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2016年10月

2016年10月31日 (月)

2016年10月30日

2016年10月30日

 

 今朝も、暗い曇り空でした。10月は、秋晴れのイメージが強いのですが、今年の10月は、3分の2は曇っていたのではないでしょうか。結局、今日も、

1日中どんよりと曇っていました。

 日記を書き終わってから、ちょっとした買い物に、近くのモールに行きました。先ず、ホームセンターの花の売り場に行って見ました。名前を知りたい花があったからです。個人の庭や公園等で、紫の薄のように咲いている花があります。前から気になっていたのですが、名札を付けていないので、名前が分からないままでした。花の売り場で売っていたのは、良く似ていましたが、小さな苗でした。苗についていた名前は、アメジストセージ(別名メキシカンブッシュセージ)でした。メキシカンブッシュと言うのが、花のイメージにぴったりでした。ネットで調べると、大きくなったものは、まさしく私が知りたい花と同じものでした。また一つ気が晴れました。

 振り返ってみれば、メキシコに7年も居たのに、メキシコの花の名前を、ほとんど憶えていません。ただ一つ憶えているのは、ハカランダ(ジャカランダのスペイン語読み)くらいです。カナリア諸島には、沢山の花があったのに、憶えているのはアーモンドくらいです。退職するまで、動植物に全く関心がありませんでした。動植物よりも、強く関心を引くものがあったからです。老後、関心を引くものが変わりました。老後、今まで知らなかった世界に関心が持てて、私は幸せ者です。

 次男は、最近少し早く起きるようになりました。お陰で、昼食は一緒にする機会が増えました。今日も一緒に昼食をして、次男を送り出してから、散歩に出ました。3時近くからでしたので、近くの標準的なコースを歩いて来ました。

 我が家の近くの家の庭の、柘榴が幾つも割れていました。鮮血のような赤い色の種が、顔を出していました。その後、四谷桜公園で、何時ものように準備体操をしました。つい最近公園の草刈りが終わりました。私は何時も、公園の入り口の藤棚の前で、準備体操をします。定年後、私が済み始めた頃は、藤棚の下に小さな藤が植えられていて、藤が藤棚に蔓を伸ばしても、草刈りの際、その蔓が切られてしまい、藤棚の上まで蔓を伸ばすことが出来ませんでした。3年目でしたか、私が、伸びた蔓を藤棚の柱に巻き付けて、紐で縛って置きました。その年から、蔓を切らなくなり、今は、藤棚の上まで蔓が延びています。今年、その蔓が隣の桜まで、蔓を伸ばしました。さてどうするか、興味があったのですが、草刈りの人は、いとも簡単に蔓を切ってしまいました。かなり長い蔓でした。桜から外して、まだ蔓が延びていない藤棚に移してやれば良いのに、そんな思いやりを草刈りの人に期待するのが、間違いでした。桜にとっては、迷惑なことではあるでしょう。

 四谷橋から、常連の鳥は見えましたが、まだ冬の渡り鳥は来ていませんでした。渡り鳥の生息地も、少しずつ暖かくなり、まだ餌が取れるのかも知れません。これ以上暖かくなると、渡りが無くなるかもしれません。

 程久保川に行くと、虫に食われた八重桜の花が、風に揺られていました。私は、この虫食葉が、とても好きです。筋だけを残した、穴の開き具合が、とても芸術的に見えるのです。毎年、写真を撮っていますが、ここへ来ると写真を撮らずにはいられません。昔、桜に毛虫は付き物だと思っていましたが、最近、虫に食われたソメイヨシノの葉を見たことがありません。ところが、八重桜は、全ての葉が虫に食われています。子供の頃、漫画などに出て来た桜と毛虫のイメージの桜は、八重桜だったのかも知れません。

 程久保川から浅川の土手に出ると、木の下に大きなビニール袋が二つ置いてありました。丸いものが詰まっていました。直ぐに鬼胡桃だと、ピンと来ました。浅川のこの辺りには、鬼胡桃の林があります。私も、散歩の度に実りの時期が気になっていました。持ち主が居ない様なので、袋を開けてみると、まさしく鬼胡桃が、ぎっしり詰まっていました。これは、私の知り合いで、花畑を作っている仙人が、採集した鬼胡桃を、散歩をする人の為に置いてくれたものだと、勝手に解釈をして、リュックに半分ほど頂きました。重い荷を背負っての散歩になりました。

 浅川の土手を席巻している小栴檀草、小栴檀草の中で意地を見せている釣鐘草、遅咲きの菊芋の花、日頃小憎らしい背高泡立草が小栴檀草の勢力圏内で小さくなっている姿を見ながら、石田大橋を渡りました。

 石田大橋の下から西を見ると、雲の隙間から夕日が少しだけ顔を出し、多摩川の縁の林を抜けた光が、多摩川の水面に落ちて、七色に輝いていました。こんなことがあるのでしょうか。多摩川の流れに虹が映ったような、道頓堀のイルミネーションが引っ越して来たような、不思議な素晴らしい光景を見ました。

 国立のホームセンター兼生鮮市場の花売り場で、高尾山の枇杷滝コースの入り口の家で見た、とても綺麗な花を見つけました。セキヤノアキチョウジ(関谷の秋丁子)という名前でした。今日は、二つの花の名前が分かりました。何時迄憶えていられるか、分かりませんが。

 このスーパーに来ると必ず買う、プチニンニク、長芋、鶏の軟骨、鶏のスペアリブ(手羽中)を買って、我が家に帰りました。背中のリュックは、益々重くなりました。訓練、訓練と自分に言い聞かせつつ歩きました。途中に立派な洋種山牛蒡がありました。この実は、色が毒々しくて、好きではありません。6時近く、我が家に帰り着きました。日もとっぷりと暮れていました。何時ものように、日曜日の夜は、テレビ三昧でした。

 

「君の名は 問うては見ても 答え無く 漸く名を知る アメジストセージ」

「紫の 薄思わす 立ち姿 メキシコ生まれか アメジストセージ」

「時至り 朱き柘榴の 腹の割れ 赤き情念 表に出でぬ」

「独り藤 蔓を伸ばして 桜木に 寄り添うものの 桜は迷惑」

「虫食い葉 空を背にして 影絵かな 命支えた 跡は美し」

「道の脇 誰が置いたか 鬼胡桃 今日の散歩の 褒美に貰う」

「身を引くな 我は見てるぞ 釣鐘草 小栴檀草に 負けてはならじ」

「そこかしこ 小栴檀草の 独壇場 声援受けよ 背高泡立草」

「霜枯れる 前の菊芋 王子様 威も背も低く 親しさ増しぬ」

「泡立草 小栴檀草の 中なれば 日頃憎きも 応援するなり」

「夕日差し 木立を抜けて 川に落ち 多摩の川面に 七色の虹」

「手術後に 初めて登りし 高尾山 入り口の花 関谷の秋丁子」

「秋深し 毒々しくて 青黒き インクの玉か 洋種山牛蒡」

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2016年10月30日 (日)

2016年10月29日

2016年10月29日

 

 関東地方は、晴れらしいのですが、我が家の方は曇っていました。ほんの少しだけ、晴れ間が出ましたが、ほとんど一日中曇っていました。

 網戸外しに、再度挑戦しました。部屋に向かって左端に網戸を持って行き、少し強めに引っ張ると、網戸は外れました。これで、取り敢えず言われたことは全部為し終えました。ついでに、ベランダの掃き掃除をして、残っていた土を掃き取りました。大規模修繕のお陰で、アパート購入以来の大掃除が出来そうです。

 10時過ぎに、娘に電話してみました。しかし、娘は、電話に出ませんでした。非常に気になりましたが、そのまま、電話が掛かって来るのを待ちました。その間に、妻から電話があり、妻も娘の体調を心配していました。12時近くになって、娘から電話がありました。病院へ行っていたそうです。但し、家族の不幸とやらで、病院は休みだったそうです。娘の体調の方は、かなり戻ったらしく、自動車の運転も出来るのではないかと、強気な発言をしていました。昨晩の、酒が良かったのかも知れません。

 娘との電話が終わった頃、次男が起きて来たので、娘の体調について話すと、次男も安心したようでした。子供が小さい頃、母親が病気になると、それは大変なことです。我が家の子供は、自分達自身その事を経験していますので、心配の仕方は、それだけに大きいものがあったのでしょう。

その後、昼食の時間となったので、次男が昨晩作って置いてくれた炒飯と、長男の嫁が送ってくれたレトルトのスープで、次男と一緒に昼食にしました。次男は、相変わらず、どでかい丼で、うどんを食べていました。

今日は、次男を送り出す前に、私の方が先に散歩に出ました。日が短くなって、次男を送り出してから散歩に出ると、近場しか歩けないのです。今日は、郷土の森公園に寄って、府中駅まで歩きました。

西府緑地伝いに、中河原公園に行きました。公園の棗がどうなっているのか気になっていたのです。実は、全て赤黒く熟して、大半は落ちていました。そして、落ちた実のほとんどは、踏み潰され泥だらけになっていました。落ちた実の中から、良さそうな実を拾っていると、孫娘と同じくらいの年の女の子が、「これは何の実?どうして実を拾っているの?食べられるの?美味しいの?」と矢継ぎ早に聞いてきました。「これは棗と言って、食べられるし、美味しいよ、薬にもなるんだよ、生で食べる時は、ちゃんとした実が良いけど、小父さんは、酒に漬けたり蜂蜜に漬けたりするので、落ちた実でもいいんだよ、どうせ良く洗って種を取って、良く乾かしてから漬けるからね」と言うと、落ちた実の中から、きちんとした実を探し始めました。しかし、そんな実はありませんでした。女の子は、諦めきれないようで、木に登ろうとしましたが、木に生っている実は、相当上の方にしかなく諦めました。何時か、完熟した実が食べられる日が来ることを願っています。

第3都市緑道の、色付き始めた紅葉、咲き始めた山茶花、狂い咲きのツツジ、早くも裸木に近い栃木並木、譲り葉なのに葉を落としている杠、山のように赤い実を付けたモチノキ(餅木)、花を付けた柊、等を見ながら、郷土の森公園に着きました。

郷土の森公園は、70歳以上の府中市民は無料でした。梅が有名な公園で、現在咲いていた花は、ヨメナ、キバナコスモス、10月桜、蓮華ツツジくらいでした。蓮華ツツジは、春の花で秋には落葉するそうですが、公園では、落葉した木に花が咲いていて、実に奇妙な感じがしました。これも狂い咲きなのでしょうか。

郷土の森から、下川原緑道、旧甲州街道を経て府中駅へ出ました。下川原緑道には、色んな花が植えてあり、その中のハナカイドウ(花海棠)が、これもまた、葉がほとんどないのに花を咲かせていました。白槿の僅かな花の一つに、紋白蝶が止まっていました。水芭蕉の花も一輪咲いていました。来月には、木枯らしが吹くかも知れないのに、何故こんなに花が咲いているのでしょうか。

府中の駅前では、特に何もすることなく、スーパーやデパートの食品売り場を見て歩きました。土曜日だからか、幾つもの味見が出来て、沢山食べないで済むようになった私にとっては、1食になりそうでした。味見はしても買い物はせず、電車で聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家に5時半過ぎに戻りました。

夜は、聖蹟桜ヶ丘のデパートで飼って来た餃子と買い置きのチーズ、チョリソーを摘みに、ワインを飲みながら、日本シリーズを見ました。最初は、息詰まる勝負でしたが、8回の表、日ハムがツーアウトランナー無しから、6点をとって試合を決めました。試合が終わったのは、10時半でした。

 

「棗の実 拾う爺が 気になって 幼き乙女 質問攻めに」

「梢には 赤き実残る 棗の木 登りて取らんと 幼き乙女」

「柊の 赤き実似合う クリスマス 間に合うように 柊の花」

「ポツポツと 咲き始めたる 山茶花の 霜月半ばは 山茶花の道」

「来年の 新芽を守る 葉を残し 病葉落とす 杠の木」

「モチの枝 零れんばかり 赤き実の 赤き実好む 鳥は何処に」

「霜月が 間近に迫る 寒空に 裸木にあだ花 蓮華躑躅」

「春の日の 桜の艶は なかりせど 桜は桜 十月桜」

「晩秋の 寒空の下 花残る 白き槿に 紋白蝶かな」

「葉を落とし 骨皮見える 枝先に 可憐艶やか 花海棠かな」

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2016年10月29日 (土)

2016年10月28日

2016年10月28日

 

 今にも雨が降り出しそうな、雨模様の空でした。天記は、思った通りの変わり方をして、午前中には雨が降り始め、冬のような寒さになりました。

 我がアパートは、大規模修繕の関係で、工事会社が色々なことを言って来ます。今回は、網戸を外して欲しいとのことでした。簡単に外せると思ってトライしてみましたが、そう簡単ではありませんでした。今日の所は、一旦中止しました。

 小学生の孫達が、学校へ出かけた頃、娘に電話してみました。昨日よりは、大分調子が良いとのことで、今日は、何とか一人でやれるだろうと言っていました。今日は、ヘルパーの仕事は無いようなので、自分の家の事をやって、何時ものように日記を書き始めました。ところが、10時半頃、娘より「もう1日だけ助けてほしい」旨、電話連絡がありました。ある程度、覚悟はしていましたので、手っ取り早く日記等を終わりにして、11時頃家を出て、娘の家に向かいました。

 12時少し過ぎに、娘の家に着き、娘と末の孫の3人で、昼食を済ませました。その後1時頃、娘は自室に籠り、今日も居間には、末の孫と私の二人きりになりました。末の孫は、昨日のような緊張感は無く、猫じゃらしで、子猫と遊んでしました。

 娘の家には、娘が独身時代から飼っている爺さん猫2匹と、雌の子猫が1匹います。子猫は、経緯を長く説明すると長くなりますので、掻い摘んで言うと、何か月か前、突然、娘のアパートに侵入した子猫を、管理人に頼まれて、持ち主、あるいは、引き取り手が現れるまで一時的に預かっていた所、どちらも現れず、情が移ったので、保健所にも渡せず、買う事になったそうです。

 猫への接し方は、3人の孫夫々です。上の孫は、時折構うことはあっても、通常は無関心です。猫と遊ぶ年齢を過ぎました。真ん中の孫娘は、抱いたり擦ったり、所謂、猫可愛がりです。末の孫は、猫じゃらしで、しつこく猫を誘います。一人の時の一番の遊び相手です。この子猫は、狐と狸の間の子(あいのこ 差別用語らしい)のような顔をして、とても、はしこく、見ているだけでも楽しいのです。

 ところで、三人の孫は、生まれた時から猫と一緒に居るので、猫アレルギーではありません。今の所、他のアレルギーも見当たりません。アレルギーは、自己防衛機能の暴走です。自己防衛機能は、人間が長い歴史の中で、習得した機能が集積されたものです。何処に集積されているかと言うと、医者ではないので、明確には言えませんが、個々の細胞の遺伝子の中に組み込まれていると思われます。色々な所の、細胞がキャッチした危険信号は、脳に送られ、脳で種々情報処理をした結果、危険への対応策が決まります。この情報処理は、何回も予行演習をすることによって、正常な対応策が決まって行くようです。日本の予防医学は、政府機関の出費ばかり多く、金にならないので、間違った方向に歩んでいると思います。何故か、社会のあらゆる所を無菌状態にしようとしています。赤ちゃんの授乳など、徹底した無菌状態にしています。つまり、危険の除去にばかり重点が置かれ、危険への対応の予行演習の機会を削減しています。結果としてアレルギー反応を示す人間が増えました。アレルギーは、細菌や蛋白質等が直接起こす病気ではなく、危険への対応策に無知な脳による、間違った情報処理の結果だと思います。アレルギーは、一種の平和ボケでしょう。

 変なことを書いてしまいましたが、上の孫は、2時近く、孫娘は3時近くに帰って来ました。それから、3人は、3人一緒に出来るゲームに集中しました。この仲間には、入ることが出来ません。私は、側で昼寝をしながら過ごしました。

 今日は、思った以上に寒くなったので、夕食は鍋にすることにしました。雨が降っているので、一人で鍋料理の材料を買いに行こうとしたら、孫娘が一緒に行きたいと言いました。すると、末の孫も一緒に行きたいと言い出しました。雨と防寒対策をして、3人で出かけました。末の孫も、今日は泣くことも無く、良い子でした。お姉さんは、弟の扱いがとても上手です。先ずは、相手の気持ちや考えを分かろうと努力します。上の孫は、上手に手なずけるより、自分の考えに従わせようとします。末の孫は、自分の考え以外の考えに従わされることが、一番嫌いな子供(年頃)なのです。一見、我儘なだけに見えますが、今後、自分の責任で生きて行く上で、この生き方は非常に大事です。むしろ、上の孫の育て方に注意する必要があります、上の孫は、素直で親の言うことを受け入れやすく、親の言うこと以外を悪いことだと決めつけ易いのです。一種の強権主義の芽生えです。

 鍋は、肉も野菜もたっぷり入れましたが、一番多かったのは、私が大好きな茸で、茸汁になりました。今日は、酒も買って、体調を悪くして以来、酒を断っている娘にも、ほんの少しだけ飲ませました。無責任な親です。楽しい夕食が済み、後片付けをして、7時半には娘の家を出ました。娘は、大分体調を回復したようでした。上の孫に「笑顔が出るようになったね」と言われていました。

 

「雨の日の 無聊な筈の 一日が 孫等と一緒 家族団欒」

「雨の日に 孫等を連れて 買い物に 孫等良く知る お菓子の置き場」

「寒いねー 息が白いと 孫娘 早く帰って お鍋を食べよう」

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2016年10月28日 (金)

2016年10月27日

2016年10月27日

 

 今朝も良く晴れました。幽かな富士が、大規模修理用の幕の為、更に幽かになっていました。

 何時ものように、朝7時半には洗濯が終わり、ベランダに洗濯物を干しました。朝食が終わって、これも何時もの通り、8時半頃から、日記を書き始めました。暫くすると、こんこん壁を打つような音が聞こえてきました。どこかの階で、工事が始まったのかと最初は気にしなかったのですが、どうも音が近くで聞こえるので、ベランダに出て見ると、我が家のベランダで、ウッドデッキの解体をやっていたのです。干していた洗濯物が、とても邪魔そうなのでしたし、工事の人からも洗濯物を入れるようにたのまれ、急いで部屋に入れました。ウッドデッキの下は、木の葉とか土とかが、山のようでした。

 10時半頃、娘から電話がありました。先日起きた体調不良が、今日は、再発したかのように、眩暈がしてふらつくとのことで、若し可能ならば、孫達の面倒を見て欲しいと言ってきました。あまり親に願い事をしない娘なので、余程の事なのでしょう。直ぐに、娘の家に出かけることにしました。

