。

 最期の7日は、道に迷いながら、松本市の亀田酒造を見学し、信州名物の新蕎麦を食べ、後は、ひたすら東京へ向けて中央高速道路を走りました。月曜日だったこともあり、車は順調に走り、5時半には新宿に着きました。そこで、皆と別れ、6時から、伊勢丹会館の地下にある「安芸路・酔心」で、エクアドルの友人と会い、久し振りの再会を楽しみました。夜、10時半には、家に着きました。半月近くになった月が、私の帰りを待っていて呉れました。

 今日8日の朝、カーテンを引いたら、正面に大きな板が置いてありました。隣の家との境にあった板です。こんな置き方をされたら、窓を開ける気にもならなくなります。

 夕方には、天気が崩れるとの天気予報なので、9時半頃から、府中駅の方へ歩いて来ました。3日間の旅行では、車で移動するので、運動不足になっていましたので、欲求不満になっていました。

 我が家の近くの下堰緑地には、彼岸花の葉が顔を出し、林の下に小さな緑の島を幾つも作っていました。その近くの道端に、咲く時期を間違って戸惑い気味の韮の花が、首を竦めているようでした。

 稲荷神社へ出て、チュウバスの道を歩き、中河原に出ました。既に梨の収穫も終わり、切り株の残る田圃が、冬の到来を持っていました。中河原から、分倍河原に出て、高安寺に寄りました。分倍河原から府中へ行く時は、高安寺を素通りすることは出来ません。静かで重厚感のある良い寺です。綺麗な赤い実を付けた木がありました。名前が分かりません。その木の側に、植木としての茶の木があり、白い茶の花が、何時もとは違う趣で咲いていました。墓と境内を分けるケヤキ並木の下に、石蕗の花も咲いていました。石蕗の花は、異常に力強くて、立冬などどこ吹く風のようでした。高安寺から旧甲州街道に出て、下川原緑道の最後の部分を歩いて、甲州街道に出ました。緑道には、イチジクに似た小さな実を付けた木がありましたが、これも名前が分かりませんでした。

 甲州街道から、大國魂神社の参道でもある、国分寺街道に出て、武蔵府中郵便局に行きました。留守の間に書き留め郵便が来ていましたので、受け取りに来たのです。中身は、銀行からのキャッシュカードでした。郵便局に来たついでに、年賀はがきを買いました。いよいよ年の瀬ですね。年賀に病気の事は、不適切かもしれませんが、手術の事は書かざるを得ないでしょう。しかし、毎年、年賀状を書く人が、一人二人と減ってしまいます。人生の終末期に入ったのですね。

 郵便局から、農工大に行って見ることにしました。農工大には、何十種類もの山茶花の木を植えた、山茶花の道があります。南門から学内に入ると、中が薄いピンクで外側が白い、大きなツツジの花が2輪咲いていました。来るまでの道のあちこちにも、季節外れの五月が咲いていましたが、此処のツツジは、目を見張る美しさでした。山茶花の道の山茶花は、半分程の木が満開でした。木の下には、名前と説明書きが在るのですが、あまりに多いので憶える気になりませんでした。山茶花の道のもう一方には、綺麗に刈られた茶の木が植えられていました。茶も山茶花の一種で、今が花の時期でした。刈られた葉の上に、点々と白い花が咲いていました。

 学内を一回りして、国分寺街道に出て、バスで府中駅に着きました。特に何もすることは無く、そのまま聖蹟桜ヶ丘に出ました。聖蹟桜ヶ丘では、旅行の為、買い控えをしていた果物や野菜などを買って、我が家に、2時近くに戻りました。既に次男は、起きていました。少しばかり旅行の話をして、次男を送り出しました。

 午後は、旅行の際に溜まっていたメールの整理、旅行で撮って来た写真の整理、旅行の紀行文の構想を練るなどして過ごし、夜は、これまで見たことのない、都市対抗野球の決勝戦を見て、何度目になるのか「あなたへ」と言う映画を見ました。毎回、見た後に失敗したと思ってしまいます。今日も同じでした。

 

「立冬を 過ぎし路傍に 韮の花 季節外れの 花の寂しき」

「茶葉摘まず 枝振りの良き お茶の木に 俯き加減に 白き茶の花」

「緑の葉 強き黄色の 花延びて 秋は何処と 石蕗の花」

「晩秋に 白きツツジの 花開き 季節外れも また良きものかな」

「園芸の 研究用の 山茶花の ずらり並んだ 山茶花の道」

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2016年11月 3日 (木)

