2020年9月21日 (月)

2020年09月16日

2020年09月16日

〇09月16日(水)。

 今朝は、7時過ぎに起きました。最近では珍しいことです。特に何かをしたわけではないのですが、強いて上げれば、晩酌の量を少なくし、摘まみの量も少なくしてみたのです。それが、効果があったかどうかは分りません。3日間の寝不足を取り返しただけなのかも知れません。しかし、非常に気持ち良く目覚めたことは事実です。
 9月も半ばを過ぎたので、今までバスタオル一枚で寝て居ましたが、昨晩からタオルケットにしました。しかし、まだタオルケットを掛けるまでもなかったので、足下に畳んで寝ました。
 今日は、やることが多いので、遠出をせずに、多摩川と大栗川の合流点を廻って、聖蹟桜が丘まで歩きました。
 11時頃に家を出て、鎌倉街道の関戸橋を渡った後、合流点へ向かう多摩川右岸の土手に出ました。この土手は、どの季節も花の多い土手なのですが、今日は、正しく花畑になっていました。韮の花の白い帯、ツルボの淡い紫、萩の仲間の紫、イタドリ(虎杖)の白、菊芋の黄色、オオマツヨイグサ(大待宵草)の黄色、正しく百花繚乱といった感じでした。また、名前は分りませんが、唇型の可愛い花を付けた蔓を見つけました。
 合流点では、暫く姿を見せなかった、ハヤブサ(隼)の一種であるチョウゲンボウ(長元坊)を狙う老人カメラマンが、4人集まっていました。新型コロナ、猛暑が一段落したからでしょう。
 合流点にある、子供向け交通公園で、昼食にしました。公園には、誰1人居ませんでした。食事中、パン屑を地面に落とすと、1匹の蟻が寄ってきて、パン屑を担いで歩き始めました。蟻の巣が近くにあるかと探しましたが、近くには見当たりませんでした。それから、15分以上、蟻は、アスファルトの道を5メートル以上歩き続けました。アスファルトの裂け目に生えた芝を超えるのが、一番難しいようでしたが、上手に芝の葉の間を抜け、アベリアの花の下のすに到着しました。何故パン屑を自分達の食料になると思ったのか、巣はかなり離れていたのに巣の位置がどうして分るのか、途中であった仲間の蟻は運ぶのを手伝ってくれないのか等、興味津々で蟻の動きに見とれました。
 食後は、大栗川の土手を歩き、聖蹟桜が丘に出ました。特にやることも無いので、京王デパートの7階にある、貸しフロアによってみました。毎週のように、違った催しがあったり、違った店が出ているのです。今日は、タイルアートと木壁画展をやっていたので、入ってみました。私の他に客が居なかったので、作者が、一枚一枚丁寧に説明してくれました。作者の説明を聞きながら見ると、中々良い作品に見えてきました。お金があれば、梟の木壁画を買っても良いのですが、一枚30万円近い価格では、とても買える値段ではありません。
 3時前には家に戻り、5時までに午前中残した仕事を終えました。その後一休みして、6時頃から、エリンギ炒め、アサリのニンニクバター炒め、トマトサラダを作り、チーズや生ハムを加えて、晩酌にしました。
夜のテレビでは、阿部総理の総辞職、国会での菅総裁の決定、天皇陛下による総裁任命、菅総理による組閣と記念撮影等、大変な騒ぎでした。後は、菅総理が宣言していることを、どれだけ、どの様に実行に移すか、今後の成り行きを見るしかないでしょう。

「予期せざる 君の強さを 知る思い 荒れた河原に 菊芋の花」
「多摩河原 白き花道 韮の花 この道辿れば 天へ昇るや」
「韮達に 負けじと紫 ツルボかな 皆で揃って 天へと誘う」
「庭萩の 韮とツルボを 見下ろして 我に続けと 見栄を張りおり」
「予期せざる お花畑を 眺めつつ 昼餉を喰らう 花見の宴かな」
「パン屑を 担いで蟻さん 何処行くの 誰が待つやら 君の獲物を」

〇09月17日(木)。

 今朝も、曇り空でしたが、雨は降らないようでした。午前中の仕事を片付けて、11時半頃から、動物園と北村西望の彫刻館がある、井の頭自然文化園に行って来ました。現在一緒に暮らしている次男は、3歳まで吉祥寺で暮らしましたので、何度も自然文化園に連れて行き、一緒に象の「はな子」を見ましたが、何も憶えていないでしょう。
 自然文化園には、12時半くらいに着きましたので、入口に広がっているテーブル席で昼食にしました。間隔を置いて、何組もの子連れの家族が、昼食中でした。一人歩きの老人は、私1人でした。
 食後、日本の何処かにいるような動物達を見ながら歩いていると、昔、象の「はな子」が居た所に出ました。今でも、昔のまま保存されていました。獣舎の一部は、はな子の史料館になっていました。1年ほど前に、自然文化園に来た時は、この場所を素通りしてしまったようです。
 はな子は、1947年タイで生まれ、1949年日本の上野公園にやって来ました。私より3歳年下です。その後1950年に井の頭公園に移され、2016年69歳で他界しました。象としては、世界一長生きしたようです。井の頭公園に、66年も居たのですね。私の感覚としては、10数年前に死んだと思っていましたが、僅か4年前なのですね。1968年、私が結婚して、大人としての生活を始めた頃には、何度も見たはな子でしたが、1973年に吉祥寺を離れて以来、一度もはな子と会いませんでした。今日、吉祥寺の5年間を急激に思い出しました。今、終りを迎えようとしている私が、自分の人生を始めた時だったのですね-。はな子は、随分多難な生き方をしたようですが、どんな生き方をしようと、それが命有るものの生き様でしょう。
 思い出に浸りながら、リスの小径に行きました。可愛いリス達が、あちこち花廻っていました。私が写真を撮っていると、胡桃を持ったリスが、私の肩まで登って来ました。ポケットやリュックをのぞき込んだりしていました。胡桃を隠したかったのかも知れませんねー。リスと何度も顔を合わせました。写真を撮りたかったのですが、そんな余裕を与えてくれませんでした。しかし、はな子の獣舎から引きずっていた、感傷的な気持を明るい気持に変えてくれました。
 リスの小径の後、北村西望の彫刻館を見学しました。長崎の平和祈念像を造った人なので、此処にも同じ大きさの、平和祈念像があります。軍人の像もあれば、観音像もあります。記念として作ってくれと頼まれると、断れなかったようです。写実性の高い物が多いのですが、彼が本来目指したかったのは、平和祈念像とか、奔放な女性の裸像とかではなかったかと思います。
 彫刻館を見た後、井の頭公園内にある水生園を見て、今日の見学は終る事にしました。吉祥寺駅への途中で、梟の人形を買いカードで払おうとしたら、カードが1枚無くなっていることに気がつきました。一瞬顔が青ざめました。此処は、取り敢えず別のカードで払い、急いで家に帰ることにしました。
 4時半頃、家に着き、色んな所を探しました。しかし、自分の頭の中では、無いことははっきりしていたのです。私は、銀行カードを鎖付の定期入れ以外に入れることは無いのです。探すのは、単なる気休めでした。また、カードを再発給する手続きをするのかと思うと、暗澹たる気持になりました。今日以前に、カードを使ったのは、この前の日曜日、府中の魚屋とネパールの梟を売る店だと思いますので、明日、その店を確かめてから、再発給の手続きをしようと決心しました。
 カードが拾われて、使われていないかも心配になりましたので、パソコンで銀行口座の支払い状況を見ようとしたら、気持が焦っていたのでしょう、どこか変な操作をしたようです。何時もは簡単にできていたことが、全く出来なくなってしまいました。踏んだり蹴ったりとは、この事だと思いました。
 夜は、カードのことばかり気になって、酒も不味いし、テレビも面白くないし、時間が経つのが遅くて参りました。

「その昔 子等と歩いた 動物園 象のはな子は 天に召されし」
「栗鼠の道 人慣れしたる 栗鼠達が 我が身体を 木として使う」


〇09月18日(金)。

 昨日のショックが残っていたのでしょう、今朝5時に起きてしまいました。暫く、ベッドでごろごろしていましたが、5時半頃から、朝の空気を感じながら歩きました。
 9時から、ネットバンクのサービスセンターがサービスを開始するというので、9時になって直ぐ電話しました。何時ものことですが、「電話が混んでいるので、暫く後に架け直して下さい」とのメッセージが流れるだけで、誰も電話に出てくれません。仕方が無いので、私が口座を持っている、府中の三菱UFJ銀行に行くことにしました。
 必要と思われるものを揃えて、9時40分のチューバスで、府中に10時20分頃に着きました。早速、浜喜屋に行って、「13日日曜日に、カードが落ちていなかったか」尋ねてみました。店員が、落とし物リストを見ながら、「残念ながら、当店には落ちていませんでした」と応えました。予想通りでしたので、次の店に行こうとしたら、店員が、「このビルの商店で買い物をしたのなら、2階に事務所があるので、そこで聞いたら良いですよ」と言ってくれました。余り期待はしないで、取り敢えず行ってみました。そこで、カードの落とし物を聞くと、「お名前は」というので、名前を応えると、「そのカード届いていますよ、でも、水曜日に府中警察に渡しましたので、今、渡した時の書類の番号を、お教えしますので、府中警察で貰って下さい」と言われました。昨日からの不安が1度に吹っ飛びました。府中警察は、直ぐ近くですから、直ぐに行って、落とし物係で、カードを貰いました。こんなことが起きるとは、信じられない気持でした。その後、浜喜屋へ戻って、店員さんに、ありがとうを連発し、心からお礼をしました。
 その後、三菱UFJ銀行に行き、三菱のネットバンクが使えなくなったことを受付に説明すると、きちんと窓口で対応してくれる事になりました。窓口の女性の指示に従って、ネットバンクの再構築をしました。僅か一時間で、大きな問題が2つとも解決しました。11時半でした。
 未だ昼食時では無いので、下河原緑道から、郷土の森公園まで歩き、そこで、昼食にしました。公園の中にある田圃と、畔に咲いている彼岸花を見ながら、美味しい昼食となりました。
 食後は、公園を一廻りして、チューバスで我が家に戻りました。3時少し過ぎに我が家に着きました。丁度起きていた次男に今日の話をすると、一緒に喜んでくれました。
 夜は、映画「殿、利息でござる」を見ながら、良い気分で晩酌をしました。

「悩み事 綺麗さっぱり 解決し 気分上々 旨き酒かな」
「稲刈りの 時期を教える 彼岸花 黄金の稲穂に 似合いの赤かな」
「実るほど 神戸を垂れる 稲穂かな 教えの姿 目の前に見る」
「立秋の 間近に迫る 真夏日に 桜の病葉 赤き彼岸花」

〇09月19日(土)。

 今日は、千葉の学園の理事会だったので、7時半には家を出て、10時からの理事会に参加しました。オンラインの会議では無く、理事全員が、学園に集まっての、普通の理事会でした。
 今年の学園運営は、本当に大変なことになっています。以前の通りやっていれば、大きな問題は起きないというわけにはいかないのです。新型コロナの影響で、授業の形態、入学式、夏休み、修学旅行、学園祭、運動会、夏の宿泊教室等、どれ1つとっても以前と同じようには行かなくなりました。先生を始め、学校運営に関わる人達の、挑戦に頭が下がる思いがしました。
 しかし、オンライン授業の話を聞いていると、さらにAIを旨く利用すると、生徒が自分の興味に応じて、パソコンと会話をしながら、AIが生徒の探究心を理解し、ゲーム的要素も入れながら、生徒個々に応じた勉強が出来るのではないかと思えました。そうすると、学校や先生の存在が不要になるのではないかとさえ思えました。若しかすると、それが次世代の社会のあり方に応じた、l教育なのかも知れません。
 しかし、人間社会と言うものは、人間の集団ですから、未来の社会を守る若者の教育には、直接人間と接し、議論をしたり、喧嘩をしたり、友達になったり、人間同士の交わりは絶対に不可欠です。私達は、大学時代、キャンパスライフとして、前述のような、青春を謳歌しました。それが教育の本質ではないかと思います。「大学は教育の場か、研究の場では無いか」「高校までの教育とは違った、自分自身で自分と社会のあり方を学ぶ所で、誰に強制的に教育される場では無い」などと、偉そうな議論もしました。私は、この要素を残さないと、変にAIを利用した、知識優先の教育になると、ロボット優先社会になるのではないかと危惧しています。ですから、先生が知識だけを、淡々と話す教育は、改良の俎上に載せても良いと思います。
 今日は、理事会が早く終ったので、皆で昼食を食べても、12時を少し廻った所でした。都心に出て来ることはあまりないので、渋谷から代官山へ電車で行き、代官山から、色んな所を見物しながら、てくてく歩いて渋谷に戻りました。武蔵野の方は良く歩きますが、都心は知らない所が、まだ、沢山残っています。それにしても渋谷は、幾度も様子が変わります。今日歩いた東横線への地下は、工事中の板などが取り払われ、すっきりと綺麗になっていました。工事は完了したようです。全部が完成するまでには、未だ時間が掛かると思いますが、本当に凄いことを始めたと思います。但し、今後は、このような都市集中の仕方が良いのか、1度ゆっくり考えて見る必要がありそうです。
 渋谷散歩を楽しんだので、我が家に戻ったのは、5時近くになっていました。郵便箱を開けると、三菱のカード会社から、手紙が来ていました。なんと、警察から、カードの落とし物があったと連絡があり、3日前にカードの使用を停止したので、再発給の手続きをして欲しいと書いてありました。今日、戻ったカードで買物をしたのですが、何の問題も無く使えました。一体これは、どういうことでしょう。手紙に電話番号が書いてあったので、電話して聞いてみると、「カードは使えるが、銀行からの引き落としが出来なくなるので、店から再請求が行くことになるでしょう。銀行にクレームが来た場合は、連絡先を教えることになるでしょう。いずれにせよ、カードは再発給しますので、現在のカードは、鋏で切って処分して下さい」と言われました。昨日の喜びは、糠喜びでした。
 夜は、今日休みの次男が、友達と会うらしいので、1人酒になり、昨日とは打って変わって、不味い酒になりました。土曜日は、見る番組が無いので、福山雅治の映画「3番目の殺人」「真夏の方程式」を見ながら酒を飲みました。両方とも、殺人に人助けが入っているのですが、妙な話の展開で、現実味に欠けた映画でした。最近、感動出来る映画に出会うことが少なくなりました。私自身が、仕事から離れて10年以上経ち、社会の現実から遠ざかりました。これが老いの現実でしょう。

〇09月20日(日)。

 今朝は、すっきりとしない曇り空でした。天気予報では、午後は雨になるとのことでした。
 今日は、孫達と彼岸の墓参りに行くことになっていました。一緒に昼食を食べてから行くことにしましたので、11頃には、我が家に迎えに来てくれる事になっていました。しかし、種々手間取ったらしく、我が家に孫達が着いたのは、12時近くでした。今日休みの次男も、一緒に傘を持って、娘の車に乗り、皆で鰻を食べることにしました。
 鰻屋には、12時半近くに着きましたが、この鰻屋は、この辺りでは超有名店らしく、昼食の時間でもあり、駐車場も席も満杯でした。30分近く駐車場が空くのを待って、店に入りました。出て行った客が居るので、席には直ぐ案内されましたが、なかなか水も持ってこないし、注文も受けてくれませんでした。注文するまでに10分以上掛かり、注文の品が届くまでに、20分以上掛かり、結局、午後1時半くらいから、食事になりました。店員が、非常に少ないように感じました。食事が来てからは、皆、待っている間にお腹が空いていて、食べ終わるのには、30分掛からなかったと思います。
 食後、高尾霊園に向かい、2時半くらいに、墓に着きました。娘の教育が良いのかどうか分りませんが、孫達は、墓掃除は楽しいと、遊び感覚で墓掃除をしてくれます。末の孫が1番嬉しそうで、1番活躍しました。神や霊の存在などの、難しい議論はさておき、現実に生きている人間が、共に生きた人の思い出を辿り、その思い出を後の世代に伝えるためにも、墓参りなどの習慣は、悪いものではないと思います。皆で、草取り、墓石磨き、病気の木の剪定、最後に線香を上げて、彼岸の墓参りは終りました。4時近かったと思います。天気予報は、良い方向に外れてくれて、傘は、全く必要ありませんでした。
 その後、聖蹟桜が丘に戻り、今晩の夕食のおかずを買いました。夕食のために何にも用意していなかったのです。刺身、焼売、餃子、その他の中華料理、牡蠣フライ、クリームコロッケ、ヒレカツフライ、ローストビーフを買い求め、少し豪勢な夕食になりそうでした。家に帰り着いたのは、結局6時近くになり、大急ぎで準備して、6時半には、食事が始まりました。大人達は、ビールや酒を酌み交わし、子供達は、食べたいものが沢山あって、楽しい夕食となりました。
 孫達の夕食は、8時には終り、ゲームに変わりました。大人達は、それから酒が本番となり、12時までに、ビールは少々でしたが、酒を4人で2升あけ、すっかり酔って、大声になり、面と向かって話すので、コロナウィルスを誰かが持っていたら、確実に感染するような状況でした。最近家庭内感染が増えた理由が、良く分りました。しかし、偶に家族が集まるのですから、ある程度、やむを得ないと思います。それが社会生活です。
 日付が変わった頃、孫娘が時を計ったかのように、ちょっと照れくさそうな顔をして、私にプレゼントをくれました。学校の長野への宿泊行事に参加した時に買ったそうです。梟のお守りでした。私が、梟を好きなので、買って来てくれたのです。ちょっと涙が出そうになりました。もう何時死んでも、後世を生きる孫達の中に、私の思い出が残ると確認しました。良い墓参りになり、良い敬老の日になりました。

「我が為に 土産に買った 梟を そっと差し出す 孫娘かな」
「後の世を 生きる孫等の 思い出に 我の思い出 残ると確信」

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2020年9月16日 (水)

2020年09月11日

2020年09月11日

〇09月11日(金)。

 今朝も、薄らと富士が見えました。我が家から見える富士は、てっぺんの部分だけですので、富士が見えると、アパートの屋上に行って、写真を撮ることが増えました。勿論、今日も屋上からの写真を撮りました。
 今朝早く、妻から電話があり、1時間近く話しました。新型コロナ、GOTOトラベルへの東京の参加、自民党総裁選等、世の中色んな事が起きているので、話す事は沢山あるのです。
 妻との電話の後、今日の午前中は、全米オープンテニスの女史準決勝の仕合を見ました。最初は、大阪なおみとブレディーの試合でした。人種差別への抗議以来、大阪なおみは、本当に強くなりました。日本人トレーナーのトレーニングの成果だという人も居ます。確かに、それも1つの要因でしょうが、子供の頃から、テニス一筋に育てられた子供が、1人の人間として大人になり、テニスをすることに、自分なりに納得したことが、一番大きな要因だと思います。試合は、大阪なおみが勝ち、決勝に進出しました。
 次の試合は、セレナとアザレンカの母親対決でした。次男は、セレナに勝って貰って、セレナとナオミの試合を見たかったようですが、結果はアザレンカが勝ち、決勝は、ナオミとアザレンカになりました。セレナは、38歳、スポーツ選手としては、歳を取りました。ラリーが続くと肩で息をするようになりました。しかし、サーブのスピードは、未だに女子としては、世界一だと思います。
 テニスの試合を見終わったのが、12時半を過ぎていましたので、近くの四谷さくら公園で、熱帯の地に浮かぶような白雲を見ながら、弁当を食べました。
 食後、我が家の近くの府中西高校の周囲を歩きました。私は、長崎西高校なので、府中西高校には、親近感があります。校章も良く似ています。2枚の葉は、長崎西高校の場合は、柏ですが、府中西高校の場合は、欅のようです。多分府中もそうでしょうが、長崎では、東高は市の真ん中近くにあり、坊ちゃん学校で、西高は市の外れにあり、バンカラ校でした。西高から西友へ行き、買い物をして、3時過ぎに我が家に戻りました。
 今日は、5日間の日記をブログに上げる日でしたが、昨日の日記も書いておらず、全部が終ったのは、6時過ぎでした。
 夜、テレ朝の報道ステーションで、大阪なおみのマスクに書いてある、黒人差別のため死亡した黒人の特集をしていました。多くの人に、人種差別の現実を知って貰いたいと、被害者の名前入マスクをした効果が、出て来ました。大阪なおみとしては、本望でしょう。