 日記を早く終え、メールの返事をして、顔を洗い、あたふたと家を出ました。家を出る時は、次男も起きて来て、事情を話すと心配そうでした。バスを乗り継いで、娘の家に着いたのは、12時過ぎでした。

 孫の上二人は、小学校に行っており、末の孫だけが、一人でゲームらしきものをして、遊んでいました。先ずは、昨晩と今朝の分の食器類を、洗って片付け、昼食にうどんを作りました。1時近くと遅くなったのでお腹は空いている筈なのですが、母親の作ったものとは味が違うし、少々味が濃かったこともあり、末の孫の食は進みませんでした。

 昼食後、娘は自分の部屋で横になったので、居間では、末の孫と二人きりになりました。末の孫は、母親と言う絶対的な保護者無しで、私と二人きりのなるのは、初めての事なので、なかなか私に近づけませんでした。私の顔を見ながら、テーブルの周りを走ったりするのですが、近づいて来ません。特殊な絵描きボードがあったので、末の孫の顔を書いてやったら、漸く近づいて来て、絵を見ていましたが、可愛く描けていなかったのでしょう、ふくれっ面をして、離れて行きました。

 2時40分頃、上の二人が帰って来ました。こうなると、三人で適当に遊び始めましたので、私もソファーで休みました。4時過ぎてから米を研いで、孫達三人を連れて、近くのスーパーに買い物に出かけました。子供用の料理に自信が無かったので、ご飯のおかずになる惣菜を買いに行ったのです。末の孫は、今日初めて外に出たので、走りに走って、私の目が届かない所まで行ってしまいました。心配した上の孫が、追いかけてストップをかけると、それが気に入らず泣き出してしまいました。スーパーについても泣き止まず、私は、末の孫を放って置いて、上の孫二人とスーパーに入りました。すると、末の孫は、更に声を上げて、火が点いたように泣き出しました。私達は、店の中から様子を見ていました。普通は、暫く放って置くと泣き止むのですが、今日は、買い物に来た若い夫婦が、あやし始め、旦那の方が末の孫を抱きあげて、必死にあやしてくれました。これは申し訳ないと思って、急いで近寄り、末の孫を引き取りました。嬉しいことに、私が抱くと泣き止みました。この時から、末の孫は、私の言うことを聞くようになると共に、甘えるようにもなりました。若い夫婦にお礼を言って、末の孫をカートに乗せて、買い物をしました。上の孫はとんかつ、孫娘はアジフライ、末の孫はコロッケになりました。私と娘用にとんかつ、全員の為にカキフライとパスタサラダ、デザートにプリンを買いました。

 帰り道で、どれくらい体力が回復したか、上の孫を抱いてみました。上の孫が、「ジージ、前と変わんないよ、元気になったね」と言ってくれました。上の孫は、入院中の私に、励ましの手紙をくれた、気持ちの優しい子です。照れてはいましたが、抱いて貰ったのは、とても嬉しかったようでした。一番上なので、抱かれることがほとんどなくなっていたのです。

 5時過ぎに家に戻り、上の孫二人は宿題を始めました。今日の宿題は、二人とも国語が中心で、漢字の書き取りを何度も繰り返していました。宿題は、娘が子供の頃とあまり変わっていませんでした。二人が宿題をやっている間、私は、ご飯を炊き、味噌汁を作りました。丁度、ご飯と味噌汁が出来上がった6時近く、孫達の宿題も終わりました。私が、どの茶碗が誰の物か良く分からないなど、所謂、勝手が分からないので、孫達に手伝いを頼むと、孫達三人全員で、喜んで夕食の用意を手伝ってくれました。

 夕食は、とても和やかで、全員カキフライが気に入ったようです。ほとんど昼食を食べなかった末の孫は、お替わりをして食べました。上の孫は、味噌汁に入った赤いものが何なのか聞いてきました。トマトだと教えると、フーンと言うような顔をして、美味しいと言いました。孫娘は、何時も私の味噌汁のフアンです。今日の味噌汁も美味しそうに食べてくれました。パスタのサラダも気に入ったようでした。

 夕食を終えて、後片付けをして、8時には、孫達の「ありがとう、ありがとう」の見送りを受けて、娘に家を後にしました。一日のホームヘルパーが終わりました。病後の私が、娘の手伝いをすることが出来るとは、思いませんでした。爺が役に立つ事は、有難いことです。

家に着いたのは、9時過ぎ、日本シリーズの9回の表裏を見ることが出来ました。9回裏の劇的な「さよなら」の場面も見ることが出来ました。ベランダは、すっかり綺麗になっていました。

 

「娘より 孫の世話を 頼まれて おっとり刀の 爺いヘルパー」

「孫達に 頼りにされて 得意顔 昔の杵柄 爺いヘルパー」

 

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2016年10月27日 (木)

2016年10月26日

2016年10月26日

 

 目の前に 工事の足組と幕があるので、カーテンを引く気にもなれないのですが、朝、カーテンを開けなければ、起きた気がしません。今日カーテンを引くと、幕越しではありますが、雲一つない良い天気でした。

 朝のニュースを見ていると、天気予報で富士に初冠雪があったと言っていました。幕の内からは、良く見えないので、カメラをもって、前の土手に出ました。多摩川の向こうに、白いハットを粋に被った富士が見えました。例年より、一月近く遅い初冠雪だそうです。遅くとも、冬が来ることは分かりました。季節が変わることが、手術後、今まで以上に感動を覚えるようになりました。日一日と自然も人間の生活も変わる、その変わることが、嬉しく感動するのです。

 洗濯物を干そうとしたら、ベランダで工事の人が3人、ウッドデッキを調査していました。仕方が無いので、一旦部屋干しにしたところ、干し終わった時に、調査も終わりました。急いで、洗濯物をベランダに出しました。今日は、素晴らしく良い天気なので、外に干したかったのです。外に干しても、幕の内ですから、太陽の香りがするような乾き方にはなりません。早く工事が終わってくれることを願うばかりです。

 東山ニュータウンに行った時に見た、苺のような木の実が、何の木の実なのか、気になって仕方がありません。山桃ではないかと思い、ネットで調べてみましたが、実の表面の感じと、実の色合いの感じが少し違います。若しかすると、山桃を観賞用に品種改良した物かも知れません。暫く、持ち越しとなりました。

 天気が良いので、12時少し前に家を出て、長沼公園に行って来ました。長沼公園は、京王線長沼駅から直ぐの所にあります。公園として人工的に整備されている所は少なく、9割が雑木林です。その中に、何本も道があり、林の中の散歩を楽しむことが出来ます。山百合や山紫陽花の頃が、一番良い時期だと思います。

 先ずは、六社宮に挨拶して、12時40分くらいから、野猿の尾根道を歩きました。公園ですから、丘の頂上まで小半時(30分)ばかりです。1時15分には、頂上に着きました。頂上は、広場になっており、トイレと幾つかのベンチが用意されていました。燦燦と輝く太陽の下で、聖蹟桜ヶ丘で買って来た、豚の生姜焼き弁当を食べました。美味しかったのですが、量が多く半分しか食べられませんでした。

 昼食後、これまでは平山口へ降りていたのですが、今日は野猿峠口に降りることにしました。この道は、初めての道でした。ほんの少し歩くと、「峠の小さな美術館」があり、入館は自由とのことでしたが、火曜日と水曜日は定休日でした。今日は水曜日、残念でした。そのすぐ横には、廃屋と思われるような、鎌田鳥山(かまたとりやま)という料理屋がありました。ネットに拠れば、

「狩人「鎌田弁繭」の「とや(渡鳥を獲る為の山小屋)」。千と千尋の舞台です。怖い狸が居ます? 奥に「峠の小さな美術館」が有ります。2階畳敷の大広間からは眺めが良く、風が通ります。10月でも蚊がポツポツ、蚊取り線香を欠かせません。囲炉裏の炭火に網を掛け、壺の甘辛垂に鶏と野菜を浸け焼き乍、自在鉤には滑子汁の御鍋を吊るして、頂きます。」

 確かに、玄関に狸の石像が立っていました。この料理屋が、現在も商売をしているのか、あまりにも汚いので疑問ですが、とや(鳥屋、塒)の雰囲気としては、廃屋のような感じが良いのかも知れません。この料理屋を過ぎると、住宅地になり、野猿街道に出ました。野猿峠のバス停が直ぐ側にありました。野猿峠は、最近聞いた覚えがあると思ったら、娘が救急車で運ばれた病院がある所でした。確かに病院がありました。比較的小さな病院でした。その病院の横は、鉄筋2階建てで小学校を思わせる、「おさひめ幼稚園」がありました。小型のディズニーランド様な庭があり、少子化とは無縁のような幼稚園でした。更にその奥には、公益法人大学セミナーハウスの八王子セミナーハウスがありました。あらゆる大学が利用可能らしく、相当大きな敷地に、様々な施設がありました。しかし、何故このような施設が必要なのかは、良く分かりませんでした。セミナーの林の中に、椎茸のような茸がありましたので、少し頂いて帰りました。色、形、匂い、全てにおいて、食べられると思われたのですが、食べる勇気が出ませんでした。

 野猿峠のバス停に戻り、バスで長沼駅に出て、電車で聖蹟桜ヶ丘に帰りました。少し買い物をして、我が家の戻ったのは、4時過ぎでした。

 夜は、買って来た鰹の刺身と生牡蠣で酒を飲みながら、プロ野球の日本シリーズを見ました。日ハムが勝って2勝2敗の対になりました。また、夜のニュースでは、今日は、季節外れの夏日で、富士の初冠雪が融けて、小さくなったそうです。

 

 

「人の世も 季節も毎日 変わり行く 今日は富士に 初の冠雪」

「冠雪の 次ぐ日の今日は 夏日なり 富士の白雪 融けて流れる」

「狩人の 山小屋風の 料理屋の 林の中に 建ちているなり」

「多摩の丘 林の中の 茸狩り 香良けれど 食べる勇気無し」

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2016年10月26日 (水)

2016年10月25日

2016年10月25日

 

 今朝は、良く晴れて、気温がぐっと下がりました。晩秋になって、漸く秋の中にいるのだと、自然に感じられるようになりました。

 7時半頃、次男が帰って来ました。昨晩、次男は、妻と良く行く神楽坂の中華料理屋に友達と行き、その後、夜を明かして飲んだようです。この中華料理屋は、私が勧めたのです。どの料理も美味しくて満足したそうです。一番好みだったのは、豚の角煮と炒飯だったと言っていました。

 次男は、朝寝に入り、私は、9時半に家を出て、10時半に高尾駅に着きました。今日は、大学時代の仲間と、当時の大学の関係者の「能面展」を見に行くことにしていました。この方A氏は、我々が大学生の時、学生生活課の課長で、我々のように当時、学生会や体育会など学生の活動を統括する立場に居た学生、学生運動に嵌まっていた学生にとっては、非常に関係の深い方でした。この方は、高尾に住んでいるので、私は、高尾山に登った時は、必ず訪ねることにしています。ところが、当時の学生会や体育会をやっていた学生も、卒業後には、一度も会ったことが無いと言う人が多かったので、「能面展」を機会に、A氏に会いに行こうと、誘ってみたのです。結果的に私を含め5人、能面展に集まりました。

 A氏には、我々が11時頃に、「能面展」の会場である浅川市民センターに行くことを知らせてありましたので、11時会場で迎えてくれました。能面作成は、A氏が、退職後始めたもので、既に存在している面のコピーとは言え、古代の面を思わせる、素晴らしい出来でした。能面鑑賞と能談義を暫くして、話は、50年以上前の大学時代に移りました。主に当時の大学紛争の話になりましたが、我々の知らない、終戦直後からの大学の姿も話題になりました。今は、運動場になっている真田濠も、満々と水を湛ていたそうです。青春、時の流れ、人との繋がり、思い出の共有、人生の果実を摘み取ったような、幸せな一時でした。A氏の顔も終始綻んでいて、それもまた、嬉しいことでした。A氏は、今年90歳ですが、とても元気で、頭もしっかりしています。今日も、車を運転して会場に来たのだそうです。私が、運転免許証を返納したと言ったら、驚かれました。

 記念撮影をして、「能面展」の会場を辞去し、集まった5人は、八王子に出て、蕎麦屋で一杯と言うことになりました。一人だけ集まった女性は、病気知らずのようでしたが、男性陣は、手術をした者が3人もいて、病気と手術と手術後の話に花が咲きました。誰もが、酒を沢山飲むことが出来なくなって、僅か1時間程度で、蕎麦を食べて、今日の集まりは、終わりになりました。病後であること、寄る年波を感じました。私は、手術後初めて、蕎麦を食べました。

 今日は、6時から、職場の友人夫妻と都心で食事をすることになっていましたので、少し早めに妻の所に行くことにしました。八王子を2時15分くらいに出るので、3時半頃には、家に行けると妻に電話しました。計算通り、3時半過ぎには、妻の家に着きました。妻は、私が来ることを見込んで、重い物を買いたいらしく、買い物に同行するよう頼まれました。体力もかなり回復しましたし、喜んで買い物に付き合いました。思ったほど重いものは無く、酢と大根くらいでした。それにしても、妻は大根を1本丸ごと買いました。この所私は、大根を半分買っても、半月以上食べきれずに残っています。ほとんど、大根料理をしなくなりました。

 買い物をしても、4時半には、妻の家に戻りました。今日は、もう一つすることがありました。それは、妻の家の台所の浄水用の蛇口の水漏れの修理でした。(短い文なのに“の”が6個になりました) そのために工具を持参しました。私は、変な場所から水漏れすると思っていましたが、水漏れは蛇口からでした。水漏れと言うより、栓がきちんと閉まらない状態でした。妻の指示に従って、蛇口の栓の部分を分解しましたが、何故、栓が良く閉まらないのか、理解できませんでした。暫く、分解した栓の部分を回していた妻が、「分かった」と叫びました。栓の取っ手の角度を、変えれば良い事に気付いたのです。つまり栓を閉めた時、取っ手が台所の面に触れて、充分に栓が閉まらなかったのです。つまり、その分だけ栓が緩んでいたのです。妻の言う通り、栓の角度を変えて、取っ手が台所に触れないようにすると、水漏れは無くなりました。めでたし、めでたし。

 6時に職場の友人夫妻と会い、前回、日曜日の為、休みだった中華料理屋に行きました。湖南料理の辛い中華料理屋で、昨晩次男が行ったところです。注文した料理は、よだれ鶏、豆苗炒め、豚の角煮、餃子、魚のスープ、海老の辛味揚げ、炒飯、堅焼きそば、を頼みましたが、どれも辛く、友人夫妻には、とても珍しく美味しかったようです。特に、海老の辛味揚げは、山盛りの唐辛子の中に、海老が埋もれていました。この唐辛子を、好んで食べる人も居るようですが、我々は、全部残してしまいました。食事をしながら、一緒に働いた人達の消息など、話は弾みましたが、私の家が遠いので、8時半に、お開きにしました。

 9時半過ぎには、我が家に帰ることが出来ると思っていたのですが、私の乗った京王線の準特急電車が、明大前で人身事故を起こし、1時間近く動きませんでした。その後、動きはしたものの、つつじが丘まで急行電車となり、つつじが丘からは、各駅停車になりました。聖蹟桜ヶ丘に着いたのは、10時15分過ぎで、辛うじて最終バスに間に合い、11時近くに我が家に戻る羽目になりました。内容の濃い1日となりました。

 

「お互いの 心の内の 思い出を 出して積み上げ 往時を再現」

「青春の 一場面の 役者達 白髪頭で 昔を語る」

「ある時期を 共に生きた 思い出は 実り豊かな 人生の果実」

「時々の 場面重ねて 半世紀 重ねた結果が 我が人生」

「水道の 水漏れ対策 妻と共 別れ住んでも 絆深まる」

「職場での 最後の仕事 共にした 仲間夫妻と 喰う飯旨し」

「我が乗る 電車が人身 事故起こし 混んだ車内で 半時棒立ち」

 

 

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2016年10月25日 (火)

2016年10月24日

2016年10月24日

 

 日の出の頃は、朝日が多摩丘陵を照らしていたのに、暫くすると曇り空になりました。朝のニュースでは、都心の方は青空でしたが、多摩の方は曇り空でした。今日の天気は、東から変わるらしく、多摩地方も昼近くから、青空に変わりました。

 朝、娘に連絡して見ました。退院は下ものの、平衡感覚が悪く、立っていられない状態は、変わっていないらしい。取り敢えず、午前中は、旦那が会社を休んで、子供二人を学校に行かせたとのことでした。体調の悪さが、耳鼻科関係であれば、早く原因を究明するように、言って置きました。

 今日、次男が休みだったので、昼食を一緒に食べ、その後、次男は商売道具の包丁研ぎを始めました。私は、珍しく良い天気に誘われて、午後から、中央大学の方に行って来ました。中央大学が目的ではなく、昨日垣間見た、中央大学へ行く途中の、古民家が目的でした。

 2時少し前に家を出て、バスで一之宮に行き、そこで南大沢行きのバスに乗り換えて、東中野で降りました。JR中央線の駅名と同じバス停は、中央大学への入口らしく、運転手が繰り返し言っていましたので、今日の目的の場所だと分かりました。実は、昨日、此処からバスに乗って帰ったのですが、バス停の名前が、うろ覚えだったのです。

 目的の古民家は、バス停から直ぐ近くでした。想像以上に立派な古民家でした。高幡不動の本殿より、大きいと思われました。最初は、正面玄関の方から、写真を撮り、誰も居なかったので、庭まで入り込んで、シュウメイギクが沢山咲いている庭と、裏手にある倉庫の写真も撮りました。そこから、一旦道路に出て、裏の方に回ってみました。そこへ、この家の持ち主夫婦が、現れました。畑作業をしていたようです。

 その家の主人が、「何か用ですか」と、極めて不機嫌そうに聞いてきました。「用が無いのに勝手に他人の家に入り込むな」と言う気持ちが、見え見えでした。「あまりにも立派な家なので、写真を撮りに来たのです」と答えると、「そんなに立派なものではないよ、他の民家をあまり見ていないのではないか」と言いましたが、その言葉の裏には、自信も感じられました。そこで、これまで見て来た、府中四谷の市川家、立川の小川家、国分寺の本多家等の話をして、その中でも、この屋敷が一番だと言うと、漸く気分が和んだらしく、家の歴史を話してくれました。

 御主人の話に拠れば、この屋敷は、江戸時代後期、文化・文政頃建築された。畳の間だけでも、優に50畳を越え、更に板の間も広い。2階のほとんどは、板の間になっている。江戸間と言われるように、今の一畳より、かなり広い。屋敷は、江戸末期の物であるが、家系は更に古く、1400年代に、今の埼玉の方から、この地の移住して来たらしい。近くの菩提寺よりも古くからの家系らしい。移住してきたときは、武士だったらしいが、何らかの理由で百姓になったらしい。色々調べてはいるが、はっきりしたことが、分からないとのことでした。