2016年11月02日

2016年11月02日

 

 朝から曇り空でした。そして、真冬のような寒さでした。11月に、入った途端、いきなり冬がやって来ました。夜のニュースでは、12月中旬の寒さだと言っていました。

 日記を書いている最中に、また、娘から電話がありました。体調は、良くなっているはずなので、何だろうと思ったら、「今日は、上の子供達の下校が遅いので、末の息子を動物園に連れて行きたいが、付き合って貰えないか」と言うことでした。なんで動物園に私を誘うかと言えば、お金を出して欲しいこと、何時も一緒にいる二人だけではなく、私を入れて特別のイベントらしくしたいこと、私と孫が顔を合わせる機会を多くしたいこと、娘も話し相手がいた方良いこと、だろうと思います。今日の、私のすることと言えば、明日、弟夫婦が長崎から出て来るので、その準備の為の買い物と散歩くらいしかないので、OKしました。

 取り敢えず、日記を終わらせようと日記を書いていて、ふと、多摩動物公園は、水曜日が定休日のようだったのを思い出して、娘に確認させたところ、矢張り、水曜日は定休日でした。娘が別の行き場所を探すことになりました。

 丁度、日記を書き終えた頃、娘より電話があり、横浜の「アンパンマンミュージアム」行くことにし、直ぐに家を出るとの電話がありました。横浜へは、娘が運転する車で行くそうで、私を迎えに来てくれるそうです。4~5日前の、立つのも大変だと言っていた状態が、嘘のようでした。何はともあれ、体調が回復して良かったです。

娘の家から私の家まで、車で20分少々なので、急いで顔を洗って用意しました。予想通りに、娘達が来て12時半近くに家を出ました。娘の様子は、元気だった時に戻っていました。途中、昼食用にコンビニで弁当を買い、コンビニの中で弁当を食べました。なんと、コンビニの中に小さな喫茶店のような場所が用意されており、コーヒーを飲んだり、弁当を食べたりすることが出来ました。コンビニの進化は、凄いものです。

2時頃、横浜の「みなと未來」地区にある、アンパンマンミュージアムに着きました。ランドマークタワーが直ぐ近くに見えました。このミュージアムは、娘一家と以前来たことがありました。記憶が定かではなかったのですが、中に入って見て、思い出しました。

アンパンマンが、最近の子供の中で、どのような存在なのか全く知りません。テレビで番組を見たことも1度もありません。私が子育てをする頃には、存在しなかったキャラクターです。娘に言わせれば、最近の子供は、3歳前後、1度は嵌まってしまうキャラクターなのだそうです。

 今日も、週日だと言うのに、3歳前後の子供を連れた家族で満員でした。母親だけではなく、多くは、父親も一緒でした。我々の頃、子育て時代の父親は、家庭の為に家庭を顧みず、必死で稼いだものでした。最近は、社会が豊かになり、必要なものが多くなった分、父親が稼がなければならないお金の量も増えたと思うのですが、ミュージアムで見ている限り、あまり深刻さは、感じられませんでした。このミュージアムは、差が大きくなったと言われる格差社会の、上層に位置する人達が来るところなのでしょうか、私には、そうとは思えません。何れにしても、現代の社会構造が、良く分からなくなってしまいました。社会との関りが無くなって、早くも7年の月日が流れてしまいました。ただ、振り返ってみると、私は、本当に貧しい人達と付き合ったことが無いと分かりました。

末の孫は、一緒に騒いでくれるお兄さん達が居ないので、ちょっと物足りなそうでしたが、それなりに楽しんだようです。上の孫達が、4時半には帰って来るそうなので、3時には、ミュージアムを出て、帰路につきました。途中16号線が混雑していたので、ナビに従って裏通りを走りました。最近のナビには、道路の混雑状況を判断して、より早く目的地に着く道路を、提示する能力があるそうです。様々な所に、時代の進歩があります。今更ながら、凄まじい進歩の時代を生きて来たと思います。この凄まじい進歩は、私には、計り知れない、喜びと充実を与えてくれました。良い時代に生きさせて貰いました。