「刻々と 姿を変える 白雲を 仰ぎ見つつの 昼餉となりけり」
「草の原 青空白雲 そよぐ風 自然の姿に 1人感動」
「亀虫よ 何故君は 此処に居る 君見る爺 何故此処に」
「我が命 果つる時まで 切れ間無く 自然の全て 生々流転」

〇09月12日(土)。

 今朝は、青空1つ見えない曇り空でした。ベランダから外を見ている間に、七生丘陵が霞み、小糠雨が降ってきました。
 今日は、アパートの消防設備の検査が行われる日でした。私が住んでいる3、4,5階は、午後1時から、4時までの間に行われるとのことでした。仕方が無いので、今日は、我が家で昼食を食べ、「長い別れ」という映画を見ながら、検査員が来るのを待ちました。検査員は、2時少し前に来ました。検査時間は、僅か10分程度でした。この為に、自宅待機をしなければなりません。次男と一緒に暮らしていますが、次男の仕事は夜で、昼間の多くは寝ています。矢張り、私が対応しなければならないでしょう。
 映画「長い別れ」は、認知症にかかった父を持つ家族の物語でした。認知症の人は、一気に症状が悪化して死ぬことは少なく、少しずつ悪化しながら、長い時間かかって死に至るそうです。その間、家族と認知症患者との生活も、当然長くなるわけで、家族は、自分の生活を守ることも難しくなります。そして、長い長い介護の日々が続くわけです。そんな訳で、認知症患者との生活を「長い別れ」と言うそうです。辛い映画でした。
私も、既に後期高齢者になり、「長い別れ」をしないで済むようにするには、どうすれば良いのかを、色々考えていますが、良い結論が見つかりません。一旦認知症になると、自分で自分の命について考える事も出来なくなるようですから、全ては家族任せとなり、一番やっかいな病気です。トンころりと死ねる人は、幸せ者だと思います。私も、出来ればそうなりたいと願っています。
3時頃から、聖蹟桜が丘まで歩き、歩きたいという気分的欲求不満を解消しました。霧のような雨は、繰り返し降っていましたので、一部は傘をさしての散歩となりました。
夜は、今日から月曜日まで休みの次男と、摘まみを持ち寄って、楽しい晩酌になりました。明日は、朝早く(4時45分)から、大阪なおみの決勝戦を見たいので、いつもより早く寝ました。

〇09月13日(日)。

 朝5時過ぎに起きると、リビングが明るくテレビが付いていました。次男は既に起きていたのです。しかし、試合は、未だ始まって居ませんでしたが、私が椅子に座ると、私を待っていたかのように、直ぐに試合が始まりました。
 今日の全米オープンテニス女子決勝戦は、昨日も書きましたが、アザレンカと大阪なおみの試合です。第1セットは、なんとアザレンカが、6-1で勝ちました。その時点では、大阪なおみに勝利はあるのかと、非常に心配になりました。しかし、今年の大阪なおみは、一味違っていて、しっかり自分を立て直し、次の2セットを、6-3,6-3で勝ち、全米オープンを制覇しました。次男と一緒に素直に喜びました。本当に良かったと思います。どうか今後テニスを目指す若者の手本となるような選手になって欲しいです。余計なことですが、優勝賞金は、なんと300万米ドル(約3億1千万円)だそうです。私の生涯所得を遥かに超える額だと思います。税金は、どれくらい取られるのでしょうねー。
 寝不足ではありましたが、11時頃から散歩に出ました。今日は、中央線の東小金井駅の南口から、京王線の方向へ向けて歩くことにしました。初めて歩くコースです。
 東小金井駅の南口に出ると、南口商店会という看板が目に入りましたので、その商店街を、真っ直ぐ南へ歩きました。暫く歩くと「農工大通り」にぶつかりました。農工大の方角は、右か左か分りませんでしたので、取り敢えず右へ曲がりました。すると、農工大では無く、かなり大きな栗山公園がありました。昼食には丁度良い場所だったので、子供の遊ぶ姿を見ながら、昼食にしました。
 昼食後、農工大へ行こうと思って、森の見える方に歩いたのですが、どうも方向が違っていたようです。森のように見えたのは、団地内の公園の木でした。暫く歩いていたら、踏切がありました。どんな電車が走るのか待っていたら、西武是政線の電車でした。漸く位置関係がはっきりしました。是政線の線路沿いを南に歩くと、武蔵野公園と野川公園の境に出る筈です。なんと15分もしない内に想像した場所に着きました。多磨霊園もチューバスの多磨町バス停も直ぐ近くです。
 そんな訳で、結構歩きましたので、今日は土井の公園にも寄らず、帰りは、チューバスで府中駅に出て、魚の浜喜屋で、夜の摘まみを買い、更に府中駅からも、チューバスで我が家に戻りました。
 日曜日の夜は、NHKを見ることにしていますので、次男と一緒に、6時から11時まで、NHKのテレビを見ながら、楽しく酒を飲みました。

「我が国の 乙女が競う 優勝戦 乙女が優勝 全米テニス」
「知らぬ町 知らぬ人達 眺めつつ 昼餉を喰らう 栗山公園」

〇09月14日(月)。

 今朝も、5時頃に起きました。全米オープンテニスの男子決勝戦を見るためです。次男は、未だ寝ているようです。昨晩、「男子の試合は長いから」と言っていましたので、7時頃には起きてくるでしょう。
 男子の決勝戦は、ティーム対ズベレフでした。私は、全く知らない選手でした。2人とも、四大大会で一度も優勝した経験が無い選手でした。最初の2セットをズベレフが取り、次男が起きてこないうちに、勝負が決まるのではないかと思って、第3セットを見ていると、次男が起きて来ました。次男の応援のせいか、その後の3セットをティームが取り、奇跡的な逆転優勝となりました。ティームは、試合中に足が痙攣し、まともに動けなかったのに、最後まで頑張り抜きました。希に見る好試合だったと言う評価もあるでしょうが、決勝戦にふさわしくないレベルの低い試合だったとの評価もあるでしょう。私は、後者の方の評価で、特にズベレフの勝利に対する気持の弱さを感じました。結局、四時間半以上掛かりました。
 今日も、寝不足でしたが、暫く振りに小金井公園を歩きました。我が家を11時過ぎに出て、国立経由で武蔵小金井に行き、武蔵小金井からバスで、小金井公園西口に、12時半くらいに着きました。昼食の時間になっていたので、西口を入った所の桜の園で昼食にしました。桜の園は、桜では無く黄花秋桜の花で埋まっていました。
食後、黄花秋桜の中へ入ると、女郎蜘蛛が、私の肩の辺りを這っていました。知らないうちに、蜘蛛の網を壊してしまったようです。取り敢えず軽く謝って、蜘蛛を黄花秋桜に戻しました。黄花秋桜の奥に、キツネノマゴ(狐の孫)の群落がありました。これ程の狐の孫の花畑を見たのは初めてでした。また、8月の猛暑を乗り越えて、沢山の梅雨草が花を咲かせていました。桜の園の横の宿根草広場で、最近よく見かける、花の名前を思い出しました。ハナトラノオ(花虎の尾)でした。さて、何時まで憶えていられるでしょうか。その後、たてもの園前広場、梅林、いこいの広場、こどもの広場、つつじ山広場、ゆりの木広場、ユーカリ広場、多目的運動広場を廻り、西口に戻り、バスで武蔵小金井に戻りました。今日は、広い小金井公園をほぼ1周し、足が痙攣しそうでした。
国立のノノアと言う駅から続く商店街で、また、今夜の摘まみを買い、我が家に4時近くに戻りました。
夜は、今日、自民党の選挙で決まった、菅自民党新総裁のニュースで持ち切りでした。予想された通り、大差での勝利でした。自民党は、波風が立たず良かったのでしょうが、私は、阿部総理の人間性も、政治姿勢も、これまでやって来た政治も嫌いですので、阿部政権を継承するという菅氏の政治には、何も期待していません。
 今夜は次男と、日本の今後の政治や、国際社会との関係などを話ながらの酒となりました。

「病葉を 落とし始めた 桜木と 秋桜見つつ 昼餉を喰らう」
「老木の 桜の園に 秋の色 苔生す幹と 黄花秋桜」
「猛暑日の 暑さと乾き 乗り越えて ススキの季節に 梅雨草の花」
「真夏日の 未だ終らぬ 長月に ミンミン蝉の 鳴き声を聞く」
「桜園 狐の孫の 咲き乱れ 前途洋々 狐の社会」
「夏の日に 庭を賑わす 君の名を 思い出したよ 花虎の尾さん」

〇09月15日(火)。

 昨日と一昨日、連日5時頃に起きたので、今日も5時頃に起きて仕舞いました。テニスの試合は、昨日で終ってしまい、やることが無いので、四谷橋まで、朝の散歩をしてきました。朝の空気は、肌に心地よく、秋は、確実に近づいているようでした。
 寝不足でしたが、今日も、青梅へ行き、青梅駅近くを歩いて来ました。何故こんなに、執念のように歩きに出かけるかというと、前にも書きましたが、一番の理由は、外気に触れながら昼食を食べたいからです。1度、家で昼食を食べようとしたら、その時点で吐き気を覚えました。毎日、似たような昼食ですから、やむを得ないと思いました。食事が思うように出来ないと、自分の寝たきり老人の姿が、頭に浮かんで仕舞います。そこで、外の空気に触れながら昼食を食べて見たら、とても美味しく感じられましたし、幾分食べる量も増えました。そんな訳で、新型コロナや熱中症警報の中で、真昼に散歩をするようにしました。お陰で、体調も良くなりましたし、思いで巡りや新しい体験も楽しめるようになりました。
 青梅駅から、少しだけ奥多摩の方へ歩き、多摩川の方へ降りると、多摩川の流れと、高い崖の上に立派なホテルが見えました。1度来たことがあり、ここは、「かんぽの宿」なのです。多摩川は、大きな岩盤のため、この地点でUの字に曲がっています。このUの字の中は、釜ヶ淵公園になっていて、幾つかの公共施設があります。今日の昼食は、Uの字の下の部分の河原で食べました。目の前の崖は、昨年の台風で、一部崩れていました。
 食後、河原で石探しをし、釜ヶ淵公園の森を登って、「かんぽの宿」に行き、お土産品店で、梟の人形を3羽買いました。その後、旧宮崎家、青梅市郷土博物館を見学しました。なんと、郷土博物館では、以前も有ったかどうかは忘れましたが、多摩川の石と、多摩川で見つかった化石も展示されていました。そして、お寺では無いのに、武州青梅勝沼城の朱印が置いてありましたので、貰ってきました。その後、跡鮎美橋(あゆみばし)を渡って、青梅駅に戻りました。途中、鮎美橋で、私と前後しながら、同じ所を廻った、老婆とその娘と思われる2人連れが、話しかけてきました。私も意識していたのですが、2人も意識していたようです。「カメラがご趣味なんですねー。良い写真撮れましたか、色んな所に行かれたのでしょうねー」等と聞いてきました。私は、「カメラは、趣味ではありますが、芸術的な写真を撮ろうとしているのではなく、思い出の為であったり、行った場所の名前を忘れた時の予防のために撮っています。それくらい、色んな所に行っています」と応えて別れました。
 家に戻ったのは、4時半頃になってしまいました。夜、テレビのニュースは、菅内閣の閣僚人事や自民党人事の話で持ち切りでした。明後日には発表されるのに、皆で憶測して、どんな意味があるのですかね-。田崎さんみたいな政治評論家が、知ったか振りして評論しても、事実は明後日には、分るのです。マスコミには、憶測では無く、事実を報じてくれれば良いと思っているのですが、みんなクイズみたいなことが好きなんでしょうねー。憶測ばかり言って、お金を儲けている人も多いのでしょうねー。

「雲多き 夜明けの空の 切れ間から 地上に注ぐ 光りのシャワー」
「清流の 流れの音を 聞きながら 昼餉を喰らう 釜の淵公園」
「表面に 長き生い立ち 刻まれし 石等が並ぶ 多摩河原かな」
「行く場所は 我と同じの 母娘かな 前になったり 後になったり」
 

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2020年9月11日 (金)

2020年09月06日

2020年09月06日

〇09月06日(日)。

 台風10号の影響なのでしょうか、黒い雲の多い朝でした。8時頃には、雨が降ってきました。その雨は、9時頃には止みましたが、空模様からは、何時雨になってもおかしくないと思えました。そんな訳で、午前中は、日記をブログに掲載した後、次男の解説付で、テニスの全米オープンの仕合を見ました。次男は、高校・大学とテニスをやり、テニスの選手には、今でも、とても詳しいのです。テニスの仕合を見ながら、昼食も我が家で食べました。矢張り、外で食べる方が美味しいです。
 雨は降りそうなのですが、何時になるか分らないので、午後1時頃から、傘を持って散歩に出かけました。外へ出てみると、我が家のベランダから見える、南西の空は、黒い雲なのに、反対側の空には青空があり、雲も白い入道雲でした。何事も全体を見なければいけないと思いました。
 遠出をするつもりは、全く無かったので、四谷橋を渡って、聖蹟桜が丘まで歩きました。昨晩、私がびしょ濡れになった激烈な雨は、夜通し降ったらしく、多摩川の水が増水し、濁流となって勢い良く流れていました。今年の春から夏にかけて、河原に進出した草達の一部は、また濁流に呑まれてしまいました。このような状態になると、鷺や川鵜などの川鳥の多くは、餌取りが出来る近隣の、田圃や小川に移動しますが、少数の鳥達は、多摩川に残って「やっぱり、だめなのかなー」と、途方に暮れた様子で岸辺に立っていました。
 我が家の前で合流する浅川も、濁流となっていました。浅川にこのような激流が何度も流れると、メタセコイアの化石が、全部流れてしまうのではないかと、心配事が1つ増えました。
地球環境の変化もあり、これから、このような事は、引き続き起きるのだろうと思います。現在も、台風9号、10号が、連続して沖縄から九州を襲っています。日本は、台風の他にも、洪水、土砂崩れ、火山の噴火、地震、津波等、自然災害が非常に多い国ですから、災害に強い国作りをして欲しいと思います。
 四谷橋を渡った多摩川の右岸の土手に、韮の花畑がありました。花の少ない時期ですから、蝶を始めとして、多くの虫達が韮の花に群れていました。虫達にとっては、生きるために必死の行為なのでしょうが、私にとっては、虫達の楽しいお祭りのように見え、何枚も写真を撮りました。
 聖蹟桜が丘では、最近完成した「あいおい生保」の高層ビルの周辺を、散歩の距離を増やすために歩きました。周辺は、未だ整備中でしたが、新たな公園が1つ、多摩川縁に出来ていました。桜の木が沢山植えられていましたので、将来、聖蹟桜が丘の、桜の名所の1つになれば良いと思いました。
 京王デパートの食品売り場で、酒の肴になりそうな、蒲鉾などを買って、3時過ぎには、我が家に戻りました。一休みして、夜は、野球を見ながら、次男と一緒に、楽しい晩酌となりました。

「川岸で 濁流見つめる 青鷺の 嘆きの声が 我に届けり」
「夏去らぬ 河原に韮の 花畑 蝶等が群れて お伽の世界」

〇09月07日(月)。

 朝から、正面の七生丘陵が見えなくなるような、強烈な雨が断続的に降っていました。台風の真下にいるような激しい雨でした。
 テレ朝のニュースを見ていると、台風10号の影響で、九州地方は、大規模な停電が起きているようでした。番組のコメンテーターが、「現在のように、大規模な発電所で作った電気を、各世帯に電線を通じて配電するような電気の使用方法では無く、各家庭で電気を発電すると共に、充電も同時に行い、電気を自給出来るようにするべきだ」と言っていました。
この意見には、大賛成です。各家庭の発電は、今後の技術的進歩もあるでしょうが、現在の所は、太陽光発電が一番良いように思います。ただ、庭や畑や森を潰して発電機を設置するのではなく、ビルや各家庭の屋根や壁を全部、発電能力の高い、かつ、現在のビルや一軒家に使われているタイルや瓦に勝る、景観を壊さない発電素子にすべきだと思います。そのような発電素子を作るのは、日本の得意とする所では無いでしょうか。将来は、もっと発電能力を上げることが出来ると思いますが、現在では、発電能力が低いことと、曇りの日も多いため、蓄電器も各家庭に設置すべきだと思います。こうすることによって、電柱や電線の9割は廃止出来、大型の停電も無くなります。何れ、大型発電も、再生可能エネルギーで出来るようになれば、地球温暖化も防げるし、放射能被害の恐怖も無くなるでしょう。しかし、この計画を進展させるためには、現在の電力会社の抵抗と、雇用人口の減少等、経済面をどの様な形で、発展させていくか、良く配慮された政策と、政策を実現する熱意と、国民の理解が必要です。ドイツは、既に20年後(年数は正確では無い)には、再生可能エネルギーによる発電に切り替えると、国民に宣言しているそうです。日本も、世界に後れを取らないようにして欲しいと思います。
朝の一仕事が終わって、テレビを見ていたら、次男が起きて来て、昨日と同じように、次男と「大阪なおみ」のテニスを見ました。大阪なおみは、黒人差別に抗議するために、警察の犠牲になった黒人の名前入のマスクを付けていました。以前より、大人びた感じになり、テニスも安定して力を発揮し、ベスト8に進みました。
テニスの後、家で食事を済ませ、雨を覚悟で、午後1時半頃、散歩に出ました。近くの農地を辿り歩き、NECの工場、市川緑道、御狩場道を歩いて、分倍河原駅まで歩きました。帰りは、チューバスにしました。
今夜は、私はワイン系の摘まみにしたのですが、次男が刺身を買ってきてくれて、豪華な摘まみとなりました。娯楽番組を見ながらの、気楽で楽しい晩酌になりました。

〇09月08日(火)。

 今朝は、台風一過の青空となりました。ところが、富士の方にだけ雲が湧き、富士の姿を見る事は出来ませんでした。
 彼岸は、もう少し後ですが、今日は、あきる野市にある弟と甥っ子の墓に行って来ました。春秋の彼岸の頃には、墓掃除をしに行くことにしています。これは、世の中の風習に従ったのではなく、私自身のセンチメンタリズムです。結婚してからの弟は、私を一番頼りにしてくれましたからねー。子供達を連れて、何度も我が家に遊びに来てくれました。
 墓は、相当草が生い茂っていると思っていましたが、今生えたばかりのような草が、十数本生えているだけでしたし、墓石も綺麗でした。恐らく誰かが掃除に来てくれたのだろうと思います。今日の墓掃除は、15分程度で終りました。墓の階段に座り、白雲を眺め、ツクツク法師の鳴き声を聞きながら、昼食にしました。
 昼食後は、大悲願寺を通って、武蔵五日市駅に出ました。大悲願寺の境内を埋める白萩の花が咲き始めていましたが、駅前の百日紅並木の花は、未だ勢いがありました。五日市線の線路沿いには、菊芋、玉簾、韮、ママコノシリヌグイ(継子の尻拭い)などの花が咲いて居ました。玉簾は春の花だと思っていたのですがねー。武蔵五日市駅からは、拝島、立川、国立経由で我が家にに戻りました。4時を過ぎていました。
 夕方、富士山が雲を被って、お椀のようになっていました。その富士山を日没前の夕日が照らし、全山雪山に変わりました。やがて日が沈み、富士はお椀型のまま、灰色から黒く変わっていきました。ある瞬間、お椀型の富士の頂上が、丸く膨らみ乳房型に変わりました。何と言うことでしょうか、男心を狂わせる、こんなに妖艶な富士を初めて見ました。


「弟の 墓に腰掛け 昼餉喰う 俺にもくれと 弟蝉かな」
「真夏日よ 早く終れと 大合唱 あきるの墓地の ツクツク法師」
「玉簾 残暑の季節に 花開く 春咲く花と 思っておりしが」
「毬栗の ぽっくり育った 木に下に 栗の実待てるや 韮の花達」
「あきる野市 継子の多き 土地なるや 至る所に 継子の尻拭い」
「キンコンと 列車の通る 知らせあり シャキッと列なす 菊芋の花」
「西方に 乳房観音 横たわり 乳房は空に 富士は何処に」