 私が、市や国に頼んで、重要文化財に指定して貰い、同時に郷土史家に調べて貰ったらどうかと言うと、「それをやった友達がいるが、礼儀をわきまえない見物客が、食事時だろうと何だろうと、お構いなしに入って来るようになって、私生活が満足に出来なくなり、今はプレハブを作って、そこに住んでいる。彼の二の舞はしたく無い」と言っていました。何やかやと1時間近く話し込み、礼を言って辞去しました。今日の散歩の目的は達しましたが、何時の日か、家の中を見学してみたいものです。ご夫婦共、笑顔で送ってくれました。

 古民家を離れて、中央大学へ行く道に出ると、てっぺんまで朝顔(昼顔?)に覆われた気がありました。近づいて見ると、元の木は花水木でした。木全体に朝顔の花が咲き、夕日を受けて輝いていました。

 更に、朝鮮朝顔が、かなりの数咲いていました。ラッパのような花が下がって、あまり好きな花ではありません。昔、朝鮮と言う名前が付くと、多くの場合、蔑称でした。私ような者は、朝鮮朝顔と聞くと、日本古来の朝顔に較べれば、品の無い朝顔と受け取ってしまうのです。実際の所は、ウィキペディアに拠れば、「チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔、学名:Datura metel)は、ナス科の植物。園芸用にはダチュラの名で広く流通しているほか、マンダラゲ(曼陀羅華)、キチガイナスビ(気違い茄子)の異名もある。原産地は南アジアであって、「チョウセン」は、特定の地域を表すものではなく、朝鮮半島原産という意味は持たない。日本へは、江戸時代1684)に薬用植物としてもたらされ、現在は本州以南で帰化・野生化したものが見られる。」

 少し歩くと、中央大学の正門に出ましたが、今日は大学には寄らず、大学と運動場の間の道を歩いて丘を越え、多摩動物園駅まで行き、聖蹟桜ヶ丘に出て、5時に、我が家に帰りました。次男は、まだ居て5時半に出て行きました。友達との飲み会が、あるとのことでした。

 夜、娘から電話があり、耳鼻科に行って来たそうです。ストレスとか緊張により、三半規管の機能が低下していると診断されたそうです。症状を改善する薬を貰って、幾分症状は軽くなったらしいのですが、完治までは至っていないそうです。取り敢えず、大事にはならなくて済んだようです。

 

「江戸からの 古き屋敷に 今も住む 歴史とならぬ 古民家ありき」

「縁側の 庭に花咲く 秋明菊 星霜重ねた 古民家の秋」

「古民家の 夫婦普通に 生きており カメラを提げた 我が場違い」

「朝顔に 軒先貸して 乗っ取られ 梢も朝顔 花水木かな」

「下向きに ラッパが下がる 花ありき 南国の花 朝鮮朝顔」

「娘より 病は大事に 至らぬと 知らせのありて 胸撫で下ろす」

「三月前 我の心配 していたに 今日は私が 娘の心配」

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2016年10月24日 (月)

2016年10月23日

2016年10月23日

 

 今朝は、青空の見える良い天気でした。気分も晴れやかになり、今日は、孫娘の七五三を娘家族と一緒に祝うことにしていましたので、良い1日になるだろうと思っていました。

 ところが、娘の旦那から、九時過ぎだったと思いますが、娘が体調を崩し救急車で病院に運ばれたとの、電話がありました。頭痛、眩暈、吐き気がして、立っていられない状態になったそうです。旦那も子供達を連れて、これから病院に行くとのことでした。私も、急いで日記を書き終え、10時過ぎに家を出て病院に行こうとしていたところに、旦那より電話があり、「娘は、脳神経に異常は無く、耳鼻科的原因による体調不良で、点滴をして30分後には退院して、自宅に戻る」とのことでした。大したことにならなくて、本当に良かったと思います。まだ、子供達が小さいので、今後の事を思うと、暗澹たる気持ちになっていました。丁度私の子供が、今の娘の子供の年齢と同じころ、私の妻(子供達の母親)が、脳腫瘍で倒れました。その事が、脳裏を過りました。家族の歴史が、繰り返さなくて本当に良かったと思います。当然ながら、七五三のお祝いも延期になりました。

 娘の家族は、そっとして置くことにしてら、私の予定は無くなったので、東京薬科大に行って来ました。

 11時近くに家を出て、聖蹟桜ヶ丘で昼食の弁当を買い、平沼城址公園駅からバスで、12時半に東京薬科大に着きました。薬科大で一番の楽しみは、季節ごとに変わる薬草園です。ところが今日は、日曜日のせいか、薬草園は休みで、入り口が閉まっていました。入り口に続く土手には、センブリノ花が咲き、三つ葉アケビが大きな実を付けていました。また、以前からあったかどうか確かではありませんが、ウォレミマツ(通称ジュラシックツリー)が植えられていました。6500万年前に絶滅したと思われた植物でしたが、1994年、シドニーのウォレマイ国立公園で発見されたそうです。

 薬草園が休みなので、普段は素通りするキャンパスを見学しました。キャンパスの入り口にサンザシ(山査子)の木があって、沢山の姫リンゴのような赤い実や黄色い実を付けていました。名前は聞いたことがあったのですが、多分花は見たことがありませんし、実を見たのは初めてでした。黄色い実の山査子は、キミノサンザシ(黄実の山査子)と言うそうです。入り口の広場から、講堂、運動場、体育館を回って、入口広場に戻りました。途中に、「愛らしき動物」という碑がありました。薬科大ですから、薬物の実験の為に、多くの動物を殺したのでしょう。大学の性格上仕方のないことだと思いますが、碑を作るのは、日本人の優しさでしょうか。

 薬科大から、平沼城址公園に入りました。隣り合わせなのです。城址公園に入ると、薄い赤紫のマユミの実、真っ赤なガマズミの実、ムラサキシキブの紫の実、シロシキブの白い実、狂い咲きのヤマツツジを見ることが出来ました。森の中のベンチで、森を渡る風を受けながら昼食にしました。小さ目のアサリ弁当を買って来たのですが、物足りないくらいでした。デザートに葡萄餅を食べて、漸く満足しました。

 城址公園の「終わりで始まりの広場」から、森の道を歩いて、谷間に田圃や畑が連なる山里に出ました。ヨメナとヤクシソウとの群落がありました。ここでも、ツマグロヒョウモンが、花から花へ渡り飛んでいました。畦には、蓼が密生し紫の道になっていました。小さな田圃で、二人のお爺さんが、機械を何も使わず、仲良く稲刈りをしていました。

 何時もは此処から、坂を登って旧多摩テックの方へ歩き、多摩動物園の方へ行くのですが、今日は山里に沿って歩きました。暫く歩くと、牛舎の後ろに、立派な民家が見えたので、玄関の前に座っているお爺さんに、「写真を撮っても良いですか」と聞いたところ、それが嬉しかったらしく、写真を撮った私を、もう一つの椅子に座らせて、この家の話をし始めました。「この家は、江戸時代から続く家系で、屋敷そのものは最近建て替えた。その前に父が建てた屋敷の木材は、全部我が家の山から切り出したもので、父は、家の中の木が、山の何処に生えていたかを、全部覚えていた。蔵は、普通の家では、屋敷の横の外部から見え易い所に作ったものだが、我が家は、家の後の丘の下に作った。富を見せびらかさないのが、父の方針だった。屋敷の良し悪しは、庭を見れば分かると言うが、我が家屋敷のカエデやモチノキ等は、優に200年の年輪を刻んでいる、、、、」等々、色々話を聞きました。お爺さんの名前は、安と書いて「シズカ」と読むのだそうです。話は、続いていましたが、別の客が来たので、お礼を言って別れを告げました。この家の主は、昔、武田の残党だったのかも知れません。多摩地方には、そのような家が多いのです。

 お爺さんの家の斜め前の畑には、枯れた山芋の葉が摘まれており、その脇には、「むかご」が、落ちていました。見たことも無いような大きな「むかご」もありました。予想外の収穫でした。

 その少し先から、坂を登ると、現在開発中の「東山、多摩ニュータウン」になりました。ほとんどが、まだ更地でした。この更地に、何本も電信柱が立ち、電線が張られていました。政府は、新しい造成地には、電線は地下に配備するように、法律を作ったらどうでしょうか。見苦しいにもほどがあります。昨日歩いた皇居前に電信柱が乱立し、電線が張り巡らされていたら、誰でも不快感を持つでしょう。コストがかかるのに、既存の電線さえ地中化しようとする動きがある中で、新しい造成地の電線にはがっかりしました。「安かろう悪かろう」の高度成長期以前の日本に戻ったようでした。それにしても、多摩地方には空き家の多くなった団地が幾つもあるのに、またニュータウンを作るのですかね。都会では、都心に高層マンションを幾つも建設して、都下の一戸建てや団地を止めたら良いと思っています。

 東山ニュータウンの一軒の家に、苺のような赤い実の生る木が植えられていました。名前が分かりません。東山ニュータウンを降りて、野猿街道からバスに乗って聖蹟桜ヶ丘に戻り、駅前の花屋の可愛い店員に、実を見せて名前を聞いたのですが、分からないとのことでした。とても、申し訳なさそうな顔をするので、私の方が申し訳なくなりました。まだ書くことがありますが、長くなり過ぎました。色々なことがあった1日でした。

 

「緊急に 娘入院の 知らせあり 肝を冷やした 朝の始まり」

「人生の 岐路は突然 訪れる 易しき道を 行ければ良いが」

「調べ済み 娘の病 大禍無く 岐路の到来 先延ばしなり」

「山査子の 赤と黄色の 実の生りて その実の多さに 我は驚く」

「薬科大 ジュラ紀の若木 植えてあり 大きくなれば ジュラシックパーク」

「センブリの 白く小さい 花の咲き 薬の元とは 思えぬ可憐さ」

「シロシキブ その名の通り 白き玉 ムラサキシキブと 競い合うなり」

「枝騒ぎ 風が林を 吹き抜ける 林で喰う飯 旨さ格別」

「山里に 秋の嫁菜の 群れ咲いて 花には蝶よと 褄黒豹紋」

「爺さんが 二人仲良く 稲を刈る 昔と同じ 多摩の山里」

「畦道に 隙間なく咲く 蓼の花 貴人歩くや 紫の道」

「山里に 似合いの屋敷 木の香り 江戸から続く 里の主なり」

「山芋の 蔓枯れ果てて 山積みに 麓にこぼれる 旨そなむかご」

「里山を 切り開いて ニュータウン 空き家の多き 団地の近くに」

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2016年10月23日 (日)

2016年10月22日

2016年10月22日

 

 雲の張りつめた、曇り空の典型のような朝でした。朝は、夜の闇を押し開いて、太陽が昇ってくれないと、気持ちが前向きになりません。

 今日は、年に1度の高校の同窓会でした。今年の春は、旨い魚を食べようと、茅ケ崎に住む同窓生の企画で、特別の同窓会が、4月に行われました。当初、この同窓会を楽しみにしていたのですが、体調が悪くなったため、急遽出席を取止めました。それから今日まで、胃癌との戦いが続いています。

 同窓会は、5時から去年と同じ、帝国ホテルの横のビルにある「うすけぼうー」でした。家を3時に出て、東京駅に4時15分に着きました。有楽町からの方が近いのですが、皇居の堀に、冬の渡り鳥が、渡って来たのか確かめたくなって、少し早めに家を出て、東京駅で降りたのです。先日会った、千葉に住む友人の所には、既に渡り鳥が渡って来たと言っていました。

 丸の内のビル街を通って、和田倉濠に出ました。白鳥が2羽静かに泳いでいました。白鳥も本来は渡り鳥なのでしょうが、皇居の白鳥は留鳥となり、1年中居付いて、訪れる人を楽しませてくれます。パレスホテルの前の公園を横切って、蛤濠、桔梗濠を訪ねてみましたが、渡り鳥の姿は見かけませんでした。その代わり、濠を埋めている大量の藻を見ました。今年の秋が暖かいことを示しているのではないでしょうか。更に歩いて、観光客が集まっている二重橋、皇居マラソンの人が集まる桜田門を潜り、桜田堀、凱旋濠に出ました。この濠にも渡り鳥はいませんでした。こちらの濠は、藻が少なく、高層ビルの灯が映って、観光客だけでなく、いかにも東京らしい、素晴らしい景色に、私も感動しました。来週辺りには、渡りが始まるのかも知れません。

 全国、旨いもの祭りのような催しをやっている日比谷公園を抜けて、5時丁度に、同窓会の会場に着きました。5時10分、最後の参加者が到着して、同窓会が始まりました。最初に、幹事から出席できない人の近況について、報告がありました。これまで、出席していた人が来られなくなったのは、多くが病気にためでした。昨年は、訃報が1件あったのですが、今回はありませんでした。若しかしたら、私の訃報が知らされたのかも知れませんが、幸い現世に留まりました。

 多くの人が、私の痩せ方が普通ではないことに気が付きましたが、顔色が良いので胃癌の手術をしたとは、誰も思わなかったようです。ある女性は、何か特別な痩せ方を実施したのだと思い、教えてほしいと言いました。そのような疑問を解くため、ひとしきり胃癌の発見から、手術、退院してからの生活等について披露しました。誰かが言っていましたが、この年になると、多くの人が何らかの病気をし、手術の経験があり、手術の跡を勲章と呼ぶのだそうです。私も、勲章持ちの仲間入りをしたわけです。

 今日は、28人集まりましたが、郷里の高校の同窓会には、中学校以来の友達も沢山いて、思い出話の多くは、子供時代まで遡りました。なんと、60年近い昔の話でした。なんで、こんなに昔の事を良く憶えているのですかね。歩んで来た、人生の一場面一場面が、掛け替えのないものだったと言う事でしょう。落語だったと思いますが、あの世で昔の仲間が集まり、どんちゃん騒ぎをする話があったように思いますが、その話を彷彿させるような、楽しい同窓会になりました。最後に、自慢の校歌を歌って、お開きとなりました。

 皆は、2次会に出かけたようですが、流石に私は遠慮しました。矢張り2次会に出ないで、一緒に帰った女性は、60歳で会社を興し、今でも社長として頑張っているとのことでした。お嬢さんは、テレビで活躍している女医さんだそうです。私が、普段見ない、お笑い系の番組に出ているようで、知らない名前でした。

 

「宵の口 摩天楼にも 灯が点り お堀に映る ビルの影かな」

「年老いて 手術をしても 旅立たぬ 手術の跡は 未練の勲章」

「あの世でも 同窓会が やれるなら この世と同じで 楽しからずや」

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2016年10月22日 (土)

2016年10月21日

2016年10月21日

 

 今朝は、天気予報では晴れなのですが、薄雲が張り詰めていて、晴れという感じがしませんでした。昨日と較べて、空気は随分冷たくなりました。北海道では、雪が積もった所があるそうです。漸く、本格的な秋が来た感じがします。

 昨晩、2度も妻から電話があったのに、気が付きませんでした。今朝、妻が起きた時間を見計らって、電話をしようと思っていたら、先に妻から電話がありました。先日、一緒に食事をした夫妻が、故郷に帰った後、東京に戻って来たので、海外に行く前に、もう一度一緒に食事をしたいと言って来たそうです。来週火曜日に食事をすることにしました。もう一つ、妻の所の台所は、通常の水の蛇口と浄水の蛇口があり、浄水の蛇口が水漏れを起こしているそうです。専門家は呼びたくなくて、工具とパッキンが手に入れば、自分で修理したいと言っていました。私も、修理は大好きなので、妻に必要なものは、私が何とかすると言って電話を切りました。

 私の工具箱を探すと、サイズが自由に変えられるスパナが見つかりました。パッキンについては、近くのホームセンターで容易に手に入れることが出来ました。明日は、妻に良い知らせが出来ます。

 買い物から帰り、昼食の準備をしていたら、次男が早めに起きて来ました。昨日の高尾山登山の話から、ラグビーの平尾の死に話が移りました。長男が、高校時代ラグビーをやっていたこともあり、ラグビーは、我が家で人気のスポーツでした。平尾は、日本ラグビー界の英雄であり、子供達にとっても英雄でした。平尾が活躍していた時代は、子供達が、青春から社会人になる、人生の転換期でした。そんな訳で、次男は、平尾の早すぎる死に衝撃を受けていました。平尾に限らず、次男の青春時代に慣れ親しんだ人達が、次々に他界していくので、昭和が遠くなり、同時に自分の青春時代が遠くなって行くような気がしているようでした。私も年を取りましたが、子供達も、年を取って来ました。

 次男を送り出してから、3時過ぎに家を出て、桜ヶ丘公園を歩いて来ました。バスを乗り継いで、桜が丘公園に着いたのは、4時過ぎていました。雲の多い空でしたし、日の入りの時刻が、既に5時前になっていて、森に囲まれた公園の中は、早くも薄暗くなっていました。秋分の日を過ぎると、森を中心とした公園の散歩は、午後3時過ぎに出かけるのは、難しくなりました。今日は、更に悪いことに、公園の草刈りの日だったらしく、森の間の草地は、全て丸坊主になっていましたし、草刈り中の所もありました。公園中、刈られた草の臭いが充満していました。花は、森の縁に作られた野草園で、キバナアキギリ、ツクバトリカブト、ヨメナ、オトコエシ等、ほんの少し見ただけでした。紅葉には、早かったし、悪い時期に散歩しました。

 桜ヶ丘公園から、聖蹟桜ヶ丘の駅まで歩き、そこから何時ものバスで、我が家に6時過ぎに着きました。6時には、日がとっぷり暮れてしまうようになりました。

 

「秋半ば 森の広場は 散髪日 公園中に 草の香充満」

「白嫁菜 ひっそり咲いてる 森の縁 此処を刈っては 女が廃る」

 

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2016年10月21日 (金)

2016年10月20日

2016年10月20日

 

 今朝は、5時には目が覚めてしまいました。カーテンを引きましたが、窓の外は、まだ夜の闇が残っていました。日の出の時間が遅くなりました。

 今日は、山登りの仲間達は、信州の山を登っているはずです。山登りの訓練の為、高尾山に登って来ました。

 11時15分に家を出て、12時25分に高尾山口に着きました。術後、初めての自分の足での山登りなので、どのコースを登るか迷いましたが、枇杷滝コースの6号路に決めました。高尾山口のケーブルカーの駅の横から、12時半丁度に登り始めました。駅の周囲の秋の野草は、2週間前に来た時とほとんど変わりはありませんでした。藪茗荷の青い実、秋海棠、庭先の竜胆、枇杷滝からの小川の縁には、溝蕎麦、イヌタデ、吊舟草等を、今日も見ることが出来ました。