4時半頃、娘の家に着きました。上の孫達は、既に家に戻っていました。娘は、夕食の支度があるでしょうから、私はバス停まで送って貰って、娘と別れました。僅か4~5日ですが、バス通りのユリノキ並木、公園の桂が、立派に黄葉していました。この前、娘の家に来た時には、ほんの数本のユリノキが色付いていただけでしたが、今日は、既に黄葉の盛りになっていました。季節の移り変わりの速さを実感しました。

家に着いたのは、6時頃でした。それから予定していた買い物をして、一日が終わりました。

 

3日4日は、弟夫婦が上京して我が家に来ます。5日から7日までは、妻と友人夫婦とで長野の方に旅行し、7日、旅行が終わった日の夜は、エクアドルの友人と食事をすることになっています。従って、3日から8日まで、ブログは休みます。

 

「本当の 貧しさ知らず 生きて来た 何にも勝る 喜びなりけり」

「本当の 豊かさ知らず 生きて来た 何にも勝る 喜びなりけり」

「図らずも 日進月歩の 世に生きた 有難きかな 我が人生」

「政府にも 生殺与奪の 権利無く 自由手にした 至上の人生」

「子供等も 我と等しく 生きている 喜びもまた 同じであれかし」

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2016年11月 2日 (水)

2016年11月01日

2016年11月01日

 

 今朝起きて、カーテンを引いても、工事の幕がある為、外の景色が朧でした。ベランダに出て、下の方をよく見ると、雨が降っていました。この雨も、午後には止み、その後は久しぶりの秋晴れとなりました。

 大規模修理の工事は、朝8時30分から開始されることになっています。今日も9時過ぎ頃から、玄関の方で大きな音がしました。私の所は、西棟と南棟の境にあり、境目の狭い空間にも、壁があります。当然その壁も補修の対象になっていますので、そこにも工事の足組を作ろうとしていました。足組を取り付ける為の穴を、壁面に空けている音だったのです。止むを得ないとは言え、何時迄続くのでしょうか。

 更に今日、ベランダの隣との仕切りを取り払うと言って来ました。なんとなく、窓は開けられなくなり、ベランダに出難くなりました。こんな感じで、家の中に閉じ込められるのは、精神的にも圧迫感を感じます。外に出る時間を長くする必要があります。

 今日は、次男は、なかなか起きて来ません。朝帰りだったようです。1時15分、次男が起きて来る前に、散歩に出かけました。府中市美術館で藤田嗣二の展覧会をやっているのを知ったので、絵画鑑賞を兼ねて、府中の森公園、浅間山、多磨霊園を歩いて来ました。散歩に出た頃は、スカッとした秋晴れの空になっていました。

 京王線の東府中の駅で降りて、甲州街道を渡り、公孫樹並木の道を鍛え進むと、航空自衛他の府中基地にぶつかります。そこを左折すると、直ぐに府中芸術劇場があり、その隣は、府中聖苑です。ここで前の妻の葬儀をやってから、14年の月日が流れました。聖苑の隣に、府中の森公園の南口があります。小さな梅園と池があり、冬には、マガモがやってくる池ですが、今日、泳いでいたのは、カルガモだけでした。池の淵に、真っ黒い猫がいました。その金色の目が、黒豹を思わせました。池の側には、錦木があり、良い色に紅葉していました。自然の紅葉らしくなく、葉に赤い色を塗ったような感じでした。

 池から、この公園自慢の桜並木へ出て、北口へまっすぐ歩くと、出口の直前に府中市美術館があります。桜並木は、紅葉と落葉が一緒に始まり、裸寸前の状態でした。落ち葉を踏みしめながら歩きました。桜の紅葉した葉は、渋みがあって私は大好きです。

 藤田嗣二の展覧会は、老人割引がありませんでした。この手の展覧会を見に行くのは、老人が大半ですから、老人割引をしては、経費が賄えないのかも知れません。それでも、京王のカードの割引が効いて、800円で入場しました。会場には、東京の外れの美術館にしては、かなりの点数の絵が、藤田嗣二の年代順に展示されていました。

 結論から言うと、私は、藤田嗣二の絵があまり好きではありません。今日の展覧会で、辛うじて良いと思ったのは、芸大時代の2点と、晩年の数点でした。その他の藤田の絵は、絵を見ると他の画家の絵を想像してしまうのです。彼自身として、涙が出るほど美しいと思ったもの、描きたいと思ったものが、有ったのか疑問に思えます。誰かが美しいと思って描いたものを模倣した、彼の絵をみると、そんな風に思えてしまうのです。彼が力を込めて描いたと言われる戦争画でさえ、特にサイパンの自決の絵は、ゴヤだったかドラクロアだったどうか、記憶は定かでは和えいませんでしたが、ヨウロッパの誰かの絵で見た気がしました。戦前、その当時の日本人絵画家が、西欧の絵画の流れをしること、何をどのように表現しようとしているのかを、理解するのは、難しかっただろうとは、理解することは出来ますが。