〇09月09日(水)。

 今朝も夏空で、霞んでいましたが、富士も見えました。天気予報に拠れば、真夏日の暑さになるとのことでした。こんな9月の暑さを、これまで、経験していないような気がします。
 今日は、朝からテニスの全米オープンの「大阪なおみ」の仕合を見ました。実力差がはっきりしていて、問題なく大阪なおみが勝ち、準決勝に駒を進めました。無観客では無く、大勢の観客に見せてやりたかったと思いました。しかし、観客がいれば、人種差別的なヤジが飛んだりして、平常心で試合が出来なかったかも知れませんが、現在の大阪なおみには、そのような事態を乗り越える力が、付いたと思います。
 大阪なおみの仕合を見た後、唐木田へ行きました。つい最近も行ったばかりですが、唐木田から、よこやまの道と反対側へ行ってみたくなったのです。
 11時過ぎに家を出て、一時間後に唐木田に着きました。散歩の場合は、予備調査をするのが嫌いですから、自分の勘に頼って、森の側の住宅地の中を歩いていると、名前が分らない小さな公園に出ました。立派なベンチがあったので、ここで昼食にしました。
 昼食後、公園の後ろの森に入ってみると、道があったので、その道を歩くことにしました。暫く歩くと、看板が出て来て、この道は、「からきだの道」だそうです。右側には、ずっとコンクリートの塀がありますので、恐らくゴルフ場の外側に作られた道だと思います。桜の林があり、春は花見が出来る、「お花見広場」があったり、小高い所は、「砦山」と言い、「昔、小山田城主の側室が住んでいた所と言われ、唐木田の隠し砦と呼ばれていました」と看板に書いてありました。また、私が歩いて居る所は、尾根の道と呼ばれ、「旧富士塚に近く、唐木田の町並みや、丹沢山系を望む、非常に景色の良い所です。現在、富士塚は、府中カントリーの中にあります」と次の看板に書いてありました。コンクリートの塀は、府中カントリーだったのですね。私も2回プレーをしたことがあり、何となく土地勘が出て来ました。1時間近く歩くと、「からきだの道」は終り、街中に入りました。どうやら娘が住んでいる、八王子の南大沢の近くまで来たようです。
 その後、別所公園で大岳山を遠望し、九兵衛坂公園で新しい住宅地を見て、京王堀之内駅へ出て、4時過ぎに我が家に戻りました。京王堀之内駅は、初めてでしたが、この辺りの特徴でもある、歴史を感じない、お伽の国のようでした。
 夜は、バラエティー番組を見る気がしなかったので、深作欣二監督の映画「軍旗はためく下に」を見ました。上官を殺害したことで、名誉の戦死では無く、処刑された兵士の妻が、夫が何故、どの様に処刑されたかを、戦後、生きて帰還した兵士に聞く映画でした。戦争の理不尽さ、残酷さが良く分る、とても良く出来た映画でした。良く出来た作品であるが故に、非常に辛い映画でもありました。太平洋戦争に関する映画は、本当に酷い話ばかりです。今日は、1人で辛い酒になりました。

「木漏れ日に 銀に輝く 蜘蛛の網 獲物かからず 痩せた家主よ」
「森の蜘蛛 子供四匹 子育て中 獲物来い来い この網かかれ」
「暑き秋 お花見広場に 花は無く 秋冬とばし 早く春来い」
「その昔 森と畑の 唐木田に 背丈の高い 集合住宅」
「駅前に 団地へ登る お伽橋 昔は森の 京王堀之内」

〇09月10日(木)。

 今朝も、青い富士が見えました。富士は、毎日、散歩くらいしかやることの無い老人を、励ましてくれます。
 昨日歩いた「からきだの道」は、実は半分だったことを知りました。そんな訳で、今日は、「からきだの道」の残りの半分を歩くことにしました。
 11時過ぎに家を出て、何時ものように、四谷橋北のバス停でバスを待つのですが、待ち時間が少しあったので、バス停で体操をしました。一通り体操をして、一休みしていたら、横でバスを待っていた婆さんが、「腰がしゃんとしていますね。やっぱり体操するのが委員でしょうねー。私も家では体操をしているのですが、曲がった腰は伸ばせません。貴方が羨ましい」と話かけてきました。「いやー、私も少しでも気を抜くと、直ぐ腰が曲がるんですよ。物忘れは激しくなるし、歳は取りたくないですね」というと「私の方が、貴方より年上ですよ、子供や他の人に迷惑を掛けず、元気に生きて、ころっと死にたいですね」と言うので、「全く同感です」等と話している内にバスが来ました。
 唐木田には、12時過ぎに着きました。昨日、弁当を食べた小さな公園(榎戸公園だと分りました)が、駅から一番近い「からきだの道」への入口でした。昨日はここから左の方へ歩いたので、今日は右の方へ歩きました。「おしゃもじの森」「かぶと虫の森」「展望台」と、昨日に較べると、アップダウンの激しい道で、少々疲れました。歩いているのは、後にも先にも誰もいなくて、私だけでした。展望台からは、多摩センターが一望出来るはずでしたが、目の前の木の葉が邪魔をして、チラチラッとビルが見えるだけでした。冬、葉が無い時は、立派な展望台になるのかも知れません。そんな所で弁当を食べることになりました。弁当を食べているベンチの前に、金蠅が5匹集まっていました。難だろうと思って良く見ると、ミミズの死骸がありました。
 昼食の後、更に「寺ノ入の湧水」「見晴らし広場」「いりぐち広場」を経て、一般道へ出ました。見晴らしの広場からは、多摩センターが一望出来ました。
 一般道へ出ると、ここを歩いた時のことを思い出しました。何年振りでしょうか、乞田川の源流探しをした時に歩いたのです。左に折れて、暫く歩くと中沢池公園に出ますが、その中沢池が、乞田川の源流なのです。中沢池から流れる水は、途中暗渠となり、乞田川の源流地点に出るのです。今日もその源流地点を見て来ました。そして、中沢池の直ぐ上が、府中カントリークラブのクラブハウスになっています。府中カントリークラブでは、2度プレーをしたことがあります。府中市でも無い所にあるゴルフクラブが、何故、府中カントリークラブというのか、今でも正確なことが分っていません。でも、クラブハウスは、とても懐かしかったです。
 初めての「からきだの道」と懐かしい中沢池公園の周辺を歩き、多摩センターへ出て、バスで四谷橋の近くの一之宮まで戻り、4時半頃に我が家に戻りました。思いがけず、楽しく懐かしい散歩となりました。
 夜のニュースで、野党の立憲民主党と民主党の合流が決まり、新しい等の名前は立憲民主党となり、党首は枝野氏になったそうです。1度民主党として政権を取った時の反省は、充分しているそうですが、今度こそ何時でも、政権交代が可能となるような、口先だけでは無く、組織としても立派に機能するようにしてほしいと思います。

「上り下り 激しく続く 尾根の道 歩く人無き からきだの道」
「森の陰 薔薇と見紛う 白き花 花片広げる 茸なりけり」
「困ったね 網にかかった 桜葉に 思案投げ首 爺さん蜘蛛かな」
「昼餉喰う 我が目の前に 金蝿の 集まる姿 食欲無くす」
「懐かしき 昔歩いた 乞田川 全て人工 コンクリート川」
 

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2020年9月 6日 (日)

2020年09月01日

2020年09月01日

〇09月01日(火)。

 重たく黒い雲が空を覆い、今にも雨が降り出しそうな朝でした。所が気温は、ぐっと下がり、秋を思わせる涼しさでした。月の変わりと気温の変わり方が、絶妙に暦の変わりと一致すると、何者かの意図があるのではないかと、妙な勘ぐりをしてしまいます。
 今日は、妻と夕食を一緒にすることになっていましたので、散歩にも行かず、午後3時過ぎには、家を出て神楽坂に向かいました。昼食は、珍しく次男と一緒に食べました。
 今日の夕食には、以前中南米で一緒に仕事をしたことのある人の奥さん(A子さん)が、日本に来ていたので、一緒に食事をする事にしました。妻が、出来るだけ日本らしい料理を食べさせたいと言うので、毘沙門天の前の鳥茶屋にしました。新型コロナの影響で、客はまばらでした。
 A子さんが、現在いる所は、非常に寒い所で、ほぼ半年は冬で、太陽も出ず、気温も零下20度以上になり、外に出ることは出来ず、ずっと家に籠もっている状態なのだそうです。旦那は、職場に行けますが、A子さんは、それも無く、偶に奥さん同士が集まるのだそうですが、人間関係がしっくり行かず、それもまた、精神的に参っているようでした。食事は、5時過ぎから、8時近く迄掛かりました。
食後は、コーヒーが飲めるバーに行き、また、色々と難しい話を聞きました。私が、何か出来ると良いのですが、力不足で、何もしてやることが出来ません。口先だけの励ましに終ってしまいました。でも、少しは気を取り直してくれたようなので、一緒に食事をした甲斐がありました。
9時に、妻とA子さんと分れ、家路につき、10時過ぎに、聖蹟桜が丘に着きました。30分後に最終のバスがあったのですが、涼しいし雨も降っていなかったので、歩いて我が家に戻りました。10時半には、我が家に戻り、ニュースを少しだけ見ました。
今日決まることになっていた、阿部総理の後任の総理の選出方法は、両議員総会で決定されることに決まったようです。従って、両院の自民党議員395人と地域の自民党代表141名の選挙になるそうです。そして、現時点では、立候補を宣言していない、菅官房長官への各派閥の支持が、過半数を大きく上回っているそうです。この根回しをしたのは、矢張り、二階氏だそうです。今後の日本が、とても心配です。国民が関与すること無く、暗闇の中で政治が行われれば、何時か国民は、見捨てられるか、力のある者の僕になるしかないでしょう。

〇09月02日(水)。

今朝も、雨が降りそうな空でしたので、洗濯を諦めていたら、午前11時頃になると、青空が見えて、日差しも出て来ました。洗濯物は、かなり溜まっていたので、急いで洗濯をし、干し終えてから散歩に出ました。丁度、12時頃でした。
今日は、武蔵小金井を歩きました。武蔵小金井駅は、多摩川の崖線の上にありますが、崖上と崖下の間の崖そのものに、多くの緑が残っているのです。先ず、国分寺へ向けて歩くと、瑞蓮院という小さな寺がありましたので、参拝しました。昨年までならば、御朱印をお願いしたのですが、新型コロナ以降は、御朱印集めを止めています。
瑞蓮院の直ぐ先に、滄浪泉園(そうろうせんえん)があります。この公園は「実業家で衆議院議員も務めた波多野承五郎は、国分寺崖線の上にあるこの一帯に、1914年に別荘を構え、敷地面積3.3haほどの庭園を営んだ[2]。1919年には、犬養毅がここを訪れ、「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という意味を込めて「滄浪泉園」と命名した。後には犬養の直筆を写した、石の門標が設けられた」そうです。その後、持ち主が数人変わり、宅地化の計画があった時、小金井市民の要望により、現在の形で保存されたものです。小さいながら、崖下の湧水の池があり、鬱蒼とした森になっています。今日は、50円の入場料を払って、この公園で昼食にしました。
昼食後、崖下の道を通って、梶四郎邸、幡随院等を外から見て(入れないので)、武蔵小金井の駅へ戻りました。「幡随院(ばんずいいん)は、東京都小金井市にある浄土宗系の単立寺院。山号は神田山。寺号は新知恩寺。本尊は阿弥陀如来」だそうで、侠客の元祖とも言われる幡随院長兵衛とは、関係が無いようです。
電車で、国立に戻った時、凄まじい雨になりました。バス停まで行くのが大変なほどの雨でした。所が、雨は10分少々で止み、時間通りバスに乗って、我が家に戻りました。我が家の方は、雨は降らなかったようです。
夜のニュースで、菅官房長官が、自民党の総裁選に出馬するとのことでした。阿部総理がやって来た政治を踏襲するようです。当選は、既に決まっているようですから、気楽な総裁選でしょう。全てが、二階氏の根回しだとも言っていました。ただ、総裁選の後の人事で、官房長官などの主要な役職を、二階派の議員が独占するのではないかと、菅総理支持に回った派閥から、不満の声が出ているそうです。派閥議員の投票を束縛しないで、谷垣派のように、自由投票にしたら、面白いと思うのですがねー。
また、加山雄三が、水を誤嚥した後、小脳出血を起し、一月ほど入院するとのニュースもありました。怪我はしても、病気になるような人とは思えない、強靭な身体を持った人だと思っていたので、驚きました。誰しも歳には勝てないようですねー。
今夜は、満月だと思って、何度も空を見ましたが、残念ながら、月は見えませんでした。

「街中の 明治の頃の 庭園の 歴史噛み締め 昼餉を喰らう」

〇09月03日(木)。

 今朝、カーテンを引くと、ベランダが水浸しになっていました。余程激しい雨が降ったのでしょう。2,3日、植木に水を遣る必要は無さそうです。
 今日は、5月に心臓の手術をしてから初めての、経過診察の日でした。散歩もしないで、2時頃に家を出て、2時40分頃に、総合医療センターに着きました。先生の経過の関する所見は、3時20分に予定されていましたので、先に心電図を取って、待っていました。
 少し遅れて、3時半に診察室に呼ばれました。いきなり、先生から心電図の結果を渡され「不整脈はありませんし、経過は良好ですね、普段の生活はどうですか」と言われましたので、「良く歩いていますし、心臓に異常を感じることもありません」と答えました。経過観察は、これで終了しました。あとは、12月に予定されている、24時間心電図の話を聞きました。その時の、経過が良ければ、薬も止め、無罪放免だそうです。待っている時間は長かったのに、ものの10分足らずで終りました。
 4時頃、処方箋の薬を薬局で貰って、全てが終了しました。今日は、殆ど歩いていませんので、国立まで歩き、国立からは何時ものバスで帰り、近くの西友で買い物をして我が家に着くと、6時近くになっていました。
 急いで、晩酌の準備をして、6時半頃からテレビを見ながら、晩酌にしました。総裁選に出馬する3人が決まったので、色んな番組で、総裁候補者へのインタビュウが行われていました。しかし、候補者の3人とも、私の意にそぐわない人達だったので、少し聞いただけで、チャンネルをドラマに切り替えてしまいました。ドラマも左程見たかったわけでは無く、30分ほどうたた寝をしてしまいました。歳を取ると、色んな事に興味が無くなります。私だけなのですかねー、気になります。
 寝る前に、窓の外を見ると、十六夜の月が煌々と輝いていました。今日、木星は、ずっと離れた所にあり、きちんと調べたわけではありませんが、月と木星の軌道が、あるタイミングで接近することはあっても、連動している事は無さそうです。それにしても、綺麗な月でした。

「心臓の 手術の経過が 良いことを 祝ってくれるや 十六夜の月」

〇09月04日(金)。

 昨晩の十六夜の月が、とても綺麗だったので、今日は、良い天気になるだろうと、予測はしていました。朝起きてカーテンを引くと、澄んだ青空に、青い富士山が、くっきりと見えました。予想以上に、素晴らしい朝となりました。
 朝早く、妻から電話がありました。総裁候補に関して、私の意見を聞きたいのと、それ以上に自分の意見を聞いて貰いたかったようです。新型コロナと猛暑による外出自粛を心懸け、家でテレビを良く見ているらしく、そして、その内容を良く憶えていて、私が何かを言える状況ではありませんでした。ただ、妻が何処から情報を仕入れるのか分りませんが、日本の政治家には、在日朝鮮人が多いと言って、2,3名名前を挙げました。後で、ネットで調べましたが、公開されている情報には、ある意味当然ですが、そのような情報はありませんでした。
 今日は、石神井公園に行って来ました。毎年、渡り鳥の季節には、一度は行くことにしているのですが、今年は行ってなく、夏の石神井公園も見てみたくなったのです。
 11時10分に我が家を出て、バスで国立へ出て、電車で荻窪、荻窪からまたバスで、結局、石神井公園に着いたのは、午後1時を過ぎていました。バス停に近い、石神井池の池の端のベンチで、池の浮かぶ白雲と、青空の中の白雲を見比べながら昼食にしました。
 食後、三宝寺池を一廻りしましたが、冬には沢山いるゴイサギ、オナガガモ、マガモ、ハシビロガモ、キンクロハジロ、バンと言った渡り鳥の姿が見えず、カルガモだけが、気儘に泳いでいました。三宝寺池も街中の池ですが、池の周りの木々が、町の景色を遮断し、深い森の中にいるようでした。その森の上に真っ白に輝く雲が、魂を揺さぶるほど美しく思えました。夏には夏の良さがあるようです。暦ではもう秋ですがねー。
 石神井池、三宝寺池を一廻りして、元来た道を反対に辿って、我が家に着いた時は、4時過ぎでした。夜は、野球の巨人―阪神戦を見ながら、晩酌をしました。
食後、我が家で作った梅酒を試してみましたが、漸く飲めるようになっていました。この梅酒は、私が散歩中に、原峰公園で拾って来た落ち梅を、5年ほど焼酎に漬けたものです。しかし、何も足さず、ただ漬けたただけだったので、飲んでみたら、酸味が強過ぎて、とても飲めたものではありませんでした。仕方なく、沖縄の黒砂糖をかなりの量入れて、半年ほど寝かせて置いたものです。梅の酸味と、黒砂糖の甘さが、程良い加減となり、漸く美味しく飲めるようになりました。

「ゆらゆらと 池面に映る 白雲を 空と見比べ 昼餉を喰らう」
「濃い緑 町の景色を 遮断して 古き武蔵野 三宝寺池」

〇09月05日(土)。

 朝起きてカーテンを引くと、昨日と違って、霞の中に富士が薄らと見えました。良く良く見ると、富士の頂上から、細い雲が直立し、まるで富士山が、噴煙を上げているように見えました。
 今日は、新型コロナの影響で、延び延びになっていた、大学のOB会の全体会議の日でした。半年ぶりに、大学のある四谷に行きました。今でも、一堂に会して会議を開くことは出来ず、会議は、オンラインで行われました。全体会議で発言する、OB会長の他、OB会の一部の人間が、OB会クラブに集まりました。私も発言者の1人でした。今日の会議では、3年の任期を終えた現会長が退き、新会長が就任しました。私は、その新会長の選考に関与したのです。
 会議は、午後2時半から始まり、午後4時に終了しました。会議参加者は、167人だったそうです。会議そのものは、あたかも参加者が、目の前にいるような緊張感で、これまでの講堂で行われた会議と変わらない形で進行しました。今日のOB会クラブは、テレビ局のスタジオのようでした。
 会議終了後、今日集まったOB会のメンバー7人で、四谷新道通りの馴染みの酒場に、飲みに行きました。5人以上の飲み会は控えて欲しいとの、都の要請もあり、若干罪悪感がありましたが、本当に久しぶりに会ったこと、会長他2人の役員が、OB会の役職を退くことになったので、飲み会無しに、別れることは出来ませんでした。それでも、4時半から始まった飲み会が、まだ明るさの残る6時前には終了しました。誰も皆、新型コロナの恐怖は、身に浸みているようです。
 若干飲み足りなかったので、妻に電話した所、まだ、食事をしていないとのことだったので、何時もの中華料理屋で、一緒に食事をする事になりました。妻はモリモリ食べ、私はチョビチョビ飲んで、最近珍しい一風変わった1日を、楽しく締めくくることが出来ました。
 8時過ぎに妻と別れ、9時に聖蹟桜が丘に着きました。9時13分発のバスで、我が家に向かったのですが、我が家に近い四谷橋を渡る頃から、猛烈な雨となり、バスから降りて我が家に着くまでに、傘はさしても、ずぶ濡れになってしまいました。何と言う1日でしょうか、でも偶にはこんな日が無いと、人生面白くありませんね。

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2020年9月 1日 (火)

2020年08月26日

2020年08月26日

〇08月26日(水)。

 梅雨時は、毎日の雨に溜息をつき、8月に入ると毎日の暑さに溜息をついています。
 最近、種々失敗が多く、先日、あわや薬を誤嚥してしまう所でした。実は、不整脈の手術をしてから、変な話ですが、毎日2錠、血液をさらさらにする薬と、さらさらになり過ぎないようにする薬を、朝食後1回だけ飲んでいます。他の人はなんとも無いのでしょうが、私は、薬を飲む度に緊張します。最近は、口の中で、半分以上溶かして飲むようにして、少しは楽になりました。
 今日も、夏の良い天気でしたので、雲の写真を撮りに、新田川緑道から、下河原緑道、高安寺、大国魂神社と歩き、府中の町へ行ってきました。
 新田川緑道の分倍河原古戦場跡で、昼食にしました。分倍河原古戦場跡は、「武蔵府中郷土かるた」にも出てくる所で、鎌倉時代(1333年)、北条泰家匹いる幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢が合戦を行った場所だそうです。今は、隣に団地があります。
 食後、新田川緑道から、下河原緑道を経て、高安寺に入りました。古いお寺で、山門、とても立派です。この寺と白雲の写真を沢山撮りました。その後、旧甲州街道を通って大国魂神社に入りました。神社の欅並木と社、そして白雲との対比が、とても面白く感じられました。その後、府中の町でも写真を撮り、高尾山とは違って、人の営みと夏の空という感じの写真になりました。府中の町では、何の予定も無く、ネパールの梟の人形を売っている店で、梟を買って、チュウバスで我が家に戻りました。
 郵便箱の中に、市役所からの手紙が入っていました。開いてみると、マイナンバーカードが出来たので、取りに来て欲しいとの連絡でした。一月以上前に申請した物で、すっかり忘れて居ました。明日、もう一度府中の町へ行かなければならなくなりました。
 夕方、日が落ちて、夕闇が迫る頃、黒い富士が幽かに見えました。猛暑で、地平には雲が沸き立つ時期には、珍しいのではないかと思います。その上の方には、少しお腹が膨れた月が、澄み切った秋空のように輝いていました。今年は、秋の訪れが待ち遠しいです。
 