 枇杷滝の方に進むと、時期の終わりかけた、紅白の水引が、少しだけ残っていました。私の快気祝いをしてくれているようでした。道脇の白くて長い花は、サラシナショウマ(晒菜升麻)でした。まだヨメナ(嫁菜)も咲いていました。実をいうとヨメナとノコンギクの区別が良く分かっていません。

 枇杷滝から右へ入る枇杷滝1号路と、直進する枇杷滝6号路に別れ、私は決めた通り直進しました。6号路は、だらだら坂がずっと続きました。10月は、雨が多かったせいか、山の小道は、所々水が流れるほど湿っていて、日が当たった所は、きらきらと輝いていました。

「輝く小道」の事をスペイン語で「センデロルミノソ」と言います。センデロが小道、ルミノソが輝く、です。ペルーのゲリラの名前としても有名でした。私が、働いたことのあるカナリア諸島のグランカナリア島では、輝く小道集という本があって、私は、その本で紹介された小道を、約2年で、ほとんどを歩き尽くしました。春になると、アーモンドの花が咲き、神様の花園のように、沢山の花が咲き乱れました。この時から、山の小道を歩くのが好きになりました。グランカナリア島は、1500メートルクラスの山が幾つもある、かなり大きな島で、輝く小道も結構歩きでがありました。

高尾山の輝く小道もほとんど歩き尽くしました。6号路を登るのは、5回目くらいだと思います。枯れ木に着いた大きな茸の列や、倒木に何種類もついた茸達を写真に撮ったりしながら歩き、やがて、だらだら坂が終わって、少しだけ沢登りをすると、最後の階段になりました。ここまでは、順調に来たのですが、金比羅山のような階段は、非常に堪えました。しかし、今日は、この訓練の為に来たわけですから、必死で登り、2時には頂上に着きました。1時間半で登ってきたわけですから、極端に時間が掛かったとは思いません。これなら、山歩きの仲間に、迷惑を掛けずに一緒に歩けるかもしれません。少なくとも、山中で倒れたり、歩けなくなることはなさそうです。

今日は、富士の方向は雲が多く、山頂から富士は見えませんでした。しかし、丹沢や奥多摩は霞が強く、山の稜線や山肌が、遠ざかる毎に、青から白っぽく変わっていく様が、この世のものとは思えない様な、幽玄の世界を作り出していました。何時も素晴らしいのですが、今日、高尾山頂から見た大山は、「素晴らしい」の一語でした。

山頂で、昼食を食べ、2時半から、ビジターセンターで行われた、「高尾山の動物」という説明会に参加した後、3時から、4号路、「いろはの森」経由で日影沢に降りました。小仏街道の日影沢バス停に着いたのは、3時50分でした。3時43分にバスが出たばかりで、次のバスは4時43分、1時間に1本しか運行されていなかったのです。1時間近く待つ気にはなれませんでしたので、小仏街道を歩いて、高尾山口に出ました。この小仏街道を歩くのに、また、1時間近く掛かってしまいました。この分は、予定に入っておらず、肉体的にも気分的にも疲れました。

途中、知り合いになった彫刻家のアトリエに寄って見ましたが、最近、このアトリエは使われていないようでした。庭に放置されている彫刻は、セイタカアワダチソウに取り巻かれていました。アトリエの建物の入り口にも、草が生い茂っていました。セイタカアワダチソウと女性の裸像は、似合っているのかいないのか、とても面白い組み合わせでした。

5時近くの電車で高尾山口を出て、5時25分には聖蹟桜ヶ丘、6時少し前には、我が家に帰り着きました。疲れましたが、少し、自信を取り戻した一日でした。夜は、昼の残りのサンドイッチ、春巻き、チャンジャで、一人で乾杯しました。

 

「高尾山 術後初めて 登山道 緊張しつつ 一歩踏み出す」

「紅白の 水引未だ 咲き残り 我の快気を 祝うが如し」

「純白の 尾っぽが風に 揺れている 山の小道の 晒菜升麻」

「木立ち抜け 日差し差し込む 森の中 輝く小道 山への誘い」

「朽ち果てた 枯れ木の幹に らせん状 茸が作る 空への階段」

「倒木に 押し競饅頭 茸達 白黒茶色 どれも喰えぬか」

「飛び石を 連ねた小川の 沢登り 庭園歩きと 言うが正しき」

「頂上へ 続く階段 金比羅山 此処が訓練 為所なりき」

「足震え 息を切らして 高尾山頂 エベレスト登頂 果たした気分」

「降り道は 元気一杯 日影沢 バス出たばかり てくてく高尾へ」

 

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2016年10月20日 (木)

2016年10月19日

2016年10月19日

 

 雲は多いものの、日差しもある朝でした。昨晩も次男が洗濯したらしく、ベランダには、多くの洗濯物が干してありました。

 今日は、昨晩一緒に飲んだ関西から来た友人と、昼食を共にすることになっていました。10時半に、家を出て12時に待ち合わせ場所の数寄屋橋交差点の交番前に着きました。待ち合わせの時間は、12時半だったので、銀座を少しだけ散歩しました。

 四丁目の交差点には、白い茸の足のような建物が出来ていました。数寄屋橋交差点にあった、ソニーのショウ―ルームは、このビルに移っていました。銀座松屋の建築は、外観は出来上がっており、後は内装工事を待つだけになっているようでした。相当大きなビルになっていました。百貨店が利益を上げるのが難しくなっている状況の中で、かつ、中国人観光客の瀑買いも下火になっているようですから、これだけ大規模の百貨店が、経費分の利益が出るのか極めて心配です。

 12時半近くになったので、数寄屋橋交差点の戻ると、友人が顔を出しました。彼も、早めに着いていたらしく、交番の後ろの方のベンチに座っていたそうです。昼食は、1時に予約したらしく、彼と一緒に、もう一度4丁目の交差点まで歩き、喫茶店で時間を潰しました。

 一時近くになったので、予約してあった数寄屋橋の近くの「五代目 野田岩」に行きました。野田岩は、鰻では非常に有名な所なのだそうですが、恥ずかしながら、私には縁が無い所で、全く知りませんでした。最初、白焼きを取り、それを肴に、酒を飲みながら、話をしました。彼は、昨日、飲み過ぎたことは、自覚しているようでした。酒を飲むと、誰しもそうですが、居丈高で命令調になり、彼の場合は、嫌みな言い方が強くなります。酒が醒めると、穏やかな話しぶりになります。今日は、2合足らずの酒を、二人で分けて飲みましたので、終始和やかに話が出来ました。

 折角友人が配慮して選んでくれたのですが、野田岩の鰻は、私の口には合いませんでした。蒸した後の焼きが足りないのと、味が薄味で物足りませんでした。また、山椒の粉も香りが弱くなっていました。あるいは、わざと弱くしたのかも知れません。有名料理店の料理は、巷の労働者が食べるような味付けでは、料理の差が出ないので、食材の味を生かすと称して、薄味が多いのですが、私には、特徴のない味に思えてしまいます。何れにしても、料理は個々人の好みの問題ですから、要は、私の好みに合わなかったと言うことです。

 1時から2時半過ぎまで腰を落ちつけて話し続け、他のお客が居なくなってしまいました。流石に腰を上げざるを得ませんでした。白焼きと酒は、私の快気祝いとして、彼が奢ってくれました。彼の飛行機の時間まで、まだ少し時間があったので、喫茶店を探して、時間を潰し、4時前に有楽町の駅で、彼と別れました。

 今日は、霞ヶ関の裁判所を訪ねてみようと思っていましたが、妻との夕食の時間迄に、あまり時間が残っていなかったので、別の機会にすることにしました。その代わり、有楽町から東京まで、丸の内側を歩いてみました。この辺りの発展には、目を見張るものがあり、パリを抜いて世界で3番目に活力のある都市に選ばれたのも当然だと思います。天を突く高層ビル街は、人間の力が結集されているようで、作られたものではありますが、ある種の美しさを感じました。

二日続けて都心へ出て来ましたが、都心の表通りのほとんどは、あの煩わしい電柱も電線も無く、すっきりしていました。私が住んでいる近くは、電柱と電線の山です。早く電線の全てを、地下に移して貰いたいと思います。日本は、観光地も電柱と電線が、視界を遮っています。富士山も、瑞穂の国の山河も、古民家も、お寺も神社も、日本の風景が台無しです。早くなんとかして貰いたいと思います。

東京駅で少し休んで、5時40分くらいに、妻の家に着きました。妻は、すでに用意が出来ていて、近くのアジア料理の店に行きました。妻は、香菜(パクチー)が大好きで、この料理屋が、パクチーフェアーの看板を出していたので、入って見たくなったそうです。サラダ、生春巻き、タイ風豚肉炒め、タイカレーを食べながら、またしても日本酒を飲みました。最近、妻は非常に機嫌が良く、饒舌になりました。瞬く間に時間は過ぎ、7時半近くになりましたので、妻と別れて家路につきました。中身の濃い1日でした。

 

「遠くより 昔の友の 顔を出し 悲喜こもごも 全てが楽し」

 

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2016年10月19日 (水)

2016年10月18日

2016年10月18日

 

 今朝は、昨夜の雨が残った感じで、霧が立ち込めていました。この霧は、日が高くなるにつれて、晴れて行き、富士も姿を現しました。

 今日は、体育会系クラブの同期会で、私も発起人と幹事の一員に名を連ねていますので、10時半には、家を出ました。幹事は、山歩きの仲間でもあります。同期会は、午後1時から始まるのですが、幹事は、12時過ぎに会場に集まることになっていました。所定の時間に会場に着くと、6人の幹事の内、4人が来ていました。

 その内、スペイン料理屋を経営している仲間がやって来ました。今日は、彼が、普段料理屋で使うスペインの生ハムを、ほぼ一本持って来てくれて、会場で切ってくれました。3枚の大皿に山盛りに切り終わった頃、丁度、同期会の始まる時間になりました。

 今日の同期会には、21人の仲間が集まりました。遠く、関西から毎年参加してくれる者もいました。名古屋から、同じクラブの者も来てくれました。初参加の人も居ましたが、ほとんどが1年振りの再会で、会えば、一気に大学時代に戻ってしまいます。毎年、同じような昔話なのですが、それが、同期会の良さでもあります。学生時代に、仄かに好意を寄せていた女性の仲間が来ていたりして、青春時代に戻ったような者もいました。

 生ハムのお陰で、会は盛り上がり、あっという間に2時間近く、時間が経ってしまいました。そこから、個々人による恒例の近況報告が始まりました。誰も話したいことが山ほどあって、会場が使える予定時間を過ぎてしまいました。会場側の行為で、30分間、延長をして貰いました。私が、胃癌の手術をしたことを知っていた人も、今日初めて知った人も、私の回復振りを、素直に喜んでくれました。「持つべきものは友」を、何度も痛感しています。

 名残は尽きないけれど、〆に校歌を歌い、来年の再会を約束して、1次会は終了しました。今年は、同じクラブの仲間が5人集まったので、同じクラブの仲間で、2次会をすることにしました。ところが、関西から来た者が、大学時代、我がクラブの女性に、仄かな好意を寄せていたこともあって、我がクラブの同期会に入れて欲しいと言いました。別に秘密の会合をするわけでもなく、一緒に2時会に行くことになりました。

 2次会では、昔話も、より内輪の話になってしまいました。名古屋に帰る者も居た為、7時近くでお開きにすることにしました。その際、関西の者が、好意を持った女性に、良い所を見せようとしたのか、店の代金を先に支払って、我々には、少しだけ出すように言いました。彼の提案について、全員が拒否した所、「金のある〇〇は出しても良いけど、他の奴は出さなくても良い」と言いました。流石に頭に来ました。結局は、金のあることを見せびらかしたいだけなのかと思いました。大学時代の仲間は、社会に出る前、何の社会的地位も束縛も無い時期に出会ったことが、一番の宝なので、その宝をぶち壊すような口振りは、許せないものでした。現在地位があり、金があったとしても、大学時代の仲間の前では、何の意味も無いことを知るべきだと思いました。折角の集まり、美味しい酒が台無しになってしまいました。

 

「大学を 共に過ごした 仲間達 皆年老いて 後幾年の春」

「年老いて 残り少なき 人生を 仲間のありて 楽しく過ごせる」

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2016年10月18日 (火)

2016年10月17日

2016年10月17日

 

 今朝は、曇り空から、直ぐに雨になりました。不思議と次男が休みの日(月曜日)は、雨の日が多いのです。

 今日の午前中、昨日見ることが出来ず録画しておいた、NHKスペシャル「資本主義の未来」を見ました。最初に出て来た、現代の資本主義社会を表す数字に、驚きはしましたが、以前から、私もそして誰しも肌で感じていることでした。

 資本主義の発祥の地であるイギリスで、職無し、住む所無しの若者(ヤングホームレス)が、8万人を超えるそうです。大学を出ても、資格を取得しても就職することが、非常に難しいようです。経済の停滞で、企業活動も停滞し、人を必要としなくなっているようです。経済は、欲望のままに放置しておけば、見えざる手が働いて、発展するすると言う、アダム・スミス流の考えも、国家が民間経済を後押しするケインズ流の考えも、通用しなくなったようです。つまり、資本主義が行き詰まり、大転換期を迎えているとのことでした。

 もう一つの数字は、62人の世界の大資産家の資産と、世界の人口の半数以上を占める低所得者36億人の資産の総額と、ほぼ同じだそうです。この資産家は、陰に陽に政治に介入し、自分達に都合の良い社会状況を、維持し、作り出しているとのことでした。この壮絶な格差社会は、王家と貴族階級が、国家の土地を分割支配し、国民の多くは、彼等の奴隷として働いた封建時代を思い起こさせます。世界には、もう一度革命が必要なのかもしれません。しかし、革命を起こしても、単に経済がさらに悪化させ、貧困層の経済状況を向上させることは、難しいかもしれません。それだけ、財が動かない社会になりつつあると思います。テレビでも言っていましたが、地球が持っているキャパシティーが飽和状態になるまで、経済活動を拡大した結果、これ以上の拡大成長が望めなくなってきたのだと思われます。そうすると、経済は縮小安定の方向に向かいますが、その過程で、生きる手段を奪われた数多くの個人が出て来ますし、国家にはこの人達を救う手段が無く、江戸時代の「打ちこわし」と同様の暴動が世界中で起こり、革命化し、内乱化して、世界の総人口の3分の一くらいは、死滅しないと再出発できなくなるのではないかと思われます。それが何時頃始まるか、一部始まっているようでもあり、何れにしても、そう遠くはないと思います。新たなイノベーションで、経済が活性化できると言う人も居ますが、私は、一時的な花火程度の効果しかないと思っています。

 私は、この世を去るのが間近になりましたので、未来のことについては、それほど気にする必要な無くなりました。しかし、子供の老後、孫達の生きる手段については、非常に心配です。心配であっても、資本主義の行き詰まりについては、効果的な手段は無いような気がします。座して死を待つ心境です。

 今日は、雨模様で散歩する気にもなれませんでしたので、次男と一緒に、テレビを見たり、料理を作ったり、夜は一緒に酒を飲んだりして過ごしました。この次男の老後がどうなるか、非常に心配です。若し可能ならば、元気な内に過疎化した村に、土地と住む場所を買って、最低でも自給自足の生活が出来る手段を確保した方が、良いのではないかと思ったりしています。

 

 

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2016年10月17日 (月)

2016年10月16日

2016年10月16日

 

 今朝も、うっすらと富士が見えました。足場に薄い半透明の幕が張られましたので、外の景色が、更に見えにくくなりました。

 実は、今日が私の本当の誕生日なのです。大学生まで、この日が誕生日だと思っていました。職場に入る時に、私が書いた履歴書の誕生日と、一緒に出した戸籍抄本の誕生日が違っていたのです。戸籍抄本では、10月6日が誕生日になっていました。その後、故郷の長崎に帰った時、私が生まれた時を良く知っている伯母に、何故このような間違いが生じたのか、聞いてみました。すると伯母は、「生まれたのは16日に間違いない。届け出の時に日付を間違ったか、あるいは長崎市庁舎が全焼した時、戸籍の再作成をしたので、その時に間違ったのだろう」と言っていました。いずれにせよ、戸籍以外に文書で誕生日を証明するものは無いので、社会に出てからは、10月6日を誕生日にしています。伯母が言った市庁舎の火事は、私が小学生の頃だったと思いますが、私の家の近くからでも、燃えている様子が見えました。燃える前の市庁舎は、札幌の時計塔と同じような、木造の綺麗な建物でした。

 今日は、3日間続いたベランダの不要物収集の最終日でした。一昨日、昨日と外出が続きましたので、今日の午前中、不要物を出しました。主に小さな植木鉢と、底が抜けた木の植栽用プランターの底の部分でした。この為に、ゴミ置き場まで、3回往復しました。更に、通常のゴミで1回、買い物で1回、午前中だけで計5回、階段の上り下りをしたことになります。

 午後は、次男と一緒に、次男が作ってくれたナポリタンを食べ、男子ゴルフの日本オープンと、野球のクライマックスシリーズ、日ハム―ソフトバンク戦を見て過ごしました。途中まで、次男も一緒に見ていました。テレビでのスポーツ観戦用に、この前、昭和記念公園で拾って来た椎の実を焼き、実りの秋も楽しみながら、テレビを見ました。

ゴルフは、初日13位、2日目8位、3日目1位と順調に順位を上げて来た松山が、最終日もスコアを伸ばし、順調に優勝しました。試合会場となった狭山ゴルフクラブは、何度かプレーをしたことがありましたので、何時もより興味深く見ることが出来ました。野球の方は、見せ場の多い試合でした。最後の最後には、監督の演出で、指名打者だった大谷が、抑え投手になり、日本最速の165キロを三度も出して、日ハムの日本シリーズ出場を決定しました。面白い試合でした。

 試合が終わった、5時半頃から、散歩に出かけました。午前中は晴れ、午後は曇、夕方から、また晴れ間が出て来ました。既に夕闇が迫っていましたが、富士のてっぺんの部分だけが、雲の上に顔を出していました。散歩の帰りの6時半近くには、東の方の高い雲の上から、15夜の月が昇り、まるで日の出を思わせる月の出でした。13夜から3日連続で月を見ました。

 夕食は、生牡蠣、昭和記念公園で拾って来たギンナン、焼き秋刀魚、次男が作ってくれた鶏の唐揚げを肴に、日本酒で晩酌をしながら、毎日曜日のテレビ三昧になりました。7時から12時まで、地上波・BSの違いはありますが、全部NHKで、7時のニュース、ダーウィンが来た、真田丸、ニュース、三銃士、隠れ菊、戦争と平和を見ました。今日一日で、12時間ほどテレビを見ました。テレビ小父さんですね。

 