また、彼の裸婦像は、背景と裸婦の色が酷似していて、私のように目が悪くなると、何処に裸婦が描いてあるのか分からなくなります。藤田も、その事が分かっていたのか、裸婦に細い線で、輪郭線を入れていました。私が少しだけ教わった絵の先生は、輪郭線を入れると漫画になってしまうと言っていました。勿論、藤田の輪郭線は、輪郭線が有るか無いか分からない程、細いものです。何れにしても好きになれません。

美術館を出て、浅間山迄歩きました。途中の道脇で、多分、捩花の花の跡だと思いますが、現前中の雨で残っていた雫が、夕日を受けて輝いていました。水と光が作る美しさは、格別の物でした。畑の柿の実を、雀が啄んでいました。熟しきった実が、赤紫になって、今にも落ちそうでした。この柿は、多分甘柿だと思いますが、雀は渋柿でも食べるのでしょうか、少しだけ気になりました。

浅間山に着くと、今、満開のコーヤボウキ(高野箒)が出迎えてくれました。浅間山は、武蔵野キスゲと並んで、高野箒の群生地として有名です。最初から綿毛のような花が、何本も枝を広げた細い枝先に、沢山咲きます。高野山で、この茎を束ねて、箒の材料にしたので、この名前が付いたそうです。

丘の上の浅間神社から、キスゲ橋を渡って、多磨霊園に出ました。午前中の雨が、幾つも水溜りを作っていました。或る水溜りには、遠くの紅葉したユリノキが映って、良い雰囲気を出していました。霊園の大きな樹木の向こうに、秋晴れの空が広がり、公園の墓石を照らしていましたが、やがて日没の時間となり、空の色も次第に赤みを帯び、霊園は夕闇が迫って来ました。最後の光を受けて、アカマツの幹が、一段と赤く見えました。

霊園と武蔵野公園の間にある、多磨町駅からチューバスに乗って府中駅に出て、聖蹟桜ヶ丘から、バスで我が家に戻りました。6時を過ぎていました。

 

「異様なる 黒猫池の 縁に座し 何処を睨むか 金色の目」

「葉の色が 絵の具の赤を 思わせる 紅葉ではある 錦木の葉」

「捩花の 花々の跡 玉雫 夕日を受けて 水晶細工」

「浅間山 高野箒の 今盛り 綿毛もどきの 花が迎える」

「霊園の 広場に幾つも 水溜り 遠くの百合の木 逆さに紅葉」

「傾いた 夕日の最後の 光受け 赤松の幹 赤さいや増す」

「霊達も 仰ぎて見るや 秋の空 青空いつしか 茜に染まる」

 

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2016年11月 1日 (火)

2016年10月31日

2016年10月31日

 

 夜明けの頃は、晴れていたのですが、やがて雲の多い空に変わりました。今日も1日、晴れとは言い難い天気でした。今日で10月が最後になります。恐らく、誰もがそうだと思いますが、10月は、季節が冬に移行するのに、抵抗している月のように思えます。10月ならば、寒い日のあり暖かい日もあると思いますが、11月に入ると、冬は間近で、寒いのは当然だと思ってしまいます。

 我が家のベランダには、最近、散歩で拾得した、棗と鬼胡桃の実が、干してあります。これらを見ながら、子供の頃、山から色々な物を採って来た時の充実感に浸っています。何故、このような充実感を覚えるかと言うと、私の子供時代は、戦後の食糧難の時代でしたから、山で拾ったものは、私の口に入っただけでなく、時には家族の口にも入りました。特に栗はそうでした。沢山拾得物があると、持って帰って、家族に見せるのが楽しみでした。その時の得意絶頂の感じが、この年になっても、充実感を呼び起こすのだろうと思います。

 今日は、私の机の前の壁を叩く音がうるさくて、日記が思うように書けませんでした。壁を覆っているタイルを叩いて、タイルがしっかりと壁に貼り付いているかどうかを調査していたのです。接着が悪いと、今度の工事で貼り換えを行うようです。