「関東の 雌雄を決めた 古戦場 石碑見ながら 昼餉を喰らう」
「歴史ある 武蔵国の 高安寺 山門の上 夏の白雲」
「歴史ある 大国魂神社 参道の 欅の向こうに 夏の白雲」 

〇08月27日(木)。
 
 今日は、何時何処で急な雨になるか分らないと、天気予報で言っていました。しかし、大きな雲が地平の方に沸き立っていますが、天空には青空が広がって、雨が降るような気はしませんでした。朝早く、その空の様子を、アパートの屋上から、写真を撮りました。変な事に、こり始めたものです。
 我が家を、11時に出て、マイナンバーカードを貰いに、チューバスで市役所に向かいました。市役所に着いたのは、12時近くで、綜合受付は、かなりの人で混雑していました。直ぐに、マイナンバーカードの受付に行くと、書類が一つ足りないと言われました。マイナンバーカードを申請する時に、送られていた書類も必要なのだそうです。「そんなもの、家に有るかどうかも分らない」と言うと、「では、紛失届を出して下さい」と言われましたので、直ぐに紛失届を出しました。それから、漸く受付が始まり、暗証番号を決めたりして、受付が完了しました。その後、カードが出来るまで、30分以上待たされました。待っている間に分ったのですが、綜合受付の所で待っている人の四分の一は、私と同じように、マイナンバーカードを受け取りに来た人達でした。老人が殆どでした。
 マイナンバーカードでキャッシュレス決済の手続きをし、実際に買い物をすると、政府が消費活性化のため付与してくれるマイナポイントが、上限5000ポイントまで付き、商品購入の際使用出来るそうです。その為に、老人が多いのかも知れません。しかし、私は、マイナンバーカードを使う気はありません。マイナンバーカードを持ち歩き使用すると、国家に私の行動の全てを監視される気がするからです。今現在はそうでなくとも、何時かはやり始めると思うからです。では、何故、マイナンバーカードを申請したかというと、外国旅行とか、国が関与出来る分野に、マイナンバーカードの提示を義務づけてくるのでは無いかと思ったからです。一種の保険の積もりです。
 午後1時過ぎに、漸くマイナンバーカードを貰い、人通りの多い大国魂神社の参道で昼食を食べ、聖蹟桜が丘に行きました。2,3日前、聖蹟で梟を買った時、近くで、木製の嵌め絵で、梟の絵があったのを思い出し、買おうかと思ったのです。所が、梟を売っていた店も、嵌め絵職人も皆無くなって、他の店や絵画展の場所になっていました。ここは、一時的に場所を貸し出す所だったようです。また、聖蹟では、梟を買うことが出来なくなりました。
 4時頃に家に帰って、一段落した後、ニュースを見ながら晩酌をしていると、テニスの「大阪なおみ」選手が、米国で起きた、警官が無抵抗の黒人を拳銃で撃つという、黒人への人種差別に抗議して、現在行われている大会の準決勝に出場しないと宣言しました。その時、彼女が述べた「私はスポーツ選手である前に、黒人女性です、私のこの行為が、人種差別に一石を投じることが出来れば嬉しい」と言う趣旨の言葉を述べたそうです。私は、彼女のことを、我が儘で、常識知らずで、直ぐにふて腐れる子供っぽい選手として、好きな選手ではなかったのですが、大いに見直しました。今後は、一所懸命応援しようと思います。
 人種差別が何故起きるか、様々意見があると思います。選民主義、宗教、権力者の横暴、等々です。日本においても、部落民に対する差別、朝鮮人に対する背別の歴史がありました。これは、権力者が、庶民に自分達の存在に反対意識を持たせないために、意図的に作り出したものかも知れません。
周りを気にする、恥の文化の日本では、差別に参加しないと自分が差別されると、差別は執拗で強いものでした。島崎藤村の「破壊」を読んだ時の事を思い出しました。私が、生まれ育った長崎や北九州では、部落民より、朝鮮人への差別が強く、日本の学校の高校生と、朝鮮人学校の高校生の間で、しょっちゅう喧嘩騒ぎがありました。日本でも、差別は普通のことだったのです。この差別意識は、姿をおおっぴらにはしませんが、未だに残っているようです。

〇08月28日(金)

 今日も、白雲が沸き立つ、夏の朝でした。東京も猛暑日になるかも知れないと言っていました。本当に、今年の夏の長い猛暑は、初めての経験だと思います。
 今日は、我が家の前の多摩川の土手を、立川根川公園まで歩きました。道脇に、干からびた花のようなものが見えました。良く良く見ると、「ツルボ」だろうと思いました。8月に入って、殆ど雨が降らないので、満足に花片を開くことが出来なかったようです。
 立川根川公園に入った所の、桜並木の下で昼食にしました。猛暑と雨不足のせいなのでしょうか、桜が病葉を落とし始めていました。染井吉野は、戦後植えられたようなので、私と同年代です。急に親しみが湧いて、桜と話しながらの昼食になりました。頭の上では、未だミンミン関が鳴いていました。私の目で、ミンミン蝉を見つけるのは難しいのですが、桜の葉が少なくなっていたので、今年初めて、ミンミン蝉を見ました。
 食後、根川公園を更に上流まで歩くと、大栗川で見た金色の鯉が、根川でも泳いでいました。コシアキ蜻蛉が飛んだり、妻黒豹紋蝶も飛んでおり、小魚も水面を跳ねるなど、作られた小さな川とは思えないほど、命の息吹を感じました。今日は、残念ながら翡翠が居ませんでした。この根川公園は、翡翠が良く来る所で、今日は重たいカメラを持ってきたのですがね-。
 立川根川公園までは、結構歩いたので、帰りは、多摩モノレールで高幡不動、京王線で聖蹟桜が丘、バスで我が家に戻りました。我が家に着いたのは、3時過ぎでした。
 今日は、午後5時から、阿部総理の記者会見が予定されており、辞意表明があるのでは無いかとの噂が、しきりに流れていました。5時から、予定通りに記者会見が行われ、憶測通りに辞意表明がなされました。持病である潰瘍性大腸炎が、悪化したのだそうです。阿部総理が、この持病で、首相を辞任するのは、これで2度目です。2度目は、日本で最長となる、首相の任務を勤め上げたばかりでした。この記録で満足し、首相を辞める決意をしたのかも知れません。その後、テレビは、どの局も、夜遅くまで、阿部総理の辞任のニュースばかりになりました。
 私は、個人的に阿部総理が嫌いですから、阿部総理が辞任することは、賛成です。阿部総理は、経済政策、働き方改革等々について、誰もが言えるような総論は言えても、良く検討された、具体論は、何も無かった人です。それでも阿部総理は、何かをやってる振りは上手で、皆からちやほやされることは、何より好きでした。そのお陰で、具体論を言える、専門家や官僚が力を発揮することが出来る場面が多くなりました。しかし、良い結果が出た場合は、阿部総理の手柄にしなければならず、悪い結果が出た時は、阿部総理が非難されないよう、専門家や官僚等が自分で責任を取る必要が出て来ました。その後、専門家も官僚も、適当に意見を述べるだけになり、政府全体が無責任になりました。新型コロナは、無能な総理が長期政権を続けた事への、天罰のような気がします。持病の悪化は、自分自身の無能に気がついた、阿部総理自身の精神状態がが引き起こしたものだと思います。病気というのは、身体が本来持っている免疫機能等が、適切に機能しない時に起こるものです。適切に機能しなくなるのは、外部からの圧力に、自分の精神が耐えられなくなった時に、身体に脳を中枢としたシステム破壊が起きるのだと思っています。

「この我と 同年代の 桜さん 戦後の日本 支えてきたね」
「肌は荒れ 身体の節々 折れ曲がり 君も老いたね 並木の桜」
「年老いた 我が身の上に 病葉の はらりはらりと 人生の秋」
「予期せざる 猛暑の夏も あと僅か 川面流れる 桜の病葉」
「この夏は 何時まで君の 声を聞く 桜の葉陰の ミンミン蝉かな」
「子作りは もう済んだかや トンボさん 激しき恋に 翅も傷むや」 

〇08月29日(土)。

昨夜は、月が綺麗な夜でした。その月に、大きな星が1つ、付いて回っているようでした。多分木星だと思うのですが、何故、一緒に動くのか、不思議でした。調べて見ようと思います。
昨晩、雲も無く月が良く見えたので、今朝は、殆ど雲が無い快晴の朝となりました。未だ猛暑が続くようです。
今日は、多摩動物園に行って来ました。何年振りでしょうか、孫達とチーターの赤ちゃんを見に行ったのが、最後だと思いますから、3年か4年振りだと思います。
12時半頃に動物園について、入口から入ったばかりのベンチで昼食にしました。休憩所の前なので、多くの人が食事をしていました。動物園なので、圧倒的に子供ずれが多く、老人は以前の私と同じように、孫達のお付き合いでした。何れにしても、老人の姿は少なかったです。そう言えば私も、千葉の柏から、一度だけ子供達を、多摩動物園に連れてきたことがありましたね-。今は、その子供の孫達と動物園に来るようになりました。時の経つのは早いものです。
食後、最初に昆虫館に行ったのですが、展示は中止されていました。その先のアフリカ園は、模様替えの工事中でしたので、アジア園で、ニホンザル、鹿などを見ました。何時もと違って、猿達は日陰に集まり、多くが腹を見せて横たわっていました。鹿も屋根の下に集まり、日向には1匹の鹿も居ませんでした。動物達にとっても、今年の猛暑は大変なようでした。その後、コアラ館に行き、動物園の一番上にいる「ワライカワセミ」を見て、順次坂を下り、オランウータン、鳥達を見て、今日の動物園見学は終りました。
2時過ぎには、動物園を出て、3時半過ぎには、我が家に戻りました。丁度、次男が出かける時でした。今日は、約束があるそうです。
夜は、一人の晩酌となりましたが、土曜日は、見たいテレビが少ないので、最初に、「空のレストラン」という映画を見て、久し振りに「土曜は寅さん」と言うことで、久し振りに寅さんシリーズ「男はつらいよ」を見ました。「空のレストラン」は、話が子供っぽく、私に取っては現実離れしていて、素直に映画の中に入っていけませんでした。「男はつらいよ」は、話がパターン化されていて、そのパターンがこの映画そのものなのだというこだわりに、流石に飽きてきました。主演の渥美清が過去の人になったことも、この映画を見ることを、辛い物にしています。
夜のニュースは、昨日辞意を表明した阿部総理の、後任に関心が移っていました。しかし、私が年を取ったせいでしょうか、後任と見做されている人全てに、何か物足りなさを感じます。今後の政治を受け持つわけですから、若者に彼等がどの様に映っているのか、知りたいものです。それにしても、気に入らないのは、裏社会で生きているような顔をしている見える二階氏が、後任決めの中心になっているように見えることです。党の幹事長ですから、党内調整をするのは仕方ないと思いますが、彼が出来るのは、自己中心的取引だけだと思います。二階氏こそ、早く政界そのものから、身を退いて欲しいと思います。あの顔付きは、意図的に悪いことを重ねていなければ、出来ないような顔付きになっているように、私には思えます。

「猛暑日に 動物園の 猿達も 日陰の中で 腹だし昼寝」
「池よりも シャワーの方が 冷たいな シャワーに満足 猛暑のサイさん」

〇08月30日(日)。

 昨日出かけた次男が、今朝になっても帰ってきません。日曜日も約束があると言っていましたから、家に帰らずに、約束の梯子をしたのでしょう。
 歩くことの他に、何にもすることが無いので、何処を歩くか決めるのに、色々考えるようになりました。老いの身になって、こんな試練を受けるとは思いませんでした。今年の2月以来、一番楽しみだった、友人との飲み会が、0になってしまいました。阿部総理の後の総理に頼みたいことは、早く、新型コロナを、人間の手で、制御可能にして欲しい、その一点です。
 今日は、多摩センターから唐木田まで歩いて来ました。この前多摩センターを歩いた時、多摩センターの周辺には、結構緑が残されていると感じましたので、歩いて見ようと思ったのです。
 バスと電車を使って、多摩センター駅に12時頃に着きました。駅の正面のパルテノンの丘へ登り、丘の上の公園から、桜美林大学の前を通り、15階建てくらいの高層アパートが建ち並ぶ、団地内の道を歩きました。昔の同じ形をしたアパートが建ち並ぶ団地とは事なり、アパートにもそれぞれ個性があり、敷地内も良く整備されていました。暫く歩くと、丸い丘のある公園が見えてきました。鶴牧東公園でした。丘に登って見ると、多摩一帯が一望出来ました。我が家の方角には、見慣れた建物が幾つも見えました。
 鶴牧東公園から、隣の鶴牧西公園に移って、昼食にしました。周りのアパートとその上の白雲を見ながら、美味しく弁当を食べました。食後、公園の横の鬱蒼とした森を歩き、丘を降りると新興住宅地になり、電車が走るのが見えました。電車道の側をほんの少し歩いたら、小田急線の唐木田駅に着いてしまいました。何だか、拍子抜けするくらい近かったです。まー、隣り駅ですからね-。
 唐木田以降のことは考えていなかったので、電車とバスに乗って、我が家に戻りました。3時頃でしたが、次男は未だ帰っていませんでした。シャワーを浴びたり、洗濯物を片付けたりして、一段落した5時近くに次男が帰ってきました。それ程心配はしていなかったのですが、取り敢えず安心しました。その後、次男は、自室で昨夜の睡眠不足を解消するため、寝てしまったので、今夜も一人の晩酌になりました。
 テレビでは、あちこちで阿部総理辞任とその後について、あれやこれやと大騒ぎしています。阿波総理は、辞任に当たって、自分が総理の時に実現出来なかった、拉致被害者の帰国、北方領土の返還、憲法改正に関し、申し訳ないし、残念だとも言っているそうです。しかし、この3件は、誰がやっても難しいことではありますが、阿部総理だから出来なかったことでもあるのです。
 拉致被害者の件は、以前にも書きましたが、北朝鮮が誠意の証として、一時帰国を許した5人を、外務省の意見を聞いたのでしょう、北朝鮮へ戻さなかったため、金正日主席の面子を潰してしまったからです。この時、表だって動いたのが、当時官房長だった阿波総理でした。
 北方領土の件は、ロシアがソ連だった頃の協議で、2島返還にソ連が応じる姿勢を見せていたので、4島返還から、2島返還に戻せば、ロシアも応じてくれると考えたのでしょうが、現在のロシアの国と国民の動向、プーチンの立場について、きちんとした情勢判断が出来ていなかったので、話は進展しなくなったと思います。プーチン大統領が、柔道をやっていて、何となく日本贔屓のように思えたのでしょう。阿部総理が、論理立てて物事を考える力が無かったことに加えて、この点も、外務省の勉強不足とミスリーディングがあったと思います。
 憲法改正については、群舞の横暴と、余りにも悲惨だった戦争の記憶が、若い人の中にも浸透し、軍隊を憲法で定義された国軍とすることに、国論が傾かなかったことと、阿部総理の家系と、阿部総理の幼い頃の経験(安保反対、岸を倒せ)から、左派に対する憎しみが、他の人にも見えたからだと思います。阿部総理が、総理になって一番やりたかったのは、この憲法改正だったと思いますが、阿部総理の時に改正されなくて、本当に良かったと思います。
 
〇08月31日(月)。

 とうとう8月も終りになりました。何にもすることが無いのに、時間は早く進むような気がします。「時間が経てば、新型コロナのワクチンが出来たり、良く効く薬が出来るはずだ」というような希望が、私の中で、時間を早く進める思いが強いからかも知れません。それだけ、私の残りの人生も、早く終息するのですがねー。
 今朝は、雲の多い朝で、午後から雨になるとテレビで言っていましたが、午前9時頃に、早くも雨が降り始め、一旦止みましたが、10時頃から、また雨が降り始めました。ベランダから雨を見ながら、今日の散歩は無理かなと思ったのですが、雨は直ぐに止み、空が明るくなってきました。
 11時頃には、晴れ間も出て来ましたので、急いで弁当を作り、12時頃から、散歩に出かけました。今日は、目の前の河原を歩くことにしたので、よつやさくら公園で昼食にしました。皆、熱中症を警戒しているのでしょうか、公園には、殆ど人がいませんでした。
 食後、四谷橋の下から、河原を歩き始めました。昨年の台風の跡の砂利河原に、私の背の倍以上はあるようなオオブタクサの林が出来ていて、荻も八方に根を伸ばし勢力を伸ばしていました。イヌタデ、オオアレチノギクも負けじと陣地を確保していました。今年の冬は、全くの砂利河原だったのが、8割以上草に覆われました。草達の生きる力の凄さを、目の前に見ました。
 今日の本当の目的は、梟の人形を作るための小さな石を探す事だったので、僅かに残った砂利河原に出て、石拾いをやりました。小半時で、十分な石を拾いましたので、土手の道へ戻り、中河原まで歩いて、チューバスで我が家に戻りました。
 中河原で、チューバスに乗ろうとする小母さんが、「四谷体育館に行くには、このバスで良いですか」と、聞いていましたが、運転手が良く答えられないので、私が大声を出して、「このバスで良いですよ、稲荷神社かよつやさくら公園で降りて、5分足らずで行けますよ、私は、よつやさくら公園で降りますから、一緒に降りて下さい、案内します」と言ったら、安心したような顔で、乗ってきました。よつやさくら公園で降り、しきりに遠慮する小母さんを、体育館まで送って、我が家に戻りました。
 今日の夜は、次男と一緒に、酒を飲みながら、楽しい夕食になりました。テレビで、阿部総理の後任について、ほぼ現在の菅官房長官で決まりのようなことを言っていました。大手の派閥が、菅氏支持に回り、それだけで、議員数の過半数を超えたそうです。どうも、この根回しを裏で行ったのは、二階氏のようです。行政の長を選ぶのに、こんな非民主的な方法で良いわけがありません。最終的な投票方法の決定は、明日行われるそうですが、二階氏の思い通りに決まるのではないでしょうか、次男もこの点には、疑問を露わにしていました。

「多摩河原 大豚草の 森となり 森の向こうに 高層ビルの街」
「八方に 根を伸ばして 葉を出して 明日の河原は 荻の原かな」

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2020年8月26日 (水)