「仄甘き 椎の実摘み テレビ見る 秋の収穫 公園育ち」

「歌の如 頭を雲の 上に出し 多摩を見渡す 富士の峰かな」

「雲の上 そろり顔出す 十五夜の 月の出見つつ 家路を辿る」

「ほろ苦き 酒の肴の 銀杏も 公園育ちの 秋の実りよ」

「公園の 銀杏どれも 大豆大 手間は掛かれど 旨さ格別」

「銀杏を 割りて実を刺し 竹串を 焼けば見事な 翡翠色かな」

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2016年10月16日 (日)

2016年10月15日

2016年10月15日

 

 工事の足組で、格子状になった窓の向こうに、幽かな富士を見ることが出来ました。今朝は、良く晴れ、所謂秋晴れでした。洗濯は、昨夜次男がやったようで、ベランダには、沢山の洗濯物が、ぶら下がっていました。

 昨日、日記に書ききれない程、色んな事があったので、朝早くから日記を書き始めたのに、書き終えたのは11時過ぎてしまいました。今日は、午後大学へ行く予定があったので、少々焦りました。

 今日出かける前に、長い事使った定期入れを、新しい物に替えました。20年近く、私の側にいてくれました。何度も補修しましたが、流石に、修復が不能になりました。定期入れに付いている5か所のプラスティックの窓が、窓枠から外れてしまって、もう嵌めることが難しくなりました。最近は、何処でも売っていない、カードを入れる場所が多い定期入れでした。記念に取って置こうかと思いましたが、思い切ってゴミ袋に投げ入れました。新しい定期入れも随分昔に買って置いたもので、カードを入れる所は、以前のものと変わりありません。因みに入っているカードは、交通機関のカード1枚、キャッシュカード1枚、クレジットカード5枚、買い物用カード1枚、運転経歴証明1枚、診察券5枚、府中市民カード、国民健康保険証及び高齢受給者証各1枚、更に予備用の千円札1枚が入っています。また、この定期入れには、掏摸対策として長い鎖で、ベルトに繋ぐことが出来るようになっています。イタリアでの痛い経験の賜物です。更に、この鎖には、アパートと我が家に入ることが出来る鍵が1本付いています。従って、この定期入れさえ持っていれば、全ての用が足せるようになっています。新しい定期入れは、生涯使うことになると思います。

 午後から、大学の卒業生の会の全体会議に出かけました。会議は、2時半から始まりました。現在、卒業生の会は、大きな岐路に立っていました。これまで、卒業生の会の終身会員費として、現役の学生時代に4年間に分けて、会費を大学の授業料の一部であるかのごとく、半強制的に徴収していました。その為、卒業生の会の経理は潤沢で、多くの事業を行うことが出来ました。ところが、この半強制的な会費徴収の仕方が大学側で問題となり、卒業生の会としては、会費支払いの意思を確認したうえで、卒業年次に一括、大学側に徴収を代行してもらう案を検討しているようでした。今日の会議では、終身会費の値上げと、徴収方法、会費を納めない卒業生の取り扱いが、議題として提出されましたが、議論が沸騰し、結論に至りませんでした。これまでは、常任委員会の提示する案は、全て拍手で承認されたのですが、流石に今回の問題は、会自身の存続にかかわる問題の為、拍手で承認と言う訳には行きませんでした。来春の全体会議までに、更に検討を深めたうえで、常任委員会が、新たな案を提出することになりました。良い事だと思います。

 本来、4時半に終わる会議が、5時半近くになってしまいました。直ちに場所を移して、懇親会になりました。懇親会の場所に移った所、窓から夕焼けの空と右に新宿、左に赤坂・青山の街の灯が輝き、ど真中に大仏のような存在感のある富士が見えました。真田掘りの向こうには、東宮御所、神宮外苑、新宿御苑、明治神宮があり、高層建築が出来ない為、西の空と富士が一望できるのです。素晴らしい光景を見ることが出来ました。普段使うカメラを持って行きませんでしたので、スマホのカメラで撮りましたが、思うような写真は撮れませんでした。しかし、脳裏には、焼き付いています。

 懇親会は、5時半近くに始まりました。同期や久し振りに会う友人が、胃癌からの復帰を喜んでくれました。遠く鹿児島から参加した友人もいました。メキシコで一緒だった、10年以上先輩もいました。懐かしい人達で一杯でした。後何回参加出来るか分かりませんが、取り敢えず元気な友人の仲間に戻れたことは、嬉しい限りでした。

 7時前に、早めに退席し、家に帰りました。昨日と同じように、明るい14夜の月が、輝いていました。我が家には、8時に着きました。クライマックスシリーズの野球を見ようと早く帰って来たのですが、テレビで野球中継をやっていませんでした。日本シリーズ出場権が決まるこの時期に、どうした事でしょうか。仕方なく、なんだか訳の分からない、現実離れした夢の映画(インセクシオン)を見て寝ました。

 

「長きこと 我と人生 共にした 定期入れとの 永遠の別れよ」

「茜空 黒富士一望 真田堀 大東京の 秋の夕暮れ」

「真田堀 左青山 右新宿 茜の空に 摩天楼の灯」

「やあやあと 二の句が継げぬ 懐かしさ 久しき友の 顔・顔・顔」

「天空に 輝く君見る 嬉しさよ 明日は真ん円 十四夜の月」

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2016年10月15日 (土)

2016年10月14日

2016年10月14日

 

 今日は、晴れるそうですが、夜明けは雲の多い空でした。工事の足場越しに見る外の世界は、経験したことはありませんが、牢獄から見る空は、こんな感じはないでしょうか。

 今日は、運転免許証を返納して来ました。10年以上運転をしていませんので、免許証を返納する事には、何の抵抗感もありませんでした。しかし、写真付きの身分証明書としては、一番手軽で信用して貰えました。私と同じように、多くの人が、免許証を身分証明書として使っていたことが分かっていたため、免許証を返納すると免許証に似た、運転経歴証明書を発給してくれることになっていました

 10時半に家を出て、多磨霊園駅からバスで、府中試験場に11時45分に着きました。免許証の返納及び運転経歴証明書発給申請の仕方を、案内所で教えて貰いました。全ては、9番窓口で申請出来るとのことでした。9番窓口に行って、言われた通りに申請書を作って提出すると、約1時間後に、運転経歴証明書が交付されました。そして、くどいほど「もう運転は出来ません。どんなに頼まれても絶対に運転しないでください」と念を押されました。既に、運転はしていませんでしたが、免許証を返納したことで、自分の中での一時代が、また一つ終わったことを痛切に感じました。

 全てが終わった時は、午後1時になっていましたので、試験場の地下のお食事処で、昼食にしました。食券を自動販売機で買い、券を渡して食事を貰い、自分で水を注いで、食事が終わったら食器を返納口に返す、全てがセルフサービスでした。お役所の食堂そのものでした。こんなことが、妙に懐かしく感じました。

 1時半に試験場を出ました。今日は、妻と5時半の荻窪の寿司屋兼飲み屋で待ち合わせていましたので、時間潰しの為、武蔵野公園と野川公園に行きました。

 武蔵野公園では、コスモスが満開でした。コスモス、ススキ、セイタカアワダチソウ、青空、秋の代表格が勢揃いしたようでした。ここでもツマグロヒョウモンが、一味添えていました。この蝶は、寒さに強いのでしょうかねー。

武蔵野公園の向かいに見える森が、以前から気になっていたのですが、これまで行ったことがありませんでした。今日は、時間がたっぷりあったので、行って見ることにしました。野川を渡り、紅葉した花水木の並木の下を通り、森の裾に着きました。森は、河岸段丘の崖に残っていました。森の中のムジナ坂を上がると、上は住宅地で、連雀通りが、近くを通っていました。森の中も森の側も歩けないので、次の角で坂を下りて、野川の左岸の武蔵野公園に戻りました。自動車も通れる広い坂で、土手にはジシバリの花が咲いていました。坂を降りたところに、関東ヨメナの花畑があり、此処でもツマグロヒョウモンが、花と戯れていました。後で、研究センターで、ミニ図鑑を見たところ、私が雄だと思っていた、身体が大きく、褄黒の文様が鮮やかな方が、実は雌だと言うことが分かりました。一つ勉強しました。今日は、オスと良く似たキタテハも見ることが出来ましたし、小柄の紋黄蝶、キタキチョウにも会えました。

 野川沿いに、野川公園へ歩きました。野川の両脇には、赤花や白花のミゾソバの帯が出来ていました。その中を泳ぐ、カルガモが、何時もより品よく見えました。

 暫く歩いて、野川自然観察園に入りました。この前来た時は、月曜日でお休みでした。咲き終わった花、今咲いている花、この観察園には、何時来てもなにがしかの花が咲いています。今日も、白花ヨメナ、関東ヨメナ、白山ギク、ツリフネソウ、サクラタデ、ヤクシソウ等々が咲いていました。池の近くで、小母さん二人が、必死で写真を撮っていました。近づいてみると、ツリフネソウを訪ねていたホシホウジャクを撮っていたのでした。思わず「名前を知ってますか?」と声を掛けたくなりました。が、知識自慢ぽいので止めました。

 大分時間を潰した積りでしたが、観察園を出たのが3時半、まだ時間がたっぷりありました。まだ藪茗荷の花が咲いていた、野川公園の正門を出て、武蔵野の森公園へ行き、暫く調布飛行場を眺め、広い空を楽しみました。その後、野川に出て、丘に登って、三鷹天文台の中を通り、天文台正門前のバス停に着いたのが、4時半、丁度良い時間になりました。天文台正門前から武蔵境行きのバスに乗り、武蔵境駅に4時50分に着きました。4時54分発の中央線で5時7分に荻窪に着き、食料品のアーケードを少し見て、5時20分に、妻と待ち合わせの「源氏」という寿司屋に入りました。寿司屋のある路地の上に、夕焼雲が町の灯を見下ろしていました。

 昨晩、妻から電話があり、無事にモンゴルから帰って来たそうです。昨日は疲れた様子でしたが、今朝はすっかり元気でした。モンゴルから買って来たお土産を、早く渡したいと言うので、今晩夕食を一緒にすることになりました。私と妻の家の中間にある、荻窪の源氏は、鯖寿司とかんぴょう巻きが、妻の好みに合うらしく、この所、良く使っています。店の主人とも馴染みになりました。

 5時40分に、妻が、お土産を担いで現れました。チーズとモンゴルのウォッカで、随分重かったらしく、着くなり「重たかったー」と叫びました。そんな思いをして、お土産を持って来てくれる妻がいて、本当に私は幸せ者です。妻のモンゴルの話を聞きながら、ちびりちびりと酒を飲み、妻と対等に食事をしました。妻も私の回復ぶりには、驚いていました。

 7時近くに食事を終わりにして、少しばかり妻と一緒に買い物をしている時、花屋の前を通ると、妻が思わせぶりに、「私には、花を送ってくれる人がいないのよねー」と言っていました。思わず横を向きました。

妻と別れて、国立から何時ものように我が家に帰り着いたのは、9時丁度でした。バス停から家路をたどる道では、私の影が出来るほど、13夜の月が煌々と輝いていました。こんなに明るい月を見るのは、何時以来か、全く思い出すことが出来ませんでした。この月が、生まれたての三日月の時、我が家の前に来て月見酒になったのは、憶えていますが、こんな明るさではありませんでした。今日は、とても楽しい一日でした。

 

「免許証 数少なき 我が資格 我は老いたり 国に返納」

「試験場 お食事処は 何事も セルフサービス お役所食堂」

「武蔵野の 野川の渕は 蕎麦処 赤花白花 溝蕎麦の帯」

「コスモスと アワダチソウに 薄の穂 青空高く 秋が山盛り」

「花あれば 必ず君の 姿あり 我とも馴染み 褄黒豹紋」

「大柄で 綺麗な文様 褄黒蝶 初めて知るなり 君が雌とは」

「森の中 あんな所に 白き花 近づき見れば 鳥の糞なり」

「てっぺんに 小旗を立てる 小栴檀草 花と見紛う キタキチョウかな」

「小母さんが ホシホウジャクの 追っかけに 我関せずと 花から花へ」

「もう少し 早く来てねと 言いたげな 綿毛となりし 花の跡かな」

「薄暗き 天文台の 森の縁 白さ際立つ シャクチリソバ」

「急に秋 天文台の 丸屋根の 上に棚引く うろこ雲かな」

「妻と会う 酒場へ向かう 路地上に 街灯見下ろす 夕焼けの雲」

「我が為に 土産担いで 武蔵野へ 妻と喰う寿司 旨さ倍化す」

「宵闇に 家路を辿る 我が影の 落ちるが程に 十三夜の月」

 

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2016年10月14日 (金)

2016年10月13日

2016年10月13日

 

 昨日一日だけ、日差しのある晴れの日でしたが、今朝は、また曇り空に戻りました。

 午前中、植栽を移した後のベランダを片付けました。山となった土を二つの大きなビニール袋に入れ、後を綺麗に掃いて水を撒き、ブラシをかけて終わりにしました。相当時間が掛かるだろうと思っていましたが、1時間足らずで終わりました。ベランダは、閑散としましたが、玄関側は、植栽の山となりました。玄関側は、日が差さないので、レモンが色付くか、それが心配です。諸々のゴミを捨てるついでに、足場工事中のアパートの写真を撮って置きました。

 午後3時頃から、曇り空がずっと続いていたので、散歩を止めて、ゴルフの練習に行って来ました。今週から、急に冷え込んだので、聖蹟桜ヶ丘の川崎街道の栃の木並木、桜ヶ丘ゴルフ練習場の桜の木の中で、すっかり葉を落とした木が多くなりました。ゴルフの方は、下半身の筋肉が衰えているので、スウィングが安定しなくなりました。しかし、元々ゴルフが上手だったわけではなく、健康の為にやっていたようなものですから、一応ゴルフは出来ると思いました。最近のゴルフは、何処のゴルフ場でもカートが用意されていますから、歩く心配もありません。私のゴルフ復帰を待ってくれている仲間もいるので、ゴルフが出来るようになった事を連絡しようと思います。

 ゴルフの練習は、術後初めてだったので、100球で練習を終わり、散歩の替わりに、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。僅か20分程度で、物足りませんでしたが、歩かないよりはましでしょう。聖蹟桜ヶ丘からは、何時ものようにバスで、我が家に戻りました。5時半には、我が家に着きました。

 今日は、6時過ぎから、早めの夕食にし、晩酌をしながら、野球のクライマックスシリーズを見ました。ほとんど、以前の生活に戻って来ました。

手術以前は、人生の終末を、強く意識していませんでした。癌になったお陰と言うべきか、この世を去る終末よりも、物が書けなくなる終末を、強く意識するようになりました。死ぬまでに自分の生き様や考えを纏めたいと、これまで漠然と思っていたことを、現実化しなければならないと思うようになりました。このような、考え方は、男に多いようです。女は、目の前の現実を素直に受け入れ、楽しむところは楽しみ、気に入らなければ反撥する、社会の為にとか、「人生とは」とか大上段に構えるのは、本当は、あまり好きでは無いようです。女が、そのようなことを言う時は、そんなことを言う男に惚れている時でしょう。だからこそ女性は強いと思います。男性の場合は、現実の問題に訳の分からない人生論などを結び付けて、勝手に悩んで挫折するケースが、女性より多いと思います。私は、仲間から「お前は小母さんタイプ」と言われています。家事を苦にしないし、現実をありのまま楽しんでいるように見えるからでしょう。しかし、男として生まれ育ったので、実は、小父さんの部分が、かなり強く残っていたと、改めて感じています。

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2016年10月13日 (木)

2016年10月12日

2016年10月12日

 

 この数日、晴れの予報にも拘らず、多摩地方は、日差しの無い日が続きました。今朝は、青空が見え、日差しも富士も見えました。毎回、それなりの洗濯をしているのですが、今日は日差しがあるのが分かりましたので、大量に洗濯をしました。

 今日、私の部屋の前の足組工事が、最高潮になりました。朝から、工事のドリルの音もうるさいし、足組の鉄パイプや通路用の鉄板を置く音もうるさくて、日記を書くのも集中できませんでした。その内、電話が掛かって来て、パラボナアンテナを撤去すると言いました。以前聞いた時に、アンテナの撤去には、2万円ほど金が掛かると言われていましたが、今日は無料でやると言いますので、どうぞ撤去して下さいと、お願いしました。その代わり、再設置はしないそうです。既に、パラボナアンテナが必要なスカパーは解約しているので、何ら問題はありません。

 暫くしたら、また電話が掛かって来て、ベランダに干してある洗濯物を、片付けて欲しいと言ってきました。工事中に汚すかもしれないというのです。ベランダに出て見ると、ベランダから電話していました。私は、少々汚れても構わないと思ったのですが、後が面倒になるので、どうしても片付けて欲しいと固執するので、部屋干しにしました。日差しを期待して、大量に選択したのが、仇になってしまいました。

 工事の音がうるさくて、次男も起きて来ました。そこで、来週やるつもりでいた、ベランダの植栽を玄関側に移す作業を、次男に手伝って貰って、今日やってしまいました。木のプランターの底が抜けたりして、ベランダは大変な状態になりました。明日は、予定が無いので、ゆっくり片付けることにしましょう。

 植栽を移動する時、レモンの木の横の大きなプランターを動かしたら、その裏に蝶の抜け殻があるのを次男が見つけました。何年も懸案だった、青虫達の消えた訳が分かりました。矢張り、人目に付かない所で蛹になり、ちゃんと蝶になって、野辺に飛び立っていたのです。非常に幸せな気持ちになりました。土手を飛び交っている蝶が、我が家生まれかも知れないと思うと、子供の将来を思うような気持になりました。

 植栽の移動が終わった所で、掃除機で掃除をしました。植栽を運んだ、居間と廊下を掃除した後、私の部屋を掃除したら、昨日、見当たらなくなっていた、針と糸が出て来ました。机の端の下の、絨毯と絨毯の間に落ちていました。一番ありそうな所でした。丁寧に探している積りでも、変な一方読みがあったのですね。「失くし物は、あるべき所にある」と言いますが、その通りでした。取り敢えず、問題が一つ解決しました。不意に針が刺さるということは無くなりました。

 今日は、メキシコ時代の友人達と、3年振りに六本木で会うことになっていました。4時半に家を出て、予定時間よりも15分早い、6時5分には待ち合わせの場所に着きました。

 この友人達は、メキシコで一時期一緒に仕事をした仲です。仕事仲間と言うより、麻雀仲間と言った方が良いかもしれません。年齢も性別も違いますが、良い時代を思う存分楽しく生きたので、とても気が合います。酒を飲み、どれほど徹夜マージャンをしたことでしょう。今日集まったのは、女性二人、男性二人でした。まさしく当時の麻雀のメンバーでした。今日は、麻雀にはならず、、私の胃癌の話から、お互いの健康、知り合いの動向、3年間の報告、最近の政治の動きへの見方、思い出話と次から次へと話が進みました。終わったのは、10時を過ぎて、我が家に帰り着いたのは、寝る時間が近い11頃でした。この仲間の内、二人が現役でバリバリ働いていますし、その内の一人は、外国暮らしなので、会う機会は少ないのですが、会えば、何時も今日のような楽しい時間を過ごすことが出来る、素晴らしい仲間です。僅か2合の酒と1杯の焼酎の水割りでしたが、楽しい話の仲間入りをすることが出来ました。