 この音で、次男も早めに起きて来ました。コンクリートを叩く音は、頭の芯に響きます。今日次男は休みで、また飲み会に出かけるようなので、一緒に昼食をした後、私の方が先に散歩に出ました。今日は、多摩川の左岸を是政橋まで歩き、東京競馬場、大國魂神社を通って府中駅に出ました。

 四谷橋を渡らず、四谷橋を過ぎた所の河原は、例年、荻や葦の穂がとても綺麗なのですが、今年は夏の大雨で、水が河原を流れ、荻や葦を押し倒してしまいました。倒れた荻や葦の上には、アレチウリや葛が蔓延り、元々あった荻や葦は、姿が見えなくなりました。所々、倒れるのを免れた荻の白い穂が見えますが、河原のゴミのように見えなくもありません。

 京王線の鉄橋、関戸橋を越えると、アカシアの林が現われ、次に鬼胡桃の林が現れます。昨日の浅川の鬼胡桃の林よりも大きいかもしれません。手にビール袋を下げた老人が、鬼胡桃の実を探していました。ほんの少しですが、収穫があったようでした。

 鬼胡桃の林を越えると、広々とした荻の原になりました。この荻の原の、半分以上が、背高泡立草に領地を奪われていました。昨日は、小栴檀草に負けるなと応援したのですが、今日は、「もう少し分をわきまえろ」と、言いたくなりました。

 郷土の森公園を左手に見ながら更に歩くと、BQ広場、サッカー場、野球場、南武線の鉄橋を越えました。南武線の鉄橋と是政橋の間の河原は、一面の荻の原で、白い穂波が続いていました。泡立草の進出もありませんでした。変な気持ちに動かされること無く、自然に秋を楽しむことが出来ました。かなり、川の側を歩きましたが、渡り鳥は1羽も見ませんでした。

 是政橋を左折して、中央高速の下を潜り、東京競馬場の壁沿いに歩きました。壁にびっしり蔦が張り付いている所がありました。蔦が紅葉し葉を落としていました。紅葉した葉の脇に、青い実が沢山付いていました。とても良いコントラストでした。しかし、実があるということは、花が咲いたと言うことです。私は、これまで、この蔦の花を見た覚えがありません。花など咲かないと、決めつけていたのです。来年は注意して見ることにします。

 壁を回って、競馬場の正面玄関に出ました。昨日は、天皇賞のレースが行われたので、大変な賑わいだったのでしょうが、今日は人通りも無く、駐車場には1台の車も無く、閑散としていました。活躍した馬の碑がある馬頭観音を見て、ピラカンサスが、山ほどの赤い実を付けていた、妙高院の側の公園を抜け、大國魂神社に参拝して、府中駅の近くに出ました。この前と同じように、デパ地下を見物し、幾つかの試食をした後、電車で聖蹟桜ヶ丘に戻りました。

 聖蹟桜ヶ丘で、グレープフルーツ等、若干の野菜を買って、5時半には、我が家に戻りました。我が家の近くのスーパーは、米国系のグループなのに、グレープフルーツのルビーが、最近、置いてないのです。家に戻った時には、次男は既に出かけていました。

夜は、昨日買った鰤鎌を焼き、長芋の叩き(この前テレビで、擦るより叩いた方が美味しいと言っていました)、メカブ、桜ヶ丘公園のギンナンで、晩酌にしました。何時の間にか、毎日酒を飲むようになってしまいました。

 

「ベランダに 棗と胡桃の 実を干して 心を満たす 充実感かな」

「荻河原 夏の大雨 荻倒し 葛の布団の 下で穂も出ず」

「荻河原 所々に 白き穂の 葛布団から 寝間着はみ出す」

「鬼胡桃 拾う人あり 多摩河原 食糧難を 生きた世代か」

「荻河原 白と黄色の 縞模様 泡立草の 侵略激し」

「是政橋 一面白き 荻の原 白き穂波に 秋を味わう」

「競馬場 壁に張り付く 蔦の葉の 一足先に 紅葉始まる」

「蔦の葉の 赤き葉陰に 青き実の 春には花の 壁覆いしか」

「天皇賞 一獲千金 夢は去り 秋風の吹く 競馬場かな」

「赤き実も 多過ぎると 毒々し 実を付け過ぎた ピラカンサスよ」 

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