2020年08月21日

2020年08月21日

〇08月21日(金)。

 毎日、何もしてないのと同じなのですが、時は過ぎ、日付も変わり、8月も下旬になってしまいました。まだ、猛暑日が続いています。
 朝早く妻から電話があり、今週会う約束を、来週に延ばしました。今週が、暑さのピークで、来週から幾分涼しくなると、テレビの天気予報で言っていたからです。暑い最中に、都心まで来させるのは、申し訳無いと思ったようです。私も同意しました。
 今日は、日記をブログに上げる日なのですが、種々手間取って、午前中では終らず、近くの公園に昼食を食べに行き、関戸橋を渡って、聖蹟桜が丘まで歩いて、帰りはバスで我が家に戻りました。
 キューピーの工場の横にある公園の名前が分らないのですが、公園の真ん中に浅い池があります。人工の池で水も水道水です。この水道水が、常に流れているので、水温はかなり低いのです。この池の前で、昼食にしました。昼食の間に、犬を連れた若い女性の散歩者が、やって来ました。時刻は午後1時頃だったので、一番暑い頃だったと思います。女性は先を急いでいる様子でしたが、犬の方はいきなり、池に入り身体を沈めて、とっても気持ちよさそうでした。時々、女性が綱を引くのですが、犬の方は「もう少し居たいよー」と、これ以上無いような切ない顔をして哀願するのです。この時間の犬の散歩は、人間より遥かに辛いのではないかと思います。人それぞれに事情があり、この女性も仕方なく、この時間に散歩したのでしょう。15分弱だと思いますが、犬と人との猛暑の夏のドラマを見せて貰いました。
 食後、公園から多摩川の土手に出て、関戸橋を渡り、聖蹟桜が丘に出ました。特に聖蹟ではやることが無く、京王ストアで、買い置きが無くなったレトルトのスープや、モロヘイヤなどの野菜類を買い、3時頃、我が家に戻りました。急いでシャワーを浴び、日記をブログに載せる作業をし、5時には、ブログに載せることが出来ました。ブログに載せる作業そのものは、簡単なのですが、昨日と一昨日の日記を書いていなかったのです。
 ブログの作業が終った後は、通常の野菜炒めと、ほうれん草のバター炒めを作り、何時ものように、テレビを見ながら晩酌になりました。ここまでは良かったのですが、9時頃、最後のビールを飲もうとして、サイドテーブルに置いていたグラスをとろうとしたら、グラスを取り損ね落としてしまいました。グラスは、粉々に砕け、リビング全体に散らばりました。このグラスの破片を拾い、リビングを掃除し終るのに、30分以上掛かりました。最近、このように手元が狂うことが増えてきました。年を取ったのだとつくづく感じました。また1つ年を取ると、どうなるのでしょうかねー。良い方向に向かうことだけは、無いでしょうねー。

「この夏の 猛暑に犬も 倒れそう 主人に哀願 もっと水遊び」
「我もまた 部品の劣化が 重なりて 遠くない時期 使用停止に」
 
〇08月22日(土)。

 今日、関東地方は、急に雷雨となる所があるとの天気予報でした。多摩地方も、少し雲が多いような気がしましたが、日差しもありました。
 この所歩いているのは、多摩近辺が多いので、今日は、何処を歩こうか悩むようになりました。色々考えて、国立まで裏道を歩くことにしました。
 我が家の近くのバス停、府中四谷橋北からバスに乗り、甲州街道に入った所でバスを降りました。この辺りは、多摩の豪農の屋敷が、並んで残っているのです。多摩川の崖線(河岸段丘)の上にあり、富士を遠望することが出来るので、豪農達は、崖線の上に家を建てたのでしょう。崖下の広大な土地は、用水が良く整備された田畑になっており、多摩の豪農が沢山生まれたのだと思います。
 一軒の、立派な旧家の裏庭には、江戸時代からの木であろうと思わせる大木が、何本もある鬱蒼とした森がありました。ところがその先には、戦後初期に流行った、平屋建ての木造住宅が、並んでいました。恐らく、戦後、銭が必要になった豪農が、土地を売ったのだと思います。木造住宅は、6畳と4畳半の部屋に小さな風呂と台所がついた2軒長屋でした。私の故郷の家の近くにも、このような住宅がありました。当時は、瓦屋根付の家に住めるだけでも幸せでしたねー。それにしても、豪農の家と、平屋の住宅との違いは、凄いものでした。両方揃って保存し、戦後の日本の歴史として、保存したらどうでしょう。
 南武線の踏切を渡り、昼食が食べられるような公園が無いか探しましたが、畑はあっても、公園はありませんでした。暫く歩くと、大きな団地が出て来ました。富士見台1丁目第1団地でした。この団地の西側は、南武線谷保駅から中央線国立駅を繋ぐ一直線の大通りで、桜並木が有名です。今日は、かなり東側を歩いています。団地の中を見ると、欅の森と公園があり、ベンチもありましたので、そこで弁当を食べました。
 団地とその中を行き交う人達を見ながら、自分の人生を振返りました。1968年、人生を始めた吉祥寺のアパートは、職場の寮でしたが、6畳3畳で風呂さえついていなかったのです。そこで、長男と次男を育てました。幸い近くに銭湯があり、随分世話になりました。寮に住み始めて10年後、柏富里の団地に住みました。富里の団地には、勿論、風呂は付いていましたし、8畳のリビング兼ダイニング、その他に、6畳、6畳、4.5畳の部屋があり、随分広くなり、文化的になりました。戦後の貧しさは、過去の物となりました。しかし、病気の妻の面倒を見ながら、子供3人を育てることになりました。それから20年後に住んだ府中幸町の団地も、柏と同じような広さでしたが、子供達は独立し、娘が看病の手伝いをしてくれましたが、25年病気と闘った妻が他界しました。定年後、現在住んでいる所は、マンションと言っていますが、基本的には団地が変形したものだと思います。そんな訳で、私は、18歳の時上京しましたが、それからこれまでの人生、殆どが団地暮らしでした。しかし、世界中で人口が増加している中、日本の人口も急激に増え、特別な人達を除いて、団地生活者が、社会の殆どを占めるようになりました。現在先進国では、人口減少が進んでいる国も多いようです。今後の人間生活が、どの様になって行くのか、残念ながら見届けることは出来なくなりました。団地の中で食事をしながら、色々、大変だった人生を思い出しました。
 その後、国立駅まで歩き、駅の側のスーパーで買い物を少しして、帰りはバスで我が家に戻りました。
 夜は、次男と飲めると持ったのですが、次男は別の約束があるらしく、今日は、一人の晩酌となりました。

「誰しもが 己の人生 生き抜いて その思い出が 人生の宝」

〇08月23日(日)。

 今日の午後は、かなりの確率で、雨になるのでは、と思っていました。そんな訳で、今日は、聖蹟桜が丘を往復しただけでした。私は、府中市民なのですが、府中市の中心部は、我が家から遠いので、多摩市の町ではありますが、「町へ行く」用事がある時は、聖蹟桜が丘の「町へ行く」ことになります。
 「町へ行く」という表現を、他の人も使っているのでしょうか。私が生まれた、長崎市の城山町は、長崎の中心街である、浜の町から、遠く離れた郊外の山の中にありました。浜の町は、浜屋と岡政という百貨店が二つもある、商店街で、近くには、眼鏡橋、丸山遊郭の跡等があり、ちょっと足を伸ばせば、大浦天主堂、グラバー邸、出島跡があり、江戸時代からの長崎の中心でした。子供の頃、この浜の町へ行くことを、「町へ行く」と言っていたのです。バスか路面電車に乗らないと行けませんでしたので、当時、小遣いを貰っていない子供としては、親に連れて行って貰うしかなかったのです。そんな訳で、町で行われる、「おくんち」、ランタン祭、精霊流し等の行事の時しか、町に行けませんでした。幼い頃、「町に行く」ことは、特別のことだったのです。中学生になった頃から、普通に「町に行く」事が出来るようになりました。でも、幼い頃に使っていた「町へ行く」という言葉は、幼い頃の思い出を伴って、自然と出て来るのです。
 四谷橋を渡り、聖蹟桜が丘まで、川崎街道から、1本大栗川寄りの、普段歩かない道を歩きました。最初の所は、最近宅地化された所があり、3度ほど、袋小路に悩まされましたが、その後は、すんなりと聖蹟桜が丘に着きました。昼飯時になっていたのですが、街中では弁当を食べたくなかったので、大栗川の霞が関橋の横で、昼食にしました。何処からか、逃げ出してきたのでしょう、金色の鯉が、ゆっくりと泳ぎながら、私の昼食に付き合ってくれました。
 食後、市民センターへ行き、「多摩市縄文土器展」を見ました。入場するに当たり、連絡先と病気の症状の有無について書かされ、体温を測り、手の消毒をして、会場に入りました。新型コロナは、日常の生活を大きく変えてしまいました。展示されていた縄文土器は、多摩市の開発の際、発掘された物で、4500年から5000年前の物でした。縄文土器を見ると、何時ものことですが、縄文土器は、とても芸術的であると共に、力強さを感じます。未だ農地も無く、自然の物を採集して生きていた、人間の小集団が、よくぞ、こんなに素晴らしい土器を作ったと感心します。
その後、京王アートマンへ行き、一昨日割ったグラスを買い、買い置きが無くなったボールペンの芯を買いました。京王アートマンから、京王デパートに移りました。連絡通路では、東京の雲の写真展が行われていましたが、連絡通路ですから、先程のような手続きは不要でした。
通常、デパートは歩かないのですが、暇に任せて、連絡通路から入った7階の趣味のサロンを見てみました。これまで、聖蹟では梟の人形を売っている所はないと思ったのですが、ここでは、3店で、梟の人形を売っており、ついつい買ってしまいました。
程よい時間潰しが出来たので、4時近くに、我が家に戻りました。家に戻って、スマホを見たら、昨日と一昨日、スマホで撮った写真が、残っていました。通常、スマホの写真をパソコンに移した段階で、消去するのですが、どうやら忘れて居たみたいです。仕方が無いので、パソコンに繋いで、消去しようとしたら、捜査中、パソコンの変な釦を触っていまい、スマホの写真を消去するのではなく、蓄積側のパソコンの写真を消去し始めました。驚いて中止しましたが、既に1200件ほど消去されてしまいました。最初は、復元の仕方が分らず、暗澹たる気持になりましたが、ゴミ箱に一時保存されていることが分り、なんとか復元することも、スマホの写真を消去することも出来て、ほっとしました。最近は、こうしたチョンボが多く、困ったものです。
今日の夜は、次男も参加して、楽しい晩酌となりました。今日買って来たばかりのグラスで、ビールを飲みました。このグラスは、とても薄くて、飲み心地が良いので、気に入っていたのです。これからどれくらい、割らないで済みますかねー。

「川に住む 鯉とは思えぬ 金の鯉 ユラリユラリと 我が前泳ぐ」
「金の鯉 泳ぐ姿を 目にしつつ 大栗川にて 昼餉喰うなり」

〇08月24日(月)。

 8月も終りに近づいているのですが、今朝も真夏のような空でした。長い梅雨が終り、8月になった途端、いきなり猛暑日が続く様になりました。8月に入って経験した雨は、12日郷土の森公園で、30分ほどの雷雨だけです。7月最後までの長梅雨も、8月最後まで続く猛暑日や真夏日も、初めての経験のような気がします。
 今日は、困った時の高尾山と言うことで、高尾山に行って来ました。子供の頃は、山の中で育ったようなものですから、山に行くと気持が落ち着くのです。
 12時半頃、高尾山口駅に着きました。月曜日だからでしょうか、人が少なく、ケーブルカーもガラガラでした。新型コロナ以前は、こんなことは無かったのですがねー。ケーブルカーの頂上駅に着いて、周囲に見える白雲の写真を、沢山撮りました。昨日見た、東京の雲の写真展に影響されたのです。今日高尾山に来たのも、実は、その影響があったのです。私は、他人の影響を受けやすい人間なのですかねー。今日は、頂上には登らないで、蛇滝口へ降りると決めていましたので、蛇滝口への降り口の広場にあるテーブルで、東京の街を遠望し、白雲を仰ぎながら、昼食にしました。
 食後、蛇滝口への道を下り始めました。殆ど人の居ない道でしたが、後ろから足早の歩く音が聞こえましたので、道を空けると、高校生と思われる若者が、「今日はー」と挨拶をして追い越していきました。大分歩いて、蛇滝に近づいた頃、登ってくる若者に会いました。さっき追い越して行った若者でした。「さっき会ったよねー、どうしたの、また高尾山に登るの」と聞いたら、「はい、地図を見たら滝があるというので、ちょっとだけ見に来たのです」といって、スイスイ登っていきました。今の私は、ここまで降りるだけでも、足の筋肉がプルプルしているのに、若者は凄いものです。羨んでも詮無きことではありますが、羨ましいのは事実です。
 蛇滝口へ降りて、旧甲州街道、南浅川の縁を歩きながら、また沢山雲の写真を撮りました。家に帰って写真を見てみましたが、技術はともあれ、雲そのものは、とても綺麗でした。雲の写真は、何処でも撮れますが、私としては、高尾山に来たことで、とても満足しました。緑の山、青空、白雲の織りなす風景は、心を癒やしてくれました。
 1昨年、亡くなるまでは、高尾山に来ると必ず立ち寄っていた、大学時代の職員の家に寄ってみました。奥様が、未だここに住んでいるようなのですが、呼び鈴を鳴らす勇気が出ませんでした。人生の或る舞台を共にした知人友人が、次々に無くなって行きます。
 夜は、ピザ、貝柱のアヒージョ、茸のイタリア風炒め物を作り、今夜も、次男と楽しい酒を飲みました。窓の外には、三日月が輝いていました。

「ビル街を 遠望しつつ 昼餉食う 天下睥睨 気分最高」
「刻々と 姿を変える 白雲と 語らいながら 食う飯旨し」

〇08月25日(火)。

 今日は、妻と一緒に夕食を食べることにしていましたので、3時過ぎには、家を出る必要がありました。そんな訳で、昼間の散歩には行かず、昼食は、我が家の前の「よつやさくら公園」で食べました。
 午後3時過ぎに家を出て、飯田橋の駅に4時半頃に着きました。途中で、妻から頼まれた物を買い、5時頃、妻の家に着きました。新型コロナと猛暑のせいで、妻と会うのも一月振りくらいで、都心に出たのも一月振りでした。
 直ぐに馴染みの中華料理店に、夕食に出かけました。この中華料理店の中国人の主人とは、仲良しですから、食べる所がすんなり決まらないと、何時もこの店で食べることになります。湖南料理も美味しいのです。基本的には、辛い料理なので、辛さに弱い人は、辛さを弱めにするように、頼む必要があります。我々の、好みについては、既に承知してくれています。
 食事が始まると、先ずは、新型コロナと熱中症予防のための、外出自粛要請による、体調管理の話になりました。私は、妻は私に較べて年を取らないと思っていたのですが、話を聞くと、矢張り、種々体調を崩しているようです。妻は、外出自粛をできる限り守っているようで、運動は、室内での体操や、家事をこまめにやることを心がけているそうです。それでも、運動不足は否めず、食欲が無くなり、食べる量も大分少なくなったようです。そして、身体の色んな所が、居たくなったり、思うように動かなかったり、自律神経失調症のような症状を感じるそうです。最近、私が経験していること、感じていることを、妻も経験しているようで、少し吃驚しました。元気そうな妻も、確実に年を取っているのだと感じました。
 一通り、身体の状態や近況を話して、妻は、出て来る料理を次々に食べ、「さっき話したことは本当なの」と思うくらいでした。何だか顔付きまで変わりました。本人も、「久し振りに、沢山食べられて、身体がすっきりした」と、とても嬉しそうでした。矢張り、人間の生活の基本は、自宅に籠もる事では無く、人と会い、話をし、社会の中で暮らすことなのでしょう。私も、妻に助けられましたが、妻も私に助けられた所があるようで、今日、都心まで出てきた甲斐があったというものです。
 料理屋の主人も入れて、新型コロナ以降の飲食業の難しさについて話したりしましたので、7時40分頃まで、店に居ました。その間、約2時間半、客は我々だけでした。この店は、神楽坂でも結構人気店で、新型コロナ以前は、満員のことが多く、予約無しでは入れないこともあったほどでした。みんな家に居ろとの要請なのですから、本当に飲食業は、大変だと思いました。
 中華料理屋を出て、何時ものように、コーヒーの飲めるバーで、もう一時を過ごし、8時40分頃に、妻と別れました。
飯田橋の駅へ着いて、ホームに降りると、突然マイクから大きな声が聞こえました。次に来るはずの電車が、秋葉原で人身事故を起し、これから新宿方面へ行く電車は、運転を見合わせるとのことでした。最初は、千葉方面行きに乗って、お茶の水で快速電車に乗換えようと思いましたが、こちらの方面の電車も影響を受け、動きませんでしたので、地下鉄南北線に乗換え、四谷で快速に乗換えることにしました。これはスムーズに行きましたが、最初の予定よりは大分遅れて、聖蹟桜が丘からの最終バスにギリギリ間に合って、家に着いたのは、10時半くらいでした。外へ出ると、色んな事が起きるものです。

「人と会い 飲んで話して 良く食べて それが楽しい 人生なりき」

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2020年8月21日 (金)

2020年08月16日

20年2008月16日

〇08月16日(日)。

 この所、東京は猛暑日が続いていて、熱中症アラートなるものが、出されています。梅雨時は、青空が恋しかったのに、暑さが続くと、青空が恨めしくなったりします。人間は、勝手なものです。
 現在は、どんなに暑くても、クーラーを付ければ、涼しさを得ることが出来ます。寒い時には暖房にもなります。車や電車、飛行機で世界中を旅することも出来ます。お尻を洗ってくれるトイレも出来ました。レトルトや冷凍食品も、電子レンジで簡単に食べられるようになりました。この1世紀の、人間社会の発展は、驚異的です。しかし、これを支えているのは、電気であり、電気を作るために、この1世紀の間に、どれだけの化石燃料を燃やしたのでしょうか。人為的地球温暖化が起きている事は、認めざるを得ないような気がします。早く、地球自身が本来持っている、太陽光、地球の自転で生まれるエネルギー等、再生可能なエネルギーでの発電に、切り替えて欲しいと思います。
 今日は、日記をブログに上げた後、熱中症アラートが出ている中、墓参りに行ってきました。今日は、お盆の最後の日で、送り火をする習慣があります。お盆に、家に連れ帰った霊を、墓に連れ帰る事から始まった、仏教行事だと思います。昨日も書いたように、私は、宗教が嫌いなので、当然、宗教行事も嫌いです。しかし、宗教の行事は、日本文化にもなっていますので、知識だけは、少しあります。今日は、散歩の行く先を決めるのに、送り火の習慣を利用させて貰いました。
 最初の妻が死んだ時、私が建立した墓は、第2高尾霊園にあります。この時、私は既に宗教が嫌いでしたので、墓を作る気は無かったのですが、現実の世の中というものは、観念的思考だけでは、やっていけません。子供や親族から、無言の圧力を感じました。
 第2高尾霊園は、高尾山口駅から、30分ほど歩いた旧甲州街道の途中にあります。近くに、料亭「うかい竹亭」「うかい鳥山」があり、高尾山と南高尾の山に囲まれた、「梅の木平」と呼ばれる緑の濃い場所の、高尾山側にあります。この緑の中で、今日も昼の弁当を、美味しく食べました。散歩と言うより、小旅行を楽しんでいる感じです。ほぼ毎日出かけるので、近くて、お金の掛からない所が良いですねー。
 昼食後、墓掃除をして、高尾山口に戻り、聖蹟桜が丘で、今晩の摘まみを少し買って、4時過ぎに、我が家に戻りました。今日も、夜は、昨日から休みの次男と一緒に、テレビを見ながら、晩酌となりました。週に3日は、こうした時間が持てる私は、幸せ者だと思います。

「子供等を 共に育てた 思い出を 妻と一緒に 墓での昼餉」
「女郎花 屁糞葛の 巻き付いて まだまだ譲らぬ 主役の座かな」
「苔生した 石垣に咲く 韮の花 白と緑の 似合いの構図」
「藪の中 白く可愛い 君は誰 高尾名物 姫薮蘭かな」