人生の様々な場面で、様々な人と知り合いになりました。このような、出会いは人生の宝です。これまでに、数多くの宝を頂きました。大きさも輝き方も、夫々違いますが、どれも素晴らしいものです。この宝は、お互いで磨き合えば、更に輝きが増します。今日も一つ磨きました。

 

「良き出会い 何にも勝る 宝なり 時々再会 宝を磨く」

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2016年10月12日 (水)

2016年10月11日

2016年10月11日

 

 今日も、重そうな雲が立ち込めた、どんよりとした朝でした。連休が終わり、また、足場構築の作業が始まりました。

先日、蜜を吸っていた昆虫の名前が分かりました。矢張り蛾でした。ウィキペディアに拠れば次の通りでした。私が見た形態、生態がそのまま記述されていました。実は、この昆虫が今朝も我が家の居間に入り込んだので、軽く叩いて気絶させ、実際の昆虫を見ながら、パソコンの画像を確認したので、間違いないと思います。名前を調べた後、外へ放してあげましたが、長い命ではないでしょう。元々そんなに長い命ではないでしょうが、申し訳ないことをしました。

「ホシホウジャク(星蜂雀、学名: Macroglossum pyrrhosticta)は、チョウ目スズメガ科昆虫の一種。成虫は、全体にこげ茶色だが、後翅のみ黄褐色で、飛んでいるとよく目立つ。翅を閉じて静止すると、茶色のグラデーションが鮮やかに見える。ハチ擬態しているとされる。初から晩まで発生を繰り返し、市街地でもよく見られる。成虫は、アベリアコスモスラベンダーなどに訪花し、ホバリングしながら、花から花へを吸って回る。飛行時は脚をたたむ。幼虫食草ヘクソカズラアカネ科)。」

 野草でも、昆虫でも名前が分かると、愛着が出て来ます。どうしてホウジャクと名が付いたのか、分かり難い名前でしたが、漢字の蜂雀を見て、なる程と思いました。私も最初、ハチドリ(蜂鳥)を連想しましたので、見た通りの名前になったようです。

 午前中、メキシコで買って来た、民族衣装的チョッキに、前を止めるボタンが無いので、ボタン付けをやりました。民族衣装的な雰囲気を壊さないために、内側にボタンを付けました。実は、このチョッキ、手術前のメタボの時は、着られなかったのですが、手術のお陰でメタボでは亡くなり、今週から、秋らしくなったので、愛用するようになりました。

ところが、このボタン付けの最中、不思議なことが起こりました。最初に、ボタンに掛ける紐を取り付け、糸が足りなくなったので、新しく糸を付けて、紐の位置に合うようにボタンの位置を決めて、さてボタンを取り付けようとしたら、今準備したばかりの針と糸が見当たらなくなったのです。裁縫箱の中、机や床を徹底的に探しましたが見当たりません。僅か1分程度の時間に、針と糸が何処かに消えてしまいました。これが、ボケの始まりですかね。最後は、磁石を持って来て、机とか床を絨毯爆撃のように、なぞりましたが、結局見当たりませんでした。何時か、予期しない時に針が刺さるようで、不安な気持ちが、今も残っています。

午後、2時半頃から、多摩動物園の外側を歩く、「かたらいの道」を歩いて来ました。我が家から、バス停へ行く道に、昼咲き月見草が1輪咲いていました。ここまで季節外れになると、「頑張っているな」と言ってやりたくなりました。バスで聖蹟桜ヶ丘に出て、高幡不動、多摩動物公園ㇸ行き、歩き始めたのは3時半近くからでした。

多摩動物園から旧多摩テックの方に歩き、「かたらいの道」に入りました。曇り空なので、森の中は薄暗く、ひたすら歩くだけで、何の収穫もありませんでした。唯一収穫らしいと言えば、かたらいの道が、南平の所で、ほんの50メートルくらい住宅地に出た所で、道の脇に野草だけが植えられていました。そこに、ホシホウジャクが居たのです。しかし、光が無かったので、魅力的な写真にはなりませんでした。ホトトギスが沢山咲いていて、中に白花ホトトギスがありました。この花は、野草ではなく品種改良された栽培種でしょう。花は綺麗なのですが、何となくがっかりしてしまうのは、何故でしょうか。人間に作られた花と言うのが、好きになれないのだと思います。

余り収穫はありませんでしたが、多摩動物公園を3分の2周して、高幡不動に5時に着きました。アップダウンが、かなりある道でしたので、疲れましたが、身体の節々に溜まっていた毒素が出て行ったようで、心地良い疲れとなりました。

予定通り、6時に我が家に戻り、サッカーのワールドカップ予選日本―オーストラリア戦を見ました。試合は、1-1の引き分けに終わりました。良くぞ負けなかったとしか言えません。

 

「名を聞けば 蜜吸う君が 目に浮かぶ 星蜂雀さん 今後もよろしく」

「もう君に 手荒な真似は 致すまじ 好まぬ虫の 蛾ではあれども」

「今置いた 針と糸とが 見当たらぬ いよいよ来たか ボケの始まり」

「秋の日の 路傍に咲くは 逞しき 季節を越えて 昼咲き月見草」

「暗き森 輝く白さ 美しき されど好まぬ 白花ホトトギス」

「名を知りて 初めて蜜吸う 君を見る 蜜は旨いか 星蜂雀さん」

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2016年10月11日 (火)

2016年10月10日

2016年10月10日

 

 今朝は、曇り空でした。工事の足組を通して見た空でした。今日は、晴れ間が出るという予報でしたが、多摩地方は、一日中曇りでした。次男が、昨晩大量に洗濯した物が、きちんと乾きませんでした。

 今日は、娘の長男の誕生会をするので、午後の散歩は無理と思い、10時半頃から、誕生会用の買い物を兼ねて、聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。30分程度の歩きなので、散歩とは言えない程度の歩きでした。

 短い距離でしたが、秋を感じることは出来ました。四谷橋を渡り、一之宮交差点までの花水木とモチノキの並木になっています。花水木の葉は紅葉を始め、赤くなった実の横に、早くも来年用の花の蕾が出来ていました。花水木の間に植えられているモチノキの実は、まだ、赤くなり切っていませんでしたが、幾つか赤い実が混じっていました。特に、一之宮交差点の近くの、京王電鉄の管理地にあるモチノキの実は、鈴生り状態でした。若しかしたら、このモチノキは、クロガネモチかもしれません。

 子供の頃、年上の子供に連れられて、モチノキの皮を取りに山に入りました。どれがモチノキか分からず、年上の子に指示された木の皮を剥ぎ、持ち帰って石で叩いて、トリモチを作ったことを思い出します。このトリモチを持って、別の日に山に入り、トリモチを木の枝に巻き付けて、メジロが止まるのを待ちました。多くの場合、待ちぼうけを食らったのですが、私の記憶では、一度だけメジロが止まって、そのメジロを捕まえたのを思い出します。トリモチの書き付いた枝に止まったメジロは、不思議と逆さ吊りの状態になりました。そして、羽などにトリモチが付かないように、注意深くメジロを捕まえ、足のトリモチを綺麗にして、メジロ籠に入れました。何故、メジロを獲ったかと言うと、年に1度か2度、メジロの鳴き声大会なるものがあって、良い鳴き声で優勝すると、幾ばくかの賞金が貰えたからです。捕まえたメジロをメジロ笛で訓練したものです。

 11時過ぎには、聖蹟桜ヶ丘に着き、京王ストアーで買い物をしていると、次男が現れました。次男も今日は、特別に早起きして、自分が担当する料理の材料を買いに来たのです。お互いに買った物を見せ合い、無駄が無いか確かめて、次男は自転車で来たので、別々に家に戻りました。12時を過ぎていました。一緒に昼食を食べ、腹ごしらえをして、一休みすると、クライマックスシリーズの、巨人―DNA戦が始まりました。

 先ずは、次男が、鶏の唐揚げとステーキ用のたれを作りました。ステーキは、皆が集まってから焼くとのことでした。次は私が、サラダを作り、アクアパッツアを何時でも作れるように、ニンニク、セロリ、パセリの微塵切りを作って置きました。その後、今日集まる人数が多いので別途テーブルと椅子を用意し、夫々に箸、取り皿、コップを用意し、後は野球を見ながら、孫達が来るのを待ちました。

 4時半に娘家族、4時45分に長男の奥さんと息子がやって来て、誕生会の開始となりました。先ずは、大人はビール、子供はジュース、私はワインで乾杯しました。次男が、ステーキを焼き、誕生日の孫がもりもり食べました。一番末の孫は、長男の奥さんが買って来た、刺身の盛り合わせが気に入って、専ら刺身を食べていました。孫娘は、ちょっと遠慮がちで、刺身が無くなるのが心配そうでしたので、別に分けてあげて、ステーキや鶏の唐揚げが心配なく食べられるようにしました。高校2年の長男の所の孫は、もうすっかり大人です。身長も私を越えてしまいました。

 6時半、2時から始まった野球も終わり、延長戦の結果DANが勝利しました。長男の息子がDNAの不安で、喜んでいました。酒も回り、宴も酣になりました。食べる物が少なくなりましたので、予定していたアクアパッツアを作りました。7時過ぎから、孫達にとっては、一番楽しみな、プレゼントを貰い、ロウソク消しとケーキカットをし、ケーキを食べて、孫達の誕生会は終わりました。後は、大人の飲み会になりました。娘が、Lineを使って、バングラに居る長男に電話しました。どれだけ話しても、通話料が掛からないそうです。バングラは、日本人を対象としたテロ事件があり、現在は自由に外出できず、長男は、鬱屈した毎日を送っているようでした。今日は久し振りに全員の声が聞けて、気が晴れたでしょう。それにしても、ネット系の時代の進化を見せつけられました。映像通信も出来るのだそうです。娘は、記念撮影を早速長男に送って、長男が見たことを確認していました。

宵も酔いも進みました。私を除いて、誰しも明日は、仕事が待っているので、9時にはお開きにし、9時半までに、それぞれ帰って行きました。

 

「ようように 真夏は去りて 秋に入り 並木の木々に 秋を見つける」

「年取りて 大人の大声 思い出す 孫等にとっての 誕生会かな」

「時と金 気にしないで 話する ネット時代の 国際電話」

「誕生会 孫等の成長 見る月日 一年毎に 終わり近づく」

「自らの 成長止まりし 老いの道 孫等の成長 何より楽し」

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2016年10月10日 (月)

2016年10月09日

2016年10月09日

 

 今朝は、曇り空だったのが、霧雨に変わり、やがて本降りの雨になりました。それにしても、朝起きてカーテンを引くのが、楽しみではなくなりました。窓の前に工事の足場が、先ず目に入ってしまうのです。後どれくらい、我慢すれば良いのか、その事ばかりが気にかかります。

 我が家には、珍客が結構訪れます。最近でも、コオロギ、カメムシ、シジミチョウ、そして、私が黒テントウムシと呼んでいる臭い虫が、部屋の中まで入って来ました。今日は、壁に焦げ茶の蛾が張り付いていたので、蠅叩きで殺してしまいました。殺した後に、よくよく見たら、一昨日、バス停の所で蜜を吸っていた昆虫でした。この昆虫が蜜を吸っている様子は、フェイスブックにも掲載しました。私には、どう見ても蛾に見えたので、蛾の図鑑を見てみましたが、同じ蛾を探すことが出来ませんでした。若しかしたら、セセリ蝶かも知れないと思って、蝶の図鑑も調べてみましたが、同じものはいませんでした。念のために蜂類も調べてみましたが、全く違うものでした。手で触った時、鱗粉が付きましたので、9割方、蛾だろうと思うのですが、蛾は夜行性だというし、蜜を吸うのかと言う疑問も残ったりして確信が持てません。誰か知っている人に聞いてみたいものです。何れにせよ、私の画像認識力が足りないことは分かりました。結局、名前は分からず終いでした。

 今日は、次男が早く起きて来て、一緒に昼食をしました。明日は、我が家で娘の所の長男の誕生会をしますので、二人で、料理の分担について話し合いました。長男の所の奥さんと息子も来るそうです。娘からの要望もあり、次男がステーキと鶏の唐揚げを作り、私が、サラダ、ピザ、アクアパッツアを作ることにしました。ケーキや子供の飲み物は、娘が持ってくるそうです。

 午後は、雨は止んでいましたが、野球のクライマックスシリーズを見たかったので、散歩は止めて、近くのスーパーで買い物だけしました。私は、沢山飲めなくなりましたが、私の家族は酒飲みが多いので、この所冷蔵庫から消えていた、ビール、ワイン、日本酒を買う事にしました。重たいものなので、リュックを付けた自作のキャリーを持って行くことにしました。以前、この日記で、キャリーが立たないと書きましたが、その後、キャリーの荷台の部分を強く推すと、ちゃんと立つように作られていました。荷台は、折り畳み方式になっていたのです。お陰で、買い物用のキャリーとして、充分役目を果たすようになっています。今日は、日本酒1升、ワイン4本、ビール半ダース、その他に果物とかも買いましたが、楽々運んでくることが出来ました。

 3時半頃から、野球を見て、その後寝るまで、日曜日のお定まりのテレビ三昧でした。やる事が無いと言うべきか、優雅と言うべきか、老後の楽しみと言うべきか、自堕落と言うべきか、こんなこと考えない方が良いですね。そこそこ楽しい1日でした。

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2016年10月 9日 (日)

2016年10月08日

2016年10月08日

 

 空全体が、黄土色に染まったような、変な夜明けでした。やがて霧雨となり、向ヶ丘が、霧に霞んで来ました。

 私のアパートは、東、南、西と3棟あり、私は南棟に住んでいます。大規模修繕の為の足場つくりの工事が、東棟で終わり、今日、南棟でも工事が始まりました。コンクリートに穴を開けているらしい音がうるさくて、何も出来ない状況でした。次男も眠れないらしく、起きて来ました。窓の前に足場の鉄パイプが、組み立てられました。音は、今日明日で終わるでしょうが、足場は、何時迄設置されるのでしょうか、恐らく年明けまでは、外されることはなさそうです。こんな物があると、気持ちが沈んでしまいます。老人にとっては、大規模修繕など不要なのですがね。

 11時半から、明星大学の公開講座に行って来ました。丁度、雨が一番激しく振っている中を、家の前の土手から、石田大橋を渡り、モノレールの万願寺駅へ行きました。モノレールに中央大学・明星大学駅があるのです。駅を多摩センターに向かって左側に出たら、すぐに明星大学の構内になっています。駅には、12時15分に着き、コンビニで昼食用のサンドイッチを買いました。守衛に、公開講座の場所を聞いたら、親切に教えてくれました。

 今日の日本文化学科の公開講座は、電車の広告で見つけました。内容は、「近代の天皇像――(真の影)を見ること、見られること」でした。講師は、私から見れば、若い女性の准教授でした。200人は入りそうな階段教室に、生徒は、60人強集まりましたが、9割は、老人でした。口座が始まる前の20分、

教室で、昼食のサンドイッチを食べました。高校時代の早弁を思い出しました。午前中の2時間目と3時間目の間の10分間の休憩時間に、大急ぎで食べたものです。

 12時55分から口座が始まりました。明治から昭和に至るまでの、天皇及び天皇家の写真及び絵を沢山見せられました。しかし、準教授が何を研究し、研究の結果どのようなことが分かったのか、一番肝心の所が、良く分かりませんでした。日本史や日本文化の研究は、現実の社会体制との関係があり、社会的影響を排し、純粋に学問的研究をすることが、極めて困難であるらしく、何時も奥歯にものが挟まったような、言い方になります。今日は、日本社会の権威の中心にいた、現在も政治とは違った意味で権威を持ち続けている、天皇が研究の対象だったので、歯切れが悪かったのも当然かもしれません。

 私なりの理解としては、日本においては、最高権威者は、絵や写真でその姿を写すものではないという考えが支配的であった。しかし、明治維新によって、欧米の文化を取り入れた文明開化が推奨されるようになった。天皇もその影響を受け、イタリアの王の写真に倣って、明治天皇の写真を新聞に公表するに至った。更に、写真を多数印刷し、学校を含め、公共機関に送付され、御真影として下賜され、大切に奉置すべしとの指示があった。この肖像は、万世一系の時代を越えた権威を国民に植え付けた。大津波の際、天皇の御真影を守って死んだ人の事が、世の中で美談として持て囃されたこともあった。その後、皇后との対の写真や、家族写真も公表されるに至った。天皇家が、国民に近くなったというよりも、国民の上位にある模範としての存在が強調された。このようにして、国民の間に根付いた天皇崇拝の気持ちは、行幸や閲兵等で直接天皇を見ることによって、天皇崇拝の気持ちは更に強くなった。結論として、写真や肖像画による天皇の像と言うものは、その時々の社会のありようや国民の見方によって、想像以上の力を持つことがあるということを、知るべきである。このことが、良い事か悪いことか、どのように使うかは、国民が自ら考え、政治の中で論じられるべきである。学者としては、このような事実があったことまでしか言えない。凡そ、このようなことを、この公開講座で言いたかったのではないかと思います。

 更に、私の個人的見方としては、今日の口座の事実関係を、そっくり現代で見ることが出来る国があります。誰もが知っての通り、北朝鮮です。金日成や金正日の大きな像(絵、写真)が、時代を越えた権威の象徴として、至る所にあるのを見ることが出来ます。また、現在の指導者である金正恩に会った人達が、「将軍様」と感激している姿を見ることが出来ます。既に、このような時代が過去のものとなった日本人の中には、「これは、心からそう思っているのではなく、国からの強制があり、そのように言わなければ、生きていけなくなるから言っているに過ぎない」と言う人がいます。脱北する人も居るのですから、そういう人も少なくないでしょう。しかし、私は、今日の教授が言う様に、心の底から感化された人の方が多いと思います。それだからこそ、怖いと思うのです。

 公開講座は、2時20分防災訓練の放送と共に終了しました。雨は既に止んでいましたので、高幡不動まで歩き、電車とバスで、3時半には、我が家に戻りました。久し振りに、ちょっとした頭の体操が出来ました。私が住んでいる多摩周辺には、沢山大学があるので、色々な大学の公開講座に出て見たいと思うようになりました。

 家に帰ったら、プロ野球のクライマックスシリーズの巨人―DNA戦が、7回表まで進んでいました。結果は、DNAが4-3で勝ちました。一番良い所を良いとこ取りしたようです。

 

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2016年10月 8日 (土)

2016年10月07日

2016年10月07日

 

 朝、ほんの僅かな時間だけ、富士山が見えましたが、西の地平に棚引く雲に、あっという間に隠れてしまいました。天気予報通り、今日は昨日の真夏日から、長袖でも寒く感じるような気温になりました。

 明日明後日と天気が愚図つく様なので、11時半頃から、昭和記念公園に行って来ました。

 国立へ行くバス停の前で、普通の蜂とは少し違う、ハチドリの小型版のような蜂が、花の蜜を吸っている写真が撮れました。後で拡大して見たら、蜜を吸う嘴の長いこと長いこと、驚きました。昆虫は、生きる目的に特化した身体をしていると聞いていましたが、その通りだと思いました。腰が括(くび)れていないので、蜂ではないのかも知れません。

 昭和記念公園には、12時半頃に着きました。先ずは、腹ごしらえをしようと思って、ボート乗り場の横のレストランに行って見ました。ところが、団体客の料理を作っている最中で、料理を出すまでに20分以上掛かると言われ、レストランでの所持を諦めました。仕方なく、テイクアウトの焼きそばを買って、野外の席で食べました。麺類だけで、お腹一杯にしたのは、手術後初めてでした。これを機会に、麺類が食べられるようになるかもしれません。

 食後、日本庭園に向かって歩いていたら、何やら嫌な臭いがして来ました。ギンナンが地面を埋めるほど落ちていたのです。昨日の真夏日でも分かるように、今年は、季節がはっきりと秋に変わった気がしなかったので、ギンナンがこれほど落ちているとは、思っていませんでした。確実に秋は来ていたのですね。少しだけ、ギンナンを拾いました。

 日本庭園では、良い写真が沢山撮れました。ツワブキに戯れるツマグロヒョウモン、池の縁の竹の柵に止まるアキアカネ、池の中の石の上の亀、池の上を飛ぶギンヤンマ、数枚の葉だけ紅葉した楓等でした。ギンヤンマは、最近、見かける事そのものが難しいのに、空中写真まで撮れました。アキアカネは、池の端の竹の柵に止まっていましたが、アキアカネに焦点を合わせると、背景の池の煌めきが、ピンボケとなって無数の光の玉となっていました。朝露とか木漏れ日などで、この効果を試しているのですが、今日は、予想以上に旨く行きました。

 木漏れ日の里のコスモスの丘のコスモスは、まだ5分咲き程度でしたが、それでも多すぎるほどのコスモスでした。古民家を移築した所には、蕎麦畑があり、白い花が盛りでした。

 木漏れ日の里から、みんなの広場に行くと、夥しいキバナコスモスが丁度見頃でした。何もこんなに沢山植えなくてもと思うほど、凄まじい数でした。浅川と程久保川の合流点の、仙人のキバナコスモス畑の、優に千倍を超す花畑でした。人手もお金もかかっているでしょうね。一面の花が好きな人が多いのでしょうね。今日は、幼稚園と小学校の生徒が山ほどいました。

 何時も、椎の実拾いをするところで、予定外の椎の実拾いをして、何時もカワセミが現れる睡蓮の池で、カワセミの写真を撮り、葦と薄とアワダチソウが、勢を競っている池を回って、昭和記念公園を後にしました。我が家に着いたのは、5時過ぎでした。

 手術後、散歩を始めるようになって、良く見かける、小さい紫色の花を付ける野草の名前が、気になっていました。至る所に咲いているのです。今日調べたところ、「キツネノマゴ」で間違いないと思います。漸く、気分がすっきりしました。

 ところで、私も使っていますが、富士通のパソコン部門が、中国の企業の傘下に入るそうです。パソコン以外の富士通の製品は、大型コンピューターくらいしか思いつきません。それで、今後生きて行けるのでしょうか、良き時代を知っているものとしては、寂しい限りです。日本が、多くの工業製品でアメリカを凌駕した時の、アメリカの嘆きが分かります。シャープもそうでしたが、パラソニックもソニーも何れ同じ運命を辿るのではないかと、恐ろしくさえなります。中国が、経済開放をした時、100年後には日本に追いつくと言っていました。中国らしい悠長ではあるが、強固な意志に基づいた言葉だと思っていました。それが、40年足らずでほぼ実現しました。時代は変わります。しかし、米国が今でも世界第1位の経済大国であることは、変わりがありません。そこに何があるのか、知りたいものです。

 

「メタボ腹 小さな翅で ホバリング 蜜吸う君は 一体何者」

「金木犀 甘き香りの 時期は過ぎ 鼻刺す匂い 銀杏の山」

「花あれば きっと君が やって来る 思い違えぬ 褄黒豹紋」

「秋の日の 水面の煌めき 背景に 女王気分の アキアカネかな」

「秋の日に 翡翠色した ギンヤンマ 水面飛び交い 休むを知らず」

「数枚の 目立ちたがり屋 楓の葉 思い通りに 赤さ際立つ」

「頭をば 天に向かって 突き立てる 亀の姿に 少し恥ずかし」

「仙人の お花畑の 千倍の キバナコスモス 広場を埋める」

「早々と 道に茶色の 実の落ちて 想定外の 椎の実拾い」

「睡蓮の 花咲く池に 翡翠の 花は俺よと ポーズ取るなり」

「何処にても 我が物顔の アワダチソウ 水辺で見れば のっぽもまた良し」

「また一つ 麗草の名 憶えたり 忘れぬように 心に刻もう」

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2016年10月 7日 (金)

2016年10月06日

2016年10月06日

 

今朝も、青い富士山が見えました。漸く、秋の長雨の時期が過ぎたようです。これからは、爽やかな秋の日が続いて欲しいものです。ところが今日は、30度を超える真夏日になるそうです。どうやら今年最後の真夏日となるとのことでした。今日は、私の72歳の誕生日で、例年にない暑さもまた、良い記念になるでしょう。

今日は、一月半振りの診察の日でした。10時が診察の時刻ですので、9時前に病院に行って、採血をしなければなりません。医師は、採血した血液の検査の結果を見て、術後の経過が順調かどうかを判断するのです。そんな訳で、8時前に家を出て、8時45分には病院に着きましたが、なんだか疲れました。朝早くから、予定された行動をすることが、負担に感じられるようになってしまいました。ほとんど、マイペースで生きていますので、それが癖になってしまったようです。

病院内では、特別の受信機を持たされます。この受信機に、「待合室で待ってください」「〇〇番の診察室に入って下さい」等と連絡が入ることになっています。ところが今日は、10時40分になっても、何の連絡もありませんでした。時々、遅れる事があるので辛抱していたのですが、辛抱できなくなり、受付に聞きに行こうとしたら、病院の案内をする大型のテレビ画面に、消化器外科の〇〇先生の診察は1時間遅れとの表示が出て来ました。先生が、手術後の疲れで、寝過ごしたのかも知れません。仮に、そうだとしたら、医者の仕事も楽ではありませんね。

11時過ぎから、診察が始まりました。自分の都合で遅れたらしく、盛んに誤っていましたが、「その後どうですか」と言われたので、「体重は5キロ回復し、歩く距離も大分長くなり、少しだけ酒も飲んでいます」と答えると、苦笑いをしながら、「体重を回復する人は珍しい、食事の仕方が良いのでしょう、良く歩かれているようですが、それも良い事だと思います」とのことでした。そこで、「そろそろ間食は止めても良いでしょうか?、右掌が、非常に痛いのですがリューマチではないでしょうか?」と聞いた所、「食事の仕方は良いと思われるので止める事は無いと思いますが、自分の体と相談して、自分で決めると良いでしょう、しかし、間食が無いから普通の食事を沢山食べようとして、胃に負担を掛けないようにしてください。掌の痛みは、炎症反応が何も出ていませんので、リューマチではありません」とのことでした。医者にこちらから、病名を言うのは間違いでした。そっけない返事で、気分を害したようでした。12月末に、CT検査をすることにして、11時半近く、今日の診察は終わりました。その後、12月の検査についての看護師の説明、料金の支払い(何時も無料)等の手続きを済ませると、12時近くになりました。

その後、西国分寺の近くの恋ヶ窪の姿見の池から、国分寺へ歩きました。病院は、府中市にあるのですが、最寄り駅は西国分寺です。武蔵野線西国分寺駅の内側一帯を恋ヶ窪と言います。この辺りに、昔、宿場があり、その宿場の遊女と武将の悲恋の話が、恋ヶ窪の名の由来だそうです。遊女が身を投じた姿見の池は、日立中央研究所内の池と共に、野川の源流の一つになっています。野川の源流探し以来でした。

姿見の滝から、少し歩き西武線の陸橋を潜ると、日立中央研究所の脇へ出て、JR中央線と西武線が一緒に走るところが見られます。鉄道マニアには嬉しい所ではないでしょうか。今日は、長野行き特急と西武線が一緒に撮れました。ここから、国分寺駅は、10分くらいです。駅の近くの大きなマンションの前に、棗の木がありますので、実が生っているか楽しみだったのですが、既に実は全部なくなっていました。

国分寺に着いた時が、1時近かったので、元祖スタ丼の店に入り、以前にも食べたことのあるミニスタ丼を頼みました。若い人は、大盛りのスタ丼を食べる人がいました。その量を見ると、見ただけで悶絶しそうな量でした。私は、ミニスタ丼のご飯を、半分近く残してしまいました。私も、大盛りを食べる事が出来た時代があったのですがね。

食事の後、隣の殿ヶ谷戸庭園(隋宜園)を歩きました。切符売り場の近くに、芙蓉の八重で、朝咲き始めから昼頃までに、白からピンクに色を変える、酔芙蓉が満開でした。酔の字が付くのは、花の色が変わるのと、酔って顔の色が変わるのを、同じように見たからのようです。酔芙蓉以外は、女郎花、萩、霜柱が口汚し程度に咲いていただけでした。それでも、木々の間から見える青空と、標識の上で羽を休めているアキアカネが、とても秋らしくて満足しました。

その後、バスで府中、電車で聖蹟桜ヶ丘に出て、我が家に戻りました。3時を過ぎていました。

夜は、サッカーの試合日本ーイラク戦を、ワインを飲みながら見ました。試合は、アディショナルタイムも終わる試合終了間際、混雑した人の間を抜ける、劇的なシュートが決まって、それこそ劇的な勝利となりました。良くぞ人に当たらなかったと思います。こんなに見事なシュートは、何度も見られるものではありません。シュートを決めたのは、私と同じく、今日が誕生日の山口君でした。これから贔屓にしましょう。このサッカーの試合の間中、窓の正面に三日月が輝いていました。

 

「病院の あの窓辺から 外見てた 入院の日々 思い出すなり」

「恋ヶ窪 季節外れの 真夏日に 水辺も暑い 姿見の池」

「昼飯屋 我ミニスタ丼 食べ残し 元気な若者 大盛りペロリ」

「昼過ぎて 酔いも回りて 良い気分 赤ら顔した 酔芙蓉かな」

「隋宜園 都会の中の 公園も 木々の間の 青空高し」 

「標識に 翅を休める アキアカネ 頭紅葉亭 お尻萩棚」

「宵進み 窓の向こうに 三日月の 我と一緒に サッカー観戦」

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2016年10月 5日 (水)

2016年10月05日

2016年10月05日

 

 富士も見えず、曇り空の朝でした。以前の天気予報では、今日も明日も雨の予報でしたが、日中は雨にはならないようです。どうやら台風18号は、太平洋側ではなく、日本海側を通り、温帯低気圧になった後、東北を横断して太平洋側に抜けるようです。関東地方は、台風の影響は少なく、明日も晴れになりました。

 昨日の高尾山が、かなり疲れたのか、今朝は7時近くに起き、日記を書くのも捗らず、日記を書き終わったのは、午後の2時近くでした。長い時間、パソコンの前に居た為に、腰と胸が痛くなってしまいました。

 今日は、無理をせず、3時過ぎから散歩に出て、関戸橋を渡り聖蹟桜ヶ丘まで歩きました。萱、葦、荻の穂が、河原の至る所に出て来ました。萱は何種類かあるようで、葉は同じようでも、穂の形が違ったものがありました。この種の穂が出てくると、本格的な秋になったと感じます。夏の終わり頃から聞こえていた虫の鳴き声も、一段と高くなってきました。

 散歩をしている頃は、薄日が差して暖かくなったせいか、紋白蝶と紋黄蝶が、必死に求愛活動をしていました。時間が残されていませんからね。同じような場所でじゃれ合っているので、近くの草に焦点を合わせ、飛んでくるのを待って写真を撮りました。珍しく素敵な写真が撮れました。

 聖蹟桜ヶ丘に着いて、手芸用品店で、マジックテープを買い、フランスパンの買い置きが無くなっていたので、フランスパンを買い、5時半には我が家に戻りました。

散歩から帰った後、買って来たマジックテープで、パジャマの袖口を止められるようにしました。実は、春と秋は、エクアドルで買って来た薄手のシャツとズボンをパジャマとして使っています。ところがシャツの袖が手首を隠してしまうほど長かったので、先日、手首の所で切ってしまいました。そうすると、袖口が閉まりなく広がって、始末が悪いので、少しタックを取ったて、マジックテープで袖口を止められるようにしました。ところが、マジックテープに雄雌が在ることを知らず、最初は、雌雌を袖口に付けてしまい、全く止まりませんでした。何度か試して、やっと雄雌の区別がついたので、一つを雄に替えて、漸く袖口が止まるようになりました。作業が終わった時は、7時近くになっていました。

急いで、豚肉のキムチ炒め、烏賊のアヒージョを作って、取り敢えず夕食にしました。

どうも、食事の量が少ないので、栄養やカロリーが足りないのではないかと気になって、食事やおやつが栄養過多になっているのかも知れません。甘いものも随分多くなりました。この為か、右掌が痛くなって、手を握ることが難しくなりました。リューマチかも知れません。明日は、病院ですので、聞いて見ることにします。

 

「河原には 荻や薄の 穂が増えて 夏の終わりの 潮時なりし」

「求愛は 人も蝶も 似た仕草 君が好きだと 必死で縋る」

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2016年10月04日

2016年10月04日

 

 朝五時半、カーテンを引くと青い富士が、どーんと見えました。富士の大きさが変わる訳はないのですが、毎日の期待が溜まっていたので、大きく見えたのでしょう。どれほど富士を見なかったのか、記憶が定かではありません。随分前の事のように思います。思わず、カメラを持って、家の前の土手を、多摩川の上流に向かって歩きました。5分ほど歩くと、富士が裾野まで見えるのです。今日は、富士だけでなく、丹沢、山梨、奥多摩、秩父の山々もくっきり見えました。日の当たっている山梨、奥多摩、秩父の山は、山肌もくっきりと見え赤みがかっていましたが、丹沢は陰に部分を見ているのでしょう、濃いブルー、まさしく青山でした。富士は、日の当たり具合で、赤みを帯びたり、青山になったりを繰り返しました。何故、影になると青く見えるのか、これまで気にしなかったのですが、今日、丹沢と奥多摩の山の色があまりにも違うので、改めて不思議に思いました。

 多摩川の土手の草は、我が家の前では、5厘刈りから5分刈り程度になりました。府中市より少し前に草刈りをやった、国立市の土手は、5寸刈り言ったら良いのでしょうか、随分伸びていました。朝露に濡れた草が、朝日を浴びて葉の上の水玉が宝石に変わりました。富士を見たところの河原は、アレチウリがびっしり生えていて、今が、ちっとも綺麗ではありませんが、花の最盛期でした。朝から良い散歩が出来ました。

 朝7時のニュースを見る為、7時前には、自宅に戻りました。ニュースを見ると、昨日ノーベル賞受賞が決まった大隅氏が、疲れた顔で出ていました。昨晩は遅くまで、今朝は朝早くからテレビに引っ張りまわされ、満足に寝ていないそうですし、祝いの酒も飲んでいないとのことでした。俄か有名人としては、仕方が無いでしょう。

 11時半頃から、高尾山に行って来ました。早朝見えていた富士山が、11時過ぎても見えていたので、術後初めて高尾山に登って見たくなったのです。もう一つ、山の仲間から、早く復帰して欲しいと言われましたので、嬉しくなって、山歩きの練習を高尾山で、始めて見ようと思ったのです。

 最初ですから、無理をしないで、ケーブルカーで往復することにしました。ケーブルカーを降りてから、薬王院の山門までは、だらだら坂でしたので、それほど辛くはありませんでした。山門を越えて、薬王院、飯縄神社、奥の院までの階段は、相当堪えました。奥の院から頂上までは、それほどきつく無い坂なのですが、階段で疲れた足にとっては、かなりきつく感じました。筋力が、相当落ちているようでした。それでも、ケーブルカーを降りたところから、頂上まで40分で歩き、1時5分には頂上にいました。

 頂上では、青い富士が待っていてくれました。朝富士が見えても、昼には雲がかかってしまうことが多いのですが、今日は、雲もかからずに、大室山の後ろに、富士のほぼ全容を見ることが出来ました。幼稚園の子供達が、頂上で記念撮影をしていましたので、私も写真を撮らせて貰いました。良く歩いて来ましたね。

 頂上から、薬王院の裏に出る道を、歩いて下りました。特に珍しい花は無く、シュウカイドウ(秋海棠)、ヨメナ、アキノキリンソウ、ノハラアザミ等が咲いていました。丁度ケーブルカーが来たので、それに乗って山を降りました。商店街を歩くと、店の前に黄花秋桐を植えている店がありました。後で調べて名前が分かったもので、実は始めて見ました。

 商店街と森林センターの間に、高尾599ミュージアムが完成していました。599は、高尾山の高さです。ミュージアムの中には、高尾山で見られる、動物、植物、鳥、蝶、昆虫等が、素晴らしい標本となって展示されていました。私が見たことも無い蝶が何匹もいました。

 その後、高尾山に来ると必ず寄ることにしている、大学時代の大学関係者のA氏(当時、学生生活課課長)のお宅にお邪魔することにしました。年初、3回くらい来たのですが、不在で会えませんでした。その後は、私の方が体調不良、手術となったので、随分久しぶりの訪問となりました。2度、呼び鈴を押しても出てこないので、帰ろうかなと思いましたが、家の様子を見ると、何処かに出かけた風には見えませんでした。念のためもう一度呼び鈴を押すと、家の中で動きが感じられました。在宅で、昼寝をしていたそうです。A氏は、今年91になり、奥様は86歳の筈です。二人とも元気で、耄碌もありません。凄いことです。特に奥さんは、70代にしか見えません。