〇08月17日(月)。

 今朝も、溜息が出るような熱さでした。まだ、ミンミン蝉が元気良く鳴いています。
 今日は、何故か吉祥寺の井の頭公園に行ってみたくなり、行って来ました。吉祥寺には、結婚して就職し、長男が誕生してから5年程、井の頭公園の直ぐ近くに住んでいました。年のせいもあり、思い出を辿るのが、生甲斐のようになっています。
 12時半頃に、吉祥寺駅に着きました。月曜日だというのに、吉祥寺は、人出が多いように思えました。古さと新しさが共存しているからでしょうか、人気の街だそうです。駅から出て、真っ直ぐに、井の頭公園に行き、メタセコイアの林を見ながら、昼食にしました。
 メタセコイアと言えば、絶滅したと思われていたのですが、終戦の年、昭和20年に、中国四川省で発見され、昭和24年、中国より、挿し木と種子を譲り受け、日本全国の公園などに植えられたそうですから、一番古い木でも、70歳くらいですね。目の前のメタセコイアが何歳か知りませんが、背が高く立派に育っています。
 先週書きましたが、メタセコイアの化石を、八王子市の浅川で見る事が出来ます。150万年~200万年前の、比較的新しい化石で、完全に石化していません。化石の中の年輪が見えますし、年輪に沿って化石を剥ぐことも出来るのです。しかし、この剥いだ化石は、川に投げ入れると、沈んでしまうそうなので、ある程度の石化は、進んでいるようです。化石のある地域は、扇状地で泥流がメタセコイアを埋め、現在見られるような地層を作ったようです。私は、石炭の層を直接見たことがないのですが、浅川のメタセコイアの化石は、石炭になる一歩手前のような気がしました。
この化石は、昨年の台風19号までは、木の幹や、地層の先端が少しだけ見えていたそうですが、19号によって引き起こされた激流によって、泥岩が削られ、木の幹全体が露出して仕舞ったとのことでした。あと一回、同じような台風被害に遭うと、幹の化石全てが、流されてしまう恐れもあるそうですが、今のところ、特別な保管をする気は、無いようです。それはそれで、仕方が無いと思いました。地球の自然を人間が守ろうとすると、富士山を大型ドームに入れて、守ろうとする、馬鹿げたことを平気でやろうとする人間は多いですからねー。
 食後、吉祥寺駅の下の商店街を歩きました。私が上京した昭和38年頃は、吉祥寺は、まだ、高架されておらず、吉祥寺駅も、大正時代を思わせる木造の駅舎でした。吉祥寺には、成蹊大学があり、そこで我が校との野球の試合を応援するため、何度も吉祥寺に、足を運びました。それが、5年後、私が吉祥寺に住み始めた頃には、高架が完成し、駅の下にロンロンという商店街が出来ました。今日行くと、駅下の1階は、生鮮商品を売る、ロンロン市場になっていました。昔は、高架下の商店街には、生鮮市場は、無かったと思います。記憶違いかも知れません。しかし、ロンロンという名前が残っただけでも、嬉しいです。当時、吉祥寺が、近代的になったと言う気がしたのです。その頃、中野から北は、田舎だとのイメージがありましたから、、、。
 吉祥寺から、我が家に4時近くに戻りました。今晩も、次男と一緒に、美味しい夕食となりました。

「井の頭 メタセコイアの 森見つつ 思いでおかずに 昼餉食うなり」
「カルガモの 雛も子供と なりにけり 水鳥達も 夏は暑いか」

〇08月18日(火)。

 今日は、午後から晴れ間が出るという予報だったので、洗濯をどうしようかと悩みましたが、雨は降らないようなので、洗濯をしました。ところが、午前中、9時前から日差しが出て来て、良い洗濯日和になりました。
 朝7時半頃に、妻から電話がありました。矢張り、この熱さには参っているようです。でも、色々生活に苦労がある時に、私に電話をかけようという気になってくれるのは、嬉しいことです。今週中に、会うことにしました。
 今日は、我が家の正面に見える、浅川と多摩川の合流点から、高幡不動まで浅川の河原伝いに歩く積もりで出かけました。上流のメタセコイアの化石が、見つかるかも知れないと思ったのです。
 先ず、合流点まで行って、正面に我がアパートを見ながら、昼食にしました。今日は、軽く北風が吹いて、日陰に入ると、33度を超える気温なのに、涼しい感じがしました。我がアパートは、この辺では大きいので、目立った存在です。背中の方は、以前は仙人の花畑でした。4年前だったか5年前だったか、紀伊半島にも多くの被害をもたらした、台風の被害を受け、この花畑は砂に埋もれてしまいました。その後、仙人は花畑の世話をしなくなりました。メタセコイアの化石の層も、この花畑を埋めた泥流と、同じような泥流によって、出来たのだろうと実感しました。
 食後、河原を歩いて、メタセコイアの化石を探しましたが、全く見つかりませんでした。良く良く考えると、メタセコイアの化石は、普通の石に較べると軽いので、濁流に乗って多摩川に入り、更に下流へ流れていったはずだと気がつきました。そこで、化石探しは諦め、浅川の土手の道を、花や草木を楽しみながら歩き、新井橋、石田大橋を越えて我が家の戻る、標準的なコースを歩きました。夏の暑さをものともしない、ニラ(韮)、イヌゴマ(犬胡麻)、イヌタデ(犬蓼)、クズ(クズ)、センニンソウ(仙人草)、サルスベリ(百日紅)、フヨウ(芙蓉)達が、熱中症にもならず花を咲かせていました。
途中、SVマーケットで、以前から欲しかった、大きめの梟博士人形を買って、我が家に戻りました。梟博士は、大きいので部屋には飾らず、玄関先において、お客を出迎えて貰うことにしました。
 夕方は、SVマーケットに行くと、必ず買うことにしている、2種類の鶏の軟骨を、踝の方は唐揚げにし、胸肉の方は、塩もみにして、明日まで1日干しにしました。また、このSVマーケットでは、老人1人分のおかずも売っていますので、酒の摘まみとして、牡蠣フライ、タコ焼き、鰺の大葉フライを買いました。夜は、踝の唐揚げ、ツブ貝、貝柱、海老のアヒージョ、牡蠣フライ等で、今日から金曜日まで、次男が仕事なので、一人ではありますが、美味しい酒が飲めました。

「緑濃き 土手に真白き 花の道 暑さ忘れる 韮の花かな」
「梅雨の時期 背伸びしすぎた 草達が 夏の暑さに 首項垂れる」
「金網は 心地良きかな 我が住家 窓1杯の 屁糞葛よ」
「浅川の 最後の河原に 緑増え 犬蓼畑が 出来ているなり」
「君の名を 漸く覚えた 犬胡麻さん 大汗かいた 君との出会い」
「夏雲が 下りて来たのか 川岸に 木を埋め尽くす 仙人草かな」
「憎たらし 何処にも蔓延る 葛の蔓 猛暑に負けず 昇り藤の花」
「白雲に 届けとばかり 花咲かす 猛暑気にせず 百日紅の花」
「君もまた 暑さに負けぬ 芙蓉かな 花木に満載 大輪の花」

〇08月19日(水)。

 午前中、9時頃、メキシコで世話になり、現在もゴルフを一緒にやっている先輩から電話がありました。今年、2月のゴルフを断ったことと、5月に心臓の手術をしたことを漏れ聞いて、まだ、生きているのか確認したかったようです。私が、電話に出て元気に応対したので、拍子抜けしたような声を出していました。お互い元気なのが確認出来たので、早くゴルフが出来るようになる事を願って、電話を切りました。
昨日だったか、テレ朝の天気予報で、昭和記念公園の向日葵を紹介していました。2週間ほど前に、昭和記念公園に行った時には、まだ咲いて居なかったので、今日は、向日葵を見に、昭和記念公園に行きました。
12時半くらいに、昭和記念公園に着き、場所は分っていたので、一直線に向日葵畑に向かいました。東京都内では、これ程広い向日葵畑を作れるのは、昭和記念公園だけでしょう。向日葵は、普段花を見る時に期待する、可憐さや華麗さでは無く、力強さを強さを期待します。向日葵は、期待を裏切らず、真夏の太陽に向かって、雄々しく咲いていました。
欧州のイタリア、スペイン、ハンガリー、そして南米のパラグアイで見た、広大な向日葵畑を思い出しました。これらの国々では、主要な食用油がオリーブオイルとヒマワリ油らしく、広大な向日葵畑がありました。南米のパラグアイでは、日本から来た協力隊の女の子を7人くらい、私のトラックに乗せて、パラナ川の流域の波状丘陵地帯の向日葵畑を案内して、得意顔だった自分を思い出します。50代も最後の頃でしたねー。
向日葵を堪能して、トンボの池の前のベンチで、昼食にしました。トンボの数は少なく、蝉時雨が五月蠅いほどでした。食事中、お婆さんの二人組が現れて、「道が三本に分かれていますが、どの道を行けば良いですか」と聞いてきました。私は、知ったか振りをして、「左側は、桜の杜を通って「みんなの広場」へ、真ん中は小川の側を通って渓流広場へ、右側は森を抜ければ直ぐ公園周回道路に出ます、どの道を通っても大体同じような所に出ますよ」と教えました。お婆さん達は、「ありがとう、良い所で美味しそうな弁当ですね」と言って歩いていきました。
昼食後、日本庭園の横で、棒を持って、ヒマラヤ杉の実をとろうとしていたら、公園の係の人に怒られてしまいました。ヒマラヤ杉の実は諦めて、日本庭園には寄らず、森の道を通って、「こもれびの丘」へ向かいました。道脇にキツネノマゴ(狐の孫)が沢山咲いていましたが、その中に白花の狐の孫が一株だけありました。色抜けしたのかも知れませんが、若し白花だったら、初めての出会いだと思います。「こもれびの丘」は、花の入れ替え中で、禿げた丘のようでしたので、砂川口の池に行ってみました。その池で、銀ヤンマの番を、間近に見る事が出来、写真にもばっちり撮れました。
帰り道、向日葵畑と反対側の「みんなの広場」ヘ出たら、今度は、キバナコスモス(黄花秋桜)の大きな畑がありました。この花は、咲いて居る時期が長く、毎年見ているような気がします。今が一番見頃のようでした。
昭和記念公園は広いので、あちこち歩いて疲れてしまいました。結局、3時過ぎに公園を出て、4時過ぎに我が家に戻りました。今日は、色んなプレゼントを貰ったようで、満足しました。
夜は、晩酌をしながら、昨日録画した「アンネ・フランク」を見ました。若い頃、「アンネの日記」を読んだ時の、恐怖と怒りを思い出しました。今回の特集は、アンネの同年代の人で、戦争を生き延びた人達の話でしたので、収容所内の悲惨な光景は、少なく抑えられていました。しかし、ユダヤ人が経験した想像を絶する拷問等の、映像は何度も見たことがあり、未だに自分の身体に震えが出て来ます。そして、「人間が生きるということは、何なのか」、深く考えて行くと、強い者や豊かな者が、それを守るために、組織と強制を利用して、民族の優越という共同意識を作り出し、戦争を民族が他民族(移民国家では国家)より、優位に生きるためには、必要なのだと言う結論に、反対することが出来なくなってしまうようです。現在アメリカに、自国が一番という大統領が出現しました。少し間違えば、悲惨な戦争が起きるかも知れません。平等、公正、博愛などは、自国に有利で無ければ、不要なものなのでしょう。

「太陽の 子等が1杯 花咲かせ 猛暑の中で 押しくら饅頭」
「蜻蛉池 オタマジャクシが 泳いでる 君との出会い 久し振りだね」
「蒲の穂と 蝉時雨を 浴びながら トンボの池で 昼餉食うなり」
「森の道 可愛い狐の お孫さん これは珍し 白狐の孫」
「銀ヤンマ 命を繋ぐ 君等見て 謝りたくなる 蜻蛉捕りかな」

〇08月20日(木)。

 今日は、永山駅に行って来ました。駅前にある「さえずりの森」にまだ行ったことがなかったからです。
 11時半くらいに家を出て、12時近くに聖蹟桜が丘の、バス停に着きました。永山行きのバス停で待っていると、5分くらいで、永山駅行きのバスが来ました。ところが、このバス連光寺経由でした。私が通常乗るのは、聖ヶ丘経由か、鎌倉街道経由ですが、永山駅に行けばそれで良いと思い、連光寺経由のバスに乗りました。なんとこのバスに乗るのは初めてでした。私は、良く「よこやまの道」の「みはらしの丘」に出かけるのですが、なんとそこを通るバスでした。「みはらしの丘」でバス停の時刻表を見たことがあるのですが、1日に2本しかバスが来ませんでした。なんとそのバスに乗ったのです。その後、バスは稲城側におり、色々廻り通常のバスより倍の時間掛かって、永山駅に着きました。通常のバスは、190円程度なのですが、今日は330円くらいかかりました。時間は掛かるし、高いし、今後このバスに乗ることは無いでしょう。
 永山駅のバス停の目の前が、「さえずりの森」です。ところが、簡単には行けず、駅の方から橋を渡り、丘の上から降りる形になりました。小さい森ながら、鬱蒼としていて、都市開発が行われる以前の、武蔵野の森が残っているようでした。殆ど人が入らないらしく、小道も藪化していました。その藪の中に、ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)の花が、木漏れ日を受けて、1輪だけ咲いていました。人が通らないせいで、小道や森の中の至る所に、蜘蛛の網が張られていて、体中が、蜘蛛の糸だらけになりました。
 「さえずりの森」は、ベンチ等が全く無く、昼食が食べられませんでしたので、森を出て、永山公園に行くことにしました。永山公園は、永山駅の商店街の上の方から行けるようになっているのですが、今日は、商店街が休みで、エスカレーターが全部止まっていて、乗れないようにロープを張っていました。やっと使えるエレベーターを探したのですが、何階で降りれば良いか分りません。2回失敗して、4階で降りれば良いことが分りました。今日は、本当についていなくて、永山公園で弁当を食べ始めた時は、1時半を過ぎていました。食後は何もせず、家に戻ることにしました。
 家には3時過ぎに着き、その後は何時ものように、一休みして、5時頃からニュースを見て、6時半頃から晩酌を始め、7時頃から、題名はうろ覚えですが、「池上彰が戦争を語る」というテレビを見ました。水木しげるの戦争体験や、八重山群島における、軍による住民の強制疎開の事などが話されました。マラリアの無い所から、マラリアのある森に移動させられ、多くの人がマラリアで死んだそうです。軍は、疎開地にマラリアがあることを、知っていたそうです。昨日も、戦争の話になりましたが、信じられないような酷い話ばかりです。特に、日本の軍隊は、国家や民族を守ると言いながら、兵士はもとより、兵隊で無い住民までも、死に追いやったのです。このような事が、再び起こらないと言う保証は無いのです。

「武蔵野の 面影残る 深き森 多摩ニュータウン さえずりの森」
「暗き藪 出でて光りを 求めてる 森に一輪 山路の杜鵑草」
「蜘蛛達が 領地荒らされ 怒り顔 虫等の聖地 さえずりの森」
「木の上に 蝉の抜け殻 仰ぎつつ 永山公園 昼餉の森」

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2020年8月16日 (日)

2020年08月11日

2020年08月11日

〇08月11日(火)。

 今朝、ベランダから素晴らしい富士が見えました。白い雪が全て無くなった青山でした。急いで、アパートの10階に登って、富士の晴れ姿の写真を撮りました。夏に、こんなに綺麗な富士を見るのは、珍しいことです。我が家のアパートは、東棟、南棟、西棟の3棟から出来ていますが、西棟だけは9階建てで、10階の廊下から、富士、奥多摩方面を一望出来るのです。夏に、これ程綺麗な富士が見えるのは珍しいことです。
 綺麗な富士が見えると、直ぐ外を歩きたくなるのですが、今日は、先ず、孫達が使った、シーツやタオルなどの大洗濯をしました。更に今日は、日記をブログに上げる日なので、昨日と一昨日の日記を書いて、ブログに上げたら11時半を過ぎてしまいました。通常、富士が良く見える日は、高幡不動に向かって歩くのですが、1歩外に出たら、焼け付くような熱さでした。これでは長く外を歩けないと思い、急遽、聖蹟桜が丘へバスで行きました。コンビニでお握りや飲み物を買い、郵便局や病院の共同の待合広場で、昼食にしましたが、野外ではないし、歩いてもいないので、美味しくありませんでした。
 散歩の代わりに、冷房の効いた、京王デパート、京王アートマン、通りを挟んだオーパ等を彷徨きました。デパートを除き、客は比較的多かったと思います。デパートは、高級な服飾店が多く、新型コロナで外出自粛の環境では、商売が難しそうです。実は、新型コロナ以前から、服飾等、高級品を嗜好する人が減少していて、デパートは衰亡の道を歩いていたのですが、新型コロナが追い打ちをかけました。
 散歩とは言えないような散歩をして、我が家には4時近くに帰り、夕方は、ニュース番組を見ながら過ごしました。群馬と埼玉に40度を超える所があったそうです。矢張り、地球温暖化は、進んでいると思わざるを得ませんでした。中国、ネパール、韓国、日本など、洪水のニュースがかなり増えていますが、これも温暖化の影響なのだと思います。
 夕方は、昼間一時的に雲の隠れていた富士が顔を出し、久し振りに、富士を見ながら、晩酌をしました。

「川向こう 七生が丘の その上に 青き富士の嶺 多摩を見ており」 

〇08月12日(水)。

 今日は、良く晴れているのに霞がかかった、夏らしい朝でした。天気予報では、午後、雷雨になると言っていましたので、外へ出るのは、控えた方が良いのでしょうが、外へ出たい気持の方が強く、郷土の森公園へ行ってきました。
 公園に着いたのは、12時半くらいでしたが、何処を見ても、背の高い入道雲が、公園を取り囲んでいるような気がしました。公園内の森で、弁当を食べていると、妻から電話がありました。妻も、新型コロナと熱中症の為、自宅での一人の生活に気が滅入っているのではと思いましたが、生活を色々工夫し、外に出回らなくても、普通に生活が出来ているようです。こんな所は、女性というか妻の強さを感じます。外に出ないと、気分が滅入って、体調まで悪くなる私とは、大きな違いです。
 弁当を食べ終わると同時に、森の中の木漏れ日が、すっと消えて雷鳴が近くに聞こえてきました。今朝の天気予報の通りになりそうでしたので、取り敢えず博物館に避難することにしました。博物館に入って暫くすると、急激に雨が降り始め、木の葉や地面を叩く雨の音が強くなると共に、大きな雷鳴が、何度も聞こえました。しかし、ものの30分ほどで雨は止み、博物館の前の石の広場から湯気が立ち上りました。自然の劇に参加させて貰ったようで、気分が晴れ晴れしました。
 また晴れ間が出て来たので、公園内をゆっくりと散歩しました。出来たばかりの雨の雫、白百合に花、恋が成就した妻黒豹紋蝶等々、おまけも貰いました。矢張り、私に取っては、外が一番です。
 満足して、チュウバスで家に戻ると、バスを降りる時に、激しい雨が、また降ってきました。傘は持ってきたので、何の問題もありませんでしたが、2度も驟雨に遭うとは思いませんでした。3時半頃家に着き、急いで洗濯物を入れようと思ったら、全部取り込んでありました。次男が、雷の音で雨を予知して取り込んでくれたようです。
 夕方のニュースを見ていると、埼玉や栃木などでは、駅前に水が溜まったり、道路に水が溜まり、車が動けなくなったり、かなり激しい雨が降ったようです。多摩地方は、西の方から晴れ間が出て来て、雲の切れ間の夕焼け空に、富士が顔を出しました。良い演出でしたねー。
 夜は、「お母さんの木」という1969年に発表された大川悦夫作を、2015年戦後70周年に、鈴木京香主演で、作られた映画を見ました。男の子ばかり、7人の子供を産み、全員戦争にとられ、五男を除いて戦死し、復員した五男と会えないまま死んでしまった、母親の物語でした。戦争の狂気を民主主義の時代になって見るのは、本当に辛い物です。この前、娘が孫達には、まだ戦争映画やテレビ番組を見せていないと言っていました。良い考えかも知れません。最近私は、戦争映画を見るのを止めようと思っています。

「猛暑日の 蝉時雨の 森の中 薮蘭見つつ 昼餉食うなり」
「木漏れ日の すっと消えゆく 森の道 雷鳴近づく 郷土の森かな」
「恋仲の 妻黒豹紋 葉の陰に 雨の気配を 察した模様」
「暗き森 一陣の風 吹き抜けて あっという間に 土砂降りの雨」
「夏の雨 全速力で 通り過ぎ 熱き地面に 湯気の立つなり」
「雷も 急ぎ足にて 空を駈け 耳に優しい 遠雷の音」
「猛暑日に 喘ぎつ咲いてた 白百合も 一息ついた 驟雨の恵み」
「蓮池に 入道雲が 戻りたり 上にも下にも 夏真っ盛り」