 久し振りに、ゆっくり話しました。ご夫婦で、私の訪問を心待ちにしていたそうで、呼び鈴が鳴る度に、私かなーと思って玄関に出たそうです。嬉しい話でした。私の胃癌の手術には、少なからず驚いていました。今度、10月16日から30日まで、浅川市民センターでA氏の「能面・狂言面展」が開催されるそうです。A氏は、火曜日の午前中には、会場に行くそうですから、大学時代にA氏を知っている友人を誘って、行って見たいと思います。

 

「一日の 最初の出会い 青き富士 勇気貰って 元気百倍」

「高尾山 いかなる時も 側にいて 我を励ます 母なる山かな」

「もう一度 山の仲間と 山歩き 望み叶えて 我が母高尾山」

「青春の 最も輝く 大学の 生き証人の 高尾にありき」

「奔放に 大学時代を 生きて来た 生き証人は 齢九十」

 

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2016年10月 4日 (火)

2016年10月03日

2016年10月03日

 

 霧の濃い朝でした。その霧が、7時頃まで濃さを増していきました。向ヶ丘の七生丘陵が、少しずつ存在感を亡くし、やがて霧の中に消えてしまいました。霧が晴れて行くのは、何時もの事ですが、霧が濃くなるのを見るのは、珍しいことでした。

 10時半、日記を書き終えたら直ぐに、霧が晴れてしまう前にと思って、七生丘陵散策東コースを歩きました。

我が家を出て、桜公園で準備体操をして、公園の前の土手に登ったら、足が止まってしまいました。二組の雉の夫婦が土手の下の河原に居たのです。草刈りをして間が無いので、雉達は丸裸の状態を曝しているのと同様でした。滅多にないチャンスなので、雉を驚かせないように、写真を撮りました。しかし、数枚撮った所で、最初、雌に気付かれて、次には雄にも気づかれて、草刈りがされていない河原に逃げ込まれました。雌は、それっきり顔を出しませんでしたが、雄は、薄や背の高い草の間から顔を出してくれました。それにしても、なんとタイミング良く、雉達の散歩の場に居合わせたのでしょうか、雉達には迷惑だったでしょうが、私はとても幸せでした。後で、写真を見ると、雄は、正面から見ると眼光鋭い猛禽属のように見えましたが、横から見るとお道化た顔に見えました。雉の雄は、孔雀のような風格がありますね。

四谷橋から、霧の中の聖蹟桜ヶ丘の街、七生丘陵、我が家のある府中市四谷地域の風景を楽しみました。日本人が、山水画を好む理由が分かります。

京王線の下を潜り、川崎街道を越えて、我が家から見える七生丘陵に登り、更に一つ向こうの丘に登りました。最近の散歩を楽しませてくれた、金木犀の香りはまだ続いていましたが、花は盛りを過ぎて、木の下に朱色の花筵が出来ていました。金木犀の枝の下の蜘蛛の網は、獲物ではなく金木犀の花が、花飾りとなって、風になびいていました。

毎年、椎の実を拾いに来る百草八幡に行き、椎の実の生育状況を確かめました。もう少しで椎の実拾いが出来そうでした。百草八幡を経て、朝日山緑地に降りると、盗人萩が群生していました。秋になっていたのですね。盗人萩の名の由来は、盗人の足跡に似ているからだそうです。朝日山緑地から、霧の多摩地方を楽しみました。この辺りのランドマークになっている帝京大学のタワービルが、霞んでいました。

朝日山緑地から、三角点公園、七生緑小学校を経て、百草台自然公園に出ました。ここにも盗人萩が沢山咲いていました。その中に、魚鱗草のように白いものがありました。最初は、花だと思ったのですが、白い菌の一種に取り憑かれたようでした。この公園の小高い丘からは、普段は秩父から神奈川の方まで一望できるのですが、今日は、霧の為、近くの街しか見えませんでした。

 丘から少し降りると、給水塔に出ます。周囲は野草が生い茂って、今は、ススキの穂とセイタカアワダチソウが、背比べをしていました。そこから、更に下がると、日野コミュニティーセンターです。このセンターは、旧百草台小学校の職員室を利用していました。何時廃校になったのか分かりませんが、随分立派な小学校でした。現在は、日野緑小学校に統合されています。百草台自然公園の横から、百草台団地が始まりますが、何棟も全く人が住んでいない棟がありました。時代の流れを感じました。

百草台自然公園が、七生丘陵散策コースの中間点になります。今日はこの地点で散歩を止めました。妻から電話があり、家に帰って確かめなければならない用が出来ました。直ぐ近くに日野市のコミュニティーバスの停留所があったので、一之宮交差点まで乗って、歩いて帰りました。日野市のコミュニティーバスは、京王バスに委託しているようですが、料金は普通の京王バスよりも高いような気がしました。短い距離のバス停を10くらい乗って、280円以上撮られました。府中市の場合、市が運営していて、何処まで乗っても100円です。四谷橋を渡って、1時過ぎに我が家に着きました。

夜のニュースで、今年のノーベル賞の内、医学・生理学賞に日本人の、大隅氏が選ばれました。あっちこっちのテレビ局からのインタビューで、戸惑った顔と、奥さんが上着を着せている様子が、印象的でした。私と同じ年で、大学を出たのも同じ年でしたので、親近感が持てました。

 

「土手の下 雉の夫婦が 二組も おっとり散歩 我が目疑う」

「草刈られ 雉は目の前 丸裸 雌が恥じらい 藪へ一目散」

「神無月 金木犀の 盛り過ぎ 花を落として 金の花筵」

「蜘蛛怒る 獲物獲る網 獲物無く 金木犀の 花ばかりなり」

「知りたるや 盗人萩の 名の由来 実の形が 盗人の足跡」

「遠目には 花と思える 白き草 野辺の草にも 病魔が襲う」

「武蔵野を 見下ろす丘で 背比べ 薄の初穂 背高アワダチソウ」

「何処見ても 武蔵の国は 霧の中 現代の穢れ 霧が隠せり」

「子供無き 小学校は うら悲し 未來亡くした 我が身の如し」

 

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2016年10月 3日 (月)

2016年10月02日

2016年10月02日

 

 珍しく、青空一杯の朝でした。一日中、真夏のように日差しが降り注ぎ、洗濯物が、からからに乾きました。「洗濯物が良く乾く」、それはとても気持ちの良い事で、気持ちの中の嫌な部分を、取り去ってくれました。

 11時頃から、また、ベランダの整理をしました。植物を育てていない鉢から、土を取り除き、空になった鉢をベランダの隅に重ねました。材質(プラスティック、素焼き、木)、形状(丸、四角、三日月)、そして大きさの違い等様々で、20個近くありました。14日から3日間、ベランダの不用品を回収してくれるようですから、出来るだけ捨てるようと思いました。

 今日は、職場の後輩夫婦と私達夫婦とで、5時半から食事をすることになっていました。この夫婦は、私の最後の勤務地で一緒でした。今でも、何かにつけて、連絡を取ってくれますし、頼りにもしてくれます。昔の職場とは、現役を終わると無関係だと思っていましたが、昨日の中南米関係者の集まりとか、同じ課にいた人達との集まり等、人間関係は、今でも続いています。

3時半に家を出て、食事をする神楽坂に、5時15分に着きました。後輩夫婦も時間に正確なので、5時20分には全員揃いました。この夫婦が、辛い物が好きだというので、妻とかなりの頻度で行っている、湖南料理の店「紅龍」に行くことにしていました。ところが、日曜日は休みでしたので、急遽、この辺りの通である妻の案内で、別の四川料理の店にしました。料理は、フランス料理を真似たのか、品よく少量で、なかなかお腹が膨れず、結局デザートも含めて10種類も、料理を頼まざるを得なくなりました。それでもまだ、充分な満腹感が得られませんでした。中華料理で、満腹感が得られないのは、妻に言わせれば、中華料理ではないとのことでした。同感です。味の方は、そこそこだったと思います。妻も、この店では、昼のランチ定食は、良く食べるそうですが、夜は初めてだったそうです。

後輩夫婦は、現在海外勤務中なのですが、旦那の方に膵臓癌の恐れがあるとのことで、検査の為に一時帰国していたのです。これまでの検査では、癌ではなく、癌に発展しそうなポリープのようです。暫くは、経過を見ることになるのではないかと言っていました。

実は、この夫婦とは、私が胃癌の手術をする前にも、一緒に食事をしており、その時から、私は胃癌の手術が決まっており、後輩は膵臓がんの恐れがあることは、分かっていました。そして、今日、後輩夫婦は、私の術前術後を見たことになります。私を見て、ほとんど以前と変わっておらず、元気そうなので、凄く安心したと言ってくれました。同時に後輩は、癌の場所は違いますが、仮に膵臓癌の手術をしても、手術が旨く行けば、以前のように元気になれる実例を直接見て、幾分かは安堵したと思います。若し、そうであるとすれば、私も少しは役に立ち、今日の食事も有意義だったと思います。

8時半過ぎに、皆と別れて家路につき、10時に我が家に着きました。この1週間、外出の機会が多く、満足に歩いていません。私の同期も言っていましたが、歩くのを習慣にすると、歩かないと体調を維持できないのではないかと、恐怖感を覚えるようになってしまいました。

 

「神無月 真夏日和の 舞い戻り 汗吹き出るも 気分爽快」

「久々の 真夏日和に 大洗濯 我が家のベランダ 満艦飾なり」

「手術後の 元気な我に 安堵せり 友人もまた 癌の恐れが」

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2016年10月 2日 (日)

2016年10月01日

2016年10月01日

 

 今日も、曇り空で夜が明けました。この所、雨が降りそうで降らない日が続いています。

 今日は、昔の職場の中南米地域専門の人達が集まっての、昼食会がありました。今日集まった人は、スペインで研修した人が多い為、目黒のスペイン料理屋で、昼食会が開かれました。世話好きの人間がいて、昨年から、この会が行われるようになったのです。今日は、15人集まりましたが、集まった人のほとんどは、同じ国で働いたり、何らかの形で仕事上の関係がありました。中には、途中から大学の教授になった人も来ていました。彼とは、40年振りの再会でした。若い頃、ペルーでお世話になった人は、80を過ぎていましたが、まだまだ元気でした。このような昔の仲間が集まるので、止め処無く話が続き、今日も、12時から3時まで、時間が経つのを忘れて、話し続けました。スペインのワイン、生ハムやアヒージョ、パエージャなどのスペイン料理も美味しかったのですが、話に夢中になり、話の間に、ついでのように食べていました。誰もが年を取り、特殊な仕事だったこともあって、周囲に昔の事を話せる人がいないのでしょう、昔の仲間が集まると、話が尽きないのも、無理からぬことだと思います。良い時間を過ごしました。

 昔の仲間との昼食会が終わった後、目黒にある先輩の店に行きました。ワインが飲める、軽食喫茶店です。先輩は、今も仕事で海外を飛び回っていますので、通常は奥さん独りで店を切り盛りしています。今日は、珍しく先輩がいました。この二人は、私の病気の事を知っていて、手術後の経過を非常に気にしていてくれたようです。私が、比較的元気な様子で顔を出したので、少なからず驚いた様子でした。この先輩は、大学のクラブの先輩なので、先ずは病気の話から、クラブの思い出話と、クラブの仲間の消息、今の若者、日本の今後へと話が進みました。私が、グラス一杯のワインを飲む間に、先輩は、1本半空けて、大分酔いが回ったようでした。一組居た別の客が帰ったので、奥さんも話に加わり、夕方6時まで居座ってしまいました。奥さんが、美味しいコーヒーや、カボチャのスープを作ってくれましたが、今日は私の快気祝いとして、只にしてくれました。外も、暗くなってきましたので、先輩に別れを告げ、我が家に戻りました。我が家に戻ったのは、7時半近くになっていました。

 先輩との話にも出ましたが、昔から、「店は三代で潰れる」と言われました。初代は、着想と努力で店を興し、2代は、店は大きくするものの新たな着想は無く守りに入り、3代は、資産を食い潰すだけで、最終的に店が破綻するそうです。現代の日本の大企業が、国際経済の中で、同じような道を歩むのではないかと、先輩も私も同じ意見でした。企業自体が、経営を誤り破綻するのであれば、仕方のないことですが、国家の経済政策に影響を受けて、企業経営が傾くのは、問題だと思います。安倍総理のアベノミックスという名の経済政策は、実質経済を向上させるのではなく、全ては見かけ上の経済指数を上げるだけの政策です。金融緩和は、民間企業が企業を発展させたいが、お金が無いと言った実質的必要性があるのであれば、大きな効果を出すかもしれませんが、現在の状況は、企業は発展に向かう余地も意思も乏しく、お金だけは、企業内に留保金が溜まっている状況では、何ら効果をはっきしないのは明らかです。実際に何ら効果は出ていません。また、本来独立するべき日本銀行が、安倍総理の意を汲んで金融緩和やっている様なので、国家の経済運営が私物化されているようで、気分が悪いです。企業が実質的に発展しなければ、株価が上がらないのは当然です。安倍総理は、ここでまた、見せかけの経済政策を実施しました。年金基金と言う膨大なお金を、株式市場に投入し、見かけ上株価を上げたのです。しかし、株式市場に投入したお金は、もはや引き上げる事は、出来ないでしょう。引き上げは、投入と逆効果を生みますので、引き上げた瞬間に、株価は下がり、経済が停滞する恐れが出て来ます。株を売られた企業にも、直接影響が出て来ます。今後、年金基金は、思惑買いが支配する、相場の動きに左右されることになります。

自由主義経済においては、市場が極端に冷え込んだ場合とか、逆に加熱した場合に、極めて例外的に国家が市場介入することや国家が事業を実施する事を許しています。そうでないと、社会主義経済と同じく、経済の活性化を阻害したり、逆に経済が暴発し、ひいては破綻してしまいます。それは、過去の経験から得た知識です。国家が、社会主義経済を選択し、ある程度経済的に困窮しても、平等な社会を目指すのであれば、それはそれで、一つの結論だと思います。しかし、「金だけは回すから後は自分達で勝手にやれ、それが自由主義経済だ」と言いつつ、様々な規制を設け、様々な分かり難い手段で高額な税金を徴収するような、矛盾に満ちた経済政策では、実体経済が破綻する恐れが、充分にあります。塗炭の苦しみを味わった、戦後と同じような事態になる恐れがあります。だからと言って、世界が終わるわけではなく、逆境に強い日本人は、戦後からの復興と同じように立ち直るでしょうが、資源と食料が足りない日本では、相当な苦しみを味わうことになるでしょう。

 

 

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2016年10月 1日 (土)

2016年09月30日

2016年09月30日

 

 今日は、晴れる予報でしたが、空全体が雲に覆われた朝でした。今日で9月も終わり、明日から10月です。9月は夏の続きの感じが強いのですが、10月に入ると、秋本番となり、今年も終わりに近づいたと感じるようになります。毎年、毎年、墓場が近づいていることも感じます。

 今年は、年明けから鋸山に登り、一昨日、昨日と、小湊鉄道、養老渓谷、上総中野、いすみ鉄道、大多喜、勝浦と千葉を旅行しました。千葉県には、10年近く住んでいましたし、ゴルフには、何度も千葉に通っていたのですが、旅行で千葉を訪れたのは、本当に久し振りでした。今年、旅行した所は、何処も初めての所でした。千葉は、近くて遠い所です。妻は、東京生まれの東京育ちですが、今回旅行した所は勿論初めてで、千葉は、仕事で訪れたところ以外は、ほとんど知らないと言っていました。

 旅行をした時は、75調の紀行文を書くことにしています。今度行った、養老渓谷の紀行文を書くのに、午後3時過ぎまで掛かってしまいました。

 今日は、大学時代からの友人が、快気祝いをしてくれることになっていました。6時から、四谷の馴染みの酒場でやるとのことでしたので、4時半に家を出ました。本来ならば、10分前くらいに着く筈でしたが、電車に乗るタイミングが悪く、6時5分に酒場に着きました。会は、既に始まっていました。取り敢えず、快気祝いの乾杯をして、しばし、手術の経過報告になりました。その後は、誰しも病気を抱えていて、他の事に話を移しても、直ぐに病気の話に戻ってしまいました。そろそろ、70に手が届く者から、70過ぎたものまで、所謂、老人の集まりですから仕方がないと思います。私の同期が、今一番怖いことは、自分の足で動けなくなり、自分の手で食事が出来なくなる、介護老人になることだと言っていました。私も、全く同感です。

最近、神奈川の病院で、点滴に薬物が混ぜられて、二人の老人(88)が死亡したニュースが流れています。調査を進めれば、もっと多くの人が死んでいると言われています。これは、病院関係者のやった殺人だと噂されています。しかし、私は、人生の終末期に、きちんとした方法で本人が意思表示したのであれば、医者が手を貸して、苦しまないで死ねるようにして欲しいと思っています。現在は、回復を伴わない延命治療を行わないことについては、社会に、ある程度の理解が出来て来ましたが、医者が積極的に死に手を貸すことは、まだ、社会の理解が得られていません。従って、どんなにうまくやっても、殺人になってしまいます。医者が手を貸せないのであれば、楽に死ねる薬を手に入れる事が出来るようにして貰いたいものです。この所、身体障碍者や老人の殺害事件が多くなっていますが、これは、死について、もっと真剣に考えなければならないことを意味していると思います。誰でもそうでしょうが、私は、国家を含め、他人に生殺与奪の権利を握られること、他人の意見や生き方に従わざるを得ない状況に陥ることは、死よりも辛い拷問に思えます。従って、寝たきりでは生きたくないのです。「命は、地球より重い」かも知れませんが、だからと言って、生きることについて、死ぬことについて、合理的に考えることを、タブー視してはいけないと思います。

現在、国家政治を代表する安倍総理は、国家の防衛の為と称し、若者を、死が待っている戦場に送り出すことは、平気で法律化し、拍手で若者を送り出そうとしています。そして、北朝鮮とか中国とか、日本の防衛に対する危機を煽っています。自分が戦争に行かず、指揮命令する立場に立てば、戦争は大したことではないのでしょう。前にも言いましたが、戦争への道は、ある時点を過ぎるともう止めることは出来ません。まだ、その時点に至っていませんので、現在の動きにブレーキを掛ける必要があるでしょう。国家と言うものは、未来ある若者を平気で死に至らしめるのに、先の見えた老人の場合は、本人が望んでも、安楽の内に、死に至らしめる事には、何もしてくれません。

 快気祝いの方は、最後に、この会をアレンジしてくれた後輩が、今後更に順調な回復を願って、エールを送ってくれ、9時近くに終了しました。今日は、私以外に6人集まってくれ、好きなことを言い合って、楽しく過ごせました。一部は、2次会に行ったようですが、私は、駅のパン屋で、スペインのパン、カンパーニュを買って帰りました。このような仲間も、時が経つにつれ、一人減り、二人減りして行くでしょう。大分年下も居るので、私が最後になることは無いでしょう。それは救いです。

 

「年故に 生きてることが 愛おしい 元気ならこそ 言える言葉よ」

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