〇08月13日(木)。

 今朝も、幽かながら富士が見えました。新型コロナと熱中症のお陰で、外へ出るのに、それなりの決断をしなければならなくなりました。この2つが無ければ、屋外の散歩は、健康維持のためにも、推奨されていました。事態はどうであれ、今日は、八王子の恩方の方へ行って来ました。昨年の台風19号で、この地域の北浅川が、かなりの被害に遭ったと聞いていたからです。この辺りには、雉が多く住んでいましたが、どうやら、我が家の近くに引っ越したようなのです。去年の秋以降、我が家の近くで、良く雉を見かけるようになりました。実は、この雉達は、以前、多摩川の河川工事の影響で、この恩方の方へ引っ越したと私は思っているので、里帰りですね。恩方を通って流れる浅川は、我が家の前で、多摩川と合流するので、雉の引っ越しも、あり得ないことではないと思っています。
 高尾駅から、陣馬高原下行きのバスに乗り、河原宿大橋で降り、そこから、北浅川の右岸を、下流に向かって歩きました。台風被害は、想像していたより酷いとは思いませんでしたが、何カ所も川岸の土手が抉られ、修復の最中でした。川岸には、我が家の前の砂利河原と同じく、大豚草が繁茂し、以前雉の住家だった所も大豚草の占領されていました。この大豚草の名前を思い出せなく、悩んでいたのですが、今日漸く思い出すことが出来ました。川の流れが、少し緩やかになった所に、人が渡る小さな木橋があったのですが、流されて閉まって、その代わりに鉄板が渡されていました。今年の天候も台風も、どうなるか予想が出来ない状況です。去年より、酷いことにならないことを祈ります。
暫く歩いて1時半を過ぎましたので、河津桜並木のある運動公園で、昼食にしました。今日は孫達が来た時のピザの残りを半分持ってきました。食べ切れるか心配でしたが、歩いた後だったので、むしゃむしゃと言う感じで食べられました。家では、4分の1しか食べられないのにです。他に、ベーコン、食後のバナナも食べました。
 食後、更に下流に向かって歩きました。エンジェルコートと呼ばれる介護施設の横から、浅川は、100M位、深山の急流を思わせる渓谷が続きます。川岸に降りる道があったので、降りてみると、激しく水の流れる、正しく渓谷でした。なんとその中で、何人もの若者が遊んでいました。流されて、今日のニュースにならなければ良いのですが、、、。でも渓谷は短いので、仮に流されても
大丈夫でしょう。
 私も、直ぐに土手の道へ戻れば良かったのですが、崖上の道無き道を、渓谷が終るまで、藪漕ぎをしました。お陰で、右手を切ってしまいました。まだ自分に、こんな力が残っているとは思いませんでした。渓谷が終ったので、土手の道へ戻り、歩きを続けました。出来れば、孫と化石を見た所まで歩きたかったのですが、相当歩いて疲れたので、今日は止めることにしました。水も無くなっていたのです。
 高尾街道に出た所で、ローソンが見えましたので、アイスキャンデー、スポーツドリンク、缶コーヒーを買い、先ずアイスキャンデーにかぶりつきました。食べ物を、こんなに旨いと思って食べたのは、本当に久し振りでした。身体が欲するものが旨く思える事を、身を持って経験しました。感激しました。スポーツドリンクもがぶ飲みしました。
 一段落して、周囲を見るとバス停があり、京王八王子まで行くバスも止まることが分かり、そこから、バスで京王八王子に出て、我が家に戻りました。なんと5時過ぎていました。久し振りの散歩らしい散歩になりました。

「幽かなる 富士の嶺仰ぎ 深呼吸 君の強さを 我にもおくれ」
「竹のよに 大豚草の 生い茂り 雉の館は 跡形も無し」
「笹竹を 掻き分け踏みしめ 藪歩き 北浅川の 短き渓谷」

〇08月14日(金)。

 今朝、目を凝らして必死に見ていると、漸く富士の存在を確認出来ました。そんな富士でも、1日に始まりに見る事が出来ると、元気を貰います。
 今日は、北浅川の化石に関する史料館に、行ってみたいと思いました。史料館があるかどうかも分りませんでしたので、八王子市役所に電話をして聞いてみました。すると、「化石を集めて展示しているか分りませんが、コニカミノルタ・サイエンスドームに聞いてみて下さい」とのことでした。そこで、直ぐにサイエンスドームに電話すると、「確かに、サイエンスドームで研究していますので、化石そのものの展示はしていませんが、ご来館下さい。質問があれば、担当の者がお答えします」とのことでしたので、行くことに決めました。
 先ず、聖蹟桜が丘から京王八王子に行き、そこからバスで、八王子市役所に行きました。野外で昼食を食べたかったからです。孫と化石のある場所に行った時、市役所が見えたような気がしたのです。これは正解でした。市役所の横の鶴巻橋の上流に化石の場所があったのです。今日は、鶴巻橋の近くの土手のベンチで、化石の場所を見ながら、昼食にしました。
 昼食が終ったのは、1時半頃で、一旦、京王八王子に戻り、別のバスで、サイエンスドームに行きました。サイエンスドームというバス停で下りたのですが、それらしき建物が見つかりません。サイエンスドームに電話して、場所を確かめたところ、「直ぐ近くです。浅川方向と反対に歩き、最初の道路を右折すれば、直ぐにドームが見えます」と教えてくれました。その通りに、歩いた積もりでしたが、また見つかりませんでした。電話するのも悔しいので、コンビニで聞いたら、店員が道まで出て来て、スマホの地図を見ながら、「あの角を曲がって下さい」と教えてくれました。
 サイエンスドームについたのは、3時頃となり、割と年配の担当者が、対応してくれました。先ず、恥ずかしながら、メタセコイアは北アメリカ原産で、日本には存在しないと思っていたので、その事を質問すると、「メタセコイアは、2500万年前から生きていた木で、北半球の各地で化石が発見されています。しかし、既に絶滅したと考えられていました。所が、昭和20年中国四川省で、原木が発見され、現在日本にあるメタセコイアは、その子孫です」と言われました。「どうしてメタセコイアの森は、倒れてしまったのか」、「メタセコイアが閉じ込められた地層は、どの様にして出来たのか、それは何時頃か」、「地層を形成したのは、火山灰だったのか、泥流だったのか」「メタセコイアは、まだ石化していないようだけど、これでも化石なのか」等、他にも多くを質問しました。どの質問にも、丁寧な説明を受けましたが、長くなりますので、何れ別の機会に書きたいと思います。
3時半頃には、サイエンスドームを出ました。近くにあった、福禅寺と極楽寺を参拝しました。八王子には、沢山の寺があるようです。少しバスに乗っているだけでも、幾つもの寺を見ました。しかし、新型コロナの感染が落ち着くまで、御朱印は貰わないことにしています。
その後、バスで京王八王子に戻り、聖蹟桜が丘経由、5時近くに、家に戻りました。今日も汗だくになりましたが、熱中症の心配は無いようです。

「孫と共 化石探した 浅川を 遠目に見ながら 昼餉食うなり」

〇08月15日(土)。

 朝早く、妻から電話がありました。流石に自宅に閉じこもってばかりいたのでは辛いので、近所に買い物に出かけたり、外食も偶にはするようにしたそうです。その方が、人間らしい気がします。
昨日、市内バスで八王子の町を2往復しました。そのバスから見た八王子の街が、古い店が残っている所もあって、魅力的だったので、今日は、八王子の街歩きをしてみることにしました。八王子には、何度も来ているし、色々な場所を歩いているのですが、知らない所も、まだ沢山あるようです。
 昨日と同じように、京王八王子からバスで市役所に行きました。昼食を食べる場所が思いつかなかったので、昨日と同じ場所で、食べることにしたのです。今日も美味しく、弁当を食べました。自分の身体の事ながら、家での昼食には、身体が拒否反応を示し、少しでも歩いた後の外気の中では、拒否反応も無く美味しく食べられるのか、自分の身体のことが良く分りません。
 食後、乗ってきたバスで、八日町一丁目まで戻り、焼き物屋で梟の焼き物を買い、八王子夢美術館で絵を鑑賞し、八王子の繁華街を抜けて、JR八王子駅北口へ出ました。これで、今日の八王子散歩は終りです。京王八王子まで、10分弱歩いて、聖蹟桜が丘経由、我が家に戻りました。我が家に着いたのは、3時過ぎでした。
 一段落して、夕方のニュースを見ると、映画俳優の渡哲也が亡くなったそうです。ある時代を代表する俳優でしたので、様々な、過去の映像が流されていました。彼は、10日に亡くなったそうですが、人を呼んでの葬儀も、お別れ会もしないように、家族に頼んだようです。そんな訳で、彼の仲間の俳優達も、ニュースが出るまで、彼の死を知らなかったそうです。
死者は、何処にも存在しないし、何も感じません。死者に対する様々な行事は、生きている人の都合であり、問題です。私は、宗教が嫌いですから、死後の世界を神と絡めた形の行事は、やりたくないので、渡哲也の願いは良いことだと思います。しかし、最近年を取ると、世の中には様々な考えがあり、どの考えが良くて、どの考えが悪いと決められなくなりました。ただ、宗教を絡めた、日々の生活文化は、民族文化となり、民族文化は、他の民族文化を排斥する傾向があり、戦争に繋がった事が、実際にあったことを、忘れないで欲しいと思います。 
 今日は、日本の終戦記念日です。戦没者慰霊祭に、令和天皇夫妻が、参列されました。新型コロナの影響で、久し振りの公的行事への参加ではないかと思います。平成、令和の天皇は、これまでの天皇観を覆す、平和嗜好の強い方ですから、それが、今後も続いて欲しいと思います。しかし、天皇や日本文化と深く関係が有り、戦争を鼓舞する役目を担った神社に、終戦記念日になると参拝する閣僚が、存在するのですから、宗教と民族文化と戦争は、完全に縁を切るのは難しいようです。

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2020年8月11日 (火)

2020年08月06日

2020年08月06日

〇08月06日(木)。

 梅雨が終ってから、天気は良いのに、遠くの景色が見えないほど、霞の強い日が続いています。天気予報の説明に拠れば、太平洋高気圧の張り出し加減で、西之島の火山灰が、日本列島まで飛来し、この霞を作っているとのことでした。
 今日は、広島の原爆記念日なので、朝から祈念式典の様子が放映されました。このような式典は、人が自然と集まってくるのが、式典を盛り上げるのですが、新型コロナの影響で、人数は制限されるし、間を開けて座ることなど、世界に平和の尊さを訴える重要な式典が、極めて形式的なものに見えました。阿部総理の演説は、例年も決まり切ったものを述べるだけで、集まった人達に訴える力がありません。今年は、それが更に顕著でした。阿部総理は、我々の少し後の世代の、ノンポリの典型のように見えます。現在、私もノンポリになってしまいましたので、阿部総理が、何かを真剣にやる気が無いことが、分ってしまいます。
今朝の天気予報の解説者が、昭和記念公園の、小型の向日葵畑を紹介していましたので、今日は、昭和記念公園に行くことにしました。新型コロナの感染が広がり始めた2月の3連休の時に、この公園に孫達と行きましたが、その時の混雑振りは、年に4度か5度は、この公園を訪れる私に取っても、初めての経験でした。皆が、感染の恐れが少ない広い公園を、子供を遊ばせる所に、選んだような気がします。それが逆に、凄い密を生みました。
 今日は、普通の日ですし、新型コロナと共に生きることに、誰もが慣れてきたことや、真夏の暑さが強烈だった事もあり、広い公園としては、寂しいほどの人出でした。先ずは、大きな池の端のベンチで、昼食にしました。大きな木が日陰を作り、池からの風は、スムーズに通り抜ける絶好の場所でした。お陰で、弁当が、とても美味しく食べられて、私の健康の源となっています。
 昼食後は、何時ものように、向日葵畑、蜻蛉の湿地、日本庭園、こもれびの里、みんなの原っぱを歩いて、西立川口の方へ歩きました。結構な歩きとなりました。色んな所に花がありましたが、エンジュ(槐)、向日葵、禊萩、遅咲きの蓮の花、鷺草以外は、花屋の店頭から持ってきたような花が、沢山植えられていました。明後日から、鷺草祭が始まるそうです。弁当を食べた横に湿地では、川蜻蛉のような、蝶蜻蛉のような、珍しい蜻蛉が、枯れた蘆に止まろうと必死でしたが、風がそれを邪魔しました。何度も渡来して、漸く止まれた時には、心の中で、拍手を送りました。日本庭園では、カイツブリの番が泳いでいましたし、銀ヤンマ、コシアキ(腰空)蜻蛉、シオカラ(塩辛)蜻蛉達が、子孫繁栄のための追いかけっこをしていました。何しろ暑かったので、途中で、ソフトクリームを食べたり、スポーツドリンクを買って飲んだり、熱中症対策をしました。
 今日は、ゆっくり歩いたので、西友で買い物をして帰ると、5時を過ぎていました。シャワーを浴びて一休みしたら、晩酌の時間になりました。昨晩の残り物に、アサリバターとウィンナーを加えて、一人の晩酌となりました。

「池の端 肌を撫で行く 風と共 喰らう昼餉は 王のブランチ」
「枯れ葦の 先に止まらん 川蜻蛉 頑張れ頑張れ 君には出来る」
「花終えて 枝に可愛い 実がつきぬ この木何の木 白雲木なり」
「山法師 苺のような 実をつける 花しか愛でぬ 情けなき我」
「白鷺の 空舞う姿 何時も見て 真似ているのや 鷺草の花」
「公園の エンジュの花が 満開に 真夏の雲を 見ているようだ」
「夏来れば 君を見ずして 日は過ぎぬ 向日葵コロナ 悪さはしない」

〇08月07日(金)。

 今日は、東京も猛暑日になると天気予報で言っていました。熱中症アラートも出て、出来るだけ外出しないように、要請されました。特に、年よりは、この要請にしたがって欲しいと念を押されました。社会が豊になり、老人が家に居ても生きていける時代になりました。有難い事ですが、私は、家に閉じこもっては居られない性分です。今日は、野川公園へ行ってきました。
 老人には、時間があるので、チュウバスを乗り継いで行くことにしました。我が家の近くから府中駅まで約50分、府中駅から野川公園の側の多磨町まで、約40分掛かります。乗り継ぎが上手く行けば良かったのですが、四谷からのチュウバスが府中駅に着いた時に、多磨町行きのチュウバスが出てしまいました。次のバスまで30分あります。
 この時間に、妻に電話しました。朝妻から電話があったのに、チュウバスに乗るまで気がつかなかったのです。朝、の電話は、特別の用事があったわけでは無く、昨夜、新型コロナに関する良い解説番組があったが、その番組を見たかどうかを確かめたかったようです。妻も、政府や政府の息の掛かった専門家の言うことには、何か釈然としないと感じているようです。それが、昨夜の解説が良かったので、私も見ていれば、話がしたかったようです。
 結局、野川公園には、1時半近くに着きました。今年は、新型コロナの影響で、まだ学校が続いているようです。公園には、殆ど人が無く、深閑としていました。木の上から聞こえる蝉の声も、子供の声には勝てません。明日からの3連休には、多くの子供達の笑い声が聞けるでしょう。広い公園で、蝉の声を聞きながらの昼食となりました。
 2時には、昼食を終え、野川自然観察園に行きました。観察園の前の看板に、タコノアシ(蛸の足)、イヌゴマ(犬胡麻)、カライトソウ(唐糸草)等、私の知らない花の写真が張ってありました。期待して観察園の中を歩きましたが、ヤブラン(薮蘭)、ヤブミョウガ(藪茗荷)、センニンソウ(仙人草)ばかりが目立って、イヌゴマの他は見つけることが出来ませんでした。時期が終っていたのかも知れません。
 今日は、往復に時間が掛かるので、散歩はここで切り上げて、多磨町バス停に戻りました。すると、チューバスの横で、何かの撮影が行われていました。チューバスが、出発するぎりぎりまで撮影が行われ、発車した後も、カメラマンがチュウバスを追っていました。運転手に何を撮影していたのですかと聞くと、「どうも新型コロナに関するニュースのようですよ、チューバスの利用者が減ったことと外出自粛を関係づけているようでした」とのことでした。私に何か質問してくれれば、喜んで答えたのですがねー。
 今夜は、軽く野菜炒めを作り、後は、買い置きの生ハム、等を肴に、随分昔の映画「スタンドバイミー」を見ながら晩酌にしました。最近、私の時代の古い物を見たり聞いたりすると、感動というか、辛いというか、胸が締め付けられるような感じがします。私の中にしかない、私の人生は、もうすぐ終りを迎えるのだなーと思ってしまうのです。これが、年を取ることなのでしょうねー。

「飯と共 腹に染み入る 蝉の声 心に栄養 身体も元気」
「今盛り 観察園を 占拠する 茗荷と蘭の 藪藪コンビ」

〇08月08日(土)。

 今日は、結構雲が多く、午前中は、矢鱈と蒸し暑かったのですが、私が散歩に出る頃は、日差しが出て来て、本当の暑さになりました。
 今日は、夕方孫達が遊びに来るので、近場の百草園駅までを、歩いて往復しました。四谷さくら公園で、準備体操をして四谷橋を渡り、程久保川に入った所で昼食にしました。程久保川の八重桜は、この時期になると皆な虫食い葉となって、空が透かして見えるようになります。何故、ここの八重桜だけ、虫喰い葉になるのか、分りません。虫が食ったのではなく、落葉の前の、自然の出来事なのかも知れません。これ程の葉を食べる虫を見たことが無いのです。良く良く見ると自然は不思議なことが多いです。何れにしても、私は、この虫が喰ったような網の葉が大好きです。
 昼食後、落合交流センターを廻って、百草園駅に出て、用水脇の昔道を歩きました。早くも萩が咲き始めていましたし、ヘクソカズラ(屁糞葛)は至る所で咲いていました。この草の葉や茎を傷つけると悪臭を放つ事から、この名前が付いたそうですが、別名は、サオトメバナ(早乙女花)呼ばれるそうです。しかし、別名で呼ばれることは、無いのではないでしょうか、、、。
 百草園駅から少し入った所に、マジオドライビングスクール多摩がありました。ここの車が、野猿街道を走っているのはよく見かけますので、何処に自動車学校があるのだろうと思っていたのですが、こんな住宅街にあるとは思いませんでした。更に少し歩くと、電車から見える神社に出ました。神明社と呼ばれる神社でした。神社そのものは小さいのですが、一本だけある大きな欅が、瘤だらけでした。近所迷惑にならないように、毎年、枝を払っているようです。更に歩くと、新興の住宅地の中に、旧家が並んでいる所がありました。ちょっと脇道に入っただけで、色んな出会いがあるものです。
 四谷橋を渡って、我が家の前の土手に出ると、次男と擦れ違いました。今晩の孫達のための買い物に行ってくれたのです。次男は3時過ぎに帰ってきて、それから、次男と私で一品ずつ料理を作り、孫達を待ちました。私は、細いパスタ油で揚げ、皿うどんの麺とした、メキシコでの我が家の定番だった、皿うどんを作りました。次男は、肉豆腐を作ってくれました。孫達は、5時半頃に着くと思っていたのですが、1時間遅れの6時半頃に着きました。
 直ぐに、乾杯をして、楽しい夕食が始まりました。少し密ではありますが、誰も新型コロナに感染していないようですから、大丈夫でしょう。今晩は、私が作った皿うどん、次男が作った鶏肉炒めの他に、刺身、野菜サラダなどでした。とっても美味しそうに食べてくれました。
新型コロナの影響で、あれも駄目これも駄目と言われる今日、今夜のジイジの家での花火は、新型コロナ下の夏休みの、思いで作りのようでした。1時間足らずで、孫達の食事は終り、外も暗くなってきましたので、我が家の目の前の、水門の広場で花火をする事にしました。しかし、毎年やっている左側の広場には、先客が居ましたので、今年は、右側の広場でやることにしました。持って行ったライターが、家を出る時確かめたのに、広場では火がつかず、別のライターを取りに戻るなどのトラブルはありましたが、無事花火は始まりました。一番末の孫の喜びようは、大変なものでした。この素直な喜びが、他の皆も楽しくさせます。孫娘は、自分も楽しむけど、末の孫が楽しんでいるか、何時も気にかけてくれる、面倒見の良さが、花火の間中続きました。中学生になった上の孫は、打ち上げ花火など、難しい花火を見せてあげる大人の側に入って来ました。私に取っても、楽しく思い出深い日となりました。
 なんだかんだと、9時近く迄花火を楽しみ、我が家に戻りました。その後孫達は、風呂に入った後、珍しくゲームをやらずに、チェスやトランプで遊び、夜食を食べて12時過ぎに、眠りにつきました。孫達にとっても、新型コロナの難しくい夏休みの、良い思い出になると思います。

「八重桜 青空透ける 網の葉の 虫が食ったか 落葉前か」
「網の葉を 透かして空を 眺めつつ 喰らう昼餉に 元気を貰う」
「見守れば 屁糞の臭い しはしない 臭いしなくば 早乙女花よ」
「孫達の 喜ぶ顔が 闇に浮く 家族揃って 花火大会」

〇08月09日(日)。

 孫達は、昨晩、12時過ぎまで起きていたので、朝8時になっても、白河夜船のようでした。起すわけにもいかないので、8時過ぎから、近くの河原を散歩しました。今年に始めは、草一本生えていないような、砂利河原だったのですが、歩くのが難しいように、草が生い茂っていました。その中に、何故かベビートマトがあって、ちゃんと実を付けていました。現在の砂利河原で、一番勢力のある、背の高い大きな葉っぱの草の名前が分りません。
 9時過ぎに家に戻ると、娘が起きていました。そろそろ孫達も起きてくるだろうと、何時ものように、ご飯を炊き、味噌汁を作り、朝食の仕度をしました。9時半頃には、孫達も起きて来て、10時半頃から、朝食になりました。今日は、長崎の原爆記念日なので、原爆祈念式典の様子を、孫達と一緒に見ました。そして、原爆が投下された11時2分には、一緒に黙祷をしましたが、その後は、えらい人の話ばかりで、孫達には分らないので、テレビを消し、普通の会話に戻りました。11時半には、朝食が終りましたが、その頃に次男が起きて来て、一人で食事をしました。
 一休みしてから、我が家の定番のゲームである、UNOをやりました。娘の家族で新しく作られた、「7を出した人は好きな人とカード交換が出来る、0が出た場合は左回りに全員がカード交換する」というルールで、遊びました。勝つための計画が出来ないので、泥仕合の感があるのです。それでも、時間は掛かりますが、ちゃんと上がることが出来るのです。
 ゲームを楽しんで、2時頃から、上の孫の希望で、八王子の浅川に化石採集に向かいました。所が、途中娘が、少しお腹が空いたと言って、「スシロー」に寄ることにしました。末の孫が、「スシロー」「スシロー」と口癖のように言うらしいので、望みを叶えてやったのでしょう。八王子の「スシロー」入りましたが、その店が、娘の高校時代からの友人の家の近くだったので、食事の最後の頃に、友人が会いに来てくれました。実は、私も良く知っていて、色々話が弾みました。
 結局、化石採集をする場所に、5時頃に着きました。末の孫と孫娘は、暑い中での化石採集には、熱中症の危険があるので、娘と一緒に、別の所で待つことになり、上の孫と孫の父親、次男、私の4人で行きました。北も南も浅川は全て踏破したのですが、化石の場所は、初めてでした。メタセコイアの森の化石でした。私が想像していた化石とは違って、木の根元が森林火災の跡の様になって、泥岩から何本も突き出していました。それが石化していないのです。倒木となったメタセコイアの地層も見られました。でも何となく、何千万年前の化石とは思えませんでした。詳しいことは、後で調べたいと思います。上の孫は、木の樹脂が作る化石(琥珀)を必死で探し、掘り起こしていました。小さい物だと、色んな所にあるのですが、親指くらいの大きさになると、そう簡単には見つからないのです。それでも、必死で頑張り続けました。将来は、学者になるかも知れません。
 6時近くになって、化石採集を止め、娘が待っている車に行って、我が家に戻ることにしました。途中スーパーで、摘まみを買い足し、7時頃に我が家に戻りました。それから私は、ピザを焼き、次男は炒め鶏とパリパリのチョリソーを作りました。孫娘が好きな、ローストビーフを加えて、7時半過ぎから夕食となりました。何時もとは違った、濃い一日となりました。

「夏の午後 化石に挑む 上の孫 取り組む姿勢 未来は博士」

〇08月10日(月)。

 昨晩、夕食は、9時近くに終り、孫達はそれからゲームに熱中し、大人は、昔話に熱中して、寝たのは1時頃でした。そんな訳で、今日の朝食は、11時頃から始まり、終ったのは、12時過ぎでした。昼食から1日が始まったようなものです。
 2時近く迄、思い思いに休んで、2時半頃から、大人は麻雀、孫達は3人で遊べるゲームを楽しみました。4時過ぎ、大人の麻雀が終わった所で、全員でもう一度UNOをやり、孫達の短い夏休みの中の、爺の家での合宿は終りました。末の孫と孫娘は、最後の最後に、次男に手荒な「ぶん回し」をして貰い、皆満足して、5時半頃には、帰って行きました。
実は、我が家に娘家族が2泊したのは、初めての事なのです。新型コロナが無かった時期、娘家族は、連休ならば車で何処かへ出かけていましたので、我が家には、土日の一泊二日だったのです。年寄りが、動きの速い孫達と3日間一緒に暮らすのは、結構疲れる事を知りました。

「孫達の 動きに付き合う 余力無し 見ているだけで 充分満足」
「来るも良し 帰るもまた良し 孫達の 成長振りは 何時も嬉しい」

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2020年8月 6日 (木)

2020年08月01日

2020年08月01日

〇08月01日。

 昨晩、妻と一緒に、一一夜の月が、都会の明かりに負けないくらい輝いているのを見ました。夜、月が出ることを忘れるくらい、曇り空が続きました。今朝は、雲は多いものの、青空も見える朝でした。7月が終り、8月に突入しました。どうやら関東地方も、梅雨明けになったようです。それしても、長い梅雨でした。
 妻と一緒に、コンビニのサンドイッチやお握りなどで朝食にしました。話をしながら食べるのであれば、外でなくとも、美味しく食べられました。朝食の後暫くして、妻の買い物に付き合い、12時過ぎには、妻と別れて家路につきました。
 しかし、今日は、どうしても原宿の「ふくろうの里」に行ってみたいと思いました。先日、テレビで、新型コロナの影響で、この「ふくろうの里」に殆ど客が来なくなったとのニュースが流れました。以前、代々木公園で、梟を連れて「ふくろうの里」を宣伝している、二人の若い女性に会ったことがあり、何時かは行ってみようと思っていたのです。
 取り敢えず、原宿に行ったら、原宿駅明治神宮側の駅舎が、様変わりしていました。便利で見栄えも良くなりました。東京では、今年に予定されていたオリンピックを目標に、多くの工事が実施され、それが完成を迎えているようです。最近、私が経験しただけでも、東京駅と新宿駅の東西自由通路、千駄ヶ谷駅、飯田橋駅、原宿駅の駅のホームと駅舎です。都心の方には、妻と会う時くらいしか出て来ないのですが、矢張り都心は、変化が多いです。
 代々木公園で昼食を食べ、竹下通りへ行ってみました。うろ覚えですが、その辺りに、「ふくろうの里」があると思っていました。所が簡単に見つからないので、通りで、動物と触れ合いの出来る場所を宣伝している若者が居たので、「ふくろうの里」の場所を聞いてみました。すると若者は、この直ぐ先に「ふくろうの森」がありますよと教えてくれました。森では無く里だったよなーと思いつつ暫く歩くと、「ふくろうの森」がありました。矢張り、テレビのニュースになった「ふくろうの里」ではありませんでした。しかし、ビルの地下に、小さな森らしきものを作り、多くのふくろうが木に止まっていました。その梟達を見て、写真を撮るだけで、入場料が700円で、カフェでも何でもありませんでしたが、大いに満足し、出口に置いてあった梟の置物を、5個ほど買いました。そこをでる時、係員に、「この近くに「ふくろうの里」ありませんか」と聞いたら、「原宿通りを新宿方向へ歩き、坂下の原宿駅を超えたら、右に入ればありますよ」と教えてくれました。
 教わった通りに歩いたつもりでしたが、中々見つからず、先に東郷神社を見つけてしまいました。こんな所に、神社があるとは思ってもいませんでした。参拝をして、一通り境内を歩いて、原宿通りへ戻りました。直ぐ近くですが、どうしても見つからないので、スマホを持ちながら歩いている若者に、「ふくろうの里」を聞いてみたら、若者は直ぐにスマホの地図を出して、あっという間に場所を教えてくれました。何度もお礼を言いましたが、若者は表情も変えず、去って行きました。最近の若者は、本当に上手にスマホを使います。私も早くこのアプリの使い方を覚えたいと思いました。
それにしても、「ふくろうの里」は、ビルの4階にあり、入口の看板も小さく、これでは分らないはずです。客を呼ぶ気があるのか、疑ってしまいました。店は、カフェバーで、カウンター席が4席、10畳程度の畳の部屋だけでした。梟達は、ベランダの小さなスペースに作られた、丸木の棒に10羽程が、繋がれていました。繋がれるのは、「ふくろうの森」でも同じですが、作り物の森の中ではありますが、少し距離が置かれていて、繋がれているのではなく、木の枝に止まっている感じでした。所が、「ふくろうの里」では、数珠繋ぎに繋がれ、囚人に似ていると感じました。今後、「ふくろうの里」には、来ることは無いでしょう。
原宿から、新宿へ出て、聖蹟桜が丘に戻りました。我が家の方へ向かうバスに乗ると、急に雨が降り始めした。かなり強い雨でした。所が、バスが四谷橋に近づくと、雨は止み、道路も乾いていました。一握りの雲がもたらした雨のようでした。
今日の夜は、次男との酒になりました。酒の肴は、一昨日の残り物でしたが、美味しく楽しく飲むことが出来ました。

「梟の 置物好む 我なれど 生きた見世物 好みにあらず」

〇08月02日(日)。

今朝は、空に青空が広がり、本当に梅雨が明けたのだと思いました。お陰で、陰鬱な気分にならずに、1日が始まるようになりました。
今日は、壊れてしまったカメラの本体を買う決断をしました。先ず、四谷橋の袂で、多摩川の流れを見ながら、昼食を食べ、聖蹟桜が丘に行きました。修理を依頼した、ビッグカメラで買うことにしたのです。以前に下見をしていたので、買うカメラは、ほぼ決まっていたのですが、店員に色々質問をして、自分の考えに間違いが無いか確かめました。どうやら、大きな間違いが無かったので、予定したカメラを買いました。
 家に持ち帰って、電池を充電するなど下準備をした後、説明書を見ながら、カメラを使えるようにしようとしました。所が、最初から躓きました。なんと、スマホに指定されたアプリをダウンロードし、それをカメラに取り込み、スマホとカメラをペアリングさせると書いてありました。私は、何故こんなことをしなければならないのか、理解が出来ませんでしたし、そもそも、アプリをどうやってダウンロードするのかが分らないのです。電池を入れて、メモリーカードを入れれば、取り敢えず写真は撮れると思っていたのですが、間違いでした。明日、ビッグカメラに行って、取り敢えず撮せるようにして貰おうと思いました。
 カメラの基礎的なセッティングに、午後中掛かって奮闘しましたが、結局失敗し、夜は、次男と一緒に酒を飲みながら、クリントイースト・ウッドの「運び屋」という、年寄りの生き方のような映画を見ました。彼自身、この映画を撮った時、90歳くらいではないかと思われます。映画は、老いの生き方をテーマにしたものでしたが、彼自身、長生きし過ぎたと思っているような節が見えました。

〇08月03日(月)。

 空全体が、青空というわけではありませんでしたが、梅雨とは違った夏の朝でした。
 今日は、先ず聖蹟桜が丘のビッグカメラに行きました。折角、大きな決断をしてカメラを買ったのですから、使えるようにならないと意味がありません。ビッグカメラの相談コーナーに行って、順番を待ちました。5分程度で、順番が来て、若い男子店員が、対応してくれました。取扱説明書を見せて、スマホにアプリをインストールする事が出来ないというと、説明書を見た店員は、「今スマホをお持ちですか」というので、スマホを渡しました。すると、いとも簡単に、アプリをインストールし、カメラとのペアリングが出来るようになり、シャッターボタンが押せるようになりました。写真が撮れるようになったのです。私が、喜んでいる様子を見て、店員もとても嬉しそうでした。最後に、店員に何故こんなことをする必要があるのか聞いてみたら、「写真を撮った時間と場所が、カメラも分るようになるのです」と教えてくれました。時代は、進み続けているんですねー。
 新しい写真機を持って、近くの桜が丘公園に行きました。散歩と言うより、カメラの試し撮りのようなものでした。公園内で、昼食を食べ、早めに自宅にもどることにしました。西友で買い物をしても、2時過ぎに自宅に着きました。
 自宅に戻って、今日撮った写真を、パソコンに写そうとしたら、今までのUSBコードが使えないことが分りました。明日またビッグカメラに行って、新しいカメラに合うUSBコードを買わなければならなくなりました。
 今日は、大学のOB会のオンライン会議が行われる日でした。ここでもまた、問題がありました。オンライン会議で使う、ZOOMと言うアプリを、スマホにはインストールして貰ったのですが、大学のOB会からは、オンライン会議の場所への入り方を示したURLが、パソコンに送られてきたのです。このURLをスマホに転送するか、パソコンにZOOMをインストールするか、何れかをやらなければ、オンライン会議に参加出来ません。結局、パソコンの画面の方が大きいので、パソコンにZOOMをインストールする事にしました。
 このインストールは、比較的簡単にできました。OB会から送られてきたURLを開くと、「ZOOMをインストールしていない方は、インストールを選択して下さい」と指示がありあり、指示通りインストールを実行しました。その後、会議に参加するを選択すると、パスワード入力が要求され、入力すると、画面に私の顔が映りました。まだ、会議は始まっていませんでしたが、会議に参加出来ることは、分りました。
 オンライン会議は、午後6時半からだったので、5分前にZOOMを立ち上げ、会議に参加すると、私が一番乗りでした。画面の顔に参加した順に番号が付くようでした。会議は時間丁度に始まり、参加者は、29人でした。OB会長の司会で会議が始まりました。何時もの常任委員会と変わらない感じで、会議は進行し、OB会長の最後の挨拶で、8時半近くに会議は終了しました。本来ならば、OB会長の御苦労様会が、盛大に行われるはずですが、新型コロナの影響で、開催は出来ませんでした。それが今一つ残念でした。私が生きてきた時代では、区切り区切りで、全て酒宴がありました。新型コロナの影響で、様々な変化が起こり、私も色んな変化を経験する事になりました。
 約2時間、パソコンの前に座り続けていました。座り続けるのも疲れます。リビングに移ると、次男が既に晩酌を始めていました。今日は、私の方が遅れて参加し、今日1日のことを話しながらの酒となりました。寝る前にベランダに出ると、14夜の月が、煌々と輝いていました。

「森陰に 木漏れ日浴びた 薮蘭を 狙って一枚 新型カメラ」
「草の上 塩辛蜻蛉も 試し撮り 上出来上出来 新型カメラ」
「一四夜 輝く月も 試し撮り これは難し 光る被写体」

〇08月04日(火)。

 朝から、良い天気でした。つい最近まで続いていた梅雨の朝が、どんなだったかを忘れてしまいました。
 午前中の仕事を終えて、午前11時頃には家を出て、聖蹟桜が丘に行き、3日連続ビッグカメラに行きました。店は比較的空いていたので、カメラ売り場にいた女性店員に、このカメラのUSBコードが欲しいと伝えました。彼女は、私に商品名を教えようとしたのでしょう、私のカメラの名前で、スマホで検索しました。すると彼女が言うには、カメラ会社は、既にこのUSBコードは、製作していないとのことでした。えーと暗澹たる気持になりました。所が、女店員は、USBコードを専門に作る会社があり、コードそのものは、この店にも沢山ありますとのことでした。そこで、「このカメラのUSBコードの端子は、こんな感じなんですけど」と端子の口を彼女に見せると、彼女は、「お客さん、その端子は、テレビに繋ぐ時の端子で、パソコンに繋ぐ時は、こちらの端子です」と教えてくれました。その端子を見たら、どうも、現在使っているスマホ用のUSBコードが使えそうでした。またしても、私の好い加減な思い込みで、余計な時間を使ってしまいました。
 今日は、神代植物公園に行くと決めていました。先ず、植物多様性センターに行き、栃の木の下で昼食にしました。3ヶ月近く前にも、ここで食事をしたと思います。栃の実が随分大きくなっていました。今日、ここで初めて、小さな水草、ガガブタ(鏡蓋)の花を見ました。花は小さなカラスウリ(烏瓜)のような花でした。それにしても、なんと変な名前でしょうか、名前の由来が分りません。
 植物多様性センターから、神代植物園に移りました。入口近くの池に、本来温室で育てられている、オオオニバス(大鬼蓮)が、数株浮かんでいました。1つの株には、花が咲いていました。多分ブラジルが原産の蓮だと思いますが、大和国の桜の木の下で、大きなたらいのような葉を、幾つも浮かべていました。植物園は、今、花が少ない時期で、木槿も終りが近く、レンゲショウマ(蓮華升麻)が少し、ヤブミョウガ(藪茗荷)が、森の所々で咲いていました。
 植物園から、深大寺に入り、最後に水生園に行きました。現在見られる花は、ミソハギ(禊萩)だけでしたが、恋が成就し、番となった銀ヤンマを見る事が出来ました。子供の頃、必死の思いで銀ヤンマの雌を捕まえ、棒の先に糸で結び、それを大きく回すと、雄が何匹も寄ってきて、何時も10匹以上の銀ヤンマの雄を捕まえたものです。捕まえたからといって、何するわけでもなく、何匹も重ねて糸で吊し、縁側に吊しました。こうした少年の頃を、思い出させて貰って、今日は、満足でした。人は、何故、何十年も前のことを、憶えていられるのでしょうか、何処に、どの様に蓄えているのでしょうか、何もかもが不思議です。
 深大寺から、京王線「つつじヶ丘駅」に出て、我が家に4時過ぎに戻りました。直ぐに、スマホから写真をパソコンに移す時に使ったUSBコードを、カメラに繋ぐと、問題なく繋がり、カメラの写真をパソコンに移すことが出来ました。写真も問題なく撮れていました。この3日間のカメラ騒動が、一段落しました。このカメラには、5年間の保証も付けましたので、5年間の保証が切れる頃には、私の命も終る頃でしょう。老いを一緒に暮らす、友達カメラとなりました。
 今日は、一五夜満月でしたので、寝る前に空を見ました。薄い雲があって、昨夜ほどの輝きはありませんでしたが、綺麗な月でした。

「水槽に 空から落ちた 星のよう 地上で輝く 鏡蓋の花」
「桜木の 下の池面に 浮かびたる 外国渡来 大鬼蓮」
「木漏れ日が スポットライトの 藪茗荷 暗き森陰 舞台に変わる」
「禊萩の 取り巻く池に 銀ヤンマ 恋は実りて 番で飛び行く」 

〇08月05日(水)。

 向ヶ丘の七生丘陵が霞んでいて、晴れているのか曇っているのか分らないような朝でした。しかし、8時くらいになると青空が見えるようになり、夏空に変わりました。
 今日も、聖蹟桜が丘に行くことになりました。実は、ロト6の数字4つが当たり、賞金8400円が貰えることになったのです。数字4つが当たるのは、過去にも3回ほど経験していますが、今回約3年振りくらいで、久し振りで嬉しかったので、直ぐに賞金を貰いに行くことにしたのです。中河原経由、関戸橋を渡って、聖蹟桜が丘まで歩いたのですが、猛烈な暑さでした。
 賞金を貰った宝籤売り場で、サマージャンボ10枚3000円、次のロト6のため1000円を使いました。また数独の本が終りそうだったので、1冊買いました。770円でした。次に、我が家の近くのショッピングモールのノジマで、プリンターのインクを買い、それが1900円でした。最後に、カット専門の散髪屋で散髪し、1100円を使いました。結局、7700円を使い、700円が残りました。頭は夏向きにすっきりしましたし、もうプリンターを使うのは止めようかと思っていたのですが、暫く使うことにしました。賞金のお陰で、少し変わった刺激を貰って、楽しい一日となりました。
 夜は、ほうれん草のバター炒め、エリンギ炒め、トマトサラダを作り、買い置きのチーズなどを摘まみに、ワインを飲みながら、黒澤明監督の「八月の狂詩曲」を見ました。長崎の原爆の映画でした。長崎で原爆を経験した祖母と、原爆のことを何も知らない孫達との一夏の話でした。私は、長崎に原爆が落ちた時、まだ一歳にならない子供でしたので、原爆が投下された時の事は、何も憶えていません。しかし、8日後の8月17日に、爆心地から2キロ程度の、祖母の実家で、父の実家でもある城山町の家に戻りました。それから、祖母が亡くなるまで、一緒に暮らしました。映画は、私が祖母と暮らした時を彷彿させました。祖母は、戦後になっても、飛行機の音が聞こえると、慌てて電気を消し、布団の中から外を窺っていました。戦時中、城山にも焼夷弾の雨が降ったそうで、何度も山や畑が焼かれたそうです。父から聞いた話ですが、祖母には、9人の子供がいたそうですが、幼年で1人病死し、1人は事故で、2人は戦場で、3人は原爆で死に、父と末の妹2人だけが生き残ったそうです。
8月になると、毎年、原爆に関連する映画が、テレビで放映されます。今年は、私の年と同じ、戦後75周年の節目の年なので、何時もの年より多くなるかも知れません。私の原点、少年時代を思い出しました。

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«2020年07月26日